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平成23年4月14日判決言渡同日原本領収裁判所書記官
平成22年(行ケ)第10247号審決取消請求事件
口頭弁論終結日平成23年3月24日
判決
原告アプライドナノテック
ホールディングス
インコーポレーテッド
同訴訟代理人弁理士志賀正武
渡辺隆
村山靖彦
実広信哉
阿部達彦
増本要子
被告特許庁長官
同指定代理人松浦久夫
飯野茂
田部元史
豊田純一
主文
1特許庁が不服2006−16055号事件について
平成22年3月23日にした審決を取り消す。
2訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文1項と同旨
第2事案の概要
本件は,原告が,下記1のとおりの手続において,特許請求の範囲の記載を下記
2とする本件出願に対する拒絶査定不服審判の請求について,特許庁が,同請求は
成り立たないとした別紙審決書(写し)の本件審決(その理由の要旨は下記3のと
おり)には,下記4の取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。
1特許庁における手続の経緯
(1)原告(当時の名称:エスアイダイアモンドテクノロジー,インコーポ
レイテッド)は,発明の名称を「電界放出デバイス用炭素膜」とする発明について,
平成10年7月29日(パリ条約による優先権主張日:平成9年(1997年)8
月13日,アメリカ合衆国)を国際出願日とする特許出願(特願2000−510
154)をした(甲3)。
(2)原告(当時の名称:ナノプロプリエタリー,インコーポレイテッド)は,
平成18年4月26日付けで拒絶の査定を受けたので,同年7月26日,これに対
する不服の審判を請求した。
(3)原告は,平成20年9月22日,出願人名称を現在の名称に変更する名称
変更届を特許庁に提出し(甲8),平成21年7月6日付けで手続補正(以下「本
件補正」という。甲4)をするとともに,意見書(以下「本件意見書」という。甲
5)を提出した。
(4)特許庁は,上記請求を不服2006−16055号事件として審理した上,
平成22年3月23日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,そ
の謄本は同年4月6日原告に送達された。
2特許請求の範囲の記載
本件審決が対象とした本件補正後の請求項1ないし3,6ないし8の記載は,以
下のとおりである。以下,請求項1に記載された発明を「本願発明1」などといい,
まとめて「本願発明」ということがある。また,本件出願に係る本件補正後の明細
書(特許請求の範囲につき甲4,その余につき甲3)を「本願明細書」という。な
お,「/」は,原文の改行部分を示す。
【請求項1】基板上に炭素膜の層を有する電界放出デバイスであって,該炭素膜は
電界の影響下で電子を放出し,該炭素膜は,1578cm−1
∼1620cm−1

範囲のUVラマンバンドを有し,該UVラマンバンドは25cm−1
∼165cm−1
の半値全幅値(FWHM)を有する,電界放出デバイス
【請求項2】前記UVラマンバンドは,180cm−1
より大きいFWHMを有し,
1360∼1420cm−1
の間である肩部あるいは広帯域バンドを有する,請求
項1に記載の電界放出デバイス
【請求項3】前記炭素膜は,1318∼1340cm−1
の範囲の,18cm−1

り大きいFWHMを有し,かつ請求項1に記載の前記UVラマンバンドよりも低い
強度を有する第2のUVラマンバンドを有する,請求項1に記載の電界放出デバイ

【請求項6】基板上に堆積された蛍光体を含むアノードと,/基板上に炭素膜の層
を有するカソードとを有し,/該炭素膜は電界の影響下で電子を放出し,該炭素膜
は,25cm−1
∼165cm−1
の半値全幅値(FWHM)を有する,1578c
m−1
∼1620cm−1
の範囲のUVラマンバンドを有する,電界放出ディスプレ
イデバイス
【請求項7】前記UVラマンバンドは,180cm−1
より大きいFWHMを有し,
1360∼1420cm−1
の間である肩部あるいは広帯域バンドを有する,請求
項6に記載の電界放出ディスプレイデバイス
【請求項8】前記炭素膜は,1318∼1340cm−1
の範囲の,18cm−1

り大きいFWHMを有し,かつ請求項6に記載の前記UVラマンバンドよりも低い
強度を有する第2のUVラマンバンドを有する,請求項6に記載の電界放出ディス
プレイデバイス
3本件審決の理由の要旨
(1)本件審決の理由は,要するに,本願明細書の発明の詳細な説明は,当業者
が本願発明1ないし3,本願発明6ないし8に係る発明を実施することができる程
度に明確かつ十分に記載したものとはいえず,平成14年法律第24号による改正
前の特許法(以下「法」という。)36条4項に規定するいわゆる実施可能要件を
満たしていないから,特許を受けることができない,というものである。
(2)なお,本件審決は,その判断の前提として,本願発明の製造工程は,下記
ア,イの刊行物(以下「甲1刊行物」,「甲2刊行物」という。)に記載されてい
る従来の「ダイアモンド状の炭素あるいはCVD(化学蒸着)ダイアモンド膜」の
製造工程と実質的に同じものであり,これにより従来のものを超える本願発明に係
る炭素膜の製造を保証するものではないこと等を挙げている。
ア甲1刊行物:特開平8−151297号公報(甲1)
イ甲2刊行物:特開平6−135798号公報(甲2)
4取消事由
実施可能要件違反の認定判断の誤り
(1)本願発明1の実施可能要件違反の認定判断の誤り
(2)本願発明2,3,6ないし8の実施可能要件違反の認定判断の誤り
第3当事者の主張
1取消事由1(本願発明1の実施可能要件違反の認定判断の誤り)について
〔原告の主張〕
(1)本願発明に係る電界放出デバイス用炭素膜の製造方法について
ア本願明細書の発明の詳細な説明には,
(ウ)水素が10分未満,
(エ)水素とメタンの混合物が1時間未満,
(オ)他の水素とメタンの他の混合物が2時間未満,
(カ)水素が15分未満,
の各々を,CVD反応器に順次流入することが記載されている。
したがって,本願発明の代表的な製造方法を示す実施例としては,(ウ)ないし
(カ)の全ての製造工程が必須である。よって,原告が代表的な実施例として記載
した事項から,本件審決が必須事項と選択事項とを認定して実施可能要件を判断す
る基礎としたことは,的外れである。
イ本件審決は,「…炭素膜の形成に影響を及ぼす他のパラメータ(例えば,反
応器の大きさや,メタンの流入量等)については,何ら規定されていない」と認定
