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平成22年5月26日判決言渡
平成21年(行ケ)第10340号審決取消請求事件(特許)
口頭弁論終結日平成22年5月19日
判決
原告株式会社MIC
訴訟代理人弁理士青谷一雄
被告特許庁長官
指定代理人栗林敏彦
同谷治和文
同黒瀬雅一
同田村正明
主文
1原告の請求を棄却する。
2訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
特許庁が不服2007−27145号事件について平成21年9月14日にした
審決を取り消す。
第2事案の概要
1本件は,株式会社ダッチェスが名称を「人体骨格に有機的に対応する女性用
衣料,及びこれに用いる人体骨格に有機的に対応する面状芯体」とする発明に
つき特許出願をし,その後,当該出願に係る権利を譲り受けた原告(旧商号株
式会社タカツ・トレーディング)が拒絶査定を受けたので,これを不服として審
判請求をし,平成19年7月23日付けで特許請求の範囲の変更等を内容とす
る補正をしたが,特許庁から請求不成立の審決を受けたことから,その取消し
を求めた事案である。
2争点は,上記補正後の請求項1に記載された発明(以下「本願発明1」という。)
が下記引用発明との関係で新規性を有するか(特許法29条1項3号),である。

・登録実用新案第3027362号公報(考案の名称「乳房発育途上期用のブラジ
ャー」,実用新案権者株式会社ワコール,登録日平成8年5月22日,発行
日平成8年8月9日,甲1。以下「引用例」といい,そこに従来例として記
載(段落【0002】∼【0005】)された後記発明を「引用発明」という。)
第3当事者の主張
1請求の原因
(1)特許庁における手続の経緯
株式会社ダッチェスは,平成14年4月22日,名称を「人体骨格に有機
的に対応する女性用衣料,及びこれに用いる人体骨格に有機的に対応する面
状芯体」とする発明について,特許出願(特願2002−119701請求
項の数6,公開公報は特開2003−313703号,甲2)をし,その後原
告(旧商号「株式会社タカツ・トレーディング」,平成18年10月28日変
更。同年11月6日変更登記)は上記株式会社ダッチェスから上記出願に係る
権利の譲渡(甲9)を受けて平成18年12月12日付けで特許庁に出願人名
義変更届を提出し(原告が旧商号から新商号への名称変更届けを特許庁に提
出したのは平成18年12月28日),さらに,平成19年7月23日付けで
特許請求の範囲の変更等を内容とする手続補正(請求項の数5,甲3,以下「本
件補正」という。)をしたが,同年9月4日付けで拒絶査定を受けたので,こ
れに対する不服の審判を請求した。
特許庁は,上記請求を不服2007−27145号事件として審理した上,
平成21年9月14日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,
その謄本は同年9月29日原告に送達された。
(2)発明の内容
本件補正後の請求項の数は前記のとおり5であるが,その請求項1の内容
は,以下のとおりである(なお,同請求項は補正されていない。)。
【請求項1】人体骨格に有機的に対応する身頃体を備えたブラジャー等の女
性用衣料において,前記身頃体は,人体骨格回りの略全周を覆うように,且
つその一部が少なくとも伸縮性を有するように構成され,女性のバストを覆
う左右のカップ部又はヒップを覆う左右のカップは,その身頃体と接合され
る基底部の輪郭形状が,人体骨格のバスト又はヒップの基底部の湾曲形状よ
りも,僅かに大きな曲率形状を有するように構成したことを特徴とする人体
骨格に有機的に対応する女性用衣料。
(3)審決の内容
審決の内容は,別添審決写しのとおりである。その理由の要点は,本願発
明1が引用例(甲1)の段落【0002】∼【0005】に従来例として記載
された発明(引用発明)と同一であるから特許法29条1項3号に該当する,
というものである。
なお,審決の認定する引用発明の内容,本願発明1と引用発明との一致点
及び相違点は,下記のとおりである。

<引用発明>
「乳房のバージスよりやや狭めに設定されたカップワイヤーが,ブラジャー
のバージスライン相当部に沿って前中心側から下辺側を通り脇側へ至るほぼ
U字状に設けられているブラジャー」
<一致点>
「身頃体を備えたブラジャー等の女性用衣料において,前記身頃体は,人体
骨格回りの略全周を覆うように,且つその一部が少なくとも伸縮性を有する
ように構成された女性用衣料」
<相違点1>
「本願発明1では,人体骨格に有機的に対応する身頃体を備え,人体骨格に
有機的に対応する女性用衣料であるのに対して,引用例記載の発明では,そ
のような事項について記載がない点」
<相違点2>
「本願発明1では,女性のバストを覆う左右のカップ部は,その身頃体と接
合される基底部の輪郭形状が,人体骨格のバストの基底部の湾曲形状よりも,
僅かに大きな曲率形状を有するように構成したのに対して,引用例記載の発
明では,乳房のバージスよりやや狭めに設定されたカップワイヤーが,ブラ
ジャーのバージスライン相当部に沿って前中心側から下辺側を通り脇側へ至
るほぼU字状に設けられている点」
(4)審決の取消事由
しかしながら,審決には以下のとおりの誤りがあるから,違法として取り
消されるべきである。
ア取消事由1(相違点1についての認定・判断の誤り)
(ア)審決が,「4相違点の検討」の「《相違点1について》」において,「引
用例記載の発明のブラジャーも,身頃体や左右のカップ部が全体である
ブラジャーと必然的関係を有して,人体骨格に適合していると認められ
るから,人体骨格に有機的に対応する身頃体を備え,人体骨格に有機的
に対応する女性用衣料であるということができ,この点について本願発
明1と引用例記載の発明との間に差異はない。」(3頁下1行∼4頁4行)
と認定・判断したことは,誤りである。
すなわち,本願発明1は,本件補正後の特許請求の範囲の請求項1に
記載されているとおりであるが,「人体骨格に有機的に対応する」との文
言は必ずしも明確ではなく,また,本件補正後の明細書(甲2,3。以下
「本願明細書」という。)中で「人体骨格に有機的に対応する」との文言
についての定義あるいは直接的な説明がされておらず,その意味すると
ころが明確ではない。
そこで,「人体骨格に有機的に対応する」との文言が意味するところを
解釈するに当たり本願明細書の記載を参酌してみると,段落【0028】
に「また更に,本発明は,別の表現をすると,女性用衣料の身頃体は,
着用時に,人体骨格にフィットして,人体のバストやヒップなどに圧迫
力を与えないのが理想である…」と記載されていることから理解される
ように,「人体骨格に有機的に対応する」とは,ブラジャー等であれば,
