弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件控訴を棄却する。
     当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
         理    由
 本件控訴の趣意は、弁護人江橋英五郎、同千葉和郎、同三宅能生、同鈴木宏、同
山崎順一、同長屋憲一が連名で提出した控訴趣意書に記載されたとおりであり、こ
れに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事桐生哲雄が提出した答弁書に記載さ
れたとおりであるから、これらを引用する。
 論旨は、要するに、
 第一点 原判決には、必要的共犯者の自白のみによって被告人の有罪を認定した
訴訟手続の法令違反がある、
 第二点 原判決は、信用性、証明力のない必要的共犯者の供述のみによって被告
人の有罪を認定した理由不備の違法がある、
 第三点 原判決には、高規格幹線道路(以下、高規格道路という。)、A公庫及
びBに関する各請託についてのC証言(以下、単に証言という場合は、原審証言を
いう。)の矛盾や不合理さを看過し、かつ、経験則違反の判断をした事実誤認の違
法がある、
 第四点 原判決は、Bの建設場所等に関する情報を内報すること、その事業主体
にDが参加でき、その鉄骨工事をC1が受注できるように札幌市や札幌商工会議所
等に働きかけること、C1が上磯町におけるリゾート総合開発事業に関してA公庫
に融資申請をした際には便宜な取り計らいが受けられるように同公庫に働き掛ける
ことを北海道開発庁の所掌事務の範囲内と解し、ひいては、北海道開発庁長官たる
被告人の職務権限内の行為と判断した点において、法令適用の誤りをおかすもので
ある、また、当時の客観的情勢としては、次期衆議院議員選挙は遅くとも平成二年
二月に実施されることが必至であって、被告人の北海道開発庁長官としての任期も
右選挙の終了時までと考えられたので、仮に、Bの建設事業に関し、Cから右の請
託があったとしても、被告人が右任期中に依頼を受けた職務を実施することは不可
能であるから、本件は受託収賄罪には該当しないものである、この点においても、
原判決には法令の適用の誤りがある、
 第五点 仮に、Cから供与された本件金員が賄賂性を有するものとされ、有罪と
認定されるにしても、被告人に実刑を科した原判決は、量刑不当であり、被告人に
対しては刑の執行猶予の判決があってしかるべきである、
 というのである。
 そこで、右の各論旨について、当裁判所の判断を示すこととするが、その順序と
しては、最初に、論旨第三点の事実誤認の主張を取り上げ、かつ、論旨第一、第二
及び第五の点に関する所論のうち、C証言の信用性等事実誤認に関する主要なもの
については、便宜この中で検討することとする。
 第一 事実誤認の論旨について
 一 C証言の一般的信用性について
 1 関係証拠によれば、原判示の日時、場所において、原判示の金員が株式会社
C1の取締役副社長Cから被告人に供与されたことが認められ(ただし、原判示第
二の二については、C1常務取締役C2から被告人の秘書のEを介して供与)、こ
の点については、弁護人らも特に争うところはない。
 そこで、本件における事実認定上の争点は、被告人に対する請託及びその受諾の
有無に絞られてくるが、Cは、被告人に対して原判示の請託をなし、その承諾を得
た旨を原審で具体的かつ明確に証言しているのである。このC証言は、贈賄側の同
人のみならず、収賄側の被告人にとっても、受託収賄罪の、いわば直接証拠となる
ものであって、本件受託収賄罪の成否は、このC証言の信用性いかんにかかってい
るといっても過言でない。
 原判決は、(主な争点に対する判断)「第二請託の有無について」の四ないし七
において、このC証言の要旨を紹介するとともに、その信用性について検討を加
え、Cの証言内容が具体的かつ詳細であって迫真性があること、他の関係者の供述
にも符合し、これらの供述と比較対照しても、特に不自然な点や不合理な点は見当
たらないこと、被告人に請託をしたとするC証言は、請託の趣旨に沿うとみられる
被告人のいくつかの行為によって裏付けられていることを挙げ、そこから
 「C証言の信用性は高く、これによれば、被告人がCから犯罪事実記載のとおり
の請託を受けたことは明らかである。」
 として、原判示の請託及び受諾の事実を認定する。
 2 原判決の右のような判断に対する弁護人らの批判は、一口で言えば、「原判
決はC証言の矛盾・不合理な点を看過し、またC証言を裏付ける十分な事実もない
まま安易にC証言の証明力を認めた」という点にあるが、このような内容的な批判
に先立って、所論は、C証言について「引っ張り込み供述」の危険性を主張する。
そして、「C1を破産に導いたCとしては、その経営についてC1のために行った
行為であることを強調して放漫経営の非難を軽くし」、更に、「捜査当局に犯罪を
自白して情状を軽くし、これと併合審判を受ける詐欺罪との単一の懲役刑の量刑を
極力低くするために積極的に捜査官側の有罪立証に迎合する供述をすることも当然
であり」、被告人の職務行為に関する請託及び承諾の有無に関する供述はすべて措
信できない旨を強調する。
 3 しかし、検察官も指摘するとおり、いわゆる「引っ張り込み供述」というの
は、犯人が自己の責任を他に転嫁し、あるいは、その軽減を図るために、犯罪に加
担していない他の者を共犯者として仲間に引っ張り込み、自己の行為の一部又は全
部をその者に押しつけようとする場合に考えられることであって、本件のような対
向犯の場合には、他の者を自己の犯罪の相手方として引っ張り込もうとすれば、責
任の転嫁どころか、それだけ自分自身の刑責を増大させることになるのであるか
ら、「引っ張り込み」の危険性はほとんど考えられないといってよい。かかる「引
っ張り込み」の危険が考えられるのは、供述者において、たとえ自分が架空の事件
で罪を被っても、その者を罪に陥れたいといった、深い怨恨の情を抱いている場合
であるとか、他の重大な犯罪容疑に関し、検察官との間に不起訴約束等の取引があ
るといった特殊の事情がある場合に限られるであろう。
 本件についてこの点をみても、まず、Cが被告人に対する贈賄の事実を捜査当局
に供述すれば、自分自身もその件で起訴されることは必至であり、起訴されれば、
自白をしたということで情状が酌量されるとしても、別件が起訴されただけの場合
に比べて、格段に刑が重くなることもこれまた必然であるといってよい。現に、C
は、平成四年二月一日及び同月一七日の二回にわたり、被告人に対する合計九〇〇
〇万円の贈賄の事実で起訴され、平成五年五月一七日、東京地方裁判所において、
別件の有印私文書偽造、同行使、詐欺の事実と合わせて、懲役五年六月の判決を受
けているのである。そして、右判決は、その量刑理由において、同人の贈賄行為を
北海道開発行政の公正さに対する国民の信頼等を著しく失墜させたものとして厳し
く指弾しているのであって、贈賄の点が量刑上重視されていることが明らかであ
る。
 C自身としても、みずからの贈賄事実を自白する際には、当然のことながら、贈
賄罪が起訴されることによって刑が重くなることを覚悟していたと認められ(原審
第一〇回公判六四八丁)、所論のように、同人が自己の刑を軽くするために、捜査
官に迎合して、単なる政治資金として被告人に提供したにすぎない金員にことさら
賄賂性を持たせ、虚偽の自白をしたとは認められない。
 しかも、Cは、右の東京地方裁判所の判決に控訴することなく服しており(平成
四年一一月一日確定)、それによって、平成三年四月一七日青森地方裁判所で言い
渡された贈賄罪による懲役二年、四年間執行猶予の判決の執行猶予まで取り消され
るという不利益も甘受しているのである。これからみても、Cがみずからの刑を軽
くするために虚偽の自白をしたとは考えられないところである。
 なお、Cが被告人に対する贈賄の事実について逮捕され本格的な取調べが始めら
れたのは、平成四年一月からであるが、その時点では、Cは、既に三回にわたって
右の詐欺等の事件についての起訴を受け終わっており、検察官との間に、もはや贈
賄事件の自白とこれらの詐欺等の事件の不起訴とを取引するような状況になかった
ことも明らかである。
 また、Cは、被告人を介してF元内閣総理大臣にC3の理事長に就任してもらう
よう働きかけており、その内諾まで得ていたところ、ゴルフ場の着工間際になって
その約束を事実上反故にされたという事情もあるが、被告人は、この件に関して
は、Cの依頼を受けてかなり精力的に動いており、被告人のせいでこの約束が反故
にされたわけでもなく、Cとしては、この件については被告人に感謝こそすれ、そ
のことで被告人を恨む理由は全くなく、ましてや、この点が虚偽の自白をして被告
人を虚構の受託収賄罪に陥れるような動機になるとは思われない。
 弁護人らは、当審における弁論において、Cの平成四年二月一三日付検察官調書
を援用し、同人の被告人に対する反感、憎悪は極めて強く、まさに「引っ張り込
み」の危険があった旨主張するが、この調書で、Cが言わんとするところは、事こ
こに及んだ以上は、被告人としても逃げ隠れせず、率直に真実を明らかにしてほし
いということであり、被告人にその度量がない以上、自分の方から、被告人のこと
も含めてすべて真実を明らかにし、法の裁きを受けることを考えるに至ったという
ことである。そして、右調書中の「仮にG長官に対する収賄事件及び私に対する贈
賄事件を立件しないまま捜査を打ち切るようなことがあれば、東京拘置所内から改
めてG長官に対する収賄事件を告訴します」というCの供述にしても、自分の言っ
ていることが真実であることをぜひ明らかにしてほしいという一念から出た言葉と
して理解できるのであって、被告人に対する反感、憎悪の情から、過大な供述をし
て無理に贈収賄罪を成立させようとする意図があるとは認められない。所論は理由
がない。
 更に、弁護人らは、Cが捜査官にかかる自白をすることによって放漫経営の非難
を軽くしようとしている旨主張する。
 しかし、C1の経理上、Cに対する貸付金や使途不明金に計上されていた九〇〇
〇万円の金員が同人の私腹を肥やすためではなく、C1の事業を発展させるために
政治献金として使われていた旨弁明する限りにおいては、同人に対する非難を軽減
することも考えられるが(もっとも、被告人に対する九〇〇〇万円の金員供与がC
1の利益を図るために行われた行為であることを強調しても、二〇〇〇億円以上も
の借入金を抱えて倒産したC1の経営者としてのCの責任が、さほど軽減されると
も思われない。)、それを超えて、贈収賄事件をねつ造したからといって、なんら
Cの経営上の責任が軽減されるものではなく、むしろ、悪質な贈賄行為まで行って
いたとして、同人に対する社会的非難が一層強まることは必至であるので、同人が
放漫経営の非難を軽くする意図をもって虚偽の自白をしたとする右所論は、到底採
用しがたいものというほかない。
 4 以上のいずれの点をみても、Cが被告人を架空の贈収賄罪に引っ張り込むた
めに虚偽の自白をしたとは認められず、Cが本件贈賄の事実について自白したの
は、原審第六回公判において同人自身が供述するように、C1を倒産させた経営者
として、刑事上の問題についても、被告人に対する贈賄のことをも含めて事実をあ
りのままに述べて裁きを受け、刑に服することが自分の責任の取り方であると覚悟
したことによるものと考えられる。もちろん、Cの証言内容については、個々に慎
重な検討を加えなければならないが、本件に関するC証言が右のような動機に発
し、自己に不利益な事実であるにもかかわらず、自発的になされていることからす
れば、基本的には、その信用性は高いというほかなく、この点に関する所論は採用
の限りでない。
 二 高規格道路に関する請託について
 (CのH視察について)
 1 関係証拠によれば、C1がH及びその周辺の土地を買収するに至った経緯
は、おおよそ次のとおりである。
 「1」 平成元年四月、C1のC4営業所社員であるC5は、上磯町議会議員の
Iから同人の計画していたシルバーセンター建設への協力を求められ、Hの案内を
受けた。そして、その後、C5からの報告を受けた同営業所長のC6も、五月の連
休時にHを訪ねてその眺望に感心し、Cに現地視察を要請した。
 「2」 同年六月一四日、現地を視察したCは、函館湾を眼下に収め、津軽海峡
を隔てて遠く青森県を一望する景観の素晴らしさに魅せられ、Hの買収とその復元
をほぼ即決に近いかたちで決断した。
 「3」 右H視察の際、Cは、C6やIから、Hの後背地に高速道路の建設計画
があることを聞き、また、上磯町役場を訪ね、上磯町長のI1と面談した際にも、
同町長から同様に高速道路の建設計画があることを聞き知った。
 「4」 Cは、東京に戻ると、早速Hの買収にとりかかるよう開発部長のC7ら
に指示し、同人も直ぐに函館に飛び、現地を視察したうえ、同月末には、Hの所有
者のJ合名会社との間にH及びその周辺の土地合わせて約四万坪を代金一億二〇〇
〇万円で購入する旨の覚え書を取り交わした。
 「5」 なお、Cは、C7に対する指示の時点で既にHの後背地も買収してゴル
フ場を造る構想を抱いていたが、その反面、Iのシルバーセンター計画について
は、事業の採算性から消極の考えを示していた。
 2 このH視察に関するC証言によると、同人は、この視察時に、C6、Iのほ
か、上磯町のI1町長からも、Hの後背地を高速道路が通る計画があると聞き、そ
の予定地を買い占めることを思い立ったというのである。そして、帰京後、衆議院
第一議員会館にある被告人の事務所(以下、E1事務所ともいう。)を訪ね、被告
人にHの購入と復元を決めたことを報告したのち、今後上磯町長にお願いの件など
が出てきたときにはよろしくとの依頼をし、更に、同年七月初旬、被告人の事務所
を訪ねた際、被告人にH周辺に道路建設の予定があるらしいがと切り出し、被告人
から、Hの後背地を通る高速道路は高規格道路と呼ばれる道路であることや、事務
所に吊ってある北海道三区の地図(なお、Cは、原審の当初においては、この地図
について右のように証言していたが、後に、それが誤りであることを認め、原審で
弁護人から示されたランド北海道NOWのような地図であったことに間違いない旨
供述する。)を指さしながら、その路線は長万部から森町、大沼、上磯の町の中を
通って江差までであること、大沼から函館の一部を通って上磯の町の中までは路線
が確定していることを教えてもらい、また、別の北海道三区の地図をテーブルの上
に広げて、Hの裏辺りはまだ決まっていないことなどを教えてもらったというので
ある。Cは、被告人に更にいくつかの質問を重ねたうえ、茂辺地~江差間の高規格
道路のルートが決まり次第、内々に教えてほしいと依頼して、被告人の承諾を得た
旨も供述する(原審第八回公判四九九丁~五〇六丁)。
 3 このC証言を裏付ける証拠としては、「IはCに高速道路はHの後背地の町
道に沿って走ると言っていたし、上磯町役場でI1町長もHの付近を高速道路が走
る計画があることを話していた」、「Hの視察のあと、Cは、『高速道路が通ると
いうが、その予定の場所を買っておけば、Hの代金なんかすぐ出るよな』といった
調子で自分に話かけてきた」旨のC6証言、「平成元年七月ころ、CからH周辺の
簡単な地図を見せられ、『この近くを高速道路が通るようだ。その正確なルートが
分かったときは周辺を買収したいので、その資金付けを頼む』と言われた」旨のC
1の開発担当の常務取締役であったC8の証言あるいは「同年七月ころ、議員会館
の被告人の部屋を訪ねたときに、被告人から『C1が上磯町でリゾート開発をして
いるからよろしく頼む』と言われた」旨のI1町長の証言等があり、Cが同年七月
ころ被告人の事務所を訪ねたこと自体は、E秘書も証言しているところである(な
お、被告人は、捜査段階では、北海道開発庁長官になる前はもとより、長官になっ
た後においても、CやC1の者から、C1が上磯町でHの改修や開発を計画してい
るなどとは一言も聞いていない旨供述していたが、原審公判では、CがHを視察し
て数日後に被告人の事務所を訪ねHの購入を決めた話をしたことについて、「よく
考えてみると、そんな話があったんではないかと思います。」とこれを認める趣旨
の供述に変わっている。)。
 4 ところで、高規格道路に関する請託のきっかけとなったCのH視察について
は、まず、当日の順路が函館空港ーHー上磯町役場なのか、それとも、函館空港ー
上磯町役場ーHなのかという問題があり、原判決は、Hを見てから上磯町役場に行
った旨のC証言を排斥し、C6作成のC7開発部長あての報告書(甲一五四資料
二)等から、逆に、「Cらが先に上磯町役場を訪問したとみるのがむしろ自然であ
るように思われ、この点は事実に反する疑いがある」旨判示する。
 弁護人らは、原判決が、このような認定をしながら、「この点は、Cの記憶の混
乱によるものというほかなく、証言全体の信用性に影響を及ぼすものとはいえな
い。」とした点をとらえ、
 「C証言は、Iの話では感ずるところはなかったが町長であるI1の話を聞き利
用価値を感じとったというものであり、道路買占めを思い至る過程を一見もっとも
らしく説明する内容であって、原判決が言うようなCの『記憶の混乱』として片付
けられるような単純な誤りではなく、Cが積極的に嘘をついていること、そしてC
証言全体が虚構の事実に満ちていることを裏付けるものである」旨主張する。
 たしかに、C6の業務日誌によれば、平成元年六月一四日の欄には、午前九時五
五分にCが函館空港に到着し、同一一時に上磯町役場を訪問し、同一一時三〇分に
現地を視察し、午後零時三〇分にIの事務所に行くというスケジュールが記載され
ているし、同人作成の前記報告書にも、上磯町役場に直行した旨の記載があり、更
に、I1町長の日誌にも、同日午前一一時一五分に「IがCを連れて挨拶に来
る。」との記載が残されているのである。また、I1証言によれば、函館空港から
上磯町役場までは通常四〇分、役場からHまで約一五分というのであるから、道路
事情がよく、車の流れが順調であったとしても、午前九時五六分に函館空港に到着
したCらがK修道院のそばまで行って、Hを見て、午前一一時一五分ころに上磯町
役場に到着することは相当に困難であると思われる(そのほか、C6の報告書にあ
るように、途中、函館空港近辺の物件を見たとなれば、なおさらのことであ
る。)。これらの証拠からすれば、原判決の認定するところもうなずけないではな
い。ただ、この点については、Cのみならず、同人の挨拶を受けたI1町長も、C
は既にHを見てきたようだったというのである。すなわち、同町長は、「Cは、H
を見て非常に気に入った、素晴らしい庭園だと、あれだけのものを朽ちさせておく
のはもったいない、あれを含めてリゾート開発をしたいということで、既にHを見
てきたようだった」旨供述する。Cとしても、Hを見ないうちにI1町長と会って
話してもあまり意味はないのであるし、I1証言に出てくるCと同町長との会話
は、Cにおいて現地を見たことを前提としない限り、考えられない内容である。C
6も、同人の本来の記憶としては、Hが先であった旨供述していたのであって、弁
護人から前記の資料を示されて、その供述を翻しているものの、果たして上磯町役
場の訪問が先という記憶が現実に蘇ったのかどうかは疑問である。また、Cらを案
内したIも、Hのあとで役場に行った趣旨の供述をしているのであって、四人が四
人とも順序を間違えるということも考えにくいことからすれば、上磯町役場の訪問
が先と断定することにも、躊躇を覚えるものがある。したがって、結論としては、
原判示のとおり、上磯町役場の訪問が先とみざるをえないにしても、Cばかりでな
く、I1、C6、IらもHの視察が先だと思い込むような状況であったことからす
れば、「Cがあえて記憶に反する証言をしたとみるべき事情はない」とした原判示
は相当であり(そもそも、Cにおいて、Hの視察と上磯町役場の訪問との順序をこ
とさら逆に供述する必要性は特にないのであるし、もし、同人が自己の記憶に反し
てHの視察の方を先と供述するのであれば、時間的にその妨げとなるK修道院への
立ち寄りをわざわざ供述するはずもないと思われる。当審において、CがHの視察
を終えて車に乗るときに足回りの土ぼこりを払ったが十分でなかったため、上磯町
役場に入る際にもう一度その土ぼこりを払い落としたという供述にしても、作り話
とは思われない真実味が感じられる。)、この点は、Cのなんらかの記憶の混乱と
みるほかなく、所論が主張するような重大な虚言であるとは認められない。
 5 所論は、I1町長は、K修道院の反対のためにH周辺での高規格道路のルー
ト決定が難航していたことを熟知していたのであるから、この日にCに対して高規
格道路の話はしていないという同町長の証言には合理性がある旨主張する。しか
し、同町長も、広域農道の話は出たかも知れない旨証言するのであって、Hを核と
したリゾート開発を考えているCに対して、これを歓迎する立場にある同町長がご
く地域的な広域農道の話をしながら、函館からのアクセスに必要な高規格道路の話
をしないというのも不自然である(同町長の証言によれば、上磯町を通る広域農道
は、上磯町の桜岱から茂辺地、当別を経由して知内町に至る二二~三キロメートル
の道路である。)。また、茂辺地にインターチェンジが設けられることになってい
たのであるから、函館からのアクセスを考えた場合には、ここまで高規格道路が建
設されるだけでもそのメリットは大きく、たとえ、K修道院の反対で茂辺地から先
の路線が決まっていなかったとしても、町長の口からこの話が出ない理由はないと
思われる。なお、Cは、I1町長からも「高速道路」が通ると聞いた旨証言するの
に対し(C6の前記証言もこれを裏打ちする。)、同町長は、函館・江差自動車道
のことは「高規格道路」と呼んでいた旨証言する。しかし、同町長も、H復元工事
の起工式の挨拶では、「高規格道路という高速道路」といった表現を用いていたこ
とが窺われるのである。したがって、I1町長が高速道路という表現で高規格道路
の話をしたとしても、いっこうにおかしくなく、この点も、C証言の信用性を肯定
する際の支障となるものではない。
 Iも、Cに高規格道路(高速道路)の話をしていない旨証言するが、Iの証言に
はほかにも信用できない部分が多々あるうえ(例えば、Cらが上磯町役場を訪ねた
際の話題についても、上磯での開発はもちろん、Hの話すら出なかったと証言す
る。)、CをHに案内したときに「こういう海の見えるところでゴルフなんかやっ
たら気持ちがいいでしょう、いいゴルフ場になると思うが皆さんどうですか。」な
どとCの気を引いていた同人がこの将来の交通アクセスの点に触れないはずはな
く、現に、同人は、捜査段階ではCに高速道路の話をしたことを認めているのであ
る。いずれにせよ、関係証拠によれば、この視察時にCがH周辺に高速道路を通す
計画があることを知ったことに間違いはなく、その話をI1町長から聞いたときに
閃くものがあったのか、それともIから聞いた際であったのかは、C証言全体の信
用性にさほどの影響を及ぼすとは認められない。所論は理由がない。
 (七月初旬におけるE1事務所でのやりとりについて)
 1 弁護人らは、前記七月初旬における被告人の事務所でのやりとりに関し、原
判決が、E1事務所の間仕切りの壁に貼ってあったのは、学校教材用のような北海
道三区の地図ではなく、高規格道路の路線の概要を破線で表示した「ランド北海道
NOW」という表題を持つ北海道全図(弁第六六号証と同様のもの)であるとし、
その客観的な記載内容とこの点に関するC証言との食い違いを認めながらも、
 「このような点に誤りがあるとしても、前同様にCがあえて虚偽の証言をしたと
みることはできず、被告人に請託をしたとするC証言の基本的な部分の信用性を損
なうものとはいえない」
 とした点を論難し、実際に間仕切りに貼ってあった地図には函館から江差までの
高規格道路の路線がピンク色の平行四辺形を連ねたような曲線状に明瞭に記載され
ていたのであるから、Cにおいて茂辺地から江差まで直線を引くようなことが頭に
浮かぶはずもなく、Cが証言する被告人とのやりとりは、Cの作り話といわざるを
えず、原判決のC証言に対する前記評価は誤りである旨主張する。
 たしかに、Cのこの点に関する当初の原審証言には、原判決が指摘するような誤
りがあることは否定しがたいところであり、同人も、弁護人の指摘を受けて後にこ
の点が記憶違いであったことを認めている。しかし、間仕切りに貼ってあった地図
に高規格道路の予定ルートがピンク色の平行四辺形(厳密にいうと、ピンク色の枠
取りの平行四辺形)を連ならせた曲線で記載されていたにしても、同人の座ってい
た応接セットからその地図までには約二メートルほどの間隔があり、それだけ離れ
て見れば、右のピンク色の平行四辺形もそう目立つものではなく(「茂辺地」の地
名も小さく記載されているにすぎず、北海道の地理に明るくない者にとってはその
所在すら把握しがたい。)、Cにおいて、それが高規格道路の予定ルートを示すも
のであることに気づかなかったとしても、格別不自然なところはないといってよ
