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裁判例


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○ 主文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は控訴人らの負担とする。
○ 事実
第一 申立て
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 本件を東京地方裁判所に差し戻す。
二 被控訴人ら
主文同旨
第二 主張
当事者の主張は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決の「第二 事案の概
要」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。
一 原判決二枚目裏七行目の「原告らは、」の次に「平成五年六月一四日、」を加
え、同九行目の「平成五年」を「同年」と改める。
二 原判決四枚目裏五行目の「日本」を「「戦地にある軍隊の傷者、病者の状態の
改善に関する一九四九年八月一二日のジュネーブ条約」、「海上にある軍隊の傷
者、病者及び難船者の状態の改善に関する一九四九年八月一二日のジュネーブ条
約」、「捕虜の待遇に関する一九四九年八月一二日のジュネーブ条約」及び「戦時
における文民の保護に関する一九四九年八月一二日のジュネーブ条約」に基づいて
わが国」と改める。
三 原判決五枚目表四行目の「文化財」の次に「(文化財保護法二条一項一号)」
を加える。
四 原判決八枚目裏六行目の「とは、」の次に「同項一号に定める」を、同九行目
の次に改行して
「ちなみに、これまで「回復の困難な損害を生ずるおそれ」を明確に訴訟要件と解
した判決は存在しない。大阪地裁昭和五五年六月一八日判決や大阪高裁昭和五六年
五月二〇日判決は、「回復の困難な損害を生ずるおそれ」が実体要件であることを
明示し、東京地裁昭和五五年六月一〇日判決や山形地裁昭和六三年四月二五日判決
は、「回復の困難な損害を生ずるおそれ」の有無の判断により差止請求訴訟を認容
し、大津地裁昭和四四年四月九日判決、高松高裁昭和五一年三月二四日判決、千葉
地裁昭和五八年三月二三日判決及び東京高裁昭和五八年六月二日判決は、「回復の
困難な損害を生ずるおそれ」の有無の判断により差止請求訴訟を棄却しており、い
ずれもこれが実体要件であることを明示ないし前提としている。
また、右「回復の困難な損害を生ずるおそれ」という要件は、株主の差止請求権
(商法二七二条)等の民事一般の差止請求権の要件とされている文言及び行政処分
の執行停止(行政事件訴訟法二五条二項)の要件とされている文言とほぼ同一であ
り、その趣旨も、事前の差止めの場合にはその必要性のある場合に限るとする点で
同一であり、その必要性の判断も、損害の実態に立ち入り、差止請求の対象の行為
との因果関係も判断し、その行為を行った場合の利益と差し止めた場合の利益とが
比較衡量される点でも同一である。したがって、右「回復の困難な損害を生ずるお
それ」も、株主の差止請求権等の差止請求と同様、実体要件と解すべきである。
さらに、「回復の困難な損害を生ずるおそれ」の有無を判断するには、損害の内容
や金額、違法性の有無や程度の判断が不可欠であり、かかる判断は当然に実体的判
断を要することからも、地自法二四二条の二第一項柱書中のただし書にいう「回復
の困難な損害を生ずるおそれ」とは、差止請求訴訟における実体要件であると解す
べきである。
そして、地自法二四二条の二の規定中には、手続に関する規定もあれば、一項本文
の「違法な行為」、「怠る事実」、同項ただし書の「当該職員の利益の存する限
度」等実体的判断を要する規定、すなわち、実体要件を定めた規定もあるのである
から、「回復の困難な損害を生ずるおそれ」も実体要件を定めた規定と解すべきで
ある。」
をそれぞれ加える。
五 原判決一一枚目表一〇行目の「市長村」を「市町村」と、同裏一行目の「充つ
る」を「充てる」とそれぞれ改める。
第三 証拠(省略)
○ 理由
一 当裁判所も、控訴人らの本件訴えは不適法であり、これをいずれも却下すべき
ものと判断する。その理由は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決の「第三
 争点に対する判断」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。
1 原判決一四枚目裏三行目の「規程は、」の次に「訓令であり、地自法一四条、
一五条にいう条例、規則ではなく、」を加える。
2 原判決一六枚目表五行目の「訴え」から同七行目末尾までを「同項柱書本文
が、地方公共団体の住民は同法二四二条に定める住民監査請求をした場合において
その結果に不服がある等一定の要件を満たすときに同法二四二条の二第一項各号に
定める類型の住民訴訟を提起することができる旨、前記行政事件訴訟法四二条を受
けて、住民訴訟を提起できる者及び住民訴訟を提起できる場合を定めているのに続
いて、「ただし、第一号の請求は、当該行為により普通地方公共団体に回復の困難
な損害を生ずるおそれがある場合に限る」と定めているのであって、その規定の位
置及びその文言から見て、右ただし書は本文において定めた住民訴訟を提起できる
場合を限定する趣旨の規定であると解するのが素直な解釈である。」と、同八行目
