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平成17年5月10日宣告
平成14年(わ)第194号,第197号,第222号 殺人被告事件
判       決
被告人      甲
主       文
被告人は,本件各公訴事実について,いずれも無罪。
理       由
第1 公訴事実
 本件各公訴事実は,以下のとおりである。
1 平成14年7月2日付け起訴状記載の公訴事実
 被告人は,平成元年1月25日午後8時ころから午後9時ころまでの間に,佐賀県
杵島郡北方町大字β地内の路上に停車中の軽四輪貨物自動車(佐賀40せ373
5)内において,同乗中のX(当時37歳)に対し,殺意をもって,その頸部等を手で
絞めるなどし,よって,そのころ,同所において,同女を窒息死させて殺害したもの
である。
2 平成14年7月7日付け起訴状記載の公訴事実
 被告人は,昭和62年7月8日午後10時ころから午後11時ころまでの間に,佐賀
県杵島郡北方町大字γ地内の路上に停車中の普通乗用自動車(佐賀56ひ510
7)内において,同乗中のY(当時48歳)に対し,殺意をもって,その頸部を手で絞
めるなどし,よって,そのころ,同所において,同女を窒息死させて殺害したもので
ある。
3 平成14年7月30日付け起訴状記載の公訴事実
 被告人は,昭和63年12月7日午後8時ころ,佐賀県杵島郡北方町大字β地内
の路上に停車中の軽四輪貨物自動車(佐賀40せ3735)内において,同乗中のZ
(当時50歳)に対し,殺意をもって,その頸部を手で絞めるなどし,よって,そのこ
ろ,同所において,同女を窒息死させて殺害したものである。
第2 当事者双方の主張及び本件の争点等
 被告人は,上記の各公訴事実について,いずれも自らの関与を否認し,第1の1
記載のXに係る事実については,当時,Xと交際していたものの,同記載の日時に
は知人と会うなどしており,Xとは会っていない旨述べ,第1の2記載のY及び第1
の3記載のZとはいずれも面識がない旨述べ,弁護人も,いずれの公訴事実につ
いても被告人は犯人ではなく無罪であると主張するほか,本件各公訴提起は公訴
権を濫用したもので違法である旨も主張する。
 これに対して,検察官は,被告人のアリバイ主張は虚偽であって,関係各証拠か
ら認められる客観的事実により,被告人がX,Y及びZを殺害した犯人であると優に
認定することができる旨主張する。
 本件において,各犯行と被告人とを直接結びつける証拠としては,平成元年10
月から同年11月にかけて被告人が別件の覚せい剤取締法違反事件に関し佐賀
県大町警察署留置場に起訴後勾留されていた際に取調べを受けて作成された,X
らの殺害を認める旨の自白(上申書・供述調書)以外に証拠が存在しないところ,
当裁判所は平成16年9月16日付け証拠決定において,上記上申書等を証拠とし
て採用しない旨決定していることから,上記上申書等(平成元年当時の取調官らの
当公判廷における供述中に現れた被告人の自白等も含む。)以外の関係各証拠
及びそれから推認される間接事実を総合することによってXらの死亡が他者の殺
害行為によるものであること(事件性)及び被告人がXらを殺害した犯人であること
(犯人性)を認定できるか否かが問題となる。
 なお,事実認定について検討する前に,その前提として弁護人の公訴権濫用の
主張について考察する。
第3 公訴権濫用の主張について
1 弁護人の主張の要旨
 本件の捜査は,ずさんで,鑑定にも誤りがあり,犯人検挙の焦りから被告人に対
し自白獲得のための強引な取調べがなされ,被告人の犯人性を裏付ける証拠の
収集に終始し,被告人の犯人性を疑わせる事情についてはこれを捨象するなど,
公正さのみならず,適法性も欠くものであった。その後も,取調べに関する記録の
改ざんやずさんな資料管理がなされ,捜査自体も長期間放置された後,格別の新
証拠もなく,被告人の犯人性に重大な疑いがあったのに,時効成立阻止という警察
の面子維持のために本件各公訴提起がなされたものであって,恣意的で不当な起
訴遅延といわざるを得ない。
 また,その後の検察官の訴訟遂行も,客観的な証拠と矛盾する主張を続け,Xの
着衣に付着した精液のDNA型に関する鑑定書(甲436)といった被告人の防御に
とって極めて重要な証拠を開示しないなど,全く公正さを欠き,公益の代表者のそ
れとはいえないものであった。
 その不当な起訴遅延及び不公正な訴訟遂行によって,被告人には時間の経過に
よる記憶の欠落や調査の困難性という重大な不利益が生じている。
 したがって,本件各公訴提起は,公訴権の濫用に当たる。
2 当裁判所の判断
 検察官の公訴提起が,公訴権の濫用として無効となるのは,公訴提起自体が職
務犯罪を構成するような極限的な場合に限られると解されることからすると,本件
捜査において,被告人の取調べに関し違法と評価せざるを得ない事情が認められ
るとともに,Xの膣内容物を拭き取ったガーゼ片が紛失するなど証拠資料の管理が
甚だずさんであったといわざるを得ない事情も認められるが,そのような事情があ
るからといって,本件捜査全体が違法となるわけではなく,被告人の取調べ以外の
捜査によって収集された証拠及びそれから推認される間接事実からも被告人の本
件各殺人についての嫌疑がうかがわれるという事情にかんがみれば,本件各公訴
提起が刑罰法規に触れるようなものであるとはいえない。
 また,事件発生から起訴までに長い年月を要し,被告人が時間の経過による不
利益を被っていることは,弁護人指摘のとおりであるが,捜査機関において,被告
人側の防御権を不当に侵害する意図を持って捜査を遅延させていたとの事情はう
かがえず,検察官においても,被告人がそのような不利益を被ることを殊更意図し
て公訴提起を不当に遅延させていたとは認められない。
 さらに,公訴提起後の訴訟遂行の過程において,検察官が弁護人及び裁判所に
対し当初提示していた証拠構造とは矛盾する客観的証拠の存在を認識しながら,
この証拠を弁護人からの要求があるまで開示しなかった点は公正さに欠けるとの
指摘についても,事後的な訴訟遂行の当否によって公訴提起がさかのぼって違法
となることはないというべきである(なお,弁護人主張の上記鑑定書(甲436)は,
平成14年7月15日付けの鑑定嘱託に基づいて,同年8月28日付けで作成された
ものであり,本件各公訴提起時には存在しなかったと認められる。)。
 よって,本件各公訴提起が検察官の公訴権を濫用してなされたものとは認められ
ない。
第4 前提事実
   関係各証拠によれば,本件の事件性・犯人性を考察する上で前提となる事実とし
て,以下の事実が認められる。なお,地名に関しては,特に断りのない限り佐賀県
内のものである。また,年の記載のない月日は,平成元年のそれを意味する。
1 X,Y及びZの失踪前後の状況
(1) X関係
ア Xの失踪当時の生活状況
 X(昭和27年1月22日生)は,昭和53年9月にAと結婚して北方町大字β
の通称α地区にあるAの実家で暮らしていたが,Aがくも膜下出血で倒れて以
降,Aの家族との折り合いが悪くなったことから,昭和63年1月に長男Bを連
れて同町大字γにある実家に戻り,両親(C,D)とともに生活していた。
 当時,Xは,北方町内の紳士服縫製会社で工員として働いており,毎朝,軽
四輪貨物自動車(赤色のダイハツミラ。佐賀40け2039。以下「X車両」とい
う。)で出勤していた。帰宅は午後6時ころで,残業のときは午後7時過ぎであ
った。Xは,帰宅すると自ら又はDが準備した食事をとり,全員の食器を流し台
に運んでから風呂に入り,その後で流し台の食器を洗っていた。
 Xは,常日ごろ,財布,キャッシュカード,化粧品のほか,預金通帳や印鑑な
どの貴重品を自分のバッグなどに入れて持ち歩いていた。
イ Xの失踪以前の外出状況等
 Xは,昭和63年12月ないし平成元年1月当時,午後7時ころから午後7時3
0分ころまでの間の食事中に電話を受け,「会う約束をしていた。」,「友達が
近くまで来ているので,ちょっと行ってくる。」などと言って,食事,片づけ,風
呂,洗い物をすませ,服を着替えてでかけることがあり,週の半分くらいは外
出していた。Xが外出する際に,Bが起きていることもあったが,Bがついていく
と言っても,「友達の所へ行くけん。もう遅かけん連れて行かれん。」などと言っ
て連れて行かなかった。また,午後9時30分ころにBに添い寝して寝かせつけ
た後に外出することもあった。Xの外出時間は大体1時間くらいであった。
 昭和64年1月1日午前中,Xは,北方町内の衣料品店において白色のカー
ディガン(以下「本件カーディガン」という。)を購入した。同日午後8時ころ,帰
宅した際に,Xが電話を受けたが,この日は外出しなかった。翌2日午後8時こ
ろ,男からXに電話があった。その男はXに「Aさんは元気ですか。Aさんと話ば
してみたいけど,あんまい分かいやらんけん何時か話ばしゆうかね。」と言っ
ていた。Xはこの電話に出たときに「どちらさまですか。」と10回くらい言ってい
た。
 1月19日ころの午後6時ころ,XはBを連れて佐賀市内の化粧品店に行った
が,その日は午後10時ころに食事をし,夜の12時を過ぎて帰宅した。1月23
日の夜もXは外出した。
 1月24日午後6時ころ,Xは帰宅後,Bからせがまれてお菓子を買いに行
き,同日午後7時前に帰宅した。Xらが食事をしていると,テレビの「サザエさ
ん」が終わるころ(午後7時30分ころ)に電話があって,Xが電話に出たが,小
さな声でぼそぼそと話して電話を切った。その後,Xは,食事を終えて風呂に
入り,パジャマに着替えて食器の後片づけをし,それから座敷で服を着替え,
口紅や化粧をして,「友達ば送ってくっけんね。遅うなっけんね。」と言って,同
日午後8時ころX車両に乗って外出した。
ウ Xの失踪当時の交際相手に関する供述状況
 昭和64年1月2日から同月8日にかけて,Xの実妹Eが北方町大字γの実
家に戻ってきた際,Xは,Eに対し交際相手ができたことを打ち明け,その交際
相手の氏名については明かさなかったものの,年齢二十六,七歳の男性であ
るなどと話した。その後の同月3日から同月8日までの間の夜に,Xは電話を
受けて外出したが,帰宅後,Eに対し,「近くの畳屋の前の路上で交際相手と
会って話をしたが,交際相手は,大町町でなく,αに住んでいることが分かっ
て驚いた。以前,大阪にいたと言っている。家族は,母親と妹がいて,父はい
ない。家業は農業であるが,近所の人に任せている。派手な飾りの付いた軽ト
ラックに乗っている。中肉中背で余り背が高くなくラフな感じの洋服が好みであ
る。玄関から入らないで2階に上がれる家に住んでいる。」などと話した。さら
に,同月15日過ぎに,Eが電話でXと話をした際,Xは,「交際相手に,もう会
わない方がいいのではないかと言ったところ,交際相手から崖のようなところ
に連れて行かれ,成人の日に起きた小城町での交通死亡事故を引き合いに
出されて脅かされた。」などと話していた。
エ Xの失踪直前の状況
 Xは,1月25日午前7時50分ころに出勤して同日午後6時55分に退社し,
同日午後7時15分ころに帰宅した後,同日午後7時20分ころから着替えもせ
ずにDが用意していたすき焼きを6畳居間で家族と一緒に食べた。同日午後7
時25分ころに同居間の電話が鳴り,Xが受話器を取って応対した。電話の時
間はおおよそ20秒くらいであったが,家族の者には相手の声は聞こえず,相
手の名前も分からなかった。Xは,「今どけおっと。」,「はい」などと話してい
た。電話が終わった後,Xは食事をすませて全員の食器を流しに運んで片づ
けた。同日午後7時45分ころ,Xは,風呂にも入らず座敷で服をズボンからス
カートに着替え,本件カーディガンを着て口紅や化粧をし,バッグを肩にかけ
て,「友達の車がパンクしたので,武雄の先の山内まで友達を送っていく。」旨
家族に告げた。Bが自分もついて行くと言ったが,Xはこれを許さずにX車両に
乗って外出した。その後,翌朝になってもXは帰宅しなかった。それまでにXが
無断で外泊するようなことはなかった。失踪当時,Xが特に病気にかかってい
たり,けがをしたりしていたということはなく,家出や自殺をするような事情もな
かった。
オ X車両の目撃状況
 1月25日午後8時前後ころ,Fは,武雄市朝日町大字甘久所在の武雄ボウ
リングセンター西側駐車場において,帰宅するために自己の自動車に乗って
後退しようとしたところ,自車後方に北向きに止まっていた赤色のダイハツミラ
に衝突しそうになった。その際,同車のライトはついておらず,エンジンもかか
っていなかった。
 翌26日午前8時30分ころ,武雄ボーリングセンター支配人のGが,武雄ボ
ーリングセンター西側駐車場の中央からやや北東よりの地点に赤色の軽自動
車が北向きに駐車されているのを目撃している。
 それぞれ目撃された車両の止まっていた地点は,いずれも1月27日にX車
両が警察官によって発見された地点とほぼ同じであった。
(2) Y関係
ア Yの失踪当時の生活状況等
 Y(昭和14年3月10日生)は,昭和62年7月当時,武雄市武雄町所在の自
宅で夫(H)とともに生活していた。Yは,昭和55年ころから武雄市内の割烹料
理店「魚善別館」で仲居として働いていた。毎朝,午前8時30分ころ家を出
て,徒歩で「魚善別館」に行き,午後7時から午後9時ころまでには帰宅してい
た。Yは,「魚善別館」での仕事を終えた後で同市内のスナック「綾」を手伝うこ
とがあった。
イ Yの失踪直前の状況等
 昭和62年7月8日午前9時ころ,Hが起床したときには,既にYは「魚善別
館」に出勤していた。その日は午後6時ころから午後8時ころまで宴会が入っ
ていたことから,Yも仲居としてその宴会の仕事についていた。Yは,片づけ等
の仕事が終わった後,午後9時過ぎに「魚善別館」を出て,同僚のIとともに
「綾」に寄った。Yは,Iとともに「綾」を出た後,小料理屋「お俊」の前を通りかか
った際に,「お俊」に寄っていかないかとIを誘ったが,同人が寄らないと答えた
ので,そうであれば自分も寄らないと言って「お俊」には寄らずに,同日午後9
時35分ころ,「お俊」近くの歯科医院の前でIと別れた。Hが同日午後11時前
に帰宅したときには,Yがまだ帰宅しておらず,翌9日午前零時を過ぎても同
人が帰ってこなかったので,長女に電話をした。しかし,同人もYの行く先につ
いて心当たりがなかった。さらに,Yと同じく「魚善別館」で働いていたYの実姉
やIにも電話をしたが,同人らも心当たりがなかった。また,長男にも電話をし
たが,同人も心当たりがなかった。そこで,Hは,自宅から「魚善別館」までの
経路を何回も回ってみたがYの姿はなかった。そのため,Hは警察にも届け出
たが,それから平成元年1月27日に遺体で発見されるまでの間,Yの足取り
はつかめなかった。
 Yの失踪時の服装は,上が白とグレーの横じまのサマーセーター,下が白の
スカート,ビニール製白色ヒール靴であった。また,Yは,青色革製の財布(手
のひら大)を持っており,「魚善別館」の日当はその中に入れていた。同財布