い。また、その予定ルートは、幅のある平行四辺形を連ねた形で、ごく大雑把に表
されていたのであるから、ルート図としてほとんど役に立つものではなく、それを
見たあとで、Cがテーブルの上の地図を見ながら、「茂辺地から江差を直線で結ぶ
ようになると、Hの裏側は通らなくなりますね。」といった質問を被告人にしたと
しても、特に不自然、不合理であるとは思われない。また、事務所の間仕切りに貼
ってあった地図が「ランド北海道NOW」のような北海道全図であったとすると、
その地図では茂辺地周辺は分かりづらく、被告人が説明のためにE秘書に北海道三
区の地図を持ってこさせたことも納得でき、かえってC証言の全体的な信用性を高
めているのである。
 2 また、弁護人らは、被告人が高規格道路の路線に関する前記の説明をした
際、Cに「路線は長万部から森町、大沼、上磯の町の中を通って江差までである」
と教えたという点も、不合理である、つまり、長万部ー森町ー大沼間は北海道縦貫
道であり、函館ー上磯ー江差間は高規格道路であって、道路行政上この二つはまっ
たく別のものであり、地元の道路事業に人一倍関心をもって然るべき代議士が、こ
のふたつを混同することは考えられない旨主張する。
 しかし、被告人がCに北海道縦貫道と高規格道路を一体的なものとして説明した
としても、被告人自身がこのふたつを混同していたことになるわけではなく、Cに
分かりやすく説明するための便宜から、あえてこの両者を区別せずひとまとめとし
て説明したとも考えられるので、この点に関するC証言にもなんら不自然、不合理
な点はないといってよい。C証言によれば、同人が被告人に高規格道路とはどんな
道路か尋ねたところ、被告人は、高速道路のあいの子みたいな自動車専用道路だよ
と教えてくれたというのであり、前記の説明は、それに続いての説明であるから、
所論指摘の点も、むしろ右のように理解するのが相当である。もともと、高規格道
路とは、国土開発幹線自動車道(以下、国幹道という。)と一般国道の自動車専用
道路とを総称するものであり、一般に、前者が高速道路、後者が高規格道路と呼ば
れているにすぎないし、弁護人らのいう北海道縦貫道といい、高規格道路といって
も、いずれも自動車専用道路であって、前者が国幹道建設法に基づくものであり、
後者が建設大臣の指定に基づくものであることやそれぞれの工事主体に違いがある
にして、その違いを問題とするような場面でもなく、しかも、検察官が指摘するよ
うに、国幹道たる北海道縦貫道の長万部・函館間も、一般国道の自動車専用道路た
る函館・江差間も、当時はいずれも着工されていなかったのであるから、被告人に
おいて、まだ存在しないこの両道路をことさら区別せずに、連続する一本の道路と
して説明したとしても、ごく自然な態度と認められるのである(被告人も、原審に
おいて「高規格道路と高速道路とがどういうふうに区別されるのか知っているか」
という弁護人の問いに対し、「それはもう全く同じことですから、高速道路も高規
格道路も。ただ事業主体が違うだけであって。」と供述する。)。
 3 弁護人らは、Cと被告人との間でこのやりとりがあった平成元年七月という
時期は、被告人としても、北海道開発庁長官ではなく、なんら職務権限を心配する
必要のない時期であり、CからL解決の謝礼金を受け取った直後であったことから
しても、Cからなんらかの依頼があつたとすれば、被告人においてなんの行動も起
こさなかったということは考えられない旨主張する。
 しかし、この時期に被告人が受け取った三〇〇〇万円はあくまでLの件に関する
謝礼であり、もともと、被告人は、F1議員の分と合わせて一億円を要求したとこ
ろ、半分にまけさせられたのであるから、新たな依頼につき、直ちに行動を起こさ
なかったとしても、別段不自然であるとは認められない。また、このころは、被告
人とCの関係もまだ浅く、被告人がCをどこまで信頼していたかも定かでない。し
かも、依頼された事項は、北海道開発局函館建設部が職務上の秘密としていたH周
辺の高規格道路の通過予定地を聞き出してCにひそかに教えるということであるか
ら、被告人がこの依頼に対して慎重な態度を取り、行動を起こさなかったことも理
解できるところである。所論は失当というほかない。
 4 以上判示したとおり、Hの視察時にH周辺の道路予定地の買収を思いつき、
七月初旬に被告人の事務所において、被告人に茂辺地~江差間の高規格道路の通過
予定地を内々に教えてくれるよう依頼した旨のC証言には、別段不自然、不合理な
点はなく、同人の証言を信用できるものとした原判決の認定になんら誤りは認めら
れない。
 (八月一一日の「M」及び同月下旬の「M1」での請託について)
 1 平成元年八月一〇日、被告人は、念願の大臣となり、北海道開発庁長官に就
任する。この大臣取りには、Cも協力し、被告人の要請に基づいて、二回にわた
り、各一〇〇〇万円合計二〇〇〇万円の根回し資金を被告人に提供した。以上の点
は、関係証拠から明らかに認められるところである。
 そして、C証言によれば、右金員供与の趣旨は、被告人が大臣になったときに、
C1のために働いてくれることを期待したことによるものと認められ、代償を全く
求めない純粋な援助でないことはいうまでもない。
 2 「1」同年八月一一日、Cは、被告人の大臣就任を祝う会を赤坂の料亭
「M」で開いたが、C証言によれば、同人は、この宴会の席上で、被告人から北海
道開発庁の所掌事務、予算権限、年間予算額等の話を聞き、長官が高規格道路の正
確なルートや通過場所を知り得る立場にあることを知ったことから、C1は北海道
で上磯の開発を手がけているのでよろしくお願いしますという依頼をしたうえ、
「C1は、北海道で手掛けているのはH一個しかないんですよ。Hの裏を通る高規
格道路の通過ルートや正確な通過場所等についてこっそり教えてくださいよ。それ
で一丁行かせてくださいよ。」などと頼むと、被告人は、少し小さな声で、「分か
った、調べて教えるよ。」と答え、Cが「声がちっちゃいですね。」と重ねて確約
の催促をすると、「分かった、分かった、間違いなくやる。」という返事をした、
というのである(原審第八回公判五二五~五二八丁)。
 「2」 そして、Cは、右の約束を確実なものにするためには、被告人に現金を
渡すのが効果的であると考え、同年八月下旬、当時被告人の私設秘書を務めていた
E2と共に、永田町の料亭「M1」で被告人を接待したが、宴席の最中、E2に席
を外させたうえ、「長官、今日は僕からのお祝を持ってきているから、中身はレン
ガ二個ですよ。」、「長官、うれしい話もいいんですけども、私の依頼しているこ
とについては間違いなくやってくれるんですね、必ず約束は守ってくれるんです
ね。」と釘をさしたうえ、その謝礼として用意した手提げ紙袋入りの現金二〇〇〇
万円を差し出した旨を供述する。
 3 弁護人らは、右のC証言の信用性を認めてこの証言に沿う事実を認定した原
判決を論難し、2の「1」については、大臣就任祝いの宴席という場の性格とE
2、C8に加え芸者も同席する場での話としてはいかにも不自然である旨主張し、
同「2」については、C証言における請託の言葉は、その全部を正確に再現すれ
ば、話し終わるのに四〇~五〇秒はかかるものであり、約二・五キロの重さのある
現金入りの紙袋を両手に持って被告人の面前に差し出したまま話し続けたというの
は不自然で、相手が現職大臣であることを考え合わせれば失礼極まりない異常な光
景である、原判決がこのC証言を補強するものとして援用するE2証言も不自然な
点が多く、C証言を裏付ける証拠価値は認められない旨主張する。
 4 しかし、右2の「1」点については、大臣就任祝いの席とはいっても、C1
の関係者三人と被告人だけのごく内輪の祝宴であるから、この席で依頼ごとの話を
持ち出そうと決して不自然ではないし、むしろ、Cとしては、被告人を大臣にする
ために既に二〇〇〇万円もの根回し資金を提供しているのであるから、タイミング
を見計らって上機嫌の被告人に依頼事をしようとすることも十分考えられるところ
である。また、Cの証言する程度の会話であれば、宴席に芸者が入っていたにして
も、いくらでも内密に話を交わすことは可能であると認められるし(内密の話をし
たければ、Cが被告人のところに酒を注ぎに行けば足りることである。)、赤坂界
隈で政治家の出る宴席に呼ばれるような芸者であれば、内密の話には聞き耳を立て
ないようにすると考えてよいであろうから、Cが芸者の存在をさほど気にかけなか
ったとしても、不自然であるとは認められない。また、E2証言によれば、被告人
も「俺も大臣になったからには、C1のために全力でやるよ。」と言い、Cも、被
告人に対して「先生、長官になられたんですから、Hの件はよろしく願います
よ。」と頼んでいたというのであって、Hがらみの依頼事が話題になっていたこと
は間違いなく、この証言も、C証言を裏付けているということができる。
 5 なお、上磯町のI1町長は、平成元年八月中旬ころ、被告人から、電話で
「C1がそっちへ行ってやっているからよろしく頼む。」という依頼があったこと
を供述しているし、当時の北海道開発庁地政課長のNも、同年八月中旬か下旬こ
ろ、新大臣への所管事項の説明で平成二年度の高規格道路の新規要求箇所等に触れ
たところ、被告人から「その先はどうなっているか。」と聞かれたというのであ
る。この点は、自分の選挙区のことであるから、被告人が関心を持ち、質問をした
としてもなんら不思議はいようにも思われるが、同年八月初めころ、地元代議士と
して、同課長から函館~茂辺地間の基本計画について事前説明を受けたときには、
それから先についての質問は特になかったというのであるし、被告人の政務秘書官
E3の証言によっても、八月当時の被告人の関心は、函館・江差道路の一部着工に
あって、茂辺地から先については、関心がなかったというのであるから、関心のな
かった事項について特に尋ねた被告人の前記質問には、Cの請託が影響している可
能性が高いと認めて差し支えない(なお、弁護人らは、当審弁論において、被告人
がN課長に尋ねたのは「茂辺地より先の事業化がいつになるか」であって、茂辺地
より先の高規格道路の通過ルートを質問したものではない旨主張する。しかし、こ
の質問を受けたN課長は、通過ルートを聞かれたものと受けとめ、茂辺地・江差区
間の路線はまだ調査中である旨の返事をしているのである。そもそも、路線の一部
が事業化された場合、その先の区間の事業化は相当遅くなるという認識を持ってい
た被告人がそれから先の事業化の時期を聞くというのも不自然である。)。
 6 2の「2」の点についても、Cは、先の「M」での被告人の態度が浮ついて
いて約束したことを実行してくれるかどうか心もとなく思われたので、この「M
1」での宴席を設け、更に二〇〇〇万円を贈る代わりに被告人にも約束をきちんと
実行してもらおうとしていたのであるから、Cの態度が要求がましくなり、金を受
け取ろうとして待っている被告人にすぐには金を渡さずしゃべり続けるなど(な
お、当審法廷での検証の結果によれば、現金二〇〇〇万円の重さは約二・二キログ
ラムであって、四~五〇秒の間差し出したまま持っていたとしてもそう苦になるほ
どの重さではない。)、被告人に対して失礼と思われる態度があったからといっ
て、不自然であるとか、異様な光景であるとはいいがたい。むしろ、被告人が「分
かったら教えるよ。」と答えたので、心もとなく思うとともに、かちんときて、
「長官、ちょっと待ってくれ、分かったら教えるはないでしょう。調査予算が付い
ているならば、その調査に基づく成果表やその路線図等は、もう手元にあるんでし
ょう。なくても調べればすぐ分かることでしょうが。私は、そういう図面を貸して
くれと言ってるんじゃないですか。ご自分の近くにあっていつでも取り寄せられる
状態にある人が、分かったら教えるよというような、そんな子供だましみたいなこ
とはなしにしましょうよ。」と言って噛みついたというC証言は、まことに迫真性
のある具体的な供述であって、十分信用できるものということができる(なお、こ
の現金授受の場面に関する被告人の供述が変遷しており、かつ、不自然であること
は、検察官が答弁書で指摘するとおりである。)。
 また、Cに席を外すように言われて部屋を出て、トイレに行ったあと仲居のOと
立ち話をして、ころ合いを見計らって席に戻ったというE2証言に所論がいうよう
な不自然さがあるとは認められないし、「部屋に戻ったところ、どういうわけか、
座が白らけた感じで、被告人は立ち上がって手提げ袋を持って部屋を出て行った、
被告人が帰ろうとするとき、Cが被告人に『高規格道路の件ちゃんとお願いします
よ』と言い、被告人も『分かった』と言いながら、ぶぜんとした感じで帰って行っ
た。」という同証人の証言は、同人が席を外している間の前記の出来事に符合する
臨場感のある供述であるといってよい。
 以上のとおりであるから、2の「1」、「2」の点に関する所論は、いずれも採
用の限りでない。
 (買占め計画の現実性について)
 1 弁護人らは、Cが被告人から高規格道路の予定地に関する情報を得ようとし
た動機について、原判決が、
 「(Cにおいて、)道路の通過予定地が事前に分かれば、その土地を買収して、
土地を担保にノンバンク等から多額の融資を受けたり、国に転売して多額の差益を
得たりすることができるし、ゴルフ場の設計の上でも参考になると考えた」
 旨認定したことを論難し、
 「1」 道路を含め公共事業用地を買い占め、国に高く買い取らせて利益を得る
ことが現在の取引の実情に照らし不可能なことは社会の常識である、Cがいかに証
言しようとも、高規格道路の予定地の情報を得ようとした動機が予定地の買占めで
あるとの認定は、経験則上許されるものではなく、Cが短期間のうちに取得価格の
倍ぐらいの価格で国が買い取ると考えたとは到底認められない、
 「2」 高規格道路の予定地をゴルフ場用地として買収することは実際上不可能
であるのに、これを不可能でないとした原判決には、公共用地の買収と行政指導の
実態を無視した経験則違反がある、
 「3」 K修道院が敷地内の道路の通過に強く反対していたため、被告人の長官
在任中にH周辺のルートが決定される見込みはなく、Cが高規格道路に関心を持っ
ていたとすれば、当然そのことを知っていたはずであるから、被告人に多額の賄賂
を用いてまで違法な情報収集を計画するはずはないのに、原判決が、「長官在任中
に北海道開発局内において、H周辺のルートが事実上内定される可能性がなかった
わけではなく、Cがルートについての情報提供を請託することが不合理な状況にあ
ったとはいえない」旨判示したのは、経験則に著しく反するものである、
 「4」 更に、原判決は、長さ四キロメートル、幅一〇〇メートルにわたる土地
を国に転売し、約一億二〇〇〇万円の差益を得るつもりであったとするC証言につ
いて、転売益を計算するための目安としてこのような数字を挙げたと認めるべきで
あり、信用できないものではないとするが、これはあまりにも不合理な数字であ
り、机上の空論といわざるをえず、この計算はC証言全体の信用性を覆す好例であ

 旨主張する。
 2 右の弁護人らの主張のうち、まず、「3」の点について判断する。
 北海道開発庁地政課長(平成二年六月北海道開発局建設部道路建設課長)N1の
証言、その他関係証拠によれば、平成元年四月から同年一二月ころにかけての函
館・江差自動車道のルート策定状況は、おおよそ次のとおりであったと認められ
る。
 「1」 函館・江差自動車道全長七〇キロメートルのうち、函館~茂辺地間につ
いては、ルート策定作業も比較的順調に進んでおり、同年四月一一日に、函館開発
建設部は、上磯町に対して上磯~茂辺地間のルートについての協議を申し入れ、六
月二三日、上磯町から同意の回答を得、七月二八日には、北海道開発局長から建設
省道路局長あてに、基本計画の承認申請がなされ、八月八日に同局長から基本計画
を承認する旨の決定が北海道開発局長あてに発せられた。
 「2」 しかし、それから先の茂辺地~木古内間のルートとなると、K修道院の
問題があって、協議の進捗状況はおもわしくなく、函館開発建設部において、上磯
町及び木古内町との協議を続けていたものの、策定状況は難航していたといって過
言でない。もともと、函館開発建設部は、調査開始の当初から、函館・江差自動車
道のルート選定に当たって、K修道院の敷地内通過が問題になるという認識は持っ
ており、昭和六三年八月には早くも同修道院との交渉を始めていたのであるが(仮
に、同修道院との協議が順調に進んでいたとするならば、平成元年七月ころには、
木古内までのルートが内定していた可能性もあったという。)、交渉は思うに任せ
ず、平成元年四月二〇日には、K修道院長から、同修道院の敷地を迂回するルート
を考えてほしいという要望書が出されたため、その後、協議は一時中断されている
状態にあった。
 「3」 もっとも、この時点では、K修道院も、高速道路の建設自体に反対する
態度を示していたわけではなく、要望書でもわざわざその旨を断っているぐらいで
あったので、函館開発建設部としては、修道院の敷地内の環境影響調査をして問題
がないということになれば、修道院側の理解が得られると考え、秋には協議を再開
して、年内には、話を整理できるものと考えていた。
 「4」 ところが、同年一〇月にK修道院との交渉を再開し、同年一一月に修道
院の敷地内での環境調査の結果も出て、並木の植生への影響や騒音が少ないという
ことが明らかになったにもかかわらず、修道院側は、地下水とか景観に及ぼす影響
等を言い出して敷地内通過に強く反対したため、開発局側も計画ルートの変更をや
むなしと考え、第二案、第三案を提示したが、平成二年八月には、K修道院側から
函館建設部が提示した三案すべてに反対し、修道院の北側にある丸山の裏(北側)
を通してほしいという要望書が提出され、平成四年六月、K修道院の要望をほぼ容
れた函館建設部の変更案を修道院側が了承することによってようやくこの問題も決
着するに至った。
 このように、K修道院の強硬な姿勢から問題解決に時間を要したのは事実である
が、茂辺地~木古内間のルート策定の遅れは、当時の予想をはるかに超えたもので
あり、平成元年四月から一〇月ころにかけては、事業主体の函館開発建設部です
ら、年内にもK修道院との協議にめどをつけられると考えていたのであるから、被
告人の長官在任中にH周辺の高規格道路のルートが内定される可能性がなかったと
いえないことは明らかであり、この点に関する原判決の判示も相当であるというこ
とができる。
 所論はまた、道路整備事業において路線の一部が事業化された場合、まず事業化
された区間の一部開通を優先させるのが予算の効率的運用の観点からの原則であ
り、その先の区間が事業化されるのは相当遅くなることは道路行政の常識である旨
主張するが、本来、函館・江差自動車道の路線調査は、全長七〇キロメートルのこ
のルートの中間点にある木古内までを考えていたところ、K修道院の反対でやむな
く茂辺地までを優先することにしたのであり、平成二年度予算の概算要求で函館~
茂辺地間の事業化が目指されていたとしても、この区間の事業化と茂辺地~木古内
間のルート策定作業とが並行して進められることになんの支障もないのであるか
ら、所論は失当というほかない。
 このほか、所論は、Cが贈賄を決意しそれを実行したと認定するためには、C自
身が被告人の長官在任中に高規格道路のルートが現実に決定されると信じていたこ
とが前提となるところ、原審では、Cがこのように信じたことを示す証拠がみられ
ない旨主張する。
 しかし、この点に関するC証言をみると、おおよそ次のとおりである。すなわ
ち、同人は、平成元年七月初旬ころ、議員会館の被告人の事務所を訪ね、被告人
に、H周辺に道路建設の予定があるらしいが本当かと切り出し、被告人から高規格
道路だよと教えてもらった、そして、更に、調査予算は付いているかどうか、路線
はどこからどこまでかを尋ねたところ、被告人は、調査予算は付いている、上磯の
町の中までは確定しているが、Hの裏辺りはまだ決まっていないはずだと言った、
そこで、被告人に茂辺地~江差間の具体的な路線等が決まったら、調べて内々に教
えてほしい旨依頼しその承諾を得たが、被告人が長官に就任した翌日、お祝いの席
で重ねてこの点の依頼をしてその承諾を得た、というのである。
 そして、Cの言によると、同人が求めていた情報、資料は、誤差が二〇~三〇メ
ートル以内に収まるような路線図等であって、一〇〇メートルぐらいの誤差になる
と、買占めのためには意味をなさないが、長官就任のお祝いの席で、被告人にこの
点の請託をした際に、被告人から「茂辺地~江差間の高規格道路の実行予算を最優
先して付ける、一番にこれをやる」という決意が披れきされ、Cが内々に提供して
ほしいと依頼したことについても、「分かった、間違いなくやる」と言われたこと
から、路線図等が既にG長官の手元にあるのではないかと思ったし、もし、なかっ
たとしても、部下に言って取り寄せることができるのではないかと思った、という
のである(原審第八回公判五二八~五三〇丁)。また、八月中旬の「M1」でのC
と被告人とのやりとりをみても、Cは、前述したように、「調査予算がついてるな
らば、その調査に基づく成果表やその路線図は、もう手元にあるんでしょう」など
と厳しく被告人に問い質しているのであって、Cにおいて右のような路線図が既に
作成されているものと信じていた様子が窺われ、これに対し、被告人も「すまん、
すまん、必ず調べて渡すから」と言って、Cの信じているところを打ち消すような
ことは一切言っていないことが認められるので、K修道院の問題があることすら知
らなかったCが、このような被告人の言葉から自分の求める情報が得られるものと
考え、被告人に高規格道路に関する本件請託をし、金員を贈ったとしても、なんら
不自然、不合理であるとは認められない。この点に関する所論も採用の限りでな
い。
 3 次に、前記1の「1」の所論に戻って検討する。
 所論は、国が公共事業に必要な土地を取得する場合には、いわゆる実勢価格で買
い取るものであり、道路を含め、公共事業用地を買い占め、国に高く買い取らせる
ことは、現在の取引の実情に照らし実現不可能であるというのである。
 しかし、実勢価格自体が公共事業の実施予定地を公表した後に跳ね上がることは
しばしばみられるところであり、道路事業についても、ルートの内定段階から環境
アセスメントの手続、整備計画の申請・承認、事業化予算の要求、そして買収と進
むまでには、相当の期間が経過することが考えられるので、この間に実勢価格自体
が相当程度上昇することも十分にありうることである。しかも、平成元年八月とい
う時期は、いわゆるバブル景気のさなかにあって金あまり現象も見られ、土地買収
のための融資もどんどん行われ、土地の価格は通常の土地であってもまだまだ上が
り続けるものと信じられていた時期であるので、Cが道路予定地について二倍程度
の値上がりや転売益を期待することは、決して不自然ではなかったということがで
きる。
 4 所論1の「2」の点について検討する。もとより、H周辺の道路予定地をそ
の公表前に買い占めることが相当に困難であることはいうまでもない。まず、道路
予定地の買占めを行うためには、道路予定地が内定した段階で内報を受け、それが
公表される前に買占めを行うなり、少なくとも、手金等をうって土地を押さえる程
度のことはしておかなければならないが、内定から公表までの期間は、それほど長
いものではないし、土地買収に当たっても、国土利用計画法(以下、国土法とい
う。)の届出が必要であって、その際に、その土地が道路予定地であることが判明
すれば、種々のチェックを受けることも覚悟しなければならない。更に、Cがいう
ように、この土地をゴルフ場用地として買収しようとすれば、国土法の届出だけで
はなく、地元自治体との事前協議も必要となってくるのであり、その際に、相当の
行政指導を受けることも必至である。
 しかし、Cにおいて被告人の長官在任中にH周辺の道路予定地が内定すると考え
ていたことは、前述のとおりであるし、同人は、高規格道路のルートの内定から公
表までの期間を、数か月から一年ぐらいと見込んでいたというのであって(原審第
一二回公判八六四丁)、この見通し自体特に不合理であるとはいいがたく、C1に
おいて全力を挙げて用地買収に取りかかれば、この期間内でも相当程度の土地を買
収あるいは買収予定ということで押さえることができたと思われる。そして、C
は、道路予定地をゴルフ場用地として買収することを考えていたものの、右の期間
内に地元自治体との協議が整わなければ、資産保有ということで、国土法の届出を
して買収するつもりであったというのであるから、この期間内に土地買収を行うこ
とが不可能であったともいいがたい。
 所論は、地元自治体としては、事前協議の過程でゴルフ場用地が高規格道路予定
地に抵触することを知ったならば、ゴルフ場開発に必要な許認可の申請を受理しな
い措置を取るなど、道路計画に支障にならないような行政指導を当然行うことにな
るから、高規格道路予定地をゴルフ場用地として買収することは実際上不可能であ
る旨主張する。
 しかし、この点については、原判決が同第二の六の2において、詳細に判示する
