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裁判例


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       主   文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
       事実及び理由
第1 請求
1 A事件
(1) 被告法務大臣が,原告に対し,平成11年12月24日付でなした,出入
国管理及び難民認定法第61条の2の4に基づく異議申立を理由なしとした裁決を
取り消す。
(2) 被告法務大臣が,原告に対し,平成11年12月6日付でなした原告を難
民とは認定しない旨の処分を取り消す。
2 B事件
 被告大阪入国管理局主任審査官が,原告に対し,平成12年4月11日付でなし
た退去強制令書発付処分を取り消す。
第2 事案の概要
 A事件は,アフガニスタン国籍を有する原告が,被告法務大臣に対し,被告法務
大臣が平成11年12月6日付でなした原告を難民とは認定しない旨の処分(以下
「本件不認定処分」という。)及び原告の本件不認定処分に対する異議申立を理由
なしとした被告法務大臣の裁決(以下「本件裁決1」という。)の取消しを求めた
事案である。
 B事件は,原告が,被告大阪入国管理局主任審査官(以下「被告主任審査官」と
いう。)に対し,同人が平成12年4月11日付でなした原告をアフガニスタンに
強制退去させる旨の退去強制令書発付処分(以下「本件退令処分」という。)の取
消しを求めた事案である。
1 前提事実(争いのない事実及び証拠より容易に認定できる事実)
(1) 原告の経歴、本邦入国、退去強制手続等の経緯について
ア 原告は,1953年2月15日,アフガニスタン国(以下「アフガニスタン」
という。)において出生した,アフガニスタン国籍を有する外国人である。
イ 原告は,平成3年7月14日,大阪国際空港に到着し,大阪入国管理局(以下
「大阪入管」という。)大阪空港出張所入国審査官に対し,外国人入国記録(以下
「入国カード」という。)を提出のうえ,上陸申請を行い,同審査官から在留資格
「短期滞在」及び在留期間90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸し,その後,
在留期間の更新許可を1回受け,同年12月23日,本邦から出国した。
ウ 原告は,平成9年6月21日,アラブ首長国連邦(以下「UAE」という。)
アブダビのアフガニスタン大使館においてアフガニスタン旅券の発給を受け,同月
29日,UAEにおける滞在査証(有効期限2000年6月28日)を取得した。
エ 原告は,平成9年10月9日,新東京国際空港に到着し,東京入国管理局(以
下「東京入管」という。)成田空港支局入国審査官に対し,入国カードを提出のう
え,上陸申請を行い,同審査官から在留資格「短期滞在」及び在留期間90日とす
る上陸許可を受けて本邦に上陸し,同年12月16日,本邦から出国した。
オ 原告は,平成10年6月26日,新東京国際空港に到着し,東京入管成田空港
支局入国審査官に対し,入国カードを提出のうえ,上陸申請を行い,同審査官から
在留資格「短期滞在」及び在留期間90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸し,
同年9月15日,本邦から出国した。
カ 原告は,平成11年1月6日,新東京国際空港に到着し,東京入管成田空港支
局入国審査官に対し,入国カードを提出のうえ,上陸申請を行い,同審査官から在
留資格「短期滞在」及び在留期間90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸し,同
年4月3日,本邦から出国した。
キ 原告は,平成11年7月7日,関西国際空港に到着し,大阪入管関西空港支局
入国審査官に対し,日本滞在予定期間を85日,渡航目的を「Business」
と記載した入国カードを提出して上陸申請をし,同入国審査官から「短期滞在」の
在留資格及び在留期間を90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。
ク 原告は,平成11年10月1日,被告法務大臣に対し,出入国管理及び難民認
定法(以下単に「法」という。)61条の2第1項の規定に基づき難民認定申請
(以下「本件申請」という。)を行った。
 また,原告は,同日,在留期間更新許可申請を行い,被告法務大臣は,同日,在
留期間を90日とする更新を許可した。
ケ 原告の本件申請に対し,大阪入管難民調査官が,平成11年10月15日,同
月19日及び同月28日,原告から事情聴取を行ったうえ,被告法務大臣は,同年
12月6日,本件申請は法61条の2第2項所定の期間(以下「申請期間」とい
う。)を経過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事
情も認められないとして,難民の認定をしない処分(本件不認定処分)をし,同年
12月10日,申立人にその旨通知した。
コ 原告は,平成11年12月13日,被告法務大臣に対し,本件不認定処分を不
服として法61条の2の4の規定に基づき異議の申出(以下「本件異議申出1」と
いう。)を行ったので,大阪入管難民調査官が,同年12月20日,原告から事情
聴取を行うなどの調査を行った上,被告法務大臣は,同月24日,本件申請が申請
期間を経過してなされたものであり,かつ,同項ただし書の規定を適用すべき事情
も認められないので,原処分に誤りはないとして,本件異議申出1には理由がない
旨の裁決(本件裁決1)をし,同月28日,原告にその旨通知した。
 原告は,最終在留期限である平成12年1月3日までに本邦から出国することな
く,同日を超えて本邦に不法に残留している。
サ 大阪入管入国警備官は,平成12年1月11日,原告について,法24条4号
ロにいう「不法残留」に該当することになるとの容疑で違反調査に着手し,同年2
月10日,法24条4号ロに該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,被
告主任審査官から収容令書の発付を受けた上で,同月15日上記収容令書を執行
し,同月16日,大阪入管入国審査官に引き渡した。
シ 大阪入管入国審査官は,原告について違反審査を実施したうえ,平成12年3
月1日,原告が法24条4号ロに該当する旨の認定を行い,原告にこれを通知した
ところ,原告は,同日,口頭審理の請求をした。
ス 大阪入管特別審理官は,原告に対し口頭審理を実施した上,同月16日,入国
審査官の前記認定には誤りがない旨判定し,原告にこれを通知したところ,原告
は,同日,被告法務大臣に対し異議の申出をした(以下「本件異議申出2」とい
う。)。
セ 被告法務大臣は,平成12年4月10日付けで,原告の異議の申出は理由がな
い旨の裁決をし(以下「本件裁決2」という。),同裁決を受けて被告大阪入国管
理局主任審査官は,同月11日,原告に上記裁決を告知するとともに,退去強制令
書(以下「本件退去強制令書」という。)を発付し(以下「本件退令処分」とい
う。),大阪入管入国警備官は,同日,これを執行し,原告を大阪入管に収容し
た。
ソ 原告は,仮放免を申請し,平成12年7月5日,同申請は許可され,原告は同
日以降収容されていない。
(2) アフガニスタン情勢(甲1の1ないし4)
ア 原告の国籍国であるアフガニスタンは,パキスタン,イラン,トルクメニスタ
ン,ウズベキスタン,タジキスタン及び中国と国境を接し,中央アジアに位置する
多民族国家である。
イ 同国においては,1979年のソ連侵攻以来,政権とソ連軍に対するムジャヒ
ディーンの抵抗運動が続いていたが,1989年のソ連軍撤退後,1992年には
ナジブラ政権が倒れ,ムジャヒディーン各派による連立政権が成立した。しかし,
その後,ムジャヒディーン各派の主導権争いが激化し,内戦状態に突入して,その
政治状況は混乱状態となり,パキスタン,イラン等の周辺国に270万人弱の難民
が滞留し,国内の避難民も判明しているだけで30万人を超えた。
ウ 1994年末,国内の政治的混乱に乗じてタリバーンが台頭して主流派とな
り,アフガニスタンにおける「イスラム原理主義」政権の樹立を目指した。タリバ
ーンは,主として多数派民族であるパシュトゥーン人によって構成されており,宗
派は,イスラム教スンニ派ムスリムである。シーア派でイスラム統一党に所属する
者が多く,かつ民族的にもモンゴル系で容貌から他の民族と区別されやすいハザラ
人は,その迫害の標的になりやすい立場にあった。
エ 1995年から1996年にかけて,タリバーンは首都カブールヘの侵攻を繰
り返し,1996年9月には,カブールを制圧した。タリバーンの攻勢に脅威を感
じた各勢力は反タリバーンで結束し,その後勢力関係に大きな変化はなかったもの
の,1998年7月からの軍事攻勢によって,タリバーンは,北部の要衝αや中央
部のバーミヤンといった拠点を支配下に組み入れ,同年9月ころまでにアフガニス
タン国内の9割以上を制圧した。1998年8月,タリバーンが北部主要都市αを
陥落させた際には,民間人を含む多数の人間が殺害され,特に,ハザラ人男性は,
1997年のタリバーンによるα攻略の失敗に対する報復や,その宗派がスンニ派
ムスリムと対立するシーア派であることなどから標的になりやすく,少年を含む多
数の者が処刑された。
オ 1999年7月下旬に入り,タリバーンが反タリバーンに対する大規模な攻撃
を開始した結果,10万人を超える国内避難民が発生したとの国連情報もあり,日
本の外務省においても,現地情勢にかんがみ,平成11年9月10日付けで危険度
5(最高度)の避難勧告の継続を発表した。
2 争点
