弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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○ 主文
一 控訴人らの本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。
○ 事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決中、控訴人らに関する部分を取り消す。
2 被控訴人がした河川法二三条及び二四条に基づく左記水利使用許可処分を取り
消す。
対象河川名        一級河川天竜川
許可年月日及び許可番号  昭和六〇年三月二七日建部水第三八号
許可期限         昭和九〇年三月三一日
水利使用者        中部電力株式会社
水利使用の目的      水力発電
最大取水量        毎秒一七八・〇八六四立方メートル
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
との判決を求めた。
二 被控訴人
控訴棄却の判決を求めた。
第二 事案の概要
本件は、長野県下伊那郡<地名略>を流れる一級河川天竜川(以下「天竜川」とい
う。)に存する泰阜ダム(昭和一〇年一二月完成。以下「本件ダム」という。)に
ついて、被控訴人が、その所有者である中部電力株式会社(以下「中部電力」とい
う。)に対し、従前の水利使用許可期限が経過したことに伴い、改めて前掲水利使
用許可処分(実質は従前の水利使用許可期間の延長ないし更新。以下「本件処分」
という。)をしたところ、その上流に位置する長野県飯田市<地名略>(昭和三六
年三月三一日の飯田市編入前は、長野県下伊那郡<地名略>。以下「川路地区」と
いう。)に農地を所有する控訴人らが、本件ダムを存立せしめ、かつ水力発電に用
いる法的根拠は本件処分であるが、本件ダムの存続によって天竜川の河床が上昇
し、農地等が洪水被害を被るおそれがあるなどと主張して、本件処分の取消しを求
めたものである。
これに対し、被控訴人は、控訴人らは本件処分の取消しを求める原告適格を欠くこ
と、そうでないとしても、本件ダムは水力発電という公益事業に供されているこ
と、国によって、本件ダムによる河床上昇の影響を補って余りある種々の治水事
業、洪水対策が講じられていることから本件処分は河川法の趣旨に合致した適法な
ものであるなどと主張して右請求を争っているが、控訴人らは、右洪水対策につい
ては安全性が確認されていないなどと反論している。
原審は、控訴人らの原告適格を認めたが、本件処分の適法性を肯定し、控訴人らの
請求を棄却した。
一 当事者間に争いのない事実等は、次のとおり訂正するほか、原判決「事実及び
理由」欄の第二の一記載のとおりであるから、これを引用する。
1 (控訴人らによる農地所有の事実)
原判決六頁一一行目から七頁四行目までを次のとおり改める。
「控訴人らは、川路地区に所在する原判決添付の図面中赤線で囲まれた区域(後述
の飯田市災害危険区域に関する条例により第一種災害危険区域に指定された部分)
内に農地を所有している。
すなわち、控訴人Aは、BとC(昭和二三年に婚姻)との長男であり、昭和六〇年
一一月二一日にBが死亡したことにより、その所有にかかる農地約一町歩五反(う
ち右区域内の面積約一町歩)をCと共同相続した。右農地では、現在、りんご、
米、野菜などが栽培されている。
控訴人Dは、昭和四五年に旅館業に転ずるまでは養蚕に従事していたものであり、
昭和二一年に父親からその所有にかかる農地約三反五畝(うち右区域内の面積約三
畝)を相続し、現在、里芋を栽培している。
控訴人Eは、昭和一三年に父親が戦死したことに伴い、その所有する農地約一〇反
(うち右区域内の面積約三反)を家督相続し、現在、柿、野菜などを栽培してい
る。」
2 原判決八頁九行目の「証拠(甲八六ないし八八、九六ないし九八)」を「証拠
(甲八六、八七、九六、九七)」と改める。
二 争点(及びこれに関する当事者の主張)は、次のとおり付加、訂正するほか、
原判決「事実及び理由」欄の第二〇二記載のとおりであるから、これを引用する。
1 (原告適格についての控訴人らの補充主張)
原判決一〇頁「二行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「被控訴人は、本件ダムを存続せしめているのは、法二六条の許可処分であると主
張するが、右許可は工作物の新築等を許容するだけであり、土地を使用、占有する
権原を与えるものではないから、河川管理者以外の者が管理する土地については、
別の契約により使用、占有する権利を取得し、その他の土地については法二四条の
許可を受ける必要がある。よって、本件ダムの存続を許容しているのは、本件処分
である。」
2 (原告適格についての被控訴人の補充主張)
原判決二〇頁八行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「右に述べたように、本件ダムを存続せしめている根拠が法二六条に基づく許可処
分であることは、法二四条の許可は河川区域内の一定範囲の土地を排他的に占有す
る権利を付与するにすぎず、工作物の伴わない形態での土地の排他的占有(例えば
河川敷に設けられた公園)が存在すること、法二六条の許可は、当該工作物の目
的、設置場所、工作物の名称又は種類、工作物の構造又は能力、工事の実施方法及
び工期等を審査した上でなされるのであり、仮に法二四条の許可が取り消されて
も、工作物によってはその除去によって河川管理上の支障を生ずることもあるた
め、設置だけでなく除去をも許可の対象にかからしめていることなどから明らかで
ある。」
3 (地上げ計画の安全性についての被控訴人の補充主張)
原判決三八頁五行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「また、河川の横断形状を概念的に分類すると、計画高水位が堤内地盤より高く、
堤防を築造することによって計画高水流量を流下させる堤防方式による河川と、計
画高水位が堤内地盤以下であり、堤防を築造することなく計画高水流量を流下させ
る堀込河道方式による河川とがあるところ、本件の地上げ計画は、堤内地盤を計画
高水位まで盛り土するものであり、結果的に後者の方式をとることになる。
そして、前者では、計画を超える異常洪水に対し、破堤などの場合に一度に多量の
水が堤内地に侵入することになり、被害が甚大となるが、後者では、一度に多量の
水が堤内地に侵入することはないし、内水被害についても、堤内地盤を高くするこ
とにより内水の湛水時間も短くなるので軽減されるという長所がある。」
4 原判決四〇頁一行目から二行目にかけての「天竜川公社」を「財団法人飯田市
天竜川環境整備公社」と訂正する。
5 原判決四〇頁四行目末尾に、次のとおり加える。
「その結果、平成七年河床と昭和五八年一二月河床を基にした水位計算結果とを比
較すると、約一・九メートルの水位低下が見られる。」
6 (更新処分における裁量権についての被控訴人の補充主張)
原判決四三頁八行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「このように、河川管理者が、法二三条、二四条に基づく処分をするについて広い
裁量権を有することは、当初の許可処分の場合と本件処分のように実質的に許可期
間の更新の性質を有する場合とで本質的に差異はないというべきである。

7 (処分の適法性の主張立証責任に関する被控訴人の補充主張)
原判決四三頁一二行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「ところで、控訴人らは、本件処分の適法性についての主張立証責任に関し、行政
庁において、まず、その判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき
主張立証する必要があり、これを尽くさない場合には、行政庁がした判断に不合理
な点があることが事実上推認されるべきであると主張して、伊方発電所原子炉設置
許可処分取消請求事件に関する最高裁平成四年一〇月二九日判決・民集四六巻七号
一一七四頁を援用する。
しかしながら、右判決は、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律
二四条一項三号及び四号所定の基準の適合性について、各専門分野の学識経験者を
擁する原子力委員会の科学的、専門的技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣
総理大臣の合理的な判断について、いわゆる専門的技術的裁量を認めたものであ
り、河川管理者が河川法二三条、二四条の許可処分をするに際し、いわゆる専門的
技術的裁量のほか、政策的裁量も認められる本件とは異なるものである。控訴人ら
の右主張は、本件ダムという施設の安全性ではなく、地上げ計画という国の政策的
要素の強い治水計画の安全性にまで広げて適用しようとするもので、相当でな
い。」
8 (補償金不払についての控訴人らの補充主張)
原判決五一頁一行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「少なくとも、控訴人Aの先代B及び同Eは、中部電力からの見舞金(減価補償)
の受給資格を有していたにもかかわらず、その支払を受けたことはなかった。すな
わち、Bは、先祖代々、危険区域内に居住していたが、三六災の後である昭和三七
年に右区域外に転居し、控訴人Eは、三六災後、その先々代が学校用地として賃貸
していた所有地の返還を受けたが、危険区域に編入されているところ、両名につい
ては、中部電力から一円の支払も受けたことがない。したがって、右見舞金が支払
われることになっていたことをもって、本件処分の合理性を補強することは許され
ない。」
9 (補償金協定の不合理性についての控訴人らの補充主張)
原判決五一頁五行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「被控訴人は、地形的、自然的要因により、川路地区は古来からの洪水常襲地帯で
あるかのように主張するが、本件ダム建設後の洪水は、規模、被害の点でそれ以前
のものとは比較にならないものであり、その原因が本件ダムによる河床の著しい上
昇にあることは、学者のみならず、旧河川法下での河川管理者である長野県知事も
認めていたところである。
にもかかわらず、控訴人らが洪水被害に対する正当な損害賠償ではなく、右に述べ
たように不十分な解決金に甘んじなければならないとする前記協定(昭和四一年四
月一六日付け協定の五条には、中部電力は、被害額のうち本件ダムに関係すると解
される金額を支払う旨規定している。)は不合理なものであり、本件処分の合理性
を補強するものではあり得ない。」
10 原判決五四頁三ないし五行目、七行目及び五七頁四行目の「三六年災」、
「五八年災」を「三六災」、「五八災」と訂正する。
11 (地上げ計画の安全性についての控訴人らの補充主張)
原判決五七頁四行目から六行目までを次のとおり改める。
「(1)本件水位計算は五八災洪水の痕跡水位を基礎としているから、その数値が
変動すれば、地上げ計画そのものの安全性に関する結論が全く異なったものになる
可能性があるので、控訴人らは、その数値がどのようなデータからどのような方法
によって導き出されたのかを明らかにするよう求めてきたが、被控訴人はこれに全
く応じようとはしなかった。
しかしながら、現に、久米川橋北詰盛土計画標識盛土高と吉川工業株式会社事務所
建物外壁の五八災水位痕跡の高さを比較すると、後者が二センチメートル高いので
あって、一地点だけの調査で本件水位計算の基礎となる洪水痕跡値の誤りが確認さ
れたということは、他の地点でも同様の可能性があるということであり、ひいては
本件水位計算の手法そのものに問題があることを示唆するものである。」
12 (処分の適法性の主張立証責任に関する控訴人らの補充主張)
原判決六〇頁四行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「本件処分は、本件ダム建設当初の許可処分ではなく、許可期間の更新処分であ
り、前者は自由裁量であるが、後者は原則として羈束裁量と考えるべきである。取
水又は流水の貯留の許可に付されている許可期間は、本来、その満了をもって許可
を失効させる意図を有するものではなく、一定の期間ごとに許可の条件について再
検討し、又は遊水水利権を排除する等の機会を河川管理者に与えるためのものと考
えるべきであり、したがって、その更新の場合における河川管理者の裁量は、この
ような許可期間を設ける趣旨の範囲内に限定されると解されるからである。
もっとも、河川法一条が「災害発生の予防」をうたっている以上、期間更新処分の
際、河川管理者がこれを再吟味しなければならないことは当然であり、ダムを設置
したことにより上流の河床又は水位が上昇したり、下流の洪水流量が増加する場合
は法七五条二項五号の問題が生ずるが、これに該当する事情があるときは、同条及
び七六条の規定を類推適用して、前記更新を不許可とすることができるというべき
である。
ところで、伊方発電所原子炉設置許可処分取消請求事件に関する最高裁平成四年一
〇月二九日判決・民集四六巻七号一一七四頁は、行政庁の判断に不合理な点がある
ことの主張立証責任は、本来は取消請求をする原告が負うべきものと解されるが、
「・・・安全審査に関する資料をすべて被告行政庁の側が保持していることなどの
点を考慮すると、被告行政庁の側において、まず、その依拠した前記の具体的審査
基準並びに調査審議及び判断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないこと
を相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があり、被告行政庁が右主張、立
証を尽くさない場合には、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることが事実
上推認されるものというべきである。」と判示している。
本件で最も重要な問題は、地上げ計画の安全性であるが、これは一種の専門技術的
判断であり、またその判断資料は、すべて被控訴人が所持している点で、右判決の
事案と類似しており、したがって、その判断は、先例として本件においても拘束力
を持つというべきである。」
第三 証拠(省略)
第四 当裁判所の判断
当裁判所も、控訴人らは本件処分の取消しを求めるにつき原告適格を有するもの
の、本件処分は適法であり、右請求は理由がないものと判断する。その理由は、次
に付加、訂正する外、原判決「事実及び理由」欄の第四記載のとおりであるから、
これを引用する。
一 控訴人らの原告適格について
1 (第三者を関与させる手続規定の欠缺についての判断)
原判決六八頁三行目の(四)の記述の冒頭に次のとおり加える。
「以上、述べてきたところを整理すると、河川法二三条、二四条の規定には、当該
処分によって起こりうる洪水被害から周辺住民を保護する目的が明示的に掲げられ
ているわけではないが、関連法令を総合して考察すれば、そのような災害を被るお
それのある者に対し、その発生防止についての具体的個別的利益を保護せんとする
趣旨を十分に読みとることができるというべきである。
なお、河川法は、三五条、三六条において、建設大臣は、原則として、二三条、二
四条に基づく処分の申請があった場合は関係行政機関の長との協議を、また、右処
分をしようとする場合は都道府県知事の意見聴取をしなければならないと規定して
いるが、これ以外に、その過程において、周辺住民の関与を許し、あるいはその意
思を反映させるべき手続については何らの規定も置いていない。しかしながら、そ
のような手続規定は、様々な趣旨、目的から設けられるものであって、これが存在
しないからといって事後的救済方法ともいうべき抗告訴訟の原告適格を一般的に否
定するものではないと解するのが相当である。」
2 (本件処分と法二六条に基づく処分の関係についての判断)
原判決七〇頁八行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「この点につき、被控訴人は、本件ダムを存続せしめている根拠は、法二六条に基
づく許可処分であると主張する。確かに、電力会社が新規にダムを建築し、水力発
電事業を開始しようとする場合には、法二三条、二四条に基づく許可に加えて、法
二六条に基づく工作物新築の許可(場合により、法二七条に基づく許可も)が必要
となることが明らかである。
しかし、法二六条は、工作物の新築だけでなく、その除却についても河川管理者の
許可にかからしめていること、法三一条は、当該工作物の用途を廃止したときは、
工作物設置者は、速やかにその旨を河川管理者に届けなければならず、この場合に
おいて、河川管理者は、必要があると認めるときは、当該工作物を除却するなどの
河川管理上必要な措置をとることを命ずることができる旨定めていること、法七五
条は、河川管理者は、法令違反の行為をした者に対し、あるいは許可等が必要な行
為につき、これを受けることができなかったとき、許可等にかかる事業を廃止した
とき、洪水その他の天然現象により河川の状況が変化したことにより、河川管理上
著しい支障を生じたとき、その他公益上やむを得ない必要が生じたとき等の場合に
は、工作物の改築若しくは除却等を命ずることができる旨定めていること、これら
一連の規定に照らせば、法二六条に基づく工作物新築の許可は、それがあるからと
いって常に工作物の存続が許されるものではなく、逆にこれを欠くからといって河
川管理者は常に除却命令を発すべき拘束力が生ずるものではない。したがって、工
作物新築の許可は、それを受けなければ右工事をすることができないという法的効
果を付与しているにすぎず(これは法一〇二条の罰則規定によって担保され
る。)、当該工事が完成した場合においては、その取消しを求める訴えの利益は失
われるものというべきである(最高裁第二小法廷昭和五九年一〇月二六日判決・民
集三八巻一〇号一一六九頁参照)。
そうすると、水利使用許可期間の更新が問題となっている本件において、本件ダム
を存続せしめている法的根拠は、まさに本件処分というべきであるから、被控訴人
の前記主張は採用できない。」
二 本件処分の適法性について
1 (危険区域における建築制限についての認定判断)
原判決七七頁一〇行目の「この危険区域は、」から一二行目の「建築してはならな
い。」までを次のとおり改める。