とおりであり、当裁判所としても、大筋においてこの判断を是認することができ
る。Cは、北海道開発庁長官たる被告人の権限を高く評価し、これに期待するとこ
ろ大であったので、地元自治体との事前協議等についても、被告人の種々の影響力
に期待して問題解決を楽観的に考えたとしても、決して不自然ではないと思われ
る。
 所論は、更に、この原判決を論難し、
 「原判決が指摘するように、ゴルフ場開発業者が高規格道路予定地と抵触する土
地を国に売却することに同意したとしても、その同意は実勢価格で国に売却するこ
とを同意したものでなければ国としては認めることはできず、Cが証言するように
取得価格の倍の価格で売るような同意では国にとって到底受け入れられるものでは
ない。」
 旨主張する。
 しかし、この点は、検察官が答弁書において反論するとおりであって、地方自治
体がゴルフ場開発事業と国の道路事業との抵触を懸念して行政指導の形でゴルフ場
開発業者を指導するにしても、事前協議の段階で国への転売価格にまで介入するこ
とは考えられないところである。Cにしても、実勢価格の二倍で売ろうとしていた
わけではなく、あくまで取得価格の二倍ということを一つの目安にしていたにすぎ
ないので、地価高騰期の当時にあっては、国がルート公表前の地価の二倍程度の価
格で買い取ることもないとはいいがたく、Cが実現不可能なことを企図していたと
いうことはできない。したがって、原判決の事実認定には、所論が論難するような
著しい経験則違反があるとは認められない。
 そもそも、高規格道路予定地の買占めのもくろみは、被告人に対する請託の動機
であるが、そうだとすると、客観的な実現可能性もさることながら、C自身が買占
めを実現可能と考えていたかどうかという主観面が問題となってくるのである。C
は、Hの購入にもみられるように、事業の展開に当たって多分に思い付きやその場
の閃きで事を決するところがあり、とりわけ、道路予定地の買占めのような一獲千
金のチャンスにおいては、実現に困難が伴おうとも、これに賭けることは十分考え
られるところである。したがって、道路予定地の買占めや国への高額転売が客観的
に困難であるからといって、そのことから直ちに、Cにおいて買占めや国への転売
を考えるはずはないとも言い切れないのである。
 5 最後に一の「4」の所論について検討する。結論から述べれば、この点につ
いても、原判決の判示するところは相当であり、所論は採用の限りでない。
 所論は、まず、「高速道路の道路部分だけの幅員はせいぜい二〇~三〇メートル
であり、のり面まで入れなければ出てこない幅一〇〇メートルという数字をCが頭
に抱いたはずがない」として、「幅一〇〇メートル」という数字を検察官の誘導に
よって作り上げられた机上の空論とするが、都市部と違って、平野部やなだらかな
丘陵地帯においては、高速道路も基本的には高架構造をとることなく、切り土又は
盛り土による場合が多いことはむしろ常識であり、「Cが頭に抱いたはずがない」
と決めつける弁護人らの主張はいささか論証を欠くきらいがある。そして、当審証
人Pの供述によれば、函館・江差自動車道の道幅は、切り土で約一六〇メートル、
盛り土で約一四〇メートルというのであるから、Cが試算した一〇〇メートルとい
う数字はむしろ控え目なものといってもよいのである。
 また、「長さ四キロメートル」という点についても、確かに、弁護人らが主張す
るように、H周辺の現地の地勢・地形を考えれば、このような土地の買収は事実上
不可能であろうが、原判決も判示するように、Cは、現地に当てはめた具体的な買
収計画としてこのような数字を述べたわけではなく、転売益を計算するための一つ
の目安というにすぎないし、Cは、ゴルフ場と一体となった周辺の開発地域を含め
てこの数字を想定したというのであるから、これまた所論がいうほど不自然なもの
とはいいがたい(なお、Cは、当審において、四キロメートルという数字を出した
根拠として、一八ホールのゴルフ場のコースの長さが約七〇〇〇メートル、行って
帰って半分として全長が最大で約三・五キロメートル、それに取り付け道路や周辺
の開発予定地を加えて約四キロメートルという数字を想定した旨供述する。このよ
うな目安の付け方自体は、試算方法としてそれほど不当なものとも思われな
い。)。したがって、「長さ四キロメートル、幅一〇〇メートル」にわたる土地を
国に転売し、約一億二〇〇〇万円の差益を得るつもりであったとするC証言は、非
現実的であり信用できないとする所論は、必ずしもそうだとは言い切れないのであ
る(もっとも、Cにおいて、高規格道路がゴルフ場の建設予定地の真ん中を通れば
よいと思ったとしている点は、いささか理解しにくいところである。しかし、同人
のそもそもの発想は、道路予定地の買占めに対する非難をかわすために、道路予定
地をゴルフ場用地の中に包み込んで買収しようというものであり、名門コースと呼
ばれるようなゴルフ場であっても、ゴルフ場内に高速道路が通っている例をいくつ
も知っていたことから、その点をあまり意に介さず、むしろ、道路予定地の買占め
を目立たないようにするためには、ゴルフ場用地の中を高規格道路が通っていた方
がよいという趣旨に解されるのである。そうだとすれば、この点に関するC証言に
いささか強弁的なものが感じられるにしても、非常識な証言というほどのものでは
ないと思われる。)。
 6 以上のとおりであって、所論全般を通じて検討しても、Cが道路予定地を買
い占め、それを国に転売する目的で、被告人に高規格道路の通過予定地の内報を請
託したという原判決の認定は、首肯できるところであって、別段不自然、不合理な
点はみあたらず、弁護人らの主張は容れることができない。
 (請託に対応する働きかけの有無について)
 所論は、被告人のN地政課長に対する質問がCの請託を裏付けるものとはいえな
いというのであるが、この点については、既に判示したとおりであって、弁護人ら
の主張は理由がない。
 また、弁護人らの主張は、Cの請託に対応する被告人の働きかけがないことか
ら、請託の事実自体がなかったことを導き出そうとするものであるが、請託を受
け、これを承諾した者が頼まれたことを実行しないこともあり得るところであっ
て、請託に対応する被告人の行為がないからといって、直ちに、請託自体がなかっ
たという結論が出るものではない。C証言によれば、「M」での請託の際も、被告
人は幾分ためらい気味であったというのであるし(原審第八回公判五二八丁)、C
としても、高規格道路の正確な通過ルートや場所についての情報を内々に提供する
ということは、北海道開発庁長官としての立場を利用したり、その任務に反するこ
とになるので、その実行となると躊躇するのではないかという不安を持ったので、
大臣取りの資金とは別に、更に二〇〇〇万円を贈ることにしたというのである(同
五三四丁)。被告人の態度には、このような不安をCに感じさせるものがあったと
いうことができる。時期的にみても、請託の当時は、L1疑惑でF2内閣が倒れて
間もないころであり、政治家、高級官僚の高額の収賄や特定企業との癒着等が世人
の厳しい批判にさらされていた時期であるので、老練な政治家である被告人がCか
ら供与された金員を受け取りつつも、北海道開発庁長官としての職務に反するよう
な請託事項については、口ではやると言いながらそれに対応する行動をとらないこ
とも十分考えられるところである(なお、後述のBの件については、請託の趣旨に
沿う被告人の行為が数多くみうけられるのに対し、高規格道路に関する件について
は、請託に応ずる行為がほとんどみられないというのも、この点から説明できると
いってよい。)。「請託があったとすれば、それに対応する被告人の行為があるは
ずだ」とする弁護人らの立論は、「被告人は請託を受けたことを必ず実行する」と
いう前提に立って初めて認められるものであるが、その前提自体にいささか疑問が
あり、所論は失当というほかない。
 (C1内部における請託に対応する動きについて)
 1 所論は、Cは、被告人に対する請託と併行して、C6に対し、高規格道路の
調査をするよう指示した旨証言し、C6もこれに沿う内容の証言をしているが、C
6において高規格道路の調査をした事実は認められず、その他C1内部においてC
の請託に対応する動きがないことからみても、C証言には信用性がない旨主張す
る。
 しかし、この点についてのC証言を要約すると、「平成元年八月中旬、被告人に
大臣就任祝いの席で依頼をした前後ころ、C4営業所長のC6にもHの近くを通る
高規格道路の路線について調査を指示したことがある、C6からの報告によると、
現地で調査をしてきたが、具体的な情報が得られないということであり、併せてそ
ちらで長官に内々に教えてもらってはどうかと進言してきた、それで、長官の方に
はC自身の方から頼んである、現地は現地で調査を続けるよう返事をした。」とい
うのであり、C6の証言もこれに合致し、両証言とも具体的であり、特に不自然、
不合理な点は見当たらないといってよい。
 そして、C6が自ら上磯町役場に出向き、あるいは、部下のC9やC10を出向
かせて高規格道路の調査を行っていたことは、右C10の証言のほか、同町建設部
都市建設課長をしていたI2の「C6は度々上磯町役場に出入りしていた、同人か
ら高規格道路の進捗状況を尋ねられたり、ルートを教えてほしいと聞かれたことが
ある」旨の検察官調書(なお、同人の証言中にもこれに近い供述がある。)や同じ
く同町企画調整課長をしていたI3の「元同町職員のC10が役場に出入りし、高
規格道路のルートを尋ねるなどしていた」旨の証言及び未確定情報としてではある
が、右C10がI3課長から高規格道路の予定路線等を記入した図面を入手してい
ることなどによって、十分に裏付けられているということができる。
 2 弁護人らは、C10がI3課長から入手した右図面について、かなりの確度
の高い情報であったとし、この情報がCの手元に届いていなかったことは、Cが高
規格道路のルートの調査をC6に指示していなかったこと、ひいては、Cが高規格
道路のルートに関心をもっていなかったことを示すものである旨主張する。
 しかし、C10証言によれば、この図面は、I3課長が縮尺五万分の一の上磯町
管内図に、「決して建設部から得た情報でもないし、どう変わるか分からない。た
だ、こんなことが予想される」と言って、フリーハンドで線を引いたものであっ
て、Cが期待していた成果表に比べてあまりにも粗略であり、このようなものが高
規格道路の建設予定地の買占めやゴルフ場用地の決定に役立つものとは認められ
ず、同人がこの図面をあえてC6に示すことなく、口頭での報告に終わらせたこと
も、なんら異とするには足りない(なお、弁護人らは、「C10からC6に対しI
3図面に基づく報告がなされたことが認められる」旨主張するが、C10証言によ
れば、この図面をC6に見せた記憶はなく、口頭では報告しているが、それもまだ
決まっていないという程度のものであったというのである。)。
 弁護人らは、「CがI3図面を見ていればその時点でCはゴルフ場用地として道
路予定地を買占める計画を断念するか、あるいはあくまで買占めを考えたとすれば
Cにおいて既に決まっていたゴルフ場予定地をその時点で変更するなり一時白紙に
するなりの策を講じていなければならなくなる」として、この図面を高く評価する
が、右にも述べたとおり、この図面は、Cにそのような重大な方針転換を決断させ
るだけの正確な情報であるとは到底認められず、所論は失当というほかない。
 (上磯町リゾート開発計画の進捗状況と請託の時期について)
 1 所論は、「原判決は、二〇〇〇万円の供与があった平成元年八月当時は、ま
だゴルフ場開発について調査も済んでおらず、このような時期にCがゴルフ場開発
にかこつけた高規格道路の予定地買収を具体的に考えるはずはないとの弁護人の主
張を無視している」というのである。
 しかし、関係証拠によれば、Cがこの時期ゴルフ場開発を既定の方針と考えてい
たことは明らかである。
 Cとしては、Hを視察し、その庭園としてのよさやそこからの眺望に感嘆し、そ
の購入を決断したのであるが、H単体では、いかにこれを復元してみたところで、
事業として成り立たないことは十分承知しており、ホテルやゴルフ場の建設はHの
買収を決めた当初から視野に入れていたことである。平成元年六月下旬に、Hのほ
か、その周辺の土地を含めて購入するということで、Jとの間に覚書を交わし、同
年七月には、これらの土地につき、国土法に基づく土地売買の届出書も提出し、更
に、このリゾート開発のために、同月一級建築士の前記C9をC4営業所の建設部
長として迎え入れ、同じく七月にC4営業所C11分室を、同年八月C12分室を
それぞれ開設し、C6にも、同人が同月上旬に上京した際、C7開発部長から、九
月に入ったら一〇〇町歩ほどの後背地について本格的な地上げ作業に入るので、今
から準備をしておくようにという指示を与えており、同人も、ゴルフ場の開発に備
えて、C4営業所の人員を強化し、上磯町役場とのパイプ役として前記C10を採
用し、九月に入ってからは早速地権者調査等を開始しているのである。このような
状況からすれば、同年八月の時点でCがゴルフ場開発とからめて高規格道路予定地
の買占めを考えたとみても、時期的にはなんの不思議もなく、弁護人らの主張は理
由がない。
 2 また、所論は、上磯町リゾート開発計画は、平成元年一〇月ころには事実上
中断し、同二年五月から再度地権者との交渉が始められ、同年六月H改修工事の起
工式が行われたのは、Hを担保としてQから借入れを行うために、ゴルフ場開発計
画が進展しているかのごとき外観を作出しただけであって、平成元年一〇月以降に
おいて高規格道路に関する請託が行われるはずはない旨主張する。
 しかし、木古内町のリゾート開発のために人手をさかれ、進捗状況に遅れをみせ
ていたにしても、上磯町リゾート総合開発事業が凍結されていた事実がないこと
は、原判示のとおりである。同年一〇月以降も引き続き、現地社員らによって、地
権者調査や同意書取付けの下準備、町役場からの情報収集等の作業が続けられてい
たことは、C4営業所、C12及びC11分室の関係者らがこぞって証言するとこ
ろである。同年九月ころから増強された現地社員たちがその日から即戦力になるわ
けもなく、そのうえ、現地社員のトップであるC6の指導力にも問題があり、方針
に一貫性がなく、担当者をしばしば入れ替えたりしたことから効率的な業務活動が
できず、この間、目立った成果を上げていないにしても、平成二年五月まで上磯町
リゾート総合開発事業が凍結されていたとみることは困難というほかない。そもそ
も、現地サイドが上磯町の開発事業を凍結するなどということは、本社からの明確
な指示があって、初めて許されることであるが、かかる指示は全くなく、ただ、平
成二年二月施行の衆議院議員選挙に出馬した被告人の選挙応援に本格的に協力する
ようにという指示があったため、平成元年一二月ころから同二年二月ころまでの
間、多くの現地社員が被告人の選挙の応援にかり出され、営業所や分室の業務活動
に多大の支障を与えたというにすぎず、同年三月ころからは、現地社員らも再び上
磯町リゾート総合開発事業等の業務に戻っているのである。このほか、ゴルフ場用
地の買収に活躍するはずのIがシルバーセンター建設に対するC1の消極的な姿勢
を感じとって離反し、加えてC12分室長のC13までが競合関係に立つJ1側に
寝返り、これらの者がC1の同意取付け作業を妨害したことも、両名が上磯町議会
議員であっただけに、大きな痛手となっていたことは否定できない(なお、検察官
が答弁書で指摘するように、右両名の妨害活動があったことも、C1がゴルフ場開
発事業を本気で行おうとしていたことの一つの証左とみることができる。)。これ
らが原因となって、平成元年一〇月ころから同二年五月ころまでの間の上磯町リゾ
ート総合開発事業に作業上の遅れはみられるものの、所論主張のように、開発事業
を凍結をしていたという事実は認められないというべきである。所論は失当という
ほかない。
 3 なお、弁護人らは、もしCが上磯でのゴルフ場開発を本当に計画していたと
すれば、まず同人が被告人に依頼すべきことは、許認可に関し大きな裁量権を持つ
町当局への働きかけでなければならない旨主張する。
 しかし、関係証拠によれば、Cは、この点についても早々と被告人に口添えを依
頼しており、被告人もこの要請に応えていることが明らかである。すなわち、C
は、H視察後、被告人を訪ね、「I1町長からもHの復元については頼まれている
が、今後こちらからも上磯町に対してお願いの筋が出てくると思うので、その節は
どうかよろしく。」との依頼をし、被告人も、同年七月に同町長が被告人の事務所
を訪ねた際に、「C1がHやその周辺でリゾート開発をしているようだが、町とし
ても出来るだけ協力してやってくれ。」という趣旨のことを話しているし、更に、
長官就任後も同町長に電話をかけ、「C1がそっちへ行ってやっているから、よろ
しく頼む。」と伝えているのである。そして、この「よろしく頼む」というのは、
C1が上磯町で開発をやっているから、よろしく面倒をみてやってくれという趣旨
であることは、同町長も、十分理解しているところである。そのほか、被告人は、
平成元年九月の上磯町での被告人の長官就任祝賀会、同二年一月のC12分室の披
露パーティー、同年六月のHの改修工事の起工式等でも、「C1は鉄骨加工では日
本でも有数の会社だ、上磯町でリゾート開発をやっている、みんなも協力してやっ
てほしい。」などと、上磯町の幹部職員らも出席しているところで、C1のための
挨拶をしているのである。こういったことから、Cにおいて、それ以上の依頼を重
ねてしなかったとしても、なんら不思議はない。この点の所論も理由がない。
 4 最後に、平成二年五月以降の現地での開発事業の活発化が、弁護人らの主張
するように、Qから融資を仰ぐためのシェスチュアであるかどうかについて検討す
る。つまり、CがHを買収したのは、本心からその復元やその周辺でのゴルフ場開
発を考えていたためではなく、それらしい外観を作り出して付加価値を高め、ノン
バンク等から多額の融資を引き出すための手段にすぎないかどうかという点であ
る。この点は、Cが終始一貫して詐欺的商法を継統してきた虚業家(控訴趣意書一
九八頁)であるかどうかということとも関連する。
 確かに、Cの経営姿勢については、資金入手の関係で詐欺的手段も取られていた
こと、放漫経営の批判を免れないこと、事業の展開についても、地価の高騰を前提
とした極めて杜撰な計画しか持ち合わせていなかったこと等の諸点を指摘できる
し、その不動産開発事業の実態をみても、取得物件を担保にノンバンク等から取得
価格を上回る多額の融資を受けている例が多くみられ、Hにしても、一億二〇〇〇
万円で購入した土地に一五億円の根抵当権が付けられていることは事実である。し
かし、バブル期にあっては、このような事業経営は、ゴルフ場開発等に多くみられ
たところであり、自己資金を持たないままに、すべてを借入金に頼って大型不動産
開発事業に進出したC1にとっても避けられないところであったということができ
る。ただ、その中でも、C1は、仕掛かり案件を安く手に入れては比較的短期間に
仕上げるという方法で、いくつかの事業を成功させていることも事実であり、Rゴ
ルフクラブやR1カントリークラブについては、会員権の販売にまで漕ぎつけてい
るし、R2カントリークラブについても、開発許可をとり、会員権募集の直前にま
で達していたのである。これらの点からすれば、C1は、借入金を返済するために
更に借入を重ね、次第に累積債務を増大させ、結局は、倒産を余儀なくされ、Cに
しても、放漫経営によりC1を倒産させた経営者として批判を受けなければならな
いが、その反面、Cを虚業家と決めつけ、同人の手がけていた事業のすべてを虚業
とみることも相当でないといわざるをえない。
 H周辺の開発事業にしても、これを担保に供するまでにC1がついやした手間ひ
まや人件費等の経費は相当のものであり、どうみても、付加価値を付けるためだけ
のジェスチュアであったとは考えられない(これが融資を受けるためのジェスチュ
アだとすると、Cは、まだ海のものとも山のものとも定まらない木古内町のリゾー
ト開発のために人手を取られ、Hに付加価値を付ける作業を遅らせていたことにな
り、はなはだ不合理な態度をとったことになる。)。
 更に、Cの原審及び当審証言、その他関係証拠によれば、C1は、A公庫から右
開発事業に対する融資を受けるためにHとその周辺の土地を相当期間無担保のまま
に確保していたことが認められ、Qに対し別途申し込んでいた三〇億円の融資との
関係から、平成二年五月になって、増し担保を要求され、これらの土地を提供する
ことになったものの、それまでこの土地を温存してきたことは上磯町リゾート総合
開発事業に対するCの熱意を裏書きするものということができる。また、これらの
土地に一五億円の根抵当権を付けたのも、C1のそれまでの開発の進み具合を評価
したQ側の判断であって、Cの方からこれを担保に一五億円の融資を申し込んだも
のでないことも明らかである。しかも、同社の融資が行われたのは、同年五月二八
日前のことであるから、同年六月以降にC1が地権者との交渉を再開したり、H復
元工事の起工式を行ったりしたことが、所論のいうように、Qから一五億円を借り
入れるためのジェスチュアでないことも自明のことといってよい。C1は、この融
資を受けたのちも、開発同意の取付けに全力を上げ、地権者に対する説明会を開催
し、遺跡関係の発掘調査等も行っているのであって、これらに照らすと、資金不足
から地上げ作業も停滞し、結果的には、挫折したものの、Cは、終始上磯町リゾー
ト総合開発計画の実現を目指していたと認められる。
 5 なお、弁護人らは、C1が当時北海道で進めていたS開発計画、S1新工
場、aのエアカーゴ基地構想、b市のS2ホテル計画についてCが被告人になんら
依頼をしていないのは不自然である旨主張し、原判決がこの疑問になんら答えるこ
となく請託の事実を認定したのは、経験則に著しく反するものであると論難する。
 しかし、被告人に依頼をするかどうかは、それぞれの案件ごとに考えるべきこと
であり、Cが北海道で手がけている他の案件すべてについて被告人に依頼をせず、
Hの開発事業や高規格道路の件に限って依頼をしたとしても、別段不自然とはいえ
ないし(Bについても、依頼をしているのであって、まさに案件ごとの判断であ
る。)、C証言によれば、他の案件、例えば、エアカーゴ基地の話は計画段階で没
になっていたし、木古内のリゾート開発はC1の方が町や町長から逆に頼まれてい
たので、これらについては、被告人に特に依頼する必要を感じなかったというので
あるから、別段不自然なところはない。原判決が弁護人らのこのような主張に対し
て明示的な判断を示すことなく請託の事実を認定しても、著しく経験則に反するも
のといえないことはいうまでもない。
(結論)
 以上のとおりであるから、被告人に高規格道路の通過ルートの内報を請託して金
員を供与したというC証言は、十分信用できるものであり、この事実を認定した原
判決にはなんらの事実誤認もない。
 三 A公庫に関する請託について
 1 原判決は、(犯罪事実)第二において、A公庫に関する請託の事実を認定す
るが、この認定の主たる証拠となったC証言は、おおよそ次のとおりである。
 「1」 平成元年八月下旬、「M1」における宴席でCが被告人にC1が計画し
ているHの復元及びホテルの建設事業がA公庫の融資の対象になるかどうかを尋ね
たところ、被告人からこれらの事業の費用はA公庫の融資の対象になるという返事
を得た。それで、Cが融資の申請をしたら速やかに融資を行ってもらえるよう依頼
したところ、被告人は、「A公庫は開発庁の中にある身内のようなものだから、お
れに任しておけ。」と言ってくれた。
 「2」 同年一〇月下旬ころ、Cが「M1」において、被告人に改めてA公庫へ
の融資の申請をしたときには、できるだけ早く審査し、融通を利かして、融資を早
く実行してくれるようにA公庫に指示してほしい旨の依頼をしたところ、被告人
は、「分かった、公庫については任しておけ。」と言って引き受けてくれた(同第
九回公判五七九丁)。
 「3」 同月末に被告人に五〇〇万円を渡したその数日後、M2において、被告
人から合計六〇〇〇万円の資金援助の要請をされた際、Cが「これまで私がお願い
してることについては、C1のためにきちんとしてくださいよ。」と言ったとこ
ろ、被告人は、「分かった、分かった、ちゃんとやる。」という趣旨のことを言っ
た(同五八三丁)。
 「4」 同年一二月中旬ころ、C1の事務所で、被告人に一五〇〇万円を供与し
た際、Cが「私のお願いしていることについては、C1のためにちゃんとやってく
ださいよ。」と念押しをしたところ、被告人が「上磯は道路の件やったなあ。」な
どと言っていたので、「公庫の件もありますからね。」と言うと、被告人は、「あ
あ、分かってる、公庫の総裁や副総裁はよく知っているので、いつでもちゃんとや
ってやる。」と言ってくれた。それで、Cが被告人に、「公庫については、うちの
