弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


戻る

         主    文
     本件について再審を開始する。
         理    由
           目     次
 第一、 本件再審請求の趣意
 第二、 本件事案の概要と従前の再審請求との関係
 第三、 本件事案の処理上考慮すべき基本的な問題点
 第四、 原判決の有罪認定の証拠上の構成
 第五、 請求人提出、援用の「あらたな証拠」のうち、A1意見書、同鑑定書、
A2鑑定書、A3鑑定書、A4鑑定書、A1、A2各証人尋問調書について
 一、 本件兇器について
 (一) 原判決の認定する兇器
 (二) 原判決の認定する兇器「押切、藁切」の性状、形態
 (三) A1意見書、同鑑定書、A2鑑定書、A1、A2各証人尋問調書の検討
  (A) 本件被害者B1の創傷の部位、程度
  (B) A2鑑定
  (C) A1鑑定
  (D) A3、A4鑑定
  (E) 右A2、A1鑑定の評価と右A3、A4鑑定との関係
 二、 A5の血痕鑑定について
 (一) 本件筒袖衣服の押収の時期
 (二) A5鑑定の経緯、方法
 (三) A1意見書、同鑑定書、A2鑑定書、A3鑑定書、A4鑑定書、A1、
A2各証人尋問調書の検討
  (A) 「人血」であるとするA5鑑定の当否
  (B) 「血痕」であるとするA5鑑定の当否
 第六、 原判決の有罪認定につき考慮すべきその他の関係
  一、 C1の供述の信用性
 (一) 原一、二審判決の記載に現われたC1の供述の疑念
 (二) D1夫婦逮捕の一件
 二、 請求人の本件事件当時から今日までの行動
 第七、 結論
           本     文
 第一、 本件再審請求の趣意
 本件再審請求の趣意は、弁護人藤堂真二、同原田香留夫、元弁護人星野民雄、同
鈴木惣三郎共同作成名義の再審請求書及ひ請求人、弁護人藤堂真二、同原田香留夫
共同作成名義の意見要旨(昭和五一年五月一九日付)記載のとおりであるから、こ
こにこれを引用する。その要旨は次のとおりである。つまり、
 請求人は大正五年八月四日広島控訴院で、請求人がC1と共謀のうえ大正四年七
月一一日午前一時ころ山口県豊浦郡a村B1方に所持金窃取の目的で侵入し、覚醒
した同人を逮捕を免れるため殺害したという住居侵入、殺人、強盗致死の罪(以下
単に強盗殺人という)を犯したとして、無期懲役に処せられ、請求人はこれに対し
上告申立をしたが、これも大正五年一一月七日同棄却となり、右有罪判決は即日確
定するに至つたものである。しかしながら、請求人は右犯行には毛一筋も関与して
おらず、全くの冤罪であるから、これらを明らかにするため以下の理由で右再審開
始の決定を求めるべく本件請求に及んだというのであり、そして同理由とするとこ
ろは、種々主張しているが結局、いずれも旧刑事訴訟法(大正一一年法律第七五
号、以下単に旧刑訴法という)四八五条六号所定の「無罪ヲ言渡スヘキ明確ナル証
拠ヲ新ニ発見シタル」ことを主張するものと解される。その主張する要証事実と新
証拠は以下のとおりである。
 (一) (1)、被害者B1の受けた創傷は、原確定判決(以下単に原判決とい
う)が兇器とする「押切」等相当重量のある刃器によるものでないこと、(2)、
原判決挙示のA5の鑑定書中、当時請求人が着用していたとされている「証第九号
筒袖衣服」の表面に附着する斑点は「血痕ニシテ」「人血ナリ」とする鑑定は誤り
であること、(3)、原判決挙示のC1の豫審尋問調書中の供述記載には信憑性の
ないこと、を立証するあらたな証拠として、
 1、 A1作成の昭和五〇年五月三一日付意見書(以下単にA1意見書と略称)
 2、 同人作成の同年八月二六日付鑑定書(以下単にA1鑑定書と略称)
 3、 A2作成の同年一一月三日付鑑定書(以下単にA2鑑定書と略称)
 4、 当裁判所のA1証人尋問調書
 5、 同    A2証人尋問調書
 6、 A3作成の昭和五一年三月二三日付鑑定書(右(2)の関係のみ)(以下
単にA3鑑定書と略称)
 7、 A4作成の同年四月二二日付鑑定書(右(2)の関係のみ)(以下単にA
4鑑定書と略称)
 (二) 精神医学、心理学的側面からして、(1)請求人が終始犯行を否定し無
実を主張するのは、事実に基づくもので単なる妄想ではないこと、(2)C1の述
べるところは虚偽であること、を立証するあらたな証拠として、
 1、 D2作成の昭和五〇年八月三〇日付鑑定書
 2、 当裁判所のD2証人尋問調書
 3、 E1作成の昭和五一年二月一一日付意見書(ロールシヤツハテスト所見も
含む)
 4、 当裁判所のD3証人尋問調書(右(2)の関係のみ)
 (三) 本件現場状況、地理的関係等からして原判示のC1の供述は信用できな
いいことを立証するあらたな証拠として、
 1、 弁護人藤堂真二作成の昭和五〇年一〇月一三日付検証調書
 2、 当裁判所の検証調書(現場)
 (四) その他、(1)本件につき、C1には動機があるが、請求人には動機が
ないこと、(2)請求人が捜査当初より今日まで一貫して無実を主張しているこ
と、を立証するあらたな証拠として、
 1、 当裁判所における請求人の供述(請求人尋問調書)
 2、 大正五年一月二六日付同年二月九日付E2新聞紙(右(1)の関係のみ)
 3、 請求人の身分帳簿中巡閲官に情願し却下された告知書(右(2)の関係の
み、以下8まで同じ)
 4、 E3作成の昭和三九年二月二八日付供述書
 5、 第一次再審請求記録(当庁昭和三八年(お)第一号)中の請求人の供述速
記録
 6、 請求人作成の昭和四五年九月三〇日付法務大臣宛嘆願書
 7、 請求人作成の再審事件特別日誌と記録昭和三八年三月と題するノートブツ

