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平成19年1月31日判決言渡同日原本受領裁判所書記官
平成15年(行ウ)第20号,平成16年(行ウ)第39号原爆症認定申請却下処分
各取消等請求事件
口頭弁論終結の日平成18年9月4日
判決
(目次)
主文9
事実及び理由9
第1請求9
第2事案の概要10
1前提事実(争いのない事実及び証拠上明らかな事実)10
(1)当事者10
ア原告ら10
イ被告厚生労働大臣11
(2)原子爆弾の投下とその被害11
ア原子爆弾の投下11
イ原爆放射線について12
ウ原爆放射線の人体への影響14
(3)関連法令について16
ア被爆者援護法の制定16
イ被爆者援護法の内容16
(4)原告らによる申請とその経過20
ア原告Eについて20
イ原告Fについて20
ウ原告Gについて20
エ原告Hについて21
2争点21
(1)原告らの申請疾病の放射線起因性の有無21
ア放射線起因性の判断基準の合理性の有無21
イ各原告の原爆症認定要件の存否21
(2)国家賠償責任の成否21
第3当事者の主張21
1争点(1)ア放射線起因性の判断基準の合理性の有無について21
(原告らの主張)21
(1)被告厚生労働大臣の認定基準の誤り21
ア原告らの主張の概要(審査の方針の問題点)21
イDS86(線量評価体系)の誤り24
ウ原因確率の問題点53
エ結論65
(2)放射線起因性に関するあるべき認定基準66
ア原爆症認定において踏まえるべき事実66
イあるべき認定基準75
(被告らの主張)77
(1)被告らの主張の概要77
ア放射線起因性判断の概要77
イ被曝線量を把握することが必要かつ重要であること78
ウDS86によって初期放射線による正確な被曝線量を把握できる
こと79
エ審査の方針における放射性降下物及び誘導放射能による被曝線量
評価は正当であること80
オ審査の方針において内部被曝による被曝線量を考慮していないこ
とは正当であること81
カ審査の方針における原因確率による放射線起因性の判断方法は合
理的であること81
キ本件各処分の適法性81
(2)審査の方針に基づく判断の合理性83
ア審査の方針の概要83
イ審査の方針を目安として放射線起因性の有無を判断することの合
理性84
(3)審査の方針における初期放射線の評価が正当であること(DS86
の正当性)85
ア放射線被曝線量の算定の必要性,重要性85
イ原爆放射線推定方式であるDS86の正当性86
ウ審査の方針の合理性96
(4)審査の方針における放射性降下物及び誘導放射能による被曝線量評
価が正当であること97
ア放射性降下物及び誘導放射能の線量評価97
イ原告らの挙げる調査結果等に対する反論100
(5)審査の方針において内部被曝による被曝線量を算出していないこと
が正当であること108
ア内部被曝の概要108
イ原爆の残留放射能による内部被曝が人体に影響を及ぼすとは考え
難いこと109
ウ内部被曝に関する原告らの主張に対する反論112
(6)審査の方針における原因確率による放射線起因性の判断方法が合理
的であること115
ア放影研における疫学調査及び審査の方針における原因確率による
放射線起因性の判断115
イ放影研における疫学調査115
ウ放射線による発がん影響の評価法(絶対リスク,相対リスク及び
寄与リスク)117
エ低線量域リスクの推定118
オ寿命調査集団におけるリスクの算出方法118
カ原因確率の評価119
キ原告らの主張に対する反論122
(7)放射線起因性に関する立証について130
2争点(1)イ各原告の原爆症認定要件の存否について131
〔原告Eについて〕131
(原告Eの主張)132
(1)被爆状況132
(2)急性症状等134
(3)その後の症状の経過135
(4)現在の状況137
(5)放射線起因性の要件該当性137
(6)要医療性の要件該当性140
(被告らの主張)141
(1)原告Eの申請疾患に放射線起因性が認められないこと141
(2)小括145
〔原告Fについて〕145
(原告Fの主張)145
(1)被爆状況145
(2)急性症状等146
(3)その後の症状の経過147
(4)現在の状況149
(5)放射線起因性の要件該当性149
(6)要医療性の要件該当性154
(被告らの主張)154
(1)原告Fの申請疾患に放射線起因性が認められないこと154
(2)小括157
〔原告Gについて〕157
(原告Gの主張)157
(1)被爆状況157
(2)急性症状等159
(3)その後の症状の経過159
(4)現在の状況160
(5)放射性起因性の要件該当性161
(6)要医療性の要件該当性165
(被告らの主張)165
(1)原告Gの申請疾患に放射線起因性が認められないこと165
(2)小括170
〔原告Hについて〕170
(原告Hの主張)170
(1)被爆状況170
(2)急性症状等171
(3)その後の症状の経過172
(4)現在の状況174
(5)放射線起因性の要件該当性175
(6)要医療性の要件該当性178
(被告らの主張)178
(1)原告Hの申請疾患に放射線起因性が認められないこと178
(2)小括181
3争点(2)国家賠償責任の成否について181
(原告らの主張)181
(1)被告厚生労働大臣の違法行為について181
(2)損害185
(被告らの主張)186
第4当裁判所の判断186
1原子爆弾による被害の概要186
(1)原子爆弾の概要186
(2)原爆投下後の広島・長崎の状況188
2放射線起因性の立証の程度について189
3放射線起因性の判断基準の合理性について(争点(1)ア)191
(1)DS86について191
アソースターム192
イ伝播計算192
ウ家屋及び地形による遮蔽の効果193
エ臓器線量測定193
オデータベースの概要194
(2)DS02について194
アソースタームの計算195
イ大気・地上系長距離輸送計算195
ウDS02とDS86の計算結果の比較196
(3)DS86及びDS02の計算値と実測値との比較197
ア熱中性子線について197
イ速中性子線について204
ウガンマ線について208
エDS86ないしDS02による初期放射線量の計算値について
の評価210
(4)残留放射能(放射性降下物,誘導放射能)について213
ア審査の方針における残留放射能(放射性降下物,誘導放射能)
の線量評価の根拠213
イ放射性降下物に関するその他の知見216
ウ誘導放射能に関するその他の知見226
エ内部被曝・低線量被曝228
オ遠距離・入市被爆者に生じた急性放射線症状235
(5)原因確率論について251
ア審査の方針における原因確率論の根拠251
イ原因確率論に対する検討259
ウ原因確率論の合理性の有無について266
4各原告の原爆症認定要件の存否について(争点(1)イ)268
(1)原告Eについて268
ア原告Eの入市被曝状況269
イ広島入市後に原告Eに生じた症状272
ウその後の生活状況及び病歴273
エ原爆症認定申請等275
オ原告Eの疾患に関する医師の意見,専門的知見278
カ原告Eの申請疾患の放射線起因性について281
キ要医療性について286
ク結論286
(2)原告Fについて286
ア原告Fの被爆状況について286
イ被爆後の原告Fの症状287
ウその後の病歴及び生活状況について287
エ原告Fの現在の症状について289
オ原爆症認定申請及び申請疾病について290
カ原告Fの申請疾病の放射線起因性について292
キ結論301
(3)原告Gについて301
ア原告Gの被爆状況について302
イ被爆後の行動について302
ウ被爆後の症状について303
エ原告Gの眼の症状について304
オ原爆症認定申請304
カ白内障に関する医学的・疫学的知見について305
キ原告Gの白内障の放射線起因性について321
ク結論324
(4)原告Hについて324
ア原告Hの被爆状況について324
イ被爆後の症状325
ウその後の病歴及び生活状況326
エ原爆症認定申請327
オ原告Hの症状等について328
カ申請疾患(嚢胞性膵腫瘍)に関する医学的知見について329
キ良性腫瘍について332
ク原告Hの申請疾患の放射線起因性について333
ケ結論336
5国家賠償責任の成否について(争点(2))336
第5結論339
主文
1厚生大臣が,原告Eの原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条
1項(平成11年法律第160号による改正前のもの)の規定に基づく原
爆症認定申請に対し,平成9年6月3日付けでした却下処分を取り消す。
2被告厚生労働大臣が,原告Fの原子爆弾被爆者に対する援護に関する法
律11条1項の規定に基づく原爆症認定申請に対し,平成15年1月28
日付けでした却下処分を取り消す。
3原告E及び原告Fの被告国に対する各請求並びに原告G及び原告Hの被
告らに対する各請求をいずれも棄却する。
4訴訟費用は,原告E及び原告Fに生じた費用の各2分の1と被告国に生
じた費用の4分の1ずつをそれぞれ原告E及び原告Fの負担とし,原告G
及び原告Hに生じた費用の全部と被告らに生じた費用の各4分の1ずつを
それぞれ原告G及び原告Hの負担とし,その余は被告厚生労働大臣の負担
とする。
事実及び理由
第1請求
(上記第20号事件)
1主文第1項同旨
2被告国は,原告Eに対し,300万円及びこれに対する平成15年4月29
日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(上記第39号事件)
1主文第2項同旨
2被告厚生労働大臣が,原告Gの原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律1
1条1項に基づく原爆症認定申請に対し,平成15年1月28日付けでした却下処
分を取り消す。
3被告厚生労働大臣が,原告Hの原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律1
1条1項に基づく原爆症認定申請に対し,平成16年5月12日付けでした却下処
分を取り消す。
4被告国は,原告F,原告G及び原告Hに対し,それぞれ300万円及びこれ
に対する平成16年6月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,昭和20年8月,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆につい
て,原告らが,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(「被爆者援護法」とい
う。)11条1項(原告Eについては平成11年法律第160号による改正前のも
の)に基づき,被告厚生労働大臣(原告Eについては厚生大臣,以下同じ。)に対
し,いわゆる原爆症認定申請をしたところ,同被告が原告らの申請に係る疾患が原
爆の放射線に起因するものとは認められないとして,これらを却下する処分をした
ことから,原告らが各却下処分の取消しを求めるとともに,上記各却下処分が違法
になされたことによって原告らは精神的苦痛を被った旨を主張して,被告国に対し,
国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償(及び訴状送達の日の翌日以降民法所定の
年5分の割合による遅延損害金の支払)を求めた事案である。
1前提事実(争いのない事実及び証拠上明らかな事実)
(1)当事者
ア原告ら
(ア)原告E
原告Eは,大正15年12月23日生まれの男性であり,18歳であった昭和2
0年8月6日,原爆が投下された直後の広島市内に救援部隊として入市した者であ
って,平成8年8月6日に被爆者健康手帳の交付を受け,平成9年1月27日,被
爆者援護法11条1項に基づく認定申請をした(甲D2号証)。
(イ)原告F
原告Fは,昭和8年8月15日生まれの女性であり,11歳であった昭和20年
8月6日,爆心地から約1.7㎞の距離にある広島市三篠国民学校の校庭で被爆し
た者であり,被爆者健康手帳の交付を受け,平成14年7月8日,被爆者援護法1
1条1項に基づく認定申請をした。
(ウ)原告G
原告Gは,昭和2年1月24日生まれの女性であり,18歳であった昭和20年
8月9日,爆心地から約3.1㎞の距離にある三菱重工業長崎造船所飽浦工場の建
物内で被爆した者であり,被爆者健康手帳の交付を受け,平成14年7月9日,被
爆者援護法11条1項に基づく認定申請をした。
(エ)原告H
原告Hは,大正13年12月18日生まれの男性であり,20歳であった昭和2
0年8月6日,爆心地から約1.5㎞の距離にある広島市大須賀町(当時の町名は
「侭」)の陸軍第2総軍司令部参謀部通信班兵舎において被爆した者であり,被爆
者健康手帳の交付を受け,平成15年6月23日,被爆者援護法に基づく認定申請
をした。
イ被告厚生労働大臣
被告厚生労働大臣は,平成13年1月6日に施行された中央省庁等改革関係法施
行法(平成11年法律第160号)753条による改正後の被爆者援護法11条1
項に基づき,原爆症認定をする権限を有する行政庁である。
なお,上記改正前における被爆者援護法11条1項の認定権限を有していた厚生
大臣がした同項所定の処分については,中央省庁等改革関係法施行法1301条1
項により,被告厚生労働大臣がしたものとみなされる(したがって,原告Eの申請
にかかる処分等に関しても,原則として「厚生労働大臣」と表記する。)。
(2)原子爆弾の投下とその被害
ア原子爆弾の投下
昭和20年8月6日に広島市に投下された原爆(通称「リトルボーイ」)は,ウ
ラン235が使用された爆弾であり,TNT(トリニトロトルエン)火薬にして約
15kt(キロトン)ないし16ktに相当する威力を持ち,地上約600m地点で爆
発した。また,同月9日に長崎市に投下された原爆(通称「ファットマン」)はプ
ルトニウム爆弾であり,TNT火薬に換算して約21ktに相当する威力を持ち,地
上約500m地点で爆発した。
イ原爆放射線について
(ア)放射線について(甲全59号証,111号証の12)
a放射線の種類と性質
放射線は,一般には,電離(原子核と電子の分離)を引き起こす電離放射線を指
し,主要なものとしては,アルファ線,ベータ線,ガンマ線,エックス線及び中性
子線(「中性子」ということもある。)がある。
このうち,ガンマ線とエックス線は,電磁波(電磁放射線)と呼ばれ,波として
捉えることができる放射線である。波長が短いほどエネルギーが大きく,ガンマ線
とエックス線が特に波長の短い高エネルギー電磁放射線であるが,いずれも光と同
じ性質を持っており,光速で飛行する。
これに対して,アルファ線,ベータ線,中性子線は粒子線と呼ばれ,いずれも粒
子の流れであり,それが電荷をもっているか否かによって荷電粒子と非荷電粒子に
分類される。
荷電粒子は,更に重粒子と軽粒子に分類され,重粒子にはアルファ線,陽子線な
どがあり,軽粒子にはベータ線や電子線などがある。
他方,非荷電粒子は,中性子であり,大きな運動エネルギーをもつ速中性子と運
動エネルギーをほとんどもたない熱中性子に分けられる。
電離放射線は,物質を透過する性質を有し,熱中性子を除いて大きなエネルギー
をもっており,これらの放射線が生物体に吸収されると,そのエネルギーは,放射
線の軌跡に沿って,近辺の多数の構成分子に電離を引き起こさせる。また,熱中性
子は,極めて小さいエネルギーしか有していないが,様々な原子核を放射化する結
果,アルファ線,ベータ線,ガンマ線のいずれか二つ又は一つを放出させるため,
間接的に高エネルギーの放射線として作用する。
これら電離放射線のうち,ガンマ線と中性子線が,原爆放射線の主要成分であり,
特にガンマ線が,原爆放射線のほとんどを占める。
なお,自然界にも,大地に存在する放射性物質が放出する放射線や宇宙線などの
放射線が存在しており,地球上のヒトが受ける平均自然放射線被曝線量は,年間2.
4mSv(ミリシーベルト)程度とされている。
b放射線量の単位について
放射線量の単位は,平成元年(1989年)にそれまで用いられていた単位系か
ら国際単位系(SI単位系)に切り替えられ,従来のキュリー(Ci),ラド
(rad),レム(rem)に代わってベクレル(Bq),グレイ(Gy),シーベルト(Sv)
が使われるようになった。
放射線については,吸収線量と等価線量という二つの異なる評価単位が存在して
おり,①吸収線量とは,放射線が物質又は生体に作用したとき,単位物質(組織)
1㎏当たりに吸収されたエネルギー量(J)を表したものであり,その単位は,グ
レイ(「Gy」,1Gy=100rad)が用いられる。
また,②等価線量とは,ガンマ線,中性子線などの放射線の種類によって異なる
放射線被曝による生体組織への影響を考慮した評価単位であり,生体に作用した吸
収線量に,生物学的効果比(RBE)を考慮した放射線荷重係数を乗ずることによ
って得られるもので,単位物質(組織)1㎏当たりに吸収されたエネルギー量を表
しており,その単位はシーベルト(Sv)が用いられる。吸収線量との関係は「線量
当量(Sv)=吸収線量(Gy)×線質係数」によって表され,線質係数は,放射線の
種類に従って,次の表のようになっている。
別紙表1参照
このことは,放射線によって同じだけの吸収線量(エネルギー)を人体に受けた
場合,中性子線によれば,エックス線やガンマ線の10倍の生体影響を受けること
を意味している。
さらに,③放射能の量の単位としてベクレル(Bq)が用いられている。放射能と
は,物質が放射線を出す能力のことで,ある放射性物質の中で1秒間に崩壊する
(放射線を出して壊れる)原子の数で表される。1Bqは1秒間に1個の原子が放射
性崩壊することを意味している。
(イ)原爆によって放出された放射線について(乙全14号証)
空中爆発による原爆放射線は,爆発後1分以内に空中から放射される初期放射線
と,それ以後の長時間にわたって地上で放射される残留放射線の2種類に分けられ
る。残留放射線は,更に核分裂生成物等が空中に飛散し,爆発後1分以後のガンマ
線などの放射線源となった放射性降下物(「フォールアウト」ともいう。いわゆる
「死の灰」)と,地上に降り注いだ初期放射線(中性子)が土地や建築資材の原子
核に衝突して原子核反応を起こし,それによって放射能を誘導する誘導放射能に分
けられる。
ウ原爆放射線の人体への影響
(ア)放射線被曝の態様について
放射線被曝の態様は,①初期放射線及び残留放射線から放出される放射線を身体
の外部から浴びることによって被曝する「外部被曝」と,②呼吸,飲食,外傷・皮
膚等を通じて体内に取り込まれた放射性物質が放出する放射線によって被曝する
「内部被曝」に大別される。
(イ)人体への影響の態様について
a急性影響と晩発影響(乙全14号証)
急性影響(「急性障害」又は「急性症状」ともいう。)とは,放射線に被曝して
数週間以内に現れる影響をいい,原爆の熱線,放射線が人体に与えた障害の程度,
障害の主要部分,障害の相互の関連度合などによって様々であり,出現する症状も
種々であるが,概ね,白血球の減少,吐き気,全身倦怠感,めまい,出血,脱毛な
どを主症状とするものである。
晩発影響(「後障害」又は「晩発症状」ともいう。)とは,放射線に被曝して数
年間経過した後に現れる影響をいい,がん(白血病を含む。)及び白内障が主症状
であって,これらの症状は,個々の症例を観察する限り,放射線に特異的な症状を
有するものではなく,一般に見られる疾病と全く同様の症状を呈する。
b感受性
放射線に対する感受性とは,放射線被曝による症状が起きやすいか否かを示す概
念であり,筋肉や神経など,あまり細胞分裂をすることのない細胞では感受性は低
く,骨髄や腸上皮細胞のように細胞分裂を繰り返す細胞では感受性は高いことが知
られている。
c確定的影響と確率的影響
放射線の人体への影響には確定的影響と確率的影響が存在することが知られてい
る。
人体を組成するタンパク質分子や遺伝子は,放射線による直接・間接の障害に対
しても,修復作用によって修復されるが,一定線量以上の放射線によって大量のタ
ンパク質分子や遺伝子が損傷されると,修復作用が働かなくなって多数の細胞が死
滅したり,遺伝子の損傷によって細胞分裂が正常に行われなくなり,その結果,人
体の一部の機能が喪失される。このような症状は,低線量の被曝では出現しないこ
とが明らかであるが,ある線量以上の放射線に被曝すると影響が出現するものであ
り,確定的影響と呼ばれ,このような影響が生ずる境となる値を「しきい値」とい
う。
これに対し,タンパク質分子や遺伝子の修復により,いったん症状が治まったと
しても,その後に誤って修復されることによって,一定の症状が発生する場合があ
り,このような症状は,被曝線量に比例して確率的に発生すると考えられており,
確率的影響と呼ばれる。
(3)関連法令について
ア被爆者援護法の制定
平成6年に制定された被爆者援護法(平成6年法律第117号)は,原爆の投下
の結果生じた放射線に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であ
ることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわ
たる総合的な援護対策を講じることを目的とするもので,平成7年7月1日から施
行されるとともに,従来,被爆者の健康保持等の根拠法令であった原子爆弾被爆者
の医療等に関する法律(「原爆医療法」という。)及び原子爆弾被爆者に対する特
別措置に関する法律(「被爆者特措法」という。)が廃止された(被爆者援護法附
則1条,3条)。
イ被爆者援護法の内容
(ア)被爆者
被爆者援護法における「被爆者」とは,次のいずれかに該当する者であって,被
爆者健康手帳の交付を受けたものをいう(1条1号ないし4号)。
a原子爆弾が投下された際,当時の広島市若しくは長崎市の区域内又はこれら
両市に原爆が投下された当時の広島県安佐郡祇園町や長崎県西彼杵郡福田村の一部
など,両市に隣接する区域内に在った者(「直接被爆者」という。同法1条1号,
同法施行令1条1項)
b原子爆弾が投下された時から起算して,広島市に投下された原爆については
昭和20年8月20日まで,長崎市に投下された原爆については同月23日までの
各期間内に上記aで規定する区域のうち,広島市における十日市町や紙屋町等,長
崎市における浦上町等,政令で定める区域内に在った者(「入市被爆者」という。
同法1条2号,同法施行令1条2項,3項)
c上記a,bに掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,
身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者(「救護被爆
者」という。同法1条3号)
d上記aないしcに掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者
の胎児であった者(「胎児被爆者」という。同法1条4号)
(イ)被爆者健康手帳の交付
被爆者健康手帳は,その交付を受けようとする者の申請に基づいて,居住地の都
道府県知事の審査を経て,上記aないしdのいずれかに該当すると認められたとき
に交付される(同法2条)。
(ウ)被爆者援護法に基づく援護の内容
被爆者援護法における被爆者は,同法に基づいて,①健康管理(同法7条,9条,
同法施行規則9条),②一般疾病医療費の支給(同法18条),③保健手当の支給
(同法28条1項),④健康管理手当の支給(同法27条1項,4項,同法施行規
則51条各号),⑤医療の給付(法10条1項,なお,医療の給付を受けようとす
る者は,あらかじめ,後記の原爆症認定を受けなければならないこととされている
(法11条1項,2項))等の援護を受けることができる。
(エ)原爆症認定制度について
a原爆症認定の要件
被爆者援護法10条1項は,「厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して
負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医
療の給付を行う。ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するもので
ないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医
療を要する状態にある場合に限る。」と規定し,原爆症認定の要件として,①申請
疾患が原子爆弾の放射線の傷害作用に起因するものであること,又は申請疾患が原
子爆弾の放射線の傷害作用に起因するものでないときには,申請者の治癒能力が原
子爆弾の放射線の影響を受けていること(放射線起因性),②申請疾患が現に医療
を要する状態にあること(要医療性)を医療給付の要件としている。
b原爆症認定の手続
(a)被爆者援護法11条1項の原爆症認定を受けようとする者は,厚生労働省令
で定めるところにより,その居住地の都道府県知事を経由して,厚生労働大臣に申
請書を提出しなければならない(同法施行令8条1項)。
(b)上記申請書には,①被爆者の氏名,性別,生年月日及び居住地並びに被爆者
健康手帳の番号,②負傷又は疾病の名称,③被爆時以降における健康状態の概要及
び原子爆弾に起因すると思われる負傷若しくは疾病について医療を受け,又は原子
爆弾に起因すると思われる自覚症状があったときは,その医療又は自覚症状の概要
等を記載し,医師の意見書及び当該負傷又は疾病に係る検査成績を記載した書類を
添付することとされている(同法施行規則12条)。
(c)上記申請を受けた厚生労働大臣は,原爆症認定を行うに当たり,申請疾患が
原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,
審議会等の意見を聴かなければならない(法11条2項)。
そして,ここにいう「審議会等」は,疾病・障害認定審査会(「審査会」とい
う。)とされ(同法施行令9条,なお,原告Eが原爆症認定申請をした平成9年7
月当時は後記の「原子爆弾被爆者医療審議会」であった。),その分科会である原
子爆弾被爆者医療分科会(「医療分科会」という。)がその役割を担当している。
なお,平成11年法律第102号による改正前の被爆者援護法は,厚生大臣(当
時)の諮問に応じ,被爆者の医療等に関する重要事項を調査審議させるため,厚生
省に原子爆弾被爆者医療審議会を置くこととし,同審議会は,被爆者の医療等に関
する事項につき,関係各大臣に意見を具申でき(同法3条1項,2項),厚生大臣
が,被爆者援護法11条1項の原爆症認定を行うに当たっては,当該負傷又は疾病
が原爆の傷害作用に起因すること又はしないことが明らかである場合を除き,原子
爆弾被爆者医療審議会の意見を聴かなければならないこととされていた。
c審査会における審査
(a)医療分科会は,平成13年5月25日に「原爆症認定に関する審査の方針」
(乙全1号証,「審査の方針」という。)を策定し,これに基づき,申請疾患の放
射線起因性を判断している。
(b)審査の方針は,申請に係る負傷又は疾病(「疾病等」,「申請疾患」又は
「申請疾病」という。)における放射線起因性の判断に当たっては,原因確率(疾
病等の発生が原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率をい
う。)及びしきい値(一定の被曝線量以上の放射線を被曝しなければ,疾病等が発
生しない値をいう。)を目安として,当該申請疾病の放射線起因性に係る「高度の
蓋然性」の有無を判断するものとし,原因確率が,概ね50%以上である場合には,
当該申請に係る疾病の発生に関して,原爆放射線による一定の健康影響の可能性が
あることを推定し,概ね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定
するが,このような判断に当たっては,これらを機械的に適用して判断するもので
はなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で,判断
を行うものとする。また,原因確率等が設けられていない疾病等の審査に当たって
は,当該疾病等には,放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていない
ことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総
合的に勘案して,個別にその起因性を判断するものとする。
(c)審査の方針における原因確率は,申請疾病と被爆者の性別に応じてその別表
1ないし8が作成されており,これに被曝時の年齢と被曝線量を当てはめることに
よって算定される(ただし,肺がんについては,被曝線量のみから算定される。)。
原因確率を算定する基礎となる被曝線量は,①線量評価体系であるDS86に基
づき,申請者の被爆地(広島市又は長崎市)と,爆心地からの距離の区分に応じて
定められている初期放射線による被曝線量(審査の方針別表9)に,②申請者の被
爆地,爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて定められている誘導
放射能(残留放射線)による被曝線量(同別表10)と,③原爆投下の直後に特定
の地域(広島市にあっては己斐又は高須地区,長崎市にあっては西山3,4丁目又
は木場地区)に滞在し,又はその後,長期間にわたって当該特定の地域に居住して
いた場合に認められる放射性降下物による被曝線量を加えて算定される。
(d)審査の方針では,確定的影響であるとされている放射線白内障のしきい値は,
1.75Svとされている。
(4)原告らによる申請とその経過
ア原告Eについて
(ア)原告Eは,原爆症認定を受けるため,被告厚生労働大臣に対し,甲状腺腫瘍
術後機能低下症を申請疾病とする平成9年1月27日付け申請書を提出し,被告厚
生労働大臣は,同年3月3日,同申請書を収受した(乙D1号証,2号証)。
被告厚生労働大臣は,審議会等の意見を聴取した上で,平成9年6月3日,原告
Eの上記申請を却下した(乙D3号証)。
これに対し,原告Eは,平成9年7月30日付けで被告厚生労働大臣に対し,異
議申立てをした(甲D5号証,乙D4号証)。
(イ)被告厚生労働大臣は,行政不服審査法47条3項ただし書に基づき,審査会
の意見を聴取した上で,平成15年1月9日,上記異議申立てには理由がないとし,
これを棄却する決定をした(甲D6号証の1・2)。
(ウ)原告Eは,上記決定を不服として,平成15年4月17日,本件訴えを提起
した。
イ原告Fについて
(ア)原告Fは,原爆症認定を受けるため,被告厚生労働大臣に対し,慢性腎不全,
膵嚢胞,多発性脳梗塞,右副腎腫瘍及び限局性強皮症を申請疾病とする平成14年
7月8日付け申請書を提出した。
被告厚生労働大臣は,平成15年1月28日,原告Fの上記申請を却下した(甲
A1号証の1・2)。
これに対し,原告Fは,同年3月11日付けで,被告厚生労働大臣に対し,異議
申立てをしたが,これに対する決定はなされていない。
(イ)原告Fは,平成16年6月17日,本件訴えを提起した。
ウ原告Gについて
(ア)原告Gは,原爆症認定を受けるため,被告厚生労働大臣に対し,両眼白内障
を申請疾病とする平成14年7月9日付け申請書を提出した。
被告厚生労働大臣は,平成15年1月28日,原告Gの上記申請を却下した(甲
B1号証)。
これに対し,原告Gは,同年4月2日付けで,被告厚生労働大臣に対し,異議申
立てをしたが,これに対する決定はなされていない。
(イ)原告Gは,平成16年6月17日,本件訴えを提起した。
エ原告Hについて
(ア)原告Hは,原爆症認定を受けるため,被告厚生労働大臣に対し,嚢胞性膵腫
瘍を申請疾病とする平成15年6月23日付け申請書を提出した。
被告厚生労働大臣は,平成16年5月12日,原告Hの上記申請を却下した(甲
C1号証,2号証)。
これに対し,原告Hは,同年6月25日付けで,被告厚生労働大臣に対し,異議
申立てをしたが,これに対する決定はなされていない。
(イ)原告Hは,平成16年6月17日,本件訴えを提起した(以上の原告らに対
する被告厚生労働大臣による各却下処分を,「本件各処分」という。)。
2争点
本件の争点は,次のとおりである。
(1)原告らの申請疾病の放射線起因性の有無
ア放射線起因性の判断基準の合理性の有無
イ各原告の原爆症認定要件の存否
(2)国家賠償責任の成否
第3当事者の主張
1争点(1)ア放射線起因性の判断基準の合理性の有無について
(原告らの主張)
(1)被告厚生労働大臣の認定基準の誤り
ア原告らの主張の概要(審査の方針の問題点)
(ア)線量評価の誤り
被告厚生労働大臣は,現在,原爆症認定における申請疾病の放射線起因性の判断
について,原因確率という基準を作り,これを審査の方針として策定しており,審
査の方針では,線量評価体系であるDS86により申請者の被曝線量を推定し,原
因確率への当てはめを行っている。しかし,DS86という線量評価体系は,以下
に主張するとおり,多くの問題点があるとともに,現実を全く説明できない誤った
ものである。
また,原因確率は,財団法人放射線影響研究所(「放影研」という。)の疫学調
査を基礎としているが,同調査は,DS86を基礎としているため,DS86の誤
りは疫学調査の結果の誤りに直結し,そのまま原因確率の誤りにつながるのである。
審査の方針では,線量評価において,誘導放射能による被爆と放射性降下物によ
る被爆の一部を考慮しているが,これは全く不十分なものであり,遠距離被爆者や
入市被爆者に生じた急性症状の実態からすれば,審査の方針が用いるこれらの線量
評価が,現実に被爆者の受けた被曝線量を無視ないし著しく軽視していることは明
らかである。
さらに,審査の方針では,線量評価において,外部被曝のみを考慮しており内部
被曝による被曝線量を全く考慮していないが,内部被曝は,人体に大きな影響を与
える重要な被爆態様であり,これを無視して良いはずがない。
(イ)原因確率論の誤り
a放影研の疫学調査の誤り
審査の方針における原因確率論は,放影研の疫学調査を基礎としているところ,
同調査には,次のような問題点が存在する。
(a)調査集団の線量評価にDS86を用いていること
(b)残留放射線の影響を線量評価上無視していること
(c)内部被曝の影響を線量評価上無視していること
(d)疫学調査における比較対照群の設定に問題があること
(e)死亡率調査を基礎にしていること
(f)昭和25年(1950年)までの被爆者の死亡を考慮に入れていないこと
また,原因確率論に転用された児玉和紀広島大学医学部保健学科教授(「児玉教
授」という。)を主任研究者とする厚生科学研究費補助金(特別研究事業)平成1
2年度総括研究報告書「放射線の人体への健康影響評価に関する研究」(乙全7号
証,「児玉論文」という。)には,次のような問題点が存在する。
(a)中性子線の生物学的効果比を無視し,「1」として扱っていること
(b)低線量域においても線形モデルを用いていること
b原因確率を個々の被爆者にあてはめることの誤り
疫学は,集団についての概念であり,疫学上,放射線と疾病との関連が認められ
るということは,放射線に被曝した集団でその疾病にかかったすべての人が,放射
線が原因でその疾病にかかった可能性があることを表すものであって,特定の個人
の疾病について,放射線が原因ではないと判断することはできないはずである。ま
た,放射線の人体への影響には大きな個体差があることからすれば,集団について
の結論を個々の被爆者にあてはめることの不合理さは明らかである。
c原因確率の考え方の誤り
原因確率は,被告らによって,「疾病の発生が原爆放射線の影響を受けている蓋
然性があると考えられる確率」と定義されている。しかるに,原因確率として使用
されているのは,寄与リスク(被爆者の疾病のうち,原爆放射線のみが作用して増
えた疾病の割合)の数値であるから,結局,原爆放射線と他の要因のいずれかが二
者択一的に作用して,疾病を生じさせるものとの前提を採用していることになる。
しかし,こうした原因確率の考え方によると,原爆放射線と他の要因が相まって
疾病が生じた場合,原爆放射線によって早く発症した場合(発症の促進)や,原爆
放射線によって症状が悪化している場合(進行の促進)には,現に医療を要する疾
病の状態が原爆放射線に起因している症例が多くても,必ずしも寄与リスクは大き
な数値とはならず,放射線の影響を正確に判定できない。
原爆放射線によって疾病の発症が促進されることは,被爆時年齢や一部の疾病に
ついては既に放影研の調査によって報告されており,その他様々な疾病についても,
その機序について裏付けが進みつつある。少なくとも,ある疾病が,被告らが主張
する二者択一の機序で発症するのか,あるいはそうでないのかは不明であるという
べきであり,このことからも原因確率の不合理性は明らかである。
(ウ)小括
このように,審査の方針には,二重三重の問題点があり,これが被爆者の放射線
起因性を判断する基準としての合理性を有していないことは明らかである。
以下ではDS86及び放影研の疫学調査の問題点について詳細を明らかにする。
イDS86(線量評価体系)の誤り
(ア)DS86の評価について
aDS86自身の認める限界
DS86の合理性に限界が存することは,DS86自身が,誤差の解析が不十分
で,再測定された結果による見直しを予定していることからも明らかである。
このようなことから,DS86発表以後も精力的にガンマ線及び中性子線の物理
学的測定が行われてきた。その結果,DS86と実測値との不一致は一層明確とな
り,広島でも長崎でも共通して,爆心から近距離ではDS86の推定値は過大評価
であるが,遠距離では過小評価に転じ,爆心からの距離が増大するにつれて過小評
価の度合いが拡大することが判明し,DS86の見直しが日米の科学者間で行われ
てきたのである。
bDS86の学術的な扱い
こうした状況を反映して,DS86を使用した学術論文においては,DS86が
今後変更された場合には,その研究結果が異なる旨の注釈が付されており,放射線
科学の研究者は,今後起こるであろうDS86の変更を予測しなければ,論文自体
の評価が下がるという状態におかれている(甲全27号証)。
(イ)線量推定式の変遷
aT57D
昭和31年(1956年),アメリカ原子力委員会は,原爆放射線の人間に対す
る効果を研究するために,オークリッジ国立研究所(ORNL)を中心にした「I
CHIBAN計画」と称する核実験をネバダ核実験場で行った。この核実験のデー
タに基づいて広島・長崎の各原爆の放射線量の推定を行い「1957年暫定線量
(T57D)」が作成された。
bT65D
次に,長崎原爆と同じタイプのプルトニウム原爆を使用したり,ネバダ核実験場
に500mの塔を建てて「裸の原子炉」やコバルト60の線源を設置して,中性子
の伝播や遮蔽効果の研究が行われた。ABCC(原爆傷害調査委員会)はORNL
と協力し,さらに放射線医学総合研究所(「放医研」という。)などによる広島・
長崎原爆の放射線の測定結果と照合して「1965年暫定線量(T65D)」を作
成した。
T65Dによる放射線量は,相当正確なものとされ,誤差については,広島原爆
で±15%,長崎原爆で±10%とされていた。
ところが,T65Dによる線量評価に疑問が生じ,後のDS86によって,例え
ば,爆心から2㎞の地点では,ガンマ線が4倍に,中性子線が9分の1に大きく修
正されることになった。
cDS86
DS86は,T65Dと異なり,実験結果に基づかないコンピュータによるシミ
ュレーションである。昭和38年8月3日に調印され,同年10月10日に発効し
た「大気圏内,宇宙空間及び水中における核実験を禁止する条約」のために空気中
での核爆発実験を禁止されたアメリカが,中性子爆弾の威力を測るために作成した
コンピュータプログラムに基づく机上のシミュレーションである。しかも,軍事機
密であるため日本側に示されたのは,原爆容器を通り抜けて外部へ放出された即発
ガンマ線と中性子線の総量,エネルギー分布及び方向分布に関する計算結果だけで
あった。
このように,DS86は,実験に基づくものではなく,しかも,他の科学者等に
よる追検証も不可能なものである。こうした基本的事項が明らかになっていない線
量評価体系はそもそも信用性に乏しいというほかない。
そして,DS86について判明している内容についても,以下のとおり,実証さ
れている多くの問題点があり,学問上も信用性に問題があるものとして取り扱われ
ている。
なお,広島原爆については,ネバダ実験場でいくつか使用されたプルトニウム爆
弾である長崎原爆とは異なり,同じ型の原爆を用いた実験もなされていない。また,
原子爆弾の構造などの詳細な情報も軍事機密となっているため,広島原爆について
は不明な点が多く,原爆がどのような鉄で覆われていたのかさえ分かっていない。
DS86では,広島原爆のレプリカと称する原子炉から放出されたガンマ線量と
中性子線量を,DS86の計算値と比較した結果,よく一致したといわれる。しか
し,上記原子炉は,遅い中性子の吸収によるウラン235の連鎖反応を用いている
のに対し,原爆は,高速中性子の吸収によるウラン235の連鎖反応を用いており,
これらから放出される中性子線を比較すると,高エネルギー中性子線の割合におい
て差が生じ,この差は,連鎖反応が繰り返されることによって拡大されるので,原
子炉での実験結果を広島原爆にそのまま適用することはできない。
このように,広島原爆については不明な点が多く,DS86による評価線量が不
正確であることは明らかである。
dDS86と実測値の乖離
原爆の初期放射線の線量を測定するために,多くの科学者による研究が行われ実
測値ないし測定値が測定されている。
このように物理的手法により測定された実測値と比較して,DS86の推定値は
近距離で過大評価,遠距離で過小評価となる顕著な傾向を示している。DS86に
よる推定値は,現実の実測値と異なっているのである。
以下この点を,広島・長崎を区別し,また,ガンマ線と中性子線を区別して詳述
する。
(a)広島原爆のガンマ線
現在では,熱ルミネッセンス(TL)法による測定技術が大きく進歩し,半世紀
も前に原爆が放出したガンマ線の線量の測定が可能になっている。
DS86報告書が発表された後の,平成4年(1992年)に長友恒人教授らに
よる熱ルミネッセンス法による測定によって,広島の爆心地から2050mでの高
い精度の実測値が得られており(長友教授ら「広島の爆心地から2.05㎞におけ
る測定ガンマ線量とDS86の評価値との比較」,甲全28号証の1・2,「長友
論文」という。),この値は,対応するDS86の推定より2.2倍大きくなって
いる。この結果は,爆心地から2.05㎞における測定値に対し,DS86の計算
値が50%あるいはそれ以下であることを示している。
さらに,長友教授らは平成7年(1995年)に,広島の爆心地から1591m
と1635mとの間の測定も行い,すでにこの距離からガンマ線線量の実測値はD
S86の計算値からずれ始めることを確かめている(長友教授ら「爆心地から1.
59㎞から1.63㎞の間の広島原爆のガンマ線量の熱ルミネッセンス法の線量評
価」,甲全30号証の1・2)。
このように,DS86によるガンマ線の線量推定に誤りがあることが明らかとな
ってきており,DS86報告書自体が実測値との間でズレがあることを認めている
箇所もあることから,爆心地から1000m以遠において,DS86のガンマ線推
定線量は,実際の線量よりも過小評価されていることが分かる。
ガンマ線は,直接原爆から放出されたものだけでなく,原爆から放出された中性
子が空気中の原子核と衝突した際にも生成されるが,後述のように,DS86の中
性子の推定線量が過小評価されているため,ガンマ線の推定線量も遠距離において
過小評価になってくるのである。
(b)広島原爆の中性子線
原爆の爆発の瞬間に放出された中性子線は,空気中や地上の原子の原子核に散乱
されたり,吸収されたりして,複雑な経路を経て地上に到達するが,このように,
中性子線は複雑な振る舞いをするので,推定の困難さはガンマ線の比ではない。中
性子線についての推定線量が疑わしいということは,DS86自体に,「中性子の
測定についてのこの章の結論は,中性子線量がさらに研究が進展するまでは疑わし
いということでなければならない。」と示されていることからも明らかである
(「原爆線量再評価広島および長崎における原子爆弾放射線の日米共同再評価」,
甲全26号証・207頁)。
①熱中性子線
中性子線のうち熱中性子線の実測値測定においては,熱中性子線によって誘導放
射化された,ユーロピウム152,塩素36及びコバルト60の測定が行われてい
る。
ユーロピウム152と塩素36については実測値が自然放射線などのバックグラ
ウンドの影響を受けるため測定値との不一致を明確にすることは困難である。そこ
で,広島のコバルト60の実測値を解析し,熱中性子の近似式を求め,DS86等
と比較した結果,900mを超えるとDS86による推定線量が過小評価されてい
ることがわかった(澤田昭二名古屋大学名誉教授(「澤田教授」という。)の20
04年11月15日付け意見書(甲全102号証)・59頁,図7a)。
また,ユーロピウム152及び塩素36についても,遠距離において系統的なズ
レを生じており,コバルト60の測定値と計算値との比較をした結果からも,やは
り系統的なズレが生じていることは明白である(小佐古敏荘教授(「小佐古教授」
という。)の別件における証人尋問調書,甲全84号証の1・91,98頁)。
②速中性子線
また,速中性子線に関しては,リン32とニッケル63の測定により実測値が導
かれているが,これらの測定結果にしても1000mを越える辺りからDS86が
実測値よりも過小評価になっている(小佐古教授の別件における証人尋問調書(甲
全84号証の1)・89,90頁)。そして,速中性子線はエネルギーを失いながら熱
中性子線へと変わっていくのであるから,速中性子線の過小評価は熱中性子線の過
小評価へ直結する。
以上の熱中性子線及び速中性子線の検討結果からすると,DS86による中性子
線の推定によっては実測値を説明することができないのであり,特に1000mを
越える辺りからの推定は到底採用できるものではない。
(c)長崎原爆の熱中性子線
長崎についても,熱中性子線に関してユーロピウム152及びコバルト60の測
定が行われている。ユーロピウム152については実測値にばらつきが大きいため,
コバルト60の実測値を解析してDS86の推定値と比較したところ,やはり90
0mを越える辺りからDS86が過小評価となっている。
実測値に関して900m辺りから減少割合が緩やかになっているが,DS86報
告書におけるネバダ核実験場での長崎原爆の実験においても同様に遠距離で緩やか
に減少する成分が示されている。したがって,1000mを超える遠距離になると,
緩やかに減少する中性子線が存在することが考えられる(澤田教授「最近の原爆放
射線実測結果にもとづくDS86の評価」,甲全34号証)。
(d)誤差の原因
DS86の中性子線量についての誤差の理由は,以下のとおりであると考えられ
る。
①原爆の爆発点から放出された中性子線のエネルギー分布,すなわちソースタ
ームの計算問題について
原爆の核分裂の連鎖反応は100万分の1秒以下という短時間で終わるので,原
爆容器が崩壊する以前の段階で,放射線が容器を突き抜けて容器の外に飛び出す。
そして中性子線の一部は原爆容器や火薬などに吸収されてしまうことから外部に放
出された中性子線の量を正確に推定するためには,原爆容器や火薬等の成分や厚さ
などの詳細な情報が必要である。ところが,原爆容器の材質や火薬の量・成分など
は軍事機密ゆえに公表されていない。したがって,原爆放射線のエネルギー分布は
追検証することができず,誤りを含む可能性が否定できない(甲全5号証・107
頁)。
しかも,原爆の場合は短時間で核分裂の連鎖反応を起こさなければならないため,
連鎖反応における主要な役割を高速中性子に果たさせている。一方で,広島原爆の
レプリカを用いた実験では,原子炉という性格上,核分裂を制御する必要があるこ
とから,核分裂の連鎖反応における主要な役割を熱中性子に果たさせている。とこ
ろが,DS86報告書においては,ソースタームの計算結果が原子炉レプリカによ
る測定値と一致したと述べられている。このことは,広島原爆のソースタームが熱
中性子を中心に計算されていることを裏付けている。
したがって,広島原爆のソースタームは,高速中性子を過小評価していることに
なる。そして,高速中性子の過小評価が熱中性子の過小評価に直結することは前述
のとおりであり,このことが中性子線やガンマ線の誤差につながっていると考えら
れる。
また,同様の理由が,長崎原爆における中性子線のずれの原因として考えられる。
②中性子線の伝播に重要な影響を与える湿度の高度変化について
中性子線は,空気中の水素の原子核により吸収されたり散乱したりするため,湿
度が低ければ吸収・散乱が少なくなり,より多くの中性子線が遠距離に到達するこ
とになるから,線量評価に当たっては,湿度の影響を考慮しなければならない。
ところで,DS86は,広島では,広島気象台の湿度80%という観測結果を用
いて計算をしている。しかし,江波山にある広島気象台は海と太田川に近く,原爆
投下時は満潮であったため,海や川の影響を受けた結果,気象台の測定値が周囲の
湿度より高くなっていた可能性がある。
また,長崎では,爆心より4500m南南西の海沿いにある長崎海洋気象台の測
定値71%を用いている。しかし,家屋が密集した都市の上空では海沿いとは異な
りもっと湿度は低かった可能性がある。
また,DS86では,上空1500m,半径2825mで計算領域が限定されて
いることから上空の空気中の原子核で反射して地上に到達した中性子の寄与は遠距
離でかなり増大する可能性がある。
さらに,気象台のある地表付近では湿度が高かったとしても,上空では湿度が低
かったとも考えられる。当日と同じ気象条件の日を選んで行われたラジオゾンデに
よる気象観測では,地上500m前後に逆転層が生じていた可能性を示唆する研究
報告もある(甲全29号証・11頁)。
③ボルツマン輸送方程式に基づくコンピュータ計算における区分の設定につい

DS86は,広島原爆についても長崎原爆についても,ボルツマン輸送方程式を
採用しており,上記②のとおりの気象条件と,爆心地から半径2825m,高さ1
500mの円筒の内部という境界条件の下で計算している。
そのため,ある一つの要因で一旦計算値にずれが生じると,ずれは次々に累積・
拡大してしまう結果,実測値との乖離が生じている可能性がある。
(e)小括
以上のとおり,実際に人体に降り注いだ放射線は,DS86による推定と,特に
遠距離では大きく異なるものである。広島ではDS86による推定線量の数十ない
し数百倍の放射線の影響があったことになる。
eDS02の問題点
被告らは,新たな線量評価体系であるDS02の策定過程において,DS86の
合理性が確認されたと主張する。
しかし,DS02には,以下のとおり多くの問題点がある。
(a)未完成であること
DS02は2002年にできたことからDS02と呼ばれている。ところが20
05年5月現在,DS02報告書の総括すらできていない未完成の状態である。
4年も経って完成すらしないものに基づいて議論せざるを得ないこと自体,初期
放射線推定式のあいまいさや欠陥を表すものである。
(b)DS02の不正確さ
①高速中性子線について
DS02では,高速中性子線についての新たな測定結果を用いている。この測定
結果などに基づいて,DS02が合意されるに至ったものであり,DS02策定に
おいて大きな役割を果たすものであった。
ところが,その策定に関与した小佐古教授は,高速中性子線に関する測定につい
て,遠距離,すなわち1400m以遠については線量評価として役に立たないと述
べている(小佐古教授の別件の証人尋問調書(甲全84号証の2)35,36頁)。
また,DS86同様,近距離で過大評価,遠距離で過小評価となっていることが
確認されており,とりわけ遠距離におけるずれはDS86よりも拡大しているので
ある。
液体シンチレーション法(加速器質量分析法に比べてもその信頼性が確認されて
いる測定方法)によるニッケルの測定も実施されているが,そこでも広島における
爆心地より1500m地点での実測値が計算値を上回っている。
さらに,バックグラウンドの評価もずさんであり,DS02の基となったストロ
ーメらの論文では,バックグラウンドの数値に恣意的な操作がなされている。
②ガンマ線について
ガンマ線については,1500m以遠では,測定値が計算値より系統的に上にず
れていることが確認されている(甲全84号証の2・22頁,23頁)。
③熱中性子線について
熱中性子線については,コバルト60もユーロピウム152も,遠距離では測定
値が系統的に実測値を上回っており,計算値が実測値で裏付けられていないのであ
る(甲全84号証の1添付資料35,43,甲全102号証の1・59頁)。
(c)小括
以上のとおり,被告らによる遠距離における初期放射線の計算値は,実測値を大
きく下回る事が明らかになっており,遠距離においてDS86は,まったく適用性
を失っているのであって,それに基づいた原因確率も統計学的な意味でさえ役に立
たないことが明らかである。
(ウ)現実に起きた現象とDS86及びDS02との乖離
aはじめに
原爆投下直後から現在に至るまで,被爆者を対象として様々な健康調査が行われ
ており,急性症状に関しても多数の調査が行われている。
そして,これら急性症状に関する調査の結果は,①2㎞以遠のいわゆる遠距離被
爆者にも急性症状が発症していること,②入市被爆者にも急性症状が発症している
ことを明らかにしている。
急性症状は,被爆者が放射線を浴びたことの一つの目安となるものであり(放射
線を浴びたからといって絶対に急性症状を発症するものでもない。),遠距離被爆
者や入市被爆者に急性症状が発症しているという事実は,これらの被爆者が多量の
原爆放射線を浴びたことを裏付けている。特に脱毛の発生は,被爆の障害重度さを
示唆するものとされている(甲全80号証・5頁)。
ところが,DS86においては,初期放射線及び一部の残留放射線が考慮されて
いるだけであり,これらの線量評価では,遠距離・入市被爆者に急性症状が生じた
という現実を説明することはできない。
そこで,遠距離被爆者及び入市被爆者に急性症状が発症している事例について検
討を加え,DS86における初期放射線推定の誤り,及び,DS86報告書におけ
る残留放射線の評価の不当性について明らかにする。
b遠距離被爆者の放射線影響
(a)日米合同調査団
三根真理子長崎大学医学部助教授は,平成10年6月7日に開催された原爆後障
害研究会において,日米合同調査団の記録を調査した結果,典型的な急性症状であ
る脱毛は,2.1∼2.5㎞で7.2%,2.6∼3㎞で2.1%,3.1∼4㎞で1.
3%,4.1∼5㎞でも0.4%,紫斑は2.1∼2.5㎞で3.9%,4.1∼5㎞で
も0.4%の発症が見られ,遮蔽の有無によっても差があると報告した(甲全6号
証)。
(b)東京帝国大学医学部の調査
東京帝国大学医学部の調査によれば,広島における3㎞以内の被爆者4406名
(男2063名,女2343名)のうち,2.1∼2.5㎞で男性5.7%,女性7.
2%,2.6∼3㎞で男性0.9%,女性2.4%に脱毛の発症が見られたとする
(甲全77号証の7・551頁,第20表)。
(c)於保論文
於保源作医師の「原爆残留放射能障碍の統計的観察」(甲全7号証,「於保論
文」という。)によれば,「原爆直後中心地に入らなかった屋内被爆者の場合」は,
熱線や爆風の影響が小さく,また,残留放射線の影響も小さく,初期放射線の影響
を比較的よく表しているといえ,この場合でも,2㎞で30%の急性症状有症率が
あり,3㎞以遠においても多くの急性症状が発症している。
また,中心地への出入りのない2㎞以遠では,屋外被爆者が屋内被爆者に比較し
て顕著に有症率が増加している。屋内被爆と屋外被爆とでは,遮蔽状況の違いがあ
り,遮蔽がない屋外被爆者に有症率が高いということは,人体に影響を与える多量
の放射線が2㎞以遠の遠距離にまで到達していることを物語っている。
さらに,爆心地から1㎞の中心地に出入りした被爆者は,4㎞以遠においても2
0%以上の有症率を示している。このことは,中心地への出入りにより強い放射線
を浴びていることを裏付けており,中心部付近の残留放射線の影響が非常に大きか
ったことを物語っている。
(d)放影研の調査
放影研の調査でも2㎞から3㎞でも3%に,3㎞以遠でも1%に脱毛がみられて
いる(甲全84号証の24・82頁)。
(e)横田らによる2つの調査
長崎大学医学部の横田賢一らは,長崎の被爆者3000人を対象に急性症状の発
症率の調査を行い,平成12年に発表した「被爆状況別の急性症状に関する研究」
(甲全85号証の19)において,被爆距離が4㎞未満の1万2905人(男53
16人,女7589人)を対象に脱毛の発症頻度を調査しているが,これによって
も,2㎞以遠の遠距離において脱毛の発症が観察されており,しかも,遠距離にお
いても遮蔽の有無により脱毛の発症率に差が出ていることから,やはり遠距離にも
放射線が到達したことを物語っている。
(f)「原子爆弾災害調査報告書」における剖検例
「原子爆弾災害調査報告集」の「原子爆弾症(長崎)の病理学的研究報告」(甲
全85号証の26・1244頁)のなかには,長崎原爆において,原爆投下から約1か
月後に死亡した被爆者の詳細な解剖所見が報告されている。ここには,DS86で
は,ほとんどあるいは全く放射線が到達しないとされている2000mから300
0mでの被爆でありながら,放射線被曝特有の症状を呈して死亡した例が,3例報
告されている。
(g)濱谷分析
一橋大学の濱谷正晴(「濱谷教授」という。)は,昭和50年の被団協の被爆者
調査を分析した(「『原爆被害者調査』の結果に関する分析データ集」等,甲全7
3号証の2,「濱谷分析」と総称する。)。この分析によれば,被爆距離3㎞超で
も40.5%にのぼるものに急性症状が発症している(甲全72号証の1)。
(h)梶谷鐶・羽田野茂による報告
齋藤紀医師(「齋藤医師」という。)の意見書(平成18年6月17日付け「齋
藤意見書(甲第77号証・甲第78号証)に対する被告批判に反論する」,甲全9
8号証)にて引用されている梶谷鐶・羽田野茂による報告(「原子爆弾災害調査報
告(広島)」)によれば,2.1ないし2.5㎞で9.34%,2.6ないし3.
0㎞で3.58%の者にいわゆる急性症状が発症しており,被爆距離との相関性も
確認されている。
(i)調来助教授らの研究
自らも被爆しながら救護活動に奔走した長崎医大外科の調来助教授らが昭和20
年10月から12月にかけて調査した記録(「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的
観察(抄録)」,甲全8号証の1・7頁,文献4)では,被爆距離2ないし4㎞で
被爆した2828人のうち2.7%に脱毛があり,うち2名は急性期に死亡してい
ることが記載されている。
(j)インゲ・シュミット・フォイエルハーケの研究等
2.5㎞以遠における初期放射線量はT65Dでは9rad未満と低線量であるが,
この低線量被曝者群の各疾患について全国の死亡率と発症率を用いて標準化した相
対リスクを求めると,以下のとおり明らかに過剰になっている(市内不在者グルー
プの外部被曝線量は更に低線量であるが,死亡率や発症率は増加している。)。
例えば,白血病の死亡率は約1.6倍となり,呼吸器がんの死亡率では1.4倍
(市内不在者グループは1.3倍),乳がんの発症率でも1.5倍(市内不在者グ
ループは1.6倍)となっている(「原爆被爆者の線量評価の再評価と放射性降下
物の寄与の問題」,甲全54号証の1・2)。
(k)佐々木及び宮田らの研究
染色体異常について,屋外で被爆したグループと木造の家屋によって遮蔽された
グループ,コンクリートによって遮蔽されたグループ,2.4㎞以遠のグループを
比較した研究の結果によれば,遮蔽の有無により染色体異常の発生頻度が変わり,
被曝線量との関係が推認されるが,2.4㎞以遠のグループにおいてもコントロー
ル群の頻度よりかなり高い(「原爆被爆者の生物学的線量評価」,甲全53号証の
1・2)。
(l)最高裁平成12年7月18日判決の事例
最高裁平成12年7月18日判決(裁判集民事198号529頁,「平成12年
最高裁判決」という。)の原告は2.45㎞で被曝しているが,脱毛や下痢といっ
た急性症状を発症している。また上記最高裁判決では,長崎市内の爆心地から約2.
9㎞地点,約2.4㎞地点及び2.5㎞地点で被曝した遠距離被爆者の事例が指摘
されている。
(m)まとめ
このように,DS86やDS02に基づけば放射線がほとんど到達していないと
される2㎞以遠においても,様々な急性症状の発症が確認されている。このことは
動かし難い事実であり,DS86及びDS02によって推定された放射線量によっ
ては説明がつかないのである。
これに対し,審査の方針の策定に深く関わった児玉教授は,3㎞以遠の者に生じ
た脱毛が放射線以外の要因,例えば被爆によるストレスや食糧事情などを反映して
いるかもしれないと指摘する(乙全99号証・35頁)。
しかし,上記各調査結果によれば,遮蔽の有無によって発症率が異なるのである
から,ストレスや食糧事情などの影響は考えられず,初期放射線被曝の影響がこの
ような遠距離まで及んでいたと考えざるを得ないのである。
なお,大規模空襲に遭った他の戦争被害者も惨状を目の当たりにしているが,こ
れら空襲被害者に脱毛等の急性症状様の症状が出たとの報告はない。したがって,
遠距離被爆者の急性症状がストレスや食糧事情による影響とは考え難い。
c入市被爆者の放射線影響
(a)賀北部隊
「ヒロシマ・残留放射能の四十二年」(乙全31号証)には,広島地区第十四特
設警備隊(いわゆる賀北部隊)の工月中隊に所属した隊員99名に対するアンケー
ト等の調査結果が記載されている。これらの隊員は,原爆投下後の昭和20年8月
6日深夜から同月7日昼ころにかけて西練兵場に到着し,同日ころから第1,第2
陸軍病院,大本営跡,西練兵場東側,第11連隊跡付近で作業に従事したものであ
るが,以下のような急性症状を発症した者が32名もいたのである(うち10名が
2症状,3名が3症状を訴えていた。)。
急性症状の内訳は,出血が14人,脱毛が18人,皮下出血が1人,口内炎が4
人,白血球減少症が11人であった。このうち,放影研は,脱毛6人(うち3分の
2以上頭髪が抜けた者が3人),歯齦出血5人,口内炎1人,白血球減少症2人に
ついて(これらのうち2人は脱毛と歯齦出血の両症状が現れていた。),ほぼ確実
に放射線による急性症状があったとしている。
(b)於保論文
於保医師の調査でも,原爆投下の瞬間には広島市内にいなかった被爆者で,原爆
直後中心部に出入りした人について,「急性原爆症同様の症状」のあったこと,し
かも中心地滞在時間の長い者に有症率が高いことが報告されている。
(c)広島原爆戦災誌
広島原爆戦災誌編集室が昭和44年にとったアンケート調査(「残留放射能によ
る障害調査概要」)では,入市被爆者の急性症状が明らかにされている(甲全49
号証,乙全31号証・46頁以下)。
アンケートの対象者は,原爆投下時に爆心地から12㎞及び約50㎞の地点にい
た部隊の被爆者であり,いずれも初期放射線の影響は考えられず,純粋に残留放射
線に被曝しているといえる。年齢は,主に当時18歳ないし21歳の健康な男子青
年である。原爆投下の当日ないし翌日に救援のために入市し,負傷者の収容,遺体
の収容・火葬,道路・建物の清掃などの作業に従事した。救援活動中の症状として
は,8月8日ころから,下痢患者が続出し,食欲不振を訴えている。また,救援終
了後に基地に帰ってからは,軍医により「ほとんど全員が白血球3000以下」と
診断され,下痢患者も引き続きあり,発熱,点状出血,脱毛の症状が少数ながらあ
ったとされている。
これらの入市被爆者に生じた症状は,放射線の急性期障害と符合しており,入市
被爆者がかなりの量の放射線を浴びたことが裏付けられている(「原爆放射線の人
体影響1992」(乙全14号証)によれば「放射線被曝による主要な急性障害は,
脱毛,紫斑を含む出血,口腔咽頭部病変および白血球減少である。」「亜急性症状
の主なものは,吐き気,嘔吐,下痢,脱毛,脱力感,倦怠,吐血,下血,血尿,鼻
出血,歯茎出血,生殖器出血,皮下出血,発熱,咽頭痛,口内炎,白血球減少,無
精子症,月経異常などであった。」とされている。)。
(d)三次高等女子学校の入市被爆者
昭和20年8月19日から25日まで広島市の本川国民学校(爆心地から約35
0m)に被爆者救護隊として派遣された広島県立三次高等女学校の生徒のうち,氏
名等が判明した23名に対し急性症状等の調査がされた(甲全82号証)。
このうち,生存者10名に対する調査では,本人が認知症であることなどから調
査が未了となっている3名を除けばほとんど全員(7名中6名)に脱毛,下痢,倦
怠感等の急性症状が発症していることが明らかになった。しかも,この23名中白
血病を発症した者が2名もいるのである。さらに,死因が判明した死没者(11
名)のうち,7名ががん(白血病2名,卵巣がん,肝臓がん2名,胃がん,膵臓が
ん)により死亡しているのである。
(e)齋藤医師による報告
齋藤医師が,日本原水爆被害者団体協議会(被団協)アンケート調査結果を,被
爆時在住地が爆心地から4㎞以遠で,その後爆心地から2㎞以内に入市した事例を
集計したところ,約10%に当たる29例について脱毛の症状があったことが明ら
かになった(「入市被爆者の脱毛について」,甲全80号証,「齋藤報告書」とい
う。)。
そして,その結果を分析すると,被爆当日や翌日の入市者においては,脱毛は珍
しくない事象であり,入市日が後期であっても,市内移動が繰り返される場合,放
射線被害が出現しうることが示唆されており,爆心地から離れた地点(約1.8
㎞)への入市者でも複数の脱毛事例が報告されているのであって,被爆後一定期間
経過した後も,広島市内(約2㎞)一円は脱毛をもたらすような放射能汚染が継続
していたと考えられる。
(f)田中煕巳の意見書
被団協の事務局長である田中煕巳の意見書(2005年3月25日付け「広島・
長崎原爆の入市被爆者・遠距離被爆者の放射線障害に関する意見書」,甲全77号
証の1)には,夫の安否をたずねて爆心地付近を捜索して残留放射線に被曝し,急
性放射線障害で死亡した事例,遠距離(3.6㎞)で被爆して爆心地で捜索活動を
した結果,やはり急性原爆症で死亡した事例,遠距離(3.2㎞)で被爆して翌日
から爆心地に滞在し,急性原爆症で苦しんだ事例が紹介されている。
(g)入市被爆者の「急性症状発症率」について
濱谷分析では,入市被爆者の急性症状の発症率,その症状の重さ(発症個数)を
調査している。それによれば,38.8%に急性症状が発症し,そのうち発症個数
が16個のうち5から7個もあった者が約20%もあったことが示されている。こ
れは,被爆距離3㎞内の被爆者とほぼ同率であり,入市被爆者であるからといって,
急性症状が発症しなかったとはいえないことを表している(甲全72号証の1・
17,18頁,73号証の1)。
(h)まとめ
このような入市被爆者に生じた急性症状についても,DS02やDS86では説
明ができない。
d遠距離被爆者,入市被爆者の急性症状が放射線の影響であること
上記のように,あらゆる調査結果において,遠距離被爆者,入市被爆者にも,急
性症状が発生していることが明らかである。
この点に関し,被告らは,脱毛等の症状が必ずしも放射線の影響とは限らないと
主張する。
しかし,放射線以外の原因として,例えば,惨状を目撃したことによるストレス
や,栄養障害を考えても,原爆投下当時,同様の食糧事情の中,日本各地で大規模
空襲があり,それぞれ大惨事となり,多くの人が惨状を目の当たりにしているにも
かかわらず,これらについては脱毛の報告はない。
しかも,ストレスや栄養障害が原因であれば,惨状を経験した人全員に等しく生
じるはずであるところ,爆心地から離れるにしたがって発症率が漸減していること,
遮蔽の有無によって発症率が異なること,入市被爆者についても,爆心地付近への
出入り,滞在時間の長さによって差が出ることが明らかにされているのである。こ
うしたことからすれば,上記に挙げた急性症状は,放射線の影響と考える以外ない
のである。
こうした事実については,放射性降下物,誘導放射能といった残留放射能の影響,
内部被曝の影響を十分に考慮しなければ合理的な説明ができるものではない。
(エ)放射性降下物の降下範囲について
a放射性物質を含んだ「黒い雨」や「黒いすす」,放射性微粒子がかなり広い
地域に降下したことは明らかであり,このように広範な地域に降下したからこそ,
これらの放射性降下物や爆心地付近の誘導放射能が,遠距離被爆者,入市被爆者に
放射線を浴びせたであろうことが容易に考えられる。
実際,被爆後5日目に爆心地から2㎞以遠の東練兵場採取の砂で写真乾板が感光
したこと,同日爆心地から0.5㎞の西練兵場採取の砂で多量の放射線が計測され
ていることも報告されている。人体の誘導放射化も報告されており,瀕死の被爆者
の看護に携わったり,多数の被爆死した遺体の火葬・埋葬に従事した遠距離被爆者
や入市被爆者が,多量の放射能を浴びたことも十分に想定できる(甲全80号証・
9頁)。以下,放射性降下物の降下範囲について詳論する。
b「黒い雨」の降雨地域
「黒い雨」が降った範囲についての最初の報告は,宇田道隆らによる昭和28年
の「気象関係の広島原子爆弾被害調査報告」(甲全86号証の2,「宇田論文」と
いう。)である。宇田らは,170個の資料に基づき,長径29㎞,短径15㎞の
長卵形の雨域を報告した(「宇田雨域」という。宇田論文・106頁)。
しかし,激しい雷であるとか積乱雲が発生したような場合には,非常に不規則な
形で雨が降り,特に川や山などの地形の影響も受ける。原爆投下後の気象状況も同
様であって,「黒い雨」においても,激しい雷があったこと,川筋ごとに強い竜巻
が起こったこと等が認められているので,降雨域は不規則な形になるのが当然であ
り,きれいな卵形の範囲に雨が降ったとは考えにくい。
長年気象研究所に勤務し数値予報の研究に携わってきた増田善信は,平成元年,
入念な調査によって「黒い雨」の新たな雨域(「増田雨域」という。)を発表した
(「広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか」,甲全86号証の9,「増田論
文」という。)。
増田論文が基礎としたのは,宇田論文の基礎資料の他,広島県の調査資料(1万
7369人が回答したものの調査報告),72人からの聴取調査,アンケート調査
1188枚,手記集,記録集から358点の資料など,2000を超える豊富なデ
ータである。しかも,記憶の希薄化や原爆医療法上の健康診断特例地域の拡大運動
との関係から,増田は慎重に,相互に矛盾のない回答を得るために雨の降り方を3
種類に分け,聴き取り調査に参加した人にもアンケートを提出してもらうよう努め,
こうして集められたデータを信用度の違いなどから総合的に吟味し,大学ノート2
冊にまとめ上げた(甲全86号証の1・18・19)。
このような緻密な資料整理の下に慎重に確定された増田雨域は,爆心より北西約
45㎞,東西方向の最大幅約36㎞,面積約1250㎢に達し,宇田雨域の約4倍
にもなった。それでも,増田自身が認めるように,爆心地の東側や南側の資料はほ
とんどないため,今後これらの地域が雨域に含まれる可能性も否定できない。
また,「黒いすす」や「放射性微粒子」が降下した範囲は,ほとんど目に見えな
いものも多かったことから,「黒い雨」の降下範囲よりも広かったことはいうまで
もない。
c増田雨域の検証
(a)静間論文との符合
静間清博士は,広島原爆投下3日後に仁科芳雄理化学研究所長らが爆心地から5
㎞以内の地点で採取した22個の試料でセシウム137の精密測定を行い,11個
のサンプルでセシウム137を検出した上で,降雨域と比較して報告した(「広島
原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度の放射性降下物の蓄積線
量評価」,甲全13号証の1・2,「静間論文」という。)が,その結果は,増田
雨域とよく一致した。
(b)藤原武夫らの報告との符合
広島文理科大学の藤原武夫博士らは,昭和24年に旧ソ連が核実験を開始する前
である昭和20年から昭和23年にかけて広島の残留放射能を調査した(「広島市
附近における残存放射能について」,甲全86号証の5)。
この調査結果は増田雨域とよく符合し,これと矛盾しない形で等値線を引くこと
が可能である。
このように,増田雨域は,原爆投下後から世界中で核実験が開始されるまでの間
に採取された貴重なデータとよく符合するのであって,「黒い雨」による残留放射
能の影響のある地域をよく示している。
d「黒い雨に関する専門家会議報告書」
これに対し,被告らは,昭和63年,広島県と広島市が資金を出し合って設置し
た「黒い雨に関する専門家会議」による「黒い雨に関する専門家会議報告書」(乙
全20号証)を主な根拠として,広島の己斐・高須地域,長崎の西山地域以外に降
った雨に放射性降下物が含まれていたことが裏付けられていないと主張する。
しかし,同報告書の資料編における気象庁気象研究所の吉川友章による数値シミ
ュレーション(「気象シミュレーションによる広島原爆の放射性降下範囲につい
て」,資料編29頁以下,「吉川論文」という。)は,次のとおり,多くの問題点が
あるため,同報告書は全く信用できない。
(a)キノコ雲の高度
吉川論文では,雲頂高度は8080mであるとされているが,これが過小である
ことは,「黒い雨に関する専門家会議」の重松逸造座長自身が原爆雲の高さが12
㎞に達したとしていることやその他の資料から明らかである(甲全5号証・138頁
以下)。
しかも,吉川論文の根拠とされた写真は,写真下部が切り取られ,キノコ雲の高
さが低くなるように改ざんされており,到底信用に値しない。
(b)火災の燃焼率
吉川論文において,火災の燃焼率の時間配分は,はじめの2時間までは60%,
それ以降は1時間毎に20%,15%,5%とされ,5時間で燃え尽きるとされて
いる。
しかし,広島気象台の記録では最も火災の強かったのは11時から12時までで
あり,また最も強い雨が観測されたのも11時から12時であった。そのほか,宇
田論文によれば,火災は9時ころから大きくなり,10時から14時ころにかけて
最も盛んで,8月6日午後にはほとんど全市が火災の煙に包まれていたとされてい
る。したがって,宇田の報告の記載などからすれば,10時ないし14時ころに最
も強い上昇気流がシミュレートされていなければならない。しかし,吉川による報
告では上昇気流が最も強いのは,9時と10時となっており,11時にはすでに弱
くなっており,このような燃焼率の与え方が適切でなかったことを表している。
したがって,吉川論文は実態を反映したものではなく,この点においても誤って
いる。
(c)原爆雲の想定と実態のそご
吉川論文は,原爆雲と粉塵,火災炎が分離されていることが前提となっている。
しかし,砂漠での実験とは異なり,現実に原爆が投下された地域には建造物など様
々な物があり,衝撃塵も土砂には限られない。
(d)不適切な計算範囲
吉川論文では1㎞の格子点を使用しているが,これでは局地的な上昇気流を反映
することができない。
また,吉川論文の目的は宇田雨域と増田雨域の検証にあったはずであるにもかか
わらず,その計算範囲(30㎞×40㎞)では,増田雨域は収まらない。
(e)モデルの不適切さ
吉川が行った数値シミュレーションは,いずれも,静力学の式を使った「中規模
スケールの海陸風数値計算モデル」を使用している。このモデルでは,水平方向の
気流の収束による弱い上昇気流しかシミュレートすることができない。
そのため,吉川は,強烈な上昇気流が発生した原爆投下後の状況をシミュレート
するモデルとしてはそもそも不適切なものを使用していたのである。
(f)恣意的な「補正」
このように,吉川論文は,シミュレーションにとって重要な初期値・境界条件も
モデルもいずれも不適切なまま行われたものである。
(g)膨大な「ケアレスミス」
吉川論文は,爆心地の場所,長崎原爆の爆発高度が60mとされていること,地
表面温度の欠落,熱力学の式の欠落,方程式の解の不代入などのケアレスミスが多
く,計算の正確性に疑問が残る。
e「黒い雨に関する専門家会議報告書」に関するその他の問題点
(a)「広島原爆の残留放射能の検討(物理学面の検討)」など
「黒い雨に関する専門家会議報告書」(乙全20号証)には,吉川論文の前に4
編の報告が掲載されているが,これらはいずれも,いわば「不可知論」に持ち込ん
で「黒い雨」の影響を否定しようとするものに過ぎず,これらをもっては「黒い
雨」(そして「黒いすす」)と放射性降下物が同じものとはいえないという被告ら
の主張を理由付けることはできない。
(b)体細胞突然変異及び染色体異常
「黒い雨に関する専門家会議報告書」には,「体細胞突然変異頻度」及び「染色
体異常を指標とする放射線被曝の人体に対する影響の評価」と題する報告も掲載さ
れている。
これらは,「黒い雨」に打たれていない人たちを対照グループとして,「黒い
雨」に打たれた人に体細胞突然変異や染色体異常がどれだけ多く発生したかを検討
したものである。
しかし,対照グループとされた宇品等に在住していた人々が仮に「黒い雨」に打
たれていなかったとしても,「黒いすす」などにより被曝をしていた可能性は十分
にあるのであって,これらの報告は被爆者という点では同じ人を比較している。そ
のうえ,サンプル数も限定的なものである。
したがって,これをもっても,「黒い雨」と放射性降下物が同じものとはいえな
いという被告らの主張を理由づけることはできない。
(c)「広島および長崎における残留放射能」の問題点
被告らは,放射性降下物が特に見られた地域は,広島では己斐,高須,長崎では
西山地区という限定された地域であるとして,EDWARDT.ARAKAWAの「広島および長
崎における残留放射能」(乙全17号証)を掲げる。
しかし,上記論文の記述は,放射性降下物と地上で誘導放射化された物とを区別
しておらず,正確性を欠いている。
f「黒い雨」「黒いすす」に関するまとめ
以上に加え,一般には,放射性降下物の測定は,あくまでも測定時点で地上に残
っていた放射性降下物を検出できるに過ぎず,被爆直後から測定時点までに風雨に
よって除去されたものは測定できないことから,放射性降下物の影響があるのは広
島では己斐・高須地域,長崎では西山地域に限られるとする被告らの主張は,合理
的根拠を欠くものであることは明白である。
長崎については,広島での宇田らや増田のような研究が十分に行われていないが,
西山地域以外の場所でも放射性降下物の影響が否定できない。のみならず,放射性
降下物以外には原因を見いだせない数々の実態があることは既に述べたとおりであ
る。
したがって,これらの上記各地域にいなかったとしても,各被爆者の行動や被爆
後の健康状態などから外部被曝・内部被曝の契機の有無を慎重に検討しなければな
らない。
(オ)内部被曝の影響は無視できないこと
a内部被曝の契機
以上述べてきたように,「黒い雨」「黒いすす」は広範囲に分布していた。そし
て,身体の外側にある線源から放射線被曝することを外部被曝というのに対し,身
体内部にある線源から放射線被曝することを内部被曝という(甲全88号証の3・
10頁)。
「黒い雨」や「黒いすす」に含まれた放射性物質が体表に付着した場合には外部
被曝の原因になり,経皮侵入すると内部被曝の原因にもなる。
放射性物質が人体内に侵入する経路としては,①放射化した飲食物や放射性物質
が付着した飲食物を摂取する(経口摂取),②空気中に浮遊している放射性物質を
吸引して摂取する(吸入摂取),③皮膚や傷口を通して直接人体内に入り込む(経
皮摂取)という3つの経路がある。
放射性物質が人体内に入った場合,その一部は人体のメカニズムにより体外に排
出されるが,残りは体内にとどまって人体内で放射線をまき散らすことになる。
ミクロン程度の大きさの微粒子でも何百万個,何百億個の放射性原子核を含んで
いるとも考えられ,微粒子の周辺の細胞は,次々と放射線を浴びるので,局所的に
は極めて高線量の被曝をすることになり,更に,一瞬の出来事である外部被曝と異
なり,微粒子周辺の細胞は,細胞分裂の全過程中,放射線感受性の強い時期,弱い
時期を通じて継続的に被曝することになるのである。すなわち,被爆者は,体内に
入った放射性物質によって継続的に被曝し続ける状態に置かれているのである。
したがって,原爆放射線の人体影響については,以下のとおり,初期放射線によ
る外部被曝だけではなく,放射性降下物や誘導放射能による被曝,とりわけ体内被
曝が深刻かつ重大な影響になっているのであり,これらを無視する線量評価は明ら
かに誤っているというほかない。
b内部被曝の深刻さ
内部被曝は,下記のとおり,外部被曝とは異なった特徴を有する(甲全88号証
の3)。
第1に,放射線が生体を透過するときにDNAを傷つけることはよく知られてい
るが,体内に放射性物質があるときには,細胞の至近距離に線源があることになる。
とりわけガンマ線のように飛程の長い放射線の場合には,線量は線源からの距離に
反比例するので,外部被曝に比べ,内部被曝の影響は格段に大きくなる。
第2に,内部被曝で重要なのは飛程の短いアルファ線やベータ線である。アルフ
ァ線の飛程は0.1㎜単位であり,ベータ線の飛程も1㎝程度であるが,これらの
放射線を放出する核種が体内に入ると,この短い飛程の放射線のエネルギーがほと
んど細胞に吸収される。放射線のエネルギーはほとんどの場合に100万eV(エレ
クトロンボルト)単位で表されるほど巨大なものである。こうしたエネルギーが細
胞に吸収されることによって,DNAの二重らせんが多数破壊される。ことにアル
ファ線の生物学的効果比は大きく,1Gyで10∼20Svにもなる。このように,ア
ルファ線は短い飛程距離の中で集中的に組織にエネルギーを与えて多くの遺伝子を
切断するだけでなく,電離密度が大きいために,DNAの二重らせんの両方が切断
され,その後誤った修復を誘発する可能性が増大する。
第3に,例えば放射性ヨウ素なら甲状腺,放射性ストロンチウムなら骨組織,放
射性セシウムなら筋肉と生殖腺というように,核種によって濃縮される組織や器官
が特異的に決まっているため,特定の体内部位が集中的な内部被曝を受けることに
なる。
第4に,体内に放射性核種を取り込み,その核種が体内に沈着・濃縮されたとす
ると,その核種の寿命に応じて内部被曝が続くことになる。
この点は,放射線源から遠ざかれば放射線被曝を止めることができる外部被曝と
根本的に異なる。たとえば,半減期が28年のストロンチウム90が骨組織に沈着
すると,ベータ崩壊を繰り返し,また,ストロンチウム90が崩壊して生じるイッ
トリウム90もベータ線を放出するため,体外に排出されるまで長年にわたって,
その周辺部位にベータ線による内部被曝が続くのである。しかも,ある細胞がアル
ファ線に被曝した場合には,その近傍にある細胞にも放射線影響が見られる(バイ
スタンダー効果,甲全67号証・11頁)。
c人工放射性核種の生体濃縮
原爆投下後には,コバルト60,ストロンチウム90,セシウム137などの,
天然には存在しない人工放射性核種が多数生成された。カリウム40やラドンなど
自然界にも存在する放射性核種は,人類の進化の過程で獲得した適応能力によって
生体内で濃縮することはないのに対し,人工放射性核種は生体内で著しく濃縮する。
d被爆者の内部被曝の根拠
広島原爆ではウラン235,長崎原爆ではプルトニウム239が核分裂物質であ
ったが,これらが中性子の作用で原子核分裂反応を起こした結果,放射能をもった
多種多様な「核分裂生成物」ができた。これらの放射性核分裂生成物は俗に「死の
灰」と呼ばれることもあるが,周辺に降下して地面に降り積もったり,呼吸や飲食
等を通じて被爆者の体内に取り込まれたりした。これらの放射性核分裂生成物は,
主としてベータ線やガンマ線等の電離放射線を放出し,直接の被爆者だけでなく,
入市被爆者の被爆の原因になった。
さらに,広島原爆に仕込まれた約60㎏と言われるウラン235のうち,実際に
核分裂反応を起こしたものは700g程度で,59㎏以上のウラン235は火球と
ともに上昇して風に運ばれながら,周辺地域に降下したと考えられる。また,長崎
原爆に仕込まれた約8㎏のプルトニウム239のうち,実際に核分裂反応を起こし
たものは1ないし1.1㎏と評価されているので,残りの約7㎏のプルトニウム2
39は,火球とともに上昇して風に運ばれながら,周辺地域に降下したと考えられ
る。これらの未分裂の核分裂物質もまた呼吸や飲食を通じて体内に取り込まれ,人
々の内部被曝の原因となったと考えられる。ウラン235やプルトニウム239は
自らアルファ線を出すだけでなく,次々と種類の違う放射性原子に姿を変えながら,
アルファ線,ガンマ線,ベータ線等を放出するので,体内に取り込まれて骨組織等
に沈着すると,長期間にわたって被曝を与え続けるおそれがある(甲全51号証・
28ないし30頁)。
そして,特に,遠距離・入市被爆者の急性症状の現実を見ると,これらの被爆者
が放射線の影響を受けていることは明らかであり,この現実を合理的に説明するに
は内部被曝の影響を考えざるを得ない。したがって,被爆者が放射性物質を体内に
取り込んで内部被曝していることは明らかであり,放影研がこれを無視しているこ
とは不当である。
e内部被曝の影響
親族の安否を尋ねて入市した人達が,崩壊建造物を取り除き,土壌を払いのけて
身内を捜し求めているとき,瓦礫や土壌からの塵埃等が入市者の身体に付き,時に
は呼気とともに気道深く取り込まれることも十分に想定することができる。そして
身体に取り込まれた放射性物質が,体内に取り込まれ臓器の近くで長期間にわたっ
て直接放射線を浴びせ,体外からの初期放射線等よりも大きな影響を与えたであろ
うことも十分に考えられる。
DS86,DS02では,このような残留放射線,内部被曝の影響をほとんど無
視しているため,現実に起きた事象を説明できないのである。
f澤田教授による残留放射線影響の推定
澤田教授は,於保論文における屋内で中心部に出入りをしていない被爆者につい
ての急性症状の発症率と,「原爆放射線の人体影響1992」(乙全14号証)に
おける急性症状の発症率から解析した被曝線量と急性症状の関係から,被曝距離と
放射線の影響の力との関係を解析している(甲全51号証,52号証)。
その結果によれば,残留放射線や内部被曝の影響がきわめて大きいものであるこ
とは明白である。
また,澤田教授は,佐々木及び宮田による染色体異常の発生頻度の研究論文であ
る「原爆被爆者の生物学的線量評価」(甲全53号証の1・2)からも線量を推定
しており,放射性降下物の影響がきわめて大きいことが明確に分かる。
さらに,澤田教授は,ドイツ・ブレーメン大学のインゲ・シュミット・フォイエ
ルハーケ教授の1980年代の論文を指摘し,入市被爆者,遠距離被爆者の放射性
降下物の影響を裏付けられたと指摘している。
この澤田教授の解析結果からしても,残留放射線や内部被曝の影響の調査を行っ
ていない放影研の疫学調査が,きわめて不十分なものであり,その分析結果に信頼
性がないことが明らかである。
g内部被曝のまとめ
このように,内部被曝は,物理的な吸収線量を計るだけでは到底把握することの
できない複雑な機序を有するものであり,被爆後の行動などからその契機の有無を
慎重に検討したうえで判断されなければならない。
この点,被告らは,「原爆線量再評価」第6章(乙全16号証・218頁)の記載
を根拠に,広島・長崎で放射性降下物のあった地域の体内の放射線量を測定した結
果極微量であったと主張する。しかし,同書はホールボディーカウンター(体外計
測法に用いられる人体の外側から直接放射線を測定する測定器)でセシウム137
から放出されたガンマ線のみを測定しているものであるところ,ホールボディーカ
ウンターでは飛程の短いベータ線を測定することができないのであるから,このよ
うなことを理由に内部被曝を無視する審査の方針は科学的に合理性を欠くといわざ
るを得ない。
また,原爆投下当日に広島で約8時間焼け跡の片付け作業に従事したとしても,
約0.06μSv(マイクロシーベルト)として,外部被曝に比べて無視できるレベ
ルであるとする論文もある(今中哲二「DS02に基づく誘導放射線量の評価」,
甲全85号証の60)。しかし,同論文は,①論者自身が「おおざっぱな過程を基
にした見積である」と認めていること,②誘導放射線による内部被曝のみを計算し
ているにすぎず,放射性降下物による内部被曝については考慮していないこと,③
人体に現実に発生した健康状態を検討していないことから,これをもって内部被曝
の影響を無視してもよいとする理由にはならない。
(カ)低線量被曝の影響は決して無視できないこと
a低線量被曝についての「審査の方針」の考え方
上記のとおり,被告らは,内部被曝は吸収線量が極微量であるとして審査の方針
には反映させていない旨主張する。これが内部被曝を過小に評価したものであるこ
とはすでに述べたとおりであるが,更に,低線量被曝であれば人体影響は無視でき
る程度のものであるという前提も科学的合理性を欠くことが明らかである。
b人体影響が低線量域でも確認されていった過程
昭和31年(1956年)にアリス・スチュワートが妊娠中の女性が診断用エッ
クス線を受けた場合に乳幼児の白血病の発症が有意に高くなると報告し(甲全10
3号証の1・2),昭和34年(1959年)にフォードが,昭和37年(196
2年)にマクマホンが,それぞれ更に多くの症例をもってこれを支持するなどして,
低線量被曝の影響が確認されていった。さらに,昭和36年(1961年)にはグ
ラス博士がショウジョウバエを使った実験で5R(レントゲン)まで突然変異率の
有意な上昇が見られることを確認した。
そして,農学博士及び社会学名誉博士である市川定夫は,ムラサキツユクサの雄
蘂毛に突然変異が起こるとピンクの細胞が現れることに着目し,微量放射線である
0.25rad(0.0025Gy)のエックス線や0.01rad(0.0001Gy)の
中性子線でも突然変異率と線量との間に関係があることを確認した(甲全88号証
の6)。その後,外国でもムラサキツユクサを活用した実験や,他の動植物でも次
々と微量放射線による有意な突然変異の上昇が確認されていった。
c低線量被曝では高線量被曝とは異なった影響がありうること
加えて,高LET放射線(線エネルギー付与が高い放射線のことで,中性子線,
アルファ線など)では,低線量率でも持続的に被曝している場合の方が,高線量率
(線量率とは単位時間あたりの線量を示す。)で被曝した場合よりもリスクが高い
ことが報告されている。また,ガンマ線のコンプトン散乱によって,遠距離で被曝
した方が,生体により多くのエネルギーが吸収されることを示唆する実験結果も存
在する。
これらのことからすれば,未だ科学的には解明されてはいないが,低線量被曝は,
場合によっては高線量(率)被曝よりも大きな影響があることすら否定できないの
であって,低線量被曝であるからといって影響を無視できるというものではないと
いわざるを得ない。
dまとめ
以上の次第であるから,人体内では内部被曝,人工放射性核種の生体濃縮,高L
ET放射線の持続的被曝などという複雑な機構によって放射線影響が生じるのであ
って,内部被曝・低線量被曝であっても,外部被曝・高線量被曝とは異なった機序
によってより大きな影響を及ぼすことは否定できないのであるから,原爆症認定に
あっても,外部被曝・内部被曝いずれの契機も慎重に検討したうえで判断されなけ
ればならない。
(キ)小括
以上のとおり,DS86の放射線線量評価はもとより,その正当性を裏付けると
主張されているDS02についても,遠距離における実測値との乖離(過小評価)
の問題は解消されておらず,その科学的合理性は極めて低いものであることが明ら
かとなっている。つまり,遠距離においてDS86は,全くその存在意義が失われ
ているのであり,かかるDS86が原爆症認定制度における被曝線量評価体系とし
て使用に耐えうるものではないことは明らかである。
ウ原因確率の問題点
(ア)原因確率の根拠
被告厚生労働大臣が被爆者の疾病の放射線起因性を判断するに当たっては,医療
分科会の意見を聴取しなければならず,医療分科会においては,審査の方針を用い
て起因性の判断を行っている。
この審査の方針の原因確率は,児玉論文に記載される寄与リスクの数値を転用し
ている。そして寄与リスクは,白血病,固形がんについては,放影研が公開してい
る死亡率調査(寿命調査),発生率調査(成人健康調査)のデータを用いている。
そこで,以下では,まず,児玉論文が寄与リスクを求める基礎資料としている放
影研の疫学調査の問題点を検討し,次に,疫学調査の結果を個々の被爆者に当ては
めることの問題点について検討する。
(イ)放影研の疫学調査の問題点
a放影研の疫学調査の概要
(a)放影研の行なっているコホート研究である寿命調査(LSS)や成人健康調
査(AHS)といった疫学調査は,死亡率調査であるLSSについては10万人以
上,発生率調査であるAHSについても2万人に及ぶ調査集団を設定し,その後約
50年にわたって継続して調査をしている。
(b)コホート研究
コホート研究は,仮説として原因と考えられる因子(要因)に曝露している集団
と,曝露していない集団について,研究対象とする疾患の罹患率(または死亡率)
を観察し比較するもので,特定の因子が特定の疾病の頻度を規定しているかどうか,
すなわち,ある集団におけるある疾病の罹患率又は死亡率が多い(または,少な
い)ことに対し,その因子が原因として働いているかどうかを明らかにするための
分析疫学的方法のひとつである。コホート研究は,要因への曝露の有無・程度に応
じて複数の集団を設定し,それぞれの集団について,疾病罹患等の状況を観察して
比較する。要因に曝露されていない集団を非曝露群,曝露されている集団を曝露群
と呼ぶ。
b線量評価の誤りが疫学指標にもたらす影響
既に述べたとおり,放影研の疫学調査は,誤った放射線評価体系(DS86,D
S02)を用いていること,重大な影響があると確認されている残留放射線の影響,
内部被曝の影響を全く無視して行われていることなど,調査対象となった被爆者の
放射線線量評価の点で,大きな誤りを犯しているのである。
疫学調査の局面における被曝線量評価の誤りは,二つの点で,過剰相対リスク,
寄与リスクなどといった疫学指標に影響をもたらす。ひとつは,回帰分析の不正確
さであり,被爆の程度を体系的に低く見積もった結果,算出される疫学指標は過小
評価となる。
もうひとつは,初期放射線,残留放射線といった放射線被曝の態様ごとの検討・
検証を不可能とすることである。残留放射線が無視されている結果,残留放射線の
影響が問題となったときに,調査対象の被爆者を,残留放射線による被曝によって
区分することができず,残留放射線による被曝の有無で比較を行えなくなってしま
う。被告厚生労働大臣の主張にみられるように,「残留放射線の影響はないはずで
ある」,したがって「残留放射線は線量評価に反映しなくてよい」,そして「疫学
調査の結果,残留放射線の影響はみられなかった」という循環論法に陥らざるを得
ないのである。こうした循環論法が,被爆の実態・実情を全く説明できないことは,
既に述べたとおりである。
c疫学調査の手法の誤り
(a)対照群設定の誤り
①コホート研究の手法
疫学調査のコホート研究においては,追跡を行う調査集団として,非曝露群を設
定し,これを対照群(コントロール群)として,曝露集団(分析の目的とする要因
に曝露された集団)との比較をする。この非曝露群の設定に際しては性別,年齢層,
住居,社会経済要因等の条件が曝露群と対応しており,かつ,分析の目的とする特
定の要因に曝露されていない人たちを選別する必要があり,この非被爆者群との比
較が基本である。他の条件が対応するようにコントロール群を設定することをマッ
チングといい,マッチングさせる理由は,コホート研究において,ある要因の影響
を特定するためには,他の条件が一致しており,当該要因に曝露されていない人た
ちを追跡していった結果,そこに現れる罹患・死亡を基礎として,当該要因に曝露
されている程度に応じた用量(線量)−反応関係を分析する必要があるからである。
②比較対照群設定の重要性
被爆者に対する疫学調査の設計を提案した昭和30年(1955年)のフランシ
ス委員会の勧告(「ABCC研究企画の評価に関する特別委員会の報告書」)にお
いては,「被曝線量の最も少ない群における放射線の影響は,非被爆者と比較せね
ば,推定できない」として非曝露群の設定及び非曝露群との比較が構想されていた。
このように,放影研(ABCC)自体も,非曝露集団を比較対照群(コントロール
群)として比較を行わなければ,コホート研究とはいえないことを認識していたの
である。
そして,フランシス委員会の勧告(甲全16号証)に基づき,比較対照群(コン
トロール群)とすべく,遠距離被爆者のほか,NIC(NotinCity,「市内不在者
群」)が抽出された。NICは,入市の時期によってEE(EarlyEntry,「早期
入市者」)とLE(LateEntry,「後期入市者」)とに分けられ,早期入市者は,
更に,「原爆投下当日又は翌日に1㎞以内に入った者」「原爆投下当日又は翌日に
1㎞から1.4㎞の地点に入った者又は2日後から3日後になって初めて爆心地の
もっと近くまで入った者」及び「上記二者より入市が遅いか,遠距離に入った者」
とされていた(「寿命調査,広島・長崎第5報」,乙全18号証)。
しかし,調査が進むにつれ,NICについては,遠距離被爆者よりも低い死亡率
が観察され続けたため,こうしたNICを非曝露群として比較を行えば,遠距離被
爆者を比較対照群(コントロール群)とした場合よりも,リスクは大きく算出され
ることになってしまう。そこで,「寿命調査第7報」では,「市内にいなかった群
における低い死亡率は,強度の被爆者群と対照者群の間における死亡率の差異を誇
張する結果になる」ため,T65Dで10rad以下の低線量被曝群と高線量被曝群
との比較が中心とされ,遠距離被爆者が比較対照群(コントロール群)として扱わ
れることとなったのである。
平成4年(1992年)の放影研報告書では,DS86で0.01Sv未満の被爆
者を対照群として設定している(「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性
腫瘍,1958−1987年」・16頁表,乙全9号証。なお,同4頁では,0.0
1Sv未満の被爆者について「これらを対照集団とする。本報では非被爆者群とも呼
ぶ。」としている。)。また,「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第1部癌
:1950−1990年」(乙全8号証)の5頁表では,DS86で0.005Sv
未満の被爆者を0Svと見なす区分がされている。
このように,放影研の疫学調査では,非被爆者を比較対照群として設定していな
いのであり,全く放射線を浴びていない者との関係で生ずる「低線量」被曝のリス
クは統計上現れてこないことになる。その結果,低線量リスク,放射性降下物によ
るリスク,内部被曝によるリスクをもった集団同士の比較をすることになるから,
初期放射線以外による被曝のリスクの分だけ原爆放射線のリスクが過小評価されて
しまうことになるのである。
したがって,これによる調査の結果が実態を反映しなくなることは明らかである。
さらに,既に述べたとおり,DS86は,遠距離において実測値の方が計算値よ
りも大きくなる傾向が明らかになっているし,残留放射線による外部被曝や内部被
曝の影響も考慮すれば,放影研によって0.01Svないし0.005Sv未満の線量
を浴びたとして区分されている被爆者は,実際には遥かに高線量を被曝しているこ
とになるのである。
③放影研による調査手法
原因確率算出の基礎となった「原爆被爆者の死亡率調査第12報」(乙全8号
証)等によれば,放影研では,リスクの分析において,比較対照群を設定していな
い。放影研は,相対リスクや,これを基礎とする指標を算出する上で基準となる非
曝露群の死亡率や罹患率について,実際に調査したデータを使う代わりに,曝露群
についてポアソン回帰分析を行い,得られた回帰式から想定上のゼロ線量における
罹患率等を推定している。
しかし,この手法を用いる前提として,「各被爆者の浴びた線量が正確に把握さ
れていること」,「線量反応関係が正しく把握されていること」,という2つがそ
ろっていることが絶対条件である。
④回帰分析の不正確さ
しかし,まず,「各被爆者の浴びた線量が正確に把握されていること」という点
に関しては,遠距離における線量の過小評価,残留放射能,内部被曝の無視といっ
た問題点を含み,現実に発生した現象を全く説明できないとされているDS86を
線量評価に用いている点で,すでに回帰分析を行う前提を欠いているのである。
さらに,「線量反応関係が正しく把握されていること」という点についても,放
影研においては,主に直線仮説(固形がんのリスクが,被曝線量に応じて直線的に
増加するとの仮説)が用いられているが,高線量域での線量反応関係が直線で把握
できたとしても,それがそのまま低線量域に当てはまるとは限らないのは当然であ
り,この点に関して十分な吟味がなされていない回帰分析の結果には,信用性がな
いと考えざるを得ない。
このような線量評価の誤りが,回帰分析の結果導かれる原因確率(寄与リスク)
に対してどのような影響を与えるのかを以下述べる。
ある疾病の死亡率が,被曝線量2と推定されているA群では40%,被曝線量1
と推定されているB群では30%であったと仮定した場合,回帰分析を行うと,被
曝線量0での死亡率は20%と推定され,A群の原因確率は50%,B群の原因確
率は33%と計算される。ところが,推定被曝線量が残留放射線や内部被曝の影響
等が評価されないなどの理由から過小に推定され,実際は,A群の被曝線量が2.