身頃体や左右のカップ部の間に緊密な統一があって,部分である身頃体
や左右のカップ部と,全体であるブラジャーとが必然的関係を有してお
り,「着用時に,人体骨格にフィットして,人体のバストやヒップなどに
圧迫力を与えない」状態を意味するものと解される。
しかしながら,引用例(甲1)には,審決において引用された段落【0
005】に,「…乳房の位置を自然な位置に固定せずに乳房のバージスよ
りやや狭めに設定されたワイヤーを用い脇側を強く押さえたり,乳房を
前中心側に寄せたりした場合には,乳房の上辺側に延びている外側胸動
脈96や乳房の前中心側上方に延びている内胸動脈98までも圧迫され
ることになり発育上好ましくない。」と記載されている。また,引用例の
図8に明示されているとおり,内胸動脈98は,乳房のバージスライン
又はその近傍ではなく,乳房の前中心側上方に延びているものであって,
引用例のブラジャーにおいて,バストカップなどが乳房を圧迫する圧迫
力を与えている。これらのことから明らかなように,審決において本願
発明1と同一の発明であると認定された引用例の【0002】【従来の技
術】に記載されたブラジャーは,「乳房の上辺側に延びている外側胸動脈
96や乳房の前中心側上方に延びている内胸動脈98までも圧迫される
ことになり発育上好ましくない」ものであり,とても「人体骨格に有機
的に対応する女性用衣料であるということができ」るものではない。
また,引用例の段落【0004】の記載などから,「カップワイヤー1
00は乳房カップの縁に沿ってかつ乳房のバージスライン94にほぼ沿
って前中心側から下辺側を通り脇側へ至るほぼU字状にあてがわれてい
る。」ことは理解できても,身頃体がどのように構成されており,身頃体
とカップ部との間にどのような関係が存在するのかなどが全く示されて
おらず,「人体骨格に有機的に対応する」との要件を満たすべき事項が,
引用例に記載されていないことは明らかである。
しかも,引用例が従来技術として挙げたカップワイヤー入りのブラジ
ャーには,様々なタイプのものがあり,その一例として,特開2001
−81609号公報(発明の名称が「乳房カップを有する衣料」,甲5)が
あるところ,その図1に記載されたタイプのブラジャーは,乳房カップ
部の下端縁を覆う身頃体が存在せず,身頃体と乳房カップ部との間に緊
密な統一は存在しないといえるから,引用発明の認定は誤りである。
(イ)さらに,本願発明1は,段落【0011】に記載されたように「…こ
の発明は,…ブラジャー等の女性用衣料の設計思想を根本的に変え,当
該女性用衣料の商品設計を着用時の伸張方向(力線の作用方向)に基づ
き,且つバストの連結部(実質空間部)に与える力及び歪み量を除去する
デザインをベースにして,ファンデーションとしての機能を十分に発揮
させることを可能とした女性用衣料を提供する」ものであり,図18∼
図21,図27,図28等に記載されているように,人体骨格に着用す
る女性用衣料に作用する力線を根本的に見直し,段落【0028】に記
載されたように「女性用衣料の身頃体を着用したときに,当該身頃体が
バストやヒップを人体骨格の体側方向に引っ張る力を,カップ部や身頃
体そのものが,あるいは肩紐等の連結部材や,面状芯体などを用いて打
ち消すように構成」したものである。
これに対して,引用発明は,人体骨格にフィットしておらず,人体の
バストなどに圧迫力を与えるものであり,本願発明1のように「女性用
衣料の身頃体を着用したときに,当該身頃体がバストやヒップを人体骨
格の体側方向に引っ張る力を,カップ部や身頃体そのもの…などを用い
て打ち消すように構成」したものではなく,「着用時に,人体骨格にフィ
ットして,人体のバストやヒップなどに圧迫力を与え」ず,人体骨格に
有機的に対応する女性用衣料であるということは,到底できないもので
ある。
したがって,本願発明1と引用発明は,同一ではない。
イ取消事由2(相違点2についての認定・判断の誤り)
(ア)審決が,「4相違点の検討」の「《相違点2について》」において,
「引用例記載の発明における,ブラジャーのカップ部の身頃体と接合さ
れる基底部の輪郭形状は,人体骨格のバスト(乳房)の湾曲形状よりも僅
かに大きな曲率形状を有していると認められるので,この点について本
願発明1と引用例記載の発明との間に差異はない。」(4頁18行∼21
行)と認定・判断したことは,誤りである。
すなわち,審決において上記認定の根拠として挙げている引用例(甲
1)の記載は,段落【0003】「…図7中,…94が乳房の位置を示す
ラインで通常ライン94のほぼ下側半分のほぼ半円弧状の略U字形状の
ラインを乳房のバージスラインと称している」であるが,これは,乳房
のバージスラインを単に説明しているにすぎないものである。
また,引用例には,段落【0002】「…カップワイヤーがブラジャー
のバージスライン相当部に沿って前中心側から下辺側を通り脇側へ至る
ほぼU字状に設けられている。」と記載されているが,この記載は,カッ
プワイヤーの位置を特定しているにすぎず,カップ部の形状については
何ら言及されておらず,上記のバージスラインに関する記載を併せても,
「カップワイヤーは,ブラジャーのカップ部の基底部に沿って設けられ
ているものと認められ,カップワイヤーの形状とカップ部の基底部の形
状とは,一致又はほぼ一致するものと認められる。」(4頁13行∼16
行)との審決の認定は,当然に導き出されるものではない。
なお,被告が主張の根拠とする引用例の段落【0032】の記載は,
引用例の段落【0022】以降に記載された乳房発育途上期用のブラジ
ャーに関するものであって,一般成熟女性の使用を想定したブラジャー
に関するものではない。
これに対して,本願発明1は,カップワイヤーを必須の構成要件とし
ておらず,「女性のバストを覆う左右のカップ部又はヒップを覆うカップ
は,その身頃体と接合される基底部の輪郭形状が,人体骨格のバスト又
はヒップの基底部の湾曲形状よりも,僅かに大きな曲率形状を有するよ
うに構成した」と規定しているにすぎない。また,本願発明1は,その
実施の形態に記載されているように,ボーンの使用を否定するものでは
ないが,ボーンに代えて面状芯体を使用した例を実施の形態1として記
載していることから明らかなように,ボーンを補助的に使用することは
有り得ても,引用例に記載のように,「乳房の上辺側に延びている外側胸
動脈96や乳房の前中心側上方に延びている内胸動脈98までも圧迫」
するボーンを使用するものではない。
しかも,本願明細書の段落【0072】には,「…なお,基本的には,
ワイヤー構造(線状)は飽くまでボーン状態の芯又は面状芯体のコーティ
ング部に挿入又はサンドする方式にて採用(当然ハードなものではない)
されるのが望ましい。」と記載されており,引用例のような「ワイヤーと
して一般的に用いられているメタルや硬質プラスチックは非常に硬度が