 8、 日弁連、F1、F2その他多数弁護士、医師等と請求人との往復文書
 第二、 本件事案の概要と従前の再審請求との関係
 本件再審請求事件記録及び従前の再審請求事件各記録によると、本件は、請求人
が前記のとおり大正四年七月一一日午前一時ころC1とともに強盗殺人を犯したと
いうことで、当初大正五年二月一四日一審山口地方裁判所で右両名とも各無期懲役
に処せられ、次いで請求人より無罪を主張し、また原審検事より右両名につき量刑
軽きに失するとの主張で広島控訴院に各控訴したが、同控訴院は右両主張とも採用
できないとし、ただ法令適用において右一審判決は住居侵入の所為を認、がらその
擬律を遺脱した違法があるとして右一審判決を取消して改めて請求人、C1の両名
につき各無期懲役に処する旨の判決言渡をし、その後請求人はさらに右無罪を主張
して上告したが、大正五年一一月七日大審院で上告棄却の判決がなされ、同判決は
即日確定するに至つたものであるところ、請求人は同日から服役することとなり、
広島刑務所、三池刑務所、久留米少年刑務所等約一四年一ヶ月の間服役の後昭和五
年一二月六日仮出所となつたものであり、請求人は本件事件当時二三才、現在は八
四才ですでに当時から六〇年もの歳月を閲し、右事件関係記録も後述するとおり原
一、二審と上告審の各判決書があるほかは全く残存しない現状であることが明らか
である。
 そして、右請求人の従前の各本件再審請求事件記録によると、請求人は今回の本
件再審請求前すでに五回も当庁に再審請求をなしいずれも同請求棄却となつている
事実が明らかであるところ、これをかりに日時に従い順次第一次から第五次として
示すと、(一)昭和三八年三月第一次再審請求(当庁昭和三八年(お)第一号)、
(二)昭和四〇年六月第二次再審請求(当庁昭和四〇年(お)第二号)、(三)昭
和四二年二月第三次再審請求(当庁昭和四二年(お)第一号)、(四)昭和四五年
五月第四次再審請求(当庁昭和四五年(お)第一号)、(五)昭和四九年六月第五
次再審請求(当庁昭和四九年(お)第二号)となり、本件再審請求は右第六次再審
請求という関係になるものであることが明らかである。ところで、右各記録による
と、従前の各再審請求棄却の理由は、右第五次の分が、同申立は旧刑訴法四九七条
所定の原判決の謄本、証拠書類、証拠物等の添付がないことを理由とするいわば手
続的な瑕疵によるものであるのを除くと、その余は、第二次ないし第四次の分はい
ずれも第一次再審請求で申し立てられた再審請求理由と同一の理由によるものであ
るということで旧刑訴法五〇五条二項に従い棄却されているものであることがうか
がわれるので、右第一次再審請求理由と本件再審請求理由との関係等につき以下若
干の説明を加えておくこととする。
 まず、本件再審請求事件は、同記録によると、旧旧刑事訴訟法(明治二三年法律
第九六号)の下で公訴を提起された強盗殺人事件に関するもので、刑事訴訟法施行
法二条、旧刑訴法附則六一六条一項により旧刑訴法及び日本国憲法の施行に伴う刑
事訴訟法の応急的措置に関する法律に従い処理されるべきものであることはいうま
でもないところ、次いで、従前の再審請求事件各記録により同各請求の理由につき
検討してみるに、その請求の理由とするところは、右各請求棄却に至つた同各決定
の理解するところに従うと、結局は次のようであつたと解される。つまり、右第一
次再審請求においては、同請求の理由とするところは、(一)原判決の挙示するA
5の鑑定書の鑑定資料(証第九号筒袖衣服の一部)は何人かにより偽造されたもの
で、したがつて同鑑定は信用できないものであること、(二)原一審判決挙示のA
5の証言は原二審判決の心証形成にも影響したものとみられるが、替玉によるもの
で同証言は虚偽であること、(三)原判決挙示のC1の原二審公判および第一回豫
審調書中の、本件犯行は請求人との共犯であるとする供述部分は虚偽であること、
を主張し、その証拠資料として、右(一)、(二)につき、鈴木弁護士ら聴取のA
5録音テープ(同速記反訳したものにつき、以下単にA5速記録という)、広島高
等裁判所昭和三九年一月二四日施行A5証人尋問調書を、また右(三)につき、鈴
木弁護士ら聴取の請求人、D1、D4、D5、D6、D7の各録音テープ(以上の
うち、請求人、D1、D6の同各速記反訳したものにつき、以下単に各速記録とい
う)、広島高等裁判所昭和三九年一月二五日施行D1、D6各証人尋問調書及び藁
切(刃の部分のみ)(本件再審請求における当庁昭和五一年押第六号の九と同じも
の)を提出したというものであり、これらを旧刑訴法所定の再審請求「原由」とし
てみる場合、結局、右は、右A5鑑定書の鑑定資料(証拠物)の偽造、A5証言及
びC1供述の虚偽を主張し、しかも重要関係人死亡また所在不明のため確定判決に
よる右証明ができないので、右各提出の証拠資料によりこれらを証明するものであ
るとし、かつまた、右各関係証拠資料は本件犯行につき請求人が無罪であることを
明確にするあらたな証拠でもあるというもので、旧刑訴法四八五条一号二号六号、
四八九条各所定の再審請求「原由」を理由とするものと解されるところ、その後の
第二次から第四次までの各再審請求では、特に右のほか格別の証拠資料も提出され
ないまま(もつとも第三次再審請求では請求人から多数の証人、鑑定人―本件で提
出されている前記新規明白な証拠と同一のものはない―の取調べを請求したが、い
ずれもその立証趣旨に徴し、旧刑訴法四八五条六号に該当するものとはいえないと
して取調べられていない)、右再審請求の「理由」とするところは結局、(一)A
5鑑定書、(二)A5証言、(三)C1供述の各虚偽を主張するか、同主張するに
帰するものとして、所詮右第一次再審請求の「原由」と同一であるとして旧刑訴法
五〇五条二項に従い各棄却に至つている事実をうかがうことができる。
 <要旨>ところで、旧刑訴法五〇五条二項は、たしかに再審請求を理由なしとして
棄却された場合は再び「同一ノ原由ニ因り」再審の請求をすることはできな
いとしている。この点は現行刑訴法も同法四四七条二項で「同一の理由によつて
は」再び再審請求はできないとして同様に規定している。この「同一ノ原由ニ因
リ」再び再審請求できないとしていることの趣旨は、要するに、再審制度の性質上
安易な再審請求を強く抑止するとともに、同じようなことで二度までも裁判所の判
断をする無駄を省こうとすることにあるといえよう。しかし再審制度が本来真の冤
罪者を救済するための制度であるとしたら、この救済の途が多少とも阻害されるよ
うな形での形式的な理解は相当でない。そこで、右「同一ノ原由ニ因リ」の意味を
前記従前の各再審請求「原由」との関係で考えてみるに、旧刑訴法四八五条一号二
号は、いずれも、原判決の証拠となつた証拠書類、証拠物、証言、鑑定等につきこ
れらが偽造、変造、また虚偽であることを確定判決もしくはその他(同法四八九
条)により「証明セラレタルトキ」としているのに対し、同法四八五条六号は無罪
等を言い渡すべき明確なる証拠を「新ニ発見シタルトキ」としているわけで、前者
は、原判決の証拠となつた右証拠書類等につき、一度これが偽造等を主張して「証
明」できなければ、その偽造等であることの理由、またその証明資料を異にして
も、その後は再び、同じ対象につきその偽造等を「証明」することのみによつて再
審開始を求めうる方途は許されないこととなると解すべきものといえようが、しか
し、右後者については「明確ナル証拠」を「新ニ発見シタルトキ」ということに意
味があり、かりに右「新ニ発見シタル」証拠で明確にしようとする要証「事実」が
従前主張された事実と同一のものであつても、その証拠の種別が、単にその証拠方
法を異にするというにとどまらず、実質的にも別異のものと評価されるようなもの
であり、右その他の再審請求「原由」の資料としてでも従前提出されたことのない
ようなものである限り、その「発見シタルトキ」の都度、別個の「原由」として再
審請求しうるものと解さなければならない。そうでないと、右「六号」は、実際上
再審請求「原由」としての大方の意義を失つてしまう結果となる。つまり、原確定
判決の有罪認定を攻撃しようとする場合、多くその問題とすべき争点(要証事実)
は限られていて、右「六号」の存在意義は、右要証事実を明確にすることにより有
罪認定に合理的な疑を生ぜしめるに足る証拠を「新ニ発見シタルトキ」といえるか
どうかにあると解されるからである。そうだとすると、本件の場合、たしかに本件
再審請求「原由」として主張するあらたな証拠での要証事実のうちには、従前の再
審請求で問題とされたA5鑑定及びC1供述の虚偽といつた点、きわめて類似もし
くは同一であるとみられるもののあることは否定できないところではあるが、本件
でその「新ニ発見シタル」証拠として提出もしくは援用するところのものは、少く
とも後で右新証拠として判断対象に取り上げているものに関する限り、従前いかな
る関係でも全く姿を現わさなかつた別個な証拠資料であることは明らかで、したが
つて、これが右「六号」の「原由」としては、従前の再審請求「原由」とは別個な
「原由」としてさらに判断の対象となしうべきものであることは明らかなものとい
える。
 なおこの場合、すでに従前提出された証拠資料は、本件あらたな再審請求「原
由」の関係でその判断の資料に全く使えないものであろうかという点であるが、本
件が別個の再審請求「原由」としてすでに判断の対象となしうべきこととなつた場
合、その「原由」の判断の関係で、右従前提出された資料を特に除外して判断しな
ければならないとする合理的な理由は見い出しがたいのみならず、むしろ、右「六
号」原由の「明確」性の判断は総合的なものであつて、原確定裁判時の全訴訟資料
のほか、従前あらたな証拠などとして提出された資料もその証拠価値が肯認される
ようなものである限り、あらたな証拠との関係で再度全体的心証形成の素材として
右判断の資料となしうるものと解するのが相当であり、そうでないと、もし「新ニ
発見サレタル」証拠が数度にわたるような場合とそうでない場合を対比した場合著
しい不均衡を生ぜしめることとなろう。
 第三、 本件事案の処理上考慮すべき基本的な問題点
 本件再審請求事件は旧刑訴法によるべき場合で、かつ本件再審請求「原由」は、
すでに前記のとおりいずれも同法四八五条六号所定の「無罪ヲ言渡スベキ明確ナル
証拠ヲ新ニ発見シタルトキ」を主張しているものとみられるところ、右六号と同旨
と解される現行刑訴法四三五条六号の関係で、最高裁判所昭和五〇年五月二〇日第
一小法廷決定(最高裁判所判例集二九巻五号一七七頁参照)は、右「無罪を言い渡
すべき明らかな証拠」とは、「確定判決における事実認定につき合理的な疑いをい
だかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきである
が、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所
の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされた
ような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証
拠と総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のために
は確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味
において、『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判における鉄則が適用
されるものと解すべきである。」としている。これは、右「明らかな証拠」である
かどうかの判断につき、それは、当のあらたな証拠と従前の他の全証拠との総合的
評価によつてなされるべきこと、そしてまた、この場合も、右「疑わしいときは被
告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が適用されるものであることを示した
点で注目すべきものといえよう。
 しかしまず、問題は、本件のごとき原一ないし三審判決書のほか全く記録の存し
ない場合右をいかに解すべきかである。右最高裁決定での「他の全証拠」とは、お
そらくは当該確定判決の裁判記録中のものを一応意味したものと解されようが、本
件の場合、原確定記録は、わずかに一審の判決書原本と二審、上告審の各判決書謄
本を残すのみで他はすべてすでに保存期間満了により昭和七年六月一六日廃棄ずみ
であり、本件再審請求の関係でも当裁判所は弁護人、検察官双方を介し、右残存記
録の捜索方に鋭意努めたが、わずかに後述する本件豫審終結決定全文を掲載したと
みられる新聞の記事を発見しえたのみで、右記録はもとより関係者らの控等も含め
遂に一片の残存資料も見い出しえなかつた。ただ幸い、右原一ないし三審判決書、
特に原一、二審判決書にはかなり詳細な理由(証拠)説示がなされているので、原
判決が、はたしてどのような証拠に基づきどのような経過で有罪認定に至つたもの
かについては相当程度の推論が可能とはいえる。しかし元来、判決書の証拠説示と
いつても、すべての証拠を漏れなく網羅しうるものでないことはもとより、また心
証形成の過程も完全に文面に表示しうる性質のものでもないから、訴訟記録に基づ
かないで右判決書の記載のみにより推論をなす場合は、同記載から余程明確に推知
しうるような場合のほか、原判決の立場に立つて、合理的に考えられる請求人に利
益、不利益なあらゆる面からの十分な検討を加え、あらたな証拠との関連での前記
いわゆる「明白性」の判断に慎重を期さないと不当な結果となる。ただしかし、単
に記録がないということのみで、常に請求人に不利益な結果になるというのも相当
でなく、本件のごとき原判決書三通のほか、他に記録のないような場合右記録以外
の資料により、本来記録により明らかにしうるようなことを補充立証できるかとい
う点につき考えてみる必要がある(旧刑訴法六四条、現行刑訴法五二条)。本件で
は、弁護人、検察官双方から、本件あらたな証拠ということのほかにきわめて多種
多様な資料が提出され、たしかにこれらの使用を安易に容認することは、原確定判
決における裁判及び立証の構造に混乱を生ぜしめるおそれもあり問題である。しか
し、原確定記録によらなければ常に原判決の認定に関連する諸事実その他原訴訟及
び捜査手続等の関係事実につき、他の資料による立証を全く許さないということに
なると、もし偶々右記録の全部もしくは一部が焼失、盗難、紛失等の事情で無くな
つたような場合、これら全く請求人に関係のない偶然的事情によつて記録のある場
合に比し請求人に不当に不利益な結果を招来する事態の発生も考えられ、他面、右
立証を認めたとしても、右資料の証拠価値に十分配意し、同証明にも本来の記録に
よる証明に比する程度に厳格を期するということであれば、格別の弊害があるとも
考えられないところで、特に記録のない場合に限り、かつ再審請求理由の判断に必
要な限度では右立証を認めるべきものと解される(本件では、特に弁護人、検察官
双方から同一内容の当時の各新聞―山口県立図書館保管のもの―が提出されている
が、その性質に応じ立証事項を限定し、また他の資料の証明力を補充する程度では
十分使用可能と考える)。
 なお次に、右最高裁決定によると、「明らかな」証拠とは、他の全証拠との総合
的評価の下で右証拠が確定判決の認定に合理的疑を生ぜしめる程度のものかどうか
により判断すべきものとされているが、この点はさらに具体的には、原確定判決の
認定する事実及びその基礎となつた証拠の内容、その立証の程度、構造に応じ、こ
れらとの関係であらたな証拠について要求される前記いわゆる「明白性」の程度も
自ら異なつてくることとなることを意味するものとみられる。有罪認定のためのあ
らゆる合理的疑を解消する程度の立証といつても、実際には右疑を解消してなお余
りある程度に多くの証拠資料の整つているような場合から、必ずしもそうでない場
合に至るまで立証の程度、構造、態様は多様で、これらとの関係ではあらたな証拠
の右有罪認定に及ぼす影響の程度も一様でないとみられるからである。本件の場
合、詳細は後述するとして、原判決が請求人につき有罪認定をなした証拠上の主要
な柱は、共犯者C1の供述とA5鑑定である。しかし、右C1の供述は、原判決の
記載自体に徴しても多くの疑をいだかせる余地のある類のものであるうえ、兇器に
関する点、請求人の着衣に関する点がその供述のうちで信用性に関する重要な地位
を占め、その他右有罪認定の立証の構造等からすると、本件再審請求理由としての
後記各鑑定が及ぼしうる影響はきわめて大きいとみざるをえないところである。こ
の点本件再審請求理由の判断につき閑却しえないところといえよう。
 そして次に、旧刑訴法四八五条六号所定の「新ニ発見シタル」証拠とは、原訴訟
手続に現われたすべての証拠資料以外の資料であつて、原訴訟手続当時請求人自身
がその存在を知らなかつたものを意味するものであることはいうまでもないところ
である。ただこの場合、請求人自身右存在を知つていても、当時、これを容易に取
調請求できない立場にあつたとか、あるいはその取調を請求したが、原裁判所で容
れられなかつたような場合も、右「新ニ発見シタル」証拠に含まれると解しうるか
には、右文言上異論がある。しかしこれはともかく、右知つていたとは、請求人に
おいてその証拠資料の態様、内容をある程度具体的に確知していた場合を意味する
ものと解すべく、ごく一般的にそれらしいものの存在を予想していた程度にすぎな
いようなものは右知つていたもののうちには含まれないものというべきで、「新ニ
発見シタル」ものと解しうるものといえる。本件の場合、原上告審判決書の記載に
よると、当時請求人は原訴訟手続で、あるいは問題の衣類の血痕、また兇器藁切り
の鑑定を申請し、これを容れられなかつたような事実もあるのではなかろうかとい
う推測も可能であるが、請求人が当時本件再審請求でのあらたな証拠とされている
A1、A2、その他の各鑑定のごとき資料の存在しうることを具体的に諒知してい
たなどとは、本件記録上、特に右鑑定人及び鑑定内容等に徴しとうてい考えられな
いところであり、したがつて本件再審請求の関係ではじめて作成、また供述される
に至つた本件各鑑定書及び同各鑑定人の証言等が、「新ニ発見シタル」証拠に含ま
れるものと解することになんら問題はないものといえる。なお右各鑑定につき、
「鑑定」がその証拠方法として一般に新規明白な証拠の一つに含まれるかどうかに
つき全く問題がないわけでもないが、しかし、鑑定も有罪認定の証拠方法の一つで
あり、しかも本件の場合、原判決にも現われているように、兇器の推断、衣類附着
の血痕、人血の判定等の面で、右有罪認定の心証形成上大きな意味をもつたもので
あることは原判決の記載自体に徴してもたやすく推知しうるところで、右鑑定が新
規明白な証拠の一つであることは、少くとも本件に関する限りこれを否定すべき理
由はどこにもないといえる。
 第四、 原判決の有罪認定の証拠上の構成
 原一、二審及び原上告審各判決書の記載に徴すると、原判決が、請求人を有罪と
認定した証拠上の構成は次のとおりであつたと考えられる。つまり、まず本件では
請求人が犯行を認める趣旨の供述は全く存しないわけで、請求人の犯行を直接肯定
する証拠はC1の請求人との共犯であるとする供述(原判決挙示の分、原二審公判
における供述と第一回豫審調書中の供述記載)のみであり、これを裏づけるものと
しては右C1の供述により請求人の当夜の着衣とされる証第九号に筒袖衣服(請求
人の父D8の仕事着)に「人血」が附着していたとするA5の鑑定書と、原判決が
特に挙示した警察官のD8らからの聴取書等でうかがえる請求人が犯行直前ころ借
金の督促を受けその支払に困つていたなどのいわば右犯行の動機ともみられる間接
的事情等に関する点といつた程度である。右C1の供述は、その述べるところは要
するに、本件犯行当夜E4宅前県道で請求人と会い両名意気投合して本件犯行を謀