段取りが遅れているので急ぎませんが、融資申請をしたらいつでも出してもらえる
ように根回しだけはしておいてくださいよ。」と依頼すると、被告人は、「公庫は
ちゃんとやってやるから。」と言ってくれた。
 2 所論は、このC証言について、平成元年八月中旬の「M」及び同月下旬の
「M1」での宴席で高規格道路に関する請託を行い、二〇〇〇万円を被告人に供与
したというC証言が真実であるとすれば、Cの意識としては、遅くとも右「M1」
での宴席までにはゴルフ場開発計画が既定のものになっていなければならない、そ
うだとすれば、右1の「1」のA公庫に関する請託もゴルフ場開発をも含めたもの
になるのが自然である、それにもかかわらず、第一回目の請託において、Hの復元
とホテルの建設事業だけに限定して請託したというのは、高規格道路に関する請託
の証言と矛盾し不自然である旨主張する。
 しかし、この所論は、いささか形式論に走った議論であるといわざるをえない。
すなわち、高規格道路の通過予定地についての内報は、それが確度の高いものであ
る限り、早ければ早いほどよいのであって、なにもゴルフ場開発についての事前協
議や開発許可をまつ必要はないのに対し、ゴルフ場開発事業について融資の申請を
するには、開発許可を得るための手続がある程度進行し、用地買収についても、C
1の準備や態勢が整っていなければならないことはいうまでもない。そして、Cの
原審及び当審証言によれば、同人は、ある程度の地権者の同意をとりまとめ、事前
協議に入ったあたりを申請時期と考えていたと認められるが、Hの後背地の地権者
や地積等の調査が進んだのは平成元年九月に入ってからのことであり、同年八月の
段階ではゴルフ場の用地買収に入るだけの準備がまだ整っていなかったため、同人
としては、上磯町リゾート総合開発事業全体に対して融資を申請することは全く頭
になかったというのである。このように、高規格道路の予定地を内報することとA
公庫の融資に関して同公庫に働きかけることとは、同じゴルフ場開発事業に関連し
ているとはいえ、問題の局面が全く違うのであるから、請託の時期が異なってくる
ことも当然であり、前者の件を請託しながら、後者の件を請託しなかったとして
も、なんら矛盾はない。所論は採用の限りでない。
 3 次に、所論は、C証言によれば、同人は、同年八月下旬に右1の「1」の請
託をしたものの、Hの復元とホテルの建設事業だけではなく、上磯町リゾート総合
開発計画全体についての融資を受けたいと考え、融資の申請を一旦見合わせ、同年
一〇月下旬の「M1」での宴席で、上磯町リゾート総合開発計画全体について同
「2」の請託をしたというのであるが、この間、Hの復元やホテルの建設について
もなんら具体的なプランは作られておらず、融資の申請を見合わせたといえるよう
な段階ではなかったし、仮にCが上磯町リゾート総合開発計画全体への融資を考え
たとしても、何故Hの復元とホテルの建設事業への融資の申請を見合わせなければ
ならなかったか合理的な説明がなされていない、むしろ、早くHの復元とホテルの
建設事業だけでも融資を受けてC1の実績を作っておく方が将来のリゾート総合開
発計画全体の融資にとってもメリットがあると考えるのが常識的であって、この意
味からもC証言は不自然である旨主張する。
 しかし、関係証拠によれば、Hについては、平成元年六月末にJとの間で売買に
関する覚え書が取り交され、同年七月二八日には、北海道知事に国土法に基づく土
地売買の届出をするなど、着々と段取りが進行していたことが認められ、同年八月
段階では、ホテルの建設についてまだ具体的なプラン等は出来上がっていなかった
ものの、C1の当初の計画では、ホテルの建設をゴルフ場建設より優先させてお
り、Cにおいても、復元工事の見積もりとホテルの概算ができたら、その辺から動
こうと考え、申請の時期としては三か月ぐらい先を考えていたというのであるか
ら、この時期に、これらの事業の融資のために、A公庫に対する働きかけを被告人
に請託したとしても、時期的に格別不自然、不合理であるとは認められない。これ
に対し、ゴルフ場開発事業の方は、前述したように、まだ融資を申請するだけの準
備が整っていなかったのであるから、この八月段階で、Cがゴルフ場開発について
は被告人にA公庫に対する働きかけを請託しなかったとしても、なんの不思議もな
いのである。
 また、Cは、右に述べたように、Hの復元とホテル建設事業に対する融資の申請
をするには、三か月ぐらいの準備期間を要すると考えていたのであるから、「見合
わせた」とはいっても、いつでも申請できる状態にあったものを出さなかったわけ
ではなく、申請手続の準備がまだ整わないうちに、九月に入ってゴルフ場開発関係
の作業も予想以上の進捗ぶりをみせたので、この際、両者を一緒にして上磯町リゾ
ート総合開発事業として融資の申請をしようと考えるようになったというのが実態
といってよい。八月下旬の請託と一〇月下旬の請託との間にはわずか二か月の期間
しかないことを考えれば、この点に関するCの原審及び当審証言は、このように解
するのが自然である。
 更に、Cにしてみれば、Hの復元とホテルの建設だけでは一五、六億円ぐらいの
融資が限度であるのに対し、上磯町リゾート総合開発事業全体ともなれば、一三〇
億円から一四〇億円の事業計画となって、そのうち一〇〇億円から一二〇億円の融
資を受けることを期待していたのであるから、小口の融資の申請を先行させ、その
あとから大口の融資の申請を出すより、最初から上磯町リゾート総合開発事業全体
について大枠の融資の申請をした方がよいと判断したとしても、それなりに納得の
いくところである。この点は、所詮、当事者の状況判断の問題であって、Cが所論
のような考え方をしなかったからといって、不自然であるとはいえない。
 4 所論は、Cが上磯町リゾート総合開発計画全体に対する融資を受けるために
Hの復元とホテルの建設事業に対する融資の申請を見合わせたことが事実であると
すれば、このとき上磯町リゾート総合開発計画、とりわけ、その中核となるゴルフ
場開発がA公庫の融資対象となるとの確証がCにあったことになる、しかし、C証
言において、平成元年八月下旬の宴席で被告人に聞いたとされるのは、Hの復元と
ホテルの建設事業がA公庫の融資対象となるかということだけであり、ゴルフ場開
発が融資対象になるかは一言も触れられていない、また、C1内部においても、平
成元年八月から同年一〇月にかけてA公庫の融資基準が調査された事実もなく、C
は何の確証もないまま、不確定要素が高く、実際の申請がいつになるか見当のつか
ないゴルフ場開発のために、Hの復元とホテルの建設事業に対する融資申請をわざ
わざ見送ったことになり、この点でもC証言には合理性がない旨主張する。
 しかし、先にも述べたように、平成元年八月下旬の請託のときには、ゴルフ場開
発の準備はほとんど進んでおらず、Cも、これについてA公庫の融資を受けること
を全く考えていなかったのであるから、その際、ゴルフ場開発が同公庫の融資の対
象となるかどうかを被告人に確かめなかったとしてもなんら不思議はなく、九月以
降ゴルフ場開発関係の作業が比較的順調に進んできたことから、一〇月時点で、C
がゴルフ場関係も含めて上磯町リゾート総合開発事業全体について融資の申請を考
えたのも自然の成り行きであったということができる。もっとも、この八月から一
〇月にかけての間に、C1内部でA公庫の融資基準について十分な調査をし、ゴル
フ場開発事業がA公庫の融資の対象となるという確証を得たうえで被告人に請託し
たとも思われないが、Cは、Hの復元とホテルの建設について請託したときにも、
これらの事業がA公庫の融資対象になるかどうかについて、自分で特段の調査をす
ることなく、まず被告人に尋ね、被告人が融資の対象になると教えてくれたこと
で、請託しているのであるから、一〇月下旬の際にも、これと同様、被告人に尋ね
て、上磯町リゾート総合開発事業全体が融資の対象になると聞いて請託したとして
も、なんら異とするには足りない。特に、Cは、かねがね被告人から北海道開発庁
長官の権限の絶大さについて、「北海道開発庁長官というのは北海道における総理
大臣のようなもので、北海道開発局の人事権は全部自分が握っている」、「A公庫
は開発庁の中にある身内のようなものだ」などと聞かされていたうえ、被告人は、
北海道開発行政については極めて精通していたので(被告人は、北海道選出議員と
いうにとどまらず、北海道開発庁政務次官を二度にわたって務め、昭和五二年以降
数次にわたって北海道開発審議会委員に任じられている。)、その被告人から上磯
町リゾート総合開発事業全体ということで引き受けてもらった以上、C1の計画し
ている会員制のゴルフクラブであっても、融資の対象になると思ったのは至極当然
といってよい(Cは、「G長官から融資の対象になるよということを聞いて、これ
は間違いなく融資が受けられると思ったということですか。」という弁護人の問い
に対し、「そうですね。」と答え、「会員制のゴルフクラブでも間違いないと思っ
たわけですか。」という重ねての問いに対しては、「それは、もう長官すよ。」と
答えている。同第一二回公判八五九丁)。
 もっとも、この証言だけでは、Cが会員制のゴルフ場についてどのような問題意
識を持っていたのかが判然としないが(客観的には、A公庫法一九条六号に基づく
事業指定の中には、「国際観光ホテル業及び国際観光旅館並びに観光レクリエーシ
ョン施設整備事業」が入っており、これには、A公庫の内達で、ゴルフ場整備事業
も含まれるとされているが、それは、パブリックのゴルフ場に限られ、しかも、地
方公共団体等において策定される観光レクリエーション整備計画等に基づき第三セ
クターによって整備されるものという絞りがついているので、C1が計画していた
ゴルフ場では、この基準にかなうことは極めて難しかったということがてき
る。)、Cの当審証言によれば、同人は、A公庫の内達を見たことはなく、同公庫
の融資の対象となるゴルフ場が第三セクターによるパブリックのゴルフ場に限定さ
れていることは知らなかった、したがって、被告人に対しても、その点を意識的に
確かめつつ上磯町リゾート総合開発事業が融資の対象になるかどうかを尋ねたわけ
ではないが、被告人には従前ゴルフ場開発についてもいろいろ話をしており、その
事業内容を承知している被告人が開発事業全体としても融資の対象になると言って
くれたので、問題ないと思った、というのである。このCの当審証言は、同人の原
審証言と決して矛盾するものではないし、その証言態度からみても、十分信用でき
るものである。したがって、請託時の被告人の言から、ゴルフ場を含めて開発事業
全体が融資の対象となると信じたというC証言は全体として信用できるのであっ
て、これを不自然として排斥することはできない。また、上磯町リゾート総合開発
事業に対する融資の申請ともなれば、現実の融資申請はまだ先のことになるので、
請託の時点で、CないしC1がA公庫の融資基準等について細かく調査をしていな
くとも、不合理であるとはいえない。結局、所論は理由がない。
 5 所論は、Cの請託内容の不自然、不合理な点として、
 「1」 請託の対象が上磯での開発案件だけであること
 「2」 C1関係者に請託に対応する動きがないこと
 「3」 請託に対応する被告人の働きかけの行為がないこと
 「4」 C1がA公庫に対して融資の申請をしていないこと
 を指摘する。
 そこで、これらの点について検討するに、まず、「1」の点については、確かに
木古内町での開発計画は、同町との第三セクター方式であるので、この点からいえ
ば、A公庫の融資を受けやすい面があることは否定できないが、この開発案件につ
いてC6が木古内町長のTと会ったのが同年一一月中旬ころであり、同町長が上京
してCとトップ会談を行い、正式にC1の進出が決まったのは更にその後であっ
て、上磯町での開発計画に比べて相当遅れた事業計画であるうえ、第三セクターの
話も、町当局が開発に失敗したときの責任問題等を懸念して相当躊躇し、町とC1
の間で第三セクター設立に関する覚え書が取り交されたのは平成二年二月に入って
からのことであった(しかも、町長がこの覚え書を町議会に諮ったところ、議員の
間に異論も出て、第三セクター設立の合意書が木古内町とC1の間で調印されたの
は、これより更に遅れた同年一一月のことである。)。したがって、Cが平成元年
八月ないし一〇月の段階でHの復元等の事業や上磯町リゾート総合開発事業を対象
にA公庫の融資を考えたことは、しごく自然であって、この点になんの不審もない
といってよい。しかも、一企業が一度にいくつもの開発案件についてA公庫の融資
を受けられるはずもなく、上磯町リゾート総合開発事業について融資の申請を考え
ていたCが木古内町での後発案件について融資の申請を考えなかったことも当然で
あるし、Cの当審証言によれば、同人は、前述のように、A公庫の融資の対象ゴル
フ場が第三セクターによるパブリックのゴルフ場に限られていることを知らなかっ
たのであるから、同人が上磯町リゾート総合開発事業から木古内町のリゾート開発
事業に融資申請の対象を切り替えようとしなかったこともなんら不思議でない。
 また、C1のS1新工場の建設については、Cは、地域整備振興公団の産炭地域
振興資金等の融資を受けることを考えていたというのであるから、これについて、
被告人になんらの請託もしなかったとしても、これまた不自然な点はないのであ
る。所論は採用の限りでない。
 次に、「2」の所論について検討する。
 所論は、要するに、上磯町リゾート総合開発計画に携わったC1の関係者に、C
が証言するようなA公庫に関する請託に整合する動きがないことも、原判示のよう
な請託がなかったことを裏付けるものである、というのである。
 しかし、C6証言及び同人作成のC7開発部長あての報告書(甲一五四資料一
一)等の証拠によれば、「1」平成元年九月初めころ、C7からC6に対して、今
後出先が担当する開発プロジェクトについては、各出先が地元金融機関から事業資
金の融資を受けられるようしてほしいという指示があったこと、「2」これを受け
て、C6も、地元のQ1銀行Q2支店と折衝し、上磯町を中心とする地域開発につ
いて協力してもらえることになったが、詳しくは事業計画をみたうえで検討すると
いうことになったこと、「3」このようなQ1銀行との折衝と同時に、C6は、A
公庫からの融資を考え、同年九月ころ、Cに、A公庫の融資について、被告人にお
願いしてみてはどうかと進言したところ、Cも、これに賛意を示したこと、「4」
C6は、A公庫から融資を受けてはどうかという話をC7開発部長にも上げ、同年
一〇月か一一月ころ、これに関する資料をC7開発部長に送っていること、「5」
C6は、同年一一月か一二月ころにC1のC12分室で被告人が時事ジャーナルの
社長と対談をしたときにも、被告人にA公庫のことで早晩御紹介を賜りたい旨の依
頼をしていること等の事実が認められ、これらによれば、必ずしもCの請託に応ず
る動きがC1内部になかったとはいえない。
 所論は、C7の指示は、挨拶に来る地元の金融機関と付き合いをしておくように
という程度のものにすぎない旨主張するが、前記報告書によれば、C6は、Q1銀
行Q2支店とかなり具体的な交渉をしており、用地等の買収費については、融資は
受けられないが、造成費については考えてもらえるということで、五〇億円といっ
た希望を述べ、あらためて相談に乗ってもらうことにしたというのであって、決し
て付き合いのための儀礼的な訪問にとどまるものとは認められない。
 また、所論は、C7証言によれば、CからC7開発部長に対し、A公庫の資料を
取り寄せるよう指示があったのは、平成二年一月に入ってからであり、C6から資
料が送られてきたのは同年三月というのであるから、このC7証言に照らしても、
右のC6証言は信用できない旨主張する。
 しかし、C6証言によれば、被告人が長官就任早々に、東北か北海道か論議を呼
んでいたA公庫の事務所をA1にもってきたので(もっとも、A1だけではなく、
同時にA2支店A3事務所も開設されているようである。)、その力を借りること
を考えつき、平成元年九月ころCに進言し、同年一〇月か一一月に資料を送ったと
いうのであって、時期的にも、この流れの方が自然であって、信用性は高いという
ことができる。他方、Cは、平成元年一二月中旬の段階では、既に作業の段取りの
遅れから、この件については急がない旨を被告人に伝えており、また、被告人の選
挙の応援に忙殺されていた平成二年一月の段階で、C7開発部長に資料取寄せの指
示をするというのもいささか不自然である。しかも、A公庫のA1事務所とC1の
C12分室とは同じビル内にあるのであるから、もし、C7からC6に対して資料
取寄せの指示があったとしたら、C6も直ちにその資料を同公庫からもらって本社
に送付するはずであって、二か月も放置するとは考えにくく、結局、この点に関す
るC7証言は、時期の点に記憶違いがあるとみざるをえない。「2」の点に関する
所論も理由がない。
 「3」の点に関する所論は、Cの証言するような請託がなかったことは、被告人
において、Cの請託に見合うようなA公庫に対する働きかけがないことからも明白
である、というのである。
 しかし、前述したように、Cは、平成元年一二月中旬の段階で、作業の段取りの
遅れ等から、A公庫の融資の申請はまだ困難とみて、被告人にも、A公庫について
は段取りが遅れているので急がない旨を伝えており、その後も、準備の遅れから申
請を出すまでに至らなかったのであるから、被告人の請託に対応する動きがないか
らといって、請託がなかったことを推認せしめるものではない。それどころか、関
係証拠によれば、被告人は、平成二年二月二六日赤坂の料亭「M3」で開かれた被
告人の主催による北海道開発庁、A公庫等の幹部を招いての宴席にCを参加させて
いるのである。そして、C証言によれば、その席上、被告人は、Cを被告人の後援
会幹部として紹介し、更に、A公庫総裁や北海道開発庁の事務次官等にもCがC1
の副社長で若いけどやり手であること、C1は鉄骨に関しては日本一であること、
北海道でも事業を行っており、公庫と同じビルに営業所を持っていることなどを話
し、今後なにかと世話になることがあると思うのでよろしく頼む旨口添えをした事
実が認められる。Cから多額の現金をもらっている被告人が、このような半ば公的
な宴席に北海道で開発事業を手がけるCを参加させ、かかる口添えをした事実自
体、前記請託の存在を強く窺わせるということができる。
 所論は、このC証言をありうる話ではない旨反駁し、被告人の供述を援用して、
CはたまたまUを同行することになったためその場に同席したにすぎない旨主張す
るが、Uを連れてくるだけであれば誰でもよいことであるのに、それをあえてCに
頼んだというのは、同人自身をこの宴席に出席させることが目的であったと認めら
れ、検察官も指摘するように、CがC1の実質的経営者であり、被告人にそれまで
に一億円以上の資金を提供している人物であることからしても、被告人の供述は到
底信用できるものではない。
 また、このような官庁幹部を集めての宴席に、UやCのような部外者を参加さ
せ、しかも、被告人の後援会とはそりがあわず、別個に被告人の選挙応援をしてい
たCを、被告人の供述するところによっても(原審第四三回公判三三五六丁)、わ
ざわざ後援会の代表として紹介するという非常識な行為に出ているであるから、そ
の被告人がC証言にあるような紹介や口添えをするということも、決してあり得な
い話ではない。したがって、このような被告人の行為からも、C証言の信用性は裏
付けられているとした原判示は相当であり、なんら不自然、不合理なものではな
い。
 最後に、「4」の所論について検討する。確かに、C1がA公庫に対し、融資の
申をしなかったことは所論指摘のとおりである。しかし、開発事業全体に対してA
公庫の融資を受けることは、もともと条件的にみて厳しいものであったうえ、平成
元年一二月からは被告人の選挙応援にC1全体が忙殺され、また、先に述べたよう
な諸事情からゴルフ場用地の同意取付け作業にも相当の遅れもみられ、申請の準備
が整わないうちにC1の倒産という事態になったと認められるので、A公庫に対す
る融資の申請が出されなかったとしても、それが直ちに請託がなかったことの証左
になるものではない。しかも、Cの当審証言によれば、長期かつ低利の融資である
公庫融資はなんといってもC1にとって魅力であり、同人としても、A公庫からの
融資を受けるためにHとその周辺の土地はなんとかして無担保のまま残しておきた
いと考え、C1の苦しい金繰りの中にあっても、平成二年五月末までこれを担保に
供することなく確保していたことが認められ(平成元年一〇月に所有権移転登記手
続がとられているので、これ以降は担保に供することは可能であった。)、A公庫
の融資を受けたいとする同人の気持ちが一通りのものでなかったことを示してい
る。
 6 以上のとおりであるから、「被告人は、CからC1が上磯町におけるリゾー
ト総合開発事業に関してA公庫に融資の申請をした際には便宜な取り計らいが受け
られるように同公庫に働き掛けることの請託を受けた」旨認定した原判決の事実認
定にはなんの事実誤認もない。
 四 Bに関する請託について
 (本件請託に関するC証言)
 原判決は、(犯罪事実)第二において、Bに関する請託の事実を認定するが、こ
の認定の主たる証拠となったC証言は、おおよそ次のとおりである(なお、請託に
至る経緯については、後述する。)。
 「1」 平成元年一〇月中旬、Cは、北海道開発庁長官室に被告人を訪ね、「札
幌市や札幌商工会議所に働きかけをして、B建設の事業主体となる第三セクターに
D5グループが参加できるようにしてもらいたい、Bの建設予定場所や時期につい
て内々に知らせてもらいたい、C1がBで使用する鉄骨工事を受注できるよう札幌
市や札幌商工会議所に働きかけてもらいたい」旨請託し、被告人から、B建設事業
については、積極的に推進し、インフラ整備予算も付けるといった一般的な協力約
束を得たほか、請託の件についても、「それはおれが話をちゃんとつけるから」、
「調べて分かったら教える。」、「分かった、ちゃんとやってやる。」などという
返事を得てこれを引き受けてもらった。
 「2」 同月中旬ころ、C1側からC、C8、D側からD1常務取締役、D2常
務取締役、それに被告人が出席した「M3」での宴席で、Cが両社を代表して、被
告人に「Bの建設場所、時期、規模等の情報を内々に教えてもらいたい、Dを第三
セクターに参画させるようにしてほしい」旨重ねて請託し、最後に北海道開発庁の
B計画担当者に引き合わせをしてほしいという依頼をした。これに対し、被告人
は、「調べて分かり次第教える、ちゃんと話をつける、近いうちに北海道開発庁長
官室で開発庁の計画担当者と引き合わせをしてやる。」などと答え、右の依頼を受
諾した。
 「3」 同月末に被告人に五〇〇万円を渡したその数日後、Cは、M2ホテル
で、被告人から事務所経費や借金の明細書等の書類を渡され、先に渡した五〇〇万
円を含む三〇〇〇万円を一一月中に、選挙までの一二月と一月にそれぞれ一五〇〇
万円ずつ合計六〇〇〇万円の資金援助を要請された際、被告人に「これまで私がお
願いしていることについてはC1のためにきちんとやってください。」と言ったと
ころ、被告人は、「分かった、分かった、ちゃんとやる。」と答えた。
 「4」 同年一二月中旬ころ、Cは、C1の事務所に一五〇〇万円を受取りにき
た被告人に対し、前同様の念押しをし、「Bの件もありますよ。札幌市や札幌商工
会議所にちゃんと話をして、Dを入れるようにしてくださいよ。」などと言ったと
ころ、被告人は、「建設場所はまだ分からない、分かり次第知らせる、幌市や札幌
商工会議所についてはいずれおれが話をつけに行ってくる。」などと答えた。
 「5」 平成二年一月二〇日ころ、Cは、C1C4営業所C12分室の応接室で
被告人に約束の一五〇〇万円を渡した際にも、被告人に「高規格道路やBの件につ
いてちゃんとやってくださいよ。」と念押しをしたところ、被告人は、「分かっ
た、分かった、ちゃんとやるから。」とこれに答えた。
 (C証言を裏付ける他の証拠について)
 1 右に挙げたC証言は、いずれも具体的かつ詳細であって、迫真性があること
は原判示のとおりであるが、このほか、これに符合するD1、D2らDの関係者及
びC1のC8の各証言があり、これらがC証言を裏付けていることも否定しがたい
ところである。
 更に、被告人のE4事務所の所長であるE5の証言も、この点に関する裏付け証
拠として付加することができる。すなわち、同人は、被告人が北海道開発庁長官に
なったのちの平成元年秋ころ、被告人から「C1からBに関していろいろ頼まれて
いる」、「C1がBの件に関して事業概要や建設予定地を知りたがっている」、
「C1とD3が事業に参加したがっている」などと聞いている旨証言し、検察官か
ら、右供述が検察官調書で述べていることに比べてあいまいになっている点を指摘
されるや、Bの建設予定地がどこになるか調べてほしいとC1が被告人に依頼して
いる事実もあったと思う旨供述を改めているのである。
 2 また、Cの請託の趣旨に沿うとみられる被告人の数多くの行為が存在するこ
