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平成23年12月14日判決言渡
平成21年(行ウ)第89号遺族補償年金不支給処分取消請求事件
主文
1名古屋西労働基準監督署長が原告に対して平成21年4月10日付けでした
労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金を支給しない旨の処分を取り消
す。
2訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文同旨
第2事案の概要
1事案の要旨
本件は,P1株式会社(後記P2の死亡当時の社名)の従業員であったP
2が,平成▲年▲月▲日に自殺をしたところ,P2の妻である原告が,同自
殺はP2の従事した業務に起因するものであると主張して,労働者災害補償
保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償年金を不支給とし
た名古屋西労働基準監督署長の平成21年4月10日付け処分(以下「本件
処分」という。)の取消しを求める事案である。
2争いのない事実等(後掲の証拠及び弁論の全趣旨から容易に認められる事
実を含む。)
(1)P2の経歴,家族構成等
アP2(昭和▲年▲月▲日生まれ)は,昭和42年7月,株式会社P3
(当時の社名は「株式会社P4」。以下,時期を問わず「P3」という。)
に,家庭用電子機器,アマチュア無線3級の有資格者として入社し,P
3において,同資格の技術を活かし,ステレオなどの音響機器の修理業
務及びアフターサービス業務に従事した。その後,P2は,ほぼ数年お
きに,転勤等を繰り返しながら,P3ないしP3のグループ会社におい
て約27年間にわたり勤務した後,平成6年4月1日,株式会社P5(そ
の後,「P6株式会社」,「P1株式会社」,「P7株式会社」,「P
8株式会社」へと順次社名を変更した(P1株式会社への社名変更は,
P6株式会社を消滅会社とする吸収合併に伴うものである。)。以下,
時期を問わず「P6」という。)に在籍出向し(以下「本件出向」とい
う。),平成13年4月1日,P3からP6に転籍した(以下「本件転
籍」という。)。(甲A15,弁論の全趣旨)
イP2は,○による左下肢機能の障害著明の身体障害を有し,身体障害
者Ⅱ種4級の認定を受けていた。同等級は,一下肢の機能の著しい障害
や,両下肢の全ての指を欠く障害などが認められる場合に,認定される
ものである。(甲A59,A60,A62)
ウP2は,昭和48年6月9日,原告と婚姻し,原告との間にP9とP
10の2人の子をもうけた。
原告は,P2死亡の当時,P2の収入によって生計を維持していた者
であり,労災保険法16条の2第1項柱書本文所定の「労働者の死亡の
当時その収入によって生計を維持していた」配偶者に該当する。
(2)本件出向後のP2の配属部署,従事した業務等
ア本件出向当初から開局まで
(ア)P2は,平成6年4月1日,P3に在籍したまま,P6に出向を
し(本件出向),営業本部カスタマーサービス部サービス課(以下「サ
ービス課」という。)に,複数いる担当課長の一人として配属された。
前記カスタマーサービス部内に設置されていた課は,サービス課のみ
であり,P2は,同課のうちの保守センターに配属された。この当時,
P2の上司としては,部長兼課長のP11や,次長のP12がおり,
同じ担当課長としては,嘱託社員のP13などがいた。(甲A14,
A20)
(イ)P2は,平成6年7月26日のP6における携帯電話通話サービ
スの開始(以下「本件開局」という。)までの時期は,主に本件開局
に備えて,携帯電話の取扱店(以下,単に「取扱店」ともいう。)が
顧客からの苦情を受け付けた際の処理に関する取扱店マニュアルの作
成,修理票など各種帳票類の書式作成,各種携帯電話の製造メーカー
との修理契約の締結交渉等,修理の際の保険金の処理に関する取決め,
前記取扱店マニュアル等を使用する取扱店等の指導育成などの各業務
に従事した。(甲A20,A22,弁論の全趣旨)
イ本件開局後
P6は,平成6年7月26日,当初の予定を約5か月繰り上げて,愛
知県,岐阜県,三重県の三県において,携帯電話の通話サービスを開始
した(本件開局)。さらに,P6は,同年11月23日,当初の予定を
約11か月繰り上げて,また,エリアも5市5町から16市9町に拡大
して,静岡県の主要地区で通話サービスを開始し,同年12月12日に
は,岐阜県の東濃及び西濃地区で,同月19日には愛知県の知多及び渥
美地区,岐阜県の中津川及び恵那地区,三重県の中部地区(当初は津市
のみの予定であったが,14市5町に拡大した。)で,それぞれ通話サ
ービスを開始した。(甲A19の56頁以下)
P2は,本件開局後も引き続きサービス課の担当課長を務め,顧客や
取扱店から寄せられる携帯電話の取扱方法等に関する問い合わせ及び顧
客から寄せられる苦情への対応業務,修理の際の保険金の処理に関する
取決め,取扱店の指導育成業務などに従事した。(甲A22ないしA2
4,A46の1頁以下)
ウ平成7年4月1日
P6の組織変更により,前記カスタマーサービス部はお客様サービス
部に改称され,同部内にお客様センター,故障受付センター,技術セン
ター及び本社サービスカウンターの4部署が設置された。P2は,故障
受付センターの担当課長の一人として配属され,前記同様の業務に従事
した。(甲A73)
エ平成8年5月1日
P6の組織変更により,前記故障受付センターと技術センターが統合
されて,お客様サービス部保守センター(以下「本社保守センター」と
いう。)が設置された。P2は,本社保守センターの担当課長の一人と
して配属された。この当時,P2の上司としては,部長のP14及び課
長のP15がおり,また,同僚にはP16がいた。P2は,新規の携帯
電話取扱店に対する教育,研修,携帯電話の製造メーカーとの費用関連
の折衝などの業務に従事した。(甲A46の5頁,A74,弁論の全趣
旨)
オ平成9年9月1日
P6の組織変更により,本社保守センターは技術センターに改称され,
P2は,同技術センターの担当課長として配属された。この当時,P2
の上司として,部長のP12及び課長のP15がいた。P2は,同年1
1月25日から,日本初の携帯電話でのインターネットメールを可能と
するP17サービスが開始したことに伴い,P17サービスのアフター
サービス業務(携帯電話のメールに関する問い合わせ,通話不良の苦情
等に対応する業務,P17サービスの通信障害の原因調査業務等)に従
事した。また,P2は,平成10年3月から,P17サービスの前記ア
フターサービス業務を担当するP17チームのリーダーに就任し,以後
平成12年末ころまでこれを務めた。(甲A19の99頁以下,A48
の1,A48の2,A75,A77の5頁以下,弁論の全趣旨)
カ平成14年2月1日
P6の大規模な組織変更により,前記営業本部全体が再編成され,マ
ーケティング・営業本部・東海営業統括部にマーケティング営業企画部
が設置され,同部内に営業企画グループ,営業促進グループ,ショップ
推進グループの3グループが設置された。P2は,前記ショップ推進グ
ループ内のアフターチーム(以下「アフターチーム」という。)に,課
長代理の一人として配属された。この当時,P2の上司としては,前記
マーケティング営業企画部部長のP18,アフターチーム課長のP15
及びP19がいた。また,アフターチームの課長代理としては,P2の
ほかに,嘱託社員のP20及びP21がいた。(甲A76,弁論の全趣
旨)
キ平成14年4月1日
P6の組織変更により,アフターチームが前記ショップ推進グループ
から分離され,技術サポートグループ(以下「技術サポートグループ」
という。)が設置されて,P2は,技術サポートグループの課長代理の
一人として配属された。この当時,P2の上司としては,部長のP18
がおり,課長は配置されていなかったが,課長代理としては,P2のほ
かに,P19,P20,P21などのほか,P16がいた。P16は,
職制上は,P2と同じ課長代理であったが,技術サポートグループのリ
ーダー代行として,同グループの取りまとめ役を担っており,実質的に
はP2の上司の立場にあった。(甲A49,A55の6頁以下,弁論の
全趣旨)
技術サポートグループの事務所は,P22α駅前にあるP23内にあ
ったが,その他に,愛知県海部郡β町(現・愛西市)にある保守センタ
ー(以下「β保守センター」という。)内に,物流関係の業務を行う事
務所があった。P20及びP21(以下「P20ら」ともいう。)は,
平成11年1月ころから,平成15年1月31日にP6を退職するまで,
β保守センターにおいて勤務した。(甲A21,A51,弁論の全趣旨)
クβ保守センターへの異動
P2は,P6の業務命令により,平成14年12月1日から,平成1
5年1月31日退職予定のP20らの後任として,β保守センターで勤
務することとなった(以下「本件異動」という。)。なお,同日は休日
であったため,P2がβ保守センターにおいて実際に勤務を開始したの
は,同月2日である。
(3)うつ病の発症及びP2の通院状況等
アP2は,平成5年9月27日から平成13年5月12日までの間,P
24病院口腔外科(以下,単に「P24病院」という。)を受診し,精
神的ストレスが原因と考えられる口腔心身症(口腔異常感症,口腔乾燥
症,舌痛症)及び口内炎と診断された。口腔異常感症とは,心理情動因
子に起因し,口腔内に異常感を訴えるにもかかわらず,その症状に見合
う器質的な変化の認められない疾患であり,口腔乾燥症とは,精神的ス
トレスによって交感神経が緊張し,唾液の分泌が抑制されたり唾液が粘
ついたりすることによって,客観的な症状以上に口腔内の乾燥を感じる
疾患であり,舌痛症とは,周囲のストレッサーから身を守るために歯を
食いしばり,これによって歯茎が下がって歯茎と歯茎の間に隙間が生じ,
そこに舌を押しつけるために舌尖部に傷が付き,舌に痛みを感じる疾病
をいい,その傷における器質的変化よりも過大の痛みを感じる,あるい
は訴える点に特徴がある。(甲B3,B4,B19の2,弁論の全趣旨)
イP2は,平成6年11月17日,P25病院精神科(現在は,P26
医療センター。以下,時期を問わず「P25病院精神科」という。)を
受診した際,うつ病と診断され,抗うつ薬であるアナフラニール,ドグ
マチール,テトラミドなどの処方を受けた。(甲B1の2)
P2は,同月ころ,ICD-10(国際疾病分類第10回修正)第Ⅴ
章「精神および行動の障害」の診断ガイドライン(以下,単に「ICD
-10」という。)のF3に分類される精神障害の症例の一つである,
うつ病(以下「本件うつ病」という。)を発症したものである。
ウP2は,平成7年7月28日,精神科医であるP27医師が開設する
P27クリニックを受診してうつ病との診断を受け,以後,次のとおり
断続的に通院し,抗うつ薬であるアンプリット及びミラドールなどの処
方を受けた。(甲B2の1,B2の2,B8,B13の56頁以下,B
14の4,B14の11,弁論の全趣旨)
(ア)平成7年7月28日及び同年8月8日(以下「第1次受診」とい
う。)
(イ)平成8年9月21日から平成9年4月15日まで(以下「第2次
受診」という。)
(ウ)平成9年9月1日から同年10月16日まで(以下「第3次受診」
という。)
(エ)平成10年3月2日から同年11月19日まで(以下「第4次受
診」という。)
(オ)平成12年7月17日から平成14年11月21日まで(以下「第
5次受診」という。)。
(4)うつ病について
うつ病は,感情障害の一種で,抑うつ気分,病的悲哀,思考障害,意欲
や行動の障害等の精神症状のほか,自律神経機能障害を中心とする身体症
状を伴うものをいう。
うつ病の精神症状の中核は,憂うつ,気持ちが滅入る,希望がない等の
抑うつ感情であり,これが進行すると,表情は暗く,言葉の調子も低くな
り,時に茫然となったりする。趣味や家族との団らん,友人との交際等に
対して何らの楽しさを感じられず,集中力,活力の低下と疲労感,焦燥感,
不安感が現れるほか,行動及び思考が抑制されたりする。不相応に自分を
責めたり過小評価をしたり,無力感にさいなまれ,現実的事柄を悲観的に
解釈するようになったり,刺激に対する反応や他の動作への移行が緩慢に
なり,極限に達すると,抑うつ混迷状態となって,日常生活が不可能とな
る。
また,身体症状としては,多彩な自律神経症状,例えば,頭痛,肩こり,
吐き気,嘔吐及び口渇や,入眠障害,多夢,悪夢及び浅眠等の睡眠障害,
性欲低下,食欲不振などの症状が現れる。これらの症状は,朝方に増悪し,
夕刻には軽快するという日内変動が見られることもあり,うつ病患者は,
これらの症状の集約の末に希死念慮を持ち,自殺を企図することが多いと
考えられている。(甲B13,B18,弁論の全趣旨)
(5)P2の自殺
P2は,平成▲年▲月▲日,自宅において,自ら首をつって窒息により
死亡した(以下「本件自殺」という。)。本件自殺当時のP2の年齢は,
56歳であった。
(6)本件訴訟に至る経緯
ア原告は,本件自殺はP2がP6において従事した業務に起因するもの
であるとして,平成19年7月10日,名古屋西労働基準監督署長(以
下「労基署長」という。)に対し,労災保険法による遺族補償給付の支
給を請求したが,労基署長は,本件うつ病が第4次受診を中断した平成
10年11月ころ一旦寛解し,その後,第5次受診を開始した平成12
年7月ころ再発したとの愛知労働局地方労災医員協議会精神障害専門部
会(以下「専門部会」という。)の意見を踏まえた上で,P2に平成1
2年7月ころ発症したと考えられる反復性うつ病性障害については,業
務による強い心理的負荷は認められないとして,平成21年4月10日
付けでこれを不支給とする本件処分をした(甲A1,A2)。これを受
けて,原告は,同月22日,愛知労働者災害補償保険審査官に対し審査
請求をしたところ,同日から3か月が経過してもこれに対する決定がさ
れなかったため,同年7月28日,労働保険審査会に対し再審査請求を
したが,同日から3か月を経過してもこれに対する裁決がされなかった
ため,同年11月2日,本件訴訟を提起した。(甲A3ないしA6)
イ本件訴訟係属中の平成22年3月17日,労働保険審査会は,本件う
つ病が一旦寛解して平成12年7月ころに再発したとの専門部会の見解
を否定した上で,本件うつ病を発症した平成6年11月の前6か月間に
P2が従事した業務に,精神障害を発病させるおそれのある程度の業務
の過重性は認められないとして,前記再審査請求を棄却する旨の裁決を
した。(甲A8,B16)
(7)損害賠償請求訴訟の提起
原告,P9及びP10は,本件処分及び本件訴訟に先立つ平成15年こ
ろ,P2が本件自殺をしたのはP6がP2に対し過重労働を課したためで
あるなどとして,P6に対し,安全配慮義務違反に基づく損害賠償等を求
める訴訟(以下「前件訴訟」という。)を提起した。前件訴訟では,第1
審において,本件異動に関して上司がP2に対し行った説得態様とP2の
うつ病の増悪及び本件自殺との間の相当因果関係を認めつつ,P6にはそ
の当時P2がうつ病に罹患していることの予見可能性がなかったとして,
請求棄却の判決(平成19年1月24日言渡し)がなされ,その第2審に
おいて,平成21年6月2日,和解が成立した。(甲A7,弁論の全趣旨)
3争点
本件の争点は,本件うつ病及び本件自殺の業務起因性の有無である。
具体的には,①平成6年11月ころに発症した本件うつ病の業務起因性の
有無,②本件うつ病の寛解の有無(本件うつ病と本件自殺との間の相当因果
関係の有無),③仮に,本件うつ病が一旦寛解した場合,平成12年7月こ
ろに再発したうつ病(以下「本件再発うつ病」という。)の業務起因性の有
無,④仮に,本件うつ病又は本件再発うつ病の業務起因性がいずれも認めら
れないとした場合,本件異動と本件自殺との因果関係の有無が争われている。
なお,うつ病のような精神疾患において,労災補償保険でいう「治ゆ」は,
医学上,正確には,寛解(完全寛解)したことを意味すると解されることか
ら,本判決では,寛解ないし完全寛解と表記する。
4当事者の主張
(1)争点①(本件うつ病の業務起因性)について
(原告の主張)
ア労災補償保険制度が,労働条件の最低基準を定立して保護を与える
ことを目的としていることに鑑みれば,発症した疾病に業務起因性が
認められるためには,当該労働者が担当した業務と発症した疾病との
間に合理的関連性が認められれば足りると解すべきである。
仮に,合理的関連性では足りず,業務と疾病との間の相当因果関係
が必要と解するとしても,相当因果関係が認められるためには,業務
が当該疾病の発症に対し相対的に有力な原因となったことまでは必要
なく,当該業務が労働者の有する基礎疾患等と共働原因となって当該
疾病を発症させたことで足りると考えるべきである(共働原因論)。
また,気分障害の誘因は,それが当該特定の人格を持つ人間にとっ
てどのような意味を有するかという点が重要なのであるから,前記相
当因果関係の判断に際して当該業務の過重性を判断するにあたって
は,被災者である本人を基準とすべきである(本人基準説)。
イP2は,本件出向により,未経験の職種に従事することを強いられ,
本件出向のわずか3か月後に控えた本件開局に向けて,人的支援体制
が不十分な中,本件開局に際し必要不可欠なマニュアルの作成業務等
に従事したものであり,同業務は,質的に極めて過重なものであった。
また,本件開局後,P2は,主として苦情処理業務に従事しつつ,前
記マニュアルの改訂等の業務を行ったものであるところ,顧客からの
苦情の量が極めて多かったことや,これに対応するサービス課の体制
が不十分であったこと,顧客が携帯電話を使用して初めて判明した問
題点が続出したことなどから,前記苦情処理業務やマニュアル改訂業
務も,質的に極めて過重なものであった。これらの業務の質的過重性
は,個別に判断されるのではなく,総合的に評価されるべきである。
加えて,P2は,平成6年5月から本件うつ病を発症する同年11
月ころまでの間,月に80時間を超える時間外労働をしていたもので
あり,P2の担当業務には,量的な過重性も認められる。
以上の事情に照らすと,P2が担当した業務と本件うつ病の発症と
の間には,合理的関連性はもちろんのこと,被災者であるP2本人を
基準として,相当因果関係(前記各業務が総体として本件うつ病の発
症の共働原因となったこと)も認められるものであるから,本件うつ
病の発症には,業務起因性が認められる。
(被告の主張)
ア当該労働者の疾病が業務上のものである(労災保険法7条1項1号)
といえるためには,当該労働者がその業務に従事しなければ当該結果
は生じなかったという条件関係が認められるだけでは足りず,当該業
務と当該疾病との間に,法的にみて労災補償を認めるのを相当とする
相当因果関係が認められる必要がある。
かかる相当因果関係を認めるためには,労災補償保険制度が使用者
に過失がなくとも労働者に生じた損害を一定の範囲で填補させる危険
責任の法理に基づいて策定されたものであることなどに照らし,当該
業務に内在する危険の現実化として当該疾病が発症したことが認めら
れる必要があると解すべきところ,当該業務に内在する危険が現実化
したといえるためには,当該疾病の発症に対して,業務による危険性
が,その他の業務外の要因に比して相対的に有力な原因となったと認
められることが必要と解すべきである。
そして,業務による危険性が相対的に有力な原因となったか否かの
判断に際しては,日常業務を支障なく遂行できる平均的な労働者を基
準として,業務によるストレスが,客観的にみて精神障害を発病させ
るに足りる程度のものといえるか否かという観点から検討されるべき
である。
イ本件うつ病の発症前6か月間にP2が従事した業務は,本件開局に
向けたマニュアルや帳票類の作成,取扱店に対する教育指導,携帯電
話の取扱方法の問い合わせや苦情への対応であったところ,これらの
業務の内容はさほど困難でなく,その業務量も過重ではなかったもの
であり,また,前記6か月間に恒常的な長時間労働があったとも認め
られない上,P2には,個体的な脆弱性が認められるものであるから,
平均的労働者を基準とすると,前記各業務が本件うつ病発症の相対的
に有力な原因となったとは認められず,前記各業務と本件うつ病の発
症との間に相当因果関係は認められない。したがって,本件うつ病の
発症に業務起因性は認められない。
(2)争点②(本件うつ病の寛解の有無)
(原告の主張)
P2は,第4次受診終了後第5次受診開始まで約1年8か月にわたり,
P27クリニックの受診を中断しているが,この間も,P2を取り巻く
職場の状況が変わったわけではなく,P2は,絶え間ない職場環境の変
化や,所属部署の改編,新たな業務の追加などによって,業務過重によ
る心理的負荷を募らせていったものである。本件うつ病の症状は,P2
4病院において,口腔心身症の対症療法として施されていた支持的精神
療法等や同疾病の治療薬として処方されていたメイラックスの効果によ
って,緩和されていたにすぎず,前記約1年8か月の間も,本件うつ病
が寛解していたわけではない。したがって,本件うつ病は,P27クリ
ニックの受診の中断にかかわらず,本件自殺に至るまで一度も寛解して
いない。
(被告の主張)
P2は,第4次受診を中断した平成10年11月から第5次受診を開
始する平成12年7月までの約1年8か月間,P27クリニックを受診
できない特段の事情もなく,P27クリニックの受診を中断しているが,
これは,P2自身,同期間はうつ病の症状を感じず,抗うつ薬の服用の
必要性を感じていなかったからであると解されること,P2のP24病
院における診療録によれば,P2がP27クリニックの受診を中断して
いた平成11年8月から平成12年2月ころまでの約6か月間,うつ病
エピソードの存在を推認させるような記述は存在しないこと,また,職
場においても,前記約1年8か月の間,P2についてうつ病エピソード
の症状や徴候は認められなかったことなどに照らすと,本件うつ病は,
前記約1年8か月の間に,一旦寛解したものとみるのが妥当である。
(3)争点③(本件再発うつ病の業務起因性の有無)について
(原告の主張)
本件うつ病は寛解していないから,本件再発うつ病の業務起因性の有
無について検討する必要性はないが,なお念のため主張するに,P2は,
本件開局以後,エリア調査業務,アンテナ工具や移動機テスター,電池
チェッカーの整備管理業務,これらの取扱店への取扱指導などの各業務
に加え,P17サービスのアフターサービス業務の責任者を務めたり,
ISO9002(以下「本件ISO」という。)の認証取得関連業務に
も携わるなど,質的,量的に過大な業務を担当していたものであるから,
P2が本件再発うつ病を発症したと被告が主張する平成12年7月ころ
の前6か月間においても,P2の担当した業務に過重性は認められるも
のである。したがって,仮に本件うつ病が寛解していたとしても,本件
再発うつ病の業務起因性は認められる。
(被告の主張)
本件再発うつ病の発症前6か月間にP2が従事した業務は,携帯電話
及びその付属品並びにネットワークに係る技術判断に関するもの,携帯
