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平成19年3月13日判決言渡同日原本領収裁判所書記官
平成17年(ワ)第19162号特許権侵害差止請求事件
口頭弁論終結日平成19年1月19日
判決
東京都中央区<以下略>
原告アステラス製薬株式会社
同訴訟代理人弁護士片山英二
同北原潤一
同寺尾鮎子
同訴訟代理人弁理士小林純子
同森田拓
同補佐人弁理士加藤志麻子
名古屋市中区<以下略>
被告大洋薬品工業株式会社
同訴訟代理人弁護士脇田輝次
同補佐人弁理士鶴目朋之
同望月孜郎
主文
1被告は別紙物件目録記載の医薬品を製造又は販売してはならない。
2被告は前項記載の医薬品を廃棄せよ。
3訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文同旨の判決並びに仮執行宣言
第2事案の概要等
1争いのない事実等
(1)当事者
ア原告は,医薬品及び医薬部外品等の製造及び販売等を業とする株式会社
である。
イ被告は,医薬品及び医薬部外品等の製造及び販売等を業とする株式会社
である。
(2)原告の特許権
原告は,次のとおりの特許権(以下「本件特許権」という。本件特許権に
係る特許請求の範囲請求項1の発明を「本件特許発明」,同特許の願書に添
付した明細書を「本件明細書」という。別紙特許公報参照。)を有している。
特許番号第1943842号
出願日昭和63年8月12日
登録日平成7年6月23日
優先権主張優先権主張国日本
優先権主張日昭和62年8月19日
発明の名称7−[2−(2−アミノチアゾール−4−イル)−2−ヒ
ドロキシイミノアセトアミド]−3−ビニル−3−セフェ
ム−4−カルボン酸(シン異性体)の新規結晶
特許請求の範囲(請求項1)
「粉末X線回折パターンにおいて以下の表に示される回折角にピークを
示すことを特徴とする7−[2−(2−アミノチアゾール−4−イル)−
2−ヒドロキシイミノアセトアミド]−3−ビニル−3−セフェム−4−
カルボン酸(シン異性体)の結晶:

(3)本件特許発明の構成要件の分説
本件特許発明の構成要件は,次のとおりに分説される(以下,その番号に
従って「構成要件①」などといい,構成要件①の化合物(7−[2−(2−
アミノチアゾール−4−イル)−2−ヒドロキシイミノアセトアミド]−3
−ビニル−3−セフェム−4−カルボン酸(シン異性体))を「セフジニ
ル」,同②を充足するセフジニルの結晶を「A型結晶」という。)
①7−[2−(2−アミノチアゾール−4−イル)−2−ヒドロキシイミ
ノアセトアミド]−3−ビニル−3−セフェム−4−カルボン酸(シン異
性体)の結晶であること
②粉末X線回折パターンにおいて次のとおりの回折角(°)にピークを示
すこと
14.7°付近,17.8°付近,21.5°付近,22.0°付近,
23.4°付近,24.5°付近及び28.1°付近
(4)被告の行為
被告は,平成17年3月2日,原告が製造販売する医薬品「セフゾンカプ
セル100mg」の後発医薬品として,セフジニルを有効成分とする別紙物
回折角(°)
14.7°付近
17.8°付近
21.5°付近
22.0°付近
23.4°付近
24.5°付近
28.1°付近
件目録記載の医薬品(以下「被告製剤」という。)につき薬事法に基づく製
造承認を受け,同年7月8日,被告製剤につき薬価基準収載を受け,遅くと
もこのころから,被告製剤の製造販売を行っている。
2事案の概要
本件は,特許権者である原告が,被告に対し,特許法100条に基づき,被
告製剤の製造及び販売の差止め並びに廃棄を求める事案である。
3本件の争点
(1)被告製剤が本件特許発明の技術的範囲に属するか否か
(2)本件特許が新規性を欠く発明に対してされたもので無効にされるべきか
否か
第3争点に関する当事者の主張
1争点(1)(技術的範囲への属否)について
〔原告の主張〕
(1)被告製剤の有効成分はセフジニルであるが,有効成分をX線回折したと
ころ,14.7°付近に当たる14.760°,17.8°付近に当たる1
7.855°,21.5°付近に当たる21.521°,22.0°付近に
当たる22.009°,23.4°付近に当たる23.461°,24.5
°付近に当たる24.485°及び28.1°付近に当たる28.092°
にそれぞれ回折角のピークが確認された(甲9,17)。これは構成要件②
を充足する。
(2)原告は,国立感染症研究所に対し,本件特許発明の技術的範囲に属する
セフジニルのA型結晶を提供し,これがセフジニル標準品とされている(甲
8)。
厚生労働省が定める日本薬局方では,セフジニルにつき上記セフジニル標
準品との同一性が確認試験で確認されることが要求されているところ(甲
7),薬事法に基づく医薬品の製造承認を得る際には,日本薬局方に記載さ
れている薬剤については,この規格によらなければならないから(甲6),
セフジニルを有効成分とする医薬品は,上記セフジニル標準品,すなわちセ
フジニルのA型結晶と同一性を有しないと,薬事法に基づく製造承認を受け
ることができない。
前記第2の1(4)のとおり,被告製剤は,セフジニルを有効成分とする医
薬品として薬事法に基づく製造承認を受けているから,セフジニル標準品す
なわちそのA型結晶と同一性を有する物質を有効成分として含有する。そう
すると,構成要件②を充足する。
(3)よって,被告製剤は,構成要件①及び②をそれぞれ充足し,本件特許発
明の技術的範囲に属する。
〔被告の主張〕
被告製剤は本件特許発明の技術的範囲に属しない。
被告製剤がセフジニルを有効成分として薬事法に基づく製造承認を受けてい
ること,日本薬局方がセフジニルの規格として,セフジニル標準品との同一性
の確認を要求していること,原告が国立感染症研究所に対して提供しているセ
フジニルの結晶がセフジニル標準品であること,被告製剤の有効成分たるセフ
ジニルがセフジニル標準品と同一性が確認されたことは認めるが,その余は不
知。
なお,紫外可視吸光度測定法による吸収スペクトルの測定,赤外吸収スペク
トル測定法のうちペースト法による測定及び核磁気共鳴スペクトル測定によっ
て,セフジニル標準品との同一性を確認したとしても,粉末X線回折パターン
による確認がされていないから,それがセフジニルのA型結晶であることを意
味するわけではない。
2争点(2)(新規性の有無)について
〔被告の主張〕
(1)引用実施例14又は引用実施例16に記載されたセフジニルが,A型結
晶のものか否かについて
ア本件特許発明に係るセフジニルは,本件特許発明の出願日前である昭和
59年5月23日に開示(出願公開)された先行技術である特開昭59−
89689号公報(甲3。以下「引用公報」といい,同公報に係る明細書
を「引用明細書」という。)中の発明中で開示されているから,物の発明
である本件特許発明は新規性を欠き,本件特許は無効である。
すなわち,引用公報は,セフジニルの物質特許に係る公報であるところ,
同公報中の実施例16(以下「引用実施例16」という。)で記載された
セフジニルのシン異性体は,X線回折パターンにおいてA型結晶と同一の
パターンを示すものである。そうすると,引用公報中で既にセフジニルの
A型結晶が開示されており,本件特許発明は新規性を欠く。
イ結晶形の発明についての新規性を肯定できるのは,晶出条件が公知の晶
出条件と区別できる場合に限られる。
研究者において特許出願時に無晶形か結晶形かが不明な場合には,明細
書に固形物ないし粉末等と記載するのが常識であるところ,引用公報中の
実施例14(以下「引用実施例14」という。)では「結晶」と記載され
ており,後になって引用公報中で開示されたものが無晶形であることが判
明するというのは不合理である。
のみならず,本件特許発明の優先権主張の基礎となった昭和62年特許
願第206199号の明細書(甲11・5頁)では,「そこで提供されて
いるものは無晶形の粉末状物質あるいは結晶としては不完全なものであ
り」とされており,引用公報中で開示されているセフジニルを無晶形又は
結晶形としている。
原告は,引用実施例14及び引用実施例16で得られたセフジニルがA
型結晶のものであることを認識しながら,あえてこれらを無晶形として特
許出願をしたものである。
ウ原告の主張について
引用実施例16によって得られるセフジニルが結晶であるか無晶形であ
るかについて原告が明細書作成上主張を変遷させていることにかんがみる
と,引用実施例16中のIRのピークの数値は信頼できないというべきで
あり,引用実施例16におけるIRのピークがA型結晶のIRのピークと
相違しているとしても,そのことのみで引用実施例16のセフジニルがA
型結晶のものでないということはできない。
(2)引用実施例16に記載された方法により,セフジニルのA型結晶を取得
できるか否か
引用実施例16に記載された実験方法に従い,慣用の晶出操作によって実
験を行うと,セフジニルのA型結晶のみが晶出し,無晶形のものは得られな
い。したがって,本件特許発明はその特許出願前に頒布された刊行物に記載
された発明と実質的に同一のものであって,特許を受けることができないか
ら,本件特許は無効である。
ア被告の追試(乙1,2,23ないし25)について
そもそも,実施例には,追試ができる程度に技術手段が記載されていれ
ばよく,出願当時の当業者において,自明のものとして明文の記載がなく
ても了解可能な事項については記載する必要がない。特段の制約なく一般
的に記載されている工程及び手段は,出願当時の技術常識にかんがみて自
明な工程及び手段を選択すれば足りる。
引用実施例16では,「減圧濃縮し」とあるのみで,減圧濃縮の程度に
ついても,どの程度減圧濃縮を行った後にpH調整を行うのか等について
も特定されていない。したがって,追試者が最適と考える一般的な実験条
件を選択,採用でき,このように選択,採用された一般的な実験条件に従
って追試された結果に,特段問題があるとはいえない。
被告の追試においては,昭和57年当時に入手可能な器具,装置及び材
料を用い,次のとおり,特別な条件を加えることも,不完全に実施するこ
ともなく,引用実施例16におけるのと同等の収量を得ているから,追試
の方法として相当である。
(ア)原告のいうセフジニルの安定性の問題は,化合物としてのセフジニ
ル全体の問題であって,結晶形における安定性とは無関係である。また,
セフジニルが属するセフェム系抗生物質は,耐酸性が強い。
引用公報でも熱に対する不安定性は特段記載されておらず,水浴の溶
媒の温度が40℃程度であっても,減圧容器内部の気圧が17mmHg
の場合には容器内の温度は20℃前後であるところ,被告の追試におけ
る20℃程度の液温は室温程度のものであって,特に高いものではない。
本件特許権の優先権主張日当時においても,セフジニルと同様にセフェ
ム系抗生物質であるセファクロルやセファドロキシル等が安定であるこ
とは周知であった。
また,4時間程度の減圧濃縮操作の時間は,この種の化学の実験では
長時間とはいえない。
しかるに,被告の追試(乙1,2)においては,水浴の溶媒の温度が
40℃程度,減圧容器内の液温が20℃程度で,4時間程度減圧濃縮を
行っており,高温で減圧濃縮を行ったとも,長時間減圧濃縮を行ったと
もいうことができないから,引用実施例16の実験工程を忠実に追試し
たというべきである。
(イ)「濃縮」とは,一般に,低濃度の溶液の溶媒を除去して高濃度の溶
液又は物質とすることをいい,その方法には自然蒸散,加熱,減圧及び
凍結等がある。
減圧濃縮は,溶液量を減少させ,溶質を過飽和の状態にして析出させ
る実験操作であり,他方pH調整も,溶質のイオン性を変化させ,溶解
度を低下させて溶質を析出させる実験操作であって,いずれも目的物を
析出させる一般的な実験操作である。
かかる2つの実験操作が,前後に並列して記載されている場合には,
減圧濃縮とpH調整の組合せによって効果的かつ高収率で目的化合物を
得ようとしているものと理解できる。
pH調整を行い溶質を析出させるためには,溶液中の溶質の濃度があ
る程度高いことが必要であり,特に減圧濃縮において目的化合物が一部
析出していれば,よりpH調整による溶質析出の効果が上がることが予
測される。
ここで,濃縮操作において溶媒の量がどの程度になるまで濃縮するか
は,各実験系において判断すべき事柄であるが,一般に,目的化合物を
効率よく回収するため,相当程度まで濃縮するのが通常である。
そうすると,アセトンのみを除去するとか,目的化合物を析出させて
はならないという限定がない限り,減圧濃縮においてできる限りアセト
ンと水を除去した上で,pH調整を行い,減圧濃縮とpH調整の双方の
操作で目的物を効率よく析出させようとするのが,当業者にとって常識
的な判断である。引用実施例16にいう「減圧濃縮」は,必要以上に温
度を上げず,低い気圧下に置くことで,アセトン水溶液による溶出画分
から溶媒を除去し,溶質であるセフジニルの高濃度溶液を得ることを目
的とするものであって,問題が生じない範囲で濃度を高くすることが望
ましい。しかも,引用公報中のどこにも,この「減圧濃縮」の目的がア
セトン−水の溶媒系からアセトンのみを除去する点にあることを正当化
する記載がない。
他方,アセトンを除去,濃縮するのに足りる程度だけ減圧濃縮するに
止めると,溶媒である水が大量に残り,水に溶解している目的物が析出
(晶出)しないこともあり得ることになって,極めて効率が悪い。
のみならず,原告の出願に係る甲第11号証の実施例1においても,
セフジニルのA型結晶の製造において,セフジニルの濃度で0.039
g/mlまで,同実施例4においても,同B型結晶の製造において,セ
フジニルの濃度で0.074g/mlまで,濃縮を行っており,被告の
追試と同程度まで濃縮を行っているから,被告の追試(乙1,2)にお
ける濃縮が不自然又は非常識なものとはいえない。なお,上記書証にお
いては,かかる濃縮操作が特別のものであるとは全く記載されていない。
また,被告の追試(乙24)においては,20%アセトンによる溶出
画分を,40℃の水浴で,60mlまで減圧濃縮したときは最終的にセ
フジニルを1.208g,100mlまで減圧濃縮したときは最終的に
セフジニルを0.932gそれぞれ得たが,いずれにおいてもセフジニ
ルはA型結晶であった。
(ウ)引用実施例16においても,沈殿の生成はpH調整中のものに限ら
れるわけではなく,減圧濃縮中のものをも含むものである。すなわち,
引用実施例16においては,「生成する沈澱を濾取,」という文章は,
「減圧濃縮し,10%塩酸によりpH2.0に調整する。」という,い
ったん完結した文章の後に記載されているから,ここでいう「生成する
沈澱」は,pH調整中の沈殿に限定されず,減圧濃縮及びpH調整の両
工程を通じて生成した沈殿を意味するものである。
また,「濃縮」とは,濃度の低い溶液の溶媒を取り除いて濃度の高い
溶液又は物質とすることをいうが,減圧濃縮によって溶媒量が少なくな
り,溶液中の溶質の濃度が溶解度より高くなると,溶解度を超える量の
溶質が析出するのは当然である。他方,一般に等電点において溶解度が
最小となることは周知であって,当業者であれば,引用実施例16でセ
フジニルの溶液のpHを2.0とする旨が記載されているのは,pH2.
