弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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○ 主文
本件各控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
○ 事実
控訴人ら訴訟代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は各控訴人に対しそれぞれ別
紙目録記載の金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」
との判決ならびに右第二項につき仮執行の宣言を求め、被控訴人指定代理人は控訴
棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張ならびに証拠の関係は次につけ加えるほかは原判決事実摘示のと
おりであるからこれを引用する。(但し、原判決六〇枚目裏七行目の「六九号証」
の次に「、第七〇号証の一、二」と挿入する。)
第一、控訴人らの主張
一、人格なき社団である控訴人らはそもそも租税義務能力を有しないことについて
原判決は、控訴人らの「人格なき社団は実体法上権利能力を有しないから義務能力
もなく、したがつてそもそも租税債務の主体たり得ない。そして、人格なき社団は
実体法上権利能力を有し得ないから所有権を取得する能力がなく、したがつてこれ
に対して納税義務を課してもその履行は原始的に不能である。」との主張を排斥し
た。
1 しかし、原判決はつぎの諸点において根本的に誤つている。
(1) 第一に、原判決は人格なき社団についてのわが国の法的取扱い原則に反し
ている。
わが国における人格なき社団についての法的取扱い原則はつぎのとおりである。す
なわち、わが国においては、私法関係においても、公法関係においても、権利義務
の主体たりうるものは、原則として人格者―自然人または法人に限られ、人格を有
しないものは、たとえそれが社団としての組織を備え社会的実体として活動してい
ても、社団そのものとしてそれに権利義務の帰属を認めることはできない(民法第
三三条以下とくに第三四、三五および四三条参照)。
民事訴訟法第四六条は、法人でない社団または財団で代表者または管理人の定めの
あるものに当事者能力を認めているが、この規定は法人でない社団又は財団そのも
のが実体的な権利義務の帰属主体であることを認める趣旨の規定ではない。人格の
ない社団の権利義務は、実体的にはその社団構成員全体に総有的に帰属するのであ
る(東京地方裁判所民事第二部昭和三六年(行)第五六号昭和四〇年六月二二日判
決参照)。
その結果、「社団」の財産は、社団自体に帰属するのではなく、団体構成員の総有
に属する。また「社団」自体に不動産の登記能力もない。要するに社団は、法人と
なることによつて、はじめて権利義務の主体となる能力―人格を法的に承認される
のであつて、人格なき社団は私法関係においても、また公法関係においても、法的
には原則として権利義務の主体とはなりえないのである。これが日本の法体系の建
前である。
しかるに原判決は、右原則に反しており、誤りは明白であるといわなければならな
い。
(2) 第二に、原判決は「私法上権利義務の主体たりえない人格なき社団に対し
(租税法を含めて)公法がこれに権利能力を賦与するかどうかは全く立法政策の問
題であり、民法上権利能力を有しない、したがつて社団そのものとして所有権を取
得する能力がない人格なき社団に対し、租税法上納税義務の主体となる地位を賦与
しても(租税法の特殊性から)何ら差支えない」と判示した。
しかしながら、租税は、その本質上、納税義務者(又は一定の場合の徴税義務者等
以下同じ)の有する財貨を国家がその権力に基いて徴収するものである。したがつ
てその前提として納税義務者となるべきものは、当然に財産を所有することができ
るものでなければならない。ところで現在の法体系において財貨を所有することの
できるものは、人格者のみであり、人格なき社団はこれに含まれない。
原判決は、「租税法上においてはある社会的な事実の法的評価よりもその経済的評
価を重視する」とか、「法律上、人格なき社団そのものに所有権を取得する能力は
ないけれども、社会的な現象としては人格なき社団がみずから財産上の権利を取得
し、義務を負うような外観を呈しているから」とか「社会的な現象として人格なき
社団そのものに帰属するものとみられる財産によつて納税義務を履行すれば足りる
から」とかの理由で、権利の帰属関係―私法的法律関係と公法関係―租税関係とを
いたずらに分裂させ、租税関係も結局は租税債権として納税義務者の私法的法律関
係、ここでは納税義務者に帰属するところの財産権を目的として成立しているもの
であることを忘れて了つたのである。
(3) 第三に、さきに述べたわが国における人格なき社団の法的取扱い原則から
すれば、かりにこれに納税義務を課することができるとされる場合においても、こ
れに納税義務を課することはあくまでも別外なのであるから、わが憲法上の原則で
ある租税法律主義に照らし、そのためには、その旨とくに明文の規定を必要とする
と解すべきであるにもかかわらず、原判決は右解釈に反し当該法規の解釈によつて
定まる問題であるとしているのであつて誤つている。
(4) 第四に、もし労音のように会員の総体と離れて存在しない人格なき社団イ
コール会員の総体である人格なき社団について原判決のいうように入場税の納税義
務があるとすると、つぎのとおりの矛盾が現出する。
すなわち、原判決によれば、例会の主催者は、人格なき社団である労音そのもので
ある。また会員全員は入場者であるとされる。
しかし、例会の主催者が人格なき社団である労音そのものであるといつてみたとこ
ろで、労音は、労音を構成している会員全員そのものであり、これと離れて存在す
るものではない。
しかも、労音そのものは、人格なき社団として、法的には、所有権能力その他財産
法上の権利義務の主体たりうる能力を欠き、したがつて原判決のいう労音自身の所
有に属する財産であるとみられるものは、実は労音を構成している会員全員の総有
に属するものである。
しからば、人格なき社団である労音に対する課税処分は、とりもなおさず労音を構
成している会員全員に対するもの、会員全員の総有財産を引きあてとする課税処分
である。
そうすると、労音の会員全員は、人格なき社団である労音の構成員として、労音
(即ち構成員である会員全員)に対する納税義務を、自己の(総有)財産によつて
負担することになる。
他方、原判決によれば、労音の会員全員は入場者であるとされるのであるが、入場
税法は、入場税の納税義務者を「経営者」又は「主催者」とし、「入場者」として
いないのであるから、入場者である会員全員は納税義務者ではない。
ところで、原判決が主催者であるとする労音の構成員は労音会員全員であり、原判
決が入場者であるとする労音の会員全員と全く同じである。
右の次第であるから、原判決の論理に従えば、結局、労音の会員全員は一方で例会
の主催者―納税義務者として、その総有財産によつて納税義務を負担する者である
と同時に、他方で例会の入場者であるという事になる。
換言すれば労音の会員全員は、「入場者」であると同時に「主催者」―「納税義務
者」という事になる。そうすると、納税義務者を主催者とし、入場者を納税義務者
と規定していない入場税法に矛盾することになる。
二、控訴人らは人格なき社団であるから入場税法上の「主催者」となる資格がな
く、したがつて入場税の「納税義務者」ではないことについて
原判決は基本的に立法論と解釈論を混同し、租税法律主義に違背する外、納税義務
者と特別徴収義務者とを混同するなど重大な誤りを犯している。以下そのうち二、
三の点についてのべればつぎのとおりである。
1、第一に原判決は「「主催者」の中に人格なき社団が含まれるかどうかは一見し
て明白であるとはいえない。」が、「明文の規定がなく」ても「人格なき社団が入
場税の納税義務者でないと断定することはできない」と判示した。しかし、右判示
は憲法上の原則である租税法律主義に反し、立法論と解釈論とを混同している。
日本憲法が採用している租税法律主義(第三〇条、第八四条)によれば、納税義務
者、課税物件、課税物件の帰属、課税標準税率等の課税要件については勿論のこ
と、税徴収の手続も法律又はその委任に基く政令等によつて明確に定められている
ことを要する。したがつて、さきに述べた人格なき社団の法律上の地位とを併せ考
えるならば、人格なき社団に入場税の納税義務を課するためには、少とも所得税
法、法人税法のようにその旨の明文の規定を設けなければならない。
ところで入場税法上、人格なき社団が納税義務者であるとの明文の規定がないこと
は原判決も認めているところである。しかるに、原判決は「人格なき社団が納税義
務者でないと断定することはできない」といつたばかりでなく、以下にのべるとお
り理由にもならない理由を根拠に、これに納税義務ありと判示したのである。
したがつて、原判示は憲法上の原則である租税法律主義に違背する。
のみならず、原判決は入場税の実質的負担者を入場者であると独断したうえ、「納
税義務者を主催者と定めたのは単に徴税上の便宜に基くものであるから」 「人格
なき社団がこれに含まれるか否かはそれ程重要な意味をもたない」と判示した。
しかし、その立法理曲が如何なるものであるにせよ、現行の入場税法上、納税義務
者は明らかに「主催者」であり、そのいわゆる「実質的負担者」であるとされる
「入場者」ではない。だから主催者は単に徴税上の便宜から納税義務者とされたと
いつてみても、ひとたび納税義務者とされた以上は、結局その者の財産によつてそ
の課された義務(租税債務)を履行しなければならないのである。したがつてある
ものが、本件の場合には人格なき社団が主催者に含まれるかどうか、したがつてま
た納税義務者に含まれるかどうかは、そのものにとつて極めて重大な問題であつ
て、それ程重要な意味をもたないものであるとは到底いうことをえず、軽々に「立
法論」から飛躍して、これに含まれると解釈することはできないのであつて、も
し、これを主催者に含ましめる必要がある場合、したがつてまた、これに納税義務
を負わしむる必要がある場合には、租税法律主義からいつてその旨明確に規定しな
ければならない。また、いくら徴税上、便宜だからといつて明文の規定(明文の法
的根拠)もなしに、人民―本件の場合には人格なき社団に対し、義務―本件の場合
その最たる納税義務を課することができるとなすことは、立法論と解釈論を混同す
るものであつて到底許されるものではない。
要するに、人格なき社団が入場税法上、納税義務を負うか否かは一にかかつてこの
「主催者」に人格なき社団が含まれるか否かによつて決まるのであり、それは、租
税法律主義の建前からして明文の規定の有無によつて決まるべきものであり、立法
論によつてこれを左右すべきものではない。
しかるに、原判決は人格なき社団に納税義務を負わせる明文の規定がないのに、前
記立法論を理由に、人格なき社団が「主催者」に含まれ、したがつて納税義務者で
あると解釈したのであり、これは前記租税法律主義の原則に照らし、明らかに誤つ
ている。
2、第二に原判決は「入場税の実質的負担者は入場者であり」 「主催者は徴税の
便宜上納税義務者とされた」ものであるとし、それを根拠に事実上納税義務を特別
徴収義務、したがつて納税義務者と特別徴収義務者とを混同し、入場税の納税義務
者をあたかも特別徴収義務者の如くに論じ、そこから「主催者」について、法人格
の有無を問わないから、人格なき社団もこれに含まれるものと解すべきであると結
論している。
しかしながら入場税法上、主催者は明白に納税義務者であつて特別徴収義務者では
ないのであるから、右判示は誤つているし、また入場税の実質的負担者を一概に入
場者と断定することができるかどうかについては問題がある。
「入場税の実質的負担者は入場者である」との判示についていえば、自由競争が行
われている以上入場税を入場者に転稼することができない場合には、実質的にも
「主催者」がこれを負担せざるをえないことは自明の理である。一方、入場税法
は、かかる転稼の有無にかかわりなく、主催者を納税義務者と規定しているのであ
るから、法の建前上は、主催者は納税義務者であると同時に入場税の実質的負担者
でもあるといわなければならない。
以上のとおり、主催者は、納税義務者とされていても実質的には特別徴収義務者と
同じであるとの誤つた前提に立つて、主催者の中に人格なき社団が含まれると解す
べきであると判示した原判決は誤つている。
のみならず、仮に原判決のとおり、入場税法上の主催者、つまり納税義務者が実質
的に負担しているのは特別徴収義務であつたと仮定したとしても、特別徴収義務で
あれば、これを課するについて明文の規定を必要としない訳ではない。特別徴収義
務もこれを怠つた場合には、当該義務者の財産に対し強制執行が為されるなど、納
税義務にも匹敵する重大な義務なのであるから、これを課するためには、これまた
明文の規定を必要とするのは租税法律主義からいつて極めて当然のことである。
したがつて、仮に主催者の負う義務が実質的に特別徴収義務であつたとしても、そ
れをもつて「主催者」に人格なき社団が含まれると解釈すべき根拠となすことはで
きない。
3、第三に原判決は「第八条第一項の免税規定の別表上欄に人格を有しないものが
多いと考えられる学生、卒業生あるいは社会教育関係等の団体が掲げられているこ
とをもつて人格なき社団にも入場税の納税義務があるとなす一根拠にしている。し
かし、入場税法上納税義務者に関する基本的法条は同法第一条ないし第三条であ
り、これを補充しているのが第二三条および第二五条ないし第二八条の規定であつ
て、これ以外に納税義務に関する規定は存在しない。納税義務に関する基本的な法
条で権利能力のない社団を納税義務者として明記していない以上、権利能力のない
社団は納税義務者ではない。別表はことの性質上基本法条をうけてそれに基いて定
められたものである。
したがつて別表によつて基本法条が修正される道理はない。
しかも別表は免税興行に関する規定に附属しているものであつて、納税義務者を定
める条文に組み入れられているものではない。だから社会教育法の適用については
ともかく、入場税法の適用については別表にいう「社会教育関係団体」等とは、そ
のうち権利能力を有する団体だけに限られると解すべきである。
何となれば、右別表には「社会教育法第十条の社会教育関係団体」等と規定されて
いるだけであつて、権利能力のない社団までが入場税法の納税義務者であると明記
されているわけではない。社会教育法第十条は「この法律で『社会教育関係団体』
とは、法人であると否とを問わず、公の支配に属しない団体で社会教育に関する事
業を行うことを主たる目的とするものをいう」と規定しているものである。社会教
育法において、権利能力のない社会教育関係団体が同法の適用対象とされているの
は、同法の性格、内容からいつて当該団体が法人であるかどうかを問題にする格別
の必要はないし、また、同法の適用対象が法人であるか否かを問わず、社会事業を
行なうことを主たる目的とする団体に広く及ぶことはむしろ望ましいことだからで
ある。
そういう団体が入場税法第八条別表上欄に掲げられているからといつて、ただち
に、入場税法第三条の「主催者又は経営者等」のうちに「権利能力のない社団」を
含むということはできない。なぜならば、租税法は社会教育法の立法趣旨とは全く
異なり、国民に与えるための法規ではなく、一方的に奪いとり何等の反対給付も与
