弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
1本件は,相手方を吸収分割株式会社,Aを吸収分割承継株式会社とする吸収
分割に反対した相手方の株主である抗告人が,相手方に対し,抗告人の有する株式
を公正な価格で買い取るよう請求したが,その価格の決定につき協議が調わないた
め,抗告人及び相手方が,会社法786条2項に基づき,それぞれ価格の決定の申
立てをした事案である。
2抗告代理人国谷史朗ほかの抗告理由第3の2について
所論の点に関する原審の事実認定は,原決定挙示の証拠関係等に照らして首肯す
るに足り,原決定に所論の違法はない。論旨は,事実の認定を非難するものにすぎ
ず,採用することができない。
3抗告代理人国谷史朗ほかのその余の抗告理由について
(1)原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
ア相手方は,その株式が東京証券取引所の市場第一部に上場されている株式会
社であるところ,平成20年12月16日に開催された株主総会において,吸収分
割の方法により,相手方がテレビ放送事業及び映像・文化事業に関して有する権利
義務を完全子会社であるAに承継させ,Aから相手方に対してその対価を何ら交付
しないことなどを内容とする吸収分割契約を承認する旨の決議(以下「本件決議」
といい,本件決議に係る吸収分割を「本件吸収分割」という。)がされた。本件吸
収分割は,同年4月1日に施行された認定放送持株会社制度の導入を内容とする放
送法等の一部を改正する法律(平成19年法律第136号)に基づき,相手方を認
定放送持株会社に移行させるために行われたものであった。
イ抗告人は,合計3777万0700株の株式(以下「本件株式」という。)
を保有する相手方の株主であるが,上記株主総会に先立ち,本件吸収分割に反対す
る旨を相手方に通知し,上記株主総会において本件決議が行われるに当たり,これ
に反対した上,会社法785条5項所定の期間(株式買取請求期間)の満了日であ
る平成21年3月31日,相手方に対し,本件株式を公正な価格で買い取ることを
請求した(以下,この請求を「本件買取請求」という。)。
東京証券取引所における相手方の株式の同日の終値は,1株1294円であっ
た。
ウ本件吸収分割により相手方の事業がAに承継されても,シナジー(組織再編
による相乗効果)は生じず,また,本件吸収分割は,相手方の企業価値や株主価値
を毀損するものではなく,相手方の株式の価値に変動をもたらすものでもなかっ
た。
(2)原審は,上記事実関係の下で,要旨次のとおり判断して,本件株式の買取
価格を1株につき1294円と定めるべきものとした。
完全子会社を吸収分割承継株式会社とする吸収分割に際し,吸収分割株式会社の
反対株主が株式買取請求をした場合における株式の「公正な価格」は,吸収分割契
約を承認する旨の株主総会の決議がなかったとしたらその株式が有していたであろ
う価格を基礎として算定すべきであり,「公正な価格」を定める基準日は,株式買
取請求期間の満了日とするのが相当である。そして,本件株式は上場株式であるか
ら,当該市場における株式の価格(以下「市場株価」という。)が企業の客観的価
値を反映しないなどの特段の事情がない限り,市場株価を算定の基礎に用いるのが
相当であり,また,相手方の認定放送持株会社化と連動した本件吸収分割が相手方
の企業価値又は株主価値を毀損したものとは認められないから,本件における「公
正な価格」は,株式買取請求期間の満了日の市場株価を上回るものではあり得な
い。本件における株式買取請求期間の満了日は平成21年3月31日であるとこ
ろ,東京証券取引所における相手方の株式の同日の終値は1株1294円であるか
ら,これをもって本件株式の「公正な価格」と認めるのが相当である。
(3)所論は,株式買取請求がされた場合における「公正な価格」を定める基準
日を株式買取請求期間の満了日であるとし,かつ,本件吸収分割が公表される前の
市場株価を参照しなかった原決定には法令の解釈の誤りがあるなどというものであ
る。
(4)ア吸収合併,吸収分割又は株式交換(以下「吸収合併等」という。)が行
われる場合,会社法785条2項所定の株主(以下「反対株主」という。)は,吸
収合併消滅株式会社,吸収分割株式会社又は株式交換完全子会社(以下「消滅株式
会社等」という。)に対し,自己の有する株式を「公正な価格」で買い取るよう請
求することができる(同条1項)。このように反対株主に「公正な価格」での株式
の買取りを請求する権利が付与された趣旨は,吸収合併等という会社組織の基礎に
本質的変更をもたらす行為を株主総会の多数決により可能とする反面,それに反対
する株主に会社からの退出の機会を与えるとともに,退出を選択した株主には,吸