(1) 本件不認定処分の違法性
ア 本件申請が,法61条の2第2項本文の要件を充たすかどうか
イ 申請期間を徒過したことにつき「やむを得ない事情」が認められるか
ウ 法61条の2第2項の要件を充足しない場合にも難民該当性につき判断すべき
かどうか
(2) 本件不認定処分及び本件裁決1の違法性(手続違背)
(3) 本件退令処分の違法性
3 争点に対する当事者の主張
(1) 本件不認定処分の違法性
(原告の主張)
ア 本件申請が,法61条の2第2項本文の要件を充たすこと
(ア) 申請期間の起算日
 原告は,後述のとおり,国籍国を離れた後に「迫害を受けるおそれがあるという
十分に理由のある恐怖を有する」に至ったといういわゆる「後発的難民」に該当
し,かかる場合には,難民認定の申請期間は,申請者が難民となる事由を知った日
から起算されるべきである。
(イ) 原告に「難民となる事由が生じた」こと
 原告は,過去3度にわたり,タリバーン関係者による迫害を受けている。すなわ
ち,1回目は,1996年春ころ,カブール近郊でバスに乗っていた際,山賊行為
によって私腹を肥やしていたタリバーン関係者から金員を強奪された。2回目は,
同年夏ころ,カブール市内で,食料の買い出しに行った帰りにタリバーン関係者に
捕まり,3日問拘束されたが,金銭を支払って釈放された。3回目は,1996年
8月にタリバーンがカブールに侵攻してきた際,タリバーン兵士によって銃剣で胸
を刺されるなどして負傷したが,現場を逃げ出して九死に一生を得ることができ
た。
 しかしながら,以上の迫害は,いずれも原告を特定の人物として名指しして行わ
れたものではなく,イスラム統一党員であるか否かさえも問わない,不特定のハザ
ラ人やタジク人に対する無差別攻撃である。特に,3回目の迫害は,カブール陥落
という内戦状態の中で,タリバーン兵士が,カブール市内にいたハザラ人やタジク
人を無差別に殺戮しようとしたものであって,原告を名指しで迫害するものではな
いから,このような迫害経験があるからといって難民に該当するものではない。
 また,1998年8月にαが陥落した際,原告の家族が行方不明となり,原告の
弟や長男を含む多くのハザラ人が殺害されたが,原告は当時来日していて自らが何
らかの迫害を受けたわけではないし,この虐殺も,ハザラ人らに対する無差別攻撃
であって,原告を名指しして迫害を加えようとするものではなかった。
 原告は,他の多くのハザラ人と同様,イスラム統一党に所属し,多額の寄付を行
ってきたが,タリバーンは,αを侵攻した際に原告の自宅を捜索し,イスラム統一
党から原告に宛てた寄付金の領収書等を押収し,原告がイスラム統一党の重要人物
であることを把握し,そのころ,原告の殺害を指示する殺害指示書を発行した。よ
って,この時に初めて原告につき難民となる事由が生じたのである。
(ウ) 原告が「難民となる事由が生じた」ことを認識した時期
 原告は,α陥落後しばらくして,日本からパキスタンのβに戻り,実弟及び長男
が殺害されたこと,家族が行方不明となったことは聞き及んだが,タリバーンが原
告をイスラム統一党の重要人物であると把握しており,名指しで迫害を受けるおそ
れがあることについては知らなかった。したがって,原告は,自らがタリバーンに
よって迫害を受けるおそれがあることを知らないまま,1999年7月7日,本邦
に入国したのである。
 そして,パキスタンのβにいたP1が,1999年8月ころ,βにおいて,タリ
バーンが原告を捜していることを知って調査したところ,タリバーンが,1998
年8月に原告の自宅を捜索した際,領収書等を押収し,原告をイスラム統一党の重
要人物として,その行方を捜していることが判明した。このため,P1は,199
9年9月末,原告に対して電話でこれらの事実を説明し,アフガニスタンはおろか
パキスタンに戻ることすら危険であることを伝えた。よって,原告は,この時点で
初めて自らにつき難民となる事由が生じたことを認識するに至ったのである。
(エ) 殺害指示書入手の経緯
 なお,原告が殺害指示書等を入手した経緯は以下のとおりである。すなわち,平
成11年12月6日に本件不認定処分がなされ,原告は同処分に対して異議申出を
したところ,原告は,同年12月20日,異議申出にかかる審査のため,難民調査
官による事情聴取を受けることになった。その際,難民調査官が原告に対し証拠の
提出を強く求めてきたため,原告とこの調査に立ち会っていた原告の支援者である
P2が,イランやパキスタンに電話連絡をして証拠書類を取り寄せるよう依頼した
のである。その結果,イスラム統一党の在イラン事務所から原告の庇護要請書(甲
9の1)を発行してもらい,イランからUAE経由で平成12年1月15日にP2
の下に航空便で届けられた。
 また,パキスタンから原告がイスラム統一党員であることの身分証明書(甲10
の1),殺害指示書(同10の2),P1の手紙(同10の3),原告の妻の手紙
(同10の4),イスラム統一党の原告宛感謝状(同10の5),感謝及び注意書
(同10の6)の各書証がP2のところに送付されてきたのである。
(オ) 結論
 以上のとおり,本件申請に関し,原告が自らを難民であるとの事実を知った日
は,P1から電話を受けた1999年9月末ころであり,原告はそれから60日以
内である同年10月1日に本件申請を行っているから,本件申請は,法61条の2
第2項の定める申請期間を徒過していない。
イ 申請期間を徒過したことにつき「やむを得ない事情」が存すること
 前述のとおり,本件申請にかかる申請期間については,原告が難民となる事由が
生じたことを知った時点から起算されるべきであるが,仮に客観的難民事由が生じ
た日を起算日とするとしても,原告はタリバーンが原告に対する殺害指示書を出し
たという事実を知らなかった以上,法61条の2第2項ただし書きにいう「やむを
得ない事情」が存することは明らかである。
ウ 実体判断を行わずに申請を却下することが難民の地位に関する条約(以下「難
民条約」という。)及び難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」とい
う。)に反すること
(ア) 仮に,本件申請が法61条の2第2項の要件を充たさないとしても,原告
が難民に該当するかどうかという実体判断をせずに原告の申請を却下した本件処分
は違法である。以下詳述する。
(イ) 難民条約第1条A(2)及びこれを修正する難民議定書は,難民条約の適
用を受ける難民について概ね「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成
員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由
のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受
けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受
けることを望まないもの」と定義する。そして,人は,上記定義に含まれている基
準を満たせば同条約上の難民となるであり,締約国において難民と認定されて初め
て難民となるのではない。
 ところで,法61条の2第2項は,難民の認定申請は,「その者が本邦に上陸し
た日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては,その事実を知った
日)から60日以内に行わなければならない。ただし,やむを得ない事情があると
きは,この限りでない。」としており,いわゆる60日ルールを定めている。そし
て,現在,60日ルールは,難民の認定を受けようとする者が難民条約及び難民議
定書の定める難民に該当するか否かという実体判断に先だって満たされるべき形式
的要件であるとして運用されているが,このような運用によれば,難民条約及び議
定書の適用を受ける難民であっても,申請期間を徒過したために難民と認定されな
い者が制度的に生ずることとなり,難民について難民条約及び難民議定書上認めら
れている保護措置が受けられなくなるのであるから,難民条約及び議定書における
難民の定義に該当するものをそのまま正確に難民として認定することを要請する難
民条約及び難民議定書の本来的性質に反し許されないというべきである。
(ウ) 60日ルールが,難民かどうかの実体審査に入る前提として充足すべき形
式的要件であるとすると,難民条約によって定められた難民の定義に該当すること
に加えて,「60日ルール」をクリアするというもうひとつの事件を要求すること
になるのであるから,実質的に難民の概念に時間的制限を付加するに等しく,難民
概念について留保及びその変更を一切禁止する難民条約42条1項に反する。
(エ) ノン・ルフールマン原則(難民条約33条1項違反)
 難民条約33条1項は,「締約国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,
宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のために
その生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還し
てはならない。」とし,いわゆるノン・ルフールマン原則を定めているところ,条
約締約国が,国内法上の手続的要件の不遵守を理由に申請者の難民性についての実
体判断を行わないとすれば,実体上難民である者を迫害のおそれがある国に送還す
ることを容認することになるから,上記運用は難民条約33条1項に反するという
べきである。
(オ) UNHCRの見解
 条約法に関するウィーン条約(以下「ウィーン条約」という。)31条1項は,
「条約は,文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意