の「同法」を「地自法」とそれぞれ改める。
3 原判決一七枚目表一行目の次に改行して
「控訴人らは、「回復の困難な損害を生ずるおそれ」の有無を判断するには、その
前提として差止めの対象とされる行為の違法性の有無の実体的判断が不可欠である
から実体要件と解すべきであると主張するが、右損害を生ずるおそれの有無を判断
するに当たり、差止めの対象とされる行為が違法であると仮定した場合に当該行為
により当該地方公共団体にどのような損害を生ずるおそれがあるかを判断すること
は可能であるから、右主張は、採用することができない。」
を加え、同四行目の「予防し」を「予防又は是正し」と、同八行目の「損害」を
「財産上の損害」とそれぞれ改め、同九行目の次に改行して
「そして、差止請求訴訟が、前述したところから明らかなように、違法な財務会計
上の行為を事前に予防又は是正し、もって、地方公共団体が右財務会計上の行為に
より財産上の損害を被ることを未然に防止することを目的とするものであることに
かんがみれば、右にいう損害は、差止めの対象とされる財務会計上の行為によって
直接地方公共団体に生ずる当該財務会計上の行為と相当因果関係のある財産上の損
害をいうものと解するのが相当である。」
を加え、同一〇行目の「もっとも」を「また」と改める。
4 原判決一九枚目表八行目から同裏二行目までを
「さらに、控訴人らは、区が十分な調査をしないまま本件人骨を火葬又は埋葬すれ
ば、本件人骨の遺族らから区に対して損害賠償請求訴訟を提起され、区が損害賠償
債務を負うのは必至であり、また、その応訴のため長期間にわたり労力と費用を要
することになり、区に回復の困難な損害を生ずる旨主張する。しかしながら、前記
のとおり、ここにいう損害とは、差止めの対象である財務会計上の行為により直接
普通地方公共団体に生ずる当該財務会計上の行為と相当因果関係のある財産上の損
害をいうのであり、本件支出負担行為等についていえば、本件人骨処理費として計
上されている四四五万五〇〇〇円が支出されることによる損害、すなわち、右金額
相当額であるというべきであり、控訴人らが右に主張するような損害は、本件支出
負担行為等と相当因果関係のある財産上の損害ということはできない。」と改め、
同裏六行目の「不可能となり、」の次に「、区の名誉、信義を毀損し」を、同八行
目の「損害は、」の次に「抽象的・非財産的な損害を含まず、」をそれぞれ加え
る。
二 よって、控訴人らの本件訴えを却下すべきものとした原判決は相当であり、本
件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき行政事
件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決
する。
(裁判官 石井健吾 吉戒修一 大工 強)
参考
本控訴審判決において訂正、付加の上、引用された原審判決部分を組み込んだ判決
の事実及び理由
(注) 原審判決が、本控訴審判決により訂正、付加されている部分には傍線を付
した。
なお、引用された部分の当事者の表記は、原審判決の表記のままとした。
○ 事実
第一 申立て
一 控訴人ら
1 原判決を取り消す。
2 本件を東京地方裁判所に差し戻す。
二 被控訴人ら
主文同旨
第二 主張
当事者の主張は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決の「第二 事案の概
要」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。
〔訂正、付加の上、引用された原審判決部分〕
第二 事案の概要
一 墓地、埋葬等に関する法律(以下「墓地法」という。)九条一項は「死体の埋
葬又は火葬を行う者がないとき又は判明しないときは、死亡地の市町村長が、これ
を行わなければならない」と定めている。
本件は、東京都新宿区(以下「区」という。)が、右規定に基づき、区内に所在す
る本件建設予定地で発見された本件人骨の火葬又は埋葬に係る費用を予算に計上し
たところ、区の住民である原告らが、被告らに対し、本件支出負担行為等が違法で
あるとして、地方自治法(以下「地自法」という。)二四二条の二第一項一号に基
づき、本件支出負担行為等の差止めを求めて提訴した住民訴訟事件である。
二 当事者間に争いのない事実
1 原告らは、いずれも区の住民である。
被告区長は、本件支出負担行為の権限を有する者であり、被告収入役は、本件支出
の権限を有する者である。
2 本件人骨は、平成元年七月二二日から同月二四日までの間に、旧陸軍軍医学校
の跡地である本件建設予定地において発見された。
3 区は、平成五年度予算において、本件人骨の火葬又は埋葬に係る費用として、
人骨処理委託費合計四四九万五〇〇〇円(以下「本件人骨処理費」という。)を計
上した。
4 原告らは、平成五年六月一四日、区監査委員に対し、地自法二四二条一項に基
づき、被告らが本件人骨の火葬又は埋葬に係る支出をしないよう相当の措置を求め
る旨の監査請求をしたところ、同委員は、同年八月一二日、これを棄却する旨の決
定をした。
三 本件支出負担行為等の違法性についての原告らの主張
1 本件建設予定地には、昭和四年から昭和二〇年までの間、旧陸軍軍医学校が所
在し、細菌戦の研究、人体実験等をしていたいわゆる第七三一部隊と関連の深い防
疫研究室が併設されていた。
また、区が、札幌学院大学教授Aに対し、本件人骨の鑑定を委託したところ、本件
