弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
一甲・乙事件被告法務大臣が甲・乙事件原告に対して平成15年3月1
2日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく異議の申
出は理由がない旨の裁決を取り消す。
二甲事件被告東京入国管理局主任審査官が甲・乙事件原告に対して平成
15年6月19日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
三甲・乙事件原告のその余の請求を棄却する。
四訴訟費用は、全事件を通じて、甲・乙事件原告と甲・乙事件被告法務
大臣との間においては、甲・乙事件原告に生じた費用の3分の1を甲・
乙事件被告法務大臣の負担とし、その余は各自の負担とし、甲・乙事件
原告と甲事件被告東京入国管理局主任審査官との間においては、甲・乙
事件原告に生じた費用の3分の1を甲事件被告東京入国管理局主任審査
官の負担とし、その余は各自の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一甲事件
主文第一項及び第二項と同旨(なお、甲事件訴状の請求の趣旨第一項
の「平成15年6月19日付けで」とあるのは「平成15年3月12日
付けで」の誤記と認める。。)
二乙事件
甲・乙事件被告法務大臣が甲・乙事件原告に対して平成14年4月9
日付けでした難民の認定をしない旨の処分を取り消す。
第二事案の概要
一略語の一部
・甲・乙事件原告を「原告」という。
・甲・乙事件被告法務大臣を「被告法務大臣」という。
「」。・甲事件被告東京入国管理局主任審査官を被告主任審査官という
・東京入国管理局を「東京入管」という。
・ミャンマー連邦は、平成元年(1989年)に名称をビルマ連邦社
会主義共和国から改称したものであるが、改称の前後を区別すること
なく、同国を「ミャンマー」という。
・平成16年法律第73号による改正前の出入国管理及び難民認定法
を「出入国法」という。
・原告が平成12年11月17日付けでした出入国法61条の2に規
定する難民の認定の申請を「本件難民認定申請」という。
・被告法務大臣が原告に対して平成14年4月9日付けでした難民の
認定をしない旨の処分を「本件難民不認定処分」という。
・被告法務大臣が原告に対して平成15年3月12日付けでした出入
国法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決を「本件
裁決」という。
・被告主任審査官が原告に対して平成15年6月19日付けでした退
去強制令書の発付処分を「本件退令処分」といい、当該退去強制令書
を「本件退令」という。
・難民の地位に関する条約を「難民条約」という。
・難民の地位に関する議定書を「難民議定書」という。
・拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑
罰に関する条約を「拷問等禁止条約」という。
二事案の骨子
甲事件は、ミャンマーの国籍を有する男性である原告(本件難民認定
申請当時40歳)が、被告法務大臣から本件裁決を受け、被告主任審査
官から本件退令処分を受けたため、原告がミャンマーに送還されれば迫
害を受けるおそれがあり、出入国法等に規定する「難民」に該当するに
もかかわらず在留特別許可を認めなかった本件裁決は違法であり、それ
を前提とする本件退令処分も違法であるなどと主張して、被告法務大臣
に対しては本件裁決の取消しを、被告主任審査官に対しては本件退令処
分の取消しを、それぞれ求める事案である。
乙事件は、原告が、出入国法61条の2第1項に基づき難民の認定を
、、、申請したところ被告法務大臣から本件難民不認定処分を受けさらに
出入国法61条の2の4の規定に基づく異議の申出についても、被告法
務大臣から理由がない旨の決定を受けたため、本件難民不認定処分が違
法であると主張して、被告法務大臣に対し本件難民不認定処分の取消し
を求める事案である。
三関係法令の定め等
1難民の定義について
、「」、(一)出入国法2条3号の2は出入国法における難民の意義を
「難民の地位に関する条約(…略…)第1条の規定又は難民の地位
に関する議定書第1条の規定により難民条約の適用を受ける難民を
いう」と規定している。。
(二)難民条約1条A()は「1951年1月1日前に生じた事件2、
の結果として、かつ、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団
の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれが
あるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にい
る者であつて、その国籍国の保護を受けることができないもの又は
そのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望
まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の
外にいる無国籍者であつて、当該常居所を有していた国に帰ること
ができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有
していた国に帰ることを望まないものは難民条約の適用上難」、、「
民」という旨規定している。
(三)難民議定書1条2は、難民議定書の適用上「難民」とは、難、
民条約1条A()の規定にある「1951年1月1日前に生じた事2
件の結果として、かつ」及び「これらの事件の結果として」とい、
う文言が除かれているものとみなした場合に同条の定義に該当する
すべての者をいう旨規定している。
(四)したがって「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の、
構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあ
るという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる
者であつて、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそ
のような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望ま
ないもの」は、出入国法にいう「難民」に該当することとなる。
2難民である旨の認定を行う処分について
(一)出入国法61条の2第1項は「法務大臣は、本邦にある外国、
人から法務省令で定める手続により申請があつたときは、その提出
した資料に基づき、その者が難民である旨の認定(以下「難民の認
定」という)を行うことができる」と規定している。。。
(二)出入国法61条の2第2項は「前項の申請は、その者が本邦、
に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあつて
、)。はその事実を知つた日から60日以内に行わなければならない
ただし、やむを得ない事情があるときは、この限りでない」と規。
定している(以下、同条項に規定する要件を「60日要件」という
ことがある。。)
3退去強制令書の発付と在留特別許可等について
(一)出入国法24条は「次の各号のいずれかに該当する外国人に、
ついては、次章に規定する手続により、本邦からの退去を強制する
ことができる」とし、その6号において「寄港地上陸の許可、。、
通過上陸の許可、乗員上陸の許可、緊急上陸の許可、遭難による上
陸の許可又は一時庇護のための上陸の許可を受けた者で、旅券又は
当該許可書に記載された期間を経過して本邦に残留するもの」と定
めている。
(二)出入国法47条2項は「入国審査官は、審査の結果、容疑者、
が第24条各号の1に該当すると認定したときは、すみやかに理由
を附した書面をもつて、主任審査官及びその者にその旨を知らせな
ければならない」と規定している。。
、「、(三)出入国法48条1項は前条第2項の通知を受けた容疑者は
同項の認定に異議があるときは、その通知を受けた日から3日以内
に、口頭をもつて、特別審理官に対し口頭審理の請求をすることが
できる」とし、同条3項は「特別審理官は、第1項の口頭審理。、
の請求があつたときは、容疑者に対し、時及び場所を通知して速や
かに口頭審理を行わなければならない」とし、同条7項は「特。、
別審理官は、口頭審理の結果、前条第2項の認定が誤りがないと判
定したときは、すみやかに主任審査官及び当該容疑者にその旨を知
らせるとともに、当該容疑者に対し、第49条の規定により異議を
申し出ることができる旨を知らせなければならない」と規定して。
いる。
(四)出入国法49条3項は「法務大臣は、第1項の規定による異、
議の申出を受理したときは、異議の申出が理由があるかどうかを裁
決して、その結果を主任審査官に通知しなければならない」と規。
定している。
(五)出入国法49条5項は「主任審査官は、法務大臣から異議の、
申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、すみやかに
当該容疑者に対し、その旨を知らせるとともに、第51条の規定に
よる退去強制令書を発付しなければならない」と規定している。。
(六)出入国法50条1項は「法務大臣は、前条第3項の裁決に当、
つて、異議の申出が理由がないと認める場合でも、当該容疑者が左
の各号の1に該当するときは、その者の在留を特別に許可すること
ができる」とし、その3号において「その他法務大臣が特別に。、
在留を許可すべき事情があると認めるとき」と定めている。。
4難民の追放及び送還の禁止について
(一)難民条約32条1項は「締約国は、国の安全又は公の秩序を、
理由とする場合を除くほか、合法的にその領域内にいる難民を追放
してはならない」と規定している。。
(二)難民条約33条1項は「締約国は、難民を、いかなる方法に、
よつても、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員で
あること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらさ
れるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない」。
と規定している。
5拷問を受けるおそれのある者の追放及び送還の禁止について
(一)拷問等禁止条約3条1項は「締約国は、いずれの者をも、そ、
の者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的
、。」な根拠がある他の国へ追放し送還し又は引き渡してはならない
と規定している。
(二)拷問等禁止条約1条1項は「この条約の適用上『拷問』と、、
は、身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず人に重い
苦痛を故意に与える行為であって、本人若しくは第三者から情報若
しくは自白を得ること、本人若しくは第三者が行ったか若しくはそ
の疑いがある行為について本人を罰すること、本人若しくは第三者
を脅迫し若しくは強要することその他これらに類することを目的と
して又は何らかの差別に基づく理由によって、かつ、公務員その他
の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同
意若しくは黙認の下に行われるものをいう『拷問』には、合法的。
な制裁の限りで苦痛が生ずること又は合法的な制裁に固有の若しく
は付随する苦痛を与えることを含まない」と規定している。。
四前提事実
本件の前提となる事実は、次のとおりである。なお、証拠及び弁論の
、、全趣旨等により容易に認めることのできる事実はその旨付記しており
それ以外の事実は、当事者間に争いのない事実である。
1原告の国籍等について
原告は、昭和35年(1960年)▲月▲日、ミャンマーにおいて
出生したミャンマー国籍を有する男性の外国人である(乙1。)
2原告の入国・在留状況について
、「」、(一)原告は千葉港に入港したベリーズ船籍α号の乗員として
平成10年7月21日、東京入管千葉港出張所入国審査官から、上
陸期間を同日から同月28日までとする乗員上陸許可を受けて、本
邦に上陸した(乙2から5まで、8。)
(二)前記船舶は、予定どおり、平成10年7月22日に千葉港から
出港したが、原告は、同船に戻らず、そのまま所在不明となり、上
陸許可期限である同月28日を超えて不法残留を続けた(乙5から
7まで。)
(三)原告は、平成12年11月20日、東京入管に出頭して、前記
上陸許可期限を超えて不法残留しているとの違反事実を申告した
(乙7。)
(四)原告は、東京都練馬区長に対し、平成12年11月20日、新
、、規に外国人登録法に基づく外国人登録申請を行い同年12月5日
外国人登録証明書の交付を受けた(乙23。)
3原告の本件難民認定申請について
(一)原告は、被告法務大臣に対し、平成12年11月17日、本件
難民認定申請をした(乙38。)
(二)東京入管難民調査官は、平成12年12月19日及び平成13
年2月28日に、原告から事情を聴取するなどの調査をした(乙6
4、65。)
(三)被告法務大臣は、平成14年4月9日付けで、本件難民認定申
請について、本件難民不認定処分をし、同月16日、これを原告に
通知した。原告は、被告法務大臣に対し、出入国法61条の2の4
所定の期間内である同月19日に、本件難民不認定処分について異
議の申出をした。
なお、本件難民不認定処分の通知書に付記された理由は「あな、
たからの難民認定申請は、出入国管理及び難民認定法第61条の2
第2項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、あなたの
申請遅延の申立ては、同項但書の規定を適用すべき事情とは認めら
れません」というものであった(甲1、乙24、66)。。
(四)東京入管難民調査官は、平成15年1月24日、原告から事情
を聴取するなどの調査をした(乙68。)
(五)被告法務大臣は平成15年3月11日付けで原告の前記(三)、、
の異議の申出につき理由がない旨の決定をし、同年4月18日、こ
れを原告に通知した。
なお、上記決定の通知書に付記された理由は「あなたからの難、
民認定の申請は、出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所
定の期間を経過してなされたものであり、かつ、同項ただし書の規
定を適用すべき事情も認められないので、原処分に誤りはない」。
というものであった(甲2、乙25)。
(六)原告は、平成15年6月30日、本件難民不認定処分の取消し
、()。を求めて乙事件に係る訴えを提起した当裁判所に顕著な事実
4原告の退去強制手続について
(一)東京入管入国警備官は、平成12年12月6日、東京入管にお
いて、原告から事情を聴取した(乙9。)
(二)東京入管入国警備官は、平成12年12月22日、被告主任審
査官から収容令書の発付を受け、同月26日、これを執行して、原
告を東京入管収容場に収容し、同日、原告を東京入管入国審査官に
引き渡した(乙10、11。)
原告は、同日、請求により仮放免を許可された(乙12。)
(三)東京入管入国審査官は、平成12年12月26日及び平成13
年2月6日、原告に対する違反審査を行い、その結果、同日、原告
が出入国法24条6号(不法残留)に該当する旨の認定を行い、原
告に通知した。原告は、東京入管特別審理官に対し、同日、口頭審
理を請求した(乙13から15まで)。
(四)東京入管特別審理官は、平成14年8月12日、原告について
口頭審理を実施し、同日、上記認定に誤りがない旨判定し、原告に
これを通知した。原告は、被告法務大臣に対し、同日、異議の申出
をした(乙16から18まで)。
(五)被告法務大臣は平成15年3月12日付けで原告の前記(四)、、
の異議の申出につき本件裁決をした。本件裁決の通知を受けた被告
主任審査官は、同年6月19日、原告に本件裁決を通知するととも
に、本件退令処分をし、本件退令を執行して原告を東京入管収容場
に収容した(乙19の1、19の2、20、21、28)。
(六)原告は、平成15年6月30日、本件裁決及び本件退令処分の
各取消しを求めて、甲事件に係る訴えを提起した(当裁判所に顕著
な事実。)
(七)東京入管入国警備官は、平成15年10月22日、原告を入国
(「」。)者収容所東日本入国管理センター以下東日本センターという
へ移収した(乙28。)
(八)東日本センター所長は、平成16年8月4日、原告を仮放免し
た(乙36。)
5原告の2回目の難民認定申請手続について
(一)原告は、被告法務大臣に対し、平成15年8月8日、出入国法
61条の2に規定する難民の認定を申請した以下この申請を2(、「
回目の難民認定申請」という(乙72。。))
(二)東京入管難民調査官は、平成15年10月21日、東京入管に
おいて、原告から事情を聴取するなどの調査をした(乙73。)
(三)被告法務大臣は、平成15年12月10日付けで、2回目の難
民認定申請について、難民の認定をしない旨の処分をし、同月25
日、これを原告に通知した。原告は、被告法務大臣に対し、出入国
法61条の2の4所定の期間内である同月30日に、上記難民の認
定をしない旨の処分について異議の申出をした。
なお、上記難民の認定をしない旨の処分の通知書に付記された理
由は「あなたは『特定の社会的集団の構成員であること』及び、、
『政治的意見』を理由とした迫害を受けるおそれがあると申し立て
ています。しかしながら、あなたの提出資料及び供述からは、あな
たが本邦での活動により反政府活動家であるとして個別に把握され
ているとは認められないこと等からすると、申立てを裏付けるに足
りる十分な証拠があるとは認め難く、あなたは、難民の地位に関す
る条約第1条A()及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定2
する難民とは認められません。また、あなたの難民認定申請は、出
入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過して
なされたものであり、かつ、同項ただし書の規定を適用すべき事情
も認められません」というものであった(乙74、75)。。
(四)東京入管難民調査官は、平成16年4月19日、東日本センタ
、()。ーにおいて原告から事情を聴取するなどの調査をした乙76
(五)被告法務大臣は、平成17年1月5日付けで、前記(三)の異議
の申出について、異議の申出に理由がない旨の決定をし、同年2月
7日、原告にこれを通知した。
なお、上記決定の通知書に付記された理由は「あなたの原処分、
に対する異議申出における申立ては、原処分において申し立てた内
容とほぼ同旨を申し立てるものであって、新たに提出のあった資料
を含め全記録により検討しても原処分に誤りはなく、平成15年1
2月10日付け『通知書』の理由のとおり、あなたが難民の地位に
関する条約第1条A()及び難民の地位に関する議定書第1条2に2
。、、規定する難民とは認められませんまたあなたの難民認定申請は
出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過し
てなされたものであり、かつ、同項ただし書の規定を適用すべき事
情も認められません」というものであった(乙77)。。
五争点
本件の主な争点は、次のとおりである。
1難民該当性の有無
具体的には、本件難民不認定処分のされた平成14年4月9日当時
及び本件裁決のされた平成15年3月12日当時、原告がミャンマー
の民主化を目指す政治的意見を有していることを理由として、迫害を
受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているため
に、国籍国の外にいる者ということができるか。
260日条項違反の有無
具体的には、原告の本件難民認定申請が出入国法61条の2第2項
本文かっこ書き所定の「その事実を知つた日」から60日以内にされ
たか。また、仮に60日以内にされなかった場合には、そのことにつ
いて、同項ただし書所定の「やむを得ない事情」があるということが
できるか。
3本件難民不認定処分の手続上の適法性
具体的には、本件難民不認定処分に相当の理由付記がされていたと
いうことができるか。
4本件裁決の適法性
、、、具体的には本件裁決のされた平成15年3月12日当時原告は
ミャンマーに送還されれば迫害を受けるおそれがあったので、在留特
別許可を付与されるべきであったのに、これを付与せずにされた本件
裁決は、被告法務大臣の有する裁量権を逸脱するなどしてされた違法
なものであるということができるか。
5本件退令処分の適法性
具体的には、本件裁決が違法であるから、これを前提とする本件退
令処分も違法であるか。
六争点に関する当事者の主張の要旨
争点に関する当事者の主張の要旨は、別紙「当事者の主張の要旨」の
とおりである。
第三争点に関する当裁判所の判断
一争点1(難民該当性の有無)について
1難民の意義
出入国法にいう「難民」とは、出入国法2条3号の2、難民条約1
条A()、難民議定書1条2を合わせ読むと、人種、宗教、国籍若し2
くは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫
害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するため
に、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることが
できないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を
。、「」受けることを望まないものをいうこととなるそして上記の迫害
とは、通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫で
