弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主    文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
  被告は,原告に対し,5412万6980円及びこれに対する平成12年8月9日から支払
済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,被告の開設する病院において直腸がんの切除手術(以下「本件手術」とい
う。)を受けたA(なお,Aは本件手術前にも直腸がんの摘出手術を受けており,今回は
再発がんである。)が死亡したのは,執刀医の手術ミスが原因であるとし,また,手術
に際して担当医に合併症等についての説明義務違反があったなどと主張して,Aの相
続人である原告が,被告に対し,診療契約上の債務不履行又は不法行為(民法715
条1項)に基づく損害賠償を請求した事案である。
1 争いのない事実等(証拠を摘示しない事実は当事者間に争いがない。)
(1) 当事者等
被告は,栃木県下都賀郡a町大字b○○番地においてH病院(以下「本件病院」
という。)を開設している。
Aは,大正14年4月5日,栃木県下都賀郡において出生し,本件手術当時,7
3歳であった(甲1,10)。Aは,平成11年3月ころ,本件病院との間で自己の疾
患について本件病院の治療行為を受ける診療契約を結び,本件手術当時,本件
病院に勤務していたB医師がAの主治医となり,C医師が本件手術の執刀医とな
った。
Aは,平成12年4月29日,死亡した。Aには原告を含めて相続人が5名いた
が,同年5月29日付け合意書により,原告が,Aの被告に対する損害賠償請求
権を単独相続する旨の協議が相続人間で成立した(甲12)。
(2) 本件手術に至る経緯
Aは,平成10年7月3日,本件病院第2外科で,進行性直腸がんの低位前方
切除術と胆のう摘出術を受けた。術後の経過は順調で,同月28日,退院した。A
は,退院後,日常生活に復帰し,定期的に通院治療を受けていた(乙3の1)が,
平成11年2月18日(以下,月日のみの記載は平成11年を指す。)から同月26
日まで,直腸がん摘出後の精査のため本件病院に入院した際,内視鏡検査で前
回手術の吻合部に直腸がんの局所再発が確認された。
B医師は,原告ら家族には直腸がんの再発である旨告げたものの,家族の意
向からAに対しては直腸がんの再発とは言わず,「直腸に腫瘍ができたが,これを
放置すると腸閉塞の危険があり,手術で切除した方がよい。また,手術に伴い人
工肛門を造設することになる。手術後は3週間程度で軽快退院できる。」などと説
明し,手術に伴う合併症については説明しなかった(証人C,原告本人)。
3月8日,Aは再発がんの切除手術を見込んで本件病院に入院した。原告を含
めた家族は手術を当初拒否していた(原告本人)が,B医師が本件がんについて
手術可能であることを説明したことなどから,最終的には手術に同意した。そし
て,本件手術の前日(同月14日),本件手術を執刀したC医師は,家族に対し,
「手術は7時間くらいかかる,本件手術では輸血が必要だろう,順調にいけば本件
手術後約3週間で退院できる。」などと説明した(なお,本件手術前になされた説
明内容については後述のように当事者間に争いがある。)。
(3) 本件手術の経緯
同月15日,本件手術が行われた。手術は同日午前9時32分から午後10時5
0分まで13時間18分かかり,予定の7,8時間を大幅に超過した。本件手術で
は,癒着剥離に際して小腸に損傷が加えられたほか,腫瘍部を前立腺から剥離
するに際して尿道も損傷された。さらに,腫瘍部と仙骨部との癒着を剥離する際,
仙骨静脈叢が損傷され大量出血するなどして,Aには,1万3475ミリリットルの
出血が生じた。
(4) 本件手術後の経緯1
本件手術中に大量出血があったことから,循環及び呼吸の管理のため,AはIC
Uに収容されたが,その状態は比較的良好に推移し,同月17日にはICUから一
般病棟に移った。
同月18日から,38度の高熱が続き,麻痺性の腸閉塞が認められた。同月20
日には,正中創の縫合部を5針ほど抜糸したところ,113グラムの排膿があった
(乙3の3)。そして,同月22日,正中創から腸液の流出がみられた(乙3の1)。同
月26日には,呼吸状態が悪化し,MRSA肺炎と診断されたため,気管切開術が
施行され,ICUに再び入室し,人工呼吸器による呼吸管理が同月30日まで行わ
れた。
その間,処置としては抗生物質製剤投与,正中創開放ドレナージ,会陰部創開
放ドレナージ,イレウスチューブ挿入が行われた。
(5) 本件手術後の経緯2
Aは,同月31日に一般病棟に移ったが,発熱と解熱を繰り返しており,上記処
置が継続的に行われた。Aには,一般病棟に移った後も中心静脈栄養による栄
養補給が行われた(証人C,乙18)。また,小腸瘻孔が形成されたため,正中創
は閉鎖しなかった。Aは,12月ころから,腰痛,両下肢痛を訴えるようになった。A
は,平成12年2月5日,1泊外泊したが,外泊後の同月8日から肺炎に罹患した。
Aは,同年4月初めころから肺炎が増悪したほか,腎機能障害が顕著となり,同月
29日死亡するに至った(乙1の1ないし3)。
Aの死亡診断書には,「Ⅰ(ア)直接死因 腎不全」,「(イ)(ア)の原因 直腸が
ん」,「Ⅱ直接には死因に関係しないがⅠ欄の傷病経過に影響を及ぼした傷病名
等 肺炎」との記載がなされている(甲1)。
なお,Aが死亡するまでに行われた検査結果の数値は別紙のとおりである(乙