や化粧品は布製黒色手提げ(30センチメートル四方の大きさで,ビーズの装
飾があり,口のところをひもで絞るもの)の中に入れていた。
 失踪当時,Yが家出をするような理由は見当たらず,家庭や職場においてト
ラブルがあったとの事情もなかった。また,Yが当時重い病気にかかっていた
とも認められない。
(3) Z関係
ア Zの失踪当時の生活状況等
 Z(昭和13年3月28日生)は,昭和63年12月当時,北方町大字β所在の
自宅において,夫(J),次女及び三女とともに生活していた。Jが簡易郵便局
の局長を務めており,長女も同局で働いていたことから,長女の子供の面倒を
Zが見ていた。
イ Zの失踪直前の状況等
 昭和63年12月7日午後7時10分ころ,次女が休憩のため仕事先から一時
帰宅した際,Zは既に食事を終えて北方スポーツセンターで行われるミニバレ
ーの練習に行く準備をしていた。同日午後7時20分ころ,Zは黄土色のセータ
ーに横線模様が入ったカーディガン,紺色のジャンパーを着て,紺色のズボン
をはいて,シューズを入れたバッグと会費1000円を持って徒歩でミニバレー
の練習に出かけた。Zは常に眼鏡をかけており,この日も眼鏡をかけて出かけ
た。同日午後7時30分過ぎころ,北方町大字β所在の丸商ニット有限会社
(以下「丸商ニット」という。)の前付近を自動車で走行していたKが,自転車か
ら降りてハンドルを持った状態の女性とZが話しているのを目撃している。
 同日午後10時50分ころ,次女が帰宅したときにZはまだ帰宅していなかっ
た。その日はミニバレーの忘年会の話合いがあるということを聞いていたが,
余りに帰りが遅かったことから,次女がミニバレーの関係者に電話したところ,
Zが練習に来ていないことが分かった。その後,帰宅したJが事情を聞いて北
方スポーツセンターまでの経路を捜したが,Zの姿は見当たらなかったため,
警察に届け出た。翌8日,警察犬によってZの足取りを追ったが,自宅から歩
いて5分くらいのところにある丸商ニットの先で足取りをたどれなくなった。その
後,平成元年1月27日に遺体となって発見されるまでZの行方が分かるような
情報は得られなかった。
 失踪当時,Zの家族の中で問題はなく,借金や病気などといった家出をする
ような事情はなかった。また,Zが他人から恨まれるような事情も認められなか
った。
2 X,Y及びZの死体等の発見状況等
(1) 死体発見の経緯
 1月27日午後5時35分ころ,Lが夫であるMの運転する自動車に同乗して北
方町大字β所在の雑木林付近を通りかかった際,道路わきに供花となる枝花を
見つけたため,同所で下車してそれを採っていたところ,崖下に死体が遺棄され
ているのを発見し,そのことをMに伝え,同人が警察に通報したことから,X,Y及
びZの3名の死体が発見された(以下,Xらの死体が発見された場所を「本件死
体遺棄現場」という。)。
(2) 本件死体遺棄現場の状況
 本件死体遺棄現場は,佐賀市から武雄市へ至る幹線道路である国道34号線
から約2.2ないし2.3キロメートル北進した山中にある雑木林内で,町道α線
沿いにある。同所は,緩やかに湾曲したカーブの南西側にある崖下の斜面で,
α地区の集落の北側に位置する。平成元年当時,周辺に人家はなく,人や車の
通行も閑散で,街灯も設置されていなかった。本件死体遺棄現場である雑木林
内に通路はなく,雑木やかずら等が繁茂して昼間でも薄暗い状態であった。
(3) X,Y及びZの死体等の発見状況
 Xの死体は,上記町道α線の路肩縁より約1.4メートル下った崖縁から更に約
4.6メートル下の斜面上に,ほぼあお向けの状態で発見された。Zの死体は,同
崖縁から約3.75メートル下の斜面上にうつ伏せに倒れた状態で発見された。X
の死体は,Zの死体の西側やや下方に位置しており,両者の各腹部間の距離は
約1.3メートルであった。白骨化したYの骨や衣類等は,ZとXの死体の南東側
の斜面上に散乱していた。鎖骨1個がZの死体の頭部の下から発見された。同
現場にあったブラジャーには肋骨,胸骨,膝蓋骨がついていた。ストッキング片
方の中にはYの左足の骨16個が入っていたが,大腿骨,腓骨,脛骨は入ってい
なかった。また,スカート内又はその下の土砂内から上腕骨,鎖骨,腰椎,胸
椎,肋骨が見つかった。
 Xらの死体の周囲は雑木林で,死体を引きずった跡など人が立ち入った形跡
が認められないことから,Xらの死体は崖上の町道α線の路肩から遺棄されたも
のと考えられた。
 本件死体遺棄現場の土砂内からYのサマーセーターが発見されたが,Yが失
踪当日に所持していた黒色手提げ(帯,財布等が入っていたと思われる。)のほ
か,Yのパンティーやストッキングの片方も本件死体遺棄現場からは発見されな
かった。
 Zに関しては,本件死体遺棄現場に布製手提げバッグとその内容品(運動靴,
靴下片方,輪ゴム,ピンク色手袋,黒地手袋)が遺留されていた。なお,Zのズボ
ンの左ポケットには1000円が入っていたが,Zの眼鏡は本件死体遺棄現場で
は見つかっていない。
 X及びZの各死体の衣類は,同人らが失踪時に着用していたものと同じもので
あると認められる。また,遺留されていた衣類等の中でサマーセーター,スカー
ト,ビニール製白色ヒール靴,婦人用腕時計,指輪等については,Yの衣類等で
あると認められる。
3 Xの使用車両・所持品の発見状況等
(1) X車両
 死体発見後の1月27日午後7時35分ころ,X車両が上記武雄ボーリングセン
ター西側駐車場のほぼ中央で,北向きに駐車されているのを警察官が発見し
た。同車の施錠は全てなされており,窓も全て閉まった状態で,車内は特に乱れ
ていなかった。
 同車の助手席フロントガラス内側に素足痕があり,同車両内で精液,尿,血痕
付着についての予備検査を実施したが,いずれも陰性であった。
(2) メナードクレジットカード
 Nによって,1月26日午後零時ころ,北方町大字β所在の薬局東側角端付近
路上においてX所有の日本メナード株式会社発行のメナードクレジットカードが
拾得され,同日午後零時15分ころ,大町警察署β駐在所に届けられ,同日夕
方,Cに返却された。翌27日,同カードはCから警察に任意提出され領置され
た。
(3) ショルダーバッグ
 Oが,1月26日午前8時ころ,北方町大字β所在のP方南方約110メートル先
の町道牟田浦線上の西側有蓋側溝上に遺留されていたX所有のショルダーバッ
グを拾得し,上記Oの祖母であるQが上記β駐在所に連絡をした。翌27日午前
9時ころ,上記β駐在所勤務のR巡査部長がQから同ショルダーバッグを拾得物
として受け取った。その後,Rにおいて同ショルダーバッグやその内容物である
現金2円,財布,健康保険証,車の鍵等の領置手続を行った。
(4) メモ帳等
 2月5日午後4時10分ころ,北方町大字β所在のかみや旅館前の自動販売機
横に設置された空き缶入れ(赤色ポリ容器)内の左奥から,SがX所有のメモ帳
を発見し,次いで,幾つか空き缶を取り除いた後で同容器の真ん中あたりに玉
屋おたのしみ会お買物票と同会会員証を発見した。同日午後4時25分ころ,S
から大町警察署勤務のT警部補がこれを領置した。
(5) 運転免許証
 2月6日,機動隊によって北方町内の山林の検索が行われたが,同日午前10
時7分ころ,北方町大字β所在の山林内において,機動隊員のUが運転免許証
入れに入った状態のX名義の運転免許証を発見した。その場所は,町道から約
6.9メートル離れた,町道の法面とその南方にある杉林との中間付近であった。
その後,Tが運転免許証等の領置手続を行った。上記運転免許証入れには,上
記運転免許証のほかに,千円札2枚,500円記念硬貨2枚,Xの源泉徴収票等
が入っていた。
4 Xらの死体の司法解剖及び着衣等の鑑定の内容
 平成元年1月28日及び翌29日,当時の佐賀医科大学法医学教室解剖室にお
いて,同大学法医学教室V教授(その後,同人は和歌山県立医科大学法医学教室
へ異動しているが,以下,所属にかかわらず「V教授」と表記する。)により,X,Y及
びZの各死体の司法解剖が実施された。また,当時の佐賀県警察本部刑事部鑑識
課科学捜査研究室(後に同部科学捜査研究所に改組)等において,Xらの着衣等
に関しても各種の鑑定が行われた。
 なお,本件における各種鑑定(後述の第5の3(4)ないし(8)に記載した各鑑定も含
む。)に関し,弁護人は,鑑定を行った技術吏員らが捜査機関から完全に独立して
鑑定に当たっておらず,その内容も恣意的で不公正なものであると主張するととも
に,鑑定を実施した技術吏員の能力の問題や鑑定嘱託書が複数存在するなど鑑
定手続のずさんさ等を理由に,その適法性・正確性を弾劾する。しかしながら,関
係各証拠からは,上記技術吏員らが捜査機関に偏した不公正な鑑定人であるとは
いえず,恣意的な鑑定を行っていたとは認められない。また,弁護人指摘の諸点を
もっても各鑑定の手続が違法であったと評価することはできない上,その鑑定手法
も鑑定当時においてその科学性・信頼性が広く承認された一般的なものであったと
認められることからすると,上記鑑定の内容には一定の信用性が認められるという
べきである。
(1) X関係
ア 死体の司法解剖
 V教授の行ったXの死体の司法解剖の内容は以下のとおりである。
 Xの顔面には上口唇内側口腔粘膜に歯牙の形状が明瞭に印象され,鼻背
部より右側顔面には小裂創を含む表皮剥脱が散在しており,これらは鼻口孔
を強く圧迫することによって生じたものと思料される。カーディガンの正中より
やや左側上方に薄茶色のアイシャドーが付着していることから,被疑者がカー
ディガンをXの顔面まで持ち上げ,それで鼻口孔を閉鎖し,その時に被疑者の
爪で小裂創及び表皮剥脱が生じたものと思料される。
 頸部においては,右前頸部に着衣の織目が明瞭に印象され,右下顎角の下
方で皮膚に印象された織目の上縁直上方に左右径2センチメートル,上下径
1センチメートルの帯状淡赤色変色部があり,その変色部皮下軟組織内に2
×1センチメートル大の出血があるが,織目印象部内景には出血は認められ
ない。前頸正中上部内景には約2.8×1.3センチメートル大の僅微な皮下
軟組織内出血があり,同出血は外表における織目印象部上縁の上方約2セ
ンチメートルのところに位置している。これらの頸部の所見は扼頸によって生
じたとして矛盾がないものと思料される。織目紋様(X着用のトレーナーの襟に
相当)について,そのような織目を持った襟で右前頸部を圧迫したことは事実
であるが,絞頸時に被害者が動いたりしたために生ずる表皮剥脱や皮下出血
はない。その紋様の直上方で右下顎角の下方の変色(皮下出血を伴うもの)
があるが,その大きさが2×1センチメートルであり,絞頸時索溝の上縁部に
生ずる皮下出血にしてはその幅が大き過ぎ,圧迫部位の長さに比し短いの
で,この紋様は絞頸のため生じたとは考え難く,扼頸により生じたものとする
のが妥当であると思料される。したがって,皮膚の織目紋様は扼頸時と同時
的に襟を圧迫することにより印象されたものとして矛盾はないものと思料され
る。織目が明瞭に印象されているにもかかわらず,同部に表皮剥脱・皮下出
血が存在しないことは極めて特徴的である。
 以上により,被害者の死因は,顔面うっ血,眼瞼結膜の溢血点等いわゆる
急性窒息の所見の存在を考慮に入れ,鼻口孔閉塞兼扼頸に基づく窒息であ
り,他為によるものと思料される。
 左下腿下部から足部にわたる範囲の損傷部の着衣には血液が付着してお
り,同部やその周辺には枯れた木の小枝が多く付着していることから,これら
の損傷は発見現場に遺棄されたとき,その現場に存在する小枝等により生じ
たものと思料される(鑑定人は解剖後死体発見現場に出かけ観察した。)。ま
た,これらの損傷は表皮剥脱部位から出血し得る時期,すなわち不可逆的死
への過程中あるいは死後まもなく(数分以内)の時点で生じたものと思料さ
れ,そのような時期に遺棄されたものと思料される。その他の損傷は用器的
特徴を具備しないが,窒息経過中に同人が暴れたり痙攣することにより何ら
かの鈍体での打撲擦過作用により生じたものと思料される。したがって,鼻口
孔閉塞や扼頸を受けた場所は身体を少し動かすことによって何らかの物に身
体が当たるようなところ,すなわち,かなり狭い場所と推測される。
 同人の死から解剖着手時である平成元年1月28日午前零時までに経過し
た時間は,死体現象から約2日くらいと推測される。さらに,同人の胃内容の
消化程度,腸内容の程度から食後約1時間以内に死亡したものと推定され
る。
 薬物検査をしたところ,薬物は検出されなかった。
 血中アルコール検査をしたところ,アルコールは検出されなかった。
 同人の血液型は,「O-M型」に属する。
(なお,弁護人は,Xの死亡時期について,鑑定書には十二指腸内容物の欄
に「黄褐色粥状少量」との記載があるところ,消化内容物が胃から十二指腸に
移行し始めるのは食後1ないし2時間程度であることからすると,Xの死亡推
定時間は夕食後1ないし2時間程度とも考えられる旨主張する。しかし,V教
授は上記の事情を前提に十二指腸内容物が胃内容物と同じものであったとし
てもその量が少量であったことから,食後約1時間以内に死亡したものと推定
する旨の判断を行ったものであり,その判断が不自然・不合理とはいえない。
また,弁護人は,V教授がXの殺害方法は「鼻口孔閉塞兼扼頸」であって,鼻
口孔閉塞と扼頸の2つの行為を同時に行ったと考えられる旨証言しているが,
鑑定書にはこの点に関して全く触れられておらず,V教授がいつの時点でどの
ような経緯から,加害者が鼻口孔閉塞と扼頸の2つの行為を同時並行的に行
ったと判断したのか全く不明であり,その証言は信用できない旨主張する。し
かし,V教授は,ほぼ同時的に行ったと思われる旨供述しているのであって,
必ずしも2つの行為が同時に行われたと断定しているわけではなく,上記の
「兼」の意味についても鼻口孔閉塞と扼頸のいずれが先であるか判断が付か
ないためにそのように表記した旨供述している。しかも,Xの死体や衣類からう
かがわれる各所見からすれば,鼻口孔閉塞と扼頸のいずれについてもその
存在を合理的に推認することができ,そのいずれもが窒息死という結果発生
に寄与したことも合理的に推認することができるのであるから,殺害方法に関
する上記の鑑定結果は合理的で十分信用に値するというべきである。)
イ Xの着衣の付着物の鑑定
 科学捜査研究室法医係によって,Xの着衣に関し,人血及び体液等の付着
の有無及びその血液型についての鑑定が実施された。その鑑定の内容は以
下のとおりである。
①本件カーディガンにはヒト血痕及びヒト血痕とだ液の混合斑が付着し,血液
型はO型と判定された。精液,尿の付着は認められない。
②クリーム色スカートには血痕,尿,精液の付着は認められない。
③白色トレーナーにはヒト血痕及びヒト血痕とだ液の混合斑が付着し,血液型
はO型と判定された。精液,尿の付着は認められない。
④長袖シャツには血痕,尿,精液の付着は認められない。
⑤パンティーの前面のほぼ中央部から左右臀部相当部にかけて淡黄色の汚