人骨の中には医学標本と推測されるものが含まれること、本件人骨は、少なくとも
六二体分、推定一〇〇体分以上の多数人の人骨であること、その大部分はモンゴロ
イド系の複数の人種に属すること、本件人骨の土中経過年数は数十年以上一〇〇年
以下と想定されること、頭骨には、脳外科手術等に類似する人為的な加工の痕跡
や、切創、刺創、銃創の疑いのある痕跡等の損傷があるものが含まれていること、
四肢骨の多くは、骨体のいろいろな位置で鋸断されていることなどが明らかになっ
た。
右のような本件建設予定地の使用の経緯及び本件人骨の鑑定結果に照らすと、本件
人骨は、旧陸軍軍医学校又は第七三一部隊の活動と深くかかわるものである疑いが
強い。
2 このように、本件人骨は、戦争犯罪にかかわる捕虜、文民等の遺骨である可能
性が極めて高いから、これを火葬又は埋葬することは違法である。その理由は、次
のとおりである。
(一) 被告らが本件人骨を火葬又は埋葬するための法令上の根拠がない。
ア 本件人骨については、自ら遺族であると主張し、客観的にも遺族である可能性
を示す証拠を有する者らが、その返還を申し出ているから、墓地法九条一項にいう
「死体の埋葬又は火葬を行う者がないとき又は判明しないとき」には該当しない。
イ 墓地等の構造設備及び管理の基準等に関する条例(昭和五九年東京都条例第一
二五号)一四条は、墓地又は納骨堂の管理者が無縁の遺体又は遺骨を発掘したとき
は、埋葬又は火葬しなければならない旨定めているところ、本件人骨は、右のとお
り、「無縁の遺体又は遺骨」には該当しないし、本件人骨を発掘したのは「墓地又
は納骨堂の管理者」でもない。
ウ 墓地法及び右条例にいう「死体」、「遺体」又は「遺骨」には、本件人骨のよ
うに遺棄されてから相当の年月を経過した白骨は含まれないと解すべきである。
エ 「白骨の取扱方について」(昭和三二年衛環第五三号厚生省環境衛生部長回
答)は、建築工事の地下発掘により偶然発見された人骨等について墓地法九条を準
用するものとしているところ、右回答は、本件人骨のように、その形状自体から異
常な事情の下で遺棄されたことが明らかなものや戦争犯罪にかかわる人骨を予想し
て、その取扱いを回答したものではないから、本件人骨の処理には適用されないと
いうべきである。
(二) 本件人骨について、死者を識別するための検査及び死因等に関する公の調
査を行わずに、これを火葬又は埋葬することは、国際法上、「戦地にある軍隊の傷
者、病者の状態の改善に関する一九四九年八月一二日のジュネーブ条約」、「海上
にある軍隊の傷者、病者及び難船者の状態の改善に関する一九四九年八月一二日の
ジュネーブ条約」、「捕虜の待遇に関する一九四九年八月一二日のジュネーブ条
約」及び「戦時における文民の保護に関する一九四九年八月一二日のジュネーブ条
約」に基づいてわが国及びその公務員に課せられた義務に違反するものであり、違
法である。
(三) 本件人骨は、戦争犯罪及び人道に対する罪に関する重要な証拠になり得る
ものであるから、これを火葬又は埋葬して証拠としての使用を不可能又は困難にす
る行為は、刑法所定の証憑湮滅罪に該当するものであり、違法である。
(四) 本件人骨の火葬叉は埋葬を目的とする本件支出負担行為は、次のとおり、
公序良俗(民法九〇条)に反し、無効、違法であるから、その後行行為である本件
支出命令及び本件支出も違法である。
ア 本件人骨は、第二次世界大戦における日本の歴史を解明する上で極めて価値の
高い歴史資料であるから、有形文化財(文化財保護法二条一項一号)に該当するも
のであり、これを火葬又は埋葬することは、文化財保護法の精神に反する。
イ 本件人骨を、遺族らの意思、祭祀方式、埋葬慣習等を顧慮せずに火葬又は埋葬
することは、遺族らの遺骨所有権及び人格権を侵害するものであり、公共の利益を
害する。
ウ 本件人骨を火葬又は埋葬すれば、本件人骨が形成された事情、戦争犯罪の事実
等を調査、解明する道が閉ざされることになり、公共の利益に反するばかりでな
く、区及び区民の名誉と信義を毀損する。
エ 本件人骨を火葬又は埋葬しないことによる不利益は、何ら存在しない。
四 争点
本件においては、本案前の問題として、請求一及び同二に係る訴えは、被告とすべ
き者を誤っているか否か及び本件各請求に係る訴えには、地自法二四二条の二第一
項柱書中のただし書にいう「回復の困難な損害を生ずるおそれ」があるか否かが争
われている。この点に関する当事者双方の主張の要旨は、次のとおりである。
1 請求一及び同二に係る訴えは、被告とすべき者を誤っているか否か。
(一) 原告らの主張
(1) 請求一に係る訴えについて
地方公共団体の長は、当該地方公共団体を代表する者であり(地自法一四七条)、
当該地方公共団体の条例、予算その他の議会の議決に基づく事務その他公共団体の
事務を自らの判断と責任において誠実に管理し及び執行する義務を負い(同法一三
八条の二)、広範な財務会計上の行為を行う権限を有する者であり(同法一四九
条)、その職責及び権限の内容にかんがみると、長は、その権限に属する一定の範
囲の財務会計上の行為をあらかじめ特定の職員に委任している場合であっても、当
該行為を行う権限を法令上本来的に有するものとされている以上、当該行為の適否
が問題とされている代位請求訴訟(同法二四二条の二第一項四号)において、同号
にいう「当該職員」に該当すると解すべきである。
そして、右代位請求訴訟と差止請求訴訟(同条同項一号)は、いずれも、地方公共