高」いものの使用を,明確に排除している。
つまり,本願発明1は,これまでの線状芯体によって形成されてきた,
膨出部を持つ女性用衣料の問題点(静的非活動的)を解消し,人体骨格に
有機的に対応する女性用衣料(動的活動的)としての面状芯体を提起する
ものであり,引用例発明のようなワイヤーボーンを使用した女性用衣料
とは,明らかに相違するものである。
(イ)また,審決が,「カップワイヤーは,乳房のバージスよりやや狭めに
設定されているから,引用例記載の発明における,ブラジャーのカップ
部の身頃体と接合される基底部の輪郭形状は,人体骨格のバスト(乳房)
の湾曲形状よりも僅かに大きな曲率形状を有していると認められる」(4
頁17行∼20行)と認定したことについても,引用例には,段落【00
02】に「乳房のバージスよりやや狭めに設定された」と記載されてい
るにすぎず,カップワイヤー(の幅)がやや狭めに設定されている点を説
明しているだけであって,曲率形状の大小について言及しているもので
はない。
(ウ)なお,特許法29条1項3号における,特許出願に係る発明と特許出
願前に公知の刊行物に記載された発明との同一性の判断は,厳格になさ
れるべきである。なぜなら,特許出願に係る発明と特許出願前に公知の
刊行物に記載された発明との同一性を広く解した場合には,本来保護さ
れるべき特許出願前に公知の刊行物に記載された発明と非同一の発明で
あって「似て非なる発明」が,刊行物記載の発明と同一であるという理
由で保護されず,かえって産業の発達(特許法1条)を阻害するおそれが
あるからである。
また,このように特許出願に係る発明と特許出願前に公知の刊行物に
記載された発明との同一性を厳格に解しても,刊行物記載の発明に基づ
いて当業者が容易に想到することができた発明は,特許法29条2項の
規定により進歩性なしとして特許を受けることができないため,産業の
発達が阻害されるおそれはないからである。
2請求原因に対する認否
請求原因(1)ないし(3)の各事実は認めるが,(4)は争う。
3被告の反論
(1)取消事由1に対し
ア本願発明1の「人体骨格に有機的に対応する」の意味は,文言自体のみ
からは明らかでなく,また,「人体骨格に有機的に対応する」との記載に
関して他の構成要件に関連する事項は記載されておらず,本願明細書を参
酌しても,具体的な説明や定義がなされていない。そこで,「有機的」の一
般的意味を検討すると,「有機体のように,多くの部分が集まって一個の
物を作り,その各部分の間に緊密な統一があって,部分と全体とが必然的
関係を有しているさま。(広辞苑第4版)」(乙3)ということであり,女性用
衣料,例えば,一般的なブラジャーは,伸縮性を有する身頃体や左右のカ
ップ部といった複数の部材を縫製等により接合してブラジャーを構成し
て,着用者の人体骨格に適合されるものである。これらのことを勘案すれ
ば,ブラジャーにおいて「有機的」とは,「伸縮性を有する身頃体や左右
のカップ部等といった複数の部材が集まって1個のブラジャーを構成し
(作り),その身頃体やカップ部等といった各部分の間に緊密な統一があっ
て,身頃体やカップ部等といった部分とブラジャー(全体)とが必然的関係
を有しているブラジャーのさま」ということになる。
そうすると,本願発明1の「人体骨格に有機的に対応する」の意味とは,
審決のとおり,「ブラジャー等であれば,身頃体や左右のカップ部の間に
緊密な統一があって,部分である身頃体や左右のカップ部と,全体である
ブラジャーとが必然的関係を有しており,人体骨格に適合しているもの」
ということになる。これは,不服審判請求書の請求の理由変更を内容とす
る平成19年12月20日付け手続補正書(乙1)において,原告も認めた
ものである。
一方,引用発明も,一般的なブラジャーと同様に,伸縮性を有する身頃
体や左右のカップ部といった複数の部材を縫製等により接合してブラジャ
ーを構成して,着用者の人体骨格に適合されるものであることは明らかで
あるから,「伸縮性を有する身頃体や左右のカップ部等といった複数の部
材が集まって1個のブラジャーを構成し(作り),その身頃体やカップ部等
といった各部分の間に緊密な統一があって,身頃体やカップ部等といった
部分とブラジャー(全体)とが必然的関係を有しているブラジャー」という
ことができる。つまり,引用発明のブラジャーは,審決のとおり,「身頃
体や左右のカップ部が全体であるブラジャーと必然的関係を有して,人体
骨格に適合している」ことになる。
原告は,本願明細書の段落【0028】の記載を根拠として,「人体骨
格に有機的に対応する」という文言の意味が,着用時に,人体骨格にフィ
ットして,人体のバストやヒップなどに圧迫力を与えない意味である旨主
張するが,上記段落【0028】の「また更に,本発明は,別の表現をす
ると,女性用衣料の身頃体は,着用時に,人体骨格にフィットして,人体
のバストやヒップなどに圧迫力を与えないのが理想である。」との記載は,
本願発明1の身頃体の理想を単に記載しているにすぎず,また,本願発明
1の「人体骨格に有機的に対応する」という文言との関係は何ら示されて
いないから,「人体骨格に有機的に対応する」との意味の根拠とはなり得
ない。
したがって,相違点1について本願発明1と引用発明との間に差異はな
いとした審決の判断に誤りはない。
イまた,原告自身が明確でないと認める「人体骨格に有機的に対応する」
という文言の意味が,仮に,原告主張のとおり,本願明細書の段落【00
28】に記載されたように「着用時に,人体骨格にフィットして,人体の
バストやヒップなどに圧迫力を与えない」意味であるとしても,それは,
本願明細書の段落【0028】及び段落【0009】ないし段落【001
2】の記載からみて,着用時に,ほどよい緊縛感をもって装着して,バス
トカップなどが乳房などを偏平に圧迫する圧迫力を与えないという意味で
あるといえる。
一方,引用例(甲1)の段落【0005】の「バージスよりやや狭めに設
定されたワイヤーを用い脇側を強く押さえたり,乳房を前中心側に寄せた
りした場合には,乳房の上辺側に延びている外側胸動脈96や乳房の前中
心側上方に延びている内胸動脈98までも圧迫される」という記載は,乳
房カップの縁に沿って,かつ,乳房のバージスライン94にほぼ沿って,
ほぼU字状にあてがわれているカップワイヤー(引用例の段落【0004】
参照)が,乳房のバージスライン又はその近傍部分を圧迫するという意味で
あって,乳房それ自体を扁平に圧迫するという意味ではない。してみると,
引用例の段落【0005】に記載された「圧迫」は,本願明細書の段落【0
028】に記載した「圧迫力」が乳房それ自体を扁平に圧迫することとは
異なるから,引用例の段落【0005】の記載をもって,引用発明が,「人
体骨格に有機的に対応する」ものでないということにはならない。しかも,
