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平成24年1月13日判決言渡
平成22年(ワ)第732号退職金請求事件
主文
1被告は,原告に対し,3037万0170円及びこれに対する平成22
年2月4日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
2原告のその余の請求を棄却する。
3訴訟費用は被告の負担とする。
4この判決は第1項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,3037万0170円及びこれに対する平成21
年7月1日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要等
1事案の概要
本件は,原告が,被告に対し,退職金支払合意に基づく退職金及び退職
日翌日である平成21年7月1日から支払済みまで商事法定利率年6分に
よる遅延損害金の支払を求めた事案である。
2前提事実(当事者間に争いがない事実及び各所に掲記の証拠により容易
に認定できる事実)
(1)当事者
ア被告
被告は,アメリカ合衆国デラウエア州の法令に準拠して日本において
保険業を行う外国保険業者であって(保険業法2条6項),保険業法1
85条1項の内閣総理大臣の免許(同法2条7項)を受けた外国会社で
あり(会社法2条2号),日本に支店となるアリコジャパンを置いてい
る(以下この支店を「被告日本支店」という。)。被告は,原告在職当時,A
グループに属していた。
イ原告
原告は,平成11年11月1日から,AグループのBグループ株式会
社において勤務し,平成15年9月1日,被告に出向した者である。
(2)原告の被告における勤務
原告は,上記出向中の平成16年7月1日,B社から被告に籍を転じ,
被告日本支店の金融法人本部の本部長と執行役員を兼務するようになった。
原告は,被告日本支店において,次項のバンクアシュアランス業務を担
当していた。
(甲31)
(3)バンクアシュアランス業務
被告日本支店における保険商品の営業態様は,大別すると,①コンサル
タント社員による販売,②保険代理店による販売,③通信販売,④金融機
関など募集代理店による販売である(乙6及び弁論の全趣旨。以下④を「バ
ンクアシュアランス業務」という。)。
そして,バンクアシュアランス業務においては,具体的には,銀行や証
券会社等の提携金融機関の窓口において,提携金融機関の職員が,保険商
品の販売を行うこととなり(弁論の全趣旨),被告は,提携金融機関の職
員に対し,販売方法や商品の研修を行ったり,同職員からの問い合わせを
受けてその質問に回答したり,商品を採用してもらうための商品の紹介を
行う等の活動をする(証人C)。
(4)退職金に関する合意
原告は,平成17年3月1日,被告との間で,賃金,賞与及び退職金に
関する合意をし,同年3月24日,退職金に関して追加の合意をした。こ
れらの合意によると,①賃金月額は131万7000円とされ(別途会社
負担の社宅家賃月額24万円がある。),②業績賞与として,毎年,月額
給与6か月分を限度として翌年2月に支給し,③毎年,業績賞与と同額を
退職金として積み立てて,後にこれを退職金として支払うものとされてい
る。(甲2ないし4。以下,上記③の合意を「本件退職金合意」とい
う。)
また,本件退職金合意と同時に,競業避止義務が定められ(甲2・6条。
以下「本件競業避止条項」という。),本件競業避止条項に反した場合には,
退職金全額を不支給とすることも定められた(以下「本件不支給条項」という。
(5)原告の退社
原告は,平成21年5月中旬ころ,被告に対し,同年6月30日をもっ
て退社することを通知したところ(原告本人),被告は,同月10日付け
で,原告に対し,退職金の額を通知するとともに,原告退社後2年以内の
雇用先が競合他社に該当しないこと等を満たしたときに,退社2年以内に
退職金を支払う旨を通知した。
原告は,平成21年6月30日,被告を自己都合で退社した。
(6)退社後の経緯
原告は,同年7月1日付けで,D生命保険株式会社の取締役執行役員副
社長となった(以下「本件転職」という。)。
