弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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       主   文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
       事   実
第一 申 立
一、原 告
1、被告は原告に対し、金一、二六一、四〇〇円およびこれに対する昭和三九年六
月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2、訴訟費用は被告の負担とする。
3、仮執行の宣言。
二、被 告
 主文同旨。
第二 主 張
一、原 告
(一) 請求の原因
1、訴外亡Aは熊本地方裁判所八代支部(以下八代支部という)事務官(廷吏)と
して同支部に勤務する国家公務員であつたものであり、原告は同人の妻であつた。
2、訴外Aは、昭和三九年二月二五日八代支部において公判立会中に倒れ、翌二六
日午前一時一五分同支部宿直室において死亡した(以下本件災害という)。
3、国家公務員災害補償法上、同法による災害補償を受ける要件としては、当該災
害が「公務上」のものであれば必要かつ十分であり、「公務上」の災害とは、公務
遂行中の災害または公務に起因する災害をいうものであり、公務遂行性および公務
起因性の二要件を必要とするものではない。仮に、右二要件を必要とするとして
も、公務起因性としては公務と災害との間に公務がなければ災害がなかつたであろ
うという関係があればよいといわなければならない。この点につき相当因果関係の
証明を要求する説は、国庫の利益を公務員労働者の生存権の上におくもので、その
誤りは明白である。
4、しかして、本件災害は、公務遂行中に生じたものであり、この点においてすで
に公務上の災害といえるばかりでなく、公務がなければ災害がなかつたであろうと
いう関係はもとより、公務との間に相当因果関係があるものである。すなわち、
(1) 高血圧症と本人の節制
イ、訴外Aは十数年前から高血圧症であつたが、その症状は一進一退のもので、特
に勤務に支障を生ずるほどのものではなく、適切な健康管理と、執務環境が与えら
れるならば、なお余命を全うして精励格勤していたにちがいない。つまり、訴外A
の高血圧症は良性、本態性のもので、増悪致死の危険が予測されるようなものでは
なかつた。それは、高血圧症状をもちながら勤労する多数の勤労者と同様のもの
で、特段のものではない。
ロ、同人は、自分の高血圧症が勤務に支障を与えてはいけないと考えて、その個人
生活の上では衛生と節制を心がけ、規律正しい、つゝましい生活を続けていた。食
事に心をつかい、酒、煙草を節し夜は八時から九時には就寝し、朝は早起きして八
時前後には他の職員に先んじて出勤し、家庭でも肉体的負担になるような家事上の
雑事は避けて安静につとめていたのである。家庭内にも、同人の精神的負担となる
ような事情はなく、ただ経済的理由から末娘が高校を出るまでは働き続けようとい
う意思をもち続けていたにすぎない。
 同人に対しては、再度にわたり退職勧奨が行なわれているが、それは、このよう
な誠実な勤労の意思を傷つけ、勤務を全うすることについての心理的緊張をつよめ
る理由となつていた。
(2) 勤務の過重
イ、訴外Aの職務内容は、法廷の立会いとその準備を本務とするほかに、案内所に
おける外来者との応接、案内、定時にベルを押すこと、案内所、弁護士控所ならび
に法廷の掃除、弁護士控所用の茶湯の準備、お茶くみ、外庭の清掃、散水、草と
り、検察庁などへの事務連絡などの雑用を含んでいた。
ロ、昭和三五年、八代支部は新庁舎に移り、従前法廷は二つであつたのが三つとな
り、開廷の能率はよくなつたけれども、それに見合う人員の配置はなされなかつ
た。廷吏は数のうえでは三人いたが、昭和三七年からそのうちの一人、B廷吏は訟
廷事務に専従して法廷に立会わず、さらに残りのC廷吏もまた事件増加にともなつ
て令状、略式事件に没頭するようになり、その暇に法廷立会いをするような始末