5,B群の被曝線量が1.5であった場合,回帰分析を行うと,被曝線量0での死
亡率は,15%と推定され,A群の原因確率は63%,B群の原因確率は50%と
計算されることになるのである。
さらに,児玉論文の寄与リスクの算出過程(審査の方針における原因確率の算出
過程)では,中性子線の生物学的効果比を無視し,Gyの単位で被曝線量を取り扱っ
ている。被告厚生労働大臣は,その理由として,中性子線の生物学的効果比が正確
に把握し難いこと,生物学的効果比を考慮に入れたとしても寄与リスク(原因確
率)の数値がさして変わらないことを主張する。
しかし,このことは,放影研の採用した方法や国際的潮流に反するものである。
すなわち,放影研は,昭和63年(1988年)の「寿命調査第11報・第2
部」において,被爆者の被曝線量を把握する上で,ガンマ線量と中性子線量を単純
に合算し,吸収線量(単位:Gy)を用いていたが,平成8年(1996年)の「原
爆被爆者の死亡率調査第12報」より,広島原爆による放射線には中性子線がかな
り含まれていることから,中性子線の生物学的効果比を10として,線量当量(単
位:Sv)を用いるようになっていた。しかし,その後策定された審査の方針では,
放影研が曝露評価の指標として放棄した吸収線量を用いることとしており,放射線
の線質に応じた生物学的効果比を考慮することを当然の前提とする現在の国際的な
趨勢にも反するものとなっている。
このように,Gyの単位で被曝線量を取り扱うことは,すなわち(正確に把握し難
いとしている)生物学的効果比を「1」として取り扱っていることを意味し,また
生物学的効果比を無視することは,DS86が遠距離での中性子線量を過小評価し
ていることの影響を増幅させるものであって,およそ反論として失当である。
このように,線量評価に誤りがあれば,被曝線量0における死亡率等が正確に算
定できず,そこから導き出される原因確率も誤ったものになってしまうのである。
個々の被爆者の線量の評価が正確に把握できていない状態で,回帰分析の手法を
用いて,放射線の寄与している割合を算出しても,その数字には全く意味がないと
いわざるを得ない。これに,線量反応関係が直線で把握できない可能性(前述の
「線量反応関係が正しく把握されていること」の問題)も加味すれば,こうした手
法によって算出された数字を認定の基準に使用することの不合理性は明らかである。
以上から,被告らが科学的に正当であると主張するポアソン回帰分析を用いた原
因確率の算出が,誤った結論を導くものであることは明らかである。
(b)死亡率調査を基本としていること
起因性の判断においては,現に生きて苦しんでいる被爆者の疾病が,原爆放射線
の影響によるものであるかが問題となる。
ところが,放影研の疫学調査及び児玉論文では,死亡率調査を解析の基礎として
おり,このため,死亡に直結しない疾病が見落とされることになる。放影研は,法
務省の認容を得て3年ごとに被爆者の戸籍又は除籍の謄・抄本を取得しており,こ
れにより被爆者の死亡の事実を把握している。そして,被爆者の死亡が把握された
場合には,保健所に対して,死亡小票から死亡調査票への記入を依頼して死因につ
いての情報を入手している(甲全22号証の2)。
このため,死亡の直接の原因となった疾病だけが抽出されることになる。例えば,
がんに罹患した被爆者が交通事故で亡くなれば,死因は単なる事故死となってしま
うのである。また,剖検等の確実な方法によらない死因確認の精度も問題となる。
原爆被爆者の「死亡率調査(寿命調査(LSS))第12報第1部」(乙全8号
証)には,死亡診断書と剖検との比較が報告されており,がん死亡の20%が死亡
診断書ではがん以外の疾患に誤分類され,他方,がん以外の原因による死亡の3%
ががん死亡と誤分類されており,これらに基づいて誤差を修正すると固形がんの過
剰相対リスク推定値が約12%,過剰絶対リスク推定値が16%上昇することが示
唆されたとされている。
さらに,死亡率調査を基礎とする場合には,罹患してから死亡するまでの間,疾
病の発生がデータに反映されないことになる。その結果,この期間は,罹患率調査
によれば有意な増加を観察しうるのに,死亡率調査という方法上の制約が,リスク
の過小評価をもたらすことになる。調査期間を重ねるごとに,新たな疾病について
原爆放射線との疫学的因果関係が確認されてくるという経過の中で,死亡率調査に
よる因果関係の見落としは,現実的な問題である。
(c)調査開始までの被爆者の死亡が無視されていること
①放射線感受性の弱い被爆者や見かけ健康な被爆者が選択されたこと
昭和20年12月までに死亡した被爆者数は広島でも少なくとも約11.4万人
とされている(乙全14号証・8頁,ただし,調査によってかなりの幅がある。)。
全被爆者の3分の1程度は死亡したことになる。
すなわち,調査開始時点である昭和25年(ないし昭和33年)までの間に,急
性障害や,比較的早期に発症する晩発性障害によって,放射線感受性の高い被爆者
ほど,多く死亡しているのである。
しかも,放射線の影響は,個々の被爆者の被曝線量と放射線感受性の相乗によっ
てもたらされるから,高線量を被曝した被爆者のグループほど,放射線感受性が弱
い(放射線の影響を受けにくい)被爆者が生き残る結果となる。
このような放射線感受性による選択を考慮せずに被曝線量による回帰分析を行え
ば,高線量被曝者のグループは(その放射線感受性の弱さによって)見かけ低い発
症率を示し,低線量被曝者のグループは(その放射線感受性の強さによって)見か
け高い発症率を示す。従って,線量反応関係は,見かけなだらかになり,あるいは
全く観察されなくなってしまう。
放射線感受性は,被爆時年齢によっても異なるところ,「寿命調査第3報」(甲
全41号証)の10頁は,年齢ごとの急性症状の発症率のデータから,昭和25年
(1950年)10月「以前に低年齢層および老年層に過度の死亡率があって,こ
れが今回の調査資料に反映した結果,症状を示した被爆者の比率が外見上低いかの
ようにみえる」と指摘している。このことは,放射線感受性が強い被爆者が,調査
開始以前に急性放射線障害等によってより多く死亡したことを如実に示している。
また,ABCCによる調査は被爆者に対する社会的な被害が生じていた時期であ
って,被爆者が被爆者として名乗り出ることに躊躇する心情であったと考えられ,
特に病気がちの者や急性症状に罹患した経験を持つ者が申告しなかった可能性は高
い。
②観察期間との関係
放影研の寿命調査集団については,昭和25年までの死亡者,また,成人健康調
査集団については昭和33年までに死亡した被爆者の調査は行われていない。
すなわち,昭和20年8月から調査が開始されるまでの5年間(寿命調査),あ
るいは13年間(成人健康調査)の間に放射線障害をはじめとして,被爆に起因す
るなにがしかの原因により死亡してしまった数十万人もの被爆者は,調査の対象に
なっていない。このように放影研(ABCC)による調査は,いわゆる「生き残り
集団」しか調査できていないという,大きな欠陥を持っている。
放射線被曝から,がんの発症に至るまでの期間を「潜伏期間」といい,数年から,
十数年,場合によっては数十年に及ぶことになる。一般に疫学調査の観察開始時点
が最短潜伏期間よりも後に設定されると,感受性の強い人たちをはじめ早期に発症
した人たちへの影響を見落とすことになる。疾病によっても,がんの部位によって
も潜伏期間は異なるが,潜伏期の短いものの評価については,観察開始の遅れを考
慮する必要がある。逆に,観察開始時点が早すぎても,影響が発現しない時期を観
察期間に繰り入れてしまうことになる。このように,昭和25年あるいは昭和33
年までに死亡した人を除くことによって,放射線の影響を過小評価している可能性
が十分にある。
さらに,発がんの可能性が一生涯続く場合は,生存しているコホートが存在する
間は観察し続ける必要がある。現在得られている観察途中でのデータには,当然,
今後発症するケースは把握されていない。被爆者全員が亡くなった時点で初めて,
疫学調査として完成するのである。
以上のように,昭和25年あるいは昭和33年までに死亡した人を除くことによ
って,放射線の影響を過小評価している可能性が十分にある。
d小括
以上みたように,放影研の疫学調査には,個々の被爆者の被曝線量評価に誤りが
あり,さらに疫学調査の手法自体にも多くの問題点を抱えている。
このような疫学調査を基にして,被爆者の疾病に原爆放射線がどれだけ寄与して
いるかを示す原因確率という指標を正確に導くことは不可能である。
(ウ)疫学調査結果を原爆症認定基準に用いることの問題点
a寄与リスクを個人の起因性否定の基準にすることの誤り
疫学は,集団における疾病や死亡の発生状況など健康事象の観察を通して,その
集団における健康事象の発生要因を究明するものであり,ある共通要因をもつ集団
で,その要因が,ある疾病発生の原因である(関連がある,因果関係がある)と分
かった場合は,その集団に属する全ての個人がその疾病に罹患する危険性にさらさ
れ,または,既に罹患した経験を有することを表す。さらには,その集団内のその
疾病に罹患した全ての人について,その要因が原因で罹患した可能性があるという
ことも表すものである。
例えば,「ある被爆者集団のある疾病の死亡率について原因確率(寄与リスク)
が20%である」といった場合,その被爆者集団で死亡した人10名のうち8名は
放射線の影響とは無関係に死亡し,2名は放射線の影響で死亡したと理解するのは
全くの誤りである。その被爆者集団の全員が放射線の曝露を受け,放射線の影響が
その疾病として発現するリスクが全員に付加された結果,その集団における全ての
個人のその疾病での死亡のリスクが高まり,全体としてその疾病で死亡する人の率
が非被爆者よりも高まるのであって,その被爆者集団で死亡した人10人全員の疾
病が放射線の影響で発生した可能性があるということになるのである。
したがって,原爆症認定にあたり,寄与リスクが小さいからといって,その要因
はその群に属するある個人の発症原因を構成していない(あるいは無視できる)と
し,寄与リスクの小さい群について全員を認定しない(=起因性を否定する)とす
るのは疫学の誤用である。
b「原因確率」概念についての疑問
疾病の発症に関わる要因は多数あり,お互いに関連しながら,相乗あるいは相加,
時には相殺効果を示しながら,多くの要因が総体として疾病の発症に作用している
(疾病の多要因性)。ある個人が新たな要因に曝露されたとき,以前から持ってい
た要因群との間に新たな関係が作られ,新たな要因群が形成されて,疾病の発症に
関与することになる。新たに付加された要因が,以前からあった要因とは関係なく,
独自にその個体の疾病の発症に関わって,疾病の発症を左右するというわけではな
い。
これに対し,審査の方針に用いられている原因確率は「疾病等の発生が,原爆放
射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率」と定義されている。すな
わち,原爆放射線が他の要因とは独立して,個々人の疾病(がん)の発症に作用し,
当該疾病を発症させた確率とされている。しかし,疾病の多要因性にかんがみれば,
このような原因確率という概念それ自体に疑問を持たざるを得ない。また,原爆放
射線が,疾病の発症を促進する場合,上記の意味での「原因確率」は,起因性を判
定する指標としては全く無意味なものとなる。
c統計学的有意性,信頼区間の扱いに関する疑問
また,児玉論文及び審査の方針では「統計上有意とはいえない」あるいは「信頼
区間が広い」というだけで,疫学研究でその疾病について観察された寄与リスクよ
りも低い値が原因確率として割り当てられている。
しかし,有意性検定における危険率や区間推定する場合の信頼係数の大きさは,
統計学によって論理的に決定されるものではない。要因と影響の関連性を厳密に追
求しようとする疫学的研究では,危険率を厳しく設定して「有意な差が認められな
かった」との慎重な結論を下したとしても,それは,他の目的・分野での判断を拘
束するものではなく,それぞれの判断基準があってよいはずである。なお「有意差
が認められない」という意味は,差があることを否定したものではなく,差がある
ことの判断を保留したものと解すべきである。
この意味でも「原因確率」を起因性判断の決め手とすることには大きな疑問があ
る。
d疫学調査結果を個人に当てはめることの問題点
個々の被爆者は,それぞれ被爆の状況も異なるし,被爆直後の行動,その後の生
活状況,病歴等,全て異なる。また,放射線感受性の強い者もいれば弱い者もいる。
こうした個々の被爆者のそれぞれの状況を無視して,疫学調査という集団のデータ
を解析した結果を,個々の被爆者に一律に当てはめ,起因性の有無を判断すること
は,疫学調査結果の誤用と言わざるを得ない。
起因性の判断にあたっては,個々の被爆者の具体的な状況を考慮していかなけれ
ばならないのである。
ところが,医療分科会における起因性の判断の運用は,ほとんどを原因確率に依
拠している。
この点,被告らは,原因確率が50%を超える場合は,放射線起因性があると推
定し,原因確率がおおむね10%未満である場合には,放射線起因性の可能性が低
いものと推定することとした上で,これらを機械的に適用して判断するのではなく,
更に当該申請者にかかる既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断
を行うものと繰り返し主張している。
しかし,被告らは,個々の原告についてどのように「既往歴,環境因子,生活歴
等も総合的に勘案」したのか,明らかにしておらず,極めて短時間で審査が行われ
ている実態等を考え併せれば,被告らが個別事情を考慮することなく,原因確率を
機械的に適用する運用を行っていることは明らかである。
e小括
ある集団の寄与リスクの大小それだけでは,その集団に属する特定個人の発症原
因を特定できないのであるから,寄与リスク(原因確率)の大きさを個人の起因性
を否定するための判断基準に用いることは誤っているというほかない。
そもそも,既に述べたように放影研の疫学調査結果には大きな問題があり,個人
の起因性の判断にあたってこれを参考にすることは許されても,これを唯一の基準
とすべきではない。臨床医学や放射線生物学などをはじめとする幅広い分野の学問
研究の成果と視点を取り入れて,被爆者に生じた現実の症状を検討していくことが
必要なのである。
エ結論
原爆症認定には審査の方針という基準が用いられているが,これは児玉論文を基
に作成されたものであり,この児玉論文は放影研の疫学調査を基に作成されている。
そして,放影研の疫学調査は,その調査手法自体に様々な問題点を含んでおり,
しかも,根本となる線量評価においてDS86という重大な欠陥を抱えた線量評価
基準を用いている。このように多くの問題点がある放影研の調査を基に作成された
審査の方針や原因確率が,原爆症認定行政において用いられる基準として合理性を
有するものでないことも明らかである。
放射線起因性は,被爆者に生じた現実を直視した上で判断されるべきである。被
告らは,自らの基準の科学的合理性を主張するが,それは上記のとおり「科学的態
度ではない」といわざるを得ないことは明らかなのである。
(2)放射線起因性に関するあるべき認定基準
ア原爆症認定において踏まえるべき事実
(ア)未経験,未解明の被害であること(被害の特殊性①)
広島と長崎に投下された原爆は,人類史上で最初の核兵器の使用であって,これ
までに人類が体験したことのない程の威力である上,爆風のみならず熱線と放射線
を伴っていたため,一瞬にして都市を消失させ,また人間を死に至らしめた。その
実態や機序については科学的にも未解明な部分が多く,現在に至っても全てが明ら
かとなっているわけではない。したがって,被爆の実相を認識する上で,まずかか
る特殊性を踏まえる必要がある。
(イ)被害の多重性,複合性(被害の特殊性②)
原爆は,人間の身体に死亡,熱線,爆風などによる傷害及び後遺障害,放射線に
よる傷害及び後遺障害などの複合的な被害をもたらしたほか,被爆者に対し,健康
に対する不安や心の傷(PTSD)といった精神被害,さらには,生活基盤の破壊
や,差別・生活困窮といった複合的な社会的被害をも与えた。したがって,原爆に
よる被害は,総合的,相関的に捉えなければならず,この点にも原爆による被害の
大きな特徴がある。
(ウ)放射線障害(被害の特殊性③)
a放射線が人体に与えるメカニズム
(a)外部被曝
①初期放射線による外部被曝
原爆のさく裂後100万分の1秒以内に核分裂が繰り返され,ガンマ線や中性子
線が放出され(初期放射線),瞬時に地表に到達し,そこにいた人々の体を貫き,
細胞組織や遺伝子を破壊した。そして,核分裂によって発生した中性子線やガンマ
線は,様々な物質を通り抜けることから,建物の中にいてもこれらを避けることは
できなかった。また,中性子が,空気,水,土,建造物など,あらゆる物質の原子
核に吸収され,正常な原子核を放射性原子核へと変え,新たな放射線を生み出し,
建物の壁や屋根,地面などに中性子線が当たると,それらを構成する原子自体から
ガンマ線が発生した。
②放射性降下物による外部被曝
核分裂の連鎖反応と同時に,大量の放射性核分裂生成物が生成され,ここから主
にベータ線やガンマ線が放出された。また,広島原爆のウラン235及び長崎原爆
のプルトニウム239のうち実際に核分裂を起こしたのは一部であり,残った未分
裂の核分裂物質も,自らアルファ線を放出し,次々と種類の違う放射性原子に姿を
変えながら,ガンマ線やベータ線を放出した。さらに,原爆の装置と容器が,核分
裂で生成された中性子を吸収して誘導放射化され,放射線を放出した。また,この
とき,原爆から放出された衝撃波によって地上の木造家屋は粉々に破壊され,粉塵
となって舞い上がっており,この粉塵は誘導放射化されているため,地上は細かな
放射性物質が立ちこめた状態になっていた。
そして,火球が膨張し,上昇して温度が下がると,火球に含まれていた様々な放
射性物質は「黒いすす」となり,その後,放射性物質や「黒いすす」が凝結核とな
って空気中の水蒸気を吸収して水滴となった。
さらに,原爆の熱線によって発生した空前の大火災によって,巨大な火事嵐や竜
巻が生じたため,これによって誘導放射化された地上の土砂や物体が巻き上げられ
た。
こうして,きのこ雲の上層部を構成している火球は,圏界面を突き破って成層圏
にまで上昇していき,そのきのこ雲は,放射線の放出を続けながら,遂には崩れて
広範囲に広がり,大きくなった水滴は放射能を帯びた「黒い雨」となって地上に降
り注いだ。
爆心付近では強い上昇気流が発生していた反面,その周囲では上昇気流を補填す
るために強烈な下降気流が形成される。その下降気流に乗って,きのこ雲の上層部
の崩れた部分にあった放射性物質や「黒いすす」が爆心から離れた地域にも降った
のである。このようにして放射性物質が「黒い雨」や「黒いすす」となって広く地
上に降り注いだのである。
このようにして降下してきた放射性微粒子などの放射性降下物は,初期放射線を
浴びた直爆被爆者のみならず,原爆時には市内にいなかったが,救援や家族を探し
求めるため市内に入った人々(入市被爆者)の皮膚や髪,衣服に付着し,あるいは
大気中や地面から,アルファ線,ベータ線及びガンマ線を放出して身体の外から被
曝させた。
③誘導放射能による外部被曝
また,地上及び地上付近の物質は,初期放射線の大量の中性子を吸収して,その
原子核が放射性原子核となり(誘導放射化),それによって放射線を放出する(誘
導放射能)。誘導放射能はガンマ線とベータ線を放出し続けて,直爆被爆者及び入
市被爆者の体外から,継続的に放射線を浴びせ続けた。
誘導放射能は中性子線量の多い爆心地に近いところほど強いことから,原爆投下
直後に爆心地近く(とりわけ1㎞以内)に出入りしたり滞在したりした者には,こ
の誘導放射能の影響を強く受けた。
(b)内部被曝
①内部被曝の態様(放射性降下物や誘導放射能による内部被曝)
前述の「黒い雨」「黒いすす」及び放射線微粒子は,呼吸等により体内に取り込
まれて肺胞に達し,さらに小さい放射性微粒子は,血管やリンパ管を通じて身体の
中を移動し,組織や器官に沈着して,これらの組織の細胞に身体の中から放射線を
浴びせたり,飲食物を通じて放射性降下物が体内に入り,皮膚や傷口から放射性物
質が直接人体に取り込まれ,同様に身体の内部から放射線を浴びせたりした。
また,原爆の中性子線により誘導放射化された地表の物質も,呼吸あるいは飲食
物を通じて体内に入り,体内から継続的に放射線を浴びせ続けた。
②内部被曝の影響の深刻さ
内部被曝は,(1)体内では近傍に極めて大きなエネルギーを吸収させること,
(2)アルファ線,ベータ線は短い飛程の中で集中的に組織にエネルギーを与えて多
くの染色体や遺伝子の接近した箇所を切断すること,(3)自然放射性核種と異なり,
ウラン,プルトニウムやそれらが分裂して生成される人工放射線性核種は,核種の
種類に応じて特定の組織や器官に濃縮され集中的に被曝させること,(4)体内に取
り込まれた放射性核種は,その核種の寿命に応じて継時的に被曝させること,以上
の4点において外部被曝とは異なった態様で人体に深刻な影響を及ぼす。
③内部被曝の影響の複雑さ
体内に取り込まれた放射性物質が人体に影響を与える機序については,上記のと
おり極めて複雑である。
しかも,この場合には,放射性物質を体内に取り込んで,長い期間をかけて放射
線を浴び続けることになるので,急性症状が遅れて発症することも考えられるので
ある。
b急性障害
(a)急性症状
被爆者は,前述のような様々な経緯により放射線に被曝し,急性症状の発現によ
って,被爆前後で明らかな体調変化を認識したが,これらの症状が放射線被曝に起
因するものである根拠は,原爆投下後の調査の過程で,被爆距離及び遮蔽の有無と
相関関係のある症状として認識されたことにある。
(b)機序
放射能,とりわけ人体への破壊力が大きな中性子線を浴びた人体内では,腸など
の消化器系の内臓,血液をつくる骨髄などで,細胞が自らの機能を停止させ死んで
いく細胞自殺(アポトーシス)を起こすため,内臓の機能が低下し,死に至る。火
傷などの外傷が少ないのに,被爆から数日後に死んでいった人の多くは,このアポ
トーシスが起こり,腸内での出血が止まらないことや,骨髄が損傷し造血不足が起
こったことなどが原因であったと考えられるのである。
また,死に至らない場合でも,胃腸の消化管粘膜は放射線にもっとも感受性のあ
る組織であり,被爆により剥離,びらん,潰瘍等をつくり,悪心,嘔吐,食欲不振,
口内炎等,様々な程度の症状を生じさせた。これらの症状は経口からの摂食を阻害
し,また消化管からの栄養吸収を阻害するため,人体のエネルギー代謝にとって不
可欠な水分維持,栄養素補充が損なわれ,諸症状の回復を遅延させるもととなった。
また,口腔,歯齦出血,吐血,紫斑等出血傾向も多彩であり,これら出血は,造
血器(骨髄)傷害としての血小板減少や機能低下,あるいは直接の血管(毛細管内
皮細胞)に対する傷害のいずれかにより発症したものである。そして,持続的な出
血は蛋白質の喪失であり,貧血とも相まって低栄養状態と浮腫をもたらす要因とな
り,身体的衰弱を助長するように作用した。
発熱は,一般的には,白血球減少などを背景に生じる細菌感染によるものと捉え
ることができるが,出血や下痢に前後して見られたりすることから,放射線による
組織障害の反映とも見られた。
脱毛は,一般的には,放射線を浴びた結果,皮膚が傷害され,汗腺や皮膚組織が
傷害を受けた結果であると考えられている。当然,毛根,毛髪は皮膚組織にあるた
め,皮膚障害の部分症として脱毛がみられる。
全身倦怠感は自覚所見であるが,他の急性症状を伴う場合もそうでない場合も見
られた。前者は他の急性症状を起こした原因の影響によるものであり,後者は中枢
神経系に放射能が傷害作用を与え自律神経のアンバランスを引き起こし,倦怠感と
なって現れるものである。いずれにしろ,放射線被曝を原因とする傷害の結果であ
って,独特の兆候を示し,我々が日常で感じる「倦怠感」とは,その起因,多臓器
性,予後等において決して同様のものではない。
c慢性障害
(a)長期にわたる後障害
放射線被曝により,被爆者は,様々な後障害に苦しめられることになった。具体
的には,白血病を含むがん,白内障,心筋梗塞症をはじめとする心疾患,脳卒中,
肺疾患,肝機能障害,消化器疾患,晩発性の白血球減少症や重症貧血などの造血機
能障害,甲状腺機能低下症,慢性甲状腺炎,被爆当日に生じた外傷の治癒が遅れた
ことによる運動機能障害,ガラス片や異物の残存による傷害などである。
(b)慢性原子爆弾症
慢性原子爆弾症の中でも注目すべきは,「原爆ぶらぶら病」すなわち原因不明の
全身性疲労,体調不良状態,労働持続困難であり,これらの症状が発生したことが,
肥田舜太郎医師や都築正男医師によって報告されている。
(c)免疫的影響
これらの被爆者の慢性障害には,後述の免疫的影響が絡んでいる可能性は高い。
d晩発性障害
(a)原告らの認定申請疾病
急性症状の有無やその程度,その後の慢性障害の有無やその程度は人によって様
々であるが,原告らに共通するのが晩発性障害の発症であり,それがまさに本訴に
おける原告らの各疾病である。
(b)物理細胞学的影響
①放射線の直接作用
放射線のうち,アルファ線やベータ線のような電荷をもった粒子線(荷電粒子
線)は原子や分子に直接的に電離や励起を引き起こす。電離とは,人体を構成する
細胞の原子や分子に放射線のエネルギーが吸収されることにより,原子や分子から
電子が引き離されることをいい,励起とは,電子がエネルギーのより高い準位に遷
移することをいうところ,電離作用によると分子が壊れてしまうことになるが,こ
の作用が集中して起こるか,あるいはばらばらで起こるかということによって,人
体に対する影響も変わってくる。一方,電荷をもっていないガンマ線は,電子との
相互作用(光電効果)により,原子や分子を直接的に電離するが,これにより生じ
た二次電子は,ベータ線と同じ作用を行い,更なる電離を引き起こし,ガンマ線が
直接的に電離する数と二次電子が電離する数を比較すると,後者の方が前者より桁
違いに多いとされている。
さらに,ガンマ線と同様に電荷をもっていない中性子線は,電子との相互作用は
ほとんどなく,原子や分子に直接的に電離や励起を引き起こすことはないが,中性
子線は容易に原子核に到達することができるため,核反応を起こす。その結果,弾
性散乱,被弾性散乱及び核変換などにより,二次的に荷電粒子線やガンマ線を発生
させ,これらの荷電粒子線やガンマ線が原子や分子に電離や励起を引き起こす。
人体内に入った放射線は,このような物理的過程により,細胞内にあるタンパク
質や核酸(DNAやRNA)などの重要な高分子に電離や励起を引き起こして破壊
し,細胞に損傷を与える(放射線の直接作用)。
②放射線の間接作用
さらに,初期の物理的過程により,原子や分子の化学的結合が切れて放射線分解
が起こると,遊離基(1個又は複数個の不対電子を有する原子や分子で,フリーラ
ジカルという。)が生成される(これを物理化学的過程といい10億分の1秒程度
の時間内に起こる。)ところ,人体内に放射線が入ったときに生成する遊離基は,
人体の主成分である水分子の変化したものが多い。そして,遊離基は極めて不安定
で非常に反応性に富むため,他の遊離基又は安定分子と直ちに反応する。遊離基が
生物学的に重要な分子である細胞内のタンパク質や核酸と反応して変化を起こし,
結果として細胞に損傷を与える(放射線の間接作用)。
③生物学的影響
放射線の直接作用もしくは間接作用により与えられた損傷は,修復酵素などの働
きにより修復されるが,全ての細胞の損傷が完全に間違いなく修復されるわけでは
なく,十分に修復しきれなかった場合,損傷を受けた細胞が自らを死滅させるアポ
トーシス(細胞自滅)などの生体防護機構が存在するものの,損傷を受けた全ての
細胞がこれにより排除されるわけではない。その結果,人体内の細胞の損傷が拡大
し,遺伝的影響や晩発性障害を引き起こすなどの重大な影響を与えることになるの
である。
(c)免疫的影響(加齢を含む)について
①放影研の免疫的影響の研究
原爆放射線が人体にどのような生物学的影響を与え,これが様々な疾患を引き起
こす経路は未だ明確には解明されていない。しかし,がん以外の疾患について,免
疫系への放射線影響がある程度関係しているかもしれないという仮説がきわめて有
力である(甲全85号証の9ないし14)。
放影研では,後述するような死亡率(寿命)調査や,成人健康調査における疾患
ごとの放射線との線量反応関係だけではなく,原爆放射線と免疫との関係を継続的
に調査している。
②アップデートの内容−免疫と炎症,そして加齢
iナイーブT細胞とメモリーT細胞の混乱
これらの調査の結果をまとめたものが,放影研のアップデート(2004年春,
楠洋一郎ほか「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を越えて」,甲全
85号証の1)である。
その中で注目されているのがT細胞の変化であり,T細胞性は細胞性免疫の主役
を演ずるが,T細胞のホメオスタシス(均衡)は,ナイーブT細胞集団とメモリー
T細胞集団の再生と死の均衡の上に成り立っているとされる。ところが,原爆被爆
者の場合,高齢者と同様の免疫学的変化,すなわち,ナイーブT細胞産生能の減少
と,メモリーT細胞のクローン性増殖が確認されている。
これらの点について,被爆後50年を経過した後でも,ナイーブT細胞の数は,
同年齢の非被爆群に比較して少なく,また,メモリーT細胞におけるT細胞受容体
レパートリーの偏りは,被曝線量に伴い有意に増加するとされている。
放射線と免疫及び炎症との関係ⅱ
さらに研究の中で明らかにされているのが,放射線と免疫的変化,そして炎症と
の相互関係である。すなわち,放射線の線量と,IL(インターロイキン)6やC
RPといった炎症反応を示すマーカーが相関していることが放影研の研究によって
明らかにされている(「原爆放射線における炎症応答マーカーの放射線量依存的上
昇」,甲全85号証の11,「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を
越えて」,甲全85号証の1)。このようなことから,放影研では,T細胞数の減
少や偏りと,炎症反応との関係の間には,相関関係があると考えて研究を進めてい
る。
放射線と遺伝的素因との関係ⅲ
さらに放影研では,疾患の発症に放射線と遺伝的素因がどのように影響するかに
ついても調査を継続している。その中に,広島で被爆時20歳未満であった人では,
2型糖尿病(多くの日本人がこの型である。)の有病率と,放射線の間に有意な相
関関係があることを確認するとともに,HLAクラスⅡタイプ遺伝子によって,放
射線の影響の程度に差があることが前述のアップデートに報告されている。
加齢との関係ⅳ
上記のような放射線と,免疫,炎症(ホルモンとの関係を含む),遺伝と疾患の
発生との関係について,放影研では,加齢を中軸として,研究が進められている。
③まとめ
放射線の影響について,動物では加齢が認められている。そして,放影研のホー
ムページには,最近,放射線は,加齢と同様に炎症マーカーや抗体産生量の増加に
寄与しており,したがって,放射線被曝が加齢による炎症状態の亢進を更に促進し
ているかもしれないということを示唆する論文が発表されたことが掲載されている
(甲全105号証)。
また,以上述べたような免疫や炎症との関係から,心筋梗塞,脳梗塞,高血圧,
肝機能障害がある程度統一的に説明ができるかもしれないのである。そして悪性腫
瘍も炎症や免疫を介しての放射線の影響であることが考えられている。
そして,放影研自身,疫学調査も踏まえ,最近,原爆被爆者においてがん以外の
ほとんどの主要な疾患による死亡率と放射線量との間にも明確な関連性が観察され
ていると認識する状況になっているのである。
e遠距離・入市被爆者に見られた放射線影響
遠距離・入市被爆者についても,放射線の影響としか考えられない脱毛,紫斑,
下痢等の典型的な急性症状が認められたことは,既に述べたとおりである。
このように,遠距離・入市被爆者について,近距離被爆者と同様の急性症状が発
症していることにかんがみれば,放射線の影響を受けているとみるべきである。た
だ,急性症状を発症しなかった者にも少なくない割合で放射線の影響としか思われ
ない体調不良や後障害が発生していることに十分注意すべきである。
f旧厚生省公衆衛生局長の通知の重要性
旧厚生省衛生局長は,各都道府県知事や広島市長及び長崎市長に対し,「原子爆
弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」(昭和3
3年衛発第727号,甲全2号証,「実施要領」という。)及び「原子爆弾後障害
症治療指針について」(昭和33年衛発第726号,甲全9号証,「治療指針」と
いう。)と題する通知を行っているが,ここにおいては,原爆被爆者に関しては,
いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関係を考えるべきであるとの立場が
示されており,放射線の人体影響が未解明である状況にあって,被爆者救済を図る
視点として極めて示唆的である。
イあるべき認定基準
原爆症認定の要件の中で,放射線起因性に関しては,被爆者が放射線に影響があ
ることを否定し得ない負傷又は疾病に罹り,医療を要する状態となった場合には,
放射線起因性が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限
り,その負傷又は疾病は原爆放射線の影響を受けたものとして,原爆症認定がされ
るべきである。かかる解釈を採るべき根拠は以下のとおりである。
(ア)原爆投下の国際法違反と核廃絶の決意
アメリカによる広島,長崎両市に対する原爆投下は,国際法違反であり,このこ
とは,平成8年(1996年)7月に言い渡された国際司法裁判所(ICJ)の勧
告的意見によって明らかにされている。
そして,被爆者は,かかる戦争犯罪の被害者であり,その被害は現在においても,
更には今後も継続するものである。
このことと,被爆者援護法の前文に記載された核廃絶への決意を踏まえれば,核
兵器の影響を過小評価するのではなく,可能な限り広い範囲で原爆放射線の影響を
認定することが,唯一の被爆国としてのありようであり,被爆者援護法の正しい解
釈である。
(イ)国家補償的配慮について
最高裁昭和53年3月30日判決(民集32巻2号435頁)は,被爆者援護法
の前身である原爆医療法につき,国家補償的配慮が根底にあることは否定できない
と判示しており,このことは,被爆者援護法にも当てはまるものである。
したがって,放射線被害についても,可能な限り戦争被害補償としての実を上げ
るような解釈を採るべきであり,その意味からも原告ら原爆症認定申請者らの立証
責任は軽減されるべきである。
(ウ)公平の理念に基づく立証責任の軽減
原爆の被害は甚大であった上,戦後,占領軍による原爆被害の隠ぺいなどのため,
被爆者による証拠収集の途は閉ざされていた。
一方,放射線の影響に関する科学的調査や疫学的調査などの重要資料は,ABC
Cないしは放影研,ひいては厚生労働省が独占している状態である。
したがって,このような状態は一種の証明妨害あるいは証拠の偏在であるから,
原告らの放射線起因性についての立証責任は当然軽減されるべきである。
(エ)平成12年最高裁判決との関係
平成12年最高裁判決は,放射線起因性の証明の程度について,高度の蓋然性を
要すると判示している。
しかし,もともと,行政処分は,行政目的のために設定される制度であって,そ
の要件該当性は,当該行政の目的に合致するように判断されるべきであるから,一
般の市民関係を規律する民法における判断,解釈と同一であってよいはずがない。
したがって,放射線起因性の判断において求められる証明の程度は,通常の民事
訴訟における因果関係より軽減されるべきである。
(オ)起因性の証明の程度
仮に,平成12年最高裁判決の立場を採用したとしても,民事訴訟における証明
の程度は均一ではなく,本件においては,当然,証明の程度が軽減されるべきであ
る。
これに対し,被告らは,放射線起因性の判断は,科学的・医学的知見を離れて行
うことはできず,その判断に素人的,あるいは被爆者を保護すべきであるといった
価値判断を入れたものであってはならないなどと主張する。
しかし,これは被爆者に不可能を強いることを公然と述べたものであり,平成1
2年最高裁判決もこのような考え方を否定したものと評価できるのである。
(被告らの主張)
(1)被告らの主張の概要
ア放射線起因性判断の概要
(ア)放射線による被曝が人の健康に影響を及ぼす可能性があることは,広く一般
に知られているところであるが,一般的に疾病は幾つかの要因が絡み合って発生す
るものであり,その症状も,放射線被曝特有のものではないため,当該個人の症状
を分析しても,その疾病が放射線被曝によって生じたものか否かを判別することは
極めて困難である。
そのため,被爆者に生じたある疾病が,放射線被曝に起因するものであるか否か
を判定するには,疫学的方法によって検討するほかない。すなわち,ある疾病にお
いて,危険因子に曝露した者の集団とそうでない者の集団とを比較し,あるいは,
危険因子に高濃度の曝露を受けた者の集団と低濃度の曝露を受けた者の集団とを比
較し,前者の方が疾病の発生率が有意に高いか否かを観察し,又は回帰分析と呼ば
れる方法を用いるなどして,当該疾病と危険因子との関連を検討することが必要と
なる。
(イ)そして,上記の疫学的方法による比較対照や回帰分析を行う前提として,個
々の被爆者がどの程度の放射線量を被曝しているのかを推定し,この推定線量に基
づいて集団を設定し,あるいは回帰式を決するなどの作業を行う必要がある。放射
線の人体への影響は,確定的影響と,確率的影響があることが明らかになっている
ところ,当該被爆者の疾病が確定的影響に分類される場合には被爆者の被曝線量が
一定の線量以上かどうかが,確率的影響に分類される場合には当該被爆者の被曝線
量と同量の放射線を被曝した場合における当該疾患の出現する確率と被曝線量との
用量(放射線被曝の場合は「線量」)反応関係が,それぞれ放射線起因性を判断す
る重要な基準となる。
しかるに,個々の被爆者の被曝線量を直接測定することは現在においては不可能
であるから,被爆者の被爆当時のデータから被曝線量を推定する方法(放射線量推
定方式)を用いて,個々の被爆者の被曝線量を求める必要がある。放影研における
疫学調査や審査の方針における申請者の被曝線量の推定については,DS86が用
いられているところ,これは,日米の放射線学の第一人者が開発した広島及び長崎
における原爆放射線の線量評価システムである。
(ウ)審査の方針においては,これらの疫学的方法及び原爆放射線量推定方式に基
づき,確率的影響に分類される疾患について,原因確率という手法を採用し,これ
を一応の目安として放射線起因性の有無を判断しているところ,これは,放影研に
おける疫学調査を基に,各疾患について放射線被曝がどの程度影響しているとみら
れるのか,その疾患が発生した者のうちその発生が放射線被曝の影響によると考え
られる者を割合的に算出し,これを目安に,当該被爆者に生じた疾患が放射線被曝
の影響である可能性はどの程度か,すなわち被爆が原因である可能性はどの程度の
割合かを判断するというものである。
イ被曝線量を把握することが必要かつ重要であること
以上のとおり,確定的影響の場合も,確率的影響の場合も,被曝線量が放射線起
因性を判断するための重要な情報となっている。そこで,まず,個々の申請者の被
曝線量を把握して原因確率やしきい値を検討し,さらに,既往歴,環境因子,生活
歴等も総合的に勘案して放射線起因性の有無を判断することになるが,その意味で,
被曝線量を把握することなくして放射線起因性を判断することは不可能というべき
である。
ウDS86によって初期放射線による正確な被曝線量を把握できること
(ア)原爆による初期放射線は,物理法則に従って発生し,容器の外部に射出(漏
出)し,空中を伝播(輸送)し,地形,家屋,人体等により遮蔽されて人体各臓器
に到達する。放射性物質が核種によりどの程度の放射線を出してどの程度の時間で
変化するかも物理法則に従うものである。原爆の初期放射線の飛散状況は,このよ
うな放射線物理学等の科学的知見によって十分解明されるに至っている。これらの
科学的知見を集積して完成したのが,DS86であり,大型コンピュータによって
理論的に線量を推定するものであって,科学的,可及的に正確な値を導くことがで
き,信頼性は極めて高い。爆心地から遠距離地点において,DS86において計算
値と計測値との不一致があるともされていたが,更に検討が行われ,平成15年3
月に公表されたDS02においてDS86の正当性が改めて検証されている。
(イ)原告らは,DS86による線量評価が遠距離地点において過小評価されてい
る根拠として,広島の爆心地から2.05㎞の地点でのガンマ線の測定値がDS8
6による計算評価値の約2.2倍であった旨の長友論文(甲全28号証の1・2)
を指摘するほか,遠距離被爆者及び入市被爆者について脱毛や下痢等の急性症状が
見られたことを報告した調査結果の存在を指摘する。
しかしながら,広島の爆心地から2.05㎞の距離における測定値がDS86に
よるガンマ線の計算評価値の約2.2倍であったとしても,その測定値は,わずか
0.129Gy程度にすぎない。急性症状が生じる被曝線量は最低でも1Gy以上とさ
れており,さらに,脱毛は頭部に3Gy以上,下痢は腹部に5Gy以上の被曝線量で発
症することは,今日における放射線医学の常識である。こうしたことからしても,
爆心地からの遠距離地点における被曝線量の程度は,ごくわずかであることは明ら
かである。遠距離地点においてDS86による計算値と測定値とに仮に何らかのそ
ごがみられるとしても,上記急性症状の原因を検討する上では,このようなそごは
無視し得る程度のもので,いずれにせよ,上記急性症状が生じ得る被曝線量には到
底達していない。このことは,爆心地から距離が離れるにつれて距離の2乗に反比
例して放射線量が低下するという放射線の物理的な性質からも裏付けられる。
原爆から発せられた熱線や爆風は,爆心地から2㎞地点にまで建物を全焼倒壊さ
せる被害を及ぼし,さらに,3㎞地点にまで火傷や家屋の自然発火が見られたが,
それはあくまで熱線や爆風による影響であり,放射線による影響ではない。原爆に
よる初期放射線が致死的な影響を及ぼした範囲は爆心地から1㎞地点程度にとどま
り,距離と共に放射線量が急激に低減したことに留意する必要がある。
そうであるならば,遠距離被爆者及び入市被爆者について,被爆による急性症状
としての脱毛等を生じさせるに必要な数グレイもの高レベルの被曝線量があったと
考えることは,およそ放射線学の常識に反する不合理な結論である。脱毛等の急性
症状が見られたとする調査結果は,疫学的,統計学的な分析を踏まえたものではな
く,原爆放射線被曝による急性症状と断定することはできない。
したがって,原告らが指摘する調査報告等があるからといって,DS86の正確
性が左右されるものではない。
エ審査の方針における放射性降下物及び誘導放射能による被曝線量評価は正当
であること
原爆投下直後から複数の測定者が放射性降下物及び誘導放射能の測定を行ってお
り,それによると,爆発直後から無限時間までの爆心地での地上1mの誘導放射能
による積算線量は,広島で約0.50Gy,長崎で0.18ないし0.24Gyであっ
た。また,放射性降下物は,広島では己斐,高須地区,長崎では西山地区に特に多
くみられることが確認され,爆発1時間後から無限時間までの地上1mの位置での
放射性降下物によるガンマ線の積算線量は,広島の己斐,高須地区で0.006な
いし0.02Gy,長崎の西山地区で0.12ないし0.24Gyであった。
審査の方針のうち,誘導放射線(残留放射能による放射線)による被曝線量を定
めた別表10,放射性降下物による被曝線量を定めた第一の四の3の表は,このよ
うな実際の調査結果を踏まえて作成されたものであり,これに勝る科学的知見は存
在せず,これを用いることが最も科学的な推定方法というべきである。
オ審査の方針において内部被曝による被曝線量を考慮していないことは正当で
あること
放射性降下物が最も多く堆積し,原爆による内部被曝が最も高いと見られる長崎
の西山地区の住民について,二度の経時的な実測を含め,昭和20年から昭和60
年までの40年間にわたる内部被曝積算線量の算定が行われ,これに勝る科学的知
見は存在しないところ,その線量は,男性で0.0001Gy,女性で0.0000
8Gyと評価された。これは,自然放射線による年間の内部被曝線量(0.0016
Sv=すべてガンマ線であった場合0.0016Gy)と比較しても格段に小さいもの
であるから,審査の方針において内部被曝による被曝線量を考慮しないものとされ
たことは正当である。
カ審査の方針における原因確率による放射線起因性の判断方法は合理的である
こと
審査の方針においては,確率的影響による疾病について,放影研が広島及び長崎
の被爆者の線量推定値を基礎に疫学的手法を用いて算出したリスク推定値を基に,
原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる原因確率を算定し,これ
を目安として,放射線起因性の判断をすることとされている。放影研が行った疫学
調査は,大規模であり,疫学的にも極めて精度の高い調査であって,このような調
査に基づいて算定された原因確率による判断方法に不合理な点はなく,これに勝る
科学的な知見は存在しない。
キ本件各処分の適法性
被告厚生労働大臣は,被爆者援護法11条1項に規定する認定を行うに当たり,
申請疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである
場合を除き,審査会の意見を聞かなければならない(被爆者援護法11条2項)。
これは,申請疾病が原爆放射線によるものかどうかの判断は極めて専門的なもの
であるため,客観性,公平性を担保するためにも,医学・放射線防護学等の知見を
踏まえた判断をする必要があるとの趣旨によるものである。申請疾病の放射線起因
性について検討する医療分科会の委員及び臨時委員は,放射線科学者や,現に広島
・長崎において被爆者医療に従事する医学関係者,更に内科や外科等の様々な分野
の専門的医師等から指名された者であり,疾病の放射線起因性や要医療性の判断に
ついて高い識見を有する者である。
本件においても,被告厚生労働大臣は,いずれも医療分科会に審査を行わせてお
り,審査の方針を目安としつつ,高度に専門的な見地から原告らについては,いず
れも放射線起因性は認められないと判断されたものである。
審査の方針では,原因確率がおおむね10%未満である場合には,当該可能性が
低いものと推定することとした上で,これらを機械的に適用して判断するのではな
く,高度に専門的な見地から,更に当該申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等
も総合的に勘案した上で判断を行うものとしているが,それは,高度に専門的な科
学的知見に基づく判断であり,およそ科学的とはいえない判断が受け入れられるべ
きものということにはならない。例えば,遠距離被爆者等で被曝線量が低く,原因
確率も10%未満である場合に,いくら申請者が脱毛等の急性症状の既往歴を訴え
たとしても,被曝線量からみて,それが放射線被曝に起因するものであるというこ
とがおよそできない以上,その既往歴を考慮して申請に係る疾病につき放射線起因
性を認めることができないのは当然である。この点は,内部被曝についても同様で
あり,いくら上記申請者が,被爆後の生活歴,環境因子として,内部被曝の可能性
を示す事実を訴えたとしても,その被曝線量がごくわずかであるため,これを考慮
して申請に係る疾病につき放射線起因性を認めることができないことに留意すべき
である。
本件各処分は,医療分科会での専門的な意見を踏まえてされたものであり,放射
線起因性を否定した判断に誤りはなく,そうである以上,被告国が国家賠償法上の
責任を負う余地もない。
以上の点につき,以下詳論する。
(2)審査の方針に基づく判断の合理性
ア審査の方針の概要
医療分科会は,放射線起因性及び要医療性の判断の方針として審査の方針を定め
ているが,これは,被爆者援護法11条1項の認定に当たって目安となる方針であ
って,医療分科会の委員が審査に当たり,共通の認識として活用する趣旨のもので
ある。以下,審査の方針について概説する。
(ア)審査の方針においては,「原爆放射線起因性の判断に当たっては,申請疾病
における原因確率及びしきい値を目安として,当該申請疾病の原爆放射線起因性に
係る高度の蓋然性の有無を判断する」こととしている。ここでいう原因確率とは,
原爆放射線によって誘発された疾病発生の割合のことであり,しきい値とは,確定
的影響において被爆による症状が発生するための最低限の線量をいう。
(イ)原因確率は,申請疾病,申請者の性別の区分に応じて適用される審査の方針
別表により,申請者の推定被曝線量と被爆時の年齢によって算定する。申請者の推
定被曝線量は,初期放射線による被曝線量(申請者の被爆地及び爆心地からの距離
の区分及び遮蔽物の有無に応じて定められる。)に,誘導放射能による被曝線量
(申請者の被爆地及び爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて定め
られる。)及び放射性降下物による被曝線量(原爆投下の直後に特定の地域に滞在
し,又はその後,長時間にわたって当該特定の地域に居住していた場合について定
められる。)を加えて算定する(なお,実際の初期放射線による被曝線量は,後述
のとおり,審査の方針別表9ではなく,審査会線量推定表によって算定してい
る。)。
(ウ)求められた原因確率がおおむね50%を超える場合は,当該申請疾病につい
て,一応,原爆放射線による一定の健康影響の可能性があると推定し,原因確率が
おおむね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定することとした
上で,これらを機械的に適用して判断するのではなく,高度に専門的な見地から,
更に当該申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断を
行うものとしている。
(エ)また,原因確率等が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,当該
疾病等には,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないこと
に留意しつつ,高度に専門的な見地から,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環
境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断するものとしてい
る。
イ審査の方針を目安として放射線起因性の有無を判断することの合理性
(ア)放射線起因性の判断は,訴訟上の因果関係としての「高度の蓋然性」の立証
によるものであり,これまでに多くの確立した科学的・医学的知見が存在するから,
当然これらの知見から離れて行い得るものではない。審査の方針において,放射線
起因性の判断をするために用いられる原因確率,原爆放射線の被曝線量(初期放射
線による被曝線量の値に放射性降下物及び誘導放射能による被曝線量の値を加えて
得られる。)等は,いずれも原子物理学,放射線学,疫学,病理学,臨床医学等の
高度に専門的な科学的・医学的知見に基づくものである。
(イ)審査の方針において,原因確率がおおむね10%未満であるということは,
放射線被曝の有無に関係のない自然発生の疾病である可能性が90%以上あるとい
うことであり,通常は,放射線起因性について高度の蓋然性があるとは認め難いと
いうべきである。
そして,審査の方針においては,原因確率等が設けられていない疾病等に係る審
査は当然のこととして,原因確率が設けられている疾病等に係る審査においても,
例え原因確率が10%未満であっても,それのみから機械的に放射線起因性を判断
するのではなく,当該申請者に係る既往歴等,環境因子,生活歴等も総合的に勘案
した上で判断を行うものとしている。
そうである以上,原爆症認定の要件である放射線起因性の有無を判断するに当た
って,このような審査の方針を目安とすることには十分な合理性があるというべき
である。
(3)審査の方針における初期放射線の評価が正当であること(DS86の正当
性)
ア放射線被曝線量の算定の必要性,重要性
一般的に疾病の要因には様々なものがあり,放射線被曝の有無に関係なく発症し
得るものであって,このことは,被爆者でなくとも,胃がんや膀胱腫瘍等,原告ら
と同じ症状の患者が全国に多数存在していることからしても明らかである。放射線
被曝が発症等に関与した可能性があるとしても,放射線被曝特有の症状が現れるわ
けではないため,当該被爆者個人の症状を分析しても,被爆から発症まで長期間が
経過し,その疾病の発症要因が合理的に特定できて,放射線起因性がないことが明
らかな場合を除き,その疾病が放射線被曝によって生じたものか否かを判別するこ
とは極めて困難である。
しかし,今日,放射線の影響について多くの知見が蓄積されており,個々の研究
成果は,UNSCEAR(国連放射線影響科学委員会)等において,高度に専門的
な科学的・医学的知見に基づく評価を受けた上で,報告書等として公表され,人類
全体の知見となっている(「放射線の線源と影響原子放射線の影響に関する国連
科学委員会の総会に対する1994年報告書」,乙全46号証)。このような確立
した知見を活用して当該疾病が放射線に起因するものか否かを推論することは十分
に可能である。
すなわち,確定的影響であれば,当該被曝線量以上の放射線に被曝していること
が明らかになれば,放射線起因性を肯定する有力な事情になる。一方,確率的影響
であれば,被曝線量が多ければ多いほど放射線に起因した疾病である可能性が高ま
るということになるから,被曝線量は,放射線起因性を判断する有力な情報となる。
このようなことから,当該疾病が放射線に起因するか否かの判断をするに当たっ
ては,当該申請者が被曝した放射線量を具体的に把握する必要があり,かつ重要で
ある(乙全14号証・13頁。)
また,原爆による被爆としては,初期放射線による被曝,初期放射線等によって
誘導放射化された物質による被曝,放射性降下物による被曝,放射性物質が体内に
入って体内から被曝させる内部被曝があるが,線量ないし累積線量に引き直すこと
により,その影響の度合いを知ることができる(乙全14号証・332頁,348ないし
355頁)。
そこで,医療分科会が,放射線起因性及び要医療性の判断の方針としている審査
の方針では,日米の放射線学の第一人者が開発した広島及び長崎における原爆放射
線の線量評価システム(DS86)に基づく初期放射線による被曝線量を前提とし
て,放射線起因性の判断をするとの考え方に立っている。
イ原爆放射線推定方式であるDS86の正当性
(ア)DS86の概要
原爆の初期放射線の飛散状況は,放射線物理学等の近時の科学的知見によって十
分解明されるに至っている。これらの科学的知見を集積して完成したのが,DS8
6による被曝線量推定システムである。
DS86は,原爆の爆弾としての出力,ソースターム(爆弾から放出される粒子
や量子の個数及びそのエネルギーや方向の分布),最新の計算方法による空気中カ
ーマ(被爆者の周囲の遮蔽を考えない場合の被曝線量),遮蔽カーマ(被爆者の周
囲の構造物による遮蔽を考慮した被曝線量),臓器線量(人体組織による遮蔽も考
慮した被曝線量)の計算モデルを統合し,被爆者の遮蔽データを入力して臓器の吸
収線量など各種の線量を計算するシステムである。当時としては,最高の大型コン
ピュータを駆使した緻密な計算結果に基づいて作成されたものであり,その信頼性
は極めて高い。そして,この放射線量推定の理論計算の手法は原子力発電所や医療
用放射線の線量推定にも応用されてきている。
(イ)遠距離地点において計算値と測定値とにそごがみられるとしても,被曝線量
の測定値自体は極めて低く,無視し得る程度のものであること
a原告らは,広島の爆心地から2.05㎞の距離で採取された試料から熱ルミ
ネッセンス法を用いて得られた測定値がDS86によるガンマ線の計算評価値の約
2.2倍であった旨の長友論文(甲全28号証の1・2)を根拠に,DS86にお
けるガンマ線の計算評価値と測定値とが乖離している旨を主張する。
bしかしながら,広島の爆心地から2.05㎞の距離における測定値がDS8
6によるガンマ線の計算評価値の約2.2倍であったとしても,その測定値は,わ
ずか0.129Gy程度にすぎない。急性症状が生じる被曝線量は最低でも1Gy以上
とされており,脱毛は頭部に3Gy以上,さらに下痢は腹部に5Gy以上であることは,
今日における放射線医学の常識である。こうしたことからしても,爆心地からの遠
距離地点における被曝線量の程度は,上記急性症状が生じ得る被曝線量と比較する
と,ごくわずかであることは明らかであり,遠距離地点においてDS86による計
算値と測定値とにそごがみられるとしても,上記急性症状の原因を検討する上では,
このようなそごは無視し得る程度のもので,いずれにせよ,上記急性症状が生じ得
る被曝線量には到底達していないものであるといわなければならない。
なお,長友論文において指摘されているDS86の計算評価値と実測値の不一致
は,爆心地から1500mほど離れると,もはや自然放射線(バックグラウンド)
の線量との区別が困難となるという測定方法の限界に起因するものであることが明
らかとなっており,DS86の正確性については,後述のとおり,DS02によっ
て検証されている。
(ウ)爆心地から1.5㎞以遠の地点で被爆した人の中に脱毛や下痢を訴えた人が
いたとしても,被爆による急性症状とはいえないこと
a原告らは,原爆投下からさほど時を経ずして行われたと認められる日米合同
調査団報告書に係る調査(甲全6号証),東京帝国大学医学部診療班の原子爆弾災
害調査報告に係る調査(昭和20年10月実施,甲全77号証の7),調来助教授
らの「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察」に係る調査(昭和20年10月か
ら同年12月にかけて実施,甲全8号証の2・文献4)及び於保論文(昭和32年
1月から同年7月にかけて実施された調査によるもの,甲全7号証)の各結果から,
広島についても長崎についても,爆心地からの距離が2㎞以遠において被爆した者
で脱毛や紫斑ないし皮下出血が生じたとする者が一定割合存在する事実が認められ,
爆心地からの距離が2㎞以遠において被爆した者に生じた脱毛等の症状は放射線に
よる急性症状であるとし,これをもってDS86及びDS02の計算値が過小評価
になっていると主張する。
bしかしながら,前述のとおり,爆心地からの遠距離地点における被曝線量は,
到底脱毛の原因となり得るものではない。原爆の初期放射線の飛散状況からしても,
爆心地から約1500m以遠の地点において,被爆による急性症状としての脱毛等
を生じさせるに必要な数グレイもの高レベルの被曝線量があったと考えることは不
合理であり,およそ放射線物理学の常識に反するものである。全身にそのような高
レベルの被曝があれば,脱毛程度の症状にとどまるはずはなく,感染症等の重大な
合併症を発症させるものであることに留意しなければならない。
c原告らが指摘する調査結果は,戦後間もないころに実施されたものであり,
どの程度の症状のものを念頭において調査したものかについては判然とせず,脱毛
について,被爆者ではない非曝露群との比較をしたものでもなく,その内容をみて
も,疫学的,統計学的な分析を踏まえたものではない。
疫学や統計学に精通しないまま,一部の調査結果で指摘された発症率のみをとり
あげてこれを比較し,被爆による急性症状が認められるなどと断定することはでき
ない。
dそもそも,脱毛には,いろいろな症状及び発生原因がある。実際に,当時の
栄養状態について見てみると,終戦後の昭和21年,22年において,蛋白質,ビ
タミンB2,カルシウム等が著しく不足していたのであるから(乙全106号証),
昭和20年においては,これと同程度ないしそれ以上に不足していたものと推測さ
れる。蛋白質は毛髪の成長に重要な栄養素であるから,これが不足すれば,毛髪の
成長を阻害することが考えられるし,ビタミンB2は,これが欠乏すれば脂漏性皮
膚炎を引き起こすことが考えられ,当時入浴や洗髪もままならず,衛生状態が悪化
していたことも加わり,脱毛を引き起こした可能性は十分に考えられる。さらに,
もともと,8月から9月にかけての時期は抜け毛の多い時期であり,また,原爆投
下直後の入市者には,炎天下を長時間歩き回ったり,救護作業に従事していた者も
多いから,平常時では考えられないくらいの蓄積疲労や持続するストレスがあいま
って脱毛を引き起こした可能性も,十分に考えられる。
eそうである以上,爆心地からの距離が2㎞以遠において被爆した者に生じた
とされる脱毛等の症状が放射線による急性症状であるとし,これをもってDS86
及びDS02の計算値が遠距離において過小評価となっているとの主張は,現代に
おける放射線物理学,放射線医学の常識に反するものというほかない。
(エ)DS02によってDS86の正当性が検証されたこと
aDS02策定の経緯
日米の原爆放射線量評価実務研究班は,引き続き被曝線量システムについての研
究を進めていたところ,平成15年(2003年)3月,その知見を集積・統合し,
DS86を更新する線量推定方式としてDS02を策定した。
DS02は,DS86における評価方法を踏襲した上で,更に進歩した最新の大
型コンピュータを駆使し,最新の核断面積データ等を使い,かつDS86よりも緻
密な計算を用いることにより,DS86よりも高い精度で被曝線量の評価を可能と
したものである。DS02策定に当たって行われた研究は,DS86の評価方法の
正当性を改めて検証する結果となった(甲全84号証の1,乙全68号証)。
b放射線量の再計算
(a)出力の推定
DS02においては,原爆の出力や爆発高度について,再検討がされ,広島原爆
については,爆弾の出力を計算するための最新の理論計算により再計算がされた結
果,出力が15ktから16ktに修正された。また,放射化測定値に最適化するプロ
グラムが開発され,その結果,爆発高度が580mから600mに修正された。
他方,長崎型原爆は,DS02の再検討においてもDS86時とほぼ同様の結果
が示され,出力・爆発高度ともに修正の必要性はなかった。
(b)ソースタームの評価
ソースタームは,現代の最新の放射線物理学に基づき,核分裂で放出された放射
線が爆弾の外殻材料を透過した後のエネルギー分布や方向分布を算定したものであ
るが,放射性核種の反応の確率を表す核断面積データを最新の知見に基づくものに
更新したり,エネルギー分布をより精緻にしたりして,高い精度の結果を得た。ま
た,原爆放射線を,ウランやプルトニウムが核分裂した際に放出される即発放射線
(即発ガンマ線と即発中性子線)と核分裂後の生成物から放出される遅発放射線
(遅発ガンマ線と遅発中性子線)に分類して評価された。すなわち,DS02にお
いては,長崎原爆において43%,広島原爆において31%即発ガンマ線の数量
(モル数)が増えたが,即発ガンマ線のガンマ線全体に対する割合は約4%にすぎ
ず,合計ガンマ線の約1%の増加にしかならないということが明らかとなった。
その結果,DS02の中性子,ガンマ線のソースタームは,全体的にDS86と
よく一致しているとの結論に至った。
なお,前記(a)のとおり,広島原爆の出力の修正がされているが,これは,もと
もと12ktないし20ktというDS86時の広島型原爆の出力の不確実性,すなわ
ち系統的な推定誤差の範囲内の変更にすぎないため,DS02による出力推定の修
正は,ソースタームに影響しない。
(c)空中輸送計算(空中伝播計算)
DS02における即発放射線(即発ガンマ線と即発中性子線)に関する空中伝播
計算は,DS86よりもエネルギーや距離・角度の分布につき細かく計算され,原
爆放射線のエネルギーについては,その高低によって中性子では199群(DS8
6では27群),ガンマ線では42群(DS86では群分けなし)に分類され,離
散座標法という計算法で解析された。角度分布についてもDS86では20に細分
化されていたものが,DS02では40に細分化された。さらに,離散座標法によ
り求められた放射化量及び線量の分布については,モンテカルロ法という別の計算
結果と比較する方法も採用された。また,DS02においては,遅発放射線(遅発
ガンマ線と遅発中性子線)の計算についても,DS86開発時よりも優れた計算方
法により求められた。
その結果,DS02により求められた中性子線・ガンマ線の大気中での放射線量
である空気中カーマ線量は,DS86と比較して有意な差がないことが明らかにな
った。
cDS02における測定値の評価
(a)ガンマ線測定
DS02においては,広島・長崎両市におけるガンマ線量測定値の再評価が行わ
れ,各測定値の検証やバックグラウンド,熱ルミネッセンス法による測定自体の誤
差等が検討された。
その結果,現行の熱ルミネッセンス法による測定値のうち,爆心地から約1.5
㎞以遠の測定値については,原爆によるガンマ線量がバックグラウンド線量と同量
となることから,バックグラウンド線量の誤差が測定線量に大きく影響を与えるた
め,その測定値をもって正確なガンマ線量を評価することが不可能であることが判
明した。
そして,DS02では,DS02,DS86の各計算値と熱ルミネッセンス法に
よるガンマ線量の測定値との比較がされ,DS02の計算値の方がDS86の計算
値よりも一致度が若干高いものの,測定値と計算値の全体的な一致度は,上記バッ
クグラウンド線量の問題を考慮することにより,DS02と同様,DS86も良好
であるという結論に至り,ガンマ線量の推定においてDS86による計算値の正当
性が検証された。
(b)熱中性子測定
熱中性子(低エネルギーの中性子)については,以下のとおり,ユーロピウム1
52及び塩素36の放射化測定(中性子が照射されることで,放射性核種が発生す
ることを,放射化といい,その核種の放射線量を測定することで照射された中性子
線量を推定することができる。)がされた結果,測定値の方の精度に問題があるこ
とが判明し,バックグラウンドや測定限界を考慮して,改めて検証したところ,計
算値と測定値が一致することが判明した。
(c)速中性子測定
速中性子(高エネルギーの中性子)については,以下のとおり,リン32及びニ
ッケル63の放射化測定がされた結果,リン32については,試料の位置の修正等
がされ,ニッケル63については,加速器質量分析法(AMS)と液体シンチレー
ション計数法(放射性核種が混入されると蛍光を発する液体を用いた放射線測定
法)が使用され,いずれの結果もDS86の計算値とよく一致するとされ,その正
当性が検証された。
d小括
以上のとおり,DS02の研究によって,DS86の原爆線量評価システムの正
当性が改めて検証されたということができる。
(オ)DS86に対する原告らの主張に対する反論
aDS86の内容は検証可能であり,その合理性は明らかであること
(a)原告らは,原爆構造の詳細は軍事機密であり,科学的研究・分析の出発点と
なるべき原爆の構造等の基本事項すら明らかになっていないために客観的に追確認
ができない線量推定方式はそもそも信用性に乏しいなどと主張する。
(b)しかしながら,DS86は軍事目的で作成されたものではなく,医療用放射
線防護や原子力発電所での放射線防護などの領域において広く用いられている様々
な線量推定方式を応用したものであり,その内容,理論の概要等が報告書(「原爆
線量再評価広島および長崎における原子爆弾放射線の日米共同再評価」,甲全2
6号証,乙全40号証)に記載され,検討に足りる内容が開示されている。
また,ソースタームの算定に用いられたコンピュータプログラムは,線量評価で
は頻繁に用いられるMCNP(モンテカルロ・コード)という計算コードであると
ころ,同計算式や,同計算に用いられる核断面積データは一般的に公開されており
(「原爆放射線の人体影響1992」,乙全14号証・333頁),これらの計算方
法を検証することは可能である。そして,DS02及びDS86において,ソース
タームや空中輸送計算の評価計算に用いられているコンピュータプログラムや核断
面積データも,原子炉等の放射線の空中輸送計算等で使用されており,計算方法を
検証することは可能である。
したがって,原告らの上記主張は失当である。
b広島原爆の複製による実験結果を踏まえてされたDS86の線量評価に不合
理な点はないこと
(a)DS86では,広島に投下された原爆の出力推定を行うに当たり,広島に投
下された爆弾の構成部品を使用して建造された広島原爆の複製(原子炉)による実
験によって得られた結果を踏まえた線量評価がされているが,これに対し,原告ら
は,原子炉の放出する中性子線と,原爆の放出する中性子線とでは,高エネルギー
中性子線の割合において差が生じ,後者の方が高エネルギー成分が多くなり,この
差は,連鎖反応の繰り返しによって拡大する可能性があるので,原子炉の実験結果
を広島原爆にそのまま適用することはできないなどと主張する。
(b)しかし,そもそも,DS86の策定に際しては,3個製造された広島原爆の
外殻のうち,使用されずに保管されていた残りのものを利用して製作された原子炉
を用いて実験がされたのであり,爆弾自体の内部における状況を再現した原爆の複
製(レプリカ)を用いているのである。実物の爆弾に対して唯一変更したことは,
砲身を短くしたことと核分裂物質を減らして使用したことのみであり,基本的に広
島原爆と構造上の違いはない。
原告らは,原子力発電所にあるようないわゆる一般的な原子炉を念頭に置いてい
るようであるが,上記のとおり,DS86策定の際に検証に用いられたレプリカは,
広島原爆の外殻と同じものであって,広島原爆の放射線を測定・評価することだけ
を目的として製作された特別なものであるから,原告らの主張は,その前提を欠い
ており,失当である。
cDS86における中性子線の計算値と測定値との乖離は,測定値の測定方法
に問題があったことから生じたものであること
DS86における熱中性子線誘導放射能(ユーロピウム152,コバルト60,
塩素36)の計算値と測定値を比較すると,広島においては,系統的なずれがみら
れ,爆心地から近距離では計算値の方が測定値より大きく,遠距離ではその逆にな
っているが,その後の再測定により両者の値が一致することが判明し,ずれの原因
は,測定値の測定方法の問題であって,DS86の問題ではないことが判明してい
る。
(a)コバルト60の放射化測定値をもってDS86の線量評価が不合理であると
することはできないこと
これに対し,原告らは,コバルト60の測定値を根拠に,DS86が遠距離にお
いて過小評価していることを明確に示していると主張する。
しかしながら,コバルト60の半減期は短く,空中距離600m(ほぼ爆心地付
近)以遠の測定値は,不確実性が大きいため,放射化測定値をもって放射線量シス
テムの計算評価値と比較することはできない。
したがって,コバルト60の放射化測定値をもって,DS86の計算評価値を評
価すること自体できない。
また,DS02においては,熱中性子線について,より半減期の長い核種である
ユーロピウム152や塩素36につき精度の高い測定方法により再測定を行い,そ
れらの測定値とDS86の計算評価値とが一致していることを確認しているのであ
って,DS02及びDS86の計算評価値は熱中性子線により放射化されたユーロ
ピウム152や塩素36の測定によりその正当性が検証されている。
したがって,コバルト60の測定結果からDS86が遠距離において過小評価し
ているとする原告らの上記主張は,失当である。
(b)原告らが根拠とする澤田教授の意見書の内容は不合理であること
①原告らは,長崎原爆によるユーロピウム152の放射化のデータを,最小2
乗法により近似曲線を求めると,DS86の推定値は爆心から700m以内では過
大評価であり,700mを超えると過小評価になる傾向が認められたなどと主張す
る。
②しかし,澤田教授がその意見書(「最近の原爆放射線実測結果にもとづくD
S86の評価」甲全34号証)等で採用しているカイ2乗法によって中性子線量,
を推測する方法は,澤田教授独自の方法である。
そもそも,ガンマ線,中性子線の減衰の動向は,そのような数式で表される単純
なものではない。カイ2乗法は,方法論として非常に初歩的な方法であり,40か
ら50年前にはこのような単純な減衰による評価もされていたが,現在では詳細な
解析には用いられていない。
また,広島大学原爆放射線医学研究所教授星正治(「星教授」という。)は,広
島原爆線量研究会を代表して提出した意見書(乙全41号証)において,DS86
そのものがおかしいという見解は,澤田教授独自のものであることなど澤田教授の
見解の問題点を指摘している。
(c)その他の主張について
①原告らは,DS86について,上記各点のほか,残留放射能を考慮していな
いこと,遠距離及び入市被爆者の急性症状を合理的に説明できないことなど,湿度
分布や数値計算を行う上での問題等を主張する。
しかしながら,DS86が直爆線量評価であり,残留放射能や入市被爆者につい
て考慮していないのは当然であり,原告らの上記主張は失当である。
②また,原告らは,爆心地付近の湿度が低ければ,中性子線の大気中の水分に
よる吸収が減少する可能性があるとか,1500m以上の上空や2812.5m以
遠からの中性子の流入を無視することとなって計算値の信頼性を失わせた可能性も
あると主張する。
しかしながら,湿度分布や数値計算を行う上での問題については,いずれも裏付
けのないものである。
仮に,上記原告らの主張の根拠となり得るものがあるとすれば,澤田教授の見解
と推測されるが,澤田教授の見解に問題があることは,前述のとおりである。
(カ)小括
以上のとおり,被告らの主張に対し原告らが反論するところは,いずれも失当と
いうほかない。DS86は,広島・長崎における被爆者の初期放射線による被曝線
量を,非常に高い精度で計算評価することが可能である。このことは,DS02に
よってDS86の正当性が検証されたことからも明らかである。DS86は,被爆
者らの放射線量推定方式として,現時点でも国際放射線防護委員会(ICRP)の
基準の根拠として用いられているように,最高の精度を有する放射線量評価システ
ムであるといえる。
ウ審査の方針の合理性
(ア)審査の方針では,以上のようなDS86に基づく初期放射線による被曝線量
を前提として,放射線起因性の判断をしているところ,DS86の内容が正当であ
ることは,前記イのとおりである。
したがって,このようなDS86に基づいて初期放射線による被曝線量を定める
審査の方針もまた正当性を有するものということができる。
(イ)なお,審査会の放射線起因性の判断においては,初期放射線による被曝線量
の値について,審査の方針別表9ではなく,審査会線量推定表が用いられている。
この審査会線量推定表における値と審査の方針別表9における値とは若干の違い
がみられる。
しかし,いずれもDS86を基に策定されたものであって,値の相違は,端数処
理の方法による相違に基づくものであり,より適正な判断を行うために審査会線量
推定表を用いているのである。
したがって,審査会線量推定表を用いて初期放射線による被曝線量の値を算定す
ることは,DS86の合理性に何ら影響を及ぼすものではなく,むしろ正確性にお
いて正当というべきである。
(4)審査の方針における放射性降下物及び誘導放射能による被曝線量評価が正当
であること
ア放射性降下物及び誘導放射能の線量評価
原爆投下後の早い段階から複数の測定者によって残留放射能の測定が行われ,そ
こでの調査結果を基にDS86策定の時に誘導放射能(残留放射能)の計算が行わ
れ,それが審査の方針の基となっている。
また,放射性降下物についても,調査が行われ,広島の己斐・高須地区,長崎の
西山地区で放射性降下物が特に多く見られ,これらの地区での線量推定が適切に行
われており,審査の方針もそれに基づくものである。
以下では,これらの点について,若干ふえんして主張する。
(ア)残留放射能の調査
残留放射能の測定は,昭和20年8月10日から大阪帝国大学調査団による調査
が行われ,引き続き,京都帝国大学,理化学研究所調査団による調査が行われた。
その後,同年9月から10月にはマンハッタン技術部隊,同年10月から11月に
は日米合同調査団により広島及び長崎において放射能測定が行われ,また,広島文
理大の2名による測定も行われた。
これらの初期調査の結果,爆心地付近のほか,広島においては己斐,高須地区,
長崎においては西山地区で,残留放射能が高いことが判明した。
なお,放射性降下物については昭和50年に,誘導放射能については昭和51年
以降,被爆岩石中のユーロピウムの測定が行われているなど,残留放射能の調査は
その後も引き続き行われた。
(イ)誘導放射能(残留放射能)
誘導放射能は,被爆生存者や早期入市者に対する被曝線量を推定する上で重要で
あり,昭和33年以降,被爆者の誘導放射能による被曝線量の計算評価が行われる
ようになり,それによると,爆発直後から無限時間までの爆心地での地上1mにお
ける誘導放射能による積算線量は,広島で約0.50Gy,長崎で0.18ないし0.
