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裁判例


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主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
1本件は,市立小学校の音楽専科の教諭である上告人が,入学式の国歌斉唱の
際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを内容とする校長の職務上の命令に従わな
かったことを理由に被上告人から戒告処分を受けたため,上記命令は憲法19条に
違反し,上記処分は違法であるなどとして,被上告人に対し,上記処分の取消しを
求めている事案である。
2原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1)上告人は,平成11年4月1日から日野市立A小学校に音楽専科の教諭と
して勤務していた。
(2)A小学校では,同7年3月以降,卒業式及び入学式において,音楽専科の
教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきており,同校の校長(以下
「校長」という。)は,同11年4月6日に行われる入学式(以下「本件入学式」
という。)においても,式次第に「国歌斉唱」を入れて音楽専科の教諭によるピア
ノ伴奏で「君が代」を斉唱することとした。
(3)同月5日,A小学校において本件入学式の最終打合せのための職員会議が
開かれた際,上告人は,事前に校長から国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう言わ
れたが,自分の思想,信条上,また音楽の教師としても,これを行うことはできな
い旨発言した。校長は,上告人に対し,本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を
行うよう命じたが,上告人は,これに応じない旨返答した。
(4)校長は,同月6日午前8時20分過ぎころ,校長室において,上告人に対
し,改めて,本件入学式の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を行うよう命じた(以下,校
長の上記(3)及び(4)の命令を「本件職務命令」という。)が,上告人は,これに応
じない旨返答した。
(5)同日午前10時,本件入学式が開始された。司会者は,開式の言葉を述
べ,続いて「国歌斉唱」と言ったが,上告人はピアノの椅子に座ったままであっ
た。校長は,上告人がピアノを弾き始める様子がなかったことから,約5ないし1
0秒間待った後,あらかじめ用意しておいた「君が代」の録音テープにより伴奏を
行うよう指示し,これによって国歌斉唱が行われた。
(6)被上告人は,上告人に対し,同年6月11日付けで,上告人が本件職務命
令に従わなかったことが地方公務員法32条及び33条に違反するとして,地方公
務員法(平成11年法律第107号による改正前のもの)29条1項1号ないし3
号に基づき,戒告処分をした。
3上告代理人吉峯啓晴ほかの上告理由第2のうち本件職務命令の憲法19条違
反をいう部分について
(1)上告人は,「君が代」が過去の日本のアジア侵略と結び付いており,これ
を公然と歌ったり,伴奏することはできない,また,子どもに「君が代」がアジア
侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の
自由を実質的に保障する措置を執らないまま「君が代」を歌わせるという人権侵害
に加担することはできないなどの思想及び良心を有すると主張するところ,このよ
うな考えは,「君が代」が過去の我が国において果たした役割に係わる上告人自身
の歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができ
る。しかしながら,学校の儀式的行事において「君が代」のピアノ伴奏をすべきで
ないとして本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,上告人にと
っては,上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが,一般的に
は,これと不可分に結び付くものということはできず,上告人に対して本件入学式
の国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容とする本件職務命令が,直ちに上
告人の有する上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはで
きないというべきである。
(2)他方において,本件職務命令当時,公立小学校における入学式や卒業式に
おいて,国歌斉唱として「君が代」が斉唱されることが広く行われていたことは周
知の事実であり,客観的に見て,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏
をするという行為自体は,音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待されるもの
であって,上記伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に表明す
