弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
一、原告の被告厚生大臣及び被告人事院に対する各訴えを却下する。
二、被告国は、原告に対し金百六拾弐万壱千八百円及びこれに対する昭和参拾八年
七月弐拾八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
三、訴訟費用中、原告と被告厚生大臣及び被告人事院との間に生じた分は原告の、
原告と被告国との間に生じた分は被告国の、各負担とする。
       事   実
第一、当事者双方の申立
一、原告ー「(一) 被告厚生大臣が昭和四〇年二月一五日付でなした亡Aに関す
る災害補償につき公務上の災害と認められない旨の処分を取消す。
(二) 被告人事院が右処分に対する原告の審査申立てにつき昭和四一年二月四日
付でなした申立棄却裁決を取消す。
(三) 被告国は原告に対し金一、六二一、八〇〇円及びこれに対する昭和三八年
七月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
(四) 訴訟費用は被告らの負担とする。」
との判決及び被告国に対する裁判につき仮執行の宣言を求める。
二、被告厚生大臣及び人事院-本案前の申立てとして、「原告の訴えを却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、本案につき、「原告の請求を棄
却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。
三、被告国-「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
を求める。
第二、原告の主張
甲、被告厚生大臣及び被告人事院(以下単に大臣及び人事院ともいう。)に対する
主張
一、国家公務員についての災害の発生
 Aは昭和三三年四月から国家公務員たる厚生技官として国立京都病院(以下病院
という。)整形外科に勤務し医療業務等に従事していたものであるが、昭和三八年
七月二七日午後一一時三〇分滋賀県近江八幡市において死亡した。
二、大臣の処分と人事院の判定
(一) 大臣の処分
1 大臣は国家公務員災害補償法(以下補償法という。)にいう公務上の災害補償
の実施機関たる厚生省の長として、昭和四〇年二月一五日付をもつてAの配偶者で
ある原告に対し、「Aの死亡は公務上とは認められない。」旨の処分を行ない当時
原告にその旨通知した。
2 その理由は、「Aの死亡前日及び当日の業務が身体的に著しい負担となつたと
は考え難いこと、剖検により当該素因の存在が認められることから判断すると、A
の業務と疾病との間に相当因果関係があつたとは明確には認められないこと」にあ
る。
(二) 人事院の判定
1 原告は右処分に対し人事院に審査を申立てたところ人事院は昭和四一年二月四
日付判定で右申立てを棄却し、右判定は同月一二日原告に到達した。
2 その理由は、「Aの死亡前約一週間前からの業務遂行状況を検討すると、医学
的に本件災害の主たる原因を明確に指摘することは甚だ困難であるが、この業務に
よる精神的肉体的負担が本件災害の主たる原因となる程強大であつたとは認められ
ないうえ、業務遂行の過程において本件災害が業務に起因すると認めるに足りるな
んらの事実も認められないから、本件災害は公務上のものと認定することはできな
い。」というにある。
三、処分及び判定の違法事由
1 大臣の右処分及び人事院の右判定はいずれもAの死亡が公務上のものであるに
もかゝわらず、これを否定した点において、違法であるから取消しを免れない。
2 大臣の処分理由と人事院の判定理由とは前記のように素因の存否、原因考察の
対象となつた業務の時間的範囲等において相違するので原告は人事院判定の取消請
求に当り行政事件訴訟法一〇条の制限を受けない。
3 大臣及び人事院の右各処分の違法事由の詳細は、原告の被告国に対する主張事
実二記載と同一であるからこゝにこれを引用する。
四、大臣及び人事院の本案前の主張に対する反論
 大臣の右処分及び人事院の右判定は災害補償の拒否処分であつて行政行為に該当
し、その救済手段として抗告訴訟を提起できるものである。大臣及び人事院主張の
労働基準法八五条の災害補償に関する審査は勧告的性質を有するにとどまり、本件
処分とは全く性質を異にする。
 補償法八条は実施機関が補償を受けるべき者に対してその旨をすみやかに通知す
べきことを規定したにとどまり、公務上の災害でないと認定した場合の通知義務を
免除したものではない。このことは公務上の災害の認定につき異議ある者は人事院
に審査の申立てができるとする同法二四条に徴しても明白である。また右各処分に
つき不服申立期間の定めはないが、民事訴訟法上の抗告もこれと同様であり、また
災害補償請求権の消滅時効が二年で完成することにより、不服申立期間は事実上制
約されている。従つて不服申立期間の定めがないことをもつて右各処分が行政処分
でないことの根拠とはなし得ない。
乙、被告国(以下単に国という)に対する主張
一、国家公務員についての災害の発生
 Aは昭和三三年四月から国家公務員たる厚生技官として国立京都病院整形外科に
勤務し医療業務に従事していたものであるが、昭和三八年七月二七日午後一一時三
〇分滋賀県近江八幡市において死亡した。
二、業務起因性
 Aの死亡はその従事した医療業務という公務に起因するものであつて公務上の災
害である。以下その理由を詳述する。
(一) 病院整形外科の人的構成
 Aの勤務する病院の整形外科の医長はBであり、同人は大阪医科大学教授を兼ね
ているため、病院には週二日(月曜日及び木曜日)勤務するにとどまつた。その常
勤医員はAのほかC及びD医師であつたが、Cは昭和三八年二月一六日退職し、E
医師が同年四月一日後任として任命され、Dは同年四月末日退職し、F医師が同年
六月一日後任として任命された。この後任二医師は京都大学大学院及び附属病院か
ら着任したものである。
(二) 整形外科医師の勤務割
 病院整形外科医師の昭和三八年七月当時における一週間の勤務割は別表第一のと
おりである。これによればB以外の三名の医師は入院患者を受け持ち毎日一回回診
し、週二回外来患者を単独又はBと共同で診察し、レントゲン及び諸検査を実施
し、Bを交えて互に分担協力して手術を行ない、週一回患者にギプスを施し、Bの
外来患者診療に立会うのである。
(三) Aの死亡前一年間における整形外科の業務状況
 昭和三七年八月から昭和三八年七月まで整形外科の月別一日平均の外来患者数は
別表第二、月別手術件数は同第三、月別ギプス件数は同第四、月別一日平均入院患
者数は同第五のとおりである。
 このうち手術についてみると、右期間内に整形外科の全医師が担当した手術の件
数を執刀医別、診療報酬点数別(診療報酬点数四九九点以下、五〇〇点から九九九
点まで、一〇〇〇点以上にわけることをいう。)、各月別に分類し、その各合計及
び各月別医師一人当り平均件数を示せば、別表第六のとおりであり、そのうち昭和
三八年六月、七月の点数及び手術所要時間の合計を執刀医別各月別に示し、かつそ
の平均値を掲げれば、別表第七のとおりである。
 右は執刀医別の分類であるが、Aは執刀医の補助医としても手術に従事している
ので、昭和三七年八月から昭和三八年七月までの補助医としての手術件数を点数別
に各月毎に集計すれば別表第八のとおりである。そこで整形外科の医師全員が昭和
三八年一月から七月までの間執刀医及び補助医として従事した手術全部につき執刀
医別、補助医別に各月の手術の診療報酬点数、手術所要時間の各合計を示せば別表
第九の(一)のとおりである。
(四) 死亡前一年間におけるAの業務遂行及び疲労の状況
1 (人的関係及び業務一般)(1)Aは優れた学識と卓越した技術とをもつて診
療に従事し、温厚な資性と厳正な態度は患者、同僚に範とされ、ことに医長Bが兼
務者で非常勤のため、副医長格たるAは責任感強く積極性ある資性と相まつて、前
記諸表により明らかなように極度に多忙な病院の外来患者診断、入院患者診断及び
施療、レントゲン透視、諸検査、ギプス、手術、当直日直、インターン生の指導等
の業務及び週一回肢体不自由児を収容する京都市立呉竹養護学校の校医として児童
の診断を担当し、週一回国立京都病院看護学院に出講していた。
(2) D医師が開業に伴う退職を予定していたため昭和三八年一月頃から欠勤が
ちであつたこと、D、C両医師の退職から後任者の補充までの間に空白を生じたこ
とにより、整形外科の業務はAにしわよせされたのみならず、後任者のE、F
両医師は臨床経験不足のためその担当の手術等はすべて先輩の共同又は立会指導を
要するにもかゝわらず、Bは非常勤である関係上指導できずAがこれにあたるのや
むなきに立ちいたつた。かようにAは副医長格として整形外科の運営に重い責任を
負わされていたのである。
2 (外来患者)その数は月曜日において他の曜日より圧倒的に多く、別表第一に
明らかなように月曜日は新患者をBが、再来患者をAが担当して診察していたの
で、他の医師に比較して週間を通じAの担当する外来患者数が多かつた。
3 (手術)これについてみれば、整形外科においては執刀医、補助医とも同程度
の労力を要するところ、Bは執刀医として手術に関与するにとどまり補助医となる
ことはないが、Aは両者をとり行なうのである。従つて手術に関して疲労の程度を
みるには執刀医並びに補助医としての手術の点数等を合計して考察しなければなら