とも、原判示のとおりである。原判決の摘示する被告人の行為を、若干の補足を加
えて再録すると、次のとおりである。
 「1」 平成元年一〇月ないし一一月ころ、C1のC8及びDのD1を北海道開
発庁のN2計画監理官に引き合わせていること(原判決は、この時期を同年一一月
とするが、N2証言によれば、同年秋ころ、C8証言によれば、「M3」での二回
目の会合の数日後というのであるから、同年一〇月ないし一一月ころとみた方が妥
当である。)
 「2」 その前後のころ、同長官室において、右N2計画監理官とN3総務監理
官に対し、Bについて北海道開発庁として何か支援できることはないかと質問し、
B建設に積極的な関心を示していること
 「3」 同年一二月中旬ころ、C1の設営によって北海道開発庁においてプロ野
球関係者であるV及びWと対談し、その中で、国としても、B建設を可能な限り支
援する旨の発言をしていること
 「4」 同月一八日、札幌商工会議所に赴き、B推進会議(以下、推進会議とい
う。)の常任理事として事務局の総括責任者の立場にある同会議所のX専務理事に
対し、Bの建設事業の進捗状況や建設予定地を尋ねたうえ、北海道開発庁として
も、Bの建設には是非協力したいので、何か要望事項があれば申し出てほしい旨発
言し、B周辺の開発整備について協力したいという者がいるので、いずれ紹介する
旨を伝えていること
 「5」 同月二四日、Xが上京した際、北海道開発庁の長官室で、C1及びDの
関係者をXに引き合わせていること
 「6」 平成二年一月九日、C6に指示してC1の会社の概要をXに対して説明
させたうえ、一一日、C6と共に、札幌商工会議所にXを訪問し、北海道開発庁と
してB建設に全面的に協力することを重ねて約束するとともに、Dが第三セクター
に参加でき、C1も鉄骨関連工事を受注できるように依頼し、その際、XにBの建
設予定地が決定したかどうかを尋ねていること
 「7」 北海道開発庁長官を退任する直前の同年二月二六日、北海道開発庁やA
公庫の幹部等を招いた「M3」における慰労会の席上にCを出席させたうえ、同人
を後援会の幹部として列席者に紹介し、A公庫総裁に前記三の5に判示したような
口添えをしたほか、他の北海道開発庁の幹部らにも同様の引き合わせをしているこ

 「8」 同年三月三〇日、再びC6と共に札幌商工会議所にXを訪ね、Bの建設
場所が決定したかどうかを尋ねたほか、後任長官にもBの件は引き継いであり、後
任長官も協力すると約束してくれた旨を右Xに伝え、上京の際には、DやC1と連
絡を取ってほしいなどと話していること
 これらの事実がC証言の信用性を裏付けるものであることはいうまでもない。
 3 所論は、原判決がCの請託を裏付けるものとした被告人の右2の「1」ない
し「8」の行為について、「2」のN3らに対する質問は、平成元年一〇月中旬こ
ろの「M3」での会合でBの話が出たことも頭にあってのごく自然な質問であり、
「1」、「5」のN2監理官やX専務理事にC1とDの関係者を引き合わせた事実
も被告人が国会議員である政治家として普段から広く陳情してくる知人を気安く関
係機関に紹介していた従前からの扱いと異なるところはなく、「3」のVらとの対
談も、若い選挙民にアピールする企画にすぎず、その対談の際に、被告人が国とし
てもB建設を可能な限り支援する考えを示したことも、国会議員にありがちな選挙
民向けのオーバーなリップサービスにすぎない旨主張する。
 しかしながら、C証言によると、同人は、前記「M3」での会合において、被告
人に、北海道開発庁のB計画担当者に引き合わせてほしい旨依頼したところ、被告
人もこれを承知し、「近いうちに北海道開発庁長官室で、開発庁の計画担当者と引
き合わせをしてやる。」という約束をしてくれたというのであって、それから間も
ない前記「1」の長官室での引き合わせがこの依頼に基づくものであることは、疑
う余地のないところである。そして、このように、現職の北海道開発庁長官である
被告人が、北海道で開発事業を手がけているC1のCから依頼されてこれを承諾
し、他方において、自分の方でも事務所経費の援助を求め、長官室で自分の部下で
ある幹部職員を引き合わせているのであるから、このような行為が単なる国会議員
である政治家としての陳情処理にとどまるものでないことはいうまでもない。同様
に、「7」の会合に部外者であるCを参加させ、出席者らに紹介し北海道開発庁の
幹部らに引き合わせ、口添えをした行為が単なる国会議員なり、政治家としての紹
介行為にとどまるものでないことは、この会合が被告人の北海道開発庁(及び沖縄
開発庁)長官としての、幹部職員を招いての慰労会、お別れ会であることからみて
も明らかである。また、「2」の質問も、N3監理官あるいはN2監理官が説明し
た事項に関する質問というのではなく、被告人の方から切り出した質問であるほ
か、「Bにつき北海道開発庁としても何か支援することがあるかどうか、あるとす
ればどういうことか。」という内容の質問であって、積極性を帯びたものであり、
これを聞いたN3、N2両監理官とも、被告人がB計画の促進に関心を持っている
と受けとめ、部下にB計画の検討の進捗状況をよく押さえておくよう指示している
のである。これからすれば、その後、被告人から再度の質問がなかったとしても、
この質問は、両監理官の長官に対するレクチュアの際の単なる話題にとどまるもの
ではなく、前記「M3」等での請託があっての質問と考えざるをえず、請託の事実
を裏付けるものといってよい。「3」のVらとの対談にしても、確かに、被告人の
選挙民にアピールするための企画としての一面があることは考えられるが、他面、
Cにとっても、北海道開発庁長官に新聞紙上でB建設への協力を約束させるという
好都合の企画であって、被告人がそのことを十分承知しながら、C1サイドの設営
のもとに、このような対談をしている以上、前記請託の趣旨に沿う行為とみていっ
こうに差し支えないのである。
 「4」、「5」、「6」、「8」のX専務理事にC1やDの関係者を紹介し、C
6をしてC1の事業内容を説明させ、あるいは、被告人みずから札幌商工会議所に
Xを訪ねて、Bの建設予定地を尋ねたり、Dを第三セクターに参入させてほしい、
C1も工事の方で協力したいなどと依頼する行為が、その行為の頻繁さからいって
も、その質問や依頼の内容がCの証言する請託事項と合致することからみても、C
の請託に沿う行為であることは明らかというべきである。所論も、「普通の陳情処
理」にすぎないという以上、Cの陳情(依頼)に応ずる行為であることは認める趣
旨と思われるが、その時期にCから多額の金員供与がなされているのであるから、
被告人のこれらの行為を金員供与を伴う依頼に基づくものとみることは、ごく自然
であるといってよい。所論は、全く理由がない。
 4 また、所論は、「1」X専務理事は単に推進会議の事務局長をやっていた事
務方の人間にすぎず、Cらが被告人に札幌市長等に働きかけるよう依頼した事実が
ないことは、Bに関する請託の事実がなかったことを推測させる、「2」DのD2
常務は、C1のC8専務に早急に詳しい資料を入手するよう依頼したというのに、
同人から平成二年になっても何の資料も受け取っていないし、平成二年三月にわざ
わざ札幌に赴いてX専務理事に会った際にも、当時候補地として有力視されていた
Y駅跡地やY1学園地区の現地視察すらしていないが、このようなD2らの行動か
らすれば、B構想は、D2にとっても、同社のD4社長にとっても、数ある開発情
報の一つにすぎなかった、というのである。
 まず、「1」の点についてみると、確かに、被告人のB建設計画の関係者らに対
する働きかけは、もっぱらX専務理事相手であって、札幌市長、助役、企画調整局
長等市の幹部に対する働きかけがないことは、弁護人らの指摘するとおりであり、
Cが被告人に対してこれらの者を紹介してくれと頼んでいないことも同様である
(C1のC8も、X専務理事を紹介してもらうのは有り難かったが、札幌市の市
長、助役等を先に紹介してほしいというのが本音だったと供述する。原審第一四回
公判一一一九丁)。しかし、X専務理事は、札幌市の厚生局長や交通事業管理者を
務めた経験を有し、札幌市との間に太いパイプを通じているうえ、北海道商工会議
所連合会専務理事も兼ねているのであって、会頭、副会頭が非常勤であることも考
え合わせると、専務理事としての同人の実権やこの計画推進に当たって果たしてき
た役割を軽視することは相当でない(なお、控訴趣意書一四〇頁は、Xを推進会議
の事務局長とするが、事務局長はX1であって、Xは、その上に立つ事務方の最高
責任者である。)。しかも、請託の当時は、推進会議のぺースでことが進んでいる
時期でもあったので、Cらが、本音としては市の幹部等を紹介してほしかったにし
ても、大臣である被告人がともかく請託の趣旨に沿って動いてくれている以上、そ
うとやかく注文を付けるわけにもいかず、当面、被告人からX専務理事を紹介して
もらったことでよしとし、同人のルートを通じて建設予定地を探り、あるいは、D
の第三セクター参入を進めようとしたとしても、格別不自然なところはない。ま
た、被告人としても、札幌市当局に対する働きかけともなれば、慎重になるのは当
然であり、札幌市長などに働きかけるといった深入りを避け、じっこんであり、か
つ、紹介しても差し障りのないX専務理事を相手にすることでお茶を濁そうとする
ことも十分に考えられるところである。更に、被告人の供述によれば、Bは何分自
分の選挙区外のことで、陳情を受けたこともなく、やはり関心の度は薄かったとい
うのであるから(原審第四二回公判三三七四丁)、自分の選挙に忙殺されていた被
告人がこの程度の働きかけにとどまったこともごく自然であったということができ
る。これらの諸点を総合すれば、所論指摘の点も、原判決の認定をなんら左右する
ものではない。
 「2」の点についても、B建設計画がDにとって数ある開発情報の一つにとどま
るものでないことは、この話が北海道開発庁長官を交えての話であることからも明
らかであり、同社の熱意については、被告人自身、「大変積極的だというような印
象を受けました。」、「やる気があるんだなという印象を受けました。」と認める
だけのものがあったということができる。また、推進会議の最終提案書の発表が平
成二年春にずれ込んだこともあって、B建設事業への参画を具体的に検討するに足
るだけの資料を入手することが容易でないことは、D側としても十分理解していた
と思われるので、「C8が資料集めの努力をしていないとは思っていなかった。」
というD2常務の受けとめ方も別段不自然であるとはいいがたく、同常務が札幌に
赴いた際に建設候補地を視察しなかったことも、Dの積極的姿勢を否定することに
つながるものではない。
 (「M3」等での請託について)
 所論は、原判示の平成元年一〇月中旬ころの「M3」での請託について、Cが芸
者やD2、D1といった贈賄事件の「証人」となり得る人の前で、原審が認定した
ように、被告人に「違法な行為」をするよう請託したと考えるのは、条理に反する
旨主張する。
 しかし、Bに関する請託は、その日に初めてなされたものではなく、この日の会
合は、かねてからC1とD、Cと被告人との間で十分話し合われてきたことの確認
の場であったのである。したがって、この日の請託も、従前の話し合いを踏まえて
行われ、話の舞台も遠い北海道のことであり、第三セクター、インフラ、周辺開発
といった専門的ともいえるような用語の入り交じった話であって、芸者の興味を惹
くようなものでもないし、初めて聞く芸者が多少聞いたぐらいで、そう簡単に理解
できるものでもない。しかも、その席で現金の授受をするわけでもなく、謝礼の話
など金に絡む話は一切出ていなかったのであるから、右の請託が芸者の同席する宴
席で行われたからといってそれほど不自然であるとはいえない。また、D2やD1
らは、C1と協力者の関係にあり、Dの第三セクター参入については、被告人の影
響力が大きくものをいうことを十分承知していたのであるから、被告人に対する請
託の場に立ち会わせても、これらの者から機密が漏れたり、ましてや、贈賄事件の
証人になるかもしれないなどと懸念する必要はなかったといってよい。
 所論は、「違法な行為」を依頼するのであれば、「内々に」行うはずであるの
に、この「M3」での話が「内々に」行われた様子はない旨主張するが、この宴席
の目的は、もともとDの関係者の前で、同社の直接利益になるような話をして、被
告人にそのことを引き受けてもらうことにあったのであるから(だからこそ、C
は、この席では、B関連の鉄骨工事をC1が受注できるようにしてもらいたいとい
う話は、出さなかったという。原審第九回公判五七七丁)、Dの人たちに聞かせる
ことに意義があり、これらの者に聞こえないよう、「内々に」すべき話ではないの
である。この宴席に同席したC8、D1、D2らの証言内容等も、所論がいうよう
な不自然なものであるとか、非常識なものであるとは認めがたく、検察官調書の記
載と原審公判での供述に多少の違いがあったとしても、原判決の認定をなんら左右
するものではない。むしろ、C8、D2、D1らの各証言は、それぞれ具体的であ
って、供述内容もごく自然であり、D2、D1については、その第三者的立場から
しても、十分に信用できるというべきである。したがって、Cが、この席で被告人
に対し、Bの建設場所等の内報やDを第三セクターに参加させることについて請託
したことに、別段不自然、不合理な点があるとは認められず、所論は理由がない。
 (弁護人らが主張するCの被告人利用の意図)
 所論は、被告人は、Dの関係者とBの話をし、また、Bに関して実際にN2計画
監理官やX専務理事を紹介しているが、これは、被告人においてCの意図するとこ
ろを十分に察知できず利用されたものである、すなわち、Cは、C1のバックに北
海道開発庁長官である被告人がついていることを誇示し、それによりC1の信用を
高め、Dとのパイプを太くしようと考え、「M3」での一回目の会合に被告人を同
席させたものである、その席でBの話がなされ、Dがこの話に更に関心を持った機
会をとらえ、Cは、同社から多額の金員を引き出すために被告人を利用することを
考え、「M3」での二回目の会合を持ち、被告人に北海道開発庁の担当者等を紹介
するよう依頼した、つまり、Cは、N2監理官やX専務理事を、Dに対して「Bに
ついて積極的に進めている」ようにみせかけるための、いわば小道具に使ったもの
である、というのである。
 しかし、CがBの建設に関連して、土地の買占めを図り、Dを第三セクターに参
入させ、B関連の鉄骨工事をC1が受注することを真剣に考えていたことは、関係
証拠から明らかであり、弁護人らの所論は、十分な証拠に基づかないでCの意図を
憶測するものというほかない。そもそも、Dの融資の方針は、案件第一、担保中心
というものであって、C1のバックに被告人がついているからといって、そう簡単
に融資に応じてくれるほど甘いものではなく、同社のD4社長も、被告人を紹介さ
れたことがC1を評価するうえでプラスになっていることはない旨明言する(原審
第三六回公判二八一九丁)。現に、平成元年一〇月以降のDのC1に対する融資の
状況をみても、同年一〇月三〇日の四五億円はRゴルフクラブ関係のもの、同年一
二月五日の三〇億円はR1カントリークラブ関係のもの、平成二年四月六日の四五
億円はR3カントリークラブ関係のものであって、それぞれ案件中心、担保主導の
融資とみることができる(平成二年五月三〇日の一〇〇億円は、従前の借入金の借
替分である。)。したがって、Cが所論のような意図から被告人をDの関係者らに
紹介したり、被告人を利用してN2監理官やX専務理事を小道具に使ったとは到底
認めがたい。所論は失当というほかない。
 (北海道開発庁長官の任期とBの実現可能性)
 1 所論の検討に入る前に、まず、関係証拠によって、B建設計画の推移をみて
おくこととする。
 「1」 札幌市においては、昭和六二年ころから、市民の間に大規模な全天候型
スポーツ施設(通称B)を建設しようとする動きが見られ、札幌市商工会議所内に
は、「Bの会」が設置された。札幌市においても、内部的な検討が始められ、昭和
六三年三月に策定された同市の第三次長期総合計画には、多様なイベントが開催で
きる全天候型スポーツ施設の建設を促進するという形で、右の構想が盛り込まれ
た。
 「2」 これを受けて、札幌商工会議所を中心に更にB建設の機運は高まり、こ
れを実現するための会議を作ろうとする動きが見られ、同年一二月二三日にB推進
会議が設立された。
 「3」 札幌市においては、その後も具体的な検討を続けてきたが、同年一一月
にホワトBの建設に関する内部的検討を一応まとめ、関係局長会議、助役説明を経
て、同月二一日、市長・助役会議に報告がなされた。
 その報告によると、事業の手法としては、第三セクター方式を相当とし、建設費
一五〇億円のうち一〇〇億円を第三セクターの自己資金とし、札幌市が用地(用地
取得費四〇億円)を提供することのほか、右第三セクターへの出資金一〇〇億円の
うちの五〇億円を拠出することとなっていた。建設のスケジュールとしては、昭和
六四年一二月に研究報告書提出、同六五年一月第三セクター発足、同年度中に基本
設計及び実施設計完了、同六六年四月着工、同六八年三月竣工の予定であった。
 そして、この市長・助役会議の結論として、札幌市としても推進会議に主体的に
参加すること、推進会議の負担金五〇〇万円を明年度(平成元年度)予算に計上す
ること、市にB構想専任の職員をおくことが決められ、B建設に積極的であった当
時のX2札幌市長は、自分の市長任期とのかねあいもあって、このスケジュールを
一年ぐらい早めてもよいというほどの熱意を示していた。
 「4」 かくして、前述のとおり、昭和六三年一二月二三日に推進会議が設立さ
れ、その会長にはX3札幌商工会議所会頭が、総括的責任者である常任理事には、
札幌商工会議所のX専務理事が、事務局長には札幌商工会議所のX1常務理事がそ
れぞれ就任し、市側からも、顧問としてX2市長が、五人の副会長のうちの一人と
してX4助役が、理事としてX5企画調整局長がそれぞれ参加し、総合企画、機
能、構造、事業運営の各専門委員会にも委員を送り込み、市と推進会議との連携の
ために市職員のX6が全天候型多目的施設構想担当(平成元年四月からは、企画部
B構想主幹)として、専任でこれに携わることとなった。
 「5」 推進会議の検討作業は順調に進み、平成元年五月二〇日、中間報告書を
北海道知事及び札幌市長に提出した。この中間報告書は、事業の手法として、第三
セクター方式をとり、Bの建設予定地として、東札幌駅貨物ヤード跡地のほか、Y
1学園関連地区、Y2処理場跡地、cのY3東側隣接地区の四か所を候補に挙げ、
Bの建設費用として、固定式で二一九億円と算出していた。
 「6」 同年五月二四日、推進会議のX7事務局次長や市のX6主幹らがこの中
間報告書を持って上京し、北海道開発庁にB建設計画の説明と陳情を行った。そし
て、このころには、推進会議は、建設予定地を一本に絞り込んだ最終提案書を年内
に提出する予定で事を進めていた。
 「7」 国においても、既に昭和六三年六月に閣議決定された「第五期北海道総
合開発計画」において、札幌市における大規模な全天候型施設の建設を検討するこ
となどを掲げていたが、北海道開発庁は、右の陳情等から得た感触を踏まえて、平
成元年八月に発表された「平成二年度の北海道総合開発の推進方針」にも、このB
構想を取り上げ、Ⅲ主要施策の推進方針3「安全でゆとりのある地域社会を形成す
る施策の推進」「5」教育・文化、社会基盤の項等に、「札幌において多目的に利
用できる全天候型スポーツ施設の整備を図る」ことを盛り込んだ。
 「8」 以上は、推進会議を中心としたB建設計画の検討状況であるが、この表
面的な動きをみる限りは、進捗状況は極めて順調であり、推進会議内部では、平成
元年一二月に予定されていた最終提案書の提出を若干早めて同年秋にも提出しよう
とする意気込みまでみられた。しかし、X8企画調整局長を中心とする札幌市内部
の水面下の動きはこれとはやや様相を異にするものであった。すなわち、平成元年
四月に札幌市企画調整局長に就任したX8は、同市白石区長時代の経験もあって、
積極派であった前任のX5局長とは違って、かなりB計画には慎重な構えを見せ、
同年五月にX6主幹から中間報告書素案を見せられた際にも、その内容の未成熟さ
を痛感し、まず、中間報告書での建設候補地の序列付けをやめさせ、市長に対する
事前説明でも、X2市長在任中の平成三年四月の着工は困難であることを意見具申
した。そして、同年七月、X6主幹がB建設計画に一途に取り組むあまり、推進会
議と同一歩調になってしまっていることを懸念し、企画調整局企画部のX9をB担
当の副参事に起用したうえ、同人を中心に札幌市内部での水面下の検討を命じ、事
を急ぐ推進会議の動きにブレーキをかけるべく、同年一〇月か一一月ころ、同局長
からX専務理事に対し、同年一二月に予定されていた最終提案書の提出を平成二年
春まで延期するよう要望し、その了承を得た。そして、同年二月に、市内部での検
討結果を次期市長と目されていた桂助役らに報告し、最終提案書においても、建設
予定地を一か所に絞り込むことなく、Y駅跡地とY1学園地区の両論並記にとどめ
させることとし、X専務理事にもその要望を伝え、その結果、その趣旨に沿った最
終提案書が同年四月一〇日推進会議から北海道知事及び札幌市長に提出された。熱
心な積極論者であったX2市長も、このような動きの中から自分の在任中に着工す
ることが到底困難であることを感じ取り、次第に、この問題を後任市長に委ねる態
度を取り始め、平成二年度予算にもB関係予算を盛り込むことなく終わった。
 2 B建設計画に関する推進会議を中心としたおもての動きとX8企画調整局長
を中心とする札幌市内部の水面下の動きは、右に述べたとおりであるが、他方、C
証言を初めとする関係証拠によれば、Cが被告人にBに関する請託をするに至った
経緯は次のとおりである。
 「1」 平成元年九月、被告人を招いての「M1」での宴席て、Cは、被告人か
ら札幌市にBの建設計画があることを教えられ、当時B1建設の責任者であったJ
2取締役のJ3を交渉相手として、その鉄骨製作を受注することに成功した矢先で
あったことから(結果的には、この受注は失敗した。)、このB建設の鉄骨工事も
受注できれば、C1は名実ともに鉄骨の一流メーカーになれると考え、併せて、そ
の建設予定地を他の企業に先駆けて知ることができれば、これを買い占め、転売等
で利益を得ることもできると思い立ち、この思いを同席したC8にも打ち明けた。
そして、早速、C6にも、札幌市にBの建設計画があるのか否か、あるとすればど
ういう計画内容か、調査して報告するよう指示したところ、数日後にC6から電話
で、Bについては、札幌市や札幌商工会議所などが中心となって数年前から第三セ
クター方式で計画を進めていること、建設予定地としては、四か所ほど候補に上が
っているが、まだ、場所や時期についてははっきり決まっていないことなどの報告
を受けた(なお、この段階では、C6から事業規模について金額的なものは知らせ
てこなかったが、Cは、福岡のドームの例からして、二〇〇億円から三〇〇億円ぐ
らいという予測をつけていた。)。
 「2」 Cは、用地の買収等にしても、C1の資金力ではいかんともしがたい問
題であったので、D3を中心とするD5グループに第三セクターに参画してもら
い、その影響力で鉄骨工事を受注し、また、建設予定地や周辺の用地の買収につい
ても、D5グループから融資を受けたいと考え、建設予定地や建設時期などについ
ての内報、D5グループの第三セクターへの参入及びC1の鉄骨受注のための札幌
市や札幌商工会議所への働きかけについては、被告人の北海道開発庁長官としての
力を借りることを企て、まずは、C8からDのD2にこの話を持ちかけさせたとこ
ろ、D側もこの話に乗り気となった。
 「3」 同年九月下旬か一〇月初旬、「M3」でのC1とDとの会合に、被告人
も出席してDのD4社長、D2常務、D1常務と顔を合わせた。宴中、D5グルー
プで建設中のD6ホテルの話から札幌のBの話に移り、被告人がD4社長に対し、
札幌市においても、二、三年前から札幌市や札幌商工会議所が中心となって全天候
型スポーツ施設のBの建設計画を進めているという話をした。そして、この建設事
業については、地元の経済界だけでは力が足りないのでD5グループも参加しない
かと水を向け、北海道開発庁としても、全面的にバックアップしており、周辺のイ
ンフラ整備予算については北海道開発庁がつけるようになっており、その周辺を開
発するだけでも相当な利益が期待できるのではないかといった話をしたところ、同
社長も大臣がそうおっしゃるならと前向きの姿勢を見せた。
 「4」 その後、同年一〇月初旬か中旬ころ、C1の事務所を訪れたDのD2か
らC8にこの第三セクターに参加したい旨の意向が伝えられ、Cも、D2に会っ
て、D側の意向を確認し、逆にC1側の条件をD2に確認させたりしたが、その
際、D2から、J4も札幌市に建設計画の事業計画書や設計図面を提出しているこ
となどを知らされた。