「この危険区域は、危険度に応じて第一種災害危険区域と第二種災害危険区域とに
区分され、そのいずれの地域内においても住居の用に供する建築物の建築が禁止さ
れることとなったが、後者の区域内においては、主要構造部が鉄筋コンクリート造
の建物であるなどの一定の除外事由に該当する場合には、右制限を受けないものと
されている。」
2 (補償協定廃止に伴う周辺住民の反応についての認定判断)
原判決八一頁四行目の「であった。」の後に次のとおり加える。
「もっとも、証拠(甲一一八、一一九の一、一二二の一、証人F)によると、計画
高水位まで盛土がなされた場合に水害補償の対象から外すとの点については、周辺
住民からの反発が強く、「六条を守る会」、「川路危険家屋組合」、「川路水害予
防組合」などからその存続を求める意思表示がなされており、飯田市当局も、土盛
完成後に洪水被害が発生した場合、その原因等を調査の上、中部電力に補償を求め
ることもあり得るとの見解を維持している。」
3 (更新処分における裁量の範囲についての判断)
原判決八六頁三行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「もっとも、本件処分は、新たに水利使用を許可しようとするものではなく、その
許可期間の延長(ないし更新)という実質を有しているから、その処分を認めるか
否かの判断をするに際しては、処分の直接の名宛人たる中部電力(及びその前身会
社)が既に相当の投資をして現に本件ダムを水力発電事業の用に供しているという
事情をも考慮すべきであり、河川管理者が、単純な政治的、政策的配慮によって、
安易にその地位、利益を覆すことは妥当でないというべきである。
したがって、河川管理者は、本件処分の判断に際しては、政治的、政策的観点より
も、科学技術的観点からする安全審査に重きを置くべきところ、一般的に、科学技
術の分野においては、「絶対的な安全性」を要求することがその性質上不当と考え
られるから、結局、本件処分をするに際しては、ダムの公益性との比較衡量の上
で、右危険性が社会通念上容認できる水準以下であるか否かの判断に依らざるを得
ないと考えられる。そして、右危険性の判断は、第一にその時点における科学技術
水準に依ることはもちろんであるが、付随的には我が国の社会がどの程度まで右危
険性を容認するかという観点をも考慮に入れざるを得ないと解される。
以上、述べてきたとおり、本件における河川管理者の有する裁量権の内容は、当初
の原始的処分と比較すると、政治的、政策的裁量の部分が狭められるが、河川管理
者は、本件処分に際し、右に述べたような安全性吟味の権限及び責務を有するもの
であり、逆にそのような審査の過程を経て、危険性が社会通念上容認できる水準以
下か否かについて判断を下した場合には、原則としてそれが尊重されるべきことも
当然というべきである。」
4 (裁量権濫用の主張立証責任についての判断)
原判決八六頁一一、一二行目を次のとおり改める。
「そして、河川管理者の右判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったことに
ついての主張立証責任は、本来、その取消しを求める控訴人らが負うべきものと解
される。もっとも、本件処分をするについて被控訴人が有する裁量権は、前記のと
おり、専ら科学的、専門技術的裁量を内容とすると考えられるところ、本件ダムと
その存在を前提とした治水計画の安全審査に関する資料は、その主要部分を行政庁
たる被控訴人の側が保持していることに鑑みると、まず被控訴人の側において、そ
の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張立証する必要があ
り、被控訴人がこれを尽くさない場合には、その判断に不合理な点があることが事
実上推認されるものというべきである。

5 (本件ダムの公共性と中堤防計画の合理性についての認定判断)
原判決八七頁一行目から八八頁八行目までを次のとおり改める。
「(1)前記一3で認定したとおり、本件ダム建設によりその上流部に土砂が堆積
し、河床が上昇した結果、本件処分までの一一回におよぶ川路地区の洪水被害の発
生又は拡大に影響を与えたものと認められる。そして、乙九九によると、このよう
な状況は三六災直後をピークとして、その後次第に改善され、本件ダムによる洪水
被害への影響は相当程度排除されたと認められる。
もっとも、乙九九によれば、本件処分時において、なお川路地区では、本件ダム建
設前の河床の状態までには復していなかったことが認められるところ、前記のとお
り、法二三条、二四条に基づく河川管理者の処分は、法一条を始めとする河川法の
趣旨に合致するように行われなければならないので、本件ダム存続の法的根拠とな
る本件処分が適法視されるためには、その存在が公共目的に合致していることと、
本件ダムの存在による洪水被害への影響が概ね排除されたと評価し得る程度の合理
的な治水対策が行われていることの二要件を必要とすると解される。
そこで、まず前者について検討するに、証拠(乙三三の一、二、証人G)による
と、本件ダムによって貯留された河水を利用する泰阜発電所は、最大出力五万二五
〇〇キロワット、年間発電電力量約一億六〇〇〇万キロワットアワーであり、昭和
一一年当時の国民約三九三万人分、一般家庭約七〇万軒分の消費電力を作り出し、
主たる送電先である中部地方の電力需要の約八・一パーセントを賄っていたこと、
その後の電力事情の変化により、右発電所の占める地位は相対的に低下したもの
の、平成元年当時においても、飯田市の年間電力需要量の約七二・五パーセントに
相当する電力量を発電しており、特に環境問題が大きく取り上げられるようになっ
た昨今においては、いわゆるクリーンなエネルギー源としての価値が脚光を浴びて
いること、以上の事実が認められ、これによれば、本件ダムが国民経済上多大の貢
献をしていることは明らかであり、その存在が公共目的に合致していることは疑う
余地がない。
次に治水対策について検討するに、一般に、行政処分の適法性の判断は、その処分
時に存した事情を基礎としてなされるべきものであるので、本件処分の適法性の判
断についても、基本的にはその当時に実行され、完結していた治水対策を対象とし
てなされるべきである。そこで、まず、そのような適格性を有する治水対策のうち
で中心的なものと考えられる中堤防計画の合理性について検討するに、前記二1
(二)(2)で認定したとおり、右中堤防は、築造当時は三六災につぐ規模であ
り、確率的には一〇年に一度程度の洪水流量であると推定された昭和二〇年一〇月
の洪水に対処できるように設計されていたというのであるから、これによっても本
件ダムによる洪水被害への影響は相当程度排除されたと認められる。
もっとも、右レベルを超える洪水の際には、溢水自体を避けることはできないが、
この場合も破堤しないように越流堤として築造されていることから、流量がピーク
時を過ぎて毎秒二〇〇〇立方メートル以下に下がれば、それ以上の被害の拡大を阻
止することが期待できる。その上で、三六災の際に浸水した区域に相当する区域を
危険区域として指定し、原則として居住用建物の建築を禁止するとともに、その範
囲内にあった家屋の移転を完了したというのであるから、人命に対する被害の恐れ
は一応解消したものということができるし、危険区域に指定された土地の価値減少
と、溢水の際に予想される農作物等への被害についても、中部電力による補償義務
が設定されたことによって手当がなされている。そうすると、稀に生起する大洪水
の際における本件ダムによる影響は、右「危険区域の指定」及び「補償制度の整
備」によってカバーされているものと評価することができる。
これらの施策は、越流を前提とする点で当初の大堤防計画と異なっており、現実に
五八災の際には危険区域を中心とした地域が冠水被害を被っているが、自然を相手
とするものである以上、その時点における国力、技術力などからくる制約を免れる
ことはできないし、あるいはまたその対策を策定するに当たり、地域住民の要望を
できるだけ反映させることも当然ありうるものであって、これらの要素を考慮に入
れた上で行われた対策が、それ故に不合理なものとの評価を受けることはないと考
えられるところ、本件の中堤防計画は、地元における農業経営の困難化との比較衡
量の上で策定されたものであって、総合的な治水対策としてはその合理性を十分に
肯定することができるというべきである。
この点につき、控訴人らは、まず控訴人Aの先代B及び同Eは、中部電力からの減
価補償を受給する資格を有していた(右両名が、第一種災害危険区域内に農地を所
有していた事実は、前記の「当事者間に争いのない事実等」で述べたとおりであ
る。)にもかかわらず、その支払を受けたことはないと主張し、これに沿う証拠
(原審及び当審における控訴人E本人)がある。
しかしながら、証拠(乙一〇〇の一、二、一〇八の一、二)によると、中部電力
が、三六災直後に危険区域内から立ち退いた者に対する見舞金(実質的には右区域
内に存する土地についての減価補償)として支払うことになった四三〇〇万円につ
いては、その関係者の間で地区ごとに配分されることになり、天竜川治水対策委員
会が主体となって、昭和四一年五月一〇日、飯田市役所の各支所において支払われ
たことが認められるところ、右中部電力による負担の事実は、大きく新聞報道がな
されているから、仮に右控訴人らに対し、その受給資格を無視して支払がなされな
かったのであれば、右控訴人らから何らかの抗議がなされて然るべきところ、その
ような形跡を窺わせるような証拠はないので、被控訴人らの右主張を認めるには躊
躇せざるを得ない。仮に右主張が事実であるとしても、中部電力としては、長野県
知事との昭和四一年四月三〇日付け協定書(乙一九)に基づく義務を履行したもの
であり(右協定書二、三条によれば、中部電力は長野県知事に負担金を納入し、そ
の使途は長野県知事に一任することとされている。)、右控訴人らに支払われなか
ったのは、その後における何らかの手続上の理由によるものと認められるから、治
水事業としての中堤防計画自体に構造的欠陥があったと判断するのは相当でない。
次に、控訴人らは、洪水による危険区域内の農作物等の被害の補償金は、正当な損
害賠償ではなく、不十分な解決金にすぎないと主張するところ、証拠(甲一二四、
証人F、原審における控訴人E)によると、五八災において支払われた補償金は、
飯田市役所の算出した被害額のほぼ半額であった事実が認められる。
しかしながら、中部地方建設局長、長野県知事、飯田市長及び中部電力の間の昭和
四一年四月一六日付け協定書(乙二〇)の五条は、被害額のうち本件ダムとの間に
因果関係があると解される金額を中部電力が負担することを定めたものであり、そ
れ自体は当然のことと考えられる上、前記補償額についても、地形、降雨量等の自
然的諸条件と本件ダムの存在という人為的条件とを考慮しつつ、中部電力との交渉
を重ねることによって合意に至ったというのであるから、中堤防計画の合理性を損
なうものとはいえない。」
6 (洪水防止対策の合理性についての認定判断)
原判決八八頁九行目から一三行目を次のとおり改める。
「(2)次に、本件処分時において、洪水災害による被害発生の予防ないし抑制を
直接の目的として、天龍川上流域の総合治水対策としての砂防事業、治水機能を持
つダム建設、川路三地区における中堤防の建設とその堤内地の地上げ、地上げ計
画、河床堆積土砂の浚渫などの諸対策が講じられ、あるいは講じられつつあったこ
とは右1で認定したとおりである。
その結果、証拠(乙二六、二七の一ないし五、二八の一ないし四、二九の一ないし
七、九四、九九、一〇六の一、一一三、証人F)によれば、本件ダムの上流全般に
わたって河床の低下が見られ、川路地区沿いについては、ピーク時の昭和三六年七
月時点から平成四年一二月時点にかけて数メートルの河床低下となり、本件ダム完
成前の昭和一〇年一〇月時点の河床に接近している・(場所によってはそれ以下と
なっている。)こと、水位計算によっても、平成七年の川路三地区の河床は、五八
災後のそれと比較して、約一・九メートル低下していることなど、現実にも相当な
効果を上げていることが認められる。また、証拠(甲一二九、乙二五、三八、四
〇、九四、証人G、原審における控訴人E)によると、地上げ計画は、堤内地盤を
計画高水位まで底上げすることを内容としているから、結果的に築堤することなく
計画高水流量を流下させる「堀込河道方式」を採用することになるところ、右方式
は、「堤防方式」よりも、洪水による溢水時において浸水被害が格段に少なく、か
つ自然排水も容易なことから内水被害も軽減できる長所を有すること、本件水位計
算システムによれば、本件ダムによる河床上昇は、川路三地区付近で最大三・五メ
ートルと算出されたところ、地上げ計画では最大六メートルの盛土をすることにな
っているから、この意味においては、本件ダムによる河床上昇対策にとどまらず、
本来的なあるべき治水事業としての性質を有していること、本訴の元原告団長であ
ったBが検討した私案も、基本的な構想において地上げ計画と共通するものがある
こと、以上の事実が認められ、これによれば、中堤防計画に取って代わることが予
定されている地上げ計画は、本件ダムの存在による洪水被害への影響排除という目
的の達成はもちろんのこと、これを超えた総合的な治水事業あるいは洪水対策とし
ても完成度の高い合理的な施策ということができる。
もっとも、前記のとおり、行政処分の適法性の判断は、原則として当該処分のなさ
れた時点を基準としてなされるべきものであるところ、右地上げ計画は、本件処分
時においては未だ策定段階にとどまり、工事着手に至っていなかったことは控訴人
らの指摘するとおりである。
しかしながら、本件処分は、許可期限を昭和九〇年三月三一日とする、将来にわた
って効力を維持するものであるから、処分時において適法性に影響を及ぼすべき事
情が右期間中に発生することが相当の確度をもって予想される場合には、そのよう
な予想自体が右基準時において存在する判断要素として、付加的に考慮の対象とな
ると解すべきところ、本件の地上げ計画については、前記認定のとおり、本件処分
時において、建設省中部地方建設局、長野県、飯田市及び中部電力の間で基本的な
実施についての合意が成立し、川路水害予防組合も基本的にこれを受け入れるとの
決定をしていた(乙六六の二、八二の三によれば、右組合は、昭和六三年一〇月二
二日の臨時総会においても、治水対策事業の受入れ決議をしたことが認められ
る。)というのであるから、本件処分の適法性を判断するに当たり、その要素とし
て斟酌することができると解するのが相当である。現に、証拠(乙一〇五の一ない
し五、証人F)及び弁論の全趣旨によれば、実際にも盛土作業の前提となる土取場
の買収、運搬道路の建設は最終段階に至っており、川路三地区における本工事につ
いても、平成四年二月一四日に起工式が行われたことが認められる。
なお、証拠(甲一一八、一一九の一、一二〇の一、二、一二一の一、二)によれ
ば、地上げ計画策定後も「川路危険家屋組合」や「六条を守る会」から右事業実施
に対する反対の意思表示がなされていることが認められるが、反面、証人Fの証言
によれば、行政と右各団体の構成員との間における今後の意思疎通次第では右事業
の円滑な進捗が期待できると認められるから、右判断を覆すものではないと解され
る。

7 (盛土の標高に関する説明の矛盾についての判断)
原判決八九頁五行目から一三行目までを次のとおり改める。
「証拠(乙九四)によると、地上げ計画の事業完成後の盛土の標高は川路地先で三
七六・八メートルと認められるところ、工事実施基本計画に定められた時又地点の
計画高水位は、河川関係法令例規集の抜粋である乙五五には三七八・一四メートル
と記載されているのに対し、天竜川上流工事事務所の編纂誌である甲一三九には三
七六・三七と記載されていることが認められる。
しかしながら、弁論の全趣旨によれば、甲一三九の記載は転記誤りであり、原記録
ともいうべき乙五五の記載が正しいと認めれる。そうすると、上流に進むにつれて
計画高水位が高くなるから、この点に関する地上げ計画の説明には何らの矛盾もな
いということができる。」
8 (五八災の洪水痕跡水位についての判断)
原判決九二頁一三行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「この点について控訴人らは、被控訴人の前提とする五八災の洪水痕跡がどのよう
なデータからどのような方法によって導き出されたのか不明であること、現に吉川
工業株式会社事務所建物外壁に残された洪水痕跡は、久米川橋北詰盛土計画標識盛
土高より二センチメートル高くなっているという事実があるから、本件水位計算の
手法自体に問題があると主張し、甲一三六の一、二はこれに沿う内容となってい
る。
しかしながら、地上げ計画は、五八災規模の洪水に対処できるように危険区域に盛
土しようとするものであり、被控訴人が右洪水痕跡値をことさらに低く測定するこ
とは考えられないというべきであるから、乙九四の図-一三に示した数値は、洪水
痕跡のデータを基に水しぶき等による影響を排除して合理的に求めたものであると
の証人Hの証言は十分に信用できるものと判断することができる。そして、控訴人
らの指摘する吉川工業株式会社事務所建物外壁に残された洪水痕跡値についても、
果たして水しぶきや毛細管現象による影響を排除した数値であるのか、久米川橋北
詰盛土計画標識が正確に盛土高を示しているのかの各点について明らかにする的確
な証拠がない以上、甲一三六の一、二だけでは右認定判断を覆すには足りないとい
うべきである。
9 (地上げ計画の合理性に関する判断の総括)
原判決九四頁二行目の次に行を改めて次のとおり加える。
以上のとおり、治水計画の安全審査に関して、まず被控訴人が相当な根拠、資料を
示してその判断に不合理な点のないことを明らかにすべきであるとの前記立場に立
っても、本件における地上げ計画の合理性は、十分に認めることができる。」
10 (本件処分の適法性に関する判断の総括)
原判決九四頁三行目から九六頁一行目までを次のとおり改める。
「(3)右(1)、(2)において判示したところによれば、本件処分当時、本件
ダムによる河床上昇への影響はなお存在していたものの、これによる洪水被害の発
生ないし拡大を予防すべく、天竜川上流域において国により総合的な治水事業が行
われ、川路地区についていえば、一定規模までの洪水の溢水阻止とそれ以上の洪水
の場合における人命等の被害予防及び財産的損害の補償というそれ自体完結した内
容を持つ中堤防計画が実現したことにより、右影響は相当程度減少し、あるいはカ
バーされていたと認められる上、将来に生じ得る影響に対しても、洪水被害の予防