えない法規だからである。租税法規にあつては、その性格からみて、いささかの疑
義の存在も許されないし、行政庁による恣意的な拡張解釈や類推解釈も許されな
い。このことは、租税法律主義の中核命題―「明確の原則」―が要請する帰結であ
る。
この原則に従うならば、社会教育法第十条の社会教育関係団体の範囲は、自ら限定
されねばならない。即ち、同条にいう社会教育関係団体の範囲が、自動的にすべて
入場税法の納税義務者でなく、明確に納税義務者と定められたものだけが、納税義
務者となるのである。(換言すれば、入場税法は個人および法人)を納税義務者と
している関係上社会教育関係団体であつても、それが法人である限り納税義務を負
うので、社会教育法との関連から第八条別表上欄にかかる団体に対しては免税する
旨を規定しているのである。したがつて、入場税法第八条別表上欄により免税の扱
いをうけるのは、社会教育関係団体のうち、法人格を有するものだけであり、法人
格を有しないところの団体は免税の取扱いをうける迄もなく、もともと納税義務が
ないのである。)しかして、入場税法の納税法の納税義務者に関する基本法条は、
同法第一条乃至第三条であり、それに、入場税法が納税義務の承継(第二三条)お
よび両罰規定(第二五ないし二八条)についてともに人格なき社団をその対象とし
ていないこととを併せ考えれば、入場税の納税義務者は個人又は法人に限られると
合理的に解される点からしても明らかである。要するに、社会教育法上、「社会教
育関係団体」とは法人であると法人でない団体であるとを問わないというのであつ
て、他の法律とくに税法の領域、例えば前記別表上欄第四の「社会教育関係団体」
の解釈に、嘴を入れているのではない。
また、「児童、生徒、学生、又は卒業生の団体」は、必ずしもそのすべてが法人格
を有しているとは限らないことは原判決のとおりであるけれども、だからといつ
て、それを理由に人格なき社団にも入場税の納税義務があると為すことは誤りであ
る。何故なら、この「児童、生徒、学生、又は卒業生の団体」とは、法人格を有す
る場合のみについて同法第八条が適用されるものと解することができるし、また解
釈しなければならないからである。このことは、税法上の納税義務者に関する規定
は明解に規定さるべきであり、その規定は厳格に解釈すべきものである、との租税
法律主義の建前からすれば当然のことである。
しかるに原判決は入場税法第一条乃至第三条、同法第二三条、同第二五条乃至第二
八条の規定の連繋解釈から離れて、免税に関する前記別表上欄第一及び第四の規定
から機械的に解釈し、これを人格なき社団について納税義務を認める一根拠とした
のである。したがつて右判示は納税義務者に関する規定の理由なき類推、拡張解釈
であり、納税義務者に関する規定の類推、拡張解釈は憲法第八四条の規定に違反し
て許されない。
なお、原判決はその他「公平の原則」云々を判示したが、これこそまさに立法政策
の問題であろう。もし人格なき社団に納税義務を認めないことが右原則に反すると
いうのであれば、その当否はともかく、所得税法、法人税法、相続税法でそうした
ように、その旨の明文の規定を設けて訂正すればよいのである。それなきに拘ら
ず、右の理由で明文の規定がないのに人格なき社団に納税義務を負わせることはで
きない。
4、つぎに原判決は、「入場税法第二三条および第二八条はいずれも納税義務者を
定めた規定ではなく、単に徴税の実効を期するために設けられた規定であるから、
かかる規定において人格なき社団がその規則の対象に加えられていないからといつ
て、また、原告ら主張のような入場税法第二八条改正の経緯があつたとしても、こ
のことから人格なき社団が入場税法第三条の納税義務者に含まれないものと結論付
けることはできない。」と判示した。
しがしながら、「徴税の実効を期するために設けられたとされる規定」に人格なき
社団がその規制の対象として含まれていないという事は、とりもなおさず、入場税
法が、人格なき社団を納税義務者として予定していないことを示すものであると解
釈すべきである。
のみならず、「入場税法第二八条改正の経緯があつたとしても、このことから人格
なき社団が入場税法第三条の納税義務者に含まれないものと結論付けることはでき
ない」との判示は、右改正の経緯からしても誤りである。
5、最後に、この「主催者」に人格なき社団が含まれるかどうかについては、これ
に含まれるとも、また、これに含まれないとも、明文の規定がない。
したがつて形式論理的には、双方に解釈できる余地がある。
かかる場合において、原判決は結局これに含まれるものと解すべきであると判示し
た。
しかしながら、前述した人格なき社団のわが国における法的取扱い原則、ならびに
租税法律主義の原則からして、かかる場合には国家権力に不利に、人民に有利に解
釈すべきである。何故なら租税法律主義は法律による明文の規定なしに人民に納税
義務を課することを禁ずる趣旨であり、「法律なければ刑罰なし」とされる罪刑法
定主義とともに日本国憲法が保障する基本的人権の重要な柱の一つであるからであ
り、他方国家権力がこれに対して納税義務を課することを必要とする場合にはその
旨を明確に規定しさえすれば(即ち法律改正を行いさえすれば)よいからである。
従つて、これが為されていない場合(明文の規定がない場合)にはこれを消極的に
解すべきことはむしろ当然のことであろう。
以上のとおりであつて原判決はここにおいてもまた誤つている。
三、本件入場税賦課処分の対象となつた控訴人らの例会は入場税法第二条第一項の
「催物」に該当しないから、控訴人らは同条第二項の「主催者」ではなく、また同
条第三項の「入場者」および「入場料金」も存在しないことについて
原判決は「入場税法上の「催物」とは音楽等を多数人に見せまたは聞かせるもので
あるから、音楽等を多数人に見せまたは聞かせる側の者と、それを見たり聞いたり
する多数人の存在を当然の前提とする概念である」ことを認めたうえ、「労音の例
会は、個々の会員とは別個独立の社会的存在である労音自身が会員である多数人に
見せまたは聞かせるために主催したもので、入場税法上の「催物」にあたり、した
がつて労音は「主催者」に、会員は「入場者」に、会費は「入場料金」に該当する
と判示した。
しかしながら、労音および例会の性格、実態からして「例会」は入場税法上の「催
物」に該当しない。
1、第一に、労音の性格、実態からして労音は個々の会員とは別個独立の存在では
なく、会員およびその活動の総体であり、会員と離れて存在できるものではない。
そこで、労音の性格、実態を、主として東京労音を例にとつて説明すれば、別紙
「労音の実態」のとおりである。
右に述べたとおり、労音は既成の諸団体には全く当てはまらない、行動的団体、運
動体である。そこでは会員をぬきにして別個の労音は存在しないのである。
しかるに、原判決は労音は個々の会員とは別個独立の社会的存在であると判示し
た。
しかし、その根拠の一として原判決が挙げている、「業務運営方針が総会によつて
決定され、委員会あるいは運営委員会によつて具体化される。」ということは、会
員自身がこれを決定し、具体化するということと何ら変りはないのである。何故な
らさきに述べたように総会は会員全員の委任をうけた代議員および委員によつて構
成されるのであるから、右決定そのものは結局会員自身が代議員、委員を通じてこ
れを為したことになり、また委員会および運営委員会も右総会によりその委員の選
出が為されるのであるから、これ又右と同じ意味で会員自身がそれを具体化する権
利と義務を右委員に委任したことになり、結局、委員を通じ会員自身が具体化した
ことになる。
のみならず、右業務運営方針の具体化は、ただ単に委員会や運営委員会のみで為さ
れているのではなくさきに詳しく述べたように会員自身がこれに参与しているし、
また参与しなければ為しえないのである。
また、根拠の二である、「右の次第で具体化された業務運営方針を執行するのは運
営委員会或いは専門部会である。」ということについていえば、これらの委員会お
よび専門部会が右執行について一定の役割を果すことは間違いないけれども、さき
に述べたように会員自身がこれを担当するのでなければ執行自体不可能であるのみ
ならず、これら委員会等の委員も結局は会員自身の委任にもとずいて会員自身に代
つてこれを為しているのであり、したがつて会員自身がこれを為しているのと本質
的には変りはない。
さらに根拠の三の「会員の納入した会費は事実上労音に帰属し、その管理するとこ
ろとなつている。」 ということも、右の会費は厳密にいえば、事実上もまた法律
上も労音に帰属するものではなく会員全員の総有として、それを会員全員の委任に
基いて委員長らの委員が会員全員のために、その委任の趣旨に従つて管理している
にすぎないものである。
いいかえれば、労音の「代表者」は、労音の会員全員を代理して、会場等を借り受
ける契約や出演者との契約等を締結し、会員全員が拠出し、委員長等の委員等にそ
の保管を委任しているところの経費の分担金でもつて委員長等が会員全員に代つて
関係諸経費の支払を為しているのであり、会員が醵出した会費は直ちに労音自身の
帰属となつて委員長らは会員とは別個の労音自身の代表として諸種の契約を締結
し、関係諸経費の支払に充てているわけではない。
原判決は、以上検討したところから明らかなように、結局労音が社団であることか
ら、直ちに、労音は個々の会員とは別個独立の存在であると結論しているものとい
わざるをえない。
一般に社団は構成員から独立した独自の存在であり、構成員の意思とは別個の独立
した意思をもつ、といわれているが、その意味は構成員に増減変更があつても社団
は構成員の変更にかかわらず同一性を継続するものとみなすべきであり、又多数の
構成員の意思と異つた意思を有する少数の構成員があるときは、多数者の意思を以
て社団の意思として取扱おうという擬制、あるいはそのように取扱うとの約束を、
別の言葉で表現しただけのことであつて、それ以上の意味を有するものではない。
従つて偶々、右のような意味で社団の、法律的性質が説明されているからといつ
て、その意味を全然別個の事柄の解釈に用いるのは誤りである。
労音の会員は、よい音楽を安く聞き、音楽を通じて、国民文化を向上させたいとい
う目的で、実費を醵出しあい、会員が協力して音楽家をよび、例会場を設営して音
楽を聞いている。この場合に、労音の会員は、会員から独立した存在である社団と
いうものを相手として交渉し、社団と何らかの取引をしているわけではない。この
ような労音の会員の活動自体から見れば、社団は会員から独立した別個の存在では
ない。否むしろ、労音の会員という仲間の他に、何ら独立した存在はないのであ
る。
要するに、労音という団体は、会員の全体および会員の日常の労音活動の総体であ
つて、会員の全体会員の日常活動を別にすれば労音の存在は考えられない。すなわ
ち、労音の会員を別にして労音は存在しない。(なお、若し労音が人格者たる法人
であるならば、右の如くいい得ないかも知れない。何となれば、会員とは別に人格
者たる労音が存在し、権利義務の帰属主体となるからである。すなわち、会員の総
体との連関を(外部的には)捨象されて、単一体としての労音自体が権利義務の帰
属主体となり、所謂機関は会員とは別個の法的人格者である労音そのものの代表者
として、直接法人として労音な代表することになり、労音の構成員である個々の会
員の全体は、法的には表面に現われることはないからである。しかし、労音は人格
者ではない。)
以上のとおり、労音は個々の会員とは別個独立の存在ではない。
2、第二に、労音の例会は入場税法上の「催物」に該当しない。
入場税法は、一定の自然人又は社団が自己以外の外部の第三者に対して、見せたり
聞かせたりするところの催物を主催し、その第三者から入場料金を領収することを
課税原因としているのである。
この点については原判決も「催物」とは・・・・・・・・・音楽等を多数人に見せ
または聞かせる側の者とそれを見たり聞いたりする多数人の存在を当然の前提とす
る概念であるとしてこれを認めている。
右によれば、音楽等を聞かせる側の者とこれを聞く側の双方とが存在せず、自ら音
楽会等を開いて自らがことを聞く場合には「催物」に該当しない。
いいかえれば音楽会等の主催者が主催者以外の者に対してこれを聞かせるものでな
ければ、即ち、音楽会等の主催者が主催者を構成する者に対する対内活動としてで
はなく主催者を構成する者以外の者に対する対外活動としてこれを主催するのでな
ければ「催物」には該当しない筈である。
ところで、労音が、その運動の一環として例会を開き、会員が見たり聞いたりする
ことは、労音の構成員である会員を対象とした内部的活動である。すなわち、労音
の例会内容(主演者たる芸術家を誰にするかも含まれる)は、さきに述べた活動の
積み重ねの一環として形成される。その作り上げられた内容の例会を行なうため
に、労音のサークル員であると同時に会員全体の奉仕者である役員が芸術家と種々
交渉し、また会場を借受ける交渉をなす。例会会場の設営等を会員がなし、例会の
上演に一部の労音会員が参加することがあることは前述した。しかも労音の例会に
参加し得るものは、労音の会員のみであつて、会員ではないものは、例会に参加す
ることはできないのである。このように、労音の例会は、会員各自が共同して行な
い、会員各自が見たり聞いたりしているものである。会員に見せたり聞かせるため
に例会を行なつている者はいない。したがつて、労音の例会は入場税法上の「催
物」ではない。
(1) ここで労音が人格のない社団であることの関係に触れてみよう。
人格のない社団にあつては、個人の集団であるという意味の集団性と、団体として
の社団性と二重の側面をもつている。この二重の側面の内、どの側面が強く現われ
るかは事柄によるのであつて一がいには云えない。
集団について社団性を論ずる意味は主として右集団と取引関係に立つ第三者との取
引の安全の保護からである。即ち、構成員の増減変更にかかわらず集団の同一性の
確保、集団の代表者との取引に於て各構成員よりの授権を証する委任状等を要せ
ず、代表者たることを確認すればよいと云うことなどがそれである。民訴法第四六
条も又、その趣旨である。
集団の内部活動に付ては、これに反して、集団の社団性はさしたる意味をもたな
い。構成員が社団と対立した関係に立ち、外部関係におけると同様対立当事者的関
係に立つた場合は外部関係と同趣旨で社団性が役割を演ずるけれども、社団内部の
利害関係の対立のない、合同行為的関係に付ては、社団性はその役割をもたない。
此の関係では集団性が意味をもつてくる。社団性との関係は代表者等の役員の活動
の法律的性格にも影響する。社団性の側面より見た役員の活動は、社団の機関と呼
ぶことができる場合であり、集団性を基調とする内部活動に於ては、役員の活動
は、他の会員と同一の立場にたち、同一の目的に向つて協力し合う、云わば合同行
為の中の一部であるにすぎない。労音の例会活動は正に、この内部活動であり、合
同行為であり、此所にまで社団性を導入することこそ、事実に対する法律の適用を
あやまるものである。労音はそもそも内部的な音楽活動を主とする集団で、外部的
な取引関係は、右活動に付随するものに他ならないから、そもそもの性格に於て集
団性が強い。我々が労音の実体に付て詳細な主張を行い、サークル活動、地域活
動、例会活動等々に付てのべているのは、これらの活動の合同行為性即ち会員相互
が共通の目標に向つて協力し合う行動であり、役員と会員との法律上の対抗関係が
なく、云わば純粋の内部活動であり、それを規律するものは集団性の原則であるこ
とを明にするためである。