3の2)。
 2 争点及び争点に対する当事者の主張
(1) 本件手術においてC医師らに注意義務違反の行為が存在するか。
(原告の主張)
癒着があっても他の臓器を傷つけないように手術をするのが外科医としての技
量であり,本件手術においては,担当医の手術手技の未熟により健全な臓器が
何箇所も損傷されている。
ア 小腸損傷について
Aには,本件手術後,腹腔内膿瘍が生じているが,これは本件手術により損
傷された小腸の縫合部が破れ,腸液が腹腔内に流出したからであり,縫合不
全が原因である。そして,通常,術後72時間以内に発生したと考えられる縫合
不全は執刀医の縫合技術の未熟ないし不手際によるものと推定されるところ,
Aは本件手術後の3月18日から38度の高熱が続き,同月19日には不穏言動
がみられるなど,術後72時間以内に縫合不全が発生していた蓋然性が極めて
高く,この点からもC医師の損傷箇所修復時の縫合に不手際があったことは明
らかである。また,本件手術では損傷箇所について個別の修復がなされている
が,狭い範囲で数多く損傷したという場合には,再吻合の方がより適切である。
被告は,会陰部からの検索で腹腔内膿瘍が生じていないことを確認した,小
腸皮膚瘻は,皮下膿瘍が波及し,腹膜直下の小腸の脆弱な部分が穿孔を起こ
したことにより生じたにすぎないと主張する。しかし,会陰部からの検索で腹腔
内膿瘍の有無を確認することは困難であり,会陰部からの検索で腹腔内膿瘍
が生じていないことを確認したとの被告の主張は信用性に乏しい。また,皮下
膿瘍の波及部位と手術による小腸の縫合部位が一致する可能性は極めて低
く,その上,皮下から小腸に達するまでには脂肪層,筋肉層,腹膜があり,小腸
はその下にあるという位置関係からしても,Aに発生した小腸皮膚瘻は,手術
により損傷され修復された部位が縫合不全により開離し,腹腔内膿瘍が生じた
ことにより発生したと解するのが合理的である。
イ 尿道損傷について
 直腸下部前面の尿道,その他の臓器の位置関係を明確に認識しつつ,注意
深く剥離を進めることにより,尿道を損傷せずに本件手術を行うことが術者の
当然の注意義務である。そして,本件手術では,尿道損傷により急遽泌尿器科
の医師が応援に駆けつけ,尿道の損傷部位を修復していることからしても,尿
道損傷が通常生じうる事態ではなく,C医師の注意義務違反の行為により生じ
たことは明らかである。
ウ 仙骨からの出血について
仙骨からの大量出血について,被告は仙骨部へのがん組織の浸潤を強く疑
ったのでがん組織を仙骨から剥離し切除する必要があったと主張するが,仙骨
部へのがん組織の浸潤があるのであれば,仙骨を合併切除するはずであり,し
かも,原告ら家族に対して仙骨へのがん組織浸潤の可能性について術後説明
していないことからすれば,真実仙骨へのがん組織の浸潤があったかは疑わし
く,手術手技の未熟さによる誤った損傷の可能性が高い。
また,出血を減らすために術中に大動脈を一時遮断するなどの工夫がとられ
ていないほか,オクルージョンバルーンカテーテルを利用し,非常の際の止血
の準備をしておくなどの事前準備もなされておらず,対処策として著しく不十分
である。
そして,かかる手術手技の未熟さから,手術時間が当初の予定である7時間
を大幅に超過し,13時間余りもかかっており,73歳のAには大きな身体的侵
襲となった。
(被告の主張)
本件手術では,開腹所見で,小腸と小腸,小腸と大腸,小腸と腹膜,大腸と腹
膜というように腹腔内がほとんど隙間なく癒着していたことから,C医師は慎重に
少しずつ剥離操作を行った。このように癒着が広範囲かつ強固な症例において
は,周囲の組織・臓器に損傷を加えることなく癒着を剥離するのは困難であり,あ
る程度の頻度で損傷が生じるのはやむを得ない。しかも,損傷部位はいずれも本
件手術中に修復しているのであるから,C医師に注意義務違反はない。
また,がん摘出術においては,がん組織の摘出を最大の目的としていることか
ら,周辺の組織・臓器との癒着を剥離しなければがん組織を切除できない場合,
癒着している周辺の組織・臓器の一部が犠牲になることも許容されるというべきで
ある。
ア 小腸損傷について
小腸皮膚瘻は,Aに術後発症した皮下膿瘍が波及し,麻痺性イレウスによる
腸管の拡張などが要因となって腹膜直下の小腸の脆弱な部分が穿孔を起こし
て発症したものであり,本件手術における他の小腸損傷部位が縫合不全や穿
孔を起こしていないことからして,損傷部位の縫合不全はなく,腹腔内膿瘍も生
じていない。また,縫合不全は手術手技のみに基づいて発生するのではなく,
種々の要因を原因として発生するから,術後の経過時間を基準として手術手技
が原因であると判断できるものではない。また,Aが3月18日に発熱した際,肺
炎等を発症していたのであり,発熱の原因として肺炎等種々の要因も考えられ
るから,そもそも,発熱をもって縫合不全が発生したとは判定できない。さらに,
原告は,損傷箇所の修復について再吻合術を行わなかったことを問題視する
が,本件手術での小腸の損傷は,しょう膜の損傷にとどまっており,かかる場合
において,損傷部位のしょう膜を修復する方法は適切であり,小腸吻合術で修
復しなければならないということはできない。
本件において腹腔内膿瘍が疑われる部位は小骨盤腔にあり,会陰部からの
検索により腹腔内膿瘍でないことを確認することは可能である。Aについては,
膿瘍と思われる部位と止血のための骨鋲位置をもとに腹腔内膿瘍でないと診
断した。
また,小腸の損傷は,しょう膜の損傷にとどまっており,かかる損傷の程度で
