弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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            主     文
1 1審原告らの本件控訴(当審において追加した請求を含む。)をいずれも棄却
する。
2 1審被告の本件控訴に基づき,原判決主文2項及び3項中別紙1当事者目録
記載の番号38ないし40,42,45,46,63ないし67,69,70,72及び77の各1審原告に
関する部分を次のとおり変更する。
  「別紙1当事者目録記載の番号38ないし40,42,45,46,63ないし67,6
9,70,72及び77の各1審原告の公式陳謝請求を除くその余の請求をいずれも棄却す
る。」
3 訴訟費用は,第1,2審を通じて全部1審原告らの負担とする。
            事実及び理由
(以下,別紙1当事者目録記載の各1審原告を同目録記載の番号のみで表記することがあ
る。)
 第1 請求
 1 1審原告らの控訴の趣旨等
 (1) 原判決中1審原告ら敗訴部分を取り消す。
 (2) 1審被告は,番号1,2,4,6,8ないし13,15,16,18ないし22,24ないし29,53,
62,78の各1審原告に対し,それぞれ5000万円を支払え。
 (3) 1審被告は,番号3,5,7,14,17,30,36,51,52,54,55,57ないし61の各1審
原告に対し,それぞれ5010万円を支払え。
 (4) 1審被告は,番号31ないし35,37ないし43,45ないし47,49,50,56,64,66な
いし77,80ないし82の各1審原告に対し,それぞれ2000万円を支払え。
 (5) 1審被告は,番号48の1審原告に対し,1163万6363円を支払え。
 (6) 1審被告は,番号63の1審原告に対し,307万6923円を支払え。
 (7) 1審被告は,番号65の1審原告に対し,571万4285円を支払え。
 (8) 1審被告は,番号79の1審原告に対し,1600万円を支払え。
 (9) 1審被告は,浮島丸の沈没により,1審原告らを含む多数の朝鮮人に多大な犠牲を被
らせたことについて,衆議院及び参議院において以下の内容の謝罪の辞を各議決すること
により,公式に陳謝せよ。
 「 浮島丸事件は,海軍特別輸送艦浮島丸が,元海軍軍属らであった朝鮮人たちを輸送
中,舞鶴湾で起きた事件でした。
 これによって,多数の朝鮮人の犠牲者が生じました。
 日本国は,浮島丸事件の犠牲者及びその遺族に対し,ここに深く陳謝致します。
     200○年○月○日
     内閣総理大臣○ ○ ○ ○      印」
 (10) 1審被告は,番号14の1審原告に対しa1の遺骨を,番号51の1審原告に対しa2の遺
骨を,番号57の1審原告に対しa3の遺骨を,番号58の1審原告に対しa4の遺骨を,番号5
9の1審原告に対しa5の遺骨をそれぞれ引き渡せ。
 2 1審被告の控訴の趣旨
 (1) 原判決中1審被告敗訴部分を取り消す。
 (2) 番号38ないし40,42,45,46,63ないし67,69,70,72及び77の各1審原告の請
求をいずれも棄却する。
 第2 事案の概要
 1 請求の概要及び審理経過
 (1) 本件は,海軍の特設運送艦浮島丸が,昭和20年8月24日,京都府舞鶴湾内で爆発
が起き沈没した件に関し,① 浮島丸に乗船し,その沈没によって死亡した者の遺族ないし
承継人であると主張する1審原告ら(番号1ないし22,24ないし30,36,51ないし55,57
ないし62,78の各1審原告),及び② 浮島丸に乗船しており,その沈没に遭遇して生還し
た者,その遺族ないし承継人であると主張する1審原告ら(番号31ないし35,37ないし4
3,45ないし50,56,63ないし77,79ないし82の各1審原告)が,1審被告に対し,ア 道
義的国家たるべき義務違反に基づく国家賠償法の類推適用による損害賠償及び浮島丸の
沈没により1審原告らを含む多数の朝鮮人に多大な犠牲を被らせたことを公式に陳謝する
こと(以下「公式陳謝」という。),イ 大日本帝国憲法(以下「明治憲法」ともいう。)27条又は
日本国憲法(以下「憲法」という。)29条の類推適用に基づく損失補償,ウ 安全配慮義務
違反に基づく損害賠償,エ 立法不作為の違法を理由とする国家賠償法1条1項に基づく
損害賠償,を求めるとともに,オ 番号14,51,57ないし59の各1審原告において所有権
に基づく遺骨の返還を求めた事案である(なお,1審原告らは,エの立法不作為の違法を
理由とする国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求をアないしウの各損害賠償請求ない
し損失補償請求が認められない場合における予備的請求としている。)。
 (2) 原審において,1審原告ら(当審で訴訟手続を承継した者についてはその訴訟被承
継人をいう。)は,上記アないしエの損害賠償請求ないし損失補償請求について,いずれ
も,自己の固有の損害の賠償ないし損失の補償を求め,その損害額ないし損失額として
は,上記①の各1審原告並びに番号56及び79の各1審原告は,それぞれ,浮島丸の沈没
事件により死亡した者の遺族(死亡者遺族)としての固有の慰謝料5000万円を主張し(そ
のうち遺骨の返還を請求していた番号3,5,7,14,17,30,36,51ないし61の各1審原
告は,供養料10万円を併せて請求),番号35,37ないし40,42,43,45,46,63ないし7
2,77の各1審原告は,それぞれ,浮島丸に乗船してその沈没事件に遭遇し被害を受けた
ことによる慰謝料(乗船者本人としての慰謝料)2000万円を主張し,番号31ないし34,4
1,47ないし50,73ないし76,80ないし82の各1審原告は,それぞれ,浮島丸に乗船して
その沈没事件に遭遇し生還後死亡した者の遺族(帰還後死亡者遺族)としての固有の慰謝
料2000万円を主張していた。
 また,1審原告らは,上記(1)アの公式陳謝に係る請求の趣旨を「1審被告は,浮島丸の沈
没により,1審原告らを含む多数の朝鮮人に多大な犠牲を被らせたことを公式に陳謝せ
よ。」としていた。
 原審において,1審被告は,前記各1審原告の遺骨の返還請求のうち,番号3,5,7,1
7,30,36,52,54,55,60及び61の各1審原告についてその請求を認諾した。
 (3) 原審は,1審原告らの公式陳謝の請求に係る訴えについては,請求の趣旨の特定を
欠くものとして不適法であるとしてこれを却下し,1審原告らのその余の請求のうち,番号38
ないし40,42,45,46,63ないし67,69,70,72及び77の各1審原告については,それ
ぞれ安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求を慰謝料300万円の支払を求める限度に
おいて認容し,その余の請求をいずれも棄却すべきものとし,その余の各1審原告について
は,その請求をいずれも棄却すべきものとした。
 (4) 原判決中1審原告ら敗訴部分(ただし,番号53の1審原告については,供養料10万
円の支払請求及び遺骨の返還請求を除くその余の請求部分)につき1審原告らが,1審被
告敗訴部分につき1審被告がそれぞれ控訴した(なお,1審被告は,原判決中1審被告敗
訴部分に係る各1審原告の公式陳謝の請求に係る訴えを却下した部分については控訴の
対象としていないものと解される。)。
 当審において,上記(1)アないしエの損害賠償請求ないし損失補償請求(供養料の支払
請求を除く。)について,番号2ないし4,10,12,18,21,24,25,29,30,51,58,60
及び78の各1審原告らは,それぞれ,従前の死亡者遺族としての固有の慰謝料(5000万
円)の請求に係る訴えの全部又はその一部を取り下げ,浮島丸の爆沈事件により死亡した
者から相続により取得した慰謝料の請求を追加し,番号36の1審原告は,従前の死亡者遺
族としての固有の慰謝料(5000万円)の請求に係る訴えの全部を取り下げ,浮島丸の爆沈
事件により死亡した者から相続により取得した慰謝料の請求及び乗船者本人としての慰謝
料の請求を追加し,番号56の1審原告は,従前の死亡者遺族としての固有の慰謝料(500
0万円)の請求に係る訴えの一部を取り下げ,帰還後死亡者から相続により取得した慰謝料
の請求を追加し,番号79の1審原告は,従前の死亡者遺族としての固有の慰謝料(5000
万円)の請求のうち帰還後死亡者遺族としての固有の慰謝料800万円(ただし,訴訟被承
継人から相続により取得したもの)の請求部分以外の請求部分に係る訴えを取り下げ,帰
還後死亡者から相続により取得した慰謝料(800万円)の請求を追加し,番号32,33,41,
47,48,50,73,75,76,80ないし82の各1審原告らは,それぞれ,従前の帰還後死亡
者遺族としての固有の慰謝料(2000万円)の請求に係る訴えの全部又はその一部を取り
下げ,帰還後死亡者から相続により取得した慰謝料の請求を追加し,番号63,65の各1審
原告は,訴訟承継に伴って請求の減縮をし,番号68の1審原告は,従前の乗船者本人とし
ての慰謝料(2000万円)の請求に係る訴えの全部を取り下げ,帰還後死亡者から相続によ
り取得した慰謝料の請求を追加した。これらに係る1審原告らの主張の詳細は,別紙2のと
おりである(なお,1審原告らは,支払を求める金員の性格を慰謝料ないし損害賠償として
いるが,これを損失補償としても請求する趣旨のものと解される。)。
 また,番号56の1審原告は,供養料10万円の支払請求及び遺骨の返還請求に係る訴え
を取り下げた。
 さらに,1審原告らは,公式陳謝に係る請求の趣旨を前記第1の1(9)のとおり改めた。
 1審被告は,当審において,新たに,1審被告は財産及び請求権に関する問題の解決並
びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約第27号。以下「日
韓請求権協定」という。)により1審原告らの請求に応じる法的義務を負わない旨の主張を
するとともに,消滅時効を援用した(これらの主張は,いずれも,1審原告らの前記(1)アない
しウの各請求に対するものと解される。)。
 2 基礎となる事実(争いのない事実及び弁論の全趣旨により容易に認定することができ
る事実等)
 (1) 我が国は明治43年8月22日韓国との間で「韓國併合ニ關スル條約」を締結して韓国
を併合した。これによってそれまでの韓国国民は日本国籍を取得した(以下,日本の国内
法上で朝鮮人としての法的地位を有していた人を「朝鮮人」という。)。
 (2) 昭和13年4月1日,国家総動員法(昭和13年法律第55号)が公布された。そして,同
法4条の規定に基づく徴用について,昭和14年7月,国民徴用令(昭和14年勅令第451
号)が公布され,内地においては同月15日から,朝鮮,台湾等においては同年10月1日か
ら施行された。
 朝鮮においては,昭和14年9月からいわゆる自由募集による朝鮮から日本内地への労務
者の動員が始められ,昭和16年から国民徴用令が軍用員関係に対して適用され,昭和17
年2月からいわゆる官斡旋による朝鮮から日本内地への労務者の動員が始められ,昭和1
9年2月から国民徴用令に基づく朝鮮内の重要工場,事業場の現員徴用が行われ,同年9
月以降,国民徴用令の適用による朝鮮から日本内地への労務者の動員が行われた。そし
て,多くの朝鮮人が,日本内地において,軍需工場,炭坑,鉱山,土木作業場等の労務者
として,あるいは陸海軍の軍属として,稼働させられた。
 (3) 昭和20年8月14日,日本国政府は,アメリカ合衆国他3国に対し,ポツダム宣言を受
諾する旨通告し,同日,終戦の詔書が発布されて,同月15日,その内容がラジオで放送さ
れた(以下,この事態を「終戦」という。)。同年9月2日,我が国は降伏文書に調印し,これ
により,我が国は連合国による占領管理下に置かれた。
 (4) 終戦当時,青森県大湊地区には,海軍の大湊警備府が設けられていた。大湊警備
府は,津軽海峡,北海道方面,千島列島方面海域の警備,海上交通保護の任務を負わさ
れており,大湊地区及びその周辺には,大規模な防空壕,地下倉庫,飛行場,鉄道の建設
等のために,数千名に及ぶ朝鮮人軍属,労務者(徴用工)及び渡日した朝鮮人が居住して
いた。
 (5) 海軍の特設運送艦である浮島丸は,大湊地区及びその周辺の朝鮮人を多数乗船さ
せて,昭和20年8月22日午後10時ころ大湊を出航し,日本海を航行して,同月24日午後
5時10分すぎころ,舞鶴港に入港しようとしたが,舞鶴湾内で,突然船体下部付近で爆発
が起き,沈没した(以下,この沈没事件を「本件爆沈」ないし「本件爆沈事件」という。)。
 浮島丸艦長は,同日午後9時31分,海軍運輸本部長,大湊警備府司令長官及び横須賀
鎮守府司令長官に宛てて,「本艦二十四日舞鶴入港ノ際一七一〇戸島及蛇島間水路ニ於
テ第四番船倉附近ニ触雷船軆中央部ヨリ切断沈没セリ死傷者目下調査中尚便乗生存者
ハ鉄道ニテ門司ニ輸送方御手配願度」との電報を発した(乙34)。
 (6) 終戦後浮島丸の沈没に至るまでの間,次のような海軍関係の命令等が出された。
 ア 昭和20年8月16日,海軍軍令部総長から,「南東方面艦隊司令長官,南西方面艦隊
司令長官及海軍總司令長官ハ指揮下海陸軍全部隊ヲシテ即時戰闘行動ヲ停止セシムベ
シ 但シ停戰交渉成立ニ至ル間敵ノ來攻ニ當リテハ止ムヲ得ザル自衞ノ爲ノ戰闘行動ハ之
ヲ妨ゲズ」とする奉勅命令(大海令第48号)が伝達された(乙17)。
 イ 同月17日,海軍軍令部総長から,「南東方面艦隊司令長官,南西方面艦隊司令長官
及海軍總司令長官ハ別ニ定ムル時機以後指揮下海陸軍全部隊ヲシテ一切ノ戰闘行為ヲ
停止セシムベシ(1項) 前項各司令長官ハ指揮下各部隊(艦艇)ヲシテ給養ニ便ナル適宜
ノ地域(固有繋留港内地所在ノモノハ成ル可ク所属軍港)ニ集結シ爾後ノ処理ニ關シ準備
セシムルコトヲ得」とする奉勅命令(大海令第49号)が伝達された(乙20)。
 ウ 同月19日,海軍軍令部総長から南東方面艦隊司令長官,南西方面艦隊司令長官,
海軍総司令長官,第10方面艦隊司令長官及び高雄警備府司令長官に宛てて,「大海令
第四十九號ニ於ケル一切ノ戰闘行為ヲ停止スベキ時機ヲ海軍總司令長官指揮下部隊ニ
在リテハ昭和二十年八月二十二日零時トス 但シ支那方面艦隊ニ關シテハ追テ定ム(1項)
 前項所定時機以後海軍總司令長官竝ニ其ノ指揮下海陸軍部隊ノ作戦任務ヲ解ク」とする
奉勅命令(大海令第50号)が伝達された(乙21)。
 エ 同月19日,海軍運輸本部は,大湊警備府からの同月18日付け電報に対する返答と
して,大湊警備府参謀長に宛てて,「浮島丸使用差支ナシ」との電報を発した(甲A61)。
 オ 同月20日,海軍省は,部内一般,内地朝鮮関東州満州国所在各所属長官関係各所
轄長に宛てて,官衙及び作業庁雇員傭人工鑛員の整理について,「速ニ徴用ヲ解除ス 半
島人本島人中華人工礦員ニツキテハ本人ノ希望地方事情輸送力等ヲ勘案シ各所屬長官
所定ニ依リ歸郷セシム」とする電報(機密第202134番電)を発した(乙30)。
 カ 同月21日,海軍軍令部総長から連合艦隊司令長官,横須賀鎮守府司令長官,第三
航空艦隊司令長官,第五航空艦隊司令長官,第十航空艦隊司令長官及び佐世保鎮守府
司令長官に宛てて,「八月二十四日一八〇〇以後特ニ定ムルモノノ外航行中以外ノ艦船ノ
航行ヲ禁止ス」などとする奉勅命令(大海令第52号)が伝達された(甲A3)。
 キ 同月22日,海軍軍令部総長は,連合艦隊司令長官,舞鶴鎮守府司令長官,大湊警
備府司令長官外に宛てて,「八月二十四日一八〇〇以降現ニ航行中ノモノノ外艦船ノ航行
ヲ禁止ス」などとする指示(大海指第533号)を出した(乙31)。 ク 同日午後7時20分,海
軍運輸本部長は,聖川丸,長運丸,浮島丸各特務艦長に宛てて,「八月二十四日一八〇
〇以後左ノ通処置スベシ 一 現ニ航行中ノモノノ外船舶ノ航行禁止 二 各種爆発物ノ処
理」などとする至急電報(機密第221605番電)を発した(甲A1)。
 ケ その後,海軍運輸本部長は,浮島丸,長運丸各特務艦長に対し,同月22日付けで,
「八月廿四日一八〇〇以降一〇〇総屯以上ノ船舶ハ航行ヲ禁止セラル 令時刻迄ニ目的
港ニ到着スル如ク努力セヨ 到達見込ミ無キモノハ右日時迄ニ最寄ノ軍港又ハ港湾ニ入港
セヨ」とする緊急電報(機密第221935番電)を発した(甲A2,乙第33)。
 (7) 国は,浮島丸に乗船していたのは,乗組員255名,朝鮮人3735名(徴用工2838
名,民間人897名),死亡者は,乗組員が25名,乗客が524名,沈没の原因は,米軍の機
雷への接触であるとしており,朝鮮人乗船者の死亡者について,524名の氏名(創氏名)及
び本籍等を記載した「浮島丸死没者名簿」(甲A59)が作成されている。
 (8) 1審原告らは,別紙2のとおり,その本人又は親族が浮島丸に乗船していた旨主張し
ているところ,そのうち少なくともa5(番号1の1審原告関係),a6(番号2の1審原告関
係),a7(番号3の1審原告関係),a8(番号4の1審原告関係),a9(番号5の1審原告関
係),a10(番号6の1審原告関係),a11(番号7の1審原告関係),a12(創氏名・番号8の1審
原告関係),a13(番号9の1審原告関係),a14(番号10の1審原告関係),a15(創氏名・番
号11の1審原告関係),a16(番号12の1審原告関係),a17(番号13の1審原告関係),a18
(番号15の1審原告関係),a19(創氏名・番号16の1審原告関係),a20(番号17の1審原
告関係),a21(番号18の1審原告関係),a22(創氏名・番号19の1審原告又は番号78の1
審原告関係),a23(創氏名・番号19の1審原告関係),a24(番号20の1審原告関係),a25
(番号21の1審原告関係),a26(番号22の1審原告関係),a27(番号25の1審原告関
係),a28(番号26の1審原告関係),a29(創氏名・番号27の1審原告関係),a30(創氏名・
番号28の1審原告関係),a31(番号29の1審原告関係),a32(番号30の1審原告関
係),a33(番号36の1審原告関係),a34(番号36の1審原告関係),a35(番号36の1審原
告関係),a36(番号52の1審原告関係),a37(番号53の1審原告関係),a38(番号54の1
審原告関係),a39(番号55の1審原告関係),a40(番号60の1審原告関係),a41(番号61
の1審原告関係),a42(番号62の1審原告関係)は,いずれも浮島丸に乗船し,昭和20年8
月24日,同船の沈没により死亡した(これらの死亡者と各1審原告との身分関係に関する主
張については別紙2参照)。
 なお,これらの者のうち
a5,a6,a7,a8,a12,a14,a15,a17,a18,a19,a21,a22,a23,a25,a26,a27,a29,a30,a3
1,a32,a39,a40,a41及びa42は,徴用されて大湊海軍施設部に所属していたものであ
り,a9,a10,a11,a13,a16,a20,a24,a28,a33,a34,a36,a37及びa38は,大湊海軍施設
部に所属していたものである。
 (9) cサルベージは,昭和25年3月から浮島丸の引揚作業を行い,船体の後半部を引き
揚げた(以下,この引揚作業を「第1次引揚作業」という。)。その際,103柱とされる遺骨が
収容された。c重工業は,昭和29年1月,船体の前半部を引き揚げたが(以下,この引揚作
業を「第2次引揚作業」という。),その際,多数の遺骨が収容された。
 (10) 本件爆沈事件後に収容された遺体は,舞鶴海兵団の敷地に仮埋葬された後,昭和
25年4月ころ掘り出されて火葬に付され,その後,舞鶴地方復員局の霊安室に安置され
た。第1次引揚作業及び第2次引揚作業の際に収容された遺骨も同様に舞鶴地方復員局
に安置されていたが,これらの遺骨は,昭和30年1月,呉地方復員部に,次いで昭和33年
に厚生省引揚援護局に移され,昭和46年に東京都目黒区所在のd寺に預けられた。昭和
46年11月,昭和49年12月及び昭和51年10月に遺骨の一部が外務省を通じて大韓民国
に返還されたが,なお,280柱とされる遺骨がd寺に残されている。
 (11) 我が国は,昭和27年4月28日に発効した日本国との平和条約(以下「平和条約」と
いう。)により,朝鮮の独立を承認して,済州島,巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するす
べての権利,権原及び請求権を放棄し(2条),これらの地域の施政を行っている当局及び
そこの住民の日本国における財産並びに日本国及びその国民に対するこれらの当局及び
住民の請求権(債権を含む。)の処理は,日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題と
するものとされた(4条)。そして,平和条約の発効により,それまで日本の国内法上で朝鮮
人としての法的地位を有していた人すなわち朝鮮戸籍令の適用を受け朝鮮戸籍に登載さ
れるべき地位にあった人は,朝鮮国籍を取得し,日本国籍を喪失した(最高裁昭和30年
(オ)第890号同36年4月5日大法廷判決・民集15巻4号657頁,最高裁昭和38年(オ)第
1343号同40年6月4日第二小法廷判決・民集19巻4号898頁)。
 (12) 昭和40年6月22日,日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(昭和40年
条約第25号。以下「日韓基本条約」という。)及び財産及び請求権に関する問題の解決並
びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(日韓請求権協定)が締結され,日
韓基本条約において1910年(明治43年)8月22日以前に我が国と韓国との間で締結され
たすべての条約及び協定がもはや無効であることが確認された。
 日韓請求権協定は,その2条1において,「両締約国は,両締約国及びその国民(法人を