電話及びその付属品の修理にかかる製造メーカーとの契約に関するも
の,故障の責任判断に関するもの,エリア調査業務,P17ないしP2
8関連業務,携帯電話の新機種及び新サービスへの対応業務,本件IS
Oの認証取得業務であるが,これらはいずれも,労働省の策定した「心
理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(平成
11年9月14日付け基発第544号。平成21年4月6日付け基発第
0406001号により一部改正。以下「判断指針」という。)におい
て心理的負荷の強度が高いと評価されるものではなく,前記期間の恒常
的な長時間労働も時間外労働も認められない上,P2に心理的負荷を与
えるような特別な出来事も存在しないから,判断指針にいう心理的負荷
の総合評価は「強」とは認められず,本件再発うつ病に業務起因性は認
められない。
(4)争点④(本件異動と本件自殺との因果関係の有無)について
(原告の主張)
仮に,本件うつ病及び本件再発うつ病のいずれにも業務起因性が認め
られないとしても,P2は,本件異動及びこれに至る経緯による心理的
負荷によって,うつ病を増悪させ,本件自殺に至ったものである。すな
わち,本件異動後の業務は,P2がこれまで従事してきた顧客相手の業
務とは関連性がなく,P2にとって未経験の物流業務であったこと,P
2は,本件異動に際して,P20ら2名の業務を1人で引き継ぐことと
されており,その業務量は過大であったこと,本件異動によって,物的
のみならず人的にも環境が大きく変化したこと,P2は,本件異動を固
辞していたにもかかわらず,上司であるP16やP19から相次いで本
件異動に関し強硬な発言を受けたこと,本件異動の命令を受けてから本
件異動の時期までの期間はわずか1か月であり,P2には,本件異動後
の業務を引き継ぐに十分な準備期間を与えられていなかったこと,身体
障害者Ⅱ種4級のP2にとって,通勤時間が長く,人混みの中電車を乗
り換える必要があるβ保守センターまでの通勤は,相当に過酷なもので
あったことなどに照らすと,本件異動及びこれに至る経緯は,すでに発
症していた本件うつ病ないし本件再発うつ病を増悪化させ,これによっ
て,P2は本件自殺に至ったとみるのが妥当である。
したがって,本件異動と本件自殺との因果関係は,認められる。
(被告の主張)
うつ病の増悪と自殺との間には相関関係は認められず,また,既にう
つ病を発症している者は,ささいな出来事に対しても過大に反応するの
が一般的であり,うつ病発症後の出来事による心理的負荷の程度と自殺
との間に相関関係は認められないから,自殺の業務起因性の判断にあた
っては,うつ病発症後の増悪の有無や業務の過重性といった事情を考慮
すべきではない。それゆえ,たとえ本件異動がきっかけとなって本件自
殺に至ったとしても,本件再発うつ病発症後の出来事である本件異動は,
本件自殺の業務起因性の判断に当たって考慮すべきではなく,本件異動
と本件自殺との間の因果関係は認められない。
また,仮に,本件異動を業務起因性の判断に当たり考慮するとしても,
本件異動は,判断指針上,心理的負荷の強度が高い出来事とはいえない
から,いずれにせよ,本件異動と本件自殺との因果関係は認められない。
第3当裁判所の判断
1認定事実
後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の各事実が認められる。
(1)P2の健康状態,生活状況,性格,精神疾患に係る症状等
ア健康状態
(ア)P2は,前記のとおり,○による左下肢機能の障害著明の身体障
害を有し(身体障害者Ⅱ種4級),左足のふくらはぎ部分にほとんど
筋肉がなく,補助器具がなければ歩行が困難であったことから,左足
のすねから下の部分を固定する補装具を付けて生活をしていた。P2
は,左足を十分に上げることができなかったため,左足をやや引きず
るように歩いており,家の敷居などに躓いて転倒することもあったし,
階段の昇降に際しては,手すりを掴まなければならず,速く走ること
はできなかった。もっとも,P2は,歩行の速度が健常者と大きく異
なることはなく,自動車を運転することはできたし,自転車にも一応
乗ることができた。(甲A11の15頁,A59,A60ないしA6
2,A65,弁論の全趣旨)
(イ)P2は,P6において行われる定期健康診断において,飲酒によ
る肝機能障害の疑いがあるとの診断を受けたものの,要治療とまでの
所見は付けられていなかった。(A81の1ないしA82の4,A8
3ないしA85)
(ウ)また,P2は,後記イの(ウ)のとおり,1日につき約20本の喫
煙をしていたが,P6において行われる定期健康診断において,肺に
関する所見は付けられていなかった。(甲A81の1ないしA82の
4,A83ないしA85,弁論の全趣旨)
イ生活状況
(ア)P2は,昭和56年ころから,原告とともに卓球を始め,それ以
来,各転勤先で,地域のクラブに所属するなどして,週末に1回程度,
仲間とともに趣味としての卓球を楽しんでいた。卓球仲間とは,卓球
の練習後に互いの家で飲食をともにしたり,会社帰りに家に寄って携
帯電話の操作方法を教えたりするなど,家族ぐるみの付き合いをして
いた。(甲A9,A41,A58,A101,A108,弁論の全趣
旨)
(イ)P2は,ほぼ毎日,350ミリリットル缶のビールを約2本ない
し焼酎を約1合飲み,休日には卓球仲間と酒を飲むなど,日常的にア
ルコールを摂取していた。また,本件うつ病を発症後,P2は,断続
的にうつ病による不眠の症状に悩まされており,服薬によってこれを
解消することがほとんどであったものの,P27クリニックの受診を
中断し再開する直前である平成12年7月ころは,不眠を解消するた
めに酒に頼ることもあった。もっとも,第5次受診を開始した同月1
7日以降は,服薬により不眠は一定程度解消され,P2が酒に頼った
形跡は窺われないから,P2が,アルコールに依存したりこれを乱用
していたり,あるいは日常的に酩酊状態に陥っていたとの事実は認め
られない。(甲A17,B2の1,B2の2,B16の94頁,弁論
の全趣旨)
(ウ)P2は,若いころから20年前後の間,一日につき約20本の喫
煙をしており,その後少なくとも十数年間ほど禁煙していたものの,
遅くとも平成12年後半ころから,再び一日につき約20本の喫煙を
始めた。(甲A81の1ないしA82の4,A83ないしA85,B
16の93頁,弁論の全趣旨)
ウ性格
P2は,真面目,几帳面,神経質で,責任感が強いのみならず,我慢
強く,周囲に気を遣い,激しく自己主張することはできないといった性
格の持ち主であった。ただ一方で,卓球仲間とは,前記イのとおり,毎
週末に卓球を楽しみ,その後は互いの家で飲食をともにするなど,気が
置けない友人らに対しては,社交的な一面を見せ,また,P6の従業員
らとも,麻雀をしたり飲食をともにしたり社員旅行に出かけたりと,ご
く一般的な付き合いをしていた。(甲A9,A10ないしA12,A4
1,A101,甲B1の2,B8,B16の32頁,弁論の全趣旨)
エ精神疾患に係る症状等
(ア)P24病院を受診中の症状等について
aP2は,平成5年6月ころ,歯科医にてペリオ(歯周病)の処置
を受けたところ,舌の接触時に下顎前歯舌側に違和感を覚えたこと
から,同年9月27日,P29病院を受診し,同病院の担当医から,
P24病院を紹介されて,同病院を受診した。P2は,同病院にお
いて,口腔心身症(口腔異常感症,口腔乾燥症,舌痛症)と診断さ
れ,その後平成13年5月12日まで,P27クリニックでの第1
次ないし第5次受診と並行して,口腔心身症の治療のため,月に1
回ないし2回程度の割合で,P24病院を継続的に受診した(なお,
同日をもって受診が中断したのは,担当医であるP30(以下「P
30医師」という。)の診療日が,土曜から平日に変更となり,平
日に仕事をするP2は,P30医師を受診できなくなったためであ
る。)。
bP2は,P24病院から,継続的に,抗不安薬であるメイラック
スや自律神経調整剤であるグランダキシンなどの処方を受けていた
ところ,メイラックスは,うつ病患者に対して単独で処方されるこ
とは少なく,抑うつ状態に対する強い効果はないものの,神経症に
おける不安,緊張,抑うつ,睡眠障害,心身症における不安,緊張,
抑うつ,睡眠障害等を緩和させ,うつ病の症状にも対症療法的な効
果のある薬である。(甲B3,B4,B6の3,B6の7,B9,
B19,弁論の全趣旨)
cP2は,P24病院において,当初は,ペリオの処置後の口腔の
異常感を訴えるだけであったが,P6への出向の前後ころから仕事
による精神的ストレス(出向をリストラと受けていたためそのスト
レス)をしばしば訴え(出向をリストラと受けていたことによるス
トレスのほか,出向後は,長時間労働による睡眠不足やクレーム処
理等の職務のきつさなどを訴えるようになった。),仕事のストレ
スの強弱に比例して症状の悪化と緩和を繰り返すようになったた
め,P2の罹患している口腔心身症が容易に改善しないのは,業務
上のストレスを原因とするものであると判断したP30医師から,
毎受診時に30分以上,P6における業務内容を聴取されるように
なっていたところ,これは,患者を精神的に支持してその精神的ス
トレスを緩和させる,支持的精神療法の一環であった。P30医師
は,P2に対し,P6を退職するよう勧めたこともあったが,P2
が退職することはなく,口腔心身症の症状は,P2がP24病院の
受診を終了した平成13年5月12日まで継続した。(甲B19の
2,弁論の全趣旨)
(イ)P25病院精神科を受診中の症状等について
aP2は,平成6年11月17日,体重減少,食欲低下等の自覚症
状があったため,P25病院精神科を受診し,担当医に対し,体重
が同年7月ころに9キログラム減少し,食欲も低下して,重圧感が
あり,無気力であること,同年4月1日に従前の勤務先とは全く別
の会社に出向し(本件出向),自らの能力以上の仕事を求められて
いること,自分は技術者としてP3で働きたいにもかかわらず,ほ
とんど脅される形で本件出向を命じられたと感じていること,本件
開局後の同年8月ころは,毎日深夜まで顧客の苦情を受け付けてい
たこと,そのため,趣味である卓球もできなくなったこと,もっと
も,現在(同年11月ころ)は定時に退社していることなどを述べ
た。担当医は,診断を踏まえ,P2がうつ病(本件うつ病)に罹患
していると診断し,休業が必要である旨P2に述べた上,抗うつ薬
であるアナフラニール,ドグマチール及びテトラミド,抗不安薬で
あるワイパックス等の薬を処方した。(甲B1の2,B13,B1
4の1ないし11,弁論の全趣旨)
b平成6年11月29日,原告は,P2の代わりにP25病院精神
科へ来院し,P2が前記各薬を飲んで食欲が増進したことなどを伝
えると,前記担当医は,アナフラニールの処方が奏功したと判断し
て,同薬の処方を中止し,他のドグマチール,ワイパックス等の薬
を処方した。(甲B1の1,B1の2,B2の1,B2の2(平成
7年7月28日付け部分),B13の56頁以下,B14の4,弁
論の全趣旨)
cP2は,同病院の診察は一日に及ぶ長時間であったことから,前
記受診をもって同病院への通院を自己の判断でやめた。(甲B2の
1,B2の2)
(ウ)P25病院精神科の通院終了後P27クリニックを受診するまで
の症状等について
P2は,平成6年12月ころ,不眠や食欲不振がひどく,体重が2
か月で8キログラム減少したことから,卓球仲間でP31病院の産婦
人科医師であるP32(以下「P32医師」という。)に対し,自ら
の症状について相談をしたところ,P32医師は,P2に対し,精神
科医であるP27医師が開業するP27クリニックを紹介した。P2
は,精神科を再び受診することに対する抵抗感や,生来の我慢強い性
格から,前記紹介を受けてから約半年間にわたりP27医師を受診す
ることを控えていたが,その間も,うつ病の症状は改善せず,特に,
平成7年6月ころからは,不眠,食欲不振,朝方の疲れや身体の倦怠
感などのうつ病の症状が顕著になってきたため,同年7月28日,P
27クリニックの第1次受診を開始した。(甲B2の1,B2の2,
B4,B8,B9,弁論の全趣旨)
(エ)P27クリニックを受診中の症状等について
a第1次受診(平成7年7月28日及び同年8月8日)
P2は,平成7年7月28日,前記(ウ)の経緯で,P27クリニ
ックの受診を開始した。P2は,同日の受診の際,体重が8キログ
ラム減少した平成6年12月より数か月前からのP2の状況に関す
るP27医師や臨床心理士の聴き取りに対し,同年4月に本件出向
があったこと,本件出向に伴い,仕事内容が大きく変化したこと,
土日は休めるが,平日は約12時間働き,本件開局前の時期は,本
件開局に間に合わせるため午前2時ころまで働く生活が数か月続い
たこと,本件開局直後も午後11時過ぎまで働く生活が続いたこと,
そのような中で,最初の不眠や食欲不振などの症状が始まったこと,
P3に戻りたい気持ちは強いが,通常であれば3年間は戻ることが
できず,その後も戻れる保証はないことなどを,生気の乏しい表情
で話した。P27医師がP3での仕事内容(オーディオ関連)に触
れると,P2の言葉数は幾分多くなった。P27医師は,前記聴取
内容などを踏まえ,P2がうつ病であると判断し,P2に対し,抗
うつ薬であるアンプリット及びミラドール,睡眠薬などを処方した。
P2は,平成7年8月8日にもP27クリニックを受診し,その
際,食欲は比較的あり,よく眠れるが,早朝に目覚めることがあり,
また,卓球をやっていても精神的に安定しないというか,ラケット
一つうまく持てないなどとP27医師に伝えた。P27医師は,同
日の時点においても,早朝覚醒や,なお多少の思考・運動抑制が見
られたことから,P2の抑うつ状態は続いていると判定し,治療の
継続が必要であると判断していたが,P2は,自己の判断で,同日
をもって,第1次受診を中断した。(甲B2の1,B2の2,B8,
B13の56頁以下,B14の4,B14の11,弁論の全趣旨)
b第2次受診(平成8年9月21日から平成9年4月15日まで)
P2は,平成8年9月21日,前回の受診から約1年の期間を空
けて,P27クリニックを受診し,憂うつな気分,嗜好や運動の抑
制,焦燥感,不眠があり,朝起きると体が重いこと,P2が勤務先
として希望するP3に戻ることはないと思われること,P6でP2
が従事する仕事には,参考にすべきモデルがなく,自らが第一陣と
なって故障受付体制を作っていく困難さが伴っており,自分には苦
手な分野であることなどを,P27医師に対し,緩慢な話し方で訴
えた。このころのP2には,朝方における身体の倦怠感,憂うつな
気分,性欲の減退など,うつ病の各症状がみられ,P27医師は,
P2の本件うつ病が寛解しないまま継続し再び症状が悪化したもの
と判断した。
その後,P2は,平成8年10月11日,同月25日,同年11
月14日,同年12月20日とP27クリニックを受診し,投薬中
心の通院治療を続け,これによって本件うつ病の症状はやや軽快し
たかにみえたが,平成9年1月28日,P2は,仕事が思うように
進まないことや,不安やいらつきがあること,さらに,同年3月2
5日,P3においてP2が携わる仕事がなくなり,本件出向が更に
3年延長されたこと,P6での勤務内容が厳しいこと,そのような
中で,P2の所属する課の担当課長が1名削減され,苦手なスタッ
フ的な仕事をしなければならなくなったことなどをP27医師に訴
え,このころ,P2の抑うつ症状は悪化した。同年4月15日の受
診時には,P2は,状態にあまり変化はなく,仕事の状況も相変わ
らずであるが,薬の服用により,まずまず眠れるようにはなったこ
とから,服用する薬の量を減らして対応しているなどと述べていた。
P27医師は,前記診察内容を踏まえ,P2は,P3に戻れない失
望と苦手な仕事の増加で,抑うつ的な状態が続いており,休職が必
要な状態にあると判断したことから,P2に対し,再三にわたって
休職を勧めたが,P2は,仕事が忙しいことから休職は到底無理で
あると考えて休職せず,かえって,自己の判断で,同年4月15日
をもって,第2次受診を中断した。(甲B2の1,B2の2,B8,
弁論の全趣旨)
c第3次受診(平成9年9月1日から同年10月16日まで)
P2は,平成9年9月1日,前回の受診から約4か月半の期間を
空けて,P27クリニックを受診し,社内での担当異動があって調
子が良くないこと,抗うつ薬などの服薬がなければ精神的につらく,
食欲もあまりないこと,睡眠も十分に取れていないことなどを,P
27医師に愁訴した。P27医師は,前記聴取内容などを踏まえ,
本件うつ病が寛解しないまま継続し症状が再び悪化しているものと
判断し,P2には休職による療養が必要と判断して,休職すること
を再びP2に勧めるとともに,自殺念慮を危惧し,もしも自殺した
いという気持ちになったときには,家族やP27医師に伝えるよう
告げた。P2は,同月18日,同年10月16日とP27クリニッ
クを受診しているところ,同日には,P27医師に対し,抗うつ薬
の服用を続けていることにより,憂うつな気分からやや脱し,比較
的よく眠れるようになったが,食欲はあまりなく,P2を取り巻く
職場の状況にも変化はないなどと述べていた。P27医師は,前記
診察内容を踏まえ,治療を継続する必要性があると判断していたも
のの,P2は,自己の判断で,同日をもって,第3次受診を中断し
た。(甲B2の1,B2の2,B8,弁論の全趣旨)
d第4次受診(平成10年3月2日から同年11月19日まで)
P2は,平成10年3月2日,前回の受診から約4か月半の期間
を空けて,P27クリニックを受診した。同日に受診を再開した理
由について,P2は,平成9年9月に技術センターの担当課長にな
り,仕事の負担が少し軽減されたが,平成10年1月,P17サー
ビスのアフターサービス業務として,携帯電話のサービス文字の電
送をするようP6に命じられたことを契機に,食欲不振,胃痛,抑
うつ状態が悪化したためと説明した(P2は,従前,オーディオ関
連機器のマネージメントに携わってきたことから,携帯電話関連の
仕事は自分に合わないと感じていた。)。その際,P2は,P27
医師に対し,体重が四,五キログラム減少したこと,不安な気持ち
があり,時に自殺念慮が生じること,心配をかけたくないとの一心
から家族に自分の状態を相談できずにいること,引っ越しをしたが,
体がだるくて引っ越し作業を満足に手伝えず,家族に対し申し訳な
い気持ちを抱いていることなどを伝えた。P27医師は,前記聴取
内容などを踏まえ,P2の本件うつ病が寛解しないまま継続し再び
症状が悪化しており,P2には,服薬の継続とともに休職による療
養が必要と判断して,P2に対し,服薬の継続と休職を勧めたが,
P2は,その後,抗うつ薬等の服薬は続けたものの,休職はしなか
った。
P2は,その後,平成10年3月16日,同年4月2日,同月2
3日,同年5月7日,同年6月4日,同年7月6日,同年8月27
日,同年9月28日,同年10月20日,同年11月19日とP2
7クリニックを受診し,その間,抗うつ薬の服用によっても本件う
つ病の症状がなくなるには至らず,同日の受診でも,P2は,P2
7医師に対し,気分はあまり変わらず,不安感はあるが,それほど
いらいらせず,焦燥感は以前ほど強くなく,次第によくなってきて
いるなどと述べていたが,P27医師においては,服薬しながら何
とか出勤している状態であるとの認識であり,治療を継続し抗うつ
薬の服用を継続していく必要があると判断していたが,P2は,ま
たもや自己の判断で,同日をもって,第4次受診を中断した。(甲
B2の1,B2の2,B8,弁論の全趣旨)
e第5次受診(平成12年7月17日から平成14年11月21日
まで)
P2は,平成12年7月17日,前回の受診から約1年8か月の
期間を空けて,P27クリニックを受診し,P27医師に対し,胸
の中に恐怖心があること,人と話したくないこと,好きだった卓球
も全くやる気がしないこと,このような状態は2か月ほど前から始
まり,この1か月間で増悪したこと,理屈で分かっていても心や頭
が何も受け付けず,正常な精神状態ではないことが自分でも分かる
ことなどを愁訴した。さらに,P2は,本件出向以来,不得手な仕
事をしてきたが,P6から,本件ISOを年内に取得するよう命じ
られ,担当課長としての負担を強く感じていること,同年8月に予
定されている本件ISOのテストも自分がみなければならず,失敗
は許されないこと,不眠を解消するために飲酒しているが,夜中に
覚醒すると眠れないこと,食欲が減退していること,体重も減って
おり,疲れやすいこと,自殺念慮があり,本受診日の前日である同
年7月16日も,家族のいない間に死のうと思ったことなどを伝え
た。また,第4次受診の中断後,約1年8か月にわたりP27クリ
ニックを受診しなかった理由について,P2は,平成10年初頭に
自宅を購入した際,住宅ローンに関する団体信用生命保険に加入し
たが,その中の治療歴の告知義務に関して誤解をし,P27クリニ
ックを受診すると治療歴の告知義務違反になると考えていたと説明
した。P27医師は,前記聴取内容を踏まえ,本件うつ病は寛解す
ることなく継続していたばかりでなく,症状が深刻化しているもの
と判断し,P2に対し,自殺念慮については服薬治療をすれば回復
できること,自殺したい気持ちを止められなくなった場合は,家族
又はP27医師に相談するよう告げた上,再び休職を勧めたが,P
2が休職することはなく,その後,P2は,およそ半月から1か月
おきにP27クリニックを受診し,P2のうつ病の症状は一進一退
を繰り返していたところ,平成14年11月21日の受診が,P2
の本件自殺前の最後の受診日となった。(甲B2の1,B2の2,
B8,B12,弁論の全趣旨)
(オ)P27クリニックの受診を中断していた時期の症状等について
aP2は,第1次から第5次受診までの間に受診を中断していた間
も,月に1回ないし2回程度の割合で,前記(ア)のとおり,P24
病院の受診を継続していた。同病院におけるP2の診断病名は口腔
心身症であったため,P2は,同病院の受診の際,舌の症状を中心
に述べているが,併せて,P30医師の施す前記支持的精神療法の
一環として,P6における仕事が多忙であることや(平成11年4
月3日,同年7月24日,平成12年6月17日,同年7月1日の
診療録),顧客からの苦情が多いなどの理由から,仕事のストレス
が大きいことなど(平成11年4月3日,平成12年2月18日),
P6における勤務状況やこれに対しP2が感じている心理的負担な
どを述べており,このことから,P6における勤務による心身的負
担が原因となって,本件うつ病の症状が一進一退を繰り返していた
ことが窺われる。(甲B4,弁論の全趣旨)
P30医師は,P2の罹患している口腔心身症は,P6における
業務に起因するものと考えており,P2のP27クリニックへの通
院が中断していた間においても,継続的に,P2に対し,毎受診時
に30分以上にわたって前記支持的精神療法を施しつつ,薬物療法
として,抗不安薬であるメイラックスや,自律神経調整剤であるグ
ランダキシンを処方していた。(甲B3ないしB5,B6の3,B
6の7,B19の1,B19の2,弁論の全趣旨)