而して例会活動と云うのは、此の労音の多面的な内部的な合同行為的諸活動の内の
一つであることを明にするためである。
かように控訴人ら労音の社団性と関係なく例会は存在するのであつて、原審証人A
および当審証人Bの各証言によれば、東京労音および仙台労音において労音創立以
前に例会が行なわれたことが認められるのである。これらの例会は東京労音や仙台
労音が主催したものということはできない。この段階では労音としての規約も代表
者等の役員も存在しないからである。労音の創立前の例会の実態が創立総会を経る
ことによつて変化するものではない。控訴人らが、創立総会によつて労音の社団性
が確立される前後にかかわりなく例会の開催が会員全員の内部的合同行為であり、
その実態においても法的評価においても何らの変りがないと主張する所以である。
(2) そして、昭和三六年に、控訴人らが全国の他の労音とともに、発足以来の
労音の組織原則、目的、任務、成果を総括して、確認決定した労音運動の基本任務
には「その組織原則はサークルの活動を基礎にした民主的運動である」とうたわれ
ているが、右のサークルの活動を基礎にするということは、労音の組織が達成する
努力目標ではなく、労音の組織が現実に達成していた組織上の原則を表現したもの
である。
控訴人らは実際にサークルの活動を基礎として発足したものであり、発足後サーク
ルの活動をますます強化している。サークルの活動を基礎にするということは、そ
れぞれのサークルの活動を基礎にするということだけでなく、多くのサークルが交
流し、協同して活動する地域活動をも基礎にするということである。控訴人ら労音
においては、サークル活動と地域活動は密接不可分の関係にあり、サークル活動な
くして地域活動は存在せず、地域活動によりサークル活動の内容は拡大されている
のである。控訴人ら労音におけるサークル活動および地域活動の意義役割その活動
の内容について控訴人東京労音の例を述べたが、これは控訴人らに共通している問
題である。このように、労音とは、サークル活動と地域活動の総体乃至はサークル
組織と地域組織の総体であるということができる。個々の会員と別個独立の社会的
存在である控訴人らというものは存在しないのである。
(3) ところで、原判決のように、社団としての労音が会員等に音楽等を見せま
たは聞かせている、すなわち社団が例会の主催者としての法律的評価を受けるべき
ものとすれば、社団は社団の機関を通じて具体的行動をなすのであるから、社団の
役員ないし機関構成員が会員に例会を見せる等しているということにならざるを得
ない。
しかし、控訴人らにおいては、原判決が機関の構成員とみていると思われる、委員
長、副委員長、運営委員(さらには委員および総会構成員)は、すべて控訴人らの
会員であり、控訴人らの開催する例会を見たり聞いたりしているのである。控訴人
らのうち、地方の小さい労音では月一回、一種目の例会を開催するのみであるが、
この例会においては、委員長、副委員長、運営委員、委員、事務局長、総会構成
員、その他の会員が一堂に会して(そこには集団としての労音そのものが存在す
る。)見たり聞いたりしている。これらの者に対して例会を見せたり聞かせたりし
ているところの、個々の会員から独立した別個の社会的存在である労音(控訴人)
は存在しないのである。
この点を重ねて説明すれば、控訴人らの例会が、控訴人らにおいて会員である多数
人に見せまたは聞かせているのであるならば、控訴人らの意思、すなわち機関とし
ての意思が自ら見たり聞いたりする目的でなく、会員である多数人に見せまたは聞
かせる目的のものでなければならない。その場合は、機関たる役員が会員である多
数人から入場の対価を領収することとなり、機関たる役員は入場の対価を支出する
者でないこととなる。この、役員が入場の対価を支出するか否か、入場の対価を領
収するか、否かは、会員たる多数人に見せまたは聞かせる意思を有するか、否か、
を決定する要素となるのであるが、役員はすべて他の会員と同様に会費な醵出して
おり無報酬であるだけでなく毎月数千円の金員を労音の活動のために支出している
のである。会員の醵出した会費は控訴人の機関たる役員が領収するものでないこと
はもちろんである。従つて、控訴人らの機関たる役員には会員たる多数人に例会を
見せまた聞かせる意思はなく、自ら見たり聞いたりする意思であることは明白であ
る。
しかも、これらの役員は、機関構成員であると同時に地域やサークル活動家であ
り、労音の組織原則から言えば、機関構成員としての活動は地域やサークルの活動
家としての活動と併存しているのである。換言すれば、機関構成員としての活動
は、機関構成員としての機能と地域やサークルの活動家としての機能とが密接不可
分に統一されているのである。原判決はこのことを見落し、右両者の機能を機械的
に分離できるものとして、控訴人ら労音の例会は委員長、副委員長、運営委員会等
の機関又は機関構成員が、会員に見せ又は聞かせているとの見解をとつているので
ある。
(4) そして、控訴人らの例会は、個々の会員とは別個独立の社会的存在である
ところの労音の機関である総会、委員会、運営委員会等により上演種目は決定さ
れ、会員に見せたり聞かせたりする「催物」ではない。
労音の所謂例会作りについては、サークル例会、地域例会、労音全体の例会につき
控訴人らの一、二審の多くの証人が証言している。多くの証言の内容を要約すると
次のように言うことができる。
(イ) 労音では、サークルの職場例会や地域例会が持たれている。サークルの職
場例会が持たれないサークルや、サークルの職場例会を持たない労音でも、地域例
会は一般に持たれている。サークル例会は、サークル員が企画運営して開催し、サ
ークル員が見たり聞いたりするのである。地域例会は地域サークル員が企画運営し
て開催し、地域のサークル員が見たり聞いたりするのである。このことは疑問の余
地はないであろう。労音全体の例会は、サークル例会や地域例会を労音の規模に拡
大したもので、労音の全サークル員が企画運営して、全サークル員が見たり聞いた
りするものである。サークルの職場例会や地域例会の企画運営と労音の例会の企画
運営との間に本質的な相違はない。
(ロ) 労音の例会の企画運営を一般的に表現すれば、次のような経過をたどつて
いる。
(a) 労音の例会の年間企画は毎年五月頃の定期総会において決定される。しか
し年間企画の概要は相当前から場合によると一年位も前から準備される。全会員の
希望が満されるよう配慮するため一斉にアンヶートが行われる。それだけでなく企
画の内容につきサークルで討議し意見を出し、サークルの意見は地域でも討議され
る。アンヶ-トやサークルの意見は、誰がよいとかどの楽団がよいとかのように出
演者名として出たり、オーケストラ・オペラ・バレー・シヤンソン・歌謡曲などと
音楽の分野別に出たり、希望する年間企画として企画を組んだのが出たり、誰だけ
は是非聞きたいとか、ベートーベンの第九は是非聞きたいというように出たり、整
理せずに希望を雑多に挙げたのが出たり、抽象的に非常に楽しいのがよい、出演者
と会員が交流できるものがよいというように出たりする。
これらの意見は地域で討議され、出演者別、分野別に整理される。
毎年秋頃各地域で一斉に地域会議が開かれ、具体的に出演者別、分野別にまとめら
れる。
このように、アンケートに答え、サークルの意見が出され、地域で討議するのは、
会員が自ら例会を作り上げる意思があるからである。若し原判示のように、例会は
労音から見せられたり聞かせられたりするものであるならば、会員はアンケートに
答え、サークルの意見を出し地域で討議することはしないであろう。
(b) 地域会議でまとめられたものが、委員会に提出される。委員会としても整
理し、全会員の希望にかなうように肉付けされる。会員からは、毎月の例会でアン
ケートがとられているので、その希望も参考にして検討される。そのようにして企
画のプランを作り、これを全会員に問うために再度アンケートをとる。その結果に
よつて全会員の意見が判るので、委員会は希望の多いもの一部会員から熱心に要求
されているもの等を考慮して例会企画をまとめる。しかし、財政の状況もあるの
で、オペラ・バレエ・ミユージカルを一年間続けることもできない。
(c) 委員会の討議と平行して、専門部である企画部では、委員会の作る企画案
の下準備として、素材を提供する。企画される例会が果してその労音で出来るかど
うかという問題を調査する。また、出演者が病気でないか、海外旅行をしないか、
他に出演するのでないか、どのような曲目をやつてもらえるか、他の労音の例会で
の評価等を調べ、出演者の持ち味、その労音でやる場合その出演者の何を強調すれ
ばよいかを知るためレコード・テープ・出版物などの資料を揃える。右の委員会や
企画部の構成員は機関構成員としての機能と、地域やサークルの活動家としての機
能とを統一したものとして、企画をまとめ、調査しているのである。
(d) このようにして、委員会で例会の年間企画を決定し、これを総会の議案書
に掲載し、議案書は総会の約一ケ月前にサークルを通じて全会員に配布される。全
サークルで例会年間企画が討議され、その討議はさらに地域会議でも討議され、地
域で意見をまとめて、代議員を通じて総会に反映される。このようにして例会年間
企画は総会において決定される。
(e) 例会の年間企画は総会で決定されるが、それが毎月の例会として実施され
るまでには、サークルや地域から、諸種の意見や希望が出され、委員会や企画部で
具体化されるのである。
(f) 右は一般的な例会の年間例会企画を作るあり方であるが、労音が新しくオ
ペラやミユージカルを創作する場合は、勿論専門家と協力するが、台本がすべての
サークルに配布され、サークル員が討議し、地域で話合い、台本を訂正することを
委員会や企画部に申入れることもあり、このようにして会員も創作に参加するので
ある。創作の場合には出演者は試演のため会員の前で演出するが、会員は出演者に
対して意見や希望を出すのである。創作の場合は「例会の企画運営は私達の手で」
「文化人、音楽関係者と手をつなぎ国民音楽の創造」という労音の綱領が実際に行
われるのである。
この点につき原判決は「例会における上演種目は、総会において決定された基本方
針に基づいて委員会あるいは運営委員会が具体的に決定する」「上演種目の決定そ
のものは原告らの機関である総会、委員会、運営準委員会等によつて決定されてい
る」と判示した。
しかし、総会において決定される基本方針とは、例会の年間企画であり、年間企画
がどのようにして決定されるかは前述した。この年間企画は、基本方針というよう
な抽象的なものでなく、もつと具体的な年企画である。それは総会において総会出
席者のみが内容を決定するものでなく、サークルや地域の討議の結果が委員会から
総会に提案されるのであり、総会はサークルや地域の討議の結果を承認することに
等しい。上演種目を総会が決定するという原判示は実態を忘た形式論理に過ぎな
い。この年間企画はあくまで年間の予定の企画であり、数ケ月乃至一年も前からど
の出演者に、何時、何処で何を出演してもらう等のことが決定されるものでもな
い。また、上演種目の内容について言えば多少具体性のない場合があるかも知れな
い。それは多数の会員の要求を容れるためには抽象的とならざるを得ないからであ
る。それを具体化する為に、総会後においてもサークルや地域の意見を参考にして
委員会や運営委員会が煮つめるのである。このことを、労音の機関は会員全員の意
思を集約統一し、その統一された意思に基き労音運動(この場合は例会運動であ
る)を会員全員が実践することができるようにするための手段であると前述したも
のである。委員会や運営委員会は会員の意見や希望に基き企画の内容を具体化する
ものであつて、会員の意見や希望を無視して独自に決定するのではない。このこと
を、委員会や運営委員会が上演種目を決定するという原判示も亦実態を忘れた形式
論理である。
労音の上演種目の決定そのものは、控訴人らの総会、委員会、運営委員会等により
決定されるという原判示は、控訴人らの組織運営の実態を無視した事実誤認であ
る。
労音の例会は、サークルや地域で討議され、会員自身により、自分達が見たり聞い
たりするために、作り上げられるものであつて、総会、委員会、運営委員会によつ
て作り上げられるものではない。この点からみても、例会は個々の会員から別個独
立の社会的存在であるから労音から見せられたり聞かせられたりする「催物」でな
いことは明らかである。
(5) 労音の会員は、個々の会員と別個独立の社会的存在であるところの労音の
存在を認めておらず、例会は別個独立の社会的存在である労音から見せられたり聞
かされたりしているものでなく会員が全員して自主的に作りあげたものであり、会
員自身が見たり聞いたりするために開催するものと確信しているし、事実そのとお
りである。
控訴人らの例会における会場の設営、運営等は会員の手によつてなされているので
あつて、会場の状態によつては椅子を並べ、照明係りとなり、マイクを担当し、受
付をなし、或は演奏家を接待しその送り迎えをなし、楽器等を運搬し、後片づけを
する等楽屋裏の仕事はすべてサークルすなわち会員が担当している。
そして、控訴人らの例会で会員が出演して歌い、踊り、楽器を演奏することも一般
的に行なわれているところである。
そのほか、控訴人らの会員は会員拡大のために活動し、労音の財政上の赤字の補填
や事務局長の活動費を援助するためにカンパし、例会に出席できないにかかわらず
会費を醵出する等している。
原判決が判示するように、会員が単なる「入場者」であり、会費が「入場料金」で
あるならば、会費を醵出した会員に前述したような活動を期待し得ないはずであ
る。
四、控訴人らはなんぴとからも「入場料金」を「領収」していないことについて
原判決は、労音の会費につき、「労音の会費は一面会員が会員たる身分を取得し存
続させるための条件ではあるが、他面例会における音楽等を観賞するための入場の
対価たる実質をも有するから入場料金に該る。」と判示した。
しかしながら、判決自体においてさえ、会費に二面的性格を認めている以上、これ
に入場の対価性を認めること、ことにその全部についてこれを認めることができる
と為した点は明らかに誤りである。
第一に例会は労音の多種多様な運動の一部であり、労音運動費用の分担金である会
費のすべてがこれにあてられているわけではない。
労音の運動が多種多様なものであることは、四でのべたとおりであり、本件で問題
となつている例会は労音運動の一部である。これら多種多様な運動に要する費用
は、労音の会員が醵出する会費により賄われており、会費は労音運動費用の分担金
である。したがつて、会費のすべてが、例会費用にあてられている訳ではなく、相
当の部分が例会以外の諸活動の費用にあてられている。
それは例えば東京労音の場合においては、(イ) 機関紙等の発行費用
機関紙「ひびき」は月刊であり全会員に配布している。
「ひびき」には労音の運動全般に関する記事や会員の投書等が記載されている月刊
雑誌である。
「ひびき事前版」も月刊であり、サークルに一部宛配布している。これには例会の
内容の予告解説等も記載されている。
(ロ) ステツカー、チラシ、署名用紙、パンフレツト、テキスト等の作製費用。
これらは例会に関係あるものではなく、主として、原告の内部の組織、宣伝、学
習、研究等のためのものであつて、必要に応じて作製され、サークル、会員に配布
される。
(ハ) その他の組織活動費用
全国各地の労音は、地方毎に、また、全国的に統一的に活動している。また労音に
おいては労音の内部の各地域サークルに対して、地域の運動費用として毎月会費の
