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裁判例


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主文
被告人は無罪。
理由
第1本件再審公判に至る経緯等
1本件確定審が認定した事実は概要以下のとおりである。
被告人Aは,
(1)平成2年5月12日午後7時ころ,栃木県足利市a町b番地c所在のパ
チンコ店「B」の南側駐車場において,C(当時4歳)が一人で遊んでいる
のを認め,同児にわいせつな行為をする目的で同児を誘拐しようと企て,同
児に対し,「自転車に乗るかい。」などと声をかけて自己が運転する自転車
の後部荷台に乗車させ,自転車を運転して同所南側にある渡良瀬運動公園に
入り,同公園内の道路を走行して,同公園内サッカー場西側角付近の三叉路
に自転車を停めて同児を降ろし,同所から30メートル余り南西にあり同公
園からは見えにくい位置にある,同市d町e付近の渡良瀬川河川敷内低水路
護岸上まで,約600メートルにわたり同児を連行し,もって同児をわいせ
つの目的で誘拐した。
(2)前記日時ころ,同児にわいせつ行為をすると騒がれて人に気付かれるお
それがあるからわいせつ行為をする前に同児を殺害しようと考え,同所にお
いて,同児の前面にしゃがみこむようにした上,殺意をもって,やにわにそ
の頸部を両手で強く絞めつけ,その場で同児を窒息死させて殺害した。
(3)同児の死体を付近の草むらまで運んで全裸にし,同日午後7時30分こ
ろ,その死体を,前記殺害場所から直線距離にして南西約94メートル離れ
た渡良瀬川河川敷内の草むらに運んで捨て,もって死体を遺棄した。
2確定審判決に至る経緯
(1)確定審記録によると,本件の概要は以下のとおりである。
ア半袖下着の発見とDNA型鑑定の実施
平成2年5月12日土曜日,本件被害者であるC(以下「被害者」とい
う。)が,栃木県足利市a町b番地c所在のパチンコ店「B」付近で行方
不明となり,翌13日午前10時20分ころ,Bから約400メートル南
方の渡良瀬川河川敷の草むらの中で,全裸の遺体となって発見された。付
近の川底から,被害者が着用していた半袖下着(以下「本件半袖下着」と
いう。)やパンツが発見された。
警察庁科学警察研究所は,平成3年8月27日から同年11月25日ま
で,本件半袖下着に付着していた精液と,Aがごみ集積所に遺棄したビニ
ール袋内にあったティッシュペーパーに付着していた精液について血液型
鑑定及びいわゆるMCT118法によるDNA型の鑑定(以下「本件DN
A型鑑定」という。)を行った。
イ本件DNA型鑑定の経過及び結果
DNA型鑑定は,細胞の核の中にある染色体内にある二重らせん構造を
した遺伝子(DNA)の,アデニン(A),シトシン(C),グアニン
(G),チミン(T)という4つの塩基の配列が個人によって異なり,終
生変わらないことを利用し,その塩基配列によって異同識別を行うもので
あり,MCT118法は,ヒトの第1染色体に位置し,ACGTの4つの
塩基が16個を一単位として繰り返しているMCT118という部位を対
象としてDNA型鑑定を行うものである。
具体的には,本件半袖下着の後部(背中側)表面の2か所及びAが遺留
したティッシュペーパー2枚について,精子を確認し,蛋白除去等の処理
を行った後,MCT118プライマーでPCR増幅を行い,それをDNA
ラダーマーカー(123bpマーカー)とともにポリアクリルアミドゲル
で電気泳動をかけて分離を行い染色処理をする方法で鑑定を行った。判定
は,DNA解析装置を使って泳動写真のネガフィルムをコンピューターで
画像解析し,それぞれの泳動距離から塩基配列の反復回数を算出するとい
う方法で行った。
その結果,各精液のDNA型はいずれも,MCT118型が16−26
型で同型であった。また,血液型検査については,いずれもB型のLe
(a−b+)型:分泌型となった。そして,このような血液型及びDNA
型を持つ者の出現頻度は,鑑定時までに明らかになっていた出現頻度を基
に計算すると,16型の出現頻度が4.7%,26型の出現頻度が8.9
%で,16−26型の出現頻度は,0.83%と算出され,血液型の出現