これに対し,被告は,同月14日付で,原告に対し,退職金を支払わな
い旨を通知した(甲8)。
原告は,平成22年6月30日付けで,Dを退任した(甲34,原告本
人)。
(7)本件退職金の額
仮に本件で原告に退職金全額が支給される場合,その額は3037万0
170円である。
3争点は,本件不支給条項を本件に適用することが公序良俗に違反するか否
かであり,各当事者の主張は,以下のとおりである。
(原告の主張)
(1)本件退職金は,原告の業績賞与同額を積み立てたものであり,賃金・賞
与の後払いと評価される。かかる退職金の不支給の条件として,競業避止
義務を定めるに当たっては,制限の期間,範囲(地域,職種)を最小限に
とどめることや一定の代償措置が必要である。
(2)被告日本支店は,予算管理,人事管理,資本政策,商品政策を通して,
被告本店に管理される営業拠点に過ぎない。被告日本支店は,その利益の
大部分を,被告本店に送金している。被告日本支店の役員会において,経
営意思決定に関連する議論が行われること,執行役員が自己の担当部門に
関する事項以外について発言することは,いずれも稀であった。したがっ
て,執行役員は,重要な業務執行の意思決定等に直接携わっていない。
原告の金融法人本部の本部長としての業務の中心は,営業と人事管理で
あり,原告は,金融法人本部の責任者である副会長に報告し,その決済を
受けて業務遂行していた。
(3)本件競業避止条項は,退職後2年間という長期間,地域を問わず,競合
他社への就職を禁止している。
しかし,金融ビジネスの急激な変化に照らすと,2年間にわたる競業禁
止は長すぎるし,地域も限定されるべきである。
(4)本件競業避止条項は英文であるが,その内容は「①被告に競合したり,
②A各社のバンクアシュアランス事業に競合したり,③原告が在任中に被
告やアリコ各社で携わったその他の事業に競合する会社の従業員,役員,
顧問,コンサルタントやエージェントとして勤務しない」と訳されるべき
であり,①により,日本の生命保険会社のすべての勤務が禁止されるし,
日本の金融機関の多くがバンクアシュアランス事業を行っているから,②
により,大多数の日本の金融機関への勤務も禁止される。
原告は,これまでのほとんどのキャリアを金融機関勤務で過ごしており,
再就職先は金融機関以外になく,上記禁止は不当に広範である。
(5)原告の給与は,他の従業員や自身の執行役員就任前と比較して,何ら厚
遇されておらず,被告は何らの代償措置も講じていない。
(6)バンクアシュアランス業務において,保険会社の営業担当者が直接顧客
と交渉することはなく,顧客が担当者変更を理由に保険会社を変更するこ
とはない。現実に,原告の転職を理由に顧客が被告からDに移った例もな
い。
Dは,バンクアシュアランス業務において,円建定額即時預金を扱い,
被告が中核とする外貨建定額年金,円建変額年金,一時払終身保険,一時
払医療保険を扱っていない。したがって,両者のバンクアシュアランス業
務は,競合しない。
さらに,原告のDにおける業務は,社長を補佐して会社業務全般を統括
すること及び米国本社との調整であり,新規銀行代理店の開拓等,具体的
なバンクアシュアランス業務には関与していない。
被告が指摘するノウハウは,原告自身が金融法人本部の本部長として勤
務する中で得たものであり,執行役員として得たものではなく,その喪失
はここで考慮すべき損害ではない。
(7)以上から,本件不支給条項の適用による退職金支払拒絶は,公序良俗に
反する。
(被告の主張)
(1)原告は,平成16年7月から,執行役員のほか金融法人本部の本部長も
兼務する被告の最高幹部であって,バンクアシュアランス業務全般に通じ
ており,職務との関係で競業行為を禁止することの合理性がある。
被告日本支店は,実体として被告日本支店の営業又は事業に関する意思
決定及びその実行を独立して行うとともに相当額の資産を保有する人的・
物的組織体であり,その執行役員は,被告の経営の根幹事項にアクセスで
きる地位ないし権限を保持して巨額の報酬を得ている。執行役員は,その
高度な信任の見返りとして,会社法上の取締役に準じて忠実義務を負うこ
とから,本件競業避止条項を定めることとした。