したが,パラメータを全て列挙しなければならないとするのであれば,出願人に過
度の負担を強いるものである。
実施可能要件に対する本件審決のような過度な要求は,発明の保護をないがしろ
にするものであって,差し控えるべきである。
(2)甲1刊行物及び甲2刊行物に基づく従来技術の認定について
本願発明の電界放出デバイスの従来技術としての炭素膜は,「CVDあるいは欠
陥補強(defectenriched)CVDダイアモンド膜,又はsp2
結合とsp3
結合を
有するダイアモンド状炭素(DLC)膜」である。
これに対し,甲1刊行物及び甲2刊行物の技術分野は,本願発明に係る「電界放
出デバイス用炭素膜」とは全く異なるものであるから,これらの刊行物と本願発明
の実施例とを対比して相違点を探索し,実施可能要件違反を認定判断するのは的外
れである。
また,甲1刊行物及び甲2刊行物は,電界放出デバイス用炭素膜を対象物とする
本願発明とは全く技術分野を異にするものであるから,たまたま本願発明の製造パ
ラメータの1つが従来技術の範囲内に入るパラメータを有するとしても,本願発明
が従来技術の製造工程を含むとする本件審決は,失当である。
(3)本願発明に係る炭素膜が容易に製造可能であること
本願発明に係る炭素膜は,本願明細書及び図面の記載に基づいて,当業者であれ
ば容易に製造可能である。
ア本願発明は,物の発明として十分に特定されているので,当業者であれば製
造は容易である。電界放出デバイスの当業者であれば,本願明細書(【0010】
∼【0012】,【図1】∼【図3】,【図10】∼【図12】)に基づき,容易
に本願発明の炭素膜を製造できる。当業者は,本願明細書に記載の範囲でパラメー
タを特定し,所望の特性を有する製造方法を実施すればよいのであるから,第三者
に過度の負担を生じさせることはない。
本願発明に係る炭素膜の主たる構造は,独特な組合せからなる膜であって,特有
の作用効果を奏するものである。したがって,当該特有な作用効果を得るために,
従来とは異なる本願発明の上記の炭素膜の成分を前提にして,本願発明に係る炭素
膜を再現することは,当業者が本願明細書(【0024】【0025】【図9】)
のような技術常識を考慮しながらメタン濃度,温度管理,圧力管理,時間管理等の
実施条件を探索することにより,過度の試行錯誤をすることなく可能であるから,
本願発明を容易に実施することができるものである。
イ原告は,既に,審判の審理において,【0010】ないし【0012】のい
ずれかの点において各パラメータを設定すれば,本願発明に到達することができる
ことを示すランシートや追加証拠を提出している。これらの補充資料は,本来,提
出しなくても,このランシートや追加証拠に記載された製造条件は,当業者であれ
ば,本願発明の対象物である炭素膜の構成が明確であるとともに,【0010】な
いし【0012】に記載された製造条件並びに【図1】ないし【図3】,【図1
0】ないし【図12】に記載されたラマン分光特性から導き出せるものである。
〔被告の主張〕
(1)本願発明に係る電界放出デバイス用炭素膜の製造方法について
ア本願明細書の記載
(ア)本願発明の「電界放出デバイス用炭素膜」に係る製造方法について,本願
明細書の発明の詳細な説明の記載(【0010】∼【0012】)によれば,本願
発明に係る電界放出デバイス用炭素膜の製造方法には,原告主張の製造工程(ウ)
ないし(カ)が含まれることが把握されるところ,上記各工程の流入時間は上限の
みが規定され,下限に関する規定がないことから,流入時間が0分である場合も含
まれることとなる。流入時間が0分とは,かかる流入工程がないことを意味する。
(イ)原告は,本件意見書(甲5)において,本願明細書の発明の詳細な説明
(【0010】∼【0012】)に開示されている製造方法について,特定のステ
ップが省略できることを説明し,本願発明に係る3つの炭素膜のサンプルを実際に
製造した際に用いたパラメータを記載したランシートを添付するとともに,ランシ
ートの内容をまとめたものとして,【表1】を提示した。
サンプル「LJ012797−03−A(図2及び図5)」は,本願発明1に対
応するものであるところ,その炭素膜を製造するステップには,「グロースステッ
プ無し」,「エッチングステップ無し」と記載され,本件意見書では,本願発明1
の製造方法に関し,(オ)及び(カ)の製造工程を必要としないものが説明されて
いる。
次に,サンプル「FF031497−01−A(図3及び図6)」は,本願発明
2に対応するものであるところ,その炭素膜を製造するステップには,「H2クリ
ーン,グロース,エッチングステップ無し」と記載され,本件意見書では,本願
発明2の製造方法に関し,製造工程(ウ)(オ)(カ)のステップが省略されたも
のが説明されている。そして,本願発明2は本願発明1を限定したものであるから,
上記サンプルは本願発明1に関するサンプルであるともいうことができる。
なお,サンプル「LJ012397−02−A(図1及び図4)」の製造方法に
ついては,製造工程(ウ)(オ)(カ)は,いずれも省略されていない。
以上のとおり,原告が本件意見書において説明した,本願発明に係る炭素膜であ
る3つのサンプルの製造方法によれば,少なくとも本願発明1,2において,製造
工程(ウ)(オ)(カ)は,いずれも省略することが可能な選択的製造工程である
ことが裏付けられる。
(ウ)以上のように,本願明細書の発明の詳細な説明(【0010】∼【001
2】)に記載された,本願発明に係る「電界放出デバイス用炭素膜」の製造方法に
関する記載事項と,本件意見書に記載の本願発明に係る「電界放出デバイス用炭素
膜」の3つのサンプルに関する製造方法についての説明とによれば,製造工程
(ウ)(オ)(カ)は,いずれも省略可能な選択的製造工程であり,本件審決の認
定に誤りはない。
イ本件審決の説示内容
炭素膜の形成に影響を及ぼすパラメータについて規定されていないとした本件審
決の説示は,本願発明に係る炭素膜の製造方法についての説明が,本願明細書の発
明の詳細な説明(【0010】∼【0012】)の記載箇所に限られていることを
指摘したものであり,原告が主張するような,製造方法に必要なあらゆるパラメー
タを全て列挙することを要求したものではない。
(2)甲1刊行物及び甲2刊行物に基づく従来技術の認定について
ア従来技術に関する本願明細書の記載内容
(ア)本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び図面の記載によれば,従来技術
である炭素膜の材質は,「CVDあるいは欠陥補強(defectenriched)CVDダ
