弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

主文
1本件控訴を棄却する。
2控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1控訴人
()原判決を取り消す。1
()被控訴人の請求を棄却する。2
()訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。3
2被控訴人
主文と同旨
第2事案の概要
1本件は,ミャンマー連邦の国籍を有する被控訴人(a(原審原告)が,)
(),(「」。)控訴人原審被告に対し出入国管理及び難民認定法以下法という
による難民認定の申請をしたところ,控訴人から,難民性を認定するに足り
る証拠がないとして,平成11年5月24日付けで難民の認定をしない旨の
処分(以下「本件処分」という)を受けたため,本件処分には難民性の判。
断を誤るなどの違法があると主張して,その取消しを請求した事案である。
原審は,被控訴人からの本件処分の取消請求を認容した。そこで,控訴人
が原判決を不服として控訴に及んだ。
(。),「」2前提となる事実当事者間に争いがないは原判決の事実及び理由
欄の「第2事案の概要及び争点」の1の()ないし()に記載(原判決3頁15
7行目から4頁8行目まで)のとおりであるから,これを引用する。
3争点及び争点に関する双方の主張は,原判決の「事実及び理由」欄の「第
2事案の概要及び争点」の2ないし4に記載(原判決4頁9行目から23
頁17行目まで)のとおりであるから,これを引用する。ただし,原判決9
頁20行目から21行目にかけての「特殊性をかんがみれば」を「特殊性に
かんがみれば」に改め,12頁21行目の「率先し行って」を「率先して行
って」に改める。
4控訴人の控訴理由の骨子
被控訴人は,ミャンマーにおいて,1978年(昭和53年)に国立大学
であるα大学を卒業し,政府から許可を受けて学習塾を開き,また,特にす
,()べてのビデオが政府の検閲下にある状況のもとで1985年昭和60年
以降,政府から許可を受けて10年以上にわたり貸しビデオ店を経営してい
たものであり,1997年(平成9年)7月25日,ミャンマー政府から正
規に旅券の発給を受け,1998年(平成10年)4月27日に旅券に渡航
,,先国の追加を行い同年5月20日には旅券に渡航目的の追加を行った上で
同年6月16日に何らの問題もなく正規に本国を出国するなどしているので
あって,被控訴人がミャンマー政府から迫害の対象とされていたとは認め難
い客観的事情が存在しているのである。
上記の点を踏まえて被控訴人の供述等の信用性を検討すると,その供述等
の全体に信用性を認めることあるいは少なくともその基本的な部分に信用性
を認めることは到底できず,したがって,被控訴人が「迫害を受けるおそれ
があるという十分に理由のある恐怖を有する」ものと認めるに足りる証拠は
ないのである。この点,原判決は,被控訴人の供述等に信用性を認め,これ
に基づいて被控訴人が難民に該当するものと認めたのであるが,被控訴人の
供述等の信用性についての評価を誤ったもので不当である。
第3当裁判所の判断
1本件の争点は,()被控訴人の難民該当性の有無,()本件処分に附記され12
た理由の不備の有無,の2点である。
そこで,まず,被控訴人の難民該当性の有無について判断するが,被控訴
人が難民であるか否かは,法第2条第3号の2に定義する「難民の地位に関
する条約(以下「難民条約」という)第1条の規定又は難民の地位に関す。
る議定書第1条の規定により難民条約の適用を受ける難民」に該当するか否
かによって決定される。すなわち,被控訴人が「人種,宗教,国籍若しくは
特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受ける
おそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国(ミャン
マー)の外にいる者であって,そのような恐怖を有するためにその国籍国の
保護を受けることを望まないもの(難民条約第1条A()及び難民の地位に」2
関する議定書第1条2参照」に該当すれば,控訴人は被控訴人を難民とし)