という観点からは完成度の高い地上げ計画が進捗しつつあったというのであるか
ら、本件ダムの存在が洪水被害に与える影響は、社会通念上容認できる程度に除去
されていたと判断することができる。
したがって、被控訴人が、以上のような事情に加えて、本件ダムの公益性をも総合
的に考慮、判断して本件処分を行ったことは適法というべきであり、右判断の過程
に裁量権の逸脱、濫用があったと認めることはできない。」
第五 結論
以上の次第で、控訴人らの請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由が
ないから棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条
一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 渡辺剛男 菅 英昇 加藤幸雄)
参考
本控訴審判決において付加、訂正の上、引用された原審判決部分を組み込んだ判決
の事実及び理由
原審判決が、本控訴審判決により付加、訂正されている部分には傍線を付した。
なお、引用された部分の当事者の表記は、原審判決の表記のままとした。
○ 事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決中、控訴人らに関する部分を取り消す。
2 被控訴人がした河川法二三条及び二四条に基づく左記水利使用許可処分を取り
消す。
対象河川名        一級河川天竜川
許可年月日及び許可番号  昭和六〇年三月二七日建部水第三八号
許可期限         昭和九〇年三月三一日
水利使用者        中部電力株式会社
水利使用の目的      水力発電
最大取水量        毎秒一七八・〇八六四立方メートル
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
との判決を求めた。
二 被控訴人
控訴棄却の判決を求めた。
第二 事案の概要
本件は、長野県下伊那郡<地名略>を流れる一級河川天竜川(以下「天竜川」とい
う。)に存する泰阜ダム(昭和一〇年一二月完成。以下「本件ダム」という。)に
ついて、被控訴人が、その所有者である中部電力株式会社(以下「中部電力」とい
う。)に対し、従前の水利使用許可期限が経過したことに伴い、改めて前掲水利使
用許可処分(実質は従前の水利使用許可期間の延長ないし更新。以下「本件処分」
という。)をしたところ、その上流に位置する長野県飯田市<地名略>(昭和三六
年三月三一日の飯田市編入前は、長野県下伊那郡<地名略>。以下「川路地区」と
いう。)に農地を所有する控訴人らが、本件ダムを存立せしめ、かつ水力発電に用
いる法的根拠は本件処分であるが、本件ダムの存続によって天竜川の河床が上昇
し、農地等が洪水被害を被るおそれがあるなどと主張して、本件処分の取消しを求
めたものである。
これに対し、被控訴人は、控訴人らは本件処分の取消しを求める原告適格を欠くこ
と、そうでないとしても、本件ダムは水力発電という公益事業に供されているこ
と、国によって、本件ダムによる河床上昇の影響を補って余りある種々の治水事
業、洪水対策が講じられていることから本件処分は河川法の趣旨に合致した適法な
ものであるなどと主張して右請求を争っているが、控訴人らは、右洪水対策につい
ては安全性が確認されていないなどと反論している。
原審は、控訴人らの原告適格を認めたが、本件処分の適法性を肯定し、控訴人らの
請求を棄却した。
一 当事者間に争いのない事実等は、次のとおり訂正するほか、原判決「事実及び
理由」欄の第二の一記載のとおりであるから、これを引用する。
〔訂正の上、引用された原審判決部分〕
第二 事案の概要
一 争いのない事実等
1 泰阜ダム(以下「本件ダム」という。)は、長野県下伊那郡<地名略>内の一
級河川天竜川(以下「天竜川」という。
)に存する、高さ五〇メートル、長さ一四二・九五メートルの直線重力式コンクリ
ートダムで、昭和一一年以降水力発電に使用されてきた。
本件ダムの今日に至る経緯は、次のとおりである。
(一) 大正一四年三月   長野県知事が、天竜川電力株式会社に対し、水利使
用許可処分をした。
(二) 昭和六年八月    矢作水力株式会社が、天竜川電力株式会社の権利義
務を承継した。
(三) 昭和七年二月    長野県知事が、矢作水力株式会社に対し、水利使用
計画の変更許可処分(期限は昭和三〇年三月二七日)及び本件ダムの設置許可処分
をした。
(四) 昭和七年一一月   矢作水力株式会社によって本件ダムの建設が開始さ
れた。
(五) 昭和一〇年一二月  本件ダムが完成した。
(六) 昭和一一年一月   本件ダムにおける発電が開始された。
(七) 昭和一六年一〇月  日本発送電株式会社が矢作水力株式会社の権利義務
を承継し、本件ダムは、日本発送電株式会社の所有となった。
(八) 昭和二六年五月   中部電力株式会社(以下「中部電力」という。)が
日本発送電株式会社の権利義務を承継し、本件ダムは、中部電力の所有となった。
(九) 昭和三〇年二月   長野県知事が、中部電力に対し、水利使用の期限伸
長許可処分(期限は、昭和六〇年三月二七日)をした。
2 被告は、昭和六〇年三月二七日、第一記載の水利使用許可処分(以下「本件処
分」という。)をした。本件処分は、河川の流水を占用することを河川法(以下
「法」という。)二三条に基づき許可する処分と河川区域内の土地を占用すること
を法二四条に基づき許可する処分とからなり、これらの占用の目的は、流水を既設
の本件ダムに貯留して取水し水力発電を行うことである。
3 控訴人らは、川路地区に所在する原判決添付の図面中赤線で囲まれた区域(後
述の飯田市災害危険区域に関する条例により第一種災害危険区域に指定された部
分)内に農地を所有している。すなわち、控訴人Aは、BとC(昭和二三年に婚
姻)との長男であり、昭和六〇年一一月二一日にBか死亡したことにより、その所
有にかかる農地約一町歩五反(うち右区域内の面積約一町歩)をCと共同相続し
た。右農地では、現在、りんこ、米、野菜などが栽培されている
控訴人Dは、昭和四五年に旅館業に転ずるまでは養蚕に従事していたものであり、
昭和二一年に父親からその所有にかかる農地約三反五畝(うち右区域内の面積約三
畝)を相続し、現在、里芋を栽培している。
控訴人Eは、昭和一三年に父親が戦死したことに伴い、その所有する農地約一〇反
(うち右区域内の面積約三反)を家督相続し、現在、柿、野菜などを栽培してい
る。
4 昭和四一年から、いわゆる中堤防計画が実施された。これは、(一)天竜川に
毎秒二〇〇〇立法メートルを超える流量の洪水が発生した場合には越流する高さの
堤防を建設すること、(二)越流によって浸水すると想定される区域を危険区域に
指定して、住居の用に供する建物等の建築を禁止するとともに、危険区域内に存す
る家屋を移転させること、(三)危険区域が洪水によって浸水し、農作物等に被害
が発生した場合は、本件ダムに関係する被害額を算定し、中部電力が、補償金を関
係者に支払うことを内容とするものである(以下、これを「中堤防計画」とい
う。)。この計画の実施に伴い、昭和四一年三月に建築基準法三九条に基づき飯田
市災害危険区域に関する条例(以下「条例」という。)が制定された。条例によ
り、別紙図面の赤線で囲まれた区域は、洪水災害の危険があるとして、第一種災害
危険区域に指定され、住居の用に供する建築物を建築することは禁止された(以
下、右区域を「本件危険区域」という。)。また、本件危険区域内に存する家屋は
すべて移転した。したがって、原告らは、本件危険区域内に住居を有しない。さら
に、右(三)の補償は、中部地方建設局、長野県、飯田市及び中部電力の間で、昭
和四一年四月一六日付けで、その旨の協定を締結し、これに基づいて行われること
となった。
(以上の事実のうち、1、2及び4の各事実は、当事者間に争いがなく、3の事実
は、証拠(甲八六、八七、九六、九七)及び弁論の全趣旨により、認められる。)
〔引用部分終了〕
二 争点(及びこれに関する当事者の主張)は、次のとおり付加、訂正するほか、
原判決「事実及び理由」欄の第二の二記載のとおりであるから、これを引用する。
〔付加、訂正の上、引用された原審判決部分〕
二 争点
1 原告らの本件処分の取消しを求める原告適格
(一) 原告らの主張
(1) 本件ダムが合法的に存在している根拠は、法二三条及び二四条による本件
処分である。そのことは、次の河川法の規定の沿革等から明らかである。
(ア) 昭和四〇年四月一日に廃止された河川法(以下「旧河川法」という。)一
七条は、次のように規定していた。
「左ニ記載スル工作物ヲ新築、改造、若ハ除去セムトスル者ハ地方行政庁ノ許可ヲ
受クベシ
一 流水ヲ停滞セシメ若ハ引用シ又ハ流水ノ害ヲ予防スル為ニ施設スル工作物
二 河川ニ注水スル為ニ施設スル工作物
三 河川ノ区域内ニ於テ敷地ニ固着シテ施設スル工作物又ハ河川ニ沿ヒ若ハ河川ヲ
横過シ若ハ其ノ床下ニ於テ施設スル工作物」
(イ) 同法一八条は、次のように規定していた。
「河川ノ敷地若ハ流水ヲ占用セムトスル者ハ地方行政庁ノ許可ヲ受クヘシ」
(ウ) 右一七条と一八条との関係については、「第一八条の許可は、工作物を施
設すると否とにかかわず、流水又は敷地を排他的独占的に継続して使用する場合
に、流水又は敷地を占用する権利を設定するものである。これに対し、第一七条の
許可は、第一八条によって得られた権利に基づき、その目的達成のためにされる工
作物の新築、改築等の行為につき、公物管理上又は公物警察上支障の有無を検討
し、禁止を解除する行為である。」と解されていた。
(エ) 右旧河川法一七条は現行河川法二六条となり、一八条は現行河川法二三条
と二四条に規定されることになった。そして、現行河川法の解釈としても、法二三
条及び二四条の許可はいずれも右のとおり権利を設定する行為であるのに対し、法
二六条の許可はこれらと異なり一般的な禁止を解除するものであって、権利を設定
するものでない。
被控訴人は、本件ダムを存続せしめているのは、法二六条の許可処分であると主張
するが、右許可は工作物の新築等を許容するだけであり、土地を使用、占有する権
原を与えるものではないから、河川管理者以外の者が管理する土地については、別
の契約により使用、占有する権利を取得し、その他の土地については法二四条の許
可を受ける必要がある。よって、本件ダムの存続を許容しているのは、本件処分で
ある。
(オ) ダムが合法的に存在するためには、流水及び土地を占用する権原がなけれ
ばならないが、それは、右のとおり法二三条及び二四条に基づく許可によって与え
られるのであるから、本件ダムの存在を合法的ならしめているのは、本件処分にほ
かならない。
(2) 原告らは、次のとおり、本件処分の取消しを求める原告適格を有する。
(ア) 抗告訴訟の趣旨、目的が国民の権利又は法律により保護された利益を救済
することにあることに鑑みると、原告適格が認められるための「法律上の利益」と
は、「民商法その他の法律や慣習法により保護された権利をはじめ、処分の根拠法
のみならず、他の法令を含んだ法制度全体の趣旨、目的又はその個別条項により保
護された利益」と解すべきである。
(イ) 原告らは、本件処分に基づき本件ダムが存在することにより、本件ダムの
上流部の河床上昇に起因する洪水被害によって、土地所有権又は耕作権を、現に侵
害され、将来も侵害されるおそれがある。土地所有権又は耕作権は、民法に根拠の
ある「厳密な意味での権利」である。したがって、原告らは、本件処分の取消しを
求める原告適格を有する。
(ウ) 旧河川法は、ダム防災に関する規定を欠いていたが、長野県知事は、右一
1(一)の許可処分をするに際し、天竜川電力株式会社に対し、「沿岸に対して
は、本事業に起因して生じる損害を防止するに足るべき堤防築設等相当の工事をす
べし」、「損害を蒙る者あるときは、その損害の限度により相当の補償をすべし」
と命じた。また、本件ダム完成後、立て続けに洪水が起ったので、昭和二一年七
月、長野県知事は、いわゆる「厳達命令」により、日本送発電株式会社に対し、
「本件ダムによって上昇した河床を二メートル以上浚渫すること」を命じた。さら
に、昭和三二年に、長野県は、「泰阜ダム災害補償審議会条例」を制定し、これに
基づき同審議会が置かれ、次いでこの審議会の答申に応えて、「ダム撤去に代わる
くらいの恒久対策」を実施するため、「泰阜ダム対策審議会条例」が制定され、こ
れに基づき同審議会が置かれた。
(エ) 旧河川法が廃止され、現行の河川法が制定された目的の一つは、ダム防災
に関する規定整備の必要にあった。
法一六条三項は、「河川管理者は、工事実施基本計画を定めるに当たっては、降雨
量、地形、地質その他の事情によりしばしば洪水による災害が発生している区域に
つき、災害の発生を防止し、又は災害を軽減するために必要な措置を講じるように
特に配慮しなければならない。」と規定している。
また、法は、第二章第三節第三款に「ダムに関する特則」を設け、法四四条一項
は、「ダム・・・を設置する者は、当該ダムの設置により河川の状態が変化し、洪
水時における従前の当該河川の機能が減殺されることとなる場合においては、河川
管理者の指示に従い、当該機能を維持するために必要な施設を設け、又はこれに代
わるべき措置をとらなければならない。」と規定し、同条二項は、「前項の河川管
理者の指示の基準は、政令で定める。」と規定している。これを受けて、河川法施
行令二四条一項は、「当該ダムの設置に伴う上流部における河床又は水位の上昇に
より災害が発生するおそれがある場合においては、必要に応じ、堤防の新築又は改
築、低地の盛土、河床のしゆんせつ、貯水池末端付近における自然排砂を促進させ
るための予備放流その他これらに類する措置を行わせること。」と規定している。
さらに、「河川法第二章第三節第三款(ダムに関する特則)等の規定の運用につい
て」と題する昭和四一年五月一七日付け建河発第一七八号各都道府県知事及び各地
方建設局長宛河川局長通達は、「当該ダムの上流に生ずべき堆砂が原因となって災
害が発生するおそれがないように、その対策として十分の余裕を見込んだ計画が作
成されるように申請者を指導すること。」「毎年度、当該ダムの設置者から、その
上流の堆砂の状況に関する報告を徴し、これによって災害が発生するおそれがない
かどうかを検討すること。」と規定しており、昭和四三年二月一七日付け建設省訓
令第二号「ダム検査規程」も、第四条(定期検査)に、「上流において堆砂等によ
る河床又は水位の上昇がないかどうかを観測記録により確認すること。」と規定し
ている。
これらは、いずれもダムについて、法一条にいう「洪水の予防」の目的を達成する
ための具体的措置を定めている規定であり、ダム上流の沿岸住民を洪水から保護す
る目的を持つものにほかならない。
(オ) 右(ウ)、(エ)で述べたとおり、法は、ダムの存在によって生ずる上流
部の河床上昇に起因する洪水被害を受けるおそれのある者について、他の一般国民
が受ける利益とは区別される、特別な、個人的、具体的な利益を保護しているとい
うことができる。したがって、原告らは、本件ダムを合法的に存在させている本件
処分の取消しを求める原告適格を有する。
(二) 被告の主張
(1) 取消訴訟の原告適格を有するためには、「当該処分・・・の取消しを求め
るにつき法律上の利益を有する者」(行政事件訴訟法九条)であることが必要であ
る。この「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利若しくは法
律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者をいう。し
たがって、取消訴訟の原告適格を有するためには、原告らの主張する権利、利益
が、当該処分の根拠規定によって保護されていなければならない。
そして、原告らの主張する権利、利益が、当該処分の根拠規定によって保護されて
いるかどうかを判断するに当たっては、根拠規定のほか、根拠規定のある法規及び
関連法規の目的規定並びに関連規定及びその沿革を考慮して、法の目的、当該処分
を行うに当たって審査すべき事項、第三者の手続的関与の有無や程度などを総合的
に検討し、根拠規定の趣旨、目的を明らかにした上、当該処分を通して保護しよう
としている利益の内容、性質等をも考慮して、判断されるべきである。この場合検
討の対象とされるべき法規には、政令以下の下位法規は含まれないと解すべきであ
る。
(2) そこで、右のような観点から、原告らの原告適格について述べると、次の
ようになる。
法二三条及び二四条には、ダムの存在による上流部の河床上昇に起因する洪水被害
との関係で、ダム上流の沿岸住民の生命、身体、財産を個別的利益として保護する
趣旨の文言はない。
法一条は、「この法律は、河川について、洪水、高潮等による災害の発生が防止さ
れ、河川が適正に利用され、及び流水の正常な機能が維持されるようにこれを総合
的に管理することにより、国土の保全と開発に寄与し、もって公共の安全を保持
し、かつ、公共の福祉を増進することを目的とする。」と規定しているが、これ
は、洪水などの予防、河川の適正な利用、流水の正常な機能の維持を図るべく河川
を総合的に管理することによって、公共の安全を保持し、公共の福祉を増進するこ
とを、一般的、抽象的に定めたものである。
法は、水利使用に関し、二三条又は二四条の許可の申請があった場合には、建設大
臣は、原則として、関係行政機関の長に協議し(法三五条一項)、関係都道府県知
事の意見を聴かなければならない(法三六条一項)としている。また、法は、二三
条の許可の申請については、河川管理者に、関係河川使用者への通知を義務付け
(法三八条)、関係河川使用者には、意見の申出を認め(法三九条)、申出のあっ
た関係河川使用者が損失を受ける場合には、原則としてその同意を要するとしてい
る(法四〇条)。しかし、法は、沿岸住民が二三条又は二四条の許可の手続に関与
する規定を置いていない。
そのほか、法には工事実施基本計画に関する規定(法一六条)やダムに関する特則
(法四四条以下)があるが、いずれも法二三条及び二四条の処分との直接の関連性
はない。
したがって、法二三条及び二四条の処分に当たっては、洪水による災害の発生防止
を、「公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進する」(法一条)ために、す
なわち、一般的公益を守るために考慮しなければならないが、それ以上に、洪水被
害を被る可能性のある沿岸住民個々人の個別的利益を保護しているわけではない。
(3) 仮に法二三条及び二四条が、沿岸住民個々人の何らかの個別的利益を保護