収合併等がされなかったとした場合と経済的に同等の状況を確保し,さらに,吸収
合併等によりシナジーその他の企業価値の増加が生ずる場合には,上記株主に対し
てもこれを適切に分配し得るものとすることにより,上記株主の利益を一定の範囲
で保障することにある。以上のことからすると,裁判所による買取価格の決定は,
客観的に定まっている過去のある一定時点の株価を確認するものではなく,裁判所
において,上記の趣旨に従い,「公正な価格」を形成するものであり,また,会社
法が価格決定の基準について格別の規定を置いていないことからすると,その決定
は,裁判所の合理的な裁量に委ねられているものと解される(最高裁昭和47年
(ク)第5号同48年3月1日第一小法廷決定・民集27巻2号161頁参照)。
イ上記の趣旨に照らせば,吸収合併等によりシナジーその他の企業価値の増加
が生じない場合には,増加した企業価値の適切な分配を考慮する余地はないから,
吸収合併契約等を承認する旨の株主総会の決議がされることがなければその株式が
有したであろう価格(以下「ナカリセバ価格」という。)を算定し,これをもって
「公正な価格」を定めるべきである。そして,消滅株式会社等の反対株主が株式買
取請求をすれば,消滅株式会社等の承諾を要することなく,法律上当然に反対株主
と消滅株式会社等との間に売買契約が成立したのと同様の法律関係が生じ,消滅株
式会社等には,その株式を「公正な価格」で買い取るべき義務が生ずる反面(前掲
最高裁昭和48年3月1日第一小法廷決定参照),反対株主は,消滅株式会社等の
承諾を得なければ,その株式買取請求を撤回することができないことになる(会社
法785条6項)ことからすれば,売買契約が成立したのと同様の法律関係が生ず
る時点であり,かつ,株主が会社から退出する意思を明示した時点である株式買取
請求がされた日を基準日として,「公正な価格」を定めるのが合理的である。仮
に,反対株主が株式買取請求をした日より後の日を基準として「公正な価格」を定
めるものとすると,反対株主は,自らの意思で株式買取請求を撤回することができ
ないにもかかわらず,株式買取請求後に生ずる市場の一般的な価格変動要因による
市場株価への影響等当該吸収合併等以外の要因による株価の変動によるリスクを負
担することになり,相当ではないし,また,上記決議がされた日を基準として「公
正な価格」を定めるものとすると,反対株主による株式買取請求は,吸収合併等の
効力を生ずる日の20日前の日からその前日までの間にしなければならないことと
されているため(会社法785条5項),上記決議の日から株式買取請求がされる
までに相当の期間が生じ得るにもかかわらず,上記決議の日以降に生じた当該吸収
合併等以外の要因による株価の変動によるリスクを反対株主は一切負担しないこと
になり,相当ではない。
そうすると,会社法782条1項所定の吸収合併等によりシナジーその他の企業
価値の増加が生じない場合に,同項所定の消滅株式会社等の反対株主がした株式買
取請求に係る「公正な価格」は,原則として,当該株式買取請求がされた日におけ
るナカリセバ価格をいうものと解するのが相当である。
ウ会社法が「公正な価格」の決定を裁判所の合理的な裁量に委ねていることは
前記のとおりであるところ,株式が上場されている場合,一般に,市場株価には,
当該企業の資産内容,財務状況,収益力,将来の業績見通しなどが考慮された当該
企業の客観的価値が,投資家の評価を通して反映されているということができるか
ら,上場されている株式について,反対株主が株式買取請求をした日のナカリセバ
価格を算定するに当たっては,それが企業の客観的価値を反映していないことをう
かがわせる事情があれば格別,そうでなければ,その算定における基礎資料として
市場株価を用いることには,合理性が認められる。
そして,反対株主が株式買取請求をした日における市場株価は,通常,吸収合併
等がされることを織り込んだ上で形成されているとみられることからすれば,同日
における市場株価を直ちに同日のナカリセバ価格とみることは相当ではなく,上記
ナカリセバ価格を算定するに当たり,吸収合併等による影響を排除するために,吸
収合併等を行う旨の公表等がされる前の市場株価(以下「参照株価」という。)を
参照してこれを算定することや,その際,上記公表がされた日の前日等の特定の時
点の市場株価を参照するのか,それとも一定期間の市場株価の平均値を参照するの
か等については,当該事案における消滅株式会社等や株式買取請求をした株主に係
る事情を踏まえた裁判所の合理的な裁量に委ねられているものというべきである。
また,上記公表等がされた後株式買取請求がされた日までの間に当該吸収合併等以
外の市場の一般的な価格変動要因により,当該株式の市場株価が変動している場合
に,これを踏まえて参照株価に補正を加えるなどして同日のナカリセバ価格を算定