て認定しなければならないことになる(法第61条の2第1項。)
本件においては,被控訴人が上記の「特定の社会的集団の構成員であるこ
と又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のあ
る恐怖を有する」ものとの要件を満たすか否かが実質的な争点であるので,
以下,その見地から,被控訴人の難民該当性の有無について判断することと
する。
2被控訴人の出身国情報
関係証拠及び弁論の全趣旨によって認められる被控訴人の国籍国であるミ
ャンマーの状況等については,原判決の「事実及び理由」欄の「第3争点
に対する判断」の2に記載(原判決23頁23行目から27頁末行まで)の
とおりであるから,これを引用する。ただし,原判決26頁23行目から2
4行目にかけての「立入りの拒否を」の次に「1999年(平成11年)5
月ころまで(乙37の1ないし3」を加える。)
3原審における被控訴人の供述等
被控訴人の原審本人尋問における供述及び陳述書(甲2)の記載(以下,
まとめて「被控訴人の供述等」という)の要旨は,原判決の「事実及び理。
由」欄の「第3争点に対する判断」の3()に記載(原判決28頁5行目1
から32頁2行目まで)のとおりであるから,これを引用する。
ただし,原判決28頁13行目の「原告の弟は」の次に「1985年(,
昭和60年,β州独立のために戦う」を加え,29頁24行目の「努め」)
を「務め」に改め,30頁6行目の「原告はこれに参加し,青年部の」を「
原告はNLDに入党し,下部組織であるNLDβ州北部支部青年部の」に改
め,31頁2行目から7行目までを下記のとおり改め,同頁18行目の「就
職先の会社が」の次に「部品調達のために」を加え,同頁25行目の「努,
めている」を「務めている」に改める。
「コところで,原告の経営する貸しビデオ店については,1997年(平
成9年)3月ころ,店舗内の営業用機器やビデオテープ100本以上が
軍情報部に押収されたことから,廃業に至った。このような押収を受け
た理由は,公式には明らかにされていないが,原告としては,原告が1
995年(平成7年)7月に自宅軟禁から解放されたbの演説等を収録
したビデオを複写して貸し出すなどしていたことが原因であると考えて
いる。
原告は,1997年(平成9年)5月ころ,自分の身に危険が迫った
場合には国外に出ることを考えて,用事でヤンゴンに行った際に旅券を
取得するための申請手続をし,賄賂を用いて,同年7月25日に旅券(
乙1)の発給を受けた。この旅券には,1998年(平成10年)5月
にブローカーを通じて「商用目的」の追加を行った。」
4当審における証人cの証言等
当審証人cの証人尋問における証言及び陳述書(甲40)の記載(以下,
まとめて「cの証言等」という)の要旨は,以下のとおりである。。
()cは,○年(昭和○年)○月にミャンマー(当時のビルマ)のマンダ1
,。()レーで生まれ被控訴人とは幼なじみであった1974年昭和49年
9月にγ経済大学に入学し,1978年(昭和53年)11月に同大学を
。。卒業したその後はマンダレーで洋服の生地などを売る店を経営していた
現在,日本政府から難民認定を受けて,日本に居住している。妹が198
0年(昭和55年)に被控訴人と結婚している。
()ミャンマーでは,1988年(昭和63年)3月のヤンゴンでの軍事2
独裁政権に対する反政府運動がマンダレーにも波及した。cは,同年8月
8日のマンダレーでの反政府デモに参加し,同月12日に設立された「上
ビルマイスラム教徒同盟」の書記長に就任するなどして反政府運動に関与
しため,警察に追われる身となり,同年9月25日に自らマンダレーの国
,,()軍大隊本部に出頭して警察に逮捕されそのまま1989年平成元年
2月10日までマンダレー刑務所に収容されていた。cは,刑務所から出
た翌日である同年2月11日にNLDに入党し,1996年(平成8年)
9月にミャンマーを出国するまで,NLDの区組織委員会のメンバーにな
ったりあるいはマンダレー管区調査局の担当員になったりするなどの活動
をしていた。
()cは,1989年(平成元年)3月にラショーの主要な民主化活動家3
であったdにNLDβ州北部支部議長になってくれるように説得に行き,
説得に成功したが,その際に同行してくれたNLD党員の一人が被控訴人