ない。しからば別表第九の(一)によつても明らかなとおり昭和三八年一月から七
月までのBの点数合計は九〇、〇〇〇点、Aのそれは八五、〇三一点であつて大差
ないが、他の医師はこれに比しきわめて少い。手術所要時間をみると、Bは三〇有
余年の経験を有する熟練者であるためか七、三七三分、Aは八、九〇六分である。
もとより他の医師のそれはこれより少い。そしてこれらの手術はBが出勤する月曜
日と木曜日とに実施されるのである。
4 (研究)国立病院の医師は治療のほか医学の進歩発展にかんがみ絶えざる研究
を要し、Aは研究心旺盛な資性と相まち昭和三八年一月頃迄「がん」に関して「ウ
オーカーの肉腫移しよく」を研究し当時一応の成果を得、同年六月頃から帰宅後学
会(同年一〇月長崎市で開催予定)で発表すべきテーマにつき研究に従事してい
た。
5 (休養)かように多忙な勤務のため、Aは、昭和三七年中に有給休暇二日をと
つたのみで昭和三八年中は休暇をとらないのみならず、同年一月一日(元旦)、三
月二一日(春分の日)、三月三一日(日曜)、六月九日(日曜)を病院宿直として
勤務し、七月七日(日曜)午前九時から午後六時三〇分まで京都肢体不自由児協会
実施のキヤンプ参加希望者六六名に対する身体検査に従事する等休日の休養をも充
分とれなかつた。
6 (死亡直前の勤務状況)(1)Aはかゝる苛酷な勤務による疲労を充分回復す
ることなく、これを蓄積したまゝ昭和三八年七月の酷暑を迎えたのである。
(2) Aが同年六月及び七月に従事した超過勤務時間数及びその勤務内容は別表
第一〇のとおりである。さらにAが同年七月一五日から同月二六日まで従事した業
務及び同月二二日から同月二六日までの自宅出発並びに帰宅時刻と同月二七日の自
宅出発時刻は別表第一一のとおりである。なお、Aは通勤に自家用車を運転し所要
時間二、三〇分、途中寄道をしない。
(3) かような苛酷な勤務にもかゝわらず、Aは旺盛な責任感と積極性とをもつ
てこれを遂行したので、死亡直前には精神的肉体的に疲労の極に達し疲労を訴えて
いた。
(4) 京都肢体不自由児協会、京都YMCA肢体不自由児療育キヤンプ合同委員
会は昭和三八年七月二七日から同月三〇日まで滋賀県近江八幡市で第九回肢体不自
由児療育キヤンプを開催したが、Aは病院長Gから右キヤンプに療育指導のため出
張を命ぜられ、同月二七日午前九時三〇分同地に向け京都を出発、同日は炎天下等
で肢体不自由児の療育指導に従事し、就寝した。
(五) 死亡時の状況
 Aは就寝直後の同日午後一一時三〇分死亡した。
 死体検案によると、死体には外傷、苦もん状態がなく、瞳孔散大、呼吸循環系及
び反射系の完全停止がみられ、吐物はなく、大小便をもらさず、心臓まひと認めら
れるというにあつた。
(六) 健康状態
 Aは、昭和三八年五月現在身長一七三センチメートル、体重六二キログラムであ
る。
 死亡後の解剖所見によれば、急性心臓死に伴なう各種の変化を除いては、内臓器
官のうち通常人よりやゝ肥大しているものがあり、左冠状動脈始部から末●側二セ
ンチメートルにわたつてアテローム斑により極めて強く動脈腔が狭窄されている
が、心筋には変化を認めることができず、その他とくに異常はないとされている。
 Aは既往症として昭和二一年頃左化膿症股関節炎を患つたが、その後全治し勤務
には差支えない。
 Aの酒量はつきあいの際に飲む程度であり、たばこは一日二〇本前後であつて麻
薬、アルコール中毒にかゝつていない。もとより結核、消化器病、伝染病、精神病
等の症状はない。
 Aの親族のうち母と兄とは健在、父は二〇数年前自動車事故による既往症からし
ようこう熱にかゝり、腎臓炎を併発し尿毒症で死亡している。
(七) 死因
 巷間ポツクリ病と称するものは、三〇才台の健康体男子が精神的肉体的なはげし
い疲労ののち夜中に突然死亡し、その解剖所見によつても医学的に死因を解明でき
ない場合をいうのであるが、Aはまさにポツクリ病により死亡したというの外はな
い。そして、その原因として考えられるはげしい疲労はすべて前述のとおり長期間
にわたる病院における苛酷な公務に起因するのである。この際Aの勤務状態を観察
するのに死亡前数日間に局限すべきでない。従つてAの公務と死亡との間には相当
因果関係ありと断ずべきであつて、同人は補償法にいう公務上死亡したものに外な
らない。
三、補償請求権
(一) 以上の事実によればAの死亡により当然補償法の定めに従い補償請求権が
発生すべき筋合である。
(二) 昭和四一年法律六七号附則一条、二条によれば、同年七月一日において同
法による改正前の補償法に基づく遺族補償中まだ支給していないものについては改
正前の補償法によるところ、改正前の補償法一五条、一六条一項一号によれば、公
務上死亡した国家公務員の配偶者は平均給与額の一、〇〇〇日分の遺族補償を受給
でき、また同法一八条によれば葬祭を行なつた者は平均給与額の六〇日分の葬祭補
償を受給できるのである。
(三) Aの補償法四条にいう平均給与額は一、五三〇円である。
(四) 原告はAの死亡当時の配偶者であつて同人の死亡により葬祭を行なつた。
(五) よつて、原告はAの死亡により国に対し右遺族補償として平均給与額の
一、〇〇〇日分に相当する一、五三〇、〇〇〇円、葬祭補償として平均給与額の六
〇日分に相当する九一、八〇〇円の支給を求める権利を取得したので、こゝに国に
対し右合計額一、六二一、八〇〇円及びこれに対する履行期であるAの死亡の日の
翌日即ち昭和三八年七月二八日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払
を求める。
 なお、原告は昭和三八年一〇月頃京都国立病院長を代理人として国に対し右補償
の支払を請求した。
第三、被告らの主張
一、大臣及び人事院の本案前の主張
 国家公務員は、国家公務員法及び補償法所定の災害補償請求権の発生要件に該当
する事実が生ずれば、災害補償実施機関の公務上の災害なる旨の認定等、行政庁の
措置をまたず、法律上当然に同法所定の内容の災害補償請求権を取得するのであ
る。実施機関の行なう公務上の災害であるとの認定及びこれについての不服申立て
に対する人事院の判定は、いずれも行政庁の見解を明示することにより災害補償を
簡易迅速に行うための措置にすぎず、災害補償請求権の存否に何ら法律上の影響を
及ぼさない。補償法八条が公務上の災害と認定した場合にのみ災害補償請求権者に
通知すべき旨を規定しながら公務上の災害と認定しなかつた場合にも通知する旨の
規定をおかず、かつ実施機関のなす公務上の災害の認定に対する不服申立てにつき
申立期間を定めなかつたことは右結論を裏付けるものである。労働基準法八五条に
よる災害補償に関する行政官庁の審査の結果は抗告訴訟の対象たるべき行政処分に
あたらない(最高裁判所昭和三一年一〇月三〇日判決民集一〇巻一〇号一三二四頁
参照)が、国家公務員の災害補償についても同様に解すべきである。
 補償法は公務上の災害と認められる場合にのみ通知すべきものと定めている。本
件通知はこれとは逆に公務上の災害と認められないとの趣旨であるから補償法の規
定による措置ではなく、いわんや行政処分とはいえない。
 従つて大臣の右措置及び人事院の右判定は抗告訴訟の対象たる行政庁の処分では
ないから、その取消しを求める原告の訴えは不適法として却下さるべきである。
二、大臣の本案についての主張
 原告主張第二甲一は認める。同二(一)1及び同二(二)1は認める。同三1は
争う。三3に対する認否は第三、四(国の主張)(二)と同一であるからこゝにこ
れを引用する。
 結局Aの死亡は公務上とは認められないからその趣旨に出た大臣の措置には何ら
違法な点はない。
三、人事院の本案についての主張
 原告が人事院の判定の取消理由として主張するところは大臣の措置の取消理由と
同一であつて判定固有の違法ではないから、原告の人事院に対する主張は行政事件
訴訟法一〇条二項に違反し、それ自体理由がない。
 原告の主張に対する人事院のその余の主張は大臣のそれと同一であるからこゝに
これを引用する。
四、国の主張
(一) 第二(原告の主張)乙一は認める。
(二) 同二冒頭は争う。
 同二(一)は認める。
 同二(二)は認める。入院患者の担当は三医師とも均等である。従つてこの点に
ついてのAの負担が他の医師より重いとはいえない。
 同二(三)は、別表第九の(一)の各欄記載部分中同第九の(二)の記載と牴触
するものを除き、その余のすべてを認める。整形外科の医師全員が昭和三八年一月
から七月までの間執刀医及び補助医として従事した手術全部の各月ごとの執刀医
別、補助医別、診療報酬点数、手術所要時間の各合計は別表第九の(二)(ただ
し、Eの昭和三八年五月の補助医としての点数は五、四一九点、C・Eの補助医と
しての点数合計は五七、四三二点、その執刀医、補助医としての点数総計は七九、
五六三点)のとおりである。
 同二(四)1(1)中Bが兼務者で非常勤であつたこと、Aが外来患者診断、入
院患者診断施療、レントゲン透視、諸検査、ギプス、手術、当直日直、呉竹養護学
校で週一回検診及び看護学院出講の各業務に従事したことは認め、その余の事実は
争う。看護学院出講は昭和三五年九月から昭和三八年三月までである。
 同二(四)1(2)中D、C両医師の退職から後任補充までの間辞令面で空白が
あつたことは認め、その余の事実は争う。
 同二(四)2中BとAとが月曜日に外来患者の診療を担当したことは認める。さ
りとてAが他の医師よりも過重な負担を強いられたことはない。
