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1平成19年(ワ)第4917号事件を「第1事件」,平成20年(ワ)第1532
号事件を「第2事件」という。
2単に「原告ら」という場合,第1,第2事件を通じた原告らのことをいい,各事件
の原告らに限定するときは「第1事件原告ら」などという。
3別紙別紙別紙別紙1111(当事者目録)のとおり,第1,第2事件を通じて全ての原告に原告番号を
振ってある。本判決において個々の原告に言及する場合,この原告番号によって特定
し,氏名は記さない。
4原告番号は地域名と数字の組み合わせである。地域名は,「あ」が綾瀬市,「え」
が海老名市,「さ」が相模原市,「ざ」が座間市,「ち」が茅ヶ崎市,「ふ」が藤沢市,
「ま」が町田市,「や」が大和市を意味し,各原告が損害賠償請求の根拠とする居住
地を示す。過去の居住の事実が請求の根拠となる場合もあるので,必ずしも現在の居
住地の行政区画を示すわけではない。
5原告らが証拠として提出した文書の中に「甲〇第□号証の△」と番号が付けられて
いるものがある。〇の中には上記4で説明した居住地を示すひらがな(あ,え,さ,
ざ,ち,ふ,ま,や)が入り,□の中には数字(1から13まで)が入り,△の中に
は原告番号を構成する数字が入る。これらの文書は,〇と△の組み合わせによって示
される原告番号によって特定される個々の原告に関わる事実を立証するために提出さ
れたものである。これらの文書を個別に引用するときは,例えば「甲あ1の1」など
といい,□に入る数字によって示されるもの全部を引用するときは,例えば「甲地域
別1」などという。
6原告らの陳述書及び別件(平成19年(行ウ)第100号,平成24年(行ウ)第
69号事件)の本人尋問調書(その裏付けとなるものとして提出された文書を含む。)
である甲地域別2,甲地域別5,甲地域別6,甲地域別7,甲地域別8及び甲地域別
11を一括して「原告らの陳述書等」といい,本件における原告本人尋問の結果を一
括して「原告らの本人尋問の結果」という。
7その他,本判決で使用する略語の正式名称及び用語の説明は,本判決本文末尾の「略
語,用語一覧表」のとおりである(ただし,網羅的ではない。)。
目次目次目次目次
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥凡例1
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥目次2
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥主文5
以下,事実及び理由
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第1部請求及び事案の概要6
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第1請求6
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第2事案の概要7
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第2部前提となる事実9
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第1厚木基地の沿革と騒音問題の経緯9
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1厚木基地の現況9
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2厚木基地の設置及び管理の経緯10
‥‥‥‥‥‥‥‥‥3厚木基地の基地機能の変遷と騒音問題の経緯14
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥4米軍と自衛隊の騒音問題への対応19
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第2航空機騒音の評価21
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1騒音とその大きさの評価22
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2航空機騒音とその大きさの評価24
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥3航空機騒音に係る環境基準等とW値25
第3防衛施設である飛行場の周辺地域の騒音に関する法制度とその運用31
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1法令の定め31
‥‥‥‥‥‥‥‥‥2防衛施設庁・防衛省におけるW値の算定方法34
‥‥3厚木飛行場周辺における騒音コンターの作成及び区域指定等36
‥‥‥‥‥‥‥‥‥第4厚木基地騒音訴訟の経緯及び第3次訴訟の判決41
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1騒音訴訟の経緯41
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2第3次判決の概要43
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第3部当事者の主張51
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第1原告らの主張51
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1原告らの請求51
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2侵害行為52
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥3航空機騒音による被害53
つつつつつつつつつつつつつつつつつつつつつ
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥4違法性について57
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥5差止請求について60
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥6損害賠償について62
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第2被告の主張70
‥‥‥‥‥‥‥‥1自衛隊機に対する差止請求が不適法であること70
‥‥‥‥‥‥2米軍機に対する差止請求が主張自体失当であること70
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥3将来の損害の賠償請求について72
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥4過去の損害の賠償請求について73
‥5その余について判断するまでもなく請求が排斥されるべき原告ら84
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥6仮執行開始時期猶予宣言の申立て85
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第4部当裁判所の判断85
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第1検討すべき問題及び判断の順序85
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第2自衛隊機の差止請求87
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1厚木基地最判の判示87
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2判断89
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第3米軍機の差止請求89
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1厚木基地最判の判示と原告らの主張89
‥‥‥‥‥‥‥‥2関係条約の定めと厚木飛行場設置までの経緯等91
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥3判断97
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第4過去の損害の賠償請求99
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1判断枠組み99
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2W値の算定方式について100
‥‥‥‥‥‥‥3厚木飛行場周辺の航空機騒音をめぐる客観的事実108
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥4共通損害論132
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥5原告らの被害142
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥6厚木飛行場の公共性148
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥7違法性の有無(受忍限度)の判断150
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥8危険への接近154
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥9国家賠償法6条の相互保証について164
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥10慰謝料額171
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第5将来の損害の賠償請求178
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1将来の損害の賠償請求を検討すべき原告ら178
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2判例179
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥3検討180
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥4まとめ185
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第6弁護士費用185
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥第7結論186
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥略語,用語一覧表188
別紙別紙別紙別紙1111当事者目録
2222差止請求原告目録
3333死亡原告目録
4444第1事件訴状添付損害賠償額一覧表
5555第2事件訴状添付損害賠償額一覧表
6666被告最終準備書面添付別図第1
7777被告最終準備書面添付別図第2
8888乙A69の2添付図6-1
9999乙A69の2添付図6-2
10101010被告最終準備書面添付第1表別冊1
11111111被告最終準備書面添付第2表
12121212被告最終準備書面添付第3表
13131313被告最終準備書面添付第4表
14141414被告最終準備書面添付第5表
15151515原告最終準備書面添付別表1
16161616原告最終準備書面添付図1
17171717原告最終準備書面添付別表2から5まで
18181818被告最終準備書面添付第10表
19191919第3次訴訟原告目録
20202020原告ら個別の事情についての補足説明
21212121損害賠償認容額一覧表別冊2
平成26年5月21日判決言渡同日原本領収裁判所書記官
平成19年(ワ)第4917号(第1事件),平成20年(ワ)第1532号(第
2事件)各損害賠償等請求事件
口頭弁論の終結の日平成25年9月2日
判決
当事者の表示別紙別紙別紙別紙1111(当事者目録)記載のとおり
主文
1本件各訴えのうち次の部分を却下する。
(1)別紙別紙別紙別紙2222(差止請求原告目録)記載の原告らによる自衛隊の使用する航空
機の離着陸及びエンジンの作動の差止め並びに音量規制の請求に係る部分
(2)平成25年9月3日以降に生ずべき損害の賠償請求に係る部分
(3)別紙別紙別紙別紙19191919(第3次訴訟原告目録)記載1の原告らについては平成17年
7月26日まで,同別紙別紙別紙別紙記載2の原告については同年1月19日までに生
じた損害の賠償請求に係る部分
2被告は各原告(ただし,原告や1286,同や1658,同や2576及
び同や4282を除く。)に対し次の金員を支払え。
(1)別紙別紙別紙別紙21212121(損害賠償認容額一覧表)のE欄(総計欄)記載の金員
(2)第1事件原告らについては,別紙別紙別紙別紙21212121(損害賠償認容額一覧表)のA欄
記載の金員に対する平成18年1月1日から,B欄記載の金員に対する平
成19年1月1日から,C欄記載の金員に対する平成20年1月1日から
いずれも支払済みまで年5%の割合による金員,第2事件原告らについて
は,同別紙別紙別紙別紙のA欄記載の金員に対する平成18年5月1日から,B欄記載
の金員に対する平成19年5月1日から,C欄記載の金員に対する平成2
つつつ
0年5月1日からいずれも支払済みまで年5%の割合による金員
3原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
4訴訟費用は,第1,第2事件を通じ,第2項柱書き括弧内に原告番号を特
定して記載した原告らに生じた費用は同原告らの負担とし,別紙別紙別紙別紙2222(差止請
求原告目録)記載の原告らに生じた費用はこれを4分し,その3を同原告ら
の,その余を被告の負担とし,その余の原告らに生じた費用はこれを8分し,
その5を同原告らの,その余を被告の負担とし,被告に生じた費用はこれを
3分し,その2を原告らの,その余を被告の負担とする。
5この判決は,第2項に限り,被告に送達された日から14日を経過したと
きは,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1部請求及び事案の概要
第1請求(第1,第2事件を通じて)
1被告は自ら又はアメリカ合衆国軍隊(以下「米軍」といい,アメリカ合衆国
を「米国」という。)をして,別紙別紙別紙別紙2222(差止請求原告目録)記載の原告ら(以
下「差止原告ら」という。)のために,
(1)厚木海軍飛行場において,毎日午後8時から翌日午前8時までの間,一切
の航空機を離着陸させてはならず,かつ,一切の航空機のエンジンを作動さ
せてはならない。
(2)厚木海軍飛行場の使用により,毎日午前8時から午後8時までの間,上記
原告らの居住地に70dB(デシベル)を超える一切の航空機騒音を到達させ
てはならない。
2被告は各原告に対し次の金員を支払え。
(1)別紙別紙別紙別紙4444(第1事件訴状添付損害賠償額一覧表)及び同同同同5555(第2事件訴状添
付損害賠償額一覧表)の各D欄記載の金員
(2)第1事件原告らについては,別紙別紙別紙別紙4444(第1事件訴状添付損害賠償額一覧表)
のA欄記載の金員に対する平成18年1月1日から,B欄記載の金員に対す
る平成19年1月1日から,C欄記載の金員に対する平成20年1月1日か
らいずれも支払済みまで年5%の割合による金員,第2事件原告らについて
は,同同同同5555(第2事件訴状添付損害賠償額一覧表)のA欄記載の金員に対する
平成18年5月1日から,B欄記載の金員に対する平成19年5月1日から,
C欄記載の金員に対する平成20年5月1日からいずれも支払済みまで年5
%の割合による金員
3被告は各原告に対し,第1事件原告らについては平成20年1月1日から,
第2事件原告らについては同年5月1日からいずれも第1項による差止め及
び音量規制が実現するまで,1か月2万3000円を月の末日ごとに支払え。
第2事案の概要
本件は,神奈川県に所在しアメリカ合衆国海軍(以下「米海軍」という。)
及び海上自衛隊が使用している厚木基地(通称である。正式名称は厚木海軍飛
行場)の周辺である神奈川県大和市,綾瀬市,相模原市,座間市,藤沢市,海
老名市及び茅ヶ崎市並びに東京都町田市に居住し又は居住していた住民699
3名(第1,第2事件の原告合計数)が,厚木基地に離着陸する航空機の発す
る騒音により身体的被害及び睡眠妨害,生活妨害等の精神的被害を受けている
として,被告に対し,国家賠償法2条1項に基づき基地の設置・管理者として
の責任を問い,居住期間中に生じた損害及び将来生ずべき損害の賠償を求め(損
害額は一律に1名につき1か月当たり慰謝料2万円と弁護士費用3000円の
合計2万3000円),そのうち75名がこれに加えて人格権に基づき厚木基
地における航空機の運航について権限を有する者としての責任を問い,航空機
の離着陸等の差止め(毎日午後8時から翌日午前8時までの間,一切の航空機
の離着陸及びエンジンの作動の禁止)及び音量規制(原告らの居住地に70dB
を超える一切の航空機騒音を到達させることの禁止)を求める事案である。
すなわち原告らは,第1,第2事件を通じて,その全員が過去(口頭弁論終
結まで)及び将来(口頭弁論終結後)の損害の賠償(慰謝料及び弁護士費用の
支払)を求め(過去の損害の一部については民法所定の年5%の割合による遅
延損害金を含む。),そのうちの一部の者が厚木基地における航空機の離着陸
等の差止め及び音量規制を求めている(以下,この差止め及び音量規制の請求
を併せて「差止請求」という。)。原告らは,本件における慰謝料請求とは,
身体的被害に基づく非財産的損害とその他の様々な被害に基づく全ての精神的
損害を合わせた包括的な損害についての一部請求であるとしている。
これに対し被告は,将来の損害の賠償請求及び自衛隊の使用する航空機(以
下「自衛隊機」という。)の差止請求に係る訴えは不適法であるとして却下を
求め,米軍の使用する航空機(以下「米軍機」という。)の差止請求は主張自
体理由がないとして棄却を求め,過去の損害の賠償請求については,原告らが
航空機騒音によって受けている影響は受忍限度内にとどまるとして請求の全部
の棄却を求めるとともに,仮に国家賠償法2条1項の賠償責任が生ずるとして
も,原告らの一部の者は厚木基地における航空機騒音等を認識しあるいは認識
することができたのに厚木基地の周辺に転居してきたなどとして危険への接近
の理論に基づく免責又は賠償額の減額を主張し,さらに,住宅防音工事への助
成を始めとして被告が行ってきた厚木基地の周辺対策等の諸般の事情に照らせ
ば原告らの主張する慰謝料及び弁護士費用の額は過大であるとして争ってい
る。
厚木基地の周辺住民(本件の原告らと必ずしも一致しない。)は,昭和51
年9月以降これまで3回にわたり,厚木基地に離着陸する航空機の騒音等によ
る被害を受けているとして被告を提訴し,いずれも被告の国家賠償責任を肯定
する判決が確定しており,本件(第1,第2事件)は周辺住民による4回目の
提訴である。その提起の時期は,第1事件が平成19年12月17日,第2事
件が平成20年4月21日である(記録上明らかな事実)。
第2部前提となる事実
第1厚木基地の沿革と騒音問題の経緯
争いのない事実並びに括弧内掲記の証拠及び弁論の全趣旨により認められる
事実は次のとおりである。
1厚木基地の現況(甲A1から3まで,9の1~3,11,17の1・2)
神奈川県の中央部東側,大和市,綾瀬市及び海老名市にまたがって,総面積
約507万㎡の厚木基地がある(ただし,海老名市にあるのはごく一部であ
る。)。その中心を占めるのが,南北方向に延びる長さ2438m,幅45m
の滑走路とその南北両端に各304mにわたって設けられたオーバーランであ
る。
厚木基地は現在,米海軍厚木航空施設及び海上自衛隊厚木航空基地として使
用されている。
米海軍は,施設管理を行う厚木航空施設司令部を始め,西太平洋艦隊航空司
令部,第5空母航空団,第51対潜ヘリコプター飛行中隊等を厚木基地に駐留
させ,航空機の整備・補給・支援業務のほか,空母艦載機の操縦士のための飛
行訓練をここで行っている。
海上自衛隊は,航空集団司令部,第4航空群,第51航空隊,第61航空隊,
航空管制隊等を厚木基地に駐留させている。第4航空群は我が国の周辺海域に
おける警戒監視任務を活動の中心とし,災害派遣等の民生協力活動やその教育
訓練活動等を行い,第51航空隊は航空機の運用についての調査研究等を,第
61航空隊は人員及び貨物の輸送業務を,航空管制隊は海上自衛隊の航空機運
航に必要な航空情報の通報,飛行計画の申請及び承認に関する連絡事務,運航
管制に関する教育指導等を担当している。
厚木基地はかつて旧海軍省の所属財産であったが,同省が廃止されたことか
ら大蔵省に引き継がれてその所管の普通財産となった。後記のとおり昭和46
年7月1日にその一部(後記の「米軍一時使用区域」)の管理権が我が国に返
還されたが,その部分についても防衛庁の行政財産への所管換えはされず,防
衛庁長官が使用承認を受けて海上自衛隊が管理することとなった(普通財産取
扱規則(昭和40年4月1日大蔵省訓令第2号)5条,32条)。現在までこ
の法律関係に変わりはないが,その後大蔵省は財務省に,防衛庁は防衛省にな
っている。
昭和33年11月及び昭和35年10月,被告は米国に対し,厚木基地の滑
走路の南北両端に安全地帯を設定する用地として国有地合計約36万7000
㎡を提供した。一方,当初厚木基地とされていた区域の一部約30万㎡は,昭
和46年12月から平成6年12月にかけて順次被告に返還されて大蔵省所管
の普通財産となり,その一部は海上自衛隊の宿舎等の施設用地として利用され,
残部は大和市及び綾瀬市に無償貸付け(国有財産法22条1項)又は減額譲渡
(国有財産特別措置法3条1項)されて公園用地等として利用されている。
2厚木基地の設置及び管理の経緯(甲A1から3まで,9の1~3,11,1
7の1・2,乙A52,53の1・2,54)
(1)昭和46年6月30日まで
ア厚木基地は,昭和16年頃から旧海軍省により航空基地として使用され
ていたが,昭和20年9月,米国陸軍に接収された。昭和25年12月に
は米海軍が移駐し,以後,米海軍の航空基地となった。「日本国とアメリ
カ合衆国との間の安全保障条約」(以下「旧日米安保条約」という。)及
び「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定」
(以下「日米行政協定」という。)が昭和27年4月28日に発効した後
は,厚木基地は,日米行政協定2条1項に基づき,米軍の使用する施設及
び区域として米国に提供された(名称は「海軍飛行場キャンプ厚木」であ
る。昭和27年外務省告示第33号,第34号)。
イ昭和27年4月以降,旧日米安保条約に基づき米国に対して提供される
施設及び区域の決定並びにその返還を求める手続は日米合同委員会の協議
により行われることとなった(日米行政協定2条,26条)。これは「日
本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」(以下「日米
安保条約」という。)及び「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及
び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国
軍隊の地位に関する協定」(以下「日米地位協定」という。)が発効した
後も同様である(日米地位協定2条,25条)。日米合同委員会とは,日
米行政協定ないし日米地位協定の実施に関して我が国政府と米国政府とが
協議を行うために設けられた協議機関である。
昭和27年7月15日に航空法が公布,施行され,同日,これと併せて,
「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約に基く行政協定の実施に
伴う航空法の特例に関する法律」(現在の題名は「日本国とアメリカ合衆
国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに
日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定及び日本国における国際連
合の軍隊の地位に関する協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律」で
ある。以下「航空法特例法」という。)が公布,施行された。航空法特例
法により,米国に提供される施設及び区域における航空機の運航等と我が
国の領空における航空機の運航等との調整が図られることとなり,航空法
のうち次の事項については,米軍の使用する飛行場,米軍機及びこれに乗
り組んでその運航に従事する者には適用されないこととされた。
①空港等又は航空保安施設の設置に係る運輸大臣(現在は国土交通大
臣。以下同じ。)の許可(航空法38条1項)
②耐空証明を受けた航空機以外を航空の用に供すること等の禁止(同
法11条)
③航空機の運航従事者の資格についての技能証明(同法28条1項,
2項)
④操縦教育証明を受けている者以外による操縦教育の禁止(同法34
条2項)
⑤外国航空機の航行の許可(同法126条2項)
⑥外国航空機の国内使用の禁止(同法127条)
⑦外国航空機の軍需品輸送の禁止(同法128条)
⑧各種証明書等の承認(同法131条)
⑨航空法第6章(航空機の運航)の各規定(ただし,同法96条から
98条までを除く。「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び
安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆
国軍隊の地位に関する協定及び日本国における国際連合の軍隊の地
位に関する協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律施行令」参
照)
この結果,米軍は,航空法との調整を保ちつつも,自らの判断と責任に
おいて,厚木基地に離着陸する米軍機を始めとする航空機の運航管理を専
権的に行うことになった。
一方,航空法の制定に伴い,我が国の領空における航空機の航空交通管
制は運輸大臣の権限事項とされ,米軍機もこれに服することになったが(上
記のとおり,航空法96条から98条までは米軍機にも適用される。),
日米行政協定6条1項(日米地位協定6条1項も同じ。)に基づく日米合
同委員会の合意により,日米行政協定2条(日米地位協定2条も同じ。)
により米国に提供された飛行場施設の隣接,近傍空域における航空交通管
制業務は,米国,具体的には米軍が行うこととされた。これにより,航空
交通管制業務(航空法施行規則199条1項)のうち,航空路管制業務は
運輸大臣が所管するが,それ以外の管制業務(飛行場管制業務,進入管制
業務,ターミナル・レーダー管制業務及び着陸誘導管制業務)は米軍が行
うこととされた。
ウ昭和35年6月23日に日米安保条約及び日米地位協定が発効し,厚木
基地は同日以降,日米地位協定2条1項(a)に基づき米軍の使用する施設
及び区域として引き続き米国に提供されることとなった。同項(b)により,
米国が日米行政協定の終了の時に使用している施設及び区域は,日米両政
府が同項(a)の規定に従って合意した施設及び区域とみなされるためであ
る。その名称は,昭和36年4月19日,「厚木海軍飛行場」に変更され
た(昭和36年調達庁告示第4号。これが現在までの正式な名称であるが,
一般には厚木基地と呼ばれており,本判決でも,特に正式名称を用いる必
要がない限り,厚木基地と呼ぶことにする。)。
(2)昭和46年7月1日から現在まで
ア昭和46年6月29日,厚木基地の一部についての共同使用及び使用転
換が閣議決定され,これを踏まえ,同月30日,日米合同委員会において
基地使用に係る日米政府間協定が締結され,同年7月6日に告示された(昭
和46年防衛施設庁告示第7号)。
この閣議決定と告示によれば,別紙別紙別紙別紙6666(被告最終準備書面添付別図第1)
(以下「別紙別紙別紙別紙6666図面」という。)の赤斜線部分(263万9157㎡の土
地及びその上の建物等),すなわち滑走路及び管制塔を含む厚木基地の飛
行場部分は,使用転換されて海上自衛隊が管轄管理することとなったが,
同時に,日米地位協定2条4項(b)に基づいて米軍に一時使用を認めるこ
ととされた。同図面の黄色部分(117万8779㎡の土地及びその上の
建物等)は,引き続き米軍が使用する部分であるが,同項(a)に基づいて
海上自衛隊が共同使用することとされた。同図面のそれ以外の部分すなわ
ち青色部分は,同条1項(a)に基づき引き続き米国に提供され,使用され
るものとされた(以下,同図面の黄色部分を「日米共同使用区域」,青色
部分を「米軍専用区域」という。)。
このうち米軍に一時使用が認められた部分(赤斜線部分)について,防
衛庁長官は,自衛隊法107条5項を受けた「飛行場及び航空保安施設の
設置及び管理の基準に関する訓令」(昭和33年12月3日防衛庁訓令第
105号)2条に基づき,自衛隊の飛行場施設(名称は「厚木飛行場」)
を設置し,昭和46年7月1日に告示した(昭和46年防衛庁告示第13
1号)。本判決においてもこの赤斜線部分を「厚木飛行場」というが,「日
米共同使用区域」,「米軍専用区域」と対比して「米軍一時使用区域」と
いうこともある。「厚木基地」との関係を整理すると,基地の施設及び区
域全体が「厚木基地」であり(正式名称は厚木海軍飛行場),その一部で
あって米軍が一時使用を認められる部分が「厚木飛行場」である。
厚木飛行場の設置に伴い,昭和46年12月から昭和48年12月にか
けて,海上自衛隊の航空集団の中枢である航空集団司令部と第4航空群が
ここに移駐した。以後,第4航空群の長が厚木飛行場の管理に当たってい
る。
平成23年7月13日,米軍専用区域の一部について共同使用が決定さ
れ(平成23年防衛省告示第174号),現在の状況は別紙別紙別紙別紙7777(被告最終
準備書面添付別図第2)(以下「別紙別紙別紙別紙7777図面」という。)のとおりとなっ
ている。
イ厚木飛行場の管理権を我が国が有することになったことから,昭和46
年7月1日以降,その航空交通管制業務のうち飛行場管制業務と着陸誘導
管制業務を海上自衛隊厚木航空基地分遣隊(現在は厚木航空基地隊)が行
うこととなった(昭和46年運輸省告示第235号)。
現在の状況を整理すると,航空交通管制業務のうち航空路管制業務を国
土交通省所管の管制所が行い,飛行場管制業務及び着陸誘導管制業務を海
上自衛隊が行い,進入管制業務及びターミナル・レーダー管制業務を米軍
(横田進入管制所及び横田ターミナル・レーダー管制所)が行っている。
3厚木基地の基地機能の変遷と騒音問題の経緯(甲A1から3まで,9の2,
11,12,17の1・2,37の8・9,38の8・9,甲C55,56,
64,甲D2の230・277・321・339・353・357・374の
1~2,乙A34,179,乙C35,乙D1の1~11,2から13まで,
14の1~10)
(1)昭和57年まで
厚木基地は米国陸軍による接収後,その輸送基地として使用されていたが,
朝鮮戦争の勃発に伴い滑走路等が復旧され,昭和25年12月から米海軍の
航空基地となった。昭和30年代には滑走路の延長,オーバーランの設置,
航空機の大型化に伴う滑走路のかさ上げ等の工事が行われて航空基地として
の機能強化が図られ,昭和35年頃から米海軍のジェット機が飛来するよう
になった。
厚木基地の周辺住民は昭和35年,厚木基地爆音防止期成同盟を結成し,
その委員長は昭和36年5月,厚木基地の航空機騒音により人権侵害を受け
ていることを横浜地方法務局に申告した。法務省はこれを受けて調査を行い,
昭和39年10月,厚木基地の飛行場周辺及び航空機の進入路下に当たる地
域においては騒音が激しい場合があり,その地域の相当多数の住民が精神的
及び日常生活上ある程度の被害を受けていると認定し,更に調査検討の上適
当な措置を講ぜられたいとしてこの調査結果を防衛施設庁に通知した。
昭和46年12月,前記のとおり海上自衛隊の第4航空群等が厚木基地に
移駐し,移駐後における自衛隊機の数は35機となった。
昭和48年10月,米海軍第7艦隊所属の空母ミッドウェーが横須賀基地
(米軍の「横須賀海軍施設」)を事実上の母港として初入港した。平成3年
には空母ミッドウェーに代わって空母インディペンデンスが,平成10年に
は同空母に代わって空母キティホークが,平成20年には同空母に代わって
空母ジョージ・ワシントンが,それぞれ横須賀基地を母港としている。これ
らの空母には米海軍第5空母航空団所属の艦載機が搭載されており,その整
備,補給,訓練等の活動が厚木基地で展開されるに至った。こうして,昭和
48年10月頃以降,空母艦載機が厚木基地に頻繁に飛来している。
厚木基地の周辺自治体は既に昭和35年から航空機騒音への対策に乗り出
していたが,空母艦載機が飛来するようになった昭和48年頃からは,厚木
基地に離着陸する航空機による騒音等が社会問題として新聞,テレビ等で大
きく取り上げられるようになり,後記のとおり,昭和51年9月には第1次
厚木基地騒音訴訟が提起された。
海上自衛隊は,昭和54年,厚木基地の滑走路の補修,誘導灯やILS(計
器着陸装置)施設の新設等の工事を行い,昭和56年10月に第51航空隊
を移駐させた。同年12月には対潜哨戒機P3-Cを配備した。
(2)昭和57年以降
米海軍は,昭和57年2月から,厚木基地でNLP(NightLandingPractice)
を開始した。
NLPとは,空母艦載機が陸上で行う着艦訓練(FCLP=FieldCarrier
LandingPractice)のうち夜間に行われるものであり,夜間において滑走
路を空母甲板に見立ててタッチアンドゴーを行うことをいう。タッチアンド
ゴーとは,航空機の離着陸訓練の一つであり,滑走路へ進入降下し,着地,
地上滑走した後,再びエンジン出力を上げて離陸するという一連の操作を繰
り返すことである。空母への着艦,特に夜間におけるそれは滑走路への着陸
に比べてはるかに高度な技量を必要とするため,米海軍では,艦載機の操縦
士は訓練により常にその精度を保つ必要があるとされ,特に空母の出港前に
は所定の方法で一定の回数のNLPを行うことが義務付けられている。訓練
中,航空機は飛行場の周辺上空を周回し,地上の誘導ライトを頼りに大きな
推力を維持しつつ滑走路に進入し,着陸後直ちに急上昇することを繰り返す。
米海軍は当初,三沢基地と岩国基地でNLPを実施していたが,遠方である
こと等から時間・費用面での問題が多いとされ,昭和57年2月以降,厚木
基地で実施することとなった。
NLPの実施により厚木基地周辺の航空機騒音は激化し,後記のとおり昭
和59年10月,第2次厚木基地騒音訴訟が提起された。さらに,周辺自治
体等からの強い抗議や代替訓練施設の設置要請もあり,被告は昭和63年6
月,暫定的な措置として硫黄島でのNLPの実施を米国に申し入れ,合意に
達した。そして,被告は平成5年3月末,硫黄島にNLP実施のための訓練
施設(宿舎や更生施設等の関連施設を含む。)を完成させた。
その後,空母艦載機が実施するNLPの多くは硫黄島で行われるようにな
ったが,硫黄島付近の天候上の問題や厚木基地から遠方であるなどの理由に
より,硫黄島に全面移転されることはなく,厚木基地でも行われることがあ
る。
厚木基地の周辺住民は,NLPが硫黄島で実施されるようになった後も騒
音等による被害が著しいとして,後記のとおり平成9年12月に第3次厚木
基地騒音訴訟を提起した。
(3)最近の動向と今後の見込み
ア厚木基地に配備されている米軍機
厚木基地に飛来する米海軍の空母艦載機は第5空母航空団所属のもので
あり,機種としてはF/A18-E及びF/A18-F(戦闘攻撃機。Eは
単座,Fは複座である。),EA-18G(電子戦機),E-2C(早期警
戒機),C-2A(輸送機),SH60-F(対潜ヘリコプター),HH-
60H(救難ヘリコプター)などがある。
F/A-18E及びF/A-18F(スーパーホーネット)は,平成15
年11月以降,それまで配備されていたF/A-18C及びF/A-18D
(ホーネット)に代わって配備されたジェット機であり,平成16年10
月までに合計26機が配備された。スーパーホーネットはホーネットより
も機体が大型化し,エンジン推力も35%増加しており,これに伴ってよ
り大きな騒音を発する。
また,EA-18G(グラウラー)は,それまで配備されていたEA-
6B(プラウラー)に代わって平成24年3月に配備されたもので,機数
は合計6機である。グラウラーは,スーパーホーネットをベースに開発さ
れた電子戦機であり,エンジン推力はプラウラーの2倍近くに達する。
イ厚木基地に配備されている自衛隊機
海上自衛隊は,前記の対潜哨戒機P-3Cのほか,多用機(LC-90,
UP-3C),輸送機(YS-11M,YS-11M-A),哨戒ヘリコ
プター(SH-60J,SH-60K)等を厚木基地に配備している。ジ
ェット機はこれまで,飛来することはあったが,配備はされていなかった。
プロペラ機であるP-3Cの後継機として平成25年3月に配備された
P-1はジェット機であり,平成25年度末までに合計7機が配備される
予定である。
ウ今後の見込み
日米安全保障協議委員会は,平成18年5月,「再編実施のための日米
のロードマップ」を承認した。同委員会は,日米安保条約に基づき,日米
政府間の相互理解を促進することに役立つとともに安全保障の分野におけ
る両国間の協力関係の強化に貢献するような問題であって安全保障問題の
基盤をなすもののうち安全保障問題に関するものを検討するために設置さ
れた特別の委員会であり,我が国の外務大臣と防衛大臣,米国の国務長官
と国防長官の4閣僚で構成される。上記のロードマップの中には,「厚木
飛行場から岩国飛行場への空母艦載機の移駐」という項目が設けられ,①
米海軍第5空母航空団の厚木飛行場から岩国飛行場への移駐は,F/A-
18,EA-6B,E-2C及びC-2航空機から構成され,必要な施設
が完成し,訓練空域及び岩国レーダー進入管制空域の調整が行われた後,
平成26年までに完了する,②厚木飛行場から行われる継続的な米軍の運
用の所要を考慮しつつ,厚木飛行場において,海上自衛隊EP-3,OP
-3,UP-3飛行隊等の岩国飛行場からの移駐を受け入れるための必要
な施設が整備される,などとされた。
しかし,防衛省は平成25年1月,厚木基地の周辺自治体に対し,平成
26年度中に実施予定とされていた米海軍空母艦載機59機の岩国飛行場
への移駐は平成29年頃になる見込みであると説明した。
4米軍と自衛隊の騒音問題への対応(甲A1から3まで,11,12,乙A6
0の1・2)
(1)米軍
日米合同委員会は昭和38年9月19日,厚木基地周辺における米軍の航
空機騒音の規制に関し諸種の措置を設けることに合意した。昭和44年11
月20日に一部改正された後の合意事項は概要次のとおりである。
①午後10時から午前6時までの間,厚木基地における全ての活動(飛
行及びグランド・ラン・アップ)は,運用上の必要に応じ,及び米軍の
態勢を保持する上に緊要と認められる場合を除き,禁止される。
②訓練飛行は,日曜日には最小限にとどめる。
③アフターバーナー装備の航空機は,基地空域内においてできるだけ速
やかに離陸・上昇することが要求される。アフターバーナーは,安全飛
行状態を持続するために継続して使用しなければならない場合又は運用
上の必要性による場合を除き,飛行場の境界線に達する前に使用を停止
しなければならない。
④離陸及び着陸の間を除き,航空機は人口稠密地域の上空を低空で飛行
しない。
⑤基地周辺の空域においては,曲技飛行及び空中戦闘訓練を実施しない。
ただし,年間定期行事として計画された曲技飛行の展示はその限りでな
い。
⑥着艦訓練のための航空機は,場周経路では2機に制限される。
⑦離陸及び着陸の間を除き,空母着艦訓練等のための航空機は,特定の
タイプの訓練を必要とする場合を除き,平均海面上1600フィート以
下で飛行しない。特殊の訓練は,訓練の必要に見合った必要最小限度に
とどめるものとし,かつ,そのパターンは,平均海面上800フィート
以下は通らない。
⑧運用能力又は態勢が損なわれる場合を除き,ジェットエンジンは,午
後6時から午前8時までの間,試運転されない。
⑨ジェットエンジンテスト等の実施に当たっては,厚木基地は,実行可
能なできるだけ早い時期に効果的な消音器を装備し,それを騒音減衰の
ために使用する。
⑩操縦士は,騒音問題について機会あるごとに十分教育を受ける。
(2)自衛隊
厚木基地においては,現在,自衛隊機(第4航空群)の運航について次の
ような自主規制が行われている。
ア厚木飛行場規則(平成19年3月15日第4航空群達第2号)による自
主規制
①訓練飛行(タッチアンドゴー,ローアプローチ)及び地上試運転の
規制時間は,原則として次の表のとおりとする。
区分曜日規制時間
訓練飛行全ての航空機日曜日終日
月曜日~土曜日午後10時~午前6時
ジェット機日曜日終日
地上月曜日~土曜日午後6時~午前8時
試運転ジェット機以外日曜日終日
月曜日~土曜日午後10時~午前6時
②場周経路内における連続離着陸訓練機及び連続離着陸訓練回数は制
限する。
③厚木管制圏内での編隊飛行は,原則として実施しないものとする。
④飛行場及びその周辺空域における既定の飛行経路の高度よりも低い
高度での飛行は,任務及び訓練上必要な場合を除き行わないものとす
る。
⑤離陸時のアフターバーナーの使用は,運行上必要な場合に限る。た
だし,この場合,飛行場の境界線又は安全な高度及び速度に達したと
きには,使用を中止するものとする。
⑥着艦訓練(FCLP)は許可しない。
イ「厚木航空基地における航空機騒音の軽減に関する規制措置について(通
知)」(平成10年11月4日4空群運第835号)による自主規制
①同一時間に離着陸機が集中しないように各隊の離着陸訓練時間を調
整する。
②場周経路内の同時機数は,昼間は,固定翼機のみの場合は3機以内,
回転翼機のみの場合は4機以内,固定翼機及び回転翼機が混在する場
合はそれぞれ2機以内とし,夜間は,固定翼機又は回転翼機のみの場
合はそれぞれ2機以内,固定翼機及び回転翼機が混在する場合はそれ
ぞれ1機とする。
③連続離着陸訓練は,固定翼機については,原則として昼間4回,夜
間3回以内とし,更に訓練を実施する場合は,一度場周経路を離脱し,
10~15分経過後再度進入することとし,回転翼機については,原
則として昼間4回,夜間3回以内とし,更に訓練を実施する場合は,
B1又はヘリパッドで10~15分間ホバリング等の後再度進入す
る。
第2航空機騒音の評価
証拠(括弧内掲記のもの)及び弁論の全趣旨により認められる事実は次のと
おりである。
1騒音とその大きさの評価(甲A1,2,11,甲C65,乙C36)
騒音とその測定方法一般については,国際連合の専門機関の一つであるWH
O(WorldHealthOrganization世界保健機関)が平成11年に公表した「環
境騒音のガイドライン(実務的抄録)」(GuidelinesforCommunityNoise)(平
松幸三=松井利仁=宮川雅充訳。甲C65。以下「WHOガイドライン」とい
う。)が次のように述べているとおりである。
「物理的には,音(sound)と騒音(noise)に違いはない。音はまた知覚でも
あり,音波の複雑なパターンが,騒音,音楽,話し声などと識別される。かく
して,騒音は望ましくない音,と定義される。
ほとんどの環境騒音は,数種類の単純な評価指標によって近似的に記述する
ことができる。騒音の評価指標はすべて,音の周波数構成,オーバーオールの
音圧レベルおよびそれらの時間変動を考慮している。音圧は音を作り出す空気
の振動を表す基本的な指標である。人間が聞くことのできる音圧の幅は非常に
広いので,音圧レベルはdB(デシベル)という単位の対数スケールで評価され
る。よって,音圧レベルを加算することや音圧レベルの算術平均をとることは
できない。ほとんどの場合,騒音の音圧レベルは時間とともに変化し,また音
圧レベルを算出するときには,変動する音圧の瞬間値を一定の時間で積分しな
ければならない。
ほとんどの環境音は,さまざまな周波数成分が複雑に混ざりあっている。周
波数とは,音波の媒体である空気の1秒あたりの振動回数であり,単位はHz(ヘ
ルツ)である。人間の可聴域は,聴力正常な若者の場合,20~20,000
Hzとされている。しかし,人間の聴覚は,音の周波数によって感度が異なる。
これを補正するために,さまざまな聴感補正特性を用いて各種環境音に固有の
周波数成分の相対的強度が評価されてきた。聴感補正特性の中でも,低周波領
域と比較して中・高周波数領域を重視するA特性がもっとも広く用いられてい
る。A特性は人間の聴感特性を近似せんとするものである。
複合音の影響は,それらの騒音のエネルギー和と関係がある(等エネルギー
原理)。ある期間の全エネルギーの和から,その期間の平均音響エネルギーに
等価なレベルが得られる。LAeq,TはA特性補正した音のT時間の平均エネルギ
ーに等価な定常音のレベルである。LAeq,Tは道路交通騒音や事実上連続音とみ
なせるような工場騒音などの連続音の評価に使用すべきものである。しかしな
がら,航空機騒音や鉄道騒音のように,一つ一つが明確に区別できる音がある
場合には,LAeq,TだけではなくA特性音圧レベルの最大値(LAmax)や単発騒
音曝露レベル(LAE)のような個々の発生騒音の指標も用いるべきである。騒
音レベルが時間的に変動する場合は,レベル変動のパーセンタイル値を用いた
評価もなされている。
現在,実務的には,ほとんどの騒音で等エネルギー原理がほぼ成立しLAeq,T
と騒音影響の対応はおおむねよい,という考え方が一般的である。ただし,発
生回数の少ない音の場合,睡眠妨害やその他の生活妨害の評価にはA特性音圧
レベルの最大値(LAmax)がより適している。しかしながら,ほとんどの場合
は,単発騒音エネルギーを積分した値である単発騒音曝露レベル(LAE)がよ
り整合性の高い評価尺度となる。昼間と夜間のLAeqを加算するときに,夜間の
時間帯に重み付けをする方法もよく用いられる。夜間の重み付けは夜間に不快
感の感受性が増大することを反映するためのものであり,それによって住民の
睡眠を保護するものではない。」
一般に騒音の大きさは,上記の記述にあるとおり,A特性に応じた聴感補正
をした音圧レベルで,dBを単位として表記される。「騒音レベル」という用語
は,このようにして示された騒音の大きさを意味する。A特性であることを示
すためにdB(A)とする表記法もあるが,騒音レベルとしてdBとあればdB(A)と同
じことである。計量法は,音圧レベルの計量単位をデシベルと定め(同法4条
1項,別表第2。なお,計量単位規則2条1項1号,別表第2により,デシベ
ルの記号はdBとされている。),計量単位令3条1項,別表第2がこれを定義
しているが,そこにいうデシベルは聴感補正をしたものとしていないものの両
