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平成22年5月26日判決言渡同日原本領収裁判所書記官
平成21年(行ケ)第10295号審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成22年5月19日
判決
原告日特エンジニアリング株式会社
同訴訟代理人弁理士後藤政喜
藤井正弘
飯田雅昭
須藤淳
村瀬謙治
武田啓
被告スターエンジニアリング株式会社
同訴訟代理人弁理士高田幸彦
木幡行雄
林實
主文
1特許庁が無効2008−800196号事件につ
いて平成21年8月18日にした審決を取り消す。
2訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文1項同旨
第2事案の概要
本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,被告が有する本件特許に対
する原告の特許無効審判の請求について,特許庁において,下記1(2)のとお
りの本件訂正を認めた上,同請求は成り立たないとした別紙審決書(写し)の本
件審決(その理由の要旨は下記3のとおり)には,下記4の取消事由があると主
張して,その取消しを求める事案である。
1特許庁における手続の経緯
(1)本件特許(甲11)
発明の名称:「非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続構
造及びこれを構成する接続方法」
出願日:平成18年4月6日(特願2006−105177号)
登録日:平成20年3月21日
特許番号:第4097281号
(2)審判手続及び本件審決
審判請求日:平成20年10月3日(無効2008−800196号)
訂正請求日:平成21年3月23日(甲12。本件訂正。なお,本件訂正に係
る明細書(甲12)を「本件明細書」という。)
審決日:平成21年8月18日
審決の結論:「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」
審決謄本送達日:平成21年8月28日(原告に対する送達日)
2発明の要旨
本件審決が判断の対象とした発明は,本件訂正後の特許請求の範囲の請求項1
ないし4に記載された各発明(以下「本件発明1」ないし「本件発明4」といい,
本件発明1ないし4を併せて「本件発明」という。)であって,その要旨は,次
のとおりである。
【請求項1】銅(Cu)製の巻線型コイルとICチップの最外層が塑性流動を生
じうる金(Au)膜で構成された接続端子とを,両者の界面付近に,該巻線形コ
イルの絶縁膜を溶融させうる温度以上で金と銅との塑性流動を生じさせうる温度
範囲で加熱させつつ,塑性変形後の巻線形コイルの該当部位の厚さtと変形前の
線径Dとの比率t/Dが,0.1を越え,かつ0.8以下となるように設定した
加圧力で加圧することによって形成したAu/Cu全率固溶体を介して,接合し
た非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続構造
【請求項2】銅(Cu)製の巻線型コイルをICチップの最外層が塑性流動を生
じうる金(Au)膜で構成された接続端子に,前者を後者上に載せ,かつ前者の
上から該巻線形コイルの絶縁膜を溶融させうる温度以上で金と銅との塑性流動を
生じさせうる温度範囲で加熱しながら,塑性変形後の巻線形コイルの該当部位の
厚さtと変形前の線径Dとの比率t/Dが,0.1を越え,かつ0.8以下とな
るように設定した加圧力で加圧し,両者の界面付近にAu/Cu全率固溶体を形
成させることにより,直接接合して,請求項1の非接触ID識別装置用の巻線型
コイルとICチップとの接続構造を構成することとした,非接触ID識別装置用
の巻線型コイルとICチップとの接続方法
【請求項3】前記加熱しながら加圧する操作を傍熱型抵抗溶接によって行うこと
とした請求項2の非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続方

【請求項4】前記加熱しながら加圧する操作に於ける加熱温度及び加圧力を,そ
れぞれ,前記巻線型コイルと前記ICチップの接続端子との相互の界面付近にA
u/Cu全率固溶体を形成させ得るように実験的に決定する請求項2又は3の非
接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップとの接続方法
3本件審決の理由の要旨
(1)本件審決の理由は,要するに,本件発明1は,下記アないしウの引用
例に記載された各発明(以下「引用発明1」ないし「引用発明3」という。)に
基づいて容易に発明をすることができたものということはできないなどとして,
本件発明1ないし4に係る本件特許を無効にすることができない,というもので
ある。
ア引用例1:特表平7−506919号公報(甲3)
イ引用例2:特開昭57−109351号公報(甲2)
ウ引用例3:特開昭58−34930号公報(甲10)
(2)本件審決が認定した本件発明1と引用発明1との一致点及び相違点A
及びBは,次のとおりである。以下,その相違点のうち,相違点Bを「本件相違
点」という。
ア一致点:銅(Cu)製の巻線型コイルとICチップの最外層が塑性流動を
生じうる金(Au)膜で構成された接続端子とを,該巻線形コイルの絶縁膜を溶
融させうる温度以上で金と銅との塑性流動を生じさせうる温度範囲で加熱させつ
つ,加圧することによって接合した非接触ID識別装置用の巻線型コイルとIC
チップとの接続構造
イ相違点
(ア)相違点A:本件発明1が「塑性変形後の巻線形コイルの該当部位の厚
さtと変形前の線径Dとの比率t/Dが,0.1を越え,かつ0.8以下となる
ように設定した加圧力で」加圧するのに対し,引用発明1では比率t/Dが不明
である点
(イ)相違点B:本件発明1が「両者の界面付近に」上記加熱加圧によって
「形成したAu/Cu全率固溶体を介して」接合したものであるのに対して,引
用発明1では全率固溶体を介して接合したものであるか否かは不明である点
(3)なお,ボンディングとは,「シャーシ,金属遮蔽箱,ケーブル外被用
網組線およびその他の等電位と想定できる点を,抵抗値の低い物質を使用して電
気的に接続すること」をいい(マグローヒル科学技術用語大辞典第3版)。引用
例2における「ポストボンディング」とは,半導体素子の電極にワイヤの一端を
ボンディングした後に,ワイヤとリードフレームのリード部とを接合することを