腸液の浸出,腹腔内膿瘍の形成は考えられない。逆に,Aに行われた保存的
治療で腸液の浸出が止まることも考えられないから,原告主張の腹腔内膿瘍
は認められない。
イ 尿道損傷について
 一般に,本件手術と同様の手術において,術中に尿道に損傷を与えることは
ない。Aについては,癒着と炎症が前立腺の位置まで存在していたことから尿
道にカテーテルを挿入して慎重に剥離操作を行っていたが,癒着が強度である
ことから損傷を与えたにすぎず,C医師に注意義務違反の過失があるとはいえ
ない。
ウ 仙骨からの出血について
本件手術中,直腸再発がんが仙骨と広範囲かつ強固に癒着していることが
判明したが,かかる癒着はがんが仙骨に浸潤している可能性が高いことを示し
ており,がん組織を仙骨から剥離し切除する必要があった。手術前から出血の
可能性は念頭に置かれていたが,止血が困難であったため出血量が予想を大
きく超えた。しかし,がん組織を切除でき,仙骨前面部からの止血を行うことが
できたのであるから,手術の目的は達成できた。
原告の主張する仙骨合併切除は,術前の画像診断検査で仙骨へのがん浸
潤を疑うことができる場合に,これを採用することがあるが,本件のように,手
術中に初めて仙骨への浸潤が疑われたようなときには,更なる手術時間の延
長を招くだけであり,相当とはいえない。また,仙骨合併切除が必要な場合は,
がんが他臓器へ転移していることが多く,通常選択されることは非常に少ない。
また,大動脈の一時遮断については,本件手術のように高度の癒着が存在
する場合には,開胸して胸部大動脈で遮断することとなるが,これは通常行わ
れる手技ではなく,原告の主張は非現実的なものである。オクルージョンバル
ーンカテーテルの使用についても,オクルージョンバルーンカテーテルは大動
脈瘤破裂などの緊急事態に際して使用することはあるが,手術までを持たせる
手段として使用されるのであり,本件手術のように開腹中に出血している状況
において使用することは通常考えがたい。
手術時間が当初の予定を越えて長時間となったのは,直腸再発がんと周囲
の組織・臓器との癒着が予想を超えて広範囲かつ強固であり,また,小腸が全
体に脆弱でしょう膜が裂け易い状態であったため,剥離の操作が極めて困難で
あり,慎重に注意深く剥離を行ったためにすぎない。
(2) 仮に注意義務違反の行為が認められるとして,かかる行為とAの死亡との間に
因果関係が認められるか。
(原告の主張)
本件手術によるAへの侵襲が,仙骨静脈等からの大量出血並びに小腸及び尿
道損傷という過大なものであったことから,Aの免疫機能が低下し,低栄養状態と
なった。それが,がん再発を助長し,さらに,縫合不全,腹壁?開,感染症,MRSA
肺炎等の術後合併症を助長させた。そして,免疫機能の低下,低栄養状態や術
後合併症,がん再発が,トータルプロテインやコリンエステラーゼの低下,腎機能
の低下(抗生物質製剤の継続的な投与も影響している。)にみられる全身状態の
悪化を生ぜしめ,最終的には腎不全で死亡したのである。したがって,AはC医師
の注意義務違反の行為により死亡したとされるべきである。
ア 前記縫合不全の部位から腸液が腹腔内に浸出し,腹腔内膿瘍が発生したに
もかかわらず,保存的な抗生物質製剤の投与とドレナージによる排出のみで抜
本的な対策をせず,腸の傷が閉じず,点滴による栄養補給のみであったことと
あいまってAの全身状態を悪化させた。
被告は,家族の反対で閉腹手術を見送ったと主張するが,広汎な腹壁?開を
伴っているAについては,腸管の完全な修復が不可欠であり,腸管の切除再吻
合という極めて侵襲の大きな手術を行うこととなるが,Aは,全身状態が悪く,
感染症を繰り返していたのであるから,かかる手術を行うことは無理であった。
また,8月12日には,Aの担当医師自身が手術は無理な旨判断している。結
局,腹壁は「閉鎖しなかった」のではなく,腹壁?開が大きく,小腸の損傷も甚大
であったことから「閉鎖できなかった」のである。
イ 腎機能の悪化が抗生物質製剤の投与による一過性のものでないことは,クレ
アチニンの数値において,抗生物質製剤の投与中止等により一時的に持ち直
す時期はあったものの,一貫して悪化傾向をたどっていることからも明らかであ
る。また,がんの再々発が画像上で確認される前からクレアチニンの数値は標
準値をほとんど超えていた。
ウ トータルプロテインの値をみると,本件手術前は良好な栄養状態であったこと
を示していたが,手術後は一時的に高い数値を示しているものの,全体的にみ
れば標準値の下限かそれ以下を示しているから,Aの栄養状態が低いもので
あったことは明らかである。
  (被告の主張)
Aは,肺がん転移と直腸がんの再々発により全身状態が進行的に悪化し,肺
炎を併発し,末期がんによる腎機能障害を招来し,全身状態が悪化して死亡した
ものである。本件手術はAの死亡の原因とはなっていない。実際に,6月以降は,
Aの病状も比較的安定するようになり,病棟内を歩行したり,デイルームでテレビ
を見て過ごせるようになっている。
Aの死亡原因として腎不全と記載されているのは,死亡前数日間の臨床経過
に基づき記載したものにすぎず,再発がんの長い経過を考慮すればがん死として
記載すべきものである。なお,原告が主張する因果経路については,術中所見で
仙骨へのがんの浸潤が強く疑われ,その部位に局所がんの再々発が認められた
のであるから,本件手術における大出血ががんの再々発に影響を与えたというこ
とはできない。
ア 腹腔内膿瘍が生じていないことは前記のとおりであるが,腹壁閉鎖は,初期