イアモンド膜」及び「sp2
結合とsp3
結合を有するダイアモンド状炭素(DL
C)膜」(【0024】【0025】)であったところ,電界放出デバイスとして
の性能が不十分であったため,本願発明においては,炭素膜の材質として,新たに,
「薄く(300ナノメートル未満),アモルフォス,非常に無秩序な黒鉛状炭素,
並びにいくらかの不規則なsp3
結合炭素及び秩序立ったsp3
結合炭素の,独特
な組合せからなっている炭素膜」(【0021】)を提案するとともに,本願発明
1を発明したと説明されている。
そして,従来技術に係る炭素膜の5つのラマンスペクトルを示した【図9】によ
れば,上3つのラマンスペクトルは,本願発明1における2つの条件のいずれも満
足せず,下2つのラマンスペクトルは,前者の条件は満足するものの,後者の条件
は満足しないことが読み取れる。
(イ)しかしながら,まず,従来技術である「CVDあるいは欠陥補強CVDダ
イアモンド膜」及び「sp2
結合とsp3
結合を有するダイアモンド状炭素(DL
C)膜」の製造工程や製造工程に係わる製造条件(パラメータ)についても,本願
明細書又は図面に記載も示唆もない。
本願発明1に係る「電界放出デバイス用炭素膜」は,従来技術の「電界放出デバ
イス用炭素膜」よりも優れた性能を有するものであり,その材質も異なるものであ
るから,その製造方法も当然に異なるはずであるが,それに関する説明は,本願明
細書又は図面には記載も示唆もない。
(ウ)本願発明1は,「電界放出デバイス用炭素膜」に特徴がある物の発明であ
るから,本願明細書の発明の詳細な説明の記載が実施可能要件を充足するためには,
本願発明1に係る「薄く(300ナノメートル未満),アモルフォス,非常に無秩
序な黒鉛状炭素,並びにいくらかの不規則なsp3
結合炭素及び秩序立ったsp3
結合炭素の,独特な組合せからなっている炭素膜」が,従来技術である「CVDあ
るいは欠陥補強CVDダイアモンド膜」及び「sp2
結合とsp3
結合を有するダ
イアモンド状炭素(DLC)膜」とは異なる成分を有するものであるから,本願明
細書の発明の詳細な説明には,当業者が上記「独特な組合せからなっている炭素
膜」を製造可能なように記載する必要がある。
ところが,本願発明1に係る「電界放出デバイス用炭素膜」の製造方法に関する
説明は,従来技術のダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法と比較して,その
改良点を記載していない。そして,本願明細書の当該箇所の炭素膜の製造方法は,
前記(1)のとおり,製造工程(ウ)(オ)(カ)が,いずれも省略可能な選択的製
造工程であり,また,他の製造工程は,いずれも,炭素膜をCVD法により製造す
る際には不可欠の製造工程及び製造条件である。
そうすると,本願明細書又は図面の記載は,本願発明1に係る炭素膜の製造方法
を記載したものとしては,不十分といわざるを得ない。
(エ)以上のとおり,本願明細書又は図面には,「電界放出デバイス用炭素膜」
に関する従来技術であるダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法が記載も示唆
もされていないから,本願明細書の炭素膜の製造方法が,一般的なダイアモンド状
炭素(DLC)膜の製造方法の域を出ていないものであるか否かを検証するために,
職権により,ダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法に関する技術水準を示す
ものとして甲1刊行物及び甲2刊行物を採用したものである。
イ甲1刊行物及び甲2刊行物に基づく一般的なダイアモンド状炭素(DLC)
膜の製造方法
甲1刊行物及び甲2刊行物には,熱フィラメントCVD法を用いて炭素膜を製造
する方法が開示されている。ここに記載された一般的なダイアモンド状炭素(DL
C)膜の製造方法のうち,本願発明1に係る「電界放出デバイス用炭素膜」の製造
方法における必須の製造工程である(エ)メタン濃度,(ク)フィラメント温度,
(ケ)基板温度,(コ)堆積圧力については,それぞれの製造条件(パラメータ)
が,いずれも,本願明細書の発明の詳細な説明(【0010】∼【0012】)の
「電界放出デバイス用炭素膜」の製造条件を満足するものである。
甲1刊行物及び甲2刊行物のダイアモンド状炭素(DLC)膜が使用される技術
分野は,本願発明1に係る「電界放出デバイス」の技術分野と異なるものの,本願
発明1は,請求項1で特定されたように,炭素膜を電界放出デバイスとして用いる
ものであり,いわば用途発明とみなせるものである。そうすると,炭素膜について
の実施可能要件を論ずるに当たっては,請求項1で特定された炭素膜の材質,構造
あるいは製造方法の異同が本質といえるものであって,その用途の相違は格別問題
とならないものである。
ウまとめ
本件審決は,一般的なダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法に関する技術
水準を示すものとして甲1刊行物及び甲2刊行物を採用し,かかる技術水準に照ら
して,本願明細書の発明の詳細な説明に開示された本願発明1に係る炭素膜の製造
方法は,一般的なダイアモンド状炭素膜の製造方法の域を出るものではないから,
本件出願は実施可能要件違反であると判断したものであり,その判断に誤りはない。
(3)本願発明に係る炭素膜が容易に製造可能でないこと
ア本願明細書と実施可能要件
(ア)一般に,物の発明の場合,「物」が異なればその「物」の製造方法も異な
るものとして区別されるが,製造方法が異なるものとして区別されることと,その
「物」の製造方法についての記載内容が実施可能要件を充足することとは,無関係
であり,単に「物」が従来のものと区別されることをもって,その「物」の製造方
法についての記載内容が実施可能要件を充足することにはならない。
ただし,例外として,「物」の発明が例えば機械や電気の分野における物品の物
理的組合せで特定されるような場合,その物品の組合せから技術常識をもってすれ
ば,その製造方法が類推できる場合もある。
しかしながら,本願発明1に係る「電界放出デバイス用炭素膜」は,それを特定
する請求項1の記載からも把握できるように,その膜構造はもとより,その材質や
成分によって特定されたものではなく,製造された炭素膜から得られる光学的特性
であるラマンスペクトルのピーク位置(1578cm−1
∼1620cm−1
の範囲
のUVラマンバンドを有する)及び形状(UVラマンバンドは25cm−1
∼16
5cm−1
の半値全幅値(FWHM)を有する)を示す数値限定により特定しよう