bP2は,平成13年5月12日にP24病院の受診を終了後,同
月21日に,医療法人P33クリニックを受診して,慢性胃腸炎な
どの診断を受け,その後,平成14年11月21日まで,おおよそ
月に1回ないし3回の割合で,同クリニックを継続的に受診した。
そして,P2は,同クリニックにおいて,P24病院における処方
薬と同じメイラックス及びグランダキシン等の処方を受けた。(甲
B7,弁論の全趣旨)
(2)P2の業務内容等
ア本件出向に至る経緯
P2は,平成5年の秋ころ,P3の上司から,P6への在籍出向(本
件出向)を数度にわたり打診されたが,P3において技術者として働き
たいとの思いを持っており,また,P6における仕事は,それまでP2
が,自らの技術を活かし,約27年間の長きにわたり携わってきた音響
機器の修理の仕事と全く異なることや,出向がリストラの対象とされた
ことを意味するものと受け止めていたことなどから,本件出向に強い不
安を抱き,前記打診の都度,本件出向を断っていた。ところが,P3本
社の人事担当者がP2の自宅に直談判に来るなど,本件出向に対する強
い態度を見せたことから,P2は,やむなく本件出向を承諾し,平成6
年4月1日から,P6において勤務することとなった。
P2は,本件出向をリストラと捉えるとともに,P3の社長からほと
んど脅される形で本件出向を命じられたと考えていた。また,P6の従
業員は,そのほとんどがP34からの出向者で占められており,P5設
立当初からの株主ではなく,主流派ではないP3からたった一人出向し
ているP2にとっては,気やすく相談できる相手もおらず,居心地の良
い職場環境ではなかった。(甲A9,A205,B1の2ないしB2の
2,B8,証人P35,弁論の全趣旨)
イ本件開局前の状況,P2の業務内容等
(ア)本件開局前の状況
P6は,当初,平成6年12月1日に東海3県(愛知県,岐阜県,
三重県)での携帯電話の通話サービスを開始する予定であったが,同
年3月17日の経営会議において,当時の社長であったP36が,こ
れより約5か月早い同年7月1日から同月中旬までの開始を目標と
する旨の指令を発し,P6の全部署に対し,これに向けた急ピッチの
作業を呼びかけた。これを受けて,P6は,同年3月20日ころ,電
波管理局に対し,本件開局に必要なアンテナ基地局100基について
申請をし,同年4月以降に,同申請が認められて前記100基の基地
局の設置工事が開始され,本件開局時には,愛知県内に83局,岐阜
県内に10局,三重県内に7局の合計100基の基地局が設置された
が,顧客が前記東海3県において十全に通話するためには,前記合計
100基の基地局から受信できる電波のみでは不十分なことは明ら
かであった。また,名古屋市の中心部である栄や今池など,電波の混
雑する地域に基地局がないなど,通話に関する致命的な問題点を抱え
ており,本件開局前から,顧客からの苦情が殺到することは十分に予
想された。
さらに,P2が平成6年4月1日から担当することとなる苦情受付
処理に関する業務については,同年3月末ころに,コールセンター(顧
客からの苦情受付センター)の設置場所がγに所在するP37ビルと
なることや,コールセンターを派遣契約で受注することがわずかに決
められたのみであって,コールセンターの業務に不可欠な業務マニュ
アル作りや人員の募集などは行われていなかった。(甲A19,A2
05,証人P35,弁論の全趣旨)
(イ)P2の業務内容等
aP2は,平成6年4月1日の本件出向後,サービス課の担当課長
として,本件開局の前日である同年7月25日ころまで,取扱店が
顧客の苦情を受け付けた時の苦情処理に関する取扱店マニュアル
(中でも,取扱店が故障受付を行うことにより発生する手数料,修
理の際の保険の処理などに関する部分については,P2が一人で担
当した。)や,帳票類の作成,各種携帯電話の製造メーカーとの修
理契約の締結交渉などの業務,取扱店マニュアルなどを使用した取
扱店などの指導育成業務に従事した。(甲A18,A22ないしA
25,弁論の全趣旨)
bサービス課には,当時,P2を含め5名の出向者がいたが,その
中には,携帯電話を使ったことがある人物は一人もおらず,携帯電
話の実機を用いた訓練が必要不可欠な状態にあったが,平成6年の
年初から,携帯電話端末のデモ機や見本機が従業員間で回覧される
ようになったものの,実際に電源が入り操作できる実機が従業員間
に回覧されることはなかった。
P2を含むサービス課の出向者は,取扱店が行う苦情処理に関す
るマニュアルなどの作成に当たり,P5に先行して開業していた関
連会社のマニュアルなどを謄写することはできなかったため,時間
をかけて他社のひな形を参考にすることはできず(わずかに,P1
3が,P38に勤める知人に頼んで,短時間,同社のマニュアルの
一部を参考に閲覧させてもらい,同知人から,故障受付業務の流れ
などに関する参考意見をもらったのみである。),また,携帯電話
そのものが世に普及していなかったため,P6の従業員は,携帯電
話を使った経験がないのはもちろん,携帯電話自体を見たことがな
い者も多く,そのような状況の中で,従業員間で携帯電話のイメー
ジを共有できないまま,携帯電話の故障を調べるためのテスター機
の選択や,帳票の複写紙を何枚にするのか,また,修理代金の設定
の相場はどの程度なのかなど,実務的な細かい点に至るまで,まさ
に手探りの状態で前記マニュアルを作成しなければならなかった。
(甲A23ないしA25,A204,A205,B16の173頁,
証人P35)
なお,以上の認定に反し,先行する他社のマニュアルを取り寄せ
て,それを参考に前記取扱店マニュアルを作成した旨の前件訴訟に
おけるP15の証人尋問調書(甲A77の2頁以下・20頁以下)
が存在するが,その内容は,P13の陳述書及び前件訴訟における
証人尋問調書(甲A23ないしA25)の内容に比して具体性に欠
け,また,P15が当時P2とともに業務に当たったのは月に1度
ほどであり(甲A77の2頁・21頁),P2と同じ場所で日々同
様の職務に従事したP13の信用できる前記陳述書及び前件訴訟に
おける証人尋問調書の内容に反するものであることに照らすと,P
15の前記調書の内容を,P2の業務状況を正確に表すものとして
直ちに採用することはできない。
ウ本件開局後から本件異動までの業務内容等
(ア)故障受付業務等
aP2は,本件開局後,取扱店から寄せられる携帯電話の取扱方法
等に関する問い合わせへの直接対応業務及び顧客から寄せられる苦
情や問い合わせに対する2次対応業務に従事した。このころは,い
まだP6内における顧客対応体制も確立されておらず,P2は,サ
ービス課の担当課長として,P6の今後の顧客対応の基盤となる体
制を整えていかなければならない立場にあった。(甲A23ないし
A25,A46の5頁,A77の2頁以下,B2の2の6頁,B1
6の23頁,弁論の全趣旨)
b本件開局の当初,苦情に対応できる携帯電話の取扱店はほとんど
存在しなかったため,顧客からの苦情や問い合わせは,取扱店を通
じてではなく,直接P6のカスタマーサービス部に対してなされて
おり,また,顧客も携帯電話の取扱いに慣れておらず,多少の不都
合や不具合でも直ちに苦情として申し立ててきたため,カスタマー
サービス部に寄せられる苦情や問い合わせの数は相当に多かった。
しかしながら,当時5000名いた顧客に対して,カスタマーサー
ビス部の人員は31名,そのうち苦情等受付業務に対応するオペレ
ーターはわずか10名しか配置されておらず,しかも,交代で休日
を取得する関係で,同10名のうち同時に出勤するのは多くとも7
名程度であったと認められること(証人P3522頁,弁論の全趣
旨),また,1次対応者も携帯電話に精通していなかったため,1
次対応で適切に対応することができず,2次対応まで回ることが多
かったことや,1件の苦情処理に時間がかかったことなども相まっ
て,平成6年8月時点では80%近くあった電話応答率は,同年9
月には30%,同年10月には20%を切り,業界の常識からして
危機的な電話応答状況となった(電話応答率は,本来は90%を目
指すよう指導され,通常はこれが実現されるものである(甲A19
の73頁,A205の11頁,証人P35)。)。
そのため,カスタマーサービス部内の業務分掌では,顧客からの
苦情等に対して,オペレーターの1次対応で処理しきれない場合に
初めて,P2ら2次対応者がオペレーターから質問を受けてオペレ
ーターに回答し,あるいは顧客に直接回答する2次対応業務を行う
こととされていたものの,2次対応者が前記体制を守っていること
は事実上不可能であり,サービス課の課員全員が,1次対応者と総
出で苦情受付にあたるような状態が続き(サービス課の課員(出向
者)5名のうち少なくとも2名は,常に故障修理席で,オペレータ
ーと同じように顧客からの電話に応答していた(甲A24の8
頁)。),P2も,本件開局直後は,1次対応者とさほど変わらな
い件数につき,1次対応業務を行っていた(当時の電話応答率が,
前記のとおり,20%を下回る低率であったことや,お客様サービ
スセンターに直接苦情を述べに来る顧客が1日につき約5名おり,
中には怒鳴り込みをしてくる顧客もいたこと(甲A23の13頁,
A26,A27,B16の174頁,弁論の全趣旨)などからして
も,前記状況が窺われる。)。このような状況は,同年11月に,
オペレーターが44名に増員され,営業部員が苦情処理を応援する
ようになるまで続いた。
cさらに,当時の携帯電話は故障が非常に多く,また,電波の届か
ない不感地が続出して,電波が途切れるなどの問題点を抱えていた
ため,外出先においても通話ができる点を固定電話と異なる利点と
捉えて携帯電話を購入した顧客の不満は噴出し,怒りに任せて苦情
を述べてくる顧客の数は,相当に多かったものと推認される。加え
て,2次対応すべき案件は,1日につき約20件あったが,2次対
応の場合,後に対応する者は誰もおらず,自ら最終的に判断しなけ
ればならない責任があったことや,2次対応まで要する客は怒りが
相当に強い者ばかりであったことなどから,顧客に納得してもらえ
るまで,細心の注意を払いながら粘り強く説明する必要があった。
さらに,携帯電話が実際に使われ始めると,電池の寿命が短いとか,
携帯電話が発熱する,通話中に雑音が入る,音声が歪む,声が途切
れるなどといった,本件開局前には想定しなかったような問題や電
波状態の不具合に関する問題が次々と判明し,顧客からの苦情内容
は,必ずしもP2が本件開局前に作成した前記取扱マニュアルのみ
で対応できるものではなく,P2は,新たな問題が発生する度,そ
れを検討して回答していく作業を日常的に強いられていた。(甲A
19の73頁以下,A22,A23の12頁以下,A24,A25,
A77,A108,A205,弁論の全趣旨)
(イ)マニュアル改訂業務
顧客からの苦情は,前記(ア)のとおり,P2らが本件開局前に作成
した前記取扱マニュアルのみで対応できるものではなかったため,P
2は,本件開局後2か月ないし3か月の間,顧客から寄せられた苦情
の内容を基に,前記取扱マニュアルを改訂する作業に従事した。(甲
A22,A25の6頁,弁論の全趣旨)
(ウ)取扱店に対する指導業務等
P2は,取扱店における修理対応に必要なアンテナ工具,携帯電話
機テスター,移動機テスター及び電池チェッカーなどについて,新規
取扱店への取扱いの指導研修や,取扱店からの問い合わせに対する対
応,保守管理,手配(発送)業務などを行っていたが,平成6年の秋
ころから,携帯電話の取扱店が増加したことに伴い,入れ替わりの早
い取扱店の従業員に対しその都度指導をする必要が生じて,取扱店に
対する前記指導研修業務は増加した。なお,P2は,前記保守管理及
び手配業務については,平成9年9月1日にP6の組織変更が行われ
るまでの期間,従事したものである。
また,P2は,本件開局前に修理の際の保険手続に関するマニュア
ルの作成を担当した関係で,本件開局後も,携帯電話が故障した場合
の保険手続の内容などについて,取扱店に対する指導を行った。(甲
A22の3頁,A46の5頁,A70,A77の3頁以下,弁論の全
趣旨)
(エ)携帯電話のネットワークに関する業務等
P2は,平成9年9月1日,技術センターに担当課長として配属さ
れた後,前記(ア)及び(ウ)の各業務に加え,携帯電話及び付属品並び
にネットワークに関する技術判断に関する業務,携帯電話及び付属品
の修理にかかるメーカーとの契約に関する業務,携帯電話の故障の際
の責任判断に関する業務,エリア調査業務(通信不良の苦情が多いな
ど通信エリアに関する問題が生じた際,現地に赴いて電波状況を調査
し,ネットワーク上の問題があれば,ネットワークセンターにこれを
報告する業務)などに従事した。技術センターには,携帯電話の技術
や品質管理専任の技術系従業員4名が配置されていた。(甲A77の
3頁以下,弁論の全趣旨)
(オ)P17サービス・P28サービス関連業務
aP2は,前記(ア),(ウ)及び(エ)の各業務に加え,平成9年11
月25日から,日本初の携帯電話でのインターネットメールを可能
とするP17サービスが開始したことに伴い,P17サービスのア
フターサービス業務として,通信障害の原因調査業務(通信障害が,
移動機の故障によるものか又はネットワーク上の問題に起因するも
のかを調査し,ネットワーク上の問題があれば,ネットワークセン
ターにこれを報告する業務),P17サービスについての顧客対応
業務(携帯電話に関する問い合わせ,通信不良の苦情などへの対応
業務)に従事した。さらに,P17サービスが,当初3か月間の無
料お試し期間を経て,平成10年3月から有料化されることに伴い,
P2は,同月ころに構成されたP17サービスに係る前記各業務を
行うP17チームのリーダーに就任した。P17チームでは,P2
は唯一の男性構成員であった。P17チームにおけるP2の主な業
務は,オペレーターが顧客からの苦情や問い合わせに対する1次対
応をし,P17チームの女性社員(4名程度)が2次対応をしても
対応しきれない点をフォローする3次対応業務や,P17チームの
構成員らの相談に乗ったりする取りまとめ役としての業務であっ
た。
P17サービスは,その導入が決定されてからごく短期間のうち
に,各部門の関係者が慌ただしく準備を進めてようやく開始された
サービスであり,また,他の携帯電話会社が展開するサービスと異
なって,他社網を用いたメールのやり取りが可能であるなど,当時
の携帯電話業界において画期的なシステムが導入されていたほか,
天気予報などの文字情報を配信するP17ウェブ,業界初の着信メ
ロディサービスであるP17メロディなど,同様に画期的なサービ
スが立て続けに導入されたため,同各サービスの導入後,P6の顧
客数は急激に増加した。そのため,ネットワークの発達が顧客の急
増に追いつかず,P17サービスの導入当初から,P6においては
ネットワーク上の障害が多発し,これに関する顧客からの苦情も殺
到して,1次対応や2次対応の数は非常に多かったし,また,その
対応に追われるP17チームのリーダーであるP2は,前記のとお
り3次対応をすることとされていたとはいえ,2次対応者に対する
フォローや相談の業務に追われていたものと認められる。(甲A1
9の99頁以下,A46,A75,A77の5頁以下・25頁以下,
弁論の全趣旨)
bその後,平成11年12月10日から,P17サービスを機能的
に拡大したP28サービス(以下「P28」という。)が開始され
たが,P2は,P28の開始後も,平成12年末ころまで,同様に
P17チーム(名称はP28チームとなった。)のリーダーを務め,
前記aと同様の業務に従事した。しかし,そのころ,Javaと呼
ばれるプログラミング言語を使用した新機能のソフト(携帯電話で
高機能なゲーム等をするソフト)を搭載した携帯電話が市場に出回
ることが予想されたため,P6は,平成13年初めころ,技術的な
知識が豊富でないP2に代わり,お客様サービス部管理課の技術セ
ンターに所属する,コンピュータの知識が豊富なP39を,P28
のアフターサービスの責任者とすることにした。(甲A19の10
3頁以下,A77の7頁以下・25頁以下,弁論の全趣旨)
(カ)顧客の増加,新機種及び新サービスへの対応
aP6の顧客数は順次増加し,平成6年9月には2万3900人だ
った顧客数は,平成7年9月にはその約7倍である16万8700
人,平成8年9月にはその約3倍である46万4100人,平成9
年10月にはその約1.5倍である68万0900人,平成10年
9月にはその約1.5倍である105万7800人,平成11年9
月にはその約1.4倍である148万5800人,平成12年9月
にはその約1.3倍である197万8800人,平成14年3月に
はその約1.3倍である249万4400人と,増加の一途を辿っ
ていた。かかる増加状況は,他の携帯電話各社と比較しても著しく,
平成6年7月の本件開局時には15%に止まっていたP6の東海地
域における携帯電話のシェアは,平成13年度には28%にまで上
昇していた。(甲A16の188頁以下,弁論の全趣旨)
bこの間,携帯電話の性能は徐々に向上していったものの,P6が
新たに展開する携帯電話の商品は1年間に10機種を超えており,
P17サービスなどの新サービスも次々と展開され,これに伴い必
要となる会社の体制の整備や基地局の改善などへの対応が追いつか
ないような状況であり,携帯電話の性能の向上のみでは,顧客から
の苦情や問い合わせの件数が減少することはなかった。
また,P2が所属するアフターサービス部門においては,携帯電
話の新商品が発売される場合や,新サービスが始まる前に,開発担
当者等から適宜講義を受けたり,新機種が発売される約1か月前に,
試用機と取扱説明書で操作要領を習得するなどして,その都度新た
な顧客対応に備える必要があった。新機種が発売される際には,極
力,特定の者が当該機種に関する顧客対応を担当することになって
いたが,必ずしもそのような対応が実現していたわけではなく,新
機種の全般について,P2は顧客からの苦情を受け付けていた。(甲
A16の206頁以下,A19の69頁以下,A77の29頁以下,
弁論の全趣旨)
(キ)本件ISOの認証取得業務について
P6は,平成11年12月20日,品質管理保証の国際標準規格で
ある本件ISO及び環境管理の国際標準規格であるISO14001
の各認証取得に向けた取組を開始することを決定し,ISO管理責任
者,各認証取得対象部門の代表らをメンバーとするISO推進プロジ
ェクトチームを設けて,前記各ISOの認証取得への取組を推進する
こととした。本件ISO認証取得の意義は,サービス品質の向上に向
けた全社的な業務改革取組体制の構築や,法人及び官公庁向けのビジ
ネス拡大への効果,株式公開を見据えたP6の企業価値及び顧客満足
度の向上などにあるとされ,初期段階の本件ISOの認証審査対象部
門には,P2の所属するお客様サービス部も含まれていた。本件IS
Oの認証取得のプロジェクトは,平成12年1月に開始された。
P2の所属するお客様サービス部技術センターの所管業務で認証取
得の対象とされたのは,顧客の苦情対応業務,ネットワーク異常があ
ったときの連絡及び部内教育等であり,前記ISO推進プロジェクト
チームのメンバーとしては,技術センターからP39が選出された。
P2が当時担当していた電池テスター業務及び携帯電話機テスター業
務は,前記認証取得の対象外とされたため,P2は,前記ISO推進
プロジェクトチームのメンバーには選出されなかったが,平成12年
7月初めころ,P6から,技術センターの担当課長の一人として,本
件ISOの認証取得の業務に携わるよう指示を受け,以後,同業務に
従事した。(甲A19の165頁以下,A77の31頁以下,A78
の1,A78の2,A80の1,A80の2,B2の1,B2の2の
20頁,弁論の全趣旨)
(3)本件転籍及び外資系企業による買収
アP2は,本件出向当初から,P3に復帰することを強く希望しており,
P3からも,当初は3年間でP3に復帰できると告げられていたが,平
成9年3月初旬ころ,P3から,本件出向の延長を言い渡され,さらに,
その後の状況の変化により,P3に復帰できる見込みがなくなり,本件
出向から7年後の平成13年4月1日,P6に転籍した(本件転籍)。
(甲A77,B1の2ないしB2の2,弁論の全趣旨)
イその後,平成13年9月ころ,外資系の企業であるP7株式会社は,
P40の株式を公開買い付けし,これによって,P7株式会社がP6の
筆頭株主となった。P2は,P7株式会社が外資系の企業であったこと
から,P6であれば可能であった60歳の定年退職後の嘱託雇用が実現
しなくなるのではないかとの不安を抱いた。(甲A11の11頁,弁論
の全趣旨)
(4)新人事制度の導入等について
ア平成14年4月からP6に導入された新人事制度は,自己責任による
人生の選択を目指し,①等級制度(ミッショングレードによる役割機能
の明確化),②人材活用(ジョブポスティングの導入による社員と組織
の自律),③評価制度(ミッショングレードと後記MBOに基づく納得,
公平性があるオープンな評価システム),④給与制度(業績及び成果を
反映した報酬体系,市場競争力のある報酬水準)を採用するなど,従業
員の自主性の尊重と成果主義を骨子とするものであった。
ところで,ミッショングレードとは,会社の目標を達成していく上で,
各段階の人材が果たすべきミッション(課題)を定義し,これに基づい
てグレード(等級)を設定するもので,評価の対象は,抽象的な能力で
はなく,会社が必要としているミッションを果たせるか否かの点にある
とされていた。ミッショングレードにおける評価は,MBOにおける「目
標達成度(貢献度×達成レベル)」と「ミッション遂行度(行動指針の
遵守度)」から行われるところ,ミッション遂行度の評価は1年に1回
行われ,同一のグレードにおける累積点を基に,昇格や降格が行われる
ものであった。MBO(ManagementByObjecti
ve)とは,企業・組織の構成員が自分で設定した目標達成のために努
力し,組織の目標達成のために役立てると共に自らの動機付けを行うシ
ステムのことを意味した。さらに,ジョブポスティングとは,人事を原
則として従業員自身の意思に基づいて行うとの方針であり,これによっ
て適材適所の実現を目指すといったものであった。(甲A43)
イP2は,前記アの新人事制度の導入により,平成14年5月ころ,目
標達成度評価シート(以下「MBOシート」という。)を作成して,1
次評価者であるP16に提出することとなった。
MBOシートにおいては,期初における目標テーマを3項目設定し,
目標テーマの設定においては,数値目標を掲げることとされており,そ
のことはP2にも通知されていたが,P2は,テスターの維持管理に関
する項目を2項目に分けて書いたのみのMBOシートをP16に提示し
た。これに対し,P16は,かかる記載では新人事制度の求める最低限
の条件も満たしていないから受け取ることはできないとして,P2に対
し,テスターの維持管理業務だけではインパクトがなく,チャレンジ目
標が足りない旨指摘し,グループスタッフの育成に関する目標などを記
入するよう指示した。
これを受けて,P2は,MBOシートを書き直して,P16に対し再