団体の職員による財務会計上の行為の適正を確保するという趣旨に基づくものであ
るから、同号にいう「当該執行機関又は職員」についても、同様に解すべきであ
る。
そうすると、本件支出命令の権限が、被告区長から区福祉部管理課長に委任されて
いるとしても、被告区長は、右権限を法令上本来的に有するとされている者である
(同法二三二条の四第一項、一四九条五号)から、本件支出命令に関し、同法二四
二条の二第一項一号にいう「当該執行機関又は職員」に該当するというべきであ
る。
また、被告収入役が本件支出の権限を有するとしても、被告区長は、本来的に広範
な予算執行権を有する者であり、本件支出は、被告区長の支出命令があって初めて
なし得る(同法二三二条の四第一項)のであるから、被告区長は、本件支出に関
し、同法二四二条の二第一項一号にいう「当該執行機関又は職員」に該当するとい
うべきである。
したがって、請求一に係る訴えは、いずれも適法である。
(2) 請求二に係る訴えについて
東京都新宿区事案決定規程(昭和五六年東京都新宿区訓令第一号、以下「事案決定
規程」という。)別表二三項は、二五〇万円を超え一〇〇〇万円以下の業務の委託
等について、被告助役が事案の決定を行う旨を定めているから、被告区長は、被告
助役に対し、右規程により、本件支出負担行為の権限を委任しているというべきで
ある。
仮に、右規程が、被告区長が被告助役に対して専決権限を与えたものにすぎないと
しても、一般的に、専決権限を与えられた補助職員は、内部的には、一定の重要事
項に関するものを除き、最終的な意思決定を行うものであるから、被告助役は、本
件支出負担行為の権限を有しているというべきである。
したがって、請求二に係る訴えは、適法である。
(二) 被告らの主張
(1) 請求一に係る訴えについて
地自法二四二条の二第一項一号にいう「当該執行機関又は職員」とは、差止めの対
象である当該行為をなすべき権限を有する当該地方公共団体の執行機関又はその補
助機関としての職員をいうものと解すべきである。
しかるに、本件支出の権限を有するのは被告収入役であって、被告区長は、右権限
を有しない。
したがって、請求一に係る訴えのうち、被告区長に対し、本件支出の差止めを求め
る部分は、被告とすべき者を誤っており、不適法である。
(2) 請求二に係る訴えについて
被告区長は、本件支出負担行為の権限を有しているところ、東京都新宿区契約事務
規則(昭和三九年東京都新宿区規則第一五号、以下「契約事務規則」という。)三
条及び別表第一によれば、右権限は被告助役に委任されていない。なお、事案決定
規程は、助役その他の補助機関が、被告区長の事務に係る決定権限について、内部
的に補助執行するための事務分担を定めたものであり、被告区長の権限の委任を定
めたものではない。
したがって、被告助役は、本件支出負担行為の権限を有しないから、請求二に係る
訴えは、被告とすべき者を誤っており、不適法である。
2 本件各訴えには、地自法二四二条の二第一項柱書中のただし書にいう「回復の
困難な損害を生ずるおそれ」があるか否か。
(一) 原告らの主張
当該財務会計上の行為が適法なものである限り、地方公共団体に損害が発生するこ
とはあり得ないことにかんがみると、地自法二四二条の二第一項柱書中のただし書
にいう「回復の困難な損害を生ずるおそれ」とは、同項一号に定める差止請求訴訟
における実体的な請求を理由あらしめる実体要件であると解すべきである。また、
同項の文言解釈からも、右のように解するのが妥当である。
ちなみに、これまで「回復の困難な損害を生ずるおそれ」を明確に訴訟要件と解し
た判決は存在しない。大阪地裁昭和五五年六月一八日判決や大阪高裁昭和五六年五
月二〇日判決は 「回復の困難な損害を生ずるおそれ」が実体要件であることを明
示し、東京地裁昭和五五年六月一〇日判決や山形地裁昭和六三年四月二五日判決
は、「回復の困難な損害を生ずるおそれ」の有無の判断により差止請求訴訟を認容
し、大津地裁昭和四四年四月九日判決、高松高裁昭和五一年三月二四日判決、千葉
地裁昭和五八年三月二三日判決及び東京高裁昭和五八年六月二日判決は、「回復の
困難な損害を生ずるおそれ」の有無の判断により差止請求訴訟を棄却しており い
ずれもこれが実体要件であることを明示ないし前提としている
また、右「回復の困難な損害を生ずるおそれ」という要件は、株主の差止請求権
(商法二七二条)等の民事一般の差止請求権の要件とされている文言及び行政処分
の執行停止(行政事件訴訟法二五条二項)の要件とされている文言とほぼ同一であ
り、その趣旨も、事前の差止めの場合にはその必要性のある場合に限るとする点で
同一であり、その必要性の判断も、損害の実態に立ち入り、差止請求の対象の行為
との因果関係も判断し、その行為を行った場合の利益と差し止めた場合の利益とが
比較衡量される点でも同一である。したがって、右「回復の困難な損害を生ずるお
それ」も、株主の差止請求権等の差止請求と同様、実体要件と解すべきである。
さらに、「回復の困難な損害を生ずるおそれ」の有無を判断するには、損害の内容
や金額、違法性の有無や程度の判断が不可欠であり、かかる判断は当然に実体的判
断を要することからも、地自法二四二条の二第一項柱書中のただし書にいう「回復
の困難な損害を生ずるおそれ」とは、差止請求訴訟における実体要件であると解す
べきである。
そして、地自法二四二条の二の規定中には、手続に関する規定もあれば、一項本文
