弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主      文
1 本件控訴を棄却する。
2本件附帯控訴に基づき,原判決を次のとおり変更する。
3附帯被控訴人は,附帯控訴人Aに対し,2664万9500円,同B
及び同Dに対し,それぞれ1132万4750円並びにこれらに対する
平成7年4月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支
払え。
4附帯控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
5訴訟費用は,第1,2審とも,これを10分し,その9を控訴人(附帯
被控訴人)の負担とし,その余を被控訴人(附帯控訴人)らの負担
とする。
6 この判決は,第3項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
(以下,「控訴人(附帯被控訴人)」を単に「控訴人」と,
「被控訴人(附帯控訴人)」を単に「被控訴人」という。)
第1 控訴の趣旨
1 原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,第1,2審とも,被控訴人らの負担とする。
第2 附帯控訴の趣旨
1原判決を次のとおり変更する。
2控訴人は,被控訴人Aに対し,3152万4000円,同B及び同Dに対し,
それぞれ1311万2000円並びにこれらに対する平成7年4月22日から
支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は,第1,2審とも,控訴人の負担とする。
第3 事案の概要
 本件は,亡Eが,控訴人の開設する春日井市民病院(以下「控訴人病
院」という。)において診療を受けたが,控訴人病院の医師らがEのくも膜
下出血を発見できなかったため,再度のくも膜下出血によって死亡したと
して,Eの遺族である被控訴人らが,控訴人に対し,診療契約上の債務
不履行及び不法行為(民法715条)に基づく損害賠償(逸失利益,慰謝
料,葬儀費用,弁護士費用及び本件不法行為の結果発生の日である平
成7年4月22日からの遅延損害金)を請求した事案であるが,原審が被
控訴人らの一部勝訴の判決を言い渡したので,これに不服がある控訴
人が控訴し,被控訴人らが附帯控訴したものである。
 なお,原判決は,控訴人病院の医師の過失を認めた(F医師が確定診
断をすべき義務に違反したとするもの)が,過失相殺(Eが腰椎穿刺を拒
否したことを考慮するもの)をして3割を減じており,被控訴人Aには196
9万余円,被控訴人B及び同Dにはそれぞれ792万余円といずれもこれ
らに対する遅延損害金の支払を求める限度で認容した。
1 争いのない事実
(1) 当事者
 被控訴人Aは,Eの夫であり,被控訴人B及び同Dは,被控訴人Aと
Eとの間の子である。
 控訴人は,愛知県春日井市上八田町6363番地に控訴人病院(春
日井市民病院)を設置している地方自治体であり,内科医のH医師,
内科医のI医師及び神経内科医のF医師(上記3名の医師を「控訴人
病院医師ら」ということがある。)は,後記のとおりEが控訴人病院にて
受診した当時控訴人病院に勤務していた者である。
(2) 事実経過
 ア Eは,平成7年4月20日午後9時ころ(以下,原則として「平成7年4
月」の記載は省略する。),激しい頭痛,悪心及び嘔吐を訴えて,控
訴人病院で受診し,控訴人との間で,Eの疾患を診断し,それを治
癒させるべく適切な診療行為を行うことを内容とする診療契約を締
結した。
 イ 当日の当直医であった内科医のH医師は,問診及び頭部CT検査
(コンピュータ断層撮影)を含む諸検査をし,鎮痛薬を処方するととも
に,翌日控訴人病院の内科へ受診することを勧めて,Eを帰宅させ
た。
   21日,Eは,控訴人病院において内科医のI医師に受診したところ,
I医師は,問診及び諸検査等の結果,神経内科医の判断を仰ぐこと
とした。そこで,Eは,神経内科医のF医師に受診したところ,F医師
は,問診等をし,腰椎穿刺検査(ルンバール)を勧めたものの,Eが
これを断ったことから,鎮痛薬等を処方し,Eを帰宅させた。
 ウ 22日,Eは,頭痛と吐き気のため,午前8時前に救急車で控訴人
病院に搬送されたが,くも膜下出血が生じたことが原因となって,同
日午前9時18分ころ死亡した。
2 争点
 (1) 本件診療における控訴人病院医師らの過失の有無(争点1)
 (控訴人病院医師らに,Eのくも膜下出血を確定診断すべき注意義務,又
はくも膜下出血を疑い,脳神経外科医に相談し,あるいは脳神経外科
に転科させるべき注意義務があったか否か)
(2) 控訴人病院医師らの過失とEの死亡との相当因果関係の有無(争点
2)
(3)過失相殺の有無(争点3)
 (4) 損害額(争点4)
3 争点に対する当事者の主張
 (1) 本件診療における控訴人病院医師らの過失の有無(争点1)
  ア 被控訴人らの主張
   (ア) Eの臨床症状について
a Eが,20日午後9時30分ころにH医師に訴えた主訴は,頭痛
であり,しかも,19日昼ころ突然発生し,「割れるような」これま
でに経験したことのない非常に強い痛みであり,嘔吐が数回あ
るとともに悪心を伴うというものであった。
    b 一般に,医師としては,患者が頭痛を訴える場合には,くも膜下出
血,脳腫瘍,髄膜炎等の緊急の処置が必要な重大な疾患を見
逃さないことが重要であるところ,患者が,夜間,救急外来をあ
えて受診するのは,その痛みが翌朝まで我慢できないものであ
るということを認識しなければならない。また,くも膜下出血の
典型的症状は,それまでに経験したことのないような激しい頭
痛が突然起き,吐き気や嘔吐を伴うものであるところ,Eの頭痛
は,その典型的症状を示しているものといえる。
      なお,髄膜炎は感染性疾患であるところ,Eにはその典型症状の
一つである発熱がなく,また,炎症反応を示すCRP(炎症所
見)の値も上昇していなかったのであるから,通常の髄膜炎に
ついては,これを否定することができたが,くも膜下出血の可能
性を否定することはできなかったものである。
   (イ) 本件CT写真について
 一般に,正常な頭部CT写真においては,脳底槽やシルビウス
裂,迂回槽等のくも膜下腔は脊髄液が存在しているため黒く描出
