弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
被告人を懲役8年に処する。
未決勾留日数中320日をその刑に算入する。
理由
(犯行に至る経緯,犯行状況等)
1犯行に至る経緯
(1)Aは,平成13年8月7日,分離前の相被告人であるBと同女の前夫であ
るCの長女として出生し,出生時から,その体格や体調に特に異常はなく,その後
も順調に発育していた。
(2)Bは,Cとの結婚生活が破綻して,平成15年2月ころ,Aを連れて実家
に戻っていたところ,同年8月ころから働き出したアルバイト先のカラオケ店で,
ミュージシャンを目指していた被告人と知り合って夢中になり,同年11月ころか
ら交際を始めた。その後,Bは,父親から,アルバイトを親に知らせず辞めたこと
などについて強く叱責されたこともあり,被告人に,実家には居づらいと相談した
ところ,被告人から「一緒に住まないか「Aも一緒に連れてきたらいい」など,」,
と被告人方での同居を提案された。そこで,Bは,平成16年4月22日ころ,実
家に置き手紙を残して連絡先も知らせないままAを連れて後記の被告人方居室以,(
「」。),,。下本件居室というに転がり込み被告人B及びAの共同生活が始まった
(3)被告人は,当初,Bに,2人で生活費を稼ごうなどと話していたが,実際
,,,,は後記出張ホストのアルバイトを始めるまではほとんど働くことがなく結局
Bがスナックで働いて3人の生活費を稼ぐほか,被告人の実家からの仕送り(月額
五,六万円)を本件居室の家賃等の支払に充てるなどして生活していた。そして,
同年5月ころから,被告人が,実家からの仕送りはもちろん,Bの日給も全額を受
け取って管理するようになり,Bは,被告人から金をもらって買い物するなどして
いた。
共同生活を始めて数か月のうちは,被告人とBとの円満な関係が続き,Bは,被
告人の協力も得て,Aの世話をしていた。すなわち,1日2回の食事について,当
初は,Bが,昼食と夕食を準備して3人で食事を摂っており,同年8月ころにBの
スナックへの出勤時刻が早くなって,Bが夕食を準備することができなくなった後
は,昼食は,Bが準備をしてAに食べさせ,夕食は,被告人がスーパーの総菜など
を買ってきてAに与えていた。また,Bは,毎日のようにAを風呂に入れ,着替え
をさせ,1日数回おむつを替えていたほか,被告人も,Aを可愛がって,一緒に遊
んだり風呂に入れたり寝かしつけるなどしており,Aも被告人に懐いて,同年8月
7日のAの誕生日には,被告人とBがお祝いをするなどしていた。
そのため,当時も,Aは,順調に発育しており,多少小柄ではあったが,健康で
元気であり,基本的な挨拶もでき,かなりおしゃべりすることもできた。
,,,,,(4)ところが被告人は同年9月ころからAが泣くとうるさがりBにも
「Aを実家に帰せば」と言うなど,Aを疎んじる態度を示すようになった。そのた
め,Bは,被告人がAを邪魔に思っていると感じ取って,そのままではAばかりか
自分まで嫌われてしまうのではないかと懸念するようになった。
そこで,Bは,被告人に嫌われたくない一心から,Aを被告人の目には触れない
場所に追いやろうと決意して,同年10月上旬ころ,Aを本件居室のロフト(幅約
2.6m,奥行き約1.1m,高さ約0.9m,居室床面からロフト床面までの高
さ約2.0m。以下「ロフト」という)上に上げた上,ロフトの入口に段ボール。
で障壁を設けて,その後は,週に1度くらい風呂に入れるとき以外,Aをロフトか
。,,,「,ら下ろさなくなったその上でBが被告人に対しAの面倒は私が見るから
もう見なくていいよ」と告げたところ,被告人も,これに同意したことから,Aは
ロフト上,被告人とBはロフト下の居室部分で分かれて過ごし,Bが時折Aの世話
をするためにロフトに上がる生活が始まった。
しかし,被告人は,その後も,Aが泣くと,たばこを吸い始め「音楽に集中で,
きない「Aがうるさい」と言うなど,嫌がる様子を露骨に示したり,Bに「音」,,
楽する時間がない「2人で出ていって生活保護を受けたら」などと嫌みを言うこ」,
とが何度もあった。
(5)そのため,Bは,被告人がAを嫌っており,Aの世話をしていると,自分
まで嫌われてしまうとの思いから,Aをロフト上に追いやっただけでなく,Aの世
話も次第にしなくなっていった。すなわち,
アAをロフト上に上げた当初は,Bがスナックに出勤した後,被告人が,Aに
夕食を与えていたが,同年10月中旬ころ,Bが,被告人に申し入れて,自らAの
食事の世話をすべてするようになってからは,Aの食事を時々抜くこともあった。
もっとも,そのころは,昼食としてラーメン1食,夕食としておにぎりか菓子パン
を2個又はラーメン1食とおにぎり1個,水分もコップ1杯弱程度は与えており,
同月下旬ころにおいても,Aは,少しやせ始めてはいたが,元気にロフト上を動き
回り,同年輩の子供と同様の声でおしゃべりをしたり歌を歌うこともあった。
イさらに,Bは,同月下旬ころから,着替えやおむつの交換,入浴の回数も大
幅に減らしたほか,Aが,腹を空かせたり寂しがったりして泣いても,不機嫌な態
度を見せたりする被告人を気遣い,早く泣きやませようとして,手拳や平手でAの
顔や手足をたたき,時には,はさみの持ち手部分やガムテープ,金属製のティッシ
ュケースでAの手足をたたくようになって,それが週二,三回程度にも及んだ。も
っとも,最初のうちは,2回に1度程度,被告人から「やりすぎじゃないか」と言
って注意され,暴行をやめることもあった。そして,Bは,同月終わりころには,
Aの布団が汚れたとして,被告人の了解を得て,これを捨ててしまい,その後は,
Aをソファのクッションの上に寝かせるようにもなった。
ウ同年11月初めから同月17日ころまでの間,Bは仕事がなく,被告人は出
張ホストのアルバイトを始めたため,毎日昼ころ,被告人はアルバイト,Bは職探
し等のため一緒に出掛け,夜までAを1人残して家を空けるようになった。そのこ
ろから,被告人が,Aに全く無関心となったばかりか,Bにも,その話をさえぎる
など,冷たくあしらうようになったこともあり,Bは,被告人には,Aの世話をし
ている姿を見られたくないとの思いも手伝って,Aを風呂に入れず,着替えもほと
んどさせなくなり,おむつの交換も食事時1回限りにしていた。さらに,Bは,A
の食事を夕食1食に減らし,その量も,被告人と外食した帰りに買うおにぎりか菓
子パン1個又はラーメン1食で済ませて,水分としてコップ半分程度の水やジュー
ス類を与えるようになり,しかも,2日に1回程度は食事をやらない日もあった。
エ次いで,同月18日ころ,Bが昼間の勤めを始めてからは,Bが早朝に,被
告人が昼ころ出勤して,午後7時か8時ころ,被告人,Bが相次いで帰宅した後,
共に外食のために出掛けるようになり,それ以外にも,2人でパチンコに行くなど
することもあったが,外出する際はいつも,被告人又はその意向に従ったBが灯り
を消し暖房を切って,Aを本件居室に置き去りにしていた。また,Aに対する食事
は,前同様のもので済ませていた。
そのため,Aは,同月の途中から,1口や2口しか食べずに食事を残すようにな
り,排泄量も減っていき,同月終わりころには,手足に次いで,胴体部分がやせ,
あばら骨が見え始めたほか,元気もなくなって,歌ったり会話することもほとんど
なくなり,立ってもすぐにしゃがみ込み,次第に座ることもできなくなって,Bか
らは,食事も抱いて与えられるようになった。
なお,Bは,昼間の仕事に就いてからも,日払の給料を全額被告人に手渡してお
り,被告人が生活費をすべて管理することに変わりはなかった。
オBは,次第にやせていき,食事を十分摂ることもできず衰弱していくAの様