0付近に等電点があり,この等電点に合わせてpH調整の条件設定がさ
れていると容易に理解し得る。そうすると,当業者であれば,引用実施
例16においては,減圧濃縮を行うことによって溶液のpHが徐々に強
い酸性側に移っていくが,等電点付近のpHとするのが困難なため,さ
らに塩酸を加えて等電点付近のpHにし,上記の2つの実験操作を通じ
てセフジニルの収量を最大にしようとしているものと理解するのであっ
て,減圧濃縮の工程で析出物が得られた後でも,未だ飽和溶液中には溶
解度以下のセフジニルが溶解しているから,セフジニルの溶解度を最小
にし,収率を高くするために,塩酸を加えてpH調整を行うことには十
分意味がある。
(エ)被告の追試においては,目的化合物であるセフジニルの収率が引用
実施例16における収率と同程度であって,被告の追試が引用実施例1
6の記載に忠実であったことを裏付けるものである。
イ原告の追試(甲20,25及び26)について
(ア)原告の追試(甲20)においては,約1.4倍濃縮し,溶媒のほん
の一部を除去しただけで濃縮操作を終了している。
原告の減圧濃縮操作は,上記実施例にいう「減圧濃縮」を忠実に再現
したものとはいえず,「濃縮」に至らない不完全な状態で終了させてい
るものである。
(イ)原告の追試(甲20)においては,引用実施例16中にはない「氷
冷」という条件を付加して塩酸によるpH調整を行っている。
通常の実験において氷冷が行われるのは,反応熱が発生し,化合物の
取得等に障害となることが予想される場合に,これを予防する点にその
目的がある。
引用実施例16においては,セフジニルを含む溶液中にアルカリ性物
質は含まれておらず,塩酸を加える時点で溶液のpHは既に4以下にな
っている。そうすると,この溶液に酸性物質の塩酸を加えたとしても,
中和熱が発生することは想定できない。
なお,引用実施例14においては,特にセフジニルを晶出させる段階
で低温にする場合には,特別に溶液を0℃にすることが明示されている。
しかし,実施例16においては,「氷冷」の条件は全く記載されておら
ず,特別低温にする必要はない。
そうすると,原告の塩酸によるpH調整操作は,引用実施例16の実
験操作を忠実に再現したものではない。
なお,原告は減圧濃縮を意味のない程度で打ち切り,「氷冷」によっ
て溶液を急速に冷やすことで,無晶形のセフジニルを析出させることを
意図したものと推測される。
(ウ)引用実施例16は,20数年以上前の技術によるものであり,その
後に製法の改良もなされたはずであるから,現時点で再現実験をすれば,
少なくとも同実施例と同程度か,又はそれ以上の収量が得られたはずで
ある。
加えて,原告の追試(甲20)では,同実施例の当時の原料よりも高
純度の原料が用いられているから,同実施例における収量より多い収量
が得られたはずである。
ところが,原告の追試(甲20)においては,同実施例で記載された
収量の4分の3程度の収量しか得られておらず,同実施例で記載された
収量との差は無視できるほど小さくはない。
そうすると,同実施例とは異なった条件設定が影響しているものと考
えざるを得ず,原告の追試は,引用実施例16の実験操作を忠実に再現
したものではない。
原告は,減圧濃縮を極めて不十分にしか行わなかったため,溶媒が多
量すぎて,溶媒中にセフジニルの一部が残留し,収量の低下を招いたも
のと推測できる。
(エ)原告の追試(甲20)では,反応混合物をテトラヒドロフラン,酢
酸エチル及び水の混合物中に注ぎ,20%水酸化ナトリウム水溶液でp
H6.0に調整し,水層を分取し,酢酸エチルで洗浄した後に得られた
回収液量が172mlと,理論的にも実際上も多量すぎる。これは不純
物をあえて混入させて,結晶化させにくくなるようにしていることを懸
念させるものである。
原告の追試(甲25)でも,反応混合物をテトラヒドロフラン,酢酸
エチル及び水の混合物中に注ぎ,20%水酸化ナトリウム水溶液でpH
6.0に調整し,水層を分取し,酢酸エチルで洗浄した後に得られた回
収液量が,理論的にも実際上も多量すぎる。被告の依頼に基づいて行わ
れた上記追試の追試(乙25)でも,回収液量は125mlに止まって
おり,原告の追試(甲25)で得られた回収液量158mlより相当程
度少ない。
(オ)原告の追試(甲20)では,カラムクロマトグラフィーで使用され
た酸化アルミニウム(アルミナ)及び三菱化学製非イオン吸着樹脂ダイ
ヤイオンHP−20(以下「HP−20」という。)の充填量が極めて
少量で,充分な精製機能を果たしていない。これはあえて純度を下げて,
結晶化させにくくなるようにしていることを懸念させるものである。
また,原告が引用実施例16では記載されていない析出物の水洗を行
っているのは,脱塩のためのものであると考えられるところ,そもそも
引用実施例16中に記載のないかかる水洗操作を行うことは許されない
し,またカラムクロマトグラフィーによる精製が十分であれば,析出物
に塩化ナトリウムが混入することはあり得ないから,上記精製が不十分
であったことを示すもので,引用実施例16の実験操作の方法を忠実に
再現しなかったということができる。
原告の追試(甲25)でも,カラムクロマトグラフィーで使用された
酸化アルミニウム(アルミナ)及びHP−20の充填量が極めて少量で,
十分な精製機能を果たしていない。これはあえて純度を下げて,結晶化
させにくくなるようにしていることを懸念させるものである。
また,原告が行った析出物の水洗はそもそも引用実施例16中に記載
のない実験操作であって許されないし,カラムクロマトグラフィーによ
る精製が不十分であったことを示すもので,引用実施例16の実験操作
の方法に忠実でなかったということができる。
(カ)原告の追試(甲20)で得られたセフジニルの赤外線吸収スペクト
ル(IRスペクトル)分析においては,引用実施例16で示されている
ピークのうち,3300,1665及び1180cm−1
についてはほぼ
同一の位置にピークが見られるが,1780及び1130cm−1
につい
ては同一の位置にピークが見られない。
そうすると,上記追試で得られたセフジニルは,引用実施例16で得
られる目的物(セフジニル)とは異なる物質というべきである。
なお,無晶形のIRスペクトルのパターンは単一であって,複数のI
Rスペクトルのパターンが存在することなどはない。
(キ)原告は,セフジニルの結晶化の検討を昭和58年8月ころに集中的
に行った後に,同62年4月,甲第3号証に係る特許出願につき補正を
行い,医薬品としてのセフジニルを特許として確立しようとしている。
原告の主張によれば,セフジニルはA型結晶の開発によって医薬品の原
薬として完成したことになるのであるが,上記補正の前後を通じて引用
実施例16の記載は変更されていないのであって,これは引用実施例1
6に記載された方法によってセフジニルのA型結晶が得られることを示
すものである。
ウ原告の主張について
(ア)後記〔原告の主張〕(2)ア(ア)について
βラクタム環を有する化合物であるセファロスポリン化合物は,引用
明細書に係る特許出願当時においても,引用実施例16の実験において
は,決して不安定なものではなかった。
仮にセファロスポリン化合物の不安定性を考慮に入れて実験を行う必
要があるとすれば,単に減圧濃縮の際の温度や時間の長さについてのみ
考慮するだけでなく,pH調整の時間の長さについても考慮しなければ
ならないが,原告は減圧濃縮の時間のみを問題にし,pH調整の時間は
問題にしておらず,一方的な議論である。
また,セファロスポリン化合物の不安定性から減圧濃縮の実験工程で
はアセトンのみを除去することが必要であり,沈殿が析出していない段
階でpH調整をすることが必要であるのであれば,引用実施例16でそ
の旨の実験条件が明示されていたはずであるが,かかる実験条件につき
何ら限定的な記載はなく,減圧濃縮の程度,pH調整に移行する時期及
びpH調整の時間の如何にかかわらず,常にセフジニルを得られること
が前提になっているものというべきである。
原告のようにアセトンのみを除去すると,かなりの量の水分が残存す
るので,溶解濃度の低い水溶液でpH調整をした場合に,現実に沈殿が
析出するかどうかも疑問であり,析出したとしても収量が小さくなり,
固形物を析出させるための時間が相当に長くなる。原告はかなりの時間
をかけて,pH調整を行っているものと考えざるを得ない。
(イ)後記〔原告の主張〕(2)ア(イ)について
アセトンのような有機溶媒が水溶液中に残存していると,pH調整に
よる目的化合物の析出が妨げられることは事実であるが,だからといっ
て,減圧濃縮の実験工程においてアセトンのみを除去し,水は除去して
はならないということにはならない。溶質の量に比して溶媒たる水が多
すぎる場合にも,pH調整により沈殿を析出させることができない。
アセトンと水はその沸点が異なるので,減圧濃縮の実験工程では,ま
ず沸点が低いアセトンが留出し,次いで共沸によりアセトンと水が共に
留出し,最後に水が留出する。しかし,アセトンは共沸によりすべてが
除去されるわけではなく,共沸後も一部のアセトンは水の中に溶けた状
態で残存している。アセトンをできるだけ完全に除去するためには,共
沸後も減圧濃縮を続行し,水分もできる限り除去した方がpH調整をよ
り効率的に行い得る。
H鑑定(甲22)は,アセトンのみを完全に除去することが困難であ
ることを認めており,減圧濃縮によりアセトンのみを除去するという解
釈は現実にはあまり意味がない。
(ウ)後記〔原告の主張〕(2)ア(ウ)について
a減圧濃縮の途中で沈殿が析出した場合と,減圧濃縮の途中では沈殿
が析出するに至らなかった場合とで,得られる目的化合物及びその収
量の点において,基本的に相異はなく,減圧濃縮の実験工程では沈殿
が析出してはならないという原告の主張には根拠がない。
なお,原告の追試(甲25。HP−20の使用量は70ml。)で
は,98mlまで減圧濃縮しても白濁は生じないが,他の追試(甲2
6。HP−20の使用量150g。)では,300ml程度に減圧濃
縮すると白濁が生じたものであるが,これはセフジニルの沈殿の析出
が開始される時期が,カラムクロマトグラフィーによる精製の結果除
去されなかった酢酸ナトリウムの存在に影響されることを示すもので,
酢酸ナトリウムが残存せず,精製後の濃縮液のpHが低下した場合に
は,それほど濃縮が進んでいなくても,セフジニルの沈殿の析出が開
始する。
b引用実施例16の方法がセフジニルの製法として特許請求の範囲に
記載されていたと仮定すると,その発明の技術的範囲が,減圧濃縮に
おいてはアセトンのみを除去し,目的化合物の析出はpH調整の実験
工程におけるものに限定されると解しつつ,減圧濃縮の実験工程にお
いて目的化合物の沈殿の析出が開始された後にpH調整の実験工程に
おいても目的化合物を析出させる方法は発明の技術的範囲に属しない
と主張することは許されないから,原告の主張は恣意的である。
(エ)後記〔原告の主張〕(2)イについて
a原告の追試(甲26)で行われた減圧濃縮では,特段の理由もない
のに急速に作業が終了されているが,まずどのような装置で,どの程
度まで,かかる急速な減圧濃縮をしたかが疑問であるし,昭和62年
当時にかかる急速な減圧濃縮が可能であったかも疑問である。
のみならず,急速に減圧濃縮をするためには,真空度を高くする必
要があるが,真空度を高くすると濃縮液の液温は低温になり,無晶形
を析出させるのに好ましい実験条件となるのであって,原告は無晶形
のセフジニルを析出させるため,濃縮液の温度を0℃以下程度にする
べく,急速に減圧濃縮を行ったと考えられる。
b原告は,あえてカラムクロマトグラフィーの吸着剤の量を減らし,
精製度を落として,カラムクロマトグラフィーの実験工程を無意味な
ものにした。
なお,甲第27号証に添付された資料1及び2でも,カラムクロマ
トグラフィー処理後の溶出画分のどの部分を試料としたかが不明であ
るし,溶出画分に含まれるアセトン及びセフジニルのHPLCにおけ
るピークも確認できない。上記各資料においては,セフジニルの濃度
が大きく齟齬しており,最終的な結果と矛盾する。そうすると,上記
各資料は信頼性に欠ける。
c原告の追試はいずれも原告の従業員が行ったものであって,信頼性
が低いし,その実験工程の開示も不十分である。
反応混合物を酢酸エチルで洗浄した後の水の量が,存在するはずの
水の量よりも多く,あり得ない実験になっている。なお,酢酸エチル
による洗浄後,目的化合物を含む水層を分液漏斗の下部から抜き出し,
分液漏斗を水で洗浄し,この洗浄水で濾別した不溶物を洗浄し,洗浄
された水溶液を中間層及び油層に加え,再度分取操作を行い,分取さ
れた水層を最初に得た水層に加えるという操作を行うことは,水層と
油層を分離させる分液処理においては絶対行われない非常識な処理で
ある。分液操作においては,目的化合物であるセフジニルが溶け込ん
でいる水層だけを次の工程に移し,反応による副生成物すなわち不純
物が残存する油相や中間層は廃液として実験系外に排出するのが通常
である。また,引用実施例16の記載からは水層のみを分取すべきで
