弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決及び第一審判決を破棄する。
     被告人は無罪。
         理    由
 弁護人阿波弘夫、同恵木尚の上告趣意は、憲法三八条三項違反をいう点を含め、
その実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由
に当たらない。
 しかしながら、所論にかんがみ職権で調査すると、原判決及び第一審判決は、以
下に述べる理由により同法四一一条三号によつて破棄を免れない。
 一 本件起訴状記載の公訴事実の要旨は、「被告人は、暴力団A一家傘下B組組
長Cの舎弟分にあたる者であるが、同組組員Dと共謀の上、かねて対立していた暴
力団E会首領Fを殺害することを企て、昭和五二年四月二五日、岩国市内の路上に
おいて、Dが所携のけん銃でFの下腹部、腰背部を射撃し、その場で同人を即死さ
せて殺害した。」というものであり、第一審判決は、これにそう殺人の共謀共同正
犯の事実を認定し、被告人を懲役一二年(未決勾留日数一五〇〇日算入)に処した。
 これに対し、被告人から控訴の申立があり、原判決は、被告人について殺人の共
謀を認定した第一審判決は事実を誤認したものであるとしてこれを破棄し、原審に
おいて、予備的に追加された訴因に基づき、「被告人は、DがFをけん銃で射撃し
て殺害した当日、その情を知りながら、これに先立ち、広島市内の喫茶店『G』に
おいて、Dが犯行現場に赴くために使用するレンタカーの借賃等として、同人に現
金五万円を交付し、同人の右犯行を容易ならしめて、これを幇助した。」旨の殺人
幇助の事実を認定し、被告人を懲役一年六月(第一審における未決勾留日数中、右
刑期に満つるまでの分を本刑に算入)に処した。
 本件第一、二審における審理の争点は、被告人とDとの間の共謀の成否にあつた。
しかし、原裁判所がいつたん終結した弁論を再開した上、検察官に対し訴因の変更
を命じ、検察官が殺人幇助の予備的訴因を追加したことにより、本件における事実
認定の重点は、もつぱら幇助の成否の争いに移行することになつた。上告論旨も、
被告人について殺人幇助の事実を認定した原判決の判断を論難しているのである。
 二 被告人は、捜査、公判を通じ、一貫して本位的訴因、予備的訴因にかかる事
実を否認しており、右の事実を直接立証するための決め手となる証拠としては、D
の検察官に対する供述調書謄本五通(以下、D検面調書という)があるのみといつ
てよく、原判決もまたその趣旨を説示している。
 第一審判決は、D検面調書の信用性を全面的に肯定し、被告人を、Dの背後にい
て同人にFの殺害を指示した者と認定した。D検面調書の供述の骨子は、以下「1」
ないし「5」のとおりである。
 「1」 殺人指示及びけん銃交付の事実
 昭和五二年四月七日、被告人が、当時Dの起居していた徳山市内のH方に赴き、
Dに対し、「これは言いにくいことじやが、今度お前がFをやることになつた。道
具はこれじゃ。」といつて、実弾入りのけん銃一丁を交付した。
 「2」 キヤバレー「I」下見の事実
 同年四月一四日、被告人とDは、Fがよく飲みに行くという岩国市内のキヤバレ
ー「I」の下見をした。
 「3」 E会事務所下見の事実
 同年四月一六日ころ、被告人の誘いにより、同人とDの両名が岩国市に赴き、岩
国駅前からタクシーに乗車し、被告人の案内でタクシーをゆつくり走らせながら、
aビル内のE会事務所を下見した。
 「4」 電話連絡の事実
 同年四月二〇日ころ、Dは、自分がまだF殺害を実行していないので被告人が心
配しているのではないかと思い、同人に電話して、「自分は誕生日が過ぎたら絶対
にFをやるから心配しないように。」「自分はレンタカーを借りて、E会事務所の
近くでFを待ち受け、同人の顔を確かめてからやろうと思つている。」と話した。
 「5」 五万円交付の事実
 F殺害の実行を決意したDは、同年四月二四日、広島市に赴き、同市のホテルJ
に偽名を用いて宿泊し、翌二五日の朝、被告人に電話して、レンタカーの借賃を都
合してくれるよう頼むとともに、知人のKにも電話して、レンタカーの借り受け方