しているとしても、次のとおり、ダムの存在による上流部の河床上昇に起因する洪
水被害との関係で、ダム上流の沿岸住民の生命、身体、財産を個別的利益として保
護しているわけではない。
すなわち、法二三条の許可処分は、流水を一定量排他的に使用する権利を与えるも
のに過ぎず、それ自体は何らダム等の工作物の設置、存続を法的に根拠付けるもの
ではない。また、法二四条の許可処分は、特定の者(申請者)に対し、排他的に土
地を使用することを許可する処分に過ぎず、法二四条の許可それ自体は、申請者が
当該土地上にいかなる工作物を設置するかについては直接関知しない。
したがって、仮にダムの存在により水害が発生するおそれがあるとしても、法二三
条及び二四条の許可処分により、沿岸住民の権利、利益が侵害されるわけではな
い。ダムという工作物の設置は、法二三条及び二四条の許可の対象ではなく、法二
六条の許可の対象であり、同条の許可の法律上の効果として設置が認められるので
ある。
右に述べたように、本件ダムを存続せしめている根拠か法二六条に基づく許可処分
であることは、法二四条の許可は河川区域内の一定範囲の土地を排他的に占有する
権利を付与するにすぎず、工作物の伴わない形態での土地の排他的占有(例えば河
川敷に設けられた公園)が存在すること、法二六条の許可は、当該工作物の目的、
設置場所、工作物の名称又は種類、工作物の構造又は能力、工事の実施方法及び工
期等を審査した上でなされるのであり、仮に法二四条の許可が取り消されても、工
作物によってはその除去によって河川管理上の支障を生ずることもあるため、設置
だけでなく除去をも許可の対象にかからしめていることなどから明らかである。
(4) 仮に、ダムの存在による洪水被害との関係で、ダム上流の沿岸住民の生
命、身体、財産が法二三条及び二四条によって保護された利益と解し得る余地があ
るとしても、取消訴訟の原告適格を有する者は、災害により直接的かつ重大な被害
を受けると想宗される者に限られるべきである。
本件では、原告らは、想定される水害の危険のある地域に居住する者ではなく、原
告らの生命、身体及び重要な財産である住居は水害によって被害を受けない。ま
た、原告らが所有する土地が洪水被害を被るとしても、それは宅地以外の土地であ
る上、本件ダムが存在することによる水害の被害は補償されることになっているの
であるから、結局水害によって重大な被害を被るとはいえない。
したがって、原告らは、想定される水害によって直接的かつ重大な被害を被る者で
はなく、本件処分の取消訴訟の原告適格を有する者の範囲に含まれない。
2 本件処分の適法性
(一) 被告の主張
(1) 天竜川の特性等
(7) 天竜川流域の概要
天竜川は、狭窄部と氾濫原とが交互に存在するという地形的特性を有しているた
め、洪水が生じやすい。天竜川の上流域は、風化、浸食に弱い地質構造になってお
り、標高差の大きい急峻な地形と相まって、洪水時には、大量の土砂を含んだ水が
一気に天竜川を流下し、随所で氾濫する。天竜川は、古来から「暴れ天竜」の異名
を持つほど、住民に恐れられてきた。
(イ) 天竜川流域における洪水
天竜川流域の伊那谷は、古来からたび重なる洪水被害を受けてきた。近年の顕著な
洪水を挙げただけでも、昭和二〇年一〇月、昭和二五年六月、昭和二八年七月、昭
和三二年六月、昭和三六年六月、昭和四五年六月、昭和五七年八月及び昭和五八年
九月と数多く発生しているが、このうち特に被害が大きかったのは、昭和三六年六
月の洪水(以下「三六災」という。)と昭和五八年九月の洪水(以下「五八災」と
いう。)である。
(ウ) 飯田市川路、龍江及び竜丘の三池区(以下「川路三地区」という。)にお
ける洪水被害
川路三地区は、上流を鵞流峡、下流を天竜峡という二つの狭窄部に挟まれた、天竜
川の氾濫原にあるため、洪水被害を受けやすい地形になっている。そのため、川路
三地区は、古来から洪水の常襲地であった。
平坦部の田園は毎年のように冠水・浸水しており、一度豪雨となれば、一帯は湖水
となってしまっていた。川路三地区付近において、天竜川の川筋は、絶え間なく変
遷しているが、このことは、川路三地区が洪水の常襲地であったことを示してい
る。
三 六災は、伊那谷災害とも称され、川路地区の被害は、流失全壊家屋七九戸、半
壊家屋四五戸、床上浸水五三戸、床下浸水四八戸であり、そのほか農地等にも被害
をもたらした。一方、五八災では三六災とはぼ同程度まで浸水したが、天竜川上流
域における治山治水施設の整備と、後述する中堤防計画の完了により、家屋の浸水
被害はなかった。
(エ) 森林の荒廃
伊那谷の森林(山林)は、一六世紀ころから現在まで約五〇〇年の間に四度にわた
る濫伐があり、そのうち最も至近なものは「昭和二〇年第二次世界大戦終戦前後の
約二〇年間」の濫伐といわれている。
一般に、森林(山林)の伐採によって生じた樹木の根茎は、一〇年から一五年程度
を経ると腐敗し、それによって従前有していた大地に対する緊縛作用が衰える。そ
のため、森林(山林)の伐採が行われたところが、大雨に見舞われると、表層型の
山林崩壊が生ずることになり、山林崩壊は、河川に多量の土砂を流出させることに
なる。
濫伐によるこのような山林崩壊の多発が、川路三地区を含めた伊那谷の天竜川の河
床上昇に影響を与えている。
(オ) 大雨の多発
本件ダム上流の天竜川流域における明治四四年からの降雨記録によると、大正時代
と本件ダム建設以前の昭和初期は洪水になるような降雨が少なかったことが分か
る。すなわち、二日雨量一五〇ミリメートル以上の日数は、明治四四年から昭和一
〇年の二五年間ではわずかに三回であるのに対し、昭和一一年から昭和五八年の四
八年間には一一回となっており、本件ダム建設後に洪水を招来するような大雨が多
発していることがうかがわれる。
(2) 天竜川上流域の治水対策
(ア) 工事実施基本計画
現在、我が国の一級河川においては、法一六条に基づき、各水系ごとに工事実施基
本計画が定められ、これを将来目標として治水事業が実施されている。天竜川水系
工事実施基本計画は、昭和四〇年四月一日から現行の河川法が施行されたことに伴
い、従前の計画を基に昭和四〇年四月二八日付けで決定された。これにおいては、
既往の洪水に加え、三六災の出水の実態等に基づいて計画高水流量を決定した。
すなわち、天竜川の基準地点である天竜峡地点における基本高水のピーク流量を、
毎秒四三〇〇立方メートル(約五〇年に一回程度の洪水流量)とし、このうち美和
ダム及び小渋ダムにより毎秒一一一〇立方メートルの洪水調節を行い、計画高水流
量を、毎秒三一九〇立方メートルとするものであった。
その後、流域内における社会経済の変化などから安全度を大幅に向上す必要が生
じ、そのためと天竜川水系の上下流を一貫した計画にするために検討を重ね、昭和
四八年度に全面的に改定を行った。改定内容は、天竜峡地点で年超過確率一〇〇分
の一の計画雨量に対する基本高水のピーク流量を毎秒五七〇〇立方メートルとし、
上流ダム群で毎秒一二〇〇立方メートルを調節することとして、計画高水流量を毎
秒四五〇〇立方メートルとしたものである。なお、これは天竜川の治水事業の長期
目標であって、当面の河川改修の整備水準は、戦後の最大洪水である昭和五八年災
の洪水流量毎秒約三八〇〇立方メートル(天竜峡地点)を安全に流下させることを
目標としている。
(イ) 天竜川の河川改修事業
天竜川流域では、古くから、洪水被害を軽減するため、堤防等を築いてきた。
建設省は、昭和二二年から河川工事の必要箇所ごとに工事を実施していたが、昭和
二八年に、美和ダムの建設を含む総体計画を樹立し、築堤護岸工事の促進を図っ
た。三六災を契機に工事箇所の数も増え、堤防や護岸等が急速に整備された。
昭和四〇年の現行河川法の施行に伴い、姑射橋から上流五四・六キロメートルが建
設省の直轄区間となった。その後、直轄区間は増え、一二六・七八キロメートルと
なっている。
(ウ) 砂防・地すベり対策事業
天竜川の治水における砂防事業の重要性は古くから認識され、砂防工事が行われて
きたところであり、特に荒廃の激しかった小渋川については昭和一二年から、三峰
川については昭和二六年から国の直轄砂防事業を実施してきた。その後、国が直轄
砂防事業を行う対象区域は拡大し、その面積は、一三三二平方キロメートルにも及
んでいる。これは、天竜川上流域(長野県域9の流域面積の約三分の一にも達する
ものである。国(建設省)が、平成四年度末までに完成させた砂防施設は、砂防ダ
ム一三八基、床固工一〇箇所、流路工二箇所、護岸工一二箇所及び導流堤一箇所で
あり、これに農林水産省の施工による治山事業及び長野県の施工による砂防及び治
山事業の施設を加えれば、膨大な数となる。
さらに、天竜川上流域における中央構造線等の断層上に分布する地すベり地につい
ては、昭和六三年から二地区で、国の直轄地すべり対策事業に着手している。
(エ) ダム事業
天竜川水系における既設の建設省直轄のダムとしては、三峰川に設置されている美
和ダム(昭和三四年一一月完成)、小渋川に設置されている小渋ダム(昭和四四年
五月完成)があり、現在建設中のダムとしては、三峰川の戸草ダムがある。
そのほか治水機能を有している長野県の施工によるダムとしては、飯田松川の松川
ダム(昭和五〇年三月完成)、横川川の横川ダム(昭和六二年三月完成)、片桐松
川の片桐ダム(平成元年三月完成)及び沢川の箕輪ダム(平成四年九月完成)があ
る。
ところで、ダムの洪水調節機能を損なう要因となるのは、貯水池内に流入してくる
土砂の堆積であるが、これら多目的ダム(右のダムのうち、治水ダムである横川ダ
ムを除いたもの)における貯水池容量配分計画では、貯水池の下から堆砂容量、利
水容量(発電及び潅漑容量等)、治水容量(洪水調節容量)となっており、治水容
量は、ダムの総貯水容量の一番上に位置し、堆砂の影響を一番受けにくいところに
設定してある。
また、美和ダムでは、浚渫等により堆積土砂の排除を行い、貯砂ダムの建設も行っ
ている。そのうえ、ダムの従来の機能を増大し、堆砂を抑制するため、建設省の直
轄事業として我が国初のダムリフレッシュ事業である美和ダム再開発事業が進めら
れている。この事業は、従来のダム機能を維持するとともに新たな治水・利水容量
を確保するため、堆積土を掘削するとともに、堆砂を抑制するため貯水池の上流端
に堰及び洪水バイパスを設置し、下流河道に影響を与えない範囲で土砂を洪水とと
もに排砂する事業である。小渋ダムでも、美和ダムと同様に、ダムの貯水池機能の
維持を図るため、貯砂ダム(現在二基完成している)を設けて貯水池内への土砂流
入を防ぎ、掘削機械による砂利採取を行っている。
(3) 川路三地区の治水対策
(ア) 大堤防計画
建設省は、三六災後、堤防高が堤内地盤からおおむね一〇メートル、堤防敷幅が六
〇~七〇メートルの大堤防を、右岸はJR飯田線の前面に、左岸は竜江地区の御庵
地内に築造する、いわゆる大堤防計画を立案した。しかし、大堤防計画について
は、地元の関係者から、この堤防計画では潰地が多く、農地の減少により農業経営
が破綻する旨の意見が出されたため、この計画を中堤防計画に変更し、これを実施
した。
(イ) 中堤防計画
中堤防計画は、次の三点から成り立つものである。
(a) 越流堤を築造する。
越流堤は、在来の堤防を川表の小段とし、毎秒二〇〇〇立方メートルを超える流量
の洪水が発生した場合には越流する高さの堤防である。右の毎秒二〇〇〇立方メー
トルという数量は、三六災に次いで大きな洪水であった昭和二〇年一〇月の洪水に
おける天竜峡地点の洪水流量毎秒約二七〇〇立方メートル(約一〇年に一回程度の
洪水流量)を基に、美和ダム、小渋ダムの調節効果を見込んで、算出された数量で
ある。
越流した場合に、堤防天端と堤内地の高低差が大きいと、堤防法面及び堤脚部が洗
掘される。また、越流して堤内地に浸水した水は、本川の水位低下と共に排水樋管
(新設)から本川に排出されるが、堤内地に排水路以外の低地部が存在すると、そ
の部分に排水が集中して流れるため耕地が洗掘される。さらに、当地区には大小の
支川が流入しており、本川の水位上昇に伴い内水被害も生じる。したがって、越流
した場合の堤防及び堤内地の被害を最小限にとどめるとともに内水被害を軽減する
ため、堤内地に〇・五~六・四メートルの地上げを行った。
(b) 危険区域を指定し、危険区域内の住居の用に供する建物等の建築を制限す
るとともに、危険区域内に存する家屋を移転する。
飯田市は、建築基準法三九条に基づき、条例により、三六災の浸水した区域にほぼ
相当する区域を危険区域に指定した。この危険区域は、危険度に応じ第一種災害危
険区域と第二種災害危険区域とに分類され、第一種災害危険区域内においては、住
居の用に供する建築物を建築してはならない。
危険区域内に存する家屋約五四戸を危険区域外に移転することとしたが、これにつ
いては、長野県と中部電力とが昭和四一年四月三〇日付けで協定を締結し、これに
基づき、移転に要する費用を中部電力が支出し、その移転に要する事務を長野県が
実施した。
(c) 危険区域内で洪水による被害が発生した場合は補償する。
中部地方建設局、長野県、飯田市及び中部電力の間で、昭和四一年四月一六日付け
で協定を締結し、危険区域が洪水によって浸水し、農作物等に被害が発生した場合
は、本件ダムに関係する被害額を算定し、中部電力が、補償金を関係者に支払うも
のとした。
(ウ) 川路三地区に対する補償
本件ダムの竣工以来、水害が発生した場合、その時々の電力会社は、そのすべてが
本件ダムの影響とは考えていなかったようであるが、円満な解決を望み、その都度
対処してきた。
なかでも、三六災に関しては、中部電力は、被災直後に移転した家屋二一九戸(う
ち川路地区は一二〇戸)の移転補償費等、合計三億七〇〇〇万円を支出し、さら
に、右危険区域内に存する家屋約五四戸の移転費用及び移転後土地が宅地として使
えないことによる減価補償並びに被災直後に家屋を移転した者に対する見舞金(実
質は減価補償の趣旨である)等、合計一億六八〇〇万円を支出した。
また、農作物等の被害に対する補償金として、昭和四五年災害については二二〇〇
万円、五八災については一億八五五〇万円がそれぞれ支払われた。
(エ) 地上げ計画
(a) 経緯
昭和五一年中央自動車道の名古屋から伊那谷北部までの間が供用開始された。それ
により、伊那谷の物流の搬送は飛躍的な発展を遂げた。また、伊那谷は木曽山脈、
赤石山脈、天竜峡等の観光資源を有することから、観光客の流入も増えた。昭和五
七年中央自動車道の全面供用開始により、伊那谷地域はさらに産業、文化の発展に
拍車がかかることとなった。
そして、このような社会環境の変化とともに、土地利用の見直しの気運が高まり、
危険区域指定の撤廃が強く望まれるようになった。そこで、中部地方建設局、長野
県、飯田市及び中部電力の間で協議した結果、計画高水位まで盛土することを主た
る内容とする事業(以下これを「地上げ計画」という。)を実施することとなっ
た。
(b) 河道計画
地上げ計画における河道計画は、次のとおりである。
(1) 対象流量
地上げ計画における整備水準は、戦後の最大洪水流量である五八災の毎秒約三八〇
〇立方メートル(天竜峡地点)を安全に流下させることを目標とする。
(2) 法線の設定
河道を決めるための法線(通常は堤防の川表眉を結んだ線、この場合は盛土の肩を
結んだ線)については、洪水時における流水の方向や水衝りの位置、河道の現況、
三六災での河岸の崩壊状況や土砂の移動状況、模型実験結果を勘案して、決定し
た。
(3) 縦横断形の設定
右(2)のとおり設定された法線に対応して、右(1)の対象とする流量を計画高
水位以下で流下させるために、河道の縦横断形を設定した。計画高水位は、工事実
施基本計画に定められた時又地点の計画高水位に対応し、かつ五八災の洪水痕跡値
を包絡する高さとした。
本件ダムから川路三地区までの河床は、三六災後に最も堆砂が進行したが、その後
は砂防事業等によって流域からの土砂の流出が抑制され、大洪水時に上昇するもの
の、その後の中小洪水により徐々に低下することを繰り返しながら年々低下してき
ている。したがって、地上げ計画における河床の縦断形は、戦後最大洪水を受けて
近年で最も高くなった五八災後の河床とした。
横断形については、五八災後の断面(河床)を基に、川路三地区については、右
(2)の法線より山側の区域を計画高水位の高さまで盛土する計画とした。
(4) 安全性
地上げ計画では従来洪水が氾濫していた部分を盛土することになるが、この盛土部
分は、洪水時にいわゆる死水域となる部分であり、洪水が流下する有効断面を侵す
ことにはならず、また、洪水の主流部と死水域との間の流れの乱れが無くなること
により、エネルギーの損失が小さくなって、洪水の主流部の流速が増すため、水位
はほとんど変わらない。
また、河川の横断形状を概念的に分類すると 計画高水位力堤内地盤より高く 堤
防を築造することによって計画高水流量を流下させる堤防方式による河川と 計画
高水位力堤内地盤以下であり 堤防を築造することなく計画高水流量を流下させる
堀込河道方式による河川とがあるところ、本件の地上け計画は、堤内地盤を計画高
水位まで盛り土するものであり、結果的に後者の方式をとることになる。
そして、前者では、計画を超える異常洪水に対し、破堤などの場合に一度に多量の
水か堤内地に侵入することになり、被害が甚大となるが、後者では、一度に多量の
水が堤内地に侵入することはないし、内水被害についても、堤内地盤を高くするこ
とにより内水の湛水時間も短くなるので軽減されるという長所がある。
(c) 地上げ計画の効果
地上げ計画は、右(イ)(b)の危険区域内への洪水被害のおそれをなくすことを
目的として、立案されている。したがって、地上げ計画の盛土が完成した所から、
逐次右危険区域の指定は解除されることになる。また、地上げ計画の盛土高は、本
件ダムの影響分を超えている(川路三地区で本件ダムが存在することによる水位の
差は、最大三・五メートルであるが、盛土高は、これを上回る。)ので、地上げ計
画の実施によって、本件ダムの影響は排除される。したがって、右(イ)(c)の
危険区域内で洪水被害が発生した場合の損失補償についても、盛土が完成した所か
ら逐次除くことになっている。
(d) 地上げ計画の実施状況
地上げ計画を実施するためには、盛土に使用する土砂の土取場の確保及びその土砂
を搬出する運搬道路の建設等の準備工事と盛土等の本工事が必要であるが、準備工
事は、かなり進展している。また、盛土等の本工事は、平成四年二月一四日に、起
工式を行い、既に事業に着手している。
(4) 河床低下
川路三地区・天竜峡付近における天竜川の河床は、右(2)(ウ)で述べた砂防・
地すベり対策事業等及び次に述べる堆積土砂の排除によって、全体的に低下してい