子を見て,Aが死んでしまうのではないかとも思ったが,Aの実父であるCにも,
家出同然に飛び出した実家の両親にも,Aの状況を知られたくないとの思いから,
Aを病院に連れていったり,食事を改善することはなかった。
(6)他方,被告人は,自らAを疎んじる態度をBに示すようになって以降の同
年10月上旬ころから,BがAをロフト上に上げて下ろさなくなり,Bからは,A
の面倒は見なくてよいと言われたこと,同月下旬ころから,Aが泣くと,BがAに
暴力を振るうようになったこと,同月終わりころ,Bが,Aの布団を捨て,Aをク
ッションの上に寝かせるようになったことは,自らの体験として認識していた。ま
た,同年11月19日から同年12月1日までの間に三,四回Aに食事を与えた際
には,Aの様子も現認している。
さらに,被告人は,居室としては約4.8畳の居間とその押入上から居間の上に
せり出したロフトのみという狭い本件居室内において,居間にいても,ロフト上の
Aの声やその立てる物音は十分に聞こえ,Bがロフトに上がり下りする様子は現認
していたほか,Bと共に行く買い物の状況もある程度は認識していた。
そのため,被告人は,これらの自ら認識しあるいは現認した状況から,Bが,同
年10月ころから,Aの世話を意図的に怠るようになり,時に暴力を振るうなど虐
待していただけでなく,食事の回数や量も減らしたため,Aが,次第にやせ細り,
動きも鈍く,声も余り出せなくなって,衰弱していく様子を,概括的には認識して
おり,しかも,BがAを虐待する原因が,自らのA及びBに対する態度や言動にあ
ることも,察知していたのに,あえて口出しすることなく,BのAに対する虐待を
黙認していた。
それだけでなく,同年12月初めころ,それまでAを寝かせていたクッションが
汚れたり,買い置きしていた市販の紙おむつがなくなったため,Bから相談を受け
て,被告人が「新聞紙を何枚か重ねて寝かせておいたら「新聞紙は吸収力が良,」,
いから,新聞紙を使っておいたら」などと言ったため,Bは,重ねた新聞紙の上に
タオルを敷いてAを寝かせたり,数枚重ねて紙おむつの形に切った新聞紙をガムテ
ープで留め,タオルをあてがい,おむつとして使用するようになった。
加えて,BがAをロフト上に上げて以降,本件居室内でBとAが2人きりになる
,,,,ことはなく同年11月下旬に被告人が泊まりの仕事に行った際にも被告人は
,。Bには漫画喫茶で夜を明かすよう求めてAと2人きりになることを許さなかった
2治療機会提供義務,殺意及び共謀の成立
(1)以上のとおり,被告人は,本件居室でB及びAとの共同生活を始めた後,
次第にAの存在を疎ましく思うようになって,それを態度や言動に示したところ,
Bが,被告人との関係維持を図ろうとして,Aをロフト上に追いやり,食事を減ら
し,暴力を振るうなど,Aを虐待し始めたことを認識していた。ところが,被告人
は,その態度を改めなかったばかりか,Bの相次ぐ虐待によりAが次第に衰弱して
いく様子を概括的に認識し,しかも,BがAを虐待する原因が,自分の態度や言動
にあることも察知していたのに,あえて口出しすることなく,Bの虐待を黙認した
だけでなく,Aの寝具やおむつを新聞紙で代替するように示唆したり,外出時には
灯りを消し暖房を切ってAを本件居室に置き去りにするなど,自らもその虐待に加
わるようになった。さらに,被告人は,Bが自分の愛情をつなぎ止めようとしてそ
の意のままになることを利用して,外で働かせ,自分が外泊する際は,Bにも外泊
させるなど,BとAが2人きりにならない状態を作出したばかりか,Bの稼ぐ生活
費を全面的に管理して,Bが自由に金を使うことも困難にすることにより,Aを被
告人の自宅である本件居室内のロフト上に隔離するとともに,被告人と同居してい
るBとAの生活も管理する状況を作出したのである。
(2)そのような状況の中,同年12月に入ると,Aは,やせ細り,あばら骨や
骨盤も浮き出て,腕や足も更に細くなり,頬がこけ始め,目も落ちくぼみ始めて,
髪の毛の抜ける量も増えたほか,自分で起き上がることもできず,顔や手を動かす
だけの寝たきりとなり,あいさつ程度しか話さず,泣くことも減り,泣き声もかす
かになるなど,顕著に衰弱してきた。
(3)被告人は,同月6日午前,久し振りにAを風呂に入れた際,上記のように
やせ細ったAの姿を見て,そのまま放置すればAが死んでしまうかもしれないこと
を明確に認識して驚き,仕事中のBの携帯電話に対し,Aを風呂に入れた,電話が
,,「。欲しい旨のメールを送った上電話をかけてきたBに対し危ないんじゃないか
病院に連れていかなくて大丈夫なのか。髪の毛がすごい抜けてた。すごいやせてい
る」などと言って,病院等の医療機関による治療の必要性を指摘した。。
ところが,Bは,かねてAが死んでしまうかもしれないことは認識していたもの
の,Aのこのような悲惨な状態をCや自分の両親に知られることを恐れ,Aが死ん
でも仕方がないという気持ちから「X君(被告人)は何も知らなかったことにし,
て。Aの面倒はもう見なくていいから。ロフトには上がらないで「私自身がし。」,
たことだから。Xには何も関係ないから」などと強い口調で言って,病院に連れ。
ていくことを拒絶したところ,被告人も,それ以上は言わず「分かった」という,
趣旨の返事をしてこれに同意した。
(4)次いで,同月8日ころの夜,BがAに夕食を食べさせていると,Aが,何
。,,「。口か飲み込んでからおう吐したこれを見てBはとっさにAが吐いてしまう
どうしよう」などと大声を出したことから,心配した被告人が「大丈夫なの」な。,
どと言ってロフトに上がろうとした。しかし,Bは,被告人をなだめるためにロフ
トから下りて,なおも心配している被告人を座らせ「大丈夫だから「X君には,」,
何も関係ないから。何も知らなかったことにすればいいから。ロフトには上がらな
いで」などと繰り返し話したところ,被告人も,相づちを打つように返事して,。
これに同意した。
(5)このような経過を経て,被告人は,Aが,栄養失調で衰弱し,食事の経口
摂取も受け付けなくなるなど,それまでと同様の扱いを続ければ確実に死んでしま
う危機的な状態に陥っており,その原因が,自らも容認するとともに,自分の態度
や言動が一因ともなったBの虐待にあることを認識するに至った。それと同時に,
同月上旬当時の状況として,被告人は,同居しているBとAの生活を管理する状況
を自ら作出していたところ,Aは,被告人の自室である本件居室のロフト上で動く
こともできずに寝たきりの状態にあり,その母親であるBは,Aに十分な食事等を
与えないだけではなく,医療機関による治療を受けさせることも明確に拒否してい
たため,被告人としても,自分以外にはAの生命を救うことのできる者がいないこ
とを理解するに至った。しかも,被告人としては,Aの生命を救う方法として,自
ら医療機関に連れていき,119番通報し,あるいはBの実家等に連絡をとること
について,特段の支障は存在しなかった。加えて,Aは,同月中であれば,速やか
な医療機関による治療により救命できる可能性は高かったのである。こうした状況
の下,被告人は,上記のような各種の方法をとることにより,Aに対してその救命
のために速やかに医療機関による治療を受けさせるべき義務を負うに至った。
ところが,被告人は,Bの態度が硬く,面倒に巻き込まれたくないとの思いも手
伝って,被告人の関与を拒むBの申出に同意することによって,Bとの間で,Aに
対し従来どおりの扱いを続けることにより,Aが死んでしまってもやむを得ないと
の共通の認識の下,あえてAを放置する意思を相通じた。
(6)なお,その後も,被告人は,Bに対して二度ほど「Aを実家に連れていっ,