で、法廷立会を本務とする廷吏は、訴外A一人のみとなつたのである。八代支部全
体として、もともと職員の配置が少いうえに、三人の欠員があつたのである。同人
は、かけもちで二つの法廷の面倒をみる機会が増え、法廷の勤務は著しく過重とな
つたのである。
ハ、新庁舎移転に前後して、法務局、検察庁、拘置支所、警察などもその周辺に移
転したが、裁判所庁舎がきわだつて大きかつたために、他の官署を訪れる人たちも
同支部の窓口に来てその所在をきくことが多く、案内業務もまた多忙であつた。庁
舎は大きくなり、立派になつても、それに応ずる人員配置は不足しているので、訴
外Aには旧庁舎時代にはなかつた新しい案内業務が課せられたのである。とくに、
この仕事は窓口業務として来庁する公衆へのサービスが強調されたので同人の心労
もまた大きかつた。案内所は同人の居室でもあつたから、心休まる時間がなかつた
のである。
 傍聴人の多い事件の場合の整理について、他にこれに当る人はいなかつたから、
たとえ、とくに訴外Aにその仕事が命ぜられていなくても同人が心労するほかはな
かつた。新庁舎に移つてその敷地は旧に倍し、植樹もふえたが、移転当初はこれら
の手入れにあたる人員はなく、同人は清掃、草取り、冠水の仕事に従事した。その
後、昭和三七年に庁務員が配置されて、同人のこの種の仕事は幾分軽減されたが時
に広い前庭に散水する同人をみかけることは絶えなかつたのである。
(3) 執務環境の不良と健康管理の不在
イ、本件災害発生の前日は、みぞれまじりの雨をともなう寒波が襲来して、外気は
昼間を通じて二度であつた。訴外Aは、この日夕刻おそくまで法廷に立会つて、そ
の翌日倒れた。
 同人の居室であつた案内所は、終日陽のあたらぬ庁舎北側の玄関脇にあつた。庁
舎の規模に比べて小さいボイラーに劣悪な石炭をたいて、さなきだに効果の低い暖
房が、もつとも及ばない場所が同人の居室であつた。石を敷いた部屋で同人は火鉢
を入れ、懐炉を抱いていたのである。
ロ、裁判所の行なつた健康診断は、同人の高血圧症を示していた。しかし、当局は
この老廷吏の健康を維持するのにふさわしい管理をしなかつた。
 勤務時間への配慮、保温の措置、必要な休養など、健康管理をした形跡は全くな
い。健康診断は同人の病気を記録して、災害の起こつたときにこれを公務外とする
ために行なわれていたのではないはずである。
(4) 昭和三九年二月二四日の勤務から死に至るまで
イ、昭和三九年二月二四日の勤務は、主として、多数被告人の公職選挙法違反事件
の法廷立会いで、そのうちの一人の被告人が他の被告人に対する証人として終日証
人尋問が行なわれた。当日は前記のように寒い日であつて、暖房の火がおちたあ
と、広い法廷は急速に冷えていつた。五時半に法廷が終つて、跡始未をしたのち
に、おそく帰宅したが、その途次、訴外Aの足がもつれた。
ロ、新庁舎移転後の公務の負担の過重と、高血圧の老廷吏の勤務にふさわしい環境
と健康管理が行なわれなかつたために、訴外Aの疲労の蓄積はすでに限度に近かつ
たと思われる。退職の勧奨による心理的負担は、適切な休養をとることを許さなか
つた。
 同年二月二〇日すぎの同人の勤務状況は傍目にも苦しそうな気配がみえた。同人
の高血圧症を知悉していた八代支部D庶務課長は、同月二二日同人から「とても頭
が重い」と訴えられながらも休養を勧めようとはしなかつた。
ハ、同月二四日の足のもつれは、当日の過重な勤務を誘因とする脳血栓形成の前駆
症状であつたと思われる。
 翌二五日午前一〇時頃、訴外Aは法廷立会い中に、目の見えないことを訴えた。
症状は進んだのである。これは脳底動脈輪後部の血栓症による大脳動脈の流血量の
低下による両眼視力の低下であると思われる。その約三〇分ないし一時間後に同人
は頭痛を訴えて休養を求めた。この時期には視力低下は進行していたが、なお、言
論、四肢の運動に障害は出ていない。
 同日午後三時頃から意識障害があらわれた。視力の障害を訴えてから約五時間の
間に病勢は緩徐に進行し、やがて昏睡に陥り、夜半すぎに死亡した。死因は脳血栓
症である。
5、したがつて、訴外Aの配偶者たる原告は被告に対し、国家公務員災害補償法
