弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決中上告人敗訴の部分を破棄する。
     右部分につき、被上告人らの控訴を棄却する。
     被上告人B1は上告人に対し、金二一三三万〇五四八円及びこれに対す
る昭和五七年一〇月四日から完済まで年五分の割合による金員を、被上告人B2及
び同B3は上告人に対し、各自金三〇二万七五六二円及びこれに対する前同日から
完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
     控訴費用、上告費用及び前項の裁判に関する費用は被上告人らの負担と
する。
         理    由
 上告代理人後藤昭樹、同太田博之、同立岡亘の上告理由第一点について
 一 被上告人B1(以下「被上告人B1」という。)の担当医師の措置、失明に
至るまでの経緯等について原審が確定した事実関係の要旨は、次のとおりである。
 1 被上告人B1は、昭和四六年二月四日上告人の経営する総合病院D病院(以
下「本件病院」という。)産婦人科において、双胎児の第一子として出生したが、
在胎週数は二九週二日、生下時体重は一三〇〇グラムの極小未熟児であり、四肢に
チアノーゼが認められ、全身状態も不良であつたため、同科のE医師のもとで出生
直後から保育器に収容され、同月一二日まで酸素の投与を受け、同年四月二八日保
育器から出された。なお、双胎児の第二子は出生直後から保育器に収容され、酸素
の投与を受けたが、出生の翌日死亡した。
 2 昭和四六年当時における本件病院産婦人科は、医師として医長とE医師の二
名を擁し、看護婦詰所におかれた保育器二台を有していたが、保育器には酸素の流
量計はあつたものの、酸素濃度を測定する濃度計も動脈血酸素分圧の測定器もなか
つた。
 3 本件病院では、昭和四五年から産婦人科が主体となつて、生下時体重一五〇
〇グラム以下の極小未熟児を管理するようになり、その頃から未熟児の眼底検査を
始めたが、その方法は、未熟児を保育器から取り出した段階において眼科に依頼し、
眼科外来診察室まで連れて行つて検査を受けさせるのを慣行としていた。昭和四六
年当時、本件病院の眼科医師は、常勤医一名と非常勤のF医師の二名であつたが、
未熟児の眼底検査を実施しうる医師は、毎週木曜日の午後診察のため来院するF医
師だけで、同医師は、産婦人科から依頼があると、出勤した日に眼科外来診察室内
の暗室で、反射鏡と電気スタンドを使つて眼底検査を実施した。
 4 E医師は、同年四月二八日被上告人B1を保育器から出し、直ちに眼科に対
して眼底検査を依頼したが、たまたま翌二九日の木曜日が休診日に当たつていたの
で、眼底検査は次週の木曜日に持ち越された。F医師は、同年五月六日被上告人B
1の眼底検査を行つたところ、未熟児網膜症(以下「本症」という。)に罹患して
おり、右眼がオーエンス活動期の第四期の初め、左眼が第三期から第四期への過渡
期と判断されたので、E医師に対し直ちに光凝固手術を受けさせるのが最適である
と指示した。
 5 このため、E医師は直ちに被上告人B2及び同B3に対しG病院を紹介し、
被上告人B1は、同月八日同病院眼科において眼底検査を受けたが、その診断結果
は右F医師の所見とほぼ同様であつた。被上告人B1は同月一〇日右病院に入院し、
同月一四日同病院で両眼に光凝固手術を受けたが奏功せず、両眼共に失明するに至
つた。
 二 次に、本症の発生原因及び本症の治療法、被上告人B1が本件病院に入院し
た昭和四六年当時における本症の診断及び治療に関する一般的基準並びに産婦人科
医たるE医師の知見の程度について原審が確定した事実関係の要旨は、次のとおり
である。
 1 本症の発生原因としては、患児の未熟性すなわち網膜の未熟性を素因とし、
酸素の投与が誘因となるものと考えられ、一般に、生下時体重の少ない者ほど、ま
た、在胎期間の短い者ほど発生の危険が大きく、単胎児よりも多胎児の方が発症率
が高い。
 2 本症に対する光凝固治療については、批判や疑問が残されており、その評価
も未だ完全に定まつたとはいい難いが、現状においては、本症に対する治療法とし
て、光凝固法をもつて有効な治療法と認めざるをえない。
 3 しかしながら、被上告人B1が出生した昭和四六年二月当時においては、光
