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平成13年(行ケ)第182号 審決取消請求事件
平成16年6月10日口頭弁論終結
            判       決
     原        告       新三井製糖株式会社
      訴訟代理人弁理士         松井光夫
     同                五十嵐裕子
     同                村上博司
     被        告       ワーナー-ランバート・コン
パニー
       訴訟代理人弁理士         高木千嘉
     同                西村公佑
     同                杉本博司
     同                新井信輔
     同                藤本芳洋
            主       文
   1 特許庁が無効2000-35326号事件について平成13年3月23
日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日
と定める。
        事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
 主文1,2項と同旨
2 被告
 原告の請求を棄却する。
   訴訟費用は原告の負担とする。
第2 当事者間に争いのない事実等
1 特許庁における手続の経緯
  被告は,発明の名称を「水分取り込みの低減されたチユーインガム組成物お
よびその製法」とする特許第2997472号の特許(昭和63年12月22日出
願(1987年12月23日米国出願の優先権主張に基づく出願(以下,この出願
を「本件出願」,優先日を「本件優先日」という。また,この米国出願を「本件米
国出願」という。)),平成11年10月29日設定登録。以下「本件特許」とい
う。請求項の数は5である。)の特許権者である。
 原告は,平成12年6月19日,本件特許を請求項1ないし5に関し無効に
することについて審判を請求した。
 特許庁は,この請求を無効2000-35326号事件として審理し,その
結果,平成13年3月23日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決を
し,審決の謄本を同年4月4日に原告に送達した。
2 特許請求の範囲
「【請求項1】重量%で,下記成分:
(a)10~75%の量のガムベース;
(b)10~70%の量の異性化麦芽糖からなる増量剤;および,
(c)強力甘味料
を含有し,水分含量がチューインガム組成物全体の3.5重量%以下である,シュ
ガーレス低吸湿性チューインガム組成物。
【請求項2】さらにフレーバー成分を含有する請求項1記載のチューインガム
組成物。
【請求項3】グリセリンをガム組成物の重量を基にして0~18%の量で含有す
る請求項1記載のチューインガム組成物。
【請求項4】場合により67%までの量で糖アルコールを含有する請求項1記載
のチューインガム組成物。
【請求項5】(a)請求項1に記載のシュガーレス低吸湿性チューインガム組
成物を含有するチューインガム組成物;および
(b)上記チューインガム組成物上の硬質殻(ハードシェル,hardshell)菓
子コーティング(ただし,異性化麦芽糖を含まない)
からなる菓子コーティングチューインガム組成物。」
(以下,【請求項1】ないし【請求項5】に係る発明を,まとめて「本件発
明」という。)
3 審決の理由
 別紙審決書写しのとおりである。要するに,本件発明の願書に添付した明細
書(以下「本件明細書」という。)は,平成2年法律第30号改正前の特許法(以
下「旧特許法」という。)36条3項又は4項1号,2号に規定する要件を満たし
ていないという請求人の主張について,「上記「異性化麦芽糖」なる語句について
は,甲第1号証乃至甲第4号証(判決注・本訴甲第3ないし第6号証)を精査する
も直接的に言及されているところはなく,また,「異性化麦芽糖」が,本件優先日
において技術用語として確立していたといえるに足る証拠もない。そうすると,請
求項1に係る「異性化麦芽糖」の記載だけでは,その意味が一義的に明確に理解す
ることができないというべきであるから,本件明細書の発明の詳細な説明の記載を
参酌する必要がある。ここに,「異性化麦芽糖」に関して,本件明細書の発明の詳
細な説明中には,・・・が挙げられている。これらの記載によると,本件発明に係
る「異性化麦芽糖」とは,「α-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトールお
よびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物」であっ