(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの)第一五条、第一六条により遺族補
償金の請求権を有し、また、訴外Aの葬祭を行つているので同法第一八条により葬
祭補償金の請求権も有する。訴外Aの同法第四条所定の平均給与額は一、一九〇円
であるから、遺族補償金はその一、〇〇〇日分金一、一九〇、〇〇〇円、葬祭補償
金はその六〇日分金七一、四〇〇円となる。
 よつて、原告は被告に対し、右合計金額金一、二六一、四〇〇円およびこれに対
する昭和三九年六月一日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅
延損害金の支払を求める。
(二) 反対主張に対する認否
1、反対主張第1項(1)は認める。(2)のうち、訴外Aに対し高血圧の治療が
なされていたのが昭和三八年五月二四日までであり、その後は十二指腸潰瘍の治療
が主になつていたとの点は不知、その余は認める。
2、同第2項は認める。
3、同第3項中、本件災害が脳出血とそれに一部伴つたくも膜下出血によるもので
あるとの点は争う。
二、被 告
(一) 請求原因に対する認否
1 請求原因第1、第2項は認める。
2 同第3項は争う。
3(1) 同第4項(1)イのうち、訴外Aが十数年来の高血圧症で、一進一退の
経過をたどつたことは認める。その余は争う。ロのうち、同人が健康に留意し、早
寝早起きを励行する等健全な生活をしていたことおよび同人に対し、昭和三九年初
めに一回、それ以前に一回退職勧奨がなされたことはいずれも認める。右退職勧奨
が同人の勤労の意思を傷つけ、心理的緊張をつよめたとの点は争う。
(2) 同項(2)イのうち、訴外Aの職務内容が、廷吏としての開廷準備および
法廷立会い、案内所における外来者との応接、案内所、弁護士控所および一号法廷
の清掃、弁護士控所の湯沸しおよびお茶汲み等であつたことは認める。ロのうち、
昭和三五年八代支部が新庁舎に移転したこと、法廷数が二から三になつたこと、廷
吏が三名配置されていたが、昭和三七年からそのうちの一名が訟廷係に配置換えと
なつたことおよびそのため訴外Aの法廷立会いの事務負担量が同年秋頃から増大し
たことはいずれも認める。しかし、同事務負担が著しく過重になつたとの点は争
う。ハのうち、案内業務が多忙であつたとの点は争う。また、労働関係事件等特殊
事件で傍聴人多数の場合の整理には廷吏はあたつていなかつたし、屋外における散
水、草取り等の作業は、昭和三七年頃からは任意になす以外は訴外Aにさせていな
かつたのである。
(3) 同項(3)イのうち、本件災害発生前日は寒波が襲来し、外気が終始二度
であつたこと、訴外Aが同日午後五時三〇分頃まで法廷の立会いをし、翌日倒れた
こと、同人の居室である案内所が庁舎北側の玄関脇にあり、かつ、コンクリート床
であるため室温が他より低くかつたため、スチームのほか火鉢を使用していたこ
と、および本件災害発生時を含めてその頃、スチーム用に使用していた石炭が粗悪
であつたため、暖房効果が必ずしも満足にあがつていなかつたことはいずれも認め
る。ロは争う。
(4) 同項(4)イのうち、昭和三九年二月二四日の訴外Aの勤務状況が原告主
張のとおりであつたことおよび同人が帰宅の途次足がもつれたことはいずれも認め
る。ロのうち、同月二二日頃同人がD庶務課長に「この二、三日とても頭が重い」
と話したことは認める。その余は争う。ハのうち、同月二五日午前一〇時頃同人が
法廷立会い中に目の見えないことを訴え、その約三〇分ないし一時間後に頭痛を訴
えて休養を求めたこと、および同日午後三時頃から意識障害があらわれ、やがて昏
睡に陥り夜半すぎに死亡したことはいずれも認める。同人の足のもつれおよび死因
について原告の主張するところは争う。
4 第5項中、原告が訴外Aの配偶者であつたものであること、同人の葬祭を行な
つたことおよび同人の平均給与額が原告主張のとおりであることはいずれも認め
る。その余は争う。
(二) 反対主張
1 訴外Aは過去十数年間高血圧症と診断されていたものである。