一部をあてている。さらにまた、労音の運動全般の事務を処理する為に事務局があ
るが、事務局の活動のために費用を要することは言うまでもない。以上のとおり、
例会費用以外に右費用等にあてられているのである。
したがつて、会費のすべてについて(例会の)入場の対価性を認めることはできな
い。
第二に、右実情を反映して税務当局自身、労音に対して、昭和三八年一二月以前に
おいては、所謂「経費課税」を為していた事実がある。このことは、税務当局自身
労音の会員が醵出する会費のすべてが例会費用にあてられているのではないこと即
ち、会費のすべてが入場の対価性を有するものではないことを認めていたことを意
味する。
即ち、昭和三八年一二月以前における労音に対する入場税課税の課税標準は「直接
その個々の催物に要した経費、例えば会場借上料、入場券、ポスター等印刷費等の
合計額を、当該会場に通常入場させることのできる人員数で除し、これをその催物
についての一人一回の入場料金とする」ものであつた。これは所謂入場税法第七条
の規定に基く経費課税である。これによると労音が例会を開催するにつき直接に要
した経費合計額が税課標準算定の要素となるのであるが、この経費合計額が会費全
額の合計額より遙かに低額であることは疑問の余地がない。
したがつて、原判決が少くとも会費のすべてについて入場の対価性を認めたのは誤
りである。
以上の諸事実は要するに、労音の会費を入場料金とみることの誤りを如実に示して
いるものである。
そして、会費が入場料金ではないことを別の角度から説明すれば次のとおりであ
る。
すなわち
(一) 控訴人らの労音運動に資金を必要とすることは当然である。この資金とな
ることを承諾して機関構成員であると否とにかかわらず会員は会費を醵出してい
る。この醵出した金銭は労音を構成する会員全員の総有とたる。労音は個々の会員
とは別個独立の社会的存在であると極言した原判決でさえも「その取得した財産は
法律的には構成員に総有的に帰属する」「法律的には構成員全員の総有に属する財
産」と判示しているのである。
原判決はその理由二の(四)において「会場賃借料、出演料、事務局員への給料、
賞与等もすべて右の会費によつて支払われている」と判示しているが、正確に言え
ば醵出された会費であつて会員全員の総有となつた金銭から支払われているという
意味である。そこで問題となるのは、機関構成員を含めて会員全員の総有となつた
金銭から賃借料や出演料が支払われる会場や出演者と、会員全員とは、どのような
法律関係となるかということである。賃借した会場は会員全員が総有的に使用権を
有するのであり、出演者に対しては会員全員が総有的に出演という行為請求権を有
するのである。現に原判決も「人格なき社団は機関たる代表者の行為によつて対外
的に団体として行動し、第三者と取引関係を結び、社団の名において構成員全体の
ために権利を取得し義務を負担する」(判決理由二の(一))と判示しているが、
構成員全体のために権利を取得するとは、構成員全員の総有的に権利を取得すると
いう意味である。労音の会員全員が会場や出演者に対して総有的に権利を取得する
ということは、会場の賃借契約や出演契約が締結された以後に会員となつた者も総
有的な権利者となることを意味するる。
(二) 出演者や会場と会員全員との法律関係は右に述べたとおりであり、会場の
賃借契約は会場の所有者と会員全員との間に、出演契約は出演者と会員全員との間
に締結される。例会は、この契約上の義務に基き、会場の所有者は会員に会場を使
用させ、出演者は出演し、この契約上の権利の行使として会員は会場で出演を見た
り聞いたりするものである。そこには、入場税法上の「催物」の「出演者」と「入
場者」との間の興行における入場券の売買は存在しない。労音の会員が会費を醵出
して交付を受ける整理券は、例会に参加することができる会員であることの証明書
であり、入場券の前売券ではないことは、明らかであろう。
(三) 原判決は、判決理由二の(五)において、会費は「入場」の対価である趣
旨を判示している。この判示が誤りであることは既に明らかである。原判決の言わ
んとする意味が、経済的側面からみて、会費、会員が例会に参加するための分担金
であるという趣旨であるならば、これも誤つた判断である。控訴人ら労音は例会の
みでなく多種多様な活動を行つており、労音運動のその費用を支出していること
は、控訴人らの一、二審の証人の証言により明らかにされている。
労音の事務所の家賃、光熱費、事務局員の活動費、各種機関紙の発行費、通信費、
事務費、総会、その他学習会等の会場費、学習や研究等の資料費、出張費、講師費
に対する謝礼、地方労音連絡会や全国労音連絡会に対する分担金、サークルや地域
の活動費の援助等々数えあげられない程の費用を支出している。この費用は、醵出
された会費で会員全員の総有となつた金銭から支出されているのである。従つて、
経済的側面からみても、会費全額が会員が例会に参加するための分担金であるとい
うことはできない。
五、本件入場税賦課処分の対象となつた控訴人らの例会の一部は入場税法第二条第
一項の「興業場等」において開催されたものではないから、右例会への入場は本来
入場税の対象とならないものである。
(一) 本件入場税賦課処分の対象となつた控訴人らの例会のうち次に記載するも
のはいずれも学校の教室、体育館等においてなされたものである。
(控訴人)        (例会)          (開催場所)
会 津 労 音     昭和三三年四月例会    会津若松市第二中学校
小 田 原 労 音   同年七月例会       小田原市本町小学校
金沢労音        同年四月例会       北陸学園
岡 崎 労 音     右 同          学芸大学付属中学校
出 雲 労 音     右 同          出雲市今市小学校
徳 島 労 音     右 同          徳島市福島小学校
宇 和 島 労 音   同年三月例会       宇和島市宇和津小学校
(二) 入場税法第一条第一号は「映画、演芸、音楽、スポーツ又は見世物を多数
人に見せ、又は聞かせる場所」への入場につき入場税を課す旨を定め、他に競馬
場、競輪場等もあるところから、同法第二条においてこれらの場所を「興業場等」
と総括して定義づけている。
したがつて、入場税法にいう「多数人に見せ、又は聞かせる場所」とは、興業場と
定義されるとおり、一定の施設を備え、通常右の目的に使用される場所を指すので
あるから、もつぱら教育の場に使用される施設である、学校の教室、体育館等は多
数人に映画、音楽等を見せ、又は聞かせる「興業場」に該当しないことが明らかで
ある。
(三) 前記第一項に掲記した控訴人らの例会は、いずれも学校の施設においてな
されたもので、興業場においてなされたものではないから、この点のみからいつて
も前記各例会の入場は入場税の対象とならないものである。
前記各控訴人は入場税法の適用があるものと誤信して前記例会につき賦課処分のあ
つた入場税を納付し、税務署長は収納すべからざる金員を収納したものであるか
ら、被控訴人は右各控訴人らにこれを返還する義務がある。
第二、被控訴人の主張
(控訴人らの主張第五項について)
入場税第一条第一号にいう、映画、演劇、演芸、音楽、スポーツ又は見せ物を多数
人に見せ、又は聞かせる「場所」とは、一時的に右の用途に供された「場所」を含
む趣旨である。
第三、証拠関係(省略)
○ 理由
一、当裁判所は当審における証拠調の結果を斟酌して審究し、原審と同じく控訴人
らの本訴請求をすべて失当として棄却すべきものと判断するものであつて、その理
由は、次に付け加えるほかは、原判決理由中に説示するところ(原判決理由第一、
二項)と同一であるからこれを引用する。
1、控訴人らは、「控訴人らは人格なき社団であるからそもそも租税義務能力を有
し得ない。」と主張するが、右主張は到底採用するに由ないものであつて、その理
由は原判決第二項(一)に記載のとおりであり、これに若干の補充を加えれば次の
とおりである。
すなわち、我々人間社会にはいわゆる個人(自然人)のほかに個人の結合体として
の団体が多数存在し、程度の差こそあれ各団体はそれぞれ当該団体の構成員から独
立した団体それ自身としての社会的活動をなしている。そしてこれらの団体の中に
は、団体としての組織を備え、そこには多数決の原理が行なわれ、構成員の変動に
もかかわらず団体そのものが存続し、その組織によつて代表の方法、総会の運営、
財産の管理その他団体としての主要な点が確定していて、団体を構成している構成
員の複数性が団体の背後に隠れて団体としての一個性が表面に現われている団体す
なわち、いわゆる社団が存在する。
ところで、社会的に存在する団体のいかなるものに法技術としての法人格の付与を
なすかはまさに国の立法政策の問題であり(社団性と法人格の取得が必らずしも表
裏一体をなすものでないことは、実体が社団と対立する意味での組合であり社団で
はない合名会社も法人とされていることから明らかである。)、わが国の現行法が
社団法人の設立につき設立制限主義を採用している結果社団でありながら法人格を
取得する途を閉ざされた社団が存在し(設立手続をなしさえすれば法人格を取得す
る要件を備えているがなんらかの事情であえて権利能力を取得することを欲しない
社団もあろう。)、あるいは社団設立行為をして社団的活動を営んでいるが、いま
だ設立手続が終了しないため権利能力を取得するにいたつていない社団が存在する
こととなり、これらが人格なき社団と指称される団体である。
しかして、国が団体に対して法人格を付与するゆえんは、実質において複数の個人
の集合体である団体が、構成員らの単なる集団ではなく当該団体がそれ自身におい
て社会生活上の一単位として活動しているものと観念されるが故に、自然人と同様
団体それ自体に一個の法律上の主体たる地位を与えて社会的実態と法律形式とを合
致せしめ、もつて団体をめぐる法律関係を明確かつ単純ならしめようとするにある
ものと解すべきである。そうであつてみれば、人格なき社団がその性質、組織、活
動状態において法人格を有する社団となんら異るところがないものである以上、人
格なき社団は実定法上の権利義務の主体たり得べき根拠を社団性自体の中に包含し
ているものというべきであつて、実定法上明文の規定をもつて法人格を付与される
ことによつてはじめて権利義務の主体たり得る地位が発生してくるものではないの
である。(ちなみに民事訴訟法第四六条は訴訟手続上の便宜から人格なき社団等に
いわゆる形式的当事者能力を与えたもので実体法と全く関連性のないものとみるべ
きでなく、人格なき社団が実体法の上においても社団として権利義務の帰属主体た
り得ることを実体法自体が承認していることの反映と解すべきである。)
それ故、国が社団に対し法律をもつていかなる権利能力を付与するかは立法政策の
問題に帰し、私法上権利能力のない社団に対し公法の分野において権利能力を認め
てこれを法的規制の対象とすることはなんら差し支えなく、各租税法規がそれぞれ
の立場から私法上の人格なき社団に納税義務を負わせることができるのである。
したがつて、控訴人らが主張するように人格なき社団は権利能力を有しないから義
務能力もなく租税債務の主体たり得ないというものではない。
そして、人格なき社団は前述したとおり社会生活上の一単位として存在し、代表者
の行為によつて対外的に活動し、第三者と取引関係を結びその効果は社団に帰属す
るのであつて、私法上権利能力を有しないためその名において取得した資産につき
その所有権の主体たることを法律上主張し得ないが、社会的には右の資産は社団に
帰属し、社団が債務を負担した場合には(法律的には債務は構成員に総有的に帰属
する)前記社団の資産が、そしてそれのみが社団の債務の引当となる関係にあると
解すべきものである。(民事訴訟法第四六条に基づき人格なき社団に対する債務名
義を得た者は社団財産に対し強制執行をなしうる。)
したがつて、人格なき社団は民法上権利能力がなく所有権を取得し得ないから、こ
れに納税義務を課してもその履行は原始的に不能であるが故に人格なき社団は納税
義務者たり得ないとの控訴人らの主張もあたらないといわなければならない。
2、控訴人らは、「控訴人らは人格なき社団であるから入場税法にいう『主催者』
に含まれないから同法第三条に基づく入場税の納付義務はない。」と主張する。し
かし右主張は失当というほかなくかえつて入場税法上人格なき社団もまた同法にい
う主催者に含まれ入場税を納付すべきものと解されるのであつて、その理由は原判
決理由第二項の(二)に記載のとおりであるが、これにつき若干の付加補充をすれ
ば次のとおりである。
(一) 入場税法は、興業場等へ一定の対価を支出して入場する者にはその娯楽的
消費支出について担税力があるものとみて、右の入場行為につき入場税を課するも
のであつて(同法第一条)、徴税の方法として個々の入場者から徴することとせ
ず、入場者の経済的負担に帰すべき入場料金を領収する興業場等の経営者又は主催
者に対しその領収する入場料金について入場税を納付すべきことを命じているもの
と解される。(控訴人らは、「興業場の経営者等は入場税を各入場者らに転嫁する
場合としない場合があり、後者の場合については右のような考え方は妥当しな
い。」と主張するが、経営者等が入場者らから収受する入場料((入場税法にいう
「入場料金」とは必らずしも合致しない。))の額の設定方法がいかなるものであ
れ、ことを経済的実質的にみれば、納付される入場税の窮極的な負担者は各入場者
である。)
(二) 一般社会において現実に、音楽、演劇等を多数人に見せ又は聞かせること
(入場税法第二条第一項にいう「催物」)を企画し、音楽家等と出演契約をなし、
会場を設営し、入場券を発行して入場者から入場料を収受する等の社会的活動をな
し催物を主催する立場にある者としては、個人(自然人)のほかに人格なき社団を
含む団体が多数存在していることが明らかである。
(三) 入場税の納税義務者についての規定である入場税法第三条にいう「主催
者」(「経営者」についても同じ。)なる用語は自然人(税法上は「個人」という
用語であらわされるのを通例とする。)および法人のみを包含し人格なき社団を排
斥するものではない。
(四) 入場税法第八条は、同法別表に掲げられた主催者が主催する催物が同条所
定の条件に合致するときは例外的に入場税の免除を得られるものと定めているとこ
ろ、右別表の主催者欄には、「児童、生徒、学生又は卒業生の団体」、「学校の後
援団体」等必らずしも法人格を有するものと限らない、否むしろ私法上の権利能力
を有しないのを通例とする団体が掲げられていることは、とりもなおさず入場税法
が、原則として、法人格を有しないものも含まれているこれらの各団体も入場税の
納付義務者であることを当然の前提としていることを推認させるものである。(控
訴人らは、「前記別表は免税興業に関する規定に附属するものであつて納税義務者
を定める条文に組み入れられているものではないのに原判決は右別表を根拠に人格
なき社団も納税義務者にあたると判断した。」と攻撃するが、原判決も右別表の記
載によつて納税義務者の範囲が定まると判示しているものではなく、入場税法が何
人を納税義務者と定めているかの解釈に役立つ一資料とみていることは明らかであ
る。
そして前記別表はその主催者欄中に「社会教育法第十条の社会教育関係団体」を掲
げているところ、社会教育法第一〇条は「この法律で『社会教育関係団体』とは、
法人であると否とを問わず、公の支配に属しない団体で社会教育に関する事業を行
うことを主たる目的とするものをいう。」と規定しているのである。したがつて、