 同三(四)3中、手術が月曜日と木曜日とに実施されることは認める。手術につ
き疲労の程度をみるには執刀医及び補助医としての点数及び所要時間等を考察すべ
きであること及びAの合計点数、B及びAの合計手術所要時間は争う。Aの右合計
点数は八五、二九六点、B及びAの合計手術所要時間はそれぞれ七、五二八分、
八、九四一分である。
 手術の疲労度をみるには執刀医としてこれに参加した場合をとりあげて考察すれ
ば足りる。そこで昭和三七年八月から昭和三八年七月までの一年間にAを含む整形
外科の医師が実施した手術を執刀医別、点数別、各月別に分類したもの即ち別表第
六を検討する。なお、この表において、当該手術の点数により四九九点以下、五〇
〇点から九九九点まで、一、〇〇〇点以上と手術を三分類した理由は、それが正確
とはいえないまでもある程度手術の難易を示しているからである。
 別表第六によれば、Aの手術件数は各月とも大体医師一人当りの平均件数を上廻
り、一年間の総件数においても医師一人当りの平均数より多いが、Bのそれとは大
差ない。しかし、点数にもとづきその内容を検討すれば、Aの手術総件数のうち六
四件(五一・八二パーセント)は比較的容易な四九九点以下の手術であつて、一、
〇〇〇点以上の件数は僅か二二件(一七・八一パーセント)にすぎず、難易の件数
においてBと全く逆である。別表第六により計算すれば、四九九点以下の手術につ
き医師一名当りの右一年間における平均件数は四四・五件(一名当り平均手術総件
数の四五・七三パーセント)、一、〇〇〇点以上の手術につき同様二六・二五件
(同上二六・九九パーセント)であることと比較すれば、Aの件数は四九九点以下
の手術につき右平均件数よりも一九・五件(六・〇六パーセント)多く、一、〇〇
〇点以上の手術につきこれよりも四・二五件(九・一八パーセント)少なくなつて
いる。
 さらに別表第七即ち昭和三八年六、七月分の手術の点数及び所要時間を執刀医別
に区分したものを検討すれば、Bの執刀した手術が点数においても所要時間におい
ても半数以上を占めるが、AはFと大差なく、点数においてはFより少ない。
 従つてAの執刀した手術の件数は平均より多かつたが、内容をも併せ検討すれ
ば、結局平均以上のものとはいえず、Aが他の医師に比較してとくに過重な負担を
強いられたものではない。
 同二(四)4は争う。
 同二(四)5中Aが昭和三八年七月七日原告主張の身体検査に従事したこと、休
日の休養も充分にとらなかつたことは争い、その余の事実は認める。
 同二(四)6(1)は争う。
 同二(四)6(2)中Aの超過勤務時間数及びその内容が別表第一〇のとおりで
あることは認める。Aの昭和三八年七月一五日から同月二六日までの業務等につい
ての別表第一一記載事実に対する認否は同表中に記載してあるとおりである。
 同二(四)6(3)は争う。
 別紙第一一に示されたAの病院における勤務は患者の診療状況、手術の内容から
してある程度の疲労をもたらすと推測される勤務がなかつたとはいえないにして
も、それらの疲労はその余の日とくに日曜日において充分回復できるものである。
従つてAの死亡の主たる原因が公務上の疲労にあるとはいえない。
同二(四)6(4)は認める。
 肢体不自由児療育キヤンプにおけるAの勤務状況は次のとおりである。
 Aは同年七月二七日午前九時三〇分肢体不自由児ら一行約一〇〇名とともに観光
バス二台に分乗して京都市を出発し、同日午前一一時三〇分頃キヤンプ場に到着、
昼食、休憩ののち午後三時から一五分づつの二回の休憩をはさんで、一五分づつ三
回児童らとともに琵琶湖内の指定水泳場に入り他の指導員約五〇名とともに約六〇
名の児童の水泳を監視、補助するなどの療育指導にあたつた。
 Aは夕食後午後七時三〇分から午後九時までボンフアイアーに参加し、児童らと
歌をうたうなどした後午後一〇時からリーダー会議に出席し、療育面についていく
つかの質問に答えたり、説明を行ない、会議終了後午後一一時すぎ就寝のため宿泊
所である医務室におもむいた。この間外耳炎、眼病等の児童四名の治療を行なつて
いる。
 なお、Aは、当日京都市からキヤンプ場到着まで、およびそれ以後就寝時まで身
体の異常を訴えることもなく、外見上も正常であり、元気であつた。また、当日は
指導員はもちろん参加した肢体不自由児で暑熱のため身体の不調を訴えた者は、皆
無であつた。因みに、彦根気象台の記録によれば、Aの死亡した場所である近江八
幡市<以下略>における当日の気温は、最高三三・五度、最低二三度、平均二八・
三度であり、水温は二九度程度と推定される。
 同二(五)は認める。
 同二(六)のうち解剖所見によれば心筋に変化を認めることができないことを除
きその余の事実を認める。
 同二(七)のうちAがはげしく疲労したこと、公務と死亡との間に因果関係があ
ることは争う。
 以上要するに、Aには、解剖所見によつても、左冠状動脈の動脈腔が一部狭窄し
ているほかは特段の異常はなく、したがつて医学的に死亡の主たる原因を明確にす
ることは困難であるが、死亡当日およびそれ以前の業務による精神的肉体的負担が
他の医師より重く、死亡の主たる原因となるほど強大であつたとはいゝえず、業務
遂行の過程においても、死亡が公務に起因すると認めるに足るなんらの事実も存し
ないのであるから、本件死亡を公務上のものと認定することはできない。
 同三(一)は争う。同三(三)は認める。同三(四)中原告がAの死亡当時の配
偶者であることは認める。同三(五)は争う。
第四、証拠(省略)
       理   由
第一 被告厚生大臣に対する請求
一 請求原因の要旨
 原告の夫Aは国家公務員たる厚生技官として国立京都病院整形外科に勤務中昭和
三八年七月二七日午後一一時三〇分滋賀県近江八幡市において公務上死亡したもの
である。厚生大臣は国家公務員災害補償法にいう公務上の災害補償の実施機関たる
厚生省の長として昭和四〇年二月一五日付をもつて原告に対し、「Aの死亡は公務
上とは認められない。」旨の処分(以下右措置ともいう)をした(以上の事実は、
Aの死亡が公務上のものであるとの点を除き、当事者間に争いがない。以下争いが
ないと略称する。)。しかし、右処分は、Aの死亡が公務上であるにもかゝわら
ず、これを否定した点で違法であるから取消を免れない。
二 大臣の右措置は行政事件訴訟法三条二項にいう行政処分に該当するか
 補償金、保険給付、退職手当のような国に対する金銭債権の発生またはその行使
に当り、法定の要件の充足のほか行政庁の確認行為を要するか否か、またそのため
に権利者に対しいかなる手続上の権利を与えるかは、立法政策の問題であつて各実
定法規を離れ抽象的一般的にこれを論ずることはできない。
(一) 実体的考察
 まず大臣の右措置が災害補償請求権の発生、行使等に及ぼす影響について考察す
る。
 補償法及び人事院規則一六-〇職員の災害補償(以下規則という)をみると、実
施機関は災害が公務上のものであると認めた場合に、補償を受けるべきものに対し
て補償法により権利を有する旨を通知しなければならない(補償法八条、規則九
条)と規定されているにとどまり、災害が公務上のものであると認めなかつた場合
に通知すべき旨の規定を欠き、しかも、恩給法一二条のように「恩給ヲ受クルノ権
利ハ総理府恩給局長之ヲ裁定ス」とか、国家公務員共済組合法四一条のように「給
付を受ける権利は、その権利を有する者の請求に基いて、組合が決定する。」とか
いうように、行政庁等の裁定等をまつて給付を請求できる趣旨の明文、ならびに労
働災害補償保険法三八条、地方公務員災害補償法五六条等のように保険給付または
補償に関する処分に対し取消訴訟の提起を許す趣旨の規定は見当らない。
 なお、その請求のために行政庁の確認行為を要するとか、これに関する処分に対
し取消訴訟の提起を要する旨の規定を欠くものとして国家公務員等退職手当法や労
働基準法の災害補償に関する規定(八章および八条一六号)がある。
 してみると、補償法の規定は、形式上国家公務員等退職手当法および労働基準法
と同様であり、実質上、災害補償の一般法である労働基準法(八章および八条一六
号)に対し特別法の地位を占めるものであるから、同法の災害補償請求の場合と同
じように、国家公務員の災害補償請求のためには補償法所定の災害の発生および権
利者の存在等の要件を充足すれば足り、さらに実施機関の公務上である旨の認定を
要するものではないと解すべきである。
 そうであるとすれば、公務上の災害により補償法に基づき権利を有する旨の実施
機関の通知はもとより、公務上の災害ではないという通知もまた、実施機関の見解
を表明することにより、災害補償問題を事実上簡易迅速に解決するための措置にす
ぎず、補償請求権の発生はもとよりその行使についても法律上なんらの消長を及ぼ
すものではないというべきである(最高裁判所昭和三一年一〇月三〇日判決・民集
一〇巻一〇号一三二四頁参照)。
 したがつて、厚生大臣の右措置は、それが原告の補償請求権になんら法律上の影
響を及ぼすものではないという意味においては、その処分性を否定せざるをえな
い。
(二) 手続的考察
 しかしながら、仮に災害が公務上のものであるか否かの認定を実施機関に求める
申立権が、法律上関係当事者に与えられ、実施機関がこれに対し応答すべき手続上
の義務を負うと解されるとすれば、関係当事者は少なくとも適法な手続によつて認
定を受けるべきことを要求しうる手続上の権利を保障されているものというべきで
あるから、実施機関が違法にも申立てを不適法として却下したとき、又は申立てに