斑がみられ,人尿の付着が認められた。血液型はO型と判定された。SMテス
ト試薬を用いた酸性フォスファターゼ試験を行ったところ,陰部相当部のほぼ
中央部が中程度の陽性反応を示し,その周辺部及び臀部相当部にいくに従っ
て弱い陽性反応を示した。この陽性部の一部を切り取り,バェッキー染色後に
顕微鏡で検査したところ,ヒト精子が検出されヒト精液の付着が認められた。
精液付着部位はヒト精液と人尿との混合斑と判断され,その血液型はO型と
判定された。精液の付着していない対照部位の血液型もO型と判定されたこと
から,精液付着部位のヒト精液の血液型はいずれもO型と判定された。
⑥ガードルの陰部相当部位に淡黄褐色の汚斑が見られ,人尿の付着が認め
られた。血液型はO型と判定された。SMテスト試薬を用いた酸性フォスファタ
ーゼ試験を行ったところ陰部相当部のほぼ中央部に母指頭大,それよりやや
後方に小指頭大(臀部寄り)のやや弱い陽性反応を示した。陽性部について
一部を切り取り,バェッキー染色後,顕微鏡で検査すると精子が検出され,ヒト
精液の付着が認められた。精液付着部位はヒト精液と人尿との混合斑と判断
され,その血液型はO型と判定された。精液の付着していない対照部位の血
液型もO型と判定されたことから,精液付着部位のヒト精液の血液型はいずれ
もO型と判定された。
⑦パンティーストッキングには人尿の付着が認められた。血液型はO型と判定
された。SMテスト試薬を用いた酸性フォスファターゼ試験を行ったところ弱い
陽性反応を示した部位があり,その一部を切り取り沈降電気泳動法による検
査を行ったところ,沈降線がすべてに認められ,ヒト精液の付着が認められ
た。精液付着部位はヒト精液と人尿との混合斑と判断された。血液型はすべ
てO型と判定された。赤褐色の血痕様付着物はいずれもヒト血痕で血液型は
O型と判定された。
⑧ブラジャーの表面及び裏面の任意の場所から,その一部を切り取り,ブル
ースターチ・アガロース平板法によるだ液定性試験を行ったところ,裏面に陽
性反応を示した部位があり,その部位について残存澱粉検査,生成糖検査に
よるアミラーゼ試験を行うと,すべて陽性であったことから,ブラジャーにだ液
が付着しているものと判断された。血液型について解離試験を行ったところ,
1か所だけがA型と判定され,ほかは判定困難であった。だ液の付着していな
い対照部位に型活性は認められなかった。
 血痕,尿,精液の予備検査はいずれも陰性で,これらの付着は認められな
かった。
⑨ヘアーバンドには血痕,尿,精液の付着は認められなかった。
ウ Xの死体の膣内を拭き取ったガーゼ片の鑑定
 Xの死体の膣内を拭き取ったガーゼ片(入口)1片(資料1)とXの死体の膣内
を拭き取ったガーゼ片(奥)1片(資料2)について,上記科学捜査研究室法医
係により鑑定が行われた。その鑑定の内容は以下のとおりである。
 SMテスト試薬を用いた精液の酵素反応である酸性フォスファターゼ試験を
行ったところ,資料1に弱い陽性反応が,資料2にごく弱い陽性反応が認めら
れた。その陽性反応部位について,バェッキー染色後,顕微鏡で検査したとこ
ろ,資料1,2とも膣扁平上皮細胞を認め,資料1については精子の頭部をわ
ずかに検出し,資料2については精子の頭部をごくわずかに検出した。次に,
抗ヒト精漿抗体を用いて沈降電気泳動法により検査を行ったところ,そのSM
テスト試薬陽性反応部位の資料1については明瞭な沈降線を,資料2につい
ては弱い沈降線を認め,資料1,2ともヒト精液の付着が認められた。以上の
ことから,資料1,2のSMテスト試薬陽性反応部位はヒト精液と膣液の混合斑
と認められる。資料1,2のヒト精液と膣液の混合斑痕部について,それぞれ4
箇所を任意に選び血液型検査を行ったところ,吸収試験,解離試験ともすべ
てO型と判定された。資料1,2の対照試験部位として付着物のない部位を選
び,吸収試験,解離試験を行ったところ,型活性は認められなかった。また,フ
ォスフォグルコムターゼ(PGM1)型の検査を行ったが,判定できなかった。な
お,血痕検査を行ったところ,陰性であった。
エ Xの膣内及びパンティーに付着した精液の付着時期の鑑定
 上記イ及びウの鑑定からXの着衣等に精液の付着が認められるところ,その
付着時期について,V教授に鑑定嘱託がなされた。その鑑定の内容は以下の
とおりである。
 剖検時,Xの膀胱は空虚であり,Xのパンティー等に広範囲に尿斑が認めら
れることから,Xは殺害時の死戦期に失禁したとしても矛盾はない。行方不明
から発見までの間は時々雪が降り,寒い天候であり,解剖時にもパンティーの
陰部相当部はまだ湿った状態であった。さらに,胃内容物の消化程度からXの
死亡時期は食後1時間以内と推測され,解剖着手時である平成元年1月28
日午前零時までに約2日経過していることになる。
 仮に被害者が外出して死亡するまでの1時間足らずの間に性行為を行った
とすれば,精液が完全に乾燥しない時期に死戦期での失禁が起こったことに
なり,精液は尿斑が認められる範囲近くまで浸潤したと思料される。しかるに,
SM試験陽性部は尿斑陽性部内に島嶼状に存在するにすぎないことから,X
のパンティー等に付着した精液は乾燥して硬くなり,失禁や降雪による湿りに
よっても浸潤し難い状態になっていたとして矛盾はない。すなわち,同精液は
Xが外出する際には既に付着していたものと思料され,外出から死亡までの1
時間の間に性行為はなかったものと思料される。
 Xの膣内容物の鑑定書(上記ウの甲62)及びXのパンティー等の鑑定書(上
記イの甲60)の結果を検討するに,膣内容物のSM試験の呈色程度は膣入
口では弱い陽性を,膣奥部ではごく弱い陽性を示すことは,X生存中24時間
弱,精液が膣内に存在していた所見であり,死体膣内では2ないし3日で呈色
は陰性化することからも,SM試験での陽性程度はX死亡の約24時間前に性
行為を行ったことを示すものとして矛盾はない。上記の推定は,本件精液が約
1日間生体膣内に,次いで2日間死体膣内に存在することにより,精子の検出
が一部陰性化し,精子頭部のみがわずかに検出されたという膣内容物の顕
微鏡による検査結果とも矛盾しないことなどから,Xの膣内,パンティー等に精
液が付着した時期は,同人死亡の約1日前と推定される。
オ Xのパンティーに付着した精液のDNAに関する鑑定
 平成14年7月15日,佐賀県警察本部長から科学警察研究所長あてに,X
のパンティーに付着した精液のDNA型と被告人のDNA型の異同識別に関し
て鑑定嘱託がなされた。同所警察庁技官Wらが鑑定した結果は以下のとおり
である。
 鑑定資料として,平成14年6月16日にXのパンティーから採取された布片
(資料1),資料1の対照部位として同様に採取された布片(資料2),平成元
年2月1日にXのパンティーから採取された布片(資料3,4),資料3,4の対
照部位として同様に採取された布片(資料5),Xの血液(資料6)及び被告人
の頭毛(資料7)について,外観検査,精液予備検査(酸性ホスファターゼ検
査),細胞学的検査,血清学的検査,血液型検査,DNA型検査を行った結
果,Xのパンティーから採取された布片(資料1)から精子のDNA型を検出し,
その型が被告人の頭毛(資料7)のDNA型と一致した。
カ Xの乳頭部に付着しただ液及びXのブラジャーの付着物に関する鑑定
(ア) 上記イのとおり,Xのブラジャーには血液型A型のだ液の付着が認めら
れた。また,司法解剖の際にXの乳頭部を拭き取ったガーゼ片の鑑定を科学
捜査研究室において実施した。上記イ同様にブルースターチ・アガロース平板
法によるだ液定性試験,その陽性部位について残存澱粉検査,生成糖検査
によるアミラーゼ試験を行ったところ,同女の乳頭部にだ液の付着が認めら
れ,解離試験によるとその血液型は被告人と同じA型であるとの結果になっ
た。
(イ) 次いで,平成14年にXのブラジャー,Xの血液及び被告人の頭毛を鑑
定資料として,Xのブラジャーの付着物について核DNA型の鑑定を科学捜査
研究所において行ったが,十分な型判定ができず,被告人のそれとの異同識
別はできなかった。
(ウ) そこで,同年,同様にXのブラジャー,Xの血液及び被告人の頭毛を鑑
定資料として,ブラジャーの付着物のミトコンドリアDNAについて,当時の宮崎
医科大学法医学教室のa助教授に鑑定嘱託がなされ,その結果,Xのブラジ
ャーにはヒトに由来する何らかの細胞が付着していたことが認められ,Xと同じ
型のミトコンドリアDNAとともに被告人と同じ型のミトコンドリアDNAが検出さ
れたが,X及び被告人以外の人物のミトコンドリアDNAも検出された。
(2) Y関係
ア 死体の司法解剖
 V教授の行ったYの死体の司法解剖の内容は以下のとおりである。
 検査結果によれば,完全に白骨化しており,骨に損傷は全く認められなかっ
た。性別は女性で,年齢は約50歳前後であり,死因,自他殺の別は不詳であ
る。身長は145センチメートル前後と推測する。死後約1.5年と推測する。姦
淫の有無は不詳であり,血液型は判定できなかった。薬物服用の有無も不詳
である。アルコール含有の有無も不詳である。
イ 歯牙の鑑定
 当時の佐賀医科大学口腔外科講師bが死体上下歯牙と歯科医院で保管さ
れていたYのレントゲン写真とを対照したところ,死体の上下歯牙はYのものと
一致した。
ウ サマーセーターの損傷の鑑定
 本件死体遺棄現場において発見され,Yが失踪時に着用していたと認めら
れるサマーセーターについて,平成14年に科学捜査研究所において鑑定を
行ったところ,鋭利な幅のある刃物等による損傷は発見されなかった。
(3) Z関係
ア 死体の司法解剖
 V教授の行ったZの死体の司法解剖の内容は以下のとおりである。
 外表検査においては,全身腐敗高度で蛆虫が多数付着していた。
 内景検査においては,内臓が蛆虫に蚕食されていた。
 損傷検査においては,外表上に損傷は認められないが,内景においては頸
部正中中央部,すなわち甲状軟骨上縁に相当する部位にほぼ母指頭面大の
皮下筋肉内出血があり,その左やや上方約2センチメートルのところに小指頭
面大の皮下出血がある。また,前頸中央下部,すなわち胸骨上縁の直下部に
もほぼ二倍母指頭面大の皮下出血がある。前頸部深層においては,甲状軟
骨の上甲状切痕部に小線状骨折があり,さらに,輪状軟骨は正中のわずか
右方で完全に骨折し,骨折部には筋肉内出血が認められる。頸部内景にある
損傷の性状,程度,配列(指頭面大の損傷が印象されていること)から,同人
は手指により扼頸されたものと思料される。したがって,同人の死因は扼頸に
基づく窒息であり,他為によるものと思料される。
 同人の身体の腐敗変化は高度であり,気候,遺棄場所を考慮すると,同人
の死から解剖着手時である平成元年1月28日午前4時までに経過した時間
は約2か月くらいと推測される。
 胃内容物がほとんど消化されていない状態であったことから,Zの死亡推定
時間は食後1時間ないし2時間以内であったと思料される。
 本件被解剖者の死後経過時間は約2か月くらいと推測され,精液の経時的
検出限界を超えていることから精液検査は行っておらず,被害当時の姦淫の
有無については不詳である。
 また,剖検所見上,胃内容中には薬剤等は認められず,積極的に薬物服用
を証明する所見は認められない。
 前記のように,被解剖者の死後経過時間が長いため,採取する血液はなく,
アルコール検査は行っていない。
 血液型検査においては,毛髪,指爪を採取し,それらから解離試験によりO
型と判定された。
 被解剖者の年令は,頭骨の縫合程度,歯牙の咬耗度から約50歳前後と推
測される。
5 本件当時の被告人の生活状況等
(1) 被告人の生活状況
ア 昭和62年7月当時の被告人の生活状況
 被告人は,昭和59年7月20日に,窃盗,覚せい剤取締法違反(使用)の罪
により,懲役1年6月・3年間執行猶予・付保護観察の有罪判決を受けた後,
北方町大字βのα地区にある自宅に戻り,農業の手伝いをしていたが,同年
12月ころから,c商店で働くようになった。c商店は,d生コン株式会社等の生
コン会社に運転手を派遣しており,被告人も主にd生コンで運転手をしていた。
被告人は,昭和62年10月に逮捕されるまでc商店で稼働していた。
 上記のとおり,被告人は,昭和62年7月当時も,d生コンにおいて生コン車
の運転手として稼働していたところ,被告人の稼働状況を記した輸送一覧表
によれば,昭和62年7月に被告人が休んだのは,5日,12日,19日,26日
の日曜日のほかに,3日,9日,16日,21日,28日,29日,30日であり,同
月8日はd生コンに出勤している。
 その当時,被告人は,d生コンの仕事仲間らと仕事帰りに飲みに行くことが
あった。被告人がよく行っていたのは北方町の焼鳥屋「石松」であり,そのほ
かに「はまゆう」,「つゆ」,「ドリーム」,「桂」にも行っていた。また,c商店のcに
連れられて「お俊」に行ったこともあった。
 被告人は,昭和61年9月にeと婚姻し,被告人夫婦は,上記自宅において,
母親f及び実妹gと生活するようになった。ところが,翌10月にeが死産し,そ
れから徐々に夫婦仲が悪くなり,被告人の帰宅が遅いことや女性関係を理由
に,被告人はeとけんかをするようになり,その際にeを何度かけったことがあ
った。また,eの勤務先の女性が自宅に来た際に肉体関係を持ったことがあ
り,そのことがeに分かって,けんかになったこともあった。
 昭和62年5月ないし6月ころから,被告人は,自宅で飲酒したときなどに,知
っている女性に誘い出しの電話をするようになった。
 同年7月当時,被告人が外泊をしたり夜遅く帰ったりするので,fが女性との
交際について被告人に注意をしたところ,被告人が家でも何でも燃やしてしま
うというようなことを怒鳴ったことがあった。そのころ,被告人は,何でもないこ
とにカッとなって,くそみそに暴言をはき,fの注意も聞かず,家の農業の手伝
いも全くしないようになった。被告人がfを殴ったことはなかったが,物を投げつ
けたことはあった。また,覚せい剤を注射しているのではないかとfが尋ねたと
ころ,被告人が口出しするなと怒ったことがあった。その上,被告人はeに給料
を同年7月分から渡さず,反対にeから金をせびりとるようになり,eはその都
度殴られたりするので,言われるたびに1万円くらいずつを被告人に渡してい
た。なお,eは,被告人から殴られたり,物を投げつけられたりされていた旨をf
に話していた。
 被告人は,昭和60年ころから覚せい剤の使用を再開させ,白石町や武雄市
の暴力団から覚せい剤を購入しては北方町の山中に止めた車両内で使用し
ていた。昭和62年の盆のころ,eが実家に帰ってしまったことにいらつき,被告
人の覚せい剤の使用回数が増えた。
 昭和62年10月,被告人は,覚せい剤使用の容疑で逮捕され,同年12月1
6日,覚せい剤取締法違反(使用)の罪により懲役1年2月の実刑判決を言い
渡され,服役した。昭和63年3月に被告人はeと離婚した。
イ 昭和63年9月から平成元年10月までの被告人の生活状況