た方がいいんじゃないの」などと言って,Aに医療機関による治療の機会を与える
必要性を指摘することもあったが,Bが「Xには何も関係ないから。知らなかっ,
たことにして」などとこれに応じる意思のない旨答えると,それ以上は何も言わ。
なかった。
3犯行状況等
(1)被告人及びBは,その後も,それまでと同様の生活を続けて,Aを医療機
関に連れていくこともなかった。ところが,Aは,同年12月8日以降,Bが与え
ようとするおにぎりや菓子パン等をすぐに吐くなど,食事をほとんど受け付けなく
なった。そのため,Bは,食事代わりに,チョコレートを1片ないし3片とコップ
半分程度の水かジュース類を与えていたが,Aは,一気にやせていき,床ずれも生
じるようになった。
(2)平成17年1月に入ってからも,被告人とBは,Aに対して,前同様の扱
いを続けた。もっとも,そのころから,Bは,Aに朝夕2回の食事を与えるように
なったが,Aは,おにぎりや菓子パン,ラーメン等はすぐに吐いて受け付けなかっ
たため,結局,平均すると1回にチョコレート1片ないし3片とコップ4分の1程
度の水かジュース類をAに与えたのみであった。また,Bは,同月に,当初は20
着ほどあったAの洋服をほとんど捨ててしまった。
なお,同月18日ころ,Bは,Aに食事を与えたところ,Aがいつものように食
べた物を吐き出したのを見て,耐えきれなくなり「Aがまた吐いちゃう。Aをこ,
んな姿にしてしまった。どうしよう」のように言って取り乱し,被告人が「大丈。,
夫,大丈夫」などと言って気遣う様子を示したこともあったが,その後も,被告人
及びBがAの扱いを変えることはなかった。
(3)そして,同月22日の朝,Bが,Aにチョコレート1片と飲み物をコップ
4分の1程度与えた後,被告人は,Bと共にパチンコに出掛け,同日午後8時過ぎ
ころ,帰宅したところ,Aが死亡しているのを発見した。
(罪となるべき事実)
以上のとおり,被告人は,埼玉県所沢市a町b番地所在のアパートcのd号室の
被告人方居室(本件居室)において,B及びその長女であるA(当時3歳)と同居
していたものであるが,Bが,Aに十分な食事を与えなかったことなどによって,
Aを極度にやせた状態(るいそう状態)に陥らせ,被告人及びBにおいて,平成1
6年12月上旬ころには医療機関による治療を受けさせなければAが低栄養によっ
て死に至る危険があることを認識していたのであるから,Bは,その実母としてA
を養育すべき立場から,被告人も,そのBを除けば,自室内で寝たきりの状態にあ
るAの生命を救うことのできる者はいないなどの事情から,それぞれに,Aに対し
てその救命のために速やかに医療機関による治療を受けさせるべき義務を負うに至
ったにもかかわらず,Aが死亡してもやむを得ないものと決意し,Bと共謀の上,
そのころから平成17年1月22日までの間,Aに対し医療機関による治療を受け
させることなく,Aを同室内のロフト上に隔離したまま放置し,よって,同日,同
所において,Aを極度の低栄養により飢餓死させて殺害した。
(証拠の標目(略))
(事実認定の補足説明)
弁護人は,被告人による殺人罪の実行行為は存在せず,被告人には殺意もなかっ
たとして,被告人に殺人罪は成立しない旨主張し,被告人も,当公判廷において,
この主張に沿う供述をしているので,以下,被告人について不作為による殺人罪が
成立するかどうかについて当裁判所の判断を示すこととする。
1証拠上明らかな事実
(1)判示犯行に至る経緯,犯行状況等のうち,同1(1)ないし(3)の各事実,同
1(4)のうち,ロフトの広さや高さ,平成16年10月ころから,Aがロフトから
下りなくなったこと,同1(5)アのうち,同月中旬ころから,被告人がAの世話を
ほとんどしなくなったこと,同1(5)イのうち,Bが,同月下旬ころから,Aの着
替えやおむつの交換,入浴の回数も大幅に減らしたほか,手拳や平手でAの顔や手
足をたたき,時には,はさみの持ち手部分やガムテープ,金属製のティッシュケー
,,,スでAの手足をたたくようになり同月終わりころにはAの布団が汚れたとして
これを捨ててしまい,その後,Aをソファのクッションの上に寝かせるようになっ
たこと,同1(5)エのうち,被告人とBが外出する際には,本件居室の灯りを消し
暖房を切っていたこと,同1(6)のうち,本件居室の広さや居間とロフトとの位置
関係,同年11月19日から同年12月1日までの間に,被告人がAに三,四回食
事を与えたこと,同月初めころ,被告人の勧めにより,Bが,重ねた新聞紙の上に
タオルを敷いてAを寝かせたり,数枚重ねて紙おむつの形に切った新聞紙をガムテ
ープで留め,タオルをあてがい,おむつとして使用するようになったこと,同年1
1月下旬,被告人が泊まりの仕事に行った際に,BもAを本件居室に置いて漫画喫
茶に泊まったこと,同3(2)のうち,平成17年1月,Bが当初は20着ほどあっ
たAの洋服をほとんど捨ててしまったこと,及び,判示罪となるべき事実のうち,
平成17年1月22日,Aが本件居室内で極度の低栄養状態に陥ったことにより死
亡したことは,関係各証拠から明らかであり,被告人も認めるか,少なくとも争っ
てはいない。
(2)また,Aの遺体は,極度にやせた状態(るいそう状態)にあり,身体が全
体に萎縮し,皮下脂肪織がなく,主要臓器では高度の低栄養状態に起因する細胞の
退行変性が進行していたこと,仙骨部のほか,躯幹部背面,左右上前腸骨棘部等の
横臥時に圧力負荷がかかる部位に褥瘡が発生していたこと,右大腿骨下端の上方1
1㎝の部分から後方に斜めに骨折の跡があり,大腿骨外側には仮骨が形成されてい
たこと,眉間の周辺,右眼窩下縁,頭頂部に鈍体の軽微な打撲的作用によるものと
みられる軽微な斑状皮下出血を主体とする創傷があったことは,関係各証拠により
明らかである。
2B証言について
(1)Bは判示犯行に至る経緯犯行状況等のうち同1(1)ないし(6)同2(2),,,,
ないし(4)及び(6)並びに同3(1)ないし(3)の各事実に沿う証言をしているほか,平
成16年12月上旬ころのAの身体の様子について,実況見分調書(甲26)添付の
死亡後の写真の状態と比較して,これと同様に手足の骨は見えていた,もう少し肉
が付いており,あばらは浮き出ていたが,お腹にもう少し肉が付いていた,顔は,
細くはなっていたが,頬には,もう少し肉があった,目も,落ちくぼみ始めていた
が,ここまでは落ちくぼんでいなかったなどと証言している(以下「B証言」とい
う。。)
(2)そこで,このようなB証言の信用性について検討する。
アまず,B証言のうち,Aに与えた食事の量の推移とAの衰弱状況との関係に
関する部分は,Aの年齢,衰弱前及び死亡後の身体の状況並びにこれらに基づく専
門家による医学的判断とよく符合している。すなわち,
(ア)小児科専門医師である証人Dの証言(以下「D証言」という)によれば,。
B証言にあるAに与えた食事の量の推移を前提とすれば,平成16年10月中旬以
,,,,降の非常に栄養の不足した状態でまず健康体であったAの体重が減り次いで
衰弱が進み,消化器や腎臓といった内臓に障害が現れて,摂取したカロリーすらも
消化できない状況にまで陥ったこと,比較的早い段階で自立歩行が困難となり,寝
たり起きたりの状態を経て寝たきりとなり,その後,話すことも困難となるが,泣
いたりうなり声を上げるというストレスや苦痛に対する反応は,比較的最後まで保
たれるものの,涙が出なかったり,声にならないこともあり,死亡の2週間くらい
前からは,声を出すことも困難になること,同年12月6日時点で,Aは,死亡時
点よりは少し肉付きがよく,自力で寝返りを打つこともできたこと,母親から世話
をしてもらえない状態になると,3歳程度の子供は,最初は,泣いたりだだをこね