頻度も併せると,結局,日本人の中で0.1244%,つまり1000人
中1.2人程度であると算出された。
ウAの供述経過
平成3年12月1日,警察官がAを任意同行して取調べを行ったところ,
Aは当初本件犯行を否認したものの,同日夜に至って,本件犯行を認めた
ため,翌2日未明,被害者に対する殺人,死体遺棄の被疑事実で通常逮捕
された。その後も,Aは,本件各犯行をいずれも認め続け,同月21日,
被害者に対するわいせつ誘拐,殺人,死体遺棄の各公訴事実について宇都
宮地方裁判所に起訴された。
Aは,平成4年2月13日第1回公判期日において,本件各公訴事実を
全て認めたが,同年12月22日に行われた第6回公判期日の被告人質問
中,本件各公訴事実について否認するに至った。しかし,平成5年1月2
8日に行われた第7回公判期日において,再び本件各公訴事実を認める旨
が記載された上申書等が取り調べられた上,同期日における被告人質問に
おいて再び本件各公訴事実を認めるに至り,その後本件を認めたまま一度
は結審した。しかし,その後Aは,同年5月31日付けの弁護人あての手
紙で本件各公訴事実を否認するに至り,同年6月24日に行われた弁論再
開後の第10回公判期日において,Aは再び本件各公訴事実を全面的に否
認する供述をし,最終陳述においても本件各公訴事実を否認して結審した。
(2)平成5年7月7日に宣告された第一審判決は,Ⅰ本件DNA型鑑定,Ⅱ
Aの自白,の2つを主な証拠とし,その他,遺留されていたパンツに付着し
ていた陰毛とAの陰毛の形態が類似していたこと,Aの性向,土地勘等の諸
事情から,Aが犯人であると認定した。そのうち,本件DNA型鑑定及びA
の自白について判決が述べるところは概要以下のとおりである。
ア本件DNA型鑑定について
まず本件DNA型鑑定の証拠能力及び信用性について,MCT118型
による鑑定方法は歴史が浅く,その信頼性が社会一般により完全に承認さ
れているとまでは未だ評価できないが,その鑑定方法は科学的な根拠に基
づいており,警察庁科学警察研究所の専門的な知識と技術及び経験を持っ
た技官が適切な方法により行ったと認められ,その証拠能力は認められる。
また,鑑定結果の信用性に疑問を差し挟むべき事情もうかがわれず,本件
DNA型鑑定の結果は信用することができる。出現頻度に関する数値につ
いては,今後より多くのサンプルを分析することで多少の変動が生じる可
能性はあるとしても,おおむね信用できる。
イAの自白について
Aが,本件で取調べを受けた当日に自白し,それ以降捜査段階において
一貫して自白を維持していたこと,公判廷において,被害者を誘い出した
目的等について,捜査段階と一部異なる内容の供述をすることもありなが
ら公判の最終段階に至るまで自白自体は維持していたこと,捜査官の強制
や誘導等が行われたことをうかがわせる事情はないこと,弁護人に対して
もほぼ一貫して事実を認めていたこと,自白内容自体についても自然で信
用性に疑問を差し挟む事情が認められないことなどの事情から,Aの自白
は信用できる。
(3)Aは,第一審判決を不服として,平成5年7月8日,東京高等裁判所に
控訴の申立てをしたが,平成8年5月9日に宣告された控訴審判決において
も,第一審判決とほぼ同様の認定がなされた。すなわち,まず,本件DNA
型鑑定の証拠能力については,本件DNA型鑑定は,科学理論的,経験的な
根拠を持っており,より優れたものが今後開発される余地はあるにしても,
その手段,方法は,確立された,一定の信頼性のある,妥当なものと認めら
れ,専門的知識と経験のある練達の技官によって行われたものであるから,
証拠能力は認められる,また,本件DNA型鑑定の信用性については,12
3マーカーの型判定用指標としての適格性に問題が生じているとの主張に対
し,後にMCT118法でDNA型鑑定を行う際,123マーカーではなく
アレリック・マーカーが使用されることになったが,両者は相互対応が可能
であり,123マーカーで判定された型番号自体がそのままMCT118部
位の塩基配列の反復回数を示すものではないとしても,型判定作業が同一条
件下で行われる限りなお異同識別に十分有効であるなどとして,その信用性