る行為であると評価することは困難なものであり,特に,職務上の命令に従ってこ
のような行為が行われる場合には,上記のように評価することは一層困難であると
いわざるを得ない。
本件職務命令は,上記のように,公立小学校における儀式的行事において広く行
われ,A小学校でも従前から入学式等において行われていた国歌斉唱に際し,音楽
専科の教諭にそのピアノ伴奏を命ずるものであって,上告人に対して,特定の思想
を持つことを強制したり,あるいはこれを禁止したりするものではなく,特定の思
想の有無について告白することを強要するものでもなく,児童に対して一方的な思
想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない。
(3)さらに,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,
一部の奉仕者ではない。」と定めており,地方公務員も,地方公共団体の住民全体
の奉仕者としての地位を有するものである。こうした地位の特殊性及び職務の公共
性にかんがみ,地方公務員法30条は,地方公務員は,全体の奉仕者として公共の
利益のために勤務し,かつ,職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しな
ければならない旨規定し,同法32条は,上記の地方公務員がその職務を遂行する
に当たって,法令等に従い,かつ,上司の職務上の命令に忠実に従わなければなら
ない旨規定するところ,上告人は,A小学校の音楽専科の教諭であって,法令等や
職務上の命令に従わなければならない立場にあり,校長から同校の学校行事である
入学式に関して本件職務命令を受けたものである。そして,学校教育法18条2号
は,小学校教育の目標として「郷土及び国家の現状と伝統について,正しい理解に
導き,進んで国際協調の精神を養うこと。」を規定し,学校教育法(平成11年法
律第87号による改正前のもの)20条,学校教育法施行規則(平成12年文部省
令第53号による改正前のもの)25条に基づいて定められた小学校学習指導要領
(平成元年文部省告示第24号)第4章第2D(1)は,学校行事のうち儀式的行事
について,「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わ
い,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。」と定めるとこ
ろ,同章第3の3は,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗
を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と定めている。
入学式等において音楽専科の教諭によるピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは,これ
らの規定の趣旨にかなうものであり,A小学校では従来から入学式等において音楽
専科の教諭によるピアノ伴奏で「君が代」の斉唱が行われてきたことに照らして
も,本件職務命令は,その目的及び内容において不合理であるということはできな
いというべきである。
(4)以上の諸点にかんがみると,本件職務命令は,上告人の思想及び良心の自
由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえないと解するのが相当である。
なお,上告人は,雅楽を基本にしながらドイツ和声を付けているという音楽的に
不適切な「君が代」を平均律のピアノという不適切な方法で演奏することは音楽家
としても教育者としてもできないという思想及び良心を有するとも主張するが,以
上に説示したところによれば,上告人がこのような考えを有することから本件職務
命令が憲法19条に反することとなるといえないことも明らかである。
以上は,当裁判所大法廷判決(最高裁昭和28年(オ)第1241号同31年7
月4日大法廷判決・民集10巻7号785頁,最高裁昭和44年(あ)第1501
号同49年11月6日大法廷判決・刑集28巻9号393頁,最高裁昭和43年
(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻5号615頁及び
最高裁昭和44年(あ)第1275号同51年5月21日大法廷判決・刑集30巻
5号1178頁)の趣旨に徴して明らかである。所論の点に関する原審の判断は,
以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。論旨は採用することができ
ない。
4その余の上告理由について
論旨は,違憲及び理由の不備をいうが,その実質は事実誤認若しくは単なる法令
違反をいうもの又はその前提を欠くものであって,民訴法312条1項及び2項に
規定する事由のいずれにも該当しない。
よって,裁判官藤田宙靖の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文
のとおり判決する。なお,裁判官那須弘平の補足意見がある。
裁判官那須弘平の補足意見は,次のとおりである。
私は,本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見にくみするもので
あるが,その理由とするところについては,以下のとおり若干の補足をする必要が
あると考える。
1学校の儀式的行事において国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,一