含む。)の財産,権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題
が,千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第
四条(a)に規定されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認す
る。」旨規定し,その2条3において,「2の規定に従うことを条件として,一方の締約国及び
その国民の財産,権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の
下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその
国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に基づくものに関しては,い
かなる主張もすることができないものとする。」旨規定し,その2条2(b)において,「この条の
規定は,次のもの(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の
対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。(b) 一方の締約国及びその国
民の財産,権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触
の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの」と規定している。
 また,日韓請求権協定2条に関し,財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協
力に関する日本国と大韓民国との間の協定についての合意された議事録(以下「合意議事
録」という。)2(a)は,「「財産,権利及び利益」とは,法律上の根拠に基づき財産的価値を
認められるすべての種類の実体的権利をいうことが了解された。」旨規定し,2(d)は,「「通
常の接触」には,第二次世界大戦の戦闘状態の終結の結果として一方の国の国民で他方
の国から引き揚げたもの(支店閉鎖を行った法人を含む。)の引揚げの時までの間の他方
の国の国民との取引等,終戦後に生じた特殊な状態の下における接触を含まないことが了
解された。」旨規定している。
 日韓請求権協定の締結を受けて,昭和40年12月,財産及び請求権に関する問題の解
決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第2条の実施に伴う大韓民国
等の財産権に対する措置に関する法律(以下「措置法」という。)が制定され,大韓民国又
はその国民の日本国又はその国民に対する債権であって日韓請求権協定2条3の「財産,
権利及び利益」に該当するものは同年6月22日において消滅したものとされた。
 3 原審における当事者の主張及び原審の判断
 (1) 原審における当事者の主張は,原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の「3
 主な争点及び当事者の主張の骨子」並びに原判決添付別紙(3)及び(4)のとおりである。
 (2) 原判決は,① 1審原告らの公式陳謝の請求に係る訴えについては,請求の趣旨の
特定を欠くから不適法であるとし,② 1審原告らの安全配慮義務違反に基づく損害賠償請
求については,番号38ないし40,42,45,46,63ないし67,69,70,72及び77の各1審
原告(ないしその訴訟被承継人)について,いずれも浮島丸に乗船していた事実を認めた
上,1審被告は浮島丸乗船者との間に成立していた私法上の旅客運送契約に類似した法
律関係に基づく安全運送義務に違反したものとして,慰謝料300万円の支払を求める限度
において理由があるとしたが,番号35,37,43,68及び71の各1審原告(ないしその訴訟
被承継人)については,これらの1審原告らが浮島丸に乗船していた事実を認めるに足りる
証拠はないから,その損失補償請求も含めて理由がないとし,その余の各1審原告につい
ては,浮島丸に乗船していた者の遺族としてその固有の損害の賠償を求めるものであっ
て,運送契約類似の法律関係の当事者ではないから,理由がないとし,③ 道義的国家た
るべき義務違反に基づく国家賠償法の類推適用による損害賠償請求については,1審原
告らの主張は結局は憲法前文を直接の根拠とするものと解されるところ,憲法前文それ自
体を直接の根拠として具体的な法律上の請求ができると解することはできず,また,国家賠
償法の施行前の本件爆沈事件につき同法を類推適用して具体的な請求をすることはでき
ないから,理由がないとし,④ 明治憲法27条又は憲法29条の類推適用に基づく損失補
償請求については,明治憲法27条に基づいて損失補償請求をすることはできず,憲法29
条3項を類推適用することもできないから,理由がないとし,⑤ 立法不作為の違法を理由と
する国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求については,浮島丸に乗船し被害にあった
者又はその遺族である相続人については,上記の安全運送義務違反に基づく損害賠償請
求をすることができるから,その限度において救済のみちが開かれており,それ以上に乗船
者の遺族の固有の精神的苦痛を賠償ないし補償する立法をしないことが憲法の一義的な
文言に違反するとはいえないから,理由がないとし,⑥ 遺骨返還請求については,請求に
係る1審原告らが本件爆沈によって死亡していたとしても,1審被告がd寺に預けている遺
骨の中にその遺骨が含まれているか否か明らかではなく,1審被告がその遺骨を占有して
いることを認めるに足りる証拠はないから,理由がないとした。
 (3) 1審原告らの一部につき安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求を一部認容すべ
きものとした原審の判断の概要は,次のとおりである。
 ア 浮島丸は,昭和20年8月19日ころ,海軍運輸本部の了承を得た大湊警備府から,朝
鮮人徴用工等を乗船させて釜山まで運行することを命じられた。大湊警備府がこの時点で
朝鮮人徴用工等を帰還させることを企図したのは,朝鮮人らが連合国軍の進駐やソ連軍の
進軍と呼応して暴動を起こすことを恐れ,急いでこれを帰還させようとしたものと推認される。
また,そのころから,大湊周辺の朝鮮人民間徴用工には,雇用先から,浮島丸に乗船する
よう指示がされ,朝鮮人軍属に対しても浮島丸に乗船するよう指示がされた。1審原告ら軍
属としては,浮島丸への乗船を拒むことは事実上困難であったと推認される。
 イ 本件爆沈の原因が乗組員による自爆によるものであるとの1審原告らの主張事実を認
めることはできない。他方,本件爆沈の原因を触雷によるものと考えることは不合理とはいえ
ないが,証拠上これを積極的に認定し得るものではない。もっとも,1審原告らは,安全配慮
義務違反に基づく損害賠償請求においては,触雷が原因である場合についても主張して
いるから,その限度では触雷が原因であることについて当事者間に争いがないことになる。
したがって,触雷が原因であるものとして安全配慮義務違反の主張につき判断する。
 ウ 浮島丸に乗船していたものと認められる上記(2)②の1審原告らは,海軍の軍属であっ
たが,乗船までには徴用を解除されて徴用に基づく関係は終了していたから,1審被告との
間では,昭和20年8月22日の出航までの間に,私法上の旅客運送契約に類似した法律関
係が成立したと解するのが相当であり,民間徴用工又は一般在住朝鮮人と1審被告との間
でも同様の法律関係が成立していたものと解される。
 エ 1審被告は,上記法律関係に基づき,浮島丸に乗船した上記1審原告らに対し,釜山
港又はその近辺の朝鮮の港まで安全に運送する義務,朝鮮の港まで到達することが不可
能な場合には,安全に最寄りの港まで運送し,又は出発港に還送すべき義務を負ったとい
うべきである。この安全運送義務は,上記法律関係に基づく本来的な義務であって,付随
的なものではないから,このような義務の違反を理由とする損害賠償を請求する者は,それ
以上に具体的な義務の内容を主張,立証する必要はなく,1審被告において義務を履行し
なかったこと(本件爆沈)が不可抗力によるものであることを主張,立証しなければ,損害賠
償責任を免れることはできない。1審原告らが主張する運送契約類似の法律関係に基づく
浮島丸の運航に伴う安全配慮義務も,結局は,上記法律関係に基づく本来の義務である
上記義務を主張するものと解される。
 オ 昭和20年8月当時,アメリカ合衆国(以下「アメリカ」という。)軍は本州及び九州の日
本海沿岸並びに瀬戸内海沿岸の軍港及び主要港湾に多数の機雷を敷設していて危険な
状況にあり,浮島丸艦長ないし大湊警備府司令長官その他の同警備府の担当官は,この
事実を知っていたものと推認される。また,海軍運輸本部長は,浮島丸艦長に対し,同月2
2日午後10時の出航前後に,緊急電報により,同月24日午後6時までに目的地に到達す
るよう努め,その見込みがない場合には最寄りの軍港又は港湾に入港することを命じていた
が,当時の浮島丸の航海速力からして,同船が同月24日午後6時までに釜山に到達するこ
とは事実上不可能であり,そのことは浮島丸艦長や大湊警備府司令長官らも理解し得た。
 カ そうすると,1審被告の履行補助者である浮島丸艦長や大湊警備府司令長官らは,日
本海側の主要港が機雷の敷設によって危険であることを知っていたのであるから,乗船者
の安全を第一とし,艦長においては,大湊からの出航を見合わせる(上記緊急電報による
命令が出航前に発せられていた場合)か,機雷が敷設されておらず乗組員も勝手を知った
大湊に戻る(上記緊急電報が出航後に発せられた場合)という選択肢があったのであり,ま
た,上記緊急電報による命令を通報されている大湊警備府司令長官らにおいては,艦長に
対し,出航を見合わせるか,大湊に戻ることを命じることも可能であった。しかるに,浮島丸
艦長は,同月24日午後6時までに釜山ないしその近辺の朝鮮の港に到達できる見込みも
ないのに,本州日本海沿岸を南下し続け,大湊警備府司令長官らも,浮島丸が航海するに
任せた結果,同船が舞鶴港に入港することになり,本件爆沈に至ったものである。したがっ
て,本件爆沈が不可抗力によるものということはできない。
 キ 以上によれば,1審被告は,浮島丸乗船者との間に成立していた前記私法上の旅客
運送契約に類似した法律関係に基づく安全運送義務に違反したものというべきであるか
ら,浮島丸の乗船者である前記1審原告らに対し,上記法律関係に基づく義務の不履行
(債務不履行)を理由として,同1審原告らがそれによって被った損害を賠償する責任があ
る。
 4 争点及び争点に関する当事者の主張
 当審における1審原告らの主張は,別紙3のとおりであり,1審被告の主張は,別紙4のと
おりであって,本件の争点及び争点に関する当事者の主張の骨子は,次のとおりである。
 (1) 道義的国家たるべき義務違反に基づく国家賠償法の類推適用による損害賠償責任
及び公式陳謝責任の有無
 ア 1審原告らの主張
 (ア) 国民主権,民主主義,平和主義というポツダム宣言の諸要求が明治憲法の改正な
いし新憲法の制定を必要としたのであり,ポツダム宣言は,明治以来の我が国の侵略戦争
及び植民地支配を否定的に総括したカイロ宣言の条項の遵守を要求しているのであるか
ら,カイロ宣言及びポツダム宣言は,一体として憲法の授権規範ないし根本規範である。す
なわち,憲法は,我が国の侵略及び植民地支配が民主主義及び基本的人権の保障という
近代国家原理に違背する不法のものであるという認識を根本規範として成立したものであ
り,これらの根本規範は憲法の解釈基準とされるべきである。
 (イ) 憲法は,侵略と植民地支配に対する否定的な認識と反省に立脚して,9条におい
て,戦争放棄,戦力不保持という不作為を命じるとともに,前文において,我が国の安全と
維持を「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」すると述べて,「平和を愛する諸国民と
の信頼関係の構築」という作為を命じた。「平和を愛する諸国民」とは我が国の侵略戦争と
植民地支配の被害者にほかならない。
 (ウ) 憲法がその前文において「平和のうちに生存する権利」を「全世界の国民」の権利と
して規定し,信頼関係を構築すべき対象をあえて「平和を愛する諸国民」と規定したところ
からすれば,憲法は,信頼関係を構築する対象として侵略戦争と植民地支配の被害者個
人を想定していることが明らかである。そして,侵略戦争と植民地支配について被害者に何
の謝罪も賠償もすることなくして信頼関係を回復することは不可能であるから,憲法が被害
者個人に謝罪と賠償をすることを命じていることは条理上明らかである。したがって,憲法
は,我が国の侵略戦争と植民地支配の被害者個人に対する謝罪と賠償を内容とする作為
義務すなわち道義的国家たるべき義務を国に課していると解される。そして,その程度につ
いては,憲法前文が「平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう
と努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と規定しているところか
らして,現在の国際社会において行われている謝罪や賠償の中で先端的地位を占める水
準のものを要求していると解される。特に1審原告らについては,憲法制定当時いまだ日本
国籍を有していたのであるから,賠償を国家間条約によって行うことを憲法が予定していた
と解する余地はない。
 (エ) 道義的国家たるべき義務の名宛て人は,立法府,行政府のみならず司法府も含ま
れ,謝罪と賠償のための立法が欠けていても,裁判所は,類似法令の類推等を通じてこれ
を特定し,司法救済を実現すべきである。道義的国家たるべき義務の具体的履行方法を定
めた法令が存在しない本件においては,1審原告らの損害が国家の植民地支配行為の一
環としての公務員の違法行為によるものである以上,公務員の不法行為による損害の回復
という点で共通の基礎を持つ国家賠償法を類推適用すべきである。また,精神的被害の回
復という点で共通の基礎を持つ国家賠償法4条,民法723条を類推適用して,裁判所が政
府に対し適当な方法で公式に謝罪することを命じることができると解される。
 (オ) 上記の違法な国家行為は憲法17条及び国家賠償法の成立以前のものであるが,
道義的国家たるべき義務は我が国の現在の義務であるから,国家賠償法の遡求適用には
ならず,もとより除斥期間や時効等の規定は類推適用される余地がない。
 (カ) なお,明治憲法下でも,公務員の不法行為による損害の賠償責任については,明
文の規定がなく,判例も確立しておらず,国家無答責の原則が採用されていたと評価する
ことはできない。仮に国家無答責の原則が採用されていたと評価することができるとしても,
国又は公共団体の非権力的作用には同原則の適用はない。本件の場合,我が国は,敗戦
国の責務として,朝鮮半島出身者に対し朝鮮半島に帰還するための便宜として浮島丸の
運送行為を提供し,これを受け入れた朝鮮人が浮島丸に乗船したという関係が認められる
にとどまるから,浮島丸による朝鮮人らの運送行為(以下「本件運送行為」という。)は非権
力的作用である。したがって,国家無答責の原則を理由に本件運送行為による損害の賠償
責任を否定することはできない。
 イ 1審被告の主張
 (ア) カイロ宣言は,日本の領土等の処理に係る原則を言明したものであり,1審原告らの
主張するような明治以来の日本の侵略戦争,植民地支配を不法なものと認めたものではな
い。また,ポツダム宣言は,終戦に伴う処理を規定するものにすぎず,具体的に我が国の根
本規範である憲法の条項の内容を規定したものではない。
 (イ) 憲法前文は,具体的な法規範を定めるものではなく,憲法の基本原則を抽象的に宣
明したものにすぎず,裁判規範となるものではない。仮に憲法が平和主義に関して国に道
義的義務を課すものであったとしても,その責任をどのように果たすかは,国会及び政府ひ
いては国民の政治的な判断にゆだねられているのであって,1審原告らが主張する道義的
国家たるべき義務が直接国に対して謝罪と賠償の立法を行うことを義務付けるものではな
い。
 (ウ) 本件の損害は,いずれも国家賠償法施行前の行為(本件運送行為)により生じたも
のであるから,国家賠償法を類推適用する余地はなく,その結果,同法4条,民法723条を
類推適用する余地もない。
 (エ) 我が国は,憲法制定までは明治憲法秩序の下にあったところ,明治憲法下において
は,国又は公共団体の権力的作用に基づく損害については国又は公共団体に賠償責任
を負わせないという国家無答責の原則が採用され,大審院の判例も,国の権力的作用に基
づく損害については一貫して国の賠償責任を否定していた。国家賠償法附則6項の規定
は,同法施行前の公権力の行使に伴う損害賠償が問題とされる事例について,同法それ
自体の遡及適用を否定するのみならず,それまでに採用されていた国家無答責の原則が
そのまま適用されることにより,国又は公共団体が責任を負わないことを明らかにする趣旨
のものである。本件運送行為は,日本本土である北海道への軍事的脅威が迫っている状
況の下において,その最前線に位置する大湊警備府の管内で,朝鮮人暴動の可能性を抑
えるという治安維持の目的で,大湊警備府の軍令機関が決定した軍令に基づく作戦行動と
してされたものであるから,これを非権力的作用とみることはできない。
 (オ) 仮に本件運送行為を非権力的作用とみることができるとしても,1審原告らの提訴
は,民法724条後段に規定する20年の除斥期間を経過した後のものであることが明らかで
あるから,1審原告らの損害賠償請求権は消滅している。
 (2) 明治憲法27条又は憲法29条の類推適用に基づく損失補償責任の有無
 ア 1審原告らの主張
 (ア) 明治憲法27条は,個人の財産権を保障する旨を規定していたが,明文の補償規定
はなかった。しかし,私有財産権の不可侵は,近代資本主義国家の最大の基本理念であ
り,歴史的にみても,比較法的にも,財産権の不可侵と損失補償は不可分一体のものとさ
れてきた。その意味で,明治憲法27条についても,憲法29条と同様の理念に基づくもので
あり,その解釈に当たっては,憲法29条の解釈が基準とされるべきである。そして,憲法29
条3項については,法令上補償規定がなくても,直接同項に基づいて具体的な損失補償を
請求することができると解されているから,明治憲法についても,法令上補償規定がなくて
も,直接明治憲法27条の規定に基づき具体的な損失補償を請求することができると解すべ
きである。そして,その要件及び効果についても,憲法29条3項と同様に解すべきである
 (イ) 憲法13条後段,25条1項の規定の趣旨からすれば,生命,身体に対して特別の犠
牲が課せられた場合についても,憲法29条3項を類推適用して損失補償を請求することが
できると解され,明治憲法下においても,生命,身体に対して特別の犠牲が課せられた場
合には,明治憲法27条の趣旨により損失補償が認められるべきである。
 (ウ) 1審原告らが浮島丸に乗船させられたのは,少なくとも日本側からみれば,朝鮮人暴
動の予防という公共の用のためであった。また,浮島丸に乗船させられた1審原告らは,大
湊周辺で労働していた朝鮮人であって,特定人ないし特定の範疇に属する人であり,か
つ,1審原告らが本件爆沈により被った損害は,財産権に内在する制約として受忍すべき
限度を超えており,財産権の本質的内容を侵すほど強度なものであるから,1審原告らの損
失は,特別の犠牲に基づくものである。
 (エ) 1審原告らが被った損害がいわゆる戦争犠牲ないし戦争損害であるとしても,日本
国籍を有する者に対しては恩給法や戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下「援護法」とい
う。)に基づく補償がされているのであるから,日本軍の軍属として戦争に協力させられた1
審原告らについても同様の補償の措置が講じられてしかるべきであり,1審原告らの被った
損害が特別の犠牲に該当する限り,明治憲法27条ないし憲法29条3項の類推適用による
損失補償がされるべきである。
 イ 1審被告の主張
 (ア) 明治憲法は,公益のためにする必要な処分は法律をもって定められるべきことを規
定するにとどまり,どのような場合にどの程度の損失補償を認めるかは立法政策にゆだねら
れており,明治憲法下においては,損失補償は法律の明文の規定があって初めて認めら
れる制度とされていた。したがって,明治憲法27条を根拠に直接損失補償請求権が発生
すると解する余地はない。
 (イ) 明治憲法27条のみならず,憲法13条,25条の趣旨からすれば,憲法29条も,生
命,身体に対する損失補償を全く予定していないというべきである。
 (3) 安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任の有無
 ア 1審原告らの主張
 (ア) 国は,朝鮮半島出身者に対し,朝鮮半島に帰還するための便宜として,浮島丸とい
う船舶を用意し,その運航を決定した上で,希望すれば,軍属として徴用された者であるか
民間徴用工であるかを問わず,無料で乗船してもよいということを認めて,同船の運送行為
を提供し,浮島丸に乗船するか否かを各人の自由に任せていた状況の下において,これを
受け入れた朝鮮人が浮島丸に乗船したのであるから,乗船者と国との間には,朝鮮半島出
身者を釜山まで帰還させることを目的とした,私法上の旅客運送契約に類似した法律関係
が成立したというべきである。そして,この法律関係には,船舶法35条ただし書の規定によ
り商法第4編の規定が準用されないとしても,民法等の一般私法上の契約関係に関する規