は認められるとした。
また,Aの自白については,取調べの当初,Aが主張するような,Aを小
突くなどの言動が警察官にあったとしても,Aの自白前後の様子や自白内容
などに照らして任意性に影響する事情ではないとした上で,A自身,第一審
及び控訴審の各公判廷において,捜査官の取調べの際に誘導されたり,供述
を押し付けられたりしたことはない旨述べていることなどを総合的に考慮し,
取調べに際し,捜査官がAに対して殊更誘導,強制を加えた事実は認められ
ず,Aの自白に任意性は認められるとした。また,信用性の点についても,
内容の合理性や客観的事実との整合性,自白内容の変遷等に詳細な検討を加
えた上で,Aの自白は信用できるとした。
(4)Aは,平成8年5月9日,控訴審判決を不服として上告申立てをしたが,
最高裁判所は,平成12年7月17日,弁護人らの上告趣意はいずれも上告
理由に当たらないとした上で,職権で,Aが犯人であるとした原判決に,事
実誤認,法令違反があるとは認められないとし,なお書において,要旨次の
とおりの判断を示して,上告を棄却する決定をした。
「本件で証拠の一つとして採用されたいわゆるMCT118DNA型鑑定
は,その科学的原理が理論的正確性を有し,具体的な実施の方法も,その技
術を習得した者により,科学的に信頼される方法で行われたと認められる。
したがって,右鑑定の証拠価値については,その後の科学技術の発展により
新たに解明された事項等も加味して慎重に検討されるべきであるが,なお,
これを証拠として用いることが許されるとした原判断は相当である。」
その後同決定に対する異議申立ても棄却され,Aを無期懲役とした第一審
判決が確定した。
3再審開始決定の経緯
(1)Aは,平成14年12月25日,新たに行ったAの毛髪のDNA型鑑定
の結果と本件DNA型鑑定の結果とが異なる旨の検査報告書や,Aの自白内
容が客観的な被害者の死体所見と矛盾する旨の鑑定書等,Aに対して無罪を
言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したとして,宇都宮地方裁判所に
対して再審請求を行った。しかし,同裁判所は,平成20年2月13日,こ
れらの証拠はいずれもAに対して無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に
は該当しないとして,前記再審請求を棄却する旨の決定をした。
(2)Aは,平成20年2月18日,この決定を不服として東京高等裁判所に
即時抗告の申立てをした。同裁判所は,同年12月24日,前記検査報告書
等の新証拠の内容,本件の証拠構造における本件DNA型鑑定の重要性及び
DNA型鑑定に関する著しい理論と技術の進展の状況等にかんがみ,A及び
本件半袖下着についてDNA型の再鑑定を行う旨の決定をした。具体的には,
D大学教授E及びF大学教授Gを鑑定人に命じ,本件半袖下着に付着してい
た精液とAから採取した血液等の各DNA型を明らかにして,それらが同一
人に由来するか否かを判定させた。その結果,AのDNAの型と,本件半袖
下着から検出された男性のDNAの型が一致しないことが判明した。そして,
東京高等裁判所は,確定審の第一審判決及び控訴審判決がAを本件の犯人で
あると認定した根拠は,Ⅰ前記各DNA型が一致したことと,ⅡAの第一審
公判廷及び捜査段階における自白供述が信用できることに集約でき,確定審
判決が挙げるそれ以外の根拠は,Aが本件の犯人であることと矛盾しないと
いう証明力を持つにすぎないとした上,鑑定により新たに判明した,DNA
型が一致しないという前記事実からして,Aが本件犯人ではない可能性が高
いばかりか,Aが有罪とされた根拠の一つであるAの自白の信用性にも疑問
を抱かせるに十分であり,結局,Aが犯人であると認めるには合理的な疑い
が生じているとして,平成21年6月23日,原決定を取り消した上,本件
について再審を開始する旨の決定をした。
以上のとおり,本件では,ⅠDNA型鑑定,ⅡAの自白の2つの証拠を重
要な証拠として,Aが犯人であると認定されたものであるから,以下,これ
らの証拠との関係で新証拠を踏まえて順に検討する。
第2DNA型鑑定について
1E鑑定