般的には上告人の有する「君が代」に関する特定の歴史観ないし世界観と不可分に
結び付くものということはできず,国歌斉唱の際にピアノ伴奏を求めることを内容
とする職務命令を発しても,その歴史観ないし世界観を否定することにはならない
こと(理由3(1)),客観的に見ても,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピア
ノ伴奏をするという行為自体は,音楽専科の教諭等にとって通常想定され期待され
るものであって,その伴奏を行う教諭等が特定の思想を有するということを外部に
表明する行為であると評価することが困難であること(同3(2))は,多数意見の
とおりである。
しかし,本件の核心問題は,「一般的」あるいは「客観的」には上記のとおりで
あるとしても,上告人の場合はこれが当てはまらないと上告人自身が考える点にあ
る。上告人の立場からすると,職務命令により入学式における「君が代」のピアノ
伴奏を強制されることは,上告人の前記歴史観や世界観を否定されることであり,
さらに特定の思想を有することを外部に表明する行為と評価され得ることにもなる
ものではないかと思われる。
この点,本件で問題とされているピアノ伴奏は,外形的な手足の作動だけでこれ
を行うことは困難であって,伴奏者が内面に有する音楽的な感覚・感情や知識・技
能の働きを動員することによってはじめて演奏可能となり,意味のあるものになる
と考えられる。上告人のような信念を有する人々が学校の儀式的行事において信念
に反して「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは,演奏のために動員される上
記のような音楽的な内心の働きと,そのような行動をすることに反発し演奏をした
くない,できればやめたいという心情との間に心理的な矛盾・葛藤を引き起こし,
結果として伴奏者に精神的苦痛を与えることがあることも,容易に理解できること
である。
本件職務命令は,上告人に対し上述の意味で心理的な矛盾・葛藤を生じさせる点
で,同人が有する思想及び良心の自由との間に一定の緊張関係を惹起させ,ひいて
は思想及び良心の自由に対する制約の問題を生じさせる可能性がある。したがっ
て,本件職務命令と「思想及び良心」との関係を論じるについては,上告人が上記
のような心理的矛盾・葛藤や精神的苦痛にさいなまれる事態が生じる可能性がある
ことを前提として,これをなぜ甘受しなければならないのかということについて敷
えんして述べる必要があると考える。
2上記の点について,多数意見が挙げる憲法15条2項(「全体の奉仕
者」),地方公務員法30条(「全体の奉仕者」として「公共の利益」のために勤
務),32条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)等の規定と,上告人の
ような「君が代」斉唱に批判的な信念を持つ教師の思想・良心の自由との関係につ
いては,以下のとおり理解することができる。
第1に,入学式におけるピアノ伴奏は,一方において演奏者の内心の自由たる
「思想及び良心」の問題に深く関わる内面性を持つと同時に,他方で入学式の進行
において参列者の国歌斉唱を補助し誘導するという外部性をも有する行為である。
その内面性に着目すれば,演奏者の「思想及び良心の自由」の保障の対象に含まれ
得るが,外部性に着目すれば学校行事の一環としての「君が代」斉唱をより円滑か
つ効果的なものにするに必要な行為にほかならず,音楽専科の教諭の職務の一つと
して校長の職務命令の対象となり得る性質のものである。
このような両面性を持った行為が,「思想及び良心の自由」を理由にして,学校
行事という重要な教育活動の場から事実上排除されたり,あるいは各教師の個人的
な裁量にゆだねられたりするのでは,学校教育の均質性や組織としての学校の秩序
を維持する上で深刻な問題を引き起こし,ひいては良質な教育活動の実現にも影響
を与えかねない。
なお,学校の教師は専門的な知識と技能を有し,高い見識を備えた専門性を有す
るものではあるが,個別具体的な教育活動がすべて教師の専門性に依拠して各教師
の裁量にゆだねられるということでは,学校教育は成り立たない面がある。少なく
とも,入学式等の学校行事については,学校単位での統一的な意思決定とこれに準
拠した整然たる活動(必ずしも参加者の画一的・一律の行動を要求するものではな
いが,少なくとも無秩序に流れることにより学校行事の意義を損ねることのない態
様のものであること)が必要とされる面があって,学校行事に関する校長の教職員
に対する職務命令を含む監督権もこの目的に資するところが大きい。
第2に,入学式における「君が代」の斉唱については,学校は消極的な意見を有
する人々の立場にも相応の配慮を怠るべきではないが,他方で斉唱することに積極
的な意義を見いだす人々の立場をも十分に尊重する必要がある。そのような多元的
な価値の併存を可能とするような運営をすることが学校としては最も望ましいこと
であり,これが「全体の奉仕者」としての公務員の本質(憲法15条2項)にも合
致し,また「公の性質」を有する学校における「全体の奉仕者」としての教員の在
り方(平成18年法律第120号による全部改正前の教育基本法6条1項及び2
項)にも調和するものであることは明らかである。
他面において,学校行事としての教育活動を適時・適切に実践する必要上,上記
のような多元性の尊重だけではこと足りず,学校としての統一的な意思決定と,そ