者を含む(計量単位規則6条,別表第10参照)。なお,平成4年法律第51
号による改正前の計量法5条44号が「騒音レベルの計量単位は,ホン又はデ
シベルとする。」と規定していたように,かつてはデシベルとホンが相互互換
的に用いられていたが,現在はホンは用いない。
あくまでも一応の目安であるが,騒音とdBとの対応として,電車の中が80
dB,交通量の多い交差点が90dB,電車通過時の線路脇や地下鉄駅構内が10
0dB,自動車のクラクションや新幹線通過時の音が110dB,ビル工事現場や
ジェット機離陸時の音が120dBなどとされ,130dBが最大可聴値(これを
超える音は痛みとしてしか感じられない。)とされている(甲A1,2,11)。
一方,上記の記述にあるLAeq,Tとは,等価騒音レベルと呼ばれ,一定の期間
における騒音のエネルギーを考慮した騒音の評価指標である。
このように,騒音の大きさを評価する指標としては,音圧レベルを尺度とす
るものと,一定の期間における音のエネルギーを尺度とするものとがある。
2航空機騒音とその大きさの評価(甲C66の1・2,乙A10,152,乙
C7,36)
航空機騒音は,①騒音のピークレベルが工場騒音や自動車騒音など他の発生
源による騒音と比較してはるかに高く,しかも広範囲に及ぶこと,②エンジン
の影響により特定の周波数(高周波数)に片寄った特異な音質を有すること,
③継続時間が数秒から数十秒の間欠音であることなどの特性がある。これらの
特性を考慮した航空機騒音の評価指標として,これまで我が国ではWECPN
Lという評価指標が用いられてきた。
WECPNLは「WeightedEquivalentContinuousPerceivedNoiseLevel」
(加重等価継続感覚騒音レベル)のことであり,国際連合の専門機関の一つで
あるICAO(InternationalCivilAviationOrganization国際民間航空機
関)が昭和46年に提案した騒音の評価指標であって,「うるささ指数」とも
呼ばれる。等価騒音レベルと同じく一定の期間における騒音のエネルギーを考
慮した評価指標である。簡単にいうと,航空機1機ごとの騒音のうるささを表
す評価指標としてそれ以前に提案されていたPNL(PerceivedNoiseLevel)
の値に,継続時間補正及び純音補正を加え,さらに騒音発生時間帯を考慮して
夜間及び深夜・早朝における騒音に重み付けを行って値を求めるものである。
WECPNLは後記のとおり昭和48年,航空機騒音に係る環境基準に採用
され,それ以来現在まで,我が国における航空機騒音の評価指標の代表的なも
のとして広く用いられてきた。本件のように航空機騒音による被害の有無が問
題とされる訴訟においても,WECPNLの値(以下,略して「W値」という。)
が重要な判断基準として一貫して用いられてきている。
もっとも,昭和48年の環境基準が採用したW値の算定方法は,測定の便宜
や計算の便宜を考慮して,ICAOが提案した算定方法を著しく簡略化したも
のであった。そのようなことや,国際環境の変化もあって,後記のとおり,現
行の環境基準はWECPNLの使用を止め,代わりに時間帯補正等価騒音レベ
ル(Lden)を採用することとなった。しかし,時間帯補正等価騒音レベルはま
だ導入されたばかりであり,厚木基地周辺における騒音の評価指標としては,
これまで,個々の騒音の音圧レベル(騒音レベル)を測定する際にはdBが,一
定の期間の騒音を測定する際にはW値が用いられているので,本件でも,騒音
の評価指標としてはdB及びW値を用いるほかない。
3航空機騒音に係る環境基準等とW値(甲C1の9,66の1・2,乙A3,
9,10,11,80から83まで,乙C41)
(1)昭和48年に導入された環境基準
ア昭和42年に公布,施行された公害対策基本法9条1項は,「政府は,
大気の汚染,水質の汚濁,土壌の汚染及び騒音に係る環境上の条件につい
て,それぞれ,人の健康を保護し,及び生活環境を保全するうえで維持さ
れることが望ましい基準を定めるものとする。」と規定し,政府にその基
準の設定を義務付けた。これを受けて,環境庁長官は昭和48年12月,
同条の規定に基づく騒音に係る環境上の条件のうち航空機騒音に係る基準
として,「航空機騒音に係る環境基準について」(昭和48年環境庁告示
第154号)を告示した。
平成5年に環境基本法が公布,施行されたことに伴い公害対策基本法は
廃止されたが,環境基本法16条1項は公害対策基本法9条1項と同様の
規定を設けており,これに伴い,上記「航空機騒音に係る環境基準につい
て」も環境基本法16条1項に基づく基準となった。
イ平成19年環境省告示第114号による改正前の「航空機騒音に係る環
境基準について」(以下「昭和48年環境基準」という。)の内容は次の
とおりである。
昭和48年環境基準は,生活環境を保全し,人の健康の保護に資する上
で維持することが望ましい航空機騒音に係る基準及びその達成期間を次の
とおり定めた。
環境基準は,専ら住居の用に供される地域(地域の類型Ⅰ)につきW値
70以下(以下,W値は「70W」など数字に「W」を添えて表記する。)
とし,それ以外の地域であって通常の生活を保全する必要がある地域(地
域の類型Ⅱ)につき75W以下とする。地域の類型は,公害対策基本法9
条2項(環境基本法16条2項)に従い都道府県知事が指定する。
上にいうW値は次の①~⑤の方法により測定・評価した場合における値
とする(以下,これに従ってW値を算定する方式を,後述の防衛施設庁長
官の定めた算定方式(防衛施設庁方式)と対比させる意味で,「環境基準
方式」という。)。
①測定は,原則として連続7日間行い,暗騒音より10dB以上大きい
航空機騒音のピークレベル(計量単位dB)及び航空機の機数を記録す
るものとする。
②測定は,屋外で行うものとし,その測定点としては,当該地域の航
空機騒音を代表すると認められる地点を選定するものとする。
③測定時期としては,航空機の飛行状況及び風向等の気象条件を考慮
して,測定点における航空機騒音を代表すると認められる時期を選定
するものとする。
④評価は,①のピークレベル及び機数から次の算式により1日ごとの
値(単位WECPNL)を算出し,そのすべての値をパワー平均して行
うものとする。
dB(A)+10log10N-27
(注)dB(A)とは,1日の全てのピークレベルをパワー平均した
ものをいい,Nとは,午前0時から午前7時までの間の航空機
の機数をN1,午前7時から午後7時までの間の航空機の機数を
N2,午後7時から午後10時までの間の航空機の機数をN3,
午後10時から午後12時までの間の航空機の機数をN4とした
場合における次により算出した値をいう。
N=N2+3N3+10(N1+N4)
⑤測定は,計量法71条の条件に合格した騒音計を用いて行うものと
する。この場合において,周波数補正回路はA特性を,動特性は遅い
動特性(slow)を用いることとする。
環境基準は,公共用飛行場等の周辺地域においては,飛行場の区分ごと
に定める達成期間で達成され,又は維持されるものとする。この場合にお
いて,達成期間が5年を超える地域においては,中間的に所定の改善目標
を達成しつつ,段階的に環境基準が達成されるようにする。自衛隊等(自
衛隊又は米軍)が使用する飛行場の周辺地域においては,平均的な離着陸
回数及び機種並びに人家の密集度を勘案し,当該飛行場と類似の条件にあ
る公共用飛行場等の区分に準じて環境基準が達成され,又は維持されるよ
うに努めるものとする。
ウ昭和48年環境基準は,中央公害対策審議会の答申に基づいて定められ
たものであるが,その答申に先立って中央公害対策審議会騒音振動部会特
殊騒音専門委員会がとりまとめた「航空機騒音に係る環境基準について(報
告)」(昭和48年4月12日)においては,「指針設定の基礎」として,
「航空機騒音に係る環境基準の指針設定にあたっては,聴力損失など人の
健康に係る障害をもたらさないことはもとより,日常生活において睡眠障
害,会話妨害,不快感などをきたさないことを基本とすべきである」と述
べられており,昭和48年環境基準もこれと同じ考え方に基づくものと解
される。
エ防衛庁長官官房長の「自衛隊飛行場に係る環境基準の達成について」と
題する通知(昭和53年3月22日官文第1228号)によれば,厚木飛
行場については,昭和48年環境基準の達成期間は「10年をこえる期間
内に可及的速やかに」とされ,改善目標は,「15年以内に,85WE
CPNL未満とすること又は85WECPNL以上の地域において屋内で
65WECPNL以下とすること。210年以内に,75WECPN
L未満とすること又は75WECPNL以上の地域において屋内で60W
ECPNL以下とすること。」とされている。
(2)現行の環境基準
昭和48年環境基準は平成19年環境省告示第114号により改正され,
改正後の基準(以下「現行環境基準」という。)が平成25年4月1日から
適用されている。
この改正は,近年の騒音測定機器の技術的進歩及び国際的動向に即して,
WECPNLの代わりに新たな評価指標として時間帯補正等価騒音レベル
(Lden)を採用したものである。等価騒音レベル(LAeq)とは,一定の時間
間隔について,変動する騒音の騒音レベルをエネルギー的な平均値として表
した量であり,単位はdBである。時間帯補正等価騒音レベルとは,夕方の騒
音,夜間の騒音に重み付けを行い評価した1日の等価騒音レベルをいう。
もっとも,昭和48年環境基準の基準レベルの早期達成の実現を図ること
が肝要であり,騒音対策の継続性も考慮すべきであるため,現行環境基準の
基準値は昭和48年環境基準の基準値に相当する値とするものとされてい
る。すなわち,現行環境基準により,環境基準は,時間帯補正等価騒音レベ
ルで,地域の類型Ⅰにつき57dB以下,地域の類型Ⅱにつき62dB以下とさ
れたが,それぞれの数値は70W以下,75W以下に対応する。このことか
ら分かるとおり,この程度のレベルの騒音においては,W値から13をマイ
ナスしたものが時間帯補正等価騒音レベルの数値になる。
(3)神奈川県及び東京都における地域類型の指定
神奈川県知事は,昭和48年環境基準にいう地域類型(現行環境基準も同
じ。)に関し,昭和55年5月,厚木飛行場周辺における地域類型を告示し
た(昭和55年神奈川県告示第426号)。これによると,地域の類型Ⅰの
地域は,相模原市,藤沢市,茅ケ崎市,大和市,海老名市,座間市及び綾瀬
市の区域で所定の範囲の地域(都市計画法8条1項1号に掲げる工業専用地
域及び厚木飛行場の敷地の地域を除く。)のうち,同号に掲げる第一種低層
住居専用地域,第二種低層住居専用地域,第一種中高層住居専用地域,第二
種中高層住居専用地域,第一種住居地域,第二種住居地域及び準住居地域並
びに同号に掲げる用途地域として定められた地域以外の地域であり,地域の
類型Ⅱの地域は,上記の所定の範囲の地域のうち,都市計画法8条1項1号
に掲げる近隣商業地域,商業地域,準工業地域及び工業地域である。
東京都知事による告示(昭和51年東京都告示第1068号)における厚
木飛行場周辺の地域の類型Ⅰと類型Ⅱの分類も同様である。
(4)法令に基づくW値の算定
ア民間航空機の用に供される公共用飛行場の場合
民間航空機が使用する飛行場周辺における騒音に関しては,「公共用飛
行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律」(以下「航
空機騒音防止法」という。)が制定されており,公共用飛行場の周辺にお
ける航空機の騒音により生ずる障害の防止,航空機の離着陸の頻繁な実施
により生ずる損失の補償その他必要な措置について定めている。同法8条
の2は,特定飛行場(国土交通大臣が設置する公共用飛行場であって当該
飛行場における航空機の離陸又は着陸の頻繁な実施により生ずる騒音等に
よる障害が著しいと認めて政令で指定するもの並びに成田国際空港及び大
阪国際空港をいう。同法2条)の設置者は,政令で定めるところにより航
空機の騒音により生ずる障害が著しいと認めて国土交通大臣が指定する特
定飛行場の周辺の区域(第一種区域)に当該指定の際現に所在する住宅に
ついて,その所有者又は当該住宅に関する所有権以外の権利を有する者が
航空機の騒音により生ずる障害を防止し,又は軽減するため必要な工事を
行うときは,その工事に関し助成の措置をとるものとすると規定している。
また,同法9条は同様に第二種区域と指定された区域における移転の補償
等を,同法9条の2は同様に第三種区域と指定された区域における緑地帯
等の整備を定めている。
これを受け,「公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止
等に関する法律施行令」(平成24年政令第252号による改正前のもの。
以下「旧航空機騒音防止法施行令」といい,同改正後のものすなわち現行
のものを「航空機騒音防止法施行令」という。)6条は,上記の区域の指
定に関し,航空機の離陸又は着陸に伴う騒音の影響度をその騒音の強度,
発生の回数及び時刻等を考慮して国土交通省令で定める算定方法で算定し
た値が,その区域の種類ごとに国土交通省令で定める値以上である区域を
基準として行うものとすると規定していた。これを受けた「公共用飛行場
周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律施行規則」(平
成24年国土交通省令第78号による改正前のもの。以下「旧航空機騒音
防止法施行規則」といい,同改正後のものすなわち現行のものを「航空機
騒音防止法施行規則」という。)1項は,昭和48年環境基準に定められ
た算式と同じ算式によって区域指定の基準となる値(すなわちW値)を算
出するものとし(同項1号),その値は,当該飛行場を使用する航空機の
型式,飛行回数,飛行経路,飛行時刻等に関し,年間を通じての標準的な
条件を設定し,これに基づいて算定するものとしていた(同項2号)。そ
して,旧航空機騒音防止法施行規則2項は,旧航空機騒音防止法施行令6
条の「国土交通省令で定める値」を,第一種区域にあっては75(すなわ
ち75W),第二種区域にあっては90(すなわち90W),第三種区域に
あっては95(すなわち95W)とすると定めていた。
このように,公共用飛行場周辺における航空機騒音に関しては,昭和4
8年環境基準に定められたのと同じ方法(環境基準方式)により算定した
W値を基準として工事の助成等の政策措置がとられることになっていた。
これに対し,平成25年4月1日に施行された航空機騒音防止法施行令
及び航空機騒音防止法施行規則の各規定は,現行環境基準と同じく,基準
値としてW値ではなく時間帯補正等価騒音レベルを採用している。
イ自衛隊機又は米軍機の用に供される飛行場(防衛施設)の場合
自衛隊機又は米軍機が使用する飛行場(防衛施設)周辺における航空機
騒音に関しては,上記アとは異なる方法によりW値を算定するものとされ
てきた。その内容は後記第3のとおりである。
第3防衛施設である飛行場の周辺地域の騒音に関する法制度とその運用
1法令の定め
「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律」(以下「環境整備法」と
いう。)は,自衛隊等(自衛隊又は米軍をいう。同法2条1項)の行為又は防
つつつつつつ
衛施設(自衛隊の施設又は日米地位協定2条1項の施設及び区域をいう。同条
2項)の設置若しくは運用により生ずる障害の防止等のため防衛施設周辺地域
の生活環境等の整備について必要な措置を講ずるとともに,自衛隊の特定の行
為により生ずる損失を補償することにより,関係住民の生活の安定及び福祉の
向上に寄与することを目的とする(同法1条)。
環境整備法4条によれば,被告は,政令で定めるところにより自衛隊等の航
空機の離陸,着陸等の頻繁な実施により生ずる音響に起因する障害が著しいと
認めて防衛大臣が指定する防衛施設の周辺の区域(第一種区域)に当該指定の
際現に所在する住宅について,その所有者又は当該住宅に関する所有権以外の
権利を有する者(所有者等)がその障害を防止し,又は軽減するため必要な工
事を行うときは,その工事に関し助成の措置を採るものとするとされている(住
宅の防音工事の助成)。
環境整備法5条によれば,被告は,政令で定めるところにより第一種区域の
うち航空機の離陸,着陸等の頻繁な実施により生ずる音響に起因する障害が特
に著しいと認めて防衛大臣が指定する区域(第二種区域)に当該指定の際現に
所在する建物,立木竹その他土地に定着する物件の所有者が当該建物等を第二
種区域以外の区域に移転し,又は除却するときは,当該建物等の所有者等に対
し,政令で定めるところにより,予算の範囲内において,当該移転又は除却に
より通常生ずべき損失を補償することができるなどとされている(移転の補償
等)。
環境整備法6条によれば,被告は,政令で定めるところにより第二種区域の
うち航空機の離陸,着陸等の頻繁な実施により生ずる音響に起因する障害が新
たに発生することを防止し,併せてその周辺における生活環境の改善に資する
必要があると認めて防衛大臣が指定する区域(第三種区域。以下,第一種区域,
第二種区域及び第三種区域を合わせて「第一種区域等」という。)に所在する
土地で同法5条2項の規定により買い入れたものが緑地帯その他の緩衝地帯と
して整備されるよう必要な措置を採るものとするなどとされている(緑地帯の
整備等)。
環境整備法の委任を受けた「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律
施行令」(以下「環境整備法施行令」という。)8条は,環境整備法4条の規
定による第一種区域の指定,5条1項の規定による第二種区域の指定及び6条
1項の規定による第三種区域の指定は,自衛隊等の航空機の離陸,着陸等の頻
繁な実施により生ずる音響の影響度をその音響の強度,その音響の発生の回数
及び時刻等を考慮して防衛省令で定める算定方法で算定した値が,その区域の
種類ごとに防衛省令で定める値以上である区域を基準として行うものとすると
規定している。
これを受けて定められた「防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律施
行規則」(平成25年防衛省令第5号による改正前のもの。以下「旧環境整備
法施行規則」といい,同改正後のものすなわち現行のものを「環境整備法施行
規則」という。)1条は,上にいう「防衛省令で定める算定方法」を
dB(A)+10logN-27
とし(同条1項),そこにいう「dB(A)」を,1日の間の自衛隊等の航空機の
離陸,着陸等の実施により生ずる音響のそれぞれの最大値をパワー平均して得
た値と定義し(同条2項1号),「N」を,1日の間の自衛隊等の航空機の離
陸,着陸等の実施により生ずる音響のうち,午前0時直後から午前7時までの
間に発生するものの回数をN1,午前7時直後から午後7時までの間に発生す
るものの回数をN2,午後7時直後から午後10時までの間に発生するものの
回数をN3及び午後10時直後から午後12時までの間に発生するものの回数
をN4として,次に掲げる式によって算出して得た値と定義した(同項2号)。
N2+3N3+10(N1+N4)
そして,防衛大臣は,これらの値の算定に当たっては,自衛隊等の航空機の
離陸,着陸等が頻繁に実施されている防衛施設ごとに,当該防衛施設を使用す
る自衛隊等の航空機の型式,飛行回数,飛行経路,飛行時刻等に関し,年間を
通じての標準的な条件を設定し,これに基づいて行うものとされた(同条3
項)。
また,旧環境整備法施行規則2条は,環境整備法施行令8条にいう防衛省令
で定める値について,第一種区域にあっては75(すなわち75W)(昭和4
9年の制定当初は85Wであったが,昭和54年総理府令第41号による改正
により80Wと改められ,昭和56年総理府令第49号による改正により75
Wと改められた。),第二種区域にあっては90(すなわち90W),第三種区
域にあっては95(すなわち95W)と定めていた。
以上の各規定は,旧航空機騒音防止法施行令及び旧航空機騒音防止法施行規
則と同じ趣旨のものといえる。
これに対し,環境整備法施行規則1条は,現行環境基準と同じく,W値に代
えて時間帯補正等価騒音レベルによる算定方法を定めており,2条の定める値
も,第一種区域においては62dB,第二種区域においては73dB,第三種区域
においては76dBとされている。これらの規定は平成25年4月1日から施行
されているが,同日以後の環境整備法4条の規定による第一種区域の指定,5
条1項の規定による第二種区域の指定及び6条1項の規定による第三種区域の
指定について適用するとされている。
2防衛施設庁・防衛省におけるW値の算定方法
証拠(甲A7,22,甲C1の1~7・13,68,73,94,乙A16
から18まで,乙C44,証人田村明弘)及び弁論の全趣旨により認められる
事実は次のとおりである。
(1)防衛施設庁方式
旧環境整備法施行規則1条3項は,前記のとおり,同条2項の値(W値)
を算定するに当たり,防衛大臣(平成19年9月1日より前は防衛施設庁長
官。以下同じ。)は,自衛隊等の航空機の離陸,着陸等が頻緊に実施されて
いる防衛施設ごとに,当該防衛施設を使用する自衛隊等の航空機の型式,飛
行回数,飛行経路,飛行時刻等に関し,年間を通じての標準的な条件を設定
し,これに基づいて行うものとした。
そこで,防衛施設庁長官は,上記算定方法等の細部基準等について「防衛
施設周辺における航空機騒音コンターに関する基準」を定めてこれによるこ
ととした(昭和55年10月2日施本第2234号(CFS))。
同基準は,防衛施設周辺におけるW値の算定方式(その内容は後記(2)に
おいて説明するとおりである。)を定めており,各防衛施設についてこれを
用いてW値を算定した上,75W以上となる地域について5Wごとに同一の
W値を示す地点を結んだ線を騒音コンターとするものとしている。すなわち,
騒音コンターとは,航空機騒音として同一のW値が測定された地点を結んだ
曲線であり,天気図の気圧線(等圧線)や地形図の標高線(等高線)に相当
するものである。
同基準は,防衛施設庁長官が「第一種区域等の指定に関する細部要領」(平
成16年11月1日施本第1589号(CFS))を定めたことに伴い廃止
されたが,その内容は同細部要領に引き継がれている。そして,同細部要領
によれば,第一種区域,第二種区域及び第三種区域の各外郭線(各地域とそ
の外側の地域を分かつ線)は,75W,90W又は95Wの騒音コンターと
重なる住宅の所在状況を勘案して当該コンターに沿って引くものとされ,当
該コンターに沿って街区,道路,河川等が所在する場合にはこれらに即して
最小限の修正を行うことができるとされている(以下,防衛施設庁長官が定
めた上記の「基準」ないし「細部要領」に従ったW値の算定方式を「防衛施
設庁方式」という。)。
(2)防衛施設庁方式と環境基準方式の差異
前記のとおり民間航空機が使用する公共用飛行場におけるW値の算定方式
は環境基準方式をそのまま適用したものであるが,上記(1)の基準ないし細
部要領が定める防衛施設庁方式はいくつかの点でこれと異なっている。その
差異は次のとおりである。
防衛施設庁方式においては,第1に,航空機の飛行回数について,飛行し
ない日も含めた1年間の全ての日を対象に,1日の総飛行回数の少ない方か
らの累積度数曲線を求め,累積度数90%に相当する値(下から数えて90
%,上から数えて10%である。90パーセンタイル値あるいは80%レン
ジの上端値といわれる。80%レンジとは,上下の10%を切り落とした真
ん中の80%を意味する。)をその防衛施設における1日の標準総飛行回数
とする(以下,これを「累積度数90%方式」という。)。その際,タッチ
アンドゴーについても,その回数を飛行回数に加える。環境基準方式ではこ
のような処理をしておらず,標準総飛行回数として飛行回数の平均値を用い
ている。
第2に,騒音の継続時間に応じた補正(継続時間補正)に関して,環境基
準方式では,最大騒音レベルから10dB低いレベルを超える騒音の継続時間
を,実際の時間にかかわらず一律に20秒としているのに対し,防衛施設庁
方式では,実際に測定した継続時間に応じ,また,飛行中とエンジン調整中
とを区別して,補正を加えている。
第3に,防衛施設庁方式では,ジェット機の着陸時のものと確認できる騒
音については,着陸音補正として2dBを加算しているが,環境基準方式では
そのような補正はしない。
このような差異があることから,防衛施設である飛行場の周辺において,
同一の条件の下で,環境基準方式によって算定されるW値と防衛施設庁方式
によって算定されるW値を比較すると,後者が前者よりも3から5程度高く
なるとされている。
3厚木飛行場周辺における騒音コンターの作成及び区域指定等
争いのない事実,証拠(甲A7,11,乙A1,2,38,39の1~5,
69の1・2,78の1~8,101,110,111の1・2,112,1
13の1~5,114から117まで,126の1~7)及び弁論の全趣旨に
より認められる事実は次のとおりである。
(1)防衛施設庁告示による区域指定の経緯
防衛施設庁長官は,厚木飛行場の周辺において環境整備法に基づく第一種
区域等を指定するため,その騒音状況を調査し,環境整備法施行令8条及び
旧環境整備法施行規則1条に規定されたW値を防衛施設庁方式によって求
め,これに基づく騒音コンターを作成している。そしてそのコンターを基に,
街区,道路,河川等現地の状況に即して厚木飛行場周辺における第一種区域
等を指定している。その経緯は次のとおりである。
防衛施設庁長官は昭和54年9月5日,第一種区域(85W以上)を指定
した(昭和54年防衛施設庁告示第18号)。
旧環境整備法施行規則2条が改正され,第一種区域の指定の基準が80W
以上とされたことに伴い,防衛施設庁長官は昭和56年10月31日,新た
な第一種区域(80W以上)を指定し,併せて第二種区域(90W以上)を
指定した(昭和56年防衛施設庁告示第19号)。
旧環境整備法施行規則2条が更に改正され,第一種区域の指定の基準が7
5W以上とされたことに伴い,防衛施設庁長官は昭和59年5月31日,新
たな第一種区域(75W以上)を指定し,併せて新たな第二種区域(90W
以上)及び第三種区域(95W以上)を指定した(昭和59年防衛施設庁告
示第9号)。
その後騒音の状況に変化がみられたため,防衛施設庁長官は昭和61年9
月10日,新たな第一種区域(75W以上)を指定した(昭和61年防衛施
設庁告示第9号)。これは厚木飛行場の西側において第一種区域の範囲を拡
大したものである。
その後更に騒音の状況に変化がみられたため,防衛施設庁長官は平成15
年度及び平成16年度に航空機騒音度調査を実施し,その結果を基に,平成
18年1月17日,新たな第一種区域(75W以上),第二種区域(90W
以上)及び第三種区域(95W以上)を指定するとともに,それまでの第一
種区域及び第二種区域の一部の指定を解除した(平成18年防衛施設庁告示
第1号)。これにより,第一種区域等の範囲は厚木飛行場の南北方向に拡大
し,西側で縮小した。これは,ジェット機の南北方向の離陸及び着陸の回数
が増加したこと,NLPの硫黄島への移転に伴いジェット機が西側へ旋回す
る回数が減少したことにより,騒音の影響範囲が厚木飛行場の南北に拡大し,
西側で縮小したことを反映させたものである。これにより,第一種区域(こ
の中に第二種区域及び第三種区域も含まれる。)は,面積にして約7700
haから約1万0500haに拡大し,対象となる世帯数は約14万7000か
ら約24万4000に増加した。
W値に代えて時間帯補正等価騒音レベルが基準値として用いられるように
なった環境整備法施行規則1条(平成25年4月1日施行)の下で,第一種
区域等の新たな指定はされていない。
(2)工法区分線等の設定
後に詳しく説明するが,防衛大臣は,環境整備法4条に基づく住宅防音工
事の助成を行うため,「防衛施設周辺における住宅防音事業及び空気調和機
器稼働事業に関する補助金交付要綱」(平成22年3月29日防衛省訓令第
10号)を定めており,その5条に基づき,防衛省地方協力局長は,住宅防
音工事標準仕方書(以下「防音工事仕方書」という。)及び住宅防音工事の
標準仕方に係る工法区分線の設定等要領(以下「区分線設定等要領」という。)
を定めている(平成22年3月29日地防第3608号)。
防音工事仕方書は,住宅防音工事の工法として第Ⅰ工法と第Ⅱ工法を定め
ている。第Ⅰ工法は,80W以上の区域内の住宅を対象として計画防音量を
25dB以上とするものであり,第Ⅱ工法は,75W以上80W未満の区域内
の住宅を対象として計画防音量を20dB以上とするものである。そして区分
線設定等要領は,それぞれの工法の適用区域を区分する線(以下「工法区分
線」という。)の設定方法を定めている。これによると,80Wを基準値と
する第一種区域が指定されていない場合(厚木飛行場周辺はこれに当た
る。),工法区分線は,80Wの騒音コンターと重なる住宅の所在状況を勘
案して,80Wの騒音コンターに沿って引くものとされている。
上記2工法による住宅防音工事は居室を対象として行うものであるが,防
音工事仕方書は,このほかに家屋全体を一つの区画としてその外郭について
実施する防音工事すなわち外郭防音工事を定めている。区分線設定等要領に
よれば,全ての住宅が外郭防音工事の対象となる区域の外郭線(以下,単に
「外郭線」という。)について,85Wを基準値とする第一種区域が指定さ
れていない場合(厚木飛行場周辺はこれに当たる。),85Wの騒音コンタ
ーと重なる住宅の所在状況を勘案して,85Wの騒音コンターに沿って引く
ものとされている。
防音工事仕方書及び区分線設定等要領の以上の定めは,防衛施設庁長官が
昭和56年4月に通達によって定めたものが引き継がれ,変更を加えられて
現在に至ったものである。
防衛施設庁横浜防衛施設局長は,上記の定めに基づき,厚木飛行場周辺に
おいて,昭和63年7月18日に工法区分線を設定し,平成15年1月以降,
外郭線を設定した。また,その後の騒音の状況の変化に伴い,平成18年1
月31日,新たな工法区分線及び外郭線を設定した。
(3)まとめ
以上をまとめると,厚木飛行場周辺においては,騒音の大きさ(うるささ)
に従って地域を区分する線が次の表にあるとおりに引かれていることにな
る。
~H18.1.16H18.1.17~30H18.1.31~
75Wコンター旧第一種区域線第一種区域線
80Wコンター旧工法区分線工法区分線
85Wコンター旧外郭線外郭線
90Wコンター旧第二種区域線第二種区域線
95Wコンター旧第三種区域線第三種区域線
この表において,左側の欄の「〇〇Wコンター」とは,それぞれのW値に
基づく騒音コンターをいい,右側の欄の用語の意味は次のとおりである。
第一種区域線平成18年1月の告示により指定された第一種区域
とその外側の区域を分かつ線
工法区分線平成18年1月に設定された工法区分線
外郭線平成18年1月に設定された外郭線
第二種区域線平成18年1月の告示により指定された第二種区域
とその外側の区域を分かつ線
第三種区域線平成18年1月の告示により指定された第三種区域
とその外側の区域を分かつ線
旧第一種区域線昭和61年9月の告示により指定された第一種区域
とその外側の区域を分かつ線
旧工法区分線昭和63年7月に設定された工法区分線
旧外郭線平成15年1月以降に設定された外郭線
旧第二種区域線昭和59年5月の告示により指定された第二種区域
とその外側の区域を分かつ線
旧第三種区域線昭和59年5月の告示により指定された第三種区域
とその外側の区域を分かつ線
前記のとおり,右側の欄の線は街区,道路,河川等現地の状況に即して引
かれることとされているから,それぞれの左側の欄の騒音コンターと正確に
一致するわけではないが,おおむねこれに沿っている。また,平成18年1
月以前の騒音コンターと以後の騒音コンターは異なるから,例えば,第一種
区域線と旧第一種区域線がそれぞれ異なる曲線であることはいうまでもな
い。
本判決においては,上記の区分に従い,次のとおりの呼称を用いることと
する。そしてある区分線の内側の全体を指すときは,例えば「75W以上の
地域」ということにする。また,「指定区域外」については,その時点にお
ける指定区域外という意味で用いるので,平成18年1月の告示又は設定前
のものをいうこともあるが,文脈によって容易に判断できるのでいちいち注
釈を付けない。
第一種区域線の外側指定区域外
第一種区域線の内側で工法区分線の外側75Wの地域
工法区分線の内側で外郭線の外側80Wの地域
外郭線の内側で第二種区域線の外側85Wの地域
第二種区域線の内側で第三種区域線の外側90Wの地域
第三種区域線の内側95Wの地域
繰り返しになるが,ここで用いられているW値は全て防衛施設庁方式によ
って算定されたものである。
なお,弁論の全趣旨によれば,厚木飛行場周辺には,環境整備法附則4項
により第二種区域とみなされる地域及び環境整備法施行令附則3項により第
三種区域とみなされる地域が存在していることが認められる。これらの附則
の規定の趣旨に従い,本判決においては,前者は90Wの地域,後者は95
Wの地域として扱う。
第4厚木基地騒音訴訟の経緯及び第3次訴訟の判決
1騒音訴訟の経緯
つつつつつつつつつ
厚木基地の周辺住民は,昭和51年以降3次にわたり,厚木基地に離着陸す
る航空機による騒音等の被害を受けているとして,被告に対し損害賠償等を求
める訴えを提起して救済を求めてきた。証拠(甲A1から3までのほか,括弧
内掲記のもの)によれば,その経緯は次のとおりである。
(1)第1次訴訟(乙D2,3,5,7,8)
厚木基地の周辺住民92名は昭和51年9月,被告に対し,厚木基地にお
ける航空機離着陸等の差止め並びに過去及び将来の損害の賠償を求める訴え
を横浜地方裁判所に提起した。同裁判所は昭和57年10月20日,差止め
及び将来の損害の賠償請求に係る訴えを不適法として却下し,周辺住民80
名について過去の損害の賠償請求を認容する判決を言い渡した(判例時報1
056号26頁)。
双方が控訴し,東京高等裁判所は昭和61年4月9日,差止め及び将来の
損害の賠償請求に係る訴えは却下すべきものとし,過去の損害の賠償請求を
いずれも棄却する判決を言い渡した(判例時報1192号1頁)。
周辺住民が上告し,最高裁判所は平成5年2月25日,過去の損害の賠償
請求に係る部分について原判決を破棄し,東京高裁に差し戻した(最高裁平
成5年2月25日第一小法廷判決・民集47巻2号643頁。以下「厚木基
地最判」という。)。
東京高裁は平成7年12月26日,周辺住民69名について過去の損害の
賠償請求を認容する判決を言い渡し,この判決は確定した(判例時報155
5号9頁)。
(2)第2次訴訟(乙D4,6,10)
厚木基地の周辺住民161名は昭和59年10月,被告に対し,厚木基地
における航空機離着陸等の差止め並びに過去及び将来の損害の賠償を求める
訴えを横浜地裁に提起した。同裁判所は平成4年12月21日,将来の損害
の賠償請求及び米軍機の差止めに係る訴えを不適法として却下し,自衛隊機
の差止請求を棄却する一方,周辺住民133名について過去の損害の賠償請
求を認容する判決を言い渡した(判例時報1448号42頁)。
双方が控訴し,東京高裁は平成11年7月23日,自衛隊機の差止請求に
ついては訴えを不適法として却下し,将来の損害の賠償請求及び米軍機の差
止めに係る訴えについては原判決と同様に却下すべきものとし,過去の損害
の賠償請求については周辺住民134名の請求を認容する判決を言い渡し,
この判決は確定した(訟務月報47巻3号381頁)。
(3)第3次訴訟(甲D2の139~142,乙D9,11,12,顕著な事実)
厚木基地の周辺住民約2820名は平成9年12月,被告に対し,過去及
び将来の損害の賠償を求める訴えを横浜地裁に提起した。その後追加提訴が
あり,原告となった周辺住民の総数は5000名を超えた。この訴訟では差
止めは求められておらず,専ら損害賠償請求の可否が争われた。同裁判所は
平成14年10月16日,将来の損害の賠償請求に係る訴えを不適法として
却下し,周辺住民4935名について過去の損害の賠償請求を認容する判決
を言い渡した(判例時報1815号3頁)。
双方が控訴し,東京高裁は平成18年7月13日,将来の損害の賠償請求
については訴えを却下すべきものとし,過去の損害の賠償請求については周
辺住民大半の請求を認容する判決を言い渡し,この判決(以下「第3次判決」
という。)は確定した(判例集未登載)。
なお,別紙別紙別紙別紙19191919(第3次訴訟原告目録)記載1から3までの原告103名
は,第3次訴訟でも当事者となっていた。
2第3次判決の概要(当裁判所に顕著な事実)
第3次判決の理由は概要次のとおりである。この訴訟の口頭弁論の終結の日
は平成17年7月26日であった。
(1)過去(平成17年7月26日まで)の損害賠償について
アW値と騒音コンター等
厚木基地周辺に居住する人間が感じるうるささを示す指標としては防衛
施設庁方式によるW値を用いることに合理性がある。これに基づいてされ
た各区域指定及びその区分線となるコンター並びに昭和63年7月に設定
された工法区分線は,いずれもその設定された頃の騒音実態を反映してい
る。防衛施設庁方式のW値を厚木基地のうるささを示す指標としてそのま
ま適用することはできないとする被告の主張を採用することはできない。
イ厚木基地周辺の航空機騒音の実態
各コンター内における平成6年以降平成13年までの騒音は全体として
はほぼ減少傾向にあり,騒音状況が若干改善していることがうかがわれる。
しかし,平成6年以降の騒音測定回数や騒音持続時間は,昭和57年から
平成元年頃とほぼ同程度であって,地点によってはそれ以上の数値を出し
ている。年間W値もほとんどの地点において昭和48年環境基準よりはる
かに高い数値を示しており,一部の例外を除くとコンターのW値に応じて
その数値が高くなる傾向にある。したがって,平成6年以降の騒音状況は,
昭和57年にNLPが開始される以前と同程度の水準にまで改善されたと
は認められず,騒音状況が悪化していた平成元年から5年頃までと比べて
若干改善されたにとどまる。
平成13年以降平成17年までの各コンター内における騒音も全体とし
てはほぼ減少傾向にある。しかし,平成13年以降のW値も,ほとんどの
地点において昭和48年環境基準よりはるかに高い数値を示し,一部の例
外を除けばコンターのW値に応じてその数値が高くなる傾向にあり,全体
としてみれば航空機騒音が受忍限度の範囲内かどうかの評価に影響を与え
るほどの改善がされているとはいえない。
したがって,コンター内(75W以上)においては,平成6年以降も航
空機騒音の程度は激甚であると推認され,75Wのコンター内の地点にお
いて原告らが相当程度の騒音被害を受けていることが認められる。
ウ原告らの被害の有無・程度
原告らは,厚木基地を離発着する航空機の騒音により,日常生活の妨害,
睡眠妨害,精神的被害という被害を受けており,また,身体的被害は明確
ではないがその危険性があり,原告らがこれに対する不安(精神的被害)
を抱いていることが認められる。これらの被害は原告らに共通する定型的
な被害であって,原告らが生活している地域の騒音のうるささの指標値で
あるW値の上昇に伴って増加する傾向があることが認められる。
エ厚木基地の公共性
米軍及び自衛隊による厚木基地の使用は公共性を有するが,受忍限度を
超えた違法性の有無を検討するに際しては,公共性の有無と程度は考慮す
べき一つの要素となるにとどまる。厚木基地の公共性は,少なくとも平時
においては,国民の日常生活の維持存続に不可欠な役務の提供のように絶
対的というべき優先順位を主張し得ないことはもとより,他の行政諸活動
から隔絶した公共性ないし公益性を有するともいい難い。また,周辺住民
が厚木基地の存在によって何らかの自己の利益に直結する具体的・直接的
な利益を受けているか否かは証拠上明らかでなく,その被害と周辺住民が
受け得る利益との間に,前者の増大に必然的に後者の増大が伴うというよ
うな彼此相補の関係があるとは認められない。国民全体が等しく享受する
種類の公共的利益の実現が厚木基地周辺の住民という限られた一部の者の
犠牲の上に成り立っていることからすれば,これを放置することには不公
平な面がある。そうすると,厚木基地の使用に公共性はあるものの,その
一事をもって損害賠償請求を否定することは許されない。
オ被告による騒音対策等
被告は厚木基地の周辺において種々の施策(周辺対策)を実施している。
これらは①音源対策,騒音軽減措置,②住宅防音工事に対する助成,③住
宅以外の施設に対する防音工事助成,④移転助成・緑地整備等であり,被
告はそのために膨大な費用を支出しているが,航空機騒音等による被害と
の関係では,住宅防音工事を除いて,それほど具体的・積極的に評価する
ことのできるものはない。住宅防音工事の効果も限定的なものであって,
原告らの被害を一定程度軽減するにすぎず,これを解消させるものとは認
められない。①の音源対策及び騒音軽減措置も,一定程度で被害を軽減す
るにとどまる。そうすると,周辺対策は,厚木基地の供用に係る違法性と
の関係ではそれほど積極的に評価することはできないというべきである。
ただし,住宅防音工事については,一定程度で被害を軽減させる効果があ
るというべきであるから,損害額の算定の際にこれを考慮すべきである。
カ違法性(受忍限度を超えるか否か)
厚木基地周辺の航空機騒音等による侵害行為の態様とその程度,原告ら
が受けている被害の性質や内容に加え,厚木基地の公共性,厚木基地周辺
において相当の長期にわたり侵害行為が継続しているという事情,被告が
講じている防音対策の内容及びその効果,その他諸般の事情を総合して考
慮した場合,厚木基地の航空機騒音は原告らに受忍限度を超える被害をも
たらすものであり,その設置管理は違法である。原告らが共通の被害をも
って損害賠償を請求していることを踏まえると,被告は,後記のとおりの
判定方法によって基準値を超える地域に居住し,受忍限度を超える被害を
受ける原告らに対し,原則として責任を負う。
そして,W値が増大するにつれて航空機騒音の量が増大するという傾向
があり,原告らに共通する被害の量もW値の増大に応じて大きくなる傾向
があるから,受忍限度を超えるかどうかの判定に当たっては,騒音を数量
的に示す数値を用いるのが相当である。W値による評価は,騒音のピーク
レベル,継続時間,発生頻度,昼夜における影響度等を加味して,間欠的
に発生する航空機騒音が総体として日常生活の中でどのように感じられて
いるかをとらえようとするものであり,本件における受忍限度の判断に当
たっても,W値を用いることが適切かつ現実的である。そこで,昭和48
年環境基準における類型Ⅰの地域(専ら住居の用に供される地域)と類型
Ⅱの地域(その他の地域であって通常の生活を保全する必要のある地域)
とに区分し,前者の地域においては75Wを超える地域に居住する原告ら
が,後者の地域においては80Wを超える地域に居住する原告らが,受忍
限度を超える被害を受けていると認定するのが相当である。したがって,
被告は,上記の地域に居住する原告らに対し,それぞれ騒音の程度に応じ
て後記のとおりの基準額に従い損害賠償責任を負う。
キ危険への接近の理論の適用
原告らの中には,米軍機が厚木基地周辺に飛来するようになった後にコ
ンター内に転入した者がおり,被告はこれらの者について,危険への接近
の理論を適用して被告を免責しあるいは賠償額を減額すべきであると主張
する。
本件では,①昭和35年頃から航空機騒音問題について新聞報道がされ
るようになり,昭和46年頃から空母ミッドウェーの横須賀母港化問題が
生じ,昭和48年10月初めに同空母が初入港し,その直前頃から艦載機
が厚木基地に飛来するようになって,激甚な騒音発生が問題とされるよう
になった,②空母ミッドウェーの横須賀母港化等に対しては,その問題が
発生して以来,政党,住民団体による反対抗議運動等が行われ,入港の頃
には厚木基地周辺の騒音等による被害が社会問題として注目を集めるよう
になっていた,③昭和57年2月以降NLPが実施されるようになり,そ
れに伴い騒音発生は夜間に及び,反復的,連続的で激甚な航空機騒音がも
たらされるなど,騒音発生の時間帯,頻度,音量及び音質等の点において
他の航空機騒音とは質的に異なる被害が発生するに至り,多くの報道がさ
れ,また,自治体,住民による抗議,要請,陳情運動が重ねられた,とい
う事情がある。他方で,厚木基地の所在地は周辺自治体の住民にとってさ
えも周知であるとはいい難く,その名称に「厚木」とあることから厚木市
に所在すると誤解する者が多い。厚木基地における航空機の飛行回数,飛
行コースは年間を通して一定ではなく,周辺住民ないし自治体に飛行予定
や騒音の程度等が開示されることはない。周辺住民にとっては,NLPの
通告時を除けば全く分からないに等しく,1週間単位で飛行予定が定まっ
ている民間空港とは著しく異なる。これらの事実を基礎とすると,厚木基
地周辺のコンター内に転入予定の者が仮に厚木基地の存在を知っていたと
しても,たまたま航空機の飛行が比較的少ない日曜,祭日等に下見に来た
ため,実際に周辺地域に転居してきて一定期間生活をするまで航空機騒音
の実態を知らなかったであろうと推認するに難くない。また,被告がコン
ター図や飛行コース,騒音の実態等について,コンター内に入居予定の住
民らに対して積極的に情報を提供したとは認められない。そうすると,原
告らの中にはあらかじめ厚木基地やその航空機騒音の存在をある程度知っ
ていた者がいるが,コンター内への転居前に騒音の実態について正確に把
握することは極めて困難であった。そして,コンター内に転入した理由が
仕事や家族の事情に基づくものであるとの原告らの供述又は陳述書への記
載は信用することができ,少なくとも本件の侵害行為及びこれに基づく被
害を積極的に容認するような動機が原告らにあったことを認めるに足りる
証拠はない。上記のような原告らが,厚木基地周辺の騒音実態を正確に把
握していたと推認することはできず,また,これによる被害を容認してい
たと認めることもできないから,これらの原告らに免責の法理としての危
険への接近の理論を適用する前提が欠けている。
NLPが開始された昭和57年2月以降に初めて基地周辺の騒音地域に
入居した原告らは,厚木基地の位置について十分認識することが可能であ
った上,前記のような報道に照らせば,新たに入居する地域においてある
程度の航空機騒音による被害が存在することについても認識することが可
能であった。しかし,そのような原告らに,航空機騒音の被害実態を正確
に認識しなかったことに過失があるとまではいえず,原告らの転入事情及
び地域的な事情を考慮した場合,騒音地域内に転入したこと自体によって
非難めいた扱いをされるとすれば正当ではない。減額の法理としての危険
への接近の理論を適用して原告らの損害賠償額を減額することが衡平の原
理に沿うとはいえない。結局,被告が主張する減額の法理は,裁判所の裁
量により定める慰謝料額の調整要素にすぎないところ,上記事実に加え,
そもそも転入時期によって実際の騒音暴露量に差異が生ずるものではない
こと,原告らは全ての原告に共通する被害について最低限と思われる一定
額の損害賠償を求めていることに照らせば,転入時期の差異によって損害
賠償額に差異を設けることは相当でない。
ク損害額
原告らが包括的な賠償を求める趣旨は,様々な被害を一括し,これに伴
う非財産的損害を一定の限度で原告らに共通するものとしてとらえて請求
するものと解される。その被害は前記のとおり騒音コンター図のW値を参
考にして判断することができるから,損害賠償額の算定に当たっても,こ
れらのW値を基準にしつつ,類型的に把握した居住地域に居住する原告ら
ごとに一律に算定することができる。
一切の事情(別途個別に考慮する防音助成は除くが,それ以外の騒音対
策も含む。)を総合考慮すれば,1か月当たりの各区域ごとの原告らに共