の「違法な行為」、「怠る事実」、同項ただし書の「当該職員の利益の存する限
度」等実体的判断を要する規定、すなわち、実体要件を定めた規定もあるのである
から、「回復の困難な損害を生ずるおそれ」も実体要件を定めた規定と解すべきで
ある。
そして、本件においては、次のとおり、本件支出負担行為等が事前に差し止められ
なければ、回復の困難な損害を生ずるおそれがあるというべきであるから、本件各
訴えは、いずれも適法である。
(1) 本件人骨が火葬又は埋葬されると、本件人骨の具体的由来や遺族らとのつ
ながりを明らかにすることが不可能になり、それによる損害を回復することは困難
となる。
また、区が十分な調査をしないまま本件人骨を火葬又は埋葬すれば、本件人骨の遺
族らが、区に対し、損害賠償請求訴訟を提起し、それにより、区が損害賠償債務を
負うことになるのが必至であるし、区は、右訴訟への応訴のため、長期間にわたり
労力と費用を要することになる。
(2) 本件人骨処理費は、約五〇〇万円であり、通常人の負担能力に照らし、容
易に弁済できる金額ではない。
仮に、右損害が少額であり、又は、被告らが右損害を填補し得る負担能力を有する
としても、事後的な代位請求訴訟によって、区が右損害の回復を図ることは困難で
ある。というのは、被告らは、区議会による予算の議決に基づいて本件支出負担行
為等をするものであるから、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償請求が認め
られるか否かは疑問であるし、本件人骨を火葬又は埋葬しても何人にも利益が生じ
ないため、不当利得返還請求権も発生し得ないからである。
(3) 被告らは、区が、本件人骨処理費を支出しても、右費用は、本来、東京都
が負担するものであり、東京都から全額が補填されるから、区に回復の困難な損害
を生ずるおそれはない旨主張する。
しかしながら、前記三2(一)のとおり、被告らが本件人骨を火葬又は埋葬するた
めの法令上の根拠はないから、東京都が、区に対し、墓地法等に基づいて本件人骨
処理費を補填することはあり得ないし、仮に、本件人骨の火葬又は埋葬に墓地法等
が適用されるとしても、必要最小限度の実費しか弁償されないことなどから、右費
用の全額が補填されるか否かは不明である。
また、本件人骨の火葬又は埋葬に伴って具体的な支出負担打為がされ、区から公金
が支出される以上、損害が補填されるか否かにかかわりなく、住民訴訟の対象とな
り得るというべきである。不適正な財務会計上の行為がされても、損害が事後的に
補填されることによって住民訴訟を提起できないとすれば、地方公共団体の財政の
適正な運営の確保という住民訴訟の趣旨が全うされないことになり、妥当ではな
い。
(三) 被告らの主張
地自法二四二条の二第一項柱書中のただし書にいう「回復の困難な損害を生ずるお
それ」があることは、同項一号に定める差止請求訴訟における訴訟要件であると解
すべきである。そして、区が本件支出負担行為等をしても、次のとおり、区に回復
の困難な損害を生ずるおそれがないから、本件各訴えは、いずれも不適法である。
(1) 住民訴訟の趣旨及び目的に照らすと、回復の困難な損害とは、財産上の損
害をいい、原告らが主張するような、本件人骨の具体的由来等を明らかにすること
が不可能になるという非財産的な損害が含まれないことは明らかである。
なお、原告らは、本件人骨の遺族らが区に対して損害賠償請求訴訟を提起すること
により、区が損害賠償債務を負うこと及び区が右訴訟への応訴のため労力や費用を
要することをもって、回復の困難な損害を生ずるおそれがある旨主張する。しか
し、それらの損害は、住民監査請求の対象とされた公金の支出には含まれていない
上、具体性を欠き、本件人骨処理費とは直接関係がないものであるから、回復の困
難な損害には当たらないというべきである。
(2) 区が、本件支出負担行為等によって本件人骨処理費を支出しても、右費用
は、本来、東京都が負担するものであり、東京都から全額が補填される。すなわ
ち、墓地法九条二項及び行旅病人及行旅死亡人取扱法一三条によれば、市町村長が
墓地法九条一項により死体の埋葬又は火葬を行ったときは、市町村は、行旅死亡人
に関する公告後六〇日を経過してもなお行旅死亡人取扱費用の弁償を得ない場合に
は、行旅死亡人の遺留物品を売却してその費用に充てることができ、それでも足り
ない場合には、勅令の定める公共団体が右費用を負担するとされている。そして、
行旅病人死亡人等ノ引取及費用弁償二関スル件(明治三二年勅令第二七七号) 一
条は、右公共団体は行旅死亡人の取扱いをした地の都道府県であると定め、これを
受けて、東京都行旅病人、行旅死亡人等の救護または取扱費用の弁償に関する規則
(昭和三六年東京都規則第八九号)は、特別区が、行旅死亡人の取扱いに要した費
用のうち、東京都が弁償する費用の種目及び限度額を定め、仮土葬及び火葬に関す
る諸費については最小必要限度の実費を弁償する旨定めている(同規則一、二
条)。
したがって、区に回復の困難な損害を生ずるおそれはない。
〔引用部分終了〕
第三 証拠(省略)
○ 理由
一 当裁判所も、控訴人らの本件訴えは不適法であり、これをいずれも却下すべき
ものと判断する。その理由は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決の「第三
 争点に対する判断」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。