24Gyであった。
DS86策定時における研究では,誘導放射能によって被爆者が最大でどの程度
の線量を被曝したかを把握するため,グリッツナー及びウールソンにより,被爆者
が爆心地において爆発直後から無限時間まで滞在したと仮定した上で計算評価がさ
れた(したがって,実際の被爆者の誘導放射能による被曝線量はこれより低いもの
になる。)。その結果,爆心地において,縦軸で示される線量率(単位時間(ここ
では1時間)当たりの放射線量)が爆発後の経過時間(横軸)とともに減少してい
ること,縦軸で示される爆発直後からの積算線量(放射線の総量)が爆心から距離
が離れるとともに減少していること,更に,積算カーマ線量が爆発後の経過時間と
ともに減少することが示されている。したがって,端的に言えば,残留放射能によ
る被曝線量は,爆心地からの距離と入市時間と滞在時間に依存し,爆心地からの距
離が大きくなり,爆発後の経過時間が長くなれば,被曝線量は急速に小さくなると
いうことが示されたのである。
これらのデータに基づき,爆心地からの距離を100m間隔とし,積算線量も8
時間ごととして,広島・長崎それぞれに残留放射線量を算定して作成されたのが,
審査の方針における別表10である。
したがって,審査の方針における残留放射線による被曝線量の算定は正当である。
(ウ)放射性降下物
広島における原爆は,ウランの核分裂により連鎖反応を起こさせたものであった
が,ウランの核分裂の結果,放射性の核分裂生成物が生じた。これらの多くは火球
とともに上昇し,上層の気流によって広範囲に広がったものと考えられる。核分裂
生成物の多くは,高度の放射能を有するが短寿命核種であって,放射能は急速に減
衰するため,核分裂生成物が爆発から数時間後に降下するかどうかが人の被爆に関
係してくる。
そこで,放射性降下物についても,被爆者に最大でどの程度の被曝線量を与える
かを把握するため,DS86の策定時に線量評価がされた。
広島及び長崎の原爆による降下物の量は,爆発後に両市で行われた線量測定によ
り比較的正確に推定することができるところ,上記の研究において,放射性降下物
は,広島では己斐,高須地区,長崎では西山地区に特に多くみられることが確認さ
れた(「広島および長崎における残留放射能」,乙全17号証)。このことは,こ
れらの地域がいずれも爆心地から約3㎞風下に位置し,かつ,これらの地域におい
ては爆発の30分ないし1時間後に激しい降雨があったことに対応するものである。
そして,上記両地域において,被爆後数週間から数か月の期間にわたり,数回の
線量率の測定が行われ,それらの測定値から爆発1時間後の線量率を推定し,任意
の時間内における積算線量が求められた。
その結果,爆発1時間後から無限時間までの地上1mの位置での放射性降下物に
よるガンマ線の積算線量は,広島の己斐,高須地区においては1ないし3R(レン
トゲン)(0.006ないし0.02Gy),長崎の西山地区で20ないし40R
(0.12ないし0.24Gy)と推定された。
なお,上記積算線量は,爆発1時間後から無限時間まで当該地域に居続けた場合
を仮定して得られた積算線量であるから,誘導放射能による積算線量と同様,実際
の被爆者の放射性降下物による被曝線量はこれより大幅に低下することになる。
これらの結果を踏まえ,審査の方針は,放射性降下物による被曝線量については,
「原爆投下の直後に特定の地域に滞在し,又はその後,長期間に渡って当該特定の
地域に居住していた場合について定めることとし,その値は次のとおりとする。」
と定め,当該特定の地域については,己斐又は高須(広島),西山3,4丁目又は
木場(長崎)とし,被曝線量は,それぞれ,0.6ないし2cGy(センチグレイ),
12ないし24cGyとしている(なお,自然放射線による被曝線量は,46年間の
積算で約3rad(3cGy)とされており,広島での己斐,高須地区での上記放射性降
下物による積算線量を上回るものである。)。
したがって,審査の方針における放射性降下物による被曝線量の算定は,正当で
ある。
イ原告らの挙げる調査結果等に対する反論
ところで,原告らは,遠距離被爆者や入市被爆者に急性症状がみられたとする調
査結果や「黒い雨」に関する調査結果等を根拠に,以上の審査の方針における放射
性降下物及び誘導放射能による被曝線量の算定を批判するので,以下において,こ
れに反論する。
(ア)於保論文(甲全7号証)が被爆による急性症状を的確に把握していたとは考
え難いこと
a於保論文は,①広島原爆の直接被爆者又は非被爆者のうち原爆の直後爆心地
から1.0㎞以内の地域に入り,10時間以上滞在した人々が急性原爆症を起こし
ており,これは原爆の残留放射能によるものと考えられ,その症状も軽くはなかっ
たこと,②原爆1か月後中心地付近に出入した非被爆者にはその後急性原爆症を発
したものは殆んどなかったこと,③残留放射能が人体に障害を与えた期間はおおよ
そ1か月以内であり,原爆で二次的に生じた各種の同位元素が極めて半減期の短い
ものであったこと,以上のとおり結論づける報告をした。
bしかしながら,今日の放射線医学の進歩により,急性症状が生じる被曝線量
は,最低でも1Gy以上,脱毛が生じるのが頭部に3Gy以上,更に下痢が生じるのが
腹部に5Gy以上であることが明らかになっているところ,前記のとおり,原爆投下
直後の測定によれば,残留放射線の程度は,このような急性症状が生じるほどのレ
ベルのものではない。
cまた,一口に脱毛といっても,いろいろな症状及び発生原因があり,当時の
栄養状態や衛生環境を考えれば,10%ないし20%程度の国民が脱毛の症状を訴
えていたからといって,何ら不自然なことではない。発熱や下痢といった症状につ
いても,炎天下に,原爆投下後の市内を長時間歩き回ったり,作業をしたことによ
って,一時的に脱水症や熱中症を引き起こした可能性や,当時蔓延していた赤痢等
の感染症に罹患したために生じたと考えられるのであり,於保医師自身もその所見
が赤痢と同様であることを認めている。
d於保医師が,これらの症状をどの程度正確に把握し,調査したものかについ
ては判然としない。調査自体,原爆投下から10年以上経過した昭和32年1月か
ら7月に行われたものであり,広島市内の一定地域しか調査していない。あくまで
も本人からの聞き取り調査であり,客観的な診断を経たものではない。
また,於保論文の内容をみても,疫学的,統計学的な分析を踏まえたものではな
いことは明らかである。
そうである以上,於保論文が被爆による急性症状を的確に把握していたとは到底
考え難いというほかない。
(イ)濱谷分析は信頼性が極めて乏しく,急性症状と被爆距離の関係等に関する証
拠たり得ないこと
濱谷教授は,全国の被爆者約1万3000人を対象として昭和60年に実施され
たアンケート調査である「原爆被害者調査」を分析し,遠距離被爆者,入市被爆者
に急性症状がみられたことや急性症状があった人に健康状態の変化が多いという傾
向は,被爆距離によって変わるものではないなどと述べており,これを根拠として,
原告らは,遠距離被爆者や入市被爆者に原爆放射線に起因する急性症状がみられた
と主張する。
しかしながら,今日の放射線医学の進歩により,急性症状が生じる被曝線量は,
最低でも1Gy以上であることが明らかになっているところ,爆心地から3㎞の遠距
離被爆者や入市被爆者がそのような急性症状を生じさせるような程度の被曝をした
とは到底考えられず,濱谷分析が被爆による症状を正確に把握した結果であるとは
いい難い。このことは,以下に述べる点からも明らかであり,このような濱谷分析
は,信頼性が極めて乏しく,急性症状と被爆距離の関係等に関する証拠たり得ない
といわざるを得ない。
a濱谷教授の専門分野及びその調査の目的は社会学であり,濱谷分析において
「急性原爆症」などとされた症状は,医学的・放射線学的見地からなされた分析,
調査ではなく,被爆者の回答した症状についても,医学的な検討は全くされてはい
ない。また,濱谷分析において,原爆の影響で亡くなった者であると分類されてい
る者の中には,死亡状況が不明のものも,圧焼死のものも含まれている。
b濱谷分析の基となったアンケート調査の質問の内容は,被爆者の主観を尋ね
るものであり,また,必ずしも急性の症状でなくても回答してよいかのような印象
すら与えかねないものであって,医学的ないし疫学的に放射線起因性を判断するに
は適さない問いであった。
c濱谷教授が分析した「原爆被害者調査」は,被爆者に質問用紙を渡し,自由
に回答を記載させるという手法による調査であり,面接調査員がそれぞれの症状に
ついて詳細に確認をしていくという調査ですらなく,被爆者の回答の正確性を担保
するものは何もない。そのうえ,「原爆被害者調査」は,被爆後40年経過後にさ
れた調査であり,被爆者の記憶があいまいである可能性が高い。また,これらの調
査対象者には,被爆者手帳を持っていない者も含まれており,記憶を保持ないし喚
起する機会もなかったとも考えられ,そのような場合には,回答の正確性はより一
層低下するといい得る。さらに,調査時に被爆者が亡くなっている場合は,家族が
回答することになっており,そのような場合の回答の正確性は,極めて疑わしい。
また,急性症状自体の記憶の正確性の問題だけでなく,被爆地点(爆心地からの距
離)についての記憶の正確性にも問題がある。
d濱谷分析は,「あの日のできごと(今でも忘れられないこと,恐ろしく思っ
ていること)」などの7項目を選び,それに有効な回答をした者だけを選んで集計
するなど,その集計の仕方にも問題がある。
e小括
以上のとおり,濱谷分析の結果は,そもそも医学的・疫学的なものではない上,
基となるアンケート回答の正確性が担保されておらず,アンケートの質問及び集計
の仕方が適切でないことから,放射線による急性症状に関する調査としては,医学
的にも疫学的にも極めて信頼性の乏しいものであり,急性症状と被爆距離等に関す
る証拠とすることはできない。
(ウ)齋藤報告書は極めて恣意的な内容であること
a齋藤報告書の概要
齋藤報告書は,被団協2004年調査から,
①広島被爆者
②被爆時在住地が爆心地から4㎞以遠
③その後,広島市内(爆心地から2㎞以内)へ入市
④8月6日に見られた「黒い雨」の直接的曝露の経験なし
⑤昭和20年末ころまでに脱毛を呈したこと
の5基準をすべて満たす29名を取り上げ,8月16日に入市したものがいるこ
と,爆心地から1.8㎞離れた地点にも「脱毛」を訴えた者がいることから,昭和
20年8月半ば以降においても,広島市内(爆心地から約2㎞)一円が放射線被曝
急性症状である脱毛をもたらすような残留放射線の汚染環境であったと断じたもの
である。
b齋藤報告書は放射線被曝による脱毛の発症メカニズムをおよそ考慮しないも
のであること
(a)齋藤報告書は,「脱毛」を訴えた29名の入市被爆者の入市日や入市した地
点から,前記のような結論を導き出したものである。しかし,放射線の急性症状と
しての脱毛は,毛根が原爆放射線により損傷することによって生じるものであり,
内部被曝による場合には各毛根ごとに3Gy以上の被曝を与え得る放射能の集積が必
要であるところ,全身にそのようなレベルの被曝があれば,被爆直後から発熱,嘔
吐を生じ,脱毛,下痢とともに,著明な白血球減少を来たしたはずである。また,
呼吸や飲食等を通じて放射性物質が体内に取り込まれたとしてもことさら頭皮(毛
根部)のみにこれが集積することもあり得ない。
(b)そもそも,脱毛にはいろいろな症状及び発生原因があり,原爆が投下された
昭和20年当時の広島・長崎の悲惨な状況下では,極度の精神的ストレスや感染症,
栄養障害等の理由から多少の脱毛がみられたとしても何ら不自然なことではない。
(c)また,齋藤報告書が基礎としている被団協2004年調査は,平成15年5
月の被団協新聞の折り込みで,「遠距離被爆者・入市被爆者実態調査」を依頼し,
被爆者から寄せられた回答を集計したものであるが,およそ60年前の記憶を呼び
起こすことを要するものであり,その正確性や信頼性にはかなりの疑問があるとい
わなければならない。また,自己申告のアンケート調査を医学的な検討に供するた
めには,少なくとも症状を訴えた者についてその内容をさらに詳細に調査するなど
して,アンケート調査の限界を克服することが必要であるが,被団協2004年調
査にはそれがない。
(d)以上によれば,齋藤報告書は,客観性に乏しいアンケート結果に基づき,そ
の症状の程度や内容も明らかではない「脱毛」の訴えを,ことさら,原爆放射能の
急性症状と決め付け,「8月半ば以降においても,広島市内一円は残留放射能の汚
染環境であった」と断じたものであるが,脱毛の発症メカニズムをおよそ考慮しな
いものであり,失当である。
c齋藤報告書が検討対象集団とした29例の選択は不適切であること
齋藤報告書は,対象集団29例がすべて上記a⑤の昭和20年末ころまでに脱毛
を呈したことという基準を満たしているとする。
しかし,齋藤報告書の対象集団は,そのほとんどが脱毛の発症時期が明らかでは
ない上,脱毛が発症していない者や昭和21年以降に発症している者を含み,さら
に,医学,放射線生物学の見地からは発症時期からして放射線被曝による急性症状
には当たらないものも含まれており,その対象の選択が不適切であって,齋藤報告
書の科学的客観性には疑問があるといわざるを得ない。
d齋藤報告書は,脱毛群と非脱毛群の相違を考察していないこと
齋藤報告書は,約280名の入市被爆者のうち,脱毛を含む上記aの①ないし⑤
の基準を満たすとする29名の対象集団の入市行動等を検討しているが,非脱毛群
の検討が行われておらず,それらが原爆放射線の急性症状であると決め付けている
だけであり,具体的に非脱毛群との比較を行い,差異がある要因の有無の調査・検
討をした結果として放射線被曝を対象集団の脱毛の原因であるとしているわけでは
ない。
e齋藤報告書は入市日ごとの脱毛の出現率を比較していないこと
齋藤報告書は,被爆当日(昭和20年8月6日)や翌日(同月7日)の入市者に
おいては,脱毛症状は珍しくなく,一方,それ以降の入市日で,脱毛事例が減少し
ており,残留放射線の経時的減衰の反映であると解されるから,入市被爆者の脱毛
症状は,これまでの被告らの主張であるストレスや栄養失調に由来するとの考え方
では,説明が困難であるとする。
しかし,同月6日及び7日に入市した者に脱毛が多く生じ(脱毛の出現率が高
い),同月8日以降に入市した者に脱毛は少ない(脱毛の出現率は低い)というた
めには,各入市日ごとの入市者の総数が何名であったのかを集計した上で,各入市
日ごとの脱毛の出現率を算出し比較しなければならないはずであり,アンケートを
募集しそれに応じてきた者の中での絶対数を比較することに意味はない。
(エ)「黒い雨」に関する原告らの主張は失当であること
a残留放射線の線量評価は適切に行われていること
(a)原告らは,原爆投下直後にみられたいわゆる「黒い雨」の影響をことさらに
強調し,原爆放射線の人体影響については,初期放射線による外部被曝だけではな
く,放射性降下物や誘導放射能による被曝,とりわけ体内被曝が深刻かつ重大な要
素になっているのであり,これを無視する線量評価は明らかに誤りがあるなどと主
張する。
(b)しかしながら,被爆直後から放射性降下物の影響については十分な調査が行
われ,審査の方針にもそれが反映されているものである。放射性降下物は,広島で
は己斐,高須地区,長崎では西山地区に特に多くみられることが確認されたが,そ
れでも爆発1時間後から無限時間までの放射性降下物による積算線量は,前記のと
おりごくわずかである。これらの残留放射線量が初期放射線量に比してかなり低い
のは,時間とともに急速に低下するという放射能の性質によるものであり,自明の
事柄というべきある。この程度の放射線量であれば,放射線医学の常識に照らして
も,人体に影響を及ぼすほどのものでないことは明らかである。
(c)原告らは,「黒い雨」及び「黒いすす」を放射性降下物と同視しているよう
であるが,原爆直後にいわゆる「黒い雨」が見られたのは,火災によるすすが捲き
上げられ,雨と一緒に降下したことによるものであり,このすすと,原爆の核分裂
によって生成された放射性物質(放射性降下物)とは必ずしも同じものではない。
すなわち,己斐又は高須地区等に降った「黒い雨」及び「黒いすす」には放射性降
下物が含まれていたことが調査結果により推定できるのであるが,それ以外の地区
に降った「黒い雨」及び「黒いすす」に放射性降下物が含まれていたことは,調査
結果によっても何ら裏付けられてはいない。
(d)「審査の方針」においては,誘導放射線による被曝線量及び己斐又は高須地
区等についての放射性降下物による被曝線量を考慮しているところ,己斐又は高須
地区等「審査の方針」に規定された地区以外での放射性降下物による被曝線量及び
体内被曝による被曝線量を考慮していないのは,それらが原因確率の判断に当たっ
ては影響しないようなごく微量にすぎないからである。
b放射性降下物の影響を受けた地域を広げようとする原告らの主張には根拠が
ないこと
(a)原告らは,広島原爆の黒い雨の降雨域は,宇田らが1953年に報告した
「宇田雨域」とされてきたが,被爆者の中から「宇田雨域」以外でも黒い雨が降っ
ていることが指摘されるようになり,これらの指摘をふまえ,増田が平成元年に発
表した増田雨域は,宇田雨域のほぼ4倍に相当するものであったと主張する。
(b)しかしながら,気象シミュレーション法を用いて推定した長崎の降雨地域は,
これまでの物理的残留放射能の証明されている地域と一致することが確認されてい
る。増田らが調査した降雨域は,原告らが主張するような経緯に照らしても,客観
性のあるものかは相当疑わしいといわざるを得ない。すなわち,増田論文自体が記
載しているように,同論文の基礎とした資料には,「原爆投下直後から,43年近
く経った現在までのものが混在して」おり,宇田雨域が健康診断特例地域に指定さ
れてからは,地域指定を求める運動と関連して降雨を過大に報告する傾向が強くな
ったものというべきである。
c「黒い雨に関する専門家会議報告書」(乙全20号証)の内容に不合理な点
もないこと
原告らは,「黒い雨に関する専門家会議報告書」に多くの問題があると主張する。
しかしながら,原告らの主張は,以下のとおり失当である。
(a)「キノコ雲」の高度推定に不合理な点はないこと
原告らは,「黒い雨に関する専門家会議報告書」における原爆雲の雲頂高度,横
径の推定が改ざんされた写真によるものであると主張する。
しかしながら,同報告書の資料編(54頁)の写真は,撮影現場でトランシットを
用いて地形や建造物の仰角を測定することで,写真上の距離と実際の角度(高度)
との関係を検証するため,爆発後40ないし60分後の写真の中から,原爆雲の全
体と,現在に至っても変形していない地形や建造物が写っているものとして,「広
島原爆戦災誌」第3巻口絵の写真(乙全45号証)を用いたものである。原告らが
改ざんしたと主張する部分は,印刷物を作成する段階において,写真の下方及び左
方がトリミング処理されてしまったことによるものにすぎず,黒い雨に関する専門
家会議は,平成5年1月5日,同部分を差し替え訂正している(甲全86号証の1
4)。なお,写真上の高度の測定は,トリミング前の写真を用いて測定されており,
上記印刷上の問題は推定された雲頂高度や横径に影響するものではない(乙全11
6号証)。
(b)「火災の燃焼率」に不合理な点はないこと
原告らは,吉川論文における燃焼率が適切でなかったなどと主張する。
しかしながら,原爆の熱線により広域に同時着火するという原爆直後の火災の性
質からすれば,吉川論文の燃焼率は合理的であり,黒い雨に関する専門家会議にお
いても是認されているものである。
なお,仮に原告らの主張するように燃焼率を与え直して再計算すると,積雲の発
達が遅れ,放射性降下物の落下はむしろ減少することになる。
(c)「雨量分布図」は必要でないこと
原告らは,吉川論文においては,シミュレーションによる雨量分布図と宇田雨域,
増田雨域との関連がどうなっているか示されていないと主張する。
しかしながら,吉川論文は,放射性降下物の降下分布を推定したものであって,
降雨地域を求めたものではないから,雨量分布図を示す必要はない。
(5)審査の方針において内部被曝による被曝線量を算出していないことが正当で
あること
ア内部被曝の概要
内部被曝とは,呼吸,飲食等を通じて体内に取り込まれた放射性物質による被曝
のことを指す。
DS86開発時においては,放射性降下物が最も多く堆積した地域である長崎の
西山地区の住民について,セシウム137による内部被曝線量の推定がされた。そ
の結果,昭和20年から昭和60年までのこの地区における内部被曝による積算線
量,すなわち40年間分の内部被曝線量の総計は男性で10mrad(ミリラド)(0.
01cGy),女性で8mrad(0.008cGy)と推定された。
審査の方針においては,内部被曝による被曝線量を特に検討対象としていない。
これは,上記のとおり,内部被曝による被曝線量を最大限に見積もったにしても0.
01cGy以下とごく微量であり,自然放射線による年間の内部被曝線量と比較して
も格段に小さく,審査時の線量推定時に考慮を要しないと判断されたことによるも
のである。
したがって,審査の方針が内部被曝による被曝線量を放射線起因性の判断のため
の被曝線量として考慮していないことは正当である。
イ原爆の残留放射能による内部被曝が人体に影響を及ぼすとは考え難いこと
(ア)被爆者の内部被曝線量は自然放射線による被曝線量と比較しても非常に少な
いこと
内部被曝を評価する上で着目すべき放射性核種は,原爆の核分裂生成物(原爆
粒)であるセシウム137とストロンチウム90である(乙全30号証の1・2)。
誘導放射化された土壌や可燃物から生成される放射性核種の半減期は,アルミニ
ウム28が2.24分,マンガン56が2.58時間,ナトリウム24が15時間
と短く,長期にわたって体内に残留して内部被曝を継続することはない。
長崎原爆では,土壌中の放射性核種が他地域より高く検出された西山地区におい
て,セシウム137の降下量は,最も高い推定値でも900mCi(ミリキュリー)/
㎢,すなわち,1㎠当たり3.3Bqであったと推定されており,爆心地付近ではこ
の10分の1程度と考えられている。
一方,広島原爆では,放射性核種が高く検出された己斐,高須地区においても,
セシウム137の降下量は3から10mCi/㎢とされている。
また,核分裂によるストロンチウム90の生成量はセシウム137より少ないの
で,ストロンチウム90の降下量がセシウム137のそれを超えることはない。
そうすると,放射性核種によって最も高濃度に汚染された西山地区の被爆者が水
・食物・ほこりなどから摂取した放射性核種の量を一辺が10㎝の立方体の領域
(1リットル)として,その放射能はいずれの放射性核種についても330Bq以下
となり,国際放射線防護委員会(ICRP)の線量換算係数によると,セシウム1
37を1Bq経口摂取したときに肝臓の受ける線量(等価線量)の50年間の合計は
1.4×10Sv,ストロンチウム90では6.6×10Svであるから,330-8-10
ベクレル経口摂取した場合の肝臓の受ける線量の50年間の合計は,セシウム13
7が0.0000046Sv,ストロンチウム90が0.00000022Svとなる。
広島の,己斐及び高須地区以外の被爆者の被曝線量については,これらをはるか
に下回ることになる。
他方,人体が自然放射線によって受ける全身の被曝線量は年間およそ0.001
Svであり,50年間ではおよそ0.050Svとなる。すなわち,内部被曝による被
曝線量は,最大限に見積もったとしても自然放射線による被曝線量の10000分
の1以下にすぎない。
このように,原爆被爆者らの内部被曝による推定線量は,自然放射線による被曝
と比較しても,非常に少ないといえる。
(イ)体内に取り込まれた放射性核種は物理的崩壊により減衰するとともに,代謝
過程を経て排泄されること
さらに,セシウム137とストロンチウム90の半減期はそれぞれ約30年,2
9年であるが,体内に取り込まれた放射性核種は,その物理的崩壊による減衰だけ
でなく,各元素に特有の代謝過程を経て徐々に排泄される。
国際放射線防護委員会(ICRP)のモデルによれば,経口摂取されたセシウム
137はそのすべてが胃腸管から血中に吸収され,10%は生物学的半減期2日で,
90%は生物学的半減期110日で体外へ排泄されるとされている。これによると,
10年後には100億分の1以下に減衰することになる。
一方,ストロンチウム90は,経口摂取されたうち30%が消化器系を経由して
血中に注入され,残りは便として排泄されるとされている。ICRPのモデルによ
れば,血液に1Bq注入された場合,10年後には約8300分の1以下に減衰する
ことになる(石榑信人「内部被曝に関する意見書」,乙全30号証の1)。
また,内部被曝は原爆放射線だけでなく,一般人にも日常的に生じている事象で
あり(乙全121号証,122号証),その線量は原爆のものより,自然放射線に
よるものの方が多い。また,原爆投下時よりもその数年後から頻回に行われた大気
圏内核実験により,世界的規模で放射性降下物が蔓延し,それにより世界的に人間
の内部被曝が数年来にわたり増加したことがUNSCEARの調査でわかっている。
それにも関わらず,その期間での健康影響さえ認められていない。
また,医療によっても内部被曝を起こしている。すなわち,核医学の分野では放
射性核種を投与して,診断に役立てているが,それによって一定量の内部被曝を起
こしていることもわかっている(乙全54号証)。しかしながら,これで人体影響
がないことが医療では常識的に知られているので,日常の診療で行われているので
ある。
(ウ)ウラン235が内部被曝を引き起こしたとは考え難いこと
ところで,澤田教授ほか著「共同研究広島・長崎原爆被害の実相」(甲全5号
証・114頁),同教授の意見書(甲全51号証)及び証言には,広島原爆の原料で
あるウラン235の一部(約45kg)が未分裂のまま環境中に放出され,内部被曝
を引き起こしたかのような内容がある。
しかし,ウラン235の物理学的半減期は約7億年であるところ,広島において
ウラン235の残留が検出されたとの報告はなく,澤田教授の「そのほとんどが放
射性降下物になって降下したと考えられる。」との見解は,飽くまでも推測でしか
ない。
むしろ,原爆の核分裂直後に形成された火球の温度は,最高で摂氏数百万度に達
したとされていることから,約45kgのウラン235が未分裂のままであったにし
ても,それらは気化(蒸発)してしまったと考えるのが自然である。また,原爆の
爆発とともに爆発点に数十万気圧という超高圧がつくられ,周りの空気が大膨張し
て爆風となったとされていることから,気化したウラン235は,爆心地の近辺に
とどまることなく,原爆の激しい爆風で大気中に拡散し希釈されて流れ去ったもの
と考えられる。したがって,広島原爆における未分裂のウラン235が放射性降下
物として爆心地やその周辺に降下し,内部被曝を引き起こしたかのような主張は根
拠がない。
なお,ウラン235は物理的半減期が上記のように非常に長いものの,体内での
代謝が早いため,その生物学的半減期は15日であり(乙全32号証・45頁),こ
の点からしても,長期にわたって体内に残留して内部被曝を継続することはない。
また,澤田教授の意見書は,長崎原爆では,約1kgのプルトニウム239が核分
裂し,残りの約10kgが未分裂のままであったとしており,この点については,被
告らとしても,その可能性を否定するものではない。しかしながら,広島原爆同様,
未分裂のプルトニウム239は,摂氏数百万度の高熱の中で気化したと考えられる
こと,爆発点では超高圧が作られ,周りの空気が大膨張して爆風となり,気化した
プルトニウム239が,爆心地の近辺にとどまることなく,広範囲に拡散したと考
えられることからすれば,未分裂のプルトニウム239の多くは爆心地やその周辺
に降下・堆積したとは考え難い。なお,長崎では,未分裂のプルトニウム239が
西山地区において実測されているものの,同時にそれはごく微量のもので,健康に
対する影響を考えるには至らない程度であることも客観的に証明されている。
(エ)小括
以上のような科学的知見からすれば,放射性降下物によって継続的な内部被曝が
生じ,人体影響を生じるとは到底考えられない。
ウ内部被曝に関する原告らの主張に対する反論
(ア)外部被曝であろうと,内部被曝であろうと,受けた線量が同じであれば,人
体影響に差異はないこと
a原告らは,内部被曝は,外部被曝と人体影響の機序が異なり,局所的に細胞
レベルで極めて高線量の永続的な被曝をもたらすから,単純に低線量であるからと
いって,これを無視することはできないと主張する。
bしかしながら,外部被曝であろうと,内部被曝であろうと,受けた線量が同
じであれば,人体影響に差異はない。したがって,問題は,内部被曝によって,ど
れだけの線量の放射線を被曝したのかである。
ここで注意を要するのは,上記の「線量」は,積算線量(線量率(単位時間当た
りの線量)と時間の積)を指しているが,原告らが,「低線量であっても永続的な
被曝をもたらすから無視できない」という場合の「線量」は,線量率のことを指し
ていると考えられることである。原告らは,「低線量であっても永続的な被曝をも
たらすから無視できない」というのであれば,積算線量がどのくらいと考えている
のかを明らかにすべきであるが,これを明らかにしていない。この点からしても,
原告らの主張は失当である。
cそもそも,低線量被曝での健康影響は疫学的に困難である。問題とする線量
が低ければ低いほど,信頼できるデータを得るために必要な疫学調査の対象者数が
飛躍的に増加するからである。すなわち,UNSCEARでは固形がんの場合,疫
学的に有意な結果を得るための母集団の数は目的とする線量が0.1cGyでは10
億人,1cGyでも1千万人と疫学の実践的限界を大きく超える母集団が必要である
としている。低線量においては,このような規模の母集団をもつ調査でなければ,
その調査結果は事実上大きな不確実性(誤差)を含み,信頼性が低いものである。
しかしながら,原爆よりも多い自然放射線での内部被曝で健康影響が生じたとする
知見はいまだ存在しない。
dさらに,原告らは,内部被曝の場合は,放射線の線源となる微粒子が体内に
入ると,その周囲の細胞は,次々と放射線を浴びるので,「局所的には極めて高線
量の被曝をする」と主張し,組織ないし個体全体に均一に放射線の照射を受けた場
合と局所に集中的に放射線の照射を受けた場合とを比較すると,積算線量が等しく
ても,後者のほうが人体に与える影響が大きいと主張する。
しかしながら,このような考え方(ホットパーティクル理論)は,世界的に行わ
れた調査研究により否定されている。それは,原告らの主張のように,線源となる
微粒子が体内に入り,その周囲の細胞が集中的に被曝すると,細胞レベルで考えれ
ば,高線量を受けることになるので,それらの細胞だけが細胞死を来すことになる
が,1個の臓器や器官の組織を構成する細胞数は数百万から数千万個に上り,死ん
だ細胞の割合が少ないと,生存した細胞で代償されて臓器や器官の機能の低下が起
こらないからである。ホットパーティクル理論では局所的に強い被曝が起こるので,
健康影響もあり得るかのような考えもあるようであるが,そもそもこの理論は単な
る仮説にすぎず,科学的に実証する知見は一切存在しない。そして,この理論は最
近になって,科学的に否定されたのである。
e以上により,原告らが主張するような理論については科学的に実証されたも
のではなく,原告らの上記主張は失当というほかない。
(イ)内部被曝で脱毛が生ずるとは考え難いこと
原告らは,遠距離被爆者・入市被爆者に現れた「急性症状」は,残留放射能の内
部被曝によって説明できると主張する。
しかし,原爆放射線の人体影響としての脱毛は,毛根が原爆放射線により損傷す
ることによって生じるものであるところ,血液を通じて毛根を損傷するほどの放射
線影響を生じさせるには,各毛根ごとに3Gy(=300cGy)の被曝を与え得る放
射性核種の集積が必要である。そもそも遠距離被爆者・入市被爆者の被曝線量が
「急性症状」発現時に,内部被曝も含めて3Gyに達したことをうかがわせる証拠は
なく,科学的な知見からもそのようなことはあり得ないのであり,まして,それが
各毛根に集積したという根拠もないのであるから,およそ内部被曝によって脱毛が
生じることはあり得ない。原告らの主張によれば,呼吸や飲食等を通じて体内に取
り込まれた放射性物質がことさら頭皮(毛根部)に集積することが前提となるが,
そのような科学的知見は存しないのであって,原告らの上記主張は,何ら科学的根
拠に基づくものではない。
(ウ)増田が行ったのは雨域の調査であって,健康被害の調査ではないこと
原告らは,増田の調査のなかでも放射能の影響と思われる疾病を訴える人が報告
されている上,静間論文は,増田雨域に放射能の影響があったことを示していると
主張する。
しかし,増田が行ったのは雨域の調査であって,健康被害の調査ではない。
その調査の過程で現れた「放射線の影響と思われる疾病」については,医学的な
検討を経たものではなく,そこで訴えられた症状が果たして真実「黒い雨」による
ものであったのか,そして原爆放射線の影響によるものであったのか否かはまった
く明らかでない。
(6)審査の方針における原因確率による放射線起因性の判断方法が合理的である
こと
ア放影研における疫学調査及び審査の方針における原因確率による放射線起因
性の判断
放影研は,これまでに述べてきた線量推定方式等により得られた広島及び長崎の
被爆者の線量推定値を基礎に,調査によって得られたデータの検討を行い,疾病を
発症した被爆者のうち,放射線によって誘発された疾病の割合がどの程度と見られ
るのかを疫学的方法を用いて算出した(リスク推定値)。
そして,審査の方針においては,確率的影響による疾病につき,放影研の算出し
たリスク推定値を基に,被曝線量,申請に係る疾病等,性別,被爆時の年齢を要因
として,申請に係る疾病の発生が,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると
考える確率(原因確率)を算定し,これを目安として,当該申請に係る疾病等の
(原爆)放射線起因性に係る「高度の蓋然性」の有無を判断することとしている。
このように,審査の方針が,原因確率によって放射線起因性を判断するとしてい
ることは,放影研における疫学調査を基礎に最新の科学的知見を踏まえたものであ
って,科学的合理性がある。
また,審査の方針が,上記のとおり,原因確率による推定をした上,既往歴等も
総合的に勘案した上で,個別の申請疾患について放射線起因性を判断することとし
ていることは,被爆者援護法の趣旨から正当である。以下詳述する。
イ放影研における疫学調査
放影研による被爆者に対する疫学調査は,ABCCによって始められたものであ
り,放影研がこれを引き継いでいる。
ABCCの調査は,昭和25年当時に広島・長崎のいずれかに居住していた約2
0万人を「基本群」とし,この「基本群」から選ばれた副次集団について行われた。
(ア)寿命調査集団
当初の寿命調査集団は,「基本群」に含まれる被爆者の中で,本籍が広島又は長
崎にあり,昭和25年に両市のいずれかに在住し,効果的な追跡調査を可能とする
ために設けられた基準を満たす被爆者の中から抽出され,爆心地から2000m以
内で被爆した者全員から成る中心グループ(近距離被爆者),爆心地から2000
ないし2500mの区域で被爆した者全員から成るグループ,近距離被爆者の中心
グループと年齢及び性が一致するように選ばれた爆心地から2500ないし1万m
の区域で被爆した者のグループ(遠距離被爆者),近距離被爆者の中心グループと
年齢及び性が一致するように選ばれた1950年代前半に広島・長崎に在住してい
たが原爆投下時は市内にいなかったグループに分けられた。
その後,寿命調査集団は,1960年代後半に拡大され,爆心地から2500m
以内において被爆した「基本群」全員を対象とし,昭和55年には更に拡大され,
「基本群」における長崎の全被爆者を含むものとされ,今日では,爆心地から1万
m以内で被爆した9万3741人と,原爆投下時市内不在者2万6580人の合計
12万0321人となっている。
爆心地から1万m以内で被爆した9万3741人のうち,8万6632人は,D
S86により被曝線量の推定値が得られているが,7109人については,建物や
地形による遮蔽計算の複雑さや不十分な遮蔽データのため被曝線量の推定値が得ら
れていない。
なお,寿命調査集団には,1950年代後半までに転出した被爆者(昭和25年
国勢調査の回答者の約30%),国勢調査に無回答の被爆者,原爆投下時に両市に
駐屯中の日本軍部隊及び外国人は含まれていない。
(イ)成人健康調査集団
成人健康調査集団は,寿命調査集団の副次集団であり,2年に1度の健康診断を
通じて疾病の罹患(発生率)とその他の健康情報を収集することを目的として設定
された。成人健康調査集団は,当初,寿命調査集団から抽出された1万9961人
で構成され,昭和52年以降,新たに寿命調査集団のうちT65Dによる推定被曝
線量が1Gy以上である被爆者のグループや遠距離被爆者,胎内被爆者から成るグル
ープを追加して拡大し,合計2万3418人の集団となった。
(ウ)早期入市者に対する調査
放影研が,早期入市者について疫学調査を行ったところ,1950年ないし19
66年の間の調査では,早期入市者においては,被爆者(原爆投下時に市内にいた
者)のみならず,後期入市者に比しても死亡率が相対的に少なく,早期に市内に入
ったことのために死亡率の増加があった形跡がなく,早期入市者の死亡率は全国の
平均死亡率と比べても有意な差はなかった。
その後,新たに低線量を被曝したと推定される長崎の被爆者を加えて調査したも
のの,いくつかの死因について被曝線量0radの者より有意に低い死亡率を示すこ
とが示唆されたため,1970年代後半以降,早期入市者を含む市内不在者群は,
線量反応の解析からは除外されることになった。以上の調査結果によれば,早期入
市者について,被爆によるリスクがあるとはいえないのであって,現時点において
は,早期の入市被爆者につき,原爆放射線に起因して健康被害が発生したことを裏
付ける調査結果を見いだすことはできない。
ウ放射線による発がん影響の評価法(絶対リスク,相対リスク及び寄与リスク)
悪性腫瘍は,放射線による疾病のうち,確率的影響に分類される。したがって,
被爆者が発症した悪性腫瘍に対する放射線の影響の評価は,疫学的な研究手法を用
いて被爆者集団を調査し,被曝群における発生頻度と対照群における発生頻度を比
較するという形や,低線量から高線量を被曝した被曝群において性,年齢等を考慮
した回帰分析を用い,単位線量当たりのリスクを評価する方法等で行われる。
放影研では,リスク評価として絶対リスク,相対リスク及び寄与リスクという指
標を用いている。
(ア)絶対リスク(AR:AbsoluteRisk)
絶対リスクとは,観察期間中に,集団中に生じた疾病(死亡)の総例数又は率で
ある。なお,リスクを示す場合,通常,1万人年(人年は,人数と観察年数の積を
表す単位)当たり,あるいは1万人年グレイ当たりで表されることが多い。
(イ)過剰絶対リスク(EAR:ExcessAbsoluteRisk,リスク差,寄与リスク,寄
与危険,超過リスクなどともいう。)
過剰絶対リスクとは,被曝群と対照群の絶対リスクの差であり,放影研の疫学デ
ータでは放射線被曝集団における絶対リスクから,放射線に被曝しなかった集団に
おける絶対リスク(自然リスク,つまり放射線以外の原因によるリスク)を引いた
ものを意味する。
(ウ)相対リスク(RR:RelativeRisk,相対危険度,リスク比ともいう。)
相対リスクとは,被曝群と対照群の死亡率(あるいは発病率)の比をいう。
(エ)過剰相対リスク(ERR:ExcessRelativeRisk)
過剰相対リスクとは,相対リスクから1を引いたもので,調査対象となるリスク
因子によって増加した割合を示す部分をいう。
(オ)寄与リスク(ATR:AttributablRisk,寄与リスク割合,寄与危険割合,寄
与割合ともいう。)
被爆者は,当然放射線以外の発がん要因にも曝露されているので,被爆者に発症
したがんのうち,放射線によって誘発されたがんの割合を推定する必要があるが,
この割合を寄与リスクと呼んでいる。審査の方針において用いられている原因確率
の値はこの寄与リスクの値に由来している。
エ低線量域リスクの推定
低線量域でのリスクを推定するためには,高線量域での疫学調査データから線量
反応関係のかたちを推定し,それをモデルとして低線量域のリスクを推定するのが
一般的であり,通常,①線形にリスクが増加する直線型,②線量の2乗に比例して
増加する二次曲線型,③その中間となる直線−二次曲線型の3つのモデルが使われ
ており,一般的に低線量域でのリスクの推定は,白血病では直線−二次曲線型,白
血病以外のがんでは直線型に適合すると考えられている。
オ寿命調査集団におけるリスクの算出方法
放影研における寿命調査集団を対象とする疫学調査報告では,放射線リスク評価
は,被曝線量の程度に応じて幾つかの群に分けた被曝群と対照群とを比較するので
はなく,「寿命調査第10報」(乙全12号証)以降,ポアソン回帰分析を用いて,
対照群をとらない内部比較法によりリスク推定を行い,単位線量当たりのリスクを
推定している。
回帰分析とは,予測したい変数である目的変数(この場合は特定疾病の死亡(罹
患)率)と目的変数に影響を与える変数である独立変数(この場合は被曝線量)と
の関係式(回帰式)を求め,目的変数の予測を行い,独立変数の影響の大きさを評
価することである。ポアソン回帰分析は,目的変数が,ポアソン分布に従うと仮定
して行う回帰分析法である。
ABCCが研究を開始した初期には,回帰分析法による統計解析ができなかった
が,統計解析法の進歩と,放影研における疫学調査が被曝線量0から高線量まで非
常に広範囲にわたり線量推定がされた集団を対象にした調査であったことから,回
帰分析法によるリスク推定ができるようになった。回帰分析法を用いた内部比較法
によると,曝露群と非曝露群の二種類しかない集団を比較する外部比較法と異なり,
放射線被曝以外の性,年齢等の要因が同様の曝露群同士を比較することができるほ
か,観察人数,疾病・死亡数や罹患数が十分であるため,曝露要因量における累積
死亡率(罹患率)を算出し,直接比較することができるのである。
このように,ポアソン回帰分析法による解析によって,0Svの場合と任意のSvの
場合の発症率(死亡率)の推定値を求めることができ,単位線量当たりの過剰絶対
リスク及び過剰相対リスクが求められるのである。
カ原因確率の評価
(ア)原因確率の意義
原因確率は,個人に発症した疾病とそれをもたらしたかもしれない原因との関係
を定量的に評価するための尺度である。リスクが集団における将来的な発生確率を
予測しているのに対して,原因確率は,個別の案件における特定の結果があって,
遡及的にある要因がその結果を引き起こしたと考えられる割合を意味する概念であ
る。
特定の被爆者に発症したがんについて考えると,当該被爆者は一般の非被爆者と
同様に放射線以外の発がん要因にも曝露されているので,がんが発生したとしても
一般人のように放射線被曝以外の要因でがんが発生した可能性も考えられる。そし
て,当該被爆者に発症したがんのうち,放射線被曝によって誘発されたがん発生の
割合が原因確率ということになる。
(イ)寄与リスクの基礎となった資料
前記のとおり,審査の方針における原因確率の基となったのは,児玉論文(「放
射線の人体への健康影響評価に関する研究」,乙全7号証)において算出された寄
与リスクの値である。当該論文において算出された寄与リスクは,白血病及び固形
がんについては,放影研のホームページにおいて公開されている死亡率調査,発生
率調査のデータを用いて算定した。
また,発生率調査は昭和33年から昭和62年までの結果を参照しているが,死
亡率調査はそれより11年間長く実施され,昭和25年から平成2年までの結果を
参照している。そして,公開されているカーマ線量と,死亡率調査の結果から白血
病,胃,大腸,肺がんの寄与リスクを求めた。しかし,甲状腺がんと乳がんは予後
の良好ながんで,死亡率調査より発生率調査のほうが実態を正確に把握していると
考えられるため,発生率調査の結果を用いた。
がん以外の疾病として,副甲状腺機能亢進症について寄与リスクを求めた。
(ウ)原因確率を設定した疾病
児玉論文において寄与リスク算出の対象となった疾病は,寿命調査及び成人健康
調査において,放射線被曝と疾病の死亡・発生(有病)率に関する論文が既に発表
されている疾病である。
(エ)寄与リスクを求める際の被爆時年齢及び被爆後の経過年数の影響
白血病及び固形がんの放射線による過剰死亡及び過剰発生は,性,被爆時年齢の
影響を受ける。このうち,白血病については,被爆後10年を発生のピークとして,
その後年数の経過とともに過剰相対リスクは急激に低下しているため,昭和55年
から平成2年までの間におけるデータに基づき算出した。固形がんについては,寄
与リスクは観察期間の平均を使用した。性差,被爆時年齢によって過剰相対リスク
に有意差があるがんについては,性別,被爆時年齢別に寄与リスクを求めた。
(オ)原因確率を参考とした原爆症認定審査は,放射線起因性の判断をする上で,
科学的合理性を有し,被爆者援護法の要請にも合致するものであること
a以上のような調査,研究を経て算出された寄与リスクに基づき,疾病,被爆
時の年齢,性,及び被爆時の爆心地からの距離や被爆当時の行動等から推定される
被曝線量を考慮の上,被爆者に発症した疾病のうち,放射線被曝によって誘発され
た疾病発症の割合を算出したのが原因確率である。これを疾病及び性に応じて,被
爆時年齢及び被曝線量ごとに表にしたものが審査の方針の別表1ないし8である。
原因確率は,放影研による疫学情報を基に,最新の科学的知見を踏まえて,個人
に発症した疾病とそれをもたらし得た原因との関係を定量的に評価するために作成
された尺度であって,その科学的合理性は明白であり,現在これ以上の科学的方法
は存在しないといっても過言ではなく,原爆症認定以外でも応用される確立した手
法である。そして,審査の方針は,この原因確率を基礎として,当該申請被爆者の
疾病について,放射線起因性を検討することとしているのであるから,被爆者援護
法の趣旨,規定,また,放射線起因性について,経験則に照らした上で高度の蓋然
性の立証が必要であるとしている平成12年最高裁判決に照らしても,その合理性
は明白である。
そして,放射線起因性の判断に当たっては,原因確率において示された数値を参
考に,申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等を総合考慮して個別的に起因性を
判断している。これは,原因確率の算出に当たっては,申請疾患,性別,被爆時の
年齢,及び被曝線量以外の要因を考慮しないため,原因確率は,厳密には,当該被
爆者の疾病が放射線に起因する可能性についての割合を直接示すものとはなってい
ないことから,原因確率から機械的に放射線起因性を判断することになれば,原因
確率の算出において考慮された上記要因以外の申請疾患に関する他の要因が除外さ
れてしまうこととなり,個別の事案において,放射線起因性が客観的に存する場合
を取りこぼしてしまうというおそれも否定できないことによるものである。そこで,
そのようなおそれを可及的に減らし,個別の申請疾患についての放射線起因性の判
断をより適切に行うため,申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等も総合考慮し
ているのである。
b本件において問題となる疾患について
①放射線起因性は明確ではないが原因確率を適用して審査しているもの
甲状腺悪性リンパ腫,副腎腫瘍は,疫学調査においては放射線起因性がある旨の
明確な証拠はないが,その関係が完全には否定できないものであることにかんがみ,
同疾患の放射線起因性の判断は,放射線被曝線量との原因確率が最も低い悪性新生
物に係る審査の方針別表2−1によって算定される(審査の方針第1,2及び5,
1)参照)。
②その他
慢性腎不全,膵嚢胞症,多発性脳梗塞,限局性強皮症,嚢胞性膵腫瘍については,
確率的影響及び確定的影響のいずれにも当たらず,放射線起因性に係る肯定的な科
学的知見は立証されていない。審査の方針においては,このような疾患に対しても,
放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないことに留意しつつ,申
請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して判断するも
のとされている。
キ原告らの主張に対する反論
(ア)原因確率が10%未満である場合に,放射線起因性が低いと推定することは,
何ら不合理ではないこと
原告らは,原因確率が50%を越えれば起因性を特に否定すべき事情の存否を,
10%未満であれば起因性を特に肯定すべき事情の存否を主として検討するのは不
当であるなどと主張する。
審査の方針においては,原因確率がおおむね10%未満の場合は,放射線起因性
が低いものと推定する旨定められているが,その文言から明らかなように,直ちに
放射線起因性がないとの判断を要求するものではない。審査の方針は,原因確率を
機械的に適用して判断するのではなく,原因確率の算定において要因とされていな
い既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案するとして,個別具体の申請疾患に
関する放射線起因性の判断を適切に行うこととしているのである。したがって,原
告らの上記主張は,審査の方針について正解しない失当なものである。
被曝線量,申請疾患,性別,被爆時の年齢から算定される原因確率がおおむね1
0%未満である場合に,放射線起因性が低いと推定することは,何ら不合理ではな
い。原因確率は,申請疾患についての放射線起因性を直接判断するものではなく,
あくまでも一般的傾向を示すものであって,その値が,おおむね10%未満である
ということは,仮に,被曝線量,申請疾患,性別,被爆時の年齢が同一の申請者が
100人いた場合に,おおむね90人は客観的に放射線起因性がないということを
意味するからである(100人すべてに10%ずつ放射線による影響があるという
ことではない。)。むしろ,放射線起因性が低いと推定する値をおおむね10%未
満としていることは,申請者を切り捨てるどころか,むしろ,その段階においては,
「高度の蓋然性」を緩和して,可及的に原爆症の認定をしようとするものである。
(イ)放影研の疫学調査に調査集団の設定の誤りがあるとはいえないこと
原告らは,放影研の疫学調査について,比較対照群として非曝露群の設定をして
いない等,調査集団の設定に誤りがあると主張する。
しかし,原告らがこの点について主張するところは,いずれも失当である。
a原告らは,放影研では,低線量被曝者を非被爆者(非曝露群)として設定し
て,曝露群同士を比較し,曝露群のみのコホート追跡をしている,その結果リスク
を過小評価することになる等と主張する。
しかし,放影研における調査研究では,ポアソン回帰分析を用いて,対照群をと
らない内部比較法によりリスク推定を行っており,対照群の選定に誤りがあるとの
主張は,前提において失当であり,内部比較法は一般に有用性が認められており,
確立した手法でもあって,放影研の疫学調査は,世界的にも有用性が認められてい
るものである。
また,被告らも,ポアソン回帰分析によって,被曝線量0のときの死亡(罹患)
率と任意の曝露要因量での死亡(罹患)率の増加割合を推定しているのであって,
低線量被曝者等の被曝総量を0とみなしているわけではない。
bまた,原告らは,当初ABCC及び放影研が,非曝露群を対照群(コントロ
ール群)として設定することを前提として疫学調査を設計し,いわゆる市内不在者
を対照群(コントロール群)として扱っていた時期もあったと指摘する。
確かに,放影研では,NIC(市内不在者群)との比較や日本人全体の死亡率を
利用して外部比較法に基づく解析も行っていたが,①NIC(市内不在者群)は,
被爆者群とは社会学的条件に差があること,②日本人全体の死亡率を利用して期待
死亡数を算出すると,被爆という要因がない場合の死亡率(バックグラウンド)が
都市によって異なるため,大きなバイアスを生ずる可能性があることなど,非曝露
群における曝露因子以外の要因の分布が曝露群と大きく異なる可能性が指摘されて
内部比較法のみ用いるようになったものである。曝露因子(放射線被曝)の影響を
調べる場合,これ以外の要因ができるだけ異ならないことが望ましいが,外部比較
法を用いた場合,上記のように曝露因子以外の要因の分布が大きく異なることが少
なくなく,内部比較法の方がすぐれているといえるのであって,原告らの上記指摘
は,原告らの主張を基礎づけるものとはならない。
cさらに,原告らは,低線量被曝のリスク,放射性降下物によるリスク,誘導
放射能によるリスク,内部被曝によるリスクを持った集団同士の比較をすることに
なるから,初期放射線以外の被曝のリスクの分だけ,原爆放射線のリスクが過小評
価されてしまう(オーバーマッチングが生じる)と指摘する。
しかしながら,そもそもオーバーマッチングは,本来,問題にしている疾病の有
無によって患者群,対照群を設定し,それぞれの群の過去の要因曝露の割合を比較
する症例対照研究において,交絡因子(症例対照研究において,調査対象とする疾
患に,調査対象とする曝露要因以外の原因が存在し,それが調査対象とする曝露要
因と関連しているときに偏りを生じさせる原因)の制御に失敗して対照群の設定を
誤った場合に検討されるべき問題であって,コホート研究における問題ではないか
ら,コホート研究によっている放影研の疫学調査に対する批判としては妥当しない
ものである。
また,放影研の疫学調査においては,ポアソン回帰分析によって曝露要因0(被
曝線量0)のときの死亡(罹患)率の値と任意の曝露要因量(任意の被曝線量)で
の死亡(罹患)率の増加割合を推定することによって,より正確な相対リスク等を
算出しているのであって,低線量被曝者等の被曝線量を0とみなして,これを被曝
群と比較させているものではないから,原告らの主張する過小評価の問題はそもそ
も生じないものである。
(ウ)放影研の疫学調査に調査手法等の問題があるとはいえないこと
原告らは,放影研の疫学調査において,疫学調査の対象や調査手法等の問題があ
ると主張する。しかし,この点についての主張も,以下のとおり失当である。
a原告らはABCC及び放影研の疫学調査では,死亡調査を基本としているた
め,死亡に直結しない疾病が見落とされがちであると主張する。
しかし,放影研においては,「がん発生率・充実性腫瘍」という調査結果も使用
しており,死亡調査だけを基礎としているのではなく,失当である。
b原告らは,疫学調査の方法として,被爆後の行動を調べておらず,また,死
亡調査を基本としており,死亡に直結しない疾病が見落とされる等のおそれがある
と主張する。
しかし,残留放射線及び内部被曝による被曝線量がごく微量であることから,被
爆後の行動により被爆者を区別する必要はない。
c原告らは,調査開始時点で放射線の影響を受けにくい被爆者が選択された,
調査開始時期が原爆投下後5年経過した昭和25年であり,その以前の死亡は反映
されない,病気がちの者や,被爆によると思われる疾病に罹患した経験を持つ者は
被爆事実を申告しなかった可能性があり,見かけ上健康な被爆者のみが選択された
などから,ABCCと放影研の疫学調査には,調査結果のゆがみがあると主張する。
しかし,現時点において認定申請する被爆者は,原爆投下後5年経過時に生存し
ていた以上,当時の生存者を対象とした疫学調査によるリスクは,認定申請者にも
当然妥当するのであって,何ら問題はない。ABCC及び放影研が調査対象とした
寿命調査集団は10万人以上にも及び,また,成人健康調査集団も2万人程度であ
ることからすると,健康な被爆者のみが選択されたおそれは存しないのである。
d原告らは,DS86を用いることにより,初期放射線以外の持続的な外部被
曝や内部被曝が軽視されたり,遠距離での初期放射線の過小評価という曝露要因の
量的評価の誤りがあると主張し,また,初期放射線による一瞬の外部被曝と残留放
射線による持続的な外部被曝,さらには体内に摂取した放射性物質による局所集中
的な長期の内部被曝では,被曝や人体への作用の機序が大きく異なるから,曝露要
因を別にすべきであったと主張する。
しかし,初期放射線以外の残留放射線等による持続的な外部被曝や内部被曝の被
曝線量がごく微量であることは前記のとおりであって,量的評価に誤りがあるとす
ることはできない。
(エ)DS86の策定に当たっては残留放射線についても可能な限りの検討が行わ
れたこと
原告らは,内部比較法を取る前提条件として,任意の曝露群内の被爆者の被曝線
量が正しくなければならないとし,DS86の推定被曝線量が実測値と一致してい
ないとか,放射性降下物の影響や誘導放射線の影響についてほとんど考慮されてい
ないと主張する。
しかしながら,DS86の推定被曝線量が実測値とよく一致していることについ
ては既に述べたとおりであり,以下のとおり,DS86は残留放射能を十分考慮し
ている。
DS86は,原爆の出力,ソースタームを前提に,空気中カーマ,遮蔽カーマ及
び臓器カーマの計算モデルを統合し,被爆者の遮蔽データを入力して線量を計算す
るシステムであるが,DS86の策定に当たっては残留放射線についても可能な限
りの検討が行われたのである。
すなわち,DS86報告書では一つの章を割いて(DS86報告書の日本語版で
ある「原爆線量再評価」第6章,乙全16号証),残留放射線に関する詳細な検討
を加え,広島と長崎のそれぞれの状況に応じて放射性降下物及び誘導放射能による
被曝線量の上限値を推定している。ただし,残留放射能による被曝線量は,初期放
射線に比べて非常に微量である上,残留放射能による被曝は,各被爆者の行動等に
よって大きく変動するなど不確定な要素が大きく,一定の定量値で線量を示すこと
が非常に困難であることから,DS86における残留放射線の検討は,前記のとお
り,最大限で見積もった累積線量での評価となり,初期放射線について行ったよう
な,線量評価のための基準を構築することができなかったにすぎない。DS86は,
被爆による健康影響を検討するために被爆者の疫学データベースを構築することを
目的としており,そのために正確な被曝線量を算定することが要求されていること
から,DS86では残留放射線について検討をした結果,結局,初期放射線とは別
に取り扱うこととしたものである。
したがって,原告らの上記主張はDS86を正解しないものであり,失当である。
(オ)線量反応関係における線形の仮定が不合理ではないこと
原告らは,内部比較法及びポアソン回帰分析によって算出されるバックグラウン
ドリスクは,回帰直線すなわち低線量域においても直線の線量反応関係があること
を前提とするものであるが,被曝線量が0に近づくと単位線量当たりの疾病発生率
が急激に低下する傾向があることは否定できないのであり,曲線の線量反応関係を
想定すべき可能性もあり,この場合,バックグラウンドリスクは当然小さくなると
主張する。
しかしながら,被曝線量が0に近づくと単位線量当たりの疾病発生率が急激に低
下する傾向があるとの主張には,何らの科学的根拠も示されていない。一方で,線
量反応関係を検討する際に線形の線量反応関係を仮定することについては広く認め
られており,回帰分析で得られた線量反応関係は統計学的解析によってその信頼性
が確証されているのである。
したがって,裏付けのない原告らの上記主張は失当である。
(カ)原因確率は正しく把握されていること
原告らは,バックグラウンドの推定に関し,DS86による線量の過小評価や中
性子線の生物学的効果比が考慮されていないとし,一定のモデルケースを挙げて,
被曝線量体系に一律の線量の過小評価があれば,それを是正することによって必然
的に原因確率は上昇すると主張する。
原告らがDS86には線量の過小評価がある,すなわち,実際には被爆者の被曝
線量はもっと高いはずであると主張する根拠は,放射性降下物,内部被曝や初期放
射線における遠距離の推定線量の点にあると思われるが,既に述べたとおり,これ
らに関する原告らの主張は失当である。また,上記主張は,以下のとおり,原因確
率についての不正確な理解に基づくものである。
すなわち,仮に推定被曝線量の絶対値が,生物学的効果比を用いる(正確には生
物学的効果比を参照して設定された放射線荷重係数で補正する)ことなどによって
増加したとしても,一定線量のコホートである原爆被爆者群において観察される疾
病発生や死亡といった事象には変更が生じないのであるから,調査対象である個々
の被爆者の推定被曝線量が増加するということは,単位線量当たりの過剰相対リス
クが減少するだけである。したがって,個々の被爆者の被曝線量の絶対値の増加は,
単位線量当たりのリスクの減少と相殺され,結果として個々の被爆者の被曝線量に
おける過剰相対リスクの値や,その線量での寄与リスクの値はほとんど変化しない。
また,等価線量を用いることによって増加した被曝線量値(単位シーベルト)を,
吸収線量(単位グレイ)を用いて算出した寄与リスクに単純に当てはめて数値が増
加しても,それは寄与リスクが増加したことを意味しない。それぞれの線量を用い
たリスク評価は別々に行わねばならず,ある線量を用いて行われたリスク評価に他
の線量を当てはめてはならない。原告らは,被曝線量が増加すると仮定した場合や,
等価線量を用いた場合に必要となるこれらの補正をすることなく,単純に増加した
と仮定する数値を当てはめて原因確率が上昇すると主張するものであり,失当であ
る。
(キ)被爆者の健康診断ないし治療を行うに当たって考慮すべき事項を定めた通知
は,原因確率を参考とした放射線起因性の判断を不当とする根拠とはならないこと
a原告らは,旧厚生省公衆衛生局長通知である実施要領や,治療指針を自らの
主張の根拠とするようであるが,以下に述べるとおり,これらの通知の性質や内容
を正解しないものである。
bこれらの通知は,その記載内容をみると,被爆者の健康診断ないし治療を行
うに当たって考慮すべき事項を定めたものである。すなわち,医療の現場では,個
々の診療行為におけるささいなミスや見落としが受診者の生命・身体にかかわる重
大な問題となることから,医師は,たとえ確率が低く容易に起こりそうもないこと
であっても,常に最悪のケースを念頭において診療に当たるものであって,上記通
知もこのような考え方に基づき,被爆者であれば,どのような人も一律に放射線に
起因する何らかの健康障害を受けるわけではないが,それでも可能性は念頭に置い
て診療等にあたらなければならないという心構えのようなものを示したものである。
したがって,上記通知は,被爆者援護法における放射線起因性の判断に関し,その
証明の程度などについての解釈指針を示したものではなく,その根拠となり得る性
質のものではない。
また,これらの通知が発せられたのは,被曝放射線量の評価等について,暫定線
量であるT57Dが発表された直後であり,被爆者の健康調査についても,昭和2
0年の日米合同調査団や東京帝国大学による被爆者の実態調査の結果しか存在せず,
被爆の距離関係や被曝線量と被爆者の健康影響との関係が全く明らかでなかった時
代であった。上記各通知は,このような事情から発せられたものにすぎない。
その後,長期にわたる広範な疫学研究が積み重ねられ,被曝線量の評価も,T6
5D,DS86と進化しているのであるから,上記のような段階で発出されたこれ
らの通知を,現段階における放射線起因性の判断に関する証明の程度などの解釈根
拠とすることができないことは明らかである。
cなお,治療指針の「治療上の一般的注意」における上記記載に現れた考え方
は,現在,被爆者であって,原子爆弾の放射線の影響によるものでないことが明ら
かなもの以外の疾病にかかっている者に対して健康管理手当が支給される制度(昭
和43年創設)に引き継がれていることからみて,上記治療指針の記載が,原爆放
射線に起因している蓋然性が低い疾患まで原爆症として認定すべきことを示唆する
ものでないことは明らかである。
(ク)疫学的方法を活用して放射線起因性を認定をすることは何ら不合理ではない
こと
原告らは,個別申請者の疾病が放射線に起因する具体的な可能性を疫学的方法に
よって判断することが誤っているかのような主張をする。
しかしながら,このような主張は,医学的な機序が完全に判明していないが,放
射線による被曝が影響を及ぼす可能性があると認められる疾病について,疫学研究
による統計的解析を否定するに等しく,放射線起因性の判断を純粋に価値判断によ
って決すべきとするものとして失当というほかない。
(7)放射線起因性に関する立証について
原告らは,原爆症の認定に当たっては,被爆者が,放射線の影響があることを否
定し得ない負傷又は疾病に罹り,医療を要する状態になった場合には,放射線起因
性が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限り,その負
傷又は疾病は,原爆放射線の影響を受けたものとして原爆症の認定がなされるべき
であると主張する。
しかし,放射線起因性の立証の程度は,通常の民事訴訟と同様に,高度の蓋然性
の証明が要求されるものである(平成12年最高裁判決)。
このことは,被爆者援護法において,各給付等の趣旨・目的に従い,給付等ごと
に異なる要件が定められており,申請者側において主張・立証すべきものとされて
いる各要件のうち,一部要件に該当する事実について,訴訟上の証明の程度を緩和
するような趣旨の規定はなく,いずれの要件該当事実についても,訴訟上の証明の
程度は,裁判官が確信を得ること,すなわち高度の蓋然性が必要であることを当然
の前提としているのである。したがって,一部の要件について,各要件に該当する
事実の訴訟上の証明の程度を軽減することは,上記の要件の違いを設けた方の趣旨
・構造に反することになり,放射線起因性について,事実上であれ,立証の程度を
軽減することは許されない。
また,放射線起因性とは,原爆症認定申請者の被爆と申請疾病との間の個別的な
因果関係の存否であり,その究明に当たっては,原子物理学,放射線学,疫学,病
理学,臨床医学等の高度に専門的な科学的・医学的知見によらなければならず,こ
れらの知見が放射線起因性の判断に際し,専門的経験則として重要な地位を占める
のであって,放射線起因性の判断を科学的・医学的知見を離れて行うことはできず,
その判断に素人的,あるいは被爆者を保護すべきであるといった価値判断を入れて
はならない。
このことは,被爆者援護法11条2項が,原爆症認定に当たって審議会等の意見
を聞かなければならないと規定し,医学・放射線防護学等の知見を踏まえて判断し
なければならないことを示すとともに,処分時に判明している最新の科学的知見に
基づいて放射線起因性を判断すべきものとしていることからも明らかである。
したがって,放射線の人体に与える影響について未解明の部分があるとしても,
何ら科学的な裏付けがなく,確立していない学説,推測,意見等により起因性を判
断すべきではない。
2争点(1)イ各原告の原爆症認定要件の存否について
〔原告Eについて〕
(原告Eの主張)
(1)被爆状況
ア原告Eの被爆状況
原告Eは福井県出身であり,広島へ原爆が投下された時,18歳であって,海軍
潜水学校第4期生電機練習生93分隊に配属され,広島県佐伯郡大野浦で訓練・学
課を受けていた。
イ原告Eの8月6日の入市経路
(ア)国鉄己斐駅から市電沿いに歩く
原告Eは広島市へ原子爆弾が投下されて間もなく,広島市内に入って救護活動を
行うよう命じられ,トラックに分乗して国鉄己斐駅(爆心地より西方約2.5㎞)
付近まで行ったが,己斐駅付近の道路は負傷者や死体が山のようになっていたため,
そこでトラックを降り,4,5人の分隊に分かれて市内を目指した。原告Eが配属
された分隊は,広島市内の銀行街(爆心地半径500m以内の紙屋町付近)の警備
を命じられており,国鉄己斐駅から市電の線路沿いに東(爆心地方向)へと入市し
た。市電線路沿いの道はかろうじて歩くことができたが,細い路地は瓦礫などで歩
くことも難しい状況であった。
また,原告Eは,市電線路沿いに十日市まで向かって歩く途中で,黒い雨にあっ
た。黒い雨は夕立のように激しく降り,雨には少し粘り気があっていったん皮膚に
付くとなかなか簡単には落ちなかった。
原爆投下直後の広島市内は地熱等のために道路も熱く,破裂した水道管から流れ
出た水が地面に落ちると蒸発する程であった。原告Eもその皮膚が痛くなるほどの
熱を浴び,足の裏も地面をゆっくり踏みしめることはできないほど熱かったが,絶
対服従と教え込まれてきた上官の命令であったため,市内を爆心地方向に入市した。
道中,破れた水道管から吹き出る水を何度も飲みながら入市した。
(イ)本川と元安川に挟まれた三角地帯へ(爆心地半径500m以内)
市電線路沿いに爆心地方向へ向かう途中,十日市町(爆心地より約800m)付
近で救護活動・片づけ作業をした。瓦礫や負傷者を運び出さなければ道路を歩くこ
とができなかった。この作業により,辺りはすすや土埃が一面に舞っている状況で
あった。
十日市町を通り過ぎ,原告Eの分隊は本川と元安川の三角地帯(爆心地半径50
0m以内)で救護活動を行った。このとき原告Eは元安川の河原にある遺体を引っ
張り上げて大八車まで何回も運んだ。元安川にはたくさんの遺体が浮かんでいたが,
強烈な喉の渇きのため,元安川の水を飲んだ。
(ウ)紙屋町銀行街へ
三角地帯での救護活動をひとまず終え,元安橋の下の川を渡り,産業奨励館(現
在の原爆ドーム)の脇を通り,再び市電線路沿いを道路の瓦礫を片づけながら進み,
紙屋町の銀行街へと向かった。紙屋町銀行街の日本銀行,芸備銀行,伊予銀行の辺
りを見て回り,分隊長が銀行内に入って金庫を確認した。その後夕方6,7時ころ,
銀行街を出た。
(エ)広島市内で野営(爆心地より約1㎞)
原告Eの分隊は紙屋町を出て再び市電線路沿いに相生橋を通って十日市町方面へ
引き上げた。そして,寺町付近でアンペラを張って野営した。夜になっても広島市
内には原爆投下による熱さが残っていた。ろうそくの明かりを頼って多くのけが人
が野営地を訪れ,原告Eはその日は一睡もできなかった。
ウ原告Eの8月7日の入市経路
8月7日にも一日広島市内で救護活動を行った。主に,本川と元安川の三角地帯
で救護活動を行い,夕方に十日市町へ引き上げてそのまま6日の入市経路を逆に市
電線路沿いを歩いて国鉄己斐駅へと引き返し,そこからトラックに乗って大野浦の
海軍潜水学校へと帰営した。
エその後の救護活動
原告Eは8月8日から15日までは大野浦の国民学校を中心に広島市内からの負
傷者の救護や遺体の運搬にあたり,8月15日以後31日まで残務処理を担当して
同日に広島を発った。
オ原告Eには相当量の残留放射線による被爆及び体内被曝があること
原告Eは以上のように8月6日の原子爆弾投下から間もなく広島市内に入市し黒
い雨を受けたばかりでなく,同日及び7日の両日にわたり爆心地付近で救護活動に
従事して多くの埃を吸い込み,放射能に汚染された水も飲んだ。原告Eの上述した
入市経路・被爆状況は,一貫しており,その信用性は極めて高い。
原告Eが行動した紙屋町銀行街付近,本川と元安川の三角地帯は爆心直下とほと
んど変わらない誘導放射能が生じている。この地域に8月6日・7日両日滞在し,
作業したことによる誘導放射線の体外被曝線量だけで約30ないし40cGyと推定
される。これに加え,8月6日に己斐駅から入市中に浴びた黒い雨による外部被曝
線量を合算すれば,誘導放射線及び黒い雨による体外被曝だけで相当高度の内部被
曝がある。
加えて,原告Eの上述した入市経路・作業経過に照らし,原告Eが黒い雨,黒い
すす,その他水を飲んだり埃を吸ったりして放射性降下物を体内に取り込んだ内部
被曝線量も相当強いものであることは疑いを容れる余地がない。
(2)急性症状等
広島市内へ入市した6日以後,下痢の症状が表れた。とくに大野浦へ引き上げた
8月8日以降から血便が始まり,同月15日以降ますます下痢は酷くなり,9月に
郷里の福井へ帰った後もより酷くなり,体重も大きく減ってしまった。
また,8月8日以降,歯茎から血が出るようになり,9月に福井へ帰ってからも
出血が続いた。
さらに,大野浦へ帰ってから頭をかくと短髪にした髪の毛がぽろぽろ落ちるとい
うことがあった。
このほか,大野浦へ引き上げてから体がだるく,熱っぽいという症状が出るよう
になった。9月に郷里の福井へ戻ってから,体のだるさは一層激しくなり,その後
ほとんど寝たり起きたりを繰り返すような状態にまで悪化した。
また,このころ,蚊に刺された跡が化膿しやすくなるという症状も生じるように
なった。
以上のように原告Eには下痢,歯茎からの出血,脱毛,発熱という急性症状が生
じた。入市被爆者,とくに原告Eのように中心地に入市した被爆者について,急性
症状が生じうることは於保論文で認められている。
(3)その後の症状の経過
ア福井帰郷(昭和20年9月)後の体調
9月に福井へ帰郷してから毎日頭痛,だるさ,耳鳴り,蚊に刺されるとそこが化
膿して腫れる,発熱,下痢などの症状が酷くなった。被爆前は柔道で鍛えた体格と
体力が自慢であったが大幅にやせてしまい,仕事に就くこともできず,寝たり起き
たりを繰り返すようになってしまった。
イ体調の悪さと頸部リンパ腫切除(被爆後10年ころまで)
昭和23年ころには,福井で生活することが困難になり,父の母方の実家のある
福岡県糟屋郡西戸崎に移り住んだが,体のだるさ,発熱,頭痛,耳鳴りはその後も
続いた。
加えて被爆後約半年後ころから,歯が一本ずつ抜けるようになり,30代前半に
は歯がほとんど全部抜けてしまった。
また,同じころ,頭髪が柔らかくなり,櫛でとかしたり手で頭髪を握ると抜ける
という症状が起こった。
そのころから,首まわりが腫れ始めるようになった。この首まわりの腫れについ
ては,民間の吸い出し膏薬を使って膿を吸い出したが治まることなく,腫れた状態
が続いた。この首まわりの腫れについては昭和24年2月,九州大学医学部附属病
院へ入院した際に頸部リンパ腫であると言われて切除手術を受けた。首まわりの腫
れはいったん手術を受けてやや改善されたものの,首まわりにしこりができる状態
は変わらなかったため,その後も12回にわたり(合計13回)首まわりの切除手
術を受けた。12回の多くは西戸崎の分山病院で切除してもらい,手に負えない場
合に九大病院で切除してもらっていた。
だるさ,頭痛,発熱,耳鳴りという体調の悪さは相変わらず続き,定職に就くこ
とができず,父を頼りに生活していた。また,首まわりの手術を受けるようになっ
たころには震えが来たり,発作が起こったり,動悸がするという症状も増え,ます
ます働くことが難しくなった。このような生活の中,十分な治療を受ける経済的余
裕はなく,継続して病院にかかることは困難であった。
ウ発作等,体調の悪さ(被爆後10年ころから30年ころまで)
その後も,だるさ,頭痛,発熱,耳鳴り,動悸,発作という体調の悪さの中,生
活を続けてきた。
とくに発作は頻発し,昭和35年ころから45年ころにかけて一月に数回,夜中
に発作を起こしては病院へかつぎ込まれていた。
昭和46年ころからは再び,首まわりが6㎝も太くなるほど腫れ上がるようにな
った。
また,同じころ胃を悪くし,十二指腸潰瘍の診断も受けた。
エ甲状腺悪性リンパ腫の治療(被爆後30年ころから40年ころ)
昭和51年ころ,階段を1階から2階へ上ることもできないほど,心臓の脈打ち,
手足のしびれが激しくなった。その原因はわからず,休養しながら生活を続けてき
たが,昭和55年,年明けすぐに大分県別府市にある野口病院で受診し,同2月1
4日に入院,同月21日に甲状腺切除手術(甲状腺の右半分を切除)を行った。
原告Eが切除を受けた甲状腺右半分は甲状腺悪性リンパ腫と診断された。昭和5
5年に野口病院で切除された組織標本を再度鑑別したところ,慢性甲状腺炎の状態
が併存するB細胞性悪性リンパ腫であり,慢性甲状腺炎を基盤として発生した悪性
リンパ腫であった。
手術後約5年間にわたり定期的に野口病院を受診し,チラージンという薬剤の投
与を受けた。
昭和56年には切除されなかった甲状腺左半分についても慢性甲状腺炎と診断さ
れた。
オその後の体調不良
昭和51年ころ,出血性胃潰瘍を患い,入院した。昭和53年7月にも出血性胃
潰瘍により吐下血して入院治療した。
さらに,高血圧症も患い,平成7年1月から同年9月まで,平成8年6月から7
月まで,それぞれ通院治療を受けた。このころ,原告Eの体調は極めて悪い状態に
あり,働くことも難しかったが,働かなければ生活できないため知人の助けで何と
か仕事をこなす状態であった。
平成8年9月に切除していなかった甲状腺左半分につき甲状腺悪性リンパ腫との
診断を受け,化学療法などの治療を受けた。
平成17年2月には狭心症により経皮冠動脈形成術を受け,通院治療を行ったが,
さらに冠動脈硬化症を発症し,平成18年1月12日から同月18日まで入院治療
を受けた。
(4)現在の状況
原告Eは現在,1月に2回,愛知県東海市の伊藤医院で受診してチラージンを含
む12種類の薬の投与を受けているほか,3か月に1回ずつ定期的に血液検査を受
け,甲状腺の状態等の経過観察を受けている。また,前立腺癌の合併も疑われ,経
過観察中である。
従前から抱えていた体のだるさ(全身倦怠感),動悸等の症状は現在も続いてい
る。
(5)放射線起因性の要件該当性
ア原告Eの申請疾病の放射線起因性
原告Eの原爆症認定における申請疾病は甲状腺術後機能低下症であるところ,甲
状腺術後機能低下症は,甲状腺悪性リンパ腫に対する甲状腺切除手術によって生じ
たものであるから,原告Eについては甲状腺悪性リンパ腫の放射線起因性が問題と
なる。
この点,原告Eの甲状腺悪性リンパ腫は慢性甲状腺炎が基盤にあり,B細胞型悪
性リンパ腫である。また,切除されていない甲状腺も慢性甲状腺炎を発症している。
慢性甲状腺炎からB細胞型悪性リンパ腫が発症することについては日本内科学会
雑誌等の悪性リンパ腫特集にも掲載されているほか,外国の教科書にも記載がある。
そして慢性甲状腺炎については,長崎の原爆被爆者で成人健康調査受診者に対する
詳細な調査の結果,比較的低線量の原爆被爆者に慢性甲状腺炎の発症率が高いとい
う結果がある。この調査結果を記した長瀧重信らによる論文(「長崎原爆被爆者に
おける甲状腺疾患」,甲全8号証の2・文献33,「長瀧論文」という。)は「J
AMA」という医学雑誌に掲載されているところ,同誌は国際的に著名であり,か
つ,論文の受付審査が厳格であることで知られている。
また,甲状腺は,ヨウ素を集積する性質があるため,体内に吸収された放射性ヨ
ウ素を蓄積しやすく,その結果,人間の臓器の中でも放射線の影響を受けやすい器
官となっている。
したがって,慢性甲状腺炎について放射線起因性が否定できない以上,その慢性
甲状腺炎を基盤に発生したと考えられる甲状腺悪性リンパ腫(その手術後の甲状腺
機能低下症)についても,放射線起因性が肯定されなければならない。
イ原告Eの被爆状況,急性症状等の発症及び申請疾病以外の疾病の発症
また,原告Eは,8月6日中に爆心地付近へ入市して救護活動を行っている上,
黒い雨も浴びており,少なくとも30ないし40cGyの残留放射線を浴びたこと,
そして,現に被爆後から下痢,歯茎からの出血,脱毛,発熱の急性症状を発症して
おり,被爆前には頑強な青年であったこと,入市を境に,体重が大きく減り,常に
発熱,耳鳴り,頭痛,動悸等に悩まされ,寝たり起きたりを繰り返してなかなか働
くことができない状態になってしまったこと,若年齢で歯が抜け落ちてしまったり,
蚊に刺された跡が化膿するという放射線被爆の影響と考えられる諸症状も発症して
いること,以上によれば,これらの症状が,内部被曝の影響によるものであると推
測できる。
加えて,原告Eは申請疾病(甲状腺術後機能低下症)の他にも原爆放射線と有意
な関係にある疾病を発症している。すなわち,甲状腺の左半分に慢性甲状腺炎を発
症しており,これは長瀧論文において原爆放射線との有意な関係が認められた疾患
そのものである。
また,高血圧症を患っている。この点,原爆被爆者にとって高血圧の過剰相対リ
スクが高いことが「AHS第8報」(甲全62号証の2の2,乙全76号証)にお
いて初めて指摘されるようになっている。
したがって,原告Eの高血圧症についても原爆放射線による起因性が否定できな
い。
そのほか,原告Eは十二指腸潰瘍を発症し,出血性胃潰瘍を少なくとも二度,発
症している。これについては,被爆者の病歴調査には胃潰瘍が多く,健康管理手当
にも胃潰瘍及び十二指腸潰瘍が含まれていることから,原爆放射線による起因性が
否定できない病気であることも指摘されている。
原告Eが13回にわたり頸部リンパ腫によって手術を受けている点についても,
原爆放射線による起因性が否定できない。
さらに的確な診断名が付けられたことはないが,原告Eは原爆被爆者特有のだる
さにも現在に至るまで悩まされてきた。
原告Eのこれら全身に表れた諸症状はすべて入市後から表れたものであり,入市
前の原告Eの体格・体力からは想像もつかない症状なのであって,放射線被爆の影
響としかとらえることができない。
ウ被告らの主張に対する反論
(ア)慢性甲状腺炎には線量反応関係はないという主張に対する反論
被告らは,長瀧論文における抗体陽性突発性甲状腺機能低下症(慢性甲状腺炎)
についての記載は,有意な線量反応関係がないとするものであると解釈するのが科
学的に妥当であると主張する。
しかし,ベル型のカーブであっても,原爆放射線被爆と慢性甲状腺炎発症との間
に疫学的な因果関係を肯定しているところに長瀧論文の重要な意義がある。
そして,なぜ比較的低線量の被爆者に多く慢性甲状腺炎が発症し,ベル型のカー
ブを描くのかということについて仮に今後より一層の医学的解明が進められていく
としても,入市被爆者である原告Eが慢性甲状腺炎を発症したことと,長瀧論文に
表れている調査結果とは何ら矛盾するものではない。
(イ)長瀧論文においては橋本病が除外されているという主張に対する反論
また,被告らは,長瀧論文について,基本的に橋本病を研究対象から除外してい
ると主張する。
しかし,長瀧論文は被告らが指摘しているように,橋本病を全て除外した抗体陽
性突発性甲状腺機能低下症だけを研究対象にしたものではない。この点は,橋本病
の確定診断には病理組織標本を基準としなければならないところ,調査対象である
長崎の原爆被爆者について病理組織標本による確定診断を全員に行った上での調査
ではなかったために,確定診断としての橋本病という疾病名を用いていなかったと
いうことである。長瀧論文にいう抗体陽性突発性甲状腺機能低下症という場合に,
臨床的にみた橋本病の症例を指すものである。
エ小括
原告Eの被爆前の健康状態,被爆状況,被爆後の行動経過,被爆直後に発生した
症状の有無,内容,程度,態様,被爆後の生活状況,健康状態等に加え,被爆実態
を総合的に評価した場合,原告Eが発症した甲状腺悪性リンパ腫は原爆放射線に起
因することは明らかである。
(6)要医療性の要件該当性
原告Eは,甲状腺悪性リンパ腫により甲状腺の右半分を切除・摘出し甲状腺術後
機能低下症を生じている上,甲状腺の左半分も慢性甲状腺炎の状態にあって機能が
低下している。そのため,チラージンの投薬・服用は不可欠である。
また,前記において述べたようにそのほかにも狭心症等の諸症状についての治療
及び経過観察が不可欠である。
(被告らの主張)
(1)原告Eの申請疾患に放射線起因性が認められないこと
ア被爆状況
(ア)入市状況と推定被曝線量
原告E(大正15年12月23日生,男性)は,原爆投下当日の8月6日に広島
市福島町(爆心地から約2㎞)に入市し,その周辺にて救護活動を行ったという者
である。
したがって,同人が初期放射線による被曝をしたことのないことは明らかである。
審査の方針別表10によれば,爆心地から2㎞離れていたという活動場所からみ
て,滞在時間の長短にかかわらず残留放射線による被曝の影響はない。
原告Eは,戦後,九州大学で悪性頚部リンパ腫と診断され,手術を受けた後,ラ
ジウムによる放射線治療を2年間ほど受けていた旨を供述しているが,かかる放射
線治療による被曝は,総線量が通常40ないし50Gyにもなる(乙全98号証)。
その被曝線量は,原告Eが推定する被曝線量の100倍程度と圧倒的に高いもので
あることに留意する必要がある。
(イ)原告Eの主張を前提とした被曝線量の推定
原告Eは,原爆投下当日の8月6日午前8時ころ,大野浦の海軍潜水学校にいた
が,上官の命令により同期生とともに,約2時間後に己斐駅(爆心地から2.5
㎞)を経て広島市内へ入市し,その後,福島町,十日市町(爆心地から650m
内),相生橋(爆心地から200m)を経由し,紙屋町(爆心地から200m)の
銀行の状況を確認し,夜,十日市町まで引き上げ,野営し,翌7日は,おおむね前
日と同じルートで紙屋町に至り,夕方まで周辺の片付け作業を行い,夜,大野浦へ
引き上げた旨主張する。
しかし,「広島原爆戦災誌・第2巻」(乙全65号証・85頁12行目)には「中島
地区は猛煙をあげており,地上一面が破壊された屋根だけでおおわれているように
見えた。」と記載されており,8月6日の爆心地近辺は火災等のために近づける状
況ではなかったと思料され,原告Eの被爆直後の行動に関する上記主張には疑問が
ある。
仮に,原告Eが主張する行動に審査の方針別表10(広島)を当てはめ,経過時
間ごとの誘導放射線による被曝線量を推定して加算したとしても,最大で0.30
5Gyにとどまる。この推定は,一定時間同一場所にとどまっていた場合を前提とし
た極めて大まかなものであり,厳密に時間ごとの修正を行えば,0.3Gyを大きく
下回ることになる。
放射性降下物による被曝線量は,0.006∼0.02Gyとされているが,原告
Eの誘導放射能による被曝線量にこれを加えたとしても原告Eの被曝線量は,0.