であり,それから活動家としての付き合いが始まった。
当時,被控訴人は,NLD青年部の一員で,NLD党員や支持者を拡大
するために重要な役割を担っていた。被控訴人は1990年(平成2年)
の総選挙の際には,NLDβ州北部支部の選挙対策委員会の委員であり,
同支部において投票所責任者に選ばれている。1990年(平成2年)5
月の総選挙では,NLDが議席の82%を獲得したが,軍事政権はNLD
に政権を委譲せず,むしろ弾圧を加えた。
()1995年(平成7年)7月にbが自宅軟禁から解放されて週末ごと4
に自宅前で対話集会を開き,演説をしたりしていたが,その演説等のビデ
オを広める(複写して配布する)のに被控訴人がラショーで経営していた
ビデオ店も重要な役割を担っていた。ヤンゴンから来る演説等のビデオを
ラショーからマンダレーに買物にやって来る商人に託して被控訴人に渡し
てもらっていたのは,1995年(平成7年)10月~11月ころから1
996年(平成8年)4月ころまでである。
()cは,1996年5月26日から28日まで,複数政党制による選挙5
,,施行の6周年記念としてヤンゴンのNLD本部での第1回総会に参加し
憲法起草委員会の委員として新憲法の基本原則の起草に係わり,総会後も
しばらくヤンゴンにとどまっていたが,総会に参加して先にマンダレーに
戻ったNLD党員が次々と逮捕されている状況の中で,身の危険を感じ,
軍情報部による逮捕を逃れるためにラショーに行くことにした。被控訴人
は,ラショーに着いたcを案内して,自動車で20分ほどのところにある
δに連れて行き,同村の知人のところに2週間ほどcを匿った。
()cは,上記のとおりδに身を隠した後,ヤンゴンに戻り,逮捕を免れ6
るために国外に脱出することを計画し,1996年(平成8年)7月25
日に高額の金員を渡したブローカーを通じて旅券を取得し,同年9月25
日にミャンマーを出国した。
その間の同年9月22日,cは,友人の弁護士から,欠席裁判で7年の
刑の判決が出ていることを聞かされ,また,妻から,同月24日にマンダ
レーの自宅が軍によって家宅捜索されて文書や写真などが押収されたこと
を聞かされた。
()cは,1996年(平成8年)9月25日にミャンマーを出国し,同7
,,年11月17日に日本に入国し同年12月26日に難民認定の申請をし
1999年(平成11年)2月2日に日本において難民認定を受けた。
5被控訴人の供述等の信憑性及びcの証言等の信憑性について
()被控訴人の供述等の信憑性について1
当裁判所も,前記3の原審における被控訴人の供述等については,少な
くともその基本的な部分について十分に信憑性があるものと判断する。そ
の理由は,原判決の「事実及び理由」欄の「第3争点に対する判断」の
3()に記載(原判決32頁4行目から37頁2行目まで)のとおりであ2
るから,これを引用する。ただし,原判決32頁5行目の「前記1」を「
前記2」に改め,同頁末行の「7月」を「5月」に改め,33頁1行目の
「」「」,「」同月15日を同年7月15日に改め同頁4行目冒頭の会員党
を「会員」に改め,同頁12行目の「NLDβ州支部」を「NLDβ州北
部支部」に改め,34頁20行目から21行目にかけての「少なくとも1
988年(昭和63年)ころからは」を「1995年(平成7年)7月に
自宅軟禁から解放された」に改め,35頁21行目の「昭和58年」を「
昭和53年」に改める。
なお,被控訴人の難民認定申請の際の供述書(乙4の2)中のSSLA
との係わりに関する部分や軍諜報局員による拘留・尋問に関する部分につ
いて,あるいは,被控訴人の難民調査官に対する供述調書(乙7)中の1
998年3月若しくは4月ころのcとの係わりに関する部分について,そ
れぞれ正確性を欠いた記載があること(いずれも被控訴人が原審の本人尋
問において自認している)や,ミャンマーで1990年(平成2年)5。
月に行われた総選挙の際に被控訴人がNLDから特定地区の投票所の責任
者に任命された書面(甲3)の趣旨についての被控訴人の原審での供述が
変遷していることも,被控訴人の供述等の基本的な部分についての信憑性
に影響を与えるものではないというべきである。
()cの証言等の信憑性について2