するについても,同様である。
もっとも,吸収合併等により企業価値が増加も毀損もしないため,当該吸収合併
等が消滅株式会社等の株式の価値に変動をもたらすものではなかったときは,その
市場株価は当該吸収合併等による影響を受けるものではなかったとみることができ
るから,株式買取請求がされた日のナカリセバ価格を算定するに当たって参照すべ
き市場株価として,同日における市場株価やこれに近接する一定期間の市場株価の
平均値を用いることも,当該事案に係る事情を踏まえた裁判所の合理的な裁量の範
囲内にあるものというべきである。
エこれを本件についてみるに,前記事実関係によれば,本件吸収分割により相
手方の事業がAに承継されてもシナジーが生じるものではないというのであり,ま
た,本件吸収分割により相手方の企業価値が増加したとの事実も原審において認定
されていない。そうすると,本件買取請求に係る「公正な価格」は,本件買取請求
がされた平成21年3月31日におけるナカリセバ価格をいうものと解するのが相
当である。
前記事実関係によれば,相手方の市場株価が相手方の客観的価値を反映していな
いとの事情はうかがわれないから,本件買取請求がされた日のナカリセバ価格を算
定するに当たっては,その市場株価を算定資料として用いることは相当であるとい
うべきであり,また,本件吸収分割は相手方の株式の価値に変動をもたらすもので
はないというのであるから,これを算定するに当たって,原審が,同日の市場株価
を用いて同日のナカリセバ価格を算定したことは,その合理的な裁量の範囲内にあ
るものということができる。他にこの市場株価をもって同日のナカリセバ価格を算
定することが相当でないことをうかがわせる事情はない。
以上によれば,本件買取請求の日である平成21年3月31日の東京証券取引所
における相手方の株式の終値(1株当たり1294円)をもって,本件株式の「公
正な価格」であるとした原審の判断は,結論において是認することができる。論旨
は採用することができない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。なお,裁判官田原睦
夫の補足意見,裁判官那須弘平の意見がある。
裁判官田原睦夫の補足意見は,次のとおりである。
会社法785条1項に基づいて株式買取請求権が行使された上で,同法786条
2項に基づいて価格の決定の申立てがなされた場合に,裁判所はどの時点を価格決
定の基準として「公正な価格」を算定すべきかについて諸説が主張されている中
で,多数意見は,裁判所は,株式買取請求がされた日を基準日として「公正な価
格」を算定すべきものとした。
私は,多数意見に賛成するものであるが,その賛成する理由につき,以下に付言
する。
1商法(平成17年法律第87号による改正前のもの。以下同じ。)の規定
株主総会の決議によって株式会社の組織再編行為がなされる場合に,反対株主は
会社に対し,その有する株式を「決議ナカリセバ其ノ有スベカリシ公正ナル価格」
をもって買い取るよう請求することができるとされていた(商法374条ノ3第1
項,374条ノ31第3項,408条ノ3第1項等)。
その場合の価格算定の基準日につき,学説の多数説及び下級審裁判例は,「決議
ナカリセバ其ノ有スベカリシ」公正な価格を算定するものである以上,当該決議の
なされた株主総会の日を基準として算定すべきものとしていた。
2会社法の規定
株式会社の組織再編に伴いシナジーが発生する場合に,学説上,株式買取請求権
を行使する反対株主においても,他の株主との均衡上そのシナジーの分配を受ける
ことができてしかるべきであり「公正ナル価格」は,シナジーを考慮して定めるべ
きであるとの指摘等がされていた。
会社法の規定は,上記の状況をも踏まえて,組織再編に伴い株式買取請求権が行
使される場合の「公正な価格」の算定に当たって,シナジーを算入することができ
ることを明確にすべく,商法の上記規定をそのまま踏襲せず,単に「公正な価格」
と定めたものであると一般に解されている。そして,多数の学説は,組織再編によ
るシナジーが全く存しない場合や,組織再編により企業価値が毀損される場合に
は,商法が明文で定めていた「決議ナカリセバ」価格の基準も排除されていないと
解している。
3「公正な価格」算定の基準日
(1)基準日を定めることの意義
株式買取請求権が行使された場合,何時の時点を基準として,「公正な価格」を
算定すべきかという,価格算定の基準日を定める必要がある。
この点について,価格算定の基準日は,シナジーが発生する場合と否とで別異に
解しても差し支えないとか,買取価格は基本的には当事者の協議に委ねられている
のであるから,基準日につき法律上の解釈として一定の期日と定めることの意義は
ない,あるいは,どの時点を基準日として選択するかは,裁判所の裁量の範囲の問