通の損害賠償額は次のとおりとするのが相当である(類型Ⅰとは,昭和4
8年環境基準にいう地域の類型Ⅰをいう。)。
75W以上80W未満の区域(類型Ⅰのみ)3000円
80W以上85W未満の区域6000円
85W以上90W未満の区域9000円
90W以上1万2000円
原告らのうち防音工事を受けた者及びこれと同居する者については,防
音工事の助成によって被害の減少があると推認できる。ただし,防音工事
の効果については,防音室数の増加に比例するとまではいえず,室数増大
によって空調設備の電気料金等の維持費が増大することも考慮しなければ
ならない。そうすると,防音工事による損害賠償の減額については,最初
の1室につき10%,2室目以降については1室増加するごとに5%ずつ
(4室を超える場合は一律に30%)とするのが相当である。平成14年
度から新たに実施されている外郭防音工事の助成については,減額は一律
に30%とするのが相当である。
弁護士費用は,本件訴訟の難易度,認容額等諸般の事情を考慮すると,
賠償額の1割が相当である。
(2)将来(平成17年7月26日の後)の損害賠償請求の許否
被告による将来の侵害行為が違法性を帯びるかどうか及びこれによって原
告らが受けるべき損害の有無・程度は,被告により実施される被害の防止,
軽減のための諸方策の内容や実施状況,原告らのそれぞれにつき生ずべき種
々の生活事情の変動や厚木基地における米軍機の配備状況等の複雑多様な因
子によって左右されるべき性質のものであり,また,これらの損害は,利益
衡量上被害者において受忍すべきものとされる限度を超える場合にのみ賠償
の対象となるのであるから,損害賠償請求権の成否及びその額をあらかじめ
一義的に明確に認定することはできない。そして,本件の場合,将来におけ
る事情の変動により賠償請求権が成立しなくなったことを証明して請求を阻
止する責任を被告に負担させるのは相当でない。以上のことは,たとえ賠償
を求める期間を事実審口頭弁論終結の日の翌日から例えば1年間に限定した
としても変わりがないというべきである。
したがって,将来の損害の賠償請求の訴えは不適法として却下すべきであ
る。
第3部当事者の主張
第1原告らの主張
1原告らの請求
原告らは,全員が損害賠償を請求し,そのうちの一部である差止原告らが差
止請求をしている。請求の概要は前記第1部第2(事案の概要)のとおりであ
るが,損害賠償請求について次のとおり補足する。
原告らはいずれも,厚木基地周辺の75W以上の地域に口頭弁論終結時に居
住しているか,過去に居住していた者である。第1事件原告らは平成17年1
月1日以降将来にわたる継続的被害について,第2事件原告らは同年5月1日
以降将来にわたる継続的被害について,損害賠償を請求しているが(正確には
別紙別紙別紙別紙4444(第1事件訴状添付損害賠償額一覧表)及び同同同同5555(第2事件訴状添付損
害賠償額一覧表)記載のとおりである。以下,損害賠償を請求している期間を
「請求期間」という。),75W以上の地域への居住が請求の根拠であるから,
請求期間内であっても次の期間については,訴訟上の請求は維持するものの,
実際には賠償を求めない。
①請求期間中に出生した原告につき,出生前の期間
②請求期間中に死亡した原告につき,死亡後の期間
③請求期間中に指定区域外から75W以上の地域に転居してきた原告につ
き,転居前の期間
④請求期間中に指定区域外に転居した原告につき,転居後の期間
⑤請求期間中に指定区域外に転居し,その後再び75W以上の地域に転居
してきた原告につき,指定区域外に居住していた期間
原告らは1か月を単位として損害賠償を請求しており,上記に該当する原告
らは,①については出生日を含む月,②については死亡日を含む月,③~⑤に
ついては転居日を含む月についても,慰謝料及び弁護士費用の月額合計2万3
つつつ
000円の全額を請求する。口頭弁論終結日を含む平成25年9月も同じであ
る。仮にこの考え方が採用されないのであれば,1か月に満たない期間は日割
計算で賠償額を認定すべきである。
2侵害行為
(1)W値の意義
防衛施設である飛行場の周辺においては,防衛施設庁方式によって算定し
たW値を指標として航空機騒音による被害を認定すべきである。被告は,自
ら防衛施設庁方式に基いてW値を算定し,これに基づき第一種区域等を指定
しているにもかかわらず,第一種区域線等は受忍限度を画する基準になり得
ないので受忍限度判断は環境基準方式で算定されたW値で行うべきであると
主張し,また,防衛施設庁方式について,これは周辺対策をとる範囲を緩や
かに設定する等のため「架空の飛行を上乗せしている」のだから,騒音被害
が受忍限度を超えるか否かを判断するのには不適切だとまでいう。さらに,
平日の昼間の騒音は原告ら全員に共通するものではないから,これを除いた
「昼間騒音控除後W値」なるものによって判断すべきであると主張する。こ
れらの被告の主張は,自らの施策を否定するという自己矛盾も甚だしいもの
であるとともに,航空機騒音の評価方法そして環境基準の考え方の根幹を誤
った科学的検証に耐えない謬論であり,ためにする議論といわざるを得ない。
(2)航空機騒音の状況
平成15年(第3次訴訟控訴審係属中)から平成24年までの10年間に
おける厚木基地周辺の75W以上の地域における航空機騒音の実情を,多数
の測定地点において自治体が継続的に測定しているdB値とW値によってみる
と,大和市内の測定地点では,少なくとも第1次訴訟で損害賠償請求が認容
された昭和50年~昭和56年における騒音とそれほど変化がない状況にあ
り,その他の測定地点でも,第3次訴訟で損害賠償請求が認容された期間の
騒音状態から格段に改善されている状況にはない。W値でいえば,90Wの
地域や80Wの地域で騒音コンターのW値とほぼ同じW値を示している測定
地点があるものの,多くの測定地点で,依然として騒音コンターのW値を上
回るW値が示されている状況にある。
(3)低周波音による被害
厚木基地には,プロペラ機である米軍のE-2C,海上自衛隊のP-3C
や,SH-60B等のヘリコプターが多数配備され,毎日のように周辺を飛
行している。これらプロペラ機及びヘリコプターの飛行時に生ずる騒音及び
厚木基地内から発せられる航空機のエンジン音には高い音圧レベルの低周波
音が含まれている。原告らは高レベルの低周波音に日常的にさらされている。
(4)墜落等航空機事故の危険
軍用機の事故率は民間航空機に比べて極めて高いとされており,現に厚木基地周
辺ではこれまでに多数の軍用機の事故が発生している。厚木基地は神奈川県内有数
の人口密集地域の真ん中に位置し,離着陸時にトラブルがあった際に市街地への墜
落を避けることが困難な内陸部にあり,しかも訓練のための飛行が行われているこ
とから,厚木基地周辺地域において,航空機の墜落や航空機からの部品落下等によ
って生ずる事故の危険性は極めて高い。
3航空機騒音による被害
(1)航空機騒音の特殊性
航空機騒音には他の環境騒音にはない次のような性質があり,これらの性
質は航空機騒音による被害を増大させる方向に働く。
①音量が極めて大きい。
②高周波成分が多く,金属的な音質を有する。
③不安定な断続的,間欠的騒音である。
④騒音レベルの変動が不規則,複雑であり,周波数変動も大きい。
⑤音源が絶えず移動しており,しかも頭上からの騒音である。
⑥鉄道騒音や道路騒音とは異なり,住民にとっては基本的に不必要な交通
手段からの騒音である。
⑦予告なく突然発生する衝撃的な騒音である。
⑧遮音や回避が困難であり,住民が対処することが難しい。
(2)航空機騒音被害の内容,性質
原告らは航空機騒音によって,健康を害される身体的被害,イライラ感な
どの不快感(アノイアンス)の惹起,会話やテレビ等の視聴を妨げられるな
どの生活妨害,睡眠妨害,交通事故や航空機の墜落の不安感などの精神的被
害,身体的被害・生活妨害・睡眠妨害等の被害に伴う精神的被害など,多様
な被害を被っている。その内容は次のとおりであるが,被害はこれに限定さ
れるものではなく,また,これらの被害はそれぞれが個別に発生するもので
はない。原告らは,日々の生活を営む過程で,日常的に航空機騒音に曝露さ
れて被害を受けており,これらの被害はそれぞれが相互に関連しあって原告
らの健康や日常生活を破壊し,人格権を侵害しているのである。
ア身体的被害
原告らは,耳鳴りなどの聴覚に関する被害,高血圧,虚血性心疾患等循
環器系の疾患,頭痛や肩こり,胃腸障害その他の身体症状を生じている。
また,交感神経系の亢進,内分泌系のバランスの乱れ,免疫系機能の低下
を生じ,症状を悪化させられ,治癒を妨げられている。子供は大人に比し
て航空機騒音の影響をより受けやすく,成長発達に悪影響が生じている。
100名を超える原告らが,高血圧症,狭心症,不眠症,胃炎等を発症し
ていることを証明するため,医療機関による診断書を提出しているが,こ
れは疾患を有する原告らのうちの一部であり,全員ではない。
身体的被害について,これまでの裁判例は,上記のような症状が航空機
騒音に起因することの立証が不十分であるとするものが多いものの,少な
くとも,住民らがこのような身体的被害の発症を訴え,健康に対する危険
を感じざるを得ないような状況下で生活しなければならないことが精神
的苦痛であると判断してきている。加えて近年では,航空機騒音を含
む環境騒音が人体へ及ぼす影響への研究が進み,その影響の機序や曝露量
と影響の程度との関係も明らかにされてきている。WHO及びWHO欧州
事務局は,多数の調査研究結果に基づき,騒音から健康を守るためのガイ
ドライン値を公表している(「環境騒音のガイドライン」,「夜間騒音ガイ
ドライン」)。また,DALY(障害調整生存年)という指標により,騒
音曝露により健康を害されている総量を明らかにすることによって(「環
境騒音の疾病負荷」),各国に対し,騒音曝露による健康被害を防止する
施策を講ずるための資料を提供している。このように,近年,特に平成2
1年以後,騒音曝露と身体的被害との関係がより明らかにされるに至って
おり,騒音による人体への悪影響,騒音被害の重大性が認知されるように
なっている。
イイライラなどの不快感(アノイアンス)を惹起させられること
原告らは,イライラなどの不快感を惹起させられている。これは,騒音
レベルが極めて高く高周波成分を含む航空機騒音に,予告なく突然に,間
欠的にさらされること自体による不快感である。
ウ生活妨害
原告らは,日常的に,会話,電話での通話,テレビ,ラジオ,DVDな
どの視聴,音楽鑑賞や楽器演奏等の趣味生活,家庭での団らん,職業生活
を妨害されている。また,日常的に,学習,読書,思考などの知的作業,
精神的活動を妨害されている。
エ睡眠妨害
原告らは,入眠を妨げられたり,中途覚醒を余儀なくされたり,早朝に
覚醒するなど,睡眠を妨害されている。原告らのうちには,三交代勤務者
のように昼間に睡眠を取らなければならない者,病気療養中の者,体調不
良のため安静を要する者などもおり,睡眠妨害は必ずしも夜間の騒音のみ
により惹起されるものではない。
オ交通事故の危険及び事故発生に対する不安感
航空機騒音により周囲の音がかき消され,また,周囲の歩行者や自動車
運転者が航空機騒音に気を取られ,歩行や運転がおろそかになることによ
り,交通事故が発生することがある。原告らは,航空機騒音により,交通
事故が発生するのではないかという不安感を生じさせられている。
カ部品落下や墜落事故の危険及びこれらに対する不安感
厚木基地の米軍機が墜落する事故はこれまで複数発生している。平成2
4年2月の部品数十個の落下事故など,厚木基地に離着陸する航空機の部
品が落下する事故も現実に多数発生しており,原告らは日常的に,いつま
た事故が起こるか,自分や家族が被害に遭うのではないかという不安にさ
いなまれている。
キ身体的被害,生活妨害,睡眠妨害などに伴う精神的苦痛
原告らは,航空機騒音によって会話妨害などの生活妨害や睡眠妨害を受
けることにより,同時に精神的苦痛を被っている。この精神的苦痛は,生
活妨害,睡眠妨害等に伴うものではあるが,妨害を受けることそれ自体と
は別の被害である。現在のところまだ身体的被害が生じていない者であっ
ても,発症の危険にさらされており,身体的被害が発生する危険がある状
態下で生活しなければならないことによる精神的苦痛を被っている。
(3)原告ら全員に共通する被害(共通被害)のとらえ方
原告らが被る被害は,年齢,性別,健康状態,生活状況などの事情により
様々であり,どれ一つとして全く同じ被害というものは存在しない。しかし,
航空機騒音被害は,航空機の運航という同一の侵害行為が頭上から広範な地
域に及び,多数の住民の利益を侵害するものであるという点に大きな特色が
ある。住民各人の事情によって被害の発現の仕方や程度は様々ではあるが,
同一の侵害行為により被害を被り,人格権を侵害されるという点で,被害の
性質上,曝露される全員が等しく被っていると認められる程度の被害の存在
を認め得る。例えば,ある騒音が発生した時,家族と会話をしている者にと
ってはそれは会話妨害でありかつ家族団らんの妨害であり,就寝しようとし
ている者にとっては睡眠妨害であり,というように,具体的な事情は異なる
けれども,生活が妨害されているという点では同じである。生活の本拠地に
おける生活の平穏が侵害されているという被害の性質は同一であり,一定程
度の被害は,被曝露地域に生活の本拠を有する者全員に等しく生じていると
考えることができるのである。
原告らは,このように全員に等しく生じている被害について損害の賠償を
求めるものである。
4違法性について
(1)権利侵害と違法性
厚木基地の航空機騒音により甚大な被害を被っている原告らの権利は,生
命身体権を中核とする人格権であり,その内容は憲法13条,25条の趣旨
に立脚した絶対的権利である。本件のように公共施設等の周辺で健康上の被
害が生ずる公害が発生している事案においては,周辺住民は誰もが現にある
いは将来にわたり健康被害等を被る危険に脅かされている。かかる生命身体
への危険が認められる以上,生命身体権の侵害が発生していると把握されな
ければならない。生命身体権とは,現に生命・身体に侵害を被らないという
権利に加え,将来にわたって侵害を受ける危険にさらされない権利をも含む
ものと解すべきである。
さらに,人が健康被害等の発生に対する不安と危惧をもって生活を強いら
れている場合にあっては,かかる生活を余儀なくされること自体が平穏で安
全な生活を営む権利を侵害されているものといえ,これは生命身体権の侵害
に匹敵する重大な権利侵害に当たるというべきである。これらの権利は,人
が生命身体の危険について危惧感,不安感を抱くことなく平穏な生活を営む
権利,すなわち「平穏生活権」と称されるものであり,それは人格権に含ま
れる重要な権利であるとともに,さらにまた人格権の中核たる生命身体権に
接着した重要な権利として把握すべきである。
このような重要な権利が侵害されている場合,その侵害の事実は直ちに違
法と評価されるべきであり,他のいかなる要素も「違法性判断」の要件とし
て不必要である。原告らの権利侵害が違法と認定される結果として,権利侵
害に基づく妨害排除請求権としての差止請求,さらに損害賠償請求が認容さ
れるべきである。
本件のような騒音被害や大気汚染,水質汚濁など公害,環境汚染訴訟ある
いは各種の相隣紛争事案において,裁判所は,違法性判断としていわゆる受
忍限度論を用いることが多い。しかし,受忍限度論についてはその欠陥が諸
種指摘され,これを克服すべく様々な見解が出されている。仮に受忍限度論
を採用するとしても,真に問題となるべきは,違法性の判断に当たって個別
具体的な要素をどの程度考慮しあるいは重視すべきかという点についての裁
判所の判断の在り方である。市民と国家の互換性・対等性は皆無である上,
侵害される権利の重要性が極めて高いのであるから,利益衡量はおよそ働か
ず,必然的に原告らを保護する結論となるべきである。
したがって,原告らは人格権の侵害に基づき,妨害排除請求権としての差
止請求権を行使することが認められる。さらに,国が設置管理する営造物に
より住民らにとって重大な権利の侵害が発生しているから,国家賠償法2条
1項に基づき当該営造物の設置管理に瑕疵があると判断され,被告は原告ら
に対する賠償責任を免れない。
(2)公的基準の意義
公的基準としての昭和48年環境基準が違法性の判断において重要な意味
をもつことは明らかであるが,一方で,身体的被害ことに住民の睡眠を保護
するという観点からいえば,決して十分な基準ではない。また,昭和48年
環境基準では,地域類型別の基準値が設定されている。かかる区別は,他の
水質汚濁や有害化学物質の環境基準には設けられていない。昭和48年環境
基準が地域類型を設けたのは,各地域類型によって苦情発生率等の住民反応
に違いがみられることや,ISOが地域類型別基準値を提案していた経緯な
どからであるとされるが,どの類型の地域であっても,子供や高齢者,病人
など騒音の影響をより受けやすい高感受性群は居住しているのであり,これ
らの者の健康影響が軽視されてよい理由はない。さらに昭和48年環境基準
では,午後10時から午前7時までを夜間と定めているところ,これでは約
30%もの住民の睡眠が保護できない。一方,原告らが本件訴訟で差止めを
求める時間帯(夜8時から翌朝8時まで)に騒音が発生しなければ,90%
の住民を保護でき,ほぼ100%の住民(10歳以上)の入眠を保護するこ
とができるのである。
したがって,昭和48年環境基準は,基準としては不足するものの,少な
くともこれを超えるような騒音の発生が容認される余地はなく,その侵害行
為により人格権侵害の発生は不可避なのであるから,かかる侵害行為は直ち
に違法と評価されることは当然である。
(3)侵害行為の悪質性
原告らの多岐にわたる権利侵害は,被告による無計画な基地機能の拡張や
なし崩し的な部隊の配備によりもたらされたものであり,住民の生存と居住
の実態は無視され続けている。加えて,長期にわたりほとんど無策といって
よいほど放置され,長年にわたる被害の防止の訴えも無視され続けていると
いう事情も存在するのであり,その侵害行為はより悪質なものと評価される
ほかなく,違法性の程度は極めて高いものといわなければならないし,責任
論としての要素でみれば,過失などというものではなく,明らかな侵害の放
置をも含む「故意行為」である。
(4)厚木基地の非公共性
厚木基地最判も認定するとおり,厚木基地の存在により周辺住民が受ける
特別の利益はない。むしろ,我が国有数の人口密集地域に位置し,周辺地域
に多年にわたり爆音をまき散らし続けて多数の住民に被害を与えている厚木
基地は,反公共性,反公益性を有する存在である。これらの事実や厚木基地
周辺の一方的な住民被害の歴史をみれば,被告の主張する自衛隊機や米軍機
の飛行の「公共性」,「公益性」などは,多くの市民や社会集団の利益と全
く重なり合わない,およそ公共性の概念になじまない,超国家主義的な「公
共性」を主張するものとして退けられなければならない。
特に,米軍機や自衛隊機の爆音は,圧倒的に訓練飛行(タッチアンドゴー
などの着艦訓練あるいは編隊飛行訓練)によるものであるが,これらの訓練
飛行を人口密集地帯のただ中にある厚木基地で行わなければならない必要性
や必然性については,いかに国防や極東の安全を強調する被告においても,
これを肯定する理由を展開し得ていない。
5差止請求について
(1)原告らの求める差止めの内容
原告らが差止めを求める範囲は,被害の実情に鑑みればごく一部の請求で
ある。しかし,少なくともこの差止請求が認められれば,最低限,夜間にお
いては静謐な環境での生活を取り戻し,また昼間の時間帯においては,各種
の公的な騒音規制法規に定められ,保護され得る限度内の生活環境を確保で
きることとなるため,あえて上記の請求にとどめて差止請求を行う。
原告らは,一般市民の生活にとって特に静謐が確保されなければらない夜
間の時間帯において日常的に航空機騒音にさらされ,日常生活を破壊され,
看過できない身体被害を受け又はその危険にさらされている。原告らの人格
権ないし平穏生活権を保護するためには,原告らの求める夜間の差止め(午
後8時から翌日午前8時までの離着陸及びエンジン作動の差止め)が実現さ
れなければならない。
次に,航空機騒音に起因する健康被害の出現あるいは健康を含む様々な日
常生活の平穏が害されること自体に伴う被害とその甚大さを考えれば,人格
権ないし平穏生活権の侵害は明らかであり,かかる被害を防止しこれ以上増
大させないためには,昼間の時間帯の騒音を一定程度で差し止めるべきこと
は必須であるから,原告らの求める昼間の音量規制(70dBを超える航空機
騒音の到達の禁止)が認められなければならない。
(2)自衛隊機に対する差止請求の適法性
厚木基地最判は,自衛隊機の運航の差止めを民事訴訟によって請求するこ
とを不適法としたが,この判決には何の法的根拠も示されていないことが指
摘されなければならない。厚木基地最判は,自衛隊の活動に対する法的な分
析あるいは正しい解釈を行ったものではなく,単に「民事訴訟を排斥するた
めの結論付けを行った」という非難を免れない。自衛隊機の運航は「公権力
の行使」ではないと解すべきであり,民事訴訟による差止請求は適法である。
(3)米軍機に対する差止請求の適法性
厚木基地最判は,被告に対し米軍機の離着陸等の差止めを請求するのは,
被告の支配の及ばない第三者の行為の差止めを請求するものというべきであ
るから主張自体失当として棄却を免れないと判示したが,これも誤りである。
厚木基地最判の最大の問題点は,日米地位協定2条4項(a)の区域及び同条
1項(a)の区域と同条4項(b)の区域とは,管理権に関する法律関係が全く異
なり,前者の管理権は米軍にあるのに対して,後者の管理権は我が国政府(海
上自衛隊)にあって,その管理権に基づいて米軍に一時使用を認めるという
法律関係にあるにもかかわらず,これらを一括して扱い,同条4項(b)の区
域の管理権も含めて飛行場全体が「米軍の管理運営の権限」に属するものと
みなしてしまったことにある。
日米政府間の合意や閣議決定及びその解釈によれば,厚木基地における米
軍機による離着陸等のための滑走路等(厚木飛行場)の使用は,厚木基地内
の米軍専用区域に行くための出入りという主たる目的のために限られ,その
「出入りのつど」我が国政府がその使用を認める,というものである。すな
わち,厚木飛行場は,自衛隊の飛行場施設として我が国が管理権を有し,こ
れを日米地位協定2条4項(b)により米軍に一時使用を許すという関係にあ
り,米軍は米軍専用区域への出入りのために,その都度管理者たる我が国に
よって使用を許されるのである。したがって,我が国は,領域主権の原則か
らも,日米地位協定や関係合意の解釈からも,当然にそれ以外の目的のため
の使用を拒否することができる。
そして,防衛大臣が,これらに違反する米軍の厚木飛行場の使用を認め,
あるいは放置することは,自衛隊法107条5項に基づく公共の安全確保措
置義務,障害発生防止義務に違反することになる。米軍機に対する差止請求
は理由のあるものである。
6損害賠償について
(1)共通被害に基づく賠償請求
原告らは,原告らに生ずる被害のうち全員に同一に存在が認められるもの
や具体的内容について差異があっても原告らにとって同一と認められる性質
・程度の被害を全員に共通する損害としてとらえ,一律に最低限の賠償を求
めている。原告らがそれぞれ被る様々な被害について,一つ一つの被害を個
別的に主張し,その損害の賠償を求めるものではない。あくまで,身体の安
全を害され,平穏な生活を破壊されるという総体としての被害の共通性をも
って,その総体に対して,被る損害のごく一部を一律に賠償請求するもので
ある。このことに加え,騒音被害の特徴に照らせば,それぞれの原告につい
て,それぞれの生活実態に基づいた様々な被害の立証がされ,全ての原告ら
に最低限共通して身体的被害あるいは身体的被害に連なる可能性を有する不
快感や生理的,心理的影響ないし被害,あるいは健康への不安感,日常生活
の広範な妨害といった被害が立証されることで,被害の立証としては必要に
して十分である。原告らの全てについて,被害を受ける時間帯が「共通」か
どうかとか,被害を受ける項目が「共通」であるかなどの観点は全くもって
不必要である。
(2)地域類型により違法性を区別することの不当性
被告は,昭和48年環境基準が地域の類型別に環境基準を定めていること
を十分考慮して受忍限度の判断をすべきであると主張するが,近時の裁判例
が違法性の判断において地域類型を全く考慮していないこと,航空機騒音の
特質及びその被害の実情に鑑みれば騒音被害地域内における航空機騒音被害
の救済は等しく認められるべきであること,昭和48年環境基準が地域類型
により基準値に差を設けていることの根拠自体が不合理であることに鑑みれ
ば,妥当性を欠き到底認められない。
(3)損害賠償額
非財産的損害という意味では本件と共通する名誉毀損事件等の事件類型で
は,その被害を適切に評価し,損害を実質的に塡補できるよう見直しが行わ
れており,慰謝料額は年々高額化してきた。その中で,基地訴訟のみが取り
残され,慰謝料額は名目的かつ低額なものに押しとどめられてきたが,厚木
基地周辺における被害実態を適正に評価すれば,75Wの地域であったとし
ても1日100円足らずの額では到底塡補されないことは明らかである。被
害を正当に評価し,損害の実質的塡補を達成するためには,従来の裁判例で
認められてきた慰謝料額よりも大幅に増額すべきであり,原告らが航空機騒
音により一律に被っている人格的被害に対する慰謝料額が,請求額である月
額2万円を下回ることはあり得ない。
(4)将来請求の必要性
航空機騒音の被害について将来の損害の賠償請求の訴えを不適法とした大
阪国際空港に係る最高裁昭和56年12月16日大法廷判決・民集35巻1
0号1369頁(以下「大阪空港最判」という。)は誤りであるが,同最判
の立論に従っても,次のとおり,本件では将来請求を認容すべきである。
民事訴訟法(以下「民訴法」という。)135条によれば,将来の給付の
訴えは,①現在既に請求の基礎となった事実関係が存在し,②請求内容が明
確である場合において,③あらかじめ請求をする必要がある場合に限って認
められる。
本件における①は,厚木基地の設置・管理の瑕疵であり,より具体的な加
害行為は航空機の運航状況であるが,この不法行為は約30年間継続する「常
態」と化しているのであって,請求の基礎となった事実関係は既に存在して
いる。②も,毎月末の一定額であり,極めて明確である。③に関しても,既
に4度の提訴がされ,被告は過去7度の判決(第1審判決3度,控訴審判決
3度,上告審判決1度)による違法判断を無視してなおも不法行為の成立を
争っているのであるから,あらかじめ請求をする必要があることも明白であ
る。
将来請求が認容されるべき対象期間は,爆音被害の抜本的解決を被告がす
るまでであって,その有無は客観的に明らかな事情であるから,特に終期を
定めるまでもない。また,認容額は,過去の裁判例からすると,居住の事実
と防音工事状況に基づいて計算された金額の賠償であって,一義的に明確で
ある。さらに,将来における被告による抜本的解決,原告らの居住の事実及
び防音工事状況は客観的に明らかな事情であるから,原告らの将来の強制執
行に対し,被告に請求異議の訴えによって争わせることとしても何ら酷では
ない。居住の事実を除けば,いずれも加害者の行う損害防止措置の実施であ
って,これを後に被告に争わせることとすることは,大多数の学説からも支
持されている。
仮に裁判所において,上記のような将来請求の終期,居住の事実に関して
躊躇を覚えるのであれば,例えば,「平成28年12月末日又は本判決が確
定する日のいずれか早い日まで」,「口頭弁論終結時と同じコンター内に居
住しており,原告らから住民票の提出がされたとき」との終期又は条件を付
して認容することも考えられる。少なくとも全部却下は許されない。
(5)住宅防音工事その他の周辺対策について
被告は,被告が行ってきた種々の周辺対策等により,原告らを含む厚木基
地周辺住民にもたらされる航空機騒音を主とする不利益ないし影響は既に相
当程度防止又は軽減されていると主張する。また,第3次判決は,防音工事
を受けた者及びこれと同居する者については,防音工事の助成によって被害
の減少があると推認できるとの前提に立った上で,慰謝料を減額した。
しかし,被告がこれまでに行ってきた周辺対策及び音源対策等なるものは,
原告らの騒音被害を解消するには極めて不完全,不徹底なものであり,航空
機騒音による侵害行為の違法性を阻却あるいは軽減するものでは到底あり得
ない。すなわち,住宅防音工事は,航空機騒音から逃れようとするならば密
閉された防音室に閉じこめておこうという極めて非人間的な発想に基づくも
のであって,また実際の防音効果にしても,多くの原告らが述べているよう
に不完全・不十分なものであり,生活実態としても防音室のみで生活をして
いるわけではなく,防音室使用にともなうマイナス面も多々あり,厚木基地
周辺の航空機騒音による侵害行為の違法性ないし受忍限度の判断に当たって
ては何ら考慮の対象にならない。また,賠償額の算定に当たって住宅防音工
事の実施をもって減額事由として評価し,一定割合での減額を認めること自
体も,これまで述べてきた理由から到底納得できるものではない。仮に減額
を認めるとしても,防音工事を実施した居室数に応じて一定の減額率を加算
するのではなく,室の数に関係なく一律一定割合にて処理をするのが相当で
ある。
被告は,防音工事をした住宅について所定の財産処分制限期間経過前に承
認を受けることなく取壊しや改築が行われた場合,財産処分制限期間が経過
するまでの間は住宅防音工事における違法性及び損害の減少が認められるべ
きであると主張する。しかし,補助金交付の適正化のために規定された行政
法規上の手続を履践しなかったことと原告らが実際に被っている騒音被害に
よる慰謝料額の算定とは全く別次元の問題である。処分制限期間内か否かに
かかわらず,住宅取壊し等により防音室がなくなったという事実のみに基づ
いて判断をすべきである。
被告が主張する周辺対策のうち住宅防音工事以外のものは,原告らの騒音
被害軽減とは全く関係がないか,被害状況を改善する効果のないものである。
(6)危険への接近について
被告は,原告らの一部につき,危険への接近の理論の適用による賠償額の
減免を主張する。しかし,不法行為法理の根本的な理念である衡平の理念(損
害の公平な分担)に即して考えれば,「危険への接近」とは,特定の要件を
充足した場合には必ず加害者の損害賠償責任が減免されるべきことを承認し
た法理などと呼べるようなものではない。その判断は,あくまで事案ごとの
個別事情に基づくのであって,具体的な事案に則し,不法行為責任が生じた
後に例外的にその責任の一部を減免し得るという理屈にすぎない。
被告は,①侵害行為を積極的に作出し,②侵害行為の激甚さをひたすら放
置し自らあるいは米軍が行う基地機能の拡大を推し進め,③侵害行為の存在
を隠蔽し,居住地としてのさらなる発展をなすがままにするだけという無責
任な態度に終始してきた。また,④7度にも及ぶ判決による違法判断を完全
に無視し,被害の解消に対する抜本的対策を何ら取ろうとしない。さらに⑤
上記の度重なる違法認定を経ながらもなお,住民らの受ける被害は受忍限度
内であるなどと強弁し,あげくには,原告らの被害は「転居すれば免れる被
害だ」などと開き直る態度にまで出たのであって,もはや加害者としての自
覚も責任もなく,極めて悪質な侵害者としての自らの立場すら認識していな
い。このような加害者たる被告が衡平の原理という重要な法理念を根拠に損
害の減免を主張することは許されない。
一方,被告が減免を主張する原告らは,航空機騒音の実態を正確に把握す
ることができないまま騒音地域内に居住せざるを得ない状況にあり,また,
いずれもやむを得ない事情によって転居しているのであり,非難されるべき
事情もない。こうした原告らに損害の一部でも分担させることを肯定すべき
理由は全くないのであり,危険への接近の理論を適用することが衡平の理念
に照らして相当といえる余地が生ずることはない。
(7)国家賠償法6条の相互保証について
ア国家賠償法6条の解釈の在り方
原告らの中には外国人がいる。国籍国は,大韓民国(以下「韓国」とい
う。),中華人民共和国(以下「中国」という。),ベトナム社会主義共和
国(以下「ベトナム」という。),パキスタン・イスラム共和国(以下「パ
キスタン」という。),スリランカ民主社会主義共和国(以下「スリラン
カ」という。),フィリピン共和国(以下「フィリピン」という。)及びカ
ナダである。これらの原告ら(以下,併せて「外国人原告ら」といい,国
ごとには「韓国人原告ら」などという。)については,国家賠償法6条に
より,相互の保証があるときに限り,同法が適用される。
国家賠償法が制定された昭和22年当時,国家無答責の法理は海外でも
広く認められており,また,我が国と諸外国との間で人の往来はなかった。
国家賠償法6条は,このような時代背景の下で設けられた規定である。多
くの国が国家賠償制度を有し,我が国と諸外国との間で多くの人の往来が
あり,また,人権保障の国際化が浸透している現在において,同条の存在
意義は失われている。したがって,同条を根拠として外国人原告らの賠償
請求を否定することがあってはならない。
このように国家賠償法6条は存在意義を失った不合理な規定であり,外
国の法制度の立証の困難さに照らしても,相互保証がないことを被告が立
証しない限り,外国人に対する国家賠償法の適用は否定されないというべ
きである。また,国家賠償法2条1項が私法的色彩の濃厚な規定であるこ
と,各国の国家賠償制度は様々でありその個別の要件を比較することは非
現実的かつ無意味であることなどを考慮すれば,なるべく緩やかな要件で
相互保証の存在を肯定すべきである。
外国人原告らについては,当該原告の国籍国と我が国との間の二国間条
約に基づき相互保証が認められると解するが,そうでないとしても,次に
述べるとおり,相互保証が認められる。
イ韓国
韓国には我が国同様の国家賠償法が存在し,相互保証により日本人にも
適用されているので,相互保証が存在する。これまでの裁判例でも相互保
証が肯定されている。
ウ中国
中国では,公務員の行為によって私人に生じた損害の賠償を求める場合,
国家賠償法に基づくものとされ,相互保証主義,対等原則が規定されてい
る。また,慰謝料の請求も認められ,公の営造物の設置管理の瑕疵による
損害賠償も民事賠償の範疇として保障されている。したがって,相互保証
が認められる。
エベトナム
ベトナムでは,公務執行者が引き起こした損害について,国内の個人,
組織あるいは外国人などの区別をせず賠償を受けることが定められてい
る。また,精神的損害を受けた個人は国家賠償を受けることができ,公の
営造物の設置管理において損害を被った場合にはその設置管理を実施する
法人が民法に従ってその損害を補償する責任を有するとされている。した
がって相互保証が存在する。
オパキスタン
パキスタンでは,民法の不法行為法が,公務員の職務執行の違法又は国
等の設置管理の瑕疵により私人に生じた損害に対する賠償を定めており,
日本人にも同様の賠償が認められている。精神的損害に対する賠償も認め
られる。したがって相互保証が存在する。
カスリランカ
スリランカでは,国家不法行為責任法が,公務中の公務員等に不法行為
や不作為があった場合に国の責任を認めており,スリランカ人と外国人の
区別なく損害賠償訴訟を起こすことが可能である。また,慰謝料請求が可
能であるし,公の営造物の設置管理の瑕疵に基づく賠償責任が否定される
とは解されない。したがって相互保証が存在する。
キフィリピン
フィリピンでは,民法等により一定の場合に国又は地方自治体が損害賠
償責任を負うとされ,フィリピン人か外国人かでその取扱いに差異はない。
主権免責が適用される場合があるとしても絶対ではなく,地方自治体及び
その職員に対する訴訟は許可されるとされている。また,道路,橋,公共
建築物その他の公共物の欠陥状態による損害についても,慰謝料を含めて
地方自治体に対する損害賠償請求が可能である。したがって相互保証が存
在する。
クカナダ
カナダでは,ケベック州を除く全州と連邦政府が,国家ないし州のため
の「法律に基づく責任」を形成する法律を制定し,一般人が不法行為を犯
したのと同様に国家ないし州は法的責任を負うとされており,相互保証主
義も採用されていない。また,慰謝料請求も認められると解され,過失責
任とともに土地又は建物の占有者の法的責任も認められるから,公の営造
物の設置管理の瑕疵に基づく損害は賠償され得ると解される。したがって
相互保証が存在する。
第2被告の主張
1自衛隊機に対する差止請求が不適法であること
自衛隊機に対する差止請求については,厚木基地最判において,「このよう
な請求は,必然的に防衛庁長官にゆだねられた……自衛隊機の運航に関する権
限の行使の取消変更ないしその発動を求める請求を包含することになるものと
いわなければならないから,行政訴訟としてどのような要件の下にどのような
請求をすることができるかはともかくとして,右差止請求は不適法というべき
である。」と判示されている。この判示は福岡空港訴訟に係る最高裁平成6年
1月20日第一小法廷判決・裁判集民171号15頁(判例時報1502号9
8頁)(以下「福岡空港最判」という。)でも踏襲された。
したがって,自衛隊機に対する差止請求に係る訴えは,不適法として却下さ
れるべきである。
2米軍機に対する差止請求が主張自体失当であること
(1)判例から導かれる結論
米軍機に対する差止請求は,被告の支配の及ばない第三者の行為の差止め
を請求するものであるから主張自体失当として棄却を免れない。これは,厚
木基地最判に加え,最高裁平成5年2月25日第一小法廷判決・裁判集民1
67号359頁(判例時報1456号53頁)(以下「平成5年横田基地最
判」という。)が明示的に判示している。
すなわち,日米地位協定2条4項(b)に従って米軍が使用を認められてい
る施設及び区域については,被告(防衛大臣)が,米軍に対し,米軍機の運航
等を規制,制限することはそもそも予定されていない。日米安保条約や日米
地位協定などの関係条約や国内法令に米軍による厚木基地の管理運営の権限
を制約し,その活動を制限し得る特段の定めがないことに照らせばこのこと
は明らかである。米軍機の保有及び運航権限は全て米軍の専権に属するので
あり,被告が米軍機の運航活動の内容に変更を求めるには米国との外交交渉
による以外に方法はないのである。
以下,念のため,原告らの主張に対する反論として,厚木基地最判の判断
が正当であることを敷衍して述べる。
(2)原告らの主張に対する反論
厚木基地の一部は日米両政府間の合意によって昭和46年に使用転換がさ
れ,厚木基地はその全体が三つに区分されてその具体的な共同使用関係の内
容及び管理権の所在に関する法律関係が創設された。この経緯からすれば,
昭和46年使用転換においては,同年7月1日以降も米軍が駐留目的遂行の
ため従来と変わりなく厚木基地を使用することができることが基本的な前提
となっていることは明らかであり,日米両国間における厚木基地に関する基
本的な法律関係も,同日以降も米軍が従来と変わりなく厚木基地を使用する
ことができるという内容のものにほかならない。したがって,海上自衛隊が
厚木基地の一部を管理する権利を有することとなったとはいえ,以上のよう
な基本的法律関係を度外視して当該権利を行使することはできず,あくまで
その枠内において米軍の駐留目的に資するように当該権利を行使しなければ
ならないのである。結局,昭和46年使用転換以降も,被告(防衛大臣)が,
米軍に対して一方的に優越的地位に立ちつつ,米軍機の運航等を規制し,こ
れを制限することはおよそ想定されておらず,そのような形で海上自衛隊が
管理権を行使するという法律関係が創設されていないことは明らかである。
日米地位協定2条1項(a)が厚木基地に関する基本条項であることは,昭
和46年使用転換の前後で変更がないばかりでなく,厚木基地最判も,厚木
基地の滑走路部分(厚木飛行場)が同条4項(b)の適用のある施設及び区域
として米軍に対し使用が認められることを前提とした上で,「本件飛行場に
係る被上告人〔国〕と米軍との法律関係は条約に基づくものであるから,被
上告人は,条約ないしこれに基づく国内法令に特段の定めのない限り,米軍
の本件飛行場の管理運営の権限を制約し,その活動を制限し得るものではな
く,関係条約及び国内法令に右のような特段の定めはない。」と正当に判示
している。
3将来の損害の賠償請求について
(1)判例
民訴法135条の定める将来の給付を求める訴えの要件について判示した
大阪空港最判は,将来の損害の賠償請求について,不法行為成立の確実性及
び賠償内容の確定性の要件を厳格に解したものであり,不法行為の成否やそ
の賠償内容が今後の事実関係やこれに対する法的評価いかんによって左右さ
れる場合には,将来,請求権が成立したとする時点で原告がこれを立証すべ
きであり,現時点で将来請求を認めて,将来事情の変動があったときに被告
にその権利阻却事由の発生を立証する負担を課すことは相当でないとの考え
方によったものと解される。
(2)本件の将来請求に係る訴えが不適法であること
大阪空港最判が示した要件の該当性の有無を本件の将来請求に係る訴えに
ついて検討すると,口頭弁論終結後において原告らのいう侵害行為又は損害
の発生の基礎となる事実関係が変動することが予測されるのであり,将来の
不法行為成立の確実性及び賠償内容の確定性の要件をいずれも充足するもの
ではないから,この訴えは不適法といわざるを得ない。
すなわち,厚木基地に係る航空機騒音等の被害に関して原告らに損害賠償
請求権が認められるのは,厚木基地における航空機エンジンの作動,航空機
の離発着,誘導等によって生ずる騒音等が受忍限度を超え,違法と判断され
る場合に限られるが,航空機騒音等が受忍限度を超えているか(違法か)否か
は,侵害行為の態様と侵害の程度,被侵害利益の性質と内容,公共性,地域
性,先(後)住性,危険への接近及び侵害防止措置等の多様な事実関係を総合
的に判断した上で決せられるべきである。本件においては,航空機騒音等の
状況に恒常性がないために将来の状況を予測することはそもそも困難であっ
て,原告らの生活態様にも変化が生じ得るから,将来の被害の状況や程度も
流動的といわざるを得ない。また,原告らの請求が認容されるには,将来に
おいても厚木基地周辺に居住していることが前提となるが,原告らの中に将
来転居する者があり得ることは否定し得ず,転居の有無は原告らにとっては
明白な事実であっても,数千名にも及ぶ原告らの現実の居住地全てを被告が
逐次把握することは非常に困難であって,将来の転居の事実についての立証
の負担を被告に課すことは相当でない。さらに,被告が周辺対策として実施
している住宅防音工事等については,着実に実績が積み重ねられており,今
後ともこれらの周辺対策が講じられ,原告らの航空機騒音による被害が一層
軽減されることも予想される。
以上のように,本件における将来の損害の賠償請求権の発生の有無は,極
めて不明確,不確実といわざるを得ず,明確な具体的基準により賠償される
べき損害の変動状況をあらかじめ把握することも極めて困難である。したが
って,原告らの損害賠償請求権の成否及びその内容を的確に把握するために
は,それが成立したとされる時点で,原告らの立証する事実関係に基づいて
改めてその成立の有無及びその内容を判断するほかないのである。
4過去の損害の賠償請求について
(1)違法性(受忍限度)の判断基準等
厚木基地には国家賠償法2条1項にいう「公の営造物」の設置又は管理の
瑕疵があるとは認められない。供用目的に沿って利用されることとの関連に
おいて営造物の設置,管理の瑕疵が認められるためには,その営造物を利用
に供した結果,利用者以外の第三者の権利ないし法益を侵害し,同侵害が社
会生活上受忍すべき限度を超え違法であると判断されることが必要である。
そして,この違法性の存否は,侵害行為の態様と侵害の程度,被侵害利益の
性質と内容,侵害行為のもつ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等を
比較検討するほか,侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況,その間
にとられた被害の防止に関する措置の有無及びその内容,効果等の事情をも
考慮し,これらを総合的に考察して決すべきこととされている。次に述べる
とおり,原告らを含む周辺住民が厚木基地の航空機騒音等によって受けてい
る影響は受忍限度の範囲内と認められるというべきである。
ア本件においては,原告らが侵害されていると主張する被侵害利益の性質
と内容が具体的に明らかにされることが必要であり,各原告がそれぞれそ
の被害を被っていることを個別具体的に主張・立証しなければならない。
航空機騒音についても,現実に原告らが曝露された航空機騒音の内容や程
度が原告ごとに主張・立証されなければならない。ところが,原告らは,
上記の個別具体的な主張・立証を行っておらず,原告らが受忍限度を超え
る被害を被っていることや原告らの損害を認めるに足りるだけの主張・立
証が尽くされているとはいい難い。
イ原告らは,いわゆる共通損害すなわち原告らに最小限共通する損害の賠
償を求めているようであるが,そのような共通損害の主張・立証をする場
合も上に述べたことと基本的な差違はない。原告らが共通損害を被ってい
ることが認められるためには,①原告らの一部の者に一定の被害が発生し
ていることを主張・立証するのみでは足りず,②その被害が現に他の原告
らにも共通に生じていると認められるような性質・程度のものであること
を主張・立証することが必要となる。このような共通損害の概念や立証責
任の所在に照らせば,原告ら全員が厚木基地の航空機騒音等によって実際
に被っている最小限度の被害の内容と程度を原告らにおいて立証すべきで
あり,この立証された被害の内容と程度に基づいて受忍限度を超えるかど
うかを判断するのが相当である。個々の原告らの実騒音曝露量や共通実騒
音曝露量を直接立証することが困難であることから,次善の策として共通
実騒音曝露量推計値を用いざるを得ないとしても,それは共通実騒音曝露
量の実態に近いものである必要がある。
そして,共通実騒音曝露量の実態に最も近いW値は,防衛施設庁方式に
よるW値ではなく,環境基準方式による「昼間騒音控除後W値」である。
これを説明すると次のとおりである。
まず,昼間の時間帯(平日の午前9時から午後5時まで)は出勤や通学
により不在とする者も多く,全員が共通して在宅しているものでないから,
少なくとも昼間の騒音被害は原告ら全員に最小限共通するものでない。
次に,環境整備法に基づいて告示された第一種区域等は,防衛施設周辺
の関係住民の生活の安定及び福祉の向上に寄与することを目的とする政策
的補償措置として家屋への防音工事等の周辺対策を実施するための区域を
画するものにすぎないし,指定された区域線は騒音コンターそのものでは
なく,したがってまた騒音の実態を正確に示すものではなく,第一種区域
内にあるからといって当該区域内全部が防衛施設庁方式による75W以上
の騒音曝露があると認定することはできない。さらに,時点の違い等をも
考慮すれば,第一種区域内に居住しているからといって,直ちに違法な権
利侵害を受けているといえないことは明らかである。しかも,防衛施設庁
においては,周辺対策の実施範囲を緩やかに(広く)するように配慮して,
実際の飛行回数の算術平均を上回る飛行回数を計上するなどして環境基準
方式を調整し,防衛施設庁方式を設けたことから,防衛施設庁方式によっ
て算定されたW値は,対象期間に現実に発生した騒音の内容・程度を反映
したものとなっておらず,これを上回る騒音の内容・程度を表すものとさ
れる傾向がある。したがって,現実に発生した騒音の内容・程度により近
..