定が適用されると解すべきである。
 なお,本件運送行為が行われた当時,我が国がポツダム宣言を受諾して連合国に対し無
条件降伏をし,終戦の詔書が発布され,南樺太及び千島列島方面において戦闘が継続さ
れていたものの,大湊周辺では連合国による戦闘行為は全く存在していなかった上,奉勅
命令としての大海令第48号により即時かつ一切の戦闘行為の停止命令が出されていたの
であるから,本件運送行為が海軍の軍令として実施されたと認定することは不可能である。
また,乗船者のうち軍属であった者に対する徴用は既に解除されており,乗船者の中には
民間徴用工も多数存在していたのであるから,仮に何らかの軍令が存在していたとしても,
上記のような状況の下において出された当該命令はこれら民間人の乗船者には及ばないと
いうべきである。
 (イ) 国は,この私法上の旅客運送契約に類似した法律関係に基づく本来的義務として,
浮島丸の乗船者に対し,浮島丸の航行の安全を保持し,乗船者の生命,身体の安全を確
保すべき安全配慮義務を負った。
 仮に上記法律関係に基づく本来的義務としての安全配慮義務を認めることができないと
しても,乗船者は浮島丸への乗船により上記法律関係に基づいて国との間で特別な社会
的接触の関係に入ったのであるから,国は,上記法律関係に付随する義務として,信義則
上,浮島丸の運航に伴う安全配慮義務を負ったと解すべきである。
 この安全配慮義務の内容は,乗船者の日本内地への居住が我が国の占領政策という先
行行為に起因することにかんがみると,一般の旅客運送契約におけるよりも一層強度なもの
と解すべきである。
 (ウ) また,乗船者のうち軍属又は徴用工として徴用された者は,国により募集,あっせ
ん,徴用という名目の下に強制連行され,労働を強制されたものであり,国との間に雇用関
係が存在したから,国は,当該雇用契約に付随する義務として,信義則上,公務遂行過程
における安全配慮義務を負っていたというべきである。そして,このような法律関係は,浮島
丸による朝鮮への帰還が強制連行により日本内地に居住させた日本国政府の義務として
行われたものであるから,徴用を解除された後も,国が軍属ないし徴用工を朝鮮に帰還さ
せるまで継続したと解すべきである。
 (エ) 本件爆沈の原因が日本人乗組員の陰謀による自爆であったとすれば,故意による
安全配慮義務違反となることが明らかである。
 本件爆沈の原因が触雷であったとしても,本件爆沈事件が発生した当時の舞鶴湾には,
米軍が投下した相当数の機雷が掃海されずに残っており,終戦前後のころ他の船舶にも触
雷事故が発生していたのであるから,このことは海軍に所属していた浮島丸の航行者にお
いて当然知り又は知り得べきであったのであり,国は,舞鶴湾に入港すれば機雷との接触と
いう事態が起こり得ることを予見し,これを回避すべき義務を具体的な安全配慮義務の内容
として負っていた。
 しかるところ,浮島丸の出航前に海軍運輸本部長から浮島丸の艦長に宛てた昭和20年8
月24日午後6時以降の航行禁止を命ずる至急電報(機密第221605番電)が着信してお
り,同時刻までに釜山に到達することは不可能であったのであるから,浮島丸の艦長らは,
浮島丸の出航を見合わせる義務があった。また,浮島丸の出航前後のころ,同時刻までに
目的地に到着する見込みがないものは最寄りの軍港又は港湾に入港することを命じる緊急
電報(機密第221935番電)が着信していたのであるから,浮島丸艦長らは,仮にこの緊急
電報が出航後に届いていたとしても,勝手を知って受け入れ態勢の取りやすい大湊港に戻
るべきであったのであり,そうでないとしても,新潟港に入港すべきであった。
 しかるに,浮島丸艦長らは,航行禁止命令を無視して航行を続け舞鶴湾に入港し触雷に
よる本件爆沈という結果を発生させたのであるから,国に安全配慮義務違反が存することは
明らかである。
 以上のとおり,多数の機雷が敷設されている舞鶴湾に入港するという選択肢を採ったこと
自体に安全配慮義務違反が認められるのであるから,浮島丸艦長らが舞鶴湾入港に際し
て必要な注意を払ったか否かにかかわらず,国の債務不履行責任が認められるべきであ
る。
 (オ) 1審原告らは,原審において,本件運送行為が軍務として行われたものであるとして
も,本件運送行為について私法上の契約関係としての旅客運送契約類似の法律関係が成
立し,当該法律関係に基づいて1審被告は契約責任としての安全配慮義務を負う旨主張し
ていたのであり,また,この安全配慮義務を当該法律関係に基づく付随的義務か本来的義
務かのいずれかに限定することなく,その発生を基礎付ける事実を主張していたのであるか
ら,原審の認定判断は何ら弁論主義に違反しない。
 イ 1審被告の主張
 (ア) 浮島丸が出航し沈没した昭和20年8月22日から同月24日までの間は,ポツダム宣
言を受諾したものの,なお,戦争状態は継続していた上,軍の組織は従前どおり保たれて
いた。そして,ソ連軍が南樺太,千島列島に侵攻し,占守島においては大湊警備府部隊所
属の占守海軍通信隊司令が艦攻隊に命じてソ連軍艦船に攻撃を加えるなどの戦闘を展開
しその戦闘状況は大湊警備府にも打電され,また,北海道の沖合では大泊からの引揚輸
送船が雷撃を受け沈没させられるなど,日本本土である北海道への軍事的脅威が迫って
おり,大湊警備府の管轄区域は極めて緊迫した状態に置かれていた。そのような中で,大
湊警備府司令長官は,管内での朝鮮人暴動の可能性を抑えるという治安維持の目的で,
海軍の軍令に基づく作戦行動として,浮島丸艦長に対し,徴用解除となった多数の朝鮮人
の釜山までの運送を命じたものであり,その効力は,明治憲法31条により,徴用を解除され
た軍属や民間徴用工にも及んだ。このように,本件運送行為は,海軍の命令により,徴用を
解除された朝鮮人に対する軍令に基づく行政上の措置としてされたものであるから,本件
運送行為に関して私法上の契約関係が成立する余地はない。また,船舶法35条ただし書
によっても,公用船舶による公用の運送行為については私法規定の適用は予定されていな
いのであり,このことからも,本件運送行為に私法上の法律関係が成立することは実定法上
予定されていないというほかない。したがって,本件運送行為について乗船者と国との間で
私法上の旅客運送契約に類似した法律関係が成立したことを前提とする1審原告らの主張
は,その前提において失当というべきである。
 (イ) 安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別の社会的接触の関係に入った当事
者間において,当該法律関係の付随的義務として当事者の一方ないし双方が相手方に対
して負う信義則上の義務である。したがって,安全配慮義務違反の主張に当たっては,生
命,健康等を侵害されたとされる者ごとに,その結果が発生した具体的状況を明らかにした
上で,発生した結果との関係から,義務者がそのような結果を予見することができたか(予見
可能性),どのような措置を講じていれば結果の発生を回避することができたか(回避可能
性),義務者と被害者との法律関係及び当時の技術やその他社会的な諸事情に照らし,義
務者に対し,上記結果の発生の防止措置を採ることを義務付けるのが相当であるかといっ
た点を判断するに足りる具体的な事実を明らかにして主張する必要がある。
 しかるに,1審原告らは,本件爆沈との関係で本件当時の状況を踏まえたこのようなより直
接的,具体的な義務内容を特定して主張しておらず,1審被告がとるべき具体的な措置の
内容が明らかにされていない。したがって,1審原告らの安全配慮義務違反の主張は,不
可欠な要件事実の主張を欠いており,主張自体失当というべきである。
 また,安全配慮義務が成立するためには,当事者間に,特別の社会的接触の関係,すな
わち,雇用契約ないしこれに準ずる法律関係であって,かつ,直接具体的な労務の支配管
理性が存在する法律関係が存在しなければならない。しかし,浮島丸の乗船者と1審被告と
の間には,雇用関係ないしこれに準ずる法律関係があるとも,直接具体的な労務の支配管
理性が存在する法律関係があるとも認められないし,国民の徴用に関する法令を検討して
も,特別な社会的接触の関係を基礎付けることはできない。
 (ウ) 本件運送行為当時,我が国は,ポツダム宣言を受諾したものの,戦争状態が完全に
終了したものではなく,大湊警備府の管内では戦争状態が継続していたというべき状況で
あったのであるから,本件運送行為につき安全配慮義務を考えるのであれば,このような当
時の状況を踏まえて,戦時下の運送行為に準じた判断をしなければならない。
 しかるところ,海軍運輸本部長から浮島丸艦長に対し,昭和20年8月24日18時以降100
総トン以上の船舶は航行を禁止されたのでその時刻までに目的地に到達するように努力す
ること,到達の見込みがないものは最寄りの軍港又は湾港に入港することを命じた緊急電
報(機密第221935番電)は,同月23日午前0時40分に発電され,浮島丸は出航後にこれ
を受信した。したがって,浮島丸艦長らの出航中止義務はそもそも問題とはならない。
 次に,本件運送行為は,朝鮮人らが暴動を起こすことを恐れ急いでこれを帰還させようと
したという面があるところ,徴用を解除され,ようやく乗船して帰朝できると考えている多数の
朝鮮人が大湊への帰港を承知するはずもなく,海軍としても,4000人近い朝鮮人元徴用
者を大湊に連れ戻した場合の対応を考えずに帰港を命ずることはできないから,当時の状
況を考えれば,何らの受入準備をすることもなく,ただ大湊に戻るというような選択肢は,単
に混乱を助長するだけであって,実際にはあり得なかった。また,上記緊急電報は,同月2
4日午後6時までに最寄りの軍港又は湾港に入港するように命じているにすぎないから,そ
の時期まで可能な限り任務を継続するのは当然のことであり,朝鮮人乗船者らは,いずれ
にしても帰朝させようとしている者であるから,できるだけ近くまで運送を継続することは,何
ら不合理な選択ではない。さらに,乗船した多数の朝鮮人を収容し,食糧等を用意するた
めには,相当規模の施設と人員が必要であるから,上記緊急電報の指示のとおり,軍港に
寄港するのが最も合理的であるところ,日本海側では舞鶴港が唯一の軍港であって相当の
規模を有していた。なお,当時,機雷が敷設してある港には入港しないというような行動基
準はなく,本件爆沈当日も舞鶴港には多数の船舶が入港していたのであり,機雷が敷設さ
れた場合には必要な対応や注意を払って入港するというのが当時の艦長に必要とされてい
た注意義務(安全配慮義務)であった。したがって,浮島丸艦長らにとって大湊に戻るという
選択肢はなく,上記緊急電報を受けた浮島丸艦長が舞鶴港への入港を決断したのは合理
的な選択であった。
 そして,浮島丸は,舞鶴港に入港するに際し,舞鶴港が掃海済みであることを確認した
上,先行する2隻の海防艦の後を追うように入港したのであるから,浮島丸艦長としては,当
時の状況において,機雷に対してもなし得る安全確認をした上で入港したものということが
でき,当時の艦長としてなすべき注意義務を果たしたというべきである。
 以上のとおり,当時の状況の下において,浮島丸艦長らは,乗船者の安全配慮について
必要な措置をとっており,本件運送行為に関して必要な注意を怠ったことはなく,国におい
て責めに帰すべき事由はなかった。
 (エ) なお,1審原告らは,原審において,本件運送行為が海軍の軍務として行われたこと
を前提に,これが安全配慮義務の前提となる特別の社会的接触に当たることを主張するた
めに,旅客運送契約類似の法律関係と主張したにすぎず,本件運送行為自体を私法上の
法律関係(契約関係)であると主張していないにもかかわらず,原判決は,本件爆沈に関す
る注意義務違反の立証責任を1審被告に転嫁するため,1審原告らの安全配慮義務に関
する主張を上記法律関係に基づく本来の義務を主張するものであるとして,国の安全配慮
義務違反を認めたのであるから,原判決のこの認定判断は,釈明義務,弁論主義に反す
る。
 (4) 立法不作為の違法を理由とする国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任の有無
 ア 1審原告らの主張
 (ア) 立法不作為による国家賠償請求の要件については,① 立法者の立法義務が憲法
上明示されているか,又は解釈上導き出される場合において,②相当の期間を経過して
もなお立法者が立法義務を怠っているときは,立法の不作為が違憲となり,③国会議員の
故意又は過失が認められる場合,国家賠償が認められるものと解すべきである。
 (イ) 次のとおり,憲法前文,9条,13条,14条等を根拠に,憲法は,1審原告ら本件爆沈
による被害者に対する補償ないし賠償の立法を行うことを国に義務付けていると解される。
 ① 憲法前文及び9条は,我が国の立法,行政及び司法に対し,道義的国家たるべき義
務を課している。立法府においては,この義務は,1審原告らのような本件爆沈の被害者ら
に対する補償ないし賠償の立法を行う義務にほかならない。
 ② 1審原告ら又はその肉親は,無事に故郷に送り届けられることもなく舞鶴湾で本件爆
沈による被害を受け,命さえ奪われたにもかかわらず,1審被告は,謝罪はおろか,真相の
究明も,遺骨を遺族のもとに送り届けることさえ,55年余にわたって怠ってきた。このような1
審原告らに対する1審被告の対応は,1審原告らや大韓民国を始めとするアジアの人々に
とって到底受け入れることのできない,正義に反する反人間的な対応であることは明らかで
あって,1審原告らやその肉親の人格的価値自体への侵害というべきものである。したがっ
て,個人の尊厳を最高の価値とする憲法13条が,立法府に対して,1審原告らをこのような
苦しみから解放するための立法を命じていることは明らかである。
 ③ 我が国は,恩給法や各種援護法により,軍人,軍属,国家総動員法による徴用者等
に対して細かく援護の手を差し伸べておきながら,原爆被爆者関係を除くすべての援護立
法に国籍条項を設け,旧植民地出身者を排除してきた。50年間の侵略と植民地支配を反
省する日本国憲法の立場からは,植民地から強制的に動員されて被害を受けた1審原告ら
こそ,より厚い補償,賠償の対象とされるべきであるにもかかわらず,当時ひとしく日本国民
として軍務や労務に従事させられながら,戦後自らの意思にかかわりなく日本国籍を喪失し
たとみなされたことにより,国からの一切の補償を受けられずにいることは,明らかに不合理
な差別であり,憲法14条の趣旨に違反する。
 ④ 憲法17条,29条3項は,かつて我が国による侵略戦争で被害を受けた人々に対する
補償を行う立法を当然に予定している。
 ⑤ 憲法40条は,刑事補償と同様に,強制連行され,事実上の監禁状態で強制労働を
強いられた人々に対する補償立法を当然に予定している。
 ⑥ 憲法98条2項から既に確立した国際慣習法となっている戦後補償をすべき義務が導
かれる。
 (ウ) 国会は,卓越した調査能力を持ち,しかも,多くの旧植民地出身者らが戦争に動員
されたことは当時より公知の事実であったから,憲法制定時あるいは遅くとも平和条約締結
時には,十分に1審原告らに対する賠償を立法課題として認識することができたはずであ
る。現に,国会は,憲法の制定を受けて「道義日本建設の決議」を行い,平和条約の締結
により占領が解除されるや,いち早く,昭和27年に援護法を制定し,翌昭和28年に恩給法
を復活し,日本国籍を有する戦争被害者への補償を開始している。したがって,遅くとも昭
和28年には国会は1審原告らに対する賠償を立法課題として認識することが可能であり,
立法のために3年程度の期間が必要であったとしても,遅くとも昭和31年には合理的期間
が経過し,この立法の不作為は違法となっていたと解される。
 (エ) 国会のような合議制の機関においては,故意又は過失を個々の議員に即して認定
する必要はなく,議員の統一的意思活動たる国会自身の故意又は過失を論ずるをもって足
りると解される。国会は,その機構等において他の立法機関に類をみないほどの調査能力
を有しているから,立法に当たって違憲を生じないようにする高度の注意義務を有してお
り,法律の欠缺が違憲である場合には消極的立法行為の過失が推定されるべきである。特
に本件においては,ドイツ,アメリカ等では当該国の国籍を有しない個人に対する戦後補償
立法が進められながら,我が国では恩給法,援護法のように国籍条項により旧植民地出身
者等を排除した戦後補償立法が進められた事情があるから,むしろ1審原告らに対する補
償ないし賠償の立法を行わないという積極的な立法意思が示されたというべきであり,国会
には故意があった。
 イ 1審被告の主張
 (ア) 国会議員の立法行為は,立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもか
かわらずあえて当該立法を行うというごとき例外的な場合でない限り,国家賠償法1条1項
の適用上,違法の評価を受けるものではない。この例外的な場合とは,憲法の一義的文言
に反する場合か,あるいは,憲法解釈上争いがなく,憲法に違反することが一見して明白で
ある場合に限定されるべきであり,立法不作為については,権力分立制度との関係でより慎
重であるべきであるから,憲法上,具体的な法律を制定すべき作為義務が,その内容のみ
ならず,立法の時期をも含めて明文をもって定められているか,又は,憲法解釈上,上記作
為義務の存在が一義的に明白な場合でなければならないというべきである。
 (イ) 1審原告らのような立場にある者を救済するための立法措置を国会議員に一義的な
いしは一見明白に義務付けた憲法上の規定がないことはもとより,憲法施行前の公権力の
行使により生じた損害について救済のための立法措置をとるかどうかは,立法府の広範な
裁量にゆだねられている。したがって,本件について,国会議員の立法不作為につき国家
賠償法1条1項上の違法を問われる余地はない。
 (5) 遺骨返還請求の当否
 ア 1審原告らの主張
 (ア) 番号14の1審原告はa1の,番号51の1審原告はa2の,番号57の1審原告はa3の,
番号58の1審原告はa4の,番号59の1審原告はa5のそれぞれ遺族であって,各被害者の
祭司を主宰すべき者であり,各被害者の遺骨を所有しているところ,1審被告は,これらの
遺骨を占有している。
 (イ) なお,1審被告がd寺で保管している遺骨がいわゆる混骨の状況であるとしても,そも
そも,遺骨は,祖先ないし死者崇拝の対象として象徴的意味を有する存在であるから,祭祀
主宰者から引渡請求がされた場合,その対象としての遺骨といえるか否かは,死者と遺骨と
の物理的な一致の有無のみを基準として判断すべきではなく,このような遺骨の本質にか
んがみて判断すべきであって,具体的には,当該遺骨が,当該死者の埋葬,礼拝,供養の
対象と認められるか否かという観点から判断すべきである。これを上記1審原告らがその引
渡しを請求している遺骨についてみると,浮島丸に乗船していて本件爆沈により舞鶴湾で
死亡した犠牲者の遺骨が現在d寺において混骨ともいうべき状況で保管されているのであ
るから,このようないわゆる混骨が当該死者の埋葬,礼拝,供養の対象と認められなければ
ならない。したがって,1審被告がd寺で保管している混骨は,正に,上記各1審原告による
返還請求の対象としての遺骨にほかならないというべきである。
 イ 1審被告の主張
 番号14の1審原告はa1の,番号51の1審原告はa2の,番号57の1審原告はa3の,番号5
8の1審原告はa4の,番号59の1審原告はa5のそれぞれ遺族であること,これらの被害者が
本件爆沈によって死亡したこと,これらの1審原告らがこれらの被害者の遺骨をそれぞれ所
有していることは知らない。1審被告は,これらの遺骨をいずれも保管していない。
 (6) 日韓請求権協定により1審原告らの損害賠償請求に応じる法的義務を負わない旨の
1審被告の主張の当否
 ア 1審被告の主張
 (ア) 日韓請求権協定2条3は,いわゆる在日韓国人の財産等及び終戦後の「通常の接
触の過程」において取得された財産等を除いて,大韓民国及びその国民の「財産,権利及
び利益」であってこの協定署名の日に我が国の管轄の下にあるものに対する措置並びに大
韓民国及びその国民の日本国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前
に生じた事由に基づくものに関してはいかなる主張もすることができないと規定し,この規定
を受けて,我が国では,大韓民国国民の「財産,権利及び利益」を処理するために措置法
を制定し,措置法により,日韓請求権協定に明記された一部の例外を除いて,大韓民国国
民の日本国又は日本国民に対する債権は消滅したものとされた。
 ところで,日韓請求権協定2条にいう「財産,権利及び利益」とは,合意議事録2(a)によ
り,法律上の根拠に基づき財産的価値を認められるすべての種類の実体的権利をいうもの
とされており,「請求権」とは,これに当たらないあらゆる権利又は請求を含む概念であると
解される。これによれば,措置法によって消滅させられた大韓民国国民の日本国又は日本
国民に対する債権等は,日韓請求権協定の署名の時点で既に権利関係が明確になって
いた「実体的権利」をいい,当時権利関係が明確でなかったもの,例えば,判決によって確
定されていない不法行為に基づく損害賠償請求権等は,日韓請求権協定の署名の時点で
は法律上の根拠に基づき財産的価値を認められる実体的権利とはなっておらず,このよう
な権利は,日韓請求権協定においては,すべて「請求権」に含まれることとなって,措置法
制定の段階では処分の対象とすることができなかった。
 しかし,「財産,権利及び利益」に当たらない「請求権」についても,日韓請求権協定2条3
において,一律に「いかなる主張もすることができないものとする」と規定されており,また,2
条1において,「請求権に関する問題が・・・完全かつ最終的に解決されたこととなる」ことが
確認されている。ここにいう,いかなる主張もすることができず,完全かつ最終的に解決され
