弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。
     被控訴人らの請求を棄却する。
     訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
         事    実
 一 控訴人訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人ら訴訟代理人は、控
訴棄却の判決を求めた。
 二 当事者双方の事実上の陳述および証拠の提出、援用、認否は、当審で新たに
された陳述および証拠の提出をつぎのとおり補足するほかは、原判決事実摘示と同
一であるから、これをここに引用する。
 1 被控訴人らの陳述
 (一) 一般旅券発給の制限に関する旅券法第一三条第一項第五号の規定は、日
本国の利益または公安を害する行を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由
がある者に対して旅券の発給を拒否することができる旨定めている。なるほど、こ
の「害する」という部分には「著しくかつ直接に」という条件がついてはいるが、
それは「法秩序に対する現在の具体的危険を避けるために緊急やむことをえないば
あい」という意味が含まれていると解されるところ、そのとおり運用される保障が
なく、いきおい、中国など特定の国への渡航の自由を不当に制限し、ひいて思想お
よび良心の自由や表現の自由を不当に抑圧する事態にいたらせるので、結局、この
条項は、日本国憲法(以下憲法という。)第一九条、第二一条に牴触するといわな
ければならないし、また、右の「利益」の概念は、特定の個人や団体の利益のそれ
と異なり、はなはだしく複雑であり何を標準として個の具体的行為をその「利益」
に反すると判定するか、客観的にはほとんど判定不可能といわなければならないか
ら、このような余りにも抽象的な概念に従つてする処分は、必然的に主観的に流れ
恣意を許し、ひいて憲法第二二条の保障する基本的人権である海外渡航の自由がじ
ゆうりんされる結果を招来する。したがつて、旅券法の右の規定は、憲法に牴触し
無効であり、これにもとづいてされた本件旅券発給拒否処分も違法たるを免れな
い。
 (二) 仮に、憲法違反の右主張がいれられないとしても、本件旅券発給拒否処
分は、旅券法の前記条項を乱用したものであつて、違法である。すなわち、外務大
臣が本件渡航を日本国の「利益」を害する行為と認めた「相当の理由」として主張
するところは、具体的には、(1)政府の外交方針が米国などの自由主義諸国と友
好関係を促進し、米国軍隊によつて国の安全を保とうとしているのに、(2)国交
がなく、日本を仮想敵国視し、抑留などの不当行為をしている中国へ、(3)共産
主義の宣伝をおもな目的としている同国の国慶節祝典に参列するために渡航するこ
とを許すのは、(4)米国との友好関係にひびをいらせることになり、米ソ対立の
国際情勢の中で、米国との友好関係を深めることによつて日中間の懸案を有利に解
決するなどわが国の「利益」をまもろうとする前記の外交方針にそむき、損害を招
くおそれがあるというにある。けれども、外交方針の決定ならびにその実施は、憲
法第九八条第一項の国務に関する行為であるから、その外交方針が国会の議決にも
とづくと政府の決定にかかるとを問わず、憲法の精神にもとるかぎり、同条により
それとその実施は無効ないし許されないといわなければならない。そして裁判所
は、積極的にみずから国の外交方針を定めるという機能をもつてはいないが、憲法
と法令の番人として、違憲違法の国務の無効を宣言する権限をもち、人権侵害の具
体的事案の審判を通じてこれを行う職責を有するから、本件においてもその判断が
されるべきである。ところが、控訴人主張の右外交方針は、米国などのいわゆる自
由主義諸国とだけ友好関係を促進し、ソ連、中国などのいわゆる共産主義諸国とは
友好親善の関係を確立しない、むしろ、米国の軍事力に依存して「仮想敵国」であ
るソ連、中国などに対抗しようというものであるから、このような外交方針は、平
和と中立を外交上の国是とし、世界のどの国どの国民とも友好親善関係を確立して
ゆくために努力しようと厳かに誓つた憲法における日本国民の宣言にまさに違背す
る。このように、本件処分の基礎になつている外交方針がすでに憲法に違背してい
る以上、これを実施することが、いかにわが国の安全と繁栄を妨害し利益に反する
かは明らかである。そして、これは、相手国との間に国交が回復されているかどう