議し、ともに被害者B1方に赴いて金員物色中B1覚醒したため請求人の携行する
押切(藁切刀)でB1を殺害したというものであるが、右供述中、特に請求人と本
件犯行とを客観的に結びつける具体的事実としては、右E4宅前で請求人と会つて
後請求人が一旦帰宅して着替えて来たとする当夜の着衣証第九号に関する点と、そ
の際持ち来たつたとする本件兇器押切に関する点であるとみられ、その他の点は必
ずしも請求人との犯行を必須的ならしめるようなものではない。
 つまり、C1の供述中、右着衣に関する点と、兇器押切に関する点とは、いわば
その供述の信用性の要ともみられるところで、本件犯行につき請求人を有罪とする
最も重要な決め手であつたともいえる。そして、前記A5の鑑定書は、右C1の供
述中右着衣に関する部分の信用性を裏づけるものともいうべく、これは、本来は単
に人血であるとしているだけでB1との血液型の同一性までいつているわけではな
いから、かりに正しい内容のものとしても、さほど重視できるようなものともみら
れない筈のものではあるが、後述する本件兇器に関しては原判決自体もC1の供述
に多少の疑を抱いたのではないかとみられること、また、右A5鑑定書は、一、二
審判決書ともこれを掲記していて、特に一審判決書ではA5の原一審公廷証言中、
証第九号筒袖の表面に附着せる斑点は「動脈ノ切断ニヨリ遊出セル血液ノ附着セル
モノト思ウ」旨の供述まで掲記していることなどからすると、原判決も右A5鑑定
を押収してある証第九号筒袖衣服とともに本件唯一の請求人に関する客観的証拠と
してかなり重視したものではないかとみられなくもない。なお、右C1の供述中兇
器押切に関する点は、原判決の挙示する医師A6の検案書中、兇器の種別に関する
推論が、ある程度右供述の信用性に影響はもつたであろうことは否定しがたいが、
この点は後に詳述する。
 ところで、原判決が原一審判決と異なり特に証拠として挙示したものに前記動機
等に関する警察官の各聴取書等がある。その挙示する証拠は警察官作成のD8、D
9、D10、D11の各聴取書のほか請求人の原二審公廷における供述及び第二回
豫審調書中の供述記載であるが、これら証拠によりうかがわれる事実の要旨は、被
害者B1は当時かなり金を紙幣でもつていた様子であること、請求人は本件犯行前
前日から前日にかけ借金支払の督促を受けていたのに所持金がないといつて延期を
求め、その支払をせず、また、犯行当夜は賭博をして負けているのに、本件犯行後
は一円紙幣で右支払等をしていること、また本件犯行後請求人が西市警察分署に連
行されるとき七円一〇銭入りの薬箱を密かに父に預け、父は賭博で得た金と思い天
井の籾入り吹の中等に隠していたことなどで、結局請求人に本件B1方からの金員
強取の動機があり、現に本件後の金員費消、保管状況によつてもこれらが明らかに
されるとするもののようで、請求人の本件犯行を間接的に裏づけようとしたものと
みられる。しかし、まず、原判決書の記載によると、たしかに本件は当初B1の所
持金窃取の目的での犯行だとはされているが、しかし請求人、C1両名とも本件犯
行時現に金員を窃取したとの事実は、わずかに右検事実況検分書中に「柳行李ハ開
カレ数点ノ衣類胴巻等ノ床上ニ乱雑ニ取拡ケラレアルヲ見ル」というこれをうかが
わせるかの状況の記載がある程度で、C1の供述からも当初金員を物色したような
事実が述べられているほか、請求人らが現に金員を取得したとする事実は遂にどこ
からも出て来ないものであるところ、さらに原判決書の記載によると、請求人は原
二審公廷で、本件当夜「皿山ノE5方ニ寄リテ賭博ヲ為シタルカ当日十円許所有金
アリシモ銅貨二十銭丈ケ持行キ全部負ケタリ」と述べているわけで、これらからす
ると、原判決書の記載中請求人の述べる本件犯行後の支払い、また父に七円一〇銭
預けたという関係も金額的にはなんら異とするに足らない程度のものであり、ま
た、本件犯行前の借金及び督促状況も(原一審判決書では原一審公廷で請求人が七
月二〇日までの「延期ヲ頼ミ置キタリ」と述べた旨記載されている)その金額内容
等に照らし右請求人の犯行を必須的ならしめる程のものともみられないことはもと
よりで、結局これらからすると、たしかに右の点は原判決が請求人を本件犯行と結
びつける間接的情況証拠として他の証拠と相まちある程度重視した結果であろうこ
とは原一審判決が挙示していないのを原二審判決でことさら挙示している緯等に徴
しこれをたやすくうかがうことができるが、これが本件犯行を請求人と結びつける
決定的なものでないのはもとより、右間接的情況証拠としても、特に本件のごと
き、単に窃盗にとどまらない強盗殺人事件の性格、犯行の態様等に思いをいたすと
き、さほど重視できるような性質のものともみられないところである。
 かように、本件有罪認定の証拠上の決め手はC1の供述と、その信用性を支える
A5鑑定に尽き、内容的には、C1の述べる兇器押切に関する点と、請求人の当夜
の着衣に関する点であるというべく、本件あらたな証拠のこれらに対する影響は最
も重視されるべきものといえよう。
 第五、 請求人提出、援用の「あらたな証拠」のうち、A1意見書、同鑑定書、
A2鑑定書、A3鑑定書、A4鑑定書、A1、A2各証人尋問調書について
 一、 本件兇器について
 (一) 原判決の認定する兇器
 原一、二審判決書の記載中、本件兇器について述べる直接の証拠は、C1の供述
のみである。そこでC1の供述を中心に検討してみるに、まず原二審判決挙示のC
1の第一回豫審調書の記載では、C1はE4宅前で請求人と会い、「ヤツテヤロー
デハナイカ」と話し合つた後「C2ハ用意シ来ルトテ東方ニ行キタルカ自宅ニ行キ
シモノト思フ十分許リ後出来リ」B1方に向う途中本件犯行の手段につき話し合つ
た際B1が目を醒まし二人のうち一人でも捕えられるようなことがあつては困るの
で、「C2ハ左様ノ場合ニハヤツツケル外ハナイトテ」「手ニセル押切(藁切刀)
ヲ示シタリ」と述べており、原一審判決挙示のC1の第一回豫審調書中の記載でも
右同様「手ニセシ押切ヲ示シナガラ」現場に至つたとされており、さらに原一審判
決挙示のC1の一審公廷の供述では、C1はE4宅前で請求人と邂逅し本件犯行を
話し合つた後「C2ハ一応帰リ来リ若シB1方ニ到ツテモ金ハ取レズ逃ゲラレヌト
キハ之デ遣ツデ遣ルト申シ藁切ヲ示シタリ」と述べている。これら原一、二審判決
挙示のC1の各供述からすると、その述べるところは要するに、C1はE4宅前で
請求人と出合い、本件犯行等を話し合つた後、請求人は一旦家に帰りおそらくは自
宅から本件兇器「押切、藁切(刀)」を持ち来つて本件殺害に至つたものであると
述べているものとみざるをえず、しかも右兇器につき暗夜とはいえ、その種別につ
いてははつきり押切、藁切(刀)と述べ、押切、藁切様のもの、あるいはそれに類
似するものなどと述べているわけではなく、また、この点必ずしも明確でないなど
との供述もなく、少くとも原一、二審判決に現われたところでは終始明確に押切、
藁切(刀)といつていて、この点の供述にあいまいさがあるとはとうてい考えられ
ない。ただ、この押切、藁切(刀)の区別は、右C1の述べるところでは単に名称
の違いにすぎないのか、あるいは調書作成者の括孤書等による用語の説明にすぎな
いのか詳らかでない。しかしこの点は後記各鑑定結果の判断のうえでは余り意味を
もたない。なお後述するA6医師の検案書中の兇器に関する意見は、本件創傷から
する兇器に関する推論で、十分具体的でない。
 ところで、原一、二審判決の認定する事実の記載によると、本件兇器を一審では
「鋭利ナル刃物」、二審では「鋭利ナル刃器」とのみ表示していて、遂に右C1の
述べる押切、また藁切(刀)なる具体的表示は全く姿を消すに至つている。これは
いかなる理由によるものであろうか。この点原判決の本件心証形成過程の評価のう
えでもかなり重要な意味をもつように考えられる。そこで、さらに他の関係資料に
も照らし右の点を考えてみるに、まず原一、二審判決の認定する事実のうち兇器に
関する前後の記載によると、原一審判決では、請求人D8は「一旦帰宅ノ後父D8
ノ仕事着(証第九号)ヲ着シ且ツ鋭利ナル刃物ヲ携へ来リ」とし、そして犯行現場
では「被告C2ハ前記兇器ヲ以テ数回B1ニ斬付ケ」としており、また原二審判決
でも「被告C2ハ帰宅ノ上父D8ノ仕事着(証第九号)ヲ着シ且鋭利ナル刃器ヲ携
ヘテ出来リ」とし、そして現場で「被告C2ハ前記刃器ヲ以テ数回B1ヲ斬リ」と
していて、前記C1の述べるところと、「鋭利ナル刃物」「鋭利ナル刃器」として
いる点のほかは、特に兇器持ち出しの経緯は全く符合していることからすると、原
一、二審判決の認める兇器は、本来C1のいう押切、藁切(刀)であるのを単にそ
の表示のみをA6医師の検案書記載の兇器についての「鋭利ナル刃物」という表示
に従つて抽象的に右「鋭利ナル刃物」また「鋭利ナル刃器」とのみ表示するに至つ
たのではないかとみられなくもない。しかしこの点にはさらに次のような疑問及び
推知の余地を生ずる。つまりまず、原一、二審判決の右C1の供述からすると、同
供述記載自体に徴しても、本件当時、請求人方から右C1の述べる兇器押切、藁切
(刀)の押収も当然なされたであろうことを容易に推測しうるところであり、ま
た、同押収後も、原一、二審判決がA6医師の検案書中本件兇器の推論に関する記
載を掲記している経緯等からすると、右押収にかかる押切をA6医師に示しその意
見を求めたようなこともあるのではと、たやすく、推測しうるものであるところ、
さらに、弁護人、検察官双方提出の本件当時の大正五年一月二五日付E6新聞夕刊
(写真、以下新聞はすべて写真)、同年一月二六日付E2新聞によると、本件一審
山口地方裁判所第五回公判でA6医師の証人調べが施行され、その際西原裁判長証
拠物件として押収してある藁切り押切刀を右A6医師に示した旨の記載があり、ま
た右同様の大正五年二月八日付E7新聞によると、右第六回最終公判での検事論告
で担当検事は「兇器押切庖丁の血痕は兇行後之れを洗滌したることは用意周到なる
C2の成し得べき筈なり」と述べた旨の記載があり、さらに請求人自身も第一次再
審請求の際当庁に提出した多くの書面(趣意書)及び同請求人の速記録中では、一
審裁判長が押収の藁切刀を示してA6医師に兇器についての意見を求めたこと、当
時請求人は右藁切刀につき血痕付着の有無の鑑定を求めたこと、右藁切刀は自分の
家にあつたのを押収して持つて行つたものであること、なとを述べていて、右推測
に符合することからすると、少くとも、C1の述べる「押切、藁切(刀)」なるも
のは、当時同供述に従い請求人宅から押収されていたこと、そして原一審公廷では
A6医師にこれを示してその意見を求めたこともあるのではないかと容易に推知し
うるものといえる。しかるに原一、二審判決書の記載によると、右押収にかかる押
切、藁切は遂に証拠物としてどこにも挙示されるに至らずに終り、またA6医師の
右押切に関する意見の供述も見当らない。このことは、原判決としても、少くとも
本件兇器が、請求人宅から押収された押切、藁切そのものであるとすることには多
くの疑をもつた結果ではないかとみざるをえないであろう。そしてさらにこの点
は、請求人が第一次再審請求での昭和三八年三月二六日当庁受付「再審請求の申請
について」と題する書面中で、A6医師は一審山口地方裁判所の証言で「全身一一
ケ所の傷あるも致命傷は左肋骨間を肺に達する刺傷のため反射性心臓麻痺を起して
死亡したものである」と証言して後、裁判長はA6医師に藁切刀を示しながら「こ
の刃物であの傷が加えられるか」と質問したのに対し「A6医師はしばらく頭をか
しげて居りましたが、藁切刀ではないと思います、日本刀の様な物で突いた創であ
ります」と、はつきり証言しております、と述べていること、また、前同様弁護
人、検察官双方提出の大正四年一一月二日付E6新聞夕刊の記載(請求人、C1両
名に関する本件豫審終結決定の全文が掲載されているものと認められる)による
と、同決定により公判に付するものとして認定されている事実のうち兇器に関する
部分は、C2、C1の両名は当夜E4宅前で「偶然会遇」したる後本件犯行を相は
かり「其れよりC2は同所より二丁余を隔つる自家に立帰り軒下に掛置きありたる
父D8の仕事着腰切襦袢と着更へ」「且つ自家藁切り押切刀を携へ引返し来り」そ
して現場に至り「C2は用意の押切刀を以てB1を蚊屋外より斬付け茲に三名相格
闘しつつ屋外に出たる後C1がB1を押へたる庭を」「C2は押切刀を以てB1の
頭部腕部、胸部等に大小二五ケ所の創傷を加へたり」としており、明らかに本件兇
器が請求人が自宅から持ち来たつた「藁切り押切刀」であることを明示している記
載があつて、これと原一、二審判決の表示するところと対比すると、原一、二審判
決の認定では本件兇器につきことさら意識して右「藁切り押切刀」の表示をさけた
ものとみざるをえないこと、などに徴すると、原判決が本件兇器につきこれをC1
が述べる押切、藁切(刀)であるとすることについていだいた疑はかなりのもので
あつたと推測されなくもない。
 しかし、そうかといつて原判決が右兇器の認定につき、前記C1の供述と離れ
て、右「鋭利ナル刃器」であれば押切、藁切(刀)と似ても似つかぬようなものも
含め各種多様なものを想定して右認定に至つたものなどとはとうてい解せられない
ところである。このことはまずすでに前述のとおり、C1の兇器押切について供述
するところは決してあいまいな表現によるものではないうえ、原一、二審判決の本
件兇器につき認定するところも右C1の供述に強く依拠し「鋭利ナル刃物ヲ携へ来
リ」とか「鋭利ナル刃器ヲ携ヘテ出来リ」などとしていること、そしてまた、C1
の供述中兇器に関する点は請求人と本件犯行を客観的に結びつける重要な点の一つ
とみられるものであるところ、もし右兇器押切に関する供述に当時それと別異なも
のをも想定しなければならない程の疑念が生じていたものなら通常豫審、公判等で
C1につきなんらかのこの点に関する追及がなされたであろうとみられるのに、原
一、二審判決書の記載によるもこのような追及のなされた形跡は全くうかがえない
こと、またもしこの点が、あるいは後記A5鑑定の衣類附着の斑点が人血とされた
ことから安易に右解明を必要としないこととなつたものなら、余りにもA5鑑定を
重視しすぎた結果か、うでなければ、そのままC1の供述を他の面では分断して信
用できるとしたこととなり、通常の心証形成過程としてはC1供述の信用性評価の
面で余りに無謀の感を免れないこと、原一、二審判決ともA6医師検案書中の兇器
の推論に関する「兇器ハ柄ヲ把握シテ強カヲ加へ得ル鋭利ナル種類ノモノニシテ可
ナリ重キ重量ヲ有スルモノナルヘシ」(原二審判決)という記載を挙示しているこ
と、などからして明らかなものというべく、これらからすると結局、原一、二審判
決の認定する兇器「鋭利ナル刃器」とは、まずA6医師のいう「可ナリ重キ重量ヲ
有スル」ものであつて、しかもその長さ、幅、形状等においても押切、藁切と同様
もしくはきわめて類似した刃物を意味したものとみるのが自然であり、かつそのよ
うに解さざるをえないものといえる。
 (二) 原判決の認定する兇器「押切、藁切」の性状、形態
 ところでさらに、右押切、藁切またこれらと同様のものといつても、原判決が当
時想定したであろう右押切等の性状、形態等ははたしてどのようなものであつたか
については、後記鑑定書の評価にあたりなお検討してみる必要がある。原一、二審
判決書中のC1の供述記載では「押切」または「藁切(刀)」と表示されており、
前掲豫審終結決定書では「藁切り押切刀」と表示されている。この押切、藁切につ
き、その通常の用語の意味及び当裁判所に顕著な智識によると、これらが大方の農
家で使用されている農機具の一つで、下に台がありその上に藁や草をのせて切る類
の刃物を意味し、日本刀・短刀・匕首・小刀等の類のものでないことは勿論、斧・
鉈類その他家庭用各種庖丁の類とも明確に区別されるようなものであることは容易
に推知されるところであり、そしてまた右押切と藁切の区別につき、押切は刃部を
上に向けて木の台に固定したものに藁等をのせ上から押え棒(または金)で押しつ
けて切る類のものであるのに対し、藁切は刃部を下に向け上から藁等を受け台に圧
迫して切る類のものであることもたやすく理解しうるところである。請求人は、そ
の第一次再審請求における請求人速記録及び当裁判所における請求人尋問等で述べ
るところでは、請求人が本件で逮捕されて後自分の家から藁切を押収され、一審公
判で裁判長から示されたものは、同一ではないが、その形状等は、第一次再審請求
の際以来、今次請求でも当裁判所に請求人から提出しているわら切り(当庁昭和五
一年押第六号の九、以下符九号と略称、木製の柄のついた刃部のみ、全長約六〇セ
ンーチメートル、刃渡り約四〇センチメートル、刃幅九ないし一五センチメート
ル、全重量約一、五〇〇グラム、刃部はゆるやかな丸味を帯びた長方形型)に類似
するものであるとしているが、現段階では、原裁判所の押収にかかる押切を確定
し、また、原判決が押切等につき右のようなものに限定した理解をしたものとみる
ことも困難である。この押切等につき、さらに他の関係資料等をも合わせ検討して
みるに、当裁判所のD3証人尋問調書、D6証人尋問調書(昭和五一年一月二一日
施行分)、D12証人尋問調書(同日施行分)、のほか、検察官提出のE8、E9
(二回)、E10、E11(二回)、E12、D6(昭和五一年一月二二日付)の
検察官に対する各供述調書、検察事務官作成の昭和五一年一月二六日付「藁切写真
撮影報告書」、同「押切並びに藁切写真撮影報告書」、検察事務官作成の昭和五一
年二月二〇日付「藁切写真撮影報告書」、検察官、請求人提出の各種わら切り、押
し切り(当庁昭和五一年押第六号の一ないし三、六ないし一四、以下単に符何号と
略称)の存在等によると、大正四年の本件当時の請求人方附近一帯で用いられてい
たとみられるものについて、押切、藁切はその作成の鍛治職によつて異なり、特に
その刃部の形状はかなり多種多様であつたと推知されるが本件の兇器として考える
場合には、まず、刃部に柄もなく下の木の台に固定してあつて取りはずしの容易で
ない形のいわゆる「押切」より木製の柄があつて取りはずしのきわめて容易な「藁
切」の方がはるかに合理性に富み、右「押切」を右兇器と考える可能性はほぼ皆無
とみていいように思える。しかしこれはともかく、右各関係資料によると右藁切、
押切の形状等は、特に刃部につきその先端が直角、三角形状にとがつたもの、ある
いはそうでなく丸くなつた形のものなど、その形状においてたしかに多様ではある
が、しかしまずその形状は、おおむね全長約六〇センチメートルて藁切については
刃部に木製の長さ約二〇(一九ないし二七)センチメートル程度の柄がついてお
り、刃部の形状はほぼ長方形をなし、その刃渡り約四〇(三六ないし四三)センチ
メートル、刃幅(最高部、ほぼ中央)約一〇センチメートル程度のものであつたと
認められ、その長さ、幅、形状について多少の違いはあるが、後記鑑定の関係でそ
の兇器としての性状を考えるうえでは、右刃部先端の形状に若干の問題があるほ
か、鋭利な刃物とみられる以上右違いは大同小異であるといえる。そして問題は右
重量の関係であるが右関係資料によると、柄を含めた刃部の全重量は一番軽いので
六〇〇グラム程度、重いので一、五〇〇グラム程度でその間かなりの軽重があるが
(普通八〇〇から一、〇〇〇グラム程度)、少くとも右柄を含めた全重量は、まず
六〇〇グラム程度を下ることはないとみられ、このことはその形状、大きさ等から
想定される刃部金属片自体の重さを考えるとき、十分首肯しうるところといえよ
う。ちなみに、重量は普通の家庭用各種庖丁の類でおおむね二〇〇グラム前後のも
のである。その形状、重量において右大方の範疇を逸脱するようなものは最早通常
の用語の意味に従つた藁切、押切の概念に包摂できないものであつて、原判決も藁
切、押切、またこれに類似するものとしては、ほぼ右範囲内のものを念頭においた