あって,中間層も分取するという実験操作が許容される余地はない。
かかる水層の追加操作は,一見すると収量を上げるための操作のよう
に見えるが,不純物が残存する油層及び中間層に水を加え,不純物の
一部が溶解する水溶液を水層に加える結果をもたらすのであって,セ
フジニルの精製操作としては矛盾している。かかる操作が慣用技術で
あるとすれば,原告の実験報告書に当初から記載されていたはずであ
るのに,これが記載されていなかったことは,慣用技術ではなかった
ことを示すものである。
原告の追試(甲25)では,減圧濃縮を急速に行って,引用実施例
16にはない,濃縮液を冷却する工程を加え,無晶形を析出させたも
のであり,原告の追試(甲25)では,引用実施例16の忠実な再現
とはいえないものであるが,他の原告の追試(甲20,26)におい
ても,同様の追加操作が行われたものと考えられ,やはり引用実施例
16の忠実な再現とはいえないものである。
〔原告の主張〕
(1)引用実施例14又は16に記載されたセフジニルが,A型結晶のものか
否かについて
ア引用実施例16では,セフジニルの無晶形が製造されるのであって,セ
フジニルのA型結晶は製造されない。
同実施例に係る記載部分では,セフジニルが得られることが記載されて
いるものの,これが結晶であるか否かは何ら記載されていない。
本件特許発明に係る特許出願当時,当業者においてセフジニルに有用か
つ特殊な結晶形であるA型結晶が存在し得るとは,認識し得べくもなかっ
た。
また,引用実施例14でもA型結晶は得られない。
イ引用実施例16に記載されたセフジニルは,その赤外線吸収スペクトル
(IRスペクトル)の吸収帯が,A型結晶の吸収帯と一致しない。
すなわち,引用実施例16で得られるセフジニルの吸収のピークは,A
型結晶では波数1765cm−1
であるもの(吸収帯②)が1780cm−

に,A型結晶では波数1684cm−1
であるもの(吸収帯③)が166
5cm−1
にそれぞれずれており,A型結晶における吸収帯②と同③との間
隔(80cm−1
前後)よりも,2つの吸収帯の間隔(115cm−1
)が顕
著に広くなっている。そして,測定誤差によるものであれば,吸収帯全体
が同一方向(高波数方向又は低波数方向)にずれるはずであるが,A型結
晶の吸収帯②に相当する吸収帯において高波数側にずれ,吸収帯③に相当
する吸収帯において低波数側にずれるというように,それぞれ逆方向にシ
フトしており,この原因が測定誤差によるものとは考え難い。また,同一
の結晶形において試料間のバラツキによりIRスペクトルが実質的に異な
ることも考え難い。そうすると,これらの理由で上記現象を説明すること
はできない。
しかも,引用実施例16においては,A型結晶の波数1624cm−1

吸収帯(吸収帯④)に相当する吸収帯についての記載がないが,吸収帯④
は非常に強い吸収帯であり,C=O結合,C=C結合,C=N結合といっ
た特徴的な官能基の存在を示すものである。そうすると,この分野の専門
家であれば,吸収帯④を読み取っていたはずであり,かかる記載がないこ
とは,同実施例で製造されたセフジニルについて,吸収帯④に相当する鋭
い吸収帯が見られないことを示すものである(なお,無晶形のセフジニル
のIRスペクトルでは,1780cm−1
及び1680cm−1
付近にピーク
があるが,1620cm−1
付近はブロードになっており,鋭いピークが存
しない。)。
これらの結果は,引用実施例16で製造されるセフジニルがA型結晶の
ものではない別のものであることを示すものである。
(2)引用実施例16に記載された方法により,セフジニルのA型結晶を取得
できるか否か
次のとおり,引用実施例16の実験工程を追試しても,セフジニルのA型
結晶を取得することはできず,無晶形のセフジニルを得ることができるのみ
であって,本件特許発明と実質的に同一の発明が引用実施例16で開示され
ているとはいえない。
ア被告の追試について
(ア)本件特許権の優先権主張日である昭和62年当時,セフジニルのよ
うなβラクタム系抗生物質は不安定で加水分解されやすく,pH,熱及
び光などに対して比較的不安定であり,水溶液の濃縮中にも分解するお
それがあるというのが当業者の技術常識であった。
しかるに,被告の追試(乙1,2)では,加温状態で長時間減圧濃縮
しており,βラクタム系抗生物質が熱などに対し比較的不安定である点
を考慮すると,実験の条件が出願当時の技術常識と異なる。
また,被告の追試(乙24)においては,600ml前後のクロマト
グラフィー溶出画分を,2時間8分かけて100mlまで,2時間35
分かけて60mlまで減圧濃縮しており,かかる長時間の減圧濃縮は,
本件特許権の優先権主張日当時のβラクタム系化合物の安定性について
の当業者の技術常識に反する。
(イ)原告は,引用公報においては,沈殿の析出が生じる程度まで減圧濃
縮を行う場合には,「留去」と表現しており,「濃縮」と区別している
ところ,引用実施例16では「濃縮」とのみ表現されている。
また,引用実施例16においては,「20%アセトン水溶液による溶
出画分を集め,減圧濃縮し,10%塩酸によりpH2.0に調整する。
生成する沈澱を濾取,真空乾燥して,」とあり,「生成する沈澱」の前
に塩酸によるpH調整が記載されており,pH調整の前には沈殿の濾取
についての記載がない。そうすると,ここでいう「生成する沈澱」は,
塩酸によるpH調整の実験工程によって生じるものと理解すべきであり,
このpH調整前の減圧濃縮の工程は,クロマトグラフィーの工程におい
て添加された有機溶媒のアセトンの除去を主たる目的とするものであっ
て,目的化合物を得る一連の工程のうちの中間工程にすぎないものと理
解すべきである。なぜなら,沈殿が減圧濃縮の工程で直ちに生成するも
のであれば,そのまま濾取し,真空乾燥すれば足り,その次にわざわざ
pH調整の工程を設ける必要はないからである。
引用実施例16における減圧濃縮工程は,上記のとおりアセトンを除
去し,これに引き続く塩酸によるpH調整の工程において目的化合物の
溶解度を下げ,沈殿の析出の効率を上げるために行うものであって,目
的化合物を単離する目的で行うものではない。
しかるに,被告の追試(乙1,2)ではpH調整を行う前に沈殿が十
二分に生じる程度まで(濃縮乾固に近い状態)減圧濃縮を行っており,
引用実施例16にいう減圧濃縮を忠実に再現しているとはいえない。
また,被告の追試(乙24)においては,600ml前後の溶出画分
を60ml又は100mlまで減圧濃縮しており,引用実施例16の減
圧濃縮の目的であるアセトン除去の目的を逸脱している。
(ウ)前記(イ)のとおり,引用実施例16における「生成する沈殿」は,
塩酸によるpH調整の実験工程によって生じるものと理解すべきである。
pH調整により目的物の沈殿を得るという工程は,化合物の溶解度が溶
液のpHにより異なること,とりわけ等電点において化合物の溶解度が
最小になるという性質を利用して目的物を単離するのに用いる常套手段
である。
なお,引用実施例14においては,セフジニルがナトリウム塩として
溶解している水溶液(pH5)を,有機溶媒の酢酸エチルで洗浄した後,
セフジニルの沈殿が未だ析出していないこの水溶液のpHを2.2に調
整して,セフジニルの沈殿を析出させている。引用実施例16において
塩酸によるpH調整を行う意味は,かかる実験操作におけるpH調整と
同様のものである。
被告の追試(乙1,2)では,塩酸を加える前に沈殿が析出しており,
引用実施例16を実験操作を忠実に再現したものとはいえない。
また,被告の追試(乙24)においては,600ml前後の溶出画分
を60ml又は100mlまで減圧濃縮しているが,この追試に係る報
告書14頁の写真では,溶液に濁りが生じており,減圧濃縮の途中で沈
殿が生じていることが窺われる。減圧濃縮の途中で沈殿が生じるのは,
引用実施例16の実験操作の忠実な追試とはいい難い。
(エ)甲第11号証の明細書は本件特許権の優先権主張の基礎となる特許
出願に係るものであり,引用実施例16に係る発明がされた後に得られ
た知見に基づくものであって,被告が実施した濃縮条件が合理的である
ことを裏付けるものではない。甲第11号証の明細書中の濃縮条件と同
程度であることを理由に濃縮条件が合理的であると主張することは,引
用実施例16に係る発明の後に得られた知見から示唆を得て実験を行っ
たことを示すものである。
(オ)被告の追試(乙1,2)では,追試に用いた出発原料(セフジニル
のベンズヒドリルエステル)の純度が,出願当時に入手不可能な,高純
度のものであった可能性がある。
(カ)被告の追試(乙24)においては,本来塩酸の添加によって目的化
合物を得,実験を終了させるべきところを,さらに引用実施例16に記
載のない14時間の撹拌を行っており,引用実施例16の実験操作の忠
実な追試とはいえない。
また,被告が原告の追試(甲25)の追試であると主張する実験(乙
25)は,1時間40分もかけて減圧濃縮を行っており,かつ目的化合
物を濾別した後の溶液をさらに15時間20分かけて撹拌し,二次析出
物を得ており,原告の上記追試とは異なった条件で実験操作を行ってい
る。
イ原告の追試について
(ア)甲第20号証
原告は,出発原料であるセフジニルのベンズヒドリルエステルの純度
が現在原告が工業的生産において使用している高いものである点を除い
て,引用実施例16の実験操作を忠実に追試したところ,無晶形のセフ
ジニルが得られた。
(イ)甲第26号証
原告は,引用実施例16の忠実な追試ではないものの,36℃ないし
40℃の水浴で,クロマトグラフィーによる溶出液550mlを約50
分間かけて96mlまで減圧濃縮し,塩酸によるpH調整を行う実験を
したところ,減圧濃縮を開始してから25分経過後に溶液量が300m
l程度になったところで溶液が白濁し沈殿が析出し始めた。
上記のとおり,減圧濃縮の途中で沈殿の析出が始まっており,引用実
施例16の実験操作の忠実な再現ではないが,得られた沈殿(析出物)
を濾取,水洗及び真空乾燥したところ,無晶形のセフジニルであること
が確認された。
ウ被告の主張について
(ア)酢酸エチルによる洗浄後の回収液量について
引用実施例16の実験工程において酢酸エチルで洗浄を行うと,反応
後不溶物が生じているため,分液漏斗中では,溶液が油層及び水層の2
層に分かれるのではなく,油層,不溶物を含む中間層及び目的化合物を
含む水層の3層に分かれる。この中間層には,目的化合物を含む水層の
一部が含まれているため,追試を正確に行うためには,水層を分取する
だけでなく,中間層から不溶物を濾去して水洗し,油層と水層を完全に
分離して,中間層の母液とこの水洗に使用した水の混合溶液からさらに
水層を正確に分取する必要がある。
実験を正確に行うため,中間層から不溶物を濾過し,水洗するという
実験操作は,化合物の精製実験において通常採用される公知の操作であ
る。
原告の追試(甲25)において酢酸エチルによる洗浄後の回収液量が
理論上の計算値よりも多くなっているのは,この不溶物水洗のために水
を加えたからであって,不純物が溶解している油層をあえて取り込んだ
からではない。
(イ)カラムクロマトグラフィーにおけるカラム充填量について
被告が採用する酸化アルミニウム及びHP−20のカラム充填量によ
っても,カラムクロマトグラフィーの精製後減圧濃縮前のセフジニルの
純度はHPLC面積百分率で85.2%と,原告の追試(甲25)での
セフジニル純度である84.1%と差は小さく,この追試で採用された
カラム充填量によってもカラムクロマトグラフィーは十分な精製機能を
果たしている。
(ウ)脱塩について
酸化アルミニウム等によるカラムクロマトグラフィーは,充填剤と各
化合物との親和性の差を利用して,目的物と未反応の出発化合物や反応
工程で生成した副生成物及び分解物などを分離すること(精製)を目的
とする。これはpH調整により必然的に生じる無機物の分離(脱塩)を
目的とするものではないから,脱塩を行うという観点からカラム充填量
を決定することはない。脱塩を完全に行うために,目的物の精製に必要
な量以上の充填量を採用すると,カラムから溶出する溶媒の量が増加す
ることになり,非効率である。
引用実施例16では,水溶液中に溶解する水溶性の無機塩類と目的化
合物とを容易に分離できるし,目的化合物の沈殿に水溶性の無機塩類が
付着していたとしても,水洗等を行うことによって無機塩類を容易に除
去することができる。
(エ)目的化合物の水洗について
沈殿を濾取して目的化合物を得る場合に,濾取した目的化合物を少量
の同種の溶媒等で洗浄すること(溶媒が水の場合であれば水洗)は,当
業者において極めて基本的かつ一般的な実験操作である。
濾取した目的化合物には,目的化合物を溶解していた母液が付着して
いるので,この母液を除去するため,上記のような洗浄操作を行う。
セフジニルは,水にほとんど溶けない(難溶性)から,水洗すること
で,水に可溶な物質を溶媒とともに除去し得る。
水洗操作は,水に難溶性のセフジニルを洗浄する実験操作にすぎず,