社会教育団体を定義づけるにあたり当該団体が法人であると否とを問わないとした
法意がいずれにあるにせよ、入場税法がなんらの留保を付すことなく「社会教育法
第十条の社会教育関係団体」をそのまゝ入場税の免除を得られる主催者に加えてい
ることは、入場税法が納税義務者につき法人格の有無を問わないものとしているこ
とを裏付けるものというべきである。
(五) 入場税法第二三条は、法人が合併した場合および(自然人につき)相続の
開始があつた場合の同法第一〇条第一項、第二一条等の義務(申告義務、記帳義務
等)の承継を規定しているが、人格のない社団等の法人格を有しない者については
なんら触れるところがない。
しかし、右法条は納税義務者を定めたものではなく徴税の実効を期するための規定
である。(前記の同法第八条は免税興業についての規定であるから納税義務者を定
める規定と裏表の関係にある。)そして、法人の合併および相続はいずれも法律上
当然に権利義務一切の承継(地位の承継)を生ずるものであるが、社会的現象とし
て二個以上の人格のない社団が一個の社団に合体する事態が生じたとしても、右の
合体によつていかなる効果が発生するとみるべきかは、各社団の性質、実態等に即
して各別に取扱われるべきで、法人の合併および相続の場合と異り一律に取扱われ
ることに必らずしも親しまないものであるところから、入場税法は法人および自然
人についてのみ申告義務等の承継を規定したものと解することができるのである。
したがつて、同法が法人格を有する者についてのみ明文の規定をもつて申告義務等
の承継を規定していることは、同法が納税義務者として法人格を有する者のみを予
定していると解釈すべき根拠となり得ない。
(六) 入場税法第二八条は法人の代表者又は法人若しくは人の代理人等が違反行
為をした場合その行為者のほかその法人又は人をも処罰する旨を定めたいわゆる両
罰規定であるが、同条は人格のない社団を処罰の対象に掲げておらず、他に人格の
ない社団に対する罰則を定めた規定もない。
しかし、同法条もまた前記第二三条と同じく納税義務者を定めた規定ではなく徴税
の実効を期するための規定に過ぎないし、いわゆる両罰規定をいわゆる人格なき社
団に適用するについては刑罰法規としての立法技術上の制約も存するから、いずれ
にしても、同法第二八条の規定の体裁から逆に、入場税法が納税義務者を法人格の
ある者に限定しているものと考えるのは妥当ではない。
なお、控訴人らは「入場税法の一部を改正する法律(昭和三七年法律第五〇号)に
よりいつたん改正された入場税法第二八条の改正部分が、のち整備法により削除さ
れた。」との経緯は人格なき社団が入場税法上の納税義務者にあたらないことの動
かし難い論拠となると主張するが、控訴人ら主張のような改正経過があつたとして
もただちにその主張のとおりの結論が導き出されるものと断じ難い。
以上(一)ないし(六)の諸点を総合して判断すれば、控訴人らの「入場税の納付
義務者は法人格を有する者に限定される。」との主張はあたらないものというべ
く、かえつて入場税法は人格なき社団をも同法上の納税義務者に含ましめているも
のと解するのを相当とする。
3、控訴人らは、「人格なき社団に入場税の納付義務を負わせることは憲法第三〇
条、第一四条、第八四条に違反するものであり、人格なき社団を入場税法上の納税
義務者であると解することは憲法第三一条に違反する。」と主張するが、右主張は
失当というほかなく、その理由は原判決理由第二項(三)に記載のとおりである。
控訴人らは、「憲法第八四条に表現されている租税法律主義は、納税義務者の範囲
が各租税法規上明文の規定をもつて明確にされていることを要請している。」と主
張する。しかし、立法論としては控訴人ら主張のとおり各租税法規上納税義務者の
範囲が明文をもつて規定されていることが望ましいが、当該租税法規の解釈上納税
義務の有無を明らかになし得る以上、納税義務の範囲を定める明文の規定を欠くか
らといつてただちに憲法第八四条に表明された租税法律主義に違反するものではな
く、いわんや右の明文の規定がないから納税義務を負わないとの控訴人らの主張が
失当であることは明らかである。
(本件賦課処分当時施行されていた租税法規を通観すると、直接税法である、法人
税法、所得税法、相続税法には人格なき社団につき明文の規定を備えていたが、入
場税法その他のいわゆる間接税法には人格なき社団について明文の規定をもつて触
れるものがなかつたことが認められる。しかし、前者はいずれも納税義務者を規定
するにつき法人または個人という純然たる法律技術的概念を基準としていたから、
人格なき社団をその適用の対象とするについては人格なき社団に関する明文の規定
を必要としたものと解されるのである。これに対し間接税法の場合は、例えば本件
で問題となつている入場税法は「経営者又は主催者」と、酒税法は「酒類の製造
者」というようにそれ自体法的概念ではあるが社会的活動の実態に着眼して納税義
務者の範囲を規定しているため、人格なき社団が納税義務を負うか否かはもつぱら
各法規の解釈にゆだねられるのであり、人格なき社団についての明文の規定を備え
ていないことは、当該法規が人格なき社団を納税義務者に含めないことを意味する
ものではない。)
4、控訴人らは、「本件入場税賦課処分の対象となつた控訴人らの例会は入場税法
第二条第一項の『催物』に該当しないから、控訴人らは同条第二項の『主催者』で
はなく、したがつて、同条第三項の『入場者』および『入場料金』も存在しない」
と主張するが、当裁判所も結論において控訴人らの右主張を失当であると判断する
ものであつて、その理由は、当審における控訴人らの主張に対する判断を付加する
ほか、原判決理由第二項(四)に記載のとおりである。
当審において控訴人らが強く主張するところは、「労音の性格、実態からして労音
は個々の会員とは別個独立の存在ではなく、会員および会員の活動の総体であつて
会員と離れて存在するものではない。労音の例会(音楽会)は会員らが、それぞれ
会費を持ち寄り、例会の内容を決定し、会場を借り入れ、出演者と出演契約を結び
(但し、現実には会員全員の代理人である委員長等が契約を締結する。)、会場を
設営して音楽を聞いているものであつて、主催者と対立する入場者は存在しな
い。」というにあるので、右主張の当否を判断する。
(一) 入場税法上の「催物」が、同法第二条第一項にいう映画、演劇、音楽等を
多数人に見せまたは聞かせる側の者と、これらを見たり聞いたりする側の多数人の
存在を当然の前提とする概念であり、見せまたは聞かせる側の者が同法第二条第二
項の「主催者」あるいは同法第三条にいう「経営者」であり、見たり聞いたりする
側の者が同条にいう「入場者」に該当するものであることは原判決の判示するとお
りである。
(二) 控訴人らが、同人ら主張のような(原判決事実摘示原告らの主張第一項
(一)に記載)人格なき社団に該当することは当事者間に争いがなく、原審証人
A、同C、同D、同E、同F、同G、同H、同I、当審証人J、同K、同L、同
M、同N、同O、同P、同Q、同R、同Sの各証言、いずれも成立に争いのない、
甲第三号証、同第五号証、同第一八号証、同第三六号証、同第五四号証の一、同第
八七号証、同第一〇二号証の二、同第一二五号証、同第一二九号証の一、同第一三
〇号証、同第一三八号証、同第一四七号証、同第一四八号証、乙第四号証の一、
二、同第五ないし第一一号証の各一ないし三、同第一二、一三号証の各一ないし一
四、同第一四号証の一、二、同第一五ないし第二四号証、同第二五号証の一、二、
同第二六号証、同第四二号証、同第四四号証、同第五〇号証、同第七九号証の二、
同第九八号証の二、同第一二八号証の一、同第一二九号証、同第一三〇、一三一号
証の各一、同第一三二号証、同第一三三、一三四号証の各一、同第一三五号証、同
第一三六、一三七号証の各一、同第一三八号証、同第一三九号証の一、同第一四〇
ないし一四四号証、同第一四五号証の一、同第一四六号証、同第一四七、一四八号
証の各一、同第一四九号証、同第一五〇号証の一、同第一六三号証の二、三、同第
一六四号証、前掲証人Oの証言により成立の真正が認められる同第一七二号証の
一、二、いずれも成立に争いのない乙第二〇〇、二〇一号証、同第二〇二、二〇三
号証の各一、同第二〇四号証、同第二三三ないし二三七号証を総合すれば、「控訴
人らはいずれも各控訴人の名称を冠した『規約』を備え、右規約によつて会員(構
成員)資格、活動内容、機関および役員等ならびに各機関等の役割が定められてい
ること、最高決議機関としては委員および代議員によつて構成される『総会』があ
り、議事決定は出席代議員の過半数によるものとされていること、右総会によつて
決定された事項の具体化および運営のための機関として『委員会』、『運営委員
会』等がおかれていること、役員として委員長、副委員長等がおかれ、例会会場の
賃借、出演契約等の対外的取引活動を右役員が各控訴人の名においてなしているこ
と、運営に関する一切の事務を行うため事務局がおかれていること、控訴人らの活
動に要する諸経費の大部分は会員(構成員)の拠出する会費によつてまかなわれて
いること。
」が認められるから、「控訴人らはいずれも社団として社会的に実在し社会的活動
を営んでいるものであること。」が認められる。
(三) (1)前掲各証言、当審証人T、同U、同V、同Wの各証言、前掲甲第一
二五号証、同第一四七、一四八号証、いずれも成立に争いのない甲第一九号証、同
第八八号証、同第一〇三号証の二、同第一〇七号証の二、同第一二九号証の四九、
六六および七〇、同第一三七号証を総合すれば、「控訴人らはいずれも原則として
三名以上の音楽愛好者の集まりを単位として構成され、右単位を『サークル』と呼
称していること。サークルは職場、住居、学校等を契機として構成されるもので控
訴人らの構成員(会員)となるためには原則としてサークルを結成しあるいは既存
のサークルへ加入しなければならないこと。サークルは数名ないし数十名、時には
数百名の会員によつて構成されているもので互選により代表者、副代表者を選出す
るが、他に機関と目すべきものはおかれていないこと。各会員の氏名は各サークル
ごとに各代表者が掌握し、控訴人ら各労音におかれた事務局においてはサークル代
表者のリストのみを備え会員全部の名簿を備えていないところが多いこと。サーク
ルへの加入脱退、したがつてまた控訴人らへの入退会手続はサークルの代表者がこ
れを行ない、入会金、会費の納入、例会券(座席券)の配布もまた代表者が行なつ
ていること。サークルにおいては、その規模、活動状況によつて異なるが、例会ご
との事前の研究会および事後の批評会、レコードコンサート、ハイキング、機関誌
の発行等をなしサークル加入者(サークル員)相互の意思の交流、親睦をはかりつ
ゝ規約に定められた労音の目的達成につとめていること。サークルにおいては例会
企画を含む労音の運動方針につき討議がなされその結果まとめられた意見が運営委
員会等に提出されて右の運動方針の決定、具体的実行に参酌されること。サークル
は代議員候補者を選出し、右候補者の中から地域会議(「地域例会、職場例会のこ
と」、地区ごとにサークルの代表者と活動家によつて構成されるもの)において総
会を構成する代議員が選出されるものであること。なお各サークル相互の交流をは
かるため座談会、ハイキング等が行なわれることもあること。」以上の事実を認め
ることができる。
右にみたところからすれば、控訴人らはいずれもサークルを基本的な組織として構
成され、サークルごとに控訴人らの目的にそつた活動が営まれていることが認めら
れるが、しかし、控訴人らのサークルの基本的性格は、会員の統括・把握をはかる
一手段であり、換言すれば、例会を成功させるための便宜的な一方法にすぎず、レ
コードコンサート、ハイキング、座談会等のサークル活動も、この意味において副
次的なものにすぎないと認められる。(なお、前掲証人A、同C、同F、同H、同
J、同N、同O、同P、同Qの各証言、前掲甲第八七号証、同第一二五号証、同第
一四八号証、乙第一七二号証の一、二、いずれも成立に争いのない甲第三七号証、
乙第一七三号証の二、同第一七六号証の四、同第一七七号証の二、同第一七八号証
の四、同第一七九号証の二、同第一八一号証の一、同第一八五号証の二、同第一九
〇号証の二、同第二〇八号証、同第二〇九号証の二、同第二二四号証の二、同第二
二七号証の二によれば、「控訴人らのあるものはサークルに加入しない個人会員を
存在させ、規定の三名に満たないものにはサークル準備会をつくつて入会させ、あ
るいは事務局員で構成される事務局サークルへ加入する形式をとつて入会させてい
ること。」が認められる。)したがつて、原判決理由中に認定の控訴人らおよび例
会の実態(原判決七三枚目裏から同七七枚目表までに記載)すなわち、控訴人らは
社団としての意思決定をなし規約に基づく組織体としての対外活動の結果開催され
るのが例会であることと対比すれば、サークル活動はこれと同一に論じ得るもので
はないから、労音は会員およびその活動の総体であり、例会はサークル活動の一環
に過ぎないとの控訴人らの主張を認むべき基礎事実の証明がないことに帰する。
(2) 控訴人らは、「会員(構成員)の意思と離れた別個の社団意思は存在しな
い。」と主張するが右主張を認めるに足る証拠はない。
かえつて、前掲証人C、同E、同F、同G、同I、同J、同L、同N、同O、同
P、同Q、同Rの各証言、前掲甲第一四七、一四八号証、乙第一七七号証の二、同
第二〇八号証、同第二〇九号証の二、いずれも成立に争いのない甲第八、九号証、
同第四〇号証、同第四七号証、同第一二九号証の一〇、四四および五一、同第一三
九号証の一、乙第一号証の一、三、同第六四号証の一、同第一一六号証、同第一一
八号証の二、同第一七五号証の二、同第一八〇号証の三、同第一九七号証の三、同
第一九八号証の三、同第一九九号証の二、同第二〇七号証、同第二一五号証の二、
同第二一九号証の二、同第二二三号証の二、同第二三一号証の二、同第二四四号証
を総合すれば、「控訴人らの中心的活動である例会(音楽会)を開催するにつきそ
の内容が企画決定される経過は大要次のようなものであること。すなわち、まず全
会員を対象としてアンケート方式により希望調査をし、サークルごとに話合いがも
たれサークルとしての希望、意見がまとめられる。サークルの各代表者はサークル
代表者会議あるいは地域会議においてサークルの意見をもとに討議を重ね右討議の
結果は委員会へ提出される。委員会においては(専門部としての企画部のあるとこ
ろでは企画部の協力のもとに)会員の希望、労音の目的との融和性、出演者の都
合、他労音の例会における評価等を考慮して年間の企画案を決定し、総会にはか
る。その間右の各段階において、地域、サークル、各会員の検討、討議の機会が設
けられ、企画案を樹立するについて参酌され、総会において決定されたものが当該
労音の例会年間企画となる。右の年間企画はオーケストラ、バレエ等概括的なも
の、演奏家を特定したものおよび両者が混在したものがあり、企画内容が概括的な
ものについては、さらに会員の希望、意見を参考としたうえ、委員会および運営委
員会において具体化される。前記の年間企画が立案されるにあたつては、会員に対
するアンケート調査の結果において希望の多いもののみがとりあげられるわけでは
なく、年間を通じ音楽の各部門、分野の平均化がはかられ、出演者の予定とのかね
合い、さらには一労音のみの企画では実行が困難であるが数個の労音例えば九州の
各労音がまとまれば演奏家の承諾もとれ、オペラのように莫大な費用を要するもの
