弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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   主  文 
    1 被告が原告に対して平成9年3月25日付けでした,平成7年12月15
     日付け請求にかかる療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
    2 被告が原告に対して平成9年3月28日付けでした,平成7年11月2日
     付け請求にかかる休業補償給付を支給しない旨の処分及び平成8年5
     月15日付け請求にかかる休業補償給付を支給しない旨の処分を取り
     消す。
    3 被告が原告に対して平成9年8月21日付けでした,同年8月11日付け
     請求にかかる療養の費用給付及び障害補償給付を支給しない旨の処分
     を取り消す。
    4 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 申立て
 1 原告
   主文同旨
 2 被告
   原告の請求をいずれも棄却する。
   訴訟費用は原告の負担とする。
第2 事案の概要等
 1 事案の概要
   本件は,A株式会社Z研究所(以下,A株式会社を「A社」と,同社Z研究所を「Z研
究所」という。)に船舶・海洋研究推進室長(以下,単に「室長」と略す場合もある。)
として勤務していた原告が,急性心筋梗塞(以下「本件疾病」という。)を発症して後
遺症を遺すに至ったのは業務に起因するものであるとして,被告に対し,労働者災
害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく休業補償給付,療養補償給付
及び障害補償給付を請求したが,被告がこれらについていずれも不支給決定をし
たため,その各処分の取消しを求めた事案である。
 2 当事者間に争いのない事実等
  (1) 原告は,昭和49年3月W大学大学院船舶工学博士課程を修了した後,同年4
月にA社に入社し,同月15日Z研究所の推進性能研究室に配属された。その
後,原告は,同研究室主任,船型試験課計画係長,船型研究室主任,船型研究
室主務,船舶・海洋試験課長の職を経た上,平成3年4月,船舶・海洋研究推進
室室長に就任した(甲1,4,乙13の③)。
  (2) 原告は,勤務先の休日である平成6年1月8日(土曜日),長崎市文教町a番b号
所在のBテニスクラブにおいて,午前11時15分からテニスの講習(中級,午後
零時45分終了予定)を受講していたところ,体調不良を訴え,一旦休憩したもの
の,受講を再開した直後の同日午後零時ころに倒れ,昏睡状態のまま救急車に
よってC病院に搬送され,同病院において急性心筋梗塞と診断された。原告は,
同病院において蘇生術が施されたものの,心停止寸前の状態にあったため,低
酸素脳症による失語及び意思の疎通ができない状態となり,以後同病院にて入
院加療の後,同年3月18日からはD病院に入院し,平成7年8月31日に治癒
(症状固定)とされたが,その後も後遺障害として同様の状態が残存している。な
お,原告は,発症当時48歳6か月で,船舶・海洋研究推進室長の職にあった
(乙5の①,②,6,7の①,②,14の③,49)。
  (3) 原告は,本件疾病が業務に起因するものであるとして,被告に対し,平成7年1
1月2日付けで休業補償給付(平成6年1月8日から同年3月22日までの期間を
対象とするもの)を,平成7年12月15日付けで療養補償給付たる療養の給付
を,平成8年5月15日付けで休業補償給付(平成6年3月23日から平成7年9
月30日の期間を対象とするもの)を,平成9年8月11日付けで障害補償給付及
び療養補償給付(療養の費用)をそれぞれ請求した。被告は,平成9年3月25
日に平成7年12月15日付け療養補償給付請求につき,平成9年3月28日に2
件の休業補償請求につき,また,同年8月21日に障害補償給付及び同月11日
付け療養補償給付につき,それぞれ本件疾病が業務に起因する明らかな疾病
とは認められないとして,いずれの給付も支給しない旨の処分(以下「本件各処
分」という。)をし,原告に通知した(乙8ないし12の各①及び②)。
  (4) 原告は,本件各処分を不服として,平成9年5月20日(休業補償請求及び療養
給付請求)及び同年10月17日付け(障害補償請求)で,長崎労働者災害補償
保険審査官に対し,労働保険審査請求をしたが,同審査官は,平成10年10月
22日付けで上記審査請求を棄却した(乙13の①ないし③)。
    原告は,上記棄却決定を不服として,平成10年12月2日付けで,労働保険審査
会に対し,労働保険再審査請求をしたが,同審査会は,平成12年10月26日付
けで,上記再審査請求を棄却した(乙14の①ないし③)。
第3 当事者の主張
 1 原告の主張
  (1) 業務起因性の判断基準
   ア 労災保険法7条1項1号の「業務上の疾病」というためには,業務と疾病との間
に合理的関連性が認められれば足りるというべきである。
   イ 仮に,同条の「業務上の疾病」の解釈について,業務と疾病との間に相当因果
関係を要するという見解に立ったとしても,被災者の従事した業務が同人の
素因,基礎疾患もしくは既存疾患を誘発又は増悪させて発症等の時期を早め
るなど,それが基礎疾患等と共働原因となって疾病の発症や死亡の結果を招
いたと認められる場合には,因果関係が認められるというべきである。そし
て,業務の危険性の判断は,使用者によって労務の提供が期待されている者
すべてを対象として,そのような者の中で最も危険に対する抵抗力の弱い者
を基準とすべきである。
  (2) 原告が従事した業務の過重性
   ア 労働時間
    (ア) 原告は,自己の業務を遂行するため,午前8時ころには出社し,午後
     9時ころまで仕事をしていたほか,昼休みも多くて30分程度しか取れず,午後6
時又は午後6時10分からの休憩は全く取ることができなかったのであっ
て,毎日12.5時間以上の労働に従事していた。また,土曜日の約70パー
セントは休日出勤していた上,日曜日や祝日にも,出社して資料や文献を
調査したり,自宅で報告書を作成するなどしていた。このようにして,原告
は,年間3000時間以上の長時間労働を余儀なくされていた。
    (イ) 原告は,少なくとも別表1に示した時間数の労働に従事していた。なお,被告
は,原告の労働時間について発症前6か月間だけを考慮して業務の過重
性を判断するが,本件においては,過重な業務がそれ以前から長期にわた
って継続していたのであるから,平成3年1月から発症日である平成6年1
月8日までの労働時間を考慮して,業務の過重性を判断すべきである。
 
  イ 業務の質的過重性
    (ア) 室長就任後の人間関係
      原告は,平成2年4月1日,船舶・海洋試験課長に昇格したが,翌年4月1日に
当時の船舶・海洋研究推進室長であったEが研究所次長に昇格したため,
その後任として船舶・海洋研究推進室長に就任することになった。ところ
が,原告の船舶・海洋研究推進室長への昇格はいわゆる抜擢人事であっ
たため,原告は,入社年次が早い室員や専門職の資格が上位にある室員
の管理に苦慮することになった。
    (イ) 原告の担当業務等
      船舶・海洋研究推進室長の担当業務には,①研究業務の統括管理,②室業
務状況の次長への報告と協議,③研究室の人事,勤労及び安全の管理,
④週報の作成,室課長会への出席,⑤見学者案内,客先対応,次長特命
事項,⑥研究の立案,実行,予算管理,⑦船舶・海洋研究推進室と船舶・
海洋試験課の作業量確保,調整,⑧社外の各種委員会対応がある。
      原告は,船舶・海洋研究推進室長に就任した後,上記業務を遂行するため,
長崎市文教町c番d号所在の船型試験場(以下「浦上地区」という。)並びに
同市深堀町e丁目f番地所在の研究所本館及び深堀水槽(以下「深堀地区」
という。)の3か所の就業場所を毎日移動しなくてはならなかったほか,船
舶・海洋研究推進室及び船舶・海洋試験課(以下,船舶・海洋研究推進室
及び船舶・海洋試験課を合わせて「船海部門」という場合がある。)の担当
次長であったEが研究所全体の管理も兼務することになった結果,次長代
行として船海部門の管理業務を一人で遂行しなければならなかった。また,
原告が船舶・海洋研究推進室長であった当時は造船事業が低迷し,Z研究
所においても,船海部門の仕事の約7割を占めていた水槽試験が減少し,
研究予算が不足する状態に陥っていたことから,原告は,研究予算を確保
するため,他の造船所に出向いて水槽試験の仕事を受注したり,研究室全
員を指導して研究伺書を取りまとめ,それを社内の研究開発計画審議会で
提案するなどしていた。さらに,原告は,氷海水槽を訪れる取引先や見学
者のために多くの時間を割かなければならず,特に,氷海水槽の見学案内
については,原告自身が氷海水槽の設計等の責任者であったため,他の
室員に任せることができなかった。なお,氷海水槽は常に保冷されているた
め,原告は,同水槽の見学案内によって,寒冷の場所と常温の場所を頻繁
に行き来しなければならなかった。加えて,原告は,氷海関連研究の専門
家として,Xの石油開発技術調査(以下「Xのプロジェクト」という。)及びYの
北極海航路開発(以下「Yのプロジェクト」という。)の取りまとめをZ研究所
内で担当していたところ,特にXのプロジェクトについては,平成5年から5
か年で研究費総額10億円を投じての大規模な開発研究であったことか
ら,Z研究所の仕事量を確保するためにも極めて重要なものであった。この
ほかにも,原告は,次長会等の各種社内会議への出席,試験研究計画の
決裁,予算編成,本社役員の事業所視察に関する準備等の管理業務や,
氷海水槽での実験・研究,長崎や下関で行われる船型研究会への出席,
活魚用水槽等の特許の出願,ドイツで開催された氷工学の国際シンポジウ
ムでの研究発表等の研究業務にも従事していた。
      このように,船舶・海洋研究推進室長に就任してからの原告の業務は,質的に
も過重なものであった。
   ウ 寒冷曝露作業
     原告は,Z研究所に入社してから間もなくして,氷海関連の研究を担当するよう
になったところ,そのため,国内では,寒冷期に北海道に出張して流氷に関す
る調査を行うなどし,海外においては,昭和60年11月から翌年4月までの
間,第27次南極地域観測隊に同行して南極の氷を調査するなどしたほか,
昭和54年8月から平成元年6月までの10年間に氷海研究関係だけでも14
回,計337日間の出張を行った。さらに,原告は,Z研究所に氷海水槽設備
が完成した昭和61年6月以降も,マイナス20度にも達する同水槽や低温実
験室の中で研究実験を繰り返し,さらに,見学案内のため同水槽への出入り
を繰り返していた。
(3) 発症前6か月間の業務の過重性
    原告は,約2年8か月に及ぶ過重な室長業務に従事して疲労を蓄積させたとこ
ろ,発症直前6か月間には,以下のとおり,更に精神的,肉体的に過重な業務に
従事していた。
   ア 労働時間
     原告は,発症前6か月間において,合計1490時間20分(うち時間外・休日労
働は517時間50分)もの長時間労働を行った。
   イ 船型研究会への出席
     原告は,平成5年7月12日及び翌13日に船型研究会に出席した。船型研究会
はA社の本社などと合同で年2回行われる会議であり,船舶・海洋研究推進
室の事業量や予算を確保するためには,同研究会において成果や利益が見
込まれる研究等を報告しなければならなかった。そのため,室長である原告
は,同会議に向けて十分な準備をするため,多大な時間と労力を費やさざる
を得なかった。しかも,同会議では,盛んにコストダウンが強調され,このこと
が原告に精神的な負担をかけた。
   ウ 氷工学関係国際シンポジウムへの出席
     原告は,平成5年8月15日から同月22日までドイツで行われた氷工学の国際
シンポジウムに出席し,同会議において研究報告をするなどしたが,同会議
への出席は肉体的にも過重な業務であった。また,原告は,Z研究所の氷海
水槽の稼働率を高めたり氷海関連の業務で実績を上げるため,同会議にお
いて,同水槽のアピールに務めるとともに,氷海関連の技術と市場動向を調
査しなければならなかった。さらに,同会議へ出席したことにより,帰国後の原
告の業務量が増加することになった。
   エ X及びYのプロジェクトの本格化
     平成5年からX及びYのプロジェクトが開始されたが,これらのプロジェクトは,水
槽試験が減少していたZ研究所にとって,多額の研究費を確実に確保するこ
とができ,氷海水槽の稼働率を高めるものとして,最重要の業務であった。原
告は,これらのプロジェクトにおいてZ研究所の中心的役割を担い,大きな負
担を負っていた上,同年9月ころから各々の研究・打ち合わせ等が本格化し,
更なる精神的,肉体的負担を余儀なくされた。また,低温の氷海水槽や低温
実験室内での作業は,通常の作業に比べ疲労の度合いが著しいため,実験
課作業員らは残業をせずに所定の退社時間に帰るようにしていたが,原告
は,所定の退社時間以降に実験結果をまとめたり,次の実験計画を立てるな
どの作業に従事しなければならず,これらの業務は身体的にも原告を疲労さ
せるものであった。
   オ Fの退職
     前記のとおり,原告の船舶・海洋研究推進室長への昇格はいわゆる抜擢人事
であったため,原告は,その後の業務において人間関係に苦労し,過重な精
神的負荷を受けていた。その上,原告を船舶・海洋研究推進室長に推薦した
Fが平成5年9月末に退職したため,原告は,後ろ盾ともいうべき上司を失い,