ものとみざるをえない。
 (三) A1意見書、同鑑定書、A2鑑定書、A1、A2各証人尋問調書の検討
 (A) 本件被害者B1の創傷の部位、程度
 原一、二審判決書中A6医師の検案書(大正四年七月一二日死体解剖)による
と、本件被害者B1の受た創傷は全部で二三個所あり、その内容は、
 「(イ)、 頭部ニ九個ノ創傷アリ、内一個ハ皮下ニ、二個ハ骨膜ニ、六個ハ骨
質ニ達スルノ深サアリ
 (ロ)、 顔面ニ深サ皮下ニ達スル創傷アリ
 (ハ)、 右(または左―原二審判決書)肩胛及上膊部前面ニ三個、後面ニ二個
ノ創傷アリ深サ或ハ皮下ニ或ハ筋質中ニ或ハ骨質ニ達ス
 (ニ)、 左手部ニ三個ノ創傷アリ深サ骨質ニ達ス
 (ホ)、 右前膊及手部ニ二個ノ創傷アリ
 (ヘ)、 前胸部ニ一個ノ創傷アリ
 (ト)、 左胸部後面ニ大創傷一個アリ第五肋骨体ヲ長経ニ沿フテ切リ且ツ又肩
胛骨下角ノ一部ヲ切除シ深ク肺臓ニ達ス
 (チ)、 右(または左―原二審判決書)臀部ニ一個ノ創傷アリテ深サ皮下ニ達
ス」
 とされている。そして右検案書の記載(「都合二十三個所ノ創傷アリ」としてい
る点)によると、右は一応被害者B1の死体に存したすべての創傷につきこれを摘
記したものと認められ、かつ、右創傷の種別も「皆切創ニシテ」としている点特段
の事情のない限りこれに従つた理解をなすべきものと考えられる。
 そこでこれら創傷をもとにその成傷器がはたして原判決の考える前記のごとき兇
器とみられるかどうかにつき、以下順次各鑑定意見につき検討してみることとす
る。
 (B) A2鑑定
 本件再審請求人の弁護人らは藁切のごとき兇器では右成傷は不可とするあらたな
証拠として、E13大学名誉教授、E14大学講師医学博士A2作成の鑑定書を提
出し、かつ同証人尋問を求めた。そこで右鑑定書及び当裁判所が取調べた右証言結
果に従い右成傷の可否等について右鑑定意見の内容を以下検討してみる。右鑑定資
料としては、右兇器の関係では原一、二審判決書(写)と前記請求人提出のわら切
り(符九号)一丁のみである。右鑑定書の記載によると、まずその結論としては、
「被害者B1の死体に存する創傷は匕首、小刀の類によつて作成されたものと考え
られ」「本件兇器は、一、二審判決に証拠として引用されている押切の如き刃器で
はないと考えられる」とされ、そして、その理由の骨子としては、「本件では頭部
に九創もの打撃が加えられてあるのに、そのうちの一つとして頭部を深く割截し骨
の間から脳漿を流出させているというものを見ない、いやしくも本件が自傷の事件
ではなく、他人による加害行為によつたものとすれば、これはそれだけでその成傷
器が押切でないことを示すものである。本件の如き押切でなくても普通家庭にある
小形の斧や銘の類であつてもこれが打ちおろすように使用される兇器であるところ
からこれらも亦本件の兇器としてはふさわしくないものである。押切の如き重量あ
る刃器による頭部割截による作用で、見逃がすことのできないもう一つの事象は、
その重量から来る脳への波及力である。これはその殆んどの場合その当然の結果と
して脳振とう作用による意識消失が即座に発来する。従つてその打撃を受けた直後
から対抗行動をとる能力が失われ、本件の場合にみる如く加撃を加えても尚加害者
の足をつかみつづけ」(原判決中C1の供述参照)、「これによつて被害者が加害
者ともども屋外にひきずり出されるということは起り得ないものである。従つて本
件兇器は頭部に打撃を加えても脳振とうを発来せしめぬだけの軽量さであり、しか
も短時間に身体に二三創も加え得るほどにハンデイなものであると考えられ、これ
に適当なのは匕首、小刀の類で、簡単に懐に収め得る種類のものである。如何に鋭
利な刃器でも日本刀の如きものではこれにより割截は上に述べた押切の場合と同じ
効果を発するし、また本件押切よりやゝ小形の斧、銘の類であつても、これによる
頭部打撃は押切や日本刀の場合に準じた効率を示すものである。」というにあり、
そして問題の本件創傷のうち左胸部後面の大創傷についても、この傷は「ただこの
第五肋骨一本に限られ、しかも『長径に沿て』とある記載は匕首、小刀の類が肋骨
の経過に沿うて刺入されていることを思わしめるもので、押切の類は勿論、斧や鉈
などによる打ち下ろし的加撃ではまず出来難いものである。この同じ動作が『肩甲
骨の一部を切除』していることもいよいよ上記の推定の確からしさを裏付けるもの
である。その際の加害者、被害者相互の体勢について考えてみれば、これはおそら
くは加害者が被害者の体左側から、あるいは後方から中心に向つて刺入する動作に
よつて形成されたものとみられる。」というのであり、かくして結局、本件多数の
創傷は「匕首、小刀類の比較的小型の刃器により生成された刺創、切創、刺切創の
類」とみるべきで、本件鑑定資料としてのわら切りのごときもののみならず、前記
各種の刃物ごときものも含め、かかる重量大なる刃器により生じたものではないと
考えられる、と結論されるに至つている。この点は当裁判所のA2証人尋問調書で
(検察官から右鑑定資料以外の数種の藁切を示されるなどして)一層明確にされて
いる。右A2鑑定の主眼と特色は次の点にある。つまり(一)前記のとおりA6医
師の検案書によると被害者B1の頭部には九個もの創傷があつてしかも内二個は骨
膜、六個は骨質に達する深さのものであつたとされながらも、その内一つとして頭
部を割截し、脳内損傷にまで至つているというものがないのみか、原判決書中C1
の供述によると被害者は加害者の足をつかみつづけるなどしていてその受傷の過程
で脳振とうを惹起したとみる形跡もうかがえない。これは、前記藁切、押切のごと
き重量のものでの成傷と考えるにははなはだ不合理である。そして(二)前記A6
医師検案書中の被害者左胸部後面の大創傷も、肋骨体の傷は第五肋骨一本に限られ
て隣接肋骨への損傷を伴つておらず、しかも、「長経ニ沿フテ」切りとあり、さら
に肩脾骨下角の一部を「切除シ」て「深ク肺臓」にまで達しているとされている
点、兇器としては、むしろ匕首、小刀類でその刺入による創傷とみるのが合理的で
あるというにある。
 (C) A1鑑定
 弁護人らは、右A2鑑定同様本件兇器に関し押切、藁切とみるのは合理的でない
とする鑑定意見としてE15大学医学部教授医学博士A1作成の意見書、鑑定書を
本件あらたな証拠として提出し、かつ同鑑定人の証人尋問を求めた。そこで右意見
書、鑑定書のほか当裁判所の取調べた同証人尋問調書等に従いA1鑑定意見につき
以下検討してみるに、まず同鑑定資料としては、前記A2鑑定同様のもののみが示
されたものである。右鑑定書等(但し以下括弧書は同鑑定書記載)によると、その
意見の骨子は次のとおりである。つまり、右鑑定資料として示された請求人提出の
わら切り(符九号)は鋭利な刃器ではあるが、かなり大きく重量もあり、「柄部を
片手に持つて振り廻すことは不可能ではないが、両手で柄部を握る方が、振り廻し
たり、打ち下ろしたりすることが容易である。」「押切刀を兇器として傷害を加え
るとすれば、可及的に少数回の加害により致命的な重大損傷を加える場合の方が、
多数回生前に加害する場合よりも、実際的で合理的であると考えられる。」しかる
に「本件では被害者に合計二三個という多数の創傷があり、しかもその中に皮下に
止まる比較的に浅い切創が頭部に一個所、顔面に一個所、右臀部に一個所あり、右
肩胛部から右上腕前面に三個所、及び同後面に二個所の切創のうち皮下に止まるも
のがあり、また右前膊及び手部の切創二個及び前胸部の切創一個も創の深さは特に
記してないところから浅いのではないかと推測されることなどからみて、被害者の
創傷二三個のうち、少くとも四個(多いと五ないし七個)の切創は皮下に止まる浅
い切創と考えられる。このように浅い切創が身体(被害者)の諸所に見られること
は、押切刀の如く特異な形状をして、しかも先端が尖鋭でなく、刃部は鋭利で丸味
を帯びて長く、しかも重量がある刃器で成傷したとしては、合理的でないように思
われる。」特に原判決中のC1の供述によると、被害者は蚊帳をまとうなどで身
体、手足の自由を制限され防禦も思うに任せなかつたことも想察されるところから
すると「重量のある押切刀の如き刃器で多数回にわたつて加害せずとも致命的創傷
を加え得たと思われる。」本件のごとき創傷が斗争ということを考えない単に刃物
としての一般的用法に従うものとしてなら右押切での成傷も不可ともいえないもの
であろうが、そうでなく兇器としてなら、その重量等からして押切刀による受傷と
は容易に首肯し難いように思われる、というにある。ただしかし、右鑑定書では、
A6医師の検案書中で本件兇器につき「鋭利ナル種類ノモノニシテ可ナリ重キ重量
ヲ有スルモノ」なりとしている点は異論のないものとされ、かつ右検案書中被害者
B1の左胸部後面の大創傷に関連し、「その成傷器は鋭利な刃器で、しかも重量の
あるものと推定される」とされている。もつともこの点、当裁判所の証人尋問では
さらに具体的な説明がなされ、右「重量のある」とは「軽くない」という意味だと
され、小刀類では軽すぎ右鑑定資料としての押切(わら切り)では重すぎることは
明らかであるとされたが、具体的にどの程度の重さのものを意味するかは明確にさ
れない。ただ、右鑑定資料としての押切のみならず前記各種の藁切による成傷も難
しい、とされ、また、その先端が尖つているかどうかは必ずしも必要でないことだ
とされている。以上、右鑑定意見には幾分明確でない点もあるが、右鑑定書のほか
証言等も合わせると、その述べるところの主意は、結局本件には二三個もの多くの
創傷があり、しかもうち四個、多いと五ないし七個もの切創は皮下に止どまる浅い
ものであること、また頭部に九個もの傷があるというのに大きな致命傷が一つもな
い、ということからすると本件兇器としては前記のごとき藁切といつたものを考え
るのは難しい、というにあり、この点の骨子は、前記A2鑑定とほぼ同旨とみら
れ、ただ、被害者の左胸部後面の大創傷からすると、右藁切のごときものでは重す
ぎるが、兇器としてはある程度重量のあるものではないかと推定される、とされ、
この点はA2鑑定と多少異なるように思える。
 (D) A3、A4鑑定
 検察官は本件再審請求で、弁護人らの右A2、A1両鑑定の当否を判断する資料
としてE16大学医学部名誉教授、E17大学教授、医学博士A3作成の鑑定書及
びE18大学教授A4作成の鑑定書を提出している。そこで、右両鑑定書及び右A
3鑑定については当裁判所の同人の証人尋問の結果をも合わせ、これらにより、右
内容を検討してみることとする。本件兇器につき、まず、右A3鑑定では、その鑑
定結論として「第一、二審判決に引用されている医師A6作成の検案書におけるB
1の死体に存する切創のうち、左胸部後面の切創は割創と認めるのが妥当であり、
兇器は重量があり、かつ大にして刃部の先端をふくめて鋭利な兇器に由来するもの
と思考され、」「其の他の多数の切創も該兇器の刃部の触接等によつて生じ得るも
のと思考する」とされ、右鑑定人に鑑定資料として提示された藁切三丁(当庁昭和
五一年押第六号の六、七、八、重量七五五、九四〇、一、〇三五グラム)につき、
これらは「いずれも刃部が尖鋭にし非薄、大かつ重量がある。同刃物によりB1の
死体における『左胸後面の深さ肺臓に達する割創』の形成は勿論、その他の切創な
らびに現場の刀痕も同刃物の刃部の触接等によつても形成は可能と思考する」され
ており、そして、右鑑定理由の骨子は結局、被害者の左胸部後面の切創を「割創」
とみることにより、これを中心に兇器は重量ある鋭利な刃器とされるに至り、その
他の創傷も右重量ある兇器にあたる右藁切等でも成傷可能であるとされるに至つて
いるようにみられる。そして次に、A4鑑定では、同鑑定書の記載によると、同鑑
定の結論として、「本件被害者B1の死体にみられた創傷中、その左胸部後面の大
創傷は、かなりの重量のある、かつ刃部の鋭薄なる大型の刃物を用器とし、これを
強力を以て打ちおろすような方法で同部に作用させることにより生じたとするのが
妥当であり、その他の身体各部の創傷も同様な刃物によつてこれを生ぜしめること
ができると認められる。」そして「一、二審判決に記載する犯行の状況は、」本件
鑑定資料として提示された藁切三丁(前回号の一一、一二、一三、重量五五二、六
五二、九六五グラム)き「刃物によるものとして可能である。」特に右のうち六五
二グラム「程度のものが適切であると認められる。」(もつとも、前記A2、A1
鑑定の資料とされた藁切では不適当で、これで短時間内に二三個の創傷を生ずるの
はいささか無理であろう、とされている)とされ、右もその理由の骨子は前記A3
鑑定と説明の仕方は異なるが、ほぼ同様に、被害者の左胸部後面の創傷を「割創」
とみることを中心に、その他理由を加え本件兇器を右のごときものと推論している
ようにみられる。
 (E) 右A2、A1鑑定の評価と右A3、A4鑑定との関係
 A2、A1鑑定で示される本件兇器の推論に関する注目すべき点は次の諸点であ
るといえる。つまり、A6医師の検案書の記載によると、被害者B1の死体には全
部で二三個もの創傷があるとされながら、左胸部後面の大創傷一個を除くと、他は
一部骨膜、また骨質に達するというのはあるも、必ずしも大きく骨折、骨砕、裂断
等を伴い、深く体内損傷にまで至つているとみられるような深甚な損傷は一つもな
く、むしろ、皮に止どまる浅い傷が四あるいは七個も存し、また特に、頭部には九
個もの創傷があるとされながら一個は皮下、二個は骨膜、六個は骨質に達するとい
うにとどまり、一つとして頭部を割截し脳漿を流出させるなど脳損傷を伴うにまで
至つたものがなく、かつ脳振とうを惹起したとみられるような形跡もうかがえな
い、とう点である。右A6医師検案書の記載によると、右二三個の創傷は「皆切創
ニシテ」とされている。この「切創」と「割創」の区別については後述するとして
も、前記「藁切」の形状、大きさ、重量等からすると、これを兇器として考える場
合、刃先端部の尖鋭の有無にかかわらず、通常は打ち下ろし、振り廻しの方法で用
いられるものとみるのが自然であり、もし右藁切を兇器として考えるとした場合、
右二三個の創傷はおおむね右藁切を打ち下ろし、あるいは振り廻しの方法で用いた
際生じたものとみざるをえないこととなり、この点かりに右藁切を突き刺す方法で
用い誤つて身体を擦過して生じたなどの創傷を考えるとしても、ごく一部で右大勢
に影響せず、そうだとすると、本件創傷二三個ものうち左胸部後面の大創傷一個を
除くそのがいずれも前記程度のいわゆる「切創」にとどまつているというのはいか
にも不合理である。この点、たとえ、原一、二審判決書掲記の各証拠から想定され
る被害者、加害者のあらゆる体位、状勢等を考慮に入れ、また本件のごとき暗夜の
格闘ではかなりの当り損ね、防禦創の生ずることも考えられ、現にA6医師検案書
からも左手部の創傷等防禦創とみられるものも少くなく、さらには一回の打撃によ
り数個の創傷が同時に生ずる可能性もあり、その他被害者が当夜まとつていた蚊
帳、あるいはまとつていたかも知れない衣服等多くの諸事情を十分考慮に入れると
しても、なお右不合理性は払拭しがたく、右成傷が全く不可能とまではいえないと
しても、その生じうる蓋然性はきわめてとぼしいものといわざるをえない。特に、
頭部に存する九個の創傷については、ともかく九回は兇器(刃部)が頭部になんら
かの形で当つていることは動かせない事実であり、しかるに、うち一個も脳損傷を
伴うような致命傷がないということは、本件創傷が前記「藁切」のごとき重量のあ
る兇器によるものでないことを明らかにするかなり決定的な要素であるといえよ
う。
 右の点、まず検察官提出のA3鑑定によると、被害者B1の死体検案書のうち
「頭部における切創、右肩胛および上膊前面、後面、手部の切創には骨質に達す、
または達するものの記載があるから割創または割創にちかいものの存在も考えられ
る」とされ、また左胸部後面の大創傷を除くその他の切創については右のごとく
「割創」に類するものが存在したとも考えられるが、その「切創の大さ等の精細な
記載なきをもつてこれに考察をくわえることは不可能である」とされ、ただしか
し、被害者、加害者の暗夜の格闘の場合藁切のごとき「重量があり、かつ大、鋭利
な刃器の刃部の触接等によつては」右「各部の多数の切創も生じ得る可能性はある
ものと思考される」とされている。しかしまず、右創傷の程度に関し単に「骨質ニ
達ス」という記載があることから、死体検案をしたA6医師が「切創」と明記して
いるのを「割創」と考えるには多くの問があり、なるほど右「切創」と「割創」の
区別につき、A4鑑定書によると、現代の臨床医師でも法医学専門家がこの両者を
区別して呼称する程には区別して記載しないのがしばしばであるとされているが、
他面、「切創」「割創」という言葉はすでに明治時代の数種の法医学書のいずれに
もこの名称が用いられていたとされているわけで、現に明治四四年一二月刊行医学
士E19著「E20」によると、切創、割創の区別につき「割創」は「重キ鋭刃ヲ
以テ鉛直ニ裁割スルニ由テ生ズルヲ以テ骨ヲ穿徹スルコト多シ、其形状ハ創縁少シ
ク圧平セラレ挫創状ヲ呈シ」「若シ骨ニ達スルトキハ骨裂傷ヲ兼ヌ、頭部ノ割創ハ
骨縁ヲ離開シ、多クハ骨ノ裂傷ヲ兼ヌ」「後害モ亦著シ、間々震盪症ヲ生ズルコト
アリ」との記載がみられ、E21の検察官に対する供述調書、右A4鑑定書による
と医師経験も少くなく、警察医をしていて死体解剖の経験もあるとされるA6医師
が、右両者の区別を全く知らず、単に骨質に達するというにとどまる各創傷につ
き、これを漫然「皆切創ニシテ」と記載したものとは容易に首肯できないところで
あり、したがつて納得のいく格段の事情もなく、右骨質に達するとのみある創傷を
割傷とみることにより兇器の推断をなすことは相当でないといわざるをえない。の
みならず、右A3鑑定書中「触接等」とある部分は藁切のごとき重量のある鋭利な
刃器を兇器として本件のごとき両者の争闘の場面で利用するとした場合、その「触
接等」といつても、振り下ろし、振り廻し(切りつけ)、突き刺す等の用法で、普
通は前記のとおり振り下ろし、振り廻す式であり、加害者の体位、状勢によつてそ
の作用する力がかなり減弱されることはあつても、右のごとき重量のある鋭利な刃
器では、特に意識的に作用力を抑制するなど通常考えられない事態でも予想しない
限り、その重さだけでも相手方にかなりの打撃、創傷を与えることが考えられ、か
りにはずれることがあつても全体としてみれば前記のごとく計二三個、うち頭部に
九個もの右兇器の「触接」があるわけで、これだけの「触接」があればうち数回は
相当の打撃を伴うかなりの創傷を惹起しているのではないかとみるのが自然なもの
といえよう。この点は当裁判所のA3証人尋問でも十分明らかにされたものともみ
られない。
 次にA4鑑定であるが、同鑑定では右の点につき、まず「1」、右臀部の創傷に
つき、A6医師の検案書では「深サ皮下ニ達ス」とあり「切創」とあるのにD13
(当時一〇才、供述時七〇才)の検察官に対する供述調書中の「尻に大きな深い傷
があり縦に切れて割れておつた、長さは六、七寸はあつたと思う」という供述を参
酌し右につき「多分に割創的な創傷であつたかも知れないと考察せられる」とされ
ているが、右D13の供述は当時の年令等に照らしとうてい信用できるような類の
ものではなく、右A6医師検案書の記載に従い可能な理解にとどめるものといえよ
う。また「2」、本件創傷のうち肩胛及び上膊部前面、後面の創傷についても「割
創」と呼ぶべきものがあるのではという「一応の疑問が残る」、とされて、さらに
「3」、その他の左胸部後面の創傷を除くその余の創傷については、「その他の創
傷中にもなお、頭部において深さ骨膜に達するもの二個、骨質に達するもの六個、
左手部において骨質に達するもの三個があつた旨が一審判決書に記載せられている
が、頭部のものではそれらが頭腔内ないし脳に達したものと思われる証跡は無く
(脳に達している程度のものが検案医師の記載においてそのことが脱漏するとは思