(2)執行役員は,被告日本支店の最高意思決定機関である役員会の構成員と
して,重要な業務執行の決定や執行役員の職務執行の監督に当たり,会社
法上の取締役と実質的に同一の経営専門家としての責任と権限を保有し,
それに見合った報酬等の高待遇を享受する役員であり,被告と委任契約を
締結している。
(3)本件競業避止条項による転職禁止期間は2年であり,知識・経験の陳腐
化の遅さとの関連から,相当に短い。
(4)本件競業避止条項は,「原告は,被告やEのグループ会社を理由の如何
を問わず自らの意思で退任した場合,退職後2年間,被告日本支店やEの
バンクアシュランス事業に競合したり,原告が在任中に被告日本支店やE
で携わったその他事業に競合する会社の従業員,役員,顧問,コンサルタ
ントやエージェントとして勤務しないことに同意する。」と定めており,意
味内容は明確である。
そして,競業避止条項の内容は,原告が現実に従事して経営の根幹に関
わる情報を知り又は知り得たバンクアシュアランス等に係る範囲に限定さ
れている。競業行為の禁止措置の内容は必要最小限で均衡がとれている。
同条項の制定経緯からも,同条項が,被告日本支店の業務全般と競合す
る会社への転職をすべて禁止するものではないことは明確である。
(5)原告の給与は極めて高額であり,代償措置も十二分に配慮済みである。
被告の従業員には原告の給与を超えていた者もいたが,それらの者は営業
専門職(ホールセラー職)であって,その給与は業績に連動して乱高下す
る仕組みであり,一時的に執行役員の給与を超えることはあり得る。
(6)Dは,平成21年9月,銀行や証券会社における窓口販売及び代理店を
通じての事業保険の販売に特化しており,原告がDで担当するのも,バン
クアシュアランス業務であり,原告が同業務を担当すると,被告の販売チ
ャネルは壊滅し,回復不能又は著しく回復困難な損害を被る。
また,原告は,被告のバンクアシュアランス業務において,新規銀行代
理店の開拓,研修体制の構築,営業専門職の統括を行っていたところ,そ
こで原告が得た人脈,交渉術,業務上の視点,手法等のノウハウは,被告
独自の財産であり,それを失うことも損害である。
(7)本件競業避止条項は,被告と原告とで折衝し,被告も妥協して成立した
ものであり,銀行等への転職禁止は企図していなかったし,原告もそのこ
とを十分認識していた。原告は,交渉過程で,提携金融機関への就労を適
用除外とすることに専ら集中しており,本件不支給条項は長期にわたる交
渉の末,原告の真に自由な意思により締結された。
このように本件不支給条項は,原告が主体的に交渉して完成したもので
あることから,有効である。
(8)以上から,本件退職金不支給条項の適用による退職金支払拒絶は,公序
良俗に反しない。
第3争点に対する判断
1原告の労働者性について
(1)原告は,本件退職金合意の当時,被告の金融法人本部の本部長でもあり,
被告の労働者であった。
(2)アまた,原告は,本件退職金合意当時,執行役員も併任していたところ,
以下の事情によれば,執行役員も労働者性を有する。
(ア)被告は,世界50以上の国,地域で事業展開し,被告日本支店は,
その日本における拠点であり(乙6),被告日本支店の執行役員は,
被告の経営者に類するものとはいえない。
(イ)被告は,被告日本支店が,被告から独立した組織体である旨を主
張するが,被告日本支店は,予算管理の面においては,被告本店ない
しAに管理されていたこと(証人F,原告本人),役員人事について
も,被告本店ないしAが決定しており,被告日本支店の役員会で検討
されることはなかったこと(証人G,原告本人),役員会には実質的
に代表者の選任権はないこと(証人F,弁論の全趣旨)から,被告日
本支店を,被告から独立した組織体とみることはできない。
(ウ)わが国の大規模な企業において,近時,会社の任意の機関として
執行役員が置かれることがあるが,この執行役員は,多くの場合,会
社と雇用契約を締結している(公知の事実)。
(エ)被告金融法人本部の従業員で,執行役員であり本部長でもある原
告の給与を年額ベースで上回る賃金を得ていた者は,平成16年度
(7月1日から12月31日)4名,平成17年度(1月1日から1