精神的に大きなショックを受けるとともに,職場内において孤立無援の状況に
なっていた。このような状況の中,原告は,直接の上司であるEから,研究予
算の確保や余剰人員の削減を強く求められ,このことが強い精神的負担とな
っていた。なお,原告は,平成5年年末から年始にかけて,Eと口論ともいえる
やりとりをし,重い精神的負荷を受けていた。
     また,FはYのプロジェクトを担当していたところ,同人が退職したことによって氷
海関連の専門家が原告だけになったため,原告が,Yの研究委員会の委員を
務め,その責任者となった。
   カ 精神障害で協力会社に出向中の部下からの原職復帰の要望への対処
     原告は,船舶・海洋研究推進室長であった当時,精神障害が原因で協力会社
に出向していた部下からZ研究所への原職復帰を再三,強力に要望され,そ
の対応に極めて苦慮していた。当時,Eから人員合理化を強く求められていた
こともあり,このことは原告に大きな精神的負荷を与えるものであった。
   キ 本社役員の事業所視察に向けた準備
     Z研究所では,平成5年12月上旬に本社役員による事業所視察が予定されて
いたところ,これに備え,原告は,本社役員に報告する課題等を選定しなけれ
ばならなかったほか,視察当日までに何度も会議やリハーサルが行われ,こ
れらのために相当の時間を費やしていた。
   ク 出張回数の増加
     平成5年9月ころからXのプロジェクトが本格化したことにより,原告の出張回数
が増加し,特に,同年11月中には4回,計7日間の出張があった。
   ケ 研究開発計画の策定及び人事考課
     原告は,翌年度のZ研究所の予算を確定するため,平成5年12月には次年度
の研究開発計画を策定しなければならなかった。原告は,厳しい造船不況の
中で前年度と同額の研究予算を確保するため,室員全員を指導して研究開
発計画の策定の推進にあたらせるとともに,策定された研究開発計画を最終
検討するなどしていた。また,同年12月には部下である室員の人事考課も行
わなければならず,かかる業務は,人事評価という性質上,原告に精神的負
担を与えるものであった。
   コ 研究報告の取りまとめ作業等
     原告は,平成6年1月には,日常業務のほかに,X関連研究報告,氷海関連社
内研究報告,氷海関連社内研究・試験成績書,Y報告書等の取りまとめや,
流れの可視化学会の投稿論文の執筆作業を行わなければならなかった。
   サ 研究業務の遅れ
     前記のとおり,原告は,船舶・海洋研究推進室長としての管理業務のほか,研
究業務にも従事していたところ,多忙な管理業務に追われ,自己の担当する
研究報告に遅れが生じており,平成5年1月には,原告が担当する2つの研
究の遅れが11か月と17か月にも至っていた。
  (4) 業務の過重性のまとめ
    原告は,国内外における氷海関連の実験調査や氷海水槽での研究実験,見学
案内などにより,長期間継続して寒冷曝露された上,船舶・海洋研究推進室長
に就任後,年間3000時間以上の長時間かつ過重な業務に従事したことによっ
て疲労を蓄積させたところ,発症直前約6か月間において,Fの退職により,上
司・部下との関係で孤立無援,四面楚歌ともいえる状況になり,このような状況
の中,X及びYのプロジェクトの本格化,精神障害で協力会社へ出向中の部下の
原職復帰の要望への対処,本社役員の視察に向けた準備,人員合理化のため
の従業員に対する退職勧告,上司であるEからの非難などにより,肉体的,精神
的に強度の負荷を受けていた。
  (5) 本件疾病の医学的機序
    急性心筋梗塞は,冠動脈硬化性粥腫の破綻,その部分での血栓の形成といった
経緯を経て,冠動脈の急性閉塞によって心筋の虚血状態から心筋壊死が起こ
るという機序にて発症する。粥腫の破綻については,粥腫(アテローマ)を被うア
テローマキャップ(粥腫被膜)の菲薄化がその前段階の病変であると考えられて
いるところ,業務による過重な負荷は,このアテローマキャップを菲薄化し,粥腫
の破綻を惹起せしめるものである。そして,ここにいう「業務による過重な負荷」
には,長期間にわたる業務の過重負荷に由来する疲労の蓄積も含まれるとこ
ろ,原告は,長期間にわたって過重負荷を伴う業務に従事し,平成5年11月16
日には狭心症が発症していた。このような事情に照らせば,かかる過重な業務
が本件疾病に関与したことは明らかである。
    また,冠動脈硬化性粥腫の破綻の要因としては,冠動脈の攣縮(スパズム。一過
性の血管収縮による狭窄ないし閉塞。)の存在が挙げられるが,この冠動脈攣
縮は,業務による過重負荷によって発生するほか,レイノー現象と関連を有する
ものである。原告は,長期間にわたり振動作業を伴う寒冷環境下での作業に従
事したほか,船舶・海洋研究推進室長に就任してから過重な業務を続け,その
結果,レイノー現象や狭心症が出現するに至っていた。このような事実に照らせ
ば,原告の冠動脈には冠動脈攣縮が発生していたと推認され,かかる冠動脈攣
縮が本件疾病に関与したと判断される。
  (6) 本件疾病の業務起因性
   ア 長時間労働による身体的負荷
     厚生労働省労働基準局長は,「脳・心臓疾患の認定基準に関する専門検討会」
(以下「専門検討会」という。)が取りまとめた「専門検討会報告書」に基づき,
「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準
について」(平成13年12月12日付け基発第1063号。以下「新認定基準」と
いう。)を作成したが,同基準等に照らしても,原告の従事した業務が急性心
筋梗塞を発症する要因となり得る過重負荷を有することは明らかである。すな
わち,前記のとおり,原告の発症前6か月間の時間外労働時間数は少なくと
も517時間50分であり,その1か月当たりの平均は86時間18分余であると
ころ,新認定基準によれば,労働時間数だけをとりあげてみても業務と発症の
関連性が強いと認められるものである。また,原告の発症前3年間における1
か月当たり時間外労働時間数は104から111時間を超えていたところ,厚生
労働省の「過重労働による健康障害を防止するための事業者が講ずべき措
置等」(厚生労働省労働基準局長平成14年2月12日基発0212001号添
付)によっても,かかる恒常的な長時間労働の持続が原告の冠動脈の血管病
変を自然経過を超えて増悪させたことは明らかである。したがって,本件疾病
は,業務に起因するものというべきである。
イ 業務における精神的ストレスの蓄積
     専門検討会報告書では,精神的ストレス,精神的緊張の脳・心疾患に対する影
響について,「疲労の蓄積という観点から配慮する必要がある」との認識が示
されているところ,前記のとおり,原告は,船舶・海洋研究推進室長としての重
い責任を背負いつつ,切迫した期限に負われながら3か所の就業場所を移動
して業務を遂行しなければならないという著しく多忙な状態に置かれていたほ
か,抜擢人事で室長に就任したことによって人間関係で苦慮していたなどの
事情があったのであり,精神的に追いつめられて疲弊し,精神的ストレスが蓄
積していたのである。このことは,我慢強く弱音を吐かない性格の持ち主であ
る原告が,平成5年の年末から翌平成6年の年始にかけて,異常な怒り方を
したり,疲労困憊で元気がなかったことによっても裏付けられている。したがっ
て,このような継続的な精神的ストレスが,原告の冠動脈に粥腫を形成,増悪
せしめ,本件疾病を発症させたものと判断されるのである。したがって,本件
疾病は,精神的ストレスの蓄積という観点からみても,業務に起因するという
べきである。
   ウ 寒冷曝露作業等
     専門検討会報告書によれば,出張の多い業務や寒冷曝露業務は,いずれも
脳・心臓疾患発症の要因になり得るものとされているところ,前記のとおり,原
告が,平成5年8月にドイツに出張し,同年11月には10日間の間に4回も出
張しているなど,頻繁に出張業務に従事していること,氷海水槽での実験や
見学案内等によって,継続的に寒冷に曝露されていたことなどの事情に照ら
せば,原告の業務と本件疾病との因果関係が肯定されるものである。 
   エ 原告の心筋梗塞発症直前のテニス練習の影響
     原告は本件疾病を発症する直前にテニスの講習を受講していたが,それが激し
い運動を伴うものではなかったこと,発症当日が運動するのに快適な日であ
ったことなどの事情を考慮すれば,本件疾病が,その運動負荷によって惹起
されたものでないことは明白である。したがって,原告が行ったテニスの練習
は,本件疾病の主要な要因ではないというべきである。
   オ 原告の基礎疾患等
     原告のBMI値が普通体重を示すものであったこと,心電図の異常も発生してい
なかったこと,原告が,糖尿病,膠原病,閉塞性血栓性動脈炎(バージャー
病),閉塞性動脈硬化症,動脈硬化症,動脈血栓症,動脈塞栓症等の基礎疾
患を有していなかったこと,発症直前約6か月間において,原告の総コレステ
ロール値,中性脂肪値及びHDLコレステロール値が正常値を示していたこ
と,原告の血圧値は,ときに中等高血圧(160~179/100~109mmHg)
に該当する場合があったものの,正常血圧(<130/<85mmHg)又は正常
高値血圧(130~139/85~89mmHg)と軽症高血圧(140~159/90~
99mmHg)の範囲で動揺していたのであって,重篤なものではなかったこと(な
お,原告の長時間労働等による精神的ストレスや長期にわたる持続的な寒冷
曝露が原告の血圧を上昇させて高血圧を増悪させたことに留意すべきであ
る。),原告の家族歴と心筋梗塞発症の関連を窺わせる具体的な事実を見出
すことができないことなどの事情に照らせば,原告が虚血性心疾患を発症し
やすい健康状態にあったということはできない。
  (7) まとめ
    以上のとおり,原告が本件疾病を発症し,それによって後遺症を残存したことは,
原告が従事した過重な業務が原因であるから,本件疾病及び原告の後遺症が
「業務上の疾病及び後遺障害」に該当することは明らかである。
 2 被告の主張
  (1) 業務起因性の法的判断の枠組み
   ア 業務起因性の意義
     当該労働者の死亡等の結果が業務上のものといえるためには,当該業務と当
該結果との間に条件関係があるだけでは足りず,両者の間に法的にみて労
災補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)がなくてはならない。そ
して,労災補償制度が危険責任に基づく無過失責任であることに照らせば,
かかる相当因果関係が肯定されるためには,当該結果が,当該業務に内在
する危険が現実化したものであると認められることが必要である。
   イ 脳・心臓疾患における相当因果関係
     脳・心臓疾患は,その発症の基礎となる動脈硬化等による血管病変等(動脈硬
化等による血管病変又は動脈瘤,心筋変性等の基礎的病態)が加齢や一般
生活等における種々の要因によって長い年月の間に徐々に進行・増悪して発
症に至ることがほとんどであり,業務に特有の疾病ではなく,業務により発症
するという事態が頻発するものでもない。脳・心臓疾患の発症には複数の原
因が競合しているのが通常であり,その結果発生への影響等も強弱様々であ
る。したがって,脳・心臓疾患の相当因果関係については,①当該業務に危
険が内在していると認められること(危険性の要件),②当該脳・心臓疾患が,
当該業務に内在する危険の現実化として発症したと認められること(現実化
の要件)がその要件として必要である。
    (ア) 危険性の要件
      労災補償制度が,危険責任に基づく無過失責任補償であることに照らせば,
業務の危険性は,当該業務の内容や性質に基づいて客観的に判断される
べきであり,当該労働者と同程度の年齢・経験等を有し,基礎疾患を有しな
がら支障なく遂行できる程度の健康状態にある者(平均的労働者)を基準と
して,当該業務による負荷が,医学的経験則に照らし,脳・心臓疾患の発
症の基礎となる血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ得るも
のと客観的に認められるか否かによって決するのが相当である。
    (イ) 現実化の要件 
      前記のように,相当因果関係が認められるためには,当該業務に危険が内在
しているだけでは足りず,当該業務の「危険の現実化」として,脳・心臓疾患
が発症したことが必要であるところ,当該脳・心臓疾患が業務に内在する
危険の「現実化」したものといえるためには,当該労働者本人の事情を基
礎として,当該発症に対して,業務による危険性(過重性)が,その他の業
務外の要因に比して相対的に有力な原因となったと認められることが必要
である。
  (2) 認定基準
   ア 認定基準の改定
     厚生労働省においては,業務上と認定されるための具体的条件を過去の症
例,臨床,病理及び疫学等の医学的研究を基礎に取りまとめ,認定基準とし
て通達している。
     ところで,脳・心臓疾患に関する認定基準に関して,旧認定基準は,脳・心臓疾
患の発症に近接した時期における業務量・業務内容等を中心に業務の過重
性(危険性)を評価することとしていたが,近時,長期間にわたる慢性ないし急
性反復性の過重負荷,すなわち慢性の疲労や過度のストレスの評価,その評
価期間,業務の過重性の評価要因の具体化やリスクファクターの評価等が新
たな検討課題となったため,厚生労働省では専門検討会を設置し,脳・心臓
疾患の認定にかかる諸点についての検討を行った。そして,専門検討会は,
平成13年11月,その検討成果を専門検討会報告書に取りまとめ,厚生労働