3Gyを上回ることはないものと推定される。
原告側証人として証言を行った澤田教授の意見書(乙D15号証)が原告Eの異
議申立時に提出されているが,同意見書で澤田教授は原告Eの被曝線量について,
誘導放射線による体外被曝量は30ないし40cGyであり,これに黒い雨の付着に
よる放射線が加わるとしている。さらに,その黒い雨による被曝線量については,
やはり原告側証拠である静間論文(甲全13号証の2)の表2で,最も線量の高い
地点(サンプル番号7)であっても,そこでの累積線量は4cGy(表中ではR[レ
ントゲン]という単位であるが,表下の注釈でほぼセンチグレイに相当する旨の記
載がある。)にすぎず,原告Eが主張する放射線急性症状が起こるようなレベルに
は到底及ばない。すなわち,原告側証拠をもってしても,原告Eの被曝線量は最大
に見積もって44cGy(0.44Gy)にすぎない。
(ウ)原告Eが述べる救護活動後の症状は,被爆による急性症状の所見とは相いれ
ないものであること
原告Eは,下痢,脱毛,歯茎からの出血,歯が抜ける,発熱,頭痛,耳鳴りなど
に悩まされたとし,これらの諸症状は,「入市被爆者に特徴的な放射線被曝による
急性症状に他ならない」と主張する。
しかし,既に主張しているように,これらの症状は,放射線被曝以外の要因によ
っても起こり得るものであり,上記各症状が放射線急性症状であると判断するため
には,症状を呈した原因や経過を十分に精査し,医学的に検討しなければならない
上,急性症状が生じる被曝線量は,最低でも1Gy(100cGy)以上,脱毛が生じ
るのが頭部に3Gy(300cGy)以上,さらに下痢が生じるのが腹部に5Gy(50
0cGy)以上であることが明らかとなっている。
しかるに,原告Eの被曝線量は,原告側の証拠をもってしても,0.44Gyにす
ぎないから,上記各症状は,およそ放射線被曝に起因するものということはできな
い。仮に,同人が,上記のような急性症状としての下痢等が起こり得るレベルの被
爆をしているならば,感染症等の重大な合併症を発症し,猛烈な暑さの中で過酷な
救護活動をすることなどできないはずである。同人が述べる上記症状は,被爆によ
る急性症状の所見とは相いれないものである。
原告Eは,猛烈な暑さの中で,過酷な救護活動を行い,多数の死体をおぶって運
搬したり,けがの手当をしたり,川の水を飲んだりし,当日は一睡もしなかったと
いうのであるから,当時の栄養状態,衛生状態が劣悪であったことは明らかである。
また,原爆投下による悲惨な状況に遭遇した原告Eの精神的なストレスは甚大であ
ったと推察される。そうであるとすれば,原告Eに生じた諸症状は,不衛生,感染,
栄養不良による身体的症状やストレスによる心身的症状であったとみるのが自然で
ある。
また,脱毛があったといっても,内部被曝で脱毛が生じるという科学的知見は一
切存在しない上,原告Eの脱毛は頭をかいたら,毛が,多少ずつ落ちた記憶がある
という程度のものであるところ,脱毛症には様々な分類があり,持続性高熱,外傷
性,栄養障害,精神的ストレス,ホルモン異常,自律神経障害,感染症,皮膚炎な
ど,放射線以外の原因が多数考えられ,特に,原爆が投下された昭和20年当時の
広島・長崎の悲惨な状況下では,極度の精神的ストレスや感染症,栄養障害等の理
由から多少の脱毛がみられたとしても何ら不自然なことではない。
イ申請疾患の放射線起因性
(ア)申請疾患
原告Eの申請疾患は,平成9年1月27日付け原爆症認定申請書(乙D1号証)
の所定の欄には,「甲状腺腫瘍術後機能低下症」と記載されている。一方,平成8
年12月24日付けの野口病院の内野医師作成に係る診断書(甲D11号証)には,
病名として「甲状腺悪性リンパ腫」と記載され,「上記疾病名にて,1980年2
月14日入院,同年2月21日手術,術後放射線治療,化学療法施行,同年4月2
日退院,1986年11月4日,最終外来受診時点では,同疾病の再発は認めてい
なかった。」と付記されている。
以上の各記載からすると,原告Eは,甲状腺に発生した悪性リンパ腫について,
昭和55年に野口病院において手術を受け,以後6年間,同病院において放射線治
療を受けていたところ,甲状腺に発生した悪性リンパ腫の手術及び治療に伴い甲状
腺機能低下症の状態になったものと推定される。
したがって,原告Eの原爆症認定申請における認定審査の対象となる疾患は「甲
状腺悪性リンパ腫」であるというべきである。
(イ)原告Eの申請疾患に放射線起因性は認められないこと
悪性リンパ腫については,放影研による大規模な死亡率調査(「死亡率調査第1
2報」,乙全8号証)が行われているが,放射線被曝との間に有意な線量反応関係
が認められていない。したがって,悪性リンパ腫については,放射線起因性は認め
られないというべきであるが,審査の方針では,慎重を期して,その関係が完全に
は否定できないものであるとして,念のため,原因確率が最も低い悪性新生物に係
る審査の方針別表2−1によって,その原因確率を算定することとしている。
原告Eについては,原爆による被曝線量があったとは認められないとして,放射
線起因性が認められないと判断された。仮に残留放射線及び放射性降下物の影響を
原告側の証拠により原告側に最大限有利に仮定してみても,0.44Gyにすぎない
ところ,その原因確率は,2%程度にとどまる。これは,原爆による放射線以外の
原因で悪性リンパ腫となった可能性が98%あるということを意味するのである。
その他原告Eの既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案しても,同人の悪性
リンパ腫に放射線起因性があるとは到底考え難い。
なお,原告Eは,慢性甲状腺炎(橋本病)について放射線との関連性があるとし
て,これを根拠に甲状腺悪性リンパ種に放射線起因性があると主張するが,原告E
の疾病が橋本病であるとする明確な根拠はない上に,橋本病について放射線起因性
は認められない。
また,甲状腺が放射性ヨウ素を蓄積しやすい器官であり,その影響を考慮すべき
とも主張するが,放射性ヨウ素は,原爆投下時の様々な現地調査で検出されたとい
う報告がない核種である上,広島原爆において使用されたウラン235から放射性
ヨウ素は発生しないことがわかっており,原告Eの主張は,前提において科学的根
拠を欠くものである。
(2)小括
以上のとおり,原告Eの申請疾病には放射線起因性を見いだすことはできない。
したがって,原告Eの申請疾病に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤りはな
い。
〔原告Fについて〕
(原告Fの主張)
(1)被爆状況
ア原告Fは,昭和20年8月6日,広島で被爆した当時,広島市三篠国民学校
の生徒であり,11歳であった。
原爆が投下された午前8時15分,原告Fは,爆心地から約1.7㎞離れた学校
の校庭にいた。朝礼のため整列しているときに,右斜め後ろから強い光を感じ,次
の瞬間には爆風で吹き飛ばされ,しばらくの間気絶した。気が付いたときには砂埃
で周りが見えなかった。
このように原告Fは,爆心地に極めて近い場所で,何ら遮蔽措置のないところで
被爆したのである。
イその後,原告Fは,近くの太田川放水路まで逃げ,喉が渇いていたので,川
に飛び込んで,川の水を3,4回飲んだ。川に入ったときに,すぐ隣にいる人の顔
が全然見えないほどの激しい黒い雨が降り始めた。
このように原告Fは,放射線を含んだもうもうたる塵の舞う中を移動し,黒い雨
を全身に浴び,さらにその雨が入った川の水を飲んだのである。
ウその後,原告Fは,山本にあった国民学校まで3㎞くらい歩いたが,その間
ずっと黒い雨が降り続けていた。母親とは山本の国民学校で再会することができた。
翌日,父の兄の家がある志路まで何とかたどり着き,その年はそこで過ごすことに
なった。
(2)急性症状等
ア原告Fは,被爆するまでは,男の子みたいだと言われるくらい元気な子供で
あった。木登りをしたり,男の子と竹箒を使ってけんかしたり,墓石を飛び石代わ
りに使って遊んだりする活発な子供であった。病気もしたことがなく,学校にもず
っと休むことなく通っていた。
イ原告Fは,約1.7㎞という近距離で被爆したために,被爆当日から体の右
側がすべて熱傷のために水ぶくれになるという状態であった。
ウ被爆した翌日である8月7日には,何度も嘔吐をし,歯茎からの出血もあっ
た。被爆後3日目くらいからは,何もしなくても鼻血がよく出るようになり,また,
下痢が頻繁に起こり,熱も出るようになった。1週間後からは,髪の毛が抜けるよ
うになり,一時は坊主に近い状態にまでなった。首から胸にかけてと背中には,紫
斑も現れるようになった。
結局,原告Fは,被爆時に受けた右足の負傷のため,その年の間は歩くこともで
きず,寝たきりの状態で,気分もずっと悪かったのである。
エこれらは,被爆者に見られる典型的な急性症状である。また,原告Fは,遮
蔽物のない近距離で被爆し,放射線を含んだ塵の舞う中を移動し,黒い雨を浴び,
その雨の入った水を飲んだ。これらのことを考え合わせると,近距離での直爆及び
放射線を含んだ塵や雨水を火傷した皮膚や肺や消化管から吸収したことによる内部
被曝によって,大量の放射線を浴びたことが強く推認される。
また,屋外被爆者の急性症状発現率は,屋内被爆者のそれよりも高いというデー
タもある。
さらに,被爆後数日ないし数週間に現れた被爆者の健康状態の異常は,被爆者の
身体に対する放射能の影響の程度を想像させる場合が多い。そして,脱毛,発熱,
口内出血,下痢等の諸症状は原爆による急性症状を意味する場合が多く,特にこの
ような症状が顕著であった例では,当時受けた放射能の量が比較的多く,したがっ
て原爆後障害症が割合容易に発現しうると考えることができるとされている。原告
Fは,ここで挙げられている急性症状をすべて発現している。
したがって,原告Fが大量の放射線を浴びたことは明らかである。
(3)その後の症状の経過
ア原告Fは,翌年の昭和21年になって何とか松葉杖を使って歩けるようにな
ったため,4月から,もう一度5年生をやることになった。しかし,学校に行くよ
うになってからも,全身に力が入らない,気怠いという状態が続いた。とりわけ,
朝起きたときには全然力が入らなかった。好きだった体育の授業もよく休むように
なった。また,中学2年生のころからは,尿が出にくくなった。いつも残尿感があ
り,井原市の病院では,タンパクが出ているので塩分を控えるようにと診断された。
イ原告Fは,昭和26年3月に中学を卒業後,紡績工場で働いた。
しかし,やはり全身に力が入らない状態が続き,吐き気も続いた。一日中立ち仕
事であったこともあって仕事が辛くなり,3年後には辞めて志路に戻った。
ウ昭和29年,何回か通った井原市の医師にABCCで診てもらうようにと言
われ,ABCCの診断を受けた。ここでも原告Fの急性症状が記録されている。
エその後,志路にいても仕事もなく,実家も裕福ではなかったため,昭和30
年ころ,広島市に働きに出て病院の患者の付き添いの仕事を始めた。この付き添い
の仕事も動き回る仕事であり,疲れやすく体調は悪いままだった。その病院の同僚
の看護婦が,原告Fが疲れやすいのを見て,医師に診てもらったほうがいいと進め
たので診察を受けた。そのときもタンパクが多いとの診断であったが,生活のため
に我慢して働かざるをえなかった。しかし,どうしても働けなくなり,その仕事も
5年で辞めることになった。
オ原告Fは,20歳代のころは右手右足の火傷の痕を他人に知られないように,
右手にはずっと包帯をしていた。被爆したことも隠しており,結婚もあきらめてい
た。
カ昭和35年ころから,原告Fはミシン針の工場で働き始めた。夜もダンスホ
ールで働いた。体調は悪いままで休みたかったが,生活のためには働かざるを得な
かった。このころ,原告Fは,上記ダンスホールの客であった夫と知り合った。
キ昭和39年には,気を失って,広島市民病院に2,3か月入院したことがあ
った。急性腎盂炎であった。毒が頭に回って一時は危ない状態だったとも言われた。
その後は,市民病院の主治医だった医師が開業した病院に通院し,慢性腎炎と診断
された。
ク昭和40年から昭和47年の間に,産婦人科において,医師から,腎臓が悪
いので出産したら母子共に死亡してしまう危険があると言われたため,2回も子供
を堕ろした。
ケその後,昭和47年に結婚し,名古屋に引っ越した。
名古屋に来てすぐ,南医療生協病院での診断により,健康管理手当の支給のため
の認定をしてもらうことができた。それからは,被爆患者の指定病院になっていた
名古屋掖済会病院に通院するようになった。
このころ,原告Fは子供を生むことをあきらめきれず,内科の医師に相談し,1
か月ほど集中して通院治療を受け,妊娠した後も内科に通い続け,何とか無事に出
産することができた。しかし,原告Fは,出産当時まだ42歳になったばかりであ
ったのに閉経してしまった。
その後は,今日に至るまで,掖済会病院に通院し続けている。
(4)現在の状況
ア原告Fは,昭和56年,愛知医大に入院した。腎臓の検査を行ったところ,
2つの腎臓の働きが平均人の3分の1以下であると指摘された。ここでも腎炎とい
う診断であった。
イ平成2年,卵巣の外に腫瘍ができ,入院して卵巣と子宮の摘出手術をした。
ウ平成10年,胃潰瘍と診断された。
エ平成11年,肺炎で入院した。
オ平成12年,腎臓の治療のためにステロイドを飲み始めたが,かえって顔が
膨れたり,足が腐ったようになったりし,内出血もした。平成13年からは,人工
透析を週3回受けるようになった。
カ同年の終わりには,左変形性関節症で入院し,人工膝関節置換術の手術をし
た。
キ入院中の平成14年1月,口の周囲に違和感があり,ろれつが回らなくなっ
たため,検査すると,小さな脳梗塞が発見された。
ク同年6月,膵腫瘍が発見された。しかし,手術をすると寝たきりになってし
まうとのことだったので,そのままの状態にしてある。
ケ平成15年には,白内障初期との診断を受け,眼科にも3か月に1回通院し
ている。
コ同年,二次性副甲状腺機能亢進症との診断を受けた。
サ平成16年には,肺炎が原因で入院し,退院間近になってMRSA感染症に
かかり,結局4か月ほど入院し,その後,今度は,下痢が原因で2週間ほど入院し
た。
シ以上のように,原告Fは名古屋に来て以降,現在に至るまで,通院と入退院
を繰り返している状態である。また,疲れやすい状態も続いている。
(5)放射線起因性の要件該当性
ア慢性腎不全の放射線起因性
(ア)原告Fは,被爆直後の昭和20年当時,熱が出た際に腰の背骨の付け根くら
いのところに,どすんと重たい痛みを感じている。これは腎臓の細菌感染が原因で
はないかと思われ,急性腎盂炎の症状と考えられる。
感染については,被爆後のある時期に尿路感染症になっていたことも疑われる。
すなわち,昭和29年10月にABCCが原告Fを診断したデータによれば,当時
原告Fの白血球は増大しており,また,尿のタンパクが陽性であった。さらに,尿
が混濁していること,尿の濃縮力が落ちていることをも併せ考えると,この時点で,
尿路感染症が続いていたと考えられるのである。
さらに,原告Fは,昭和39年,気を失って運ばれた広島の病院で,急性腎盂炎
と診断されているが,以上の経緯に照らすと,この急性腎盂炎も,尿路感染症を繰
り返しているうちに発症したものと考えるのが合理的である。その後,尿路感染症
の繰り返しの中で慢性腎盂腎炎へと進行し,最終的に慢性腎不全となったものと考
えられる。
以上が原告Fの慢性腎不全の発症経過についての,医学的資料や医師及び本人の
証言から推測される機序である。そして,放射線被曝が免疫機能の障害を惹起する
可能性を否定できないことから,被爆と易感染性に関しては因果関係があると考え
られる。
(イ)なお,原告Fは,このように慢性腎不全の治療のために人工透析をすること
を余儀なくされているが,このため,二次性副甲状腺機能亢進症を発症するに至っ
ている。
そうすると,この二次性副甲状腺機能亢進症は,被爆が原因でもたらされた腎
不全の続発疾患であるから,慢性腎不全と一体的な疾患として考えるべきである。
イその他の易感染性が関連していると考えられる病気
(ア)原告Fは,脳梗塞にもなっており,脳梗塞の原因となるのは動脈の閉塞であ
るが,最近の研究では,そのメカニズムに慢性炎症反応が関与していることが指摘
されている。そして,感染症は,動脈の炎症を引き起こす要因の一つである。実際,
放影研の最新の調査によれば,被爆者の死亡率で脳梗塞の過剰相対リスクが高いと
いうデータが2回続けて報告されているのである。
(イ)その他にも,胃潰瘍も,ヘリコバクター・ピロリ菌の感染の結果と考えられ,
下肢の閉塞性動脈硬化症も,閉塞性血管炎という血管の炎症が原因となっている可
能性がある。
ウ脳梗塞を含む循環器疾患の放射線起因性
放影研の「寿命調査第11報第3部改訂被曝線量(DS86)に基づく癌
以外の死因による死亡率,1950−85年」(乙全73号証)においては,昭和
25年ないし昭和60年の循環器疾患による死亡率は,線量との有意な関連を示し,
脳卒中による死亡率にはそのような関連は認められなかったが,脳卒中以外の循環
器疾患(心疾患)は全期間で有意な傾向を示した。しかし,後期(昭和41年ない
し昭和60年)になると被爆時年齢が低い群(40歳未満)では,循環器疾患全体
の死亡率及び脳卒中又は心疾患の死亡率は線量と有意な関係を示し,線量反応曲線
は純粋な二次または線形−しきい値型を示した。心疾患群のうち最も死亡数が多い
冠状動脈性心疾患の死亡率は同じ期間,同じ被爆時年齢区分の心疾患と同様の傾向
を示しているとされている。
また,「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第2部がん以外の死亡率:19
50−1990年」(乙全74号証)においても,昭和25年10月1日から平成
2年12月31日までのがん以外の疾患による死亡者についての解析の結果,循環
器疾患に有意な増加が観察されたとされている。
さらに,「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんおよびがん以外の疾患
による死亡率:1950−1997年」(乙全69号証)においては,昭和43年
ないし平成9年の期間の寿命調査における心疾患,脳卒中,呼吸器疾患及び消化器
疾患に有意な過剰リスクが認められ(同2頁),脳卒中の1Sv当たりの過剰相対リ
スクは0.12(90%信頼区間は0.02ないし0.22)とされている。
この脳卒中とは,脳出血と脳梗塞を含む概念である。
これらのことから,脳梗塞を含む循環器疾患について,その放射線起因性は明ら
かである。
エ膵嚢胞の放射線起因性
原告Fの膵嚢胞については,これが真性のものか仮性のものかの診断はなされて
いない。
この点,これが真性膵嚢胞で腫瘍性嚢胞である場合には,原告Fが直爆及び内部
被曝によって放射線の影響を受けていることから,その放射線が新生物を引き起こ
し,腫瘍化させる作用を持っている以上,放射線起因性が認められなければならな
い。
一方,これが仮性膵嚢胞であった場合,それは膵炎を成因としたものである可能
性が高く,膵炎は副甲状腺機能亢進症や高カルシウム血症が背景となることが認め
られ,かつ,そのような病態が放射線被曝と有意の関連を持っていることが認めら
れるのであるから,やはり放射性起因性を十分に認めることができる。
オ右副腎腫瘍の放射線起因性
原告Fの右副腎腫瘍については,これが悪性のものか良性のものかの診断はなさ
れていない。
この点,副腎腫瘍について,放射線起因性を示すデータは,現在のところ見られ
ない。しかし,これが良性腫瘍であったとしても,子宮筋腫や甲状腺腫瘍,下垂体
腫瘍などが放射線被曝との有意な関連が認められていることにも見られるように,
放射線が腫瘍化させる作用を持っていることが否定できないのであるから,やはり
放射線起因性を否定することはできない。
カ限局性強皮症の放射線起因性
限局性強皮症は炎症性疾患であるが,患者自身の免疫機能が誤って自分を攻撃し
てしまう自己免疫性の疾患,すなわち免疫異常を背景とした疾患であるとされる。
この限局性強皮症について,放射線起因性を示すデータは,現在のところ見られ
ない。しかし,一般的に放射線被曝による免疫異常症の可能性が否定できない以上,
限局性強皮症についても放射線起因性を認めることができるというべきである。
キ白内障の放射線起因性
原告Fの白内障については,後嚢下に混濁が見られるものの,核にも混濁が見ら
れる。
この点,白内障については,核混濁があっても放射線による遅発性白内障が否定
できず,したがって,放射線起因性を認めるべきである。
ク左変形性関節症の放射線起因性
原告Fは,爆心地より約1.7㎞という極めて近い場所で,何ら遮蔽もなく被爆
し,右半身に熱傷を負った。この外傷に加えて放射線被爆による免疫機能や修復機
能の障害によって外傷の治癒機転が遅延した結果,昭和20年の間は歩くこともで
きず,寝たきりの状態であった。
また,この熱傷によって,原告Fの右半身の右手から右足には広い範囲にわたっ
てケロイド(瘢痕異常)が生じ,なんとか歩けるようになった後も歩行は万全では
なく,しばらくは松葉杖を使い,使わなくなった後も右足をかばうような歩き方を
するほかなく,左足には過重な負担が掛かる状態であった。
ところで,昭和20年当時の医療条件は非常に劣悪であり,原告Fの熱傷を負っ
た右半身も,治療といっても油を塗ったり包帯をしたりする程度で,うじが湧いて
しまうほどだった。このため,原告Fの熱傷は,現在では考えられないような治り
方をしているものと思われる。
当時は本人が欲していても十分な医療を受けられる状況ではなく,まともな治療
をしなかったことに本人の過失がない以上,被爆者の後遺障害を考える際には,当
時のこうした医療条件が考慮されなければならない。
そうすると,原告Fの左変形性関節症は,右半身の外傷がなければ生じなかった
といえ,しかも放射線被爆による免疫機能や修復機能の障害に加えて当時の劣悪な
医療条件によって治癒機転が遅延したことが遠因となっていると考えられる。
ケ全体として,原告Fにおいては,ひとつひとつの症状の中にはたしかに軽い
ものもあるが,系統だって説明できないさまざまな疾病が不自然にバラバラに起き
ており,その根底に免疫異常が否定できない状態である。
たとえ個々の疾病には統計学的有意差がないものがあったとしても,前述のよう
な原告Fの直爆,外部被曝,内部被曝という被爆の実態と,上記のような健康異常
の存在からは,原告Fの各疾病に対する放射性起因性が肯定されなければならない。
(6)要医療性の要件該当性
原告Fは,慢性腎不全の治療のため,週3回の人工透析を欠かすことができない。
その他,脳梗塞,白内障等の諸症状についての治療ないし経過観察が不可欠の状
況である。
(被告らの主張)
(1)原告Fの申請疾患に放射線起因性が認められないこと
ア被爆状況について
(ア)被爆地点
原告F(昭和8年8月15日生,女性)は,爆心地から1.7㎞離れた広島市三
篠本町の三篠国民学校の校庭において朝礼のため整列しているときに,遮蔽のない
状況で被爆した。
(イ)推定被曝線量
原爆の初期放射線による被曝線量は,審査の方針別表9によれば,およそ0.2
2Gyと推定される。
また,原告Fには,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700m以内の区域へ
の入市や,広島市己斐地区又は高須地区に滞在又は居住した経過は認められないこ
とから,誘導放射能及び放射性降下物による残留放射線被曝の影響については考慮
をする必要はない。
なお,原告Fは,黒い雨などの放射性降下物によっても被爆した旨主張するが,
己斐又は高須地区等に降った「黒い雨」及び「黒いすす」には放射性降下物が含ま
れていたことが調査結果により推定できるのであるが,それ以外の地区に降った
「黒い雨」及び「黒いすす」に放射性降下物が含まれていたことは,調査結果によ
っても何ら裏付けられてはいない。
また,被爆直後の調査結果により,放射性降下物が特に多くみられた広島の己斐,
高須地区に爆発1時間後から無限時間までとどまり続けたという現実にはあり得な
い仮定をした場合でも,放射性降下物によるガンマ線の積算線量は,0.006な
いし0.02Gyにすぎない。
(ウ)原告Fが述べる被爆後の症状は,被爆による急性症状の所見とは相いれない
ものであること
原告Fは,脱毛,歯茎からの出血,鼻血,紫斑,下痢,嘔吐などの急性症状が発
症しており,このような健康被害の原因は,被爆の影響以外には考えられないと主
張する。
しかし,原告Fの被曝線量は,およそ0.22Gyを上回ることはないものと推定
され,上記各症状が放射線被曝に起因するものということのできないことは明らか
である。仮に,原告Fが,上記のような急性症状としての下痢等が起こり得るレベ
ルの被曝をしているならば,感染症等の重大な合併症を発症しているはずであるが,
そうした供述は一切認められない。同人が述べる上記症状は,被爆による急性症状
の所見とは相いれないものである。
また,そもそも鼻血については,放射線被曝によって生ずるとは医学的にも認識
されていない。
原告Fは,紫斑について,疲労の有無や強弱に比例して現在まで反復して出現す
ると供述しているが,紫斑には様々な原因があり,血小板減少で起こることもあり
得るし,放射線被曝で血小板(栓球と同意)が減少することも認められている。し
かしながら,その減少は一過性のもので,回復することが知られている。したがっ
て,原告Fに反復して生じたとする紫斑が放射線性のものとは認められない。
下痢についても,便は軟らかであったが水状のものではなかったと供述している
が,放射線被曝によるものであれば,血性の下痢となるはずであるから,これにつ
いても,放射線被曝による急性症状でないことが明らかである。
したがって,原告Fが急性症状として主張する症状が放射線性のものでないこと
は明らかである。
イ申請疾患の放射線起因性
(ア)申請疾患
原告Fの認定申請書及び同申請書添付の意見書の記載によれば,同原告の申請疾
病は慢性腎不全,膵嚢胞,多発性脳梗塞,右副腎腫瘍及び限局性強皮症と認められ
る。
(イ)原告Fの申請疾患に放射線起因性は認められないこと
原告Fの申請疾病のうち,右副腎腫瘍については,認定申請時に提出された資料
で詳細な病歴や腫瘍の良悪性の区別自体が判断できないものであるが,仮に悪性の
腫瘍であったにしても,その原因確率は非常に低く,放射線起因性を認めるには到
底及ばない。
また,膵嚢胞,多発性脳梗塞及び限局性強皮症については,その病態を把握する
ための資料が認定申請時に不十分で検討し難いうえ,そもそもこれらの疾病が放射
線被曝で発生し得るという知見さえない。
また,慢性腎不全についても,同様に放射線起因性がない疾病である。健康診断
個人票(乙A3号証)で「昭和29年はじめて尿蛋白を指摘される」と記載される
ように尿路感染症の徴候が以前よりあったことが認められ,また,それを裏付ける
ABCCの資料(甲A8号証の2)も提出されており,聞間証人も長年の尿路感染
症を経た腎不全である旨供述している。聞間証人はその過程において,免疫低下が
関与して,腎不全に至ったかのように述べるが,それには全く根拠がない。
さらに,同証人は放射線被曝で鼻血が生じるかのような見解を示すが,これも失
当である。医学的に鼻血の原因として放射線被曝は認識されていないだけでなく,
鼻を放射線照射領域に含む上顎がんの放射線治療のような高線量照射でさえ,鼻血
は発生しないのである。
(2)小括
以上のとおり,原告Fの申請疾病には放射線起因性を見いだすことはできない。
したがって,原告Fの申請疾病に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤りはな
い。
〔原告Gについて〕
(原告Gの主張)
(1)被爆状況
ア被爆前の生活状況及び健康状態
原告Gは,昭和2年1月24日に宮崎県日南市飫肥町大手で生まれた。長崎市で
被爆するまでの健康状態は良好であり,何の既往症もなく,視力も右が1.2,左
が1.5であった。
イ被爆時の場所,状況等
原告Gは,女学校を卒業後,勤労挺身隊に入隊し,昭和20年8月9日の被爆時
は,爆心地から約3.1㎞離れた三菱重工業長崎造船所飽浦工場で勤務していた。
原告Gは,被爆時,同じ女子勤労挺身隊のI,Jとともに,工場内で勤務中であっ
た。同日午前11時ころ,マグネシウムを燃やした時のようなものすごい閃光が目
に入り,同時に,すさまじい音と衝撃があった。
原告Gは,預かっていた鍵を掛けるために逃げ遅れ,体の上に書類棚が倒れてき
て,その衝撃で5分くらい気を失った。その際,左の額やこめかみにけがをし,そ
の部分からの出血が止まらなかったので,造船所内の診療所で治療を受けようとし
たが,診療所は爆風の影響で倒れてしまっており,治療を受けることはできなかっ
た。
ウ被爆当日の行動
原告Gは,Jから浦上駅の向こう側にある大学病院で治療を受けるよう勧められ,
J,I両名と病院へ行くことにした。原告Gは,長崎の市街地に行ったことがほと
んどなく,浦上の地理がわからなかったので,Jに従って行った。
原告Gらが工場を出たのは午後1時ころで,浦上川に沿って上流の方向に進み,
2番目の橋を渡って少し歩くと,小さなプラットホームを見つけ,歩き続けで疲れ
ていたので,プラットホームの傍で少しの間休憩した。
飽浦工場から川沿いを北上した二番目の橋の名前は,地図上では柳川橋という橋
であった。また,同プラットホームでは,後述するように「浦」と書かれた看板を
見ており,柳川橋を渡った付近で「浦」と記載された駅は,爆心地より約1000
m付近の浦上駅しかなく,同人らがたどり着いた駅は浦上駅と推定される。
その後も,原告GはJに付いて線路に沿って歩いた。線路はレールが熱の影響で
曲がっており,枕木が焦げて真っ黒になっていた。途中,疲れて脚がつってしまい,
歩き続けることができなくなった。そのときは,周りが火事の煙や粉塵で濃い霧で
包まれているようであったため,周囲が非常に見えにくい状態であった。原告Gら
は結局病院で治療を受けられないまま寮まで帰ることになった。
出発の前,Jは,服が死臭にまみれていたので,近くの川で洗濯をした。原告G
は,粉塵で辺り一面がかすむ状況の中で,壊れて橋脚しかない橋を見つけた。浦上
駅より北で,橋脚しかない橋は爆心地から約500m地点にあった竹岩橋という橋
しかないので,後にその橋が竹岩橋であることが分かった。
原告Gらは浦上駅をすぎた後,黒い雨に5分から10分程打たれた。そのときの
服装は半袖のセーラー服だったが,黒い雨は大雨で,非常に粘度が高く,腕に付い
た雨をなかなかぬぐうことができなかった。また,黒い雨は目にも入ってきたので,
黒い雨が付着したままの手で目をこすったりもした。また,こうして歩き回った際
に粉塵を吸い込んだり,粉塵が目に入ったりした。
原告Gらは,日が暮れる午後6時ころ,油屋町の寮に帰ることができたが,寮は
爆風で倒れていたので裏山のカボチャ畑で野宿した。
エその後の行動
原告Gは,カボチャ畑で3日間ぐらい野宿した後,飽浦工場に行き,後片付けを
し,その後8月15日ころまで長崎に滞在し,同月20日ころ宮崎の実家に戻った。
(2)急性症状等
原告Gは,8月末ころから,急に熱が出て,体がだるくなり,やがて髪が抜け始
めた。髪の毛が抜けはじめてから1か月くらい経過したころには全ての髪の毛がな
くなって丸坊主になった。
また,9月始めころからは,今度は赤痢のようなひどい下痢が続き,血便が出始
め,それが2か月近く続いた。
さらに,10月ころ,首のリンパ腺が腫れて首がまわらなくなったため,飫肥町
の総合病院で治療を受けた。医師から,原告Gと同じように,地元の女学校から長
崎に行った二人の女の子に同じ症状が出ているとの説明を受け,初めて,自分の症
状が原爆の影響だとわかった。今でも首をさわったり,首を動かすと重苦しい感じ
がする。
また,翌昭和21年の正月ころには歯がぐらぐらし始め,ちょっとした動きで歯
茎から出血するようになったり,歯が抜けやすくなった。
上記のような被爆後の症状は,いずれも放射線被曝による典型的な急性症状であ
る。原告Gは,被爆時までは健康状態などに問題はなく,上記症状の原因は放射線
被曝以外には考えられない。
(3)その後の症状の経過
ア原告Gは,昭和21年3月ころ,輸尿管結石になり,2か月間くらい病院に
通った。同年8月には手足が腫れてきた。病院で診察してもらったところ,腎臓が
悪いと言われた。現在でも,腎機能が落ちており,風邪を引くと熱が出て腎盂炎に
なる。さらに,疲れたり,無理なことをすると直ぐに貧血状態になるような状態で
ある。
イ原告Gは,昭和23年ころに嫁いだが,嫁ぎ先でも体がだるくて脂汗が出る
状態で思うように仕事が出来ず,病気ばかりしていた。何度も流産を繰り返した後
二人の子を出産したが,昭和30年ころに離婚を余儀なくされ,宮崎の実家に帰っ
た。
ウ原告Gは,親戚を頼って来た愛知県で再婚したが,何度か流産した後,女児
を出産した。しかし,ここでも体が弱いため,姑や小姑との折り合いが悪く,自殺
未遂を繰り返し,分家をして家を出ることを余儀なくされた。
エなお,原告Gは,一緒に爆心地付近を歩いたJが被爆後2,3年してから白
血病で亡くなったこと,またIが結婚後,被爆が原因で自殺したことを,友人から
聴いている。
(4)現在の状況
ア現在の病状
原告Gは,昭和40年ころから貧血の症状が出てきて,今も治っていない。また,
昭和53年ころから腰痛,体全体の痛みの症状が出てきて,昭和56年11月,広
島の福島生協病院にて心臓肥大の診断をうけ,昭和60年ころからは風邪をひきや
すくなり,扁桃腺が頻繁に腫れるようになった。
平成14年8月21日には,石黒病院で腰椎辷症,慢性腎炎,高脂血症,高血圧
症の診断を受けた。
現在,長時間は続けて動くことが出来ず,夕食のための炊事をするのにも午後2
時か3時ころから台所に立たなければならない。また,長く椅子に腰掛けていると,
その後容易に立つことが出来ない状態である。さらに,月に一度は体全体に力が入
らず,生あくびばかりして,脂汗をかくようになり,変形性脊髄症,骨粗鬆症とも
診断されている。
イ申請にかかる疾病
原告Gの申請疾病は,両眼白内障である。原告Gが,目がかすみ,ものが見えに
くくなるという自覚症状を感じ始めたのは,平成2,3年ころであった。原告Gは,
病院に行きたかったものの,被爆者健康手帳を使って無料で治療を受けることを悪
く言う人がいたので,なかなか病院に行くことができず,近所の薬局で目薬などを
買ったりしてしのいでいた。
しかし,視力の低下,目のかすみが酷くなり,台所仕事もできないので,佐野眼
科において,平成9年5月13日に初めて診察を受け,両眼白内障と診断された。
主治医の佐野正純医師は,初診時のGの水晶体の病理所見について,「患者の初診
時の所見は,混濁が,ほぼ後嚢下に限局されていた。」と述べている。このように,
原告Gの白内障は,初診時においては,水晶体の混濁が後嚢下に確認されていた。
佐野医師によれば,初診から5年が経過した時点においても,原告Gの白内障は,
依然として水晶体後嚢下の混濁が大きく,顕著であること,老人性白内障によくみ
られる皮質混濁等の所見は見られなかったこと等の事実が認められる。
(5)放射性起因性の要件該当性
ア被告らは,原告Gの両眼白内障の認定申請について,被曝線量が,しきい値
である1.75Svより微量であると推定されること,白内障を発症した時期が被爆
後50年以上経過した時期であること,混濁が生じている部位が前嚢下に及んでお
り臨床的に認められた所見からも放射線白内障と判断できる根拠に乏しいことなど
から,放射線起因性が認められないと主張する。
しかし,以下に述べるとおり,原告Gの白内障が放射線に起因する高度の蓋然性
があることは,前記の被爆前の健康状況,被爆状況,被爆後の行動,被爆後に現れ
た急性症状,白内障の所見等を総合的に考慮すれば,十分認めることができるもの
である。被告らの主張は,以下のとおり,いずれも失当である。
イ白内障の放射線起因性に関する判断について
(ア)被告らは,原爆白内障は,しきい値がある確定的影響であると主張する。そし
て被告らの原処分の根拠,判断基準とされている審査の方針は,放射線白内障のしき
い値は1.75Svとしている。
しかし,原爆白内障と放射線量とは,しきい値を有する確定的影響の関係にはない。
すなわち,放影研の成人健康調査第8報(甲全62号証の2の2,乙全76号
証)及び「原爆被爆者の白内障についての意見書」で引用されている津田恭央らによ
る「原爆被爆者における眼科調査」(広島医学57巻4号甲全62号証の2の3,,
「津田論文」という。)では,放射線被曝と,白内障の発症(津田論文においては,
水晶体の後嚢下混濁,皮質混濁)との間に有意な関係を認め,被告らが主張する際
のしきい値である1.75Svよりも遥かに低い線量域から相対リスク(津田論文に
ついてはオッズ比)が上昇しており,しきい値が存在しないことを示している。
そして,中島栄二ほか「原爆被爆者における白内障有病率の統計解析2000−
2002」(長崎医学会79巻,甲全62号証の2の5,「中島論文」という。)
は,白内障線量関係の詳しい統計的解析及び白内障線量反応におけるしきい値を検討
したものである。同論文は,皮質混濁,後嚢下混濁では線量効果は有意であること
に加え,皮質混濁と後嚢下混濁では線量反応にしきい値は存在しないことを明らか
にしている。
(イ)被告らは,放射線白内障は被爆後数か月から数年を経て生じるとする科学的
知見があるなどとし,原告Gの白内障発症は「放射線白内障としては余りにも時期
的に遅すぎる発症といわざるを得」ず,むしろ老人性白内障と考えるのが妥当であ
ると主張する。
確かに,原爆白内障についての従来の知見では,原爆白内障は,被爆後数か月か
ら数年で発症するとされていた。
しかしながら,この点についても,上記の津田論文においては,被爆者が被爆後,
数十年経過した後に水晶体後嚢下の混濁を発症した場合に放射線量との有意な関係
を認めており,被爆後数十年してから放射線の影響によって白内障を発症する遅発
性の放射線白内障に関する知見が明らかになっている。
(ウ)したがって,白内障についての放射線起因性の判断にあたっては,上記のよ
うに,有意な線量反応関係が認められ,従来のしきい値が存在するとの知見が否定
されて,遅発性の放射線白内障の存在を肯定する最新の知見があることからすると,
被曝線量等から放射線起因性を機械的に判断したり,白内障の発症時期が被爆後相
当長期間経過した後に発症したことを重視して,放射線起因性を否定することは許
されない。
ウ原告Gの放射線被曝の重大性
被告らは,原告Gの推定被曝線量について,爆心地から3.1㎞地点での被爆で
あり,原爆爆発後56時間以内に爆心地から600m以内の区域への入市経緯はな
いため,誘導放射能及び放射性降下物による残留放射線被曝の影響等を考慮する必
要はなく,原告Gの被曝線量は0cGyか極めて微量である等と主張し,これを根拠
の一つとして放射線起因性を否定している。
しかし,原告Gは,爆心地から3.1㎞離れた室内で被爆したものであるが,被
爆時に,原爆の閃光を眼に受けており,直接被曝が眼に与えた影響を過小評価する
ことはできない。
また,最も重要な事実は,原告Gが,原爆投下後数時間内に,爆心地から約50
0m地点にあった竹岩橋のある区域まで達した後,同地域周辺を歩き回る等してい
るという点である。被告らが主張する「原爆爆発後56時間以内に爆心地から60
0m以内の区域への入市はない」等というのは,明らかに事実を誤認したものであ
る。
原告Gらが,爆心地付近を歩き回った時間については,飽浦工場を出発したのが
午後1時ころで,寮に帰還したのが午後6時ころであることからすると,爆心地付
近を少なくとも3時間以上歩き回ったものと見られる。その間,原告Gが,誘導放
射線の被曝をしたことは明らかである。
また,放射性降下物及び誘導放射線によって汚染された粉塵が原告Gの眼に入っ
ていること,帰路に浦上駅を過ぎた辺りでは誘導放射線及び放射性降下物によって
汚染されたいわゆる「黒い雨」にも濡れ,その濡れた手で眼をこするなどした事実
が認められ,これは原告Gが放射線汚染物質による内部被曝をしたことを示すもの
である。
さらに,原告Gは当日以後,8月15日ころまで,長崎市内にとどまって,放射
線によって汚染された食事を摂っていることが伺われ,これによる内部被曝の影響
を強く受けた可能性が大きい。
以上要するに,原告Gは,初期放射線による被曝だけではなく,爆心地付近を歩
いたことにより,誘導放射能,放射性降下物等による被曝をし,また放射性降下物
を体内に取り込んだことによる内部被曝をしたことは明らかである。
原告Gは,被爆後に,下痢,血便,脱毛,歯茎からの出血などの重篤な急性症状
を呈しているところ,それらの症状は,被曝線量との相関を有する症状と考えられ
ており,被爆に起因する急性症状である。原告Gにこれらの急性症状が見られたこ
とは,その身体が原爆放射線の深刻な影響を受けていたことを推認させるものであ
る。
エ原告Gの白内障の臨床上の所見について
(ア)放射線白内障の特徴的な所見として水晶体後嚢下に混濁が見られること,原
告Gは白内障を発症して佐野眼科で診察,治療を受けることになったが,その際,
水晶体の後嚢下に混濁が確認されたことについては,前述のとおりである。
水晶体の後嚢下混濁が,原爆白内障の特徴的な所見の一つであることからすると,
原告Gの白内障の臨床上の所見は,その放射線起因性を推定させる重要な事実であ
ることは明らかである。
また,原告Gには,他に白内障を発症させ得る糖尿病等の疾病はない。
(イ)被告らは,原告Gの白内障について,水晶体の混濁が後嚢下に限局されず,
前嚢下にも及んでいることを指摘し,これを原告Gの白内障の放射線起因性を否定
する根拠の一つとして主張している。
しかし,放射線白内障の水晶体混濁は,後嚢下に限局されるものではなく,前嚢
下にも及び得るものである。
オ原告Gの急性症状並びにその後の症状の推移について
原告Gは被爆する以前は健康体であり,視力も正常で,眼の病気を発症するよう
な要因は存在しなかった。
前述のとおり,原告Gは,被爆後に,下痢,血便,脱毛,歯茎からの出血等の症
状を呈している。原告Gの急性症状は重篤なものであり,脱毛については1か月程
度で丸坊主になってしまう程のものであり,下痢は2か月程度続いた。これらの症
状は,被爆に伴う急性症状である。
その後も,原告Gは,被爆後に様々な疾病を発症している。既に述べたとおり,
原告Gは,被爆前までは健康体でありながら,被爆以後に上記のように様々な疾病
を発症しており,被爆が健康状態に影響を与えたからこそ,そのように病気がちに
なったのである。特に,被爆後の日常生活で,体がだるく,仕事が出来ない,脂汗
がでるという点は,放射線による身体障害のいわゆる「ぶらぶら病」であると考え
られ,原爆による放射線被曝の影響の強さが推認される。
そして,平成2年ないし平成3年ころから徐々に目がかすむなどの症状を呈する
ようになり,平成9年に佐野眼科で診察を受け,両眼白内障と診断されたものであ
る。
カまとめ
以上のとおり,被爆前の健康状態,被爆状況,被爆後間もなくして爆心地周辺に
立ち入って「黒い雨」を浴びた事実等の被爆後の行動,被爆後の急性症状の存在と
程度,被爆後の疾病の経過,放射線白内障の特徴的な所見である水晶体後嚢下の混
濁が見られること等の事実を総合的に考慮すれば,原告Gの白内障に放射線起因性
が認められることは明らかである。
(6)要医療性の要件該当性
原告Gの左目は,現在も白内障に罹患しており,その治療を継続している状況に
ある。また,白内障のために,まっすぐ歩いたり,階段を上り下りするのが困難な
状況にある。そのため,今後も経過を観察し,症状の変動によっては治療だけでは
なく,手術もしなければならない状況にある。したがって,原告Gの白内障には要
医療性がある。
(被告らの主張)
(1)原告Gの申請疾患に放射線起因性が認められないこと
ア被爆状況
(ア)被爆地点
原告G(昭和2年1月24日生,女性)は,爆心地から3.1㎞も離れた長崎市
水ノ浦の三菱重工業長崎造船所飽浦工場の事務所内で被爆した。
(イ)推定被曝線量
原告Gは,爆心地から3.1㎞も離れた地点で被爆したものであるから,原爆に
よる初期放射線によって被曝したとは到底考え難い。初期放射線による被曝線量は
0Gyとみるほかない。
原告Gは,被爆当日,病院を探すため爆心地付近を歩き,「黒い雨」にも打たれ
た旨供述するが,原告Gの認定申請書(乙B1号証)や同人の異議申立書(乙B4
号証の1)には,そのような記載は全くなく,その供述は相当疑わしいというほか
ない。
この点をおいても,放射性降下物及び誘導放射能による影響は,極めて限られた
ものであることは,すでに述べたとおりである。
(ウ)原告Gが述べる被爆後の症状は,被爆による急性症状の所見とは相いれない
ものであること
原告Gは,脱毛,下痢・血便,歯茎からの出血,リンパ線の腫れなどの急性症状
が発現した旨主張する。
しかし,原告Gの被曝線量は,ほとんど0Gyに等しいものと推定され,上記各症
状が放射線被曝に起因するとはいえない。仮に,原告Gが,上記のような急性症状
としての下痢等が起こり得るレベルの被曝をしているならば,感染症等の重大な合
併症を発症しているはずであるが,そうした供述は一切認められない。原告Gが述
べる被爆後の症状は,被爆による急性症状の所見とは相いれないものである。
また,原告Gは,下痢・血便が9月初めころから2か月近く続いたと述べるが,
そもそも放射線被曝による急性症状としての下痢であるならば,腸上皮の分化・成
熟過程の期間で症状発現までの期間が決まるので,およそ4日ないし5日であるは
ずであり,このような点をとってもみても,原告Gに生じたとする下痢が放射線の
急性症状でないことは明らかである。原告Gは,着の身着のまま長崎を離れ,野宿
しながら4日間をかけて飫肥駅に到着したというのであり,当時の悪化した衛生状
態からすれば,感染による下痢・血便であるとしても,何ら医学的に不合理ではな
い。
そして,リンパ腺が腫れたこと,歯茎からの出血や歯がぐらついたことについて
も,当時の劣悪な栄養状態・衛生状態が影響したとみるのが自然である。
したがって,原告Gが急性症状として主張する症状が放射線性のものでないこと
は明らかである。
イ申請疾患の放射線起因性
(ア)申請疾患
原告Gの認定申請書(乙B1号証),同申請書添付の意見書(乙B2号証)及び
健康診断個人票(乙B3号証)の記載によれば,同原告の申請疾病は両眼白内障と
認められ,上記健康診断個人票によれば,平成9年初めころ(70歳ころ)に視力
低下に気づき,同年5月13日初診で,水晶体,両眼共前嚢下に中程度の混濁を認
め,その後右眼について白内障手術を実施し,左眼は治療中であると記載されてい
る。
(イ)原告Gの申請疾患に放射線起因性は認められないこと
そもそも,放射線白内障は,確定的影響の疾病であり,しきい値は1.75Sv
(ガンマ線で換算すると,1.75Gy)とされているのであって,これは,現在の
確立した放射線医学の常識である。原告Gの被曝線量はほとんど0Gyに等しいもの
であるから,これをもって放射線白内障などと認めることはおよそできない。
そして,原告Gの白内障は,被爆後52年が経過して同人が70歳に達した平成
9年に発症し,その後の5年間で症状が進行したことになるが,そうであれば,放
射線白内障としてはあまりにも遅すぎる発症といわざるを得ず,原爆白内障の潜伏
期は10か月かあるいはそれより早いとする報告や放射線白内障は被曝後数か月か
ら数年を経て生じるとの科学的知見がある状況で,被爆後50年以上経過した後に
放射線白内障が発症したとは到底考え難い上,老人性白内障は,加齢による水晶体
の混濁のため70歳から80歳の高齢者になると多少なりともすべての人にこれが
認められるものであるから,原告Gの白内障は老人性白内障と考えるのが素直であ
る。
また,混濁が生じている部位からしても,放射線白内障とはいい難い。すなわち,
原爆白内障は水晶体後嚢下の皮質に変化が強いという報告や放射線白内障は後嚢下
に白内障をみるという科学的知見があることからすれば,放射線に起因する白内障
は水晶体内の白濁が後嚢下に限局し,前嚢下には及び難いと考えられる。しかしな
がら,原告Gの原爆症認定申請書に添付された健康診断個人票には,「水晶体,両
眼共前嚢下に中等度の混濁を認め視力両眼共0.4」との記載があり,同原告の診
療録写しには,「左水晶体後嚢下円盤状混濁前極前嚢下にも混濁あり」と記載され,
それを示す図も描かれている。このような臨床所見より原告Gの白内障は水晶体の
後嚢下だけでなく,前嚢下にも同様の混濁を来していることが示されている。した
がって,上述したような放射線に起因する白内障の臨床所見とは異なった病態であ
ると考えるのが適切である。
このように,推定された被曝線量だけでなく,臨床的に認められた所見を十分に
考慮しても,原告Gの白内障は放射線白内障と判断できる根拠に乏しく,老人性白
内障と考えるのが科学的にも妥当である。
(ウ)この点,原告らは,上記AHS8報によれば,白内障に有意な線量反応関係
が認められた旨主張する。
しかし,同報告書の白内障に関するグラフ(8頁図1)によれば,2Gyを超えた
領域では相対リスクが全く上昇していないことが認められ,白内障について,線量
反応関係を肯定することが困難であることが示唆されている。また,同報告書(5
頁)には,調査年齢が60歳を超えると有意差が認められなくなると記載されてお
り,ここで扱われている白内障が放射線白内障ではなく,老人性白内障であること
を示唆しているのであって,同報告書を基に放射線白内障が確率的影響の下にある
ということはできない。
また,原告らは,津田論文を根拠に白内障の線量反応関係,低線量での後嚢下混
濁の発生及び遅発性の放射線白内障の可能性について主張する。
しかし,津田論文では,混濁が後嚢下に存在すれば放射線白内障であり,皮質に
存在すれば老人性白内障であるとの前提で検討しているものと思料されるところ,
これらの前提は,同論文の著者らの仮定にすぎず,老人性白内障においても,混濁
が後嚢下にはじまる可能性があるとの一般的な眼科学の見解とは異なるものである。
そして,津田論文の著者らは,皮質混濁と後嚢下混濁の所見を混同して解析して
いるため,後嚢下混濁だけの群と後嚢下混濁・皮質混濁の両方がみられる群が重複
することになる。その結果,老人性白内障で皮質混濁から発し,後嚢下混濁に至っ
た者も後嚢下混濁のみみられる者と同様に扱われることになり,放射線白内障と老
人性白内障を鑑別した分析を行うことができなくなっており,同論文に示された線
量反応関係は正確性に乏しい。
さらに,津田論文では,著者ら自身,結果についての明瞭な解釈を回避しており,
今後の検討の必要性を示している。
(エ)また,原告らは,原告Gの後嚢下の混濁が顕著であったとする佐野医師の報
告書を提出する。
同報告書においては,原告Gの「左目水晶体の混濁は前嚢下にも及んでいたもの
の混濁の範囲は小さく,これに比して後嚢下の混濁の範囲は著しく大きく,顕著」
であったと記載されているが,このように著しく大きく顕著であったという重要な
所見は診療録に残されておらず,このような記載をしないことは,臨床的な常識か
らは理解し難い上,認定申請書に添付された意見書及び健康診断個人票には,いず
れも後嚢下混濁に関する記載がなく,上記報告書の記載と全く異なる所見が示され
ている。これについて,佐野医師は,意見書及び健康診断個人票の記載は自己及び
検査技師による誤記であるとするが,このように眼科的に重要な所見を医師と検査
技師が同時に誤記するということは,医学的にのみならず一般常識からしても到底
理解できないものであり,同報告書には信憑性がないというほかない。
(2)小括
以上のとおり,原告Gの申請疾患である白内障は,発症時の年齢からしても,老
人性白内障とみるのが素直であり,放射線起因性を見いだすことはできない。した
がって,原告Gの申請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤りはない。
〔原告Hについて〕
(原告Hの主張)
(1)被爆状況
ア被爆時の場所,状況等
原告Hは,広島で被爆した時,第2総軍司令部参謀部通信班にて兵役に就いてお
り,原爆が投下されたときは,夜勤明けでまさに眠りにつこうとしたところであっ
た。原告Hが被爆した場所は,泉邸(縮景園)の対岸にある兵舎の中であり,爆心
地から1.5㎞の地点であった。
原告Hは,窓際の寝台に毛布を頭からかぶって横になったところ,その瞬間,頭
から毛布をかぶっているにもかかわらず,足元のほうに白く,赤みのある巨大な火
柱が見え,巨大な火の玉が瞬間的に大きくなり,その中に包み込まれるような感覚
を受けたこと,次の瞬間,爆風で3m以上飛ばされ,兵舎がガラガラと崩れるのが
感じられたことを鮮明に記憶している。
兵舎の中とはいえ,原告Hは,毛布をかぶった状況でも閃光を浴びているのがは
っきりわかる状況で,爆風も受けているという被曝状況からすれば,建物などによ
る遮蔽は大きくなく,1.5㎞という相当な近距離で被爆した原告Hについては,
初期放射線だけでみても,被曝線量は相当大きい。
イ被爆当日の行動
原告Hは,被爆後気を失い,しばらくして気が付いて体を見ると,右胸に1.5
㎝ほどの穴が開いており,呼吸をするたびに血がブクブクと噴き出しており,左臀
部からも出血しているのに気付いた。また,耳は聞こえず,頭の中にはがんがんと
いう音が鳴り響いていた。周囲を見ると,辺りの者がけがをしており,なんとか助
けようと外に助けを呼びにいった。その際,黒い雨を浴びており,軍服の中までび
しょ濡れとなり,シャツも薄墨で塗ったような灰色になった。
爆心地から相当近距離の場所でこのような救援活動をしたことや,黒い雨を浴び
たことなどからすれば,原告Hは,放射性降下物や誘導放射線などによる放射線も
相当量浴びたことは明らかであり,その後も内部被曝などによる影響を受けている
可能性が極めて高い。
その後,兵舎のあたりで救援活動を行っていたが,兵舎が燃えてしまったことか
ら,ほど近い避難場所の二葉の里に避難した。二葉の里では,きわめて簡略なもの
であったが,臀部のけがなどにつき,治療を受けることができた。
ウその後の行動
原告Hは,被爆の翌日(8月7日)こそ1日休んだが,その翌日(8月8日)か
ら,軍の命令に従い,司令部配下の各部隊・施設間の通信網作成のための架線工事
に従事することになった。
各施設まで架線するため,原爆投下後間もない広島市内を歩き回った。広島が焼
け野原になってしまったことから,わかりやすい線路を通って回線を引き,爆心地
付近を通ったり,回線を引いたりすることもしばしばであった。このような作業は,
10月下旬まで2か月以上続いた。その間,一緒に架線工事に従事していた者の中
には,やけどやけがもないのに,気分が悪いなどといって突然死んでしまう者など
もおり,通信班の生き残りで架線工事に従事していた同僚の半分近くが作業中に死
亡してしまった。
このような,原爆投下後間もない広島市内で2か月以上に及ぶ作業をしたことに
より,原告Hには,残留放射線による被曝や,粉塵等による内部被曝が相当程度あ
り,その影響がその後もあったと推測される。
(2)急性症状等
原告Hは,二葉の里に避難する際に,食糧倉庫に乾パンがあるのを発見し,持っ
て行ったが,吐き気がひどく,乾パンを食べることができなかった。少し食べると
黒い血が混じった胃液を吐いてしまう状況であった。
また,翌日ころから下痢の症状が現れ,血ばかりが出るような状況がしばらく続
いた。原告Hは,アミーバ赤痢にかかったものと考え,消し炭ばかりを食べてしの
いでいたところ,1週間ほどすると黒い下痢便が出るようになり,その後,次第に
黒い普通の便になってきた。そこで,消し炭のほかに少しの食物を食べることがで
きるようになり,やがて普通の食事ができるようになった。消し炭は燃えた家から,
炭になった部分を取ってきて食べており,それによる内部被曝の影響も強く懸念さ
れる。
また,被爆から2,3日後より,頭部,陰部,眉毛の脱毛が始まり,毛髪などは
3分の2ほどの毛が抜けてしまい,ぱらぱらと髪が残る程度の状況となった。さら
に,同じころ,腕,腿,胸,腹などに直径7,8㎝くらいの紫斑が現れた。
このような脱毛や紫斑は,10月下旬に広島市を離れるころまで続いていた。
上記のような原告Hの被爆後の症状は,いずれも放射線被曝による典型的な急性
症状に該当する。
原告Hは,被爆時まで軍人として就役しており,健康状態なども問題なく,上記
のような症状が生じる原因はほかに考えることはできない。また,原告Hは,1.