題であるなどの見解が述べられることがある。
しかし,裁判所が,株式買取請求がなされた場合の「公正な価格」を定めるに当
たっては,その算定の基準が当事者にとって予測可能であるとともに,その合理
性,透明性が求められることからして,原則として一定の期日をもってその価格算
定の基準日と解し,その法律上の解釈を統一することが不可欠であり,また,基準
日の性質上,シナジーの有無にかかわらず,一定の期日であるべきである。
また,買取価格は,原則として会社と反対株主の協議で定めるものであるが,そ
の価格は「公正な価格」でなければならない。仮に,協議で定められた価格が「公
正な価格」でない場合には,取締役の善管注意義務が問われるところ,その協議で
定められた価格が何れの時点を基準として定めるべきものであるかが明らかでなけ
れば,その協議で定められた価格が,「公正な価格」か否かにつき判定することは
できないこととなる。
(2)基準日についての補足的な説明及び他の説の検討
基準日について,多数意見が採用した株式買取請求権行使時説について,那須裁
判官が意見を述べておられるところから,それを踏まえて多数意見の立場から以下
に若干の補足をし,また,基準日については多数意見と異なる見解として,①組織
再編の承認決議時説,②組織再編の効力発生時説(原々決定),③買取請求期間満
了時説(原決定)等が主張されているところから,それらの諸説についても順次検
討することとする。
ア株式買取請求権行使時説についての補足
那須裁判官はその意見において,多数意見の採る株式買取請求権行使時説に対し
て批判されるので,多数意見に賛成する立場から,多数意見の見解を若干補足す
る。
①株式買取請求権行使の効果について
反対株主が株式買取請求をした場合に,多数意見が「売買契約が成立したのと同
様の法律関係が生ずる」とする点に関し,那須裁判官は,その場合,売買代金はい
まだ定まっていないから,厳密な意味での売買契約が成立した場合と区別して考え
る必要があるとされる。
しかし,売買契約の成立には,目的物が特定され,その売買代金の決定方法が定
まっていれば十分なのであり,例えば,取引相場のある商品について,売買代金は
将来の一定の期日の終値であるとか,土地の売買に当たり,当年度の固定資産税の
評価額が公表されていない時点で,売買代金は,公表された評価額に一定の割合を
乗じた数額とするなどの定めがあれば,売買契約締結時に具体的な売買代金額が定
まっていなくても,契約として成立することに疑問はない。
株式買取請求の場合,その売買代金は,「基準日」現在の「公正な価格」であ
り,その決定は基本的には当事者の協議に委ねられているが,協議が調わないとき
には裁判所が定めるものとされており,最終的な売買代金の決定方法が定められて
いるのであるから,売買契約の成立の要件に欠けるところはない。そして,株式買
取請求に係る株式の買取りは,組織再編の効力発生日等にその効力を生じ(会社法
786条5項),また会社は,反対株主との間で買取価格につき協議が調ったとき
は,効力発生日から60日以内にその支払をしなければならず(同条1項),裁判
所の価格決定によるときは,効力発生日の60日後の翌日から支払まで年6分の割
合による利息を支払うこととされている(同条4項)のであって,代金の支払日等
についても具体的に定められているのである。
以上の諸点よりすれば,反対株主による株式買取請求によって,多数意見の述べ
るとおり「売買契約が成立したのと同様の法律関係」が生じていると解することに
何らの問題はないといえる。
②買取請求権の行使と株価について
那須裁判官は,反対株主の買取請求後,株価は低落することもあれば反騰するこ
ともあるから,反対株主が株価の変動に伴う負担を負う(あるいは利益を得る)こ
とは,不公正ではないとされる。
本件では,組織再編によるシナジーが生じていない場合の「ナカリセバ価格」の
算定が問題となっているから,一般的には株価が上昇する場面は想定し難いが,そ
の点はさておき,株式買取請求をする株主は,通常,その請求時における株式の価
格(株式の評価額)を前提として,買取請求をするものと解される。買取請求をす
る株主において,裁判所が何時の時点を基準にするかは不明であるが,最終的に裁
判所が決めた価格で売却するとの意思でもってその請求をなすと解するのが,その
株主の合理的意思であるとは到底解することはできない。
株式買取請求時を基準日とすると,株式買取請求をした株主は,株価下落のリス
クを負わないとともに,株価上昇の利益を得ることもできなくなるが,株主が,あ
る時点でその時における公正な価格で売ると決定して売却の意思表示をした以上,
その後の株価上昇の利益を得られないことは当然である。
イ組織再編の承認決議時説について
前記のとおり,株式買取請求権が行使された場合の価格の算定に関しては,商法