(1)鑑定の経過及び結果
前記のとおり,再審請求抗告審において,東京高等裁判所から鑑定人に命
じられたE教授は,平成21年1月23日から同年5月6日まで,本件半袖
下着のうち,当時のDNA型鑑定の際に切り取られている数か所の中心点を
つないで左右に切り分けた形でこれを二分したものの一片について,これに
付着する精液とAから採取した血液等の各DNA型の鑑定を行った。
E教授は,Ⅰ多型性の程度,Ⅱ検査の精度,Ⅲ検査するDNA型の数,Ⅳ
総合的識別精度,Ⅴ検査技術の水準,Ⅵ検査時間,Ⅶ検査コストなどを総合
的に考えて作られた検査試薬と解析装置が,「商品」として世界中でほぼ独
占的に販売され,「標準化」されていることを理由に,本件における鑑定の
目的を達するのに現時点で最適な検査方法として,DNA型のうち,4個の
塩基が単位となって反復しており,MCT118部位に比べ,その反復単位
である塩基個数が短い,STRの検査を行った。具体的には,鑑定試料から
抽出したDNAを市販の検査キット(Identifiler,Mini
Filer,Yfiler,PowerPlexSE33)を使用して
PCR増幅し,これをキャピラリー電気泳動法を用い,複数のSTRを自動
化された解析装置で検査して型解析を行う方法で進められた。
その結果,常染色体上の16個のSTRで14個の型が異なり,Y染色体
上の16個のSTRで12個の型が異なっており,両試料はともに男性のも
のであるが,同一の男性には由来しないと判定された。
(2)信用性
E鑑定は,科学技術の進歩と普及により,世界中どこでも,同じ装置と同
じ試薬キットを必要な知識と経験に基づいてマニュアルの記載どおりに使え
ば同じ結果を得ることができるという意味の標準化が達成された検査方法に
基づいて実施されており,鑑定人及び鑑定補助人は,3名ともH学会設立時
から20年近い会員歴をもち,DNA多型の研究と実務検査に従事してきて
おり,本鑑定に用いられた鑑定方法に習熟している。検査技術の精度は,D
NA配列それ自体を決定する解析装置の精度によって保証されている。さら
に,E鑑定においては,鑑定の検査データが鑑定書に添付されており,第三
者による鑑定の正確性の事後的な検証可能性も確保されており,その鑑定の
経過及び結果について,検察官及び弁護人いずれからも特段の疑義は提起さ
れていない。これらの事情に照らすと,E鑑定は十分信用することができる。
(3)小括
以上のとおり信用できるE鑑定の結果によると,本件半袖下着から抽出さ
れた男性由来のDNA型とAのDNA型が異なるところ,その抽出部位等に
照らせば,前記男性由来DNAは本件犯人の精液から抽出されたものと認め
るのが相当である。したがって,この事実自体,Aが本件の犯人でないこと
を如実に示すものである。
2本件DNA型鑑定の証拠能力
弁護人は,本件DNA型鑑定は証拠能力がなく排除されるべきである旨主張
するので検討する。
(1)本件DNA型鑑定については,前記最高裁判所決定(平成12年7月1
7日第2小法廷決定,刑集54巻550頁)において,「(本件DNA型
鑑定は)その科学的原理が理論的正確性を有し,具体的な実施の方法も,
その技術を習得した者により,科学的に信頼される方法で行われたと認め
られる。(中略)これを証拠として用いることが許されるとした原判断は
相当である。」として,その証拠能力が認められている。
(2)しかし,当審で取り調べた前記E鑑定によると,検査した部位が異なる
とはいえ,本件半袖下着から検出されたDNA型とAのDNA型とは一致し
なかったというのであるから,これにより,本件DNA型鑑定は,その証拠
価値がなくなったことはもとより,証拠能力に関わる具体的な実施方法につ
いても疑問を抱かざるを得ない状況になったというべきである。
そして,当審における各証人らは,本件半袖下着から検出されたDNA型
とAのDNA型との一致を立証するために確定審に提出された,本件DNA
型鑑定の鑑定書(第一審甲72号証)添付の電気泳動写真(写真16,1
7)に関し,次のとおり,その不鮮明さを指摘し,異同識別の判定について
疑問を投げかけている。すなわち,前記E教授は「はっきりとせず,なかな