目的化合物であるセフジニルの結晶形等の状態に何ら変化を与えるもの
ではない。
なお,引用公報中で目的化合物を濾取した後に洗浄の方法が具体的に
記載されているものがあるのは,母液が混合溶液である等の理由により,
溶媒を一義的に特定できないからにすぎないのであって,引用実施例1
6に洗浄する旨が規定されていないからといって,水洗を行うと引用実
施例16の忠実な追試といえなくなるものではない。
第4当裁判所の判断
1争点(1)(技術的範囲への属否)について
(1)弁論の全趣旨によれば,被告製剤の有効成分がセフジニルの結晶である
ことが認められるから,被告製剤は構成要件①を充足する。
(2)証拠(甲9,17)によれば,被告製剤のカプセルの内容物をすりつぶ
してX線回折すると,14.7°付近に当たる14.760°,17.8°
付近に当たる17.855°,21.5°付近に当たる21.521°,2
2.0°付近に当たる22.009°,23.4°付近に当たる23.46
1°,24.5°付近に当たる24.485°及び28.1°付近に当たる
28.092°にそれぞれ回折角のピークが確認されることが認められる。
よって,被告製剤は,構成要件②を充足する。
また,本件明細書中の第1図は本件特許発明の技術的範囲に属するセフジ
ニルのA型結晶の粉末X線回折のチャートであるが,これと甲第9号証及び
甲第17号証の粉末X線回折のチャートとは,回折角5°ないし30°の部
分においてその体裁が概ね一致しており,被告製剤の有効成分が上記A型結
晶であることは明らかである。
(3)なお,原告は,国立感染症研究所に対し,本件特許発明の技術的範囲に
属するセフジニルのA型結晶を提供し,これがセフジニル標準品とされてい
る(甲8)。厚生労働省が定める日本薬局方では,セフジニルにつき上記セ
フジニル標準品との同一性が確認試験で確認されることが要求されていると
ころ(甲7),薬事法に基づく医薬品の製造承認を得る際には,日本薬局方
に記載されている薬剤については,この規格によらなければならないから
(甲6,弁論の全趣旨),セフジニルを有効成分とする医薬品は,上記セフ
ジニル標準品,すなわちセフジニルのA型結晶と同一性を有しないと,薬事
法に基づく製造承認を受けることができない。被告製剤は,セフジニルを有
効成分とする医薬品として薬事法に基づく製造承認を受けているから(当事
者間に争いがない。),セフジニル標準品すなわちそのA型結晶と同一性を
有する物質を有効成分として含有する。したがって,この点からも,被告製
剤が構成要件②を充足することは明らかである。
(4)そうすると,被告製剤は,構成要件①及び②をいずれも充足し,本件特
許発明の技術的範囲に属する。
2争点(2)(新規性の有無)について
(1)引用実施例14及び引用実施例16中で開示された発明
ア引用実施例14の記載内容
(ア)物質たるセフジニル自体については,本件特許発明の出願日前であ
る昭和59年5月23日に頒布された引用公報(甲3)において開示さ
れているが(物質特許),引用明細書の引用実施例14には次のとおり
の記載がある。
「7−(4−ブロモアセトアセトアミド)−3−ビニル−3−セフェ
ム−4−カルボン酸ベンズヒドリル(10g)の塩化メチレン(70m
l)および酢酸(25ml)混液に,亜硝酸イソアミル(3.5ml)
を−3∼−5℃で滴下する。混合液を−5℃で40分間撹拌し,次いで
アセチルアセトン(4g)を加えて5℃で30分間撹拌する。反応混合
物にチオ尿素(3g)を加え,3時間撹拌後,酢酸エチル(70ml)
およびジイソプロピルエーテル(100ml)を滴下する。生成する沈
澱を濾取,真空乾燥して,7−〔2−(2−アミノチアゾール−4−イ
ル)−2−ヒドロキシイミノアセトアミド〕−3−ビニル−3−セフェ
ム−4−カルボン酸ベンズヒドリルの臭化水素酸塩(シン異性体)(1
1.7g)を得る。この生成物のうち3gを5∼7℃で2,2,2−ト
リフルオロ酢酸(5ml)とアニソール(5ml)との混合物に少量ず
つ加える。5℃で1時間撹拌後,反応混合物をジイソプロピルエーテル
(150ml)に滴下する。生成する沈澱を濾取してテトラヒドロフラ
ン(10ml)と酢酸エチル(10ml)との混合物に溶解する。この
溶液を炭酸水素ナトリウム水溶液で抽出する。水抽出液をpH5に保ち
ながら酢酸エチルで洗浄し,次いで10%塩酸でpH2.2に調整する。
この溶液を0℃で1時間撹拌し,得られる結晶を濾取した後真空乾燥し
て,7−〔2−(2−アミノチアゾール−4−イル)−2−ヒドロキシ
イミノアセトアミド〕−3−ビニル−3−セフェム−4−カルボン酸
(シン異性体)(0.79g)を得る。
IR(ヌジョール)cm−1
:3300,1780,1665,118
0,1130」(17頁65欄5行ないし66欄16行)
(イ)上記のとおり,引用実施例14では,7−(4−ブロモアセトアセ
トアミド)−3−ビニル−3−セフェム−4−カルボン酸ベンズヒドリ
ルを出発原料化合物として,7−〔2−(2−アミノチアゾール−4−
イル)−2−ヒドロキシイミノアセトアミド〕−3−ビニル−3−セフ
ェム−4−カルボン酸(シン異性体)の結晶すなわちセフジニルの結晶
を合成(製造)する方法及び実験結果が開示され,かつ得られたセフジ
ニルの結晶のヌジョール法によるIRスペクトルのピークが波数330
0,1780,1665,1180及び1130cm−1
であることが開
示されている。もっとも,本件明細書では,引用実施例の実験で得られ
たセフジニルは実際には無晶形の化合物である旨が記載されているから
(甲2の2頁左欄40ないし42行),引用実施例14で記載されてい
るものがセフジニルの結晶であるということはできない。
イ引用実施例16の記載内容
(ア)引用実施例16には次のとおりの記載がある。引用実施例16の各
実験工程を図示すると,別紙「実施例16の手順」に記載したとおりと
なる。
「7−〔2−(2−アミノチアゾール−4−イル)−2−ヒドロキシ
イミノアセトアミド〕−3−ビニル−3−セフェム−4−カルボン酸ベ
ンズヒドリル(シン異性体)(5g)のアニソール(20ml)および
酢酸(5ml)混液に,三ふっ化ほう素エーテレート(5ml)を10
℃で滴下する。10℃で20分間撹拌後,反応混合物をテトラヒドロフ
ラン(100ml),酢酸エチル(100ml)および水(100m
l)の混合物中に注ぎ,次いで20%水酸化ナトリウム水溶液でpH6.
0に調整する。水層を分取し,pH6.0に保ちながら酢酸エチルで洗
浄する。この溶液を酸化アルミニウムを用いたクロマトグラフィーに付
す。3%酢酸ナトリウム水溶液で抽出し,目的物を含む画分を集め,1
0%塩酸でpH4.0に調整する。この溶液をさらに,非イオン吸着樹
脂「ダイヤイオンHP−20」(商標,三菱化成社製)を用いたクロマ
トグラフィーに付す。20%アセトン水溶液による溶出画分を集め,減
圧濃縮し,10%塩酸によりpH2.0に調整する。生成する沈澱を濾
取,真空乾燥して,7−〔2−(2−アミノチアゾール−4−イル)−
2−ヒドロキシイミノアセトアミド〕−3−ビニル−3−セフェム−4
−カルボン酸(シン異性体)(1.23g)を得る。
IR(ヌジョール)cm−1
:3300,1780,1665,118
0,1130
NMR(DMSO−d6)δ:3.76(2H,ABq,J=18H
z),5.2−6.0(4H,m),6.73(1H,s),6.8−
7.50(3H,m),9.5(1H,d,J=8Hz),11.4
(1H,ブロードs)」(18頁68欄4行ないし69欄14行)
(イ)上記のとおり,引用実施例16では,7−〔2−(2−アミノチア
ゾール−4−イル)−2−ヒドロキシイミノアセトアミド〕−3−ビニ
ル−3−セフェム−4−カルボン酸ベンズヒドリル(シン異性体)を出
発原料化合物として,7−〔2−(2−アミノチアゾール−4−イル)
−2−ヒドロキシイミノアセトアミド〕−3−ビニル−3−セフェム−
4−カルボン酸(シン異性体)すなわちセフジニルを合成(製造)する
方法及びその実験結果が開示され,かつ得られたセフジニルのヌジョー
ル法によるIRスペクトルのピークが波数3300,1780,166
5,1180及び1130cm−1
であり,NMRの測定データが3.7
6(2H,ABq,J=18Hz)等であることが開示されている。
(2)引用実施例14又は引用実施例16に記載されたセフジニルが,A型結
晶のものか否かについて
アA型結晶の判別方法
寺田勝英ほか編集の「固体医薬品の物性評価」(甲12。平成15年,
株式会社じほう発行)によれば,①赤外分光分析は,分子(有機化合物の
場合には特に官能基)がそれぞれ固有の振動をし,同振動と同一の周波数
の赤外線のみを吸収する特質を有している点を利用して,試料に波長の異
なる赤外線を照射して得られた測定結果(スペクトル)を,既知のスペク
トルと比較することにより,化合物を同定し又は類似化合物と判別するも
のであって,厚生労働省の日本薬局方においても医薬品の確認試験の1つ
として規定されていること,②IRスペクトルによる実験方法のうちヌジ
ョール法は,固体粉末ないし結晶の試料をすりつぶした後,ヌジョール
(流動パラフィン)を加え,練り混ぜてペースト状にし,組み立てセルの
窓板などの間に挟んで赤外線を照射し,透過した赤外線を測定する方法で
あること,③赤外吸収スペクトル(IRスペクトル)はそれぞれの物質に
固有であるので,試料と当該実験で同一性を確認したい物質(標準物質)
とが同一物質である限り,両者のスペクトルのすべての吸収波数及び強度
が一致するが,同一物質であっても,結晶形が複数存在したり(結晶多型
ないし結晶多形),光学活性が異なる型が複数存在する場合には,スペク
トルが異なることがあり,前記日本薬局方では結晶多型の確認のための一
般的方法であるとされていることがそれぞれ認められる。
また,東邦大学薬学部教授C作成の鑑定意見書(甲13)によれば,④
有機化合物分子は種々の重さの異なる原子を含み,強さの異なる多くの結
合を有しているところ,この結合はバネのように伸縮する振動をし,また
多くの原子から成る化合物ではこの伸縮振動以外に結合角が変化する振動
をしているが,これらの振動のエネルギーに相当する赤外線の吸収を観察
する方法がIRスペクトル法であり,上記各振動エネルギーは分子構造に
依存することから,IRスペクトル法は分子の特徴部分構造(官能基)の
確認及び特定に特に有用で,同一の官能基を有する場合でも他の部分の構
造が異なることによって吸収スペクトルに変化が生じること,⑤スペクト
ル全体は分子の構造を反映し当該分子に特徴的(固有)なので,スペクト
ル全体を当該分子の指紋のように用い,物質の同定をすることができるこ
と,⑥同一分子の場合であっても結晶多型の場合には,多型結晶相互間で
分子の形状及び配列等のパッキングや分子間相互作用が異なるので,IR
スペクトルに差異が生じ,結晶多型の区別が可能であるが,これは通常,
ある結晶形に由来するピーク(特性吸収帯)を有するか否か及び他の結晶
形に由来するピークを有しないか否かで判別することが認められる(なお,
上記鑑定意見書では,波数4000ないし1300cm−1
の領域では官能
基に特有の吸収帯が見られるが,1300ないし400cm−1
の領域では,
伸縮振動による吸収と他の振動による吸収が共に現れ,より複雑であるの
で,官能基に特徴的な吸収帯を探す目的にはあまり用いられないとされて
いる。)。
そうすると,複数の結晶形が存在する場合にはヌジョール法によるIR
スペクトルの比較が有用であって,引用実施例14又は16のセフジニル
がA型結晶のものか否かは,IRスペクトルのピークの態様を比較するこ
とで,判別することができるものである。
イ引用実施例14及び16のセフジニルのIRスペクトル
(ア)本件明細書によれば,本件特許発明の技術的範囲に属するセフジニ
ルのA型結晶のヌジョール法によるIRスペクトルのうち赤外線の吸収
率が極大となる(透過率が極小となる)ピークについては,同公報の5
つの実施例で,波数がそれぞれ,①1770ないし1760cm−1
のも
の,②1690ないし1670cm−1
のもの及び③1630ないし16
20cm−1
のものの3つが共通して掲げられており,かつ実施例4のI
Rスペクトルとされる第2図においても,波数1800ないし1600
cm−1
に3つの大きなピークがあることがそれぞれ認められる(甲2)。
しかるに,前記(1)のとおり,引用実施例14及び16で開示されて
いるセフジニルのヌジョール法によるIRスペクトルのピークは,いず
れも波数が3300,1780,1665,1180及び1130のも
のである。そして,上記各引用実施例に係る記載において,①波数17
70ないし1760cm−1
の領域,②1690ないし1670cm−1

領域及び③1630ないし1620cm−1
の領域にピークが見られた旨
の記載部分はなく,また波数1800ないし1600cm−1
の領域に3
つのピークが見られた旨の記載部分もなく,記載されているピークは,
同領域において波数1780及び1665cm−1
