弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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判決事項
 刑法第一九〇条にいう死体とは心臓の鼓動が完全に停止したものであることを要
し、まだ仮死状態にあるものを含まない。
         主    文
     原判決中有罪部分を破棄する。
     被告人を無期懲役に処する。
     押収してあるクローム側腕時計一個(原審昭和三一年領第一二号の八)
は甲にこれを還付する。
         理    由
 本件控訴の趣意は、検事荒井健吉作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、こ
れに対する答弁は、弁護人石坂健一提出の答弁書記載のとおりであるから、ここに
これを引用する。
 右控訴趣意第一の(一)(事実誤認)について
 原判決がその判示第一の(一)および(二)の各罪となるべき事実の関係証拠と
して挙示する各証拠ことに被告人の検察官に対する第二、三回各供述調書をよく検
討し、さらに当審において取調べた証人甲に対する証人尋問調書および検証調書の
各記載や被告人の当審公判廷での供述を参酌して考察すると、被告人は、昭和三〇
年七月一九日頃秋田刑務所を出所した後漁夫生活やかつぎ屋などをしていたが、同
年九月三日北海道足寄郡a町にある実父乙方に落着き、同月一四日まで同町の丙方
の農業労務者として通勤していたところ、そこの仕事も終つて丙の紹介で他に住込
稼働することになつたものの父やその内妻丁から夜具や炊事道具すら貸与して貰え
ず、とかく邪険に扱われるのに煩悶したあげく、実家への帰途、たまたま知り合つ
た農業甲の妻戊(大正九年三月三〇日生)に対する邪恋の情が燃えあがり、戊が病
身のためかねて女の労務者の雇入れを希望し、被告人においてこれを世話してやる
といつていたのをよいことにして、この際雇女を世話するという口実を設け、その
前払賃金名下にこれを持参させておびき出し、口説き落して駈落しようと図るに至
り、同月一六日十勝郡b町の甲方を訪れ、同人や戊に対し、c町に適当な雇女がい
ること、賃金は二箇月五、〇〇〇円でよいが前払いして欲しいことなど、いずれも
虚構の事実を申向けて同人等を信用させ、翌日戊とともに女の家を訪ねることを約
束させることに成功し、翌一七日右約旨に従つて出てきた戊を池田駅ホームに迎
え、二人で網走本線に乗車して足寄駅で下車し、同駅前からd方面へ通ずる国道を
通つて同日午前一一時三〇分頃同駅の東方約二キロの距離にあるa川堤防用地まで
誘い出し、同川畔においてはじめて自己の気持をとおすためその経歴や前科のこと
まで一切打ちあけて「貴女のためならどんな苦労でもするからどうか一緒に逃げて
呉れ」と無暴にも執拗に駈落を迫つたところ、戊が事の意外に驚愕しながらもきつ
ぱりこれを拒絶し、到底自己の邪恋が達せられないとみた被告人は、そのまま戊を
離すこともならず、あてにしていた所持金を得られず、自暴自棄となり、にわかに
戊を殺害してその金品をも強取してこの場を立ち去ろうと決意するに至るや、突嗟
に腰に下げていた日本手拭を抜きとりざま、これを戊の頚部に巻きつけ顎下辺りで
両拳を交叉して絞め上げ、戊が力つきて仰向けに転倒するやさらに馬乗りとなつ
て、渾身の力を振つて絞めつけ、失神状態となつた戊を同所川岸の水中に放置して
窒息死するに至らしめたうえ、戊の所持していた現金約七、〇〇〇円および腕時計
一個を強取した事実を認定することができる。被告人は、原審ならびに当審におい
て強盗殺人の犯意を極力否認するのであるが、この供述ならびに右認定と異なる被
告人の各供述部分は前掲被告人の検察官に対する各供述調書や甲の供述調書の内容
に照し、真実をのべていないものと判断せざるを得ないのであり、他に右認定をく
つがえすに足る証拠がない。そして原判決における事実認定によると、被告人は、