提出したところ,P16は,文章の書き方が適切でないこと,具体的な
数値目標が記載されていないことなどを指摘して,再びMBOシートを
P2に返却した。
P2は,このような経緯で,少なくとも3回以上にわたり,P16か
らMBOシートの書き直しを命じられたものである。(甲A9,A43,
A44の2,A46の56頁以下,A70,弁論の全趣旨)
(5)本件異動
ア本件異動に至る経緯
(ア)平成14年3月までP2の上司であったP15は,平成13年こ
ろから,P2のパソコンの能力が高くないこと,P2が以前に故障受
付センターに在籍しており,修理品等の物の流れを一応理解している
と考えたことから,平成14年1月に定年退職を迎える保守センター
のP20及びP21の後任として,P2が適当であると考えていた。
そこで,P15は,その旨を,当時のP2の上司であるP18やP1
9に伝え,P18は,P15の同意向を,P16に対しても伝えてい
た。この時点においては,P20らの業務が今後軽減されるなどの話
は出ておらず,P20ら2名が当時担当していた業務をP21名が引
き継ぐことが,P15,P18,P19及びP16の前記議論の前提
とされていた。(甲A46の11頁以下,A55の10頁以下,A7
0,A77の14頁以下,弁論の全趣旨)
(イ)P19は,平成14年9月ころ,P18との間で,P20らの後
任人事を検討したところ,P15の前記意見なども踏まえると,P2
がP20らの後任として適当であるということで両者の意見が一致し
た。P19は,P2が,取扱店からの問い合わせに1次対応するメン
バーをまとめ切れていないと見ていたため,P2には,β保守センタ
ーで定型的な業務に従事させることがP2本人のためにも良いことで
あると考えており,また,P15も,P2はパソコンを不得手として
いたことから,P2にはパソコンの知識をさほど必要としないβ保守
センターにおける業務が適しているものと考えていた。(甲A55の
13頁,A77の8頁・14頁,弁論の全趣旨)
そこで,P19は,そのころ,P2に対し,喫煙室において,「P
21さんとP20さんの後任は,P2さんしかいないよね。」と言っ
たところ,P2は,「できれば移りたくない。他に適任者がいないか
をあたって欲しい。」と述べて,本件異動を拒絶した。(甲A55の
11頁,A110,弁論の全趣旨)
次いで,P16は,平成14年10月24日ころ,P2に対し,P
20らの後任として,本件異動を打診したが,P2は,その際にも,
β保守センターが取り扱う物流業務自体に携わったことがなかったこ
とや,左下肢が不自由な中,β保守センターの所在するβ倉庫まで片
道2時間をかけて通勤することに不安を感じていることなどを訴え
て,本件異動を拒絶した。(甲A9,A46,A55,A70,弁論
の全趣旨)
(ウ)P19,P18及びP16は,P2が本件異動に消極的な態度で
あったことから,平成14年11月初旬ころ,P20らの後任人事を
再検討したが,P2以外の候補者として挙がった3名は,退職が間近
であったり,家族を介護する必要があったり,その部署で欠くべから
ざる人物であったりしたことなどから,β保守センターにおいて勤務
をするのに適任とはいえず,やはりP2に本件異動を命じることが適
当であるということで,P19,P18及びP16の意見が再度一致
した。
そこで,同年11月初旬ころ,P19及びP16は,P6内のミー
ティングブースにおいて,P2に対し,正式に,同年12月1日から
β保守センターにおいて勤務を開始すること,それに先立って,同年
11月下旬ころから,P20らからβ保守センターにおいて業務の引
継ぎを受けることなどを内容とする本件異動の命令を出したが,P2
は,前記同様,β保守センターの業務がそれまで経験したことのない
物流業務であること,P20らにより遂行されていた二人分の業務を
一人で遂行することはできないこと,左下肢が不自由な中通勤時間が
長くなるのは相当の負担であることなどを理由に,同命令を拒絶した。
その後も,P19やP16は,P2と面談を行って(通算すると3
回程度),P2以外に適任はいないとして,P2に対し本件異動に応
じるよう強く促すとともに,P2には保守業務の経験があり,同じ技
術サポートグループ内での業務であるから心配は無用である旨説明し
たが,その説明は一方的なものにとどまり,P2が不安に感じている
点を解消するには至らなかった。(甲A9,A55,A70,B16
の27頁,弁論の全趣旨)
(エ)平成14年11月中旬ころ,P19は,本件異動に納得しないP
2が「自分を辞めさせたいのか。」と述べたのに対し,「勝手にした
らいいではないですか。」などと発言した。
また,同日,喫煙所において,P2が,本件異動を拒絶する前記各
理由を述べて「保守センターでやっていく自信がない。」と述べたの
に対し,P16は,P2に対し,「P2さん,甘えているんじゃない
の。」などと強い口調で発言した。(甲A46の16頁以下・42頁・
46頁,A55の18頁以下,弁論の全趣旨)
(オ)P2は,その後も,本件異動では,P20及びP21の2名が担
当していた業務をP2が一人で引き継ぐこととされていたため,その
業務量に不安を感じ,P19やP16に対し,せめてP2のほかに1
名人員を配置して欲しいと懇請したが,P19及びP16は,P20
らの担当業務は今後減少する可能性があるからP21名で担当できる
ことを抽象的に説明するだけで,P2の前記懇請に対し,真摯に応答
しなかった。P2は,結局,本件異動について,明確には承諾しなか
った。(甲A9,A10の18頁以下,A46の20頁以下・44頁・
48頁,A55,A70,弁論の全趣旨)
(カ)ところで,平成14年11月ころ,P20らの担当業務の一部は,
減少する可能性が見込まれており,同月中旬ころからは,P6の業務
委託先であるP41株式会社(以下「P41」という。)との間で,
業務分担の見直し協議が始まり,同年12月2日ころ,P6とP41
との間で,P41に引き継がれる業務内容等についての合意がされた
(後記イの(イ))。ところが,P19及びP16は,前記P41との
協議に先立って,P2に本件異動を打診しており,同打診の際に前記
協議が予定されていることについて話しておらず,また,前記協議が
開始された後も,P2に対し,具体的な協議内容を伝えていなかった。
(甲A9,A10の18頁以下,A46の20頁以下・28頁以下・
44頁,A51の5頁以下,A52の1,A52の2,A55,A6
9,A70,弁論の全趣旨)
(キ)P16は,P2に対し,P20らから引き継ぐ業務に加えて,本
件異動後も,取扱店などに貸し出している電池テスター機や移動機テ
スター機の管理及び発送業務に従事するよう命じたが,β保守センタ
ーには,テスター機を保管するに十分な空きスペースがなく(当時,
テスター機はα駅前の技術サポートグループの事務所において保管さ
れていた。),P2がβ保守センターにおいて同業務を行うことは不
可能な状況にあった。そのため,P2は,P16と相談をし,結局,
前記業務はP16との間で分担することとなったが,その経緯を通じ
て,P2のP16に対する不満は一層増大した。(甲A9の30頁,
A46の23頁,A55の51頁以下,A70の13頁,弁論の全趣
旨)
イ前任者らからの引継ぎ状況等
(ア)P6とP41との業務分掌の取決めにおいては,P2の前任者で
あるP20らは,次表記載の管理業務(以下「管理業務」という。)
に,P41は,次表記載の担当業務(以下「担当業務」という。)に,
それぞれ従事することとされていた。
もっとも,P20らのみで管理業務を行っていたものではなく,P
20及びP21にそれぞれ1名ずつ補佐で付いていた派遣社員やP4
1の社員が,P20らの管理業務を手伝ったり,他方で,P20らが
P41の社員や派遣社員の業務を手伝ったり,派遣社員から業務に関
する質問を受けたりするなど,β倉庫においては,P41,派遣社員
及びP6の従業員が,前記業務分掌を一応念頭に置きつつも,β保守
センターにおける仕事を全体として回転させるために,事実上共同し
て業務を遂行していた。(甲A21,A46の20頁以下,A51の
16頁以下,A54の8頁・11頁・15頁,甲A57の2頁,甲A
70の8頁,弁論の全趣旨)
項目管理業務担当業務
1代替機代替機の補充出荷の
承認(随時)
代替機の修理の判断
(随時)
代替機の在庫数に関
する台帳の作成
代替機の修理依頼や
修理完了の処理
2保守在庫受払
業務
故障受付中に顧客に
貸し出す移動機や付
属品の月次及び期末
における棚卸し(月
及び期ごと)
保守在庫数量の確認
移動機及び付属品の
受払
3備消耗品の補

事務所使用の備品や
消耗品の補充(発注)
(随時)
在庫数量の確認
4帳票の補充修理依頼書やサービ
ス処理表などの各種
帳票の補充(発注)
(随時)
在庫数量の確認
5リサイクル,廃
棄品関係
使用後回収端末の実
績の管理及び報告
使用後端末の回収実
績のカウント及び集
保守在庫の廃棄数の
管理並びに技術サポ
ートグループへの報
告(月次)

保守在庫の廃棄実績
のカウント及び集計
6運搬費(修理
品,備品等)
業者への請求書の発
送(月次)

7修理品誤発送
管理
取扱店別の誤発送の
実績の管理及び報告
(月次)
誤発送の実績の集計
8修理完了デー
タ登録-
修理管理システムへ
の修理完了データの
登録
9出荷品のデー
タ登録

在庫管理システムへ
の代替機及びリンク
機(交換用移動機)
の出荷先の登録
(イ)平成14年11月ころ,管理業務の一部は,今後減少する可能性
が見込まれており,また,P20らが業務分掌を超えて行っていた担
当業務については,同年12月2日ころ,P6が担当すべき業務の見
直しを図るようP16から命を受けたP6の従業員P42が,P41
との間で,平成15年1月からはP41が担当する旨確認していたが,
P2は,前記のとおり,本件自殺に至るまで,P19やP16から,
そのことを明確には伝えられていなかった。(甲A52の1,A52
の2,A54,A57,A69,A70,弁論の全趣旨)
(ウ)P2は,平成14年12月2日から,β保守センターにおいて正
式に勤務することになったが,それに先立つ同年11月20日,同月
27日及び同月28日,P20らから,同人らの仕事に関する大まか
な説明を受けた。次いで,同年12月2日以降は,P20らから,β
保守センターにおける仕事の内容が記載された引継書の交付を受け
て,各業務を実際に行いながら仕事内容の説明を受けた。
β保守センターにおける業務は,これまで技術部門に所属してきた
P2にとって経験したことのない業務内容であったことに加え,P2
0らの前記引継ぎは,引継書があったとはいえ,P20とP21の担
当していた業務内容が異なっていたことから(甲A51の17頁),
P20ら2名がP21名に対しそれぞれ異なる仕事内容を説明せざる
を得ず,P2は,引継ぎ内容をスムースに理解することができなかっ
た。P2は,前記引継ぎについて,派遣社員のP43に対し,「もう
一杯一杯ですわ。」と話していた。(甲A9,A21,A51,A5
4,A57,A102,A103,弁論の全趣旨)
ウβ保守センターの就労環境等
(ア)β保守センターは,P41のβ倉庫内に所在し,本件異動前の時
期,β倉庫においてP6の業務を担当していた従業員等は,P6の従
業員であるP21及びP20のほか,P41のP44所長,女性従業
員2名及び男性従業員1名,派遣元会社からP41に派遣されている
派遣社員約15名の,合計約20名であった。β倉庫は,冬の時季に
も,暖房の効きが悪く,β倉庫で働く従業員等は,ダウンジャケット
等の上着を着用した上,毛布様のものを膝にかけて勤務をするなど,
P2がそれまで勤務していた事務所の環境とは全く異なっていた。(甲
A54,A57,弁論の全趣旨)
(イ)P2がβ保守センターにおいて勤務をするに当たっては,パソコ
ンの使用が必須であり,P2は,従前勤務していた事務所で使用して
いたパソコンを1台持ち込んだが,P2の最寄りに電源コードを接続
するコンセントの空きがなく,空きのあるコンセントにつなぐには延
長コードが必要であったものの,それも備えられていなかったため,
P2はパソコンを使用することができず,本社のホストコンピュータ
ーに接続することができなかった。P2は,本件異動後に,P16か
ら平成14年度予算第4四半期実績見込みを記載した書類を作成する
よう命じられた際,P16に対し,延長コードがないため自分のパソ
コンが使用できない旨説明したが,P16は,P20又はP21のパ
ソコンを借用して前記書類を作成するよう指示し,P2のパソコンの
接続について何らの措置も施さず,結局,同月5日になって初めて,
P2が自ら準備した延長コードを利用することにより,P2が使用す
るパソコンと本社のホストコンピューターとの接続が完了した。
また,P2は,本件異動に際し,ロッカーを設置してほしい旨をP
16に対し要望したが,P16は,β保守センターの業務量は今後減
少するのでロッカーを設置する必要はないと判断し,代わりに,キャ
ビネット2本と袖机1台をβ保守センターに設置することを許可し
て,同月2日,これらが設置された。(甲A9,A46,A51の2
4頁以下,A55,A69,A70,弁論の全趣旨)
(ウ)P2は,β保守センターへ通勤する際,まず,自宅から名古屋市
営地下鉄δ線のε駅までバイクに乗って向かい,同駅から地下鉄に乗
ってα駅へ向かい(約30分間),その後,同駅において階段の昇降
を経て,P45α駅に乗り換え,同駅から約25分間,電車に乗って
ζ駅へ向かった。P2は,前記(1)アの(ア)のとおり,左下肢に歩行困
難の障害を有しており,階段の昇降には困難を来す状態であったが,
ζ駅にはエスカレーターやエレベーターはなく,階段の手すりにつか
まって同駅の地下の改札口まで移動することを余儀なくされていた。
ζ駅からβ保守センターまでの距離は遠かったため,P2は,同駅か
らβ保守センターまで,P41の従業員に車で送迎をしてもらってい
た。(甲A21,A54,A56ないしA58,A62ないしA65,
A89ないしA90の2,A95,A98,A109,弁論の全趣旨)
エ本件自殺後のP2の担当業務の引継ぎ
P41は,前記イの(イ)のとおり,P6との間で,P41が担当する
業務について合意をしたことから,同合意の発効する平成15年1月か
ら,新たにP46からP47をβ倉庫に配属し,P2の担当していた業
務は,前記P47,P41の女性従業員2名及び派遣社員2名並びにP
42の合計6名で分担された。(甲A9,A46,A55,A69,A
70,弁論の全趣旨)
(6)P2の労働時間
アP2の所定労働時間
本件出向が行われた平成6年4月当時,P6の所定労働時間は午前9
時から午後5時50分,休憩時間は正午から午後1時までの1時間,休
日は土曜日及び日曜日であった。そして,平成13年8月からは,時差
出勤制度が導入されたため,P2は,これに伴い,同月から平成14年
3月までは,午前9時又は午前10時から,同年4月は,午前9時30
分又は午前10時から,同年5月からは,午前9時30分,午前10時
又は午前11時20分から,始業することとなった。(甲A47の1な
いしA47の25,弁論の全趣旨)
イP2の時間外労働時間
(ア)本件出向当時,P6においては,社員が時間外労働をする場合に
は,社員自らが,超過勤務命令簿に月日,用務及び超過勤務時間等を
記入し,その日のうちにこれを上司の机の上に提出し,上司が,翌日
にその内容を確認して決裁する方法が採られていた。(甲A20,弁
論の全趣旨)
P2が記入した超過勤務命令簿には,本件うつ病の発症前約6か月
間のP2の時間外労働時間等について,次のとおり記載されている。
なお,休日出勤は,平成6年7月の1回のみであり,また,同年11
月22日の年休は,P2が体調不良のために取得したものである。(甲
A28の1ないしA35の2,原告本人,弁論の全趣旨)
年月時間外労働時間夜勤時間
平成6年4月4時間0時間
平成6年5月21時間30分0時間
平成6年6月52時間30分1時間15分
平成6年7月54時間50分0時間45分
平成6年8月56時間35分5時間20分
平成6年9月67時間9時間05分
平成6年10月69時間8時間35分
平成6年11月18時間30分0時間35分
(ただし,超過勤務命令簿の記載)
(イ)しかしながら,前記超過勤務命令簿の時間外労働時間等の記載は
必ずしも信用できず,P2は,同年5月から同年8月ころ,少なくと
も月に約100時間程度の時間外労働をしていたことが推認される。
その理由は,次のとおりである。
a前記認定事実のほか,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,P
2は,平成6年10月22日には,P24病院のP30医師に対し,
同日ころの睡眠時間は5時間程度で,2か月で体重が8キログラム
減少したことを(甲B4),同年11月17日には,P25病院精
神科の担当医に対し,本件開局をした同年8月以降,毎日深夜まで
仕事をしていることを(甲B1の2),第1次受診開始日の平成7
年7月28日には,P27医師に対し,同日ころの平日の勤務時間
は約12時間であり,開局前には開業に間に合わせるために午前2
時ころまで働くようなことが数か月続き,開局直後も午後11時過
ぎころまで働く日々が続いたことなどを(甲B2の1,2)それぞ
れ愁訴しているところ,真面目,几帳面で責任感が強い性格であり,
自己の症状を正確に伝えてこれを回復させてもらおうと考えている
P2が,医師に対して虚偽や誇張した事実を述べるとは考えにくい
ことからすると,前記各愁訴の内容は,P2の当時の状況をほぼ正
確に述べたものとして信用することができる。また,本件において
は,前記各愁訴の内容を裏付ける各事実の存在も認められる。具体
的には,本件開局は,当初予定していた平成6年12月から5か月
も前倒しにされたにもかかわらず,本件出向時である同年4月の時
点(本件開局予定日の約3か月前)において,本件開局に必要な人
的,物的整備は未だ整っておらず(本件開局前から,通話に関する
苦情が殺到することが予想されていたのに,5000名の顧客に対
して10名のオペレーターしか配置されておらず,また,苦情受付
体制に関する具体的な事項は何も定まっておらず,苦情受付業務に
不可欠な業務マニュアル作りや人員の募集等は行われていなかった
(前記(2)イ)。),P2の行うべき業務は相当に多く,また困難を
伴うものであったと推認されること,P6の社員の多くは携帯電話
自体を見たことがなく,社員全体が携帯電話に対するイメージを共
有できていない中で,P2は,本件開局予定日のわずか3か月前に,
音響関連の会社であるP3から携帯電話会社であるP6に出向し,
各種マニュアル作りに携わったが,未知の分野において将来的に発
生し得る顧客からの苦情の内容や数等を想定するのは,相当に困難
を極めたと察せられること,前記のような状況の中,参考となる先
行他社のマニュアルもなく独自に取扱店マニュアルを作成するのに
かかる労力及び作業時間は,膨大なものであったと推測されること,
顧客の数は,本件開局後,当初の予想を上回って劇的に増加してお
り(本件開局前には平成12年度で20万人を見込んでいたところ,
平成6年度末は8万人,平成7年度末は30万人,平成8年度末は
56万人と,急激に増加した(甲A19の56頁)。),顧客から
の苦情の数も,それに比例して増大していったと解されること,原
告が,深夜まで残業するP2を,当時P2の勤務先であったγ所在
のP37ビルや,地下鉄δ線の最終電車の終着駅であるη駅ないし
θ駅まで度々迎えに行っていたことが認められること(甲A9,A
12の24頁,原告本人,弁論の全趣旨),P2は,本件開局前,
卓球仲間であるP48に対し,午後9時ころに帰宅した後も自宅で
マニュアル作りをしなければならない旨述べていたこと(甲A10
8),P2は,始業時刻の1時間前である午前8時には既に出社し
て勤務していたこと(甲A23の24頁,弁論の全趣旨)など,P
2の前記各愁訴の内容を裏付けあるいはこれに整合する事実が多数
存在する。
以上に照らすと,P2の前記各愁訴の内容は信用でき,P2は,
本件開局直後の平成6年8月ころには,少なくとも月100時間程
度の時間外労働(平日の終業時間後,午後11時ころまでの勤務(約
5時間の時間外労働)を20日間(甲A32))をしたことが推認
される。また,本件開局の準備に向けた業務により,同月ころより
も繁忙であったと推認される本件開局前の同年5月から同年7月こ
ろには,自宅への持帰り残業も含めると,前記月100時間程度を
上回る時間外労働をしていたと推認されるというべきである。
bさらに,本件開局後は,前記のとおり,本件開業前には想定して
いなかった問題や電波状態の不具合に関する問題などが次々と判明
し,これについて顧客から多数の苦情が寄せられるなど,苦情受付
業務は繁忙を極めたが,平成6年11月まで,5000名の顧客に
対して1次対応をするオペレーターは10名しかおらず,業務分掌
上は2次対応とされていたP2も,1次対応をせざるを得なかった
ため,1次対応を行った時間の分,P2の本来的な業務は終了が遅
れ,本件開局前と変わらず繁忙であったと認められる。また,P2
自身も,本件開局後の状況について,前記のとおり,P25病院精
神科の担当医やP27医師に対し,毎日午後11時過ぎないし深夜
まで顧客のクレームを受け付けるという勤務が連日であったことを
愁訴しており(甲B1の2,B2の1,B2の2),その内容は,
前記のとおり十分に信用できること,さらに,超過勤務命令簿の記
載によっても,同年8月から同年10月にかけて,月に約56時間
から69時間と相当程度長時間の時間外労働を行ったとされている
こと(もっとも,前記aのとおり,P2の実際の労働時間はこれを
上回るものである。)からすると,本件開局後同月ころまでの間は,
P2の業務が本件開局前に比して軽減されることはなかったと認め
るのが相当である。なお,1次対応のオペレーターの数が44名に
増員された同年11月ころは,P2は,おおむね定時の午後6時こ
ろに退社していたことが認められる(甲B1の2,弁論の全趣旨)。
cところで,被告は,超過勤務命令簿の記載内容が信用できる旨主
張するので,この点について検討するに,確かに,超過勤務命令簿
は,自己申告制であり,P6がP2に対し時間外労働時間を過少申
告するよう働きかけをした形跡は窺われないものの,P2は原告に
対し,「残業代なんて全部つけられないんだ。全部つけてしまった
ら給料より残業手当の方が多くなってしまう。」などと述べたこと
があり(甲A9の8頁),同供述は,P3がP2のP6における時
間外勤務手当の支払を一部担っていたこと(甲A13の1,A13
の2)や,P13も同趣旨の供述をしていること(甲A24の6頁),
P2の真面目で責任感の強い性格などに照らすと,信用できるもの
と考えられ,P2が自主的に過少申告していた可能性が高いことが
推認される。また,超過勤務命令簿に記載された時間がすべて30
分単位のきりの良い数字となっており,日々の仕事がこのように切
りよく終えられるものではないと考えられること,P6が,超過勤
務命令簿に適正に労働時間の自己申告を記載すべき旨の十分な説明