いのは,環境基準方式によって算定されたW値である。
これらのことからすると,厚木基地周辺地域における航空機騒音データ
を基にしつつ,共通実騒音曝露量推計値を認定するという目的に適合する
ように,騒音発生回数について平日昼間の時間帯(午前9時から午後5時
まで)の騒音発生回数を0とした上で,環境基準方式と同一の方法でW値
を算定したもの,すなわち昼間騒音控除後W値こそが,原告らの騒音曝露
の実態を反映したものといえる。
したがって,原告らの受忍限度や損害額は,被告作成の昼間騒音控除後
コンター(注・本判決には添付しない。)により推計したW値に基づいて認
定・判断されるべきである。一方,昭和48年環境基準は,政府が騒音等
に係る環境上の条件に対する総合的施策を進める上で達成されることが望
ましいとされる基準であり,騒音による好ましくない影響を防止するとい
う見地に立って純粋に望ましい環境の保全という観点から定められたもの
であるから,その数値をそのまま受忍限度の判断基準とすることができな
いことはもとより,健康被害や環境破壊等の事実を推認させる基準とする
こともまた相当でないものの,昭和48年環境基準において地域の類型別
に環境基準値が定められた趣旨からすれば,航空機騒音が受忍限度を超え
るかどうかの判断はもとより,その損害額の算定に当たっても,地域の用
途に合わせたその地域の類型が十分に考慮されるべきである。
ウ以上によれば,原告らが各々の騒音被害について個別具体的な立証をし
ていない以上,その請求は棄却されるべきであるが,この点をおくとして
も,上記イの見地から後記~の各点を含めて総合的に判断すれば,航
空機騒音の原告らへの影響は受忍限度内にとどまるというべきである。
(2)厚木基地の航空機の運航についての侵害行為の有無・程度
ア航空機騒音の特殊性
航空機騒音は,その発生持続時間が短く一過性で間欠的であることが特
徴であり,周辺住民の生活に何らかの影響があるとしても,その影響は短
時間でたちまち消失し,生活上の平穏は直ちに回復する。また,航空機騒
音がもたらす周辺住民の心身への影響や生活妨害の程度を的確にとらえる
ためには,騒音レベルのみならず,平均騒音発生回数,年別,曜日別,日
別の騒音量の変化,時間帯別の騒音の変化及び騒音の持続時間その他の発
生形態等について,個々の住民,居住地ごとに多面的かつ具体的な検討を
加える必要があり,特定地点における測定結果をもって騒音曝露の諸条件
を異にする他の地点の騒音曝露の状況と同一視し得るものではない。
イ航空機騒音の大きさ
被告は,厚木基地周辺に複数の自動騒音測定地点を設けており,各地点
における測定結果によれば,環境基準方式によって算定されたW値(ただ
し,昼間騒音控除後W値ではない。)は減少傾向にあり,各測定地点が属
する地域(第一種区域線等によって画される区域)における防衛施設庁方
式により算定されたW値を下回っている。屋外で85Wであっても,防音
工事施工室内においては,昭和48年環境基準が達成されたのと同様の屋
内環境(60W以下)が保持されている。
ウ墜落等事故の危険について
航空機の墜落事故は極めてまれにしか発生しないから,その危険性は抽
象的なものにすぎず,その現実的,具体的危険性が生じていることをもっ
て違法な権利利益の侵害が存するとする原告らの主張は前提を欠く。厚木
基地は,公共用飛行場以上に広大な敷地を有しており,滑走路の位置,長
さ,幅員も航空法の基準を十分に満たしている。米軍は自ら各種の基準を
定めてその安全性の確保に努めており,自衛隊も同様に各種安全性確保の
ための基準を設けている。航空機事故の危険性はごく抽象的なものにすぎ
ず,このような抽象的な危険性に対する不安等があることをもって,違法
な権利利益の侵害が存するとは到底認められない。
エ低周波音について
原告らは低周波音に特有の被害をも被っている旨主張するが,原告らが
依拠する測定結果報告書の内容は測定方法及び測定結果の分析が不十分で
あり,その測定時点においても,原告らがその主張する程度の低周波音に
曝露していたとは認め難い。また,原告らが低周波音によるものであると
主張する被害は,原告らを含む周辺住民らに共通するものではない。
低周波音は航空機以外が原因となって生ずる場合もあり,また,低周波
音による被害感は個人差が大きく,同じ周波数,音圧の低周波音に曝露さ
れたとしても必ずしも全員が被害を感じるわけではない。そして,短時間
のみ曝露する航空機騒音に含まれる低周波音については,低周波音の環境
基準やガイドラインが存在しないことはもとより,評価方法や基準値すら
定まっていない状況にある。したがって,感覚閾値や建具のがたつき閾値
等をもって直ちに低周波音による被害の存在を認定することは相当でな
く,これらの閾値等は受忍限度を画する基準となり得ない。
(3)厚木基地の公共性
厚木基地における自衛隊機及び米軍機の運航活動が第三者との関係におい
て違法な権利侵害ないし法益侵害となるかどうかを判断するに当たっては,
当該活動の公共性・公益性が重要な考慮要素となり,違法性を判断する上で
の諸要素の比較衡量においては,当該活動の公共性・公益性の度合いが高け
ればそれに応じて受忍限度も高くなると解されることは,大阪空港最判が判
示しているとおりである。
厚木飛行場は,防衛大臣が設置・管理し,自衛隊が自衛隊法に定められた
我が国の防衛,災害派遣等の任務遂行をする上での各種活動をするための飛
行場として利用している。他方で,日米安保条約に基づき,我が国の安全に
寄与するとともに,極東における国際の平和と安全の維持に寄与するという
高度に政治的・行政的な目的のため米軍に対して提供され,その目的を遂行
する上での諸活動をする飛行場として米軍が利用している。したがって,厚
木基地に離着陸する自衛隊機及び米軍機の諸活動は,我が国の基本的な存立
と安全を確保するためのものであり,高度の公共性を有する。
一方で,原告らに身体的被害等の重大な利益侵害は認められず,何らかの
影響を被っているとしてもそれは日常生活上の不便・支障といった程度を超
えるものではない。
受忍限度の判断に当たっては,原告らの受ける影響と厚木基地のもつ機能
すなわち上記のような高度の公共性,公益性について,その性質,内容及び
位置付けをそれぞれ正当に評価し,総合的,全体的な衡量を行う必要がある。
(4)被侵害利益の不存在
前記のとおり,原告らは,実際に原告ら全員が最小限度共通して曝露した
とする騒音の内容・程度を主張・立証しなければならず,この最小限度共通
する騒音による原告ら全員に共通する被害の内容・程度が受忍限度を超える
ものであるかどうかが問題とされなければならないが,これに対し原告らは,
被告の上記主張は大阪空港最判によって既に排斥されており,共通損害につ
いてはおよそ個別具体的な主張・立証が不要であるなどと主張する。
しかし,原告らの大阪空港最判に対する理解は誤っており,同最判は,共
通損害について主張立証責任を緩和する趣旨の判示をしたものではない。航
空機騒音については,我が国においてのみならず,国際的にもその影響の有
無が問題とされているが,人の身体ないし精神面に影響が及ぶことは一般的
に否定されている。原告らが主張する各種被害は,このようにその影響が一
般的に否定されているもの,その性質上共通損害となり得ないもの,原告ら
に共通している損害とは認められないものなど,いずれも共通損害として認
められないものである。さらに,原告らが提出する陳述書及び診断書を見て
も共通損害は認められず,原告らが引用する各種文献及び調査結果等は,原
告らの主張に係る被害を裏付けるものではない。
(5)周辺対策等
被告は,厚木基地の存続によってもたらされる公益の重大性と厚木基地を
維持するために影響を受ける住民の生活上の利益との調和を図るため,種々
の周辺対策を実施してきた。これらにより,原告らを含む周辺住民にもたら
される航空機騒音を主とする不利益ないし影響は相当程度防止又は軽減され
ている。また,被告が種々の周辺対策等を実施して騒音の軽減に努めている
ことは,違法性の判断においても十分に考慮される必要がある。
被告の実施している周辺対策は主に環境整備法に基づく。これは違法な権
利侵害や損害が発生していることを前提とするものではなく,あくまで厚木
基地周辺地域の居住環境等をよりよい状態に維持することを目的とするもの
であることに留意すべきである。
被告の実施してきた周辺対策は,①移転措置及び移転跡地の緑地帯整備(環
境整備法5条,6条),②住宅防音工事に対する助成措置(同法4条),③住
宅防音工事以外の防音対策,④その他の周辺対策に大別される。
(6)危険への接近
ア免責の法理としての危険への接近
危険への接近の法理は,自由な意思決定によって選択した結果は自己が
負担するとの自己責任の原則,ひいては,自由な意思決定によって自己の
法益を危険にさらしたにもかかわらずこれによる損害を他に転嫁すること
は衡平に反する結果となるとの不法行為法を支える根本理念の一つである
衡平の理念に根ざすものであり,この法理が,違法性(受忍限度)の判断の
際の重要な要素として評価されるべきことは,大阪空港最判を始めとする
判例上明らかであり,学説においても広く承認されている。
本件において上記法理の適用の当否を判断するに当たっては,厚木基地
周辺について,飛行場の維持,運営のために利用されるという地域特性の
形成の有無及びその時期並びにこれと原告らの居住開始時期との先後関
係,厚木基地の公共性の程度,原告らが受けているとする騒音被害の内容
と程度,これと上記地域に居住することによって生ずる利益との比較衡量
等の諸事情が詳細に検討されなければならない。
本件では,厚木基地周辺の航空機騒音が社会問題化した後の昭和49年
(基準日)以降に厚木基地周辺に転入した原告らについては,航空機騒音
による被害発生状況を認識して転入したと推定することができ,「一定程
度の航空機騒音の存在を認識しながら相当期間にわたる間の住居としてあ
えてその住居を選択した」(大阪空港最判)という事情が認められるから,
被害の容認があったものと推定される。また,昭和57年2月以降厚木基
地においてNLPが開始されその航空機騒音が重要な社会問題として広く
国民の注目を集めるようになったのであるから,少なくとも同年5月(新
基準日)以降の転入者については,騒音被害を容認して転入したものと推
定することができる。
防衛施設庁は,平成18年の第一種区域等の指定の告示をするに当たり,
事前に区域の見直しに関する情報をウェブサイトに掲載し,パンフレット
等を配布し,告示後には,新たな第一種区域等の対象区域図等をウェブサ
イトに掲載し,同年2月から4月にかけて,住宅防音工事の対象区域等を
図示したパンフレット等を厚木基地周辺住民に配布するなど,厚木基地周
辺の騒音問題や騒音対策に関する情報の周知徹底を入念に行った。その前
の平成16年には,航空機騒音発生状況をリアルタイムで提供する情報公
開システムが構築されており,南関東防衛局の公式ウェブサイトでも結果
を確認することができる。周辺自治体も厚木基地の騒音被害の状況を公式
ウェブサイトで公開し,その他のサイトでも厚木基地の騒音に関する情報
が掲載されていた。このように,平成18年4月当時には何人も容易に厚
木基地の航空機騒音に関する情報を入手することができる状況にあったか
ら,遅くとも同年5月以降に厚木基地周辺地域に転居した原告らは,航空
機騒音による被害を容認していたことが一層強く推定される。
以上によれば,基準日(昭和49年)以降の転居者には免責の法理とし
ての危険への接近の法理の適用が認められるべきであり,少なくとも新基
準日(昭和57年5月)以降の転居者に同法理を適用しない理由はない。
上記の見地から,被告は,次の類型の原告らは免責の法理としての危険
への接近の法理の適用を受けるべきであると主張する。
類型A:新基準日(昭和57年5月1日)以降に75W以上の地域に
転居してきた者(75W以上の地域内で転居した者を含む。)
類型B1-1:新基準日以降に75W以上の地域に居住した事実が認
められ,その後指定区域外に転出したにもかかわらず,再び7
5W以上の地域に転入した者
類型B1-2:新基準日以降に75W以上の地域に居住した事実が認
められ,その後指定区域外に転出したにもかかわらず,再び過
去に居住した場所の近傍に転入した者
類型B2:新基準日以降に75W以上の地域に居住した事実が認めら
れ,その後より騒音レベルの高い地域に転居した者
..
類型B3:新基準日以降に75W以上の地域での移動を複数回繰り返
した者
類型C:平成18年5月1日以降に75W以上の地域に転居してきた

イ減額の法理としての危険への接近
危険への接近の法理によって免責が認められない場合にも,具体的な事
情のいかんにより,過失相殺の法理に準じ,損害賠償額の算定に当たりこ
れを減額事由として考慮すべきことは当然である。この場合の減額の要件
としては,危険(騒音の存在)の認識を有し,あるいは過失によりこれを認
識しなかったことで足り,それによる損害の容認までは必要がない。過失
によって危険の存在を認識しなかった場合を含めるのは,条理上,認識し
ていた場合と同様にこれを取り扱うのが相当であるからである。
(7)損害額
ア損害額一般
原告らは,個別具体的な被害の内容及び程度等につき的確な主張立証を
しているとはいえず,航空機騒音に関する従来の裁判例の基準に比して損
害額が増額されるべきであるとの原告らの主張もおよそ根拠の乏しいもの
である。
被告は周辺対策等を継続・実施しており,平成15年をピークに厚木基
地における航空機騒音は減少傾向にあるから,原告らの損害は,第3次判
決において認定された損害に比べて,減少することはあっても増大するこ
とはあり得ない。
イ住宅防音工事による減額
周辺対策として実施している住宅防音工事により,昭和48年環境基準
を満たす効果(室内で60W以下)が生じていると認められる。防音工事
の効果は,昭和48年環境基準を満たしているか否かを基準に判断すべき
であり,当該環境基準を満たしている場合には損害を減額すべきである。
防音工事が実施された居室数の和に基づいて損害を減額すること及び2
室目以降の損害の減額率を低くすることはいずれも相当でない。防音工事
後の住宅については,住宅の総居室数に占める防音工事が実施された居室
数の割合に応じて損害を減額すべきである(例えば,4居室に住宅防音工
事を実施した場合,総居室数が4居室であれば100%,5居室であれば
80%の減額となる。)。
さらに,①防衛施設周辺対策事業補助金等交付規則(平成19年防衛施
設庁告示第9号。以下「補助金規則」という。)に定められた財産処分制
限期間経過後に防音工事済住宅の取壊しや改築が行われた場合,住宅取壊
し等までの期間について住宅防音工事の効果として損害が減額され,②防
音工事済住宅が建て替えられた場合(住宅の建て替えに併せて防音工事を
行う場合を含む。),防音工事済住宅の取壊し等以降も住宅防音工事の効
果として損害が減額され,③財産処分制限期間経過前に承認を受けること
なく住宅の取壊し等が行われた場合,財産処分制限期間が経過するまでの
間は防音工事の効果が生じているものとして損害が減額されるべきであ
る。
ウ弁護士費用
厚木基地については過去に3回の司法判断が確定している上,論点の重
複や主張立証のための労力の減少などの事情も併せ考慮すると,本件訴訟
における弁護士費用については,損害賠償額の15%という原告らの主張
額は過大であり,他の裁判例で示されたことのある7%という水準よりも
更に低い水準が妥当というべきである。
5その余について判断するまでもなく請求が排斥されるべき原告ら
(1)居住の事実等が認められない原告ら
原告らの中には,①第3次判決で認容された損害賠償請求と同一の損害賠
償請求を繰り返している者,②提訴時に既に死亡しており,あるいは提訴後
に死亡した後の期間をも損害賠償請求に含めている者,③出生前の期間につ
いて損害賠償請求を求めている者,④指定区域外に居住していた期間を損害
賠償請求に含めている者,⑤損害賠償請求権につき消滅時効が成立している
者,⑥住民票記載の住所と訴状記載の住所地が齟齬するもの,⑦提訴時に居
住していたとされる住所を管轄する自治体に住民登録が認められず提訴後に
転居したことがうかがわれる者などがいる。
これらの原告については,訴えが不適法であるか,請求の一部に明らかに
理由がない。
(2)国家賠償法6条の相互保証
ア国家賠償法6条の解釈
国家賠償法6条の相互保証の有無に関する主張立証責任については,外
国人原告らが,当該原告らの本国法において相互保証があることについて
主張立証責任を負うと解すべきである。その内容としては,仮に日本人の
被害者が本件と同様の請求原因事実に基づく請求を行った場合に,当該国
籍国の法制度によって当該国籍国が我が国の国家賠償法と同一か又はそれ
より厳重でない要件の下に当該日本人の被害者に対して賠償責任を負うも
のであることを主張立証しなければならないというべきである。
イ相互保証が否定される外国人原告ら
中国,ベトナム,パキスタン,スリランカ,フィリピン及びカナダの法
制度がそれぞれ相互保証の要件を満たすか否かは不明であり,これらの国
において相互保証があることについて主張立証がされているとはいえな
い。したがって,韓国人原告らを除く外国人原告らの請求は,その余につ
いて判断するまでもなく排斥されるべきである。
6仮執行開始時期猶予宣言の申立て
本件の判決に仮執行の宣言を付することは相当でなく,仮にその宣言を付す
る場合には被告は仮執行免脱の宣言を求める。さらに,その仮執行宣言の効力
が被告に対する判決送達後の相当期間を経過した後に発生する旨の宣言をも求
める。
第4部当裁判所の判断
第1検討すべき問題及び判断の順序
当裁判所の判断を示すに当たり,初めに厚木基地をめぐる用語を整理してお
く。本判決では,日米安保条約及び日米地位協定に基づき「厚木海軍飛行場」
として米国に提供された施設及び区域全体を厚木基地と呼び,そのうちの一部
であって昭和46年に使用転換された後に防衛大臣が「厚木飛行場」として飛
行場を設置している部分(別紙別紙別紙別紙6666図面及び別紙別紙別紙別紙7777図面の各赤斜線部分)を厚木
飛行場と呼ぶ。
以上の用語法によると,自衛隊機及び米軍機が離着陸をし,あるいはエンジ
ンを作動させるのは,厚木飛行場であるから,本件の争点との関係では,厚木
基地全体を検討の対象とする必要はなく,厚木飛行場のみを取り上げて検討す
れば足りることになる(後にみるとおり,厚木基地最判は,この用語法と異な
り,厚木基地すなわち厚木海軍飛行場全体を「本件飛行場」と呼んで論じてい
るので注意されたい。)。
本件の争点に関しては大阪空港最判と厚木基地最判という二つの最高裁判決
によって既に一定の判断枠組みが示されており,第3次判決で判断が示された
ものもある。これを踏まえると,検討すべき主な問題は大きく分けて次の四つ
である。
自衛隊機の差止請求に係る訴えの適否及び適法とされる場合の請求の
成否
米軍機の差止請求の成否
過去の損害の賠償請求の成否
将来の損害の賠償請求の適否及び適法とされる場合の請求の成否
そこで,後記第2から第5までのとおり,上記の順番でそれぞれの問題につ
いて判断を示し,その上で,後記第6において弁護士費用を認定し,第7にお
いて結論を示すこととする。
上記の問題のうち後記第4において取り上げる(3)(過去の損害の賠償請求)
については検討すべき争点が多い。これらの争点については,前記のとおり第
3次判決において判断が示されているものもあるが,第3次判決の原告らと本
件の原告らは一部が重なるのみであるし,また,これらの原告らについても請
求期間が異なるから,第3次判決の既判力は本件に及ばず,改めて検討する必
要があることはいうまでもない。もっとも,第3次判決の基礎となった事実関
係と本件の事実関係には重なる部分も多く,かつ,第3次判決の判断はその当
事者が十分な主張立証を尽くして真剣に争った結果であるから,少なくともそ
の口頭弁論終結時以前の事実に関しては,特段の事情のない限り,第3次判決
における認定,判断が本件において尊重されるべきであることもまたいうまで
もない。ただ,本件において新たに提示された争点もあることから,過去の損
害の賠償請求についても,第3次判決の判断の順序にとらわれず,また,特に
必要がある場合を除き第3次判決をいちいち参照することなく,当裁判所の判
断を示すこととする。過去の損害の賠償請求に関し本件において検討すべき争
点を順に示すと,おおむね次のとおりである。
①損害賠償請求の成否の判断枠組み
②厚木飛行場周辺における航空機騒音の評価の指標として採用すべきW
値は,防衛施設庁方式によって算定したものか,環境基準方式によって
算定したものか(被告の主張する「昼間騒音控除後W値」の評価を含む。)
③厚木飛行場周辺の航空機騒音をめぐる客観的事実の認定(航空機騒音
の大きさないしうるささ,低周波音の状況,被告による周辺対策の内容
等)
④原告らの主張する被害のとらえ方(共通損害論)
⑤原告らの受けている被害の実態
⑥厚木飛行場の公共性の評価
⑦②~⑥を踏まえた①の判断枠組みに従った判断
⑧危険への接近の理論を適用すべき原告らがいるか
⑨外国人原告らにつき,国家賠償法6条の相互保証の有無
⑩慰謝料額の認定
第2自衛隊機の差止請求
1厚木基地最判の判示
厚木基地最判は,前記のとおり,厚木基地の周辺住民が被告(国)を相手方
として提起した第1次厚木基地騒音訴訟の上告審判決である。この訴訟の原告
らの請求のうち差止請求は,本件とほとんど同じであり,下記のとおりであっ
た(民集47巻2号791頁参照)。

被告は自ら又は米軍をして,原告らのために,
厚木海軍飛行場において,毎日午後8時から翌日午前8時までの間,
一切の航空機を離着陸させてはならず,かつ,一切の航空機のエンジ
ンを作動させてはならない。
厚木海軍飛行場の使用により,毎日午前8時から午後8時までの間,
原告らの居住地に65ホンを超える一切の航空機騒音を到達させては
ならない。
この請求のうち自衛隊機に関する部分について,厚木基地最判は,自衛隊法
及び防衛庁設置法の関連規定を引用した上で,下記のとおり判示した(自衛隊
法及び防衛庁設置法を引用した説示を行う「1」の部分は省略する。)。なお,
そこにいう上告人らは厚木基地の周辺住民,被上告人は被告(国)であり,「本
件自衛隊機の差止請求」とは上記の差止請求のうちの自衛隊機の差止請求のこ
とであり,「本件飛行場」とは厚木基地(厚木海軍飛行場)のことである。

2以上のように,防衛庁長官は,自衛隊に課せられた我が国の防衛
等の任務の遂行のため自衛隊機の運航を統括し,その航行の安全及び航
行に起因する障害の防止を図るため必要な規制を行う権限を有するもの
とされているのであって,自衛隊機の運航は,このような防衛庁長官の
権限の下において行われるものである。そして,自衛隊機の運航にはそ
の性質上必然的に騒音等の発生を伴うものであり,防衛庁長官は,右騒
音等による周辺住民への影響にも配慮して自衛隊機の運航を規制し,統
括すべきものである。しかし,自衛隊機の運航に伴う騒音等の影響は飛
行場周辺に広く及ぶことが不可避であるから,自衛隊機の運航に関する
防衛庁長官の権限の行使は,その運航に必然的に伴う騒音等について周
辺住民の受忍を義務づけるものといわなければならない。そうすると,
右権限の行使は,右騒音等により影響を受ける周辺住民との関係におい
て,公権力の行使に当たる行為というべきである。
3上告人らの本件自衛隊機の差止請求は,被上告人に対し,本件飛
行場における一定の時間帯(毎日午後8時から翌日午前8時まで)にお
ける自衛隊機の離着陸等の差止め及びその他の時間帯(毎日午前8時か
ら午後8時まで)における航空機騒音の規制を民事上の請求として求め
るものである。しかしながら,右に説示したところに照らせば,このよ
うな請求は,必然的に防衛庁長官にゆだねられた前記のような自衛隊機
の運航に関する権限の行使の取消変更ないしその発動を求める請求を包
含することになるものといわなければならないから,行政訴訟としてど
のような要件の下にどのような請求をすることができるかはともかくと
して,右差止請求は不適法というべきである。
同じ争点について福岡空港最判も同様の判示をしている。
2判断
厚木基地最判の上記判示は,そこにいう防衛庁長官を防衛大臣に変更すれば,
現行の自衛隊法及び防衛省設置法の下でもそのまま妥当するものである。
そして,本件における原告らの自衛隊機の差止請求は,民事上の請求として
被告に対し自衛隊機の離着陸の差止め等を求めるものであって,厚木基地最判
のいう「本件自衛隊機の差止請求」と比較すると,「65ホン」が「70デシ
ベル」に変わっているのみであり,その請求権としての実質は同一と解される。
そうすると,原告らの自衛隊機の差止請求については,厚木基地最判の射程
が及ぶから,厚木基地最判と同じ理由により不適法というべきである。
よって,本件各訴えのうち自衛隊機の差止請求に係る部分は不適法であり,
却下を免れない。
第3米軍機の差止請求
1厚木基地最判の判示と原告らの主張
第1次厚木基地騒音訴訟の差止請求(前記第2の1参照)のうち米軍機に関
する部分(厚木基地最判はこれを「本件米軍機の差止請求」という。)につい
て,厚木基地最判は下記のとおり判示した。

しかしながら,上告人らは,米軍機の運航等に伴う騒音等による被害
を主張して人格権,環境権に基づき米軍機の離着陸等の差止めを請求す
るものであるところ,上告人らの主張する被害を直接に生じさせている
者が被上告人ではなく米軍であることはその主張自体から明らかである
から,被上告人に対して右のような差止めを請求することができるため
には,被上告人が米軍機の運航等を規制し,制限することのできる立場
にあることを要するものというべきである。
これを本件についてみると,原審の確定したところによれば,本件飛
行場は,原判決の引用する一審判決別冊第1図青枠部分の区域からなり,
被上告人が米軍の使用する施設及び区域としてアメリカ合衆国に提供し
ているものであって(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安
全保障条約(昭和35年条約第6号)6条参照),昭和46年6月30
日に我が国とアメリカ合衆国との間で締結された政府間協定により,同
年7月1日以降,(1)前記第1図の緑斜線部分は,日本国とアメリカ合
衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並
びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(昭和35年条約第
7号)2条4項(a)に基づき,米軍と我が国の海上自衛隊の共同使用部
分とされ,(2)同図赤斜線部分は,海上自衛隊の管轄管理する施設とな
ったが,同項(b)の規定の適用のある施設及び区域として米軍に対し引
き続き使用が認められ,(3)同図黄色部分は,引き続き米軍が航空機を
保管し整備等を行うため専用している。このように,本件飛行場に係る
被上告人と米軍との法律関係は条約に基づくものであるから,被上告人
は,条約ないしこれに基づく国内法令に特段の定めのない限り,米軍の
本件飛行場の管理運営の権限を制約し,その活動を制限し得るものでは
なく,関係条約及び国内法令に右のような特段の定めはない。そうする
と,上告人らが米軍機の離着陸等の差止めを請求するのは,被上告人に
対してその支配の及ばない第三者の行為の差止めを請求するものという
べきであるから,本件米軍機の差止請求は,その余の点について判断す
るまでもなく,主張自体失当として棄却を免れない。論旨は採用するこ
とができない。
同じ争点について平成5年横田基地最判及び福岡空港最判も同様の判示をし
ている。
原告らの米軍機の差止請求と厚木基地最判にいう「本件米軍機の差止請求」
とは,人格権に基づき被告に対し米軍機の離着陸等の差止めを求めるものであ
り,自衛隊機の場合と同様,請求権としての実質は同一と解される。そうする
と,この点についても厚木基地最判の射程が及ぶから,原告らの米軍機の差止
請求は厚木基地最判と同じ理由により主張自体失当として棄却を免れないとい
わなければならない。
ところが原告らは,厚木基地最判は日米地位協定の解釈を誤っているなどと
主張するので,念のためこの主張について検討を行う。
2関係条約の定めと厚木飛行場設置までの経緯等
(1)関係条約の定め
本件に関係する条約の定めは次のとおりである。
ア日米安保条約
6条日本国の安全に寄与し,並びに極東における国際の平和及び安全の
維持に寄与するため,アメリカ合衆国は,その陸軍,空軍及び海軍が日
本国において施設及び区域を使用することを許される。
前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位
は,1952年2月28日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆
国との間の安全保障条約第3条に基く行政協定(改正を含む。)に代
わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。
イ日米地位協定
2条1(a)合衆国は,相互協力及び安全保障条約第6条の規定に基づき,
日本国内の施設及び区域の使用を許される。個個の施設及び区域に関
する協定は,第25条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しな
ければならない。「施設及び区域」には,当該施設及び区域の運営に
必要な現存の設備,備品及び定着物を含む。
(b)合衆国が日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3
条に基く行政協定の終了の時に使用している施設及び区域は,両政府が
(a)の規定に従って合意した施設及び区域とみなす。
2日本国政府及び合衆国政府は,いずれか一方の要請があるときは,
前記の取極を再検討しなければならず,また,前記の施設及び区域を
日本国に返還すべきこと又は新たに施設及び区域を提供することを合
意することができる。
3合衆国軍隊が使用する施設及び区域は,この協定の目的のため必
要でなくなったときは,いつでも,日本国に返還しなければならない。
合衆国は,施設及び区域の必要性を前記の返還を目的としてたえず検討
することに同意する。
4(a)合衆国軍隊が施設及び区域を一時的に使用していないときは,
日本国政府は,臨時にそのような施設及び区域をみずから使用し,又は
日本国民に使用させることができる。ただし,この使用が,合衆国軍隊
による当該施設及び区域の正規の使用の目的にとって有害でないこと
が合同委員会を通じて両政府間に合意された場合に限る。
(b)合衆国軍隊が一定の期間を限って使用すべき施設及び区域に
関しては,合同委員会は,当該施設及び区域に関する協定中に,適用が
あるこの協定の規定の範囲を明記しなければならない。
3条1合衆国は,施設及び区域内において,それらの設定,運営,警護
及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる。日本国政府は,
施設及び区域の支持,警護及び管理のための合衆国軍隊の施設及び区域
への出入の便を図るため,合衆国軍隊の要請があったときは,合同委
員会を通ずる両政府間の協議の上で,それらの施設及び区域に隣接し
又はそれらの近傍の土地,領水及び空間において,関係法令の範囲内
で必要な措置を執るものとする。合衆国も,また,合同委員会を通ず
る両政府間の協議の上で前記の目的のため必要な措置を執ることがで
きる。
(2以下省略)
(2)厚木飛行場設置までの経緯
証拠(甲A9の3,乙A52,53の1・2,54)によれば,厚木基地
のうち別紙別紙別紙別紙6666図面の赤斜線部分が昭和46年に使用転換され,厚木飛行場が
設置された経緯は,次のとおりであると認められる。
ア日米安全保障協議委員会は,昭和45年12月21日,日米安保条約及
び日米地位協定の枠内における施設及び区域の共同使用を含む整理,統合
計画を了承した。その中で,厚木基地については次のとおりとされた。「米
軍機及び米側要員の大部分は,昭和46年6月末までに移駐するが,艦隊
航空部隊西太平洋修理部を含む若干の米軍施設は,小規模な専用区域とし
て存続する。日本政府は,昭和46年6月30日までに本飛行場の運営及
び維持上の責任を負い,また,前記の米軍区域への出入を可能とし,かつ,
その他の米軍の運航上の必要を充たすため,然るべき共同使用の取決めが
行われる」。
イ日米合同委員会の補助機関である施設特別委員会(現在の名称は施設分
科委員会)は,昭和46年6月24日,日米合同委員会宛ての厚木基地に
関する覚書を作成した。この覚書は,米軍一時使用区域(後に厚木飛行場
となる部分)と日米共同使用区域の範囲をそれぞれ明示し,前者は日米地
位協定2条4項(b)による共同使用取決めにより我が国政府の施設に使用
転換されるとし,後者は同項(a)による共同使用区域とするとしている。
そして,米軍一時使用区域(厚木飛行場)の共同使用の取決めについて,
我が国政府は次の3点を了解するとしている。すなわち,①米軍一時使用
区域(厚木飛行場)は,米側航空機の米軍専用区域への出入りのため及び
その他の運航上の必要のために使用される,②日米地位協定の関連規定は
米側航空機が米軍一時使用区域(厚木飛行場)を使用する期間適用される,
③米軍一時使用区域(厚木飛行場)の運営及び維持は我が国政府の負担と
する,というのである。
この覚書は,同月25日,日米合同委員会によって承認された。
ウ同月29日,厚木基地の一部における上記覚書に従った共同使用及び使
用転換が閣議決定された。その中で,使用転換される厚木基地の米軍一時
使用区域(厚木飛行場)については次のような言及がある。すなわち,「使
用目的」として,「滑走路分等を海上自衛隊の管轄管理する施設とし,合
ママ
衆国軍隊に対しては地位協定第2条4項(b)の規定の適用のある施設及び
区域として一時使用を認める。」とあり,「備考」として,「1本件飛行
場は米側航空機による米側専用区域への出入のため及びそれに関連したそ
の他の運航上の必要をみたすために使用される。2合衆国軍隊がこの
施設を使用している期間は,地位協定の必要な条項が適用される。」とあ
る。
エこの閣議決定を踏まえ,同月30日,日米合同委員会において日米政府
間協定が締結されて厚木基地について共同使用及び使用転換が決定され,
同年7月6日に告示された(昭和46年防衛施設庁告示第7号)。
同告示の内容は前記第2部第1の2(2)ア記載のとおりであり,使用転
換されるのは厚木基地のうち別紙別紙別紙別紙6666図面の赤斜線部分(米軍一時使用区域
すなわち現在の厚木飛行場)であり,共同使用とされるのは同図面の黄色
部分(日米共同使用区域)であるとされている。同告示の摘要欄には,使
用転換の部分につき,「1滑走路部分等を海上自衛隊の管轄管理する施
設とし,合衆国軍隊に対しては昭和46年7月1日から地位協定2条4項
(b)の規定の適用のある施設及び区域として一時使用を認める。2合
衆国軍隊がこの施設を使用している期間は,地位協定の必要な条項が適用
される。」とあり,日米共同使用区域につき,「海上自衛隊第4航空群第
14航空隊等が航空施設として共同使用する。」とある。
一方,防衛庁長官は米軍一時使用区域に厚木飛行場を設置してこれを同
月1日に告示した(昭和46年防衛庁告示第131号)。
(3)日米地位協定2条4項(b)についての政府見解
証拠(甲A9の1・2)によれば,日米地位協定2条4項(b)について国
会において次のとおり我が国の政府見解が示されたことが認められる。
ア防衛庁長官(中曾根康弘)は,昭和46年2月27日開催の衆議院予算
委員会において,日米地位協定2条4項(b)の解釈について次のとおり答
弁した。
「第2条4項(b)に該当しますのは,要するにわがほうが管理権を持ちま
して,わがほうの責任において管理する,しかし一定期間を限って臨時に
米軍に使用を認める,わがほうが主であって,臨時に認められる米軍のほ
うは従でありあるいは客である,こういう関係で使用を認めるという態様
であります。そこで,いままで行ないましたケース等を全部検討いたしま
して,大体第2条4項(b)の解釈は次のようなものであろう,こういうこ
とでございます。
地位協定第2条第4項(b)でいう「一定の期間を限って使用すべき施設
・区域」とは,米軍の恒常的な使用が認められる通常の施設・区域(2条
1項(a))及び日本側が臨時に使用できる施設・区域(2条4項(a))とは
異なり,日本側のものではあるが,米軍の使用が認められ,その使用する
期間が何らかの形で限定されるものをいうが,かかる施設・区域としては,
実情に即して考えるに,一応次のごときものがあげられる。
年間何日以内というように日数を限定して使用を認めるもの。
日本側と調整の上,そのつど期間を区切って使用を認めるもの。
米軍の専用する施設・区域への出入のつど使用を認めるもの。
その他,右に準じて何らかの形で使用期間が限定されるもの。
右のごとく,使用期間を限定する方法については,当該施設・区域の態
