弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     一 原判決を取り消す。
     二 本件を横浜地方裁判所に差し戻す。
         事実及び理由
 第一 当事者の求めた裁判
 一 控訴人
 主文同旨
 二 被控訴人
 本件控訴を棄却する。
 第二 本件事案の概要等
 一 事案の概要
 本件は、控訴人が、戸籍上控訴人と訴外Aとの間の嫡出子(長男)として記載さ
れている被控訴人に対し、控訴人との間に親子関係が存在しないことの確認を求め
て本件訴訟を提起したところ、原審が、被控訴人は民法七七二条一項により嫡出推
定を受ける子であるから、その嫡出性を否定するには嫡出否認の訴えによらなけれ
ばならず、親子関係不存在確認の訴えによることは許されないとして、本件訴えを
却下する旨の裁判をしたことから、控訴人において原判決には嫡出推定及び親子関
係不存在確認の訴えの訴訟要件等に関する法令の解釈・適用に誤りがあると主張し
て控訴した事案である。
 二 前提となる事実
 1 訴外A(昭和二九年七月七日生)は、昭和五二年一月五日控訴人(昭和二五
年三月二五日生)と婚姻し、一四年間にわたる結婚生活の後、平成三年四月二二日
離婚したが、その間、昭和五九年六月五日に被控訴人を、昭和六三年二月五日にB
をそれぞれ分娩した。被控訴人は、控訴人及び訴外Aの間の長男として出生届をさ
れたため、戸籍にはその旨記載されている。
 なお、右の離婚に際して、被控訴人及びBの親権者はいずれも訴外Aと定められ
た。そして、訴外Aは、肩書住居地において訴外Cと同居しながら、右二名の子の
監護養育に当たっている。
 他方、控訴人は、平成四年二月二〇日訴外Dと再婚し、同女と肩書住居地に居住
している。(以上の各事実につき、本件記録に編綴の戸籍謄本二通、甲第一号証、
弁論の全趣旨)
 2 控訴人は、本件の請求原因として、訴外Aは不貞行為に及んだ結果被控訴人
を懐胎したものであり、被控訴人は控訴人の実子ではないこと、控訴人は、平成三
年一〇月横浜家庭裁判所に被控訴人及びBの親権者変更の調停を申し立てたとこ
ろ、その調停の席上、調停委員を通じて、訴外Aが被控訴人は控訴人の実子ではな
いと述べており、同女が持参した母子手帳に記載された血液型によっても控訴人と
被控訴人とは親子ではあり得ないことを知らされた旨主張する。
 これに対し、被控訴人は、本案前の答弁により本件訴えの却下を求めるのみで、
実体上の主張に関する答弁を留保している。ただし、被控訴人が当審において陳述
した準備書面には、訴外Aにおいても、出産時に医師から控訴人の血液型と被控訴
人のそれとが背馳するとの指摘を受けたことを認めている趣旨の記載がある。
 3 被控訴人が出生した当時、控訴人と被控訴人は同居しており、長期間にわた
って交渉を絶っていたとか、夫婦として実体が失われていたというような事情は窺
うことができない。(弁論の全趣旨)
 三 争点
 本件訴えの適法性を判断する前提として、被控訴人は、控訴人との関係におい
て、民法七七二条による嫡出の推定を受ける子に該当するか否か。
 すなわち、同条所定の嫡出推定が排除されるのは、夫婦が長期間にわたって同棲
しておらず、夫の子でないことが外部的・客観的に明白であるというような事情の
存する場合に限られるか、それとも血液型の背馳等により証拠に基づいて夫の子で
ないことが具体的に証明されたというような場合も含むか。
 四 争点に関する当事者双方の主張
 1 控訴人
 民法七七二条が嫡出推定制度を設けた趣旨は、夫婦は同居して共同生活を営むの
が通常であるから、婚姻中に妻が懐胎した場合には夫の子供と考えるのが自然であ
ること、立法当時の技術水準からすれば自然的親子関係を客観的に確定するには困
難が伴うので、嫡出推定により身分関係の安定を図る必要があったことに基づいて
おり、また、同法七七五条以下において、右の推定された嫡出子について親子関係
を否定するには出訴期間が一年という短期間に限定された嫡出否認の訴えによらな
ければならないものとしているのは、家庭の平和が第三者により長期間にわたって
侵害されることがないようにしているものである。したがって、右の制度の基盤が
失われているような場合、すなわち、(1)自然的血縁関係がないことが客観的、
科学的に明白であること、(2)夫婦ひいては家庭の平和が既に崩壊しているこ
と、右の二要件が具備されている場合には、民法七七二条による嫡出推定は適用さ
れないので、嫡出否認の訴えによることなく、親子関係不存在確認の訴えにより嫡
