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         主    文
     本件各上告を棄却する。
         理    由
 一 弁護人福原忠男の上告趣意のうち、憲法三一条、三九条後段違反をいう点は、
実質は単なる法令違反の主張であり、憲法三七条一項違反をいう点は、本件公訴提
起が事件発生から相当の長年月を経過した後になされていることは所論指摘のとお
りであるが、本件が複雑な過程を経て発生した未曾有の公害事犯であつて、事案の
解明に格別の困難があつたこと等の特殊事情に照らすと、いまだ公訴提起の遅延が
著しいとまでは認められないから、前提を欠き、判例違反をいう点は、原判決が所
論のいうような格別の法律判断を示した趣旨であるとは認められないから、前提を
欠き、適法な上告理由に当たらない。
 弁護人大江兵馬の上告趣意は、憲法三一条違反をいう点を含め、実質は単なる法
令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。
 弁護人齋藤和雄の上告趣意のうち、憲法三九条後段違反をいう点は、実質は単な
る法令違反の主張であり、憲法三七条一項違反をいう点が前提を欠くものであるこ
とは、前示のとおりであり、その余は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、
適法な上告理由に当たらない。
 弁護人水上益雄の上告趣意のうち、憲法三七条一項違反をいう点が前提を欠くも
のであることは、前示のとおりであり、判例違反をいう点は、被告人にとつて不利
益な主張であり、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、適法な上
告理由に当たらない。
 弁護人加嶋昭男、同斎藤宏、同水上益雄連名の上告趣意は、事実誤認、単なる法
令違反の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。
 二 以下、所論にかんがみ、職権をもつて検討する。
 1 Aを被害者とする業務上過失致死罪の成否について
 一、二審判決の認定によれば、被告人らが業務上の過失により有毒なメチル水銀
を含む工場廃水を工場外に排出していたところ、被害者の一人とされているAは、
出生に先立つ胎児段階において、母親が右メチル水銀によつて汚染された魚介類を
摂食したため、胎内で右メチル水銀の影響を受けて脳の形成に異常を来し、その後、
出生はしたものの、健全な成育を妨げられた上、一二歳九か月にしていわゆる水俣
病に起因する栄養失調・脱水症により死亡したというのである。ところで、弁護人
大江兵馬の所論は、右のとおりAに病変の発生した時期が出生前の胎児段階であつ
た点をとらえ、出生して人となつた後の同人に対する関係においては業務上過失致
死傷罪は成立しない旨主張する。しかし、現行刑法上、胎児は、堕胎の罪において
独立の行為客体として特別に規定されている場合を除き、母体の一部を構成するも
のと取り扱われていると解されるから、業務上過失致死罪の成否を論ずるに当たつ
ては、胎児に病変を発生させることは、人である母体の一部に対するものとして、
人に病変を発生させることにほかならない。そして、胎児が出生し人となつた後、
右病変に起因して死亡するに至つた場合は、結局、人に病変を発生させて人に死の
結果をもたらしたことに帰するから、病変の発生時において客体が人であることを
要するとの立場を採ると否とにかかわらず、同罪が成立するものと解するのが相当
である。したがつて、本件においても、前記事実関係のもとでは、Aを被害者とす
る業務上過失致死罪が成立するというべきであるから、これを肯定した原判断は、
その結論において正当である。
 2 公訴時効完成の有無について
 一、二審判決の認定によれば、Aの出生は昭和三五年八月二八日であり、その死
亡は昭和四八年六月一〇日であつて、出生から死亡までの間に一二年九か月という
長年月が経過している。しかし、公訴時効の起算点に関する刑訴法二五三条一項に
いう「犯罪行為」とは、刑法各本条所定の結果をも含む趣旨と解するのが相当であ
るから、Aを被害者とする業務上過失致死罪の公訴時効は、当該犯罪の終了時であ
る同人死亡の時点から進行を開始するのであつて、出生時に同人を被害者とする業
務上過失傷害罪が成立したか否か、そして、その後同罪の公訴時効期間が経過した
か否かは、前記業務上過失致死罪の公訴時効完成の有無を判定するに当たつては、