対し実体的審理の結果これを棄却した場合もその審理手続上に違法が存するとき
は、関係当事者の有する右適法手続によつて認定を受けるべきことを要求し得る権
利が侵害されたことになる。このことは認定が前記のように補償請求権の発生行使
に法律上の影響を及ぼすと否とにかかわりない。したがつて、実施機関の右認定は
右のような意味において行政事件訴訟法三条二項にいう行政庁の処分に該当するも
のというべく、関係当事者は右の手続上の権利侵害を理由に取消の利益ある限り取
消訴訟を提起できると解すべきである(最高裁判所昭和三六年三月二八日判決・民
集一五巻三号五九五頁参照)。
 ところで規則八条、九条によれば、実施機関は公務に基づくと認められる死傷病
につきその指定する職員をして報告させなければならず、この報告を受けたとき
は、その災害が公務上のものであるかどうかの認定を行ない、公務上のものである
と認定したときは、すみやかに補償法八条の規定による通知をすべき旨、規定され
ている。しかし、補償法および規則は、公務上のものであるかどうかについての実
施機関の認定の手続上の端緒につき、これ以外に何らの規定をおかず、いわんや関
係当事者に対し実施機関に災害が公務上のものであるとの認定を求める申立権を与
えたと解されるような規定を欠く。
 しかも補償法は災害が公務上のものであると認めた場合に、実施機関が権利者に
通知すべき旨を規定するが(八条)、公務上のものであると認めなかつた場合にそ
の旨を通知すべき旨の規定を欠いている。このことも法が関係当事者に申立権を認
めることに対し消極的態度をとつていることを示すものである。
 以上のような法の規定をみれば実施機関の右認定を求める前記のような手続上の
権利が関係当事者に対し与えられているとは到底いうことができない。
(三) 結論
 以上説示したように大臣の右措置は実体的にも手続的にも行政事件訴訟法三条二
項にいう行政庁の処分その他公権力の行使に当る行為に該当するとはいえない。
 なお付言すると、現行の補償法二四条は、「実施機関の行う公務上の災害の認定
……について不服がある者は、人事院規則に定める手続に従い、人事院に対し、審
査を申し立てることができる。」旨規定するが、右規定には元来「審査を請求する
ことができる」旨の文言が使用されていたところ、行政不服審査法の施行に伴い昭
和三七年法律第一六一号をもつて現行のような文言に改められたのであつて、この
ことに徴すれば、法は人事院の右手続をもつて行政不服審査法にいう行政不服審査
ではなく、従つて実施機関の行なう右認定もまた行政不服審査の対象となるべき行
政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為(同法一条、二条参照)に該当しない
との建前をとつているとみられる。
 よつてその取消しを求める本訴は不適法として却下を免れず、原告と大臣との間
に生じた訴訟費用は民事訴訟法八九条により原告に負担させることとする。
第二 被告人事院に対する請求
一 請求原因の要旨
 厚生大臣が補償法にいう実施機関たる厚生省の長として昭和四〇年二月一五日付
をもつて原告に対し、「Aの死亡は公務上とは認められない。」旨の処分をしたの
で、Aの妻であり、補償請求権を有する原告は右処分に対して人事院に審査を申立
てたところ、人事院は昭和四一年二月四日付で厚生大臣の右処分と同様の理由によ
り右申立てを棄却する旨の判定をした(以上の事実は、原告が補償請求権を有する
との点を除いて、争いがない。)。しかし、右判定は、Aの死亡が公務上のもので
あるのにこれを否定した点で違法であるから、取消を免れない。
二 人事院の右判定は行政事件訴訟法三条二項にいう行政処分に該当するか
(一) 実体的考察
 補償法二四条に定める人事院の手続が行政不服審査ではないことは前述のとおり
である。補償法の実施に関し、人事院が同法二条、三条に定める権限とくに三条四
項所定の、「実施機関が補償実施の責務を怠り、又は補償法、人事院規則及び人事
院指令に違反して補償の実施を行なつた場合には、人事院はその是正のため必要な
指示を行なうことができる。」との権限を有するのに照応して、補償法二四条は、
人事院が関係当事者の申立てによる判定にもとづき違法不当な実施機関の措置を是
正する途を開いたものである。
 従つて人事院の判定手続は、補償法を完全に実施する責を有する人事院が、申立
てにもとづき具体的案件についてその見解を表明し必要な指令を発することにより
災害補償を簡易迅速かつ統一的に実施するための行政上の措置であつて、補償請求
権の発生、行使に対しては実施機関の措置と同様法律上何らの消長を及ぼすもので
はない。
(二) 手続的考察
 しかしながら、補償法二四条は、関係当事者に対して実施機関の行なう公務上の
災害の認定等について審査を申し立てることができる旨規定し、もつて審査申立権
を与えた。従つて第一の二(二)に説明したように、もし審査申立てがなされたの
に人事院が違法にも右申立てを不適法として却下したとき、又は申立てに対し実体
的審理の結果これを棄却した場合に「災害補償についての審査の申立て」(人事院
規則一三-三)に違反して審理する等の手続的違法が存するときは、関係当事者の
有する適法手続により判定を受けるべきことを要求しうる権利が侵害されたという
べきである。したがつて、人事院の判定はこの限りにおいて行政事件訴訟法三条二
項にいう処分に該当するものというべく、関係当事者は右の手続上の権利侵害を理
由に取消の利益ある限り取消訴訟を提起できると解すべきである。
 ところで、厚生大臣から「Aの死亡は公務上のものとは認められない」旨の措置
を受けたにすぎない原告が補償法二四条に基づき人事院に対する審査申立権を有す
るか否かは問題の存するところであるが、右の点をいずれに解するにせよ、原告は
右申立権があるものとして人事院に対し大臣の右措置につき審査の申立てをし、人
事院もこれを受けて同条に基づき審査を遂げたうえ右申立てを棄却する旨の本件判
定をしたというのであるから、右判定は前述したような意味において行政事件訴訟
法三条二項にいう行政庁の処分に当たるものというべきである。
(三) 結論
 したがつて、人事院の本件判定は、前述のような意味において、実体的には行政
事件訴訟法三条二項にいう行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為に該当し
ないが、手続的には行政庁の処分に該当するものということができる。
三 原告は人事院の本件判定の取消しを求める法律上の利益を有するか
 原告は、本件訴訟において、人事院の右判定取消しと合わせて国に対し災害補償
の給付を求めている。そして、この災害補償給付訴訟においては、災害補償請求権
の存否等について既判力ある終局的な解決を得ることが可能である。これに対し、
右人事院判定取消訴訟においては、たとえ右判定に手続的違法ありとしてこれを取
消しても、原告は再度人事院の適法手続による判定を求めうるにとどまり、しか
も、右判定たるや必ずしも原告の申立てを認容するものとは限らず、右申立てを却
下または棄却する場合もあるのみならず、そのいずれの場合にも人事院の判定は前
示のとおり災害補償請求権の発生、行使に法律上なんらの消長を及ぼすものでない
からその存否等につき終局的な解決を与えるものではない。そうとすれば、原告
は、補償法二四条の手続に則つて審査を申立てた者として、本来本件人事院の判定
の取消しを求めるつき原告適格を有しているのであるが、少なくとも本件のように
災害補償請求権の存否等につき既判力による終局的な解決が可能な給付訴訟をすで
に併合提起した場合には、人事院判定の取消しを求める利益を欠くに至つたものと
いうべきである。
四 結論
 以上説示のとおりであるから、人事院の本件判定は手続的には行政事件訴訟法三
条二項にいう処分に該当するものということができるが、原告はこれを取り消すに
つき法律上の利益を欠くから、いずれにしてもその取消しを求める本件訴えは却下
を免れず、原告と人事院との間に生じた訴訟費用は民事訴訟法八九条により原告に
負担させることとする。
第三 国に対する請求
一 国家公務員についての災害の発生
 Aが昭和三三年四月から国家公務員である厚生技官として、国立京都病院整形外
科に勤務し医療業務等に従事していたこと、Aが昭和三八年七月二七日午後一一時
三〇分滋賀県近江八幡市で死亡したことは争いがない。
二 公務起因性
 原告はAの死亡がその長期間にわたる公務上の過労に起因するいわゆるポツクリ
病によるものであると主張するので、以下その過労の程度に関連し病院におけるA
を含む医師の勤務状況、疲労の状況、Aの死亡時の状況等につき検討し、その死亡
が公務に起因するか否かを判断する。
(一) 病院整形外科の人的構成
 右病院整形外科の昭和三七年八月現在における医師の陣容が、医長B、医員A、
C、Dであつたことは、成立に争いのない甲第二四号証によつて認められる。Bが
大阪医科大学教授を兼ねているため病院には週二日月曜日と木曜日に出勤するにと
どまつたこと、その他の三名は常勤であつたが、Cが昭和三八年二月一六日退職
し、E医師が同年四月一日後任として任命され、Dが同年四月末日退職しF医師が
同年六月一日後任として任命され、いずれも京都大学大学院及び附属病院から着任
したことは争いがない。
 証人B及びEの各証言によると、Eは同年二月Cの退職に際し同人から業務の引
きつぎを受けそのまゝ病院に事実上勤務し、同年四月一日の正式発令に至つたこ
