弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     本件控訴を棄却する。
         理    由
 本件控訴の趣意は、弁護人藤原達雄作成の控訴趣意書及び「控訴趣意の一部訂正
及び補充書」と題する書面各記載のとおりであるから、これらを引用する。
 一 控訴趣意第一(事実誤認の主張)について
 論旨は、原判決は、被告人が普通乗用自動車を運転して、最高速度を時速三〇キ
ロメートルと指定された原判示道路を進行中、「道路左(西)側の警察官派出所に
注意を奪われ同派出所を脇見しながら時速約七〇キロメートルの高速度で進行した
過失」により、本件人身事故を惹起した旨の事実を認定しているが、1被告人は、
派出所に注意を奪われたこともなく、脇見も一瞬のものにすぎないばかりでなく、
2そもそも、本件派出所付近から被害者を発見することは不可能なのであるから、
右地点における脇見は、本件事故とは因果関係がないというべきであり、3しか
も、被告人車の当時の速度は、時速約六〇キロメートルにすぎなかつたのであるか
ら、原判決は、以上の三点において事実を誤認したものである、というのである。
 そこで、検討するのに、原判決は、「罪となるべき事実」第一として、被告人
が、昭和五九年二月一〇日午後七時二五分ころ、業務として普通乗用自動車を運転
し、大阪府南河内郡a町bc番地のd先付近の南北道路(中央線が設けられた最高
速度時速三〇キロメートルの道路)を北進するにあたり、「最高速度を遵守するは
もとより、絶えず前方左右を注視して進路の安全を確認しつつ進行すべき業務上の
注意義務」に違反し、「道路左(西側)の警察官派出所に注意を奪われ同派出所を
脇見しながら時速約七〇キロメートルの高速度で進行した過失」により、折から、
自車進路前方を東から西に向つて横断していたA(当時三九歳)を約一六・七メー
トルに迫つてようやく発見し、急制動の措置をとるとともに左に転把したが及ば
ず、自車右前部を同女に衝突させてはね飛ばし、その場において、同女を頸椎及び
頭蓋底骨折により死亡させたとの事実を認定しているのであり、これによれば、原
判決は、高速運転の点と並んで前方注視義務違反の点をも、事故の結果と因果関係
のある被告人の過失と認めていることが明らかである。
 ところで、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示事実中、被告人が、普通乗用
自動車を運転して、原判示道路を制限速度をはるかに超える高速で北進中、原判示
被害者が東から西に向つて進路前方を小走りに横断しているのを、約一六・七メー
トルに迫つてはじめて発見し、原判示の経緯によつて同女を死亡させたとの部分
は、きわめて明らかであり、また、右道路の幅員が約六・二メートルと狭く、右事
故現場付近には衝突現場の約五〇メートル手前の道路左側にある警察官派出所等の
ほかにはさしたる光源がないため、走行車両の運転者としては、歩行者の発見をほ
ぼ自車の前照燈の光のみに頼らざるをえない状況であつたのに、当時被告人は、前
照燈を下向きのままセンターラインをまたぐようにして、前記のような高速で進行
中であつたこと、被告人車の前照燈の照射距離は、上向きの場合には約八三・六メ
ートルあるが、下向きのときは約三三・五メートルにすぎないこと、被害者は、本
件道路を近所の主婦(B)と連れ立つて、被告人車の進路前方を右方から左方へ小
走りで斜めに横断しようとして、道路中央線のやや手前に達した際、被告人車に衝
突されたことなどの諸点も、証拠上容易にこれを認めることができる。所論も、本
件事故に関する右のような基本的事実関係自体はこれを前提として、被告人の前方
不注視の原因・継続時間(所論1)、その事故との因果関係(所論2)及び高速運
転の程度(所論3)を争うものと解される。
 そこで、まず、所論3について検討すると、被告人は、捜査段階においては、自
車の当時の速度が時速約七〇キロメートルであつたことを、ほぼ一貫して認めてお
り(所論指摘の被告人の自首調書の記載も、「時速六〇キロメートル以上」という
ものであつて、必ずしも、その後の供述調書の記載と矛盾するものではない。)、
右供述は、Bの事故の目撃状況に関する供述、現場に残されたスリツプ痕の状況、
被告人車が高速を出し易いように改造されたものであり、被告人自身も、スピード
