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平成28年12月6日判決言渡同日原本領収裁判所書記官
平成27年(ワ)第29001号特許権侵害差止請求事件
口頭弁論の終結の日平成28年10月11日
判決
原告デビオファーム・インターナショナル・エス・アー
同訴訟代理人弁護士大野聖二
同大野浩之
同木村広行
同訴訟代理人弁理士松任谷優子
同訴訟復代理人弁護士多田宏文
被告マイラン製薬株式会社
同訴訟代理人弁護士村田真一
同訴訟代理人弁理士大門良仁
主文
1原告の請求をいずれも棄却する。
2訴訟費用は原告の負担とする。
3この判決に対する控訴のための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1請求
1被告は,別紙被告製品目録1,2及び3記載の製剤を生産,譲渡,輸入又は
譲渡の申出をしてはならない。
2被告は,別紙被告製品目録1,2及び3記載の製剤を廃棄せよ。
第2事案の概要
本件は,発明の名称を「オキサリプラチン溶液組成物ならびにその製造方法
及び使用」とする発明についての特許権を有する原告が,被告による別紙被告
製品目録1ないし3記載の各製剤(以下「被告製品」と総称する。)の生産等が
上記特許権を侵害していると主張して,被告に対し,特許法100条1項及び
2項に基づき,被告製品の生産等の差止め及び廃棄を求める事案である。
1前提事実(証拠を掲記したほかは,当事者間に争いがない。)
(1)当事者
ア原告は,医薬品等の製造,販売及び輸出等を業とし,スイス法に準拠し
て設立された法人である。
イ被告は,医薬品等の製造,販売等を業とする株式会社である。
(2)原告の特許権
原告は,次の特許権(以下「本件特許権」といい,これに係る特許を「本
件特許」という。また,本件特許出願の願書に添付された明細書を「本件明
細書」という。)を有している(甲2)。
ア特許番号第4430229号
イ発明の名称オキサリプラチン溶液組成物ならびにその製造方法及び
使用
ウ出願日平成11年2月25日
エ登録日平成21年12月25日
オ優先日平成10年2月25日
(優先権主張国英国)
(3)本件特許の特許請求の範囲
本件特許に係る特許請求の範囲の請求項1には,次のとおり記載されてい
る(以下,この発明を「本件発明」という。)。
「オキサリプラチン,有効安定化量の緩衝剤および製薬上許容可能な担体
を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物であって,製薬上許容可能な
担体が水であり,緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり,
緩衝剤の量が,以下の:
(a)5x10-5
M~1x10-2
M,
(b)5x10-5
M~5x10-3
M,
(c)5x10-5
M~2x10-3
M,
(d)1x10-4
M~2x10-3
M,または
(e)1x10-4
M~5x10-4

の範囲のモル濃度である,組成物。」
(4)本件発明の構成要件
本件発明を構成要件に分説すると,次のとおりである(以下,分説した構
成要件をそれぞれの符号に従い「構成要件A」のようにいう。)。
Aオキサリプラチン,
B有効安定化量の緩衝剤および
C製薬上許容可能な担体を包含する
D安定オキサリプラチン溶液組成物であって,
E製薬上許容可能な担体が水であり,
F緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり,
G緩衝剤の量が,以下の:
(a)5x10-5
M~1x10-2
M,
(b)5x10-5
M~5x10-3
M,
(c)5x10-5
M~2x10-3
M,
(d)1x10-4
M~2x10-3
M,または
(e)1x10-4
M~5x10-4

の範囲のモル濃度である,組成物
(5)特許無効審判請求及び訂正請求
ア原告は,ホスピーラ・ジャパン株式会社(以下「ホスピーラ」という。)
が請求人となった本件特許に係る無効審判請求事件(無効2014-80
0121号事件)の手続において,本件特許に係る特許請求の範囲の請求
項1を訂正する旨請求した(以下「本件訂正」といい,同訂正請求に係る
請求項1記載の発明を「本件訂正発明」という。)。
イ特許庁は,平成27年7月14日,上記訂正請求を認め,無効審判請求
が成り立たない旨の審決をした(以下「本件審決」という。)。
ウホスピーラは,同年8月21日付けで,本件審決の取消訴訟を提起した。
なお,上記訴訟は,本件口頭弁論終結時点で係属中であり,本件審決は
確定していない。
(6)本件訂正後の特許請求の範囲
本件訂正後の特許請求の範囲の請求項1には,次のとおり記載されている
(なお,訂正部分に下線を付した。)。
「オキサリプラチン,有効安定化量の緩衝剤および製薬上許容可能な担体
を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物であって,製薬上許容可能な
担体が水であり,緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり,
1)緩衝剤の量が,以下の:
(a)5x10-5
M~1x10-2
M,
(b)5x10-5
M~5x10-3
M,
(c)5x10-5
M~2x10-3
M,
(d)1x10-4
M~2x10-3
M,または
(e)1x10-4
M~5x10-4

の範囲のモル濃度である,pHが3~4.5の範囲の組成物,あるい

2)緩衝剤の量が,5x10-5
M~1x10-4
Mの範囲のモル濃度で
ある,組成物。」
(7)本件訂正発明の構成要件
本件訂正発明を構成要件に分説すると,次のとおりである(なお,訂正部
分に下線を付した。)。
Aオキサリプラチン,
B有効安定化量の緩衝剤および
C製薬上許容可能な担体を包含する
D安定オキサリプラチン溶液組成物であって,
E製薬上許容可能な担体が水であり,
F緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり,
G’11)緩衝剤の量が,以下の:
(a)5x10-5
M~1x10-2
M,
(b)5x10-5
M~5x10-3
M,
(c)5x10-5
M~2x10-3
M,
(d)1x10-4
M~2x10-3
M,または
(e)1x10-4
M~5x10-4

の範囲のモル濃度である,pHが3~4.5の範囲の組成物,あるい

G’22)緩衝剤の量が,5x10-5
M~1x10-4
Mの範囲のモル濃
度である,組成物。
(8)被告の行為等
ア被告は,遅くとも平成26年12月12日以降,別紙被告製品目録記載
1及び2の各製剤につき,また,遅くとも平成27年6月19日以降,同
目録記載3の製剤につき,それぞれ製造,輸入又は販売を行っている。
イ被告製品には,オキサリプラチンが溶媒中で分解して生じたシュウ酸イ
オン(以下「解離シュウ酸」という。)が含まれている。
被告製品は,本件発明の構成要件A,C及びEをいずれも充足する。
(9)本件特許の優先日より前に頒布された文献
本件特許の優先日より前に,以下の文献が頒布されている。
ア国際公開第96/04904号公報(平成8(1996)年2月22日
国際公開(乙1の1)。以下「乙1の1公報」といい,同公報の請求項1
に記載された発明を「乙1発明」という。)
イ「制癌性白金錯体の研究」と題するReviews(甲14。以下「甲
14文献」といい,同文献に記載された発明を「甲14発明」という。)
2争点
(1)被告製品が本件発明の技術的範囲に属するか(争点1)
(構成要件B,D,F及びGの充足性)
(2)本件特許が特許無効審判により無効にされるべきものか(争点2)
ア新規性欠如(争点2-1)
(ア)乙1発明に基づく新規性欠如
(イ)甲14発明に基づく新規性欠如
イ進歩性欠如(争点2-2)
(ア)乙1発明に基づく進歩性欠如
(イ)甲14発明に基づく進歩性欠如
ウ実施可能要件違反及びサポート要件違反(争点2-3)