 被告人は,昭和63年9月に上記刑を仮出獄後,αの上記自宅に戻り,再び
c商店で稼働するようになり,運転手として砂等を運搬していた。被告人のc商
店での給料は日給7000円で毎月5日に支給されていた。被告人は,昭和63
年12月いっぱいはh商店に派遣され,平成元年1月からは,d生コンにおいて
ダンプで砂を運搬する仕事をしていた。c商店に出勤するときは午前7時すぎ
ころに自宅を出ていた。仕事時間は,午前8時から午後5時までであったが,
大体午後6時前にc商店に戻ってから帰宅していた。d生コンに行くようになっ
てからは午前7時20分から午前7時30分ころには自宅を出ていた。帰りは午
後6時ころで,遅いときは午後7時すぎころに帰ったこともあった。fが夕食を作
っておくと,被告人は勝手に炊事場で食べたり,居間でテレビを見ながら食べ
たりしていた。
 被告人は,c商店での稼働状況を運転日報(甲530)に記録していたが,そ
れによると,被告人は,昭和63年12月7日もc商店に出勤し,同日午後5時
過ぎには仕事を終えている。
 被告人は,仕事帰りに酒屋等でワンカップの酒一,二本を買ってきたり,会
社帰りに北方町の焼鳥屋「石松」に飲みに行くこともあった。また,パチンコを
しに行くこともあった。被告人は電話をするときはほとんど2階の自分の部屋
に電話機を持って行って使用していた。その当時,被告人は週に3度は外出し
ていたが,外出先は家族に話さなかった。外出するときは,午後7時すぎくらい
に出て午後10時か11時ころに帰宅していた。
 被告人は,1月27日から連続して4日間大町警察署において佐賀県警察本
部刑事部捜査第一課強行犯係長であったi警部補(以下「i取調官」という。)ら
から取り調べられたが,その間に自宅2階の被告人の部屋にfが来たことがあ
った。fが,被告人に対して1月25日のことを尋ねると,被告人は,自分は人を
殺していない,友達のうちに行っていた旨答えた。fがその日に何をしていたの
か尋ねても,被告人は答えなかったが,警察には話をしていると言った。fが,
(殺人を)しているのなら一緒に死のうと言ったところ,被告人は,してもいない
のに何で死ななければならないのかと答えた。被告人が使用していた車両と
同様の飾りを付けた軽トラックが1月25日武雄ボーリングセンター駐車場に止
まっていた旨の新聞報道があったことから,fが被告人にそのことをただすと,
被告人は「おれは行っていない。」と答えた。
 被告人は,4月17日ころまでc商店で稼働し,5月ころには自宅を出て福岡
で生活するようになった。
 平成元年10月,被告人は覚せい剤使用の罪で逮捕された。同年11月,fが
佐賀少年刑務所に面会に行った際に,被告人は,fに対し,「1月25日の外出
先は嬉野の友達のところだった。」と話した。
(2) 本件当時の被告人の女性関係
ア 乙との交際状況
 被告人は,昭和62年5月ころ,d生コンの同僚らと,スナックドリームという店
に初めて行ったとき,アルバイトをしていた乙と知り合い,それから1か月くら
いたって交際するようになった。被告人は,仕事が終わった後に乙とドライブな
どをし,ホテル等で肉体関係を持っていた。同年10月に被告人が覚せい剤で
逮捕されて服役した後も交際を続け,被告人が昭和63年9月に仮出獄した
後,再び頻繁に会うようになった。
 平成元年(昭和64年)1月に被告人が乙と会ったのは,1日,8日,10日,1
5日,17日,21日,23日であり,21日と23日は,被告人が午後8時ころ乙
の家に行き,午後10時ころまで同女の部屋で話をした。
 1月24日,被告人は,乙と会わなかったが,その日の電話で,被告人が,乙
の1月25日の都合を尋ねたところ,同女が会社の新年会があるなどと答え
て,被告人とけんかになって電話を切るということがあった。
 1月25日昼ころ,被告人は,乙に電話し,すぎやデパート近くのガソリンスタ
ンドで乙と会って,午前中に接触事故を起こしたことを話した。同日午後10時
ころ,乙は,被告人方に電話をかけて,被告人と1時間くらい話をした。
イ Xとの交際状況
 被告人は,Xがα地区のA方で生活していたことから,Xの顔を知っていた
が,顔を合わせれば会釈する程度であった。
 被告人は,乙とは結婚を考えて交際していたが,他方で乙以外の女性と付
き合って肉体関係を持ちたいと考え,昭和63年12月当時も乙以外の女性に
電話をかけて誘ったりしていた。
 被告人は,XがA方を出て実家に戻っていることを聞いていたことから,Xに
電話をして誘い出し,肉体関係を持ちたいと考えた。そこで,被告人は,昭和6
3年12月上旬ころの午後8時すぎころ,Xに電話をかけたつもりで間違ってj方
に電話をかけてしまったが,同人からX方の電話番号を教えてもらうことができ
た。早速,X方に電話をかけ,Xに出てくるように誘ったところ,Xがこれに応じ
て待ち合わせ場所まで出てきたので,以後被告人はXと交際するようになっ
た。Xと会うときには,被告人がX方に電話をかけて,会う時間・場所を決めて
いた。XはX車両に乗って待ち合わせ場所までやってきて,被告人運転の車両
に乗り換えてホテルに行っていた。
(3) 被告人の使用車両
 被告人は,昭和59年9月ころ,白色の軽四輪貨物自動車(スバルサンバー。
佐賀40せ3735。以下,「被告人車両」というが,関係者の供述中では「軽トラッ
ク」と表記されることもある。)を,北方農協から新車でローンを組んで購入した。
また,被告人は,昭和60年9月ころに軽四輪乗用自動車(ダイハツミラ)の新車
を購入した。さらに,被告人は,昭和62年4月ころ,上記ダイハツミラを下取りし
てもらって,新たにグレーの普通乗用自動車(スターレット。佐賀56ひ5107)の
中古車をk板金からローンを組んで購入したが,同年7月20日k板金に売却し
た。その後,被告人は,上記スターレットを売却した直後の同年7月下旬ころ,紺
色の普通乗用自動車(マークⅡ)の中古車をk板金からローンを組んで買った
が,同年10月に被告人が覚せい剤使用の罪により逮捕されたので,同年11月
か12月にfが上記マークⅡをk板金に処分した。
 昭和62年6月ころ,被告人は,d生コンの同僚に福富町の鉄工所を紹介しても
らい,そこで被告人車両の運転台の上部等に魚の鱗に似た紋様のステンレス製
バイザー(以下「鱗ステンレス製バイザー」という。)を付けた。被告人は,通勤用
にはほとんど被告人車両を使っていた。被告人車両には被告人のほか,f,g,
e,乙も乗車したことがあった。また,被告人が服役中に,fがd生コンの運転手仲
間や被告人の叔父に被告人車両を貸したことがあった。
 平成元年2月ころ,d生コンの同僚が被告人車両の鱗ステンレス製バイザーを
取り外した後,被告人は,同バイザーを友人に売却した。さらに,4月23日ころ,
被告人は,株式会社l商会に被告人車両を売却したが,被告人車両は,4月26
日に同社から警察に任意提出され,同日,領置された。
(4) 平成元年1月25日の被告人の行動状況
 1月25日午前7時30分ころ,被告人は被告人車両を運転してd生コンに出勤
し,同日午後6時10分ころ帰宅した。fは,α公民館で会合があったことから,そ
の準備のため同日午後6時15分ころ外出した。gが同日午後6時30分ころ帰宅
したとき,被告人が一人で食事をしていた。その際,被告人は日本酒を飲んだ。
被告人は,食事をした後,風呂に入り,同日午後7時から7時30分までの間に,
作業着上下を着て,被告人車両に乗って外出し,同日午後9時30分ころに帰宅
したが,まっすぐ2階の自室に行き,その後,夜食を作って食べた。その際に,被
告人がフライパンで何かをいためるような音を,gが聞いている。被告人は,外出
から帰ってきてからは風呂に入らなかった。同日午後11時すぎころにfが帰宅し
たところ,被告人車両が駐車してあり,明かりがついていたことから,被告人が2
階の自室にいるのが確認された。帰宅したfがgに対し「あんたが帰ってきたとき
は兄ちゃんは御飯食べとんしゃったか。出んしゃったか。」と聞くと,gは「食べんし
ゃったよ。出んしゃったよ。」と答えた。
第5 Xに係る殺人被告事件についての当裁判所の判断
1 事件性について
 上記のとおり,Xの死因は,鼻口孔閉塞兼扼頸に基づく窒息であって,他為による
ものと認められる。加えて,失踪当時,Xに家出や自殺をする理由は見当たらず,
また,Xと本件死体遺棄現場との間に何らの関連もなく,同人が本件死体遺棄現場
に赴く理由も見当たらないことからすると,Xは何者かによって殺害され,本件死体
遺棄現場に遺棄されたものと認められる。
 なお,Xが死亡したのは,1月25日の夕食後1時間以内と考えられるから,Xは同
日午後8時45分ころまでに殺害されたものと認められる。
2 被告人のアリバイ主張について
(1) 問題の所在
 上記第4の前提事実において認定したとおり,被告人は,昭和63年12月上旬
ころからXと交際し,肉体関係もあったとの事実が認められるところ,被告人自身
も公判廷においてXとは5回会った旨供述している。そして,殺害当日とされる1
月25日のXの行動については,上記前提事実で認定したとおり,Xは,同日午後
7時15分ころに帰宅し,それから食事を始め,同日午後7時25分ころにX方に
電話があって,X自身がこれに応対し,食事を終えた後の同日午後7時45分こ
ろ,X車両を運転して外出したまま失踪し,同月27日死体となって発見された
が,上記1のとおり,同人は同日午後8時45分ころまでに殺害されたものと認め
られる。他方,被告人の1月25日の行動状況についても,上記前提事実で認定
したとおり,被告人は,同日午後6時10分ころに帰宅した後,同日午後7時から
7時30分までの間に被告人車両に乗って外出し,同日午後9時30分ころ帰宅し
たとの事実が認められる。
 以上のとおり,Xが殺害されたとされる時間帯に,被告人が外出していたとの事
実が認められるところ,被告人は,公判廷において,同日夕食後に被告人車両
で嬉野町のmパチンコの従業員丙のところに覚せい剤を買いに行ったが,同人
が覚せい剤を持っていなかったことから,そのまま別れ,その後はパチンコをし
て帰宅した旨供述し,上記時間帯におけるアリバイを主張している。仮にこのア
リバイが認められるとするならば,ほかの証拠について検討するまでもなく被告
人の犯人性が否定されることになるので,ほかの証拠の検討に先立って,まずこ
のアリバイの成否について検討する。
 この点について,検察官は,「被告人は,平成元年当時の取調べの際,同年1
月25日夜の行動について種々のアリバイ主張をした上,平成14年当時の取調
べではあいまいなアリバイ主張に終始し,さらに,当公判廷においては,平成元
年1月25日夜,一人で丙のところに覚せい剤を買いに行ったところ,同人が覚せ
い剤を持っていなかったので,パチンコをして帰宅したという新たなアリバイを主
張しているが,被告人のアリバイ主張がいずれも虚偽であることは明らかであ
り,被告人が,このようにアリバイの内容を変遷させ,虚偽のアリバイを繰り返し
主張するのは,被告人がまさに本件各殺人の犯人であるからにほかならない。」
旨主張する。
 これに対して,弁護人は,「被告人は,平成元年1月27日から29日までの取
調べにおいて,覚せい剤とのかかわりを伏せるため及び丙の名前を出さないた
めに全く別なアリバイを主張したもので,このような被告人の心理は特段不自然
ではない上,1月30日以降においては覚せい剤を買うために丙のところへ行っ
た旨一貫して供述し,また,公判廷においては,被告人は根拠のある1月23日
及び24日の行動状況から記憶を喚起してアリバイを主張しているばかりか,そ
の内容も合理的であるから,被告人のアリバイ主張は信用できる。さらに,丙の
証言からは被告人のアリバイ主張を否定できない。」旨主張する。
 そこで,以下,被告人と丙の供述を踏まえた上で,検察官,弁護人双方の主張
の当否について検討する。
(2) 被告人のアリバイに関する供述状況
ア 平成元年1月における供述状況
(ア) 1月27日の取調べにおいて,被告人は,Xとの交際を否定するととも
に,1月25日は帰宅してからはずっと自宅にいて外出していないと答えた(な
お,Xとの交際の事実については,1月30日の取調べに至るまで一貫して否
定していた。)。
(イ) 1月28日の取調べにおいて,i取調官が被告人の家族から被告人が1
月25日の夜に外出している旨聴いたことを告げると,被告人は,乙が同夜飲
み会に行っており,乙の様子を見に外出した旨供述を変えた。
(ウ) 1月29日の取調べにおいて,被告人が乙の飲み会のあった鹿島市に
行って,その後武雄市内において乙を探し回ったと話したのに対し,i取調官が
強い疑問を投げかけると,被告人は,その日は刑務所で一緒だったnと会って
話をした旨供述を変えた。
(エ) 1月30日の取調べにおいて,被告人は,最終的に1月25日の夜はnに
会い,同人とともに嬉野町のパチンコ店に行って店員の丙から覚せい剤を買
い,nがその覚せい剤を使用した後,同人を駅まで送って帰宅した旨供述し,
その旨の上申書(乙45)を作成した。
イ 平成元年10月における供述状況
 10月26日の取調べ開始当日において,被告人は,1月30日の供述と同様
のアリバイ主張を行い,その旨の上申書(乙46)が作成されたが,翌27日に
は,「1月25日の行動についてはうそばかり言って本当にすみませんでした」
などという内容の供述調書(乙47)及び上申書(乙48)が作成され,それ以後
の取調べにおいては,被告人からi取調官らに対し,1月25日のアリバイにつ
いて具体的な供述がなされたことをうかがわせる事情・痕跡は認められない。
ウ 平成14年における供述状況
 平成14年6月の検察官による取調べにおいて,被告人は,「平成元年1月
に丙から覚せい剤を売ってもらおうと丙が働いている嬉野町のパチンコ店に
行って丙と会った。1月25日ころのことだったと思うが,その日であったか,又
はそれよりも1週間も離れていない数日前のことだったと思う。丙に会いに行
った時刻は,はっきり覚えておらず,仕事の関係で嬉野町付近まで行って日中
に丙に会ったのか,夕方自宅に帰った後,嬉野町まで行って丙に会ったのか
はっきり覚えていない。丙に会った場所は,パチンコ店の外か私の車の中だっ
た思うが,今では正確な場所は覚えていない。丙に『あるね。』と言って覚せい
剤があるかと尋ねたが,丙は覚せい剤を持っていないとのことだったので,そ
のまま帰った。平成元年1月に取調べを受けた際にnと一緒に買いに行ったと
言っていたが,私一人が丙のところに覚せい剤を買いに行った。nは佐賀少年
刑務所で知り合った者だが,その後は連絡先も知らず会ったこともなかった。
その当時,丙のところに買いに行ったのが,1月25日の夜だと思っていたの
で,そのように話しているが,時間がたって1月25日のことだったのか,その
少し前のことだったのか,余りはっきりしなくなったので,1月25日か,それよ
りも1週間も離れていない数日前のことだったと考えている。今では余りはっき