われず、また後述する本人の受傷当時の行動からもそのような重大な脳機能障害が
起るような受傷があつたとは考え難い)、また手部の骨質に達する創傷も手指切断
の程度に達したかどうかは不明であり、いずれにしてもこれらの程度の〃骨質に達
する創傷〃は匕首短刀、刺身包丁、時には大型ナイフ程度の刃物でも、それらが多
少強く接触すれば、殊に鋭刃であれば必らずしも発起不可能とも思われないので、
これらの創傷が一様に『切創』と記載されている点について、ここでは特に多くを
述べる必要はないものと考へられる」とされている。右「3」の点は、右創傷の関
係のみを部分的に切り離して考えれば、説明の抑揚、観点こそ違え、前記A2、A
1鑑定で指摘される点と同旨にわたるとみられるような点も少くないように思え
る。のみならずこの点は、むしろ本件で最も問題とされるべき右頭部の創傷につ
き、これらが単に「匕首」等の類の刃物でも「発起不可能」とも思えないとされる
にとどまらず、さらに肝腎の前記藁切のことき重量のある兇器での成傷としてみた
場合、はたして合理的であるとみられるのかどうかにつき十分な解明がなさるべき
であつたと思われるのに、この点鑑定結論としてただ可能とされているのみで、鑑
定書中遂にどこにも十分な説明を見い出すことができなかつた点、右鑑定結論にも
これを首肯するに躊躇せざるをえないところである。
 ところで、右A3鑑定でも、A4鑑定でもその説明されているところを熟読玩味
するに、要するに根本は、A6医師検案書記載の左胸部後面の大創傷が「切創」と
いうよりむしろ「割創」とみるべきものだということに端を発し、まずこれはかな
り重量のある刃物(A4鑑定書では「五〇〇グラム以上あれば一応〃割創〃を生じ
得る程度の大型刃物ということができる」とされている)によるものとみるのが妥
当であるとしたうえ、これからさらに他の創傷についても右同一刃物での成傷の可
能性を検討肯定して行くという形がとられたかのように思える。問題は、この左胸
部後面の大創傷である。A6医師もおそらくは右大創傷に災いされて、本件兇器に
つき結局「兇器ハ柄ヲ把握シテ強カヲ加へ得ル鋭利ナル種類ノモノニシテ可ナリ重
キ重量ヲ有スルモノナルヘシ」としたもののようにもみられる。たしかにA4鑑定
で詳しく説明されているとおり、その創傷の部位、態様、程度等からすると、特に
「肩胛骨下角ノ一部ヲ切除シ」ていることなどに照らし、かなり重量のある鋭利な
刃物で成傷したのではないかとみる余地は少くない(もつとも右の点でD14―当
時一五才、供述時七五才―の昭和五一年一月七日付検察官調書を参酌するのは相当
でない)。しかし右は他面、前記A2鑑定で指摘されているように、「第五肋骨体
ヲ長経ニ沿フテ切り」「深ク肺臓ニ達ス」とされているわけで、第五肋骨体自身を
粉砕し、また他の肋骨体に及ぶなどの事態もないまま、深く肺臓に達しているとい
うものであつて、その創傷の態様等からすると、むしろ前記藁切のような大型の重
量のものとみるよりもつと小型軽量の鋭利な刃物の刺切創とみる方がふさわしいよ
うにもみられるし、A6医師の「皆切創ニシテ」という用語の意味にもより適合す
るものとみられる。
 しかしこれはともかくとして、本件創傷の成傷器につき勘考する場合、原一、二
審判決の記載中C1の供述による限り、本件兇器は一つとみるほかなく、原判決も
そのような判断の上に立つて犯行事実を認めているものとみざるをえないところ、
もしこの前提で考えるとしたら、右二三個の創傷すべてにつき、これを全体的に一
個の兇器による成傷の過程としてみてはたしてどのような刃物を兇器としてみるの
がもつとも合理的であるかという全体的観点で判断しなければ兇器の推論として妥
当でないということになる。もつとも、原判決中右C1の供述を離れて考えると本
件創傷からしてその兇器につきこれを一個とみなければならない必然性はない。し
かしもし、これを一個でないとみるとしたら、右C1の供述の信用性はその大方を
失い原判決認定の構造もそのこと自体で根底から覆えざるをえないこととなろう。
これはともかく今右兇器を一個とみるとした場合、たしかに前記左胸部後面の大創
傷は、これをなんらかの兇器による振り廻し、振り下ろし等いわば切りつける方式
で成傷したとみると、ある程度重量のある刃器でないと成傷しないのではないかと
いう疑念は一応うなづける。しかし右創傷も前記A2鑑定でいう「刺切創」(実際
の起り得る行為の態様としても、創傷の部位からして蓋然性はとぼしくない)とい
う見方をすると、必ずしも重量のあるものでなくても比較的軽量な刃物で大きく作
用力を及ぼすことができて成傷可能であるとみられるのみならず、前記のとおり右
創傷も他の肋骨体をなんら損傷することもなく単に「第五肋骨体ヲ長経ニ沿フテ切
り深ク肺臓ニ達」している点等、むしろ藁切のごとき大型で重量のある刃物による
ものとみるより、もつと鋭薄小型で軽量な刃物による刺切創とみるのがふさわしい
のではないかという推論も十分首肯しうるものとしたら、前記その余の特に頭部の
創傷等からする全体的な考察からして、結局、本件兇器は、前記藁切のごとき大型
で重量のものではなく、もつと小型で軽量の鋭利な刃物、つまり通常打ち下ろし、
振り廻しても前記頭部割裁等を生じない程度の重さ(おおむね二〇〇ないし重くて
も三〇〇グラム前後をこえないくらいと考えられる)のもので右刺入も可能な形態
の刃物であるとみるべく、この趣意に出たA2、A1鑑定、特にA2鑑定がはるか
に合理的であるといわざるをえないこととなる。
 いずれにしても、本件創傷のうち特に頭部に存する九個の創傷は、本件成傷器に
つきそれが前記藁切のごときものでないことを推論するかなり決定的な因子である
というべく、この点を中心に、本件二三個の創傷からしてその成傷器の蓋然性につ
き、本件兇器は原判決の認定する前記藁切、押切のごときものではないとするA
2、A1両鑑定の指摘はきわめて重要で、かつ高度の合理性を有するものというべ
く、兇器を一個とみるにせよ、二個とみるにせよ、原判決の認定する前記立証構造
等からすると、右A2、A1両鑑定の本件兇器につき提起した重大な疑念は、原判
決認定の基礎となつたC1の供述の信用性、ひいては原判決の有罪認定に多大の影
響を有するものであることは否定しがたいものといえる。検察官提出のA3、A4
両鑑定も右疑念を十分解消するものではない。
 二、 A5の血痕鑑定について
 A5の血痕鑑定が原判決中かなり重要な意味をもつたであろうことはすでに前述
のとおりであるが、この鑑定結果につき請求人からあらたな証拠として提出援用さ
れた各鑑定書等につき以下検討するにあたり、まずその前提事実として、右A5鑑
定の鑑定資料となつた原判決挙示の「証第九号筒袖衣服」の押収された日時及びA
5鑑定の経緯、方法について以下検討することとする。
 (一) 本件筒袖衣服の押収の時期
 原一、二審判決は、その記載によると、C1の供述するところに従い、請求人は
本件犯行の当夜右A5鑑定の資料となつた「証第九号筒袖衣服」を着用していたも
のと認めている。請求人はもとより当初からこの事実を否定しているが、このこと
は原一、二審判決の記載自体に徴しても明らかなところであり、ただ請求人の原
一、二審公廷における供述記載によると、右「証第九号筒袖衣服」(襦袢)は請求
人の父D8の仕事着であることが明らかにされている。
 そこで、右筒袖衣服がはたしていつ押収されたかという点であるが、まず原判決
の記載によると、請求人の第二回豫審調書中「自分ハ」「七月十四日鯛二尾ヲ弐拾
銭ニテ買ヒタルコトハ相違ナキモ壱円札ヲ出シタル覚ナキ旨」の供述記載、D9の
聴取書中「大正四年七月十四日ニ十四五才ノ男ニ小鯛二尾ヲ弐拾銭ニ売リ壱円紙幣
ヲ受取リ」云々の供述記載、また、請求人の原二審公廷における供述として「私ハ
同年七月十八日西市警察署ニ引渡サルゝ時金七円拾銭在中ノ箱ヲ父D8ニ預ケタル
コトアル旨」の供述記載、さらにはまた、D8の第一回聴取書中「七月十七八日頃
C2カ西市警察分署ニ連行セラルゝ時金七円拾銭入ノ薬箱ヲ密ニ私ニ預ケタリ」の
供述記載等があり、これらによると、まず、右七月一四日までは請求人には捕はも
とより捜査上強く嫌疑をかけられるようなこともなかつたものとみられること、ま
た、逮捕されるに至つたのは少くとも右七月一七、八日以降ではないかとみられる
ことなどが推知される。そしてさらに、請求人自身が本件第一次再審請求以後述べ
るところによると、請求人各作成の昭和三八年三月三〇日当庁受付「再審請求の申
立の追加申立」書、同年四月九日同受付「申立書の追加事項」書、同年五月二二日
同受付「再審請求申立書の第六次趣意書」、同年七月一日同受付「再審請求に関す
る第七次趣意書」、請求人速記録、当裁判所の請求人尋問調書等では、請求人は一
貫して、逮捕されたのは七月二五日であり、かつ請求人の父D8が当時着用してい
た「証第九号筒袖衣服」を押収されたのはその後で、右押収された経緯を知つたの
は請求人が本件服役仮出所後母から聞いてである、と述べている。しかし右のこと
だけではなお請求人の逮捕及び右押収の日時を十分明確にすることはできない。そ
こでさらに、他の関係資料をも合わせ参酌しながら検討してみるに、まず、原一、
二審判決書の記載及び第一次再審請求におけるD1証人尋問調書、同速記録による
と、請求人が逮捕されるに至つたのは共犯とされるC1の供述によるもので、した
がつて右請求人の逮捕及び押収の時期は、少くとも右C1の逮捕後で、しかも後述
するD1夫婦逮捕の一件後であろうとたやすく推知されるものであるところ、さら
に他の関係資料中特に弁護人、検察官双方提出の当時の各新聞記事(内容につき全
面的に信用することはできないが、その性質上、日時関係、また簡明、単純な記事
についてはある程度措信できるものと考えられる)によると、大正四年七月二七日
付同月二八日付E6新聞各夕刊の記載によると、C1は本件犯行後下関方面に逃亡
中であつたところ、七月一八日帰宅し、同人が逮捕されたのは七月二二日であり、
そして請求人は右C1の自白により共犯者とされて七月二六日逮捕されるに至つた
ものである旨の記事のあることがうかがわれるところ、同記事については、その余
の大正四年七月二七日付E2新聞中にも、七月二二日嫌疑者としてC1、請求人
「両人を検挙し西市分署に留置する」旨の、また、同年七月二八日付E7新聞中に
も、右「両人の所為なることを検挙し二二日西市警察分署に引致の上引続き取調中
にて」の記事があり、これは右E6の記事に少くともC1の関係では符合し、さら
にまた、大正五年二月九日付E7新聞中には、原一審の最終公判での検事論告後の
被告人としての供述で、請求人は、「証拠の衣類は父の所有物にして其の血痕のご
ときも数年来着衣せるより如何なる場合に附着したるものなるや自己の知らざる庭
なり初めより証拠品として押収されたるに非ずしてC1の自白により而して後家宅
捜索の結果押収されたるものなれば何等有力なる証拠とならず」と述べた旨の記事
があることなどからすると、結局、C1が逮捕されたのは七月二二日であり、その
後に同C1の供述によるD1夫婦逮捕の一件があつて、さらにその後に、ほぼ前記
請求人が述べる七月二五日ころ請求人逮捕に至つたものではないかと推知され、
「証第九号筒袖衣服」の押収も右請求人逮捕と同時ころか、その後であろうと推知
され、同押収がいかに早くみても少くとも右C1逮捕の七月二二日以前でないこと
が明らかなものといえる。ただ、前記原判決書の記載、また請求人の述べるとこ
ろ、さらには右各新聞記事によると、請求人は、請求人、また右C1逮捕前に二、
三度本件で任意警察の取調べを受けているような事実がうかがえるが、しかしその
間に、請求人のものでなく父D8の本件衣服まで押収され、さらに少くとも、同衣
服の「表面ニ附着セル斑点」につきすでにA5鑑定の依嘱までなされていたなどと
は、右逮捕の経緯、また後述するA5鑑定の経緯などに徴し、まず考えられないと
ころである。
 (二) A5鑑定の経緯、方法
 第一次再審請求の際のA5証人尋問調書によると、検事局の嘱託医A7が横一五
センチ縦一九センチ程度の血痕の附着した木綿の布片一つをもつて来て「これは人
血か動物の血液かをみてその結果を鑑定書として出してくれ」と頼まれたので、そ
れで「血痕のついている所を鋏で切り取り生理的食塩水にひたしておいて血痕の食
塩水にして顕微鏡で血球を見た訳です。血球が人間のと動物のと違うので、その結
果を鑑定書に書いた訳です」と述べ、さらに右方法につき具体的には、布切の血痕
附着部分の一部小指の先くらいの大きさを切りとつて直径一〇センチくらいの食塩
水を入れたシヤーレにつけて溶かし、それを顕微鏡で検査して人血であることを判
定したものである旨述べており、さらにA5速記録(鈴木弁護士聴取録音テープ)
によると、嘱託医A7から何かから切りとつた小さなきれ地をもつて来て「これは
動物の血液か人間の血液か鑑定してくれと頼まれ」「顕微鏡で鑑定したのです。そ
れで顕微鏡鑑定の結果、動物の血液じやなく、これは人間の血液だということに鑑
定書を書いたと思います」、それは「食塩水にとかしてそれで血球を見たんです。
血球は動物の血球と人間の血球と違いますからね」と述べていることがうかがわれ
る。そして原一審判決書掲記のA5の本件衣服等に「附着セル斑点ハ動脈ノ切断ニ
ヨリ迸出セル血液ノ附着セルモノト思ウ」旨の供述記載については、右A5証言等
では、かようなことは血液そのものでなく少くとも布片等に附着した血痕に関する
限り解る筈がなく、自分はかような証言をしたことはない、と述べ、もつともこの
点は、もともと自分は右血痕鑑定につき山口地方裁判所に証人として出廷したこと
さえない旨、かなり明確に右事実を否定していて、この点まことに奇奇怪怪の感を
免れない。これはともかく、右証言、速記録によると、A5医師の鑑定方法は、ほ
ぼ、血痕と思われる斑点の附着した布片の一部をはさみで切りとつてこれをシヤー
レに入れた生理的食塩水につけ、血球様のものを溶かし出し、これを載物ガラス板
上にとり顕微鏡で検査する方法によつたものとみられ、A5医師は右溶出した液の
中に血球の存在を認め、かつ同血球はその形状、大きさ等から人間以外の他の動物
のと異なるものとして、「人血」と鑑定するに至つたものと考えられ、右A5証言
等はその証言等の時期、内容などからにわかに措信しがたい点も少なくないが、右
鑑定の当否は別論、少くとも本件鑑定につき後述する血球観察法によつたものとみ
られることは明らかなものといえよう。右A5証言等によると、本件A5鑑定につ
き、右以外の方法を別に、あるいは合わせて試みたことをうかがわせるような供述
はその片鱗すら存しないが、A5が、右以外の方法をとつたかどうかについては、
本件あらたな証拠としての各鑑定書等の関係でさらに後に詳述する。
 (三) A1意見書、同鑑定書、A2鑑定書、A3鑑定書、A4鑑定書、A1、
A2各証人尋問調書の検討
 (A) 「人血」であるとするA5鑑定の当否
 右A1、A2、A3、A4各鑑定書及び当裁判所のA1、A2各証人尋問調書の
ほか同A3証人尋問調書をも参酌し、これらを総合すると、「1」、大正四年のA
5の本件鑑定当時、衣類等に附着した人血を疑わせる問題の斑痕につき、これがは
たして「血痕」かどうか、「血痕」としたら「人血」か否かの判別法としては、血
球観察法(赤血球証明法)というのがあつて、その方法は具体的には、右問題の斑
痕を一部切りとりあるいは削りとつてこれを載物ガラスの上にのせ、これに生理的
食塩水を加えて若干の時間をおき、もしこれがなんらかの血痕であるということな
ら右血痕中の赤血球が溶出、分離するので、これを顕微鏡下で観察して、まず、右
斑痕は人を含むなんらかの動物の血液に由来する「血痕」であることを明らかに
し、そしてさらに、右動物の赤血球は、人を含む哺乳動物のそれは円形で無核であ
り、その他の鳥類、魚類、爬虫類等のそれは楕円形で有核であることから、まずこ
れを区別し、さらに右赤血球の大きさ(直径)は同じ哺乳動物であつても、人、
犬、猫、牛、馬等それぞれ種別によつて異なり、人間の血球は最も大きいとされて
いることからこれを顕微鏡下で計測して「人血」か否かを鑑別するという方法であ
るとされていること、「2」、そして、この方法は明治時代のわが国法医学の開祖
とされるE22の明治二三年の法医学提綱上巻の記載をはじめ、すでに明治末期か
ら大正のはじめにかけての各種の法医学の主要文献にはほとんど掲載されていて、
単に法医学専門家のみならず、多少とも法医学に興味をもち鑑定等に従事しようと
するものなら広く地方在住の医師程度でも少くとも右血球観察法の存在方法につい
てはかなり周知されていたものであるとみられること、「3」、しかし、右のごと
き血球観察法はすでに右E22の当初の文献でさえも、問題の斑痕が「血痕」かど
うかの判定の方法としてならいざしらず、衣類等に附着して乾固した「血痕」につ
きこれが「人血」かどうかの判別法としては「人血ト他ノ哺乳動物ノ血トノ区別ハ
難シト雖モ必ズ為シ能ハサルニ非ス」とされている程度で、その他の各文献でも大
方右判別は甚だ、あるいは頗る難事、またほとんど不可能などとされているくらい
で、元来血液は衣類等に附着するとすみやかに乾固して血痕となり血球は萎縮、変
形して原形をとどめなくなるのでいくら右血球を膨化させるための各種膨脹液を使
つても右原形に復帰せしめることはまず不可能であり、右哺乳動物間の大きさの相
違もごく微小不同なものであることなどからすると、右「人血」判別もきわめて不
確実あるいは不可能ともみられるところで(これらの関係はA2鑑定書では「採血
直後の新鮮血球についてさえ、それに大小不同あり、統計的な種属差はともかく、
個々の血球について、その大小により種属を決定することは至難の業である。まし
てや血痕とあれば乾固した後の血液であり、これから正常の形の赤血球を復活させ
ることは絶対に不可能であるとしてよい。これはそのために考案された種々の膨脹
液を用いても同じことである。」とされている)、大正四年の本件当時右血球観察
法が「血痕」かどうかの実性検査の一方法としてなら格別「人血」かどうかの判別
法としては、少くとも法医学専門家の間ではほとんど信用できない方法として考え
られていたこと、そして当時の「人血」かどうかの判別法としては別にウーレンフ
ート氏法(生物学的検査法)というのがあり、これが当時の「人血」鑑別のための
唯一の方法であつたとされ、ただしかし、これは「血痕中に含有される蛋白の種属
を生物学的方法(血清学的方法)によつて決定、血痕の種属を推定する方法」(前
記A2鑑定書)であつて、そのためには家兎を利用して作成される沈降素血清(人
血清に対する抗体)を必要とし、その作成にはかなりの時間と技術を要することな
どからE13大学法医学教室等きわめて専門的なところでのみ、しかも右抗血清製
造に多大の日時を要して右「人血」鑑定に用いられることはあつても、後述する経
歴及び状況にあるA5医師程度のものとしては当時右ウーレンフート氏法を用いる
ことはまず絶対に不可能であつたとみられること、などの事実が認められる。以上
の関係は、右四名の鑑定人の各鑑定書及びうち三名の前記各証人尋問調書に照らす
とき、その表現等において特にA4鑑定書においてはかなり違う点もあるが、右主
意はほとんど異論をみないところといえよう。
 そこでこれらからしてさらに、前記第一次再審請求におけるA5の証人尋問調書
等を今一度参酌しながらその本件当時における鑑定方法及びその鑑定結論の当否に
つき勘考してみるに、まず、右証人尋問調書及び本件記録中のA5の履歴書謄本、
山口地方検察庁下関支部長作成の医師A5の経歴等調査結果について(報告)、E
23雑誌E24号(一部、写)、E13大学医学部長の照会回答書、A8の検察官
に対する各供述調書(二通)、A4鑑定書(昭和五一年七月一五日付A4鑑定書を
含む)、同年六月一九日付A2鑑定書、等によると、A5は明治二九年四月医師試
験に合格、明治三三年四月より一ケ年間E25大学医科大学衛生学撰科生として在
籍(その前約ニケ月間は同産科学婦人科学撰科生としても在籍)、明治三四年四月