でも経済的に実現が可能となる事情がある場合には、他労音との共同企画とする等
の諸要素が勘案される。なお、総会または委員会等においていつたん確定的なもの
として決定された企画であつても、その一部が出演者の差支え等のため予定された
例会の直前になつて変更されることもある。かように、控訴人らの主要かつ中心的
な活動である例会についても、その内容を決定するにあたり、終始会員および会員
によつて構成されているサークルの意見を徴し討議の対象としているが、最終的に
は社団としての意思が意思決定機関により形成されるのであつて、形式的にはもち
ろん内容的にも、個々の会員の意思とは別個の意思に基づいて例会を開催している
ものとみざるを得ないこと(個々の会員の希望、意見と社団意思とに合致しない面
のあることは、例会の内容について会員の中に不満がある事実が認められる。)、
そして、例会以外の、組織の拡充、宣伝、研究会の開催、レクリエーシヨンの実施
等の諸活動もまた、会員の意思が参酌、反映されはするが、総会、委員会等の機関
において形成された社団としての意思に基づいてなされているものであること。」
が認められるのである。
控訴人らは、例会の企画およびその具体化するにあたり委員会、運営委員会は会員
の意見や希望を無視して独自に決定するものではないことを強調するが、団体構成
員の意見や希望を反映、参酌することと団体意思が構成員の意思とは別個独立の存
在であることはあいいれない観念ではない。
(3) 前掲証人C、同D、同E、同F、同I、同L、同M、同N、同O、同V、
同Qおよび当審証人Xの各証言、ならびに成立に争いのない甲第一二九号証の四三
を総合すれば、「控訴人らの例会は、多数の会員を収容できる音楽会、集会用の施
設、体育館等を借り受けて開催するものであるところ、例会会場における入場者の
受付、整理等の会場の管理、照明、音響装置の操作、出演者の接待等は会員の一部
が交代でこれを行つていること。そして右のような例会場の管理、例会の運営に関
与している会員も、単に会場において音楽を聞く等しているのみの会員と同額の会
費を納入していること。」が認められる。
しかし、右各証言によれば、前認定のような例会場の管理は全会員が順次これにあ
たるたてまえであるが、個々の各例会についてみれば、入場数に対比して極く少数
の会員が会場の管理等を担当しているに過ぎないし、会員の手によつて会場の管理
等をなす目的は、全員の負担に帰すべき例会経費の節減にあり、したがつて前記一
部の会員は労務を提供して経費の一部を補填しているものであることが認められる
から、前認定の事実は例会の性質を左右するものではない。
そして、前掲証人E、同G、同H、同I、同J、同O、同V、当審証人Y、同Zの
各証言によれば、「控訴人らの例会において、控訴人らの会員が職業演奏家ととも
に音楽の演奏をなし、あるいはプログラムの一部が会員による演奏によつて構成さ
れたことがある。」との事実が認められる。
しかし、右のように演奏する者の中に会員が含まれていても、音楽等を見せ又は聞
かせる側の者と、これを見たり聞いたりする立場の者が存在することにかわりはな
いから、右のような事実の存在は例会の性質についての判断に影響を及ぼすもので
はない。
(4) 控訴人らは、「各控訴人らの役員である委員長、副委員長等は本来的意味
における代表者ではなく当該労音の会員全員の代理人として対外的法律行為をして
いるのであり、機関構成員とされる右委員長らならびに委員、運営委員、総会構成
員らはいずれも無報酬で労音のための活動をなし、一般会員と同額の会費を負担し
て例会に参加しているのであつて例会を主催する社団の機関としての行動をしてい
ないことからいつても、控訴人らの例会が、個々の会員とは別個独立の存在である
控訴人らが会員である多数人に見せまたは聞かせるために主催したものではないこ
とが明らかである。」と主張する。
しかし、前認定のとおり、控訴人らはいずれもそのいわゆる「代表者」の地位にあ
る委員長または同人から委任を受けた者が当該控訴人の名において事実上法律上の
対外的取引行為をなし、その効果が社団としての控訴人らに帰属していることが認
められるのであるから、控訴人らがそれぞれ社団として活動しているというを妨げ
ないのであつて、人格なき社団の代表者を代表機関とみるか代理人とみるかは説の
分かれるところではあるが、右は「代表者」が社団の業務執行のためになす行為の
効果が社団に帰属する関係をいかなる法律概念によつて説明すべきかの問題なので
あるから(機関説によつても代理説によつても結果的には民法の代理の規定が適用
ないし類推されることとなる。)、その説明の仕方によつて社団としての活動の存
否がいずれかに決せられるというものではない。
そして、前掲証人A、同D、同F、同H、同I、同J、同K、同L、同M、同N、
同O、同Rの各証言によれば、「控訴人らの役員および機関構成員ともいうべき、
委員長、副委員長、委員、代議員らならびに控訴人らの事務の処理にあたつている
事務局長および事務局員らはすべて当該労音の会員であり、右のような地位にない
会員と同額の会費を拠出して例会において音楽等を見たり聞いたりしていること。
そして、事務局の専従者以外の役員らはいずれも当該労音のための活動をなすこと
によつてなんら経済的利益を得ていないばかりか、かえつて金銭・労務等を提供し
ていること。」が認められるが、右事実は、控訴人らが営利団体ではないことそし
て社団としての控訴人らの運営が前記役員ら(前認定のとおり入退会手続、会費徴
収手続等をサークル代表者らが行つていることからすればさらに同人ら)の経済
的、労務的負担にあずかるところが大きいことを示しているに過ぎず、控訴人らの
例会が個々の会員と別個の社団としての控訴人らが主催するものであるとすること
を否定するものではない。
(5) 控訴人らは、「控訴人らのうちには創立総会以前に例会が行なわれたもの
があるところ、例会の実態には創立総会の前後において変化はないのであるから、
創立総会後の例会もまた控訴人ら労音の主催したものではない。」と主張するとこ
ろ、原審証人A、当審証人Pの各証言によれば、「東京においては東京労音結成の
準備段階である昭和二八年一〇月東京労音設立の準備委員よりなる準備会が中心と
なつて第一回例会とされる音楽会が開催され、その後に創立総会が開かれ、規約、
役員等が正式に定まつて同労音が発足したこと。仙台においては昭和三〇年八月準
備委員からなる準備委員会の企画実行により第一回例会とされる音楽会が開かれ、
同年一一月の第三回例会とされる音楽会の終了後に創立総会が開かれたこと。」が
認められる。
しかし、控訴人らの論旨にしたがいことを形式的にみれば、東京労音および仙台労
音が正式に発足する以前に開催された音楽会は右各労音の例会ではないから比較の
対象とすべきものではない。そして、ことを実質的にみれば、前記各証言によれ
ば、「右各労音はいずれも準備段階において社団性が徐々に形成され第一回例会
(仙台は第一ないし第三回)とされる音楽会が開催された時点においては既に社団
としての実質を備えていたこと。」が認められるのであり、法律的には社団が設立
された時期を創立総会終了の時点とせざるを得ない結果創立総会前の音楽会は社団
としての東京労音または仙台労音が主催者であるといえないとしても、準備委員ま
たは準備委員会が主催したものとみるべきであつて、いずれにしても入場者に対置
される主催者は存在しないとの控訴人らの主張は当を得ない。
(6) 控訴人らは、「控訴人らの例会は入会金を納付して会員となり、毎月の会
費を納付した会員のみが参加するものであつて、あえて主催者および入場者の概念
にあてはめれば、会員全員が主催者であると同時に入場者というべきもので、会員
と離れた別個の主催者は存在しない。」と主張するところ、前掲証人C、同D、同
F、同H、同I、同L、同Qの各証言、いずれも成立に争いのない乙第八二号証の
三、同第八七号証、同第九三号証の二、同第九五号証、同第九六号証の二、同第九
七号証の二、同第九八号証の三、同第九九号証の三、同第一〇一号証の三、同第一
〇七号証、同第一五六号証の二、三、同第一七四号証の一を総合すれば、「当月分
の会費を納入した会員に限りその月の例会会場に入場できるたてまえとなつている
こと。」が認められる。
しかし、前掲証人C、同E、同K、同L、同N、同O、同謙田伝、同Qの各証言、
前掲甲第一三八号証、同第一三九号証の一、同第一四八号証、乙第一〇一号証の
三、同第一一六号証、いずれも成立に争いのない乙第五一号証の二、同第五三号証
の二、同第五五号証の二、同第五六号証の二、同第五八号証の二、同第五九号証の
三、同第六〇号証の二、同第七八号証の二、同第八〇号証の二、同第八六号証の
二、三、同第九二号証の二、同第一七六号証の三、同第一七八号証の三、同第一八
〇号証の二、同第一八三号証、同第一八四号証の二、同第一九五号証の二、同第一
九六号証の二、同第一九九号証の三を総合すれば、「控訴人らの会員数は常時変動
しており、各例会の時点毎に集計した会員数において五ないし二〇パーセント前
後、平均一〇パーセント内外の会員の増減があり、右増減は例会毎に生ずるもので
しかも例会において上演、演奏される内容に左右されるものであること。入会の勧
誘はもつぱら具体的な演奏、上演内容を掲げてその音楽会等に入場できることをう
たつてなされ、新規入会者もその多くは労音運動に参加するというより当該音楽会
に行けるものとして労音への加入手続をとること。そしていつたん会員となつた者
の中にも、自己の好みに合致しない例会の場合は会費を納入せずに退会し、見たい
あるいは聞きたいと望む例会のある月に入会金と当月分の会費を納入して例会に参
加するものがあること。控訴人らの例会は、会員数の増大および古典音楽、軽音楽
等会員の好む音楽の分化等により、次第に毎月クラシツク例会とポピユラー例会を
開催し、会員はそのいずれかを選択して参加できるものとされてきており、なお、
会費を倍額支払うことにより右二種の例会に参加することも可能であること。」が
認められることからすれば、控訴人らの例会において見たり聞いたりする立場の者
が会員に限定されていることは、ただちに入場者と別個の「例会を主催する者」の
存在を否定すべき事情たり得ない。(いうまでもないことであるが、右は入場税法
上の入場者は特定の多数人であつても差支えないことを前提とする議論である。)
(7) そして、控訴人らの組織、活動、例会と会員の関係等以上みてきた控訴人
らおよび例会の実態をすべてあわせ考えてみても、控訴人らの「個々の会員に対し
音楽等を見せたり聞かせたりしている会員とは別個独立の社会的存在である労音
(控訴人)は存在しない。」との主張を首肯するに足りないし、右主張を認めるに
十分な証拠はない。
5、控訴人らの「控訴人らはなんぴとからも『入場料金』を『領収』していない」
との主張は失当であり、かえつて控訴人らの会員が毎月納入する会費が入場税法上
の入場料金にあたると認めるべきであつて、その理由は原判決理由第二項(五)に
記載のとおりである。
そして、前掲証人A、同C、同D、同E、同F、同I、同J、同L、同N、同O、
同Pの各証言、前掲甲第一〇二号証の二、同第一二九号証の六六、同第一四八号
証、乙第八〇号証の二、同第八六号証の二、同第八七号証、同第九二号証の二、同
第九三号証の二、同第九五号証、同第九八号証の二、三、同第九九号証の三、同第
一〇一号証の三、同第一五六号証の三、同第一七四号証の一、同第一七七号証の
二、同第一八〇号証の二、同第一八三号証、同第一九九号証の三、いずれも成立に
争いのない乙第二八号証の二、同第二九号証の二、同第六四号証の二、同第六五号
証の一、二、同第七一、七二号証、同第七三号証の二、同第七五、七六号証、同第
八一号証の一、同第八三号証の二、同第八五号証、同第八八号証の二、同第八九号
証の一ないし三、同第九〇号証の二、同第九一号証の二ないし四、同第九二号証の
三、同第九七号証の三、同第九九号証の一、二、同第一〇二号証の二、同第一〇五
号証の一、三および四、同第一〇六号証の一、同第一〇八号証の一および四ないし
七、同第一〇九号証の一、二、同第一一三号証の一、二、同第一一五号証の一、
二、同第一二〇号証の二、同第一二三号証の二、同第一七四号証の二、同第一七七
号証の三、同第一八五号証の一、同第一九二号証、同第一九六号証の三、同第二〇
六号証の二、同第二一〇号証、同第二一四号証、同第二一六号証の三、同第二二〇
号証の三、同第二二一号証の二、同第二二二号証の三、四、同第二二六号証の二、
三、同第二二七号証の一、同第二二九号証の二ないし四、同第二四二号証の二ない
し四、同第二四五号証の二、同第二四六号証の二、同第二四七号証の二、三、同第
二四八ないし第二五一号証の各二、同第二五二ないし第二五四号証、同第二五五号
証の二、同第二五六号証の二、三、同第二五七号証の二、同第二五八号証の二、三
を総合すれば、「控訴人らの開催する例会において音楽等を見たり聞いたりできる
者は、当該例会の開催される月の会費を納入した会員に限られること、そして、そ
の月に数種の例会が開催される場合には、各会員は入場(控訴人らの表現にしたが
えば参加)しようとする例会につき定められた金額の会費を納入しその例会場にお
ける座席券等の交付を受けるものであること。しかして、控訴人らの構成員である
会員が毎月納入すべき会費を基本会費と称しているが、その額は、例会に直接要す
る費用すなわち音楽、舞踊等の出演者に対する報酬、旅費、例会会場の借用料、例
会の内容を会員に周知させるための機関紙、ポスター等および各会員に交付すべき
座席券等の作成費等を会員数で除して得られる金額を基準として定められるもので
あること。交響楽団やバレエ団のごとく多額の出演料を要する出演者の場合あるい
は例会場として高額の賃借料を支払わねばならない会場を使用する場合等通常の会
費では例会に要する費用を支弁するに足りないときは、当該例会会場への入場を希
望する会員から、特別会費との名称で右の出捐をまかなうに足るべき会費を徴収す
ること(基本会費と別個に徴収する場合と特に区分することなく当月分の会費とし
て徴収する場合とがある。)。控訴人らがその活動をなすに要する経費(例会の費
用を含め)は、その大部分を会員の納入する会費および新らたに入会する会員の納
付する入会金にたよつており、控訴人らの収入というべきものは、右会費等のほか
は僅かに機関紙等に掲載する広告の広告料収入があるに過ぎないこと。控訴人らの
会員が納付した会費および入会金は、そのほとんどの部分を例会の出演者に対する
報酬、例会会場の使用料、機関紙、ポスター代等に支出され、なお右以外には、例
会で演奏されるべき音楽等についての事前の研究会、事後の合評会の費用および控
訴人らの組織体としての活動費用、すなわち総会の会場使用料、役員、事務局員ら
の一部に支給される控訴人らのいう活動費として使用されるものであること。控訴
人らが現実になしている活動の中心でありかつその大部分を占めているのは例会の
開催であり、したがつて、右にみた控訴人らの組織体としての活動費もまた例会開
催に付ずいする費用と目すべきものであること。」以上の事実が認められるから控
訴人らの会員が例会会場へ入場するために納付した会費は、そのすべてが例会会場
への入場の対価とみるべきものであるといわざるをえない。
6、控訴人らは、「入場税法は『映画、演芸、音楽、スポーツ又は見せ物を多数人
に見せ、又は聞かせる場所』への入場に入場税を課すものであるが、右の『多数人
に見せ、又は聞かせる場所』とは一定の施設を備え通常右の目的に使用される場所
を指すものである。しかるに本件賦課処分の対象となつた控訴人らの例会の一部は