味に従い,誠実に解釈するものとする。」とし,同32条は,文脈等によっては意
味があいまい又は不明確である場合や同31条に従った方法による解釈により明ら
かに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合などには,解釈の補足的手
段に依拠することができることを認めている。
 そして,国際連合難民高等弁務官(UNHCR)は,難民条約35条において
「この条約の適用を監督する責務」を与えられており,難民条約の締約国は,UN
HCRに協力し,条約の実施状況についての必要な情報を提供する義務を負ってい
るところ,1963年からUNHCR執行委員会の審議の結果が「難民の国際的保
護に関する結論」(以下,単に「結論」という。)という形でまとめられている。
この「結論」は,難民条約の実施状況について監督する責務と権限を有する最も権
威ある機関により採択されるものであるから,ウィーン条約32条にいうところの
「解釈の補足的手段」に該当し,この解釈を覆すにたりる十分な根拠が示されない
限り,「結論」は難民条約の正しい解釈として,そのまま妥当するものというべき
である。
 UNHCR執行委員会は,1979年,避難国なき難民に関する結論(UNHC
R執行委員会結論第15号)を採択し,「庇護申請者に一定期間内に庇護申請をす
るように求める場合があっても,当該期間を守らなかったことまたはその他の形式
的要件を遵守しなかったことを理由として庇護申請を審査の対象から除外すべきで
はない。」としており,かかる解釈に反する運用は難民条約及び議定書に反すると
いうべきである。
(カ) 以上によれば,難民認定申請を一定期間内に行うよう求めることはできる
が,その期間内に申請がない場合でも,その者の難民認定申請自体を検討の対象か
ら除外すべきではなく,難民に該当するかどうかという実体判断を行わなければな
らないと解すべきであり,したがって,法61条の2第2項で定められた申請期間
は単に努力目標を定めたものであって,法で定められた申請期間を徒過したこと
は,難民非該当性をうかがわせる一つの要素として考慮すれば足りるというべきで
ある。そうであるとすると,被告法務大臣が,申請期間内に難民認定申請がなされ
なかったという形式的理由のみで原告の難民該当性の有無について実体判断をする
ことなくなした,原告を難民とは認定をしない旨の処分は,難民条約及び議定書に
反し,違法であるというべきである。
(被告法務大臣の主張)
ア 本件申請が,法61条の2第2項本文の要件を充たさないこと
(ア) 原告は,イスラム統一党員であり同党に対して多額の寄付を行っていたこ
とから,タリバーンからイスラム統一党の重要人物であると認識されており,タリ
バーンは原告の殺害を指示する殺害指示書を発行したが,原告は,平成11年9月
に知人から電話連絡を受けて初めてタリバーンが原告の殺害指示書を発行したこと
を知ったのであるから,原告は,この時に初めて自己が難民であることを知ったと
主張し,原告がイスラム統一党の党員であり同党に対して多額の寄付を行っていた
こと,及びタリバーンが原告の殺害を指示したことを裏付ける証拠として,イスラ
ム統一党の作成に係る庇護依頼書(甲9の1),原告のイスラム統一党の身分証明
書(甲10の1),殺害指示書(甲10の2),P1の原告に対する手紙(甲10
の3),原告の妻の原告に対する手紙(甲10の4),イスラム統一党からの感謝
状(甲10の5),P3からの感謝状(甲10の6)を提出しているが,これらの
文書のうち,少なくとも甲10の3を除く文書はいずれも偽造されたものであり,
かつ,この点に関する原告の供述は客観的事実に反し,変遷をしているなど信用す
ることができないから,タリバーンが原告の殺害を指示したことを裏付ける証拠は
ない。
(イ) 原告は,これまでタリバーンの関係者から迫害を受けており,1996年
8月にタリバーンのカブール侵攻の際にはタリバーン兵士に銃剣で胸を刺されるな
どして重傷を負い,1998年8月には,タリバーンがαを侵攻した際に,原告の
自宅がタリバーン兵士によって捜索されたと主張しているところ,仮に,原告が主
張するとおりの事実が存するのであれば,原告が本邦に入国した平成11年7月7
日以前に既に,原告自身及び原告自身の家族が迫害を受けており,その迫害を受け
た時,あるいはそのころ迫害を受けた事実を原告も認識していたことになる。
 原告は,平成11年9月の知人からの電話連絡により難民であることを知ったと
主張しているが,原告の主張するとおり電話連絡があったとしても,原告の供述,
主張を総合すれば,それは既に抱いていた迫害のおそれを再認識したものにすぎ
ず,上記電話連絡により難民であることを知ったとはいえない。
(ウ) したがって,原告は,難民認定申請を本邦に上陸した平成11年7月7日
から60日以内にしなければならなかったにもかかわらず,本件申請はこれを徒過
してなされたものであるから,法61条の2第2項本文の要件を充たさないという
べきである。
イ 「やむを得ない事情」が存しないこと
 本件申請につき,法61条の2第2項にいう,「やむを得ない事情」があったこ
とを認める証拠はない。
ウ 実体判断を行わずに申請を却下することが難民条約及び難民議定書に反すると
の主張について
(ア) 難民条約及び難民議定書は,難民の認定手続については何ら定めていない
のであるから,どのような難民の認定手続を定めるかについて締約国に委ねている
と解され,難民の認定手続につき,60日の期間内に行うように求める法61条の
2第2項は,難民条約及び難民議定書には反しない。そして,難民の認定手続につ
き,60日の期間内に行うよう求める法61条の2第2項は,難民となる事実が生
じてから長時間が経過すると事実の把握が困難となり,公正な難民の認定ができな
くなるおそれがあるので,国籍国等における迫害のおそれから逃れて我が国に庇護
を求める者は,速やかにその旨を申し立てなければならないこととしたものであ
り,我が国の地理的・社会的実情に照らせば,このような者が難民認定の申請をす
べきか否かについての意思を決定し入国管理官署に出向いて手続を行うには,60
日という申請期間は十分と考えられる。したがって,難民認定申請を,60日の期
間内に行うよう求める法61条の2第2項の規定は合理的なものである。
(イ) 原告は,法61条の2第2項で定められている60日の申請期間内に難民
認定申請が行われなかったという形式的理由のみで,申請人の難民該当性の有無に
ついての実体判断をすることなく,難民の認定をしない処分をすると,難民条約又
は難民議定書1条にいう難民に該当する者であっても,我が国において難民として
認定されない者が出てくることになるから,そのような法解釈は,難民条約,難民
議定書に反する旨主張する。
 しかしながら,難民条約は,「難民に対する庇護の付与が特定の国にとって不当
に重い負担となる可能性のあること・・・を考慮し」て,庇護に関する規定を置か
ず,難民に庇護の権利を付与していない。難民条約は,締約国に対し,難民の入国
在留を認めることを義務づけていないのであり,難民条約1条,難民議定書1条に
いう難民に該当する者であっても,自分の希望する締約国に入国できず,難民申請
もできないという事態を当然に認めているのであるから,難民として受け入れ,難
民条約上の保護を与えるかどうかは,締約国が主権的判断に基づいて決定すべき事
項としているのである。
 したがって,難民条約1条又は難民議定書1条にいう難民に該当する者が,我が
国において難民として認定されない事態が生じたとしても,そのこと自体は,難民
条約又は難民議定書に違反するものではない。
(ウ) 原告は,UNHCR執行委員会結論15号は,ウィーン条約32条の解釈
の補足的な手段に該当し,難民条約の正しい解釈として妥当する旨主張する。
 しかしながら,難民条約は,前述のとおり,難民条約1条,難民議定書1条にい
う難民に該当する者であっても,自分の希望する締約国に入国できず,したがって
難民申請もできないという事態を当然に認めていると解釈されるのであり,文言に
曖昧なところはなく,そのように解釈しても明らかに常識に反したり,不合理な結
果をもたらすものでもないから,ウィーン条約32条のいう,解釈の補足的手段に
依拠すべき場合には該当せず,ウィーン条約32条が適用される余地がない。
 しかも,UNHCR執行委員会結論15号は,難民条約,難民議定書を有権的に
解釈したものではなく,法的拘束力のない指針であるにすぎない。
 したがって,UNHCR執行委員会結論15号によって,難民条約,難民議定書
を解釈することはできない。
(エ) 原告は,60日ルールを実体審理に入る前にクリアされるべき要件とする
運用は,難民の概念に時間的制限を付加するに等しく,難民概念についての留保及
びその変更を一切禁止する難民条約42条に反すると主張する。
 しかしながら,難民条約42条,難民議定書7条にいう「留保」とは,「国が,
条約の特定の規定の自国への適用上その法的効果を排除し又は変更することを意図
して,条約への署名,条約の批准,受諾若しくは承認又は条約への加入の際に単独
に行う声明(用いられる文言及び名称のいかんを問わない。)をいう。」(ウィー
ン条約2条1項(d))。わが国は,難民条約及び難民議定書を締結するに当た
り,難民の概念について,このような留保を何ら付していないのであるから,原告
の上記主張は理由がない。
(オ) 原告は,60日ルールを,難民条約1条又は難民議定書1条にいう難民で
あるかどうかの実体審理に入る前にクリアされるべき要件とすることは,難民条約
33条1項の定めるノン・ルフールマン原則に反する旨主張する。
 しかしながら,ノン・ルフールマン原則は,法53条3項において保障されてお