され(低吸収域),血液は脊髄液よりも多くX線を吸収することから
白く描出される(高吸収域)ところ,20日に撮影されたEの頭部C
T写真(乙3の1。以下「本件CT写真」という。)は,本来黒く描出さ
れるべき脳底槽やシルビウス裂,迂回槽が黒く写っておらず,い
ずれも白ないし灰色に描出されていて(高ないし等吸収域),くも
膜下腔に出血があることを示している。
(ウ) 控訴人病院医師らの過失について
a くも膜下出血の確定診断を下すべき注意義務
  控訴人病院医師らは,Eの臨床症状及び本件CT写真からくも
膜下出血の確定診断を下さなければならない注意義務があっ
た。
b脳神経外科医に相談し,くも膜下出血の除外診断をなすべき
注意義務
仮に控訴人病院医師らが自らEをくも膜下出血と診断すべき
注意義務があったとまではいえないとしても,臨床症状からくも
膜下出血が疑われる場合であって,くも膜下出血は放置する
と,初回出血から近い時期に死に至る再出血が起きる可能性
が高いので,くも膜下出血を完全に除外診断できるまで,常に
くも膜下出血の可能性を考えて診断にあたらなければならな
い。くも膜下出血を専門領域とするのは脳神経外科であり,控
訴人病院は脳神経外科を標榜する地域の中核公立総合病院
であるから,控訴人病院医師らは,脳神経外科医に相談する
注意義務があった。
c H医師の過失
  一般に,頭痛を主訴として救急外来を訪れる患者の中には,
生命を脅かし緊急処置を必要とする者も含まれていること,前
記Eの臨床症状及び本件CT写真の異常性から,くも膜下出血
を疑うべきであったところ,H医師は,くも膜下出血と疑うべきで
あったし,仮に自ら確定診断ができない場合であっても,くも膜
下出血を専門の診断領域とする脳神経外科医の診断に委ね,
あるいは相談をすべきであった。そもそも,自分の専門と異な
る疾患について,とりわけ緊急の対応を要求される重大な疾患
に関しては,断定的かつ最終的な判断をしてはならず,専門医
に相談することが不可欠である。H医師は,内科医でしかも研
修医という立場にあって,くも膜下出血が強く疑われるEを,脳
神経外科医に相談することなく,翌日内科へ受診するよう勧め
てEを帰宅させたことに,過失があることは明らかである。H医
師は,放射線科医に本件CT写真の読影を依頼しているが,控
訴人病院には放射線科医にCT写真の読影を緊急に依頼する
システムは整っていなかったのであり,翌日F医師がEの診察
をした昼頃までには,実際にEの診察にあたった医師の下に
は,放射線科医の読影結果報告書が届けられなかったのであ
るから,当直医として行うべきことを行ったとは到底評価でき
ず,腰椎穿刺検査実施のいかんを含めて,脳神経外科医に相
談すべき注意義務を尽くしていなかった。
  なお,控訴人病院では,いわゆるオンコール体制をとってい
て,連絡をすれば脳神経外科医が対応できるよう待機していた
のであり,相談等を容易にすることができたのであるから,H医
師が,脳神経外科医に相談する等のことをせず,Eの診察を終
了し,帰宅させたことに過失があることは明らかである。
      また,控訴人病院は,救急病院として告示されており,救急病院
とは,「救急医療について相当の知識及び経験を有する医師
が常時診療に従事していること。」がその認定基準とされてい
るのであるから(救急病院等を定める省令1条1号),仮に,20
日当日にH医師が脳神経外科医又は放射線科医に相談する
ことができなかったのであれば,控訴人病院の医療体制に問
題があり,そのことで控訴人が免責されるものではない。
d I医師の過失
  I医師は,前記Eの臨床症状,本件CT写真の異常性及び自ら
問診した結果,項部硬直等の所見を認めたのであるから,Eの
くも膜下出血を最も疑うべきであり,自ら確定診断ができない場
合であっても,脳神経外科医に相談等すべきであったが,これ
を怠ったもので,その注意義務違反は明らかである。
なお,I医師は,髄膜炎の可能性を疑っていたが,髄膜炎は感
染性疾患であることから,その基本的臨床症状は発熱であると
ころ,Eの体温は,36.7℃と発熱は認められず,また,炎症反
応を示すCRPの値も上昇していなかったのであるから,髄膜炎
の典型的症状はなく,くも膜下出血を否定すべき理由はなかっ
たものである。
e F医師の過失
  F医師についても,前記Eの臨床症状,本件CT写真の異常性
及び自ら問診した結果,項部硬直等の所見を認めたのである
から,くも膜下出血を疑うべきであり,脳神経外科医に相談等
をするべきであったが,これを怠ったものであり,その注意義務
違反は明らかである。
 なお,F医師は緊張性頭痛と判断しているが,緊張性頭痛は
いわゆる慢性頭痛の一種であるから,緊張性頭痛と判断する
ためには,患者が受診するまでの間,いつ頃からどのような頭
痛があったのかについて問診しなければならないのに,このよ
うな問診は行うことなく,安易に,Eの症状を,神経内科を受診
する頭痛患者のうち最も多いとされる緊張性頭痛であると判断
している。
      前記のとおり,Eの臨床症状及び本件CT写真から,控訴人病院
医師らは,自らくも膜下出血の確定診断をし,あるいは,脳神
経外科に相談すべきであった。しかるにF医師においては,そ
もそも実施する必要性がない上,くも膜下出血の確定診断のた
めに脳動脈瘤再破裂等の危険性を有する腰椎穿刺検査を実
施することはむしろ避けるべきであり,仮に腰椎穿刺を実施す
るのであれば,腰椎穿刺は脳動脈瘤の再破裂の危険性がある
のだから,脳神経外科医に相談した上で実施すべきところ,こ
れを怠った点でも過失のあることは明らかである。
  また,F医師は,脳に異常がないことを告げた上で,念のため
腰椎穿刺をすることを勧めたにすぎず,Eにおいて,腰椎穿刺
を実施するか否かについて自ら決定するに十分な説明はなさ
れておらず,F医師の説明義務が尽くされたとはいえない。した
がって,Eが腰椎穿刺の実施を断ったからといって,F医師の注
意義務が免除されることにはならない。
  イ 控訴人の主張
   (ア) Eの臨床症状について
     H医師は,20日の診察の際,項部硬直の有無を含めた神経学的
検査を行ったところ,いずれも異常はなかった。そして,頭痛がセ
デスGで軽快していること,Eは歩いて診察室に入り,話しぶりに
も異常が認められなかったことから,Eの臨床症状からくも膜下出
血を疑うことは不可能であった。