学校の施設においてなされたものであるから右例会場への入場は入場税の賦課処分
の対象とならない。」 と主張する。
しかし、入場税法第一条第一号にいう「映画、演劇、音楽等を多数人に見せ、又は
聞かせる場所」とは、映画館、劇場、集会音楽会用ホール、野球場等映画、演劇、
音楽等を多数人に見せ、又は聞かせる場所として使用することを本来の目的とする
建造物または一定の区画された土地のみならず、映画、演劇、音楽等を多数人に見
せ、又は聞かせる場所として使用することを本来の用途としていない学校の教室、
体育館あるいは展示場等であつても現実に前記の映画、音楽等を多数人に見せ、又
は聞かせる場所として使用された施設を含むものと解すべきものである。
したがつて、控訴人らの前記主張はその前提を誤つているから、その余の点を判断
するまでもなく失当であることが明らかである。
二、そうすると、控訴人らの本訴請求をすべて棄却した原判決は相当であつて、本
件各控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につ
き民事訴訟法第九五条、第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり
判決する。
(裁判官 浅賀 栄 川添万夫 秋元隆男)
(別紙目録省略)
(別紙)
労音の実態
一、はじめに
1、昭和二四年一〇月、大阪勤労者音楽協議会は全国にさきがけて六七サークル、
四七〇人の会員で発足し、つづいて神戸労音が誕生して、ここに労音運動がはじま
つた。そして右労音運動は全国的に拡まり、東京においても、労音結成の気運がた
かまつた。
昭和二八年頃東京都内の私企業や官公庁の職場、学校等に音楽愛好家のサークルが
あり、それらのサークル員に日常レコード音楽を愛好するのみで、生の音楽を聴く
ことは入場料金の高額なため不可能であつたか、可能であつても稀にしかできない
ことであつた。しかも、その音楽は、いわゆる興行師等の手による「催物」として
の音楽であり、金銭的には高嶺の花であり、所詮は興行師等によるあてがいぶちの
音楽であり、それらのサークル員の要望を満足させるものではあり得なかつた。そ
こでそれらのサークル員は、良い生の音楽を安く度々聴きたいと要望するようにな
つた。それだけでなく自分達の手で企画運営して、健康で文化的な勤労者の感情に
合つた音楽を聴きたいと熱望していた。そして、それらのサークル員が協同すれ
ば、そのことは可能であることの自覚に達し、大阪、神戸各労音の活動の成果に学
び昭和二八年一〇月一六日東京勤労者音楽協議会が結成された。
(その後全国各地に労音が結成された事は周知のとおりである。)爾来この勤労者
音楽協議会(以下労音と略称する)の運動は発展して今日に至つている。
2、昭和三六年、労音は全国の他の労音とともに、労音運動の基本任務を確認決定
した。それによると、「労音運動は日本民族の進歩的音楽運動の伝統を受けつぎ、
発展させ、海外諸民族の民主的遺産に学び、芸術家知識人並に進歩的諸勢力と協力
して自分自身の成長と社会の進歩に役立つ音楽文化を創造することを目的としてい
る。またそのことによつて勤労者の人間性をたかめ、その連帯性を強化する運動で
ある。同時に、労音運動は勤労者の立場にたつ民主的音楽運動である。その組織原
則はサークルの活動を基礎にした民主的運営である」。
労音及び全国の他の労音には共通の綱領があり、次の如く定められている。
一、私達は、よい音楽をより安く、より多くの人達と楽しみ、私達の生活にひろく
音楽文化をもたらせます。
一、私達は、全国各地の労音、文化人、音楽関係者と手をつなぎ、国民音楽を創造
します。
一、私達は、労音の自主性を堅持し、常に会員の希望、意見を尊重した企画運営を
私達の手で行います。
右の基本任務と綱領に基き労音の運動がなされている。
3、労音の運動は、表面的に現われたものでいえば定期的な音楽会の開催(労音運
動においては例会とよばれている)、レコード・コンサート、合唱、フオーク・ダ
ンス、社交ダンス、リクリエーシヨン、音楽講座、例会の合評会、座談会、文化人
及び他の民主的文化団体との提携、音楽関係の資料の蒐集、機関紙、ニユースの発
行等々多種多様である。
レコード・コンサート、合唱、フオーク・ダンス、社交ダンス、リクリエーシヨ
ン、合評会、座談会等はサークルや地域支部(正確には地域支部という言葉は使用
されず、地域といわれているが、ここでは判りやすく表現するためあえて地域支部
という)で行われている。大きいサークルや地域支部では機関紙を発行している。
本件で問題となる例会は労音の運動の一部にすぎないのである。そして、これらは
すべて或いはサークルの一員として或いはサークル代表者、地域委員、運営委員、
専門部委員等々として労音を構成している会員自身が担当しているのである。
しかし、表面的に現われないで、しかも労音の運動を支えているのは、会員の維
持、拡大、交流等を中心とした地道な組織活動、情宣、企画、財政、例会等々の諸
活動であり、それは主としてサークル活動の一環として会員自身によつて為されて
いる。
したがつて、労音の運動において、会員の活動、とくにサークル活動がなければ、
労音の組織自体が存在しないし、まして、本件で問題になつている「例会」を含め
たすべての諸活動は存在しないのである。
なお、これらの運動に参加し得るものは、労音の会員のみに限られ、労音の会員で
ない者は参加することはできない。
4、前述したように、労音の運動の基礎はサークルの活動である。
サークルは東京都内や周辺の職場、地域、学校、その他において、三名以上の愛好
家によつて構成される。労音の会員になることは、サークルに加入するか或は新に
サークルを作つてサークルとして労音に加入することである。労音の会員たること
をやめるということはサークルを脱退することである。サークル員は毎月定められ
た会費をサークル代表者に醵出し、サークル代表者が労音の事務所にこれを届け
る。この会費によつて前述した多種多様な労音の運動の費用が賄われる。会費は労
音の運動の費用の分担金である。
サークル員は座談会、例会の合評会その他のサークルの諸活動の機会において、労
音のすべての運動について労音の基本任務や綱領に即して徹底的に討議して意見を
集約する。その集約された意見が委員会や運営委員会に反映され、委員会や運営委
員会はサークルの意見に基きかつサークル活動を中心とした会員の活動に支えられ
て労音の諸運動を展開している。換言すれば、労音の運動は、労音の全会員が自主
的に従つてまた民主的に行なつているものである。このことは本件で問題となる例
会についても同様であり、例会の企画運営はサークルの意見に基きかつ会員の活動
に依拠して行われるのである。そうすることにより、前述の基本任務や綱領に即し
た例会を行うことができるのである。
サークルの意見が委員会や運営委員会に反映され、委員会や運営委員会がサークル
の意見に基きかつサークル活動に依拠して労音の運動を展開するようになすため
に、労音においては組織的にそのことが保障されている。サークル員より代議員が
選出され、代議員と委員によつて定期的には年一回総会が開催される。総会におい
て委員長、副委員長、委員、会計監査が選出される。委員会は総会議決事項の実践
方針を決定し、運営委員を選出する。運営委員会は委員会の決定事項を実施する。
右の総会、委員会、運営委員会は閉鎖的なものでなく、サークル員は自由に参加す
ることができる。それだけではなく、サークルの代表者と活動家によつて地域会議
が構成され、地域会議はサークル員の要望、意見を委員会に反映させ、総会代議員
や委員候補者を選出する。別に、地域活動委員会というものがあり、地域活動委員
は委員及びサークルの推薦によつて運営委員会が委嘱するのであるが、地域活動委
員会は地域の要望意見を委員会や運営委員会に反映させる。サークルにはサークル
代表者、副代表者、幹事があり、これらの者はサークル員の要望意見を常に委員会
や運営委員会に反映させている。地域会議や地域活動委員会が閉鎖的なものでな
く、サークル員が自由に参加できることは勿論である。そして最終的に決定された
活動方針に基いてこれまた究極的には、主としてサークル活動を通じて労音の全会
員が、会員拡大を中心とする組織活動をはじめ、すべての活動を展開し、これを実
践するものである。このことをみただけでも労音の運動は、労音の全会員が自主的
に従つてまた民主的に行つているものであることは明らかであろう。一般に民主的
とは議会主義的な多数決原理と形式的に理解されているが、労音の自主性と民主性
は、それとは全く異質の実質的なものなのである。
二、サークル活動について
労音運動の組織原則は、サークルの活動を基礎にして民主的運営であることは前述
したとおりである。即ち、サークル活動を基礎にすることが民主的運営の内容をな
しているのである。
サークル活動を基礎にするということは、会員各自の意思と活動をもとに労音の全
般的活動を行なつていくということである。そのためには会員各自の意見を充分に
出しあい話合わなければならない。だからといつて十数万の会員が一堂に会するこ
とはできない。数千、数万の会員が仮に一堂に会することができても、度々会合す
ることはできない。一堂に会しても一人ひとりが意見をのべ、話しあい、討議する
ことは時間的に絶対できない。しかし、比較的少人数のものたちなら一堂に会する
ことは容易であり、一人ひとり意見をのべ、話しあい、討議するにはできる。この
ような会合ならば度々開くことはできる。会員各自の意見を出しあい討議するに
は、比較的少人数で会合する以外に方法がない。この話しあいの場がサークルであ
る。各サークルで話しあわれた会員の意見が、サークル毎に集約され、それが後述
する如き方法により、労音の全般的意思を築き上げ、さらには、これに基いて種々
の活動を実践し、全体として労音運動を展開しているのである。労音においては、
サークル活動、換言すれば全会員の活動がなければ労音の組識自体も存在する余地
はないし、従つて又、「例会」も存在しないのである。会員と労音とは切り離して
考えることのできないものである。労音の会員が単に例会を見たり聞いたりする人
びとの集まりであるならば、サークルは不要なのである。
では、サークル活動の実態はどのようなものであろうか。サークル活動が如何なる
ものであるかについては前述したが、さらに説明しよう。
1、労音のサークルには数名のものから、数百名のものまである。人数の多いサー
クルは班にわかれている。サークルや班は定期的に或いは適宜に会合する。大きい
サークルの会合には班の責任者と任意のサークル員が出席する。小さいサークルで
はサークル代表者が、大きいサークルではサークル代表者、副代表者、幹事が民主
的に選任されている。班の責任者が民主的に選任されることもいうまでもない。サ
ークルや班では、少なくも月一回定期的に会合がもたれている。たとえば、前述し
たサークル代表者が労音の事務局より交付を受けた例会参加の整理券を各サークル
員に交付する際に会合する等である。この会合で例会の内容をふくめて労音の活動
全般につき話しあわれる。サークル員の話しあいは、定期的な会合だけでなく、次
にあげる会合の際にも行なわれている。
2、サークルで、レコード・コンサート、合唱、フオーク・ダンス、社交ダンス、
リクリエーシヨン、合評会、座談会等が行なわれていることや、大きいサークルで
は機関紙を発行していることは前述した。これらは、サークル員の音楽文化の教養
をたかめ、サークル員相互の人間的理解を深め、連帯感を強化するためのものであ
る。
レコード・コンサートは定期的に行なつているサークルもある。専門家をよび解説
してもらつてレコード・コンサートを行なうこともある。この際にポピユラー音楽
しか理解しない者にクラシツク音楽を理解するように援助する。それだけでなく、
ポピユラー音楽やクラシツク音楽を勤労者の思想感情に適合するようにするには、
どうさるべきかが話しあわれることもある。
サークル員は毎月労音の例会に参加するが、例会の直後に、或いは数日後に合評会
を行なう。それは例会に上演されたものを批判評価するものである。勤労者の立場
から、上演されたものの長所や短所の理解が深められ、どのように上演さるべきで
あつたか等の希望が話しあわれる。
合唱、フオーク・ダンス、社交ダンスはサークル員が自ら音楽舞踊の活動をなし、
文化的要求を満たすのである。
リクリエーシヨンは、都市農村をとわず勤労者の生活と健康に不可欠なものとなつ
た。そこで合唱やフオーク・ダンスも行なわれる。
座談会では、例会に対する希望、要求、労音の全般の活動のあり方やサークル活動
のありかた等が話しあわれる。機関紙に労音の現状や、サークルの活動状況、サー
クル員の種々の希望、意見が載せられ、サークル員の意見交換の場となることはい
うまでもない。
3、サークル活動はそれだけではない。
代議員と委員によつて定期的に年一回総会が開催されることは前述したが、各サー
クルより代議員候補者を選出する。
サークル員の人数により二名以上の候補者を選出するサークルもある。これはサー
クルや班で討議されて選出される。この代議員候補者には、サークル代表者やサー
クルから推された地域活動委員が選ばれることもある。代議員候補者は総会に対し
てサークル員の意見を代表するものである。この代議員候補者から、地域会議にお
ける討議の結果、代議員が選出される。地域会議はサークルの代表者とサークルの
活動家によつて構成される。労音には現在例えば東京の場合東京都の各特別区等約
三〇の地域会議が存在する。地域会議において、サークル代表者や活動家如何に発
言すべきかも、サークルの討議によつてきめられる。この地域会議において、代議
員が選出されるだけでなく、総会で決定される委員の候補者が地域のサークル活動
家のうちから選出される。地域会議は総会前に開催されるだけでなく、年間の例会
の企画のため、労音の組織運動の発展のために、それぞれ一回宛開催される。
地域会議とは別に、地域活動委員会がある。地域活動委員は委員又はサークルによ
つて推薦された活動家が運営委員会によつて依嘱される。サークルが、地域活動委
員を推薦するにはサークル員の討議による。地域活動委員にサークル代表者や委員
が委嘱されることもある。地域活動委員に対して地域において如何に活動させるか
も、サークルの討議によつてきめられる。地域活動委員会は少くとも一週間に一回
以上開催される。
地域活動委員の活動とは地域におけるサークル、会員の要求をもとに、サークル、
会員の交流をはかり、地域の自主的な活動を行ない、又労音の運動方針を地域にお
いて実践し、地域の要望、意見などを委員会や運営委員会に反映させるのである。
具体的には、サークル訪問、各種の集会、レコード・コンサート、ハイキング、ダ
ンスパーテイー等により、地域のサークル、会員の交流をはかるために自主的活動
や、労音の例会企画をふくむ運動方針等についての各サークルの意見を集約して、
運営委員会、専門部会等に意見をあげたり、それらに基いて決定された運動方針を
地域において具体的に実践するための諸活動、例えば例会を行なうに際しては、数
ケ月前から当該例会について学習をし(ある場合には出演者らを訪問することもあ
る)例会の意義等を把握して、自主的にオルグ班等を作成し、各サークルを訪問し
たりする。
4、サークル活動には更に次の如きものもある。
レコード・コンサート、フオーク・ダンス、社交ダンス、合唱、合評会、座談会、
リクリエーシヨン、労音学校等が地域活動委員の協力のもとに地域でも行なわれて
いることは前項でものべたとおりである。労音学校とは、音楽史、音楽内容、音楽