り,難民認定を受けていなくとも法53条3項が適用される。退去強制を行う場
合,どの地域を送還先に指定するかは,退去強制手続きにおいて,法61条の2に
定める難民認定手続とは別個に判断されるところ,退去強制手続において,法53
条3項が適用される。
 したがって,60日ルールが,ノン・ルフールマン原則に反するとの原告の主張
は理由がない。
(カ) 以上の次第で,原告が主張するように,法61条の2第2項の申請期間を
単に努力目標を定めたものと解釈したり,上記申請期間経過後における申請につい
ても難民該当性の実体判断をすることが可能となるよう解釈する必要性も相当性も
ないのであって,本件不認定処分は適法というべきである。
(2) 本件不認定処分及び本件裁決の違法性(手続違背)
(原告の主張)
 原告に対する大阪入国管理局の調査はペルシア語の通訳を介してなされており,
原告の母国語であるハザラ語はおろか,アフガニスタンの公用語であるダリー語の
通訳も付けられなかったことにより,原告は十分な説明や証拠提出の機会を与えら
れなかった。したがって,本件不認定処分及び本件裁決1には,重大な手続的瑕疵
があり違法である。
 確かに,ペルシア語とダリー語ないしハザラ語は,似通った言語であり,原告が
ペルシア語の通訳によって,入管職員と一定の意思疎通が可能であったことは事実
である。しかし,ペルシア語とダリー語ないしハザラ語との間には厳然たる違いが
存することも明らかであって,ペルシア語の通訳では,意思疎通として不十分であ
る。特に,原告は初等教育すら受けておらずハザラ語ですら文盲であって,そもそ
も表現力等に問題があると考えられること,他方で本件難民認定に当たって,入管
当局は,原告の供述調書の些細な言葉尻の食い違いを捉えて,供述の変遷として原
告に不利益に扱おうとしていることなどの事情からすれば,かかる意思疎通の不十
分さは,極めて重大な問題である。
(被告らの主張)
 本件異議申出後に難民調査官が行った事情聴取は,ペルシア語の通訳人を介して
行われており,ダリー語は,ペルシア語のアフガニスタン方言にすぎず,ペルシア
語の通訳人とダリー語が話せる原告とは,十分に会話が可能であるし意思疎通も可
能であった。また,原告は,1975年からドイツや日本に行き自動車のエンジン
を購入しカブールで販売するなど,商用目的でドイツに2回,日本に5,6回訪問
しているのであり,今回の入国までの間,厳格な手続と交渉能力が求められる国際
的な商取引を行っていた原告の経歴を考えれば,仮に原告が文盲であったとして
も,原告の表現力に問題があるとは到底考えられない。
 したがって,本件不認定処分及び本件裁決1は適法である。
(3) 本件退令処分の違法性
(原告の主張)
ア 本件不認定処分の違法の承継
 前述のとおり,原告は難民に該当するにもかかわらずなされた本件不認定処分は
明らかに違法であり,かかる処分に対する異議の申出について理由がないとした本
件裁決1も違法である。したがって,本件退令処分は取り消されるべき違法な難民
不認定処分及びそれに対する異議を理由がないとした違法な裁決を前提とするもの
であり,その違法は退去強制令書発付処分に承継されるから,本件退令処分もまた
取り消されるべきである。
イ ノン・ルフールマン原則違反
 難民条約33条1項は「締約国は,難民をいかなる方法によっても,人種,宗
教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにそ
の生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還して
はならない」と定めている。これを受けて,法53条3項は「法務大臣が日本国の
利益又は公安を著しく害すると認める場合を除き,前2項の国には難民条約第33
条第1項に規定する領域の属する国を含まないものとする。」と規定している。
 原告は,ハザラ人であってイスラム統一党に属することを理由にアフガニスタン
において生命が脅威にさらされるおそれがある以上,原告をアフガニスタンに強制
送還することは,難民条約33条1項及び法53条3項に反し違法である。
ウ 拷問等禁止条約違反
 拷問等禁止条約第3条1項は,「締約国は,いずれの者をも,その者に対する拷
問が行われるおそれがあると信じるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し,
送還し又は引き渡してはならない」と定めている。また,同条2項は「権限のある
当局は,1の根拠の有無を決定するに当たり,すべての関連する事情(該当する場
合には,関係する国における一貫した形態の重大な明らかな又は大規模な人権侵害
の存在を含む。)を考慮する」と規定する。
 原告は,すでにタリバーンから殺害指示書が出されており,またイスラム統一党
に属することからすれば,アフガニスタンに強制送還された場合,タリバーンによ
って拷問を受けるおそれがあることは明らかである。一般的なアフガニスタンの情
勢だけからしても,ハザラ人である原告をアフガニスタンに強制送還すべきでない
ことは明白であるというべきである。
 したがって,原告をアフガニスタンに強制送還することは,「拷問を受けるおそ
れがあると信じるに足りる実質的な根拠がある国へ送還する」ことにあたり,本件
退去強制令書発付処分は拷問等禁止条約に反する。
エ 難民条約31条2項違反
 難民条約31条2項は,締約国に,「避難国に不法にいる難民」に対し,「難民
の移動に対し,必要な制限以外の制限を課してはならず,・・・他の国への入国許
可を得るために妥当と認められる期間の猶予及びこのために必要なすべての便宜を
与える。」ことを義務づけている。本件退去令書発付処分は,かかる「移動の制
限」「期間の猶予」「便宜供与」についての一切の留保なく,単に原告の強制退去
を命じるものであって,明らかに同条項に違反する。
オ 裁量権の逸脱
 被告法務大臣が,原告に在留特別許可を与えるか否かを判断するにあたって,難
民条約上の締約国の義務として,原告の難民該当性について判断することは当然で
ある。被告法務大臣は,原告の実質的な難民該当性について判断せずに,あるい
は,原告の難民該当性について誤った判断を基礎として本件退令処分をおこなって
おり,本件裁決2における被告法務大臣の判断は,その裁量を逸脱した違法なもの
であるから,本件退令処分も違法であり取り消されなければならない。
(被告主任審査官の主張)
ア 違法性の承継について
 退去強制手続と難民認定手続についてみると,法は,24条に退去強制事由を列
挙し,27条以下において退去強制手続を規定する一方,61条の2以下において
難民認定の手続について規定するが,難民認定手続と退去強制手続の関係について
何ら規定せず,むしろ法61条の2の8の規定は難民認定を受けている者について
も法24条各号の1に該当するものと認定し,退去強制手続を進めうることを前提
としていることからすれば,難民認定申請をしていること又は難民認定を受けてい
ること自体は,退去強制手続を当然停止せしめるものではなく,単に法務大臣が在
留特別許可を付与するか否かについて判断する際,考慮することとなる事情の一つ
にすぎないものである。外国人が難民であると認定されたとしても,当該外国人は
永住許可を受けることにつき他の外国人より有利に扱われ(法61条の2の5),
難民旅行証明書の交付を受けることができる(法61条の2の6)ことはあって
も,難民と認定されたことのみをもって当然在留が認められるものではない。
 また,難民の認定に関する不服申立手続と退去強制事由の認定に関する不服申立
手続は全く別個の手続が設けられている(法45条ないし49条及び61条の2の
4)。時間的にみても,退去強制手続中又は退去強制令書発付後に難民認定申請を
することも可能である。
 したがって,難民の認定をしない旨の処分と退令発付処分との間に,違法性の承
継があるとすべき理由は全くないから,本件不認定処分及び本件裁決2の違法性が
本件退令処分に承継されるとの主張は採用することができない。
イ ノン・ルフールマン原則違反について
(ア) 原告は,原告がアフガニスタンにおいてハザラ族であることを理由として
その生命が脅威にさらされるおそれがあると主張するが,およそハザラ族であれ
ば,アフガニスタンにおいて生命が脅威にさらされるおそれがあるとの客観的事情
を認める証拠はないし,国際機関等から,およそハザラ族であれば,アフガニスタ
ンにおいて殺害されるという事実があるとの報告はなされていない。そして,アフ
ガニスタンの人口は,平成12年7月現在で約2500万人であるが,ハザラ族は
そのうち約19パーセントを占めており,これらすべてのハザラ族がすべて殺害さ
れる状況にないことは明らかである。
 したがって,ハザラ族であれば,その生命が脅威にさらされるおそれがあるとの
原告の主張は理由がない。
(イ) また,原告は,タリバーンからイスラム統一党の重要人物であると把握さ
れており,殺害指示書が出ていると主張する。しかしながら,原告は,難民認定手
続,退去強制手続等において,不自然あるいは矛盾した供述等をしており,しかも
それらの事実は記憶が不確かになるような事柄でないから,このように不自然ある
いは矛盾した供述になるのは,原告が主張するようなタリバーンに迫害を受けた事
実,イスラム統一党の党員である事実がないからであると推認できる。したがっ
て,原告の,アフガニスタンに強制送還されれば,タリバーンにより,その生命が
脅威にさらされるおそれがあるという主張は理由がない。
ウ 拷問等禁止条約違反について
 前述のとおり,タリバーンから原告に対し,殺害指示書が出されている事実及び
原告がイスラム統一党に属する事実は,いずれも認められないから,原告をアフガ
ニスタンへ強制送還しても,拷問を受けるおそれがあると信じるに足りる実質的根