と、D退職のしばらく後H医師が治療業務の応援に来たこと、Dの退職に伴いAが
事実上副医長の役割を果すべき立場におかれたことが認められる。
(二) 整形外科医師の勤務割
 整形外科医師の昭和三八年七月当時における一週間の勤務割が別表第一のとおり
であることは争いがない。
(三) Aの死亡前一年間における整形外科の業務状況
 昭和三七年八月から昭和三八年七月まで整形外科の月別一日平均の外来患者数は
別表第二、月別手術件数は同第三、月別ギプス件数は同第四、月別一日平均入院患
者数は同第五のとおりであること、
 そのうち手術についてみると右期間内に整形外科の全医師が担当した手術の件数
を執刀医別、点数別(点数四九九点以下、五〇〇点から九九九点まで、一〇〇〇点
以上にわけることをいう。)、各月別に分類し、その各合計及び各月別医師一人当
り平均件数を示せば、同第六のとおりであること、
 昭和三八年六、七月の点数及び手術所要時間の合計を執刀医別、各月別に示しか
つその平均値を掲げれば、同第七のとおりであること、
 Aは補助医としても手術に従事しているので、昭和三七年八月から昭和三八年七
月までの補助医としての手術件数を点数別に各月毎に集計すれば、別表第八のとお
りであること、
 以上の事実は争いがない。
 整形外科の医師全員が昭和三八年一月から七月までの間執刀医及び補助医として
従事した手術全部の各月ごとの執刀医別、補助医別診療報酬点数、手術所要時間の
各集計は、別表第九の(一)中争いのない部分(事実摘示第二乙二(三)および同
第三の四(二)参照)および成立に争いのない乙第一号証によれば別表第九の
(二)のとおりである。
(四) 死亡前一年間におけるAの業務遂行及び疲労の状況
1 経歴資質等
 成立に争いのない甲第九号証の二、証人B、E、Iの各証言によれば、Aは昭和
三〇年三月大阪市立医科大学を卒業し、同三一年七月医師免許を取得のうえ、同年
八月京都大学医学部附属病院整形外科副手に任命され、同三三年四月辞職し、同年
五月厚生技官に任命され国立京都病院整形外科に勤務するようになつたものである
が(厚生技官に任命され病院勤務を命ぜられたことは争いがない。)、その後も優
れた学識と卓越した技術、患者に対する愛情、ならびに責任感強く積極性ある資性
をもつてその業務を遂行したことが認められる。
2 業務内容一般
 前示認定の各事実に証人B、G、Eの各証言をあわせれば、昭和三八年四月末日
D医師が退職して以後Aは副医長格であつたが医長たるBが非常勤のため、その職
責はそれだけ重く、病院の外来患者診療、入院患者診断施療、育成医療(小学生を
長期入院させ治療しながら、教員の出張を得て所要の授業を行なうものであつて、
病院は全国にさきがけてこれを実施した。)、レントゲン透視、諸検査、ギプス、
手術、診療のために必要な文献等の調査研究、実験、機械の整備、関係書類の作
成、当直、日直、病院内における会議への出席、インターン生と看護婦との指導に
従事したことが認められる。
 Aが週一回肢体不自由児を収容する京都市立呉竹養護学校の校医として児童の診
断を担当したこと、国立京都病院看護学院に出講したことは争いがなく、成立に争
いのない甲第二六号証によれば前者の期間は昭和三三年一〇月一日から死亡までで
あり、成立に争いのない乙第三号証によれば、後者の期間は昭和三五年度に約四か
月、昭和三六年度に約五か月、昭和三七年度に約五か月(同年一〇月二〇日から昭
和三八年三月三〇日まで)であることがそれぞれ認められる。
3 一週間の業務日割
 争いのない別表第一ないし第六記載の各事実、証人B、Gの各証言を総合すれ
ば、Aを含む整形外科の業務日割は、昭和三八年七月当時において次のとおりであ
り、それは以前一年間においてもほぼこれと同様であつたと認められる。
「月曜日
 午前九時から午前一〇時三〇分までBはA、E、Fとともに病棟を回診する。入
院患者数は平均約六六名である。
 午前一〇時三〇分から午後一時三〇分までBは新来患者をE又はFの補助を得て
診療し、Aは再来患者を単独で診療する。外来患者総数は一日平均六八名うち新来
二、再来八の割合であるから、Aの診療患者数は平均五十数名となる。
 午後二時から医師全員が適宜組合つて手術を行なう。Bは殆ど執刀医、A、E、
Fは執刀医と補助医とを勤める。B以外の者は輸血、麻酔等手術前の準備作業、及
び手術後回復室における患者の診断も併せ行なう。一か月の手術件数は約四〇件で
あるから一日平均五件位である。
 火曜日
 午前九時から午前一二時までA、Eは各自担当の入院患者を回診する。
 午後二時から午後五時までAはEとともにギプスを行なう。一か月のギプス件数
は五八件であるから一日平均一五件位となる。
 午前九時から午後一時三〇分までFは外来患者を新来再来を問わず単独で診療す
る。
 午後二時から午後五時までFは担当の入院患者の回診及びギプスを行なう。
 水曜日
 午前九時から午後一時三〇分までAは外来患者を新来再来を問わず単独で診療す
る。
 午後二時から午後五時までAは前同様担当の入院患者の回診及び患部のレントゲ
ン透視、筋電図を含む諸検査を行なう。この間病院管理診療会議又は医学研究行事
が行なわれる。
 午前九時から午後五時までE、Fは担当の入院患者の回診、レントゲン透視、諸
検査を行なう。
 以上のレントゲン透視、諸検査の中には木曜日の手術の準備にあたるものも含
む。
 木曜日
 午前九時から午前一〇時三〇分までBはA、E、Fとともに病棟を回診する。
 午前一〇時三〇分から午後一時三〇分までBは新来患者をA又はFの補助を得て
診療し、Eは再来患者を単独で診療する。
 午後二時から医師全員が手術に当る。その要領は月曜日と同一である。
 金曜日
 午前九時から午前一二時までAは呉竹養護学校で検診を行なう。
 午後二時から午後五時までA、Fはレントゲン透視及び諸検査を行なう。
 午前九時から午後一時三〇分までFは前同様外来患者を単独で診療する。
 午前九時から午後五時までEは担当の入院患者の回診、レントゲン透視、諸検査
を行なう。
 これらのレントゲン透視及び諸検査の中には翌週月曜日の手術の準備にあたるも
のも含む。
 土曜日
 午前九時から午後零時三〇分までA、Fは担当の入院患者を回診する。その後は
治療のための研究調査、書類の作成その他の業務を行なう。
 午前九時から午後一時三〇分までEが前同様外来患者を単独で診療する。
 午後二時三〇分からEは担当の入院患者の回診を行なう。」
 右認定事実の主要部分を摘記すれば、B以外の医師は入院患者を各別に受持ち、
ほゞ毎日一回、回診し、週二回、外来患者を単独で診療し、レントゲン及び諸検査
を実施し、週二回Bも加わつて互に分担協力して手術を行ない、週一回、単独で患
者にギプスを施し、Bの新来患者診療に立会うわけである。
 証人Bの証言によれば、Aはこのほかの業務、即ち育成医療、治療に必要な調査
研究、実験、機械の整備、患者の生活保護、災害補償等に関する書類の作成、当
直、日直、会議出席、インターン生及び看護婦の指導を右業務日割のなかで随時行
なつたことが認められる。
4 Aに対する勤務のしわよせ
 前記争いのない別表第六、証人B、Eの各証言、原告本人尋問の結果をあわせる
と、Dは開業に伴う退職が予定されており、おそくとも昭和三七年八月頃から外来
患者の診療を主として行ない、入院患者の診療、手術、ギプス等を担当することは
他の医師より少なかつたこと、昭和三八年二月C、同年四月Dの各退職後、H、
E、Fが順次時をおかず後任として業務に従事したけれども、臨床及びその他の事
務処理に経験不足のため、その診療等の業務遂行には先輩医師の立会指導を要する
場合が多く、Bは非常勤であつて勢いAがその立会指導に当らざるを得ず、その負
担が重かつたことが認められる。
5 手術
(1) 証人B、Eの各証言によれば、手術に際し、一名が執刀医として責任をも
つてこれを行ない、通常一名以上の者が介者又は補助医として傷が開いたとき鉤を
もつて押え鉗子をもつて出血を止める等の作業に従事すること、その精神的肉体的
疲労の度合は、勿論、個人差や手術内容の差もあり一概にはいえないにしても、補
助医の疲労度が執刀医に比し著しく少ないとはいえないことが認められる。
 そこでAの手術による疲労度をみるにはAが執刀医として従事した手術のほか、
補助医として従事した手術をも検討しなければならない。
(2) Aが執刀医として実施した手術についてまず検討する。
 弁論の全趣旨によれば、国立京都病院を含む保険医療機関等が健康保険等の被保
険者に療養の給付をしたとき取得できる療養に要する費用は点数をもつて表示され
ていることが認められ、(昭和三三年厚生省告示第一七七号「健康保険法の規定に
よる療養に要する費用の額の算定方法」参照)、右点数が正確とはいえないまでも
ある程度手術の難易を示していることは原告の明らかに争わないところであるから
これを自白したものとみなす。そこで病院整形外科において昭和三七年八月から昭
和三八年七月まで実施された手術を右点数に従い四九九点以下、五〇〇点から九九
九点まで、一〇〇〇点以上に分類すれば右分類は手術の難易従つて医師がそれに用
いる精神的肉体的労苦の大小をある程度示すと認められる。即ち四九九点以下の項
に属する手術は比較的労苦の少ないもの、五〇〇点から九九九点までの項に属する
ものは中程度のもの、一〇〇〇点以上の項に属するものは比較的労苦の多いものと
いえる。
 争いのない別表第六によれば、右期間中BとAとの執刀医としての手術総件数は