(1) 八代支部が行なつた定期診断の結果によれば、同人の血圧の推移は次のと
おりである。
(検診年月日) (血圧) (判定)
昭和年月日 ミリメートル
二七、八、二 二一〇-一二〇 尿蚕白弱陽性
二八、一、一〇 二〇四-九〇 検尿蚕白(+)
二八、六、二三 一八五-一〇〇
二九、五、二四 一七〇-一一〇 高血圧
三〇、六、一〇 一九〇-九六 高血圧症
三一、五、一六 二〇〇-一二〇
三一、一二、四 一六四-八四
三二、五、六 一七六-九〇 高血圧症
三二、一一、二八 一八六-一〇〇
三三、五、一五 二〇四-一一二 本態性良性高血圧
三三、一一、二一 二一〇-一一〇 本態性良性高血圧
三四、五、二八 二二六-一一六 高血圧
三四、一二、一 二一〇-一二〇 高血圧
三五、六、六 二一二-一一八 要治療
三五、一一、一四 二四〇-一三〇 高血圧(要治療)
三五、一二、二 一八〇-九〇
三六、五、二六 二三〇-一二〇
三六、一一、二二 二三〇-一一八
三七、五、二五 二一五-一一五
三七、一一、一六 二〇四-一〇〇
三八、三、一九 二一〇-一一〇
三八、五、一四 二四〇-一二〇 高血圧症
三八、一一、一四 二〇四-一二〇
(2) 同人は、昭和二九年頃から、自宅附近の稲生病院で高血圧症に対する投薬
等の治療を受けていたが、昭和三六年頃からだんだん通院間隔が疎遠となつてい
た。この間、昭和三五年一二月二日には慢性胃カタルの診断を受けているが、同人
はE医師に対して常に頭痛、胸やけ、眩暈を訴えていたもののごとくであり、昭和
三六年九月にレントゲン検査の結果十二指腸潰瘍と診断され、かつ、同人が外科的
治療を申し出た際には、同医師は高血圧症疾患の症状が軽快固定するまで思いとど
まるよう指導し、両病の保存的治療に専念している。しかして、前記のとおり高血
圧の程度が強い時期もあつたが、その症状はおおむね一進一退の経過をたどつてい
た。同病院は昭和三九年二月一九日まで治療を受けているが、高血圧の治療は昭和
三八年五月二四日までで、その後は十二指腸潰瘍の治療が主になつている。なお、
同人は、昭和三八年一二月二六日に八代総合病院で慢性胃炎の診断を受け、昭和三
九年一月二四日まで胃炎に対する治療投薬を受けている。
2 訴外Aが昭和三九年二月二五日発作を起して死亡するに至るまでの経過は以下
のとおりである。すなわち、 同日、同人は平常どおり午前八時一〇分頃登庁し、
一号法廷、案内所および弁護士控室の清掃を行なつたあと、同一〇時から一号法廷
で開かれる口頭弁論期日の準備(訴訟関係人の出頭状況の調べ)をした。同一〇時
少し前、立会書記官が入廷したが、その際同人は事件簿記載の文字が見えないと同
書記官に話した。定刻に開廷されたが、同人は廷吏席に通常と変りなく着席してお
り、特に変つた態度は見受けられなかつた。続行事件が四件ほど済んだところで、
同人は立会書記官の向いの席に着席し、同書記官に対し、再び文字がよく見えない
と話し、同書記官から交替を勧められたが、そのまま坐つていた。やがて、肘をつ
き、頭を抱えるような格好をした。その後二件ほど済んだところで、同一〇時四〇
分頃、「宿直室に行つて暫く休んで来る」といつて、一人で法廷を出た。途中、案
内所に立寄り、同一庁舎内に勤務している同人の長男Fに電話で「頭が痛く目が見
えない、すぐ案内所へ来てくれ」と話した。直ちに駆けつけた訴外Fは、訴外Aの
腕をとつて宿直室に連れて行き、仰向けに静臥させた。同一一時三〇分頃訴外Fが
同室を離れた間に訴外Aは用便に立ち、便所まで往復している。同一一時四〇分頃
頭痛ならびに吐気がひどいので近くのG医師の往診を求めた。同医師は正午少し前
に来診し、脳出血と診断し、出血止めと血圧降下剤の注射をし、絶対安静にするよ
うにと注意をした。その後、八代総合病院のH医師が四回にわたつて来診している
が、同医師の診断も脳出血であつた。第一回目の往診は午後三時頃で、その時はか
すかに意識があつたが、間もなく混濁状態に陥り、嘔吐、吐血がひどく、左半身不
随の状態を呈しており、血圧は最高一七八、最低は不明であつた。第二回目の往診
は同七時三〇分で、その頃はすでに意識不明、吐血はさらにひどいものであつた。