エ明確性要件違反(争点2-4)
(3)本件訂正により無効理由が解消するか等(争点3)
ア本件訂正により無効理由が解消するか(争点3-1)
イ被告製品が本件訂正発明の技術的範囲に属するか(争点3-2)
(4)本件訂正による新たな無効理由の存否(争点4)
ア本件訂正発明に係る進歩性欠如(争点4-1)
イ本件訂正発明に係るサポート要件違反及び実施可能要件違反(争点4-
2)
3争点に関する当事者の主張
(1)争点1(被告製品が本件発明の技術的範囲に属するか)について
(原告の主張)
ア構成要件Bの充足性について
(ア)「緩衝剤」について
a次のとおりの本件発明に係る特許請求の範囲や本件明細書の記載等
に照らせば,「緩衝剤」とは,オキサリプラチン溶液組成物に現に含
まれるすべての緩衝剤であり,添加したシュウ酸のみならず解離シュ
ウ酸を含むと解すべきである。
(a)本件発明に係る特許請求の範囲には,「オキサリプラチン,有効
安定化量の緩衝剤および製薬上許容可能な担体を包含する安定オキ
サリプラチン溶液組成物であって,」及び「緩衝剤の量が,以下
の:」と記載されているところ,「包含」とは,文言上「つつみこ
み,中に含んでいること」を意味する。また,本件発明は,「物」
の発明であるから,「緩衝剤」の意義は,製造工程を措いてオキサ
リプラチン溶液組成物という物を基準に解釈すべきである。この点,
当業者は,添加されたものであるか否かによって「緩衝剤」を区別
していない。
(b)本件明細書には,「緩衝剤という用語は,本明細書中で用いる場
合,オキサリプラチン溶液を安定化し,それにより望ましくない不
純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプ
ラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる酸性
または塩基性剤を意味する。」(段落【0022】)と定義され,「緩
衝剤は,有効安定化量で本発明の組成物中に存在する。緩衝剤は…
(中略)…の範囲のモル濃度で存在するのが便利である。」(段落
【0023】。下線は引用者による。)と記載されており,添加され
ているか否かではなく,組成物中に存在するか否かによって「緩衝
剤」を検討すべきものとされている。
(c)本件明細書には,シュウ酸を添加していない実施例18(b)が
記載されており,同実施例と非常に微量のシュウ酸ナトリウム又は
シュウ酸を付加した実施例1及び実施例8の各実験結果,すなわち,
いずれも5mg/mlのオキサリプラチンを使用しているが,各実
施例で生じた不純物(ジアクオDACHプラチン,ジアクオDAC
Hプラチン二量体及び不特定不純物)の量に大きな差がなかったと
いう結果によれば,シュウ酸の全部又は大半を占める解離シュウ酸
が,不純物の生成を防止し又は遅延させるにあたって支配的な働き
を果たしているといえ,安定性に寄与している。
bなお,被告は,①辞典等の記載や専門家の意見,本件特許に対応す
る米国特許(以下「対応米国特許」という。)及びブラジル特許(以
下「対応ブラジル特許」といい,対応米国特許と併せて「対応外国特
許」という。)の各出願経過,実施例18(b)が比較例にすぎない
ことなどに照らせば,「緩衝剤」に解離シュウ酸は含まれず,②仮に,
「緩衝剤」に解離シュウ酸が含まれると解すると,乙1発明より安定
性を向上させるという本件発明の効果と矛盾することになるなどと主
張する。
しかしながら,①については,本件発明における「緩衝剤」の解釈
には,辞典等に記載された一般的な意義より本件明細書の定義(段落
【0022】)を優先させるべき(特許法70条2項,特許法施行規
則24条,同規則様式29備考8)であり,また,上記専門家の各意
見は,いずれも一般的な意義に基づくものである上,本件明細書で定
義された「緩衝剤」とは異なるpH緩衝剤に係る説明をするなど本件
明細書の記載に基づく解釈をしていない。加えて,特許権に係る属地
主義に照らせば,対応外国特許の出願経過が日本における特許の技術
的範囲の解釈に影響する余地はなく,この点を措いたとしても,上記
各出願過程において,出願人から「緩衝剤」の意義を添加した試薬に
限定する旨は述べられていない。したがって,被告が指摘する上記各
事情によって,本件発明における「緩衝剤」を限定的に解釈するべき
ではない。
次に,②については,本件発明の効果は,被告の主張するようなも
のではない。本件発明と乙1発明の技術的思想は異なる(具体的には,
本件発明は,含有されるシュウ酸またはそのアルカリ金属塩の量,安
定性等で特定した発明であるのに対し,乙1発明は,オキサリプラチ
ンの濃度,pH,安定性等で特定した発明である。)から,本件発明
の目的は,乙1発明と比較して安定なものを提供することではなく,
乙1発明と同様に,凍結乾燥粉末の形態で利用可能であったオキサリ
プラチンにつき,凍結乾燥物質の欠点(段落【0012】ないし【0
016】)を克服して,2年以上の保存期間中,製薬上安定である,
すぐに使える(RTU)形態のオキサリプラチン溶液組成物を提供す
ること(段落【0017】)である。そして,被告の主張するような
オキサリプラチンの水溶液に係る可逆反応を前提とすれば,オキサリ
プラチンの分解が生じる解離シュウ酸であってもオキサリプラチンの
分解を防止又は遅延させ製薬上の安定という効果を実現することがで
きるから,「緩衝剤」に解離シュウ酸を含むと解しても,何ら本件発
明と矛盾することはない。なお,本件明細書に記載された「オキサリ
プラチンの従来既知の水性組成物」(段落【0031】)とは,乙1発
明のオキサリプラチン水溶液ではなく,凍結乾燥物質を再構築したよ
うな製薬上安定とはいえない水性組成物をいう。
(イ)「安定」について
a本件明細書には,「本発明は,製薬上安定なオキサリプラチン溶液
組成物,癌腫の治療におけるその使用方法,このような組成物の製造
方法,およびオキサリプラチンの溶液の安定化方法に関する。」(段落
【0001】),「すぐに使える形態の製薬上安定なオキサリプラチン
溶液組成物を提供することによりこれらの欠点を克服することが,本
発明の目的である。」(段落【0017】)と記載されている。
よって,上記(ア)bで述べたとおり,「安定」とは,製薬上安定を
意味する。
bなお,被告は,「安定」は,乙1発明との比較において,不純物の
量が有意に少ないことであると主張する。
しかしながら,上記(ア)bで述べたとおり,本件発明と乙1発明の
技術的思想は異なる。そして,本件発明の目的である「すぐに使える
形態の製薬上安定なオキサリプラチン溶液組成物を提供することによ
りこれらの欠点を克服すること」(段落【0017】)における「欠点」
とは,「製薬上安定」を実現することで克服できるものをいうところ,
乙1発明のオキサリプラチン溶液組成物は,既に「製薬上安定」であ
る(段落【0010】参照)。
よって,「安定」の意義を乙1発明との比較において解することは
できない。
(ウ)小括
以上を前提に,被告製品は,有効安定化量とされる構成要件Gに規定
されたモル濃度のシュウ酸を含んでいることを考慮すると,被告製品は,
構成要件Bを充足する。
イ構成要件Dの充足性について
上記ア(イ)で述べたとおり,「安定」とは,製薬上安定であることであ
り,被告製品は,製薬上安定したオキサリプラチン溶液組成物であるから,
構成要件Dを充足する。
ウ構成要件F及びGの充足性について
上記ア(ア)で述べたとおり,「緩衝剤」には解離シュウ酸も含まれ,被
告製品は,構成要件Gに示された範囲のモル濃度の解離シュウ酸を含む組
成物であるから,構成要件F及びGをいずれも充足する。
(被告の主張)
ア構成要件Bの充足性について
(ア)「緩衝剤」について
a次のとおりの本件発明に係る特許請求の範囲や本件明細書の記載等
に照らせば,「緩衝剤」とは,添加された試薬に限られ,解離シュウ
酸は含まれないと解すべきである。
(a)本件明細書には,「…水性溶液中では,オキサリプラチンは,時