り覚えていない。」旨の供述をし,その旨の供述調書(乙99)が作成された。
エ 公判廷における供述状況
(ア) 第9回公判における被告人の供述の要旨は以下のとおりである。すな
わち,「Xと最後に会ったのは,1月27日から二,三日前である。1月25日の
行動については,自宅に帰ってから,嬉野町のパチンコ店に行って,覚せい剤
を買おうとしたけれども結局買えなかったのでパチンコをして帰ったということ
で間違いない。この日はXとは会っていない。この日の夜に軽トラックで武雄ボ
ウリングセンターの駐車場に行ったことはない。嬉野町のパチンコ店に行くと
きは国道34号線を通った。帰りも同じと思う。最後にXと会ったのが1月24日
かどうかは分からない。1月23日は乙と会っているから,その日にはXと会っ
ていないと思う。1月22日にXと会ったか分からない。最後にXと会ったのは1
月27日から考えて1週間以上も前ではないと思う。日時がたったのではっきり
覚えていない。」というものである。
(イ) 第60回,第61回及び第63回公判における被告人の供述の要旨は以
下のとおりである。すなわち,被告人は,1月25日の行動について,「1月25
日はd生コンに行った。仕事は午後5時には終わったと思う。まっすぐ家に帰っ
た。午後5時半から6時ごろには帰宅したと思う。鹿島から家までまっすぐ帰る
と30分前後かかる。家に帰った後は,母親が準備していた食事を食べて,そ
の後,風呂に入っていると思う。風呂に入った後に外出したが,その時間は分
からない。丙のところに覚せい剤を買いに行ってみようと思って出掛けた。パ
チンコ店に着いたとき,丙は仕事をしていたので,店内で会った。丙のそばに
行って,あれ持ってないね,というような感じでこそっと聞いたと思う。丙は持っ
てないと言った。その後,もう少し丙と話をしているかもしれないが,記憶に残
っていない。丙も仕事中だったので,長くは話ができなくて,ほんのちょっとし
か話していないと思う。一,二分くらいと思う。その後,そのパチンコ店であった
か,武雄の方のパチンコ店であったかはっきりは分からないが,パチンコをし
て帰った。1月25日には,覚せい剤を買う金として1万円ちょっとは持っていた
と思う。そのお金でパチンコをした。少なくとも三,四十分くらいはパチンコをし
ていると思う。その後,家に帰った。その当時は外出から戻った後,よく夜食と
か食べていたので,1月25日も自分で作って食べていると思う。その後,自分
の部屋に帰って寝るまでの間に乙から電話があったと思う。電話の後,すぐに
寝てしまった。1月25日に丙のところに覚せい剤を買いに行ったことを思い出
したのは,1月27日に大町警察署に呼ばれてしばらくしてからだと思う。」旨供
述している。
 また,平成元年当時の丙との交際状況については,「昭和63年9月に出所
してから平成元年1月25日までに同日を含めて4回は丙に会っていると思う。
昭和63年中は2回会っている。何月に行ったかははっきりしないが,乙と一緒
に丙のところに行ったことは間違いない。最初に会ったときに乙を連れていっ
たのか,あるいはもう一回のときに連れて行ったのかは余り記憶がない。乙と
一緒に行ったときは丙を彼女に紹介するために行ったと思う。もう一回一人で
行ったときは,多分ぶらっと行って,丙と少し話して,その後はパチンコをして
いるのではないかと思う。年が明けて1月中に25日を含めて丙のところに2回
行った。パチンコ店の寮に丙を訪ねたことが1度ある。それは1月であることは
間違いないが,はっきりした日にちまではもう分からない。そのときは,丙に覚
せい剤を分けてもらおうと思ってパチンコ店に行ったが,丙がいなくて,店員か
ら2階の寮に行くように言われ,2階の寮に行って丙と覚せい剤の話をしてい
ると思う。丙はもう持ってないという話をしていた。昭和63年に2回ぐらい会っ
たときに,丙と話していて,自分としては,また丙が覚せい剤を打っているので
はないかと疑っていたので,持っていたら譲ってほしいという気持ちで丙のとこ
ろに行った。平成元年1月26日から同年10月までの間に2回丙と会った。1
回目は,平成元年2月半ば過ぎころに会った。その際,平成元年1月の警察
の調べにおいて実際には丙から覚せい剤を買っていなかったのに丙から買っ
たと述べていたことから,丙に対して,警察が来なかったねと聞いたところ,丙
は,警察が来て,自分が覚せい剤を丙さんから買ったという紙を警察から見せ
られた,何でそういう嘘をつくかなどと言って怒っていたので,丙に対して謝っ
た。そのとき,丙に対して,最後に会ったのは1月25日じゃなかったかねという
ことも言ったが,丙は,そがんとはもう覚えとらんなどと言って,余り相手にして
くれなかった。平成元年9月ごろにもう一度丙に会っていると思うが,このとき
も覚せい剤が欲しくて丙に分けてもらおうと頼みに行った。このときは,ほかに
覚せい剤を売っているところが分からなかったので,取りあえず丙のところに
行ってみようと思って行った。平成元年4月ころから再び覚せい剤を始めた。
そのころはよく白石町の暴力団に覚せい剤を買いに行っていたが,同年10月
当時にはもう連絡もしなくなっていたことから,自分としては白石町の暴力団に
覚せい剤を買いに行きにくかったので,丙に頼みに行った。そのとき,丙は覚
せい剤を持っていなかったので,自分が,だれか持ってる人を知らんねなどと
聞いたところ,丙は,白石に行ったらいいやないねと言った。自分が,もう白石
には買いに行けんからということを話したら,丙は,それやったらもういい加減
にやめたらいいやないねということを言ってきた。丙の検察官に対する供述調
書(甲525)添付の平成元年に自分が丙あてに出した手紙の中に,『丙さんか
らやめんねと言われた時にやめておけばよかったけど,やっぱり捕まってしま
いました』と書いてあるが,それは平成元年9月のときの丙とのやり取りについ
て書いたものである。これまでに丙に口裏を合わせてほしいと頼んだことはな
い。」旨供述している。
(3) 丙の供述状況
 丙は,当公判廷において,被告人との交際状況や1月25日の状況について,
以下のとおり供述している。
 被告人は,その当時,自分が勤めていたパチンコ店に二,三回来たと思う。最
初にそのパチンコ店で会ったときのことは,もうよく覚えていない。その時,被告
人が鹿島の生コン会社で今働いていると言ったので,ああ,そうね,よかったね,
もう,まじめに働きよったがよかよという話をした。そのときに彼女を連れてきてい
たふうな感じではなかったかと思う。平成元年2月4日と同月9日の供述調書に
は,最初に被告人がやってきたのは,昭和63年12月20日ころで,時間帯は午
後6時か7時ころだったとの記載があるが,その正確な時期は現在思い出せな
い。そのときに被告人とはそのパチンコ店の店内と,表の方にちょっと出て話した
と思う。上記調書には,勤務中だったので仕事の合間に店の中で20分ぐらい話
したという記載になっているが,そういう記憶がある。上記調書には,缶コーヒー
をおごってやって一緒に話をしたという記載もあるが,それは覚えている。最初に
来たときは覚せい剤の話をしていないと思う。
 2回目に被告人と会ったのが,いつごろか覚えていない。そのときにパチンコ店
のどこで話をしたかも覚えていない。どういう話をしたかも今は記憶がない。上記
調書には,1月20日ころの午後零時ころ,パチンコ店の2階の寮で寝ていたとこ
ろ,被告人が一人でやってきたが,その日は遅出の日だったと思うので,被告人
が来たのは1月19日か21日だったと思う旨の記載があるが,日付については全
然覚えていない。警察で話を聴かれて,自分でさかのぼって計算していって遅出
の日を割り出して上記のとおり話したのだと思う。上記調書には,階段の踊り場
で話をしたが,被告人から,嬉野まで仕事で来た,丙君あれは持たんねなどと言
われたという記載があるが,そう言われてみれば,何かそうやったかなあという記
憶がある。あれを持たんかというのは,覚せい剤のことだと思う。それに対して,
もうやめているから持ってないと答えたところ,被告人は,ああ,そいぎよかという
ような感じだった。被告人は,だれか知らんやろうかとかいう話もしていたと思う。
 上記調書は,1月25日に被告人はパチンコ店に来ていない,来たのは遅番の
日の1月19日か21日だったという内容だが,今は記憶がない。前にそういうふ
うに言ったのであれば,多分それが本当じゃないかと思う。1月25日という具体
的な日にちまでは思い出せない。1月25日はパチンコ店でいつもどおり働いて
いたと思う。上記調書には,この日は早出だったので午前中に仕事をし,夕方も
午後4時50分から閉店時間まで働いており,店から出ていないと記載されてい
るが,多分そうだと思う。
 警察に呼ばれて,被告人が自分から覚せい剤をもらったという話をしていると
言われたので,自分はやっていないと答えた。その点については何度も聴かれ
た。働いているのに何回も呼ばれたが,その都度,自分はやってないもんはやっ
てないとはっきり言った。
 その後に被告人と3回目に会ったときのことは,今は覚えていない。もう一回会
ったということは記憶に思い浮かばない。10月12日に警察で事情を聴かれて,
9月23日の秋分の日午後5時過ぎに被告人が一人でパチンコ店にやってきて,
10分ぐらい話をしたという内容の供述調書が作られているようだが,全然覚えて
いない。その当時そういう話をしていたら,来ていたかもしれないという程度で,
具体的な記憶はない。被告人とは何回か覚せい剤の話をしていると思うから,そ
のときも覚せい剤の話をしていると思う。具体的なやり取りは思い出さない。平成
元年10月の上記調書には,9月23日に被告人がやってきたので南側の駐車場
で話をした,被告人から,今福岡で働いている,殴られて頭にけがをした,丙さん
持たんねと聞いてきたという記載があるが,言われてみれば,そういうふうな話を
したんじゃないかなと思う。自分は覚せい剤をやっていなかったから,覚せい剤
の話も余り聞きたくないので,いつも持っていないという話をしていた。上記調書
には,被告人から,持っている人を知らんねというようなことを聞かれたとも書い
てあるが,自分のところに来る人は大体みんなそういうふうな感じだったので,自
分としても知らない,もう付き合ってないという話をしていた。このときに北方町の
殺人事件のことを話した記憶は全然ない。自分の方からそのことを被告人に尋
ねたかも覚えていない。被告人から,1月25日に被告人が自分のところに来て
会ったという話を警察にしてくれないかと依頼されたことはなかった。その後,被
告人とは現在に至るまで,直接会ったことはない。検察官に対する供述調書(甲
525)添付の手紙を受け取った後には被告人から手紙は来ていない。電話がか
かってきたこともないと思う。これまでに,被告人から1月25日は自分のところに
行っていたのでそのことを警察に話してほしいというようなことを言ってきたことは
ない。
(4) 当裁判所の判断
 仮に1月25日に被告人が丙を訪ねた事実がなかったとするならば,被告人の
アリバイ主張は虚偽ということになるから,まず,この点に関する丙の供述につ
いて検討する。
 上記(3)で見たように,丙は,昭和63年12月20日ころと平成元年1月20日前
後の被告人の訪問に関する質問に対しては,缶コーヒーを飲んだことや階段の
踊り場で話をしたことなどについて具体的に記憶を喚起した上で,「調書に書い
てあるならば,それが本当である。」旨の供述をしていることから,上記の2回の
訪問については調書記載の事実を認定することも可能といえるが,1月25日に
関しては,丙自身が再三強調するように,丙にはその日の行動についての記憶
が現在のところ全くないのであって,その日の行動について具体的な記憶を喚
起することなく,平成元年当時に警察において1月25日に被告人に会っていな
いと述べているのであれば,それが本当であろうという旨の供述をしているにす
ぎない。検察官は,この供述をもって丙が1月25日に被告人に会っていない旨
の供述をしたとして,被告人のアリバイ主張は虚偽である旨主張するのである
が,上記の供述は,1月25日の行動について具体的に記憶を喚起した上での
供述とは認められないから,丙が1月25日に被告人に会っていない旨供述した
とは到底いえない。また,丙は,1月25日にXが失踪したとの事実を知らず,平
成元年当時から「1月25日」の持っている具体的な意味合いを全く意識していな
かったことからすると,弁護人が主張するように,平成元年当時の取調べにおい
て,丙が供述したのは,「被告人に対しては覚せい剤を譲ったりしていない。だか
ら,被告人が自分から覚せい剤を譲ってもらったと供述する1月25日に会ってい
るはずがない。」ということにすぎない可能性もある。以上の検討からするなら
ば,丙の上記供述をもって1月25日に被告人が丙を訪ねた事実がなかったとは
いえない。
 さらに,被告人が何回か丙を訪ねて覚せい剤を持っていないか聞いてきたこと
自体は丙も認めていることから,被告人が丙のところに覚せい剤を買いに行くこ
と自体が不合理とはいえない上,丙が,公判廷において,「被告人がmパチンコ
でパチンコをしているのを見かけたことが最低1回はある。昭和63年12月20日
ころ及び平成元年1月20日前後以外にもパチンコをしていたことがあるというこ
とは記憶と矛盾しない。」旨の供述をしていることからすると,昭和63年12月20
日ころと平成元年1月20日前後のほかにも被告人が丙を訪ねてきたことがあ
り,その日が1月25日であった可能性も否定できないところである。
 他方で,丙の上記供述によっても被告人のアリバイ主張が裏付けられている
わけではなく,その他関係各証拠を見ても被告人のアリバイ主張には特段の裏
付けはないといわざるを得ない。また,上記(2)でみたとおり,被告人のアリバイ
主張は,特に捜査段階の初期においてその変遷が著しく,その内容も虚偽であ
るところ,その変遷等の理由について,弁護人は,「被告人は,いずれ真犯人が
捕まれば,虚偽供述が問題視されることはなくなるだろうから,できれば,近所の
人妻との不倫や性懲りもなく覚せい剤に近づこうとしていたことを言わずにすま
せたいと考えても不自然ではない。」旨主張するが,3人の女性を殺害したとの
重大な嫌疑が自らにかけられている(被告人自身もその点についての認識はあ
った。)にもかかわらず,およそ犯罪とはならない上記の事情の発覚を防ぐため
にあえて虚偽のアリバイ主張を繰り返したというのは不自然といわざるを得な
い。また,被告人は,それまで執行猶予中の丙の名前を出すことによって同人に
迷惑がかかることを慮って取調官に対して丙の名前を出せなかったはずである
のに,丙の名前を出すに至って,丙から覚せい剤を実際に購入した旨の丙にと
って不利益な虚偽の内容を供述しているが,この点について被告人から説得力
のある理由は述べられていない。さらに,弁護人は,1月25日に丙のところに行