たりするが,そのうちあきらめて無気力になり,食事をしなくなったり髪の毛が抜
けるなどすることが専門医学的見地から推定されるところ,このような医学的に推
定されるAの衰弱状況の推移は,B証言にあるそれとよく合致している。
なお,この点,本件居室の階上に住んでいたEは,平成17年1月10日ころ以
降も数回,本件居室から子供の泣き声が聞こえた旨証言するが,D証言も,死亡の
2週間くらい前(Aについては同月8日ころ)からは,声を出すことも困難になる
とする一方,泣くといったストレスや苦痛に対する反応は,比較的最後まで保たれ
るともする以上,上記E証言がB証言やD証言と矛盾するとはいえないのである。
(イ)法医学専門医師である証人Fの証言(以下「F証言」という)及び同人作。
成の鑑定書(甲118)によれば,Aの遺体には,主要臓器に低栄養状態による細胞
の退行変性がみられ,心臓の神経細胞は核が萎縮し,心筋細胞は全体的に萎縮する
とともに一部に線維性が加わるなど変性しており,拒食症等で急速にやせた場合の
所見とは異なっていて,低栄養状態が一定期間続いたと考えられること,仙骨部の
褥瘡部分にカビが生えていることから,数週間程度はほとんど身体を動かせない状
態が続いたと考えられること,胃内には褐色液状物しかなく,これも胃の中で漏れ
だした血液が多少固まったものが主体であり,また,腸管内にある内容物に有形物
はなく,ある程度の期間,形を残すような食べ物は摂取していないと考えられるこ
と,前額部や頭頂部に比較的新しい皮下出血があったほか,右大腿骨骨折は受傷後
2か月ないし4か月が経過しているとみられることが認められるのであり,このよ
うなAの遺体から法医学的に推定される,Aが死亡前に受けていた処遇状況は,B
証言にあるそれとよく合致しているのである。
イまた,B証言は,Aに対する虐待を始めてからそれがエスカレートして死亡
に至る経緯について,女性心理の観点からも自然かつ合理的に説明し得るものであ
り,前記の証拠上明らかな事実や他の客観証拠とも整合している。すなわち,
(ア)Bは判示犯行に至る経緯犯行状況等1(4)ないし(6)及び2(1)ないし(5),,
にあるように,平成16年9月ころ,被告人のAに対する態度から,Aを邪魔に思
っていると感じ取り,そのままでは自分まで嫌われてしまうのではないかと懸念し
て,被告人に嫌われたくない一心から,Aを被告人の目に触れないロフト上に追い
やったが,その後も,被告人が,Aが泣くと嫌がる様子を露骨に示し,Bに対し,
「2人で出ていって生活保護を受けたら」などと繰り返し嫌みを言うこともあった
ため,Aの世話をしていると自分まで嫌われてしまうとの思いから,Aの世話も次
第にしなくなっていった,その結果,Aが衰弱していく様子を見て,死んでしまう
のではないかとも思ったが,Aの実父であるCにも,実家の両親にも,Aの状況を
知られたくないとの思いから,Aを病院に連れていったり,食事を改善することも
ないまま,同年12月上旬には,被告人との間で,Aに対し従来どおりの扱いを続
けることにより,Aが死んでしまってもやむを得ないとの共通の認識の下,あえて
Aを放置する意思を相通じたという趣旨の証言をしている。
そして,Bが証言する,上記のようなBのその時々の心理状態や虐待の理由,こ
,,れらに対する被告人の影響等は徐々にAに対する虐待を強化させていったという
前記証拠上明らかな事実と合致するものである。すなわち,被告人及びBの収入が
特に減るなどしたわけではないのに,同年10月中旬ころ,Aがロフトから下りな
くなった,Bは,同月下旬ころから,Aの着替えやおむつの交換,入浴の回数も大
幅に減らし,手拳や平手でAの顔や手足をたたき,時には,物でAの手足をたたく
ようになり,同月終わりころには,Aの布団が汚れたことを理由に,これを捨てて
しまった,その後,Bは,Aをソファのクッションの上に寝かせるようになったほ
か,2人が外出する際には,本件居室の灯りを消し暖房を切るようになった,さら
に,Bは,同年12月初めころ,被告人の勧めにより,重ねた新聞紙の上にタオル
を敷いてAを寝かせたり,数枚重ねて紙おむつの形に切った新聞紙をガムテープで
,,,,留めタオルをあてがいおむつとして使用するようになり平成17年1月には
当初20着ほどあったAの洋服をほとんど捨ててしまったのである。
(イ)また,Bは,判示犯行に至る経緯,犯行状況等1(4)にあるように,平成1
6年10月ころ以降,被告人から「2人で出ていって生活保護を受けたら」などと
何度も嫌みを言われたことと関連する事実として,被告人への気兼ねから,同年1
1月5日に消費者金融会社から金を借りて,本件居室を出てAと生活するための部
屋を借りようとしたが,資金が不足したため借りられなかった,その後,同年12
月ころからは,被告人自ら,1人で引っ越すための部屋を借りようとしていた旨証
言している。
そして,上記のB証言は,同年10月か11月ころに,被告人が「母子家庭は,
国から援助が出るから,アパートからBと子供(A)が出て2人で暮らす」と話し
ていたとする証人Gの証言,更には,関係各証拠により認められる,同年11月5
,(,),日にBが消費者金融業者から10万円の融資を受ける契約を締結し甲112113
そのころ,被告人がBに「不動産行ってみたら・・・10万までで借りれるとこ捜
しに・・・「部屋はお金もうちょっと貯めてからやな」というメールを送ってい」,
る事実(甲51,同年12月21日,被告人がその母親から「引っ越しするにもお)
金かかるよ」というメールを受信し,同月31日,Bが被告人に「Xの気持ちはと
もかくBは今でもXのことが大好き「来年引っ越ししても,たまにはBも相手に」,
してください」というメールを送っている事実(以上,甲54)とも符合していて,
これらの客観的事実によって裏付けられている。
(ウ)さらに,Bは,判示犯行に至る経緯,犯行状況等2(3)にあるように,同年
12月6日,被告人がAを風呂に入れた後,仕事中のBの携帯電話に,Aを風呂に
入れた,電話が欲しい旨のメールを送った上,電話をかけてきたBに対し「危な,
。。。いんじゃないか病院に連れていかなくて大丈夫なのか髪の毛がすごい抜けてた
。」,,,すごいやせているなどと言った旨証言しているところ同日午前に被告人が
Aを風呂に入れた後,Bに上記のようなメールを送信したことは,両者間のメール
の履歴(甲51)から明らかであり,被告人も認めるところである。
そして,被告人は,その述べるところによっても,毎日昼休みにBから電話を受
けていたというのに,Bの昼休みを待つことなく,電話をかけるよう催促している
のであって,この事実は,被告人がBに緊急に連絡をとりたいと考えていたことを
うかがわせるものとして,被告人がその後の電話で上記のような発言をしたことと
整合している。
また,被告人は,その述べるところによっても,同日以降は,それまで気まぐれ
に行っていたというAの世話を全くしなくなったというのであるが,このことも,
判示犯行に至る経緯,犯行状況等2(3)に沿う内容のB証言にあるように,Bが,
被告人に対しAの面倒を見なくてよいなどと強く言ったのに対し被告人が分,,,「
かった」という趣旨の返事をしてこれに同意したことを裏付けるものである。
,,,,ウその他Bは犯行前の被告人やAとの生活状況Aに対する虐待が始まり
それが次第にエスカレートしていった状況やその原因,Aの衰弱状況,殺意を抱く
に至った経緯や動機,被告人との共謀状況及び犯行状況,A死亡後の被告人とのや
り取り等について,自己に不利益なものも含め,極めて赤裸々に生々しく供述して
おり,その内容も,幼子を連れて男性と同棲した年若い女性の心理や行動として,