引用例の段落【0004】に「バストアップを計り乳房の形を整えたりす
るために…例えばスチールワイヤーなどを用いることで,バージスライン
を美しくきれいな形に仕上げ,ブラジャーの形をしっかりと保形」と記載
されていることなどから,引用発明が,着用時に,乳房を扁平に圧迫する
ものでなく,むしろブラジャーの形をしっかりと保形してバストアップを
図るものであり,そして,一般的なブラジャーと同様に,身頃体は伸縮性
を有して着用時にほどよい緊縛感をもって装着するものであることが明ら
かである。そうすると,引用発明と本願発明とは,「人体骨格に有機的に
対応する」点で差異はない。
また,引用例の段落【0004】の記載からみて,引用発明のカップワ
イヤーを使用したブラジャーは,従来,通常乳房が脇に流れ,その重みで
下垂する傾向の乳房を前中心側に寄せ,バストアップを図り乳房の形を整
えるためのものであって,一般成熟女性の使用を想定しているものである。
加えて,ブラジャーのカップ部下部周縁に設けたワイヤーが,装着時
に人体を圧迫することは,ブラジャーの技術分野において周知である(特
開平11−140709号公報(乙2)段落【0002】参照)。
そして,本願発明1を引用する請求項4(本件補正後,甲3)に,「前
記左右のカップ部の下方端縁に,身頃体がカップ部を体側方向に引っ張
る力に対抗する弾性力を持ったワイヤーボーンを設けたことを特徴とす
る請求項1又は2に記載の人体骨格に有機的に対応する女性用衣料。」
と記載され,本願明細書の段落【0030】「カップ部の下方端縁に…
ワイヤーボーンを設けた」と記載され,本願明細書の段落【0063】
「図4に示す実施の形態では,左右のバストカップ部2,3の下方端縁
に,ワイヤーボーン10を設けた場合を示している」の記載からみて,
本願発明1は,カップ部の下方端縁(引用発明の「ブラジャーのバージス
ライン相当部」に相当)にワイヤーボーン(引用発明の「カップワイヤー」
に相当)を設けた形態を含むものであり,この形態においては,引用発明
と変わるところはないはずである。
なお,本願発明1のワイヤーボーンに関し,原告は,ボーンを補助的
に使用することは有り得ても,乳房の上辺側に延びている外側胸動脈や
乳房の前中心側上方に延びている内胸動脈までも圧迫するボーンを使用
するものではないと主張するが,そのような構成事項は,本願明細書又
は図面に記載した事項でない。
(2)取消事由2に対し
引用例(甲1)の段落【0004】に「カップワイヤー100は乳房カップ
の縁に沿ってかつ乳房のバージスライン94にほぼ沿って前中心側から下辺
側を通り脇側へ至るほぼU字状にあてがわれている」と記載され,乳房カッ
プ(本願発明1の「カップ部」に相当)の縁(本願発明1の「身頃体と接合され
るカップ部の基底部」に相当)にカップワイヤー100が配置されていること
が記載されているから,引用発明のカップワイヤーの形状は,カップ部の基
底部の輪郭形状と一致していることになる。また,例えば,引用例の段落【0
032】に「図2に於いては,1がカップワイヤーでありバイアステープ1
8の袋状に作られた空間内に挿入されている」と記載され,図2に乳房カッ
プ2の縁と土台布9(本願発明1の「身頃体」に相当)との接合部分にカップ
ワイヤー1を配置することが図示され,乙2(特開平11−140709号,
発明の名称「女性用衣料」)の段落【0002】に従来技術として,「ブラジ
ャーに代表される女性用のファンデーションとしては,大別してワイヤータ
イプとノンワイヤータイプがある。ワイヤータイプのファンデーションは,
カップ部下側周縁に設けたワイヤーにより乳房を支持することで,バスト形
状の補整機能を付与するものである」と記載されているように,ブラジャー
において,カップワイヤーをカップ部の身頃体と接合される基底部に配置す
ることは,当業者にとって技術常識である。
また,引用例(甲1)の段落【0004】の記載と,図8に,カップワイヤ
ー100が乳房のバージスライン94の下辺側から脇側へ至る部位において
バージスライン94よりわずかに内側を湾曲して配置されていることからみ
て,引用例には,カップワイヤー100の曲率形状が,乳房のバージスライ
ン94より,わずかに大きな曲率形状を有していることが示されている。
以上のことから,引用発明における,ブラジャーのカップ部の身頃体と接
合される基底部の輪郭形状が,人体骨格のバスト(乳房)の湾曲形状よりもわ
ずかに大きな曲率形状を有するように構成されていることは明らかである。
第4当裁判所の判断
1請求原因(1)(特許庁における手続の経緯),(2)(発明の内容),(3)(審決の内容)
の各事実は,当事者間に争いがない。
2本願発明1と引用発明との同一性の有無
(1)本願発明1の意義
ア本件補正後の特許請求の範囲請求項1の記載は,前記第3,1(2)のとお
りであり,また,本願明細書(甲2,3)の【発明の詳細な説明】及び図面
には,以下の記載がある。
・【発明の属する技術分野】
「この発明は,人体骨格に有機的に対応する身頃体を備えたブラジャー
や水着,ボディスーツ等の女性用衣料に関するものである。」(甲2,段
落【0001】)
・【発明が解決しようとする課題】
「しかしながら,上記従来技術の場合には,次のような問題点を有して
いる。すなわち,上記特許第2619229号に係る人体骨格に有機的
に対応するバストカップ体及びそのボディ構造は,身頃体の人体骨格に
沿う着用前の断面形状を着用者の人体骨格の胸部断面形状より僅かにそ
の曲率を大きく形成することにより,着用前に人体骨格の胸部断面形状
より僅かにその曲率を大きく形成された断面形状の身頃体を人体骨格の
胸部断面形状に沿って着用すると,前記身頃体は人体の前胸部中間点を
中心にして拡開し,やや剛性のある前記身頃体によって該身頃体に縫合
あるいは接合されたバストカップ体を体の中央を向いた方向に傾動させ
ることができ,バスト寄せ効果がある程度得られるものであった。」(甲
2,段落【0007】)
・「しかし,上記特許第2619229号に係る人体骨格に有機的に対応す
るバストカップ体及びそのボディ構造の場合には,ブラジャー等トップ
の乳房中心下辺近傍のボディ構造に限定したものであるため,バストの
中心下辺近傍は,ある程度バスト寄せ効果が得られても,乳房の基底部
はそのまま人体骨格であり,その人体骨格のベースの上に乳房の接続点
(輪郭)があり,身頃体とバストカップ体との切替線(縫製加工部分)がバス
トサイドにあるとの認識に基づくため,バストトップ部の満足のいく形
状を創出することができないという問題点を有していた。」(甲2,段落
【0008】)
・「更に説明すると,上記ブラジャー等のファンデーション200は,図2
0に示すように,アウターと異なり,人体への対応は,程よい緊縛感を
もって装着されることを前提としている。この程よい緊縛感を得る手段