ったという点について,被告人は1月30日以降一貫して述べていると主張してい
るが,平成元年10月の取調べにおいて,1月25日に丙のところに行ったことを
否定する内容の上申書等(乙47,48)が作成されている上,丙に会った後でパ
チンコをして帰った旨の供述は公判廷において初めてなされたものであることか
らすると,供述の一貫性という点でも疑問がある(なお,平成14年6月の取調べ
における被告人の検察官に対する供述内容があいまいであることは否定できな
いが,10年以上前のアリバイに関する事実を供述するに当たって慎重な言い回
しをすることは無理からぬものがあり,この点が特に不自然であるとまではいえ
ない。)。
 以上の事情を総合すると,1月25日に被告人が丙と会っていなかったと断定
することはできないものの,他方で,被告人のアリバイ主張には裏付けがなく,
合理的な理由なくして幾多も変遷しているなどの事情を考慮すると,その供述の
信用性には疑問があるといわざるを得ず,X殺害に関して被告人のアリバイが成
立するとはいえない。
 なお,検察官は,被告人がアリバイの内容を変遷させ,虚偽のアリバイを繰り
返し主張するのは,被告人がまさに本件各殺人の犯人であるからにほかならな
い旨主張するところ,確かに平成元年1月の捜査段階におけるアリバイ供述の
経過は,被告人がX殺害に関与した疑いを強めるものであることは否定できな
い。しかしながら,アリバイ主張の変遷や虚偽のアリバイ主張という事実は,それ
単独で直接的に犯人性を推認するものではない。したがって,被告人の犯人性
を積極的に推認する他の証拠・事実を欠いている場合やそのような証拠等が不
十分な場合にまで,アリバイ主張の変遷や虚偽のアリバイ主張という事実のみ
によって被告人の犯人性が裏付けられるものではない。そこで,上記のアリバイ
主張の変遷等の事実については,以下に述べる客観的事実の中で被告人の犯
人性を積極的に推認する証拠・事実の検討を踏まえ,それらの事実等と総合的
に考察することとする。
3 被告人のX殺害に関する犯人性を裏付ける客観的事実について
(1) 検察官の主張の要旨
 検察官は,被告人がXの唯一の交際相手であり,平成元年1月25日夜に同女
を電話で呼び出したのは被告人であること,武雄ボウリングセンター駐車場で被
告人とXの車両が目撃された後,短時間のうちに同女は殺害されていること,X
の死体の損傷状況からみて被告人車両内において殺害されたと認められるこ
と,Xの乳房に被告人のだ液が付着していたこと,被告人車両の助手席シートに
Xが殺害される際に失禁して生じたと考えられる人尿の付着が認められること,
被告人の手にXを殺害する際に生じたと認められる損傷があったこと,Xが殺害
された際に着衣から脱落したと考えられる繊維が被告人車両内で発見されてい
ること,被告人は死体遺棄現場等に土地鑑があること,被告人の生活状況等か
ら見て被告人がXを殺害しても不自然ではないこと,被告人以外の容疑者が浮
上しなかったことなどの客観的事実を考え合わせると,被告人が,同日夜,Xを
電話で呼び出して武雄ボウリングセンター駐車場で会った後,些細なことで激高
して同女を殺害し,同女の死体を本件死体遺棄現場に投棄したとしか考えられ
ない旨主張する。
 そこで,以下,検察官の上記主張について検討する。
(2) 平成元年1月当時のXの交際相手
 Xが自らの交際相手についてEに話した内容は,第4の1(1)ウのとおりである
が,検察官は,XがEに対し一人の交際相手についてしか話していないことから,
平成元年1月当時,Xが交際していた相手は被告人のみであって,1月25日にX
を呼び出したのは被告人であったと主張する。
 しかしながら,EがXの交友関係全体を知り得たわけではなく,また,後述のと
おりXの着衣に付着していた精液が被告人のものであったと認められるが,その
ことからXの交際相手が被告人のみであったと即断することはできない。また,平
成元年1月当時,Xは電話による呼出しを受けて夕食後に外出することが多かっ
たと認められるが,その外出の頻度からすれば,被告人以外の人物からの呼出
しによっても外出していた可能性が高く,実際に被告人が乙と会っていた1月23
日夜にもXは外出しており,同日夜は被告人以外の人物と会っていたと認められ
る。さらに,1月25日にXが入浴や下着の着替えをせずに外出しているからとい
って,そのことが直ちに被告人との待ち合わせを意味するものとはいえない。
 以上のとおり,平成元年1月当時,Xが交際していた相手が被告人のみであっ
たとは認定できない。したがって,被告人がXの唯一の交際相手であることを前
提に,1月25日に電話でXを呼び出したのが被告人であったと認定することもで
きないばかりか,被告人以外の人物(男女を問わない。)からの呼出しであった
可能性も認められる。
(3) 武雄ボウリングセンターで目撃された車両
ア 問題の所在
 武雄ボウリングセンター駐車場において,1月25日午後8時前後に,X車両
とよく似た車両が駐車されているのが,後日X車両が発見された場所とほぼ同
じ場所において目撃されており,1月26日午前8時30分ころにも,上記発見
場所と同様の場所でX車両と同色の軽自動車が駐車されているのが目撃され
ていたとの事実関係から,Xが1月25日午後7時45分ころにX車両に乗って
自宅を出た後,同日午後8時前後に武雄ボウリングセンター西側駐車場に行
って同車両を駐車して施錠をした状態で遺留したとの事実が認められる。他方
で,同時刻ころ,被告人車両と似た車両が武雄ボーリングセンターの駐車場
に駐車されていた旨の目撃証言が存在するところ,仮に目撃車両が被告人車
両であったのであれば,被告人がXと武雄ボーリングセンターで落ち合った可
能性が高いといえる。
 この点について,検察官は,目撃者である丁の供述と鱗ステンレス製バイザ
ー付き軽トラックの消去捜査によって,1月25日夜に武雄ボーリングセンター
駐車場で目撃された車両は被告人車両であったと認められる旨主張するの
で,以下,その主張の当否について検討する。
イ 丁の供述内容
 被告人車両と似た装飾を付けた車両を目撃した丁の供述内容は以下のとお
りである。
 平成元年当時,釣り具の製造会社を経営し,ルアー(擬似餌)の開発に当た
っていたところ,ルアーに魚の鱗模様を表現することに関して大変苦心してい
た。平成元年1月25日水曜日の午後8時前ころ武雄ボウリングセンターに行
ったときに,国道34号線から武雄ボウリングセンター入口を入ってすぐ左側の
駐車場に駐車しようとしたら,自分の車の隣に鱗模様によく似た飾りの付いた
車が止められているのを見た。飾りはフロントガラス下部と運転席上部に付い
ていた。飾りとして貼ってあった鱗模様だけを鮮明に覚えていて,飾り全体の
構造・配置については余り記憶がなく,車体についてはよく覚えていない。当
時の自分の車は普通乗用車で1600CCくらいだったが,それと余り変わらな
いぐらいの大きさだった。その車はトラックであったが,軽のトラックか普通車
のトラックかは分からない。2トン車や4トン車ではなかった。当時,2トン・4ト
ントラックでないものは軽トラックという認識で警察に話をしていた。そのトラッ
クの色は白っぽかったという記憶である。ナンバープレートは見ていない。車
の運転席にはだれもいなかった。もし乗っていたならば,自分はその人物に,
この模様はどこから買ったのか聞いていただろう。そのトラックの荷台の横に
会社の名前とかの表示はなかったと思う。以上のような事情を警察官に話し
た。
 警察官に事情を話して10日か1週間ぐらい後,似たような車を見に来てくれ
と言われて確認に行った。駐在所の前の道路端で,夕方6時前後に通り過ぎ
る車を確認した。時間的には通り過ぎる一瞬のことだった。調書では駐在所の
中から見たという供述になっているが,今は中か外かどちらか分からない。車
のスピードは速かった。駐在所で見た鱗模様と,武雄ボウリングセンター駐車
場で見た鱗模様が同じものだったかどうかは分からない。駐在所で見たとき
に,上にランプみたいなものが一杯付いていることに気付き,何かえらい飾り
たててるなという印象を受けた。武雄ボウリングセンター駐車場ではそのライト
かミラーかそんなにたくさん付いているという記憶ではなかった。
 検察官から示された写真撮影報告書(甲127)添付の被告人車両の写真を
見ると,その写真の車両と同様に武雄ボーリングセンター駐車場で見たトラッ
クにもフロントガラス下部やその横に鱗模様の飾りがあって,それに光が反射
していたとの記憶がある。
ウ 当裁判所の判断
 丁の供述内容は,鱗模様の飾りの付いた車両の目撃状況を鮮明に記憶して
いた具体的な理由を挙げて説明するなど具体的で迫真性を持ち,体験者なら
ではの供述と評価できることからすると,その信用性は高いというべきである。
 検察官は,丁の目撃証言が得られたことから,鱗ステンレス製バイザー付き
軽トラックの消去捜査が実施され,福岡,佐賀及び長崎地区の自動車用品店
や佐賀県一円のステンレス加工業者に聞き込み捜査を行った上,佐賀県内の
各警察署に検問を指示して一般通行車両に鱗ステンレス製バイザー付き軽ト
ラックが存在しないか捜査したところ,鱗ステンレス製バイザーを付けた車両2
0台が発見され,そのうち7台が軽トラックであったが,いずれも武雄ボーリン
グセンター駐車場に出入りした事実はないことが判明した旨主張する。しかし
ながら,その証拠としてはi取調官の供述しか存在せず,上記捜査の具体的か
つ詳細な内容は明らかではなく,その供述どおりの捜査結果であったかはに
わかに確定し難い。仮にi取調官が供述するとおりの捜査結果であったとして
も,弁護人が指摘するとおり,上記捜査は,通信販売については捜査を行わ
ず,実施した捜査の対象も軽トラックに限定したものであるばかりか,実際の
検問も県内のみということで,武雄ボーリングセンターの駐車場が国道34号
線という幹線道路沿いであることをも考慮すると,その範囲はかなり限定され
たものであったといわざるを得ない。むしろ,そのような限定された捜査であっ
ても,鱗ステンレス製バイザー付き軽トラックが県内に7台も存在したというこ
とは,かかる形態の軽トラックが必ずしも希少というわけではないことを物語っ
ている。そうすると,上記捜査の結果明らかになった車両以外にも鱗ステンレ
ス製バイザー付きの軽トラックが,佐賀県内ないしその隣県において相当数
存在した可能性が残るというべきである。
 以上の検討からすると,信用性の高い丁の上記供述から,1月25日の午後
8時前ころにフロントガラス下部と運転席上部に鱗模様の飾りをつけた白っぽ
い色の,車体に社名等の表示がないトラックが武雄ボーリングセンター駐車場
に駐車されていたとの事実が認められ,そのトラックの特徴と被告人の車両の
それとは共通しているといえる。しかしながら,他方で,丁は,目撃した当該ト
ラックの鱗模様の飾り全体の構造・配置が被告人車両のそれと同一であると
供述しているわけではなく,また,当該トラックのナンバープレートは見ておら
ず,さらに,同車が軽トラックであったかどうかは分からないとしていることから
すると,鱗ステンレス製バイザー付き軽トラックに関する消去捜査の結果を併
せ考慮しても,目撃された当該トラックが被告人車両であったと断定できない
ばかりか,被告人車両以外の車両であった可能性も否定できない。
(4) 被告人車両内におけるXの受傷可能性
ア 鑑定内容
 平成元年6月5日,被告人車両の実況見分において,V教授が被告人車両
内におけるXへの加害状況の再現を行った。
 次いで,V教授が,押収された被告人車両を用いてXの死体の損傷状況と被
告人車両内部の部品の特徴を対比検討し,同女の死体に残っていた損傷が
被告人車両内において生じる可能性の有無について鑑定したところ,まず,X
の解剖写真撮影報告書と被告人車両を鑑定資料とした鑑定(甲149)におい
ては,Xの死体の損傷のうち,(1)左前頭部髪際部のほぼ上方に4×3センチメ
ートル大の淡紫色変色部,(10)上記(1)の損傷皮下に5×6センチメートル大の
出血及び骨膜下の出血(脳においてはこれらの出血部に相当する左前前葉
部にほぼ鶏卵大のくも膜下出血),(13)左大腿外側で膝蓋骨上縁の上方約10
センチメートルの高さの部位に前後に走る長さ5.5センチメートル,幅3センチ
メートルの帯状暗赤紫色変色部,(14)左膝蓋のほぼ中央部に1.1×0.3セン
チメートル大の表皮剥脱,(20)右大腿外側下部に1.5×0.7センチメートル
大及び0.8×0.5センチメートル大の淡青色変色部,(21)右膝蓋骨外側部に
ほぼ水平に走る1×0.2センチメートルの表皮剥脱及び(22)右下腿前面中央
部に径約3.5センチメートルのほぼ円形を呈する淡青色変色部は,少なくとも
被告人車両助手席部での打撲圧迫作用あるいは擦過的作用で生じたものと
して矛盾はないとされた。
 さらに,平成元年6月9日付け写真撮影報告書(甲146)及び同月12日付
け実況見分調書(甲147)を鑑定資料とした鑑定(甲151)においては,「加害
者が被害者を急激に押し付けた場合,上記(1)の左前頭部の皮下,骨膜下,
脳前葉くも膜下出血を伴う損傷は,シートベルト取付け部の突出部での打撲
的圧迫作用により十分生じ得る。上記(13)の左大腿外側部の前後に走る5.5
×3センチメートル大の変色部は,助手席ドア内側のプラスチック製巻き上げ
式ドアーガラス開閉用ハンドルの高さと極めて一致している。そのハンドルの
長軸が上下方向に位置していたとすれば,上記(13)の左大腿外側部の損傷
は同ハンドルの圧迫作用により生じたとして全く矛盾はない。両側膝蓋部周辺
の諸損傷(上記(14)及び(21))は,鼻口孔閉塞から逃れるために被害者身体が
前方に移行したとすれば,助手席グローブボックス下縁部に突出している止
めネジでの擦過的あるいは打撲的作用により生じる可能性があり,上記(20)
の損傷は,同姿位のときにグローブボックス下縁部での圧迫的作用により生
じたものと思料される。上記(22)の右下腿前面中央部の径約3.5センチメート
ルのほぼ円形を呈する変色部は,前記膝蓋部周辺の損傷受傷時にグローブ
ボックス下側奥のプラスチック製吸引口での打撲的圧迫的作用によって生じ
たものとして矛盾はないものと思料される。」とされ,右頸部圧迫及び鼻口孔
閉塞時に生じたと思料される損傷以外の損傷の一部が,被告人車両の助手
席部で,同車両内部の部品の打撲圧迫作用あるいは擦過的作用により生じ
たものとして矛盾はないとされた。
イ 検 討
 被告人車両内におけるXの受傷可能性に関する鑑定の結論は,Xの損傷が
被告人車両内において生じたと考えても「矛盾しない」というに過ぎない。確か
に,V教授は,公判廷において,「矛盾しない」ということは「可能性が十分あり
得る」という趣旨であると供述しているが,他方で,車両はほとんど同じ構造を
していることから,被告人車両内で生じたものと断定はできないとも供述してい
るように,Xの死体に見られる損傷は,被告人車両と同様の設備・装置を有す
