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裁判例


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       主   文
特許庁が昭和四五年四月二八日同庁昭和四三年審判第三〇〇号事件についてした審
決を取消す。
訴訟費用は、被告の負担とする。
       事   実
第一 当事者の申立
 原告は主文と同旨の判決を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、
原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二 請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
 被告は、名称を「ダイヤモンド合成法」とする特許第四九二八六三号発明(以
下、この発明を「本件特許発明」、特許を「本件特許」という。)の特許権者であ
る。本件特許発明は、昭和三七年六月三〇日出願に係り、昭和三八年一〇月一四日
提出の手続補正書をもつて明細書全文が補正(以下、これを「本件補正」とい
う。)され、昭和三九年五月二日出願公告を経て、昭和四二年四月二二日設定登録
を了した。原告は、同年一二月二三日、本件特許について特許無効審判の請求(昭
和四三年審判第三〇〇号事件)をしたが、特許庁は、昭和四五年四月二八日「本件
審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は同年五月二八日原告に送
達された(なお、出訴期間として三か月を附加された。)。
二 本件特許発明の要旨
 粒状のニツケル、鉄、コバルトより選択した一種の金属粒の周囲に微粒状の炭化
クロム、炭化モリブデン、炭化バナジウム、炭化タングステン、炭化マンガンの一
種の層を形成したものと黒鉛との混合物を原料として使用し、約一、二〇〇度Cな
いし一、六〇〇度C、約五七、〇〇〇気圧ないし約七五、〇〇〇気圧の温度、圧力
範囲で、かつ、ダイヤモンド安定領域にある温度、圧力条件でダイヤモンドを合成
する方法。
三 審決の理由の要点
本件特許発明の要旨は前項記載のとおりである。
請求人(本訴被告)は、無効事由として次の(1)、(2)を主張する。
(1) 本件特許発明の出願当初の明細書(以下「原明細書」という。)には、本
件補正によつて補正された「約一、二〇〇度Cないし一、六〇〇度C、約五七、〇
〇〇気圧ないし約七五、〇〇〇気圧の温度、圧力範囲」という特定の温度、圧力条
件について記載がないから、本件補正は、発明の要旨を変更するものである。した
がつて、出願日は本件補正の日に繰下げられるところ、本件特許発明は、同日前に
国内において頒布された「金属」一九六三年四月一日号第三八、三九頁(以下「第
一引用例」という。)の記載内容から容易に推考実施しうる程度のものであるか
ら、特許法第二九条第二項に該当する。
(2) 仮にそうでないとしても、本件特許発明の明細書中に示された実施例を追
試すると、触媒金属を金属炭化物で披覆してもしなくてもダイヤモンドの生成に大
差はなく、本件特許発明は、その作用効果上技術的構成があいまいであつて、出願
前に国内において頒布された特許出願公告昭三七―四四〇七号公報(以下「第二引
用例」という。)の発明と実質的に同一ないしこれから容易になしうる程度のもの
であるから、特許法第二九条第一項第三号又は第二項に該当する。
((1)の点について)
 原明細書には、前記温度、圧力条件について具体的に記載されていないけれど
も、触媒金属を金属炭化物で被覆して触媒金属のダイヤモンド原材料中への拡散を
防止することにより、従来よりも低温度、低圧力下でダイヤモンドを製造するとい
う技術思想が記載されており、また、出願時の技術水準では、一般のダイヤモンド
製造条件が一、五〇〇度C、八〇、〇〇〇気圧(または七五、〇〇〇気圧以上)程
度であつたが、これによれば、本件補正による温度、圧力条件の数値自体に特別の
技術的意義がなく、結局、本件補正は、右技術思想を含む本件特許発明により従来
の温度、圧力条件よりも有利なダイヤモンド安定領域でダイヤモンドを製造できる
ことを明確にしたに過ぎないから、発明の要旨を変更するものではない。したがつ
て、その出願後に国内において頒布された第一引用例から本件特許を無効とするこ
とはできない。
((2)の点について)
 第二引用例の発明は、金属合金を含む触媒を用いてダイヤモンドを製造するもの
であつて、明らかに本件特許発明と構成を異にする。また、請求人提出の宣誓書
(本訴甲第四号証)中の実験結果によれば、金属炭化物の粒度を触媒金属の粒度よ
りも大きくして触媒金属が金属炭化物によつて被覆されない条件としたときにもダ
イヤモンドの生成される場合があるが、右実験は、本件特許発明の実施例とは規模
を異にするので、単純にその結果のみから本件特許発明の作用効果を評価しえない
ばかりでなく、右宣誓書中に示された本件特許発明の実施例に相当する実験例にお
いても、相応のダイヤモンドの生成が認められる以上、本件特許発明の作用効果を
否定する積極的な根拠となりえない。さらに、請求人提出の刊行物(審判甲第五、
六号証)の技術的事項は、本件特許発明の「ダイヤモンドの合成に当り、触媒金属
を金属炭化物で被覆すること」について何ら示唆していない。したがつて、本件特
許発明は、第二引用例及び右刊行物から容易に推考実施しうる程度のものではな
い。
 よつて、本件特許は、請求人主張の理由及びその提出の証拠方法をもつてしては
無効とすることができない。
四 審決の取消事由
 しかし、審決は、請求人主張の無効事由について、後記のとおり判断を誤り、そ
のため、本件特許を無効にすることができないとしたものであつて、違法であるか
ら、取消されるべきである。
1 要旨の変更について
 本件特許発明の原明細書には、ダイヤモンド合成に必要な温度、圧力条件が特許