いうもの(甲2)である。
4取消事由
(1)本件相違点についての判断の誤り(取消事由1)
(2)本件発明2ないし4に対する判断の誤り(取消事由2)
第3当事者の主張
1取消事由1(本件相違点についての判断の誤り)について
〔原告の主張〕
本件審決は,引用発明2及び3の認定を誤り,その結果,本件相違点について
の判断を誤った。
(1)引用発明2との関係
ア引用発明2の認定について
(ア)接合部の温度
本件審決は,本件相違点について,引用例2には,銅製のリードフレームと金
ワイヤーの接合部に全率固溶体が形成されるものが記載されているものの,銅製
のリードフレームと金ワイヤーの接合部の温度が不明である以上,これを,金と
銅との塑性流動を生じさせうる温度範囲で加熱させつつ,加圧することによって
形成した全率固溶体とする認定ができないとし,引用例2の存在をもって,本件
相違点を容易想到とする論理付けはできないとした。そして,確かに,引用例2
には,その接合部の温度に関して,「金ワイヤの他端を銅単体のリードフレーム
のリード部に還元性雰囲気中,300∼350℃下でポストボンディングし」と
記載されているが,接合部の温度が明確には記載されていない。
しかしながら,他方,本件審決は,塑性流動は,塑性変形による物質の流動と
解釈でき,塑性変形は融点以下の温度で起きるものであるから,金と銅との塑性
流動を生じさせうる温度範囲が融点以下の温度であることは明らかであるとし,
本件発明1における「金と銅との塑性流動を生じさせうる温度範囲」が融点以下
の温度であると認定しているものであって,引用例2において,銅製のリードフ
レームと金ワイヤとの接合部を「金と銅との塑性流動を生じさせうる温度範囲で
加熱させ」ていると認定するためには,引用例2に接した当業者が,接合部が融
点以下の温度で加熱されていると読み取れれば十分であって,接合部の温度が具
体的な数値として明確に記載されている必要はない。
そして,引用例2の発明の詳細な説明における「金ワイヤの他端を銅単体のリ
ードフレームのリード部に還元性雰囲気中,300∼350℃下でポストボンデ
ィングし」という記載から「銅製のリードフレームと金ワイヤーの接合部の温度
が300℃∼350℃であるとの確証は見いだせない」としても,技術常識(甲
17∼20,22∼24)を加えると,引用例2における「金ワイヤの他端を銅
単体のリードフレームのリード部に還元性雰囲気中,300∼350℃下でポス
トボンディングし」との記載に接した当業者であれば,接合部の温度が融点以下
であることが把握でき,引用発明2において,銅製のリードフレームと金ワイヤ
の接合部の温度は不明ではない。
(イ)加圧の有無
ワイヤボンディングは,「チップ上の接続電極とパッケージの外部引出し用端
子の間をボンディングワイヤで接続すること。接続する金属をお互いに加圧し,
超音波振動または熱を加え,もしくはその両方を与えて接合する。」(甲16)
と定義されており,また,ワイヤボンディングの接合の原理の説明として,「接
合は線材の金属原子が接合部位の金属組織へ拡散し,連続的な原子構造を形成す
ることにより行われる。拡散に要するエネルギーは,熱,加工圧,超音波の形で
与えられる。」(甲17)と記載されており,ワイヤボンディングにおいて接続
する金属を互いに「加圧」することは技術常識である。
そして,引用発明2については,上記(イ)のとおり,当業者であれば,ワイ
ヤボンディングに関する技術常識を参酌することにより,銅製のリードフレーム
と金ワイヤとのワイヤボンディングによる接合が熱圧着による接合であることを
導き出せるのであるから,銅製のリードフレームと金ワイヤとの接合部における
「全率固溶体」は,熱圧着によって形成したものであるということができる。
(ウ)小括
以上によると,引用発明2において,銅製のリードフレームと金ワイヤとの接
合部における「全率固溶体」は,金と銅との塑性流動を生じさせうる温度範囲で
加熱させつつ,加圧することによって形成したものから,引用例2には,本件発
明1と同様の加熱加圧によって形成したAu/Cu全率固溶体が開示されている
ということができる。
イ容易想到性の有無
(ア)本件相違点の判断についての矛盾
本件審決は,前記第2の3(2)のとおり,本件発明1と引用発明1との対比
において,加熱温度及び加圧の構成を一致点として認定し,全率固溶体を介して
の接合を本件相違点として認定しているにもかかわらず,本件相違点を容易想到
とする論理付けのために必要な引用例2の開示内容として「銅製のリードフレー
ムと金ワイヤーの接合部の温度」も要求している。しかし,この「接合部の温度」
については,前記のとおり一致点として認定しているものであるから,本件審決
の本件相違点についての判断は,矛盾があって,誤っている。
(イ)引用発明2を適用することによる容易想到性の判断
a引用発明1におけるAu/Cu合金の相として考え得るのは,Au/Cu
全率固溶体と金属間化合物の2つのみであり,そのうち金属間化合物は機械的及
び電気的性質が劣ることから当業者であれば避けたいと意識するはずであり,か
つ,引用例1には,銅線と金の金属層との接合部は500℃以下でかつ500℃
に近い温度であると判断される記載があるなどするところ,Au−Cu2元合金
状態図(甲4)によると,接合部のAu/Cu合金の相が全率固溶体であること
を示唆する記載がある。
bそして,引用例2には,引用発明1におけるAu/Cu合金の相として考
え得る上記2つの相のうちの「Au−Cuの全率固溶体」の記載があり,かつ,
その「Au−Cuの全率固溶体」を介して接合することの効果として,「銅単体
からなるリードフレームのリード部に金ワイヤをボンディングしたことにより形
成された接合層は金と銅の全率形の固溶体で金属間化合物とならない。このため,
ボンディングの接合層に金属間化合物ができないので,電気抵抗が小さく,化学
的に安定し,機械的強度の劣化のない高信頼性の半導体装置を得ることができ
る。」と記載されている。
このように,引用例2には,Au/Cu合金の相として考え得る相のうち「A
u−Cuの全率固溶体」の記載があり,かつ,その「Au−Cuの全率固溶体」
を介して接合することの効果として,電気的,機械的に良好で信頼性の高い接合
が可能であることが記載され,かつ,金属間化合物と比較して有利であることが
明確に記載されている。
c引用発明1及び2は,いずれも電子機器を製造する技術,特に,ワイヤと
端子を接合する技術に関するものであり,技術分野が共通する。また,本件発明