を依頼した後、タクシーで同市b町cビルの被告人宅に赴き、近くの喫茶店「G」
で被告人に対し、これから岩国市に行つてFを殺害すると話したところ、被告人は、
「それじゃ頼むぞ。これはレンタカー代だ。」といつて、その場で現金五万円を渡
してくれた。その後、Dは、被告人宅ヘタクシーを呼んでもらい、広島市dのK方
に赴き、同人の運転する自動車に同乗して、同市eのL広島営業所に行き、Kがレ
ンタカー一台を借り受けた。
 三 ところで、原判決が渡部検面調書の信用性について説示するところは、おお
よそ、次のとおりである。
 1 被告人はA一家の組員ではないが、同一家と深い繋がりを持つ人物である上、
かねてDとも親交のあつたことからみて、被告人がDに対しA一家幹部の意向を伝
え、けん銃を交付し、犯行を容易ならしめるため下見などの援助行為に出たとして
もさほど不自然ではなく、D検面調書の供述記載を全く虚偽のものであると断定す
ることはできないけれども、(イ)Dは、昭和五二年四月七日以前からけん銃を所
持していた疑いがあること、(ロ)暴力団A一家及びその傘下のB組と暴力団E会
は対立抗争しており、B組の組長BとE会の首領Fは、かねて互いに相手を抹殺す
ると公言していたところ、Dの直属の親分であるBは、同年三月二〇日ころから同
年四月八日ころにかけて、Mに対し、「Fをやるため若い士を岩国に送り込むので
部屋を捜してほしい。」と依頼し、Mが部屋を借りた後である四月一〇日ころ、同
人にDを引き合わせている事実に徴すると、Dは被告人からF殺害を指示されたと
いう同月七日以前、既にA一家及びB組の組織上部の者からF殺害の指示を受けて
いた疑いがあること、(ハ)Dは、Mから岩国市内に潜伏場所の提供を受けた後、
約一週間以内の間に、Mの運転する自動車に同乗して、Fの自宅とE会事務所を下
見していることが認められるのに対し、D検面調書にある、これとほぼ同じころD
と被告人の両名が行つたというキヤバレー「I」やE会事務所の下見の事実につい
ては、これを裏付ける証拠がないこと、(ニ)D検面調書には、Mによる潜伏場所
の提供や同人と共に行つた下見の事実が一切述べられていないことなどの点を総合
して考えると、Dはその所属する組織上部の者に責任が及ぶことを恐れて、殺人指
示及びけん銃交付、E会事務所等の下見に関し、被告人の名前を出したのではない
かとの疑いも残り、D検面調書のうち、前引用にかかる「1」ないし「3」に関す
る部分については、その内容に合理的な疑いをさし挟む余地があり、これを全面的
に措信することはできない。
 2 しかし、D検面調書は、その一部に合理的な疑いをさし挟む余地があるとは
いえ、その供述記載を全て虚偽のものであるとして排斥しうるものではなく、被告
人がDに対し積極的に殺人を指示してけん銃を交付し、E会事務所等の下見をさせ
る行為と、被告人がDの求めに応じて犯行場所に赴くためのレンタカー借賃を交付
する行為は、もともと別異の側面に属するものであり、被告人とA一家及びDとの
親密な関係、さらには、Dが昭和五二年四月一〇日ころ、Bから引き合わされたM
と共に岩国市内の潜伏場所に赴いた際、被告人も別の自動車で同行していたとみら
れることなどの事実に徴すれば、被告人が事前にDの犯行を知り、かつ同人の求め
に応じて岩国市へ赴くためのレンタカー借賃等を交付することに、なんら不自然、
不合理なところは存しないばかりか、「五万円交付の事実」に関する供述部分につ
いては、これに符合する事実を認定しうる証拠があり、D検面調書のうち、前引用
にかかる「4」の「電話連絡の事実」中、犯行にレンタカーを用いることを相談し
たという部分及び「5」の「五万円交付の事実」に関する部分は十分措信しうる。
 四 しかしながら、原判決の右説示は、D検面調書のうち、前引用にかかる「1」
ないし「3」に関する部分を措信しえないとした限りにおいて、証拠に照らし是認
しうるが、その余の認定、判断部分は、以下に述べる理由によりとうてい首肯しが
たい。
 1 D検面調書の内容は、すでにみたように、被告人がDにFの殺害を指示して