あって、生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味するものと解する
のが相当であり、また、上記にいう「迫害を受けるおそれがあるとい
う十分に理由のある恐怖を有する」というためには、当該人が迫害を
受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほか
に、通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くよう
な客観的事情が存在していることが必要であると解するのが相当であ
る。
そこで、以下、本件難民不認定処分がされた平成14年4月9日当
時及び本件裁決がされた平成15年3月12日当時において、原告が
「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又
は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由の
ある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者」と認めることができ
るか否かについて、検討する。
2認定事実
前記前提事実に加え、証拠(甲3、5、6、7の1及び2、8、9
、、、、の1及び210の1及び211から34まで36から50まで
、、、、、、、、、乙79141635384246から65まで67
68、証人P1、原告本人、弁論の全趣旨及び公知の事実を総合す)
ると、以下の事実を認めることができる。
(一)ミャンマーにおける一般情勢等
()ミャンマーは、昭和23年(1948年)1月4日、イギリ1
ス連邦から独立した。
()軍は、昭和37年(1962年、政治権力を奪取し、意思2)
決定を中央集権化するシステムを形成した。
()昭和63年(1988年)8月、26年間続いた軍事政権に3
、。、、対して大規模な民主化運動が起こったしかし民主化運動は
軍によって弾圧され、同年9月18日、軍事クーデターにより、
国家法秩序回復評議会(以下「スローク」という)が全権を掌。
握した。
()平成2年(1990年)5月、総選挙が施行され、アウン・4
サン・スーチー率いるNLD(国民民主同盟)が約8割の議席を
占めて勝利したにもかかわらず、スロークは政権を移譲しなかっ
た。
()スロークは、平成8年(1996年)5月及び同年9月にN5
LD主催の議員総会や党員総会が開催されることを妨害し、同年
5月に256名、同年9月に559名のNLD関係者を拘束し、
同年6月7日に新治安維持法を制定した。また、同年12月、大
規模な学生示威運動が展開されたが、武装警察隊の投入等によっ
て強権的に押さえ込まれた。
()平成8年(1996年)12月25日、ガバーエーパゴダに6
おいて政府要人を狙った爆弾事件があり、スロークは同事件に全
ビルマ学生民主戦線が関与している疑いがあると発表した。
また、平成9年(1997年)4月6日、スロークの第二書記
であるP2中将の自宅に小包が届き、これが爆発して同人の長女
が死亡するという事件が起こった。
スローク側は、同月8日、同事件について、在日反政府組織が
テロリズム路線へ転換して実行したものであると発表し、同年6
月27日、a所属のP3及びP4が同事件の犯人として特定され
。、、。たと発表したなおP3及びP4は難民の認定を受けている
()スロークは、平成9年(1997年)11月、国家平和発展7
評議会に改組された(なお、以下では、改組の前後を区別するこ
となく「スローク」という。しかし、ミャンマーでは、平成、。)
10年(1998年)には、500人以上のNLDメンバーが拘
束され、アウン・サン・スーチーも首都ヤンゴンから出ることを
妨害されて連れ戻され、民主化を訴えるビラを配布した外国人1
8人が警察に拘束されるなどした。
()平成11年(1999年)には、昭和63年(1988年)8
8月の民主化運動の11周年記念で大規模な民主化運動が起きる
ことを警戒した政府が、多くの民主化活動家を拘束した。
治安当局は、平成12年(2000年)8月、アウン・サン・
スーチーほかNLD幹部がヤンゴンを離れたところを強制的に連
れ戻し、12日間自宅に軟禁し、NLD本部を家宅捜索し、書類
を押収した。
また、同年9月、アウン・サン・スーチーとP5NLD副議長
等は、マンダレーを訪れようとした際、ヤンゴン駅から強制退去
させられ、P5副議長は、イェーモン軍情報部基地に連行されて
拘留され、アウン・サン・スーチーとNLD中央執行委員は、年
末まで自宅軟禁となり、NLD支援者を含む100人近くが逮捕
された。
平成15年(2003年)5月30日には、アウン・サン・ス
ーチーが、地方遊説に出かけていた際、それを妨害しようとした
政府系の反NLD組織によって襲撃され、軍事政権により拘束さ
れるというディペイン事件が起きた。
()スローク政権は、現在においても、国民の政治的自由を認め9
ずに人権抑圧の状態を継続している。ミャンマー政府は、言論、
出版、集会、移動、政治活動、結社の自由を制限しているほか、
労働者の権利も制限し、労働組合を非合法化し、強制労働者も使
用している。
()ミャンマー政府は、政治活動家に対する嫌がらせ、脅迫、逮10
捕、拘禁及び身体的虐待によって管理を強化している。政治活動
を抑圧するために、監視の手段として、電話の盗聴、郵便物の検
閲、尾行等の恣意的な干渉をされることがある。また、非常事態
法、国家保護法等の法律が、平和的な政治活動を行った市民を逮
捕するためにも用いられている。そして、特にNLDのメンバー
に焦点を絞った民主派への迫害が、脅迫、嫌がらせや長期刑等の
形で続いている。
()ミャンマーにおいては、人権尊重の理念が浸透しているとは11
いい難く、超法規的死刑執行、即決死刑執行、恣意的死刑執行、
強制労働、強制移住、強制失踪、恣意的逮捕、財産の破壊、強姦
等があったことが報告されている。
()近時においても、穏健派である首相が解任されるなど、民主12
化への動きが後退するのではないかと危ぐされている状況にあ
る。
(二)原告のミャンマーにおける政治活動等
()原告は、高校を卒業後、通信制で大学に就学しながら、鉱業1
省の下部にあるミャンマー宝石公社において公務員として稼働し
た。
()昭和63年8月に、ミャンマーで大規模な民主化闘争が起き2
たことから、原告は、鉱業省の他の公社の労働者たちと共に、デ
モ活動に参加した。しかし、同年9月には、前述した軍事クーデ
ターが起き、民主化活動が押さえ込まれた。
()原告は、昭和63年9月末ころ、職場の上司から、政治活動3
についての質問事項と今後二度と政治活動をしないという宣誓が
記載された書面に記入するように求められた。原告は、デモ活動
については10回位参加したなどと少な目に回答し、政治活動を
しないという宣誓の書面に署名した。
原告は、ミャンマー当局により民主化活動が制限されたことや
今後二度と政治活動をしないという宣誓書に署名したことなどか
ら、その後、ミャンマーにおいて、政治活動を行わなかった。
(三)日本における反政府活動家による活動等
()aは、昭和63年9月に、ミャンマー政府の民主化運動に対1
する弾圧による死者を弔う会に集まった在日ミャンマー人たちに
よって結成された団体である。aは、その後も、ミャンマーの軍
事政権に反対し、ミャンマーの民主化運動への支援を行う団体と
して活動してきた。
()平成2年12月には、タイ・ミャンマー国境で民主化運動を2
行う学生グループを支援する目的でbが設立された。
()平成12年12月、aやbなど在日のミャンマーの民主化を3
訴える4団体が統合して、cが設立され、現在も活動を行ってい
る。なお、cの正式な会員は、現在約120名である。また、平
成17年1月現在のcの中央執行委員会のメンバー19人のう
ち、13人が難民の認定又は在留特別許可を受けている。
()c等の反ミャンマー政府の立場を採る在日ミャンマー人の団4
体は、頻繁に在日ミャンマー大使館前で、デモ等の抗議活動を行
っている。
()日本から帰国したミャンマー人の中には、ヤンゴン空港で、5
政治活動へのかかわりの有無や政治活動にかかわっている者につ
いて、日本でのデモを撮影した写真を見せられるなどしながら、
取調べを受けた者がいる。
(四)原告が日本に入国するに至る経緯と日本における生活状況等
()原告は、平成4年から香港の船会社において、船員として稼1
働し、その後、勤務する船会社を変えながら、来日する平成10
年7月21日まで、アジア各国の船会社で船員として勤務した。
()原告は、平成9年10月に、幼なじみのミャンマー人女性と2
婚姻した。なお、原告の妻は、現在、ミャンマーにおいて、政府
機関で事務員として働いている。平成11年▲月▲日には、原告
の娘が出生し、現在、ミャンマーにおいて生活している。
()平成7年から、原告が乗船していた船がミャンマー以外の国3
に寄港した際に、日本で発行されている反ミャンマー政府の立場
の週刊誌であるβが、送られてくるようになった。そこで、原告
は、βを読むようになり、自分も日本において反政府活動をして
みたいと考えるようになった。
()なお、βは、平成7年に日本において創刊された反ミャンマ4
ー政府の立場の週刊誌である。現在、βは、毎週約260部印刷
。、、して発行されているβは上記のように印刷されたもののほか
インターネットや電子メールを通じても配信されている。また、
韓国やマレーシアでは、日本で印刷して発行されたものを、現地
で複写して、それが配布されている。
βは、平成▲年▲月▲日に発行されたミャンマー国営新聞「ミ
ャンマーアリン」において、反政府組織が発行している雑誌とし
て掲載された。
βの編集長は、現在、原告のいとこであるP1が務めている。
P1は、現在までに、b及びcの議長を歴任し、現在も、cの副
議長を務めている。なお、P1は、平成10年10月27日に、
日本において、難民の認定を受けた。
()原告は、平成10年7月21日に「α」号の船員として本5、
邦の千葉港に上陸した際に、P1に連絡をとり、東京都北区のア
パートの一室にあるP1の自宅に案内してもらった。なお、当時
のP1の自宅は、bの事務所及びβの作業所を兼ねていた。
()原告は、本邦に上陸した平成10年7月21日の夜、案内し6
てもらったP1の自宅において、スタッフらがβの作成や発送な
、、、どの作業をしているのを見て船に戻ることなく日本において
反政府活動をすることを決意した。
()原告は、平成10年8月末に、P1の友人から、仕事を紹介7
してもらい、建設作業員として稼働し、その後、飲食店で皿洗い
の仕事をした。原告は、平成12年12月ころには、月額23万
円の収入を得ており、そのころまでに、ミャンマーにいる原告の
家族に合計約150万円を送金していた。
(五)原告の日本における活動状況等
()原告は、本邦に上陸した直後から、βの作成作業を手伝うよ1
うになった。原告は、βの編集スタッフではないものの、入国管
理局に収容された期間を除いて現在に至るまで、βの校正、コン
ピュータでの写植、編てつ、発送などを行い、βの発行作業を手
伝っている。
()原告は、平成10年8月ころから、在日ミャンマー大使館前2
等で行われるデモに一般の参加者として何度も参加し、シュプレ
ヒコールを叫ぶなどした。原告が参加したデモの中には、平成1
2年6月に、ミャンマーの軍事政権の指導者の一人であるキン・
ニョン第一書記(キン・ニョン中将)が小渕恵三元総理大臣の葬
儀の参列のために来日することに反対したものもあった。
なお、原告は、平成17年3月以降は、在日ミャンマー大使館
において定期的に行うデモのうちの金曜日分について、参加者に
指示を出したり、シュプレヒコールの指揮を執る担当者二人のう
ちの一人となった。
在日ミャンマー大使館前におけるデモの様子については、同大
使館員にビデオで撮影されることもあった。
また、原告は、bやcの集会や話し合いにも何度となく参加し
た。
なお、原告は、平成16年5月30日、他の収容者とともに、
東日本センターにおいて、ディペイン事件に抗議するハンガース
トライキを行った。
()ア原告は、本邦上陸後平成12年4月に至るまで、在日の反3
政府組織には加入しなかったが、同月に、bに加入した。さ
らに、原告は、同年12月に、bやa等が統合してcが設立
されると、cにも加入した。
イ原告は、平成14年2月24日に、cの中央執行委員会の執
行委員の補佐として、cの中央執行委員会の18人のメンバー
の一人に選出された。なお、cの2001/2002年度第1
回年次総会報告(甲19)には、それぞれ実名で、原告ほか1
7名が中央執行委員会のメンバーに選出された事実が記載され
ている。
原告は、同年12月22日に、cの副書記長を選出する選挙
にきん差で敗れたため、cの規定により、中央執行委員会のメ
ンバーから外れることとなった。
、、、、なお原告は平成16年12月12日cの会議において
cの調査研究担当の中央執行委員に選任された。cの機関誌で
ある「γ」の▲年▲月号(甲33)には、原告を含むcの平成
▲年の中央執行委員の氏名及び同委員らの集合写真が掲載され
た。
()ア原告は、平成11年ころから、反政府の詩や評論などを執4
、「」、「」、「」筆し日本で発行された反政府の雑誌であるβδε
や、韓国で発行された反ミャンマー政府の雑誌「ζ」などに
おいて、発表した。なお、上記各雑誌は、日本にあるミャン
、マー人向けの雑貨店でだれでも買い求めることができるほか
日本にあるミャンマー人向けの図書館においても閲読及び借
受けをすることができるものである。
イ原告が発表したものの中には、①平成11年▲月▲日付けβ
に発表された、軍事政権に対して懐柔策を採ってはならないこ
とを訴える評論(甲6、②平成12年▲月▲日付け同誌に発)
表された、ミャンマーの軍事政権を批判する「η」という題の
詩(甲20、③平成12年▲月▲日付け同誌に発表された、)
軍事政権と戦うためには武力に訴えて報復するのがふさわしい
などとする評論(甲8、④平成14年▲月▲日付け同誌に発)
表された、国民のリーダーであるアウン・サン・スーチー女史
、()、は国外に出て闘争に参加すべきであるとする評論甲22
⑤平成14年▲月▲日付け同誌に発表された、ミャンマーの軍
、「」()事政権を批判しミャンマーを憂うθと題する詩甲23
等があり、これらはいずれもP6のペンネームで発表されたも
のである。
また、原告は、P6のペンネームで、比ゆを用いて、アウン
・サン・スーチーを賞賛し、軍事政権を批判する内容の「ι」
と題する詩(甲21)を発表した。
なお、平成16年▲月▲日付けδ誌(甲36)には、原告の
実名で、軍部のP7へあてた公開書簡「P7先生への手紙」が
掲載された。
上記の詩や評論も含めて、現在までに発表された原告の作成
した詩は、10本程度であり、現在までに発表された原告の執
筆した評論は15本程度である。
原告の執筆したものは、表現がストレートであり、かつ、ミ
ャンマーの軍事政権に対して武力も辞さないことやアウン・サ
ン・スーチーはミャンマーから出て外国で闘争すべきであるな
ど内容が過激で、独特のものが多かったことが特徴である。
ウ原告は、詩や評論を執筆する際には「P6」というペンネ、
ームを多く用いた。なお、原告は、東日本センターに収容され
ていたときには「P8(P9」の意味である)のペンネー」「。
ムを、また、平成16年ころからは「P10」というペンネー
ムを用いたが、それ以外の機会には、P6のペンネームを用い
ていた。
エ原告自身は、P6というペンネームを使用していることをP
1以外のほかの人にあえて言うことはなかったが、日本在住の
民主化活動家の間では、次第に、P6が原告のペンネームであ
ることが知られるようになった。
()ア原告は、ミャンマーの軍事政権の指導者の一人であるキン5
・ニョン第一書記が小渕元総理大臣の葬儀に参加したことに
対して、多数の友人とともに、平成12年6月7日付けで、
小渕元総理大臣の葬儀に参加した主要国首脳あてに「抑圧、
されたビルマ国民」の名で、ミャンマー国民はミャンマーの
軍事政権の正当性を認めておらず、小渕元総理大臣の葬儀に
おいて、葬儀に参加した主要国首脳はキン・ニョン第一書記
と肩を並べて歩くべきではない旨主張する内容の書簡(甲7
の1)を作成し、同日、各国の在日大使館にファクシミリで
送信した。
、、、、イまた原告は友人とともに平成12年7月17日付けで
沖縄サミットに参加した日本を含む主要国首脳あてに「日本、
での反軍制・民主化グループ」の名で、書簡(甲9の1)を作
成し、同日、各国の在日大使館等に送付した。上記書簡は、友
人が草稿し、原告が加筆訂正したもので、ミャンマーの民主化
への支援と違法な軍事政権に対する行動の要請を記載したもの
であった。
ウまた、原告は、平成12年9月24日付けで、一人で、ビル
・クリントンアメリカ合衆国大統領、アル・ゴア同副大統領、
トニー・ブレア英国首相あてに、ミャンマーの軍事政権を批判
した上で「貴国の影響力で政権の座を引き渡し、国際司法裁、
判所によってとるべき行動の判断を下していただくよう強くお
。」()。願いいたしますと記載した書簡甲10の1を作成した
原告は、同月25日、差出人を「独裁政治と戦う民主化グル
ープ」とし、当時原告が居住していた住所とマンションの部屋
番号を記載して、上記書簡をアメリカ合衆国及び英国に書留郵
便で送付した。
エさらに、原告は、平成13年3月に、ブッシュアメリカ合衆
国大統領及びトニー・ブレア英国首相あてに、ミャンマーの軍
事政権に対して直ちに必要な行動をとるように要請する書簡を
送付した。
()ア原告は、平成14年11月に、在日ミャンマー人の工場労6
働者の組合であるdに加入した。なお、同組合は、その後、
改組し、eとなったが、原告はこの組合にも加入した。これ
らの組合は、ミャンマーとタイの国境地帯で労働問題を通じ
てミャンマーの民主化を実現すべく活動しているfの下部組
織である。しかし、dやeは、本邦における在日ミャンマー
人の人権保護を目的とするものであり、反ミャンマー政府の
政治活動は行っていない。
イ平成▲年▲月▲日には、dについて、NHKの「おはよう日
本」の番組中で「κ」という特集が5分程度放映された。上、
記特集では、P11という人物が日本で働くミャンマー人のた
めの労働組合を組織した経緯について紹介された。また、上記
特集では、組合員らが今後の活動方針について話し合っている
様子や、同組合が開催しているパソコン教室の様子も放映され
たが、個人が政治的意見を表明する様子は含まれず、また、各
部分は数秒程度であった。
3事実認定の補足説明
(一)()原告が、本邦上陸後、反政府活動を決意して、残留するこ1
とになったのか争いがあるので検討する。
(、、、、、、、、()証拠甲53148乙14163865682
証人P1)によると、①原告は、難民審査の段階や、陳述書等に
おいて、平成7年から、原告が乗船していた船がミャンマー以外
の国に寄港した際に、日本で発行されている反ミャンマー政府の
立場の週刊誌であるβが、送られてくるようになったことから、
それを読むようになり、自分も日本において反政府活動をしてみ
たいと考えるようになったところ、本邦上陸後、案内してもらっ
たP1の自宅において、スタッフらがβの作成や発送などの作業
をしているのを見て、船に戻ることなく、日本において、反政府
活動をすることを決意した旨一貫して供述ないし陳述しているこ
と、②P1も、陳述書や証言において、原告が来日してから、原
告を自宅に案内し、その後、原告は、βの作成や発送などの作業
を手伝ってくれた旨供述ないし陳述していることを認めることが
できる。
さらに、上記原告及びP1の供述等の信用性について検討する
と、証拠(甲3、5、31、46、48、乙9、14、76)に
よると、③原告は、ミャンマーにおいて、公務員として稼働しな
がらも、通信制の大学で就学しており、いわゆる知識階層に属す
る者であること、④原告は、ミャンマーにおいても、昭和63年
8月に、民主化を求めたデモに参加したことがあったこと、⑤ミ
、、、ャンマー政府は現在に至るまで政治活動家に対する嫌がらせ
脅迫、逮捕、拘禁及び身体的虐待によって管理を強化しているこ
と、⑥原告自身も、二度とデモに政治活動を行わないと宣誓する
書面に署名することを求められ、それに応じたことをそれぞれ認
めることができる。
以上の事実に加え、⑦原告及びP1が一貫して供述する原告の
本邦入国後の活動歴や、⑧原告の執筆した評論や詩の内容からす
ると、原告が、来日後間もなく、反政府活動を決意したとする原
告の供述は、信用性が高いというべきである。
()これに対して、被告法務大臣は、①原告がβの編集スタッフ3
の一員となっていたのではないこと、②原告が、本邦に上陸直後
に政治活動をしようと考えたにもかかわらず、来日後約1年9か
月を経過した平成12年4月までの間、特定の組織に所属するこ
とがなかったこと、③原告は、特定の組織に所属しなかった理由
について、原告本人尋問では、bのだれからもメンバーに入るよ
うに言われなかったことを挙げ、また、東京入管難民調査官に対
して「どこの組織からも勧誘されなかったので、おもしろく思、
っていませんでした。それで入会しませんでした」と供述して。
いること、④原告は、東京入管特別審理官に対して、日本におけ
、「、る民主化活動について活動の仕方がよく分からなかったので
、。」デモがあれば参加し会議があれば参加するという感じでした
と供述していること等から、原告の活動内容は補助的、消極的な
、、、ものであるにとどまり原告にとって民主化活動を行うことが
本邦で不法残留となることをいとわなかったというほどの強い残
留の動機であったとは考え難く、原告は、高い政治的意識を有し
ていなかったのであって、日本で反政府活動を決意したとは認め
られない旨主張する。
しかし、①の点については、原告は、βの編集スタッフにはな
らなかったものの、βの発行・作成を手伝い、βを始めとした雑
誌において、反政府の立場から詩や評論を発表していたのである
から、βの編集スタッフにならなかったことを理由として、原告
の活動内容が補助的、消極的なものにとどまるとか、原告が高い