〔訂正、付加の上、引用された原審判決部分〕
第三 争点に対する判断
一 争点1(請求一及び同二に係る訴えは、被告とすべき者を誤っているか否
か。)について
1 地自法二四二条の二第一項一号に定める差止請求訴訟は、違法な財務会計上の
行為がされる前に、当該行為の差止めを求めるものであるから、同号にいう「当該
執行機関又は職員」とは、その性質上、差止めの対象となる行為をする権限を現実
に有する者をいうものと解するのが相当である。
この点について、原告らは、地方公共団体の職員による財務会計上の行為の適正を
確保するという住民訴訟の趣旨に照らし、同号にいう「当該執行機関又は職員」と
は、同項四号にいう「当該職員」と同様、その権限に属する財務会計上の行為をあ
らかじめ特定の職員に委任している者も含まれると主張する。
なるほど、同項四号に定める代位請求訴訟については、違法な財務会計上の行為が
された場合に、住民が事後的に損害賠償等を代位請求して、当該地方公共団体が被
った損害の回復を図ろうとするものであるから、その権限に属する財務会計上の行
為を委任し、当該行為について指揮監督権限を有するにすぎない者であっても、右
委任により処理された当該行為の適否が問題になった場合には、指揮監督上の義務
違反に基づき、損害賠償等の責任を負うこともあり得るものであり、その限りで同
項四号にいう「当該職員」に該当するということができる。
しかしながら、同項四号にいう「当該職員」とは、損害賠償等の責任を負うことに
なる職員個人を意味する一方、同項一号にいう「当該執行機関又は職員」とは、差
止めの対象となる行為をする機関を意味するものと解されるから、これを同一に論
ずることはできないところ、差止請求訴訟は、前記のとおり、違法な財務会計上の
行為がされる前に、当該行為の差止めを求めるものであるから、差止めの対象とな
る行為をするか否かを決定する権限を現実に有している者を被告としなければ、右
訴えを提起する目的を実現することが困難であるといわざるを得ない。仮に、住民
が、指揮監督権限を有する者に対し、右権限を行使して、財務会計上の行為の受任
者である職員の違法な行為を予防するよう求める差止請求訴訟を提起するとして
も、右権限は、それ自体財務会計上の行為に該当するわけではないから、同号が右
のような訴えを許容しているということはできないというべきである。
そうすると、その権限に属する財務会計上の行為をあらかじめ特定の職員に委任し
ている者は、当該行為をする権限を失っているのであるから、同号にいう「当該執
行機関又は職員」には該当しないというべきであり、これに反する原告らの右主張
は採用することができない。
そこで、以下、請求一及び同二に係る訴えの各被告が、同号にいう「当該執行機関
又は職員」に該当するか否かについて検討する。
2 請求一に係る訴えについて
被告区長は、本来、支出命令の権限を有する(地自法二三二条の四第一項、一四九
条二号、二八三条一項)ところ、東京都新宿区会計事務規則(昭和三九年東京都新
宿区規則第一四号)五条の二により、部に属する支出命令の権限は、部の予算を主
管する課長に委任されていること及び本件人骨処理費は福祉部に配当されているこ
と(東京都新宿区組織規則(昭和五六年東京都新宿区規則第一号)二条、五条一項
及び一四条)が認められる。そうすると、本件支出命令の権限は、右委任によっ
て、同部管理課長が有することとなる。
また、被告収入役は、当該地方公共団体の会計事務をつかさどる者(地自法一七〇
条一項、二項、二八三条一項)であり、本件支出が同被告の権限に属するものであ
ること自体については、当事者間に争いがない。
したがって、請求一に係る訴えのうち、被告区長に対し、本件支出命令及び本件支
出の差止めを求める部分は、被告区長の権限に属しない行為の差止めを求めるもの
であるから、被告とすべき者を誤っており、不適法であるというべきである。
3 請求二に係る訴えについて
被告区長が本件支出負担行為の権限を有していることについては当事者間に争いが
ないところ、右権限は、契約事務規則三条及び別表第一によれば被告助役に委任さ
れていないことが認められる。
原告らは、右権限は、事案決定規程により助役に委任されている旨主張するが、事
案決定規程は、訓令であり、地自法一四条、一五条にいう条例、規則ではなく、被
告区長の事務に係る決定権限について、内部的に補助執行するための事務分担を定
めたものにすぎず、右権限の委任を定めたものではないと解される。
なお、原告らは、被告助役が、本件支出負担行為の専決者であるから、地自法二四
二条の二第一項一号にいう「当該執行機関又は職員」に該当する旨主張するかのよ
うである。しかし、仮に専決者に対する差止請求が認容された場合においても、現
に権限を有する者は、これに拘束されることなく当該行為をなし得るものであり、
他面、現に権限を有する者に対する差止請求が認容された場合には、専決者は、こ
れに拘束されて当該差止めに係る行為をすることができないことになるわけである
から、前記の差止請求訴訟の趣旨、目的に照らせば、同号にいう「当該執行機関又
は職員」とは、差止めの対象となる行為をする権限を現実に有する者に限られ、専
決者はこれに含まれないものと解すべきである。
したがって、請求二に係る訴えは、被告とすべき者を誤っており、不適法であると
いうべきである。
二 争点2(本件各訴えには、地自法二四二条の二第一項柱書中のただし書にいう