けん銃を交付し、その犯行を容易ならしめるため、Dと共に犯行現場の下見をし、
一方、Dは自己に犯行を指示した被告人に対し、Fを殺害するについてレンタカー
を用いる心積もりである旨その計画を明かして、自らの決意が固いことを報告し、
被告人はDの求めに応じて同人にレンタカーの借賃を交付するという経過をたどつ
ているのであり、全体として、F殺害の指示に始まる一連の相関連する一個の事態
の推移に関するものである。従つて、D検面調書のうち、被告人からFの殺害を指
示されたという、被告人とF殺害を結びつける供述の中核をなす部分の信用性に合
理的な疑いがあるというのであれば、特段の事情のない限り、これと密接に関連す
る爾余の供述の信用性にも重大な疑惑の生ずることは明らかである(原判決がD検
面調書の一部を信用できない理由としてあげる諸点は、むしろDに対しF殺害を指
示した者はA一家の幹部であり、Dは、その者に累を及ぼさないよう、被告人を背
後者に仕立て上げる供述をした疑いを抱かせるものといいうる。)。
 2 ところで、原判決は、被告人がいかなる経緯でDの犯行決意を知つたのかに
ついて特に触れることなく、本件では、被告人が、事前にDの犯行決意を知り、か
つ、レンタカーを使用することを知つたうえで、同人の求めに応じてレンタカー借
賃を交付した事実を裏付ける間接事実があるとの判断を示しているが、その説示す
るところは、以下(一)ないし(三)に示すとおり納得しがたい。
 (一) まず、原判決は、被告人がDの犯行決意を知つていたことを裏付ける間
接事実として、被告人とA一家及びDとの関係をあげている。その理由として原判
決のあげる事実関係は、おおむね次のとおりである。
 被告人の実父Nは、かつて徳山市で博徒K組を結成していた。その当時、A一家
総長のOはNの配下であり、昭和二九年ころ、Nが死亡した後、OはN宅に事務所
を置いてO組を結成した。このような関係があるため、被告人は、Oが二代目A組
総長の地位についた後も、O組事務所に気安く出入りし、またOの直系の配下であ
るBのことを兄貴と呼び交際を続けていた。しかし、被告人はA一家の組員になつ
たことはない。
 他方、被告人は、昭和四八年ころ、Dと知り合い、以後、両名は消火設備、配管
等の事業を共同で経営したこともあつたところ、昭和五一年一〇月ころ、被告人は
かねて知己の間柄にあつたO組組員が広島刑務所から出所する際、Dを連れてこれ
を出迎えに行き、その際、DをBに紹介したところ、それが切つかけとなり、Dは
Bと交際するようになつて、同年一二月その配下となつた。
 しかし、右の原判決認定事実は、被告人とA一家との繋がりがもつぱら被告人と
O総長との縁故によるものであり、またDとの交際もA一家の組活動とは関係がな
いむしろ個人的な色彩の濃厚な関係にあつたことを示しているものとみるべきであ
ろう。従つて、これをもつて被告人がA一家の組織の中で、組織上の機密に属する
F殺害計画に加わるとか、積極的にその計画に加担するような立場にあつたとは考
えにくい。特に、F殺害は、対立抗争中の暴力団の一方が他方の首領の殺害を企図
した計画的な犯行であり、Dの直属の親分であるBがその背後にあつてDの犯行を
容易ならしめるため、潜伏場所を手配するという行動に出ていることを考慮すると、
被告人の知情を推認するための間接事実として、被告人とA一家との繋がりやDと
の交友関係をあげることだけでは、とうてい十分な理由とはいえない。
 (二) 次に、原判決は、Dが昭和五二年四月一〇日ころ、Mの案内で岩国市内
の潜伏場所に赴いた際、被告人も別の自動車でDに同行したとしてこれを被告人が
Dの犯行決意を知つていたことを裏付ける間接事実としてあげている。
しかしながら、被告人の第一審公判供述、Mの司法警察員に対する昭和五二年一一
月二五日付、昭和五三年三月二八日付各供述調書によると、昭和五二年四月一〇日
ころ、MはBの指示により徳山競艇場でDと待ち合わせ、同人を連れて岩国市内の
潜伏場所まで赴くことになつたこと、一方、被告人は、これとは関係なく同日自動
車で徳山市から広島市へ赴くことになつていたところ、Dから、徳山競艇場で人と
会う約束となつているので、同所まで同乗させてほしいと依頼されこれに応じたこ