の時点では困難と考えていたものの,その後可能と判断し,家族に勧めたが,
承諾がなく,行うことができなかった。イレウスチューブ造影の所見で腸管に狭
窄部位が認められるが,かかる事実から直ちに腸管が閉塞に近い状態にあっ
たことを意味するものではない。現にAには度々経口摂取をさせており,嘔吐を
繰り返すようなこともなかった。
   また,経口摂取の点についても,Aが誤嚥を繰り返すために,食事を制限したに
すぎず,小腸皮膚瘻の存在は経口摂取できない理由ではなく,現に度々経口
摂取させていたほか,栄養は中心静脈栄養による栄養補給で十分にとれてい
た。
イ 感染症に対する抗生物質製剤の投与により,腎機能の低下が認められるが,
クレアチニンの数値が上下しながら推移していることから,腎機能の低下は一
過性のものにすぎない。平成12年3月以降は,クレアチニンの数値は2を超え
た状態で推移しているが,これは,仙骨部での再々発がんが増大し,尿路が圧
迫され,平成12年4月以降に急激に悪化したものであり,終末期直腸がんを原
因とする症状である。実際,死亡の約10日前までは尿量が比較的保たれてい
たが,クレアチニンと尿素窒素が急激に上昇した死亡4日前からは尿量が1日
当たり50ミリリットルと極端に減少しており,直腸再々発がんの終末期による影
響は明らかである。なお,腫瘍により尿路が圧迫されたことも影響している。
ウ トータルプロテインの値は,確かに手術直後,急激に低下したが,その後はほ
ぼ一定の値をとって推移しており,4月1日には正常値を示している。栄養状態
の低下は本件手術直後だけである。平成12年2月10日の時点ではがんの終
末期であり栄養を投与してもがん腫に取られ,またクレアチニンの数値がやや
高いことからアミノ酸製剤の投与を控えていたため,栄養状態を示す指標が低
下したのである。
(3) 本件手術に際して,A及び原告に対する説明義務違反が存在するか。
(原告の主張)
 ア Aに対し再発がんを告知しないことが合併症の非告知を正当化するものではな
い。再度の手術であることから種々の合併症が予想される以上,患者自身の
治療方法選択についての自己決定権を尊重する見地からは,Aのクオリティオ
ブライフに影響を与える可能性のある合併症について詳細な説明がなされるべ
きであり,医療行為に関する説明義務に違反している。
 イ 原告を含むAの家族に対して,B医師は,大腸がんの再発であるが,幸い早期
に発見され,再発がん自体も非常に小さく,他に転移もみられないので,再発
がんが大きくならないうちに手術をすれば短期間で軽快退院できると説明し,
術後の合併症についての詳しい説明を全くしなかった。また,C医師も,術後の
合併症についての詳しい説明をしなかった。合併症についての説明がなかった
ことは,手術承諾書の記載からも明らかであり,説明義務に違反している。
 ウ 直腸がん再手術で癒着剥離に際して誤って他の臓器を損傷し,その修復部位
が縫合不全のため離開し,腹腔内に腸液が浸出し,腹壁?開が生ずるというこ
とは事実経過として十分予想される事態であり,被告主張のように,予期しえな
い合併症ということはできない。
(被告の主張)
 ア Aに対して手術に伴う合併症についてはほとんど説明していないが,一般に,
悪性腫瘍であることを説明せず,悪性腫瘍の手術に伴う合併症についてのみ
説明するようなことは,当該がんの重大性,治療方法の種類,治療をしないとき
の予後等を総合して判断する機会を与えないまま,治療に伴う危険性の情報
のみを提供することになり,患者に対し,正確な判断をするに必要な医療情報
を供与しないことを意味し,誤った判断を行わせる危険があることから,行われ
ておらず,説明義務違反とはいえない。
 イ 原告を含むAの家族に対しては,次のような説明を行った。
 ①直腸がんの再発である。
 ②切除術を実施しない場合には,がん組織の増大に伴って腸閉塞が起こり,腹
部膨満,腹痛,嘔吐等の症状が発現する。これらの症状は患者にとって大き
な苦痛で麻薬等を使用しても軽減できない。人工肛門の造設が必要になる
が,がん組織を切除するわけではないのでがん組織からの出血やがんの転
移とそれに伴う疼痛は避けられず,延命の効果はない。
 ③他の治療方法としては,抗がん剤を使用する化学療法,放射線治療が考えら
れる。このうち,化学療法については,Aには最初の手術後抗がん剤を投与
していたが,効果なくがんが再発してしまったこと,大腸の再発がんに治療効
果のある薬剤はほとんどないことなどから,その治療効果はほとんど期待で
きない。放射線治療についても治療効果は期待できない。
 ④外科的治療は,他の臓器に転移を疑わせるような所見がないことから最良か
つ最も延命効果の高い治療法と考えている。
 ⑤外科的治療を行うに際しては,手術部位が瘢痕化し,周囲の組織と癒着して
いることが予想され,剥離することが必要になる。そして,剥離の際,周囲の
組織が損傷を受けること,周囲の組織からの出血が予想され,しかもその出
血が大量になる可能性があり,輸血が必要になると予想されること,手術時
間が長時間になること,手術に伴い感染症や予期しないことが発生する危険
がある。
本件病院においては,手術等にあたっては,患者か家族に医療行為の必要
性,予想される治療効果や危険性などについて説明をし,納得を得てから手術
承諾書に署名を求めており,本件手術でも,担当医師らは上記のように手術の
必要性,予想される治療効果,危険性について十分に説明した。Aやその家族
はかかる説明に納得し,手術承諾書に署名したのである。手術承諾書に説明