とする,いわゆるパラメータ発明といえるものである。そして,本願明細書(【図
1】∼【図3】)は,本願発明1ないし3に係る炭素膜のUVラマンスペクトルを
示し,本願明細書(【図10】∼【図12】)は,炭素膜の可視ラマンスペクトル
を示しているにすぎない。このようなパラメータによって特定される本願発明1が,
前記した例外に該当しないことは明らかであり,その製造方法がいかなるものかに
関しても,当業者が,炭素膜の製造方法に係る技術常識をもってしても類推できる
ものではない。
(イ)また,本願発明1に係る「電界放出デバイス用炭素膜」は,「薄く(30
0ナノメートル未満),アモルフォス,非常に無秩序な黒鉛状炭素,並びにいくら
かの不規則なsp3
結合炭素及び秩序立ったsp3
結合炭素の,独特な組合せから
なっている炭素膜」なるものであり(【0021】),従来技術の「CVDあるい
は欠陥補強CVDダイアモンド膜」及び「sp2
結合とsp3
結合を有するダイア
モンド状炭素(DLC)膜」(【0024】【0025】)とは,その成分が異な
るものとして説明されている。
しかしながら,前記(2)アのとおり,本願明細書又は図面には,従来技術の炭素
膜についての製造方法及び従来との変更点について,何ら記載も示唆もなされてい
ない。しかも,例えば各成分の比率について何ら開示されていない。通常,材料は,
その材料を構成する各成分の比率を変えることにより,その特性も変化することを
考慮すれば,当業者が,一般的なダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法の域
を出ていない本願明細書の発明の詳細な説明の記載に基づいて,本願発明1に係る
「電界放出デバイス用炭素膜」を製造できることが保証されることにはならない。
(ウ)加えて,本願発明1に係る炭素膜の前提となる炭素膜であり,従来技術に
係る炭素膜とは成分の異なる「薄く(300ナノメートル未満),アモルフォス,
非常に無秩序な黒鉛状炭素,並びにいくらかの不規則なsp3
結合炭素及び秩序立
ったsp3
結合炭素の,独特な組合せからなっている炭素膜」において,さらに請
求項1で特定される「1578cm−1
∼1620cm−1
の範囲のUVラマンバン
ドを有し,UVラマンバンドが25cm−1
∼165cm−1
の半値全幅値(FWH
M)を有する」光学的特性を再現するために必要な製造工程や製造条件(パラメー
タ)についても,本願明細書又は図面には何ら開示されていない。
(エ)よって,本願発明1に係る炭素膜を再現するためには,一般的なダイアモ
ンド状炭素(DLC)膜の製造方法に従って,まず,独特な組合せからなっている
炭素膜を製造し,その製造された炭素膜の試料のラマンスペクトルを測定し,その
スペクトルが所望なものとなっているか否かを確認し,所望のものとなっていなけ
れば,メタン濃度(エ),フィラメント温度(ク),基板温度(ケ),堆積圧力
(コ)等の製造条件(パラメータ)を変更し,再度,行わなければならない。それ
を繰り返すと,仮に,上記4つの各製造条件(パラメータ)について,それぞれ1
0個の値を選定したとすると,その場合の組合せの数は,最大で10の4乗(1万
通り)という膨大なものとなる。
(オ)以上のとおり,所望のラマンスペクトルを有する炭素膜を得るには,当業
者に過度の試行錯誤を強いるものというべきであるから,本願明細書の発明の詳細
な説明は,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が本願発明
1の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されているとはいえない。
イランシート記載のサンプルと実施可能要件
(ア)原告が本件意見書に添付したランシートに記載された3つのサンプルにつ
いて,前記4つの製造条件(パラメータ)がカバーする範囲は,本願明細書の発明
の詳細な説明(【0010】∼【0012】)に記載された製造条件(パラメー
タ)の範囲の一部分でしかない。しかも,各製造工程(エ)(ク)(ケ)(コ)に
おいて,いくつかのサンプルは,甲1刊行物又は甲2刊行物に記載のものと,その
製造条件(パラメータ)に格別の相違があるわけでもない。
(イ)そうすると,ランシートに記載の3つのサンプルのように,本願明細書の
発明の詳細な説明(【0010】∼【0012】)に記載の製造方法に従って,当
業者が最終的には本願発明1を実施することができる域に到達するとしても,そこ
に到達するためには,当業者は合理的に期待できる程度をはるかに超える試行錯誤
を要するものである。
よって,ランシートを参酌しても,本願明細書の発明の詳細な説明の記載が,実
施可能要件を充足するものとはいえない。
ウまとめ
以上のとおり,本願発明1に係る炭素膜は,当業者であれば,本願明細書の記載
に基づき,容易に製造可能であるとの原告の主張は,失当である。
2取消事由2(本願発明2,3,6ないし8の実施可能要件の判断の誤り)に
ついて
〔原告の主張〕
(1)本願発明2について
請求項2の炭素膜は,本願明細書(【0022】,【図3】)の記載からも裏付
けられるものであり,本願発明2の炭素膜の構成は,本願明細書の記載から明らか
である以上,本願明細書(【0010】∼【0012】,【図3】)の記載からこ
のような炭素膜を再現して実施することは,電界放出デバイス分野の当業者にとっ
て容易であることは明白である。
(2)本願発明3について
本願発明3は本願明細書の記載及び【図1】から明らかであるから,このような
炭素膜を再現して実施することは,電界放出デバイス分野の当業者にとって容易で
ある。
(3)本願発明6ないし8について
本願発明6ないし8の実施可能要件についても,本件審決が誤りであることは,
本願発明1ないし3が実施可能要件を充足することから,明らかである。
〔被告の主張〕
本願発明2及び3は,本願発明1に対して,更にUVラマンバンドの条件に関し
て限定を付しているものであり,本願発明2及び3に係る炭素膜を製造するために
は,本願発明1に係る炭素膜の製造方法に加えて,更に何らかの特定の製造工程又
は製造条件が必要であることは明らかである。しかしながら,本願明細書の発明の
詳細な説明又は図面には,本願発明2及び3を実施するための具体的な製造方法に
ついて,何ら記載も示唆もされていない。その点は,本願発明6ないし8について
も同様である。
したがって,本願発明2,3,6ないし8についても,本願明細書の発明の詳細
な説明の記載は実施可能要件を充足しない。
第4当裁判所の判断
1本願明細書の記載等