か判定できない」旨,前記G教授は「電気泳動自体が完全に失敗している」,
「PCR増幅方法の失敗がうかがわれる」などと指摘した上で,「これらの
電気泳動像でバンドが一致していると判定することは絶対にできない」旨,
それぞれ前記写真を見ながら当公判廷で明確に証言しているところ,これら
の証言は,いずれもDNA型鑑定に携わる専門的知識を有する者としての証
言であり,その証言内容は十分首肯できるものである。のみならず,検察官
請求の証人として当公判廷に出廷した警察庁科学警察研究所所長のIも,本
件DNA型鑑定を擁護する観点からの証言を維持しつつも,前記写真を見て,
これらの電気泳動像が不鮮明であることを認めた上,「普通であればやり直
す」,「ベストではない,よくないバンドである」旨証言している。これら
の証言は,本件DNA型鑑定の中核をなす異同識別の判定の過程に相当程度
の疑問を抱かせるに十分なものであるというべきである。
(3)確かに,この点,本件DNA型鑑定を実施した技官らは,確定審におい
て,「本件における異同識別の判定は,前記写真自体から直接行ったわけで
はなく,そのネガフィルムを解析装置で読み取り,補正,計算等の過程を経
て行った」旨証言しており,前記I証人も,当審で同様の証言をしている。
しかし,確定審においても,当審においても,これらの証言に係るネガフィ
ルムは証拠として提出されておらず,結局のところ,前記ネガフィルムが,
解析装置で読み取る等の操作を経ることにより適正な異同識別判定ができる
ほどの鮮明さがあったか否か,全く不明というほかないところ,当審におい
て,前記計算等の過程に係るデータ等として,検察官ではなく弁護人から計
算データが証拠として提出されたが,これらのデータは一部にすぎず,到底
前記疑問を払拭するに足りるようなものではない。
(4)以上のとおり,当審で新たに取り調べられた関係各証拠を踏まえると,
本件DNA型鑑定が,前記最高裁判所決定にいう「具体的な実施の方法も,
その技術を習得した者により,科学的に信頼される方法で行われた」と認め
るにはなお疑いが残るといわざるを得ない。したがって,本件DNA型鑑定
の結果を記載した鑑定書(第一審甲72号証)は,現段階においては証拠能
力を認めることができないから,これを証拠から排除することとする。
第3Aの自白について
1自白の信用性について
まず,そもそも,前記のとおり,E鑑定の結果によると,本件半袖下着に付
着していた男性のDNA型とAのDNA型は一致していないところ,この事実
は,Aの確定審における捜査段階及び公判廷における自白を前提とすると到底
説明がつかないものであるから,このようなAの自白は全く信用できないもの
である。
2自白の証拠能力について
(1)弁護人は,Aの自白に証拠能力が認められないことについてるる主張し
ているが,当審での当事者の訴訟活動や証拠調べの状況を踏まえ,まず,平
成4年(以下,特に記載のない限り月日の表記は「平成4年」のことをい
う。)12月8日に行われた当時の宇都宮地方検察庁検事J(以下「J検
事」という。)のAに対する本件についての取調べ(以下「本件取調べ」と
いう。)について検討する。
ア関係各証拠によれば,Ⅰ本件取調べは,第一審第5回公判期日(6月9
日)と第6回公判期日(12月22日)の間に行われたが,それまでに第
1回公判期日(2月13日)と第5回公判期日において被告人質問が行わ
れており,Aは,第5回公判期日までは,本件各公訴事実について否認し
たことはなかったこと,ⅡJ検事は,第1回公判期日後も,別件について
の任意捜査として宇都宮拘置支所に赴いてAの取調べを行っていたが,本
件取調べの前日である12月7日,任意捜査として別件について取調べを
行っていたところ,Aが,突如,自分は本件の犯人ではない旨の供述を始
めたこと,ⅢJ検事は,12月7日の取調べにおいては,Aの否認供述を
追及するなどの取調べはせず,もっぱらAの言い分を聴取するという態度
に終始していたが,翌8日,当初予定していなかった取調べを行うために
宇都宮拘置支所へ赴き,Aに対して本件取調べを行ったこと,ⅣJ検事は,
本件取調べにおいて,最初にAと少し雑談した後,本件について,本件D