格別の意義を有しないものというべきである。したがつて、同人死亡の時点から起
算して公訴時効期間が満了する前の昭和五一年五月四日に公訴が提起されている前
記業務上過失致死罪につき、その公訴時効の完成を否定した原判断の結論は、正当
である。
 次に、本件公訴事実によれば、本件における各死傷の結果発生の時期は、それぞ
れ昭和三四年七月(B死亡)、同年九月(C傷害)、同年一一月(D、E各死亡)、
同年一二月(F死亡)、昭和四六年一二月(G死亡)、昭和四八年六月(A死亡)
であつて、相当の時間的な広がりがあつたものとされてはいるが、一、二審判決の
認定によれば、これらの結果は、昭和三三年九月初旬から昭和三五年六月末ころま
での間に行われた継続的な一個の過失行為によつて引き起こされたというのである。
以上の前提のもとにおいて、原判決は、各罪が観念的競合の関係にある場合におい
て、一つの罪の公訴時効期間内に他の罪の結果が発生するときは、時効的連鎖があ
るものとし、これらを一体的に観察して公訴時効完成の有無を判定すべきであるが、
時効的連鎖が認められないときは、それぞれを分割して各別に公訴時効完成の有無
を判定すべきであるとの解釈を示した上、個別的にみて公訴時効が完成していない
Aを被害者とする業務上過失致死罪との間で時効的連鎖が認められるのは、Gを被
害者とする業務上過失致死罪のみであり、右二名を被害者とする各業務上過失致死
罪とその余の五名を被害者とする各業務上過失致死傷罪との間には、時効的連鎖が
存在しないとして、後者につき公訴時効の完成を肯定する判断を示しているのであ
る。しかし、前記前提のもとにおいても、観念的競合の関係にある各罪の公訴時効
完成の有無を判定するに当たつては、その全部を一体として観察すべきものと解す
るのが相当であるから(最高裁昭和四〇年(あ)第一三一八号同四一年四月二一日
第一小法廷判決・刑集二〇巻四号二七五頁参照)、Aの死亡時から起算して業務上
過失致死罪の公訴時効期間が経過していない以上、本件各業務上過失致死傷罪の全
体について、その公訴時効はいまだ完成していないものというべきである。したが
つて、原判決がA及びGを被害者とする各業務上過失致死罪について公訴時効の完
成を否定した点は、その結論において正当であり、他方、右二名以外の五名を被害
者とする各業務上過失致死傷罪について公訴時効の完成を肯定した点は、法令の解
釈適用を誤つたものであるが、その部分については、第一審判決の理由中において
公訴時効完成による免訴の判断が示され、同判決に対しては検察官による控訴の申
立がなかつたものであつて、右部分は、原審当時既に当事者間においては攻防の対
象からはずされていたものとみることができるから(最高裁昭和四一年(あ)第二
一〇一号同四六年三月二四日大法廷決定・刑集二五巻二号二九三頁、同昭和四二年
(あ)第五八二号同四七年三月九日第一小法廷判決・刑集二六巻二号一〇二頁参照)、
結局、原判決の右誤りは、判決に影響を及ぼさない。
 三 よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、主文のとおり決定する。
 この決定は、裁判官伊藤正己、同長島敦の各補足意見があるほか、裁判官全員一
致の意見によるものである。
 裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
 弁護人福原忠男、同齋藤和雄、同水上益雄の各上告趣意のうちに憲法三七条一項
違反をいう主張があるが、それが前提を欠くものであることは法廷意見の判示する
とおりである。しかし、この点は憲法の保障する迅速な裁判を受ける権利をどう理
解するかにかかわるものであるから、私の見解を補足しておくこととしたい。
 憲法三七条一項の規定は、公訴提起後の公判の段階において審理が著しく遅延し
た場合を考慮したものといえる。その文言が、被告人に対し裁判所における迅速な
裁判を受ける権利を保障していることからもそのように解されるし、おそらくは、
迅速な裁判の保障が問題となるのは、公判の過程において何らかの理由で長い年月
を経過した場合であるということができよう。
 しかし、公訴提起が不当に遅延するときには、当然に迅速な裁判を受けることが
できないことになるといえるから、迅速な裁判の憲法上の保障は、単に公判の段階
にとどまらず、捜査の段階全般にも及ぶものと解するのが相当である。もとより、
公判については法律上時間的な限定がされていないのに反して、捜査については公