請求の範囲はもとより、発明の詳細な説明の項にも示されておらず、具体的実施例
の記載もなく、これを実施することができないから、その発明は未完成であつたと
ころ、本件補正によつて始めて右温度、圧力条件及び具体的実施例が明らかにされ
たものであつて、本件補正は、いわば無を有に改めたものであり、明細書の要旨の
変更に当る。したがつて、本件特許発明は、本件補正前に国内において頒布された
第一引用例から無効とされるべきである。しかるに、審決は、原明細書には「従来
よりも低温度、低圧力下でダイヤモンドを製造するという技術思想」が記載されて
いるとし(その記載があること自体は争わない。)、出願時の技術水準からみて、
本件補正による温度、圧力条件が「従来の温度、圧力条件よりも有利なダイヤモン
ド安定領域でダイヤモンドを製造しうることを明確にしたに過ぎない」として、要
旨変更を否定しているが、この判断は以下に詳説するとおり誤りである。
(一) 温度、圧力条件特定の必要性
 高温、高圧を用いるダイヤモンド合成法においては、温度、圧力条件を特定しな
くては、方法の開示として意味をなさない。なぜならば、ダイヤモンドの合成は、
理論的に達成されたものではなく、原料、触媒、温度、圧力等の条件の組合わせを
種々実験した結果得られた知見によるのであつて、原料、触媒を具体的に決めて
も、温度、圧力をも同時に決めなければ、実施も実験もできないし、その一つでも
選択を誤ればダイヤモンドの合成ができないものだからである。
 審決のいう技術思想、すなわち、ダイヤモンドの製造を低温度、低圧力下で行な
うということは、単なる願望であつて、その具体的条件を特定し、現実に実施でき
ることを示さない限り、完成した発明とはいえない。
(二) ダイヤモンド安定領域の意味
 ダイヤモンド安定領域とは、炭素の存在形態として、ダイヤモンドが最も適して
いる温度、圧力条件をいうのものであつて、ダイヤモンド合成の圧力、温度とは異
なり、また、右安定領域中では炭素がすぐダイヤモンドになるという意味ではな
い。このことは、常温、常圧というグラフアイト安定域内でも、ダイヤモンドが別
段グラフアイトに変るものでないことや、【A】がダイヤモンド安定領域の圧力、
温度を用いながらダイヤモンド合成に失敗していることからも理解される。
(三) 具体的実施例の欠如
(1) 原明細書には一つも実施例が記載されていない。具体的実施例の欠如は、
発明未完成の端的な現われである。通常、特許請求の範囲記載の構成要件が漠然と
しており、これをより明確に限定することが認められる場合とは、その構成要件自
体はともかく存在し、発明の詳細な説明の項では、より具体的な記載及び実施例が
あつて、これらを要約すれば、その構成要件をより明確に特定できるような場合で
ある。元来、特許請求の範囲に何ら記載されていない構成要件を新たに附加するこ
とさえ許されないのであるから、本件のように、そもそも原明細書のどこにも記載
されていなかつたことを、後に附加することは到底許されないところである。
(2) 原明細書の発明の詳細な説明の項には、圧力、温度については、特許出願
公告昭三七―八三五八号特許公報(乙第三号証。以下この発明を「先願発明」とい
う。)に示される温度、圧力を公知例として示し、この条件より低い圧力での合成
を云々しているが、その低い圧力とはどの範囲をいうかについては全く示されてい
ない。また、そのように圧力を下げるためにとるべき手段として、触媒金属の周囲
に、これより融点の低い金属又は炭化物を形成する金属又は炭化物の層をつくるこ
と、あるいは、右触媒金属の内部にさらに種子ダイヤを置くアイデアが示されてい
る。しかし、これはあくまで一つの理論を示したにすぎず、具体的発明とはいえな
いものである。けだし、ダイヤモンドの合成は、単に触媒の仕込み態様を示せば足
りるものではなく、原料、触媒と圧力、温度条件その他必要条件との組合せにおい
てはじめて、一つの完成した方法として認められるからである。
 被告は、本件特許発明の出願時点においては、かかる手段で圧力を下げられるは
ずだと一つの仮説を立てているにすぎず、現実により低い圧力で、ダイヤモンド合
成に成功したという実証は何一つない。合成の実施例は、出願後一年数か月を経た
昭和三八年一〇月一四日の本件補正によりはじめて示されたものである。
(四) 従来法の温度、圧力条件との比較
 原明細書の特許請求の範囲には「非ダイヤモンド炭素をダイヤモンドの安定帯域
内で金属触媒の存在下でダイヤモンドを合成するに当たり……」と記載されている
が、この記載文言をそのまま、すなわち、ダイヤモンド安定領域の全部を含むもの
とすれば、途方もない低温、低圧でダイヤモンドを合成できることになる。また、
ダイヤモンド安定領域は広い範囲にわたつているが、審決認定のように、本件特許
発明の技術思想が「従来よりも低温度、低圧力下でダイヤモンドを製造する」こと
にあるとすれば、従来より高い範囲は問題ではなく、従来より低温、低圧の領域が
本件特許発明の主たる領域ということになろう。
 しかるに、本件補正によつて限定された温度、圧力条件は、従来の温度、圧力よ
りも少しも低くなつていない。すなわち、原明細書は、公知技術として第二引用例
の従来法を引用しているが、その方法では、ダイヤモンド安定領域中で温度約一、
二〇〇度C以上、圧力約五〇、〇〇〇気圧以上であるのに対し、本件補正による温
度、圧力条件は、ダイヤモンド安定領域内で温度約一、二〇〇度Cないし一、六〇
〇度C、圧力約五七、〇〇〇気圧ないし七五、〇〇〇気圧となつているのである。
 したがつて、審決の指摘する原明細書における「従来よりも低温度、低圧力」と
の技術思想を温度、圧力条件についての一応の記載と考えるとしても、その条件に
よるダイヤモンド合成法と本件補正後の「約一、二〇〇度Cないし一、六〇〇度
C、約五七、〇〇〇気圧ないし約七五、〇〇〇気圧の温度、圧力範囲」によるダイ
ヤモンド合成法とは、明らかにダイヤモンド合成に必須の要件である温度、圧力条
件を異にするものであるから、本件補正は要旨の変更となる。