て,それ以外のものを示すと解することは相当でない。そうすると,本件請求項1
乃至5に記載された「異性化麦芽糖」を必須成分とするチューインガム組成物は,
本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものであるといえる。」(審決書3頁
3段~4頁3段),とするものである。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
 審決は,本件発明の請求項1における「異性化麦芽糖」との語の意味が,本
件優先日において技術用語として確立していなかったと誤認し,本件明細書の発明
の詳細な説明を参酌して当該用語の意味を誤って認定した結果,本件明細書の記載
は旧特許法第36条3項並びに4項1号及び2号の要件を満足していると誤って判
断したものであり,違法として取り消されるべきものである。
1 本件明細書の特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の不一致について
  本件発明の特許請求の範囲に記載されている「異性化麦芽糖からなる増量
剤」は,麦芽糖の異性体を意味し,「マルチュロース」あるいは「マルツロース」
とも表示されるものである。
  しかし,本件明細書の発明の詳細な説明においては,「本発明で使用する増
量剤は商品名パラチニツト(PALATINITT)として知られる異性化麦芽糖,または
α-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトールおよびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソ
ルビトールのラセミ混合物である。」(甲第2号証4頁8欄30行~35行)との
説明と共に,次の二つの化学式が記載されている(同4頁下及び5頁上)。また,
「異性化麦芽糖パラチニット」(同5頁9欄1行)との記載もある。
  このパラチニットは,α-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトールおよびα-
D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物であって,上記の化学式に
より表示されるものである。しかし,パラチニットは,蔗糖を異性化してパラチノ
ースを製造し,ついで水素を添加することにより得られるものであり,麦芽糖を異
性化することによって得られるものではない。
 異性化麦芽糖の主成分であるマルチュロースは,次の化学式により表示される
ものであり,上記の化学式により表示されるものと相違するものであることは明白
である。
  
 以上からすれば,本件発明の特許請求の範囲に記載された増量剤である「異
性化麦芽糖」と発明の詳細な説明に記載されたパラチニットとは,明らかに一致し
ないものである。
2 「異性化麦芽糖」との技術用語の意味について
  審決は,「「異性化麦芽糖」なる語句については,甲第1号証乃至甲第4号
証を精査するも直接的に言及されているところはなく,また,「異性化麦芽糖」
が,本件優先日において技術用語として確立していたといえるに足る証拠もな
い。」と認定した。しかし,この認定は,誤りである。
 麦芽糖がマルトース(maltose)と同義であることは,甲第5号証(「化学大
辞典 7」51頁)から明らかである(以下「麦芽糖」を「マルトース」ともい
う。)。「異性化糖中のマルチュロースの分析法」(澱粉科学1982年第29巻
第3号210~215頁,甲第3号証)には,マルトースの異性化液の調製方法が
記載され,特開昭48-49938号公報(甲第4号証,以下「甲4公報」とい
う。)には,マルトースの異性化方法が記載され,マルトースの異性化により,マ
ルチュロースが生成されることが記載されている。
 「丸善食品総合辞典」1045頁(丸善株式会社 平成10年3月25日発
行,甲第6号証。以下「甲6文献」という。)に記載された「マルツロース」の化
学式と,「糖類」(岩波全書1954年岩波書店発行144~151頁,甲第7号
証。)に記載された麦芽糖(Maltose)の化学式とを比較すれば,マルチュロースに
おいては,麦芽糖の一つのグルコース単位(六員環)について炭素原子間の結合の
再配置が起こり,これがフラクトース単位(五員環)に変化することすなわち異性
化が起きていることが明らかである。
マルトースからマルチュロースが得られることは,特開昭48-77038
号公報(甲第8号証。以下「甲8公報」という。)にも記載され,マルトースから
マルチュロースへの異性化については,米国特許第3691013号明細書(甲第
10号証),米国特許第4217413号明細書(甲第11号証)にも記載されて
いる。また,「化学大辞典 第9巻」(共立出版株式会社,昭和59年3月15日