や,P2を含むP6の従業員の労働実態の調査を行った形跡はなく,
上司であるP11が漫然とP2の申告するとおり超過勤務命令簿に
押印をしていただけであったと推認され,これは,何人の確認も受
けていないのと実質的に異ならないことなどからすると,超過勤務
命令簿の記載自体,到底信頼できるものとはいえない。さらに,前
記a及びbのとおり,本件開局前後のP6の状況やP2の業務内容
は,P2が主治医にしていた前記各愁訴に沿うものであるところ,
それらによれば,本件開局の前後において,少なくとも月に約10
0時間程度の時間外労働をしていたと推認されるのに対し,超過勤
務命令簿に記載された時間外労働の時間はあまりに少なく,P2の
正確な労働時間の実態を反映したものとは到底認め難いものという
べきである。
なお,同認定に反する証拠として,当時P2と同じサービス課に
所属していたP49が,超過勤務命令簿に実際の時間外労働時間よ
り短い労働時間を記載したことはない旨述べる陳述書(甲A20)
が存在するけれども,P2とP49とは,所属部署が異なっており
(P2はサービス課の保守センター,P49は同課のお客様センタ
ーに所属していた。),P49の就労状況とP2の就労状況とが必
ずしも同様であったとは認められない上,P49が就労していたブ
ースは,P2が就労していたブースとはやや離れた位置にあり,P
49がP2の就労状況を詳細に確認できたとは解されないこと(甲
A27,弁論の全趣旨),P49はP6に平成5年に入社したばか
りの社員であって,P3に長年勤務した上でP3から在籍出向して
いるP2とは,超過勤務命令簿による時間外労働時間の申告に対す
る意識も相違していると考えられ,P49とP2とは,その置かれ
ていた状況が異なるというべきであって,P49の前記陳述書は,
P2の就労状況を推認させるものとはいえず,前記認定を覆すもの
ではないというべきである。
(7)業務以外の出来事
P2は,平成9年8月ころ,名古屋市<以下略>に所在するP3の社宅
において,原告の両親と同居を始めたが,平成10年1月ころ,同社宅で
の居住に対する住宅手当が支払われなくなることから,名古屋市ι区に自
宅を購入し,その際,2000万円の住宅ローンを組んで,P2を被保険
者とする団体信用生命保険に加入し,同月ころ,原告,P9,P10及び
原告の両親とともに,前記ι区の自宅に引っ越しをした。原告の父は,同
年9月13日に他界したため,同日以降は,原告,P9,P10及び原告
の母とともに(ただし,P9は平成12年に結婚するまでの間),前記自
宅で生活した。(甲A10,A11の6頁以下,A107,B16の83
頁,原告本人31頁,弁論の全趣旨)
前記のとおり,P2は,平成10年3月2日にP27クリニックを受診
しているが,その際,P27医師に対し,先週引っ越しをしたが,体がだ
るくて引っ越しの手伝いができず,家族にも申し訳ない旨述べているが,
本件うつ病による心身の不調がほぼすべての原因であったと考えられるも
のであり,業務外に心理的負荷を与えるような事情があったことは何ら窺
えないものである。(甲B2の1,B2の2)
(8)本件自殺に至る経緯
ア平成14年6月ころから,P2は,原告やP9に対し,P2よりも年
若な上司であるP16からMBOシートを幾度も書き直すよう命じられ
ることなどについて,度々愚痴をこぼし,P9から「あまり深く考えな
いで,お父さんがやっている仕事の内容をなるべく具体的に書けばい
い。」などのアドバイスを受けていた。このころから,P2は,仕事の
ことについて後ろ向きの発言ばかりするようになり,そのことをP9か
ら責められ,P9と度々口論になっていた。(甲A9,A11の11頁
以下,A45の5頁以下・20頁以下・25頁以下,弁論の全趣旨)
イP2は,β保守センターにおける勤務開始を3日後に控えた平成14
年11月29日,原告及びP9夫妻とともに,P2ら家族が毎年訪れて
いた,三重県尾鷲市にある原告の親戚宅を訪れた。
P2は,同親戚宅へ向かう道中,普段とは異なり,急ブレーキや急ハ
ンドルを繰り返す危険な運転をし,同日の親戚宅での夕食後は,皆がい
る親戚宅を一人で出て,ダウンジャケットを着用したまま海に転落した
が,偶然通りかかった漁師らに救助された(当時,P2がP9に対し,
度々「死にたい。」と漏らしていたこと(甲A45の5頁以下)からす
ると,前記転落は故意によるものと推察される。)。(甲A9,A45,
弁論の全趣旨)
ウ本件自殺の前日である平成▲年▲月▲日,P2は,原告とともに,P
9夫妻の住む家を訪れた際,P9に対し,「殺してくれないか。」と述
べた。(甲A45の9頁)
エその翌日の平成▲年▲月▲日,P2は,土曜日のため会社が休みであ
ったことから,日中を自宅で過ごしていたが,原告が出かけた午後1時
ころから午後9時ころまでの間に,自宅の和室を荒らした上で,同和室
において,自ら首をつって窒息死した(本件自殺)。本件自殺に際して
は,遺書は作成されていなかった。(甲A9,甲B16の91頁)
2医師の意見の要旨
(1)P2の主治医であるP27医師の意見の要旨(甲B8,B9,B11,
B12,B21)
ア本件うつ病の発症要因について
前記のとおりP2は,平成6年11月17日のP25病院精神科への
受診時には,既に本件うつ病を発症していたところ,同発症の背景とし
ては,本件出向による業務内容や社内の立場の大きな変化,不慣れな分
野でハードな勤務の継続を余儀なくされたこと,P2の,几帳面で周囲
に気遣いをし,自ら責任を引き受けてしまうとともに,責任感が強く,
かつ,我慢強い性格傾向などが考えられる。P2が,その心理的負荷の
原因として平成6年4月の本件出向を挙げていること,P24病院にお
いて仕事の負担を強く訴え始めたのは本件出向後であることからする
と,本件うつ病の主たる原因は本件出向及び本件出向後の過重な業務の
存在であり,本件出向よりも前に本件うつ病が発症していたと考えるこ
とはできない。
イ本件うつ病の寛解の有無について
うつ病は,投薬だけで治療できるものではなく,うつ病患者を取り巻
く状況因を取り除かなければ寛解しない病気であり,臨床上もうつ病の
慢性化は存在するところ,前記1の(1)エの(ア)ないし(オ)のP2の症状
等や,本件うつ病の状況因子であるP6における厳しい職場環境に変化
はなかったこと,P2がP27医師に対し,うつ病の症状が回復したか
らP27クリニックの受診を中断したと告げたことはなかったことなど
からすると,本件うつ病は,本件自殺まで一度も寛解するに至らず,慢
性化していたものと考えられる。
ところで,本件うつ病が慢性化していたにもかかわらずP2が一定期
間P27クリニックの受診を中断していた理由については,医師を受診
することによって一時的にP2の心理的負担が軽減したことや,自宅を
購入した際に加入したローンの生命保険の告知義務に関する誤解があっ
て受診できなかったことなどが考えられ,前記のとおり,P2を取り巻
く職場の状況が変わっていない以上,前記受診の中断をもってP2のう
つ病が寛解したものとは解されない。P2は,P24病院で処方されて
いたメイラックス及びグランダキシンの服用や,生来の我慢強い性格に
より,精神科への通院を中断しても,何とか勤務を継続することができ
ていたにすぎず,本件うつ病が寛解したわけではない。メイラックスは,
うつ病の患者に対して単独で処方されることは少ないが,うつ病の一症
状である抑うつ状態に効能があり,P2に対しても,本件うつ病による
不安や抑うつ状態を幾分か緩和させたものと考えられる。
(2)P24病院の担当医であるP30医師の意見の要旨(甲B19の1,B
19の2)
アP2の口腔心身症は,精神的緊張の持続,交感神経の緊張が慢性的に
続いたことにより,その症状が改善しなかったと考えられるところ,同
症状の治療のためにP24病院を受診していた間における経過を見る
と,本件出向後におけるP6での業務上の精神的負荷の強弱に伴って,
同症状の悪化と緩和を繰り返し,一進一退の状態が続いていたものであ
り,業務上のストレスを抜きにP2の症状を説明することができないこ
とから,P2の罹患した口腔心身症が,P6における業務上のストレス
と密接な関連性を有していたことは疑う余地がない。P2の抱えていた
精神的ストレスは,P6における業務の繁忙,苦情受付業務による精神
的ストレスのほか,P6における業務自体が肌に合わないものの,家族
を支えるために頑張って働かなければならないとの思いによって生じて
いたところが大きいと推測される。
イP2は,メイラックスの処方を受けるためだけにP24病院を受診し
ていたわけではなく,P30医師の行う支持的精神療法を目的に,同病
院を受診していたものである。P2は,前記支持的精神療法の効果によ
って,P27クリニックの受診を中断していた期間も,業務上のストレ
スを抱えながらも,P27クリニックに再受診するまでの間,何とか抗
うつ薬を服用しなくても我慢して勤務していたものであって,P27ク
リニックの受診の中断をもって本件うつ病が軽症又は部分寛解の状態に
至ったと判断することは誤りであり,P30医師の診察においてそうし
た状態にまで回復していたと確認できたことはない。
なお,前記のとおり,P2は,平成13年5月12日をもってP24
病院の受診を中断しているが,これは,P30医師の診療日が土曜日か
ら平日に変更されたことに伴い,P2がP30医師の診察を受けること
ができなくなったことによるものであって,P2の口腔心身症が完治し
たからではなかった。
(3)社団法人P50病院院長であるP51(以下「P51医師」という。)
の意見の要旨(甲B10)
アそもそもうつ病は,約半年間で寛解することの多い病気であるところ,
P2は,P27クリニックの受診の中断を繰り返していたものであり,
本件うつ病の発症から本件自殺までの約8年間に,本件うつ病が一度も
寛解しなかったとは考えられない。すなわち,本件うつ病は,P27ク
リニックの受診中断期間に寛解したものであり,その後,新たなうつ病
(本件再発うつ病)が発症したものである。
P27クリニックの受診中断期間にP2が服用していたメイラックス
は,うつ病の症状としての抑うつ状態に対しての効果は弱く,本件うつ
病の症状が,P27クリニックの受診中断期間中,メイラックスの効果
により抑えられていたと考えることはできない。
イP2が従事していた業務に過重性は認められない一方で,P2には,
本件出向前から口腔異常感症等を発症するなど,ストレスに敏感な個体
側要因が認められることからすると,本件自殺は,P2の意志による計
画的な自殺であったと推察される。
(4)P52クリニック院長であるP53(以下「P53医師」という。)の
意見の要旨(甲B20)
ア難治性のうつ病は,作用機序の異なる2種類以上の抗うつ薬の十分量
を十分期間用いても,十分に改善しない大うつ病と定義されているとこ
ろ,P2に投与された抗うつ薬は,プロチアデン(塩酸ドスレピン)の
1種類のみで,投与量(75mg/1日)も,P27クリニックの受診期間
を通じて最高用量(150mg/1日)の半分にとどまっていること,そも
そも難治性うつ病は,臨床例の中で稀な症例であるとの一般的事実を併
せ考えると,本件うつ病が難治性であった可能性は極めて低いといわざ
るを得ない。そして,P2は,P27クリニックにおいて投薬治療を受
け,投薬によってうつ病の苦痛から解放されることを十分に体験し認識
していたにもかかわらず,P27クリニックの受診を数度にわたり中断
していることからすると,前記各中断期間は,本件うつ病の症状が回復
ないし寛解していたと考えるのが自然である。
イ仮に,本件うつ病が回復ないし寛解に至っていなかったとしても,そ
の原因は,P2がP27クリニックの受診を中断したり,あるいは抗う
つ薬の服用と並行して日常的に飲酒を続けていたことに起因するもので
あり(アルコールは,抗うつ薬等うつ病の治療に用いる薬との間に危険
な相互作用をもたらす可能性があり,また,睡眠を浅くしてうつ病の回
復を大きく妨げるものである。),P6における業務に起因するもので
はない。
ウしたがって,本件うつ病は,本件自殺までの間に一旦寛解し,その後
に本件再発うつ病を発症したものであると解され,仮に,本件うつ病が
寛解していないとしても,業務外の理由により寛解に至らなかったもの
である。
(5)P54病院精神科部長兼P55大学社会福祉学部教授であるP56(以
下「P56医師」という。)の意見の要旨(乙10)
アP2は,第4次受診中断後,第5次受診を開始するまでの約1年8か
月の間,抗うつ薬の投与を受けていないにもかかわらず,勤務を特に問
題なくこなし,P24病院の診療録(甲B3,B4)においても,同期
間,うつ病エピソードのはっきりとした徴候や症状は認められない。そ
れゆえ,本件うつ病は,前記期間,一旦寛解状態にあり,第5次受診を
開始した平成12年7月ころに,本件再発うつ病として再発したと考え
られ,P2は,ICD-10の診断ガイドラインに照らし,F33の反
復性うつ病性障害に罹患していたと解するのが相当である。
なお,P2が,同期間中,メイラックスの効果により日常生活を支障
なく送れる程度の抑うつ状態が残存する部分寛解の程度にあったとみる
ことは,現在の精神医学的な治療の見地からして妥当性を欠くものであ
る。
イうつ病の業務起因性の判断に当たっては,判断指針によるべきであり,
具体的には,精神障害の発症を「ストレス-ぜい弱性」モデルによって
理解しつつ,業務による心理的負荷の程度を客観的に評価することが相
当である。
本件うつ病は,前記アのとおり,一旦寛解した後,平成12年7月こ
ろに,本件再発うつ病として再発したものであるが,本件再発うつ病の
発症前6か月間にP2が従事していた業務は,客観的に過重といえるほ
どのものではなく,うつ病の再発をもたらす程度の強度の心理的負荷を
P2にもたらしたとみることは困難であるから,本件再発うつ病に業務
起因性は認められない。
また,本件うつ病の発症前6か月間にP2が従事していた業務も,客
観的に過重といえるほどのものではなく,うつ病の発症をもたらす程度
の強度の心理的負荷をP2にもたらしたとみることは困難である上,P
24病院の診療録によれば,P2は,平成5年9月の時点で,少なくと
も心身症の病態があり,本件出向前の時点において,すでに精神面のぜ
い弱性を有していたものである(個体側要因がある)から,本件うつ病
の業務起因性も認められない。
ウうつ病が重症化するにつれて自殺念慮を抱く確率が増加し自殺率が高
まるという医学的所見は存在せず,うつ病の重症度と自殺企図に至る危
険性は,必ずしも相関するものではない。また,P27クリニックの受
診内容や投薬内容からは,本件再発うつ病ないし本件うつ病の症状の重
症化や,P2の自殺ないし自殺念慮が懸念されるような緊迫した状況に
あったと窺うことはできない。それゆえ,本件再発うつ病ないし本件う
つ病の発症後に起こった出来事である本件異動及びこれに至る経緯が,
同うつ病を増悪化させ,その結果,P2が本件自殺に至ったと考えるこ
とは困難である。
(6)P57病院精神神経科部長であるP58(以下「P58医師」という。)
の意見の要旨(乙11)
アP24病院の診療録(甲B3,B4)から推察されるP2の症状や,
うつ病に対するメイラックスの効果には限界があることなどに照らす
と,P2は,第4次受診終了後第5次受診を開始するまでの約1年8か
月の期間,完全寛解の基準である「2か月間大うつ病エピソードのはっ
きりとした徴候や症状がみられない場合」を満たしており,本件うつ病
は,同期間中に完全寛解したと考えるのが妥当である。そして,P2は,
その後平成12年7月ころに,本件再発うつ病を発症したものと考える
のが妥当である。
イしかるに,同月前の6か月間において,P2が,精神障害の発病原因
として相対的に有力なものと評価できる程度に過重な業務に従事したと
はいえず,本件再発うつ病に業務起因性を認めることはできない。
また,平成6年11月ころに発症したとされる本件うつ病についても,
業務起因性を認めることはできない。
ウさらに,精神障害発病後の出来事によっては,業務起因性を肯定でき
ないから,本件うつ病あるいは本件再発うつ病よりも後の出来事である
本件異動は,そもそも前記各うつ病の業務起因性に関して考慮する余地
のない出来事であることに加え,本件異動のころのP27クリニックの
処方薬に変化がないことからすると,本件異動は,前記各うつ病の増悪
要因になったものではない。
エしたがって,前記各うつ病の発症及び本件自殺と業務との間に相当因
果関係を認めることはできず,P2の罹患したうつ病に業務起因性は認
められない。
(7)専門部会の意見の要旨(甲B16の47頁以下)
ア本件うつ病は,ICD-10の診断ガイドラインに照らし,F33の
反復性うつ病性障害に該当すると解するのが妥当であり,その発病時期
は,平成6年10月ころであるが,第4次受診を中断した平成10年1
1月ころに,一旦寛解し,その後,第5次受診を開始した平成12年7
月ころに,本件再発うつ病として再発したものである。
イ本件再発うつ病の発症前6か月間にP2が従事した業務は,判断指針
上「強」と判断できるほどの心理的負荷をP2にもたらしたとは認めら
れず,他方,P2には,本件出向以前からの口腔心身症の治療歴や,飲
酒習慣,真面目で几帳面な性格傾向など,個体側の要因が認められる。
これらに照らすと,本件再発うつ病に業務起因性は認められないと解す
るのが妥当である。
3争点①(本件うつ病の業務起因性)について
(1)業務起因性の判断基準について
ア労災保険法に基づく保険給付の対象となる業務上の疾病(同法7条1
項1号)については,労基法75条2項に基づいて定められた同法施行
規則35条により同規則の別表第1の2(平成22年5月7日厚生労働
省令第69号により改正)に列挙されているところ,精神疾患であるう
つ病の発症が労災保険給付の対象となるためには,同別表9号の「人の
生命にかかわる事故への遭遇その他心理的に過度の負担を与える事象を
伴う業務による精神及び行動の障害又はこれに付随する疾病」(前記改
正前は,同別表第11号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」)
に該当することが必要である(労災保険法12条の8第2項)。本件に
おいては,同要件の該当性をいかなる基準で判断するかにつき,双方に
争いがあるので,以下,順を追ってこの点につき判断することとする。
イ相当因果関係の要否
(ア)労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度の趣旨は,労働
に伴う災害が生じる危険性を有する業務に従事する労働者について,
その業務に内在ないし通常随伴する危険が発現して労働災害を生じた
場合に,使用者の過失の有無にかかわらず,被災労働者の損害を填補
するとともに,被災労働者及びその遺族の生活を補償するところに求
められるところ,このような労働者災害補償制度の制度趣旨に照らせ
ば,業務と疾病との間に業務起因性があるというためには,単に当該
業務と疾病との間に条件関係が存在するのみならず,社会通念上,業
務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として疾病が発症したと法
的に評価されること,すなわち業務と疾病との間に相当因果関係が認
められることが必要であると解するのが相当であり(最高裁昭和51
年11月12日第二小法廷判決・集民119号189頁参照),この
理は,前記「人の生命にかかわる事故への遭遇その他心理的に過度の
負担を与える事象を伴う業務による精神及び行動の障害又はこれに付
随する疾病」に該当するか否かの判断においても異なるところはない
というべきである。また,本件のように精神疾患に罹患したと認めら
れる労働者が自殺した場合には,精神疾患の発症に業務起因性が認め
られるのみならず,当該精神疾患と自殺との間にも相当因果関係が認
められることが必要である。
(イ)原告は,労基法及び労災保険法上の業務起因性の判断基準として
は,条件関係も相当因果関係も必要なく,業務と結果発生との間に合
理的関連性が有れば足りる旨主張するが,これは,業務に内在する危
険が現実化した場合に労働者の損失の填補を行うべきとする前記危険
責任の考え方に必ずしも整合しないから,同主張は採用できない。
ウいかなる場合に相当因果関係が認められるか
(ア)うつ病を含む精神疾患は,当該労働者の従事していた業務とは直
接関係のない基礎疾患,当該労働者の性格傾向,精神の反応性,適応
能力及びストレス対処能力等(以下「性格傾向等」という。)並びに
生活歴等の個体側の要因,その他環境的要因などが複合的,相乗的に
影響し合って発症に至ることもあるから(甲B36ないし39),業
務と精神疾患の発症との間に相当因果関係が肯定されるためには,単
に業務が他の原因と共働原因となって精神疾患を発症させたと認めら
れるだけでは足りず(したがって,原告が主張する共働原因論は採用
できない。),業務自体に,社会通念上,精神疾患を発症させる一定
程度以上の危険性が存することが必要であると解するのが相当であ
る。
(イ)しかして,前記認定のとおり,ある出来事によって生じる肉体的,
精神的緊張等に基づく心理的負荷の蓄積は,うつ病の発症を誘発ある
いは増悪させる要因の1つであることは明らかであるものの,他方,
心理的負荷の発生要因たる出来事は様々であって,業務上のもののみ
ならず業務以外のものも考えられるほか,うつ病の発症は,ある出来
事をどの程度の心理的負荷として受け止めるのかという個々人の心理
的負荷に対する受容の程度,すなわち個体側の要因によっても左右さ
れるものである。そのような事情から,うつ病の発生機序については,
医学上も未だ完全には解明されていない分野であり,その発病要因と
なった出来事の全てを特定すること自体が困難な場合も多い上,現在
の医学水準においては心理的負荷の蓄積というものを客観的,定量的
に数値化することが必ずしも容易でないことも併せ考慮すれば,うつ
病と心理的負荷との相当因果関係を完全に医学的に証明することは困
難な場合があることは,否定できないところである。
(ウ)もっとも,法的概念としての因果関係の立証は,一点の疑義も許
されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検
討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度
の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟
まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし,か
つ,それで足りるものである(最高裁昭和50年10月24日第二小
法廷判決・民集29巻9号1417頁参照)。そこで,業務とうつ病
の相当因果関係を判断するに当たっても,発病前の業務内容及び生活
状況並びにこれらが労働者に与える心理的負荷の有無及び程度,さら
には,当該労働者の基礎疾患等の身体的要因や,うつ病に親和的な性
格等の個体側の要因等を具体的かつ総合的に判断した上,これをうつ