の「決議ナカリセバ価格」の基準も排除されていないと解されていることからすれ
ば,会社法の下でも「基準日」は株主総会において,組織再編の承認が決議された
日(以下「承認決議日」という。)であるとする考え方は,会社法の制定経緯から
しても十分に成り立ち得る見解であると考える。
しかし,商法では反対株主の株式買取請求権は,承認決議日より20日以内(商
法408条ノ3第2項等により準用される商法245条ノ3第1項)に行使しなけ
ればならなかったものが,会社法では,反対株主において株式買取請求権を行使す
るか否かについて熟慮期間を設けるべきであるとして,その行使期間は,組織再編
の効力発生日の20日前の日から前日までとされた(会社法785条5項等)。そ
の結果,商法の規定に比して,承認決議日から株式買取請求権を行使できるまでに
相当の期間が設けられることになった(本件における株式買取請求権の行使期間
は,承認決議後86日目から105日目までである。)。
それにもかかわらず,基準日を承認決議日と解すると,上場株式の場合,株主
は,取り敢えず決議に反対した上で,株価が騰勢を示している場合には株式買取請
求権を行使せずに市場で売り抜け,また,下落の傾向にある場合には,市場の下落
した株価で売るのではなく,株式買取請求権を行使して承認決議日の価格での買取
りを選択することができることとなり,反対の議決権を行使しなかった株主との間
の均衡を欠き,また,株主の投機的行動を誘発する危険があるとの批判がなされて
いる。
会社法の下では,商法に比して承認決議日と株式買取請求権行使期間との間に相
当に長い期間が設けられるに至ったことを考慮すると,「公正な価格」として「ナ
カリセバ価格」を算定すべき場合に,商法の下での多数説によらず,多数意見の採
る見解の方が,理論上もより合理性が認められ,その結果も相当であると考える。
ウ組織再編の効力発生時説について
組織再編の効力発生時説は,株式買取請求権が行使されても,会社が組織再編行
為自体を中止したときは,株式買取請求はその効力を失う(会社法785条7項
等)ことからして,株式買取請求が確定的に効力を生ずる組織再編の効力発生日を
基準日とする考え方である。
しかし,株式買取請求における「公正な価格」の算定の基準日を何時と定めるか
という価格算定の基準日の問題と,株式買取請求が確定的に効力を生じるか否かと
は論理的に別異の問題である。また,株式買取請求権の行使期間は,組織再編の効
力発生日の20日前の日からであるところ,株価が動揺している場合に,株式買取
請求権を行使する者が,20日近く先の効力発生日の「公正な価格」でもって買い
取られることを想定して,同請求権を行使するものであるとするのが株式買取請求
権を行使する者の合理的な意思であると解することは困難である。
さらに,同説によるときは,株式買取請求権行使後は,会社の承諾がない限りそ
の撤回が認められない(会社法785条6項等)にもかかわらず,株式買取請求権
を行使した者が効力発生日までの株価(株式の評価額)下落のリスクを全面的に負
うこととなり,公平性を害する結果になるといわなければならない。
エ株式買取請求期間満了時説について
多数の株主が株式買取請求権を行使した場合に,多数意見の採る株式買取請求権
行使時説によると,株式買取請求権が行使された日ごとに,「公正な価格」をそれ
ぞれ算定すべきこととなり,その算定作業の負担も大きいと認められるところか
ら,株式買取請求期間満了時説は,実務上は魅力のある見解ではある。
しかし,同説によっても,株式買取請求権を行使できる初日と満了日の間は19
日間あるところから,同説に対しては組織再編の効力発生時説に対する批判がほぼ
そのまま当てはまるのであり,また株式買取請求期間中に株価(株式の評価額)が
大きく変動している場合のことを考えると,株式買取請求権行使の時期の如何にか
かわらず,各株主の買取請求に係る価格を株式買取請求期間満了時でもって統一す
ることは,かえって株式買取請求権を行使した株主間に不公平をもたらすのであっ
て,賛成することはできない。
4おわりに
以上述べたとおり,株式買取請求権が行使された場合の基準日を,多数意見のと
おり同請求権行使時と解しても,その具体的な「公正な価格」は,多数意見にて指
摘するとおり,その参照株価や補正を含め,裁判所の合理的な裁量権の行使によっ
て定められるものである。
その裁量権の行使の合理性を担保するものは,個別の案件においては,当事者,
殊に会社側からの幅広い資料の開示であり,また,一般的には事例の集積による比
較検討である。
組織再編に係るか否かにかかわらず,株式買取請求権行使の事例が広く公開さ
れ,集積されることにより,その分析を通じて,理論面においても「公正な価格」
の算定方法について,更に深化された論議がなされることを願うものである。
裁判官那須弘平の意見は,次のとおりである。
