弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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主文
被告人を死刑に処する。
理由
【犯行に至る経緯】
被告人は,平成15年7月10日ころ,当時16歳のAと知り合い,即日同女と
肉体関係を持ち,同女と交際を始めた。他方,家出中の同女は,被告人と知り合う
前,街頭で飲食店従業員の勧誘をしていたBと知り合い,同人と肉体関係はなかっ
たものの,同人方に寄宿していた。Aは,被告人と交際を始めた後も,依然として
B方で寝泊まりしていたが,Aとの交際を望むBが,Aのことを心配して同女と頻
繁に連絡を取ろうとし,その行方を探そうとすることを次第にうとましく感じ出し,
Bに対する不満を被告人に漏らすようになった。
同月末ころ,被告人といるAのところにBから連絡があり,呼び出しがあったこ
とから,被告人は,Aに付き添ってBとの待ち合わせ場所に赴いた。同所で,被告
人は,Bに対し,「Aは俺の女なんだよ。手を出すんじゃねえ」などと怒鳴りつけ,
Aから手を引き,同女との交際を断念するよう要求した。これにより,Aは,Bに
同人方の鍵を返却するなどしたが,結局その後も住居が定まらず,程なく自ら同人
に連絡を取り,同人方に出入りしていた。
同年8月18日,被告人は,Aからの紹介を受け,a県b市cのNb店において,同
女と共にその友人のCと飲食したが,その際,Aが,B方に出入りした際,同人に
「やられそうになった」という話を持ち出した。これを聞いた被告人は,Aは自分
の女であるとBに明言したにもかかわらず,同人がAを姦淫しようとしたものと考
え,Bに面子を潰され,ばかにされたなどと感じて憤慨した。そして,Bを問い詰
め,同人の対応によっては,同人を殺害することもやむを得ないと考え,包丁を準
備した上,A及びCと共にB方に押し掛けた。
【罪となるべき事実】
被告人は,
第1業務その他正当な理由による場合でないのに,平成15年8月18日午後1
時過ぎころ,a県b市dの本件アパート202号室前通路において,包丁1丁
(刃体の長さ約18センチメートル。平成16年押第18号の2)を携帯し,
第2上記本件アパート205号室のD方にいたBを,D共々同アパート202号
室のB方に連れ帰り,同所において,Bに対し,その頭部等を蹴りつけ,その
腹部を上記包丁で軽く突くなどしながらAを姦淫しようとしたのではないかと
問い詰めたが,Bが謝罪はするもののAと肉体関係を持とうとした旨認めない
ことに激昂し,Bを殺害するほかないと考え,同日午後1時15分ころ,殺意
をもって,前屈みに倒れこんだB(当時28歳)に対し,右手に逆手に持った
上記包丁を振り下ろしてその背部を数回突き刺し,さらに同包丁でその右腹部
を1回突き刺すなどし,よって,そのころ,同所において,同人を右肺の貫通
刺創による失血により死亡させて殺害し,
第3上記本件アパート205号室にBと共にいたため,同アパート202号室の
B方に連れ込まれ,同人が殺害される状況を目撃することとなったD,その直
後にB方を訪ねてきたために被告人にB方に引き込まれ,同人の殺害後の状況
を目撃することとなったE,及び被告人の指示を受けCが同アパート106号
室のE方に行った際,同女方にいてCの顔を目撃し,やはり被告人にB方に連
れ込まれて同人の殺害後の状況を目撃することとなったFの3名を,いずれも
失踪を装って殺害するため連れ去ろうと考え,同日午後1時50分ころ,上記
本件アパート202号室前通路において,被告人がD(当時25歳)の肩に左
腕を回してその左肩をつかみ,CをしてF(当時19歳)の上衣の右袖部分を
つかませ,AをしてE(当時21歳)の右手首をつかませ,同女らを同所から
同市dの路上に駐車した普通乗用自動車に連行し,D及びFをチャイルドロッ
クを施した同車後部座席に乗車させ,また,Fに命じて同女を同車トランクに
入らせて同女らを不法に逮捕した上,同車を直ちに発進させ,同車を運転して
同市内,同県e郡f町内,同県g郡h町内及び同県g市内等を疾走させ,Fについ
ては,同日午後3時30分ころ,同市大字iのP公園第2駐車場に至るまでの
間,Eについては,同駐車場に同車を停めている間は,C及びAをしてその動
静を監視させた上,同日午後4時ころ,同市大字iのP公園観光道路脇に至る
までの間,Dについては,上記駐車場及び同道路脇に同車を停めている間は,
C及びAをしてその動静を監視させた上,さらに同車を運転して同県b市内等
を疾走させ,同日午後5時40分ころ,同市大字jの株式会社Q敷地に至るま
での間,それぞれ同車内から脱出することを不能ならしめ,もって,同女らを
不法に監禁し,
第4上記のとおり,F,E及びDを,それぞれ第2の犯行についての口封じのた
め殺害しようと考え,
1同日午後3時30分ころ,上記P公園第2駐車場西側の公衆便所女子トイレ
個室内において,殺意をもって,Fに対し,所携のタオルでその頸部を絞めつ
けた上,意識を失い倒れ込んだ同女に対し,右手に逆手に持った上記包丁をそ
の背部目掛けて振り下ろすなどしたが,結局同包丁を便器に当てたにとどまり,