 そして、これらの経過を経て、同年一〇月中旬ころ、北海道開発庁長官室におい
て、また、同月中旬ころ、「M3」において、前記の請託がなされたわけである。
 3 弁護人らの所論は、基本的には、1の点を争うものではなく、2の点につい
て、「被告人の北海道開発庁長官の任期も次期衆議院議員選挙が終了するまでの短
期間のものであったが、その任期中にBの建設の事業主体となる第三セクターが設
立されたり、建設場所が決まる見込みはなかったから、CがB建設計画について被
告人に原判示のような情報提供を請託することはあり得ない」というのであり、か
つ、原審においてもその旨主張したのに対し、原判決の判示するところは、その答
えになっていない、というのである。
 そこで、これに関連する多岐にわたる所論のうち、主要なものについて当裁判所
の判断を示すこととする。
 1 所論は、前記2の「1」に判示した程度の被告人の話やC6から入手した情
報をもとに、「Cが、直ちに、原判決の認定したようなBの建設予定地やその周辺
の土地を買収して利益を得ることや鉄骨工事を受注すること等を「計画」すること
があり得るだろうか。我々の常識からみても、またCの知識経験からみても、断じ
て『否』である。」旨主張する。
 しかし、Cの事業計画が常に交渉相手の信頼性や事業の採算性等について綿密な
調査検討をしたうえで決定されるものでなく、往々にして行動が先行することは、
H買収の事例やこのB1の鉄骨受注の失敗の事例をみても明らかである。Bの建設
事業についても、Cは、被告人に対する請託だけではなく、これと並行して、Bの
建設予定地が決まった場合の買収資金の融資方も既にDに頼んでいるし、このBの
鉄骨受注をあてこんで、昭和六三年一二月に始まっていたS1新工場の建設計画を
一層具体化させ、平成二年六月には、同市との間に工場進出に関する協定書まで取
り交しているのである。したがって、弁護人らの「計画するはずがない」という論
法では、Cが実際に計画し、行動を起こしているという事実をそう簡単に否定しき
れるものではない。
 2 所論は、Bの実現可能性を判断するうえで最も重要な視点は事業の採算性で
あるが、第三セクター方式を取ること自体、公的資金の導入を必要としていたこと
を示しており、B予算が容易に札幌市議会を通過すると考えるのは楽観的に過ぎる
ものである、加えて、収益面でも、Cは、実現可能性の判断に必要な情報をなんら
持っていなかったのであるから、同人が土地買収や鉄骨受注を「計画した」と認定
するのはあまりにも飛躍があり過ぎるもので、「ズサンな、合理性を欠く事実認定
である」としかいいようがない旨主張する。
 確かに、B建設計画は、ムード的には盛り上がっていたものの、現実問題として
は、財政面、採算面で多くの問題を抱えていたことも事実であつて、実現までには
まだまだ相当の紆余曲折が予想されるところであった。しかし、前回の北海道庁の
建設計画は、財政面の難点から凍結を余儀なくされたにしても、今回の計画は、札
幌市が中心となって第三セクター方式でその点をカバーしようとするものであった
し、北海道においては冬季を厳寒多雪の中に過ごすだけに、全天候型スポーツ施設
の建設を求める声は、もともと北海道民、札幌市民の多年の願いともいうべきもの
であった。これに応えるためには、多少の運営上の赤字や市の持ち出しは最初から
覚悟のうえでの計画と認められ(被告人自身、北海道の冬は長いので、採算上少し
は無理しても、公共事業体の持ち出しになっても、道民のために、東京や福岡とま
た別な考えで造らなければならない方針があると思う旨供述する。原審第四二回公
判三三七五丁)、当時はまだバブルの絶頂期であって、札幌市の財政にも余裕があ
ったこと(昭和六三年一一月にまとめられた市の内部的検討においても、財政局長
は、計画にブレーキをかけるどころか、「一つの町を作るぐらいの意気込みでやら
なければ」と逆にハッパをかけていたようである。)、X2市長が熱心な積極論者
であったこと、Q3の無利子融資が長期借入金として期待できたこと、札幌市議会
でも、議員の一部に将来の市の財政負担を懸念する慎重派や建設場所如何によって
は反対に回りかねない者がいたとしても、全体的なムードとしては建設に賛成で、
絶対反対の意見はほとんどなかったこと等の事情からすれば、採算性の問題は、B
建設計画の決定的障害となるものではなかったといってよい。もちろん、Cとして
も、採算性の点が最も問題となることは十分承知していたが、この点は、資金力豊
かなDが数年の間の赤字覚悟で第三セクターに参加するということでクリアできる
と考えていたのであるから、仮にCの見通しが楽観的にすぎたとしても、同人がか
かる見通しのもとに建設予定地周辺の買収や鉄骨工事の受注を計画したことをあり
得ないとか、不自然であるということはできない。所論は、前述のように、原判決
の認定を「ズサンな、合理性を欠く事実認定である」と厳しく論難するが、もし杜
撰というなら、「ズサン」なのは、Cの事業計画自体であって、原判決の事実認定
ではなく、所論は、この点を取り違えているといってよい。
 3 所論は、「平成元年九月のC6の情報では、時期、建設場所は決まっていな
いという話だったが、九月、一〇月と日を追ってB計画は湧きあがってきた。」、
「被告人の話を聞いたときは、もう一、二か月で第三セクターができるという感じ
がした。」旨のC証言(原審第一二回公判八三九~八四〇丁)を不自然であるとす
るが、このC証言の信用性を特に疑うべき理由はないといってよい。すなわち、推
進会議を中心としたおもてに現れた動きを見る限り、平成元年九月から一〇月ころ
までは、推進会議も、年内提出予定の最終報告書の提出期限を更に繰り上げようと
するまでの意気込みを示しており、少なくとも、最終報告書の年内提出は確実視さ
れていたのである。そして、その報告書では、建設予定地が一か所に絞り込まれる
ことが事実上の既定方針として予定されていたうえ、最終報告書が提出されれば、
すぐに第三セクター設立の準備に入っていくことが手順として考えられていたので
あるから(昭和六三年一一月の市の内部検討の結果によっても、昭和六四年一二月
に研究報告書が提出されるのに引き続いて、翌六五年一月には事業主体の設立が予
定されている。)、C6がX2市長の積極方針や札幌商工会議所等を中心としたこ
ういった現地の盛上がりを探知して右のような報告をしたとしても、なんら不思議
はないのである。また、関係証拠によれば、被告人は、平成元年一〇月初旬に「M
3」で開かれたC1とDとの会合で、DにB計画の事業主体となる第三セクターへ
の参加を勧め、北海道開発庁がインフラ整備等の面でこのB建設事業を全面的にバ
ックアップすることなどを話していることが認められるのであって、北海道開発庁
長官からこのような話があれば、Cばかりではなく、関係者誰しも、B建設計画の
実現可能性、しかも、比較的早い時期の計画の本決まりを信じたとしても、なんの
不思議もなく、むしろ、当然のことといってよい(DのD4社長にしても、最初は
すぐにでも、数か月ぐらいで第三セクター設立まで行くんじゃないかという感じを
受けた旨証言する。)。したがって、所論指摘のC証言は、当時の客観的事情とも
合致するものといってよく(札幌市内部の水面下の動きは、おもてに現れたところ
と逆であったが、このような事情は、C1やDの関係者らの知るすべもないことで
ある。)、被告人の話によると、年数をかけて盛り上げてきてなお決まらないの
は、地元財界の力不足にあるということなので、力のあるところが出てくれば、
即、決まると思ったというCの状況判断にしても、別段不自然、不合理な点はな
い。
 4 この点に関連して、所論は、C6から具体的にどのような情報がもたらされ
たのか確たる証拠はなく、第三セクターがBの建設母体になることを調査確認する
のにさえ一か月もかかったと証言するほど悠長な調査をしていた同人がCに右のよ
うな報告をしたとは考えられない旨主張する。しかし、C6の情報は、B建設の機
運が高まりを見せていた当時の客観的情勢にも符合しているうえ、Cは、数日後の
報告を含め、C6から数回報告を受けたと述べ、C6も、指示を受けて直ちに新聞
や雑誌を調べ、数日後にB建設の概要を伝え、その後も引き続き札幌商工会議所の
「開発プロジェクト要綱」や地元のマスコミ関係者にあたるなどの調査をして報告
したというのであって(なお、C6証言やCの当審証言によれば、C6は、札幌市
議会内部や新聞記者等に独自の情報源を持っており、CもC6のこの種情報をかな
り信用していたことが認められる。)、両名の証言内容は合致しており、格別不自
然なところはなく、これらの資料が検察官から証拠として提出されていないからと
いって、その信用性が否定されるものではない。
 5 また、所論は、「C8においても、Cから平成元年一〇月から一~二か月で
第三セクターができると聞いたことはなく、第三セクターの設立は、平成二年早々
よりはずっと遅くなると受けとめていたし、Cも平成三年位という認識だったと証
言している」として、C証言を弾劾するが、Cも、被告人の話をそういうムードで
聞いたと供述するにとどまり、一~二か月で第三セクターができると信じたとまで
証言しているわけではないし、Cの認識についてのC8証言は、正しくは「遅くて
も、平成三年くらいというような認識だったんじゃないでしょうか。」というもの
であり、所論は、この「遅くても」を落として引用している点で不正確であるばか
りか、C8証言によれば、同人は、この点についてCと話をしたこともなく、単な
る自分の推測で右のようなことを述べているにすぎないと認められるので、これに
よって、前記C証言の信用性が左右されるものではない。所論は失当というほかな
い。
 6 所論は、被告人としては、市議会にも反対はあるし、採算面でも大変なこと
は分かっていたので、すぐにということは考えなかったのであるから、「一~二か
月で第三セクターができる」と思わせるような話をするわけがない旨主張し、被告
人も、第三セクターがあと一、二か月あるいは数か月で設立されるといった話をし
た記憶は全くない旨供述する(原審第四二回公判三三九一丁)。しかし、被告人に
しても、市が積極的にやっているので実現することはすると思っていたというので
あるし(原審第四二回公判三三七六丁)、採算面での問題点もB建設事業の絶対的
な支障になると考えていなかったことは、被告人の前記供述から明らかである。そ
して、右に述べたとおり、被告人は、前記「M3」での宴席で、DのD4社長にB
建設事業への参加を誘っているのであるから(被告人はこの事実を否定するが、
C、C8、D1、D2らの証言からみて、明らかな事実といわざるをえない。)、
当然、現実日程にのぼった計画として話をしていることは明らかである(D4の前
記証言参照)。しかも、同年九月二一日には被告人のE6事務所のE7が上京して
被告人に同事務所の資金不足を訴えており、被告人としても、工面のつかないとこ
ろは、Cに援助を求めるしかないと考えていたのであるから(原審第四二回公判被
告人供述三三一七~三三二二丁)、B建設計画についても景気のいい話をして北海
道開発庁長官の権限を誇示し、Cの気を引こうとすることは十分に考えられること
である。したがって、仮に、被告人が内心ではいつ決まるのか分からない話だと思
っていたとしても、Cに「一~二か月で第三セクターができる」と思わせるような
話をすることもあり得ないことではない。所論は、被告人の供述するところをその
まま援用するだけで説得力に乏しく、採用の限りでない。
 7 所論は、Bの建設計画は、平成元年九~一〇月の時点においては、単なる私
的機関である推進会議において検討中であったにすぎず、果たしてそれが実現でき
るか否かは全く不確実であった旨主張するが、推進会議は、前記1の「3」、
「4」に述べたとおり、札幌市が会議の運営に必要な費用を分担し、顧問、理事を
出し、委員を送り込んで主体的、主導的に参加し、そのほかにも、北海道庁、北海
道開発局からも委員等が出ているなど、かなり公的参加の色彩の強い団体であっ
て、決して所論のいうような単なる私的機関ではないのである。そのうえ、推進会
議の各専門委員会に参加した市側の各委員、推進会議の事務局との連携に当たって
いたX6B構想主幹、更には、X8企画調整局長とX専務理事との政治的なパイプ
等によって、同会議は直接、間接に同市の意向から外れないようにコントロールさ
れていたのであって、推進会議の最終提案書が提出されると、形式的には、市がこ
れを受けて検討を開始する建前になっていたものの、実質的には、この提案書に
は、既に市の意向が相当程度盛り込まれているので、市がその提案をゼロから、し
かも、全くのフリーハンドで検討するようなものでなかったことは明らかである
(X6の証言によると、推進会議の提案書の発表があり、それを受けて札幌市の検
討が本格的に始まるというのは、表向きの話であって、実質的には、札幌市内部で
決めてそれを推進会議の提案書に盛り込むことになるというのである。)。したが
って、この推進会議が間もなく最終提案書を提出するという状況にあり、しかも、
その提案書でBの建設候補地が一か所に絞られると予測され、用地が決まれば、第
三セクター設立の準備に入るという段取りであったのであるから、右の当時、B建
設計画の本決まりも間近いと世人に思わせるものがあったといって過言でない。以
上の点を考えると、所論のように、推進会議で検討中であったにすぎないから、実
現できるかどうかは全く不確実であったという断定の仕方は当を得たものではな
く、ましてや、この不確実性を前提にして請託の事実まで否定する所論は、失当と
いうほかない。
 8 以上の検討を踏まえつつ、弁護人らの基本的な所論である「被告人の長官在
任中にBの建設の事業主体となる第三セクターが設立されたり、建設場所が決定さ
れる見込みはなかったから、CがB建設計画について被告人に起訴状記載のような
情報提供を請託することはあり得ない」旨の主張について検討する。
 まず、この所論の疑問点は、所論が、被告人の長官在任中に第三セクターが設立
されたり、Bの建設場所が決定される見込みがなかったのであるから、Cが原判示
のような請託をすることはあり得ない、としている点である。第三セクターの設立
やBの建設場所が正式に決定するまでには、推進会議の最終提案書が提出され、そ
れを市当局で検討し、その後に市長の承認をとり、更に、市長が出資金や用地費等
を計上した予算案を市議会に上程し、その議決を経なければならないので、長期間
を要するのは当然であり、被告人の長官在任中にそこまで実現することははなはだ
困難であるといってよいが、Cが求めていた建設場所に関する情報は、札幌市等の
内部において内定したものの、外部には発表されていない段階のものであって、正
式に決定されたものではないのである。むしろ、市当局が建設予定地を外部に発表
したり、予算案を市議会に上程した段階では、建設場所は既に周知の事実になって
おり、このような情報ではもはや遅きに失し、買占めの役に立たないことは明らか
である。推進会議の当初の予定のとおり、最終提案書で建設候補地を一か所に絞り
込み、しかも、それについて市の内部的了解が得られていれば、そのような情報こ
そまさにCの求める情報であったといえるのであり、提供される時期も、外部に発
表される前のできるだけ早い時期が望ましかったのである。Cの当審証言によれ
ば、同人は、平成元年一〇月当時はまだ推進会議の存在を知らず、これを知ったの
は同年末ころというのであるから、請託時には、同人が求めていた情報をこのよう
な具体的な形で特定していたわけではないが、まさにこの種の情報を求めていたこ
とは、当審公判ではっきり供述するところである。再三述べるように、平成元年一
〇月当時は、年内にも推進会議の最終提案書が発表され、しかも、その中で建設候
補地を一か所に絞った形で提案することが考えられていたのであるし、同年一〇月
か一一月ころに、X8企画調整局長がX専務理事に働きかけて最終提案書の発表を
平成二年春に延期させたことを前提にしても、同年二月ころには、市内部で、その
最終提案書に記載すべき建設候補地について内部決定をする段取りになっていたの
であるから、被告人の長官在任中に被告人がその情報を入手し、Cに内報すること
は可能であったということができる。
 弁護人らは、「原審も、建設場所が事実上内定した段階とは、B推進会議の内部
において建設場所が決定された段階を指すとは、よもや考えていないと思料す
る。」旨主張するが、その根拠とするところは、「これだけの情報で多額の資金を
投入して土地の買い占めにとりかかることは危険すぎる」ということにある。しか
し、Cとしても、B建設予定地やその周辺の土地の買占めを企てる以上、ある程度
の危険が伴うことはもちろん覚悟のうえと思われるし、バブル期のさなかにある当
時の地価高騰の傾向からすれば、土地を買って損をするということはあまり考えら
れていなかったといってよい(ちなみに、昭和六三年一一月当時の市の内部検討の
際には、Y駅跡地を前提に、用地費として、九ヘクタールで四〇億円を見込んでい
たが、平成二年一一月の市の内部検討の際には、一二・五ヘクタールで約一六〇億
円と三倍に値上がりしているのである。もっとも、前者は路線価格、後者は公示価
格によるという違いはある。)。所論は、バブル期の当時の状況や開発業者である
Cの投機心を看過しているきらいがあるといわなければならない。
 また、Dが第三セクターに参入できるよう札幌市や札幌商工会議所等に働きかけ
ることも、第三セクターが設立され、正式に発足してからでは遅いのであって、そ
れ以前の参加企業を募集し、選定するという準備段階でこそ行わなければならない
事柄である。したがって、所論が被告人の長官在任中に第三セクターが設立される
見込みがなければならないことを前提とすること自体問題である。そして、平成元
年一二月に建設候補地を一か所に絞り込んだ最終提案書が推進会議から発表され、
それが市当局の承認を得られたならば、平成二年早々から第三セクター設立の準備
に入ることが予定されていたのであるから、被告人の長官在任中に第三セクター設
立の準備に入る可能性は十分にあったということができる。
 これらの点からすると、原判決が、
 「Cとしては、札幌市等の内部においてBの建設場所が事実上内定した段階にお
いてその情報の提供を受け、また、同市や札幌商工会議所等が第三セクターの出資
企業を選定する以前の段階においてDを出資企業とするあっ旋紹介を受けることが
そのねらいであるから、たとえ、被告人の北海道開発庁長官在任中に第三セクター
が設立されたり、あるいは建設場所の正式決定がなされる見込みがないとしても、
そのためにC証言が信用できないとはいえない」
 と判示しているのはまさに相当であって、弁護人らが「右判示事実を何度読み返
しても、原審が言いたかったことが理解できず、弁護人らの主張に対する反論にな
っていない」と論難するのは、いささか妥当を欠くものというほかない。
 9 なお、所論は、Cにおいて、「第三セクターが一~二か月以内に設立され
る」と認識して請託していたとすれば、同人としては、何の躊躇もなく被告人に約
束した六〇〇〇万円の金員を提供すると考えるのが自然である、Cが「被告人が落
選するとの予測がなされたので、函館市長の動向がはっきりするまで金を渡すわけ
にはいかなかった。」と証言しているのは、Cが次期衆議院議員選挙までにB構想
が具体化されるとは思っていなかったことを露呈するものである旨主張する。
 しかし、C証言によれば、この六〇〇〇万円の金員は、被告人の方から要求して
きたものであって、当初は事務所経費や借金の面倒をみてくれということで総額も
定かでなかったことが明らかである。しかも、事務所経費といったあとを引く話だ
けに、Cとしても二の足を踏んだが、被告人に泣きつかれ、やむなく、これまでに
依頼していること全部についてきちんとやってくれることを条件に承諾したという
のである。したがって、Cにしてみれば、Bだけではなく、高規格道路やA公庫の
こともあり、それらのすべてが必ずしもスケジュールどおりに進むとは限らないこ
とを懸念してのことであるから、Cのかかる態度に所論がいうような矛盾は全くな
いといってよい。
 もとより、被告人に対する請託事項が北海道開発庁長官としての権限に関するも
のである以上、Cとしても、請託に当たっては、被告人の長官としての任期を念頭
においていたことは当然である。Bに関する請託についても、前述のとおり、一応
長官在任中に実現可能と考えていたことが認められるが(なお、C1の鉄骨受注の
点については、第四の3参照)、何分にも短い在任期間であるので、在任中に実現
できなかった場合のことを慮ったとしてもなんら不思議はなく、まずは被告人が重
任されると言っていたのでそれに期待し、それが駄目でも、北海道選出の前長官で
ある代議士としての政治力、影響力で引き続き請託事項の実現に向けて努力しても
らうということで、資金の提供に応じたものと認めることができる。しかし、いず
れにせよ、次の選挙で被告人が当選することが前提となるのは当然であり、Cが函
館市長の立候補の有無を見極めるまで、一時資金の提供を止めていたこともなんら
不自然ではないのである(なお、函館市長が次の衆議院議員選挙に出るかも知れな
いという情報は、被告人サイドから出ていた話のようである。Cの当審証言のほ
か、被告人の平成四年一月二七日付及び同月二九日付検察官調書参照)。この点に
ついて、Cが、
 「G長官が私のお願いしていることのすべてを、北海道開発庁長官として在職中
に実行してくれれば何も問題はないんですけども、北海道開発庁長官在職中に実行
してくれなかったとしたら、次の選挙で当選してもらって、北海道開発庁長官に重
任してもらって、北海道開発庁長官としての権限で実行してもらうか、そうでなけ
れば、前北海道開発庁長官なる代議士として私のお願いしておりますことと同じこ
とを実行に向けて全力投球させなければならない。」
 旨供述しているのは、まさにこの当時の同人の意向を示すものとして、十分信用
することができる。
 大臣重任の点について、所論は、「大臣を待望している議員が多くいる自民党政
権時代には内閣改造の際に北海道開発庁長官のポストを重任したケースが皆無であ
ったことは周知の事実であった。」旨主張するが、北海道開発庁長官重任の例が過
去に何度かあったことは、当審における検察官立証のとおりであって、この点は弁
護人らの誤りというほかない。したがって、所論のように、重任の例がないという
ことから大臣重任に関するC証言を虚偽と断ずるのは相当でなく、C証言に沿うE
2、C6証言のほか、「北海道開発庁の予算を自分の手でやりたかったし、そうい
うことをほかの人に話したこともある。」、「Cにも、もう一回おれ大臣になりた
いと話したかも分からない。」という被告人の供述(原審第四三回公判三五四七
丁)をも考え合わせると、この点に関するC証言の信用性も十分に認められるとこ
ろである。
 (B建設予定場所の買占めの可能性について)
 所論は、買占めを開始するには、「公表前の内密の確実な情報」が必要である
が、推進会議段階での情報は確実な情報とはいいがたいし、推進会議での審議内容
は秘密でなく、候補地が内定すれば、それは直ちに周知の事実になる、相当確実な
情報になるのは、札幌市の予算案に組み込まれたときであるが、この時期は予算案
提出時期と近接していて、予算案を提出すれば秘密性はなくなるのであるから、買
占めの可能性は現実にはない、というのである。
 しかし、推進会議の規約等に守秘義務が定められてなくとも、委員等が審議の内
容や秘密事項をみだりに他に漏らしてならないことは当然であり、委員等にもそれ
なりの地位にある人物が選ばれているので、秘密が保たれることは期待してよく、
所論が「推進会議で候補地が内定すれば、それは直ちに周知の事実になる」という
のは失当である。特に、候補地の選定は、建設用地を提供する市がまず内部的に決
定し、それを最終提案書に盛り込むことになるが、買占めを防止するためにも、そ
の内部情報はぎりぎりの段階まで厳秘とされ、市の幹部、担当者や推進会議の事務
局首脳等、ごく一部の者しか知り得ない秘密情報であったということができる。C
が欲していた情報は、まさにこのような情報であって、Cはこのような情報を被告
人の北海道開発庁長官としての職務権限の行使によって入手し、建設予定地あるい
はその周辺の土地の買占めに走ろうとしていたのであるから、公表までの間にどれ
だけの買収ができるのかはともかくとして、ある程度の買占めは十分可能であり、
所論のいうように買占めが事実上不可能であったということはできない。
 また、「最終提案書が出たことが直ちにBの実現につながるものでないこと」
は、所論指摘のとおりであるにしても、当時の情勢としては、最終提案書が提出さ
れれば、市がこれを受けてBの実現に向けて早速動き出すと考えられていたのであ
るから、Cが市の内部で決定し最終提案書に盛り込まれることになる建設場所の情
報を事前に受けて買占めに走ろうとしたことになんら不自然な点はなく、所論のよ
うに、「推進会議での『内定』がCの必要とした情報でないことは明らかである」