     21日においても,Eには,くも膜下出血の典型的臨床症状である神
経学的症状や血圧の上昇も認められなかった。したがって,Eの
臨床症状からくも膜下出血を疑うことは不可能であった。
     なお,吐き気,嘔吐を伴うそれまでに経験したことのないような激し
い頭痛,眼の奥の痛み,肩こりは,くも膜下出血だけに特有の症
状というわけではなく,緊張性頭痛,片頭痛,群発性頭痛,良性
頭蓋内圧亢進症,中耳炎・緑内障に伴う頭痛,副鼻腔炎に伴う頭
痛,髄膜炎等にも共通してみられる症状である。また,Eの「それ
までに経験したことのない激しい頭痛」との主訴は,主観によって
大きく異なるし,表現方法には個人差があることから,このような
主訴があったとしても,当然にくも膜下出血を疑うことはできな
い。
   (イ) 本件CT写真について
    a 本件CT写真においては,脳底槽,シルビウス裂及び迂回槽が,
周囲の白っぽいところに比べれば黒く写っているし,特にシル
ビウス裂は,低吸収域として描出されている。
      なお,本件CT写真上に,くも膜下腔の白っぽい部分があるが,そ
もそもCT写真は,何ミリメートルかの情報を1枚の写真に集約
したものであるところ,この部分は,灰白質(中枢神経系で神経
細胞の密集する部分)が集約された結果の映像(パーシャルボ
リューム)である可能性がある。また,一般に脳底部でよく見ら
れる,骨のアーチファクト(障害陰影のことをいい,頭部の動き
や頭蓋内の骨稜,突起,空気及び石灰化等が原因となること
が多い。)が写ることがあり,その結果白っぽくなっている可能
性も十分考えられる。さらに,本件CT写真上,脳溝が左右対称
に写っていないことからすると,被撮影者が撮影時に頭を動か
したことや,個体差であることも考えられる。
      したがって,本件CT写真上にくも膜下腔に高吸収域が認められ
るとはいえない。
    b なお,仮に,本件CT写真に高吸収域が認められるとしても,Eの
脳は,年齢の割に萎縮化が進行していないものといえるとこ
ろ,このような患者の場合,シルビウス裂等が黒色の低吸収域
として写らないことがあることから,何ら異常所見とはいえな
い。
      以上のことから,本件CT写真に異常は認められず,仮に,いわゆ
る正常画像と異なるものであったとしても,それはEの個体差に
基づくものであることから,控訴人病院医師らが,Eのくも膜下
出血を確定診断し,あるいはこれを疑うことは不可能である。
   (ウ) 控訴人病院医師らの過失について
 a 控訴人病院医師らの注意義務
  本件においては,控訴人病院医師らの注意義務の程度が問
題となるところ,医師個人の注意義務は,一律に絶対的な基準
として考えるべきものではなく,当該医師の置かれた諸条件を
考慮した相対的な基準として考えるべきものであり,脳神経外
科と内科・神経内科とでは,専門教育の差等から,脳神経外科
医であれば読み取れるくも膜下出血であっても,内科医や神経
内科医には読み取れない場合が生じ得る。また,脳神経外科
医に相談等をするべき注意義務について,その必要性の認識
可能性が,内科医・神経内科医においては,低いものといわざ
るを得ない。
  そこで,内科医・神経内科医である控訴人病院医師らの注意
義務を検討するに当たっては,各医師個人の置かれた諸条件
等から総合的に判断しなければならない。
    b H医師について
      H医師は,20日の時点において,Eの臨床症状に異常が認めら
れず,かつ,本件CT写真にも異常を認めなかったことから,緑
内障に伴う頭痛,群発性頭痛及び片頭痛の可能性を疑い,頭
痛薬であるセデスGを1グラム処方した上で,控訴人病院内の
ベッドで様子を見たところ,Eの頭痛が軽快したことから,さら
に,セデスGを1グラム処方し,翌日の内科の受診を勧めて帰
宅させたもので,何ら過失はない。
c I医師について
  I医師は,21日の診察において,Eが苦悶表情を示しているこ
と,項部硬直がわずかに感じられる状態に変化していたことか
ら,神経内科医であるF医師に診察を依頼することにしたもの
で,何ら過失はない。
d F医師について
 (a) F医師は,Eの話しぶりが普通ではっきりしており,各種の
脳神経テストにも特に異常を示す点はなかったこと,頭痛が
ひどいという主訴があることから,緊張性頭痛,片頭痛,群
発性頭痛,良性頭蓋内圧亢進症,中耳炎・緑内障に伴う頭
痛,副鼻腔炎に伴う頭痛,髄膜炎,くも膜下出血等を疑った
が,前日の頭痛がセデスGで軽快していること,Eの臨床症
状から,緊張性頭痛を最も強く疑ったもので,何ら過失はな
い。
  なお,F医師は,Eの項部硬直が「あるかないか」という程度
であったこと,CT写真が52歳という年齢を考慮したときに正
常とも異常とも言い難いものであると考えたことから,くも膜
下出血及び髄膜炎の可能性も否定することができなかった
ため,Eに対し,腰椎穿刺検査を勧めたところ,これを拒否さ
れたために実施できなかったものである。
       F医師は,Eに対し,くも膜下出血や髄膜炎のように緊急に治療
を要する疾患の疑いがあることを述べ,今までの所見ではこ
れを確定することはできないことから,診断を確定するため
には腰椎穿刺検査を行う必要があること,この検査は,腰の
脊髄腔に細い針を刺して脳脊髄液を採取して調べるもので
あること,針を刺す腰の部位に局所麻酔をしてから実施する
ため,それほど痛くないことなどを何度も説明したが,Eは,
「絶対いや,いや,絶対にいや。」などと述べてこれを拒否し
た。
  また,Eは,F医師の説明に対し,「痛み止めの注射はない
かね。」とか,「昨日もらった痛み止めが効いたからもっと欲し
い。」などと検査を避ける趣旨の言葉を述べ,決して検査を
受けようとはしなかった。
     (b) 腰椎穿刺検査は,検査による合併症や麻酔によるショックを起
こす危険を伴い,ときには,後遺症を残したり死亡事故を生
じることさえある危険性の高い検査であることから,患者本
人の同意なくして実施することはできない。本件において,F
医師は,腰椎穿刺検査の意義及びその重要性について十
分に説明したにもかかわらず,Eは,その実施を拒否したの
であるから,F医師としては,腰椎穿刺検査の実施を断念せ
ざるを得なかった。
  そもそも医療は,医師と患者の協同作業であるから,医療
目的を達するためには患者の協力が不可欠であって,医療
行為における患者側の過失が顕著な場合には,単なる過失