5㎞という相当な近距離で,遮蔽も大きくない状況で被爆しており,初期放射線に
よる被曝線量も相当な量であったと考えられることからしても,上記の症状が放射
線被曝による急性症状であることは疑いない。
(3)その後の症状の経過
ア被爆以前の健康状態等
原告Hは,被爆以前には大病等もしたことが無く,徴兵検査にも問題なく合格し,
兵役に就いてからも厳しい訓練や実務を問題なくこなすなど,特に健康状態に問題
はなかった。むしろ,過酷な訓練や勤務が行われる部隊に配属され,その中できち
んと任務をこなしており,健康状態は良好であった。
イ除隊後しばらくの生活状況や体調等
原告Hは,10月下旬から大阪市で1か月ほど過ごしたが,その間,片耳しか聞
こえず,耳だれのようなものが出る状況であった。大阪市で病院に通い,耳の治療
を受けたが,結局,片耳が聞こえず,蝉の鳴き声のようなジンジンという音は治ら
なかった。
その後,11月に軍隊を除隊となり,家族の疎開先である豊橋市に帰ることとな
り,豊橋市では家の農作業を手伝うなどしていたが,倦怠感があり,体がだるく,
朝起こされても起きられないような状況であった。
翌年の昭和21年8月には,三河三谷の織物工場に就職し,寄宿舎生活をするこ
とになり,そこで2年ほど働いたが,ここでも倦怠感があり,朝起きることができ
ずに遅刻してしまうことがたびたびだった。
ウ結婚から現在までの状況
原告Hは,昭和23年10月,愛知県木曽川町にあるH家に婿養子として迎えら
れることとなった。しかし,結婚してからも倦怠感があり,体がだるく,朝起きる
ことができないような状況は続いていた。また,片耳が聞こえず,ジンジンという
音が聞こえるという状態も続いていた。これらの状態は,現在に至るも続いている。
そのほか,原告Hは,結婚後,次のような病気などに苦しんできた。
(ア)昭和30年ころ,睾丸が腫れて大変痛んだため,木曽川町立木曽川病院を受
診した。そこでは,結核性睾丸炎と診断され,睾丸を一つ摘出することとなった。
しかしながら,その後,摘出した睾丸を検査したところ,結核菌は発見されなかっ
たと医師から聞かされた。医師によれば,原告Hの睾丸の症状につき,このような
症状は結核以外考えられないとのことであった。
(イ)原告Hは,被爆時に左臀部にガラスが入り,被爆直後には幸いにしてそれを
衛生兵によって摘出してもらうことはできたが,器材や薬品もない状況での不十分
な処置であり,その後もずっと左臀部の当該部分がうずき,触るとぶよぶよする状
態であった。その左臀部が,上記睾丸の摘出を受けてから1,2年後の時期に腫瘍
となり,急激に大きくなった。そこで,木曽川外科で診察を受け,手術をすること
になった。手術は,その部分の肉を取るものであり,その後1週間ほど入院した。
また,左臀部の手術から1年ほど後,右臀部にも同じような腫瘍ができ,上記外
科で同様の手術を受けた。右臀部にもそのような腫瘍ができた原因は不明であった。
(ウ)原告Hは,昭和60年ころより激しい腹痛を覚えるようになり,嚢胞性膵腫
瘍と診断された。この点は,後に詳述する。
(エ)昭和62年ころから急に目が悪くなり,一宮市の佐野眼科医院で診療を受け,
両目白内障と診断された。原告Hの白内障については,後嚢下に混濁が認められる
とのことで,原爆による放射線被曝が原因と思われ,原爆症の認定申請を行ったが,
却下され,現在,異議申立てに対する審査を待っている。
(オ)原告Hは,平成10年ころから右肩に違和感を覚え,その後,右肩に鞄等の
荷物を掛けると大変痛むようになったため,村上記念病院の外科にて診察を受け,
右肩の異物を摘出する手術を受けた。直径約2㎝ほどの青梅くらいの大きさの異物
が摘出された。この手術の結果,原告Hは右手にしびれが残り,食事中に箸を落と
したり,字を書くときにペンを落としたりするようになった。
(カ)平成11年ころ,左脚がむくみ,村上記念病院で診察を受けたところ,左下
腿静脈瘤と診断され,手術を受けた。
(キ)原告Hは,被爆によって右下顎部に異物が入ったため,被爆後より,時々よ
だれが出るということや,食べ物を飲み込むのに苦労し,食べるのに時間がかかる
ことがあった。また,寝るときに右顎が下になったりすると,痛みで目が覚めるこ
ともあった。このような右下顎部の異物につき,平成14年8月に岩田歯科医院口
腔外科にて,エックス線写真をとってもらい,異物の状況を検査してもらったとこ
ろ,異物が神経に近接して存在しているため,摘出するのは危険であり,そのまま
にしておいた方がよいと言われた。そのため,現在も右下顎部の異物はそのままで,
痛みを我慢する日々が続いている。
(4)現在の状況
ア現在の病状
被爆時に右下顎部に入った異物は,神経に近接しているため摘出が困難であり,
現在もそのままであるため,痛みを我慢する日々が続いている。また,被爆によっ
て片耳が聞こえず,頭の中でジンジンというような音が響くという症状は,被爆直
後から現在まで継続している。
昭和60年に発症した膵嚢胞,昭和62年に発症した白内障は現在も治療中であ
り,平成10年に右肩の異物を摘出する手術を受けると右手にしびれが残った。
イ申請にかかる疾病
原告Hが原爆症認定を申請したのは,嚢胞性膵腫瘍である。現在の診断基準によ
れば,嚢胞性膵腫瘍のうち真性嚢胞の一つである分枝型膵管内乳頭粘液腫瘍(「I
PMT」という。)に適合する。現在のところ,良性腫瘍と診断されるものの,悪
性化の可能性が否定できないため,経過観察が必要である。
被告らは,原告Hの申請にかかる疾病は仮性嚢胞であると主張する。
しかし,超音波内視鏡検査の結果,原告Hの膵嚢胞が多房性であることが明らか
であり,高齢で男性であること,主膵管との交通が存在すること,仮性嚢胞に特徴
的な臨床症状が見られないことから,原告Hの疾病が仮性嚢胞ではなく真性嚢胞で
あり,具体的にはIPMTであることは明らかである。
(5)放射線起因性の要件該当性
ア原告Hが放射線に被曝したこと
原告Hは,爆心地から1.5㎞の兵舎内で被爆した。頭から毛布を被っていても
足元の方に巨大な火柱が見え,火の玉に包み込まれるような感覚を受け,爆風で3
m以上飛ばされて意識を失った。右胸に1.5㎝ほどの穴が開き,左臀部にガラス
が刺さり,顎にも異物が混入した。その後,懸命に救護活動を行っていたところ,
黒い雨を浴びた。被爆した日の夕方から下痢,食欲不振,倦怠感に襲われ,2,3
日後より脱毛が始まってほとんどの毛が抜けてしまい,また,腕,腿,胸,腹など
に紫斑が現れた。
また,被爆の2日後から10月下旬ころに大阪に引き上げるまで2か月以上,通
信回線を引くために,爆心地付近を含む文字通り広島市内の焼け跡中を連日歩き回
った。
このように,原告Hは,原爆の爆発によって直接多量の放射線を浴びた上,黒い
雨や通信線を引くための作業によって,放射性降下物や誘導放射線によっても多量
に被曝したことが明らかである。それは,生存するのが難しいくらいの放射線量で
あった。
イ原告Hの疾病と放射線起因性
(ア)IPMTと放射線被曝との関連性に関する知見は得られていないが,放射線
による有意な影響が否定されるものではなく,症例が少ないために統計に表れてお
らず,未解明な状態にあると考えられる。
(イ)IPMTは前がん病変であるが,罹患リスクの特徴の一つに腹部放射線照射
歴がある。
この点,原告Hは,近距離被爆者であり,腹部にも相当量の放射線が照射された
と考えられる。加えて,被爆後も,黒い雨を浴び,2か月間も広島市内で通信回線
の回復作業を行っており,残留放射能による内部被曝も相当線量に達していること
が確実である。実際,原告Hは,下痢や嘔吐,脱毛といった典型的な急性症状を発
症し,その後も,いわゆる原爆ぶらぶら病に苦しんできた。
(ウ)IPMTが前がん病変であることから,膵臓がんの過剰相対リスクに有意性
が認められるのであれば,IPMTについても過剰相対リスクに有意性が認められ
ることが推測される。
この点,放影研の「寿命調査第9報第3部」(甲C8号証)において,長崎原爆
被爆者の腫瘍発症に関して膵臓がんの過剰相対リスクが統計的に有意であったとの
報告がなされている。同報告は,長崎腫瘍登録資料を利用して,長崎の放影研寿命
調査対象者における悪性腫瘍の発症率を調査したものであるが,長崎の登録の質は,
広島を含め他の登録のそれよりも勝っており,信頼性は高い。
また,広島大学原爆放射線医科学研究所によると,被爆者の膵臓がんに関する過
剰相対リスクに有意性が認められた。
(エ)原告HのIPMTは,現在のところ良性腫瘍と診断されるが,前がん病変で
あり,悪性化の可能性が否定できないとされている。同じく良性腫瘍の一つとされ
る大腸ポリープは,大腸がん発生までの多段階ステップの重大な中間状態であるこ
とが明らかにされているところである。
ところで,放射線ががんの発現に及ぼす主要な機構としては遺伝子の傷害が考え
られており,良性腫瘍においても放射線が同様の作用を及ぼすことが十分に考えら
れるとされる。聞間証人によれば,放射線が細胞の中の生存情報,遺伝子情報を傷
つけるために,本来の姿から増殖傾向を持ってしまうのであり,良性腫瘍は,これ
を抑制する遺伝子の働きがまだ残されているため,増殖が抑えられているに過ぎな
い。
この点,放射線被曝と良性腫瘍の関連については,放影研の「成人健康調査第6
報」(甲C9号証)によると,放射線量に伴って良性腫瘍の有病率は有意に増加し,
200rad(2Gy)以上の群では0rad(0Gy)群の2倍にも達し,この傾向は近年
に至るほど強く見られ,線量に伴う増加はどの年齢群にも観察されるが,被爆時年
齢10歳代及び20歳代では一貫性が高いとされている(同17頁)。また,150
0m以内で被爆した人と非被爆者との間に良性腫瘍の罹患率について有意な差が見
られたとの報告も存在する。甲状腺や下垂体,あるいは子宮筋腫など一定の疾病に
ついては,良性腫瘍ではあっても放射性起因性が肯定されており,医師団意見書で
は,これを「放射線被曝による良性腫瘍の発生の可能性を示唆する所見とも考えら
れる」と評価しているところである。
このように,良性腫瘍だからといって,IPMTについて放射性起因性が否定さ
れる理由はなく,むしろ,原告Hのように多量の放射線を浴びた場合は,遺伝子が
傷つけられて発症したことが否定されない限り放射性起因性が肯定されるべきであ
る。
(オ)原告Hの主治医である小島孝雄博士も,原告HのIPMTと放射線被曝との
関連性は否定されないと診断した。理論的にも,被爆を体験した原告Hの症状につ
いて,原因又は素因の上で,被爆と全く無関係であると断定することは,例外的な
場合を除いて,極めて困難である。原告Hのように,外部・内部とも多量に被爆し
た場合,新生物の発症が放射線に起因することは明らかである。
(カ)このように,原告Hが原爆症認定を申請した嚢胞性膵腫瘍(IPMT)の放
射性起因性は明らかである。
(6)要医療性の要件該当性
原告Hが罹患しているIPMTは,現時点では良性腫瘍と診断されるものの,悪
性化の可能性が否定できず,経過観察が必要である。また,原告Hは,左腹部から
左背部に痛みを訴えており,特に,脂肪分の多い食事や過食した後に痛みが強くな
るため,内服薬が処方されている。
(被告らの主張)
(1)原告Hの申請疾患に放射線起因性が認められないこと
ア被爆状況
(ア)被爆地点
原告H(大正13年12月18日生,男性)は,爆心地から1.5㎞離れた広島
市大須賀町の第2総軍司令部参謀部通信班兵舎内で被爆した。
(イ)推定被曝線量
審査の方針別表9(広島)によれば,広島に投下された原爆による被曝線量は,
爆心地から1500mの地点では0.5Gyとされ,原告Hは兵舎で被爆したとされ
ていることから,これに建物による遮蔽を考慮して透過係数を0.7とすると,同
原告の初期放射線による被曝線量は0.35Gyと推定される。
また,原告Hには,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700m以内の区域へ
の入市や,広島市己斐地区又は高須地区に滞在又は居住した経過は認められないこ
とから,放射性降下物や誘導放射能による残留放射線被曝の影響については考慮を
する必要はない。
原告Hは,被爆後救護活動に従事し,黒い雨に打たれた旨供述するが,放射性降
下物や誘導放射線による影響は,極めて限られたものであることは,前述のとおり
である。
よって,原告Hの推定被曝線量は,0.35Gyと推定される。
イ原告Hが述べる被爆後の症状は,被爆による急性症状の所見とは相いれない
ものであること
原告Hは,被爆直後から嘔吐が始まり,7日の夕方から,下痢,食欲不振,倦怠
感に襲われ,下痢については,血ばかりが出る状態が1週間ほど続き,被爆の2,
3日後から,頭部,陰部,眉毛の脱毛が始まり,同じころ,腕,腿,胸,腹などに
紫斑が現れたと供述する。
しかし,原告Hの被曝線量は,0.35Gy程度と推定され,上記各症状が放射線
被曝に起因するものということのできないことは,明らかである。仮に,原告Hが,
上記のような急性症状としての下痢等が起こり得るレベルの被曝をしているならば,
感染症等の重大な合併症を発症しているはずであるが,そうした供述は一切認めら
れない。原告Hが述べる被爆後の症状は,被爆による急性症状の所見とは相いれな
いものである。
被爆後の悲惨な状況下で原告Hが極度の精神的ストレスに悩まされていたことは
容易に想像され,これが原因となって脱毛が発症したことも十分に考えられる。特
に,原告Hが広島を離れる昭和20年10月下旬まで脱毛が進行していたとの原告
Hの供述を考え合わせると,脱毛の原因が極度の精神的ストレスであったことを強
く推認せざるを得ない。また,原告Hは,睡眠不足の中で過酷な援護活動に従事し
ており,その衛生状態・栄養状態は相当悪かったものと認められ,下痢や血便が感
染によるものであったとしても,医学的に何ら不合理ではない。
したがって,原告Hが急性症状として主張する症状が放射線性のものでないこと
は明らかである。
ウ申請疾患の放射線起因性
(ア)申請疾患
原告Hの認定申請書及び同申請書添付の意見書の記載によれば,同原告の申請疾
病は「のう胞性膵腫瘍」と認められ,同意見書には,昭和60年(61歳)より,
経過観察中と記載されている。
(イ)原告Hの申請疾患に放射線起因性は認められないこと
a「のう胞性膵腫瘍」は,臨床診断名として用いられることはまれであり,一
般的には膵嚢胞と呼ばれるものである。実際にも,腹部CT結果表(乙C4号証)
には,「膵体部にCT値0∼2,径20㎜の大きさの低濃度の腫瘤」である旨記載
され,膵嚢胞として診断されている。膵嚢胞とは,膵液,粘液,血液,壊死物質な
どを内容として含み,嚢胞壁に覆われた腔(嚢胞)を膵内部あるいは膵周囲に形成
する病変の総称である。
原告Hの場合,①激しい腹痛という炎症症状を呈していること,②良性と診断さ
れていること,さらに③病変内部のCT値,すなわちハウンズフィールド単位が0
∼2であり,内部はほとんど水や液状成分で占められていることからすれば,腫瘍
のような実質的な組織が存在しないと考えられるのであって,原告Hの膵嚢胞は,
膵嚢胞の中でもその大部分を占める仮性嚢胞で,膵炎を成因としたものである可能
性が高く,腫瘍性のものとは考え難い。
このような膵嚢胞は,放射線の確率的影響として生じる悪性腫瘍ではなく,また,
確定的影響とする科学的知見も一切存在しない。その他,原告Hの被曝線量,既往
歴,環境因子,生活歴等を総合的に検討しても,原告Hの「のう胞性膵腫瘍」,す
なわち膵嚢胞については,原爆放射線に起因すると認めることはできない。
bこれに対して原告側証人の聞間医師は,原告Hの膵のう胞性疾患がIPMT
(膵管内乳頭粘液性腫瘍)であること肯定している。
しかし,IPMTの典型的なCT像(乙全94号証(5頁)の一番上の写真)は,
複数の輪郭が比較的はっきりした黒い楕円形の病変が集束したもので「ブドウの房
のよう」と表現されるものである。そして,聞間証人もこのIPMTの典型的なC
T像でこの多房性の病変の輪郭を記しているが,この多房性病変は,原告Hの膵臓
の病変を示したCT像(乙C7号証)で示される単一の楕円形の病変(単房性)と
は明らかに異なっている。
さらに,IPMTは膵管から発生する病変であり,膵管が拡張するものである。
したがって,乙全94号証(5頁)の一番上のCT像のように,膵管が病変化する
ため,本来の膵臓中心部に描出される細い線状の膵管が見えてこない。ところが,
聞間証人自身が原告HのCT像に記したように,原告Hの場合は膵臓中心部の黒い
線状の膵管は病変とは別に描出され,病変とは連続していない。そして,その状態
は平成7年(1995年)5月19日と9年後の平成16年(2004年)4月2
6日とで変化がないのである。このように,原告HのCT像が膵臓の病変はIPM
Tでないことを明らかに示している。
(2)小括
以上のとおり,原告Hの申請疾患には放射線起因性を見いだすことはできない。
したがって,原告Hの申請疾患に関する原爆症認定申請を却下した処分に誤りはな
い。
3争点(2)国家賠償責任の成否について
(原告らの主張)
(1)被告厚生労働大臣の違法行為について
ア認定行政の誤り
被告厚生労働大臣は,被爆者援護法に基づいて原告らの各原爆症認定申請を速や
かに認める決定をすべきであったにもかかわらず,a誤った認定基準を作成し,
これに基づいて誤った却下処分を下したことに加え,b行政手続法に則った審査
基準を設けることもなく,c申請から却下に至るまでいたずらに長期間を要し,
dしかも処分の理由を明示することなく却下処分を下すという行政手続法に反す
る処分を行っている。
これらの被告厚生労働大臣の行為は,以下のとおり,国家賠償法1条1項の違法
行為に該当することが明らかであるから,被告国は同項に基づき,原告らに対して
その損害を賠償する義務がある。
(ア)誤った認定基準(審査の方針)の機械的適用による却下
a誤った認定基準
被告厚生労働大臣の線量認定基準であるDS86には,実測値に合わないなどの
重大な欠陥があること,また,起因性判断について被告厚生労働大臣が用いる原因
確率は解析方法に由来する限界があること,及び集団データ解析の結果を個々の被
爆者に当てはめるのは適切でないにもかかわらず,予め定めた審査の方針を原告ら
に機械的にあてはめて原告らの原爆症認定申請を却下したことが基本的に間違って
いる。
b行政手続法5条に反し審査基準を設けていないこと
行政手続法5条1項は「行政庁は,審査基準を定めるものとする。」とし,同条
2項は「行政庁は,審査基準を定めるに当たっては,許認可等の性質に照らしてで
きる限り具体的なものとしなければならない。」と規定している。これは,処分庁
の判断の客観性・合理性を担保して,その恣意を抑制する趣旨である。
しかし,被告厚生労働大臣は,審査の方針が,あくまでも医療分科会の委員が審
査に当たり,共通の認識として活用する趣旨のもので,かつ,基本的な考え方を示
したものにすぎないとしており,審査の方針が行政手続法5条に定める審査基準と
して位置づけられていないことは明らかである。
よって,原告らに対する本件各却下決定は,審査基準を設けることを規定してい
る行政手続法5条1項に違反することが明らかである。
c審査の遅れ
行政手続法7条は「行政庁は,申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該
申請の審査を開始しなければなら」ないと規定する。
しかし,本件においては,原告らの申請から却下処分までの期間は以下のとおり
長期間に及ぶものであり,同条項に違反することは明らかである。
すなわち,申請から却下通知までの日数は,原告F,原告Gが200日を越えて
おり,原告Hでは300日を越えている。原告Eに至っては,申請から却下通知ま
での間に300日以上,異議申請から棄却処分までは実に5年以上の日時を要して
いる。
このように原告らすべてが申請から却下まで長期間放置されたことにより,大き
な精神的苦痛を被った。
授益処分の申請者が相当期間内に応答処分されることにより焦燥,不安の気持ち
を抱かされないという利益は,内心の静穏な感情を害されない利益として,不法行
為法上保護の対象となるのであって(最高裁平成3年4月26日判決・民集45巻
4号653頁),原告らの原爆症の認定申請の手続遅延について被告厚生労働大臣
がこれを解消するための努力を尽くした形跡が認められない本件においては,被告
厚生労働大臣には,不当に長期間にわたらないうちに応答処分すべき作為義務に違
反した違法があり,かかる手続の遅延によって,焦燥,不安の気持ちを抱かされな
いという利益を侵害されたことが原告らの損害である。
d理由の不開示
行政手続法8条1項本文は「行政庁は,申請により求められた許認可等を拒否す
る処分をする場合は,申請者に対し,同時に,当該処分の理由を示さなければなら
ない。」とし,同2項は「前項本文に規定する処分を書面でするときは,同項の理
由は,書面により示さなければならない。」と規定する。拒否処分に付すべき理由
としては,いかなる事実関係に基づき,いかなる判断経過をたどって原爆症認定が
拒否されたかを,申請者がその記載自体から了知できるものでなければならず,単
に抽象的・一般的に審査結果のみを記載するだけでは,不十分である。
しかし,本件における原告らに対する認定却下通知には,実質的な理由は全く明
らかにされておらず,審査会の審議の結果,原爆症とは認定しないという結論のみ
が記載されているだけであり,審査会においていかなる事実を前提にいかなる審議
がなされ,認定却下という処分に至ったかについては全く記載されていない。
なお,行政手続法8条1項ただし書には「法令に定められた許認可等の要件又は
公にされた審査基準が数量的指標その他の客観的指標により明確に定められている
場合であって,当該申請がこれらに適合しないことが,申請書の記載又は添付書類
その他の申請内容から明らかであるときは,申請者の求めがあったときにこれを示
せば足りる」とされているが,本件の場合には「審査基準が数量的指標その他客観
的指標により明確に定められている場合」でないことは明らかであり,また「当該
申請書の記載又は添付書類から明らかであるとき」にも該当しないことも明らかで
ある。
よって,本件各処分は行政手続法8条1項,2項にも違反するといわなければな
らない。
e違法な却下処分と損害賠償
本件各処分には,上記aのような実体的な違法のみならず,bないしdのような
手続的違法も存在することから,被告厚生労働大臣は,その職務を行うについて,
故意又は過失により原告らに損害を加えたことは明らかである。したがって,被告
国は国家賠償法1条1項に基づいて原告らに対してその損害を賠償する責任を免れ
ない。
イ司法判断を無視して続けられる認定行政
(ア)司法判断の無視
被告厚生労働大臣は,DS86等の線量推定方式の誤りや原爆症の未解明性を基
に,被爆者の被爆状況を個別具体的に検討して総合的に判断すべきであるとした司
法判断の度重なる指摘を無視し,実際の運用を一切変えようとしなかった。
そればかりか,被告厚生労働大臣は敗訴が確定した平成12年最高裁判決の後に,
これを当てはめると上記最高裁判決の原告でさえ原爆症と認定されないことになる
原因確率を内容とする審査の方針を導入し,それに基づいて原告らの原爆症認定申
請に対して次々と却下処分を行ったものである。
(イ)審査の方針の機械的な適用による却下処分
被告らは,原因確率論を基準とする審査の方針は,あたかも従前の認定基準を改
善したかのように主張しているが,その内容は非科学的であり,不合理であるばか
りか,実際の運用でも残留放射線や内部被曝を全く無視し,被爆距離を最重要視し
て原因確率を機械的にあてはめて判断しており,個別的な検討を行っているもので
はない。
本件に先立って,大阪地方裁判所及び広島地方裁判所が相次いで被爆者の訴えを
全面的に認める判決を下しており(甲全70号証,92号証),これは審査の方針
を機械的に当てはめている実態に是正の手を加えたものにほかならない。
本件における原告らに対しても,上記各事件の原告らに対するのと同じ審査の方
針の機械的適用という取扱いがなされていたことはいうまでもない。
以上により,被告国は国家賠償法1条1項に基づく責任を負わなければならない。
(2)損害
ア慰謝料200万円
原告らは,いずれも過酷な被爆体験に加え,60年間にわたって心身の不調に悩
まされ,高齢を迎える中でそれぞれの申請疾病を発症し,医療を要することから,
被告厚生労働大臣によって当然に原爆症と認定され,必要な給付を早急に受けるべ
きであるにもかかわらず,長年の間放置され,結局は非科学的で,不合理・不明確
な基準によって本件各処分を下され,多大な精神的損害を被った。
そのため,原告らはいずれも原爆症で苦しんでいる中,高齢にもかかわらず,本
件訴訟を提起することを余儀なくされた。
被告厚生労働大臣の本件各処分が取り消されたとしても,これとは別に,各原告
が被った筆舌に尽くせない程の精神的苦痛を慰謝するには,少なくとも各金200
万円を支払うのが相当である。
イ弁護士費用100万円
原告らは,上記のように当然原爆症の認定をされるべきであったのに,違法にも
申請を却下されたために裁判を起こさざるを得なくなった。そして,本件が一般事
件と比べ特殊かつ複雑な事件であることを考慮するならば,被告厚生労働大臣の実
体上及び手続上の違法行為と相当因果関係のある弁護士費用は,各原告についてそ
れぞれ100万円を下らない。
(被告らの主張)
原告らの主張は否認ないし争う。
第4当裁判所の判断
1原子爆弾による被害の概要
(1)原子爆弾の概要
ア広島に昭和20年8月6日に投下された原爆は,ウラン235を核分裂物質
(核爆薬)として用いたものである。天然ウラン中には,連鎖反応を起こすウラン
238が99.3%,連鎖反応を起こさないウラン235が0.7%含まれており,
上記の核爆薬は,天然ウランからウラン235を90%以上に高濃縮したものであ
る。広島原爆は,砲身式(ガンタイプ)であり,2つの臨界未満の濃縮ウラン片を
火薬の爆発による推進力で急速に合体させ,核分裂連鎖反応を開始させるものであ
った(甲全5号証)。
長崎に同月9日に投下された原爆は,プルトニウム239を核分裂物質(核爆
薬)として用いたものであり,プルトニウムはウラン238を原子炉内で反応させ
て生産されたものである。長崎原爆は,爆縮式(インプロージョンタイプ)であり,
中性子発生イニシエーターの周囲に臨界未満のプルトニウム塊を配置し,更に周囲
を天然ウランで取り囲み,その外側に高性能火薬を配置して,爆縮レンズと呼ばれ
る仕組みを利用して収斂的な衝撃波によって圧縮し,核分裂連鎖反応を開始させる
ものであった(甲全5号証)。
なお,ウラン235の半減期(放射性元素の原子数が崩壊により半分に減るまで
の時間)は7.1億年,プルトニウム239の半減期は2万4360年である(乙
全32号証)。
イ広島原爆では,核爆薬60㎏中約700gが核分裂し,放出されたエネルギ
ーは,TNT火薬に換算して約15ないし16ktと推定されている。
長崎原爆では,核爆薬8㎏中約1㎏が核分裂し,放出されたエネルギーは,TN
T火薬に換算して約21ktと推定されている。
核爆発によって瞬間的に爆弾内に生じた高いエネルギー密度によって,核爆薬,
核分裂生成物や爆弾容器は,数百万度の超高温,数十万気圧という超高圧のプラズ
マ状態になり,灼熱の火球を出現させ,この火球から著しく高温の熱線が放出され,
また,この火球の急激な膨張によって秒速2万m以上の衝撃波が形成された(甲全
5号証,83号証の2,乙全59号証)。
ウ原爆によって発生したエネルギーのうち,約50%が爆風,約35%が熱線,
約15%が放射線のエネルギーになったが,その概要は次のとおりである(甲全5
号証,51号証,71号証の2)。
(ア)爆風
原爆の爆発とともに,爆発点には数十万気圧という超高圧が作られ,まわりの空
気が大膨張して爆風となった。爆風の先端は音速を超える衝撃波(高圧な空気の
壁)として進行し,その後部から音速以下の空気の流れが追いかけて移動した。爆
心地から500mの辺りで秒速280mの爆風が,爆心地から3.2㎞の辺りでも
秒速28mの爆風が生じた。
(イ)熱線
原爆の爆発と同時に発生した火球は,爆発の瞬間に最高数百万度に達し,爆心地
の温度は3000℃ないし4000℃に達し(鉄が溶ける温度は約1500℃であ
る。),最初の約3秒間に特に強い影響を与える熱線が放射され,爆心地から遠ざ
かるほどこの熱線は少なくなるものの,衣服をまとわぬ人体皮膚が熱線火傷を生じ
る程度の熱線(1㎠当たり2カロリー以上)が及んだのは,広島では爆心地から約
3.5㎞まで,長崎では約4㎞までの範囲であった。
(ウ)放射線
空中爆発による原爆の放射線は,爆発後1分以内に空中から放出される初期放射
線(全エネルギーの約5%)と,それ以後の長時間にわたって放出される残留放射
能(全エネルギーの約10%)の2種類に分類される。
初期放射線は,原爆さく裂時の核分裂反応の際(爆発後100万分の1秒以内)
に放出される即発放射線と,その後に核分裂生成物から放出される遅発放射線に分
けられるが,初期放射線の主要部分は,ガンマ線と中性子線である。
残留放射能には,核分裂生成物や分裂しなかった核分裂物質が,雨とともに,あ
るいはすす・塵として地表に降り注いだ結果,これらの放射性降下物が放出する放
射線と,初期放射線,特に中性子が,地面あるいは構造物を構成している原子核に
衝突することによって誘導放射化された結果,これらの放射性物質が放出する誘導
放射能とがある。
(2)原爆投下後の広島・長崎の状況
ア原爆の熱線によって,建造物等は全面的に着火して,大規模な火災を引き起
こし,巨大な火事嵐となって大災害につながった。着火した建物等は,続いてやっ
てくる衝撃波と爆風によって着火したまま倒壊し,屋内にいた人々をその下敷きに
し,閉じ込めるという事態も引き起こした。原爆の爆発によって,放射線や熱線に
よる直接的な被害とともに,こうした爆風による建造物の倒壊,屋内にいた人間の
下敷きなどによる閉じ込め,建物倒壊等による二次火災の発生,これらの火災によ
る焼死,火傷,さらに火災の同時多発と火事嵐に伴う竜巻の発生等によって,その
被害は著しく拡大した(甲全5号証・58頁)。
イ広島市は,北部の山丘地帯から瀬戸内海へ流れ込む太田川の河口につくられ
た三角州にできた平野都市であり,東部と西部は丘陵が壁をつくり,南部は瀬戸内
海に面している。このような扇形の平坦な都市のほぼ中央で爆発が起きたために,
方向にはほとんど無関係に被害が全市に拡がった。被害の程度は,爆心地から遠ざ
かるにしたがってほぼ同心円状に小さくなっているが,当時の全戸数(7万632
7戸)の92%にのぼる建物が何らかの被害を受けた。全市が瞬時にして壊滅した
といっても過言ではない。
広島では,爆発後30分ころから大火となって火事嵐が吹きはじめ,その風速は
2ないし3時間後には毎秒18mに達し,午前11時から午後3時には,市の中心
部から北半分で局所的に激しい旋風が起こった。午後5時ころになってようやく軽
風になったが,この火事嵐のため,爆心地から半径約2㎞の円内では,燃え得るも
のはすべて燃え尽くした(乙全56号証)。
8月6日午前11時には,市の中心街の方は猛烈な黒煙と猛火がたちのぼり,爆
心地から南南東2.2㎞の御幸橋付近でも,すぐその先まで火炎が近づいて来て,
進もうにも進めない状況であった(甲全3号証)。
ウ長崎では,爆心地の東方に金比羅山が迫り,西南には稲佐山があり,両方で
逆ハの字を形づくっており,このように山が迫っているために,家屋の灰燼・全焼
地域は南北に伸びている。北方は,人家が少なかったこともあって,爆心地からほ
ぼ2㎞までが灰燼あるいは火災地域となり,南方は,家屋の全壊・半壊地域は爆心
地から2.6㎞に及び,さらに爆心地から3ないし3.4㎞の長崎県庁が所在する
丘は,県庁も含めて火災地域になった。爆心地から3.3ないし3.6㎞の寺町は
飛び離れた全壊・半壊地域になったが,これは風頭山に到達した衝撃波の入射波と
反射波によるものと考えられる(甲全5号証・59頁)。
長崎では,火事嵐が広島の場合ほどはっきりしたものではなかったが,爆発後2
時間ほど経って火災が激しくなったころ,丘陵の間を南西の風が毎秒15mで吹き
抜け,この風は谷間の北方の人家の少ない方向へ火災を広げた。約7時間後には風
向は東に変わり,風速も落ちた(乙全56号証)。
2放射線起因性の立証の程度について
(1)被爆者援護法10条1項の医療給付を受けようとする被爆者は,あらかじめ
当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の同法11条1項の認定(原
爆症認定)を受けなければならない。そして,このように,行政処分の要件として
因果関係の存在が必要とされる場合に,その拒否処分の取消訴訟において被処分者
がすべき因果関係の立証の程度は,特別の定めがない限り,通常の民事訴訟におけ
る場合と異なるものではなく,その立証は一点の疑義も許されない自然科学的証明
ではないが,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生
を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通
常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要と
すると解すべきである(平成12年最高裁判決)。
(2)原告らは,この点について,我が国が唯一の被爆国であることにかんがみ,
被爆者の負傷又は疾病については広い範囲で放射線の影響を認めるべきであること,
被爆者援護法の制定も国家補償的配慮に基づくものであること,上記の因果関係の
立証について,被爆者は一種の証明妨害に曝されている立場にあること,これらを
根拠として,被爆者の負傷又は疾病が,放射線の影響によることが否定できない場
合には,特段の事情が認められない限り,放射線起因性を肯定すべきである旨を主
張する。
そして,原告ら主張のように,被爆者援護法は,国の責任において,原爆の投下
の結果として生じた放射能に起因する健康被害が,他の戦争被害とは異なる特殊の
被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び
福祉にわたる総合的な援護対策を講じることなどを目的としており(同法前文参
照),その立法趣旨,目的には国家補償的配慮があると解され,また,被爆後長期
間を経た今日において,被爆者による放射線起因性の立証作業には相当な困難を伴
うことも否定し難いことというべきである。
しかしながら,被爆者援護法は,健康診断(同法7条),一般疾病医療費(同法
18条),保健手当(同法28条),原爆小頭症手当(同法26条),健康管理手
当(同法27条),介護手当(同法31条),医療給付(同法10条1項)などの
各種援護策を設定し,その内容に応じて支給要件を定めているところ,健康管理手
当や介護手当の支給要件においては,支給の対象となる疾病や障害につき,「原子
爆弾の傷害作用の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。」として,
放射線との間の因果関係の程度を明示的に軽減する規定を置いているのに対し,医
療給付においては,かかる規定を設けておらず,このような被爆者援護法の構成や
規定内容に照らすと,被爆者援護法は,医療給付における放射線起因性の要件につ
いて,その立証の程度を軽減する趣旨を含むものと解するのは困難というべきであ
る。
したがって,被爆者援護法は,医療給付の支給については,上記のとおり放射線
と負傷又は疾病の間の因果関係について高度の蓋然性を認めることができる程度の
立証を必要としているものと解すべきであり,原告ら主張にかかる上記の諸事情は
具体的な因果関係の認定作業にあたって考慮に入れることとするのが相当と解され
る。
(3)ところで,前記前提事実欄に記載したとおり,被告厚生労働大臣が原爆症認
定を行う場合には,被爆者援護法11条2項により原則として医療分科会の意見を
聞かなければならないとされており,同分科会においては,平成13年5月25日
に策定された審査の方針に基づいて放射線起因性の有無を判断しているところ,原
告らは,審査の方針の合理性を争うので,以下これについて検討する。
3放射線起因性の判断基準の合理性について(争点(1)ア)
(1)DS86について
広島・長崎の原爆被爆者に対する被曝線量の推定に最初に用いられたのは,アメ
リカ合衆国のネバダにおける核実験データを基に定式化されたT57D(1957
年暫定線量)であったが,ネバダの核実験データをそのまま広島・長崎に適用する
のは適当でないため,広島・長崎の放射線量評価のためにICHIBANプロジェ
クトと称する実験が行われ,ネバダの砂漠に建てられた高さ約500mの鉄塔に裸
の原子炉やコバルト60線源を設置して,周辺への放射線伝播の測定が実施された。
この結果を基にT65D(1965年暫定線量)と称する被曝線量の評価方式が作
成されて用いられるようになった(甲全5号証,31号証,乙全102号証)。
1970年代後半になってT65Dに対する疑問が生じたことから,昭和61年
(1986年)に,「1986年放射線量評価システム」(DS86)という線量
評価方法が作成された。DS86の計算手法やその結果は次のとおりである。
アソースターム
(ア)爆発する原爆の表面から放出される粒子や量子の個数,及びそのエネルギー
や方向の分布(これを「ソースターム」ないし「線源項」という。)は,ロスアラ
モス国立研究所とローレンス・リバーモア研究所において,地下核実験のデータ解
析用のコンピュータ・プログラムを用いて計算された。なお,ソースタームに関し
ては,計算の元となったデータについては軍事機密のため公開されず,日本側に示
されたのはその計算結果だけであった。
なお,広島原爆は,砲身式の構造を反映してその方向によって放射線の放出量が
異なり,しかも核分裂時の爆弾の方向が,東北東に鉛直より約15度傾いた姿勢で
あった点も考慮された。一方,長崎原爆は,爆縮式の構造から放射線はほぼ等方に
放出されたと考えられた。
(イ)広島原爆に関しては,実際に投下された爆弾の複製(レプリカ。砲身を短く
した点と核分裂物質を減らして使用した点において,実物の爆弾と異なる。)を用
いて,臨界を引き起こす距離と,放射線放出角度ごとのフラックス及びスペクトル
が実測され,ソースタームの計算値の検証が行われたが,弾頭方向は胴体部分に比
べ一致の程度が低かったものの,計算値と測定値は概ね±20%の誤差範囲内で一
致した。
長崎原爆に関しては,長崎型の原爆による大気圏内核実験により,その計算評価
の正当性が立証された。
(ウ)ソースタームの中性子のエネルギー分布は,広島原爆では,0.3ないし0.
6MeVあたりにピークがあるのに対し,長崎原爆では,爆縮用の火薬によって中性
子が強く減速・吸収されたために,0.2ないし0.3keVあたりにピークが移っ
ている(甲全5号証,乙全59号証,67号証)。
イ伝播計算
原爆の表面から放出された放射線が空中を伝播して地表に到達するまでの伝播計
算は,爆心(広島では地上580m,長崎では503m)を通る鉛直線を軸に円筒
座標をとり,垂直方向は地下50㎝から地面までを21の層に,地面から上空15
00mまでを78の層に区切り,水平方向は爆心地(原爆の爆発点の真下の地上の
点)から2812.5mまでを,爆心地から100mまでは3mないし17m間隔
の14区間,それより遠方は25m間隔の106区間,合計120の円筒形のリン
グの区画に区切って数値計算が行われた。
中性子線の伝播の計算では,水素の原子核すなわち陽子の存在が大きな影響を与
えることから,大気及び地面における水分量の推定が重要となるが,この水分量の
推定には,広島気象台(爆心地の南南西3.6㎞)の原爆投下の日の午前8時に測
定した湿度80%と,長崎海洋気象台(爆心地の南南西4.5㎞)の原爆投下の日
の午前11時の記録湿度71%が,いずれも空間領域で相対湿度一定であるとして
用いられた。
上記の計算によって得られた推定放射線量は,主として日本の科学者によって当
時までに得られていた測定値(ガンマ線については熱ルミネッセンス法によるもの,
中性子線についてはリン32,コバルト60,ユーロピウム152等の測定による
もの)と比較検討された(甲全5号証,乙全14号証)。
ウ家屋及び地形による遮蔽の効果
日本家屋による遮蔽の効果については,典型的な日本家屋として6家屋集団と長
屋集団の2種類のコンピュータモデルを作り,6家屋集団の屋内の21か所と,長
屋集団の屋内の40か所の点を選んで,爆心地に対する16方向について合計97
6種類の遮蔽状態を考え,これら976か所について,コンピュータで粒子追跡計
算を行って家屋遮蔽の効果を求めた。
戸外にいた被爆者に対する遮蔽の効果については,家屋集団の戸外26か所と,
丘によって遮蔽された10か所を選び,4つの距離と8つの方向と2つの土地に対
して,コンピュータにより計算して遮蔽の効果を求めた(乙全40号証)。
エ臓器線量測定
各臓器に対する放射線の影響は,皮膚表面から入射して各臓器に達するまでの人
体自身による放射線の吸収量を考慮する必要があり,放射線の吸収量が計算できる
ように模式化された年齢に応じた3種類の人体モデルを作成し,被曝した際の状態
(寝ていたか,座っていたか,立っていたか)や被曝の方向に応じて,15の臓器
(赤色骨髄,膀胱,骨,脳,乳房,目,胎児/子宮,大腸,肝臓,肺,卵巣,膵臓,
胃,睾丸及び甲状腺)を対象として各臓器線量の計算を行った(乙全14号証,4
0号証)。
オデータベースの概要
DS86は,コンピュータによる上記のような計算の結果得られた,自由空間デ
ータベース,家屋遮蔽データベース,臓器遮蔽データベースを備えている。
自由空間データベースには,爆心地からの距離別(100mから2500mまで
25m毎の区間),エネルギー別(中性子37群,ガンマ線21群),角度別(2
40群)に,即発及び遅発中性子と,即発及び遅発ガンマ線別のフルエンスが保存
されている。
家屋遮蔽データベースには,家屋内976地点,戸外で家屋により遮蔽1920
地点,地形遮蔽640地点に対する粒子追跡結果及びそれを被爆者個人の遮蔽情報
に対応するように平均したものが保存されている。
臓器データベースには,15の臓器に対して,年齢別(3群)及び体位別に計算
された粒子追跡結果が保存されている。
DS86を用いて特定の被爆者について所要の線量を得るためには,被爆者の市
及び爆心地からの距離を入力して,被爆者の位置における自由空間の放射線場を出
力し,次に被爆者の遮蔽状況を入力して遮蔽フルエンスを出力し,また,年齢,性,
体位の入力により特定臓器の吸収線量等所要の情報を出力することができる(乙全
40号証)。
(2)DS02について
1990年代に入って,コバルト60やユーロピウム152の実測値がDS86
の計算値と合わないという問題を契機として,新たな原爆放射線量評価システムと
してDS02がまとめられた。
DS02においては,DS86で用いられた計算システムのうち,ソースターム
(線源項)及び輸送計算が全面的に入れ替えられ,遮蔽計算では,広島の比治山,
長崎の金比羅山等による地形の影響がモデル化され,広島の学校校舎や長崎の工場
等の建物モデルが追加された(乙全102号証)。その具体的な内容は次のとおり
である。
アソースタームの計算
DS02では,広島原爆の出力と爆発高さが16ktと600m(DS86では1
5kt,580m)に変更された。長崎原爆については出力21kt,爆発高さ503
mでDS86のままである。
即発線源項の計算については,出力計算の際に入力された爆弾の構造について,
DS86では,計算機能力の都合上,爆弾の尻尾の構造は省略されたが,DS02
では尻尾の構造を含めたフルモデルを基に計算された。計算結果は,中性子199
群,ガンマ線42群の爆弾放出エネルギースペクトルで与えられ,円筒形である広
島原爆については,さらに鉛直方向角度に40分割され,各角度領域ごとのデータ
が計算された(DS86では,計算結果は,中性子38群,ガンマ線20群,広島
原爆の鉛直方向角度20分割であった。)。DS02で計算された中性子スペクト
ル方向分布は,DS86に比べ,計算精度がよくなった分,なめらかな方向分布が
得られたが,基本的な形に大きな変化はない。
遅発線源項の計算については,爆発から30秒後までを,中性子については12
区分,ガンマ線については18区分の時間区分に分け,それぞれの区間ごとに線源
項を決めた(乙全102号証)。
イ大気・地上系長距離輸送計算
DS02による輸送計算においては,DS86と同様に円筒座標を採用したが,
そのメッシュについては,垂直方向につき地下50㎝から地上2000mまでを1
10の層に区切り(DS86では78の層),水平方向につき爆心地から3000
mまでを130(DS86では120区画)の区画に区切り,DS86より細かな
メッシュが採用された。
また,即発放射線について,中性子のエネルギーを199群(DS86では46
群),ガンマ線では42群(DS86では22群)に分類し,遅発放射線について,
中性子のエネルギーを174群(DS86では46群),ガンマ線では38群(D
S86では22群)に分類し,細かなメッシュの採用と合わせて,DS86より精
度の高い計算が行われた(乙全102号証,113号証(上))。
ウDS02とDS86の計算結果の比較
(ア)広島原爆の線量の比較(RobertT.Santoroほか「広島および長崎における放
射線の輸送計算」〔DS02報告書〕,乙全113号証(上))
広島における中性子線量を比較すると,爆心地から0ないし2500mの間で約
±10%異なり,0ないし300m及び2000ないし2500mの間でDS02
の計算値がDS86の計算値より小さく,300ないし2000mの間ではDS0
2の計算値がDS86の計算値より大きい。
ガンマ線量について比較すると,二次ガンマ線量は,いずれの距離においてもD
S02の計算値がDS86の計算値よりも小さく,一方,一次ガンマ線量は,爆心
地から約1200m以遠でDS02の計算値の方がDS86の計算値よりも20%
ほど大きい。
上記の線量の差の原因について,上記論文の著者は,①広島の爆弾の中性子及び
ガンマ線源のエネルギー及び角度,②速中性子(3MeV以上)の非弾性散乱の増大,
③中程度のエネルギー(0.5∼1.0MeV)の中性子の前方散乱の増大,④DS
02において爆発高度を580mから600mに上昇させたこと,⑤DS02にお
いて出力を15ktから16ktに変更したことが考えられるとの所見を述べている。
(イ)長崎原爆の線量の比較(RobertT.Santoroほか「広島および長崎における放
射線の輸送計算」〔DS02報告書〕,乙全113号証(上))
長崎における中性子線量を比較すると,爆心地から0ないし1500mの間でD
S02の計算値がDS86の計算値より約10ないし20%小さく,2500mで
ほぼ40%低くなる。
ガンマ線量について比較すると,二次ガンマ線量は,いずれの距離においてもD
S02の計算値がDS86の計算値よりも若干低く,一次ガンマ線量は,爆心地か
ら約1500m以遠でDS02の計算値がDS86の計算値より20%ほど大きい。
上記の線量の差の原因について,上記論文の著者は,広島における差異の原因と
類似しているが,長崎についての重要な追加事項は,DS02で計算された中性子
・ガンマ線漏洩スペクトルが,DS86の爆弾漏洩スペクトルと比較して,より高
いエネルギーまで,またより遅い時間の中性子捕獲にまで拡大されていることであ
り,これにより,広島の漏洩スペクトルの場合より大きな増加が見られることとな
ったとの所見を述べている。
(ウ)総カーマ線量の比較(RobertW.Youngほか「DS86と比較したDS02の
自由場中性子およびガンマ線量」〔DS02報告書〕,乙全113号証(下))
もっとも,広島と長崎の爆心地から2500mの範囲内において,総中性子・ガ
ンマ線空気中カーマ線量を比較すると,DS02の計算値とDS86の計算値の差
は10%未満である。
なお,爆心地から1000ないし2500mの範囲(ほとんどの被爆者がこの範
囲で被曝している。)を比較すると,広島では,DS02の計算値はDS86の計
算値よりも平均して7%大きく,長崎では,平均して9%大きい。
上記論文の著者は,上記の総カーマ線量の平均値にはDS02とDS86の各計
算値に有意な差がないことを示しているとの所見を述べている。
(3)DS86及びDS02の計算値と実測値との比較
ア熱中性子線について
(ア)DS02策定以前の測定結果について
a広島原爆について(甲全5号証,102号証)
熱中性子によって誘導放射化される物質として,ユーロピウム152,塩素36
及びコバルト60等があるが,DS86発表の後に,広島において,熱中性子線の
実測値測定として,熱中性子によって誘導放射化されたユーロピウム152,塩素
36及びコバルト60の測定が行われた。
澤田教授は,静間清博士らや中西らによるユーロピウム152の測定結果を基に
して,DS86による計算値は700mないし1000mの範囲では測定値に比し
て全体としては傾斜が急で,そのため近距離でやや過大評価であり,約1000m
以遠では過小評価に転じており,とくに1000m以遠での不一致は顕著であると
の意見を述べている。
澤田教授は,これらの測定値と,距離と減衰割合に関する理論式を基に,カイ2
乗フィットによる解析を行ったところ,爆心からの距離が600mから800m辺
りまでは推定線量より実測値の方が小さいものの,900mを超えると推定線量よ
り実測値が大きくなり,1500mでは推定線量が実測値の10分の1に,180
0mでは推定線量が実測値の100分の1になるという結果が得られた。
また,澤田教授は,ユーロピウム152と塩素36は,バックグラウンドの影響
を受けることから,遠距離までの比較はコバルト60の1800m付近の実測値と
の比較が重要であるとして,コバルト60の実測値に基づいて,カイ2乗フィット
による解析を行ったところ,爆心地からの距離が700mまではDS86の計算値
の方がやや大きく,900mを超えると推定線量より実測値が大きくなり,150
0mでは推定線量が実測値の約14分の1に,2000mでは推定線量が実測値の
約167分の1になるという結果が得られた。
b長崎原爆について(甲全5号証,102号証)
DS86発表の後に,長崎において,ユーロピウム152及びコバルト60の測
定が行われたが,これらの測定値について,上記と同様にカイ2乗フィットによる
解析を行ったところ,爆心からの距離が近い場合には,DS86の計算値と実測値
がほぼ一致したものの,1000mを超えると推定線量より実測値が大きくなり,
遠距離になるに従ってその乖離の程度はゆっくり広がっていくという結果が得られ
た。もっとも,この解析は爆心から1100mをやや越えた距離までの実測値を基
にしたものである。
平成14年(2002年)に発表された静間清博士ほかによる論文(「長崎にお
ける原爆中性子によって誘導された残留コバルト60の測定と環境中性子によるバ
ックグラウンドへの寄与」,甲全32号証の1・2)においても,コバルト60の
測定値に基づく解析の結果,ほぼ同様の結論が得られている。なお,同論文では,
爆心から1100mを超える部分は利用できるデータがないために明確になってい
ない旨が述べられている。
なお,澤田教授は,平成16年11月15日付け意見書(甲全102号証)にお
いて,コバルト60の実測値を基にカイ2乗フィットによる解析を行ったところ,
爆心地から1300mの距離では実測値がDS86の計算値の約4.2倍に,25
00mの距離では実測値が推定線量の約172倍になる旨を述べて,遠距離におけ
る測定試料が得られにくく明確な結論を導くことはできないとしつつも,中性子に
関するソースタームの計算に疑問が残る旨を述べている。
(イ)DS02策定の際に検討された測定値について
aユーロピウム152の測定について(小村教授ほか「広島試料中のユーロピ
ウム152の極低バックグラウンド測定」〔DS02報告書〕,乙全113号証
(中))
小村教授らは,平成10年(1998年)に,以前に行われたユーロピウム15
2の測定が妥当であったかどうかを検証するために,静間清博士らが作成してすで
に測定された広島の17試料と長崎の7試料の再測定を行った。
その際,測定試料の量を増やし,検出器の感度を上げた上,バックグラウンドを
減らすために水深270m相当の尾小屋地下測定室に検出器を運び入れて(甲全8
4号証の1・資料39参照),従前の測定よりも100倍以上の精度でユーロピウム
152から放出されるガンマ線(344keV)の測定を行ったところ,ユーロピウ
ム152の実測値から推定される放射線量はDS86やDS02とよく合致すると
いう結果が得られた。もっとも,爆心から1200mとか1400mの試料の測定
値は,その誤差範囲内にDS86やDS02の計算値を含んでいるものの,同計算
値よりもやや高い実測値となっている。長崎の試料については爆心から0.6㎞以
遠のものからはユーロピウム152に特徴的なガンマ線(344keV)は検出され
なかった。
なお,小村教授らの測定によれば,広島の爆心から1177mの地点になると,
その試料のガンマ線スペクトルを見ても,ユーロピウム152に特徴的なガンマ線
(344keV)のピークが顕著でなくなるし(甲全84の1・39頁,乙全113号
証(中)・207頁Figure1参照),静間清博士らも,地上距離1050mではガンマ
線スペクトルがほとんど検出限界となるから,地上距離約1000m以遠のデータ
では系統的ずれの議論に用いるのは困難であるとの意見を述べており(乙全113
号証(中)・107,108頁),こうしたことからすれば,とりわけ爆心から1㎞以遠の
測定については,バックグラウンド等の誤差要因をよほど慎重に取り除かない限り
データとしての信頼性が失われるといえる。
bコバルト60の測定について(GeorgeD.Kerrほか「コバルト(Co)の測60
定」〔DS02報告書〕,乙全113号証(中))
DS86が策定されたころの時点において,DS86による熱中性子線の計算値
と,コバルト60の実測値に基づく値とを比較すると,爆心地から約1500m以
遠において熱中性子線量が過小推定されているとの指摘がなされていた。
その後,広島・長崎のコバルト60の測定値が検討され,放医研の1965年の
測定に基づいて以前に発表されたデータに若干の修正が加えられ,すべてのコバル
ト60の測定値の地上距離が再検討されるとともに,可能な限り試料の座標を広島
・長崎の新しい都市地図に合わせて変換することにより新しい地上距離が決定され
た。また,コバルト60の測定に用いられたいくつかの試料について透過係数(地
上距離Rにおける地上高度hでの遮蔽又は非遮蔽試料における放射化測定値と,同
じ地上距離Rにおける地上1mでの小さい空中非遮蔽被曝試料における放射化測定
値の比)が調べられた。
DS02報告書は,地上距離約1300m以内のコバルト60測定値とDS02
に基づく計算値とは,一つの例外を除いて全体的によく一致したと結論づけている。
なお,小村教授は,爆心から1300m以遠のコバルト60の試料を,上記のユ
ーロピウム152の測定と同様に低バックグラウンドの環境下で測定しており,そ
の結果,DS86及びDS02の計算値を上回るデータが出ている。このことは,
①データの示す誤差範囲がDS86及びDS02の計算値を含んでいること,②小
村教授が,バックグラウンド線量が低いことによる利点は以前に測定された試料中
のコバルト60の放射性崩壊により一部相殺されたとの意見を述べていること,③
DS02報告書において,広島の地上距離1300m以遠では,試料の線量カウン
トと検出器のバックグラウンド線量とを区別する際に問題があるようであるとの意
見が述べられていることを考慮しても,1300m以遠においてはDS86ないし
DS02の熱中性子線の計算値が実測値より低い可能性を示唆するものといえる。
c塩素36の測定について
(a)ToreStraumeほか「広島・長崎で採取された鉱物試料中のClの米国での36
測定」〔DS02報告書〕(乙全113号証(中))
花崗岩及びコンクリート(コンクリート表面を除く)中の塩素36の測定が,
LawrenceLivermore研究所加速器質量分析センター,Purdue大学PRIME研究室,ロチ
ェスター大学の3つのAMS施設(AMSとは,「加速器質量分析法」すなわち特
定の原子核の個数を直接数えることによって目的の同位体(放射性核種)を測定す
る方法のことをいう。)で行われた。これらの施設には,それぞれ通常塩素原子1
0個当たり塩素36原子数個という検出限界がある。15
その結果,広島で放出された中性子によりコンクリート中に生じた塩素36を検
出できる限界は,爆心地から約1500mの距離であること,塩素36原子と通常
塩素原子の比(Cl/Cl比)がバックグラウンドと鑑別不可能になる距離まで36
DS86ないしDS02と一致するとの結論が得られた。
また,同論文の著者は,従前測定された爆心地から1400m付近における塩素
36の放射化測定値(Straumeら1992年)が,DS86の計算値より高い値を
示した原因は,表面セメント(深部のコンクリートよりも高いバックグラウンドを
示す)が使用されたことに由来するとの所見を述べている。
(b)長島泰夫ほか「ドイツにおけるClの測定」〔DS02報告書〕(乙全136
13号証(中))
ドイツのミュンヘンのAMS施設においては,DS86の計算値との不一致が報
告された地上距離約1300mの地点の試料に重点をおいて測定がなされた。表面
付近の花崗岩及びコンクリート試料についてのCl/Cl比を測定したところ,36
爆心から直線距離約1300m以遠においては,宇宙線並びにウラン及びトリウム
の崩壊を原因として生成される塩素36が,大きな影響を与えることが確認された。
(c)長島泰夫ほか「日本におけるClの測定」〔DS02報告書〕(乙全1136
3号証(中))
筑波大学のAMSシステムにおいて,花崗岩試料の塩素36の測定が行われたが,
爆心地から1100m付近までは,DS02の計算値と測定地はよく一致している
こと,バックグラウンド測定用の非被曝花崗岩のCl/Cl比の測定値に照らす36
と,爆心地から1100m以遠における試料の塩素36の測定が困難であることが
確認された。
(ウ)熱中性子線についての検討
a澤田教授らは,広島原爆において,DS86の計算値は,爆心地から150
0m以遠では実測値の10分の1ないしはそれ以上に過小評価しており,爆心地か
ら1800mないし2000m以遠では実測値の100分の1ないしはそれ以上に
過小評価しているとの所見を述べている。
しかし,DS02策定の際に行われた測定によれば,上記のとおり,①ユーロピ
ウム152については,爆心地から1000m以遠になるとバックグラウンドのた
めにほぼ検出限界となり,小村教授らがバックグランドを可能な限り取り除いて測
定したところ,DS86やDS02の計算値は実測値と合致し,②コバルト60に
ついては,爆心地から1300m以内において,DS86やDS02の計算値は実
測値と合致したが,1300m以遠においては同計算値が実測値より低い可能性が
残されている,③塩素36については,爆心地から1100mないし1500m以
遠になるとバックグラウンドのためにほぼ検出限界となり,それよりも近距離にお
いては,DS86やDS02の計算値は実測値と合致したという結果が得られてい
るのである。
そうすると,爆心地から1000mないし1500m以遠になると,バックグラ
ウンドのためにほぼ検出限界となってしまう程度に,原爆による熱中性子線量が小
さくなるのであり,それより近距離ではDS86やDS02の計算値は実測値と合
致しているといえる。
澤田教授らは,カイ2乗フィットによる解析を基に,遠距離におけるDS86の
計算値と実測値との乖離を指摘しているが,カイ2乗フィットによる解析を行うに
は,測定値に正確性があることと,当てはめる理論式に正当性があることが前提と
なる(甲全84号証の1・26頁)。上記のとおり,爆心地から1000mないし1
500mより近距離のデータのみが一定の正確性を備えており,それ以遠のデータ
はバックグラウンドのために検出限界となってしまうことや,原爆放射線の距離に
応じた減衰状況を表す澤田教授らの理論式も,関係学会や学者間で確立されたもの
とはいえない状況であるから,澤田教授らのカイ2乗フィットによる解析結果は,
DS86の計算値が遠距離において実測値と乖離している可能性を指摘するという
限度では評価できるとしても,現時点の証拠関係からすれば,これを基に,DS8
6の計算値が遠距離において澤田教授らが指摘する程度に実測値と乖離していると
いう事実を認めるには足りない。
b長崎原爆においても,上記と同様のことがいえる。なお,長崎原爆において
は,爆心地から約1100mまでの範囲で実測値が得られているにすぎず,DS0
2策定により見直しがなされる以前のデータに照らしても,爆心から1100mま
での範囲では概ね推定線量と一致している状況であった。澤田教授自身も,「広島
・長崎原爆被害の実相」(甲全5号証・103,104頁)において,「まだ,(爆心地
から)1130mまでの測定結果しか得られていないため,ゆっくり減少する成分
は,カイ2乗解析によってもその存在を明確にはできないが,存在するとして矛盾
はない。」と述べるにとどまっている。
イ速中性子線について
(ア)リン32の測定について
硫黄32の原子核は,速中性子線の衝突によりリン32の原子核に変わるが,リ
ン32は半減期が14.3日と短いため被爆直後に測定しなければならない(甲全
102号証・20頁)。
実際に,被曝直後にリン32が実測され,広島の原爆が爆発した際の垂直に対す
る爆弾の傾きを考慮に入れて再計算するなどした結果,爆心地から数百m以内の距
離では,DS86の計算値と実測値との間に大きな隔たりはみられなかった
(WilliamE.Loeweほか「中性子フルエンスの測定」,甲全26号証・191,192頁)。
なお,同文献の著者は,それ以上の距離においては,DS86の計算値と実測値が
一致しているかどうかを判断するには測定値の誤差が大きすぎるとの所見を述べて
いる。
DS02策定の際に,リン32の測定値が再評価され,試料の位置の修正等がな
されたが,その結果も,爆心地近く(爆心地からの地上距離で500mくらいまで,
爆心からの距離で800mくらいまで)において,DS86ないしDS02の計算
値と実測値がよく一致しているとの結論に至っている(StephenD.Egbertほか「測
定値と計算値の図による比較」〔DS02報告書〕,乙全113号証(下)・
122,123頁)。
一方,澤田教授は,リン32の測定値の結果について,近距離でやや過大評価,
遠距離では過小評価になる傾向が認められたとの所見を述べている(甲全5号証,
102号証)。
(イ)ニッケル63の測定について
aAMSによる測定について(T.Straumeほか「広島の原爆生存者における距
離の関数としての高速中性子の測定」,乙全43号証の1・2,T.Straumeほか
「速中性子測定」〔DS02報告書〕,乙全113号証(中))
銅63の原子核は,速中性子線の衝突によりニッケル63の原子核(半減期10
0年)に変わるが(この反応の95%が1.5MeVを超える中性子による。),ス
トローメらは,平成15年(2003年),加速器質量分析(AMS)を用いて,
広島の爆心地から380mないし5062mの距離にある銅サンプル中のニッケル
63を実測したところ,測定された各試料の爆心地からの地上距離と,各試料の銅
1g当たりのニッケル63の測定値は,次のとおりとなった。
①380mの地上距離で,400±40×10
②949mの地上距離で,44±14×10
③1014mの地上距離で,26.5±2.7×10
④1301mの地上距離で,11.0±1.4×10
⑤1461mの地上距離で,10.3±1.7×10
⑥1880mの地上距離で,7.3(+2.6,−2.1)×10
⑦5062mの地上距離で,7(+8,−5)×10
上記結果をもとに,約1800mを超えると,上記測定値が一定のバックグラウ
ンド(宇宙線,サンプル処理,AMS測定によるニッケル63生成の組合せから生
じたもの)の値に近づいていると判断し,上記⑥及び⑦の測定値の「重みつき平均
(7.3×10)」をバックグラウンドとして差し引き,昭和20年からの時間4
の経過に伴う補正を行ったところ,①ないし⑤の試料についての各試料の銅1g当
たりのニッケル63の重量は,次のとおりとなった。
①380mの地上距離で,580±50×10
②949mの地上距離で,54±20×10
③1014mの地上距離で,28±5×10
④1301mの地上距離で,5.4(+4.1,−3.4)×10
⑤1461mの地上距離で,4.5(+4.5,−3.8)×10
これらの値をDS86の計算値と比較したところ,900mから1500mの範
囲で,DS86の計算値とよく一致するという結果が得られた。DS02報告書で
は,約1800m以遠の見かけ上一定の「バックグラウンド」については依然とし
て完全には理解されていないが,試料処理を含む線源,AMS装置及び宇宙線によ
る試料内のニッケル63生成に起因すると考えられるとの意見が述べられている
(乙全113号証(中)・288頁)。また,小佐古教授は,ストローメのバックグラ
ウンドの導出方法について肯定的な意見を述べ(甲全84号証の1・23,24頁),
ニッケル63による測定は爆心地から1400mくらいの距離からデータとして苦
しくなるとの意見を述べている(甲全84号証の2・36頁)。
一方,澤田教授は,ストローメらの測定結果を前提としても,爆心地から近距離
の領域ではDS86の計算値が実測値より過大評価であり,遠距離になるに従って
逆に過小評価になる傾向がうかがわれること,1880mの実測値をそっくりバッ
クグラウンドに採用することは,はじめからこの地点の中性子線量をゼロと仮定す
ることになること,上記⑦の試料について徹底的に精度のよい測定結果を求めれば,
バックグラウンドの評価として適切な値が得られたと考えられること,これらの意
見を述べている(甲全102号証・22,23頁)。
b液体シンチレーション法による測定について(柴田誠一ほか「液体シンチレ
ーション法によるニッケル63の測定」〔DS02報告書〕,乙全113号証
(中))
柴田らは,広島の爆心から1501m及び1550mの距離(爆心からの直線距
離)から得た銅試料(雨樋)を用いて,ニッケル63から放出されるベータ線を液
体シンチレーション法により測定し,ブランク試料の測定値や上記AMS測定によ
って得られたバックグラウンド値を基にした補正を行うとともに,昭和20年8月
からの時間経緯に伴う補正を行ったところ,1501mの距離から得た試料につい
て,銅1g当たりのニッケル63の重量は7.97±3.58×10となるとの4
結果が得られた。
爆心からの直線距離1501mは,爆心地からの地上距離約1375mに相当し
(爆発高度を600mとして,計算式:√(1501−600)により計算),ス22
トローメらの上記測定値④と⑤の間に位置するから,液体シンチレーション法によ
る測定値(補正後のもの)は,AMSによる測定値(補正後のもの)より,やや大
きい値となっているといえる(乙全113号証(中)・305頁図3参照)。この点に
ついて,上記DS02報告書においては,ニッケル63生成に対するバックグラウ
ンドなど解明すべき点はまだ残されているが,液体シンチレーション法により得ら
れた結果とAMSによる結果とはよく一致したとの所見が述べられており,小佐古
教授は,液体シンチレーション法は,AMSなどの厳密な測定法に比べると相当感
度が落ちるから,その測定結果には余り重きを置いていないと述べている(甲全8
4号証の2・36,37頁)。
(ウ)速中性子線についての検討
速中性子線は,被曝直後に行われたリン32の測定では爆心地から地上距離で5
00mくらいまで,その後に行われたニッケル63の測定では爆心地から地上距離
で1500mくらいまでの範囲で,近距離では過大評価,遠距離では過小評価とい
う傾向があることは否定できないものの,概ねDS86ないしDS02の計算値と
の一致があったといえる。爆心から約1500mの試料についてなされた液体シン
チレーション法による測定結果が出ているが,この測定結果とAMSによる結果と
の間にそれほど大きな乖離はないし,同測定結果よりもAMSの方が精度が高いと
認められるから,概ねDS86ないしDS02の計算値との一致があったといえる
ことに変わりはない。
なお,澤田教授は,ストローメらによるバックグラウンドの導出方法についての
問題点を指摘するが,爆心地から1880mにおける測定値と5062mにおける
測定値がわずかしか違わないから,将来においてバックグラウンドを見直すことが
できるような更なる精密な測定データが得られればともかく,そうした精密な測定
データが得られていない現状において,その距離範囲における現時点での実測値を
基にバックグラウンドを導出することが不合理とはいえない。
ウガンマ線について
(ア)広島原爆について
a長友教授らが,平成4年(1992年)に,広島の爆心地から2.05㎞に
おけるガンマ線量を熱ルミネッセンス法によって瓦のサンプルから測定し,2.4
5㎞で収集した瓦のサンプルもバックグラウンド評価の信頼性を検証するために解
析したところ,2.05㎞の距離に対する結果は5枚の瓦についての測定値の平均
で129±23mGy(ミリグレイ)であり,この値は,対応したDS86の計算値
より2.2倍大きいとの測定結果を得た(甲全28号証の1・2)。
b長友教授らは,平成7年(1995年)に,広島の爆心地から1591mな
いし1635mのビルディング(郵便貯金局)の屋根の5か所から収集した瓦の標
本を用い,熱ルミネッセンス法によって広島原爆からのガンマ線カーマを測定した
ところ,組織カーマの結果は,DS86の評価より平均して21%(標準誤差は4.
3%ないし7.3%)多いという測定結果を得た。その上で,長友教授らは,現在
のデータと報告されている熱ルミネッセンス法による測定の結果は,測定されたガ
ンマ線カーマはDS86の計算値を約1.3㎞で超過し始め,この不一致は距離と
ともに増加することを示唆しており,この不一致は,DS86の中性子のソース・
スペクトルに誤りがあることに原因がある旨の所見を述べている(甲全30号証の
1・2)。
c星教授らが,平成元年(1989年)に広島の爆心地から1909mの地点
で測定したガンマ線量の2つの実測値は,それぞれDS86推定線量の2.0倍及
び2.1倍であった(甲全29号証)。
dDS86の報告書(原爆線量再評価)の4章においても,「すべての研究所
の結果で,1000m以遠において,計算値に対して測定値の方が大きいのは全く
明白である。すなわち,28の測定中24が,計算値を越える。」「1000mを
越える範囲は被爆者数の点で重要な対象地域であるので,上記の結果からパラメー
タの訂正を行った方がよいと判断する。」と記載され(甲全29号証),実測値と
の間の乖離を認めている。
e澤田教授は,これらの測定値を基に,熱中性子線の場合と同様にカイ2乗フ
ィットによる解析を行ったところ,DS86の計算値と比較して,その乖離の程度
は統計学的に排除される大きな値となるとの所見を述べている(甲全5号証・104
頁)。
(イ)長崎原爆の場合
長崎においても,DS86作成以後にガンマ線量が実測されたが,澤田教授が,
これらの測定値を基にカイ2乗フィットによる解析を行ったところ,DS86の計
算値と比較して,その乖離の程度は統計学的に排除されず,ほとんど一致した(甲
全5号証・104頁)。
(ウ)DS02策定の際のガンマ線の検討(丸山隆司ほか「熱ルミネッセンス測
定」〔DS02報告書〕,乙全113号証(中))
熱ルミネッセンス法(TL法)は,考古学で使用される年代測定法に用いられる
ものであり,その基本的考え方は,陶器類の焼成によりTL時計がゼロにリセット
され,その後に経過した年数の間に,陶器類の材料の粘土及びその中にある自然放
射性物質から,あるいは陶器類が捨てられるなどして土中に埋められた場合もその
自然放射性物質から,それぞれ放出される低レベルの電離放射線により,ある一定
の割合でトラップされた電子の集団が生成されてTLエネルギーが蓄積され,これ
を測定するというものである。広島・長崎のレンガやタイルでは,1945年に原
爆からの放射線によるTLエネルギーが蓄積されたが,自然放射性核種によるバッ
クグラウンドのTLエネルギーの蓄積も加わっているから,TL法を用いて原爆の
ガンマ線量を測定する際には,爆心地から遠距離のガンマ線量が低くなる地域にお
いては,特にそのバックグラウンドの評価が重要となる。
DS02策定に当たって,広島・長崎両市におけるガンマ線量測定値の再評価が
行われたが,ガンマ線量測定に用いられた試料の合計推定バックグラウンド線量は,
約0.1ないし0.33Gyの範囲にあるとの結果が得られた。これに対応する原爆
の合計ガンマ線量計算値の地上距離は,広島では0.1Gyで約1900m,0.3
3Gyで約1600mであり,長崎では0.1Gyで約2100m,0.33Gyで約1
800mであるから,上記論文の著者は,バックグラウンドにおける不確実性は,
広島では約1500m以遠,長崎では約1700m以遠において,正味線量測定値
の不確実性の主要な寄与因子となり得るとの所見を述べている。
(エ)ガンマ線についての検討
広島原爆におけるガンマ線については,従前,爆心地から1300m以遠におい
てDS86の計算値より実測値が大きくなり,1900mないし2000mの距離
では,実測値がDS86の計算値の2倍を超える乖離が生じているとの指摘がなさ
れていたところ,その後,バックグラウンドの値をより精密に測定した結果,広島
では約1500m以遠においては,バックグラウンドの値と正味線量測定値が同程
度となって,正味線量測定値の不確実性の主要な寄与因子となり得ることが判明し
たものであるから,従前から指摘されていた1300m以遠で徐々に拡大していく
DS86の計算値と実測値との乖離状況については,バックグラウンドによる不確
実性を含んだ値に基づくものといわざるを得ない。
そうすると,バックグラウンドによる不確実性の影響が小さい爆心地から150
0mより近距離においては,DS86の計算値と実測値は概ね一致しているという
ことができるし,一方,それ以遠においては,現時点において,確かな測定値が得
られていない状況にあるといえる。
また,長崎原爆におけるガンマ線については,DS86の計算値と実測値は概ね
一致している。
エDS86ないしDS02による初期放射線量の計算値についての評価
(ア)以上の事実関係に照らせば,熱中性子線,速中性子線及びガンマ線のいずれ
においても,爆心地から1500m程度より遠距離になると,放射線線量の指標と
なる放射性物質の測定が,バックグラウンドの影響等のために,ほぼ測定限界とな
り,それより近距離においては,放射線の種類によっては近距離では過大評価,遠
距離では過小評価という傾向がうかがわれるものがあるが,概ねDS86ないしD
S02の計算値と一致しているといえる。
もっとも,DS86ないしDS02は,前記のとおりコンピュータによるシミュ
レーション計算に基づくものであるから,上記のような測定限界のために実測値に
よる裏付けが得られていない爆心地から約1500m以遠の距離における計算値に
ついては,これをそのまま採用してよいかについての疑問がないではない。
しかし,DS86ないしDS02の計算手法は,原爆の特性,原爆投下時の気象
条件,爆弾の形状などの幅広い要因を考慮した上で,原爆から放出される電磁波や
粒子の個数,及びそれらのエネルギーや方向の分布を基に,空気中での伝播,諸条
件下での減衰等を再現するものであって(乙全100号証),一定の誤差要因を内
在することは否定できないものの,その計算手法自体が不合理であるとするまでの
知見は見当たらない上,DS86ないしDS02の計算結果は,測定限界よりも近
距離の範囲においては,熱中性子線,速中性子線及びガンマ線のいずれにおいても,
実測値と概ね一致しているといえるから,それより遠距離における計算値について
も,一定の誤差範囲で合理性を有すると推定することができる。
さらに,ガンマ線については,仮に広島の爆心地から2.05㎞の地点の線量が,
DS86の計算値の約2.2倍であったとしても,その線量値は0.129Gyであ
る上,放射線量は,遠距離になるほど概ね距離の2乗に反比例して減少していくと
いう物理的な性質があるから,それ以遠においてはさらに線量値は低いものになる
(乙全100号証・14頁)。また,中性子線については,その全線量に対する割合
が,広島において爆心地からの地上距離1000mで5.8%,1500mで1.
7%,2000mで0.5%程度であり(乙全102号証・129頁),このような
距離範囲においては,全線量の大部分はガンマ線である上,遠距離になるほど中性
子線量の割合は減少する関係にあるから,仮に,DS86の計算値が遠距離におい
て過小評価されているとしても,その影響は,中性子線の生物学的効果比を10と
して考慮しても,ガンマ線に比べて十分に低いということができる(乙全100号
証・14頁)。
(イ)原告らは,上記のDS86に基づく中性子線量の誤差の理由として,①原爆
の爆発点から放出された中性子線のエネルギー分布,すなわちソースタームの計算
の問題,②中性子の伝播に重要な影響を与える湿度の高度変化,③ボルツマン輸送
方程式に基づくコンピュータ計算における区分の設定等が考えられると主張し,澤
田教授はこれに沿う所見を述べるとともに,ソースタームにおける高エネルギー領
域の中性子線の過小評価や,伝播計算における問題点が,爆心地から遠距離におけ
る中性子線の過小評価につながっている可能性があると指摘している(甲全5号証,
29号証等)。
しかし,ソースタームの計算問題については,広島原爆については,実際に投下
された爆弾の複製を用いてその検証がなされ,また,長崎原爆については,核実験
データによる検証がなされており,それに用いられた計算手法がそれ自体不合理で
あるというような知見は見当たらない。中性子の伝播計算における湿度の高度変化
の問題については,日米合同の研究において過去に検討されたが,問題は見つかっ
ていない(乙全41号証・3頁)。こうした事情のほか,現時点において,原告ら
の指摘する上記の問題点が現実に顕在化していることを示す客観的なデータが存す
るとはいえないことや,爆心地から遠距離における中性子線は,その全放射線量に
対する割合が僅少であることを考慮すれば,原告らが指摘する上記の問題点は,い
ずれも,DS86の初期放射線線量の評価の合理性を疑わせるものとはいえない。
(ウ)結局,DS86による初期放射線の計算方式は,放射線線量の測定限界に伴
って,爆心地から遠距離においては実測値による裏付けが得られていない部分があ
るものの,現時点においては,広島及び長崎における初期放射線量を合理的に評価
することができる方式であると認めるのが相当である。
なお,DS86による初期放射線の計算値のみによれば,爆心地から遠距離にお
いて被爆者に生じた急性症状が,初期放射線の影響によるものであるとする説明は
困難となるが,この点については,残留放射能等による外部被曝及び内部被曝につ
いて以下に検討を加えることとする。
(4)残留放射能(放射性降下物,誘導放射能)について
ア審査の方針における残留放射能(放射性降下物,誘導放射能)の線量評価の
根拠
DS86策定時において,放射性降下物,誘導放射能の推定線量が算出され,審
査の方針においては,その推定線量に基づいて,放射性降下物,誘導放射能の線量
評価がなされた。
(ア)放射性降下物の推定線量について
審査の方針においては,放射性降下物による被曝線量について,原爆投下の直後
に下記特定の地域に滞在し,又はその後,長期間にわたって当該特定の地域に居住
していた場合について定めることとし,その値を,広島の己斐・高須地区について
0.6ないし2cGy,長崎の西山3,4丁目又は木場地区について12ないし24
cGyとしているが,これを定めた理由は以下のとおりである。
a日米科学者合同調査班は,昭和20年10月3日から同月7日にかけて,広
島・長崎両市において,ラジウムで基準化したGeiger計数管を用いて残留放射能を
測定したところ,広島の己斐・高須地区の降下物による放射線量は最高で0.04
5mR/hr(ミリレントゲン/時)が記録され,この測定値を基に爆発後1時間後か
ら無限時までの線量を,経過時間(t)に伴ってtの割合で減衰するとの法則-1.2
(t減衰法則)に従って積算すると,戸外被爆者の場合,約1.4R(レントゲ-1.2
ン)となった。
また,長崎の西山地区における同測定結果は,最高で1.0mR/hrが記録され,
この測定値を基に爆発後1時間後から無限時までの線量をt減衰法則に従って積-1.2
算すると,戸外被爆者の場合,約30Rとなった(EDWARDT.ARAKAWA「広島および
長崎における残留放射能」,乙全17号証)。
同論文の著者は,①これらの地域は,爆心地から約3000m離れており,中性
子束はほぼ無視して差し支えないから,上記の放射線測定結果は降下核分裂生成物
によるものであること,②降下物による最大照射線量は,広島では数R,長崎では
ほぼ30Rであったと考えられるが,これらの数値はその上限を示すものであって,
家屋による遮蔽や,最大線量の存在する場所から他の場所へ移動することにより,
事実上の照射線量としては,その4分の1程度を小数の人が受けたと思われるにす
ぎないこと,③爆心地においては,測定された放射線量と,実験的に測定された中
性子による誘導放射線量とが,強さ及び減衰率のいずれにおいてもよく一致してい
ることから,爆心地における放射能の大部分が中性子の誘発によるものであって,
核分裂生成物は極めて少量であったとの所見を述べている。
b残留放射能の測定は,上記測定のほか,昭和20年8月10日から大阪帝国
大学調査団により調査が行われ,爆心地近くで放射能が高いことと,激しい雨が降
った己斐駅付近で放射能が高いことが認められた。これに引き続いて,京都帝国大
学,理化学研究所調査団により調査が行われた。同年9月から10月にはマンハッ
タン技術部隊による調査が行われ,広島文理科大学の藤原と竹山は昭和20年9月
と昭和21年及び昭和23年に調査を行った(「原子爆弾災害調査報告集」,甲全
111号証の13,「原爆放射線の人体影響1992」,乙全14号証)。
そうした測定の結果,長崎の西山地区で放射性降下物により最も高度に汚染され
た数ヘクタールの地域における地上1mの位置での放射線被曝は,t減衰法則を-1.2
用いて1時間目から無限時間へと積分した場合に,20ないし40Rと推定され,
広島の己斐・高須地区については,対応する累積放射線量は1ないし3Rと推定さ
れた。長崎では,距離に伴う減少は急ではなく,最大値の5分の1の被曝が,おそ
らく1000ヘクタールの地域にわたって拡がっているものと推測された。
DS86で推定する臓器線量との比較のために,上記のR単位の線量を,「空中
のラド=0.87×R単位の照射線量」という式を用いて空中の吸収線量へ換算し,
空中吸収線量を全身についての組織吸収線量に換算するために0.7の平均結合因
数を用いて,組織吸収線量(rad)に換算すると,累積的放射性降下物被爆は,長
崎の西山地区については12ないし24rad,広島の己斐・高須地区については0.
6ないし2radの組織吸収線量になる(「原爆線量再評価」第6章,乙全16号
証)。
また,自然放射線による被曝線量は,46年間の積算で約3radとされており,
広島での己斐・高須地区での上記放射性降下物による積算線量に匹敵することにな
る(乙全14号証・354頁)。
(イ)誘導放射能(残留放射能)の推定線量について
審査の方針においては,誘導放射能(残留放射能)による被曝線量は,申請者の
被爆地,爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて定めるものとし,
その値は別表10に定めるものとしているが,これを定めた理由は以下のとおりで
ある。
a原爆の爆心地近くの土壌やその他の物質は,原爆から放出された中性子によ
り放射化されることになるが,その線量推定に関連があると思われる放射性核種は,
アルミニウム28(半減期2分),マンガン56(半減期2.6時間),ナトリウ
ム24(半減期15時間),スカンジウム46(半減期83.8日),セシウム1
34(2.1年),コバルト60(5.3年)などが考えられる。
実際に広島・長崎の土壌標本に中性子を照射して,どの放射性核種が生じるかが
調べられた。
なお,土壌の放射化による線量率は時間の経過とともに急速に低下するため,誘
導放射能による積算線量の約80%は1日目が占めており,2日目から5日目まで
の線量が約10%,6日目以降の総線量が約10%を占めることになる(乙全14
号証,16号証)。
bこれらの結果に加え,広島・長崎における爆心地付近の放射線の複数の測定
結果(なお,これらの測定は,原爆爆発後直ちに行われたわけではないので,アル
ミニウム28,マンガン56,ナトリウム24のような半減期の短い放射線核種か
らの放射線は測定に含まれていない。)を考慮して,爆心地での誘導放射能からの
外部放射線への潜在的最大被爆は,広島について約80R,長崎について30ない
し40Rであると推定された。
これを,組織吸収線量に換算すると,誘導放射能の累積的被曝は,広島では約5
0rad,長崎では18ないし24radの組織吸収線量となる(乙全16号証)。
(ウ)以上の調査結果に基づき,審査の方針において,放射性降下物については,
原爆投下の直後に広島の己斐又は高須,長崎の西山3,4丁目又は木場に滞在し,
又はその後,長時間にわたって上記特定地域に居住していた場合の被曝線量が推定
され,また,誘導放射能(残留放射能)については,申請者の被爆地,爆心地から
の距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて,別表10のとおり被曝線量が定めら
れた。
イ放射性降下物に関するその他の知見
(ア)宇田道隆ほか「気象関係の広島原子爆弾被害調査報告」(「宇田論文」)
宇田らは,昭和20年8月以降同年12月までに収集した資料に基づいて,広島
原爆後の降雨状況について取りまとめた結果,次のような報告をしている(甲全8
6号証の2)。
原爆爆発後,降雨があった地域は,広島市中心の爆心地付近に始まり,広島市北
西部を中心に降って,北西方向の山地に延び,遠く山県郡内に及んで終わる長卵形
をなしている。その中でも,土砂降りの甚だしい降雨があった区域は,白島の方か
ら,三篠,横川,山手,広瀬,福島町を経て,己斐,高須より石内村,伴村を越え,
戸山,久地村に終わる長楕円形の区域(宇田雨域)である。
雨の状況について,最初の1時間ないし2時間は黒雨が降り,その後は白い普通
の雨が降ったが,黒雨に含まれた泥の成分は,爆発時に黒煙として昇った泥塵と火
災による煤塵とを主とし,これに放射性物質体など爆弾に起源して空中に浮遊しあ
るいは地上に一旦落ちた物質塵をも複合したものと見られる。昇騰し空中に浮遊す
る泥塵煤塵が黒雨として洗い落とされ,その後の雨が白くなったものといえるから,
黒雨の降下量の多い地区,すなわち広島市西方の己斐・高須方面において高い放射
能性を示すに至ったと考えられる。
(イ)増田善信「広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか」(「増田論文」)
増田は,広島原爆の被爆直後に行われた宇田らの原資料のほかに,アンケート調
査や現地での聴き取り調査の資料,被爆体験記録集や新聞,テレビのインタビュー
の記事などを用いて,雨域,降雨開始時刻,降雨継続時間,推定降水量の分布図を
作成し,原爆後の「黒い雨」を総合的に調査した。
その結果,①少しでも雨が降った地域は,爆心から北西約45㎞の広島県と島根
県の県境近くまで及び,東西方向の最大幅は36㎞,その面積は約1250㎢で,
宇田雨域の約4倍に相当すること,②この区域以外の爆心の南ないし南東側の仁保,
海田市,江田島向側部落,呉,さらに爆心から約30㎞離れた倉橋島袋内などでも,
黒い雨が降っていたことが確認されたこと,③1時間以上雨が降ったいわゆる大雨
域も,宇田らの小雨域に匹敵する広さにまで広がっていたこと,④降雨域内の雨の
降り方は極めて不規則で,特に大雨域は複雑な形をしていること,⑤爆心の北西方
3ないし10㎞の己斐から旧伴村大塚にかけて,100㎜を越す豪雨が降ったこと
が推定されたこと,⑥爆心のすぐ東側の約1㎞の地域では,全く雨が降らなかった
か,降ったとしてもわずかであったと考えられること,⑦黒い雨には,原爆のキノ
コ雲自体から降ったものと,爆発後の大火災に伴って生じた積乱雲から降ったもの
との2種類の雨があったものと考えられること(これは,宇田らの推論と同じであ
る。),これらの結論が得られたとしている(甲全86号証の9)。
(ウ)藤原武夫ら「広島市付近における残存放射能について」
藤原らは,昭和20年9月,昭和21年8月及び昭和23年1月ないし同年6月
の3回にわたって,広島市内及びその近郊において,ローリッツェン電気計を地上
約1mの位置に保持して,その放射能を測定し,標準値(naturalの値)として,
第1回測定時は爆心地から南4.8㎞にある広島市宇品町における値を,第2回及
び第3回測定時は広島文理科大学物理学教室の一定場所における値を選んで,標準
値との比較を行ったところ,①第1回測定時(昭和20年9月)においては,放射
能の強度が極大な地区は,爆心地のほかに市の西郊(己斐・高須地区周辺)にもあ
ったこと,②第1回測定時においては,爆心地から約800m離れれば放射能は標
準値と同程度に帰するが,特異現象が認められた地点においては必ずしもそうでは
なく,かなりの放射能が認められる地点もあること,③中国新聞社における測定で
は,建物内部に灰塵(主として塗り漆喰の焼け落ちたもの)が積もっていた状況で
の測定値と比較して,建物内部が清掃され灰塵が棄て去られた後の測定値が激減し
たこと,④降雨地帯特に豪雨地帯での放射能は,第3回測定時において他より幾分
強い傾向を示しており,しかも同一の岐路又は川筋に沿って測定点を採った場合,
己斐峠付近の測定値を除き,海抜の低い地点ほど放射能が強くなっている傾向があ
ること,との結果が得られた(甲全86号証の5)。
(エ)静間清ら「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と
放射性降下物の累積線量評価」(「静間論文」)
竹下ら(1976年),橋詰ら(1978年)及び山本ら(1985年)によっ
て,広島の土壌のセシウム137の測定が行われてきたが,1980年までのすべ
ての核実験からのセシウム137の沈着量が,原爆の放射性降下物よりおよそ2桁
大きいため,上記測定では原爆によるセシウム137の過剰量は検出されなかった。
静間らは,広島の爆心地から5㎞以内で,原爆投下の3日後に採取された土壌の
試料を基に,セシウム137の含有量を測定するために,低バックグラウンドガン
マ線測定を行ったところ,22の試料のうち11の試料からセシウム137が検出
された。
セシウム137が検出された試料の採取地についてみると,増田雨域に含まれて
いた3つの採取地が宇田雨域に含まれておらず,増田雨域に含まれていた2つの採
取地が宇田雨域の境界線上にあった。また,増田雨域及び宇田雨域の双方に入る採
取地であっても,5つの採取地の試料から得られたセシウム137の測定値は検出
限界より低かった。
これらの結果から,同論文の著者は,広島原爆による降雨域は,宇田雨域より広
く増田雨域の正当性が証明されたこと,セシウム137は降雨域内であっても一様
に沈着していないことなどの所見を述べている。
また,上記の測定を基に,累積被曝(原爆爆発後1時間後から無限時間までの期
間にわたる被曝線量の累積値)を計算したところ,爆心地から5㎞以内では,0.