1の課題は,「電気的及び機械的に良好な接続を確保すること」であるところ,
一般的に,電子機器の故障のうち,接続点に起因するものが大きな割合を占める
ことは知られており,ワイヤと端子との接合部に高度の信頼性が要求されること
は,電子機器の技術分野において一般的な課題である。さらに,本件発明1及び
引用発明1のように,ワイヤと端子とを直接接合する技術では,接合部に形成さ
れる合金の相が接合の信頼性に影響を及ぼすことも一般的に知られている。
dそうすると,引用発明1において,銅線と金の金属層とを,熱圧着によっ
て形成したAu/Cu合金を介して接合するに当たり,自明な課題に従って接合
部の信頼性を向上させるべく,Au/Cu合金の相として考え得る相である全率
固溶体と金属間化合物とそのいずれかのうちから,引用例2に記載された「Au
−Cuの全率固溶体」を選択することは,当業者の通常の創作能力の発揮であり,
そこに格別の困難性は認められない。
(2)引用発明3との関係
ア引用発明3の認定について
引用発明3における「接合」
本件審決は,引用例3における「全率固溶体」であると記載されている「接合
部」について,「熱圧着」した部分のことを意味するのか,「Au−Ge層とA
u層はろう材の働きをしている」との記載における「ろう」付け部分を意味する
のかが不明であるため,「熱圧着」によって「全率固溶体」を介しての接合を行
うことが記載されているということができず,引用発明3をもって,本件相違点
を想到することが容易とすることはできないとした。
しかしながら,引用発明3は,リードフレームに対して素子とワイヤとを直接
接合した場合の信頼性向上を発明の課題とするものであるところ,効果として記
載された「さらに,接合部に用いられるAuとCuは,全率固溶体であるため金
属間化合物ができないので,電気抵抗が小さく,化学的に安定しており,機械的
な強度も劣化せず信頼性が高い」との記載における「接合部」とは,リードフレ
ームに対する素子及びワイヤの双方の接合部のことを指すものである。
したがって,引用例3には,熱圧着によって形成された「全率固溶体」を介し
て接合することが記載されているということができる。
イ容易想到性の有無
引用例3には,熱圧着によって形成した「全率固溶体」が開示され,その「全
率固溶体」を介して接合することの効果として,「接合部に用いられるAuとC
uは,全率固溶体であるため金属間化合物ができないので,電気抵抗が小さく,
化学的に安定しており,機械的な強度も劣化せず信頼性が高い」と記載されてい
る。この効果は,本件発明1の効果と同様である。
また,引用発明1及び3は,いずれも電子機器を製造する技術,特に,ワイヤ
と端子とを熱圧着接合によって接合する技術に関するものであり,技術分野が共
通する。本件発明1の「電気的及び機械的に良好な接続を確保すること」(本件
明細書【0011】)との課題は,電子機器を製造する技術分野,特に,ワイヤ
と端子を接合する技術分野では,自明な課題である。さらに,本件発明1及び引
用発明1のように,ワイヤと端子とを直接接合する技術(熱圧着)では,接合部
に形成される合金の相が接合の信頼性に影響を及ぼすことも一般的に知られてい
る。
そして,上記自明な課題と引用発明3の熱圧着によって形成した「全率固溶体」
を介して接合することの有利な効果とを考慮すれば,引用発明1において,銅線
と金の金属層とを熱圧着にて接合するに当たり,前記自明な課題に従って接合部
の信頼性を向上させるために,接合部の相として引用発明3の熱圧着によって形
成した「全率固溶体」を採用することは,当業者であれば容易に想到できたこと
であって,そこに格別の困難性は認められない。
なお,仮に,引用例3における「接合部」がリードフレームに対してワイヤを
熱圧着によって接合した部分のことを指すと読むことができない場合であっても,
引用例3の記載から,接合部にAuとCuとの全率固溶体が形成されること,か
つ,その全率固溶体を介して接合することの効果として,電気的,機械的に良好
で信頼性の高い接合が可能であることは読み取ることができ,引用発明1におい
て,銅線と金との金属層とを熱圧着によって形成したAu/Cu合金を介して接
合するに当たり,上記の自明な課題に従って接合部の信頼性を向上させるために,
Au/Cu合金の相として考え得る相である全率固溶体と金属間化合物のうちか
ら引用例3に記載された「全率固溶体」を選択することは,当業者の通常の創作
能力の発揮であり,そこに格別の困難性は認められず,本件相違点について,容
易に想到することができるものである。
〔被告の主張〕
本件審決の認定判断には原告主張のような誤りはない。
(1)引用発明2との関係
ア引用発明2の認定について
(ア)接合部の温度
a引用例2には,銅製のリードフレームと金ワイヤーの接合部の温度が記載
されておらず,「銅製のリードフレームと金ワイヤーの接合部の温度が不明」で
ある。また,引用例2に銅製のリードフレームと金ワイヤーの接合部の温度が融
点以下であるとの記載はない。さらに,接合部の温度が融点以下であったとして
も,そのことをもって,本件発明1との比較において十分に記載されているとは
いえず,銅製のリードフレームと金ワイヤーの双方が塑性流動することを示す温
度が記載されていないのであるから,依然として,銅製のリードフレームと金ワ
イヤーの温度は不明である。
なお,乙1のFig.6,7及び8に示されるように,溶接部の部位の位置に
対応して温度が大きく変わるものであって,一部の部位で融点以下であっても他
の部位では溶融していることがあり,温度範囲が記載されているからといって,
部位を特定していない温度の記載から,接合部が300ないし350℃であると
特定することはできない。
本件審決は,塑性流動は融点以下の温度であることが必要条件であるとするも
のであって,融点以下の温度であれば十分であるとはしていない。例えば,融点
以下である室温においては塑性流動が生じない。原告は,本件審決が必要条件と
していることを十分条件であるとした誤ったとらえ方をしている。
原告は,引用発明2において,銅製のリードフレームと金ワイヤーとの接合部
を「金と銅との塑性流動を生じさせうる温度範囲で加熱させ」ていると認定する
ためには,引用例2に接した当業者が,接合部が融点以下の温度で加熱されてい
ると読み取ることができれば十分であって,接合部の温度が具体的な数値として
明確に記載されている必要はなく,引用発明2において,同認定をするために必
