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平成31年(受)第491号,第495号損害賠償請求事件
令和3年5月17日第一小法廷判決
主文
1原判決中,原告X1の被告国に対する請求に関する
部分を破棄し,同部分につき本件を大阪高等裁判所
に差し戻す。
2原判決中,原告X2らの被告積水化学工業に対する
請求のうち,被告積水化学工業敗訴部分を破棄し,
同部分につき,原告X2らの控訴を棄却する。
3原告X2らと被告積水化学工業との間に生じた控訴
費用及び上告費用は,原告X2らの負担とする。
理由
第1事案の概要
1原告らは,建設作業に従事し,石綿(アスベスト)粉じんにばく露したこと
により,肺がんにり患したと主張するA及びBの承継人である。本件は,①原告
X1が,被告国に対し,建設作業従事者が石綿含有建材から生ずる石綿粉じんにば
く露することを防止するために被告国が労働安全衛生法(以下「安衛法」とい
う。)に基づく規制権限を行使しなかったことが違法であるなどと主張して,国家
賠償法1条1項に基づく損害賠償を求め,②原告X2らが,被告積水化学工業に対
し,被告積水化学工業が石綿含有建材から生ずる粉じんにばく露すると石綿関連疾
患にり患する危険があること等を表示することなく石綿含有建材を製造販売したこ
とにより,屋外の建設現場における石綿含有建材の切断,設置等の作業(以下「屋
外建設作業」という。)に従事していたBが肺がんにり患したと主張して,不法行
為に基づく損害賠償を求める事案である。
2原審の確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
石綿及び石綿含有建材の概要
石綿は,天然に産出される繊維状けい酸塩鉱物(クリソタイル,クロシドライト
等)の総称であり,耐熱性等にその特長を有し,建設現場において,セメント等の
結合剤及び水と混合して壁,天井,柱等に吹き付けられたほか,石綿含有スレー
ト,石綿含有セメント板等として床材,壁材,天井材等に用いられた。
石綿関連疾患の概要
石綿関連疾患には,石綿肺,肺がん,中皮腫等がある。石綿の累積ばく露量と肺
がんの発症率との間には,累積ばく露量が増えるほど発症率が高くなるという関係
が認められる。
石綿粉じん濃度の規制
労働大臣は,昭和46年4月28日,局所排気装置の性能要件として,石綿の抑
制濃度の規制値を1㎥当たり2㎎と定めた(同年労働省告示第27号)。これは,
石綿の繊維数に換算すると,1㎤当たり33本である。
労働省労働基準局長は,昭和48年7月11日付けで通達(同日基発第407
号)を発出し,当面,石綿粉じんの抑制濃度を5㎛以上の繊維として1㎤当たり5
本と指導することを指示した。
労働大臣は,昭和50年9月30日,石綿の抑制濃度の規制値を5㎛以上の繊維
として1㎤当たり5本と定めた(同年労働省告示第75号)。
労働省労働基準局長は,昭和51年5月22日付けで通達(同日基発第408
号)を発出し,当面,1㎤当たり2本(クロシドライトにあっては,1㎤当たり
0.2本)以下の環気中粉じん濃度を目途とするよう指導することを指示した。
労働省労働基準局長は,昭和59年2月13日付けで通達(同日基発第69号)
を発出し,石綿の管理濃度を1㎤当たり2本とした。管理濃度とは,有害物質に関
する作業環境の状態を評価するために,対象となる区域について実施した測定結果
から当該区域の作業環境管理の良否を判断する際の指標である。
労働大臣は,昭和63年9月1日,石綿の管理濃度を5㎛以上の繊維として1㎤
当たり2本(クロシドライトにあっては,1㎤当たり0.2本)と定めた(同年労
働省告示第79号)。
厚生労働大臣は,平成16年10月1日,石綿の管理濃度を5㎛以上の繊維とし
て1㎤当たり0.15本と定めた(同年厚生労働省告示第369号)。
石綿粉じん濃度の測定結果
ア屋外建設作業に係る測定結果
慶應義塾大学医学部衛生学公衆衛生学教室の東敏昭らは,昭和62年,「一
般家屋壁材施工時の発塵状況調査結果」を公表した。この調査結果では,同年,一
般個人用住宅建設時に,屋外で電動のこぎり又は丸のこを使用して防火サイディン
グの切断作業をする者につき測定時間を約2~3分として石綿粉じんの個人ばく露
濃度を測定した結果は,0.08本/㎤,0.17本/㎤,0.20本/㎤,0.