12±0.02R(レントゲン),己斐・高須地区では4Rとの結果が得られた
(甲全13号証の1・2)。
(オ)「黒い雨に関する専門家会議報告書」(乙全20号証)
上記報告書は概要次のとおりの報告をしている。
a原爆による残留放射能について
(a)昭和51年及び昭和53年度の土壌調査データについて,再検討を行ったと
ころ,同時期に採取された試料は,昭和30年以降の原水爆実験による放射性降下
物としてのセシウム137を多量に含んでおり,測定値間の有意差についても広島
原爆の放射性降下物によるものと断定する根拠は見当たらなかった。
さらに,あえて昭和51年及び昭和53年度の土壌調査データと,宇田雨域及び
増田雨域との相関の有無を検討したところ,土壌中の残留放射能値はこれらの雨域
とも相関が見られないことが判明した。
(b)自然界におけるウランの同位体存在比が一定であること(ウラン235/ウ
ラン238=0.007)を利用して,昭和51年及び昭和53年度の土壌調査時
の試料のうち宇田雨域及び増田雨域を考慮して選んだ4地点の試料について,二重
集束型質量分析計を用いて広島原爆のウラン235の検出を試みたが,有意な結論
が得られなかった。
(c)屋根瓦中に含まれるセシウム137の含有量について,7か所の対照地点瓦
並びに30か所の測定点瓦を用いて検討したが,試料によって吸水性に大きな差が
あり,有意差を見いだすことができなかった。
爆心地から北西11ないし21㎞地点の4か所から柿木2本,栗木2本を採取し,
5年ごとの年輪区分として灰化し,放射線ストロンチウム分析法及び原子吸光測定
法により残留ストロンチウム90の測定を行ったが,黒い雨との関連は確定できな
かった。
b気象シミュレーション法による降下放射線量の推定について
(a)原子爆弾からの放射性降下物となる線源として,原爆の火球によって生じた
原爆雲,衝撃波によって巻き上げられた土壌などで形成された衝撃雲,及び火災煙
による火災雲の3種について,原子爆弾投下当日の気象条件,原子爆弾の爆発形状,
火災状況等,種々の条件を設定した拡散計算モデルを用いたシミュレーション法に
基づく検討を行った。
その結果,広島原爆に関しては,原爆雲の乾燥大粒子の大部分は北西9ないし2
2㎞付近にわたって降下し,雨となって降下した場合には大部分が北西5ないし9
㎞付近に落下した可能性が大きいこと,衝撃雲や火災雲による雨(いわゆる黒い
雨)の大部分は北北西3ないし9㎞付近にわたって降下した可能性が大きいと判断
された。
なお,同報告書では,原爆雲から降下した放射能密度の最大が約1600mCi/㎡
(照射線量に換算して12.7R/hr),衝撃塵では最大がナトリウム24で約2
70μCi/㎡(照射線量に換算して15mR/hr),火災煙では最大が約90μCi/㎡
(照射線量に換算して5mR/hr)とされているから,放射能密度のほとんどが原爆
雲の放射性降下物の寄与といえるところ,同報告書の原爆雲雨落下・乾燥落下粒子
分布図における降雨域(この降雨域が放射性物質の降下地域と一致するといえ
る。)は,己斐・高須地区よりも北西にずれている。
(b)長崎原爆に関しては,降雨域は,これまで物理的残留放射能の証明されてい
る地域と一致することが確認された。
(c)さらに,気象シミュレーション法に基づいた降下放射線量を推定したところ,
広島原爆の放射性降下物による照射線量率(地表面から1mの高さのおける評価)
は,地表に降下した放射性物質がその後の豪雨により流出して約40%が残留した
と仮定して計算すると,さく裂12時間後で約5R/hr(無限時間までの期間にわ
たる被曝線量の累積値は約25rad)となった。
(d)上記の検討の「まとめ」として,気象シミュレーション計算法を用いた降雨
地域の推定では,これまでの降雨地域(いわゆる宇田雨域)の範囲とほぼ同程度
(大雨地域)であるが,火災雲の一部が東方向にはみ出して降雨落下しているとの
計算結果となった。また,原爆雲の乾燥落下は北西の方向に従来の降雨地域を越え
ていることが推定されるが,その後の降雨などで,これらの放射性降下物による残
留放射線量は急速に放射能密度を減じていると結論づけている。
c体細胞突然変異及び染色体異常による放射線被曝の人体影響について
黒い雨に含まれる低線量放射線の人体への影響を,赤血球のMN血液型決定抗原
であるグリコフォリンA蛋白(GPA)遺伝子に生じた突然変異頻度,及び末梢血
リンパ球に誘発された染色体異常頻度について検討を行った。
GPA遺伝子の突然変異に関しては,己斐町,古田町,庚午町,祇園町など(降
雨地域)に当時在住し黒い雨に曝された40名(男性20名,女性20名)と,宇
品町,翠町,皆実町,東雲町,出汐町,旭町など(対照地域)に当時在住し黒い雨
に曝されていない53名(男性21名,女性32名)について調査したところ,降
雨地域に統計的に有意な体細胞突然変異細胞の増加を認めなかった。
染色体異常に関しては,上記と同様に,降雨地域の60名(男性29名,女性3
1名),対照地域の132名(男性65名,女性67名)について検討したところ,
どの異常型においても統計的有意差は証明されなかった。
また,体細胞突然変異及び染色体異常頻度の解析に当たっては,医療被曝の影響
を考慮する必要があることが示唆された。
(カ)岡島俊三ほか「長崎西山地区における土壌及び植物のプルトニウムの測定」
長崎西山地区において,耕していない土壌でのプルトニウム239・240の分
布とその農作物への移行因子を調査したところ,耕していない土壌でのプルトニウ
ム239・240の集積は㎏当たり20Bqであり,対照とされた地域のおよそ8倍
であったこと,プルトニウム239・240の農作物への移行因子は10から1-4
0で,セシウム130の100分の1から200分の1であった(乙全55号-3
証)。
(キ)当裁判所の判断
以上の所見等を基に検討する。
a審査の方針は,放射性降下物による放射線量を,広島においては己斐・高須
地区に,長崎においては西山地区に,それぞれ限定して考慮しているが,これらの
地区において大量の放射性降下物があったことは,審査の方針を定めるに当たって
考慮された前記の測定結果のほか,藤原らの測定(甲全86号証の5)からも明ら
かである。
なお,静間論文(甲全13号証の1・2)は,広島の己斐・高須地区以外の地域
における放射性降下物の存在を示唆しているが,その測定地点はそれほど多くはな
く,全市にわたる放射性降下物の分布を示すには至っていない。また,広島におけ
る黒い雨の降雨域を示すものとして,宇田雨域及び増田雨域が提唱されており,い
ずれも己斐・高須地区以外における黒い雨の降雨を示唆しているが(なお,増田雨
域は宇田雨域の4倍近い降雨域を示している。),いずれも,降雨域を示すもので
あって,放射性降下物からの放射線量を実測した結果に基づくものではない。
そして,審査の方針が同地区の放射線量を定める上で基礎とした累積放射線量
(1ないし3R)は,前記の測定結果に基づくものであって,静間論文(甲全13
号証の1・2)による同地区の累積被曝線量(4R)と比較して,やや小さい値で
あるが,概ね合致しているといえる。
したがって,審査の方針が放射性降下物による放射線量を考慮すべきであるとし
た地域及びその線量値は,一定の合理性があるものといえる。
bもっとも,放射性物質が降下した地域については,①増田が,宇田雨域の原
資料のほかに,アンケート調査や現地での聴き取り調査等を合わせ考慮した結果,
宇田雨域の約4倍にわたる広範囲に及ぶ降雨域(増田雨域)を導き出していること,
②増田が考慮したアンケート調査や現地での聴き取り調査等の中には,原爆投下直
後から43年近く経過した時点までのものが混在しており,それら調査結果の中に
は信用性に疑問が残るものが含まれている可能性は否定できないが,これらの調査
結果等に基づく増田雨域は,黒い雨が降った地域範囲の概要を示すものとして一定
の信用性と価値を有するといえること,③静間論文によれば,宇田雨域より広範囲
に放射性降下物によるものと思われる放射線が測定されていること,④黒い雨に関
する専門家会議報告書(乙全20号証)においても,気象シミュレーション法によ
る放射性物質の降下地域は,広島の己斐・高須地域よりも広範囲に及ぶという結果
が報告されていること(原告らは,気象シミュレーション法についてその信頼性に
疑問を呈するが,乙全116号証等をしんしゃくすると,シミュレーションに基づ
く推定結果として一定の信頼性があるものと認めるべきである。),以上によれば,
広島における放射性降下物が降った地域が増田雨域と一致するとまではいえないも
のの,広島原爆において審査の方針が定める己斐・高須地区より広範囲に放射性物
質が降下した可能性は否定できない。また,長崎においても,同様に,審査の方針
が定める西山地区より広範囲に放射性物質が降下した可能性を否定できない。
cそして,放射性降下物による線量値については,黒い雨に関する専門家会議
報告書の気象シミュレーション法によって,広島原爆の残留放射能による照射線量
率(地表面から1mの高さにおける評価)を計算したところ,その後の豪雨による
流出があって約40%が残留したと仮定した上,原爆さく裂12時間後で約5R/
hr(無限時間までの期間にわたる被曝線量の累積値は約25rad)との結果を導い
ているが,この値は,審査の方針が定めている己斐・高須地区における線量値(爆
発後1時間後から無限時間までの期間にわたる被曝線量)の0.6ないし2radよ
りも,10倍以上も大きいものになっている(もし,豪雨による約60%の流出を
考慮せず,しかも爆発後12時間後からではなく1時間後からの累積値に引き直せ
ば,その乖離割合はもっと大きくなる。)。
こうした気象シミュレーション法による推定結果は,現地でなされた放射線量の
実測値に基づくものと比べて,その正確性・信頼性に劣ることは否定できない。
しかし,審査の方針が基礎とした放射線量の実測値は,爆発直後に降下した放射
性物質を直接測定したものではなく,最も近いもので昭和20年8月10日の測定
であって,爆発直後の黒い雨やそれ以外の降雨があってから4日近くが経過した後
の実測値であるから,爆発直後に降下した放射性物質の放射線量を適切に把握でき
ているかは疑問が残る。また,広島原爆ないし長崎原爆後の約3か月間に,広島で
900㎜,長崎で1200㎜の大量の降雨があり,同期間内の昭和20年9月17
日には広島・長崎共に台風被害に遭い,同年10月9日には広島が台風被害に遭っ
ているところ(乙全16号証),こうした台風等の降雨の後に測定された実測値に
ついては,なおさらその影響により,爆発直後に降下した放射性物質の放射線量を
適正に評価するものとはいい難い。そして,放射性降下物による放射線量がt減-1.2
衰法則(tは経過時間)に従って減衰することからすると,放射性物質の降下時点
から3日以内の放射線量は,無限時間までの期間にわたる累積被曝線量全体のかな
りの部分を占めることになるから,仮に,上記の実測値が爆発直後に降下した放射
性物質の放射線量を適切に評価していないとすると,黒い雨を直接浴びた者や爆発
後1日ないし3日の間に市内中心部に入市した者等については,放射性降下物によ
る被曝線量(外部被曝及び内部被曝によるもの)の値に少なからず影響を与えるこ
とになると解するのは不合理ではない。
そうすると,原子爆弾から放出されたであろう放射性物質を基礎として気象シミ
ュレーション法によって推定された放射線量が,放射性物質が降下して一定期間経
過した後の実測値と乖離しているとしても,直ちに,気象シミュレーション法によ
る結果が実測値に基づく線量値よりも信頼性が低いと断ずることはできず,かえっ
て,気象シミュレーション法に基づく推定線量値と実測値との間にかなり大きな乖
離があることは,放射性降下物による放射線量が,審査の方針が定める線量値より
も格段に大きい地域があったことを示唆するものといえる。
dまた,放射性降下物による線量値については,放射性降下物が,黒い雨自体
やその後の降雨によって下流へ流されるから,一般的には降雨によって希薄化して
いくと思われるが,逆に放射性降下物が蓄積する地域もあり,このことは,①藤原
らの報告によれば同一の岐路又は川筋に沿って海抜の低い地点ほど放射能が強いと
いう結果が得られていること,②雨樋の下の土壌からは他の地域の2000倍の放
射能が測定されたこと(甲全77号証の6),③小佐古教授が,ウェザリング(気
象による影響)によって,線量が高くなったり逆に減少したりすることがあり,そ
の現象は複雑である旨の知見を述べていること(甲全84号証の2・53頁)などか
らも裏付けられる。
eさらに,審査の方針が定める放射性降下物による被曝線量は,地上1mの位
置における原爆爆発後1時間目から無限時間へと積分した線量値に基づくものであ
るところ,仮に,黒い雨に降られてこれを直接浴びたり,原爆の爆発直後に入市し
て救護活動を行うなどして粉塵等に触れたり,粉塵とともに吸引しあるいは粉塵の
混入した水を飲んだりして,放射性降下物が人体に直接ないし極めて近距離に付着
し,あるいは体内に取り込んだ場合には,地上1mの位置を前提とする被曝線量は
必ずしも妥当せず,それよりも相当大きな値の放射線を浴びることになると解する
のが合理的である。
f以上のとおり検討したところによれば,放射性降下物による放射線被曝につ
いては,広島の己斐・高須地区や長崎の西山地区に滞在したか否かという基準のみ
ではなく,それ以外の地域においても,黒い雨ないし灰を直接浴びたか否か,原爆
投下後の近い時期に黒い雨ないし灰が降下した可能性がある地域に滞在したか否か,
その滞在期間において,放射性降下物が体表に付着したり体内に摂取されたりする
ような行動を取ったか否かなど,各原告の原爆投下後の実際の行動等を検討した上
で,放射性降下物による被曝線量が審査の方針が定める基準を上まわるものか否か
を具体的に検討すべきものと解すべきである(なお,黒い雨に関する専門家会議報
告書中の「体細胞突然変異及び染色体異常による放射線被曝の人体影響」の部分は,
後に検討する。)。
ウ誘導放射能に関するその他の知見
(ア)採取した砂の放射化
海軍関係者及び大阪帝国大学理学部教授らで構成された大阪調査団が,昭和20
年8月10日の午後に,広島の爆心地から2㎞以遠の東練兵場から採取した砂を用
いて,大阪から持参した写真乾板の感光試験を行ったところ,感光した事実が確認
された。
同調査団が,同じころ,広島の爆心地から0.5㎞付近の西練兵場で採取した砂
を用いて,ガイガー・ミューラー計数管により放射線を測定したところ,標準とし
たウランの数十倍の放射線が測定された(甲全80号証,山岡静三郎ほか「広島原
子爆弾災害報告」〔原子爆弾災害調査報告集〕,甲全111号証の13)。
(イ)人体の誘導放射化について
a昭和20年9月12日に,広島の爆心地から500mの地点で被爆し同月8
日に死亡した男性の遺体から誘導放射能を測定したところ,大半の臓器からベータ
線の放出が検出され,また血液からも相当強い放射能が認められた。
また,同月9日,京大病院に入院していた被爆者の尿を測定したところ,ベータ
線の放出が検出された(島本光顕ほか「原子爆弾における放射能性物質,特に生体
誘導放射能について」〔原子爆弾災害調査報告集〕,甲全111号証の13)。
b昭和20年10月末から11月初めにかけて,致死量の放射線を受けて死亡
した者の人骨の一片について,レントゲンフィルム感光試験を行い,感光時間24
時間後のフィルムを現像したところ,人骨の映像が顕出した。
さらに,その後1年半ないし2年くらい経ってから,原爆症患者の整形手術ある
いは死体解剖の結果得られた組織を測定したところ,放射線の放出が検出された
(「広島原爆医療史」,甲全77号証の5)。
(ウ)灰塵の誘導放射化について
前掲「広島市付近における残存放射能について」(甲全86号証の5)によれば,
中国新聞社における測定では,建物内部に灰塵(主として塗り漆喰の焼け落ちたも
の)が積もっていた状況での測定値と比較して,建物内部が清掃され灰塵が棄て去
られた後の測定値が激減したことが認められ,これによれば,建物の塗り漆喰自体
が誘導放射化していたものと推認することができる。
(エ)今中哲二「DS02に基づく誘導放射線量の評価」
上記筆者が,DS86報告書にあるGritznerらの計算結果を,DS02に応用す
ることにより,誘導放射能による地上1mでの外部被曝(空気中組織カーマ)を求
めたところ,次のような結果が得られたとしている(甲全85号証の60)。
a誘導放射能による地上1mでの放射線量率は,時間とともに急速に減衰し,
爆発1分後の爆心地での放射線量率は,広島で約600cGy/h,長崎で約400
cGy/hとなったが,広島・長崎ともに,1日後にはその1000分の1に,1週間
後には100万分の1にまで減少している。それでも,自然放射線レベルを1×1
0cGy/h程度とすると,爆心付近では約1年近く自然レベル以上の放射線量率が-5
続いていたことになる。
bまた,計算された放射線量率を,各爆心距離について,爆発直後から無限時
間まで積分したところ,積算線量値は,爆心地では,広島120cGy,長崎57cGy,
爆心地から1000mでは,広島0.39cGy(爆心地の300分の1),長崎0.
14cGy(爆心地の400分の1)となった。また,爆心地から1500mでは,
広島0.01cGy,長崎0.005cGyとなり,これ以上の距離での誘導放射線被曝
は無視して構わない。
(オ)当裁判所の判断
以上の所見等を基に検討する。
a審査の方針は,前記のとおり,土壌標本に対する中性子照射実験による誘導
放射化した核種の調査,広島・長崎における爆心地付近の放射線の測定結果,及び
放射性物質の半減期等の物理学的知見をもとに,被曝線量値を導出したものである
から,審査の方針が定める誘導放射能による距離別・時間別の放射線量は,一定の
合理性があるものといえる。
bもっとも,審査の方針は土壌の誘導放射化のみを前提としてその放射線量を
評価しているところ,前記のとおり,被爆者の人体そのものや,建物の灰塵等も誘
導放射化したことが確認されているように,原爆による中性子線を浴びた物質は,
そこに誘導放射化し得る核種が含まれている場合には,そのほとんどが誘導放射化
した可能性があると解される。
また,審査の方針が定める誘導放射能による被曝線量は,放射性降下物による被
曝線量と同様に,地上1mの位置における線量値に基づくものと解されるところ,
仮に,被爆者の救護活動等を行って,誘導放射化した物質や放射性降下物が人体に
直接ないし極めて近距離に付着した場合には,地上1mの位置を前提とする被曝線
量は妥当せず,それよりも格段に大きな値の放射線を浴びることになる。とりわけ,
原爆爆発後から近い時期に爆心地近くに入った者は,その誘導放射化された物質と
の接触状況によっては,審査の方針が定めた値を相当程度上回る放射線を浴びた可
能性が十分にあるというべきである。
したがって,誘導放射能による放射線被曝についても,爆心地からどの程度の距
離に,どの程度の時間滞在したかという滞在の事実のみではなく,放射性降下物に
よる放射線被曝と同じように,救護活動を行うなどして,誘導放射化物質が体表に
付着したり体内に摂取されたりするような行動を取ったか否かなど,各原告の原爆
投下後の現実の行動を検討した上で,誘導放射能による被曝線量が審査の方針が定
める基準の範囲に止まるものか否かを具体的に検討すべきものと解すべきである。
エ内部被曝・低線量被曝
(ア)内部被曝の知見に関する証拠及びその概要はおよそ次のとおりである。
a市川定夫「意見書」(甲全88号証の3)
身体内部にある線源から放射線被曝することを体内被曝というが,次のとおり,
人工放射性核種は生体内で自然放射性核種とは異なる振る舞いをし,体外被曝より
も重大で深刻な影響をもたらす。
ガンマ線のように,飛程の長い放射線の線量は線源からの距離に反比例するから,
体外に放射性核種が存在する場合に受ける体外被曝と比べて,それが体内に入った
場合に受ける体内被曝の線量は,格段に大きくなる。
アルファ線やベータ線は飛程距離が短く,生物組織の中では,アルファ線が0.
1㎜以内,ベータ線が1㎝以内しか透過しないから,これらを放出する核種が体内
に入ってくると,その放射線のエネルギーのほとんどすべてが吸収される。特にア
ルファ線の生物学的効果比は大きく,1Gyで10ないし20Svにもなり,短い飛程
距離の中で集中的に組織にエネルギーを与えて多くの遺伝子を切断するのみならず,
電離密度が大きいために,DNAの二重らせんの両方が切断され,誤った修復をす
る可能性が増大する。
人工放射性核種には,生体内で著しく濃縮されるものが多く,例えば放射性ヨウ
素は甲状腺,放射性ストロンチウムは骨組織,放射性セシウムは筋肉と生殖腺とい
うように,核種によって濃縮される組織や器官が特異的に決まっており,特定の体
内部位が集中的な体内被曝を受けることになる。
さらに,体外被曝と異なり,体内被曝の場合は,その核種が体内に沈着・濃縮し,
その核種の寿命に応じて体内被曝が続くことになる。
b岡島俊三ほか「残留放射能の放射線量」〔原爆線量再評価第6章〕(乙全1
6号証・219頁)
核爆発後の内部放射線による被曝には,残留放射能中の放射性核種の吸入及び摂
取を含めて,若干の可能性がある。
昭和44年(1969年),岡島らは,ホールボディーカウンターを用いて,西
山地区に住む男性20名及び女性30名中のセシウム137の内部負荷を,同数の
対照測定者と共に測定したところ,西山地区では男性が38.5pCi/㎏,女性が2
4.9pCi/㎏,対照地区では男性が25.5pCi/㎏,女性が14.9pCi/㎏であり,
西山地区と対照地区の差は,男性が13pCi/㎏,女性が10pCi/㎏となり,この差
が,長崎の原爆降下物による寄与であると仮定された。
西山地区の上記住民のうち,比較的高い値を示した15名のうち10名が昭和5
6年(1981年)に2回目の測定を受けたところ,昭和44年値の平均48.6
pCi/㎏から昭和56年の平均値15.6pCi/㎏への減少を示し,この身体負荷が指
数関数的に減少したと仮定すると,その有効な半減期は7.4年と推定された。
上記のデータに従って,セシウム137からの内部被曝線量が昭和44年に男性
が13pCi/㎏,女性が10pCi/㎏であり,半減期7.4年で指数関数的に減少する
と仮定すると,昭和20年から昭和60年までの40年間の内部線量は,男性で1
0mrem,女性で8mremと推定された。
c放射線被曝者医療国際協力推進協議会編「原爆放射線の人体影響1992」
(乙全14号証)
体内に摂取された放射線が,内臓諸器官を直接照射する問題があり,この場合は,
ガンマ線以外にベータ線やアルファ線も影響している。とくに,爆発直後のもうも
うたる塵の中にいた者を始めとして,後日死体や建築物の残骸処理などで入市して
多量の塵を吸収した者は,国際放射線防護委員会が職業被爆者について勧告してい
る最大許容負荷以上の放射能を体内に蓄積した可能性がある。
フォールアウトによる被曝線量を推定する上で,このほかに,呼吸,飲料水,食
物を通して体内に取り込まれた放射性物質による被曝が考えられる。岡島らは,長
崎の西山地区の住民に対するセシウム137の体内量を測定した結果,対照地区の
住民のほぼ2倍ほど高く,昭和20年から昭和60年までの西山地区における内部
被曝による積算線量が男性で10mrad,女性で8mradと推定されるとしている。広
島のフォールアウト地域については,長崎のような調査は行われていない。体内被
曝は,人の生活様式によりばらつきが大きいと思われるが,広島のフォールアウト
地域での人の内部被曝についても長崎の場合の約10分の1以下と考えられる。
d安齋育郎「原爆症訴訟意見書」(甲全83号証の2)
(a)広島原爆ではウラン235,長崎原爆ではプルトニウム239が核分裂物質
であったが,これらが中性子の作用で原子核分裂反応を起こした結果,放射能を持
った多種多様な「核分裂生成物」ができた。これらの放射性核分裂生成物は俗に
「死の灰」と呼ばれることもあるが,周辺に降下して地面に降り積もったり,呼吸や
飲食等を通じて被爆者の体内に取り込まれたりした。これらの放射性核分裂生成物
は,主としてベータ線やガンマ線等の電離放射線を放出し,直接の被爆者だけでな
く,爆発後市内に入った人々(入市被爆者)の被曝の原因になった。
さらに,広島原爆に仕込まれた約60㎏といわれるウラン235のうち,実際に
核分裂反応を起こしたものは700g程度で,59㎏以上のウラン235は火球と
ともに上昇して風に運ばれながら,周辺地域に降下したと考えられる。また,長崎
原爆に仕込まれた約8㎏のプルトニウム239のうち,実際に核分裂反応を起こし
たものは1ないし1.1㎏と評価されているので,残りの約7㎏のプルトニウム2
39は,火球とともに上昇して風に運ばれながら,周辺地域に降下したと考えられ
る。これらの未分裂の核分裂物質もまた呼吸や飲食を通じて体内に取り込まれ,人
々の内部被曝の原因となったと考えられる。ウラン235やプルトニウム239は
自らアルファ線を出すだけでなく,次々と種類の違う放射性原子に姿を変えながら,
アルファ線,ガンマ線,ベータ線等を放出するので,体内に取り込まれて骨組織等
に沈着すると,長期間にわたって被曝を与え続けるおそれがある。
(b)このような内部被曝の影響については,微小な細胞レベルで生じるため,
「吸収線量」や「線量当量」などのマクロな概念によってはその影響を正確に評価
することができない可能性がある。例えば,放射線が組織1㎏中に与えた平均エネ
ルギーが等しくても,組織全体が平均的に浴びたのか,それとも特定の細胞が集中
的に浴びたのかによって影響が異なり得るにもかかわらず,これらの単位は,局所
的に生じた被曝について,その影響を1㎏の組織全体に対する被曝として平均化し
てしまうからである。
被爆者らは,原爆が爆発して1分以内に到達する初期放射線を体の外から被曝し
ただけでなく,その後,放射性降下物からの外部・内部被曝や,土,建造物,衣服,
人体等に誘導放射化されて生成された放射性物質からの外部・内部被曝を受けた。
したがって,被爆者が受けた放射線の被曝量を評価するためには,1分以内に放射
された初期外部放射線に加えて,誘導放射能や放射性降下物による持続的な外部被
曝,放射性降下物や未分裂の核分裂物資(ウラン235やプルトニウム239)に
よる内部被曝を全体として評価しなければならない。
e澤田昭二「体内に取り込んだ放射性物質の影響」(甲全48号証),「原爆
症訴訟意見書」(甲全51号証)
(a)広島原爆の放射性降下物には,1兆のさらに100兆倍個のウラン235の
原子核が含まれており,その中の,例えば酸化ウランの直径1μmの放射性微粒子
が体内に沈着すると,この微粒子には崩壊による半減期約7億年のウラン235の
原子核が100億個以上含まれ,1か月に1個の割合でエネルギー4MeVのアルフ
ァ線を放出する。1個のアルファ粒子は微粒子の周辺の半径30μmの球内の細胞
にすべてのエネルギーを渡してDNAを数十万か所切断する。微粒子周辺の細胞は,
1か月に0.1Svの割合で被曝し続けるが,これを体外から検知することはできな
い。
長崎原爆の放射性降下物には,プルトニウム239が用いられ,1兆のさらに1
0兆倍個のプルトニウム239が含まれており,その数は広島原爆のウランより1
桁少ないものの,プルトニウム239の半減期はウラン235の3万分の1と短い
ので,半径0.1μmの微粒子から放出されるアルファ粒子の数は1日に1.5個
に達し,周辺の細胞は毎日0.1Sv以上の被曝をすることになり,その影響は広島
原爆より深刻である(甲全48号証・4頁)(なお,内部被曝を論じる際に,体内
に取り込まれた放射性微粒子のことを「ホットパーティクル」と呼ぶことがあ
る。)。
(b)放射性物質の中でも,水溶性(あるいは油溶性)の場合は,微粒子として体
内に取り込まれた場合でも,それが血液やリンパ液に溶けて,特定の器官に集中し
て滞留することがある。
また,放射性降下物の中には,上記のウラン235やプルトニウム239以外に
も,それらが核分裂してできた放射性微粒子が含まれており,例えば,ジルコニウ
ム95の場合には,直径1μmの球形微粒子の中に5400万個のジルコニウム9
5の原子核が含まれ,そこから1日に平均0.7MeVのエネルギーを持つベータ線
が60万1956発放出される結果,水と同じ比重の組織内で放出されたベータ線
は数十万回以上の電離作用を引き起こしながらエネルギーを失い,平均して0.2
49㎝走って止まる。この時の被曝範囲の組織の体積は0.065㎤,その重さは
0.000065㎏であるから,この球内組織は平均して1日に0.104cGyの
被曝をする。
直径1μmの上記放射性微粒子が体内に沈着した場合には,その放射性微粒子に
接する細胞は,2か月間に10Gyという極めて高線量の被曝をすることになり,ほ
とんどが死んでしまうことになる。死んだ細胞のすぐ外側の細胞もかなり深刻な線
量を被曝し,DNAが破壊されたり,誤った修復作用でさまざまな後障害の原因が
作られる。直径0.1μmの場合の被曝線量は,直径1μmの場合の1000分の
1になるが,この場合でも,放射性微粒子の周辺の細胞が影響を受ける。
入市被爆者が,爆心地付近に入り,中性子線によって誘導放射化された残留放射
能を帯びた微粒子を体内に取り込んだ場合には,入市の時期にもよるが,一般に半
減期が数時間以上から数年間,あるいはそれ以上の放射性原子核から放射された放
射線によって体内被曝し,特に土埃に含まれる半減期84日のスカンジウム46や
半減期5.3年のコバルト60,セシウム134による被曝が問題となる。
(イ)低線量被曝に関する知見
aアリス・スチュワートほか「幼児期の悪性腫瘍と体内医療被曝」(甲全88
号証の5)
アリス・スチュワートは,昭和31年(1956年),妊娠中に下腹部又は骨盤
部に診断用のエックス線を受けた女性から生まれた乳幼児の幼児性白血病による死
亡率が,そうしたエックス線を受けなかった女性から生まれた乳幼児の場合と比べ
て,統計学的に有意に高いと報告した。
その後のフォードによる調査結果(昭和34年(1959年)),マクマホンに
よる調査結果(昭和37年(1962年))は,いずれも,同様の結論を得ている。
bグラスほか「レントゲンの放射線被曝によるショウジョウバエの膨腹部黒色
化の突然変異効果」(甲全88号証の5)
グラス博士が,ショウジョウバエを用いてレントゲンの放射線照射と突然変異率
の関係を調査したところ,放射線線量を5R(レントゲン)まで下げても,突然変
異率が放射線線量と比例関係を保つという結果が得られた。
c市川定夫「ムラサキツユクサによる微量放射線の検出」(甲全88号証の
6)
市川定夫は,ムラサキツユクサの雄蕊毛が1列の細胞群からなり,各雄蕊毛が,
主として頂端細胞の分裂の繰返しによって発達(細胞数増加)し,頂端から2番目
の細胞も分裂するが通常1回限りであり,また,突然変異が起こるとピンクの細胞
が現れるという性質を利用して,微量放射線と突然変異率の関係を調べたところ,
0.25radのエックス線とか0.01radの中性子線といった低線量域においても,
突然変異率と線量の間に直線関係があることが確認された。
d市川定夫「意見書」(甲全88号証の3)
市川定夫は,同意見書において,次のような低線量被曝に関する知見を紹介して
いる。
ガンマ線の場合は,原子の軌道電子に衝突すると,電子にエネルギーの一部を与
えるとともに初めと異なった方向に散乱するが(コンプトン散乱),こうした場合
には,遠距離で生体影響が大きくなることがある。
また,生体が放射線の存在を認識したときには,アポトーシスなどの細胞の防御
機構が働くが,被曝線量が微小である場合には,生体が被曝を認識しないために防
御機能が働かないまま放射線の影響を受けてしまうという低線量率効果(同じ線量
を浴びた場合であっても,低い線量率で浴びた場合の方が生体に対する影響が大き
い。)が報告されており,人体に対しても,この低線量率効果が当てはまる可能性
がある。
さらに,ある細胞がアルファ線に被曝した場合には,その近傍にある細胞にも放
射線影響が見られるという知見(バイスタンダー効果)もある。
(ウ)当裁判所の判断
上記の所見等の中には,放射性物質を体内に取り込んだ場合の内部被曝や低線量
被曝により,細胞に染色体異常等のダメージを与え,その結果,発がん等のリスク
が高まる可能性を示唆するものがあるが,ホットパーティクル理論について,これ
を否定する所見(MWCharlesほか「ホットパーティクル(粒子)被曝の発がんリス
ク」,乙全112号証)もあるように,なお未解明の部分も多く,科学的知見とし
て確立されているとはいい難い。
しかし,原爆爆発後に広島,長崎両市内や放射性物質が降下した地域で救護その
他の活動をした場合には,マスクや防護服等何らの放射線対策もない状態における
作業であったと推測されるから,これらの活動によって,誘導放射化した物質や放
射性降下物に直接触れたり,あるいはそれらを吸引することは避けられず,それが
原爆爆発時からほどない時期であれば,それらの物質が放出する放射線量は相当程
度のものであったはずであり,また,そのような物質が体内や生活空間に長時間存
在すれば,その放射性核種の半減期等の物理的性質に従って放射線を放出し続ける
ことになるから,こうした内部被曝や低線量被曝が一定程度人体に影響を与えた可
能性を考慮に入れるべきことは合理的であり,その数値的な実証ができないとして
も,それによる影響を否定すべきものではないというべきである。
オ遠距離・入市被爆者に生じた急性放射線症状
(ア)遠距離・入市被爆者に生じた急性放射線症状に関する調査結果
上記に関する調査及びその結果の概要は次のとおりである。
a「日米合同調査団報告書」(甲全6号証)
広島では,爆心地から2.1㎞から2.5㎞の地点において,屋外または日本家
屋内で被曝した人1415名のうち68名(4.8%),ビルディング内で被曝し
た人12名のうち1名(8.3%)にそれぞれ脱毛がみられ,防空壕やトンネル内
で被曝した人1名には脱毛がみられなかった。
長崎では,爆心地から2.1㎞から2.5㎞の地点において,屋外または日本家
屋内で被曝した人515名のうち37名(7.2%),ビルディング内で被曝した
人35名のうち1名(2.9%),防空壕やトンネル内で被曝した人110名のう
ち2名(1.8%)にそれぞれ脱毛がみられた。
b横田賢一ほか「長崎原爆における被爆距離別の急性症状に関する研究」〔長
崎医学会雑誌73巻247頁〕(甲全111号証の6)
長崎において,被爆距離が3.5㎞以内の人から3000人を無作為抽出して,
急性症状の発症頻度を調べたところ,距離別の脱毛の頻度は,日米合同調査団の結
果と同様の結果が得られた。
c於保源作「原爆残留放射能障碍の統計的観察」(甲全7号証,於保論文)
於保医師が,昭和32年1月から同年7月までの期間において,広島市内の一定
地区(当該地区は,爆心地から2.0㎞ないし7.0㎞に位置する。)に住む被曝
生存者全部(3946名)につき,その被爆条件,急性原爆症(熱火傷,外傷,発
熱,下痢,皮粘膜出血,咽頭痛及び脱毛)の有無及び程度,被爆後3か月間の行動
等を各個人毎に調査したところ,次のような結果を得た。
屋内被爆者及び屋外被爆者のいずれにおいても,爆発直後(被爆後3か月間。以
下同じ)に中心地(爆心地から1.0㎞以内,以下本項につき同じ。)に入らなか
った者は,急性症状の有症率が,被爆距離の延長に従って整然と減少するのに対し,
爆発直後に中心地に入った者は,同有症率が,被爆距離の延長に従って減少すると
いう関係にはない。
屋内被爆者の場合,爆発直後に中心地に入らなかった者の有症率は平均20.2
%であるが,中心地に入った者の有症率は36.5%であり,屋外被爆者の場合,
爆発直後に中心地に入らなかった者の有症率は平均44.0%であるが,中心地に
入った者の有症率は51.0%であって,いずれの場合も,爆発直後に中心地に入
った者の有症率が,入らなかった者の有症率より高い。
原爆投下時に広島市内におらずその直後に入市した者の場合,中心地に入らなか
った非被爆者104名中,急性症状を示した者は全くいなかったが,中心地に入り
10時間以上活動した者ではその43.8%が急性症状を示した。なお,中心地に
入った者でも,爆発後1か月後に中心地に入った者の有症率は極めて小さい。
d都築正男「原子爆弾の災害」(甲全8号証の2・文献3)
都築正男(東京大学名誉教授)は,数年間にわたって,広島及び長崎両市の状況
を観察した結果,第一次放射能(初期放射線)の作用を全然受けない者が,第二次
放射能(放射性降下物,誘導放射能)だけで重篤な症状を発現したり,又,慢性原
爆症になった者はないようであること,しかし,原爆が爆発した時には2㎞以上離
れた地点(4㎞以内)にあって,それだけでは放射線疾病の症状は現れないが,そ
れらの人々が,直後に,爆心地に立ち入って作業をし,あるいは生活するようなこ
とがあると,第二次放射能の影響が併せ加わって,急性の放射線疾病の症状を発し
た人は少なくないとの所見を述べている。
e調来助ほか「医師の証言長崎原爆体験」(甲全8号証の2・文献4)
調来助(当時,長崎医科大学外科第一教室教授)は,昭和20年10月から12
月にかけて,長崎における原爆の被害状況を調査したところ,2㎞から4㎞で被爆
した2828人のうち77日(2.7%)に脱毛があり,うち2名は急性期に死亡
したという結果を得た。
f筧弘毅「広島市における原子爆弾被爆者の脱毛に関する統計」(甲全8号証
の2・文献5)
日米合同の原爆災害調査団は,昭和20年10月に,広島における原爆の被害状
況を調査したところ,調査人員5120名のうち707名に脱毛を認め,全脱毛者
の約90%は被爆時に爆心から2㎞以内にいた者であるが,被爆時に爆心から2.
1㎞から3.0㎞の距離にいた1658名の中でも84名(5.0%)に脱毛がみ
られた。
g「広島原爆戦災誌」(甲全8号証の2・文献7)
原爆投下直後に,急遽広島市に入市して救護活動を行った陸軍船舶司令部隷下の
幸の浦基地救援隊201名,忠海基地救援隊32名の合計233名に対して調査を
行ったところ,幸の浦基地救援隊は,原爆投下当日(8月6日)の正午前に宇品に
上陸し,同日夜から同月7日早朝にかけて中心部に進出し,主として,大手町・紙
屋町・相生橋付近・元安川にて活動し,忠海基地救援隊は,8月7日朝から,市周
辺(東練兵場・大河・宇品・その他主要道路沿いなど)において救援を行ったが,
調査対象者233名の内の120名(51.5%)に白血球減少,80名(34.
3%)に脱毛がみられた。
h永井隆「長崎の鐘」(甲全8の2・文献8)
長崎医科大学放射線科の永井隆助教授は,「(長崎の)爆撃直後3週間以内に壕
舎住居を始めた人々には重い宿酔状態が起こり,それが1か月以上も続いた。また
重い下痢にかかって苦しんだ。特に焼けた家を片づけるため灰を掘ったり瓦を運ん
だり,また屍体の処理に当たった人の症状ははなはだしかった。症状はラジウム大
量照射を受けた患者のおこすものに似ており,たしかに放射線の大量連続全身照射
の結果であった。」との所見を記載している。
i梶谷鐶ほか「原子爆弾災害調査報告(広島)」(甲全77号証の7,乙全2
6号証)
(a)東京帝国大学医学部診療班は,昭和20年10月中旬から同年11月にかけ
て,広島の住民の診療及び調査を行い,脱毛,皮膚溢血斑,壊疽性又は出血性口内
炎症のうち一症状以上を示したものを放射能症と定めて,爆心地からの距離別にそ
の発生頻度を調べたところ,次の一覧表のとおりの結果が得られた。
上記放射能症の発生頻度は,爆心地から1㎞以内の地域では80%以上であった
が(この地域では負傷者の大多数は死亡しているから実際はさらにその頻度が高い
と思われる。),1㎞を超える地域では急激に減少し,2ないし2.5㎞では10
%以下となった。
別紙表2参照
なお,放射能傷と規定されたものは爆心地から2.8㎞以遠には発見されなかっ
たが,脱毛の距離別発生頻度と近似の状況を示す口内炎症及び悪心嘔吐の距離別発
生頻度は,爆心地から3.1ないし4.0㎞の間にも明らかに存在し,この距離内
においても僅かながら放射能障害症状を呈する症例を確認することができると考え
られた。
(b)また,爆心地からの距離別に遮蔽状況と脱毛発現率との関係を調べたところ,
次のとおりとなった。
別紙表3参照
脱毛の発現率は,屋外解放のもの,屋外蔭にあったものが最も高く,コンクリー
ト建物内のものが最も低く,木造家屋内のものはその中間率を示す。
なお,1.1ないし1.5㎞において屋外解放のものと屋外蔭のものがほぼ同じ
脱毛発現率を示すことは,放射能の散乱性を物語ると考えてよかろう。
j日本原水爆被害者団体協議会の昭和60年調査(甲全73号証の1・2,7
4号証)
昭和60年(1985年),日本原水爆被害者団体協議会は,被爆40年後にお
いてなお続く被爆者及びその遺族の苦しみや不安を原爆被爆との関連で明らかにす
ること,及びそれらの被害がどれほど人間性に反するものであるかを明らかにする
ことを目的として,原爆被害者調査を実施した。
濱谷教授は,この調査データをもとに,6744人の調査票を分析した結果,次
のような結果を得た(濱谷分析)。
(a)直接被爆者のうち急性症状があった者の割合を爆心地からの距離別に集計す
ると,爆心地から1㎞以内の距離範囲で82.8%,1㎞を超えて2㎞以内の距離
範囲で70.3%,2㎞を超えて3㎞以内の距離範囲で54.0%,3㎞超える距
離範囲で40.5%であり,被爆距離が爆心地に近づくにしたがってその割合が増
大していることが示された。
また,上記のとおり爆心地から3㎞を超える距離範囲の被爆者でも高い割合で急
性症状が見られるほか,入市被爆者のうち急性症状があった者の割合は38.8%,
救護被爆者のうちの同割合は28.6%となっていることが示された。
さらに,急性症状の個数を5段階(「1∼2個」「3∼4個」「5∼7個」「8
∼10個」「11∼16個」)に分類して分析したところ,急性症状の個数(急性
症状の重さ)という観点で見ても,被爆距離が近づくにつれて,発症した急性症状
がより重くなるという関連性があることが示された。
(b)急性放射線症状の有無とその後の健康状態との関係について見ると,被爆直
後に急性症状があった者は,なかった者に比べて,その健康状態は,①「しばしば
(くりかえし)入院」率が2.3倍,「しばしば通院」率が1.6倍,「長期入
院」率が1.5倍,②「ぶらぶら病があった者」の割合が2.2倍,③「被爆した
ためにすっかり健康状態が変わった者」の割合が6.1倍,④「病気したり体の具
合が悪くなったときに死の恐怖を感じた者」の割合が1.8倍,それぞれ高くなっ
た。
また,急性症状の個数(急性症状の重さ)との対比で見ても,急性症状の個数が
少ない方から多くなるにつれて,健康状態の悪化を示す上記の割合が,規則的に増
大した。
さらに,その後の健康状態を示す4つの指標(入通院の頻度(上記①),ぶらぶ
ら病(上記②),健康喪失感(上記③),死の恐怖(上記④))の組み合わせによ
り,病態類型を「Ⅳ」(4つの指標すべてに該当する者)から「0」(4つの指標
すべてがなかった者)まで5つの類型を設定し,被爆直後の急性症状との関連を見
てみると,急性症状があった者は明らかにその後の病態が重くなっているといえる。
また,急性症状の個数との関連で病態類型を見てみると,急性症状の個数が多かっ
た(急性症状が重かった)ほど,病態類型Ⅳの割合が規則的に増大し,病態類型Ⅳ
及びⅢの合計で見ると,急性症状が5∼7個あった者ではその78%,8∼10個
あった者ではその85%,11個以上あった者ではその90%以上もの高い割合を
占めており,結局,被爆直後に急性症状があった者,そしてその症状数が多かった
者ほど,その後の病態がより重かったといえる。
こうした傾向は,直接被爆か入市被爆・救護被爆ということや,爆心からどの距
離で被爆したかということに関わらず,同様に認められる。
(c)以上の分析を基に,濱谷教授は,被爆者のその後の健康状態は,被爆状況
(直接被爆,入市被爆,救護被爆)や被爆距離よりも,被爆直後の急性放射線障害
によって大きく左右されるといえるから,被爆者の体の状態は,どこで被爆したか
ということより,被爆時及びその直後にどのような症状を呈したか(急性症状の有
無・程度)に留意して把握する必要がある旨の意見を述べている。
k齋藤紀「入市被爆者の脱毛について」(甲全80号証,齋藤報告書)
広島・長崎における原爆被爆者の寿命調査結果を解析したところ,被爆後60日
以内に脱毛があったと報告されている者では,この急性放射線症状を経験しなかっ
た者に比べ,電離放射線推定被曝線量と白血病死亡率との間に見られる線形の線量
反応関係の勾配が2.5倍も急であるとの結果が得られた。一方,白血病を除くが
ん死亡率における線量反応関係には脱毛の有無による差はほとんどなかった(錬石
和男ほか「広島と長崎の原爆被爆生存者における急性放射線症状とその後の癌死亡
との関係に関する観察」〔広島医学43巻2号330頁〕,甲全111号証の1)。
広島・長崎における原爆被爆者の末梢血培養リンパ球に認められる染色体異常を
有する細胞の割合について解析したところ,DS86線量を用いた線量反応関係は,
被爆後強度脱毛を呈した者が,脱毛のなかった者よりもその勾配率が有意に高いと
いう結果が得られた(RichardSpostoほか「染色体異常と強度脱毛のデータに基づ
くDS86線量計算方式の確率誤差に関する調査」〔広島医学43巻8号1455頁〕,
甲全111号証の2)。
齋藤医師は,これらの結果を踏まえて,原爆被害の重度評価において,原爆初期
放射線推定線量から相対的に独立した要素として注目されている脱毛は,被害の実
体的指標として有用であることを含意しているとの意見を述べている。
l「広島・長崎の原爆災害」〔広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会編〕(甲
全111号証の5)
広島大学精神科医の小沼十寸穂らは,昭和28年8月,被爆者における神経精神
医学的な諸問題を研究することを目的として,広島で勤労奉仕隊として作業中被爆
した大竹市在住の被爆者につき詳しい分析的な調査を行い,「前代未聞の惨状」に
遭遇したことによる精神神経症状を詳細に報告しているが,その中には,精神神経
症状との関連で脱毛が多発したとの指摘はない。
m横田賢一ほか「長崎原爆の急性症状発現における地形遮蔽の影響」〔広島
医学57巻4号362頁〕(甲全111号証の7)
横田賢一らは,長崎原爆の被爆地について,地理情報システムを利用して地形的
に放射線が遮蔽された地域を割り出し,急性症状の発現における地形遮蔽の影響に
ついて検討したところ,遮蔽地域と無遮蔽地域との間で脱毛の頻度(程度別頻度を
含む)について有意差が認められた。
n安齋育郎「原爆症訴訟意見書」(甲全83号証の2)
昭和29年(1954年)3月1日にビキニ環礁で行われたアメリカによる水爆
実験の際に,爆心から160㎞離れた海域にいた日本のマグロ延縄漁船「第五福龍
丸」に放射性核分裂生成物が降り注ぎ,23人の乗組員に急性放射線障害をもたら
したが,安齋育郎は,ビキニ水爆と広島原爆ではその爆発威力は約1000倍の違
いがあるとはいえ,広島・長崎でも周囲数㎞の地域に強い放射性物質の降下があっ
たであろうことは合理的に推定されるとの意見を述べている。
長崎に原爆が投下された後の昭和20年9月23日以降昭和21年春ころまで,
最大時で約1万人のアメリカ海兵隊員が,瓦礫の片付けなどのために駐屯したが,
その中に,多発性骨髄腫と呼ばれる放射線障害が複数事例発生したことが伝えられ
ている。
o澤田昭二「原爆放射線急性症状の発症率から実効的被曝線量を推定する」
(甲全52号証)
澤田教授は,次のとおり,急性放射線症状の発症率と被曝線量の関係から,放射
性降下物と誘導放射化物質による被曝線量を推定した。
「原爆放射線の人体影響1992」(乙全14号証・10頁)に,脱毛,出血,咽
頭部病変の3種を含む急性症状について,初期放射線による外部被曝線量0.5Gy
で発症率5ないし10%,3Gyで発症率50ないし80%になるとの報告があり,
これを基にすると,急性症状発症率と被曝線量の関係は,平均値2.4Gy±0.6
Gy,標準偏差1.485Gyの正規分布関数を一部修正して表現できる。
そして,於保論文における屋内で被曝し,かつ爆発中心部に出入りしていない被
爆者についての急性症状の発症率や,日米合同調査団の調査報告における急性症状
の発症率(いずれの発症率も爆心地からの距離との関係を示すもの)を基にして,
この急性症状の発症は,初期放射線,放射性降下物及び誘導放射化物質による被曝
によるものとの前提のもとに,上記の急性症状発症率と被曝線量の関係や,爆心地
からの距離に対応した初期放射線に関する知見を用いて,放射性降下物及び誘導放
射化物質による被曝線量を推定した。
その結果,放射性降下物による実効的被曝線量は,爆心地から約1.5ないし1.
6㎞で初期放射線量を上回り,さらに遠距離では,主として放射性降下物によって
急性症状を発症したことが明らかとなった。
pそのほかの証言等(甲全8の2・文献9,文献10)
そのほか,元広島原爆病院長の重藤文夫や,元広島逓信病院長の蜂谷道彦は,入
市被爆者の中から死者がでた旨を述べている。
(イ)遠距離・入市被爆者の発病率,染色体異常率
前記の「広島原爆戦災誌」や齋藤報告書においては,遠距離・入市被爆者に生じ
た白血球減少,白血病及び染色体異常等についても言及しているが,このほか,遠
距離・入市被爆者の発病率,染色体異常率については,次の所見が存する。
a広瀬文男「原爆被爆者における白血病」(甲全12号証)
非被爆者(全国平均)の白血病発生率は10万人当たり2.33人であるが,広
島における爆発3日以内の入市者(8月6日ないし8月9日に入市)におけるその
発生割合は9.69人,同4日から7日までの入市者(8月10日から8月13日
に入市)における同発生割合は4.04人であった。
なお,白血病を細胞形態別にみたときに,急性白血病と慢性骨髄性白血病の割合
は,全国平均は4.5:1であるのに対し,広島被爆者に発症した白血病の同割合
は1.5:1であり,全国平均に比べて慢性骨髄性白血病の占める割合が非常に多
い(「原爆放射線の人体影響1992」,甲全111号証の8)。
広瀬文男は,早期入市者に発生した白血病の型も慢性型の発生が高率であったこ
とから,早期入市者が受けた原爆放射線は著しかったことが示唆されるとの意見を
述べている(広瀬文男前掲書,甲全12号証)。
b早期入市者の染色体異常・佐々木及び宮田「BiologicalDosimetryinAtomic
BombSurvivors」(甲全111号証の17の1・2)
佐々木及び宮田が,広島の被爆者51人と非被爆対照11人を対照として,染色
体異常の頻度を調査したところ,2.4㎞以遠の遠距離被爆者19人の染色体異常
頻度が,非被爆対照群のそれよりも有意に高かった(p<0.01)。2.4㎞以
遠の遠距離被爆者19人のうち,早期入市者(被爆3日以内,1㎞以内入市,11
人)の群は,それ以外の者(8人)の群よりも,染色体異常頻度が高率であるとの
結果が得られたが,統計学的に有意であるとの結果は得られなかった(0.1<p
<0.2)。
佐々木及び宮田は,前掲論文において,2.4㎞以遠の遠距離被爆者の群に予想
外の高率でみられた染色体異常は,爆心地に入ったということでは十分に説明でき
ないと思われること,この遠距離被爆者の群において染色体異常と吸収線量が予想
外に高いレベルで観察されたことは,同群の一定数の者が初期放射線以外の被曝を
受けたことを示唆しているとの意見を述べている。
c小熊及び鎌田「早期入市者の末梢血リンパ球染色体異常」〔原爆放射線の人
体影響1992〕(甲全111号証の8)
小熊及び鎌田は,早期入市者40名を,入市滞在期間(長短)と,今日までの医
療被曝加重(多寡)で4群(A群:長期入市滞在者(賀北部隊員)10名,B群:
長期入市滞在者で医療被曝の多い者(賀北部隊員)10名,C群:短期入市滞在者
6名,D群:短期入市滞在者で医療被曝の多い者14名)に区分して,医療被曝が
同程度群で滞在の長短が区分できるA群(長期滞在)とC群(短期滞在),及びB
群(長期滞在)とD群(短期滞在)とで,安定型染色体異常の割合を比較検討した
ところ,被爆者の体内に終生残る安定型染色体異常の発症率は,長期滞在のA群及
びB群で有意に高いことが認められた(p<0.005)。
d牟田喜雄「2004年くまもと被爆者健康調査“プロジェクト04”」(甲
全81号証の1ないし4)
くわみず病院附属平和クリニックの牟田喜雄医師は,遠距離・入市被爆者の健康
障害の実態を解明することを目的として,平成16年6月から平成17年3月まで,
58歳以上の熊本県内在住者のうち,被爆者278名,非被爆者530名について
疾患発症状況を調査した。
その結果,2㎞以遠の被爆者及び入市被爆者の139名の群のうち65%の者が
何らかの急性症状を示唆する症状があったと回答し,入市被爆者のみの34名の群
では71%の者が上記症状があったと回答した。
また,性・調査時年齢を個別マッチさせて,被爆者と非被爆者の1:1ペアを2
78組み作り,それぞれの悪性腫瘍等の疾患の発症状況を比較したところ,2㎞以
遠の被爆者及び入市被爆者の群について,個別マッチした非被爆者に比して悪性腫
瘍(がん)の発生者数が約2倍多く,入市被爆者の群のみについても,個別マッチ
した非被爆者に比して悪性腫瘍(がん)の発生者数が多く,いずれも統計学的に有
意であるとの結果が得られた。
同論文の著者は,2㎞以遠での遠距離被爆での直接被曝線量は小さいものと考え
られるので,遠距離被爆者や入市被爆者に被爆による後障害があることが推定され
ることを説明するためには,直接被爆のほかに残留放射能による外部・内部被曝を
考えなければならないとの所見を述べている。
e島方時夫ほか「三次高等女学校の入市被爆者についての調査報告書」(甲全
82号証)
広島県三次市の三次高等女学校の200名を超える学生は,昭和20年8月19
日から同月25日まで,広島市内に入って被爆者の救護にあたったが,平成16年
4月以降,これらの者の入市被爆の実情や健康状態を調査した。
その結果,被爆者救護隊として本川国民学校へ配置された20数名のうち氏名等
が判明したのは23名であり,平成17年12月31日時点で死没者が13名,生
存者が10名で,生存者の割合は43%であったところ,簡易生命表における生存
者の割合(83.7%)に比べて非常に低いこと,若年時からの死亡例がみられ,
死因が判明した11名のうち,がん性の疾患により死亡した者が7名を占めること,
生存者10名のうち6名に急性症状の発症があったとの結果が得られた。
(ウ)急性放射線症状と放射線量に関する知見
aSeishiKyoizumiほか「RadiationSensitivityofHumanHairFolliclesin
SCID-huMice」〔RADIATIONRESEARCH149,11-18(1998)〕(甲全80号証,111号
証の4の1・2)。
人間の頭髪(頭皮)を移植した動物に対するエックス線照射実験を行ったところ,
約2Gyで脱毛率が増加し,約4.5Gyで脱毛率がほぼ100%になるという結果が
得られた。
b草間朋子ほか「電離放射線障害に関する最新の医学的知見の検討」(甲全8
5号証の28)
筆者らが,当時(平成14年3月)の最新の放射線影響,傷害に関する情報をま
とめ,検討したところ,一般に急性放射線症状は約1Gy以上の被曝で発症するとさ
れており,脱毛は3Gy以上(同文献8頁,なお同文献5頁には,2ないし4Gyで脱毛
が生じるとの記載もある。),下痢は5Gy以上(同文献4頁,なお同文献5頁には,
4ないし6Gyで中等後の下痢が起こるとの記載もある。)で発症するとされている。
c「電離放射線の非確率的影響」〔国際放射線防護委員会専門委員会1の課題
グループの報告書〕(乙全78号証・23頁)
低LET放射線の1回短時間照射の場合,3ないし5Gyの線量で一過性脱毛が起
こり得る。
皮膚に対する放射線の脱毛等の急性効果は,主として表皮の基底層及び毛嚢球の
増殖性細胞の傷害とその結果起こる表皮の細胞再生の妨害によるもので,これらの
型の傷害が現れるまでの時間は,表皮の対応する細胞コンパートメントにおける細
胞の交代の動態と密接に関連している。
d「要覧放射線影響研究所」(乙全10号証・10頁)
「急性放射線症」と総称される疾患は,高線量の放射線(約1-2Gyから10
Gy)に被曝したあと,数か月以内に現れる。主な症状は,被曝後数時間以内に認め
られる原因不明の嘔吐,下痢,血液細胞数の減少,出血,脱毛,男性の一過性不妊
症などである。下痢は腸の細胞に傷害が起こるために発生し,血液細胞数の減少は,
骨髄の造血幹細胞が失われるために生ずる。出血は,造血幹細胞から産生される血
小板の減少により生ずる。また毛根細胞が傷害を受けるために髪の毛が失われる。
毛髪は実際には抜けるのではなく,細くなり最後には折れる。男性の不妊症は,精
子を作り出す細胞が傷害を受けた結果生じる。
重度脱毛(3分の2以上の頭髪の脱毛)を報告した人の割合と被曝線量の関係を
示したグラフによれば,1Gyで3ないし4%,2Gyで約40%,3Gyで約50%の
割合で,重度脱毛が生じるとの傾向がうかがえる。
e菅原努監修「放射線基礎医学第10版」〔金芳堂〕(乙全101号証・
329,330頁)
人における放射線の全身照射の場合には,2ないし5Gyで脱毛,血小板減少,出
血の症状が起こるとされている(国連科学委員会,1988)。
(エ)当裁判所の判断
以上の知見等を基に判断する。
a爆心地から1.5ないし2㎞以遠においては,脱毛,下痢等の症状を呈する
者の割合はかなり低くなるものの,一定割合の者は脱毛,下痢等の症状を呈してい
ることが明らかに認められる。そして,これらは,爆心地から遠距離になるほど発
症率が低く,遮蔽の有無・程度も影響し,被爆後中心地に入った者は入らなかった
者よりも発症率が高く,この発症率は中心地に入った時期・期間にも関連する。
さらに,遠距離・入市被爆者について,急性放射線症状の可能性がある脱毛,下
痢等の症状を呈した者については,放射線に起因すると認められる白血病罹患,悪
性腫瘍罹患,染色体異常との間に有意な関連がある。なお,前記のとおり,「黒い
雨に関する専門家会議報告書」(乙全20号証)において,黒い雨に曝された者と
そうでない者の体細胞突然変異及び染色体異常を比較したところ,放射線によると
思われる有意な関連は認められなかったとの報告がなされているが,同報告は,測
定された人数も限定的なものである上,対照群として選定された者(非降雨地域に
当時在住し黒い雨に曝されていない者)が,黒い雨以外のすすなどを浴びるとか,
被爆後の行動によって放射性降下物に接近するなどして,放射性降下物による放射
線被曝を受けることがなかったか否かが必ずしも明らかではなく,同報告をもって
黒い雨に放射性降下物が含まれていないとか,あるいは放射性降下物による人体影
響が顕著でないなどと結論付けられるものではない。
これらの諸事情から考えると,遠距離・入市被爆者に生じた脱毛,下痢等の症状
は,放射線の被曝による急性放射線症状と認めるのが相当である。
bなお,被告らは,今日の放射線医学の進歩により,急性症状が生じる被曝線
量は最低でも1Gy以上,脱毛が生じるのが頭部に3Gy以上,さらに下痢が生じるの
が腹部に5Gy以上であることが明らかになっているとし,遠距離・入市被爆者はそ
のようなレベルの放射線を浴びていないことは明らかであると主張する。
しかし,前記のとおり,原爆の初期放射線についてはDS86による被曝線量が
一定程度の合理性をもつとしても,放射性降下物,誘導放射能による外部被曝や内
部被曝については,遠距離・入市被爆者の放射性降下物に曝された状況や原爆投下
後の入市状況によっては,審査の方針が定める推定線量を大幅に越える放射線に被
曝した可能性を否定できないから,急性症状を呈するためには最低でも1Gy以上の
放射線量を浴びることが前提である旨の被告らの指摘は,かえって,そうした症状
を呈した被爆者が同程度の放射線量を浴びたことを裏付ける事実といえるのであっ
て,前記の濱谷分析や齋藤報告書が指摘するように,急性放射線症状を呈したか否
かは,被爆者がどの程度の放射性を浴びたかについての重要な指標になるというべ
きである。
c被告らは,仮に遠距離被爆者,入市被爆者に急性放射線症状が発現していた
としても,脱毛については,極度の精神的ストレスや,感染症,当時の栄養障害等
の諸事情からして,多少の脱毛があったとしても何ら不自然ではないし,発熱や下
痢については,脱水症や熱中症によるものや,赤痢・腸チフス・パラチフスといっ
た腸管感染症によるもの,栄養障害から生じる慢性下痢によるもの等の可能性があ
る旨主張する。
しかしながら,脱毛が精神的ストレス等の要因によっても起こり得るものである
としても,東京,大阪,名古屋をはじめとして全国各都市を襲った大空襲など,原
爆被爆地以外での苛烈かつ悲惨な戦災に遭った者等について,一定割合で脱毛等の
症状が生じたとする調査結果が存在することを認めるに足りる証拠はない。
また,脱水症や熱中症については,炎天下で水分を十分に補給することなく,原
爆投下後の市内を長時間歩き回ったり作業をした場合に,そうした症状を呈する可
能性がないとはいえないが,それが原因で脱毛や激しい下痢が生じるものとは認め
られない。
感染症による下痢については,当時全国的にみれば,赤痢,腸チフス及びパラチ
フス等の腸管感染症に罹患した患者が一定程度発生しており,特に8月や9月はそ
の発生が多かったことが認められるが(乙全119号証),当時,特に広島や長崎
で赤痢や腸チフス等の感染症が蔓延していたことを示す具体的な証拠はなく,かえ
って,広島においては,広島第一陸軍病院江波分院及び広島第二陸軍病院各分院に
収容された被爆患者の下痢が,一見細菌性下痢に似ていたものの,細菌検査の結果
は陰性であったこと,また,下痢の症状が赤痢を疑わせるものであったため,臨時
伝染病院を急設したが,結局赤痢菌は陰性であり,抗菌性薬剤の投与も無効であっ
たこと,これらの報告があり(「広島・長崎の原爆災害」,甲全77号証の9・77
頁,112号証の5・428頁),その他,遠距離・入市被爆者に生じた下痢症状が
赤痢等の感染症によるものであることを示す証拠は見当たらない。
また,栄養障害については,昭和21年に栄養障害から生ずる慢性下痢が2%前
後の者に認められているが(乙全106号証・6,7頁),そのことから,上記の遠
距離・入市被爆者に生じた下痢がすべて栄養障害から生じたものであると解すべき
根拠も見当たらない。
すでに述べたとおり,遠距離・入市被爆者の脱毛,下痢等の症状は,爆発時点に
おける爆心地からの距離及び遮蔽の有無,爆発後の爆心地付近への出入り及び滞在
時間の長さとの間に関連性がある上,上記の各種の調査結果及び知見等を対比検討
した上,これらを総合的に判断してみれば,上記の諸症状は急性放射線症状である
と認めるのが相当というべきである。被告らが上記のとおり主張するところは,同
様の症状が他の要因によっても起こり得るとの一般的な医学的知見に基づく可能性
を指摘するにとどまるものであって,遠距離・入市被爆者の具体的な被曝状況及び
諸症状の態様等との関係について適切な考慮,検討を経たものとは解し難く,上記
の認定を覆すに足りるものとは認められない。
d被告らは,於保論文,濱谷分析,齋藤報告書等の内容について消極的な評価
をするが,それらの調査手法が一定の誤差を生じる余地を内包するものであったと
しても,遠距離・入市被爆者に生じた急性放射線症状については,上述したとおり
の多数の調査結果が存在しており,数多くの遠距離・入市被爆者らがそれに合致す
る症状を呈していたのであって,被告らの上記主張内容と対比検討してみても,こ
れらの調査結果に基づく上記の認定が左右されるものとは認められない。
(5)原因確率論について
ア審査の方針における原因確率論の根拠
(ア)放影研(ABCC)による疫学調査の概要(乙全10号証)
ABCCは,昭和25年(1950年)の国勢調査時に行われた原爆被爆者調査
から得られた資料を用いて,固定集団の対象者となり得る人々の包括的な名簿を作
成した。この国勢調査により28万4千人の日本人被爆者が確認され,この中の約
20万人が昭和25年(1950年)当時,広島・長崎のいずれかに居住していた
(基本群)。
1950年代後半以降,ABCCないし放影研で実施された被爆者調査は,すべ
てこの「基本群」から選ばれた副次集団について行われてきた。死亡率調査では,
厚生省,法務省の公式許可を得て,国内で死亡した場合の死因に関する情報を入手
している。がんの罹患率に関しては,地域の腫瘍・組織登録からの情報(広島,長
崎に限る。)によって調査が行われている。
a寿命調査集団(LSS集団)
(a)当初の寿命調査集団は,「基本群」に含まれる被爆者の中で,本籍が広島又
は長崎にあり,昭和25年(1950年)に両市のどちらかに在住し,効果的な追
跡調査を可能にするために設けられた基準を満たす被爆者の中から選ばれており,
以下の4群から構成されている。
①爆心地から2000m以内で被爆した者全員から成る中心グループ(近距離
被爆者)
②爆心地から2000ないし2500mの地域で被爆した者全員から成るグル
ープ
③①の中心グループと年齢及び性が一致するように選ばれた爆心地から250
0ないし10000mの地域で被爆した者のグループ(遠距離被爆者)
④①の中心グループと年齢及び性が一致するように選ばれた,1950年代前
半に広島・長崎に在住していたが原爆投下時は市内にいなかったグループ(この群
は,原爆投下時市内不在者と呼ばれ,原爆投下後60日以内の入市者とそれ以降の
入市者も含まれている。)
(b)当初9万9393人から構成されていた寿命調査集団は,1960年代後半
に拡大され,本籍地に関係なく,爆心地から2500m以内において被爆した「基
本群」全員が含まれていた。次いで,昭和55年(1980年)に更に拡大され,
「基本群」における長崎の全被爆者が含められ,今日では集団の人数は合計12万
0321人となっている。この集団には,爆心地から10000m以内で被爆した
9万3741人と,原爆投下時市内不在者2万6580人が含まれている。
これらの人々のうち,8万6632人については,DS86による被曝線量推定
値が得られているが,7109人については,建物や地形による遮蔽計算の複雑さ
や不十分な遮蔽データのため線量計算はできていない。
(c)現在,寿命調査集団には,「基本群」に入っている爆心地から2500m以
内の被爆者がほぼ全員含まれるが,次の近距離被爆者は除外されている。すなわち,
1950年代後半までに転出した被爆者(昭和25年(1950年)国勢調査の回
答者の約30%),国勢調査に無回答の被爆者,原爆投下時に両市に駐屯中の日本
軍部隊及び外国人は含まれていない。以上のことから,爆心地から2500m以内
の被爆者の約半数が調査の対象となっていると推測されている。
b成人健康調査集団(AHS集団)
(a)この集団は,2年に1度の健康診断を通じて,疾病の発生率とその他の健康
情報を収集することを目的として設定された。成人健康調査によって,全員のすべ
ての疾病と生理的疾患を診断し,がんやその他の疾病の発生と被曝線量との関係を
研究している。これによって,寿命調査集団の死亡率やがんの発生率についての追
跡調査では得られない臨床上あるいは疫学上の情報を入手できる。
(b)昭和33年(1958年)の集団設定当時,成人健康調査集団は当初の寿命
調査集団から選ばれた1万9961人から成り,中心グループを,昭和25年(1
950年)当時生存し,爆心地から2000m以内で被爆して急性放射線症状を示
した4993人とした。このほかに,都市・年齢・性を中心グループと一致させた
以下の3つのグループを構成した。
①爆心地から2000m以内で被曝し急性症状を示さなかった者
②広島では爆心地から3000ないし3500m,長崎では3000ないし4
000mの地域において被爆した者
③原爆投下時にいずれの都市にもいなかった者
(c)昭和52年(1977年)には,高線量被曝者の減少を懸念して,新たに以
下の3つのグループを加えて成人健康調査集団を拡大し,合計2万3418人の集
団となった。すなわち,
①寿命調査集団のうち,推定被曝線量が1Gy以上である2436人の被爆者全
員のグループ
②①と年齢及び性を一致させた同数の遠距離被爆者から成るグループ
③胎内被爆者1021人から成るグループ
c放影研(ABCC)による疫学調査方法
(a)コホートとは,ある共通の性格を持つ集団(たとえば,昭和35年生まれの
コホートといえば,昭和35年に生まれた人達の集団のことを表す。)を意味する
が,疫学におけるコホート研究とは,何らかの共通特性(例えば,同じ住所地,同
じ職業,同じ学校,同一の曝露要因など)を持った集団を追跡し,その集団からど
のような疾病・死亡が起こるかを観察し,要因(例えば,放射線曝露)と疾病(例
えば,白血病等の悪性腫瘍)との関連を明らかにしようとする研究である。したが
って,コホート研究は,疾病の要因と考えられている情報に基づいて調査集団を設
定し,その後の疾病や死亡の起こり方が,要因の有無や,その要因曝露の程度によ
ってどのように異なるかを観察する研究方法である(乙全52号証・56頁)。
(b)そして,その解析方法には,調査集団を外部集団と比較する外部比較法と,
調査集団内部で曝露要因の程度によって分けられたグループ内で比較する内部比較
法がある。内部比較法は,具体的には,曝露が高い群から発生した死亡罹患が,非
曝露群又は低濃度曝露群から発生した死亡に比べてどう違うかをみるものである
(日本疫学会編集「疫学基礎から学ぶために」,乙全52号証・61頁)。
放影研においては,少なくとも「寿命調査第5報」(乙全18号証)以降は,内
部比較法による解析法を用いている。なお,「寿命調査第6報」(乙全47号証),
「寿命調査第7報」(乙全48号証)においては,内部比較法に基づく解析法のほ
かに,NIC(市内不在者群)との比較や,日本人全体の死亡率を利用して期待死
亡数を算出する外部比較法も合わせて行われたが,「寿命調査第8報」(乙全49
号証)以降は外部比較法に基づく解析は行われていない。
(c)また,放影研では,「寿命調査第10報」(乙全12号証)からポアソン回
帰分析を用いて内部比較法によりリスク推定を行っている。
回帰分析とは,予測したい変数である目的変数と目的変数に影響を与える変数で
ある独立変数との関係式を求めて,目的変数の予測を行い,独立変数の影響の大き
さを評価することである。被曝線量とがんによる死亡率についていうと,目的変数
である「がんによる死亡率」と,独立変数である「被曝線量」がどのような関係に
あるかを関係式(回帰式)という数式で表し,これを用いて,個々の被爆者の被曝
線量からリスクを推定することになる。
その関係式として,直線,2次曲線,確率分布等で当てはめることにより様々な
回帰分析が行われるが,ポアソン回帰分析は,目的変数がポアソン分布に従うと仮
定して行う回帰分析法である。なお,ポアソン分布とは,ある事象が,万が一起こ
るとしたら,突発的に(互いに独立して)起こるが,普段は滅多に起こらないとい
う場合の,一定時間当たりの事象発生回数を表す分布である。
(イ)児玉和紀ほか「放射性の人体への健康影響評価に関する研究」(乙全7号証,
「児玉論文」,審査の方針においては,同文献の結果が用いられている。)
aリスク評価の指標
放射線の人体への健康影響に関するリスク評価の指標として,相対リスク(「R
R(RelativeRisk)」ともいう。),絶対リスク(「AR(AbsoluteRisk)」と
もいう。),寄与リスク(「ATR(AttributableRisk)」,「原因確率」とも
いう。)の3種類の評価指標がある。相対リスクとは,非曝露群に対する曝露群の
疾患発生あるいは死亡率の比を示すものである。絶対リスクとは曝露群と非曝露群
における疾患発生あるいは死亡の差を示すものである。寄与リスクとは,曝露者中
におけるその曝露に起因する疾病などの帰結の割合を示すものであり,例えば曝露
群におけるがん死亡者(罹患者)のうち原爆放射線が原因と考えられるがん死亡者
(罹患者)の割合を示す。
このうち,相対リスクは,被曝群と非被曝群とのリスクの相対的な比であり,リ
スクの評価には適しているが,非被曝群と比べてどの程度リスクが増加するのかと
いうことは示されず,絶対リスクは,どの程度リスクが増加するのかという公衆衛
生的インパクトにとっては重要な指標ではあるが,その大きさは非被曝群のリスク
に依存して考えなければならない。一方,寄与リスクは,絶対リスクの相対的大き
さで表され,相対リスクと絶対リスクの両指標の考えを併せ持つものである上,そ
の大きさは0から100%に数値化され,種々の疾病に対する放射線リスクの評価
が同じ枠内の数値として統一的に考えられるから,放射線が占める割合としてのリ
スク評価の指標としては,寄与リスクが最適である。
bリスク評価に当たって用いた関係式
寄与リスク(ATR,原因確率)は,過剰相対リスク(「ERR(Excess
RelativeRisk)」ともいい,相対リスクから1を引いたもの。)を求め,その値
を関係式(ATR=ERR/(1+ERR))に当てはめることで算出されるが,
固形がんの過剰相対リスク(ERR)を表す関係式として,次のようなモデルが用
いられた。
ERR=β×d×exp{γ(age−30)}S
なお,「d」はDS86による推定被曝線量,「age」は被爆時年齢であり,
「β」(男性と女性で別異の値)及び「γ」が推定すべき未知母数である。S
このように,固形がんの過剰相対リスクは,被曝線量と線形関係があることが前
提とされた。
c寄与リスクを求めた疾患
(a)部位別に寄与リスクを求めたがん:寿命調査集団を使った過去の死亡率・発
生率の報告で放射線との有意な関係が一貫して認められ,かつ部位別に寄与リスク
を求めても比較的信頼性があると考えられる部位(胃がん,大腸がん,肺がん,女
性乳がん,甲状腺がん)及び白血病
(b)原爆放射線に起因性があると思われるが,個別に寄与リスクを求めると信頼
区間が大きくなると考えられるがん(肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色種を除く),
卵巣がん,尿路系(膀胱を含む)がん,食道がん)。
(c)現在までの報告では,部位別に過剰相対リスクを求めると統計的には有意で
はないが,原爆放射線被曝との関連が否定できないもの。(a),(b)以外のすべての
がん。
(d)寄与リスクを求めなかった疾患は,骨髄異形成症候群(最近,被曝との関連
が学会で発表されているが,未だ,論文発表されていない),放射性白内障(しき
い値が求められている),甲状腺機能低下症(論文発表されているデータから寄与
リスクを算出できない),過去に論文発表がない疾患(造血機能障害など)である。
d寄与リスク評価に用いたデータ
(a)寄与リスク評価に用いたデータは,放影研による「原爆被爆者の死亡率調査
第12報第1部癌:1950−1990年」(「本件死亡率調査」という。乙
全8号証),及び「原爆被爆者における癌発生率第2部:充実性腫瘍,1958
−1987年」(「本件発生率調査」という。乙全9号証)で使用され,現在,放
影研が報告しているデータ及び過去に論文発表されているデータである。
①本件死亡率調査は,LSS集団のうち被曝線量推定値が得られている8万6
572人のデータを基に解析されたものである。
なお,同調査の基となった死亡診断書の原死因情報は,剖検から得られた結果と
比較すると,がん死亡の約20%が死亡診断書ではがん以外の原因による死亡と誤
分類されており,一方でがん以外の原因による死亡の約3%ががん死亡と誤分類さ
れていることが判明しており,これら誤分類の割合を考慮に入れてLSS集団にお
けるがん死亡率の解析を行うと,固形がんの過剰相対リスク(ERR)の推定値が
約12%,過剰絶対リスク(EAR)の推定値が約16%上昇することが示唆され
たが,本件死亡率調査ではそのような補正は行われていない。
②本件発生率調査は,LSS集団から市内不在者,被曝線量が不明である者,
被曝線量が4Gyを越える者,死亡し又は昭和33年(1958年)1月1日以前に
がんと診断された者を除いた7万9972人のデータを基にしたものである。
腫瘍の確認は,放影研の採録者が両市の規模の大きい病院のほとんどを訪れて,
その医療記録を確認して行われた。小さい病院で検査を受けたがん患者のほとんど
は大病院に紹介されるものであり,予備調査によると悪性腫瘍のほとんどが把握さ
れることが分かった。さらに,腫瘍登録データは,広島及び長崎の組織登録と地元
の保健所から入手した死亡票のがん死に関する情報で補われた。組織登録は,広島
県及び長崎市とその近郊で行われるほとんどすべての病理学的監査の組織標本と病
理学的記録を受け取り,さらに腫瘍確認は,長崎県がん登録,放影研白血病登録及
び外科手術,剖検及びAHS検査プログラムから放影研が得た記録により強化され
た。従来のデータ精度測定方法によると,広島及び長崎の登録の症例確認の精度は,
他のがん登録の制度と同等であった。
(b)白血病,胃がん,大腸がん,肺がんは,本件死亡率調査に基づいて寄与リス
クを求め,甲状腺がんと女性乳がんは,予後の良いがんで死亡率調査より発生率調
査の方が実態を正確に把握していると考えられるため,本件発生率調査を用いた。
がん以外の疾患として,副甲状腺機能亢進症,肝硬変及び子宮筋腫について寄与
リスクを求めた。副甲状腺機能亢進症は,有病率調査のみ発表されているため,有
病率調査結果から寄与リスクを推定し,その線量は,論文で使われている甲状腺線
量を用いた。肝硬変は,がん以外の疾患の死亡率調査から算出し,その線量は論文
で使われている結腸線量を用いた。子宮筋腫は,成人健康調査集団を対照にした発
生率調査から求めた。
e研究結果
白血病,胃がん,大腸がんの死亡,甲状腺がんの発生については,性別,被爆時
年齢,線量別の寄与リスクを求めた(審査の方針の別表1ないし4)。
女性乳がんの発生についても,被爆時年齢,線量別の寄与リスクを求めた(審査
の方針の別表5)。
肺がんの死亡については,被爆時年齢の影響を受けなかったので,性別,被曝線
量別の寄与リスクを求めた(審査の方針の別表6)。
肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く),卵巣がん,尿路系(膀胱を含む)が
ん,食道がんについては,この5疾患をまとめて寄与リスクを求めた(審査の方針
の別表7)。
副甲状腺機能亢進症の有病率調査では,被曝の影響に性差が認められなかったの
で,被爆時年齢と甲状腺臓器線量別に求めた寄与リスクを求めた(審査の方針の別
表8)。
肝硬変による死亡は,被曝の影響に性差,被爆時年齢による差は認められなかっ
たので,被曝線量別の寄与リスクを求めた。子宮筋腫の有病率については,放射線
の影響に被爆時年齢による差は認められなかったので,被曝線量別の寄与リスクを
求めた(審査の方針では,これらの寄与リスクの表は採用されていない。)。
審査の方針においては,「その他の悪性新生物」について,疫学調査では放射線
起因性がある旨の明確な証拠はないが,その関係が完全には否定できないものであ
ることにかんがみて,放射線被曝線量との原因確率が最も低い胃がん(男性)の寄
与リスクが準用された(乙全1号証・3頁)。
また,放射線白内障については,確定的影響であるとして,安全領域のしきい値
を,眼の臓器線量で1.75Sv(95%信頼区間1.31−2.21Sv)であると
して,審査の方針では,このしきい値が用いられた。
審査の方針においては,このようにして導き出された寄与リスクを基にして,原
因確率(寄与リスク)が,概ね50%以上である場合には,当該申請に係る疾病の
発生に関して,原爆放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定し,概
ね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定するが,このような判
断に当たっては,これらを機械的に適用して判断するのではなく,当該申請者の既
往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で,判断を行うものとすることと
された。なお,原因確率等が設けられていない疾病等の審査に当たっては,当該疾
病等には,放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないことに留意
しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案
して,個別にその起因性を判断するものとされた。
イ原因確率論に対する検討
原告らは,①審査の方針が基礎としている疫学データは,誤った放射線推定体系
(DS86,DS02)を用いており,残留放射能や内部被曝の影響を全く無視し
て行われていること,②調査手法で用いられたポアソン回帰分析は,被曝線量及び
線量−反応関係の正確な把握が前提となるところ,これらの正確さを欠いているこ
と,③中性子線量の評価において生物学的効果比が考慮されていないこと,④死亡
率調査を基本としているため,死亡に直結しない疾病が見落とされることになり,
また,罹患してから死亡するまでの間は疾病の発生がデータに上がってこないこと,
⑤寿命調査については被曝から5年間,成人健康調査については被曝から13年間
に死亡した者は調査の対象となっておらず,これによって放射線の影響を過小評価
している可能性が十分にあること,これらの諸点を指摘し,また,疫学調査の結果
に基づいた原因確率(寄与リスク)を,個人の疾病の放射線起因性の判断に用いる
こと自体の問題点を指摘する。北海道大学医学博士の福地保馬は,「原因確率」に
関する意見書(甲全64号証)において,原告ら主張に沿う意見を述べている。
(ア)放射線量推定の問題について
審査の方針が基礎としている疫学データは,DS86による線量評価を用いてお
り,その線量評価については,既に述べたとおり,初期放射線については相当程度
の合理性があるものの,なお一定の誤差要因が内在していること,放射性降下物や
誘導放射化物質による放射線量の評価については,未だ十分とはいい難く,個々の
被爆者について,放射性降下物を浴びた状況や,被爆後の活動状況等によっては,
審査の方針が定める放射線量が実際に被曝した放射線量と大幅に乖離している可能
性があるから,上記の疫学データを基に導出された原因確率については,上述した
誤差要因を内包するものということができる。
(イ)回帰分析手法の問題について
a疫学調査の手法には,外部比較法と内部比較法があるが,外部比較法では,
標準集団として用いた集団が,調査しようとする要因以外に質的に異なっていない
かどうかという点に注意しなければならず,一方,内部比較法では,観察人・年数,
疾病・死亡の発生数が十分であれば,それぞれの群から起こった累積死亡率(罹患
率)を算出し,直接比較することができ,その比が相対危険(相対リスク)として
算出されるものである(乙全52号証・61頁)。
既に述べたとおり,市内不在者群との比較や,日本人全体の死亡率を利用して期
待死亡数を算出する外部比較法は,寿命調査第7報以前においては内部比較法と合
わせて行われていたが,寿命調査第8報以後は行われていない。
これは,市内不在者群は,軍務に服していた男性が多く含まれており,また,戦
後,朝鮮,中国及び南方アジア方面から引き揚げてきた多数の民間人が含まれてい
るなど(乙全50号証・4頁),被爆者群と社会経済学的条件に差があること,ま
た,日本人全体の死亡率を利用して期待死亡者数を算出すると,バックグラウンド
の死亡率が都市によって異なることなどの調整ができず,リスク推定に重大なバイ
アス(偏り)が生じる可能性があることを理由とするものである(乙全125号証
・7頁)。
b一方,児玉論文が基礎としたデータは,調査対象集団の人数については,本
件死亡率調査が12万0321人,成人健康調査が2万3418人,本件発生率調
査が7万9972人であり,調査対象期間については,本件死亡率調査が1950
年から1990年まで,本件発生率調査が1958年から1987年までであって,
内部比較法による疫学解析を行うに足りる十分な調査対象集団と調査期間を有して
いるといえる。
そして,計算プログラム及びこれを実行するコンピュータ等の統計的方法の近年
の進歩により,膨大なデータの解析に,強力で精巧な技術を用いることができるよ
うになったことから,ポアソン回帰分析を用いるようになったものである(「寿命
調査第10報」,乙全12号証・36頁)。
このように,児玉論文が用いた回帰分析手法は,基礎としたデータの人数及び期
間の点においても,そのデータを解析する手法においても,十分な合理性を備えた
ものであるということができる。
cなお,原告らは対照群設定の手法に誤りがある旨の指摘をするが,それは対
照群との比較を前提とする外部比較法を前提とする指摘であって,児玉論文が用い
た内部比較法に対しては,前提を欠く指摘というほかはない。
(ウ)中性子線量の生物学的効果比の問題について
a原告らは,審査の方針が,寄与リスクの算出過程において,ガンマ線量と中
性子線量を単純に合算した吸収線量を基にして解析しているが,このことは,DS
86が遠距離で中性子線量を過小評価していることの影響を増幅するものである旨
主張する。
b被告らはこの点について,仮に,推定被曝線量の絶対値が生物学的効果比を
用いることによって増加したとしても,当該線量の原爆被爆者群における疾病発生
や死亡という事象には変更が生じないから,個々の被爆者の被曝線量における過剰
相対リスクや寄与リスクの値はほとんど変化しないと主張しているが,このことは,
その集団内部において,被爆者が浴びた放射線のガンマ線量と中性子線量の割合が
すべて同じであるという前提においてなり立ち得る主張である。
したがって,ガンマ線と中性子線の割合が爆心地からの距離に応じて一定でない
以上,中性子線の生物学的効果比を考慮した方が,被曝線量に対応した寄与リスク
をより適正に求めることができるといえる。また,審査の方針は,広島と長崎につ
いて同一の原因確率に集約しているが,広島と長崎では中性子線とガンマ線の割合
が異なっており,このように放射線の構成に差がある二つの集団について,生物学
的効果比を考慮することなく解析していることは,一定の誤差要因につながるもの
といえる。
c実際,審査の方針が原因確率の基礎とした児玉論文は,放影研による本件死
亡率調査及び本件発生率調査のデータを用いているところ,放影研の疫学調査は,
中性子線量については生物学的効果比として10を乗じ,これにガンマ線量を加え
た線量を用いて解析されている(乙全8号証・6頁,9号証・8頁)。
寿命調査第7報では,「広島の原子爆弾と長崎のそれとの間には,中性子の構成
に差異があるので,両市のデータを比較するに当たっては,両市における線量反応
を一致させるようなRBE値(生物学的効果比)を用いて,各被爆者についてRB
E線量値を算定する必要がある」と述べられており(なお,報告されたRBE値に
差があるとして,RBE値を5にして算定している。甲全39号証・6頁),児玉
教授自身も,生物学的効果比の値をどう定めるかという問題はあるが,生物学的効
果比を考慮することなく解析データを放射線の線質が違う集団に当てはめることに
問題があることを指摘している(乙全99号証・78頁)。
dしかしながら,児玉論文がカーマ線量を用いたのは,多くの場合,個人の臓
器線量を算出するのは難しく,カーマ線量の方が適用しやすいとの理由によるもの
であること(乙全7号証・3頁),審査の方針における原因確率と,中性子線の生
物学的効果比を10とした臓器等価線量を基礎として算出した大腸がんの原因確率
を比較したところ,それぞれの原因確率の値にほとんど差はなかったことが認めら
れること(「第10回原子爆弾被爆者医療分科会(平成13年11月19日)」,
乙全21号証・資料4),広島と長崎ではもともとリスク推定値に差があり,仮に
中性子線について生物学的効果比を考慮しても,過剰相対リスク(ERR),過剰
絶対リスク(EAR)のどちらについても広島対長崎の比を約15%減少させるだ
けであること(本件死亡率調査,乙全8号証・44頁)のほか,現時点において生物
学的効果比の適切な値が確定されているとはいえないことを考慮すると,原因確率
の算定において生物学的効果比を考慮することなくカーマ線量を用いたとしても,
そのこと自体が不合理であるとはいえないし,それに伴って生ずる誤差も,原爆症
認定において無視できない程度に至っているとは解されない。
eなお,原告らは,中性子線の生物学的効果比を考慮しないことは,中性子線
を過小評価していることの影響を増幅するものであるとも主張するが,現時点にお
いて,DS86が算出する中性子線の線量値が,実測値より過小評価していると認
めることはできないことは既に述べたとおりである。
(エ)死亡率調査を基本としていることの問題について
既に述べたとおり,審査の方針においては,甲状腺がんと乳がんについてのみ本
件発生率調査のデータを用い,白血病,胃がん,大腸がん,肺がんについては本件
死亡率調査のデータのみを用いている。
しかし,甲状腺がんと乳がんについて,本件発生率調査のデータを用いたのは,
これらのがんは予後が良いことから,死亡率調査より発生率調査の方が実態を正確
に把握していることを理由とするものである。本件死亡率調査は,調査対象集団の
人数においても(本件死亡率調査:12万0321人,成人健康調査:2万341
8人,本件発生率調査:7万9972人),調査対象期間においても(本件死亡率
調査:1950年から1990年まで,本件発生率調査:1958年から1987
年まで),他の調査結果よりも優っている。一般的には,発生率のデータを用いた
方が,死亡率のデータを用いた場合よりもリスクが高く評価されることになるとし
ても,予後が良く死亡率が低い甲状腺がんや乳がんを別にすれば,その差はそれほ
ど多くないことが認められる(乙全99号証・6頁)。
そうすると,白血病,胃がん,大腸がん,肺がんについて,本件死亡率調査のデ
ータを用いたことが直ちに不合理であるとはいえない。
(オ)調査開始時点の遅れの問題について
原告らが指摘するように,寿命調査については被曝から5年が,成人健康調査に
ついては被曝から13年がそれぞれ経過した後に調査が開始されているから,被曝
から近い時点では,放射線感受性の高い被爆者が選択的に死亡し,結果的に放射線
抵抗性の高い集団を追跡していることになり,そのことで調査結果に偏りを来して
いる可能性がないとはいえない。
しかし,寿命調査第9報において,昭和25年以前の死亡の除外による偏りの大
きさを求めるために,三つの補足的死亡率調査を使用して,寿命調査の調査開始
(昭和25年)以前の死亡率を再解析したところ,この偏りは,昭和25年以後に
調査対象に認められた放射線影響の解釈に重大な影響を及ぼすとは解されないとの
結論が出されており(乙全28号証),調査開始時点の遅れの問題も,調査結果自
体を直ちに不合理であるとする事情とは認められない。
(カ)原因確率論について
a放射線による後障害は,出現してきた個々の症例を観察する限り,放射線に
特異的な症状を持っているわけではなく,一般にみられる疾病と全く同様の症状を
もっており,症状を観察することのみによって放射線に起因するか否かを見極める
ことは不可能である。しかし,被曝集団として考えると,集団中に発生する疾病の
頻度が高い場合があり,そのような疾病は放射線に起因している可能性が強いと判
断される。このように放射線後障害は,高い統計的解析の上にその存在が明らかに
されてくるという特長がある(「原爆放射線の人体影響1992」,乙全14号証
・11頁)。
すでに述べたとおり,被爆者援護法における放射線起因性については,放射線と
負傷又は疾病ないしは治癒能力低下との間に通常の因果関係があることが要件とさ
れており,その因果関係の立証については高度の蓋然性が求められるところ,そう
した因果関係の有無を判断するに当たって,疾病の観察のみによって放射線起因性
が判断できない場合には,疫学的解析に基づく原因確率(寄与リスク)をその判断
資料にすることは合理的といえる。
b原告らは,ある被爆者集団の当該疾病の死亡率について一定の原因確率(寄
与リスク)が認められた場合には,その被爆者集団の全員が放射線の曝露を受けた
結果,その集団におけるすべての個人のその疾病での死亡のリスクが高まり,全体
としてその疾病で死亡する人の率が非被爆者よりも高まるのであるから,寄与リス
クの小さい群について全員の放射線起因性を否定することは疫学の誤用であると主
張する。
放射線による後障害は,上記のとおり,放射線被曝に関係のない自然発生の疾病
と同様の症状を有するものであるから,原因確率(寄与リスク)が10%未満であ
るならば,放射線被曝に関係のない自然発生の疾病である可能性が90%以上ある
ともいえる。仮に,当該疾病に放射線を原因とする可能性が多少でもあれば,その
可能性よりも自然発生を原因とする可能性がはるかに高い場合においても,その被
爆者集団すべての対象者の当該疾病に放射線起因性を肯定するとすれば,それは,
放射線起因性の因果関係について高度の蓋然性が求められることと相反する結果に
なる。
cもっとも,児玉論文が発表し審査の方針がその基準として用いている原因確
率については,すでに述べたとおり,①原爆による放射線量評価の不確かさ,②生
物学的効果比を考慮していないことに伴う不確かさ,③広島と長崎の都市間の差異,
④死亡原因認定の不確かさ(死亡診断書と剖検結果の相異),⑤被曝線量・年齢と
リスクの関係を表すモデルの不確かさ,⑥各個人の被曝線量以外の要因の差異など
の誤差要因が内在していることは否定できない。
ウ原因確率論の合理性の有無について
以上の諸事情を総合すると以下のようにいうことができる。
(ア)被爆者援護法は,被爆者を被爆態様ごとに直接被爆者,入市被爆者,救護被
爆者及び胎児被爆者に分類し,①被爆者であれば当然に受けられる健康管理(同法
7条)及び一般疾病医療費(同法18条),②被爆者のうち原爆が投下された際,
爆心地から2㎞の区域内にあった者又はその者の胎児であった者であれば受けられ
る保健手当(同法28条),③特定の疾患に罹患している被爆者に対し支給される
原爆小頭症手当,健康管理手当(同法26条,27条),④放射線起因性及び要医
療性を内容とする原爆症認定を要するとする医療給付(同法10条1項)など,被
爆者の健康被害の程度・状況に応じた各援護策を設け,その給付すべき要件を設定
していること,これらのうち,とりわけ原爆症認定を要する医療給付にあっては,
放射線起因性及び要医療性が要件とされ,かかる放射線起因性については,健康管
理手当や介護手当のように放射線被曝との間の因果関係の認定程度を軽減する規定
も定められておらず,また,その判断に当たっては,被告厚生労働大臣が専門家に
よる意見を聴取するものとされていること(同法11条2項),被爆者援護法のこ
れらの構成及び規定内容によれば,同法は,放射線起因性の有無について,現時点
における科学的,医学的な専門的知見を総合して,被爆者に生じた負傷又は疾病,
あるいはその者の治癒能力への影響が,放射線の傷害作用に起因するものであるこ
とが,高度の蓋然性をもって証明されることを要求していると解すべきであって,
その判断基準として,DS86に基づいて算定された初期放射線の被曝線量と,大
規模な疫学的な解析結果に基づいて作成された原因確率論を採用することは,不合
理であるとはいえない。
(イ)しかし,既に判示したとおり,原爆投下後に実施された調査によっては放射
性降下物や誘導放射能を十分に把握できず,それらによる被曝の影響を考慮すべき
であることを推認させる調査結果や知見等には十分な根拠があり,また,疫学調査
における各種の誤差要因の存在も否定できないところである。そして,放射性降下
物や誘導放射能による被曝の影響や程度については,原爆投下後の個々の被爆者の
被曝態様,被爆後の行動のほか,原爆症認定申請に至るまでの病歴等から推認せざ
るを得ないものであるところ,審査の方針が採用する原因確率論のみを形式的に適
用して被爆者らの負傷及び疾病の放射線起因性の有無を判断したのでは,その因果
関係の判断が実態を反映せず,誤った結果を招来する危険性があるといわなければ
ならない。
したがって,各被爆者の負傷又は疾病について放射線起因性の有無を判断するに
際しては,上述したように原因確率論には種々の誤差要因が内在していることを踏
まえた上で,審査の方針が定める原因確率をしんしゃくするとともに,個々の被爆
者ごとの被爆時の状況や被爆後の行動,被爆前後の健康状態,被爆後の急性症状や
疾病の発症状況,その他の推移等の個別・具体的な事情を考慮して判断をする必要
があるというべきである。
もとより,審査の方針においても,原因確率の機械的な適用によることなく,当
該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断を行うものと
しており,原因確率が設けられていない疾病等に係る審査に当たっては,当該疾病
等には,原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないことに留
意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘
案して,個別にその起因性を判断するものと規定され,原因確率の有無,程度のみ
によって,放射線起因性の有無を判定すべきではないことを明らかにしているとこ
ろである。
(ウ)被告らは,被曝線量からみて申請疾病が放射線被曝に起因するものであると
いえない場合には,その既往歴等を考慮して申請疾病につき放射線起因性を肯定す
ることはできないのは当然であるとも主張するが,それ自体上記審査の方針に明記
された運用方針と相容れないものであって,採用することはできない。
他方,原告らは,原爆症認定においては,広島,長崎における原爆の被害は人類
にとって未経験・未解明の特異な被害であること,その認定は放射線障害の特徴を
踏まえてなされるべきであること,また,近時,がん以外の疾患については,放射
線が免疫系に影響を与えているとの仮説が有力になっており,放影研も原爆症被爆
者においてがん以外のほとんどの主要な疾患による死亡率と放射線との間に明確な
関連性が観察されると認識されていることなどを主張する。
しかし,原告らが上記の主張について引用する証拠(楠ほか「原爆放射線が免疫
系に及ぼす長期的影響:半世紀を越えて」,甲全85号証)によれば,原爆放射線
が免疫系に及ぼす影響を調査するため,三つの仮説を立てて調査を実施する予定で
あるとされているのであって,現時点では,放射線の免疫系への影響は,あくまで
仮説にとどまる状況であると解されるし,上記の証拠中に引用されている「原爆被
爆者の死亡率調査第12報,第2部がん以外の死亡率:1950−1990
年」(乙全74号証)には,良性腫瘍に関して症例が少ないため線量反応について
確固たる証拠は得られないと記載されているように,がん以外の疾患の死亡率と放
射線量との間に明確な関連性が一般的に肯定されるに至っているとまでは認められ
ないというべきである。
4各原告の原爆症認定要件の存否について(争点(1)イ)
(1)原告Eについて
ア原告Eの入市被曝状況
(ア)原爆投下前の状況(甲D22号証,乙D22号証,24号証ないし30号証,
原告E本人及び弁論の全趣旨)
原告Eは,大正15年12月23日生まれの男性で,出身地福井の商業学校時代
に柔道に打ち込み,体重が98㎏,腰回りが1m以上の健康体であった。昭和20
年8月当時は,原告Eは18歳で,海軍の海兵団に入団しており,広島県にある海
軍潜水学校付兼大竹第二警備隊付を命じられて,広島市内から約20㎞離れた大野
浦に疎開中の海軍潜水学校93分隊に配属されていた。
(イ)原爆投下時と広島市への入市状況(甲全22号証の1・2,甲D22号証,
乙D26号証,28号証,原告E本人及び弁論の全趣旨)
原告Eは,昭和20年8月6日,広島市に原爆が投下された時は,上記潜水学校
で授業を受けていたが,間もなく広島市への救護活動命令を受け,トラックで大野
浦から広島市内に向かい,同日午前10時半ころ国鉄己斐駅(爆心地より西方約2.