前記4に記載したcの証言等についても,その内容は具体的であって特
に不自然・不合理な点はなく,少なくともその基本的な部分については十
分に信憑性があるものと判断される。cが被控訴人の義兄(被控訴人の妻
の兄)であることから被控訴人のためにことさらに虚偽の証言をしあるい
は虚偽の内容の陳述書を作成したことを窺わせるような事情は認められな
い。
したがって,cの証言等によっても,前記3の原審における被控訴人の
供述等の基本的な部分についての信憑性が裏付けられるものというべきで
ある。
()なお,被控訴人がミャンマー政府から正規に旅券の発給を受けて適法3
にミャンマーを出国した事実については,たしかに,それは被控訴人がミ
ャンマー政府から反政府運動の中心人物として特に注目され警戒されるほ
どの積極的な反政府活動家ではなかったことを推測させるものではある。
しかしながら,被控訴人が賄賂を用いて旅券を入手したことをしばらく措
くとしても,ミャンマー政府においても,国内の反政府活動家を迫害する
ことは人道的見地から国際的非難を浴びることになろうから,そうした非
難をできるだけ避けるためにも,政府にとって好ましからざる人物が自ら
ミャンマー国外に出国することをむしろ歓迎し,たとえ出国者が反政府活
動家であることを把握していたとしても,その出国者が反政府運動の中心
人物でない場合にはあえて出国を阻止しなかった可能性も十分にあると考
えられるのであるから,反政府運動の中心人物としては特に注目され警戒
されていなかった被控訴人がミャンマー政府から正規に旅券の発給を受け
て適法にミャンマーを出国したからといって,そのことと被控訴人がNL
Dに所属する反政府活動家であって政府にとって好ましからざる人物であ
ったこととの間に直ちに矛盾があるものとはいえないというべきであり,
この点の供述等が不自然・不合理なものとして前記の被控訴人の供述等の
信憑性が失われるものではないというべきである。我が国で難民と認定さ
れたc自身もブローカーを通じてミャンマー政府から正規に旅券の発給を
受け,適法にミャンマーを出国しているのである。法務省入国管理局e作
成の報告書(乙22)も未だ上記の判断を左右するには至らない。
6被控訴人の難民該当性について
()上記5で検討したとおり,前記3の被控訴人の供述等は少なくともそ1
の基本的な部分において信用することができるものであり,前記4のcの
証言等も少なくともその基本的な部分において信用することができるもの
である。そして,これらによれば,被控訴人は,ミャンマー国籍を有する
本件処分当時46歳の男性で,1998年(平成10年)6月にミャンマ
,,,ーを出国して我が国に入国し現在国籍国の外にあるものであるところ
①被控訴人は,大学生のときの1974年(昭和49年)ころから反政
府運動に加わるようになり,②1978年(昭和53年)に国立大学を
卒業した後,故郷のラショーに帰って学習塾を開いたが,子供たちの前で
政府(軍事政権)を批判したことから,1985年(昭和60年)に軍情
,,,報部よって塾の閉鎖を命じられ③その後貸しビデオ店を開業したが
1988年(昭和63年)8月にラショーで行われた民主化を求めるデモ
に青年グループのリーダーとして参加し,そして,同年9月にNLDが結
,,成されるや直ちにこれに入党してβ州北部支部青年部の組織部長となり
以後,NLD党員として反政府活動を行っていたものであり,1989年
(平成元年)には軍情報部から尋問を受けたこともあり,④1990年
(平成2年)5月にミャンマーで複数政党制による総選挙が行われた際に
は,NLDから特定地区の投票所の責任者に任命され,党務としてNLD
の勝利のために活動し,⑤この総選挙によってbの率いるNLDが圧勝
したものの,SLORCから政権委譲が行われなかったため,なおも反政
府活動を継続し,⑥1995年(平成7年)7月にbがようやく自宅軟
禁から解放されて,週末ごとに自宅前で市民との対話集会を開き,演説等
,,を行うと被控訴人において折から貸しビデオ店を経営していたことから
その様子を収録したビデオを複製して貸し出すことを始め,そのためにこ
れを知った軍情報部から1997年(平成9年)3月ころに貸しビデオ店
の閉鎖を命じられ,⑦この間の1996年(平成8年)5月ころには,