事項の一部しか記載しないことはよくあり,記載がないからといって説明をして
いないわけではない。また,原告が指摘する他の手術承諾書(神経根ブロック)
は本件病院の他の部署における要領に従って記載したものであり,本件手術
の承諾書と比較することに意味はない。
 ウ 小腸損傷は腹腔内の癒着が強い場合に再発がん組織を切除するにあたり通
常起こりうることであり,小腸損傷は常に完全に修復されるものではないが,通
常修復できるのであり,かつ小腸皮膚瘻が形成される危険性は少ないのであ
るから,合併症が本件手術後に実際に生じた程度にまで至る可能性は一般的
には極めて小さく,開腹して癒着の程度や周囲の組織が脆弱であることが判明
して初めて分かるのであって,本件のような経過をたどることは術前に全てを予
想することはできなかった。そのような合併症について手術に際して事前に説
明すべきとは到底いえない。
(4) 損害額(延命可能性を理由とする慰謝料請求の当否を含む。)
(原告の主張)
  本件手術によりAに発生した損害は以下のとおりである。
 ア 逸失利益 1912万6980円
Aは死亡前年額191万2698円の年金を受給しており,死亡時74歳であっ
たことから,その平均余命が10年であることを併せ考慮すれば上記の金額と
なる。
イ 慰謝料 3000万円
(ア) Aは本件手術により日常生活に全く復帰できないほどの回復不可能な重大
な疾患を負わされ,約1年余りにわたり小腸が露出したままであり,痛苦に満
ちた闘病生活を送っていたことを考慮すれば,上記金額を下るものではな
い。
(イ) 仮に,C医師の過失行為とAの死亡との間に直接の因果関係が否定される
場合であっても,本件での慰謝料は1000万円を下るものではない。すなわ
ち,単なる適切な治療行為をしなかったという不作為の事例で,適切な治療
措置をしていたところで救命は期待できなかったという事案においても,300
万円から500万円程度の慰謝料を認容する裁判例が少なくないところ,本
件は,C医師の本件手術中の止血ミスにより,Aは全身の血液の約3倍にも
及ぶ大出血を惹起させられたのみならず,手術手技のミスにより尿道も損傷
させられたというものであり,これらの侵襲行為がAのその後の容態に重大
な悪影響を及ぼしていることは明らかである。現に,本件手術後から,Aは高
熱が続き,抗生物質製剤投与の継続に加え,尿道損傷による排尿障害等に
より腎機能も次第に悪化している。かかる経過に照らすと,止血ミスによる大
出血及び手術手技のミスによる尿道損傷が回避されていたとすれば,Aの予
後は当然に違っていたものであり,入院中のクオリティオブライフに変化があ
ったのはもちろん,更に延命できていた蓋然性も高い。
したがって,Aの精神的苦痛は極めて甚大であって,原告の慰謝料は100
0万円を下るものではない。
ウ 弁護士費用 500万円
(被告の主張)
 ア,イは争う。ウは不知。
第3 争点に対する判断
 1 争点(1)(本件手術手技における注意義務違反の存否)について
(1) 証拠(甲3,4,乙3の1及び3,18,証人C)及び弁論の全趣旨によれば,次の事
実が認められる。
ア 本件手術は,平成11年3月15日に行われた(以下,時間のみを示すものは
全て当日のことを指すものとする。)。Aは所定の術前措置を施された上,午前
8時30分,本件病院の手術室に入室し,午前9時,経口による全身麻酔が施さ
れ,午前9時32分,本件手術が開始された。本件手術においては,腹会陰式
直腸切除術がとられた。
  執刀医であったC医師は,初発の大腸がんの執刀は10例ぐらい経験していた
が,直腸の再発がんの切除手術については,何度か立ち会ったことがあったも
のの,術者として執刀するのは初めてであった。助手として,被告の第2外科講
師であるD医師及び同科助手であるE医師が立ち会った(助手は執刀医を補佐
するものであるが,それは指導という意味があるほか,執刀医の手技が余りよ
くなければ随時交代することになる。本件手術でも,C医師より経験の豊富なD
医師が小腸の剥離操作を2ないし3割ほど行っている。)。
イ C医師は,前回の手術の際の創部に沿って中下腹部切開を行った。腹腔内は
全体に癒着が高度であり,小腸と大腸が腹膜と癒着し,あるいは腸管相互が広
範囲に癒着していた。
  中下腹部は,正中創の腹膜に小腸と大網が高度に癒着していた。C医師は,
小腸の剥離操作を行ったが,癒着が強度であったことと小腸の組織がもろかっ
たことから,複数箇所の小腸のしょう膜に損傷を与えてしまった。助手として立
ち会っていたD医師が確認の意味で剥離操作を行った。その際,D医師は,癒
着がひどいことと組織が非常にもろいことを指摘した。小腸のしょう膜に損傷を
与えたのは7,8箇所であるが,これらは全て本件手術中に縫合し,修復を行っ
た(修復箇所が7,8箇所というのは,一般的には多いが,Aの癒着の程度を前
提とすれば,多いとはいえない。)。
ウ 小腸の剥離操作後,骨盤腔内の操作に移り,前回手術の吻合部であり,がん
再発部と判断された直腸の部位を確認し,腹腔内より切除を進めた。同部位は
約2平方センチメートルの範囲で仙骨と高度に癒着していたが,肛門側に比較
的柔らかい組織が触知されたことから肛門側からの剥離により再発がんを切
除できると判断し,会陰部操作に移った。
エ 会陰部からも再発がんの腫瘍の切除を行ったが,腫瘍部と前立腺との境界が
不明瞭な部位が認められたところ,直腸のすぐ前には前立腺があり,尿道は膀
胱から前立腺を通って陰茎につながっているので,尿道を傷つけないように剥