5㎞)付近に到着し,小隊ごとに徒歩で広島市内に入った。原告Eは,広島市中心
部の銀行の警備を命ぜられ,己斐駅から市電の線路に沿って徒歩で広島市内に入っ
たが,市内全域が火災になっており,陽炎が立つ状況の中を,熱さをこらえて歩行
しながら広島市中心部へと入っていった。
原告Eは,その途中,黒いすすが混じった雨を2回浴び,それが肌にこびりつい
てとれなかったため,川で顔を洗うなどしながら歩き,破れた水道管から流れ出る
水を飲んだりした。
(ウ)原爆投下当日の広島市内における救護活動等(甲D22号証,原告E本人及
び弁論の全趣旨)
a十日市町(爆心地から約650m)付近
昼過ぎくらいに十日市町の辺りまでくると,がれきや遺体が増え始めたため,が
れきを片付け,土埃やすすが一面に舞う中,死体や負傷者を引っ張り出し,おぶっ
たりして大八車まで運ぶなどの作業に従事した。
b元安川,紙屋町付近(爆心地から約200m)
十日市町での作業後,更に広島市中心部に向かうため,本川に架かる本川橋付近
の橋を渡った。元安川では大量の死体を引き上げるとともに,河原にいた負傷者の
救護活動をした。原告Eは,熱さのため,持参していたタオルを元安川の水で湿ら
せ,その水を飲んだりしながら作業に当たった。その後,壊れていた元安橋の下の
元安川を歩いて渡り,がれきを片付けながら元安川に沿って北上し,原爆ドームの
付近を通って相生橋のたもとまで行き,再び市電の線路に沿ってがれきを片付ける
などして進み,紙屋町に着くまで3時間以上かかった。
原告Eは,その間の救援活動等で,埃を吸い,手や顔を拭くタオルも真っ黒にな
った。紙屋町では,芸備銀行,住友銀行,日本銀行の3行を見て回った。
c十日市町付近
原告Eは,夕方,元安川の方に戻り,相生橋を渡って,その付近で再度救援活動
をし,その後,十日市町に引き揚げ,夜には爆心地から約1㎞離れた寺町の近くま
で行き,アンペラを張って作った救護所で一晩を過ごした。
(エ)原爆投下翌日の広島市内での救護活動
a広島市内での救護活動等
原告Eは,翌7日も,元安川を渡った辺りから本川橋の辺り一帯にかけて1日中
作業を行った。同日夕方に十日市町に戻り,そのまま入市してきた道を戻って国鉄
己斐駅へ帰り,トラックに乗って,同日夜に大野浦に戻った。
b大野浦での救護活動等
大野浦に戻ってからも,舟で運ばれてくる遺体の処理や救援活動などに従事した。
海軍潜水学校が解散となり,原告Eが広島を後にしたのは同月31日であった。
(オ)被告らの主張について
a被告らは,原告Eの入市経路につき,原爆投下当日に広島市福島町(爆心地
から2㎞)に入市し,その周辺で救護活動を行ったものであると主張し,原爆投下
当日に己斐駅,福島町,十日市町,相生橋を経由して紙屋町に至り,その後,十日
市町まで戻って野営し,翌日も引き続き作業に従事したとの原告Eの主張は,当時
の爆心地周辺部の激しい火災などの状況ともそごする上,被爆者健康手帳交付申請
以降一貫性がないとして,その信用性に疑問を呈している。
bそこで検討するに,証拠(甲全49号証,乙全65号証,89号証)及び弁
論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(a)相生橋は,爆心地の北西に位置し,太田川が元安川と分岐する直前に架かる
橋であり,原爆さく裂後は,床板が浮き上がっていたものの,通行には支障がない
状態であった。相生橋付近で分岐した太田川(本川)に架かる本川橋は損傷し,元
安川に架かる元安橋も欄干が落ち橋灯の石がずれる状態であった。
(b)相生橋の南にある太田川と元安川に挟まれた中島地区は,爆心地から100
mないし2.4㎞の範囲にわたる地区で,最も爆心地に近い中島本町では家屋がす
べて全壊し,住民のほぼ全員が即死しており,中島本町の南にあり,爆心地から1
㎞以内に位置していた材木町,天神町,木挽町,中島新町も中島本町とほぼ同様の
状態であって,中島地区の地上一面が破壊され,崩れた屋根だけで覆われて激しく
炎上しており,天神町付近では,その後3,4日間にわたってくすぶっていた。
(c)原爆投下当日,安芸郡江田島の基地から,船艇にて宇品に上陸した救援隊の
隊員らは,正午前には広島市内に進出したが,周囲が猛火に包まれる中で,死者,
負傷者,避難者らの救援活動を開始し,同日夜から翌7日の早朝にかけて中心部へ
進出し,大手町,紙屋町,相生橋付近,元安川にて救援活動等に従事した。また,
これらの地域の一部では,原爆投下当日の夕方ころには救助活動を始める者の姿が
見られた。
(d)爆心地の東方に位置した紙屋町には,銀行や保険会社,電力会社などの鉄筋
コンクリートの建物が並んでいたが,いずれも大破全焼し,外郭だけが残っている
状態であった。
c以上の諸事実によれば,原爆投下当日,爆心地直近の相生橋付近は猛火に包
まれており,容易に近づける状態ではなかったものの,同日夕方から夜にかけては,
爆心地付近においても救護活動が開始されていたことが認められ,原告Eが紙屋町
付近に到達したとする同日夕方ころには,同地域付近でも救助活動などのため,踏
み入ることが可能な地域があったものと認められる。また,原告Eの記憶する元安
橋の損壊状況や,紙屋町の銀行その他の建物の存在や損壊の様子などに関する詳し
い供述内容が,他に記録されている原爆投下後の状況とほぼ一致することに徴すれ
ば,原告Eの入市経路に関する供述は,おおむね信用できるというべきである。
d証拠(乙D20号証,21号証,原告E本人)によれば,原告Eは,その入
市経路について,被爆者健康手帳交付申請時には,広島駅付近まで行って救護活動
等に従事した後大野浦に戻り,夜になって再度入市した旨を述べたが,前記認定申
請時には,福島町に入市した後,大野浦にて救護活動に従事したなどと述べ,供述
内容に変遷があると認められる。
しかし,原告Eは,原爆投下直後の特異で極限的な状況の下で救援活動に従事し
ていたことが明らかである上,同原告は,平成8年に被爆者健康手帳交付申請をす
るまでの間,潜水学校の同窓生を見つけることができず(原告E本人),自己の記
憶を喚起し,確認する機会を得られないまま約50年を経過したこと,前記却下処
分に対する異議申立て以降の供述内容は,おおむね一貫していること,原告Eは,
本人尋問実施前に,記憶喚起のため広島市に赴いて自己の入市経路等を確認してい
ること(原告E本人),これらの諸事情に照らしてみれば,原告Eの上記供述の変
遷は,本訴における入市経路に関する供述内容の信用性を左右すべきものとは認め
られない。
イ広島入市後に原告Eに生じた症状
(ア)原告Eは,広島市内で救援活動に従事しているころから下痢の症状があった
が,8月8日に大野浦に戻ってからは,血便が混ざるようになり,歯茎から出血す
るようになった。また,頭皮をかくと髪の毛がぼろぼろと抜け落ちるようになった。
(イ)8月31日,福井に帰郷した直後ころから頭痛がひどくなり,37,8度く
らいの発熱があり,耳鳴りもするようになった。そして,6か月くらい経過すると,
歯が1本ずつ抜け始め,首の周りにおできができて腫れ,悪臭のする膿が出て,脱
毛や,抜歯も続いた。
ウその後の生活状況及び病歴
証拠(甲D11号証ないし20号証(枝番を含む。),22号証ないし25号証,
原告E本人)及び弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められる。
(ア)原告Eは,昭和23年ころ,父親の実家のある福岡県で営業職に就いたが,
体調が悪く休職を余儀なくされた。このころ,めまいや発熱,動悸などの症状が日
常的にあり,そのうち,首の右側にできたおできがしこりに変わり,同様のしこり
が首の左側にもできた。
(イ)その後,首のしこりについて九州大学医学部付属病院で受診して昭和24年
2月に入院し,左右頸部悪性リンパ腫と診断されて手術を受け,術後2年ほど断続
的にラジウム治療を継続した。その後も,首の周りの腫れは完全には治まらず,合
計13回の切除手術を受けた。
(ウ)昭和33年には,日常的な動悸,発熱,頭痛などの症状があったほか,一月
に5,6回,夜中に全身にふるえがくるような発作が起こるようになった。
(エ)昭和40年ころ以降に大阪に転居後も上記の発作が続き,2週間に1回ずつ
内科へ通院して治療を継続した。このような症状は,昭和47年に愛知県半田市に
転居した後も同様で,首の周りがまた腫れるようになり,十二指腸潰瘍にも罹患し,
手のふるえも発症した。
(オ)昭和51年ころには,一層体調不良となったため,妻の実家のある大分県佐
伯市に引っ越し,休養しながら生活するようになったが,なお体調がすぐれず,通
院を継続していた。
(カ)昭和54年ころ,めまいや動悸の症状が治まらず,大分県日田市のメニエー
ル病の専門病院でメニエール病と診断された。
(キ)a昭和55年の年明け,病院で甲状腺の腫れを発見され,甲状腺の専門医で
ある野口病院で甲状腺悪性リンパ腫と診断されて,同年2月14日に同病院に入院
し,同月21日,甲状腺右側の摘出手術を受けた。そして,術後5年間にわたって
定期的に通院し,チラージンの投与を受けた。
b同年3月1日の病理検査により,病理医から悪性リンパ腫と組織診断され,
甲状腺の腫瘍の中は,コロイドろ胞も一部に残るが,広くリンパ組織の増生で占め
られており,同形のリンパ球性細胞の増殖とともに細網性細胞の集合もあるため,
これらリンパ球性増殖細胞は小細胞がんとは区別されるものであること,さらに,
これらリンパ細胞の増殖は,間質の増生がないことから腫瘍性のものであり,甲状
腺実質中のリンパ形成とは異なるため,橋本病とは区別される悪性リンパ腫である
こと,以上の所見が示された。
cまた,昭和56年9月24日の針生検による病理検査では,病理医から慢性
甲状腺炎と組織診断され,検体には異型細胞が存在することから悪性腫瘍を疑った
が,最初の手術の標本と併せて再検討した結果,最初の標本にも多少異型性を示す
細胞はあるが,塊を作っておらず,主病変は,リンパろ胞及びこれに関連する細胞
の増殖であって,悪性リンパ腫か炎症かを特定するのが困難であること,しかし,
標本の大部分では大小の差はあるが胚中心を有するリンパろ胞がみられ,また,一
部瀰漫性の変化を示す部分では細胞は単調ではなく,未熟な細胞と成熟した細胞が
かなり混在しており,悪性リンパ腫よりも慢性甲状腺炎の可能性が高いこと,以上
の所見が示された。
dさらに,昭和59年5月26日に3種類の標本に基づいて,慢性甲状腺炎か
悪性リンパ腫かを鑑別するため実施された再検査では,病理医から甲状腺の悪性リ
ンパ腫と組織診断され,これらの標本には,胚中心のように見えるところもあるが,
周囲との境界が不明で胚中心とはいえないもの又は非常に大きいものがあり,甲状
腺間質に浸潤している部分も異型な細胞が混在し有糸分裂も示しており,ろ胞内に
も同様な細胞が浸潤していることから,悪性リンパ腫が考えられるとの所見が示さ
れている。
(ク)昭和61年ころ,北九州の戸畑市にて生活していた当時,吐血し,出血性胃
潰瘍により2,3週間入院した。
(ケ)その後,愛知県東海市に移住したが,昭和63年7月に再び吐下血し,同月
4日,東海市民病院に入院した。同病院での診断は,出血性胃潰瘍であり,同月7
日,幽門側胃切除術を受けた。
平成7年1月には,東海中央診療所で高血圧症と診断され,8か月ほど通院し,
平成8年6月にも同様の診断を受け,1か月ほど通院した。
被爆者健康手帳を取得した平成8年ころ,指定医である伊藤医院を受診して紹介
された知多市民病院において,悪性リンパ腫との診断を受け,同年9月26日に同
病院に入院し,化学療法などの治療を受けた。
このとき,医師から,左の甲状腺も摘出するよう勧められたが,結局,原告Eの
年齢が高く,体力も衰えていることから,手術は見送られた。
原告Eは,現在も伊藤医院等へ通院しており,定期検診を受け,甲状腺の状態を
継続的に観察しているが,平成17年に入ってからは動悸と胸が締め付けられるよ
うな苦しい発作が悪化し,狭心症と診断されて,経皮的冠動脈形成術による治療を
受けた。
エ原爆症認定申請等
(ア)原告Eは,平成8年8月6日,愛知県知事に対し,被爆者健康手帳交付申請
をし,同日,被爆者健康手帳を受領した(甲D1号証の1・2,2号証)。
(イ)原告Eは,平成9年1月27日付けで被告厚生労働大臣に対し,みなと医療
生活協同組合協立総合病院の高木弘巳医師の意見書と健康診断個人票を添付して,
被爆者援護法11条1項に基づく認定申請をした。
a上記認定申請書の「負傷又は疾病の名称」欄には,「甲状腺腫瘍術後機能低
下症」と記載され,「被爆時以後における健康状態の概要及び原子爆弾に起因する
と思われる負傷若しくは疾病について医療を受け又は原子爆弾に起因すると思われ
る自覚症状があったときは,その医療又は自覚症状の概要」欄には,左右頸部悪性
リンパ腫,甲状腺悪性リンパ腫,出血性胃潰瘍,メニエール病などの疾病が記載さ
れている。
b高木医師の上記意見書には,「負傷又は疾病の名称」として甲状腺腫瘍術後
機能低下症と,「既往症」として,①頸部リンパ節腫瘍手術(昭和24年),②メ
ニエール病(昭和52年),③甲状腺腫瘍手術(昭和55年),④胃潰瘍(昭和6
3年)と,「現症所見」として頸手術創と記載されており,また,高木医師は,同
意見書に,原告Eが昭和20年8月6日に広島市に入市して被曝し,その後,甲状
腺腫瘍を合併し,手術後甲状腺機能低下症になって,チラージン等甲状腺ホルモン
剤を内服し現在も加療中であること,甲状腺腫瘍は,放射線被曝との関連が最も高
い疾患であり,発症に放射線被曝が関連したと考えられること,これらの意見を付
している。
c上記健康診断個人票には,「既往歴」として,昭和24年から26年には頸
部リンパ節腫瘍手術(九州大学病院),昭和52年にはメニエール病,昭和55年
には甲状腺腫瘍手術(別府,野口病院),昭和63年には胃潰瘍(東海市民病院),
平成8年には高血圧症,頸肩腕症候群と記載されていた(甲D3号証の1ないし
5)。
dこれらの意見書及び健康診断個人票には,甲状腺悪性リンパ腫についての野
口病院の平成8年12月24日付け診断書(甲D11号証)及び知多市民病院の平
成9年1月27日付け診断書(乙D10号証),出血性胃潰瘍についての東海市民
病院の平成9年1月7日付け診断書(甲D12号証,乙D8号証),高血圧症につ
いての東海中央診療所の同月9日付け診断書(甲D13号証,乙D9号証)が添付
されていた。
(ウ)被告厚生労働大臣は,平成9年6月3日,上記認定申請を却下した(甲D4
号証)。原告Eは,同年7月30日,上記却下決定につき,被告厚生労働大臣に対
し異議申立てをした。
被告厚生労働大臣は,平成15年1月9日,上記異議申立てを棄却した。
被告厚生労働大臣が,上記認定申請の却下処分をした理由は,被爆者援護法11
条2項に基づき医療分科会に意見聴取をしたところ,同分科会が,審査の方針を目
安に,原告Eの甲状腺腫瘍術後機能低下症と原爆の放射線による起因性について審
査した結果,原告Eの甲状腺腫瘍の原因確率(原爆の放射線の影響を受けている蓋
然性があると考えられる確率)は,原爆の放射線による一定の健康影響はないと判
断できるほど低いと考えられ,その他,原告Eの既往歴,環境因子,生活歴等につ
いて検討してみても,原告Eの甲状腺腫瘍術後機能低下症と放射線起因性に係る高
度の蓋然性はないと判断されたことから,被爆者援護法11条1項に基づく原爆症
認定をすることはできないとの意見が示されたので,これらを踏まえると上記異議
申立ては理由がないと認められるというものであった(甲D5号証,6号証の1・
2)。
(エ)本件における申請疾患の特定
以上の事実を前提に,放射線起因性の有無を判断すべき原告Eの疾病について検
討するに,上記のとおり,原告Eによる認定申請書の「負傷又は疾病の名称」欄に
は甲状腺術後機能低下症と記載されているものの,認定申請書のその余の記載,医
師の意見書及び健康診断個人票の各記載,更には同時に提出された医師の診断書の
記載を総合すれば,原告Eの甲状腺術後機能低下症は,悪性リンパ腫に冒された甲
状腺の一部を摘出したことにより生じたものであると解されるので,被爆者援護法
11条1項の放射線起因性を判断するに当たっては,甲状腺術後機能低下症の原因
疾患である悪性リンパ腫(非ホジキンリンパ腫)の放射線起因性の有無を判断すべ
きものと解される。
なお,原告Eは,切除されていない左側の甲状腺に発症している慢性甲状腺炎や,
十二指腸潰瘍についても放射線起因性は否定できないとし,これらの疾病について
も放射線起因性の有無を検討すべきであると主張するが,切除されていない甲状腺
の一部に発症しているとされる慢性甲状腺炎や十二指腸潰瘍については,認定申請
時の提出書面には一切記載されておらず,被告厚生労働大臣も,原告Eに対する上
記却下処分についてこれらの疾病を前提としていないと認められるから,これらは
上記却下処分の対象とならないものと解される。
オ原告Eの疾患に関する医師の意見,専門的知見
(ア)医師の意見
a野口病院における診断
昭和55年2月21日に原告Eの甲状腺の摘出手術をした野口病院では,同原告
の疾患を甲状腺悪性リンパ腫と診断しており,同病名を記載した平成8年12月2
4日付け診断書を作成している(甲D11号証)。
また,上記認定事実によれば,昭和55年に摘出した甲状腺について行われた病
理検査の結果においても,悪性リンパ腫であるとの診断がなされている。
b棚橋医師の意見
南生協病院の病理医である棚橋千里医師は,平成17年1月6日,原告Eが,昭
和55年に野口病院において甲状腺悪性リンパ腫と診断され,甲状腺の右側を摘出
する手術を受けた際の検体につき病理組織検査をしたところ,甲状腺には明瞭な核
小体を有する中型ないし大型細胞異型リンパ球が増殖していることから,悪性リン
パ腫と組織診断し,併せて,周囲の非腫瘍部分の甲状腺にも小型のリンパ球が高度
に浸潤しており,慢性甲状腺炎の状態が併発していたことから,上記悪性リンパ腫
は,慢性甲状腺炎を基盤として発生した旨の判断をした(甲D21号証,弁論の全
趣旨)。
c聞間医師の意見
聞間医師は,棚橋医師と同様に,原告Eの悪性リンパ腫が,慢性甲状腺炎を基盤
に発生したB細胞性の悪性リンパ腫であるとし,このように悪性リンパ腫が慢性甲
状腺炎を基盤にして発症することについては医学文献にも掲載されている常識的な
考え方であるとする。
そして,原告Eの悪性リンパ腫の基盤となった慢性甲状腺炎は,自己免疫疾患で
あり,ほとんどの場合橋本病と同義に解されているところ,長瀧論文(「長崎原爆
被爆者における甲状腺疾患」)において,50cGy程度という比較的低線量の放射
線被曝との因果関係が肯定されており,入市被爆者である原告Eの橋本病も放射線
の影響で発症したことが十分に考えられるとする。
なお,聞間医師は,上記長瀧論文において橋本病ないし自己免疫性甲状腺炎が除
外されていることについて,我が国の大多数の医師は,臨床的見地から,長瀧論文
において放射線との因果関係が肯定されている抗体陽性の甲状腺機能低下症を橋本
病と解しており,上記長瀧論文は,橋本病と放射線との因果関係を肯定するものと
理解しているとする。また,慢性甲状腺炎は,両側に発症するのが通常であり,原
告Eに残された甲状腺の左側についても慢性甲状腺炎様の症状が生じている可能性
が高いこと,原告Eの悪性リンパ腫については,放射線の直接の影響により生じた
ことも否定できないことを指摘している。
(イ)悪性リンパ腫と放射線との関係に関する知見
上記の知見とその概要は,証拠上以下のとおりである。
aリンパ組織は,細胞分裂頻度も高く,放射線感受性が最も高い組織であるこ
とが指摘されており(「放射線基礎医学(第10版)」,乙全90号証,101号
証),悪性リンパ腫も,従来,放射線との相関関係が肯定されてきた悪性新生物の
一種である。
しかし,最近の報告では,悪性リンパ腫について有意な線量反応関係が認められ
なかったことを指摘するものもあり,審査の方針においても,悪性リンパ腫につき
個別に原因確率が定められておらず,「その他の悪性新生物」として原因確率を算
定するものとされている。
悪性リンパ腫と放射線との関係に関するこれまでの報告は,以下のとおりである。
b「寿命調査第6報原爆被爆者における死亡率,1950−70年」(昭和
46年,乙全47号証)
悪性リンパ腫を含む「その他の悪性新生物」は,放射線とかなり高い相関を示し
ており,線量が200rad以上の群では死亡率の増加は1965−70年において
最も顕著で有意な増加を示しており,全国死亡率の4倍もあった。これに対して,
100−199rad群には放射線によるがん誘発の形跡はなかった。
c「寿命調査第7報原爆被爆者の死亡率1970−72年および1950−
72年」(昭和48年,乙全48号証)
悪性リンパ腫が含まれるその他の悪性新生物について,1965−70年の期間
では,特に広島において,強度被爆者における危険度が有意に高いことが報告され
ており,100rad−199rad及び200rad以上の被曝群(0−9rad群を比較群
として)における相対的危険度を観察期間別にみると,200rad以上の被爆者に
おける相対的危険度は1965−69年及び1970−72年で有意に高かった。
なお,100−199radの被爆者における相対的危険度は,1970−72年度
では有意に高かった。
d「寿命調査第8報原爆被爆者における死亡率,1950−74年」(昭和
53年,乙全49号証)
死亡率に基づいて放射線の影響によることがすでに立証されている疾病に,リン
パ腫が含まれる。
e「寿命調査第10報第1部広島・長崎の原爆被爆者における癌死亡率,
1950−82年」(昭和62年,乙全12号証)
悪性新生物のうち,膵臓癌,悪性リンパ腫については,全般的な放射線線量反応
に統計的有意性は認められない。
ダービーらは1978年までの寿命調査の死亡データと強直性脊椎炎のデータを
合わせて解析し,強度の放射線被曝を受けた人の悪性リンパ腫による過剰死亡数は
有意であると報告しているが,寿命調査データだけの解析結果では,100rad以
上の被爆をした寿命調査対象者における悪性リンパ腫の過剰数は有意ではなかった。
f「必修放射線医学」(平成4年,乙全93号証)
放射線による発がんの機構はまだ十分に解明されているわけではないが,放射線
被曝によって白血病やその他のがんが発生しうることは,原爆被爆者の疫学調査に
よって証明されており,原爆被爆者の調査では,白血病,肺がん,乳がん及び甲状
腺がんの発生率が統計学上有意に高くなっている。また,胃がん,大腸がん,悪性
リンパ腫などのリスクも放射線被曝によって高まることが示唆されている。
g「原爆被爆者における癌発生率。第3部:白血病,リンパ腫および多発性骨
髄腫,1950−1987年」(平成6年,乙D31号証)
放影研では,1950年後期から1987年末までの原爆被爆者寿命調査(LS
S)集団における白血病,リンパ腫及び骨髄腫の発生率データ(被爆者9万369
6人,277万8000人年)の解析を行った。
悪性リンパ腫については,ホジキン例22例,非ホジキン例188例を含めた合
計210例のリンパ腫例が対象基準を満たしており,このうち,DS86カーマが
4Gy未満の被爆者のうちの非ホジキンリンパ腫(NHL)170例を対象に主要解
析を行った。なお,ホジキン例は症例数が少ないため,詳細な解析は行っていない。
解析の結果,男性に有意な過剰リスクが示唆されるものの,女性の過剰リスクの値
は負であり,ホジキン例についても,有意な線量反応は認められなかった。
悪性リンパ腫については,初期の有病率調査から原爆放射線に関連した過剰リス
クを示唆する限定的な所見が得られたが,死亡率データはこのような関連を示して
いない。また,文献上はホジキン例は被曝集団では増加しないことでほぼ一致して
いるが,非ホジキンリンパ腫(NHL)に関する所見は一致していない。
今回の解析によって男性に限定されてはいるが,NHLリスクが増加しているこ
とが認められたため,更に慎重な調査を行う必要がある。一方,ホジキン例は,寿
命調査では症例の少ない疾患であるため,放射線の影響について何らかの結論に達
することは困難である。いずれにしても,リンパ腫のリスクを解明する上では今後
10年ないし20年間の調査が重要になってくる。
カ原告Eの申請疾患の放射線起因性について
(ア)申請疾患について
上記のとおりの諸事情によれば,原告Eについて問題とされる悪性リンパ腫(非
ホジキンリンパ腫)と放射線被曝との関係については,昭和46年以降,放影研の
寿命調査においても死亡率との間に有意な関係があることが肯定されてきたが,昭
和62年ころから,悪性リンパ腫について有意な線量反応関係は認められないとの
見解も示されるようになってきており,他方においてなおその関係を肯定する見解
もみられるものの,放影研における疫学調査の結果では,これを肯定するには,更
なる調査結果の解析が必要であるとの見解が示されている状況である。したがって,
悪性リンパ腫が原爆放射線によって発症しうる疾病であるか否かについては,なお
未解明なところが残る状況というべきである。
しかし,放射線被曝によって悪性新生物が発生し得ることは疫学的にも証明され
ていると解されるところ,審査の方針においても,原爆放射線に起因する疾病であ
ることの科学的な立証についてなお議論があり,未解明な部分が残されている悪性
新生物についても,原因確率を検討すべきものとしていることに照らせば,現段階
において,悪性リンパ腫が原爆放射線の影響によって発症し得ることを否定すべき
ではないと解される。
(イ)審査の方針に基づく原告Eの被曝線量について
そこで,原告Eの被曝線量について検討するに,原告Eは,既に認定したとおり,
広島市に原爆が投下されてから約2時間後には爆心地から西方約2.5㎞に位置す
る国鉄己斐駅付近に至り,そこから広島市内に入市し,救護活動等を行いながら,
同日の昼過ぎには爆心地から約650mの十日市町に,その後爆心地から約200
mの元安川付近に至り,夕方すぎには爆心地付近を通って同所から約200mにあ
る紙屋町に至り,その後元安川を経てこれまでの経路を引き返して十日市町に戻り,
更に爆心地から北西約1㎞に位置する寺町にて宿泊し,翌日には,再び爆心地付近
の元安橋,本川橋付近にて救護活動等を行い,夕方に十日市町を経由して入市経路
を引き返し,国鉄己斐駅からトラックで大野浦に戻ったことが認められる。
そこで,上記入市経路を前提に,審査の方針に基づく被曝線量を算定すると,原
告Eは,①原爆投下から8時間以内(午後4時ころまで)には,爆心地から約50
0m以内の付近にいたとしても,その被曝線量は3cGy,②8時間から16時間以
内(午後4時ころから7日午前0時ころまで)には,爆心地付近にいたとすると,
被曝線量は18cGy,③16時間から24時間以内(7日午前0時ころから同日午
前8時ころまで)には,爆心地から700m以内にいなかったと認められるから,
被曝線量は0cGy,④24時間から32時間以内(7日午前8時ころから午後4時
ころまで)には,爆心地付近にいたと認められるから,被曝線量は7cGy,⑤32
時間から40時間(7日午後4時ころから8日午前0時ころまで)には,爆心地か
ら300m以内にはいなかったと認められるから,被曝線量は0cGyであるという
ことになり,その被曝線量合計は28cGyであるから,これを審査の方針の別表2
−1に当てはめると,原告Eの悪性リンパ腫の原因確率は1.6%ということにな
る。
(ウ)放射性降下物や誘導放射能の影響について
aしかしながら,既に検討,判示したとおり,審査の方針を策定する際に基礎
とした調査においては,初期放射線以外の放射性降下物や誘導放射能による影響は,
十分に測定されて考慮に入れられたものとは認め難く,広島市における己斐・高須
地区のような多量の放射性降下物が認められた特定の地域以外にも同様の地域が存
在する可能性や,また,被爆によって死傷した者の身体や崩壊した建造物の瓦礫が
誘導放射化し,その地域への入市者や救護活動に従事した者らが,これらの放射性
降下物や誘導放射能による外部被曝及び内部被曝により相当量の放射線に被曝した
可能性が高いと推定することには相当な根拠があるというべきである。
したがって,これらを加味した原爆被爆者の実際の被曝線量(外部被曝及び内部
被曝)は,審査の方針の別表にあてはめて算定される被曝線量を大幅に超える可能
性があり,それは,審査の方針の別表による被曝線量の算定のみではごく低線量被
曝にすぎないことになる被爆者の中に,脱毛,下痢,食欲不振,発熱,嘔吐,悪心,
無気力,頭痛など放射線被曝による急性症状に合致する症状を発症した者が多数存
在したことを示す調査結果等が少なからず存在し,それらの調査結果に現れた症例
が,身心の負担や栄養状態の悪化などの放射線被曝以外の原因によるものと解する
ことは,上記のとおりの相当数に上る調査等の規模,内容に照らして不自然であっ
て,原爆による放射線被曝の機序,原因,被曝線量等にはなお未解明な部分が存在
すると解される状況があることとも符合するというべきである。
bそこで,原告Eについて放射性降下物や誘導放射能による被曝の可能性及び
程度について検討するに,上記認定のとおり,原告Eは,原爆投下の数時間後には,
放射性降下物が高濃度に認められた己斐地区を経由して広島市内に入市し,粘性の
高い黒雨に打たれ,また,瓦礫の後かたづけや遺体の処理,負傷者の救護作業に従
事し,その間,川の水を飲むなどしており,これらの活動中に舞い上がる塵埃等を
吸引し,多量の瓦礫や遺体等に直接接触し,あるいは川の水を飲用したことで,相
当多量の放射性降下物や誘導放射能による外部被曝及び内部被曝をしたものと推認
することができる。
そして原告Eは,上記の救護活動に従事しているころから,下痢の症状が発症し,
大野浦に戻った昭和20年8月8日ころからは,血便の混じった下痢,歯茎からの
出血,脱毛などの症状が生じ始め,間もなく発熱,頭痛などの症状が出て,それ以
後も,長い年月にわたって恒常的な体調不良や各種の疾病に悩まされてきたことは
上述したとおりである。
原告Eのこのような体調の悪化は,広島市内での上記救援活動を境として生じた
ものであり,他にはその原因とうかがうべき状況は見あたらないこと,原告Eは初
期放射線の影響を受けた者ではないが,原爆投下当日から翌日にかけて広島市内の
爆心地に近い地域を含む場所で救護作業に従事し,その間に放射性降下物や誘導放
射能に直接身体を曝し,それによって相当の外部被曝及び内部被曝をしたと推認す
べき状況があること,原告Eの上記の諸症状は放射線被曝による急性症状と矛盾す
るものではないこと,これらの諸状況に照らしてみれば,原告Eの上記の諸症状は,
放射線被曝による急性症状であったと認められ,同原告の放射性降下物や誘導放射
能による被曝線量は,このような急性症状を発症させるに足りる程度の高線量であ
ったものと推認するのが相当である。
(エ)既往歴等について
審査の方針においては,疾病等の放射線起因性の判断については,原因確率を機
械的に適用するのではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に
勘案するものとされており,その判断のあり方は正当と解さる。
原告Eについてこれを検討してみると,原告Eは既に認定したとおり,被曝直後
に放射線被曝による急性症状を呈し,その後間もない昭和20年8月31日ころ以
降,慢性的な体調不良状態に陥った上,首の左右両側の腫れ物ができ,その後左右
頚部悪性リンパ腫と診断を受け,ラジウム治療を継続しながら繰り返し手術を受け
たこと,昭和33年以降は,動悸,発熱,頭痛などの症状が慢性化し,昭和47年
ころには首周りの腫脹が再発し,昭和54年,55年には,相次いでメニエール病,
甲状腺悪性リンパ腫との診断を受け,甲状腺の右側を切除する手術を受けたこと,
その後も出血性胃潰瘍,高血圧症等の諸症状が出て,被爆者健康手帳を取得した平
成8年ころには再度悪性リンパ腫と診断されて化学療法を受けたほか,左側の甲状
腺についても摘出の必要性が指摘されていること,以上の経過が明らかである。
原告Eの以上のとおりの被爆状況と,その後の身体症状,疾病の部位,内容,発
症時期,それらの経緯等に照らしてみると,原告Eの甲状腺悪性リンパ腫は,前判
示のとおりの原爆による放射線被曝の影響によって発症したものと認めるのが相当
であり,ほかに同原告の生活状況や環境因子に起因することをうかがわせる事情等
は見当たらない。
(オ)被告らの主張について
被告らは,原告Eの甲状腺悪性リンパ腫の発症については,同原告が頚部悪性リ
ンパ腫のため,九州大学医学部付属病院において2年間にわたってラジウムによる
放射線治療を受け,その被曝総線量が40ないし50Gyにもなることを考慮すべき
である旨主張する。
しかし,原告Eは,上記ラジウム治療の前から原爆による放射線被曝を原因とす
ると推認される頚部の腫脹,悪性リンパ腫を発症しており,その後甲状腺に生じた
悪性リンパ腫も,その部位及び疾病の内容から,上記の既往症と無関係に生じたも
のと認め得るかは疑問であって,被告らの上記主張にかかる事実は,原告Eの甲状
腺悪性リンパ腫の原爆による放射線起因性を否定するに足るものとは認められない。
(カ)小括
以上に判示したとおり,原告Eの甲状腺悪性リンパ腫は,原爆の放射線被曝によ
って発症したものと認めるのが合理的であって,被爆者援護法10条1項にいう放
射線起因性を肯定するのが相当である。
キ要医療性について
上記認定事実によれば,原告Eは,平成8年ころにも悪性リンパ腫と診断されて
いるほか,現在も指定医である伊藤医院等に通院し,甲状腺についての経過観察を
受けているところであり,被爆者援護法10条1項にいう現に医療を要する状態に
あることが明らかである。
ク結論
以上のとおり,原告Eは原爆症認定の要件を満たす者と認められるから,同原告
の前記原爆症認定申請に対する却下処分は違法であって,これを取り消すべきであ
る。
(2)原告Fについて
前記前提事実に証拠(甲A3号証,8号証の1・2,11号証,原告F本人)及
び弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実が認められる。
ア原告Fの被爆状況について
(ア)原告Fは,昭和8年8月15日生まれの女性であり,被爆当時は11歳で,
広島市内の三篠国民学校の生徒であった。被爆前は,活発で,格別病気もせず,健
康であった。
原告Fは,昭和20年8月6日,爆心地から北へ約1.7㎞に位置する三篠国民
学校の校庭で朝礼のために整列し,校長の話を聞いていた際原爆がさく裂し,右斜
め後ろから強い光を感じるや,次の瞬間体が飛ばされた。
気が付くと,原告Fは,地面にうつぶせに倒れており,周囲は砂埃が舞ってよく
見えない状態であった。しばらくして目が慣れてくると,校舎に火の手が上がって
いるのが見えたため,学校を出て,三滝町の太田川放水路の河原に行って川に飛び
込み,川の水を手ですくって3,4回飲んだ。そこで,自分の服がぼろぼろになっ
ていることに気付いた。
(イ)そのころ,夕立のような黒い雨が降り出したので,石橋の下で雨宿りをした
後,雨が降り続く中を歩き,石橋から3㎞ほど離れた山本(爆心地から北北西に約
4㎞に位置する現在の広島市安佐南区山本付近)にある国民学校に向かい,そこで
家族に会うことができ,また,自分の体の右側がやけどによる水ぶくれでぱんぱん
に腫れ,真っ赤になっていることが分かった。その夜は山本の国民学校に宿泊した。
イ被爆後の原告Fの症状
(ア)被爆翌日の8月7日,原告Fは自力では歩けず,体全体の自由がきかない状
態であったので,自転車の荷台に乗せてもらい,母親たちと一緒に,川内(爆心地
から北北東に位置する現在の広島市安佐南区川内)に行き,太田川を渡って,列車
で芸備線の井原市駅まで行き,大八車で更に4㎞離れた志路にある父親の兄の家に
運んでもらい,同家に宿泊することになった。原告Fは,同日は,非常に気分が悪
く,何度も嘔吐し,歯茎からの出血もあり,火傷をしていた首の右後ろから右脚の
先までの部分の皮がむけてしまった。
(イ)被爆3日後くらいから鼻血が出るようになり,1週間後くらいからは髪の毛
が抜け始め,一時は坊主に近い状態になった。また,そのころから下痢も始まり,
嘔吐,発熱も頻発した。また,発熱時には,腰から背中にかけて重たい痛みが生ず
ることもあった。
やけどをした部分は化膿しており,翌年までは自力歩行ができず,首から胸にか
けてと背中には紫斑も出た。この紫斑は,昭和40年ころまで出ることがあった。
ウその後の病歴及び生活状況について
(ア)原告Fは,昭和21年4月になって杖を使って歩行することができるように
なり,小学校5年生として通学を再開したが,全身に力が入らず気怠い状態が続き,
体育の授業にもでられなかった。
(イ)中学校2年生くらいからは尿が出にくくなり,井原市の病院で医師の診察を
受け,タンパクが出ているので塩分を控えるようにと指示された。
(ウ)昭和26年3月に中学校を卒業した後,三原の紡績工場で働いたが,全身に
力が入らない状態が続き,吐き気をもよおすこともよくあったため,約4年後には
退職し,志路に戻った。
(エ)原告Fは,昭和29年ころ,井原市の医師の勧めを受けて,同年10月25
日から同月29日までABCCに入院した。
a原告Fは,ABCCにおいて,同月20日,25日,26日及び29日に尿
及び腎機能検査を受け,その結果,ABCCの内科医のキース・M・M・ルイスは,
尿の中間標本の検査の結果タンパクを少量認めたが,カテーテル尿標本による再検
査の結果ではタンパクを認めず,腎機能諸検査の結果は正常であるとした。
b原告Fは,昭和30年ころ,広島市の病院で患者の付添の仕事を始めたが,
疲れやすく体調が優れなかったため,医師の診察を受けたところ,また尿のタンパ
クが多いとのことで,結局,5年間勤めた段階で退職した。
20歳代のころは,右手や右足の火傷の痕がひどく,右手には常に包帯をしてお
り,昭和35年ころからは,ミシン工場で働き始め,夜もダンスホールで働いてい
たところ,昭和38年ころに,客として来店していた夫と知り合い,昭和40年こ
ろから一緒に住むようになった。
c原告Fは,昭和39年に,気を失って広島市民病院に搬送され,同病院にて
急性腎盂炎と診断され,約2,3か月間入院治療した。
その後,広島市民病院の主治医で腎臓内科を専門とする山崎医師が独立したため,
同医師が開設した病院に通院し,このころ,慢性腎炎と診断され昭和40年から4
7年までの間に,慢性腎炎のため子どもを2度堕ろした。
d原告Fは,昭和47年に婚姻して名古屋に転居した。このころ,南医療生協
の徳田医師の診察を受けて健康管理手当の支給のための認定を受け,その後,被爆
者の指定病院になっていた名古屋掖済会病院に通院した。
e原告Fは,昭和48年に出産した後,未だ40歳前後であるのに閉経した。
f原告Fは,昭和56年,愛知医科大学にて腎臓の検査を受けた結果,2つの
腎臓の機能が通常人の3分の1程度であり,腎炎と診断されて入院した。昭和58
年には,名古屋掖済会病院にて腎炎の治療を開始し,平成2年には,卵巣の外に腫
瘍ができたため,入院して卵巣と子宮の摘出手術を受けた。
平成11年には肺炎で入院し,平成13年からは,週に3回人工透析を受けるよ
うになり,同年末ころには,左変形性膝関節症で入院し,人工膝関節置換術を受け
た。
g平成14年1月ころ,小さな脳梗塞が発見され,同月15日から同月22日
までの間,多発性脳梗塞により入院治療をした。また,同年6月には膵腫瘍が発見
された。
平成15年には,白内障の初期であるとの診断を受け,眼科に3か月に1回通院
し,また,二次性副甲状腺機能亢進症と診断された。
平成16年には肺炎で入院したが,退院間近にMRSA感染症に罹患し,下痢も
生じたため,結局4か月ほどの入院を余儀なくされた。
エ原告Fの現在の症状について
名古屋掖済会病院の瀬良三医師は,現在の原告Fの症状について以下のとおり﨑
述べている(甲A10号証)。
(ア)慢性腎不全について
原告Fは,慢性腎不全により,腎臓が縮小して硬化した状態となっており,回復
は困難で,合併症を伴う危険があり,生命維持のための人工透析を週に3回実施し
ている。
(イ)二次性副甲状腺機能亢進症について
原告Fは,透析開始後に罹患した副甲状腺機能亢進症のため,副甲状腺ホルモン
(PTH)をコントロールできない状態で,投薬による治療効果もないため,副甲
状腺切除術を予定している。
(ウ)脳梗塞について
原告Fは,小さな脳梗塞が多数生じる多発性脳梗塞であり,発作後に軽度の認知
症が現れている。
(エ)右副腎腫瘍について
原告Fが罹患している副腎腫瘍は良性の無機能腺腫である可能性が高いが,経過
観察中である。
(オ)限局性強皮症について
原告Fは,免疫異常を背景とした限局性強皮症に罹患しているが,症状も軽いた
め,特に投薬等もしていない。
(カ)白内障について
原告Fの白内障は初期段階であり,水晶体の後嚢下や核についても混濁がみられ
る状態である。
(キ)多発性骨髄腫について
平成17年9月20日,原告Fに対し免疫電気泳動検査を実施したところ,Mタ
ンパクが多量に産生されており免疫異常が認められ,多発性骨髄腫の前段階にある
と認められるが,現段階では症状も軽く治療の必要はない。
オ原爆症認定申請及び申請疾病について
(ア)原告Fは,平成14年7月8日,被告厚生労働大臣に対し,認定申請書の
「負傷又は疾病の名称」欄に「慢性腎不全,膵のう胞,多発性脳梗塞,右副腎腫瘍,
限局性強皮症」と記載し,瀬崎医師の意見書及び健康診断個人票を添付して,被爆
者援護法11条1項に基づく認定申請をした(乙A1号証ないし3号証)。
(イ)被告厚生労働大臣は,平成15年2月3日付けで,上記申請を却下する旨の
決定をした(甲A1号証の1・2)。
(ウ)原告Fは,同年3月11日付けで,被告厚生労働大臣に対し,上記却下処分
に対する異議申立てをした(乙A4号証)。
(エ)認定申請書等の記載
a原告Fの認定申請書の「負傷又は疾病の名称」欄には,「慢性腎不全,膵の
う胞,多発性脳梗塞,右副腎腫瘍,限局性強皮症」と記載され,「被爆時以降にお
ける健康状態の概要及び原子爆弾に起因すると思われる負傷若しくは疾病について
医療を受け,又は原子爆弾に起因すると思われる自覚症状があったときは,その医
療又は自覚症状の概要」欄には,疾病又は負傷として,被爆時に右首筋・右腕・右
足の火傷を負い,昭和26年ころには左足膝関節の変形,昭和39年ころには急性
腎盂炎となりその後慢性腎盂炎に移行し,更に昭和48年には腎臓障害,平成2年
に卵巣外腫瘍,平成12年に肺炎,平成13年3月に脱肛,同年12月には左膝関
節の手術をし,平成14年には脳梗塞となり,腎不全及び膵臓嚢胞腫瘍との合併症
と診断された旨記載されている。
bまた,認定申請書に添付された意見書には,認定申請書の「負傷又は疾病の
名称」欄と同様,慢性腎不全,膵嚢胞,右副腎腫瘍,多発性脳梗塞及び限局性強皮
症と記載され,健康診断個人票には,昭和39年及び昭和58年に腎炎になったほ
か,平成11年に限局性強皮症に,平成13年12月に変形性関節症により手術し,
平成14年には多発性脳梗塞に罹患した旨記載されている。
(オ)申請疾病の特定
a以上の記載を総合すれば,放射線起因性の有無を判断すべき申請疾患は,認
定申請書の「負傷又は疾病の名称」欄記載の①慢性腎不全,②膵嚢胞,③多発性脳
梗塞,④右副腎腫瘍,⑤限局性強皮症と認められる。
b原告Fは,二次性副甲状腺機能亢進症,胃潰瘍,下肢の閉塞性動脈硬化症,
白内障及び左変形性関節症についても放射線起因性の有無を判断すべき旨主張する
が,上記認定申請時に提出された書面には,上記疾病のうち,左変形性関節症以外
の疾病は記載されておらず,左変形性関節症についての認定申請書や健康診断個人
票の記載は既往歴等としての記載に止まるものと解され,被告厚生労働大臣も上記
却下処分についてこれらの疾病を前提としていないと認められるから,これらは上
記却下処分の対象とならないものと解される。
カ原告Fの申請疾病の放射線起因性について
(ア)慢性腎不全について
a医学的知見等
(a)聞間医師の見解
原告Fは,昭和20年当時,発熱や背中の腰の付け根当たりの差し込むような痛
みを訴えているが,これらの症状は,腎臓の感染による発熱であり,急性腎盂炎の
症状であると解される。ABCCの診療録中に記録されている尿検査の結果によれ
ば,尿色の混濁が認められ,尿タンパクが陽性を示していることや,ベンジジンテ
ストによって血尿反応が認められ,尿中にバクテリアが存在していることから,尿
路感染症に罹患し,これが持続したため慢性的な反復性腎盂炎に罹患し,慢性腎盂
腎炎を繰り返すうちに腎臓機能を喪失したもので,これが原告Fの慢性腎不全の発
症経過であると推測する。また,被爆者は,被曝の影響によって,体の仕組みや免
疫等の系統的な異常を有している可能性が高く,原告Fの慢性腎不全についても被
曝に起因するものであることは否定できない。
(b)放射線との関係に関する知見について
①腎臓(腎上皮)は,細胞分裂頻度が低く,放射線感受性も低い組織と解され
ており,両腎が同時に中等度の線量(5週間で30Gy)で照射されると,1∼5年
の潜伏期間をおいて,高血圧と貧血を伴った腎障害が出ることが知られ,23Gyが
耐用線量とされている。しかし,片方の腎だけの照射なら非照射の腎の代償もあっ
て障害は出にくいとされている(「放射線基礎医学(第10版)」,乙全90号証,
101号証)。
②「寿命調査,広島・長崎,第5報1950年10月−1966年9月の死
亡率と線量との関係」(昭和45年,乙全18号証)
線量不明の男性において,腎炎及びネフローゼによる死亡率が増大しており,中
でも1950−54年の期間では期待死亡数1.2に対し,観察死亡数は5で特に
高い。しかし,これはその他の群には認められず,放射線との関係が有意か否かは
不明である。線量不明の群と40rad以上の被曝を受けた群とを合計した場合,4
年間における腎炎及びネフローゼによる観察死亡数と期待死亡数との比較は,18
対14.1になる。1961−66年の期間における腎炎及びネフローゼの剖検診
断87例に関するT65D線量別分布には期待数との間に有意な差は認められなか
った。
b慢性腎不全と原爆放射線被曝との関係について
上記認定事実によれば,腎臓は,放射線感受性が低い組織であるとされ,片方の
腎臓のみが被爆した場合には,代償機能により症状が出にくいが,両腎が同時に中
等度の線量(5週間で30Gy)で照射された場合に,高血圧と貧血を伴った腎障害
が出ることが報告されている。しかし,慢性腎不全については,放影研の疫学調査
の結果によっては有意な線量反応関係が認められるとの報告もなされておらず,慢
性腎不全が原爆放射線の影響で発症しうる疾病であるかについては,なおこれに疑
義を差し挟む余地がないではない。
しかし,上述したとおり,放射線医学においては,両腎が5週間で30Gyの放射
線照射を受けた場合には腎障害が発症するとの知見があり,また,放影研の寿命調
査においても,被爆者中に腎炎による死亡率の増大を示すともみられるデータも認
められるから,現段階において,腎臓機能障害の一つである慢性腎不全が放射線の
影響によって発症し得ることを否定すべきではないと解される。
したがって,原告Fの慢性腎不全は,上述したとおり,被爆後間もない時期に急
性腎盂炎に罹患し,その後も尿路感染症や反復性の腎盂炎に罹患したことに端を発
するものと解されるところ,その被曝状況,既往歴,環境,生活因子等の諸事情を
総合勘案して,その放射線起因性を判断すべきものと解される。
c審査の方針に基づく原告Fの被曝線量について
そこで,原告Fの被曝線量について検討するに,既に認定したとおり,原告Fは,
爆心地から約1.7㎞の遮蔽物のない校庭で被曝しており,審査の方針の別表9に
当てはめて原告Fの初期放射線による被曝線量を算定すると,22cGyであり,審
査の方針それ自体によって認められる被曝線量はそれのみとなる。
しかしながら,前判示のとおり,放射性降下物や誘導放射能による外部被曝及び
内部被曝の影響は,審査の方針を策定する際に基礎とした調査結果によっては,十
分な測定がなされて審査の方針に反映されたとは解されず,これらの影響は,個々
の被爆者の被爆時の状況のほか,その後の行動経過や身体症状の経過及び内容等に
応じて判断すべきものと解される。
上記認定のとおり,原告Fは,被爆当時11歳の少女で,爆心地から約1.7㎞
程度の遮蔽物のない校庭で被曝し,爆風や熱線によるものと推測される負傷の程度
も重く,爆発直後の砂埃等が舞う中,太田川放水路に飛び込んで水を飲み,夕立の
ような雨に打たれながら避難したのであって,これらの行動内容からすれば,その
間に放射性降下物や誘導放射能によって被曝した放射線量は,外部被曝及び内部被
曝ともに相当量にのぼるものと推認すべきものと解される。そして,それは原告F
が被爆直後から,脱毛や発熱などの強度の急性症状を発症し,その後もやけどによ
る歩行障害,排尿障害,急性腎盂炎などを主症状とした体調不良や疾病を発症し,
それらが長期間に及んで遷延し,今日に及んでいることとも符合するものと見るの
が自然かつ合理的というべきである。
被爆以前は健康体であった原告Fのこのような身体症状の悪化や疾病の経過につ
いては,他にその原因をうかがわせるべき事情も見あたらないことに照らすと,原
告Fの放射性降下物や誘導放射能による外部被曝及び内部被曝の被曝線量は,初期
放射線の被曝線量と合わせて,上記の急性症状を発症させるに足りる程度の高線量
であったものと推認できるというべきである。
d既往歴について
審査の方針においては,原因確率を機械的に適用するのではなく,当該申請者の
既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案するものとされており,それは正当な
認定方法と解されることは上述したとおりであるところ,原告Fの被爆当時の年齢,
被爆態様,被爆後の行動経過,原爆放射能による初期症状の程度,態様を前提とし,
その後原告Fが罹患するに至った慢性腎不全の前述の機序,経過等を考慮すると,
同原告の慢性腎不全は,原爆放射線の被曝により発症した蓋然性が高いと認められ
るから,放射線起因性を肯定するのが相当である。
なお,原告Fは被爆後の昭和24年ころ,排尿障害等の腎機能の異常が生じ,そ
の後尿路感染症に罹患したことが認められるが,同疾患が少女期に発症することは
まれであって(甲A6号証),それが被爆以前から存在したことを認めるに足る証
拠はないから,上記尿路感染症罹患の事実は,同原告の被爆と慢性腎不全の関係を
否定する事情とは解されない。
e要医療性について
証拠(甲A10号証)によれば,原告Fの現在の症状は,慢性腎不全のため腎臓
が萎縮し硬化しており,生命維持のため,週3回の人工透析が欠かせない状態であ
ると認められるから,その要医療性を認めることができる。
(イ)膵嚢胞についての医学的知見
a放射線との関係について
膵臓上皮は,細胞分裂頻度が低く,放射線感受性も低い組織であることが知られ
ており(「放射線基礎医学(第10版)」,乙全101号証),放射線被曝によっ
て何らかの障害が生じたとする報告は見あたらない。
b膵嚢胞についての医学的知見
膵嚢胞は,膵液,粘液,血液,壊死物質などを内容として含み,嚢胞壁に覆われ
た嚢胞を膵内部あるいは膵周囲に形成する病変の総称であり,嚢胞壁に上皮成分を
認めない仮性嚢胞と嚢胞壁内面が上皮に裏打ちされた真性嚢胞に分類されている。
仮性嚢胞の成因は膵炎によるものが70∼80%と最も多く,それ以外には炎症や
外傷による膵管系の破綻によって生じた膵液や壊死物質などが貯留し,周囲組織で
被覆されて形成されることによるものとされている。そして,真性嚢胞(腫瘍性嚢
胞)の成因は不明とされている(「内科学」,乙C5号証)。
c原告Fの膵嚢胞の放射線起因性について
原告Fは,認定申請書の「負傷又は疾病の名称」欄に膵嚢胞と記載しているが,
上記のとおり,膵炎を成因とする仮性嚢胞と,成因が不明である真性嚢胞とでは,
放射線起因性の有無の判断が異なるものと解される。
原告Fの膵嚢胞は,平成14年ころに発症したものであるが,現時点においては,
真性と仮性の区別,嚢胞と嚢胞性腫瘤との鑑別ができておらず,経過観察中であっ
て,詳細な発症の機序,病態,治療の程度・要否,他の疾病との関連などについて
は,なお明らかではない。
そうすると,原告Fの膵嚢胞が原爆放射線の影響によって発症したものと認める
ことはできない。
(ウ)多発性脳梗塞について
a聞間医師の見解
脳梗塞は,血管が詰まって生ずる疾病であるが,最近の放影研の調査の結果,被
爆者に脳梗塞を発症して死亡した者が多く,死亡率で過剰相対リスクが高いことが
報告されている。また,被爆者には動脈の閉塞機転があると推測されるが,近時の
研究によれば,動脈閉塞の原因は,動脈の炎症性の疾患と考えられており,被爆者
の免疫的な異常が背景にある可能性は否定できない(証人聞間)。
b医学的及び疫学的知見
(a)放射線による血管障害について(「放射線基礎医学(第10版)」,乙全9
0号証,101号証)
放射線の血管に対する影響は,放射線被曝の後期反応(被爆後数か月から数年度
に起こる障害)が血管障害に起因して発生することから重要なものと認識されてき
ており,動脈の障害は50ないし70Gyの被曝でみられるが,毛細血管の障害は4
0Gyから,血管の内皮細胞の障害は2Gyから起こることが知られている。細胞の分
裂頻度は低く,内皮細胞の減少が生ずるのは,放射線照射後2ないし6か月後であ
る。細胞の消失が起こると,生存した細胞の異常増殖が起こって,血管の狭窄や閉
塞を引き起こし,内膜の欠如は血栓を生ずる。また,動脈,小動脈では平滑筋細胞
が照射後1年で減少してコラーゲン繊維と置き換わり,血管壁が肥厚して管腔が狭
くなる。また毛細血管の拡張もよく見られる反応である。
(b)放射線被曝と循環器障害についての疫学的知見
放射線被曝による循環器障害については,十分に検証されていなかったこともあ
って,当初消極的に解されていたが,最近の調査報告では,脳卒中を含む循環器障
害に放射線被曝との有意な関係があることが認められている。これらの報告内容は,
以下のとおりである。
①「寿命調査第8報原爆被爆者における死亡率,1950−74年」(昭和
53年,乙全49号証)
脳血管疾患による死亡例は4280例であったが,線量別の解析結果は全体を通
じて陰性的であった。
②「脳皮質血管における放射線遅発効果の超微形態的研究」(「広島医学43
巻3号(1990年3月)」,甲全85号証の15)
放射線の障害としては,急性期障害として脳血管の内皮細胞障害や遅発障害とし
ての血管の硬化性変化などが報告されている。
③「原爆放射線の人体影響1992」(平成4年,乙全14号証)
循環器疾患に原爆放射線被曝の後影響が認められるか否かについては,本疾患が
我が国ではがんとともに死亡率並びに有病率の高い重要な疾患であることから,早
くから注目されてきた。
しかしながら,循環器疾患の多くは動脈硬化に起因しており,その発生までに長
期間を要することなど種々の要因のため,これまで原爆放射線被曝の後影響に関す
る研究報告は少ない。
放射線と循環器疾患については,1960年代に至るまでは,心・血管系は,電
離放射線に対して比較的抵抗性があると考えられていたが,その後,悪性腫瘍に対
する縦隔への放射線照射に続発して心膜炎,心筋炎,刺激伝導障害が発生すること
が数多く報告され,今日では,電離放射線の心臓への影響は広く認識されるに至っ
ている。
しかし,虚血性心疾患や脳血管疾患といった動脈硬化に起因する疾患については
電離放射線との関係は,その病因論も含め,いまだ確立されていない。
ただし,動物実験レベルでは,電離放射線と血管病変の関係が確認されており,
乳ガンなどの放射線治療後の虚血性心疾患の症例報告は数多くみられる。
放影研による1950年から1966年までの調査をまとめた「寿命調査第5
報」までは,脳血管疾患並びにそれ以外の循環器疾患死亡率と原爆放射線の関係を
示唆する所見は認められなかった。しかし,1950年から1970年までの解析
である「寿命調査第6報」では,脳血管疾患以外の循環器疾患死亡率と放射線の影
響が確認され,また,1950年から1985年までのがん以外の死亡についての
報告では,高線量被爆者における循環器疾患死亡率の増加がより鮮明になっている。
すなわち,2,3Gy以上の高線量群において,循環器疾患としては脳血管疾患並び
に心疾患死亡率がいずれも高線量群で増加していた。ただ,がんと比較して高線量
群における相対危険度の増加は小さいものであった。
④「成人健康調査対象集団における大動脈弓部石灰化の有病率(1988−1
990)」(「長崎医学会雑誌67巻特集号」1992年,甲全85号証の7)
循環器疾患に原爆放射線の影響が見られるか否かについては,早くから注目はさ
れてきたが,これまでの報告は比較的少ない。
しかし,放射線の心血管系への影響については,数十Gy以上の高線量被曝に関し
て,動物実験,縦隔に対する放射線治療後の虚血性心疾患,頸部放射線治療後の脳
梗塞等の症例報告,及び,放射線治療を受けた患者群の追跡調査により,その関係
が認められている。原爆放射線の心血管系に対する影響については,これまで放影
研寿命調査集団において,被曝群に循環器疾患死亡率が有意に増加している証拠は
認められなかったが,最近,2,3Gy以上の高線量被爆者に死亡率の増加を示唆す
る所見が報告されている。また,放影研の成人健康調査集団においても,動脈硬化
症と原爆放射線の関係が示唆されている。
⑤「成人健康調査集団における収縮期高血圧の有病率と被曝線量との関連」
(「長崎医学会雑誌67巻特集号」,1992年,甲全85号証の7)
原爆放射線による被曝と動脈硬化性疾患発症リスクとの関連については,いまだ
確定的な結果が得られていない。しかしながら最近,放影研が長期にわたって追跡
調査している寿命調査集団におけるがん以外の死亡率あるいは成人健康調査集団に
おける循環器疾患発生率において,正なる相関を示唆する報告がなされてきている。
⑥「放影研寿命調査第11報第3部改訂被曝線量(DS86)に基づく
癌以外の死因による死亡率(1950−85年)」(平成5年2月,甲全8号証の
2文献29,乙全73号証)
1950−85年の循環器疾患による死亡率は,線量との有意な関連を示した。
脳卒中による死亡率にはそのような関連は認められなかったが,脳卒中以外の循環
器疾患(ここでは心疾患とした)は全期間で有意な傾向を示した。しかし,後期
(1966−85年)になると被爆時年齢が低い群(40歳未満)では循環器疾患
全体の死亡率並びに脳卒中又は心疾患の死亡率は,線量と有意な関係を示し,線量
反応曲線は純粋な二次又は線形−しきい値型を示した。
c脳梗塞と放射線被曝との関係
以上のとおり,脳梗塞を含む脳卒中と放射線被曝との関係については,昭和53
年ころには否定的に解されていたものの,その後,動物実験の結果などから放射線
との有意な関係にあることが指摘されるようになり,平成5年の寿命調査において,
脳卒中の死亡率が,線量と有意な関係を示し,線量反応曲線は純粋な二次又は線形
−しきい値型を示したことが報告されているのであり,これらの医学的知見を総合
してみれば,脳梗塞を含む脳卒中が,原爆の放射線の影響によって発症し得ること
を否定すべきではないと解される。
d原告Fの多発性脳梗塞の放射線起因性について
原告Fの被曝線量は,既に判示したとおり,審査の方針によれば22cGyと算定
されるが,原告Fの放射性降下物や誘導放射能による外部被曝及び内部被曝の影響
は相当な線量に及ぶものと推認されること,原告Fの多発性脳梗塞は,平成14年
1月ころ発症したものであるところ,上記のとおり,脳梗塞を含む脳卒中が放射線
の被曝によって発症し得るとする疫学上の知見があること,そして,原告Fが,被
爆後長期間にわたって体調が不良であり,放射線被曝に起因するものと認められる
腎機能障害を有していること,これらを総合考慮すると,原告Fの脳梗塞について
は,原爆放射線の被曝による起因性を認めるのが相当である。
e要医療性について
原告Fには,上記多発性脳梗塞によって,軽度の認知症の症状が出ていることが
認められ,これによれば要医療性も肯定されるというべきである。
(エ)右副腎腫瘍について
a副腎腫瘍に関する医学的知見
副腎腫瘍は,副腎の中の細胞の一部が増殖し腫瘍を形成した状態をいう(甲A1
0号証)。
放影研の剖検例では,原爆投下時に市内にいなかった者(NIC)と0rad群に
23例,そして1rad以上の被爆者にも同数の副腎腫瘍が認められたが,被爆との
相関性は認められなかった。
1975年から1987年までの広島県の腫瘍登録例中,123例の副腎腫瘍が
調べられたが,66例が副腎皮質腫瘍であり,原爆後生誕者の19例を除いた47
例を検討した結果,被爆者は15例,31.5%であった。中でもクッシング症候
群(副腎性)の11例のみを見た場合,被爆者の6例の割合は54.5%と高率で
あり,注目された。副腎髄質に発生する副腎褐色細胞腫は同期間中に24例みられ
たが,被爆者は1例であり,検討は行えなかった。(「原爆放射線の人体影響19
92」,乙全14号証)。
b副腎腫瘍と放射線被曝との関係について
副腎腫瘍については,放射線との間の有意な関係を肯定する疫学上の知見は見あ
たらない。もっとも,放射線被曝によって悪性新生物が発生しうることは疫学的に
も証明されており,副腎腫瘍も悪性新生物である場合には,その例外ではない。
c原告Fの副腎腫瘍の放射線起因性について
しかしながら,原告Fの副腎腫瘍については,主治医の瀬崎医師においても,現
段階において悪性腫瘍であるか良性腫瘍であるかの判別がなされておらず,良性腫
瘍としての無機能腺腫である可能性が高いとの意見を述べるにとどまっており(甲
A10号証),その発症の経緯,具体的な症状とその推移等,放射線起因性の有無
を判断するについて基礎となる事実が明らかでないといわざるを得ない。
したがって,原告Fの右副腎腫瘍に放射線起因性を認めることはできない。
(オ)限局性強皮症について
a限局性強皮症は,皮膚の一部にのみ皮膚硬化がみられるもので,患者自身の
免疫機能が誤って自己の身体を攻撃してしまう自己免疫性の疾患である(甲A10
号証)。
限局性強皮症が放射線被曝と有意な関係にあることを報告した文献は見当たらな
い。
bまた,原告Fの限局性強皮症の発症に至る経緯,発症の部位等を認定するに
足るほどの証拠は見当たらず,同疾病が原爆放射線の影響で発症したことを認める
ことは困難というべきである。
キ結論
以上のとおりであって,原告Fの慢性腎不全及び多発性脳梗塞について,放射線
起因性を否定し,同原告の原爆症認定申請を却下した上記却下処分は違法であるか
ら,これを取り消すべきである。
(3)原告Gについて
証拠(甲B3号証,原告G本人及び各項掲記の証拠)及び弁論の全趣旨を総合す
ると以下の各事実が認められる。
ア原告Gの被爆状況について
(ア)原告G(当時18歳)は,昭和2年1月24日生まれの女性であり,昭和1
9年春,女子勤労挺身隊に入隊し,爆心地から約3.1㎞の地点にある長崎市の三
菱重工業長崎造船所飽浦工場で検査係に配属されていた。健康状態は良好で,既往
症もなかった。
(イ)昭和20年8月9日午前11時ころ,原告Gは,上記飽浦工場の事務所で,
同じ挺身隊員のI及びJとともに書類の仕分け作業に従事していたところ,強烈な
閃光と轟音とともに衝撃が事務所内を走り,倒れてきた書類棚の下敷きになった。
原告Gはしばらく気を失っていたが,友人に助け出され,左の額からの出血か所を
三角巾で縛ってもらった。
イ被爆後の行動について
(ア)原告Gは,浦上駅(爆心地から約800m)の北側にある大学病院で治療を
受けるため,J,Iとともに午後1時ころ工場を出て,浦上川に沿って徒歩で大学
病院に向かった。工場を出て,後に梁川橋と判明した橋(爆心地から約1.1㎞)
を渡ったが,川にはたくさんの死体が浮いていた。しばらく歩き,後に浦上駅と分
かった駅のプラットホームで休憩し,再び線路沿いに歩いて爆心地から約600m
に位置する竹岩橋あたりで,Jが付近の病院を見に行ってくれた。しかし,病院の
建物が壊れているというので,長崎市油屋町にある寄宿舎に帰ることにした。
寄宿舎に戻る途中,浦上駅をすぎたあたりで黒い雨に打たれた。黒い雨はべとべ
としていて粘度が高く,半袖のセーラー服を着ていたため,腕の肌に付いた雨をな
かなかぬぐえなかった。黒い雨は目にも入ったため,黒い雨が付着したままの手で
目をこすったりもした。
夕方の6時くらいに寄宿舎に戻ったが,建物が倒壊していたため,それ以後3日
くらい裏山のカボチャ畑で野宿をした。
その後,飽浦工場や造船所に行き,後片付けをしているうちに同月15日の終戦
を迎え,その後4日くらいかけて,実家のある宮崎市の飫肥駅に到着した。
(イ)被告らは,原告Gが認定申請時に提出した認定申請書には,被爆当日,病院
を探すため爆心地付近を歩いた旨の記載はなく,浦上駅近辺まで行ったとの原告G
の供述等は信用性がない旨主張するが,証拠(甲B3号証,乙B1号証,4号証の
1,原告G本人)によれば,原告Gは,認定申請書及び異議申立書に被曝当日にお
よそ5時間くらいにわたって長崎市内をさまよい,爆心地付近にまで行ってしまっ
た旨を記載しており,その内容は本訴における供述内容と基本的な部分でそごがな
いから,原告Gの上記の説明内容は基本的に信用すべきものと認められる。
ウ被爆後の症状について
(ア)原告Gは,昭和20年8月末ころから,急に発熱し,体のだるさを感じ,髪
の毛が抜け始めた。その後1か月ほどですべての髪の毛がなくなり丸坊主になって
しまった。また,同年9月初めころからは,赤痢のようなひどい下痢が続き,血便
が出始め,こような状態が9月いっぱい続いた。同年10月ころには,首のリンパ
腺が腫れて首が回らなくなり飫肥町の鈴木病院で診察を受け,医師から,長崎市に
行ったことはないかと尋ねられ,その症状は原爆に起因するものであると言われた。
(イ)原告Gは,翌昭和21年の正月ころから,歯がぐらつき,歯茎から出血しや
すくなる状態が1か月ほど続いた。そして,同年3月ころ輸尿管結石になり,約2
か月通院治療した。また,同年8月には手足が腫れて診察を受けたところ,腎臓が
悪いと言われ,腎機能は現在も落ちており,疲労などを原因として貧血状態になる
ことがある。
(ウ)原告Gは,昭和23年ころ嫁いだが,嫁ぎ先でも病気勝ちで,流産を繰り返
した後2子を出産した。しかし,昭和30年ころ離婚し,その後,愛知県で再婚し
た。
(エ)原告Gは,昭和40年ころから貧血になり,昭和53年ころからは腰痛,体
全体の痛みに悩まされるようになった。そして,昭和56年11月,広島の福島生
協病院にて心臓肥大との診断を受け,昭和60年ころからは風邪を引きやすく,扁
桃腺が頻繁に腫れるようになった。
また,平成14年8月21日には,石黒病院で腰椎辷症,慢性腎炎,高脂血症,
高血圧症の診断を受け,変形性脊髄症,骨粗鬆症とも診断されている。
エ原告Gの眼の症状について
原告Gは,平成2,3年ころ(63,64歳ころ)から,目がかすんだり,見え
にくくなったと感じていたが,その後,視力の低下や目のかすみがひどくなってき
たので,平成9年5月13日(70歳)に愛知県一宮市内の佐野眼科を受診したと
ころ,両眼白内障と診断された(原告G本人)。
その後しばらくの間,佐野眼科で点眼内服治療を受け,平成13年11月26日
(74歳),右眼の白内障の手術を受けて眼内レンズを挿入した。左眼の視力は0.