を出しすぎる癖があることを認めていること、及び原審第一回公判期日における意
見陳述の際、被告人が速度の点をも含め公訴事実を全面的に認めていることなどに
照らし、優に措信することができる。所論援用の被告人の原審第二回及び第三回公
判における供述は、自車の速度を時速約五〇キロメートルとしたり同六〇キロメー
トルとしたりするもので、一貫性を欠き、前掲各証拠によつて裏付けられた被告人
の捜査段階の供述の証明力を揺るがすものではない。所論は、理由がない。
 次に、所論1について考えるのに、被告人が、当時高速運転中であつたため、道
路左側の警察官派出所内にいる警察官に見とがめられるのではないかと心配で、右
派出所の方に注意を奪われ、前方注視を欠いたことがあつたことは、被告人が捜査
段階において一貫して認めているところであり、また、被告人車の前照燈の照射距
離は下向きの場合でも約三三・五メートルあるのに、被告人が現実には被害者を約
一六・七メートルに迫るまでこれを発見することができなかつた点からみても、被
告人が、原認定のような理由により、本件事故の直前に若干の時間前方注視を欠い
て進行していたことがあつたことは、証拠上明らかであるといわなければならな
い。なお、所論は、被告人の脇見が一瞬のものであつたと主張するが、原判決は、
被告人の脇見の継続時間については何ら判示するところがないので、所論は、原判
決の認定しない事実を前提としてこれを論難するものであつて、まずこの点で失当
であるのみならず、被告人の脇見が、被告人の捜査官に対する各供述調書の記載に
あるように、二、三秒も継続したかどうかはさておき、所論のいうようなごく一瞬
のものではなく、少なくとも若干の時間継続したものと認められることは前記のと
おりであるから、右所論は、いずれにしても採用に由なきものである。
 最後に、所論2について考えるのに、本件において、被告人が、夜間、照明設備
のない本件道路を、前照燈を下向きにしたまま、時速約七〇キロメートルの高速
で、しかも前方注視義務を尽くさず進行し、自車前方を右方から左方に向かつて小
走りに斜め横断しようとした被害者を約一六・七メートル手前で発見して、急制動
するとともに左に転把したが間に合わず、自車を同女に衝突させて死亡させたこと
自体は、前記のとおり、証拠上きわめて明らかなところである。ところで、前記の
ような本件道路の明暗状況を前提にすると、本件事故現場付近を時速約七〇キロメ
ートルという高速で走行中の車内から、被告人が、自車の前照燈の照射距離の範囲
外の歩行者を発見することは、不可能もしくは著しく困難であつたと認められ(な
お、司法警察員作成の昭和五九年二月二七日付実況見分調書には、衝突地点に被害
者の着衣の色と同じベ―ジユ色のジヤンパーを着た警察官を立たせたところ、約六
六・六メートル離れた前照燈下向きの被告人車からこれを視認することができた旨
の記載があるが、右は、被告人車を停止させたうえで、前方の人物を視認すること
ができるかどうかを意識的に実験した結果を記載したものであつて、高速で走行中
の自動車の運転者にとつても、前照燈の照射距離の範囲外の人物を視認することが
困難でなかつたことを立証する証拠としては、必ずしも適切なものではない。)、
また、時速約七〇キロメートルの自動車の乾燥アスファルト道路における広義の制
動距離は、一般に四〇メートル前後とされていることなどからすると、本件におい
て、かりに被告人が事故直前に前方注視義務を十分尽くし、自車の前照燈の照射距
離(約三三・五メートル)内に被害者が入るや否や直ちにこれを発見して急制動の
措置をとつたとしても、被害者との衝突自体はこれを回避しえなかつたと考えられ
るのであり、この点を考慮すれば、本件事故と因果関係のある被告人の過失は、高
速運転の点のみであつて、前方注視義務違<要旨>反の点は、事故との因果関係を否
定されるべきであるとする所論の主張にも、一理ないとはいえない。しかし
ながら、関係証拠によれば、被告人は、被害者を約一六・七メートル前方に発見し
て直ちに急制動の措置をとつたが、現実に制動の効果が生ずるまでに被告人車は約
一五・七メートル進行し、ほとんどノーブレーキの状態で被害者と衝突したことが
明らかであるところ、もし、被告人が、前方約三三・五メートルの地点に被害者を
発見して直ちに急制動の措置をとつたとすれば、被告人車は、現実に制動のかかつ