かにより異ならないし、仮に友好関係にない国があつたとしても、憲法はこのよう
な国とも友好関係を樹立するように努力することを要求しているのである。
 また、控訴人は、国慶節祝典が共産主義の宣伝を目的とし、米国などの自由主義
国家を攻撃するためのものであるかのようにしているが、共産主義の成果をたたえ
資本主義帝国主義の没落を予言しこれを批判することは、思想言論の自由に属し、
また、わが国民が社会主義国をたずねその実情と共産主義の成果をわが国に伝える
ことは、合法的には阻止しえないところであり、その阻止のために渡航の自由を奪
うことは、明白な思想言論の自由の抑圧であつて許されない。旅券法第一三条第一
項第五号も、この趣旨から「著しくかつ直接に」および「相当の理由」という条件
を定め、政府が旅券の発給にあたり人権を侵すことのないようにしているのであつ
て、前記の誤つた外交方針ないし政策にとらわれ、不当にも本件とはまつたく事情
を異にする占領中の処分にかかる判例にならつて、右二条件にあたらない本件旅券
発給申請を独断的に拒否した処分が、いずれにしても違法であることは明らかであ
る。
 (三) なお、外務大臣が右のとおり違法な本件旅券発給拒否処分を行うについ
て故意または過失があつたことは、すでに原審において主張したとおりであるが、
とくに、本件処分の頃、中国との友好親善を政策としていた日本共産党および日本
社会党の各党員を含み渡航後実際には政府与党の議員まで国慶節祝典に参列しこれ
を祝うにいたつた中国通商視察国会議員団に対しては旅券を発給しておきながら、
被控訴人らの本件旅券発給申請にかぎりこれを拒否したことから、右の故意または
過失のあつたことが明らかであり、また、軽々に前記のように適切でない判例に従
い本件拒否処分に出たこと自体が、わが国の当時におけるサンフランシスコ講和条
約の発効、占領軍の完全支配が排除されるにいたつていた状態を無視したものであ
り、憲法と法律とをまもるべき公務員として当然しなければならないことを怠つて
いたことを、みずからあからさまにしたものといわなければならないことを指摘す
る。
 2 控訴人の陳述
 (一) (渡航の自由と国交について)憲法の保障する外国への渡航の自由は、
公共の福祉に反しないことが条件とされているのであり、旅券法第一三条は、これ
を受けて具体的にその条件を定めたものである。そして、本件に関する同条第一項
第五号は、同項第一ないし第四号が渡航するわが国民により渡航先の国が受けるで
あろう不利益を主として考慮したものであるのに対し、渡航によつてわが国が受け
るであろう不利益を考慮した規定である。この制限は、渡航者個人を標準として立
言されているが、その規定の目的から考えて、一般的にわが国民が一定の外国に渡
航することにより日本国が著しくかつ直接に利益または公安を害されるおそれがあ
る場合にも適用される。何となれば、この場合においては、当該旅行者についてい
えば、その者が著しくかつ直接に日本国の利益または公安を害する行為を行うおそ
れがあるものというを妨げないからである。そして、この一般的制限を必要とする
かどうかの認定は、外務大臣の裁量に属する。もちろん、恣意を許すべき筋合では
なく、ある程度客観的に相当であるとの認識の裏付けを要請されるであろうが、事
わが国の政治および外交に関し、微妙な国際関係を前提とするものであるから、こ
の認定は、多分に政治的考慮にもとづく事実の認識にかかり、したがつて、それが
恣意に出たという明確な資料のないかぎり、裁判所の判断の対象となるべきもので
はない。したがつてまた、この認定は、画一的なものであるべきではなく、渡航者
の職業、経歴、渡航の目的、渡航先の性格および国情、日本国の立場等あらゆる面
から判断されるから、特定人により旅券発給がされるかどうかの別が生ずるのは当
然である。渡航先も、その国と国交が開かれているのが原則であつて、戦争状態に
ある外国への渡航は、国交の開かれている外国への渡航に比し、差別制限が生じて
もやむをえない。ところで、中国は、現在まで日本国とは国交が回復されていない
し、わが国の政府は、原判決一六枚目(記録第二八二丁)表三行目から一八枚目
(同第二八四丁)表七行目に記載されたとおりの事実関係その他諸般の政治的考慮
にもとづいて、ソ連、中国のように国交の開かれていない外国への渡航を国際関係
からいつて著しくかつ直接に日本国の利益または公安を害するおそれがあるものと
判断して、これを規制することに政治、外交および行政の方針を樹立し、これを実