01程度であり,現在も白内障の治療中で,医師から手術が必要と言われているが,
原告Gの意向で未だ手術を受けていない(原告G本人)。
オ原爆症認定申請
(ア)原爆症認定申請及び申請書等の記載
a原告Gは,平成14年7月9日,認定申請書(乙B1号証)の「負傷又は疾
病の名称」欄に両眼白内障と記載し,佐野眼科医院の佐野医師による意見書(乙B
2号証)及び同医院の鍵井検査技師が記載した健康診断個人票(乙B3号証)を添
付の上,被告厚生労働大臣に対し,被爆者援護法11条1項の認定申請をした。
b上記認定申請書の「負傷又は疾病の名称」欄には「両眼白内障」と記載され
ており,「被爆時以後における健康状態の概要及び原子爆弾に起因すると思われる
負傷若しくは疾病について医療を受け又は原子爆弾に起因すると思われる自覚症状
があったときは,その医療又は自覚症状の概要」欄には,被曝時の状況のほか,貧
血や変形性腰痛,脱水症状,白血球が少ないと指摘されていることなどが記載され
ている。
cなお,佐野医師作成の上記意見書(平成14年6月15日付け)の「負傷又
は疾病の名称」欄には,「両眼白内障」と,「既往症」欄には「腰痛」と,「現症
所見」欄には「右眼白内障手術実施後視力0.2(矯正0.8),左眼水晶体前嚢
下で高度混濁視力0.1(矯正不能)」と,「当該負傷又は疾病が原子爆弾の放
射能に起因する旨,原子爆弾の傷害作用に起因するも放射能に起因するものでない
場合においては,その者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けている旨の医
師の意見」欄には「水晶体の混濁状況からして加齢によるものよりも被爆によるも
のと推定する。」とそれぞれ記載されており,鍵井検査技師が記載した上記健康診
断個人票の「既往歴」欄には「9年初頃から視力低下に気付く腰痛もあり治療
中」と,「現症」欄には「9年5月13日初診水晶体両眼共前嚢下に中等度の混
濁を認め視力両眼共0.413年11月視力両眼共矯正0.1に低下右眼の白
内障手術実施左眼は現在も白内障治療中」と記載されている。
一方,原告Gの診療録(乙B8号証)の平成14年6月15日の欄には,「水晶
体右人工レンズ左水晶体後嚢下円盤状混濁前極前嚢下にも混濁あり」と
記載されている。
(イ)被告厚生労働大臣は,平成15年1月28日付けで上記申請を却下する処
分をした(甲B1号証)。
(ウ)原告Gは,上記却下処分を不服として,平成15年4月2日,被告厚生労働
大臣に対し,異議の申立てをした(乙B4号証の1・2)。
(エ)以上の認定申請書,意見書及び健康診断個人票の各記載を総合すると,原告
Gの原爆症認定申請疾患は,両眼白内障と解される。
カ白内障に関する医学的・疫学的知見について
(ア)医師の見解
a主治医の佐野医師の見解(甲B2号証)
原告Gの主治医である佐野医師は,甲B2号証の報告書で,平成9年5月13日
の初診日のカルテには「水晶体後極混濁」という記載があり,水晶体のその他の部
分に混濁がある旨の記載はなく,上記初診時の所見は,後嚢下に限局された混濁が
認められたことで間違いないこと,また,平成14年6月15日のカルテには,
「右人工レンズ,左水晶体後嚢下円盤状混濁,前極前嚢下にも混濁あり」と記
載されており,前嚢下の混濁もみられるようになっていたが,同診療録のスケッチ
(乙B8号証)からも前嚢下の混濁の範囲は小さいのに対し,後嚢下の混濁の範囲
は著しく大きく顕著であることがわかり,皮質の混濁,核の混濁,色調等,老人性
白内障に通例みられる所見はなく,以上のように後嚢下の混濁が顕著であったこと
から,原告Gの白内障が原爆放射線に起因するものと解していること,そして,上
記平成14年6月15日付け意見書や健康診断個人票に「前嚢下」とあるのは,い
ずれも「後嚢下」の誤記であること,これらを述べている。
b聞間医師の見解(証人聞間)
放射線白内障の特徴は,後嚢下の混濁が初発することであるが,前嚢下にも混濁
があり得る旨の報告もあり,混濁の部位は後嚢下に限局されるものではないと考え
ているところ,原告Gも初診時に後嚢下の混濁が認められたとされており,その白
内障は放射線白内障であると考えている。
そして,原告Gの白内障が,水晶体の皮質部の混濁が中心となる老人性白内障の
症状とは異なること,後嚢下混濁が初発していれば,その後の経過で前嚢下に混濁
が及んでも放射線白内障とは矛盾しないこと,最近の報告によれば,遅発性の放射
線白内障が認められており,被爆後長期間経過した後に白内障が生じたとしても不
合理ではないこと,後嚢下混濁については,しきい値はないと報告されていること,
以上から,原告Gの白内障には放射線起因性が認められると考える。
また,現在,被爆者は少なくとも60歳を超えているため,放射線白内障と老人
性白内障の両方の所見が併存してる可能性が高いことを指摘している。
c齋藤医師の見解(甲全96号証の1ないし4)
放射線白内障は,従来,確定的影響に属する疾患と考えられていたが,1990
年代になって,海外において,遅発性の放射線白内障の所見があることが指摘され
るようになり,我が国における最近の報告(津田論文)において,被曝線量が増加
することによって,後嚢下混濁を呈する放射線白内障と,皮質混濁を呈する老人性
白内障が生ずることが確認されるに至った。
また,一般的な臨床上の所見として,非被爆者においても,糖尿病,ステロイド
投与又は老人性白内障の罹患によって,後嚢下混濁が生ずる場合があるため,後嚢
下混濁が認められれば,それが必ず放射線白内障であるということになるわけでは
なく,この点を踏まえて放射線白内障であるか否かを見極めるべきであるが,高齢
になれば,被爆者において老人性白内障の特徴である皮質混濁が進行することは当
然であるものの,放射線の影響によって早発性の老人性白内障(当該被爆者におい
て70歳になって白内障所見を得るべきところ,放射線被曝の結果60歳で白内障
を発症してしまうような場合)が生ずることも確認されているのであり,被爆者に
老人性白内障が生じていることをもって,放射線白内障が否定されるわけではない
し,被爆者の受診時の年齢によって,放射線白内障が否定されるものでもない。そ
して,被爆者の場合は,被曝という否定できない事実を重視して判断すべきである。
(イ)白内障についての医学的知見(平成4年「原爆放射線の人体影響1992」,
乙全14号証,平成16年「放射線基礎医学(第10版)」,乙全101号証,平
成14年「現代の眼科学(第8版)」,乙全82号証,乙B7号証)
a白内障一般について
白内障は,水晶体が混濁した状態をいい,その混濁はタンパクの変性,繊維の膨
化や破壊によるものであり,先天性と後天性のものがある。後天性の白内障は,原
因によって老人性,外傷性,併発性,放射線性,内分泌代謝異常性,薬物又は毒物
性などがある。
b老人性白内障について
老人性白内障は,白内障の中で最も多いものであり,病因は,加齢による水晶体
の混濁で,70ないし80歳の高齢者になると多少なりともすべての人に認められ
る。初発年齢には個人差があるが,一般に50歳以上で他に原因を見いだせないも
のをさす。程度の差はあるが両側性で進行は一般に緩徐である。混濁は赤道部皮質
や核あるいは後嚢下に始まる。初発白内障は,混濁が赤道部皮質付近にあり,点状,
楔状,冠状などの形をしている。未熟白内障は混濁が瞳孔領まで拡大し,斜照法に
より水晶対面への虹彩陰影が認められる。成熟白内障は,混濁が全体にわたり嚢直
下まで達するため,虹彩陰影は認められない。この時期になると眼底は透見できな
い。過熱白内障は,混濁が更に強くなり,皮質及び核の萎縮硬化がみられ水晶体自
体は,縮小・扁平となる。
c放射線白内障について
放射線白内障は,放射線エネルギーによって生じる白内障で,レントゲンや原爆
などの被爆によるものである。
水晶体においては,前嚢下にある1層の上皮細胞が,最周辺部である赤道部で細
胞増殖し,これが正常に分裂して成熟すると核を失って後極に向かって移動し,透
明な水晶体繊維を形成するところ,放射線の照射により赤道部の細胞増殖帯におけ
る細胞が障害されると,細胞が膨化して核をもったまま正常細胞よりもゆっくりと
後極へ移動し,これらの変性した細胞が集まることによって水晶体混濁が形成され
るため,放射線白内障が発症すると解されている。
通常,細胞が放射線を受けると6か月から数年を経て後嚢下に白内障をみる。こ
れは外眼部や眼内に対する放射線照射によって生ずる場合が多い。原爆被爆者の場
合,混濁は水晶体の後極部に起こると同時に前嚢下部位に起こることがあり,赤道
面上に起こる老人性白内障と区別される。しかし,進行すれば他の白内障と区別で
きなくなる。
(ウ)放射線白内障と放射線との関係について
原爆の被爆者に生じた白内障については,以下のとおり,多くの知見が報告され
ているところ,原爆放射線白内障については,一般にその発症にしきい値が存在す
る確定的影響に属する疾病の典型例であり,その潜伏期間は平均して2,3年であ
ると解されてきた。
しかし,近時,被爆者の後嚢下混濁及び皮質混濁について,放射線被曝との関連
性が指摘されるようになり,その発症にしきい値が存在することについても疑問を
呈する知見が示されている。
これらの点を巡る知見の概要は,以下のとおりである。
a徳永次彦「原爆白内障の潜伏期について」(1962年「広島医学」,乙B
6号証)
放射線白内障(原爆白内障)を軽症Ⅰ型,軽症Ⅱ型,中等症Ⅰ型,中等症Ⅱ型及
び重症型に分類し調査したところ,軽症型,中等症型に視力障害,進行性はみられ
ないが,重症型には視力障害と進行性がみられるため,潜伏期を調査する際は,そ
れぞれの型について考察すべきである。
1905年(明治38年),レントゲン白内障が初めて報告されて以来,内外の
文献上168症例が報告されているが,そのほとんどが重症型であって,その潜伏
期としては,レントゲン線あるいはラジウム治療後,2,3年前後に白内障を発見
されたものが多くなっている。
原爆白内障の重症型の症例報告では,視力障害は被爆後10か月の時点で自覚さ
れ,眼科医によって白内障と診断されたのは,被爆後2年4か月後であったとされ
ており,放射線白内障においては,視力障害が感じられた時点で既に後嚢下に斑点
状混濁ないし凝灰岩様混濁が広範囲に形成され始めたことを意味することからする
と,潜伏期を10か月と解してよい。
以上から,原爆白内障を含めすべての放射線白内障の重症型は,放射線被爆後1
0か月より早い時期に臨床的変化の初発があり,それが逐次進行して2,3年後に
は重篤な視力障害を感ずるに至り,眼科医を受診するものと解される。
また,原爆白内障軽症型,中等症型の潜伏期は10か月あるいはそれより早いと
推定される。
b放影研業績報告書「放射線被曝と年齢に関連する眼科的所見の変化」(19
83年,甲全62号証の2の4)
人の水晶体に対する放射線障害は,通常数か月ないし数か年の潜伏期間を経て発
現する。しばしば,放射線関連の変化は後年になってから初めて現れる。エックス
線又はガンマ線治療時から水晶体混濁発現時までの潜伏期間は6か月から35年に
わたり,平均して2ないし3年である。統計的意味での二つのしきい値(線型ガン
マ線及び線型中性子線)を含む“最適”モデルによると,推定されたガンマ線のし
きい値は147rad(95%信頼区間:59−248rad)であり,一般に推測した
値に極めて近かった。
軸性混濁及び後嚢下変化の発現傾向は,広島においては,高年齢被曝群よりも若
年齢被曝群で比較的強度の加齢影響を示唆するが,長崎の場合このような所見は得
られなかった。
c「原爆放射線の人体影響1992」(平成4年,甲全62号証の2の1,乙
全14号証),藤原佐枝子ほか「小児に対する放射線被曝の影響」(甲全85号証
の2)
(a)放射線白内障の特性
放射線白内障の特性としては,①電離放射線の種類に関係なく,どの放射線でも
水晶体に同じような形態学的変化を起こすこと,②水晶体に同じ吸収線量が照射さ
れたときには,放射線の種類によって障害の程度に強弱があり,その差は生物学的
効果比(RBE)によって表され,白内障の発症に関しては,速中性子は,エック
ス線,ガンマ線よりもRBEが大きく,RBEが大きい放射線は,全身照射による
致死線量以下で白内障を起こすこと,③照射された線量が大きいほど,白内障発生
までの潜伏期間が短く,白内障の程度は強いこと,④幼若な個体ほど変化が強いが,
放射線に対する感受性にも個体差があること,⑤混濁は,水晶体の後嚢下で初発し,
斑点状ないし円板状混濁を形成し,一部はドーナツ形となり,これを細隙灯顕微鏡
でみると,混濁の表面は顆粒状で多色性反射(色閃光)がみられることがあり,混
濁は後嚢下とその少し前方に位置するものとに分かれて二枚貝様の混濁を形成し,
このような初期に見られる所見は放射線白内障に特徴的なものであること,⑥後極
部後嚢下に放射線白内障に類似の混濁を生ずるものとしては,網膜色素変性症やブ
ドウ膜炎に併発する白内障,ステロイド白内障,老人性白内障などであり,これら
の白内障との鑑別が必要であること,以上が挙げられる。
(b)原爆白内障の臨床像
原爆白内障は,原爆以外の放射線によって生じた白内障と極めて類似しており,
水晶体の後極部後嚢下に混濁が認められても,軽い変化は被爆していない人にも見
られることがあるため,原爆の放射線によって起こったものかどうか判定しかねる
こともある。原爆白内障を診断するためには,水晶体後極部の後嚢下に顆粒状の変
化があるだけでは十分ではなく,細隙灯顕微鏡で少なくとも円板状の混濁が見られ
ることを条件としている見解もある。
また,長崎の被爆者を調べた徳永によれば,原爆放射線による水晶体の所見とし
て,①分割帯の点状混濁,②後嚢下の凝灰岩様混濁を挙げている。
広島の被爆者を調べた百々らは,原爆白内障の診断基準に,①後極部後嚢下にあ
って色閃光を呈する限局性の混濁,②後極部後嚢下よりも前方にある点状ないし塊
状混濁という二つの形態学的特徴を挙げている。そして,①このような水晶体混濁
が認められて,②近距離直接被曝歴があること,③併発白内障を起こす可能性のあ
る眼疾患がないこと,④原爆以外の電離放射線の相当量を受けていないことという
4条件がそろっている場合に,原爆白内障と診断できるとしている。
原爆白内障の病理組織学的所見では,一致して水晶体後嚢下の皮質に変化が強い。
水晶体繊維の顆粒状の崩壊や無定形化が認められているが,放射線の種類による特
徴的な病理組織学的所見は得られていない。
1957年10月から4年間にわたって広島大学で調べられた128人にみられ
た原爆白内障について4段階に分けられている。
①微度は,水晶体後極部の後嚢下に色閃光を呈する限局性混濁で直像鏡の+8D
レンズを通して徹照しても混濁は認められない。
②軽度は,後極部後嚢の前方(後分割帯)に細点状混濁があるもので,徹照法で
かすかな混濁陰影を認めることがある。
③中等度は,徹照法で水晶体の中軸部に直径1㎜以下の類円形の混濁陰影を認め
る。
④高度は,徹照法で後極部にかなり大きな類円形の混濁陰影を認める。
水晶体混濁が中等度以上になると徹照法でも確実に混濁陰影を捉えることができ
るが,視力障害をきたすことはない。視力障害を自覚するのは高度だけである。
原爆白内障の発生頻度と混濁の程度は,被曝線量と平行し,被曝時の年齢と相関
する。したがって,被曝線量に関係する爆心地からの距離,遮蔽の状態,脱毛,そ
の他の急性放射能症の症状の有無とその程度などの諸要因とも相関関係がある。
広島・長崎の被爆者の調査では,頭部の脱毛の程度と水晶体後嚢下混濁との間に
は高度の相関関係が認められた。
d「成人健康調査第7報原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,195
8−86年(第1−14診察周期)」(1994年,甲全8号証の2文献30,乙
全75号証)
重度被爆者では,被爆直後,軸性混濁の発生率が増加するとした以前の報告とは
対照的に,1958年から1986年までの成人健康調査対象者における白内障発
症率に放射線の影響があることを示唆していない。このことは,原爆投下以降13
年間に白内障発生に関する影響が減衰したか消滅したことを示している。最も高い
過剰リスクは成人健康調査の最初の10年間に現れ,時間とともに減少している。
被爆時年齢と被爆後経過時間の影響を合わせた場合,被爆時年齢が20歳以下の
ように若年時に被曝した人では,過剰リスクは1958年から1968年のみにみ
られた。この集団では,それ以降は放射線の影響は見られなかった。後嚢下変化の
有病率が10年以上一定のままであることを示す初期の調査の結果によれば,被爆
後長期間経過して新しい症例が発生するとは思われない。エックス線又はガンマ線
の治療による水晶体混濁の潜伏期は平均して2年から3年のようであり,現在の結
果は,1958年に成人健康調査が始まる前に放射線白内障になった患者を含んで
いることに起因する可能性がある。
以上を踏まえて考察すると,成人健康調査対象者の28年間の追跡に基づく現在
の調査は,白内障の発生率に対する放射線の影響が1958年から1986年に消
滅したことを示唆している。
この結論は,レンズの混濁化の原因を考慮していない白内障の発生率データの解
析に基づいているので,推論の範囲は限定されたものであり,この調査の結果から
結論を出すなどするためには,①白内障におけるレンズの混濁度の範囲は広いので,
軽度の症状を発見するためには細隙灯生体顕微鏡を使用する必要があること,②白
内障には,老人性,放射線,外傷,先天症,糖尿病のような疾患の合併症など様々
な亜型があることに注意することが重要である。
対象としたレンズ混濁は典型的な放射線被曝に起因するものだけに限らなかった
ので,放射線被曝と白内障の亜型に関しては,以下のとおり推論できる。すなわち,
一般集団では,老人性白内障は加齢とともに,特に50歳以降に急速に増加するこ
とが知られており,白内障を有する対象者の95%以上の発生年齢は50歳以上で
あって,本調査における白内障の大部分は老人性,つまり加齢によるレンズ混濁で
あると思われる。
e放影研業績報告「広島原爆被爆者の放射線白内障,1949−64年」(1
994年,乙全63号証)
電離放射線被曝が眼に与える生物学的影響の程度は,主として電離放射線の量的,
質的特質によって決定される。しかし,ヒトの放射線に関連する白内障発生に関す
る細胞レベルの事象は完全には把握されていないので,すべての線量反応モデルは
ある程度推測的なものになる。
国際放射線防護委員会(ICRP)の研究班は,「高LETあるいは低LETに
かかわらず電離放射線による白内障誘発に関する線量反応は,高度にS状曲線であ
る」と報告している。ICRPの委員会Ⅰの第2研究班は,この見解を再び確認し
た。ICRPとその第2研究班は,白内障の発生は非確率的現象であり,適度の線
量制限内では完全に避けられ得るとみなしている。換言すると,両者ともにそれ以
下では放射線白内障が発生しないしきい値の存在を仮定している。単一急性被曝で
の低LETのしきい値線量は一般に2Gy前後とみなされている。
被爆者に認められた水晶体変化のうち高頻度に報告された病変は,高線量被曝者
における水晶体後嚢下円板状混濁や多色性光彩であった。約10年前の所見と比較
して,これらの病変にはほとんど進行がみられなかった。片眼あるいは両眼の水晶
体混濁の程度は,従来どおりに生体顕微鏡検査を用いて,判定不能,微小,小,中
あるいは大に分類されてきた。ほとんどの場合は,混濁の程度は小以下(約70
%)であり,大と分類されたものはわずかに5症例であった。臨床調査によると,
ヒトにおいてエックス線曝露から水晶体混濁が発現するまでの時間的間隔は6か月
から35年と広範囲にわたっており,平均して2,3年である。エックス線の単一
急性被曝のしきい値線量は,一般に2Gy前後であるとみなされてきたが,原爆被爆
者はガンマ線と中性子線に同時に被曝しているため,同時被曝の場合には放射線生
物学的影響に相互作用が存在するか否かに関する疑問が生じる。しかし,被爆者に
関する限られたデータを利用するため,相互作用の存在の決定及びその影響の推定
は困難である。いずれにしても中性子線量とガンマ線量の各しきい値は単一エック
ス線被曝の結果と比較できないかもしれない。また,安全領域を定義づける上で両
しきい値を考慮することは賢明であると思われる。
f草間朋子ほか「電離放射線障害に関する最近の医学的知見の検討」(平成1
4年3月,甲全85号証の28)
水晶体の混濁あるいは白内障の発生は,以前は,水晶体前面の水晶体包下の上皮
細胞に生じた細胞死あるいは細胞障害が,水晶体の後面に移動し水晶体中心軸上の
混濁となるとされていた。線量が少ない場合は,視力障害を伴わない混濁のみであ
り,線量の増加に伴い視力障害を伴う白内障となると考えられてきた。
しかし,最近の知見では,水晶体混濁は,水晶体の分裂細胞(上皮細胞)の細胞
死ではなく,水晶体の上皮細胞のゲノムの遺伝子の変異による水晶体の繊維タンパ
クの異常が原因であるとされている。被曝から水晶体混濁が生じるまでの潜伏期間
の長さは,繊維組織に分化するまでの時間と,上皮細胞の遊走にかかる時間が関係
する。線量が極めて高い場合には,代謝性の変化が生じその結果透明性が失われる
と考えられている。
病理学的には,最初に水晶体後面の水晶体包下の異常として確認される。被曝に
よる水晶体前面の異常の程度が大きい場合には,視力障害の原因となる。
放射線による水晶体混濁あるいは白内障の発生には,①線量,②被爆時の年齢,
③線量率などが関係する。原爆被爆者のデータでは15歳未満の若年者の感受性が
高いとされている。放射線被曝による水晶体混濁あるいは白内障のしきい線量は以
下の表のようにまとめられる。
別紙表4参照
g「放射線基礎医学(第10版)」(平成16年,甲全8号証の2文献16,
甲全76号証の2,乙全90号証,101号証)
白内障は,水晶体に混濁を生ずる疾病で,水晶体混濁は2Gyの被曝で起こるとい
われるが,臨床的に問題となるような白内障は5Gyの被曝が必要である。
最近の放影研の報告によるとDS86による推定線量で被曝線量の明らかな広島
の原爆被爆者2249名について,白内障の発生と線量の関係を調べたところ,中
性子線に対して0.06Gy,ガンマ線に対して1.08Gyのしきい値から求めた中
性子のRBEは18で,この値を用いた眼の臓器線量当量で示される放射線誘発白
内障のしきい値は1.75Sv,安全域は1.31Sv(95%信頼限界の下限)であ
った。
潜伏期間は線量と照射期間にはほとんど関係がなく,原爆被爆者では被爆後5年
で白内障が発生したと報告されている。この場合,混濁は主に水晶体の後極部に起
こり,同時に前嚢下部位に起こることがある。この点で,赤道面上に起こる老人性
白内障と区別されるが,進行すれば他の白内障と区別できなくなる。中性子線はエ
ックス線やガンマ線と比べると白内障を起こしやすく,同一吸収線量でエックス線
の5ないし10倍の効果があるといわれている。子供は,成人に比べ,低線量で混
濁を生じる。
h津田恭央ら「原爆被爆者における眼科調査」(「津田論文」,広島医学57
巻4号(2004年4月),甲全8号証の2文献35,甲全62号証の2の3)
若年時の放射線被曝により,遅発性の放射線白内障や早発性の老人性白内障が生
じるとする報告があったため,放影研の成人健康調査対象者のうち,被曝時の年齢
が13歳未満だった者全員と1978−1980年眼科調査を受けた者を対象に,
細隙灯検査,写真撮影及び水晶体混濁分類システム2による分類を行った。
性,年齢,都市,線量,中間危険因子を説明変数とし,核色調,核混濁,皮質混
濁,後嚢下混濁それぞれ所見なし群を基準として混濁群別比例オッズモデルを用い
たロジスティック回帰分析を行った。
上記の方法で,2000年6月から2002年9月までに913名に眼科検査を
実施し,資料のそろった873名について解析した結果,中間危険因子で調整しな
い場合1Svでの皮質混濁のオッズ比は1.29,後嚢下混濁は1.41であった。
中間危険因子で調整した場合1Svでの皮質混濁のオッズ比は1.34,後嚢下混濁
は1.36であった。核色調,核混濁に放射線との相関は認められなかった。
放射線白内障(後嚢下混濁)は被爆後数か月後に現れ,その後は安定的に経過し
視力障害を来すことはないとされてきたが,小児期に被爆すると,かなり遅くにも
発症することが報告されたり,皮質混濁(いわゆる老人性白内障)が早期に現れる
ことも報告されていた。本調査で原爆被爆者においても上記両所見が当てはまるこ
とが確認された。
被爆後55年を経てこのような現象がみられる機序は不明である。
白内障は,紫外線,糖尿病,ステロイド治療,炎症,カルシウム代謝などさまざ
まな危険因子が存在することが知られているが,それらを調整しても線量との関連
の有意性の変化は認められなかった。今後動物実験などにより確認する必要がある
と考えられる。また,今後,しきい値モデルを用いた解析を行い,放射線の確定的
影響について別途報告予定である。
以上から,原爆被爆者の放射線被曝と水晶体所見の関係において遅発性の放射線
白内障及び早発性の老人性白内障に有意な相関が認められた。
i中島栄二ほか「原爆被爆者における白内障有病率の統計解析,2000−2
002」(「中島論文」,2004年9月長崎医学会雑誌79巻特集号,甲全62
号証の2の5)
2000年6月から2002年9月まで,放影研で行われた広島・長崎の原爆被
爆者の白内障有病率調査について,既に発表されたデータを使って,白内障線量反
応の詳しい統計解析,及び白内障線量反応におけるしきい値を検討した。
その結果,核色調及び核混濁では,女性で示唆的であり,ほぼ同程度の放射線リ
スクがみられた。
皮質混濁に対しては,有意な放射線リスクが認められた。後嚢下混濁に対しては,
有意な放射線リスクが認められた。このリスクは,被爆時年齢とともに示唆的に減
少し,被爆時年齢5歳,10歳及び20歳で1Sv当たりのオッズ比はそれぞれ1.
67,1.50及び1.22であった。
放射線の主効果が有意であった早発性皮質混濁と晩発性後嚢下混濁について,し
きい値の検討を行ったが,しきい値の存在は認められなかった。
放射線白内障におけるしきい値の存在の有無は,今後世界各地での放射線関連疫
学調査での検討課題の一つであると思われる。
j山田美智子ほか「原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,1958−
1998年」(「山田論文」という。平成16年,甲全8号証の2文献31,乙全
76号証)
1958年から1998年の成人健康調査受診者からなる約1万人の長期データ
を用いて,がん以外の疾患の発生率と原爆放射線被曝線量との関係を調査した。
その結果,白内障に関し,有意な正の線形線量反応関係を認めた。
水晶体混濁は60歳以降に急増するので,調査時年齢が60歳以下と60歳を超
える者の間での線量反応における異種混交を検討した。放射線の影響は若年群にお
いて有意であったが,高齢群では有意ではなかった。
これを基に考察するに,過去の成人健康調査の眼科調査により高線量被曝群,特
に若年被爆者において後嚢下混濁の発生率の上昇が明らかにされたが,初期の成人
健康調査の眼科調査や1958−1986年の以前の成人健康調査のがん以外の発
生率調査では白内障に関する放射線の付加的な影響は明らかにされなかった。
しかしながら,さらに12年間の経過観察の追加により白内障の全体的な発生率
が放射線量に伴い有意に上昇した。
最新の経過観察における発症時60歳未満の白内障症例によって,放射線影響の
検出が高まったのかもしれない。
k聞間元ら「原爆被爆者の白内障についての意見書」(平成17年11月24
日付け,甲全62号証の1)
聞間医師らは,昭和38年(1963年)に百々らによって原爆白内障の4条件
として,①水晶体後嚢下の限局性混濁,又はその前方にある点状ないし塊状混濁が
認められること,②近距離直接被爆歴があること,③併発性白内障を起こす可能性
のある眼疾患がないこと,④原爆以外の電離放射線の相当量を受けていないことが
提唱されているが,ここで言及されている原爆白内障は,被爆後数か月から数年の
うちに発生した早発性の放射線白内障であり,これに相当する混濁を形成した後は
通常進行が停止するとされたものである。しかし,最近の眼科調査によって,遅発
性の放射線白内障や早発性の老人性白内障に有意な線量相関が認められるようにな
った。
そして,このような相関関係が認められるようになったことから,被爆者の遅発
性放射線白内障や早発性の老人性白内障が,事実上,しきい値のない確率的影響で
ある可能性が示唆されており,遠距離・入市被爆者の放射線白内障の発症機序の理
解に大きな変化がもたらされているとする。
l小出教授の意見書(平成17年,乙全81号証)
昭和大学医学部の眼科学教授小出良平は,以下のとおりの所見を示している。
原爆による放射線白内障については,①後極部後嚢下にあって色閃光を呈する限
局性の混濁,もしくは後極部後嚢下よりも前方にある点状ないし塊状混濁のいずれ
かの水晶体混濁が認められること,②近距離直接被曝歴があること,③併発白内障
を起こす可能性のある眼疾患がないこと,④原爆以外の電離放射線の相当量を受け
ていないこと,以上の4条件がそろった場合に診断できるとされており,特に①の
水晶体混濁が認められることが肝要であるとする。
そのため,水晶体混濁の状況を確認すべく,散瞳した状態で細隙灯顕微鏡検査を
実施し,申請者の水晶体混濁が上記①の状況であることを確認することが重要であ
る。
また,放射線白内障は,放射線の影響により生じ,被曝後数か月から数年で発症
し,特に重傷例にあっては,被曝後早期に発症することが判明しているから,原爆
放射線の被曝のみで,被曝後50年以上経過した後に遅発性の放射線白内障が発生
したとは考えにくく,仮に遅発性の放射線白内障が発症したとしても,後極部後嚢
下にあって色閃光を呈する限局性の水晶体混濁を呈しないことから,老人性白内障
との鑑別は大変困難である。
その根拠としては,放射線が水晶体に与える影響は「確定的影響」であり,被曝
線量がしきい値を超えない限り,その影響は観察されないことにある。またしきい
値を超える放射線を被曝した場合でも,線量が低い場合には,水晶体混濁が発生し
たとしても顕微鏡的大きさにとどまり,著明な視力障害を起こさないことから症状
を呈しないとされている。
したがって,申請者に発症した白内障が原爆による放射線白内障かどうかの判断
においては,白内障の発症年齢とその病状,細隙灯顕微鏡検査による水晶体混濁の
状況,ブドウ膜炎等の白内障を発生させることがある眼疾患の発生状況,糖尿病,
強皮症等白内障を生じる全身性疾患の罹患状況,副腎皮質ステロイド薬等服薬状況,
外傷の有無,職歴などにかんがみ,老人性白内障や糖尿病性白内障など,他の白内
障と鑑別できることも重要である。
原告らから提出された「原爆症認定に関する医師団意見書」では,遅発性の放射
線白内障の発症が確率的影響である可能性を指摘し,その根拠として津田論文を引
用する。しかし,同文献においては,中間危険因子で調整した場合の1Svあたりの
オッズ比(危険因子非曝露群の罹患リスクに対する曝露群の罹患リスクの比である
相対危険度の近似値)が皮質混濁及び後嚢下混濁で1.3程度と高くないことや,
発生機序が不明であることなど,未解明の点が多いので,同論文から原告Gの白内
障について放射線起因性を認めるのは適切でない。
そして,小出教授は,①放射線白内障は放射線の確定的影響であるところ,原告
Gの被曝線量がしきい値に満たないこと,②原告Gの白内障の発生時期,症状等か
ら放射線白内障との診断は困難であり老人性白内障など他の白内障と推察されるこ
と,③同原告の細隙灯顕微鏡検査の写真によると,後極部後嚢下の限局性の混濁等,
放射線白内障でみられる水晶体の混濁像が得られていないこと,これらの諸点から,
原告Gの白内障が放射線白内障ではないと判断されたことは妥当であると結論づけ
ている。
キ原告Gの白内障の放射線起因性について
(ア)佐野医師の診断について
既に判示したとおり,原告Gの主治医である佐野医師は,原告Gの症状は,平成
9年5月13日の初診時から,水晶体の混濁が後嚢下に限局されており,平成14
年6月15日の診察時には前嚢下にも混濁が認められたが,後嚢下の円盤状の混濁
範囲が著しく大きく顕著であったこと,他方,皮質の混濁,核の混濁,色調等,老
人性白内障に通例見られる所見がなかったことから,原告Gの白内障を原爆放射線
に起因する放射線白内障と診断したことが認められる。
なお,原告Gの原爆症認定申請書に添付された同医師作成の意見書及び鍵井検査
技師作成の健康診断個人票には,その混濁か所を前嚢下と記載する部分があるが,
他方,原告Gのカルテ中,上記意見書の作成日付である平成14年6月15日の欄
には,それが後嚢下であることを示す記載と,それに符合するカルテのスケッチが
あること,佐野医師は,原告Gの両眼水晶体の後嚢下に限局された混濁を認めたこ
とから,その初診時から放射線白内障の可能性が高いとして診察にあたってきた経
過が明らかであること,これらに照らすと,その混濁部位を前嚢下と記載した上記
の意見書等の記載は,同医師が甲B2号証の報告書で説明するとおり,誤記と認め
て差し支えないというべきである。
(イ)白内障と原爆放射線被曝との関係について
a前述した知見及び所見等によれば,放射線白内障は,従来,確定的影響に属
する疾病であるとされ,水晶体混濁は2Gyの被曝で発症するが,臨床的に問題にな
るような白内障は5Gyの被曝が必要であり,被曝から水晶体混濁を発症するまでの
期間は,6か月から35年と広範囲にわたっているものの,平均すると2,3年で
あり,原爆被爆者については5年で発症した例が報告されていること,放射線白内
障の臨床上の特徴としては,水晶体の混濁が後嚢下に初発することであり,同時に
前嚢下にも混濁を生ずることもあるが,放射線白内障における混濁は,円盤状ある
いは斑点状のものであって,細隙灯顕微鏡によれば,混濁の表面は顆粒状で色閃光
があり,後嚢下と前嚢下に分かれて二枚貝様の形状となることが確認できるとされ
ている。
そして,老人性白内障など,放射線白内障以外の白内障によっても後嚢下に混濁
を生ずることが指摘されており,放射線白内障も進行した場合には,他の白内障と
区別することが困難になる上,後極部後嚢下の軽度の変化は非被爆者にもみられる
ことがあるため,原爆白内障であると診断するためには,水晶体の後極部後嚢下に
顆粒状の変化があるだけでは不十分であり,①後極部後嚢下にあって色閃光を呈す
る限局性の混濁又は後極部後嚢下よりも前方にある点状ないし塊状混濁という水晶
体混濁が認められること,②近距離直接被曝歴があること,③併発白内障を起こす
可能性のある眼疾患がないこと,④原爆以外の電離放射線の相当量を受けていない
こと,これらの4条件がそろっていることが確認されなければ,原爆白内障と診断
することはできないとする見解も存在し,このような知見は,近時の放射線医学の
基礎的な文献(「放射線基礎医学(第10版)」)にも取り入れられ,研究者らの
一定の支持を得るところとなっているものと解される。
b他方において,遅発性の後嚢下混濁や早発性の皮質混濁と放射線被曝との間
に有意な関係が存在することが確認されたとする研究報告や,このような報告を基
に,従来のように,放射線白内障が確定的影響に属する疾病で,その発症にはしき
い値が存在するとの知見を否定する見解も示され,なおこれらの見解に対して各種
の疑問が呈されるなどして,放射線白内障におけるしきい値の存在の有無は,今後
の調査・研究の成果に委ねられている部分が大きいとされる状況と解される。
(ウ)そうすると,上記佐野医師の診断のように,原告Gには,放射線白内障に特
徴的な後嚢下の混濁の初発や後嚢下の顕著な円盤状混濁が認められるから,それは
放射線白内障を認めるについて積極の要素となり得るものと解されるが,他方にお
いて,原告Gの白内障は,被爆から45年ほどを経過した平成2,3年ころ,原告
Gが63歳前後になって初発したものと解され,70歳になって白内障の診断を受
けたものであるので,同世代の大多数の者に見られる老人性白内障との判別も必要
な状況であるところ,上述したとおり,原告Gの白内障は,その発症時期や症状等
から老人性白内障とみても矛盾しないことや,細隙灯顕微鏡検査の写真によると,
後極部後嚢下の限局性の混濁等,放射線白内障でみられる水晶体の混濁像が得られ
ていないとして,これを放射線白内障と見ることに否定的な上記小出教授の所見も
あり,原告Gの白内障を放射線白内障と認定できるか否かは,専門家医師らの間に
おいてもなお見解の別れる状況と解される。
そして,原告Gの被曝線量は,上記のとおり,爆心地から約3.1㎞の距離の造
船所の事務所内での被爆であるから,審査の方針の別表9に当てはめれば,その初
期放射線による被曝線量は0cGyであり,その後の行動による被曝線量も別表10
によれば1cGy程度となるところ,同原告は,前記判示のとおり,病院を探して歩
行中に接した誘導放射能化した塵埃や,黒い粘着性のある雨に打たれたことによる
放射性降下物等による外部被曝や内部被曝もあると推認され,その被曝線量を考慮
すべきものと解されるので,その被曝線量は審査の方針によるものには止まらない
と解されるが,同原告の被爆地点の爆心地からの距離,その後の行動経過,そして,
放射線による急性症状様の状況が現れたのが被爆後20日前後の時点であったこと
等の事情に照らしてみると,より爆心地に近い距離で初期放射線に被曝した者や,
爆心地付近で救護作業に従事するなどして,強度の放射性降下物や誘導放射能に被
曝した者と比べ,その被曝線量は相対的に限定されたものになると推測されるのは
やむを得ない。したがって,原告Gの被曝線量が,放射線白内障のしきい値とされ
る1.75Svを超えるものであるか否かは不明であるといわざるを得ない。
仮に放射線白内障が,確定的影響に属さないとする見解によった場合でも,原告
Gについて推定される被曝線量が上記のとおり限定的なものと解すべき状況にある
ことのほか,同原告の白内障は,被爆後45年ほどを経過して同原告が60歳代前
半に至った段階で発症したものであって,老人性白内障と診ても不自然ではないこ
となどから,それが放射線白内障であると判別することは困難であるとする医学的
見解もあること,同原告のこれまでの病歴等をみると,被爆後20日ほどを経過し
たころから放射線による急性症状様の下痢,脱毛,リンパ腺の腫れ等の身体症状を
発症し,その後,倦怠感や虚弱な体調が終始継続する中で,歯のぐらつきや歯茎か
らの出血,輸尿管結石,腎臓の機能低下,貧血,腰痛その他の身体の痛み,心臓肥
大,腰椎辷症,慢性腎炎,高脂血症,高血圧症,変形性脊髄症,骨粗鬆症,白内障
等の診断を順次受けてきたというものであるが,それらの既往歴等の内容に照らし
てみると,それらが放射線被曝による影響をうかがわせるものと見得るかについて
は疑問が残るというべきであること,これらの諸点に照らしてみると,原告Gの白
内障が放射線被曝の影響を受けたことを原因とするものであるか否かは不明という
ほかはない。
ク結論
そうすると,原告Gの白内障は,原爆の放射線に起因するものと認めるにはなお
疑問が残る状況であって,放射線起因性について高度の蓋然性があると認めること
は困難であるから,その放射線起因性を否定した前記却下処分は適法というべきで
ある。
(4)原告Hについて
ア原告Hの被爆状況について
証拠(甲C7号証,乙C1号証,原告H本人及び各項掲記の各証拠)及び弁論の
全趣旨を総合すると,以下の事実が認められる。
(ア)原告Hは,大正13年12月18日生まれの男性であり,広島で被爆した昭
和20年8月6日当時20歳で,それまで格別の病歴もなく,健康であった。
(イ)原告Hは,当時,広島の陸軍第2総軍司令部参謀部通信班に配属され,同日
午前8時ころには,広島市大須賀町付近の兵舎(爆心地から北東に約1.5㎞)で
睡眠をとるため,窓際の寝台に毛布を頭からかぶって横になったところ,毛布をと
おして足下の方に,白く赤みのある巨大な火柱が見え,巨大な火の玉に包み込まれ
るような感覚を受け,次の瞬間,爆風で3m以上とばされ,意識を失った。
(ウ)気がつくと,身体が兵舎の下敷きとなっており,耳鳴りがして他の音は全く
聞こえなかった。なんとか自力ではい出すと,右胸に1.5㎝ほどの穴があいてお
り,呼吸をするたびに血が噴き出し,左臀部からも出血し,後で顔にもけがをして
いたことが分かった。
倒壊した兵舎から外に出ると,薄墨のような色をした黒い雨が夕立のように降っ
てきて,15分くらい降り続け,頭からずぶぬれになった。
(エ)原告Hは,その後,仲間とともに午後2時か3時ころまで救護活動を行った
上,徒歩で東練兵場の前を通って指定された集合場所の二葉の里に移動し,同所で
衛生兵らに臀部の傷からガラス片を取り出してもらい,右胸の傷口にも処置をして
もらった。
イ被爆後の症状
(ア)原告Hは,乾パン等を少し食べただけで嘔吐し,吐血するような状態で,翌
7日の夕方からは,下痢,食欲不振,倦怠感に襲われた。下痢は,血ばかりが出る
ような状況が1週間ほど続き,2,3日後からは,頭部,陰部及び眉毛の脱毛が始
まり,ほとんどの毛が抜けてしまい,ぱらぱらと髪が残る程度であった。また,そ
のころ,腕,腿,胸,腹などに紫斑が現れた。
下痢や嘔吐は3週間ほどで回復したが,脱毛や紫斑は,広島を離れる10月下旬
ころまで続いていた。
(イ)原告Hは,そのような体調の中であったが,被爆翌日の同年8月7日に一日
の休養を取ったのみで,翌8日からは命令に従って各部隊・施設間の軍事通信網作
成の作業に従事し,同作業が終了した10月下旬まで,爆心地付近にあった中国軍
管区司令部や海に近い陸軍船舶司令部のほか,南方に位置する吉島飛行場,三菱造
船所,爆心地よりやや西の福島町に至るまで,広島市内の焼け跡の中を通信回線を
引くため走り回っていた。広島市南方には比較的早い時期から作業に行っていたが,
その際の通路は,爆心地付近が焼け野原であったため,西練兵場に沿った電車道を
通って爆心地方面に入り,そこから更に電車道に沿って南に歩いていった。作業終
了後は二葉の里に戻って野営したり,街中で就寝したりした。
原告Hは,ともに作業に従事した同僚の中に,外傷がないのに,気分が悪いと訴
えて急に死亡する者や,突然激しい嘔吐に苦しみ,吐血して死亡する者が相当数い
たと記憶している。
(ウ)原告Hは,同年10月下旬,大阪に引き揚げて1か月ほど滞在したが,その
少し前から片耳が聞こえず,耳だれのようなものが出るようになり,その後耳だれ
は治まったが,片耳は聞こえないままで,耳鳴りが治まらなかった。
(エ)原告Hは,同年11月末ころ除隊となり,家族の疎開先の豊橋市に帰ったが,
身体の倦怠感が強く,朝起きられない状態が続き,そのような状態は就職後も続い
た。
ウその後の病歴及び生活状況
(ア)原告Hは,昭和23年10月に結婚し,その後織物業を始めたが,朝起きる
のが辛く,また,片方の耳が聞こえず,耳鳴りがする状態が続いていたため,一宮
市の近藤耳鼻咽喉科に通院したが,鼓膜が破れているとの診断を受け,その後の治
療によってある程度鼓膜は再生したものの,耳鳴りはやまず,現在まで続いている。
(イ)原告Hは,昭和30年ころ,木曽川町立木曽川病院で結核性睾丸炎と診断さ
れ,睾丸を一つ摘出したが,摘出した睾丸からは結核菌は発見されなかった。それ
から1,2年後,被爆の際にガラス片で受傷して以来うずいていた左臀部に腫瘍が
でき,木曽川外科で腫瘍摘出手術を受け,その1年後,右臀部にできた同様の腫瘍
の手術を受けた。
(ウ)原告Hは,昭和60年ころから激しい腹痛を覚えるようになり,朝日大学歯
学部附属村上記念病院で精密検査を受けた結果,膵臓に10㎜ほどの腫瘍があるこ
とが判明し,平成10年の検査では,腫瘍が約20㎜に,また平成16年の検査で
は約30㎜に成長していた。
(エ)原告Hは,昭和62年,一宮市の佐野眼科医院で両眼白内障と診断され,昭
和63年ころ,左眼が網膜剥離になりかけていたのでレーザーによる治療を受けた。
その後,白内障が悪化したため,平成17年1月,左眼の手術を受けた。
(オ)原告Hは,平成10年ころから右肩に違和感を覚え,村上記念病院で,直径
約2㎝ほどの異物を摘出する手術を受けた。その後,右手にしびれが残り,箸やペ
ンを落とすようになった。
(カ)原告Hは,平成11年,上記病院で,左下腿静脈瘤と診断され手術を受けた。
エ原爆症認定申請
(ア)認定申請書等の記載
a原告Hは,平成15年6月23日,原爆症の認定申請書の「負傷又は疾病の
名称」欄に「のう胞性膵腫瘍」と,「被爆時以後における健康状態の概要及び原子
爆弾に起因すると思われる負傷若しくは疾病について医療を受け又は原子爆弾に起
因すると思われる自覚症状があったときは,その医療又は自覚症状の概要」欄に,
被爆状況とその後の急性症状,耳鳴り,昭和60年ころに発症した膵臓の腫瘍(良
性),昭和62年に発症した両眼白内障,昭和63年の左眼網膜剥離と記載して提
出した(乙C1号証)。
b認定申請書に添付された上記村上記念病院の小島孝雄医師による意見書には
「のう胞性膵腫瘍」,既往症は「とくになし」,「S60年より膵腫瘍にて経過観
察中膵腫瘍は放射能の影響によるものであることは否定できない」と記載されて
いる(乙C2号証)。
cまた,健康診断個人票には,「既往症」欄に「特になし」,「現症」欄に
「左上腹部に持続性の痛みあり圧痛を伴うのう胞性膵腫瘍による症状と考えら
れる」と記載されている(乙C3号証)。
(イ)被告厚生労働大臣は,平成16年5月12日付けで上記申請を却下する処分
をした(甲C1号証の1・2)。
(ウ)原告Hは,上記認定申請をする以前にも下顎部に残る異物や白内障を理由に
原爆症認定申請をしているが,いずれも却下された(原告H本人)。
(エ)以上の申請内容によれば,原告Hの申請疾患は,嚢胞性膵腫瘍(臨床上,膵
嚢胞と同義とされている。)と解される。
なお,原告Hの認定申請書には,両眼白内障及びそれによる左眼網膜剥離に関す
る記載があるが,原告Hは,上記のとおり,白内障について別途原爆症認定申請を
して却下処分を受けており,本件の認定申請にはこれは含まれていない。
オ原告Hの症状等について
(ア)原告Hは,昭和59年11月13日,一宮市民病院で被爆者検診を受けたが,
このころには既に左腹部から左背部に痛みがあり,昭和60年1月,上記村上記念
病院でCT,超音波,ERCPなどの検査を受け,主膵管と交通する膵嚢胞(15
×10㎜)と診断され,膵酵素(血清アミラーゼ,エラスターゼ1)や腫瘍マーカ
ー(CEA,CA19−9)の上昇は認められないものの,脂肪分の多い食事や過
食をした後に症状が増強することから,慢性膵炎の定義には合致しないが,慢性膵
炎としての治療を開始することになり,膵嚢胞については,画像診断検査による経
過観察となった。その後,腹痛などの自覚症状は持続していたが,服薬により軽快
傾向にあった(甲C2号証)。
(イ)平成4年2月4日,同病院で超音波内視鏡検査(EUS)を受け,その結果,
原告Hの膵嚢胞が多房性であることが判明し,同月10日に実施したERCPの結
果,嚢胞の大きさが25×18㎜と増大傾向にあることが認められたため,粘液性
膵嚢胞腺腫が疑われた。EUSでは,壁在結節や主膵管拡張は認められなかったが,
悪性化の可能性があるとして,手術を勧められたが,原告Hの希望により引き続き
経過観察となった(甲C2号証)。
(ウ)上記村上記念病院の小島医師は,平成4年ころは,原告Hの膵嚢胞を粘液性
膵嚢胞腺腫(MCT又はMCN)と考えていたが,当時,同疾病と膵管内乳頭粘液
腫瘍(IPMT又はIPMN)とが混同されており,近時,両者が明確に定義され
て過去の症例が見直されているので,改めて原告Hの膵嚢胞について鑑別をした結
果,同原告が高齢の男性であること,嚢胞が多房性であること,及び主膵管との交
通が存在していることから,分枝型膵管内乳頭粘液腫瘍(IPMT)に適合すると
診断した。
これに対して,被告らは,原告HのCT像からは多房性の病変は認められず,同
原告の膵嚢胞がIPMTではなく仮性嚢胞であると主張し,聞間医師もCT像から
は多房性であると判断することはできないと供述する(乙C4号証,7号証,証人
聞間)が,原告Hの主治医である小島医師は,CT像による検査の後,さらにEU
S(超音波内視鏡検査)を用いて検査を実施し,その結果を踏まえて原告Hの膵嚢
胞が多房性であることを確認したことにかんがみれば,同医師の診断結果を採用す
るのが相当と解される。
カ申請疾患(嚢胞性膵腫瘍)に関する医学的知見について
(ア)「放射線基礎医学(第10版)」(2006年,乙全101号証)
膵臓上皮は,細胞分裂頻度が低く,一般に放射線感受性も相当低い臓器と解され
ている。
(イ)「内科学第8版」(2003年,乙C5号証)
膵嚢胞は,膵液,粘液,血液,壊死物質などを内容として含み,嚢胞壁に覆われ
た嚢胞を膵内部あるいは膵周囲に形成する病変の総称であり,嚢胞壁に上皮成分を
認めない仮性嚢胞と嚢胞壁内面が上皮に裏打ちされた真性嚢胞に分類される。
膵嚢胞の大部分が仮性嚢胞であり,真性嚢胞は約1割を占めるにすぎない。真性
嚢胞は,先天性と後天性に分類され,後天性の真性嚢胞には貯留性,寄生虫性,腫
瘍性がある。
仮性嚢胞の成因は膵炎によるものが最も多く,70∼80%を占める。それ以外
の成因は炎症や外傷による膵管系の破綻で,膵液や壊死物質などが貯留し,周囲組
織で被覆されて形成される。貯留性嚢胞は,腫瘍や炎症による膵管閉塞に続発し,
膵液がうっ滞して徐々に生じる。一方,腫瘍性嚢胞の成因は不明である。
自覚症状としては,腹痛,悪心,嘔吐,食欲不振が高頻度に生じ,発熱,黄疸,
消化管出血などが認められる。他覚症状としては,上腹部圧痛,腫瘤触知が認めら
れる。膵液の膵外漏出に伴い,腹水や胸水がみられる場合がある。腫瘍性嚢胞では,
無症候の場合も多く,腹部腫瘤が唯一の症状の場合がある。
血液検査を行うと,炎症に伴う白血球の増加,CRPの増加などがみられること
がある。腫瘍性嚢胞,特に悪性化例(膵管内乳頭腺がん,粘液性嚢胞腺がんなど)
では腫瘍マーカー(CEA,CA19−9)が上昇する場合がある。
画像検査では,超音波(US),CT,MRIが診断に有効である。超音波では
低エコー,CTでは低吸収の腫瘤として描出される。腫瘍性嚢胞では,隔壁の肥厚
や内腔に突出する隆起が認められることがある。
粘液性嚢胞腫瘍は,膵体尾部に存在することが多く,嚢胞内の隔壁が不整に肥厚
する所見がみられる。内視鏡超音波検査(EUS)は嚢胞の内部構造をより明瞭に
描出でき,質的診断に有用である。内視鏡的逆行性膵胆道造影(ERCP)は膵管
と嚢胞の交通の有無の診断に有用である。
膵管内乳頭腫瘍では,十二指腸乳頭の開大と粘液の排出が特徴的で,膵管造影で
は主膵管や分枝膵管のびまん性の拡張がみられる。膵炎の経過中に持続する上腹部
痛を伴い,腫瘤を触知する症例で,仮性嚢胞が強く疑われ,超音波,CTで内部構
造の均一な腫瘤が認められれば,診断が確定する。無症候性の膵嚢胞は,腫瘍性嚢
胞を疑い,隔壁の不整な肥厚や隆起が認められればその疑いが強まる。腫瘍性嚢胞
の質的診断は,嚢胞の性状や主膵管の拡張所見等から総合的に診断される。膵管内
乳頭腫瘍や粘液性嚢胞腫瘍では良性・悪性の鑑別が問題になるが,必ずしも容易で
はない。
(ウ)「膵嚢胞性疾患について」(乙全94号証,浜松医科大学第2外科のホーム
ページ)
膵嚢胞性疾患とは,膵臓に嚢胞(様々な液体の入った袋状のもの)ができた疾患
であり,以前は仮性嚢胞が大部分を占めていたが,近年の画像診断の発達により,
腫瘍性嚢胞の発見が増えている。
膵嚢胞性疾患は,非腫瘍性と腫瘍性のものに分けられ,非腫瘍性のものとしては,
仮性嚢胞,貯留嚢胞,先天性嚢胞,膵リンパ上皮嚢胞が,腫瘍性のものとしては,
漿液性嚢胞腫瘍,粘液性嚢胞腫瘍,膵管内乳頭粘液性腫瘍などがある。
このうち,膵管内乳頭粘液性腫瘍は,粘液を産生する膵管上皮が乳頭状に増殖し
た膵管内腫瘍であり,膵管内に粘液が充満するため,膵管がブドウの房のように拡
張するのが特徴である。高齢の男性に多くみられ,主膵管型と分枝膵管型に分類さ
れる。
(エ)木村理「粘液嚢胞性腫瘍(MCN)と膵管内乳頭粘液性腫瘍(IPMN)」
(平成17年,甲全69号証)
膵管内乳頭粘液性腫瘍には,病理学的に広範囲な組織型が含まれており,中には
病理学的診断のかなり難しいものも含まれ,構造異型,細胞異型などによる腫瘍・
非腫瘍の診断や良悪性の診断が困難であることも稀ではない。
(オ)藤井努ほか「膵嚢胞性病変の鑑別診断のポイントは?」(2004年,甲C
4号証)
膵管内乳頭腫瘍は,粘液貯留による主膵管拡張や分枝膵管の嚢胞状拡張などの所
見を呈する比較的予後の良い膵上皮性腫瘍である。
一般的には,主膵管型,分枝型,混合型の3類型に分類されているが,他の膵嚢
胞性疾患との鑑別を要するのは分枝型膵管内乳頭腫瘍である。
膵管内乳頭腫瘍の臨床的特徴は,平均67歳と比較的高齢の男性に多発しており,
随伴性膵炎,膵管との交通,膵管内進展を認めるが,被膜を認めないことが多い。
また,画像上の特徴は,主膵管型膵管内乳頭腫瘍においては,CT,USなどで主
膵管の著明な拡張を認めることができ,ERCPでは,主膵管内の粘液が確認され,
粘液分泌によるVater乳頭の開大と粘液の流出が確認されれば診断は確定する。
分枝型膵管内乳頭腫瘍は,拡張した分枝膵管の集簇で,ブドウの房状の形態と表
現される辺縁凹凸のある腫瘍である。嚢胞の形態的には分葉状で不整型を呈し,膵
管壁に乳頭状の粘膜増生を伴うものが多い。
特に粘液性嚢胞腫瘍の鑑別に重要である膵管との交通の有無の判定には,ERC
Pが必要とされることが多い。
このほかの嚢胞性病変として最も多くみられるのは仮性嚢胞であり,これは単房
性であることが特徴である。
(カ)「広島被爆者の膵ガン致死率の分析(1968−1997)」(甲C10号
証)
1968年から1997年までの間に追跡調査された広島県在住の被爆者5万1
532人について,放射線による膵臓がんへの晩発影響を調査したところ,膵臓が
んの1Sv当たりの過剰相対リスク(ERR)は,被曝時の年齢でみた場合,男性で
は10歳から19歳までのグループと,20歳から29歳までのグループで過剰相
対リスクが高かったが,性別ごとにみた場合,膵臓がん全体の過剰相対リスクの増
加は統計的に有意ではない。本研究は,喫煙などの他のリスク要因に対応していな
いため,研究を更に進める必要がある。
キ良性腫瘍について
(ア)「成人健康調査第6報」(1986年,甲C9号証)
成人健康調査においては,はじめて良性腫瘍を解析の対象としたが,その結果,
線量に伴う増加が示唆されたが剖検例では確認されなかった。しかし,このような
所見は,放射線の催腫瘍性を考慮する上で多大の問題を提起するものである。
良性腫瘍(第8回修正国際疾病分類(ICD)210−228,622。なお,
膵臓の良性腫瘍は211.6に分類されている。)の有病率は,線量とともに増加
し,200rad以上の群では,0rad群の2倍にも達している。これらのデータには
一定の偏りが生じている可能性が否定できず,良性腫瘍の発生率と放射線量の関係
について最良の推計を得るためには,腫瘍登録ないし組織登録の完備が必須である。
ヒトの良性腫瘍と放射線の関係は,マーシャル住民の放射性降下物による甲状腺
のアデノーマ(腺腫),原爆被爆者においても唾液腺の良性腫瘍の増加などが指摘
されている。今回の解析によって,全般的な所見としてはがんと同一であったこと
は注目に値する。しかし,これらの腫瘍が良性であるという性質上,大多数は臨床
診断のみに終わってしまうため,真の腫瘍か否か確実性に欠けるなど,様々な問題
点を有するが,一般的な傾向は観察し得ると考えられる。
(イ)「原爆放射線の人体影響1992」(1992年,乙全14号証)
原爆放射線が多くの部位の悪性腫瘍の発生を増加させるということは,広く認め
られた事実であり,今なお,様々な角度からの研究が続けられている。一方,放射
線と良性腫瘍の関連については,現状では,その研究成果は極めて乏しく,はっき
りした結果は得られていない。
これは,良性腫瘍が致命的な疾患ではなく,研究の動機付けが難しいことや,疫
学的な研究を行う際にも把握率という重大な問題があるため,確固たる研究が実施
しにくいという事情があるためである。
放影研では,成人健康調査第6報において,はじめて良性腫瘍の有病率の解析を
行い,放射線量に伴って良性腫瘍の有病率が有意に増加したことなどを確認してい
るが,上述のとおり,良性腫瘍の疫学的研究は,その把握率が大きな影響をもつた
め,その解釈は難しい。しかし,成人健康調査では一定の基準で診断を行っている
ため,その信頼性は高いと思われる。
以上のように原爆放射線によって良性腫瘍の発症も増加していることが示唆され
る結果となっているが,良性腫瘍のみられる臓器や組織は様々であり,比較的高頻
度にみられる臓器の良性腫瘍は,消化管ポリープ,子宮筋腫,卵巣腫瘍である。
以上のとおり,原爆被爆者における良性腫瘍についての研究は,いろいろな実施
上の問題があるため困難であるものの,そのような中で行われている研究成果によ
って,子宮筋腫や卵巣腫瘍など一部の良性腫瘍については,放射線被曝との関連が
示唆されてきている。しかし,これを確認するためには,さらなる検討が必要であ
る。
ク原告Hの申請疾患の放射線起因性について
(ア)原告Hの膵嚢胞と原爆放射線被曝との関係について
上記認定の知見等に照らして検討してみると,膵臓は放射線感受性が低い組織で
あるとされ,放射線被曝によって膵臓組織に何らかの異常が生じることを認めるに
足る医学的知見は見当たらない。
また,原告Hの罹患している膵嚢胞は,主治医である小島医師によれば,高齢で
あること,男性であること,嚢胞が多房性であること,主膵管との交通が存在して
いること等から,分枝型膵管内乳頭粘液腫瘍(IPMT)に適合するものであり,
現時点では,悪性を疑う必要がなく,経過観察に適応すると診断されているところ,
医学的には,原告Hの膵嚢胞が属する分枝型膵管内乳頭粘液腫瘍(IPMT)は腫
瘍性嚢胞に分類され,その成因は不明であるとされており,疫学上も放射線との有
意な関係の存在は肯定されていない。
もっとも,上記のとおり,IPMTは良性腫瘍と解されるところ,良性腫瘍につ
いては,成人健康調査第6報でその有病率の解析が行われ,放射線量による有意な
増加が確認されたと報告されているが,IPMTは,消化管ポリープや子宮筋腫の
ように被爆者に比較的高頻度に認められている良性腫瘍とは異なり,個別に発症と
放射線との関係が研究されている疾病ではない上,膵臓の腫瘍・疾患という点から
放射線との関連性を指摘した報告等は存在しないと解されていること(証人聞間)
からしても,IPMTと放射線との有意な関係は肯定されていないと解される。
ところで,審査の方針では,このように原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的
知見が立証されておらず,原因確率を設けていない疾病についても,そのことに留
意しつつ,なお当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的
に勘案して,個別にその起因性を判断するものとしているところ,爆心地から約1.
5㎞離れた地点にある兵舎内で被爆した原告Hの初期放射線による被曝線量は,審
査の方針別表9によれば25cGyであるが,前判示のとおり,原告Hのそれ以後の
救護活動の状況や,その間,黒い雨に打たれたこと,また被爆直後から発症した急
性症状の程度,状態などからすれば,原告Hが放射性降下物や誘導放射能によって
外部被曝及び内部被曝をした被曝線量は,相当程度の高線量であったものと推認で
きるものの,このことを考慮にいれても,なお原告Hの膵臓障害と原爆による放射
線被曝との関係は,これに関する上記の医学的知見の状況に照らし,これを肯認す
ることは困難というべきである。
そして,上記認定事実によれば,原告Hの分枝型膵管内乳頭粘液腫瘍(IPM
T)については,その成因が不明であるとされている腫瘍性嚢胞の一種であり,高
齢の男性に多く発症することが指摘されているところ,原告Hに膵嚢胞が発症した
のは,60歳になった昭和59年ころであり,医学上一般的に指摘されている発症
年齢(平均67歳)とも大きく矛盾せず,この時点で発症した膵嚢胞が原爆放射線
の影響によって発症したことをうかがわせる他の事情も存在しないといわざるを得
ない。
原告Hは,IPMTは良性腫瘍であるところ,放影研の成人健康調査によって良
性腫瘍と放射線被曝との間に有意な関連が肯定されているとして,IPMTが放射
線被曝によって発症しうる旨主張するが,前記判示のとおり,放射線被曝の影響に
よって,膵臓に何らかの病変が生ずることを肯定する医学的な知見は見あたらず,
上記放影研の成人健康調査においても,調査の対象とされた良性腫瘍の中に膵臓の
良性腫瘍が含まれているかは不明とされており,なお良性腫瘍の研究・調査におい
ては,その把握率の正確性が問題となっていること等をも併せ考えれば,上記成人
健康調査の報告内容を根拠として,IPMTが放射線被曝によって生じ得ると認め
ることは困難といわなければならない。
また,原告Hは,IPMTが前がん病変であり,膵臓がんに放射線との有意な関
係が肯定される以上,IPMTにも同様に肯定されるべきである旨主張するが,前
記判示のとおり,膵臓がんを個別に検討した結果によっても,膵臓がん全体の過剰
相対リスクの増加は統計的に有意ではないことが確認されており,悪性新生物であ
るという限度を超えて放射線との有意な関連性は肯定されていないというべきであ
るから,上記主張も採用することができない。
その他,原告Hの生活因子,環境因子等を総合考慮しても,原告Hの嚢胞性膵腫
瘍が原爆放射線に起因して発症したものであることを認めるに足りるほどの証拠は
ない。
ケ結論
したがって,原告Hの嚢胞性膵腫瘍に放射線起因性はないとした本件の却下処分
は適法である。
5国家賠償責任の成否について(争点(2))
(1)原告らは,被告厚生労働大臣の原告らに対する上記却下処分は,およそ次の
アないしオの諸点をもって違法な公権力の行使というべきであり,原告らはこれに
よって精神的苦痛を受けたとして,被告国に対して国家賠償法1条1項に基づき損
害賠償を請求している。
ア被告厚生労働大臣が,実測値と合わないDS86を用いるなどして審査の方
針という誤った認定基準を作成し,これに基づいて誤った却下処分をしたこと
イ審査の方針は一応の基準にすぎず,原爆症認定制度に関しては,行政手続法
5条によって設けることが義務付けられている「審査基準」が定められていないこ

ウ本件における原告らの申請に対する審査が著しく遅延していること
エ本件各処分には行政手続法8条所定の処分についての理由が明記されていな
いこと
オ被告厚生労働大臣は,申請者の被爆状況を個別具体的に検討して放射線起因
性を判断すべきであるとする複数の判決があるにもかかわらず,審査の方針の機械
的な適用に終始していること
(2)先ず上記アについてみるに,上述したとおり,被告厚生労働大臣が,原告E
及び原告Fに対してした各却下処分は違法で取り消されるべきものであるところ,
行政機関が行った行政処分が,前提事実の誤認や処分要件を欠くため違法と判断さ
れる場合であっても,そのことから直ちに国家賠償法1条1項にいう違法があった
と評価すべきものではなく,当該行政機関が資料を収集し,これに基づき前提事実
及び処分要件を認定,判断する上において,通常払うべき職務上の注意義務を尽く
すことなく,漫然と行政処分をしたと認められるような事情がある場合に限り,上
記の違法を認め得るものと解するのが相当である(最高裁平成5年3月11日判決
・民集47巻4号2863頁参照)。
既に判示したとおり,原爆症認定における審査の方針は,被曝線量算定方式であ
るDS86を基礎として被曝線量を算定するとともに,放影研によって長年にわた
って継続されてきた疫学調査・解析の結果に基づいて,原爆放射線の傷害作用に起
因することが科学的にも肯定されている疾病の原因確率を設定したものであるとこ
ろ,DS86や放影研の疫学調査・解析の結果は,いずれも国際的にもその合理性
が肯定されている知見であって,これらを基に準則化された審査の方針それ自体が
不合理であるということはできない。
もっとも,審査の方針が定める基準においては,初期放射線による被曝線量の一
般的な評価については相当の合理性を認め得るものの,放射性降下物や誘導放射能
による被曝の影響についてはこれが十分に考慮されているとはいえず,また,内部
被曝の影響についての考慮がなされていない点において,その機械的な運用のみに
よっては個々の被爆者の被曝線量を正確に認定することができないので,その運用
についてはこれらの点に対する考慮を欠かすことができないが,もとより審査の方
針それ自体も,上記の考慮を排除する趣旨によるものとは解されず,これらは準則
としての審査の方針に基づく評価作業と併せて,定式化になじまない個別の事情と
して,それに応じた考慮を加えるべきものと考えられる。
したがって,審査の方針それ自体が合理性を欠くということはできず,被告厚生
労働大臣が,諮問機関である前記医療分科会から,同分科会が策定した審査の方針
に従って検討,提出した意見を聴いた上,原告Eらに対する却下処分を行ったこと
が,その職務上尽くすべき注意義務を尽くさなかったとか,漫然と処分をしたとい
うことはできない。
(3)上記イの点については,行政手続法5条1項にいう審査基準の策定は,申請
者において,申請の許否を予測する便宜を図るとともに,行政庁による恣意的な認
定行政が行われることを防止すべく定められたものであると解されるところ,審査
の方針は厚生労働省によって公開されており,弁論の全趣旨によれば,被告厚生労
働大臣の諮問機関である前記医療分科会において,基本的にこれに従って認定行政
が行われていることからすれば,これが同項にいう審査基準に該当しないとはいえ
ない。
上記ウの点については,被告厚生労働大臣が,原告らの申請に対する応答を意図
的に放置したなど,その職務遂行上の注意義務を怠ったことは本件全証拠によって
もこれを認めることはできず,原告らが申請に対する応答を待つ間に不安感や焦燥
感を抱くことは容易に理解することができるが,その認定作業の性質及び分量等に
かんがみると,その期間が社会通念上許容される限度を超えて原告らに違法な精神
的苦痛を与えるほどのものであったとは認められない。
上記エの点については,行政手続法8条1項の処分理由の提示は,処分をする行
政庁の判断の慎重さ及び合理性を確保するとともに,申請者の不服申立て等の便宜
を図るべく定められたものであり,提示すべき内容・程度については,当該処分の
性質,根拠法令の趣旨のほか,処分行政庁の負担等をも考慮して判断すべきものと
解されるところ,被爆者援護法上の放射線起因性の有無の判断は,被告厚生労働大
臣の諮問機関である前記医療分科会の意見を聴取するものとされており,その判断
過程における一定の慎重さが担保されている上,放射線起因性の有無の判断は,医
学,放射線学,疫学等の科学的知見を総合的に考慮した結果なされるものであって,
個々の被爆者の申請疾病と放射線との関係に関する判断過程を処分理由として提示
しなければならないとすれば,行政庁の負担は著しく増大し,ひいては認定行政全
体が停滞するおそれが生じることは明らかである。
したがって,提示すべき処分理由としては,当該申請者の被爆態様として認定し
た事実や具体的な医学的,放射線学的な知見への当てはめなど,医療分科会等の諮
問機関の意見内容を提示することまでは必要ではないというべきである。
そして,本件では,いずれも根拠法令と申請に係る疾病や治癒能力について原爆
放射線の影響がない旨が記載されているから,同項に違反するものとはいえず,被
告厚生労働大臣に職務上の注意義務違反があるとは認められない。
上記オの点については,本件に現れた全証拠によってみても,被告厚生労働大臣
が,原告らに対し,審査の方針を機械的に適用したと認めることはできない。
よって,原告らの主張はいずれも採用できない。
(4)なお,被告厚生労働大臣が原告G及び原告Hに対してした上記各却下処分が
適法であることは前判示のとおりであるが,このように行政処分がそれ自体として
は処分要件を充足し,適法である場合であっても,それが実態として行政権の著し
い濫用によるものである場合もないとはいえず,そのような場合には,国家賠償法
1条1項にいう違法な公権力の行使にあたると解するのが相当である(最高裁昭和
53年5月26日判決・民集32巻3号689頁参照)。しかし,被告厚生労働大
臣が,原告G及び原告Hに対して上記のとおり適法に行ったと認められる各却下処
分が,実態として行政権の著しい濫用によるものであることをうかがわせる事情は
見当たらないから,同原告らに対する上記各却下処分が,国家賠償法1条1項にい
う違法な公権力の行使に当たるとは認められない。
第5結論
以上のとおりであって,原告E及び原告Fの各請求のうち,被告厚生労働大臣に
対する却下処分の取消しを求める部分はいずれも理由があるから認容し,同原告ら
の被告国に対する請求並びに原告G及び原告Hの被告らに対する各請求はいずれも
理由がないからこれらを棄却し,訴訟費用の負担につき,行政事件訴訟法7条,民
訴法64条本文,65条1項本文,61条を適用して,主文のとおり判決する。
名古屋地方裁判所民事第9部
中村直文裁判長裁判官
前田郁勝裁判官
片山博仁裁判官

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