離を進める必要があったが,C医師は位置の見極めができず,尿道の1箇所に
穴を空けてしまった。C医師は,直ちに泌尿器科の医師に連絡をとり,同医師が
本件手術中に上記損傷を修復した。本件手術後,Aには尿道狭窄が生じ,自力
による尿排泄が困難となったことから尿道カテーテルを留置することとなった。
オ 直腸の一部切除は午後1時48分に開始した。仙骨との癒着部を残して直腸
は全て切除された。この時点で出血は約3000ミリリットルであった。C医師は,
再び腹腔内の操作に戻り,仙骨の癒着部位を切り離し,午後6時30分,直腸を
切除した。切除後,仙骨前面の静脈叢から大量の出血が始まった。C医師ら
は,緊急に,被告第2外科助教授のF医師及びG医師に協力を要請し,圧迫止
血,針糸をかけて縛る方法,止血剤の使用,レーザーでの固化等,様々な止血
の方法を試みたが,いずれも成功せず,結局,骨鋲により止血を行った。その
間に,約1万ミリリットルの出血があり,用意していた輸血用の血液は全て消費
され,追加が必要な状態であった。血小板についてはその使用を想定していな
かったが,急遽使用された。
  止血後,再度腹腔内を確認し,午後10時35分から人工肛門造設を行い,午
後10時50分に本件手術が終了した。Aは,大量出血があったことで,ICUへ
入室することとなった。
カ 本件手術後,正中創が発赤したため,3月20日皮膚の表面の縫合糸を一部
切除して開放したところ,大量の排膿がみられた。この際,腹膜の縫合糸には
手をつけていない。3月25日には腹部CT検査を行ったが,明らかな膿瘍は認
められなかった。3月29日,再度腹部CT検査を行ったときには,膀胱と直腸の
間に腹腔内膿瘍を疑わせる所見が認められた。しかし,会陰部創を開放して検
索した結果,腹腔内膿瘍でないことが確認された。小腸皮膚瘻は最終的には3
箇所に認められた。
(2) 小腸の損傷について
上記(1)に認定の事実によれば,本件手術において,C医師は,小腸の癒着部
を剥離する際,小腸のしょう膜を7ないし8箇所損傷したのであるが,他方,本件
手術の目的である直腸局所がんの切除のためには,小腸の癒着部を剥離する必
要があったこと,Aは直腸の再発がんであり,腹腔内は全体に癒着が高度であっ
たこと,加えて,年齢からして非常に組織がもろかったこと(C医師よりも経験の豊
富な助手のD医師が確認の意味で剥離操作を行った際,同医師も同様の感想を
述べている。),いずれの損傷箇所も本件手術中に縫合修復術を行ったことから
すれば,本件手術におけるC医師による小腸の損傷をもって,直ちに注意義務に
違反する行為ということはできない。
この点について,原告は,Aには,本件手術後,腹腔内膿瘍が生じているが,こ
れは,C医師の縫合技術が未熟であるか,縫合に不手際があったことが原因で生
じたものであって,損傷部位の修復は十分ではなかったと主張する。しかしなが
ら,上記(1)に認定のとおり,本件手術後である3月20日に,正中創を開放した
際,大量の排膿があったが,腹膜の縫合糸には手をつけていないこと,CT検査で
腹腔内膿瘍を疑わせる所見が認められた位置は膀胱と直腸の間であるが,会陰
部からの検索により腹腔内膿瘍でないことを確認していることを総合すると,腹腔
内膿瘍が本件手術後に発生したと認めることはできず,腹腔内膿瘍の発生を前
提とする原告の上記主張は採用することができない。また,修復部位は小腸のし
ょう膜であり,しょう膜は器官の表面を覆っているものにすぎないこと,Aには腸閉
塞症が生じていたことからして,Aに生じた小腸皮膚瘻は腸閉塞症により小腸に
圧力がかかり,小腸の脆弱な部分が穿孔を起こしたことにより生じたと解するの
が相当であり(乙3の1),本件全証拠によっても,縫合不全があったことを認める
に足りる証拠はない。結局,小腸損傷についてC医師に注意義務違反の行為を
認めることはできない。
(3) 尿道の損傷について
前記(1)に認定の事実によれば,腫瘍部と前立腺との境界が不明瞭な部位があ
り,そのため,C医師は,尿道の位置を見極めることができず,尿道に1箇所穴を
空けるという損傷を加えてしまったところ,一般的には,本件手術の術式では,尿
道を損傷する危険があることから損傷を加えないよう注意して剥離を進めることと
されているのであるから,尿道損傷についてはC医師に注意義務違反の行為を認
めることができる。
この点,本件手術中に,C医師は直ちに泌尿器科の医師に連絡をとり,同医師
が本件損傷を修復しているが,前記(1)に認定のとおり,本件手術後において,A
には尿道狭窄が生じているのであるから,修復がなされたことをもって,C医師に
注意義務違反の行為があることを覆すものではない。
(4) 大量出血について
証拠(甲14)によれば,一般に仙骨の癒着部位を切り離すには,仙骨筋膜と直
腸筋膜の間の仙骨前腔を,仙骨筋膜に接するように鋭的に剥離するのが正しい
方法とされており,Waldeyer筋膜より仙骨側で剥離して仙骨筋膜を剥がしてしまう
と仙骨前面の血管が露出することとなり,出血すると止血が困難となるとされてい
るところ,前記(1)に認定の事実によれば,本件手術においては,直腸再発がんを
仙骨から剥離するに際し,仙骨前面の静脈叢から出血が生じ,止血が困難であっ
たことからして,C医師は,誤ってWaldeyer筋膜より仙骨側で剥離して仙骨筋膜を
剥がしてしまったと解するのが相当である。そして,一般に,直腸がんと仙骨とを
切除する際には,かかる大量出血を招来しないよう十分注意して剥離を進めるこ
ととされている(甲14,18,21)のであるから,C医師の上記手術手技は,注意