と、Dは同所でMと落ち合い、今度は同人の運転する自動車に同乗し、岩国市へ向
け出発し、被告人の乗つた自動車がこれに続き、しばらくこれに追従していたが、
下松市付近に差しかかつて後、両車は別行動をとり、それぞれの目的地に向かつた
こと、しかも、Mと被告人は当時面識がなく、右両名が互いに名前を知つたのは、
MがDに潜伏場所を提供し同人のF殺害の犯行を容易ならしめたという殺人幇助の
嫌疑で逮捕された後であることが認められ、これと抵触する証拠はない。また、原
判決も認定するように、Dは、Mの手配で岩国市内に潜伏場所の提供を受けてから
一週間位たつた同年四月中旬ころ、Mの案内でFの自宅やE会事務所の下見を行つ
ているのに、被告人がその事実を知つていたと認むべき証拠もない。
 このように、本件において、DがMの案内で岩国市内の潜伏場所へ赴くに際し、
被告人がこれに同行したと認定するに足りる証拠はなく、原判決のこの点に関する
説示は首肯しがたい。
 (三) さらに、原判決は、D検面調書のうち「五万円交付の事実」に関する供
述記載部分についてはこれに符合する事実を認定しうる証拠があり、これが、被告
人の知情を裏付ける根拠となるとしている。
 原判決の認定、判断のうち、被告人が同認定の日時、場所において、Dに対し現
金五万円を交付したとの部分は、挙示の証拠関係に照らし是認できないわけではな
い。しかし、原判決に示す現金交付の事実が認められるからといつて、そのことが
直ちに、右現金交付の趣旨までをも裏付けるものでないことは明らかであり、原判
決の指摘する点は、被告人の知情を推認すべき根拠として決して十分なものではな
い。
 3 このようにみると、原判決が、D検面調書の一部を措信しうる理由として挙
示する点は、全体として論拠が薄弱であり、支持しがたいというほかない。
 五 以上に説示したとおり、本件において、被告人に対し殺人ないしは殺人幇助
の事実を認定するための直接証拠であるD検面調書の証拠価値には多くの疑問があ
る上、原判決がD検面調書の一部について、信用性を裏付けるに足りるとして挙示
する間接事実についてみても、すでに検討したとおり、証拠の証明力に対する評価
及び証拠に基づく推理判断の過程になお多くの疑問が残る。
 原判決の説示するところは、本位的訴因である殺人の事実について犯罪の証明が
ないとした限りにおいてその認定は正当と認められるが、予備的訴因である殺人幇
助の事実を認定する推断の過程には、合理性を欠き是認しがたいものがあるといわ
ざるをえない。
 六 従つて、被告人について殺人罪の成立を認めた第一審判決及び殺人幇助罪の
成立を認めた原判決はそれぞれ証拠の価値判断を誤り、ひいて重大な事実誤認をし
た疑いが顕著であつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、これを破
棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
 記録並びに第一審裁判所及び原裁判所が取調べた証拠を仔細に検討してみても、
本件公訴事実については、これを認定するに足りる証拠があるとはいえないので、
被告人に対し無罪の言渡しをすべきものである。
 よつて、刑訴法四一一条三号、四一三条但書により原判決及び第一審判決を破棄
して、被告事件について、さらに判決することとし、同法四一四条、四〇四条、三
三六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 検察官田中豊 公判出席
  昭和六〇年一二月一九日
     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    角   田   禮 次 郎
            裁判官    谷   口   正   孝
            裁判官    和   田   誠   一
            裁判官    高   島   益   郎

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