の2つのみである。
(イ)なお,原告の技術本部創剤研究所製剤分析研究室室長D作成に係る宣
誓書(甲8)の添付資料②は,原告が国立感染症研究所に提供したセフジ
ニル標準品(A型結晶)のIRスペクトルであるが,波数3301.54
cm−1
で小さなピーク(チャート中の2番),波数2924.52cm−

(同4番)で大きなピークがそれぞれ見られること,波数1800ない
し1600cm−1
の領域においては,波数が1768.40(同6番),
1684.52(同7番)及び1623.77cm−1
(同8番)の3つの
大きなピークが見られることがそれぞれ認められる。また,上記宣誓書に
よれば,1600ないし1300cm−1
の領域においては,波数が152
1.56(チャート中の11番)及び1354.75(同15番)cm−

でそれぞれ大きなピークが見られることが認められる。これらは本件明
細書中のIRスペクトルのピークと概ね符合する(甲2)。
(ウ)そうすると,引用実施例14及び16のセフジニルのIRスペクト
ルのピークは,本件明細書中の実施例におけるIRスペクトルのピーク
の記載と対照しても,セフジニル標準品のIRスペクトルと比較しても,
一致するとはいえない。特徴的な吸収帯が一致しない以上,引用実施例
14又は16で開示されたセフジニルが,本件特許発明に係るセフジニ
ルのA型結晶と同一であるとはいえない。
ウ小括
したがって,引用実施例14又は16で開示されたセフジニルは,A型
結晶であるということはできず,そのことを理由とする新規性欠如の主張
は,理由がない。
(3)引用実施例16に記載された方法により,セフジニルのA型結晶が得ら
れるか否かについて
ア特許出願前に日本国内又は外国において,頒布された刊行物に記載され
た発明又は電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明については,
特許を受けることができないが(特許法29条1項3号),ここで「刊行
物に記載された発明」とは,当該刊行物にその内容そのものが記載されて
いる発明のみならず,出願当時の技術常識を参酌することにより,当該刊
行物に記載されている事項から導き出せる発明も含むものである。したが
って,発明が属する技術分野における通常の知識を有する者(当業者)が
当該刊行物の記載内容及び出願当時の技術常識に基づいて容易にその内容
(技術思想)を実施することができる発明は,特許を受けることができな
い。特許庁の特許・実用新案審査基準(甲10,乙6)も,同様の趣旨を
いうものと解される。
前記(2)のとおり,セフジニルのA型結晶そのものは,引用実施例14
にも同16にも記載されていない。
被告は,引用実施例16を追試することによりセフジニルのA型結晶が
得られた旨主張するところ,当業者がセフジニルの製造方法に係る引用実
施例16の記載内容及び本件特許権の優先権主張日(昭和62年8月19
日)当時の技術常識に基づいて,容易に本件特許発明に係るセフジニルの
A型結晶を得ることができるときは,引用実施例16には同A型結晶の製
造方法が開示されているといえ,引用実施例16に記載された発明には同
A型結晶の発明が記載されているものといい得る。この場合には,本件特
許発明は,その優先権主張日前に頒布された刊行物である引用公報中の引
用実施例16に記載された発明と同一であるから,新規性を欠き,これに
対して特許を受けることができないことになる。
そこで,上記優先権主張日当時の技術常識を参酌して,当業者が引用実
施例16の記載内容から容易にセフジニルのA型結晶を得ることができる
か否かについて判断することとする。
イ被告は,引用実施例16を追試することによりセフジニルのA型結晶が
得られた旨主張し,以下の追試を提出する。
(ア)被告追試の実験工程
被告追試の実験工程は,別紙「実施例16の手順」中の手順の番号に
従うと,次のとおりである(以下,上記別紙の手順に対応する,追試に
おける実験工程を,手順の番号に従って,「工程1」などという。)。
a岐阜薬科大学薬化学講座教授Eらによる追試(乙1。以下「被告追
試a」という。)
(a)工程1
7−〔2−(2−アミノチアゾール−4−イル)−2−ヒドロキ
シイミノアセトアミド〕−3−ビニル−3−セフェム−4−カルボ
ン酸ベンズヒドリル(シン異性体。以下「CFD−DPM」とい
う。)5gのアニソール20ml及び酢酸5mlの混合液に,三ふ
っ化ほう素エーテレート5mlを10℃で滴下した。
(b)工程2
混合物を10℃で20分間撹拌した。
(c)工程3
反応混合物をテトラヒドロフラン100ml,酢酸エチル100
ml及び水100mlの混合物中に注いだ。
(d)工程4
次いで溶液を20%水酸化ナトリウム水溶液25mlでpH6.
0に調整した。
(e)工程5
溶液から水層を分取した。
(f)工程6
溶液をpH6.0に保ちながら酢酸エチル100mlで洗浄した。
(g)工程7
溶液を酸化アルミニウム(Aluminiumoxide)を用いたクロマト
グラフィーに付した。このクロマトグラフィーに用いた酸化アルミ
ニウムの質量は170gであり,カラムの直径は40mm,長さは
600mmであった。3%酢酸ナトリウム水溶液(酢酸ナトリウム
(sodiumacetate)30gを水970mlに溶解した。)で抽出し,
目的物を含む画分(溶出画分)である番号2ないし7の6本のフラ
クション(合計350ml)を集めた。
(h)工程8
溶液を10%塩酸38mlでpH4.0に調整した。
(i)工程9
溶液をさらに,HP−20を用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いたHP−20の質量は150g,カ
ラムの直径は50mm,長さは600mmであった。20%アセト
ン水溶液1000ml(アセトン(acetone)200mlを水80
0mlに溶解した。)で溶出し,目的物を含む溶出画分である番号
6ないし15の10本のフラクション(合計600ml)を集めた。
(j)工程10
40℃の水浴下で,600mlの溶液を26mlまで減圧濃縮し
た。減圧濃縮の途中で,既に沈殿が析出していた。
(k)工程11
10%塩酸2滴でpH2.0に調整した。
(l)工程12
生成した沈殿を濾取した。
(m)工程13
得られた沈殿を真空乾燥し,セフジニルである7−〔2−(2−
アミノチアゾール−4−イル)−2−ヒドロキシイミノアセトアミ
ド〕−3−ビニル−3−セフェム−4−カルボン酸(シン異性体)
1.38gを得た。
b韓国ヘンミ・ファイン・ケミカル社(HanmiFineChemicalCo.,L
td.)中央研究所による追試(乙2の1及び2。以下「被告追試b」
という。)
(a)工程1
アニソール20ml及び酢酸5mlの混合液に,ヘンミ・ファイ
ン・ケミカル社製のCFD−DPM5gを加え,マグネティックス
ターラーで撹拌した。混合物が入った容器を氷水中に入れ,撹拌し
ながら23分間かけて混合物を23℃から10℃まで冷却した。混
合物を撹拌し続けながら,6分間かけて三ふっ化ほう素エーテレー
ト5mlを滴下したが,この滴下終了時の反応混合物の温度は10
℃であった。
(b)工程2
反応混合物を,10℃ないし12℃に維持しながら,マグネティ
ックスターラーで撹拌し続けた。32分後に撹拌を終了したが,終
了時の反応混合物の温度は10℃であった。
(c)工程3
反応混合物をテトラヒドロフラン100ml,酢酸エチル100
ml及び水100mlの混合物中に注いだ。
(d)工程4
次いで溶液に20%水酸化ナトリウム水溶液25.3mlでpH
6.0に調整した。
(e)工程5
溶液を分液漏斗を用いて水層(下層)を分取した。
(f)工程6
溶液に10%塩酸(合計5滴)を適宜加えて,溶液のpHを6.
00ないし6.04に保ちながら,酢酸エチル100mlを徐々に
加えた。さらに反応混合物を分液漏斗を用いて混合,静置し,水層
(下層)を分取した。
(g)工程7
溶液を酸化アルミニウムを用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いた酸化アルミニウムの質量は170
g,カラムの内径は40mm,高さは500mmであり,酸化アル
ミニウムは3%酢酸ナトリウム水溶液(酢酸ナトリウム60gを水
2lに溶解した。)を用いてカラムに充填した。3%酢酸ナトリウ
ム水溶液で抽出し,10本のフラクション(合計600ml)を集
めたが,薄層クロマトグラフ法(TLC法)等で目的物の溶解の有
無を検査したところ,番号3ないし7の5本のフラクションに目的
物が溶解していることが確認された。目的物を含む画分である5本
のフラクションの合計量は236mlであった。
(h)工程8
溶液を10%塩酸21.2mlでpHを7.14から4.00に
調整した。
(i)工程9
溶液をさらに,HP−20を用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いたHP−20の質量は150g,カ
ラムの内径は40mm,長さは500mmであった。20%アセト
ン水溶液(アセトン400mlを水に溶解し,合計2Lとした。)
で溶出し,60mlのフラクション19本を集めた。TLC法等に
より目的物の有無を確認し,目的物を含む溶出画分である番号6な
いし17の12本のフラクション(合計618ml)を集めた。
(j)工程10
38ないし42℃を維持した水浴下で,溶液618mlを丸型フ
ラスコに入れて減圧濃縮したところ,1時間16分後にパウダーの
生成が見られた。3時間20分後,溶液を小型の丸型フラスコに移
し替えて,さらに20ml程度になるまで減圧濃縮を継続した。減
圧濃縮に要した時間は合計4時間12分であった。
(k)工程11
溶液を10%塩酸0.2mlでそのpHを2.97から2.00
に調整した。
(l)工程12
生成した沈殿を濾取した。
(m)工程13
得られた沈殿を真空乾燥し,セフジニル1.3953gを得た。
c被告の依頼に基づく岐阜薬科大学薬化学講座教授Fらによる実験項
目①の追試(乙23の1ないし3,24。以下「被告追試c」とい
う。)
(a)工程1
ヘンミ・ファイン・ケミカル社が特許公報(甲2)の実施例15
の記載に基づいて製造したCFD−DPM5.00g(純度89.
7%)のアニソール20ml及び酢酸5mlの混合液に,三ふっ化
ほう素エーテレート5mlを10℃で滴下した。
(b)工程2
混合物を9ないし11℃で20分間撹拌した。なお,HPLC法
で反応終点の確認を行った。
(c)工程3
反応混合物をテトラヒドロフラン100ml,酢酸エチル100
ml及び水100mlの混合物中に注いだ。
(d)工程4
次いで溶液を20%水酸化ナトリウム水溶液24.5mlでpH
を1.03から6.08に調整した。
(e)工程5
溶液から水層を分取した。
(f)工程6
溶液をpH6.08に保ちながら酢酸エチル100mlで洗浄し
たが,得られた水層部分は121mlであった。
(g)工程7
溶液を酸化アルミニウムを用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いた酸化アルミニウムの質量は169.
99gであり,カラムの内径は31mm,充填物の高さは250m
mであった。3%酢酸ナトリウム水溶液で抽出し,40mlのフラ
クション16本を集め,さらにTLC法で目的物の有無を確認して,
最終的に目的物を含む画分である番号6ないし11の6本のフラク
ション(合計233ml)を得た。
(h)工程8
溶液を10%塩酸29.9mlでpHを6.68から4.00に
調整したが,調整後の溶液の量は261mlであった。
(i)工程9
溶液をさらに,HP−20を用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いたHP−20の質量は150.04
g,カラムの内径は31mm,充填物の高さは310mmであった。
20%アセトン水溶液で溶出し,40mlのフラクション29本を
集め,さらにTLC法で目的物の有無を確認し,最終的に目的物を
含む溶出画分である番号12ないし25の14本のフラクション
(合計572ml)を得た。なお,このフラクションのpHは3.
34であった。
(j)工程10
40℃の水浴下で,2時間8分かけて572mlの溶液を102
mlまで減圧濃縮した。
(k)工程11
10%塩酸1.4mlでpHを3.23から2.01に調整した。
(l)工程12
7分間撹拌し,生成した沈殿を濾取した。
(m)工程13
ここで得られた沈殿とさらに14時間20分かけて撹拌した後に
析出した沈殿とを真空乾燥し,前者の沈殿からは87mgのセフジ
ニル(一次析出物)を,後者の沈殿からは845mgのセフジニル
(二次析出物)を得た(合計932mg)。
d被告の依頼に基づく前記Fらによる実験項目②の追試(乙23の1
ないし3,24。以下「被告追試d」という。)
(a)工程1
ヘンミ・ファイン・ケミカル社が特許公報(甲2)の実施例15
の記載に基づいて製造したCFD−DPM5.00g(純度89.
