弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
       原判決を破棄する。
       被告人を懲役1年6月に処する。
       原審における未決勾留日数中80日をその刑に算入する。
       この裁判確定の日から3年間その刑の執行を猶予する。
       原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
         理    由
 本件控訴の趣意は,弁護人坂本彰男作成の控訴趣意書に記載されているとおりであ
るから,これを引用する。所論は,事実誤認及び量刑不当を主張するものである。
 まず,事実誤認の主張は,要するに,被告人には強姦の犯意はなく,また,被告人が
被害者に暴行を加えた段階では,強姦に至る客観的な危険性は生じておらず,強姦の
実行の着手は認められないから,強姦致傷罪の成立を認めた原判決には明らかに判
決に影響を及ぼす事実の誤認がある,というのである。
 そこで,所論にかんがみ,原審の記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併
せて検討する。
第1 本件公訴事実及び原判決の認定
   本件公訴事実は,「被告人は,自転車で帰宅途中のA(当時21年)を認めるや,同
女を強いて姦淫しようと企てて同女を追尾し,平成15年5月1日午後8時10分ころ,広
島県東広島市(以下略)Bマンションエントランスホールにおいて,同女に対し,やにわに
同女の背後から抱きついて同女の口及び腹部を手で押さえつけて,『おとなしゅうせえ。
やらせえ。』などと申し向けた上,抵抗する同女の腹部を膝で2回蹴るなどの暴行を加
え,その反抗を抑圧して同女を強いて姦淫しようとしたが,同女が抵抗したため,その目
的を遂げず,その際,上記暴行により同女に対し加療約8日間を要する腹部打撲,右肋
間筋損傷の傷害を負わせたものである。」というものである。
   原審においては,被告人に強姦の目的(犯意)があったか否かと強姦の実行の着
手の有無が争点となった。
   原判決は,被害者の供述その他の関係証拠によって認定できる被告人の言動など
から,被告人に強姦の目的があったことを肯定し,これを否定する被告人の弁解は不自
然であるとして排斥した。また,原判決は,強姦の実行の着手について,被告人が,被
害者を本件エントランスホールから被告人の自動車に連れ込み,その停車場所あるい
は移動した先の車内で被害者を姦淫しようと意図していたことが認められるとし,本件マ
ンション付近は,夜間で閑散としており,付近に大きな照明もなく暗かったこと,本件マン
ションの出入口から被告人が停めた自動車までの距離は約20メートルにすぎないこと,
被害者を乗車させようとした自動車は4人乗りの普通乗用自動車であり,被告人以外に
同乗者はいなかったから,被告人が被害者の抵抗を振り切って自動車の中に連れ込
み,強いて姦淫することができる可能性は高かったと評価できること,加えて,犯行前後
の一連の行為からすれば,被告人の強姦の意思は,その時点において,相当に強固な
ものであったと推認できることなどを総合して,被告人が被害者に上記のとおりの暴行
を加えた段階において,強姦に至る客観的危険性は十分にあり,その時点で,強姦の
実行の着手があったと認めるのが相当であると判断し,強姦致傷罪の成立を認めた。
第2 当裁判所の判断
   関係証拠に照らし検討すると,被告人は,被害者を自動車に連れ込んだ上,場所
を移動するなどして強姦する目的(犯意)を有していたと認められ,この点に関する原判
決の認定は相当であり,当裁判所もこれを是認することができる。
   しかし,被告人が被害者に対し暴行脅迫を加えた時点で,直ちに被害者を自動車
内に連れ込んで強姦の犯意を確実に遂行できる状況にあったということはできないか
ら,強姦の実行の着手を認めた原判決の認定は,是認することができない。
 1 まず,関係証拠によれば,本件犯行状況及びその前後の状況として,次のような事
実が認められる。
 (1)【要旨】被告人は,平成15年5月1日午後8時ころ,普通乗用自動車を運転中,自
転車に乗車して帰宅途中の被害者を見かけ,スタイルが良く,ミニスカートをはいていた
同女の身体に惹かれて姦淫したいと考え,その後をつけた。
 (2) 被告人は,被害者を追い越し,本件マンション(5階建のワンルームマンション)の
出入口から南方約20メートル先に自動車を停止して待ち伏せしたところ,被害者は,本