とするわけにはいかない。所論は理由がない。
 (結論)
 以上のとおりであるから、Bに関する請託の事実を認定した原判決には、なんら
事実誤認はなく、論旨は理由がない。
 五 弁護人らの主張する本件金員授受の趣旨について
 1 判示第一の一の冒頭にも述べたとおり、被告人が原判示の日時、場所におい
て、Cから原判示の金員の供与を受けた事実は、被告人も認めるところである。そ
して、供与金額が九〇〇〇万円という多額にのぼること、もとより政治資金規正法
に基づく報告がなされているわけでもないこと、当時被告人は北海道開発庁長官で
あり、これを提供したCが北海道で開発を手がけていた業者であったことなどから
すれば、被告人において、その賄賂性を否定する以上、いかなる趣旨のものとして
その供与を受けたのかを積極的に明らかにすべきである。それは、政治家としての
道義的責任であるばかりでなく、訴訟上も反証としてその必要に迫られているとい
ってよい。
 弁護人らは、「被告人は、本件各金員の授受は争っておらず、被告人の政治活動
の資金としてC1から提供され、そう信じてその趣旨で受領し、それに充当してき
たものである」旨主張するが、単に政治活動の資金として提供されたというだけで
は、実質的な説明にはなっておらず、被告人がC1なりCからどうしてこれだけ多
額の政治資金をもらえるのか、また、もらってよいのか、その理由を明らかにしな
い限り、被告人の弁解としては、十分ではないと思われる。
 2 被告人とCとは、平成元年二月に株式会社J5の社長J6の紹介によって知
り合うようになり、その後幾度か宴席を重ね、話を交わすうちに交際が深まり、C
も、同年五月被告人の要請に基づいてE2を被告人の私設秘書として出向させ、ま
た、同年六月には、L問題の解決のために、被告人からF1衆議院議員を紹介して
もらい、同年七月同議員のあっ旋により、この問題が刑事事件にならずに円満に解
決したことから、被告人にその謝礼として三〇〇〇万円を贈るといった間柄にまで
なった。
 しかし、そうはいっても、親戚、旧知の関係にはなく、選挙区の従前からの支援
者であるとか、出身地や学校を同じくする関係での密接な個人的つながりがあるわ
けでもない。同年八月当時、被告人とCとは、知り合ってからまだ数か月しか経っ
ていないうえ、Cの被告人に対する人物評価からみても、Cが被告人の人格に心酔
し、あるいは、その政治的信条に共鳴して、純粋な気持ちから政治家としての被告
人の支援を考えたとは認めがたい。先に述べた交際の経緯からも明らかなように、
二人の関係は、所詮、政治資金の援助を求める政治家と政治家とのパイプを太くし
て事業に役立てようとする企業家とのギブアンドテークの関係にあったと認められ
る。そうである以上、Cから受け取った金員の見返りに、被告人において与えるべ
きものが何であったのかが問題とされてくるのである。
 3 この点に関する弁護人らの主張は、控訴趣意第三点四「本件判示事実におけ
る各金員授受の趣旨について」をみる限りにおいては、「被告人の政治活動の資金
としてC1から提供され、そう信じてその趣旨で受領し、」というだけで、Cから
かかる高額の政治資金が提供された動機、原因が必ずしも明らかにされてない。
 しかし、第五点「量刑不当」によると、Cは、C1の広告塔として被告人を利用
し、その見返りとして政治献金をしていた旨の主張がみられるので、便宜、この主
張を右の点を内容的に補充する主張として扱い、これについて判断することとす
る。すなわち、
 「Cは、C1の広告塔として政治家を利用しようとし、その道具として使われた
のが被告人である。Cは被告人を仲介者として、多数の政治家と近づき、之を利用
してL問題を解決してもらい、Dその他の金融機関から融資を受け、更には麹町ク
ラブという会員組織をつくって巨額の資金を集めることを計画していたものであ
る。その為には、被告人に対する政治献金(投資)は、安いものであったに相違な
いのである。」
 というのである。
 しかし、L問題を解決してもらった謝礼としては、本件金員とは別個に被告人に
三〇〇〇万円とF1議員に二〇〇〇万円がそれぞれ供与されているのであるから、
本件金員がこれとなんら対価関係に立つものでないことは明らかである。
 また、被告人を金融機関からの融資に利用したという点も、いささか認めがたい
ところである。被告人がC1の種々の行事や会合に出席していかにC1をほめよう
と、また、CがC1のバックに被告人がいることをいかに吹聴しようと、金融機関
から融資を受ける際に、それがC1の信用を高めることにそれほど役立っていると
は思われない。この点は、既に、第一の四中の(弁護人らが主張するCの被告人利
用の意図)の項において述べているので、ごく簡単に触れるが、Dの関係者らの証
言によっても、同社のようなノンバンクの場合は、銀行などと違って融資は案件第
一で行われ、融資先の実績、信用もさることながら、しっかりした担保があれば、
基本的には融資を行うという担保第一主義がとられており、その営業方針は、同社
の取引先もみな知っていたと思うというのである。C1が融資を受けている金融機
関は、主としてノンバンクであって、これらの金融機関と取引を続けてきたCがC
1のバックに被告人がいることを誇示すればノンバンクから融資を受けやすくなる
と考えていたとは思われない。D以外のノンバンクとの関係でも、被告人がC1の
融資のために役立ったという事情もみあたらない(なお、弁護人らは、当審弁論に
おいて、「Dヘは、(被告人が)C1を売り込んだりしている」旨主張するが、被
告人は、「M3」での宴席に出席するまで、D4社長以下のDの幹部とは面識がな
かったのであり、その初対面の被告人が既に同社と一〇〇億円を超える取引実績を
有していた「C1を売り込んだりした」というのもおかしな話である。)。結局、
この点は、被告人の信用を過大に評価した弁護人らの一方的な見解にとどまるもの
というほかない。
 最後のC3の点であるが、この計画は、C1が麹町に所有していた土地の有効利
用を図るという観点から生まれた構想であり、この土地にメディカルクラブ(アス
レテック機能も含む。)を建て、これと開発中のR2、R4、R5の各ゴルフ場と
をセットにした会員制の高級クラブを作り、最終的には一〇〇〇億円以上の売上を
期待するという大型プロジェクトであった。Cも、この計画に期待するところが大
きく、被告人を介してF元総理にC3及びR6(R2がこの構想の中ではこう呼ば
れていた。)の理事長に就任してもらうほか、Zの人たちにも一肌脱いでもらうこ
とを依頼していたので、確かに、この関係では、Cも、被告人の利用価値を認めて
いたといってよい。しかし、これに対しては、Cの原審及び当審証言から認められ
るように、総額として一〇億円という報酬が別途約束され、一部前金も支払われて
いたのであるから、本件金員がC3の関係で被告人に動いてもらうことの対価とし
て、供与されたものでないことは明らかである。
 その他、被告人がC1の各種行事に出席し、C1を引き立てるような挨拶をして
いるとは事実であるが(もっとも、上磯町での被告人の長官就任祝賀会やC1のC
12分室の披露パーティーなどは、被告人のための会、あるいは、被告人の選挙区
での行事であって、その時期も選挙前であるので、被告人としても、C1のためだ
けに出席しているわけではない。)、この程度の利用価値で、Cが九〇〇〇万円も
の金員を被告人に供与したとは認められない。
 したがって、これらの説明では、Cが被告人に九〇〇〇万円もの金員を供与した
理由が解明されているとはいいがたい。
 4 所論は、Cからの金員の提供は、「北海道開発庁長官としての職務行為とは
関係なく、被告人が自由にその政治活動のために使用してよい政治資金として提供
されたものであり、それ故に、被告人が同長官に就任する前から、その退任後も、
C1の破産まで右金員の提供があったのである」旨主張する。
 しかし、被告人の長官就任前に供与された金員のうち、L関係の三〇〇〇万円
は、政治資金とは別個の謝礼であり、所論の趣旨で提供されたものでないことは明
らかである。また、その後の二〇〇〇万円は、関係証拠によれば、大臣取りに必要
な根回し資金として、被告人の要請に基づいてCから供与されたものと認められ、
更に、C証言によれば、同人は、この際、被告人に根回し資金を用立てて恩を売っ
ておけば、この先被告人が大臣になったときにC1の事業上の利益のために働いて
くれるだろうと判断したというのであり、被告人も、平成元年八月三日ころ、二度
目の一〇〇〇万円の援助を申し込んだ際、「大臣になったら、政治生命をかけてC
1のために尽くすからな。」と言ったというのである。この二〇〇〇万円が被告人
の念願であった大臣取りの根回し資金であり、前記E5秘書も、被告人から「C1
のお蔭で大臣になれた」と聞いているだけに、被告人の言に関するC証言は十分に
信用できるものである。老練の政治家である被告人としても、知り合ってまだ日も
浅いCが、なんらの見返りも期待しないで、被告人のために大臣取りの根回し資金
を用立ててくれると考えるほど甘くはないと思われる。
 更に、C証言によれば、同人が被告人の北海道開発庁長官退任後にも、事務所経
費の面倒をみるという形で資金援助を行ったのは、在任中に実現しなかった請託事
項を引き続き前長官であり、北海道三区選出の有力代議士である被告人の政治力を
行使して実現してもらうためであったと認められる(原審第一〇回公判六三九~六
四〇丁)。このように、被告人の長官就任前の金員供与にも将来大臣となってC1
のために働いてもらうための先行投資としての性格があり、また、退任後の金員供
与にも、右C証言によれば、被告人から「これまで頼まれていることは全力で精一
杯やる」という言質をとったうえで実行されているのであるから、し残した請託事
項を実行してもらうための対価的意味合いが強いといってよい。したがって、Cの
被告人に対する金員供与が被告人の長官在任中のみならず、長官就任前にも、退任
後にも行われているからといって、長官在任中の本件金員供与が賄賂であることを
なんら否定するものではない。この点に関する弁護人らの所論も採用の限りでな
い。
 六 弁護人らのその他所論を子細に検討しても、原判決に事実誤認は認められな
い。論旨は理由がない。
 第二 訴訟手続の法令違反の論旨について
 論旨は、要するに、原判決には、必要的共犯者の自白のみによって被告人の有罪
を認定した訴訟手続の法令違反がある、というのである。
 そして、所論は、その理論付けとして、共犯者の自白に関する最高裁判所判決の
少数意見等を援用し、かつ、この共犯者にはいわゆる対向犯等の必要的共犯も含ま
れるとするのである。
 しかし、共犯者は、被告人本人との関係においては、被告人以外の者にあたるの
であって、かかる共犯者の犯罪事実に関する供述が独立、完全な証明力を有するこ
とは、累次の最高裁判所判例の判示するところであり(昭和三三年五月二八日大法
廷判決・最高裁判所刑事判例集一二巻八号一七一八頁、同三五年五月二六日第一小
法廷判決・同一四巻七号八九八頁、同四五年四月七日第三小法廷判決・同二四巻四
号一二六頁等参照)、本件においても、これと異なる判断をすべき理由はないので
ある。論旨は、まず、この点において既に失当というほかない。
 また、本件各金員の供与を受けたことは、被告人自身が認めるところであって、
C証言は、被告人のこの自認を補強するとともに、請託の事実及び右金員の賄賂性
を明らかにするものであるが、かかる請託の事実や供与された金員の賄賂性を贈賄
者の供述のみによって認定することもなんら差し支えないものというべきである。
所論は、対向犯の場合についても、いわゆる「引っ張り込み」の危険性があること
を主張するが、対向犯の場合には、先に判示したとおり、通常の共犯者間にみられ
るような「引っ張り込み」の危険性は、一般的には認められないのであって、証人
の被告人に対する個人的反感、憎悪からくる虚偽供述の危険性は通常の証人の場合
にも考えられるところであり、かかる供述の信用性及び証明力に関する判断は、す
べて裁判官の自由心証に委ねられているものと解される(なお、本件におけるC証
言に「引っ張り込み」の危険性がないことは、第一の一において、具体的に指摘し
たとおりである。)。
 加えて、原判示第一、第二の各事実については、C証言のほか、原判決が(証
拠)の欄に掲げる数多くの証拠が存し、原判決は、C証言ばかりでなく、これらの
証拠全体を総合判断して原判示事実を認定しているのであるから(なお、C証言が
十分信用に値するものであり、また、その他の証拠もそれぞれに信用性、証明力を
有することは、第一の事実誤認の主張に対する判断において詳細に判示したところ
である。)、その点でも、所論は失当というべきである。
 したがって、原判決には、弁護人らの主張するような訴訟手続の法令違反はな
く、論旨は理由がない。
 第三 理由不備の論旨について
 論旨は、要するに、原判決には、信用性、証明力のない必要的共犯者の供述のみ
によって、被告人の有罪を認定した理由不備の違法がある、というのである。
 右の主張は、第二の主張とほぼ同旨であり、これに加えてC証言に信用性、証明
力がないことを指摘するにとどまり、その実質は、つまるところ、事実誤認の主張
に尽きるといってよい。
 しかし、本件請託に関するC証言が、請託に至る経緯及び動機の点を含めて十分
信用できるものであり、かつ、これが関係者らの証言等関係証拠や被告人の請託の
趣旨に沿うと認められる数多くの行為によって裏付けられていることは、これまで
に判示したところからも明らかである。したがって、原判決に所論のような採証法
則の違反や理由不備の違法はなく、この点に関する論旨も理由がない。
 第四 法令適用の誤りの論旨について
 一 北海道開発庁長官の一般的職務権限について
 1 原判決は、北海道開発庁長官としての被告人の職務権限について、被告人
は、平成元年八月一〇日から平成二年二月二八日までの間、国務大臣北海道開発庁
長官として、
 「1」 北海道総合開発計画(以下、開発計画という。)についての調査、立案
 「2」 同計画に基づく事業(以下、開発事業という。)の実施に関する事務の
調整、推進
 「3」 北海道開発予算の一括要求
 「4」 A公庫に対する指導、監督
 等の事務を所掌する北海道開発庁の事務を統括するなどの職務に従事していた旨
を判示する。
 2 右に判示した北海道開発庁の所掌事務のうち、「1」、「2」及び「4」
は、それぞれ北海道開発法五条一項一号及び二号に規定されており、また、「3」
は、右の「2」の権限を実効あらしめるために、昭和二五年二月一〇日及び同年七
月二一日の各閣議決定で認められ、また、北海道開発庁長官が同庁の事務を統括す
ることは、国家行政組織法一〇条の規定するところである(なお、A公庫の監督に
関する内閣総理大臣の権限に属する事項のうち、東北地方に関する業務を除いたも
のについては、内閣総理大臣の委任により、原則として、北海道開発庁長官が専決
処理するものとされている《昭和四八年七月七日付総理府通知》。)。
 このように、原判決が北海道開発庁長官の一般的な職務権限として判示したとこ
ろは、法律、閣議決定等に根拠を持つものであって、もとより相当であり、弁護人
らもこの点を争うものではない(なお、北海道開発庁のA公庫に対する監督権限が
個別融資におよぶかどうかについては後に検討する。)。
 3 もっとも、原判決は、北海道開発庁の所掌事務中、「2」の「開発計画に基
づく事業の実施に関する事務の調整、推進」の点について、原判示(犯罪事実)に
おいては、条文に規定されたとおりに判示しているものの、(主な争点に対する判
断)「第一北海道開発庁長官の職務権限について」の項において、「(B建設
は、)開発計画に基づく事業であり、その推進は、北海道開発庁の所掌事務の範囲
内にあると認めるのが相当である。」(原判決書一一丁)とし、更に、「B建設事
業を推進する権限に基づき、…」(同一四丁)などとしている点は、「開発事業の
推進」そのものを北海道開発庁の所掌事務とする趣旨に解されかねないので、やや
正確性を欠くといわなければならない。厳密にいえば、開発事業そのものの推進
は、建設省、農林水産省、運輸省等の現業官庁・実施官庁の所掌するところであ
り、企画官庁・調整官庁たる北海道開発庁は、いわば開発事業推進のブレイン役あ
るいは取りまとめ役として、「開発計画についての調査、立案」及び「開発事業の
実施に関する事務の調整推進」を直接の所掌事務とし、それを通して「開発事業の
推進」を図るべきものとされているのである。その意味では、北海道開発法は、
「事業の推進」と「事業の実施に関する事務の推進」とを区別したうえで、「事業
の実施に関する事務の調整及び推進」を北海道開発庁の所掌事務としていると解さ
れるので、当審としては、北海道開発庁の所掌事務のうち、右「2」の点について
は、条文に規定されたとおり、「事業の実施に関する事務の推進」と解し(ただ
し、「事業に関する推進権限」といった表現を用いることもある。)、そのうえ
で、請託事項が被告人の職務権限の範囲内にあるかどうかを判断することとする
(もっとも、沖縄開発庁設置法四条二号、三号は、沖縄開発庁の所掌事務につい
て、「振興開発計画に基づく事業の実施に関する事務の調整、推進」という表現を
用いず、「振興開発計画の実施に関する事務の調整、推進」という表現を用いてい
る。この沖縄開発庁設置法の制定に当たっては、既に発足していた同じ地域開発官
庁である北海道開発庁の調整推進事務の実態が参考にされ、かつ、そのありようが
是認されて、右の規定となったものと思われる。これからすれば、逆に、北海道開
発法五条一項一号に規定する「開発計画に基づく事業の実施に関する調整及び推
進」も、沖縄開発庁設置法四条二号、三号に規定するところと同様に、「開発計画
の実施に関する事務の調整及び推進」の意味に解してよいと思われる。)。
 二 北海道開発法五条一項一号の解釈について
 所論は、北海道開発法二条の「これ(開発計画)に基づく事業」の実施主体は
「国」であり、同法五条一項一号後段の「これに基づく事業」の実施主体も「国」
である、したがって、B建設事業が「開発計画」に載っているからといって、国が
実施主体ではないのであるから、北海道開発庁の「調整、推進」の対象とはならな
い、というのである。
 <要旨第一>そもそも北海道総合開発計画は、原判決も判示するように、北海道の
資源を総合的に開発することによって、今次大戦で大きな痛手を受けた
我が国経済の復興を図ろうという国家的見地から始まったものであるが、当初、民
間企業の疲弊や北海道における民間資本の立ち遅れもあったため、開発計画に基づ
く事業の実施も、国の実施する公共事業中心に考えられ、いきおい、北海道開発庁
の所掌する開発事業の実施に関する事務の調整及び推進も、行政機関相互の調整と
公共事業の推進に重点を置くものと解されてきたということができる。
 しかし、北海道総合開発計画は、その発足の当初から民間事業を対象から除外す
るものではないし、次第に産業基盤が整備され、民間企業等も国と共に北海道の開
発を支えるだけの実力を身につけるようになるにつれ、計画自体も、民間プロジェ
クトの果たすべき役割を評価し、その支援や推進をこの計画の中に大きく取り込む
ようになってきたのである。
 このような経過も加味して北海道開発法二条と同法五条の関係をみるに、まず、
同法二条は、国に開発計画を樹立する責務を課するとともに、国を開発事業の第一
次的実施主体として位置付けたものということができる。しかし、同法二条も、開
発事業をすべて国が行うという建前をとるわけではなく、弁護人らも認めるよう
に、民間等の事業を含めて開発計画を樹立することをなんら否定するものでない。
そして、同法二条は、民間等の事業も含む開発事業のうち、国の行うべき事業につ
いて、更に、事業の開始年度を昭和二六年度と定め、また、開発事業をそれぞれの
事業に関する法律の規定に従って実施する旨を定めているところに実定法的意義を
有するのであって、その余の民間等の事業の実施については、なんら触れるもので
はないのである。したがって、同法二条の「これに基づく事業」の実施主体が
「国」であるということから、北海道開発庁の所掌事務に関する同法五条一項一号
後段の「これに基づく事業」の実施主体も「国」であるという解釈が直ちに導き出
されるものではないといってよい。同法五条は、その一項一号において、同庁に開
発計画に関する調査、立案権限を認めるとともに、開発事業に関する調整推進権限
をも認めるものであるが、このうち、調査、立案権限についてみると、北海道開発
庁が民間等の事業をも対象に含めて開発計画を立案することができることは当然で
あり、この点は弁護人らも争うものではない(控訴趣意書一六七頁)。そして、北
海道開発庁は、開発計画を立案するにとどまるものではなく、立案され、樹立され
た開発計画の実現を図ることもその責務としていると解され、そのために調整推進
権限を有するのであるから、開発計画に載せられた事業については、国の事業と民
間等の事業とを区別することなく、そのすべてについて推進権限を及ぼしうると解
するのが同条の最も合理的な解釈といってよい(もっとも、調整は国の機関相互の
問題と解するのが一般であるが、これも五条一項一号後段の「これに基づく事業」
の実施主体が国であることを裏付けるものではなく、国と地方公共団体、あるい
は、民間企業相互間の調整などは、推進権限の中に含まれるというにすぎな
い。)。条文の文理的な解釈としても、五条一項一号後段の「これに基づく事業」
とは、同号前段を受けて、「これ」すなわち「開発計画」に基づく事業を指し、こ
れらの開発事業のうち、特に国を実施主体とする事業に限定する趣旨ではないと解
するのが自然である。重ねて述べると、民間等の事業を開発計画に載せるのは、国
や地方公共団体等がこれを北海道開発にふさわしいものと認めて助成支援し、その
推進を図るためであるが(第五期北海道総合開発計画V計画の推進方策1「地域開
発のプロジェクトの推進」においても、新千歳空港建設等第三セクターの事業につ
いて、「その推進を図る」とし、また、「民間において発想されるプロジェクトに
ついては、適切な支援体制を整備し、その推進を図る。」とする。)、それにもか
かわらず、肝心の北海道開発庁がその民間等の事業の推進を図ることができないと
いうのでは、なんのために開発計画に載せたのかもはっきりせず、施策として甚だ
不徹底なものになってしまうというほかない。以上の点を総合すれば、同条一項一
号後段の「これに基づく事業」を国が実施主体になる事業に限定する所論は当を得
たものではなく、到底採用することができない。
 三 Bの建設予定場所に関する情報の入手、出資企業と関連工事施工業者の紹介
について
 1 そこで、次に、Bに関する本件請託事項、つまり、Bの建設予定場所等に関
する情報を内報することや第三セクターに出資する企業として適当な企業を札幌市
や札幌商工会議所等に紹介したり、Bの建設工事やその関連工事にふさわしい施工
業者を札幌市や第三セクターにあっ旋紹介することが、「開発計画についての調
査、立案」や「開発事業の実施に関する事務の調整及び推進」という北海道開発庁
の所掌事務に含まれるかどうかを検討する。
 <要旨第二・四>先にも述べたとおり、北海道開発庁は、基本的には企画官庁であ
り、調整官庁であるので、実施官庁の事業執行権限や許認可権限
等、その専権に属する事項に介入することが許されないことは当然であるし(ちな
みに、北海道開発庁総務課長の経験を有するN4証人も、同庁の権限として、道路
事業をやるに際し、建設省に対して業者の紹介やあっ旋をする権限はない旨証言す
る。)、国の機関以外との関係においても、その調整進権限の行使が民間等の事業
主体の自主性や自己決定権を損なうものであってはならないことはいうまでもな
い。しかし、同庁は、各省庁別個に行われてきた北海道開発に関する施策の一体化
を図り、これを効率的に推進するために設置されたものであるから、開発事業に関
する同庁の推進権限も、この目的達成のために積極的に行使されることが期待され
ているのであって、右に述べたような推進権限の内在的な制約に触れない限り、そ
の及ぶ範囲も広く認められてよいと解される。例えば、同庁が、開発計画に載った
事業を支援するための施策を検討するという観点から、他官庁や地方公共団体ある
いは民間企業等に必要な情報の提供を求めることも、同庁の調査あるいは推進事務
の一環として行いうるところである(北海道開発庁の調査権限は、開発計画作成の
ためだけではなく、開発計画に載せられたそれぞれの事業をフォローするためにも
認められていると解されている。)。また、開発事業推進のために必要ないし有効
と判断される事柄について、地方公共団体や民間企業等に対して働きかけをするこ
とも、事実上の強制にわたらぬ限り、推進権限に基づく行政指導として許されると
ころというべきである。特に、開発事業に関する専門的な知識や経験を生かして、
助言し、相談にのり、指導を行うことは、北海道開発庁に期待されているところと
思われる。