省労働基準局長は,これを踏まえて,平成13年12月12日付けで新認定基
準を新たに作成し,各都道府県労働局長宛に発出した。
   イ 専門検討会によって示された医学的知見
    (ア) 専門検討会報告書によって示された医学的知見の信頼性
      専門検討会報告書は,最新の医学的知見に基づき,どのような場合に,脳・
心臓疾患の発症が「業務に内在する危険の現実化」と認められるかについ
ての評価要因を検討したものであり,医学的に極めて信頼性の高い資料で
ある。したがって,業務起因性の有無は,同報告書に示された最新の医学
的知見に基づいて判断されるべきである。
    (イ) 専門検討会報告書が基礎としている疫学的調査と業務起因性の関係
      専門検討会報告書が基礎としている疫学的調査と業務起因性との関係は,次
のとおり整理することができる。
     a 専門検討会報告書は,後記のとおり,脳・心臓疾患発症と有意な関連性があ
る労働条件を具体的に明らかにしているが,同報告書において疫学的
因果関係すら肯定されなかった労働については,原則として業務起因性
は認められない。
     b 専門検討会報告書によれば,脳・心臓疾患発症に対する業務の相対リスク
及びオッズ比は,業務外の要因(以下「私的リスクファクター」という。)の
それより概して低い。したがって,同報告書において脳・心臓疾患発症と
有意な関連性があるとされた労働条件を満たす業務に従事していた者
についても,直ちに個別的な業務起因性が肯定されるものではなく,そ
れが肯定されるためには,当該労働者が,脳・心臓疾患発症と疫学的因
果関係を有する他因子に曝露されていたか否かを調査・判断し,業務が
発症に寄与した程度が私的リスクファクターの寄与の程度よりも高いこと
が認められなければならない。
(ウ) 専門検討会報告書の内容
      専門検討会報告書が示した脳・心臓疾患の業務起因性の判断枠組みは,大
要,以下のとおりである。
     a 基本的な考え方
       脳・心臓疾患は基本的に業務と無関係に発症する疾病であるが,時として業
務による明らかな過重負荷が加わった場合には,発症の基礎となる血
管病変等がその自然経過を超えて著しく増悪し,脳・心臓疾患を発症す
る場合がある。
     b 業務の危険性
       発症に近接した時期の業務における明らかな過重負荷が,脳・心臓疾患発
症の直接的原因となり得るという旧認定基準の考え方は,現在の医学
的知見に照らしても是認できる。
       しかし,今後は,業務による明らかな過重負荷としては,脳・心臓疾患の発症
に近接した時期における過重負荷のほか,長期間にわたる業務による
疲労の蓄積も考慮すべきである。
       また,業務の過重性を評価するにあたっては,労働時間,勤務形態,作業環
境,精神的緊張の状態等を具体的かつ客観的に把握,検討し,総合的
に判断することが妥当である。
     c 業務外の危険性
       リスクファクターを重複して有する者は発症のリスクが高いから,労働者の健
康状態を十分に把握し,基礎疾患等の程度や業務の過重性を十分に検
討し,これらと当該労働者に発症した脳・心臓疾患との関連性について
総合的に判断する必要がある。
   ウ 新認定基準の概要
    (ア) 基本的な考え方
      脳・心臓疾患は,その発症の基礎となる血管病変等が長い年月の生活の営
みの中で形成され,それが徐々に進行し,増悪するといった自然経過をた
どり発症する。
      しかしながら,業務による明らかな過重負荷が加わることによって,血管病変
等がその自然経過を超えて著しく増悪し,脳・心臓疾患が発症する場合が
あり,そのような経過をたどり発症した脳・心臓疾患は,業務が相対的に有
力な原因であると判断し,業務に起因することの明らかな疾病として取り扱
う。
      その際,脳・心臓疾患の発症に影響を及ぼす業務による明らかな過重負荷と
して,発症に近接した時期における負荷のほか,長期間にわたる疲労の蓄
積も考慮する。
      また,業務の過重性の評価にあたっては,労働時間,勤務形態,作業環境,
精神的緊張の状態等を具体的かつ客観的に把握,検討し,総合的に判断
する必要がある。
   (イ) 認定要件
      次のaないしcの業務による明らかな過重負荷を受けたことにより発症した脳・
心臓疾患は,労働基準法施行規則35条別表第1の2第9号に該当する疾
病として取り扱う。
     a 発症直前から前日までの間において,発生状態を時間的及び場所的に明確
にし得る異常な出来事に遭遇したこと(異常な出来事)
     b 発症に近接した時期において,特に過重な業務に就労したこと(短期間の過
重業務)
     c 発症前の長期間にわたって,著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務
に就労したこと(長期間の過重業務)
(ウ) 過重負担の考え方
     a 異常な出来事
      (a) 異常な出来事
        異常な出来事とは,具体的には次に掲げる出来事である。
       ⅰ 極度の緊張,興奮,恐怖,驚がく等の強度の精神的負荷を引き起こす突
発的又は予測困難な異常な事態
       ⅱ 緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的又は予測困難な異常な
事態
       ⅲ 急激で著しい作業環境の変化
      (b) 評価期間
        発症直前から前日までの間
      (c)過重負荷の有無の判断
        遭遇した出来事が前記■に掲げる異常な出来事に該当するか否かによっ
て判断する。
     b 短期間の過重業務
      (a) 特に過重な業務
        特に過重な業務とは,日常業務(通常の所定労働時間内の所定業務内容
をいう。)に比較して特に過重な身体的,精神的負荷を生じさせたと客
観的に認められる業務をいう。
      (b)評価期間
        発症前おおむね1週間
      (c)過重負荷の有無の判断
        特に過重な業務に就労したと認められるか否かについては,①発症直前
から前日までの間について,②発症直前から前日までの間の業務が
特に過重であると認められない場合には,発症前おおむね1週間以
内について,業務量,業務内容,作業環境等(具体的な負荷要因は,
労働時間,業務の不規則性,拘束時間の長さ,出張の多さ,交替制
勤務・深夜勤務か否か,精神的緊張を伴うか否か,温度環境,騒音,
時差)を考慮し,同僚等にとっても,特に過重な身体的,精神的負荷と
認められるか否かという観点から,客観的かつ総合的に判断する。な
お,ここでいう同僚等とは,当該労働者と同程度の年齢,経験等を有
する健康な状態にある者のほか,基礎疾患を有していたとしても日常
業務を支障なく遂行できる者をいう。
     c 長期間の過重業務
      (a) 疲労の蓄積の考え方
        脳・心臓疾患の発症との関連性において,業務の過重性を判断するにあた
っては,発症前の一定期間の就労実態等を考慮し,発症時における
疲労の蓄積がどの程度であったかという観点から判断する。
      (b)評価期間
        発症前おおむね6か月間
      (c)過重負荷の有無の判断
        著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務に就労したと認められるか否
かについては,業務量,業務内容,作業環境等を考慮し,同僚等にと
っても,特に過重な身体的,精神的負荷と認められるか否かという観
点から,客観的かつ総合的に判断する。
        業務の過重性の具体的な評価にあたっては,疲労の蓄積の観点から,労
働時間のほか,業務の不規則性,拘束時間の長さ,出張の多さ,交
替制勤務・深夜勤務か否か,精神的緊張を伴うか否か,作業環境(温
度環境,騒音,時差)の負荷要因について十分検討する。その際,疲
労の蓄積をもたらす最も重要な要因と考えられる労働時間に着目する
と,その時間が長いほど,業務の過重性が増すとことであり,具体的
には,発症日を起点とした1か月単位の連続した期間をみて,
       ⅰ 発症前1か月間ないし6か月間にわたって,1か月当たりおおむね45時
間を超える時間外労働が認められない場合は,業務と発症の関連
性が弱いが,おおむね45時間を超えて時間外労働時間が長くなる
ほど,業務と発症の関連性が徐々に強まると評価できること
       ⅱ 発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月
間にわたって1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が
認められる場合には,業務との関連性が強いと評価できること
       を踏まえて判断する。
        ここでいう時間外労働時間数とは,1週間当たり40時間を超えて労働した
時間数である。また,休日のない連続勤務が長く続くほど業務と発症
の関連性を強めるものであり,逆に,休日が十分に確保されている場
合は,疲労は回復ないし回復傾向を示すものである。
 (エ) 新認定基準は,業務の危険性(過重性)の要件に関する事項のみを定
     めたものであるから,同基準に基づいて業務の危険性(過重性)が認められる
場合であっても,業務外の要因が主たる原因となって発症したと認められる
場合,つまり,現実化の要件が認められない場合には,業務起因性は否定
されるものである。
  (3) 本件処分の適法性
   ア 「異常な出来事」及び「短期間の過重負荷」
    (ア) 原告が本件疾病を発症した平成6年1月8日は所定休日であり,原告
     は,その当日に何らの勤務もしていない。また,発症前日には,原告は約3時間
の時間外労働を行っていたと推測されるが,これ自体は特に過重な業務と
評価されるものではなく,その他業務上の異常な出来事は生じていない。し
たがって,原告に「異常な出来事」があったと認めることはできない。
    (イ) 原告の発症前1週間の労働日数は,年末年始の長期休暇の直後であること
から,仕事始めの平成6年1月6日及び翌7日の2日間だけであり,その総
労働時間数は多く見積もっても20時間にすぎないことから,「短期間の過
重負荷」を認めることはできない。
   イ 「長期間の過重負荷」 
(ア) 原告の労働時間
      原告の労働時間は別表2「労働時間に係る主張の比較」の被告欄のとおりで
あるが,これをまとめると下記のとおりとなる。
     a 発症前1か月間(平成5年12月10日から平成6年1月8日)
       発症前1か月間における原告の総労働時間数は144.50時間であり,その
うち時間外労働時間数は16.50時間にすぎない。
     b 発症前2か月間(平成5年11月10日から平成6年1月8日)
       発症前2か月(平成5年11月10日から同年12月9日)における原告の総労
働時間数は209.00時間であり,そのうち時間外労働時間数は43.0
0時間であるから,発症前2か月間における原告の時間外労働時間数
の平均は,1か月当たり29.75時間である。
     c 発症前3か月間(平成5年10月11日から平成6年1月8日)
       発症前3か月(平成5年10月11日から同年11月9日)における原告の総労
働時間数は218.00時間であり,そのうち時間外労働時間数は47.0
0時間であるから,発症前3か月間における原告の時間外労働時間数
の平均は,1か月当たり35.50時間である。
     d 発症前4か月間(平成5年9月11日から平成6年1月8日)
       発症前4か月(平成5年9月11日から同年10月10日)における原告の総労
働時間数は186.50時間であり,そのうち時間外労働時間数は26.5
0時間であるから,発症前4か月間における原告の時間外労働時間数
の平均は,1か月当たり33.25時間である。
     e 発症前5か月間(平成5年8月12日から平成6年1月8日)
       発症前5か月(平成5年8月12日から同年9月10日)における原告の総労
働時間数は197.00時間であり,そのうち時間外労働時間数は35.0
0時間であるから,発症前5か月間における原告の時間外労働時間数
の平均は,1か月当たり33.60時間である。
     f 発症前6か月間(平成5年7月13日から平成6年1月8日)
       発症前6か月(平成5年7月13日から同年8月11日)における原告の総労
働時間数は155.00時間であり,そのうち時間外労働時間数は18.0
0時間であるから,発症前5か月間における原告の時間外労働時間数
の平均は,1か月当たり31.00時間である。
(イ) 勤務の不規則性
      原告は,出張時以外は決まった場所で就労しており,始業・終業時刻もほぼ一
定であった。したがって,原告の業務が「不規則な勤務」に該当しないこと
は明らかである。
    (ウ) 拘束時間の長さ
      原告には1日1時間の休憩時間が与えられていた。したがって,原告の業務は
「拘束時間の長い勤務」に該当しない。
    (エ) 出張の多さ
      原告は,東京を中心に国内出張があったが,発症前6か月間のうち,最も出張
が多い月でも計5回・8日間程度であり,適宜休暇や有給休暇を挟んでお
り,帰宅なしの連続出張は最長3日間にすぎなかった。したがって,原告が
殊更出張の多い業務に就いていたとは認められない。
      また,海外出張については,発症前6か月間のうち,平成5年8月に1度だけ,
8日間のドイツ出張があったが,往復の飛行機はビジネスクラスを利用し,