第28刷発行513頁,515~516頁,993~994頁。甲第18号証,以
下「甲18文献」という。)には,ロブリー・ドブリュイン転位が,100年以上
も前に見いだされたこと,還元糖にアルカリ水溶液を作用させたときにみられる異
性化反応であることが記載され,「澱粉科学ハンドブック」(朝倉書店,1977
年初版第1刷発行,476~480頁。甲第19号証,以下「甲19文献」とい
う。)には,この転位反応により,マルトースからマルチュロースが生成されるこ
とが記載されている。このように,麦芽糖を異性化することはきわめて古くから知
られていることがわかる。
マルトース及びラクトース(乳糖)を異性化し,マルチュロース及びラクチ
ュロースが得られることが米国特許第3514327号明細書(1970年,甲第
9号証)に記載されている。乳糖(ラクトース)をラクチュロースに異性化するこ
とは周知の技術である。例えば,「缶詰時報」(1983年Vol.62,No.3212~
218頁,甲第12号証。),「NewFoodIndustry」(Vol.24,No.5(1982)16~
21頁,甲第13号証),「フードケミカル」(1985-11,69~77頁,甲第14
号証)及び「食品工業」(1下1981,44頁~51頁,甲第15号証)には,異性
化乳糖がラクツロース(ラクチュロース)を主成分とするものであることが記載さ
れている。そして,甲18文献及び甲19文献には,ロブリー・ドブリュイン転位
により,ラクトースからラクツロースが生成されることも記載されている。
このように,麦芽糖(マルトース)を異性化したもの,乳糖(ラクトース)
を異性化したものは周知である。異性化乳糖と言えば乳糖を異性化したものを指す
のと同様に,異性化麦芽糖と言えば麦芽糖を異性化したものを指すことは当業者に
とって明らかである。本件優先日より後に発行された文献ではあるものの,甲6文
献の77頁には「異性化マルトース→マルツロース」と示され,同1045頁に
は,マルツロースはマルトース(麦芽糖)を異性化したものの中に高含量で含まれ
る旨が記載されている。
以上からすれば,本件発明の請求項1の「異性化麦芽糖」との語は,本件優
先日において,意味不明な用語ではなく,確立された技術用語であり,これを詳細
な説明を参酌して,麦芽糖ではないものと認定した審決は誤りである。
3 発明の詳細な説明の参酌について
  本件発明の構成において,特定の増量剤を選択したことは,非常に重要な特
徴である。審決は,本件発明の特許請求の範囲に記載された重要な構成である増量
剤について,「異性化麦芽糖」であることを無視して,これを発明の詳細な説明の
欄を参酌して別な意昧の用語として読み替えることができる,と認定したのであ
る。そもそも,本件発明の特許請求の範囲の記載における「異性化麦芽糖」が,技
術用語として意味をなさないのであれば,特許法126条に基づき,これを意味の
ある技術用語に訂正すべきである。
 特許請求の範囲の記載に不明瞭な点があるときに発明の詳細な説明を参酌して
発明の要旨を認定するという作業は,当該発明を特定し,当該発明と公知発明とを
比較できるようにするためのものであって,発明の新規性,進歩性を審査するため
の手順である。旧特許法36条に規定される記載不備があるかどうか,すなわち,
特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明とが一致しているか否かを判断すべきと
きには,発明の詳細な説明を参酌して特許請求の範囲の記載中の用語の意味を認定
すべきではない。審決は,発明の新規性,進歩性を審査するための発明の要旨認定
の手法を,明細書の記載不備の判断の場に持ち込んでおり,不当である。
  本件の特許請求の範囲の記載のように,明らかに発明の詳細な説明と矛盾する
ものを,そのままにしておいても何ら問題がないということになれば,特許請求の
範囲の記載を信じて自己の技術が特許を侵害するか否かを判断する第三者に不測の
不利益を与えかねないのである。
第4 被告の反論の要点
  審決の認定判断に誤りはない。
1 本件明細書の特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の不一致について
 「麦芽糖」は,マルトースとも称され,麦芽糖を異性化して得られる糖は,
マルツロースあるいはマルチュロ-スと称される。しかし,本件発明における「増
量剤」である「異性化麦芽糖」は,パラチニット(PALATINITT)であり,α-D
-グルコピラノシル-1,6-マンニトール及びα-D-グルコピラノシル-1,
6-ソルビトールのラセミ混合物であることは,本件明細書の発明の詳細な説明の
次の記載から明らかである。