第三回目は同一〇時三〇分頃であつたが、この時の容態は全く憂慮すべき状態であ
つたので、吸引器を使用して痰の吸引に努めたが、病状はさらに悪化し、翌二六日
午前一時一五分宿直室において死亡したものである。なおH医師は、治療として、
酸素吸入のほか、フエノバルビダールの注射、五〇パーセントブドー糖二〇立方セ
ンチ二回、アドナ二五ミリグラム二回、ビタカンフアー二回、ウインタミン一二・
五ミリグラム、最後にビタカンフアー、強心剤等を使用している。
3 右に述べた訴外Aの高血圧症および死亡に至るまでの経過、なかんずく定期健
康診断で初回血圧測定の行なわれた昭和二七年八月すでに最大血圧二一〇ミリメー
トル、最小血圧一二〇ミリメートルを示し、昭和三三年以降はほとんど常に最大血
圧二〇〇ミリメートルないし二四〇ミリメートル、最小血圧一一〇ミリメートルな
いし一三〇ミリメートルを示していたこと、発作直後同人が頭痛を訴えていること
等に照らし、本件災害は脳出血とそれに一部伴つたくも膜下出血によるものと認め
られるものである。なお、発病前日の二月二四日の帰途に現われた足のもつれは、
同人の高血圧症の経過から推して、一過性の脳循環障害があつたことが疑われる
が、それが同人の病的素地を著しく進行させたという程のものとも考えられず、ま
た、それが翌日の発病に直接つながるものとは認められない。
第三 証 拠(省略)
       理   由
一、原告主張の請求原因第1、第2項の各事実は当事者間に争いがなく、訴外Aが
裁判所職員として裁判所職員臨時措置法(昭和二六年法律第二九九号)の適用を受
ける関係にあつたことは明らかである。
 国家公務員災害補償法は、同法第一条第一項に明記されているように、国家公務
員法第九三条から第九五条までの規定に基づき、国家公務員の公務上の災害に対す
る補償制度を定めたものであるが、国家公務員災害補償法第一五条にいう「職員が
公務上死亡した場合」とは、国家公務員法第九三条第一項、第九四条の各規定と照
し合せれば、「職員が公務に基づく負傷もしくは疾病に起因して死亡した場合」を
指すものであることが明瞭である。
 ところで、公務上の災害に対する補償制度は、労働基準法労働者災害補償保険法
等による私企業における労働者の業務上の災害に対する補償制度と同趣旨に出たも
のであることは国家公務員災害補償法第二三条の規定の趣旨から窺い得るところで
あるから、労働基準法第七五条、同法施行規則第三五条、労働者災害補償保険法第
一条、人事院規則一六-〇第一〇条の各規定などを参酌するときは、国家公務員災
害補償法上、「公務に基づく疾病」とは公務に起因由来する疾病をいい、公務と疾
病との間に相当因果関係のあること、すなわち公務起因性があることを補償の要件
としているものと解するを相当とする。
二、以下この見解に立つて、本件災害が訴外Aの職務に起因するものであるかどう
かを検討する。
(一) 被告の反対主張第2項の事実は当事者間に争いがない。
 成立に争いのない甲第二二、第二三、第三三、第三七、第三八号証、第四七号証
の六八の各記載ならびに証人I、J、K、L、G、F、Hの各証言によれば、昭和
三九年二月二五日訴外Aは午前九時四五分頃すでに視力障害を人に訴えていたこ
と、同人が用便に立つた時刻は同一一時頃であるが、その際ふらふらと歩き、便所
とそれに隣接する案内所とをはつきり識別できない様子であつたこと、G医師は当
日二回往診しており、最初の往診の際、訴外Aの血圧は二〇〇ミリメートル位と高
く、腱反射の亢進もみられたものの、いまだ容態はそれほど悪化しておらず、言語
障害もまだ現われていなかつたこと、午後二時頃になつて激しく嘔吐し、容態が変
つたため、再度G医師の往診となり、けいれん止めの注射を打つていること、その
ときは左半身に麻痺がきていたこと、H医師の診察によれば訴外Aの頭部強直およ
び脳圧亢進は余り強くなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。訴外A
が過去十数年来高血圧を煩つており、八代支部が行なつた定期検診の結果による血