 なお、審決は、「出願時の技術水準では、一般のダイヤモンド製造条件が一、五
〇〇度C、八〇、〇〇〇気圧(または七五、〇〇〇気圧以上)程度であつた」とし
ている。しかし、出願当時の技術水準という以上、本件特許発明の出願前である昭
和三七年六月一三日に出願公告され、現に審決も引用している第二引用例の技術を
無視することは許されないところ、第二引用例の発明の特許請求の範囲には「ダイ
ヤモンド安定帯域中で少なくても約五〇、〇〇〇気圧以上の圧力及び少なくとも約
一、二〇〇度C以上の温度」と記載されており、本件特許発明の出願当時すでに
一、二〇〇度C以上、五〇、〇〇〇気圧以上の温度、圧力条件が公知であつたか
ら、審決の右判断は誤りである。
 被告は、原明細書にいう従来法とは、第二引用例ではなく、先頭発明の方法であ
る旨主張するが、原明細書の記載をみても、その主張の論拠は見当らない。かえつ
て、原明細書においては、「ダイヤモンドは非ダイヤモンド炭素とFe、Ni、C
o等の第八族元素を一五〇〇℃、八〇、〇〇〇気圧の条件下で処理することにより
合成されることは公知であり、」(一頁七行ないし九行)と、まず先願発明の技術
を述べ、次に続けて、「又Fe、Ni、Co、等の第八族元素金属と他の金属の予
め形式された合金を使用することにより、ダイヤモンド合成温度及び圧力が低下す
ることは、最低米国General Electric 社より提案された。」
(一頁一〇行ないし一四行)と、第二引用例の技術について記載し、その後に原明
細書の技術を記述し「低温度、低圧力で」(二頁四行目)と記述し、また、その記
載の後にも、まず被告独自の理論を展開した上で、先願発明の技術にふれ(二頁七
行ないし三頁八行)、さらに続けて、「他の提案された方法として予め形成された
合金を使用する方法があるが、これは触媒金属より低融点であるため単体金属を使
用するよりも低い温度、圧力でダイヤモンド合成されるといわれている。」(三頁
九行ないし一二行)と第二引用例の技術を述べ、そのすぐ後に「従来の方法より低
温度、低圧力で」(同頁下より二行目)といつているのである。このように、原明
細書の記載により、第二引用例が公知技術として被告に意識されている以上、明ら
かに同引用例が「従来法」として挙げられていることは否定することはできないの
である。
2 第二引用例との対比について
(一) (構成)
 審決は、第二引用例の発明が触媒の点で本件特許発明と構成を異にする旨判断し
ている。
 しかし、本件特許発明において触媒物質として挙げられている金属は、すべて第
二引用例の合金を形成するものとしてその特許請求の範囲に挙げられている金属に
該当する。この点について詳細に説明すると、まず、本件特許発明において原料た
る黒鉛とともに仕込まれる物質は、
(イ) ニッケル、鉄、コバルトのどれか、
(ロ) 炭化クロム、炭化モリブデン、炭化バナジウム、炭化タングステン、炭化
マンガンのどれか
を組み合わせたものであるが、そのうち、ニッケル、鉄、
コバルトは第二引用例にいう「周期律表第八族」に属するから、この三つのうちの
どれかと他の金属が合金を形成すれば、第二引用例の発明に用いる触媒合金に含ま
れるのである。
 ところで、本件特許発明の要旨では、ニッケル、鉄またはコバルトと組合わされ
るものが炭化物となつているが、これらの炭化物は、ダイヤモンド合成反応時にお
いてはニッケル等と合金を形成している。いま、例をニッケルとクロムにとつてみ
ると、
(a) (仕込み時) 黒鉛 + ニッケルクロム(合金) → (ダイヤモンド
変換反応時) 黒鉛 + 炭化ニッケルクロム(合金)
(b) (仕込み時) 黒鉛 + ニッケル + 炭化クロム → 黒鉛 + 炭
化ニッケルクロム(合金)
となり、(a)(b)はダイヤモンド変換反応時には同じ状態になつているのであ
る。右(a)の場合が第二引用例の発明の特許請求の範囲に属することは当然であ
るが、(b)の場合も、ダイヤモンド変換反応時において(a)と同じになる限
り、その技術範囲に属することは同引用例に明記されている。すなわち、「この合
金は反応装置に仕込まれる以前に既に形成されていることを必ずしも必要とするも
のではなく、ダイヤモンド変換反応が生ずるときに存在することを必要とするもの
である。」(二頁左欄下から一〇行以下)というのがそれである。ニツケルと炭化
クロムが右のような合金を形成することは公知の事実である。
 以上のとおり、本件特許発明における触媒は、明らかに第二引用例の発明の特許
請求の範囲に属するものであり、また、その発明の詳細な説明の項に挙げられた触
媒にも該当する。
 ただ、本件特許発明においては、触媒の仕込みの態様について、ニツケル、鉄、
またはコバルトを粒状にし、この周囲に前記炭化物の層を形成し、黒沿と混合する
ものとしており、この点において一見第二引用例の発明と異なるように見える。
 しかし、これとても第二引用例にいう「炭素質物質を……の合金を含む触媒と組
合わせ」との要件から外れるものではなく、また、仕込みの態様を本件特許発明に
おいて特定するようにしても、単純に混合しても、結果において格別の差異はない
のである。
(二) (作用効果)
 審決は、請求人の提出した宣誓書について、同書中の実験が本件特許発明の実施
例と規模を異にすること、また、右実施例に相当する実験例においても相応のダイ
ヤモンドの生成があつたことを理由に、本件特許発明の作用効果を否定しえないと
する。
 しかし、まず、「規模を異にする」という点は、技術的にも特許法的にも全く問
題外である。一体、本件特許発明は、小さな実験規模ではできるが、商業生産のた
めに多少規模を大きくすれば違つた効果が出てくるというのであろうか。第二引用
例の発明も、本件特許発明も、特許法上の産業上利用できる発明として出題された
はずである。両発明とも、合成の規模の大小を問題にしていない。
 次に、審決が本件特許発明の実施例に相当する実験例においても、「相応のダイ