(1)本願発明に係る特許請求の範囲の記載は,前記第2の2のとおりであり,
本願明細書の発明の詳細な説明には,以下の記載がある。
ア炭素膜の製造工程(【0010】)
図8において,炭素層は,熱いフィラメントによって補助された化学蒸着(「C
VD」)プロセスを用いて堆積し得る。基板(必要であればこの上に導電層が堆積
される)は,CVD反応器中のホルダー上に載置される。水素ガスが,反応器にお
よそ10分間未満,流入される。次に,メタンのパーセンテージが50%未満であ
る,水素及びメタンの混合物が,反応器の中に1時間未満,流入される。上記工程
におけるよりもメタンのパーセンテージが低い,別の水素及びメタンの混合物が,
反応器に2時間未満,流入される。そして,CVD反応器内において,水素のフロ
ーが15分未満行われる。
イ炭素膜の製造条件(【0011】【0012】)
少量の酸素,窒素,あるいはホウ素ドーパントが,上記ガス流に含まれてもよい。
フィラメント804の温度は,1600℃∼2400℃の範囲に設定され,基板
の温度は,600℃∼1000℃の間に設定されている。堆積圧力は,5∼300
torrの間である。
ウ本願発明に係る炭素膜の特性(【0013】【0021】)
このプロセスから得られる炭素膜は,従来技術のダイアモンド状の炭素あるいは
CVDダイアモンド膜に比べて,優れた放出特性を示す。上記の方法で堆積された
3つのサンプルの炭素膜上において,UVラマンスペクトルが測定された。244
nm及び2∼7mWの励起ソースを用い,1100cm−1
∼1850cm−1
の周
波数内で,上記の方法で製造された炭素膜は,1578cm−1
∼1620cm−1
の範囲で,25∼165cm−1
のFWHMを有する明確なUVラマンバンドを有
する。また,1318∼1340cm−1
の範囲で,18cm−1
より大きいFWH
Mを有する,より小規模の線も存在し得る。1360∼1410cm−1
の間には,
180cm−1
よりも大きいFWHMを有するバンドも時々存在する。
本願発明の炭素膜は薄く(300ナノメートル未満),アモルフォス,非常に無
秩序な黒鉛状炭素,並びにいくらかの不規則なsp3
結合炭素及び秩序立ったsp3
結合炭素の,独特な組合せからなっている。これらの膜における秩序立ったsp3
結合炭素(すなわち,ダイアモンド構造)の成分あるいは量は非常に小さいため,
UVラマンスペクトルは従来の可視ラマンスペクトルに比べ25倍もダイアモンド
/黒鉛状炭素比に対して敏感であるという事実にもかかわらず,一般的な機器動作
条件において,UVラマンスペクトル中の1332cm−1
周辺の明白なラマン励
起線はほとんどの場合出現しないか,あるいは,出現したとしてもsp2
結合炭素
のそれよりも小規模である(図1∼3参照)。
エ炭素膜の3つのサンプル(【0015】∼【0017】)
第1の炭素層サンプルのUVラマンスペクトル(図1)は,1580.8cm−1
において,FWHMが89.7cm−1
の明確なUVラマンバンドを有する。また,
1329.7cm−1
において,FWHMが24.6cm−1
の,ずっと小規模な線
がある。
第2の炭素層サンプルのUVラマンスペクトル(図2)は,1583.4cm−1
において,FWHMが45.3cm−1
のUVラマンバンドを示した。
第3の炭素層サンプルのUVラマンスペクトル(図3)は,1612.2cm−1
において,FWHMが77cm−1
の明確なUVラマンバンドを有していた。この
膜は,1408cm−1
の肩部も示した。
オ炭素膜の構造(【0022】【0023】【0027】)
秩序立ったsp3
の結合炭素の領域サイズは,そのラマン線のFWHM及び周波
数偏移から判断すると,おそらく60オングストローム未満である(図1参照)。
これらの膜におけるsp3
結合,特にアモルフォスsp3
の存在は,周波数の上方
偏移及び/又は図3に示されるような,1580cm−1
周辺の典型的なsp3
炭素
励起線の低周波側の強い肩部から,推測されることが多い。この肩部は,1580
cm−1
線がそれほど強くない場合,1360∼1410cm−1
の範囲で180c
m−1
より大きいFWHMを有する広帯域バンドとして時々出現し得る。幾つかの
膜においては,若干の上方周波数偏移及び幅広化が見られるほぼ典型的な黒鉛状炭
素線が出現したものもあった。これは,膜中にsp3
結合炭素の成分がほとんどな
く,黒鉛状炭素構造がより多く存在することを示している(図2参照)。
図10∼12は,図1∼3をそれぞれ参照して説明した3つのサンプル上におけ
る,可視ラマンスペクトルである。可視ラマンスペクトルは,514.5ナノメー
トル,10ミリワットの励起ソースによって得られた。これらの3つのラマンスペ
クトルは,およそ1350cm−1
(Dピーク)及び1580cm−1
(Gピーク)
において,D/Gペアピークを明らかに示している。典型的には,本願発明の炭素
膜のDピークは,1340cm−1
∼1380cm−1
の間であり,Gピークは15
78cm−1
∼1620cm−1
の間である。
これらの放出特性により,これらの炭素膜は,非常に均一な高性能電界放出電子
デバイス用として特に望ましく,表面全体に均一に放出を行う。
カ従来技術との相違(【0024】【0025】)
電界放出アプリケーションに適していると報告されている従来の炭素膜には,C
VDあるいは欠陥補強(defectenriched)CVDダイアモンド膜(窒素又はホウ
素ドープあるいはイオン注入されたダイアモンド膜など)及び,主にsp3
結合を
有するダイアモンド状炭素(DLC)膜がある。大部分がダイアモンド結合炭素か
らなり,領域サイズが60オングストロームよりもずっと大きいCVDあるいは欠
陥CVDダイアモンド膜は,典型的には,1332cm−1
近傍においてFWHM
が18cm−1
未満である主ダイアモンド励起線を示し,そして1580cm−1

傍において,170cm−1
より大きいFWHMを有し,広帯域であるがしばしば
より小規模であるバンドを,UVラマンスペクトル中において示す。きめの細かい
CVDダイアモンド膜が,可視ラマン中で時々1332cm−1
近傍において微弱
あるいはほとんど視認できない偏移をしばしば示すことを示す報告がされてきたが,
ダイアモンド及び黒鉛状炭素率に対するUVラマンの超感受性により,微粒子状C
VDダイアモンド膜のUVラマンは,強く鋭いダイアモンド線を示すことに,留意
されたい。すなわち,本願発明でクレームされる膜は,ダイアモンド構造がより少
ない。ほとんどの場合,この膜の存在は,UVラマンによってでさえ全く検出され
ない。
sp3
