弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件上告を棄却する。
         理    由
 被告人本人及び弁護人らの各上告趣意のうち、公職選挙法一二九条、二三九条一
号、一三八条、二三九条三号の各規定の違憲をいう点については、右各規定が憲法
前文、一五条、二一条、一四条に違反しないことは、当裁判所の判例(昭和四三年
(あ)第二二六五号同四四年四月二三日大法廷判決・刑集二三巻四号二三五頁)の
趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がなく(最高裁昭和五五年(あ)第八七
四号同五六年六月一五日第二小法廷判決参照)、右公職選挙法の各規定を本件に適
用したことが憲法前文、二一条、一五条に違反する旨の主張は、実質は単なる法令
違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらず、公職選挙法二五二条の規定の違
憲をいう点については、同条の規定が憲法三一条に違反しないことは、当裁判所の
判例(昭和二九年(あ)第四三九号同三〇年二月九日大法廷判決・刑集九巻二号二
一七頁)の趣旨に徴し明らかであるから、所論は理由がなく、被告人の公民権を停
止したことが憲法一四条、一五条に違反する旨の主張は、実質は単なる法令違反の
主張であつて、適法な上告理由にあたらず、証拠調請求の却下に関し憲法三一条、
三二条、三七条、一三条、一四条、九八条二項違反を主張する点については、右請
求却下の措置が証拠採否の自由裁量の範囲を逸脱したものとは認められないから、
所論は前提を欠き、原審が特信性のない検察官調書を採用し、審理を尽くさなかつ
た結果事実を誤認したとして、憲法三七条二項、三一条違反を主張する点は、実質
は単なる法令違反、事実誤認の主張であり、本件公訴の提起が公訴権の濫用にあた
らないとした原判決は憲法一四条、二一条に違反する旨の主張については、本件公
訴の提起を違法又は不当とするような事情は認められないので、所論は前提を欠き、
第一審の訴訟手続に違法な措置があつたとして、憲法一三条、一四条、三一条、三
二条、三七条、八二条、九二条、九八条二項違反を主張する点は、第一審の訴訟手
続に違法な措置があつたとは認められないので、前提を欠き、各判例違反の主張の
うち、昭和二三年六月二三日及び同年七月二九日の当裁判所各大法廷判例との違反
をいう点については、第一審の措置は証拠採否の自由裁量の範囲を逸脱したものと
は認められないので、所論は前提を欠き、その余の判例違反をいう点は、所論引用
の各判例はいずれも事案を異にし本件に適切でなく、その余の主張は、単なる法令
違反、事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
 よつて、同法四〇八条により、主文のとおり判決する。
 この判決は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によ
るものである。
 裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
 一 選挙運動としていわゆる戸別訪問を禁止することが憲法二一条に違反するも
のでないことは、当裁判所がすでに昭和二五年九月二七日大法廷判決(刑集四巻九
号一七九九頁)において明らかにしたところであり、この判断は、その後も維持さ
れており、いわば確定した判例となつている。それにもかかわらず下級裁判所にお
いて、この判例に反して戸別訪問禁止の規定を違憲と判示する判決が少なからずあ
らわれている。このことは、当裁判所の合憲とする判断の理由のもつ説得力が多少
とも不十分であるところのあるためではないかと思われる。前記大法廷判決は、戸
別訪問の禁止が単に公共の福祉に基づく時、所、方法等についての合理的制限であ
るという理由をあげるにとどまり、また公職選挙法一三八条に関する昭和四四年四
月二三日大法廷判決(刑集二三巻四号二三五頁)も、判例の変更の必要がないと判
示しているにすぎず、必ずしも広く納得させるに足る根拠を示しているとはいえな
い憾みがあることは否めない。私は同条が憲法に違反するものではないと解するこ
とで法廷意見に同調するものであり、それを違憲とする所論は理由がないと考える
のであるが、この機会にその根拠についていささか私見を明らかにしておきたい。
 二 選挙運動としての戸別訪問は、わが国において大正一四年の普通選挙制の実
施以来禁止されてきている。戦後の公職選挙法の制定に際し、その禁止の一部が緩
和され、「公職の候補者が親族、平素親交の間柄にある知己その他密接な間柄にあ
る者を訪問することは、この限りでない」という但し書が付加されたが、脱法行為
の弊害が生じたとして昭和二七年の改正によつて削除され(昭和二七年法律第三〇
七号)、全面的な禁止が復活して今日に至つている。なお、その禁止の違反に対し
ては、刑事罰による制裁が科せれるというきびしい禁止措置がとられている(公職