ヤモンドの生成が認められる以上、本件特許発明の作用効果を否定する積極的な根
拠となりえない。」としている点もまた不可解である。
 原告は、本件特許発明の方法ではダイヤモンドが生成しないといつているわけで
はない。第二引用例において開示された方法を本件特許発明では別の表現をしたに
過ぎず、別段、第二引用例の方法に較べ変わつたところもなく、したがつて、ダイ
ヤモンドも同じようにできることは当然である。
第三 被告の答弁
一 請求原因一ないし三の事実は認める。
二 同四の取消事由は争う。審決の判断はすべて正当であつて、原告の主張に違法
はない。原告の主張に対する反論は、次のとおりである。
1 要旨の変更について
 本件特許発明の原明細書には具体的な温度、圧力条件が示されていないことは、
原告指摘のとおりである。しかし、本件補正によつて発明の要旨中に「約一、二〇
〇度Cないし一、六〇〇度C、約五七、〇〇〇気圧ないし約七五、〇〇〇気圧の温
度、圧力範囲で、かつ、ダイヤモンド安定領域にある温度、圧力条件」と特定した
ことは、以下に詳説するとおり、原明細書に開示された発明の要旨を変更したこと
にはならないものである。
 なお、本件特許発明が第一引用例に示された技術内容と同一である点については
争わない。
(一) 本件特許発明が高温、高圧のダイヤモンド安定領域でダイヤモンドを合成
する方法であることは、原明細書の二頁七行ないし九行に「本発明を更に詳細に説
明すると、高温高圧のダイヤモンド安定帯域でダイヤモンドを合成するに際し、
…」と記載されていることから明らかである。したがつて、前記の具体的な温度、
圧力条件のうち「かつ、ダイヤモンド安定領域にある温度、圧力条件」という点は
要旨変更ではない。
(二) 次に、「約一、二〇〇度Cないし一、六〇〇度C、約五七、〇〇〇気圧な
いし約七五、〇〇〇気圧の温度、圧力範囲」という特定条件について考察する。
 本件特許発明の出願当時のダイヤモンド合成法において示された圧力の数値は、
第二引用例の五頁右欄下から一四ないし九行に記載されているとおり、【A】によ
つて発表された、ある種の金属の電気抵抗の変化による値であり、原明細書にある
圧力の値も、すべてこの【A】のもので示されている。
 一方、その当時知られていた最も近代的なダイヤモンドーグラフアイト平衡線
は、【B】および【C】によつて発表されたもの(第二引用例一頁左欄末行ないし
右欄二行)であるが、本件特許発明の出願当時において、グラフアイトに金属触媒
の存在下でこのダイヤモンドーグラフアイト平衡線のダイヤモンド安定領域内の温
度及び圧力を供するときダイヤモンドが合成されうることは、全く既知の事実であ
つた。
 本件特許発明の根本的思想は、触媒金属の周囲に金属炭化物の層を形成したもの
とグラフアイトの混合物をダイヤモンド安定領域にある温度と圧力の条件下でダイ
ヤモンドを合成するものであつて、このことについては原明細書及び本件補正後の
明細書に明記されている(原明細書一頁末行ないし二頁六行及び本件特許公報一頁
右欄二一行ないし二五行参照)。
 金属炭化物の層は、触媒金属が熔融点に達するまで、すなわち熔融するまでグラ
フアイトとの接触を防ぐのであり、ダイヤモンド合成に当つては触媒金属は溶融す
る。
本件特許発明においては、原明細書及び本件補正後の明細書に記載されているよう
に、鉄、ニツケル及びコバルトを使用する。したがつて、この三者の中で融点の高
い鉄が熔融する温度以上でダイヤモンド合成をする必要があるということはいうま
でもない。
 純鉄の融点は一、五三五度Cである。しかし、ダイヤモンド合成反応が生起する
時点では、鉄は炭素を吸収しその融点は降下し、鉄と炭素との共晶点たる一、一四
〇度C前後まで低下するのであるが、鉄の融点は圧力上昇とともに高くなることが
周知であるので、この点を考慮して、本件特許発明においては、上記の一、一四〇
度Cより平均的にみて約六〇度Cの温度上昇があるものと想定して、約一、二〇〇
度Cという数値にダイヤモンド合成時の温度の最低を定めたのである。
 そこで、さきに示した【B】及び【C】によるダイヤモンドーグラフアイト平衡
線からこの約一、二〇〇度Cに見合う圧力を見れば、その圧力は約四六、八〇〇気
圧となる。この【B】及び【C】による圧力の数値は、実際上正しい圧力の値を表
示するもので、この数値とさきに述べた【A】による数値との間には差異があるこ
とは知られているので、【B】及び【C】による約四六、八〇〇気圧という数値を
【A】による数値に換算すれば、約五九、〇〇〇気圧となり、さらに、【B】及び
【C】による圧力の数値には約五%内の誤差があることを考慮に入れれば、約五
七、〇〇〇気圧と計算されるのである。
 以上のように、本件特許発明において、温度の低い側を約一、二〇〇度Cとし、
これに対応する圧力の低い側を約五七、〇〇〇気圧としたことは上記のとおりであ
るから、本件特許発明の原明細書には、約一、二〇〇度C及び約五七、〇〇〇気圧
という数値自体を直接表現する記載はないけれども、原明細書に記載された技術内
容を、出願の時点において、その発明の属する技術分野における通常の知識を有す
る者が客観的に判断すれば、その事項自体が記載してあつたことに相当するもので
あるというべきである。
 次に、温度及び圧力の高い側については、温度は一、六〇〇度C、圧力は約七
五、〇〇〇気圧と定めているが、これは、本件特許発明の出願後において先願発明
の公報が公表せられ、圧力を少なくとも約七五、〇〇〇気圧とするダイヤモンド合
成法が本件特許発明に対して先願として出願されていた事実を知り、これとの区別
をつけるため、約七五、〇〇〇気圧より低い圧力と定めたのにほかならない(な
お、本件特許発明においては、従来より低い圧力でダイヤモンドの合成を行ないう
る点に主眼があるので、約七五、〇〇〇気圧以上のような高い圧力を採用すること
は、むしろ目的とするところではない。)。この【A】による約七五、〇〇〇気圧
に見合う温度は一、六〇〇度Cに相当するので、本件特許発明において高い側の温