政治的意識を有していなかったとかいうことはできないというべ
きである。
また、②及び③の点については、原告は、本人尋問において、
当時、自分としては、民主化の活動をするのに必ず組織に加入し
なければならないという気持ちはなかったこと、組織に入る前に
は自分の好きなことができる立場でいたのが、組織に入った後に
は、その組織のメンバーの一員としての責任があるので、組織の
方針に従って行動をするということになったこと、本邦に入国し
てからすぐに組織に所属しなかったのは、自分としては、日本に
おける組織の活動というのを冷静に見つめ、研究をする時期があ
ったからであることを供述している。これらの原告の供述に特に
不合理な点はなく、このような原告の供述や、現にその後原告が
c等で活動していることを考慮すると、来日後1年9か月が経過
するまで、特定の反政府の組織に入らなかった点も不合理とはい
えない。
さらに、④の点については、原告が日本において反政府活動を
始めたばかりのころの原告の活動状況について原告が説明したも
のにすぎないとも考えられ、原告の上記④の供述をもって、原告
の活動が消極的であったと認めるのは相当ではない。
このように検討すると、被告法務大臣の前記主張は、採用する
ことができない。
()以上からすると、原告は、来日後間もなく、ミャンマーの軍4
事政権に反対する政治的意思を固め、反政府活動を決意して、こ
れを開始したものと認めるのが相当である。
(二)()また、原告のP6というペンネームが原告及びP1以外の1
者に露見したか否かについても争いがあるので、この点について
検討する。
()まず、証拠(原告本人、証人P1)によると、原告及びP12
は、ほかの者に原告のペンネームを話したことはなかったことが
認められる。なお、P1は、その陳述書(甲48)において、原
告が自分の考えを述べるためにペンネームのP6は原告自身であ
ることを明らかにするようになったと陳述しているが、原告本人
の供述に照らして、信用することができない。
しかし、証拠(甲5、31、証人P1、原告本人)によると、
①原告は、β、δ、ε等の反ミャンマー政府の雑誌に、現在まで
に、10本程度の詩及び15本程度の評論を発表していること、
②その多くについてP6のペンネームを使って発表しているが、
各雑誌の編集者等は、P6が原告のことであることを知っている
はずであること、③原告の執筆したものは、表現がストレートで
あり、かつ、ミャンマーの軍事政権に対して武力も辞さないこと
やアウン・サン・スーチーはミャンマーから出て外国で活動すべ
きであるなど内容が過激で、独自のものが多かったこと、④原告
は、日本で反政府活動をしているミャンマー人との間で、反政府
活動等について意見交換をするときにも、自己の意見を述べてい
ること、⑤原告自身、日本で反政府活動をしているほかのミャン
マー人と話をする中で、このペンネームを使っているのはこの人
ではないかと分かるようになったこともあったことを認めること
ができる(なお、原告本人尋問によると、原告は、cのメンバー
であるP12という人物が原告のペンネームを知っていた旨供述
するが、P12という人物が原告のペンネームを知っているとい
う供述は、原告本人尋問において、突然されたものであって、に
わかに採用することができない。。)
以上を総合すると、原告本人及びP1が、P6が原告のペンネ
ームであることをほかの者に積極的に明らかにすることがなかっ
たとしても、原告が原稿を渡した編集者等からの情報によって、
あるいは、原告が反政府活動をしているほかのミャンマー人と話
をする過程などで、反政府活動をしているミャンマー人に、P6
が原告のペンネームであることが徐々に知られるようになってい
ったものと推認することができる。
()これに対して、被告法務大臣は、原告は、P6というペンネ3
ームについて、①平成13年2月28日に、東京入管難民調査官
に対して「βの責任者である従弟が知っています。他の人は知、
りません」と供述していたが、②平成14年8月12日には、。
東京入管特別審理官に対して「人づてに伝わりながら私である、
ことはミャンマー政府にはわかっているはずです」と供述し、。
③平成15年7月22日付け陳述書では「私の『β』などでの、
執筆活動はよく知られていますし『P6』が私のペンネームで、
あることも広く知られています」と記載し、④平成17年1月。
27日付け陳述書では「ペンネームを使ったといっても、実名、
。、で発表したのと変わらない危険があるのです私のペンネームが
どこからか軍事政権に伝わっていてもおかしくありません」と。
記載しているのであり、合理的な根拠や証拠を示すことなく、次
第に、P6が原告であることが公知のものであるとする供述に変
遷したと主張する。
しかし、原告の上記各供述は、それぞれ時間をおいてされてい
るのであるから、原告が原稿を渡した編集者等からの情報によっ
て、あるいは、原告がほかの反政府活動をしているミャンマー人
と話をする過程などで、反政府活動をしているミャンマー人に、
P6が原告のペンネームであることが知られていったとする前記
()の推認と矛盾するものではなく、むしろ、それと合致するも2
のであるということができる。
以上からすると、被告法務大臣の前記主張は、採用することが
できない。
4(一)原告は、政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという
十分に理由のある恐怖を有している旨主張するので、この点につい
て検討する。
(二)()前記認定事実によると、①原告は、日本に入国して早々か1
ら、反ミャンマー政府の雑誌であるとミャンマーー国営新聞から
も指弾されている週刊誌であるβの発行・作成を手伝っていたこ
と、②原告は、b及びcの議長を歴任したP1のいとこであり、
来日後すぐにP1を訪ね、それ以降、P1が編集長を務める上記
βの刊行に協力したり、その後、bやcに参加するなど、行動を
共にしてきていること、③原告は、日本において、平成11年こ
ろから、ミャンマー政府を批判、非難し、反政府活動を鼓舞する
ような詩及び評論を執筆し、前記βを始めとした、反ミャンマー
政府の立場の雑誌に、主にP6のペンネームで発表し、発表した
詩の数は現在までに10本程度、評論は15本程度に及ぶこと、
④原告の執筆したものは、表現がストレートであり、かつ、ミャ
ンマーの軍事政権に対して武力も辞さないことやアウン・サン・
スーチーはミャンマーから出て外国で活動すべきであるなど内容
が過激で、独自のものが多かったこと、⑤P6が原告のペンネー
ムであることは、次第に、日本で反政府活動をしているミャンマ
ー人の間で知られるようになっていったこと、⑥原告は、平成1
2年12月に、ミャンマーの民主化を求め、軍事政権に反対する
団体であるcが設立されると、当初からこれに加入し、本件難民
不認定処分のされた14年4月9日当時は、補佐的ではあるもの
の、cの中央執行委員会のメンバーを務めていたこと、⑦cの2
001/2002年度第1回年次総会報告書には、中央執行委員
会のメンバーの一人として原告の実名が掲載されたこと、⑧原告
は、平成13年6月から、何度も、主要国首脳あてに、本名は名
乗っていないものの、ミャンマーの民主化への支援と違法な軍事
政権に対する行動の要請等を内容とする書簡等を送付しているこ
と、⑨原告は、本邦へ上陸以降、多くのデモや集会に参加し、ま
た、前記βの発行・作成を手伝うなど、積極的に政治活動をして
きたこと、⑩原告はミャンマーにおいては、デモに参加した程度
しか政治活動をしていなかったが、二度と政治活動をしないよう
に宣誓書を書かされていること、⑪ミャンマー政府当局は、在日
ミャンマー人の団体が反政府活動や政府要人への攻撃を企図して
いるものと疑っており、在日ミャンマー人の活動にも関心を有し
ていること、⑫ミャンマーのスローク政権は、本件難民不認定処
分当時においても、政治的自由を認めず、政治活動家に対する嫌
がらせ、逮捕、拘禁、身体的虐待等を続けており、ミャンマーに
おいては人権抑圧の状況があることを認めることができる。
()ところで、政治活動といっても、ミャンマー政府が特段注目2
しているとは思われないものから、不快に感ずるもの、あるいは
脅威に感ずるようなものまで、様々な程度、種類のものを想定す
ることができるところ、前記認定事実によると、原告は、反ミャ
ンマー政府の立場の詩及び評論を執筆し、反政府の立場の雑誌に
発表しているのであって、これらの詩や評論は相当数の者に閲読
されているものと推測されること、原告は、本件難民不認定処分
の当時、ミャンマーの軍事政権に反対しているcの中央執行委員
会のメンバーを務めていたこと、原告は、主要国首脳あてに、ミ
ャンマーの民主化への支援と違法な軍事政権に対する行動の要請
等を内容とする書簡等を送付するなどしていたことが認められ
。、、、るそうすると原告の活動の内容はミャンマー政府にとって
極めて不快な種類のものであるということができる。
()もっとも、国外にいるミャンマー人の数は、多数に上る上、3
国内での活動とは異なり、国外における政治活動が必ずしもミャ
ンマー政府にとって危険ないし脅威となるものではないことに照
、、、らすとミャンマー国籍を有する者がミャンマー国外において
反政府政治活動を行ったというのみでは、ミャンマー政府が、そ
の者の活動に格別注目しており、帰国時に迫害される可能性が高
いということはできない。
しかし、前述したように、原告は、ミャンマー政府を批判、非
難する詩及び評論を執筆し、反政府の立場の雑誌に発表している
のであって、これらの詩や評論は相当数の者に閲読されているも
のと推測され、また、デモやビラ配りへの参加とは異なり、出版
物という形になって、残っていくものである。そして、ミャンマ
ー政府当局は、在日ミャンマー人の団体が反政府活動を企図して
いるものと疑っており、原告は、そのような中で、上記のような
出版物の形で、反政府活動を鼓舞するような評論等を残し、ミャ
ンマーの軍事政権に反対している主要な組織であるcの中央執行
委員会のメンバーも務めたのである。さらに、原告は、ミャンマ
ーにおいて、二度と政治活動を行わない旨の宣誓をさせられてい
たのである。そのほか前記()のような原告の活動等を総合勘案1
すると、原告としては、ミャンマー政府が、原告の活動に注目す
る蓋然性が高く、かつ、これを不快に感じているものと推測して
いたものと認めることができ、かつ、原告がそのように推測して
いたことについては合理的理由があるというべきである。
(三)以上によれば、本件難民不認定処分のされた平成14年4月9
日当時及び本件裁決のされた平成15年3月12日当時、原告は、
原告本人が供述ないし陳述するように、ミャンマー政府を批判、非
難する政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に
理由のある恐怖を有していると認めるのが相当である。
(四)()以上の点に関し、被告法務大臣は、原告が執筆活動を行っ1
ていることをもって本国から迫害を受けるおそれがあるとは認め
。、、、られない旨主張するそしてその根拠として被告法務大臣は
①原告は、本人尋問において、平成12年9月25日に英米首脳
あてに送った書簡の内容が特に激しかったことから自己が難民で
あると認識した旨供述しながら、同様の内容の評論をβに掲載し
たこともあるが、そのときは、間接的な表現を使っていたことも
あって、それほど危険であるとは考えなかった旨供述しており、
原告自身が、自己の執筆活動について、それほどミャンマー政府
が関心を寄せていなかったと考えていたこと、及び②βの発行数
からすると、βに占める原告の詩や評論の割合はわずかであり、
また、原告が執筆を開始してから6年半の間に、活字化したもの
の数が少ないことを挙げる。
しかし、まず、①の点については、上記原告の供述は、βへの
掲載と英米首脳あての書簡の送付との関係で、どちらがより恐怖
を感じたかということについてのものであるから、原告が、βへ
の掲載によって恐怖を感じなかったと供述しているものと理解す
べきではない。したがって、この点に関する被告法務大臣の主張
は、前提を欠き、採用することができない。
また、②の点については、確かに、原告の詩や評論の数は極め
て多いとまでいうことはできない。しかし、他方で、前記認定事
実によると、原告は、反ミャンマー政府の立場の雑誌に合計25
点程度の詩や評論を発表していること、原告の執筆したものは、
表現がストレートであり、かつ、ミャンマーの軍事政権に対して
武力も辞さないことやアウン・サン・スーチーはミャンマーから
出て外国で闘争すべきであるとするなど内容が過激で、独自のも
、、のが多かったこと原告はP6というペンネームを用いていたが
P6が原告のペンネームであることは、次第に、日本で反政府活
動をしているミャンマー人の間で知られるようになってきたこと
が認められる。
そうすると、原告がこのような執筆活動を行っていることをも
って原告が本国政府から極めて不快に思われ、帰国すれば迫害を
受けるおそれがあると信じたことの合理的理由の一つと解するこ
とは、十分可能である。
したがって、被告法務大臣のこの点に関する主張も、採用する
ことができない。
()また、被告法務大臣は、原告が、平成14年2月にcの中央2
執行委員会のメンバーに選出された事実があったとしても、この
段階では、執行委員を補助する仕事を行っていたにすぎず、指導
的な役割を担っていたものではない上、このような事実や実名が
公表されることもなかったというのであるから、このことから、
本国政府から迫害を受けるおそれがあるとは認められない旨主張
する。
しかし、まず、原告が、平成14年2月にcの中央執行委員会
のメンバーに選出された事実は、雑誌等には掲載されなかったも
のの、既に認定したとおり、cの2001/2002年度第1回
年次総会報告(甲19)に実名で掲載されたものである。
そして、前記認定事実によると、①cは、日本における反ミャ
ンマー政府の立場の四つの団体が統合して設立された団体であ
り、約120名の正式な会員がいること、②ミャンマー政府当局
は、在日ミャンマー人の団体が反政府活動や政府要人への攻撃を
企図しているものと疑っており、在日ミャンマー人の活動にも関
心を有していること、③補佐的な立場のものも含めた平成17年
1月現在のcの中央執行委員会のメンバー19人のうち、13人
が難民認定又は在留特別許可を受けていることを認めることがで
きる。
以上からすると、原告が、平成14年2月にcの中央執行委員
会のメンバーに選出された事実も、原告が本国から迫害を受ける
おそれを増大させる主たる要素の一つになり得るというべきであ
る。
したがって、被告法務大臣の前記主張は、採用することができ
ない。
()また、被告法務大臣は、原告が日本においてデモに参加して3
いた事実があったとしても、このことをもって本国政府から迫害
を受けるおそれがあるとは認められない旨主張する。
確かに、前記認定事実のとおり、原告は、平成17年に、在日
ミャンマー大使館前で定期的に行われるデモの金曜日における担
当者になるまでは、単なる一般参加者としてデモに参加していた
にすぎないということができる。
しかし、前記認定事実によると、原告は、在日ミャンマー大使
館前で定期的に行われるデモを主催、あるいは指導していたとま
でいうことはできないものの、何度もデモに参加し、シュプレヒ
コールを叫ぶなどしていたのであって、このようなデモの数は多
く、かつ、在日ミャンマー大使館員がデモの様子をビデオで撮影
していたこともあるというのであるから、原告のこのようなデモ
への関与を理由として、原告がミャンマー当局が原告を個別に把
握していると信じたとしても、不合理ということはできない。ま
た、既に述べたところからすると、原告は、このデモへの関与の
点よりも、日本での執筆活動を中心として、β刊行の手伝い、c
における役職、P1との関係等複合的な理由で、迫害を受けるお
それがあると信じたことに合理的理由があると認められるのであ
って、単にデモに参加していたというのみで、難民性を認めるも
のではない。
したがって、被告法務大臣の前記主張は、採用することができ
ない。
()また、被告法務大臣は、原告が主要国首脳等に書簡を送付し4
たことを理由に、迫害を受けるおそれがあるとは認めることがで
きない旨主張する。
確かに、前記認定事実によると、前記各書簡はミャンマー政府
や在日ミャンマー大使館に対して送付したものではない上、原告
は実名を明かさずに、主要国首脳に前記各書簡を送付しているの
であるから、ミャンマー政府が原告が前記各書簡を送付したこと
を把握することは難しいということができる。
しかし、他方で、前記認定事実によると、ミャンマー政府当局
は、在日ミャンマー人の団体が反政府活動や政府要人への攻撃を
企図しているものと疑っており、在日ミャンマー人の活動にも関
心を有しているのである。また、原告が供述するように、主要国
首脳に書簡を送付した場合、その書簡は名あて人本人以外の相当
、、数の者の目に触れるであろうことが予想されるのであって特に
原告が平成12年9月25日に英米首脳あてに送付した書簡につ
いては原告の当時の住所も記載していたというのであるから、実
際に、ミャンマー政府当局によって原告が前記書簡を出したこと
を把握されたか否かは別として、原告がこのことによって危険を
感じること自体は、不合理ということはできない。
そうすると、原告が主要国首脳等に書簡を送付した事実につい
ては、それのみを理由に、原告が迫害を受けるおそれがあるとい
うことはできないものの、原告が迫害のおそれがあると信じてい
ることの合理性を検討する上で、一つの積極方向の事由になると
いうことができる。
したがって、被告法務大臣の前記主張は、採用することができ
ない。
()さらに、被告法務大臣は、原告のミャンマーにおける活動を5
もって本国から迫害を受けるおそれがあるとは認められない旨主
張する。
確かに、前記認定事実によると、原告のミャンマーにおける活
動は、昭和63年8月に職場の仲間と一緒に何度もデモに参加し
たというもののみであり、原告は、二度と政治活動をしないとい
う宣誓書に署名させられたこともあって、その後は、ミャンマー
国内では政治活動をしなかったというのである。そうすると、原
告が日本において反政府活動を始める前には、ミャンマー政府か
ら原告について個別的に把握されていたとは必ずしも考えられ
ず、被告法務大臣の主張のとおり、原告のミャンマーにおける活
動をもって本国から迫害を受けるおそれがあるとまで認めること
は困難である。
しかし、前述したとおり、原告は、主として日本における活動
を理由に、本国政府から迫害を受けるおそれがあると信じること
に合理的理由があると認められるのであって、上記のデモへの参
加や宣誓書への署名は、従たる事由と評すべきものである。
したがって、被告法務大臣の前記主張は、前記(三)の認定判断
を覆すものということはできない。
()さらに、被告法務大臣は、原告は、本邦上陸後間もなく建設6
作業員として稼働を開始し、その後は飲食店店員として勤務する
などして月収23万円を得、平成12年12月までの約2年半の
間に約150万円を本国の家族に送金し、日本で約100万円の
貯金を有するに至った旨供述しており、このような供述からすれ
ば、原告は、来日当初から継続的に不法就労を行い、蓄財及び本
国への送金に専念していたことがうかがわれるのであって、専ら
不法就労目的で来日したことが強く推認される旨主張する。
確かに、外国人が、本邦上陸後間もなく稼働を開始し、相当額
の収入を得て、本国の家族に送金するとともに、日本において相
当の貯金を有するという事情は、一般的には、当該外国人の来日
が不法就労目的であったのではないかと推認させる要素となり得
るものである。
しかし、前記認定事実のとおり、他方で、原告は、日本におい
て、反政府の立場の詩や評論を発表したほか、反政府の立場を採
る週刊誌の発行・作成を手伝い、主要国首脳にミャンマーの軍事
政権に対する圧力を要請する書簡を送付したり、デモや集会に参
加するなどしており、民主化運動のために相当の時間を割いてい
ることが推測される。また、ミャンマーにおける人権状況が相当
に良くないことは原告自身が認識しているにもかかわらず、日本
において、前記のような民主化活動を行い、bやcという反政府
組織に参加し、平成14年には、補佐的な立場ではあるものの、
cの中央執行委員会のメンバーに選任され、さらに、平成16年
2月には、再びcの中央執行委員会の委員に選任されているので
ある。
以上を総合すると、原告について、本邦への上陸の目的が不法
就労目的であったと認めることはできないのであって、被告法務
大臣の前記主張は採用することができない。
()被告法務大臣は、原告の家族は本国で何ら問題なく生活して7
いること及び原告自身が妻子を本邦に呼び寄せようと考えていな
いことからすると、原告が迫害を受けるおそれを認識していたと
はいえないのではないかと主張する。
確かに、本件の全証拠によっても、原告は、原告の家族が本国
で身の危険にさらされていることについて何も言及していないこ
とが認められ、かえって、証拠(乙9、14)によると、原告の
兄及び妻は公務員として現在も公職に就いていることが認められ
る。そうすると、原告の家族は本国で格別の問題なく生活してい
ると推認することができる。
しかし、原告の家族が本国で格別の問題なく生活していること
は、原告が現在のところ、ミャンマー政府に個別に把握されてい
ないのではないかと推認させる資料の一つになり得るものの、既
に認定した本件の事実関係を前提とすると、上記のような家族の
事情から、原告が迫害を受けるおそれがないとまでいうことはで
きないというべきである。
また、証拠(乙14、16)によると、原告は、難民認定を受
けたとしても、妻子を本邦に呼び寄せることは考えておらず、そ
の理由として、子供が幼少であるために本邦での生活に不安があ
ることを供述していることが認められる。この点も、確かに、原
告の上記供述は、現に迫害のおそれが高まっている者の供述とし
ては若干不自然であるように思われる。
しかし、ミャンマーにおいて、同居したり、一緒に異動してい