より約一〇ケ月間右衛生学教室介補嘱託として在職、その後、東京市技手、同市衛
生試験所技手、E26院長代理、神戸市技師等を経て、明治四一年七月より下関市
立E27病院長兼下関市技師兼同市医に、明治四三年四月下関市E28所長兼技師
兼任等の経歴を有するもので、大正四年一〇月から右公職を辞して下関市内で医師
を開業し、本件第一次再審請求の証人尋問当時も引続き下関市内で開業医(内科、
小児科)として医業に従事していたものであり、そしてまた本件鑑定当時は、A5
の右証言では大正四年八月右下関市立E27病院長をやめる直前ころであつたとさ
れていて、当時年令三九才であつたことが明らかであり、そしてさらに、A5医師
が東大国家医学講習科(同講習科目に法医学を含む)に入学していたかどうかは必
ずしも明確でないが、本件鑑定当時E23雑誌を閲読していた様子はうかがわれ、
特に本件同年の大正四年二月二〇日発行のE23雑誌第E24号にはA5医師が婦
人膣内内容物等から精虫、淋菌の顕微鏡的検査を行つたとする「細菌学的検査ニヨ
ル殺人事件ノ鑑定例」と題する鑑定例報告をしている事実があり、しかも、右E2
3雑誌は、A2鑑定書によると、明治年間から大正の本件当時ころにかけ血痕鑑定
等「当時この種の論文の唯一の発表機関誌であつた」とされていることなどがうか
がわれ、これらからすると、A5医師は特に細菌関係については相当の知識を修得
していたとみられるとともに、法医学(物体検査等)についてもある程度の興味を
もつて、特に右E28等に関連して顕微鏡を操作する知識、技術についてはかなり
専門的なものを体得していたのではなかろうかと推知する余地も大きい。
 そしてさらにこれらからして、前記A5証人尋問調書等を検討してみると、前記
のとおり問題の斑痕につきそれが「血痕」で「人血」であることの鑑別法としては
赤血球を顕微鏡下で観察して識別するという方法があつて、当時の多くの法医学の
文献にもこれが紹介され広く一般に周知されている状況で、たしかに「人血」の識
別についてはかなり困難、ほとんど不可能とまで記載はされているものの、当初の
前記E22の法医学提綱の記載によるとこれも「難シト雖モ必ズ為シ能ハサルニ非
ス」とされているわけで、その他の文献でも全く不可能だとされているわけでもな
く、現にA2鑑定書によると大正三年のE22の鑑定書でさえ、なおウーレンフー
ト氏法のほか赤血球証明法を用いている状況でもあることなどから、A5医師とし
ては、他にとりうる方法もないまま、顕微鏡の操作にはかなり習熟していたとみら
れることもあつて、本件鑑定にあたり、前記のごとき血球観察法によれば、「血
痕」であることのみならず「人血」の判別も不可能ではないのみか、むしろ比較的
容易に可能であるとさえ考え、前記認定のごとき顕微鏡下で血球を観察する方法に
より「人血」の判定にまで至つたものであろうと推知され、もとよりA5医師が右
鑑定にあたり、ウーレンフート氏法を用いていないであろうことは、同医師の前記
経歴をいかに考慮に入れても、同証言、速記録のほか、前記本件A2その他各鑑定
書等により明らかにされた事実に徴しきわめて明白なところといえる。
 そうだとすると、原判決挙示のA5鑑定書中、まず「人血」であるとする点は、
右鑑定書のうち「第九号筒袖衣服ノ表面ニ附着セル斑点ハ」との記載自体からも右
鑑定が衣服附着のいわゆる「血痕」につきなされたものであることは明らかで、同
「人血」鑑定が右問題の「血痕」につき血球観察法のみによつてなされ、ウーレン
フート氏法を用いていない点で同鑑定結論の信用性はまず皆無に等しいものと断ぜ
ざるをえない。
 (B) 「血痕」であるとするA5鑑定の当否
 次にA5鑑定の問題の斑点が「血痕」であるとしている点であるが、前記のとお
りA5の証人尋問調書、速記録によると同A5医師は本件鑑定につき血球観察法の
みによつたもののように述べ、その他の方法によつたことをうかがわせる供述はそ
の片鱗だに存せず、少くとも「人血」鑑定については右方法のみによつたものと認
むべきことは前述のとおりであるところ、今かりにA5医師が「血痕」であること
の鑑定についても右方法のみによつたものとしてその鑑定結論の当否について検討
してみるに、まず前記のとおり、本件問題の「証第九号筒袖衣服」が押収されたと
みられるのは各関係証拠によると請求人逮捕の七月二五日以降、少くともC1逮捕
の七月二二日より後であろうとみられるところ、これらからすると、鑑定依頼、鑑
定所要日数等もあり、これらを一応すべて除外するとしても、右鑑定は本件犯行日
後少くとも一一日以上は経過した後であるとみざるをえないこととなり、この点は
当時の記録がないため手続上の関係書類で明確にすることができないが、前記他の
関係資料により十分肯認しうるところと考えられる。このような前提で以下検討し
てみるに、A2鑑定書によると、A5医師の用いた生理的食塩水で血球を溶出する
方法では、「その血痕付着が極めて微量」な場合「付着後数日以上を経過したもの
にあつては」「絶対に血球らしきものの証明は不可能な筈」であり、「いかに大量
の血液が付着したものであろうと衣服に付着の血痕は一週日も経過すれば生理食塩
水でそのなかの赤血球を浸出遊離させることは絶対に不可能であり、これを顕微鏡
に捉え得る筈」はない、とされ、同鑑定人のがーゼ片に血液を相当量に付着させ、
付着後日を逐つて検査した成績による実験結果によると「経過二十四時間にして完
全な血球の遊出は不可能となり、これについて病理組織学的検査法に則り、エオジ
ン液で血球部分を染色してみるも、一日経過したものでは、エオジン液に紅染する
血球を認めるがそれらは著しく変形し、しかも二、三個あるいは多数個が集団をつ
くつており、四日以上経過のものについてはA5医師の述べる方法を施行しても一
個の赤血球の証明も不可能であつた」とされ、結局A5医師の鑑定結論につき「こ
のような場合しばしば遭遇する血球様の形態物を捉えて安易な断定を下した」こと
によるものであろうとされ、さらに右の点、当裁判所のA2証人尋問調書による
と、右血球様の形態物については、空気中に飛んでいるゴミ、繊維の小さな粒、そ
の他仕事着ならホコリや何やら沢山ある、とされており、さらにまた、右の点は、
検察官提出のA4鑑定書でも、血球観察につき「これは血痕が付着後極く間もない
時でないとその血球としての識別は甚だ困難であり、時日を経過すると、血球の萎
縮、変形あるいは分離不能等の事情のため、さらには該斑痕の付着せる衣類、刃物
その他の器物自身の付加物、異物、塵片等との紛れのため、結局は血球として識別
することが不可能となるものである。」とされ、この参考のため、同鑑定人が目の
つまつた日本手拭上と清拭したガラス板上に人血液を一、二滴づつ滴下したものを
室温約二〇度前後で遮光した箱の中に静置して保存し逐日的にその一部を採つて生
理的食塩水を加えたものを観察するという実験結果によると、「付着後一日の間で
は一応、血球の特徴(その球形、中凹み、赤血球での無核、白血球での有核等)を
認め血球と判定し得るが、付着後三日となればすでに萎縮、変形するものが多く、
その特徴を失い、辛うじて血球と判断し得るに過ぎず、第五日以降では、予めそれ
が血痕であると判つておればどうにかそのようにみえるという程度で、厳密には識
別ないし判定不能」であるとされていて、右A2鑑定とほぼ同旨の結論が述べられ
ている。このようなことからすると、本件の場合、問題の筒袖衣服付着の斑点(斑
点とあるから微量であつたとも考えられる)は、もし犯行時のものとすると、鑑定
時まですでに少くとも一一日以上は経過しているわけで、A5医師がその述べるよ
うな方法では顕微鏡下に血球の存在を確認しうる筈がなく、したがつてA5医師
は、もし右血球を見い出したとすると、それは前記A2鑑定で指摘されるようにあ
るいは血球様の形態物をとらえて血球と誤認し「血痕」であるとの鑑定にまで至つ
たものか、そうでなければ、右付着の斑点は犯行当日のものでなく、それ以後の鑑
定時にもつと接着したころのものではなかつたかとみるべき蓋然性がきわめて強い
こととなり、いずれにせよ、A5鑑定のうち右「血痕」であるとする点の信用性も
有罪認定上ほとんど皆無に近いものとならざるをえない。
 もつとも、A5医師については、その前記経歴等からして、本件鑑定時の血球観
察にあたり、生理的食塩水のほか当時使用可能なホフマン・パチニ氏液、ウイルヒ
ヨー氏液等各種膨脹液のいずれかを用いたのではなかろうかという疑を生ずる。し
かし、第一次再審請求におけるA5証人尋問調書、同速記録では右使用をうかがわ
せる全くなんらの供述もないことはすでに前述のとおりであるうえ、さらに当裁判
所のA3証人尋問調書では右パチニ氏液、ウイルヒヨー氏液等は専門家でないとA
5医師では使えないであろうとされていること、また、昭和五一年六月一九日付A
2鑑定書では、右膨脹液の使用は可能であつても、これを用いての他の類似形態物
との鑑別能力を具えるには相応な経験、特殊な予備的習練を要するとされているこ
と(E29著大正一五年の「E30」では、「コレ等ノ赤血球検査ニ際シテハ、種
々ナル植物ノ胞子か屡々其ノ形(金米糖様)及ビ色彩(燈黄色)共ニ乾血球ノ膨大
セルモノニ酷似シテ、判断ニ苦シマシムコトアルヲ忘ルベカラズ」とされてい
る)、などからすると、A5医師が右各種膨脹液のいずれかを用いたとみることは
難しいように思える。ただ、この点は、かりにA5鑑定で、右膨脹液のいずれかを
用いたとしても、右昭和五一年六月一九日付A2鑑定書のほか同鑑定人作成の同年
七月六日付回答書によると、付着後四日も経過したものについては、右膨脹液を用
いた液中に赤血球を遊出せしめて血球の存在を証明することはきわめて困難もしく
は不確実で、いわんや本件のごとく、すでに鑑定までに一一日以上も経過する単な
る斑痕につき、少くともA5医師では、赤血球の存在を確実に立証して「血痕」で
あることを鑑別することはまず不可能であつたと認められ(なおこの点、後に検察
官提出の昭和五一年七月一五日付A4鑑定書によるも右推認を左右するものではな
いといえるが、同鑑定書でも、A5の経歴等からする顕微鏡下での血球検査能力に
関連し、「ここで特に考へるべきことは」、この検査能力が一応あるとしても、
「単に検査し得る」ということでなく、「法医学的な考慮の下に」検査し得るかど
うかという別な視点があるという点だとされ、この「法医学的考慮」の一つとして
は、「検体中に混在するおそれのある塵埃、微細粒子、特に花粉、カビ胞子、気中
浮遊のプランクトン類など、その他血球と紛らわしいものを充分識別すること」な
どで、これについては「経験もしくは練習が積まれていること」が必要であり、前
記A2鑑定のこの点に関する指摘は正しいものとされたうえ、「そういう意味で
は、A5が厳格な意味で『血液、血痕の法医学的検査』に慣れていたといえるか、
は疑問であると考える。」とされている)、したがつて、本件A5鑑定書中「血
痕」であるとする点の信用性は、前記膨脹液を用いなかつた場合とほとんど差異を
生じないこととなる。なお、本件A5鑑定にあたつては、原判決の記載に徴する
と、問題の筒袖衣服は請求人の父D8の仕事着であつたことが明らかであり、ま
た、本件当時は七月という気候的にもかなり高温のときであつたとみられることな
どからして、右A5鑑定の血球判別も一層困難な状況下にあり、同判別を誤る可能
性も強かつたとみざるをえない。
 ところで次に、A5鑑定につきなお考えてみなければならない点は、その「血
痕」であることの鑑定につき、はたして「血球観察法」のほか他になんらの方法も
とつていないものであろうかという点である。A2、A3、A4各鑑定書等による
と、大正四年の本件当時、単になんらかの「血痕」であることを鑑定する方法とし
ては、血痕様の斑点につき、まず豫備試験としてグアヤツク法、ベンチヂン検査法
等により右斑痕が血痕らしいという検査をして、そして次にこれにつき、本試験
(実性検査)として、「1」本件血球観察法のほか、「2」血色素(ヘモグロビ
ン)吸収線検査法、「3」へミソ結晶検査法、「4」ヘモクロモーゲン結晶検査法
等のいずれかを行つて、これにより右斑痕が真に「血痕」であることの鑑定に至つ
ていたものとみられ、これらのうち当時実際の鑑定で多く用いられていたのは右豫
備試験としてグアヤツク法、実性検査としてヘミン結晶検査法であり、しかもこれ
らは右血球観察法を用いる場合「血痕」鑑別に併用されていたような事実がうかが
われる。そしてさらに、A4鑑定書(昭和五一年七月一五日付の分も合わせ参酌す
る)、当裁判所のA1証人尋問調書等によると、右検査法のうちグアヤツク法、ヘ
ミン結晶法は他に比べるとその方法が幾分容易なことなどで、A5医師としてもそ
の経歴、置かれた条件等から、もしやろうと思えば実施不可能でもなかつたのでは
なかろうかとみられること、A5自身、その前記証言、速記録では右のごとき方法
を実施したことをうかがわせるような供述を微塵もしていないところではあるが、
その鑑定時三九才、右証言時八七才ですでに五〇年近くも経過しているわけで、特
に前記のごとく原一審山口地方裁判所に証人として出廷ことすらないと述べている
ことなども思い合わせるとかなりの記憶の喪失も考えられ、また右の点、格別の尋
問がなかつたから、特に「人血」鑑別の点のみ留意して右述べなかつたにすぎない
とも考えられること、さらには原判決中のA5鑑定書の丁数が一〇丁にも及んでい
ること(もつともこの点右A5医師の証言ではごく簡単で二枚くらいですんだもの
のように述べている)からすると、少くとも右グアヤツク法、ヘミン結晶法程度は
現に施行したのではなかろうかとみる余地も少くない。しかしまず、グアヤツク法
は単に豫備試験で「血痕」であることを確定するものではないからこれを一応問題
から除くとして、右ヘミン結晶法については、これはその検査方法は右血球観察法
とはかなり別異の内容を有するもので、A5医師として、もしこれを施行していた
ものとしたら、「人血」の点が問題の主体であつたとはいえその鑑定結果が強く問
題とされその鑑定方法につき数度にわたり尋問が繰り返されているという状況のも
とで、その証言、速記録で、これに全く触れないというのもまことに不自然で、A
5医師としてもとよりこれを述べないでおこうと配意する理由も見当らず、また、
たとえ老令で五〇年近くの年月が経つているとしても、その証言等では血痕鑑定の
経験は一回のみとされ、しかも右鑑定につき述べるところは、右方法自体に関する
限りきわめて明確であいまいさがなく、むしろ自信に満ち、特にその用いた「血球
観察法」なるものにつき昭和三九年の証言当時でさえなお「人血」鑑別法としてな
んらの疑念をも抱いていない様子がうかがえること、またA5は右証言当時も現に
医業に従事していて、右ヘミン結晶法実施の有無といつたこと自体は、その事柄性
質上容易に失念するともみられないこと、などからすると、A5医師が本件鑑定に
あたり、当時右「血球観察法」のほか右ヘミン結晶法(その他の各種実性検査法も
含め)等をも用いたものとみるのはまず困難なものといわざるをえないであろう。
右鑑定書の丁数が多い点も、本件筒袖衣服が証第九号であつて他の証拠品の存在も
うかがわれることからすると、A5鑑定に付されたのは本件衣服のみではなかつた
のではないかと推測する余地もあり、たしかにこの点不審感は免れがたいが、いず
れにしてもこの点で右A5証言の理解を左右すべきものではないと考えられる。そ
してこれらのことはさらに当裁判所のA3証人尋問調書中、実性検査のうちへミン
結晶法は比較的易しいが、それでもその試薬の調合、技術等の面で仲々難しく、自
分がやつてもうまく結晶ができないくらいであり、A5医師では、その他の実性検
査も含め、その実施はまず望めないであろうとされていることに徴し、右推認も一
層裏づけられるものといえよう。
 以上、右各説示したところからすると、結局、原判決挙示のA5鑑定書中「第九
号筒袖衣服ノ表面ニ附着セル斑点ハ」「血痕ニシテ」「人血ナリ」とする鑑定結論
は、A5の用いた方法では、まず右「人血」であるとする点は、その信用性は皆無
に等しく、また右「血痕」にして、という点も、その信用性には多大の疑念のある
ことが明らかとなつたものというべく、これが前記原判決認定の証拠上の構成に照
らし、原判決の有罪認定に重大な影響を有するものであることは否定しがたいとこ
ろといえよう。
 第六、 原判決の有罪認定につき考慮すべきその他の関係
 一、 C1の供述の信用性
 (一) 原一、二審判決の記載に現われたC1の供述の疑念
 (1)、 原一、二審判決書中本件犯行の状況について直接述べるのは唯一人C
1のみである。その述べるところによると、C1は本件当夜一二時すぎE4宅前路
上で請求人と出会つて後本件殺害に至るまでの間、全く請求人の意のままに、しか
もほぼすべてにわたり請求人の主導的役割によりはたされたもののように述べてい
る。つまり、C1は当夜一二時すぎE4宅前県道上で請求人と出会つて後、請求人
において「ヤツテヤローデハナイカ」と発意懲通し、請求人において兇器「押切」
を用意し、請求人において「左様ノ場合ニハヤツツケル外ハナイトテ手ニセル押切
(藁切刀)ヲ示シ」て犯行の手段を指示し、請求人が先に被害者方に入り、請求人
が物色し、請求人がB1に「馬乗ニナリ」、といつた状況で、C1は全く請求人の
いいなりに追従し、ただ現場で蚊帳の吊手を引き落したことと、鉢巻にしていた手
拭でB1の口の辺を押えたという程度で、後は夢中で県道の方へ逃げたというので
あり、しかも特に注目されるのは、当時深夜とはいえ、原判決の記載に徴すると、
他の関係では現場での状況をかなりよく見分していて、また十分見分できる関係に
あつたとみられるのに、肝腎の請求人がB1に数回も斬りつけたという原判示認定
の事実については、「C2がB1ニ斬付ケタルヤ否ヤ知ラザル旨供述シタリ」(原
一審公廷)とあつて、その他斬りつけたという供述は全く存しない。この点、被害
者B1には大小二三個もの創傷があるとされているわけで一度も請求人の斬りつけ
た行為を見分していないなどというのはまことに不可解である。蚊帳の点は原判決
挙示の検事実況見分書に現われた現場の状況からしてこれを否定しがたく、そのま
ま自己の行為として(もつとも請求人の指示によるものとして)供述するに至つた
ものか、またタオルの点も、あるいは現場で発見されて追及されたか、あるいはま
た余り主要でない行為として不用意に述べるに至つたものかなどとみられなくもな
く、さらに右斬りつけたことを見てないという点も、あるいはそれが自己の行為で
あるため、そしてまた兇器を詐つているために、事実を述べえなかつた結果ではな
かろうか、などと多くの推測と疑念を禁じえない。そしてさらに、C1が当初の状
況として述べるところによると、請求人において蚊帳の外より金銭を物色していた
が、被害者B1は目を醒ましたので土間にいたC1は直ちに床上に「飛上リ上リタ
ル処ニ在ル」蚊帳の「吊手ヲ除ケテ左へ廻り三方ノ吊手ヲ引落シ」逃げようとした
ところ請求人はB1に足を捕えられ、と述べているが、右状況ではむしろ足を捕え
られたのはC1ではないかとみるのが自然のようにもある。
 (2)、 C1の供述中、請求人と犯行を結びつける客観的な事実は兇器「押
切」と請求人の当夜の「衣服」の関係である。まず兇器についてであるが、C1の
供述によると、右兇器はC1が請求人と当夜一二時すぎころE4方表県道上で会つ
て後請求人においてC1に「一寸待テ」といつておそらくは自宅に帰り持ち来たつ
た押切(藁切刀)であるとされ、しかも同供述によると、両名現場に赴く道すがら
犯行の方途を話し合つたとする際請求人は「手ニセル押切(藁切刀)ヲ示シタリ」
と、また「手ニセル押切ヲ示シナガラE31ノ前ヨリ県道ヲ横ニ左ニ取リ田ノ中ノ
道ヲ通リ抜ケテ川ヲ渡リ尚田ノ中ト畑ノ道ヲ通リテB1方ニ行キ」とあり、これ
に、押切、藁切の前記のごとき大きさ形状、原判決の記載から想察される請求人の