間を追って,分解して,種々の量のジアクオDACHプラチン(式
I),ジアクオDACHプラチン二量体(式II)およびプラチナ
(IV)種(式III):」(段落【0013】),「を不純物として生成
し得る,ということが示されている。任意の製剤組成物中に存在す
る不純物のレベルは,多くの場合に,組成物の毒物学的プロフィー
ルに影響し得る」(段落【0016】)として,オキサリプラチン水
溶液の安定性の課題が示され,その課題を解決するために,「不純
物を全く生成しないか,あるいはこれまでに知られているより有意
に少ない量でこのような不純物を生成するオキサリプラチンのより
安定な溶液組成物を開発することが望ましい。」(段落【0016】)
とされ,従来技術である乙1発明(段落【0010】)は「これま
でに知られている」オキサリプラチン水溶液に含まれる。また,本
件明細書には,本件発明の目的につき,「前記の欠点を克服し,そ
して長期間の,即ち2年以上の保存期間中,製薬上安定である,す
ぐに使える(RTU)形態のオキサリプラチンの溶液組成物が必要
とされている。したがって,すぐに使える形態の製薬上安定なオキ
サリプラチン溶液組成物を提供することによりこれらの欠点を克服
すること」(段落【0017】)と記載され,上記課題の解決手段と
して,「有効安定化量の緩衝剤」を包含することとされている(段
落【0018】)。
このように,本件発明の課題解決手段は,従来技術とされていた
乙1発明より有意に少ない量で,不純物を生成するオキサリプラチ
ンのより安定な溶液組成物を調製するために十分な緩衝剤を存在さ
せることにある。そして,乙1発明には,解離シュウ酸が含まれて
いるから,上記調製には,解離シュウ酸とは別にシュウ酸を添加す
ることが必要となる。
(b)本件明細書には,「本発明はさらに,オキサリプラチンの溶液を
安定化するための方法であって,有効安定化量の緩衝剤を前記の
溶液に付加することを包含する方法に関する。この方法の好まし
い局面では,溶液は水性(水)溶液であり,緩衝剤はシュウ酸ま
たはそのアルカリ金属塩である。」(段落【0027】。下線は引用
者による。)と記載されている。
(c)「緩衝剤」は「緩衝液をつくるために用いられる試薬の総称」
であり(乙12),「緩衝液」は「緩衝作用をもつ溶液」であって
「緩衝作用」は「そとからの作用に対して,その影響を和らげよ
うとする作用」であるから,「緩衝剤」とは,一般に,そとからの
作用に対してその影響を和らげるために用いられる試薬の総称と
いえる。また,薬品に関する文献(乙39ないし42)では,「緩
衝剤」とは添加する試薬に限られることが前提とされている。
(d)本件発明の構成要件Fには,「緩衝剤」は「シュウ酸またはその
アルカリ金属塩」であると規定されている。この点,解離シュウ
酸は「シュウ酸」又は「そのアルカリ金属塩」ではなく「シュウ
酸イオン」であり,文言上,「緩衝剤」に当たらない。仮に,解離
シュウ酸が「緩衝剤」に含まれるとすると,シュウ酸のアルカリ
金属塩を添加した場合,緩衝剤としてシュウ酸を使用したとも,
シュウ酸のアルカリ金属塩を使用したともいえることになる。
(e)本件明細書には,「緩衝剤」は,「本明細書中で用いる場合,オキ
サリプラチン溶液を安定化し,それにより望ましくない不純物,例
えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二
量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる酸性または塩
基性剤を意味する。」(段落【0022】)とされ,①オキサリプラ
チン溶液を安定化し,②それにより望ましくない不純物の生成を防
止するか又は遅延させ得るものではなければならない。
①については,上記(a)で述べたとおり,「安定化」とはこれまで
に知られているオキサリプラチン水溶液より有意に少ない量で不純
物を生成することと解される(段落【0016】【0031】)が,
これまでに知られているオキサリプラチン水溶液である乙1発明に
開示されたオキサリプラチン水溶液に含まれる解離シュウ酸では上
記の意味における「安定化」を実現できない。
また,②については,本件特許の優先日当時,化学平衡に達する
までオキサリプラチンが分解されてジアクオDACHプラチン及び
シュウ酸イオンが生成され,その反応が次の式の可逆反応であるこ
とが知られていた(乙2)。
そうすると,解離シュウ酸は,不純物であるジアクオDACHプ
ラチンと同時に生成されるから,不純物の生成の防止又は遅延させ
る「緩衝剤」に該当しない。この点は,当業者の理解とも合致する
(乙13,37,38)。
(f)本件明細書には,実施例として,オキサリプラチン水溶液にシュ
ウ酸を添加した例が挙げられている(実施例1ないし17)。
(g)本件特許の対応米国特許の出願過程において,出願人は,オキサ
リプラチンの溶液組成物に有効安定化量の緩衝剤を添加することに
より,不純物を全く生成しないかIbrahimらの発明(乙1発
明)の水溶性組成物より有意に少ない量で当該不純物を生成するオ
キサリプラチンのより安定な溶液組成物を得ることができることを
発見した旨述べ,対応ブラジル特許の出願過程において,出願人は,
「本願発明にあるシュウ酸を緩衝剤として加えれば,不純物が発生
しない」旨述べている。このように,本件特許の対応外国特許の出
願過程において,出願人は,緩衝剤を添加することが本件発明の技
術的思想であると明示している。
以上によれば,構成要件Bの「緩衝剤」とは,オキサリプラチンの
分解を和らげて安定化を図るために添加される試薬に限られると解さ
れる。この点,当業者も,同旨の理解をしている(乙13等)。
bなお,原告は,本件明細書に記載された「実施例」のうち,シュウ
酸が添加されていない実施例18(b)も実施例であると主張する。
しかしながら,本件明細書において,オキサリプラチン溶液に添加
するシュウ酸ナトリウム溶液は「緩衝液」,「緩衝溶液」とされ(段落
【0047】,【0056】,【0059】,【0061】等),シュウ酸
ナトリウム溶液を添加していない比較例18のオキサリプラチン溶液
組成物は「非緩衝化オキサリプラチン溶液組成物」(下線は引用者に
よる。)とされており(段落【0073】),比較例18のオキサリプ
ラチン溶液組成物が「緩衝剤」を含まないことが前提とされている。
また,本件特許の対応米国特許及び対応ブラジル特許の各出願過程に
おいて,出願人は,実施例18(b)ないしこれに対応する明細書の
記載が比較例であることを自認している。
よって,本件明細書の実施例18(b)は比較例にすぎない。
(イ)「安定」について
上記(ア)で述べたとおり,本件明細書の記載(段落【0016】【0
031】等)や対応外国特許の各出願経過等に照らせば,「安定」とは,
これまでに知られているオキサリプラチン水溶液(乙1発明のオキサリ
プラチン水溶液等)より有意に少ない量で不純物を生成することと解さ
れる。
(ウ)小括
被告製品は,シュウ酸又はそのアルカリ金属塩が添加されておらず
(甲5参照),乙1発明と同一の構成であるから,構成要件Bを充足し
ない。
イ構成要件Dの充足性について
上記ア(イ)で述べた「安定」の意義及び被告製品の構成に照らせば,被
告製品は,構成要件Dを充足しない。
ウ構成要件F及びGの充足性について
上記ア(ア)によれば,「緩衝剤がシュウ酸」とは,添加シュウ酸に限ら
れるところ,被告製品は,構成要件Gの示す範囲のモル濃度の解離シュウ
酸を含む組成物にすぎず,添加シュウ酸は含まれないから,構成要件F及
びGをいずれも充足しない。
(2)争点2(本件特許が特許無効審判により無効にされるべきものか)につい

ア争点2-1(新規性欠如)について
(被告の主張)
(ア)乙1発明に基づく新規性欠如について
a仮に,「緩衝剤」に解離シュウ酸が含まれ,「安定オキサリプラチン
溶液」が既存のオキサリプラチン溶液に比べて有意に少ない量で不純
物を生成するものに限られないと解すると,次のとおり,本件発明は,