た状態で約一七・八メートル進行したのちに被害者に衝突した筈であり、その間に
生ずべき急激な減速及びその結果としての大幅な衝撃緩和を考慮すると、被害の結
果は現実のそれより軽いものとなり、少なくとも、被害者の死(とくに事故現場に
おける即死)という最悪の事態を回避することができた蓋然性の存在は、これを否
定することができない。そして、右のように、前方注視を欠いた高速運転中に惹起
した歩行者との衝突事故につき、運転者が前方注視義務を尽くしていても衝突事故
自体はこれを回避することができなかつたと認められる場合であつても、運転者が
前方注視義務を尽くし歩行者をその発見可能地点で直ちに発見して急制動の措置を
とつていたとすれば、衝突の衝撃が大幅に緩和され被害の結果が現実のそれより軽
いものになる蓋然性があつたと考えられるときは、高速運転と前方注視義務違反の
点は、いずれも、生じた結果に対し因果関係を有する運転者の落度ある態度とし
て、刑法上の過失を構成するというべきである。所論は、結局、採用することがで
きない。
 以上のとおりであつて、原判決に所論の事実誤認があるとは認められず、論旨
は、理由がない。
 二 控訴趣意第二(量刑不当の主張)について
 論旨は、量刑不当を主張し、本件については刑の執行を猶予されたい、というの
である。
 所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検
討するのに、本件は、普通乗用自動車を運転中の被告人が、幅員が約六・二メート
ルと狭く、かつ、照明設備がなく暗い原判示道路の中央を、前照燈を下向きにした
まま、制限速度の二倍を超える時速約七〇キロメートルという高速で、しかも十分
な前方注視もしないで進行した過失により、進路前方を右方から左方へ小走りに斜
めに横断しようとした当時三九歳の家庭の主婦に自車を衝突させてはね飛ばし、同
所において同女を死亡させながら、被害者の救護及び事故の報告等法定の義務を尽
くすことなく逃走したという悪質・重大な轢逃げ事犯であり、いわゆる盲運転にも
等しい無謀な操縦により、妻として母として家庭の中心であつた被害者の貴重な一
命を一瞬のうちに失わせた被告人の刑責のきわめて重大であることは、多言を要し
ないところである。たしかに、所論も指摘するとおり、本件においては、被害者の
側にも、前方にガードレールがある暗い車道を斜めに小走りに横断しようとした点
で若干の落度があることを否定し難いが、それにしても、本件のような狭あいな道
路を、夜間、時速七〇キロメートルもの高速で道路中央線をまたいでばく進してく
る自動車があるということは、通常人にとつて予想外のことというべきであるから
(なお、Bの司法警察員及び検察官に対する各供述調書、Cの検察官に対する供述
調書各参照)、この点を捉えて被害者を強く責めるのは酷である。そのうえ、被告
人については、大幅な速度違反等により運転免許停止の行政処分を受けたことが二
回あること、自動車とパーソナル無線にこつて、日頃まじめに稼働せず、本件事故
を惹起したのちにおいてすら、夜遊びをくり返して、一向に生活態度を改めなかつ
たことなどのはなはだ芳しからざる情状の存することも、記録上明らかなところで
あつて、これらの諸点にも照らすと、さきに指摘した被害者側の落度の点のほか、
被告人がいまだ何らの前科を有しない二一歳の若者で、本件当時は成年にも達して
いなかつたこと、被告人が、事故の三〇分後に、実父に伴われて警察へ自首してい
ること、被害者の遺族との間では、保険会社を通じての交渉により、すでに示談が
成立していること、被告人も、現在においては相当程度反省の情を示していること
等所論指摘の情状を十分斟酌しても、本件が所論のように刑の執行猶予を相当とす
べき事案であるとは考えられず、救護等措置義務違反の罪につき自首減軽を施して
法律上禁錮刑の宣告を可能にしたうえ、被告人を禁錮一年の実刑に処した原判決の
量刑が、重きに失して不当であるとは認められない。論旨は、理由がない。
 よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり
判決する。
 (裁判長裁判官 松井薫 裁判官 村上保之助 裁判官 木谷明)

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