大体各月とも医師一人当りの平均件数を上廻り、年間でも右平均を上廻つて各人合
計百二十数件に達するが、四九九点以下の手術件数はB二三件、A六四件、一、〇
〇〇点以上のそれはB六四件、A二二件であり、その他の医師は右両名に比し少な
い件数を担当しその大半は四九九点以下に属することが認められる。これを百分率
に引き直せば、Aの手術総件数の五一・八二パーセントは四九九点以下に、一七・
八一パーセントは一、〇〇〇点以上に属し、その比率はBと全く逆である。別表第
六により計算すれば、四九九点以下の手術につき医師一名当りの右一年間における
平均件数は四四・五件(一名当り平均手術総件数九七・二五件の四五・七四パーセ
ント)、一、〇〇〇点以上の手術につき同様件数は二六、二五件(同上二六・九九
パーセント)となることは計算上明らかであるから、Aの担当件数は四九九点以下
の手術につき右平均よりも一九・五件(六・〇八パーセント)多く、一、〇〇〇点
以上の手術につき右平均よりも四・二五件(九・一八パーセント)少ないことにな
るのである。
 争いのない別表第七によれば、死亡直前の昭和三八年六、七月においてAが執刀
医として従事した手術の総点数は一〇、三一六点、総所要時間は九七五分であつ
て、Bの右総点数三三、一九三点、右所要時間二、四八七分に比すれば、著しく少
なく、Fの右総点数一二、一一〇点よりも少なく右所要時間九七五分と同一であ
る。
 以上によれば、Aが執刀医として従事した手術に関する限り、Aの負担は他の医
師に比し過大であつたとはいえない。
(3) Aが執刀医及び補助医として従事した手術について検討する。
 前記認定の別表第九の(二)によれば、昭和三八年一月から七月までの間Bが執
刀医として従事した手術の点数合計は八九、五〇九点、所要時間合計が七、二四三
分、補助医としてのそれは四九一点、二八五分、総計九〇、〇〇〇点、七、五二八
分、Aの執刀医としてのそれは四八、三三一点、四、七〇八分、補助医としてのそ
れは三六、九六五点、四、二三三分、総計八五、二九六点、八、九四一分、C・E
の執刀医としてのそれは二二、一三一点、二、六三八分、補助医としてのそれは五
七、四一二点、五、四八七分、総計七九、五四三点、八、一二五分、D・F・Jの
執刀医としてのそれは一二、七九〇点、一、〇三四分、補助医としてのそれは一
九、六三五点、二、〇八三分、総計三二、四二五点、三、一一七分となる。これに
よると、Aの執刀医及び補助医を含めた点数の総計はBのそれよりはやや少ないが
他の医師よりは多く、その所要時間の総計においてはBを含めたどの医師よりも長
かつたのであり、また、執刀医としての点数及び所要時間はBのそれと比較すれば
六割程度にすぎないもののその他の医師に比すれば二倍あるいはそれ以上となり手
術の負担は少なくともBを除くその他の医師より重かつたといわざるをえない。
6 研究
 右甲第九号証の二、証人B、G、Eの各証言、原告本人尋問の結果によれば、病
院では厚生省の方針に即応し、直接診療に役立つと否とを問わず所属医師に研究を
奨励し研究題目を定めて研究費を交付する等の措置を講じている関係上、研究が盛
んであり、Aもまた各種の研究を遂げ昭和三八年六月学位を授与され、その後、同
年一〇月長崎市で開催される予定の全国国立病院療養所総合医学会における新生児
疾患のシンポジウムに参加するための研究発表の準備を死に至るまでしていたこと
が認められる。
7 休養
 Aが公務多忙のため昭和三七年中有給休暇二日をとつただけであり、昭和三八年
中はこれをとらず、同年一月一日、三月二一日、三月三一日、六月九日の各休日に
宿直勤務に従事したことは争いがない。
 これらの事実によれば、Aがその勤務からくる疲労を回復するに足る充分な休養
をとることができたとは必ずしもいえない。
8 Aの死亡直前即ち昭和三八年六月及び七月の勤務状況
(1) Aの昭和三八年六月及び七月における超過勤務時間数及び勤務内容が別表
第一〇のとおりであることは争いがなく、これによれば、超過勤務は六月中一〇日
にわたり合計約五〇時間、七月中一一日にわたり合計約三八時間に及び、その内容
は手術、宿日直等である。
(2) 成立に争いのない甲第一八号証、第二九号証、証人Iの証言によれば、A
は同年七月七日(日曜日)午前九時から午後六時三〇分まで京都YMCA会館にお
いて京都肢体不自由児協会等実施のキヤンプ参加希望者六六名に対し、肢体不自由
症状の確認、内臓疾患の有無、伝染病の有無、その他全身の健康状況等にわたり身
体検査を実施したことが認められる。
(3) 原告本人尋問の結果によれば、Aは昭和三八年七月初め頃から疲労の様子
著しく、同月中旬頃暑気が激しくなると、それまで訴えたことのない疲労をしきり
と訴えるようになつたが、欠勤すれば公務に支障を来すことを案じてそのまま勤務
をつゞけたことが認められる。
(4) Aの昭和三八年七月一五日以降死亡までの勤務状況は次のとおりである。
なおこれは主要なものを示したものであつて、その他の業務については第三の二
(四)3に認定した。
七月一五日(月曜日)
 午前九時から午前一〇時三〇分までAはBの入院患者回診に随行して自己担当の
患者の病状経過を説明し、指示を受けたことは争いがない。
 成立に争いのない甲第四号証、証人Bの証言によれば、午前一〇時三〇分からB
が新来患者を診療中、Aは再来患者約七〇名を単独で診療したこと、脊髄腫瘍、仙
骨腫瘍のような重症患者を含む入院患者中、A自身の担当する者の数は少なくとも
三〇名であつたことが認められる(右時刻に分担して外来患者を診察したこと、担
当入院患者数が少なくとも三〇名であることは争いがない。)。
 午後Aが執刀医としてK抜釘(点数三一五点、所要時間六〇分)外二件(合計点
数一六〇点、所要時間四〇分)の手術に従事し、午後五時一〇分手術終了後も、二
時間超過勤務をしたので、勤務が終了したのは午後七時であつたことは争いがな
い。
 証拠について若干判断する。
 右第四号証によれば、「入院患者六六名うち重症患者は脊髄腫瘍と仙骨腫瘍とで
ある。」趣旨の記載があり、これと「A医師勤務状況調」との表題と相まてば、あ
たかも右患者数はすべてAの担当するもののようにも見える。しかし病院の昭和三
八年七月中の一日平均入院患者数が六六・二人(別表第五参照)であることは争い
がないので、この事実と証人Bの証言とをあわせると、右の患者数はその総数を示
したものであつて、Aの担当する患者数はその一部にすぎないというべきである。
ところがその担当患者数はこれを肯認するに足りる資料がないので、少なくとも国
の争わない三〇名に達していると認めるのほかはない。このことは以下認定するA
の担当する毎日の入院患者数についても七月二六日を除き同様である。
 また、甲第四号証および争いのない別表第一中月曜日木曜日の欄によればAはB
の回診に随行したほか担当入院患者を診断したと解する余地のあるような記載があ
るが、証人Bの証言によれば、月曜日および木曜日のように、AがBの回診に随行
したのち直ちに外来患者の診療に当り、これが終るや手術を行なう場合、他の医師
がAに代つてAの担当する入院患者を診療することもあつたとの事実が認められ
る。従つて甲第四号証及び別表第一によりAが月曜日および木曜日にBの回診に随
行する以外に必ずその担当入院患者を回診したということはできない。以下七月一
八日、二二日、二五日についても同様である。
七月一六日(火曜日)
 前記争いのない別表第一、右甲第四号証、証人Bの証言によれば、Aは午前中病
棟を回診して前日の重症患者を含む入院患者中自己担当等の少くとも三一名を診療
し、午後から他の医師一名とともにギプス一七件を行なつたことが認められる(病
棟回診をして入院患者を診療したこと及びギプスを行なつたことは争いがな
い。)。
七月一七日(水曜日)
 前記争いのない別表第一、右甲第四号証及び証人Bの証言によれば、Aは午前九
時から外来患者九五名を単独で診療し、午後病棟を回診して前日の重症患者を含む
入院患者中Aの担当する者等少くとも三〇名を診療し、さらに、レントゲン透視及
び諸検査をしたことが認められる(外来患者、入院患者を診断したことは争いがな
い。)。
七月一八日(木曜日)
 午前九時からAはBの回診に随行して担当の患者の病状経過を説明し、指示を受
けたことは争いがなく、右甲第四号証によれば、これは午前一一時終了したと認め
られる。
 右甲第四号証および証人Bの証言によれば、Aは午前一一時からBの新来患者約
二〇名(外来患者のうち二割は新来、その余は再来であると認められることは前述
した((第三の二(四)3の月曜日の項参照))から、外来患者総数八三名の二割
にあたる約二〇名が新来であると推認できる。以下七月二二日、二五日についても
同様である。)の診療の助手をつとめたこと、前日の重症患者のほか大●頸部骨折
も含む入院患者中Aの担当する者の数は少なくとも三二名であつたことが認められ
る(右診療の事実は争いがない。)。
 Aが午後執刀医として髄内釘抜去手術(点数三一五点、所要時間一〇分)に従事
したことは争いがない。
七月一九日(金曜日)
 右甲第四号証によれば、Aが前日の重症患者を含む入院患者中、その担当する者
等少なくとも三〇名を診療したこと、同日当直中不眠を訴えた患者に投薬したこと
が認められる(診療及び当直の事実は争いがない。)。
七月二〇日(土曜日)
 前記争いのない別表第一、右甲第四号証によれば、Aは前日の重症患者を含む入
院患者中その担当する者等少なくとも三一名を午前中回診したことが認められる