るわけではない場合であっても、迫害を受けるおそれのある者の
親族は、必ず同様の迫害を受けるおそれがあると認めるに足りる
証拠はない。そうすると、原告の上記供述がおよそ不合理であっ
て、迫害を受けるおそれのある者の供述としては考えられないと
までいうことはできないというべきである。
そして、前記のとおり、原告のミャンマーにおける活動ではな
く、日本における活動の方を主たる事由として原告について本国
政府から迫害を受けるおそれを認めることができることからする
と、結局、被告法務大臣の前記主張は、採用することができない
というべきである。
()被告法務大臣は、原告とP1の政治活動は同列に論じられる8
ものではない旨主張する。
確かに、P1は、bやcの議長を歴任し、現在もβの編集長と
cの副議長を務めているのであって、P1の政治活動は、原告の
政治活動に比較して、より積極的であり、P1は反政府組織にお
、。いてより指導的な役割を果たしてきたものということができる
しかし、前記認定事実のとおり、原告においても、前記のよう
な執筆活動やβの発行・作成の手伝いを行っているとともに、c
においても中央執行委員会のメンバーに選任されるなどしてお
り、その政治活動が、消極的かつ従属的なものにとどまるという
ことはできない。そして、前記認定事実のとおり、ミャンマーの
スローク政権は、本件難民不認定処分や本件裁決の当時において
、、、、も政治的自由を認めず政治的活動家に対する嫌がらせ逮捕
拘禁、身体的虐待等を続けており、ミャンマーにおいては人権抑
圧の状況があり、また、ミャンマー政府当局は、在日ミャンマー
人の活動にも関心を有しているのである。
そうすると、原告が日本においてしてきた政治活動がP1の行
ってきた政治活動に比較すれば、消極的、従属的なものにとどま
るとしても、原告が迫害を受けるおそれを認識していたことに十
分な根拠がないということはできないというべきである。
被告法務大臣の前記主張は、採用することができない。
5以上によると、原告については、本件難民不認定処分及び本件裁決
の当時、本国に帰国すれば、政治的意見等を理由として、身柄を拘束
され、拷問を受け、生命又は身体に危害を加えられるおそれがあると
いう十分に理由のある恐怖を有していたものと認めることができる。
したがって、原告は、本件難民不認定処分及び本件裁決の当時、出入
国法に規定する難民に該当していたものであるということができる。
二争点2(60日条項違反の有無)について
1(一)出入国法61条の2第2項は、難民認定の申請について、申請
者が「本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた
者にあつては、その事実を知つた日)から60日以内に行わなけれ
ばならない」と定め、その例外として「やむを得ない事情がある、
ときは、この限りでない」旨規定している。
(二)この出入国法61条の2第2項の趣旨は、難民となる事由が生
じてから長期間経過後に難民認定の申請がされると、事実の把握が
困難となり、適正な難民認定ができなくなるおそれがあるため、我
が国の庇護を受けるため難民認定の申請をしようとする者は、速や
かにその申請をしなければならないことを定め、申請者が申請期間
内に申請をすることを難民認定を受けるための手続的要件としたも
のと解することができる。また、これは、迫害から逃れて他国に移
動した難民は、他国に入国後速やかに庇護を求めるのが一般的であ
るという経験則を背景としており、さらに、難民認定申請制度の濫
用者が増加すると行政側の負担が過大となり、適正な難民認定が遅
延し、誠実な難民認定申請者にとっても不利益となることから、こ
のような濫用者の申請を可及的に排除することをも併せて目的とし
たものと解することができる。
もっとも、同項本文による60日の期間制限を一律に機械的に適
用して取り扱うことは、具体的な事情の下において妥当でない場合
があり得ることから、このことを考慮して、同項ただし書を設け、
申請期間の例外として、申請期間の経過に「やむを得ない事情」が
あるときは、期間内にされた申請と同様に難民性の有無を判断する
こととして、個別に救済を図っているものと解すべきである。
(三)これに対し、原告は、出入国法61条の2第2項の規定につい
て、申請期間をわずか60日とするのは不合理であり、60日条項
は単なる努力規定又は訓示的規定と解するのでなければ、難民条約
に違反する旨主張する。
、、(四)しかし難民認定の申請と難民条約との関係を論ずるためには
まず、出入国法62条の2第1項にいう「難民の認定」とは何かと
いうことを検討すべきである。
出入国法及び難民条約の各規定からすると「難民の認定」手続、
とは、難民の庇護をするため、すなわち、我が国が領土主権に基づ
き各種行政機関により難民に対して特別の取扱いや保護を行うた
め、個別の処遇局面ごとに難民条約上の難民か否かを判断するより
も、あらかじめ、一律に行政手続上難民であると認定する手続を設
けておいた方が適切かつ円滑な処遇を期待しやすいので、このよう
に難民条約上の難民に該当することを認定する手続が設けられてい
るものと解すべきである。したがって、難民の認定手続とは、行政
手続上我が国が当該難民の庇護の責務を負うことをあらかじめ明確
にしておくことを目的とする外国人の管理行政上の特別な手続であ
り、難民の認定をしない旨の処分は、このような一律の行政手続上
の認定を受けられなかったものにとどまり、難民条約における難民
の定義に当たらないことを実体法上確定してしまうものではないと
考えるべきである。
そうすると、このような外国人の管理行政上の手続である難民認
定手続における「難民」と難民条約上の「難民」とは、要件は同じ
であるが、実際には食い違いが生ずることがある。例えば、本邦に
入国前に申請した場合や申請後に出国した場合は、難民条約上の難
民であっても、我が国の難民認定手続の対象には含まれないことに
なる。また、難民の認定を申請していない者、さらには、申請後に
難民の認定をしない旨の処分を受けた者であっても、難民条約上の
「難民」に該当しないことが確定しているわけではないのであるか
、、「」、ら実体法上難民条約上の難民の定義に該当する者であれば
これを迫害国に送還することは難民条約違反になる可能性があると
いうことになる。
このように考えると、出入国法61条の2第2項は、前記のよう
な特別な難民認定制度に乗せる対象を限定する規定であって、その
性質上、難民要件とかかわりのある規定ではなく、難民条約上の難
民要件に変更を加えるものではないと解すべきである。
(五)以上を前提に、難民条約及び難民議定書をみると、このような
、。難民認定手続の要否やその要件手続について言及する規定はない
したがって、難民条約の締約国が前述したような難民認定制度を設
、、、、けかつその手続を定めてこの手続に乗せる期間を限定しても
。、それだけで難民条約等に違反しないことは明らかであるもっとも
当該手続が難民の認定を受けることを著しく困難にするものであっ
て、そのため結果的に、制度上難民に対する庇護を適切に行うこと
ができなくなっているなどといった極端な場合には、手続規定自体
が難民条約の趣旨に反すると解する余地も考えられなくはないの
で、以下、このような観点から、主に検討を進めることとする。
(六)まず、原則として、どのような難民認定手続を定めるかについ
ては、各締約国の主権国家としての立法裁量にゆだねられており、
各締約国が、その実情等を勘案して合理的に定めることができると
解すべきである。そして、難民認定手続につき、国際法上一般条約
があるわけではなく、諸外国においても、各国ごとに独自の立法に
より難民認定制度を定めている。
また、行政手続上、一定の認定申請につき期間制限を設けること
により早期の申請を促し、かつ、適正な行政を期することはごく一
般的な手法である。そして、迫害の危険から逃れるために他国の保
、、護を求めるという難民認定申請の性質からすると一般論としては
前記経験則のとおり、実際に迫害の危険があるならば、本邦に入国
後、速やかな申請があるはずであるという予測が働くことは明らか
である。
また、出入国法61条の2第2項が申請期間に制限を設けている
のは、前記(二)で述べたとおり、上記予測を前提とした上、入国後
長期間経過後に難民認定申請がされると、入国当時の事実関係を把
握することが困難となり、適正かつ公正な認定を行うことができな
くなるおそれもあるため、難民認定行政の公正かつ円滑な実施を確
保しようとするものであり、このような立法趣旨自体は不合理とい
うことはできない。
さらに、60日という期間については、我が国の地理的、社会的
実情や交通事情等に照らすと、申請者が、難民認定申請をするかど
うかを一定期間考慮したり、本国の情勢を把握する必要がある場合
であっても、そのための期間として必ずしも不十分であるとまでい
うことはできず、その他、60日という期間が不十分であるという
ような一般的な事情は見当たらない。加えるに、具体的な事情の下
においては、この期間制限を適用することが妥当でない場合があり
得ることから、このことを考慮して、同項ただし書を設け、申請期
間の経過に「やむを得ない事情」があるときは、期間内にされた申
請と同様に難民性の有無を判断することとして、個別に救済を図っ
ているのである。
(七)そうすると、このような救済規定の存在も考え合わせると、6
0日という期間が、事実上難民認定の申請を著しく困難にするよう
な短きに失する期間であると断定することはできず、出入国法61
条の2第2項の規定が、実質的に難民の庇護を適切に行うことをで
きなくするものであるとまでいうことはできない。
2以上によれば、60日間の申請期間の制限を設けている出入国法6
1条の2第2項の規定は、立法裁量の枠内にあるものであって、難民
条約に違反するものではなく、難民条約と出入国法との効力関係等に
ついて検討するまでもなく、有効というべきである。
なお、国連難民高等弁務官事務所執行委員会において採択された結
論第15号においては「庇護希望者に対し一定の期限内に庇護申請、
を提出するよう求めることはできるが、当該期限を徒過したことまた
は他の形式的要件が満たされなかったことによって庇護申請を審査の
対象から除外すべきでない」旨の指針が示されている。しかし、同。
指針は、国際法上の法的拘束力を有しないものであり、かつ、難民条
約の解釈を有権的に示したものとまではいうことはできない。
3そこで、さらに、出入国法61条の2第2項本文かっこ書き所定の
「その事実を知つた日」の意義及び原告についてそれがいつであるか
について検討する。
(一)出入国法61条の2第2項は、本邦にある間に難民となる事由
が生じた者にあっては、その事実を知った日から60日以内に難民
の認定の申請をしなければならないとしている。そして、申請期間
の始期を「その事実を知つた日」からとしているのは、難民となる
事由が生じたことを知らない者について、申請期間の進行を開始す
ることはできないとする当然の理を明らかにしたものということが
できる。
ところで、前記のとおり、出入国法の「難民」とは「人種、宗、
教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的
意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐
怖を有するために、国籍国の外にいる者であつて、その国籍国の保
護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するために
その国籍国の保護を受けることを望まないもの」をいうから、出入
国法61条の2第2項の「本邦にある間に難民となる事由が生じた
者」とは、本邦にある間に、人種、宗教、政治的意見等を理由に本
国において迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖
が生じた者ということになる。
以上のような申請期間の設置及び申請期間の起算日の定めの趣旨
及び「本邦にある間に難民となる事由が生じた者」の意味を総合す
ると、出入国法61条の2第2項にいう「その事実を知つた日」と
は、自己が迫害を受けるおそれがあり、かつ、それにより難民認定
を受け得るという認識を有するに至った日と解するのが相当であ
る。
(二)そこで、このような観点から、原告について、出入国法61条
の2第2項本文かっこ書きにいう「その事実を知つた日」がいつか
を検討する。
(、、、、()前記一2の認定事実に証拠甲7の1乙3964651
68、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を
認めることができる。
ア原告は、平成10年7月21日に来日した直後から、反政府
の立場の雑誌であるβの発行の手伝いやデモへの参加などの反
政府活動を始めた。また、平成12年4月にはbに加入し、同
年12月からはcに加入した。
また、原告は、平成11年ころから、ミャンマー政府を批判
・非難し、反政府活動を鼓舞するような詩や評論を執筆し、β
を始めとした反政府の立場の雑誌に発表するようになった。そ
して、原告のペンネームであるP6は、在日反政府活動家に、
次第に知られるようになっていった。
イまた、原告は、平成12年6月以前においては、自己の活動
について、ミャンマー政府当局に逮捕されるなど迫害を受ける
おそれがあるとは考えておらず、難民認定申請をしても難民と
、。認められることは難しいと考えて難民認定申請をしなかった
ウ原告は、ミャンマーの軍事政権の指導者の一人であるキン・
ニョン第一書記が小渕元総理大臣の葬儀に参加したことに憤慨
し、平成12年6月7日、多数の友人とともに、小渕元総理大
臣の葬儀に参加した主要国首脳あてに「抑圧されたビルマ国、
民」の名で、ミャンマー国民はミャンマーの軍事政権の正当性
を認めておらず、小渕元総理大臣の葬儀において、葬儀に参加
した主要国首脳はキン・ニョン第一書記と肩を並べて歩くべき
ではない旨主張する内容の書簡(甲7の1)を作成し、各国大
使館にファクシミリで送信した。また、原告は、同月ころ、キ
ン・ニョン第一書記が小渕元総理大臣の葬儀の参列のために来
日することに反対するデモにも参加した。
、、、エ原告は主要国首脳に対して上記書簡を送付したことから
これをミャンマー政府の情報局員に知られてしまった場合、帰
国すれば逮捕される危険があると考え、迫害の危険を具体的に
感じ、難民認定を申請しようと考えた。
オそこで、原告は、平成12年7月ころ、難民認定の申請をす
るため、P1に弁護士に連絡してもらった。原告は、同年8月
中旬ころに弁護士と会って相談することができたものの、弁護
士からは、ほかにも難民認定の申請予定者が4、5人いるので
待つようにと言われた。
しかし、弁護士からは、同年9月になっても、10月になっ
ても、原告に連絡がなかった。
カ他方、原告は、平成12年6月以降も反政府活動を継続し、
むしろその活動を活発化させた。
原告は、同年9月25日には、英米首脳あてに、自身で執筆
した書簡(甲10の1)を送付した。原告は、上記書簡の内容
が過激であった上に、当時原告が居住していた住所とマンショ
ンの部屋番号を記載していたため、住所から自分が軍事政権か
ら認識されるのではないかと考え、より迫害の危険を感じるよ
うになった。
キ原告は、一人で難民認定申請をするつもりで、平成12年1
0月30日に、弁護士事務所を訪ね、難民認定申請手続につい
て聞いた。そして、同年11月8日に、再び弁護士事務所を訪
ね、難民認定申請書を渡した。その後、原告は、同年11月1
7日に、弁護士とともに、東京入管を訪ね、難民認定申請を行
った。
ク原告は平成12年12月1日に難民高等弁務官事務所U、、(
NHCR)へ難民認定申請のために訪れたところ、係員の調査
を受けたものの、係員から、入国管理局で難民として認定され
なければ話を聞くように言われて、何も手続を行わなかった。
、、ケ原告は平成12年12月19日及び平成13年2月28日
に、東京入管において、難民調査官のインタビューを受け、自
身がミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあると考える旨
を述べた。
()ア上記の事実認定のうち原告が、初めて自らの迫害の危険が2
差し迫ったものと感じた時期については、争いがあるおで、検
討することとする。
イ証拠(乙64)によると、原告は、平成12年12月19日
に、難民調査官からインタビューを受けた際、キン・ニョン第
一書記が日本政府に招かれて小渕恵三元総理大臣の葬儀に参列
、、することに対して反対し各国の首脳に対して書簡を送ったが
その書簡がミャンマー政府の情報局員に知られてしまった場
合、ミャンマーに帰国すれば逮捕される危険があると考え、自
分の難民性を認識し、同年7月にいとこを通じて弁護士に連絡
してもらい、同年8月に弁護士と実際に会って相談したが、弁
護士からはほかにも申請者が4、5人いるので待つように言わ
れ、その後、弁護士から連絡がなかったこと等から、難民認定
申請が同年11月17日に行われるようになった旨供述したこ
とが認められる。
ウそこで、原告の上記供述の信用性について検討すると、原告
の上記供述は、原告が迫害を受けるおそれを抱いたきっかけや
理由、迫害を受けるおそれを抱いた後の原告の行動について、
。、()不自然な点がないということができるまた証拠甲7の1
によると、平成12年6月7日に原告が各国首脳あてにファク
シミリで送信した書簡には、ミャンマー国民はミャンマーの軍
事政権の正当性を認めておらず、キン・ニョン第一書記は小渕
恵三元総理大臣の葬儀に各国首脳とともに参列すべきではない
旨記載されていることが認められ、ミャンマー政府にとって、
極めて不快な内容であることが明らかなものである。したがっ
て、ミャンマー政府に原告が上記書簡を送付したことを知られ
ると原告にとって迫害を受けるのではないかと考えるのは不自
然ではない。さらに、証拠(乙40)によると、本件難民認定
申請の際に原告が提出した難民認定申請書添付の「60日以内
に申請できなかった理由に関する陳述書」には「2000年、
にビルマ軍事政権の首相級キンニョン中将が来日した後は、さ
らに活動に拍車がかかりました。ビルマの窮状を伝えるため主
要国首脳に書簡を送りました。このため、軍事政権がこの書簡
を知れば、私は迫害を受け、殺されることになるでしょう。私
は軍事政権の打倒を決意しました」との記載があることが認。
められるところ、上記記載は、難民調査官に対する原告の前記
供述と符合するということができる。
以上を勘案すると、前記イの原告の供述は、相当程度の信用
性があるというべきである。
エもっとも、原告は、既に認定したとおり、来日して間もない
ころから、ミャンマー政府に反対する立場のβの発行・作成に
協力しており、平成11年からは、ペンネームを使用して、ミ
ャンマーの軍事政権を批判、非難する詩や評論を発表していた
というのである。しかし、このような出版活動への協力や創作
、、活動が原告の名を公にして行われていたとは認めるに足りず
ペンネームが原告を意味することが知られるようになっていっ
たのも、徐々にそうなっていったものと認められる。
オさらに、前記認定事実のとおり、原告は、前記平成12年6
月7日付け書簡をファクシミリで送信した後、日本において難
民認定申請をしようと考え、同年7月には、P1を通じて弁護
士と連絡を取り、同年8月半ばに難民認定申請について弁護士
と相談したことが認められる。
カ以上によると、原告について、自己が迫害を受けるおそれが
あり、かつ、それにより難民認定を受け得るという認識を有す
るに至った時期は、必ずしも、明確ではないが、原告の来日直
、、、後あるいは平成11年ころと認めることは困難であり結局
原告本人が元々自認していたところに基づき、遅くとも、原告
が、各国首脳あてに、キン・ニョン第一書記が小渕恵三元総理
大臣の葬儀に参列することに反対する内容の書簡を送付し、弁
護士とも連絡を取った平成12年6月ないし7月ころと認める
のが相当である。
キ(ア)これに対し、原告は、平成12年9月25日に書簡を送
付した後、これを読んだ原告が、自分の活動もここまで来た
かと怖くなり、初めて、自らの迫害の危険が差し迫ったもの
と感じた旨主張する。
(イ)確かに、証拠(甲5、31、乙67、68、原告本人)
によると、①原告は、本件難民不認定処分に対する異議の申
立ての際に異議申出書に添付した異議申立て理由書に、平成
12年9月25日に、アメリカ合衆国大統領らに対し、書簡
を送ったところ、差出人として当時の自分の住所を記載した
ことから、この書簡を送ったことによって、自分は帰国すれ
ば迫害を受ける旨記載していること、②原告は、平成15年
12月24日の難民調査官のインタビューの際に、平成12
年9月25日にアメリカ合衆国首脳や英国首脳に上記書簡を
送った際に自分が難民であると認識した旨供述したこと、③
原告は、2通の陳述書(甲5、31)においても、アメリカ
合衆国首脳や英国首脳に対し、上記書簡を送付した後、改め
てその書簡を読み返してみると、内容が過激であり、かつ、
自分の住所を記載してしまったことから、恐怖を感じた旨記
載していることが認められる。また、④原告本人尋問におい
ても、原告はこの点についての陳述書の記載と同旨の供述を
している。
(ウ)しかし、原告の上記①から④までの供述ないし陳述は、
、、、いずれもなぜ原告が迫害を受けるおそれを感じた時期が
平成12年12月19日に難民調査官に対して話した内容か
ら変わったのかについて、合理的な説明をしていない。そし
、、、て原告の前記①から④までの供述ないし陳述はいずれも
法務大臣が本件難民認定申請について出入国法61条の2第
2項所定の期間を徒過していることを理由として本件難民不
認定処分をした後にされたものであることからすると、同項
の期間制限を免れるための便法のためにされたものであるこ
とが疑われるものといわざるを得ない。
(エ)そうすると、原告の前記(イ)の①から④までの供述ない
し陳述は、いずれも採用することができず、他に原告の前記
(ア)の主張を認めるに足りる証拠はない。