(一)戊が自己に好意を寄せているものと信じ込み、戊に対する恋慕の情が燃えあ
がり、かねて戊がその病身のため女の労務者を雇入れたいことをもらしており、被
告人においてこれを世話してやるといつていたことから、これに口実を設けて前認
定の経緯で戊を前記a川堤防用地に連行したうえ、同町畔において戊に対しはじめ
て自己の真意とその経歴および前科を打ちあけ「貴女のためならどんな苦労でもす
るからどうか一緒に逃げて呉れ」と執拗に駈落を迫つたところ、戊は驚愕しながら
もきつぱりこれを拒絶したうえ、被告人から逃れ去る一策として「これを私の片見
と思つて持つて行つて呉れ」といいながら腕にはめていた夫甲のクローム側腕時計
をはずして被告人に渡そうとしたが、今まで戊にすべての希望をかけていた被告人
は失望落胆のあまり、川淵に向い茫然として歩み出したりするうち、前科まで打ち
あけて懇願したのにすげなく拒絶されたことにいきどおりを感じ、かつ前途の光明
を失い、失意と、ひがみと劣等感に全く自暴自棄となり、突嵯に戊を殺害してうつ
憤をはらそうと決意するや、腰に下げていた日本手拭一本を抜きとりざまきびすを
返して戊の傍に赴むき右手拭を両手に握り、これと向い合い、その後方から頸部に
巻きつけ、前認定のようにして戊を窒息により死亡するに至らしめて殺害の目的を
とげ、(二)右犯行後、ついでに戊の金品を持逃げして逃走の費用にあてようと考
え、同川畔において戊の所持していた現金約七、〇〇〇円および前記腕時計一個を
窃取したというにあるが、被告人は前認定のように戊を犯行現場に誘致して同所で
はじめて戊を殺害したうえ、その所持する金品を強取しようと決意してこれを実行
したものであつて、被告人の金品奪取の犯意は戊に対する殺害行為が完了してから
生じたものとは認め難いのである。弁護人の答弁中これと異なる所論はにわかに賛
同し得ない。してみると、被告人の前説示の如き所為は法律上強盗殺人罪に認める
を相当とすべく、したがつて、原判決はこの点において判決に影響をおよぼすこと
が明らかな誤認があるといわなければならないから、論旨は理由がある。そして右
事実は他の原判示有罪事実とともに刑法第四五条前段の併合罪の関係において裁判
せられたのであるから、原判決中有罪部分は全部破棄を免れない。
 同第一の(二)(事実誤認)について
 原判決が本件公訴事実中被告人が戊を殺害した後その死体を約一二米運搬して附
近のa川水中に投棄したとの点につき、その証明がないとして無罪を言渡している
こと原判文に徴して所論のとおりである。し<要旨>かし、刑法第一九〇条にいわゆ
る死体たるには心臓の鼓動が完全に停止した後のことに属し、仮死状態にある 旨>者は本条の目的物ではないと解すべきところ、被告人が戊の首を絞めて失神状態
におとし入れた後a川畔までその身体を運び同川中に放置したことやその死因が窒
息死であることは前段説示のとおりであるが、原審証人己の証言によれば、前説示
のように被告人によつて戊がその頸部を絞扼された後、呼吸道閉塞、意識混濁の仮
死状態を経て心臓の鼓動が停止するまでの所要時間は約七分ないし一〇分であつた
ことがうかがわれるのであつて、被告人の前記放置行為が右時間を経過した後にな
されたものと認めるに足る証拠はなく、かえつて、前段掲記の各証拠を総合し、本
件犯行の日時、場所を考慮すると、被告人が戊を前記川中に放置したときは、少く
とも右時間経過の寸前であつて、いまだ仮死状態の域を脱していなかつたものと判
断せざるを得ないから、前説示に照し、本件にあつては死体遺棄罪を構成する限り
ではない。してみると、右と同一趣旨に出て本件公訴事実中死体の遺棄の点につき
無罪を言渡した原判決は相当であつて、これと異なる見解に立つての所論は採用し
得ない。この点の論旨は理由がない。
 よつて、その余の控訴趣意(量刑不当)に対する判断は省略し刑事訴訟法第三九
七条第一項、第三八二条により原判決中有罪部分を破棄し、同法第四〇〇条但書に