圧の推移が被告の反対主張第1項の(1)のとおりであつたこと、および高血圧症
に対する治療を受けた最終の年月日を除き、反対主張第1項(2)の事実は、いず
れも当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第四五、第四六号証、第四七号証
の一ないし六七および前掲同号証の六八の各記載によれば、訴外AがE医師から慢
性胃カタルの診断を最初に受けたのは昭和三三年一一月であること、および高血圧
症に対する治療を受けた最終は昭和三八年九月であることが認められるほか、同人
は昭和二九年二月から昭和三一年六月まで胃潰瘍でE医師の治療を受けていたこ
と、昭和三六年に入つてからは高血圧症の治療が主となつていたことが認められ、
他にこれを左右するに足りる証拠はない。なお、成立に争いのない甲第一八、第一
九号証、第四〇号証の各記載によれば、訴外Aは明治三四年四月二八日生で、昭和
二五年廷吏として八代支部に奉職したものであることが認められる。
 前記認定に係る訴外Aの病歴、年齢、および発作から死亡に至るまでの経過に関
する事実に、成立に争いのない甲第一七、第三〇、第三三、第四一号証、第四七号
証の六八の各記載および証人H、G、Mの各証言を併せ考えれば、訴外Aの死因は
脳出血とそれに一部伴つたくも膜下出血であると認めるのが相当である。成立に争
いのない甲第四四号証の記載および証人兼鑑定人Nの尋問結果中、これに反する部
分は右証人Mの証言と対比して採用しがたく、他に右判定を覆えすに足る証拠はな
い。
(二) そこで、訴外Aの脳出血とそれに一部伴つたくも膜下出血(以下本件疾病
という)が公務に起因して発生したものであるかどうかについて判断する。
(1) 本件災害発生の前日である昭和三九年二月二四日、訴外Aが午後五時三〇
分頃まで法廷に立会つたこと、当日の法廷は多数の被告人に対する公職選挙法違反
事件について、被告人の一人を他の被告人に対する証人として終日尋問したもので
あつたこと、その日は寒波に見舞われ、外気温が終始二度に止まつたことは当事者
間に争いがなく、成立に争いのない甲第一三、第二七、第二八、第三二(一部)、
第三五、第三七号証および前掲同第三三号証ならびに証人Oの証言(一部)、原告
本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、当日右法廷は午前一〇時開廷され、
正午から約一時間、午後三時頃約五分ないし一〇分間の休憩があつたこと、廷吏の
仕事としては忙がしいということはなかつたこと、法廷内の温度は、スチームの放
熱器の上辺りにおかれた温度計が示すところでは、午前九時に九度、正午に一四
度、午後四時に一五度であつたこと、スチーム用ボイラーの火が落されたのは午後
四時三〇分であつたが、暖房効果は火落ちから四〇分内で消失してしまうこと、し
かし、立会書記官の筆記作業ができなくなるということはなかつたこと、訴外Aは
冬期は懐炉を常用していたこと、訴外Aは右法廷の後始末をした上退庁し、いつも
より約三〇分遅れて午後七時頃自宅に帰りついたが、その途中俗に足がもつれると
いわれる身体的異常があつたけれども、帰宅後は特に異常はみられず、翌朝平常ど
おり出勤したことが認められ、前掲甲第三二号証の記載および証人Oの証言中、こ
れに反する部分は前掲採用の各証拠に照して信用しがたく、証人Mの証言および証
人兼鑑定人Nの尋問結果によれば、訴外Aの前示足のもつれは、同人の高血圧症の
病状からみて一過性の脳循環障害に因るものではあるが、当日の法廷における執務
がその発症にある程度の影響を及ぼしたとしても同人の高血圧症状を著しく悪化さ
せる程のものでなかつたことが認められる。しかして、右循環障害が翌日発生した
本件疾病と直接つながるものであることを認めるに足りる証拠はない。
 以上認定したところによれば、本件疾病が訴外Aの前示二四日の執務に起因して
発生したものとは認めがたく、他に本件疾病が前示訴外Aの基礎疾病である高血圧
症の自然的推移によるものではなく、二四日の執務に起因して発生したものである
ことを認めるに足る証拠はない。