拠はなく,原告の拷問等禁止条約違反の主張は理由がない。
 なお,原告は,一般的なアフガニスタン情勢だけからしても,ハザラ族である原
告をアフガニスタンに強制送還すべきではないことは明白であると主張するが,前
述のとおり,およそハザラ族であれば,アフガニスタンにおいて拷問を受けるおそ
れがあるとの客観的事情を認める証拠はないから,原告の上記主張も失当である。
エ 本件退去強制令発付処分の適法性について
 原告は,在留期限である平成12年1月3日を経過して,本法に不法に残留して
いるものであるから,被告法務大臣の,同年4月10日付の原告に異議申出は理由
がない旨の裁決につき,被告法務大臣の裁量権の濫用を認める余地はない。
 法務大臣が,法50条1項所定の在留特別許可を与えるか否かということは,法
務大臣の自由裁量に委ねられており,かつ,法務大臣の裁量権の行使がその範囲を
超え,又はその濫用があったものとして違法であるとされるのは,法務大臣がその
付与された権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したものと認めうるような特
別の事情がある場合等極めて例外的な場合に限られるものといわなければならな
い。
 一方で,難民条約は,難民に庇護の権利を付与しておらず,締約国に対し,難民
の入国,在留を認めることを義務づけていないから,難民条約1条,難民議定書1
条にいう難民に該当する者であっても,自分の希望する締約国に入国できず,難民
認定申請もできないという事態を当然に認めているといえる。そうであるならば,
難民条約といえども,入国及び在留は,各国の主権的権限に基づいて各国が決める
べきことであるという国際法上確立した考えに何ら変更を加えていないのであっ
て,国際慣習法上,外国人の入国及び滞在の許否は,当該国家が自由に決し得るも
のであり,条約等の特別の取り決めがない限り,国家は外国人の入国,在留を許可
する義務を負わないのである。したがって,難民性があれば,在留特別許可を付与
すべきであるとする根拠はなく,法務大臣が在留特別許可を付与するか否かについ
て判断する際に考慮することとなる事情の一つであるにすぎない。
 そして,前述のとおり,原告がタリバーンから迫害される危険性を認めるに足り
る証拠はないし,原告に係る個人的事情についてみても,原告は,出生以来そのほ
とんど大部分をアフガニスタンにおいて居住し,本邦には商用目的で短期滞在によ
り入国・在留歴を有するにすぎず,特に本邦との密接な結びつきがあるものとはい
えない。
 したがって,本件につき,法務大臣が,その付与された権限の趣旨に明らかに背
いて裁量権を行使したものと認めうるような特別の事情はないから,被告法務大臣
が在留特別許可をしなかったことは適法であり,本件退令処分も適法である。
第3 争点に対する判断
1 本件申請が,法61条の2第2項本文の要件を具備するかどうか
(1) 法61条の2第2項本文は,難民認定申請は,その者が本邦に上陸した日
(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては,その事実を知った日)か
ら60日以内に行わなければならないと定めており,本件申請は,原告が本邦に上
陸した日から60日を経過した後になされていることについては争いがないが,原
告が難民となった事実を知ったのは平成11年9月末であり,その後60日以内に
本件申請がなされているから,本件申請は法61条の2第2項本文の要件を充足す
ると主張するので,かかる主張について検討する。
(2) 申請期間の起算日
 原告は,タリバーンが原告の殺害指示書(甲10の2)を発行したとの事実を知
ったのが平成11年9月末であったことから,原告が難民となる事由を知ったのは
その時点であると主張するが,仮に原告が主張するとおりタリバーンが発行した原
告の殺害指示書が真正なものであるとしても,同殺害指示書には,タリバーン歴で
1419年4月24日(西暦1998年8月17日)と記載されているから,原告
が今回本邦に入国する以前に難民となる事由が生じていたことになる。ところで,
法61条の2第2項本文は,そのかっこ書きで「本邦にある間に難民となる事由が
生じた者」については難民となる事由が生じたことを知った時から申請期間を起算
する旨定めており,文言上難民となる事由が生じたことを知った日から申請期間を
起算するのは,本邦にある間に難民となる事由が生じた者に限定していると解する
余地があるので,本邦に入国する以前に難民となる事由が生じた場合であっても,
その事実を知ったのが本邦入国後であれば適法な申請といいうるのかが問題とな
る。法61条の2第2項本文が本邦にある間に難民となる事由が生じた場合にその
事実を知った日を申請期間の起算日としているのは,難民となる事由を知って初め
て本邦において難民申請を行うかどうかを考慮することが可能となるからであると
解され,このことは,申請者が本邦に入国する前に難民となる事由が生じ,そのこ
とを本邦に入国した後に認識した場合も同様であること,法61条の2第2項は迫
害を受けて国籍国を出国し,直接本邦に入国する典型的な場合を念頭において,入
国前に難民となる事由が生じていれば,入国時にはそのことを認識していることを
前提として定められた規定であると解されることからすると,本邦に入国する以前
に難民となる事由が生じた場合でも,第3国に滞在していた等の事情により,その
事実を知ったのが本邦入国後である場合には,法61条の2第2項本文かっこ書き
に準じて,難民となる事由を知った日から申請期間を起算すべきであると解するの
が相当である。
(3) 原告につき法61条の2第2項本文かっこ書きの適用があるか
ア 原告は,原告がイスラム統一党員であり,かつ,同党に対して多額の寄付を行
っていたことから,タリバーンは原告がイスラム統一党の重要人物であると認識し
ており,そのため,タリバーンは,原告を殺害を指示する殺害指示書(甲10の
2)を発行し,原告は,同事実を平成11年9月末に知るに至ったと主張し,これ
らの事実を裏付ける証拠として平成11年12月以降に入手したとするイスラム統
一党が作成した原告の庇護依頼書(甲9の1),イスラム統一党が発行した原告の
身分証明書(甲10の1),タリバーンが原告に対して発行した殺害指示書(甲1
0の2),タリバーンが原告を捜していることが記載されたP1及び原告の妻から
の手紙(甲10の3,10の4)並びにP3が作成した感謝状(甲10の6),イ
スラム統一党が原告宛に作成した原告が同党に寄付をしたことに対する感謝状(甲
10の5)を提出し,原告本人もこれに沿う供述をする。そこで,以下,これらの
証拠の信用性について検討する。
イ 庇護依頼書(甲9の1)について
 P2は,同人がイランのイスラム統一党の事務所に電話で連絡して原告に関する
書類がないか尋ねたところ,同事務所から,UAEを経由して,P2のもとに平成
12年1月15日に上記庇護依頼書が送付されてきたと供述し,甲9号証の2の封
筒はイランからUAEに上記庇護依頼書が送られてきた時に使用されたものであ
り,甲9号証の3の封筒がUAEからP2のもとに送られてきたときの封筒である
と供述する。
 上記供述を前提にすると,まず,イランのイスラム統一党事務所が上記庇護依頼
書をP2に送付するには,イランから直接日本に郵送するのが簡便であるにもかか
わらず,何故UAEを経由して郵送しなければならなかったのか大いに疑問である
ところ,この点についてP2は,イランのイスラム統一党事務所には自己の住所を
教えていなかったのでUAEに郵送した旨供述する。しかしながら,P2からイラ
ンのイスラム統一党の事務所に対して,原告に関する文書を探すように依頼してい
るにもかかわらず,P2自身の日本の住所あるいは電話番号を連絡先として教えな
いというのは不自然であって,にわかに信じ難い。また,イランのイスラム統一党
の事務所が,UAEにP2の住所を知っている人物が存在するかどうか不明である
にもかかわらず,わざわざUAEに上記庇護依頼書を送付するというのはとうてい
首肯し難く,逆にUAEにP2の住所を知っている人物が存在するのであれば,電
話等で住所を尋ねれば足りるのであって,わざわざ書類を転送してもらう必要はな
い。したがって,上記庇護依頼書がイランからUAEを経由して送られてきたとの
供述自体極めて疑わしい上,甲9号証の2の封筒は,送り先がUAEγ22706
となっており,甲9号証の3の送り主はUAEJMP通りの近くγ村P4となって
いて,送り先の人物と送り主の人物がはたして同一の人物かどうか疑念を払拭する
ことができないから,上記庇護依頼書がイランからUAEに郵送されたものが日本
に転送されたのかどうかはなはだ疑問といわざるを得ない。
 また,P2は,イランのイスラム統一党の事務所に対して原告に関する資料があ
るかどうかを調査するよう依頼した際に,原告の身元確認のための情報を伝えたこ
とはなく,自己の名前とその父親の名前がわかればアフガニスタンでは身元が確認
ができると述べているが,アフガニスタンの人口が約2000万人であること(甲
1の2)に照らすと,かかる供述もとうてい信用することができない。
 以上の諸点に加え,P2は証人尋問においてイランのイスラム統一党の事務所の
電話番号を書いたメモがあれば出すと述べていたにもかかわらず,結局当裁判所に
提出されておらず,同事務所に真偽を確認する術もないことを併せ考慮すると,甲
9の2及び甲9の3の封筒が,上記庇護依頼書が送付されてきた時に使用された封
筒であるとのP2の供述はにわかに信用することができず,結局,上記庇護依頼書
が,イランのイスラム統一党事務所によって作成されたものと認定するのは困難と
いわざるを得ず,他にかかる事実を認め得る的確な証拠もない。