度を一、六〇〇度C、高い側の圧力を約七五、〇〇〇気圧と定めたのである。
 このような高い側の温度及び圧力についても、原明細書には、数値自体を直接表
現する記載はないけれども、先願発明との区別を明確にするために表示した数値で
あるのみならず、かかる特定の数値は、先願発明との区別を確実にするために採用
せられるべき合理的数値で、公知のダイヤモンド安定領域内にある数値であるか
ら、これをもつて明細書の要旨の変更とすることは不当である。
(三) 結局、本件特許発明の出願当時において、主として第八族金属を炭素の触
媒として、高温、高圧領域でダイヤモンドを合成することに関する圧力、温度、触
媒等の各要素、組合わせについての諸条件は、当業者にとつて公知の技術知識であ
つたのであり、本件特許発明は、このような公知の合成技術を前提とし、その改良
発明として提案されたものである。そして、原明細書には、非ダイヤモンド炭素
を、第八族元素を使用して七五、〇〇〇気圧、一、五〇〇度Cの温度、圧力で処理
することが公知であり、本件特許発明は、同じ第八族元素を使用しその周囲を炭化
物で覆うことにより従来法より低温度、低圧力下でダイヤモンドを合成できるもの
であるとの知見が示されている。したがつて、当業者にとつて、ここにいう「低温
度、低圧力」とは、少なくとも一、五〇〇度C以下、七五、〇〇〇気圧以下のダイ
ヤモンド安定領域を指すものであることは明らかであつて、単に、それが明細書上
数字的に示されていないというに過ぎない。
(四) 原告は、原明細書には具体的実施例が欠如していると主張する。しかし、
原明細書には、触媒金属の周囲を炭化物で覆う場合の具体的な手段として、触媒金
属の粉末よりさらに細い粉末を使うこと、触媒金属の板を使うときには表面にメツ
キすること、他の金属板をはり合わせるなどの方法が開示されており、このような
開示があれば、当業者ならば誰でも追試し、合成に成功できるのであるから、これ
をもつて、実施に必要な態様が記載されていないということはできない。
(五) 原告は、本件補正による温度、圧力条件が公知技術たる第二引用例のそれ
よりも低くないことを理由として、原明細書における「従来法よりも低温度、低圧
力」と本件補正による「約一、二〇〇度Cないし一、六〇〇度C、約五七、〇〇〇
気圧ないし約七五、〇〇〇気圧」とは明らかに温度、圧力条件を異にすると主張す
る。
 しかし、第二引用例の技術は、触媒として金属合金を使用する技術であり、原明
細書に記載されているような、第八族元素を単体として触媒に使用する技術ではな
い。本件特許発明は、第八族元素を単体として触媒に使用する技術に関するもので
あるから、この技術に対して、合金触媒の場合の温度圧力条件が公知であること
は、何の意味もない。
 原告のこの点に関する非難は、結局、審決が公知技術の認定に際して、「第八族
元素、クロム、マンガン、タンタルの一種又はそれ以上を単純に触媒として作用さ
せる従来のダイヤモンド製造技術において」という前提文言を脱落していることを
非難するに帰着するが、原明細書で比較している公知技術が右触媒使用の技術であ
ることが当事者に明白な本件において、右のような当然の事項の記載がないからと
いつて、審決を非難することは失当である。
 原明細書において本件特許発明が改良の対象としている従来法とは、第二引用例
の発明ではなく、当時すでに外国文献によつて知られていた先願発明の方法である
から、原明細書にいう低温度、低圧力とは、一、五〇〇〇度C以下、七五、〇〇〇
気圧以下の領域を指すのである。
 問題は、本件特許発明の出願二週間前に出願広告された第二引用例の知、不知に
あるのではなく、原明細書にいう低温度、低圧力の領域がどうであつたかにある。
そして、右領域がすでに述べたような範囲であることが原明細書の記載によつて明
らかである以上、その範囲を補正によつて数値的に明確にすることが要旨変更にな
る理由はない。
2 第二引用例との対比について
(一) (構成)
 第二引用例の発明においては、触媒としての合金は、「触媒金属は少なくとも一
つの他の金属との予め形成された合金の形として使用される」とあるうちの「予め
形成された合金」であり、「その中で各金属の原子は他の総ての金属の原子と親密
に組合わされており、かつ、各金属の原子は金属結合により他の金属の原子に保持
されている」結合型式のもので、「触媒金属と非触媒金属の合金、触媒金属と二つ
又はそれ以上の非触媒金属との合金、二つ又はそれ以上の触媒金属と二つ又はそれ
以上の非触媒金属との合金」が含まれるが、この「予め形成された合金」という用
語は、特に「二つ又はそれ以上の純粋な金属の単なる機械的混合物と区別するため
に使用することを意図」しているのであるから、触媒金属として鉄、ニツケル、コ
バルトの一種を用い、これと金属炭化物を混合して用いることを特徴とする本件特
許発明における触媒が含まれるはずはない。
 いわんや、第二引用例には、有機または無機の炭素化合物は、ダイヤモンド合成
のような高温、高圧領域では炭素が遊離するであろうとの推論が示されているので
あるから、その発明には、触媒金属と金属炭化物の共存によつて合成圧力を低下さ
せるなどという思想は全くないのである。
 ところが、原告は、本件特許発明において、触媒としてニツケルを、炭化物とし
て炭化クロムを使用し黒鉛と反応させれば、まず炭化ニツケルクロム合金ができ、
これが黒鉛と反応するといい、第二引用例の場合において、ニツケルクロム合金を
触媒として用いた場合でも、先ず炭化ニツケルクロム合金ができ、次いで、黒鉛と
反応すると主張する。
 しかし、第二引用例には、このような炭化合金形成の記載はなく、かえつて、炭
化物の分解の推論があること前述のとおりであつて、この点に関する原告の主張
は、第二引用例に何ら記載のない、無関係な議論である(なお、第二引用例が実際
に開示している技術は、合金一般による低圧、低温性の実現ではなく、組成成分な
らびに組成割合の限定された「予め形成された合金」による低温、低圧にすぎない