の確実な遂行が必要な場合も少なくなく,この場合には,校長の監督権(学校教育
法28条3項)や,公務員が上司の職務上の命令に従う義務(地方公務員法32
条)の規定に基づく校長の指導力が重要な役割を果たすことになる。そこで,前記
のような両面性を持った行為についても,行事の目的を達成するために必要な範囲
内では,学校単位での統一性を重視し,校長の裁量による統一的な意思決定に服さ
せることも「思想及び良心の自由」との関係で許されると解する。
3本件職務命令は,小学校における入学式に際し,その式典の一環として従前
の例に従い「君が代」を斉唱することを学校の方針として決定し,これを実施する
ために発せられたものである。そして,入学式において,「君が代」を斉唱させる
ことが義務的なものかどうかについてはともかく,少なくとも本件当時における市
立小学校においては,学校現場の責任者である校長が最終的な裁量権を行使して斉
唱を行うことを決定することまで否定することは,上記校長の権限との関係から見
ても,困難である。そうしてみると,学校が組織として国歌斉唱を行うことを決め
たからには,これを効果的に実施するために音楽専科の教諭に伴奏させることは極
めて合理的な選択であり,その反面として,これに代わる措置としてのテープ演奏
では,伴奏の必要性を十分に満たすものとはいえないことから,指示を受けた教諭
が任意に伴奏を行わない場合に職務命令によって職務上の義務としてこれを行わせ
る形を採ることも,必要な措置として憲法上許されると解する。
この場合,職務命令を受けた教諭の中には,上告人と同様な理由で伴奏すること
に消極的な信条・信念を持つ者がいることも想定されるところであるが,そうであ
るからといって思想・良心の自由を理由にして職務命令を拒否することを許してい
ては,職場の秩序が保持できないばかりか,子どもたちが入学式に参加し国歌を斉
唱することを通じ新たに始まる学年に向けて気持ちを引き締め,学習意欲を高める
ための格好の機会を奪ったり損ねたりすることにもなり,結果的に集団活動を通じ
子どもたちが修得すべき教育上の諸利益を害することとなる。
入学式において「君が代」の斉唱を行うことに対する上告人の消極的な意見は,
これが内面の信念にとどまる限り思想・良心の自由の観点から十分に保障されるべ
きものではあるが,この意見を他に押しつけたり,学校が組織として決定した斉唱
を困難にさせたり,あるいは学校が定めた入学式の円滑な実施に支障を生じさせた
りすることまでが認められるものではない。
4上告人は,子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な
歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執ら
ないまま,「君が代」を歌わせることは,教師としての職業的「思想・良心」に反
するとも主張する。上告人の主張にかかる上記職業的な思想・良心も,それが内面
における信念にとどまる限りは十二分に尊重されるべきであるが,学校教育の実践
の場における問題としては,各教師には教育の専門家として一定の裁量権が認めら
れるにしても,すべてが各教師の選択にゆだねられるものではなく,それぞれの学
校という教育組織の中で法令に基づき採択された意思決定に従い,総合的統一的に
整然と実施されなければ,教育効果の面で深刻な弊害が生じることも見やすい理で
ある。殊に,入学式や卒業式等の行事は,通常教員が単独で担当する各クラス単位
での授業と異なり,学校全体で実施するもので,その実施方法についても全校的に
統一性をもって整然と実施される必要があり,本件職務命令もこの観点から事前に
しかも複数回にわたって校長から上告人に発出されたものであった。
したがって,A小学校において,入学式における国歌斉唱を行うことが組織とし
て決定された後は,上記のような思想・良心を有する上告人もこれに協力する義務
を負うに至ったというべきであり,本件職務命令はこの義務を更に明確に表明した
措置であって,これを違憲,違法とする理由は見いだし難い。
裁判官藤田宙靖の反対意見は,次のとおりである。
私は,上告人に対し,その意に反して入学式における「君が代」斉唱のピアノ伴
奏を命ずる校長の本件職務命令が,上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして
憲法19条に反するとはいえないとする多数意見に対しては,なお疑問を抱くもの
であって,にわかに賛成することはできない。その理由は,以下のとおりである。
1多数意見は,本件で問題とされる上告人の「思想及び良心」の内容を,上告
人の有する「歴史観ないし世界観」(すなわち,「君が代」が過去において果たし
て来た役割に対する否定的評価)及びこれに由来する社会生活上の信念等であると
とらえ,このような理解を前提とした上で,本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴
奏を拒否することは,上告人にとっては,この歴史観ないし世界観に基づく一つの
選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものということはできな
いとして,上告人に対して同伴奏を命じる本件職務命令が,直ちに,上告人のこの
歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないとし,また,