従い本件被告事件中右部分に照応する分につき、さらにつぎのとおり判決する。
 当裁判所の認めた罪となるべき事実およびその証拠は、原判示第一の(一)およ
び(二)を
 被告人は、幼にして家庭に恵まれず、その長ずるにおよんで農家の労務者として
住込稼働しているうち、召集を受けて内蒙に派遣され兵長の階級に進むところがあ
つたが、除隊後は内地に職を求め、軍需工場や大森捕虜収容所などで働き、その
間、妻庚と婚姻し、昭和二〇年一一月長男辛をもうけたのであるが、あたかも長男
出生の日、かつて勤めていた収容所における捕虜虐待の容疑でC級戦犯として連合
軍巣鴨刑務所に拘禁された。しかし昭和二二年三月無罪の判決を受けて釈放される
に至り、その後水戸市や東京都などで自動車運転の業務に従事しているうち生活に
窮したはて、窃盗、詐欺等を犯して刑務所生活をくりかえすようになつたので、妻
にも愛想をつかされて昭和二五年一一月に離婚し、長男の養育も妻に委ね、以後は
全く自暴自棄の生活がつづき、さらに詐欺をかさねて刑務所生活を送り、昭和三〇
年七月秋田刑務所を出所した。出所後別れた妻や長男を慕つて茨城県の郷里に赴い
たがすげなく復縁を断られて同所を去つた後は漁夫生活やかつぎ屋などをしていた
が、同年八月下旬渡道し、実父乙を頼つてその居住地であるa町に赴くべく同年九
月三日朝根室本線帯広駅待合室で下り列車を待合せ中、たまたま同じ列車に待合せ
ていた農業甲の妻戊(大正三年三月三〇日生)にマッチを借りたのが機縁となつて
話しあうようになり、同駅午前八時頃の下り列車に乗車し、車中でも二人で世間話
などかわしつづけるうち、被告人としては次第に戊の容姿や態度等に心をひかれは
じめただけでなく、被告人の巧みな話術につり込まれた戊が気軽に受け答えしてく
れることを自己に対して好意を寄せているものと自惚するようになり、その病身で
働けないため女の労務者を雇入れたい意向のあるのを聞くにつけ「自分が適当な女
を世話しよう、そのうち連絡する」などの約束までして池田駅で別れた後、同日実
父方に落着いた被告人は、一時戊のことは忘れて同月一四日までかつて働いたこと
のある同町の丙方に雇われて農業労務者として通勤していたところ、そこの仕事も
終つて丙の紹介で他に住込稼働することに決つたものの父やその内妻丁から夜具や
炊事道具すら貸与して貰えず、とかく邪険に扱われるのにつくづくその無情をうら
み、種々煩悶したあけく、前記戊に対する邪恋の情がにわかに募り、この際雇女を
世話するという口実を設け、その前払賃金名下にこれを持参させておびき出し、口
説き落して駈落しようと図るに至り、同月一六日十勝郡b町の甲方を訪れ、言葉巧
みに同人や戊に対し、c町に適当な雇女がいることや賃金は二箇月五、〇〇〇円で
よいが前払して欲しいことなど虚構の事実を申向けてその旨信用させ、翌日戊とと
もに女の家を訪ねることを約束させることに成功した。そこで、翌一七日右約旨に
従つて出てきた戊を池田駅ホームに迎え、二人で網走本線に乗車して足寄駅に下車
し、同駅前からd方面へ通ずる国道を通つて同日午前一一時三〇分頃同駅の東方約
二キロの距離にあるa川堤防用地まで戊を誘致し、同川畔においてはじめて自己の
本心を打ちあけ、これまでの経歴や前科のことも一切ぶちまけて「貴女のためなら
どんな苦労でもするからどうか一緒に逃げて呉れ」と無暴にも執拗に駈落を迫つた
ところ、戊が事の意外さに驚ろきながらもきつぱりとこれを拒絶し、到底自己の邪
恋は達し得られないとみた被告人は、そのまま戊を離すこともならず、あてにして
いたその所持金も得られず、自暴自棄となり、にわかに戊を殺害してその金品をも
強取してこの場を逃げようと決意をかため、突嗟に腰に下げていた日本手拭を抜き
とりざま戊の傍に赴き右手拭の端を両手で握り、向いあつた戊の後方からその頸部
に巻きつけ、顎下辺りで両拳を交叉して絞め上げ、戊がそのため力つきて仰向けに
転倒するや、なおも馬乗りとなつて渾身の力を振つて絞めつけ、ついに失神状態と