たこととなるとは,大韓民国及びその国民が,どのような根拠に基づいて,日本国及びその
国民に請求しようとも,日本国及びその国民はこれに応じる法的義務はないという意味であ
る。すなわち,大韓民国国民の「請求権」は,日韓請求権協定2条3により,国内法的には
消滅するものではないが,その「請求権」を大韓民国国民がどのような根拠に基づいて請求
しようとも,日本国及びその国民はこれに応ずる法的義務がないということである。したがっ
て,大韓民国国民がこの「請求権」に基づいて我が国に請求をしたとしても,我が国はそれ
に応じる法的義務がないことになる。
 なお,平和条約14条(b)にいう「請求権」の「放棄」についても,条約締結当時の経過から
して,日本国及び日本国民が連合国国民による国内法上の権利に基づく請求に応ずる法
律上の義務が消滅したものとしてこれを拒絶することができる旨を定めたものと解される。
 (イ) 日韓請求権協定2条は,「財産,権利及び利益」については,国内法上の「措置」をと
ることを予定しているのに対し,「請求権」については,そのような文言を置かずして,「いか
なる主張もすることができない」と規定し(同条3),請求権に関する問題が「完全かつ最終
的に解決されたこととなることを確認する」と規定している(同条1)。このことからすれば,日
韓両国は,「請求権」については,日韓請求権協定の内容を具体化する国内法を制定せず
して同協定の規定を直接適用する意思であったことが明らかであり,また,上記のような協
定上の客観的な文言上も,「請求権」に基づく主張を拒絶し得る法的効果を規定したことが
明白かつ確定的に認められる。したがって,日韓請求権協定のこれらの規定については,
その内容を具体化する国内法を待つまでもなく,我が国の裁判所において直接的に適用
が可能であり,我が国において「請求権」に該当する裁判上の請求はこれらの規定の適用
によって認容されないこととなる。
 (ウ) 仮に,1審被告と浮島丸乗船者との間に私法上の旅客運送契約に類似した法律関
係があり,1審原告らが1審被告に対してその債務不履行に基づく損害賠償請求権を有す
るとしても,このような損害賠償請求権は,合意議事録2(d)により,日韓請求権協定2条2
(b)にいう「千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触の過程において取得さ
れ又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの」に該当せず,日韓請求権協定2条1及
び3所定の「請求権」に該当することは明らかである。したがって,1審原告らがこのような
「請求権」に基づく請求をしても,我が国はそれに応じる法的義務はないというべきである。
 (エ) なお,日韓請求権協定2条についての日本国政府の見解は,協定署名時から今日
に至るまで変更はない。
 イ 1審原告らの主張
 (ア) 日韓請求権協定2条は,大韓民国国民の「財産,権利及び利益」に対して日本国政
府がとった措置及び大韓民国国民の「請求権」について大韓民国政府は外交保護権を放
棄する趣旨のものであって,大韓民国国民の実体的権利を消滅させる趣旨のものではな
い。すなわち,日韓請求権協定は,請求権問題に関する日韓両国の対立について,「財
産,権利及び利益」(土地所有権や工業設備などを典型例とする,存在の明らかな物権や
確定した債権)については,両国が国内法により相手国民の権利を消滅させ,相手国はこ
れに対して外交保護権を行使しないことを相互に約束し,存在が明確でない「請求権」につ
いては,外交保護権を放棄してとりあえず国家間の関係についてのみ解決することにしたも
のである。また,外交保護権の放棄の効果として,大韓民国政府は,日本国政府に対し,大
韓民国国民が被った被害について救済を要求することはできなくなるものの,それを超え
て,日本国政府や日本国民までが大韓民国国民の日本国内法上の請求に応じる法的義
務がなくなるものではない。日韓請求権協定2条にいう「完全かつ最終的に解決された」,
「いかなる主張もすることができない」という文言から1審被告が主張するような法的効果を
導き出すこともできない。このような解釈は,従前の日本国政府の解釈とも合致するもので
ある。
 なお,1審被告の主張する平和条約14条(b)の解釈についても,日韓請求権協定2条の
解釈を拘束するものでないことはもとより,その根拠は薄弱である上,従前の日本国政府の
主張とも明らかに異なるものである。
(イ) 1審原告らの1審被告に対する損害賠償請求権は日韓請求権協定2条にいう「財
産,権利及び利益」ではなくて「請求権」であることについて争いはないから,大韓民国政府
による外交保護権の行使は同協定により制約されるとしても,1審原告らが1審被告に対し
その請求をすることは同協定によって何ら妨げられることはない。
 (ウ) なお,日韓請求権協定は,大韓民国国民に対する戦後補償を社会的意味において
も解決するものではなく,特に,本件爆沈事件の被害者やその遺族は大韓民国の国内法
による補償の対象とされず何らの補償も受けていない。
 (7) 消滅時効に関する主張の当否
 ア 1審被告の主張
 (ア) 仮に,1審被告と浮島丸乗船者との間に私法上の旅客運送契約に類似した法律関
係があり,1審原告らが1審被告に対してその債務不履行に基づく損害賠償請求権を有す
るとしても,その請求権は,本件爆沈の時から行使し得るから,昭和30年8月24日の経過
により時効によって消滅した。
 すなわち,民法166条1項にいう「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」とは,単にその権利の行
使につき法律上の障害がないというだけではなく,さらに権利の性質上,その権利行使が
現実に期待のできるものであることをも必要とすると解されているが,その権利の性質上そ
の権利行使が現実に期待のできるものであるか否かは,当該権利の性質自体を客観的に
検討することによって判断されると解すべきである。1審原告らが主張する当該事件の個別
具体的な事情は,権利の行使についての事実上の障害にすぎず,一般人の判断を基準と
するものであるとしても,消滅時効の起算点を左右するに足りるものではない。
 1審原告らの損害賠償請求権の消滅時効の起算点は,それが私法上の旅客運送契約に
類似した法律関係に基づく本来的な義務としての安全運送義務の不履行によるものである
とすれば,これを行使するにつき法律上の障害はなく,また,権利の性質上その権利行使
が現実に期待できない事情はないから,上記法律関係から生ずる本来的義務の履行を請
求し得る時からその進行を開始するというべきである。
 なお,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則
上負う義務としての安全配慮義務の違反による損害賠償請求権は,権利として成立すれば
これを行使する上での法律上の障害はないから,その成立時,すなわち,損害が発生した
時がその消滅時効の起算点となる。
 (イ) 原判決は,1審原告らが主張していた信義則上の付随義務としての安全配慮義務に
つき判断することなく,1審原告らが主張していなかった私法上の旅客運送契約に類似した
法律関係に基づく本来的な義務としての安全運送義務の違反を認めて1審原告らの損害
賠償請求を認容したものであるから,不利益な判断を受けた1審被告が控訴審において当
該争点について新たな攻撃又は防御の方法を提出することができるのは当然である。した
がって,1審被告の行った消滅時効の援用は,民訴法157条1項の要件に該当しない。
 (ウ) 消滅時効の援用が権利の濫用に当たる場合は極めて例外的な場合にすぎず,1審
原告らが権利濫用に該当するか否かの判断要素として挙げる事項は判例上確立したものと
はいい難い。
 また,1審原告らが1審被告による消滅時効の援用が権利の濫用に該当する根拠として主
張する事由は,次のとおり理由がない。すなわち,浮島丸が大湊港を出航した時期は,ポツ
ダム宣言受諾後とはいえ,なお,戦争状態は継続しており,敗戦,占領という国家社会が著
しく混乱した状況下において,本件事故に関する事情を明らかにすることは困難であった。
そして,その後,日韓請求権協定の締結により,大韓民国との間で日韓両国及び両国民間
の財産,権利及び利益並びに請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されたものと
されたのであるから,1審原告らとの間で損害賠償に係る交渉をする余地はなかった。した
がって,1審被告が1審原告らに対して損害賠償請求権の行使を妨害したなどという事実は
ない。また,本件運送行為は,我が国の敗戦期の混乱の中でされたものであって,そもそも
証拠に乏しく,しかも証拠が散逸していたのであり,1審被告は,1審原告らが既に調査を行
っている範囲のものを再度点検して書証として提出し,一般に公開されている資料の範囲
内で書証を提出している。さらに,本件において1審原告らが主張するのは私法上の損害
賠償請求権であり,その義務の帰属主体は私人と同じ立場に立つ1審被告「国」であるか
ら,民法の消滅時効の規定が国についても適用されることは当然のことであり,何ら正義,
公平に反しない。日韓請求権協定締結の経緯からしても,大韓民国国民の日本国及びそ
の国民に対する請求権について,我が国政府がこれを同協定により解決済みのものとして
取り扱うことは何ら不当ではない。
 イ 1審原告らの主張
 (ア) 消滅時効の主張は,事件の流れによって新たに争点として浮かび上がってくるような
性質のものではなく,主張しようと思えば原審においてもしかも相当初期の段階で主張する
ことができたはずのものであるにもかかわらず,1審被告は,原審では全く消滅時効の主張
をしてこなかったのであり,そのことについて全く合理的理由はない上,それに伴う主張,立
証を余儀なくさせ,訴訟の完結を遅延させるものであるから,このような1審被告の主張は,
時機に後れた攻撃防御方法として却下されるべきである。
 (イ) 民法166条1項にいう「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」とは,単にその権利の行使につ
き法律上の障害がないというだけではなく,その権利行使が現実に期待のできるものである
ことをも必要とすると解すべきであり,権利の性質,内容及び権利者の職業,地位,教育等
に照らし,一般人を基準にして,当該事情の下で権利の存在あるいは権利行使の可能性を
認識することができる時期をいうものと解すべきである。
 1審原告らの有する権利は,1審被告との間に浮島丸への乗船により私法上の旅客運送
契約に類似した法律関係が成立し,これに基づき,1審被告にいわゆる安全配慮義務が生
じ,1審被告がこれを怠ったことによる損害賠償請求権であるところ,安全配慮義務の不履
行による損害賠償請求が主張されこれが認められたことが公刊されたのは昭和48年になっ
てからであり,安全配慮義務の存在及び安全配慮義務不履行に基づく損害賠償請求権の
存在が最高裁で認められ,広く一般に知れ渡ったのは,昭和50年2月25日の最高裁判決
によってである。このように,安全配慮義務の不履行による損害賠償請求権は権利として確
立するのが遅かった上,安全配慮義務の具体的内容は安全配慮義務が問題となる当該具
体的状況によっても異なり,また,その債務不履行の内容もそれぞれ具体的内容により異な
るため,安全配慮義務不履行による損害賠償請求権を具体的にとらえることは他の権利に
比べるとはるかに困難である。また,浮島丸の爆沈から生還した者は,その後全員最終的
には朝鮮へと帰還し,生還者の遺族についても,死亡者の遺族についても,全員が現在朝
鮮半島在住の者であり,1審被告に対する何らかの措置を講じようとするいとまもなく必死に
生活してきた者たちであるから,1審原告らが日本の法律に疎いことは至極当然のことであ
り,一般人を基準としてみても,弁護士等の法的知識を有する者が賠償の可能性について
1審原告らに指導を与えることができた時点まで,1審原告らが1審被告に対して安全配慮
義務違反を含めた何らかの賠償を求めることを期待することはおよそ不可能であった。さら
に,昭和40年に日韓請求権協定が締結された際,当時の日本国政府は,日韓請求権協
定により日本国と大韓民国との間の請求権問題はすべて解決され,日韓両国及び両国民
は,相互に請求権に関するいかなる主張もすることができないという見解であり,その後,日
本国政府が,平成3年8月27日に至って,日韓請求権協定は個人の請求権そのものを国
内法的な意味で消滅させたものではないという公式見解を表明するまでは,1審原告らの
個人的事情を超え,かつ,1審原告らの関与可能性のない客観的,一般的状況により,1審
原告らが本件損害賠償請求権を行使することは現実に期待し得ない状態にあったというべ
きである。
 したがって,1審原告らの安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の時効の起算点
は,早くとも日本国政府が日韓請求権協定にいう「請求権」に関する公式見解を発表した平
成3年8月27日,遅ければ本訴提起の直前に1審原告らが安全配慮義務違反に基づく損
害賠償請求権による1審被告からの賠償の可能性について指導を受けた時点であり,平成
4年8月25日に提訴した本件においては,いまだ消滅時効は完成していないというべきで
ある。
(ウ) 時効の援用を権利の濫用として排斥すべきか否かの判断要素としては,① 権利不
行使に対する義務者の加担,② 権利不行使に対する非難性の欠如(権利の上に眠ったと
評価されないこと),③ 義務者保護の不適格性,④ 時効援用によりもたらされる結果が著
しく正義公正に反すること,が挙げられる。
 これを本件についてみると,1審被告は,浮島丸事件について何の対応も行ってこず,日
本人乗組員に対しては援護法に基づく補償を行う一方,1審原告ら乗船者に対しては何ら
の措置を講じようとせず,本訴においても,本件事故原因を解明すべき能力と立場にあるに
もかかわらずこれを怠り,1審原告らの調査した範囲に対応してしかその立証活動を行わ
ず,事件の解明を故意に妨げようとし,さらに,日韓請求権協定によって戦後補償問題が解
決済みであるかのような立場に終始しているのであって,このような1審被告の行為は,1審
原告らの権利行使を阻害し,権利不行使の原因を作ったものと評価することができる。他
方,朝鮮半島で生活してきた1審原告らにとって,本訴提起前にその権利を行使することは
期待不可能であった。上記のような1審被告の対応からすれば,1審被告に消滅時効による
保護を与える必要性は全くなく,加害行為の悪質性,1審原告らの受けた被害の甚大さに
加えて,当該被害が国が自ら行った強制連行,強制労働という施策の中で発生したもので
あることからすれば,国が自ら作り出した消滅時効の制度を適用して自らの責任を回避する
ことは,著しく正義,公正に反する。したがって,1審被告の消滅時効の援用が権利の濫用
に当たることは明らかである。
 第3 当裁判所の判断
 当裁判所は,1審原告らの1審被告に対する本訴請求(当審において追加した請求を含
む。)はいずれも理由がないからこれを棄却すべきものと判断する。その理由は,次のとおり
である。
 1 事実関係
 (1) 本件爆沈事件の経過
 前記第2の2の基礎となる事実並びに甲A3,甲A4(枝番を含む。),甲A8,甲A9,甲A2
8,甲A29,甲A34(枝番を含む。),甲A50,甲A51,甲A54ないし甲A56,甲A59ない
し甲A62,甲A70,甲A71,甲A78,検甲A1,甲B29,甲B30,甲B39ないし甲B44,甲
B49,甲B50,甲B52ないし甲B57,甲B60,甲B61,甲B64ないし甲B68,甲B90(枝番
を含む。),乙10,16ないし18,20,21,26,27,29,30,1審原告(番号36),1審原告
(番号39),1審原告(番号38),1審原告(番号35),1審原告(番号29)及び弁論の全趣
旨によれば,次の事実が認められる。
 ア 昭和20年8月の終戦当時,青森県大湊地区には,海軍の大湊警備府が設けられて
いた。大湊警備府は,津軽海峡,北海道方面,千島列島方面海域の警備,海上交通保護
の任務を負わされていた。
 また,舞鶴には,軍港が設けられ,鎮守府が置かれていた。舞鶴鎮守府は,日本海方面
の警備,作戦,海上交通保護をその任務としていた。
 海軍組織上,鎮守府及び警備府は,いずれも,軍政の実施及び内戦作戦を行うものとさ
れ,軍政に関しては海軍大臣の指揮を受け,作戦計画に関しては軍令部総長の指示を受
けて所属各部を統督し出師準備に関する事項を掌理するものとされていた(乙10)。
 海軍省には海軍大臣直隷機関として運輸本部が設置されていた。
 イ アメリカ軍は,昭和20年3月27日から8月15日まで,日本の主要港湾水道に対し連続
的に機雷を敷設した。若狭湾全体に投下された機雷数は611個に及ぶものとされ,舞鶴湾
内に対しては,同年6月30日から同年8月8日までの間に5回にわたって機雷が投下され,
その数は116個に及ぶとされている。また,酒田,新潟,直江津,敦賀等といった日本海側
の主要港湾にもアメリカ軍により機雷が投下された(検甲A1)。他方,大湊港にはアメリカ軍
の機雷は敷設されていなかった。なお,朝鮮の釜山に対しても集中的に機雷が投下され,
その数は同年7月9日から同年8月15日までで375個に及ぶものとされている(甲A61)。
 舞鶴湾内等に投下されたこれらの機雷は,船舶の接近に物理的に感応して爆発する沈
底式機雷(磁気機雷,音響機雷,水圧機雷)であり,掃海作業を困難にするため,日限遅動
装置(一定の日数後に作動させる装置)や回数調整起爆装置(一定の回数を経過した後の
物理的変化に感応させる装置)が設置されたり,磁気と水圧の両方の物理的変化がないと
感応しない装置が付けられたり(磁気水圧複合機雷)していた。
 これらの機雷に対して日本側(舞鶴防備隊)も全力を挙げて掃海作業を行っていた。
 ウ 昭和20年8月14日,日本国政府は,アメリカ外3国に対し,全日本国軍隊の無条件降
伏の宣言等を要求するポツダム宣言を受諾する旨通告し,同日,終戦の詔書が発布され
て,同月15日,その内容がラジオで放送された。同日,アメリカは全軍に戦闘停止命令を
発した。なお,ポツダム宣言には,「カイロ宣言の条項は,履行せらるべく,又日本国の主権
は,本州,北海道,九州及四国並に吾等の決定する諸小島に限局せらるべし。」,「日本国
軍隊は,完全に武装を解除せられたる後各自の家庭に復帰し,平和的且生産的の生活を
営むの機会を得しめらるべし。」,「日本国政府は,日本国国民の間に於ける民主主義的傾
向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし。言論,宗教及思想の自由並に基本的人
権の尊重は,確立せらるべし。」との条項が含まれており,また,カイロ宣言には,「前記の3
大国は,朝鮮の人民の奴隷状態に留意し,やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有
する。」との条項が含まれていた。
 エ 昭和20年8月16日,アメリカ政府及び連合国最高司令官から日本軍の戦闘行動停
止を命令する通告がされ,陸海軍に対し,停戦交渉成立に至る間の敵の来攻に対するや
むを得ない自衛のための戦闘行動を除き即時戦闘行動を停止することを命ずる奉勅命令
(大陸命第1382号,大海令第48号)が出された(乙16ないし18)。
 同月17日,海軍軍令部総長から南東方面艦隊司令長官,南西方面艦隊司令長官及び
海軍総司令長官に宛てて,別に定める時機以後指揮下の海陸軍全部隊をして一切の戦闘
行為を停止させること及び指揮下の各部隊(艦艇)を給養に適当な適宜の地域(固有繋留
港が内地に所在するものはなるべく所属軍港)に集結し以後の処理に関し準備させることが
できることを内容とする奉勅命令(大海令第49号)が伝達され,同月19日,海軍軍令部総
長から南東方面艦隊司令長官,南西方面艦隊司令長官,海軍総司令長官,第10方面艦
隊司令長官及び高雄警備府司令長官に宛てて,上記奉勅命令(大海令第49号)における
一切の戦闘行為を停止すべき時機を海軍総司令長官指揮下部隊にあっては昭和20年8
月22日午前零時とし,この時機以後海軍総司令長官及びその指揮下の海陸軍部隊の作
戦任務を解く旨の奉勅命令(大海令第50号)が伝達された(乙20,21)。
 オ ソヴィエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連」という。)は,昭和20年8月9日,我が国と
の間の中立条約を破棄して参戦し,南樺太に侵攻して日本軍と交戦状態にあったが,同月
15日以降も,南樺太においてソ連軍の積極的攻撃が続けられ日本軍部隊との間で戦闘が
継続していたほか,同月18日,千島列島の占守島に対するソ連軍の攻撃が開始され,応
戦した日本の陸海軍部隊との間で戦闘が繰り広げられて,その戦況は大湊警備府にも伝え
られた(乙26)。また,同月22日ころには,樺太からの引揚者多数を乗せた3隻の艦船が相
次いで潜水艦の雷撃を受けて沈没ないし損傷するなどした。
 カ ソ連の参戦を受けて,昭和20年8月10日,内務省警保局保安課長から知事及び警
察部長に宛てて,朝鮮人労務者等の集団稼働の場所に対し警戒を強化し不穏策動の防
止に努めることなど治安確保に万全を期すること,内鮮の対立を激化させるおそれのある言
動の取締りに遺憾なきことを期すことなどを求める通達(甲A54,甲A55)が出され,また,
同年8月15日には,内務省警保局保安課長から警察部長に宛てて,朝鮮人に対してはい
たずらに軽挙妄動させないよう指導を加えるとともに,国民に対しては内鮮対立を来さない
よう指導取締りを怠らないことなど,治安維持に万全を期することを求める通達(甲A56)が
出された。
 キ 昭和20年8月15日,海軍当局は,各鎮守府,警備府に対し,「戦争状態終結ニ伴ウ