(三)以上によれば、原告について、出入国法61条の2第2項本文
かっこ書きにいう「その事実を知つた日」は、平成12年6月ない
し7月ころであるということになる。
そうすると、原告が本件難民認定申請を行ったのは、同年11月
17日であるから、本件難民認定申請は「その事実を知つた日」、
から約3か月ないし5か月以上経過してから行われたものであり、
いずれにせよ60日を超えた後に行われたものであるといわざるを
得ない。
4そこで、さらに、出入国法61条の2第2項ただし書所定の「やむ
を得ない事情」の意義及び原告にこのような事情があったということ
ができるかという点について検討を進める。
、、、(一)前記のとおり実際に迫害の危険があるならば本邦に入国後
速やかな難民の申請があるはずであるというのは、一般論としての
経験則にすぎないのであるから、このような経験則が妥当しない場
合については、その個別的事情を検討すべきである。たとえば、申
請者にとって難民の認定を申請することは重大な決断を要するもの
である上、我が国の難民認定手続が国際的に周知されているとは考
え難いところである。したがって、難民の中には、難民に対する取
扱いについての知識がないか、あるいは難民認定申請手続に関する
誤解等の下に、自ら難民である旨を明らかにした場合には、入国を
拒否されたり、拘禁施設に収容されてしまうのではないかとの危惧
を抱く者もあり得るであろうから、直ちに難民認定申請をするので
はなく、まず平穏に日本に入国あるいは滞在することを望み、難民
に対する取扱いについての知識を得てから、難民認定申請をしよう
とする者や、あるいは日本への入国後に難民該当性が生じたため、
いつから難民認定申請をし得るのか迷う者など前記の経験則によら
ない者もいると推測される。そうすると、このような場合にも、出
入国法61条の2第2項本文による申請期間の制限を一律に機械的
に適用することが妥当でないときがあり得るものと考えられる。
そこで、同項ただし書は、このような例外的な場合があり得るこ
とを考慮して、期間を経過した申請についても、個別に具体的な事
情を検討して期間を経過したことに合理的理由がある場合にはや、「
むを得ない事情」があるものとして救済を図り、期間内にされた申
請と同様に難民性の有無を判断することとしたものというべきであ
って、同項ただし書の「やむを得ない事情」の意義も、こうした救
済規定としての趣旨に適合するように解釈されなければならない。
また、先に触れた国連難民高等弁務官事務所執行委員会において採
択された結論第15号の指針も、申請期間の徒過を一律の形式的要
件として解釈運用してはならないことを示している限度では、上記
解釈と符合するものということができる。
このような救済規定としての趣旨に照らせば、同項ただし書にい
う「やむを得ない事情」とは、本邦に上陸した日又は本邦にある間
に難民となる事由が生じた場合にあってはその事実を知った日から
60日以内に難民認定の申請をする意思を有していた者が、病気、
交通の途絶等の客観的な事情により物理的に入国管理官署に出向く
ことができなかった場合に限らず、本邦において難民認定の申請を
するか否かの意思を決定することが、出国の経緯、我が国の難民認
定制度に対する情報面や心理面における障害の内容と程度、証明書
類等の所持の有無、申請者にとっての言語上の障害や申請を援助し
てくれる者の有無、申請までの期間等を総合的に検討し、当該期間
を経過したことに合理的理由があり、入国後又は難民該当性が生じ
た後速やかに難民としての庇護を求めなかったことが必ずしも難民
でないことを事実上推認させるものではない場合をいうと解するの
が相当である。
、、、(二)そこでこのような観点から本件難民認定申請申請について
原告に出入国法61条の2第2項ただし書にいう「やむを得ない事
情」があるか否かを検討する。
()証拠(乙40、68)によると、原告は、平成10年7月21
1日に本邦に入国後間もなく、日本において難民認定申請は60
日以内にしなければならないことを知ったこと及び原告が本件難
民認定申請の際に「60日以内に申請できなかった理由に関する
陳述書」を提出したことが認められる。
もっとも、出入国法61条の2第2項本文所定の「本邦に上陸
した日」については、一般の外国人にとってその意味が明らかな
のに対して、同項本文かっこ書きの「その事実を知つた日」につ
いては、一般の外国人にとって、それがいつであるのかを必ずし
も簡単に理解し得るものとはいい難いと考えられる。
しかし、前記一2の認定事実及び前記3(二)()の認定事実に1
よると、①原告は、本邦上陸後間もなく、60日の申請期間制限
があることについては知っていたこと、②原告は、本邦入国後す
ぐに後にcの議長となったP1と会い、ミャンマー政府に反対す
る立場を採るβの発行・作成を手伝うようになっていること、③
P1は原告のいとこであること、④原告は、平成12年4月に、
後に他の組織と合流してcとなったbに加入したこと、⑤また、
平成11年ころからは、ミャンマーの軍事政権を批判、非難し、
反政府活動を鼓舞する内容の詩や評論を雑誌で発表するようにな
、、、、ったこと⑥その後平成12年6月7日には各国首脳あてに
ミャンマーの軍事政権を批判する内容の書簡を各国大使館にファ
クシミリで送信したこと、⑦原告は、その後も、各国首脳に書簡
を送付するなどの反政府活動を継続し、その活動を活発化させた
、、、、こと⑧原告は難民認定申請をしようと考えて同年7月には
P1を通じて、弁護士と連絡を取り、同年8月中旬には弁護士と
面会していること、⑨原告は、同年11月には、自身で難民認定
、、、申請をするためその手続を聞きに弁護士事務所を訪ねたこと
⑩本件難民認定申請後ではあるが、平成14年2月及び平成16
年12月には、cの中央執行委員会のメンバーに選ばれているこ
とを認めることができる。
そのほか前記認定事実も加えて総合勘案すると、原告は、日本
への入国以降、継続的に反政府活動を行ってきたものであり、そ
の活動も単にデモに参加したり、ビラを配るなどといったもので
はなく、反政府の立場を採る週刊誌の発行・作成を手伝ったり、
、、ミャンマー軍事政権を批判非難する言論活動を行うものであり
cの幹部であるP1との親交や、後のcへの加入や役員への選任
等を考え合わせると、いわゆる知識人の立場で、反政府活動に深
く関与し続けていたものということができる。そして、原告のこ
のような活動や立場からすると、原告は、難民制度一般や、日本
における難民認定制度、あるいは難民認定申請を助けてもらうた
めの組織や弁護士等についても、一般のミャンマー人よりはるか
に知識を有していた者と推認するのが相当であり、また、だから
こそ、現に難民認定申請のために2回も弁護士と面会をしている
と見るべきである。
()そうすると、このような原告としては、出入国法61条の22
第2項本文かっこ書きにいう「その事実を知つた日」から速やか
に難民認定申請をすることもできたはずであり、3か月ないし5
か月間以上難民認定申請をしなかったことに合理的理由があると
認めることはできないというべきである。
()したがって、原告には出入国法61条の2第2項ただし書の3
「やむを得ない事情」が存在すると認めることはできない。
三本件難民認定申請の適法性について
以上によれば原告には難民該当性を認めることができるもののそ、、「
の事実を知つた日」から60日以内に本件難民認定申請をしておらず、
申請の遅延について「やむを得ない事情」が存在したものと認めるこ、
ともできないから、本件難民認定申請は、出入国法61条の2第2項本
文により不適法なものといわざるを得ない。
四争点3(本件難民不認定処分の手続上の違法性)について
1前記前提事実のとおり、本件難民不認定処分に付記された理由は、
「あなたからの難民認定申請は、出入国管理及び難民認定法第61条
の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、あなた
の申請遅延の申立ては、同項但書の規定を適用すべき事情とは認めら
れません」というものである。。
2そして、既に判示したとおり、本件難民認定申請については、原告
が「その事実を知つた日」から60日以内に本件難民認定申請をして
おらず、申請の遅延について「やむを得ない事情」が存在したもの、
と認めることはできないのであって、本件難民不認定処分もその旨の
理由を付して行われたものである。したがって、これと同じ理由によ
、、り本件難民不認定処分が行われている以上本件難民不認定処分には
上記のような理由を付記すれば足りるというべきであって、個々の提
出資料につき、逐一、証拠判断等を示すまでの必要はないというべき
である。
3よって、本件難民不認定処分の理由の付記に不備があるということ
はできず、そのほかの違法事由があるともうかがわれないので、本件
難民不認定処分に手続上の違法はないというべきである。
五本件難民不認定処分の適法性について
以上によると、本件難民不認定処分は、適法というべきである。
六争点4(本件裁決の適法性)について
1まず、法務大臣の裁量権について検討する。
(一)憲法22条1項は、日本国内における居住・移転の自由を保障
するにとどまっており、憲法は、外国人の日本へ入国する権利や在
留する権利等について何ら規定しておらず、日本への入国又は在留
。、を許容すべきことを義務付けている条項は存在しないこのことは
、、国際慣習法上国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく
特別な条約がない限り、外国人を受け入れるかどうか、受け入れる
場合にいかなる条件を付するかについては、当該国家が自由に決定
することができるとされていることと考えを同じくするものと解さ
れる。したがって、憲法上、外国人は、日本に入国する自由が保障
されていないことはもとより、在留する権利ないし引き続き在留す
ることを要求する権利を保障されているということはできない。こ
のように外国人の入国及び在留の許否は国家が自由に決定すること
ができるのであるから、我が国に在留する外国人は、出入国法に基
づく外国人在留制度の枠内においてのみ憲法に規定される基本的人
権の保障が与えられているものと解するのが相当である(最高裁判
所昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決・民
集32巻7号1223頁、最高裁判所昭和29年(あ)第3594号
)。同32年6月19日大法廷判決・刑集11巻6号1663頁参照
、、、(二)出入国法2条の27条等は憲法の上記の趣旨を前提として
外国人に対し原則として一定の期間を限り特定の資格により我が国
への上陸、在留を許すものとしている。したがって、上陸を許され
た外国人は、その在留期間が経過した場合は当然我が国から退去し
なければならないことになる。そして、出入国法21条は、当該外
国人が在留期間の更新を申請することができることとしているが、
この申請に対しては法務大臣が「在留期間の更新を適当と認めるに
足りる相当の理由があるときに限り、これを許可することができ
る」ものと定められている。これらによると、出入国法において。
も、在留期間の更新が当該外国人の権利として保障されていないこ
とは明らかであり、法務大臣は、更新事由の有無の判断につき広範
な裁量権を有するというべきである(前掲昭和53年最高裁判決参
照。)
(三)また、出入国法50条1項3号は、49条1項所定の異議の申
出を受理したときにおける同条3項所定の裁決に当たって、異議の
申出が理由がないと認める場合でも、法務大臣は在留を特別に許可
することができるとし、出入国法50条3項は、上記の許可をもっ
て異議の申出が理由がある旨の裁決とみなす旨定めている。
しかし、①前記のように外国人には我が国における在留を要求す
る権利が当然にあるわけではないこと、②出入国法50条1項柱書
及び同項3号は「特別に在留を許可すべき事情があると認めると、
」、きに在留を特別に許可することができると規定するだけであって
この在留特別許可の判断の要件、基準等については何ら定められて
いないこと、③出入国法には、そのほか、上記在留特別許可の許否
の判断に当たって考慮しなければならない事項の定めなど上記の判
断をき束するような規定は何も存在しないこと、④在留特別許可の
判断の対象となる者は、在留期間更新の場合のように適法に在留し
ている外国人とは異なり、既に出入国法24条各号の規定する退去
強制事由に該当し、本来的には退去強制の対象となる外国人である
こと、⑤外国人の出入国管理は、国内の治安と善良な風俗の維持、
保健・衛生の確保、外交関係の安定、労働市場の安定等、種々の国
益の保持を目的として行われるものであって、このような国益の保
持の判断については、広く情報を収集し、時宜に応じた専門的・政
策的考慮を行うことが必要であり、時には高度な政治的判断を要す
ることもあり、特に、既に退去強制されるべき地位にある者に対し
てされる在留特別許可の許否の判断に当たっては、このような考慮
が必要であることを総合勘案すると、上記在留特別許可を付与する
か否かの判断は、法務大臣の極めて広範な裁量にゆだねられている
と解すべきである。そして、その裁量権の範囲は、在留期間更新許
可の場合よりも更に広範であると解するのが相当である。
したがって、これらの点からすれば、在留特別許可を付与するか
否かについての法務大臣の判断が違法とされるのは、その判断が全
く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明ら
かであるなど、法務大臣が裁量権の範囲を逸脱し又は濫用した場合
に限られるというべきである。
2そこで、以上の判断の枠組みに従って、原告に在留特別許可を付与
しないとした被告法務大臣の判断に裁量権の逸脱又は濫用があるとい
えるか否かについて検討する必要があるところ、原告は、出入国法2
条3号の2、難民条約1条に規定する「難民」に該当するというべき
であるから、これを前提として、本件裁決の取消原因について検討す
る。
、、、3(一)原告は前記前提事実のとおり乗員上陸の許可を受けた者で
(、当該許可書に記載された在留期限である平成10年7月28日乙3
8)を経過して本邦に不法に残留していた者であるから、出入国法2
4条6号所定の退去強制事由に該当するというべきである。
、、、(二)しかしながら出入国法61条の2の8によれば法務大臣は
難民の認定を受けている者に対しては、異議の申出に理由がない場
合であっても、その裁量によって在留を特別に許可することができ
る旨定められている。このような同条の規定ぶり及び出入国法上の
難民の意義、性質からすると、当該外国人が出入国法上の難民に当
たるか否かは、法務大臣が在留を特別に許可することをせずに出入
国法49条1項に基づく異議の申出に理由がない旨の裁決をするか
否かについて判断する場合に当然に考慮すべき極めて重要な考慮要
素であるというべきである。
ところが、被告法務大臣の本訴における主張からすれば、被告法
務大臣が原告が出入国法上の難民に該当する者であることを考慮せ
。、、ずに本件裁決を行ったことは明らかであるすなわち本件裁決は
原告が出入国法上の難民に該当するという当然に考慮すべき極めて
重要な要素を一切考慮せずに行われたものといわざるを得ない。
したがって、本件裁決は、その裁量権の範囲を逸脱する違法な処
分というべきである。
(三)さらに、前記のとおり、難民条約32条1項は「締約国は、、
国の安全又は公の秩序を理由とする場合を除くほか、合法的にその
領域内にいる難民を追放してはならない」と規定し、難民条約3。
、「、、、、3条1項は締約国は難民をいかなる方法によつても人種
宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治
的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある
領域の国境へ追放し又は送還してはならない」と規定している。。
被告法務大臣は、原告が出入国法上の難民に該当するのであるか
ら、本件裁決が上記規定に反する結果とならないかについても吟味
する必要があったところ、このような吟味をしたことをうかがわせ
る事情はない。
したがって、この点においても、本件裁決は、被告法務大臣の裁
量権の範囲を逸脱する違法な処分というべきである。
4以上によれば、本件裁決は、被告法務大臣の裁量権の範囲を逸脱す
る違法な処分であるから、取消しを免れないというべきである。
六争点5(本件退令処分の適法性)について
法務大臣は、出入国法49条1項による異議の申出を受理したときに
は、異議の申出が理由があるかどうかを裁決して、その結果を主任審査
官に通知しなければならず(同条3項、主任審査官は、法務大臣から)
異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときには、速やか
に当該容疑者に対し、その旨を知らせるとともに、出入国法51条の規
()。定する退去強制令書を発付しなければならない出入国法49条5項
そうすると、本件裁決が違法である以上、これに従ってされた本件退
令処分も違法であり、取消しを免れないといわざるを得ない。
第四結論
よって、原告の本訴請求のうち、本件裁決及び本件退令処分の各取消
しを求める請求は、いずれも理由があるからこれらを認容し、本件難民
不認定処分の取消しを求める請求は、理由がないからこれを棄却するこ
ととし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61
条、64条を適用して、主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第38部
裁判長裁判官菅野博之
裁判官市原義孝
裁判官近道暁郎
(別紙)当事者の主張の要旨
1争点1(難民該当性の有無)について
(一)原告の主張
()ミャンマーの一般情勢及び在日の活動家に対する迫害のおそ1
れ等について
アミャンマーにおいては、昭和63年(1988年)9月18
日の軍事クーデターにより国家法秩序回復評議会(以下「スロ
ーク」という)が全権を把握して以降、強権的な支配が続い。
ており、現在に至っても政治的自由は認められずに、人権抑圧
の状態が継続している。
イ平成2年(1990年)5月に、総選挙が行われ、アウン・
(「」。)サン・スーチーが率いる国民民主同盟以下NLDという
が約8割の議席を占めて勝利したにもかかわらず、スロークは
政権を委譲しなかった。
ウスロークは、平成8年(1996年)5月及び同年9月に、
NLD主催の議員総会や党員総会の開催を妨害し、それぞれ多
数のNLDの関係者を拘束した。また、スロークは、平成8年
(1996年)6月、NLDを非合法団体とし、その活動を妨
害する法律を制定したほか、同年12月には、大規模な学生に
よる示威活動に対して、武装警察隊等を動員して強権的に押さ
え込み、多くの参加者を逮捕、拘留した。
エ平成8年(1996年)12月25日には、ガバーエーパゴ
タで政府要人を狙った爆弾事件があったが、その際、スローク
は、この事件は学生により実行されたと指弾し、背景に全ビル
マ学生民主戦線がいるとして、同月の示威活動にかかわった学
生を捜査した。
平成9年(1997年)4月には、P2中将の自宅に届けら
れた小包が爆発し、P2中将の長女が死亡するという事件が起
きた。スロークは、上記爆弾事件について、在日の幾つかの反
政府組織がこの犯行を企てたと発表し、a所属のP3及びP4
を爆弾事件の犯人として特定した。
オスロークは、平成9年(1997年)11月15日に、国家
平和発展評議会(SPDC。なお、以下では、改組の前後を区
別することなく「スローク」という)に名称を変更した。、。
スロークは、平成10年(1998年)にも、500人以上
のNLDのメンバーを拘束し、民主化運動の指導者のアウン・
サン・スーチーが首都ヤンゴンから離れることを妨害し、アウ
ン・サン・スーチーを強制的に連れ戻すなどした。また、外国
人18人が、民主化を訴えるビラを配ったという理由で、警察
官に拘束された。
カミャンマー政府は、平成11年(1999年)にも、民主化
運動が起こることを警戒し、多くの民主化活動家・元活動家を
拘束した。
治安当局は、平成12年(2000年)8月に、アウン・サ
ン・スーチーほかNLD幹部が他のメンバーを訪ねるためヤン
ゴンを離れると、強制的に連れ戻し、アウン・サン・スーチー
を12日間自宅に軟禁し、ヤンゴンにあるNLDの党本部を家
宅捜索した。
また、同年9月、アウン・サン・スーチーとNLD副議長の
P5がマンダレーを訪れようとした際、ヤンゴン駅から退去強
制させられ、P5は、軍情報部基地に連行されて拘留され、他
方、アウン・サン・スーチーとNLD中央執行委員は自宅軟禁
となった。また、NLD支援者を含む100人近くが逮捕され
た。
キミャンマーにおける基本的人権の抑圧状況について、国連特
別報告官P13氏による「ミャンマーの人権状況」と題する報
告(甲3)には「司法当局は軍によって統制されており、基、
本的な表現の自由、結社と集会の自由が法律に基づいて違法と
されている。1950年の非常事態法や1975年の国家保護
法のような漠然とした言葉によって表現された法律が、平和的
。」な政治活動を行った市民を逮捕するために使われ続けている
などと記載されている。
クまた、ミャンマーにおける拷問の実態について、アムネステ
ィ・インターナショナル発行の「ビルマ(ミャンマー:制度)
化された拷問」においては、ミャンマーでは、政治囚や少数民
族が拷問や虐待を受けることが日常化しており、アムネスティ
・インターナショナルは12年以上にもわたってその事実を報
告してきたこと、ミャンマー政府は、拷問は国内法に反してい
ると主張し、一貫して拷問の事実を否定しており、ミャンマー
には尋問中の拷問や虐待を禁じる刑法の条文もあるが、アムネ
スティ・インターナショナルの知る限り、これらの条文に違反
しているとして罰せられた者はいないこと等が報告されてい
る。
ケ前記エの事件以降、在日の反政府組織に所属している活動家