(診療の事実は争いがない。)。Aが入院患者診療のため午後二時まで二時間超過
勤務したことは争いがない。
七月二二日(月曜日)
 原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認める甲第八号証によれば、
Aは午前八時三〇分ころ自宅を出て午後九時すぎに帰宅したことが認められる。
 Aが午前九時から午前一〇時三〇分までBの入院患者回診に随行し担当患者の病
状経過を説明し指示を受けたことは争いがない。
 成立に争いのない甲第五号証及び証人Bの証言によれば午前一〇時三〇分からB
が新来患者を診療中、Aは再来患者約七〇名(外来患者総数九三名の約八割)を単
独で診療したこと、前前日の重症患者を含む入院患者中A自身の担当する者は少な
くとも二九名であつたことが認められる(診療の事実は争いがない)。
 Aが午後執刀医として椎弓切除術(点数一、二六五点、所要時間九〇分)に従事
し、かつ、Bが執刀医として臼蓋形成術、骨移植術ギプス(点数一、九四〇点、所
要時間八五分)に従事するのに際し他の医師一名とともに補助医をつとめ、これら
の手術は午後六時二五分終了したが、Aは術後診療のためその後も引きつゞき午後
八時三〇分まで合計三時間三〇分超過勤務をしたことは争いがない。
七月二三日(火曜日)
 右甲第八号証によれば、Aは午前八時三〇分ころ自宅を出て午後七時前に帰宅し
たことが認められる。
 前記争いのない別表第一、右甲第五号証によれば、Aは前日の重症患者を含む入
院患者中その担当する者等少なくとも二九名を診療し、他の医師とともにギプス八
件を行なつたことが認められる(診療及びギプスをしたことは争いがない。)。業
務終了時刻が午後六時三〇分であることは争いがない。
七月二四日(水曜日)
 右甲第八号証によればAは午前八時三〇分ころ自宅を出て午後八時ころ帰宅した
ことが認められる。
 Aが午前九時から外来患者を診療したことは争いがなく、前記争いのない別表第
一、右甲第五号証によれば、その人数は七〇名でありAが単独でこれに当つたこ
と、Aはその後、前日の重症患者のほか大)●及下●開放骨折も含む入院患者中そ
の担当する者等少なくとも三〇名を診療したこと、レントゲン透視及び諸検査を行
つたことが認められる(入院患者を診療したことは争いがない。)。
七月二五日(木曜日)
 右甲第八号証によればAは午前八時三〇分ころ自宅を出て午後一〇時ころ帰宅し
たことが認められる。
 午前九時からBが入院患者を回診したが、Aがこれに随行して担当患者の病状経
過を説明し、指示を受けたことは争いがない。右甲第五号証及び証人Bの証言によ
れば、この回診は午前一一時終了し、Aは引きつゞき、Bが新来患者十数名(外来
患者総数八八名の二割強)を診療するのを補助したこと、前日と同様の重症患者を
含む入院患者中Aの担当する者の数は少なくとも三〇名であつたことが認められ
る。
 Aが午前一一時四五分から執刀医として手指瘢痕形成植皮術(点数四八〇点、所
要時間三五分)に従事し、かつ午後二時二五分からL京都大学名誉教授が執刀医と
して仙骨部腫瘍摘出術(点数一、九六四点、所要時間四時間四五分)に従事するの
に際しB、E、Fとともに補助医をつとめたことは争いがない。
 右甲第五号証、第九号証の二、証人B、Eの各証言、原告本人尋問の結果によれ
ば、Aは右手術を執刀したL教授に指導を受けたことがある関係上緊張し、かつ左
足股関節が強直しているにもかゝわらず長時間にわたり立つたままで、休憩も夕食
もとらず、神経の中に入りくんだ腫瘍を除去するという難しい手術に従事し、午後
七時一〇分手術を終えた後も担当の入院患者を臨時回診して午後八時三〇分に及
び、午後一〇時帰宅した時は疲労の極に達していたことが認められる(手術終了、
業務終了の各時刻は争いがない。)。
七月二六日(金曜日)
 右甲第五号証、第八号証、第九号証の二、原告本人尋問の結果によれば、Aは午
前八時ころ自宅を出て、午前九時から外来患者九十数名を単独で診療し、午後二時
から引きつゞき前日と同様の重症患者を含む入院患者中その担当する者等三〇名を
診療し、さらに翌日から次に説明する療育キヤンプに出張するため留守担当医と婦
長とに留守中に必要な指示注意事項等を申し送り、午後六時三〇分頃帰宅したが、
予定していた岸和田市居住の母を訪問することを疲労のため取りやめ、右出張の準
備をした上午後一一時半頃就寝したことが認められる(診療の事実は争いがな
い。)。
七月二七日(土曜日)
 京都肢体不自由協会、京都YMCA肢体不自由児療育キヤンプ合同委員会は昭和
三八年七月二七日から同月三〇日まで滋賀県近江八幡市で第九回肢体不自由児療育
キヤンプを開催したが、Aは病院長Gから右キヤンプに療育指導のため出張を命ぜ
られ、同月二七日疲労を覚えつつも(疲労の事実は原告本人尋問の結果により認め
る。)午前九時三〇分同地に向け京都を出発し同日炎天下で肢体不自由児(以下児
童という。)の療育指導に従事したことは争いがない。
 右の事実によれば、Aの右療育指導は公務というを妨げない。
 その指導状況をみると、右甲第九号証の二、成立に争いのない甲第一〇号証、甲
第一一号証の一ないし三、甲第一三号証、甲第二九号証、証人Mの証言及び原告本
人尋問の結果を総合すれば、Aは午前一一時半頃キヤンプ参加リーダー及び児童ら
約一〇〇名とともにキヤンプ場に到着、昼食および休息後午後二時から開会式に参
列し、午後三時から炎天下の琵琶湖畔水泳場において脊髄性小児まひ、脳性小児ま
ひ等の疾患を有する児童六〇名に一五分間水泳した後一五分間の休憩をとらせると
いうことを三回くりかえし、その間リーダー四〇名とともに陸上又は水中で児童を
監視し、終つて二名の児童を検温したほか、救急薬品をもつて水泳場で待機し、午
後六時から夕食をとり、午後七時三〇分から午後九時まで児童とともにボンフアイ
アに参加して児童のゲームや歌への参加状況を観察し、それから個々の児童の疾
病、疲労度及び肢体の機能障害のキヤンプ生活における適応度を診断し、午後一〇
時までに外耳炎、急性胃腸炎、せき、腹痛を訴える者各一名ずつ計四名を治療し、
午後一〇時からリーダー会議に参加して医師としての立場から児童の健康管理上必
要な注意を四〇名のリーダーに与え、午後一一時すぎに就寝しその直後児童一名を
診察したこと、その際睡眠薬等を服用しなかつたことが認められる。
(5) 死亡時の状況
 Aがその後同日午後一一時三〇分死亡したこと、死体発見時Aの死体には外傷苦
もん状態がなかつたことは争いがない。
(6) 健康状態
 死後の解剖所見によれば、急性心臓死に伴なう各種の変化を除いては内臓器管の
うち通常人よりやや肥大しているものがあり、左冠状動脈始部から末●側二センチ
メートルにわたつてアテローム斑により極めて強く動脈腔が狭窄していることは争
いがなく、さらに成立に争いのない甲第一号証、第一四号証の一、二によれば、解
剖所見は、このほか心筋断裂が左右心室にびまん性に認められ特に左心室心筋に著
しく、両肺の一部に肺胞出血、脾、腎の充血がみられる旨を指摘していることが認
められる。
 なおAが麻薬、アルコール中毒、結核、消化器病、伝染病、精神病にかゝつてい
ないことは争いがない。また、成立に争いのない乙第二号証の一、二、原告本人の
尋問の結果によれば、Aは昭和三七、三八年中病気等で欠勤したことはない事実が
認められる。
(五) Aの死亡の公務起因性
1 Aの公務上の過労
 以上認定したところを要約すれば、次のとおりである。
 Aは整形外科医師として、B医長以外の医師二名とともに入院患者一日平均約六
六名を各別に受持ちほぼ毎日一回これを回診し、月曜日は平均五十余名の再来患者
を水曜日は平均六八名の新来再来患者をいずれも単独で診療し、週二回Bの回診に
随行し、自己担当患者の病状経過を説明し、指示を受け、レントゲン透視及び諸検
査を実施し、Bも加えて互に分担協力して手術を行ない、週一回、単独で平均一五
名の患者にギプスを施し、Bの新来患者診療に立会いなお随時育成医療を行なう等
の医療業務のほか、調査研究、実験、機械の整備、関係書類の作成、当直、日直、
会議出席、インターン生及び看護婦の指導、呉竹養護学校校医、国立京都病院看護
学院出講等の勤務に従事し、医師として甚だ多忙な日々を送つていたのである。
 昭和三八年初め以降整形外科医師二名が相ついで退職したことに伴ない、新任医
師の診療指導及び立会をあらたに必要とする等Aの負担は増加を見るに至り、とく
に手術においては、Aが執刀医として従事するものに関する限りBを除く他の医師
よりもきわめて過大な負担を蒙つていたわけであり、さらに、補助医として従事し
ていたものも加えれば、Aは、手術総点数においてこそBに若干劣るが、手術総所
要時間においてはBを含めたすべての医師よりも長く、結局手術全体としてみれば
負担過大であつたといえる。Aはこのかたわら病院の方針に即応して自ら研究等に
も従事した。このような多忙な業務に追われ、Aは、昭和三八年に入つてからは年
次有給休暇を一日もとらなかつたのみならず、かえつて日曜日等の休日にも日直を
する等のことがあり、十分な休養をとることができなかつた。
 このためAはついに昭和三八年七月初めころから疲労を訴えるようになつたが、
これに屈せず、同月七日キヤンプ参加者の検診を行ない、少なくとも入院患者約三
〇名を連日担当してその診療の責に任じ、週二回、各回七〇名ないし九〇名に及ぶ
外来患者を単独で診療し、若干の患者に対し手術を行なつたのである。とくに七月