(2) 八代支部が昭和三五年新庁舎に移転したこと、同庁舎には三法廷あるこ
と、他に担当職務があつたか否かは別として、訴外Aの職務内容には、廷吏として
の開廷準備および法廷立会い、案内所における外来者との応接、案内所、弁護士控
所および法廷の清掃、弁護士控所用の湯沸しおよびお茶汲みが含まれていたことは
当事者間に争いがない。前掲甲第二二、第二三、第二五、第二八号証、成立に争い
のない甲第九ないし第一二、第二〇、第二九号証、第四八号証の二、第五四号証の
一、二、乙第二号証の一および三の各記載に証人P、O、Q、B、K、Rの各証言
を併せ考えれば、昭和三七年訟廷係の事務官一名が長期病休となり、他方、同係で
扱う略式命令事件が激増したため同年一二月から、それまで法廷立会いもしていた
廷吏Bが訟廷事務を専ら担当することとなり、それに伴い、訴外Aが支部事件全部
の法廷立会いを担当し、もう一人の廷吏Cが簡易裁判所事件の法廷立会いと訟廷事
務を担当することとなつたため、その頃より訴外Aの法廷立会い事務負担量が増大
したことが認められる。
 しかし、成立に争いのない甲第五三号証によれば、訴外Aの昭和三七年九月一日
以降の法廷立会い状況は次表のとおりであることが認められる。
(期間) (月平均立会回数) (一開廷当りの平均事件数) (一開廷当りの平
均立会時間)
昭和年月日 回 件 時分
自三七・ 九・ 一 至三七・一二・三一 一九・三 七・〇 二・一七
自三八・ 一・ 一 至三八・一二・三一 一七・三 五・九 二・二四
自三九・ 一・ 一 至三九・ 二・二四 一二・〇 六・〇 三・〇五
右表で明らかにされている同人の立会回数等からすれば同人の法廷立会事務が特に
負担過重であつたとはたやすく認められない。なお、成立に争いのない甲第三八号
証によれば、労働事件等傍聴人多数事件の傍聴人の整理は廷吏の担当でなかつたこ
とが認められる。
 訴外Aの職務としては、前掲甲第二三、第二九号証の各記載および証人Qの証言
によれば、前示のほかに、一日二回ないし三回の始業終業のベルを鳴らす仕事があ
つたことが認められるが、それが負担となるような事務とは考えられず、また、前
掲甲第二九号証によれば、外庭の樹木に対する冠水、草取りは、昭和三七年頃から
同人の申出によりその職務から外されており、特別の場合を除いては行なつていな
かつたものであることが認められる。案内業務については、前掲甲第二二号証の記
載中には、案内業務の事務量が著しく多かつた旨の記載部分があるが、同事務が法
廷立会いをしていないとき行なわれるものであり、その性質および成立に争いのな
い甲第四ないし第八号証、第一四号証の各記載から認められる八代支部における取
扱事件数、規模等からして、案内事務が同人の負担を過重ならしめるものであつた
とは考えられず、右記載は信用できない。他に右案内業務が同人の負担を過重なら
しめる程のものであつたことを認めるに足りる証拠はない。
 以上よりして、訴外Aの職務負担が過重であつたとは認めがたく、たとえ同人の
前示高血圧症状を考慮に入れても、他に同人の職務量が本件疾病発生の起因をなす
程に過重であつたことを認めるに足る証拠はない。
(3) 訴外Aが退職勧奨を受けたことのあつたことは当事者間に争いがなく、成
立に争いのない甲第二一、第三四号証(いずれも一部)、前掲甲第二二、第二三
(一部)、第二八、第二九、第三三、第三七号証、第五四号証の一、二、乙第二号
証の一および三の各記載に証人P、S、Q(一部)、Fの各証言ならびに原告本人
尋問の結果を併せ考えれば、訴外Aが右勧奨を受けたのは昭和三六年一二月および
その前年の二回であるが、いずれも特に強く退職を迫られたものではなく、たんに
年齢の関係から形式的になされたものであつて、同人は末娘が成長するに至つてい
ないことを理由にこれを断つていること、昭和三六年の勧奨の際には、勧奨に当つ
た八代支部D庶務課長が同人に対し、掃除についての注意も併せてなしたことで、
同人は労働組合を通じて同課長に抗議を行ない同課長から他意はなかつた旨の釈明
を得たことがあつたが、退職勧奨が形式的なものであることは同人において知了し