ることは明らかである。
(ア) 堆積土砂の排除
天竜峡下流の阿知川合流点において、昭和五九年一二月から、財団法人飯田市天竜
川環境整備公社による河床推土排除のための砂利採取が行われている。その許可量
は年間約一〇万立方メートルにも及び、平成四年三月三一日での許可量の合計は八
六万八〇〇〇立方メートルに達している。その結果、平成七年河床と昭和五八年一
二月河庄基にした水位計算結果とを比較すると、約一・九メートルの水位低下が見
られる
そのほか、川路三地区の天竜川の河道において、従前から砂利採取業者によって年
間数万立方メートルの砂利採取が行われてきており、河床低下に寄与している。
さらに、昭和六三年度から、建設省天竜川上流工事事務所は、川路三地区におい
て、河道整正工事により土砂の排出を行っており、その掘削量は、平成四年度末で
合計約八万立方メートルとなっている。
(イ) 河床低下の状況
天竜川の河道において、河床低下が進んだという実現象が見られる事例として、天
竜川の天竜橋下流右岸で合流する新川と本川との河床の差が挙げられる。三六災当
時、河床の差はほとんど無かったが、本川の河床が低下した結果、平成元年度は約
三メートルの差が生じており、合流点において支川の流水は、本川に向けて滝のよ
うに流れ落ちている。
また、阿知川合流点上流の本川河床は、天竜川公社による堆積土砂の排除の着手以
来低下を続け、平成元年度までに新川合流点と同様約三メートル低下している。
天竜峡においても、死人岩、烏帽子岩、姑射橋下の岩、仙状磐等の奇岩が、平水位
において昔の面影を現しつつあり、河道内に突き出ている岩等が舟下りにとって危
険であるとして、舟下り会社が関係行政庁の許可を得て岩の一部を取り除いたほど
である。
(5) 本件ダムの公共性
本件ダムに設けられている泰阜発電所は、その建設以来、今日に至るまで、貴重な
電力源として、長年にわたって発電を継続し、昭和五八年七月二〇日には、発電電
力量の累計は一〇〇億キロワットに及んだ。また、泰阜発電所の平成元年の発電実
績二億七六〇〇万キロワットは、飯田市の年間電力需要の約七三パーセントに相当
している。このように、泰阜発電所は、電力供給を通じて社会に貢献してきたので
あり、泰阜発電所ひいては本件ダムの公共性は極めて高いというべきである。
(6) 本件処分と裁判所の審査の方法
法二三条、二四条の各許可は、その処分要件が法に明示されていない上、これら
は、講学上の「特許」に当たる。
また、法二三条の許可をするに当たって、河川管理者は、申請者がその事業を適正
かつ確実に遂行すべき意思、資力及び技術的能力を有しているかどうか、その事業
が国民経済上又は国民生活上有効であり、公共の福祉の増進に資するものであるか
どうかなど諸般の事情を審査する必要がある。特に、最近では、国が河川総合開
発、地域開発、産業立地など利水に関係のある計画又は構想を立てており、これら
の計画又は構想に沿った調整をする必要にも迫られている。
法二四条の許可をするに当たっても、法二三条の許可と同様に占用目的の公共性等
諸般の事情を審査する必要がある。さらに、河川区域の土地は、本来一般公衆の自
由な使用に供されるべきものであるから、この公共用物としての本来の利用の実現
との各種の調整も必要となる。
以上述べたところからすると、法二三条、二四条の各許可は、河川管理者に広い裁
量権が付与された処分であるということができる。
このように、河川管理者が、法二三条、二四条に基づく処分をするについて広い裁
量権を有することは、当初の許可処分の場合と本件処分のように実質的に許可期間
の更新の牲質を有する場合とで本質的に差異はないというべきである。
したがって、本件処分は、河川管理者が裁量権の限界を超えて処分したり、河川管
理者が裁量権を濫用して処分したりした場合を除いては違法とならず、原告らがこ
の点の主張、立証に成功しない限り、裁判所においてこれを取り消すことはできな
い。
ところで、控訴人らは、本件処分の適法性についての主張立証責任に関し、行政庁
において、まず、その判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主
張立証する必要があり、これを尽くさない場合には、行政庁がした判断に不合理な
点があることが事実上推認されるべきであると主張して、伊方発電所原子炉設置許
可処分取消請求事件に関する最高裁平成四年一〇月二九日判決・民集四六巻七号一
一七四頁を援用する。
しかしながら、右判決は、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律
二四条一項三号及び四号所定の基準の適合性について、各専門分野の学識経験者を
擁する原子力委員会の科学的、専門的技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣
総理大臣の合理的な判断について、いわゆる専門的技術的裁量を認めたものであ
り、河川管理者が河川法二三条、二四条の許可処分をするに際し、いわゆる専門的
技術的裁量のほか、政策的裁量も認められる本件とは異なるものである。控訴人ら
の右主張は、本件ダムという施設の安全性ではなく、地上け計画という国の政策的
要素の強い治水計画の安全性にまで広げて適用しようとするもので、相当でない。
また、このように行政庁の裁量の幅が広い行政行為を裁判所が審査するに当たって
は、裁判所が行政庁と同一の立場に立って独自に要件を認定した上、処分をすべき
であったかどうかという判断を行い、その結果と当該処分を比較検討してその適否
を審査する方法を採ることは許されず、裁判所は、あくまでも当該処分が行政庁の
裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断要素の選択や判
断過程に著しく合理性を欠くところがないかどうかを判断すべきものである。
(7) 本件処分の適法性
被告は、取水又は流水の貯留に係る水利使用に関する許可については、実務上、概
ね次のような指針に沿って、その裁量権を行使している。
(ア) 当該水利使用に係る事業が国民経済上及び国民生活上有効なものであるこ
と。
(イ) 流量その他の河川の状況に照らして当該水利使用が十分成立し得るもので
あるとともに、他の河川の使用との間の調整が適正に行われ、かつ、流水の正常な
機能の維持に影響を及ぼすものでないこと。
(ウ) 当該水利使用に関する工作物の設置又はその工事により治水上その他公益
上の支障を生ずるおそれがないこと。
被告は、こうした指針にのつとり、本件処分をした。すなわち、右(ア)について
は、右(5)のとおり公益性がある。(イ)については、本件ダムの取水口から放
水口までの間が短く、その間に他の水利使用者は存在しない上、下流の中部電力の
平岡ダムまでの間にも他の水利使用者は存在しないこと等から、この要件を満た
す。(ウ)についても、そもそも、右(1)で述べたとおり、川路三地区に洪水被
害が生ずる原因は、本件ダムのみにあるのではない上、右(2)ないし(4)で述
べたとおり治水対策が講じられている。殊に、右(3)(イ)のとおり中堤防計画
という完結した治水対策が既に講じられており、また、右(3)(エ)の地上げ計
画も事業完成後は同様の完結した治水対策となる。したがって、治水上の支障はな
い。
以上のとおり、本件処分に当たり、裁量権の逸脱、濫用はない。
(二) 原告らの主張
(1) 頻発した洪水の原因
金原明全が明治一五年の秋から天竜川にある岩石の撤去工事をし河床が低下したこ
と及び明治年間に石堤が築かれたことから、明治三六年八月の洪水を最後として、
川路地区(当時は川路村)には、洪水被害はなかった。大正一二年に、高台にあっ
た小学校が川路地区の中心部に移転し、昭和三年に、伊那電気鉄道(現在のJR飯
田線)が、川路地区を通って飯田から天竜峡まで延長されたことは、もう洪水に襲
われることはないとの当時の人々の安心感を示すものである。
ところが、川路地区は、本件ダム完成後約半世紀の間に、昭和一三年の洪水災害か
ら五八災まで一一回も洪水に襲われた。その原因は、本件ダムによる河床上昇以外
には考えられない。
被告が主張する川路地区の地形的特徴とか森林荒廃等の自然条件は、川路地区が洪
水に襲われることのなかった明治三六年から昭和一三年までの約三五年間にも存在
した条件であり、これらはいずれも、本件ダム完成前川路地区には三五年間洪水が
なかったのに、なぜ完成後の約半世紀の間に一一回も洪水が頻発したのかという疑
問を説明することができないものである。
被告は、降雨量の違いも原因の一つと主張するが、たとえ降雨量が被告の主張する
とおりであったとしても、これのみでは、右の疑問に対する説明にはなり得ない。
本件ダムによる河床上昇が洪水の原因であることは、学者によって指摘されている
ばかりでなく、河川管理者である歴代の長野県知事もこれを認めていた。そのこと
は、前記1(一)(2)(ウ)のとおりである。
(2) 三六災後の治水対策
(ア) 三六災前の事情
(a) 三六災以前に検討された抜本的対策
昭和二五年七月、当時の川路村長Iは、その著書において、本件ダムが原因となっ
て起こる洪水被害の解決策を検討し、「本件ダムの貯水池内の砂利堆積部から上流
を掘削し、これよって上流を旧河床まで掘り下げる方法」は、相当な工費を要しか
つ相当に困難であるが、必ずしも不可能でなく、上流の災害を完全に解決すること
が可能な唯一の方法であると述べている。
(b) 長野県の公約
昭和三〇年二月一九日、長野県知事は、中部電力に対し、水利使用期限を昭和六〇
年三月二七日とする本件ダムに係る水利使用の期限伸長許可処分(前記一1
(九))をした。川路村ら沿岸の地方自治体は、昭和三一年五月一〇日、右処分を
不服として、建設大臣に対し、訴願を申し立てた。しかし、建設大臣は、三箇月を
経過するも裁決をしなかったので、昭和三二年六月二六日、右地方自治体は、右許
可処分の取消しを求める行政訴訟を長野地裁に提起した。
その直後の昭和三二年六月二七日から二八日にかけて、川路地区は、洪水に襲わ
れ、大きな被害を被った。そこで、右洪水災害の後、川路住民らは、泰阜ダム撤去
期成同盟を結成し、ダム撤去運動を展開した。
右洪水災害の後設置された泰阜ダム災害補償審議会は、昭和三三年一二月二三日、
「県は、水害除去のための根本対策を速やかに実施するよう努力する。」との答申
をした。これを受けて、泰阜ダム対策審議会が設置され、長野県は、「ダム撤去に
代わるくらいな抜本的対策を県で考えて、順次具体化し、地元に示していくこと」
を公約した。その結果、昭和三四年四月一日までに順次右訴願、訴訟の取下げとダ
ム撤去期成同盟の解散に至った。
(イ) 無謀な大堤防計画
建設省が三六災後策定した大堤防計画は、過去に頻発した洪水の根本原因である河
床上昇という現象を放置するもので、不当なものである。
仮に、大堤防計画では潰地が多く農業経営が破綻するので、潰地を最小限にする計
画として欲しい旨の意見が地元の多数意見であったとしても、それは当時の時代背
景に鑑みると無理からぬ意見であったというべきである。住民の生活を成り立たな
くするような計画は、治水対策ではあり得ない。
(ウ) 住民の悲願に反する中堤防計画
三 六災後実施された中堤防計画は、川路住民に、「かっての平和な農村に返る
日」が訪れない点で、川路住民の悲願に根本的に反する。
中部電力が家屋移転に対する補償金を支払ったといっても、移転先の土地は何ら手
当されず、住民が個人の責任で購入した。また、家屋を移転した者は、移転資金に
ついて借入れせざるを得ず、その返済に苦労した。さらに、土地が宅地として使え
なくなったことによる減価補償等について、中部電力によって憲法上正当な補償が
されたことは立証されていない。
少なくとも、控訴人Aの先代B及び同Eは、中部電力からの見舞金(減価補償)の
受給資格を有していたにもかかわらず、その支払を受けたことはなかった。すなわ
ち、Bは、先祖代々、危険区域内に居住していたが、三六災の後である昭和三七年
に右区域外に転居し、控訴人Eは、三六災後、その先々代が学校用地として賃貸し
ていた所有地の返還を受けたが、危険区域に編入されているところ、両名について
は、中部電力から一円の支払も受けたことがない。したがって、右見舞金が支払わ
れることになっていたことをもって、本件処分の合理性を補強することは許されな
い。
危険区域内で洪水によって農作物等に被害が発生したときは、中部電力が補償する
旨の約定は、被害全額について本件ダムと因果関係があるにもかかわらず、中部電
力が被害全額を補償するものではない。現に、五八災における被害の補償は、飯田
市が算定した被害総額の半額に過ぎなかった。
被控訴人は、地形的、自然的要因により、川路地区は古来からの洪水常襲地帯であ
るかのように主張するが、本件ダム建設後の洪水は、規模、被害の点でそれ以前の
ものとは比較にならないものであり、その原因が本件ダムによる河床の著しい上昇
にあることは、学者のみならず、旧河川法下での河川管理者である長野県知事も認
めていたところである。
にもかかわらず、控訴人らが洪水被害に対する正当な損害賠償ではなく、右に述べ
たように不十分な解決金に甘んじなければならないとする前記協定(昭和四一年四
月一六日付け協定の五条には、中部電力は、被害額のうち本件ダムに関係すると解
される金額を支払う旨規定している。)は不合理なものであり、本件処分の合理性
を補強するものではあり得ない。
昭和四六年四月一四日、飯田市長と天竜川治水対策委員長は、被害住民からの要請
が強いとして、姑射橋下流の河床浚渫を陳情しているが、この事実も、三六災後の
被告の治水対策が十全でなかったことを物語るものである。
(3) 地上げ計画の不十全性
(ア) 地上げ計画策定の意味
地上げ計画は治水対策そのものである。河川管理者が三六災後の治水対策の不十分
性を認識し、これを抜本的に変革すべきとの認識を有していたため、地上げ計画が
策定されたのである。建設省天竜川上流工事事務所は、昭和五〇年代半ばには、抜
本的な河道改修計画の策定が急務であるとして、そのための調査に着手している
が、このことは、河川管理者が右のような認識であったことを示している。
地上げ計画の策定を促した社会的要因の一つとして、被告の主張するような「社会
環境の変化」があるとしても、それが、三六災後の治水対策の不合理さを顕在化さ
せ、抜本的な河道改修計画の策定を必要とするようになったといえる。
(イ) 地上げ計画の安全性に対する疑問
(a) 盛土の標高に関する説明の矛盾
被告によれば、地上げ計画は、計画高水位まで盛土する計画である。そして、天竜
峡地点における計画高水位は、昭和四八年に改定された工事実施基本計画におい
て、三七五・四三メートルとされている。また、時又における計画高水位は、三七
六・三七メートルとされている。
地上げ計画の事業完成後の整備水準の説明によれば、盛土の標高は川路地先で三七
六・八メートルである。
右によると、川路地先の盛土高は、さらに上流の時又の計画高水位より高く、工事
実施基本計画による計画高水位まで盛土するとの説明は是認できないことになる。
この場合、川路地先の盛土高は上流の時又の計画高水位より高いからより安全であ
るという議論は意味がない。盛土の標高がなぜ川路地先で三七六・八メートルとさ
れているのか、その理由が不明となることが重要な問題なのである。
(b) 五八災の洪水規模の把握
地上げ計画は、五八災と同規模の洪水が再来した場合に、洪水が盛土部分に氾濫す
ることなく流下することを目標としている。
被告は、五八災における天竜峡のピーク流量は、毎秒約三八〇〇立方メートルであ
り、地上げ計画が完成すれば、この流量が安全に流下するとするが、右の五八災に
おけるピーク流量は、あくまでも推定であるし、そのように推定する過程の一切が
不明である。
三 六災と五八災の洪水の痕跡を対比した測量の結果によれば、五八災が三六災を
水位において相当程度に上回っていたことは、明らかである。ところが、被告は、
三六災と五八災の洪水規模は、ほぼ同じであったという認識の下に地上げ計画を策
定した疑いがある。そうであるとすれば、五八災の規模を過小に評価したものでは
ないかという疑問が生じる。
(c) 洪水の流出パターンの変化
道路整備、開発、減反政策などによって、山林、水田の保水機能は大きく、急速
に、また確実に低下している。五八災洪水の流出の速さは、三六年洪水時とは比較
にならないものであった。流域に同じようなパターンで、同じ規模の降雨があった
としても、流出パターンが変化し、急激に高い水位の洪水が襲来することがあり得
る。「地上げ案は本当の解決にはならない。ここ十数年は良いかもしれないが、そ
のあとは分からない。多分同じような水害に見舞われるのではないか」という見解
は、紀憂といって捨て去るわけにはいかない。
洪水の流出に関連しては、上流ダムによる洪水の調節機能も問題になる。これに関
する被告の主張は、要するにダム堆砂対策を必要に応じて行っているというのみ
で、データを一切捨象しているところに特徴がある。いわゆる治水容量が、現時点
においても、将来にわたっても必ず確保され、洪水調節機能に全く支障のないこと
を、各ダム建設以来の砂の収支を明確にして根拠付けなければならないはずである
のに、それをしていない。五八災の際にどのように洪水調節が行われたのかも全く
不明である(少なくとも、川路地区の水害を防御する調節機能は果たされなかっ
た。)。
(d) 盛土による水位への影響
被告は、盛土部分は死水域であって、ここに盛土することによって水位に影響はな
いと主張するが、死水域を主流部から明確に区分することは、極めて困難である。
模型実験は、その手がかりとなり得るとしても、洪水の流入、流出を再現すること
には限界がある。模型(モデル)の設定条件いかんによっては、実際の現象と模型
実験の結果とは大きく齟齬することを見込まなければならない。
(e) 水位計算
地上げ計画においては、毎秒三八〇〇立方メートルの流量(天竜峡地点)を前提と
する水位が盛土高を超えるものであってはならないところ、被告の水位計算(以下
「本件水位計算」という。)によると、いずれの地点においても、断面水位が盛土
高を超えることはない。
しかし、盛土高と断面水位との高低差は概ね一〇センチメートルに過ぎず、水位計
算上の条件設定による誤差の範囲であるといわなければならない。
そのほか、以下の諸点に照らし、この水位計算の結果により地上げ計画を安全であ
ると評価することはできない。
(1) 本件水位計算は五八災洪水の痕跡水位を基礎としているから、その数値が
変動すれば、地上げ計画そのものの安全性に関する結論か全く異なったものになる
可能性かあるので、控訴人らは、その数値がどのようなデータからとのような方法