その内容も,全プログラムに出席しても1日6時間にしかならない実質3日
半の国際会議であり,負担と評価し得る原告自身の研究発表も,1時間30
分の中で発表された4つのうち1つだけであった上,日程をみても,国内移
動日1日を除くと7日間というゆとりのあるものであった。したがって,これを
もって特に過重な負荷と認めることはできない。
    (オ) 交替制勤務,深夜勤務
      いずれも原告には該当しない。
    (カ) 作業環境(温度環境,騒音,時差)
      原告の主たる勤務場所は,冷暖房完備の浦上地区及び深堀地区における事
務所内である。
      温度環境に関しては,原告が見学者案内等のために氷海水槽内に出入りして
いたことが認められるものの,その回数は,発症前6か月間に26回であ
り,最も多い平成5年10月及び同年11月においても7回程度であって,そ
の大半が1日1回(15分から30分程度)と短時間であったほか,所定の防
寒具を着用していたものである。なお,氷海水槽の見学案内は,冷暖房が
完備された室温プラス25ないし26度の制御室と,プラス2ないし4度の氷
海水槽内を案内するものであり,マイナス20度といった低温状態の水槽内
に見学者を案内することはなかった。
      時差に関して,原告は平成5年8月にドイツに出張しているが,発症前6か月
間における海外出張はこれのみであり,その日程が合計8日間とゆとりの
あるものであったことからすれば,時差による負荷は,さほど大きなものと
評価することはできない。
 (キ) 精神的緊張を伴う業務
      原告は,①自己の担当する研究の遅れ,②船型研究会における報告,予算の
確保等,③海外出張及び研究発表,④Y及びXのプロジェクト会議の出席
(出張),⑤室長就任に伴う入社年次の早い室員等の管理及びFの退職,
⑥本社役員による事業所視察及び見学会の準備,⑦研究予算の獲得,⑧
人事考課,⑨直属の上司であるEとの口論を指摘して,原告の業務が精神
的緊張を伴うものであったと主張する。しかし,原告が精神的緊張を伴う業
務として主張するものの大半は,原告と同様の地位にあるものであれば,
どこの企業でも通常みられる業務であって,原告の業務による精神的負荷
の程度が特に著しいと認めることはできない。
ウ 業務の過重性の総合評価
     以上のとおり,原告について「異常な出来事」及び「短期間の過重業務」は全く
認められない。
     また,「長期間の過重業務」についても,原告の労働時間は,発症前3か月平均
の時間外労働時間の35.5時間が最大であるところ,この数値は,専門検討
会報告書及び新認定基準における「45時間を超える時間外労働時間が認め
られない場合には業務と発症の関連性が弱い」旨の「基準値」を10時間も下
回るものである。加えて,休日が十分確保されている場合には,疲労は回復
ないし回復傾向を示すものであるとされているところ,原告は,発症3日前ま
で年末年始の8連休を取っていたもので,休日が十分確保されていたのであ
るから,原告の業務と発症との関連性を認めることはできない。
     さらに,業務に伴う精神的緊張等,他の要素をみても,原告の業務が特に過重
であると認められるものがないことは明らかである。
エ 原告の基礎疾患等
    (ア) 原告は,特に虚血性心疾患の発症率が高いとされている高脂血症をは
     じめ,発症と強い関係があるとされている高血圧,糖尿病,そのほかにも家族歴
(遺伝)や高尿酸血症など,専門検討会報告書で挙げられている私的リス
クファクターの大半を有し,極めて虚血性心疾患を発症しやすい健康状態
にあったにもかかわらず,これらの私的リスクファクターを放置して治療を
受けず,医師の治療を受けるようになってからも適切な療養を行わなかっ
たものである。
    (イ) 発症に至るまでの原告の健康状態は,発症後の原告の健康状態によっても
裏付けられている。すなわち,平成6年1月8日,発症後にC病院で入院時
に行われた検査の結果,原告は,「グルコース(血糖)401mg/dl」であり,
「糖尿病」と診断されている。また,同日行われた検査の結果,原告は「尿
酸12.7mg/dl」であり,「高尿酸血症」についても診断されている。さらに,
同日行われた検査の結果,コレステロール値についても「総コレステロール
208mg/dl」であって,原告が糖尿病を有していることから,この点も要治療
範囲である。
    (ウ) 以上のとおり,原告は,虚血性心疾患発症に関する私的リスクファクターの
大半を有し,極めて虚血性心疾患を発症しやすい状態にあったにもかかわ
らず,有効な治療を行わないまま,誤った自己管理による運動や食事療法
を行い,基礎疾患が自然経過によって増悪した結果,私的な寒冷期のテニ
スの講習による負荷が引き金となって発症に至ったものと考えられ,業務と
の関連性は全く認められない。
   オ レイノー病又はレイノー症候群と心筋梗塞との関連性
     原告の主張は,一次性レイノー現象(レイノー病)と二次性レイノー現象(レイノ
ー症候群)ないしこれに含まれる外傷性レイノー現象を混同するものであっ
て,その点で失当であるが,それだけでなく,原告の場合,その発症の経緯か
らみても,寒冷曝露が一次性・二次性レイノー現象を引き起こす一次的原因
になったとは認められないのであるから,原告の主張は失当である。 
第4 当裁判所の判断
 1 後記各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。
  (1) Z研究所の組織体制等
    原告が船舶・海洋研究推進室長に就任した当時のZ研究所の組織体制等は,次
のとおりである(甲110,乙16,G)。
   ア 組織体制及び職制
     Z研究所は,基礎部門,開発部門,機械部門及び船海部門の4つの研究部門と
管理課で構成され,各部門にはおおむね研究室と実験課(船海部門は試験
課)がある。他の部門には複数の研究室があるが,船海部門の研究室は船
舶・海洋研究推進室のみであった。平成6年1月1日現在のZ研究所の職員
数は454名で,そのうち船舶・海洋研究推進室の職員数は18名であった。
     研究所の職制としては,研究所長が1名,その下には各部門ごとに次長が1
名,更にその下には研究室長と実験課長(船海部門では試験課長,管理課で
は課長)が置かれている。なお,原告が船舶・海洋研究推進室長であった当
時は,Eが船海部門担当次長であった。
   イ 等級と職位
     Z研究所では,管理職及び特別専門職の等級と職位について,以下のように定
められている。
     等 級  管理職位     特別専門職位
  5所長       技師長
4次長,室長    主管
3次長,室長    主査
      2室長,課長    主務
      1   係長       主任 
  (2) 原告の業務内容
   ア 室長就任前の業務
    (ア) 氷海関連の研究及び氷海水槽設備の建設等
      原告の職歴は前記争いのない事実等で認定したとおりであるが,Z研究所で
は,昭和49年に発生した第4次中東戦争に端を発したオイルショックによっ
て造船事業が不況に陥り,そのため,北極海など氷海域での石油・天然ガ
ス等の資源開発とその輸送が大きなテーマとして採りあげられ,氷海技術
の習得と発展に重点を置いて取り組むこととなった。その結果,原告も昭和
53年ころから氷海や砕氷船の研究に携わるようになった(甲4,18)。
      原告は,氷海の研究のため,昭和56年2月及び昭和57年2月には,北海道
野付郡別海町尾岱沼港等に2週間ほど出張し,同港に張った海氷の一部
を採取するなどして調査研究を行ったほか,昭和60年11月14日から翌
年4月20日までの158日間南極地域観測隊に同行し,南極の海氷等の調
査研究を行った。その際,原告は,海氷から試験片を作成するに当たり,ガ
イドレール付き電動チェーンソーや電動小型チェーンソーを使用した(甲1
8,19,68ないし72,74,F)。
      また,Z研究所では,昭和61年6月,マイナス30度まで温度制御可能な大型
低温研究室や氷海水槽などで構成される氷海実験設備が建設されたが,
これに先立ち,原告は,昭和54年から昭和60年にかけて,諸外国の氷海
水槽等を訪問し,調査研究を行うなどした(甲20,21,73,95ないし98,
100ないし102,H,F)。
(イ) 氷海水槽建設後における原告の業務
      原告は,氷海水槽の完成後,その研究責任者として氷海水槽の指揮,運営を
行うとともに,氷海水槽を利用しての実験,研究に精力的に取り組んでい
た。氷海水槽で製氷する際には,作業員が霜の除去作業のために,マイナ
ス21度まで室温が下げられた水槽内に立ち入ることがあったほか,偏光
顕微鏡写真を撮影する際などにも,マイナス20度の環境で作業をしなけれ
ばならないことがあったが,Z研究所では氷海水槽へ立ち入る際の安全管
理要領が定めらており,原告も同要領に従っていた。そして,このような室
温環境での原告の作業時間は,1週間当たり1時間から2時間程度であっ
た。また,氷海水槽での実験の実作業は船舶・海洋試験課に所属するHら
が主体となって行い,原告は,主に実験データの検討等を行っていた(甲
2,4,80ないし90,乙17,25,55,H)。
      また,原告は,氷海水槽の見学者の案内を務めていたが,その際には,プラ
ス2度ないし4度に保冷された氷海水槽に,5分から10分ほど立ち入った。
なお,原告が担当した氷海水槽の見学案内の回数は,平成3年が64回,
平成4年が114回,平成5年が75回である(甲24,27,乙14の③,24,
62)。
   イ 室長就任後の業務
    (ア) 室長業務の概要
      船舶・海洋研究推進室長の担当業務は,以下のとおりである(甲3ないし5,
7,8の①及び②,17,22,24,25,27,28,31の①ないし⑧,32の①
ないし⑤,34ないし37,111,乙18,19,24,G,F)。
     ⅰ 研究業務(船舶海洋関連機種の開発に関する研究・技術支援,各種の水槽
試験・理論計算の計画及び実施・管理,船舶海洋関連流体力学の基礎
技術の育成等)の統括管理
     ⅱ 室業務状況の次長への報告と協議
     ⅲ 研究室人事,勤労,安全衛生の管理
     ⅳ 週報作成,室課長会への出席
     ⅴ 見学者案内,客先対応,次長特命事項
     ⅵ 研究の立案,実行,予算管理
     ⅶ 船海部門の作業量確保,調整
     ⅷ 社外の各種委員会対応
    (イ) 研究業務
      原告は,室長に就任した後も研究業務に携わり,また,平成5年9月にはX関
連の研究等も担当するようになった。もっとも,マイナス20度の室温環境下
における原告の作業時間は,室長就任前に比べると減少していた(甲29,
91ないし94,H)。
    (ウ) その他の業務
      船舶・海洋研究推進室の担当次長はEであったが,同人が管理課の次長も兼
任し,多忙であったため,原告は,船海部門の実質的な取りまとめ役になる
とともに,次長の業務の一部を代行していた(甲2,5,乙16,G,E)。
  (4) Z研究所における勤務体制
   ア 勤務時間
     Z研究所では,勤務時間について下記のとおりフレックスタイム制を採用し,1日
8時間勤務と決められていた(甲2,110,乙13の③,14の③)。
    (ア) 浦上地区
       コアタイム      午前10時から正午まで
                  午後1時から午後3時まで
       フレキシブルタイム  午後6時30分から午後10時まで
                  午後3時から午後6時まで
                  午後6時30分から午後9時30分まで
       休憩時間       正午から午後1時まで
                  午後6時から午後6時30分まで
    (イ) 深堀地区
 コアタイム      午前10時から正午まで
                  午後1時から午後3時10分まで
       フレキシブルタイム  午後6時40分から午後10時10分まで
                  午後3時から午後6時10分まで
                  午後6時40分から午後9時40分まで
       休憩時間       正午から午後1時まで
                  午後6時10分から午後6時40分まで
イ 休日
     休日は,日曜日,土曜日,国民の祝日,日曜日に当たる国民の祝日の翌日,メ
ーデー,夏期休暇1日,年末年始(12月30日から1月4日),5月4日,12月
29日,特別休暇(1月4日が日曜日又は土曜日に重なった年に限る。)と定め
られていた(乙13の③,14の③,21)。
  (5) 室症就任後における原告の職場環境等
   ア Z研究所内での人間関係
     原告は,管理職2級で室長に就任したことから,自己と同格の主務(特別専門職
2級)や上位の主査(特別専門職3級)に対し,仕事の配分や予算獲得を指示
しなければならなかった。また,平成5年9月,原告を船舶・海洋研究推進室
長に推薦したFが退職した(甲110,乙62,G,F)。
   イ 資金不足等
     Z研究所では,各部門が社内外から研究や実験の依頼を獲得し,それぞれ自己
の予算を確保するといった独立採算制に近い運営がなされているところ,船
海部門においては,国際的な石油価格の低落により氷海域の開発が停滞し
ていた結果,氷海水槽の低稼働状態が続き,同水槽の償却費の確保が重要
な課題となっていた。そして,このような造船事業の低迷により,船海部門で