施して来たのであるから、外務大臣がこの方針に従い、中国への渡航について旅券
の発給を拒否した本件処分を違法であるということはできない。ことに、日本国が
ソ連その他国交の回復していない外国と順次国交を調整し講和条約を締結するため
に不断の努力を傾けてきていることは公知の事実であり、この困難な仕事の性質上
政府の打ち出した政治や外交の方針は、前記のものを含め、政府の不動の政治的確
信にかかるものであるからこの方針がその後の情勢の推移に応じある程度変化した
としても、この期に及んで、さきの方針を前提としてされた処分を違法とし、裁判
所の判断の対象としうべきものでは決してないのである。
 (二) (中国通商視察議員団の渡航について)中国通商視察議員団の渡航は、
中国と講和条約締結にいたる前提として同属と「相互に通商するための渡航制限を
緩和するなど日中貿易促進について適切な措置を講ずべき」旨衆議院で議決され、
その促進のために国会議員団が派遣されることになつたもので、いわば日中貿易促
進のための瀬ぶみであつて、国慶節祝典参加のためのものではなく、また、国交の
ない外国に国交回復準備のために公務上の必要から特定の国会議員が派遣され渡航
するからといつて、これからただちに、一般人の渡航が国の利益または公安を害す
るおそれがないと結論づけることはできない。
 (三) (外務大臣の故意過失について)日本国の利益が害されるおそれがある
と認められるかどうかは、決してひとり渡航者が出席しようとする催しや会議の性
格の差異だけによつてきまるほど単純なものではなく、厳しい国際情勢の基本的動
向によつて規制されるものであり、国際関係の現実の認識に特段の注意を傾け、そ
の感覚の鋭敏な外務大臣が本件旅券発給拒否処分の当時、表面の形式はとにかく、
裏面に内在する国際関係としては、本件を、正当な先例として存した旅券発給拒否
を是認する判例の事案と同一であると判断し、この同一の国際的基調のもとでは同
一の結果が発生すると考えたのであつて、それは当然のことである。ことに、国慶
節祝典は、本来資本主義に対する共産主義の勝利を確認するという意味を含むもの
であることを考えれば、仮に本件旅券発給拒否処分が違法であつたとしても、その
違法の認識について外務大臣に故意過失があつたということはできない。
 証拠
 (一) 被控訴人らは、証人A、同Bの各証言および被控訴人C本人尋問の結果
を援用し、乙第一〇号証の一、二の成立は知らないと述べた。
 (二) 控訴人は、乙第一〇号証の一、二を提出し、証人D、同Eの各証言を援
用した。
         理    由
 一 被控訴人らが昭和二八年九月二一日当時の外務大臣Fに対し「中国人民保衛
世界和平委員会からの招待による国慶節祝典参列及び中国の国情視察のための中国
行一般旅券」の発給を申請したところ、これに対し、外務大臣が法務大臣と協議の
うえ、被控訴人らはいずれも旅券法第一三条第一項第五号所定の「著しくかつ直接
に日本国の利益を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由があ
る者」に該当するとし、同号の規定にもとづき、被控訴人らには旅券の発給をしな
いと決定し、同年一〇月二四日、その旨被控訴人らに書面をもつて通知したこと
は、当事者間に争がない。
 被控訴人らは、外務大臣のした右旅券発給拒否処分は違法の処分であると主張す
るので、以下これについて順次判断する。
 二 もともと、憲法第二十二条の定める外国へ旅行する自由は、憲法の保障する
基本的人権の一つに属するものと解されるところ、この外国旅行の自由も無制限の
まま許されるものではなく、公共の福祉のために合理的な制限に服するものと解す
べきである。そして、旅券発給を拒否することができる場合として、旅券法第一三
条第一項第五号が「著しくかつ直接に日本国の利益または公安を害する行為を行う
おそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」と規定したのは、外国旅行の
自由に対し、公共の福祉のために合理的な制限を定めたものとみることができ、こ
れを被控訴人ら主張のように基準としては役に立たないばく然たる抽象的基準を示
すにとどまるもので憲法第二二条に違反する無効のものであるということはできな
い。また、被控訴人ら主張のように、旅券法第一三条第一項第五号の規定をことさ
ら「法秩序に対する現在の具体的危険を避けるために緊急やむをえないばあい」な
いし「明白かつ現在の危険がある」場合にかぎつて適用されるべきものと解しなけ