ウ 原告の妻から送られてきたと主張されている文書について(甲10の1ないし
6)
 P2は,原告の妻に対し,平成12年2月15日以降に,原告の難民認定の助け
となるものを送るよう要請したところ,同年2月26日,P2宛てに,イスラム統
一党の身分証明書(甲10の1),殺害指示書のコピー(甲10の2),P1の原
告宛の手紙(甲10の3),原告の妻の手紙(甲10の4),イスラム統一党β事
務所が発行した感謝状(甲10の5),P3による説明書(甲10の6)が送付さ
れてきたと供述しており,原告は,これらの書類を原告がイスラム統一党の重要人
物であったことあるいはタリバーンが原告の殺害指示書を発行した文書として提出
している。
(ア) 身分証明書(甲10の1)
 P2は,原告が収容された平成12年2月よりも後に,原告の妻に電話で話をし
て原告の助けになるものであればなんでも送ってほしいと依頼した(P211丁な
いし13丁)ところ,原告の妻から上記身分証明書が送られてきたこと,原告の妻
は,パキスタンのβにあるイスラム統一党の事務所から上記身分証明書をもらった
旨電話で述べていたことを供述している。ところで,P2は,原告の妻が「ワハダ
ットが前にあったのを見て,これをつくってもらったという話を聞いたんです。」
と述べた旨供述しており(証人P232丁),原告本人もイスラム統一党の身分証
明書は今までに何枚発行されたかは覚えていますかとの質問に対して,「1枚はカ
ブールの家に忘れてた。1つはαに置き忘れたんで。それくらいだと思います。」
と述べている(原告本人69丁)ことからすると,P2からの電話を受けてイスラ
ム統一党が作成したものとも思われるが,証拠(甲10の1,乙37の2,証人P
2)によれば,上記身分証明書の発行日は西暦1999年3月2日であり,P2が
原告の妻に対して原告についての証拠を集めて送るように電話をしたとする日より
も前となるし,原告本人が身分証明書は原告本人以外の人が頼んでも出してくれな
いと述べている(原告本人69丁)こととも矛盾する。逆に,原告が従前発行して
もらっていた身分証明書を原告の妻がイスラム統一党の事務所から受け取ったとす
ると,当該身分証明書は原告自身が1999年3月2日にβで発行してもらったこ
ととなるが,そうすると今までの身分証明書はカブールとαに忘れたとの上記原告
の供述と矛盾することとなるし,原告は,βにイスラム統一党の事務所があるかど
うかわからないと述べていること(原告本人45丁),イスラム統一党の身分証明
書はアフガニスタンにいるときは持っていましたが,アフガニスタン以外でもって
いるのは意味がない(原告本人49丁及び50丁)と述べていることとも整合しな
い。
 以上に述べたところを総合すれば,上記身分証明書が真正に作成されたものか疑
わしいというべきである。
(イ) イスラム統一党の感謝状(甲10の5)
 原告は,原告がイスラム統一党に寄付をしたことに対して,パキスタンのイスラ
ム統一党の事務所が発行した感謝状を原告が寄付行為を行ったことの裏付け証拠と
して提出しているが,前述のとおり,上記身分証明書がβのイスラム統一党の事務
所によって真正に作成されたかどうか疑わしいところ,同感謝状は上記身分証明書
と同時に送られてきたとされるものであって,かつ,同じ印章が使用されているこ
と,原告はβにイスラム統一党の事務所があるかどうか知らないと述べており,か
かる原告の供述を前提とする限り,原告がβのイスラム統一党の事務所と接触があ
ったとは考えにくいことを総合考慮するならば,上記感謝状が真正に作成されたも
のとはにわかに信じがたいというべきである。
(ウ) 殺害指示書(甲10の2)
 P2は,原告の妻と電話で話をしたときに,同人は,当該殺害指示書はβのイス
ラム統一党事務所からもらったものであると述べていた旨供述するが,そもそもタ
リバーンが内部の者に対して発行した殺害を指示する文書をなぜイスラム統一党が
持っているのか,その入手に至る経緯が不明であるし,同文書には「P5は,イス
ラム統一党員であり,イスラム首長国最大の敵の一人である。」と記載されている
が,前記(ア)及び(イ)で認定したとおり,原告がイスラム統一党員であること
を裏付けるために提出されている甲10の1及び5は,いずれも真正に作成された
ものかどうか疑わしく,したがって,原告がイスラム統一党員であるかどうかも疑
わしいこと,原告の供述によっても原告は主要幹部ではなく,寄付を行っただけで
戦闘はおこなっていないというのであり,イスラムでは自己の属する宗派,民族を
代表する組織に対して寄付を行う慣行があり,寄付をすること自体は珍しい行為で
はないこと(甲11)をも併せ考えると,原告がなぜ「イスラム首長国最大の敵の
一人」であるのか,なぜ原告に対して殺害指示書が出されたのか明確ではないし,
この点の疑問を払拭させるに足りる事情の立証もない。以上によれば,上記殺害指
示書の存在及び記載内容に重大な疑問があり,たやすく信用することができない。
(エ) タリバーンが原告を捜していることが記載されたP1及び原告の妻からの
手紙(甲10の3,10の4)
 原告の妻の手紙には2000年1月9日若しくは2000年7月9日との日付が
付けられているが,2000年7月9日であれば,P2が甲10号証の1ないし6
の書面を受け取ったと供述する平成12年2月26日よりも作成日付が後になる
し,2000年1月9日であるとすれば,P2が原告の妻と連絡をとった平成12
年2月15日よりも前に作成されたことになり,いずれにしても原告の妻の手紙に
記載された日付は,P2が述べたこれらの書類の入手経過と矛盾している。
 原告は,タリバーンが原告を捜していることの裏付けとして,原告の友人である
P1及び原告の妻が原告に宛てて出した手紙(甲10の3及び4)を提出している
が,原告の妻及びP1の居所や電話番号は明らかにされておらず,確認する手段が
ないことをも考慮すると,真正に作成されたかどうか疑問である。
(オ) P3が作成した感謝状(甲10の6)
 証拠(甲10の6,26)によれば,P3が作成した原告に対する感謝状(甲1
0の6)には,「P5氏,P6の息子はアフガニスタン・ハザラの尊敬されている
商売人である。そしてアフガニスタン・P3に現金30万アフガニと1371年2
月31日付でアフガニスタン・P3のカブール事務所に寄付した1台の車(パジェ
ロ),などたくさんの援助をしてくれました。残念ながらタリバンのカブール侵攻
の際に,その関係の書類も奪われました。氏にどこにいても,アフガン全土に勢力
を持つタリバンに,くれぐれも注意して身を守るよう呼びかける。」と記載されて
いる。
 しかしながら,原告は,P3のメンバーだったことはあるものの,P3に対して
お金を寄付したことはないと述べており(原告本人40丁),上記感謝状の内容は
上記原告の供述と明らかに矛盾する。そして,原告は,被告代理人から,P3に寄
付していないのにどうして感謝状があるのか追及されると,寄付をしたのは原告本
人ではなく,原告の息子が寄付したのであり,アフガニスタンの習慣で息子がやっ
ても父親の名前を出すことが一般的で当たり前ですと述べている(原告本人41
丁,42丁)が,P2は,原告が上記感謝状は原告の息子が寄付したことによる感
謝状であると供述していることについてどう思うかを尋ねられた際,「息子の名前
が出ていないんで。」と否定的であり,アフガニスタンの習慣においても少なくと
も息子が寄付を行っても父親の名前を出すことが一般的でないことは明らかである
から,上記原告の供述は信用することができない。
 以上によれば,上記感謝状は,P3が原告に宛てて出した感謝状であるとは信じ
がたいというべきである。
(カ) 以上述べたところに加え,P2は,甲10号証の1ないし6の書類は,甲
10号証の7の封筒に入れられて送られてきたと供述するが,送り主が原告の妻で
はなく「ムハンマド,アリフ・ラヒミ洋装店」となっていることからすると,甲1
0の7の封筒によって,甲10の1ないし6の書類がパキスタンから郵送されてき
たかどうか疑わしいことをも併せ考えると,いずれの文書についてもこれらが真正
に成立したものと認定するのは困難というほかない。
エ 原告の供述の信用性
(ア) 第1回目及び第2回目の迫害について
 原告は,2001年4月17日付準備書面(第6回弁論期日において陳述)にお
いては,①1996年春ころ,カブール近郊でバスに乗っていた際,タリバーン関
係者から,金員を強取された,②その約2か月後,カブール市内でタリバーン関係
者に捕まり,3日間拘束されたと主張しており,原告の難民認定申請書(乙1の
1,1の2)においても,「私はカブールで捕らわれた時タリバンにより2日間拘
束されました。」と記載されている。
 しかしながら,タリバーンがカブールを制圧したのは1996年9月であり,上
記各主張との整合性が問題となるところ,原告は本件証人尋問においては①及び②
はパシュトゥーン人によるものであるが,私からみるとタリバーンかどうかわから
ない旨述べている(原告本人5丁,6丁)。
(イ) 原告は,タリバーンがカブールにやってきたときに,広場に連れ出され,
タリバーンがナイフで原告の首を刺そうとしたので手で防いだ,現在左手にある傷
はそのときの傷である旨述べているが,難民申請書(乙1の1及び2)において
は,カブールでタリバーンに拘束されたときにむち打たれたことによってできた傷
であると述べており,整合しない。
(ウ) 原告は,その際,死んだ人の中で倒れ込んで自分も死んだふりをして,そ
の後に逃げたと述べているが,難民認定申請書(乙1の1及び2)においては,原
告はタリバーンにお金を払って逃げた,と記載されており,平成11年10月15
日,難民調査官に対しては,原告は,建設中のビルの中に連行されたが,原告を見
張っていたタリバンは1人だったので隙を見て低い壁を乗り越えて逃げた旨述べて