は研究予算が13億円必要なところ平成5年度には約1億円が不足していた。
そのため,船海部門では仕事量及び研究費等の資金の確保が最重要課題と
なり,室長である原告は,他の造船所に出向いて水槽試験の仕事の受注の
ための活動をしたり,本社から研究費を確保するなどの一層の努力を迫られ
ていた(甲2,4,5,7,110,111,G,F)。
   ウ 研究業務の遅れ
     原告が担当していた2つの氷海関連研究は,平成5年1月の時点で11か月と1
7か月の遅れが生じていた(甲33)。
  (6) 原告の勤務状況
   ア 室長就任後の勤務状況
    (ア) 就業場所等
      原告は,自己の業務を遂行する上で,船舶・海洋研究推進室の所在する深堀
地区の本館3階及び本館に隣接する耐航性能水槽並びに深堀地区に所在
する船型試験場の3か所の机で就業する必要があったため,基本的に毎
日この3か所を巡回していた。また,原告は,1週間のうち3日程度は自宅
から浦上地区に出勤し,それ以外の日は深堀地区に直行していた。さら
に,原告は,深堀地区から帰宅する際には,ほとんどの場合,浦上地区に
立ち寄ってから帰宅していた。なお,深堀地区と浦上地区における原告の
就業時間の割合は,おおむね7対3であった(甲2,110,乙15,G,I)。
    (イ) 勤務時間等
      原告の勤務時間等を的確に把握する資料は存在しないが,関係証拠(甲1,
2,110,乙13の③,14の③,20,G,I,E)に照らし,おおむね以下のと
おりであったと認められる。
     a 出退勤時刻等
       原告は,浦上地区に出社する場合には,午前7時40分から始まるミーティン
グに間に合うように出勤していた。一方,深堀地区に直行する場合に
は,午前8時ころには始業していた。
       また,原告の退勤時刻は,同人の通常の帰宅時刻が午後9時前後であった
ことなどに照らし,午後8時30分ないしこの時刻を少し過ぎたころであっ
たと推察される。なお,通常の場合,原告が自宅に仕事を持ち帰ること
はあまりなかったが,自宅で勤務評定や部下の研究論文の評価等を行
うこともあった。
     b 休憩時間
       原告は,正午から午後1時までの休憩時間を使って,浦上地区と深堀地区と
を移動することがあった。
     c 休日
       原告は,一月当たり3回ほど土曜日に出社していた。また,日曜日や祝祭日
には,自宅で室員の研究論文を査読したり,出社して資料や文献の調査
をすることもあった。。
    (ウ) 休暇取得状況
      原告は,平成5年において,3月29日,4月30日,7月27日,7月28日,8月
2日,8月3日,8月10日,8月13日,8月31日,9月3日,9月10日,9月
18日,11月22日,11月27日及び11月29日に全休を,3月22日,5月
11日,5月25日,6月8日,6月16日及び7月20日に半日休(午前休)を
取得した(乙23)。もっとも,証拠(甲28,29,40の②,42,乙22,24,
E)によれば,原告は,これらのうち,少なくとも4月30日,8月31日,9月3
日,9月10日,11月22日,11月27日,11月29日には出勤していたと認
められる。
    (エ) 出張
      原告には,東京を中心として月2回程度の国内出張があった。また,平成5年
8月15日から同月22日には,ドイツで開催された国際シンポジウムに出
席するため,国外出張を行った。なお,原告の発症直近の出張の回数等は
後記(5)カのとおりである(甲5,9,46)。
   イ 発症日の勤務状況
     原告が本件疾病を発症した日は所定休日の土曜日であり,原告は,午前11時
ころに自宅からBテニスクラブに向かい,午前11時15分ころからテニスの講
習の受講を開始している。したがって,原告は,発症日には業務に従事してい
なかったと認められる(甲1,乙5の①,I)。
   ウ 発症前日(平成6年1月7日)の勤務状況
     原告の勤務時間等を特定するための的確な証拠はないが,普段と変わらない
勤務状況であったと推察される(甲1,I)。
   エ 発症前10日間(平成5年12月29日から平成6年1月7日まで)の勤務状況
     Z研究所では,平成5年12月29日から平成6年1月5日まで年末年始の所定
休日であったところ,その間,原告は,自宅で依頼原稿を執筆するなどし,普
段の日曜日と変わらない生活を送っていた。なお,原告は,平成6年1月4
日,会社関係の新年会に出席するため,午後4時ころから午後7時ころまで外
出した(甲1,I)。
     平成6年1月6日は仕事始めの日であり,原告は,午後6時ころには業務を終わ
らせ,その後は午後8時ころまで宴会に出席した(甲1)。
   オ 平成5年12月の勤務状況
    (ア) 業務内容
      関係証拠(甲5,36,37,40の①,41の⑤,110,111,乙18,19の①,2
0,G,F)によると,以下の事実が認められる。
      Z研究所では,例年12月ころ,本社役員等による視察があり,Z研究所の職
員は,多くの時間を割いてその準備をし,室長である原告は,E次長ととも
に船海部門の視察に関する取りまとめ等を行った。また,同時期は,当期
の研究成果や作業量を予測して年間収支報告としてまとめ,年度末の決算
に備えるとともに,次年度の研究予算を獲得するため,研究室としての次
期の研究開発計画を策定しなければならず,研究室員にとって,1年の中
でも多忙な時期であった。
      平成5年12月における原告の業務内容をみると,平成5年においても12月7
日及び同月10日に本社役員らによる事業所視察及び事業所幹部による
見学会が催されたほか,原告は,船舶・海洋研究推進室の研究費を確保
するため,室員全員を指導して企画推進を行うとともに,実験研究に必要な
人員や時間数を取りまとめ,年間スケジュール等を作成するなどしていたと
推察される。また,原告の受け持つ氷海関連の研究の取りまとめ期限が迫
っていたため,原告は,併せてこの作業も行っていた。さらに,同年12月に
は,原告が取りまとめを担当するX及びYのプロジェクトに関し,A社との間
で研究開発委託契約等が締結されている。
(イ) 出張
      原告は,平成5年12月8日及び同月15日に日帰りで東京に出張した(乙2
2)。
   カ 発症前6か月の勤務状況
    (ア) 業務内容
      原告の発症前6か月の業務は,前記1(2)イで認定した日常的な室長業務や研
究業務のほか,以下のようなものであったと認められる(甲9,39ないし4
1,46,47,111,乙62,F,E)。
      平成5年7月12日及び翌13日に山口県下関市で船型研究会が行われた。船
型研究会とは,A社内において研究開発計画等を決めることを目的とした
会議であり,船海部門が社内関連事業所から研究予算を獲得する上で最
も重要なものであった。そのため,原告は,十分に準備をして同研究会に
臨まなくてはならず,同年6月ころから,現在進められている研究の進捗状
況等をまとめるなどしていた。
      また,原告は,夏ころから本社役員らによる事業所視察等の準備を進めるとと
もに,秋ころからは次年度における研究スケジュールを策定するための準
備を進めていた。
      そのほか,原告は,同年8月にドイツで開催された氷工学関係の国際シンポジ
ウム(POAC93)において研究報告を行うための準備や,X及びYのプロジ
ェクトにおいて同業他社との主導権争いに勝つため,精力的な活動を行っ
ていた。
    (イ) 出張
      証拠(甲9,46)によれば,原告の平成5年7月から同年11月までの出張状
況は以下のとおりであったと認められる。
     a 平成5年7月
        7月7日(水)から同月9日(金)    札幌市
        7月11日(日)から同月13日(火)  山口県下関市
        7月29日(木)及び同月30日(金)  山口県下関市
     b 平成5年8月
        8月15日(日)から同月22日(日)  ドイツ
     c 平成5年9月
        9月8日(水)             東京
        9月29日(水)及び同月30日(木)  東京
     d 平成5年10月
        10月4日(月)            東京
        10月7日(木)            東京
     e 平成5年11月
        11月11日(木)及び同月12日(金) 東京
        11月15日(月)及び同月16日(火) 東京
        11月17日(火)           香川県丸亀市
        なお,原告は,同月16日に東京から戻った後,その日のうちに広島の実家
に向かい,翌17日に同所から出張先に向かった(甲112)。
        11月19日(金)及び同月20日(土)  東京
  (7) 原告の健康状態
   ア 血圧
     原告は,若いころから血圧が高く,18歳か19歳のころには降圧剤による治療を
受けた経験があった。証拠から認められる原告の血圧の測定結果は,別表3
のとおりである。なお,同別表中の血圧の分類は,日本高血圧学会高血圧治
療ガイドラインの基準による(甲1,10,乙25,26の①及び②,28)。
     分    類  収縮期血圧(mmHg)    拡張期血圧(mmHg)
     正常血圧130未満        85未満
     正常高値血圧  130~139      85~89
     軽症高血圧  140~159      90~99
     中等症高血圧  160~179      100~109
     重症高血圧  180以上        110以上
   イ 肥満
     日本肥満学会による肥満の判定基準によれば,肥満の基準は,BMI(体格指
数=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m))をもとに判定するとされており,BMIが
18.5以上25未満である場合を普通体重とし,BMI25以上を肥満としている
(WHOの基準ではBMI30以上を肥満としている。)。なお,標準体重は,最も
疾病が少ないBMI22を基準として,身長(m)の二乗に22を乗じて計算され
た値とされている(乙67)。
     証拠(甲10,乙25,乙26の①及び②)によれば,原告の身長は約167センチ
メートルであるところ,同人の昭和48年から平成5年までの体重は,62キロ
グラムから69キログラムで推移しており(直近である平成5年11月時点での
体重は68.4キログラム),一貫して普通体重であった(なお,乙25において
は,昭和63年9月5日時点の原告の体重が73.9キログラムであると記載さ
れているが,原告の身長が175.5センチメートルと記載されていることに照
らし,明らかな誤記であると考えられる。)。
   ウ 高脂血症
     高脂血症とは,血中リポたんぱくの分泌亢進・処理障害により血中脂質が異常
に増加する状態をいい,高コレステロール血症,高LDLコレステロール血症,
低HDLコレステロール血症,高トリグリセリド血症の総称である。日本動脈硬
化学会の2002年版動脈硬化性疾患診療ガイドラインによれば,これらの診
断基準は,高コレステロール血症については総コレステロールが220
mg/dl以上,高LDLコレステロール血症についてはLDLコレステロールが14
0mg/dl以上,低HDLコレステロール血症についてはHDLコレステロールが4
0mg/dl未満,高トリグリセリド血症についてはトリグリセリドが150mg/dl以上
である(甲124,乙30,50)。
     原告は,平成元年8月ころから,総コレステロール値が220mg/dl以上を示す傾
向にあり,平成3年12月17日に高脂血症の診断を受けた。その後,トリグリ
セリドについては,平成5年5月12日に165mg/dlという測定値が記録され,
総コレステロール値については,平成4年7月22日に230mg/dl,平成5年5
月12日には250mg/dlという測定値が記録されているが,その他の検査では
いずれも基準値を下回っていた(乙7,25)。
   エ 高尿酸血症
     高尿酸血症とは,体内に尿酸が過剰にたまる状態をいい,男性の血清尿酸基
準値は4.0mg/dlから7.0mg/dlとされ,7.0mg/dl以上を臨床的に高尿酸血
症と判断するとされている(乙30,65)。
     原告の入社以降の尿酸値は,平成4年3月25日の測定値(6.8mg/dl)を除い
て,いずれも7.0mg/dl以上であり,平成3年12月17日には高尿酸血症と診
断さた(甲10,113,乙7,25,26の①及び②,65)。
   オ 糖尿病
     糖尿病とは,血液中の糖(ブドウ糖)濃度が高い状態になりやすい身体的特質
をいう。
     日本糖尿病学会の「糖尿病治療ガイド2002-2003」での指標と評価(空腹時
血糖100未満が優,100から119が良,120から139が可,140以上が不
可)によれば,原告の平成元年8月から平成5年11月までの間の血糖検査の
結果はいずれも正常値であり,原告が糖尿病に罹患していたとは認められな
い(甲10,113,乙25,65)。
   カ その他
     関係証拠(甲10,14の①及び②,乙25)によれば,原告が自覚していた症状
について,以下の事実が認められる。
    (ア) 体調の不良
      原告は,遅くとも平成3年12月ころには慢性的な体調不良を覚えていた。ま
た,原告は,平成4年2月には全身倦怠感,頭痛,目の痛み等の症状を自
覚し,平成5年5月にも,J病院の診察において,同様の症状を訴えてい
た。