 ① 「増量剤は,好ましくはα-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトールお
よびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物であり,融点
145~150℃の異性化麦芽糖である。」(甲第2号証3頁5欄11行~14行)
 ② 「特に,本発明で使用する増量剤は,商品名パラチニツト(PALATINITT
)として知られる異性化麦芽糖,またはα-D-グルコピラノシル-1,6-マンニト
ールおよびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物であ
る。」(4頁8欄30行~35行)(なお,この「または」は,本件米国出願の明
細書(乙第6号証)における「or」を訳したものであり,この「or」は同格的な語
句の接続である「つまり;すなわち」の意味で使用されているものであるから(乙
第7号証),本来は「すなわち」などと訳すべきであったものである。)。
 ③ 「異性化麦芽糖パラチニツト」(5頁9欄1行)
 なお,本件明細書において「異性化麦芽糖」との用語を用いるに至った経緯
は,本件米国出願の明細書における「isomalt」を「異性化麦芽糖」との日本語に訳
したことによるものである。このイソマルトとパラチニット(異性化蔗糖であるパ
ラチノースを還元して得られるもの)とが同じものであることは,「丸善 食品総
合辞典」(乙第8号証)の78頁の「イソマルト(isomalt)→還元パラチノース」
との記載(同辞典の凡例によれば記号「→」は同義語または別名であることを示す
旨明記されている),同865頁の「パラチニット〔palatinit〕→還元パラチノー
ス」との記載,及び,同251頁の「還元パラチノース」の項の「パラチニットま
たはイソマルトともいう。パラチノースを水素添加して得られる二糖類アルコール
で,α-D-glucopyranosyl-1,6-sorbitolとα-D-glucopyranosyl-1,6-mannitolのほ
ぼ等モル混合物」との記載から明らかである。
 以上からすれば,本件発明における「異性化麦芽糖」は「α-D-グルコピ
ラノシル-1,6-マンニトールおよびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトー
ルのラセミ混合物」(商品名「パラチニット」)と同義であることは明らかであ
る。
2 「異性化麦芽糖」との技術用語の意味について
  原告は,「「異性化麦芽糖」が,本件優先日において技術用語として確立し
ていたといえるに足る証拠もない。」との審決の認定が誤りである,と主張する。
しかし,「異性化麦芽糖」との用語を,確立した技術用語であるということはでき
ない。
  甲4公報には,マルトースを異性化して得られる糖を,マルチュロースと称
する記載があるものの,「異性化麦芽糖」との用語は使用されていない。原告が提
出した甲第3号証ないし第15号証のいずれにおいても「異性化麦芽糖」なる用語
はもとより,「異性化麦芽糖」と「異性化マルトース」又は「マルチュロースある
いはマルツロース」との関係を示す記載や示唆を見出すことはできない。
3 発明の詳細な説明の参酌について
 特許請求の範囲に記載された用語を,発明の詳細な説明を参酌して解釈し得
ることに何ら問題はない(平成6年法律第116号による改正後の特許法70条2
項)。上記1から明らかなように,第三者は,本件明細書をみれば,本件発明の
「異性化麦芽糖」を「α-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトールおよびα
-D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物」と理解するので
ある。被告は,審判における審判事件答弁書(乙第4号証)及び審判事件第2答弁
書(乙第5号証)において,一貫して,本件発明の「異性化麦芽糖はα-D-グル
コピラノシル-1,6-マンニトールおよびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソルビ
トールのラセミ混合物である。」と言明しているのであるから,このような出願経
過を参酌すれば,本件発明の「異性化麦芽糖」の解釈について,これ以外の解釈を
許容することになる可能性はなく,第三者に不測の不利益を与えることはあり得な
い。
第5 当裁判所の判断
1 特許請求の範囲と発明の詳細な説明の不一致について
(1)本件明細書の特許請求の範囲(請求項1)には「異性化麦芽糖からなる増
量剤」と記載されている。
  「麦芽糖」は,二糖類の一種(C12H22O11)で,マルトー
ス(maltose)とも表示され,デンプンの基本構成単位となるものである(甲第5号
証)。なお,二糖類とは,「加水分解によって2分子の単糖を生ずる糖類。蔗糖・