凝固法についての情報としては、眼科関係では一部の先駆的研究者による実施例の
報告はあつたものの、他の医師による追試結果の文献的発表は未だなかつた(昭和
四五年秋の臨床眼科学会において数例の追試結果発表が行われたが、それが文献に
掲載されたのは昭和四六年四月になつてからである。)。したがつて、被上告人B
1出生当時、一般の眼科医の間では、本症の治療法として光凝固法があり有効らし
いことが次第に認識される段階ではあつたが、右程度の知見も有しない眼科医も多
く、また一般の産科医においても、光凝固法の存在及びその有効性について知見を
有しない者が多数であつた。
 4 昭和四六年ころ、光凝固法を実施することを前提とした眼底検査を実施して
いた医療機関は、光凝固法を実施していた病院ないし大学附属病院、国公立病院等
に限られており、しかもその検査の実施態様は、出生直後から例えば一週間ごとと
いうように定期的に検査をする医療機関がある反面、未熟児を保育器から取り出す
ことが可能となつた時点で初めて眼底検査を実施する医療機関も少なくなかつた。
そして、光凝固法を実施することを前提とした定期的眼底検査が全国的に定着した
のは昭和四七、八年以降である。これらのことからすると、眼科医及び産科医の臨
床医につき、右定期的眼底検査の義務が被上告人B1出生当時における一般的医療
水準を形成していたと認めることは、極めて困難である。
 5 E医師は、昭和四一年三月H大学I部を卒業し、同年四月から一年間同大学
附属病院でインターンをしたのち、昭和四二年三月同病院産婦人科医局に入局し、
同年一一月医師国家試験に合格して医師の免許を取得し、同月より本件病院産婦人
科に勤務したところ、同医師は、被上告人B1の出生当時、(1) 未熟児網膜症と
いわれる眼疾患があり、病変が途中で自然寛解することなく進行すれば失明に至る
場合があること、(2) 本症は酸素を多量に投与することにより発症するものであ
ること、(3) そこで本症の発症を予防するためには、酸素濃度を四〇パーセント
以下に抑えるのがよいといわれているが、その場合でも、本症の発症する場合があ
ること、(4) 貧血は本症の増強因子になりうること、(5) 本症の治療法として
ステロイド療
法と光凝固法とがあること、(6) H地区ではG病院とJ眼科医院が本症の治療の
ため光凝固法を実施していたこと、(7) 適切な治療をするためには本症を早期に
発見する必要があるが、そのためには可及的早期に眼底検査をするのが唯一の方法
であり、可及的早期とは生後二、三週間目を意味すること、以上の事実をすべて知
つており、また、光凝固法は未熟児の身体に相当程度の負担を与えるものであると
はいえ、熟達の眼科医が適期にこれを実施すれば、本症の進行を阻止する効力を有
するものと理解していたが、これまで本症に罹患した未熟児を扱つた経験はなかつ
た。
 三 以上の事実関係のもとに、原審は、被上告人B1の本症がI型(症状が比較
的ゆるやかに進行する型)、II型(症状が急速に進行する型)、混合型(右I型、
II型の症状を併有している型)のいずれに該当するのか確定することはできない
が、被上告人B1が昭和四六年四月中に眼底検査を受け、光凝固手術の可能な時期
に本症を発見され、適期に光凝固手術を施されていたとすれば、失明という事態を
回避しえた蓋然性は相当高く、E医師が出生後八四日目に該当する同月二八日に保
育器から取り出すまで被上告人B1の眼底検査をF医師に依頼しなかつたことは、
眼底検査を遅らせたことについての合理的な理由が存しない限り、E医師の責に帰
すべき怠慢であるといわなければならず、同医師の右過失と被上告人B1の失明と
の間には因
果関係が存するものと認めなければならないとしたうえ、被上告人B1の身体状況
は、眼底検査後再び保育器に収容するかどうかはともかく、同医師さえその気にな
れば、遅くとも同月二二日、場合によつては同月一五日においてさえ、F医師に依
頼して眼底検査を受けさせることが可能であつたとして、E医師が被上告人B1の
眼底検査を遅らせたことについて合理的な理由を見いだすことができず、同医師に
は、未熟児の保育管理を担当する医師として、酸素投与をした未熟児について早期
に眼科医に眼底検査を依頼し、本症の発見に務めるべき注意義務に違反した過失が