    (イ) 指先のしびれ等
      原告には,昭和47年ころから,起床時に時々指先がピリピリするといった症状
があった。また,平成3年初めころから,起床時に,肩から指にかけてのし
びれ(ピリピリ感)や頭皮にしびれがあり,しばらくすると改善するといった症
状が出ていた。なお,このような指先のピリピリ感は日中まで続くこともあ
り,テニスを行った翌日に増強し,ビタミン剤を服用すると軽快した。
    (ウ) レイノー現象
      レイノー現象とは,寒冷などの刺激で皮膚細動脈の発作性収縮により,四肢,
特に手指の蒼白化を生ずる現象をいい,発作性,一過性で,多くの場合は
15分以内に消失する。レイノー現象は寒冷刺激によって誘発される場合
が最も多いが,精神的緊張,興奮,驚がく,恐怖などの情緒変動などによっ
て発現する例も報告されている(甲12,13,乙36,37)。
      原告は,平成3年1月ころから,寒さによって手指の先や足が白っぽくなるとい
った症状を自覚するようになり,平成5年5月には医師からレイノー病の疑
いが指摘されていた。
    (エ) 胸(心臓部)の痛み
      原告は,平成4年2月ころには心臓部の痛みを自覚し,同年3月ころには,胸
がキュッとなるといった症状が多く出現していた。また,原告が平成5年11
月17日に香川県丸亀市に出張する途中で同月16日に広島県の実家に寄
った際,原告は胸の異常を覚え,その兄からニトロをもらい,出張から帰崎
してすぐに医師を受診している(なお,診断の結果は異常はないとのことで
あった。)。
   キ 治療
     原告の高血圧の症状については,経過観察の状態にあり,投薬治療は行われ
ていなかった。また,高脂血症及び高尿酸血症については,同症の診断を受
けた平成3年12月17日以降,投薬治療(メバロチン,ウラリットU,ユリノー
ム)を受けていた(甲1,10,乙7,25,41)。
  (8) 原告の生活習慣等
   ア 原告の性格
     原告は,会社の同僚等から,素直,温厚,几帳面で責任感が強く,冷静な判断
能力を持った人物と評価されていた(甲2,5,乙13の③,20)。
   イ 睡眠時間
     原告は,平日には午前6時ころ起床し,午前零時ころに就寝していた。また,休
日には午前7時ころ起床し,土曜は午後11時ころ,日曜日は午後10時ころに
就寝していた(甲1,112,I)。
   ウ 喫煙・飲酒
     原告に喫煙の習慣はなく,また,飲酒もつきあいの席上のもので,その量は多く
なかった(甲1,2,5)。
  (9) 原告の家族歴
    原告の実父は,脳溢血で倒れ,その1,2年後に脳梗塞で死亡した(69歳)。実母
は,狭心症を患っている。なお,J病院の外来診療録(乙25)に含まれている「高
血圧者個人カード」の家族欄には,父方の祖父に「高血圧(+)」,同祖母に「脳
溢血,高血圧(+)」,父に「高血圧(+),脳出血による死亡」とあり,兄及び弟の
両人にも「高血圧(+)」と記載されている。
  (10) 発症当時の状況
    関係証拠(甲126,乙5の①,13の③,14の③)によれば,以下の事実が認めら
れる。
    長崎地方の平成6年1月8日の天候は曇りで,平均気温7.5度,午前8時の気温
6.0度,午前10時の気温8.0度,午前11時の気温8.2度,正午の気温8.5
度であった。
    原告の受講していた講習は中級クラスであったが,原告は,準備体操を行った
上,コーチが出した打ちやすい球を10名程度の受講生が順番に打ち返すという
練習を約2分間行った後に本件疾病を発症した。なお,発症当日には,インドア
(屋根付き)コートが使用されていた。
  (11) 心筋梗塞の発生機序等
    証拠(甲114ないし122,乙45)によれば,以下の事実が認められる。
   ア 心筋梗塞の概要 
     突然の冠血流途絶により生じた心筋壊死を心筋梗塞という。致死率は30パー
セントから50パーセントであり,死亡例の大半は発症から2時間以内に,致
死的不整脈や心原性ショックによって死亡する。梗塞を生じた部位により前
壁,側壁,下壁,後壁,右室梗塞等に分類される。また,心筋壁内の梗塞の
広がりにより,心内膜下梗塞,貫壁性梗塞に分類されることもある。
   イ 成因
     冠動脈硬化病変の脂質に富むプラーク(血管内膜の限局性肥厚)が突然破綻
し,それに伴う血栓形成により冠動脈内腔の閉塞をきたし血流が途絶する。
その持続により心筋代謝の維持が不可能となり,心筋壊死が生じ発症してく
る。梗塞部位の心筋は,急性期には壊死,変性を示す。経過とともに白血球
浸潤が出現し,壊死心筋は消失して線維組織に置き換わる。それまでの経過
には約1か月を要する。
     なお,急性心筋梗塞,不安定狭心症,心臓性突然死は,プラーク破綻と血栓形
成という共通の基礎病態から発症し,血管内腔の狭窄度と血流遮断持続時
間等の違いによる虚血の程度差が臨床病型を決めていると考えられており,
一括して急性冠症候群として扱うことが一般的となっている。
   ウ 発症の経過等
     急性心筋梗塞は,冠動脈硬化症の進展に伴って起こってくる虚血性心事故の
一つである。突然発症する場合と何らかの前駆症状が認められる場合があ
り,その比率は1対1あるいは2対3程度とされている。前駆症状は,狭心症
の増悪あるいは突然の狭心症の出現等であり,これらは不安定狭心症に相
当する。急性心筋梗塞の発症時刻は,起床後6時間以内の午前中にピーク
があるとする報告例が多い。また,睡眠中,安静時,軽労作中に発症する頻
度は高く,いわば長年の日常生活の営みの中で,徐々に血管病変等が形
成,進行及び増悪するといった経過をたどって発症するものと考えられてい
る。合併症として不整脈,心不全,心原性ショック,心破裂等がみられ,入院
後の死亡率は約10パーセントである。治療は,発症から12時間以内であれ
ば,血流を再開させる再灌流療法を行う。
   エ 過重な業務が心筋梗塞発症に与える影響
     証拠(甲51ないし66,114ないし118,123,乙45)によれば,以下の事実が
認められる。
     急性心筋梗塞は,前記のとおり日常生活の中で徐々に形成,進行及び増悪し
た血管病変が破綻することによって発症するものではあるが,発症に近接し
た時期において,業務に関する異常な出来事に遭遇した場合や,日常業務に
比較して特に過重な精神的,身体的負荷を生じさせる業務に就労した場合に
は,これらの過重負荷が急激な血圧変動や血管収縮等を引き起こし,血管病
変等を著しく増悪させ,心臓疾患等の発生原因となると考えられている。ま
た,このような発症に近接した時期における過重負荷のほか,長期間にわた
る長時間労働は,血圧の上昇などの生理的変化をもたらし,その結果,血管
病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させる可能性があると考えられて
いる。すなわち,業務には,どのような業務であれ,それを遂行することによっ
て生体機能に一定の変化を生じさせる負荷要因が存在するところ,この負荷
要因によって引き起こされる反応を一般にストレス反応といい,このようなスト
レス反応によって,血圧上昇,心拍数の増加,不眠,疲労感などの生理的反
応が生じる場合がある。もとより,一般的な日常の業務等により生じるストレス
反応は一時的なもので,休憩・休息,睡眠,その他の適切な対処により,生体
は元に復し得るものであるが,長時間労働等による負荷が長期間にわたって
作用した場合には,ストレス反応は持続し,かつ,過大となり,ついには回復し
難いものとなる。このような疲労の蓄積によって,生体機能が低下し,血管病
変等が増悪することがあると考えられている。もっとも,このように恒常的な長
時間労働は虚血性心疾患,高血圧,血圧上昇などの心血管系への影響を与
えることが指摘されているが,現時点においては,長時間労働が健康に及ぼ
す影響について調べたもので,十分に計画され評価に耐える疫学調査の報
告は必ずしも多くはない。また,長時間労働が心臓疾患に影響を及ぼす理由
については,①睡眠時間が不足し疲労の蓄積が生じること,②生活時間の中
での休憩・休息や余暇活動の時間が制限されること,③長時間に及ぶ労働で
は,疲労し低下した心理・生理機能を鼓舞して職務上求められる一定のパフ
ォーマンスを維持する必要が生じ,これが直接的なストレス負荷要因となるこ
と,④就労態様による負荷要因(物理・科学的有害因子を含む。)に対する曝
露時間が長くなることなどがその原因として考えられているが,ストレスそのも
のの定量化の困難性や,心臓疾患発症の最終段階があいまいであることに
より,明確な因果関係をつけにくいとされている。そして,このような現時点で
の研究成果を踏まえて,長時間労働が心疾患発症に及ぼす影響を考察する
と,睡眠不足によって循環器や交感神経系の反応性が高められ,それが脳・
心臓疾患の有病率や死亡率を高めると考えられていることや,睡眠時間が6
時間未満では狭心症や心筋梗塞の有病率が高いと認められていることなど
に照らし,睡眠が十分取れず,疲労の回復が困難となることにより生ずる疲労
の蓄積が心臓疾患の発症に深く関わっていると考えられている。なお,業務
による精神的緊張(業務ストレス)の影響については,なかには長期にわたる
高ストレス群で血圧の上昇を認める報告例もあるが,それと血圧上昇との関
連性を認めない報告例も多く存在する。また,長期にわたる慢性的な業務スト
レスと心筋梗塞を含めた心血管疾患の関係をみると,有意の心血管疾患の
罹患ないし死亡率の増加を認める報告例もあるが,その相対リスクないしオッ
ズ比をみると,1.0ないし2.0にとどまっている報告例が多い。
     以上のとおり,業務による過重負荷と脳・心臓疾患の発症パターンには,①長
時間労働業務による負荷が長期間にわたって生体に加わることによって疲労
の蓄積が生じ,それが血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ発
症する場合,②長時間労働業務による負荷が長期間にわたって生体に加わ
ることによって疲労の蓄積が生じ,それが血管病変等をその自然経過を超え
て著しく増悪させ,更に発症に近接した時期の業務による急性の負荷が引き
金となって発症する場合,③発症に近接した時期の業務による負荷が原因と
なって発症する場合があると考えられているが,長時間労働業務による疲労
の蓄積が生じて脳・心臓疾患が発症する場合には,過重業務による睡眠不足
の影響が大きいと考えられている。
   オ 寒冷曝露が心筋梗塞発症に与える影響
     寒冷気候の地域社会では脳・心臓疾患が誘発あるいは増悪されるといったこと
や,寒冷曝露によって血圧が上昇するといったことが報告されており,これら
の報告例に照らし,寒冷環境下における作業が血管病変を増悪させる場合
があると認められる(甲78,79,109,乙45)。
  (12) 狭心症の発生機序等
    証拠(甲118,120,乙45)によれば,以下の事実が認められる。
   ア 狭心症の概要
     狭心症は,冠動脈の異常(器質的狭窄あるいは機能的狭窄)により,心筋の需
要に応じた酸素の供給不足から生じた一過性の心筋虚血による胸部症状を
主徴候とする症候群である。
     狭心症は,一過性の心筋虚血から生じる。実際には,酸素需要の増加又はそ
の供給の低下あるいはその両者の組み合わせで起こってくる。動脈硬化病変
によって内径の75パーセント以上の狭窄が生じると,冠動脈の近位部の太い
血管が,運動時等の心筋酸素需要の上昇時に供給不足となり,虚血が生じ
る。一部の例では,冠動脈の攣縮が起こり,血流低下が生じる。
   イ 発症の経過等
     狭心症は,①冠動脈に広範かつ高度の器質的狭窄が存在するために労作によ
って生ずる心筋の酸素需要が増加して発生する安定労作性狭心症(器質性
狭心症),②冠動脈が機能的に閉塞ないし狭窄すなわち攣縮に陥ったために
心筋への酸素の供給が急激に減少して生じる冠攣縮性狭心症(典型例が異
型狭心症であり,発作が安静時に出現し,しかも心電図のST上昇を伴うもの
をいう。),③冠動脈内に血栓が一過性に形成されて内腔が狭窄ないし閉塞さ
れたために生ずる冠血栓性狭心症に分けられ,後二者は不安定狭心症と呼
ばれている。不安定狭心症は,心臓性突然死や急性心筋梗塞への進展の危
険度が高く,放置しておけば,約10パーセントが心事故を発症してくる。不安
定狭心症は,発症から数週間内の狭心症,突然発症してきた安静時狭心症,
徐々に発作の頻度,強度,持続時間等が増悪してきた狭心症などが相当す
る。安定労作狭心症例は,狭心症の原因となっている病変の進行がないか,
あるいは他の冠動脈病変の進行がなければ,安定した状態にある。
     なお,急性心筋梗塞,不安定狭心症,心臓性突然死は,プラーク破綻と血栓形
成という共通の基礎病態から発症し,血管内腔の狭窄度と血流遮断持続時
間等の違いによる虚血の程度差が臨床病型を決めているとの考えがあり,こ
れらを一括して急性冠症候群として扱うことが一般的となっている。
  (13) レイノー病及びレイノー症候群
    関係証拠(甲12,13,乙29,36,37)によれば,以下の事実が認められる。
   ア レイノー現象の原因等
     原病があってレイノー現象を起こす場合(二次性レイノー現象)をレイノー症候群
といい,原病が明らかでない場合をレイノー病(一次性,原発性レイノー現象)
という。
     レイノー病の発生原因は明らかではなく,中枢障害説(脊髄灰白質にある血管
運動中枢における刺激性の亢進が原因であると考えるもの)や局所障害説
(局所の細小血管の寒冷に対する過敏性に原因を求める考え)などの見解が
主張されている。他方,レイノー症候群の原因となる疾患には,膠原病(汎発