のであつて、どのような成分の、どのような組成割合の合金でもよいという技術で
はないのである。)。
 さらに、第二引用例の反応形式に関する原告の主張も当らない。原告は、黒鉛と
ニツケルクロム合金を反応させると、まず炭化ニツケルクロム合金ができ、次い
で、これがダイヤモンド源としての残存黒鉛と反応するように主張するが(原告主
張の(a)の反応形式はそうとしか読みとれない。)、もしそうであるとすれば、
ダイヤモンドに変換すべき炭素源としての黒鉛に対する触媒は、炭化ニツケルクロ
ム合金ということになり、ニツケル、クロムの各金属原子の外に非金属原子である
炭素原子が結合に参加しているので、このようなものは、もはや第二引用例にいう
「合金触媒」たりえないのである。
 この点に関連して、原告は、第二引用例の「この合金は反応装置に仕込まれる以
前に形成されていることを必ずしも必要とするものではなく、ダイヤモンド変換反
応が生ずるときに存在することを必要とするものである。」との記載をその主張の
根拠とするが、このような記載があるからといつて、前記のような第二引用例にお
ける厳密な合金の定義からみて、ダイヤモンド変換反応時に「触媒合金」が非金属
原子を含んでよいということにはならない(ちなみに、被告は、原告の主張する炭
化ニツケルクロム合金なるものの実体を把握することができない。炭化クロムニツ
ケル合金は理解できるが、この合金は、炭化クロムがニツケル中に分散している共
晶型の合金であつて、第二引用例の指示する原子結合型式をとるものではな
い。)。
(二) (作用効果)
 本件特許発明と、第二引用例の発明との実際上の差異は種々あるが、特に、レジ
ンボンド用のダイヤモンドが高収率で得られることは、本件特許発明の大きな特徴
の一つである。また、少なくとも第二引用例に記載された限りでは、その発明にお
いて必要な最低圧力は五〇、〇〇〇気圧であるが、本件特許発明の最低圧力は五
七、〇〇〇気圧であり、もし、右記載が正しいとすれば、この面では第二引用例の
技術が優れている。しかし、他方、第二引用例には、「本発明にて使用される予め
形成された合金触媒は、前述のごとく、ダイヤモンド形成反応を触媒的に促進する
べくダイヤモンド安定帯域中のある最低温度及び圧力以上で作用しうるものであ
る。一般に、圧力及び温度の下限は、それぞれ五〇、〇〇〇気圧及び一、二〇〇度
Cである。これは、予め形成された合金触媒のすべてが、最低五〇、〇〇〇気圧及
び一、二〇〇度C以上のダイヤモンド安定帯域中のすべての温度及び圧力下で作用
しうるということを意味するものではない。……例えば、六六%鉄、三〇%ニツケ
ル、四%クロムの合金触媒が作用しうる圧力下限は、大体五五、〇〇〇気圧にあ
る。八〇%ニツケル―二〇%クロム合金の場合は、最低圧力は約六三、〇〇〇気圧
である。」(三頁左欄一〇行ないし三八行)、「実際に使用する範囲は、個々の触
媒により適宜選択される。特に、好適な圧力範囲は、約一、四〇〇度Cないし一、
八〇〇度Cにて約七〇、〇〇〇気圧ないし一〇〇、〇〇〇気圧であり、この範囲の
中で個々の触媒について好ましい温度及び圧力が選定される。」(同欄末行より右
欄三行)と記載され、かつ、実際に第二引用例に記載されたすべての実施例をみて
も、触媒たる合金の組成の微細な変化によつて、ダイヤモンド合成に必要な温度、
圧力条件が大きく変化していることが認められるように、その技術においては、複
数の金属元素を選択すること、並びにそれら二種又はそれ以上の金属の成分割合を
確定するということ、すなわち、特定の合金触媒を創出することが最も大切な実施
条件となるが、本件特許発明の場合は、かかる制約がほとんどない。この意味にお
いては、本件特許発明が優れているといわなければならない。
 右の事例だけをみても、本件特許発明と第二引用例の発明とは、異なる技術であ
るといえる。
第四 証拠関係(省略)
       理   由
一 請求原因事実中、原告主張の出願、補正及び公告を経て登録となり、被告が特
許権者である本件特許発明につき、原告の特許無効審判の請求から審決の成立に至
るまでの手続の経緯、発明の要旨及び審決理由の要点は、当事者間に争いがない。
二 そこでまず、原告主張の取消事由のうち、要旨変更の点について判断する。
1 前記争いのない経緯に、成立に争いのない甲第一号証の一(本件特許発明の願
書-原明細書)、同五(本件補正の手続補正書)及び第六号証(本件特許発明の公
報)をあわせると、本件特許発明は、昭和三七年六月三〇日の出願に係り、その原
明細書の特許請求の範囲には、
(1) 非ダイヤモンド炭素をダイヤモンドの安定帯域内で金属触媒の存在下でダ
イヤモンドを合成するに当たり、金属触媒の周囲にこの金属より熔融点の低い金属
又は炭化物を形成する金属又は炭化物の層を作り、触媒金属がダイヤモンド生成条
件下に置かれるまで非ダイヤモンド炭素との接触を防止することを特徴とするダイ
ヤモンド合成法。
(2) 非ダイヤモンド炭素をダイヤモンドの安定帯域内で金属触媒の存在下でダ
イヤモンドを合成するに当たり、種子としてダイヤモンド粒を使用し、このダイヤ
モンドの外部に金属触媒の層を作り、さらにその外部をこの金属より熔融点の低い
金属又は炭化物を形成する金属又は炭化物の層を作り、非ダイヤモンド炭素中に配
置して、ダイヤモンド粒を核として大粒のダイヤモンドを合成することを特徴とす
る方法。
(3) 特許請求の範囲(1)及び(2)に記載の方法において、非ダイヤモンド
炭素としてび粉の触媒金属を混合した非ダイヤモンド炭素を使用することを特徴と
する方法。
と記載されていたが、出願公告決定謄本送達前である昭和三八年一〇月一四日提出
の手続補正書によつて明細書全文が補正(本件補正)され、その結果、本件特許発
明の特許請求の範囲は請求原因二記載のとおりとなつて、特に「約一、二〇〇度C
ないし一、六〇〇度C、約五七、〇〇〇気圧ないし約七五、〇〇〇気圧の温度、圧
力範囲」というダイヤモンド合成のための具体的温度、圧力条件が加えられたもの