相殺の問題にとどまらず,医師の責任を否定する要素とな
る。
  したがって,Eの腰椎穿刺拒否によって,確定診断に決定的
な影響を及ぼしたのであるから,F医師には,何らの注意義
務違反もないことになる。
    e 以上のことに加えて,本件において,放射線科医による本件CT写
真の読影が行われたのは,控訴人病院医師らの診察が終了し
た後であり,控訴人病院医師らは,その読影の結果を確認する
ことなく診察に当たらざるを得なかったことをも考慮に入れる
と,控訴人病院医師らに,本件症例からくも膜下出血を疑うこと
はできなかったものといわざるを得ず,また,脳神経外科医に
相談等をするべき注意義務は存在しなかったものといえる。
fなお,原判決は,F医師において腰椎穿刺の実施を拒否したEに検
査の必要性を説いてその実施を説得しなかったことが診察に
あたった医師としての義務違反にあたるとするが,この考え方
は,Eの明示した腰椎穿刺検査拒否の意思(これは患者の権
利とされる自己決定権の行使である)を排除して,F医師が診
察室を退出したEを追いかけて腰椎穿刺検査を受けるように重
ねて執拗に説得しない限り責任を免れないことになるが,これ
では,診療を担当する医師に不可能な事柄を求め,診療現場
を無視したもので不当である。
(2) 控訴人病院医師らの過失とEの死亡との相当因果関係の有無(争点
2)
ア被控訴人らの主張
くも膜下出血は,その重症度が軽い場合,早期手術の絶対的適応が
あるとされ,患者の術前状態が良好なほど,手術成績は良好となる
のであって,控訴人病院医師らがくも膜下出血と診断できなくても,
脳神経外科医に相談していれば,臨床症状と本件CT写真からくも
膜下出血と診断され,その後手術を受けて良好な予後を得たもので
あり,控訴人病院医師らの過失とEの死亡との間に相当因果関係
があることは明らかである。
イ控訴人の主張
仮に控訴人病院医師ら3名のうちのいずれかに過失があったとして
も,F医師が実施を試みた腰椎穿刺検査が行われれば,4月21日
中にくも膜下出血との確定診断がなされ,脳神経外科医に引き継が
れ,血管撮影と手術治療が進められたはずであり,発症3日以内に
手術ができれば術後良好な予後措置を取ることができた蓋然性が
極めて高いのである。すると,Eの協力義務違反という予期せぬ事
態から生じた死の結果まで相当因果関係を認めることはできない。
(3)過失相殺の有無(争点3)
ア 控訴人の主張
Eが頑なに腰椎穿刺検査の実施を拒絶し,その結果くも膜下出血との
確定診断に達することができずに死の結果を生じたことを考慮して,
過失相殺がなされるべきである。
イ 被控訴人らの主張
前記のとおり,F医師は,脳に異常がないことを告げた上で,念のた
め腰椎穿刺検査をすることを勧めたにすぎず,Eにおいて,腰椎穿
刺検査を実施するか否かについて自ら決定するに十分な説明は
なされていないのであるから,これをもって過失相殺することは不
当である。
 (4) 損害額(争点4)
  ア 被控訴人らの主張
   (ア) 逸失利益    2644万8000円
     Eは,死亡当時52歳であり,67歳に達するまでの15年間は家事
労働に従事することが可能であり,その家事労働は,女子労働者
平均賃金額に等しいものと評価される。
     したがって,毎年の年収額を344万0800円(賃金センサス平成7
年第1巻第1表産業計,企業規模計,学歴計,52歳女子の平均
賃金)とし,生活費として3割を減じ,中間利息をホフマン方式によ
り控除して逸失利益の現価を算出すると,
      3,440,800×10.981×(1-0.3)=26,448,397
    であるところ,1000円未満を切り捨てて,2644万8000円となる。
     被控訴人Aは,同金額の2分の1にあたる1322万4000円,被控
訴人B及び同Dは,各4分の1にあたる661万2000円の損害賠
償請求権をそれぞれ相続した。
   (イ) 慰謝料     2600万円
     被控訴人Aは最愛の妻を,被控訴人B及び同Dは最愛の母親を失
ったものであり,その精神的苦痛は計り知れず,これを金銭評価
すると,被控訴人Aは1300万円,被控訴人B及び同Dは各650
万円を下らない。
   (ウ) 葬儀費用     130万円
     被控訴人Aは,Eの葬儀を行ったが,控訴人の債務不履行又は不
法行為と相当因果関係のある葬儀費用は,130万円である。
   (エ) 弁護士費用    400万円
     被控訴人らは,被控訴人ら代理人らに本訴提起及び訴訟追行を委
任したが,本件医療事故と相当因果関係のある弁護士費用は,4
00万円をもって相当とする。なお,弁護士費用を実際に負担する
のは被控訴人Aであるから,これについては,被控訴人Aの損害
として主張する。
  イ 控訴人の主張
    全て争う。
第4 争点に対する判断
1 控訴人病院における診療経過
  前記争いのない事実,証拠(乙1,乙4,乙17ないし19,原審証人H,
同I,同F)及び弁論の全趣旨によると,以下の事実を認めることができ
る。
 (1) Eは,19日昼ころ,激しい頭痛,悪心及び嘔吐が生じたことから,20
日午後9時30分ころ,控訴人病院において受診した。
(2) 当日の当直医であった一般内科医であるH医師の問診に対し,E
は,前日の昼ころから,頭全体,眼の奥及び後頭部が割れるように痛
いこと,痛みは持続的であり非拍動性であること,今まで経験したこと
のないような痛みであること,悪心があり嘔吐も数回あったことを告げ
た。H医師は,最近の視野異常,めまい,複視,手足のしびれ,脱力,
咳,鼻汁,最近の頭部打撲等について尋ねたところ,Eはめまいにつ
いては最初あったと答えたものの,その他については該当がない旨応
答した。また,Eの意識は清明で,独歩可能な状態であった。
  H医師は,脳神経所見を採るため,Eに対し,視野(指で視野の範囲
を測定する。),対光反射(患者の瞳孔をライトで照らして瞳孔の反応
をみる。),外眼運動(患者に眼を動かしてもらいその動きをみる。),
顔面の運動感覚(目をつぶる,眉を上げる,額にしわを寄せる等の動
作をしてもらいその動きをみる。),聴力,軟口蓋挙上(異常があるとき
は左右バランスよく上がらないことがある。),舌運動,四肢・徒手筋力
テスト(患者の手足をつかんで抵抗力を量るもの。),感覚(指や筆で