性強皮症,全身性エリテマトーデス,多発性関節リウマチ),神経性障害(血
管神経症候群,神経疾患),閉塞性動脈疾患(閉塞性血栓性動脈炎,閉塞性
動脈硬化症,動脈塞栓症),血液疾患(真性赤血球増多症,クリオグロブリン
血症),内分泌疾患(甲状腺機能低下症,膵臓の腺癌),中毒(麦角など)があ
るが,そのほか,外傷や振動障害によってもレイノー症候群が発症する。
   イ 振動障害によるレイノー症候群
     振動障害によるレイノー症候群の症状については,特有な手指の蒼白発作が
みられるほか,しびれ感,疼痛,知覚鈍麻などが多くみられ,初期症状として
は上腕の倦怠感が最も多い。また,レイノー現象が初発する振動工具使用期
間は,使用する振動工具,1日の使用時間及びその地方の気候にもよるが,
チェーンソー使用者で1日連続2ないし4時間使用の場合には2,3年で発症
するのがほとんどである。蒼白現象に関しては作業中の冷雨など全身が寒冷
に曝露されたときに初発した例が多い。この発現条件,臨床症状とその後の
進展状況には一定の傾向がみられ,上腕の倦怠感,特に利き腕の反対側に
初発し,それが数か月続いた後,蒼白現象が寒風,振動などの誘因で引き起
こされる。レイノー病のように左右対称性に発症することはまずない。 
     振動障害によるレイノー現象の発生機序は,自律神経高位中枢,神経終末並
びに局所血管壁など種々の血流因子と振動との関係から多数の研究が発表
されているが,病期による病態整理の変化も想定されるなど,極めて複雑な
背景の組み合わせもあって,十分に解明されていない。
  (14) 本件疾病に関する私的リスクファクター等(甲114,117,乙4,45,64の④)
    虚血性心疾患は,冠動脈粥状硬化が原因となって発症してくる。粥状硬化は,短
期間に発生するものではなく,長い年月をかけて徐々に進行する。その形成,進
行には,遺伝的体質のほか生活習慣や環境要因が影響を与え,現在,100を
超える因子が報告されている。また,これらの因子が重なった場合には,その影
響は極めて大きくなることが報告されている。
   ア 基礎疾患
     前記(6)のとおり,原告は,高血圧,高脂血症,高尿酸血症の基礎疾患を有して
いた。これらの基礎疾患等が虚血性心疾患の私的リスクファクターになるかど
うかについては,以下のような報告がされている。
    (ア) 高血圧
      高血圧は,粥状硬化より細小動脈硬化を起こしやすく,虚血性心疾患との関
連がみられる。一般に軽症の高血圧の虚血性心疾患に対する影響はそれ
ほど大きくないが,重症の高血圧の相対リスクないしオッズ比は3ないし7
倍という報告もある。
    (イ) 高脂血症
      脂肪は水に溶けないので,血液中のコレステロールは,すべて微少な脂肪粒
子の表面をアポたんぱくが覆うような形をとっており,この複合体であるリポ
たんぱくの比率や種類を異にするリポたんぱくが区別できる。その中で脂
肪粒子が小さくアポたんぱくAの比率が高く,全体としての比重が高い高比
重リポたんぱく(HDL),脂肪分の割合が高い低比重リポたんぱく(LDL),
コレステロールが少なく中性脂肪を主とする粒の周りにアポたんぱくがつい
ている極低比重リポたんぱく(VLDL)が区別し得るが,それぞれ役割を異
にする。低比重リポたんぱくに含まれるコレステロールは,動脈壁に取り込
まれて動脈硬化を促進する。
      血清総コレステロールあるいは高LDLコレステロール値と虚血性心疾患発症
率には,正の相関がみられる。総コレステロール値が220mg/dlを超える
と,虚血性心疾患の発症率が増加してくる。HDLに含まれるコレステロー
ルは,末梢組織からコレステロールを除去する働きを有しており,これが抗
動脈硬化作用として働く。HDLコレステロール値低下によっても,虚血性心
疾患発症率が増加することが認められており,HDLコレステロールの低値
(35mg/dl未満)もリスクファクターとして評価される。高脂血症のリスクは,
1.2ないし2.6倍との報告が多い。
    (ウ) 高尿酸血症
      男性痛風患者は虚血性心疾患の発症率が2倍増加したとの報告もあるが,高
尿酸血症そのものが虚血性心疾患の発症に直接関与するのか,高頻度に
合併する高脂血症,高血圧,糖尿病,肥満等の影響なのか明らかでない点
がある。
   イ 加齢
     加齢により,虚血性心疾患発症頻度は増加してくる。虚血性心疾患発症例にお
いて,高齢者は若年者に比して,他のリスクファクターを有する率が低下する
ことが知られており,加齢のみが危険因子であると判断せざるを得ない例も
存在する。なお,30歳以上の日本人における年齢別の主要死因の構成割合
をみると,男性では40歳から89歳,女性では30歳から84歳までは悪性腫
瘍が死因の第1位を占めているが,男女とも45歳以上の年齢層では心疾患
の占める割合が高くなっている。また,心臓疾患について年齢別死亡者数を
みると,50歳以上の年齢層では加齢とともに対数的に増加している。
   ウ 家族歴
     家族の中から同じ疾患が続発しても,これだけでは当該疾患が遺伝性であるこ
とを意味しない。家族集積性の原因は,しばしば遺伝であるよりも共通の生活
習慣にある。若年時に共通の疾患を発症した場合は,遺伝的影響についても
検討する必要があり,虚血性心疾患の場合,50歳程度を基準として判定する
のが一般的である。高脂血症には同一家系に遺伝的に現れる家族性高脂血
症があり,若年であっても重症の虚血性心疾患を発症する。
   エ 運動負荷等
     スポーツに関連した突然死については,ⅰ男性に多い,ⅱ中高年者に多い,ⅲ
中高年者の原因基礎疾患としては圧倒的に冠動脈硬化性心疾患(心筋梗
塞)が多い,ⅳ年齢にかかわらず,原因基礎疾患のほとんどすべては循環器
疾患であるといった特徴が挙げられる。もっとも,急性心筋梗塞の発症時の状
況については,睡眠中22パーセント,安静時31パーセント,軽労作中20パ
ーセント,中等度ないし強度の労作中6パーセント,精神的興奮時3パーセン
トとの報告があり,過度の身体的,精神的負荷と発症が関連付けられる例は
少ないといった報告もある。
   オ 発症時期
     虚血性心疾患の月別死亡率は寒い時期に高い。また,心筋梗塞発症の時間帯
は午前中に多く,特に午前8時から12時における発症頻度は,夜間12時前
後の2ないし3倍であるといった報告がされている。
  (15) 本件疾病の原因に関する各医師の意見
   ア K医師(甲11の②)
(ア) レイノー現象と本件疾病の関係等
      原告の症例として冷却により手指先の蒼白発作があり,レイノー現象があるも
のと考えられる。また,原告には基礎疾患の存在が考えにくいことから,原
告の症状は,レイノー病によるものと診断できる。もっとも,現在,レイノー
病は心筋梗塞発症の危険因子として挙げられておらず,原告のレイノー病
と本件疾病発症には関係がないといわざるを得ない。
   (イ) 原告の自覚症状(胸部痛)が狭心症と考えられるか。
      原告の訴える胸部痛は,狭心症を疑わせるような持続的なものではなく,平成
5年5月11日以降は同様な症状を訴えていない。したがって,医学的には
狭心症は考えにくい。
    (ウ) 本件疾病の機序
      冠動脈硬化の危険因子としては,喫煙,高脂血症,高血圧,糖尿病,高尿酸
血症,肥満などが挙げられており,原告の場合,これらの因子のうち高脂
血症,高血圧,高尿酸血症などを伴っていた。したがって,これらの危険因
子により冠動脈疾患が発症し,進行した可能性は否定できない。一方,運
動により脱水状態が生じ血栓が付着しやすい状態が生じる。また,急に寒
い所で運動すると冠動脈スパズムが起こりやすいことも知られており,原告
の場合,運動を開始して短時間で本件疾病を発症しており,冠動脈スパズ
ムが起こり完全閉塞が続き,心筋梗塞を発症した可能性が高い。したがっ
て,テニスと本件疾病との関連は大きいと考えられる。
   イ M医師(甲15)
原告は平成4年2月ころに狭心症を発症していたと考えられるところ,その原因
は原告の室長としての心理的負荷によるもの推測される。このような心理的
負荷が継続した結果,本件疾病を発症したと考えても不自然ではない。
   ウ N医師(甲113)
原告の高血圧症及び高脂血症は軽度であり,原告が48歳6か月で急性心筋梗
塞を発症したことは疾病の自然経過として説明できない。原告の場合,長時
間過密労働による過労・ストレスが原因となって冠動脈硬化症が自然経過を
超えて進行した。また,業務による寒冷曝露も,冠動脈攣縮性を高め,冠動脈
硬化症の進行と急性心筋梗塞発症に関与した。
     原告は,平成5年12月末ころまでには,急性心筋梗塞をいつ発症してもおかし
くない状態となっており,年末年始の休暇を取得したことによっても血管病変
は修復されなかった。なお,原告が発症当日に行ったテニスは,引き金にすぎ
ず,原告の急性心筋梗塞発症に重要な要因とは認められない。
     したがって,本件疾病は,原告が従事した業務と医学的因果関係が認められ
る。
   エ O医師(乙7の②)
     原告は,昭和63年8月,高血圧,高尿酸血症,高コレステロール血症によりJ病
院内科を受診したが,薬物治療の必要はなかった。その後,平成3年12月1
7日から,高脂血症と高尿酸血症の治療のため,J病院内科に通院して薬物
治療を受けていたが,特に症状はなく,検査値も比較的落ち着いていたと思
われる。
     高脂血症や高尿酸血症は一般的に心筋梗塞の危険因子であるが,高脂血症
や高尿酸血症があるからといって,必ずしも心筋梗塞を起こすわけではなく,
その直接的関連は不明である。
   オ P医師(以下「P医師」という。乙65)
     原告が,発症当時48歳6か月であること,18歳から19歳で高血圧に罹患し,2
7歳の時点に軽症高血圧に気付き,以後においても軽症ないし中等高血圧が
持続していたこと,高血圧の遺伝的負荷をかなり濃厚に受けていること,高脂
血症,高尿酸血症があり,しかも,虚血性心疾患と関連する狭心痛が心筋梗
塞発症前に時々発生していたことなどを考慮すると,原告の心筋梗塞の発症
機序としては,原告の冠動脈には線維性皮膜の薄い,傷つきやすい,高度で
はない,いわゆる不安定な粥状硬化巣が発生しており,原告はそれの軽微な
破綻による小さな血栓形成とその修復に基づく狭心症症状を時々繰り返して
いたところ,発症直前のテニスによる運動負荷や寒冷刺激が引き金となって,
冠動脈の傷つきやすい粥状硬化巣が破綻し,その部に血栓が形成され,大き
くなった血栓による冠動脈内腔の持続的閉塞によって急性心筋梗塞発症をき
たしたとするのが,無理のない妥当なメカニズムと推定される。
     以上により,疾病の自然経過として原告に心筋梗塞が発症したことは,医学的
経験則に照らして説明が可能である。
 2 本件疾病の業務起因性
  (1) 業務起因性の判断基準
    当該労働者の疾病等が労災保険法7条1項1号にいう「業務上の疾病」と認めら
れるためには,当該業務と当該結果との間に条件関係があるだけでは足りず,
両者の間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)
があることが必要である。
    そして,労災補償制度が業務に内在ないし随伴する危険が現実化した場合に労
働者に発生した損失を補償するものであることにかんがみれば,かかる相当因
果関係が肯定されるためには,当該発症が業務に内在ないし随伴する危険が
現実化したことによるものとみることができるか否かによって判断するのが相当
である。
  (2) 業務の過重性(危険性)
   ア 原告が従事した寒冷環境下での業務と血管病変等の増悪の可能性
    (ア) 原告は,長期間にわたって寒冷環境下で業務を遂行した結果,血圧が
     上昇し,動脈硬化が進行したと主張する。しかし,証拠(甲10,乙25,26の①
及び②)によれば,原告は18,19歳ころから血圧が高かったことが認めら
れるほか,原告の入社時から本件疾病発症直前までの血圧の数値をみて
も,原告が氷海関連の研究に携わるようになった後あるいは氷海水槽が建
設された後に,その数値が有意に上昇したと認めることもできない。
    (イ) また,原告は,寒冷環境下での長期間にわたる業務やその際の振動作業が
原告にレイノー症候群を発症させ,その後の寒冷曝露や精神的ストレスに
よって出現したレイノー現象が原告の血管病変を増悪せしめたと主張す
る。
      しかし,関係証拠に照らしても,寒冷曝露がそれ自体としてレイノー症候群の
発症原因になることを示す医学的文献は見当たらない。また,振動障害に
よるレイノー症候群についてみても,証拠(乙36,52)によれば,振動障害
としてレイノー現象が出現するのは,強度の振動を伴う工具を連続して長
期間使用した場合であると認められるところ,原告においては,昭和56年
から昭和61年にかけて行われた北海道や南極での氷海関連の研究の際
に,試験片を作成するなどのために一時的にチェーンソー等を使用したに
すぎないのであるから,仮に原告に平成3年ころからレイノー現象が出現し
ていたとしても,これが振動障害に起因するものと認めることはできない。さ
らに,原告は,業務遂行に伴う寒冷曝露や精神的ストレスによってレイノー
現象が出現したなどと主張するが,レイノー現象の誘発原因は多様である
上,原告のレイノー現象がどのような状況で出現していたのか明らかでは
ないことなどに照らせば,原告の主張を裏付ける証拠はないといわざるを
得ない。
    (ウ) 以上により,寒冷環境下での作業が同人の血管病変を増悪させた旨の主張
は,これを採用することができない。