病の発症等に関する医学的知見に照らし,社会通念上,当該業務が労
働者の心身に過重な負荷を与える態様のものであり,これによって当
該業務にうつ病を発症させる一定程度以上の危険性が存在するものと
認められる場合に,当該業務とうつ病との間の相当因果関係を肯定す
るのが相当である。
エ相当因果関係の判断の基準となる主体
(ア)前記ウのうつ病を発症させる一定程度以上の危険性の存否を判断
するに際し,業務の過重性・業務上の心理的負荷の強度を判断するに
あたっては,同種の労働者を基準にして客観的に判断する必要がある
が,企業に雇用される労働者の性格傾向等が多様なものであることは
いうまでもないところ,被災労働者の損害の填補並びに被災労働者及
びその遺族の生活補償という労働者災害補償制度の制度趣旨に鑑みれ
ば,業務の過重性・業務上の心理的負荷の程度は,一般的,平均的な
同種労働者,すなわち,職種,職場における地位や年齢,経験等が類
似する者で,業務の軽減措置を受けることなく日常業務を遂行できる
健康状態にある者の中で,その性格傾向等が最も脆弱である者(ただ
し,同種労働者の性格傾向等の多様さとして通常想定される範囲内の
者)を基準として,客観的に判断すべきである(したがって,原告が
主張する本人基準説は採用できない。)。
(イ)本件においては,P2の前記性格等は,うつ病に親和的なものと
いえ,また,P2は,本件うつ病発症前の平成5年9月ころに精神的
ストレスが原因と考えられる口腔心身症の既往歴を有していることか
ら,P2に一定程度の精神的脆弱性のあることは否定し難いところで
ある。しかしながら,P2は,前記口腔心身症の罹患前後を通じて,
休業することなく会社への勤務を継続し,所属部署の担当課長やP1
7チームのリーダーなど,相当程度の責任を伴う重要な役職を務め,
趣味の卓球も原告や仲間とともに続けていたものであり,その他,本
件全証拠をもってしても,P2にこれまでの生活史を通じて社会適応
状況に特別の問題があったことは認められないから,P2の前記精神
的脆弱性は,正常人の通常の範囲を逸脱しているものとはいえない。
したがって,P2の性格傾向等は,同種労働者の性格傾向等の多様さ
として通常想定される範囲を外れるものでないと認められるから,本
件においては,P2を基準として,担当業務の過重性(当該業務が本
件うつ病を発症させる危険性があったか否か)を判断することとする。
オ判断指針の有用性について
判断指針は,「ストレス-ぜい弱性」モデルを基礎として,心理的負
荷(ストレス)による精神障害等と業務との関係を検討し,心理的負荷
による精神障害に係る業務上外の認定を図るために策定されたものであ
り,精神医学,心理学,法律学等の専門家によりまとめられた専門検討
会報告書に基づき,医学的知見に沿って作成されたものであるから,精
神障害が業務上の心理的負荷に基づくものであるか否かの判断において
は一定の合理性があり,多数の労災事件を客観的かつ画一的に,迅速に
処理する上で行政手続上有益なものであると認められる。
もっとも,判断指針は,上級行政庁が下部行政機関に対してその運用
基準を示した通達に過ぎず,裁判所を拘束するものでないことはいうま
でもないし,その内容についても批判があり,現在においては未だ必ず
しも十全なものとは言い難い。
そこで,業務起因性の判断に当たっては,判断指針を参考にしつつ,
なお個別の事案に即して相当因果関係を判断して,業務起因性の有無を
検討するのが相当である。
カ本件の判断枠組みについて
(ア)P2は,平成6年11月ころに本件うつ病を発症したと認められ
るところ(前記第2の2(3)のイ),①本件うつ病に業務起因性が認め
られ,かつ,②P2が本件うつ病を発症後これが寛解することのない
まま本件自殺に至ったとすれば,本件自殺には業務起因性が認められ,
P2の死亡は業務上の事由によるものと判断される。そこで,後記(2)
以下において,①本件うつ病に業務起因性が認められるか否かを検討
し,同業務起因性が肯定された場合には,次いで,②本件うつ病がそ
の発症後寛解したか否かを,判断することとする(後記4)。
(イ)他方で,①本件うつ病の業務起因性が否定された場合や②本件う
つ病がその発症後寛解した場合においても,③本件再発うつ病の業務
起因性,あるいは④本件異動によるうつ病の増悪化と本件自殺との間
の相当因果関係のいずれかが認められれば,本件自殺の業務起因性は
肯定される。そこで,本件うつ病の業務起因性が否定された場合や本
件うつ病がその発症後寛解したと認められた場合には,③本件再発う
つ病に業務起因性が認められるか否か,又は,④うつ病発症後の出来
事である本件異動がP2のうつ病を増悪化させ,そのために本件自殺
に至ったといえるか否かを,判断することとする。
(2)P2の業務上の心理的負荷の検討
ア本件出向に至る経緯
(ア)判断指針は,業務上の心理的負荷を与える1つのライフ・イベン
トとして「出向」を挙げ,P2は,平成6年4月1日に,本件出向を
したものであるが,判断指針は,さらに,「出向」による心理的負荷
を増大させる要因として,出向の理由及び経過や,出向による不利益
の程度などを挙げているから,本件出向に関するこれらの点について
検討する。
P2は,本件出向まで約27年間の長きにわたり音響機器の修理等
の業務に携わっており,携帯電話に関する業務は未知のものであった
ことから,本件出向に対し大きな不安を抱いており,P3に対して,
幾度となく本件出向を断ったにもかかわらず,人事担当者の度重なる
打診や,P3の社長からの脅迫に近い業務命令(少なくとも,P2は
そう感じていた。)を受け,やむを得ず本件出向を承諾したものであ
るが,P2自身は,本件出向をリストラであると捉えていた(リスト
ラを含む退職の強要は,判断指針によると,人生の中でまれに経験す
ることもある強い心理的負荷を労働者にもたらすとされている。)。
そのような本件出向の理由及び経過に加え,P6においては,P2が
P3において約27年間にわたり培ってきた知識や能力が活かせない
こと,齢48歳にして,新たな職場環境に身を置くことの心理的労苦,
P6は,ほとんどがP34からの出向者で占められており,P3から
たった一人の出向者であるP2にとって居心地の良い職場環境は想定
できなかったことなど,本件出向によってP2の被る不利益を考慮す
ると,本件出向は,通常の「出向」や「仕事内容の大きな変化」より
も相当程度心理的負荷が強かったものと理解するのが相当である。
(イ)なお,判断指針は,精神障害の発症時期を確定してそれ以前おお
むね6か月以内の業務による心理的負荷を検討するものとしていると
ころ,本件出向(平成6年4月1日)は,本件うつ病の発症時期とさ
れる平成6年11月ころから約7か月前の出来事であるが,一般的に
うつ病の発症時期の判断にはある程度幅があることは否めず,本件に
おいても,医師の間で同月ころとするものと同年10月ころとするも
のに分かれているなど(甲B16の48頁),本件うつ病の発病時期
の特定は推定に過ぎないことや,本件うつ病の発症には本件出向が大
きく寄与しているとの医師の意見が存在すること(甲B8)などに照
らすと,本件出向も,本件うつ病の業務起因性を判断するにあたり考
慮すべき出来事であると解するのが相当である。
イ本件出向後本件開局までの業務
(ア)判断指針は,業務上の心理的負荷を与える1つのライフ・イベン
トとして「新規事業の担当」を挙げているところ,P2は,前記のと
おり,新規事業である本件開局に際し,顧客に対するサービス部門の
担当課長に任命されたものである。そして,判断指針は,新規事業の
担当による心理的負荷を増大させる要因として,当該プロジェクト内
での立場,能力と仕事内容との格差を挙げているところ,P2は,い
わばP3を代表するような形で(P3からの出向者はP2一人であっ
た。),サービス課の担当課長というプロジェクト内で相当程度重い
責任を負う役割を担わされたが,本件出向前は,約27年間の長きに
わたり音響機器の修理業務に携わっており,携帯電話に関する知識は
なく,P3において音響機器のアフターサービス業務に従事していた
とはいえ,同業務と携帯電話のアフターサービス業務とはその前提知
識に大きな相違が存するものであって,P2の本件開局に向けた業務
についての能力は決して高いとはいえず,同業務内容とP2の能力と
の間には大きな格差が存在したものである。かかる事情に照らすと,
本件開局に向けた業務の担当は,通常の「新規事業の担当」よりも相
当程度心理的負荷が強かったものと理解するのが相当である。
(イ)また,判断指針は,業務上の心理的負荷を与える1つのライフ・
イベントとして「仕事内容・仕事量の大きな変化」を挙げているとこ
ろ,P2は,本件開局後に携帯電話の取扱店が顧客の苦情を受け付け
た際の苦情処理に関するマニュアル等の作成,各種携帯電話の製造メ
ーカーとの修理契約の締結交渉等の業務,取扱店マニュアル等を使用
した取扱店等の指導育成業務など,P2がそれまで従事していた音響
機器の修理業務とは,その必要とされる知識が大きく異なる業務に従
事したものである。
そして,判断指針は,「仕事内容の大きな変化」による心理的負荷
を増大させる要因として,業務の困難度,能力や経験と仕事内容の格
差の程度を挙げているところ,本件開局は,前記のとおり,平成6年
3月17日の経営者会議において,予定よりも約5か月早い同年7月
に開局することが決定されたにもかかわらず,本件出向当時(同年4
月1日),本件開局に当たって最低限必要と思われた100基の基地
局について未だ設置工事が開始すらされておらず(100基でも顧客
が十全に通話するに不十分であったことは,前記1の(2)イの(ア)のと
おりである。),人的体制も,P2の所属するサービス課には,P2
を含め,携帯電話を使ったことがある人物は一人もおらず,携帯電話
の実機すら社内に回覧されない中で,携帯電話に関する具体的な知識
を持ち合わせない者が,携帯電話に関するイメージすら共有できない
まま,手探りの状態で本件開局に向けた準備を急ピッチで進めなけれ
ばならないなど,会社としての体制は,不十分極まりないものであっ
た。そのような状況であるにもかかわらず,本件開局時に展開される
携帯電話の機種は,少なくとも8種類にも上っており(甲A16),
携帯電話が,その機種によって操作方法や機能等が相当程度異なるこ
とに鑑みると,前記8種類の携帯電話の操作方法や機能等に関する知
識を修得するには,相当の苦労を伴ったものと認められる。また,P
2は,P3においてアフターサービス業務に従事した経験から機器の
修理業務に関する一般的な知識・流れなどは理解していたとはいえ,
前記認定のとおり,当時P6に先行して開業していた関連会社のマニ
ュアル等を十分に参照することはできなかったから,本件開局が目前
に迫る中,未知の業務を想像力で補い,全くの一からマニュアルを創
造していく作業は相当に困難を極めたものと認められる。加えて,P
2は,本件出向までの約27年間,音響機器の修理業務に携わってお
り,携帯電話関連の業務に関する経験は皆無であったため,全く分野
の異なる本件開局に係る業務を遂行するに際して十分な経験及び能力
を有しておらず,また,48歳にして,従前慣れ親しんできた固定電
話の概念を変える新しい分野の産物である携帯電話に出会ったこと
は,それ自体P2にある種の衝撃を与えたと解されるのに,これに関
する第一線の業務を担当することとなった点を併せ考えると,本件出
向後の業務は,P2が従前の業務や過ごしてきた生活環境などから得
た知識・経験とは,相当の格差があったものと認められる。
以上を総合的に考慮すると,本件出向に伴う仕事内容の変化は,通
常の「仕事内容の大きな変化」よりも相当程度心理的負荷が強かった
ものと理解するのが相当である。
(ウ)さらに,判断指針は,出来事の発生以前から続く恒常的な長時間
労働,特に,深夜時間帯に及ぶような長時間の時間外労働を度々行っ
ている事実は,それ自体で労働者の心理的負荷を増大させるものとし
ているところ,P2は,本件出向から本件開局までの約4か月の間,
前記(ア)及び(イ)の業務を遂行するために,前記のとおり,本件開局
前の平成6年5月から同年7月ころまでの3か月間,時には深夜2時
ころにまで及ぶ時間外労働を,月に約100時間の長時間にわたり行
っていたものであり,これは,厚生労働省労働基準局長の策定した脳
血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準(平成13年12月12日付
け基発第1063号。以下「認定基準」という。)に照らして,脳心
疾患を発症させるに十分な危険を有する水準に達していることからし
ても,P2に対して相当の肉体的,精神的負荷を与えたものと推認さ
れる。それゆえ,前記深夜にも及ぶ長時間の時間外労働は,本件うつ
病の発症及びその進行の大きな原因となったものと評価するのが相当
である。
ウ本件開局後本件うつ病を発症するまでの業務
(ア)判断指針は,業務上の心理的負荷を与える1つのライフ・イベン
トとして,「顧客とのトラブル」を挙げているところ,P2は,前記
のとおり,本件開局後,顧客とのトラブルを解消する苦情受付業務に
従事したものであり,日常的に「顧客とのトラブル」を抱えていたと
認められる。顧客からの苦情は,例えば,電池の寿命が短いとか,携
帯電話が発熱する等,本件開局前には想像もしなかったようなものや,
通話中に雑音が入る,音声が歪む,声が途切れる等,電波状態の不具
合に関するものなどの苦情が相当にあり,P2を含めサービス課の職
員がにわかに対応し難いものが多く含まれていたことに加え(それゆ
え,顧客の不満は増し,対応に苦慮することが少なくなかったものと
推察される。),5000名の顧客に対して10名のオペレーターし
か配置されておらず,オペレーターの絶対数が不足していたため,顧
客からの苦情は,サービス課の課員全員で受け付ける体制にならざる
を得ず,P2は,2次対応者でありながら,少なくとも本件開局の直
後は,オペレーターとさほど変わらない程度の件数の1次対応を行っ
ていた。さらに,P2が,決められた分掌どおり2次対応に従事した
場合も,2次対応まで回る顧客は,P6に対する怒りが大きかったた
め,顧客の納得が得られるまでに時間がかかることも多く,このよう
な日常的な苦情受付業務は,P2に対し,継続的に心理的負荷を与え
続けたものと評価できる。
そして,判断指針は,「顧客とのトラブル」による心理的負荷を増
大させる要因として「顧客の位置付け」を挙げているところ,当時,
P6には,P59,P60(中部),P61など,競合する同業他社
が多数あり(甲A16),これら他社と携帯電話の顧客のシェアを争
っていたため,一旦獲得した顧客を手放すわけにはいかなかったが,
P6の展開する携帯電話には,他社の展開する携帯電話に比べ電波状
況が悪いという問題があり,この点を改善しなければ,P6から顧客
が離れていくことは必至であった(甲A19,弁論の全趣旨)。それ
ゆえ,P2が苦情に対応する顧客は,その一人一人が,P6にとって
手放すべからざる重要な顧客であったものであり,そのことが,日々
苦情対応に奔走するP2において,顧客に対する一挙手一投足に気遣
いをさせ,通常の顧客対応よりも相当程度強い心理的負荷をP2に対
し与え続けたものと認められる。
(イ)また,判断指針は,前記のとおり,出来事の発生以前から続く恒
常的な長時間労働,特に,深夜時間帯に及ぶような長時間の時間外労
働を度々行っている事実は,それ自体で労働者の心理的負荷を増大さ
せるものとしているところ,P2は,前記(ア)の業務を遂行するため
に,前記のとおり,本件開局後の平成6年8月においても,月に約1
00時間の長時間にわたる時間外労働を行わざるを得なかったことが
認められるものであり,これが,認定基準に照らして,脳心疾患を発
症させるに十分な危険を有する水準に達していることからしても,P
2に対して相当の肉体的,精神的負荷を与えたものと推認されること
は前記イの(ウ)と同様であるから,前記深夜にも及ぶ長時間の時間外
労働は,本件うつ病の発症及びその進行の大きな原因となったものと
評価するのが相当である。
(3)業務以外の出来事による心理的負荷の有無について
ア本件うつ病の発症前に,業務以外の出来事でP2に対し客観的に一定
の心理的負荷を生じさせるものと認められるような事情が発生したこと
は,本件全証拠をもってしても認められない。
イまた,本件うつ病の発症当時に,家族との不和など,私的な悩みがあ
ったという事情も何ら窺われない。
ウしたがって,業務以外の出来事でP2に対し客観的に一定の心理的負
荷を引き起こすと認められる事情は,認められない。
(4)P2の個体側の要因の有無について
アP2の性格は,真面目,几帳面,神経質,責任感が強い,周囲に気を
遣い激しく自己主張することができないなど,うつ病に親和性のある性
格傾向ではあったが,P2が,本件うつ病の発症まで,特段の問題なく
社会生活を送り,サービス課の担当課長という一定の責任を伴う重要な
ポストに就いていることなどからすると,P2の前記性格傾向が直ちに
うつ病を発症させるぜい弱性につながるものではなく,正常人の通常の
範囲を逸脱しているものともいえないから,P2の性格傾向は,同種労
働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲を外れるものではな
い。それゆえ,P2の前記性格傾向を個体側要因として考慮することは
相当でない。
イまた,P2は,前記のとおり,日常的にアルコールを摂取していたこ
とが認められ,確かに,医学的見地から,アルコールは中枢神経系を抑
制する作用を有し,アルコールの摂取による酩酊状態から脱すると,本
来の抑うつ症状が悪化する傾向があるとか,アルコールに依存したりこ
れを乱用したりすれば,自殺の危険性が高まるといったことは認められ
るが(甲B27の202頁・206頁),仮に,P2がその精神能力や
気分に変調を来すほどアルコールに依存し又はこれを乱用したり,ある
いは酩酊状態に陥ったとの事実があれば,主治医であるP27医師やP
30医師が気づかないはずがなく,本件全証拠をもってしても,かかる
事実があったものとはまったく窺えないことも併せ考えれば(前記1の
(1)アの(イ)),P2のアルコールの摂取が,本件うつ病の症状を増悪化
させたり,本件自殺の危険性を高める要因になったとは認められない。
それゆえ,P2が日常的にアルコールを摂取していたとの事実を個体側
の要因として考慮することは,相当でないというべきである。
ウしたがって,P2には,本件うつ病を発症させるおそれのある程度の
個体側要因は認められない。
(5)小括
前記(2)のP2が従事した業務は,質的及び量的に相当に過重なものであ
り,これに従事する労働者に多大な心理的負荷を与える契機を多数含むも
のであって,しかも,これが同時並行的に重なることによって,P2に対
し,日常的に多大な心理的負荷を与えたものと認められる。そうすると,
その業務内容は,一般的平均的な労働者の範囲内にあるP2に対し,社会
通念上,うつ病を発症させるに足りる危険性を十分に有するものであった
と認められる。したがって,本件うつ病は,P2が従事した業務に内在す
る危険の現実化として発症したものと認められ,同業務と本件うつ病の発
症との間には,相当因果関係(業務起因性)が認められる。
4争点②(本件うつ病の寛解の有無)について
(1)以上のとおり,本件うつ病の発症には業務起因性が認められるところ,
本件のように精神疾患に罹患したと認められる労働者が自殺した場合に
は,精神疾患の発症に業務起因性が認められるのみでなく,精神疾患と自
殺との間にも相当因果関係が認められる必要がある(前記3の(1)のイ)。
しかるに,被告は,P27クリニックの第4次受診の中断後第5次受診
を開始するまでの約1年8か月の間に本件うつ病は寛解したと主張し,寛
解が認められれば,本件自殺は本件うつ病に基づきなされたものとはいえ
ず,本件うつ病と本件自殺との間の相当因果関係は否定されることとなる。
そこで,以下,前記約1年8か月の間に本件うつ病が寛解したか否かにつ
いて重ねて検討を加えることとする。
(2)基本的な考え方
ア労災保険の実務における「治ゆ」とは,必ずしも完全に健康時の状態
に回復することを意味せず,業務上の疾病に対して,医学上一般に認め
られた医療を行ってもその効果が期待し得ない状態に至ったことをい
い,精神障害にあっては,当該精神症状が一定程度改善しあるいは安定
した後,それに引き続き行われたリハビリテーション療法等を終了した
時点における状態をもって「治ゆ」したとみるのが相当である(平成1
1年7月29日付け「精神障害等の労災認定に係る専門検討会報告書」
(以下「専門検討会報告書」という。)の検討概要5(2)(42頁)参照
(乙5))。
そして,うつ病が発症してから「治ゆ」に至るまでの期間は,精神医
学上,一般的に,うつ病発症の原因となった業務による心理的負荷要因
を取り除いた上で治療を開始してから3か月ないし9か月であるとされ
ているところ(平成11年9月14日付け労働省労働基準局補償課長事
務連絡第9号「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針
の運用に関しての留意点等について」記第2の6参照),同知見は,現
在の医学的見地に照らし,合理的なものとして首肯できる。
そこで,本件うつ病が寛解したか否かの判断においては,かかる見解
を参照して,本件うつ病発症の原因となった業務による心理的負荷要因
が取り除かれていたか否かをも考慮して検討することとする。
イうつ病発症後の事情の考慮の可否
(ア)ところで,うつ病発症の初期や回復期に自殺の危険が高まるとの
医学的知見や,うつ病を含む精神障害の増悪の結果として自殺に至る
との見解は必ずしも正しくないとの医学的知見,また,軽症うつ病と
中等症うつ病では自殺の危険性に変わりはないとの臨床結果などが存
在する一方で(甲B13の301頁,乙2の12頁以下),ある特定
の時期だけにうつ病患者の自殺の危険が高まるとの考えは判断を誤る
可能性があるとの医学的見地からの指摘や,不安・焦燥型のうつ病で
は,病態の極期に自殺の危険が最も高いとの医学的知見,うつ病の重
症度と自殺の危険性にはある程度の相関関係が認められるとの臨床結
果,さらに,重症うつ病患者の自殺件数は,軽症及び中等症うつ病患
者の自殺件数に比して格段に多いとの臨床結果などが存在するところ
(甲B13の302頁,B27の202頁,B33,乙2の13頁),
かかる学説状況及び臨床結果に照らすと,うつ病発症後の出来事であ
っても,これによって当該うつ病を重症化させ,自殺の危険性が高ま
った結果自殺に至るとの因果経過の可能性も十分にありうるものであ
り,発症後に従事した業務が客観的に過重であったと認められる場合
には,継続する過重な業務により増悪化させられた精神障害により,
正常な認識,行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されるに至った結
果自殺行為に出たものとして,業務と精神障害の増悪化,さらには自
殺との相当因果関係があると推認すべき場合も存すると考えられる。