件マンションの南西側に隣接する自転車置き場に自転車を置き,外階段を上がって2階
のエントランスホールに向かった。被告人は,同日午後8時10分ころ,自動車から降り
て,被害者に走り寄り,エントランスホール手前の踊り場付近で,その背後から抱きつ
き,口と腹部を手で押さえつけ,エントランスホールに押し込み,「おとなしゅうせえ。やら
せえ。」と言った。被害者は,被告人の手に噛みつこうしたり,身体をよじったりして被告
人を振りほどき,悲鳴をあげて助けを求めるとともに,被告人の急所を狙って膝蹴りをし
たが,空振りになり,逆に被告人から2回腹部を膝蹴りされて息が詰まり,その場にうず
くまった。被告人は,「早く車に乗れ。」と言い,被害者が落としたショルダーバッグの中
から携帯電話を取り上げた。
 (3) 被害者は,機転を利かして時間稼ぎをするために,わざと咳き込んで動けない振
りをし,さらに,コンタクトレンズを落としたとして探す振りをしていると,被告人も一緒に
なってコンタクトレンズを探し始めた。そして,本件マンションの中から住民と思われる男
性一人が,エントランスホールに出て来たため,被害者は助けを求めたが,被告人は,
その男性の肩を抱きかかえて,「男と女のことじゃけぇ。あっち行っといてぇ。」と言い,建
物の内側に追い払った。
   そのころ,被害者の大学の同級生で本件マンションに居住しているCが友人のDを
連れて帰宅し,エントランスホールに入って来たため,被害者は,Cらに警察を呼んでほ
しいと言って助けを求めた。被告人は,CとDの肩を抱いて,「男だったら分かるだろう。」
などと言って追い払った。その隙に,被害者は,本件マンションの外に逃げ出し,追い掛
けて来た被告人から,「車に乗れ。」と要求されたが従わず,被告人に対し,携帯電話を
返還するように要求し続けた上,エントランスホールに戻る際,被告人の自動車のナン
バーを確認した。他方,Cは,同日午後8時14分ころ,自室から警察に110番通報して
おり,被害者は駆けつけた警察官に強姦未遂の被害を申告した。
 (4) 本件現場付近は,閑散としているが,民家や学生用のワンルームマンションなど
が点在する新興住宅地であり,本件犯行時刻は,通行人のあることが予想される時間
帯であるし,現に,被告人が暴行脅迫を開始して間もなく,本件マンションの住民や被害
者の友人がエントランスホールに出入りしている。また,エントランスホールには照明が
あり明るかったし,本件マンションの周囲は暗かったものの,廊下の照明や出入口付近
に設置された自動販売機の明かりがあり,漆黒の暗闇というわけではない。このエントラ
ンスホールから市道に接しているマンションの出入口まで行くためには,階段の踊り場を
通り,合計11段の外階段を降りる必要がある。そして,被告人が被害者を連れ込もうと
した自動車は,この出入口から更に約20メートル離れた民家の門扉の前に停車してあ
り,エンジンは掛けたままであったが,ドアは閉めてあった。
 (5) 被告人は,当時22歳の男性であり,身長約179センチメートル,体重約80キロ
グラムであった。本件犯行後,被告人の右手甲,前腕,上腕及び肩に傷が付いていた。
   他方,被害者は,当時21歳の大学生であり,身長は170センチメートル近くあっ
た。被害者は,被告人の本件暴行により,加療約8日間を要する腹部打撲,右肋間筋損
傷の傷害を負った。
 2 上記認定にかかる本件犯行の時刻,犯行現場の状況,被告人が被害者に加えた
暴行脅迫の内容及び程度,被害者を連れ込もうとした自動車の停車位置や状況,自動
車までの距離,被害者の年齢,体格及び抵抗の状況,被害者に暴行脅迫を加えた後に
被告人が被害者や通行人らとしたやりとりの内容などを考慮すると,被告人が被害者を
姦淫しようとする犯意が強固であったことを併せ考慮してみても,被告人は単独で,しか
も凶器を使用することなく本件犯行を遂行しようとしているところ,成人した被害者の激し
い抵抗を排除して,マンションの外階段を降り,その出入口から約20メートル離れてい
て民家の前に停めてある自動車内に被害者を連れ込み,その停車場所で,あるいは,
自動車を運転して適当な場所まで移動するなどした上,強いて姦淫行為に及ぶために
は,客観的に困難な事情が多々あったというべきである。そうすると,被告人が被害者
に暴行脅迫を加えた時点において,直ちに強姦の犯意を確実に遂行できるような状況
にあったということはできないのであって,本件暴行脅迫は,被告人の姦淫の意図を実
現するための手段としては,その客観的危険性を具備しておらず,その準備段階にあっ
たというべきであるから,いまだ強姦の実行に着手したということはできない。