によって導き出されたのかを明らかにするよう求めてきたが、被控訴人はこれに全
く応じようとはしなかった。
しがしながら、現に、久米川橋北詰盛土計画標識盛土高と吉川工業株式会社事務所
建物外壁の五八災水位痕跡の高さを比較すると、後者が二センチメートル高いので
あって、一地点たけの調査で本件水位計算の基礎となる洪水痕跡値の誤りが確認さ
れたということは、他の地点でも同様の可能性があるということであり、ひいては
本件水位計算の手法そのものに問題があることを示唆するものである
(2) 川路地先では盛土計画後においても、流路はわん曲している。わん曲の凸
側においては凹側より高い水位を示すが、通常の水位計算においてはわん曲部の中
央部に沿う水位が計算される。本件水位計算においては、この点は明確でないが、
中央部に沿う水位が計算されたとすれば、凹凸各側で二〇センチメートル以上の水
位差があると、川路側では盛土高を越えて溢流することになる。
(3) 本件水位計算においては、支流から流入する流量が計算に組み込まれてい
ない。これが無視できるものか、無視できるとすればどのような理由によるもの
か、明らかではない。
(4) 土砂を大量に含んだ洪水流は土砂により水位が高くなることが考えられ
る。この現象は水位計算上は条件に組み込むことが困難であっても、実際に発生す
るものであるから、盛土高の設定に当たっては当然に検討され、反映されなければ
ならない。
(5) 本件においては、計画の安全性が問題にされており、災害の発生という現
象を解析しているのではない。したがって、計画を安全にするための条件を設定す
る必要があるが、そのような配慮をした形跡は認められない。
(4) 河床の状況
被告は河床が全体的に低下していると主張するが、これについては、次の各点を指
摘する。
(ア) 三六災、五八災の経験から明らかなとおり、土砂、土石を含む大洪水が河
床上昇の最大要因である。全体的に河床が低下しているとすれば、昭和五八年以
降、三六災、五八災に比較されるような大出水に見舞われることがなかったという
自然的要因が第一に挙げられなければならない。したがって、今後、大洪水に見舞
われたときに、掘削、排除した土砂量を超える土砂が流入し堆積しないという保障
はどこにもない。
(イ) 被告が河床が低下していると指摘する個所は、被告主張の砂利採取を行っ
た周辺であって、その限りで砂利採取の効果が現われているとしても、本件ダム上
流全体の河床が低下しているとは評価できない。
(5) 本件処分の自由裁量性
被告は、本件処分は自由裁量処分であるから権限逸脱又は濫用がある場合を除い
て、違法にならない旨主張している。そして、被告は、本件処分が「特許」である
ことを主張の第一の根拠にしている。被告の所論は、水利使用等の許可申請に対す
る不許可処分の取消しを申請人自身が求める訴訟においてなら通用し得ても、本件
は、処分の当事者ではない第三者が処分により自己の権利を侵害されることを理由
に、本件処分の取消しを求めている訴訟であるから、被告の所論は失当である。し
たがって、本件処分は自由裁量処分ではない。
本件処分は、本件ダム建設当初の許可処分ではなく、許可期間の更新処分であり、
前者は自由裁量であるが、後者は原則として羈束裁量と考えるべきである。取水又
は流水の貯留の許可に付されている許可期間は、本来、その満了をもって許可を失
効させる意図を有するものではなく、一定の期間ごとに許可の条件について再検討
し、又は遊水水利権を排除する等の機会を河川管理者に与えるためのものと考える
べきであり、したがって、その更新の場合における河川管理者の裁量は、このよう
な許可期間を設ける趣旨の範囲内に限定されると解されるからである。
もっとも、河川法一条力「災害発生の予防」をうたっている以上、期間更新処分の
際、河川管理者力これを再吟味しなけれはならないことは当然であり、ダムを設置
したことにより上流の河床又は水位が上昇したり、下流の洪水流量が増加する場合
は法七五条二項五号の問題か生ずるが、これに該当する事情があるときは、同条及
び七六条の規定を類推適用して、前記更新を不許可とすることができるというべき
である。
ところで、伊方発電所原子炉設置許可処分取消請求事件に関する最高裁平成四年一
〇月二九日判決・民集四六巻七号一一七四頁は、行政庁の判断に不合理な点がある
ことの主張立証責任は、本来は取消請求をする原告が負うべきものと解されるが、
「・・・安全審査に関する資料をすべて被告行政庁の側が保持していることなとの
点を考慮すると、被告行政庁の側において、まず、その依拠した前記の具体的審査
基準並びに調査審議及び判断の過程等、被告行政庁の判断に不合理な点のないこと
を相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要があり、被告行政庁が右主張、立
証を尽くさない場合には、被告行政庁がした右判断に不合理な点があることが事実
上推認されるものというべきである」と判示している。
本件で最も重要な問題は、地上げ計画の安全性であるが、これは一種の専門技術的
判断であり、またその判断資料は、すべて被控訴人力所持している点で、右判決の
事案と類似しており、したがって、その判断は、先例として本件においても拘束力
を持つというべきである。
(6) 本件処分の違法性
(ア) 本件処分が違法であること。
水利使用の許可処分は、法一条に定められている河川管理の原則に準拠して行わな
ければならないのであるから、処分をするに当たっては、「災害の防止」を、十分
に考慮しなければならず、ダムが原因となって災害が発生する危険があってはなら
ない。
右(1)で述べたとおり、本件ダムによる河床上昇が原告らの土地所有権又は耕作
権の侵害の原因であり、右(2)ないし(4)で述べたとおり、被告の治水対策が
十全でないことによって将来も水害が発生し土地所有権又は耕作権を侵害される危
険がある(なお、次に述べるとおり地上げ計画の存在は、本件処分の適法・違法を
判断するに当たって考慮すべきではないが、考慮したとしても、災害発生の危険が
あることには変わりがない。)。
したがって、本件処分が、「災害の防止」を、十分に考慮したものではないこと
は、明らかであり、本件処分は違法である。仮に、本件処分が自由裁量処分である
としても、裁量権の範囲を超え又はその濫用があったということができる。
(イ) 地上げ計画と本件処分との関係
行政処分の取消訴訟において、当該処分の適法・違法をいかなる時点で判断すべき
かについては争いがあるが、判例は、処分時説の立場に立っている。そうすると、
本件処分についても、処分時である昭和六〇年三月二七日における事実状態を基準
として違法性の有無を判断すべきことになる。
本件処分時においては、地上げ計画は策定されたばかりで、仮に、地上げ計画が、
それが実現された場合に治水対策として十分なものであるとしても、計画の実現ま
でに長い年月を要するものである以上(本件処分から既に九年を経過しているが、
地上げ計画は完成していない。)、そのような計画が存在することを、本件処分の
適法・違法の判断要素とすることはできない。
また、仮に、処分の適法・違法の判断の基準時として判決時説を採用するとして
も、判決時に地上げ計画が完成していないことはもちろんのこと、被告も完成の時
期を明示することはできないのであることから、同様の結論とならざるを得ない。
〔引用部分終了〕
第三 証拠(省略)
第四 当裁判所の判断
当裁判所も、控訴人らは本件処分の取消しを求めるにつき原告適格を有するもの
の、本件処分は適法であり、右請求は理由がないものと判断する。その理由は、次
に付加、訂正する外、原判決「事実及び理由」欄の第四記載のとおりであるから、
これを引用する。
〔付加・訂正の上、引用された原審判決部分〕
第四 当裁判所の判断
一 原告らの原告適格について
1 行政事件訴訟法九条は、取消訴訟の原告適格について規定するが、同条にいう
処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自
己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は侵害されるおそれのある者
であって、当該処分の根拠法規により当該権利利益を個別具体的に保護されている
ものをいうと解するのが相当である。
したがって、当該処分を定めた行政法規が、不特定多数者の具体的権利利益を専ら
一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の権利利益と
してもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、当該処分によ
りその個人的権利利益を侵害されるおそれのある者は、当該処分の取消訴訟におけ
る原告適格を有するものというべきである。そして、当該行政法規が、不特定多数
者の具体的権利利益をそれが帰属する個々人の権利利益として保護すべきものとす
る趣旨を含むか否かは、当該行政法規の趣旨・目的、当該行政法規が当該処分を通
して保護しようとしている権利利益の内容・性質等を考慮して判断すべきである。
2 そこで、次に、右のような見地に立って、法二三条、二四条に基づく水利使用
許可処分につき原告適格を有する者について判断する。
(一) 法は、二三条、二四条に基づく水利使用許可処分を行う要件、基準につい
ては、明示的に定めていない。しかし、法一条は、「河川について、洪水、高潮等
による災害の発生が防止され、河川が適正に利用され、及び流水の正常な機能が維
持されるようにこれを総合的に管理することにより、国土の保全と開発に寄与し、
もって公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進することを目的とする」と、
法の目的を定めているのであるから、法二三条、二四条に基づく水利使用許可処分
も、この法の目的に準拠して行われなければならない。
また、法は、一三条一項において、河川に設置される工作物は、安全な構造のもの
でなければならないと定め、同条二項に基づき河川管理施設等構造令が、その技術
的基準を定めている。さらに、法は、四四条以下にダムに関する特則を置き、四四
条一項において、ダムの設置者は、ダムの設置による洪水災害の発生を防止するた
め、河川管理者の指示に従い、必要な措置をとらなければならない旨を定め、同条
二項に基づき河川法施行令二四条は、右の河川管理者の指示のの準を定めている。
そして、これらの法律、政令等に違反する行為があった場合には、河川管理者は、
与えた許可を取り消したり、行為の中止、原状回復等を命ずることができる(法七
五条)。
これらの法の規定からすると、河川管理者が、法二三条、二四条に基づく水利使用
許可処分をするに当たっては、単に流量その他の河川の状況に照らして当該水利利
用が成立し得るかどうかということだけではなく、流水や土地を利用し、また、ダ
ムを設置するなどして行われる当該事業がどのようなものであるか、それによって
洪水等の災害の発生のおそれがないかということも考慮しなければならないという
べきである。
なお、証拠(証人G)及び弁論の全趣旨によると、水利使用に関する許可処分のう
ち、取水又は流水の貯留に関するものは、実務上次のような基準によって行われて
いるものと認められるが、この判断基準は、右に述べたところと同趣旨のものであ
る。
(1) 当該水利使用に係る事業が、国民経済上及び国民生活上有効なものである
こと。
(2) 流量その他の河川の状況に照らして、当該水利利用が十分成立し得るもの
であるとともに、他の河川の使用との間の調整が適正に行われ、かつ、流水の正常
な機能の維持に支障を及ぼすものではないこと。
(3) その他当該水利使用に関する工作物の設置又はその工事により、治水上そ
の他公益上の支障が生ずるおそれがないこと。
(二) 次に、法二三条、二四条は、許可処分の申請手続を建設省令の定めに委ね
ているところ、河川法施行規則一一条二項は、法二三条、二四条の許可処分の申請
書には、水利使用に係る事業の計画の概要を記載した図書、水利使用による影響で
治水に関するもの及びその対策の概要等を記載した図書等を添付しなければならな
いと規定している。したがって、河川管理者は、法二三条、二四条の水利使用許可
処分の申請があったときは、それらの資料に基づき当該水利使用に係る事業によっ
て洪水災害の発生のおそれがないかをも審査しなければならないのである。
(三) ところで、水利使用に係る事業によって洪水災害を被るおそれのある者
は、河川周辺の一定の地域的範囲に居住するか財産を有する者にほぼ限定され、そ
の被る損害の内容は、財産権に対するもののほか、生命、身体に対するものである
こともある。このような水利使用に係る事業によって生ずるおそれのある被害の性
質等を踏まえて、法二三条、二四条による水利使用許可処分を見ると、法が、これ
らの処分をするに当たり、当該水利使用に係る事業によって洪水災害が発生するお
それがないかを審査しなければならないものとしているのは、災害の発生防止を単
に一般的公益として保護しようとしているにとどまらず、河川の周辺に居住し又は
財産を有する者が洪水災害を受けないように配慮することにより、その生命、身体
又は財産をこれら個々人の個別的権利利益としても保護すべきものとする趣旨を含
むものと解することができる。
(四) 以上、述べてきたところを整理すると、河川法二三条、二四条の規定に
は、当該処分によって起こりうる洪水被害から周辺住民を保護する目的が明示的に
掲けられているわけではないが、関連法令を総合して考察すれば、そのような災害
を被るおそれのある者に対し、その発生防止についての具体的個別的利益を保護せ
んとする趣旨を十分に読みとること力できるというべきである。
なお、河川法は、三五条、三六条において、建設大臣は、原則として、二三条、二
四条に基づく処分の申請があった場合は関係行政機関の長との協議を、また、右処
分をしようとする場合は都道府県知事の意見聴取をしなければならないと規定して
いるが、これ以外に、その過程において、周辺住民の関与を許し、あるいはその意
思を反映させるべき手続については何らの規定も置いていない。しかしながら、そ
のような手続規定は、様々な趣旨、目的から設けられるものであって、これが存在
しないからといって事後的救済方法ともいうべき抗告訴訟の原告適格を一般的に否
定するものではないと解するのが相当である。したがって、当該水利使用に係る事
業によって洪水災害が発生するおそれのある地域に居住し又は財産を有する者は、
法二三条、二四条に基づく水利使用許可処分の取消しを求める原告適格を有すると
いうべきである。
3 そこで、進んで、右に述べたような観点から、原告らが、本件処分の取消しを
求める原告適格を有するかについて判断する。
(一) 証拠(甲一、二の各一、二、甲三の一のイ、ロ、甲三の二のイないしハ、
甲四ないし一一の各一、二、甲一二ないし一六、一八、一九、二一、二七ないし二
九、甲三四の一、二、甲三五、甲三七の一、二、甲三九ないし四一、甲四二ないし
四四の各一、二、甲四五ないし五一、甲五二の一、二、甲五四の一、二、甲五五な
いし五九、甲六〇の一ないし三、甲六一ないし六七、七〇、七三ないし一〇二、甲
一〇三の一ないし七、甲一〇五ないし一〇七、乙一一ないし一三、九九、証人J、
同F、同G、原告E本人)及び弁論の全趣旨によると、本件ダムが建設された後、
本件ダム上流部の天竜川の河床が上昇していること、本件ダムが設置されたことに
よって起こる土砂の堆積が右河床上昇の一因となっていること、本件ダム建設後、
川路地区は、昭和一三年から昭和五八年までの間に一一回洪水被害を受けたが、こ
れらの洪水被害の発生又は被害の拡大には、天竜川の河床の上昇が影響しているこ
とが認められる。そうすると、前記第二の一3、4において判示したように川路地
区内の本件危険区域内に農地を所有している原告らは、本件ダムが原因となって洪
水災害を被るおそれがある地域に財産を所有しているものと認められる。
(二) 以上のとおり、本件ダムは本件処分に係る事業に伴って設置されるもので
あり、原告らは、本件ダムが原因となって洪水災害を被るおそれがある地域に財産
を所有しているのであるから、本件処分の取消しを求める原告適格を有する。
4 被告の主張(前記第二の二1(二)(3)(4))について
(一) 法二三条、二四条の許可は、河川の流水又は土地を使用する権利を付与す
るのみで、工作物の設置の許可を含むものではないが、既に述べたとおり、法二三
条、二四条の水利使用許可処分をするに当たっては、当該水利使用に係る事業によ
って洪水災害の発生するおそれがないかを審査しなければならず、その場合、その
事業が工作物を設置して行われるものであれば、その工作物が設置されていること
に伴う洪水災害の発生のおそれも審査される。そして、本件処分においては本件ダ
ムの設置が前提となっており、他方、本件ダムは本件処分がなければ、存続し得な
いものである。
この点につき、被控訴人は、本件ダムを存続せしめている根拠は、法二六条に基づ
く許可処分であると主張する。確かに、電力会社が新規にダムを建築し、水力発電
事業を開始しようとする場合には、法二三条、二四条に基づく許可に加えて、法二
六条に基づく工作物新築の許可(場合により、法二七条に基づく許可も)が必要と
なることが明らかである
しかし、法二六条は、工作物の新築だけでなく、その除却についても河川管理者の
許可にかからしめていること、法三一条は、当該工作物の用途を廃止したときは、
工作物設置者は、速やかにその旨を河川管理者に届けなけれはならず、この場合に
おいて、河川管理者は、必要があると認めるときは、当該工作物を除却するなどの
河川管理上必要な措置をとることを命ずることができる旨定めていること、法七五
条は、河川管理者は、法令違反の行為をした者に対し、あるいは許可等が必要な行
為につき、これを受けることができなかったとき、許可等にかかる事業を廃止した
とき、洪水その他の天然現象により河川の状況が変化したことにより、河川管理上
著しい支障を生じたとき、その他公益上やむを得ない必要が生じたとき等の場合に
は、工作物の改築若しくは除却等を命ずることができる旨定めていること、これら
一連の規定に照らせば、法二六条に基づく工作物新築の許可は、それがあるからと
いって常に工作物の存続が許されるものではなく、逆にこれを欠くからといって河
川管理者は常に除却命令を発すべき拘束力が生ずるものではない。したがって、工
作物新築の許可は、それを受けなければ右工事をすることができないという法的効
果を付与しているにすぎず(これは法一〇二条の罰則規定によって担保され