   イ 室長就任後の業務の過重性
    (ア) 室長就任後の原告の労働時間を明確に特定するに足りる証拠はないが,原
告は,出勤日には午前8時ころから午後8時30分ころまで働き,また,休日
については,土曜日は会社に出社して仕事をすることが多く,日曜日や祝
祭日には自宅で室員の研究論文を査読することなどもあり,そのほか,昼
休みを深堀地区から浦上地区への移動のための時間に充てたりしていた
ことは,前記のとおりである。この点,被告は,鍵記録(乙58の①ないし④)
に記録がない場合には原告が出社していなかったとする前提で,発症前6
か月間における原告の1か月当たりの時間外労働時間は多くても47時間
にすぎないと主張する。しかし,鍵記録に署名をせずに土曜や祝祭日に出
社する社員も少なからずいたことが窺える上,船海課長であったGは,同人
が土曜に出社した際に原告を見かけたことがあり,原告が土曜日の70パ
ーセントは出社していたのではないかと供述しており,同人が原告の土曜
日の出社について虚偽を述べなければならない理由は見当たらず,その
供述の信用性は高い。しかも,原告が全日の有給休暇を取得したとされる
日においても,少なくともその半分程度は原告が出社していたことは前記の
とおりであって,被告の主張は原告の時間外労働時間を過少評価している
ものといわざるを得ない。そうすると,原告の時間外労働時間を大まかに試
算すると1か月約76時間(1か月の平均勤務日数を21.7日とする。乙4
5)になるところ,原告は,このほかに土曜日の過半に出社して業務を行っ
ていたことが認められるのであるから,これを上回る相当時間数の時間外
労働に従事していたと推察される。したがって,原告が主張するほどの長
時間労働(年間労働時間数は3000時間を超え,この間の1か月当たりの
平均時間外労働時間数が100時間を超えていた)に同人が従事していた
とは直ちに認定することはできないが,原告が通常に比して継続的に相当
の長時間労働に従事していたものと評価することができる。
    (イ) また,室長の業務は,研究業務の統括管理,室業務状況の次長への報告と
協議,研究室人事,勤労,安全衛生の管理,週報作成,室課長会への出
席,見学者案内,客先対応,次長特命事項,研究の立案,実行,予算管
理,船海部門の作業量確保,調整,社外の各種委員会対応等,一般的に
も責任の重いものである。しかも,原告が室長当時は,船海部門は造船事
業の不況や氷海水槽の稼働率の低下等のため慢性的な赤字を抱え,室長
である原告は予算の獲得のために相当の努力を迫られていた上,特に平
成5年中にはY,Xのプロジェクトの本格化及びそれに伴う出張回数の増
加,Yを担当していたFの退職と原告によるそのプロジェクトの引継等相当
の時間と労力を要すると推察される仕事をこなしていたことは前述のとおり
である。さらに,同年11月及び12月には研究計画の策定,要因の見直
し,予算の編成,本社役員による事業所視察及び見学会の準備等の仕事
が重なり,時間的にも質的にも極めて多忙な日々を送っていたと窺うことが
できる(なお,Iは,同年末に原告とEとの間に大きな確執があり,原告が相
当怒っていたと供述するが,そのような事実があったことを認めるに足りる
裏付けはない。)。そして,このような中で原告が担当していた研究業務に
は相当の遅れが出ていたのであるから,これが原告に対して大きな負荷と
なっていたことも想像に難くない。
      この点,原告は,平成3年12月31日から平成4年9月18日までの間に日記
を付けていたが,その中には,「厳しい叱責あるのみ」,「指示は早くから出
しているが,ギリギリに間に合う仕事が多い」,「今年の来客の多いこと,連
日3~5件の見学者であり,ほとほと疲れる。忙しい人間ばかりであるの
で,その多くを室長自らやってしまうことになる」,「3カ所の机,事務所を飛
び回っているうちにボロボロと忘れる。イライラと仕事する」,「目が回るとは
このことだ。一日中いろいろに走りまわり,関係室課との打ち合わせ。大物
がぞくぞくと搬入され,所狭しと並べたてられる。」,「仕事は増える一方,た
まる一方,処理済となる案件のいかに少なきか,なげいてもどうにもならぬ
と思うものの,何故私にこんなに仕事が降って湧くのか」,「どうして体調の
すぐれぬ日々を送っているのか」,「疲れるそれにしても疲れる。こんな調子
でいつまで持つのだろうか。」,「疲れた。非常に疲れた。何故かは知らぬが
非常に疲れた。こんな調子だと本当にだめになるかもしれない」等の記載
がみられ,その記載からは原告が誠実に仕事に対処し,その業務が相当
負担の大きなものであったことを読み取ることができる。そして,平成5年に
おける原告の業務は,原告が日記を付けていた期間と比しても課題が多
く,前記のとおり多忙でストレスフルなものであったから,なお一層原告には
大きな負荷がかかっていたものと推察することができる。
    (ウ) もっとも,業務における精神的な緊張(業務ストレス)と血圧上昇あるいは心
血管疾患との関係には未解明な部分が多く,これを直ちに本件疾患と関連
付けることは現在の医学知見上困難である。しかし,少なくとも以上にみた
原告の業務内容は,原告の長時間労働を裏付けるものとみることはできる
ものであり,この長時間労働が,常識的にはその質的な困難さととも相まっ
て慢性的な疲労の蓄積を生じさせるほどに過重であり,血管病変を自然的
経過を超えて増悪させ,本件疾病の発症に至らしめる危険性があったもの
と認めることができる。
  (3) 原告の業務が本件疾病に与えた影響(危険の現実化)
   ア 原告の私的リスクファクターの検討
    (ア) 基礎疾患
     a 前記のとおり,原告は高血圧,高脂血症,高尿酸血症の基礎疾患を有してい
た。
       しかし,原告の高血圧の状態について,それを正常高値血圧と軽症高血圧
の範囲でほぼ動揺していたと評価すべきか,軽症高血圧と中等症高血
圧の範囲でほぼ動揺していたと評価すべきかは,ひとまず置くとしても,
原告の高血圧の状態が一貫して経過観察の段階にとどまっていたことに
照らせば,これを重篤なものとみることはできない。そして,前記のとお
り,一般に軽症の高血圧の虚血性心疾患に対する影響はそれほど大き
くない旨の医学的報告がされていることに留意すべきである。また,原告
は,平成元年8月ころから総コレステロール値が220mg/dlを超えるよう
になったが,平成3年12月から投薬治療を開始し,その後の数値は比
較的安定していたものであり,高尿酸血症については,それ自体が虚血
性心疾患のリスクファクターとなるかについては未だ明らかにされていな
いことは前述のとおりである。
 結局,原告は,高血圧症や高脂血症といった本件疾病のリスクファクタ
ーとなる基礎疾患を有しており,これが本件疾病の発症や増悪に関与し
た可能性は否定できないものの,その基礎疾患の自然的な経過のみで
当然に本件疾病が発症,増悪するほどのものであったというには,その
管理の経過や症度からいって無理があるといわなければならない。
b 狭心症(なお,これを私的リスクファクターといえるか否かについては後
記のとおりである。)
 前記のとおり,原告は平成4年ころから時々心臓部の痛みを訴え,医
療機関を受診したりしているところ,この症状を狭心症ないし本件疾病に
関連する症状とみるか否かについて,K医師はこれを否定的に解する一
方で,M医師(甲15)及びP医師(乙65)はこれを肯定する意見を述べ,
医師の間でも意見が分かれている。K医師が原告の胸部痛の症状を狭
心症と判断することが困難であるとするのは,胸部痛が持続的なもので
はないこと,平成5年5月11日以降は同様の症状を訴えていないことを
根拠とするものである。しかし,同年11月に原告が心臓部の痛みを訴
え,兄からニトロをもらい,直ちに医師を受診するほどの症状が出現して
いたことは前述のとおりである。そして,その後原告が本件疾病を発症し
ていることにかんがみれば,平成4年ころから原告が訴えていた胸の痛
みは,虚血性心疾患に関連する疾病,すなわち狭心症(異型狭心症)等
の心血管疾患の症状であった蓋然性が高いというべきである。そうであ
れば,本件疾病は,原告の血管病変が狭心症などの心血管疾患の過程
を経て発症に至ったものとみることができる。
    (イ) 加齢
      原告は本件疾病を発症した当時48歳6か月であったところ,前記1(14)で認定
した事実によれば,加齢が本件疾病の有力な危険因子であるとは考え難
い。
  (ウ) 家族歴
      前記のとおり,原告の実母は現在狭心症を患っていることが認められるほか,
原告の親族はいずれも高血圧であったことが窺われるが,原告に本件疾
病発症に関する遺伝的な要素が存在していた可能性はあるものの,あくま
で可能性の問題である上,50歳ころまでに虚血性心疾患を患う者が原告
の親族の中に多数存在したといった事情までは認められない。
    (エ) 運動負荷等
      原告が本件疾病を発症したのは,寒冷期の午前中であり,急性心筋梗塞が最
も発生しやすい時期・時間帯であった上,テニスの講習を受講していた最
中で,運動負荷のかかった状態であった。したがって,このような運動負荷
が本件疾病の発症の引き金になったことは容易に推察できる。
   イ 原告の休暇取得状況と血管病変の改善可能性
     原告は,年末年始に8連休を取得し,その後に2日間出勤した後,土曜日に本
件疾病を発症した。疲労の蓄積の解消によって血管病変等が改善するといっ
た医学的報告もあることから(乙45),原告が発症日の直前に長期間の休暇
を取っていたこととの関係で,同人の血管病変等の改善可能性がなかったか
検討されなければならない。
     原告が発症日の直前に長期間の休暇を取得していること,発症日にテニスの講
習を受講していることなどに照らせば,原告の疲労,特に肉体的疲労は相当
程度回復していたとみるのが相当である。しかし,前記のとおり,原告は平成
4年ころから不安定狭心症などの心血管疾患を患っていた蓋然性が高いと認
められるところ,狭心症(異型狭心症)は心臓性突然死や急性心筋梗塞への
進展の危険度が高く,これらの発症を防止するためには適切な治療を要する
のであるから,このような原告の病状に照らせば,原告は,年末年始に休息を
取った程度では,それまでに増悪した血管病変等を改善させるには至らなか
ったとみるのが相当である。
   ウ 本件疾病が発症した経過及び原因について
     以上の検討によれば,原告は平成4年ころから狭心症(異型狭心症)を含む虚
血性心疾患に関連する疾病が発症していた高度の蓋然性があり,これを基礎
疾患として寒冷期におけるテニスという運動負荷が引き金となって本件疾病
が発症したものというべきである。
   エ ところで,P医師は,原告が虚血性心疾患に関連する症状があった(狭心症)と
した上で,原告に発生していた動脈硬化の最大の原因は,遺伝的負荷のかな
り強い,若年発症で,入社前から存在していた,軽症ないし中等症の高血圧
が,特に治療を受けることなく,継続的に長期間継続していたことによるとする
のが常識的な医学的判断であり,疾病の自然経過として原告に心筋梗塞が
発症したことは,医学的経験則に照らして説明が可能である旨の意見を述べ
ている(乙65)。
     しかし,狭心症ないしそれに関連する心血管疾患も,心筋梗塞と同様に業務上
の過重負荷によって発症し,増悪し得るものであり,前記のとおり原告の従事
していた業務は,慢性的な疲労の蓄積を生じさせるほどに過重であって,血
管病変を自然的な経過を超えて増悪させる危険性のあるものであったのであ
るから,狭心症ないし心筋梗塞と関連する心血管疾患の発症,増悪と業務と
の関係の検討をせずに,直ちに本件疾患をいわば私病として扱うことは相当
ではないと考えられる。そして,前記のとおり,原告の高血圧の状態は,一貫
して薬物治療を要しないものと診断されており,高脂血症も総コレステロール
値が基準値を上回っていた期間が3年にすぎず,本件疾病が発症するまでの
約3年間は比較的安定した値で推移しており,家族歴による発症の可能性も
具体的には定かではない。このような,原告がいわば私的に抱える本件疾患
のリスクファクターは,それのみで,狭心症ないし本件疾病に関連する心血管
疾患を自然の経過で増悪させ,当然に本件疾患を発症させるというほどの症
度や要因になっていたと認めることは困難である。他方,先に検討したとお
り,原告が室長に就任した以後に従事した業務は,少なくとも原告が有してい
た狭心症などの心血管疾患を自然の経過を超えて増悪させる危険性を有す
るものであったのであるから,原告の高血圧症や高脂血症などと相まって,原
告の従事した業務が,その狭心症などの心血管疾患を少なくとも増悪させる
有力な原因であったことを十分に推察させる。そして,原告の狭心症などの心
血管疾患は,本件疾患発症の基礎となっていたというべきであるから,原告
の従事した業務の過重性と本件疾患の発症との間には相当因果関係を認め
ることが相当である。
第5 結論
   以上の次第で,本件疾病が業務に起因するものではないとした本件各処分は,違
法であり,取り消されるべきであるから,原告の本件各請求を認容することとし,訴
訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のと
おり判決する。
(口頭弁論終結の日・平成15年10月21日)
   長崎地方裁判所民事部   
       裁判長裁判官   田 川 直 之
          裁判官 平 野   淳
          裁判官 河 畑   勇
(別表1及び2は添付省略)

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