ごく自然な流れに沿うものであり,特に不合理な点は見出し得ない。
また,その証言態度は,自責の念に駆られて,過換気症状を呈し,証言を中断し
たり,被告人に不利益な供述を維持するかどうかを迷って,自らの弁護人と相談す
るまで一時証言を回避するなどしながらも,質問にはできるだけ誠実に答えようと
する姿勢が顕著で一貫しており,弁護人からの反対尋問にも全く動揺していない。
加えて,Bは,捜査段階の当初は,被告人がAを入浴させたことなど被告人に不
利益な事実を隠していたが,その後,メールの解析結果を示されて供述するに至っ
たほか,公判段階でも,上記のように被告人に不利益な供述をすることを逡巡した
しゅんじゅん
り,被告人に対するなお変わりのない愛情を吐露するなど,殊更被告人に対して不
利益な供述をしている状況はうかがわれないのである。
エ他方,弁護人は,B証言について,①Aの右大腿骨骨折の原因は自分の暴力
であると供述するが,F証言から明らかなとおり,Bの暴力程度で大腿骨が骨折す
ることはない,②平成16年12月上旬には,遺体の写真より「少し肉が付いてい
た程度」であったAが,同月8日に嘔吐を始めて「一気にやせ細ってしまう」と,
か,それから約1か月半も生き延びるというのは不自然である,③同月6日の被告
人との電話のやり取りについて,警察官の取調べでは,公判証言のようには述べて
いない,などの点を指摘して,その信用性を争っている。
(ア)そこで検討するに,①の点に関し,Bは,Aの右大腿骨骨折について,同
,,年11月下旬から12月初めころに振るった自分の暴力が原因だと思う被告人は
Aが寝ないときに軽くたたくことはあったが,Aをロフト上に上げた後に暴力を振
るうことはなかった旨証言しているところ,確かに,F証言によれば,Bの証言す
るような暴行によっては,Aの右大腿骨骨折が生じる可能性はほとんどないと認め
られ,Bは,それ以外に上記骨折の原因となり得る状況について説明していないの
であるから,この点に関するB証言の信用性は低いといわざるを得ない。
しかしながら,F証言によれば,Aの上記骨折は,栄養状態が普通の場合であっ
ても,仮骨を形成するまで約1か月,Aの当時の栄養状態を前提とすれば,2か月
ないし4か月を要し,その結果,歩けなくなるほどの重傷であり,B証言にあるよ
うな暴行や高い所から飛び下りたのでは生じる可能性のほとんどないことが認めら
れるところ,Aが受傷した時点及びその後の経過において,Aと狭い本件居室内で
同居していたB及び被告人が,その受傷及びその原因について全く気付かないとい
うような事態は想定できないのに,この点については,Bだけでなく,被告人も全
く供述していないのである。しかも,前記ウで指摘したように,Bができれば被告
人をかばいたいとの姿勢を公判段階で垣間見せていることにも照らすと,上記骨折
の受傷原因について,自らの暴行によるとのみ述べて,すべての真実を語ろうとし
ないとしても,その証言全体の信用性に影響を与えるものとはいえない。したがっ
て,①の点に関する弁護人の主張は理由がない。
(イ)次に,②の点は,前認定のように,Aの遺体の状況からは,低栄養状態が
ある程度の期間続いたとうかがわれるところ,D証言によれば,B証言にあるAに
対する食べ物及び飲み物の提供状況を前提としても,Aが平成17年1月22日に
発見時のような状況で飢餓死することも十分あり得ること,それに先立つ平成16
年12月上旬ころのAは,死亡時より少し肉が付いた程度であり,普通の感覚から
すれば,これは大変だと思うような状態であったこと,同月8日ころに食べ物をほ
とんど受け付けなくなってからの経過として,Aは,チョコレートの糖分がカロリ
ー源となった可能性があること,虐待を受けた当時3歳であったAの体重は,虐待
,,.,前には12ないし18㎏程度と推定され死亡時には約58㎏であったところ
文献によると,体重12㎏の子供が70日間で7㎏まで体重を減少させた例が報告
されていることが認められる。しかも,同月8日ころ以降,Aは,カロリーをほと
んど摂取できなくなったというのであるから,それに伴って,体重の減少に加え,
その活動状況からも,日に日に衰弱していったことがうかがわれるのであり,それ
を見ていたBが,一気にやせ細ってしまったとの印象を抱くのは,ごく自然なこと
といえる。したがって,②の点に関する弁護人の主張も理由がない。
(ウ)③の点に関しても,確かに,B証言によれば,Bの平成17年2月7日付
け供述調書には,平成16年12月6日の電話において,被告人から,このままで
は死んでしまうぞという内容の言葉を言われたとのみ記載されていて「危ないん,
じゃないか。病院に連れていかなくて大丈夫なのか。髪の毛がすごい抜けてた。す
ごいやせている」などの内容の記載のないことが認められる。しかし,それと同。
時に,上記供述調書は,Bが,警察官からメールの解析結果を示されて,その日の
被告人との電話のやり取りについて初めて供述したものと認められるのであり,B
が十分に記憶を喚起する前のものであったことがうかがわれる。しかも,その電話
のやり取りにおける被告人による発言の趣旨については,B証言も上記供述調書も
同様のものであるから,上記程度の表現の違いは,B証言の信用性を左右するもの
ではなく,むしろその供述の一貫性を示すものともいえる。したがって,③の点に
関する弁護人の主張も理由がない。
オ以上のとおり,B証言は,高い信用性を認めることができる。
3被告人供述について
(1)ア被告人は,捜査段階の当初,殺意を認める内容の上申書(乙26)を作成
し,それと同旨の供述調書(乙25,28~30)の作成にも応じている。
,,,イこの点被告人はこれらの上申書や供述調書の作成に応じた理由について
おおむね次のように弁解している。すなわち,
(ア)平成17年1月24日にH警察官(以下「H警察官」という)の取調べを。
受けたが,自分の言い分は供述調書(乙25,28)に盛り込んでもらえず,言ってい
ない内容が記載されていた。署名したときに,内容が間違っていないという意味で
署名することは多分言われたと思うが,自分の気持ちとしては,取調べ後に,警察
官が思った結果を記載するのが供述調書であり,取調べの事実を証明するための署
名であると思っており,何が書いてあっても当時は署名していたと思う。
(イ)上申書(乙26)のうち,2枚目の「本当にどうしようもないパパとママで
つらい思いばかりさせて・・・ごめんなさい」の部分以外は,H警察官が別の紙に
書いた下書きを「写してくれ」と言われて書き写しただけである。何を言われて,
も「できない」とか「やれない」とか言えない精神状態だったので,自分の考えと
は違うことを書き写した。
(ウ)弁解録取書(乙25)や検察官調書(乙29)に署名したのは,警察や検察庁
で出されたものに署名するのは当たり前という気持ちからである。
(エ)勾留質問では,裁判官から黙秘権を告知されて,殺人事件で弁解を聞くと
言われた。あらかじめ何をするのか全く聞かされておらず,何をしていたのか分か
。,「」,「」っていなかった被疑事実を読み聞かされ間違いはないかと聞かれてはい
と答えた。自分の思っていることが言えない状態だったとしか考えられない。勾留
質問調書(乙30)に署名したのは,納得していたわけではなく,出された書類に署
名しないことは悪いことなのではないかと考えていたからである。
ウしかし,上記のような取調べ状況に関する被告人の公判供述は,H警察官の
公判証言と大きく食い違うものであって,H警察官は,被告人の意思に反して供述
調書を作成したことを明確に否定して,被告人の供述どおりに録取した旨証言して