ある旨判断して、被上告人らの上告人に対する各損害賠償請求を一部認容した。
 四 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は次のと
おりである。
 人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、
危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが(最高裁昭和
三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二
四四頁参照)、右注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆ
る臨床医学の実践における医療水準であると解されるところ(最高裁昭和五四年(
オ)第一三八六号同五七年三月三〇日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号五六三
頁参照)、前記確定事実によれば、被上告人B1が本件病院で出生した昭和四六年
二月当時、光凝固法は当時の臨床医学の実践における医療水準としては本症の有効
な治療法として確立されていなかつたものであるから、E医師としては、光凝固法
を実施するこ
とを前提とした眼底検査を依頼する法的義務まではなかつたものというべきである。
もつとも、E医師は、本症に関し前記二5(1)ないし(7)記載のとおりの知見を有
していたというのであるが、同医師が医師免許取得後三年余りの産婦人科医であり、
しかも、本症に罹患した未熟児を扱つた経験がないこと、原審の認定によつても同
医師が光凝固手術について実施の適期等詳細を知つていたとまでは認められないこ
と等に徴すると、同医師は単に文献等により光凝固法についての知識を一応抽象的
に有したというにとどまるものというべきであり、同医師の右知見を考慮しても前
記判断を左右するものとはいえない。
 したがつて、E医師の右知見を重視し同医師に眼底検査依頼義務の違背があつた
とした原審の判断には、法令の解釈適用を誤つた違法があり、右違法は原判決中上
告人敗訴の部分に影響を及ぼすことが明らかであるから、右違法をいう論旨は理由
があり、その余の論旨について判断するまでもなく、右部分は破棄を免れない。そ
して、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、担当医師の過失、各科担
当医の協力の欠如、本件病院の設備上の瑕疵等をいう被上告人らの主張は、いずれ
も採用することができず、被上告人らの本訴請求は理由がないというべきであるか
ら、被上告人らの請求を棄却した第一審判決は正当であり、被上告人らの控訴は理
由がなくこれを棄却すべきである。
 上告人の民訴法一九八条二項の規定による裁判を求める旨の申立について
 上告人は、本判決末尾添付の申立書記載のとおり民訴法一九八条二項の裁判を求
める旨の申立をし、その理由として主張する事実関係は、被上告人らの争わないと
ころである。そして、原判決中上告人敗訴の部分が破棄を免れないことは前記説示
のとおりであるから、原判決に付された仮執行宣言がその効力を失うことは論をま
たない。したがつて、右仮執行宣言に基づいて給付した金員及びこれに対する支払
の日から完済まで年五分の割合による民法所定の損害金の支払を求める上告人の申
立は、これを正当として認容しなければならない。
 よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八四条一項、一九八条二項、九六条、
八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    高   島   益   郎
            裁判官    角   田   禮 次 郎
            裁判官    大   内   恒   夫
            裁判官    佐   藤   哲   郎
            裁判官    四 ツ 谷       巖

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