当夜の衣服、当裁判所の検証調書等をも合わせ考量するとき、請求人は右E4宅附
近からC1とともに県道をとおつて本件現場に赴いたこととなり、その間右押切を
おおむね手にした状態で(特に隠しもつたという供述もない)行つたようにもみら
れることとなるが、右押切の大きさだけを考えても当時請求人が着用していたとさ
れる腰切れ用の筒袖襦袢の中に隠しもつということは、たしかに不可能ともいえな
いであろうが、かなり困難で不自然なことともいえようし、当時右県道をとおる間
原判決の記載自体に徴しても右途中の県道ぞいにE4宅、E31方のあつたことは
明らかで、暑いときでもあり、深夜とはいえ、このような県道を、またその他の道
でも誰に会わんとも保しがたく、右のような押切を本件兇器としてわざわざ用意携
行して行くといつたことは甚だ不自然の感を免れない。
 本件につき何故に押切(藁切刀)が兇器とされるに至つたかについては少しく考
えてみる必要がある。請求人は、第一次再審請求における昭和三八年三月三〇日当
庁受付の申立書ては、C1は七月二一、二日ころ警察に捕つて種々取調べられて後
「兇器の出所に困つて」「評判の悪い私を引張込んだものと思います」「C1は警
察でC2君は妻子もあることだから助けてやろうと思つたけれども兇器の出所がな
いからお前が持つて来た事を自白したと言つて、私を驚かせました」と述べてお
り、当裁判所での尋問でも、請求人が逮捕された後その求めでC1と警察で会つた
際、C1は、「お前は妻子があるから助けてやろうと思つたけれども、兇器の出場
がないのでやむを得んお前を言うたと、お前と共謀でやつた」といつた、と述べて
い。この供述は必ずしも請求人に利益な供述とも思えないが、それだけにその真実
性をうかがわせ、本件兇器の解明に重要な手がかりを与えているようにも思える。
原判決の記載によると、本件兇器はC1の供述によつてはじめて具体的な「押切」
として現われてきたものとみられ、C1逮捕後は警察としても当然C1について兇
器の種別、出所につき相当の追及をなしたであろうと考えられるところ、原判決挙
示のA6医師検案書によると、兇器は「柄ヲ把握シテ強カヲ加へ得ル鋭利ナル種類
ノモノニシテ可ナリ重キ重量ヲ有スルモノナルヘシ」としていること、またさら
に、第一次再審請求におけるD6証人尋問調書によると、犯行時の朝現場に行つた
際の様子として、皆大きい傷だといつていた、これだけの傷では農家の藁切ぢやあ
るまいかという話で、自分もそう思つた、また当時藁切のなくなつている農家を探
した、などと述べていることからすると、右供述はすべてを信用することはできな
いが、警察としても、押切、藁切というのも兇器の種類として強く考慮に入れ、C
1につき右押切、藁切という線での強い誘導、追及をなしたのではということも十
分考えられる。そしてこれらからしてさらに、もしC1の供述が少くとも同人の犯
行に関する限りその骨子において信用できるものとしたら、何故に、特に兇器の点
たけについて「その出所に困るほど」真実を偽りあるいは隠す必要があつたのであ
ろうかという疑問について考えてみるに、これには種々の推測が可能であり、たし
かに請求人をかばうために隠したというのも一応の理くつではあろう。しかし他
面、もし本件兇器が押切藁切といつたものと異なり、特異な形状のものであつた
り、あるいはまた、その形状の明らかに種々異別なものが予想される類のものであ
つたりしたとしたら、第三者を共犯に引き込もうとする場合、共犯者と結びつかな
いこともあつたりして効を奏しないおそれもあることから、右真実を秘し、やはり
どこにでもあるという類のものでその形状にほぼ大差のないようなものを兇器に偽
るという可能性も十分考えられる。右D6証人尋問調書その他弁護人、検察官双方
提出の多くの関係資料できわめて明らかな、当時本件殿居界隈の農家ではまず押
切、藁切のない家はないとされていることをも思い合わせると、警察での前記兇器
についての見込み誘導に応じ、C1が本件兇器につき、その形状はいずれも大同小
異である押切、藁切と供述する可能性はきわめて容易に推知されるところであり、
このことは請求人逮捕前、後述するD1夫婦逮捕の一件のあつたことに徴すると一
層うなづけるところといえよう。
 次に、請求人の当夜の衣服の点についてであるが、原一審判決掲記のC1の第二
回豫審訊問調書の記載によると、C1は「C2が自宅ニ帰リテ着代へ来リタル腰切
ハ自分ノ当夜ノ着衣ヨリ少シク白ク縞ノ無キモノゝ様ニ思ハレ縞ノ襦袢ガ仕事着ノ
為メ古ク白ク剥ゲタルモノトモ見エ又夏襦袢ノ古ビタルモノトモ見エ袖が筒袖ナリ
シコトハ確カニ覚へ居ルガ証第九号ノ品ト思フ旨」述べている。そして請求人の第
一次再審請求における昭和三八年三月三〇日当庁受付申立書によると、請求人は、
C1と警察で対決した際C1に「それでは会つたどきC2はとんな着衣であつたか
と」反問したら、C1は「白い浴衣であつた」と述べた、しかし自分は当夜久留米
絣の単物にちりめんの帯であつたので警察でE5方を調べたらこのことが証明され
た、ところがC1はその後にC2は家に帰り衣服を着替へたと供述を変へた、父の
作業衣に血痕に似た物がついているのを刑事が持ち帰りC1にこれであろうがよ
と、示し、C1そうでしたと、右当初の供述を変へた、と述べている。これらを合
わせ考えるとき、たしかに、当夜は下関地方気象台の「天候、月令等についての回
答」によると、快晴ではあるが月令二七・三であることからしてかなり暗く、C1
が請求人の衣服につき十分明確でないとしても必ずしも不自然ともいえないようで
はあるが、しかしC1が請求人と行動をともにしたとされる全行程の間において、
原一、二審判決の記載に徴すると、他の関係に比し特に右衣服の点は、いかにもあ
いまい、不確実の感を払拭しがたいものとみられ、C1はあるいは当初本件筒袖衣
服と別異なものを述べていたが、請求人が当夜赴いた先E5らの供述で右C1の述
べるところが虚偽であることが判明したため請求人は衣服を着替えたといわざるを
えない羽目となり、そのころ押収された右筒袖衣服に供述を合わせていつたもので
はなかろうかと疑う余地も少くない。
 (3)、 原一、二審判決の認定するところによると、請求人は当夜隣村b村E
5方で賭博をしての帰宅途中、偶々当夜同じく酩酊してB1と提灯争いをし、又女
との密会も断わられるなどし、多額の負債もあることから自殺を企て一旦帰宅途中
のC1と夜一二時過ぎ頃E4宅表県道上で会合し、B1方からの金員窃取を謀議
し、かつその後直ちに請求人は帰宅して衣服を着替え、自宅から鋭利なる刃器を携
行してさらにC1と現場に赴く途中場合によつてはB1殺害をもなすべきことを謀
議したというものである。右C1の請求人との「邂逅」および謀議の点は専らC1
の供述に基づくものであるが、C1と請求人との間に本件事件以前にどのような関
係、またいきさつがあつたのかは原一、二審判決の記載だけでは全く不明であり、
むしろ、同判決に何の説示もないことからすると特に原判決認定上間題とすべき程
のことはなかつたのではなかろうかとみる余地も多分にあるが、少くとも右「邂
逅」が「偶々」であることは原一、二審判決の記載に徴し明らかなものといえる。
そしてまた、窃盗の謀議と、強盗殺人の謀議とは請求人の帰宅と前後しているよう
であるが、しかし請求人の立場からみると、C1の供述では、帰宅して押切を携行
して来たというのであるから右E4方前路上から帰宅して再び赴いてくる際すでに
本件強盗殺人をも考えていたとみなければならない。夜一二時すぎ「偶々」出会つ
た請求人とC1の両名が人家のある表県道上で今まで格別の伏線もないまま窃盗を
話し合つたのみか、また、その後間もなく請求人は本件のごとき殺害まで決意して
押切(藁切)を持ち出し、現場までの道すがらC1と右謀議をもなすといつたこと
は、いかにも唐突で不自然の感を免れない。
 (二) D1夫婦逮捕の一件
 第一次再審請求におけるD1(録音)速記録及び同証人尋問調書によると、その
述べるところは大略次のとおりである。つまり「本件B1殺害を知つたのは事件の
あつた朝であり、自分は憶病なので死体現場には行かなかつた。しかしその後数日
した早朝に五、六人の警察官がやつて来て、自分と夫平蔵の両名をB1殺害の容疑
者として手をくくり附近c村のE32という民家に連行した。これはC1が自分ら
と回しんして(一緒になつて)やつたといつたためで、朝から午后三時ころまで、
お前らがやつたのだろう、やつたという人がいる、やつたといえ、と五体をがんじ
がらめにくくり一尺程の棒でたたくなどして強く取調べられた。ところが、主人平
蔵は事件前日炭を売りに馬車で下関に行つていて当夜は下関に泊つていたことから
そのことを言つたら、警察はすぐ電話で下関に問い合わせ、その事実が判明したた
め容疑が晴れ、翌日夫婦とも帰えされた。右E32での取調べの後西市警察に連行
されたが、そこでC1に警察官のいる部屋で会わされた際、C1は、むごいような
ことをおばさん言うたなあ、こらえておくれなあ、『C2と親族じやからC2を助
け様と思うてあなた方に難を言うた、こらえてくれ』と、あやまつた。その後請求
人は逮捕された。」
 右D1の供述は、同D1が当時三三才で五〇年も経た八三才の老令のときなされ
たものであり、しかも右供述中、原一審判決書の記載によると、豫審で同D1が取
調べられ、B1とC1の提灯争の一件を詳しく述べている筈であるのに、右第一次
再審請求の証人尋問、速記録では提灯争の一件は全く関知しないことで、右豫審の
取調べを受けたことはあるも、右の件を聞かれたことはないなどと何度もこれを否
定していること、その他右証人尋問と速記録でも異なつた供述をしている点もある
こと、などからすると、右D1の供述を全面的に信用することはできないであろう
が、右供述からして、少くとも、本件事件後E31、D1夫婦がB1殺害容疑で逮
捕されたこと、しかし同E31について当夜下関にいたというアリバイが判明した
ため右両名とも釈放されるに至つたこと、右D1夫婦逮捕に至つたのはC1逮捕後
でC1がD1夫婦との共犯を自供した結果によるものであること、そして右の後に
請求人が逮捕されたものであることは明らかに認めることができる。当裁判所のD
6証人尋問調書(昭和五一年一月二一日施行分)によると、D6も当時(二一才)
D1逮捕を聞いて知つていると述べている。ところでC1は何故右D1夫婦との共
犯を自供したものであろうか。右D1の述べるところでは、C1は請求人と親戚に
なるので請求人を助けようと思つてD1夫婦を共犯に仕立てたといつた、という
(もつともこの点は、右速記録ではC1がかように言つてることを警察から聞いた
と述べているのに、右証人尋問調書ではこれを訂正し、C1から警察で直接聞いた
と述べている)。しかし、右親戚という点も、弁護人、検察官双方提出の右各関係
除籍謄本、戸籍謄本等によると、C1の兄E33の嫁E34が請求人の妻E35の
母の妹にあたるという程度のことであつて、かなりの遠縁であることが明らかであ
り、両名、当時との程度の交際があつたのかは、原判決の記載によるとC1はb
村、請求人はa村で同村でなく、かつC1は請求人より一四才も年上であつたこと
が明らかにされる程度で、請求人はほとんどC1とつき合いがなかつた旨述べてい
るものの、現在その関係を十分明らかにしえない。しかしただ右親戚関係のみで
は、C1が、右D1の供述でも明らかな、自己と当時、何の関係もないD1夫婦を
かくも重大事犯の共犯に引き込んでなお請求人をかばう程の理由とも考えられな
い。右関係は、請求人は第一次再審請求の申立書以来ほぼ一貫して、前記のとお
り、C1は請求人に妻子があるから助けてやろうと思つたが兇器の出所がないので
しようがなかつた旨言つたと述べており、右親戚だからとはいつてないと述べてい
る。右兇器の関係はすでに前述したとおりであるが、右妻子があるからという点
も、右D1の供述によるとD1夫婦にも子供二人があつたことが明らかであつて特
に請求人をかばう理由ともいえない。このD1夫婦逮捕の一件はC1の供述による
ものであることは明らかであるが、特にD1夫婦を共犯に引き込んだ理由につき付
度するに、原判決の記載によるとC1の本件犯行の動機としてはD1方庭でのB1
とC1の提灯争いの一件があつたことが明らかで、あるいはこれがC1逮捕の主要
な端緒ともなつたのではとも推知され(大正四年七月二八日付E6新聞夕刊参
照)、ひいてはこれとの関係で警察での取調べもD1夫婦関与にまで及び、C1も
これに乗じて右共犯自供にまで進んだものではと推測する余地もなくはない。いず
れにしても、前記「親戚だから」また「妻子があるから」といつたことは警察の手
前上その場かぎりのもつともらしい口実にすぎないようにも考えられる。
 これはともかく、C1が単に請求人をかばつてこれとの共犯を秘したというので
はなく、さらに積極的に、何の関係もないD1夫婦を本件のごとき重大事犯の共犯
に引き入れたというものであつて、E31には明確なアリバイがあつて同夫婦とも
釈放されるに至つたものの、もし右アリバイがなかつた場合をも考慮に入れると
き、少くともC1には、この種重大事犯につき無実の第三者をも容易に共犯に引き
入れうる素性の一端のあることを窺知するに十分なものというべく、ひいては本件
C1の供述にも多大の疑念を生じさせるものといわざるをえない。
 二、 請求人の本件事件当時から今日までの行動
 請求人は、本件事件当時から今日まですでに六〇年もの長きにわたる間、捜査当
初から一貫して本件犯行を真に認める供述は微塵もしていない。この事実は、原
一、二審判決書に請求人の本件犯行を認める供述が全く掲記されていないのみか、
請求人は一審有罪判決に対し請求人のみ「無罪」を主張して控訴し、さらにまた
「本件犯罪ヲ犯シタル者ニ非ザルコト」を主張して上告していること、そしてその
後服役中も、その身分帳及びE3作成の供述書(第一次再審請求事件記録編綴)に
よると大正一四年ころ三池刑務所を訪れたE3巡閲官に対し請求人は「自分ノ犯罪
ハ事実無根ナルニ依リ調査ノ上救済セラレ度」旨情願したが却下されている事実が
明らかであること、また右出所後も、第一次再審請求事件記録中、昭和二六年八月
一五日付山口地方法務局下関支局長作成の「特別公務員職権濫用容疑事件について
(通知)」と題する書面写、弁護士民繁福寿のC2宛葉書写、当裁判所の請求人尋
問調書等によると請求人は終戦後、市役所の法律相談所や法務局を訪れ、右無実を
訴え、また人権擁護の陳情をなしてその救済を求めている事実もうかがえること、
そしてさらにその後、本件従前の再審請求記録に徴し明らかなとおり昭和三八年以
来昭和四九年に至るまでの間、実に五度までも再審請求をなして無実を主張し、ま
た本件記録中昭和四五年一〇月一六日法務省刑事局受付請求人作成の嘆願書による
と、右の間請求人は昭和四五年には法務大臣にまで嘆願書を提出して強く無実を主
張していることがうかがえること、などからしてきわめて明らかである。検察官は
請求人服役中の身分帳簿(現在法務省矯正局保管)添付の入所時感想録に、自筆
の、犯行を認める旨の供述があること、また、昭和五一年三月二四日付山口保護観
察所長作成の「身上関係書の送付について(回答)」と題する書面添付の恩赦上申
関係の昭和四四年一月二九日付身上関係書(謄本)には、請求人が犯罪を犯すにい
たつたいきさつにつき「深い事情もなく悪友の為に」と自筆で記載している事実を
指摘して、本件犯行を認めているかのように主張するが、右が全く顧慮に値しない
ものであることは、右前者については、その記載時が服役当初の入所感想という特
殊状況下のものであること、また後者については、右記載がそれまですでに二度ま
でも再審請求を棄却された後のことで、身内のことを考えての専ら恩赦の関係での
みのものであるとみられ、現に右は、他面第三次再審請求として右前後に本件犯行
を強く否定する書面を裁判所に提出している間のことであることなどに徴し明らか
なものというべく、この点はさらに、請求人自身当裁判所の請求人尋問の際、前者
については検察官、弁護人双方より、後者については検察官から、右各書面を示さ
れて、全くためろうこともなく自己の記載であることを認めて間然するところがな
い経緯に徴しても一層明らかなものといえよう。
 そして、本件につきなお注目されるのは、請求人が本件捜査当初から今日までそ
の主張するところの内容が、勿論若干の記憶違いと思われるようなものを除くと、
その利益、不利益をとわず、全くといつていいくらい同旨で一貫していることであ
り、あらたな弁解らしいものの追加をみないという点である。この間の経緯は原
一、二審及び上告審各判決書の記載のほか、第一次再審請求以来裁判所その他に提
出された請求人作成の各書面、また裁判所その他での請求人の各供述を仔細に検討
するときわめて歴然とするところであり、この点はさらに、前記当時の各新聞に掲
記されている当時の一審山口地方裁判所での各記事と照合すると、その主張が数一
〇年もの才月を経てなお符合するのに一驚を禁じえない。請求人はその当裁判所で
の供述中、弁護人から請求人の当時の経済状態につき、窃盗の動機がないとする趣
旨か、当時余り困つた状態でもなかつたのではないかと再度尋ねても、どうしても
そうではないといい張つて譲らない等、請求人の述べるところの真実性をうかがわ
せる一端ともいえよう。
 これら諸関係は請求人の主張の真実性を判断するうえで考慮すべき重要な点であ
るといえる。
 第七 結論
 以上、請求人が本件あらたな証拠として提出、援用する各証拠のうち、特に、A
1意見書、A1、A2、A3、A4各鑑定書、A1、A2各証人尋問調書を中心に
原判決の問題点を検討するとともに、右あらたな証拠が原判決の有罪認定に及ぼす
影響につき勘考した。前記のとおり原判決が請求人を有罪とした最も主要なその骨
格ともいうべき証拠は、C1の供述とA5鑑定であり、しかも、右C1の供述中請
求人と本件犯行を結びつける重要な客観的事実は、本件兇器押切・藁切(刀)に関
する点と請求人の当夜の着衣に関する点であるとみられるところ、前記A1、A2
各鑑定、特にA2鑑定では、被害者B1の創傷からして右押切・藁切(刀)が本件
兇器でないきわめて高度の蓋然性のあることを明らかにし、また、A1、A2、A
3、A4各鑑定は、右A5鑑定書中問題の請求人の当夜の着衣とされる衣服に附着
する斑点が「血痕」にして「人血」なりとする点につき「人血」であるとする点は
鑑定としてはほぼその信用性は皆無であり、また、右「血痕」であるとする点も鑑
定としてはその信用性に多大の疑念のあることを明らかにしたものというべく、結
局これらが、C1の供述の信用性、ひいては原判決の有罪認定に重大な影響を有す
るものであることは否定しがたいものというべきで、このうえさらに、前記原判決
自体から生ずる多くの疑念、D1夫婦逮捕の一件より生ずるC1の供述の信用性に
関する疑念、また請求人の今日まで六〇年の長きにわたり寸毫も犯行を認めていな
い一貫した行動等をも合わせ考慮するとき、右あらたな証拠により生ずる原判決の
有罪認定についての合理的な疑は、一層大きく、かつ鮮明なものとならざるをえな
い。かくして、原判決をなした裁判当時、かりに右あらたな証拠としての各鑑定書
等が提出されたとした場合、右D1夫婦逮捕の一件等その余の関係を加味するまで
もなく、原判決の請求人に関する有罪認定には多大の合理的な疑を生じ、遂にこれ
を払拭しがたく、有罪の言い渡しにはとうてい到達しえなかつたものと断ぜざるを
えない。
 しからば、請求人があらたな証拠として提出援用する各証拠のうち、右A1意見
書、A1、A2、A3、A4各鑑定書、A1、A2各証人尋問調書等は、所詮旧刑
訴法四八五条六号所定の無罪を言い渡すべき「明確ナル」かつ「新ニ発見シタル」
証拠にあたるものというべく、よつて請求人のその余の再審請求「原由」につき判
断するまでもなく、本件再審請求は理由あるに帰し、同法五〇六条一項に則り再審
開始の裁判をなすべきものとして主文のとおり決定する。
 (裁判長裁判官 高橋文恵 裁判官 渡辺伸平 裁判官 横山武男)