は,ブラジャー200の身頃体201に伸縮性素材を使用し,当該身頃
体201が程よい緊縛感を得られる伸び代D(身頃体の伸張率)をもって
着用されるように構成したものである。」(甲2,段落【0009】)
・「しかし,乳房部を形成するバストカップ体202は,原則として基底を
持たないため,伸縮性素材からなる身頃部201によって,図21に示
すように,身頃部201の全域(人体の中央部から体側部まで)に力線1
B’が働く領域は,問題ないが,バストカップ体202の1A’,2A’,
3A’の領域には,伸縮性素材からなる身頃部201の伸張力によって,
ボディサイドに引っ張られる力線が作用する。このバストカップ体20
1の1A’,2A’,3A’の領域をボディサイドに引っ張る力線は,反作
用として人体の中央部に向かう力が存在しないため,結果的に,バスト
のトップ部を押さえる乳房圧Gとバランスし,図22に示すように,バ
ストを圧迫して偏平にさせてしまい,バストトップ部の満足のいく形状
を創出する本来のファンデーションとしての役割を十分果たすことがで
きないという問題点を有していた。」(甲2,段落【0010】)
・「そこで,この発明は,上記従来技術の問題点を解決するためになされた
もので,その目的とするところは,ブラジャー等の女性用衣料の設計思
想を根本的に変え,当該女性用衣料の商品設計を着用時の伸張方向(力線
の作用方向)に基づき,且つバストの連結部(実質空間部)に与える力及び
歪み量を除去するデザインをベースにして,ファンデーションとしての
機能を十分に発揮させることを可能とした女性用衣料を提供することに
ある。」(甲2,段落【0011】)
・【課題を解決するための手段】
「上記課題を解決するために,請求項1に記載された発明は,人体骨格
に有機的に対応する身頃体を備えたブラジャー等の女性用衣料において,
前記身頃体は,人体骨格回りの略全周を覆うように,且つその一部が少
なくとも伸縮性を有するように構成され,女性のバストを覆う左右のカ
ップ部又はヒップを覆う左右のカップは,その身頃体と接合される基底
部の輪郭形状が,人体骨格のバスト又はヒップの基底部の湾曲形状より
も,僅かに大きな曲率形状を有するように構成したことを特徴とする人
体骨格に有機的に対応する女性用衣料である。」(甲2,段落【0012】)
・「更に説明すると,本発明は,例えば,女性用衣料を着用した時に,身頃
体がカップ部を体側方向に引っ張る力と,略バランスするように,当該
身頃体のカップ部との接続部における曲率を大きく設定するように構成
される。」(甲2,段落【0027】)
・「また更に,本発明は,別の表現をすると,女性用衣料の身頃体は,着用
時に,人体骨格にフィットして,人体のバストやヒップなどに圧迫力を
与えないのが理想である。そのためには,女性用衣料の身頃体を着用し
たときに,当該身頃体がバストやヒップを人体骨格の体側方向に引っ張
る力を,カップ部や身頃体そのものが,あるいは肩紐等の連結部材や,
面状芯体などを用いて打ち消すように構成すれば良い。」(甲2,段落【0
028】)
【図20】
【図21】
イ(ア)上記記載によれば,本願発明1は,ブラジャー等の女性用衣料におい
て,ほどよい緊縛感を得る手段として身頃体に伸縮性素材を使用すると,
その伸張力によって,乳房部を形成するバストカップ部などがボディサ
イドに引っ張られ,結果的に,バストなどを圧迫して偏平にさせてしま
い,バストトップ部の満足のいく形状を創出する本来のファンデーショ
ンとしての役割を十分果たすことができないという問題点を技術課題と
しており,この技術課題を解決するため,女性のバストを覆う左右のカ
ップ部又はヒップを覆う左右のカップについて,身頃体と接合されるそ
の基底部の輪郭形状が,人体骨格のバスト又はヒップの基底部の湾曲形
状よりも,わずかに大きな曲率形状を有するような構成を採用し,身頃
体がカップ部を体側方向に引っ張る力とバランスをとったものと認めら
れる。
そして,本願発明1は,身頃体がバストやヒップを人体骨格の体側方
向に引っ張る力を,カップ部などが打ち消すように構成することにより,
女性用衣料の着用時に,人体骨格にフィットして,人体のバストやヒッ
プなどに圧迫力を与えない状態を達成することを理想としたものである。
なお,本願発明1において,身頃体の伸縮性素材に由来する伸張力や,
それに対応する力を生じさせるための身頃体のカップ部との接続部にお
ける曲率の程度などは,具体的に規定されていないから,人体骨格の湾
曲形状よりもわずかに大きな曲率形状を有し,上記伸張力とバランスが
とれる程度であればよいものと解される。
(イ)ところで,本願発明1は,人体骨格に有機的に対応する身頃体を備え
たブラジャー等の女性用衣料であるが,そこにいう「人体骨格に有機的
に対応する身頃体を備えたブラジャー等の女性用衣料」,「人体骨格に
有機的に対応する女性用衣料」との記載がどのような技術的意義を有す
るのか,特許請求の範囲の記載自体からは明らかでない(ただし,上記両
記載は,同一の技術的意義を表現していると解され,いずれも「人体骨
格に有機的に対応する…女性用衣料」と表現されていることからみて,
「人体骨格に有機的に対応する身頃体を備えたブラジャー等の女性用衣
料」における「人体骨格に有機的に対応する」の文言が修飾する対象は,
「身頃体」ではなく,「女性用衣料」と認められる。)。また,本願明細
書(甲2,3)においても,「人体骨格に有機的に対応する」ことについ
て,その定義や具体的な説明はなされておらず,かつ,「有機的」の文言
の一般的意味が,審決が認定するとおり,「有機体のように,多くの部
分が集まって一個の物を作り,その各部分の間に緊密な統一があって,
部分と全体とが必然的関係を有しているさま」(広辞苑第4版)(3頁下7
行∼5行)と認められることに照らすと,女性用衣料がブラジャーの場合
であれば,それを構成する身頃体や左右のカップ部などの各部分が縫製
等により接合されて,その間に緊密な統一があり,これらの部分と全体
であるブラジャーとが必然的関係を有している状態にあって,これと人
体骨格とが対応していると解するのが,文理的にみて最も合理的な解釈
であると認められる(原告も,平成19年12月20日付け手続補正書
(乙1)において同旨の主張をしている。)。なお,文言上は,「人体骨格」
と「ブラジャー等の女性用衣料」との関係が有機的である,すなわち,
緊密な統一関係にあると解する余地もないわけではないが,その場合は
「人体骨格」と「ブラジャー等の女性用衣料」とが各部分となるだけで
あり,多くの部分が集まって一個の物を形成しているとは言い難いから,
結局,これをもって適切な解釈ということはできない。
そして,「人体骨格に有機的に対応する女性用衣料」との記載が,上
記のように,女性用衣料の各部分の間に緊密な統一があり,これらの部