結合を主とするDLC膜が,電界放出アプリケーションに適するとされて
きた。これらのDLC膜のUVラマンスペクトルも,1580∼1620cm−1
において励起線を示すが,それらの可視ラマンは1580cm−1
線(Gバンド)
及び1350cm−1
線(Dバンド)のいずれをも示さない。むしろ,はっきりと
した非対称性と1510∼1600cm−1
の間に位置する広帯域バンドを有する。
さらに,UVラマンにおいてでさえ,これらのsp3
結合を主とするDLC膜は常
に,およそ1150cm−1
にピークを有する別の広帯域バンドあるいは肩部を有
し,これらの1580cm−1
線のFWHMは,しばしば165cm−1
よりも大き
い。この1150cm−1
における第2のバンドは,従来技術のDLC膜と本願発
明の炭素膜との間に,更なる相違点を提供するものである。
(2)なお,本願明細書には,図面が付され,【図1】ないし【図3】は,本願
発明による炭素膜のUVラマンスペクトルであり,【図10】ないし【図12】は,
その可視ラマンスペクトルである。また,【図8】には,本願発明の炭素膜を堆積
するための装置が記載されている。
2取消事由(本願発明1の実施可能要件違反の認定判断の誤り)について
(1)実施可能要件の意義
法36条4項は,「発明の詳細な説明は,…その発明の属する技術の分野におけ
る通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に,記
載しなければならない」と規定している(以下「実施可能要件」ということがあ
る。)。
特許制度は,発明を公開する代償として,一定期間発明者に当該発明の実施につ
き独占的な権利を付与するものであるから,明細書には,当該発明の技術的内容を
一般に開示する内容を記載しなければならない。法36条4項が上記のとおり規定
する趣旨は,明細書の発明の詳細な説明に,当業者が容易にその実施をすることが
できる程度に発明の構成等が記載されていない場合には,発明が公開されていない
ことに帰し,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くこ
とになるからであると解される。
そして,本件のような物の発明における発明の実施とは,その物を生産,使用等
をすることをいうから(特許法2条3項1号),物の発明については,その物を製
造する方法についての具体的な記載が必要であるが,そのような記載がなくても明
細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識に基づき当業者がその物を製造するこ
とができるのであれば,実施可能要件を満たすということができる。
(2)本願発明に係る炭素膜の製造方法について
ア本願発明に係る炭素膜の構造
本願明細書において,従来技術とされている電界放出デバイスに適用される炭素
膜は,「CVDあるいは欠陥補強CVDダイアモンド膜又は主にsp3
結合を有す
るダイアモンド状炭素(DLC)膜」である(【0024】)。「ダイアモンド
膜」とは,「ダイアモンド結晶構造を有する膜」であり,「ダイアモンド状炭素
(DLC)膜」とは,「sp2
とsp3
結合が混合したアモルフォス膜」であり,
UVラマンスペクトルは,1580∼1620cm−1
において励起線を示すが,
可視ラマンは1580cm−1
線(Gバンド)及び1350cm−1
線(Dバンド)
のいずれをも示さない(【0025】)。
これに対し,本願発明の炭素膜は,従来技術のダイアモンド状の炭素あるいはC
VDダイアモンド膜に比べて,優れた放出特性を示すもので(【0013】),
「ダイアモンド状」炭素膜ではなく,また単なる「ダイアモンド」膜でもなく,
「アモルフォス,非常に無秩序な黒鉛状炭素,並びにいくらかの不規則なsp3

合炭素及び秩序立ったsp3
結合炭素の,独特な組合せからなる」ものである
(【0021】)。そして,このような炭素膜は,ダイアモンド/黒鉛状炭素比に
関し,可視ラマンスペクトル分光法に比べて極めて感度の高いUVラマンスペクト
ル分光法によってもダイアモンド成分に特有の1332cm−1
のラマン励起線は
出現しないか,出現しても小規模であり(【図1】),1578cm−1
∼162
0cm−1
の範囲のUVラマンバンドを有し,該UVラマンバンドは25cm−1

165cm−1
の半値全幅値(FWHM)を有するものである。
このように,従来技術の炭素膜と本願発明の炭素膜とは,構造及び特性において
十分に区別されているということができる。
イ本願発明に係る炭素膜の製造方法
前記1のとおり,本願明細書には,本願発明の製造工程として,以下の記載があ
る(【0010】)。
(ア)炭素層は,熱いフィラメントによって補助された化学蒸着(「CVD」)プ
ロセスを用いて堆積し得る。
(イ)基板は,CVD反応器中のホルダー上に載置される。
(ウ)水素ガスが,反応器におよそ10分間未満,流入される。
(エ)次に,メタンのパーセンテージが50%未満である,水素及びメタンの混合
物が,反応器の中に1時間未満,流入される。
(オ)上記工程(エ)におけるよりもメタンのパーセンテージが低い,別の水素及
びメタンの混合物が,反応器に2時間未満,流入される。
(カ)そして,CVD反応器内において,水素のフローが15分未満行われる。
また,本願明細書には,上記製造工程における製造条件としては,以下のことも
記載されている(【0011】【0012】)。
(キ)少量の酸素,窒素,あるはホウ素ドーパントが,ガス流に含まれてもよい。
(ク)フィラメントの温度は,1600℃∼2400℃の範囲に設定される。
(ケ)基板の温度は,600℃∼1000℃の間に設定されている。
(コ)堆積圧力は,5∼300torrの間である。
ウ本件意見書の記載
原告は,法36条4項違反等を指摘する拒絶理由通知書に対応して,平成21年
7月6日,本件意見書を提出した(甲5)。
本件意見書には,本願発明に係る3つの炭素膜を製造した際に用いられたパラメ
ータを記載したランシート及びそれをまとめた【表1】が添付されている。それに
よれば,サンプル「LJ012397−02−A(図1及び図4)」,サンプル
「LJ012797−03−A(図2及び図5)」及びサンプル「FF03149
7−01−A(図3及び図6)」の3つの炭素膜のサンプルを製造した際,クリー
ン,シーディング,グロース,エッチングの各ステップにおけるフィラメント温度,
基板温度,堆積圧力,ガス混合物が記載され,説明されている。
また,本件意見書には,水素の流速が非常に低くダイアモンド微結晶が非常に小
さい場合には,炭素膜がグラファイト膜に近づき,ダイアモンド微結晶が大きくな