2月31日)29名,平成18年度(同上)3名であり,相当数にの
ぼる(乙11,16)。
(オ)原告が,金融法人本部の本部長に加え,執行役員を併任された時
期の前後の賃金額の差は,ほぼ住宅補助の増加分のみであり,また,
併任後に役員手当等が別途支払われることもなかった(甲29,3
0)。
(カ)被告日本支店には,会長1名,副会長1名,最高執行責任者1名,
専務執行役員(以下「専務」という。)4名,常務執行役員(以下「常務」と
いう。)5名(以下,これらの者を併せて「常務以上の者」という。)がおり,
そのもとに複数の本部又は部(以下「本部等」という。)があり,副会長,
専務又は常務が,担当の本部等を監督する体制になっており,金融法
人本部の本部長である原告も,同本部を監督する副会長の決裁を受け
て業務遂行していた(争いがない事実,乙1)。また,EのFも,原
告がバンクアシュアランス業務における最上位者ではないと認識して
いた(証人F)。
(キ)原告の被告金融法人本部における具体的な業務は,営業活動と人
事管理であり,営業活動として銀行等との交渉,営業プランニング等
を行い,人事管理として採用,人事評価等を行っていたが(争いがな
い),この業務内容は,執行役員となる前後でほぼ変化がなかった
(原告本人)。
(ク)執行役員が構成員となる役員会は,被告日本支店の最高意思決定
機関とされ,重要な職務執行を決定し,執行役員の職務の執行を監督
するものとされ,定例月2回,各1ないし2時間程度開催され,各執
行役員の担当部門に関する報告を受けて,これを承認したり,必要な
質疑を行っていたが,議論の対象は,基本的に,被告日本支店の内部
の管理体制に関わることに限定され,重要事項は,被告本社又はAへ
の伺いと承諾を必要としており,報告及び質疑の内容としても,すで
に被告本社等と調整が済んだ事項が報告されて,それを確認すること
が多かった(乙2,21,証人G,証人F,原告本人)。
イ上記アの認定に対し,被告の会社概要に関する文書(乙5)には,
「日本支店のため,商法上の取締役および監査役に代わり,執行役員を
置いています。」という記載があるが,これはディスクロージャー資料
であり,取締役等が存在しないことによる投資家の不安を払拭するため
の記載であるとみられ,この記載によって,執行役員の労働者性を否定
することはできない。
(3)以上によると,原告は,本件退職金合意当時,金融法人本部の本部長及
び執行役員のいずれの立場においても,被告の労働者であったというべき
である。
2一般に,労働者には職業選択の自由が保障されている(憲法22条1項)
ことから,使用者と労働者の間に,労働者の退職後の競業についてこれを避
止すべき義務を定める合意があったとしても,使用者の正当な利益の保護を
目的とすること,労働者の退職前の地位,競業が禁止される業務,期間,地
域の範囲,使用者による代償措置の有無等の諸事情を考慮し,その合意が合
理性を欠き,労働者の職業選択の自由を不当に害するものであると判断され
る場合には,公序良俗に反するものとして無効となると解される。
そして,上記競業避止義務を定める合意が無効であれば,同義務を前提と
する本件不支給条項も無効となる。
3本件競業避止条項の意味内容について
(1)本件競業避止条項は,英文で定められたものであるが(甲2),前記第
2の3の各当事者の主張のとおり,同条項の解釈の仕方については,原被
告間で差がある。
(2)ところで,本件競業避止条項の文案作成を被告において担当したFは,
本件競業避止条項の定め方が明確でなく,Aグループ各社のバンクアシュ
アランス業務と競合する会社への転職をすべて禁止するようなものである
と読むこともできるなどと証言している(証人F)。
他方,原告は,本件競業避止条項は,銀行を除外して,生命保険会社全
部とE(損害保険会社,投資信託会社,投資顧問会社,プライベートバン
キング,投資銀行会社,研修会社)と競合するバンクアシュアランス業務
をしている会社を転職禁止の対象としていると理解していた(原告本人)。
かかる理解は,前記第2の3の被告の主張(4)の対象範囲とは異なる。
以上によれば,本件競業避止条項による転職禁止の対象範囲は,被告側