1意見の要旨
(1)私は,多数意見が抗告棄却の結論を採ることについて,これを支持する。
また,理由のうち,平成21年3月31日(以下,単に「3月31日」という。)
の東京証券取引所における相手方の株式の終値(1株当たり1294円)をもっ
て,本件株式の「公正な価格」であるとした原審の判断を是認する点についても賛
成する。しかし,吸収合併等によりシナジーその他の企業価値の増加が生じない場
合における株式買取請求(以下「買取請求」という。)に係る株式の「公正な価
格」の意味につき,「原則として,当該買取請求がされた日におけるナカリセバ価
格をいう」旨説示する点については,その論拠とするところも含めて,見解を異に
する。
(2)本件においては,3月31日が効力発生日の20日前の日から始まる買取
請求期間(会社法785条5項)の満了日であったところ,反対株主である抗告人
は,たまたま,その満了日である3月31日に本件買取請求をした。原審は,この
ような事実関係の下で,3月31日を「基準日」として採用し,その理由として同
日が「買取請求期間の満了日」であることを挙げた。これに対し,当審における多
数意見は,基準日に関する原審のこの判断を是認せず,「買取請求の日」を基準日
として採用すべき旨説示するものである。しかし,なぜ「買取請求期間の満了日」
であってはいけないのか,なぜ「買取請求の日」でなくてはならないのかについ
て,多数意見の理由中で十分な説明がされているとはいえない。この点につき,さ
らに踏み込んだ検討が必要である,と私は考える。
(3)上記基準日の問題は,本件に関する限り,結局は同じ日を「買取請求期間
の満了日」というか,「買取請求日」というかの違いに帰するから,結論に差異を
生じさせるものではない。しかし,多数意見が「買取請求期間の満了日」と「買取
請求日」とを意識的に区別して,後者を基準日にすべき旨説示することによって,
今後,これが「公正な価格」算定のための基準日に関する当審のリーディングケー
スとなり,他の事案に影響を及ぼす懸念を否定できない。そこで,上記基準日に関
する多数意見について,見解の異なる点を率直に示して,今後の実務の参考に供し
たい。
2「基準日」と「公正な価格」との関係
(1)会社法785条1項は,吸収合併等において,反対株主がその保有する株
式を会社に対し「公正な価格」で買い取ることを請求する権利を認めている。ここ
にいう「公正な価格」も株式の価格の一つにほかならず,特にこれが上場株式であ
る場合には価格が時々刻々変動するのが一般的であるため,「公正な価格」を論ず
るときは常にそれがどの時点の価格を指すのかを明確にしておく必要が生ずる。こ
れは,時間の経過と共に価格が変動する性質を有する株式等の財産の評価に際して
共通に要請されることがらであって,この種の財産に係る「公正な価格」の内容を
正確に説明するために欠かすことのできない時間的要素とでもいうべきものであ
る。この意味で「基準日」という概念を用いるときには,それが言葉の定義に関わ
る価値中立的なものであることから,何時の時点に定めるのが論理的に正しくて,
何時なら誤りである等と評価することにはなじまないものであることが明らかであ
る。
(2)他方,上記基準日が,特定の事案における「公正な価格」を決定するため
に用いられる場合には,どの時点を基準日とすれば「公正な価格」を算定するため
に適切であり,どの時点を基準とすれば不適切な結果となるか,目的対効果の関係
で,優劣の差が生ずることになる。特に,本件のように,「ナカリセバ価格」が問
題となる中での買取請求に係る株式の場合には,特定の時点を基準日と定めて市場
株価を参照するだけで一義的に「公正な価格」を算定できるものではなく,他の資
料(例えば,他の時期ないし一定期間の株価をも参照する等)による補正ないし調
整の作業が必要となることが少なくない。このため,基準日をいつに設定するかに
よって,補正・調整に要する作業の難易,費やされる労力の多少等に差が生ずるこ
ととなり,これらを比較することによってどの時点を基準日とするのが適切でどの
時点については不適切であるかの判断も可能となる。しかし,この場合であって
も,基準日をどう設定するかは,なお適切・不適切の問題にとどまるのであって,
いずれかの時点が基準日として一義的に正しく,他は誤りとするような絶対的な判
断が可能なものとして理解されるべきものではない。基準日の問題が以上のような
性質を有することを直視すれば,どの時点を基準日として選択するかは,裁判所が
非訟事件手続によって「公正な価格」を決定するために与えられている裁量の範囲
内の問題に属し,そこに裁量権の逸脱等の特段の事情が認められない限り,法令違
反の事由とはならないと解するのが相当である。
3基準日に関する原審判断の相当性と多数意見の問題点