戻る



採用情報


弁護士 求人 採用
弁護士募集(経験者 司法修習生)
激動の時代に
今後の弁護士業界はどうなっていくのでしょうか。 もはや、東京では弁護士が過剰であり、すでに仕事がない弁護士が多数います。
ベテランで優秀な弁護士も、営業が苦手な先生は食べていけない、そういう時代が既に到来しています。
「コツコツ真面目に仕事をすれば、お客が来る。」といった考え方は残念ながら通用しません。
仕事がない弁護士は無力です。
弁護士は仕事がなければ経験もできず、能力も発揮できないからです。
ではどうしたらよいのでしょうか。
答えは、弁護士業もサービス業であるという原点に立ち返ることです。
我々は、クライアントの信頼に応えることが最重要と考え、そのために努力していきたいと思います。 弁護士数の増加、市民のニーズの多様化に応えるべく、従来の法律事務所と違ったアプローチを模索しております。
今まで培ったノウハウを共有し、さらなる発展をともに目指したいと思います。
興味がおありの弁護士の方、司法修習生の方、お気軽にご連絡下さい。 事務所を見学頂き、ゆっくりお話ししましょう。

応募資格
司法修習生
すでに経験を有する弁護士
なお、地方での勤務を希望する先生も歓迎します。
また、勤務弁護士ではなく、経費共同も可能です。

学歴、年齢、性別、成績等で評価はしません。
従いまして、司法試験での成績、司法研修所での成績等の書類は不要です。

詳細は、面談の上、決定させてください。

独立支援
独立を考えている弁護士を支援します。
条件は以下のとおりです。
お気軽にお問い合わせ下さい。
◎1年目の経費無料(場所代、コピー代、ファックス代等)
◎秘書等の支援可能
◎事務所の名称は自由に選択可能
◎業務に関する質問等可能
◎事務所事件の共同受任可

応募方法
メールまたはお電話でご連絡ください。
残り応募人数(2019年5月1日現在)
採用は2名
独立支援は3名

連絡先
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所 採用担当宛
email:[email protected]

71期修習生 72期修習生 求人
修習生の事務所訪問歓迎しております。

ITJではアルバイトを募集しております。
職種 事務職
時給 当社規定による
勤務地 〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
その他 明るく楽しい職場です。
シフトは週40時間以上
ロースクール生歓迎
経験不問です。

応募方法
写真付きの履歴書を以下の住所までお送り下さい。
履歴書の返送はいたしませんのであしからずご了承下さい。
〒108-0023 東京都港区芝浦4-16-23アクアシティ芝浦9階
ITJ法律事務所
[email protected]
採用担当宛