本件特許の優先日前に公開されていた乙1の1公報に開示された発明
(乙1発明)と同一である。
(a)乙1発明は,「濃度が1ないし5mg/mlでpHが4.5ないし
6のオキサリプラティヌムの水溶液からなり…(中略)…オキサリ
プラティヌムの医薬的に安定な製剤」(乙1の1公報【請求項1】)
に係る発明であり,5mg/mlの安定なオキサリプラチン水溶液
であるから,構成要件A,C,D及びEを充足する。
オキサリプラチンの水溶液中における分解によってシュウ酸イオ
ン(解離シュウ酸)が生じ,乙1発明のオキサリプラチン水溶液に
はシュウ酸イオンが不可避的に含まれるから,乙1発明は,構成要
件B及びFを充足する。
また,乙1発明には,明示的には,オキサリプラチンの水溶液中
に存在する解離シュウ酸のモル濃度は開示されていない。しかし,
安定性試験の結果(乙4)には,純粋なオキサリプラチンを水に溶
かした場合に6.7x10-5
M程度のモル濃度のシュウ酸イオンが
生じることが示されており,乙1発明に係る特許の無効審判請求事
件(無効2010-800191号)で原告が提出した再現実験結
果(乙5)にも,5mg/mlの濃度のオキサリプラチン水溶液を
保存して12か月経過後に同水溶液中に存在する解離シュウ酸のモ
ル濃度が構成要件Gで示された範囲内であることが示されているか
ら,乙1発明は,構成要件Gを充足する。
(b)仮に,乙1発明が,5mg/mlではなく2mg/mlの濃度の
オキサリプラチン水溶液を直接開示するにすぎないとしても,安定
性試験の結果(乙15)によれば,上記濃度のオキサリプラチンの
水溶液中に存在する解離シュウ酸の濃度が構成要件Gに示された濃
度の範囲内の7.3×10-5
M,8.0×10-5
M及び8.4×
10-5
Mであるといえるから,乙1発明は,本件発明のすべての
構成要件を充足する。
以上によれば,本件発明は新規性を欠くから,本件特許は,特許法
29条1項3号及び123条1項2号に基づき,特許無効審判により
無効にされるべきものである。
bなお,原告は,本件発明は,①シュウ酸のモル濃度の開示の有無や
②シュウ酸の位置づけ(乙1発明では「不純物」とされ,本件発明で
は「緩衝剤」とされていること)において乙1発明と相違しているか
ら,新規性は否定されない旨主張する。
しかしながら,①の点については,上記aで述べたところによれば,
相違点とはならない。なお,原告は,上記①の主張の裏付けとして,
5mg/mlの濃度のオキサリプラチン水溶液中に存在する解離シュ
ウ酸の濃度が構成要件Gの示すモル濃度の範囲外となった実験結果
(甲16)を提出するが,乙1発明に係る実施例に基づいて適正に調
製及び測定が実施されたものか疑問である上,水溶液の保存経過期間
を2週間という不合理な短期間にして得られた結果であるから,信用
性がない。
また,②の点については,シュウ酸が「不純物」か「緩衝剤」であ
るかという主観的な目的にかかわらず,「物」として同一である(特
許庁「特許・実用実案審査ハンドブック付属書B第3章医薬発明」
(乙36)参照)から,本件発明と乙1発明におけるシュウ酸を別異
と解すべきではない。
(イ)甲14発明に基づく新規性欠如について
仮に,「緩衝剤」に解離シュウ酸が含まれると解すると,本件発明は,
本件特許の優先日以前に刊行された甲14文献に開示された発明(甲1
4発明)と同一である。
すなわち,甲14発明は,7.9mg/mlの濃度の安定オキサリプ
ラチン水溶液を開示しているから,構成要件AないしFを充足する。
そして,上記濃度のオキサリプラチン水溶液に係る安定性試験(乙3
5)には,同溶液中の解離シュウ酸のモル濃度が構成要件Gに示された
モル濃度の範囲内である6.3×10-5
Mになったことが示されてい
るから,甲14発明は構成要件Gを充足する。
以上によれば,本件発明は新規性を欠き,本件特許は,特許法29条
1項3号及び123条1項2号に基づき,特許無効審判により無効にさ
れるべきものである。
(原告の主張)
(ア)乙1発明に基づく新規性欠如について
a上記(1)(原告の主張)ア(ア)bで述べたとおり,本件発明と乙1
発明は,技術的思想が全く異なり,次の相違点(以下,順に「相違点
①」,「相違点②」という。)があるから,同一ではない。
(a)本件発明には,含有される緩衝剤としてのシュウ酸のモル濃度が
開示されているが,乙1発明には開示されていない
(b)本件発明では,シュウ酸又はアルカリ金属塩が緩衝剤とされてい
るが,乙1発明では,シュウ酸が不純物として開示されている。
よって,乙1発明によって本件発明の新規性は否定されない。
bなお,被告は,相違点①について,再現実験の結果によれば,乙1
発明のオキサリプラチン水溶液に含まれるシュウ酸の濃度が構成要件
Gに示された範囲に含まれることをもって,相違点①が実質的には相
違点とはならない旨主張する。
しかしながら,「刊行物に記載された発明」(特許法29条1項3
号)とは,刊行物に記載されている事項及び刊行物に記載されている
に等しい事項から把握される発明をいい,当該刊行物記載の実施例の
正確な再現とはいえない場合は「刊行物に記載された発明」とはいえ
ないところ,被告が乙1発明に係る実施例の再現実験であると主張す
る実験(乙4,5,15,46,47)は,いずれも乙1発明に係る
実施例とは異なる条件に基づいた実験である。具体的には,乙4,5,
46及び47の各実験は,乙1発明に開示された2mg/mlのオキ
サリプラチン水溶液ではなく5mg/mlのオキサリプラチン水溶液
を用いており,乙15の実験は,乙1発明に係る実施例と異なり,オ
ートクレーブ処理が実施されており,50mlガラスバイアル中に4
0mlしか充填されておらず,20%もの空間を設けて密封されてお
り,pHの値が5ではなく5.6とされている。よって,これらの実
験は,乙1発明に係る実施例を正確に再現していないから,本件発明
の新規性を否定する根拠にならない。
(イ)甲14発明に基づく新規性欠如について
a本件発明と甲14発明は,少なくとも次の相違点があるから,同一
ではない。
すなわち,甲14発明は,オキサリプラチンの溶解度を開示してい
るが,オキサリプラチン溶液組成物,それが製薬上安定であること,
緩衝剤の濃度の範囲及びシュウ酸が緩衝剤であることを開示していな
いのに対し,本件発明は,甲14が開示していない上記各事項をいず
れも開示している。
よって,甲14発明によって本件発明の新規性は否定されない。
bなお,被告は,乙35の実験結果によれば,上記aの相違点は実質
的に相違点とはならない旨主張するようである。
しかしながら,甲14発明には,オキサリプラチンの溶解度7.9
mg/mlという物性だけであり,オキサリプラチン水溶液やその調
製方法・条件,保存条件などの具体的な構成が開示されていないから,
そもそも,具体的なオキサリプラチン水溶液を正確に再現すること自
体不可能である。よって,乙35の実験は,甲14発明に係る正確な
再現実験であるとはいえず,これをもって,本件発明の新規性は否定
されない。
イ争点2-2(進歩性欠如)について
(被告の主張)
(ア)乙1発明に基づく進歩性欠如①
a仮に,乙1発明に5mg/mlではなく2mg/mlの濃度のオキ
サリプラチン水溶液が開示されているにすぎず,本件発明と乙1発明
に相違点が存在したとしても,本件発明は,乙1発明自体に基づき,
進歩性を欠く。
(a)乙1発明には,少なくとも,1ないし5mg/mlの濃度で製薬
上安定なオキサリプラチン製剤が得られることが示唆されている
(乙1発明に係る請求項1)。そして,安定なオキサリプラチン水
溶液の調製は,当業者において望まれるものであったから(本件明
細書の段落【0013】ないし【0017】),当業者において,臨
床上使用されていた凍結乾燥製剤の水溶液の調製濃度と等しい(乙
11)5mg/mlオキサリプラチン水溶液を調製する動機付けが
十分に存在した。また,甲14文献には,オキサリプラチン水溶液
の溶解度が7.9mg/mlであることが示されていたから,7.