要な開示内容は,接合部の温度が300℃から350℃であるとの確証である必
要はないと主張する。
しかしながら,本件発明が限定する温度範囲は,巻線型コイルの絶縁膜を溶融
させ得る温度以上で,かつ,金と銅との塑性流動を生じさせ得る温度範囲であっ
て,接合部の温度が融点以下であると把握できれば十分なものではない。
b仮に,引用例2の記載から金と銅とを熱圧着によるワイヤーボンディング
によって接合するものであることが把握できたとしても,「300∼350℃」
がどこの部位を指した温度であるかが不明であるので,熱圧着によるワイヤボン
ディングの際に,熱圧着によって金と銅との双方を塑性流動させて金と銅とを接
合させていることを示す根拠がなく,当業者といえども接合部の温度を把握でき
ず,金と銅の融点以下であって,金と銅との塑性変動を生じさせる「金と銅との
塑性流動生起温度」を把握できないか,把握できるかどうか不明である。
(イ)加圧の有無
引用例2には加圧力が負荷されることが記載されておらず,銅製のリードフレ
ームは塑性流動しないか,又は塑性流動することが不明である。
なお,引用例2には,リードフレームのアイランド部に半導体素子に振動を与
えずに50ないし80gの加重で押圧してマウントすると記載されている。この
押圧は,ポストボンディングに採用されることを示すものではないが,仮にこの
押圧がポストボンディングに採用されたとしても,本件発明の実施例で採用され
た加圧力70ないし80gと比較すると,加圧力が負荷される面積の関係上,ポ
ストボンディングに採用される押圧力は本件実施例に比べて百分の1程度となっ
て押圧力は極めて小さい。
このように,引用例2で用いられる押圧力は極めて小さいと想定でき,仮に金
ワイヤーが塑性流動するとしても,銅製のリードフレームは塑性流動しないか,
塑性流動することが不明であって,これらをもって,塑性流動を生起する熱圧着
によるワイヤボンディングが採用されたことの根拠とすることはできない。
さらに,仮に,引用例2の記載から銅製のリードフレームと金ワイヤーとをワ
イヤーボンディングによって接合するものであることが把握できたとしても,引
用例2においては金ワイヤーが用いられているので,押圧されるとすれば,押圧
は上に位置する金ワイヤーに対してされるものであって,下に位置する銅製のリ
ードフレームに対してではない。また,本件発明1では金膜が使用され,金ワイ
ヤーは用いられておらず,銅製のリードフレームは金ワイヤーによって押圧され
て塑性流動することになるかは不明である。
(ウ)小括
以上によれば,引用発明2において,銅製のリードフレームと金ワイヤーとの
接合部の温度は不明であり,融点以下であって銅製のリードフレームが塑性流動
を伴う金と銅とが塑性流動するとの記載がなく,銅製のリードフレームと金ワイ
ヤーの接合部を「金と銅との塑性流動を生じさせうる温度範囲で加熱させ」てい
ると認定することができないとした本件審決に誤りはない。
イ容易想到性の有無
(ア)本件相違点の判断についての矛盾
a引用発明2は,金ワイヤーを銅製のリードフレームにボンディングする技
術であって,「熱圧着」によって「全率固溶体」を介して接合を行う技術ではな
く,本件一致点の「接合した非接触ID識別装置用の巻線型コイルとICチップ
との接続構造」とは全く異なる接続構造を有しており,「全率固溶体」が共通す
るからといって発明の構成,作用効果において,引用発明1や本件発明と軌を同
一にするものではない。
bまた,本件相違点における「『両者の界面付近に』上記加熱加圧によって
『形成したAu/Cu全率固溶体を介して』接合したもの」との「上記加熱加圧」
とは,巻線型コイルの絶縁膜を溶融させ得る温度以上で,かつ,金と銅との塑性
流動を生じさせ得る温度範囲であるとともに,塑性変形後の巻線型コイルの該当
部位の厚さtと変形前の線系Dとの比率t/Dが,0.1を越え,かつ,0.8
以下となるように設定した加圧力で加圧することによって,Au/Cu全率固溶
体が形成される温度との共通部分に限定された温度での加熱であって,これは,
相違点Aによる加圧であることを指している。
したがって,本件相違点における「上記加熱加圧」について,本件審決が本件
一致点として認定した金と銅との塑性流動が生起する温度のみによる「加熱」及
び「加圧」を指すことを前提として,本件審決の本件相違点についての判断に原
告の主張するような矛盾はない。
c引用発明1に引用発明2を適用して本件発明1が想到容易とするためには,
引用例2には「銅製のリードフレームと金ワイヤーの接合部の温度」が記載され,
双方が塑性流動することを立証すべきであって,このような立証をすることなく
本件相違点についての判断には矛盾があるとする原告の主張は失当というべきで
ある。
(イ)引用発明2を適用することによる容易想到性の判断
a全率固溶体は,全濃度にわたって固体状態のA元素にB元素が均一に溶け
込んで作られた固溶体をいう。融点以下の温度であっても相境界線以下の温度で,
AuCuⅠ,AuCu3Ⅰ,AuⅡ,Au3Cuのような規則格子を形成するよう
な場合,全濃度にわたってA元素にB元素が完全に固溶して出来る固相合金のみ
が形成されるものではなく,全率固溶体となるものではない。金属間化合物が形
成されるような場合も,全率固溶体となるものではない。
本件発明1が限定する温度範囲とは,巻線型コイルの絶縁膜を溶融させ得る温
度以上で,かつ,金と銅との塑性流動を生じさせ得る温度範囲であるとともに,
塑性変形後の巻線型コイルの該当部位の厚さtと変形前の線系Dとの比率t/D
が,0.1を越え,かつ0.8以下となるように設定した加圧力で加圧すること
によってAu/Cu全率固溶体が形成される温度範囲の共通部分に限定されるも
のである。
また,金と銅とを塑性流動させて目的とする合金(本件発明の場合,全率固溶
体)を形成する場合に,平衡状態図を参照するだけでは足りず,非平衡状態での
実験・解析を通しての検討が求められるべきものであり,平衡状態図のみを参照
して,規則格子(金属間化合物)の形成を回避すれば足りるとするものではない。
したがって,Au/Cuの2元素にあって,熱圧着させて塑性変形させる場合
にあっても形成された合金がすべて全率固溶体になるとは限らない(乙3∼5)。
本件発明に係る特許出願前には,Au/Cuの2元素合金について平衡状態図で
特定温度において全率固溶体が形成されることは知られていたが,金と銅との塑
性流動,すなわち金と銅との非平衡状態における加熱加圧処理でもって全率固溶