乳糖・麦芽糖の類」(広辞苑第5版)であるから,麦芽糖と,蔗糖及び乳糖とは,
同じ二糖類に属するとはいえ,相互に異なるものであることは明らかである。
  「異性」とは,「分子式は同じであるが,構造が異なるため物理的,また
は化学的性質の異なる物質が,二つまたは二つ以上存在するとき,これらの化合物
を互いに異性体とよび,このような現象を異性という.」(甲第17号証,化学大
辞典580頁)であり,「異性化」とは,「酸,アルカリその他の化学的作用によ
るか,温度,圧力などを変化させる物理的作用によって,化合物を構成する原子ま
たは原子団(基)の結合状態をかえれば,ある異性体から他の異性体に移すことが
できる.これを異性化という.」(前同)である。
 甲4公報には,その特許請求の範囲に「マルトース(判決注・麦芽糖)を
異性化してマルチユロースを製造する方法に於いて,アルミニウムを含むアルカリ
溶液を用いて異性化することを特徴とするマルチユロースの製造方法」と記載さ
れ,その発明の詳細な説明に「本発明は・・・マルトースを異性化してマルチユロ
ースを製造する方法に関するものである。」(甲第4号証1頁1欄10行~13
行),「このマルチユロースの製造方法としてはアルカリを用いてマルトースを異
性化する方法が知られている」(同1欄下から2行~2欄1行)と記載されてい
る。また,甲8公報には,「マルトースを異性化して得られるマルトースとマルチ
ユロースの混合物」(甲第8号証2頁左上欄16行~18行)との記載もある。ま
た,甲19文献には,ロブリー・ドブリュイン転位反応(最も単純な異性化反応)
により,マルトースからマルチュロースが異性糖として生成されることが記載され
ている(甲第18,第19号証)。これらの記載からすれば,マルトース(麦芽
糖)を異性化して,マルチユロース(マルツロース・maltulose)を生成すること
が,本件出願日の前から知られていたものであることが明らかである。
 また,麦芽糖と同様に二糖類の一種である乳糖(ラクトース)について
は,これを異性化してラクツロースが得られること,及び,これを「異性化乳糖」
と呼ぶことは,よく知られているところである(甲第12ないし第15号証,第1
8,第19号証)
 以上からすれば,本件出願日において,本件発明における増量剤である
「異性化麦芽糖」とは,「異性化乳糖」程に良く用いられる名称とはいえないもの
の,少なくともその用語自体から麦芽糖を異性化して得られるものを意味するもの
であることは当業者にとって明確に理解されるものということができる。もっと
も,麦芽糖(マルトース)を異性化して得られるものとして,マルチュロースが既
に知られていたものの,本件発明の「異性化麦芽糖」が,上記マルチュロースを意
味するものなのか否かは,一義的に明らかである,とまでいうことはできない。そ
こで,本件発明の「異性化麦芽糖」については,本件明細書の発明の詳細な説明の
記載を考慮して,その意義を確認すべきことになる。
(2)本件発明における増量剤である「異性化麦芽糖」について,本件明細書の
発明の詳細な説明においては,次の記載がある。
① 「増量剤は,好ましくはα-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトール
およびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物であり,融点
145~150℃の異性化麦芽糖である。」(甲第2号証3頁5欄11行1~14行)
② 「特に,本発明で使用する増量剤は,商品名パラチニツト(PALATINITT
)として知られる異性化麦芽糖,またはα-D-グルコピラノシル-1,6-マンニ
トールおよびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物であ
る。」(4頁8欄30行~35行)
③ α-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトール及びα-D-グルコピラ
ノシル-1,6-ソルビトールの化学式
④ 「異性化麦芽糖パラチニツト」(5頁9欄1行)
(3)本件明細書においては,上記のとおり,本件発明の増量剤である「異性化
麦芽糖」は,好ましくは「α-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトールおよびα
-D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物」であり,「商品名パ
ラチニツト(PALATINITT)として知られる異性化麦芽糖」であると記載されてい
る。そして,パラチニットとは,本件明細書の上記化学式で特定された「α-D-