いる(乙2。難民調査官の事情聴取はペルシャ語によって行われているが,原告が
ペルシャ語を理解することができるものと認められることは後述する。)ように,
原告の供述は重要な部分について変遷をしている。
(エ) 原告は,本件原告本人尋問の主尋問においては,1996年12月にアフ
ガニスタンを出てからはアフガニスタンへ戻ったことがないと述べていたが(原告
本人13丁),原告のパスポートに1998年4月1日付αのイラン領事館が発給
したイランの入国査証があることを指摘されると,この査証はαでもらったのでは
なくドバイでもらったビザであると供述し,ドバイで在αのイラン領事館が発給し
た入国査証がもらえるのはおかしい旨指摘されると,この時期にドバイからαに行
ったときにもらっていると供述し,1996年12月以降にアフガニスタンを訪れ
ていないと述べていたこととの関係を尋ねられると,入管にはこのときにアフガニ
スタンに行ったことを述べていた旨供述している(原告本人63丁)。このように
原告の供述は自己に不利な事実を突きつけられるとその都度変遷している。
(オ) 原告は,P1に原告の電話番号をどのようにして教えたのかということに
ついて,日本に入国して2日後に携帯電話を購入し,そのころ,「大阪国際空港」
に行って,その空港でパキスタンに行く便を探して,ハザラ系の人がいたら声をか
けて電話番号をP1に渡すよう頼んだ旨供述している。
 しかしながら,そもそも上記のような方法で電話番号を伝えるとは考えがたい
し,原告が「大阪国際空港」と述べているのは関西国際空港のことであると思われ
るが,乙28号証によれば,関西国際空港からパキスタンへの直行便は出ていない
ことが認められ,客観的証拠とも食い違っている。また,電話番号を渡された相手
がどうやってP1を見つけるのか疑問であるし,仮にP1の住所がわかっているの
であれば手紙で送ればこと足りるはずである。
(カ) 以上述べたとおり,原告の供述は不合理かつ変遷を繰り返しており,その
供述全体の信用性は極めて低いと評価せざるを得ず,にわかに信用することはでき
ないというべきである。
オ 以上によれば,申請者にとって自己が難民となったことを立証することが困難
であることを考慮しても,「難民となった事由が生じた」事実,かつ,それを知っ
たのが本邦入国後であるとの事実を認めるに足りる証拠はないことに帰着する。
(4) 小括
 以上によれば,法61条の2第2項本文の要件を具備するとの原告の主張は採用
することができない。
2 申請期間を徒過したことにつき「やむを得ない事情」が認められるか
 原告の主張は,法61条の2第2項本文にいう「難民となる事由」が本邦入国前
に生じたが,申請者がその事由を知らない場合には,申請期間は当該申請人が難民
となる事由を認識した時点から起算すべきであるが,仮に上陸した日を起算日とす
るとしても(原告は客観的難民事由が生じた日とするが,本邦入国前の時点から起
算することはあり得ないから,上陸の日を意味するものと解される。),原告はタ
リバーンが原告の殺害指示書を出したとの事実を知らなかったのであるから,法6
1条の2第2項但書にいう「やむを得ない事情」が存するとの主張と解されるが,
前記1で認定したとおり,そもそもタリバーンが原告の殺害指示書を出したとの事
実を認めるに足りる証拠はないから,原告の主張は採用することができず,その他
本件において申請期間を徒過したことにつき「やむを得ない事情」を認めるに足り
る証拠はない。
3 法61条の2第2項の要件を充足しない場合にも難民該当性につき判断すべき
かどうか
(1) 前記1で認定したとおり,原告が難民となる事由が生じ,これを本邦入国
後に知ったということはできないから,本件申請の申請期間は,原告が本邦に上陸
した日を起算日とすべきであり,かつ,申請期間を徒過したことにつき「やむを得
ない事情」は認められないから,本件申請は,法61条の2第2項の要件を満たさ
ない申請であると解するほかない。ところで,本件処分も,本件申請が法61条の
2第2項所定の期間を徒過してなされたものであり,かつ同項但書の規定を適用す
べき事情とは認められない,との理由により原告につき難民の認定をしないとの処
分をしているところ,原告は,難民認定申請が法61条の2第2項の要件を充足し
ていない場合であっても,難民該当性について判断せずに申請を却下することは難
民条約及び難民議定書に反するから,これを行わずに申請を却下した本件処分は違
法であると主張するので,この点につき検討する。
(2) まず,原告は,法61条の2第2項の要件を充たさない場合に,難民該当
性を判断せずに申請を却下すると,条約上の難民に該当するにもかかわらず,難民
と認定されない者が生ずることとなり,難民条約上の難民に該当するものをそのま
ま難民として認定することを要請する難民条約及び難民議定書の本来的性質に反
し,違法であると主張する。
 しかしながら,難民条約及び難民議定書は,難民の認定手続について特段の規定
をおいていないのであるから,いかなる認定手続を設けるかは,締約国の立法裁量
に委ねられているものと解するのが相当である。そして,難民認定手続において
は,申請者が難民かどうかを判断する必要があるところ,難民となる事由が生じて
から長期間経過後に難民の認定が申請されると,その当時の事実関係を把握するこ
とが著しく困難となること,自己が難民であると主張する者が遅滞なく日本国政府
の保護を求めないという事実はかかる者が真の難民であるかどうかを疑わせる一事
実であることからすると,申請のための合理的期間を設けることは何ら不合理なこ
とではない。そして,上陸後あるいは難民となる事由が生じた日から60日という
期間が,入国管理事務所に申請するのに不十分な期間であるとはいえないこと,申
請者につき入国後あるいは難民となる事由が生じたことを知った時から速やかに申
請することが困難な事情がある場合もあり得るが,出入国管理法上も「やむを得な
い事情」による申請の遅延を認めており,「やむを得ない事情」の存否について柔
軟に判断することにより保護を図りうることをも併せ考慮すると,難民認定申請の
手続要件を定める法61条の2第2項が,立法裁量の逸脱濫用であって難民条約又
は難民議定書に反するということはできない。
 よって,原告の難民該当性を判断することなく,法61条の2第2項の要件を具
備しないことを理由に本件申請を却下した本件処分が難民条約及び難民議定書の本
来的性質に反するとの原告の主張は採用することができない。
(3) 原告は,60日ルールが難民かどうかを判断する実体審査に入る前提とし
て充足すべき形式的要件であるとすると,実質的に難民の概念に時間的制限を付加
するに等しく,難民概念について留保及びその変更を禁止する難民条約42条に反
すると主張する。
 しかしながら,法61条の2第2項は,難民の認定手続について定めたものであ
り,難民の定義を実体的に変更する規定ではないから,60日ルールが実体審査に
入る前提となる形式要件であるとして運用することが難民条約42条に反するとの
上記原告の主張は採用することができない。
(4) 原告は,条約締約国が,国内法上の手続的要件の不遵守を理由に申請者の
難民性についての実体判断を行わないとすれば,実体上難民である者を迫害のおそ
れがある国に送還することを容認することになるから,かかる運用は難民条約33
条1項に反すると主張する。
 しかしながら,難民条約33条1項は,「締約国は,難民をいかなる方法によっ
ても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的
意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放
し又は送還してはならない。」と定めているところ,これを受けて法53条2項
は,退去強制に基づく送還について,法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害
すると認める場合を除き,難民条約第33条1項に規定する領域の国には送還され
ない旨定めている。したがって,難民認定手続とは別に,退去強制手続において難
民条約33条1項が定めるノン・ルフールマンの原則に従って送還先が決められる
ことが保障されているのであるから,難民該当性について判断することなく難民認
定申請を却下することが難民条約33条1項に反するとの上記原告の主張は採用す
ることができない。
(5) UNHCR執行委員会結論15号は,「庇護申請者に一定期間内に庇護申
請をするように求める場合があっても,当該期間を守らなかったことまたはその他
の形式的要件を遵守しなかったことを理由として庇護申請を審査の対象から除外す
べきではない。」としているところ,原告は,UNHCR執行委員会の結論は,ウ
ィーン条約32条の解釈の補足的な手段に該当し,難民条約の正しい解釈として妥
当する旨主張する。
 しかしながら,甲13号証によれば,上記結論は,難民条約の隙間もしくは限界
を埋め,または新たに出現したりもしくは表面化した問題に対する難民条約規定の
運用原則を設定することを目的として採択されるものであることが認められ,必ず
しも難民条約及び難民議定書の解釈について述べるものではないし,現に,本件で
問題となっているのは,どのような難民認定手続をとるべきかという問題であり,
難民条約及び難民議定書は難民の認定手続について何ら定めを設けていないのであ
って,各国の国内法に委ねる趣旨であることが明らかであるから,上記結論15号
は,むしろ難民条約及び難民議定書において各国の裁量に委ねられている難民認定
手続について一定の運用原則を提言するものにとどまると解するのが相当である。
また,上述のとおり,難民条約及び難民議定書が難民認定手続について各国の国内