体が形成されることは知られておらず,長年の研究の成果である本件発明をもっ
て嚆矢とするものである。
原告は,引用例1に,銅線と金の金属層との接合部は500℃以下でかつ50
0℃に近い温度であると判断される記載があることをもって,2元合金状態図を
参酌して合金の相を予測ないし確認することは,当業者が通常行うことであると
主張するが,金と銅とが塑性流動するような非平衡状態にあっては,2元合金状
態図を参酌して合金の相を予測ないし確認することは,当業者が通常行うことで
あるとすることはできない。
b上記aのとおり,非平衡状態では,引用発明1において,Au/Cu全率
固溶体や金属間化合物以外の他の不明な相が生じる可能性があるものであるから,
引用例2に「Au−Cuの全率固溶体」の記載があるからとしても,引用例1記
載のAu/Cu合金の相がAu/Cu全率固溶体を示唆することにはならず,引
用発明1にAu/Cu全率固溶体を取り入れる合理的根拠はない。
c本件発明1は,金と銅との塑性流動を生じさせる「金と銅との塑性流動生
起温度」及び「Au/Cu全率固溶体形成温度」を用いてAu/Cu全率固溶体
を形成したことによって,引用発明1では達成することができない−55ないし
150℃の間を往復する温度サイクルに長時間耐え,不良率を下げ,接着強度を
向上させ,温度サイクル不良率を下げるにおいて顕著な効果が得られることとな
ったものであって,この課題が自明なものとすることはできない。
d以上によると,引用発明1において,銅線と金の金属層とを熱圧着によっ
て接合するに当たり,接合部の信頼性を向上させるべく,接合部の相として引用
例2に記載された「Au−Cuの全率固溶体」を採用することが,当業者であれ
ば容易に想到できたとすることはできない。
また,本件発明1の全率固溶体接合は,引用発明2の熱圧着されていることが
不明な場合の全率固溶体あるいは銅製のリードフレームが塑性流動しない場合の
全率固溶体接合に比べて,その形成の処理温度が異なり,接着強度という性能に
おいて優れているものであって,双方の「全率固溶体」は区別することができ,
引用発明2の「銅製のリードフレームと金ワイヤーの接合部の温度が不明」であ
る以上,これを引用発明1に適用することはできず,引用発明2をもって,本件
相違点を想到することが容易とする論理付けはできない。
(2)引用発明3との関係
ア引用発明3の認定について
引用発明3における「接合」
本件審決が,引用例3における「全率固溶体」であると記載されている「接合
部」について,「熱圧着」した部分のことを意味するのか,ペレットをリードフ
レーム表面に接合したときのろう付け部分のことを指すのかが不明であるとした
判断に誤りはない。
この点について,原告は,引用例3の発明の詳細な説明の記載から,「接合部」
とはリードフレームに対する素子とワイヤの双方の接合部のことを指すと主張す
るが,「接合部」がどちらの接合部であるかを特定して記載していない以上,ど
ちらの「接合部」であるかを特定したり,双方を意味するとしたりすることは明
細書の記載を逸脱し,記載を拡大することになるものとして許されず,原告の主
張は認められるべきでない。
また,引用例3には,金ワイヤを銅製のリードフレームに熱圧着させることが
記載されているが,銅製のリードフレームは塑性流動しないか,塑性流動するこ
とが不明であるところ,熱圧着するというだけでは,塑性流動という非平衡状態
でAu/Cu全率固溶体が形成されるのか不明である。
したがって,引用例3には,熱圧着によって形成された「全率固溶体」が開示
されているものではない。
イ容易想到性の有無
上記アのとおり,引用例3には,熱圧着によって「全率固溶体」を介して接合
を行うことが記載されているということができず,引用発明3は,発明の構成,
作用効果において,引用発明1や本件発明1とは異なるものであって,引用発明
1に引用発明3を組み合せることに合理的理由はなく,本件相違点を解消するこ
とが容易であるとすることはできない。
2取消事由2(本件発明2ないし4に対する判断の誤り)について
〔原告の主張〕
前記1の〔原告の主張〕のとおり,本件発明1についての本件審決の判断は誤
りであるから,これと同様の理由によって,本件発明2ないし4についての本件
審決の判断にも誤りがある。
〔被告の主張〕
前記1の〔被告の主張〕のとおり,本件発明1についての本件審決の判断に誤
りはなく,これと同様の理由によって,本件発明2ないし4についての本件審決
の判断にも誤りはない。
第4当裁判所の判断
1取消事由1(本件相違点についての判断の誤り)について
(1)引用発明2
ア引用例2の記載について
引用例2の特許請求の範囲には,「銅もしくは銅合金の単体からなる素子配設
基材に上面に電極を有する半導体素子をマウントし,かつ該半導体素子の電極と
前記素子配設基材とを金もしくは金合金のワイヤで接続したことを特徴とする半
導体装置」との記載がある。
また,引用例2の発明の詳細な説明には,「本発明は半導体装置に関し,特に
半導体素子がマウントされ,かつ該素子の電極に接続したワイヤがボンディング
される素子配設基材を改良した半導体装置に係る。」,「本発明は…素子配設基
材のポストボンディング部に銀層を被膜せず,該基材の素地(銅もしくは銅合金
の単体)に直接金や金合金のワイヤをボンディングした半導体装置を提供しよう
とするものである。」との,実施例として,「銅製薄片板をプレス加工して銅単
体からなるリードフレームを作製する。つづいて複数個のnpnバイポーラトラ
ンジスタが形成されたシリコン基板のマウント面に厚さ約600Åのバナジウム
層,厚さ約2000Åのニツケル層,厚さ1.0μmの金・ゲルマニウム(Ge
12wt%)合金層及び厚さ1000Åの金層を順次真空蒸着した後,シリコン
基板をその上面(マウント面と反対側の面)よりダイヤモンドスクライブ又はブ
レードダイサースクライブにより割断して第5図に示す半導体素子104を作製
する。なお,これら半導体素子は塩化ビニール等で被覆して保管する。次いで,
前記リードフレームをH2−N2のフオーミングガス(還元性雰囲気)中で370
∼400℃に加熱した状態で,このリードフレームのアイランド部に前記半導体
素子を振動を与えずに50∼80gの加重で押圧してマウントする。その後,マ
ウントされた半導体素子のAl電極に金ワイヤの一端をボンディングし,更に金
ワイヤの他端を銅単体のリードフレームのリード部に還元性雰囲気中,300∼
350℃下でポストボンディングし,更に樹脂封止を施した後,延出したリード