緊急措置」として「作業庁ノ徴用者ハナルベク速ヤカニ解傭転業セシメル如ク措置スル」こと
を指示していたが,同月20日,海軍省は,部内一般,内地朝鮮関東州満州国所在各所属
長官関係各所轄長に宛てて,官衙及び作業庁雇員傭人工鑛員の整理について,すみや
かに徴用を解除し,朝鮮半島出身者等については本人の希望,地方事情,輸送力等を勘
案して各所属長官の定めるところにより帰郷させるものとする電報(機密第202134番電。
乙30)を発した。また,同月21日,次官会議において,強制移入朝鮮人等の徴用解除方
針が決定された(甲A4の3)。
 ク 終戦当時,大湊地区及びその周辺には,大規模な防空壕,地下倉庫,飛行場,鉄道
の建設等のために,数千名に及ぶ朝鮮人軍属,労務者(徴用工)及び渡日した朝鮮人が
居住していた。これら朝鮮人の多くは,大湊海軍施設部の徴用工員(軍属)であり,その他
に相当数の民間会社(e通運大湊支店,f工業,g組,h組,i工業,j組,k組,l組,m組,n
組,o組等)の徴用工がおり,一部に自らの意思で日本本土に移住してきた朝鮮人(以下
「一般在住朝鮮人」という。)及びその家族がいた。
 ケ 終戦直後の大湊地区は,一部の軍人が徹底抗戦を主張するビラを飛行機からまいた
り,軍需物資の放出を求めて市民が殺到するなど,混乱状態にあった。また,大湊警備府
においては,過去に日本軍が大陸に進駐した当時の行動を回想し,これを連合国軍の進
駐に対する判断資料として,連合国軍の進駐等に先立ち,軍需物資を急きょ民間に放出し
たり,隠匿しようとしたり,進駐が予想される地域内の家族を他所に避退させたりした(甲A6
2)。一方,朝鮮人らは,日本の敗戦と自らの解放を喜び,町では「マンセー」(万歳)という
歓声も聞こえた。
 コ 浮島丸は,4730総トン,全長114.8メートル,幅15.7メートル,深さ9.7メートル,喫
水7.0メートルのディーゼルエンジンで航行し,最高速力17.4ノット,航海速力16ノットの
貨客船で,昭和12年3月に竣工した。p商船株式会社が所有し,南西諸島航路に用いてい
た(船客定員は合計845名,乗組員数は89名)が,海軍に徴用され,特設砲艦として改装
され,終戦直前には青函連絡船の代替船として青函航路に就航していた。青函航路に就
航していたころには,旅客最大搭載人員数は1300名,乗組員数は150名であり,青森函
館間を5時間で運行する(速力約11ノットないし12ノット)とされ,載貨1300トン,乗客2000
名で喫水平均6.2メートルであって,函館港でも青森港でも着岸が可能とされていた(甲A
71)。また,青函航路に就航する以前には通常12ノットで航行していた(甲A73の3)。
 サ 昭和20年8月18日,大湊警備府から海軍運輸本部に対し電報「機密第181439番
電」が発せられ,同月19日,これに対する返電として,海軍運輸本部総務課長から大湊警
備府参謀長に宛てて,「浮島丸使用差支ナシ」との電報が発せられた(甲A61)。大湊警備
府から海軍運輸本部に対する上記電報(機密第181439番電)は,前後の経緯からして,
大湊警備府参謀長から海軍運輸本部に対し浮島丸の使用許可を求める内容のものであっ
たと推認される。
 浮島丸は,同月18日,大湊港に帰港したが,同月19日ころ,艦長以下乗組員は,大湊
警備府から,朝鮮人徴用工等を乗船させて釜山まで航行することを命じられた。
 乗組員の間では,終戦によって復員できると考えていたところにこの命令を受け,航海中
触雷の危険があることなどから,終戦による軍律の弛緩もあって,下士官,兵らを中心に出
航に反対する機運が高まった。士官らも,海図の不足(機雷の敷設状況を書き込んだ海図
は既に処分されていた。)や燃料の問題で出航は不可能であるとの意見であり,浮島丸の
艦長であるq海軍中佐(以下「q艦長」という。)は,大湊警備府に赴いて,出航は不可能で
ある旨申し出たが,警備府は強く出航を迫り,同月21日ころには,警備府の参謀が浮島丸
に出かけ,乗組員を集合させて,威嚇を交えての説得をした。その結果,同月22日,浮島
丸はようやく出航の運びとなった(甲A61,検甲A1)。
 シ 昭和20年8月19日ころから,大湊地区及びその周辺の朝鮮人民間徴用工には,雇
用先から,浮島丸に乗船するよう指示がされたが,その中には,浮島丸で朝鮮に帰らなけ
れば,今後は配給は受けられないとか,その後は帰国船は出ないなどといわれた者もい
た。一般在住朝鮮人にも同様の話が伝えられ,朝鮮人徴用軍属に対しても軍関係者により
浮島丸に乗船するよう指示がされた(1審原告(番号39),同(番号38))。浮島丸に乗船す
るため桟橋付近に集合した多数の朝鮮人らは帰鮮できる喜びにあふれていた。同月20日
ころから乗船が開始され,いったん中断した後,同月22日,乗船が再開された。乗船者の
中には正規の手続を経ずして乗船した者もいた。浮島丸は,同日午後10時ころ出航した
(甲A60,検甲A1)。
 ス 昭和20年8月20日,マニラに派遣されていた日本政府使節団は,連合国最高司令
部から,我が国に属し又は我が国の支配下にある一切の陸海軍及び民間の艦船で日本の
領海内にあるものは現に進行中の航海以外に一切移動しないものとする旨の要求事項を
受け取り(甲A61),これを受けて,同月21日,海軍軍令部総長から,連合艦隊司令長官,
横須賀鎮守府司令長官,第三航空艦隊司令長官,第五航空艦隊司令長官,第十航空艦
隊司令長官及び佐世保鎮守府司令長官に宛てて,同月24日午後6時以後特に定めるも
ののほか航行中以外の艦船の航行を禁止する旨の奉勅命令(大海令第52号)が伝達され
(甲A3),さらに,同月22日,海軍軍令部総長から,連合艦隊司令長官,舞鶴鎮守府司令
長官,大湊警備府司令長官外に宛てて,同月24日午後6時以降現に航行中のもののほか
艦船の航行を禁止する旨の指示(大海指第533号)が出された(乙31)。
 また,同日午後7時20分,海軍運輸本部長は,聖川丸,長運丸,浮島丸各特務艦長に宛
てて,同月24日午後6時以後現に航行中のもののほか船舶の航行を禁止する旨の至急電
報(機密第221605番電)を発し(甲A1),さらに,海軍運輸本部長は,浮島丸,長運丸各
特務艦長に対し,同月23日午前0時40分ころ,同月24日午後6時以降100総トン以上の
船舶は航行を禁止されるので同時刻までに目的港に到着するよう努力すること及び到達の
見込みがないものは同日時までに最寄りの軍港又は港湾に入港することを命じる緊急電報
(機密第221935番電)を発した(甲A2,乙33。なお,乙32によれば,この緊急電報の「發
電日時」欄は,赤インクにより「八月廿二日〇」と押印された上,赤インクの「二」の文字が鉛
筆と思われるもので「三」に修正されてその右横に「三」と記載され,赤インクの「〇」に続け
て鉛筆と思われるもので「〇四〇」と記載されており,海軍運輸本部からその前後に出され
た上記至急電報等の発電時刻の記載と対比すれば,上記緊急電報が発電されたのは同
月23日午前0時40分ころと認めるのが相当である。)。この緊急電報は大湊警備府にも通
報された。
 セ 浮島丸は,大湊港を出航後,本州の沿岸に沿って南西に進み,昭和20年8月24日
午後5時ころ,舞鶴湾内に入った。そして,舞鶴湾の入口にある舞鶴防備隊の信号所と手
旗で交信し,水路が掃海済みで安全である旨の返答を得て,入港を開始し,進路前方を航
行していた2隻の海防艦に従って航行し,同日午後5時10分ころ,下佐波賀沖に差し掛か
ったところ,突然船底付近で爆発が起こり,船体中央部から切断され,くの字形に折れて沈
没し,マストの一部及び電探装置を海面上に露出した状態で着底した(甲A34の1,甲A6
1、検甲A1)。
 q艦長は,同日午後9時31分,海軍運輸本部長,大湊警備府司令長官及び横須賀鎮守
府司令長官に宛てて,「本艦二十四日舞鶴入港ノ際一七一〇戸島及蛇島間水路ニ於テ第
四番船倉附近ニ触雷船軆中央部ヨリ切断沈没セリ死傷者目下調査中尚便乗生存者ハ鉄
道ニテ門司ニ輸送方御手配願度」との電報を発した(乙34)。これに対し,海軍運輸本部長
は,同月25日,浮島丸艦長に宛てて,「関釜連絡船ハ航行禁止中ニ付貴地ニ於テ便宜処
置セラレ度」という内容の至急電報(機密第251754番電)を発した(乙35)。
 なお,本件爆沈当時,舞鶴港には艦船が毎日のように浮島丸と同じ航路を通って入港し
ていた。昭和20年8月17日から同年11月3日までの間に,舞鶴湾において,本件爆沈事
件を除いて9件の触雷事故が発生し,そのうち5隻の船舶が沈没したとされる(甲A34の
4)。
 ソ 本件爆沈後,海軍関係者や地元漁民らが救助活動に当たった(甲A34の1,甲A6
1)。浮島丸の乗組員及び朝鮮人乗船者は,平海兵団の寮に収容され,重傷者は舞鶴海
軍病院に収容された。
 乗組員については,昭和20年8月末ころ,復員の措置がとられた。
 朝鮮人乗船者に対しては,同年9月上旬ころ,大湊警備府から送還のための艦船を出す
ことが計画されたが実現されず,同月中旬ころ,山口県仙崎港まで鉄道輸送の上,同港か
ら釜山まで船舶(興安丸)で送還するものとされ,この輸送列車には大湊海軍施設部の係
員が同乗したが,乗車した朝鮮人乗船者は1000人程度であった(甲A60,甲A61)。
 タ 国は,浮島丸に乗船していたのは,乗組員255名,朝鮮人乗船者3735名(うち徴用
工2838名,民間人897名),死亡者は,乗組員が25名(うち准士官以上1名,下士官兵24
名),朝鮮人乗船者が524名,沈没の原因は,米軍の機雷への接触であるとしており,朝鮮
人乗船者の死亡者524名の氏名(創氏名)及び本籍等を記載した「浮島丸死没者名簿」
(甲A59)及び本件爆沈事件の経緯等を記載した第二復員局残務処理部による昭和28年
12月付け「輸送艦浮島丸に関する資料」(甲A60)が作成されている。もっとも,乗船者名
簿等の存在がうかがわれないことや当時の状況からみて,朝鮮人乗船者の死亡者数は52
4名を上回った可能性が高い(甲A78,甲B29,甲B44,甲B49,甲B50,甲B61,甲B90
の1等)。
 乗組員死亡者は,その全員が戦死扱いとされた。また,上記「浮島丸死没者名簿」及び
「輸送艦浮島丸に関する資料」によれば,「浮島丸死没者名簿」に記載された朝鮮人乗船
者の死亡者のうち大湊海軍施設部に所属していた徴用工員362名及びその余の民間人の
うち13歳未満の者56名を除く162名について軍属扱いとされている。
 チ 少なくともa5(番号1の1審原告関係),a6(番号2の1審原告関係),a7(番号3の1審原
告関係),a8(番号4の1審原告関係),a9(番号5の1審原告関係),a10(番号6の1審原告
関係),a11(番号7の1審原告関係),a12(創氏名・番号8の1審原告関係),a13(番号9の1
審原告関係),a14(番号10の1審原告関係),a15(創氏名・番号11の1審原告関係),a16
(番号12の1審原告関係),a17(番号13の1審原告関係),a18(番号15の1審原告関
係),a19(創氏名・番号16の1審原告関係),a20(番号17の1審原告関係),a21(番号18
の1審原告関係),a22(創氏名・番号19の1審原告又は番号78の1審原告関係),a23(創
氏名・番号19の1審原告関係),a24(番号20の1審原告関係),a25(番号21の1審原告関
係),a26(番号22の1審原告関係),a27(番号25の1審原告関係),a28(番号26の1審原
告関係),a29(創氏名・番号27の1審原告関係),a30(創氏名・番号28の1審原告関
係),a31(番号29の1審原告関係),a32(番号30の1審原告関係),a33(番号36の1審原
告関係),a34(番号36の1審原告関係),a35(番号36の1審原告関係),a36(番号52の1
審原告関係),a37(番号53の1審原告関係),a38(番号54の1審原告関係),a39(番号55
の1審原告関係),a40(番号60の1審原告関係),a41(番号61の1審原告関係),a42(番号
62の1審原告関係)は,いずれも浮島丸に乗船し,昭和20年8月24日,同船の沈没により
死亡した。
 なお,これらの者のうち
a5,a6,a7,a8,a12,a14,a15,a17,a18,a19,a21,a22,a23,a25,a26,a27,a29,a30,a3
1,a32,a39,a40,a41及びa42は,徴用されて大湊海軍施設部に所属していたものであ
り,a9,a10,a11,a13,a16,a20,a24,a28,a33,a34,a36,a37及びa38は,大湊海軍施設
部に所属していたものである(ただし,そのうちa33,a34及びa36は,「浮島丸死没者名簿」
においては,大湊海軍施設部以外の分として登載されている。)。
 また,少なくともb1(番号24の1審原告の訴訟被承継人),b2(番号35の1審原告の訴訟
被承継人),1審原告(番号36),同(番号38),同(番号39),同(番号40),同(番号42),
同(番号43),同(番号45),b3(番号46の1審原告の訴訟被承継人),b4(番号63の1審原
告の訴訟被承継人),1審原告(番号64),b5(番号65の1審原告の訴訟被承継人),b6(番
号66の1審原告の訴訟被承継人),1審原告(番号67),同(番号69),b7(番号70の1審
原告の訴訟被承継人),1審原告(番号72),b8(番号77の1審原告の訴訟被承継人)は,
浮島丸に乗船して本件爆沈事件に遭遇し,生還した(甲A78,甲B39ないし甲B43,甲B5
2ないし甲B57,甲B60,甲B64ないし甲B68,1審原告(番号36),同(番号39),同(番
号35))。
 ツ 昭和20年9月2日,我が国は降伏文書に署名した。降伏文書には,ポツダム宣言の
条項を我が国が受諾すること,一切の日本国軍隊及びその支配下にある一切の軍隊の連
合国に対する無条件降伏を布告すること,我が国がポツダム宣言の条項を誠実に履行する
ことを約するとともに,ポツダム宣言を実施するため連合国最高司令官又はその他特定の
連合国代表者が要求することのあるべき一切の命令を発し,かつ,一切の措置をとることを
約すること,国家統治の権限は降伏条項を実施するため適当と認める措置を執る連合国最
高司令官の制限の下に置かれるものとすること,などの条項が含まれていた。
 同日,ポツダム宣言の諸条項を受諾し,政府及び大本営に対し,降伏文書に署名し,か
つ,連合国最高司令官の指示に基づき陸海軍に対する一般命令を発すべきことを命じたこ
となどを内容とする詔書が発せられた。
 同月20日,明治憲法8条1項の規定に基づき,政府はポツダム宣言の受諾に伴い連合国
最高司令官の行う要求に係る事項を実施するため特に必要がある場合においては命令を
もって所要の定めをし,必要な罰則を設けることができる旨の「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ發
スル命令ニ關スル件」(昭和20年勅令第542号)が公布施行された。
 テ 昭和20年9月1日,朝鮮人等の送還について,「朝鮮人集団移入労務者等ノ緊急措
置ノ件」(警保局保発第3号)が出され,厚生,内務両省から全国地方長官に対して,関釜
連絡船が近く運行される予定にあり,朝鮮人集団移入労務者を輸送順位を定めて優先的
に計画輸送すること,釜山までは必ず事業主側より引率者を付し,釜山において引き渡す
こと,目下のところ輸送能力が僅少(1日平均1000名以内)であって輸送完了までは相当
長期間を要する見込みにつきその間動揺させないよう指導すること,などが指示され(甲A5
1),同月中に朝鮮への送還が始まったとされている(甲A4の3)。舞鶴からも同月16日に
朝鮮人の釜山への送還第1船(雲仙丸)が出航した(甲A6)。
 (2) 浮島丸運行の根拠,目的
 前記(1)の認定事実等によれば,次のとおり,浮島丸は,大湊警備府の決定した作戦計画
に基づき,艦長以下乗組員に対する大湊警備府の命令により運行されたものであり,大湊
警備府は,大湊地区及びその周辺の朝鮮人徴用工らが連合国軍の進駐やソ連軍の進撃と
呼応して暴動等を起こすことを恐れ,治安上の理由から,早急に朝鮮に帰還させる目的
で,朝鮮人徴用工らを浮島丸に乗船させて釜山へ送還する作戦計画を決定したものと推認
するのが相当である。
 ア 終戦後,日本本土に在住する朝鮮人徴用工らの朝鮮への帰還についての海軍当局
ないし日本国政府の対応経過は,前記(1)キ及びテのとおりであって,昭和20年8月20日
の時点で,海軍省は,官衙及び作業庁雇員傭人工鑛員の整理について,すみやかに徴用
を解除し,朝鮮半島出身者等については本人の希望,地方事情,輸送力等を勘案して各
所属長官の定めるところにより帰郷させるものとしていたのであり,引揚援護庁の「引揚援護
の記録」(甲A4)によれば,同月21日,次官会議において,強制移入朝鮮人等の徴用解除
方針がまず決定され,同年9月1日,朝鮮人等の送還について,「朝鮮人集団移入労務者
等ノ緊急措置ノ件」(警保局保発第3号)が出され,厚生,内務両省から全国地方長官に対
して,関釜連絡船が近く運行される予定にあり,朝鮮人集団移入労務者を輸送順位を定め
て優先的に計画輸送することなどが指示され(甲A51),同月中に朝鮮への送還が始まっ
たとされている。
 これに対し,前記(1)サ及びシのとおり,同年8月18日の時点で既に大湊警備府参謀長か
ら海軍運輸本部に対し浮島丸の使用許可を求める電報が発せられ,海軍運輸本部総務課
長から大湊警備府参謀長に宛てて「浮島丸使用差支ナシ」との電報が発せられた同月19
日ころ,大湊警備府から艦長以下乗組員に対して朝鮮人徴用工等を乗船させて釜山まで
航行することが命じられており,また,そのころから,大湊地区及びその周辺の朝鮮人民間
徴用工や徴用軍属に対して浮島丸に乗船するよう指示がされている。これらによれば,大
湊警備府は,政府の政策として朝鮮人徴用工らの帰還を開始するよりも早い同月18日まで
にこれとは無関係に浮島丸による大湊地区及びその周辺の朝鮮人徴用工らの送還を計画
したものと認められる。
 イ そして,前記(1)アのとおり,海軍組織上,警備府は軍政の実施に加えて内戦作戦を行
うものとされていたこと,前記(1)オのとおり,南樺太において昭和20年8月15日以降もソ連
軍の積極的攻撃が続けられ日本軍部隊との間で戦闘が継続していたほか,同月18日に
は,千島列島の占守島に対するソ連軍の攻撃が開始され,応戦した日本の陸海軍部隊と
の間で戦闘が繰り広げられて,その戦況は大湊警備府にも伝えられていたこと,前記(1)サ
のとおり,浮島丸の出航に先立って,大湊警備府の参謀長から海軍運輸本部に対し浮島
丸の使用許可を求める内容の電報が発せられ,これに対する使用を許可する旨の返電が
海軍運輸本部から大湊警備府の参謀長に宛てて発せられていること,浮島丸の運行は大
湊警備府から艦長以下乗組員に対する命令として伝えられ,警備府は,乗組員らに出航に
反対する機運が高まったことに対して,警備府の参謀が浮島丸に出かけ,乗組員に対し威
嚇を交えての説得をするまでして,命令の実現を強く迫っていること,前記シのとおり,朝鮮
人徴用軍属に対しては軍関係者により浮島丸への乗船が指示され,朝鮮人民間徴用工に
は雇用先から浮島丸への乗船が指示されたが,その中には,浮島丸で朝鮮に帰らなけれ
ば今後は配給は受けられないとか,その後は帰国船は出ないなどといわれた者もいたこと,
以上の事実にかんがみると,大湊警備府は,海軍の作戦計画として浮島丸の運行を決定
し,艦長以下乗組員に対する命令によりこれを実施したものと認めるのが相当である。
 ウ また,上記のとおり,終戦後も南樺太においてソ連軍の積極的攻撃が続けられ日本軍
部隊との間で戦闘が継続していたほか,昭和20年8月18日には,千島列島の占守島に対
するソ連軍の攻撃が開始され,応戦した日本の陸海軍部隊との間で戦闘が繰り広げられ
て,その戦況は大湊警備府にも伝えられていたのであって,大湊警備府は,ソ連軍の進撃
が現実的な脅威となり,緊迫した状況下にあったものと推認されること,前記(1)カのとおり,
同月10日には,ソ連の参戦を受けて,内務省警保局保安課長から知事及び警察部長に宛
てて,朝鮮人労務者等の集団稼働の場所に対し警戒を強化し不穏策動の防止に努めると
ともに,内鮮の対立を激化させるおそれのある言動の取締りに遺憾なきことを期すことなどを
求める通達が出され,同月15日には,終戦という事態を受けて,内務省警保局保安課長か
ら警察部長に宛てて,朝鮮人に対してはいたずらに軽挙妄動させないよう指導を加えるとと
もに,国民に対しては内鮮対立を来さないよう指導取締りを怠らないことなどを求める通達
が出されていたこと,前記(1)ケのとおり,終戦直後の大湊地区は,大湊警備府において,過
去に日本軍が大陸に進駐した当時の行動を連合国軍の進駐に対する判断資料として,連
合国軍の進駐等に先立ち軍需物資を急きょ民間に放出したりするなどし,軍需物資の放出
を求めて市民が殺到するなど,混乱状態にあった一方で,朝鮮人らは,日本の敗戦と自ら
の解放を喜んでいたこと,以上の事実に加えてこれら朝鮮人徴用工らが前記第2の2の基
礎となる事実(2)のとおり徴用されて日本内地へ送られ労務者として軍事関係施設等で稼働
させられてきた経緯にもかんがみると,大湊警備府が浮島丸による朝鮮人徴用工らの送還
を決定したのは,大湊地区及びその周辺の朝鮮人徴用工らが連合国軍の進駐やソ連軍の
進撃と呼応して暴動等を起こすことを恐れ,早急に朝鮮に帰還させる目的に出たものであ
ったと推認するのが相当である。
 エ なお,第二復員局残務処理部が昭和28年12月に作成した「輸送艦浮島丸に関する
資料」(甲A60)には,終戦直後大湊地区にいた旧海軍軍属朝鮮人工員多数は連合国軍
の進駐を極度に恐れたためか帰鮮の熱望を訴えて不穏の兆しを示したため,当時日本海
軍としては既に解員手続を完了した元工員に対してこれを帰鮮させなければならないという
義務はなかったものの,事態の平穏な解決を欲したので,特に特設運送艦浮島丸に彼らを
便乗させこれを朝鮮に輸送するべく準備し,大湊を出港したといった趣旨の記載部分があ