は、スロークから、大きな迫害の危険にさらされることになっ
た。
なお、aは、昭和63年9月に、ミャンマー政府の民主化運
動に対する弾圧による死者を弔う会に集まった在日ミャンマー
人たちによって結成されたが、その後、ミャンマーの軍事政権
に反対し、ミャンマー民主化運動への支援を行う団体として活
動してきた。平成7年には、aの構成員を中心として、gが結
成された。
()原告の個別事情について2
ア原告のミャンマーにおける活動状況
原告は、ミャンマーで大規模な民主化闘争が起きた昭和63
年8月当時、通信制の大学で就学しながら、鉱業省の下にある
ミャンマー宝石公社で働いていたが、鉱業省の他の公社のメン
バーとも連携して、デモに参加した。
軍事クーデターにより原告らの運動も押さえられてしまった
昭和63年9月末ころ、上司から、政治活動についての質問事
項と今後二度と政治活動をしないという宣誓が記載された書面
に記載するように求められた。原告は、デモ活動については1
0回位参加したなどと少なめに回答し、政治活動をしないとい
う宣誓書に署名した。
イ原告の日本における活動状況
(ア)原告は、平成4年から香港の船会社で船員として稼働し
ていたが、平成7年から、外国において、日本におけるミャ
ンマーの軍事政権に対する反政府活動の中心的機関誌である
βが送られてくるようになり、原告は、それを読み、日本で
の民主化運動の内容を知り、日本に渡って民主化運動にかか
わりたいと思うようになった。
(イ)原告は、平成10年7月21日に、船員として来日した
際に、すぐにβの編集長であり、原告のいとこでもあるP1
に連絡し、P1の居宅に連れていってもらったが、そこは、
bの事務所とβの事務所を兼ねていた。原告は、βの作成作
業を見て、P1と共に、日本で反政府活動に従事しようと決
意し、以後、ミャンマーの民主化活動に従事した。
(ウ)原告は、来日後、βについて、出版スタッフに近い存在
として、P1と共に、出版を続けた。なお、βは、ミャンマ
ー政府から反政府の機関誌として敵視されており、平成▲年
▲月▲日付けミャンマー国営新聞「ミャンマーアリン」誌上
でも、反政府の雑誌と指摘されている。
(エ)原告は、平成11年7月か8月ころから、反政府の評論
や詩などを執筆し、日本で発行された雑誌である「β、」
「δ「ε」や、韓国で発行された反ミャンマー政府の雑」、
誌「ζ」等において、発表した。原告の執筆した文章は、内
容がラディカルであるのが特徴である。原告の執筆した文章
や詩は、次第に、βなどの反政府の雑誌に頻繁に掲載される
ようになり、執筆活動が原告の反政府活動の重要な部分を占
めた。
原告はP6というペンネームを用いたが、そのペンネーム
は広く知られている。
(オ)原告は、平成12年6月、軍事政権の指導者の一人であ
るキン・ニョン第一書記(キン・ニョン中将)が小渕元首相
の葬儀に来日した際に「抑圧されたビルマ国民」の名で、、
ミャンマーの軍事政権を批判し、葬儀に参加した主要国首脳
がキン・ニョン第一書記が肩を並べて歩くべきではないと主
張する内容の書簡を各国大使館にファクシミリで送信した。
原告は、同年▲月▲日には、βに評論を執筆、掲載し、軍事
政権を批判して、この機を生かして行動を起こそうと呼びか
けた。原告は、同年7月17日には、沖縄サミットに参加し
た主要国首脳や日本の首相官邸に対し、友人の一人が草稿を
書き、原告が加筆訂正した、違法な軍事政権に対して行動を
起こすよう要請する書簡を「日本での反軍事・民主化グル、
ープ」の名で、メールにより送付した。
原告は、同年9月25日、ビル・クリントンアメリカ合衆
国大統領、アル・ゴア同副大統領、トニー・ブレア英国首相
に対し、武力でミャンマー軍事政権を排除し、国際司法裁判
所の決定によって必要な行動を起こすように要請する書簡を
送付した。この書簡の差出人は「独裁政治と戦う民主化グ、
ループ」としたが、当時原告が居住していた住所とマンショ
ンの部屋番号を記載して書留で送付した。
原告は、平成13年3月に、ブッシュアメリカ合衆国大統
領とトニー・ブレア英国首相に対して、ミャンマーの軍事政
権に対して直ちに必要な行動を取るように要請する書簡を送
付した。
(カ)原告は、来日後、在日ミャンマー大使館前のデモや集会
を含めて、多くのデモや集会に参加した。
なお、デモ参加者の間では、デモの様子を在日ミャンマー
大使館関係者が撮影していることは公知の事実となってい
る。
原告も、平成12年1月に、現在は在日ミャンマー大使館
に勤務している原告のかつての同僚と他の2名と共に食事を
した際、その在日ミャンマー大使館員から3枚ほど写真を撮
られた。
(キ)原告は、平成12年からはbに加入し、同年12月に、
bやaなど4団体が統合して、cが設立されると、cに加入
して反政府活動を続けた。
原告は、平成14年2月24日には、それまでの活動が認
められて、cの中央執行委員会のメンバーに抜擢され、副書
記長を選出する選挙に僅差で敗れた同年12月22日まで、
その職務に従事した。
原告は、東日本センターから仮放免された後の平成16年
12月12日に開かれたcの会議で、15人の中央執行委員
の一人に選任され、調査研究担当となった。このとき、選任
されたメンバーは、cの発行する月刊誌「γ」の平成▲年▲
月号でも紹介され、原告の写真も掲載された。
(ク)原告は、在日のミャンマー人工場労働者の人権保護組織
であるd及び同組合が改称したe(以下、改称の前後を問わ
ず「d」という)のメンバーである。この組合は、ミャン。
マーとタイの国境地帯で労働問題を通じてミャンマーの民主
化を実現すべく活動しているfの下部組織であり、ミャンマ
ー政府から認められていない団体である。
平成▲年▲月▲日には、dがNHKの「おはよう日本」の
番組の「κ」という特集で放映され、原告の姿が映し出され
た。
(ケ)原告は、東日本センターに収容されている間も活動を行
った。平成16年5月30日には、ミャンマーの軍事政権に
抗議する24時間のハンガーストライキを行い、原告が声明
文を書き、収容中の仲間に署名をしてもらった。また、原告
は、7月19日の殉職者の日(アウン・サン将軍が暗殺され
た日)に向けて、平成16年7月5日には、祖国の英雄であ
るアウン・サン将軍たちの成果を軍事政権がだめにしたこと
を強く避難する声明文を書き、在日の民主化活動団体に送っ
た。
ウ原告の難民認定申請について
原告が平成12年9月25日にビル・クリントンアメリカ合
衆国大統領、アル・ゴア同副大統領及びトニー・ブレア英国首
相に対して送付した書簡の内容は、軍事行動を求めるものであ
って、これまでになく過激なものであり、かつ、この書簡は当
時原告が居住していた住所とマンションの部屋番号を記載して
送付されたものである。原告は、上記書簡を改めて読み返して
みて、国家反逆罪が適用される過激な内容のものであり、自分
の住所も記載したことから、恐怖を感じた。
また、原告は、当初、難民認定申請をするために来日したわ
けではなく、また、来日後、反政府活動に従事した期間が短い
うちは、難民の認定を申請しても認められるかどうか分からな
いという気持ちがあったが、次第にその活動は激しいものにな
り、自分の活動が知られれば命がないと思うようになった。
そこで、原告は、同年11月17日に、難民の認定を申請し
た。
()原告の供述・主張の信用性について3
ア原告の主張及び供述の基本的内容は、ほぼ一貫しており、細
部において多少の矛盾等は見られるが、この程度の矛盾等は、
原告の主張、供述の根幹部分における信用性を何ら否定するよ
うなものではない。
イ被告法務大臣は、原告のc内での活動について、原告が、中
央執行委員会のメンバーに選出されたのは平成14年2月24
日であるとする一方、平成13年2月6日付けの入国調査官の
審査調書(乙14)には「今年の1月14日から、c内の広、
報委員をつとめています」との記載があるから、原告の供述。
には信用性がない旨主張する。
しかし、上記審査については、通訳を介して作成されたもの
であり、審査調書が、原告の供述のすべてを正確に記載してい
るかどうかは不明であり、たとえば、原告が組織の中で行った
広報活動について供述したところ、通訳を介して「広報委員」
という言葉で記載されたという可能性も考えられるのである。
また、仮にcの「広報委員」を務めているという発言があった
としても、それが当然にcの執行委員を務めていることと一致
するとは限らないというべきである。
また、被告法務大臣は、平成14年にcの中央執行委員会の
メンバーになったときの原告の役割について、原告本人尋問に
おける供述が、原告の陳述書(甲19)の記載及びP1の証人
尋問における供述と異なる旨主張する。
しかし、これらの原告やP1の供述は、原告が、平成14年
の時点で、c内で、情報の収集、流通にかかわる仕事をしてい
た点において大筋で一貫しているというべきである。被告法務
大臣の前記主張は、失当である。
ウ被告法務大臣は、原告がP6というペンネームについて、当
、、、初他の人は知らないと供述していたにもかかわらず次第に
広く知られていると供述するようになったことをとらえて、供
述に変遷が見られる旨主張する。
しかし、原告は、その意見や活動について、他の者と議論し
たりする中で、次第に自分の考えが知られ、また、編集者から
の情報によって、次第にペンネームが知られるようになったと
認識しているのであって、時間がたてばたつほど、自己のペン
ネームが知られている可能性が高いものとして認識し、そのよ
うに供述することは、むしろ不自然なことではない。
被告法務大臣は、原告がペンネームを自ら明らかにしたこと
は一度もない旨供述している一方、P1の陳述書(甲48)に
は、原告がペンネームを自ら明かすようになったと記載されて
おり、この点で両者の供述に矛盾がある旨主張する。
しかし、聴取者と供述者との間に通訳や翻訳が入ることによ
って表現に微妙な違いが生じることは少なくないまた明、。、「
らかにする」の意味についても、原告が直接P6は自分のこと
であると供述するだけでなく、P6が原告のことであることが
自然と分かるような言動をすることも含まれていると考えるの
が自然である。
そうすると、被告法務大臣の前記主張は、失当である。
エ被告法務大臣は、原告がとりわけ平成12年9月25日に英
米首脳あての書簡(甲10の1)を送付した直後に原告が迫害
の危険を差し迫ったものと感じたと主張している点について、
それ以前の書簡でも、同様の過激な内容と受け取れる記載がさ
れていること、当初は平成12年6月に難民性を認識した旨述
べており、原告の主張は出入国法61条の2第2項違反を理由
とする本件難民不認定処分に対抗するための方便である旨主張
する。
しかし、平成12年9月25日送付の書簡の表現は、国連の
決議、又はアメリカ合衆国及び英国による軍事力の早急な行使
を求めているものであり、それまでの表現から一歩踏み込んだ
ものとなっている上、そもそも、重要なのは、原告が上記書簡
によって迫害の危険を感じたという主観的な事情である。
しかも、迫害の危険を現実的なものとして感じたのがいつか
ということは、必ずしも日時をもって特定することができない
事柄である。次第に、自らの危険の高まりを感じたような場合
には、いつ難民性を認識したかという質問には意味がなく、迫
害の危険を感じて、遅滞なく、速やかに難民認定申請をしたか
が重要である。そして、原告は、平成12年9月25日に送付
した書簡を読み返した後、恐怖を感じた旨供述しているのであ
って、それまでの活動が危険性のあるものではないとは供述し
ていないのである。
オ被告法務大臣は、δ誌に原告の書簡が実名入りで掲載された
経緯について、実名を使用することを許したとする原告の陳述
書(甲31)の記載と、編集者が勝手に実名を使ったとする原
告本人尋問における供述との間に矛盾がある旨主張する。
しかし、原告の上記供述ないし陳述は、δ誌の編集者が勝手
に実名を使おうとしているのを知ったが、原告はそのまま黙認
し、出版後、実際にδ誌上に実名が掲載されたのを確認したと
いう意味であって、一貫しており、上記供述ないし陳述に矛盾
はない。
、、カ被告法務大臣はP14が原告を写真撮影したことについて
、、客観的証拠はない旨主張するが原告のこの点に関する供述は
当初から一貫しており、詳細かつ具体的で、迫真性があるので
あって、その信ぴょう性は認められるべきである。
キ被告法務大臣は、原告はP15が迫害を受けた事実を主張し
、()、ているのに対し原告がP1にあてた手紙甲39において
投獄されたとされるP15の姉が、P15が投獄されたのは政
治活動と関係がない旨話していると記載しているのであるか
ら、P15が迫害を受けたとする事実すら定かでなく、そのよ
うな情報それ自体の信ぴょう性に疑問がある旨主張する。
しかし、この点については、帰国したP16という人物が、
λにあるミャンマー人経営のhに手紙を送ってきており、その
中で、当局は、デモに参加したP15の写真を見せてP15を
投獄した旨伝えてきたとの情報がある。
さらに、重要なのは、原告が、複数の情報筋から、日本から
帰国したミャンマー人が、日本で反政府活動をしていたか、反
政府活動をしている者を知っているかについて、写真を見せら
れるなどして詳細に取調べを受けている情報を得ているという
ことである。そのような情報は、情報の入手過程が特定されて
いることからすると、その信ぴょう性は、極めて高い。
()原告の難民該当性4
ア反政府雑誌への執筆活動による迫害のおそれ
(ア)原告は、これまで、本国政府を批判し、その打倒を求め
る詩や評論を書き続け、βその他の反政府雑誌に、その執筆
物が掲載されるようになったのであり、原告に対する迫害の
危険は明らかである。
(イ)特に、βは、反政府、民主化情報誌の中心であり、当局
からも名指しで公然と批判されている。また、γ、δ及びε
、。、も公然と政府批判を行っている月刊誌であるこのような
本国政府から敵視されている雑誌に、公然と政府を批判する
詩や評論を掲載し続けたのであるから、迫害の危険は明らか
である。
(ウ)さらに、原告の発表する詩や評論は、その内容がストレ
ートで過激である。
(エ)原告は、執筆物の発表に、P6というペンネームを用い
てきたが、これは、原告の父がくれた名前で、通称名のよう
に使われてきた名称である。原告自身は、P6がペンネーム
であることを公然と発表した覚えはないが、意見交換や話し
合いを通じて、次第に、P6が原告のペンネームであること
を知る人が多くなったのである。
たとえば、P1は、自己が経営するミャンマー料理店に来
るミャンマー人の客との話の中で、会話をした者の半数くら
いが、P6のことを知っているようであると話している。
また、原告は、cの月例の会議でカンパをする際、自分の
ペンネームについて話したことのないP12から、原告が本
名でカンパをするか、それとも、ペンネームでカンパをする
かを聞かれている。なお、被告法務大臣は、P12なる名前
は、尋問において唐突に述べられたものであると主張して、
その信ぴょう性を疑うが、過去に適切な質問がされなかった
から、本人尋問において初めて供述されただけである。
、、(オ)被告法務大臣は掲載された原告の執筆物が少ないから
原告がミャンマー政府から反政府活動家として把握されてい
るとは認められないとも主張する。しかし、たとえ1本であ
っても、反政府の雑誌に当局を批判する記事を掲載すること
がいかに危険なことかは多言を要しない。
イcのメンバー及び執行委員としての活動による迫害のおそれ
、、、(ア)原告は平成14年2月24日cの第1回年次総会で
cの執行委員会のメンバーに選任された。原告が選出された
のは、正確には、執行委員の補佐的なメンバーであったが、
軍事政権は、cの執行委員会のメンバーとその補佐者として
選任したものを区別していない。
そもそも、軍事政権は、cを抵抗勢力の筆頭として敵視し
、、ているのであるからcのメンバーであること自体において
既に大きな迫害の危険がある。その上、執行委員あるいはそ
の補佐に選任され、重要な仕事を任されたということになれ
ば、迫害の危険は更に顕著である。
平成▲年▲月にγ誌に、cの中央執行委員会のメンバーあ
るいはその補佐者に選任された者として名前が掲載された1
9名のうち、既に難民認定又は在留特別許可を受けた者は1
3名に上る。執行委員会のメンバーないしその補佐者に選任
される者は、それまでの活動が評価されて、推薦により候補
者になり、メンバーの投票によって選任されるような人物で
あるから、迫害の危険は明白である。
(イ)被告法務大臣は、原告が、cの執行委員会のメンバーに
なった事実や実名が公表されることはなかったから、平成1
6年12月に中央執行委員会のメンバーになる以前の時点
で、同委員会のメンバーになったことを理由に、原告が本国
政府から積極的反政府指導者として把握されていたとは到底
認められないなどと主張する。
しかし、cの年次総会報告に、原告は、執行委員会のメン
バーに選出されたとして、実名で掲載されているから、被告
法務大臣の主張には理由がない。
ウβの発行に従事していたことによる迫害のおそれ
原告は、来日直後から、βの発行に従事してきた。
被告法務大臣は、原告がβのスタッフではなかったことを指
摘するが、そもそもβは、原告を含め、わずか6人で出版を行
っているのであり(甲31、原告は、そのメンバーの一人で)
ある。また、当局からすれば、原告も、スタッフと同じく、敵
視と監視の対象である反政府の雑誌の出版に常に従事してきた
ことに変わりはない。
エデモや集会の参加による迫害のおそれ
(ア)原告は、来日以来、できる限りのデモや集会に積極的に
参加してきた。
(イ)被告法務大臣は、原告が格別主導的な役割を果たしたと
は認められない以上、ミャンマー政府から個別に把握されて
いるとは考え難い旨主張する。
しかし、原告らのデモや抗議行動は、たまに行うものでは
なく、定期的なものだけで、月曜日から金曜日までの毎日、
16時から17時まで、在日ミャンマー大使館と国会の前で
実施しており、その都度、大使館内部から、その様子がカメ
ラやビデオに撮影されているのである(原告本人、甲41か
ら44まで。そうすると、ミャンマー大使館の前で反政府)
デモを行うことは、それ自体、高い危険を伴うのである。
(ウ)被告法務大臣は、警備の必要上、大使館員が、常日ごろ
から監視活動を行っているという見方が可能である旨主張す
る。
しかし、撮影の目的が、デモ参加者の把握、迫害ではない
という根拠はない。さらに、甲第43及び第44号証の写真
は、キン・ニョン第一書記(中将)が来日した際、新宿の公
園と日比谷公園でデモを行ったとき、中将の同行の人物がデ
モの様子を撮影している様子を写真に撮ったものであり、警
備の必要から行われた撮影ではないことは明らかである。
さらに、原告が東日本センターに収容中に得た情報によれ
ば、日本から帰国した者が、空港で取り調べを受けており、
日本のデモ活動等の写真を見せられて、参加者を知らないか
と聞かれているとのことであり、日本で撮影された写真が利
用されている可能性が極めて高い。
オ主要国首脳に送付した書簡について
これらの書簡を当局が知る可能性があるか否か以上に、原告
の活動がこれらの書簡を各国首脳に頻繁に送付するほど、活発
なものであったということができる。
カP1との関係による迫害のおそれ
原告は、当局から名指しで敵視されている民主化活動運動の
、。リーダーであるいとこのP1と来日以来活動を共にしてきた
P1には、確実に当局の監視が及んでいることからすると、原
告にも当局の監視の目が及んでいると考えるのが自然である。
キdへの所属による迫害のおそれ
dは、労働問題を通じてミャンマーの民主化を実現すべく活
動しているfの下部組織であり、fは、本国政府から認められ
ない団体として指摘されている。また、dの規約でも、ミャン
マーの民主化をうたっている。そうすると、少なくとも、dに
所属することによって、そうでない場合に比して、迫害の危険
が高まることは明らかである。
ク本国での活動と本国政府による保護を拒否したことによる迫
害のおそれ
原告は、本国で反政府デモを行い、その後、反政府活動をし
ないという書類にサインしただけでなく、その後、何年間も本
国へ戻らず、本国政府の保護を拒否し続けたのである。これら
は、迫害の危険を更に高めているものである。
ケ原告の稼働と本国への送金について
原告の本邦における稼働、本国の家族への送金や預金は、原
告の難民性とは関係がない。原告は、来日直後から、真しに民
主化運動に従事しており、就労目的で来日した者の行動とは相
いれない。
コ原告の家族の状況
原告が、本国の妻に電話をする際、話が政治のことに移ろう
とすると、妻が話を変えるという不自然な事実からすると、家
族が何らかの嫌がらせを受けている可能性がある。
サ難民認定申請の時期
原告は、来日後、何年もたってから難民認定申請をしている
が、それは、原告が来日後、執筆活動を活発化させ、cの執行
委員会のメンバーに選任されるなど、次第に、その活動を活発
化させていったからにすぎない。
シ以上からすると、原告は、本国及び本邦において反政府政治
活動をしていたことを理由として、迫害を受けるおそれがある
という十分に理由のある恐怖を有する者であるということがで
きる。
(二)被告法務大臣の主張
()原告の本国における活動をもって本国から迫害を受けるおそ1
れがあるとは認められないこと
原告は、本国での活動内容として、昭和63年8月8日にミャ
ンマー国内でデモが起こった際、公務員として職場の仲間と一緒
にデモに参加した旨主張ないし供述するが、このような主張ない
し供述を裏付けるに足る客観的な証拠はない。
また、原告自身、上記デモに関して、今後政治にはかかわらな
いという宣誓書を書かされた以降は、公務員を辞めた後も含めて
一切政治活動をしておらず、そのためミャンマーで逮捕されたこ
ともないと供述する(乙14、甲31)上、上記デモの参加によ
って迫害を受ける理由にはならないなどとも供述している(乙1
4、64。したがって、本国での活動を理由として迫害を受け)
るおそれがないことは明らかである。
原告は、平成10年2月20日にミャンマーにおいて真正な旅