もっとも,この点については,前記学説状況等からして,必ずしも
医学的に解明されていない分野であり,また,前記各臨床結果に照ら
すと,発症後の出来事によってうつ病が増悪化し自殺に至った経過に
つき,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信をもって認め
られるといえるためには,既にうつ病を発症した者が同疾患の影響で
通常人に比して多大な心理的負荷を受けた可能性を念頭に置きつつ,
個々の事案において,発症後に従事した業務の過重性を客観的に評価
し,同業務上の出来事にうつ病を増悪化させる一定程度以上の危険性
が存在するか否かを判断するのが相当である。
(イ)被告は,うつ病の増悪化と自殺との間には相関関係は認められな
いから,うつ病発症後の出来事を業務起因性の判断に当たり考慮すべ
きではないと主張し,同主張に沿う医学的知見が存在することも前記
(ア)のとおりであるが,発症後に従事した業務と精神障害の増悪化,
更には自殺との相当因果関係があると推認すべき場合も存することは
前記(ア)のとおりであるから,被告の前記主張を直ちに採用すること
はできない。
(3)本件うつ病発症後第5次受診開始までの心理的負荷要因
ア判断指針は,業務上の心理的負荷を与える1つのライフ・イベントと
して「仕事のペース,活動の変化」を挙げているところ,P2は,前記
のとおり,P6において業務分掌規定の変更があった平成9年9月1日
以降,技術センターの担当課長として,前記故障に係る苦情への対応業
務に加え,新たに,携帯電話やネットワークに関する技術判断に関する
業務等や,故障の責任判断に関する業務,エリア調査業務等に従事した。
P6の顧客数は,前記1(2)のウ(カ)のとおり,本件開局後,前年度の
約1.3倍から多い年では約7倍と,年々大幅に増加しており,P6内
の苦情受付体制が徐々に確立していったとはいえ,苦情数も増加してい
たことから,P2の苦情受付業務の負担が減ることはなかった。
そのような苦情受付業務と並行して,P2は,エリア調査業務として,
電波に関する苦情の多い地域に出かけて電波状況を調査し,ネットワー
クセンターに対してその状況を報告する業務にも従事していたものであ
るが,当時,同業他社と比べて電波状態が良くないと言われていたP6
にとって,エリア調査業務は,顧客の離反を防ぐための非常に重要な業
務であって,かつ,従前の在社業務とは異なり外勤を多く伴うものであ
り,仕事のペースや活動内容には一定程度の変化をもたらしたものと推
認される。
イ次に,判断指針は,業務上の心理的負荷を与える1つのライフ・イベ
ントとして,「仕事内容の大きな変化」を挙げているところ,P2は,
平成9年11月25日以降,P17サービスなどの新たなサービスのア
フターサービス業務に従事し,平成10年3月からは,同アフターサー
ビス業務を行うP17チームのリーダーを,平成11年12月10日か
らは,P28チームのリーダーを務めたものである。P17サービスは,
前記のとおり,日本初の携帯電話でのインターネットメールを可能とす
るサービスであり,従来の携帯電話には付加されていなかった新たなサ
ービスを展開するものであったところ,P2の従前からの経験及び知識
のみでは到底対応できる内容ではなく,仕事内容には大きな変化があっ
たと認められる(P27クリニックにおける診療録(平成12年7月1
7日付け部分)には,P17チームの責任者を任され,電気通信もマネ
ージメントも苦手で大変であった旨記載されている(甲B2の1,B2
の2)。)。
ウ加えて,P6は,本件開局後も,1年に10種類を超える新機種や,
新サービスを次々と展開しており(甲A16),その度に,P2は,試
用機と取扱説明書で操作要領を修得し,顧客からの問い合わせに備える
など,常に仕事内容の変化にさらされていた。携帯電話の操作要領は,
製造メーカーによって異なることから,様々なメーカーが展開する携帯
電話の操作要領を五月雨式に覚えることには,相当の困難が伴ったもの
と認められ,実際にも,P2は,P10に対し,機種変更が次々にあっ
てその内容を覚えきれない旨述べている(甲A10の6頁)。
エさらに,P2は,前記のとおり,平成12年7月ころ,P6から,技
術センターの担当課長の一人として,新たに本件ISOの認証取得に向
けた業務に携わるよう指示を受けた。P2は,ISO推進プロジェクト
チームのメンバーには選出されなかったものであるが,P2が当時担当
していた電池テスター業務や携帯電話機テスター業務はISOの認証取
得の対象外とされたにもかかわらず,あえて業務命令として本件ISO
認証取得業務に携わるよう指示されたこと,また,自らが担当課長とい
う一定の責任を負うべき立場にあったことから,P2は,同業務におい
て失敗は許されないとのプレッシャーを感じており,しかも,同業務は,
仕事内容の変化も伴うものであったことから,同業務に従事するに当た
っても,P2は一定程度の心理的負荷を受けたものと認められる。
オ小括
以上に照らすと,P2は,コンピューター等を用いるP6の業務内容
に対する苦手意識を終始抱えながら,断続的に仕事内容,仕事のペース
等の変化を受け続け,その中には,P17サービスなど,従来の仕事内
容とは大きく異なる変化も含まれていたこと,また,P6の度重なる組
織変更による身分の変化にも断続的にさらされ続けていたものであり,
職場における心理的負荷の中でも,仕事内容の大きな変化や仕事のペー
ス及び活動の変化がうつ病の増悪に大きく貢献するとの研究結果(甲B
26の6頁)に照らしても,これらの心理的負荷が相次ぐことにより,
P2は,通常の「仕事内容の大きな変化」や「仕事のペース,活動の変
化」などより相当に強い心理的負荷を受け続けていたと推認されるとい
うべきである。
これらの事情を総合すると,本件うつ病の発症後,第5次受診の開始
に至るまで,本件うつ病発症の原因となった業務による心理的負荷要因
は取り除かれていないと認めるのが相当である。
(4)業務以外の出来事について
本件うつ病の発症後,平成9年8月ころP3の社宅において原告の両親
と同居を始め,平成10年2月ころには,P3の社宅を出て,新たに購入
した新居に入居し,その際に2000万円の住宅ローンを組んだという出
来事が発生しているが,判断指針によると,転居は,一定程度の心理的負
荷を与えるとされているものの,それのみでうつ病を発症させる程度の強
度の心理的負荷をもたらすものとはされておらず,また,住宅ローンを組
むことは,日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の
心理的負荷と考えられ,実際にも,P2は退職金でその返済を終えればい
いとある程度楽観的に考えていたことが認められること(甲B16の84
頁,弁論の全趣旨)も併せ考えると,P2の組んだ住宅ローンが2000
万円の多額であったことを考慮しても,P2に対しそれ程強い心理的負荷
を与えたとは解し難い。
また,判断指針によれば,親族との付き合いで困るような出来事が発生
すれば,一定程度の心理的負荷をもたらすものとされているが,P2と原
告の両親との関係は良好だったのであり(甲A107,弁論の全趣旨),
原告の両親との同居が,P2に特段の心理的負荷を与えたとは認められな
い。
そして,その他本件うつ病の発症前後を通じて,業務以外で特段の心理
的負荷を発生させるような出来事は認められないから,業務以外の出来事
によって本件うつ病の寛解が妨げられたとみることはできない。
なお,P2は,平成10年3月2日にP27クリニックを受診した際,
P27医師に対し,家族ともあまりよくない旨述べたことがカルテに記載
されているけれども(甲B2の1,2),前後の文脈からすると,家族に
とって大きな出来事である自宅の購入をしたのに,P2が,体がだるいな
どのうつ病による症状から,十分に引っ越しの手伝いができず,家族のP
2に対する若干の不満や,P2の家族に対する申し訳ないとの気持ちから,
一時的に十分な意思疎通ができなくなったことを意味しているものと理解
され,その後,P2が原告ら家族に対し仕事の悩みについて打ち明けるな
ど,家族とコミュニケーションを取っていたことが窺われることからして
も,P2と家族との関係が悪かったものとは認められない。
(5)小括
アうつ病は,投薬だけで治療できるものではなく,うつ病患者を取り巻
く状況因子を取り除かなければ容易に寛解しない病気であり,臨床上も
うつ病が慢性化することはあると認められるところ,前記1の(1)エのP
2の症状等や,本件うつ病の状況因子となっていたP6における厳しい
職場環境に変化はなく,かえって新たな業務上の課題が次々と生起し,
P2は,サービス課の担当課長,技術センターの担当課長,P17チー
ムないしP28チームのリーダーなどとして,絶えず重い責任と困難な
職務を担い続けており,気の休まる時期がなかったと推認されること,
P2がP27クリニックの受診を中断したのは,すべて自己の判断であ
り,いずれのときもP27医師は治療の継続が必要と判断していたもの
であって,第2次受診時,第3次受診時,第4次受診時には,休職を進
めていたものであり,P2は,仕事の忙しさから休職は無理であると考
え,そうした休職の勧めに応じなかったばかりか,抗うつ薬の服用によ
り症状が幾分回復し,比較的睡眠が取れるようになると,根っからの我
慢強い性格に,精神科に受診することへの抵抗感や仕事に対する強い責
任感も加わって,職場にはうつ病に罹患していることを隠したまま,自
己の判断で,通院を中断し,我慢して仕事を続けるうち,再び症状が悪
化して耐えられない状態になるとP27クリニックへの再受診を繰り返
していたものであったこと,もっとも,P27クリニックへの通院を中
断していた間も,平成13年5月12日までの間,P24病院に通院し
ているところ,主治医であるP30医師は,P2の口腔心身症が改善し
ないのは,本件出向後の業務に起因した精神的ストレスによるものであ
ると判断し,毎受診時に支持的精神療法の一環として30分以上にわた
ってP6における業務内容を聴取し,精神的な支持を与えることにより
その精神的ストレスの緩和を図るとともに,抗不安薬であるメイラック
スや自律神経調整剤であるグランダキシンなどを処方していたものであ
り,P30医師の治療を受けることにより多少ともうつ病の症状の悪化
が遅らされていたと考えられること,P2は,本件うつ病の診断を受け
てから本件自殺に至るまでの間,P27医師に対してもP30医師に対
しても本件うつ病が寛解したことを窺わせるような状態に心身の調子が
回復したことがあったとは,一度として告げたことはなかったことなど
からすると,本件うつ病は,本件自殺まで一度も寛解するに至らず,P
27クリニックへの通院時における抗うつ薬の服用による症状の多少の
緩和と,自己判断によりP27クリニックへの通院を中断して状況因子
が除去されていない厳しい職場環境及び業務状況の中で我慢しながら仕
事を続けたことによる症状の悪化を何度も繰り返しながら,次第に慢性
化していったものと推認されるのであり,P2の病状は同人の職場環境
及び業務状況にまさしく符合していることが認められるところである。
P27クリニックの診療録によれば,第4次受診及び第5次受診の各初
回の受診の際には,P2に自殺念慮が見られ,その後抗うつ薬の服用に
より症状が幾分か緩和されてきたものの,必ずしも良好とはいえない状
態であったと認められることからしても,本件うつ病は,第1次受診以
降,本件自殺に至るまで,回復しなかったどころか,第4次受診時及び
第5次受診時には自殺遠慮を抱くまでに増悪化していたと推認されるも
のである。したがって,本件うつ病は,第4次受診中断後第5次受診開
始までの約1年8か月の間も寛解しなかったものと認められる。
イところで,本件うつ病が慢性化していたにもかかわらずP2が一定期
間P27クリニックの受診を中断したことについては,前記のとおり,
同クリニックの通院時における抗うつ薬の服用により一時的にP2の症
状が多少緩和されたことで,あとは自分で頑張れると判断したからであ
ったところ,そうした行動を取ったのは,根っからの我慢強い性格とと
もに,もともと精神科への受診に抵抗感があったことや仕事に対する強
い責任感があったことが大きな理由であったと推認され,とりわけ第4
次受診の中断には,それらに加えて,自宅を購入した際に加入したロー
ンの生命保険の告知義務に関する誤解があり,もっと早期に受診を必要
とする状態にまで悪化していたにもかかわらず,我慢していたことが認
められるものであり(甲B2の1,2),前記のとおり,P2を取り巻
く状況因子である厳しい職場環境及び業務状況が何ら変わっていない以
上,前記受診の中断をもってP2のうつ病が寛解したものと推認するこ
とはできないというべきである。P2は,自己判断によるP27クリニ
ックへの通院を中断していた間,厳しい職場環境及び業務状況の下,業
務に従事し続けたことにより,再びうつ病の症状が悪化の方向に向かっ
ていったものであるが,生来の我慢強い性格に加え,P30医師による
支持的精神療法やメイラックス及びグランダキシンの服用などにより,
再受診までの間,何とか勤務を継続することができていたと考えられる
ものである。なお,メイラックスは,うつ病の患者に対して単独で処方
されることは少ないが,うつ病の一症状である抑うつ状態に効能があり,
P2に対しても,本件うつ病による不安や抑うつ状態を幾分か緩和させ
ていたものと考えられる。
ウなお,P2は,平成6年11月以降,月に45時間を超える時間外労
働はほとんど行っていないことが認められるが(甲A35の1ないしA
39の2,A111の1ないしA203,弁論の全趣旨),うつ病の増
悪例の約半数が,増悪直前の1か月間には20時間未満の時間外労働時
間にしか従事していなかったとの調査結果(甲B26の6頁)からする
と,長時間労働がなければうつ病が増悪化しないと言うことはできず,
P2の時間外労働が多くなかったことをもって,前記結論が覆るもので
はない。
(6)被告が主張する根拠について
被告は,前記第2の4(2)のとおり,①P2は,第4次受診中断後第5次
受診を開始するまでの約1年8か月の間,うつ病の症状を感じず,抗うつ
薬の服用の必要性を感じていなかったからこそP27クリニックの受診を
中断したと解されること,②P2がP27クリニックの第4次受診を中断
していた平成11年8月から平成12年2月ころまでの約6か月の間,P
24病院の診療録において,うつ病エピソードの存在を推認させるような
記述は存在しないこと,また,③職場においても,前記約1年8か月の間,
P2についてうつ病エピソードの症状や徴候は認められないことなどに照
らすと,本件うつ病は,第4次受診中断後第5次受診を開始する平成12
年7月までの間に一旦寛解したものである旨主張する。そこで,以下,か
かる根拠の当否について判断する。
ア前記①の根拠について
被告は,過去の受診経験により抗うつ薬を服用すれば,うつ病の苦痛
から解放されることを経験しているのであるから,うつ病の症状がある
のにP2がP27クリニックを受診しなかったとは考え難く,また,平
成12年7月17日付けのP27クリニックの診療録に,「(恐怖心,
好きだった卓球をやる気がしないなどの症状が)2か月くらい前からは
じまり,ここ1ヶ月程でひどくなった。「うつ」という感じだ。」と記
載されていることからすると(甲B2の1,B2の2),それ以前は本
件うつ病の症状は治まっており,だからこそP27クリニックの受診を
中断したなどと主張する。
しかしながら,本件うつ病は,前記のとおり,P30医師の施す支持
的精神療法を主として,メイラックスやグランダキシン等の処方により,
相乗効果的にその症状が緩和していたに過ぎないものであって,P2が,
抗うつ薬の代わりとなる治療が必要でない状態にまで至っていたとは認
められないこと,また,P27クリニックの診療録の前記記載は,本件
うつ病の症状が重症化したことを表すものではあるが,必ずしも,それ
以前の期間において本件うつ病の症状がなかったことを示すものではな
いし,現に,P2は,前記受診中断期間においても,P30医師に対し,
P6における業務の負担を断続的に愁訴し,P30医師は,同期間も本
件うつ病は寛解していないと判断していたこと,うつ病患者の中には,
医師を頼らずに自力で症状を改善させたいと考える者が少なからずおり
(甲B9の10頁,弁論の全趣旨),医師を受診しなかったからといっ
て,当該うつ病が寛解ないし部分寛解していたことにはならないところ,
P2がP27クリニックへの通院を中断したのは,前記のとおり,いず
れの時も自己判断によるものであり,主治医であるP27医師は,いず
れの時も本件うつ病による症状が続いており,治療を継続する必要があ
ると考えていたものであって,とりわけ,第4次受診時には,自殺念慮
が見られる深刻な状態になっていたことから休職を勧めていたものであ
り,受診中断の直前には,抗うつ薬の服用により,いらいら感や焦燥感
が幾分緩和されてきてはいたけれども,服薬により何とか出勤している
状態であると判断していたものであること,P2が休職に応じなかった
のは,仕事が忙しく休職は到底無理であると考えていたからであり,P
2がP27クリニックへの通院を中断した理由にしても,抗うつ薬の服
用により症状が幾分緩和されたことにより自分で頑張れると判断したか
らであったことは確かにしても,そうした行動を取ったのは,前記のと
おり,根っからの我慢強い性格とともに,もともと精神科への受診に抵
抗感があったことや仕事に対する強い責任感があったことが大きな理由
になっていた上,第4次受診の中断には,これらに加え,自宅を購入し
た際に加入したローンの生命保険の告知義務に関する誤解が影響してい
たことが認められるものであって,P2は,自己判断で通院を中断した
上,我慢して仕事を続けていたものと推認されることなどを併せ考える
と,被告が指摘する前記各事実は,いずれも合理的な根拠があるとは言
い難く,被告の主張する前記根拠は採用できない。
イ前記②の根拠について
確かに,P2は,P30医師に対し,仕事に慣れてきて楽しい等と述
べた時もあり(平成11年12月9日)(甲B4),本件うつ病の症状
が一時的に緩和したことを窺わせるような言動を一部しているけれど
も,その間も,P2の精神疾患は未だ十分には改善されていないと判断
していたP30医師から,継続的に,支持的精神療法や,メイラックス
やグランダキシンの処方を受けているところ(甲B3ないし5,B6の
7,B19の1,B19の2),支持的精神療法は,うつ病患者ととも
に悩み,共感することによって,うつ病患者の孤独感を和らげる働きか
けをするものであり,自殺念慮を有する反面で救って欲しいと願ううつ
病患者にとって,医学的に有効かつ重要な治療方法であるとされている
ことや(甲B13の304頁),メイラックス及びグランダキシンも,
うつ病の症状に強い効果をもたらすとはいえないまでも,抗不安薬,自
律神経調整剤として用いられるものであることからして,支持的精神療
法と相まって,本件うつ病の症状を一定程度緩和させる効果があったと
解するのが自然であることなどからすると,P30医師がP2に対して
施した支持的精神療法並びにメイラックス及びグランダキシンの処方に
より,本件うつ病を改善させるまでには至らなかったものの,本件うつ
病の症状を一定程度緩和させ,P27クリニックへの再受診までの間,
本件うつ病の症状に耐えながらも我慢して仕事を続けることに寄与して
いたものと推認され,P2の前記供述もそうした状況を示しているもの
と考えられるところである。加えて,何より,P2自身が業務による精
神的症状を感じていたからこそ,P30医師の受診を途切れることなく
継続していたと解されること,P2が前記各供述(仕事に慣れてきて楽
しい等)をした前後に,P2は,P30医師に対し,会社が多忙である
とか(平成11年11月24日),仕事のストレスは大きいなどと述べ
ていること(平成12年2月18日)(以上,甲B4)などを併せ考え
ると,P2の前記供述をもって,本件うつ病が寛解したと評価すること
は到底できず,被告の主張する前記根拠は採用できない。
ウ前記③の根拠について
確かに,本件全証拠をもってしても,受診中断中の約1年8か月の間
に,P2が職場においてうつ病の症状や徴候を窺わせる言動をしたこと
は認められないが,うつ病に罹患しても医療機関を受診せず,一見通常
の勤務を継続しているようにみえる者が多数に上るとの疫学的調査の結
果(甲B22ないしB25)や,P2の人一倍我慢強い性格などに照ら
すと,前記期間中,職場において,P2がうつ病の症状や徴候を見せな
かったからといって,P2において本件うつ病の症状がなかったとか,
本件うつ病が寛解していたと直ちに推認することはできず,かえって,
P30医師の診察によっても口腔心身症の症状は相変わらずであって心
身の不調が一進一退を繰り返しながら継続していたものであり,P2の
心身の状態が軽快に向かっていたような様子や兆候はまったく確認され
ていないことからしても,この点に関し被告が主張する前記根拠は採用
できない。
(7)本件うつ病と本件自殺との相当因果関係
以上のとおり,本件うつ病が寛解したことは認められないので,そのこ
とを前提に,本件うつ病と本件自殺との相当因果関係の有無について考察
する。
ア本件出向から本件転籍を経て外資系企業による買収があったころまで
の経過
P2は,前記(3)のように,継続的に仕事内容の変化などによる強い心
理的負荷を受け続けていた間,絶えずP3への復帰を希望していたが,
当初は3年と見込まれていた本件出向が7年間にわたり続き,結局,平
成13年4月の本件転籍によりP3に復帰することはかなわない結果と
なり,また,コンピューターやインターネットに対する不得手ないし苦
手意識は解消されず,本件出向自体が相当の心理的負担となっている中
で,同年9月,P6はP7株式会社の傘下に納められ,外資系企業であ
るP7株式会社の下では,60歳以降の嘱託雇用が実現しなくなるので
はないかとの不安を抱くなど,恒常的に,自らの身分に対する不安や不
満を抱いていた。判断指針は,出向による心理的負荷を増大させる要因
として出向の経過を挙げているが,本件出向後,本件転籍を経て外資系
企業による買収があったころまでの前記経緯は,P2の本件出向による
心理的負荷を一層増大させ,本件うつ病を増悪化させる要因になったも
のと推認される。(甲A11の11頁,弁論の全趣旨)
イ新人事制度の導入から本件異動があったころまでの経過
(ア)P16やP19との関係,本件異動の経緯等
a平成14年4月からP6に新人事制度が導入されたが,P2は,
前記1(4)のイのとおり,同年5月ころ,人事評価に関わるMBOシ
ートにつき,上司であるP16から,P2の設定したテーマにはイ
ンパクトがないなどの理由で,グループスタッフの育成に関する目
標などを記入するよう指示され,また,文章の書き方が適切でない
とか,具体的な数値目標を記載することなど,各事項を細分化して
指摘されて,少なくとも3回以上にわたり書き直しを命じられたも
のであるが,P2は,自分より10歳以上も年少な上司であるP1
6から,ミッションの設定自体が不十分である旨指摘されたり,文