出性を否定できるものと解すべきである。
 本件においては、控訴人の血液型と被控訴人のそれとは背馳しており、客観的に
も科学的にも実親子関係にないことは明らかである上、控訴人と訴外Aは既に離婚
していて家庭の平和は崩壊しているので、嫡出推定が排除され、親子関係不存在確
認の訴えは適法である。
 2 被控訴人
 最高裁判所の判例(最高裁昭和四四年五月二九日判決・民集二三巻六号一〇六四
頁)は、妻が懐胎期間中に夫の子を懐胎することができないことが外観上も明白で
ある場合には民法七七二条の嫡出推定が及ばないとしており、控訴人の主張するよ
うに実質的に親子でないことを立証し得る場合に広く親子関係不存在確認訴訟を認
めるのは、嫡出否認の訴えを不要とするものであり、解釈論の限界を超えるもので
ある。
 本件においては、被控訴人は、控訴人と訴外Aが婚姻中、かつ、同居中に懐胎・
出産した子であって、民法七七二条により嫡出子と推定されるので、親子関係を否
定しようとするのであれば、嫡出否認の訴えによるべきであり、親子関係不存在確
認の訴えによることは許されないというべきである。
 第三 当裁判所の判断
 一 前示の判断の前提となる事実によれば、被控訴人は訴外Aが控訴人との婚姻
中に懐胎した子であり、しかも、その当時右の夫婦は同居しており、長期間にわた
って交渉を絶っていたとか、夫婦としての実体が失われていたというような事情は
窺うことができないのであるから、民法七七二条を形式的に解釈し、その適用に例
外を認めない見解、あるいは、婚姻期間中に妻が夫の子を懐胎し得ないことが外観
上明白である場合に限って同条による嫡出推定が排除されると解する見解によれ
ば、本件においては、被控訴人は控訴人の嫡出子と推定されるので、戸籍上の父で
ある控訴人が親子関係を否定しようとするのであれば、嫡出否認の訴えによるほか
なく、親子関係不存在確認の訴えによることは許されないことになる。原審は、後
者の見解に立って、実体審理をすることなく、本件訴えを不適法として却下したも
のである。
 <要旨>二 しかしながら、当裁判所は、民法七七二条による嫡出推定が排除され
るのは右のような場合に限らず、生殖能力の欠如、血液型の背馳、人類学的
不一致等の理由により父子関係にないことが科学的証拠により客観的かつ明白に証
明され、しかも、懐胎した母とその夫の家庭が破綻し、その平穏が既に崩壊してい
るような場合にも、同条による嫡出推定が及ばないものと解する。その理由は次の
とおりである。
 1 いかなる場合に民法七七二条による嫡出推定が排除されるかについては、嫡
出推定制度及びこれに関連する嫡出否認の訴えの制度を総合的に考察し、その制度
趣旨に徴して決しなければならないことはいうまでもない。
 この点に関し、民法の定める実親子関係は、本来は自然的血縁関係にある者の間
の相互関係を規律するものであることを当然の前提としつつも、この親子関係の存
否を、誰でも、また、いつまでも争い得るとした場合には、家庭内の秘密、殊に夫
婦間の性的交渉というプライバシーに属する事柄が公にされて、その平穏が乱され
るばかりでなく、平穏な家庭で養育を受けるべき子の利益が不当に害されることに
なることから、その弊を防ぎ、親子関係を早期に確定させて子に安定した養育環境
を与えるため、婚姻中に妻が懐胎した子については一応すべて夫の子として取り扱
うこととし、これを否定し得る者(原則として夫のみ)、否定する手段(嫡出否認
の訴えに限定)、それを採り得る時期(出訴期間は一年というごく短期間)につい
て厳重な制限を設けたものであると考えることには、ほぼ異論がないであろう。
 そして、婚姻期間中に懐胎した子を一応すべて嫡出子とすることの基礎には、婚
姻中の夫婦が同居生活を営んだ上で懐胎するという通常の事態が想定されているこ
とは、一般に指摘されているところである。
 2 そこで、まず、妻が懐胎した当時において、夫が長期不在(その原因として
は、服役、海外滞在、事実上の離婚による別居等が考えられる。)あるいは行方不
明などにより同棲しておらず、夫の子を懐胎し得ないことが外観上も明白であると
いう場合には、嫡出推定の基礎として想定された事態を欠くものであるから、推定
を排除して差し支えないと容易にいい得るであろう。この場合には、家庭内の秘事
に立ち入らなくても、外観に関する証拠のみによって推定の排除事由を立証し得る
ので、家庭の平穏の保護の見地からも比較的問題が少ないということができる。
 3 しかしながら、嫡出推定が排除される場合をこれに限定する必要はない。す