(1)本件において,原審は,「買取請求権行使時に接着した時期」を基準日と
するのが相当であるとの立場に立ちつつ,以下の2点を挙げて,買取請求期間満了
時を基準日とすべき旨判示している。
①多数の反対株主が買取請求権を区々に行使した結果,個々の反対株主の買取
請求権の行使時が異なる事態が想定されるが,裁判所に対して買取価格の決定が申
し立てられる場面においては,公正な価格を評価する基準日は,反対株主の平等と
いう観点から,同一の時点とされるべきこと。
②公正な価格の基準日を買取請求権の行使時とした場合には,反対株主が株価
の変動を見込んで買取請求の時期を選択する等の投機的行動が可能になるので,裁
判所における「公正な価格」での買取価格の決定の場面においては,投機的行為の
余地が制限される買取請求期間満了時を基準日とするのが相当であること。
上記原審の判断は,「買取請求権行使時に接着した時期」というやや広めの時間
帯の中で,買取請求の時期が異なる株主間の平等の点にも目を配る等して,買取請
求期間満了日である3月31日をもって基準日とし,その日の終値である1294
円をもって「公正な価格」と決定した点で,相応の合理性を有するものとして評価
すべきである,と私は考える。
(2)これに対し,当審の多数意見は,反対株主の買取請求に係る「公正な価
格」につき,原則として「買取請求の日」におけるナカリセバ価格をいうとする見
解を採った上で,その算定における基礎資料として「市場株価を用いること」には
合理性が認められる旨判示する。この多数意見は,基準日についていわゆる買取請
求権行使時説を採るものと解され,その根拠として,買取請求の日が「売買契約が
成立したのと同様の法律関係が生ずる時点」であり,「株主が会社から退出する意
思を明示した時点」でもあることを挙げている。
しかしながら,「売買契約が成立したのと同様の法律関係が生ずる」といって
も,通常の売買契約の場合には,売買代金額についても当事者間に合意が成立して
いるのが一般的であるのに対し,買取請求の場合には買取請求権行使の段階では代
金額も確定しておらず,売買契約に伴って生ずる買主の代金支払義務も具体的な金
額及び支払期限ともに未確定で,これに対応する売主の株式引渡義務も引渡時期等
を含め未確定な状況にとどまる。そのような法律関係が生じたということから,何
故に買取請求の日を基準として,「公正な価格」を定めることが,「合理的」であ
るといえるのか,より詳しい説明が必要であると考える。買取請求の場合であって
も,売買代金も含めた契約の内容は,当事者間で協議が調ったとき,あるいは裁判
所で「公正な価格」が決定されたときに確定するのであるから,組織再編効力発生
時ないしその前日である買取請求期間満了時を基準日に定めても,論理的整合性は
なお維持されているはずである。
この点,多数意見は,買取請求の日が「株主が会社から退出する意思を明示した
時点」であることを挙げ,反対株主が買取請求をした日より後の日を基準として
「公正な価格」を定めるものとすると,反対株主は,自らの意思で買取請求を撤回
することができないにもかかわらず,買取請求後に生ずる市場の一般的な価格変動
要因による市場株価への影響等当該吸収合併等以外の要因による株価の変動による
リスクを負担することになると指摘している。しかし,このリスクを反対株主が負
担することが公正性を害することになるのかどうか,なお慎重な検討が必要なよう
に思われる。
反対株主が退出の意思を明示した時点で,その後の株価が低落するか,反騰する
かの確率は市場の性質上,ほぼ均衡がとれていると考えられる。反対株主も,自ら
の判断により,買取請求の時点でその後の組織再編効力発生時ないし買取請求期間
満了時までに株価が下落する確率と反対に上昇する確率をかれこれ引き比べた上
で,買取請求をするか否かを決定することができる。その任意の選択により,買取
請求を回避して株主として踏みとどまることも可能であるし,市場で売却してその
代金を他の株式への投資に振り向けることもできる。そのいずれも選択せず,買取
請求をするからには,それ以後の株価の変動であっても,例えば組織再編効力の発
生時ないしその前日である買取請求期間満了時までの間の変動分を裁判所の裁量で
取り込むことは必ずしも不公正とはいえないと考える。
(3)反対株主が買取請求をする場合には,その当時の株価を念頭において,そ
の値段以上で買い取られることを期待するのが普通であることから,買取価格決定
に際しては,その期待に基づく利益を最低限保障すべきだというような説明をする
ことも可能かもしれない。しかし,買取請求をする株主の期待はあくまでも期待に
すぎず,会社側が請求時の株価以下でなくては買取りに応じられないと考える場合
(例えば,株価が異常に高騰しているが,いずれ正常な価格に戻るはずだと会社が
考えている場合等)も当然あり得ることであり,だからこそ,買取請求があったと