27本/㎤,0.27本/㎤,1.16本/㎤,2.05本/㎤(以下,石綿粉じ
ん濃度における本数は石綿の繊維数である。)であったとされている(以下,この
測定結果を「測定結果①」という。)。
建設業労働災害防止協会は,平成9年に「改訂石綿含有建築材料の施工に
おける作業マニュアル」を出版した。このマニュアルでは,昭和62年から昭和6
3年にかけての測定結果として,屋外で除じん装置の付いていない電動丸のこ又は
バンドソーを使用してスレート等の切断,葺上げ,張付け等の作業をする者につき
採取時間を32~180分として石綿粉じんの個人ばく露濃度を測定した結果は,
14件で0.01~0.31本/㎤であったとされている(以下,この測定結果を
「測定結果②」という。)。
イ屋内の作業に係る測定結果
岡山大学医学部衛生学教室の三村啓爾は,昭和53年6月,第51回日本産
業衛生学会において,造船工場の作業環境等に関する調査結果を報告した。同調査
結果では,作業室内で吸じん装置付きの電動回転のこを使用して石綿けい酸カルシ
ウム板の切断作業をする者につきその者の口元で石綿粉じん濃度を測定した結果
は,30~55本/㎤であり,新造船内で吸じん装置付きの電動回転のこを使用し
て石綿セメント板の切断作業をする者につきその者の口元で石綿粉じん濃度を測定
した結果は,25~62本/㎤であったとされている(以下,この測定結果を「測
定結果③」という。)。
名古屋大学医学部衛生学教室の久永直見らは,昭和63年,雑誌「労働衛
生」に「アスベストに挑む三管理環境管理と作業管理―建築業の現場を中心に
―」と題する論文を発表した。同論文では,同年,電動丸のこを使用して天井に張
られた石綿セメント板の切断作業をする者につき測定時間を2分30秒~5分とし
てその者の鼻先で気中石綿粉じん濃度を測定した結果は,125.1~787.0
本/㎤であったとされている(以下,この測定結果を「測定結果④」という。)。
久永直見らは,平成元年,「建築業における石綿粉塵曝露とその健康影響に
関する研究」と題する報告書を発表した。同報告書では,同年,屋内で電動丸のこ
を使用して石綿含有建材の切断作業等をする者につきその者の鼻先で気中石綿粉じ
ん濃度を測定した結果は,6.3~787本/㎤であったとされている(以下,こ
の測定結果を「測定結果⑤」という。)。
第2平成31年(受)第495号上告代理人村松昭夫ほかの上告受理申立て理
由第1章第6の1及び第8の2について
1原審は,上記事実関係等の下において,次のとおり判断して,原告X1の被
告国に対する請求を棄却すべきものとした。
労働大臣は,昭和50年10月1日には,安衛法22条,23条及び27条
1項に基づく規制権限を行使して,石綿含有建材を取り扱う建設現場における掲示
として,石綿により肺がん,中皮腫等の重篤な石綿関連疾患にり患する危険がある
こと等を示すことを義務付けるべきであったのであり,同日以降,労働大臣が上記
の規制権限を行使しなかったことは,建設作業に従事して石綿粉じんにばく露した
労働者との関係において,安衛法の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,著
しく合理性を欠くものであって,国家賠償法1条1項の適用上違法であるというべ
きである。
もっとも,安衛法22条,23条及び27条1項は,使用者と労働者との間
の使用従属関係を前提として,事業者に対し,労働者の健康障害の防止のための措
置等を講ずることを義務付けること等を定めたものであり,事業者の行為を介して
労働者の安全を確保しようとするものと解されるから,建設作業に従事して石綿粉
じんにばく露した者のうち労働者に該当しない者まで保護の対象としているとは解
されない。したがって,被告国は,労働大臣が上記の規制権限を行使しなかったこ
とについて,上記の者との関係では,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を
負わない。
Aは,昭和50年10月1日以降,事業主の立場にあり,労働者として建設作業
に従事したものではなかったため,被告国は,労働大臣が上記の規制権限を行使し
なかったことについて,Aとの関係では,上記損害賠償責任を負わない。
昭和50年10月1日以降のAの作業内容及び石綿粉じんへのばく露の状況
について,妻である原告X1の陳述書には,Aは解体の仕事をしていたがその具体
的な内容については全く知らなかった旨記載されている。Aについては,医療関係
の証拠も何ら提出されていない。したがって,Aが石綿粉じんにばく露する建設作
業に従事して石綿関連疾患にり患したことを認めることはできず,この点からも,
被告国は,Aに対し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を負わない。
2しかしながら,原審の上記1(2)及び(3)の判断は是認することができない。
その理由は,次のとおりである。
労働大臣は,昭和50年10月1日には,安衛法に基づく規制権限を行使し
て,通達を発出するなどして,石綿含有建材を取り扱う建設現場における掲示とし
て,石綿含有建材から生ずる粉じんを吸入すると重篤な石綿関連疾患を発症する危
険があること等を示すように指導監督すべきであったところ,上記の規制権限は,
労働者を保護するためのみならず,労働者に該当しない建設作業従事者を保護する
ためにも行使されるべきものであったというべきであり,同日以降,労働大臣が上
記の規制権限を行使しなかったことは,屋根を有し周囲の半分以上が外壁に囲まれ
屋内作業場と評価し得る建設現場の内部における建設作業に従事して石綿粉じんに
ばく露した者のうち,安衛法2条2号において定義された労働者に該当しない者と
の関係においても,安衛法の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,著しく合