なわち、民法上の実親子関係が本来は自然的血縁関係にある者の間の相互関係を規
律するものであることを前提としていることは前示のとおりであり、また、実際上
も真実の親子関係の存在が両者間の情愛の基礎となっているのが一般であることか
ら、客観的に親子関係が存しないことが明白な事案においては、民法上の実親子関
係を強制することは相当でないと考えられる。その例として、妻が懐胎した子と夫
とが人種を異にするとき、人類学的に不一致であるとき、血液型が背馳するときな
ど、客観的かつ明白に親子関係を否定し得る場合が挙げられるであろう。夫に生殖
能力がないことが明らかなのに妻が懐胎したときも同様である。
 もっとも、右の親子関係の不存在は、科学的証拠により客観的かつ明白に証明で
きる場合に限るべきである。関係者の供述等の諸種の証拠による事実認定を要する
ような場合には、その審理によって家庭内の秘事が公にされ、家庭の平穏が害され
ること甚だしいからである。このような場合にまで嫡出推定を排除することは、嫡
出否認の訴えの制度をわざわざ設けている民法の趣旨と明らかに抵触することにな
るというべきである。これと対比しても、科学的証拠により親子関係の存否を判定
し得る場合は、審理によって家庭の平穏を害する程度が低く、その点においては、
むしろ外観により判定し得る場合と径庭がないとも考えられるのである。
 なお、被控訴人が指摘するように、最高裁判例は、離婚に先立つ長期間の別居に
より外観上夫の子を懐胎できないことが明らかな事案に関するものであるが、その
射程距離については、いわゆる外観説によって親子関係を否定し得る場合に限定さ
れているものとのみ理解しなければならないものではない。
 右判例の趣旨は、先に述べた諸点に照らせば、科学的証拠により客観的かつ明白
に証明し得る場合にも当てはまるからである。
 4 ところで、嫡出推定が排除される場合には、原則として、訴えの利益が認め
られる限り、誰でも、また、いつでも親子関係不存在確認の訴えを提起し得ること
になるし、また、利害関係を有する第三者が財産権に関する訴訟の前提問題として
親子関係の存否を主張・立証することもあり得る。しかし、このような事態が無制
限に現出することは、嫡出推定規定及びこれに関連して嫡出否認の訴えが設けられ
た趣旨が第一義的に家庭の平穏を守るという点にあることを無視するものであり、
民法の容認するところではないといわなければならない。
 そこで、嫡出推定が排除され、親子関係不存在確認の訴えを提起し、あるいは、
他の訴訟の前提問題として親子関係の存否を主張・立証し得るのは、懐胎した母と
その夫の家庭が破綻し、もはや保護すべき家庭が存しないことが必要であると解す
べきである。そして、このように解しても、夫や子がそれぞれ親子関係の不存在確
認を訴求するような事案においては、家庭の平穏が既に崩壊してしまっている場合
がほとんどであると考えられるので、夫と子の立場を不当に制限することにはなら
ないと考えられるし、何よりも、夫と子が殊更に親子関係の存否を問題にせず、健
全な家庭を維持しようとしているのに、真実の父や相続等の財産関係に利害を有す
る第三者が自己の利益を追求するために右の訴えを提起することを防止する点にお
いて、嫡出推定制度の解釈・運用上の長所があるということができるのである。
 三 以上の見解に立った場合、本件においては、控訴人と訴外Aとの家庭は離婚
により既に崩壊していることは前示のとおりである。したがって、血液型の背馳等
の理由により科学的証拠により客観的かつ明白に控訴人と被控訴人との間に親子関
係が存在し得ないことが証明されたときは、民法七七二条に基づく嫡出推定が排除
される結果、親子関係不存在確認の訴えによって被控訴人が控訴人の嫡出子である
ことを否定し得ることになる。
 したがって、右の点について証拠調べをしなければ、本件訴えが不適法であるか
否かを決することができないこととなる。
 しかるに、原審においては、血液型背馳の主張がされているのに、この点につい
て何ら立証させずに訴えを却下したのであるから、違法といわざるを得ない。
 四 よって、原判決を取り消し、更に審理を尽くさせるため本件を原審に差し戻
すこととし、主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 丹宗朝子 裁判官 新村正人 裁判官 齋藤隆)

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