る。しかしながら,終戦直後大湊地区の朝鮮人らが日本の敗戦と自らの解放を喜んでいた
状況は前記(1)ケのとおりであって,朝鮮人らが日本を敗北させた連合国軍に対して自分た
ちを解放してくれた軍隊であるとの感情を抱いたとみるのがむしろ自然である一方,朝鮮人
徴用工らが徴用されて日本内地へ送られ労務者として軍事関係施設等で稼働させられて
きた経緯からすれば,大湊警備府ないし海軍当局において朝鮮人徴用工らが連合国軍の
進駐を極度に恐れているとの認識を有していたとはにわかに考え難い。のみならず,浮島
丸の出港に至る経緯についての上記記載部分も,前記サのとおり,大湊警備府が乗組員
の抵抗を威嚇を交えての説得をするまでして押し切り出航に至らせた経過とも相容れないも
のである。したがって,「輸送艦浮島丸に関する資料」の上記記載部分を直ちに採用するこ
とはできない。
 (3) 舞鶴入港の経緯
 前記(1)の認定事実等によれば,次のとおり,大湊警備府が浮島丸の艦長らに発した航行
命令は釜山への航行を命じるものであったが,q艦長らは,大海令第52号,大海指第533
号を受けて海軍運輸本部長から発せられた,昭和20年8月24日午後6時以後現に航行中
のもののほか船舶の航行を禁止する旨の至急電報(機密第221605番電)並びに同時刻ま
でに目的港に到着するよう努力すること及び到達の見込みがないものは同日時までに最寄
りの軍港又は港湾に入港することを命じる緊急電報(機密第221935番電)を受けて,釜山
へ向かわず舞鶴軍港に入港しようとしたものと推認するのが相当である。
 ア 浮島丸運行の目的地について,1審原告らは,出航当初から釜山ではなく舞鶴とされ
ていた趣旨の主張をするところ,確かに,前記(1)サの事実及び検甲A1によれば,出航当
時浮島丸には十分な燃料が積載されていなかったと推認されること,前記(1)セのとおり,浮
島丸は出航後釜山への最短航路をとらずに本州の沿岸に沿って南西に進んでいること,検
甲A1によれば浮島丸に乗船していた日本人民間人は目的地は舞鶴であるとの認識を有し
ていた様子がうかがわれることなど,目的地が当初から鎮守府の置かれていた舞鶴軍港とさ
れていたのではないかとの疑念が生じなくもない。しかしながら,前記(2)ウで説示したような
当時の朝鮮人の動向及びこれに対する警察当局の意識,北方の軍事情勢,連合国軍の進
駐に対する大湊警備府の認識等に加えて,前記(1)サのとおり浮島丸乗組員が航行命令に
かなり強く抵抗した様子がうかがわれること,前記(1)セのとおりq艦長は本件爆沈の直後に
大湊警備府司令長官等に宛てて「便乗生存者ハ鉄道ニテ門司ニ輸送方御手配願度」との
電報を発していること,前記(1)ソのとおり本件爆沈後朝鮮人乗船者のために大湊警備府か
ら送還のための艦船を出すことが計画されていることなどを併せ考えると,大湊警備府が浮
島丸の艦長らに発した航行命令は釜山への航行を命じるものであったと推認するのが合理
的かつ自然である。
 イ そして,我が国の艦船の航行禁止を命じる連合国最高司令部の要求が伝達された経
緯は前記(1)スのとおりであり,浮島丸艦長に対しては,出航直前の昭和20年8月22日午
後7時20分,海軍運輸本部長から,同月24日午後6時以後現に航行中のもののほか船舶
の航行を禁止する旨の至急電報(機密第221605番電)が発せられ,さらに,出航直後の
同月23日午前0時40分ころ,同月24日午後6時までに目的港に到着するよう努力すること
及び到達の見込みがないものは同日時までに最寄りの軍港又は港湾に入港することを命じ
る緊急電報(機密第221935番電)が発せられているところ,前記(1)コで認定した浮島丸の
速力,大湊から釜山までの距離からすれば,同月22日午後10時ころ大湊を出航した浮島
丸が同月24日午後6時までに釜山に到達することは事実上不可能であったと認められる。
このことに加えて,前記(2)で説示したとおり,大湊警備府による釜山への航行命令は,大湊
地区及びその周辺の朝鮮人徴用工らが連合国軍の進駐やソ連軍の進撃と呼応して暴動等
を起こすことを恐れ,治安上の理由から,早急に朝鮮に帰還させる目的で発せられたもので
あること,浮島丸に乗船した朝鮮人の数は,第二復員局残務処理部が昭和28年12月に作
成した前記「輸送艦浮島丸に関する資料」によっても3735名であり,乗船者名簿の存在が
うかがわれないことや当時の状況等からすれば,実際の乗船者数はこれを相当程度上回っ
ていた可能性が高いところ,これだけの人員を一時的にせよ収容するには相当程度の規模
の施設と人員が必要と考えられることなどを併せ考えると,浮島丸艦長らは,釜山へ向けて
大湊を出航後,前記緊急電報(機密第221935番電)を受けて,釜山への最短航路をとら
ずに本州の沿岸に沿って航行を続け,航行禁止命令に係る期限(同月24日午後6時)まで
に当時鎮守府の置かれていた日本海側の唯一の軍港である舞鶴港に入港しようとしたもの
と推認するのが相当である。
 ウ なお,甲A61,検甲A1によれば,出航前から乗組員らの少なくとも一部の者において
連合国軍の要求による航行禁止命令が出されているとの情報を得ていたことがうかがわ
れ,前記のとおり乗組員らが終戦による復員を望んで航行命令にかなり強く抵抗した経緯
がうかがわれることをも併せ考えると,艦長ら乗組員が当初から航行禁止命令を機に舞鶴軍
港へ入港することを計画していた可能性も必ずしも否定できないところである。また,上記の
とおり,大湊警備府による釜山への航行命令は,大湊地区及びその周辺の朝鮮人徴用工
らが連合国軍の進駐やソ連軍の進撃と呼応して暴動等を起こすことを恐れ,治安上の理由
から,早急に朝鮮に帰還させる目的で発せられたものであること,前記(1)スのとおり,大湊
警備府は,浮島丸が出航した昭和20年8月22日には,同月24日午後6時以降現に航行
中のもののほか艦船の航行を禁止する旨の指示(大海指第533号)を受けていた上,浮島
丸艦長に対し同時刻までに目的港に到着するよう努力すること及び到達の見込みがないも
のは同日時までに最寄りの軍港又は港湾に入港することを命じる緊急電報(機密第22193
5番電)が通報されていたこと,舞鶴軍港に入港しようとした艦長ら乗組員の行動について
後に命令違反が問責された形跡が全くうかがわれないことなどからすれば,浮島丸が舞鶴
軍港に入港することは航行命令を発した大湊警備府の許容するところであったと推測され
る。
 (4) 本件爆沈の原因
 前記認定事実等によれば,次のとおり,本件爆沈の原因は触雷であると推認するのが相
当である。
 ア 浮島丸は,舞鶴湾内において爆発が起こり沈没したものであるところ,前記(1)イのとお
り,舞鶴湾内にはアメリカ軍により5回にわたって116個に及ぶ機雷が投下されたとされてお
り,これに対して掃海作業が行われたものの,前記(1)セのとおり終戦後の昭和20年8月17
日から同年11月3日までの間に舞鶴湾において本件爆沈事件を除いて9件の触雷事故が
発生しそのうち5隻の船舶が沈没したとされていること,前記(1)コのとおり浮島丸は4730総
トン,全長114.8メートル,幅15.7メートル,深さ9.7メートルの大型船舶であるところ,前
記(1)セのとおり浮島丸は船底付近で爆発が起こり船体中央部から切断されくの字形に折れ
て沈没しており,その爆発力はかなりの威力のものであったと推測されること,前記(1)セのと
おりq艦長は本件爆沈直後の同年8月24日午後9時31分に海軍運輸本部長,大湊警備府
司令長官らに宛てて浮島丸が触雷により沈没した旨の電報を発していること,q艦長を始め
浮島丸乗組員は本件爆沈事件後ほぼ一致して本件爆沈の原因は触雷によるものである旨
供述していること(甲A61。なお,甲A34の4によれば,海軍舞鶴防備隊の掃海責任者で当
直士官として本件爆沈事件の処理に当たったほか,戦中戦後を通じて多数の機雷処理に
携わってきたrも,爆発が起きた場所の水深や船体の被害状況からみて感応機雷による触
雷に間違いないといった趣旨のことを述べている。),後記のとおり本件爆沈の原因が乗組
員らによる自爆であるとはにわかに考え難く,他に原因が見当たらないこと,以上の事実等
を総合すれば,本件爆沈の原因は触雷であると推認するのが相当である。
 イ 本件爆沈の原因については,乗組員による自爆であるとの見解も根強く存在してお
り,1審原告らも選択的にその旨の主張をしている。この見解(以下「自爆説」ということがあ
る。)の根拠としては,次のような点が挙げられている。
 ① 大湊の住民の間では,浮島丸が出航する前から,浮島丸が航海途上で自爆するとの
うわさが流れていた。
 ② 出航後,浮島丸艦内の朝鮮人の間でも,同様のうわさが流れていた。
 ③ 乗組員の間で出航前から浮島丸を航行できなくするため機関部を爆破する計画が存
在していた。
 ④ 航海中,乗組員の間に書類や布団を海に投げ捨てたり昼間から飲酒するなどの不審
な行動がみられた。
 ⑤ 爆発直前にボートが降ろされ,乗組員が下船しようとした。
 ⑥ 爆発直前に乗組員が甲板にいる朝鮮人乗船者に対し下に降りるよう指示した。
 ⑦ 爆発音が1回ではなく,複数回であった。
 ⑧ 爆発時,水柱が上がらなかった。
 ⑨ 第2次引揚作業によって引き揚げられた浮島丸の船底は,外側に向かって膨らんで
いた。
 ⑩ 浮島丸が航行していた水路は掃海水道である上,大海令第52号(前記(1)ス)により
本件爆沈までに多数の艦船が同一水路を航行して舞鶴港に無事入港しており,本件爆沈
当時も,浮島丸に先行して同一水路を2隻の海防艦が入港していった。
 ⑪ 我が国において本件爆沈事件の新聞報道が事件直後にされなかった。
 ウ まず,①,②の点については,甲A8,甲A34の4,甲A61,検甲A1,1審原告(番号3
8)によれば,確かに,浮島丸が出航する前から大湊地区の住民の間に浮島丸が航海途上
で自爆するとのうわさが存在したこと,出航後浮島丸艦内の朝鮮人の間でも同様のうわさが
存在したことがうかがわれる。しかしながら,前記認定事実からうかがわれる終戦直後の混
乱した状況にかんがみると,このようなうわさが大湊地区の住民ないし朝鮮人乗船者らの間
に流布したとしても別段不自然とするに足りないのであって,より的確な根拠が見いだせな
い限り,このようなうわさの存在のみから直ちに自爆説を根拠付けることはできない(なお,
次に述べるとおり,浮島丸の出航に反対する一部の乗組員らの間で出航前から浮島丸の
機関部を破壊するなどして航行できないようにするという計画が存在していたこともうかがわ
れ,このことや前記(1)サのとおり乗組員らが触雷の危険を理由に出航に反対していたことが
上記のようなうわさの一因となったことも考えられるところである。)。
 次に,③の点については,甲A61,甲A8,検甲A1によれば,浮島丸の機関長であったs
海軍少佐(以下「s少佐」という。)やt上等兵曹が,出航に反対する一部の乗組員らの間で
出航前から機関部を破壊するなどして浮島丸を航行できないようにするという計画が存在し
ていた旨述べている事実が認められるところであり,前記(1)サにおいて認定した出航に至
る経緯に照らすと,そのような計画が存在したとしても別段不自然ではないということができ
る。しかしながら,甲A8,甲A61によれば,s少佐は朝鮮へは行かずどこか日本の港湾に入
港して復員する計画に切り替えた旨述べているところであり,前記のとおり本件爆沈の原因
となった爆発力はかなりの威力のものであったと推測されることや,爆発が舞鶴軍港に入港
直前の,しかも,大海令第52号等による航行禁止命令の期限(昭和20年8月24日午後6
時)の直前(同日午後5時10分ころ)に起きていることからすれば,浮島丸を航行できないよ
うにするため機関部を破壊しようとした一部の乗組員が誤って大爆発を起こした(甲A61)と
はにわかに考え難い。
 次に,④ないし⑥については,確かに,1審原告(番号36)は,爆発の直前に軍用ボート
が降ろされて数人の乗組員が乗船し出発しようとしたのを目撃した旨供述し,1審原告(番
号39)は,航海中乗組員の間に昼間から飲酒したり書類や布団,荷物等を海に投げ捨てた
りしていたのを目撃し,また,爆発直前にボートが1艘降ろされるのを目撃した旨供述し,1
審原告(番号38)は,陸地が見えてきたころ,乗組員らが甲板にいた朝鮮人乗船者らに対
し船内に入るよう指示し,ウイスキーを配って飲酒した後,爆発直前にボートを降ろしている
のを目撃した旨供述しているほか,複数の朝鮮人乗船者らが,航海中乗組員らが所持品を
海中に投棄しているのを目撃した,爆発直前に乗組員らがボートを降ろしているところない
しボートに乗って離れるのを目撃した,爆発直前に乗組員らが甲板にいた朝鮮人乗船者ら
に船内に入るようないし下に降りるよう指示しているのを目撃した,などと述べていることが認
められ(甲A78,甲B40,甲B41,甲B54,甲B68),また,乗組員の一部が昼間から飲酒
していた様子は甲A8,検甲A1からもうかがわれる。しかしながら,⑤の点については,これ
らの目撃供述によっても,上記のような行為にかかわった乗組員は乗組員全体のごく一部
である様子がうかがわれる(1審原告(番号39)は浮島丸から降ろされたボートは1艘だけで
あった旨供述している。)ことに加えて,爆発した時期との関係についての目撃供述が,ボ
ートを降ろす途中(1審原告(番号39)),着水とほぼ同時(1審原告(番号38)),着水して
出発しようとした瞬間(1審原告(番号36)),浮島丸を離れてからまもなく(甲A78),などと
様々であるものの,これらを総合すれば,むしろ,爆発がこれらボートに乗ろうとした乗組員
らにとっても予期しない時期に起きた様子がうかがえるところである。そして,前記(1)セのと
おり爆発当時浮島丸が入港の態勢に入っていたことを併せ考えると,乗組員の一部による
上記の行為は入港準備の一環として行われたとみるのがむしろ自然というべきであり,同様
に,⑥の点についても,入港準備のための指示と考えても別段不自然ではない。また,④の
点についても,乗組員らによる書類や所持品等の海中投棄は終戦処理の一環ないし復員
の準備としてされたとみても別段不自然ではなく,飲酒行為等についても,前記(1)サの出
航に至る経緯や終戦による軍律の弛緩にかんがみると不自然とまではいえない。
 次に,⑦については,1審原告(番号36)は爆発音が複数であったことをはっきり覚えてい
る旨供述しており,同様に爆発音が複数であったと述べている朝鮮人乗船者も存在する
が,爆発音は1回であったと述べている乗船者も多く(甲A34の1,甲A78),爆発が大規模
でかつ瞬間的な出来事であったことにもかんがみると,爆発音が複数であったとの供述等を
直ちに採用することはできない。また,⑧については,1審原告(番号36)は,水柱が全然
上がらなかった旨供述し,甲A61等にも乗組員及び朝鮮人乗船者らによる同様の話が記
載されているが,甲A61によれば,爆音とともに重油の混じった水柱が浮島丸のマスト以上
に高く上がったのを陸上から目撃したと述べている者もいることが認められることに加えて,
甲A34の4によれば,rの談話として,水深によって水柱が目立たないこともあることが記載
されていること,前記(1)セにおいて認定した浮島丸の沈没場所及び沈没状況からして沈没
場所の水深はさほど深くなかったものと推認されること,甲A61及び検甲A1によれば,浮
島丸は爆発後いったんへの字形になった後逆にくの字形に折れて沈没した旨述べている
目撃者が存在していること,などの点からすれば,爆発による水柱が上がらなかった旨の供
述等を直ちに採用して爆発が船内で起きたことの根拠とすることはできないというべきであ
る。さらに,⑨についても,甲A32,甲A34の4,甲A61には,引き揚げられた浮島丸は,船
底の鉄板が外側に向かって膨らんでいたないし曲がっていたとか,船底に近い部分の鉄板
に外側に向かって大きく破れている部分があったといった記載部分があるが,指摘に係る
事実があったとしても,その部位,膨らみ方,破れ方ないし曲がり方の具体的態様等が明ら
かではない上,甲A34の4によれば,rの談話として,鋼板の位置,積み荷,鉄骨の状態に
よって鋼板の被害状況も違うといった趣旨のことが記載されており,爆発後着底に至るまで
の船体運動によっても鋼板の被害状況が異なり得るものと考えられるから,⑨の指摘をもっ
て直ちに船内爆発の根拠とすることもできない。
 次に,⑩については,確かに,甲A61において,アメリカ軍により舞鶴湾内に投下されたと
推定される沈底式機雷の性能及び同一水路の艦船の推定運行数等からみて浮島丸に触
雷沈没の可能性はほとんどないとの分析が示されているが,航空機から投下された機雷は
常に同一方向に向かって沈底することはなく,機雷軸の向きも様々なものとなる上(甲A6
1),海流等の影響で沈底後にその向きが変化する可能性も考えられないではないこと,前
記(1)イのとおりこれらアメリカ軍の投下した沈底式機雷には様々な感応条件が設定されて
いて掃海困難なものが多く,特に磁気水圧複合機雷は大型艦船の通過時に爆発するよう
設定されておりアメリカ軍にも掃海不可能であったとされていること(弁論の全趣旨)などを
併せ考えると,指摘のとおり浮島丸が掃海済みとされ多数の艦船が既に航行していた水路
を2隻の海防艦に従って航行していたとしても,浮島丸が触雷する可能性は十分にあったと
考えられるのであり,甲A61における推論を直ちに採用することは困難である。
 次に、⑪についても,確かに,甲A35の3,甲A44,甲A61によれば,我が国において本
件爆沈事件の新聞報道が事件直後にされなかった事実が認められるが,本件爆沈事件が
起きたのが終戦の9日後であることや,その場所が当時鎮守府のおかれていた舞鶴軍港の
湾内であったことなどからすれば,直ちに自爆説の根拠とすることはできない。
 エ 上記ウにおいて検討したところに加えて,甲A8,甲A61によれば,q艦長を始め浮島
丸乗組員の士官の中にはいわゆる職業軍人はいないことが認められ,前記(1)サで認定し
た出航に至る経緯からしても,艦長を始め乗組員らは,終戦による召集解除(復員)を強く
望んでいた様子がうかがわれること,「浮島丸死没者名簿」(甲A59)によれば,本件爆沈に
より乗組員らのうち25名が死亡し,41名が負傷したとされており,負傷者の中にはs少佐
(重傷)を始め准士官以上11名が含まれていること,前記のとおり本件爆沈の原因となった
爆発力はかなりの威力のものであったと推測されることに加えて,爆発が舞鶴軍港に入港
直前の,しかも,大海令第52号等による航行禁止命令の期限の直前に,海岸近くの水深が
さほど深くない場所で起きていること,甲A34の3,甲A61によれば,爆発後も,q艦長,u航
海長ら幹部は直ちに退艦せず艦橋にとどまり続けたほか,泳いで軍艦旗を降ろしにいった
り航海書類を取りに戻ったりした乗組員が存在した事実が認められること,前記(1)ソのとお
り,本件爆沈後,海軍関係者や地元漁民らが救助活動に当たったほか,救助された朝鮮人
乗船者は平海兵団の寮に収容され,重傷者は舞鶴海軍病院に収容されたこと,朝鮮人乗
船者に対しては,いったん大湊警備府から送還のための艦船を出すことが計画されたが実
現されず,山口県仙崎港まで鉄道輸送の上,釜山まで船舶で送還するものとされ,この輸
送列車には大湊海軍施設部の係員が同乗したこと,以上のとおり認められるのであって,こ
れらの事実をも併せ考えると,本件爆沈が乗組員らあるいはその他の海軍関係者らの何ら
かの作為により引き起こされたものであるとはにわかに考え難いものといわざるを得ず,他に
自爆説を裏付けるに足りる的確な証拠は見当たらない。
オ 以上のとおり,本件爆沈の原因については,触雷であると推認するのが相当というべ
きである。
 2 争点(1)(道義的国家たるべき義務違反に基づく国家賠償法の類推適用による損害賠
償責任及び公式陳謝責任の有無)について
 (1) 1審原告らの主張は,要するに,憲法前文及び憲法9条は,国に対し,本件爆沈事件
の被害者らを含む我が国の侵略戦争及び植民地支配の被害者個人に対する謝罪と賠償
を内容とする作為義務を法的義務として課しており,その具体的内容については国家賠償
法を類推適用して決すべきであるというものと解される。
 前記1(1)ウ,ツにおいて認定した事実等によれば,ポツダム宣言には,朝鮮の独立を我が
国に求める内容や,民主主義的傾向の強化並びに言論,宗教,思想の自由及び基本的人
権の尊重の確立を求める内容が含まれているところ,我が国は,降伏文書に調印したことに
より,ポツダム宣言の条項を誠実に履行する義務を負うとともに,連合国最高司令官は,降
伏条項を実施するため適当と認める措置をとる権限を取得し,その限りにおいて,我が国の
統治の権限が連合国最高司令官の制限の下に置かれることとなり,その状態の下におい
て,憲法が制定公布されたのであって,憲法は,ポツダム宣言の趣旨を踏まえて制定され
たものということができ,また,憲法が我が国の過去の戦争及び植民地支配に対する反省を
踏まえていることは憲法前文からも読み取れるところである。
 しかしながら,憲法前文は,憲法の基本的理念を表明したものであって,それ自体が1審
原告らの主張するような具体的請求権の根拠規範となるような性質のものではなく,また,
憲法9条の規定の文言からも,1審原告らの主張するような具体的請求権を読み取ることは
困難である。このことに加えて,後に説示するとおり,本件爆沈事件により浮島丸乗船者や
その親族らが受けた損害ないし被害は,戦争犠牲ないし戦争損害の一つであるところ,戦
争犠牲ないし戦争損害に対する補償はそもそも憲法の予想しないところである上,いわゆる
植民地出身者の受けた戦争犠牲ないし戦争損害に対する補償等についての確立した国際
法規ないし条理の存在を認めるに足りる根拠も見いだせず,前記第2の2の基礎となる事
実(11)のとおり,平和条約においても,朝鮮の施政を行っている当局及びそこの住民の日
本国における財産並びに日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権