部等を半田浴に浸漬し半田処理を施して第4図に示す半導体装置を造る。」,「本
発明によれば半導体素子104上面のAl電極110a,110bに一端が接続
された金ワイヤ111a,111bを銅単体からなるリードフレーム101のリ
ード部103a,103bに夫々Au−Cuの全率固溶体を介して良好にボンデ
ィングされた半導体装置を得ることができるため,以下に列挙する種々の効果を
有するものである。…(5)銅単体からなるリードフレームのリード部に金ワ
イヤをボンディングしたことにより形成された接合層は金と銅の全率形の固溶体
で金属間化合物とならない。このため,ボンディングの接合層に金属間化合物が
できないので,電気抵抗が小さく,化学的に安定し,機械的強度の劣化のない高
信頼性の半導体装置を得ることができる。」との記載がある。
イ引用発明2の内容について
以上によると,引用発明2は,金ワイヤの他端を銅単体のリードフレームのリ
ード部に還元性雰囲気中,300ないし350℃下でポストボンディングするも
のであって,金ワイヤを銅単体からなるリードフレームのリード部にAu/Cu
の全率固溶体を介して良好にボンディングされた半導体装置であると認めること
ができる。
そして,引用発明2における,金ワイヤの他端を銅単体のリードフレームのリ
ード部にボンディングすることは,半導体チップの電極部(ボンディングパッド)
とリードフレーム及び基板上の導体などとの間を,金,アルミニウムなどの細い
ワイヤで接続する方法である「ワイヤボンディング」の技術(甲15∼17,1
9∼24)に該当する。
ところで,ワイヤボンディングは,その接合(接続)方式から,①複数の部材
を融点以下の適当な温度で圧力を加え密着させて,塑性変形を起こさせ,双方の
清浄面の接触によって接合させる方法である熱圧着,②極細線,リード線,チッ
プなどを超音波振動を加えながら圧着する方法であって加熱が不要である超音波
ボンディング,③超音波振動を加えながら熱圧着する方法であるサーモソニック
ボンディングに分類されることは,本件特許出願時の技術常識であると認めるこ
とができる(甲15,17,20∼24)。
引用発明2のワイヤボンディングについてみると,金ワイヤの他端を銅単体の
リードフレームのリード部に還元性雰囲気中,300ないし350℃下でポスト
ボンディングするとして加熱して接合されるものであるとされる一方,引用例2
には,超音波を加える旨の記載及びそれを示唆する記載がないことからすると,
引用発明2の金ワイヤと銅製のリードフレームとのワイヤボンディングは,熱圧
着による接合と認めることができる。
ウ接合部の温度について
一般に,熱圧着による接合は,代表的なネールヘッドボンディング法によれば,
配線板(リードフレーム)ないしキャピラリ(ワイヤをボンディングする工具)
を加熱することによって接合され(甲17,24),接合に要する熱エネルギー
は,リードフレームないしキャピラリに加えられ,その熱がリードフレームとワ
イヤとの接触面に伝達されて接合されるものである。そして,金は熱伝導性の良
い金属であること,使用される金ワイヤの直径が20ないし50μmや10ない
し250μmなどという極めて細いものであること(甲17,18)等を考慮す
ると,金ワイヤは加熱することにより直ちに同程度の温度になるものと解され,
引用発明2のボンディング時において,金ワイヤは,ポストボンディングの温度
として示された300ないし350℃に近い温度になっているものと認められる。
その温度をそれ以上厳密に認定することはできないが,そのことから以上の認定
それ自体が妨げられるものではない。
なお,被告は,乙1のFig.6,7及び8を挙げ,溶接部の部位の位置に対
応して温度が大きく変わるものであって,一部の部位で融点以下であっても他の
部位では溶融していることがあり,温度範囲が記載されているからといって,部
位を特定していない温度の記載から,接合部が300ないし350℃であると特
定することはできないと主張するが,乙1のFig.6,7及び8は,点溶接部
における温度分布についての記載であって,そもそも引用発明2におけるワイヤ
ボンディング技術とは異なるものであるから,被告の主張は採用し得ない。
したがって,引用発明2のボンディングは,熱圧着によるものであって,この
方法では,リードフレームないしキャピラリが一番高温となり,接合部の温度が
その温度よりも高くなることはあり得ないから,接合部の温度は,高くても30
0ないし350℃であり,接合部の温度が金と銅の融点を超えていると当業者が
認識することはない。
そして,熱圧着におけるボンディング温度は300ないし350℃とされると
ころ(甲20),上記のとおり,引用発明2においては,ボンディング時の金ワ
イヤは300ないし350℃に近い温度になっていると認められ,接合部がその
温度よりも極端に低い温度であると解されることはなく,また,引用例2の記載
によれば,ボンディングの結果として,金と銅の全率固溶体である接合層が形成
されるのであるから,金ワイヤと銅製リードフレームの接触面は,少なくとも,
熱圧着による加熱と加圧による全率固溶体の形成が可能な温度になっていると認
められる。
エ塑性流動について
上記イのとおり,引用発明2の金ワイヤと銅製のリードフレームとのワイヤボ
ンディングは熱圧着による接合と認めることができるところ,JISによると,
熱圧着とは「複数の部材を融点以下の適当な温度で圧力を加え密着させて,塑性
変形を起こさせ,双方の清浄面の接触によって接合させる方法」というのであっ
て(甲15),引用発明2の接合も,その意味において,塑性変形を伴うもので
あると解される。
しかしながら,加熱された金が塑性変形を生じるとしても,一般的に金に比べ
て硬度が著しく高い銅も同じく塑性変形するか否かは明らかでなく,引用発明2
のボンディングにおいて,加熱された金ワイヤが塑性変形を生じているとしても,
銅製リードフレームについても塑性変形が生じているかどうかは明らかではなく,
前記JISの定義から,銅製リードフレームも塑性変形が生じているとまで認め
得るものではない。
したがって,引用発明2のボンディングにおいて,接合部が300ないし35
0℃に近い温度になっており,また,熱圧着によってAu/Cu全率固溶体の接
合層が形成されていることによっても,形成された接合層について,金と銅とが
ともに塑性流動を生じる温度範囲で加熱され,加圧されたことによって形成され
たとまでは認めることができない。