なつた戊をかかえて同所川岸近くの水中に放置し、よつて右絞扼に基因して窒息死
するに至らしめたうえ、戊の所持していた現金約七、〇〇〇円およびクローム側腕
時計一個(原審昭和三〇年領第一二号の八、その材料の一部取替のもの)を強取し
 に変更し、その証拠挙示として、当審において取調べた証人甲に対する証人尋問
調書、検証調書、被告人の当審公判廷での供述を追加するほか原判決摘示のとおり
であるから、ここにこれを引用する。
 さらに、累犯の加重となる前科の事実ならびにその証拠も原判決摘示のとおりで
あるから、ここにこれを引用する。
 法律に照すと、被告人の判示強盗殺人の所為は刑法第二四〇条後段に、原判示各
所為中詐欺の点は同法第二四六条第一項に、同未遂の点は同法第二五〇条、第二四
六条第一項に該当するので、強盗殺人の所為については右該当法条所定刑のうちか
ら選択すべきところ、まず、本件記録ことに当審で取調べた証人甲および同乙に対
する各証人尋問調書によつて被告人の情状を勘案するに、本件は全く被告人の常規
に逸した一方的邪恋から、その甘言にのせて被害者戊をわざわざ遠路に誘致したに
とどまらず、意に従わないからといつてその病弱無抵抗のうちに瞬時に白昼人なき
避地において絞殺してこれを川中に放置していることはその方法たるやまことに残
虐というべく、被害者の怨嗟悲痛とその逃れ得ぬ絶望感、その生命の失われたのも
知らないで母を駅頭に迎えた幼き児等が失望して家路にたどる姿、妻の帰宅を焦慮
して待つ夫、これらの遺族がいまなお破告人に憎みてもあまりある感情を医し得な
い心情にあること、被告人の実父さえも子の罪に今更の如く憐憫の情をもち得ない
でいること、かかる犯罪の社会におよぼす影響等からみると、被告人の責任は重か
つ大なるものがあるといわねばならない次第ではあるが、ひるがえつて、被告人は
幼少から実母とは生別し、実父には親しまれず、とかく不遇のうちに他人の間を転
々とするうち、環境に負けて詐欺、窃盗の犯罪をかさねては囹圄の生活をくりかえ
す身となつたため、ついには、妻子をはじめ肉身の者からさえ嫌悪せられ、邪険に
扱われる境遇におち入つていたおりから、たまたま、被害者と知り合い、絶えて経
験しない好感を与られたのに対し、被告人がこれに心ひかれるようになつたのも、
それが無暴で全く常識はずれのこととはいいながら、被告人のような境遇にあつて
みればあながち無理でもないと考えられなくもないこと。されば本件犯行が当初か
ら計画的に強殺を意図していなかつたことや、立場に窮して突嗟の間に一且は強殺
の決意をもつて被害者を絞扼したが、その失神状態に驚き悔いて被害者の蘇生に努
力した形跡がうかがえることその他諸般の事情を考え合せると、前記所定刑中無期
懲役刑を選択するのを相当と認め、以上各罪は刑法第四五項前段の併合罪の関係に
あるけれども、そのうちの一罪たる強盗殺人の罪につき被告人を無期懲役に処すべ
きをもつて、同法第四六条に従い他の刑を科さないこととし、押収してある主文掲
記の腕時計一箇は判示強盗殺人の犯行による賍物に被告人において竜頭およびクロ
ーム側の取替をしたものであつて従前の物との同一性を失つているものとは認め難
く、そして右物件はその被害者甲に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟
法第三四七条第一項に従い右被害者にこれを還付し、同法第一八一条第一項但書を
適用して原審ならびに当審における訴訟費用は被告人に負担させないこととし、主
文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 原和雄 裁判官 羽生田利朝 裁判官 中村義正)

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激動の時代に
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