患者に触れて,患者が普通に感じるか,感覚があるか否かをみる。),
ハンマーで行う腱の検査,バビンスキーテスト(患者の足の裏を金属で
こすって反応をみるテスト),指鼻テスト・かかとひざテスト(患者に指で
鼻を指したり,膝にかかとをあてることをしてもらいそれをみる。)及び
項部硬直についての検査(仰向けになった状態で患者の首の後ろを
両手の全指で支えてゆっくり上げて項部の状態をみる。)を行ったが,
いずれも異常がなかった。また,体温は,36.7度,脈拍は60,血圧
は150/80mmHgでほぼ正常であった。
  H医師は,上記診察の結果疑われる疾患は多数(片頭痛,緑内障,
群発性頭痛,副鼻腔炎,髄膜炎,くも膜下出血,脳腫瘍等の疾患が考
えられた。)あり,さらに頭部CT検査と血液検査を実施することとした。
血液検査の結果,白血球数は10.2×1000とやや増加しているもの
の異常を認めず,CRPが0.6mg/dlと正常範囲内で重症の髄膜炎
等の細菌感染は考えにくいと判断し,また,Eの頭部CT検査を行った
ところ,本件CT写真に異常を認めなかったので,明らかな脳出血,脳
腫瘍,くも膜下出血は対象疾患から除外した。また,Eに鎮痛剤である
セデスGを内服させた上,しばらく様子をみたところ,症状が軽快したこ
とから,H医師は,重症な病気ではないと判断し,緑内障に伴う頭痛,
群発性頭痛及び片頭痛の可能性を疑った。
  H医師は,Eに対し,脳に異常はない旨説明し,再度,セデスGを処方
するとともに,翌日内科を受診すること,何か変わったことがあったら
来院するように勧めて,同日午後11時30分ころ,帰宅させた。なお,
H医師は,放射線科の医師に本件CT写真の読影を依頼しているが,
放射線科の医師は翌21日に読影して報告書をF医師に提出している
ので,H医師はEの死亡までにこれを受け取っていない。
(3) 21日,Eは,控訴人病院内科を受診し,一般内科医であるI医師の
診察を受けた。I医師は,前日のカルテの記載を確認し,本件CT写真
を読影したが,異常とは認めなかった。
  Eは,頭痛を訴え,苦悶表情をしていたが,セデスは効いている(5時
間くらいは効く),寝ていると楽だが座っていると痛い旨述べ,血圧は1
20/70mmHg,脈拍は18×4/mでほぼ正常であり,独歩してい
た。I医師は,咽頭,心雑音,肺のラ音,リンパ節,腹部,脳神経の各所
見をとったが,項部硬直があるかないかという程度であることを確認し
たほかは,異常を認めなかった。なお,21日にも血液検査が実施され
ているが,報告は翌22日になされている。
 I医師は,項部硬直が弱陽性であること,頭痛が48時間以上継続し
ていることなど,髄膜炎,特にウイルス性髄膜炎をはじめとする器質的
疾患がある症候性頭痛を疑ったが,発熱がなく20日の血液検査の結
果も異常がなかったこと,寝ていると痛くないが座っていると痛いとし
て,通常,髄膜炎に伴う主訴とは逆の主訴をしていることから確定診
断を下すことができなかったが,控訴人病院で髄膜炎に対する治療を
担当する神経内科医による診察が必要であると考え,神経内科のF医
師に直接Eの診療を引き継いだが,その際腰椎穿刺による髄液検査
を行うことを依頼してはいない。なお,くも膜下出血については,本件C
T写真の読影から否定的な見解であった。
(4) 神経内科医であるF医師は,カルテの記載を確認し,本件CT写真を
読影して,脳溝が同年代の人に比べると狭いとの印象を持ち,全体的
に浮腫状であると評価し,Eの52歳という年齢からすると,正常とも異
常とも言い難いと判断し,突然発生した痛みではなく,非拍動性の痛
みであること,来院までかなりの時間が経過していること,セデスで症
状が軽快していることから,片頭痛,緊張性頭痛,緑内障等を疑った。
  Eは,F医師に対し,19日午後2時ころふらっとした感じがあってそれ
から頭痛が出てきたこと,今までになかった「ぐーっとおさえられるよう
な」頭痛が継続していること,吐き気があること,肩こりのあること,セ
デスを服用したら効果があったことを告げた。
  F医師は,精神状態(意識,精神,見当識),言語,脳神経(瞳孔,対
光反応,眼球運動,眼振,振戦,舌出),運動(筋トーヌス。筋肉の緊
張をみるもの。)の各所見をとったところ,いずれも異常がなく,項部硬
直は,前後方向にあるかないかの程度で左右方向にはなく,ケルニッ
ヒ徴候(仰臥位で患者の下肢を伸ばしたまま被動的に上に挙げて躯幹
に近づけると,痛みのため顔をしかめ反射的に下肢が膝関節で屈折
する現象)も認められなかった。
 F医師は,診察の結果,特に頭痛が突然発生したのではないこと,緊
張性頭痛の患者がよく訴える,ぐーっと押さえられるような頭痛との訴
えがあったこと,セデスが効いたとのこと,神経系に異常が認められ
ず,緊張性頭痛の場合にも項部硬直を感じることがあること,Eの話し
ぶりが明確で,独歩していたことから,一番考えられるのは肩こりから
くる緊張性頭痛であったが,本件CT写真からEの脳が浮腫状であるこ
と,項部硬直の疑いがあること,体温36.7度,白血球数10.2×10
00及びCRP0.6mg/dlから軽度の炎症が疑われたことから,髄膜
炎やくも膜下出血等の可能性も考えられるので,Eに対して,腰椎穿
刺による髄液検査を勧めてみたが,Eはこれを拒否した。
 そこで,F医師は,緊張性頭痛を最も疑い,精神安定剤(セルシン)の
筋注射をし,総合感冒薬(PL),抗生剤(メイアクト),筋弛緩剤(ミオナ
ール),頭痛剤(セデス)及びはり薬の鎮痛薬(ゼラップ)を5日分処方
し,次回の診察を翌週の火曜日である25日午前9時と予約させて,E
を帰宅させた。
(5) 22日,Eは,頭痛と吐き気のため,救急車で午前8時前に控訴人病
院に搬送されたが,再度の脳動脈瘤の破裂発作に伴い,くも膜下出血
が生じたことが原因となって,同日午前9時18分ころ死亡した。
2 くも膜下出血の一般的知見について
  証拠(甲1ないし3,甲7,8,10,甲14及び15,甲21,49の1,50,乙
20,原審証人J,当審証人K,原審鑑定の結果)によれば,以下の事実
が認められる。
(1) 患者が,頭痛を訴えるとき,様々な疾患が予想される。その内,くも
膜下出血は,一般的には,くも膜下腔に病変があり,直接くも膜下腔に
出血した場合をいい,外傷性と非外傷性(特発性)に大別され,非外傷
性くも膜下出血のうち最も多く,最も重要なのは脳動脈瘤からの出血
である。そして,脳動脈瘤によるくも膜下出血は,50歳代を中心として