9mg/mlの濃度に至るまでのオキサリプラチン水溶液を調製す
ることは既に知られていた技術といえ,5mg/mlの濃度のオキ
サリプラチン水溶液を調製することは技術的に困難ではなかった。
したがって,当業者は,乙1発明に開示された2mg/mlの濃
度の安定オキサリプラチン水溶液を5mg/mlの濃度に調整する
構成を容易に想到できた。
(b)また,安定性試験の結果(乙5)には,安定な5mg/mlのオ
キサリプラチン水溶液を調製するとオキサリプラチン水溶液の分解
により生じる解離シュウ酸の濃度が構成要件Gの範囲内となること
が示されている。
(c)以上によれば,当業者は,乙1発明に基づき,解離シュウ酸の濃
度を構成要件Gの示す範囲に調整した本件発明の構成を容易に想到
することができたといえる。
よって,本件発明は,乙1発明によって進歩性を欠くから,本件
特許は,特許法29条2項及び123条1項2号に基づき,特許無
効審判により無効にされるべきものである。
bなお,原告は,①5mg/mlの濃度のオキサリプラチン水溶液に
は構成要件Gに示された範囲の濃度の解離シュウ酸が存在しない,②
本件発明と乙1発明とではシュウ酸の位置づけが相違することなどを
指摘して,当業者において,乙1発明から本件発明の構成を想到でき
ない旨主張する。
しかしながら,①については,上記ア(被告の主張)(ア)a(a)で
述べたとおり,再現実験の結果(乙4,5,15)によれば,5mg
/mlの濃度のオキサリプラチン水溶液には構成要件Gの示す範囲内
の解離シュウ酸が存在することは明らかであり,この結果と矛盾する
実験結果(甲16)は信用できない。また,②については,上記ア
(被告の主張)(ア)bで述べたとおり,オキサリプラチン水溶液にシ
ュウ酸が含まれているという組成が同一である以上,両発明における
シュウ酸を別異に解すべきではなく,相違点であるとはいえない。
(イ)乙1発明に基づく進歩性欠如②
a乙1発明には,少なくとも「解離シュウ酸を含む製薬上安定なオキ
サリプラチン水溶液」が開示されている。
仮に,乙1発明に開示されたオキサリプラチン水溶液に存在する解
離シュウ酸の濃度が構成要件Gに示された範囲外であるとしても,解
離シュウ酸が「緩衝剤」に含まれるか否かにかかわらず,乙1発明に
対して,次のとおりの本件優先日当時における白金錯体を含む抗がん
剤(以下「白金抗がん剤」という。)並びに化学反応の速度論及び平
衡定数に関する周知技術を組み合わせれば,当業者において,乙1発
明に開示されたオキサリプラチン水溶液に含まれる「緩衝剤」の濃度
を構成要件Gに示された濃度の範囲内に調整することは,容易に想到
できた。
(a)白金抗がん剤に関する周知技術
白金抗がん剤は,シスプラチン(第1世代),カルボプラチン・
テトラプラチン等(第2世代),オキサリプラチン等(第3世代)
と改良開発されている(乙26,乙27,乙28)。
本件特許の優先日当時,特に上記第1世代及び第2世代の白金抗
がん剤(シスプラチン,テトラプラチン,JM40,スピロプラチ
ン,カルボプラチン等)の溶液組成物につき,不純物とされていた
脱離基の溶液組成物中の濃度を増加させることで安定化する技術が
周知であった(乙9,乙10,乙21ないし23)。また,当業者
において,白金抗がん剤の各世代間でそれぞれの技術が適用し得る
ことが認識されていた。そうすると,当業者において,上記の安定
化の技術を第3世代のオキサリプラチンに適用することは,当然に
想到できたといえる。
さらに,本件特許の優先日当時,脱離基のモル濃度を構成要件G
に示された範囲内に調整する技術も知られていた(乙10)から,
当業者において,オキサリプラチンの溶液組成物につき,脱離基の
モル濃度を上記の範囲に調整することは容易に想到できた。
(b)化学反応の速度論及び平衡定数に関する周知技術
上記(1)(被告の主張)ア(ア)a(e)で述べたとおり,本件特許の
優先日以前において,以下の式のとおり,オキサリプラチンの分解
による可逆反応が生じ,平衡状態に達することが知られていた。そ
うすると,オキサリプラチン水溶液中のシュウ酸の濃度を上昇させ
ることによってオキサリプラチンを再合成する反応を促進させ,オ
キサリプラチンの濃度を高めることによって安定化が図られること
は,当業者において周知であったといえる。
そして,当業者であれば,上記反応式から次の式による平衡定数
の式を想到することができたといえ,その分子のシュウ酸の濃度が
増大すれば,必然的に上記式の分母のオキサリプラチン濃度が増大
する関係にあることも当然に理解できたといえる。
以上によれば,より安定なオキサリプラチン製剤を求める当業者
は,毒性のあるジアクオDACHプラチンを減少させるために,上
記周知技術を適用し,シュウ酸を添加してシュウ酸イオンの濃度を
増大させてオキサリプラチンの分解を抑制する構成を想到すること
につき,強い動機付けがあったといえる。
よって,本件発明は,乙1発明に上記周知技術を組み合せると進
歩性を欠くから,本件特許は,特許法29条2項,123条1項2
号に基づき,特許無効審判により無効にされるべきものである。
bなお,原告は,乙1発明にはシュウ酸が不純物として開示され,
シュウ酸が毒物及び劇物取締法所定の「劇物」とされていることな
どから,医薬品にシュウ酸を添加することには決定的な阻害要因が
あり,当業者は,シュウ酸を添加する構成を想到し得ないなどと主
張する。
しかしながら,上記ア(被告の主張)(ア)bで述べたとおり,不
純物であるか緩衝剤であるかは呼称の違いにすぎず,不純物とされ
ていた脱離基の濃度を増大させる技術的思想が開示されており(乙
21),シュウ酸の毒性(LD50270mg/kg)はオキサリプ
ラチンの毒性(LD5014.3~19.8mg/kg)に比べて
極めて低いことなどから,シュウ酸を添加する構成に阻害要因はな
く,乙1発明から上記構成を容易に想到できる。
(ウ)甲14発明に基づく進歩性欠如
仮に,本件発明と甲14発明は,「緩衝剤」の濃度において相違する
としても,上記(ア)及び(イ)で述べた理由は,7.9mg/mlの濃度
のオキサリプラチン水溶液を開示する甲14発明を主引例とする進歩性
欠如の理由にもあてはまる。
よって,本件発明は,甲14発明によって進歩性を欠くから,本件特
許は,特許法29条2項,123条1項2号に基づき,特許無効審判に
より無効にされるべきものである。
(原告の主張)
(ア)乙1発明に基づく進歩性欠如①
a本件発明と乙1発明には,上記ア(原告の主張)(ア)で述べたとお
り,2つの相違点(相違点①,相違点②)がある。
特に,相違点②については,乙1発明には,毒物及び劇物取締法所
定の「劇物」に該当するシュウ酸が不純物として開示されており,不
純物とされたシュウ酸を緩衝剤とすることは従来の技術思想を覆すも
のであるから,乙1発明に触れた当業者が,不純物とされたシュウ酸
を緩衝剤として,添加し,又は一定量存在させる構成を想到する動機
付けはなく,上記構成には阻害要因がある。
また,乙1発明には,既に製薬上安定なオキサリプラチン溶液が開
示されているから,当業者において,本件発明の課題,すなわち,製
薬上安定なオキサリプラチン溶液組成物を提供することを想起する動
機付けはない。加えて,本件発明と乙1発明のシュウ酸が存在する技
術的思想は異なるから,両発明が同一とはならない。
よって,乙1発明によって本件発明の進歩性は否定されない。
bなお,被告は,相違点①に関し,本件発明と乙1発明にシュウ酸の
濃度が開示され,開示されたシュウ酸の濃度が相違するとしても,実
験結果(乙4,5,46)によれば,乙1発明から本件発明に開示さ
れたシュウ酸の濃度に調整することを容易に想到できる旨主張する。
しかしながら,上記ア(原告の主張)(ア)で述べたところに加えて,
同濃度のオキサリプラチンであっても,分解によって生じる解離シュ
ウ酸の量は異なる(乙4,5,38,46,47)。むしろ,正確な
再現実験(甲16)には,5mg/mlの濃度のオキサリプラチン水
溶液に含有されるシュウ酸のモル濃度が構成要件Gに示された範囲外
となったことが示されているから,仮に,乙1発明にシュウ酸の濃度
が開示されていたとしても,当業者において,その濃度を構成要件G
の範囲に調整することを想到することはできない。
(イ)乙1発明に基づく進歩性欠如②
a上記(ア)で述べたとおり,乙1発明によって本件発明の進歩性は否
定されない。
bなお,被告は,オキサリプラチン水溶液が化学平衡の状態となるこ
とや白金抗がん剤の溶液組成物において,脱離基の濃度の増加させる
ことで安定化することが周知技術であることを前提に,乙1発明に上
記周知技術を組み合わせれば,本件発明の構成を容易に想到できる旨
主張する。
しかしながら,本件特許の優先日当時,被告の主張する周知技術は
存在していなかった。また,オキサリプラチンと,白金抗がん剤の第
1世代に含まれるシスプラチン及び第2世代に含まれるカルボプラチ
ンは,構造や配位子,分解生成物が異なるから,第1世代と第2世代
に関する技術的な知見を当然にオキサリプラチンに適用する動機付け
はない。
(ウ)甲14発明に基づく進歩性欠如