この点について,原告は,本件審決が,金と銅との塑性流動を生じさせ得る温
度範囲が融点以下の温度であることが明らかであると説示していることをもって,
引用例2において,銅製のリードフレームと金ワイヤとの接合部を「金と銅との
塑性流動を生じさせうる温度範囲で加熱させ」ていると認定するためには,引用
例2に接した当業者が,接合部が融点以下の温度で加熱されていると読み取るこ
とができれば十分であると主張するが,本件審決の上記判断は,銅線と金メッキ
層とが溶融して合金化される甲1記載の発明と本件発明1との対比において,本
件発明1の接合が融点以下で行われるものであることを説示するものであって,
融点以下の温度であれば必ず塑性流動が生ずるとするものではないから,原告の
主張は採用することができない。
したがって,引用発明2について,金ワイヤと銅製のリードフレームとの接合
部において,金と銅との塑性流動を生じさせ得る温度範囲で加熱させていると認
定することはできないから,その旨の本件審決の判断は是認することができる。
(2)引用発明1
ア引用例1の記載について
引用例1の請求の範囲には,「1.少なくともアンテナコイルと共振コンデン
サとを含んで成る共振回路から成る無線周波数検出ラベルを製造する方法であっ
て,絶縁素線から作られたアンテナコイルが用いられ,アンテナ回路の共振コン
デンサを含む,他の全ての電気部品がチップ上で集積回路(IC)として配置さ
れ,そしてコイルリードが,ICとコイルリードとを載置するために余分な基板
またはリードフレームの介在なしに,電気的接続でもって,集積回路に直接接続
されることを特徴とする方法」,「11.絶縁素線で形成されるアンテナコイル
リードが,予め絶縁を裸にされることなしに,接続表面の絶縁を除去し,そして
続いてコイルリードと接続表面の接続を達成する加熱された半田ごての先を用い
て,ICの接続表面に接続されることを特徴とする請求項1記載の無線周波数検
出ラベルの製造方法」,「13.接続表面が貴金属層を予め備えており,そして
コイルリードが熱圧着溶接を達成するために接続表面に対して強く押付けられる
ことを特徴とする請求項11記載の方法」との記載がある。
また,明細書における実施態様の記載として,「図6そして図7は,絶縁物質
を予め除去することなしに,半田付手法そして熱圧着溶接手法を使用することを
模式的に示す。必ずしも最初に銅線から絶縁性物質を除去する必要はないもよう
である。」,「図7は熱圧着溶接が行われる模様を模式的に例示する。IC11
の接続表面12には好ましくは貴金属の薄い層(たとえば金)である適当な金属
層(凸部)32が提供される。銅線21は,まだ絶縁性の鞘を保持しながら,接
続表面に対して加熱された半田ごての先31でもって押し当てられる。半田の先
は比較的高温度,たとえば500℃程度を,有する。半田の先は22において示
すように,接続表面12に素線が若干変形される程度の力をもって押し付けられ
る。高温度のために,絶縁層20がこの領域で消失する。絶縁層は半田の先から
間隔をおいてそれのいずれかの側に位置28の方に引離される。裸となった銅線
は,前にそうであったように,凸部と一緒になり,そして接点が形成される。」
との記載がある。
イ引用発明1の内容について
以上によると,引用発明1は,接続表面が貴金属層を予め備えており,コイル
リードが熱圧着溶接を達成するために接続表面に対して強く押さえ付けられるも
のであって,この貴金属として金が,コイルリードとして銅が例示されている。
そして,前記エのとおり,熱圧着とは「複数の部材を融点以下の適当な温度で
圧力を加え密着させて,塑性変形を起こさせ,双方の清浄面の接触によって接合
させる方法」であるから,引用発明1には,金と銅との塑性流動を生じさせ得る
温度範囲で加熱させつつ,加圧することが示されているということができる。
もっとも,引用例1には,貴金属層として金が例示され,これとは別に,温度
として500℃での熱圧着が例示されているものの,貴金属層として金を用い,
かつ,温度として500℃での熱圧着をすることが示されているものではないが,
上記アのとおり,引用例1には,「IC11の接続表面12には好ましくは貴金
属の薄い層(たとえば金)である適当な金属層(凸部)32が提供される。」と
接続表面12に貴金属層として「金」を用いることを例示する記載があり,それ
に引き続いて,「銅線21は,まだ絶縁性の鞘を保持しながら,接続表面に対し
て加熱された半田ごての先31でもって押し当てられる」と記載され,貴金属の
薄い層(たとえば金)が好ましいとされる接続表面12に対して,銅線21を,
加熱された半田ごての先31で押し当てることが記載されている。そして,引用
例1には,「半田の先は比較的高温度,たとえば500℃程度を,有する。」,
「半田の先は22において示すように,接続表面12に素線が若干変形される程
度の力をもって押し付けられる。高温度のために,絶縁層20がこの領域で消失
する。」,「裸となった銅線は,前にそうであったように,凸部と一緒になり,
そして接点が形成される。」と記載されており,加熱された半田ごての先が高温
度であって,押し付けることにより絶縁層がこの領域で消失し,さらに,銅線と
凸部とが一緒になって,接点が形成されるように熱圧着溶接が行われることが認
められ,上記の「たとえば500℃程度」との半田ごての先の温度の例示は,接
続表面に銅線を半田ごての先で押し付けて接点を形成するときの半田ごての先の
温度であると認めることができる。
したがって,引用発明1は,貴金属の薄い層(たとえば金)が好ましいとされ
る接続表面に対して,銅線を加熱された半田ごての先で押し当てることが記載さ
れ,さらに,半田ごての先の温度を500℃程度とし,接続表面に銅線を半田ご
ての先で押し付けて,熱圧着溶接により接点を形成することが記載されているも
のであって,当業者であれば,これらの記載から,貴金属の薄い層として「金」
を用いた接続表面に対して,銅線を500℃程度に加熱された半田ごての先に押
し当てて,接点を形成するとの実施態様を認識することが通常であるということ
ができる。そして,そのときには,熱圧着溶接によって,接続表面と銅線とは,
Au/Cu合金を介して接合するものと認められる。
そして,金や銅は熱伝導性の良い金属であり,加熱された半田ごての先を押し
付けて,絶縁層を消失させるとともに,熱圧着溶接によって銅線と金属層とを接
合するものであることを考慮すると,銅線と接続表面の金層との接触面は,半田
ごての先よりも低い温度であるとしても,熱圧着溶接中に半田ごての先の温度に