様,使用のあり方,日本側の事情等々により必ずしも一定せず,個々の施
設・区域ごとに,具体的に定めるしかないが,いずれにせよわがほうの施
設を米軍に臨時に使用させるという二4(b)施設・区域の本質のワク内で
合理的に定めていく考え方であります。」
その上で,上記のうちに関し,質問者(崎弥之助議員)との間で次
のとおりのやり取りをした。
「崎委員まず専用しておる地区に出入をするために使うという場合に
は,おのずからその出入の態様だけに限られる。それを利用して,その出
入権を利用してそのほかの使用をするということは厳に禁ぜられるわけで
すね。」
「中曾根国務大臣その場合にはそうです。たとえばある滑走路,飛行場
の中の施設を先方が使用している場合に,飛行機で連絡に来るという場合
に滑走路を使用させる。これはその施設を利用するために滑走路に着陸し
て,施設に行くために滑走路を使用する,そういう意味でその主たる目的
に従ってその限定された使用が認められなければならぬ,こういう考えで
あります。」
「崎委員いまの考えでいきますと,飛行場の場合は,それじゃ滑走路
は事実上自由に使えるじゃありませんか。どうですか。」
「中曾根国務大臣それはその施設を使用するという目的に従って,その
期間を限って使用させるので,常に,常時開放的にいつでも認めるという
ものではないわけであります。」
「崎委員そうするとその際も期間を限るということはつくわけです
ね,いまのお答えによりますと。」
「中曾根国務大臣もちろんそうであります。そこが(a)その他と違うと
ころであります。」
イ外務省アメリカ局長(大河原良雄)は,昭和48年10月9日開催の衆
議院内閣委員会において,厚木基地への日米地位協定の適用について次の
ように説明した。
「厚木には,米軍に対しまして2条1項(a)に基づく施設,区域を提供し
てございまして,米軍はこれを補給,修理,管理のために使用いたしてお
ります。その隣接区域にございます滑走路の使用につきましては,米軍の
専用する施設,区域への出入のつど使用を認めるものという形態に属する
2条4項(b)の共同使用の形をとっているわけでございます。」
3判断
原告らは,厚木基地のうち厚木飛行場の部分は使用転換によって被告が管理
権を有することとなったから,領域主権の原則,日米地位協定又は昭和46年
の使用転換の際の日米政府間協定に基づき,被告は米軍の厚木基地の管理運営
の権限を制約し,その活動を制限し得る立場にあると主張する。
昭和46年6月30日の日米合同委員会において締結された日米政府間協定
の内容によれば,米国は,厚木飛行場について,日米地位協定2条4項(b)に
いう「合衆国軍隊が一定の期間を限って使用すべき施設及び区域」として被告
から一時使用を認められている。我が国の政府見解によると,この一時使用に
関しては四つの形態があるが,厚木飛行場については,そのうち「米軍の専用
する施設・区域への出入のつど使用を認めるもの」に当たるというのであり,
被告もこのことを争っていない。
原告らは,日米地位協定2条4項(b)についての我が国の政府見解を援用し
た上,「出入のつど」という文言を極めて厳格に解し,米軍機が,厚木基地内
の米軍専用区域から出て直ちに厚木飛行場を使用して離陸する場合,逆に,厚
木飛行場に着陸して直ちに厚木基地内の米軍専用区域に行く場合のみがこれに
当たると主張する。しかし,厚木飛行場の一時使用に関しては上記のとおり日
米政府間協定が成立しているのであるから,日米地位協定2条4項(b)に関す
る我が国の政府見解を検討するよりもまず,この協定によって成立した合意の
内容を検討しなければならない。
そこでこの協定締結までの経緯をみると,昭和46年6月25日の日米合同
委員会において次の3点が承認されている。すなわち,①厚木飛行場は,米側
航空機の米軍専用区域への出入りのため及びその他の運航上の必要のために使
用される,②日米地位協定の関連規定は米側航空機が厚木飛行場を使用する期
間適用される,③厚木飛行場の運営及び維持は我が国政府の負担とする,とい
うのである。そして,同月29日の閣議決定を踏まえ,同月30日の日米合同
委員会において日米政府間協定が締結された。このように,厚木飛行場は,米
軍機の米軍専用区域への「出入りのため及びその他の運航上の必要のため」に
使用されることが日米間で合意されている。しかもこれは,使用転換の発端と
なった昭和45年12月21日の日米安全保障協議委員会において,「米軍区
域への出入を可能とし,かつ,その他の米軍の運航上の必要を充たすため,然
るべき共同使用の取決めが行われる」とされたことを踏まえているのである。
この経緯によれば,米軍は米軍機の運航上の必要がある限り厚木飛行場を使用
することができるというのが上記合意の内容であると解され,米軍が米軍機の
運航上の必要があるとして厚木飛行場を使用しようとする場合に,海上自衛隊
がその是非を検討して場合によってはこれを拒否し得るなどということは,日
米両政府において全く想定されていないと解される。
原告らは,昭和46年6月29日の閣議決定では,上記の①につき,「出入
のため及びそれに関連したその他の運航上の必要をみたすため」という文言に
なっており,「それに関連した」という限定が付いているからこれに従った厳
格な解釈をすべきであると主張するが,上記の①と閣議決定とでその趣旨に差
異があるとは解されず,その主張を採用することはできない。
以上のとおり,昭和46年6月30日の日米政府間協定は原告らの主張の根
拠となるものではなく,ほかに,日米地位協定にも,その他の関係条約や国内
法令にも,米軍が米軍機の運航上の必要があるとして厚木飛行場を使用しよう
とする場合に,被告がその活動を制限し得る根拠となる規定は存在しない。
したがって,厚木基地最判の判示するとおり,原告らの米軍機の差止請求は,
被告に対してその支配の及ばない第三者の行為の差止めを請求するものという
べきであるから,その余の点について判断するまでもなく主張自体失当として
棄却を免れない。
第4過去の損害の賠償請求
1判断枠組み
厚木飛行場は防衛大臣が設置・管理している飛行場であり,国家賠償法2条
1項にいう「公の営造物」に当たる。原告らは,厚木飛行場に離着陸する航空
機の騒音等により被害を受けていることをもって,厚木飛行場の設置又は管理
には瑕疵があるとし,被告は賠償責任を免れないと主張する。
国家賠償法2条1項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは,営造物が通常
有すべき安全性を欠いている状態すなわち他人に危害を及ぼす危険性のある状
態をいうが,これは営造物が使用目的又は供用目的に沿って利用されることと
の関連においてその利用者以外の第三者に対して危害を生じさせる危険性があ
る場合をも含むものであり,営造物の設置・管理者においてこのような危険性
のある営造物を使用及び利用に供し,その結果第三者に社会生活上受忍すべき
限度を超える被害が生じた場合,すなわちその使用及び供用の違法性が肯定さ
れる場合には,原則として同項の規定に基づく責任を免れることができないも
のと解すべきである。
そして,営造物の使用及び供用が第三者に対する関係において違法な権利侵
害ないし法益侵害となり,営造物の設置・管理者において賠償義務を負うかど
うかを判断するに当たっては,侵害行為の態様と侵害の程度,被侵害利益の性
質と内容,侵害行為の持つ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等を比較
検討するほか,侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況,その間に採ら
れた被害の防止に関する措置の有無及びその内容,効果等の事情をも考慮し,
これらを総合的に考察してこれを決すべきものである(以上につき,大阪空港
最判,厚木基地最判及び平成5年横田基地最判参照)。
本件では,この見地から,被告による厚木飛行場の使用及び供用が周辺住民
である原告らに対する関係において違法な権利侵害ないし法益侵害となるか否
かを判断すべきである。
2W値の算定方式について
(1)W値の算定は防衛施設庁方式によるべきか環境基準方式によるべきか
ア前記のとおり,航空機騒音を評価する代表的な指標としてdBとW値があ
り,厚木飛行場周辺の航空機騒音についてもこれらの指標に基づいて検討
を加えるべきである。ところが,W値については防衛施設庁方式と環境基
準方式という異なった算定方式があり,そのいずれを採用すべきかについ
て当事者間に争いがあるので,まずこの点について判断する。
イ環境整備法に基づく第一種区域等の指定をする基準となるW値の算定に
ついて防衛施設庁長官が防衛施設庁方式を採用した理由は,証拠(甲A7,
22,23,24の1・2,甲C1の1~7・13,68,73,94,
乙C44,証人田村明弘)及び弁論の全趣旨によれば次のとおりであると
認められる。
民間航空機が使用する公共用飛行場では,1年を通して飛行回数に大き
な増減がなく,飛行経路も一定である。また,離着陸する航空機の機種が
限られている上,耐空証明など航空法所定の各種証明制度が存在すること
もあり,騒音の特徴や継続時間にも機種による大きな違いがない。
これに対し,防衛施設すなわち自衛隊等(自衛隊又は米軍)の航空機が
使用する飛行場では,航空機の飛行回数も飛行経路も日によって異なる。
また,離着陸する航空機の機種が多種多様であることや離着陸の態様に違
いがあることから,機種の違い(特にジェット機,プロペラ機等による違
い)や高度の違いによって騒音の態様ないし程度に差異が生ずる。
公共用飛行場と防衛施設である飛行場との間のこのような違いは,周辺
住民の騒音に対する反応にも差異をもたらす。そのため,防衛施設である
飛行場の周辺において環境基準方式によってW値を算定した場合,公共用
飛行場の周辺において算定したW値と同じ数値であったとしても,騒音に
対する住民の反応が同じであるとは直ちにはいえないことになる。そこで,
公共用飛行場と防衛施設である飛行場との間でW値に整合性が保たれるよ
うにするため,すなわち公共用飛行場であっても防衛施設である飛行場で
あってもW値が同じであれば同じ住民反応が示されるといえるようにする
ため,音響の専門家による調査研究を踏まえて,防衛施設庁方式によるW
値の算定方法が考案されたのである。
具体的にいうと,日によって騒音を受ける回数にばらつきがある場合,
「うるささ」についての人間の感覚が,比喩的にいえば「大きい方に引き
寄せられて感じる」という特性をもつことから,騒音回数が多く騒音程度
の著しい日の騒音に強い印象を受けることが知られている。防衛施設であ
る飛行場周辺において住民反応を調査した研究結果からも,1日の航空機
数に変動がある場合には,一定期間内の平均機数を基準にしたW値よりも
数多く飛行した日を基準にしたW値が,周辺住民の反応に比例することが
示された。防衛施設庁方式において累積度90%方式が採用されたのはこ
のためである。また,継続時間補正及び着陸音補正も,防衛施設である飛
行場の実態を考慮した補正方法である。
ウ上記イの採用理由は,音響の専門家として防衛施設庁方式の策定に携わ
った田村明弘横浜国立大学名誉教授の説明するところであるとともに(甲
C1の1~7,22,23,24の1・2,証人田村明弘),第3次訴訟
において,当時防衛施設庁横浜防衛施設局に勤務していた職員が証言した
ところでもある(甲A7)。
これに対し被告は,防衛施設庁方式は,環境整備法に基づく周辺対策を
手厚く実施するため,その実施範囲を広くするように配慮して,実際の飛
行回数の算術平均を上回る飛行回数を計上するなどして環境基準方式を調
整したものであり,防衛施設庁方式によって算定されたW値は,対象期間
に現実に発生した騒音の内容・程度を反映していないから,航空機騒音の
評価指標としては環境基準方式によって算定されたW値を採用すべきであ
ると主張する。
被告の主張に鑑み,航空機騒音に関する法令の仕組みを検討する。前記
のとおり,民間航空機が使用する公共用飛行場については航空機騒音防止
法があり,防衛施設である飛行場については環境整備法がある。このほか,
特定空港の周辺について航空機の騒音により生ずる障害を防止することな
どを目的として制定された特定空港周辺航空機騒音対策特別措置法(以下
「航空機騒音特措法」という。)がある。現在,同法が適用される特定空
港として指定されている空港は成田国際空港のみである(同法2条1項,
特定空港周辺航空機騒音対策特別措置法施行令1条)。これらの法律及び
その下位の政省令の内容を,W値の算定方法が規定されていた時点,すな
わち現行環境基準が適用される前の時点において比較すると,次のとおり
である。
前記のとおり,航空機騒音防止法及び環境整備法はいずれも,飛行場周
辺における住宅防音工事の助成等及びその対象となる区域の指定について
定めている。旧航空機騒音防止法施行令は,上記の区域の指定に関し,航
空機の離陸又は着陸に伴う騒音の影響度をその騒音の強度,発生の回数及
び時刻等を考慮して国土交通省令で定める算定方法で算定した値が,その
区域の種類ごとに国土交通省令で定める値以上である区域を基準として行
うものとすると規定し(6条),これを受けた旧航空機騒音防止法施行規
則は,昭和48年環境基準に定められた算式と同じ算式によって区域指定
の基準となる値(すなわちW値)を算出するものとし(1項1号),その
値は,当該飛行場を使用する航空機の型式,飛行回数,飛行経路,飛行時
刻等に関し,年間を通じての標準的な条件を設定し,これに基づいて算定
するものとしていた(同項2号)。一方,環境整備法施行令は,上記の区
域の指定に関し,自衛隊等の航空機の離陸,着陸等の頻繁な実施により生
ずる音響の影響度をその音響の強度,その音響の発生の回数及び時刻等を
考慮して防衛省令で定める算定方法で算定した値が,その区域の種類ごと
に防衛省令で定める値以上である区域を基準として行うものとすると規定
し(8条),これを受けた旧環境整備法施行規則は,昭和48年環境基準
に定められた算式と同じ算式によって区域指定の基準となる値(すなわち
W値)を算出するものとし(1条1項,2項),防衛大臣は,これらの値
の算定に当たっては,自衛隊等の航空機の離陸,着陸等が頻繁に実施され
ている防衛施設ごとに,当該防衛施設を使用する自衛隊等の航空機の型式,
飛行回数,飛行経路,飛行時刻等に関し,年間を通じての標準的な条件を
設定し,これに基づいて行うものとしていた(同条3項)。
以上のとおり,旧航空機騒音防止法施行規則も,旧環境整備法施行規則
も,W値の算定方法としては同一の定めを置いており,ただ,「年間を通
じての標準的な条件」の設定については,飛行場ごとの実態に即して行う
べきものとしていたのである。
航空機騒音特措法は,特定空港(前記のとおり,成田国際空港のことで
ある。)の周辺において航空機騒音障害防止地区及び航空機騒音障害防止
特別地区を定めることができるとし(4条),それぞれの地区に応じた土
地利用の規制等を定めている(5条以下)。特定空港周辺航空機騒音対策
特別措置法施行令(平成24年政令第253号による改正前のもの。以下
「旧航空機騒音特措法施行令」といい,同改正後すなわち現行のものを「航
空機騒音特措法施行令」という。)は,これらの地区の定めに関し,航空
機の離陸又は着陸に伴う騒音の影響度をその騒音の強度,発生の回数及び
時刻等を考慮して国土交通省令で定める算定方法で算定した値が一定の値
以上である地域を基準とすると規定し(2条,3条1項1号),これを受
けた特定空港周辺航空機騒音対策特別措置法施行規則(平成24年国土交
通省令第79号による改正前のもの。以下「旧航空機騒音特措法施行規則」
といい,同改正後すなわち現行のものを「航空機騒音特措法施行規則」と
いう。)は,昭和48年環境基準に定められた算式と同じ算式によってそ
の基準となる値(すなわちW値)を算出するものとし(2条1号),その
値は,おおむね10年後において当該特定空港を使用すると予想される航
空機の騒音の強度,飛行回数,飛行経路,飛行時刻等に関し,年間を通じ
ての標準的な条件を想定し,これに基づいて算定するものとしていた(同
条2号)。これも,W値の算定方法としては旧航空機騒音防止法施行規則
及び旧環境整備法施行規則と同一の定めであり,ただ,「年間を通じての
標準的な条件」の想定は,当該特定空港の実態に即して行うべきものとし
ていたのである。
W値の算定方法に着目したため,以上の比較は昭和48年環境基準に対
応していた当時の旧規定に基づいて行ったが,現行環境基準に対応して改
正された後の現行法令の各規定においても,W値の算定方法に代えて時間
帯補正等価騒音レベルの算定方法が定められることとなった点で差異があ
るのみであり,その算定を同一の方法で行うべきであるとする各法令の仕
組み自体に変更はない(航空機騒音防止法施行令6条,航空機騒音防止法
施行規則1項,環境整備法施行令8条,環境整備法施行規則1条,航空機
騒音特措法施行令2条,3条,航空機騒音特措法施行規則2条)。
航空機騒音に関する法令は,以上にみたとおり,飛行場周辺の航空機騒
音についてはいずれも同一の方法によって算定されたW値を指標とすべき
ことを定めており,ただ,W値を具体的に算定する際の「年間を通じての
標準的な条件」の設定ないし想定については,対象となる飛行場の実態に
即して行うべきものとしている。そして,ここにいう「条件」は,「航空
機の型式,飛行回数,飛行経路,飛行時刻」等の航空機騒音に関する客観
的事情に関するものでなければならない。したがって,どの法令も,対象
となる飛行場の航空機騒音の客観的事情から離れた事情を考慮して上記
「条件」を設定することは許容していないと解される。
防衛施設庁方式によるW値の算定方法は,この見地から,防衛施設であ
る飛行場に特有の航空機騒音の客観的事情に基づいて考案されたものであ
ると認められ,環境整備法及びその下位の政省令の趣旨に適合するもので
ある。平成18年1月の告示によって行われた第一種区域等の変更も,平
成15年度及び平成16年度に行われた騒音度調査の結果に基づいて,実
態に合わせて行われたものであり,これも環境整備法及びその下位の政省
令の趣旨に適合するものと解される。
これに対し,被告の主張するような,防衛施設である飛行場の周辺にお
ける周辺対策を手厚く実施するためその適用範囲を広くするといった事情
は,当該飛行場の客観的事情に即した「条件」の設定,具体的にいえば「当
該防衛施設を使用する自衛隊等の航空機の型式,飛行回数,飛行経路,飛
行時刻等」に関する「年間を通じての標準的な条件」の設定をするに当た
り考慮すべき事情には含まれないから,そのような事情を考慮することは,
環境整備法及びその下位の政省令が許容するものではないというべきであ
る。
以上のとおり,航空機騒音に関する法令の仕組みを検討しても,防衛施
設庁方式が採用されたのは上記イの理由からであると認められる。これを
否定し,防衛施設庁方式が採用されたのは周辺対策を手厚く実施するとい
う政策的考慮からであるとする被告の主張は,法令の趣旨に反するといわ
ざるを得ないし,防衛施設庁長官がこれまで実施してきた環境整備法に基
づく施策の在り方とも矛盾する不合理な主張といわざるを得ない。
エしたがって,厚木飛行場周辺における航空機騒音を評価する指標として
は,防衛施設庁方式によって算定されたW値を採用すべきである。環境基
準方式によって算定されたW値も,測定データに基づくものである以上,
意味のあるものではあるが,防衛施設庁方式によって算定されたW値を参
照することができない場合に参考として用いることができる指標にすぎな
いというべきである。そして,前記のとおり,防衛施設である飛行場周辺
において防衛施設庁方式によって算定されたW値と環境基準方式によって
算定されたW値を比較すると,前者が後者より3~5程度大きくなるので
あるから,厚木飛行場周辺の測定地点における測定結果が,防衛施設庁方
式によって算定されたW値ではなく,環境基準方式によって算定されたW
値である場合は,その値に3~5を加えたものが,実際にその地点におい
て住民が感じる騒音であると判断すべきである。
(2)被告の主張する「昼間騒音控除後W値」の評価
被告は,環境基準方式によって算定したW値を採用すべきであるとの主張
から更に進んで,被告の考案した「昼間騒音控除後W値」を厚木飛行場の周
辺における航空機騒音の指標として採用すべきであると主張する。
昼間騒音控除後W値とは,環境基準方式を採用し,次の算式によってW値
を算定するが,その際,平日昼間の時間帯(午前9時から午後5時)の騒音発
生回数すなわち航空機の飛行回数を0として計算するというものである。し
たがって,N2の数値が実際の航空機の機数よりも相当減少することになり,
これに従って算定されるW値も相当減少することとなる。
dB(A)+10log10N-27
N=N2+3N3+10(N1+N4)
N1:午前0時から午前7時までの間の航空機の機数
N2:午前7時から午後7時までの間の航空機の機数
N3:午後7時から午後10時までの間の航空機の機数
N4:午後10時から午後12時までの間の航空機の機数
被告は,このようにして算定された昼間騒音控除後W値こそが,厚木飛行
場の周辺住民の「共通実騒音曝露量推計値」であり,本件で問題とすべき「共
通実騒音曝露量」に代わり得るものとして採用すべきものであると主張する。
この昼間騒音控除後W値なるものは,W値とは実騒音の曝露量(人がさら
される実際の航空機騒音の量)を示す指標であるととらえた上で,平日の午
前9時から午後5時までの間,厚木飛行場から離れた場所にいてその影響を
受けずにいる者(居住地から遠く離れた場所で勤務する就業者等がこれに当
たる。)を想定し,その者が厚木飛行場の発する騒音にさらされる量を数値
化しようとするものと解され,騒音対策の前提として一定の地域の受ける騒
音を把握するための指標として旧航空機騒音防止法施行規則,旧環境整備法
施行規則及び旧航空機騒音特措法施行規則が定めていたW値とは全く異なる
概念である。被告の主張するとおりW値が実騒音の曝露量を示す指標であり,
かつ,平日昼間の騒音を除いた騒音の曝露量を算出するために被告の採用す
る方法が正しいといえるのであば,昼間騒音控除後W値は,平日昼間に厚木
飛行場周辺から離れる就業者等がさらされる厚木飛行場の発する騒音の量を
示す指標として用いることができ,その限度で意義を見いだし得ないもので
はない。しかし,旧航空機騒音防止法施行規則,旧環境整備法施行規則及び
旧航空機騒音特措法施行規則の定めるW値の算式(被告が昼間騒音控除後W
値を導出するために採用する算式自体はこれと同じである。)からも分かる
とおり,W値は,早朝,夜間及び深夜における航空機の機数に重み付けを行
って算定するものであり,これが実騒音の曝露量といえるのかについては疑
問があり,また,被告の主張する算出方法が科学的な裏付けを有することに
ついても的確な証拠はない。
さらに,上記の限度で昼間騒音控除後W値に意義を見いだすことができた
としても,本件において原告らは,一定の騒音にさらされている地域に居住
する原告らにつき,その騒音を原因とする共通被害をもって損害と主張する
ものであって,個々の原告が受ける実騒音曝露量を根拠とする個別の騒音被
害を主張しているわけではない。このような共通損害について,昼間騒音控
除後W値のような指標を用いる余地がないことは,後記4(4)において説示
するとおりである。
したがって,本件において昼間騒音控除後W値なる概念を用いることは必
要ではないし,また,相当でもないというべきである。
3厚木飛行場周辺の航空機騒音をめぐる客観的事実
(1)検討の対象とすべき地域
原告らは75W以上の地域に居住していることを損害賠償請求の根拠とし
ており,これを前記1で示した判断枠組みに引き直せば,厚木飛行場の使用
及び供用は,75W以上の地域に居住している(あるいは居住していた)原
告らに対する関係において違法な権利侵害ないし法益侵害になる,というの
が原告らの主張である。ここにいう「75W以上の地域」とは,第一種区域
線によってその外側の地域から画された地域全体を意味するものであること
は前記のとおりである。
したがって,本件においては,75W以上の地域における航空機騒音の実
状及びこれによって原告らが受けているとする被害の実態を検討すれば足り
る。
いうまでもないことであるが,飛行場の周辺地域における騒音の評価指標
としてW値(前記のとおり,本件では防衛施設庁方式によって算定したもの)
を採用するという場合,その数値は,航空機騒音防止法,環境整備法,航空
機騒音特措法及びこれらの下位の政省令の定めからしても,また,環境整備
法に基づき防衛施設庁長官が実際に第一種区域等を指定してきたその指定の
在り方からしても,屋外におけるW値を意味する。実際にも,屋内における
騒音の程度は,その住居がどのような材質や構造であるか,住宅防音工事を
実施しているか,窓や扉を開けているか否かなど,個々の住民の事情によっ
て大きく異なり得るから,屋内におけるW値は判断基準にし難い。屋外にお
けるW値こそが,本件において問題とすべき周辺住民全員に共通する騒音の
影響について判断するための有効な指標となるのである。
以下,この見地から検討する。
(2)原告らの居住地,居住期間(転居,死亡を含む。)その他の事情
ア原告らは,過去の損害の賠償請求につき,請求期間において厚木飛行場
周辺の75W以上の地域に居住していたことをその根拠としている。
そこで,原告らそれぞれについて,請求期間における居住地及び居住期
間を示すと,別紙別紙別紙別紙21212121(損害賠償認容額一覧表)(以下「別紙別紙別紙別紙21212121一覧表」
という。)の「居住期間」欄及び「居住地」欄中の「住所」欄のとおりで
ある。また,その居住地が75Wの地域か,80Wの地域か,85Wの地
域か,90Wの地域か,95Wの地域か,あるいは指定区域外かについて
は,別紙別紙別紙別紙21212121一覧表の「居住地」欄中の「W値」欄のとおりである。この
「W値」欄には,その居住期間において現に妥当している防衛施設庁の告
示等によって定まるW値を記載した。したがって,同じ居住地であっても,
平成18年1月の第一種区域等の指定の告示等の前後でW値が異なること
がある。以上の事実は,当事者間に争いがないか,証拠(甲地域別1,甲
地域別3,甲地域別4,甲地域別12,甲地域別13のほか,原告らの陳
述書等及び本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨により認められる。
以上の各点の事実認定については,別紙別紙別紙別紙20202020(原告ら個別の事情につい
ての補足説明)の1において説明を補足する。
イ弁論の全趣旨によれば,別紙別紙別紙別紙3333(死亡原告目録)記載の原告ら(以下「死
亡原告ら」という。)が本件口頭弁論終結時よりも前に死亡したこと,こ
のうち同別紙別紙別紙別紙に※を付記した原告10名(いずれも第1事件原告)は,第
1事件の訴えが提起された平成19年12月17日の時点で既に死亡して
いたことが認められる。
提訴前に死亡した上記10名の原告らについて,被告は,当事者能力を
欠くからその訴えは不適法であると主張するので,検討する。記録によれ
ば,これらの原告らはいずれも,その死亡前,原告ら訴訟代理人弁護士ら
に第1事件について適法に訴訟委任をしたこと,原告ら訴訟代理人弁護士
らは死亡の事実を知らずに第1事件の訴状を当裁判所に提出し,これが被
告に送達され,審理が進められてきたことが認められる。このような場合,
民訴法58条1項1号,124条1項1号,2項を類推適用して,訴えの
提起を適法と認め,これらの原告らの相続人が訴訟承継をしたものと解す
べきである(最高裁昭和51年3月15日第二小法廷判決・裁判集民11
7号181頁(判例時報814号114頁)参照)。したがって,これら
の原告らの訴えは適法である。
ウ別紙別紙別紙別紙19191919(第3次訴訟原告目録)記載1の原告らが,第3次訴訟におい
て本件訴訟の請求期間と重なる期間について本件と同様の損害賠償を請求
し,第3次判決においてその口頭弁論終結時である平成17年7月26日
までの期間に対応する請求を認容されていることは当裁判所に顕著であ
る。また,同別紙別紙別紙別紙記載2の原告が,同様に第3次訴訟において本件訴訟の
請求期間と重なる同年1月19日までの期間に対応する請求を認容されて
いることは当裁判所に顕著である。
これらの原告らの請求のうち,前者については同年7月26日まで,後
者については同年1月19日までの期間に対応する部分については,これ
を認容する確定した給付判決である第3次判決が既に存在し,重ねて判決
を得なければならない事情も認められないから,訴えの利益が認められな
い。したがって,これらの原告らの上記各日までの期間に対応する請求に
係る訴えは不適法として却下すべきである。
(3)航空機の飛行計画,飛行経路等
証拠(甲A1,甲C64,甲D2の362・363,乙A69の1・2)
及び弁論の全趣旨により認められる事実は次のとおりである。
厚木飛行場における航空機の離着陸の予定があらかじめ公表されることは
ない。米海軍は,NLPが周辺住民に与える影響の大きさに鑑み,NLPを
実施する場合に限って,これを実施することを事前に防衛省に通告すること
としており,これについては公表されるが,通告が直前になることもある。
厚木飛行場に離着陸する航空機の飛行経路は様々であり,一定していない
が,防衛施設庁長官が平成15年度及び平成16年度に行った航空機騒音度
調査の結果によれば,南から北へ向かって着陸及び離陸を行う場合(北風の
場合)はおおむね別紙別紙別紙別紙8888(乙A69の2添付図6-1)のとおりであり,北
から南へ向かって着陸及び離陸を行う場合(南風の場合)はおおむね同同同同9999(同
添付図6-2)のとおりである。
厚木飛行場を使用するのは米軍機と自衛隊機であるが,離着陸回数は米軍
機によるものが多く,正確な比率は不明であるものの,厚木飛行場周辺の航
空機騒音の多くを米軍機の発する騒音が占める。特に,著しく大きな騒音を
発する大型ジェット機は全て米軍機である。
(4)航空機騒音の特徴
証拠(甲C1の1~3・7・10,4,9,68,乙C24,36)及び
弁論の全趣旨により認められる事実は次のとおりである。
防衛施設である飛行場の周辺における航空機騒音については,次のような
特徴がある。
航空機騒音は間欠的な騒音であり,騒音の持続時間も,1機のみであれば,
飛行場に近い地点でも数十秒程度にとどまる。一方で,飛行中の航空機が発
する騒音は,空中から周辺地域全体に広がり,周辺に居住する住民がこれを
遮断することは困難である。
防衛施設である飛行場に離着陸する航空機には,航空機の騒音に関する基
準などを定めた耐空証明の制度が適用されない(自衛隊法107条1項,航
空法特例法2項,航空法11条)。そのため,これらの航空機,特にジェッ
ト機は,騒音のピークレベルが極めて高く,滑走路から1㎞ほど離れた地点
でも110dBを超えることが珍しくない。また,騒音に高周波成分が多く含
まれ,耳慣れない金属的な音質を有する。プロペラ機やヘリコプターは,騒
音のピークレベルはジェット機よりも低いが,低周波音が強く感じられるこ
とがある。
防衛施設である飛行場においては,離着陸する航空機の飛行経路や飛行の
予定が公表されないため,いつ,どの場所に航空機が出現するのか,したが
って,いつ,どの場所から騒音が発せられるのかを予測できず,周辺住民が
あらかじめ騒音に対処することは困難である。また,交通機関が発する騒音
に関しては,その音源に対する周辺住民の意識がうるささの感じ方に影響す
ることが知られており,防衛施設の航空機騒音は,自らも利用する鉄道や道
路からの騒音と比較して,住民にとっては受け入れにくく,うるさく感じる
程度が大きいとされている。
(5)75W以上の地域における航空機騒音の大きさの推移
第3次判決の口頭弁論の終結の日が平成17年7月26日であり,厚木飛
行場周辺におけるそれ以前の騒音については同判決によって既に認定されて
いること,原告らが早くとも同年1月1日以降の航空機騒音による被害を主
張して損害賠償を請求していることを踏まえれば,本件においては平成17
年以後の騒音について認定すれば足りる。その状況は,証拠(括弧内掲記の
もの)及び弁論の全趣旨によれば次のとおりである。
ア被告騒音測定データの推移(乙A8,13から15まで,35,99,
100,178)
被告は,別紙別紙別紙別紙10101010(被告最終準備書面添付第1表)のとおり,厚木飛行
場周辺に航空機騒音自動測定装置を設置し,継続的に航空機騒音を測定し
ている。
この測定データを集計し,測定地点ごとに,平成15年から平成24年
まで各年のW値の推移を示したものが別紙別紙別紙別紙11111111(被告最終準備書面添付第
2表)であり,各年の騒音発生回数の推移を示したものが同同同同12121212(被告最
終準備書面添付第3表)である。そして,上記W値の推移を折れ線グラフ
で示したものが同同同同13131313(被告最終準備書面添付第4表)であり,上記騒音
発生回数の推移を折れ線グラフで示したものが同同同同14141414(被告最終準備書面
添付第5表)である。
これらの別紙別紙別紙別紙の測定データについて注意すべきは,そこで示されている
W値が環境基準方式(上記各別紙別紙別紙別紙には「環境庁方式」と記載されている。)
によって算定されていることである。前記のとおり,厚木飛行場周辺の騒
音の指標としては防衛施設庁方式によって算定されたW値を用いるべきで
あり,その値は環境基準方式によって算定されたW値に3~5を加えたも
のである。また,上記の各測定地点が第一種区域線等によって画されるい
ずれの地域であるのかが記載されていないのでこれをここに記すと,次の
とおりである(「外」とあるのは指定区域外を指す。)。
No.195WNo.9-1外No.1685W
No.295WNo.9-2外No.17外
No.385WNo.1080WNo.18外
No.475WNo.1175WNo.1975W
No.580WNo.1280WNo.20外
No.685WNo.1375WNo.21外
No.780WNo.1475WNo.22外
No.885WNo.1580WNo.23外
以上を踏まえて,まずW値に着目する。上記の各測定地点において防衛
施設庁方式によって算定されたW値の正確な数値は不明であるが,上記の
別紙別紙別紙別紙11111111(第2表)の数値に4を加えたものがおおむねこれに相当する。
そうすると,75W以上の地域にある測定地点においては,そのほとんど
の地点で,平成15年から平成24年までのほとんどの期間,平成18年
1月の告示又は設定によって定められたW値を上回るかこれとほとんど変
わらない数値が測定されていることが分かる。同同同同13131313(第4表)の折れ線
グラフによってもこのことは明らかであり,平成15年以降,W値の数値
はいずれの測定地点においてもほぼ横ばいであり,近年においてははやや
増加傾向が見られる。
次に騒音発生回数に着目すると,NO.1~No.16の測定地点においては
ほぼ同様の傾向が見られ,平成15年から平成22年にかけて騒音発生回
数は緩やかに減少し,その後増加に転じている。それでも,平成24年の
騒音発生回数は,平成15年に比べるとかなり少なくなっている。これだ
けを見ると騒音の影響は緩和されているように考えられる。しかし,騒音
発生回数が少なくなっているにもかかわらず上記のとおりW値にほとんど
変化がないのは,全体の騒音発生回数の減少を埋め合わせる形で,相対的
に,ピークレベルの高い騒音の発生回数が増加しているからであると考え
られる。75W以上の地域では,平成24年における全体の騒音発生回数
自体極めて多数回に上っている上,以上の点を考慮すると,騒音発生回数
のみを考慮したとしても,平成15年以降,騒音の影響が緩和されている
と断ずることはできない。
イ自治体騒音測定データの推移(甲B1から24まで(全ての枝番号を含
む。))
(ア)厚木飛行場の周辺自治体は,別紙別紙別紙別紙15151515(原告最終準備書面添付別表1)
及び同同同同16161616(原告最終準備書面添付図1)のとおり,厚木飛行場周辺に
自動記録騒音計を設置し,継続的に航空機騒音を測定している(ただし,
別紙別紙別紙別紙15151515のNo.2の「旧コンター」の欄に「80」とあるのは「85」
に訂正する。)。
この自治体騒音測定データを集計し,測定地点No.1,No.2,No.5
及びNo.12の四つの測定地点における古くは昭和45年から平成24
年までの各年のデータの推移を示したものが別紙別紙別紙別紙17171717(原告最終準備書
面添付別表2から5まで)である。ただし,別表4の左上欄外に「大和
市東800メートル地点(S46~H17.6)/大和市南500メー
トル地点(H17.7~)」とあるのは,「大和市南南東800メート
ル地点(S46~H17.6)/大和市南500メートル地点(H17.