このようなピアノ伴奏を命じることが,上告人に対して,特定の思想を持つことを
強制したり,特定の思想の有無について告白することを強要するものであるという
ことはできないとする。これはすなわち,憲法19条によって保障される上告人の
「思想及び良心」として,その中核に,「君が代」に対する否定的評価という「歴
史観ないし世界観」自体を据えるとともに,入学式における「君が代」のピアノ伴
奏の拒否は,その派生的ないし付随的行為であるものとしてとらえ,しかも,両者
の間には(例えば,キリスト教の信仰と踏み絵とのように)後者を強いることが直
ちに前者を否定することとなるような密接な関係は認められない,という考え方に
立つものということができよう。しかし,私には,まず,本件における真の問題
は,校長の職務命令によってピアノの伴奏を命じることが,上告人に「『君が代』
に対する否定的評価」それ自体を禁じたり,あるいは一定の「歴史観ないし世界
観」の有無についての告白を強要することになるかどうかというところにあるので
はなく(上告人が,多数意見のいうような意味での「歴史観ないし世界観」を持っ
ていること自体は,既に本人自身が明らかにしていることである。そして,「踏み
絵」の場合のように,このような告白をしたからといって,そのこと自体によっ
て,処罰されたり懲戒されたりする恐れがあるわけではない。),むしろ,入学式
においてピアノ伴奏をすることは,自らの信条に照らし上告人にとって極めて苦痛
なことであり,それにもかかわらずこれを強制することが許されるかどうかという
点にこそあるように思われる。そうであるとすると,本件において問題とされるべ
き上告人の「思想及び良心」としては,このように「『君が代』が果たしてきた役
割に対する否定的評価という歴史観ないし世界観それ自体」もさることながら,そ
れに加えて更に,「『君が代』の斉唱をめぐり,学校の入学式のような公的儀式の
場で,公的機関が,参加者にその意思に反してでも一律に行動すべく強制すること
に対する否定的評価(従って,また,このような行動に自分は参加してはならない
という信念ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり,ま
た,後者の側面こそが,本件では重要なのではないかと考える。そして,これが肯
定されるとすれば,このような信念ないし信条がそれ自体として憲法による保護を
受けるものとはいえないのか,すなわち,そのような信念・信条に反する行為(本
件におけるピアノ伴奏は,まさにそのような行為であることになる。)を強制する
ことが憲法違反とならないかどうかは,仮に多数意見の上記の考えを前提とすると
しても,改めて検討する必要があるものといわなければならない。このことは,例
えば,「君が代」を国歌として位置付けることには異論が無く,従って,例えばオ
リンピックにおいて優勝者が国歌演奏によって讃えられること自体については抵抗
感が無くとも,一方で「君が代」に対する評価に関し国民の中に大きな分かれが現
に存在する以上,公的儀式においてその斉唱を強制することについては,そのこと
自体に対して強く反対するという考え方も有り得るし,また現にこのような考え方
を採る者も少なからず存在するということからも,いえるところである。この考え
方は,それ自体,上記の歴史観ないし世界観とは理論的には一応区別された一つの
信念・信条であるということができ,このような信念・信条を抱く者に対して公的
儀式における斉唱への協力を強制することが,当人の信念・信条そのものに対する
直接的抑圧となることは,明白であるといわなければならない。そしてまた,こう
いった信念・信条が,例えば「およそ法秩序に従った行動をすべきではない」とい
うような,国民一般に到底受け入れられないようなものであるのではなく,自由主
義・個人主義の見地から,それなりに評価し得るものであることも,にわかに否定
することはできない。本件における,上告人に対してピアノ伴奏を命じる職務命令
と上告人の思想・良心の自由との関係については,こういった見地から更に慎重な
検討が加えられるべきものと考える。
2多数意見は,また,本件職務命令が憲法19条に違反するものではないこと
の理由として,憲法15条2項及び地方公務員法30条,32条等の規定を引き合
いに出し,現行法上,公務員には法令及び上司の命令に忠実に従う義務があること
を挙げている。ところで,公務員が全体の奉仕者であることから,その基本的人権
にそれなりの内在的制約が伴うこと自体は,いうまでもなくこれを否定することが
できないが,ただ,逆に,「全体の奉仕者」であるということからして当然に,公
務員はその基本的人権につき如何なる制限をも甘受すべきである,といったレヴェ
ルの一般論により,具体的なケースにおける権利制限の可否を決めることができな
いことも,また明らかである。本件の場合にも,ピアノ伴奏を命じる校長の職務命
令によって達せられようとしている公共の利益の具体的な内容は何かが問われなけ
ればならず,そのような利益と上記に見たようなものとしての上告人の「思想及び
良心」の保護の必要との間で,慎重な考量がなされなければならないものと考え
る。
ところで,学校行政の究極的目的が「子供の教育を受ける利益の達成」でなけれ
ばならないことは,自明の事柄であって,それ自体は極めて重要な公共の利益であ
るが,そのことから直接に,音楽教師に対し入学式において「君が代」のピアノ伴
奏をすることを強制しなければならないという結論が導き出せるわけではない。本