グルコピラノシル-1,6-マンニトールおよびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソ
ルビトールのラセミ混合物」であり,蔗糖を異性化して得られるパラチノースを還
元(水素を添加)して得られるものであることは争いがない。
 しかし,パラチノースとは,「蔗糖β-1.2の結合を,α-1.6結合に変換
した二糖」(甲第12号証19頁左欄1行~2行)であり,蔗糖を異性化して得ら
れるものであることから(甲第12号証16頁~19頁,甲第14号証70頁~7
2頁),このようなパラチノースを異性化蔗糖と呼ぶことは可能であっても,これ
を還元して得られるパラチニットを異性化蔗糖と呼ぶことはできないし,これを異
性化麦芽糖と呼ぶこともできないことは明らかである。しかるに,本件明細書の発
明の詳細な説明では,本件発明の増量剤である「異性化麦芽糖」を,上記のとお
り,好ましくは「α-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトールおよびα-D-グ
ルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物」であり,「商品名パラチニッ
ト(PALATINITT)として知られる異性化麦芽糖」であると記載しているのであ
る。これは,本件発明の増量剤を,本来,「パラチニット」あるいは「α-D-グ
ルコピラノシル-1,6-マンニトールおよびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソル
ビトールのラセミ混合物」として特許請求の範囲に記載すべきところを,「異性化
麦芽糖」と誤記したものであるのか,特許請求の範囲に記載した「異性化麦芽糖」
すなわち麦芽糖を異性化したもの(マルチュロース等)を,発明の詳細な説明にお
いて,上記のとおりパラチニット等と誤記したものかのいずれかである(発明の詳
細な説明の記載を重視すれば,特許請求の範囲(請求項1)における「異性化麦芽
糖」の記載が「パラチニット」あるいは「α-D-グルコピラノシル-1,6-マンニ
トールおよびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物」など
の誤りであることになるし,特許請求の範囲の記載を重視すれば,発明の詳細な説
明における増量剤に関するパラチニット等の一連の記載が誤りであることになる。
いずれにしても,本件明細書の記載からは,特許請求の範囲の記載の「異性化麦芽
糖」との用語が明らかな誤記であると一義的に断定することはできない。)。
2 審決の判断の誤りについて
 特許法70条1項(平成14年法律第24号改正前のもの)は,「特許発明
の技術的範囲は,願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基いて定めなけ
ればならない。」と規定している。そうである以上,同条2項が「前項の場合にお
いては,願書に添付した明細書の特許請求の範囲以外の部分の記載及び図面を考慮
して,特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものとする。」(平成6
年法律第116号改正後,平成14年法律第24号改正前の特許法70条2項。)
と規定した趣旨は,特許請求の範囲に記載された用語の意義が一義的に明確ではな
い場合に,その用語の意義を,その文言の意味の解釈の幅の範囲内において,発明
の詳細な説明及び図面を考慮して定める,というものにすぎない(同条2項は,平
成7年7月1日から特許発明の技術的範囲の解釈について適用される規定であるも
のの,従来の考え方を明示的に確認したものである。)。同条2項が,発明の詳細
な説明及び図面を考慮した結果,特許請求の範囲に記載された用語の意味の解釈の
限界を超えて,あるいは,その用語の意味を無視して,その意味を定めるべきこと
を許容したものではないことは,同条1項の規定から明らかである(このことは,
旧特許法の下においても何ら異なることはない。)。
 本件発明においては,その特許請求の範囲(請求項1)に「異性化麦芽糖か
らなる増量剤」と記載されているのであるから,本件明細書の発明の詳細な説明を
考慮したとしても,これを「異性化麦芽糖」以外のもの,すなわち,「パラチニッ
ト」あるいは「α-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトールおよびα-D-グル
コピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物」などと解釈することはできな
い。
 審決が,「上記「異性化麦芽糖」なる語句については,甲第1号証乃至甲第
4号証を精査するも直接的に言及されているところはなく,また,「異性化麦芽