券の発給を受けて、正規の手続により出国しているのであり(乙
1、また、平成3年にも自ら旅券を申請してこれを取得した旨)
供述するとともに(乙65、その後に船員として正規の手続に)
より出国している(乙2。これらからすると、原告が、当時、)
積極的な反政府活動家としてミャンマー政府に把握されていなか
ったこと及びそのように把握されるような人物ではなかったこと
は明らかである。
()原告の来日目的が本邦での不法就労であったと推認されるこ2

ア原告が高い政治的意識を有しているとは認められないこと
原告は、来日直後からP1の自宅兼b事務所でβの校正、コ
ンピュータでの写植、編てつ、発送などを行うようになったと
しながらも、編集スタッフの一員となっていたものではない。
、、また来日後約1年9か月を経過した平成12年4月までの間
特定の組織に所属することもなく、その理由も、だれからもメ
ンバーに入れようと勧誘されなかった(原告本人、乙65)な
どというものにすぎない。
さらに、原告の来日直後の活動も、活動の仕方がよく分から
なかったので、デモがあれば参加するという感じであったとい
うものであった(乙16。)
よって、仮に、原告主張の事実が存在したとしても、原告の
活動内容は、補助的、消極的なものであるにとどまり、このよ
うな活動を行うことが本邦で不法残留となることをいとわなか
ったほどの強い残留動機であったとは考え難く、高い政治的意
識を有して日本での反政府活動を決意したとは到底認められな
い。
イ原告が来日直後から不法就労に専念していたこと
他方で、原告は、本邦上陸後間もなく建設作業員として稼働
を開始し、その後は飲食店店員として勤務するなどして月収2
3万円を得、日本で約100万円の預金を有するに至ったと述
べている(乙9、14、65、68。このような供述内容か)
らすれば、原告は、来日当初から継続的に不法就労を行い、蓄
財及び本国への送金に専念していたことがうかがわれるのであ
って、単に、生活のために働いていたとか、政治的活動とは無
関係に本国の家族に送金していたというようなものとは認めら
れず、専ら不法就労目的で来日したことが強く推認される。
()原告が本邦でデモに参加していたなどの事実から、本国政府3
から迫害を受けるおそれがあるとは認められないこと
ア原告は、平成12年6月に、キン・ニョン第一書記の来日に
抗議するデモに先頭に立って参加していたことから、ミャンマ
ーに帰国すれば逮捕されるおそれがあった旨主張する。
しかし、原告がデモにおいて先頭に立っていたとする具体的
内容は明らかでない上、原告の供述によれば、原告は、当時、
一般党員としてデモに参加していたにすぎない(乙9)のであ
るから、格別主導的な役割を果たしていたと認められない原告
が、ミャンマー政府から個別に把握されているとは考え難い。
なお、ミャンマーの在外公館は、バンコクの大使館が反政府
武装集団に占拠されたり、日本やシンガポール等の大使館に爆
発物が送付されたり(乙79の1、クアラルンプールの大使)
館が火炎瓶で炎上された上、侵入してきた反政府組織の者に、
斧で切りつけられて大使館員が負傷するという事件が発生して
いること(乙79の2及び3)により、警備の必要上、大使館
員が、常日頃から監視活動を行っているという見方も可能であ
る。したがって、大使館員によるビデオ撮影の主たる目的が、
デモ参加者の把握、迫害であるとまでいうことはできない。
現に、a等に所属し、デモに参加するなどして反政府活動を
行い、帰国すれば迫害を受ける旨申し立てていたミャンマー人
男性は、不法残留中の妻の体調不良等を理由に自ら早期帰国を
希望し、その際、帰国した場合の自身の危険について、何ら心
配はない旨明言しているところである(乙80。)
また、オーストラリアや英国の裁判所でも、指導者ではない
反政府活動をしたミャンマー人の難民認定申請を認めていない
(乙81。)
ミャンマーにおいて民主化運動が展開されてきた期間等を考
慮すると、国外でデモ活動等に参加する者は極めて多数に及ぶ
ものと認められるところ、これらの者のすべてが、政府から個
別的な迫害の対象とされるような政治活動家であるとは考えら
れない。
イ原告は、本人尋問において、平成17年3月以降、在日ミャ
ンマー大使館前で定期的に行われるデモの金曜日の担当者にな
った旨供述するが、このような供述は処分後の事情を述べるも
のである上、その供述内容からすれば、裏方的な仕事を行った
にすぎない。したがって、仮にそのような事実があったとして
も、デモを主導する立場にない原告が、ミャンマー政府から積
極的な反政府活動指導者として把握されているとは考え難い。
()原告が本邦でc中央執行委員会のメンバーに選出された事実4
があったとしても、このことをもって本国政府から迫害を受ける
おそれがあるとは認められないこと
ア原告は、平成13年2月6日付け調書(乙14)において、
「今年の1月14日から、cで広報委員をつとめています」。
と供述している一方、原告本人尋問では、この供述について覚
えていない旨供述する。
原告がcの組織の構成や執行委員の選出方法等について知悉
した上で事実を述べているのであれば、メンバーに選出される
1年前に間違った供述をするはずがないのであるから、原告の
平成13年2月6日付けの供述調書の供述は、虚偽のものか、
組織の構成や執行委員等に関する知識がないことによる誤った
供述を行ったか、いずれかである。
イ原告は、中央執行委員会のメンバーになった際の具体的な活
動内容について「情報宣伝の副情報宣伝担当(原告本人調、」
書16頁)と供述する一方「調査する統計の副責任者(乙、」
16)とも供述する。また、P1は「原告は補助的なメンバ、
ーの一人で、本国国内の状況について分析をしたり、世界各国
におけるミャンマーをめぐる動きについて調査、研究を行う執
行委員の仕事を補助する仕事をしていた(証人P1)と供。」
述している。上記原告の供述には一貫性がないように思われる
上、いずれにしても、平成14年に中央執行委員会のメンバー
になった段階では、執行委員を補助する仕事を行っていたにす
ぎず、指導的な役割を担っていたものではない。さらに、原告
本人尋問によると、このような事実や実名が公表されることも
なかったというのであるから、平成16年12月に中央執行委
員会のメンバーになる以前の時点で、原告が、同委員会のメン
バーになったことを理由として、本国政府から、反政府活動指
導者として把握されたことは到底認められない。
また、原告が平成16年12月に、再度中央執行委員会のメ
ンバーに選任された旨及びそれによって実名等が雑誌に掲載さ
れた旨の主張は、処分後の事情を述べるものにすぎず、それ自
体失当である。しかも、執行委員とはいえ、その序列は補助員
()。を除く16人のメンバーの中の下から2番目である甲33
したがって、原告が本国政府から積極的な反政府活動指導者と
して把握されていたとは認められない。
()原告が執筆活動等を行っていることをもって本国から迫害を5
受けるおそれがあるとは認められないこと
ア原告自身、自らが執筆した詩や随筆等の内容がそれ自体危険
であったとは認識していなかった旨を供述していること
原告は、平成12年9月25日に英米首脳あてに送付した書
簡の内容が特に激しいものであったことから、自身が難民であ
ることを認識した旨供述する(甲5、乙68。)
また、原告は、本人尋問において、平成12年9月25日に
英米首脳あてに送付した書簡に記載した内容と同じような内容
の評論をβに掲載したこともあるが、そのときには、英米首脳
に書簡を送付したほどの危険は感じなかった旨供述している。
そうすると、原告自身、βに掲載した詩等について、それ自
体、ミャンマー政府から反政府活動家として関心を寄せられ、
本国に帰国した際に迫害を受けるほどのものとは認識していな
かったと認められる。
また、平成11年ころから執筆活動を行っていた原告の詩や
評論がβにおいて占める比率は極めてわずかなものとなる上、
執筆を開始してから現在までの約6年半の間において、その他
に活字化したものは10本程度しかないというのであるから、
執筆活動により、原告がミャンマー政府から積極的な反政府活
動家として把握されているとはおよそ認められない。
イ原告のペンネームが露見したとしても、そのことによって迫
害のおそれがあるとは認められず、また、露見したという供述
自体に疑義がもたれること
原告自身、βに掲載した評論等の内容それ自体について、ミ
ャンマー政府から反政府活動家として関心を寄せられていると
認識していなかったこと、及び原告の評論等の雑誌等への掲載
頻度が極めてわずかなものであることなどからすれば、仮に、
その執筆者が原告であることが露見したとしても、そのことを
理由として、原告がミャンマー政府から積極的な反政府活動家
として把握されるとは認め難い。
また、原告は、ペンネームが露見したか否かについて、自身
の供述を安易に変遷させ、最終的には、自身がペンネームを使
っていることは広く知られているなどと供述しているが、この
ような供述の変遷は、合理的な根拠や客観的な証拠が伴わない
ものであり、また、P1の供述とも食い違い、かつ、不自然不
合理なものである。したがって、実際に原告のペンネームを知
っていた者が多数あったとする供述は、信用することができな
い。
ウ主要国首脳等に送付したとされる書簡について
原告は、平成12年9月25日に送付した英米首脳あての書
簡の内容が過激であったことから、書簡送付直後に自身が難民
であると認識した旨供述する。しかし、上記の書簡の内容は、
以前に主要国首脳にあてた書簡(甲7の1、9の1)とほぼ同
じ内容の記載がされているから、同日に送付した書簡が他の書
、、。簡に比して殊更に過激な内容であるとするのは妥当でない
また、原告は、平成12年9月25日送付の書簡のみ、自己
の住所を記載して差し出した旨供述するが、原告は上記書簡を
本国政府には送っておらず、本邦内から国際郵便で英国及びア
メリカ合衆国あてに送付したというのであるから、郵送の過程
においてミャンマー政府等が介在する余地はない。
また、原告が前記書簡の存在等が本国政府に知られる危険性
がある理由として挙げるのは、いずれも原告の憶測にすぎず、
書簡の送付によって、差し迫った危険が生じたとは認められな
い。
さらに、原告は、前記書簡に記載した過激な内容と同じよう
な内容の評論をβに掲載したこともあるが、原告によると、そ
の内容は、上記書簡の内容とさほど異なるものではないはずで
あるが、原告は、これについてはさほど危険とは感じなかった
旨述べている。
そうすると、前記書簡を根拠に、本国に帰国した際に迫害を
受けるおそれがあるとの原告の主張には理由がない。
エ実名が明かされたとする供述について
原告は、平成▲年▲月▲日付けの韓国において発行された反
政府情報誌の「ζ、同年▲月▲日付けの「δ」誌、及びcの」
機関誌「γ」の平成▲年▲月号に実名が掲載された旨供述する
が、仮に、これらの事実があったとしても、前記各事情は処分
後の事情にすぎない。
また、原告は「δ」誌に実名が掲載された経緯について供、
述を変遷させており、原告の供述は信用することができない。
()原告とP1の政治活動を同列に論じられるものではないこと6
、、P1は平成7年ころから既に本邦でβの編集長として活動し
その後、bの会計局長、b議長、c議長を経て、現在もβの編集
長とc副議長を兼任しているのである。これに対して、原告の本
邦での活動内容は、組織内で積極的、指導的な役割を果たしてい
ないことは明らかである。したがって、原告とP1の活動内容は
実質において全く異なることが明らかであって、P1の存在や、
P1と行動を共にしたからといって、原告の難民該当性が理由付
けられるものではない。
()大使館員に写真を撮影されたとする供述は客観的な裏付けを7
欠く上、このことをもって本国から迫害を受けるおそれがあると
は認められないことについて
原告は、本国での勤務先の同僚であるP14が、現在ミャンマ
ー大使館に勤務し、この人物と平成12年1月に食事をした際、
写真を撮られた旨供述する。しかし、この供述内容を裏付けるに
足る証拠はない。むしろ、積極的に反政府活動を行っていること
を理由に本国政府当局からの迫害を恐れている立場にあるような
者は、本国の政府関係機関ないし政府関係者との接触を避けよう
とするはずであるから、原告が大使館職員と食事を共にしていた
ということは、原告が難民ではないことの証左である。
また、原告の本邦での活動内容等からすると、写真を撮られた
事実があったとしても、このことによって、ミャンマー政府が原
告を積極的な反政府活動家として敵視し、把握したとは考えられ
ない。
()原告がdに所属していることをもって本国から迫害を受ける8
おそれがあるとは認められないこと
原告の供述によれば、dは、単なる労働組合であって、それ自
体、ミャンマー政府から反政府組織として把握されているとは認
。、、められないまた原告の姿が映し出されたとするテレビ番組は
同組合が正式に認められて発足したことなどを伝えるものであっ
、、。、てそれ自体何らの政治目的を表明するものではないしかも
原告の供述によっても、原告は、コンピュータを操作していると
ころが映し出されたにすぎないのであり、かつ、原告が映し出さ
れたという事実の立証もないのであるから、これらによって、ミ
ャンマー政府が原告を積極的な反政府活動家として把握したとは
認められない。
()帰国後に投獄された者があるとする供述について9
日本から帰国したミャンマー人が、ヤンゴン空港において、政
治活動へのかかわりの有無やかかわっている者についての取調べ
を受けているとの原告の供述は、いずれも処分後の事情を述べる
ものであるから失当であるまた原告がP1にあてた手紙甲、。、(
39)の内容中、投獄されたのはP15という人物だけであると
ころ、P15の姉に当たる東京都在住のP17は、P15は政治
活動と無関係に投獄されたと供述しているのである(甲39)か
ら、P15が迫害を受けたとする事実すら定かでなく、このよう
な情報それ自体信ぴょう性が疑問である。
さらに、原告本人尋問によれば、取調べを受けただけで、逮捕
や投獄まではされていない人物もいるほか、原告の活動について
。、取調べを受けた人物がいるとの事実も認められないそうすると
帰国者の取調べの事実をもって、原告が迫害を受けるおそれがあ
ると認ることはできない。
()原告の本国にいる家族に対する危険が一切ないことについて10
仮に、原告の主張するとおり、本国政府が原告のことを迫害す
、、べき中心的な反政府活動家として把握しているのであれば通常
本国に居住する原告の家族に対し本国政府当局によって何らかの
圧力が加えられていることが考えられる。ところが、原告は、本
国の家族が自らの反政府活動事実によって身の危険にさらされて
いるといった供述は一切行っておらず、原告の兄及び妻は公務員
。、として現在も公職に就いているとさえ供述しているそうすると
原告の家族は本国で何ら問題なく生活していることがうかがわ
れ、原告が反政府的な記事を投稿したり、主要国首脳あてに個人
的に書簡を書いた事実が本国政府に認識されているとする申立て
には信ぴょう性がおよそ認められない。
なお、本国に居住する家族に関し、原告は、仮に自らの難民性
が認められて本邦に居住することができることになったとして
も、妻子を本邦に呼び寄せることは考えていない旨供述し(乙1
4、その理由として、子供が幼少であるために本邦での生活に)
不安があることを挙げている(乙16。しかしながら、難民と)
して真に庇護を求めようとするものであれば、本国で危険にさら
されている自分の家族を一刻も早く救い出すために自らの下へ呼
び寄せようと考えるのが自然であると考えられるところであり、
上記のような供述をしていること自体、本国政府当局が原告を迫
害すべき中心的な反政府活動家として認識していないことの証左
といえる。
()原告の難民該当性について11
以上からすると、原告の主張ないし供述は、原告の本国におけ
る政治活動に関する部分においても、原告の本邦における政治活
動に関する部分においても、迫害のおそれに関する核心部分にお
いて信用性を欠いているといわざるを得ない。そうすると、原告
について、迫害のおそれがあるという恐怖を抱くような個別、具
体的で客観的な事情が合理的疑いをいれない程度に主張立証され
ているとはいえず、原告が難民であると認めることはできない。
2争点2(60日条項違反の有無)について
(一)原告の主張
()出入国法61条の2第2項は、難民認定申請者らに向けられ1
た努力条項であって訓示的な意味しかないこと
ア難民認定という手続は、裁量によって難民の保護を図るとい
う類のものではなく、き束行為である。そして、き束行為であ
る以上は、難民条約を批准した政府は、難民該当性という要件
に更に要件を付加するようなことがあってはならない。
そうすると、60日以内に申請すれば難民であった者が、6
0日間を超えた瞬間から難民ではなくなるということはあり得
ないというべきである。
したがって、期間制限を設けた出入国法61条の2第2項は
あくまでも努力条項であり訓示的な規定と考えるべきである。
イ被告法務大臣は、60日要件が合理的であることの理由とし
て、難民条約等は難民認定手続について具体的な規定を置いて
いないことから、締約国はいかなる認定手続をも自由に決める
ことができることを挙げる。
しかし、難民条約等は、締約国が定める認定制度のいかんに
かかわらず、条約等が難民と定める者を難民と認定することを
締約国に要求しているのであるから、被告法務大臣の前記主張
は誤りである。
ウ被告法務大臣は、60日要件が合理的であることの理由とし
、、。て時間の経過により難民の認定が困難になることを挙げる
しかし、①時間の経過による難民認定の困難化はあくまで一
般論として言いうる程度の蓋然性にすぎないこと、②日本に入
国した後の期間のみをもって事実証明の難易を論じるのは不適
切であること、③被告法務大臣は、申請期間を徒過して難民認
定申請を行った者に対しても難民認定を行ったことがあるこ
と、及び④出入国法が改正され、難民認定申請の期間制限は撤
、、廃されるに至ったことからすると被告法務大臣の前記主張は
難民条約等に照らし、許容されない。
エ被告法務大臣は、60日要件が合理的であることの理由とし
て、庇護を求める者は、速やかにその旨を申し出るべきことを
挙げる。
しかし、①被告法務大臣は、速やかに申請すべきであるとし
て申請を義務付ける理由を示していないこと、②申請者が難民
と認定されなければ、本国に送還される危険のある実情を理解
していないこと、及び③被告法務大臣の主張は、難民条約の規
「」、定する難民の権利と矛盾する考え方であることからすると
被告法務大臣の前記主張は、理由とならない。
オ被告法務大臣は、60日要件が合理的であることの理由とし
て、60日が申請に十分な期間であることを挙げる。
しかし、①上記のような許容性を論じる前提として、60日
要件が必要性を有する必要があるが、60日要件には必要性が
ないこと、②被告法務大臣の前提認識は、難民の置かれた立場
やその心理状況についての理解を欠くものであることからする
と、被告法務大臣の前記主張は、理由とならない。
()本件難民認定申請は、60日以内の申請であることについて2
原告は、平成12年9月25日に送付した英米首脳あての書簡
を読み返して、その内容が過激であり、かつ、自己の住所を記載
していることから、これがミャンマー政府に知られれば、間違い
なく自分は本国で迫害を受けるとの恐怖を感じたものである。す
なわち、原告は、上記書簡を送付した直後である、平成12年9
月25日に迫害の恐怖を現実のものとして認識するに至ったので
ある。
そして、出入国法61条の2第2項の60日の起算点は、難民
認定申請をする本人が客観的な迫害の危険性を認識した時点から
起算すべきである。
そうすると、本件では、難民認定申請は、60日の制限期間内
に行われていると認めることができる。
()出入国法61条の2第2項ただし書の「やむを得ない事情」3
があること
ア出入国法61条の2第2項ただし書の「やむを得ない事情」
については、日本において平穏に生活を送っている等、難民認
定申請をした者の生活状況や心理状況等も考慮し、申請期間内
に難民認定申請を決意することができなかったとしてもやむを
得ない状況が存在した場合にも、これを認めるべきである。
イ原告は、難民認定制度を知っていても、その制度が自己にも
門戸を開いているものとは思えなかったために、難民認定申請
をするという行動に出ることができなかったものである。
また、難民認定申請をしても難民認定を受けることができな
かった場合、本国に強制送還される結果になる可能性が相当程
度予想されるが、本国に帰れば身柄拘束されて拷問を受け、さ
らには殺害される危険性を感じている原告からすれば、そのよ
うな危険を冒してまで難民認定申請をすることにちゅうちょを
感じ、中々申請に踏み切ることができなかったのである。とこ
ろが、平成12年9月25日に書簡を発送した後、非常な迫害
の恐怖を感じたのである。
そうすると、原告には「やむを得ない事情」が認められる。
(二)被告法務大臣の主張
()60日要件が遵守されただけでは、本件難民不認定処分を取1
り消すことはできないことについて
ア東京高裁平成14年(行コ)第42号同15年2月18日判
決・判例時報1833号41頁は、難民認定手続において、難
民該当性について実質的に調査して審査してもらう難民認定申
請者の利益が侵害されたことを前提として、そのような利益を
追求するための訴えとしても法律上の利益を認めるのが相当で
あるとして、当該事案においては、申請期間制限違反の判断の
適否のみを取消事由として主張立証すれば足りると判断したも
のである。そうすると、60日条項違反を理由とする難民不認
定処分の取消訴訟における請求原因としては、①60日要件が
遵守されたこと、②それにもかかわらず、法務大臣は難民該当
性について実質的に調査して審査することを怠ったことも主張
することができると解すべきである。そうであるならば、上記
の取消訴訟においては、60日要件が遵守されたことが明らか
になれば、直ちに、それを理由とする難民不認定処分を取り消