分と全体である女性用衣料とが必然的関係を有している状態にあって,
このような女性用衣料が人体骨格に対応していることを示しているにす
ぎないと解されるとすると,このような記載は,複数の部材が縫製され
て成る女性用衣料が通常有する構成を一般的に表現したものであって,
特段の技術的特徴を有するものではなく,前記に説示した本願発明1の
技術課題,解決手段等に具体的な影響を及ぼすようなものではないと認
められる。
(2)引用発明の意義
ア一方,引用例(甲1)には,以下の記載がある。
・【従来の技術】
「従来より,バージスラインを美しくきれいな形に仕上げ,乳房が下垂し
脇に流れるのを防止したり,乳房を前中心側に寄せ,またバストアップを
はかるなど乳房の形を整えるために乳房のバージスよりやや狭めに設定さ
れたカップワイヤーがブラジャーのバージスライン相当部に沿って前中心
側から下辺側を通り脇側へ至るほぼU字状に設けられている。これらのブ
ラジャーは通常,成熟した女性用に適合し,その乳房の形を整える機能を
発揮させるためにスチールワイヤーなどの金属製のワイヤーが多用されカ
ップワイヤーとしてはかなり剛性の強いものが使用されている。」(段落【0
002】)
・【考案が解決しようとする課題】
「図7に人体の右胸近傍の動脈の位置を示すための正面概略図を示した。
図7中,91が腕,92が首,93が肋骨,94が乳房の位置を示すライ
ンで通常ライン94のほぼ下側半分のほぼ半円弧状の略U字状のラインを
乳房のバージスラインと称している(以下,乳房のバージスライン94と記
載した場合には,乳房の位置を示すライン94のうち,前記で示した様な
ほぼ下側半分のほぼ半円弧状の略U字状のラインの部分を指しているもの
とする。)。95は乳輪及び乳頭の位置を示し,96,97は乳房の上辺側
や脇側に延びている外側胸動脈,98,99は乳房の上辺側や前中心側に
延びている内胸動脈を示している。」(段落【0003】)
・「図8に成熟した一般女性用に最もよく用いられている従来のカップワイヤ
ー入りのブラジャーを着用した場合の,カップワイヤーの位置を前記図7
の人体の右胸近傍の動脈の位置を示すために正面概略図中に記入したもの
であり,100がカップワイヤーを示している。カップワイヤー100は
乳房カップの縁に沿ってかつ乳房のバージスライン94にほぼ沿って前中
心側から下辺側を通り脇側へ至るほぼU字状にあてがわれている。一般成
熟女性用の場合には,乳房が脇に流れ,その重みで下垂する傾向にあるの
で,乳房を前中心側に寄せ,バストアップを計り乳房の形を整えたりする
ためにはかなり剛性の強めのもの,例えばスチールワイヤーなどを用いる
ことで,バージスラインを美しくきれいな形に仕上げ,ブラジャーの形を
しっかりと保形させなければならない。成熟した女性用の場合には,乳房
が既に成熟しているので,医学的にそれ程大きな支障はないが,若し,こ
の様なカップワイヤーを具備したブラジャーを例えばおよそ10∼16才
程度の乳房が次第に膨らみつつある乳房の発育途上の期間にある女性に適
用した場合には,図8に示される様に剛性の強いカップワイヤーの作用で
乳房の脇側に延びている外側胸動脈97や乳房の前中心側に延びている内
胸動脈99を強く締め付けることになり,体の発育や未だ十分発達してい
ない乳腺の発育に支障を来す危険なものとなる。例えばギブスやコルセッ
トなどをかかる発育途上期に長期間着用するとその部分の健全な発育が阻
害されることは医学的によく知られており,この事実からも容易に想定が
できる。」(段落【0004】)
・「しかも,乳房の位置を自然な位置に固定せずに乳房のバージスよりやや狭
めに設定されたワイヤーを用い脇側を強く押さえたり,乳房を前中心側に
寄せたりした場合には,乳房の上辺側に延びている外側胸動脈96や乳房
の前中心側上方に延びている内胸動脈98までも圧迫されることになり発
育上好ましくない。上記動脈は特に注意しなければならないが,乳房全体
には,表在静脈系もはりめぐらされ,リンパ腺や乳腺も延びており,乳房
を圧迫することは発育途上期においては好ましくない。」(段落【0005】)
【図1】
【図7】【図8】
イところで,引用発明は,引用例である登録実用新案第3027362号
公報(甲1)に記載された考案「乳房発育途上期用のブラジャー」において従
来技術と位置付けられる成熟した一般成人女性用のブラジャーであるとこ
ろ,上記考案の構成を示す【図1】並びに本願明細書(甲2,3)の前記段落
【0009】及び【0010】の記載によれば,従来から,人体骨格の周
りのほぼ全周を覆い伸縮性を有する素材から成る身頃部と,その身頃部と
基底部分において接合された左右のバストカップ部とを有する,一般成人
女性用ブラジャーは,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の
知識を有する者)によく知られていたものであると認められる。
そして,上記の引用例の記載によれば,引用発明は,そのような従来か
らのブラジャーにおいて,乳房が脇に流れたり,その重みで下垂する傾向
にあるのを防止し,乳房を前中心側に寄せ,バストアップを計り乳房の形
を整えたりするために,乳房のバージスよりやや狭めに設定されたカップ
ワイヤーが,ブラジャーのバージスライン相当部に沿って前中心側から下
辺側を通り脇側へ至るほぼU字状に設けられているものであると認められ
る。
したがって,引用発明は,身頃体が人体骨格回りのほぼ全周を覆うよう
に,かつ,その一部が少なくとも伸縮性を有するように構成されたブラジ
ャーであって,女性のバストを覆う左右のカップ部は,その基底部におい
て身頃体と接合されており,乳房のバージスよりやや狭めに設定されたU
字状のカップワイヤーが,ブラジャーのバージスライン相当部に沿って設
けられているものであると認められる。そうすると,乳房のバージスより
やや狭めに設定されたU字状のカップワイヤーは,乳房のバージスライン
よりわずかに大きな曲率形状を有していることが明らかといえる。
なお,引用例(甲1)の上記記載によれば,10才∼16才程度の乳房が次
第に膨らみつつある発育途上の期間にある女性にとって,乳房のバージス
よりやや狭めに設定されたワイヤーを用いたブラジャーは,乳房の上辺側
に延びている外側胸動脈や乳房の前中心側上方に延びている内胸動脈まで
圧迫されることになり,発育上好ましくないが,成熟した成人女性の場合
には,乳房が既に成熟しているので,医学的にそれ程大きな支障はなく,
むしろ,ワイヤーなどを用いることで,バージスラインを美しくきれいな
形に仕上げ,ブラジャーの形をしっかりと保形させることが求められてい
るものと認められる。
(3)取消事由の主張に対する判断
ア取消事由1(相違点1についての認定・判断の誤り)について
(ア)原告は,審決が,「引用例記載の発明のブラジャーも,身頃体や左右