40歳代から60歳代に好発する。40歳代までは男性に多く,それ以後
は女性に多い傾向がある。
 くも膜下出血を専門の診断領域とするのは脳神経外科医である。
(2) くも膜下出血の特徴的な臨床症状は,突発性の今まで経験したこと
のないような激しい頭痛であり,一過性に意識消失を伴うこともある。
項部痛や出血により脳髄膜刺激症状としての項部硬直,ケルニッヒ徴
候も高率に認められ,嘔気,嘔吐を伴うことがある。
 くも膜下出血の臨床症状の程度については,ハントとヘスによる重症
度分類によって,分類・理解されることが多く,グレード1は意識清明で
神経症候がないもの,また,あってもせいぜい軽微な頭痛や軽度の項
部硬直程度のもの,グレード2は意識清明で,中等度ないし強度の頭
痛や項部硬直はあるが,脳神経麻痺以外の神経徴候はないもの,グ
レード3は傾眠,錯乱程度の意識障害のあるもの,又は,軽度な巣症
候のあるもの,グレード4は昏迷程度の意識障害,中程度ないし強度
の片麻痺,ときに除脳硬直及び自律神経障害の初期症候を示すも
の,グレード5は深昏睡,除脳硬直,瀕死状態のものをいい,重症な全
身疾患がある場合,強い血管攣縮があるときは,グレードを1つ悪い
方に下げるとされている。
 典型的な場合はくも膜下出血の診断はさほど困難ではないが,頭痛
のみを訴える軽度の場合などは,他の疾患との鑑別診断に困難を伴
う。
(3) くも膜下出血の鑑別のための第一選択の検査は,CT検査であり,
出血が高吸収域として造影されることにより,確定診断が可能である。
髄液検査は,これにより血性髄液が証明された場合も,確定診断が可
能となるが,急激に髄液圧を変動させると,動脈瘤からの再出血や小
脳扁桃ヘルニアを誘発するなどの副作用があることなどから,くも膜下
出血が疑われてもCT検査が困難な場合やCT写真上異常が明らかで
ない場合に実施される。
(4) 脳動脈瘤破裂は,保存的治療では,多くは再出血発作を繰り返し,
発作は再出血のたびに重篤となり死に至るため,再出血を防ぎ,脳血
管攣縮を防ぐため,早期の根治手術(脳動脈瘤柄部のクリッピング)が
必要である。
 脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血は,その症状が軽い場合,早期手
術の絶対的適応があるとされ,患者の術前状態が良好なほど,手術
成績は良好である。
3 本件診療における控訴人病院医師らの過失の有無(争点1)
 (1) Eの臨床症状について
   前記1のとおり,20日のEの臨床症状は,19日昼ころから,割れるよ
うな痛みを伴う頭痛,すなわち,突然,それまでに経験したことのなか
った激しい頭痛を感じるものであること,その痛みは持続的,非拍動性
のものであること,吐き気・嘔吐を伴っていたことが認められ,軽度のく
も膜下出血における特徴的な臨床症状を示していたものと認めること
ができる。また,21日のEの臨床症状は,上記症状に加えて,項部硬
直の疑いという神経学的異常が認められることから,くも膜下出血の
特徴的な症状をより示していたものと認めることができる。
   ところで,控訴人は,Eが,独歩可能な状態にあったこと,意識が清明
であったこと,20日には項部硬直や,ケルニッヒ徴候等の髄膜刺激症
状(神経学的異常)がなかったこと,血圧が正常であったこと,鎮痛剤
の服用で症状が軽快したことなどを指摘しているが,これらは,くも膜
下出血の症状と相容れないものではないことから,Eの臨床症状が,く
も膜下出血の典型的症状を示していることに変わりはない。
 (2) 本件CT写真について
  ア 証拠(乙2の1,乙3の1)によると,本件CT写真において,脳底槽,
シルビウス裂及び迂回槽は,灰色ないし白色の「等ないし高吸収
域」として描出されていること,脳溝の一部が白色の「高吸収域」とし
て描出されていることが認められる。
    ところで,証拠(甲8,乙2の1,乙3の1,20,原審証人J,原審鑑定
の結果)によれば,正常な頭部CT写真においては,脳底槽やシル
ビウス裂,迂回槽等のくも膜下腔は,脊髄液が存在しているため低
吸収域として黒く描出され,出血部位は高吸収域として白く描出され
ることが認められるところ,脳神経外科医であるJ医師は,原審鑑定
の結果(以下「J鑑定」という。)及び証言において,本件CT写真で
は,脳底槽,シルビウス裂,迂回槽が等吸収域ないしやや高吸収域
を呈し,脳溝の一部が明らかな高吸収域を呈していることから,本
件CT写真では,明らかに異常を示していることが認められ,脳外科
医であれば経験が比較的豊富ではない医師でも異常を判断できる
程度のものであって,くも膜下腔に生じた病変,すなわち,くも膜下
出血,髄膜炎,特殊なものでは脳炎や悪性腫瘍の髄膜播種などの
可能性が疑われるとしている。
 また,脳神経外科医であるM医師は,鑑定意見書(甲8)におい
て,本件CT写真では,右のシルビウス裂に軽度の高吸収域が写っ
ていることを読み取ることができ,脳表面の脳溝も通常の低吸収域
が認められず等吸収域となっていることを認めて,正常な画像では
なく,くも膜下出血を疑わせる画像であったとしていること,脳神経
外科医であるN医師は,意見書(乙20)において,本件CT写真に,
くも膜下出血を疑わせるもの,すなわち,右のシルビウス裂に軽度
の高吸収域と脳表の脳溝が明らかでなく高吸収域も認められる所
見があるとしていること,E死亡前の21日に本件CT写真を読影した
控訴人病院放射線科医のO医師の報告書(乙1・33頁添付)におい
ても,「右シルビウス裂に高吸収域?? 不確かな所見ですがくも膜
下出血の否定はむつかしいです」旨の記載があって,本件CT写真
上,Eの右シルビウス裂に高吸収域が疑われ,くも膜下出血の否定
は困難であるとの結論が出されていることがそれぞれ認められる。
 以上のことから,本件CT写真は,くも膜下出血の病変を表してい
るものと認められる。
イ 控訴人は,脳底槽やシルビウス裂,迂回槽等がいずれも白ないし
灰色に描出されてはいないこと(脳質と同様に描出されてい
る。),シルビウス裂に左右の明度の差はないこと,本件CT写真
でくも膜下腔が白っぽく描出されているのは,アーチファクトやパ
ーシャルボリュームの影響によるか,写真の条件・性質が異なる
ための明度の差異の範囲内のものであることなどを指摘して,本
件CT写真は正常なものであることを主張したり,あるいは,そも