「回復の困難な損害を生ずるおそれ」があるか否か。)について
1 地自法二四二条の二に定める住民訴訟は、地方公共団体の執行機関又は職員に
よる違法な財務会計上の行為又は怠る事実が、究極的には当該地方公共団体の構成
員である住民全体の利益を害するものであることから、同法二四二条に定める住民
監査請求と相まって、これを予防又は是正し、もって地方財務行政の適正な運営を
確保することを目的として設けられたものである。このように、住民訴訟は、個人
の具体的な権利義務又は法律関係の存否に関する紛争を前提として私権の保護を図
るいわゆる主観訴訟ではなく、住民全体の利益のために法が特に創設したいわゆる
客観訴訟のうちの民衆訴訟であるから、法律に定める場合において、法律に定める
者に限り、提起することが許されるものである(行政事件訴訟法四二条)。
そこで、地自法二四二条の二をみると、同条一項各号は、当該財務会計上の行為の
種別や段階に応じて住民訴訟の各種類型を定め、既に違法な財務会計上の行為がさ
れた場合に、その是正又は回復を図る手段として、行政処分の取消訴訟等(同項二
号)、怠る事実の違法確認訴訟(同項三号)及び代位請求訴訟(同項四号)を定め
るとともに、違法な財務会計上の行為を事前に予防する手段として、差止請求訴訟
(同項一号)を定めている。また、同項柱書中の本文や同条二項ないし七項は、監
査請求手続の前置、出訴期間、管轄等の右各号訴訟に共通する訴訟要件その他の手
続を定めている。そして、これらの規定の中にあって、同条一項柱書中のただし書
は、同項柱書本文が、地方公共団体の住民は同法二四二条に定める住民監査請求を
した場合においてその結果に不服がある等一定の要件を満たすときに同法二四二条
の二第一項各号に定める類型の住民訴訟を提起することができる旨、前記行政事件
訴訟法四二条を受けて、住民訴訟を提起できる者及び住民訴訟を提起できる場合を
定めているのに続いて、「ただし、第一号の請求は、当該行為により普通地方公共
団体に回復の困難な損害を生ずるおそれがある場合に限る」と定めているのであっ
て、その規定の位置及びその文言から見て、右ただし書は本文において定めた住民
訴訟を提起できる場合を限定する趣旨の規定であると解するのが素直な解釈であ
る。
右のような民衆訴訟としての住民訴訟の性質及び地自法二四二条の二の規定の仕方
に照らすと、同条は、行政事件訴訟法四二条を受けて、住民訴訟として提起するこ
とが許される各種訴訟類型、その訴え提起の要件その他の手続を定めたものである
と解するのが相当である。そして、差止請求訴訟については、代位請求訴訟等の事
後的な請求によっては地方財務行政の適正な運営を確保できない場合を考慮して設
けられた訴訟類型である一方、財務会計上の差止請求訴訟の提起を軽々に認めた場
合には、当該地方公共団体の行政作用の円滑な運営に重大な影響を及ぼしかねない
ことにかんがみ、それを提起することができる場合を限定するために、特別の要件
を定めたものであるということができる。このことは、同法二四二条一項の「当該
行為がなされることが相当の確実さをもって予測される場合を含む。」との文言か
ら、右にいう行為がなされることの蓋然性が、差止請求訴訟の適法要件であると解
されていることからも明らかである。
したがって、同法二四二条の二第一項柱書中のただし書にいう「回復の困難な損害
を生ずるおそれ」がある場合とは、差止請求訴訟における訴訟要件であると解すべ
きである。
控訴人らは、「回復の困難な損害を生ずるおそれ」の有無を判断するには、その前
提として差止めの対象とされる行為の違法性の有無の実体的判断が不可欠であるか
ら実体要件と解すべきであると主張するが 右損害を生ずるおそれの有無を判断す
るに当たり、差止めの対象とされる行為が違法であると仮定した場合に当該行為に
より当該地方公共団体にどのような損害を生ずるおそれがあるかを判断することは
可能であるから、右主張は、採用することができない。
2 そこで、本件において、回復の困難な損害を生ずるおそれがあるか否かについ
て検討する。
(一) 前記のとおり、差止請求訴訟は、違法な財務会計上の行為を予防又は是正
し、地方財務行政の適正な運営を確保することを目的として設けられた訴訟類型で
あるから、回復の困難な損害を生ずるおそれがあるか否かについては、当該行為を
差し止めないことによって、当該地方公共団体の財政にどのような財産上の損害を
及ぼすかという観点から判断されるべきであることはいうまでもない。
そして、差止請求訴訟が、前述したところから明らかなように、違法な財務会計上
の行為を事前に予防叉は是正し、もって 地方公共団体が右財務会計上の行為によ
り財産上の損害を被ることを未然に防止することを目的とするものであることにか
んがみれば、右にいう損害は、差止めの対象とされる財務会計上の行為によって直
接地方公共団体に生ずる当該財務会計上の行為と相当因果関係のある財産上の損害
をいうものと解するのが相当である
また、前記のとおり、法は、違法な財務会計上の行為を予防又は是正するための手
段として、住民訴訟の各種訴訟類型を定めており(地自法二四二条の二第一項各
号)、違法な財務会計上の行為がされた後であっても、代位請求訴訟を提起するな
どして、当該地方公共団体が被った損害を回復する可能性があることにかんがみる
と、回復の困難な損害を生ずるおそれがあるか否かを判断するに当たっては、他の
手段により事後的に損害が回復される可能性があるかという点を合わせ考える必要