ればならない十分な理由も認められない。(最高裁判所昭和三三年九月一〇大法廷
判決、同裁判所民事判例集第一二巻第一三号一、九六九頁参照)
 つぎに、被控訴人らは、旅券法第一三条第一項第五号の規定は旅券発給申請者に
ついてその個別的欠格条件を定めたものであるから、この規定にもとづく旅券発給
申請の許否は、その申請者の地位、人格および渡航の意図のみの審査によつて決せ
られるべきものであると主張する。なるほど、旅券法の右規定は、旅券発給申請者
について個別に審査すべき欠格条件を定めたものであることが、その規定の立言自
体から明らかであるけれども、そこにいう「日本国の利益または公安を害する」か
どうかは、それぞれの旅券発給申請の具体的事案ごとに、発給行政庁が、申請者の
地位、人格および渡航の意図ばかりでなく、ひろく客観的に日本国の利益または公
安がその渡航により害されるかどうか判断して決すべきものであり、単に渡航者自
身の主観において渡航がわが国の利益となりまたは公安を害することがないと意図
ないし認識されたかどうかだけで決まるわけのも<要旨第一>のでないことはいうま
でもない。そして、わが国の利益または公安を害する「行為を行うおそれがあると
認めるに足りる」とは、その者の渡航によつて客観的にわが国の利益ま
たは公安が害されるおそれがあると認めるに足りる場合をも指すと解するに少しも
妨げがない。右は、前示のとおり外国旅行の自由が公共の福祉のために合理的な制
限に服すべきものとされ、旅券法の右定規がその合理的な制限を定めたものとされ
ることから当然のことに属する。
 また、被控訴人らは、本件旅券発給の拒否処分が渡航の自由を抑え、その結果憲
法第一九条、第二一条の保障する思想および良心ならびに表現の自由を侵害すると
主張する。けれども、右処分が旅券法第一三条第一項第五号の要件に従つてされる
かぎり(この点については、つぎの三の項において判断する。)、渡航の自由を保
障する憲法第二二条に違背するものといえないことは前示のとおりであるから、渡
航が許されないことが、結果として、渡航てきた場合に比し、中国の実情について
の知識を得るについてのさしさわりとなり、また得られるであろう知識の表現が妨
げられる等のことが生ずるとしても、憲法第一九条第二一条所定の思想および良心
ならびに表現の自由を侵害するものということができないことは、いうまでもな
い。
 <要旨第二>三 そこで、本件が旅券法第一三条第一項第五号に該当するかどうか
について考える。
 (一) 原本の存在と成立について争のない乙第二号証の二、同第七号証の一お
よび当審における証人D、同Eの各証言を総合し、弁論の全趣旨を合わせ考える
と、本件渡航の目的は中国の国慶節祝典参列と国情視察とにあるところ、国慶節祝
典は共産主義の成果をたたえ、資本主義に対する共産主義の勝利を確認するという
意味を含むものであること、本件旅券発給申請がされた昭和二八年九月当時、わが
国は、中国政府によつて支那本土から駆逐され事実上台湾だけを支配するに過ぎな
くなつていたGの国民政府を含めたいわゆる自由主義国家群ないし共産主義国家群
以外の国との間で、サンフランシスコ講和条約または二国間の平和条約を結んでい
たけれども、当時のいわゆる二つの世界のきびしい対立を背景として、中国を含む
いわゆる共産主義国家群との間には講和条約を締結するにいたらず、形式的には戦
争状態がそのまま続いていたこと、わが国は、サンフランシスコ講和条約の調印以
来、いわゆる自由主義陣営の一員として米英その他の自由主義諸国と緊密な協力関
係を結びそれとの友好親善を促進するとともに、国の安全については米国の軍事力
に頼ることとすることを国の最高方針とし、そのために米国との間で安全保障条約
を結んだが、この外交方針は、国権の最高機関である国会の決定にもとづくもので
あつたこと、第二次世界大戦終結の頃から始まつたいわゆる米ソ二つの世界の対
立、冷たい戦争は、昭和二五年六月に起つた朝鮮戦争とともに局部的な射ち合いの
戦争に移り、以来最もけわしい対立の時期がながく続き、それは、米国にソ連の同
意がえられなくとも対日講和条約を実現しようとの決意を固めさせ、昭和二六年九
月のサンフランシスコ講和条約の単独締結、昭和二七年四月二八日同条約の発効に
及び、のちのちまでもいろいろ大きく複雑な懸案を残しつつ続いたこと、中国は、
共産主義陣営の一員として自由主義国家群との間では友好的とはいえない関係にあ
り、本件旅券発給申請のあつた当時においても、米国および中国ともに多大の人的