る軽トラック等の車両等であれば,十分成傷可能なものというべきである。検
察官は,Xの損傷のうち両側膝蓋部周辺の諸損傷は,被告人車両の助手席
グローブボックス下縁部に突出している止めネジにより生じた可能性があり,
被告人車両と同様にグローブボックス下縁部の止めネジが突出している型式
の車両の消去捜査から被告人車両以外にそのような損傷は付き得ないことが
明らかになった旨主張する。しかしながら,上記鑑定からは,当該損傷が上記
止めネジによって生じた可能性が認められるに過ぎず,同止めネジと同様の
突出部がある車両内においても同様の損傷が生じ得ることからすると,他の
車両には同止めネジのような突出部が存在せず当該損傷が生じる可能性が
ないこと,あるいは,少なくともその可能性が乏しいことを立証しない限り,いく
ら被告人車両と同型式の車両の消去捜査をしたところで被告人の犯人性に関
してはほとんど無意味というほかない(なお,車両の消去捜査に関する証拠と
してはi取調官の供述以外に存在せず,いかなる捜査がなされたのかその詳
細は不明であって,その捜査結果に関する供述内容の信用性には一定の留
保を付けざるを得ない。)。
 以上の事情からすれば,上記鑑定の結果は,被告人車両内でXが殺害され
たとしても矛盾しないというものに過ぎず,被告人の犯人性を積極的に推認す
るものとはいえない。
(5) Xの乳頭部・ブラジャーに付着しただ液
 Xの乳頭部に付着しただ液及びXのブラジャーの付着物に関する鑑定の内容
については,上記第4の4(1)イ及びカのとおりであるが,それらの結果を総合す
ると,Xの乳房に(主として乳頭部に)被告人のだ液が付着していた可能性が極
めて高いと認められる。
 ところで,上記第4の4(1)イ及びウの各鑑定の内容から,Xが死亡前において
性交渉を持ったと思われる痕跡が認められるが,上記第4の4(1)エから認めら
れるXの膣内の精子の状況等からすると,その性交渉はX死亡の約1日前と認
められ,しかも,上記第4の4(1)オによれば,その精液のDNA型が被告人のそ
れと一致するということであるから,Xが死亡する1日前である1月24日に被告
人がXと性交渉を持ったとの事実が認められる(この点は,上記第4の前提事実
において認定したとおり,1月24日夜にもXが外出していること等からも裏付けら
れている。)。
 そうすると,被告人のだ液がXの乳房に付着していたとの事実が認められると
しても,被告人がXと1月24日に性交渉を持ったのであれば,その際に被告人
のだ液がXの乳房に付着し,そのだ液がブラジャーに付着したことも十分考えら
れる。そして,Xが1月24日夜に外出してから1月25日に失踪するまでの間に入
浴したとの事実は認められないことから,X死亡時において上記だ液がXの乳房
やブラジャーに付着したままの状態であった可能性も十分認められる。
 このように,被告人のだ液がXの乳房に付着していたことは,被告人が1月25
日にXと接触したことのみを推認するものではなく,1月24日における被告人とX
との接触の事実をも推認していることからすると,だ液付着の事実は被告人の犯
人性を積極的に推認するものとはいえない。
(6) 被告人車両の助手席シートの尿斑
ア 鑑定内容
(ア) 4月26日,被告人車両について実況見分がなされ,尿予備検査のた
め,ダック試薬を噴霧したところ,座席シートの助手席部に16×8センチ大の
楕円形状に陽性反応が認められた。精液予備検査のため,SM試薬を噴霧し
たが,陰性であった。また,血痕予備検査のため,ルミノール試薬を噴霧した
ところ,運転席ドア内側ほか3箇所が若干ながら蛍光を発したので,同箇所を
ガーゼ片で拭きとり,ロイコマラカイトグリーン試薬で検査したが陰性であっ
た。
(イ) これに関して,警察庁科学警察研究所技官oらによって,被告人車両の
助手席のビニールシートやその裏地などについて,人尿の付着の有無等につ
いて鑑定が行われた。まず,BTB試薬による間接的な尿素検査を行ったとこ
ろ,ビニールシートやその裏地に陽性反応が認められたため,次いで,DGT
試薬による直接的な尿素検査を行ったところ,陽性反応部位が認められ,尿
素が付着していることが証明された。その後,ウリカーゼ試薬を用いて,分光
光度法による尿酸検査を行った結果,いずれも人尿中の尿酸の290ナノメー
トルに極大波長を有する吸収特性と同一の吸収を示し,ウリカーゼ添加により
その吸収特性は消失したことにより,尿の付着が証明された。さらに,抗人血
清及び抗ヒトウロムコイド血清を用いて沈降電気泳動法により,人尿検査を行
った結果,陽性ないし弱陽性の反応を示したことから,人尿であることが証明
された。
 人尿の付着が認められたことから,凝集素価8倍に調整したヒト抗A血清・抗
B血清及びニワトリ抗H血清並びに凝集素価8倍に調整したウサギLe血清を
用いて凝集阻止試験によるABO式血液型検査及びルイス式血液型検査を実
施したところ,凝集阻止試験の結果からすれば,血液型はAの分泌型と考えら
れるが,凝集阻止価が極めて低いこと,対照部位においても凝集素を若干阻
止したことから,資料のビニールシート自体の表,裏地の材質に血液型様物
質が存在するか,あるいはちりやほこりに由来する血液型物質が,限外濃縮
操作によって濃縮され,各凝集素を阻止した可能性も考えられるため,人尿の
血液型は不詳とされた。
 また,尿の付着状態については,ビニールシート表面に付着した尿が3条の
ミシン縫合による針穴などから,部分的に裏面に浸透し,ビニールシートの裏
地に付着したのではないかと考えられるとされた。なお,oによれば,尿が付着
してから上記鑑定を行うまでに1年以上もたっていないと思われるとのことで
あった。
イ 検 討
 Xが殺害時に失禁していたことは,上記第4の4(1)イにおいて認定したよう
に,そのパンティー等に尿が付着していることからも明らかである。したがっ
て,被告人車両の助手席シートに尿の付着が認められることは,上記失禁の
事実と符合しており,被告人の犯人性を推認する重要な事実といえる。ただ
し,同助手席シートに付着していた尿の血液型は不詳ということであった。
 なお,Xのパンティー,ガードル及びパンティストッキングには尿の付着が認
められるのに対して,スカートには尿の付着が認められないことから,弁護人
は,被告人車両の助手席の尿はXとは関係ないものである旨主張するが,失
禁時にスカートがまくれ上がっていたために尿が付着しなかった可能性等も認
められることからすると,スカートに尿の付着がないことは,必ずしも被告人車
両内でのX殺害の事実を否定する事情とはいえない。
(7) 被告人の手の負傷
ア 鑑定内容
(ア) 平成元年1月28日の取調べにおいて,被告人の右手中指背側中節部
と右手背部に傷があったことから,これを写真撮影した。
(イ) そこで,この写真等をもとに,平成14年にV教授が鑑定したところ,「右
手背内側部の損傷(甲損傷)は,表皮剥脱と思料され,特に楔状の表皮が下
方に向いていることから,本表皮剥脱を成傷した小鈍体は上方から下方に向
かって作用したものと思料される。甲損傷の成傷器を断定することは困難では
あるが,色調の濃い正三角形の底辺が下凸の弧を描いていることより,指を
曲げた状態での爪による擦過的作用で生じたとしても矛盾はないものと思料
される。甲損傷が褐色調を呈するのは表皮の剥脱部位が乾燥したための色
調であり,痂皮形成の所見は認められない。したがって,甲損傷の成傷時期
は写真撮影日の2ないし3日前と推測される。右第3指中節関節後面の損傷
(乙損傷)は,極めて小さく,損傷全域が均一な色調ではないゆえ,表皮剥脱
あるいは皮内出血とは思料し難く,あえて考察するならば,四弁の花弁状の
形状を有する極めて小さい鈍体での打撲作用により生じたとする皮内出血
か,小鈍体での擦過的作用で生じたものと考えられるが,そのいずれである
かの判断は不可能である。したがって,創傷の種類,成傷方向は不詳であ
る。乙損傷は,皮内出血であれ,表皮剥脱であれ,成傷から写真撮影までの
時間は約2ないし3日と推測される。」との鑑定がなされた。
イ 検 討
 被告人の負傷に関する鑑定について,そのような鑑定を行うに際しては傷の
色調が重要とされながら,V教授自身が公判廷において認めるように,写真の
現像による色調の違いの影響は排除できないことからすると,写真のみによっ
て当該傷が当該撮影から二,三日前に成傷されたものと言い得るのか疑問が
ないわけではない。また,仮に当該傷が撮影の二,三日前,つまりXが殺害さ
れた1月25日に成傷されたものであったとしても,当該傷は,その状況・程度
からして日常生活においても生じる可能性が高いものであり,特にその当時,
肉体労働に従事していた被告人においては受傷の可能性がより高いことから
すると,当該傷の状況等のみからこれがX殺害時に生じたものと認定すること
はおろか,推定することもできないというべきである。そもそも,当該鑑定の結
論も指を曲げた状態での爪による擦過的作用で生じたとしても矛盾はないと
いうに過ぎない一方で,当該傷がX殺害時に成傷した可能性を示唆する証拠
は(被告人の自白を含めて)一切ないことからすると,被告人の手に当該傷が
あるという間接事実自体は,本件の事件性・犯人性にほとんど影響しないとい
わざるをえない。
 なお,検察官は,当該傷に関する被告人のi取調官らに対する供述が変遷し
ている旨主張し,そのことをもって当該傷とX殺害との関連性を強調するが,そ
の供述の変化は特段不自然とはいえず,そのことをもって被告人の犯人性を
裏付ける事情の一つとは言い難い。
(8) 被告人車両内から発見された繊維
ア 鑑定内容
(ア) 被告人車両内から採取された微物の中から動物毛ようの物が発見され
たことから,科学捜査研究室において,Xが殺害時に着用していた本件カーデ
ィガンの繊維と比較したところ,両者は似ているとされた。
(イ) 次いで,警察庁科学警察研究所技官pによる鑑定によれば,「被告人車
両の床底面から採取された白色毛髪ようのもの10本(資料1)は,いずれも動
物毛で,うち2本がネコの上毛,他の8本がヒツジの毛である。ヒツジの毛の中
には羊毛,粗な羊毛,粗毛があるが,資料1には羊毛,粗な羊毛,粗毛のいず
れもが認められ,資料2の本件カーディガンはいずれもヒツジの毛で,その多
くは羊毛,粗な羊毛であるが,粗毛も混じっている。資料1と資料2はいずれも
羊毛,粗な羊毛,粗毛の3種類のヒツジの毛のタイプが混在しており,更に特
別な処理,染色もされていないので,いずれも原毛に近い形で取られた状態
の毛ということになり,形態的に良く類似している。」との鑑定結果が得られ,
資料1の動物毛が資料2の本件カーディガンから離脱したとして矛盾しないと
された。
(ウ) さらに,兵庫県警察技術吏員qらによる,被告人車両内から採取された
ケンプと呼ばれる羊毛繊維(資料1)と,本件カーディガン(資料2)からケンプ
と思料されるものとして採取した羊毛繊維の蛍光X線分析等の内容は以下の
とおりである。
 大型放射光施設(Spring-8)を利用したシンクロトン放射光蛍光X線分析の
結果について,検出された元素のピーク強度を読み取り,その値と硫黄のピ
ーク強度に対する比を分析した。その結果,資料1と資料2はいずれも硫黄に
対するカルシウムの強度比が1.0以上の点が類似し,強度比のばらつきの
範囲に重なりが認められる。レーザー顕微鏡による表皮の形態観察によれ
ば,表皮を構成している鱗片状組織がささくれだった状態が共通に認められ,
表皮の形態が類似していた。以上から,資料1は資料2から抜け落ちた物と考
えて矛盾はないとする。
(エ) 加えて,警察庁科学警察研究所技官rによる鑑定は,「被告人車両内か
ら採取された羊毛繊維(資料1)と,本件カーディガンから抜き取った羊毛繊維
(資料2)について,外観検査,光学顕微鏡検査によれば,すべての鑑定資料
に鱗片状構造が観察され,羊毛に類似するとの結果が得られ,顕微蛍光光度
計による検査によれば,478ナノメートルに蛍光の発光極大が認められる資
料が資料1と資料2のそれぞれに存在し,蛍光の発光極大が一致したが,こ
の蛍光は微弱なもので,蛍光染料により染色されているというよりも,蛍光剤
を含んだ洗剤によって洗浄されたなどの同一の外因によるものとするのが妥
当であるとの結果が得られた。したがって,資料1及び資料2はそれらの形態
的な類似性及び微弱な蛍光特性をかんがみると,同一由来のものと考えて矛
盾はしない。結論として,資料1及び資料2は染色処理を受けていないと考え
られる。」という内容である。
イ 検 討
 上記の各鑑定内容からすると,被告人車両内から発見された繊維について
は,それらが本件カーディガンの繊維に類似するとはいえても,それに由来す
るものとまでは認定できず,他の衣服に由来する可能性も否定できない。しか
も,被告人は,昭和63年12月上旬ころからXと交際しており,Xが本件カーデ
ィガンを購入した以降においても何度か被告人車両に乗車した可能性が十分
認められることからすると,その際にXが本件カーディガンを着用し,その繊維
が被告人車両内に脱落する機会は十分あったといえる。そうすると,仮に上記
繊維がXの本件カーディガンに由来するものであったとしても,そのことは1月
25日における被告人とXとの接触を裏付けるものとはいえず,ましてや被告
人とX殺害の事実とを結びつけるものではない。したがって,この点も被告人
の犯人性を推認する事実とはいえない。
(9) 被告人が本件死体遺棄現場等に土地鑑があること等
 本件死体遺棄現場が,被告人方から数百メートルの地点にあり,被告人が同
現場周辺の状況を知っていたことは,検察官が主張するとおりである。しかしな
がら,本件死体遺棄現場には投棄されたと思われる多数の物品が発見されてお
り,それらは付近住民のみならず町道α線を通行する者らによって投棄された
可能性が十分あることからすると,本件死体遺棄現場付近に土地鑑のない人物
であっても,同現場に死体を遺棄する可能性はあり,本件死体遺棄現場に土地
鑑があるからといってXらの殺害及びその死体遺棄の事実を推認するものとは
いえない。
 なお,1月27日,被告人車両を写真撮影した際にその荷台にヤマノイモの葉と
サヤエンドウに似た植物片があったのを警察官が現認したが,本件死体遺棄現
場にも同じ植物が群生していたことから被告人と本件死体遺棄現場との間で結
びつきがある旨検察官は主張するが,1月27日に被告人車両の荷台にあったと
される植物片等については写真等による証拠保全がなされておらず,同植物片
等が真実被告人車両の荷台にあったのか疑問がないわけではない。仮にその
ような植物片等が被告人車両の荷台にあったとしても,当該植物が本件死体遺
棄現場にのみ群生する特殊なものであったとの事実は認められない上,当該植
物が本件死体遺棄現場周辺に広く自生しているのであれば,同現場付近に居住
する被告人が使用する車両の荷台に上記植物片等が存在していても何ら不自
然ではないのであるから,検察官の主張は根拠に乏しいものといわざる得ない。