7~)」に訂正する(別表4の測定地点は,平成17年6月までは月生
田宅,同年7月以降は大和市営渋谷西庭球場である。)。
これらの別表の用語を説明すると,「最高音」は,5秒以上の継続騒
音におけるピークレベルのうちで最もホン値が高かった音のホン値をい
い(ホン値はdB値と同じなので,以下dBで示す。),「騒音測定回数」は,
1日に測定された一定のdB値以上でかつ5秒以上の継続騒音の測定回数
をいい,「音量別回数」欄の「80ホン以上」は,80dB以上の騒音測
定回数が70dB以上の騒音測定回数全体に占める割合(%)を,同じく
「90ホン以上」は,90dB以上の騒音測定回数が70dB以上の騒音測
定回数全体に占める割合(%)をいい,「騒音持続時間」は,1日に測
定された一定のdB値以上でかつ5秒以上の継続騒音の合計時間をいう。
これを簡略にまとめると,次のとおりである。
aNo.1の測定地点(別紙別紙別紙別紙17171717のうち別表2)(野沢宅/滑走路の北
約1㎞/95Wの地域)
平成16年以降の騒音測定回数及び騒音持続時間は,平成22年ま
では緩やかに減少したが,その後増加の傾向にある。平成16年と平
成24年を比較すると,減少はしているがその度合いが顕著であると
はいえない。平成24年における70dB以上の騒音測定回数は,最高
で365回/日,平均で52.7回/日であり,70dB以上の騒音持
続時間は,最高で1時間50分40秒/日,平均で10分29秒/日
である。同じく平成24年における日曜日の70dB以上の騒音測定回
数は456回/年,深夜(午後10時から翌日午前6時まで。以下同
じ。)の70dB以上の騒音測定回数は81回/年である。
bNO.2の測定地点(別紙別紙別紙別紙17171717のうち別表3)(神奈川県企業庁大和
水道営業所/滑走路の北約2㎞/90Wの地域(平成18年1月まで
は85Wの地域))
平成16年以降の騒音測定回数及び騒音持続時間の傾向はNo.1の
測定地点と同じである。平成24年における70dB以上の騒音測定回
数は,最高で259回/日,平均で42.2回/日であり,70dB以
上の騒音持続時間は,最高で1時間27分03秒/日,平均で9分2
1秒/日である。同じく平成24年における日曜日の70dB以上の騒
音測定回数は386回/年,深夜の70dB以上の騒音測定回数は68
回/年である。
cNo.5の測定地点(別紙別紙別紙別紙17171717のうち別表4)(平成17年6月まで
は月生田宅/滑走路の南南東約800m//同年7月以降は大和市営渋
谷西庭球場/滑走路の南約500m/90Wの地域)
平成16年以降の騒音測定回数及び騒音持続時間は,平成18年に
かけてやや増加した後,平成21年まで緩やかに減少したが,その後
増加の傾向にある。平成16年と平成24年を比較すると,減少はし
ているがその傾向が顕著であるとはいえない。平成24年における7
0dB以上の騒音測定回数は,最高で433回/日,平均で61.3回
/日であり,70dB以上の騒音持続時間は,最高で44分50秒/日,
平均で10分54秒/日である。同じく平成24年における日曜日の
70dB以上の騒音測定回数は410回/年,深夜の70dB以上の騒音
測定回数は128回/年である。
dNo.12の測定地点(別紙別紙別紙別紙17171717のうち別表5)(森山宅/滑走路の
南西約2㎞/85Wの地域(平成18年1月までは80Wの地域))
平成16年以降の騒音測定回数及び騒音持続時間は,平成22年ま
で緩やかに減少したが,その後増加の傾向にある。平成16年と平成
24年を比較すると,減少はしているがその傾向が顕著であるとはい
えない。平成24年における70dB以上の騒音測定回数は,最高で4
39回/日,平均で49.5回/日であり,70dB以上の騒音持続時
間は,最高で2時間36分48秒/日,平均で10分15秒/日であ
る。同じく平成24年における日曜日の70dB以上の騒音測定回数は
271回/年,深夜の70dB以上の騒音測定回数は88回/年である。
(イ)W値による騒音状況の分析
自治体騒音測定データが示す年間W値について,第3次判決の基礎と
された期間である平成9年から平成16年までの推移と,平成17年か
ら平成24年までの推移を整理したものが,次の表1・2である。自治
体騒音測定データのW値は環境基準方式によって算定されたものであ
り,これを防衛施設庁方式によって算定されたW値に換算する必要があ
るため,両者の差である3~5の平均である4を加算した。
表1と表2を基に,防衛施設庁方式近似W値(上記のとおり自治体騒
音測定データの年間W値に4を加えたもの)について平成9年から平成
16年までの平均と平成17年から平成24年までの平均を比較してみ
ると,平成18年1月の新たな第一種区域線等の告示又は工法区分線等
の設定の前に80W以上であった地域(ただし,旧工法区分線によって
画された80Wの地域を除く。)すなわちNo.1~5,11,12の各
測定地点のある地域においては,No.4,5の各測定地点では後者の値
が前者の値を上回り,その他の測定地点では後者の値が前者の値を若干
下回るもののほぼ同じである。それ以外の地域においては,No.7,8
の各測定地点において後者の値が前者の値を若干上回るほかは,いずれ
の測定地点においても後者の値が前者の値を下回るが,これもわずかな
差にとどまる。したがって,W値を見る限り,平成9年から平成16年
までの平均と平成17年から平成24年までの平均との間にほぼ差はな
いといえる。
次に,表2を基に,平成18年1月の告示又は設定によって定められ
た各地域のW値と平成17年から平成24年までの防衛施設庁方式近似
W値を比較してみると,No.1,2,5,6の各測定地点において告示
又は設定により定められたW値よりも防衛施設庁方式近似W値の方が若
干低くなっているが,それ以外の測定地点ではいずれも告示又は設定に
より定められたW値を防衛施設庁方式近似W値が上回っている。したが
って,平成18年1月の告示又は設定によって定められたW値は,各地
域のW値の実態をかなりの程度正確に反映しているといえるし,いくつ
かの地域(No.4,7,9,10,15,16,17の各測定地点のあ
る地域)では,実際に測定されたW値が告示又は設定によって定められ
たW値を相当に上回っている。
表表表表1111((((平成平成平成平成9999年年年年からからからから平成平成平成平成16161616年年年年までまでまでまで))))
地域のW測定平成平成平成平成
値(平成地点9~12年13~16年9~16年9~16年
18年1平均W値
月の告示平均W値平均W値平均W値防衛施設庁
等の前)環境基準方式環境基準方式環境基準方式方式近似W値
95No.191.089.690.494.4
90No.583.385.184.388.3
85No.284.587.486.190.1
80No.384.884.584.788.7
*No.480.079.279.683.6
No.1184.184.184.188.1
No.1284.883.884.388.3
80No.676.677.377.081.0
(工)No.977.577.377.481.4
*No.1576.376.876.680.6
No.1878.377.177.781.7
No.775.075.775.479.4
No.871.372.872.176.1
No.1077.276.476.880.8
No.16-76.876.880.8
75No.1468.468.768.672.6
No.1775.675.475.579.5
No.2176.779.778.582.5
指定区域外No.2372.9**73.773.4**77.4
*80とあるのはかつて告示に基づき80Wの地域とされた地域を,8
0(工)とあるのは旧工法区分線によって画された80Wの地域を
示す。
**No.23のこの数値は,データがない平成9年を含まない。
表表表表2222((((平成平成平成平成17171717年年年年からからからから平成平成平成平成24242424年年年年までまでまでまで))))
地域のW値(平成測定平成平成平成平成17~24年
18年の告示等の地点17~20年21~24年17~24年平均W値
前が旧,後が新)平均W値平均W値平均W値防衛施設庁
旧新環境基準方式環境基準方式環境基準方式方式近似W値
9595No.188.488.588.492.4
9090No.586.285.285.789.7
8590No.285.685.885.889.8
8085No.383.182.983.087.0
*80No.480.379.880.084.0
85No.1183.282.082.686.6
85No.1283.282.682.986.9
8080No.674.576.875.879.8
(工)75No.975.575.475.479.4
*75No.1575.575.275.479.4
80No.1876.875.876.380.3
75No.775.575.175.579.5
75No.872.672.572.576.5
75No.1075.574.475.079.0
75No.1676.075.175.679.6
75指定区域外No.1467.667.467.571.5
75No.1775.773.674.878.8
80No.2178.476.977.781.7
指定区域外75No.2373.872.573.277.2
*表1の*と同じ。
ウまとめ
以上の検討によれば,厚木飛行場周辺の75W以上の地域においては,
第3次判決の基礎となった期間におけるのと同じ程度の航空機騒音がその
後現在に至るまで継続して測定されており,直近の平成24年においても,
その騒音測定回数,騒音持続時間とも,極めて多数ないし長時間に上って
いると認められる。また,前記のとおり,米軍においても,自衛隊におい
ても,午後10時から翌日午前6時までの深夜の時間帯における航空機の
飛行を自主規制しているものの,それが厳守されているわけではなく,今
なおこの深夜の時間帯においても相当程度の航空機騒音が測定されてい
る。
(6)低周波音
ア認定事実
証拠(甲A35の1,甲C65,89,90の1~11,乙A150か
ら155まで,157から159まで)により認められる事実は次のとお
りである。
(ア)人が聴くことができる音の周波数の範囲は20Hz~2万Hzとされてお
り,これを可聴域という。人の耳は,2000Hz~5000Hzで最も感
度がよく,周波数が低くなるほど(音が低くなるほど)感度が鈍くなり,
特に100Hz以下では急激に低下し,音圧レベルがかなり大きくないと
感じ取れなくなる。周波数が低いため人が聞き取れないか聞き取りにく
い100Hz以下の音を低周波音といい,可聴域の範囲外である20Hz以
下の音を特に超低周波音という。
低周波音は環境騒音に常に含まれているものであるが,音圧レベルの
高い低周波音は,不快感や圧迫感を感じさせ(心理的・生理的影響),
また,家屋の窓や戸の揺れ,がたつきなどを生じさせる(物理的影響)
ことが知られている。ジェット機のジェットエンジンやヘリコプターの
回転翼は低周波音の発生源である。
低周波音については,一般環境で観測されるような低周波音の領域(周
波数範囲と音圧レベル)では人間に対する生理的な影響は明確には認め
られないとの結論が得られているのみで,その影響や評価指標に関する
科学的な知見が確立しているとはいい難い状況にある(甲C90の9)。
後記4(1)においてその内容を紹介するWHOガイドライン(甲C65)
においても,騒音に低周波音が含まれる場合はより強い住民反応が報告
される,低周波騒音の場合には低い音圧レベルでも休息や睡眠を妨害す
る可能性があるなどの記述があるものの,付加的ないし注意的な指摘に
とどまり,低周波音のみを取り出してガイドライン値を設定するなどの
定量的な観点からの記述はない。
(イ)環境省は平成16年6月,低周波音についての苦情に地方公共団体が
対応する際に役立てるべきものとして「低周波問題対応の手引書」(甲
C90の9)を公表した。この手引書は,建具のがたつき等の物的苦情
と室内において感じられる不快感等の心身に係る苦情とを分けて,その
評価方法を次のように説明している。
物的苦情については,第1に,発生源と疑われる施設・設備機器等と
苦情内容との間に対応関係があることを確認する。第2に,低周波音の
測定結果と,環境省が評価指針として示す参照値(以下,単に「参照値」
という。)とを照らし合わせる。測定値がいずれかの周波数で参照値以
上であれば,その周波数が苦情の原因である可能性が高い。参照値は次
のとおりである。
1/3オクターブバンド56.381012.516202531.54050
中心周波数(Hz)
1/3オクターブバンド7071727375778083879399
音圧レベル(dB)
心身に係る苦情についても同様に,第1に,発生源と疑われる施設・
設備機器等と苦情内容との間に対応関係があることを確認し,第2に,
低周波音の測定結果と参照値とを照らし合わせる。①G特性音圧レベル
が92dB以上の場合,超低周波音の周波数領域で問題がある可能性が高
く,②1/3オクターブバンドで測定された音圧レベルと参照値を比較
し,測定値がいずれかの周波数で参照値以上であればその周波数が低周
波音苦情の原因である可能性が高い。①,②のいずれかに当てはまれば
低周波音の問題がある。もっとも,暗騒音の影響を含め慎重な検討が必
要である。参照値は次のとおりである。
1/3オクターブバンド1012.516202531.540506380
中心周波数(Hz)
1/3オクターブバンド92888376706457524741
音圧レベル(dB)
環境省は,上記の各参照値につき,①固定発生源(ある時間連続的に
低周波音を発生する固定された音源)から発生する低周波音について苦
情の申立てが発生した際にそれが低周波音によるものかを判断するため
の目安として示したものである,②低周波音についての対策目標値,環
境アセスメントの環境保全目標値,作業環境ガイドラインなどとして策
定したものではない,③心身に係る苦情に関する参照値は,低周波音に
関する感覚について個人差が大きいことを考慮し,大部分の被験者が許
容できる音圧レベルを設定したものであるなどとしている。
(ウ)原告らから委託を受けた日東紡音響エンジニアリング株式会社は,平
成24年8月2日と同月21日のいずれも午後3時から6時まで,厚木
飛行場の滑走路北端から北に約1.4㎞,90Wの地域にある広場
で,厚木飛行場に離着陸する航空機の発する低周波音を測定し,ま
た,平成25年5月9日の午前8時50分から午後4時10分まで,
上記の広場に加えて,滑走路北端から北に約1.3㎞,90Wの地
域にある木造1階建ての住宅内,滑走路南端から南に約3.2㎞,8
5Wの地域にある木造2階建ての住宅内外で,それぞれ低周波音を含む
航空機騒音を測定した(ただし,測定場所によって測定した時間帯は
異なる。)。その結果と前記の心身に係る苦情に関する参照値等との関
係は次のとおりである。
平成24年8月2日及び同月21日の上記広場における測定結果
によると,飛来した10機の航空機のうちヘリコプターは3機とも,
G特性音圧レベルが92dBを超えており,1/3オクターブバンド中
心周波数ごとの音圧レベルについても,16Hz~80Hzのほとんど
において参照値を超えていた。プロペラ機5機については,G特性
音圧レベルが92dBを超えるものは1機のみであったが,1/3オク
ターブバンド中心周波数ごとの音圧レベルでは,25Hz~80Hzの
ほとんどにおいて参照値を超えていた。
平成25年5月9日の上記広場における測定結果でもほぼ同様の
傾向がみられたほか,ジェット機(F/A-18)からも参照値を大
きく超える低周波音が測定された(平成24年8月2日及び同月2
1日と異なり,この日はF/A-18が多数飛来した。)。滑走路南方
の住宅外における測定結果も同様である。一方,同住宅内及び滑走
路北方の住宅内の測定結果では,測定値が参照値を下回ることが多
かったが,ヘリコプターや一部のジェット機(F/A-18)からは
参照値を超える低周波音が測定された。
イ評価
原告らが行った低周波音の測定結果によると,厚木飛行場に離着陸する
航空機が,苦情発生の原因になり得る高いレベルの低周波音の発生源とな
っていることは明らかである。しかし,測定地点が限定されている上,測
定を行ったのも限られた回数にすぎないから,この測定結果から,厚木飛
行場周辺の75W以上の地域全体がこの測定結果と同様の低周波音に曝露
されていると認めることはできない。
原告らの陳述書等及び本人尋問の結果によれば,低周波音に起因すると
みられる苦情を述べる者が多数いるが,これらの苦情について,環境省の
前記の手引書が説明しているような方法でその評価が行われたわけではな
く,これらの苦情と航空機の発する低周波音との因果関係も明らかとはい
えない。
さらに,低周波音の人間に対する心理的・生理的影響にしても,建具の
がたつき等の物理的影響にしても,それを評価する指標について科学的知
見が確立しているわけではない。
これらの事情を考慮すると,まず,少なくとも原告らが低周波音の測定
を行った地点と同様の事情にある地域,すなわち厚木飛行場から比較的距
離が近く離着陸による航空機騒音の影響が大きい滑走路の南北方向の地域
は,高いレベルの低周波音に曝露されていることが明らかであるから,低
周波音に起因するとみられる原告らの苦情には相応の根拠があるというべ
きである。しかし他方で,科学的知見が確立していないという現状の下で,
かつ,十分な測定結果が存在しない本件において,特に低周波音を取り出
してその原告らに対する影響を論ずることは適当とはいえない。前記のと
おり原告らが相当に程度の高い航空機騒音に曝露されているのは事実であ
り,後にみる原告らの被害がこれを原因とすることは明らかである。そし
て,その航空機騒音の中には低周波音も含まれているのであるから,低周
波音による被害は,そのような航空機騒音による被害の一環として考慮す
れば足りるし,また,その限度で考慮するほかないというべきである。
(7)過去における事故の発生
証拠(甲A2,11,14の1~10,甲D2の169・170・187
・244・311・336・340・341・381)及び弁論の全趣旨に
より認められる事実は次のとおりである。
神奈川県内において昭和27年4月から平成19年12月までに発生した米軍
機又は自衛隊機の事故は合計で232件に上り,そのうち墜落が63件,不時着が
57件,部品等の落下が79件,その他(オーバーラン,燃料放出等)が33件で
ある(甲A2の55頁)。その後も,厚木飛行場周辺において,米軍機による部品
等の落下事故が少なくとも5件発生している(甲D2の381)。
(8)被告による周辺対策等
ア周辺対策の概要
証拠(乙A180から182まで)及び弁論の全趣旨により認められる
事実は次のとおりである。
厚木飛行場周辺において環境整備法等に基づきこれまで被告が実施して
きた周辺対策は,①移転措置及び移転跡地の緑地帯整備(環境整備法5条,
6条),②住宅防音工事に対する助成措置(同法4条),③住宅防音工事以
外の防音対策,④その他の周辺対策に大別される。
このうち③としては,学校等の防音助成(同法3条2項1号,3号),病
院等に対する防音助成(同項2号,3号)及び民生安定に係る公共施設の防
音助成(同法8条)がある。
④としては,騒音用電話機の設置に対する補助(行政措置として実施),
テレビ受信料の助成措置(放送受信事業として実施),自衛隊等が行う特
定の行為(例えば,射爆撃訓練,戦車等の機甲車両の使用による訓練,航
空機の頻繁な離着陸等)によって生ずる障害を防止し又は軽減するための
河川,道路等の改修工事に対する補助金の交付(同法3条1項),民生安
定施設のための地方公共団体に対する補助金の交付(同法8条,環境整備
法施行令12条),特定防衛施設周辺整備調整交付金の交付(同法9条),
農耕阻害補償(同法13条。米軍の行動によるものは「日本国に駐留する
アメリカ合衆国軍隊等の行為による特別損失の補償に関する法律」1条),
厚木基地周辺地域の民有地の借上げ措置と緩衝地帯の設定,市町村に対す
る基地交付金及び調整交付金の助成(「国有提供施設等所在市町村助成交
付金に関する法律」及び施設等所在市町村調整交付金要綱(昭和45年自
治省告示第224号))がある。さらに,航空機騒音対策として,騒音を
その発生源で抑える方法や,これに準ずる方法として運航方法に改変を加
えたり発生源を遮蔽したりするといった対策があり,これら音源対策とし
ては,厚木基地内の2か所における自衛隊及び米軍の消音装置の設置が挙
げられる。
以上の周辺対策の実施状況は別紙別紙別紙別紙18181818(被告最終準備書面添付第10表)
のとおりである。なお,そこにいう「生活環境整備法」は本判決にいう環
境整備法のことであり,「周辺整備法」は「防衛施設周辺の整備等に関す
る法律」(昭和49年法律第101号(環境整備法)により廃止)を,「特
別損失補償法」は「日本国に駐留するアメリカ合衆国軍隊等の行為による
特別損失の補償に関する法律」を,それぞれ意味する。
イ住宅防音工事への助成一般
被告の実施している周辺対策のうち原告らの騒音被害の軽減に直接つな
がり得るものは住宅防音工事に対する助成措置である。これについては,
証拠(乙A1,2,110,111の1・2,113の1~5,117,
126の1~7,127の1・2,128の1・2,129から133ま
で)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。
(ア)環境整備法4条に規定する住宅の防音工事への助成は,現在,防衛省
地方防衛局長が前記の「防衛施設周辺における住宅防音事業及び空気調
和機器稼働事業に関する補助金交付要綱」に基づく補助金の交付として
行っている。この補助金交付の対象となる住宅防音工事の内容は前記の
防音工事仕方書に定められており,その概要は次のとおりである。
区分第Ⅰ工法第Ⅱ工法
施工対象区域80W以上の地域75Wの地域
計画防音量25dB以上20dB以上
屋根在来のまま在来のまま
天井在来天井を撤去し,防音天井原則として在来のまま。た
工に改造だし,著しく防音上有害な
事壁在来壁を撤去し,防音壁に改亀裂,隙間等がある場合は
内造有効な遮音工事を実施
容外部開口部防音サッシ(第Ⅰ工法用)の防音サッシ(第Ⅱ工法用)
取付の取付
内部開口部防音建具(襖,ガラス戸等)の取付
床原則として在来のまま
空気調和設備換気扇及び冷暖房機等の設置
その他防音工事に伴う必要な工事
(イ)住宅防音工事には,①一挙防音工事,②追加防音工事,③防音区画改
善工事,④外郭防音工事の区分がある。①は,初めて行う工事であり,
世帯人員に1を加えた居室を対象とするが,合計5室を限度とする。②
は,初めて行う工事で2居室以内について工事を実施した住宅を対象と
する追加の工事であり,やはり合計5室を限度とする。③は,バリアフ
リー対応住宅や身体障害者等の居住する住宅等を対象とする工事であ
り,世帯人員が4人以下の場合は5居室まで,5人以上の場合は世帯人
員に1を加えた居室を対象とする。④は,住宅全体を一つの区画として
行う工事であり,原則として85W以上の地域にある住宅を対象とする。
(ウ)平成11年度からは,防音工事の助成を受けてから10年以上が経過
し,その後建て替えられた住宅(建替前住宅との間に代替性,継続性が
認められる場合に限る。)に対する防音工事の助成(いわゆる再補助)を
実施している。
(エ)防音工事を実施する住宅の所有者等に対して交付される補助金の額
は,所定の限度額以内で,所定の経費の全額である。
(オ)補助金規則(防衛施設周辺対策事業補助金等交付規則)によれば,地
方防衛局長は,補助金交付決定をする場合に,「補助事業者等は,補助
事業等を中止し,又は廃止する場合には,地方防衛局長の承認を受ける
こと」との条件を付するものとされている(4条1項2号)。
補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律(以下「補助金法」
という。)22条は,「補助事業者等は,補助事業等により取得し,又
は効用の増加した政令で定める財産を,各省各庁の長の承認を受けない
で,補助金等の交付の目的に反して使用し,譲渡し,交換し,貸し付け,
又は担保に供してはならない。ただし,政令で定める場合は,この限り
でない。」と規定しており,補助金等に係る予算の執行の適正化に関す
る法律施行令(以下「補助金法施行令」という。)14条1項2号は,
このただし書に当たる場合として,「補助金等の交付の目的及び当該財
産の耐用年数を勘案して各省各庁の長が定める期間を経過した場合」と
規定している。これを受け,補助金規則は,補助金法施行令14条1項
2号により定める期間(財産処分制限期間)として,例えば木造の住宅
用建物については22年と規定している(9条,別表)。したがって,
補助金の交付を受けて木造の住宅について防音工事を実施したその所有
者等は,財産処分制限期間である22年が経過する前にその住宅を取り
壊そうとするときには,地方防衛局長の承認を受ける必要がある。
もっとも,補助金規則は平成19年9月1日に施行されたものであり,
それより前に施行されていた防衛施設庁補助金等交付規則(昭和38年
防衛施設庁告示第3号。以下「旧補助金規則」という。)には,補助金
規則4条1項2号に相当する規定は設けられていたが(2条1項2号),
9条及び別表に相当する規定(財産処分制限期間)は設けられていなか
った。
(カ)被告は厚木飛行場周辺地域の住宅の所有者等に対して昭和50年度か
ら住宅防音工事の助成を実施し,平成24年度までに延べ29万593
6世帯に対して合計6897億9810万8255円を支出した。
このうち平成11年度から実施している建て替えられた住宅に対する
防音工事の助成(いわゆる再補助)は,平成24年度までで延べ2628
世帯に対する合計139億4707万5390円であり,平成14年度
から実施している外郭防音工事の助成は,平成24年度までで延べ1万
7659世帯に対する合計591億2019万3359円である。
ウ被告の助成を受けて住宅防音工事を実施した住居に居住する原告ら
(ア)原告らの中にも被告から助成を受けて住宅防音工事を実施した住居に
居住する者がいる。また,その原告らの中には,被告から助成を受けて
防音工事を実施した住居をその後になって取り壊し,あるいは改築した
住居に居住する者もいる。これらの原告らについて,防音工事を実施し
た時期と室数,外郭防音工事又は防音区画改善工事を実施した場合の実
施時期,さらに,その取壊し又は改築により防音の効果を有する室が消
滅したか室数が減少した場合のその時期について,当事者間に争いがな
い場合はそれにより,争いのある場合は,証拠(甲地域別9のほか,原
告らの陳述書等及本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨により事実を認定
した上,これに基づき,別紙別紙別紙別紙21212121一覧表の「防音工事」欄に,居住期間
ごとに,防音工事済みの室数を記載した。すなわちこの欄の数字はその
居住期間における防音工事済みの室数を表す。ただし,外郭防音工事又
は防音区画改善工事を実施した場合で,工事済みの室の合計が5室に満
たない場合は,工事済みの室数にかかわりなく5としてある。
以上の各点の事実認定については,別紙別紙別紙別紙20202020(原告ら個別の事情につ
いての補足説明)の2において説明を補足する。
(イ)防音工事を実施した住宅に関しては,証拠(甲C2,乙A1,2,5
から7まで,111の1・2,112,113の1~5,114から1
17までのほか,原告らの陳述書等及本人尋問の結果)及び弁論の全趣
旨によれば次の事実が認められる。
a住宅は,防音工事を実施しなくても,屋根,天井や壁による遮音の
効果がある。住宅防音工事によって遮音効果が高まるのは事実である
が,その差異は相対的なものである。
b被告の定める防音工事仕方書に従って防音工事を実施した場合,第
Ⅰ工法では25dB以上,第Ⅱ工法では20dB以上という計画防音量の
達成が見込まれるが,実際の工事の効果は工事の状況や個々の住宅の
状況によって様々であり,必ず達成できるとまでは認められない。ま
た,計画防音量が達成されても,室内における航空機騒音が常に気に
ならない程度まで軽減するわけではない。そのため,生活環境音が遮
断される一方で航空機騒音は依然として聞こえるという不自然な状況
が生ずることにもなる。
c住宅防音工事は部屋をいわば密閉することによって遮音効果を高め
ようとするものであるが,日常生活において密閉された部屋の中で人
が一日中すごすことはあり得ない。一方,たとえ防音工事を実施して
も,扉や窓を開けてしまえば遮音効果は著しく失われる。
d部屋を密閉する場合,夏季においては冷房機の使用が不可欠となる
が,冷房機の使用については人によって好悪が分かれるし,使用する
場合は電気料金の負担が増えるという問題もある。
e住宅防音工事を実施したとしても,工事を実施した区画を出れば,
また,屋外に出れば,依然として航空機騒音にさらされるのであり,
日常生活において航空機騒音から逃れられないという事態に変わりは
ない。
4共通損害論
原告らは,厚木飛行場の航空機騒音によって原告ら全員が等しく被害を受け
ており,これについての最低限の賠償として,非財産的損害及び精神的損害を
包括して一律に慰謝料を請求すると主張する。これに対し被告は,共通被害と
は原告ら全員に共通して生じているものであると理解し,原告らはそのような
「共通被害」を立証すべきであるとか,原告らが共通して曝露されているのは
平日昼間の時間帯を除いた時間帯における騒音である(昼間騒音控除後W値の
主張は,このような考え方に基づく。)などと主張するので,この点について
判断する。
(1)航空機騒音を始めとする環境騒音についての科学的知見
前記のWHOガイドライン(甲C65)は,健康への騒音の影響として,
聴力障害,会話・聴取妨害,睡眠妨害,生理的影響,作業・学習への影響及
び住民の行動や不快感への影響を挙げており,これは現在一般に受け入れら
れている科学的知見に基づくものであると解される。それぞれの事項につい
て本件に関係する限度でWHOガイドラインの記述を抜粋すると,次のとお
りである(一部表現を変えたところがある。)。
ア聴力障害
聴力障害は,一般に聴力の閾値の上昇と定義される。聴力の低下は耳鳴
りを伴うことが多い。LAeq,8h(8時間の等価騒音レベル)が75dB(A)以
下であれば,職業曝露が長期にわたっても聴力障害は生じないと期待され
る。環境騒音や娯楽に関わる騒音のLAeq,24h(24時間の等価騒音レベル)
が70dB(A)以下であれば,たとえ生涯にわたって曝露されても大多数の
人には聴力障害は生じないと期待される。衝撃音が発生する職場の労働者
の場合,許容レベルはピーク音圧レベル(瞬時音圧のレベルであり,騒音
レベルの最大値とは異なる。特に衝撃音の場合は最大騒音レベルよりもか
なり大きな値となる。)で140dBである。この許容レベルは余暇時間に
おける環境騒音曝露の場合にも適切であると考えられる。小児の場合は,
騒音の発生する玩具で遊ぶ時の状況を考慮すると,絶対的にピーク音圧レ
ベルを120dB以下にとどめるべきである。また,LAeq,24hが80dB(A)
以上の射撃音の場合,騒音性聴力障害が生ずるリスクが高まると考えられ
る。
イ会話・聴取妨害
会話了解度は騒音によって低下する。会話と同時に妨害音が発生するこ
とによって会話の理解が困難になる。環境音は,ドアのベル,電話の呼出
音,アラーム時計,火災報知器その他の警告音や音楽といった日常生活を
送る上で重要な役割を果たしている会話以外の音をマスクすることもあ
る。日常生活における会話了解度は,会話レベル,発音,話者間距離,妨
害音の騒音レベルなどの特性,聴力,注意の程度に影響される。屋内の場
合には,会話は部屋の残響特性にも影響される。残響時間が1秒を超える
と会話の識別が難しくなり,言葉の知覚が困難になる。正常な聴力を有す
る人が文章を正確に理解するためには,信号-雑音比(例えば,会話音と
妨害音のレベル差)が少なくとも15dB(A)は必要である。通常の会話は
50dB(A)程度なので,35dB(A)以上の騒音は小さな部屋では会話を妨害
することになる。
会話の内容が理解できないと数多くのハンディキャップが生じ,日常生
活における行動に支障を来すことになる。特に影響を受けるのは聴力障害
者,高齢者,言語習得中の小児,話されている言語に習熟していない人で
ある。
ウ睡眠妨害
睡眠妨害は,環境騒音の主要な影響の一つである。騒音によって睡眠中
に一次影響が生じ,二次影響として騒音曝露を受けた次の日にも影響が生
ずる。妨害を受けない睡眠は身体的・精神的な機能を良好に保つために不
可欠である。睡眠妨害の一次影響としては,入眠困難,覚醒や睡眠深度の
変化,血圧・心拍数・指先脈波振幅の上昇,血管収縮,呼吸の変化,不整
脈,体動の増加などがある。問題となっている騒音の騒音レベルよりも,
暗騒音とのレベル差が反応確率に関与する。騒音によって覚醒する確率は,
一晩当たりの騒音発生回数の増加とともに高くなる。翌朝やその後何日間
かに現れる睡眠妨害の二次影響としては,不眠感,疲労感,憂鬱,作業能
率の低下といったものがある。
快適な睡眠のためには,夜間の連続的な暗騒音のLAeqは30dB(A)以下
にとどめるべきであり,個々の発生音についても45dB(A)を超えるよう
な騒音は避けるべきである。
エ生理的機能
空港等の近傍の住民に対して,騒音が生理的機能に急性的・慢性的な影
響を及ぼしている可能性がある。長期曝露によって,住民の中の高感受性
群が高血圧や虚血性心疾患などの永続的な影響を発現することになると考
えられる。影響の大きさやそれが持続する時間は,一部,個人の特性,生
活習慣,環境条件などの影響を受ける。
強大な工場騒音に5年~30年曝露された労働者は血圧が上昇し,高血
圧になるリスクが高まると考えられる。心循環器系への影響は,LAeq,24h
が65dB(A)~70dB(A)の航空機騒音・道路交通騒音の長期曝露地域にお
いても明らかにされている。騒音と高血圧や心疾患の発症率との関連は必
ずしも強いものではないが,高血圧よりも虚血性心疾患の方が騒音との関
連がいくぶん強いとされている。騒音に曝露されている人員の多さに鑑み
ると,わずかなリスク上昇であっても重大である。
オ作業・学習への影響
主に労働者や小児に対して,騒音が認知作業の成績に悪影響を及ぼし得
ることが明らかにされている。騒音によって集中力が賦活され単純作業の
能率を短期間上昇させることもあるが,複雑な作業の場合,認知作業の成
績は大幅に低下する。読解力,集中力,問題を解く力,記憶力などが,騒
音によって特に影響を受ける認知能力である。騒音は集中を妨げる刺激に
もなり,衝撃音は驚愕反応によって破壊的な影響を及ぼす可能性がある。
騒音への曝露は,曝露終了後の成績にも悪影響が生ずると考えられる。
慢性的に航空機騒音に曝露されている空港周辺の学校の生徒は,詳細な読
解力,難問に取り組む際の持続力,読解試験の成績,学習意欲が,標準よ
りも低い。航空機騒音に順応しようと試みたり,作業成績を維持するのに
必要な努力をしたり,相当の代償を払っていることを認識しなければなら
ない。騒音は作業中の障害やミスを増加させると考えられ,ある種の事故
は作業能率の低下を示す指標になり得る。
カ住民の行動への影響,不快感(アノイアンス)
騒音は不快感を抱かせるだけでなく,社会的影響を及ぼすとともに行動
へも影響を及ぼす。これらの影響は,複合的,潜在的かつ間接的であるた
め,多くの非聴覚的要因の交互作用の結果として生ずると考えられる。同
じ曝露量であっても,別の交通騒音や工場騒音では不快感の程度が異なる
ことを認識しておかなければならない。なぜならば,不快感は,騒音の特
性(騒音源の情報も含む。)だけでなく,音以外の社会的,心理的,経済
的な要因の影響も受けるからである。騒音曝露量と不快感との関連につい
ては,個人レベルよりも集団レベルにおいてより高い相関関係が得られる
(個人差が大きい。)。80dB(A)を超える騒音は援助的な行動を減少させ,
攻撃的な行動を増加させると考えられる。高レベルの騒音に曝露されるこ
とにより,学童が無力感を抱きやすくなってしまうことが懸念される。
騒音に振動が伴う場合や,低周波音が含まれる場合,衝撃音(例えば射
撃音)が含まれる場合には,より強い住民反応が報告される。
キ高感受性群
騒音対策や騒音規制を行う場合には,住民の中の高感受性群に注目すべ
きである。高感受性群の例としては,特定の疾患や健康問題を有する人(高
血圧など),入院患者や自宅療養中の人,複雑な認知作業を行う人,盲人,
聴力障害を有する人,胎児,乳児,小児,高齢者などが挙げられる。高周
波数領域の聴力がわずかに低下しているだけでも騒音環境下では会話が困
難になると考えられるので,住民の大多数が会話妨害に関しては高感受性
群に属する。
(2)WHOの示すガイドライン値
アWHOガイドラインは,これらの知見に基づき,特定の環境と重要な健
康影響ごとにガイドライン値(甲C65の12頁)を設定している。この
うち居住地域一般に関わるものは次のとおりである。
重要な健康影響LAeq時間区分LAFmax
居住地域(屋外)高度に不快(昼間と夕方)5516-
少し不快(昼間と夕方)5016-
居住地域(屋内)会話妨害(昼間と夕方)3516-
少し不快(昼間と夕方)
寝室(屋内)睡眠妨害(夜間)30845
寝室(屋外)窓を開けた状態での睡眠妨害45860
この表のガイドライン値は,そこに掲げられた「重要な健康影響」が生
ずる最低のレベルであるとされる。LAeqの値は,その時間区分,すなわち
昼間と夕方であればその時間帯の合計16時間における等価騒音レベル
を,夜間であればその時間帯8時間における等価騒音レベルを示す。また,
LAFmaxの値は,夜間における最大の騒音レベル(fastの動特性)を示す。
単位はいずれもdBである。(甲A27の1・2,証人松井利仁)
イWHOの欧州地域事務局は,WHOガイドラインが公表された後の研究
成果を取り入れて,平成21年に「欧州夜間騒音ガイドライン(実務的概
要)」(NightNoiseGuidelinesforEurope)(平松幸三=松井利仁=田
鎖順太訳。甲C75)を公表し,公衆の健康を夜間騒音から保護するため
の夜間騒音ガイドラインとして次の提案をした。
夜間騒音ガイドラインLnight,outside=40dB
暫定目標Lnight,outside=55dB
この表のLnight,outsideとは,屋外における夜間の等価騒音レベルであ
る。「夜間騒音ガイドライン」がLnight,outside40dBであるとは,大多
数の人々が床に就いている時間帯(夜間)に屋外の騒音レベルが40dBを
超えてはならないことを提言するということであり,この値は健康に対す
る悪影響が生ずる下限値であるとされている。また,「暫定目標」とは,
種々の理由によってガイドラインを早期に達成できない場合の提案であっ
て,それ自体は健康影響に基づいた値ではない(高感受性群はこの騒音レ
ベルでは保護されない)とされている。(甲A27の1・2,証人松井利
仁)
京都大学大学院工学研究科都市環境工学専攻の松井利仁准教授は,欧州
夜間騒音ガイドラインの値について次のように証言する(甲A27の1・
2,証人松井利仁)。これらの値は家屋による遮音量として21dBを見込
んでいるが,一般にヨーロッパの家屋の遮音量は我が国の木造家屋に比べ
ると高く,我が国の木造家屋では15dB程度の遮音量しか得られないので
(甲C79),我が国ではより低い屋外騒音レベルでも健康影響が生ずる
と考えるべきであるというのである。
(3)大阪空港最判の判示
大阪空港最判は,この点について下記のとおり判示した。

確かに,被上告人らの本件損害賠償請求は,……,被上告人各自の被
っている被害につき,それぞれの固有の権利として損害賠償の請求をし
ているのであるから,各被上告人についてそれぞれ被害の発生とその内
容が確定されなければならないことは当然である。しかしながら,被上
告人らが請求し,主張するところは,被上告人らはそれぞれさまざまな
被害を受けているけれども,本件においては各自が受けた具体的被害の
全部について賠償を求めるのではなく,それらの被害の中には本件航空
機の騒音等によって被上告人ら全員が最小限度この程度まではひとしく
被っていると認められるものがあり,このような被害を被上告人らに共
通する損害として,各自につきその限度で慰藉料という形でその賠償を
求める,というのであり,それは,結局,被上告人らの身体に対する侵
害,睡眠妨害,静穏な日常生活の営みに対する妨害等の被害及びこれに
伴う精神的苦痛を一定の限度で被上告人らに共通するものとしてとら
え,その賠償を請求するものと理解することができる。もとより右のよ
うな被害といえども,被上告人ら各自の生活条件,身体的条件等の相違
に応じてその内容及び程度を異にしうるものではあるが,他方,そこに
は,全員について同一に存在が認められるものや,また,例えば生活妨
害の場合についていえば,その具体的内容において若干の差異はあって
も,静穏な日常生活の享受が妨げられるという点においては同様であっ
て,これに伴う精神的苦痛の性質及び程度において差異がないと認めら
れるものも存在しうるのであり,このような観点から同一と認められる
性質・程度の被害を被上告人全員に共通する損害としてとらえて,各自
につき一律にその賠償を求めることも許されないではないというべきで
ある。……
なお,本件における被害の問題は,単に被上告人らにつきその主張す
るような共通被害が生じたかどうかの点のみに限られるものではなく,
……,本件空港供用の違法性の判断については,右供用に伴う航空機の
離着陸の際に生ずる騒音等が被上告人らを含む周辺住民らの全体に対し
どのような種類,性質,内容の被害をどの程度に生ぜしめているかが一
つの重要な考慮要素をなすものと解されるところ,この場合における被
害の総体的な認定判断においては,必ずしも全員に共通する被害のみに
限らず,住民の一部にのみ生じている特別の被害も考慮の対象となしう
るのであり,原判決が,右のような,必ずしも被上告人ら全員に共通す
る被害とまではいえないものについても詳細な認定を施し,かつ,住民
のうち特殊な生活条件,身体的条件を有する者について生ずる特別の被
害をも加えて総体的な評価判断を示しているのも,右の見地からされた
ものと解されるのである。
(4)原告らの共通損害について
WHOガイドラインが示す科学的知見によれば,環境騒音の影響としては,
聴力障害,会話・聴取妨害,睡眠妨害,生理的影響,作業・学習への影響,
住民の行動や不快感への影響など種々様々なものがあり,高齢者であるか小
児であるかといった人の属性によっても影響が異なるとされている。そうで
あるにもかかわらず,WHOガイドラインは,人の居住する地域の屋外・屋
内において守られるべき騒音の程度を示すものとして環境騒音のガイドライ
ン値を設定し,また,WHO欧州地域事務局は人の居住地域の屋外において
守られるべき騒音の程度を示すものとして夜間騒音ガイドラインを設定して
いる。
そして,前記のとおり,我が国においても,「生活環境を保全し,人の健
康の保護に資する上で維持することが望ましい」基準として,昭和48年環
境基準も現行環境基準も一定の騒音の水準を設定しており,また,航空機騒
音防止法,環境整備法,航空機騒音特措法及びその下位の政省令は,一定の
騒音の水準(75W)を定めて,これらの法令に基づく政策措置を実施すべ
き最低基準としている。
これらはいずれも,航空機騒音ないしこれを含む環境騒音については,そ
の被害の現れ方が人によって一様なものではないにしても,一定の地域にお
ける一定の騒音の水準をもって騒音被害の程度を画することができるという
考え方に基づくものである。このような考え方によれば,一定の水準以上の
航空機騒音にさらされている地域においては,そこに居住する住民全員に共
通する損害が生じていると解することができる。共通被害を主張する原告ら
の立場は,この考え方と同じ基盤に立つものであり,科学的知見による裏付
けを有するものであるとともに上記各法令の趣旨にもかなったものである。
大阪空港最判の上記判示は,これとはまた異なる観点からではあるが原告
らの主張を支えている。大阪空港最判からは次の二つのことをいうことがで
きる。第1に,飛行場周辺に居住する住民が受ける航空機騒音による被害は,
その現象を見れば,不快感,いらだち等の精神的苦痛,睡眠妨害,会話妨害,
作業妨害など,個々の住民によりまた騒音が発生する時点での活動の在り方
により様々な現れ方をするものであり,各自の年齢,生活条件,身体的条件
等の相違に応じてその内容及び程度を異にし得るものである。これは前記(1)
においてみた科学的知見からもいえることである。しかし,これらの被害は,
例えば生活妨害については,静穏な日常生活の享受が妨げられるという点に
おいては同様であって,いずれについても航空機騒音を原因とする慰謝料請
求権の発生原因である被害として共通する性格を有することはいうまでもな
い。この共通面に着目すれば,住民全員が最小限度この程度までは等しく被
っていると認められる損害が存在すると認められるので,住民らは,これを
共通損害として,一律に慰謝料請求をすることができるのである。最小限度
という言葉の語感からは量的なものを思い浮かべがちであるが,ここにいう
共通損害とは,現象としての被害の現れ方は様々であっても,日常の生活全
体が航空機騒音によって貫かれ種々の制約を受けているという点において共
通することに根拠を有するのであり,量的な側面に加えて生活の質の類似性
に重きを置いて理解すべきである。したがって,原告らが共通する損害を受
けているか否かを判断する際には,その損害が航空機騒音を原因としている
という点で共通性を有するか否かに着目すべきであり,量的に同じ程度の航
空機騒音にさらされているか否かに拘泥すべきではない。被告も指摘し,原
告らも自認するとおり,原告らはそれぞれ年齢,身体的条件や生活形態を異
にするのであり,居住地付近で一日中過ごす者もいれば,通勤や通学のため
に日中は厚木飛行場から離れた場所で過ごす者もいる。厚木飛行場に離着陸
する航空機が発する騒音の量に着目すれば,各人がさらされる騒音の量は一
様ではなく,ある程度の幅が存在することは確かである。しかし,居住地付
近で一日中過ごすことのない者であっても,厚木飛行場周辺を生活の本拠と
する以上,その日常の生活全体が厚木飛行場に離着陸する航空機の発する騒
音によって強く影響されているといい得るのであり,そのような意味で全て
の周辺住民が共通の損害を被っているといえるのである。
大阪空港最判からいえることの第2は,航空機騒音による被害の問題は,
飛行場の使用ないし供用が周辺住民との関係において違法性を有するか否か
の判断にも関わるものであり,この判断との関係では,最小限度の共通の損
害といえるかどうかすら考慮する必要はなく,住民の一部にのみ生じている
特別の被害も含めて,航空機騒音によって生じている被害の全てを広く考慮
の対象とすることができるということである。
以上の検討によれば,原告らの主張する個々の被害については,それが存
在すると認定される限り,被告による厚木飛行場の使用及び供用が違法なも
のか否かを判断する際には(大阪空港最判からいえる第2の点),その被害
の全てを考慮の対象とすべきである。次に,違法と判断された場合に,さら
に進んで一律の慰謝料の額を認定するに際しては(大阪空港最判からいえる
第1の点),最小限度この程度までは原告らが等しく被っているといえる損
害を,量的及び質的両面を踏まえた共通性に着目して考慮の対象にすべきで
ある。これと逆に,現象としての個々の被害について全ての者に共通すると
いえるかどうかを一つ一つ検討し,全員に共通するとはいえないもの(例え
ば,病人にのみ生ずる被害,高齢者のみに生ずる被害,子供のみに生ずる被
害など)を切り捨てようとする被告の主張は誤りである。被告はまた,共通
損害を主に量的にとらえ,各原告が現実にさらされた航空機騒音のうち全員