る。)、当該工事が完成した場合においては、その取消しを求める訴えの利益は失
われるものというべきである(最高裁第二小法廷昭和五九年一〇月二六日判決・民
集三八巻一〇号一一六九頁参照)。
そうすると、水利使用許可期間の更新が問題となっている本件において、本件ダム
を存続せしめている法的根拠は、まさに本件処分というべきであるから、被控訴人
の前記主張は採用できない。
したがって、本件ダムによる洪水災害のおそれがあれば、それによって本件処分に
よる権利利益侵害のおそれがあるということができる。
(二) 次に、前記第二の一3、4のとおり、原告らは、本件危険区域内に農地を
所有するのみで、そこに居住してはいないから、原告らが洪水により被る損害は、
住居以外の財産に関する損害である。また、その被害については、これを補償する
旨の協定(前記第二の一4)もある。しかし、そうであるからといって、原告らが
その財産について損害を被るおそれがあることには変わりはなく、また、法が農地
を特に保護の対象から除外しているとすべき根拠はない。
二 本件処分の適法性
1 事実関係
(一) 天竜川の特性とその治水対策
証拠(乙一ないし六、九、一〇、四四ないし四六、証人G、平成二年二月一五日に
行われた検証、平成三年七月一七日に行われた検証)及び弁論の全趣旨を総合する
と、次の事実が認められる。
(1) 天竜川は、狭窄部と氾濫原とが交互に存在するという地形的特性を有して
いるため、洪水が生じやすい。天竜川の上流域は、風化・浸食に弱い地質構造にな
っており、標高差の大きい急峻な地形と相まって、洪水時には、大量の土砂を含ん
だ水が一気に天竜川を流下し、随所で氾濫する。天竜川は、古来から「暴れ天竜」
の異名を持つほど、住民に恐れられてきた。
天竜川流域の伊那谷は、古来からたび重なる洪水被害を受けてきた。近年の洪水の
うちで特に被害が大きかったのは、昭和三六年六月の洪水(三六災)と昭和五八年
九月の洪水(五八災)である。
(2) 天竜川上流域の治水対策
天竜川上流域の治水対策としては、本件処分時までに、次のような事業が行われて
きた。
(ア) 河川改修事業
天竜川流域では、古くから、洪水被害を軽減するため、堤防等が築かれてきた。
国(建設省)は、昭和二二年から河川工事の必要箇所ごとに工事を実施していた
が、昭和二八年に、美和ダムの建設を含む総体計画を樹立し、築堤護岸工事の促進
を図った。三六災を契機に工事箇所の数も増え、堤防や護岸等が整備された。
(イ) 砂防事業
天竜川の治水における砂防事業の重要性は古くから認識され、砂防工事が行われて
きた。特に荒廃の激しかった小渋川については昭和一二年から、三峰川については
昭和二六年から、国の直轄砂防事業が実施された。その後、国(建設省)が直轄砂
防事業を行う対象区域は拡大し、その面積は、昭和五二年以降は、一三三二平方キ
ロメートルに及んでいる。このほか、農林水産省の施工による治山事業及び長野県
の施工による砂防及び治山事業の施設がある。
(ウ) ダム事業
天竜川水系における既設の建設省直轄のダムとしては、三峰川に設置されている美
和ダム(昭和三四年一一月完成)、小渋川に設置されている小渋ダム(昭和四四年
五月完成)がある。
そのほか治水機能を有している長野県の施工によるダムとしては、飯田松川の松川
ダム(昭和五〇年三月完成)等がある。
ダムの洪水調節機能を損なう要因となるのは、貯水池内に流入してくる土砂の堆積
であるが、建設省では、その対策として、浚渫等により堆積土砂の排除を行い、貯
砂ダムの建設も行ってきた。
(二) 川路三地区における治水対策
証拠(甲一三、五八、五九、甲六〇の一ないし三、甲六一、八六ないし一〇〇、甲
一〇三の一ないし七、甲一一七、一二三ないし一二六、一二八、一三九、乙一六な
いし二五、三八ないし四〇、乙四一の一ないし五、四七、四八、五三、乙五七、五
八の各一、二、乙五九、六〇、六二、六三、六八、乙七〇の一、二、乙七一、乙七
六の一、二、乙八三、九〇、九一ないし九四、乙一〇〇の一、二、乙一〇三、一〇
四、乙一〇五の一ないし五、証人F、同J、同G、同H、原告E本人、平成二年二
月一五日に行われた検証)及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる(前
記第二の一4の争いのない事実を含む。)。
(1) 大堤防計画
昭和三六年の洪水被害(三六災)によって川路三地区は大きな被害を被ったが、国
(建設省〉は、三六災後の昭和三七年に、堤防高が堤内地盤からおおむね一〇メー
トル、堤防敷幅が六〇~七〇メートルの大堤防を、右岸はJR飯田線の前面に、左
岸は龍江地区の御庵地内に築造する、いわゆる大堤防計画を立案した。しかし、大
堤防計画については、地元の関係者から、この堤防計画では潰地が多く、農地の減
少により農業経営が破綻する旨の反対意見が多く出されたため、国は、この計画を
実施しなかった。
(2) 中堤防計画
(ア) 国(建設省)は、潰地をいかに少なくして、治水効果を挙げるかを研究し
た結果、昭和四〇年一二月に、中堤防計画を発表した。そして、昭和四一年三月一
九日、建設省中部地方建設局長、長野県知事、中部電力は、右計画を実施する旨の
基本協定書を締結して、同年から右計画は実施され、右計画に伴う工事は、昭和四
五年に完成した。
(イ) 右計画に基づいて実施された事項は、次のとおりである。
(a) 在来の堤防を川表の小段とし、毎秒二〇〇〇立方メートルを超える流量の
洪水が発生した場合には越流する高さの堤防(越流堤)の建設
右の毎秒二〇〇〇立方メートルという数量は、昭和二〇年一〇月の洪水における天
竜峡地点の洪水流量毎秒約二七〇〇立方メートル(約一〇年に一回程度の洪水流
量)を基に、美和ダム、小渋ダムの調節効果を見込んで、算出された数量である。
また、越流した場合に、堤防天端と堤内地の高低差が大きいと、堤防法面及び堤脚
部が洗掘されること、越流して堤内地に浸水した水は、本川の水位低下と共に排水
樋管(新設)から本川に排出されるが、堤内地に排水路以外の低地部が存在する
と、その部分に排水が集中して流れるため耕地が洗掘されること、川路三地区には
大小の支川が流入しており、本川の水位上昇に伴い内水被害も生じることから、越
流した場合の堤防及び堤内地の被害を最小限にとどめるとともに内水被害を軽減す
るため、堤内地において〇・五~六・四メートルの地上げが行われた。
(b) 危険区域の指定による危険区域内における住居の用に供する建物等の建築
の制限と危険区域内に存する家屋の移転
飯田市は、建築基準法三九条に基づき昭和四一年三月に制定した条例により、三六
災の浸水した区域にほぼ相当する区域を危険区域に指定した。この危険区域は、危
険度に応じて第一種災害危険区域と第二種災害危険区域とに区分され、そのいずれ
の地域内においても住居の用に供する建築物の建築が禁止されることとなったが 
後者の区域内においては 主要構造部が鉄筋コンクリート造の建物であるなとの一
定の除外事由に該当する場合には 右制限を受けないものとされている。また、危
険区域内に存した家屋約五四戸は危険区域外に移転した。
(c) 危険区域内で洪水による被害が発生した場合は補償する旨の取決め
中部地方建設局長、長野県知事、飯田市長及び中部電力の間で、昭和四一年四月一
六日付けで協定が締結された。この協定により、危険区域が洪水によって浸水し農
作物等に被害が発生した場合は、本件ダムに関係する被害額を算定し、中部電力
が、補償金を関係者に支払うこととなった。
(ウ) 右計画に基づく補償
長野県知事と中部電力は、昭和四一年四月三〇日、中部電力は、危険区域内に存す
る家屋の移転費用等一億六八〇〇万円を負担する旨の協定を締結し、中部電力は、
一億六八〇〇万円を、長野県に支払った。この一億六八〇〇万円は、危険区域内に
存した家屋約五四戸の移転費用及び移転後その敷地が宅地として使えないことによ
る減価補償並びに被災直後に家屋を移転した者に対する見舞金(実質は減価補償の
趣旨である。)等に充てられた。なお、中部電力は、これより前に、三六災直後に
移転した家屋二一九戸(うち川路地区は一二〇戸)の移転補償費等、合計三億七〇
〇〇万円を支出した。
中部電力は、昭和四一年四月一六日付けで協定に基づき、農作物等の被害に対する
補償金として、昭和四五年災害については二二〇〇万円、五八災については一億八
五五〇万円を支払った。
(3) 地上げ計画
(ア) 経緯
社会情勢の変化とともに、右危険区域内の土地を有効に利用したいとの要望が強く
なった。昭和五五年一二月には、飯田市長から建設省天竜川上流工事事務所長に宛
てて、盛土をすることによって洪水被害を被らないようにし、危険区域を廃止して
ほしいとの内容の要望書が出された。そこで、昭和五六年三月に、川路龍江竜丘地
区振興対策連絡会議が、建設省中部地方建設局、長野県及び飯田市の三者によって
発足し、飯田市の右要望にどのように対応するかを検討した。
建設各中部地方建設局は、昭和五八年一二月、右会議における検討の結果を踏まえ
て、「川路、竜江、竜丘地区に関する今後の治水対策の方向(中間報告)」と題す
る文書を公表した。これによると、本件ダムの影響排除の方策については、地上げ
等を基本に置いて今後具体的に検討するとされていた。そして、以後も、右会議参
加の三者に中部電力を加えた四者で検討が続けられる一方、右中間報告の内容につ
いて、地元の三地区において説明会が行われた。
飯田市は、昭和五九年一二月、築堤することなく地上げのみにて条例撤廃可能な高
さにされたいなどとする内容の要望書を、建設省中部地方建設局に出した。そし
て、昭和六〇年一月一六日、中部地方建設局、長野県及び飯田市の間で、「川路、
竜江、竜丘地区の治水対策に関する基本合意」がされた。これは、計画高水位まで
盛土による地上げを行い、盛土が完成したところから、逐次条例に基づく危険区域
の指定を解除するとともに、補償協定に基づく水害補償措置の対象から除外するこ
とを内容とするものであった。もっとも、証拠(甲一一八、一一九の一、一二二の
一、証人F)によると、計画高水位まで盛土がなされた場合に水害補償の対象力ら
外すとの点については、周辺住民からの反発が強く、「六条を守る会」、「川路危
険家屋組合」、「川路水害予防組合」などからその存続を求める意思表示がなされ
ており、飯田市当局も、土盛完成後に洪水被害が発生した場合、その原因等を調査
の上、中部電力に補償を求めることもあり得るとの見解を維持している。なお、洪
水の被害を防止し組合員の生活の安定を図ること等を目的して飯田市川路地区の住
民によって組織されている飯田市川路水害予防組合は、右基本合意の前日の一月一
五日、右治水対策を基本的に受け入れることを決定した。
中部地方建設局、長野県、飯田市及び中部電力は、昭和六〇年三月二一日、「天竜
川上流部の川路、竜江、竜丘地区の治水に関する対策についての基本協定」を締結
した。これは、右基本合意に基づき、盛土事業等を行うこととし、それを実施する
者や費用の分担を定めたものであった。
(イ) 内容
右のようにして、実施されることとなった地上げ計画の内容は、次のとおりであ
る。
(a) 対象流量
地上げ計画における整備水準は、戦後最大流量である五八災の毎秒約三八〇〇立方
メートル(天竜峡地点)を安全に流下させることを目標とする。
(b) 法線の設定
河道を決めるための法線(この場合は盛土の肩を結んだ線)は、洪水時における流
水の方向や水衝りの位置、河道の現況、三六災での河岸の崩壊状況や土砂の移動状
況、模型実験結果を勘案して、決定された。
(c) 縦横断形の設定
右(b)のとおり設定された法線に対応して、右(a)の対象とする流量を計画高
水位以下で流下させるために、河道の縦横断形が設定された。計画高水位は、工事
実施基本計画に定められた時又地点の計画高水位(三七八・一四メートル)に対応
し、かつ五八災の洪水痕跡値を包絡する高さとされた。
河床の縦断形は、近年で最も高くなった五八災後の河床とし、横断形は、五八災後
の断面(河床)を基に、川路三地区については、右(b)の法線より山側の区域を
計画高水位の高さまで盛土する計画である。
(ウ) 効果
地上げ計画は、右(2)(イ)(b)の危険区域内への洪水被害のおそれをなくす
ことを目的として、立案されている。したがって、地上げ計画の盛土が完成した所
から、逐次右危険区域の指定は解除されることになる。また、右(2)(イ)
(c)の危険区域内で洪水被害が発生した場合の損失補償についても、盛土が完成
した所から逐次除くことになっている。
(エ) 実施状況
地上げ計画を実施するためには、盛土に使用する土砂の土取場の確保及びその土砂
を搬出する運搬道路の建設等の準備工事と盛土等の本工事が必要であるが、準備工
事は、かなり進展している。また、盛土等の本工事は、平成四年二月一四日に、起
工式を行い、既に事業に着手している。しかし、いまだ完成してはいない。
(4) 堆積土砂の排除
天竜峡下流の阿知川との合流地点は、以前から、土砂の堆積が進んだところであっ
た。そこで、昭和五九年一一月、飯田市と中部電力が出資して、財団法人天竜川環
境整備公社を設立し、同年一二月から、阿知川との合流地点において、右公社によ
る河床堆積上排除のための砂利採取が行われている。その許可量は年間約一〇万立
方メートルである。
そのほか、川路三地区の天竜川の河道において、従前から砂利採取業者によって年
間数万立方メートルの砂利採取が行われてきており、河床低下に寄与している。
2 次に、右1で認定した事実に基づき、本件処分の適法性について判断する。
(一) 法二三条、二四条に基づく水利使用許可処分については、要件が法に明示
されていないが、既に述べたとおり、河川管理者は、法一条に定められている法の
目的等に準拠して、これらの処分を行わなければならず、これらの処分を行うに当
たっては、流量その他の河川の状況に照らして当該水利利用が成立し得るか、他の
河川の使用との調整が適正に図られるか、流水の正常な機能の維持に支障がない
か、流水や土地を利用して事業を行う者が事業を適正かつ確実に遂行する資力、技
術的能力等を有しているか、その事業が国民経済上又は国民生活上有用なものであ
るか、その事業によって洪水等の災害の発生のおそれがないかなどを、総合的に考
慮しなければならないというべきである。そして、それらの判断をするに当たって
は、河川をどのように利用し保全していくかという観点から、様々な事情を斟酌し
て政策的な判断をする必要があるほか、専門的、技術的な観点からの考慮も必要と
なるのであって、その判断を河川管理者の裁量に任せるのでなければ適切な結果を
期待することはできない。したがって、河川管理者は、法二三条、二四条に基づく
水利使用許可処分をするに当たって、右のような観点からの広い裁量権を有すると
いうべきである。
もっとも、本件処分は、新たに水利使用を許可しようとするものではなく、その許
可期間の延長(ないし更新)という実質を有しているから、その処分を認めるか否
かの判断をするに際しては、処分の直接の名宛人たる中部電力(及びその前身会
社)が既に相当の投資をして現に本件ダムを水力発電事業の用に供しているという
事情をも考慮すべきであり、河川管理者が、単純な政治的、政策的配慮によって、
安易にその地位、利益を覆すことは妥当でないというべきである。
したがって、河川管理者は、本件処分の判断に際しては、政治的、政策的観点より
も、科学技術的観点からする安全審査に重きを置くべきところ、一般的に、科学技
術の分野においては、「絶対的な安全性」を要求することがその性質上不当と考え
られるから、結局、本件処分をするに際しては、ダムの公益性との比較衡量の上
で、右危険性力社会通念上容認できる水準以下であるか否かの判断に依らざるを得
ないと考えられる。そして、右危険性の判断は、第一にその時点における科学技術
水準に依ることはもちろんであるが、付随的には我が国の社会がどの程度まで右危
険性を容認するかという観点をも考慮に入れざるを得ないと解される。
地上、述べてきたとおり、本件における河川管理者の有する裁量権の内容は、当初
の原始的処分と比較すると、政治的、政策的裁量の部分か狭められるが、河川管理
者は、本件処分に際し、右に述べたような安全性吟味の権限及び責務を有するもの
であり、逆にそのような審査の過程を経て、危険性が社会通念上容認できる水準以
下か否かについて判断を下した場合には、原則としてそれが尊重されるべきことも
当然というべきである
(二) 以上のような処分の性質からして、法二三条、二四条に基づく水利使用許
可処分の取消訴訟においては、裁判所は、行政事件訴訟法三〇条により、河川管理
者の判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が事実の基礎
を欠くかどうか、事実に対する評価が合理性を欠くこと等により右判断が社会通念
に照らし著しく妥当性を欠くかどうかを審理し、それが認められる場合に限り、右
判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして、当該処分を取り消す
ことができることになる。
そして、河川管理者の右判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったことにつ
いての主張立証責任は、本来、その取消しを求める控訴人らか負うべきものと解さ
れる。もっとも、本件処分をするについて被控訴人が有する裁量権は、前記のとお
り、専ら科学的、専門技術的裁量を内容とすると考えられるところ、本件ダムとそ
の存在を前提とした治水計画の安全審査に関する資料は、その主要部分を行政庁た
る被控訴人の側が保持していることに鑑みると、まず被控訴人の側において、その
判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張立証する必要があ
り、被控訴人がこれを尽くさない場合には、その判断に不合理な点があることが事
実上推認されるものというべきである。
(三) そこで、以上の観点から、本件処分の適法性について判断する。
(1) 前記一3で認定したとおり、本件ダム建設によりその上流部に土砂が堆積
し、河床が上昇した結果、本件処分までの一一回におよぶ川路地区の洪水被害の発
生又は拡大に影響を与えたものと認められる。そして、乙九九によると、このよう
な状況は三六災直後をピークとして、その後次第に改善され、本件ダムによる洪水
被害への影響は相当程度排除されたと認められる。
もっとも、乙九九によれは、本件処分時において、なお川路地区では、本件ダム建
設前の河床の状態までには復していなかったことが認められるところ、前記のとお
り、法二三条、二四条に基づく河川管理者の処分は、法一条を始めとする河川法の