物的損害を出しおよそ三年の間常に第三次世界大戦への拡大の危機をはらみながら
進展して来た朝鮮戦争がようやくその年の七月二七日休戦協定の成立をみたもの
の、その戦乱が収まつてから日も浅くその収拾には多くの問題を残しており、中国
と自由国家群との間には、まだまだ緊迫した空気が重く漂つていたばかりでなく、
中国と台湾の国民政府との間では攻防の戦火が交えられていたこと、一方、わが国
に対しても、昭和二五年二月ソ連と中国との間で締結された友好同盟相互援助条約
において、締約国の一方が日本あるいは日本と同盟するその他の国家の侵略を受
け、戦争状態になつたときは、締約国の一方はただちに全力をつくして軍事その他
の援助を与えるべきことを定め、ひいて、わが国と中国との間には国交も開かれな
い状態で推移して来たこと、中国の領土には、当時なお多数のわが国民が帰国の希
望をもちながら残留を余義なくされている状態にあつたが、これは、中国政府にわ
が国政府が従来から残留邦人の送還方を要求して来たのに対し何らの回答もなかつ
たことによるものであること、また、多数のわが国漁船および漁民がマツクアーサ
ー・ラインの越境、スパイ容疑等の名目で中国政府により不法にだ捕、抑留されて
いたことが明らかである。
 そして、以上のようなわが国内外の客観的諸情勢のもとにおいて、外務大臣は、
その専門的識見にもとづき、被控訴人らが前認定の趣旨で催される国慶節祝典に参
列しあわせて中国の国情を視察する目的でする本件渡航を認めることは、わが国に
とつて重大な懸案を放置するかの感を生じかつ自由主義陣営の一員としてのわが国
の国際的地位に多大の不利益を生じさせるものと考え、本件旅券発給申請を、旅券
法第一三条第一項第五号に該当するものと決定するにいたつたものであることが、
前段認定に用いた各証拠および弁論の全趣旨に徴して明らかである。
 (二) ところで、被控訴人らが、国慶節祝典に参列しあわせて中国の国情を視
察することはわが国の利益の増進に貢献するところが多いという考えから本件旅券
発給申請に及んだことは、原審および当審における被控訴人小川正元本人尋問の結
果に徴し明らかであり、反対にうかがわれる資料はない。ところが、外務大臣は、
被控訴人らの右主観的意図いかんにかかわらず、参列しようとする国慶節祝典の趣
旨およびわが国が当面していた国際諸情勢その他から、本件旅券発給申請当時にお
ける被控訴人らの渡航自体が著しくかつ直接に日本国の利益を害するおそれがある
と認定したことは前記認定のとおりであり、それは、結局旅券法第一三条第一項第
五号の趣旨に従い、渡航者その者について認定したことになるので、渡航者その者
について認定されなかつたとのそしりを受くべきかぎりではないわけである。
 ところで、被控訴人らは、前示(一)の項で認定したとおりのわが国の外交方針
は、米国などのいわゆる自由主義諸国とだけ友好関係を促進し、中国などのいわゆ
る共産主義諸国とは友好親善の関係を確定しないで、むしろ米国の軍事力に依頼し
てソ連中国などに対抗しようというものであるから、平和と中立を国是とし世界の
どの国とも友好親善関係を確立してゆくために努力しようと厳かに誓つた憲法の精
神に反するものであり、したがつて、かかる外交方針の決定ならびにその実施は無
効ないし許されないものであると主張する。けれども、かかる外交方針の決定がわ
が国の将来にとつて望ましいことであるかどうかは人によつて所見を異にするとこ
ろであり、その絶対的当否の判断は、とうていにわかにすることができないし、ま
た、そのような外交方針の実施が平和主義にもとづく憲法に違背するとしかく簡単
に断じ去ることができないのは、かかる外交方針の実こそわが国の利益ばかりでな
く、現在における国際間の均衡と世界の平和とへの寄与に結びつくものであるとの
見解も成り立ちうることからも、明らかであろう。そして、このような問題は、結
局、国政を担当する立場にある者において解決すべきものであり、国政について責
任ある地位にない司法裁判所としては、前示外務大臣の処分が正当であるかどうか
を判断する場合においても、そのような領域にまで立ち入るべきものでないこと
は、三権分立の原則からいつて、当然のことである。裁判所は、国会の承認を経た
国の外交方針についてはこれを既定のものとして尊重し、そのうえで、外務大臣の
した本件旅券発給拒否処分が旅券法第一三条第一項第五号の規定に照し適法かどう
かを判断するにとどめなければならないのである。
 以上のとおりの前提に立ち、前示(一)の項に認定したとおりのわが国内外の客