本件発明と甲14発明には,上記ア(原告の主張)(イ)で述べた相違
点があり,甲14文献に開示された内容に照らせば,少なくとも,甲1
4発明に基づき,オキサリプラチンの溶液組成物という構成を想到する
ことやそれが製薬上安定であるとの構成を想到する余地はない。また,
上記(ア)及び(イ)で述べたとおり,当業者において,シュウ酸を添加す
る構成を想到する動機付けはない。
よって,甲14発明によって本件発明の進歩性は否定されない。
ウ争点2-3(実施可能要件違反及びサポート要件違反)について
(被告の主張)
仮に「緩衝剤」に解離シュウ酸を含むと解すると,当業者は,本件明細
書の記載及び技術常識から,本件特許の優先日時点において既に知られて
いたオキサリプラチン水溶液(乙1発明)より有意に安定であるという本
件発明の効果が得られることを認識できない。本件発明は,周知技術に基
づいて同水溶液中の解離シュウ酸を含めたシュウ酸の量を数値として限定
した発明にすぎない。
そして,本件発明は,「有効安定化量の緩衝剤」を包含するものであり,
長期間(2年以上)にわたって安定して保存し得るオキサリプラチン溶液
組成物を提供するとの課題の解決手段として,「緩衝剤」である「シュウ
酸またはアルカリ金属塩」のモル濃度を構成要件Gの示す範囲に調整する
ことを要旨とするものであるが,本件明細書には,解離シュウ酸を含めた
シュウ酸(「緩衝剤」)を上記範囲に調整する方法,すなわち,本件発明の
課題解決の手段が記載されていない。
また,数値限定範囲であれば当該発明における作用効果を奏することを
裏付ける記載及びその具体例がなければ,実施可能要件及びサポート要件
を欠くところ,本件明細書には,「安定」の意義にかかわらず,シュウ酸
が構成要件Gに示された範囲のモル濃度で存在することによる効果が記載
されていないから,当業者において,解離シュウ酸を含めたシュウ酸の濃
度と「安定化」という効果の関係,「安定オキサリプラチン溶液」が得ら
れることを認識することができない。
よって,本件特許には実施可能要件違反及びサポート要件違反の無効理
由が存在するから,本件特許は,特許法36条4項(実施可能要件)ない
し同条6項1号(サポート要件)及び123条1項4号により,特許無効
審判により無効にされるべきものである。
(原告の主張)
そもそも,本件発明における「安定」とは,「製薬上安定」を意味する
(本件明細書・段落【0017】)から,被告の主張は前提において誤り
がある。
この点を措くとしても,本件発明で問題とすべきことは,「オキサリプ
ラチン溶液組成物に現に含まれる全ての緩衝剤の量」であり,本件明細書
には,実施例1~17において,製薬上安定なオキサリプラチン溶液組成
物の具体的な調製方法が開示されており,その調製時におけるオキサリプ
ラチン水溶液中の緩衝剤の量も開示されて,安定性も開示されている。ま
た,実施例18(b)において,緩衝剤を添加しない態様による製薬上安
定なオキサリプラチン溶液組成物の具体的な調製方法が開示されており,
その水溶液中の緩衝剤の量も出願当時の技術常識に基づき推計可能である。
このように,本件明細書には,調製時のオキサリプラチン水溶液中のシ
ュウ酸の濃度及びその安定性が示されている。本件明細書の実施例におけ
る「40℃75%RH」で6か月の安定性により「室温3年保存」の安定
性を推定することは技術常識である(甲8,15)。
よって,本件特許に実施可能要件違反及びサポート要件違反はない。
エ争点2-4(明確性要件違反)について
(被告の主張)
本件発明における「有効安定化量」「有効安定化量の緩衝剤」の意義は,
それぞれ,「有意に長期間の,即ち2年以上の保存期間中,製薬上安定で
ある状態であり,かつ既存のオキサリプラチンに比べて有意に安定である
状態を形成するに足りる量」,「オキサリプラチンの分解により生じるシュ
ウ酸イオンとは別に,添加したシュウ酸またはそのアルカリ金属塩」と解
するべきであり,本件明細書における一切の記載を斟酌しても,上記と異
なる解釈はできないから,上記と異なる解釈をすることは,本件明細書の
記載にない意義を「有効安定化量」,「有効安定化量の緩衝剤」に読み込む
ことになり,本件発明の技術的範囲を不明確にするものであって,明確性
要件に違反する。
よって,本件特許には明確性要件違反の無効理由が存在するから,本件
特許は,特許法36条6項2号及び123条1項4号により特許無効審判
により無効にされるべきものである。
(原告の主張)
本件発明には,構成要件Gに緩衝剤の量が範囲として示されているから,
少なくとも,上記範囲内のモル濃度を「有効安定化量」と理解するのは明
白である。また,本件発明における「緩衝剤の量」とは,「オキサリプラ
チン溶液組成物に現に含まれる全ての緩衝剤の量」であって,「緩衝剤」
には,添加シュウ酸であるか否かにかかわらず解離シュウ酸も含まれるこ
とは明らかである。
よって,本件特許は明確性要件に反しない。
(3)争点3(本件訂正により無効理由が解消するか等)について
ア争点3-1(本件訂正により無効理由が解消するか)について
(原告の主張)
本件訂正は適法であるところ,仮に,本件特許について無効理由がある
としても,本件訂正により無効理由は解消された。
(被告の主張)
本件訂正発明は,本件発明の構成要件Gに記載された緩衝剤の量を本件
訂正発明の構成要件G’1及びG’2のとおり訂正するものにすぎず,上
記(2)(被告の主張)で述べたところによれば,乙1発明が本件訂正発明
の構成要件AないしFを充足し,構成要件G’1ないしG’2の示す濃度
の範囲内のシュウ酸が存在するから,構成要件G’1及びG’2を充足す
る。
よって,本件訂正によって,本件特許の無効理由が解消されたとはいえ
ない。
イ争点3-2(被告製品が本件訂正発明の技術的範囲に属するか)につい

(原告の主張)
本件訂正による訂正は,本件発明の緩衝剤の量を構成要件Gから構成要
件G’1及びG’2のとおり訂正するものであり,当該訂正の内容に加え
て,上記(1)(原告の主張)で述べたところによれば,被告製品は,本件
訂正発明の技術的範囲に属する。
(被告の主張)
本件訂正による訂正の内容に加えて,上記(1)(被告の主張)で述べた
ところによれば,被告製品は,本件訂正発明の技術的範囲に属しない。
(4)争点4(本件訂正による新たな無効理由の存否)について
ア争点4-1(本件訂正発明に係る進歩性欠如)について
(被告の主張)
乙1発明には,pHの値が4.5~6の安定オキサリプラチン水溶液が
開示されているのに対し,本件訂正発明には「pHが3~4.5の範囲の
組成物」が開示されている。
仮に,乙1発明と本件訂正発明において,「pHが3~4.5の範囲」
の組成物であるか否かが相違点となったとしても,当業者において,乙1
発明に対して,公開特許公報(乙29。特開平9-40685号公報)及
び国際公開公報(乙30。国際公開第94/12193号)に開示された
技術を適用すれば,乙1発明の安定なオキサリプラチン水溶液に含まれる
pHの値を構成要件G’1の範囲に調整することは容易想到である。すな
わち,乙29には,白金抗がん剤であるオキサリプラチンの水溶液に係る
発明が開示され,オキサリプラチンの生成の促進及び多量体化の抑制を行
い,溶液中の不純物の少ない高純度及び高収率のオキサリプラチン水溶液
を得るとの課題を解決する手段として,pHの値を3.0~6.0,望ま
しくは4.0~5.0に調整するとの安定化方法が開示されている。また,
乙30には,オキサリプラチン溶液の安定化という課題を解決する手段と
して,pHの値を約3~5,好ましくは3.2~4.3に調整する方法が
開示されている。
そして,当業者において,白金抗がん剤の安定化に強い関心があったこ
とは知られていたから,pHの値を乙29又は乙30に示された範囲の安
定オキサリプラチン水溶液を得るために,乙1発明に対して,上記記載の
pHの値に調整する技術を適用する動機付けがあるといえ,各世代の白金
抗がん剤において,開示された溶液のpHの調整と安定性の技術(乙31
ないし34)を斟酌すれば,上記動機付けは十分である。
よって,本件訂正発明は,乙1発明に乙29ないし乙30を組み合わせ
ることによって進歩性を欠くから,本件特許には新たな無効理由がある。
(原告の主張)
上記(2)イ(原告の主張)(ア)aで述べたとおり,乙1に基づき,本件
発明の進歩性は否定されない。
また,乙29には,pHの値を調整して白金錯体の合成の効率を高める
という技術的事項は開示されているが,水溶液製剤の安定化の観点からp
Hの値を調整する技術的事項は開示されていない。また,乙30には,オ
キサリプラチン及びシスプラチンを含む組成物を凍結乾燥物として製剤化
して溶解したもののpHの値を3ないし5に調整すると数時間安定である
ことは開示されているが,オキサリプラチン溶液が開示されていない。
よって,当業者において,乙1発明に対して乙29ないし乙30を適用
する動機付けはないから,これらによって本件訂正発明の進歩性は否定さ
れない。
イ争点4-2(本件訂正発明に係るサポート要件違反及び実施可能要件違
反)について
(被告の主張)
本件明細書において,pHの値を3~4.5の範囲に調整することので