に共通するもののみが共通損害になるとした上で,平日昼間の時間帯におけ
る騒音に基づく被害は全員に共通するものではないから共通損害になり得な
いとして「昼間騒音控除後W値」を主張するのであるが,この主張は以上の
議論からしても採用することができない。
5原告らの被害
(1)被害のとらえ方(分類)
原告らが航空機騒音によるものであると主張する被害は多岐にわたるが,
前記4(1)で紹介したWHOガイドラインを参考にして次のように分類し,
それぞれにつき後記(2)以下において検討を加えることとする。①聴力障害
や生理的機能への影響等の身体的被害,②睡眠妨害,③会話・聴取妨害等の
生活妨害,④その他の精神的苦痛。
後記(2)以下における判断の前提となる事実は,騒音に関する文献等(甲
A22,23,27の1・2,甲C1の1~27,3から19まで,21か
ら63まで,65,67から75まで,76の1・2,77の1・2,78
から89まで,90の1~11,91から94まで,乙A147から155
まで,157から159まで,乙C7から12まで,13の1・2,14か
ら27まで,38から44まで,証人松井利仁),厚木基地周辺自治体等か
ら被告又は米国に対する要望ないし要請等(甲D1の1~56,3の1~8
0)及び厚木基地に関する新聞報道(甲D2の1~395)のほか,原告ら
の陳述書等及び本人尋問の結果を総合して認定する。
(2)身体的被害
原告らは,そのうちの少なくない者が,航空機騒音により,高血圧症,狭
心症,心筋梗塞等の循環器系疾患,胃炎等消化器系疾患,耳鳴り,難聴,頭
痛,喘息,アトピー性皮膚炎,自律神経失調症,不眠症等を発症し,又はこ
れを増悪させていると主張する。111名の原告は,これを立証するためと
して診断書を提出する(甲地域別10)。
航空機騒音によって疾病が発症し,又はこれを増悪させたといえるために
は,医学的知見に基づき,その間に因果関係の存在することが認められなけ
ればならない。原告らの陳述書等及び本人尋問の結果のみでは医学的根拠を
欠くから,これを認めることはできない。また,提出された診断書にも,上
記の因果関係の存在について確定的な記述が存在するわけでもない。したが
って,航空機騒音によって身体的被害が発生しているとする原告らの主張を
採用することはできない。
もっとも,強大な騒音にさらされ続けると生理的機能に悪影響が生じ,高
血圧や虚血性心疾患のリスクが高まると考えられていることは,WHOガイ
ドラインが示すとおりであり,医学的に根拠のないこととはいえない。した
がって,陳述書等や本人尋問において身体的被害について言及する原告らは,
航空機騒音にさらされ続けることによりいずれ健康を害することになるとい
う強い不安を覚えているのであって,それには相応の根拠があるから,これ
を航空機騒音に起因する精神的苦痛の一環としてとらえることはできる。
(3)睡眠妨害
前記(1)の証拠によれば,原告らの多くの者が航空機騒音による睡眠妨害
の被害を受けていることが認められる。
前記のとおり,WHOガイドラインは,睡眠妨害を防止するためには,屋
外における夜間の等価騒音レベルが45dBを,また,屋外における最大の騒
音レベルが60dBを超えてはならないとしている。WHO欧州地域事務局の
定めた「欧州夜間騒音ガイドライン」は,公衆の健康を夜間騒音から保護す
るためのガイドライン値を,屋外における夜間の等価騒音レベルで40dBと
定めている。これらの騒音評価指標は,W値や音圧レベルとしてのdBとは異
なるから,前記認定の厚木飛行場周辺における騒音の大きさと単純に比較す
ることはできない。しかし,前記の松井利仁京都大学准教授が,平成21年
の1年間に厚木飛行場の周辺自治体が測定した11か所の測定地点(測定地
点が属する地域は,95Wの地域が1か所,90Wの地域が2か所,85W
の地域が2か所,80Wの地域が2か所,75Wの地域が3か所,70Wの
地域が1か所)におけるデータを分析したところ,夜間(午後10時から翌
日午前7時まで)の等価騒音レベルの年間平均値は,75Wの測定地点3か
所のうち1か所及び80W以上の測定地点7か所全部において40dBを超え
ており,85W以上の測定地点5か所のうち3か所においては45dBを超え
ていた。さらに,上記の1年間で夜間(上記と同じ。)において最大の騒音
レベルが70dBを超える騒音が発生した回数をみると,85W以上の測定地
点5か所の全部で150回を超えており,80Wの測定地点2か所のうちの
1か所では400回を超えていた。75Wの測定地点3か所における発生回
数も,42回,72回,93回という結果であった。(以上,甲A27の1
・2,証人松井利仁)
松井准教授の上記の分析結果は,前記認定の航空機騒音の実態に照らし,
信用するに値する。そうすると,厚木飛行場周辺の少なくとも80W以上の
地域の多くにおいては,夜間の等価騒音レベルを指標とした場合,「欧州夜
間騒音ガイドライン」のガイドライン値を超えた航空機騒音にさらされてい
るといえるし,75Wの地域においても同様の場所があるといえる。また,
最大の騒音レベルを指標にすると,WHOガイドラインのガイドライン値を
超える騒音にさらされる回数は,80W以上の地域では極めて多く,75W
の地域においてすら決して軽視できるほど少ないとはいえない。
以上によれば,厚木飛行場周辺における75W以上の地域のかなりの部分
において,夜間,健康に対する悪影響が心配される程度に強度な航空機騒音
にさらされているといえるのであり,これに応じて,原告らの多くが受けて
いる睡眠妨害の被害の程度は相当深刻なものというべきである。
なお,昼間における航空機騒音は,大きさも頻度も夜間におけるそれをは
るかに上回るから,夜間以外の時間帯に就寝しようとする場合,航空機騒音
による睡眠妨害が著しいことは明らかである。
(4)生活妨害
ア聴取妨害(会話,電話,テレビ視聴等)
前記(1)の証拠によれば,原告らはいずれも,航空機騒音により,他人
との会話,電話による通話,テレビやラジオの視聴などを妨害されるとい
う聴取妨害の被害を受けていることが認められる。
航空機騒音が単発であれば,聴取妨害そのものは一過性であるが,聴取
しようとする内容によっては,それが聞き取れないことは重大な支障にな
り得る。また,予期しない時に突然妨害を受けるわけであるから,それに
よって受ける精神的負担も大きい。さらに,航空機騒音が連続する場合や,
時をおいて何度も発生する場合は,妨害の程度もそれに伴う精神的負担も
著しいものになる。
イ精神作業(読書,勉強等)の妨害
前記(1)の証拠によれば,原告らはいずれも,学習,読書,思考などの
知的作業ないし精神的活動を航空機騒音によって妨害される被害を受けて
いることが認められる。
その被害の程度については,上記アの聴取妨害と同じことがいえるほか,
航空機騒音により集中力をを欠いたまま作業を継続することにより,ミス
が増加したり,いたずらに疲労感を覚えることにつながったりする。さら
に,妨害が重なることにより,その作業を行う意欲を失ってしまうことも
ある。例えば,原告らの中には,趣味等の活動を航空機騒音のために断念
してしまった者もいる。
(5)その他の精神的苦痛
アアノイアンス(いらだち,悩み,腹立ちといった被害感)
前記(1)の証拠によれば,原告らはいずれも,航空機騒音により不快感
を覚え,いらいらしたり,腹立ちを感じたりしている。このような不快感
をアノイアンスといい,航空機騒音に起因する精神的苦痛としてまず挙げ
られるものである。
イ健康被害(子供の発育を含む)の不安
原告らのうち少なくない者が航空機騒音による健康への不安を抱いてい
ることは,既に前記(2)においてみたとおりである。
また,前記(1)の証拠によれば,原告らの中には,自らの健康に対する
ばかりでなく,子供の発育に対する不安を抱いている者も少なくないこと
が認められる。子供が高感受性群に含まれることはWHOガイドラインが
指摘しているところであり,航空機騒音に対する不快感は大人よりも子供
の方が大きい。また,子供は継続して学習活動を行うが,これは知的作業
であるから,前記のとおり,航空機騒音による妨害を受けやすい活動であ
る。このようなことから,周囲の大人が,航空機騒音によって子供が精神
的に不安定となり,あるいは学習妨害を受けて,健全に発育できないので
はないかと不安に感ずるのは当然のことである。WHOガイドラインも,
前記のとおり,高レベルの騒音に曝露されることにより学童が無力感を抱
きやすくなってしまうことが懸念されるとしており,このような不安感に
は十分な根拠がある。
以上のとおり,健康に対する不安は,周囲の子供の発育に対する不安を
含めて,航空機騒音に起因する精神的苦痛である。
ウ交通事故の危険への不安
前記(1)の証拠によれば,原告らのうち少なくない者が,自動車や電車
の走行音あるいは踏切や緊急車両などの警報音が,航空機騒音によってか
き消され,交通事故の危険が高まるのではないかという不安を抱いている
ことが認められる。厚木飛行場周辺における航空機騒音が時に110dBを
も超える大きなものであることからすると,このような不安にも十分な根
拠があり,これも精神的苦痛の一つといえる。
エ航空機事故の不安等
前記(1)の証拠によれば,原告らのうち少なくない者が,厚木飛行場周
辺を飛行する航空機の墜落やその部品の落下等の事故に対する不安を抱い
ていることが認められる。前記のとおり,厚木飛行場周辺ではこれまでも
数多くの部品落下事故が発生しているほか,墜落事故も発生しており,周
辺住民はこれをよく承知している。特に厚木飛行場付近では,航空機がか
なりの低空を飛行する姿を日々間近に見ることになるから,事故の不安を
感ずるのはもっともである。このような不安感は,航空機騒音に起因する
というよりも航空機が頻繁に飛来すること自体に起因するものといえる
が,航空機騒音に関連する精神的苦痛の一つに数えることができる。
また,原告らのうち戦争体験を有する者等の中には,航空機騒音によっ
て戦争体験その他過酷な体験を想起させられて苦痛を感ずるとする者がい
る。厚木飛行場に離着陸する航空機が戦闘機等の軍用機であることや航空
機騒音の大きさを考慮すると,これらの訴えも根拠のあることといえ,航
空機騒音に関連する精神的苦痛の一つに数えることができる。
(6)被害のまとめ
以上,原告らは,①睡眠妨害,②聴取妨害及び精神的作業の妨害から成る
生活妨害,③アノイアンスや健康被害への不安を始めとする精神的苦痛を中
核として,厚木飛行場に離着陸する航空機の発する騒音により,それぞれの
身体条件や生活条件によって現れ方の異なる様々な被害を受けていることが
認められる。健康被害に結び付き得るものとしては睡眠妨害が深刻であるが,
生活妨害や種々の精神的苦痛も決して軽視することができない。そして,航
空機騒音にさらされる場所が原告らの日常生活の場であることから,これら
の個々の被害は,相互に関連して有機的に結び付いて,生活の質を全体とし
て損なわせているというべきである。
これらの被害は,航空機騒音に対する感受性の違いによって異なり得るも
のであり,個人差があると認められるが,W値が高くなればなるほど被害の
程度が大きくなるという関係にあることは明らかである。
6厚木飛行場の公共性
前記前提となる事実のほか,証拠(乙A19から33まで,85から89ま
で,90の1~7,91,92の1・2,93の1・2,94の1・2,95
の1・2,96,97の1~3,98の1・2,102から109まで,16
4から177まで)及び弁論の全趣旨により認められる事実は次のとおりであ
る。
(1)自衛隊の飛行場としての公共性
厚木飛行場は,防衛大臣が設置・管理し,海上自衛隊が自衛隊法に定めら
れた我が国の防衛,災害派遣等の任務遂行をする上での各種活動をするため
の飛行場として利用している。海上に容易に進出し得る位置にあることから,
海上自衛隊はこれを関東地方における最も重要な飛行場と位置付けている。
厚木飛行場に置かれた航空集団司令部は,自衛艦隊の主力である航空集団
の中枢として,全国各地に所在する航空部隊を一元的に指揮している。厚木
飛行場に離着陸する自衛隊機の大部分はこの指揮下にある第4航空群のもの
である。
第4航空群の活動は,①対潜航空活動,②災害派遣等民生協力活動,③防
災活動における地方自治体との連携,④国際貢献,⑤教育訓練等であり,我
が国周辺海域における哨戒任務である①がその活動の中心である。そして,
自衛隊機の運航活動は,決められたルートを飛行する民間定期便航空機とは
異なり,極めて危険かつ高度の技量を必要とするから,常日頃からの飛行訓
練が必要不可欠である。
(2)米軍の飛行場としての公共性
厚木基地は,日米安保条約に基づき,我が国の安全に寄与するとともに極
東における国際の平和と安全の維持に寄与するという目的のため,米海軍が
使用するものとして米国に提供されている。厚木基地の一部である厚木飛行
場は,海上自衛隊が管轄管理しているが,日米地位協定2条4項(b)に基づ
いて米海軍が一時使用を認められている。
厚木基地に駐留する米海軍の主要部隊は,西太平洋艦隊航空司令部,厚木
航空施設司令部及び第5空母航空団等である。西太平洋艦隊航空司令部は西
太平洋艦隊航空部隊の中枢を占める司令部であり,太平洋海軍航空司令部の
指揮下にあって,極東に施設及び部隊を有し,西太平洋等に所在する米海軍
及び米国海兵隊の各部隊に対し,航空機による作戦支援及び航空機の整備,
修理,訓練等の後方支援を行っている。横須賀基地には第7艦隊が展開して
おり,厚木基地は横須賀から近距離にあることから,第7艦隊に所属する空
母の艦載機に対する整備,修理,補給等の後方支援業務及び訓練を遂行する
ための陸上の航空基地として,米海軍により極めて重要な位置付けがされて
いる。また,厚木海軍航空施設司令部は,横須賀基地に所在する在日米海軍
司令部から,人事,医療等一部管理部門につき調整を受けつつ,厚木基地に
おける米軍施設を管理,運営,維持することによって,第7艦隊その他の部
隊から飛来する航空機の後方業務,すなわち航空機の整備,修理,補給等及
び空母艦載機搭乗員の着陸訓練の支援を行う役割を担っている。
このように,厚木基地は我が国にある米海軍の航空基地の中でも主要な役
割を担っている。
(3)まとめ
以上のとおり,厚木飛行場に離着陸する自衛隊機及び米軍機の諸活動は我
が国の安全に寄与するものであり,公共性を有する。
7違法性の有無(受忍限度)の判断
前記のとおり,厚木飛行場の使用及び供用が周辺住民に対する関係において
違法な権利侵害ないし法益侵害となり,設置・管理者である被告において賠償
義務を負うかどうかを判断するに当たっては,侵害行為の態様と侵害の程度,
被侵害利益の性質と内容,侵害行為の持つ公共性ないし公益上の必要性の内容
と程度等を比較検討するほか,侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況,
その間に採られた被害の防止に関する措置の有無及びその内容,効果等の事情
をも考慮し,これらを総合的に考察してこれを決すべきものである。
以下,ここまでの全ての事実に基づき判断する。
(1)侵害行為の態様と侵害の程度,被侵害利益の性質と内容,侵害行為の持つ
公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等の比較検討
本件における侵害行為は,厚木飛行場周辺の75W以上の地域に居住する
原告らを含む住民が主に航空機の離着陸に伴う騒音にさらされることであ
る。本件で問題となっている平成17年1月1日以降における航空機騒音の
程度をみると,75W以上の地域すなわち75Wの地域,80Wの地域,8
5Wの地域,90Wの地域及び95Wの地域においていずれも,そのそれぞ
れのW値とほぼ同じかこれを上回るW値が実際に測定されている。平成17
年より前の時点においてはこれを更に上回るW値が測定されていたことがあ
り,同年以降緩やかに減少したものの,顕著な減少とまではいえず,平成2
2年以降は逆に増加の傾向にある。一方,前記のとおり,WHOガイドライ
ンの設定しているガイドライン値は,LAeq(昼間と夕方16時間の等価騒音
レベル)を指標として,居住地域(屋外)において高度に不快という影響を
与えるものが55dB,少し不快という影響を与えるものが50dBである。W
値と上記のLAeqとは異なる評価指標であるからこれを単純に比較することは
できないが,W値から13をマイナスしたものが時間帯補正等価騒音レベル
であることを参考にすると,75Wという水準はWHOのガイドライン値と
比較してもかなり高いものであるといえる。また,昭和48年環境基準は,
前記のとおり,航空機騒音に係る環境基準を,地域の類型Ⅰにおいては70
W,地域の類型Ⅱにおいては75Wと定めている。これに照らしても,厚木
飛行場の周辺住民がさらされている航空機騒音の程度はかなり高いというべ
きである。
被害の性質と内容は,①睡眠妨害,②会話,電話,テレビ視聴等の聴取妨
害及び読書,学習等の精神作業の妨害から成る生活妨害,③不快感,健康被
害への不安を始めとする精神的苦痛が中核であり,75W以上の地域に居住
する原告らは共通してこれらの被害を被っている。原告ら以外の住民の受け
ている被害もこれとそれほど変わりのないものであると解される。このうち
睡眠妨害は健康被害に直接結び付き得るものであり,相当深刻な被害といえ
るし,また,これらの被害は相互に有機的に関連し,影響し合って,生活の
質を損なわせている。したがって,原告らを含めた周辺住民が受けている被
害は,健康又は生活環境に関わる重要な利益の侵害であり,生命,身体に直
接危険をもたらすとまではいえないものの,当然に受忍しなければならない
ような軽度の被害であるとは到底いえない。そして,厚木飛行場周辺の75
W以上の地域は,面積にして約1万0500haであり,そこに存在する世帯
数は約24万4000というのであるから,被害を受けている住民の数は極
めて多数に上る。
一方,厚木飛行場における米軍機及び自衛隊機の運航の持つ公共性ないし
公益上の必要性の内容と程度等をみると,厚木飛行場は,海上自衛隊の飛行
場としても,米海軍が我が国において使用する飛行場としても,極めて重要
な位置付けを与えられており,ここに離着陸する米軍機及び自衛隊機の運航
活動は,我が国の安全にも,極東における国際の平和と安全の維持にも資す
るものであって,国民全体の利益につながる公共性を有する。しかし,厚木
飛行場が存在することによって原告らを含むその周辺住民が受ける利益は,
国民全体が等しく享受する性格を有する上記の公共的利益の範囲にとどまる
というべきであり,米軍機及び自衛隊機の発する騒音によって被る被害の増
大に必然的にその利益が伴うというような彼此相補の関係が成り立っている
とはいえない。上記の公共的利益の実現は,原告らを含む周辺住民という限
られた一部少数者の特別の犠牲の上でのみ可能となっているのであり,そこ
に看過することのできない不公平が存在するのである(以上につき,大阪空
港最判及び厚木基地最判参照)。
したがって,厚木飛行場における米軍機及び自衛隊機の運航活動は公共性
を有するけれども,それによって厚木飛行場の使用及び供用の違法性が否定
されることにはならない。
(2)侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況,その間に採られた被害の
防止に関する措置の有無及びその内容,効果等の事情
厚木基地の航空機騒音は,厚木飛行場が設置された昭和46年7月を遡る
こと10年以上も前の昭和30年代半ばから既に周辺住民を苦しませてお
り,厚木飛行場が設置されてから現在に至るまで,ここに離着陸する航空機
の発する騒音は,継続して周辺住民に被害を与えてきた。この間,昭和51
年9月に第1次厚木基地騒音訴訟が,昭和59年10月に第2次訴訟が,平
成9年12月に第3次訴訟が提起され,いずれも周辺住民の損害賠償請求を
認容する判決が確定した。確定した判決の言渡時期は,第1次訴訟が平成7
年12月,第2次訴訟が平成11年7月,第3次訴訟が平成18年7月であ
る。それ以降も航空機騒音による被害が継続していることは上記(1)におい
てみたとおりである。
被告は,当初は行政措置として,昭和41年以降は「防衛施設周辺の整備
等に関する法律」に基づき,昭和49年以降は環境整備法に基づき,各種の
周辺対策を実施してきている。このうち住宅防音工事に対する助成は,住宅
防音工事が一定の遮音効果を有することから,室内における航空機騒音の軽
減に資するものであり,防音工事を実際に実施した周辺住民に対しては被害
対策として有効なものといえるが,他方で,防音工事によっても日常生活に
おける航空機騒音を防止するには不十分な面があり,また,防音工事には部
屋を密閉することに伴う負の効果もあるため,被害の防止対策としては限界
がある。移転措置は,75W以上の地域全体において実施され,かつ,移転
先が容易に見つかり,十分な補償が得られるのであれば,有効な被害対策と
いえるが,現実には,対象となる地域は90W以上の地域(第二種区域及び
第三種区域)に限られ,補償が行われるのも建物等の所有者が当該建物等を
移転し又は除却するときに限られている(環境整備法5条,環境整備法施行
令8条,旧環境整備法施行規則2条)。そして,住民の希望にかなった移転
先の確保は容易ではなく,補償額も十分とはいえないと認められる。したが
って,移転措置は有効な被害対策になっているとはいえない。さらに,米海
軍は日米合同委員会で合意された規制措置により,海上自衛隊は自主規制に
より,毎日午後10時から翌日午前6時までの間の夜間や日曜日には原則と
して航空機の運航をしないなどの措置をとっているが,それでもなお,夜間
や日曜日に少なくない航空機騒音が測定されている。この自主規制はそもそ
も平日昼間の航空機騒音による被害の軽減にはそれほど資するものではな
い。それ以外の周辺対策及び音源対策をみても,航空機騒音による被害の軽
減に結び付いているとはいえない。
したがって,被告が行っている周辺対策及び音源対策は,住宅防音工事に
対する助成については一定の被害軽減の効果は認められるものの十分とはい
えず,他の対策は被害を軽減する効果を有するものとして評価することは困
難である。
(3)総合的考察
以上の諸般の事情に加えて,航空機騒音に関する法律である環境整備法,
航空機騒音防止法及び航空機騒音特措法並びにその下位の政省令がいずれも
75Wという水準をもって政策措置を行う最低の基準と定めており,かつ,
この水準は過去約30年にわたって変更のない安定したものであること,昭
和48年環境基準は,航空機騒音に係る環境基準を,地域の類型Ⅰにおいて
70Wと,地域の類型Ⅱにおいて75Wと定めていることなどの事情をも考
慮し,これらを総合的に考察すると,平成17年1月1日以降現在までの被
告による厚木飛行場の使用及び供用は,少なくともその周辺の75W以上の
地域に居住する住民に社会生活上受忍すべき限度を超える被害を生じさせる
ものとして違法な権利侵害ないし法益侵害であると判断することができる。
これは公の営造物の設置又は管理に瑕疵があったために他人に損害を生じた
ときに当たるから,厚木飛行場の設置・管理者である被告は,75W以上の
地域への居住を根拠として賠償請求をする原告らに対する賠償責任を免れな
いというべきである。
8危険への接近
(1)被告の主張する「危険への接近の法理」について
被告は,いわゆる危険への接近の理論を根拠として,被告が主張する一定
の時期以降に厚木飛行場周辺の75W以上の地域に居住するに至った原告ら
の請求につき被告の賠償責任の減免を主張する。なお,被告は「危険への接
近の法理」というが,後記のとおり判例は「危険への接近の理論」としてい
るので,本判決はこの判例の用語に従う。
まず危険への接近の理論について検討する。
ア危険への接近の理論による免責
大阪空港最判は,免責の法理としての危険への接近の理論を判示した。
すなわち,大阪空港最判は,大阪国際空港においてジェット機の大型化と
大量就航をもたらした昭和45年2月のB滑走路供用開始後に同空港周辺
に転居して来た住民について,住民の側が特に公害問題を利用しようとす
るごとき意図をもって接近したと認められる場合でない限り危険への接近
の理論は適用がないとの見解の下にこれらの者の請求を認容した原審の判
断は是認し得ないとした。その上で,「〔当該被上告人〕が航空機騒音の
存在についての認識を有しながらそれによる被害を容認して居住したもの
であり,かつ,その被害が騒音による精神的苦痛ないし生活妨害のごとき
もので直接生命,身体にかかわるものでない場合においては,原判決の摘
示する本件空港の公共性をも参酌して考察すると,同被上告人の入居後に
実際に被った被害の程度が入居の際同被上告人がその存在を認識した騒音
から推測される被害の程度を超えるものであったとか,入居後に騒音の程
度が格段に増大したとかいうような特段の事情が認められない限り,その
被害は同被上告人において受忍すべきものというべく,右被害を理由とし
て慰藉料の請求をすることは許されないものと解するのが相当である。」
と判示した。
その際,そこにいう「認識」と「容認」について,原判決の認定した事
実等によれば,「〔当該被上告人が〕航空機騒音が問題とされている事情
ないしは航空機騒音の存在の事実をよく知らずに入居したということは,
経験則上信じ難いところである」とし,「同被上告人が一定程度の航空機
騒音の存在を認識しながら相当期間にわたる間の住居としてあえてその住
居を選択したというのであれば,当時の住宅事情を考慮に入れても,同被
上告人は,夫の勤務先に近いという居住上の便宜さ等をむしろ重視し,自
己が見聞した程度ないしこれと格段の相違のない程度の騒音の悪影響ない
し被害はこれをやむをえないものと容認して入居したものと推認すること
ができる」としている。
大阪空港最判は,以上のとおり,当該事案の事実関係に即して危険への
接近の理論の適用の可否を検討し,適用の余地があるとして事件を原審に
差し戻したのであり,危険への接近の理論を適用し結論として加害者を免
責したわけではない。しかし,最高裁のこの考え方は判例ないし判例理論
というべきであるから,本件においてもこの見地からの検討を行う必要が
ある。
イ過失相殺による減額
判例の採用する危険への接近の理論は,上記のとおり加害者の免責とい
う効果をもたらすものである。被告はこれを「免責の法理としての危険へ
の接近の法理」と呼び,これに対し,「減額の法理としての危険への接近
の法理」も存在すると主張する。ある者がある場所に危険が存在すること
を認識しながら又は過失によってこれを認識しないで,あえてその場所に
入って危険に接近し,そのために被害を被ったときは,損害賠償額の減額
事由としてこれを考慮するのが衡平であるから,判例の採用する危険への
接近の理論によって免責が認められない場合にも,具体的な事情のいかん
により,過失相殺の法理に準じ,損害賠償額の算定に当たりこれを減額事
由として考慮すべきであるというのである。
不法行為の被害者に過失があったときは,裁判所はこれを考慮して損害
賠償の額を定めることができる(民法722条2項)。この過失相殺の法
理は,発生した損害を加害者と被害者との間において公平に分担させると
いう公平の理念に基づくものであり,裁判所は,具体的な事案につき公平
の観念に基づき諸般の事情を考慮し,自由な裁量によって被害者の過失を
斟酌して損害額を定めることができる(最高裁昭和39年9月25日第二
小法廷判決・民集18巻7号1528頁参照)。そしてここにいう過失は
不法行為の成立要件としての過失と同じではないから(最高裁昭和39年
6月24日大法廷判決・民集18巻5号854頁参照),航空機騒音によ
る被害を理由に周辺住民が飛行場の設置・管理者に対して損害賠償を請求
する事案において,当該住民がその居住地に居住するに至った事情を「過
失」ないしこれに準ずるものとみて民法722条2項の適用ないし類推適
用により過失相殺をし得る場合があることはいうまでもない。しかし,こ
れは過失相殺による損害額の減額とすれば足りるものであり,あえて「減
額の法理としての危険への接近の理論」などと名付ける必要はない。被告
の主張は,原告らの一部につき,居住地に居住するに至った事情に基づき
過失相殺をすべきであるとの主張であると理解する。
(2)原告らの一部につき,危険への接近の理論の適用により被告は免責される

そこでまず,危険への接近による免責が認められるか否かを判断する。
被告は,昭和57年5月以降に75W以上の地域に転居してきた原告ら(7
5W以上の地域内で転居した者を含む。)について免責の法理としての危険
への接近の理論が適用されると主張する。しかし,前記のとおり,第3次判
決は危険への接近の理論を適用して被告を免責することをしなかったから,
この主張は既に第3次判決によって排斥されており,当裁判所もこの点につ
いて第3次判決と異なる判断をすべき事情は見いだし難いと判断する。第3
次判決の口頭弁論終結後に指定区域外から75W以上の地域に転居してきた
原告らについても同様である。その理由は次のとおりである。
ア類型A及び類型Cについて
被告は,危険への接近の法理が適用されるべきであるとする原告らにつ
いて,次のとおりの分類をする。
類型A:昭和57年5月1日以降に75W以上の地域に転居してきた
者(75W以上の地域内で転居した者を含む。)
類型B:同日以降に75W以上の地域に居住し,①その後指定区域外
に転出したにもかかわらず再び75W以上の地域に転入した
者,②その後より騒音レベルの高い地域に転居した者,③その
後75W以上の地域での移動を複数回繰り返した者
類型C:平成18年5月1日以降に75W以上の地域に転居してきた

大阪空港最判は,大阪国際空港に離着陸する航空機の騒音にさらされる
地域にそうでない地域から転居してきた者について,前記のとおり危険へ
の接近の理論の適用を問題としたものである。したがって,被告のいう類
型Aに該当する者のうち75W以上の地域内で転居した者及び類型Bに該
当する者については,そもそも大阪空港最判の射程は及ばないと解される。
大阪空港最判の射程が及ぶのは,類型A及び類型Cのうち75W以上の地
域に指定区域外から初めて転居してきた者に限られるというべきである。
本判決においては,以下,この者に限って類型A及び類型Cと呼ぶことと
し,それ以外の者はまとめて類型Bと呼ぶこととする。
以上を前提に,ここでは類型A及び類型Cについて検討する。
原告らの被害は前記のとおりであり,大阪空港最判の挙げる要素のうち
「被害が騒音による精神的苦痛ないし生活妨害のごときもので直接生命,
身体にかかわるものでない」という点は満たされているで,それ以外の要
素,特に「航空機騒音の存在についての認識を有しながらそれによる被害
を容認して居住した」という要素が検討の対象となる。以下において判断
の基礎とする事実はここまでの全ての事実である。
厚木飛行場ないし厚木基地は,専ら米軍と自衛隊が使用しており,他の
者が利用することはないから,その所在地は一般に知られていない。「厚
木」という名称から,厚木市に所在すると誤解する者も多い。厚木飛行場
に離着陸する航空機の飛行計画及び飛行経路が事前に公表されることはな
く,飛行回数や飛行する航空機の機種は日によって大きく異なり,飛行経
路も一定ではない。特に日曜日の飛行回数は,平日に比べると少ない。N
LPが実施される場合に限って,その予定が事前に明らかにされるが,N
LPの多くは硫黄島で行われており,厚木飛行場において頻繁に行われる
ことはない。このように,厚木飛行場周辺の航空機の飛行状況は,航空機
の飛行計画及び飛行経路が定まっており毎日ほぼ同じ時刻に同じ飛行経路
で同じような種類の航空機が飛行する公共用飛行場(大阪国際空港はこれ
に当たる。)の場合とは著しく異なる。米軍機及び自衛隊機の発する航空
機騒音の実態についてみても,その大きさも,音質も,耐空証明等の制度
が存在する民間航空機の発するものとは大きく異なり,一般の人にとって
は日頃耳にすることのない異質なものである。
宅地建物取引業法により,航空機騒音特措法にいう特定空港(すなわち
成田国際空港)周辺の航空機騒音障害防止地区及び航空機騒音障害防止特
別地区における土地利用の制限に関しては,宅地の売買,貸借等につき宅
地建物取引業者が重要事項説明書により説明をしなければならないとされ
ているが(宅地建物取引業法35条1項2号,宅地建物取引業法施行令3
条1項5号の2,2項),環境整備法の定める第一種区域等は,航空機騒
音防止法の定める第一種区域等と同様,宅地建物取引業法上,宅地建物取
引業者による重要事項説明の対象となっていない。したがって,第一種区
域等に関して宅地建物取引業者から適切な説明がされると期待することも
できない。
これらの事情によると,厚木飛行場周辺の75W以上の地域に転入しよ
うとする者の中には,厚木飛行場の存在自体を知らない者が少なくないと
考えられるし,その存在を知っていたとしても,米軍機や自衛隊機の発す
る騒音の実態は,経験しなければ感得できないものである。事前に下見に
来たとしても,それが航空機の飛行回数の少ない日に当たれば騒音の実態
は全く把握できない(逆に,飛行回数の多い日に当たれば,その場所に転
居しようなどとは思わないであろう。原告らの中にそのような事情がある
者がいるとは認められない。)。一般の人は,下見に来る曜日は日曜日で
あることが少なくないと思われるが,日曜日の飛行回数は平日より少ない
のである。したがって,一般的にいって,実際に75W以上の地域に転居
し,ある程度継続して生活をするまでは,航空機騒音の実態はつかめない
と認められ,大阪空港最判にいう「認識」及び「容認」を容易に認めるこ
とはできないというべきである。
被告は,環境整備法の定める第一種区域等における住宅防音工事につい
て厚木飛行場周辺自治体に情報提供をしており,平成18年1月の告示の
際には,インターネットにおいても比較的詳しい情報提供をしたと認めら
れる(乙A40の1~18,41,42の1~4,43の1・2,44の
1・2,45,46,47の1~8)。しかし,このような情報は,それ
を積極的に知ろうとする者が知ることができたとはいえても,そもそも厚
木基地の存在自体を知らない者や,知っていても米軍機や自衛隊機の発す
る航空機騒音の実態を知らない者にとっては,意味があるとはいい難い。
指定区域外から75W以上の地域に転居しようとする者の全てに対し,そ
の知識や意向のいかんにかかわらず被告や周辺自治体から積極的な情報提
供が行われていたというのであればまた別であるが,そのような情報提供
が行われていたことを認めるに足りる証拠はない。さらに,仮にこれらの
情報に接したとしても,上記のとおり,米軍機や自衛隊機の航空機騒音の
実態は経験しなければ感得できないものである。したがって,被告による
上記のような情報の提供という事実を考慮したとしても,やはり,75W
以上の地域に実際に転居してある程度の期間継続して生活をするまでは航
空機騒音の実態をつかめないという事情に変わりはないというべきであ
る。
イ類型Bについて
次に,類型Bについて検討する。
被告は,かつて75W以上の地域に居住した者が指定区域外に転出した
後,改めて75W以上の地域に転入した場合(被告のいう類型B1),あ
るいは,75W以上の地域内で転居をした場合(類型B2,B3。なお,
被告のいう類型Aの一部もこれに当たる。),75W以上の地域内の航空
機騒音の実態を知っていたのであるから危険への接近の理論が適用される
べきであると主張する。
しかし,まず,75W以上の地域内で転居をした者のうち,例えば75
Wの地域内で転居したなど騒音のレベルが同じ地域で転居した者,また,
例えば80Wの地域から75Wの地域へ転居したなど騒音のレベルが高い
地域から低い地域に転居した者については,そもそも危険への「接近」を
したとはいえないから,大阪空港最判の射程が及ばないことは明らかであ
る。実質的に考えても,75W以上の地域にある居住地に居住し続けてい
れば損害賠償を受けられるのに,上記のような転居をしただけで損害賠償
を受けられなくなるというのでは,居住し続けた者との関係で合理的な理
由なく不公平な結果をもたらすというべきであり,これを容認することは
できない。したがって,上記のような転居をした原告らについて,免責の
法理としての危険への接近の理論を適用することはできない。
次に,75W以上の地域内で,例えば75Wの地域から80Wの地域へ
転居したなど騒音のレベルが低い地域から高い地域に転居した者,また,
75W以上の地域から指定区域外に転居した後,再び75W以上の地域に
転居した者(以下,併せて「再転入者」という。)については,確かに「危
険への接近」には当てはまるものの,騒音の発生源に初めて接近したとい
うわけではないから,大阪空港最判が判断の基礎とした事案とは事実関係
が大きく異なり,大阪空港最判の射程は及ばないと解される。仮に及ぶと
しても,再転入者であるからといって,75W以上の地域に転居するに当
たり,厚木飛行場に離着陸する航空機による騒音の被害を認識しこれを容
認したものと推定することはできないというべきである。その理由は次の
とおりである。人がある地域に居住するのは,もともと親がそこに住んで
いたからといった親族関係の存在を理由とすることが多く,既に親が死亡
しているとしても,それ以外の親族が近くに住んでいることも多い。また,
親族関係の存在が理由になっていると否とを問わず,人は,ある地域に居
住を続けることにより,その地域に居住する人々との間に必然的に深い人
間関係を結ぶことになり,日常生活の様々な局面で地域との関係を深めて
いく。たとえ何らかの事情でいったんその地元を離れたとしても,再びそ
の地元に戻って生活をすることが望ましい,あるいは戻らなければならな
いという事態が生ずることは決してまれなことではない。地元の周辺で転
居をすることも同様である。例えば,親やきょうだいと同居し,又はその
自宅の近くに住んで,小さな子供の面倒をみてもらう,あるいは逆にその
介護をするといったことはよくある事情である。子供の教育の事情や通勤
の事情により従前の居住場所を離れられないということもある。友人・知
人関係を維持するためにその近くに住むことを重視する者もあろう。この
ような事情を持つ再転入者にとっては,地元に戻ること,あるいは地元の
周辺で転居をすることは,主観的には必然的ととらえられているというべ
きであり,その地域が75W以上の地域であり,そこにおける過去の航空
機騒音の実情を認識していたとしても,その被害にさらされることを大阪
空港最判のいう意味で「容認」しているとは認めることができないのであ
る。
ウまとめ
以上の見地を踏まえ,免責の法理としての危険への接近の理論が適用さ
れるべきであると被告が主張する原告らについて個別の事情を検討した
が,いずれについても大阪空港最判にいう「認識」及び「容認」があると
認めることはできず,これを適用することはできないと判断した。
念のため,第3次判決で判断の対象とならなかった類型Cに属する原告
ら(ただし,繰り返しになるが,平成18年5月以降に初めて指定区域外
から75W以上の地域に転入した者に限る。)について個別の事情を検討
した結果を,別紙別紙別紙別紙20202020(原告ら個別の事情についての補足説明)の3に示
しておく。
(3)原告らの一部につき,その転居に関する事情を理由として過失相殺により
損害額を減額すべきか
前記のとおり,過失相殺の法理は,発生した損害を加害者と被害者との間
において公平に分担させるという公平の理念に基づくものである。本件にお
いては,上記(2)において検討した事情のほか,次の事情を考慮すべきであ
る。
ア被害の重大性
原告らが受けている航空機騒音による被害は,前記のとおり,健康又は
生活環境に関わる重要な利益の侵害であり,特に睡眠妨害は,健康被害に
直接結び付き得るものとして深刻な被害といわなければならない。
イ違法な侵害状態の継続
厚木飛行場に離着陸する航空機の発する騒音については,前記のとおり,
昭和51年以来既に3回にわたり周辺住民が損害賠償等を求めて被告を提
訴し,3回とも,住民の損害賠償請求を認容する判決が確定している。航
空機騒音による被害自体は昭和30年代半ばから発生しており,現在まで
継続している。第1次訴訟の提起から数えて約38年,被害の発生まで遡
れば50年以上もの期間がこれまでに経過しているのである。また,原告
らの中には,過去の損害の賠償請求が第3次判決で認容されこれが確定し
ているのに,請求期間は異なるものの再び同じ理由で提訴することを余儀
なくされている者もいる(別紙別紙別紙別紙19191919(第3次訴訟原告目録)記載1から3
までの原告らの一部)。
ウ被告の一般的な責務について
被告は,憲法25条及び環境基本法6条に基づき,国民の健康で文化的
な生活の確保に寄与するため,環境の保全に関する基本的かつ総合的な施
策を策定し,これを実施する責務を負う。上記イでみたような被害の継続
状況をみると,被告がこの責務を果たしているとはいい難い。
これらの事情を踏まえて,被告の指摘する原告らが75W以上の地域に居
住するに至った個別の事情を検討したが,いずれについてもその事情を考慮
して過失相殺により損害額の減額をすることはできないと判断した。
9国家賠償法6条の相互保証について
(1)外国人原告らと国家賠償法6条
証拠(次の各原告に関する甲地域別1)及び弁論の全趣旨によれば,原告
らのうち次の者は,その右側に掲げた国の国籍を有する外国人であることが
認められる。
あ163~166,168~171ベトナム
あ575カナダ
え60,62,109,205,や3509中国
さ93パキスタン
ざ344,ま6,や602~606,2788,3946韓国
や1286,1658,2576,4282フィリピン
や2084スリランカ
国家賠償法6条によれば,同法は外国人が被害者である場合には相互の保
証があるときに限り適用される。これは,我が国の国民に保護を与えない国
の国民に我が国が積極的に保護を与える必要はないという考え方に基づく。
したがって,外国人が被害者である場合,国家賠償法に基づく賠償責任の
成立要件が満たされるだけでは足りず,同条にいう「相互の保証がある」と
いえなければならない。そして,「相互の保証がある」とは,当該外国人の
本国で,日本人が被害者として当該事案と同種の損害賠償請求をした場合に,
国家賠償法所定の要件と重要な点で異ならない要件の下にその請求が認めら
れることをいうものと解される。
(2)条約を根拠とする外国人原告らの主張について
国家賠償法6条の相互保証が認められる根拠として,中国人原告らは「投
資の奨励及び相互保護に関する日本国と中華人民共和国との間の協定」4条
を,ベトナム人原告らは「投資の自由化,促進及び保護に関する日本国とベ
トナム社会主義共和国との間の協定」3条を,パキスタン人原告は「日本国
とパキスタンとの間の友好通商航海条約」5条1項を,スリランカ人原告は
「投資の促進及び保護に関する日本国とスリ・ランカ民主社会主義共和国と
の間の協定」4条を,フィリピン人原告らは「日本国とフィリピン共和国と
の間の友好通商航海条約」3条1項を挙げる(韓国人原告ら及びカナダ人原
告は条約を根拠とする主張をしない。)。しかし,これらはいずれも,二国
間のいわゆる投資協定又は通商条約において裁判を受ける権利についての内
国民待遇を保障する規定にすぎず,国家賠償法6条にいう相互保証の根拠と
なるものではないと解される。なお,我が国とフィリピン及びカナダとの間
には投資協定が存在しないが,韓国との間には「投資の自由化,促進及び保
護に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定」が,パキスタンとの間
には「投資の促進及び保護に関する日本国とパキスタン・イスラム共和国と
の間の協定」が存在し,前者の3条,後者の4条は裁判を受ける権利につい
ての内国民待遇の保障を規定している。韓国とパキスタンについてこれらの
条約の規定を根拠として挙げない外国人原告らの主張は,主張としての一貫
性も欠くといわざるを得ない。
以上のとおり,条約を根拠とする外国人原告らの主張には理由がないから,
以下,それぞれの本国法について個別に検討する。
(3)韓国
証拠(乙A119)によれば,韓国には我が国と同様の国家賠償法が存在
し,相互保証により日本人にも適用されることが認められる。したがって,
韓国人原告らは国家賠償法6条の要件を満たす。
(4)中国
ア認定事実
証拠(乙A120,124)により認められる事実は次のとおりである。
中国には平成6年に制定された国家賠償法が存在するが,最高人民法院
への照会に対する回答によれば,公務員の行為によって私人に生じた損害
の賠償を求める場合は国家賠償法に基づくが,公の営造物の設置・管理の
瑕疵によって私人に生じた損害の賠償は民事賠償とされており,その賠償
を求める場合は民法通則,権利侵害責任法等に基づくことになるという。
国家賠償法の規定を見ると,「行政賠償」として国に対して賠償請求す
ることができる事由は,「人身権」の侵害と財産権の侵害とに分けて3条
と4条に列記されており,3条掲記の事由は,①違法な逮捕等,②不法な
拘禁等,③殴打,虐待等による死傷,④武器等の違法使用による死傷,⑤
その他の違法行為による死傷である。また,5条には免責事由が規定され
ている。賠償の範囲には慰謝料も含まれる(35条)。国家賠償法は,相
互保証の下に,外国人にも適用される(40条)。
イ判断
中国の国家賠償法は,国に対して賠償請求をすることができる事由を列
記しており,本件におけるような公の営造物の設置・管理の瑕疵に基づく
睡眠妨害,生活妨害及び精神的苦痛等の被害についての賠償請求はこれに
該当しない。したがって,中国において日本人が本件と同種の損害賠償請
求を国家賠償法に基づいてすることはできない。
もっとも,公の営造物の設置・管理の瑕疵によって私人に生じた損害の
賠償は,民法通則,権利侵害責任法等を根拠として認められるというので
あるから,この観点から更に検討を要する。そこで,権利侵害責任法の規
定を見ると(法務省HPの法務総合研究所国際協力部のページに仮訳が掲
載されている。),第8章が「環境汚染責任」とされており,環境を汚染
したことにより損害を生じさせた場合には,汚染者は権利侵害責任を負わ
なければならないとされている(65条)。損害賠償の範囲については,
人身権益を侵害し,重大な精神的損害を生じさせた場合には,その賠償を
請求することができるとされている(22条)。
以上によれば,中国で日本人が被害者として本件と同種の損害賠償請求
をした場合,国家賠償法に基づく請求としては認められないものの,権利
侵害責任法に基づく請求としては,規定上,我が国の国家賠償法所定の要
件と重要な点で異ならない要件の下にその請求が認められることになると
解される。したがって,中国人原告らは国家賠償法6条の要件を満たす。
(5)ベトナム
ア認定事実
証拠(乙A121)により認められる事実は次のとおりである。
ベトナムには,平成21年に制定された国家賠償法(国家の賠償責任に
関する法律)が存在するが,司法省への照会に対する回答によれば,公務
執行者が引き起こした損害について私人がその賠償を求める場合は国家賠
償法に基づくが,公の営造物の設置・管理の瑕疵によって私人に生じた損
害の賠償は民事賠償とされており,その賠償を求める場合は設置・管理を
する法人が民法に基づき賠償責任を負うという。
国家賠償法の規定を見ると,国に対して賠償請求することができる事由
は,1条により,国家行政管理活動,訴訟活動及び判決執行に限定され,
行政管理活動における賠償範囲は13条に列記されている。この中に,公
の営造物の設置・管理の瑕疵は含まれていない。賠償の範囲には物的損害
のほか精神的損害も含まれ,相互保証を条件とすることなく,外国人も賠
償を受けられる(2条,45条から49条まで)。なお,国家賠償責任は,
民法における契約外責任の特別類型と位置付けられている。
イ判断
ベトナムの国家賠償法は,国に対して賠償請求をすることができる場合
を列記しており,本件におけるような公の営造物の設置・管理の瑕疵に基
づく睡眠妨害,生活妨害及び精神的苦痛等の被害についての賠償請求はこ
れに該当しない。したがって,ベトナムにおいて日本人が本件と同種の損