選挙法二三九条)。周知のように、欧米の議会制民主主義国にあつては、戸別訪問
は禁止されていないのみではなく、むしろそれは、候補者と選挙人が直接に接触し、
候補者はその政策を伝え、選挙人も候補者の識見、人物などを直接に知りうる機会
を与えるものとして最も有効適切な選挙運動の方法であると評価されている。選挙
運動としての戸別訪問が種々の長所をもつことは否定することができないし、また
選挙という主権者である国民の直接の政治参加の場において、政治的意見を表示し
伝達する有効な手段である戸別訪問を禁止することが、憲法の保障する表現の自由
にとつて重大な制約として、それが違憲となるのではないかという問題を生ずるの
も当然といえよう。
 三 それでは戸別訪問が憲法に違反しないという論拠をどこに求めるべきである
か。この点について次ぎのようなものがあげられる。すなわち(1)戸別訪問は買
収、利益誘導等の不正行為の温床となり易く、選挙の公正を損うおそれの大きいこ
と、(2)選挙人の生活の平穏を害して迷惑を及ぼすこと、(3)候補者にとつて
煩に堪えない選挙運動であり、また多額の出費を余儀なくされること、(4)投票
が情実に流され易くなること、(5)戸別訪問の禁止は意見の表明そのものを抑止
するのではなく、意見表明のための一つの手段を禁止するものにすぎないのであり、
以上にあげたような戸別訪問に伴う弊害を全体として考慮するとき、その禁止も憲
法上許容されるものと解されること、がそれである(最高裁昭和五五年(あ)第八
七四号同五六年六月一五日第二小法廷判決参照)。
 四 以上のような諸理由はそれぞれに是認できないものではなく、単に公共の福
祉にもとづく制限であるというのに比してはるかに説得力に富むものではあるが、
私見によれば、それらをもつて直ちに十分な合憲の理由とするに足りないと思われ
る。
(1)戸別訪問は買収や利益誘導のような不正行為を誘発する機会となり易く、実
質的に選挙の公正を害する選挙運動を生みだす危険性をもつことは容認できる。と
くにわが国の現状をみると、戸別訪問が実質的な不正行為の温床となるということ
を、安易に却けることができないと考えられる。戸別訪問に随伴するとみられる弊
害として右にあげたものを多少とも生みだすおそれがあり、かつ戦前には戸別訪問
とともに禁止されていた個々面接や電話による選挙運動が現行法上は許されている
のは、それらが買収などを誘発する危険性がほとんどないことに基づくことを考え
ると、戸別訪問の禁止の最も重要な理由はこの点にあると思われる。しかしながら、
戸別訪問はそれ自身として違法性をもつものではなく、買収などを誘発する可能性
があるといつても、なお抽象的な危険があるにとどまり、実際にはそのようなおそ
れのない場合があるし、かりにその可能性があるとしても、不正行為の発生の確率
の高いものとは必ずしもいえない。憲法上の重要な価値をもつ表現の自由をこのよ
うな害悪発生のおそれがあるということでもつて一律に制限をすることはできない
と思われる。また、具体的な危険の発生が推認されるときはともかく、単に観念上
危険があると考えられるにすぎない場合に、表現の自由の行使を形式犯として刑罰
を科することには、憲法上のみならず刑法理論としても問題があると思われる。
(2)戸別訪問が、それをうけることを欲しない選挙人にとつて迷惑感がつよく、
その平穏な生活を害することはたしかである。とくにわが国における選挙人の通常
の意識からみて、これを私生活の妨害と考える程度は少なくないと思われる。しか
し、営利目的などでの訪問ではなく、選挙運動としての訪問は、それが議会制民主
政治においてもつ意義の大きいことからみて、選挙人において受忍すべき範囲が広
いと考えられるし、選挙人への迷惑を少なくするために訪問の時間や方法に合理的
な制限を加えることが許されるとしても、私生活の平穏の保持の必要ということは、
一律に戸別訪問を禁止することの理由として十分とはいえない。
(3)戸別訪問を許すと、各候補者は相互に競つて多くの選挙人を訪問せざるをえ
なくなり、その選挙運動が煩に堪えなくなるということもありうるかもしれない。
しかし、これは候補者にとつての利便の問題であり、選挙人にとつて有益な判断資
料を与えるという有効な手段が候補者側の利便によつて制限されることは適当では
ない。また戸別訪問が選挙の費用を多額なものとするともいわれるが、かりにそう
であつたとしても、それは法定費用の制限をもつて抑えるべきものであるし、およ
そ戸別訪問は最も簡便で、選挙費用に乏しい候補者が利用できる方法であるという
面ももつていることをみのがしえない。
(4)戸別訪問は、前記のように、選挙人が候補者側と直接に接触してその政策や
人格識見を知りうるという長所をもつが、わが国の国民の政治意識がいまなお高く
ないことから、実際には、政策や識見よりも、義理や人情に訴えることとなり、投
票が情実に流されるおそれのあることもまた否定できない。選挙運動の手段を法が
定めるにあたつて、いたずらに理想を追うのではなく、実態を考慮にいれなければ
ならないことはたしかである。しかし、このことを理由として戸別訪問を一律に禁