ていたことが認められ、右甲第二一、第二三、第三四号証の各記載および証人Pの
証言中、訴外Aが重ねて退職勧奨を受け、退職を余儀なくされはしないかという心
理的緊張のもとに勤務をし続けた旨の記載または供述部分は、右認定事実に照らし
信用できない。右の事実によれば、前示二度に及ぶ退職勧奨が本件疾病発生の要因
となる程の精神的負担を訴外Aにもたらしたものとは、とうてい認められない。
(4) 訴外Aの居室であつた案内所が、庁舎北側の玄関脇にあり、かつ、床がコ
ンクリートであつたため、室温が他の室部より低いので、同人がスチームのほか火
鉢を入れて暖を採つていたことは当事者間に争いがなく、同人は前示のように懐炉
を抱いていたうえ、毛布を膝に掛けて保温を図ることもあつたことが、、成立に争
いのない甲第一九号証により認められる。そして、本件災害が発生した頃、八代支
部でスチーム用に使用していた石炭が粗悪であつたため、暖房効果が充分あがつて
いなかつたことは当事者間に争いがなく、前掲甲第二七号証の記載によれば、特に
寒気が厳しいときは、庁舎内で一〇度を割り、最も暖房効果のあがつた時、あがつ
た場所で一三度というような日もあつたことが認められる。しかし、右証拠によれ
ば、厳冬期に一、二回そのような日があつたに止まり、それ以外は大体一八度位は
あつたことが認められる。右事実によれば、前示案内所の位置、設備の状況および
その室温が他の部室より低かつた事実を考慮に入れても、右案内所の執務環境が社
会通念上著しく劣悪であつたとは認められないし、他に右案内所の執務環境が本件
疾病発生の原因となる程の劣悪状況にあつたことを肯認せしめるに足る証拠はな
い。
(5) 次に、前掲甲第二五、第二八、第二九号証、第五四号証の一、二によれ
ば、訴外Aに対して、その健康状態を理由に特に勤務を軽減する等の措置が講じら
れたことのないことが認められる。しかし、証拠上、同人が八代支部の責任者に対
し、そのような措置を講ずるよう申し出た形跡は窺えないところであるし、前掲甲
第四〇号証および証人Tの証言によれば、前示のように八代支部において実施され
てきた定期健康診断の結果、医師により通常の勤務を制限すべき旨指示ないし指導
されたことのないことが認められるのであるから八代支部長において右措置を講じ
なかつたことをもつて、健康管理上瑕疵があつたということはできない。
 もつとも、前掲甲第一九、第二九号証、第五四号証の一、二の各記載ならびに証
人Oの証言および原告本人尋問の結果によれば、本件災害発生前一ケ月位前から訴
外Aの身体の調子がすぐれない様子が見えたこと、四、五日前頃D庶務課長は同人
に身体の具合を尋ね、「頭が重い、胃が痛む」という返事を得て、自重を促がした
ことが認められる。しかしD庶務課長において同人の健康状態の良くないことを知
つたからとて、同人は前示のように絶えず医師の診察治療を受けてもいたことであ
り、右自重を促がす以上の具体的措置を講ずべき責務があつたとは到底いいえな
い。その他に、本件疾病が八代支部における健康管理の不徹底に起因して発生した
ものであることを認めるに足る証拠はない。
(6) 以上各認定したとおり、本件疾病が訴外Aの職務に起因して発生したとす
る原告の主張は採用しがたく、他に本件疾病が訴外Aの職務に起因由来するもので
あることを肯認せしめるに足る証拠はない。却つて、前記二の(一)で認定した事
実に証人M、Uの各証言を併せ考えれば、本件疾病は、訴外Aの過去一〇数年来に
わたる高血圧症の病的素地の自然的推移の過程において発生したものであつて、同
人の職務に起因するものでないことを窺うに足る。
三、しからば、本件災害は公務に起因するものではないというほかはないから、原
告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当として棄却すべく、
訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 兼築義春 豊島利夫 神原夏樹)

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