糖」が,本件優先日において技術用語として確立していたといえるに足る証拠もな
い。そうすると,請求項1に係る「異性化麦芽糖」の記載だけでは,その意味が一
義的に明確に理解することができないというべきであるから,本件明細書の発明の
詳細な説明の記載を参酌する必要がある。」(審決書3頁3段~4段)としたの
は,本件発明の請求項1の「異性化麦芽糖」の意味を一義的に明確に理解すること
ができないことから,本件明細書の発明の詳細な説明を参酌するという限りにおい
ては,これを誤りである,という必要はない。本件発明の「異性化麦芽糖」とは,
上記のとおり,麦芽糖を異性化したものであると解することはできても,麦芽糖
(マルトース)を異性化したマルチュロースを意味するのか否かまでは,その特許
請求の範囲(請求項1)の記載からは一義的に明らかではないからである。
 しかし,審決が,「ここに,「異性化麦芽糖」に関して,本件明細書の発明
の詳細な説明中には,・・・が挙げられている。これらの記載によると,本件発明
に係る「異性化麦芽糖」とは,「α-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトー
ルおよびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物」であ
って,それ以外のものを示すと解することは相当でない。そうすると,本件請求項
1乃至5に記載された「異性化麦芽糖」を必須成分とするチューインガム組成物
は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものであるといえる。」(審決書
3頁5段~4頁3段),としたことは,誤りである。すなわち,「α-D-グルコ
ピラノシル-1,6-マンニトールおよびα-D-グルコピラノシル-1,6-ソ
ルビトールのラセミ混合物」とは,上記のとおり,パラチニット(パラチノースを
還元したもの)であって,異性化麦芽糖と呼ぶことはできないのであり,審決の上
記判断は,発明の詳細な説明を考慮する範囲を超えて,特許請求の範囲の記載を無
視してこれを解釈するものであり,誤りである,といわざるを得ない。
 上記のとおり,本件明細書の特許請求の範囲の「異性化麦芽糖」との記載
と,発明の詳細な説明の記載とは,相矛盾するものであるから,本件明細書の特許
請求の範囲の記載は,旧特許法36条3項及び4項1号あるいは同条4項2号に反
するものであるといわざるを得ない。すなわち,本件明細書の発明の詳細な説明に
は,増量剤としてパラチニット(パラチノースを還元したもの)についての記載し
かなく,本件明細書の特許請求の範囲に記載された「異性化麦芽糖からなる増量
剤」についての記載はないのであるから,同36条3項の要件に合致しないことに
なる。また,「異性化麦芽糖からなる増量剤」との構成をその必須の要件とする本
件発明は,発明の詳細な説明にその構成についての記載がないことに帰するもので
あるから,同36条4項1号の「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に
記載したものであること」との要件も満たさないものであることは明らかである。
また,仮に,増量剤としてパラチニット(パラチノースを還元したもの)をその構
成とするものを特許発明とするのであれば,「異性化麦芽糖」ではなく,「パラチ
ニット」あるいは「α-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトールおよびα-
D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物」等を特許請求の範
囲に記載しなければならないのであるから,その場合は,本件明細書の特許請求の
範囲の記載は,同条4項2号の「特許を受けようとする発明の構成に欠くことがで
きない事項のみを記載した項・・・に区分してあること」との要件を欠くことにな
るのである。
 以上からすれば,本件明細書は,旧特許法36条3項及び4項1号に反する
か,あるいは,同条4項2号のいずれかに反するものであり,審決の前記判断は,
誤りである。
3(1)被告は,本件発明における「増量剤」である「異性化麦芽糖」は,パラチ
ニット(PALATINITT)であり,α-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトー
ル及びα-D-グルコピラノシル-1,6-ソルビトールのラセミ混合物であるこ
とは,本件明細書の発明の詳細な説明の記載から明らかである,と主張する。しか
し,本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたパラチニットを本件明細書の特許
請求の範囲に記載された「異性化麦芽糖」と呼ぶことができないことは上記のとお