観的諸情勢のもとにおいて判断するとき、国慶節祝典参列および中国の国情視察を
目的とする被控訴人らの本件渡航に関する外務大臣の本件旅券発給拒否処分につい
ては、外務大臣が恣意にもとづいて旅券発給を拒否した場合は格別、その専門的識
見にもとづいてこれをしている以上、判断の前提とされた事実の認識について明白
な誤りも認められず、また、その結論にいたる推理の過程において著しい不合理も
ないかぎり、裁判所としては、その判断を尊重すべきであり、外務大臣がその責任
においてした行政権限の行使に立ち入つた干渉を加えるべきものではない。本件に
おいて、旅券発給拒否処分が外務大臣の恣意にもとづいてされたと認むべき明らか
な証拠もなく、また、外務大臣が判断の基礎としたわが国内外の諸情勢その他の認
識について特に指摘しうべき明らかな誤りも推論上の不合理もうかがわれないか
ら、そのような事態のもとで、さきに認定したような趣旨をもつて催される国慶節
祝典に参列しあわせて中国の国情を視察するための被控訴人らの本件渡航が、著し
くかつ直接に日本国の利益を害するおそれがあると判断したことに出た本件処分
は、これを違法と断じ難いといわなければならない。 もつとも、被控訴人らは、
(イ)本件旅券発給申請がされたとほぼ同じ時期の昭和二八年七月二九日衆議院で
日中貿易促進決議案が可決され、さらに、この決議にもとづき国会議員を中心とし
た二四名の中国通商視察議員団が作られ、外務大臣から公用旅券の発給を受けて同
年九月二八日中国に渡航し、国慶節祝典に参列し中国各地の視察をしたことおよび
(ロ)被控訴人Cが昭和二九年本件渡航申請と同一の趣旨で中国行一般旅券の発給
を申請したところ、旅券が下付され中国を訪問することができたことをもつて、本
件は、これと権衡を失する処分であると主張する。けれども、(イ)の場合につい
ては、原本の存在と成立について争のない乙第九号証および当審における証人Dの
証言によれば、外務大臣は、当時議会における日中貿易促進決議もあることである
し、渡航の目的も、西欧諸国がきそつて関心を集中しすでにさかんに通商取引を実
現していた中国に対し、わが国だけがそれまで貿易杜絶同様の状態にあつたのを朝
鮮戦争の休戦協定成立を機に貿易再開の端緒を打診しようとする試みにかかるもの
であるところから、渡航者の国会議員としての地位などをも考慮して、特別に、旅
券を発給したにとどまり、したがつて、ひろく一般に何人に対しても旅券の発給を
相当とする情勢にあるとまで認めていたものではないことが推認できるから、本件
をこの(イ)の事例に対比し、外務大臣が恣意の処分をしたということができない
ことは明らかである。また、前示認定の外交方針が右の日中貿易促進決議案の可決
によつて改められたものと解すべきものでもないことは多言を要しないから、この
点についても本件処分が恣意にかかるものとする余地はまつたくない。さらに、
(ロ)の場合については、本件処分の後約一年の事例に属し、緊迫していた国際情
勢が昭和二九年四月以降のジユネーブ極東平和会議以来著しく緩和された後のこと
であり、当然情勢も同一でないことによるものであるから、その採りえないことは
いうまでもない。
 四 右のとおりである以上、外務大臣が本件を旅券法第一三条第一項第五号に該
当するものとしたことについて、何ら違法の点はないということができる。したが
つて、本件旅券発給拒否処分が違法であることを前提とする被控訴人らの本訴請求
は、すでに、この点において失当であるといわなければならないばかりでなく、外
務大臣が前示のとおりその恣意にもとづいて本件処分をしたことを認むべき証拠の
ない本件で、同大臣がその専門的識見にもとづきその責任において発給の拒否をす
るのが正当であると判断して、本件処分をしたものと認められる以上、仮に右判断
にかしがあつたとしても、国家賠償法第一条第一項にいわゆる故意または過失があ
るものということができず、もちろん、被控訴人ら主張のように故意または過失が
当然推定されているわけのものでもないから、いずれにしても、被控訴人らの本訴
請求は、失当といわなければならない。
 よつて、原判決は、被控訴人らの本訴請求を認容した限度で不当であるから、民
事訴訟法第三八六条によりこれを取り消し、被控訴人らの本訴請求を棄却すること
とし、訴訟費用については、同法第九六条、第八九条、第九三条を適用し、主文の
とおり判決する。
 (裁判長裁判官 関根小郷 裁判官 福島逸雄 裁判官 荒木秀一)

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