訴時効が定められているところから、捜査の期間は限られており、それが不当に遷
延して、その結果として憲法のいう迅速な裁判が実現できなくなるおそれは少ない
かもしれないが、たとえ公訴時効が未完成であつても、公訴の提起が不当に遅延し
たときは、実質的にみて迅速な裁判を受ける権利が侵害されたものとして違憲の問
題を生ずることがありうるというべきである。とくに、本件にもみられるように、
公訴時効の起算点に関する刑訴法二五三条一項にいう「犯罪行為」が刑法各本条所
定の結果をも含む趣旨と解されるから、時効の進行の始まる犯罪の終了時までに年
月を経過することとなり、したがつて時効の完成が遅れることがありうるし、さら
に、観念的競合の関係にある各罪の公訴時効の完成がその全体を一体として観察さ
れることによりいつそう遷延することのありうることを考えると、公訴時効が完成
していないことをもつて直ちに捜査がいかに遅延していても迅速な裁判の保障に欠
けるところはないと速断することは適当ではないと思われる。このように考えると、
捜査の段階において不当に長い年月を要し、起訴が著しく遅延した場合には、その
公訴提起自体が憲法に反するとの判断を受けざるをえないであろう。なお、この点
に関し、原判決は、右保障の趣旨ないし精神を捜査の段階に推し及ぼすとしても、
強制捜査の開始以降に限るべきものとしているが、むしろ憲法の趣旨と精神からみ
てそのように限定をする理由はなく、右の判断を是認することはできない。
 そして、このような捜査の段階における遅延が憲法三七条一項の定める迅速な裁
判の保障に反するといえる異常な事態に至つているかどうかは、公判における審理
の遅延についての当裁判所の判例(昭和四五年(あ)第一七〇〇号同四七年一二月
二〇日大法廷判決・刑集二六巻一〇号六三一頁)に従い、単に期間のみによつて一
律に判断されるべきでなく、遅延の原因や理由などを勘案し、その遅延がやむをえ
ないものと認められないかどうか、これによつて憲法の迅速な裁判の保障条項の守
ろうとしている諸利益がどの程度に害されているかなどの諸般の事情を総合的に判
断して決せられることになるというべきである。そうすると、本件は、法廷意見に
示されているとおり、複雑な過程によつて発生した公害事犯であつて、いまだ経験
されたこともなく、科学的にもその原因の確定が困難であるなどきわめて特殊な事
案であつたことに照らすと、たしかに事件発生から公訴提起までかなりの年月を経
過したことは認められるが、なお著しい遅延であるとすることはできないといわね
ばならない。
 裁判官長島敦の補足意見は、次のとおりである。
 Aを被害者とする業務上過失致死罪の成立を肯定する法廷意見につき、これに同
調する理由を敷衍して述べるとともに、関連して若干の私見を付加することとした
い。
 一 胎児は、人としての出生に向けて成育を続けるという点で、それ自体として
の生命を持つているが、他面、胎内にある限り母体の一部を構成していることも、
否定することはできない。したがつて、過失により侵害が加えられた場合において、
母体の他の部分にはなんらの結果も発生せず、胎児だけに死傷の結果を生じたよう
なときであつても、母体に対する過失傷害罪は、その成立を肯定することができる
ものというべきである(もとより、侵害の主体が母親自身であるときは、過失によ
る自傷行為として不可罰ということになる。)。確かに、現行刑法は、胎児の生命
を断ち又はその生命を危殆にさらす故意による堕胎行為を処罰する規定を設けてい
るが、右は、成育しつつある胎児をそれ自体として保護するために設けられた特別
の規定であつて、これに該当しない胎児に対する侵害行為をすべて不可罰とする趣
旨までも含むものとは到底解することができない。けだし、母体の他の部分に対す
る不法な侵害は、人に対する侵害として刑法の対象となりうるのに、同じく母体の
一部たる胎児に対する侵害は、堕胎罪に当たらない限り、およそ母体に対する侵害
としては罰しえないと解するのは、著しく均衡を失するものといわざるをえないの
である。
 次に、過失行為によつて傷害された胎児が出生して人となつた後に、その傷害に
起因して死亡した場合には、どのように考えるべきであろうか。この場合、形式的
にいえば、胎児として受けた傷害の被害者は、前記のとおり、胎児を含む母体であ
ると解されるのに反し、死亡した被害者は、母体ではなくて出生したその人である
と解されるから、侵害の及んだ客体と結果の生じた客体とが、別個の人になつてい