があるというべきである。
右のような観点からすると、公金の支出に関して、回復の困難な損害を生ずるおそ
れがあるか否かは、第一次的には、当該行為により生ずべき損害額の多寡それ自体
を基準として判断されるべきであり、当該行為により当該地方公共団体が被ること
が予想される損害額が少額であれば、一般に回復の困難な損害を生ずるおそれがあ
るとはいえないというべきである。他方、損害額が多額であっても、たとえば、代
位請求訴訟の被告とされ得る者の資力、地位、信用等に照らし、その損害が事後的
に容易に回復される可能性がある場合には、未だ回復の困難な損害を生ずるおそれ
があるとはいえないというべきである。また、当該行為がされても、不法行為又は
不当利得が成立する余地がないなど、法理上、代位請求訴訟により、事後的に損害
賠償又は不当利得返還等の請求をすることができない場合には、回復の困難な損害
を生ずるおそれが認められる余地があるというべきである。
(二) これを本件についてみると、本件人骨処理費は約四五〇万円であり、区が
被る損害額として必ずしも多額であるとはいえず、また、たとえ、事後的に、区長
個人を被告として、代位請求訴訟が提起されたとしても、区長個人の資力、地位、
信用等に照らし、一般的に、その負担能力を超える程に多額であるということはで
きず、法理上、事後的な回復が不可能とも考えられない。
そうすると、本件人骨処理費の支出をもって、区に回復の困難な損害を生ずるおそ
れがあるとはいえないというべきである。
(三) これに対し、原告らは、本件人骨処理費は、通常人の負担能力に照らし、
容易に弁済できる金額ではないとか、被告らは区議会による予算の議決に基づいて
本件支出負担行為等をするものであるから、不法行為に基づく損害賠償請求が認め
られるか否かは疑問であるなどと主張する。
しかしながら、本件人骨処理費は、その金額自体に照らし、区の財政上必ずしも多
額であるということはできないし、区長個人の資力、地位、信用等からして、事後
的な回復が不可能であるともいえないことは前記のとおりである。また、予算の執
行機関は、予算の適法性について審査すべき権限を有するものであり、違法な予算
議決があった場合、その違法が重大かつ明白で、看過し得ないものであるときは、
右議決に基づく執行は違法となるから、原告らが本件について主張する違法事由を
前提とする限り、法理上、被告区長らに対する損害賠償請求がおよそ認められない
ということはできない。
さらに、控訴人らは、区が十分な調査をしないまま本件人骨を火葬又は埋葬すれ
は、本件人骨の遺族らから区に対して損害賠償請求訴訟を提起され、区が損害賠償
債務を負うのは必至であり、また、その応訴のため長期間にわたり労力と費用を要
することになり、区に回復の困難な損害を生ずる旨主張する。しかしながら、前記
のとおり、ここにいう損害とは、差止めの対象である財務会計上の行為により直接
普通地方公共団体に生ずる当該財務会計上の行為と相当因果関係のある財産上の損
害をいうのであり、本件支出負担行為等についていえは、本件人骨処理費として計
上されている四四五万五〇〇〇円が支出されることによる損害、すなわち、右金額
相当額であるというべきであり、控訴人らが右に主張するような損害は、本件支出
負担行為等と相当因果関係のある財産上の損害ということはできない。
したがって、原告らの右主張は、いずれも失当である。
(四) また、原告らは、本件人骨が戦争犯罪とかかわりのあることは明らかであ
るのに、本件人骨が火葬又は埋葬されると、本件人骨の具体的由来や遺族らとのつ
ながりなどを明らかにすることが不可能となり、区の名誉、信義を毀損し、回復の
困難な損害が生ずる旨主張するが、住民訴訟の趣旨及び目的からすれば、ここにい
う損害は、抽象的・非財産的な損害を含まず、財産上の具体的な損害を意味するも
のと解すべきであり、原告らの主張するような事柄は、損害に含まれないというべ
きである。
確かに、本件人骨が火葬又は埋葬された場合には、本件人骨が形成された過程が十
分に調査、究明されないおそれが生ずることは否めないものであるが、住民訴訟
は、地方公共団体の行政行為一般を対象とするものではなく、あくまで、違法な財
務会計上の行為の予防又は是正を目的として法が特に創設したものであることから
すれば、本件人骨の火葬又は埋葬それ自体は、非財務会計上の行為にすぎないので
あって、住民訴訟の対象にならないことは明らかである。
そうすると、原告らの主張するところは、住民訴訟における本来の目的と乖離する
ものといわざるを得ず、原告らの右主張は採用できない。
(五) 以上によれば、本件各訴えには、地自法二四二条の二第一項柱書中のただ
し書にいう「回復の困難な損害を生ずるおそれ」がないというべきである。
三 結論
以上のとおりであるから、本件各訴えは、その余の点について判断するまでもな
く、いずれも不適法なものとして却下すベきこととなる。
〔引用部分終了〕
二 よって、控訴人らの本件訴えを却下すべきものとした原判決は相当であり、本
件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき行政事
件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決
する。

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