きには双方が「協議」すべきものとされていると解すべきであろう。また,買取請
求をした株主の見込みとは違って,買取請求権行使の後に株価が反騰することもあ
り得るが,この場合にも買取請求権行使時を基準としてその時点での株価による買
取りをすることで買取請求をした株主が満足するか,という問題も残る。いずれに
しても,当事者間の思惑に相違がある場合には,買取価格についての協議も不調と
なり,最終的には裁判所の判断に委ねられることになる。このようにして,買取請
求から始まる手続は,「公正な価格」を指針にしつつも,現実には当事者が協議を
して価格を決め,その協議が調わないときは裁判所が非訟事件手続の中で,裁量権
を行使して形成的に価格を決定することによって決着する。その際,裁判所は,基
準日における市場株価に依拠するだけでなく,その他の事情をも考慮して,その裁
量によって「公正な価格」を決定する。結局,反対株主が買取請求をする場合の期
待に基づく利益も,裁判所が「公正な価格」と認める範囲内において保護されるも
のであり,このことは,買取請求をする反対株主が当初から現に認識し,あるいは
少なくとも認識しておくべきことだといえるものと考える。
(4)買取請求権行使の時にはいまだ未来事象に属していた事柄が時の経過とと
もに現実のものとなって,市場価格の中に織り込まれて新たな株価が形成されてい
く。裁判所もこれを判断要素の中に織り込むことによって,「公正な価格」に関す
るより客観性の高い判断が可能となるとも考えられる。この場合,市場で形成され
た株価が吸収合併等の組織再編による影響を受けて毀損されている場合には,裁判
所の裁量により適宜この毀損分を上乗せして調整することも当然認められるべきで
あり,さらに市場価格が投機的な取引によってかく乱されている場合にはこれを排
除する等の必要な補正を加えることも認められるはずである。裁判所の裁量による
「公正な価格」の決定が,市場価格を基本にしつつ,これらの調整や補正措置を加
えることを前提とするものであるとすれば,必ずしも買取請求権行使時説に限るこ
となく,基準日をさらに後ろにずらして,組織再編効力発生時ないし買取請求期間
満了時を基準日とすることにも,それなりに合理性があると考えるべきである(た
だし,買取請求制度は組織再編手続の一環であるから,基準日を後ろにずらすにし
ても,組織再編の効力が発生して一連の手続が完結する時をもって限度とすべきで
あろう。)。
4「公正な価格」の決定と裁判所の裁量権
(1)私は買取請求権行使時をもって「公正な価格」判断の基準日とすることを
誤りだと断定するものではない。買取請求権行使時説には,前述のような問題点は
あるものの,買取請求をする反対株主の保護に厚い点等,評価すべき点もある。む
しろ,私が問題と考えるのは,多数意見が同説を採ることの反面として,他の考え
方,例えば買取請求期間満了時説や組織再編効力発生時説による判断の可能性を排
斥する趣旨を示した点である。会社法785条1項の定める「公正な価格」という
文言から通常読み取れる意味に照らしても,あるいは旧商法において「決議ナカリ
セバ其ノ有スベカリシ公正ナル価格」と定められていたものが,現行会社法では単
に「公正な価格」と改められた点から見ても,そして,買取請求に係る株式の「公
正な価格」の決定が,非訟事件手続により裁判所の裁量によって形成的に決定され
ることとされている点から見ても,「公正な価格」決定の基準日を何時にするかは
裁判所の裁量に委ねられており,ただ基準日の採用につき裁量権逸脱等の違法が認
められるときに限って,原審の判断を覆せば足りると解すべきである,と私は考え
る。
(2)基準日について,複数の考え方が競合して主張されていることから,当審
がいずれかを選択してこれを判例とすることで,混迷状態を脱却できるのだから,
当審がそのいずれを是とするかを速やかに示すべきだという見解もあるかも知れな
い。しかし,会社法785条1項が定める「公正な価格」の決定については,通常
の権利義務の存否を争う訴訟とは異なり,基本的に地方裁判所及び高等裁判所の裁
量に委ねられるべきものである。当審が今の時点で基準日を何時とすべきかについ
て積極的に介入することは,これらの裁判所において個別の事案ごとにあるべき
「公正な価格」を探求し,その決定例の積み重ねの中で自ずから「公正な価格」の
意味内容が明らかになっていくという道を閉ざすことに通じる。それは,会社法7
85条1項の理念に照らして,また最高裁と下級審との役割分担という観点からし
て,果たして望ましいことなのかどうか,疑問なしとしない。
(裁判長裁判官田原睦夫裁判官那須弘平裁判官岡部喜代子裁判官
大谷剛彦裁判官寺田逸郎)

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