法に委ねる趣旨で何らの規定も定めていないことは明らかであるから,難民条約あ
るいは難民議定書の条文の意味が不明確である等ウイーン条約32条が想定してい
る場面とは異なるというほかない。
 また,条約の当事国が条約の内容に拘束されるのは,当事国が条約を締結するこ
とに合意したことに基づくのであり,条約の解釈も当事国の合理的意思解釈を行う
作業にほかならないところ,ウイーン条約31条は,条約の文脈及び当事国間でな
された合意によって条約を解釈するとし,当事国が用語に特別の意味を与えること
を意図していたと認められる場合には,特別の意味を有すると定め,同条約32条
が解釈の補足的手段の例示として,条約の準備作業及び条約の締結の際の事情を挙
げているのも,これらの事情から当事国が条約の内容をどのようなもとする意思で
あったのかを推認することが可能であるからであると解される。
 これに対し,UNHCR執行委員会の結論は,当事国が執行委員会を構成する場
合はあるにしても,当事国の見解ではなくあくまで第三者機関の見解であり,当事
国の合意を離れて当事国が拘束されるものではない。
 したがって,UNHCR執行委員会結論15号が,ウィーン条約32条の解釈の
補足的な手段に該当し,難民条約の正しい解釈として妥当するとの上記原告の主張
は採用することができない。
(6) 以上より,実体判断を行うことなく本件申請を却下した本件不認定処分
が,難民条約及び難民議定書等に反するとの原告の主張は採用することができない
から,本件不認定処分は適法である。
4 本件不認定処分及び本件裁決の違法性(手続違背)
(1) 原告は,本件不認定処分及び本件裁決の際に行われた難民審査官の事情聴
取は,原告の母国語であるダリー語あるいはハザラ語ではなく,原告が理解困難な
ペルシャ語で行われており,手続保障を欠き,違法である旨主張している。
(2) 証拠(乙21,B事件乙6,原告本人)によれば,以下の事実が認められ
る。
ア 今日のアフガニスタンで用いられているダリー語とイランで使われているペル
シャ語とは,会話表現及び発音の面で多少異なるところはあるが,文法上の構造や
規則の点で二つの言葉はほとんど同じであって,非常に似た言葉である。
イ 原告は,本人尋問において,入管でのインタビューで通訳の人が話しているこ
とはおおよそわかったと述べている(原告本人68丁)。
ウ 平成12年3月1日に大阪入管において入国審査官の審査を受けた際,通訳人
のペルシャ語は理解できましたかと尋ねられた際に,「はい。」と答えたことを認
めている(B事件乙6,原告本人58丁)。
エ 原告は,本人尋問において,タリバーンがカブールに侵攻したことをBBCの
ペルシャ語放送で聞いて知った旨供述した(原告本人7丁)後,被告代理人に「ペ
ルシャ語でもおわかりになるんですね。」と指摘されると,「それはダリー語なん
です。」と供述を変遷させている(原告本人66丁)。
オ 原告と原告代理人との打ち合わせは,P2や別のアフガニスタン人に通訳して
もらう場合のほか,ペルシャ語の通訳によって行われている。
(3) 以上によれば,原告はペルシャ語を相当程度理解できたことが認められる
から,本件不認定処分及び本件裁決が手続保障を欠くとの原告の主張は前提を欠
き,採用することができない。
5 本件退令処分の違法性
(1) 難民不認定処分の違法性の承継
 原告は,本件不認定処分及びこれに対する異議の申出は理由がない旨の裁決の違
法性が,本件退令処分に承継されると主張する。
 しかしながら,法61条の2の7は,「本邦に在留する外国人で難民の認定を受
けているものが,・・・退去強制の手続において退去強制令書の発付を受けたとき
は,当該外国人は,速やかに法務大臣にその所持する難民認定証明書及び難民証明
書を返納しなければならない。」と定めており,難民認定がなされた場合であって
も,退去強制令書発付処分がなされうるのであるから,退去強制令書発付処分は申
請者が難民と認定されていないことを前提とする処分でないことは明らかである。
したがって,難民不認定処分及びこれに対する異議の申出は理由がない旨の裁決の
違法性が退去強制令書発付処分に承継されるとの原告の主張は採用することができ
ない。
(2) ノン・ルフールマン原則違反の主張について
 法53条1項は,退去強制を受けるものは,その者の国籍又は市民権の属する国
に送還されるものとすることを原則としているが,難民条約33条1項が「締約国
は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集
団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされ
るおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」と定めていること
を受けて,法53条3項は,法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認
める場合を除き,難民条約33条1項に規定する領域の属する国には送還されない
旨定めているところ,原告は,原告をアフガニスタンに強制送還することを内容と
する本件退令処分は,難民条約33条1項で定められたノン・ルフールマンの原則
及び法53条3項に違反すると主張する。
 しかしながら,前記1で認定したとおり,タリバーンが原告の殺害を指示する文
書を出したものとは認められないこと,原告がイスラム統一党の党員であるとは認
められないこと,原告は,殺害指示書が出される前にも,タリバーンから迫害を受
けた旨主張するが,原告が受けたと主張する1回目及び2回目の迫害については,
原告自身本人尋問において,原告を迫害したのはタリバーンかどうかわからないと
述べていること,3回目の迫害については,原告がどこに連れ出されたか,原告が
どうやって逃げたのか,いつどこで傷を受けたのかなどの点について供述の変遷が
著しく,しかも最も重要な部分についての供述であって,単なる記憶違いであると
は考えがたいこと,単にハザラ人であるということのみをもって難民に該当するも
のでないことは原告も自認するところであることからすると,原告が実体上難民条
約上の難民に該当することを認めるに足りる的確な証拠はないといわざるを得ない
から,原告が難民条約上の難民に該当することを前提とする上記ノン・ルフールマ
ン原則違反の主張は,前提を欠き,採用することができない。
(3) 拷問等禁止条約違反の主張について
 拷問等禁止条約第3条1は,「締約国は,いずれの者をも,その者に対する拷問
が行われるおそれがあると信じるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し,送
還し又は引き渡してはならない」と定めているところ,原告は,タリバーンから原
告の殺害指示書が出されていることを前提に,原告をアフガニスタンに送還するこ
とを内容とする本件退令処分は,拷問等禁止条約に反すると主張する。
 しかしながら,タリバーンが原告の殺害を指示した事実が認められないことは,
前記1で認定したとおりであるから,原告の上記拷問等禁止条約違反の主張は前提
を欠き,採用することができない。
(4) 難民条約31条2項違反
 原告は,本件退令処分が,「移動の制限」「期間の猶予」「便宜供与」について
一切の留保なく,強制退去を命じるものであるから,難民条約31条2項に反する
旨主張するが,かかる主張も原告が難民条約上の難民に該当することを前提とする
主張であり,かつ,原告が難民条約上の難民に該当しないことは前述のとおりであ
るから,本件退令処分が難民条約31条2項に違反するとの上記原告の主張は採用
することができない。
(5) 法務大臣の裁量権の逸脱濫用
 法50条1項3号は,その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認
めるときにはその者の在留を特別に許可することができるとのみ定め,具体的な判
断基準は特に明示されていないこと,在留の許可を与えるかどうかについては,申
請者の申請事由の当否のみならず,当該外国人の在留中の一切の行状,国内事情,
国際情勢,外交関係等の諸般の事情をしんしゃくし,時宜に応じた的確な判断をし
なければならないことからすると,法は,当該外国人に在留特別許可を与えるかど
うかは,法務大臣の広汎な裁量に委ねる趣旨であると解される。したがって,法務
大臣が退去強制事由に該当する外国人に対し在留特別許可を与えなかったことが違
法となるのは,その判断が全くの事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を
欠くことが明らかである場合であると解するのが相当である。
 原告は,本件裁決2は,原告の難民該当性について誤った判断を前提としてなさ
れたものであるから,裁量権の逸脱濫用にあたり違法であると主張しているが,前
述のとおり,そもそも原告が難民条約上の難民に該当するとは認められないから,
原告の上記主張は前提を欠き,その他,本件の全証拠によっても被告法務大臣の判
断につき前提となる事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明
らかであることを認め得る事情はうかがわれないから,本件裁決2は適法である。
(6) 以上のとおり,本件退令処分は適法である。
6 結論
 以上の次第で,原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,
よって主文のとおり判決する。
大阪地方裁判所第二民事部
裁判長裁判官 三浦潤
裁判官 黒田豊
裁判官 中島崇

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