担当者の認識においても不明確であるというべきであり,現に,原被告間
の認識に差があるということができる。
(3)他方で,本件競業避止条項が定められるに至った経緯は以下のとおりで
ある。
原告は,平成13年3月以降,B社のバンクアシュアランス業務に従事
していたが,同社が被告にバンクアシュアランス業務を移管したため,原
告は,平成15年9月,被告に出向し,同業務を行うものとして設立され
た金融法人本部において,同業務に従事し,平成16年1月,本部長と
なった。また,原告は,同年7月,執行役員を兼ねることとなった。しか
し,原告の業務内容はほぼ従前と同じであった。(前提事実(2),原告本人,
弁論の全趣旨)
原告が,被告に対して,業績に基づいた報酬制度に変更してほしいと申
し出たため,被告の担当者Fが交渉に当たったが,被告は,報酬制度のみ
の変更を認めず,退職金を併せたパッケージで交渉を進めた。なお,Fは,
当時,Eの人事の責任者として執行役員の契約交渉等を担当していた。
(証人F)
当初Fが示した競業避止条項は,銀行等への転職も禁止するものであっ
た。原告は,まず,転職禁止対象を,生命保険会社のバンクアシュアラン
ス業務の営業に限定してほしいと求めたが,Fから検討不可能である旨の
回答を受けた。そこで,原告は,被告の競合他社にはなり得ないと考えら
れる銀行を外すことと,Eに関する競合他社は広すぎるとしてこれを外す
ことを求めた。すると,Fは,銀行だけを外し,最終的にその内容で本件
競業避止条項が定められた。(証人F,原告本人)
(4)そうすると,本件競業避止条項が,少なくとも,バンクアシュアランス
業務を営む生命保険会社を転職禁止の対象としていたことは,双方の認識
において一致している。
そして,原告は,バンクアシュアランス業務を行う保険会社であるDに
転職しているのであるから,それが本件競業避止条項の禁止対象行為に当
たることは明らかである。
4本件競業避止条項を本件転職に適用することは公序良俗に反するか否か
(1)本件競業避止条項を定めた使用者の目的
ア被告は,優秀な人材が競合他社へ流出することを防ぐため,本件競業
避止条項を置いたものであり(証人F),その背景には,被告のノウハ
ウや顧客情報等の流出を避ける意図があるものと認められる(弁論の全
趣旨)。
イところで,被告の主張によれば,ここでいうノウハウとは,不正競争
防止法上の営業秘密に限らず,原告が被告業務を遂行する過程において
得た人脈,交渉術,業務上の視点,手法等であるとされているところ,
これらは,原告がその能力と努力によって獲得したものであり,一般的
に,労働者が転職する場合には,多かれ少なかれ転職先でも使用される
ノウハウであって,かかる程度のノウハウの流出を禁止しようとするこ
とは,正当な目的であるとはいえない。また,不正競争防止法上の営業
秘密の存在については,被告は特に具体的な主張をせず,これを認める
に足りる証拠もない。
ウまた,顧客情報の流出防止を,競合他社への転職自体を禁止すること
で達成しようとすることは,目的に対して,手段が過大であるというべ
きである。
エ証人Fの証言によると,むしろ本件においては,競合他社への人材流
出自体を防ぐこと自体を目的とする趣旨も窺われるところではあるが,
かかる目的であるとすれば単に労働者の転職制限を目的とするものであ
るから,当然正当ではない。
オ結局,本件競業避止条項を定めた使用者の目的は,正当な利益の保護
を図るものとはいえない。
(2)原告の退職前の地位について
前記3(3)に認定したとおり,原告は,被告勤務当時,当初は金融法人本
部長であり,その後に執行役員を併任していた。また,原告は,退職の1
か月前の平成21年6月1日,金融法人本部の本部長の地位を解かれた
(弁論の全趣旨)。
ところで,前記1(2)の認定にかかわらず,被告日本支店の従業員数が約
6000名であるのに対し,執行役員の人数はせいぜい20名を超える程
度にすぎず(乙5,弁論の全趣旨),また,執行役員は,被告日本支店の
役員会の構成員であるから,原告の退職前の地位は相当高度であったとい
うことができる。
しかし,保険商品の営業事業はそもそも透明性が高く秘密性に乏しいし,