義務に違反する行為であったといわざるを得ない。
この点について,被告は,がん組織を仙骨から剥離し切除する必要があり,止
血にも成功したのであるから,手術の目的は達成できたと主張する。しかしなが
ら,がん組織を仙骨から剥離し切除する必要があるとしても,上記のとおり,一般
に仙骨前面の血管から出血すれば,止血が困難になって大量出血を来たし易い
とされているのであるから,より一層慎重な剥離が求められているというべきであ
る。また,結果的に止血に成功したが,その間用意していた輸血用の血液ではま
かなえない約1万ミリリットルという大量の出血が生じていることからしても,C医
師の行為には注意義務違反があるというべきである。
(5) 以上からすれば,本件手術におけるC医師の手術手技には,尿道損傷及び仙骨
からの剥離に際しての出血について注意義務違反の行為が認められる。
 2 争点(2)(注意義務違反と死亡との間の因果関係の存否)について
(1) 前記争いのない事実等に証拠(乙3の1ないし3,証人C)及び弁論の全趣旨を総
合すれば,次の事実が認められる。
ア Aは,本件手術直後を含めて2度ICUに入室したが,3月31日にはICUから
一般病棟に移動し,その後は,発熱等はあるものの,状態は安定するようにな
り,6月中旬ころには,自力で離床できるようになり,日中眼鏡を使用し室内歩
行したり,椅子に座るなどできるようになった。
イ 検査数値をみても,Aのトータルプロテイン値は,本件手術直後に極めて低い
数値を記録したが,4月1日には正常値の範囲内に入ってきており,10月21
日までは正常値の範囲内にほぼ収まっていた。
ウ ところが,Aには,11月27日のCT検査で肺にがん転移と思われる画像所見
が認められたほか,12月ころには,直腸がんによると推定される下肢痛が出
現し,同月24日のMRI検査で仙骨部の局所がん再発が認められた。死の直
前には腰の後ろに子供の頭大くらいの腫瘍があった。
エ Aは,平成12年2月5日,自宅に戻る最後の機会を与えられ,自宅への外泊
を行ったが,帰院後の同月8日から高熱が続くようになり,肺炎と診断され,そ
の後,同年4月肺炎が増悪し,同月17日には腎機能障害も生じ,同月29日死
亡した。本件手術からAの死亡日までに,約13か月が経過していた。
(2) 以上認定の診療経過からすれば,Aの死亡には,本件手術後の直腸がんの肺
転移及び局所での再々発並びに同年2月の外泊後に罹患しその後増悪した肺炎
が影響していると認めるのが相当であって,本件全証拠によっても,前記1(5)に
認定の本件手術におけるC医師の注意義務違反の行為とAの死亡との間に相当
因果関係があると認めるに足りる的確な証拠はない。
この点について,原告は,C医師の注意義務違反の行為により,Aの免疫機能
が低下し,低栄養状態となったことががん再発を助長し,腹壁?開,感染症,MRS
A肺炎等の術後合併症を助長させ,Aを死に至らしめたと主張する。確かに,本件
手術中の大量出血が直腸がんの再々発に影響している可能性は皆無とはいえな
い(証人C)ものの,上記(1)に認定のとおり,Aのトータルプロテインの数値は4月
1日には正常値の範囲内に入っていること,10月28日以降の同数値の低下につ
いては,がんの再々発が影響しているというべきこと,死亡に至るまで持続した肺
炎は平成12年2月の外泊がきっかけとなっていることからすると,原告の主張を
考慮しても,C医師の注意義務違反の行為とAの死亡との間に相当因果関係を認
めることはできない。また,原告は,腹腔内膿瘍が発生したにもかかわらず,適切
な措置をとらなかったために,小腸皮膚瘻が閉じず,Aの全身状態を悪化させて
いると主張する。しかしながら,本件手術後に腹腔内膿瘍が発生したと認められ
ないことは,前記1(2)に説示のとおりであり,また,C医師に小腸の損傷自体につ
いて注意義務違反を認めることができないことも同所に説示のとおりであるから,
小腸皮膚瘻が閉じなかったことを理由に本件手術とAの死亡との間に因果関係が
あるとして,C医師の責任を認めることはできない。
 3 争点(3)(説明義務違反の存否)について
(1) Aに対する説明について
ア 本件手術に際し,Aに対しては家族の意向から,直腸がんの再発である旨が
告知されず,B医師により,「直腸に腫瘍ができたが,これを放置すると腸閉塞
の危険があり,手術で切除した方がよい。また,手術に伴い人工肛門を増設す
ることになる。」などとの説明程度がなされたにとどまり,手術に伴う合併症につ
いては説明されなかったことは,前記争いのない事実等(2)のとおりである。
イ 手術に際して医者が行う説明は,患者の自己の人生への自己決定権を確保
するためになされるのであるから,患者自身になされるのが原則というべきであ
るが,がんのような重篤な疾患に罹患した場合に,患者の家族が,患者の精神
状態に対する配慮等から,がんの告知を回避して一部についての説明にとど
めて欲しいとの具体的な申し出をした場合には,患者自身に対する説明として
は,その申し出に沿った範囲内で必要な情報の提供を行うことで足りると解す
べきである。
  これを本件についてみると,本件手術に際して,B医師らは,Aの家族から,直
腸がんの再発である旨は告知しないで欲しいとの要請を受けていたのであるか
ら,Aに対する説明としては,再発がんであることを告知しない前提での説明で
足りるのであって,B医師らが,腫瘍を切除せず放置した場合の危険性,本件
手術に伴う人工肛門の造設について説明したことにより,Aには必要な情報が