NA型鑑定の結果を持ち出すなどした上で,本件の犯人はAに間違いない
のではないのかなどと追及する取調べを行い,Aが本件について否認から
自白に転じた後になって初めて別件についての取調べを開始したこと,Ⅴ
本件取調べにおいて,J検事がAに対し,黙秘権を告知したり,本件につ
いては公判中なので取調べに応ずる必要がない旨や,本件取調べに応ずる
か否かについて本件の弁護人と相談することができる旨を説明した事実は
一切なく,また,弁護人にも本件取調べを行うことについて通知したり,
承諾を求めるなどは一切しなかったこと,ⅥAは,12月11日に兄と面
会して無実を訴え,兄は,これを受けてAがそれまでに家族あてに送って
いた無実を訴える手紙を弁護人に届けたこと,ⅦAは,本件取調べの約2
週間後に行われた第6回公判期日における被告人質問で,裁判長及びJ検
事からの質問に対しては本件を認める供述を維持していたが,その後,主
任弁護人から,家族あてに自分が無実である旨を書いていた前記手紙の趣
旨について尋ねられると,本件について無実である旨の供述をするに至っ
たこと,Ⅷしかし,Aは,12月25日付けでその供述を撤回する旨の裁
判長あての上申書を作成し,第7回公判期日(平成5年1月28日)にお
いて,再び本件を認める供述に転じ,第9回公判期日(同年3月25日)
の最終陳述でも本件を認める旨の供述をしていたこと,の各事実を認める
ことができる。
イそこで検討するに,確かに,捜査官は,起訴後であっても,被告人に対
し,当該起訴に係る事実について,その公判維持に必要な取調べを行うこ
とはできる。しかし,このような取調べは,刑事訴訟法の大原則である当
事者主義や公判中心主義の趣旨を没却するおそれが類型的に高いというべ
きであるから,このような取調べを行うに当たっては,捜査官には,前記
のおそれを踏まえた慎重な配慮や対応が求められるというべきである。と
りわけ,第1回公判期日後に当該起訴に係る事実について被告人を取り調
べる場合には,公判維持のための被告人からの聴取は,まさに当該公判に
おいて被告人質問をすることで足りるのが通常であって,あえて公判外で
被告人の取調べを行う必要性は低いといえる一方,当事者主義や公判中心
主義の趣旨を没却するおそれはより強度なものになるといわねばならない
から,捜査官による第1回公判期日後の当該起訴に係る事実に関する被告
人の取調べが許されるのは,公判維持のためには被告人質問ではなく公判
外での被告人への取調べをするよりほかにないというような高度の必要性
が認められる場合であって,かつ,捜査官が,被告人や弁護人に対して,
当事者主義や公判中心主義の潜脱とならないような慎重な配慮や対応(例
えば,被告人及び弁護人の承諾を得た上で取調べを行うなど)を十分に行
ったと評価できる場合に限ると解するのが相当である。
このような観点から本件取調べについてみると,前記アの認定事実によ
れば,J検事は,既に2度被告人質問が行われた後である第5回公判期日
と第6回公判期日の間である12月7日に,Aに対する別件の取調べでA
が本件について突如否認を始めたことから,その翌日に,本件についてA
を取り調べる目的で宇都宮拘置支所に赴き,Aが本件の犯人なのではない
かと追及する取調べを行ったものであるところ,本件において,被告人質
問ではなく公判外での取調べによらなければ公判維持ができないという事
情は一切認められないし,J検事は,本件取調べに際し,弁護人への事前
連絡等を一切しておらず,また,黙秘権告知や弁護人の援助を受ける権利
についてAに説明するなども一切しなかったというのであるから,本件取
調べは,当事者主義や公判中心主義の趣旨を没却する違法な取調べであっ
たといわねばならない。
しかしながら,そもそも,第6回,第7回及び第9回の各公判期日でな
されたAの自白は,公開の法廷においてなされたものであるところ,法廷
には,訴追する側の検察官のみならず,公正中立な立場の裁判官に加え,
被告人の権利を防御する弁護人が列席しているのであり,被告人としては,
いつでも弁護人の援助を受けられる状態にある。そして,法廷においては,
被告人に対し,黙秘権が十分に保障されていることはもとより,黙秘権を