 2 このような観点から、Bに関する本件請託事項が被告人の職務権限内にある
かどうかについてみるに、原判決の判示するところは、
 「B建設事業については、B周辺の道路交通基盤等の整備が不可欠であり、同事
業を推進するためには、B建設予定場所を構想段階からいち早く知る必要があるこ
とは明らかである。したがって、北海道開発庁は、札幌市、札幌商工会議所、推進
会議等から、建設予定場所、時期等に関する情報を入手する権限を持つと解され
る。また、同様にB建設事業を推進する権限に基づき、実施主体として予定された
第三セクターに出資する企業の募集に関して、適当な企業を札幌市等に紹介するな
どの指導、助言を行ったり、特殊な専門知識、技術を要するBやその関連工事に関
して、その工事にふさわしい施工業者をあっ旋紹介することも、北海道開発庁の一
般的な権限の範囲内にあるものと認めるのが相当である。」
 というのであって、いずれも相当であり、当裁判所としても、この判断を是認す
ることができる。
 3 所論は、第三セクターによる事業は、非公共のプロジェクトであるから、北
海道開発庁の行う調査も、おのずとその内容範囲等について限界を有するもので、
「未公開」の秘密情報を要求できる法的権限はない旨主張するが、B建設事業を非
公共の民間プロジェクトとみることができないことは、後述するとおりであるし、
北海道開発庁が提供を求めることのできる情報を公開情報に限るべき理由はなく、
事業の支援助成等のために必要と判断されるような場合には、未公開の秘密情報で
あっても、その提供を求めうると解されるので、所論は失当というほかない(もっ
とも、北海道開発庁の調査権限といえども、相手方を義務付けるものではないか
ら、これに応ずるか否かは相手方の任意であって、秘密の程度やその情報を提供す
ることによって得られる助成や援助の面での利益等を衡量して応ずるか否かを決す
れば足りることである。)。
 4 所論は、北海道開発庁が民間プロジェクトを開発計画に載せるについては、
民間企業の承諾を得る手続もない、それにもかかわらず、これに載せた以上は北海
道開発庁の推進権限の対象となるというのは、「所掌事務のお手盛り」を容認する
もので、許されるものではない、原判決が民間の実施する事業に推進権限が及ぶと
解しても、民間企業等に対して特段の制約を課するわけではないから、民間の事業
に対する不当な干渉というには当たらないとするのは本末転倒である、所掌事務に
関係のない行政指導はありえず、「特段の制約を課するわけではない」から「所掌
事務と考えていい」というのは論理の展開が逆である旨主張する。
 しかし、北海道総合開発計画は、閣議決定に基づくものであって、北海道開発庁
の「お手盛り」という非難は当たらないばかりか、前述のように、北海道開発庁
は、北海道の開発を図るために総合的な計画を樹立し、その計画の実現のために取
りまとめ役、推進役を果たすことが期待されているのであるから、その調整推進権
限も、他の省庁の専権事項を侵さず、また、事実上の強制となって民間企業等の自
主性や自己決定権を損なうことのない限りは、広くこれを認めてよいと思われる。
弁護人らは、「特段の制約を課するわけではない」から「所掌事務と考えていい」
というのは、論理の展開が逆である旨主張するが、原判決は、「民間企業等に対し
て特段の制約を課するわけではないから、民間の事業に対する不当な干渉というに
は当たらない。」というにとどまるし、右に述べたところからすれば、「特段の制
約を課し、不当な干渉とならない限り、推進権限を及ぼしうる」と解することにな
んら不当はないのである。
 5 また、所論は、「これまでの裁判例は、各省大臣の職務権限について判断す
るにあたっては、各省の設置法やそれに関する法律、政省令、通達、内部基準等の
内容を具体的に検討しているが、原判決は、北海道開発法五条の「推進」の規定以
外の具体的な根拠なしに、無限定に北海道開発庁長官の職務権限の行使を許容する
点において法令の適用を誤っている」というのである。
 しかし、原判決も、政省令、通達等があるのに、それらを無視して前記の見解を
示しているわけではなく、かかる政省令、通達等がないというにすぎず、かかる政
省令、通達等を設けなければ行政指導を行いえないというものでもないから、主張
自体失当というほかない。一般に、行政機関は、その所掌事務の範囲内において、
一定の行政目的を実現するため、特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、
勧告、助言等をすることができ、このような行政指導が公務員の職務権限に基づく
職務行為と認められることは、最高裁判例(平成七年二月二二日大法廷判決・最高
裁刑事判例集四九巻二号四五七頁参照)の判示するところである。そして、企画官
庁・調整官庁の場合には、事業に対する許認可権限や監督命令権限を有する実施官
庁とは異なり、権限規定や権限行使に関する内部基準等が比較的少ないのも当然で
あって、原判決が北海道開発法五条を根拠に、札幌市、札幌商工会議所等に働きか
けることを北海道開発庁の所掌事務の範囲内にあると解したことには、なんらの違
法もないというべきである。
 6 所論は、原判決は、「開発計画」の基本的性格を正しく理解せず、そのた
め、北海道開発庁の所掌事務の範囲を誤った旨主張する。すなわち、第五期北海道
総合開発計画は、計画の性格について、「この計画は、政府公共部門における事業
実施の基本となる。また、財政投融資等による民間活動の誘導助成はこの計画に沿
って行われる。さらに、民間部門の諸活動に対しては、この計画が指針となること
が期待される。」旨記載しているのであって、第三セクターによる非公共のプロジ
ェクトであるB建設事業については、この計画は「民間諸活動の指針」にとどまる
ものである、したがって、この「民間諸活動の指針」という立場を厳守する限りに
おいて、北海道開発庁がその独自の判断で北海道の開発にふさわしいものとして、
開発計画に記載することが許されるのであり、それを超えて勝手に開発計画に記載
したことにより北海道開発庁が無限定にその調整推進権限を有することになるもの
ではない、というのである。
 しかし、先にも述べたとおり、開発計画は、閣議決定に基づくものであって、所
論がいうように、北海道開発庁が「独自の判断」で策定するものではないし、特定
の民間事業を同庁が「勝手に」この計画に記載できるものでもない。更に、Bの構
想は、冬季厳寒多雪の北海道において、札幌市民、北海道民が通年利用できる全天
候型多目的施設を札幌市が中心となって整備しようという多分に公共的な構想であ
り、用地も市が提供し、事業主体となる第三セクターに対する出資についても、市
等においてその過半を拠出することが考えられていたのであるから、この計画を単
なる非公共の民間プロジェクトとみることは相当ではないというべきである。した
がって、所論は、その前提の大半を欠くうえ、国がB建設計画を北海道の開発にふ
さわしいものとして、この開発計画に載せる以上、北海道開発庁がその推進を図り
うることは当然であって、札幌市や札幌商工会議所等においても、この開発計画を
指針として、Bの実現に向けて努力することが期待されているのである。また、こ
のように開発計画に載せられたことによって、北海道開発庁の所掌事務の範囲内に
入り、事業推進の観点から同庁の行政指導等を受けることがあるといっても、その
行政指導が無限定のものでないことは、前記の開発計画の性格からみても、もとよ
り当然である(例えば、Bの建設計画が進み、国が周辺のインフラ整備を検討する
ような段階になった場合には、北海道開発庁の札幌市や第三セクター等に対する助
言指導等も、双方の事業の有機的連携を図るために相当の範囲程度に及びうるもの
と思われるが、まだB計画が構想の段階にとどまるような場合においては、札幌市
や札幌商工会議所等に対する助言指導も、民間部門の諸活動に対すると同様に、謙
抑的に行使され、不当な干渉にわたらない程度にとどめられるべきであろう。その
点では、監督権限、許認可権限を背景にした行政指導と、助成支援を通じてその推
進を図るという観点からの行政指導とでは自ずから働きかけの許される程度に差が
あることも否定できない。しかし、第三セクターの核となる有力企業の不足が第三
セクター設立のネックとなっているような場合に、北海道開発庁が札幌市や札幌商
工会議所等に一定の企業を紹介し、第三セクターへの参をあっ旋することは、それ
が紹介あっ旋にとどまる限り、行政指導とはいっても、むしろ、支援の一方策にも
近いものであって、札幌市や札幌商工会議所の自主性、自己決定権を損なうことに
なるとは思われない。)。
 したがって、開発計画に載せたことにより、北海道開発庁が無限定に調整推進権
限を有することになるのは不当だとする弁護人らの非難も当たらないと思われる。
所論は、理由がない。
 7 なお、収賄罪において当該行為が職務行為といえるかどうかは、その公務員
の一般的な職務権限内にあるか否かによって決せられるのであって、一般的な職務
権限内にある限り、仮に具体的な権限行使がその裁量権の範囲を逸脱したとして
も、それが収賄罪の成否に影響を及ぼさないことは、原判決の判示するとおりであ
る。
 四 衆議院議員選挙と職務執行の可能性について
 1 所論は、仮に被告人が原判決の認定するような請託を受けたとしても、被告
人の北海道開発庁長官としての任期は、遅くとも平成二年二月に実施されると考え
られていた次期衆議院議員選挙までの期間であり、その間にBの建設が決まるかど
うかは未確定で、仮にそれが実現に向けて具体化していくとしても、被告人の長官
在任中に具体化することはありえなかった、したがって、被告人が請託を受けた職
務を実行することがありえず、受託収賄罪の成立を認めることはできない旨主張す
る。
 しかし、第一の四において述べたとおり、請託のあった平成元年一〇月当時は、
推進会議の中間報告書も既に発表されており、年内には最終提案書が発表され、B
の建設候補地も、その中で、一か所に絞り込まれることが予定されていたのであ
る。そして、この推進会議には、札幌市も、主体的、主導的に参加しており、推進
会議によって提案される最終提案書には、札幌市の意向が十分に反映され、特に建
設候補地については、その用地を提供する市の内部的決定に沿ったものとなると考
えられていたのであるから、一般には、その後の市の検討によって、提案された建
設場所が変わることはまずないと考えられていたのである。Cは請託当時推進会議
の存在を知らなかったにしても、同人が被告人に内報を求めていた情報は、その実
質において、市が内部的に決定したうえ、推進会議が最終提案書に盛り込むことと
なる建設場所等に関する情報であり、しかも、それを推進会議が外部に公表する前
にできる限り早く内報してもらうことであったのである。そして、前記X6の証言
によると、最終提案書の発表が平成元年一二月ということであれば、同年九月ころ
には建設場所も内部的には決定されているし、提案書の発表が平成二年春にずれた
にしても、建設場所の内定は、同年一月ないし二月の初旬ころをめどとしていたと
いうのである(現に、同年四月の最終提案書の発表を前に、同年二月上旬には、市
の助役を交えた検討の結果としても、Y駅跡地が建設予定地として最適という結論
が出されていたのであり、ただ、各種の政治的判断から、これを外部に公表せず、
最終提案書でも、Y駅跡地とY1学園地区の二か所を両論並記とすることにし
た。)。したがって、請託当時としては、被告人が、長官在任中に、Cの求める情
報を内報することは可能であったということができる。
 2 また、第三セクターにDが参加できるよう札幌市や札幌商工会議所等に働き
かけるということも、第三セクターが設立される以前の参加企業を選定する準備段
階でやらなければならないことであり、平成元年一〇月の時点で考えれば、被告人
の長官在任中に札幌市や札幌商工会議所等が選定作業の準備に入る可能性は十分に
あったということができる。また、この第三セクターに参加する企業の選定等は、
右に述べたとおり、札幌市や札幌商工会議所が中心となって行うものであるから、
第三セクターの設立が本決まりになる以前であっても、被告人が、これらに働きか
けを行うことは十分可能であり、札幌商工会議所の専務理事であり、B建設計画の
推進に携わってきたXにDを紹介し、第三セクターへの参加をあっ旋したことは、
既にCの請託に沿う行為であったと評価しうるのである。
 3 C1が鉄骨工事を受注できるように札幌市等に働きかけるという点について
は、確かに、これを最終的に決めるのは、Bの建設を請け負った工事主体のゼネコ
ンであって、被告人の長官在任中に決まるような事柄でないことはいうまでもな
い。しかし、そのゼネコンにしても、発注者である第三セクターの意向を無視する
わけにはいかないところがあり、だからこそ、Cも、C1が鉄骨工事等を受注でき
るよう設立予定の第三セクターにDを送り込もうとし、また、第三セクターに強い
影響力を持つであろう札幌市や札幌商工会議所等に働きかけることを被告人に請託
したのである。かかる働きかけは、何もBの建設が正式に決定されたり、第三セク
ターが設立されるのを待つ必要はなく、Bの建設が実現に向けて具体化していく中
で、被告人が長官在任中にその権限を行使して行えばよいことであり、十分に実行
可能のことであったといってよい。
 これらの点からすれば、請託事項について職務執行の可能性がなかったとする弁
護人らの主張は理由がないといわなければならない。
 4 もっとも、このように、被告人が札幌市や札幌商工会議所等に働きかけるこ
と自体は、長官在任中に十分可能であったとしても、Dの第三セクターへの参加が
正式に認められたり、C1が現実にB関連の鉄骨工事の発注を受けることまで被告
人の長官在任中に可能であったかとなると、なんともいいがたいところがあり、特
に後者の実現はきわめて困難であったということができる。その意味では、請託の
時点に立っても、被告人の長官在任中に請託の最終目標を達成できないことは考え
られることであったといってよい。しかし、Cとしては、前述したとおり、被告人
が長官在任中に請託事項のすべてを実行してくれればなにも問題はないし、実行で
きなかった場合においても、し残したことは、次の選挙で当選して北海道開発庁長
官に重任してもらって、再び長官としての権限で実行してもらうか、そうでなけれ
ば、前北海道開発庁長官たる有力代議士として、その実現に努力してもらうことを
考えていたのであって(原審第九回公判五八五丁)、被告人が長官在任中にその職
務権限を行使して実行することの可能な建設予定地の内報や札幌市、札幌商工会議
所等への働きかけを請託している以上、被告人の長官在任中に請託の最終目標を達
成できない可能性があり、し残したことは、長官に重任されるという機会に恵まれ
るか、前長官たる代議士という職務権限を離れた事実上の影響力によらなければ実
現できないとしても、その職務に関して請託したものと認めてなんら差し支えない
のである。
 所論は、被告人の北海道開発庁長官重任の可能性との関連において、本件のよう
な将来の職務の執行について受託収賄が認められるためには、「1」対象となる具
体的職務が将来発生する蓋然性があること、「2」将来その具体的な職務を担当す
ることが相当確実であることの二要件を必要とすべきである旨主張する。しかし、
Cの請託の趣旨は、被告人が北海道開発庁長官に重任されたら、そのときは一定の
ことをしてほしいというものではなく、現に長官としてなしうる事項を請託してい
るのであって、在任中にできるだけのことをしてもらい、し残したことについて
は、被告人に長官に重任してもらうか、あるいは、前長官たる代議士としてその政
治力を行使して実現してほしいというのであり、単なる将来の職務執行に関する請
託とは全く趣旨を異にするのである。したがって、本件を将来の職務についての受
託収賄とみる所論は、立論の基礎において既に間違っているといわざるをえず、も
とより採用の限りでない。
 五 A公庫の融資に関する北海道開発庁長官の職務権限について
 1 A公庫の融資に関する北海道開発庁長官の職務権限について、原判決が判示
するところを引用すると、やや長文にわたるが、次のとおりである。
 「この監督権限は、A公庫の融資等の業務が一般的な準則に沿って適切に行われ
ているかについて行使されるものであり、特段の必要性もないのに個別の融資につ
いてまで行使されるものではないが、前記N4証言がいうように、A公庫の融資が
反社会的なものである疑いがあるとか、関係法規に違反する疑いがあるような場合
には、その監督権限は個別の融資にも及ぶものと考えられる。また、北海道開発庁
が開発計画に含まれる民間の事業を推進する権限を持つことは前記のとおりであ
り、このような事業に関し、北海道開発庁がその監督権限を背景として、A公庫に
対して融資するよう指導することは、民間の諸活動に対する推進の有力な方策の一
つとして、北海道開発庁の一般的な権限の範囲内に属するということができる。」
 2 所論は、この原判示につき、反社会的あるいは違法な融資に対する消極的指
導は、A公庫に対する一般的な監督権限の延長あるいはこれを担保するものとして
是認しうるが、開発計画に含まれる民間の事業に融資をするよう指導することは、
北海道開発庁長官には民間事業に対する推進権限がないことからして肯定されるも
のではない、また、その権限に基づく指導は、あくまで一般的監督権限の行使によ
って行われるべきものであり、個別の融資に対する監督権限を認める根拠とはなり
えない旨主張する。
 これらの所論のうち、まず、北海道開発庁長官に民間の事業に対する推進権限が
ないことを根拠とするものは、これまでに判示してきたところからも、理由のない
ことが明らかであり、到底採用できるものではない。
 そこで、北海道開発庁長官のA公庫に対する監督権限も個別の融資にまで及ぶも
のではないとする後段の所論について検討する。
 <要旨第三・四>3 まず、A公庫法三三条は、その一項において、「公庫は、主
大臣が監督する。」とし、その二項において、「主務大臣は、…
公庫に対して業務に関し監督上必要な命令をすることができる。」として、主務大
臣の監督権限を明らかにする。そして、同法三六条に定める主務大臣は、内閣総理
大臣と大蔵大臣であるが、前述したように、内閣総理大臣の権限に属する事項につ
いては、北海道開発庁長官が原則として専決処理することとされたため、北海道開
発庁長官は、大蔵大臣と並んで、同法に定める各種の監督権限を行使しうることに
なる。しかし、A公庫は、北海道及び東北地方における産業の振興開発を促進し、
国民経済の発展に寄与するべく、長期の資金を供給すること等をその業務として設
立された国とは別個の法人であるので、公庫の出融資あるいは債務保証等に関する
日常業務は、原則としてその自主的運営に委ねられているとみるべきである。した
がって、前記の主務大臣の監督権限も、公庫の業務運営がこの法律及びそれに基づ
く命令等の一般的準則に従って行われているかどうかを監督することにその主眼が
あるといってよい。
 4 もっとも、A公庫法二三条によれば、公庫は、四半期ごとに事業計画及び資
金計画を作成し、主務大臣の認可を受けなければならないこととされ、また、同法
三三条二項に基づく主務大臣の命令書五条の定めによって、公庫は月例報告とし
て、毎月の新規の出資等の内訳表や出資等の申込の受理及び決定表を提出すべきも
のとされているのである。そして、A公庫本店総務部財務課長をしていたA4の証
言によれば、この四半期ごとの事業計画及び資金計画の認可を受ける際には、北海
道開発庁にも個々の出資について事前に説明しその了解を得ているし、融資につい
ても、大規模な融資や新規の融資に関する限り、融資内容について説明することが
あるというのである。また、このA4証言によれば、月例報告書を北海道開発庁に
提出するときにも、新規貸付内訳表等の内容を補足する資料を同庁に持参し、これ
を渡して説明していることも明らかである。このような法律・命令の定めやその運
用の実情に即すると、北海道開発庁としても、A公庫の個々の融資に関して全く指
導監督権限が及ばないわけではなく、少なくとも、N4証人が供述するように(原
審第三回公判四〇丁参照)、出融資が反社会的なものである場合にこれをやめるよ
うに指導するとか、北海道開発の推進上特に重要なプロジェクトについて緊急の必
要がある場合に、A公庫に出融資の紹介を行うことなどは、許されるところと解し
てよいと思われる。この前者の点は、弁護人らも一般的監督権限の延長ないしこれ
を担保するものとして是認するところであるが、後段の点も、これまで再三にわた
って述べてきた北海道開発庁の開発事業に関する推進権限からすれば、A公庫に対
する監督権の行使として認められるべきものと解される。そもそも、A公庫法一九
条は、A公庫の融資等の対象となる事業の指定を主務大臣の権限としているのであ
るし、同法二〇条に基づき公庫が作成した業務方法書第五条も、「本公庫は、その
業務を行うに当っては、政府の北海道又は東北地方の開発政策に順応し、関係行政
庁及び政府関係機関との連絡を密にする」旨を規定しているのである。A公庫の低
金利による長期の融資は、民間事業等に対する最も有力な支援策の一つであるだけ
に、北海道開発の推進を図るべき北海道開発庁において、A公庫の資金がどのよう
な地域でどのような事業にどれだけ使われ、また、それが北海道開発の動向とも合
致しているかどうかなどに関心を持ち、必要に応じて指導監督に及ぶのは当然であ
り、前記の事業計画や資金計画の認可及び月例報告の運用実態も、これらの点を掌
握するための必要性から生じたものとして肯定されるところである。例えば、地域
の開発、発展に大きく影響すると思われる大規模案件等に関しては、個別の融資に
ついても北海道開発庁の監督権限が及ぶのでなければならないと考えられるし、N
4証人が設例として挙げる後者のような場合にも、監督権限に基づく行政指導の一
環として、北海道開発庁において融資のあっ旋、紹介などをなしうるものと解され
る(上磯町リゾート総合開発事業へ融資するようA公庫に働きかけることがN4証
人のいう「北海道開発の推進上特に重要で、しかも緊急を要する場合」に当たるか
どうかは問題であるが、これに当たらないとしても、それは、裁量権の逸脱の問題
であり、働きかけ自体は、北海道開発庁長官の一般的職務権限内の行為と認められ
る。)。したがって、この点に関する原判決の前記判示は相当であり、所論は失当
である。
 六 以上のとおりであるから、北海道開発庁長官の職務権限に関する原判決の判
断には、判決に影響を及ぼすような誤りは全くなく、法令の適用の誤りをいう論旨
は理由がないというべきである。
 第五 量刑不当の論旨について
 論旨は、要するに、仮に、Cから供与された本件金員が賄賂性を有するものとさ
れ、有罪と認定されるにしても、被告人を懲役三年の実刑に処した原判決は、量刑
不当であり、被告人に対しては刑の執行猶予の判決があってしかるべきである、と
いうのである。
 そこで、検討するに、原判決も判示するように、本件は、北海道開発庁長官であ
った被告人が、その在任中に、鉄骨製造業等を営むとともに、北海道での開発事業
に乗り出したC1の取締役副社長のCから、同庁の未公開情報を提供することなど
職務に関する具体的な請託を受けて、合計九〇〇〇万円にのぼる賄賂を収受したと
いう事案である。
 収賄金額が多額にのぼること、うち七〇〇〇万円までが被告人の要求によるもの
であること、北海道で開発事業を営むC1との露骨な癒着ぶり等を考えると、犯情
悪質といわざるをえない。また、被告人は、国務大臣をもって充てるべき国政枢要
のポストである北海道開発庁長官の地位にありながら、政治資金、選挙資金に事欠
く状況から判示の犯行に走り、北海道開発行政の公正さに対する国民の信頼を大き
く傷つけ、多くの政治不信を引き起こしたのであって、その行為が社会一般に与え
た影響も大きく、被告人の責任は重大であるといわなければならない。
 これらの点にかんがみると、被告人がこれまでその政治活動等を通じて、多くの
社会貢献を果たしていること、本件で収受した金員は、政治資金に充てられ、これ
により私財を蓄えた様子は窺われないこと、C1の破産管財人に本件金員のほか、
他の供与を受けた金員をも含めて、合計一億六〇〇〇万円余を返済していること、
被告人の年齢その他所論指摘の諸事情を十分斟酌しても、被告人に対して刑の執行
を猶予するのは相当でなく、原判決の量刑は、刑期の点を含めて重すぎて不当であ
るとはいえない。この点に関する論旨も理由がない。
 よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における
訴訟費用につき同法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
 検察官 桐生哲雄 公判出席
 (裁判長裁判官 早川義郎 裁判官 八束和廣 裁判官 門野博)

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