りであり,本件発明の「異性化麦芽糖」はパラチニットである,との被告の上記主
張は採用し得ない。
 被告は,本件明細書において「異性化麦芽糖」との用語を用いるに至った
経緯は,本件米国出願の明細書における「isomalt」を「異性化麦芽糖」との日本語
に訳したことによるものであり,このイソマルトとパラチニット(パラチノースを
還元して得られるもの)とは同じものである,と主張する。しかし,本件米国出願
の明細書は,本件出願について,パリ条約による優先権を主張するための基礎とな
る書類ではあっても(特許法43条参照),本件発明の内容は,あくまでも本件出
願の願書に添付した明細書に基づいて定められるものであり(旧特許法36条参
照),本件明細書に記載された用語の意義を解釈するに当たり,本件米国出願の明
細書の用語をどのように翻訳したかなどということを考慮することができないこと
は明らかである(この点は,平成6年法律第116号による改正により認められた
外国語書面による出願(特許法36条の2)とは全く異なるところである。)。し
たがって,本件明細書が,旧特許法36条に違反するかどうかを判断するに当た
り,本件米国出願の明細書の内容に立ち入って判断する必要がないことは明らかで
あるから,被告の上記主張は,その前提において,採用し得ないものである。
(2)被告は,「異性化麦芽糖」との用語を,確立した技術用語であるというこ
とはできない,と主張する。しかし,本件における審決の誤りは,「異性化麦芽
糖」が確立した技術用語かどうかの認定判断にあるわけではない。すなわち,審決
は,「異性化麦芽糖」が確立した技術用語ではないとした上で,「請求項1に係る
「異性化麦芽糖」の記載だけでは,その意味が一義的に明確に理解することができ
ないというべきであるから,本件明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌する必要
がある。」としたものであり,審決が,「「異性化麦芽糖」の記載だけでは,その
意味を一義的に明確に理解することができない」ことから,本件明細書の発明の詳
細な説明を参酌したこと自体に誤りはないことは,上記のとおりである。審決の誤
りは,その後の,発明の詳細な説明の参酌の仕方にあり,本件明細書の発明の詳細
な説明の記載から,「異性化麦芽糖」とはいえないパラチニットを「異性化麦芽
糖」と認定したことにある。審決は,発明の詳細な説明と特許請求の範囲の記載と
の間に明らかな矛盾が生じているにもかかわらず,特許請求の範囲に記載された
「異性化麦芽糖」との語の意味を無視して,その意義を認定したのであり,審決の
この認定は誤りである,といわざるを得ない。
(3)被告は,本件出願の経過において,一貫して,本件発明の「異性化麦芽糖
はα-D-グルコピラノシル-1,6-マンニトールおよびα-D-グルコピラノシル
-1,6-ソルビトールのラセミ混合物である。」と言明しているのであるから,この
ような出願経過を参酌すれば,本件発明の「異性化麦芽糖」の解釈について,これ
以外の解釈を許容することになる可能性はなく,第三者に不測の不利益を与えるこ
とはあり得ない,と主張する。
しかし,本件における争点は,特許権侵害訴訟等において,本件発明の技
術的範囲が,出願の経過を参酌して最終的にどのように判断されるか,ということ
ではなく,本件明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明が旧特許法36条3
項並びに同条4項1号及び2号に反するかどうかである。被告の上記主張は,特許
権侵害訴訟等において,特定の明細書を所与の前提とした上でなされる,当該明細
書に記載された特許発明の技術的範囲の認定に関する議論と,明細書をどのように
記載すべきかとの旧特許法36条の記載要件についての議論とを混同するものであ
り,採用することはできない。
第6 結論
 以上に検討したところによれば,審決の判断は誤りであり,この判断の誤り
が請求項1ないし5のいずれについても,審決の結論に影響を及ぼすことは明らか
であるから,審決は,請求項1ないし5のいずれについても取消しを免れない。そ
こで,原告の本訴請求を認容することとし,訴訟費用の負担並びに上告及び上告受
理の申立てのための付加期間の付与について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法6
1条,96条2項を適用して,主文のとおり判決する。
  東京高等裁判所知的財産第3部
          裁判長裁判官    佐  藤  久  夫
             裁判官    設  樂  隆  一
             裁判官    高  瀬  順  久

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