二二日は外来患者約七〇名を単独で診療し、難手術二件に関与しそれによる超過勤
務三時間三〇分に及び、同月二三日は一時間三〇分の超過勤務に従事し、同月二四
日は外来患者七〇名を単独で診療し、同月二五日はBが新来患者十数名を診療する
のを補助した上、手術二件(うち一件は至難な手術)に関与しその後担当入院患者
を回診して超過勤務三時間三〇分に及び、同月二六日は外来患者九十数名を診療し
帰宅したときには酷暑のもと疲労甚だしく、同月二七日は公務出張により炎天下の
琵琶湖畔において肢体不自由児の水泳の監視、夕方から深更にかけての児童観察、
診療、リーダー会議での指導等に従事した。
 以上のように要約することができるのであつて、右に認定したほかにはAに疲労
をもたらすような原因を認めることはできない。
 そしてAの勤務状況に関する前記認定事実と鑑定人Nの鑑定の結果とをあわせれ
ば、Aの心身には昭和三八年初めから課せられた異常に重い公務に起因する疲労が
休日等においても回復することなく蓄積し、とくに同年七月初め以来その疲労は順
次その極に達してきたと認められる。
2 医学的評価
 Aの左冠状動脈始部から末●側二センチメートルにわたつてアテローム斑により
動脈腔が極めて強く狭窄されていることは前示のとおりである。鑑定人Nの鑑定の
結果によれば、一般にアテローム硬化症の存在するとき二次的現象として、(1)
動脈内腔の狭細化により血流量の減少を招き、(2)潰瘍形成により内腔は凸凹不
平になり、潰瘍面に血栓が形成され、これが●離して下流の血管に塞栓を生じ、そ
の支配領域の壊死を形成し、(3)変化が強くなると血管壁は侵融、菲薄となり、
弾力性も減退して血管壁が破綻する等の現象が起こること、もし冠状動脈にこの症
状が生ずれば、動脈腔の狭窄、閉塞から支配領域にある心筋は慢性的に栄養障害と
酸素不足とにおちいり、その結果心筋の変性ならびに壊死をきたし、これは心筋硬
塞、狭心症を促すものとなること、また新鮮な心筋硬塞巣や冠状動脈又は大動脈の
破綻があれば、出血による心●タンポナーデをきたし心停止をまねく場合もあるこ
と、一方冠状動脈に硬化性変化がある場合には動脈の攣縮が起こることが多いと言
われており、この機能的変化により狭心症発作を呈し、心停止を起こすことも考え
られ、硬化性変化が比較的軽度であつても急死を来すのはこのためであること、一
般に冠状動脈硬化症の患者が急死する主たる誘因は心身の過労、入浴、飲酒等によ
つて急激に心臓に負担がかゝり、心筋の血液需要に対し絶対的又は相対的血液不足
を来たし急性冠状動脈死に至ることにあること、Aの右硬化症はかなり高度のもの
で、医学的にみてその死因は冠状動脈硬化症に基づく急性心臓死と考えて矛盾はな
く、急性心臓死の誘因として公務によつて生じた心身の慢性的過労状態が重要因子
であることは否定できないことが認められる。
 原告はAの死亡がいわゆるポツクリ病に基づくと主張するが、前記鑑定の結果に
よると、ポツクリ病とは、内因性急死のなかで病理解剖組織学的の検査をしても心
臓は勿論、他の諸臓器に死因となりうる病変が認められないものをいうと認められ
るところ、前示の認定によれば、Aの死因はポツクリ病であるとはいえないことは
明らかである。
3 法的評価
 補償法一条等にいう公務上の死亡とは、公務と死亡との間に法的な相当因果関係
が存すること、換言すれば、死亡は公務遂行に起因することを意味する。しかし、
死亡が公務遂行を唯一の原因とする必要はなく、既存の疾病が原因となつて死亡し
たと認められる場合でも、同時に公務遂行が既存の疾病と共同原因となつて、既存
疾病を悪化させ死亡したと認められる場合には、やはり公務起因性が存在するとい
うべきである。死亡が公務遂行中に発生したことは公務起因性を推認する一資料に
すぎない。
 本件についてみれば、Aは病院整形外科医師として公務出張中深更まで公務に従
事した直後、出張先において急死したのであるから、死亡は公務遂行性があると考
えられる。さらに右死亡の原因は冠状動脈硬化症による急性心臓死であつて、右硬
化症の発生自体に公務起因性があるとはいえないが、急性心臓死の誘因として心身
の慢性的過労状態が重要因子であることは否定できず、しかも右過労状態はもつぱ
らAに課せられた異常に重い公務の遂行によつて生じたものであるから、これらの
事実を総合すれば、Aの死亡は冠状動脈硬化症という原因も存するにせよ、なお公
務遂行に起因するというべきである。
三 補償請求権
(一) 補償請求権の発生
 右に述べたようにAの死亡が公務上のものである以上、補償法の定めるところに
従い当然に補償請求権が発生する筋合である。
(二) 補償法の規定
 昭和四一年法律六七号附則一条、二条によれば、同年七月一日において同法によ
る改正前の補償法に基づく遺族補償中まだ支給していないものについては改正前の
補償法によるところ、改正前の補償法一五条、一六条一項一号によれば、公務上死
亡した国家公務員の配偶者は平均給与額の一、〇〇〇日分の遺族補償を受給でき、
また同法一八条によれば葬祭を行なう者は平均給与額の六〇日分の葬祭補償を受給
できるのである。
(三) 平均給与額
 Aの補償法四条にいう平均給与額が一、五三〇円であることは争いがない。
(四) 補償請求権者
 原告がAの死亡当時の配偶者であることは争いがなく、他にAの葬祭を行なう者
があると認められないので、原告がAの葬祭を行なうものと推認できる。従つて原
告は補償法にいう遺族補償と葬祭補償とを受給できる。
(五) 補償金額
 よつて原告は国に対し遺族補償として平均給与額の一、〇〇〇日分に相当する
一、五三〇、〇〇〇円、葬祭補償として平均給与額の六〇日分に相当する九一、八
〇〇円の支給を求める権利を取得したというべく、その履行期はAの死亡の日と解
するのを相当とするから、原告は右金員合計一、六二一、八〇〇円及びこれに対す
る死亡の日の翌日即ち昭和三八年七月二八日から完済まで年五分の割合による遅延
損害金の支払を求めることができる筋合である。
(六) 消滅時効
1 原則
 国に対する権利で金銭の給付を目的とするものの時効による消滅については時効
の援用を要しない(会計法三一条)が、国の債権債務の画一的処理という右規定の
目的上、補償請求権にも右規定の適用があると解すべきである。
 そこで原告の右権利と時効との関係について当事者の主張をまたず、検討を遂げ
なければならない。
2 補償法による消滅時効
 昭和四一年法律第六七号附則二条に基づき原告の補償請求権には同法による改正
前の補償法二八条(以下単に二八条という)が適用されるべき筋合である。同条に
よればその消滅時効期間は二年である。しかし本件の場合実施機関がAの死亡は公
務上とは認められないと通知しているので、同条但書所定の事由即ち実施機関が補
償法八条の規定により補償を受けるべき者に通知をしたことも、自己の責に帰すべ
き事由以外の事由によつて通知することができなかつたことも、立証できないこと
は勿論であつて、右請求権は補償法二八条に規定する二年の消滅時効の適用を受け
ないというべきである。
3 会計法による消滅時効
 補償法二八条の二年の消滅時効が適用されないときでも、一般法としての会計法
三〇条の五年の消滅時効が適用されるべきであるから、原告の補償請求権の消滅時
効は履行期から五年経過した昭和四三年七月二七日の経過とともに完成すべき筋合
である。
 そこで時効中断の事由があるかどうかを検討する。
 補償法二四条三項は人事院に対する審査申立ては時効の中断については裁判上の
請求とみなすと規定する。そして、原告が厚生大臣のAの死亡が公務上のものとは
認められない旨の認定につき人事院に対する審査申立てをしたことは争いがなく、
成立に争いのない甲第一七号証によればその時期は昭和四〇年中であると認められ
る。
 ところで第二の二(二)において説明したように、補償法及び関係規則が、災害
が公務上のものとは認められないとの実施機関の認定に対しても審査申立てを許し
たものか否かは疑問の余地なしとしないから、原告の右申立てが災害が公務上のも
のとは認められないとの認定に対するものである以上、その適法性についてもなお
検討を要するのであるが、仮に右申立てが不適法であるとしても、国自ら右のよう
な不明確な規定をおきながら、これに依拠した審査申立てを不適法として時効中断
の効力を奪うこと(民法一四九条参照)は妥当な法解釈とはいゝ難く、しかも災害
が公務上のものとは認められないとの認定に対する審査申立ては国に対する補償請
求権行使の意志を含むものと解することもできるので、補償法二四条三項にいう時
効中断事由としての審査申立てには右のようなものも含むと解すべきである。
 そうであるとすれば、右消滅時効は、昭和四〇年中に原告の審査申立てにより中
断し、中断事由の終了したときから更に進行を始めるのであるが、中断事由の終了
時がいつかはともかくとして原告が国に対し補償請求の訴えを提起したのが昭和四
四年八月六日であることは記録上明らかであるから、所詮右消滅時効は未完成とい
うべきである。
四 結論
 よつて原告の国に対する請求は全部正当として認容すべく、原告と国との間に生
じた訴訟費用は民事訴訟法八九条により国に負担させることとし、仮執行の申立て
はその必要を認めないので却下するものとする。
(裁判官 沖野威 小笠原昭夫 石井健吾)
別表第一~一一(省略)

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