そも頭部CT写真はそれぞれの個体によって正常像が異なるもの
であるところ,本件CT写真においては,シルビウス裂,迂回槽及
びトルコ鞍等が黒い低吸収域に写し出されていないものの,これ
は,あくまでも個体差にすぎず,正常な画像であると主張する。
     しかし,前記のとおりCT写真の読解に経験豊富な医師ら(J医師,
M医師,N医師,O医師)は,いずれも本件CT写真は,正常な画
像ではなく異常を認めることができるとしており,控訴人の上記主
張はいずれも採用できない。
(3) 控訴人病院医師らの注意義務について
 ア 前記2の事実及び証拠(甲1ないし3,21,原審証人J,原審鑑定の
結果)によれば,くも膜下出血は,生死にかかわり,緊急な対応が要
求される疾患であり,また,くも膜下出血についての知見は,文献等
において十分に紹介されている一般的なものであることが認められ
ることから,脳神経外科医に限らず,医師は,患者の診察に当たっ
て,くも膜下出血の鑑別について十分な注意義務を果たさなければ
ならないことは当然の責務であって,本件においても,控訴人病院
医師らは,Eの症状や本件CT写真から,Eがくも膜下出血であると
確定診断をすることができなかったか否かが問題となる。
  イ ところで,くも膜下出血の鑑別診断においては,患者の訴える主訴
が重要であるところ,控訴人は,患者の訴える内容には主観的な要
素が多分に含まれており,Eの主訴から明らかにされた臨床症状の
みからは,くも膜下出血を鑑別することは困難である旨を主張する。
 確かに,証拠(乙7の1)によると,患者の頭痛の程度に関する主
訴には主観的な要素が大きく,それを鵜呑みにしていては正確な診
断をすることができないとされていることが認められるが,他方で,
証拠(甲2,3,22,23,原審証人J)によると,急性あるいは亜急性
頭痛として発症するものは,くも膜下出血,脳出血,髄膜炎など頭蓋
内外の器質性疾患に基づくものが少なくなく,特にくも膜下出血は神
経学的な異常所見を得られないので,頭痛と嘔吐が共通する所見
として重要であって,今までなかったような激しい頭痛という患者の
主訴が,鑑別診断のためには重要な資料となり,これを十分にふま
えた上で診断をしなければならないとされていることが認められるの
であり,患者の訴える主訴を軽視することはできないものである。
ウ 前記(2)認定のとおり,本件CT写真は,くも膜下出血の病変を描出
したものであるが,一方で,証拠(原審証人J,原審鑑定の結果)に
よれば,本件CT写真は,くも膜下出血発症直後の,高吸収域がくも
膜下腔に広がっていることを示した典型的なものではなく,出血量
が少なく,出血後やや時間が経過して血液が流された後のものであ
ると認められることから,本件CT写真がくも膜下出血の典型的な状
態を描出しているものとまではいえないものであったと認められると
ころ,脳外科医であれば経験が比較的豊富ではない医師でも異常
を判断できる程度のものであっても,脳神経外科以外の医師にとっ
ては,くも膜下出血であるとの鑑別をすることは容易ではないことも
ありうるから,本件CT写真の異常性を読影することが可能であった
か問題となる。
    そして,証拠(原審証人J)によると,くも膜下出血の症例を専門として
扱っている脳神経外科医は,他の専門科目の医師に比べて,CT写
真等からくも膜下出血の鑑別診断を行うことに関しては訓練を受
け,日常扱うCT写真の読影の機会等が他の専門科目の医師よりも
格段に多いことが認められることに照らすと,くも膜下出血の鑑別診
断に関して,脳神経外科以外の医師に脳神経外科医と同程度の能
力を要求することはできない点も考慮すべきであると言うことができ
る。
エ(ア) H医師について
   H医師は一般内科医であり,くも膜下出血について日常的に取り
扱ってはおらず,くも膜下出血の鑑別診断についての経験は必ず
しも十分であったとはいえないところ,前記1(2)認定のとおり,自
らは,本件CT写真からは異常を認めることができていない。
   ところで,本件において,Eには,くも膜下出血を疑うべき臨床症
状が認められるが,直ちにくも膜下出血と断定することのできない
臨床症状も存在したものであり,また,本件CT写真はくも膜下出
血等の病変を表すものであったことから,脳神経外科医であれば
くも膜下出血の確定診断が可能であったといえるが,Eのくも膜下
出血は軽度で発症から時間を経過した後の受診であったため,く
も膜下出血が専門的診断分野ではないH医師が,本件CT写真
から出血を読み取ることは困難であったことから,Eがくも膜下出
血であるとの確定診断に達しなかったこと自体はやむを得なかっ
たともいいうる。
   しかし,H医師が本件CT写真からはEがくも膜下出血であるとの
確定診断ができなかったとしても,本件CT写真が正常なものでは
なく,明らかな異常があり,脳外科医であれば経験が比較的豊富
ではない医師でも異常を判断できる程度のものであって,Eの臨
床症状からはくも膜下出血が疑われる典型的な症状が認めら
れ,くも膜下出血が放置すれば死亡する危険があり早期に手術
をする必要性が高いものであることを十分念頭において考えれ
ば,H医師は,くも膜下出血を専門領域とする脳神経外科医に相
談すべきであり,しかも控訴人病院としては当直医が脳神経外科
医と直ちに連絡をとることができる態勢をとっていたのであるか
ら,当直医であるH医師は容易に連絡して脳神経外科医に相談
することが可能であったというべきであったから,このような措置
を執らなかった点に,過失があったといわざるを得ない。
 (イ) I医師について
  I医師は一般内科医であるが,H医師の診察及び自らの診察に
より判明するEの臨床症状からは,くも膜下出血が疑われる上,
本件CT写真からくも膜下出血との確定診断ができなかったとして
も,H医師と同様に,くも膜下出血を専門領域とする脳神経外科
医に連絡をとって,本件CT写真の読影を依頼するなどの措置を
講ずることができたにもかかわらず,神経内科医のF医師に引き
継いだものであるが,この措置は一般内科医の措置として相当で
あると評価することができず,過失があったと認められる。
(ウ) F医師について
  前記事実及び証拠(原審証人F)によれば,F医師は,I医師から
直接Eの診察を依頼されたものであるが,F医師は,主に神経の
疾患(パーキンソン病,脊髄小脳変性症等)を扱う神経内科医で