きる技術は,シュウ酸(ただし,シュウ酸イオンを除く。)を添加した実
施例10ないし13及び15ないし17にのみ示されており,pHの値に
係るその余の記載(段落【0025】)によっても,オキサリプラチンを
純水に溶解するにあたって当該pHの範囲を調整する方法,及び,当該p
Hの値と構成要件G’1ないしG’2に示されたモル濃度との関係は明ら
かではない。
このように,本件明細書には,シュウ酸の添加及びその濃度の調整とは
独立してpHの値を調整する手段やその効果は示されていないから,当業
者において,その手段及び効果を理解することができない。
そうすると,本件訂正後の本件特許は実施可能要件及びサポート要件に
反するから,本件特許には新たな無効理由がある。
(原告の主張)
少なくとも,本件明細書の実施例には,本件訂正発明に示されたpHの
値になる具体的な製薬上安定なオキサリプラチン水溶液が開示されており,
当該記載をもってpHの値を調整でき,被告製品自体にpH調整剤が添加
物として使用されてpHの値を調整しているように,従来技術を斟酌して,
pHの値を調整することは可能である。また,本件明細書には,本件訂正
発明に係る物を製造する具体的な方法が記載されている。
さらに,実施例1ないし4及び8ないし11によれば,当業者において,
本件訂正発明に係る構成が製薬上安定であることは当然に理解することが
できる。
よって,本件訂正後の本件特許に,実施可能性要件違反及びサポート要
件違反はない。
第3当裁判所の判断
1争点1(被告製品が本件発明の技術的範囲に属するか)について
(1)構成要件B,F及びGの「緩衝剤」の充足性について
ア本件発明の意義及び目的等
構成要件B,F及びGの「緩衝剤」の充足性について判断する前提とし
て,まず,本件発明の意義及び目的等を検討する。
(ア)本件明細書の記載
本件明細書の【発明の詳細な説明】には,次の各記載がある。
・本発明は,製薬上安定なオキサリプラチン溶液組成物,癌腫の治療
におけるその使用方法,このような組成物の製造方法,およびオキサ
リプラチンの溶液の安定化方法に関する。(段落【0001】)
・Ibrahim等(豪州国特許出願第29896/95号,199
6年3月7日公開)(WO96/04904,1996年2月22日
公開の特許族成員)は,1~5mg/mLの範囲の濃度のオキサリプ
ラチン水溶液から成る非経口投与のためのオキサリプラチンの製薬上
安定な製剤であって,4.5~6の範囲のpHを有する製剤を開示す
る。同様の開示は,米国特許第5,716,988号(1998年2
月10日発行)に見出される。(段落【0010】後段)
・オキサリプラチンは,注入用の水または5%グルコース溶液を用い
て患者への投与の直前に再構築され,その後5%グルコース溶液で稀
釈される凍結乾燥粉末として,前臨床および臨床試験の両方に一般に
利用可能である。しかしながら,このような凍結乾燥物質は,いくつ
かの欠点を有する。中でも第一に,凍結乾燥工程は相対的に複雑にな
り,実施するのに経費が掛かる。さらに,凍結乾燥物質の使用は,生
成物を使用時に再構築する必要があり,このことが,再構築のための
適切な溶液を選択する際にそこにエラーが生じる機会を提供する。例
えば,凍結乾燥オキサリプラチン生成物の再構築に際しての凍結乾燥
物質の再構築用の,または液体製剤の稀釈用の非常に一般的な溶液で
ある0.9%NaCl溶液の誤使用は,迅速反応が起こる点で活性成
分に有害であり,オキサリプラチンの損失だけでなく,生成種の沈澱
を生じ得る。凍結乾燥物質のその他の欠点を以下に示す:
(a)凍結乾燥物質の再構築は,再構築を必要としない滅菌物質より
微生物汚染の危険性が増大する。(段落【0012】後段)
・(b)濾過または加熱(最終)滅菌により滅菌された溶液物質に比して,
凍結乾燥物質には,より大きい滅菌性失敗の危険性が伴う。そして,
(c)凍結乾燥物質は,再構築時に不完全に溶解し,注射用物質として
望ましくない粒子を生じる可能性がある。(段落【0013】前段)
・水性溶液中では,オキサリプラチンは,時間を追って,分解して,
種々の量のジアクオDACHプラチン(式I),ジアクオDACHプ
ラチン二量体(式Ⅱ)およびプラチナ(IV)種(式Ⅲ):(段落【00
13】後段)
・【化3】
(段落【0014】)
・【化4】
(段落【0015】)
・を不純物として生成し得る,ということが示されている。任意の製
剤組成物中に存在する不純物のレベルは,多くの場合に,組成物の毒
物学的プロフィールに影響し得るので,上記の不純物を全く生成しな
いか,あるいはこれまでに知られているより有意に少ない量でこのよ
うな不純物を生成するオキサリプラチンのより安定な溶液組成物を開
発することが望ましい。(段落【0016】)
・したがって,前記の欠点を克服し,そして長期間の,即ち2年以上
の保存期間中,製薬上安定である,すぐに使える(RTU)形態のオ
キサリプラチンの溶液組成物が必要とされている。したがって,すぐ
に使える形態の製薬上安定なオキサリプラチン溶液組成物を提供する
ことによりこれらの欠点を克服することが,本発明の目的である。
(段落【0017】)
・より具体的には,本発明は,オキサリプラチン,有効安定化量の緩
衝剤および製薬上許容可能な担体を包含する安定オキサリプラチン溶
液組成物に関する。(以下略):(段落【0018】)
・前記の本発明のオキサリプラチン溶液組成物は,本明細書中でさら
に詳細に後述するように,現在既知のオキサリプラチン組成物より優
れたある利点を有することが判明している,ということも留意すべき
である。
凍結乾燥粉末形態のオキサリプラチンとは異なって,本発明のすぐ
に使える組成物は,低コストで且つさほど複雑ではない製造方法によ
り製造される。(段落【0030】)
・さらに,本発明の組成物は,付加的調製または取扱い,例えば投与
前の再構築を必要としない。したがって,凍結乾燥物質を用いる場合
に存在するような,再構築のための適切な溶媒の選択に際してエラー
が生じる機会がない。
本発明の組成物は,オキサリプラチンの従来既知の水性組成物より
も製造工程中に安定であることが判明しており,このことは,オキサ
リプラチンの従来既知の水性組成物の場合よりも本発明の組成物中に
生成される不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオ
DACHプラチン二量体が少ないことを意味する。(段落【0031】)
(イ)本件発明の意義及び目的等について
前記第2の1(前提事実)(3)で述べた本件発明に係る特許請求の範
囲の記載に加えて,上記(ア)の本件明細書の各記載によれば,本件発明
は,製薬上安定なオキサリプラチン溶液組成物に関する発明であり,本
件発明の目的は,①凍結乾燥粉末の形態のオキサリプラチンにおける欠
点,すなわち,経費が掛かり,かつ,再構築の際にエラーが生じるおそ
れがあること(段落【0012】及び【0013】前段)を克服すると
ともに,②水性溶液中において,より安定,すなわち,オキサリプラチ
ンの分解によって生成し得る不純物(ジアクオDACHプラチン,ジア
クオDACHプラチン二量体及びプラチナ種)を全く生成させないか,
これまでに知られているより有意に少ない量の生成に抑えるために(段
落【0013】後段ないし【0016】),2年以上にわたって製薬上安
定である,すぐに使える(RTU)形態のオキサリプラチン溶液組成物
を提供することにある(段落【0017】)。
そして,上記(ア)の本件明細書の各記載によれば,本件発明の効果と
して,本件発明に係るオキサリプラチン溶液組成物は,①の課題に対し,
低コストかつさほど複雑ではない製造方法により製造され(段落【00
30】),凍結乾燥物質形態を使用する際の再構築に伴うエラーが生じる
機会がないとされ(段落【0031】),②の課題に対し,「従来既知の
水性組成物」より製造工程中に安定である,すなわち,当該組成物中に
生成される上記不純物が少ないとされている(段落【0031】)。なお,
本件発明の従来技術として,乙1発明に対応する豪州国特許出願に係る
発明が示されている(段落【0010】)から,上記「従来既知の水性
組成物」には乙1発明に係るオキサリプラチン水溶液が含まれる。
イ「緩衝剤」の意義及び充足性について
構成要件B,F及びGの「緩衝剤」について,原告は,添加したシュウ
酸のみならず解離シュウ酸を含むと解すべきである旨主張するのに対し,
被告は,添加された試薬に限られ解離シュウ酸は含まれないと解すべきで
ある旨主張するので,以下,この点について検討する。
(ア)特許請求の範囲の記載
本件発明に係る特許請求の範囲には,「緩衝剤がシュウ酸またはその
アルカリ金属塩であり,」(構成要件F)と規定されている(前記第2の
1(前提事実)(4))。
この点,一般的に,「緩衝剤」とは,「緩衝液をつくるために用いられ
る試薬の総称」とされ(乙12「化学大辞典」),「剤」とは「各種の薬
を調合すること。また,その薬。」と解されていること(乙43「広辞
苑」))や医薬品に関する文献(乙39ないし42)の記載などに照らせ
ば,「緩衝剤」は外部から添加されるものであることが前提とされてい