運動、サークル活動のあり方等を学習するものである。これらには、サークルで討
議して、サークル員が参加している。また、スキー、スケート、キヤンプ等は労音
仝体の規模で行なわれており、サークルで討議し、サークル員が参加するようにし
ている。
労音運動において、全国の労音は毎年定期的に全国会議を開催している。各労音の
サークルでは、この会議に代表者を派遣するため討議し、カンパを集める。この会
議に出席する代表者は、各種の会合を通じて先進的な全国の労音活動家の経験を摂
取し、すぐれたサークル活動家となる例が多い。
5、さらに労音ではサークルの討議に基いてサークル員が自主的に例会管理即ち、
例会会場において、労音の機関紙の参加者への配布、参加者が持参する例会整理券
と座席券との交換、ドアマン、座席案内、前月の例会のアンケートの収集、楽屋手
伝、受付等を行なつている。地方の中小労音では会場の準備がないため、学校の講
堂等で例会を開く場合が多いので、例会管理は右以外にさらに舞台装置の作成から
ピアノの搬入、椅子の持ち込み整理、照明、音響その他あらゆる準備(会場設営)
を会員自身が順番で担当し、例会が終ればまた会員自身がこれを順番で後片付けを
為している。一口に例会管理、会場設営といつても大変な仕事であり、これらのこ
とができるのは労音が会員自身のものであり、会員自身が労音を自分のものとし、
自分達が労音運動を推進しているのであるとの自覚があるからである。
会員と別個の労音が主催者であり、会員は単なる観客であるのであれば、かかるこ
とは到底できるものではない。
6、労音の組織を維持し、労音運動を進めるためには、会員を維持、拡大し、交流
を図る等の組織活動が必要である。その組織活動を支えているのは、これまたサー
クルであり、会員自身である。かかる活動は、サークル活動の重要な一環であり、
会員自身によつてこれらの活動は為されているのである。
その他、労音の情宣、企画、財政、例会等々の諸活動も同じである。
7、以上のとおり労音運動の基礎はサークル活動であり、サークル活動を別にし
て、労音運動が存在しないことは明らかであろう。
三、労音の目的、組織、活動について
労音は、昭和三六年、全国の他の労音とともに確認決定した労音の基本任務ならび
に同綱領に基いて運動を行なつており、その目的はつぎのとおりである。
1、日本民族の進歩的音楽運動の伝統をうけつぎ発展させ海外諸民族の民主的文化
遺産に学び、芸術家知識人ならびに進歩的諸勢力と協力して、自らの成長と社会の
進歩に役立つ民族的、民主的、大衆的な音楽文化を創造育成し、日本文化の発展に
寄与すること。
2、サークルの自主的な活動および会員相互の交流を発展させ、よい音楽の普及と
向上をはかり、働くものの人間性を高めるとともに、その連帯性を強化すること。
(東京規約第三条参照)
そして右目的を遂行するために労音は、単位サークルを基礎に、サークル活動を通
じて(東京規約第七条参照)会員自身の運営により次の諸活動を行なつている。
(1) 良い音楽を安くきくために、会員の希望をもとに毎月定例音楽会(例会)
の開催。
(2) 合評会、講座、座談会、レコード・コンサート等の開催。
(3) 機関紙、ニユース等の発行。
(4) 各サークル、地域における活動をさかんにし、音楽に親しむ機会を増やす
ために(イ)良い音楽会の券、レコード、楽器などの共同購入配布(ロ)レコー
ド、楽器その他の器具を購入し会員の総有として利用を図る。。(ハ)音楽家(講
師、指揮者、演奏家)の推薦等。
(5) 音楽専門家との協力を深める。
(6) 全国各地の労音、民主的諸団体と協力し、相互の交流を深め日本の民主的
運動を発展させるために必要な活動。
(7) その他、前項の目的達成のために必要な活動。
右のとおり、労音は、前記目的のためサークル活動を基礎に、会員自身の運営によ
り、例会等の諸活動を行なつているのであるが、そのうちサークル活動については
すでにくわしく述べたので、以下それを除く労音の組織活動について述べることに
する。
労音の労音運動の組織原則は、サークルを基礎にした民主的運営であり、その諸活
動は、会員自身の意思と活動をもとに、会員自身の運営によりなされていること
は、既に述べたとおりである。そこでは、会員各自の意思は、労音運動の基礎組織
であるサークルの会議その他の諸活動の中で集約され、サークルの代表者等および
委員代議員等を通じて、又はその他の方法によつて、サークル代表者会議、地域活
動委員会、地域会議、専門部会、運営委員会、委員会および総会等に反映されそれ
に基いて、労音の活動全般が企画立案される。そして右企画は運営委員会、専門部
会、地域会議、地域活動委員会、サークルの代表者等さらにはサークル活動を通じ
て活動家、会員各自によりこれが実践されている(規約第七条~同第一〇条参照)
のである。
そこで以下、労音の組織および活動を明らかにするために、総会、委員会、運営委
員会等の組織および活動の実態を述べることにする。
(1) 総会
総会は、労音の最高決定機関で、委員および代議員によつて構成され、年一回委員
長が招集することによつて開かれるが、委員会が必要と認めた場合およびサークル
代表者の四分の一以上必の要請があつたとぎには臨時総会を開くことができる。総
会は、運動方針を決定し、予算方針、決算の承認をし、規約の改廃をし、役員を選
出する等を行なう。
総会で決定する運動方針の中には当然「例会の年間企画」も入つている。労音の
「例会の年間企画」は総会の数ケ月前から、会員各自の意見を基礎に、サークル会
議、サークル代表者会議、地域活動委員会、地域会議、専門部会とくに企画部会、
運営委員会、委員会等で検討立案され、委員会で決定された「年間企画案」をもと
に、総会においてサークルおよび地域会議等の意見を代理する代議員らによつて、
つまり会員自身の意見によつて最終的に決定されるのである。
総会は役員の一人として委員長を選出する。
(2) 委員会
委員会は、総会につぐ決定機関で委員によつて構成され、委員長の招集により月一
回開かれるが、運営委員会が必要と認めた場合及び委員の四分の一以上の要請があ
るときには臨時委員会を開くことができ、次の諸事項について議決することができ
る。(イ)総会議決事項の実践方針の決定 (ロ)運営委員の選出(事務局員より
若干名をふくむ) (ハ)運営委員会の報告の承認 (ニ)細則諸規程の改廃 
(ホ)総会に提出する事項の決定 (ヘ)事務局長、次長の任免 (ト)専門部の
設置 (チ)その他必要と認めた事項。委員会の委員は地域会議の選出した委員候
補の中から総会が選出する(東京規約第九条、一〇条参照)。これは、各サークル
の意見が反映されている地域会議の推せんにより、各サークルの代表等で構成する
総会によつて選出することによつて、二重に会員各自の意見を尊重しようとしてい
るのである。
委員会は、総会議決事項の実践方針の決定や、総会に提出する事項の決定等を行な
い、例会の企画についても、すでに総会の項で述べたとおり、各種の委員会、部
会、会議、サークル、サークル員即ち会員等々の意見(以下単に会員等の意見とい
う)に基いて「例会の年間企画案」を決定して総会に提出し、さらに総会で決定さ
れた右企画を会員の意見に基いて具体化させるのである。その他の事項について
も、委員会は会員等の意見に基いて、担当する諸任務を遂行するものであり、会員
は種々の方法で自らの意見を委員会に反映させることができるのである。
(3) 運営委員会および専門部会
運営委員会は委員会の決定事項にもとずく日常的実践活動を行ない、正副委員長、
事務局長、運営委員約三〇名(うち事務局員三名)により構成され、委員長の招集
により随時開かれる。運営委員は、委員会の議決によつて、委員の中から(但し若
干名は事務局員から)選出される。運営委員会の議決事項は次のとおりである。
(イ) 委員会の決定実践に関する一切の事項
(ロ) 委員会に提出する事項
(ハ) 正副専門部長の互選
(ニ) 委員会、地域活動委員会の推薦にもとづき、委員、地域活動委員より専門
部員の任免
(ホ) 事務局員の任免
(ヘ) 専門委員会の設置
(ト) その他必要と認めた事項
運営委員会の主たる任務は、会員等の意見に基いて、委員会の決定事項を実践した
り、委員会に提出する事項を決定したりすることである。
運営委員会は、その任務の遂行にあたつて、専門委員会を設置し、企画、財政、組
織、宣伝の各専門部会に対して、夫々の事項の検討および実践を委嘱することがで
き、現に委嘱している。
専門部会は、運営委員会のメンバーの互選によつて選出された正、副専門部長及び
運営委員会により、委員会、地域活動委員会の推薦に基き、委員、地域活動委員よ
り選ばれた専門部員と担当事務局員によつて構成される。
専門部会は委嘱された事項について、総会、委員会の決定、運営委員会の委嘱の趣
旨等に従い又、地域会議、地域活動委員会、サークルおよび会員等々の意見に基い
て検討を加え、実践するのであるが、その構成及び活動は次のとおりである。
(1) 企画部 部長一名、副部長二名、専門部員数十名(うち事務局員数名)に
よつて構成され労音の企画一般を具体化する。即ち(イ)サークルや地域からの例
会についての要求を討議検討し、(ロ)例会の基本方針を確立して例会を具体的に
企画し、(ハ)例会管理を具体化し、(ニ)合評会を組織し、(ホ)その他例会に
関する研究会等を開催するのである。
(2) 組織部、企画部とほぼ同様の構成で、(イ)組織拡大に関する活動 
(ロ)組織に関する調査活動 (ハ)サークル交流、各種懇談会の開催 (ニ)各
種講座、研究会、座談会等の教育活動 (ホ)各種音楽自立サークルの育成に関す
る活動 (ヘ)集い、音楽会等の企画運営活動やサークルへの音楽家諸講師等の紹
介その他の活動を行なつている。
(3) 宣伝部 企画部とほぼ同様の構成で、(イ)機関誌等の発行 (ロ)対外
宣伝 (ハ)その他教育、宣伝に関する各種の活動を行なつている。
(4) 財政部 他の部会とほぼ同様の構成で、(イ)予算、決算を作成し 
(ロ)財政分析等を行なつている。
そして、東京においては委員長をはじめ専門部員は各数名の事務局員を除いてすべ
て、また地方の中小労音においては、委員長をはじめとする全委員が(一~二名の
事務局員を除いて)すべて個人として定職を持ち、他の会員と同じく会費を分担し
ながら無報酬で右活動を担当しているのである。以上のとおり、運営委員会は、会
員の意思と活動に基いて、自ら、又は専門部会等に委嘱して、委員会の決定事項を
実践するものである。
そして、例えば、組織の拡大にしても、例会企画や例会管理にしても、また機関誌
の発行、配布にしても、会費の集約等にしても、すべてサークル活動を中心とし、
さらに後に述べる地域会議や地域活動委員会等々の活動によつて、究極的には会員
自身の夫々の実践によつて、行なわれているのであつて、ただ単に運営委員会や専
門部会のみこれを行つているのではない。会員自身の活動なくして例会をはじめと
する労音の諸活動を展開することは不可能である。
(4) 地域会議および地域活動委員会
地域会議は、各サークルの代表者と活動家によつて構成され、地域の自主的運営に
より、(イ)その地域におけるサークル会員の交流をはかり、運動方針を具体化
し、(ロ)会員の要望、意見を委員会に反映させ、(ハ)その他総会の代議員や委
員候補を選出する(東京規約第九条(5))。
地域活動委員会は、地域におけるサークル、会員の要求をもとに、サークル、会員
の交流をはかり地域の自主的な活動を行ない、また運動方針を地域において実践
し、地域の要望、意見等を機関に反映させ、運営委員会に対して専門部員を推薦す
る等の活動を行なう(同条(6))のであるが、地域会議および地域活動者会議の
詳細はすでに述べたとおりである。
(5) サークル代表者会議、サークル代表者、同副代表者、同幹事
サークル代表者会議は、重要事項の検討、あるいはそのすみやかな実践をはかるた
めに、委員会が必要と認めたときに開かれる(東京規約第九条(9))。労音は能
うかぎり(サークル代表者を通じて)会員各自の意見に基いて運営されるようにな
つているのである。
単位サークルの代表者、副代表者及び幹事は、単位サークルを代表し、運動方針を
実践し、また会員の意見、希望を常に機関に反映させなければならない(規約第九
条(8))。
単位サークルは労音運動の基礎組織であり、サークル活動を通じて運動方針を実践
する(規約第七条)ものであり、従つて労音運動にとつてその代表者等の重要性が
極めて大きいことは、後述本項(6)および本項(1)の総会以下の各項ですでに
述べたとおりである。
(6) 委員長等の役員
労音の場合に、労音を構成する各会員がどのようにして、代表者に直接あるいは間
接に私法的法律関係の内容たる事項を委任するかは、前記一の記載により自ら明ら
かであるが念のため説明しよう。
労音の場合代表者は委員長であるが、委員長は総会において選任せられる。総会は
その時点の委員と代議員によつて構成される。代議員は地域会議においてサークル
員より選出される。総会の議決は出席代議員の過半数によつて決定されることにな
つているが、委員長の選出につき意見が分れたことはない。仮に過半数の意見に反
対する少数代議員があるとしても総会の議決には服するのであるから、委員長は出
席代議員全員によつて直接選出されたことになる。代議員はサークル員の討議にも
とづき、地域会議で選出するのであるから、代議員は討議に参加したサークル員の
意思を代理するものであり、また、討議に参加したと否とを問わず労音の全会員は
代議員が総会において委員長を選出するという労音の規約を承認して労音の会員と
なつたものであるから代議員以外の会員は間接に委員長を選出したこととなる。総
会と次の総会との中間に労音の会員となつたものは労音の規約を承認して会員とな
るのであるから、その点の委員長の地位を直接承認したこととなる。委員長の権限
は労音の労音運動を統括し労音を代表することである。委員長が代表する私法的な
権限は労音の労音運動を遂行するに必要な範囲内の事項である。総会に出席した代
議員は総会において委員長を選出する行為の内容として直接に、代議員以外の会員
は前述の討議に参加し、あるいは規約を承認する行為の内容として間接に、総会と
次の総会の中間に会員となつた者は委員長の地位を承認する行為の内容として直接
に、委員長に、労音の労音運動を遂行するに必要な範囲内の事項(それは総会の決
議という形で表われているが未だ抽象的である)の私法的な権限を委任しているも
のである。従つて、委任する事項の内容は抽象的でその範囲は包括的である。
既に本項一で述べたように、委員会は総会の議決事項の実践方針を決定し、運営委
員会は委員会の決定事項を実施するのであるが、それらは、委員や運営委員の意見
のみで決せられているのではない。サークル員は、労音のすべての運動について労
音の基本任務や綱領に即して徹底的に討議して意見を集約し、集約された意見を委
員会や運営委員会に反映させる。サークルの代表者と活動家によつて地域会議が構
成され、地域会議はサークル員の要望、意見を委員会や運営委員会に反映させる。
それだけでなく、地域活動委員会も地域の要望、意見を委員会や運営委員会に反映
させている。このようにして、抽象的であつた総会の議決は除々に具体化され、最
終的には運営委員会が具体化し全会員とともにこれを実施する。この実施が対外的
に私法的法律関係を発生する場合は運営委員会の議長である委員長が全会員から委
任を受けた権限にもとづき、之に当るのである。

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