(債権を含む。)の処理は日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とするものとされ
て(4条),それまで日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位を有していた人々の戦争犠
牲ないし戦争損害についての処理が両政府間の外交交渉によって解決されることが予定さ
れたことをも併せ考えると,上記のような憲法制定の経緯や憲法前文の趣旨を考慮しても,
憲法が,国に対し,1審原告らの主張するような我が国の侵略戦争及び植民地支配の被害
者個人に対する謝罪と賠償を内容とする作為義務を具体的な法的義務として課していると
解することはできない。また,以上説示したところによれば,本件爆沈事件について国家賠
償法を類推適用することもできないというべきである。
(2) なお,1審原告らは,浮島丸による朝鮮人乗船者らの運送行為が非権力的作用であ
ることを理由に,本件爆沈事件が国家賠償法の施行前に起きたものであっても,国家無答
責の原則は適用されないと主張しており,その趣旨からすれば,国家賠償法の類推適用を
前提としない,当時の法秩序の下における国の不法行為責任を主張する趣旨が含まれて
いると解する余地もある。
 国家賠償法附則6項は,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の
例による。」と規定しているところ,本件爆沈事件が起きた当時は,我が国が降伏文書に調
印する前であって,終戦という事態を受けて法秩序が多かれ少なかれ動揺を来していた様
子は証拠上もうかがわれるものの,後記のとおり,法的にはなお,明治憲法及びその下で制
定された諸法令がその効力を有していたものと認められる。そして,明治憲法下において
は,公務員の不法行為について一般的に国の賠償責任を認めた法令はなく,公務員が国
又は公共団体の統治権に基づく権力的作用に属する職務を執行するに当たり不法に私人
の権利を侵害し損害を与えても国又は公共団体は被害者に対し民法上の不法行為責任を
負わないと解されていた(大審院昭和15年(オ)第626号同16年2月27日判決・民集20巻
2号118頁)。しかるところ,前記1(2)において説示したとおり,浮島丸の運行は,大湊警備
府が,大湊地区及びその周辺の朝鮮人徴用工らが連合国軍の進駐やソ連軍の進撃と呼応
して暴動等を起こすことを恐れ,治安上の理由から,朝鮮人徴用工らを浮島丸に乗船させ
て早急に朝鮮に帰還させる目的で,海軍の作戦計画としてこれを決定し,艦長以下乗組員
に対する命令によりこれを実施したものと認められるのであって,後に説示するとおり,当時
の法秩序の下においては,このような浮島丸の運行が国の統治権に基づく権力的作用に
該当することは明らかであり,また,その効力は,浮島丸に乗船した朝鮮人徴用工らに対し
ても,その乗船の契機のいかんにかかわりなく及ぶものと解される。そして,前記1(4)におい
て説示したとおり,本件爆沈の原因は触雷であると推認されるのであって,本件爆沈が乗組
員らあるいはその他の海軍関係者らの何らかの作為により引き起こされたものであるとはに
わかに考え難い上,後に説示するところによれば,浮島丸の航行についてq艦長らに注意
義務違反を認めることもできないのであるから,本件爆沈事件について国がその被害者に
対し民法上の不法行為責任を負う余地はないというべきである。
 (3) 以上のとおりであるから,道義的国家たるべき義務違反に基づく1審原告らの1審被
告に対する損害賠償請求及び公式陳謝請求は,その余の点について判断するまでもなく,
理由がない。
 3 争点(2)(明治憲法27条又は憲法29条の類推適用に基づく損失補償責任の有無)に
ついて
 前記1(2)ないし(4)において説示したとおり,本件爆沈事件は,終戦後我が国が降伏文書
に署名する前の時期に,大湊地区及びその周辺の朝鮮人徴用工らが連合国軍の進駐やソ
連軍の進撃と呼応して暴動等を起こすことを恐れた大湊警備府が,治安上の理由から,朝
鮮人徴用工らを早急に朝鮮に帰還させる目的で,海軍の作戦計画として浮島丸の運行を
決定し,艦長以下乗組員に対する命令によりこれを実施する過程で,浮島丸が触雷により
沈没し,乗組員や朝鮮人乗船者らに多数の死傷者を出したというものであるから,本件爆
沈事件により朝鮮人乗船者やその親族らが被った損害ないし被害は,戦争犠牲ないし戦
争損害に属するものである。しかるところ,戦争中から戦後にかけての国の存亡にかかわる
非常事態にあっては,これらの戦争犠牲ないし戦争損害は,国民の等しく受忍しなければ
ならなかったところであって,これに対する補償は,憲法29条,13条,25条等の全く予想し
ないところというべきであり,その補償の要否及びその在り方については,事柄の性質上,
財政,経済,社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判断を待って初めて決し得る
ものであって,憲法の上記各条項に基づいて一義的に決することは不可能であるというほ
かはなく,これについては,国家財政,社会経済,損害の内容,程度等に関する資料を基
礎とする立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解される(最高裁昭和40年(オ)第417
号同43年11月27日大法廷判決・民集22巻12号2808頁,最高裁昭和60年(オ)第1427
号平成4年4月28日第三小法廷判決・裁判集民事164号295頁,最高裁平成5年(オ)第1
751号同9年3月13日第一小法廷判決・民集51巻3号1233頁参照)。本件爆沈事件によ
る損害ないし被害が当時日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位を有し前記第2の2の
基礎となる事実(2)の経緯で徴用等によって日本内地に動員された者らについて生じたもの
であることを考慮しても,これを他の戦争犠牲ないし戦争損害と区別して憲法の上記各条項
ないしその類推適用に基づきその補償を認めることはできないものといわざるを得ない。ま
た,明治憲法27条は,「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルヽコトナシ 公益ノ為必要ナル処分
ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」とのみ規定し,そもそも損失補償に関する規定を欠いていた上,
いわゆる戦争犠牲ないし戦争損害についての上記説示は明治憲法下においても基本的に
妥当するものというべきであるから,同様に,明治憲法27条に基づき本件爆沈事件により被
った損害ないし被害についての補償を請求することもできないものというべきである。
 以上のとおりであるから,明治憲法27条又は憲法29条3項の類推適用に基づく1審原告
らの1審被告に対する損失補償請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由が
ない。
 4 争点(3)(安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任の有無)について
 (1) 前記1(2)において説示したとおり,浮島丸の運行は,大湊警備府が,大湊地区及び
その周辺の朝鮮人徴用工らが連合国軍の進駐やソ連軍の進撃と呼応して暴動等を起こす
ことを恐れ,治安上の理由から,朝鮮人徴用工らを浮島丸に乗船させて早急に朝鮮に帰還
させる目的で,海軍の作戦計画(以下「本件作戦計画」という。)としてこれを決定し,艦長以
下乗組員に対する命令によりこれを実施したものと認められる。
 他方,前記1(1)シにおいて認定したところによれば,朝鮮人徴用工らの乗船は,民間徴用
工については,雇用先からの乗船指示により,また,徴用軍属に対しても軍関係者の指示
により行われ,その中には,浮島丸で朝鮮に帰らなければ,今後は配給は受けられないと
か,その後は帰国船は出ないなどといわれた者もいたというのである。
 ところで,浮島丸の運行が決定,実施された当時は,我が国が降伏文書に調印する前で
あって,終戦という事態を受けて法秩序が多かれ少なかれ動揺を来していた様子はうかが
われるものの,法的にはなお,明治憲法及びその下で制定された諸法令がその効力を有し
ていたと解される。すなわち,昭和20年8月14日,ポツダム宣言条項受諾に関する詔書が
発布され,その旨アメリカ外3国に宛てて日本国政府の通告が発信されたことにより,我が
国のポツダム宣言受諾の意思が国際的に表示され,また,同月15日,詔書の内容がラジオ
で放送されたが,法的には,降伏文書に調印したことにより,我が国は,ポツダム宣言を受
諾して連合国に対し無条件降伏をし,ポツダム宣言の条項を誠実に履行する義務を負うと
ともに,連合国最高司令官は,降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる権限を取
得し,その限りにおいて,我が国の統治の権限が連合国最高司令官の制限の下に置かれ
ることとなったと解される(最高裁昭和23年(れ)第1862号同24年6月13日大法廷判決・
刑集3巻7号974頁における裁判官眞野毅の補足意見参照)。そして,降伏文書に調印し
た後は,我が国の統治の権限は,一般には明治憲法又は憲法に基づいて行われるもの
の,連合国最高司令官が降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる関係において
は,その権力によって制限を受ける法律状態に置かれたということができるが(最高裁昭和
24年(れ)第685号同28年4月8日大法廷判決・刑集7巻4号775頁参照),降伏文書に調
印するまでは,明治憲法及びその下で制定された諸法令がその効力を有しており,軍事に
関する事項を含めた我が国の統治に関する権限も,明治憲法及びその下で制定された諸
法令に基づいて行使されていたものと解されるのである。また,本件爆沈事件当時,我が国
の陸海軍の組織が維持されていたことは,前記1(1)において認定したところからも明らかで
ある。
 しかるところ,前記1(1)ウないしオにおいて認定したところによれば,日本国政府がアメリカ
外3国に対しポツダム宣言を受諾する旨通告して後,昭和20年8月15日には,アメリカが全
軍に戦闘停止命令を発し,同月16日には,我が国の陸海軍に対し,停戦交渉成立に至る
間の敵の来攻に対するやむを得ない自衛のための戦闘行動を除き即時戦闘行動を停止
することを命ずる奉勅命令(大陸命第1382号,大海令第48号)が伝達され,同月17日に
は,別に定める時機以後指揮下の海陸軍全部隊をして一切の戦闘行為を停止させること
等を内容とする奉勅命令(大海令第49号)が伝達され,同月19日には,上記奉勅命令に
おける一切の戦闘行為を停止すべき時機を同月22日午前零時とし,この時機以後海陸軍
部隊の作戦任務を解く旨の奉勅命令(大海令第50号)が伝達されたが,他方で,同月15
日以降も,南樺太においてソ連軍の積極的攻撃が続けられて日本軍部隊との間で戦闘が
継続していたほか,同月18日,千島列島の占守島に対するソ連軍の攻撃が開始され,応
戦した日本の陸海軍部隊との間で戦闘が繰り広げられて,その戦況は大湊警備府にも伝え
られ(日本の陸海軍部隊が占守島において組織的戦闘を展開していたことは乙26からも裏
付けられるところである。),また,同月22日ころには,樺太からの引揚者多数を乗せた3隻
の艦船が相次いで潜水艦の雷撃を受けて沈没ないし損傷するといった事件が起きていたと
いうのであり,大湊警備府はソ連軍の進撃が現実的な脅威となり,緊迫した状況下にあった
ということができる。
 上記の事実関係によれば,浮島丸による朝鮮人徴用工らの運送行為は,このような状況
の下において国が治安上の理由から大湊地区及びその周辺の朝鮮人徴用工らを早急に
朝鮮に帰還させるという海軍の本件作戦計画の実行として行った行政上(軍事上)の措置
であって,国の統治権に基づく権力的作用に該当することが明らかである。そして,当該行
為の性質やそれが行われた上記認定の当時の状況にかんがみると,その効力は,当時の
法秩序の下においては,浮島丸に乗船した朝鮮人徴用工らに対しても,その乗船の契機
のいかんにかかわりなく及ぶものと解されるのであって,浮島丸の出航までに徴用が解除さ
れ(前記1(1)キ及び甲A60によれば,朝鮮人徴用工については浮島丸の出航までに徴用
が解除されていたものと認められる。),また,徴用工以外の一般在住朝鮮人の乗船が認め
られていたとしても,国とこれら浮島丸乗船者との間には,上記のような公法上の目的に規
定された特殊の法律関係が成立していたと解され,当該法律関係をもって私法上の旅客運
送契約に類似した関係と評価するのは困難というべきである。
 国と浮島丸乗船者らとの間に上記のような法律関係が設定された目的及びその根拠にか
んがみると,当該法律関係には旅客運送に関する商法その他の私法規定は適用されず,
また,これを類推適用することもできないと解すべきであり,このことは,船舶法35条ただし
書の規定の趣旨からも裏付けられるところである。そうであるとすれば,1審原告らが主張す
るように,国が,朝鮮人乗船者らとの間に成立した法律関係に基づいて,乗船者らに対し,
当該法律関係に基づく本来的義務として,私法上の旅客運送契約に基づくのと同様の安
全運送義務,すなわち,釜山港又はその近辺の朝鮮の港まで安全に運送する義務ないし
朝鮮の港まで到達することが不可能な場合には安全に最寄りの港まで運送し又は出発港
に還送すべき義務を負ったものと解することはできないというべきである。
 したがって,国が,朝鮮人乗船者らとの間に成立した法律関係に基づいて,乗船者らに対
し,当該法律関係に基づく本来的義務として,私法上の旅客運送契約に基づくのと同様の
安全運送義務を負ったことを前提とする1審原告らの主張は,その余の点について判断す
るまでもなく,理由がない。
 (2) もっとも,前記のとおり,浮島丸の運行は,大湊警備府が,大湊地区及びその周辺の
朝鮮人徴用工らが連合国軍の進駐やソ連軍の進撃と呼応して暴動等を起こすことを恐れ,
治安上の理由から,朝鮮人徴用工らを浮島丸に乗船させて早急に朝鮮に帰還させる目的
で,海軍の作戦計画としてこれを決定し,実施されたものであって,朝鮮人乗船者らは,こ
の作戦計画を達成するために,雇用先や軍関係者からその乗船を指示され,その中には,
浮島丸で朝鮮に帰らなければ,今後は配給は受けられないとか,その後は帰国船は出ない
などといわれた者もいたというのである。したがって,朝鮮への帰還がこれら朝鮮人乗船者ら
の意向に添うものであり,また,徴用工のみならず一般在住朝鮮人の乗船が認められてい
たとしても,これらの朝鮮人乗船者らは海軍の本件作戦計画に基づいて浮島丸に乗船させ
られたものと評価することができる。そして,これらの朝鮮人乗船者らは,浮島丸への乗船に
より,本件作戦計画の達成までその客体として海軍の支配管理下に置かれたものということ
ができる。
 ところで,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において
は,信義則上,当該法律関係の付随義務として,当事者の一方又は双方は相手方に対し
て安全配慮義務を負うものと一般的に解されるのであり,この安全配慮義務は,信義則に
由来するものである以上,当該法律関係が本件爆沈事件当時の法秩序の下における国の
統治権に基づく権力的作用に係るものであるからといって,直ちに別異に解すべき論拠は
見いだせず,このような法律関係の下において,国は,前記のとおり,当時の法秩序の下に
おいては相手方の生命,身体等に対する侵害について私法上の不法行為規範に基づく責
任を負わないとしても,このような特別な社会的接触の関係に入った者に対する信義則上
の義務としての国の安全配慮義務を認める余地はあるものと解される。
 上記のとおり,朝鮮人乗船者らは,治安上の理由から,早急に朝鮮に帰還させる目的で,
海軍の本件作戦計画に基づいて浮島丸に乗船させられ,本件作戦計画の客体として,そ
の達成まで海軍の支配管理下に置かれたものということができる。このことに加えて,本件
作戦計画において運送の対象とされた者が主として徴用等により日本内地に動員された人
々であること,前記1(1)ウ,エ,キのとおり,本件作戦計画に基づく運送行為は,我が国が朝
鮮の独立を我が国に求める内容が含まれたポツダム宣言を受諾する意思を国際的に表示
して戦闘行為を停止し,海軍当局により「戦争状態終結ニ伴ウ緊急措置」として「作業庁ノ
徴用者ハナルベク速ヤカニ解傭転業セシメル如ク措置スル」ことが指示され(昭和20年8月
15日),また,海軍省により,官衙及び作業庁雇員傭人工鑛員の整理について,すみやか
に徴用を解除し,朝鮮半島出身者等については本人の希望,地方事情,輸送力等を勘案
して各所属長官の定めるところにより帰郷させる方針が打ち出され(同月20日),さらに,次
官会議において,強制移入朝鮮人等の徴用解除方針が決定された(同月21日)という状況
の下において行われたものであることなどをもしんしゃくすれば,朝鮮人乗船者らは,浮島
丸への乗船により,国との間で特別の社会的接触の関係に入ったものという評価ができな
いではなく,国は,信義則上,これらの朝鮮人乗船者らに対し,当該具体的状況の下にお
いて要求される限度において,その支配管理する人的及び物的環境から生じ得べき危険
を防止し,その生命,身体等を危険から保護するよう配慮すべき安全配慮義務を負うものと
解する余地もなくはない。1審原告らの主張には,この趣旨の安全配慮義務の主張も含ま
れていると解される(これに対し,朝鮮人乗船者らのうち軍属又は民間徴用工について,徴
用に係るこれらの者と国との間の法律関係から直ちに1審原告らが前記第2の4(3)ア(ウ)に
おいて主張するようなこれらの者に対する国の安全配慮義務を導き出すのは困難というべ
きである。)。
 (3) しかしながら,前記(1)において認定した事実関係の下においては,次のとおり,国に
上記のような安全配慮義務の不履行があったということはできない。
 ア 前記1(1)コにおいて認定した事実によれば,本件作戦計画において用いられた艦船
である浮島丸自体は,ディーゼルエンジン搭載の大型船舶であって(甲A61には浮島丸が
当時としては優秀なディーゼルエンジンを搭載していた旨の記載部分がある。),当時浮島
丸に構造上の欠陥が存したことやその整備が不十分であったことは証拠上うかがわれな
い。また,甲A61によれば,q艦長の操艦技術も秀でていたことがうかがわれ,乗組員の配
置にも特段の問題はうかがわれない。
 イ もっとも,前記(1)サにおいて認定した事実及び甲A8,甲A61,検甲A1によれば,浮
島丸の出航が命じられた当時,浮島丸は,燃料が不足していた上,機雷の敷設状況を書き
込んだ海図が焼却されており,艦長以下乗組員の中には大湊,釜山間の航海経験者は1
人もいなかったことがうかがわれ,また,前記1(1)コ,タにおいて認定した事実によれば,浮
島丸には,その乗船定員を著しく上回る数の朝鮮人らを乗船させていた事実が認められる
(前記1(3)イのとおり実際の乗船者数は前記「輸送艦浮島丸に関する資料」に記載された3
735名を相当程度上回っていた可能性が高い。)。そして,当時,舞鶴を始め酒田,新潟,
直江津,敦賀等といった日本海側の主要港湾のみならず朝鮮の釜山にもアメリカ軍により
多数の機雷が投下されていた事実は,前記1(1)イにおいて認定したとおりである。
 しかしながら,浮島丸の搭載燃料が大湊から釜山までの往路分にも満たないものであった
ことをうかがわせる証拠はない上,前記のとおり,本件作戦計画が決定,実施された当時,
南樺太においてソ連軍の積極的攻撃が続けられ日本軍部隊との間で戦闘が継続していた
ほか,千島列島においてソ連軍と日本の陸海軍部隊との間で戦闘が繰り広げられてその戦
況が大湊警備府にも伝えられるなど,大湊警備府は,ソ連軍の進撃が現実的な脅威とな
り,緊迫した状況下にあったこと,終戦の前後にかけて,内務省警保局から,朝鮮人労務者
等の集団稼働の場所に対し警戒を強化し不穏策動の防止に努めるとともに,内鮮の対立を
激化させるおそれのある言動の取締りに遺憾なきことを期すこと,朝鮮人に対してはいたず
らに軽挙妄動させないよう指導を加えるとともに,国民に対しては内鮮対立を来さないよう指
導取締りを怠らないことなどを求める通達が出されていたこと,大湊警備府においては,過
去に日本軍が大陸に進駐した当時の行動を連合国軍の進駐に対する判断資料として,連
合国軍の進駐等に先立ち軍需物資を急きょ民間に放出したりするなどしていたこと,以上の
とおり認められるのであって,このような状況の下においては,大湊警備府が,大湊地区及
びその周辺の朝鮮人徴用工らが連合国軍の進駐やソ連軍の進撃と呼応して暴動等を起こ
すことを恐れ,治安上の理由から,これらの朝鮮人徴用工らを早急に朝鮮に帰還させること
を計画し,実行したことは,必要やむを得ざる対応であったということができる。そして,上記
のような状況に加えて,当時の艦船の保有状況,燃料の備蓄状況,さらに,当時日本海側
のみならず瀬戸内海や太平洋岸,朝鮮等の広範囲にわたり主要港湾等にアメリカ軍の機
雷が投下されており,これに対して日本側も掃海に努力していたこと(甲A61,検甲A1。な
お,釜山にもアメリカ軍により多数の機雷が投下されていたことは,前記1(1)イにおいて認
定したとおりである。),終戦後このような状況の下において多数の船舶が航行していたこと
(甲A61)をも併せ考えると,本件作戦計画のために浮島丸を供用し,可能な限り多数の朝
鮮人徴用工らを乗船させた上,触雷の危険を伴う航海を命令,実行したとしても,当該具体
的状況の下におけるやむを得ない措置であったということができ,当時の法秩序及び具体
的状況の下においては,これらについて朝鮮人乗船者らに対する国の安全配慮義務の不
履行を問題にする余地はないものというべきである。