るといえ,当業者も同旨の理解をしている(乙13,37,38)。
また,緩衝剤である「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」が包含さ
れた溶液においては,「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」の少なく
とも一部は,シュウ酸イオンとして存在することが予定されているが
(争いのない事実),仮に,「シュウ酸」について解離シュウ酸(シュウ
酸イオン)を含むと解すると,「そのアルカリ金属塩」を添加した場合,
緩衝剤として,シュウ酸を使用したともそのアルカリ金属塩を使用した
とも解されることになって不合理である。
以上によれば,構成要件B,F及びGの「緩衝剤」とは,添加された
「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」であって解離シュウ酸は含まれ
ないと解するのが相当である。
(イ)本件明細書の記載
上記解釈は,以下のとおり,本件明細書の記載からも裏付けられる。
a本件明細書において,「緩衝剤」は,「緩衝剤という用語は,本明細
書中で用いる場合,オキサリプラチン溶液を安定化し,それにより望
ましくない不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオ
DACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあら
ゆる酸性または塩基性剤を意味する。」(段落【0022】)と定義さ
れている。
この点,本件特許の優先日以前において,オキサリプラチンが水溶
液中で分解して,ジアクオDACHプラチン及びシュウ酸イオン(解
離シュウ酸)が生成され,その反応が次式の可逆反応であり,化学平
衡の状態(溶液全体で最も安定な状態)に達することが知られていた
(乙2,13,37,38)。
そうすると,化学平衡状態に達したオキサリプラチン水溶液にシュウ
酸を加えると,オキサリプラチンを再生成する反応(上記式の左向き
の反応)が進み,新たな化学平衡状態に達することになり,当該溶液
中に存在する不純物であるジアクオDACHプラチンの量は上記再生
成反応前よりも少なくなるから,「不純物…の生成を防止するかまた
は遅延させ得る」ことが実現される。他方,解離シュウ酸(シュウ酸
イオン)は,オキサリプラチンの分解によって不純物とともに生成さ
れ,平衡状態にある水溶液中に当然含まれるものにすぎず,解離シュ
ウ酸の存在によって平衡状態が変化し,上記再生成反応(左向きの反
応)が進むことにはならない。
したがって,「不純物…の生成を防止するかまたは遅延させ得る」
ものである「緩衝剤」は,解離シュウ酸ではなく,添加されたシュウ
酸を意味すると解される。
bまた,本件明細書には,実施例として,実施例1ないし18が記載
されているが,実施例1ないし17は,オキサリプラチンの水溶液に
シュウ酸等が添加されている例(段落【0039】ないし【004
9】)であるのに対し,実施例18(a)及び(b)(段落【005
0】)は,シュウ酸等が添加されていない例である。
ところで,実施例18については,文言上「実施例」と記載されて
いるものの,本件明細書において,「実施例18比較のために,例
えば豪州国特許出願第29896/95号(1996年3月7日公開)
に記載されているような水性オキサリプラチン組成物を,以下のよう
に調製した:」(段落【0050】)(なお,上記豪州国特許出願は,
上記ア(イ)で述べたとおり,乙1発明に対応するものである。)との
記載や,「比較例18の安定性実施例18(b)の非緩衝化オキサ
リプラチン溶液組成物を…」(段落【0073】)と記載されているこ
となどに照らせば,その実質は比較例にすぎないと認められる。
そうすると,本件明細書には,実質的には,オキサリプラチンの水
溶液にシュウ酸等が添加されている実施例のみが記載されているとい
うべきである。
cさらに,本件発明の目的との関係についてみても,上記アで述べた
とおり,本件明細書の記載によれば,本件発明の目的は,①凍結乾燥
粉末の形態のオキサリプラチンにおける欠点を克服するとともに,②
オキサリプラチンの分解によって生成し得る不純物を全く生成させな
いか,乙1発明のオキサリプラチン水溶液を含む従来既知の水性組成
物より有意に少ない量の生成に抑えるために,より製薬上安定なオキ
サリプラチン溶液組成物を提供することにある。
そして,仮に,本件発明の「緩衝剤」に解離シュウ酸を含むと解す
ると,解離シュウ酸が存在していた乙1発明のオキサリプラチン水溶
液(段落【0010】)を含む従来既知の水性組成物と同様の組成物
が本件発明に含まれることとなり,従来既知の水性組成物より安定な
オキサリプラチン溶液組成物を提供するとの本件発明の目的との関係
を合理的かつ整合的に解釈することができない。
(ウ)「緩衝剤」の解釈
したがって,上記(ア)及び(イ)によれば,構成要件Bの「緩衝剤」と
は,添加された「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」であって解離シ
ュウ酸は含まれないと解するのが相当である。
ウ小括
以上に検討したところに加えて,弁論の全趣旨によれば,被告製品には
「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」が添加されていないと認められる
ことによれば,被告製品は,構成要件B,F及びGを充足しない。
エ原告の主張に対する判断
(ア)原告は,本件発明の意義及び目的につき,本件発明は,凍結乾燥粉
末の形態で利用可能であったオキサリプラチンにつき,凍結乾燥物質の
欠点を克服して,すぐに使える形態の製薬上安定なオキサリプラチン溶
液組成物を提供することを目的としており,乙1発明と比較して安定な
オキサリプラチン溶液を提供することを目的とするものではない旨主張
する。
しかしながら,前記ア(ア)のとおり,本件明細書においては,凍結乾
燥物質の形態だけではなく水性溶液のオキサリプラチンも従来技術とさ
れている(段落【0010】)。また,「不純物を全く生成しないか,あ
るいはこれまでに知られているより有意に少ない量でこのような不純物
を生成するオキサリプラチンのより安定な溶液組成物を開発することが
望ましい」(段落【0016】)との記載や,「本発明の組成物は,オキ
サリプラチンの従来既知の水性組成物よりも製造工程中に安定である」
(段落【0031】)との記載があるが,使用時に再構築された後に長
期間保存することの想定されていない凍結乾燥物質に,水溶液中の分解
に伴って不純物が生成される欠点があるとは解し難いから,上記各記載
が凍結乾燥物質に関する記載であるとはいえない。これらの記載も踏ま
えれば,本件発明の意義及び目的は,上記ア認定のとおりであって,原
告の上記主張は採用できない。
(イ)また,原告は,「緩衝剤」の意義について,本件発明に係る特許請
求の範囲には「緩衝剤…を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物」
と記載され,文言上「つつみこみ,中に含んでいる」を意味する「包含」
という用語が使用されていることや,本件明細書において,「緩衝剤」
はオキサリプラチン溶液組成物中に「存在」すれば足りると記載されて
いることをもって,「緩衝剤」には解離シュウ酸も含まれる旨主張する。
しかしながら,「緩衝剤」に解離シュウ酸を含むものと解すると,上
記イで述べたとおり,特許請求の範囲や本件明細書の記載等との関係に
係る多くの点において合理的かつ整合的な説明をすることができないこ
とになるから,そのような解釈をすることはできない。本件発明に係る
特許請求の範囲に記載された「緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金
属塩であり,」との規定は,緩衝剤が「包含」されたオキサリプラチン
溶液における緩衝剤の由来を規定したものであり,「包含」とはシュウ
酸等が添加された後の状態を「含んでいる」ことを意味すると解すべき
である。したがって,原告の上記主張も採用できない。
(ウ)その他,「緩衝剤」の意義に係る原告の主張を精査しても,上記ウ
の認定は左右されない。
(2)まとめ
したがって,被告製品は,本件発明の技術的範囲に属するとは認められ
ない。
2結論
よって,その余の点について検討するまでもなく,原告の請求はいずれも
理由がないからこれらを棄却することとして,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第47部
裁判長裁判官沖中康人
裁判官廣瀬達人
裁判官村井美喜子
(別紙)
被告製品目録
1オキサリプラチン点滴静注液50mg/10mL「ファイザー」
2オキサリプラチン点滴静注液100mg/20mL「ファイザー」
3オキサリプラチン点滴静注液200mg/40mL「ファイザー」

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