ると,炭素膜の性質がダイアモンド膜に近づくことが,文献を上げて説明されてい
る。
エ当業者の技術常識
従来のDLC膜は,ダイアモンド構造が多い場合も少ない場合も存在することは,
本願明細書にもあるとおり,公知である。このことや,本件意見書中の上記記載に
よれば,当業者であれば,sp3
結合を少なくして1580cm−1
近傍のピークの
半値幅を小さくする実施条件を,予測することができるものと解される。
オ小括
以上総合すれば,本願明細書には,本願発明1に係る炭素膜の製造方法が記載さ
れているところ,記載された条件の中で,当業者が技術常識等を加味して,具体的
な製造条件を決定すべきものであり,これにより本願発明1に係る炭素膜を製造す
ることは,可能であるというべきである。
(3)本件審決の判断について
ア本件審決は,①本願発明1で用いられる炭素膜の製造工程は,上記(2)イの
(ア)(イ)(エ)が必須の製造工程であるが,同(ウ)(オ)(カ)は選択的な
ものであること,②本願発明の製造工程は,従来の「ダイアモンド状の炭素あるい
はCVDダイアモンド膜」の製造方法として甲1刊行物及び甲2刊行物に記載され
ている製造工程と実質的に同じものであり,その製造条件は,従来の「ダイアモン
ド状の炭素あるいはCVDダイアモンド膜」の製造方法として上記刊行物に記載さ
れている製造条件を含むから,発明の詳細な説明に記載されている炭素膜の製造工
程は,当該製造工程により従来のダイアモンド状の炭素あるいはCVDダイアモン
ド膜が製造できても,それを超える本願発明1に係る炭素膜の製造を保証するもの
ではないこと,③炭素膜の製造方法における温度,圧力等の製造パラメータが多数
あり,かつ,その数値範囲もCVDダイアモンド膜が製造できる数値を含んでいる
ことから,当業者は,種々の製造パラメータにおける適正な範囲やそれらの組合せ,
その他の製造パラメータについて更に特定して,所望の特性を有する炭素膜を製造
する方法を見つけ出さなくてはならず,当業者が過度の試行錯誤を強いられること,
④したがって,本願発明1の電子放出デバイスが有する「炭素膜」を実施するため
の製造方法に関して,発明の詳細な説明には,従来のダイアモンド膜を含む一般の
「炭素膜」を製造する方法が記載されているにすぎず,請求項1に記載したUVラ
マンバンドに関する特性を有する特定の炭素膜を実施するための製造方法が,明確
かつ十分に記載されているものとはいえないし,本願発明1の「炭素膜」を得るた
めの具体的な製造方法が,当業者の技術常識であったともいえないと判断した。
イしかしながら,本件審決の上記①ないし③の判断は,以下のとおり,誤りで
ある。
(ア)上記①について
本願明細書(【0010】)には,本願発明の製造工程が工程順に記載されてい
るのであるから,当業者は,明細書の記載としては,代表的な製造プロセスの全工
程が一体として記載されていると理解するのが通常であると解される。そして,製
造工程のうち,上記(2)イの(ウ)(オ)(カ)の工程について,時間の上限のみ
が言及されているからといって,その工程が省略可能であり,その余の同(ア)
(イ)(エ)の工程のみが必須の製造工程であると解することは相当とはいえない。
また,本願明細書の記載(【0021】∼【0024】【0027】)からは,本
願発明の炭素膜は秩序だったsp3
結合炭素の領域が非常に小さく,均一に分散し
ているという特徴的組織構造を有しており,本願明細書の記載(【0010】∼
【0012】)及び本件意見書(甲5)の上記記載等によると,水素流速を非常に
小さくして形成するとダイアモンド微結晶が形成できることが示されており,本願
明細書の【0010】ないし【0012】で示された範囲の中でも,ガス濃度を小
さくする等の結晶を大きくさせない条件によって,ダイアモンド微結晶が形成でき
ることが示唆されているということができる。
よって,本願明細書【0010】の製造工程中,上記(2)イの(ア)(イ)
(エ)のみが必須の製造工程であるとした本件審決の上記①の判断は,誤りである。
(イ)上記②について
甲1刊行物は,耐摩耗性,耐熱性及び耐欠損性に優れた工具用ダイアモンドを製
造するための方法に関するものである(【0001】)。甲1刊行物には,【請求
項1】に記載されるように,多結晶ダイアモンドを気相合成する方法の原料ガスの
水素に対する炭素源の濃度を経時的にかつ周期的に変化させる方法が記載されてお
り,実施例として,【0033】及び【0034】のプロセスを繰り返すことが記
載されている(【0032】∼【0035】)。しかしながら,甲1刊行物は,あ
くまでもダイアモンド膜の文献であり,形成される炭素膜に関して,X線解析によ
ってより硬く摩耗しにくく劈開しにくい多結晶ダイアモンドを製造するために
(【0015】),多結晶ダイアモンドがどのような結晶面を有しているかを分析
しているだけであって,アモルフォス部分や非常に無秩序な黒鉛状の部分が混合さ
れている点や,sp2
結合状態とsp3
結合状態の分布を問題にしている点に関し
て何ら認識していないものである。たとえ,【0033】【0034】のプロセス
のうち一部を取り出せば,本願明細書【0010】ないし【0012】に重複する
条件があるとしても,本願発明とは膜構造や特性が異なるダイアモンド膜に関する
甲1刊行物によって,UVラマンバンドを特定して,電界放出デバイス特性を向上
させた本願発明の記載要件判断における,一般的なダイアモンド状炭素(DLC)
膜の製造方法に関する技術水準を認定すること自体,誤りである。
また,甲2刊行物は,多結晶薄膜ダイアモンドを形成する薄膜ダイアモンドの製
造方法に関するものである。甲2刊行物には,ダイアモンドの硬度,熱伝導率,透
光性,耐熱性を利用した半導体分野での応用を前提として発明がされていること
(【0001】∼【0003】),ダイアモンド結晶合成時の核発生密度を高める
ことで緻密な薄膜ダイアモンドを実現し,薄膜ダイアモンドと基板との界面での応
力緩和を課題としていること(【0008】)が記載されており,水素−メタン混
合ガスを用いた合成条件が開示されている(【0048】)。しかしながら,甲2
刊行物は,フッ酸を含む電解液中での陽極化成処理で基板表面に多孔質層を形成し
て格子歪みを導入した後,薄膜ダイアモンドを気相合成して,できるだけ多くの核
発生を生じさせ,最終的に連続膜を形成することを目的としたものであり(【請求
項1】【0051】),アモルフォス部分や非常に無秩序な黒鉛状炭素の部分が混
合されている点や,sp2
結合状態とsp3
結合状態の分布を問題にしている点に