 ウ また,前記1(1)シ,スにおいて認定したとおり,浮島丸の出航に先立ち,昭和20年8月
21日には,海軍軍令部総長から,同月24日午後6時以後特に定めるもののほか航行中以
外の艦船の航行を禁止する旨の奉勅命令(大海令第52号)が伝達され,同月22日には,
海軍軍令部総長から大湊警備府司令長官外に宛てて,同月24日午後6時以降現に航行
中のもののほか艦船の航行を禁止する旨の指示(大海指第533号)が出され,さらに,出航
直前の同日午後7時20分,海軍運輸本部長から浮島丸艦長外に宛てて,同月24日午後6
時以後現に航行中のもののほか船舶の航行を禁止する旨の至急電報(機密第221605番
電)が発せられていたほか,浮島丸の出航直後の同月23日午前0時40分ころ,海軍運輸
本部長から浮島丸艦長外に宛てて,同月24日午後6時以降100総トン以上の船舶は航行
を禁止されるので同時刻までに目的港に到着するよう努力すること及び到達の見込みがな
いものは同日時までに最寄りの軍港又は港湾に入港することを命じる緊急電報(機密第22
1935番電)が発せられ,この緊急電報は大湊警備府にも通報されていたところ,前記1(1)
セ及び(3)のとおり,浮島丸は,同月22日午後10時ころ大湊を出航し,上記緊急電報を受
けて,釜山への最短航路をとらずに本州の沿岸に沿って航行を続け,上記の航行禁止命
令に係る期限(同月24日午後6時)の直前の同日午後5時ころ舞鶴軍港に入港しようとした
ものである。
1審原告らは,乗船者の安全のために,上記緊急電報(機密第221935番電)が出航前
に着信していなくても,上記至急電報(機密第221605番電)が着信している以上,q艦長ら
は浮島丸の出航を見合わせるべきであり,また,大湊警備府司令長官らは,浮島丸の出航
を見合わせるよう艦長らに命じるべきであったのであり,仮に出航中止義務が問題にならな
いとしても,q艦長らは機雷の敷設されていない大湊に戻るべきであり,また,大湊警備府司
令長官らは大湊に戻るよう艦長らに命じるべきであったといった趣旨の主張をする。
 確かに,前記1(3)イで説示したとおり,浮島丸の速力,大湊から釜山までの距離からすれ
ば,上記至急電報(機密第221605番電)ないし緊急電報(機密第221935番電)を受信し
た時点において浮島丸がこれらの航行禁止命令に係る期限である同月24日午後6時まで
に釜山に到達することは事実上不可能であったと認められるのであり,大湊警備府司令長
官は,同月22日,上記大海指第533号による指示を受けていた上,上記緊急電報(機密
第221935番電)は大湊警備府にも通報されていたのであるから,大湊警備府において本
件作戦計画の実行を中止する選択肢もあり得たというべきである。
 しかしながら,本件作戦計画は,大湊地区及びその周辺の朝鮮人徴用工らが連合国軍の
進駐やソ連軍の進撃と呼応して暴動等を起こすことを恐れた大湊警備府により,治安上の
理由から,これらの朝鮮人徴用工らを早急に朝鮮に帰還させる目的で決定されたものであ
って,前記イにおいて説示したとおり,当時,大湊警備府が,連合国軍の進駐を控え,ま
た,ソ連軍の進撃が現実的な脅威となって,緊迫した状況下にあったこと,前記1(1)シにお
いて認定したとおり同月22日までには帰鮮できる喜びにあふれた多数の朝鮮人が浮島丸
に乗船し又は乗船のため桟橋に集合していたこと,上記大海指第533号においても上記至
急電報(機密第221605番電)においても,現に航行中のもののほかという留保が付されて
いたことなどにかんがみると,大湊警備府において本件作戦計画を中止し浮島丸の出航を
見合わせるよう艦長らに命じなかったとしても,当該具体的状況の下におけるやむを得ない
措置であったということができ,このような命令が出されない以上,q艦長らが航行命令に従
って浮島丸を出航させるのは当然である。また,このような状況の下においては,上記緊急
電報(機密第221935番電)を受けて,大湊警備府において浮島丸に対し大湊への帰港を
命じなかったとしても,同様にやむを得ない措置であったということができる。そして,大湊警
備府の艦長らに対する航行命令の趣旨,目的に加えて,上記緊急電報(機密第221935
番電)の内容が航行禁止命令に係る期限までに目的港に到着するよう努力し,到達の見込
みがないものは当該期限までに最寄りの軍港又は港湾に入港するというものであったこと,
朝鮮人乗船者らの大多数は徴用されて日本内地に動員され労務に服していた者であって
(前記第2の2の基礎となる事実(2),(4),(7)),朝鮮人乗船者らは朝鮮への帰還を強く望ん
でいたこと(正規の手続を経ずして乗船した者もいたことは前記1(1)シにおいて認定したと
おりである。),浮島丸に乗船した多数の者を一時的にせよ収容するには相当程度の規模
の施設と人員が必要と考えられること,前記1(1)イのとおり,舞鶴のみならず酒田,新潟、直
江津,敦賀等といった日本海側の主要港湾にもアメリカ軍により機雷が投下されていたが,
日本側でも掃海に努力しており,終戦後も多数の船舶が航行し,前記1(1)セのとおり本件
爆沈当時も舞鶴港には毎日のように艦船が入港していたことなどにかんがみると,大湊警
備府による上記航行命令及び上記緊急電報(機密第221935番電)による海軍運輸本部
の命令を受けたq艦長らにおいて,大湊へ帰港せずに航行禁止命令に係る期限の直前ま
で日本海沿岸に沿って航行を続けた上,当時鎮守府の置かれていた日本海側の唯一の軍
港である舞鶴港に入港しようとしたことは,当該具体的状況の下におけるむしろ合理的な行
動であったということができ(前記1(3)ウで説示したとおり浮島丸が舞鶴軍港に入港すること
は本件作戦計画を決定しその実行を命じた大湊警備府の許容するところであったと推測さ
れるところでもある。),当時の法秩序及び具体的状況の下においては,これらについて朝
鮮人乗船者らに対する国の安全配慮義務の不履行を問題にする余地はないものというべ
きである。
 エ のみならず,前記1(1)セにおいて認定したところによれば,浮島丸は,舞鶴港への入
港に当たり,舞鶴湾の入口にある舞鶴防備隊の信号所と手旗で交信し,水路が掃海済み
で安全である旨の返答を得て,入港を開始し,進路前方を航行していた2隻の海防艦に従
って航行していたというのである。
 この点,甲A34の1には,rの談話として,本件爆沈当時,舞鶴湾の入口に設置され,入
港する艦船に掃海情報や航路指示を与える信号所はもう機能しておらず,浮島丸のような
大きな艦船が入港するという連絡は当時なかったという記載部分がある。しかしながら,甲A
61には,航海長を始め複数の乗組員の上記の認定に沿う談話が記載されていることに加
えて,そもそも,前記のとおり艦長を始め乗組員らは終戦による復員を強く望んでいた様子
がうかがわれることからしても,機雷の敷設状況を示す海図を持たず,舞鶴港への入港経
験もない(甲A34の1,甲A61)艦長,航海長らが水路の安全も確かめずに入港しようとした
とは到底考えられないところであり,q艦長らは,上記認定のとおり水路の安全につき必要な
確認等をした上で航行したものと認めるのが相当である。また,本件爆沈当時,舞鶴港には
艦船が毎日のように浮島丸と同じ航路を通って入港していたことは,前記1(1)セにおいて認
定したとおりである。
 そうであるとすれば,舞鶴港への入港に当たり,q艦長らには,通常の航行上の注意義務
違反もなかったと認められるのであり,戦争及び終戦後の混乱等により本件爆沈当時舞鶴
港の航行安全管理システム等に何らかの支障が出ていたとしても,当時の状況及び上記事
実関係の下においては,これについて朝鮮人乗船者らに対する国の安全配慮義務の不履
行を問題にする余地はないものというべきである。
 (4) 以上のとおりであるから,国の安全配慮義務違反に基づく1審原告らの1審被告に対
する損害賠償請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。
 5 争点(4)(立法不作為の違法を理由とする国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任
の有無)について
(1) 国会議員は,立法に関しては,原則として,国民全体に対する関係で政治的責任を
負うにとどまり,個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではなく,国会
ないし国会議員の立法行為(立法不作為を含む。)は,立法の内容が憲法の一義的な文言
に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うがごとき,容易に想定し難いよ
うな例外的な場合でない限り,国家賠償法1条1項の適用上,違法の評価を受けるものでは
ない(最高裁昭和53年(オ)第1240号同60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1
512頁,最高裁昭和58年(オ)第1337号同62年6月26日第二小法廷判決・裁判集民事1
51号147頁参照)。
(2) そこで,これを本件についてみると,憲法には,本件爆沈事件により損害ないし被害
を被った者らに対する補償ないし賠償を内容とする立法を積極的に命ずる明文の規定はな
く,憲法の前文及び9条等からも,憲法がこのような立法を行うことを国に義務付けていると
解することができないことは,前記2において説示したとおりである。のみならず,前記3にお
いて説示したとおり,1審原告らの主張するような本件爆沈事件による損害ないし被害は,
戦争犠牲ないし戦争損害に属するものであるところ,このような戦争犠牲ないし戦争損害
は,国の存亡にかかわる非常事態の下では,国民の等しく受忍しなければならなかったとこ
ろであって,これに対する補償は,憲法29条,13条,25条等の全く予想しないところという
べきであり,このような戦争犠牲ないし戦争損害に対しては,政策的見地からの配慮が考え
られるにすぎず,その補償ないし賠償のために適宜の立法措置を講ずるか否かの判断は
国会の裁量的判断にゆだねられていると解されるのである。
 (3) もっとも,前記1(1)タのとおり,前記「浮島丸死没者名簿」及び「輸送艦浮島丸に関す
る資料」によれば,「浮島丸死没者名簿」に記載された朝鮮人乗船者の死亡者のうち大湊
海軍施設部に所属していた徴用工員362名及びその余の民間人のうち13歳未満の者56
名を除く162名について軍属扱いとされているものの,前記第2の2の基礎となる事実(11)
のとおり平和条約の発効によりそれまで日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位を有し
ていた者は日本国籍を喪失し,他方で,恩給法,援護法等においていわゆる国籍条項(恩
給法9条1項3号,援護法11条2号,14条1項2号)ないし戸籍条項(援護法附則2項)が設
けられたことにより,それまで日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位を有していた軍人
軍属は援護法等の適用から除外され,その結果,本件爆沈事件により死亡し又は負傷した
者は,日本国から援護法等に基づく補償を受けられなくなった。
 また,その後,前記第2の2の基礎となる事実(12)のとおり,昭和40年6月22日,日韓請求
権協定が締結され,その2条1において,両締約国及びその国民の財産,権利及び利益並
びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,平和条約4条(a)に規定され
たものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることが確認され,また,日韓請求権
協定2条3において,同条2の規定に従うことを条件として,一方の締約国及びその国民の
財産,権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるもの
に対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する
すべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては,いかなる主張も
することができないものとする旨規定された。なお,日韓請求権協定2条2(b)は,「一方の
締約国及びその国民の財産,権利及び利益であつて千九百四十五年八月十五日以後に
おける通常の接触の過程において取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたも
の」に影響を及ぼすものではないと規定しているが,合意議事録2(d)は,「「通常の接触」
には,第二次世界大戦の戦闘状態の終結の結果として一方の国の国民で他方の国から引
き揚げたもの(支店閉鎖を行った法人を含む。)の引揚げの時までの間の他方の国の国民
との取引等,終戦後に生じた特殊な状態の下における接触を含まないことが了解された。」
旨規定しており,これに照らすと,本件爆沈事件は日韓請求権協定2条2(b)にいう「通常の
接触」に該当しないことが明らかである。しかるところ,日韓請求権協定の締結後に大韓民
国において制定された対日民間請求権申告に関する法律,対日民間請求権補償に関す
る法律等の国内法においては,昭和20年8月15日より後に生じた本件爆沈事件による死
亡,負傷等の損害については,補償の対象とされなかった(弁論の全趣旨)。
 その結果,本件爆沈事件による死亡,負傷等の損害に対する補償につき,日本人乗組員
ないしその遺族等と当時日本の国内法上で朝鮮人としての法的地位を有していた乗船者
ないしその遺族等との間に区別が生じている。
 (4) しかしながら,平和条約発効後もそれまで日本の国内法上で朝鮮人としての法的地
位を有していた軍人軍属等について恩給法,援護法等に国籍条項ないし戸籍条項を設け
又は存置すること等によりその適用から除外されたのは,これらの人々の請求権の処理は
平和条約により日本国政府と朝鮮の施政当局との特別取極の主題とされたことから,これら
の人々に対する補償問題もまた両政府間の外交交渉によって解決されることが予定された
ことに基づくものと解されるのであり,そのことには十分な合理的根拠があるというべきである
(最高裁昭和60年(オ)第1427号平成4年4月28日第三小法廷判決・裁判集民事164号
295頁,最高裁平成10年(行ツ)第313号同13年4月5日第一小法廷判決・裁判集民事2
02号1頁,最高裁平成12年(行ツ)第106号同13年11月16日第二小法廷判決・裁判集
民事203号479頁参照)。
 そして,その後平和条約において予定された特別取極に基づくものとして日韓請求権協
定が締結され,前記のとおり,日韓請求権協定において,両締約国及びその国民の財産,
権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が完全かつ最終
的に解決され,また,一方の締約国及びその国民の財産,権利及び利益であってこの協定
の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及
びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前に
生じた事由に基づくものに関してはいかなる主張もすることができないものと規定されたの
であり,その後,大韓民国において,戦争犠牲ないし戦争損害について限定的な補償立法
しかされなかったとしても,そもそも,このような状況の下において,我が国が本件爆沈事件
による損害等を含めて大韓民国在住の韓国人の戦争犠牲ないし戦争損害に対する何らか
の措置を講ずるか否かは,大韓民国を始めとする他の国々との間の政治上,外交上の問
題が発生する可能性があることなどからして,高度に政治的な事項に関する考慮を必要と
する立法政策上の問題というべきである(最高裁平成12年(行ツ)第106号同13年11月1
6日第二小法廷判決・裁判集民事203号479頁参照)。
(5) 以上説示したところによれば,1審原告らが主張するような本件爆沈事件により損害な
いし被害を被った者らに対する補償ないし賠償を内容とする立法をしなかった国会ないし
国会議員の立法不作為につき,これが前記(1)で判示した国家賠償法1条1項の適用上違
法の評価を受ける例外的な場合に当たると解する余地はないというべきである。
 したがって,立法不作為の違法を理由とする国家賠償法1条1項に基づく1審原告らの1
審被告に対する損害賠償請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がない。
 6 争点(5)(遺骨返還請求の当否)について
 (1) 前記第2の2の基礎となる事実並びに甲A59,甲A60,乙1ないし4,検甲A1及び弁
論の全趣旨によれば,本件爆沈によって死亡した朝鮮人乗船者の遺骨は,本件爆沈事件
後にその遺体が収容されて後に火葬に付されたもの並びに第1次引揚作業及び第2次引
揚作業の際に収容されたものを含めて,舞鶴地方復員局に安置されていたのが,呉地方
復員部,厚生省引揚援護局を経て,d寺に移され,現在も280柱とされる遺骨がd寺に安置
されているが,それらの遺骨は,舞鶴地方復員局において,1審被告の発表した死没者52
4名分に分骨し,それぞれを氏名不詳のため合計524箱の未記名の遺骨箱に収納し,呉
地方復員部において,それぞれの氏名を記載したものである(乙1ないし3)ことが認めら
れ,その氏名の記載は,前記「浮島丸死没者名簿」(甲A59)によったものと推認される(し
たがって,ある遺骨箱内の遺骨が遺骨箱にその氏名が記載された者の遺骨であるという根
拠はない。)。
 しかるところ,本件全証拠によるも国が本件爆沈による死傷者数を確定した経緯は明らか
ではなく,前記1(1)タにおいて認定したとおり,朝鮮人乗船者の死亡者数が524名を上回っ
た可能性が高いことに加えて,前記「輸送艦浮島丸に関する資料」(甲A60)には,事件直
後から昭和20年9月2日までの捜索によって収容された175体の遺体と病院に収容された
後死亡した7名の遺体のうち29体が家族知人によって引き取られ,残り153体が舞鶴海兵
団の敷地に仮埋葬され,これを昭和25年4月に発掘して火葬に付し,第1次引揚作業にお
いて103柱を収容し,以上合計256柱の遺骨のうち兵の遺骨20柱を横須賀地方復員残務
処理部に移送し,残りの236柱を舞鶴地方復員残務処理部に安置しており,未収容遺体2
64(この数値は,前記「浮島丸死没者名簿」及び「輸送艦浮島丸に関する資料」に記載され
た乗組員及び朝鮮人乗船者らの死亡者数の合計549から本件爆沈後に収容された遺体1
75,病院に収容後死亡した者の遺体7及び第1次引揚作業により収容された遺骨103を控
除した数に一致する。)は第1次引揚作業の際に引き揚げられなかった浮島丸船体前半部
にあるものと思われる旨記載されており,これ以外に本件爆沈事件による死亡者の遺体な
いし遺骨の収容状況ないし収容した遺骨の分骨(分柱)状況を具体的に明らかにするに足
りる証拠はない上,検甲A1によっても,収容した遺骨の分骨(分柱)が厳格に行われたとは
直ちに認め難い。
 これらのことを併せ考えると,舞鶴地方復員局から呉地方復員部を経て厚生省引揚援護
局に移管された朝鮮人乗船者らのものとされる遺骨が本件爆沈事件により死亡した朝鮮人
乗船者らの遺骨のすべてであったとは到底認め難いものといわざるを得ない。このことに加
えて上記認定のような分骨(分柱)及び各遺骨に係る死者の特定の経緯を併せ考えると,
仮に,本訴において1審原告ら(番号14,51,57ないし59の各1審原告)がその遺族であ
ると主張して1審被告に対し遺骨の返還を求めるa1,a2,a3,a4及びa5(これらの者は,いず
れも,前記「浮島丸死没者名簿」にその氏名(創氏名)が登載されていない。)が浮島丸に
乗船し本件爆沈により死亡していたとしても,今日なおd寺に預けられている280柱とされる
遺骨の中にこれらの者の遺骨が含まれているかどうかは不明であるというほかなく,他に1審
被告がこれらの遺骨を占有していることを認めるに足りる的確な証拠はない。
 (2) 上記の1審原告らは,仮に1審被告がd寺に預けて保管中の遺骨がいわゆる混骨の
状況であって上記の各被害者のものと特定することができないとしても,祖先ないし死者崇
拝の象徴的対象としての遺骨の本質からすれば,このような混骨についても,当該死者の
埋葬,礼拝,供養の対象と認められなければならず,その祭司主宰者である各1審原告ら
はその返還を求めることができるといった趣旨の主張をするが,これらの遺骨の所有権は当
該遺骨に係る死者の相続人に帰属したものと解されるのであって,1審原告らのような主張
を認めるに足りる法令上の根拠はもとより,そのような条理ないし慣習の存在を認めることも
できない。
 (3) 以上のとおりであるから,番号14,51,57ないし59の各1審原告らの1審被告に対す
る遺骨返還請求は,その余について判断するまでもなく,理由がない。
 7 以上によれば,1審原告らの本訴請求(当審において追加した請求を含む。)はいずれ
も理由がないからこれを棄却すべきである。
 よって,1審原告らの本件控訴(当審において追加した請求を含む。)をいずれも棄却し,
1審被告の本件控訴に基づいて原判決主文2項及び3項中番号38ないし40,42,45,4
6,63ないし67,69,70,72及び77の各1審原告に関する部分を本判決主文2項のとおり
変更することとして,主文のとおり判決する。
     大阪高等裁判所第3民事部
         裁判長裁判官    岡   部   崇   明
  裁判官    西   川   知 一 郎
 裁判官白井博文は退官のため署名押印できない。
         裁判長裁判官    岡   部   崇   明
(各別紙はいずれも省略)

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