のカップ部が全体であるブラジャーと必然的関係を有して,人体骨格に
適合していると認められるから,人体骨格に有機的に対応する身頃体を
備え,人体骨格に有機的に対応する女性用衣料であるということができ,
この点について本願発明1と引用例記載の発明との間に差異はない。」
(3頁下1行∼4頁4行)と認定・判断したことは誤りであると主張し,
その理由として,本願発明1における「人体骨格に有機的に対応する」
とは,ブラジャー等であれば,身頃体や左右のカップ部の間に緊密な統
一があって,部分である身頃体や左右のカップ部と,全体であるブラジ
ャーとが必然的関係を有しており,「着用時に,人体骨格にフィットして,
人体のバストやヒップなどに圧迫力を与えない」状態を意味するものと
解されるのに対し,引用発明は,バストカップなどが乳房を圧迫する圧
迫力を与えており,乳房の上辺側に延びている外側胸動脈や乳房の前中
心側上方に延びている内胸動脈までも圧迫されることになり発育上好ま
しくないものであるから,人体骨格に有機的に対応する女性用衣料であ
るということができないと主張する。
そこで検討するに,本願発明1における「人体骨格に有機的に対応す
る」との文言は,女性用衣料がブラジャー等であれば,身頃体や左右の
カップ部の間に緊密な統一があって,部分である身頃体や左右のカップ
部と,全体であるブラジャーとが必然的関係を有していることを意味す
るだけであって,特段の技術的特徴はなく,本願発明1が理想とする「着
用時に,人体骨格にフィットして,人体のバストやヒップなどに圧迫力
を与えない」ことと直接的な技術的関連性を有するものでないことは,
前記(1)イのとおりである。原告がその主張の根拠とする本願明細書の段
落【0028】の記載については,「人体に有機的に対応する」ことと技
術的に関連する旨の記述ないし示唆は全く認められない。そうすると,
「人体骨格に有機的に対応する」との文言を根拠として,引用発明が「着
用時に,人体骨格にフィットして,人体のバストやヒップなどに圧迫力
を与えない」という状態を達成できないとする原告の主張は,その前提
において誤りがあり,採用することができない。
なお,「着用時に,人体骨格にフィットして,人体のバストやヒップな
どに圧迫力を与えない」という状態は,前記のとおり,本願発明1が理
想とするものであって,本願発明1における身頃体の伸張力や,それに
対応する力を生じさせるためのカップ部における曲率の程度などが具体
的に規定されていない以上,人体に対して一定の圧力が加えられている
場合があることは技術上明らかであり,全く圧迫力を与えないという状
態が常に達成できるものとは到底考えられないから,この点をもって引
用発明と相違するとする原告の主張も採用できない。
(イ)次に原告は,引用例の段落【0005】の記載や図8を根拠に,引用
発明のブラジャーは,「乳房の上辺側に延びている外側胸動脈96や乳房
の前中心側上方に延びている内胸動脈98までも圧迫されることになり
発育上好ましくない」ものであり,「人体骨格に有機的に対応する女性用
衣料」ではないと主張する。
しかしながら,「人体骨格に有機的に対応する女性用衣料」との記載が,
特段の技術的特徴を有するものではないことは,前記のとおりである。
また,引用発明が,乳房の上辺側に延びている外側胸動脈や乳房の前中
心側上方に延びている内胸動脈を圧迫する点については,前記(2)イのと
おり,発育途上期間の女性にとっては好ましくないが,成熟した女性の
場合には,医学的に大きな支障はないと明記されているところであり,
本願発明1は,その使用者が発育途上期間の女性に限定されるものでは
なく,一般の成熟した成人女性をも念頭に置いているものと解されるか
ら,この点をもって本願発明1と引用発明との相違点とすることはでき
ない。したがって,いずれにしても原告の主張を採用することはできな
い。
また,原告は,引用発明において,身頃体がどのように構成されてお
り,身頃体とカップ部との間にどのような関係が存在するのかなどが全
く示されておらず,「人体骨格に有機的に対応する」との要件を満たすべ
き事項が,引用例には記載されていないと主張する。
確かに,審決が挙げる引用例の記載自体には,引用発明である従来の
ブラジャーの具体的構成は示されていないが,前記(2)アのとおり,引用
例に記載された考案「乳房発育途上期用のブラジャー」の構成を示す【図
1】には,本願発明1のカップ部に相当しバストを覆う左右の乳房カップ
と,身頃体に相当し人体骨格周りのほぼ全周を覆う土台布及びバック布
が開示されており,当業者は,この考案に対する従来技術と位置付けら
れる引用発明のブラジャーにおいても,同様の基本的構成が前提とされ
ていると推認することは明らかであるから,原告の主張を採用すること
はできない。
(ウ)さらに原告は,引用例が従来技術として挙げたカップワイヤー入りの
ブラジャーには,様々なタイプのものがあり,乳房カップ部の下端縁を
覆う身頃体が存在せず,身頃体と乳房カップ部との間に緊密な統一は存
在しないものもある(特開2001−81609号公報,発明の名称「乳
房カップを有する衣料」,甲5)から,引用発明の認定は誤りであると主
張する。
しかしながら,前記(2)アのとおり,引用例に記載された考案「乳房発
育途上期用のブラジャー」の構成を示す【図1】には,本願発明1のカ
ップ部に相当する左右の乳房カップの下部に,身頃体の前面側の一部に
相当する土台布が結合された構成が開示されており,当業者は,この考
案に対する従来技術と位置付けられる引用発明のブラジャーにおいても,
同様の基本的構成が前提とされていると推認すると解され,その当業者
の認識は,従来技術のブラジャーとして,乳房カップ部の下端縁を覆う
身頃体を具備しないものが存在するとしても,それにより左右されるも
のではないといえるから,原告の主張を採用することはできない。
イ取消事由2(相違点2についての認定・判断の誤り)について
(ア)a原告は,審決が,「引用例記載の発明における,ブラジャーのカップ部
の身頃体と接合される基底部の輪郭形状は,人体骨格のバスト(乳房)の湾
曲形状よりも僅かに大きな曲率形状を有していると認められるので,この
点について本願発明1と引用例記載の発明との間に差異はない。」(4頁1
8行∼21行)と認定・判断したことは誤りであると主張し,その理由とし
て,引用例の段落【0003】の記載は,乳房のバージスラインを単に説
明しているにすぎないし,段落【0002】の記載も,カップワイヤーの
位置を特定しているにすぎず,カップ部の形状については何ら言及されて
いないから,「カップワイヤーは,ブラジャーのカップ部の基底部に沿って
設けられているものと認められ,カップワイヤーの形状とカップ部の基底
部の形状とは,一致又はほぼ一致するものと認められる。」(4頁13行∼