NLD党員でそのころ軍情報部から追われていた義兄のcをラショー付近
の小村に匿い,⑧そして,1997年(平成9年)5月ころには,自分
の身に危険が迫った場合に備えて旅券の申請し,賄賂を用いて,同年7月
に旅券の発給を受け,貸しビデオ店を廃業した同年8月ころに家族をラシ
ョーに残してヤンゴンに転居し,自動車部品会社に就職していたところ,
翌1998年(平成10年)5月にSSAの関係者2名がbの自宅前でビ
ラを配布していて逮捕され,また,ラショーに住んでいる妹から「軍情報
部の関係者が来て被控訴人がどこに住んでいるのかを聞いて行った」旨。
の連絡を受けたことから,自らが逮捕される危険性が迫っているものと感
じて出国を決意し,たまたま就職先の会社が部品調達のために被控訴人を
日本に派遣したいということであったことから,上記の旅券により同年6
月16日にミャンマーを出国し,翌同月17日に我が国に入国し,⑨我
が国に入国後は直ちにNLD-LAのメンバーとなり,同年8月に難民認
定の申請をしたものである。⑩なお,我が国で難民認定を受けた上記c
は被控訴人の妻の兄であり,また,被控訴人の弟はβ州独立のためにミャ
ンマー政府と戦うSSAのメンバーである。
()上記①ないし⑩の事実を総合考慮し,これに,ミャンマー国内におい2
てはNLD党員に対して迫害が行われているという一般的な政治情勢をも
加えて検討すると,たとえ被控訴人がミャンマー政府から反政府運動の中
心人物として特に注目され警戒されるほどの積極的な反政府活動家ではな
かったとしても,少なくとも被控訴人はNLDに所属する反政府活動家と
して政府にとって好ましからざる人物として忌避の対象となる存在であっ
たことは否定できず,平成11年5月24日の本件処分時において,被控
訴人は「特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫
害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」ものであ
ったというべきである。すなわち,被控訴人が平成11年5月24日当時
にミャンマーに帰国した場合には,被控訴人は我が国に入国する前の活動
や我が国に入国した後の言動等を理由にミャンマー政府あるいは軍情報部
によって身柄を拘束されあるいは通常人において受忍し得ないような身体
的自由に対する不当な圧迫を受ける具体的な可能性が少なからずあったも
のというべきである。
()被控訴人が国立大学を卒業していること,ミャンマー政府から許可を3
受けて学習塾を開いていたこと,すべてのビデオが政府の検閲下にある状
況の中で被控訴人が政府から許可を受けて10年以上にわたり貸しビデオ
店を経営していたこと,被控訴人が貸しビデオ店を廃業するに当たり政府
,,や軍情報部から逮捕されたり処罰を受けたりしたことがないことそして
被控訴人は政府から正規に旅券の発給を受け,これによって何ら問題なく
適法にミャンマーを出国したものであること,さらに,被控訴人がミャン
マーに残している妻子も現在まで政府から迫害を受けてはいないこと,等
も,未だ上記判断を左右するには足りないものというべきである。なお,
被控訴人がその出国当時において我が国で就労して得た金銭をミャンマー
の家族に送りたいとの気持を有しており現にその後送金をしているとして
も,そのことと被控訴人が難民であることとが直ちに矛盾するものではな
いというべきである。
7まとめ
以上の検討によれば,被控訴人は法第2条第3号の2に定義する難民に該
当するものと認められるから,被控訴人が難民に該当することを認めるに足
りる資料がないことを理由としてなされた本件処分は違法なものといわざる
を得ない。
したがって,本件処分の取消しを求める被控訴人の本件請求は,理由附記
の不備の点について判断するまでもなく,理由があるからこれを認容すべき
である。
第4結論
よって,被控訴人の請求を認容した原判決は相当であり,本件控訴は理由
がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第8民事部
裁判長裁判官原田敏章
裁判官氣賀澤耕一
裁判官渡部勇次

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