提供されていると解するのが相当である。
  したがって,Aに対する説明内容に説明義務違反は認められない。
(2) 原告を含む家族に対する説明について
ア 証拠(甲6,乙3の1及び3,証人C,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば次
の事実が認められる。
  原告を含めた家族は,Aが,平成10年7月の最初の手術の際,痛い思いは今
回一度だけにしたいと言っていたことなどから,本件手術を行うか迷っていた。
これに対し,B医師は,Aが入院した後,原告を含めた家族に対し,がんは非常
に小さく転移もない,手術により元と同じように十分に回復できる可能性がある
と説明して手術を勧めるとともに,手術により再発がんを除去しないと,半年位
経過後,Aは,腸管がだんだんと細くなり食事が摂れない身体になってしまい,
体力が徐々に落ちる,腸閉塞が起きる可能性もある旨説明した。また,他の治
療手段として,放射線療法や化学療法があるという説明も行った。以上の説明
を受けたことにより,原告ら家族は本件手術に踏み切ることとした。
  さらに,原告らは,本件手術前日にC医師から本件手術についての説明を受
けたが,その際に,本件手術時間が7,8時間かかる予定であること,前回手術
に伴う癒着があると予想されることから,そのように時間がかかること,今回は
輸血を行うことが予想されること,術中何かが起こればそれに対して処置するこ
となどの説明を受けた。
  ただ,B医師及びC医師らから,本件手術前に,Aに本件手術後生じた合併症
に関する説明はなされなかった。
イ 以上認定の事実によれば,本件手術に際して,B医師らは,手術を行わなか
った場合に想定される状況,他の治療方法の内容,Aには前回手術に伴う癒着
があると予想されること,輸血を行う可能性があることなどについて説明してい
るのであるから,本件手術を行うかどうかの選択をするに十分な情報が原告を
含めた家族に対して提供されているということができ,原告を含めた家族に対
する説明についても説明義務違反は認められない。
  この点について,原告は,本件患者のクオリティオブライフに影響を与える可
能性のある合併症について詳細な説明がなされるべきであり,医療行為に関
する説明義務に違反していると主張する。しかしながら,証拠(証人C)によれ
ば,Aに生じた腹壁?開及びそれに至る経過は本件手術における術式の合併症
としては一般的なものではないこと,具体的な癒着の範囲及び程度は開腹して
初めて分かることが認められる。手術に際する説明は,前述のように,患者が
自ら治療方法を選択し,自己の人生を決定するためになされるのであるから,
治療方法を選択するにあたって,通常想定される危険性について説明がなされ
ていれば足りるのであって,手術後の合併症についても,当該手術に伴うもの
として通常予想されるものが説明されていれば,説明義務が充たされていると
解するのが相当である。
  したがって,本件手術後にAに生じた腹壁?開及びそれに至る経過や高度の癒
着を前提とした合併症について説明されていないことをもって,説明義務違反と
することはできず,原告の上記主張は採用することができない。
(3) したがって,本件手術について説明義務違反の行為は認められない。
 4 争点(4)(延命可能性を理由とする慰謝料請求の当否)について
原告は,C医師の注意義務違反の行為とAの死亡との間に因果関係が認められ
ない場合においても,注意義務違反の行為がなければ,Aの予後は当然に違ってい
たのであり,更に延命できていた蓋然性も高いと主張して,慰謝料を請求する。
しかしながら,Aは,6月中旬ころには,自力で離床できるようになり,室内歩行し
たり,椅子に座るなどできるようになっており,栄養補給は中心静脈からの点滴によ
りなされ,栄養状態も4月1日の検査以降,数値が正常値の範囲内に入っていたこ
とは,前記争いのない事実等及び前記2(1)に認定のとおりである。また,証拠(甲1
6,18ないし22,証人C)によれば,直腸がん局所再発が生じると,出血,疼痛,腸
閉塞,腸瘻などが出現し,長期にわたり悲惨な経過をたどることが多いところ,これ
に対する治療法としては,現在のところ,外科治療のみが根治的なものであり,化学
療法及び放射線療法では満足な効果を得られないと認められるところ,証拠(証人
C)によれば,Aについても,本件手術を行わなければ,半年ぐらい経過してから,腸
管がだんだんと細くなり食事が摂れない状態となり,体力が徐々に落ち,腸閉塞に
なるという経過をたどる蓋然性が高かったことが認められる(なお,前記1(2)に説示
のとおり,小腸皮膚瘻は,腸閉塞症により圧力がかかり,小腸の脆弱な部分が破れ
たことにより生じたにすぎず,C医師の注意義務違反の行為により生じたものとは認
められない。)。
以上の諸事情を総合すれば,C医師の注意義務違反の行為がなければ,Aの予
後が当然に違っていた,ないしは延命できていた蓋然性が高かったと直ちに認める
ことはできず,他に,原告の上記主張事実を認めるに足りる証拠はない。したがっ
て,原告の上記主張を採用することはできない。
第4 結論
以上の次第で,原告の請求は理由がないからこれを棄却し,主文のとおり判決す
る。
宇都宮地方裁判所第1民事部
裁判長裁判官    岩   田       眞
裁判官    松   永   栄   治
裁判官    宮   田   祥   次
(別紙省略)

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