あり,くも膜下出血を専門的に扱うものではないが,CT写真等の
読影は日常的に行っていて,くも膜下出血の発見も幾度となく経
験していることを認めることができる。
  そして,前記1(3)認定のとおり,F医師は,H医師及びI医師の診
療録を検討し,自らもEを診察し,Eの項部硬直を確認し,さらに,
本件CT写真を読影し,脳が浮腫状であると認めたものであるとこ
ろ,脳が浮腫状である場合は,髄膜炎,髄膜脳炎,水頭症,脳梗
塞等のほかくも膜下出血も考えられるのであるから,臨床症状や
受診経過に照らせば,くも膜下出血を疑うことが十分可能であっ
たにもかかわらず,緊張性頭痛を最も疑い,否定すべき根拠もな
いのに,くも膜下出血を十分念頭において診察治療にあたらなか
ったことには問題があるといわざるをえない。CT写真の読影につ
いては相当程度の経験があるF医師が,本件CT写真の読影によ
ってくも膜下出血を疑うことが難しかったことを認めるに足りるだ
けの証拠は乏しく,仮にくも膜下出血との確定診断ができなくと
も,くも膜下出血を疑ってこれを専門領域とする脳神経外科医に
連絡をとって,本件CT写真の読影を依頼するなどの措置を講ず
るべきであったといわざるを得ない。
オ以上によれば,控訴人病院医師ら各人について過失を認めること
ができる。
4 控訴人病院医師らの過失とEの死亡との相当因果関係の有無(争点2)
 (1)H医師については,20日の時点において,当直医としてEの本件CT
写真の読影を脳神経外科医に依頼することにより,直ちに連絡をとる
ことができる態勢にあった脳神経外科医が,本件CT写真を見てくも膜
下出血を確定診断し,直ちに脳血管撮影を行って手術を実施すること
によって,軽症であったEの再出血を防ぎ,良好な予後措置を取ってE
の死亡を避けることができたと考えられるから,H医師の過失とEの死
亡との間に相当因果関係を認めることができる。
(2)I医師及びF医師については,いずれも21日の時点で,Eの本件CT写
真の読影を脳神経外科医に依頼することにより,依頼を受けた脳神経
外科医が,上記と同様に,本件CT写真を見てくも膜下出血を確定診
断し,直ちに外科手術を実施することによって,軽症であったEの再出
血を防ぎ,良好な予後措置を取ってEの死亡を避けることができたと考
えられるから,両医師の過失とEの死亡との間に相当因果関係を認め
ることができる。
(3) 控訴人は,仮に控訴人病院医師ら3名のうちのいずれかに過失があ
ったとしても,F医師が実施を試みた腰椎穿刺検査が行われれば,4
月21日中にくも膜下出血との確定診断がなされ,脳神経外科医に引
き継がれ,血管撮影と手術治療が進められたはずであり,発症3日以
内に手術ができれば術後良好な予後措置を取ることができた蓋然性
が極めて高いとして,Eの協力義務違反という予期せぬ事態から生じ
た死の結果まで相当因果関係を認めることはできない旨を主張するけ
れども,前記のとおり,F医師は,脳に異常がないことを告げた上で,
念のため腰椎穿刺をすることを勧めたにすぎず,Eにおいて,腰椎穿
刺を実施するか否かについて自ら決定するに十分な説明はなされて
いないのであるから,上記因果関係に影響を及ぼすものではない。
5 過失相殺の有無(争点3)
控訴人は,Eが頑なに腰椎穿刺検査の実施を拒絶し,その結果くも膜
下出血との確定診断に達することができずに死の結果を生じたことを考
慮して,過失相殺がなされるべきであると主張するが,前記のとおり,F
医師は,脳に異常がないことを告げた上で,念のため腰椎穿刺検査をす
ることを勧めたにすぎず,Eにおいて,腰椎穿刺検査を実施するか否か
について自ら決定するに十分な説明はなされていないのであるから,こ
れをもって過失相殺することは相当ではない。
6 損害額(争点4)
 (1) 被控訴人らの損害
  ア 逸失利益
    Eは,死亡当時52歳であり,67歳に達するまでの15年間は家事労
働に従事することが可能であり,その家事労働は,女子労働者の平
均賃金額に等しいものと評価されるところ,Eの年収額は,348万2
000円と評価され(賃金センサス平成7年第1巻第1表産業計,企
業規模計,学歴計,52歳の平均賃金)とし,生活費として3割を減
じ,中間利息をライプニッツ方式により控除して金額を算出すると,
    3,482,000×10.3796×(1-0.3)=25,299,237
 となり,逸失利益は2529万9000円(千円未満切り捨て)となるとこ
ろ,被控訴人Aは,同金額の2分の1に当たる1264万9500円,原
告B及び同Dは,各4分の1に当たる632万4750円をそれぞれ相
続したものと認められる。
  イ 慰謝料
    被控訴人らが,Eの死亡によって受けた精神的苦痛は計り知れない
ものがあると認められるところ,本件口頭弁論において明らかになっ
た一切の事情を斟酌すると,被控訴人らの慰謝料としては,被控訴
人Aが1000万円,同B及び同Dが各500万円とするのが相当であ
る。
  ウ 葬儀費用
    被控訴人Aは,Eの葬儀を行い,その費用を負担したものと認められ
るところ,本件不法行為と相当因果関係がある葬儀費用としては10
0万円が相当である。
 (2) 弁護士費用
   被控訴人らは,被控訴人ら代理人らに本訴提起及び訴訟追行を委任
し,被控訴人Aが,実際の弁護士費用の負担をしたものと考えられると
ころ,控訴人の債務不履行及び不法行為と相当因果関係のある弁護
士費用としては,300万円が相当である。
7 結論
以上のとおりであって,被控訴人らの請求は,控訴人に対し,被控訴
人Aについて2664万9500円,同B及び同Dについてそれぞれ1132
万4750円及びこれらに対する本件不法行為の結果発生の日である平
成7年4月22日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延
損害金の支払を求める限度で理由がある。すると,本件控訴は理由がな
いから棄却し,本件附帯控訴については上記限度で理由があるから原
判決を上記のとおり変更することとし,主文のとおり判決する。
名古屋高等裁判所民事第4部
  裁判長裁判官 小   川   克   介
  裁判官 黒   岩   巳   敏
     裁判官 鬼   頭   清   貴

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