また,役員会においては,被告の経営上に影響が出るような重要事項につ
いては,例えば決算情報が3週間は部外秘とされるといった時限性のある
秘密情報はあるが(証人C,原告本人),原告が,それ以上の機密性のあ
る情報に触れる立場にあったものとは認められない。
(3)競業が禁止される業務の範囲
前記3のとおり,競業が禁止される業務の範囲については,不明確な部
分もあるものの,バンクアシュアランス業務を行う生命保険会社への転職
が禁止されていることは明確であった。
しかし,原告の被告において得たノウハウは,バンクアシュアランス業
務の営業に関するものが主であり(原告本人),本件競業避止条項がバン
クアシュアランス業務の営業にとどまらず,同業務を行う生命保険会社へ
の転職自体を禁止することは,それまで生命保険会社において勤務してき
た原告への転職制限として,広範にすぎるものということができる。
(4)期間,地域の範囲
保険商品については,近時新しい商品が次々と設計され販売されている
ころであり(公知の事実),保険業界において,転職禁止期間を2年間と
することは,経験の価値を陳腐化するといえるから(原告本人),期間の
長さとして相当とは言い難いし,また,本件競業避止条項に地域の限定が
何ら付されていない点も,適切ではない。
(5)代償措置の有無
原告の賃金は,相当高額であったものの,本件競業避止条項を定めた前
後において,賃金額の差はさほどないのであるから,原告の賃金額をもっ
て,本件競業避止条項の代償措置として十分なものが与えられていたとい
うことは困難である。
また,前記認定のとおり,被告においては,金融法人本部の本部長であ
る原告の部下たる者の中に,相当数のより高額な給与の者がいたところ,
それらの原告の部下については,特段競業避止義務の定めはないのである
から(証人F),やはり,原告の代償措置が十分であったということは困
難である。
(6)その他の事情
ア退職金の功労報償性
前記認定のとおり,被告が業績賞与と同額を退職金として積み立てる
ことを合意した理由は,原告の賃金が部下より低いことに対する相応の
待遇を付与する趣旨であり,交渉担当者のFも,本件退職金には,執行
役員就任後の賃金,業績賞与額の合計がさほど増加しないのを補てんす
る意味合いがあると認識しており(甲31,乙17,証人F,原告本
人),そうすると,本件退職金には賃金後払的な要素も含まれていたも
のというべきである。
本件退職金の額は業績賞与総額と等しく,本件退職金には相応の功労
報償的要素があるものの,そのことによって上記認定は否定されない。
イ被告が受けた損害の程度
(ア)Dは,平成21年9月,代理店による営業体制とバンクアシュア
ランスの2つの販売体制に特化しており(乙8,10),その点では
被告の販売体制と重複している。
(イ)しかし,Dの主力保険商品は,被告が販売していない円建定額即
時年金であり,円建固定利回りで運用され,購入年から年金として受
取りが可能であって,高齢によりリスク投資から卒業したい者等が対
象であり,投資リスクが低い商品である。他方で,被告の商品は,外
貨建定額年金,円建変額年金,一時払終身保険,一時払医療保険であ
り,そのうち銀行窓口販売の83%となる主力商品である外貨建定額
年金は,為替変動もあり,一定期間据置きの商品であって,投資向け
の商品であり,顧客は外貨投資経験者であり,これをDはほとんど
扱っていない。(甲18,21ないし25,証人C,弁論の全趣旨)。
したがって,両者のバンクアシュアランス業務は,取扱商品におい
て,ほぼ競合していない。
(ウ)また,保険会社が,外貨建定額年金の取扱いをやめて,円建定額
即時年金に変更したり,逆に,円建定額即時年金から外貨建定額年金
に主力商品の変更をする可能性は,抽象的にはあり得るが,現実的に
は行われていないし(証人C,原告本人),被告の外貨建定額年金保
険は,市場占有率8割を超えており(甲26),現実的にも,Dが,
被告の主力商品の市場に,被告の競争相手として新規参入することは,
考え難い。
(エ)前記(イ)の取扱商品の性質の差も反映して,被告の顧客層は平均
年齢55歳ないし57歳であり,他方でDの顧客層は,平均年齢80
歳超程度である(原告本人)。