件の場合,「公共の利益の達成」は,いわば,「子供の教育を受ける利益の達成」
という究極の(一般的・抽象的な)目的のために,「入学式における『君が代』斉
唱の指導」という中間目的が(学習指導要領により)設定され,それを実現するた
めに,いわば,「入学式進行における秩序・紀律」及び「(組織決定を遂行するた
めの)校長の指揮権の確保」を具体的な目的とした「『君が代』のピアノ伴奏をす
ること」という職務命令が発せられるという構造によって行われることとされてい
るのである。そして,仮に上記の中間目的が承認されたとしても,そのことが当然
に「『君が代』のピアノ伴奏を強制すること」の不可欠性を導くものでもない。公
務員の基本的人権の制約要因たり得る公共の福祉ないし公共の利益が認められるか
否かについては,この重層構造のそれぞれの位相に対応して慎重に検討されるべき
であると考えるのであって,本件の場合,何よりも,上記の①「入学式進行におけ
る秩序・紀律」及び②「校長の指揮権の確保」という具体的な目的との関係におい
て考量されることが必要であるというべきである。このうち上記①については,本
件の場合,上告人は,当日になって突如ピアノ伴奏を拒否したわけではなく,また
実力をもって式進行を阻止しようとしていたものでもなく,ただ,以前から繰り返
し述べていた希望のとおりの不作為を行おうとしていたものにすぎなかった。従っ
て,校長は,このような不作為を充分に予測できたのであり,現にそのような事態
に備えて用意しておいたテープによる伴奏が行われることによって,基本的には問
題無く式は進行している。ただ,確かに,それ以外の曲については伴奏をする上告
人が,「君が代」に限って伴奏しないということが,参列者に一種の違和感を与え
るかもしれないことは,想定できないではないが,問題は,仮に,上記1において
見たように,本件のピアノ伴奏拒否が,上告人の思想・良心の直接的な表現である
として位置付けられるとしたとき,このような「違和感」が,これを制約するのに
充分な公共の福祉ないし公共の利益であるといえるか否かにある(なお,仮にテー
プを用いた伴奏が吹奏楽等によるものであった場合,生のピアノ伴奏と比して,ど
ちらがより厳粛・荘厳な印象を与えるものであるかには,にわかには判断できない
ものがあるように思われる。)。また,上記②については,仮にこういった目的の
ために校長が発した職務命令が,公務員の基本的人権を制限するような内容のもの
であるとき,人権の重みよりもなおこの意味での校長の指揮権行使の方が重要なの
か,が問われなければならないことになる。原審は,「思想・良心の自由も,公教
育に携わる教育公務員としての職務の公共性に由来する内在的制約を受けることか
らすれば,本件職務命令が,教育公務員である控訴人の思想・良心の自由を制約す
るものであっても,控訴人においてこれを受忍すべきものであり,受忍を強いられ
たからといってそのことが憲法19条に違反するとはいえない。」というのである
が,基本的人権の制約要因たる公共の利益の本件における上記具体的構造を充分に
踏まえた上での議論であるようには思われない。また,原審及び多数意見は,本件
職務命令は,教育公務員それも音楽専科の教諭である上告人に対し,学校行事にお
けるピアノ伴奏を命じるものであることを重視するものと思われるが,入学式にお
けるピアノ伴奏が,音楽担当の教諭の職務にとって少なくとも付随的な業務である
ことは否定できないにしても,他者をもって代えることのできない職務の中枢を成
すものであるといえるか否かには,なお疑問が残るところであり(付随的な業務で
あるからこそ,本件の場合テープによる代替が可能であったのではないか,ともい
えよう。ちなみに,上告人は,本来的な職務である音楽の授業においては,「君が
代」を適切に教えていたことを主張している。),多数意見等の上記の思考は,余
りにも観念的・抽象的に過ぎるもののように思われる。これは,基本的に「入学式
等の学校行事については,学校単位での統一的な意思決定とこれに準拠した整然た
る活動が必要とされる」という理由から本件において上告人にピアノ伴奏を命じた
校長の職務命令の合憲性を根拠付けようとする補足意見についても同様である。
3以上見たように,本件において本来問題とされるべき上告人の「思想及び良
心」とは正確にどのような内容のものであるのかについて,更に詳細な検討を加え
る必要があり,また,そうして確定された内容の「思想及び良心」の自由とその制
約要因としての公共の福祉ないし公共の利益との間での考量については,本件事案
の内容に即した,より詳細かつ具体的な検討がなされるべきである。このような作
業を行ない,その結果を踏まえて上告人に対する戒告処分の適法性につき改めて検
討させるべく,原判決を破棄し,本件を原審に差し戻す必要があるものと考える。
(裁判長裁判官那須弘平裁判官上田豊三裁判官藤田宙靖裁判官
堀籠幸男裁判官田原睦夫)

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弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

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〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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