7%)のアニソール20ml及び酢酸5mlの混合液に,三ふっ化
ほう素エーテレート5mlを10℃で滴下した。
(b)工程2
混合物を10ないし12℃で20分間撹拌した。なお,TLC法
で反応終点の確認を行った。
(c)工程3
反応混合物をテトラヒドロフラン100ml,酢酸エチル100
ml及び水100mlの混合物中に注いだ。
(d)工程4
次いで溶液を20%水酸化ナトリウム水溶液28.7mlでpH
を5.99に調整した。
(e)工程5
溶液から水層を分取した。
(f)工程6
溶液をpH5.99に保ちながら酢酸エチル100mlで洗浄し
たが,得られた水層部分は128mlであった。
(g)工程7
溶液を酸化アルミニウムを用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いた酸化アルミニウムの質量は170
gであり,カラムの内径は31mm,充填物の高さは250mmで
あった。3%酢酸ナトリウム水溶液で抽出し,40mlのフラクシ
ョン15本を集め,さらにTLC法で目的物の有無を確認して,最
終的に目的物を含む画分である番号7ないし13の7本のフラクシ
ョン(合計282ml)を得た。
(h)工程8
溶液を10%塩酸30.9mlでpHを6.54から4.00に
調整したが,調整後の溶液の量は308mlであった。
(i)工程9
溶液をさらに,HP−20を用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いたHP−20の質量は150g,カ
ラムの内径は31mm,充填物の高さは310mmであった。20
%アセトン水溶液で溶出し,40mlのフラクション30本を集め,
さらにTLC法で目的物の有無を確認し,最終的に目的物を含む溶
出画分である番号14ないし28の15本のフラクション(合計5
89ml)を得た。なお,このフラクションのpHは3.39であ
った。
(j)工程10
40℃の水浴下で,2時間35分かけて589mlの溶液を60
mlまで減圧濃縮した。
(k)工程11
10%塩酸0.5mlでpHを3.74から2.00に調整した。
(l)工程12
10分間撹拌し,生成した沈殿を濾取した。
(m)工程13
得られた沈殿を真空乾燥し,セフジニル1.208gを得た。
e被告の依頼に基づく前記Fらによる追試(乙23の1ないし3,2
5。以下「被告追試e」という。)
(a)工程1
ヘンミ・ファイン・ケミカル社が特許公報(甲2)の実施例15
の記載に基づいて製造したCFD−DPM4.99g(純度89.
7%)のアニソール20ml及び酢酸5mlの混合液に,三ふっ化
ほう素エーテレート5mlを10℃で滴下した。
(b)工程2
混合物を9ないし11℃で20分間撹拌した。なお,TLC法で
反応終点の確認を行った。
(c)工程3
反応混合物をテトラヒドロフラン100ml,酢酸エチル100
ml及び水100mlの混合物中に注いだ。
(d)工程4
次いで溶液を20%水酸化ナトリウム水溶液25.5mlでpH
を1.15から6.01に調整した。
(e)工程5
溶液から水層を分取した。
(f)工程6
溶液をpH6.15に保ちながら酢酸エチル100mlで洗浄し
たが,得られた水層部分は125mlであった。
(g)工程7
溶液を酸化アルミニウムを用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いた酸化アルミニウムの質量は28.
19g(30ml)であり,カラムの内径は19.5mm,充填物
の高さは120mmであった。3%酢酸ナトリウム水溶液で抽出し,
20mlのフラクション13本を集め,さらにTLC法で目的物の
有無を確認して,最終的に目的物を含む画分である番号2ないし1
2の11本のフラクション(合計208ml)を得た。
(h)工程8
溶液を10%塩酸27.25mlでpHを6.50から4.00
に調整したが,調整後の溶液の量は235mlであった。
(i)工程9
溶液をさらに,HP−20を用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いたHP−20の質量は40.2g
(70ml),カラムの内径は23mm,充填物の高さは185m
mであった。20%アセトン水溶液で溶出し,20mlのフラクシ
ョン34本を集め,さらにTLC法で目的物の有無を確認し,最終
的に目的物を含む溶出画分である番号7ないし21の15本のフラ
クション(合計300ml)を得た。なお,このフラクションのp
Hは4.23であった。
(j)工程10
40℃の水浴下で,1時間40分かけて300mlの溶液を10
0mlまで減圧濃縮した。
(k)工程11
10%塩酸7.9mlでpHを4.23から1.99に調整した。
(l)工程12
4分間撹拌し,生成した沈殿を濾取した。
(m)工程13
ここで得られた沈殿とさらに15時間20分かけて撹拌した後に
析出した沈殿とを真空乾燥し,前者の沈殿からは0.70gのセフ
ジニル(一次析出物)を,後者の沈殿からは0.12gのセフジニ
ル(二次析出物)を得た(合計0.82g)。
(イ)被告追試の結果
被告追試a,b及びdで得られたセフジニルがA型結晶のものである
こと,被告追試cで得られたセフジニルのうち一次析出物がA型結晶の
ものを含んでおり,二次析出物がA型結晶のものであること,被告追試
eで得られたセフジニルのうち一次析出物が無晶形のもので,二次析出
物がA型結晶のものであることは,当事者間に争いがない。
ウ被告追試の問題点
(ア)厚生労働省の第14改正日本薬局方(甲7)によれば,セフジニル
のA型結晶は,水にほとんど溶けず(廣川書店発行「第14改正日本薬
局方解説書」(平成13年,甲30)によれば,日本薬局方にいう「ほ
とんど溶けない」とは,溶質1g又は1mlを溶かすのに,溶媒100
00ml(10l)以上が必要であることを意味する。),pH7.0
の0.1mol/lリン酸塩緩衝液に溶けることが認められ,かつ弁論
の全趣旨によれば,セフジニルの無晶形も上記と同様の性質を有するこ
と及びセフジニルはアセトンに溶けることがそれぞれ認められる。
そして,徳島大学大学院教授Gの鑑定意見書(甲23)及び弁論の全
趣旨によれば,カラムクロマトグラフィーの溶出画分にアセトンが含ま
れていると,目的化合物がアセトンに溶解して後の実験工程で沈殿が析
出しにくくなるので,βラクタム系化合物のようなアミノ基とカルボキ
シル基を有する化合物を析出させる場合においては,いったん減圧濃縮
してアセトンを除去し,次いで塩酸を滴下して,上記の2つの官能基を
有する両性の電解質の電荷の和が零になる目的化合物の等電点付近まで
当該水溶液のpHを調整し,目的化合物の沈殿の析出を最大にすること
は,上記のような目的化合物を単離する際に当業者において通常行われ
る操作であることが認められる。
なお,東京工業大学名誉教授Hの鑑定意見書(甲15)によれば,通
常多くの研究者であれば,減圧濃縮中に沈殿が析出し始めた場合には,
減圧濃縮を中断し,そのまま静置して沈殿の析出を優先し,沈殿を濾取
して得られた析出物の同定を試みることが認められるが,引用実施例に
は減圧濃縮の中断等に係る記載はなく,実験操作を完了してpH調整に
入ることを前提とする記載があるのみである。
また,上記Hの鑑定意見書(甲22)によれば,セフジニルのような
酸性基(カルボキシル基)と塩基性基(アミノ基)の双方の官能基を有
する化合物を単離する場合には,当該化合物がその等電点の付近で最も
低い溶解度となる性質を利用して,当該化合物が溶解した水溶液のpH
調整を行い,上記等電点付近で沈殿させる操作は,当業者が通常採用す
る実験操作であり,この実験操作を行う場合には,副生成物,反応残さ
や有機物ないし無機物の不純物を抱き込むことが少ないことが認められ
る。
そして,以上の事項は,本件特許権の優先権主張日当時の技術常識で
あったことが認められる(弁論の全趣旨)。
(イ)引用実施例16は,補正前の特開昭59−89689号公報(甲
3)の特許請求の範囲請求項20項中段,補正後の同公報(甲31)の
特許請求の範囲請求項4に対応するもので,これらの請求項中の化合物
Iaのカルボキシ保護基Rを加水分解による脱離反応に付してセフジ2a
ニル(請求項中の化合物Ib)を得る実験操作に係るものである。よっ
て,引用明細書の発明の詳細な説明に記載されている製法2のうち加水
分解による方法がこれに対応する。
この製法2のうち加水分解による方法に関しては,次のとおりの記載
があるのみで,引用実施例16の手順6における酢酸エチルによる洗浄
の具体的方法,手順9におけるカラムの充填量,手順10における温浴
の温度及び減圧濃縮の程度,手順11におけるpH調整の開始時期等に
ついては明記されておらず,これらの記載及び引用実施例16の記載の
ほかに,上記各事項の理解について参酌すべき記載部分は存しない(甲
3,31)。
a「製法2
化合物[Ib]またはその塩は,化合物[Ia]またはその塩をカ
ルボキシ保護基の脱離反応に付すことにより製造できる。
化合物(Ia)および(Ib)の塩としては,化合物(I)におい
て例示した塩がそのまま挙げられる。
この反応におけるカルボキシ保護基の脱離方法としては,加水分解,
還元等のような慣用の方法が挙げられる。」(甲3の8頁30欄9行
ないし17行,甲31の8頁右上欄7行ないし15行)
b「(1)加水分解
加水分解は酸の存在下に行うのが好ましい。
そのような酸としては,例えば塩酸,臭化水素酸,硫酸等の無機酸,
ぎ酸,酢酸,トリフルオロ酢酸(中略)等の有機酸,酸性イオン交換
樹脂等が挙げられる。これらの酸のうち,トリフルオロ酢酸(中略)
のような有機酸を使用する場合,例えばアニソール等の陽イオン捕捉
剤の存在下に反応を行うことが望ましい。
さらに上記酸の代わりに,三ふっ化ほう素,三ふっ化ほう素エーテ
レート(中略)等のようなルイス酸も使用することができ,さらにル
イス酸を使用する場合にもアニソールのような陽イオン捕捉剤の存在
下で反応を行うことができる。」(甲3の8頁30欄18行ないし9
頁31欄15行,甲31の8頁右上欄16行ないし左下欄13行)
c「加水分解は通常,水,メタノール,エタノール(中略)等のこの
反応に悪影響を及ぼさない慣用の溶媒またはそれらの混合物中で行わ
れ,さらに前記酸が液体である場合も溶媒として使用することができ
る。
この加水分解の反応温度は特に限定されないが,通常冷却下ないし
加温下で行われる。」(甲3の9頁31欄16行ないし32欄4行,
甲31の8頁左下欄14行ないし右下欄3行)
(ウ)引用実施例16では,HP−20を使用したカラムクロマトグラフ
ィーに付す実験工程(手順9)の後に,「減圧濃縮し,」(手順10),
「10%塩酸によりpH2.0に調整する。」(手順11),「生成す
る沈澱を濾取,」(手順12)と順に記載されている。そして,上記の
とおり,手順11と手順12との間には句点があって,手順11までの
実験工程と手順12以下の実験工程とが異なる段階にあることが示され
ている。
(エ)前記(ア)のとおり,セフジニルは水にほとんど溶けない一方,アセ
トンに溶け,かつアミノ基とカルボキシル基の双方を官能基として有す
る両性電解質の化合物であって,かかる両性電解質の化合物では等電点
付近のpHで最も溶解度が低くなる(最も多く沈殿が析出する)ことは
本件特許権の優先権主張日当時の技術常識である。
また,前記(ウ)のとおり,手順11と同12との間が句点で区切られ,
手順11までの実験工程と手順12以下の実験工程が異なる段階にある
ことからすれば,手順11の1つ手前の実験工程である手順10におい
ても手順12の一内容である沈殿の析出が生じることが予定されている
と解することにはやや無理がある。
上記のような当時の技術常識を参酌して,当業者において引用実施例
16の上記体裁による記載を素直に読めば,手順10においては,減圧
濃縮して沸点を下げることにより,水に溶解しているアセトンを除去し,
アセトンに溶解するセフジニルの量を小さくして後の実験工程で析出し
やすくし,手順11においては,塩酸滴下によるpH調整でセフジニル
の等電点付近のpH2.0にして,セフジニルの溶解度を最小に,析出
するセフジニルの量を最大にし,手順12においては,手順11の実験
工程で得られたセフジニルの沈殿を濾取するものと理解するであろうこ
とが推認できる。
そうすると,手順10の途中で目的化合物の沈殿が析出し始めるよう
な実験工程は,引用実施例16の追試を忠実に行ったものとは評価し難
い。
(オ)aこの点,被告は,特段の制約なく一般的に記載されている工程及
び手段は,出願当時(本件では優先権主張日当時)の技術常識にかん
がみて自明な工程及び手段を選択すれば足りるところ,引用実施例1
6では減圧濃縮の程度やpH調整の開始時期等につき特定されていな
いから,追試者が最適と考える一般的な実験条件を選択,採用できる
旨を主張する(前記第3の2〔被告の主張〕(2)ア)。
確かに,被告の主張するとおり,引用実施例16においては,手順
10の減圧濃縮の程度や,手順10から同11のpH調整に移る時期
について明示されていないものの,前記(エ)のとおり,少なくとも手
順10の実験工程の途中で目的化合物の沈殿が析出し始めるような実
験方法は手順10の追試として逸脱しており,追試者が選択できる減
圧濃縮の程度も,減圧濃縮の途中で目的化合物の沈殿が析出しない限
度のものに限られるというべきであって,この限度を超えて,追試者
が最適と考える一般的な実験条件を任意に選択できるとまではいえな
いから,被告の上記主張は採用できない。
bまた,被告は,減圧濃縮もpH調整も,ともに目的物を析出させる
一般的な実験操作であって,これらが前後に並列して記載されている
場合には,双方の実験操作の組合せによって目的化合物を効果的かつ