関して何ら認識していない。たとえ,【0048】のプロセスのうち一部を取り出
せば,本願明細書【0010】ないし【0012】に重複する条件があるとしても,
本願発明とは膜構造や特性が異なるダイアモンド膜に関する甲2刊行物によって,
UVラマンバンドを特定して,電界放出デバイス特性を向上させた本願発明の記載
要件判断における,一般的なダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法に関する
技術水準を認定すること自体,誤りである。
なお,被告は,炭素膜についての実施可能要件を論ずるに当たっては,請求項1
で特定された炭素膜の材質,構造あるいは製造方法の異同が本質といえるものであ
って,その用途の相違は格別問題とならないと主張する。しかし,対象としている
用途が異なることに起因して着目している炭素膜の構造や特性が異なっており,本
願発明では,アモルフォス構造等の中に秩序立ったsp3
結合炭素(ダイアモンド
構造)を非常に少量,均一性をもって分散させることに着目するのに対し,甲1刊
行物及び甲2刊行物は,均一な多結晶ダイアモンド層を形成することに着目してい
ることからみて,膜構造について着目している点がそもそも異なり,かつ,実際の
膜構造も異なっているのであるから,甲1刊行物及び甲2刊行物を実施可能要件判
断のための技術水準の認定に用いることは,相当でない。
よって,甲1刊行物及び甲2刊行物に基づき技術水準の認定をした本件審決の上
記②の判断は,誤りである。
(ウ)上記③について
なお,本件審決の上記③の判断は,全てのパラメータの開示が必要であることを
述べたものではなく,炭素膜の形成に影響を及ぼす他のパラメータの存在を指摘し
て,開示条件の記載が少ないことを指摘したものにすぎないと解される。そして,
被告が主張するような無数の試行錯誤があるわけではなく,当業者にとって過度な
試行錯誤とまではいえない。
(4)被告の主張について
ア被告は,当業者が,一般的なダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法の
域を出ていない本願明細書の発明の詳細な説明の記載に基づいて,本願発明1に係
る「電界放出デバイス用炭素膜」を製造できることが保証されることにはならない
と主張する。
しかし,本願明細書に記載された複数の条件の全範囲で,本願発明が製造できる
必要はなく,技術分野や課題を参酌して,当業者が当然行う条件調整を前提として,
【0010】ないし【0012】に記載された範囲から具体的製造条件を設定すれ
ばよい。
イ被告は,本件意見書に添付したランシートに記載された3つのサンプルにつ
いて,4つの製造条件(パラメータ)がカバーする範囲は,本願明細書の発明の詳
細な説明(【0010】∼【0012】)に記載された製造条件(パラメータ)の
範囲の一部分でしかないと主張する。
しかし,本来,物の発明において,適用可能な条件範囲全体にわたって,実施例
が必要とされるわけではない。物の発明においては,物を製造する方法の発明にお
いて,特許請求の範囲に製造条件の範囲が示され,公知物質の製造方法として,方
法の発明の効果を主張しているケースとは,実施例の網羅性に関して,要求される
水準は異なるものと解される。
なお,本件意見書のランシートに記載された3つのサンプルは,本願明細書
(【0010】∼【0012】)で示された範囲のうち,偏った部分の具体例,す
なわち,メタン濃度が低く,流入時間が短い部分の具体例,基板温度も低い部分の
具体例,堆積圧力も低い部分の具体例であるといわざるを得ない。しかしながら,
本願発明が,「薄く(300ナノメートル未満),アモルフォス,非常に無秩序な
黒鉛状炭素,並びにいくらかの不規則なsp3
結合炭素及び秩序立ったsp3
結合
炭素の,独特な組合せからなっている炭素膜」(【0021】)という目標構造を
持っている以上,膜厚の大きな,結晶性の高い膜を得るためには,原料ガスを十分
に供給して,基板温度を上げて結晶性を高めることが一般的膜形成の技術常識とい
うべきであるから,これは予測可能な結果であるということができる。
そして,クリーニングやエッチングを行う前提で,結晶核を形成する段階(シー
ディング工程)ではメタン濃度をある程度高くし,発生した結晶核を成長させる段
階(グロース工程)では,メタン濃度を下げるという方法で,本件意見書(甲5)
のランシートのサンプル(LJ012397−02−Aの試料)が製造できたので
あり,最終目標とする炭素膜の構造である無秩序なマトリックス内に秩序立ったs
p3
結合炭素が均一に少量存在するというものの製造方法ということができる。
以上のとおり,本願明細書【0010】ないし【0012】の条件範囲は,製造
可能なパラメータ範囲を列挙したと捉えるべきで,当業者は具体的な製造条件決定
に際しては,技術常識を加味して決定すべきものである。
(5)小括
以上のとおり,取消事由1は,理由がある。
3取消事由(本願発明2,3,6ないし8の実施可能要件違反の認定判断の誤
り)について
(1)本願発明2,3について
本件審決は,本願発明2及び3について,本願発明1に係る炭素膜を製造する過
程の記載がないことを前提に,更なる製造工程や製造パラメータの特定等が発明の
詳細な説明に記載されていないと判断した。
しかし,本願明細書の記載(【0021】【0022】【図1】∼【図3】)に
よれば,本願発明2及び3に係る炭素膜についても,本件意見書(甲5)のランシ
ートにおいて対応する具体例が示されており,追加的に製造工程,条件が必要であ
って,実施可能要件の判断の誤りに関して更に検討しなければならない点はない。
(2)本願発明6ないし8について
本件審決は,本願発明6ないし8に係る炭素膜の特性は,それぞれ本願発明1な
いし3に係る炭素膜の特性と同じであり,本願発明1ないし3に係る炭素膜の製造
方法の記載がないと判断した。
しかし,本願発明1ないし3に係る炭素膜の製造方法の記載が十分でないとした
本件審決の判断が誤りであることは,前記2,3(1)のとおりである。
(3)小括
以上のとおり,取消事由2も,理由がある。
4結論
以上の次第であるから,本件審決は取り消されるべきものである。
知的財産高等裁判所第4部
裁判長裁判官滝澤孝臣
裁判官髙部眞規子
裁判官井上泰人

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仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
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