趣旨に合致するように行われなけれはならないので、本件ダム存続の法的根拠とな
る本件処分か適法視されるためには、その存在が公共目的に合致していることと、
本件ダムの存在による洪水被害への影響か概ね排除されたと評価し得る程度の合理
的な治水対策が行われていることの二要件を必要とすると解される
そこで、まず前者について検討するに、証拠(乙三三の一、二、証人G)による
と、本件ダムによって貯留された河水を利用する泰阜発電所は、最大出力五万二五
〇〇キロワット、年間発電電力量約一億六〇〇〇万キロワットアワーであり、昭和
一一年当時の国民約三九三万人分、一般家庭約七〇万軒分の消費電力を作り出し、
主たる送電先である中部地方の電力需要の約八・一パーセントを賄っていたこと、
その後の電力事情の変化により、右発電所の占める地位は相対的に低下したもの
の、平成元年当時においても、飯田市の年間電力需要量の約七二・五パーセントに
相当する電力量を発電しており、特に環境問題が大きく取り上げられるようになっ
た昨今においては、いわゆるクリーンなエネルギー源としての価値が脚光を浴びて
いること、以上の事実が認められ、これによれば、本件ダムが国民経済上多大の貢
献をしていることは明らかであり、その存有が公共目的に合致していることは疑う
余地がない
次に治水対策について検討するに、一般に、行政処分の適法性の判断は、その処分
時に存した事情を基礎としてなされるべきものであるので、本件処分の適法性の判
断についても、基本的にはその当時に実行され、完結していた治水対策を対象とし
てなされるべきである。そこで、まず、そのような適格性を有する治水対策のうち
で中心的なものと考えられる中堤防計画の合理性について検討するに、前記二1
(二)(2)で認定したとおり、右中堤防は、築造当時は三六災につぐ規模であ
り、確率的には一〇年に一度程度の洪水流量であると推定された昭和二〇年一〇月
の洪水に対処できるように設計されていたというのであるから、これによっても本
件ダムによる洪水被害への影響は相当程度排除されたと認められる。
もっとも、右レベルを超える洪水の際には、溢水自体を避けることはできないが、
この場合も破堤しないように越流堤として築造されていることから、流量かピーク
時を過ぎて毎秒二〇〇〇立方メートル以下に下かれは、それ以上の被害の拡大を阻
止すること力期待できるその上で三六災の際に浸水した区域に相当する区域を危険
区域として指定し原則として居住用建物の建築を禁止するとともに、その範囲内に
あった家屋の移転を完了したというのであるから、人命に対する被害の恐れは一応
解消したものということができるし、危険区域に指定された土地の価値減少と、溢
水の際に予想される農作物等への被害についても、中部電力による補償義務が設定
されたことによって手当がなされている。そうすると、稀に生起する大洪水の際に
おける本件ダムによる影響は、右「危険区域の指定」及び「補償制度の整備」によ
ってカバーされているものと評価することができる。
これらの施策は、越流を前提とする点で当初の大堤防計画と異なっており、現実に
五八災の際には危険区域を中心とした地域が冠水被害を被っているが、自然を相手
とするものである以上、その時点における国力、技術力などからくる制約を免れる
ことはできないし、あるいはまたその対策を策定するに当たり、地域住民の要望を
できるだけ反映させることも当然ありうるものであって、これらの要素を考慮に入
れた上で行われた対策が、それ故に不合理なものとの評価を受けることはないと考
えられるところ、本件の中堤防計画は、地元における農業経営の困難化との比較衡
量の上で策定されたものであって、総合的な治水対策としてはその合理性を十分に
肯定することができるというべきである。
この点につき、控訴人らは、まず控訴人Aの先代B及び同Eは、中部電力からの減
価補償を受給する資格を有していた(右両名が、第一種災害危険区域内に農地を所
有していた事実は、前記の「当事者間に争いのない事実等」で述べたとおりであ
る。)にもかかわらず、その支払を受けたことはないと主張し、これに沿う証拠
(原審及び当審における控訴人E本人)がある。
しかしながら、証拠(乙一〇〇の一、二、一〇八の一、二)によると、中部電力
が、三六災直後に危険区域内から立ち退いた者に対する見舞金(実質的には右区域
内に存する土地についての減価補償)として支払うことになった四三〇〇万円につ
いては、その関係者の間で地区ごとに配分されることになり、天竜川治水対策委員
会が主体となって、昭和四一年五月一〇日、飯田市役所の各支所において支払われ
たことが認められるところ右中部電力による負担の事実は大きく新聞報道がなされ
ているから、仮に右控訴人らに対しその受給資格を無視して支払がなされなかった
のであれば、右控訴人らから何らかの抗議がなされて然るべきところ、そのような
形跡を窺わせるような証拠はないので、被控訴人らの右主張を認めるには躊躇せざ
るを得ない。仮に右主張が事実であるとしても、中部電力としては、長野県知事と
の昭和四一年四月三〇日付け協定書(乙一九)に基づく義務を履行したものであり
(右協定書二、三条によれは、中部電力は長野県知事に負担金を納入し、その使途
は長野県知事に一任することとされている。)、右控訴人らに支払われなかったの
は、その後における何らかの手続上の理由によるものと認められるから、治水事業
としての中堤訪計画自体に構造的欠陥があったと判断するのは相当でない。
次に、控訴人らは、洪水による危険区域内の農作物等の被害の補償金は、正当な損
害賠償ではなく、不十分な解決金にすぎないと主張するところ、証拠(甲一二四、
証人F、原審における控訴人E)によると、五八災において支払われた補償金は、
飯田市役所の算出した被害額のほぼ半額であった事実が認められる。
しかしながら、中部地方建設局長、長野県知事、飯田市長及び中部電力の間の昭和
四一年四月一六日付け協定書(乙二〇)の五条は、被害額のうち本件ダムとの間に
因果関係があると解される金額を中部電力が負担することを定めたものであり、そ
れ自体は当然のことと考えられる上、前記補償額についても、地形、降雨量等の自
然的諸条件と本件ダムの存在という人為的条件とを考慮しつつ、中部電力との交渉
を重ねることによって合意に至ったというのであるから、中堤防計画の合理性を損
なうものとはいえない。
(2) 次に、本件処分時において、洪水災害による被害発生の予防ないし抑制を
直接の目的として、天龍川上流域の総合治水対策としての砂防事業、治水機能を持
つダム建設、川路三地区における中堤防の建設とその堤内地の地上げ、地上げ計
画、河床堆積土砂の浚渫なとの諸対策が講じられあるいは講じられつつあったこと
は右1で認定したとおりである
その結果、証拠(乙二六、二七の一ないし五、二八の一ないし四、二九の一ないし
七、九四、九九、一〇六の一、一一三、証人F)によれは、本件ダムの上流全般に
わたって河床の低下が見られ、川路地区沿いについては、ピーク時の昭和三六年七
月時点から平成四年一二月時点にかけて数メートルの河床低下となり、本件ダム完
成前の昭和一〇年一〇月時点の河床に接近している(場所によってはそれ以下とな
っている。)こと、水位計算によっても、平成七年の川路三地区の河床は、五八災
後のそれと比較して、約一・九メートル低下していることなど、現実にも相当な効
果を上げていることか認められる。また、証拠(甲一二九、乙二五、三八、四〇、
九四、証人G、原審における控訴人E)によると、地上げ計画は、堤内地盤を計画
高水位まで底上げすることを内容としているから、結果的に築堤することなく計画
高水流量を流下させる「堀込河道方式」を採用することになるところ、右方式は、
「堤防方式」よりも、洪水による溢水時において浸水被害が格段に少なく、かつ自
然排水も容易なことから内水被害も軽減できる長所を有すること、本件水位計算シ
ステムによれは、本件ダムによる河床上昇は、川路三地区付近で最大三・五メート
ルと算出されたところ、地上げ計画では最大六メートルの盛土をすることになって
いるから、この意味においては、本件ダムによる河床上昇対策にとどまらず、本来
的なあるべき治水事業としての性質を有していること、本訴の元原告団長であった
Bが検討した私案も、基本的な構想において地上げ計画と共通するものかあるこ
と、以上の事実が認められ、これによれは、中堤防計画に取って代わることが予定
されている地上げ計画は、本件ダムの存在による洪水被害への影響排除という目的
の達成はもちろんのこと、これを超えた総合的な治水事業あるいは洪水対策として
も完成度の高い合理的な施策ということができる。
もっとも、前記のとおり、行政処分の適法性の判断は、原則として当該処分のなさ
れた時点を基準としてなされるべきものであるところ、右地上げ計画は、本件処分
時においては未だ策定段階にとどまり、工事着手に至っていなかったことは控訴人
らの指摘するとおりである。
しかしながら、本件処分は、許可期限を昭和九〇年三月三一日とする、将来にわた
って効力を維持するものであるから、処分時において適法性に影響を及ぼすべき事
情が右期間中に発生することが相当の確度をもって予想される場合には、そのよう
な予想自体が右基準時において存在する判断要素として、付加的に考慮の対象とな
ると解すべきところ本件の地上げ計画については、前記認定のとおり、本件処分時
において、建設省中部地方建設局、長野県、飯田市及び中部電力の間で基本的な実
施についての合意が成立し、川路水害予防組合も基本的にこれを受け入れるとの決
定をしていた(乙六六の二、八二の三によれば、右組合は、昭和六三年一〇月二二
日の臨時総会においても、治水対策事業の受入れ決議をしたことが認められる。)
というのであるから、本件処分の適法性を判断するに当たり、その要素として斟酌
することができると解するのが相当である。現に、証拠(乙一〇五の一ないし五、
証人F)及び弁論の全趣旨によれば、実際にも盛土作業の前提となる土取場の買
収、運搬道路の建設は最終段階に至っており、川路三地区における本工事について
も、平成四年二月一四日に起工式が行われたことが認められる。
なお、証拠(甲一一八、一一九の一、一二〇の一、二、一二一の一、二)によれ
ば、地上げ計画策定後も「川路危険家屋組合」や「六条を守る会」から右事業実施
に対する反対の意思表示力なされていることが認められるが、反面、証人Fの証言
によれは、行政と右各団体の構成員との間における今後の意思疎通次第では右事業
の円滑な進捗が期待できると認められるから、右判断を覆すものではないと解され
る。
なお、原告らは、地上げ計画の安全性に疑問があるとして、種々主張する(前記第
二の二2(二)(3)(イ))が、次のとおり、地上げ計画に特に不合理な点があ
るとは認められない。
(ア) 盛土の標高に関する説明の矛盾(前記第二の二2(二)(3)(イ)
(a))
証拠(乙九四)によると、地上げ計画の事業完成後の盛土の標高は川路地先で三七
六・八メートルと認められるところ、工事実施基本計画に定められた時又地点の計
画高水位は、河川関係法令例規集の抜粋である乙五五には三七八・一四メートルと
記載されているのに対し、天竜川上流工事事務所の編纂誌である甲一三九には三七
六・三七と記載されていることが認められる
しかしながら、弁論の全趣旨によれば、甲一三九の記載は転記誤りであり、原記録
ともいうべき乙五五の記載が正しいと認められる。そうすると、上流に進むにつれ
て計画高水位か高くなるから、この点に関する地上げ計画の説明には何らの矛盾も
ないということができる
(イ) 五八災の洪水規模の把握(前記第二の二2(二)(3)(イ)(b))
地上げ計画の整備水準である毎秒約三八〇〇立方メートル(天竜峡地点)は、五八
災における天竜峡のピーク流量を基に定められたものであるところ、証拠(証人
H)によると、この流量は、当時の観測所(時又地点)の水位及び流量の記録、本
件ダムにおける水位及び流量の記録、降雨量等を基に、国(建設省)において、計
算によって求めたものであると認められ、そのように定めたことについて特段不合
理な点は認められないから、右流量に基づいて整備水準を定めることが不合理であ
るということはできない。
(ウ) 洪水の流出パターンの変化(摘記第二の二2(二)(3)(イ)(c))
将来、生活様式の変化等によって洪水の流出パターンが変化することがあるのか、
そういうことがあるとしても、それがどのような形で現われるのかについては、そ
れを具体的に認めるに足りる証拠はない(甲一一〇号証には、そのようなことが生
じるおそれがある旨の指摘があるが、将来の状況について具体的に述べるものでは
ない。)。したがって、地上げ計画が、このような将来における洪水の流出パター
ンの変化を考慮していないとしても、そのことから、直ちに地上げ計画が不合理な
ものであるということはできない。
(エ) 盛土による水位への影響(前記第二の二2(二)(3)(イ)(d))
証拠一乙九二、九三、証人G、同H)によると、地上げ計画で従来洪水が氾濫して
いた部分を盛土することについて、国(建設省)では、模型実験、水位計算等によ
って検討した結果、この盛土部分は、洪水時にいわゆる死水域となる部分であるか
ら、洪水がピーク時に流下する有効断面を侵すことにはならず、また、洪水の主流
部と死水域との間の流れの乱れが無くなることにより、エネルギーの損失が小さく
なって、洪水の主流部の流速が増すため、ピーク時における水位はほとんど変わら
ないとの結論を得たものと認められ、この推論の過程に特段不合理な点は認められ
ないから、盛土による水位への影響があるから地上げ計画は安全性に問題があると
認めることはできない。
(オ) 本件水位計算(前記第二の二2(二)(3)(イ)(e))
(a) 証拠(乙九四)によると、本件水位計算の結果では、川路三地区における
盛土高と断面水位との高低差は、最も差が少ないところで一〇センチメートルであ
ると認められるが、これが水位計算上の条件設定による誤差の範囲であると認める
に足りる証拠はない。
(b) 証拠(乙九四)によると、本件水位計算では、五八災洪水の痕跡水位を基
に計算していると認められる。証拠(証人H)によると、この痕跡水位は、国(建
設省)において、洪水痕跡のデータを基に、水しぶき等による影響を排除した合理
的な値を求めたものであると認められ、この痕跡水位が特段不合理なものであると
は認められない。
この点について控訴人らは、被控訴人の前提とする五八災の洪水痕跡がとのような
データからとのような方法によって導き出されたのか不明であること、現に吉川工
業株式会社事務所建物外壁に残された洪水痕跡は、久米川橋北詰盛土計画標識盛土
高より二センチメートル高くなっているという事実があるから、本件水位計算の手
法自体に問題があると主張し、甲一三六の一、二はこれに沿う内容となっている。
しかしながら、地上げ計画は、五八災規模の洪水に対処できるように危険区域に盛
土しようとするものであり、被控訴人が右洪水痕跡値をことさらに低く測定するこ
とは考えられないというべきであるから、乙九四の図-一三に示した数値は、洪水
痕跡のデータを基に水しぶき等による影響を排除して合理的に求めたものであると
の証人Hの証言は十分に信用できるものと判断することができる。そして、控訴人
らの指摘する吉川工業株式会社事務所建物外壁に残された洪水痕跡値についても、
果たして水しぶきや毛細管現象による影響を排除した数値であるのか、久米川橋北
詰盛土計画標識か正確に盛土高を示しているのかの各点について明らかにする的確
な証拠がない以上、甲一三六の一、二だけでは右認定判断を覆すには足りないとい
うべきである。
(c) 証拠(乙二二)及び弁論の全趣旨によると、川路地先では地上げ計画によ
る盛土後においても、流路はわん曲していると認められる。証拠(証人H)による
と、国(建設省〉においては、このわん曲は、それほど大きくなく、水位計算に当
たって考慮する必要はない旨の判断をしていると認められ、この判断を誤りとする
証拠はない。
(d) 証拠(乙九四、証人H)によると、本件水位計算においては、主な支流か
ら流入する流量は計算に組み込まれていると認められ、支流から流入する流量が計
算に組み込まれていないから不合理であるということはできない。
(e) 本件水位計算では、右(b)のとおり五八災洪水の痕跡水位を基に計算し
ているところ、弁論の全趣旨によると、五八災洪水の痕跡水位は土砂を含んだ洪水
流によって生じたものと認められるから、土砂が含まれていることにより水位が高
くなることが考慮されていないとはいえない。
(f) その他、本件水位計算が不合理であるとすべき事情を認めるに足りる証拠
はない。
以上のとおり、治水計画の安全審査に関して、まず被控訴人が相当な根拠、資料を
示してその判断に不合理な点のないことを明らかにすべきであるとの前記立場に立
っても、本件における地上げ計画の合理性は、十分に認めることができる。
(3) 右(1)(2)において判示したところによれば、本件処分当時、本件ダ
ムによる河床上昇への影響はなお存在していたものの、これによる洪水被害の発生
ないし拡大を予防すべく、天竜川上流域において国により総合的な治水事業力行わ
れ川路地区についていえば、一定規模までの洪水の溢水阻止とそれ以上の洪水の場
合における人命等の被害予防及び財産的損害の補償というそれ自体完結した内容を
持つ中堤防計画が実現したことにより、右影響は相当程度減少し、あるいはカバー
されていたと認められる上、将来に生じ得る影響に対しても、洪水被害の予防とい
う観点からは完成度の高い地上げ計画が進捗しつつあったというのであるから、本
件ダムの存在が洪水被害に与える影響は、社会通念上容認できる程度に除去されて
いたと判断することができる。
したがって、被控訴人が、以上のような事情に加えて、本件ダムの公益性をも総合
的に考慮、判断して本件処分を行ったことは適法というべきであり、右判断の過程
に裁量権の逸脱、濫用があったと認めることはできない。
3 したがって、本件処分について、これを取り消すべき違法があるとすることは
できない。
〔引用部分終了〕
第五 結論
以上の次第で、控訴人らの請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由が
ないから棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条
一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
別紙図面(省略)

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