止することは、投票が情実に左右されるという消極的側面を余りに重視しすぎるこ
とになるのみでなく、それは単に推認によつてそのような危険性があるというにと
どまり、厳密な事実上の論証があるとは必ずしもえない。そのようなおそれがある
というのみでは、選挙における表現の自由を制約する根拠として十分とはいえない
と思われる。
(5)表現の自由を制約する場合、表現そのものを抑止することよりも、表現の自
由の行使の時、場所、方法を規制することは、その制約の程度が大きくなく、した
がつて憲法上前者が合憲とされるためにはきびしい基準に適合する必要があるのに
反して、後者はそれに比してやや緩やかな基準に合致するをもつて足りると考えら
れる。しかし、表現の自由の制約は、多くの場合に、後者の手段によつてされるの
であり、これが単に合理的なものであれば許容されると解されるのであれば、表現
の自由の制約が広く許されることになり、正当な解釈とはいえない。表現の自由の
行使の一つの方法が禁止されたときも、その表現を他の方法によつて伝達すること
は可能であるが、禁止された方法がその表現の伝達にとつて有効適切なものであり、
他の方法ではその効果を挙げえない場合には、その禁止は、実質的にみて表現の自
由を大幅に制限することとなる。たしかに選挙運動において候補者の政策を選挙人
に伝える方法として多くのものが認められてはいるが、戸別訪問が直接に政治的意
見を伝えることができるとともに、また選挙人側の意思も候補者に伝えられるとい
う双方向的な伝達方法であることなどの長所をもつことを考えると、戸別訪問の禁
止がただ一つの方法の禁止にすぎないからといつて、これをたやすく合憲であると
することは適切ではない。
 以上のように考えると、これまで戸別訪問の禁止を合憲とする根拠とされてきた
ものは、それぞれに一応の理由があり、これを総体的にとらえるとき、この禁止が
合理性を欠くものではないといえるかもしれないが、それだけでは、なお合憲とす
る判断の根拠として説得力に富むものではない。戸別訪問は選挙という政治的な表
現の自由が最も強く求められるところで、その伝達の手段としてすぐれた価値をも
つものであり、これを禁止することによつて失われる利益は、議会制民主主義のも
とでみのがすことができない。そうして、もし以上に挙げたような理由のみでもつ
て戸別訪問の禁止が憲法上許容されるとすると、その考え方は広く適用され、憲法
二一条による表現の自由の保障をいちじるしく弱めることになると思われる。
 五 私は、以上に挙げられた諸理由は戸別訪問の禁止が合憲であることの論拠と
して補足的、附随的なものであり、むしろ他の点に重要な理由があると考える。選
挙運動においては各候補者のもつ政治的意見が選挙人に対して自由に提示されなけ
ればならないのではあるが、それは、あらゆる言論が必要最少限度の制約のもとに
自由に競いあう場ではなく、各候補者は選挙の公正を確保するために定められたル
ールに従つて運動するものと考えるべきである。法の定めたルールを各候補者が守
ることによつて公正な選挙が行われるのであり、そこでは合理的なルールの設けら
れることが予定されている。このルールの内容をどのようなものとするかについて
は立法政策に委ねられている範囲が広く、それに対しては必要最少限度の制約のみ
が許容されるという合憲のための厳格な基準は適用されないと考える。憲法四七条
は、国会議員の選挙に関する事項は法律で定めることとしているが、これは、選挙
運動のルールについて国会の立法の裁量の余地の広いという趣旨を含んでいる。国
会は、選挙区の定め方、投票の方法、わが国における選挙の実態など諸般の事情を
考慮して選挙運動のルールを定めうるのであり、これが合理的とは考えられないよ
うな特段の事情のない限り、国会の定めるルールは各候補者の守るべきものとして
尊重されなければならない。この立場にたつと、戸別訪問には前記のような諸弊害
を伴うことをもつて表現の自由の制限を合憲とするために必要とされる厳格な基準
に合致するとはいえないとしても、それらは、戸別訪問が合理的な理由に基づいて
禁止されていることを示すものといえる。したがつて、その禁止が立法の裁量権の
範囲を逸脱し憲法に違反すると判断すべきものとは考えられない。もとより戸別訪
問の禁止が立法政策として妥当であるかどうかは考慮の余地があるが(第七次の選
挙制度審議会では、人数、時間、場所、退去義務などの規制をするとともに、戸別
訪問の禁止を原則として撤廃すべしとする意見がつよかつた)、これは、その禁止
が憲法に反するかどうかとは別問題である。
  昭和五六年七月二一日
     最高裁判所第三小法廷
         裁判長裁判官    寺   田   治   郎
            裁判官    環       昌   一
            裁判官    横   井   大   三
            裁判官    伊   藤   正   己

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