 また,Xの所持品の投棄状況からうかがわれる逃走経路の延長線上に被告人
方があり,かかる事実が被告人の犯人性を推認させる旨検察官は主張するが,
かみや旅館前の自動販売機横に設置された空き缶入れ(赤色ポリ容器)内の左
奥からXのメモ帳が見つかり,次いで,いくつか空き缶を取り除いた後で同容器
の真ん中あたりで玉屋おたのしみ会お買物票と同会会員証が発見されたとの事
実からすると,それぞれ別の機会に捨てられた可能性が否定できないように,そ
の発見状況からは発見された所持品すべてがX殺害直後に投棄されたものとは
断定できない。しかも,検察官が主張する順路で所持品が投棄されたとする証
拠もないことからすると,上記の検察官の主張は推測の域を出ないというべきで
ある。
(10) 被告人の生活状況等
ア 平成元年1月25日当時の被告人の生活状況及びXとの交際状況
 検察官は,被告人がXを肉体関係だけが目的の交際相手だと考えていたこ
と,既にY及びZを殺害していたことから殺人に対する心理的な抵抗感がなか
ったこと,当時飲酒の影響により犯意形成に至りやすい状態にあったことなど
本件当時の被告人の心理状態やXとの交際状況等から,被告人がXを殺害し
ても不自然ではない旨主張する。確かに,本件当時,被告人は結婚をも考え
た上で乙と交際しており,Xとの交際は肉体関係が主目的であったと認められ
るが,そのような交際をしていたからといって,そのことがX殺害に直接結びつ
くものとはいえず,その他にも被告人がXを殺害しなければならない動機・理
由をうかがわせる事情は見当たらない。また,後記のとおりY及びZを殺害した
のが被告人であるとの前提自体が認められない。さらに,1月25日夜,被告
人が夕食の際に飲酒していたとの事実が認められるものの,同日までに被告
人が飲酒の上で他人に暴行を加えたとの前科前歴はなく,その他にも,その
当時,被告人が飲酒の影響により激高しやすい性状であったことをうかがわ
せる事情は全く認められない。検察官は,被告人が飲酒の上で様々な女性に
誘い出しの電話をかけていたことなどを根拠にしているが,飲酒時にそのよう
な行動を取るからといって激高しやすい性状にあるというのは論理の飛躍が
あって説得力がない。
 以上のとおり,この点についての検察官の主張は理由がない。 
イ 平成元年1月以降の被告人の生活状況
 被告人は,Xらの殺害の事実が発覚し,いずれ自分が犯人として検挙される
のは必至と考えて精神的に不安定な状態となり,無断でc商店を辞めて覚せ
い剤を多用したり,北方町を離れて福岡に移り住むなどした旨検察官は主張
するが,被告人が覚せい剤の使用するようになったのは少年時からであって,
平成元年以前においても覚せい剤による前科2犯を有していたこと,X失踪前
の1月20日前後にも丙のところに行って覚せい剤を入手しようとしていたとの
事実が認められることからすると,X殺害と被告人の覚せい剤使用との間に具
体的な因果関係があるとは言い難い。また,c商店を辞めて福岡に移り住むな
どした事実とX殺害との間の関連も不明確で,被告人の犯人性を裏付ける事
情とは言い難い。
(11) 本件捜査の経緯及び被告人以外の容疑者が浮上しなかったこと
 検察官は,捜査の初期段階から被告人が容疑者として浮上し,その後の捜査
で被告人以外の容疑者は現れなかった上,平成元年10月の取調べで被告人が
Xらの殺害について自白するに至っており,このような一連の捜査の経緯を見れ
ば,被告人がXら殺害の犯人であるのは明白である旨主張するが,そもそも犯
人性は捜査の結果得られた証拠資料によって認定するものであって,捜査の経
緯・状況そのものは犯人性を基礎づける事情とはなりえない上,X殺害に関して
どのような捜査がなされ,どの程度犯人の絞り込みがなされていたかその詳細
が明らかではない以上,他に容疑者が浮上しなかったことが被告人の犯人性を
裏付ける事情になるとは到底いえない。
4 総合考察
 関係各証拠の中で被告人がXらを殺害したことを直接的に裏付ける証拠はないこ
とから,被告人の犯人性を積極的に推認する証拠・事実を総合することによって被
告人の犯人性を認め得るか否かを決することになる。
 上記第4の前提事実及び上記3(1)の検察官の主張の要旨において取り上げられ
た証拠・事実について検討するに,被告人の犯人性を積極的に推認する事実とし
ては,1月25日夜,Xが殺害されたとされる時間帯に被告人が外出していたこと,X
と被告人が当時交際していたこと,Xは電話を受けてすぐに外出しているところ,そ
れまでの交際において被告人はXを電話で呼び出していたこと,同日夜,X車両が
駐車されていた武雄ボーリングセンター駐車場において,被告人車両と特徴が似
たトラックが目撃されていること,Xは外出して武雄ボーリングセンター駐車場にX
車両を止めてから間もなくして殺害されていること,Xは殺害時に失禁しているとこ
ろ,被告人車両の助手席シートに人尿が付着していたこと等の事実が挙げられる
ものの,その他の事実については,被告人の犯人性に影響しないか,せいぜい被
告人がXを殺害したと考えても矛盾しないという程度のものにすぎないというべきで
ある。
 そこで,上記の被告人の犯人性を積極的に推認する事実を総合してみると,ま
ず,1月25日における被告人及びXの外出状況,両名の交際状況,武雄ボーリン
グセンター駐車場において目撃された車両の状況からすれば,1月25日夜に被告
人が被告人車両を運転して武雄ボウリングセンター駐車場に赴き,Xと接触した可
能性が相当程度あり,次いで,Xの死亡推定時間や被告人車両内での人尿の付着
状況からすれば,被告人が被告人車両内でXを殺害した可能性も認められる。
 しかしながら,他方で,被告人が1月25日夜に丙と会っていた可能性も完全には
排除できない上,Xが被告人以外の人物からの呼出しにより外出した可能性も存す
る。また,前述したとおり,武雄ボーリングセンター駐車場で目撃された車両が被告
人車両であったとは断定できず,被告人車両以外の車両であった可能性も否定で
きない。さらに,被告人車両助手席シートの人尿の付着に関しても,その人尿の血
液型は不詳とされており,その人尿とXとの結び付きが積極的に立証されているわ
けではないから,その証明力にはやはり限界がある一方で,被告人の服役中に被
告人車両が他人に貸与されていたことから,被告人が了知していない範囲で同車
両の助手席シートに人尿が付着する可能性も否定できない。
 以上の事情を総合すると,1月25日に被告人がXと接触した可能性が相当程度
あると認められるものの,それはあくまでも可能性の範囲内にとどまっており,1月
25日の夜に武雄ボーリングセンター駐車場において被告人がXと接触した旨認定
することはできない。このように,被告人の犯人性を積極的に推認する証拠・事実
が不十分である本件にあっては,前述のアリバイ主張の変遷等の事実を考慮して
も,被告人がX殺害の犯人であることは,なお可能性の範囲内にとどまっていると
いわざるを得ず,合理的な疑いを超えて被告人がXを殺害した犯人であると認定す
ることはできないと解する。
第6 Yに係る殺人被告事件についての当裁判所の判断
1 事件性について
 上記のとおり,Yの死因は不明であって,その死亡が他為によるものか否かは客
観的に明らかとはいえない。しかしながら,失踪当時,Yに自殺しなければならない
ほどの事情があったとは認められず,またYが重篤な疾病を患っていたとの事情も
認められないことに加え,Yと本件死体遺棄現場との間に何らの関連もなく,同人
が本件死体遺棄現場に赴く理由も見当たらない。加えて,他殺であると認められる
X及びZ(Z殺害については後述の第7参照)の死体と非常に近接した場所でYの白
骨死体が発見されていること,同現場においてYが自殺したことをうかがわせる痕
跡は認められないことをも考慮すると,YについてもX及びZと同様に何者かによっ
て殺害され,本件死体遺棄現場に遺棄された可能性が高いというべきである。
 なお,検察官は,失踪当時にYが着用していたと認められるサマーセーターに鋭
利な幅のある刃物等による損傷は発見されなかったこと,残存しているYの遺骨に
損傷が認められないことから,少なくとも鈍器による強打や鋭利な刃物による刺突
等の方法で殺害された可能性は低いと主張するが,上述のとおりYの死因につい
ては不明である以上,Yの殺害方法についても不明というほかない。
2 犯人性について
 検察官は,Yが昭和62年7月8日夜に行方不明になった状況や死体発見の状況
からXを殺害した犯人がYも殺害したと認められること,被告人のその当時の生活
状況とYが行方不明になった後の生活態度の変化,被告人以外にY殺害の容疑者
は浮上していないこと等を考え合わせると,被告人は,同日夜,帰宅途中のYを見
て同人と性的関係を持ちたいと考え,同人を自己の自動車に乗せて強姦し,その
後,同人を殺害して本件死体遺棄現場に投棄したと認められる旨主張する。
 しかし,被告人がXの殺害犯人とは認められないことは前述のとおりである上,被
告人自身はYと面識がないとしつつ,「お俊」等の飲食店においてYと会った可能性
自体は認めている(なお,検察官は,この点に関する被告人の捜査段階の供述(乙
100)があいまいだとして,被告人がYと面識があったことの証左であるかのように
主張するが,年月の経過によって記憶があいまいになり自信がなくなったため,上
記のような供述がなされたとしても特段不自然とはいえない。)ものの,被告人がY
と面識があったとの確たる証拠は何ら存在せず,結局のところ,被告人とYとの接
点については不明というほかなく,Yが失踪した昭和62年7月8日に被告人がYと
接触したことを裏付ける証拠は見当たらない。また,生活状況の変化や被告人の
性状も殺人という行為に直接結びつくものとはいえない上,被告人がそれまでに頻
繁に車両を買い換えていたとの事情にかんがみると,使用車両の売却という事実
も被告人の犯人性を推認するものとはいえない。なお,検察官は,Yが殺害された
とする昭和62年7月8日の翌日である同月9日に被告人がd生コンを休んでいたと
の事実も,被告人のY殺害を推認する事実の一つとして主張するが,被告人の供
述によれば,当時,d生コンのほかにも月に二,三回は他の工場に行っていたとい
うのであるから,同日も他の工場に働きに行っていた可能性があった上,当時,c
商店の従業員は仕事の割り振りの関係により交替で休むことも月に7日程度はあ
ったというのであるから,同日の休みが被告人側の事情によるものかどうかも定か
ではなく,結局のところ,被告人が同日d生コンを休んでいるとの事実は被告人の
犯人性に影響を及ぼす事実とは言い難い。さらに,被告人以外に容疑者が浮上し
なかったとの主張も,そもそもY殺害に関する捜査の全容が不明であるところ,Y殺
害の容疑者がある程度限定されている場合において消去捜査によって被告人に絞
り込まれたとするのであればともかく,いかなる人物がYを殺害したのかその犯人
像が全く絞れていない本件の事情にかんがみれば,この点は,およそ犯人性を裏
付ける事情とはいえない。
 以上のとおり,Y殺害について被告人の犯人性を裏付ける事情は認められず,被
告人の犯人性を肯定できない。
第7 Zに係る殺人被告事件についての当裁判所の判断
1 事件性について
 上記のとおり,Zの死因は,扼頸による窒息であって,他為によると認められる。
加えて,失踪当時,Zに家出をする理由は見当たらず,Zと本件死体遺棄現場との
間に何らの関連もなく,同人が本件死体遺棄現場に赴く理由も見当たらず,同人が
本件死体遺棄現場において自殺したような痕跡も認められないことからすると,Z
は何者かによって殺害され,本件死体遺棄現場に遺棄されたものと認められる。
 なお,Zの死亡推定時間は食後1時間ないし2時間以内であったと思料されること
から,Zは,昭和63年12月7日午後8時前後から同日午後9時前後までの間に殺
害されたものと認められる。
2 犯人性について
 検察官は,Xの殺害犯人と同一人物がZを殺害したと認められること,Zは,昭和
63年12月7日夜,自宅を出て北方スポーツセンターに向かう途中で行方不明とな
り,その直後に殺害されていること,被告人は,同日夜,c商店の勤務を終えた後,
焼鳥屋「石松」で飲食して帰宅する途中,北方スポーツセンターに向かうZと遭遇す
る機会があったと認められること,被告人は,本件当時,覚せい剤の使用や飲酒の
影響で激高しやすい状態にあったと考えられること,被告人以外にZを殺害した疑
いのある容疑者は浮上していないことなどを考え合わせると,被告人が焼鳥屋「石
松」から帰宅する途中,丸商ニット付近において,北方スポーツセンターに向かうZ
と遭遇し,被告人車両にZを乗車させ,扼頸により窒息死させて殺害した上,同人
の遺体を本件死体遺棄現場に投棄したと認められる旨主張する。
 しかしながら,被告人がX殺害の犯人とは認められないことは前述したとおりであ
る。また,被告人自身もZが失踪した当日に焼鳥屋「石松」に行った可能性自体は
否定していないものの,検察官が指摘する昭和63年12月7日の焼鳥屋「石松」の
売上伝票(甲479)からは同日に被告人が同店に来店したと認定することはでき
ず,したがって,被告人がその帰路にZ方近くの丸商ニット付近においてZと遭遇し
たとの事実も認められない。そもそも検察官の主張自体が遭遇の可能性を問擬し
ているものに過ぎず,その可能性が高かったともいえない。結局のところ,関係各
証拠からは,昭和63年12月7日夜に被告人がZと遭遇したとの事実は認められな
い。さらに,被告人が同日飲酒していたか不明であり,覚せい剤を使用していたか
否かも不明であって,結局のところ,同日の被告人の精神状態等がどのようなもの
であったのかも全く不明であって,検察官の主張は想像の域を出ない。さらに,被
告人以外の容疑者が浮上しなかった点も,Yに関して述べたのと同様に,およそ犯
人性を裏付ける事情とはいえない。
 以上のとおり,Z殺害について被告人の犯人性を裏付ける事情は認められず,被
告人の犯人性を肯定できない。
第8 結 論
以上の検討によれば,Xに係る殺人被告事件については,被告人が同事件の犯人
であると認めるには合理的な疑いが残り,Yに係る殺人被告事件については,その
事件性にも問題があるところ,仮にこれが肯定されるとして,被告人が同事件の犯
人であることを積極的に推認する証拠・事実は存在せず,さらに,Zに係る殺人被
告事件についても,被告人が同事件の犯人であることを積極的に推認する証拠・
事実は存在せず,結局,被告人に対する本件各公訴事実についてはいずれも犯
罪の証明がないことになるから,刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言
渡しをすることとする。
   よって,主文のとおり判決する。
(求刑 Y殺害について無期懲役,Z及びX殺害について死刑)

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