近い温度になると解され,引用発明1の熱圧着溶接時においては,接合面も50
0℃程度の近い温度になっていると認められる。
(3)本件相違点について
ア前記(1)のとおり,引用発明2のボンディングは,熱圧着によるもので
あって,銅製のリードフレームと金ワイヤとの接合部における全率固溶体は,加
熱させつつ加圧することによって形成されたものであると認められる。
また,引用例2には,「(5)銅単体からなるリードフレームのリード部に
金ワイヤをボンディングしたことにより形成された接合層は金と銅の全率形の固
溶体で金属間化合物とならない。このため,ボンディングの接合層に金属間化合
物ができないので,電気抵抗が小さく,化学的に安定し,機械的強度の劣化のな
い高信頼性の半導体装置を得ることができる。」と記載され,引用例2において,
リードフレームのリード部に金ワイヤをボンディングしたことにより形成された
接合層は,金と銅との金属間化合物とはならず,全率固溶体となって,電気抵抗
が小さく,化学的に安定し,機械的強度の劣化のない半導体装置内の電流路又は
電気的接続点となるとして,金と銅との全率固溶体は,金属間化合物に比べて,
電気的・機械的特性が良好であることが開示されている。
さらに,引用発明2は,リードフレームが銅であり,ワイヤが金であるが,両
者を加熱及び加圧して形成したAu/Cu合金をもって金属端子とワイヤとの接
続構造を形成する技術に関するものであって,同一の技術分野に属するものとい
うことができる。
イしかるところ,引用例2において,金と銅との接合層の特性を全率固溶体
と金属間化合物との対比において記載していること,そして,その記載は金と銅
との接合層に関する一般的な記載であると解されることからすると,引用発明1
における「金と銅との塑性流動を生じさせうる温度範囲で加熱させつつ,」「加
圧すること」によって形成された接続構造であるAu/Cu合金についても,全
率固溶体か金属間化合物か,そのいずれかの相であるとみることができる。
そして,引用発明1において,ICの接続表面とコイルリードとの接点は,前
記イのとおりAu/Cu合金をもって形成されるものであるところ,上記のと
おりの引用例2の全率固溶体は金属間化合物に比べて,電気抵抗が小さく,化学
的に安定し,機械的強度の劣化のない高信頼性の半導体装置を得ることができる
との開示に基づくと,引用発明1における接合のAu/Cu合金についても,金
属間化合物を避けて,Au/Cu全率固溶体が形成されるように想到することは,
当業者において容易であるということができる。
また,本件明細書【0015】及び【0033】によると,本件発明1におけ
る巻線型コイルとICチップとの接続方法における加熱温度及び加圧力は,それ
ぞれ,巻線型コイルとICチップとの接続端子との相互の界面付近にAu/Cu
全率固溶体の合金層を形成させ得るように実験的に決定することとしたものであ
り,また,同【0020】によると,本件発明1の巻線型コイルとICチップと
の接続方法によれば,ICチップの接続端子上に配した巻線型コイルに加える温
度及び加圧力を容易かつ適切に設定することができるとされているのであるから,
本件発明1の加熱温度と加圧力を選択すれば,容易にAu/Cu全率固溶体の合
金層を形成することができるものと解される。そして,相違点Aに係る本件発明
1の加圧力は,当業者であれば通常採用することができる事項であり,また,本
件明細書【0036】のとおり実験結果からは500℃以下の界面温度と推定さ
れる本件発明1の加熱温度も,引用発明1における半田ごての先の温度500℃
程度と矛盾するものではなく,そうすると,引用発明1を基に,本件発明1の加
熱温度及び加圧力を選択し,Au/Cu全率固溶体の接続構造を得ることは,当
業者において容易に想到し得ることであると認めることができる。
なお,被告は,本件発明1は,Au/Cu全率固溶体を形成したことによって,
引用発明1では達成することができない−55ないし150℃の間を往復する温
度サイクルに長時間耐え,不良率を下げ,接着強度を向上させ,温度サイクル不
良率を下げるにおいて顕著な効果が得られることとなったものであって,この課
題が自明なものとすることはできないと主張する。しかしながら,これらの点は,
上記アのとおり,引用例2における,金と銅との全率固溶体が形成されたこと
によって,電気抵抗が小さく,化学的に安定し,機械的強度の劣化のない高信頼
性の半導体装置を得ることができるとの記載から予想し得るものであって,この
課題が自明でないとする被告の主張も採用することができない。
また,被告は,本件発明1の全率固溶体による接合は,引用発明2の熱圧着さ
れていることが不明な場合の全率固溶体あるいは銅製のリードフレームが塑性流
動しない場合の全率固溶体による接続に比べて,その形成の処理温度が異なり,
接着強度という性能において優れているものであって,本件発明1の「全率固溶
体」と引用発明2の「全率固溶体」とは区別することができると主張するが,本
件明細書には,Au/Cu全率固溶体の組成・構造についての記載はなく,本件
発明1が,その製造条件によって特定の組成・構造を有するAu/Cu全率固溶
体を限定しているとすることができないから,両者を区別してとらえる前提がな
く,被告の同主張も採用することができない。
(4)小括
以上によると,引用発明1における金の金属層と銅線とを熱圧着によって形成
したAu/Cu合金を介して接合するに当たり,接合部の信頼性及び電気的特性
を向上させるため,Au/Cu合金の相として考え得る相として,引用例2に記
載されたAu/Cuの全率固溶体を選択することは,当業者において容易である
ということができるのであって,その余の点について検討するまでもなく,取消
事由1は理由があるといわなければならない。
2取消事由2(本件発明2ないし4に対する判断の誤り)について
本件発明1が容易に発明をすることができたものということができないとの本
件審決の判断が取り消される以上,同判断を前提として,本件発明2ないし4も
容易に発明をすることができないと解される本件審決の本件発明2ないし4につ
いての判断も是認することができず,取消事由2も理由がある。
3結論
以上の次第であるから,本件審決は取り消されるべきものである。
知的財産高等裁判所第4部
裁判長裁判官滝澤孝臣
裁判官本多知成
裁判官荒井章光

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