行使せず供述する場合であっても,強制や威迫,不当な誘導等を受けない
保障が刑事訴訟法等により制度的に確保されている。そうすると,このよ
うな特性を有する公判廷における自白については,捜査官において,殊更
被告人の公判廷における任意の供述を妨げるような言辞を述べたり,公判
外で拷問や脅迫が加えられるなどしてそのような状態が作出されたといっ
た特段の事情がない限り,公判外の事情を理由として証拠能力が否定され
ることはないというべきである。そして,本件においては,弁護人が主張
するところを踏まえてもそのような事情までは存在しないから,本件取調
べの違法は,その後の各公判期日におけるAの自白の証拠能力には影響を
及ぼさない。
(2)次に,弁護人の主張のうち,捜査官が,本件DNA型鑑定の結果をAに
告げて取調べを行った点について,偽計による自白であるとする点について
検討する。
確かに,前記のとおり,当審での証拠調べの結果,本件DNA型鑑定は現
段階では証拠能力を認めることができないものであることが判明した。しか
し,関係各証拠によれば,捜査官は,これがAが犯人であることを示す重要
な一つの客観的証拠であると評価した上で,そのようなものとして本件DN
A型鑑定をAに示して取調べを行ったと認められ,決して,証拠能力が認め
られない証拠であると認識した上でAに示したものでないことは明らかであ
る。このような取調べによって得られた自白が,偽計による自白として任意
性が否定される違法な自白になることはないというべきである。
もっとも,前記のとおり,結果的には本件半袖下着に残された精液のDN
A型はAのDNA型と一致しなかったところ,関係各証拠によれば,取調べ
において捜査官からこれらが一致するとした本件DNA型鑑定の結果を告げ
られたことが,Aが本件を自白するに至った最大の要因となっているという
ことができる。したがって,この事情は,Aの捜査段階における自白の任意
性には影響しないものの,その信用性には大きく影響する事情であると認め
られる。
(3)また,弁護人が自白の証拠能力について主張する点のうち,J検事によ
る本件取調べ以外の起訴後の取調べを問題とする点については,関係各証拠
によれば,これらの取調べは,いずれも,本件ではなく別件についてなされ
た取調べであって,別件の取調べとの関連で本件に話が及んだというものに
すぎず,何ら違法なものとはいえないし,その他の点については,いずれも
確定審において自白の証拠能力に影響しない旨判断されたものであるところ,
当審においてその判断を覆すに足りる証拠は提出されていないのであるから,
結局,いずれも採用できない。
3まとめ
以上のとおり,Aの自白には証拠能力自体に影響する事情は見当たらないも
のの,E鑑定という客観的な証拠と矛盾するという点に加え,Aが本件自白を
した最大の要因が捜査官から本件DNA型鑑定の結果を告げられたことにある
と認められ,結果的にこれがAと犯人を結びつけるものではなかったこと,再
審公判において明らかとなった,当時の取調べの状況や,強く言われるとなか
なか反論できないAの性格等からすると,むしろ,本件自白の内容は,当時の
新聞記事の記憶などから想像をまじえて捜査官などの気に入るように供述した
という確定控訴審におけるAの供述に信用性が認められることなどの各事情に
照らすと,Aの自白は,それ自体として信用性が皆無であり,虚偽であること
が明らかであるというべきである。
第4結論
以上によれば,E鑑定により,本件半袖下着に付着していた本件犯人のもの
と考えられるDNA型がAのDNA型と一致しないことが判明した上に,本件
確定審で主な証拠とされた2つの証拠について,本件DNA型鑑定には証拠能
力が認められず,自白についても信用性が認められず虚偽のものであることが
明らかになったのであるから,Aが本件の犯人ではないことは誰の目にも明ら
かになったというべきである。
よって,刑事訴訟法336条により無罪の言渡しをすることとし,主文のと
おり判決する。
平成22年3月31日
宇都宮地方裁判所刑事部
裁判長裁判官佐藤正信
裁判官小林正樹
裁判官市原志都

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