章の書き方という基本的な事項について指示を受けたりしたことに
よって,自らの能力不足を指摘されたように感じ,MBOシートに
何を書けばP16が認めてくれるのか見当がつかず,心理的に追い
つめられたことが窺われる。
bまた,P2は,上司であるP16やP19から,本件異動の打診
を受けた際,P20ら2名の仕事をP21名で行うこと等に不安を
感じていること等について幾度も愁訴したにもかかわらず,同人ら
は,そのようなP2の不安を軽減させるような措置(例えば,P2
に対し,本件異動後は前記2名の担当していた業務が軽減される見
込みであることを明確に伝える等)を採ったり,P2以外の適任者
を真摯に検討したりすることもなく,本件異動に難色を示すP2に
対し,頑として本件異動を促したあげく,普段は激しく自己主張を
することのできないP2が,めずらしく感情を高ぶらせ,「自分を
辞めさせたいのか。」と述べたことに対し,P19は「勝手にした
らいいではないですか。」などと発言したり,P2がP16に対し
「保守センターでやっていく自信がない。」と述べたことに対し,
P16は「P2さん,甘えているんじゃないの。」などと発言する
など,P2が退職することを是認するように受け取れる発言をそれ
ぞれしたものである。以上のような経緯に照らすと,P2が,本件
異動は,自分を退職に追い込もうとする意図の下になされたものと
して,否定的に受け止めていたことも,やむを得ないことといえる。
そして,配転は,一般的に,労働者の生活関係に少なからぬ影響
を与えうることに鑑みると,使用者の配転命令権は無制約に行使で
きるものではないと解すべきところ,P19及びP16は,P2に
対し,P20ら2名分の業務をP2に行わせる内容の配転命令を出
し,前記のとおりこれに伴う適切な措置を講じることもなく,P6
を辞めるか本件異動を承諾するかのいずれかしかないと受け取れる
ような発言をし,P2を精神的に追いつめたと認められること,P
2は,左下肢の障害により,通常人に比して歩行に困難を来してお
り,遠方のβ保守センターまでの通勤には相当な困難を伴うことが
予想され,また,P2には物流の経験がなく,P2本人も物流業務
には自信がないと愁訴していたこと,P2が本件異動を打診された
のは,本件異動が行われるわずか1か月前であり,本件異動を承諾
するか否かの十分な検討期間もなく,また,本件異動のための準備
期間も十分ではなかったことなどを併せ考えると,本件異動に係る
命令に業務上の必要性が認められ,同命令が無効とまではいえない
にしても,いささか労働者に対する配慮を欠くものであったことは
否定し難く,P2が,前記aのとおり,すでに軋轢のあった上司で
あるP16から本件異動を打診されたことも,本件異動に対するP
2の不安や緊張を増幅させたものと推認される。
cこれらP19及びP16とのやり取りは,「上司とのトラブル」
にあたり,判断指針において相当程度の心理的負荷を労働者にもた
らすとされていること,本件異動後は,「仕事内容・仕事量の大き
な変化」,「仕事のペース,活動の変化」が予想され,かつ,本件
異動は「転勤」を伴うものであって,これらも,判断指針において
一定程度の心理的負荷を労働者にもたらすとされていること,P2
は,本件異動が,自らを退職に追い込もうとする意図の下になされ
たものであると否定的かつ重大なものとして受け止めたこと(P2
がこのように受け止めたことは,前記bのとおり,やむを得ないも
のということができる。)などに照らすと,本件異動に係る前記経
緯は,P2に対し,相当程度強い心理的負荷をもたらしたと理解す
るのが相当である。(甲A9,A44の2,A46の8頁以下,弁
論の全趣旨)
(イ)業務の引継ぎの状況
前記1(5)のイのとおり,β保守センターにおける物流業務は,P2
にとって未経験の業務であったことや,前任者であるP20ら2名か
ら,一度の機会に異なる内容の業務の引継ぎを受けたことなどから,
P2は,P20らからの引継ぎ内容をスムースに理解することができ
なかった。P2は,几帳面で神経質,責任感の強い性格であったため,
初めてあたる仕事について,細かい点まで時間をかけて理解したいと
の思いがあったと推察されるが,前記引継ぎ状況は,P2のかかる思
いに反するものであり,P2が,P19やP16との前記やり取りを
経て,やむを得ず本件異動を承諾したこととも相まって,P2に相当
の心理的負荷を与えたものと推認される。
(ウ)通勤の困難性
前記1の(5)のウ(ウ)のとおり,P2は,β保守センターの最寄り駅
であるζ駅まで,δ線のε駅からα駅での乗り換えを経て電車通勤を
していたが,同α駅においては,λやμに向かう大勢の人々と逆方向
に向かって歩いていかなければならず,左足に歩行困難の障害を有す
るP2にとっては,歩くだけでも相当に困難であったことに加え,α
駅での乗り換え時及びζ駅での出札時には,階段の昇降をしなければ
ならず,気力及び体力を相当に使うものであった。
「転勤」は,判断指針において相当程度の心理的負荷を与えるもの
とされているところ,P2は,本件異動によってβ保守センターへ転
勤になったものであり,本件異動に伴う前記のような通勤の困難性は,
日常的・継続的に生じるものであって,P2における肉体的・精神的
な負担の程度は大きいものといえることに照らすと,本件異動は,通
常の「転勤」よりも相当程度強い心理的負荷をP2にもたらしたと理
解するのが相当である。(甲A67,弁論の全趣旨)
(エ)小括
以上のような本件異動に係る経緯は,各々の出来事が客観的に相当
程度強い心理的負荷を与えるものであったことに加え,いずれも極め
て近接した時期に連続して発生したものであり,総体として,本件う
つ病を増悪させる要因になったものと認められる。
ウ本件自殺直前のP2の様子
P2は,本件自殺の8日前,原告の親戚宅に車で向かう道中,急ブレ
ーキや急ハンドルを繰り返す運転をするなど,事故や家族の身体の安全
を顧みない行動をし(うつ病患者は,自殺に先立って健康管理に無関心
になることがあるとの医学的知見が存在する(甲B13の303頁)。),
また,同日の夜,自殺未遂と思しき海への転落をし,本件自殺の前日に
は,P9に対し「殺してくれないか。」と述べ,さらに,本件自殺の直
前には,自宅の和室を荒らした上で,かつ,遺書を作成しないで,自殺
した。
エ小括
以上を踏まえると,P2は,本件転籍やP7による買収によって,た
だでさえ自らの身分に不安を抱える中,本件異動は,自分を退職に追い
込もうとする意図の下なされたものであると受け止めたこともあって
(退職の強要は,判断指針によっても,人生の中でまれに経験すること
もある強い心理的負荷を労働者にもたらすとされているところ,P2に
とっては,本件出向によりリストラの対象とされ,自分に合わない業務
を行う他社に出向させられ,P3への復帰の望みも本件転籍により潰え
た上でのことであったことからすれば,その心理的負荷の強さには非常
に強いものがあったと推認される。なお,P2がそのように受け止めた
ことがやむを得ないと評価できることは,前記イ(ア)のbのとおりであ
る。),本件異動及びその前後の経緯は,強度の心理的負荷をP2にも
たらしたと解され,かかる強度の心理的負荷によって,本件うつ病が決
定的に増悪したものと認められる。
そして,うつ病の典型的な抑うつエピソードに,自傷あるいは自殺の
観念や行為が含まれているところ,前記ウの本件自殺直前のP2の様子
からすると,P2は,増悪した本件うつ病によって,正常の認識,行為
選択能力が著しく阻害され,あるいは自殺行為を思いとどまる精神的な
抑制力が著しく阻害されている状態で自殺に及んだものと推認するのが
相当であり,この推定を覆すような事情もないから,本件うつ病と本件
自殺との間には,相当因果関係が認められる。
5その余の争点について
(1)争点③(本件再発うつ病の業務起因性の有無)について
前記4のとおり,本件うつ病は寛解していなかったものであるから,本
件再発うつ病は観念できず,本件再発うつ病の業務起因性の有無を判断す
る必要はない。したがって,争点③については判示しない。
(2)争点④(本件異動と本件自殺との因果関係の有無)について
前記4の(7)のとおり,本件うつ病と本件自殺との間には相当因果関係が
肯定されるところ,本件異動に係る心理的負荷は,本件うつ病の症状を増
悪させた可能性を有する業務上のストレスの一内容を構成するものであ
り,本件うつ病と本件自殺との相当因果関係の判断の中で評価されるべき
ものである。
6医証について
(1)P27医師の意見について
P27医師の前記2の(1)の意見の内容は,当裁判所の前記認定に符合す
るものである。
(2)P30医師の意見について
P30医師の前記2の(2)の意見の内容は,本件うつ病が,P27クリニ
ックの受診中断期間に寛解していないと判定するものであり,当裁判所の
前記認定に符合するものである。
(3)P51医師の意見について
アP51医師は,前記2の(3)のとおり,うつ病は,通常は約半年間で寛
解することの多い病気であるところ,P2はP27クリニックの受診中
断を繰り返していること,また,P2は,同中断期間にメイラックスを
処方されていたが,メイラックスのうつ病の抑うつ状態に対する効果は
弱いことなどからすると,本件うつ病は,本件自殺までの約8年間に一
旦は寛解したものであると判定する。
しかしながら,約半年間といううつ病の療養期間の目安は,前記4(2)
のアのとおり,あくまでも,業務上の心理的負荷要因を取り除き,治療
を開始してからの期間を指しているのであって,本件のように,本件う
つ病発症後も業務上の心理的負荷要因が取り除かれていない場合におい
ては,前記療養期間の起算の前提が欠けているというべきである。また,
P2が,第4次受診終了日から第5次受診開始日まで約1年8か月にわ
たりP27クリニックの受診を中断したのは,前記のとおり,P24病
院において,うつ病の治療方法として有効かつ重要とされている支持的
精神療法を受けていたことが,メイラックス等の処方と相まって,相乗
効果的に本件うつ病の症状を緩和していたからにすぎないものであり,
本件うつ病が寛解したからではない。(甲B9,B19の1,B19の
2,弁論の全趣旨)
イまた,P51医師は,P2が従事していた業務に過重性は認められず,
他方,P2には,ストレスに敏感な個体側要因が存在するから,本件自
殺は,P2の意志による計画的な自殺であると判定する。
しかしながら,P2が,本件うつ病により,正常の認識や行為選択能
力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著
しく阻害されている状態で自殺に及んだものと推定できることは前記の
とおりである。そして,P2の性格は,うつ病に親和的なものというこ
とはできるが,同種労働者の性格傾向等の多様さとして通常想定される
範囲を外れるものではなかったと認められることも前記のとおりである
から,本件自殺を,P2の意志による計画的なものとみることはできな
い。
ウしたがって,P51医師の意見を採用することはできない。
(4)P53医師の意見について
アP53医師は,前記2の(4)のとおり,本件うつ病は,難治性うつ病で
はなく,また,P2が,投薬による効果を知りつつP27クリニックの
受診を数度中断したのは,本件うつ病が一旦は寛解したからである旨判
定する。
しかしながら,本件うつ病が難治性うつ病に該当するかどうかは措く
としても,一般的に,業務によるストレスを原因とする精神障害にあっ
ては,その原因を取り除き適切な治療を行えば寛解(治ゆ)すると考え
られており(専門検討会報告書の検討概要5(2)参照),このことは,逆
にいえば,その原因を取り除かなければ,業務によるストレスを原因と
する精神障害が寛解するのは困難である趣旨と解されるところ,本件う
つ病は,前記のとおり,業務によるストレスを原因とするものであり,
その原因であるP2の従事する業務による心理的負荷要因は取り除かれ
ていないのであるから,本件うつ病が寛解したとのP53医師の前記判
定を採用することはできない。また,P2がP27クリニックの受診を
数度にわたり中断したのは,P24病院において施されていた支持的精
神療法に加え,メイラックス等の処方により,本件うつ病の症状が幾分
緩和されていたことなどに起因するものであり,本件うつ病が寛解して
いたからではないことは,前記認定のとおりである。
イ次いで,P53医師は,仮に本件うつ病が回復ないし寛解に至ってい
なかったとしても,その原因は,P2の従事した業務にあるのではなく,
P2が自己の判断でP27クリニックの受診を中断したことや,アルコ
ールを日常的に摂取したことなどにあると判定する。
確かに,P27クリニックの受診中断が,本件うつ病が寛解しなかっ
たことに一定程度寄与していることを完全に否定することはできない
が,前記のとおり,本件うつ病が寛解しなかったのは,本件うつ病の原
因となった業務による心理的負荷要因が取り除かれなかったことに主と
して起因するものであって,前記受診の中断により,このことが否定さ
れるものではない。また,P2のアルコール摂取が本件うつ病の症状を
増悪化させたり,本件自殺の危険性を高めたと認められないことは,前
記認定のとおりである。
ウしたがって,P53医師の意見を採用することはできない。
(5)P56医師の意見について
アP56医師は,前記2の(5)のとおり,P2は,ICD-10の診断ガ
イドライン上,F33の反復性うつ病性障害に罹患していたと解し,本
件うつ病は,第4次受診中断後第5次受診開始までの期間に,一旦寛解
に至ったものと判定する。
しかしながら,仮に,P2が反復性うつ病性障害に罹患していたとし
ても,本件全証拠をもってしても,P2は,同障害のうち現在寛解状態
にあるものと確定的に診断するためのガイドライン(ICD-10のF
33.4),すなわち,いかなる重症度のうつ病エピソード又はF30
からF39にある他のいかなる障害の診断基準も満たしておらず,また,
少なくとも2回のうつ病エピソードが短くとも2週間続き,はっきりと
した気分障害のない数か月間で隔てられているとの要件を満たしている
とはいい難く(前記受診中断中の期間に,P2においてはっきりとした
気分障害のない数か月間が存在したと認められないことは,後記(6)のア
のとおりである。),P2が,前記受診中断中の期間に,寛解の状態に
至ったものとは認められない。
イまた,P56医師は,本件うつ病の業務起因性は認められないと判定
するが,P2が本件うつ病の発症前約6か月間に従事していた業務は客
観的に強度の心理的負荷をP2にもたらしたことが認められ,本件うつ
病に業務起因性が認められることは,前記認定のとおりである。
ウ加えて,P56医師は,うつ病の重症度と自殺企図に至る危険性は,
必ずしも相関するものではなく,また,P27クリニックの受診内容や
投薬内容からは,本件再発うつ病ないし本件うつ病の症状の重症化等を
窺うことはできないから,本件再発うつ病ないし本件うつ病の発症後に
起こった出来事である本件異動及びこれに至る経緯が,同うつ病を増悪
化させ,その結果,P2が本件自殺に至ったと考えることは困難である
旨意見を述べる。
しかしながら,うつ病発症後の出来事であっても,これによって当該
うつ病を重症化させ,自殺の危険性が高まった結果自殺に至るとの因果
経過の可能性を全く否定できるものではなく,発症後に従事した業務が
客観的に過重であったと認められる場合には,継続する過重な業務によ
り増悪化させられた精神障害により,正常な認識,行為選択能力及び抑
制力が著しく阻害されるに至った結果自殺行為に出たものとして,業務
と精神障害の増悪化,更には自殺との相当因果関係があると推認すべき
場合も存すると解すべきことは,前記4(2)のイ(ア)のとおりである。
また,うつ病の診断は,患者の直接の診療にあたった医師が,当該患
者はうつ病エピソードを発症しているかどうかについて,その有する医
学的知見や専門的経験則,五感の作用の全てをもって確定させる極めて
複雑困難な作業であり,診療録の記載のみから,後発的に,うつ病の状
態を必ずしも正確に読み取れるものではない。さらに,投薬内容につい
ても,少なくとも当時の薬の処方によって不眠はある程度解消されてい
たと認められたことから,P27医師は同様の処方を続けていたもので
あり,投薬内容に変化がないことから,本件うつ病の増悪化がなかった
と直ちに判断することはできない。加えて,本件異動に至る経緯等の客
観的な状況から,本件うつ病が増悪化したと推認できることは,前記認
定のとおりである。したがって,P2は,本件異動に至る経緯等により,
本件うつ病を増悪化させ,本件自殺に至ったものと認めるのが相当であ
る。
エしたがって,P56医師の意見を採用することはできない。
(6)P58医師の意見について
アP58医師は,前記2の(6)のとおり,第4次受診後P27クリニック
の受診を中断している間のP24病院の診療録から推察されるP2の症
状や,うつ病に対するメイラックスの効果には限界があることなどに照
らすと,本件うつ病は,第4次受診終了後第5次受診を開始するまでの
約1年8か月の間に,完全寛解の基準である「2か月間大うつ病エピソ
ードのはっきりとした徴候や症状がみられない場合」を満たした旨判定
する。
しかしながら,前記期間の診療録においても,P2は,前記のとおり,
仕事が多忙であるとか,仕事でストレスがたまっているなどの愁訴をP
30医師に断続的にしていたことが窺われ(P58医師は,その意見書
(乙11)において,平成11年8月から平成12年1月までの前記診
療録には,P2が仕事によりストレスを受けたとの記載がないことを指
摘するが,平成11年11月24日の診療録には「仕事は多忙」との記
載があり,また,P30医師は,P2が業務上のストレスから解放され
ていないと判断して,前記期間も引き続き抗不安薬であるメイラックス
や自律神経調整剤であるグランダキシン等を処方していることに照らす
と,前記期間に本件うつ病が完全寛解したことを趣旨とする前記指摘は,
必ずしも的を射ていない。),また,メイラックスには,少なくとも抗
不安薬としての効果はあり,前記支持的精神療法を助長して,不十分な
がらもP2の精神を安定させる効果を発揮していたと解されることから
すると,P2が,「2か月間大うつ病エピソードのはっきりとした徴候
や症状がみられない」状態に至ったと断定することはできない。
イ次いで,P58医師は,本件うつ病には業務起因性が認められないと
判定するが,本件うつ病に業務起因性が認められることは,前記認定の
とおりである。
ウしたがって,P58医師の意見を採用することはできない。
(7)専門部会の意見について
ア専門部会は,本件うつ病は,反復性うつ病性障害であり,第4次受診
を中断した平成10年11月ころに一旦寛解(治ゆ)し,その後,第5
次受診を開始した平成12年7月ころに,本件再発うつ病として再発し
たものであると判定するが,本件うつ病が,仮に反復性うつ病性障害に
該当するとしても,同障害のうち現在寛解状態にあるものと確定的に診
断するための前記ガイドライン(ICD-10のF33.4)の基準は
満たされず,一度も寛解に至らなかったと解すべきことは,前記(5)のア
のとおりである。
イまた,専門部会は,本件再発うつ病の発症前6か月間にP2が従事し
た業務は,判断指針上「強」と判断できるほどの心理的負荷をP2にも
たらしたとは認められず,他方,P2には,本件出向以前からの口腔心
身症の治療歴や,飲酒習慣,真面目で几帳面な性格傾向など,個体側の
要因も認められるから,本件再発うつ病に業務起因性は認められないと
判定する。
しかしながら,P2の担当した業務は,前記認定のとおり,判断指針
において業務上の心理的負荷を与えるライフ・イベントとされている各
出来事よりも相当程度心理的負荷の強いものばかりであり,しかも,こ
れらが同時並行的に,あるいは連続してP2に発生したのであって,各
出来事を総合して判断すると,前記各業務が相乗的にP2にもたらした
心理的負荷は,うつ病を発症させるのに十分な危険性を有するものと評
価することができる。他方で,P2の治療歴,性格傾向等は,前記のと
おり,一般的平均的労働者の範囲内の性格傾向や個体差に過ぎないと認
められ,また,飲酒が本件うつ病の症状を増悪化させたり,本件自殺の
危険性を高めたとは認められないのであるから,これらをもって,本件
うつ病の業務起因性が否定されると解することは相当でない。
ウしたがって,専門部会の意見を採用することはできない。
7裁決について(甲A8)
(1)労働保険審査会は,本件に係る裁決において,本件うつ病は,P27ク
リニックの第4次受診後の受診中断中も,P24病院から処方されたメイ
ラックスの効果によりその症状が軽快していたにすぎず,完全寛解してい
ないと判断した上で,本件うつ病発症前6か月間にP2が従事した業務に
よる心理的負荷は,客観的にみて同種労働者にとって精神障害を発病させ
るおそれのある強度のものであったとはいえず,判断指針上「強」に該当
する心理的負荷をP2にもたらしたということはできないから,本件うつ
病に業務起因性はないと判断する。
(2)同裁決が,本件うつ病が寛解していないとする点は,当裁判所の判断と
符合するものであるが(もっとも,当裁判所は,メイラックスの効果のみ
によって本件うつ病の症状が幾分緩和されていたと解するものではなく,
P30医師が施していた支持的精神療法と相まって,相乗的に本件うつ病
の症状が幾分緩和されていたと解するものであり,その効果の程度として
も,次第にうつ病の症状が悪化していくのを食い止めることまではできず,
せいぜいP27クリニックへの通院の中断の期間,なんとか我慢しながら
勤務を続けられたというにとどまり,結局,症状が悪化してP27クリニ
ックへの受診を再開せざるを得なくなっていた上,第4次受診時及び第5
次受診時には,自殺念慮を抱くまでに増悪化していたものである。),本
件うつ病発症前6か月間にP2が従事した業務は,前記のとおり,質的に
過重と評価できることに加え,P2は,同期間,少なくとも月に約100
時間程度の時間外労働を4か月間にわたり行っていたと認められるから,
量的にも過重な業務であったと評価でき,本件うつ病の発症には,前記認
定のとおり,業務起因性が認められ,また,前記認定のとおり,強い心理
的負荷を伴う業務上の精神的ストレスがその後も続いたことにより,本件
うつ病が慢性化し,遂に一度も寛解することなく,本件自殺に至ったもの
と推認され,本件自殺との相当因果関係も認められるものである。
(3)したがって,前記裁決の判断を是認することはできない。
第4結論
以上によれば,本件うつ病の発症及び本件自殺には業務起因性が認められ
るから,これを否定して行った本件処分は違法である。
よって,原告の請求には理由があるからこれを認容し,訴訟費用の負担に
ついては行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり
判決する。
名古屋地方裁判所民事第1部
裁判長裁判官田近年則
裁判官日比野幹
裁判官鈴木輝子

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