いる。しかも,被告人は,殺意の点については,警察官の言いなりに供述調書等が
作られた旨供述する一方,Aの様子を3か月間見ていないとする点については,被
告人の公判供述によっても,警察官の追及を受けながら頑なに否定し続けたという
のである。この点,被告人は,供述調書の作成趣旨や署名の趣旨を取り違えていた
とも供述するが,平成15年1月に占有離脱物横領により検挙された前歴を有する
被告人が,供述調書の作成趣旨や署名の趣旨についてそのような誤解をするという
のはいかにも不自然である。加えて,被告人は,その公判供述によっても,勾留質
問で,真意に反して殺意を認めた理由については何ら合理的説明ができないのであ
る。
したがって,前記供述調書等の作成に応じた理由に関する被告人の公判供述は,
これを信用することが困難であり,他に被告人の捜査段階における自白の任意性に
疑問を生じさせるべき事情は見当たらないのである。
エそして,被告人の捜査段階における供述は,内容にはかなり具体性があり,
被告人に不利益な部分は,B証言とも合致するものであって,その信用性に疑問と
すべき点は見出し難いのである。
(2)アこれに対し,被告人は,公判段階では,その供述を翻して,以下のとお
り自己の責任を否定する供述をしている。すなわち,
,,。(ア)私としてAが死んでしまうとか死んでも構わないと思ったことはない
Bは,平成16年11月中旬ころから,Aの面倒をきちんと見ているとは思えなか
ったが,普通の母親と比べ,風呂などに関し劣っていたとしても,必要最低限の食
事や着替え等はさせていると思っており,まさか殺してしまうような接し方をして
いるとは思わなかった。
(イ)私が「Aが少しうるさい」とBにこぼしたのは,同年9月ころではなく,,
同年4月ころからのことである「音楽をする時間がない」と言ったかどうかは覚。
えていないが,最初のころから,音楽をしているときに泣いたりすると「ちょっ,
とうるさいから泣きやませて」などと言っていた。
また,同年12月上旬以降,Bに「Aを実家に連れていった方がいいんじゃな,
いか」と言ったことはある。それは,同年11月から,Aを外出させることがなか
ったので,私たち2人では十分に面倒を見られないのであれば,帰りづらいかもし
れないが,実家に連れて帰ったほうがいいんじゃないかという趣旨である。
,,,(ウ)同年10月ころAは自由にロフトから下りることはなくなったものの
それ以前と変わりない生活をしており,同年11月上旬になって初めて,ロフトに
,。,,上がったままほとんど下りてこなくなったまた同年10月半ば過ぎころまで
私もAの世話をしていたが,Bが仕事を辞めて生活のリズムが変わり,きちんと世
話をするようになったから,私はAの面倒をほとんど見なくなった。なお,私の記
憶では,同月中,Aの食事の量が減ったことはない。
私がAを嫌っているような素振りをしたことはなく,Bが本当にそう考えていた
とは思えない。また,私から,Bに「生活保護を受けてAと別に暮らせば」と言,
ったことはない。
(エ)同年11月に入ると,私は,午前中外出していたので,昼食については分
からないが,食べさせていると思っており,夕食は毎日与えていたと思う。私がB
に,暴力を「やりすぎなんじゃないか」という話をした記憶はない。同月19日,
同月20日,同年12月1日の3回,私がAに食事をあげたことは間違いない。A
はそれらを残さずに食べていた。
私は,Bと出掛けるときに部屋の暖房を切っていたが,19歳のころから何年も
ロフトで寝ており,部屋の温度差が大きく,冬でもロフトにいると暖かいことが分
かっていたので,寒さに関してはそれほど心配していなかった。
(オ)同年12月1日に食事を与えたとき,Aは,少しやせていたのではないか
と思う。腹部の膨らみが小さいという感じだった。食事の量が減ったからだと思っ
たが,心配はしておらず,Bに,Aがやせているという話はしていない。
,,,,,私は同月もBが毎日食事を持ってロフトに上がっているのを見ていたが
食べ残しを持って下りているのは気付かず,食べ残した物を見たこともない。
同月1日にAに食事を与えて以降,私は,風呂に入れるときにお菓子を上げたこ
とはあっても,Aに食事を与えてはいないが,BがAに食事を与えていると思って
いた。Aに食事を与えている場面を直接見たわけではないが,Bは,Aの食事を毎
日購入し,それを持ってロフト上に上がっており,食事を食べないということをB
から聞くこともなかったので,Aが亡くなるときまで,ずっとBがAに食事を与え
ていると思い続けていた。
,,。(カ)同年11月中旬から同年12月6日までの間Aを三四回風呂に入れた
その際,少しAの髪の毛が直径3㎝ほどの円形に抜けていることと,腰の辺りに少
。,,し擦り傷があることに気付いたAは腹部の膨らみが少しへこんでいるくらいで
手足等ががりがりにやせていたということはなく,立つこともできた。髪の毛はど
うしたのだろうと少し思ったが,Aに関心がなかったので,心配することはなかっ
。,,,,,たまた同年12月1日と同月6日当時Aは足が折れてはおらず話もでき
食事することができた。Aが亡くなってしまったのは,右大腿骨骨折が原因で,何
かが狂い,そこから急激にやせていったのではないかと思う。Aの骨折の原因につ
いて心当たりはなく,私は何もしていない。
(キ)同月6日,私がAを風呂に入れた後,Bに,Aを風呂に入れたというメー
ルを送ったが,私は,Aの世話をしたときには,毎回Bに連絡をしており,その日
以外は,お昼休みにBから電話を受けた際に話していたと思う。その日に,Bと電
話で何を話したかまでは覚えていないが,Aを風呂に入れた際,Aの身体を見て,
このままではAが死んでしまうのではないかと思ったことはなく,Bに,電話で,
「このままではAが危ないんじゃないか」などと言ったこともない。最後に生きて
いるAを見たのは,その日に風呂に入れたときである。
同月8日ころ,Bが「Aが吐いちゃう。どうしよう」などと大声で言ったこと。
は,記憶にない。Aが食べ物を受け付けず,頻繁に吐いていたということは,知ら
なかった。
(ク)同年12月や翌1月の昼間に,Aが泣くことはあったと思うが,私が家に
いるときは,月に1回あったかどうかという程度であった。当時は,午前中,パチ
ンコやバンド活動のほか,仲間と会ったりするために,たまに外出しており,その
ときは分からない。
私が部屋にいて,新聞紙のこすれる音が聞こえるなどして,Aが起きてるのかな
と思ったことはあった。1月に入ってからも,動きがあったように感じていたと思
う。Aが危険な状態にあるということは分からなかった。普通子供というのはじっ
,,としていないものだと思うがほとんど音がしなくても不思議に思わなかったのは
無関心だったからである。
(ケ)Bは,平成17年1月も,おにぎりやコンビニの弁当などを買っており,
Aに食事を与えていると思っていた。
同月18日ころ,Bがロフト上で食事をさせているときに,Bが「A,吐いち,
ゃいな。ちょっと吐いちゃいな」などと言っていて,どうしたのか聞くと「ちょ。,
っと,A,吐いちゃった。でも大丈夫」と答えたことはあったが,Bが取り乱す。
ようなことはなかった。
(コ)同月22日,Bが,いつものようにAに食事をさせようとロフトに上がっ
たところ「Aが死んじゃう」と言って私を呼んだ。Bは,Aを抱えてパニック状,
態になっており,私も,前年12月6日に見たのとは別人のようなAの姿を見て驚
き,何が起こっているのか分からないような状況だった。そして,取りあえず,A
をロフトから下ろし,通報をした。
,,,イ(ア)そこで被告人の上記公判供述の信用性について検討するに被告人は
前認定のように非常に狭い本件居室内において,ロフト上にいるAとその死亡時ま