であることが認められる。そして、右具体的温度、圧力条件が原明細書の特許請求
の範囲はもとより、発明の詳細な説明の項にも示されていないことは、当事者間に
争いがない。
2 次に、成立に争いのない甲第三号証(第二引用例)及び乙第三号証(先願発明
の公報)によれば、第二引用例の発明及び先願発明は、ともに原告が昭和三四年九
月九日わが国において特許出願をしたダイヤモンド合成に関する発明であつて、前
者は昭和三七年六月一三日(本件特許出願の約半月前)、後者は同年七月一六日
(本件特許出願の約半月後)それぞれ出願公告されたものであることが認められる
が、弁論の全趣旨に徴すると、右両発明の技術内容の概略は、右特許出願に先立つ
て外国文献等によつて公表されていたため、本件特許発明の出願時たる昭和三七年
六月当時においては、すでに実質上公知の技術となつていたものと認められる。
 そこで、前掲甲第一号証によつて、本件特許発明の原明細書の内容を右両発明と
対照しつつ検討すると、その発明の詳細な説明の項には、まず冒頭に、(1)「本
発明は、従来のダイヤモンド合成法を改良し、すぐれたダイヤモンド結晶を合成す
る方法に関するものである。」と発明の目的ないし課題が掲げられ、続いて、
(2)「ダイヤモンドは非ダイヤモンド炭素とFe、Ni、Co等の第八族元素を
一、五〇〇度C、八〇、〇〇〇気圧の条件下で処理することにより合成されること
は公知であり、また、Fe、Ni、Co等の第八族元素金属と他の金属の予め形成
された合金を使用することにより、ダイヤモンド合成温度及び圧力が低下すること
は、最近米国General Electric社より提案された。」として、前
半は先願発明の技術(なお、そこに示された温度、圧力条件の数値は、先願発明の
特許請求の範囲におけるそれとは一致していないが、それが先願発明の技術に相当
することは、その出願人たる原告の自認するところである。)、後半は第二引用例
の発明の技術がそれぞれ従来法として紹介され、次に、(3)「本発明において
は、ダイヤモンド合成に当たり、Ni、Fe、Co等の周期律表第八族の金属等の
金属中へ炭素を熔解する金属の周囲を、これらの金属よりも熔融点の低い金属又は
炭化物を形成する金属又は炭化物で蔽い、これらの金属と非ダイヤモンド炭素との
接触をニツケルの融点又はニツケルと炭素の共融点まで防止することにより……少
量の触媒にて低温度、低圧力で、結晶の完全なるダイヤモンドを合成する方法に関
するものである。」として、本件特許発明の特徴たる触媒態様とその課題が記載さ
れ、さらに、(4)本件特許発明の方法について説明があつた後、(5)「触媒金
属の単体では七五、〇〇〇気圧以上の圧力を必要とするのである。」として先願発
明の技術に触れ、続いて、(6)「他の提案された方法として予め形成された合金
を使用する方法があるが、これは触媒金属より低融点であるため、単体金属を使用
するよりも低い温度、圧力でダイヤモンド合成されるといわれている。」として第
二引用例の発明の技術が再び言及され、次に、(7)「本発明においては、非ダイ
ヤモンド炭素よりダイヤモンド安定帯域でダイヤモンドを合成するに当たり、第八
族元素の金属の周囲を……することにより、触媒金属の拡散又は炭素の吸収を防止
して、従来の方法より低温度、低圧力でダイヤモンドを合成することができる。」
として本件特許発明における解決手段及び作用効果が記載され、最後に、(8)触
媒金属の周囲に層を作る方法、触媒金属より融点の低い金属、炭化物を形成する金
属及び炭化物の各例示等が記載されているが、(7)以下の項においては、先願発
明及び第二引用例の発明については触れられていない。また、(3)及び(7)の
ように、本件特許発明においては、従来法より低温度、低圧力でダイヤモンドの合
成が可能であるとしながら、原明細書を通じて、その低温度、低圧力の数値が具体
的にどうであるかについては全く触れられてなく、さらに、その作用効果を確認す
べき実施例の記載も存しない。
 ところで、前掲甲第三号証、第六号証に弁論の全趣旨をあわせると、ダイヤモン
ドの成因についてはなお未解決の部分が多く、
ダイヤモンド合成(人工ダイヤモンド)の技術は、一九世紀以来、理論的追究とい
うよりも、数多くの研究者があらゆる仮定ないし提案をもとにして様々な実験を繰
返したことによつて発展して来たものであることは、その歴史に徴しても明らかで
あり、そのような実験優位の事情は、原告が一九五五年に画期的なダイヤモンド合
成に成功した後においても同様であるところ、その実験においては、原料、触媒、
温度、圧力、装置等の要素が具体的に特定されることが必須の条件であつて、その
いずれを欠いても技術開示としての意味がなく、その実施は不可能であることが肯
認できる。そうだとすると、本件において、前認定の程度の原明細書の記載、特
に、温度、圧力条件についての特定がないところの技術開示をもつてしては、他に
特段の事情が加わらない限り、その特許請求の範囲に記載された発明は、その技術
開示として十分でないものとするのが相当である。
3 被告は、右の点について、原明細書において本件特許発明が改良の対象として
いる従来法とは先願発明の方法である旨主張する。
 原明細書に従来法として先願発明及び第二引用例の発明が紹介されていること
は、前段において判示したとおりであるが、少なくとも、先願発明のみが改良の対
象である旨を明示した記載がないため、疑問がないわけではないけれども、前記の
とおり、本件特許発明が第八族元素を単体として使用するのに対し、第二引用例の
発明は「予め形成された合金」を使用する点で、両発明の触媒が異なること、本件
特許発明が低温度、低圧力によるダイヤモンド合成を課題とするところ、原明細書
においてその温度、圧力条件の数値を示した従来法は先願発明のもののみとなつて
いることからすると、原明細書において本件特許発明が改良の対象とした公知技術
は、被告主張のとおり、第二引用例の発明ではなく、先願発明の技術を指している