 3 検察官は,当審の弁論において,被告人が被害者に加えた暴行脅迫の態様・程度
は,被害者の反抗を抑圧するに十分であるものと認められるほど悪質,重大なものであ
ること,強姦の犯意が強固であることなどから,強姦の実行の着手を認めた原判決の認
定は相当であると主張する。
   しかし,すでに検討したとおり,被告人が加えた暴行脅迫の程度は,重大であると
まではいえないものであり,被害者も,被告人からの難を逃れるために種々の対応を行
っていることからしても,本件事案においては,被告人が暴行脅迫を加えた時点で,直ち
に被害者を自動車内に連れ込んで強姦に至る客観的な危険性があったということはで
きない。
   検察官の主張は採用できない。
 4 以上によれば,被告人が被害者に対し暴行脅迫を加えた時点で,強姦の実行に着
手したと認定するには,なお合理的な疑いがあるというべきである。
   そうすると,強姦致傷の事実を認定した原判決には事実の誤認があり,その誤認
が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
   所論は理由がある。
 よって,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,量刑不当の主張に関する
判断を省略し,同法400条ただし書に従い,当裁判所において,検察官が予備的に追
加請求した訴因及び罰条に基づき,次のとおり判決する。
第3 自判
(罪となるべき事実)
 被告人は,自転車で帰宅途中のA(当時21歳)を認めるや,同女を自動車内に連れ込
んで姦淫しようと考え,平成15年5月1日午後8時10分ころ,広島県東広島市(以下
略)のBマンションエントランスホール付近において,マンションに入ろうとしていた同女
に対し,いきなり背後から抱きついてその口及び腹部を手で押さえつけ,「おとなしゅう
せえ。やらせえ。」と申し向けた上,抵抗する同女の腹部を膝で2回蹴り,「早く車に乗
れ。」と申し向けるなどの暴行,脅迫を加え,同女を上記マンションの近くに停車していた
自動車内に連れ込んで略取しようとしたが,抵抗されたため,その目的を遂げず,その
際,上記暴行により,同女に対し,加療約8日間を要する腹部打撲,右肋間筋損傷の傷
害を負わせた。
(証拠の標目)
 当審公判廷における被告人の供述を付け加えるほかは,原判決が挙示する証拠と同
一である。
(法令の適用)
罰     条
 わいせつ目的略取未遂の点 刑法228条,225条
 傷害の点         刑法204条
科刑上一罪の処理      刑法54条1項前段,10条(1個の行為が2個の罪名に触
れる場合であるから,一罪として重いわいせつ目的略取未遂罪の刑で処断する。)  
未決勾留日数        刑法21条(原審における未決勾留日数中80日を刑に算入
する。)
執 行 猶 予       刑法25条1項(3年間)
訴訟費用の負担       刑訴法181条1項本文(原審分及び当審分について全部
被告人の負担とする。)
(量刑の理由)
 本件は,上記認定のとおりのわいせつ目的略取未遂,傷害の事案である。
 被告人は,帰宅途中の被害者を見かけて姦淫したいと考え,被害者を追尾して犯行に
及んでおり,その身勝手な動機に酌むべき事情はない。被害者の友人らが通りかかっ
た際にも,これを追い払い,執拗に被害者を自動車内にら致しようとしている。被害者
は,自宅のあるマンションの前でいきなり襲われて負傷したのであり,精神的・身体的苦
痛は小さくない。被害者は,その両親ともども被告人に対する厳重処罰を望んでいる。
 そうすると,本件の犯情はよくなく,被告人の刑事責任を軽くみることはできない。
 しかしながら,略取は未遂に終わっていること,傷害の程度も重いとまではいえないこ
と,原審の弁護人を通じて被害弁償の申し入れをしており,誠意を示そうとしているこ
と,被告人は23歳であり,前科はないこと,父親が被告人を自宅に引き取り,指導監督
すると申し出ていること,相当期間,身柄の拘束を受けて反省の機会を与えられている
ことなど被告人のために酌むべき事情も認められる。
 そこで,これらの事情を総合考慮して,主文のとおり刑を定め,今回は刑の執行を猶
予し,社会内で更生する機会を与えることとした。
 よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 久保眞人 裁判官 芦高 源 裁判官 島田 一)

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