で生活を共にしていたのであるから,仮にその強調するように,被告人がAに対し
て無関心であったとしても,その発する声や立てる物音から,Aの衰弱状況を当然
に察知していたはずである。したがって,被告人が,平成16年12月以降も,A
が亡くなるときまで,その右大腿骨骨折に気付かないだけでなく,ずっとBがAに
食事を与えていると思い続けていたなどということはあり得ないというべきであ
り,その点から,被告人の公判供述は,まずもって,不自然極まりないものという
ほかない。
(イ)また,被告人が公判段階で供述するところの,B及びAとの共同生活の状
況からすると,BがAに対して食事の量を減らしたり暴力を振るうなどして虐待し
,。,,た理由について全く説明が付かなくなるとりわけ被告人の公判供述によれば
Bは,同年12月6日当時まで,Aの体格等に大きな影響のない程度は食事を与え
るなどAの面倒を見ていたというのに,その後,約1か月半という短期間でAを死
亡させるに至るほどにその世話を怠るに至った理由については,全く説明できない
のであり,その意味からも,被告人の公判供述はいかにも不自然なものというべき
である。
(ウ)さらに,被告人が公判段階で述べる,同年12月6日当時のAの状態は,
B証言に反するばかりか,D証言及びF証言から認められるところの,Aの衰弱状
。,,況ないし右大腿骨骨折の経緯や時期とも明らかに食い違っているまた被告人は
同月や翌1月の昼間に,Aが泣くことはあったと思うが,自分が本件居室にいると
きは,月に1回あったかどうかであった旨供述するところ,この供述は,本件居室
の階上に住んでいたEが証言する,平成16年12月当時は,ほぼ毎日のように,
翌1月にも数回,午前中,本件居室から子供の泣く声が聞こえたという事実に反す
るものである。
(エ)しかも,被告人は,その公判供述によっても,捜査段階の当初「3か月間,
Aの姿を見ていない」と供述していたのに,メールの解析結果により否定できなく
なるや,公判段階では,メールの記録からAとの接触が明らかな点に限って,Aに
対する食事や入浴の世話をしたことを認めるに至ったというのである。また,被告
人は,本件発覚前には,B以外の女性と頻繁に親密なメールの送受信を繰り返し,
その内容をわざわざBに見せるなどしてBをないがしろにしていたのに,本件が発
覚するや,突如,Bに対する強い愛情表現を始め,公判段階に至っても,接見禁止
決定を潜脱してまで,Bに対し,自己の供述内容に沿う証言をするように促す手紙
を書き送ることまでしているのであって,このような供述の変遷状況,Bに対する
態度の変化や働き掛けの事実は,被告人において自己の刑責を免れようとする姿勢
が強いことをうかがわせるものである。
(オ)もっとも,被告人の友人であるIは,平成16年11月半ばから同年12
月半ばまでの間に,何度か本件居室を訪れたい旨申し入れたところ,被告人は,断
ることもあったが「ちょっとだったら来てもいいよ」と言ったため,四,五回本,
,,,件居室を訪れたもののロフト上にいるAには全く気付かなかった旨同じくGは
平成17年1月5日まで,月に一,二回,本件居室を訪れていたが,その際に,被
告人は,事前に連絡をとっても訪問を断ることはなく,Aについて聞かれても,慌
,「」,てた様子もなくいつも朝ご飯を食べてから寝てるので大丈夫だと答えており
被告人から帰ることを促されることもなかった旨,同じくJは,同月3日に事前に
連絡をとって本件居室を訪れたが,その際,被告人は,すぐに「来ていいよ」と言
,,「。,。」って来訪を受け入れAについて聞くと被告人は元気やで今上で寝てるよ
と答え「見ていい」と聞くと,被告人は「いいよ」と答え,Jがはしごを上って,
ロフト上をのぞこうとしても,被告人は特に変わった様子を示さなかった旨,それ
ぞれに,被告人には,Aの状態についての危機意識がなく,Aの様子を友人らに知
られることを嫌がる様子もなかったなどと,被告人の公判供述を一見裏付けるかの
ような証言をしている。
しかし,このうち上記Jの証言は,実際に見たというロフト上の様子として,被
告人の供述によっても,当時はあるはずのない敷布団が,ロフト全体に敷かれてお
り,掛け布団が膨れあがっていたと述べるなど,客観的な事実に明らかに反するも
ので,到底信用することができない。また,上記I及び同Gは共に,被告人の友人
であり,被告人としては,同人らを自宅に招いても,ロフト上にいるAの姿さえ見
られなければ,深刻な事態を察知されずに対応することも決して難しくはなかった
から,被告人が両名の証言するような対応をしたとしても,Aが死亡する危険性を
認識していたことと矛盾することにはならないのである。
(カ)以上のとおり,被告人の公判供述には,不自然な点や客観的な事実に反す
る点が数多く認められるから,高い信用性の認められるB証言と対比して,これを
信用することは困難である。
4争点に対する判断
(1)以上みてきたとおり,高い信用性の認められるB証言を中心とする関係各
証拠によれば,判示犯行に至る経緯,犯行状況等のうち,同1(1)ないし(5),同2
(2)及び(4)並びに同3(1)ないし(3)の各事実のすべて,並びに,同1(6)並びに同
2(1),(3)及び(5)のうち,被告人の認識内容や言動の意図・目的,作為義務を除
く外形的事実を優に認定することができる。また,以上の認定事実によれば,同1
(6)並びに同2(1),(3)及び(5)のうち,被告人の認識内容や言動の意図・目的につ
いても推認できるだけではなく,この推認は,被告人の捜査段階の供述によっても
十分裏付けられるのである。
(2)そして以上認定事実を総合すれば判示犯行に至る経緯犯行状況等2(5),,,
で認定したとおり,被告人は,速やかに医療機関の治療を受けさせなければ,Aが
確実に死んでしまう危機的な状態に陥っており,その原因が自分にも責任のあるB
。,,の虐待にあることを認識していたまた平成16年12月上旬当時の状況として
,,被告人は同居しているB及びAの生活を管理する状況を自ら作出していたところ
,,,Aは被告人の自宅である本件居室内で動くこともできず寝たきりの状態にあり
速やかに医療機関による治療を受けさせれば救命できる可能性も高かったのに,B
は,Aに十分な食事等を与えなかっただけでなく,医療機関による治療を受けさせ
ることも明確に拒否していたために,被告人としても,自分以外にはAの生命を救
うことのできる者がいないことも理解していた。さらに,被告人が,自ら医療機関
に連れていき,119番通報し,あるいはBの実家等に連絡をとるなどして,Aに
医療機関による治療を受けさせることについて,特段の支障はなかったのであるか
ら,被告人としても,Aに対してその救命のために速やかに医療機関による治療を
受けさせるべき義務を負うに至ったと認められる。
ところが,被告人は,Bの態度が硬く,面倒に巻き込まれたくないとの思いも手
伝って,Aが死亡してもやむを得ないものと決意し,Bと意思を相通じた上,あえ
て,Bと共に,Aに対して速やかに医療機関による治療を受けさせるべき義務を怠
り,Aをロフト上に隔離したまま放置し続けて死亡させたものであり,被告人が不
作為による殺人罪の共同正犯としての刑事責任を免れないことは明らかというべき
である。
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法60条,199条に該当するところ,所定刑中有期懲役
刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役8年に処することとし,同法2
1条を適用して未決勾留日数中320日をその刑に算入し,訴訟費用は,刑訴法1