るわけである。しかし、被害者の実体を虚心に見ると、それは、人の萌芽である胎
児としての生命体が成育して、母体から独立した人としての生命体になつたもので
あつて、侵害の及んだ客体と結果の生じた客体は、成育段階を異にする同一の生命
体ということができる。そして、刑法的・構成要件的評価においても、侵害の及ん
だ客体である母体と結果の生じた客体である子は、いずれも人であることに変わり
はなく、いわば法定的に符合しているのである。したがつて、このような場合には、
当該過失行為と死亡の結果との間に刑法上の因果関係が認められる限り、刑法の解
釈として、死亡した人に対する過失致死罪の成立を肯認することになんらの妨げが
ないものというべきである。私は、以上の理由により、Aに対する業務上過失致死
罪の成立を肯認する法廷意見に全面的に同調する。
 なお、過失行為によつて傷害を受けた胎児がその後遺症としての障害を負つて出
生した場合において、出生した人に対する過失傷害罪が成立するか否かに関しては、
果たして人に傷害という結果が発生したといえるか否かという困難な問題が存在す
る。今この問題の解決はひとまずおくとしても、仮に、胎児のときに受けた傷害に
起因して、出生後において死に至らないまでも傷害の程度が悪化したような場合に
は、その悪化した傷害の結果につき、出生した人に対する過失傷害罪の成立を肯認
する余地があろうと思われる。
 二 他方、私は、右とは別個の理論構成によつても、Aに対する業務上過失致死
罪の成立は、十分にこれを肯認することができるものと考えるので、以下、この点
に関する私見を付加しておくこととしたい。
 まず、刑法典に即して検討すると、過失による致死傷の罪を定める条項は、侵害
行為が加えられた客体が必ずしも人であることを明文で定めているわけではない。
すなわち、明文上は、「過失ニ因リ人ヲ傷害シタル者」(刑法二〇九条一項)、「
過失ニ因リ人ヲ死ニ致シタル者」(同法二一〇条)、「業務上必要ナル注意ヲ怠リ
因テ人ヲ死傷ニ致シタル者」「重大ナル過失ニ因リ人ヲ死傷ニ致シタル者」(同法
二一一条)などと定められており、およそ過失行為によつて人に死傷の結果が生じ
た場合には、その過失行為は、少なくとも形式的には、これらの構成要件に包摂さ
れる体裁になつているのである。そして、事柄を実質的に見ても、過失行為が人に
死傷の結果を発生させる一定の客観的な危険性を備えているときは、行為と結果と
の間の因果関係を肯定することができる限り、右過失行為の構成要件該当性を否定
すべき根拠は見当たらないのである。結局のところ、これらの罪においては、過失
行為による侵害作用が及んだ時点において、客体の法的性質が人であることは、必
ずしも必要ではないということになるであろう。侵害の及んだ客体と結果の生じた
客体とが異なるという事実は、右のような結果発生の客観的な危険性の評価判断に
影響を及ぼす限度においては、過失犯の成否に関係をもつであろうが、そのこと自
体が絶対的に過失犯の成立を否定する理由となるものではない。
 本件においては、既に記したとおり、侵害の及んだ客体と結果の生じた客体は、
現実には前後同一の生命体であり、刑法の解釈ないし定義上、一は胎児、他は人と
されるにとどまるから、このような刑法上の形式の相違は、客観的な危険性の判断
になんらの影響を及ぼさないということができる。したがつて、たとえ侵害作用が
及んだ時点において、客体の法的性質がいまだ胎児であり、人には至つていなかつ
たとしても、右事情は、Aに対する業務上過失致死罪の成立を肯認することの妨げ
にはならないものというべきである。
 以上と異なり、刑法の過失による致死傷の罪が成立するためには、胎児ではなく
て人に対して侵害作用が及んだことが必要であるとする見解がある。しかし、私は、
現に人に死傷の結果を発生させているにもかかわらず、侵害作用の及んだ時点にお
ける客体の法的性質が人でなく胎児であることを余りにも重大視し、明文にない要
件を設けてまで犯罪の成立を否定する右見解には、賛同することができない。
  昭和六三年二月二九日
     最高裁判所第三小法廷
         裁判長裁判官    安   岡   滿   彦
            裁判官    伊   藤   正   己
            裁判官    長   島       敦
            裁判官    坂   上   壽   夫

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