すことができるというものではなく、原告である難民認定申請
者は、法務大臣において、難民該当性について実質的に調査し
て審査すべきことに怠りがあったことを主張立証しなければな
らないと解すべきである。
イ実際の難民認定実務においては、60日要件の遵守の判断の
ための資料収集と難民該当性判断のための資料収集は区別され
て行われておらず、難民調査官は、難民該当性の有無について
実体審理を進めるとともに、60日要件の遵守についても併せ
て審理している。しかしながら、本件難民不認定処分がされた
平成14年4月9日当時、調査及び審査の結果、当該難民認定
申請が60日要件に違反するとともに、実体的に見ても、難民
に該当しないと判断された場合でも、処分理由としては60日
要件違反のみとされることが実務上の慣行とされていた。
、、、ウ本件についても難民調査官はミャンマー語の通訳を介し
原告の事情聴取を行っており、本件難民不認定処分は、その実
質的な調査を踏まえた上で適切に判断されたものであることは
難民認定手続において難民調査官が作成した供述録取書(乙6
4、65、68)の内容からしても明らかである。
エそうすると、本件難民認定申請の手続においても、被告法務
大臣は、原告の難民該当性について、実質的な調査及び審査を
していると認められるものであるから、60日要件が遵守され
たことが主張立証されただけでは、本件難民不認定処分を取り
消すことはできず、難民該当性について主張立証されなければ
ならないというべきである。
()出入国法61条の2第2項は難民条約に反しないことについ2

ア原告は、出入国法61条の2第2項の申請期限を超えたこと
のみをもって不認定とすることは、合理的な理由もなく、難民
としての保護を求める者が難民かどうかの判断をしないもので
あって、難民条約に違反する旨主張する。
イしかし、難民条約及び難民議定書は、難民の定義及び締約国
が採るべき保護措置の概要についての規定を設けているもの
の、難民認定手続については特段の定めを設けておらず、各締
約国の立法裁量にゆだねられ、難民条約の締約国は各国の実情
に応じた難民認定手続を定めることができる。そして、出入国
法61条の2第2項が申請期間の制限を設けているのは、申請
者が真に難民条約上の難民であるならば、迫害の恐怖から逃れ
るために一刻も早く他国の庇護を求めようとするのが通常であ
る上に、認定者の側にとっても、入国後長期間経過後に難民認
定申請がされると、入国当時の事実関係を把握することが困難
となり、適正かつ公正な認定を行うことができなくなるおそれ
もあることが考慮されたものである。このような趣旨に照らす
と、出入国法が定める上記期間制限には合理的な理由があると
いうべきである。また、出入国法が定める60日という期間に
ついても、我が国の国土面積、交通、通信機関、入国管理官署
の所在地等の地理的、社会的実情に照らして十分な期間という
べきであり、その上で申請期間の経過に「やむを得ない事情」
がある場合には期間制限を適用せずに難民性の有無を判断する
こととして個別に救済を図っているのである。
ウしたがって、難民認定申請について原則として60日の期間
制限を設けた出入国法61条の2第2項は、合理的な立法裁量
に基づいて設けられたものであり、難民条約に反するというこ
とはできない。
()本件難民認定申請が申請期間経過後の難民認定申請であるこ3
とについて
本件難民認定申請は、上陸後2年以上が経過した平成12年1
1月17日になってされたものであって、出入国法61条の2第
2項本文所定の申請期間経過後の難民認定申請であることは明ら
かである。
()本件難民認定申請に出入国法61条の2第2項かっこ書きの4
事由が認められないことについて
原告は、平成12年9月25日に英米首脳あてに書簡を送付し
た後、本国政府から迫害を受けるおそれがあると感じるようにな
り、同時点において難民となる事由が生じた旨主張する。
しかし、原告によると、上記書簡は実名でされたものでなかっ
た上、各国の反応もなかったのであり、また、上記書簡が実際に
アメリカ合衆国大統領らの下に送付されるとはおよそ考えられ
ず、また、原告がそのような書簡をアメリカ合衆国大統領らに送
付したことをなぜ本国政府が把握したのか、あるいは把握する可
能性があったのかについては何ら明らかでない。
加えて、原告は、本件難民認定申請の当初、平成12年6月に
キン・ニョン第一書記が来日したときに難民性を認識し、同年7
月にはいとこが弁護士に連絡してくれたが、同年8月半ばに、弁
護士から、他にも申請者がいるので待つように言われたので、同
()、年6月には難民認定申請をしなかった旨供述しており乙64
また、原告は、原告本人尋問においても、同年6月と同年9月の
事実を区別していないようにも思われ、原告は、いつ難民性を認
識したのか不明である。
原告が平成12年9月25日に送付した書簡を根拠として60
日以内に難民の申請をしたという原告の供述は、出入国法61条
の2第2項違反を理由としてされた本件難民不認定処分に対抗す
るための方便であると強く推認される。
そうすると、同日に上記書簡を送付したことによって、本国政
府から迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖が
原告に生じたとは、考え難い。
()本件難民認定申請に「やむを得ない事情」がないことについ5

ア出入国法61条の2第2項が、本邦において難民の認定申請
をする者に対し、上陸した日から原則として60日以内に認定
申請を行うことを義務付けたのは、申請者が真に難民条約上の
難民であるなら、迫害の恐怖から逃れるために一刻も早く他国
の庇護を求めようとするのが通常であるというべきであり、ま
た、認定者の側にとっても、入国後長期間経過後に難民認定申
請がされると、入国当時の事実関係を把握することが困難とな
り、適正かつ公正な認定を行うことができなくなるおそれもあ
るからである。
このような60日条項の趣旨にかんがみると、その例外を定
「」めた出入国法61条の2第2項ただし書のやむを得ない事情
とは、病気、交通の途絶等の客観的、物理的事情により、本邦
に上陸した日又は本邦にある間に難民となる事由が生じた場合
にあってはその事実を知った日から、60日以内に入国管理官
署に出向くことができなかった場合や、申請者が、第三国にお
いて難民としての保護を求めることを希望し、その目的で当該
第三国への入国申請等具体的な手続を行っていたものの、結果
的にこれが認められず、その時点では既に申請期間が経過して
いた場合のように、本邦において難民認定の申請をするか否か
の意思を決定するのが客観的にも困難と認められる特段の事情
がある場合をいうものと解すべきである。
イ原告は、平成10年7月21日に上陸期間を1週間とする乗
員上陸許可を受けて上陸したものの、我が国に対して庇護を求
めることも、難民認定申請をすることもなく、不法残留をして
不法就労を続け、上陸後2年以上が経過した平成12年11月
17日になってようやく本件難民認定申請をしたものである。
原告自身、本邦入国前から、本邦に在住していたいとこを通じ
て本邦で難民認定申請ができることや60日要件の存在につい
ても承知していた旨を供述しているが(乙32、原告は、本)
邦入国後、公の機関に対して何ら庇護を求めることも、難民と
して保護を求めるための方策や手続についての情報を収集しよ
うと努めた形跡もない。
その一方で、原告は、在留期間の更新、在留資格の変更等の
在留するに際し必要な手続を一切行うこともなく、漫然と不法
残留を継続し、約2年にわたって不法就労に専心し、本国に居
住する原告の家族に対して、少なくとも約150万円の送金を
するなどしていた。
このような事実からすれば、原告は、病気、交通の途絶等の
客観的、物理的事情により、本邦に上陸した日から60日以内
に入国管理官署に出向くことができなかったわけでも、本邦に
上陸後、最近になって難民となる事由が生じたわけでもなく、
また、原告が第三国において難民としての保護を求めることを
希望し、その目的で当該第三国への入国申請等具体的な手続を
行っていたこともないのであり、本邦において難民認定の申請
をするか否かの意思を決定することが客観的にも困難と認めら
れる特段の事情が原告にあると認めることはできない。
そうすると、原告が出入国法61条の2第2項本文所定の期
間経過後に本件難民認定申請をしたことに、同項ただし書所定
の「やむを得ない事情」があったとは到底認めることはできな
い。
3争点3(本件難民不認定処分の手続上の適法性)について
(一)原告の主張
()本件難民不認定処分は、原告がなぜ難民として不認定となる1
のかについて何らの実体的な理由が示されていない。また、本件
難民不認定処分によっては、求められている立証がどの程度のも
のであるのかも不明である。
行政処分をするに際しては、処分の取消訴訟を実効的なものと
するための配慮をすべきであるのが当然であり、その意味からも
不認定処分をするに当たっては、具体的な理由を明示すべきであ
る。
特に、本件では、60日の起算点をいつであると判断したのか
すら不明である。
、()申請者が入国後60日を経過した後に申請した事案について2
被告法務大臣が、難民かどうかを判断して結論を出している例が
幾つもあるのであるから、理由の付し方を変えるのは恣意的であ
る。
(二)被告法務大臣の主張
()一般的に、法律が行政処分に理由の付記を要求している趣旨1
は、処分庁の判断の慎重・合理性を担保してその恣意を抑制する
とともに、処分の理由を相手方に知らせて不服の申立てに便宜を
与える趣旨に出たものであり、理由附記に当たりどの程度の記載
をすべきかは、処分の性質と理由附記を命じた各法律の趣旨・目
的に照らしてこれらを決定すべきものであるとされている。
難民認定の判断は、申請者が提出した資料に基づいて行われる
のであるから、難民であることの立証責任は、申請者が負うべき
ものであり、また、申請者が出入国法61条の2第2項に規定す
る60日以内に難民認定申請をしたことや、申請者に同項ただし
書の「やむを得ない事情」があることについても、申請者が主張
し資料を提出することを求められている。なぜなら、これらのこ
とは、専ら申請者の主張し提出された資料によって判断するほか
ないからである。
したがって、申請者が主張する事実関係やそれを裏付ける資料
によっても、出入国法61条の2第2項に規定する60日以内に
難民認定申請をしたこと及び同項ただし書に規定する「やむを得
ない事情」があることが認め難い場合には、処分庁である法務大
臣としては、その旨の記載をするほかないのであって、その心証
形成過程まで記載することを、行政処分の理由付記として法律が
要求しているとは解されない。特に、上記「やむを得ない事情」
の解釈については、前記2(二)()アのとおりであり、行政庁の5
恣意性が問題となる余地はない。
()本件難民不認定処分は、原告からの難民認定申請は、出入国2
法61条の2第2項所定の期間を経過してされたものであり、か
つ、申請遅延の申立てに「やむを得ない事情」も認められないと
いう理由でされたものであるところ、原告に交付された通知書の
理由欄の記載を見れば、その旨が明らかにされており、本件難民
不認定処分の理由は明白であって、何ら違法はない。
()そうすると、本件難民不認定処分の理由附記に違法はない。3
4争点4(本件裁決の適法性)について
(一)原告の主張
()出入国法50条1項3号によって在留特別許可を与えるか否1
かの判断については、被告法務大臣に一定の裁量権が与えられて
いるが、その裁量権はもとより無制限のものではない。他の法条
や、人道的見地など一般的価値原則、国際法規等に基づく制約が
あり、そのような裁量権の限界を超えた処分は裁量権の濫用・逸
脱として違法な処分となるというべきである。
すなわち、在留特別許可については、難民条約、拷問等禁止条
約、市民的及び政治的権利に関する国際規約、児童の権利に関す
る条約の諸規定が比例原則を厳格に適用することを求めており、
これらは在留特別許可に係る法務大臣の裁量を制約している。
このような在留特別許可の対象となる者としては、本国から迫
害を受けている者がこれに該当する。このような者に対し、退去
強制令書を発付、執行し、本国に送還することは非人道的扱いで
あり、当該外国人に対しては在留特別許可により在留資格を与え
るべきである。
()前記のとおりのミャンマーの一般情勢等及び原告の個別事情2
からすると、原告がミャンマーに送還された場合には、これまで
の日本における原告の反政府活動に対し、拷問が待ち受けている
ことは容易に推測される。
そして、前記のとおり、原告は難民と認められるべきであるか
ら、被告法務大臣は、原告の難民性の判断を誤ったものである。
そうすると、本件裁決は、難民条約等の「難民」である原告に
ついて、難民条約33条2項に該当する者ではないにもかかわら
ず、同条1項のいわゆるノン・ルフールマン原則に違反して、本
国へ送還しようとするものであることが明らかであるから、法務
大臣の裁量権を逸脱ないし濫用するものというほかない。したが
って、本件裁決は違法である。
さらに、本件裁決は、拷問等禁止条約3条にも違反するので、
取り消されるべきである。
()被告法務大臣は、出入国法61条の2の8の規定は、難民認3
定を受けている者についても、出入国法24条1項各号の1に該
当する者と認定し、退去強制手続を進め得ることを前提としてい
る旨主張する。
しかし、出入国法50条1項が法務大臣の在留特別許可を規定
しているにもかかわらず、あえて出入国法61条の2の8が設け
られたのは、我が国が難民条約に加入するに際し、その趣旨を我
が国の退去強制手続に反映させる必要があったからである。
したがって、出入国法61条の2の8は、在留特別許可につい
て定める出入国法50条1項の特別規定であり、退去強制事由が
ある者において「特別に在留を許可すべき事情」がなくても、、
難民認定を受けている者の場合には、法務大臣は、原則として、
特別在留許可を出さなければならない旨を規定したものと解すべ
きである。
()被告法務大臣は、難民と認定されたことのみをもってその者4
が当然に在留が認められるものではない旨主張する。
しかし、これは、難民条約の各締約国の難民保護の実務とも、
日本政府が内外に宣言している立場にも合致しないものである。
(二)被告法務大臣の主張
()ア在留特別許可は、出入国法上、退去強制事由が認められ、1
退去されるべき外国人に恩恵的に与えられ得るものにすぎず、
当該外国人に申請権も認められていないものである。在留期間
の更新については、出入国法21条3項において「在留期間の
更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるとき」に許可す
ることができると規定され「相当性」という要件が問題とな、
るのに対し、在留特別許可については、出入国法50条1項3
号で「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」と、
規定され、その付与すべき要件が何ら具体的に規定されていな
いことに加えて、許可するか否かという効果についても裁量が
認められている。これらを勘案すれば、法務大臣の在留特別許
可の許否に関する裁量の範囲は、在留期間更新の拒否に関する
裁量の範囲よりも質的に格段に広範なものであることは明らか
である。
イまた、在留特別許可の許否を的確に判断するには、外国人に
対する出入国の管理及び在留の規制目的である国内の治安と善
良な風俗の維持、保健・衛生の確保、労働事情の安定など国益
の保持の見地に立って、当該外国人の在留中の一切の行状等の
、、個人的な事情のみならず国内の政治・経済・社会等の諸事情
国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情が総合的に考慮
されなければならないのであり、このような見地から出入国法
は、在留特別許可の付与を国内及び国外の情勢について通暁す
る法務大臣等の裁量にゆだねたものであり、この点からも、そ
の裁量の範囲は極めて広範なものであることが明らかというべ
きである。
ウ以上のとおり、在留特別許可は、在留期間更新における法務
大臣等の裁量の範囲よりも質的に格段に広範なものであるか
ら、違法となる事態は容易には考え難く、極めて例外的にその
判断が違法となり得る場合があるとしても、それは、在留特別
許可の制度を設けた法の趣旨に明らかに反するなど極めて特別
な事情が認められる場合に限られると解すべきである。
()出入国法は、難民認定手続と退去強制手続の関係について何2
ら規定していない。むしろ、出入国法61条の2の8の規定は、
難民認定を受けている者についても出入国法24条1項各号の1
に該当する者と認定し、退去強制手続を進め得ることを前提とし
ていることからすれば、難民認定申請をしていること又は難民認
定を受けていること自体は、退去強制手続を当然停止せしめるも
のではない。外国人が難民であると認定されたとしても、難民と
認定されたことをもって当然に在留が認められるものではない。
さらに、難民の認定に関する不服申立手続と退去強制事由の認
、、定に関する不服申立手続は全く別個の手続が設けられている上
時間的に見ても、退去強制手続中又は退去強制令書発付後に難民
認定申請することも可能であって、難民認定手続が常に退去強制
手続に先行するものではないことからすれば、退去強制手続と難
民認定手続は全く別個独立の手続である。
この理は、難民条約は、難民条約に定義する難民を締約国が受
け入れるか否かについては何も規定しておらず、他の外国人の入
国一般の場合と同様にその主権に関することであり、自由に決定
し得るものであると解されていることからも首肯しうる。
()本件について見ると、原告は、乗員上陸許可を受けた後に所3
在不明となり、その後、在留期限である平成10年7月28日を
超えて本邦に不法に残留したものであるから、出入国法24条6
号所定の退去強制事由に該当する。
また、在留特別許可の制度を設けた法の趣旨に明らかに反する
ような特別な事情が認められ、在留特別許可を与えないで法務大
臣等が出入国法49条5項所定の異議の申出に理由がない旨の裁
決をしたことが違法になる場合があるとしても、前記のとおり、
原告は、本国に送還された場合にも迫害されるおそれがあるとは
いえず、他に、在留特別許可を認めるべき特別の事情があるとは
認められない。
したがって、法務大臣に対する異議の申出には理由がなく、本
件裁決には何らの違法はない。
()なお、原告は、原告に在留特別許可を付与せず、ミャンマー4
に送還することは拷問等禁止条約3条に違反する旨主張する。
しかし、原告が「拷問が行われるおそれがあると信ずるに足り
る実質的な根拠」と主張するところは、難民該当性に係る主張と
同じであるところ、原告について、帰国した場合に迫害を受ける
おそれがあるとは認められないことは既に主張したとおりであ
る。
5争点5(本件退令処分の適法性)について
(一)原告の主張
()前記のとおり、本件裁決は違法であって、取り消されるべき1
ものである以上、本件裁決を手段として退去強制という同一の目
的を達成する関係にあり、本件裁決と結合してその効果を完成す
る一連の行為を構成する本件退令処分も、その前提要件を欠くも
のとして違法である。
()また、法務大臣が在留特別許可をせず、異議に理由がない旨2
判断する裁決がなされた場合にも、主任審査官には、退去強制令
書を発付するかどうか、いつの時点で発付するかについて裁量が
あると解すべきである。
なぜなら、出入国法24条は、同条各号の定める退去強制事由
に該当する外国人について、出入国法第5章に規定する手続によ
り「本邦から退去を強制することができる」と規定しているから
である。すなわち、このような法律の文言からすると、行政に効
果裁量を認める趣旨であるといえるし、そのことが、権力発動要
件が充足されている場合にも行政庁はこれを行使しないことがで
きるとの考え方(行政便宜主義)とも合致する。また、外国人の
出入国管理を含む警察法の分野においては、一般に行政庁の権限
行使の目的は公共の安全と秩序を維持することにあるから、その
権限行使はこれを維持するための必要最小限度にとどまると考え
られている(警察比例の原則)からも、上記のように解釈すべき
である。
(二)被告主任審査官の主張
()退去強制手続において、法務大臣から異議の申出には理由が1
ないとの裁決をした旨の通知を受けた場合、主任審査官は、出入
国法49条5項により、速やかに退去強制令書を発付しなければ
ならないのであるから、退去強制令書を発付するにつき裁量の余
地は全く存在しない。また、本件においては、主任審査官の送還
先に関する判断にも誤りはない。
したがって、被告主任審査官が原告に対してした本件退令処分
は適法である。
()原告は、主任審査官に裁量権を認める根拠として、行政便宜2
主義及び警察比例の原則を挙げる。
しかし、主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由がある
、、と裁決した旨の通知を受けたときは出入国法49条4項により
直ちに、当該容疑者を放免しなければならず、その一方、法務大
臣から、異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたと
きは、同条5項により「すみやかに」当該容疑者に対し、その、
旨を知らせるとともに、退去強制令書を発付しなければならない
のであるから、退去強制令書発付につき主任審査官に対し行政便
宜主義が適用される余地はない。
、、、また比例原則は裁量権の限界を画するものとされているが
前記のとおり、主任審査官に退去強制令書発付に関する裁量はな
いから、比例原則が、退去強制令書発付の裁量を限界付ける法理
として働くことはあり得ない。また、在留資格のない外国人の退
去強制手続において、警察法の分野における警察比例の原則が適
用されるとの原告の主張は、採用することができない。
-以上-

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