(オ)前記のとおり,バンクアシュアランス業務は,銀行を通した顧客
への保険商品の販売であり,顧客が,保険会社の担当者の変更により,
保険会社を変更することは考えられない。
また,銀行自身が,取り扱う保険商品を選択する際にも,担当者の
人柄等が主に考慮されるものではなく,商品の選択は,商品の内容と
手数料率によるところが大きい(証人G)。
なお,本件転職によって,銀行が,取扱商品を被告のものからDの
ものに変更した例があると認めることはできず,他に,被告に実害が
生じたという事情は窺われない。
(カ)以上によると,被告の損害として,被告主張の販売チャネルの壊
滅や,回復不能又は著しく回復困難な損害が生じたとは到底認めるこ
とができず,さらには,被告に何らかの実害が生じたと認めることも
できず,それらのおそれがあるとも認められない。なお,前提事実に
認定したとおり,原告は,平成22年6月30日付けで,Dを退社し
ており,その後に損害が新たに生ずることも想定しがたい。
ウ原告の背信性の程度
(ア)原告は,被告を退職した翌日にバンクアシュアランス業務を行う
生命保険会社であるDに転職したものであるが,前記イのとおり,両
社は取扱商品や顧客層も異なるのであって,また,原告はDに副社長
として入社し,実際にも会社業務全般の統括及び米国本社との調整を
担当しており,バンクアシュアランス業務の営業活動を行っていない
と認められ(原告本人),原告が,被告に損害を与える意図で,本件
転職をしたものとは認められない。
(イ)前記3(3)に認定したとおり,原告は,本件競業避止条項に関する
交渉の際に,バンクアシュアランス業務の営業という限定を付してほ
しい旨申し出ており,バンクアシュアランス業務を扱う競合他社自体
への転職を制限することに対して,反対の意思を示していた。そして,
保険会社においては,一般的にも,同業への転職の事例が多い(証人
F)。
(ウ)以上及び前記イによると,本件転職は,もともと被告も想定し得
たものである上,原告には被告に損害を与える意図があったとはいえ
ず,現に本件転職による特段の実害も生じていないのであるから,背
信性の程度は高くはないというべきである。
(7)以上から,原告の退職前の地位は相当高度ではあったが,原告は長期に
わたる機密性を要するほどの情報に触れる立場であるとはいえず,また,
本件競業避止条項を定めた被告の目的はそもそも正当な利益を保護するも
のとはいえず,競業が禁止される業務の範囲,期間,地域は広きに失する
し,代償措置も十分ではないのであり,その他の事情を考慮しても,本件
における競業避止義務を定める合意は合理性を欠き,労働者の職業選択の
自由を不当に害するものであると判断されるから,公序良俗に反するもの
として無効であるというべきである。
そして,上記競業避止義務を定める合意が無効である以上,同義務を前
提とする本件不支給条項も無効であるというべきである。
5なお,前記4(6)の事情によれば,本件退職金には功労報償的要素のほか賃
金後払的な要素も相当含まれ,本件転職により被告が受けた損害があるとも
認められず,原告の背信性の程度は高くはないというべきであるから,本件
転職には,原告の被告における功労を抹消させてしまうほどの不信行為は認
められないというべきであり,したがって,仮に本件競業避止条項の有効性
を措いても,本件不支給条項は,公序良俗に反し無効である。
6したがって,原告の退職金請求には理由がある。
7他方,原告の遅延損害金請求の起算日は,訴状送達日の7日後である
平成22年2月4日とすることが相当である(労働基準法23条1項)。
第4結論
以上により,原告の請求は,3037万0170円及びこれに対する訴
状送達日の7日後である平成22年2月4日から支払済みまで商事法定利
率による年6分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから,
主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第11部
裁判官光本洋

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