害賠償請求を国家賠償法に基づいてすることはできない。
もっとも,公の営造物の設置・管理の瑕疵によって私人に生じた損害の
賠償は民法を根拠として認められるというのであるから,この観点から更
に検討を要する。そこで,民法の規定を見ると(法務省HPの法務総合研
究所国際協力部のページに仮訳が掲載されている。),高度危険源(機械
化された交通輸送手段,送電システム,稼働している製造工場等)の所有
者は,高度危険源によって生じた損害を賠償しなければならないとされ(6
23条),また,環境を汚染し,損害を起こしたときは,賠償をしなけれ
ばならないとされている(624条)。損害賠償の範囲には精神的損害が
含まれる(609条2項,611条2項)。
以上によれば,ベトナムで日本人が被害者として本件と同種の損害賠償
請求をした場合,国家賠償法に基づく請求としては認められないものの,
民法に基づく請求としては,規定上,我が国の国家賠償法所定の要件と重
要な点で異ならない要件の下にその請求が認められることになると解され
る。したがって,ベトナム人原告らは国家賠償法6条の要件を満たす。
(6)パキスタン
ア認定事実
証拠(乙A123,124)により認められる事実は次のとおりである。
パキスタンでは,国家賠償に関する法制度は不法行為法に含まれ,これ
により,公務員の職務執行の違法又は公の営造物の設置・管理の瑕疵によ
り私人に生じた損害に対し,国は賠償責任を負う。精神的損害も賠償の対
象となる。相互保証を条件とすることなく,外国人も賠償を受けられる。
イ判断
パキスタンでは公の営造物の設置・管理の瑕疵により私人に生じた損害
を国が賠償する制度が存在するというのであり,精神的損害も賠償の対象
となり,かつ,外国人が被害者の場合に相互保証が条件となっていないと
いうのである。そうすると,パキスタンで日本人が被害者として本件と同
種の損害賠償請求をした場合,我が国の国家賠償法所定の要件と重要な点
で異ならない要件の下にその請求が認められると考えられるので,パキス
タン人原告は国家賠償法6条の要件を満たす。
(7)スリランカ
ア認定事実
証拠(乙A122)により認められる事実は次のとおりである。
スリランカには,昭和44年に制定された国家不法行為責任法が存在し,
公務中の公務員等に不法行為や不作為があった場合の国の責任を定めてい
る。その規定を見ると,賠償される損害には一般的損害と特別損害とがあ
り,前者には痛みや苦痛そのものへの賠償,後者には一定期間働くことが
できずに生じた損失や医療費等に対する賠償が含まれる。相互保証を条件
とすることなく,外国人も賠償を受けられる。
イ判断
スリランカには国家不法行為責任法が存在し,公務員の不法行為や不作
為があった場合の国の責任を定めているというのであり,精神的損害も賠
償の対象となり,かつ,外国人が被害者の場合に相互保証が条件となって
いないというのである。そうすると,スリランカで日本人が被害者として
本件と同種の損害賠償請求をした場合,我が国の国家賠償法所定の要件と
重要な点で異ならない要件の下にその請求が認められると考えられるの
で,スリランカ人原告は国家賠償法6条の要件を満たす。
(8)フィリピン
ア認定事実
証拠(乙A135,136の1・2,137の1・2,138の1・2,
139の1・2,140の1・2,141の1・2,142の1・2,1
43の1・2,144の1・2,145)により認められる事実は次のと
おりである。
フィリピンでは,国はその同意がなければ訴えられることはないと憲法
に規定されており(16条3項),国家無答責の法理が妥当している。公
務員がその職務を執行するに当たり私人に損害を与えた場合についてもこ
の法理が妥当し,悪意又は故意により損害を与えたというような場合にの
み,その公務員に対して賠償請求をすることができるとされている。これ
に対し,地方公共団体は,人の死傷又は財産権の侵害に対する損害賠償に
ついて免責されず(地方政府法24条),その管理下にある道路,橋,公
共建造物その他の公共事業の欠陥状態によって生じた人の死傷に対して賠
償義務を負うとされている(民法2189条)。法人格を有する政府機関
については,その職務の性質により,国家無答責の法理が妥当するか否か
が決まる。
国も,明示的に又は黙示的に訴訟への同意をすることができる。その場
合,国は民法等に基づき私人に対する賠償義務を負う。
賠償の対象となる損害には慰謝料が含まれる。相互保証を条件とするこ
となく,外国人も賠償を受けられる。
イ判断
フィリピンでは国家無答責の法理が妥当しているというのであるから,
我が国と同様の国家賠償制度は存在しない。また,中国やベトナムの場合
と異なり,権限ある官庁から,公の営造物の設置・管理の瑕疵に基づく損
害の賠償は民事賠償であるとの説明もされていない。道路,橋,公共建造
物その他の公共事業の欠陥状態に関して損害賠償が許されるのも,人の死
傷という結果が生じた場合に限られる。そうすると,フィリピンで日本人
が被害者として本件と同種の損害賠償請求をした場合,我が国の国家賠償
法所定の要件と重要な点で異ならない要件の下にその請求が認められると
はいえない。したがって,相互保証の要件を欠くから,フィリピン人原告
らの損害賠償請求は,その余の点について判断するまでもなく棄却を免れ
ない
(9)カナダ
ア認定事実
証拠(甲民1,乙A134の1・2)により認められる事実は次のとお
りである。
カナダの連邦には,国家賠償責任を定めた法律が存在する。国は,一般
の不法行為法(コモンロー又は制定法)に従い,公務員の不法行為又は所
有物の支配に付随する義務違反等に基づき私人に対する賠償義務を負う。
イ判断
カナダには国家賠償責任を定めた法律が存在し,コモンロー又は制定法
上の不法行為法に従い,公務員の不法行為又は所有物の支配に付随する義
務違反等に基づき国は私人に対する賠償義務を負うというのである。そう
すると,カナダで日本人が被害者として本件と同種の損害賠償請求をした
場合,我が国の国家賠償法所定の要件と重要な点で異ならない要件の下に
その請求が認められると考えられるので,カナダ人原告は国家賠償法6条
の要件を満たす。
10慰謝料額
(1)基準額の設定
原告らは,厚木飛行場に離着陸する航空機騒音により共通損害を被ってい
ると主張し,包括的な損害賠償請求として一律に1か月当たり2万円の慰謝
料を請求している。慰謝料は,裁判所がその事件に関する一切の事情を斟酌
して自由な心証をもって決定しなければならないものである。そこで,当
裁判所は,ここまでの全ての事実を前提として,本件における侵害行為の
態様と侵害の程度,被侵害利益の性質と内容,侵害行為の持つ公共性の内容
と程度,侵害行為の継続の経過及び状況,その間に採られた被害の防止に関
する措置等の一切の事情を考慮し,次のとおり,原告らそれぞれの居住する
地域における騒音の大きさに応じて,共通する最小限度の被害の程度に対応
するものとして,基準となるべき1か月当たりの慰謝料額を定めることとす
る。
75Wの地域4000円
80Wの地域8000円
85Wの地域1万2000円
90Wの地域1万6000円
95Wの地域2万円
以上の各地域は,現在,第一種区域線,工法区分線,外郭線,第二種区域
線及び第三種区域線によって画されている。これらの線は平成18年1月の
告示又は設定に基づくものであり,これは,平成15年度及び平成16年度
に行われた厚木飛行場周辺における航空機騒音度調査を基にしている。この
ことからすると,現在の第一種区域線等は,少なくとも平成17年1月1日
以降の航空機騒音の実態をかなりの程度正確に反映しているといえるから,
平成18年1月の告示又は設定の前後で分けることなく,平成17年1月1
日以降の全ての期間について現在の第一種区域線等を基準として地域を区分
すべきであるという考え方もあり得よう。しかし,慰謝料の額は,その時点
の騒音の大きさに応じて決めるべきものではあるが,騒音の大きさが全てで
はなく,一切の事情を総合的に考慮して決めるべきものであり,行政によっ
て第一種区域などの一定の区域として定められていること自体も重要な考慮
要素となり得る。そこで,本判決においては,行政によって一定の区域とし
て定められた事実を尊重し,その時点における第一種区域線等によって画さ
れた地域に応じて慰謝料の額を定めることとする。したがって,請求期間の
うち平成18年1月の告示又は設定よりも前の期間については,旧第一種区
域線等のその当時の区分線によって画された地域がそれぞれ75W,80W,
85W,90W,95Wの各地域に対応するものとして上記の慰謝料額を適
用する。原告らの中に,住所が変更していないのに別紙別紙別紙別紙21212121一覧表の「居住
地」欄中の「W値」欄の数値が平成18年1月の告示又は設定の前後で変化
している者がいるのはそのためである。
被告はこの点につき,第一種区域線等は騒音コンターと一致しないからこ
れを区分線として採用すべきではなく,区分線としては騒音コンターそのも
のを採用すべきであると主張する。確かに第一種区域線等と騒音コンターは
正確には一致しないが,前記のとおり,第一種区域線等は,騒音コンターと
重なる住宅の所在状況を勘案して当該コンターに沿って引くものとされ,当
該コンターに沿って街区,道路,河川等が所在する場合にはこれらに即して
最小限の修正を行ったものであるから,騒音コンターとほぼ一致する。また,
住宅の所在状況,街区,道路,河川等の現状を踏まえて引かれているのであ
るから,住民の居住,生活状況を考慮すればむしろ第一種区域線等の方が騒
音コンターよりも実態に即しており,地域を区分する線として適切というべ
きである。したがって,被告の上記主張は採用しない。
慰謝料額の算定期間について1か月を単位としたのは,厚木飛行場に離着
陸する航空機の発する騒音の回数や大きさが日によって異なるため1日を単
位とするのは適当でないこと,一方で,1か月単位でみると年間を通じて極
端な差異があるとはいえないことを考慮したからであり,原告らが1か月単
位で請求していることをも踏まえたものである。もっとも,転居や死亡など
により居住期間が1か月に満たない場合には,その間の損害を全て切り捨て
ることも,逆にこれを1か月分の損害とみなすことも,損害の公平な分担と
いう見地からして妥当でないから,日割りで計算することとする。
遅延損害金に関しては,第1事件原告らは,平成17年12月31日まで
の損害について平成18年1月1日から,同日から同年12月31日までの
損害について平成19年1月1日から,同日から同年12月31日までの損
害について平成20年1月1日からいずれも支払済みまでの支払を請求し,
第2事件原告らは,平成18年4月30日までの損害について同年5月1日
から,同日から平成19年4月30日までの損害について同年5月1日から,
同日から平成20年4月30日までの損害について同年5月1日からいずれ
も支払済みまでの支払を請求しているから,当裁判所も,これに応じた期間
によって損害額を区分し,遅延損害金を計算することとする。
(2)地域類型による区分の要否について
被告は,原告ら個々の損害額につき,昭和48年環境基準の定める地域の
類型Ⅰと地域の類型Ⅱの区分等,その居住地域の性格を考慮した差異を設け
るべきであると主張する。
確かに昭和48年環境基準は,前記のとおり,専ら住居の用に供される地
域(地域の類型Ⅰ)と,それ以外の地域であって通常の生活を保全する必要
がある地域(地域の類型Ⅱ)とを分け,それぞれの地域について異なった環
境基準値を設定している。また,第3次判決も,前記のとおり,75Wの地
域に居住する者に関しては,上記の地域の類型Ⅰに居住する者に限って損害
賠償請求を認容している。したがって,このような地域類型に従って慰謝料
額に差異を設ける考え方もあり得ることは,被告の主張するとおりである。
しかし,当裁判所は,次の理由により,地域類型による区分は設けないこ
ととする。
理由の第1は,航空機騒音に関する法律である環境整備法,航空機騒音防
止法及び航空機騒音特措法並びにこれらの下位の政省令が,前記のとおり,
これらの法令を適用するための最低の基準として75Wを採用する一方で,
75W以上の地域についてさらにこれをその地域の性格に応じた類型によっ
て区分してはいないことである。これらの法令は,航空機騒音に関する政策
措置を実施すべき基準として75Wという水準を採用する一方で,75W以
上の地域内部においてこれを地域の性格に応じてさらに区分する取扱いをせ
ず,その地域全体を一律に取り扱っている。このような法令の定めは,航空
機騒音によって生ずる被害に基づく慰謝料額を算定するに当たっても,重要
な事情として考慮すべきである。
第2は,防衛施設周辺における航空機騒音の特徴である。前記のとおり,
米軍機や自衛隊機による航空機騒音は,その大きさの点でも,音質の点でも,
日常生活の中で一般に経験するいわゆる都市騒音とは異質の性格を有する騒
音である。商業地域や工業地域といった,昭和48年環境基準に基づき神奈
川県及び東京都が地域の類型Ⅱに区分している地域においても,決して耳慣
れた騒音とはいえない。そうすると,これらの航空機騒音によって生ずる被
害は,その航空機騒音の大きさに応じ,地域の性格にかかわらず同じように
生ずると考えられるから,慰謝料額を算定するに当たり地域の性格に基づい
て地域を区分してその金額に差異を設けることは,必ずしも被害の実情に相
応するものとはいえない。
第3は,環境基準の性格である。昭和48年環境基準に限らず,環境基準
は,人の健康を保護し,及び生活環境を保全する上で維持されることが望ま
しい基準とされており,被告が航空機騒音に関する総合的な施策を進める上
で達成することが望ましい行政上の目標となる基準であって,規制基準では
ない。したがって,慰謝料額の水準を定める際に直ちにこれに従わなければ
ならない理由はない。
もっとも,環境基準の性格については上記のようにいえるとしても,昭和
48年環境基準の定める基準が本件において参考にすべき重要な基準といえ
ることはいうまでもない。しかし,昭和48年環境基準は,そこにいう地域
の類型Ⅰにおいては70W,地域の類型Ⅱにおいては75Wという基準を定
めているのであるから,地域の類型Ⅰにおいては70W以下が望ましいもの
の,結局,全ての地域において航空機騒音は少なくとも75W以下が望まし
いという考え方が示されているのである。この考え方は,75W以上の地域
においてその騒音の大きさに応じて地域の類型にかかわらず一律に慰謝料額
を定めるべきであるという当裁判所の考え方と矛盾するものではない。
(3)防音工事による減額
前記のとおり,原告らの中には環境整備法に基づく被告からの助成を受け
て住宅防音工事を実施した住居に居住する者がいる。住宅防音工事には航空
機騒音による被害を一定程度軽減する効果があり,これらの原告らは被告の
負担によって一定の利益を得ているといえるから,慰謝料の算定に当たりこ
れを一つの事情として考慮すべきである。したがって,前記(1)の基準慰謝
料額をそのまま適用するのではなく,ここから一定の減額をすることになる。
そこで,住宅防音工事に関して認定した前記の事実を総合的に勘案し,防
音工事を実施した室数に応じた減額をすることとする。その減額の仕方は,
防音工事が実施される室数の増加とこれによる航空機騒音の被害減少の効果
と間にはいわゆる限界効用の逓減と類似の関係が妥当すると考えられること
から,最初の1室につき10%を減額し,2室目以降につき1室増加するご
とに5%を減額する。ただし,防音工事が5室を限度とすることなども勘案
し,合計で5室以上となる場合は一律に30%を減額する。また,外郭防音
工事又は防音区画改善工事を実施した場合も,一律に30%を減額する。
減額する期間は,防音工事による効果が現実に生じている期間である。防
音工事を実施した住宅が後に取り壊された場合は,取り壊されるまでという
ことになる。
被告はこの点につき,①防音工事済住宅が建て替えられた場合,防音工事
済住宅の取壊し以降も住宅防音工事の効果として損害が減額され,②補助金
規則の定める財産処分制限期間経過前に南関東防衛局長の承認を受けること
なく住宅の取壊しが行われた場合,財産処分制限期間が経過するまでの間は
防音工事の効果が生じているものとして損害額が減額されるべきであると主
張する。しかし,①については,建て替えのために防音工事済住宅が取り壊
され,建て替え後の住宅には防音工事が実施されていない場合,防音工事の
効果は建て替えによって消滅したといわざるを得ないから,被告の主張を採
用することはできない。ただし,建て替えの時期が補助金規則の定める財産
処分制限期間の経過前で,かつ,建て替えすなわち防音工事済住宅の取り壊
しについて承認を受けていない場合,②と同じ問題になる。
②については次のように判断する。補助金規則が,補助金交付決定におい
て「補助事業者等は,補助事業等を中止し,又は廃止する場合には,地方防
衛局長の承認を受けること」との条件を付するものとし,また,補助金法,
補助金法施行令及び補助金規則が,補助事業者等は補助金規則の定める財産
処分制限期間の経過する前に承認を受けることなく補助金交付の目的に反し
た財産の使用等をしてはならないとしているのは,補助金がその交付の目的
に従って有効適切に使用されることを期するためである。その違反があった
場合,地方防衛局長は,補助金交付決定を取り消し,補助金の返還に加えて
加算金の納付をも求めることができる(補助金法17条から19条まで)。
このことからすれば,補助金により住宅防音工事を実施した者がその住宅を
地方防衛局長の承認を受けることなく取り壊した場合,そのペナルティーと
して補助金法が予定しているのは補助金交付決定の取消し,補助金の返還及
び加算金納付であって,本件のような損害賠償請求訴訟において,取壊しに
より防音工事の効果が現に消滅しているにもかかわらずなおもそれが消滅し
ていないものとみなす扱いをすることは,同法の想定する範囲を超えてペナ
ルティーを科すことに帰する。このことに加えて,旧補助金規則においては
財産処分制限期間が定められておらず,防音工事の効果が持続する期間をど
のようにとらえるかについてよるべき基準が存在しなかったことをも考慮す
ると,本件において,取壊しによって防音工事の効果が消滅しているにもか
かわらず,南関東防衛局長の承認を受けることなく取壊しをしたという一事
をもってそれが消滅していないとの扱いをすることは適切とはいい難い。し
たがって,取壊しが行われている以上,それが財産処分制限期間前でありか
つ承認を受けていないものであっても,防音工事を理由とした損害額の減額
をすべきではない。結局,被告の上記主張①,②はいずれも採用することが
できない。
第5将来の損害の賠償請求
1将来の損害の賠償請求を検討すべき原告ら
原告らの将来の損害の賠償請求は,本件口頭弁論終結日の翌日である平成2
5年9月3日以降厚木飛行場周辺の75W以上の地域に居住することを根拠と
する(ここで「将来」とは,同日以降の期間全体をいう。)。死亡原告らと,
同月2日前に75W以上の地域から指定区域外に転居し,そのまままとなって
いる原告らは,将来において厚木飛行場に離着陸する航空機の発する騒音によ
って権利侵害ないし法益侵害を受けることはないから,これらの原告らの将来
の損害の賠償請求について民訴法135条にいう「あらかじめその請求をする
必要」を肯定する余地はない。したがって,その請求に係る訴えは不適法とし
て却下を免れない。また,フィリピン人原告らの将来の損害の賠償請求につい
ても,前記のとおり,国家賠償法6条の相互保証の要件を欠くのでこれが認容
されることはなく,民訴法135条にいう「あらかじめその請求をする必要」
を肯定する余地がないから,その請求に係る訴えは不適法として却下を免れな
い。
以下,死亡原告ら,上記の転居した原告ら及びフィリピン人原告らを除いた
原告ら(この「第5」においては,以下,単に「原告ら」という。)の将来の
損害の賠償請求について,民訴法135条にいう「あらかじめその請求をする
必要」の存否を検討する。
2判例
大阪空港最判は,継続的不法行為に基づき将来発生すべき損害賠償請求権に
ついて,将来の給付を求める訴えとしての訴えの提起が許されるか否かを論じ
ており,この問題は,最高裁平成19年5月29日第三小法廷判決・裁判集民
224号391頁(判例時報1978号7頁)(以下「平成19年横田基地最
判」という。)においても重ねて論じられている。これによると判例は次のと
おりである。
継続的不法行為に基づき将来発生すべき損害賠償請求権の,将来の給付の訴
えにおける請求権としての適格は,①当該請求権の基礎となるべき事実関係及
び法律関係が既に存在し,その継続が予測されること(以下「要件A」という。),
②当該請求権の成否及びその内容につき債務者(被告)に有利な影響を生ずる
ような将来における事情の変動があらかじめ明確に予測し得る事由に限られる
こと(以下「要件B」という。),③この事情の変動については請求異議の訴
えによりその発生を証明してのみ執行を阻止し得るという負担を債務者(被告)
に課しても格別不当とはいえないこと(以下「要件C」という。),という要
件が満たされたときに肯定される。たとえ同一態様の行為が将来も継続される
ことが予測される場合であっても,損害賠償請求権の成否及びその額をあらか
じめ一義的に明確に認定することができず,具体的に請求権が成立したとされ
る時点において初めてこれを認定することができ,かつ,その場合における権
利の成立要件の具備については債権者においてこれを立証すべく,事情の変動
を専ら債務者の立証すべき新たな権利成立阻却事由の発生としてとらえてその
負担を債務者に課するのは不当であると考えられるようなものは,将来の給付
の訴えを提起することのできる請求権としての適格を有しないものと解するの
が相当である。そして,飛行場等において離着陸する航空機の発する騒音等に
より周辺住民らが精神的又は身体的被害等を被っていることを理由とする損害
賠償請求権のうち事実審の口頭弁論終結の日の翌日以降の分については,将来
それが具体的に成立したとされる時点の事実関係に基づきその成立の有無及び
内容を判断すべく,かつ,その成立要件の具備については請求者においてその
立証の責任を負うべき性質のものであって,このような請求権は将来の給付の
訴えを提起することのできる請求権としての適格を有しない。
大阪空港最判は当該事案にこれを当てはめ,「本件についてこれをみるのに,
将来の侵害行為が違法性を帯びるか否か及びこれによって被上告人らの受ける
べき損害の有無,程度は,被上告人ら空港周辺住民につき発生する被害を防止,
軽減するため今後上告人により実施される諸方策の内容,実施状況,被上告人
らのそれぞれにつき生ずべき種々の生活事情の変動等の複雑多様な因子によっ
て左右されるべき性質のものであり,しかも,これらの損害は,利益衡量上被
害者において受忍すべきものとされる限度を超える場合にのみ賠償の対象とな
るものと解されるのであるから,明確な具体的基準によって賠償されるべき損
害の変動状況を把握することは困難といわなければならないのであって,この
ような損害賠償請求権は,それが具体的に成立したとされる時点の事実関係に
基づきその成立の有無及び内容を判断すべく,かつまた,その成立要件の具備
については請求者においてその立証の責任を負うべき性質のものといわざるを
えないのである。」と判示した。
3検討
(1)判例のいう要件Aについて
厚木飛行場の使用及び供用は,前記のとおり,口頭弁論終結時である平成
25年9月2日の時点において,周辺の75W以上の地域に居住する原告ら
を含む住民に社会生活上受忍すべき限度を超える被害を生じさせるものとし
て違法な権利侵害ないし法益侵害となっている。この違法な権利侵害ないし
法益侵害が将来においても継続し,被告の原告らに対する賠償責任が成立す
ることになるか否かを検討する。
検討すべき事項の第1は,航空機騒音の今後の推移である。厚木飛行場の
周辺の75W以上の地域に居住する原告らは,前記のとおり,平成17年1
月1日以降,それぞれの地域に相当する騒音コンター(第一種区域線等)に
よって示されるW値と同じかこれを上回る航空機騒音にさらされている。そ
れより前の時点においてはこれを更に上回る大きさの航空機騒音が測定され
ていたことがあり,同年以降,緩やかに減少する傾向がみられたものの,顕
著な減少はみられず,平成22年以降は逆に増加の傾向にある。厚木飛行場
周辺における航空機騒音の被害は昭和30年代半ばから継続しており,昭和
51年9月に提起された第1次厚木基地騒音訴訟以降,これまで3度の確定
判決により周辺住民の損害賠償請求が認容されてきているから,厚木飛行場
の使用及び供用の違法性は約40年にわたって継続している。
もっとも,日米安全保障協議委員会において平成18年5月に承認された
「再編実施のための日米のロードマップ」に基づき,厚木飛行場から岩国飛
行場へ米海軍の空母艦載機が移駐することが予定されており,これを踏まえ
て厚木飛行場に離着陸する米軍機の状況に変化が生ずることが考えられる。
移駐の時期は平成29年頃になるというのが防衛省の説明であるが,移駐を
見込んでそれより前の時点から厚木飛行場の使用状況に変化が生ずる可能性
も否定できない。
次に,被告による周辺対策等の見込みについてみると,従来どおりの周辺
対策等が今後も実施されることが期待できるものの,前記のとおり,住宅防
音工事に対する助成以外の措置は,周辺住民に対する権利侵害ないし法益侵
害の違法性を否定するものとはなり得ないし,住宅防音工事に対する助成も,
被害を一定程度軽減させるにとどまり,上記の違法性を否定するまでのもの
とはいえない。また,近い将来において従来の周辺対策等とは異なる騒音防
止のための新しい施策が実施される見込みはない。
そうすると,「再編実施のための日米のロードマップ」に基づく移駐が実
現するまでの期間に限ってみれば,厚木飛行場周辺の75W以上の地域に居
住する原告らに対し,口頭弁論終結時におけるのと同様の航空機騒音による
被害が継続し,これによる権利侵害ないし法益侵害が生ずることにはある程
度の蓋然性があると考えられるものの,米海軍による今後の厚木飛行場の使
用状況についてはなお不確実な部分が残るといわざるを得ない。したがって,
原告らの請求権の基礎となるべき事実関係及び法律関係が既に存在し,その
継続が予測されるといえるかについては疑問が残り,要件Aが満たされると
断定するには至らない。
(2)判例のいう要件B,Cについて
本件における損害の賠償請求権の成否及び内容について被告に有利な影響
を生ずるような将来における事情の変動として考えられるものの第1は,厚
木飛行場の設置又は管理の瑕疵を否定し,あるいは原告らに生ずる慰謝料の
額を減額させ得るような航空機騒音の軽減である。上記のとおり,これが生
ずる見込みがあるとは認めにくいものの,米海軍による厚木飛行場の使用状
況にはなお不確実な部分が残るため,見込みがないと断定するには至らない。
事情の変動として考えられるものの第2は,被告による周辺対策等の実施
であるが,このうち実際に効果があるといえるものは,上記のとおり,住宅
防音工事に対する助成に限られる。この助成により住宅防音工事が行われれ
ば,その工事に係る原告らに生ずる慰謝料の額を減額する効果をもたらし得
るが,この助成は補助金規則に従い南関東防衛局長が補助金交付決定をする
ことにより行われるから,被告において容易にその状況を把握し,証明する
ことができる。したがって,請求異議の訴えによりその事実の発生を証明し
てのみ執行を阻止し得るという負担を被告に課しても格別不当とはいえな
い。
第3に考えられるものは,将来における原告らの転居又は死亡である。7
5W以上の地域から指定区域外へ転居し,又は死亡した場合,当該原告に対
してそれ以降被告が賠償責任を負ういわれはなく,75W以上の地域内でW
値の低い地域へ転居した場合,賠償額は減額となる。死者を債権者とする執
行はあるべきものではないから検討の対象から除き,転居についてみると,
これは請求権を消滅させ,又はその債権額を減額させる事実であるから,仮
に将来の損害の賠償請求が判決によって認容されたとすれば,被告は請求異
議の訴えを提起してその事実を証明してのみ,判決記載の債権額による執行
を阻止することができる。ところが,転居は専ら原告側の事情であり,被告
がこれを直ちに把握することは困難である。住民票等を調査して把握するこ
とは可能であるものの,常時その調査をしなければならないとすれば被告の
負担は重く,原告らの数が数千人にも及ぶ本件については特にその負担は著
しい。したがって,たとえ口頭弁論終結後の短期間に限って将来の損害の賠
償請求を認容することを考えたとしても,被告の負担に鑑みれば,要件Cは
満たされないというほかない。
この点について原告らは,口頭弁論終結時と同じ地域に原告らが居住して
いることを示す住民票の提出を条件とする請求認容判決が可能であるなどと
主張する。転居の事実の反対事実である居住継続の事実の証明責任を原告の
側に負わせることで上記のような被告の負担をなくし,これによって要件C
を充足させようとする試みであると解されるので,そのような判決が可能で
あるかについて検討を加える。
民事執行法に規定する強制執行の要件のうち広い意味で条件といえるもの
で本件にとって参考になり得るものは,①担保を立てることを強制執行の実
施の条件とする給付判決における立担保(同法30条2項),②債務者(被
告)の給付を債権者(原告)の反対給付と引換えにすべきものとする給付判
決における反対給付又はその提供(同法31条1項),③請求が債権者(原
告)の証明すべき事実の到来に係る給付判決におけるその事実の到来(同法
27条1項)である。①及び②は執行開始の要件であり,債権者が,①につ
いては担保を立てたことを証する文書を執行機関に提出したときに限り,②
については反対給付又はその提供のあったことを執行機関に証明したときに
限り,強制執行が開始される。③は執行文付与の要件であり,その事実が到
来したことを証する文書を債権者が裁判所書記官に提出したときに限り,執
行文が付与される。
これを踏まえると,原告らの想定する判決主文は,例えば,「被告は原告
に対し,平成25年9月3日以降,原告が75W(80W,85W等々)の
地域での居住を継続していることを条件として,1か月2万3000円の割
合による金員を支払え」というものであろう(住民票の提出ないし提示を執
行開始の要件とすることを想定しているとも考えられなくはないが,「条件」
という文言を使用していることからして,このように解する。)。将来の損
害の賠償請求における原告らの請求の根拠は75W以上の地域での居住の継
続であるから,これは「債権者の証明すべき事実」といい得るが,この事実
を実体法上の請求権を発生させる停止条件とみることはできない上,将来「到
来」する事実ともいい難い。したがって,民事執行法27条1項の適用では
なく類推適用というべきである。
仮にこのような条件付給付判決ができるとすると,次に,住民票をもって
民事執行法27条1項所定の「その事実の到来したことを証する文書」とい
えるかが問題になるが,否定せざるを得ない。住民票に表示された住所が7
5Wの地域,80Wの地域等に含まれるか否かは住民票からは明らかになら
ないからである。第一種区域線等が表示された地図,さらに,その地図が正
確であることの裏付けとなる報告書等,他の文書も併せて提出する必要があ
る。これを避けるため,条件を絞り,「原告が判決記載の住所と同一の住所
での居住を継続していること」を条件にすることも考えられるが,一般に住
民票に表示された住所と実際の居住地は一致することが多いといえるものの
常に一致するとは限らないから,住民票のみで居住継続の事実を証明するこ
とができるかには疑問が残る。そうすると,このように条件を絞っても,住
民票の提出のみで執行文の付与を受けられるとは限らない。執行文付与の手
続についてみると,住民票(及びこれを補充する文書)が同項所定の文書と
認められるならば,その提出により原告らは執行文の付与を受けることがで
き,これに対し被告は執行文付与に対する異議の訴え(同法34条)を提起
して争うことができる。同法27条1項所定の文書と認められないならば,
原告らは,執行文付与の訴え(同法33条)を提起し,その訴訟の中で居住
継続の事実を証明しなければならない。
このように,民事執行法27条1項の類推適用による条件付きの給付判決
という考え方には,そのような類推適用がそもそも許されるかという根本的
な問題があることに加えて,執行手続が円滑に進捗するかについても疑問が
多い。したがって,条件付給付判決によって要件Cが充足されるとする原告
らの主張を採用することはできない。
4まとめ
以上の検討によれば,本件において,判例のいう要件A及びBが満たされる
と断定するには至らず,要件Cは満たされないというほかないから,その余の
点について判断するまでもなく,原告らの将来の損害の賠償請求権は,将来の
給付の訴えを提起することのできる請求権としての適格を有しない。よって,
これに係る訴えは不適法であり,却下を免れない。
第6弁護士費用
フィリピン人原告らを除く原告らは,公の営造物の設置・管理に瑕疵があっ
たために損害を被り,自己の権利擁護のために訴えを提起することを余儀なく
され,訴訟追行を弁護士に委任し,前記のとおり過去の損害の賠償請求を認容
されたのであるから,弁護士費用を被告に請求することができる。その額は,
本件の事案の難易,請求額,認容された額その他諸般の事情を斟酌して,請求
認容額元本の10%をもって相当と認める。
別紙別紙別紙別紙21212121一覧表の損害賠償額欄の金額は,前記第4の10において認定した
慰謝料にその10%である弁護士費用を加えたものである。
第7結論
差止原告らの自衛隊機の差止請求に係る訴えを却下し,米軍機の差止請求を
棄却する。
過去の損害の賠償請求は,(1)原告らのうち第3次訴訟において本件訴訟の
請求期間と重なる期間に対応する請求を認容された者(別紙別紙別紙別紙19191919(第3次訴訟
原告目録)記載1及び2の原告ら)によるその認容された請求に対応する請求
に係る訴えは却下し,(2)フィリピン人原告らの請求は棄却し,(3)その余の原
告らの請求は,慰謝料及び弁護士費用について,別紙別紙別紙別紙21212121一覧表のE欄(総計
欄)記載の金額及びそのうちの一部である別紙別紙別紙別紙21212121一覧表のA欄~C欄記載の
各金額に対する遅延損害金の限度で認容する。
将来の損害の賠償請求に係る訴えは却下する。
原告らは過去の損害の賠償請求について仮執行の宣言を申し立てているの
で,過去の損害賠償請求を認容する部分(主文第2項)に限り,本判決が被告
に送達された日から14日を経過したときは仮執行をすることができることを
宣言する。仮執行免脱の宣言はしない。
よって主文のとおり判決する。
横浜地方裁判所第1民事部
裁判長裁判官佐村浩之
裁判官倉地康弘
裁判官石井奈沙
略語略語略語略語,,,,用語一覧表用語一覧表用語一覧表用語一覧表
略語,用語正式名称又は説明
75Wの地域防衛施設庁長官が平成18年防衛施設庁告示第1号によって指定
した厚木飛行場周辺に係る第一種区域とその外側の区域を分かつ
線(第一種区域線)の内側で,防衛施設庁横浜防衛施設局長が平
成18年1月31日に設定した工法区分線の外側の地域を指す。
厚木飛行場周辺における75Wの騒音コンターの内側で80Wの
騒音コンターの外側の地域にほぼ一致する。同様に,80Wの地
域とは80Wの騒音コンターの内側で85Wの騒音コンターの外
側の地域に,85Wの地域とは85Wの騒音コンターの内側で9
0Wの騒音コンターの外側の地域に,90Wの地域とは90Wの
騒音コンターの内側で95Wの騒音コンターの外側の地域に,9
5Wの地域とは95Wの騒音コンターの内側の地域に相当する。
75W以上の地域防衛施設庁長官が平成18年防衛施設庁告示第1号によって指定
した厚木飛行場に係る第一種区域全体(第一種区域線の内側全
体)を指す。厚木飛行場周辺における75Wの騒音コンターの内
側全体とほぼ一致する。
A特性周波数によって感度が異なる人間の聴覚に近い評価加重特性。騒
音の大きさは,A特性に応じた聴感補正をした音圧レベル(単位
はdB)によって示すのが一般である。
FCLPFieldCarrierLandingPractice空母艦載機が陸上で行う着
艦訓練
G特性周波数1Hz~20Hzの超低周波音の人体感覚を評価するための評
価加重特性
ICAOInternationalCivilAviationOrganization国際民間航空機関
LAeq等価騒音レベル。変動する騒音の評価指標の一つで,音のエネル
ギーの時間平均値をレベルで表したもの。単位はdB。環境騒音の
評価指標として国際的に広く用いられている。厳密には,A特性
により補正された値すなわちA特性等価騒音レベルのことをい
う。A特性により補正されていない等価騒音レベルはLeqで表
す。
Lden時間帯補正等価騒音レベル。騒音発生時間帯を考慮して夜間,深
夜及び早朝における騒音に重み付けを行って求めた等価騒音レベ
ルである。
NLPNightLandingPractice夜間に行われるFCLP
WECPNLWeightedEquivalentContinuousPerceivedNoiseLevel加重
等価継続感覚騒音レベル。航空機騒音の大きさないしうるささを
示す指標の一つである。
WHOWorldHealthOrganization世界保健機関
WHOガイドラインWHOが平成11年に公表した「環境騒音のガイドライン(実務
的抄録)」(GuidelinesforCommunityNoise)
W値WECPNLの値。単位はない。本判決では,具体的なW値につ
いては,その数値にWを添えて,例えば「75W」などと表記す
る。
厚木海軍飛行場日米安保条約及び日米地位協定に基づき米軍の使用のため我が国
が米国に提供している神奈川県大和市,綾瀬市及び海老名市にま
たがる面積約507万㎡の施設及び区域。昭和36年調達庁告示
第4号に基づく名称である。
厚木基地厚木海軍飛行場の通称
厚木基地最判最高裁平成5年2月25日第一小法廷判決・民集47巻2号64
3頁
厚木飛行場厚木海軍飛行場の中心部に防衛大臣が設置している飛行場。昭和
46年防衛庁告示第131号に基づく名称である。
アフターバーナージェットエンジンの後部に取り付けられ,排気ガスの中に燃料を
更に噴射し燃焼させて推力を増加させる装置
暗騒音航空機など特定の発生源からの騒音を対象として騒音の測定をす
るときに測定地点で測定される,対象とする発生源からの騒音以
外のすべての騒音のこと。発生源からの騒音がない場合の測定地
点における騒音レベルといえる。
大阪空港最判最高裁昭和56年12月16日大法廷判決・民集35巻10号1
369頁
外郭線防衛施設である飛行場の周辺において防音工事仕方書により全て
の住宅が外郭防音工事の対象となるとされている区域とその外側
を分かつ線。85Wの騒音コンターにほぼ一致するものであり,
区分線設定等要領に基づいて引かれる。
外郭防音工事防衛施設である飛行場の周辺において防音工事仕方書に基づいて
実施される住宅防音工事のうち家屋全体を一つの区画としてその
外郭について実施する防音工事
環境基準方式昭和48年環境基準に従ったW値の算定方式
環境整備法防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律
環境整備法施行令防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律施行令
環境整備法施行規則防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律施行規則
旧日米安保条約日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(昭和27年条約
第6号)
旧補助金規則防衛施設庁補助金等交付規則(昭和38年防衛施設庁告示第3
号)(補助金規則により廃止)
区分線設定等要領「防衛施設周辺における住宅防音事業及び空気調和機器稼働事業
に関する補助金交付要綱」(平成22年3月29日防衛省訓令第
10号)5条に基づき防衛省地方協力局長が定めた「住宅防音工
事の標準仕方に係る工法区分線の設定等要領」
現行環境基準「航空機騒音に係る環境基準について」(昭和48年環境庁告示
第154号)(現行のもの)
航空機騒音特措法特定空港周辺航空機騒音対策特別措置法
航空機騒音特措法施特定空港周辺航空機騒音対策特別措置法施行令
行令
航空機騒音特措法施特定空港周辺航空機騒音対策特別措置法施行規則
行規則
航空機騒音防止法公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関す
る法律
航空機騒音防止法施公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関す
行令る法律施行令
航空機騒音防止法施公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関す
行規則る法律施行規則
航空法特例法日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六
条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位
に関する協定及び日本国における国際連合の軍隊の地位に関する
協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律(昭和27年当時の
題名は「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約に基く行
政協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律」)
工法区分線防衛施設である飛行場の周辺において防音工事仕方書に基づいて
行われる住宅防音工事に関し,第Ⅰ工法が適用される区域と第Ⅱ
工法が適用される区域を分かつ線。80Wの騒音コンターにほぼ
一致するものであり,区分線設定等要領に基づいて引かれる。
差止請求原告らの請求のうち,厚木基地における航空機の離着陸及びエン
ジン作動の差止め並びに音量規制を請求する部分
自衛隊機自衛隊の使用する航空機
時間帯補正等価騒音→Lden
レベル
指定区域外平成18年1月以降においては,防衛施設庁長官が平成18年防
衛施設庁告示第1号によって指定した厚木飛行場周辺に係る第一
種区域の外側の地域全体を指し,それ以前においては,防衛施設
庁長官が昭和61年防衛施設庁告示第9号によって指定した厚木
飛行場周辺に係る第一種区域の外側の地域全体を指す。
昭和48年環境基準「航空機騒音に係る環境基準について」(昭和48年環境庁告示
第154号。平成19年環境省告示第114号による改正前のも
の)
請求期間厚木基地の航空機騒音により原告らに(その主張によれば)継続
的な被害が発生している期間のうち,原告らが本件における訴訟
上の請求の対象としている期間。第1事件原告らについては平成
17年1月1日以降,第2事件原告らについては同年5月1日以
降。
騒音コンター騒音発生源の周辺で,同一の騒音の値が測定された地点を結んだ
曲線。天気図の気圧線(等圧線)や地形図の標高線(等高線)に
相当する。我が国ではこれまで,航空機騒音の騒音コンターにお
ける騒音の値としてはW値が用いられてきた。
騒音レベル騒音の大きさをA特性に応じた聴感補正をした音圧レベルで示し
たもの。騒音計で測定された測定値がこれであり,単に騒音レベ
ルといえば騒音計で測定された測定値を意味することもある。単
位はdB(デシベル)である。
第1事件横浜地方裁判所平成19年(ワ)第4917号事件
第一種区域環境整備法4条に基づき防衛大臣(平成19年8月以前は防衛施
設庁長官)が指定する防衛施設の周辺の区域
第一種区域等第一種区域,第二種区域及び第三種区域
第3次訴訟第3次厚木基地騒音訴訟(横浜地方裁判所平成14年10月16
日判決・東京高等裁判所平成18年7月13日判決の訴訟)
第3次判決第3次訴訟の確定判決(東京高裁平成18年7月13日判決)
第三種区域環境整備法6条に基づき第二種区域のうち航空機の離陸,着陸等
の頻繁な実施により生ずる音響に起因する障害が新たに発生する
ことを防止し,併せてその周辺における生活環境の改善に資する
必要があると認めて防衛大臣(平成19年8月以前は防衛施設庁
長官)が指定する区域
第2事件横浜地方裁判所平成20年(ワ)第1532号事件
第二種区域環境整備法5条に基づき第一種区域のうち航空機の離陸,着陸等
の頻繁な実施により生ずる音響に起因する障害が特に著しいと認
めて防衛大臣(平成19年8月以前は防衛施設庁長官)が指定す
る区域
タッチアンドゴー航空機の離着陸訓練の一つであり,滑走路へ進入降下し,着地
し,地上滑走した後,再びエンジン出力を上げて離陸するという
一連の操作を繰り返すこと
等価騒音レベル→LAeq
日米安保条約日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭
和35年条約第6号)
日米行政協定日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政
協定(昭和27年条約第6号)
日米共同使用区域厚木基地のうち本判決別紙別紙別紙別紙6666(被告最終準備書面添付別図第1)
及び同同同同7777(同添付別図第2)の各黄色部分
日米地位協定日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六
条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位
に関する協定(昭和35年条約第7号)
パワー平均騒音レベルの平均値を算出する際に用いられる平均化の手法であ
り,音のエネルギー量(パワー)に基づいて計算されるもの。騒
音レベル(音圧)は音のエネルギー量を対数に変換したものであ
り,この平均値を算出するには,単に算術平均をするのではな
く,エネルギー量に戻して計算する。個々のdB値をもとの音のエ
ネルギー量に戻し,その個々の音のエネルギー量から音のエネル
ギー量の平均値を算出した上で,その平均値を更にdB値に変換す
ることになる。
ピーク騒音レベル一定時間内に測定された騒音レベルの中の最高値のこと。「騒音
のピークレベル」という表現も使われる。
福岡空港最判最高裁平成6年1月20日第一小法廷判決・裁判集民171号1
5頁(判例時報1502号98頁)
米海軍アメリカ合衆国海軍
米軍アメリカ合衆国軍隊
米軍一時使用区域厚木基地のうち本判決別紙別紙別紙別紙6666(被告最終準備書面添付別図第1)
及び同同同同7777(同添付別図第2)の各赤斜線部分(厚木飛行場)
米軍専用区域厚木基地のうち本判決別紙別紙別紙別紙6666(被告最終準備書面添付別図第1)
及び同同同同7777(同添付別図第2)の各青色部分
平成5年横田基地最最高裁平成5年2月25日第一小法廷判決・裁判集民167号3
判59頁(判例時報1456号53頁)
平成19年横田基地最高裁平成19年5月29日第三小法廷判決・裁判集民224号
最判391頁(判例時報1978号7頁)
防衛施設自衛隊の施設又は日米地位協定2条1項の施設及び区域(環境整
備法2条2項参照)
防衛施設庁方式防衛施設庁長官が定めた「防衛施設周辺における航空機騒音コン
ターに関する基準」(昭和55年10月2日施本第2234号
(CFS))及び「第一種区域等の指定に関する細部要領」(平
成16年11月1日施本第1589号(CFS))に従ったW値
の算定方式
防音工事仕方書防衛施設周辺における住宅防音事業及び空気調和機器稼働事業に
関する補助金交付要綱(平成22年3月29日防衛省訓令第10
号)5条に基づき防衛省地方協力局長が定めた「住宅防音工事標
補助金法施行令補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律施行令

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