ものと解するのが相当である。
 したがつて、原明細書にいう低温度、低圧力とは、一応、先願発明の「一、五〇
〇度C、八〇、〇〇〇気圧」(前記2、(2)の前半)以下の領域を意味するとい
うことはできるが、そうだからといつて、本件補正による「約一、二〇〇ないし
一、六〇〇度C、約五七、〇〇〇ないし約七五、〇〇〇気圧」という特定の温度、
圧力条件が原明細書に実質上記載されていることにはならない。なぜなら、「一、
五〇〇度C、八〇、〇〇〇気圧以下」の温度、圧力条件というだけでは、その下限
がどの程度の温度、圧力であるかが特定されないので、原明細書の記載から当然
に、本件補正による具体的温度、圧力条件が導かれるものではないからである。
 もつとも、被告は、原明細書にいう「低温度、低圧力」とは、少なくとも一、五
〇〇度C、七五、〇〇〇気圧以下のダイヤモンド安定領域を指すものであることは
明らかである旨主張し、確かに、原明細書の発明の詳細な説明の項及び特許請求の
範囲には、本件特許発明によるダイヤモンド合成が「ダイヤモンド安定帯域内で」
行なわれる旨の記載があることは、前認定のとおりである。
 しかし、前掲甲第三号証及び乙第三号証によれば、ダイヤモンド安定領域(帯
域)とは、ダイヤモンドが安定に存在しうる温度、圧力条件の領域を指すものであ
り、理論的にはその領域内において炭素質物質をダイヤモンドに変換しうるもので
あるけれども、逆に、単に炭素質物質をその領域内の状態に曝しても、これをダイ
ヤモンドに変換するには十分でないものであることが認められるから、原明細書に
前記記載があるからといつて、そこから当然に、特定の原料、触媒及びその態様を
もつて行なうダイヤモンド合成についてその温度、圧力条件が定まるものと解する
ことはできない。
4 次に、被告は、本件特許発明の出願当時、ダイヤモンド合成に関する圧力、温
度、触媒等の各要素、組合わせについての諸条件は、公知の技術知識であつたと主
張する。
 そして、成立に争いのない乙第六号証の一、二によれば、本件特許発明の出願前
に頒布された雑誌「ネイチユア」には「金属と炭素の共晶融点線と黒鉛ーダイヤモ
ンド平衡線の交点が、特定の触媒によるダイヤモンド生成が可能な温度、圧力の下
限となる。」との実験報告が記載され、また、成立に争いのない乙第七号証によれ
ば、同様の雑誌「ジヤーナル・オブ・ケミカル・フイジツクス」には「ダイヤモン
ドを合成しうる領域は、【B】及び【C】によるダイヤモンドー黒鉛平衡線と触媒
金属と炭素との圧力に対応する共融温度線とで区切られた区域である。」ことが実
験によつて確かめられた旨が記載されていることが認められ、これらによれば、金
属と炭素の共晶融点線とダイヤモンドー黒鉛平衡線の交点がダイヤモンド生成可能
の温度、圧力の下限となることは、当時においてダイヤモンド合成に関する技術水
準に属する知識であつたということができる。
 しかし、このような技術知識は、ダイヤモンド合成に関する一般的基本的な知見
たるにとどまるものであつて、これを前提にしたとしても、その共晶融点と平衡線
の交点が、特定条件(しかも、温度、圧力条件については明確には定められていな
い。)のダイヤモンド合成の温度、圧力条件の下限を示すものということはできな
い。
 そして、他に、被告主張のような、ダイヤモンド合成に関する諸条件が特定する
ことを要しないほどの自明の事項であつたことを認めるに足りる証拠はない。
 また、被告は、本件補正による特定の温度、圧力条件の数値が決定された根拠に
ついて種々主張しているが、仮りにそれが推論上合理性を有するものを含むとして
も、そのことと、右特定条件が原明細書に開示されていたかどうかとは別個の問題
であるから、それをもつて本件補正が要旨変更にならないとはしえないものであ
る。
5 以上検討したところを総合すると、原明細書については、本件特許発明出願当
時における技術知識及び原明細書に従来法として掲げられた公知技術に関する記載
を斟酌しても、結局、これに本件補正による特定の温度、圧力条件が実質的に記載
されているとはいうことができず、また、そのような温度、圧力条件は、当該発明
におけるダイヤモンド合成反応の実在を裏付け、その作用効果を確認するという点
において、欠くことのできない構成要件であるというべきであつて、これは、本件
特許発明が従来法の改良発明であることによつて左右されるものではない。
 したがつて、温度、圧力条件について特定するところのない本件特許発明の原明
細書には、ダイヤモンド合成に関するこの点の技術思想が実質上開示されていると
はいえないものであるから、これを追加補充した本件補正は、明細書の要旨を変更
するものに該当するといわざるをえない。
三 本件補正が要旨を変更するものと認められる以上、特許法第四〇条の規定によ
つて、本件特許発明の出願は、本件補正の手続補正書が提出された昭和三八年一〇
月一四日にしたものとみなされる。そして、第一引用例が同日前に日本国内におい
て頒布された刊行物であることは、成立に争いのない甲第二号証により明らかであ
るところ、本件特許発明が第一引用例に示された技術内容と同一であることは、被
告の争わないところであるから、本件特許は、特許法第一二三条第一項第一号、第
二九条第一項第三号の規定によりこれを無効とすべきものである。
 したがつて、原告の特許無効審判の請求を排斥した審決は、その余の争点につい
て判断するまでもなく違法であつて、取消を免れない。
四 よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を正当とし
て認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条及び民事訴訟法
第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 荒木秀一 石井敬二郎 橋本攻)

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