16行)との認定は,当然に導き出されるものではないと主張する。
しかしながら,前記(2)アにおける,引用例(甲1)の段落【0002】の「乳
房の形を整えるために乳房のバージスよりやや狭めに設定されたカップワ
イヤーがブラジャーのバージスライン相当部に沿って前中心側から下辺側
を通り脇側へ至るほぼU字状に設けられている。」との記載及び段落【00
04】の「カップワイヤー100は乳房カップの縁に沿ってかつ乳房のバ
ージスライン94にほぼ沿って前中心側から下辺側を通り脇側へ至るほぼ
U字状にあてがわれている。」との記載からすると,カップワイヤーはブラ
ジャーのバージスライン相当部に沿って設けられ,あるいは,乳房カップ
の縁に沿ってあてがわれているのであるから,当業者は,カップワイヤー
がブラジャーの乳房カップの縁に沿っており,その結果,カップ部の基底
部の形状とはほぼ一致するとの認識に至るものと認められる。また,引用
例に記載された考案「乳房発育途上期用のブラジャー」の構成を示す段落
【0032】には,「特に図2に於いては,1がカップワイヤーでありバイ
アステープ18の袋状に作られた空間内に挿入されている。」と記載され,
この記載と図2によれば,乳房カップ2の縁と土台布9との接合部分にカ
ップワイヤー1が配置されていることが認識できるから,当業者は,この
考案に対する従来技術として位置付けられる引用発明のブラジャーにおい
ても,同様の構成を有するものと推認することが考えられる。したがって,
いずれにしても原告の主張を採用することはできない。
bまた,原告は,本願発明1が,ワイヤーボーンを補助的に使用すること
は有り得ても,引用例に記載のように,「乳房の上辺側に延びている外側胸
動脈96や乳房の前中心側上方に延びている内胸動脈98までも圧迫」す
るボーンを使用するものではないと主張する。
しかしながら,本願発明1は,その構成においてワイヤーボーンを使用
することを否定するものでなく(使用の態様が補助的である旨の限定もな
い。),このことは原告も自認するところであるから,ワイヤーボーンの使
用をもって引用発明との相違点とすることはできない。また,ボーンの使
用により乳房の上辺側に延びている外側胸動脈や乳房の前中心側上方に延
びている内胸動脈を圧迫する点については,前記(2)アのとおり,発育途上
期間の女性にとっては好ましくないが,成熟した女性の場合には,医学的
に大きな支障はなく,むしろ,ワイヤーの使用により,バージスライン等
の整形,保形が可能となるところ,本願発明1は,その使用者が発育途上
期間の女性に限定されるものではなく,一般の成人女性を念頭に置いてい
るものと解されるから,この点をもって本願発明1と引用発明との相違点
とすることもできない。したがって,いずれにしても原告の主張を採用す
ることはできない。
cさらに,原告は,本願明細書(甲2,3)の段落【0072】の「なお,
基本的には,ワイヤー構造(線状)は飽くまでボーン状態の芯又は面状芯体
のコーティング部に挿入又はサンドする方式にて採用(当然ハードなもの
ではない)されるのが望ましい。」との記載を根拠に,引用例のような,ワ
イヤーとして一般的に用いられているメタルや硬質プラスチックのような
非常に硬度が高いものの使用を明確に排除していると主張する。
しかしながら,本願発明1において,ワイヤーボーンの使用を否定する
ものでないことは,前示のとおりであり,その材質,硬度等についても,
全く規定されていない。原告の指摘する本願明細書の段落【0072】の
記載は,実施の形態1に関するものであるが,実施の形態2に関する段落
【0079】には,「すなわち,この実施の形態2では,図8に示すように,
左右のバストカップ部2,3の下方端縁に,合成樹脂や金属,あるいは形
状記憶合金等からなり,上向きの略U字形状に形成されたワイヤーボーン
20が設けられている。このワイヤーボーン20は,両端部の間隔が,所
定の幅よりも狭く設定されており,ブラジャーを着用した際に,ワイヤー
ボーン20が拡開して,身頃体4がバストカップ部2,3を体側方向に引
っ張る力Bと略バランスするように構成されている。」と記載されており,
引用発明と同様の金属等による略U字形状ワイヤーが,身頃体の引張力と
対抗することが明記されている。したがって,本願発明1が,メタルや硬
質プラスチックのような硬度が高いワイヤーの使用を排除しているとはい
えないから,原告の主張を採用することはできない。
d以上の説示に照らして,本願発明1がこれまでの線状芯体によって形成
されてきた女性用衣料の問題点(静的非活動的)を解消し,人体骨格に有機
的に対応する女性用衣料(動的活動的)としての面状芯体を提起するもので
あり,引用例発明のようなワイヤーボーンを使用した女性用衣料とは明ら
かに相違するとの原告の主張が採用できないことも明らかである。
(イ)a原告は,審決が,「カップワイヤーは,乳房のバージスよりやや狭めに
設定されているから,引用例記載の発明における,ブラジャーのカップ部
の身頃体と接合される基底部の輪郭形状は,人体骨格のバスト(乳房)の湾
曲形状よりも僅かに大きな曲率形状を有していると認められる」(4頁17
行∼20行)と認定したことについて,引用例には,段落【0002】に「乳
房のバージスよりやや狭めに設定された」と記載されているにすぎず,カ
ップワイヤー(の幅)がやや狭めに設定されている点を説明しているだけで
あって,曲率形状の大小について言及しているものではないと主張する。
しかしながら,前記(2)アのとおり,引用例には,乳房のバージスよりや
や狭めに設定されたU字状のカップワイヤーが,ブラジャーのバージスラ
イン相当部に沿って設けられていることが明示されているのであるから,
曲率等に関する具体的な記載はなくとも,そのようなU字状のカップワイ
ヤーが,乳房のバージスラインよりわずかに大きな曲率形状を有している
ことは明らかといえる。したがって,原告の主張を採用することはできな
い。
bまた,原告は,特許法29条1項3号における特許出願に係る発明と特
許出願前に公知の刊行物に記載された発明との同一性の判断は,厳格にな
されるべきであると主張し,その理由を縷々述べるが,本願発明1と引用
発明とが実質的に同一であることは,前示のとおりであり,原告の主張は
独自の見解であって,これを採用する余地はない。
3結論
以上によれば,原告の主張する取消事由は,いずれも理由がなく,本願発明
1が引用発明と同一であって特許法29条1項3号に該当するとした審決の判
断に誤りはない。
よって,原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。
知的財産高等裁判所第2部
裁判長裁判官中野哲弘
裁判官清水節
裁判官古谷健二郎

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