高収率で得ようとしているものと理解でき,他方pH調整で溶質を析
出させるためには溶質の濃度がある程度高いことが必要であるから,
アセトンのみを除去するとか,目的化合物を析出させてはならないと
いう限定がない限り,減圧濃縮においてできる限りアセトンを水を除
去するべく,相当程度濃縮すべきである旨を主張する(前記第3の2
〔被告の主張〕(2)ア(イ))。
確かに,引用実施例16においても,引用公報中の他の部分におい
ても,手順10の減圧濃縮の実験工程がアセトンのみを除去する目的
で行うものである旨や,減圧濃縮の途中で目的化合物を析出させては
ならない旨が明示的に記載されてはいない。しかしながら,前記
(エ)のとおり,引用実施例16の文章の体裁等からは,減圧濃縮の目
的がアセトンの除去にあることは明らかであって,かつ減圧濃縮の途
中で目的化合物が析出し始めることは本来予定されていないというべ
きであるから,被告の上記主張は採用できない。また,目的化合物の
収率ないし析出の効率の向上の点も,引用実施例16で規定されてい
る実験工程を忠実に再現した後にその良し悪しを論ずべき事柄であっ
て,かかる収率等を向上させるために規定されている実験工程の枠を
超えるのは本末転倒であるし,またそもそも引用実施例16で規定さ
れている実験工程がもともと低収率ないし非効率(不経済)なもので
あるとすれば,同実験工程を忠実に踏襲する限り,いかに工夫しても
高収率ないし高効率を望めないのは当然である。
cさらに,被告は,手順12にいう「生成する沈殿」は減圧濃縮及び
pH調整の両実験工程で生成する沈殿を含むものであり,当業者であ
れば,引用実施例16の記載から,減圧濃縮によるpHの変動では等
電点付近までは達しないので,さらに塩酸を加えてpHと等電点付近
まで調整し,析出するセフジニルの収量を最大化しようとするものと
理解する等と主張する(前記第3の2〔被告の主張〕(2)ア(ウ))。
しかし,このように解するときは手順11のpH調整の意義は極め
て限定的になって相当でない一方,上記のとおり,当業者において引
用実施例16の記載を素直に読むときは,このように解することはで
きないから,被告の上記主張は採用できない。なお,減圧濃縮の実験
工程のみで可能な限り目的化合物たるセフジニルを析出させるのが望
ましいのであれば,引用実施例16にその旨の記載がされているのが
当然であるが,引用実施例16にかかる記載は存しない。
(カ)前記イ(ア)a(j)及び同b(j)のとおり,被告追試a及びbでは,
引用実施例16の手順10に相当する工程10の減圧濃縮の途中で沈殿
が析出し,かつ被告追試bでは容器を途中で移し替えて実験工程を続行
している。よって,上記追試は引用実施例16の実験工程を忠実に再現
したものとは評価し難い。
また,被告追試dでは工程10の減圧濃縮で60mlまで濃縮してい
るが(前記イ(ア)d(j)),濃縮後の液体に白濁が見られることが明ら
かであり(乙24の14頁のメスシリンダーの写真(上から4番目の写
真)),既に沈殿が析出し始めていることが推認される。そうすると,
上記追試は,引用実施例16の実験工程を忠実に再現したものとは評価
し難い。
前記イ(ア)c及び(イ)のとおり,被告追試cでは工程10の減圧濃縮
で100ml程度まで濃縮しており,二次析出物としてセフジニルのA
型結晶が生成しているが,前記イ(ア)c(m)のとおり,手順13に相当
する実験工程で14時間20分も撹拌した後に生成したものである。し
かし,引用実施例16の手順13には溶液の撹拌についての記載はなく
(これに対し,引用実施例14においては,pH調整後に溶液を1時間
撹拌する旨の記載がある。),少なくとも,このように長時間の撹拌は
手順13に新たな実験工程を加えるもので,手順13を忠実に再現した
ものとは評価し難いから,被告追試cのうち二次析出物を得る実験工程
は引用実施例16の実験工程を忠実に再現したものとは評価し難い。ま
た,被告追試cの工程13においては,上記の溶液撹拌前に得られた一
次析出物の収量は0.087gであって,引用実施例16に記載されて
いるセフジニルの収量1.23gの約7%にすぎない。そうすると,上
記追試は,引用実施例16の実験工程を忠実に再現したものとは評価で
きず,結局,上記追試によってセフジニルのA型結晶が得られたとはい
えない。
前記イ(イ)のとおり,被告追試eにおいても二次析出物としてセフジ
ニルのA型結晶が生成しているが,上記と同様に,15時間20分の長
時間の撹拌を経た後に生成したものであるから(前記イ(ア)e(m)),
上記追試のうち二次析出物を得る実験工程は引用実施例16の実験工程
を忠実に再現したものとは評価し難い。よって,上記追試は,引用実施
例16の実験工程を忠実に再現したものとは評価できず,結局,上記追
試によってはセフジニルのA型結晶が得られたとはいえない。
以上のとおり,被告側が行ったすべての引用実施例16の追試によっ
ても,セフジニルのA型結晶が得られたことを認めるに足りない。
エ原告側の追試について
(ア)原告追試の実験工程
原告は,以下のとおりの追試を次のような手順で行った。
a原告の技術本部合成技術研究所生産技術研究室のIによる追試(甲
20。以下「原告追試a」という。)
(a)工程1
原告製剤の製造原料として用いられているCFD−DPM5gの
アニソール20ml及び酢酸5mlの混合液に,三ふっ化ほう素エ
ーテレート5mlを8.9℃で滴下した。
(b)工程2
混合物を8.9℃で20分間撹拌した。なお,HPLC法で反応
終点の確認を行った。
(c)工程3
反応混合物をテトラヒドロフラン100ml,酢酸エチル100
ml及び水100mlの混合物中に注いだ。
(d)工程4
次いで溶液を20%水酸化ナトリウム水溶液24mlでpH6.
0に調整した。
(e)工程5
溶液から水層を分取した。
(f)工程6
溶液をpH6.0に保ちながら酢酸エチル100mlで洗浄した
が,得られた水層部分は172mlであった。
(g)工程7
溶液を酸化アルミニウムを用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いた酸化アルミニウムの量は30ml
であった。3%酢酸ナトリウム水溶液で抽出し,最終的に目的物を
含む画分合計208mlのフラクションを集めた。
(h)工程8
溶液を10%塩酸25mlでpH4.0に調整した。
(i)工程9
溶液をさらに,HP−20を用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いたHP−20の量は70mlであっ
た。20%アセトン水溶液で溶出し,最終的に目的物を含む溶出画
分である合計290mlのフラクションを得た。なお,このフラク
ションのpHは4.09であった。
(j)工程10
40ないし43℃の水浴下で,18分かけて290mlの溶液を
202mlまで減圧濃縮した。
(k)工程11
氷冷下で10%塩酸7.7mlを3分間かけて滴下し,溶液のp
Hを3.94から2.0に調整した。
(l)工程12
生成した沈殿を濾取した。
(m)工程13
沈殿を水で洗浄した後,真空乾燥して,セフジニル0.93gを
得た。
b原告の技術本部合成技術研究所生産技術研究室のIによる追試(甲
25。以下「原告追試b」という。)
(a)工程1
原告製剤の製造原料として用いられているCFD−DPM5gの
アニソール20ml及び酢酸5mlの混合液に,三ふっ化ほう素エ
ーテレート5mlを7.6℃で滴下した。
(b)工程2
混合物を9℃で20分間撹拌した。なお,HPLC法で反応終点
の確認を行った。
(c)工程3
反応混合物をテトラヒドロフラン100ml,酢酸エチル100
ml及び水100mlの混合物中に注いだ。
(d)工程4
次いで溶液を20%水酸化ナトリウム水溶液22.2mlでpH
6.0に調整した。
(e)工程5
溶液から水層を分取した。
(f)工程6
溶液をpH6.0に保ちながら酢酸エチル100mlで洗浄した
が,得られた水層部分は158mlであった。
(g)工程7
溶液を酸化アルミニウムを用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いた酸化アルミニウムの量は30ml
であった。3%酢酸ナトリウム水溶液で抽出し,最終的に目的物を
含む画分合計208mlのフラクションを集めた。
(h)工程8
溶液を10%塩酸24mlでpH4.0に調整した。
(i)工程9
溶液をさらに,HP−20を用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いたHP−20の量は70mlであっ
た。20%アセトン水溶液で溶出し,最終的に目的物を含む溶出画
分である合計290mlのフラクションを得た。なお,このフラク
ションのpHは4.10であった。
(j)工程10
40ないし45℃の水浴下で,1時間10分かけて290mlの
溶液を98mlまで減圧濃縮した。
(k)工程11
室温下で2分間かけて10%塩酸7.3mlを滴下し,溶液のp
Hを4.08から2.0に調整した。
(l)工程12
生成した沈殿を濾取した。
(m)工程13
沈殿を水で洗浄した後,真空乾燥して,セフジニル1.22gを
得た。
c前記生産技術研究室のJによる追試(甲26。以下「原告追試c」
という。)
(a)工程1
原告製剤の製造原料として用いられているCFD−DPM5gの
アニソール20ml及び酢酸5mlの混合液に,三ふっ化ほう素エ
ーテレート5mlを7.3℃で滴下した。
(b)工程2
混合物を7.3℃で20分間撹拌した。なお,HPLC法で反応
終点の確認を行った。
(c)工程3
反応混合物をテトラヒドロフラン100ml,酢酸エチル100
ml及び水100mlの混合物中に注いだ。
(d)工程4
次いで溶液を20%水酸化ナトリウム水溶液21mlでpH6.
0に調整した。
(e)工程5
溶液から水層を分取した。
(f)工程6
溶液をpH6.0に保ちながら酢酸エチル100mlで洗浄した
が,得られた水層部分は142mlであった。
(g)工程7
溶液を酸化アルミニウムを用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いた酸化アルミニウムの質量は170
gであった。3%酢酸ナトリウム水溶液で抽出し,最終的に目的物
を含む画分合計400mlのフラクションを集めた。
(h)工程8
溶液を10%塩酸16.6mlでpH4.0に調整した。
(i)工程9
溶液をさらに,HP−20を用いたクロマトグラフィーに付した。
このクロマトグラフィーに用いたHP−20の質量は150gであ
った。20%アセトン水溶液で溶出し,最終的に目的物を含む溶出
画分である合計550mlのフラクションを得た。なお,このフラ
クションのpHは3.27であった。
(j)工程10
36ないし40℃の水浴下で,50分かけて550mlの溶液を
96mlまで減圧濃縮した。減圧濃縮開始から25分経過して,液
量が300ml程度になったところで白濁を生じた。
(k)工程11
室温下で1分間かけて10%塩酸0.6mlを滴下し,溶液のp
Hを3.47から2.0に調整した。
(l)工程12
生成した沈殿を濾取した。
(m)工程13
沈殿を水で洗浄した後,真空乾燥して,セフジニル1.34gを
得た。
(イ)原告追試の結果
a原告追試aで得られたセフジニルにつき粉末X線回折を行って得ら
れた回折パターン(回折角0ないし40°)は,明確なピークが見ら
れない全体的になだらかなもので,セフジニル標準品の回折パターン
とも,本件明細書第1図の回折パターン(同明細書の実施例4で得ら
れたものの回折パターン)とも異なり,また構成要件②で規定されて
いる各回折角の付近にピークがないことは明らかである(甲20)。
そうすると,原告追試aで得られたセフジニルがA型結晶のものと
異なることは明らかである。なお,このセフジニルは,上記粉末X線
回折の結果から,無晶形であるということができる。
bまた,原告追試bで得られたセフジニルにつき粉末X線回折を行っ
て得られた回折パターンは,原告追試aで得られたセフジニルの回折
パターンと同様であることが認められる。
そうすると,上記と同様に,原告追試bで得られたセフジニルは,
A型結晶のものとは異なる。
c原告追試cで得られたセフジニルにつき粉末X線回折を行って得ら
れた回折パターンは,原告追試aの追試で得られたセフジニルの回折
パターンと同様であることが認められる。
そうすると,上記と同様に,原告追試cで得られたセフジニルは,
A型結晶のものとは異なる。
(ウ)被告の主張について
a前記エ(ア)の方法による原告側の追試に関し,被告は,減圧濃縮の
程度が溶媒のほんの一部を除去したのみで不十分である旨主張する
(前記第3の2〔被告の主張〕(2)イ(ア))。
原告追試aにおいては,工程10の減圧濃縮の実験工程で290m
lの溶液を202mlまで濃縮したにすぎず(体積にして濃縮前の溶
媒の約30%の溶媒を除去した。前記エ(ア)a(j)),その後に得ら
れたセフジニルの収量が0.93g(前記エ(ア)a(m))と引用実施
例16の手順13で記載されたセフジニルの収量1.23gの約76
%にすぎないことにもかんがみると,引用実施例16の手順10の忠
実な再現としては不十分であるとの疑念を払拭できない。
しかし,原告追試bにおいては,工程10の減圧濃縮の実験工程で
290mlの溶液を98mlまで濃縮しており(体積にして濃縮前の
溶媒の約66%の溶媒を除去した。前記エ(ア)b(j)),その後に得
られたセフジニルの収量が1.22g(前記エ(ア)b(m))と引用実
施例16の手順13で記載されたセフジニルの収量とほぼ等しい(約
99%)ことにもかんがみると,上記追試を引用実施例16の手順1
0のほぼ忠実な再現と評価して差し支えないものである。
なお,原告追試cにおいては,工程10の減圧濃縮の実験工程を行