理性を欠くものであって,国家賠償法1条1項の適用上違法であるというべきであ
る(最高裁平成30年(受)第1447号,第1448号,第1449号,第14
51号,第1452号令和3年5月17日第一小法廷判決参照)。
これと異なる原審の前記1(2)の判断には法令の違反がある。
記録によれば,Aの作業内容及び石綿粉じんへのばく露の状況については,
Aの陳述書(甲D第14号証の14)に具体的な記載がされ,第1審第11回口頭
弁論期日において結果の陳述がされた証拠保全手続におけるAに対する本人尋問で
も具体的な供述がされており,また,Aに関する医療関係の証拠として医師の意見
書(甲D第14号証の12等)があることが明らかである。しかし,原審は,前記
1のとおり,上記各証拠について検討することなく,Aが石綿粉じんにばく露す
る建設作業に従事して石綿関連疾患にり患したことを認めることはできないとした
ものである。原審のこの判断には法令の違反がある。
上記及びの法令の違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨
は理由があり,原判決は破棄を免れない。
第3平成31年(受)第491号上告代理人本郷誠ほかの上告受理申立て理由
第3について
1原審は,前記事実関係等の下において,次のとおり判断して,原告X2らの
被告積水化学工業に対する請求を一部認容した。
屋外建設作業に係る石綿粉じん濃度についての測定結果①及び②には低い数値が
示されているが,それらは限られた測定時間についてのものであるから,それらを
もって,屋外建設作業に従事する者の就業時間を通じた石綿粉じんへのばく露の状
況を軽微なものと解することはできない。また,測定結果③から⑤までには,屋内
の作業場における石綿含有建材の切断,設置等の作業に係る石綿粉じん濃度につい
て数十本/㎤ないし数百本/㎤という高い数値が示されているところ,屋外におい
ても,作業者は,石綿含有建材の切断作業の際に切断箇所に顔を近付けて作業をし
ているから,作業場所が屋内であるか屋外であるかによって石綿粉じんにばく露す
る程度につき差は大きくないと解される。以上のような屋外建設作業に従事する者
の石綿粉じんへのばく露の状況は,石綿含有建材を製造販売する企業において当然
把握しておくべき事柄である。これらの事情によれば,被告積水化学工業は,昭和
50年には,自らの製造販売する石綿含有建材を使用する屋外建設作業に従事する
者に石綿関連疾患にり患する危険が生じていることを認識することができたという
べきである。そうすると,被告積水化学工業は,同年には,上記の者が石綿関連疾
患にり患することを防止するため,上記石綿含有建材に,当該建材から生ずる粉じ
んにばく露すると石綿肺,肺がん,中皮腫等の重篤な石綿関連疾患にり患する危険
があること等を表示すべき義務を負っていたところ,被告積水化学工業は,同年か
ら当該建材の製造が終了した平成2年までの間,上記の表示義務に違反したという
べきである。
2しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次
のとおりである。
屋外建設作業に従事する者が石綿含有建材の切断作業に従事するのは就業時間中
の限られた時間であり,測定結果①及び②は主にその切断作業をしている限られた
時間につき個人ばく露濃度を測定したものであることからすれば,上記の者が就業
時間を通じてばく露する石綿粉じんの平均濃度は測定結果①及び②より低い数値と
なるということができる。また,屋外建設作業に係る石綿粉じん濃度についての測
定結果①及び②は,全体として屋内の作業に係る石綿粉じん濃度についての測定結
果③から⑤までを大きく下回るところ,これは,屋外の作業場においては,屋内の
作業場と異なり,風等により自然に換気がされ,石綿粉じん濃度が薄められるため
であることがうかがわれる。したがって,屋外建設作業に従事する者が,上記切断
作業をする限られた時間に切断箇所に顔を近付けて作業をすることにより高い濃度
の石綿粉じんにばく露する可能性があるとしても,就業時間を通じて屋内の作業場
と同程度に高い濃度の石綿粉じんにばく露し続けるということはできない。
以上によれば,原審が指摘する測定結果①から⑤まで及びその他の事情をもっ
て,被告積水化学工業が,昭和50年から平成2年までの期間に,自らの製造販売
する石綿含有建材を使用する屋外建設作業に従事する者に石綿関連疾患にり患する
危険が生じていることを認識することができたということはできない。したがっ
て,被告積水化学工業が,上記の期間に,上記の者に対し,上記石綿含有建材に前
記の内容の表示をすべき義務を負っていたということはできない。
これと異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反が
ある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,以上に説示したとこ
ろによれば,原告X2らの被告積水化学工業に対する請求は理由がなく,これらを
棄却した第1審判決は結論において正当である。
第4結論
以上のとおりであるから,原判決中,原告X1の被告国に対する請求に関する部
分を破棄し,更に審理を尽くさせるため,同部分につき本件を原審に差し戻すこと
とする。また,原判決中,原告X2らの被告積水化学工業に対する請求のうち,被
告積水化学工業敗訴部分を破棄し,同部分につき,原告X2らの控訴を棄却するこ
ととする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官深山卓也裁判官池上政幸裁判官小池裕裁判官
木澤克之裁判官山口厚)

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