81条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
1本件は,被告人が,交際相手である女性共犯者と共謀の上,同女の当時3歳
の長女(以下「被害児」という)を,3か月余りもの間,共犯者や被害児と同棲。
していたアパートの自室のロフト上に隔離し,共犯者が極めて不十分な食事と排泄
の世話をする以外は,被害児をほとんど構わず虐待して,極度にやせた状態(るい
そう状態)に陥らせていることを知りながら,これを容認しつつ共に放置し,医療
機関による治療が必要な被害児に治療を受けさせないまま,極度の低栄養により飢
餓死させた事案である。
2(1)もとより,本件は,被害児の実母である共犯者が,被害児を被告人の愛
情をつなぎ止める障害とみるや,必要な保護養育のほとんどすべてを放棄して,次
第に被害児を衰弱させ,日々わずかな食事を与える際に,通常人であれば正視に耐
えないほどにやせ衰えた同児の哀れな様子を現認して,医療機関による治療の必要
性も十分に認識しながら,漫然と死にゆくままに任せて殺害したものである。しか
も,共犯者は,被告人から,医療機関による治療の必要性を繰り返し指摘されたの
,,,「。にこれを頑なに拒否しただけでなく被告人にもX君には何も関係ないから
何も知らなかったことにすればいいから。ロフトには上がらないで」などと言っ。
て繰り返し同調を求め,被告人を巻き込んだものであって,共犯者が本件の首謀者
としての責任を負うことは明らかである。
(2)しかし,被告人においても,平成16年4月から交際相手である共犯者及
び被害児と自室での同居を始め,当初は,あたかも父親のように同児と接していた
ものの,自己の音楽活動に専念する上で,同児の存在が疎ましくなるや,その態度
を共犯者に露骨に示すことにより,被告人の愛情をつなぎ止めようとする共犯者を
本件犯行に駆り立てている。しかも,被告人は,共犯者が被害児に虐待を加えてい
ることを察知しながらも,自らもこれを容認して同調しただけでなく,衰弱してや
せ細ったその姿を現認した後の約1か月半もの間,被害児が次第に動かなくなって
ゆく気配を感じながら,同児を残したまま,共犯者と共に,灯りを消し暖房も切っ
て,好き放題に外出し,食べたい物を食べ,パチンコに興じるなどして,日常生活
を謳歌する一方,被害児に対して医療機関による治療を受けさせることが極めて容
易であったにもかかわらず,同児を殊更無視して顧ることなく,狭いアパートの更
に狭いロフト上に居場所を限定しつつ,新聞紙を布団代わりやおむつ代わりとしな
がら,寝たきりとなって経口による栄養摂取もできなくなるまで放置し続けて,長
。,,,期間の苦痛の末に被害児を殺害するに至ったのである加えて被告人はその間
主として共犯者の稼ぐ収入で生活し,生活費を全面的に管理していたほか,共犯者
及び被害児の生活も管理していたこと,犯行現場が被告人の居室内であったことも
考慮すると,本件で被告人の果たした役割は極めて重要であり,生活を共にしてい
た3歳の幼児が実の母親に見殺しにされる様子を傍観し続けた冷酷非道さは,厳し
い非難に値する。
(3)しかも,共犯者は,被害児をロフト上に上げて以降は,食事等の世話を怠
るようになっただけでなく,次第に,被害児が泣きやまないときに,被告人が嫌が
ることをおもんぱかって感情的になり,その身体を,平手や手拳のみならず,はさ
,,みの持ち手部分やガムテープ金属製のティッシュケースでも強打するようになり
被害児が動けなくなるほど衰弱してからも暴行を継続し,本件の数日前にも暴行を
加えていたこともうかがわれる。ところが,被告人は,その様子を察知していたと
,「」,いうのにやりすぎじゃないかと言うなど極めて不十分な注意を与えるだけで
この暴行も黙認したのであり,その点からも悪質といわざるを得ない。
(4)そして何よりも,被害児は,わずか3歳にして,長期間にわたる非情な虐
待の末に,その生命を断たれて,多くの可能性を秘めた将来を奪われており,結果
は極めて重大である。被害児は,出生時から健康に恵まれ,共犯者の前夫との同居
中は同人の,共犯者が実家に帰ってからは共犯者の実家の家族の愛情を一身に受け
て,順調に成長し,被告人と共犯者とが同棲するようになってからも,被告人にも
よく懐いて,共犯者からロフト上に上げられた後でさえ,自分の部屋ができたと言
って喜び,無邪気に歌を歌うなどしていたものである。
その後,上記のような仕打ちを受けながらも,幼く,大人の庇護に頼る以外には
生きる術のない被害児が,狭い空間に隔離された中で,わずかに与えられる食物や
共犯者の垣間見せる愛情等を心待ちにしながら懸命に生き続けていたことは,想像
に難くない。ところが,被害児は,遂には共犯者や被告人による助けを得られない
まま,低栄養のため消化吸収機能の低下を経て全身諸臓器が退行変性し,低栄養な
いしストレスにより頭部から大量に脱毛し,仙骨部・左右上前腸骨棘部・左右下肢
の褥創,臓器の癒着,打撲傷及び大腿骨骨折等の重い傷害を負い,さらに,臀部に
はかび様の物が生えるという悲惨な状況で命を落とさざるを得なかったのであっ
て,その被った苦痛や絶望感は筆舌に尽くし難いものがある。
,,,また被害児の実の父である共犯者の前夫は共犯者に被害児を連れ去られた上
その約2年後には,見る影もなく変わり果てたその亡骸と対面せざるを得なかった
のであり,同人が「加害者と同じことはしたくないから,水とチョコレートは供え
ない「人を殺した奴は死刑になればいいんじゃないかと,おれは思います」など」,
と述べて,被告人に対する厳罰を希望しているのも,当然というべきである。
(5)加えて,近年,乳幼児虐待の増加は,大きな社会問題となっており,本件
についても,実の母親がその交際相手と共に我が子を飢餓死させた事例として,広
く社会に報道されたものであって,その社会的影響も軽視できないものがある。
(6)以上によれば,被告人の刑事責任は重大というべきである。
3他方,被告人が負うべき治療機会提供義務は,被害児の実母である共犯者の
それを補完するものにとどまるほか,被告人の関与の態様も,共犯者から同調を求
められて,その虐待行為を黙認し,積極的行為としては,証拠上,Aの寝具やおむ
つを新聞紙で代替するように示唆したり,外出時に本件居室の灯りを消し暖房を切
った程度しか認められず,しかも,被告人は,犯行時においても,共犯者に対して
医療機関による治療の必要性を繰り返し指摘しているなど,被告人の役割は従属的
なものであり,その姿勢も比較的消極的なものにとどまること,被告人は,被害児
の死亡の結果を認容していたとはいえ,それを積極的に意欲していたとまでは認め
られないこと,被告人が,捜査段階の当初は自らの刑責を素直に認め,反省の態度
を示していたこと,被告人の母親が,情状証人として出廷し,家族と共に被告人を
実家に迎え入れるなどして,その更生に協力すると約束していること,被告人は,
犯行時23歳,現在も25歳と若く,前科もないこと,その他被告人のために酌む
べき事情も認められる。
4しかしながら,本件の結果の重大性,犯行態様の非道さや残忍さ,被告人の
果たした役割の重要性,遺族の被害感情の厳しさ等を考慮すれば,被告人に対して
はその重い責任に見合った刑に処するほかはなく,以上の諸事情に加え,共犯者に
対する量刑との均衡をも総合考慮すると,被告人に対しては懲役8年に処するのが
相当である。
よって,主文のとおり判決する。
さいたま地方裁判所第二刑事部
(裁判長裁判官中谷雄二郎,裁判官蛯名日奈子,裁判官高嶋由子)

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