い,25分間静置したところで沈殿が析出しており,手順10ひいて
は引用実施例16の実験工程を忠実に再現したとは評価できない。
bまた,被告は,原告追試aでは,特に低温にする必要はないのに,
工程11のpH調整の実験工程で氷冷しており,引用実施例16の実
験工程の忠実な再現ではない旨主張する(前記第3の2〔被告の主
張〕(2)イ(イ))。
この点,前記ウ(イ)のとおり,引用公報中の引用実施例16に係る
発明の詳細な説明部分においても,加水分解の反応温度は特に限定さ
れず,通常冷却下ないし加温下で行われる旨が記載されているにすぎ
ず,本件特許権の優先権主張日当時においてセフジニルが不安定で分
解しやすいことを前提にして実験操作を行わなければならないもので
あると理解されていたとはいえないから,pH調整の際に氷冷するこ
とが上記優先権主張日当時の技術常識に照らして当然であるとはいい
難いし,現に氷冷を行わず室温下で反応させた追試においてもセフジ
ニルの収量は減少していない。また,同一の公報中に記載されている
引用実施例14では最終のpH調整の実験工程の後に0℃で撹拌する
旨が記載されているが,引用実施例16の手順11以下ではかかる温
度管理の点につき何ら記載がない。そうすると,手順11のpH調整
を氷冷下で行うことは引用実施例16の忠実な再現とはいい難い。
原告追試aは手順11に相当する工程11のpH調整を氷冷下で行
っているが(前記エ(ア)a(k)),原告追試b及びcにおいてはかか
る実験工程を室温下で行っているから(前記エ(ア)b(k)及びc
(k)),前者のpH調整は手順11の実験工程の忠実な再現とは評価
し難いが,後2者のpH調整はいずれも同実験工程の忠実な再現であ
ると評価して差し支えないものである。
cまた,被告は,原告追試a及びbでは,カラムクロマトグラフィー
で使用された酸化アルミニウム(アルミナ)及びHP−20の充填量
が不十分であるから,原告の上記各追試は引用実施例16の忠実な再
現ではない旨を主張する(前記第3の2〔被告の主張〕(2)イ(オ))。
確かに,社団法人日本化学会編「新実験化学講座1基本操作
[Ⅰ]」(昭和50年9月丸善株式会社発行,乙21)346頁中に
は,「一般に吸着剤は試料の50倍ぐらいを用いるが,Rf値の接近
した混合物を分離する場合には100∼1000倍,逆に極端に離れ
たRf値を示す場合は,15倍ほどでも分離できる場合がある。」と
の記載があるほか,同頁中のカラムクロマトグラフィーに用いる望ま
しいカラムの太さと充填剤(吸着剤)の量との関係を示す表では,カ
ラムの直径が28mmであるときの充填剤の酸化アルミニウム(アル
ミナ)の量は50g,充填時の高さは20cm,カラムの直径が33
mmであるときの酸化アルミニウムの量は100g,充填時の高さは
31cm,カラムの直径が47mmであるときの酸化アルミニウムの
量は500g,充填時の高さは77cmである旨がそれぞれ記載され
ている。また,セファロスポリンCの採取精製法の発明に係る特公昭
54−17833号公報(乙22の2。なお,HP−20の製造元が
発行したマニュアル(乙22の1)で,HP−20が使用された特許
の例として挙げられている。)では,その実施例2で,セファロスポ
リン系抗生物質であるセファロスポリンCを含む培養濾液100ml
を凍結乾燥して得られた3.7gの粉末を水20mlに溶解した溶液
をHP−20を100ml使用したカラムクロマトグラフィーにかけ,
最終的に487mgの目的化合物の粉末を得た旨が記載されている。
しかしながら,乙第21号証中の上記記載はあくまで目安にすぎず,
クロマトグラフィーの成績に応じて充填剤の量を適宜選択し得る程度
のものであることが推認できる。
乙第22号証の2の上記実施例では,同じセファロスポリン系抗生
物質ではあるもののセフジニルとは異なる化合物の合成及び精製がさ
れたにすぎず,セフジニルとはカラムクロマトグラフィーにおける特
性が同等であるとは必ずしもいえない。
また,被告側の追試において,クロマトグラフィー前の試料の量が
明らかになっている被告追試c及びdでは,カラムクロマトグラフィ
ーを行う直前である工程6が終了した段階で試料の量が121又は1
28mlであるのに対し(前記イ(ア)c(f)及びd(f)),工程7で
使用された酸化アルミニウムの量が170g程度(多くとも,内径3.
1cm,充填剤の高さ25.0cmの約186ml)であり(前記イ
(ア)c(g)及びd(g)),工程8が終了した段階で試料の量が261
又は308mlであるのに対し(前記イ(ア)c(h)及びd(h)),工
程9で使用されたHP−20の量は150g程度(多くとも,内径3.
1cm,充填剤の高さ31.0cmの約234ml)にすぎず(前記
イ(ア)c(i)及びd(i)),乙第21号証中の上記記載に係る基準が
忠実に踏襲されたか否か明らかでない。
また,引用実施例16中にはカラムクロマトグラフィーの充填剤の
量について明記されていないところ,Iの陳述書(甲27)によれば,
原告追試b(カラムクロマトグラフィーに酸化アルミニウムを30m
l,HP−20を70mlそれぞれ使用した。原告追試aにおいても
同様の使用量である。)において工程9が終了した段階でのセフジニ
ルの純度を示すHPLC面積百分率は84.1%であること,被告側
の追試の実験条件に合わせて酸化アルミニウムを170g,HP−2
0を150g使用した場合の,工程9が終了した段階でのセフジニル
のHPLC面積百分率は85.2%であって,両者の差はわずか1.
1%であることが認められる。そうすると,原告追試bについてみて
も,原告追試aについてみても,原告側の追試と被告側の追試との間
の工程7及び9におけるカラムクロマトグラフィーの充填剤の量の差
異は,ごくわずかな純度の差をもたらすにすぎないものということが
できる。よって,原告のカラムクロマトグラフィーの操作が引用実施
例16の手順7及び9の忠実な再現ではないとはいえず,カラムクロ
マトグラフィーの充填剤の量のみをもって原告追試a及びbが引用実
施例16の実験工程の忠実な再現ではないとはいえない。
dまた,被告は,原告追試a及びbでは,酢酸エチルで洗浄した後に
得られた回収液量が多量すぎ,原告の上記各追試は引用実施例の実験
工程の忠実な再現ではない旨主張する(前記第3の2〔被告の主張〕
(2)イ(エ))。
引用実施例16の手順6では,酢酸エチルでの洗浄方法はもちろん,
洗浄後の回収液量についても具体的に記されていない。
ここで,上記Iの陳述書(甲27)によれば,①反応中に生じた不
溶物があったために,油層(有機層)と水層とに完全に分離せず,同
不溶物が混じった中間層が生じたため,まず水層を分取し,次いで油
層と中間層から不溶物を濾別したこと,②使用した分液漏斗を適量の
水で洗浄し,洗浄液を使用してこの不溶物を洗浄したこと,③濾過さ
れた液体はさらに分液漏斗を用いて水層のみを分取し,先に分取され
た水層に加えられたことが認められる。
他方,社団法人日本化学会編「第5版実験化学講座1−基礎編
Ⅰ実験・情報の基礎−」(平成15年9月丸善株式会社発行,甲2
8)157頁中には,自然濾過の操作手順として,ビーカーから濾紙
の上に注がれた溶液が漏斗の下にいったん落ちきるまで待った後に,
少量の溶媒(水)を沈殿が残っているビーカーに加え,沈殿を洗浄し
て再度濾紙の上に注ぐ旨の記載部分がある。また,畑一夫ら著「基礎
有機化学実験その操作と心得」(昭和36年2月丸善株式会社発行,
甲29)101頁中には,「e.沈殿の洗浄ロ過してロ液と分け
られた沈殿は,いくら十分に吸引圧搾しても相当のロ液分が残ってい
る。そこでその沈殿をさらに精製すると否とにかかわらず,必ず沈殿
を洗う。何で洗うかは本来はむずかしい問題であるが,一般にはロ液
の主成分と同じ溶媒を用いる。すなわち水溶液であれば蒸留水で洗い,
アルコール溶液であればアルコールで洗う。」との記載部分がある。
そうすると,原告側で行われた上記①ないし③の実験操作のうち,
濾液の大部分を占めることが明らかな水で分液漏斗を洗浄し,分液漏
斗中に残存する目的化合物を溶解した水溶液を少量の水で洗い流し,
かつ同時に中間層の不溶物を洗浄・濾別すること(上記②)及び洗浄
された溶液の水層部分を加えること(上記③)は,より多くの目的化
合物を得ようとする目的でされた,当業者において慣用の手法である
ことは明らかである。他方,洗浄用に使用した水に不純物が混入して
いた事実を認めるに足りる証拠はない。そして,原告側の追試におい
ては,中間層も使用しているとはいえ(上記①),中間層に混じって
いる不溶物は濾過されて除去され,後の実験工程で使用されているわ
けではなく,使用されたのは中間層中の液体部分のうち水層に相当す
る部分にすぎない。のみならず,前記のとおり,原告追試a及びbと
被告側の追試との間のセフジニルの純度の差異は,手順9の終了段階
においてもごくわずかなものであって,原告において手順6でことさ
らに不純物を混入させたということはできない。
したがって,上記①ないし③の実験操作並びに原告追試a及びbの
酢酸エチルでの洗浄(工程6)の方法は,引用実施例16の手順6の
実験工程の忠実な再現ではないとはいえない。
eまた,被告は,原告追試a及びbでは,カラムクロマトグラフィー
で使用された充填剤の量が少量すぎて,十分な精製機能を果たしてお
らず,そのために加えられた析出物の水洗は引用実施例16に記載の
ない実験操作であって許されないなどと主張する(前記第3の2〔被
告の主張〕(2)イ(オ))。
しかし,上記Iの陳述書(甲27)によれば,酸化アルミニウムや
HP−20のような充填剤を使用したカラムクロマトグラフィーの目
的は,充填剤と各化合物との間の親和性の差を利用して,目的化合物
と反応工程で生成した副生成物,分解物や未反応の出発化合物等を分
離することにあり,pH調整のような途中の実験工程で必然的に生じ
る塩化ナトリウム(食塩)等の無機物を目的化合物から分離すること
にはないこと,HP−20によるカラムクロマトグラフィーでは上記
の副生成物等が除去されると同時に塩化ナトリウムが除去されること
があるが,これは結果にすぎず,塩化ナトリウムの除去も目的として
行うことはなく,塩化ナトリウムの除去(脱塩)を完全に行うために
充填剤の量を増やし,溶出溶媒量を増やすのは非効率であることが認
められる。目的化合物たるセフジニルの純度の点からは,カラムクロ
マトグラフィーの充填剤の量が不十分であるといえないのは前記のと
おりである。そして,セフジニルは水にほとんど溶けず,反対に塩化
ナトリウムは水によく溶ける物質であることは明らかであって,最終
的に得られたセフジニルを水で洗浄してもほとんど溶解することはな
く,他方付着していた塩化ナトリウムが容易に除去されることは明ら
かであるから,手順9の終了時点で塩化ナトリウムが残存していても
差し支えない。そうすると,塩化ナトリウムの残存を理由にしてカラ
ムクロマトグラフィーの実験操作が不十分であるとはいえない。また,
手順12及び13には析出物の水洗が明記されていないが,水洗を行
っても同手順の実験工程の忠実な再現の枠を逸脱するものではない。
さらに,原告追試b(前記エ(ア)b)については,出発化合物の純
度が本件特許権の優先権主張日当時に利用可能であった同化合物の純
度よりも高いことが認められるものの,本件全証拠をもってしても,
上記のほかに,引用実施例16の実験工程を忠実に再現したか否かに
つき疑義を生ぜしめる事情は見当たらない。
(エ)結局,原告側の追試のうち,少なくとも原告追試bは,引用実施例
16の実験工程を忠実に再現したものと評価することができる。そして,
原告追試bにおいては,前記(イ)のとおり,セフジニルの無晶形のみが
得られ,A型結晶が得られなかったものである。そうすると,引用実施
例16の実験工程を追試したときに,セフジニルのA型結晶が得られる
ということはできない。
オ小括
前記エのとおり,被告側の追試によっては引用実施例16の実験工程を
忠実に再現してもセフジニルのA型結晶を得ることはできず,かえって原
告側の追試によれば,セフジニルの無晶形のみが得られることが示された
ものである。
よって,本件特許権の優先権主張日当時の技術常識を参酌すると,当業
者において上記実施例の記載を追試してもセフジニルのA型結晶を製造す
ることはできず,したがって,上記実施例においては,当業者において容
易に実施し得る程度にセフジニルのA型結晶の製造方法が開示されている
とはいえない。
そうすると,本件特許発明は,その優先権主張日前に頒布された刊行物
中の引用実施例16の記載内容から容易に実施することができるとはいえ
ず,そのことを理由とする新規性欠如の主張は,理由がない。
(4)まとめ
以上のとおり,引用実施例14及び16のセフジニルがA型結晶のもので
あるとはいえないし,引用実施例16の記載内容を当業者において追試する
と同A型結晶を得ることができるともいえないから,被告の新規性欠如を理
由とする本件特許の無効主張はいずれも理由がない。
よって,本件特許は特許無効審判により無効にされるべきものとは認めら
れない。
3結論
以上の次第で,被告製剤は本件特許発明の技術的範囲に属し,本件特許は特
許無効審判により無効にされるべきものとは認められないから,原告の本件請
求はいずれも理由がある。ただし,仮執行宣言は相当でないからこれを付さな
い。
よって,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第47部
裁判長裁判官高部眞規子
裁判官中島基至
裁判官田邉実
(別紙)
物件目録
商品名を「セフロジールカプセル100mg」とする医薬品
以上

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