その左側胸部を踏みつけたものの動かなかったことなどから同女が死亡したも
のと考えてその場を立ち去ったため,同女に全治約6週間を要する左気胸,左
第10肋骨骨折等の傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げず,
2同日午後4時ころ,上記P公園観光道路脇の斜面において,殺意をもって,
Eに対し,同女を地面に伏臥させ,その頸部に上記タオルを巻き付けて後頸部
で交差させ,その後頭部を左足で,その背部を右足でそれぞれ踏みつけた上,
両手に握り持った同タオルの両端を引き上げてその頸部を絞めつけ,よって,
そのころ,同所において,同女を急性窒息により死亡させて殺害し,
3同日午後5時40分ころ,上記株式会社Q敷地内南側に設置された物置内に
おいて,殺意をもって,Dに対し,所携のビニールロープ(同押号の1のうち
1本)でその頸部を絞めつけ,意識を失い倒れ込んだ同女に対し,右手に逆手
に持った上記包丁を振り下ろしてその右側胸部を多数回突き刺すなどしたが,
被告人が同所を立ち去った後見回りに来た同敷地の使用者にDが発見されて救
助されたため,同女に全治約1か月間を要する出血性ショック,肺挫傷等の傷
害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった。
【証拠の標目】
省略
【事実認定の補足説明】
1争点等
判示第2のB殺害の事実に関し,被告人の殺意の発生時期について争いがある。
すなわち,検察官は,被告人が,Nb店でAからBに姦淫されそうになったと聞
かされた時に,Bに対する殺意を抱いたと主張するのに対し,弁護人は,犯行現
場のアパートで被告人がBに暴行を加えている最中に殺意が生じたと主張する。
これについて,被告人は,捜査段階では検察官の主張に沿う供述をしていたの
に対し,公判では,弁護人の主張に沿う供述をしている。以下,被告人の内心の
動きという事柄の性質にかんがみ,まず,被告人及び関係者の言動を含む客観的,
外形的な事実を時系列を追って認定し,それを前提にして,被告人の上記各供述
のどちらが信用できるかを検討することとする。
2前提事実の認定
被告人,A及びCの各供述のほか,Dの供述等の関係証拠を総合すると,以下
の各事実を認めることができる。なお,(4),(5)及び(8)では,認定した事実を
アに,その認定理由をイにそれぞれ示すこととする。
(1)被告人の経歴
被告人は,高校生のころから暴力団関係者と交遊を持ち,高校を中退し,中
等少年院に2回入院した後,暴力団に所属した。平成10年2月に傷害,恐喝
未遂等の罪で懲役刑の執行猶予判決を受けたが,同年6月に婚姻して長女をも
うけると,暴力団を脱退し,妻,長女及び両親と生活するようになった。しか
し,平成13年4月,傷害罪により懲役6月の実刑判決を受け,上記の執行猶
予も取り消されて服役した。そして,平成14年10月に出所すると再び暴力
団関係者と交際を始め,平成15年7月から,暴力団幹部を保証人として,a
県b市kでゲーム喫茶「R」を経営するようになった。
(2)AがB,被告人及びCと知り合った経緯
Aは,平成15年3月(以下,月のみの表示は平成15年のものである)に
児童自立支援施設を退所し,母親方に戻ったが,5月ころから外泊を繰り返す
ようになった。6月下旬ころ,b駅周辺の路上で飲食店従業員の勧誘をしてい
たBに声を掛けられて同人と知り合い,間もなく本件アパート202号室の同
人方で寝泊まりするようになった。Bは,Aに強い思いを寄せていたものの,
同女との間に肉体関係はなかった。
他方,被告人は,7月10日ころ,b駅周辺の路上でAに声を掛け,即日肉
体関係を持って,同女と交際を始めた。被告人は,Aが自分に好意を寄せてい
ることを利用し,同女に風俗関係で稼働させようと考えていた。
Aは,被告人と知り合った直後ころ,友人の紹介でCと知り合い,同人とシ
ンナー遊びなどをするようになった。被告人とCは,同月18日,被告人が関
係する暴力団や同系列の暴力団とその傘下の暴走族を集めた懇親会にいずれも
出席して互いに顔を見たことはあったが,それ以上の付き合いはなかった。
(3)被告人とBとの最初の出会い
Aは,被告人と交際を始めた後も引き続きB方に寄宿していたが,Bが外出
中の同女と頻繁に連絡を取ろうとすることなどについて,次第にうとましく感
じ出し,Bに対する不満を被告人に漏らすようになった。
7月末ころ,被告人と共に「R」にいたAのもとにBから連絡が入り,呼び
出しがあったことから,被告人は,Aに付き添ってBとの待ち合わせ場所に赴
いた。同所で,Aは,Bに対し,「Aに電話したりしてんじゃねえよ。うざい
んだよ。Aには好きな人がいるし,彼氏もいるんだよ。だから,これからは,
Aに近寄ったりして欲しくないんだよ」などと言った。また,被告人も,Bか
ら「俺はS会の者だ。Aは俺の女だ。お前はAとはどういう関係なんだ」など
と言われて立腹し,Bに対し,自身が地元の暴力団関係者であることを示唆す
るような口調で,「何がS会の者だ。そんなことは,女のことに関係ねぇじゃ
ねぇか。Aは,お前とは付き合ってねぇって言ってんだよ。てめぇ,しつこい
野郎だな。Aは俺の女なんだよ。手を出すんじゃねぇ」などと怒鳴りつけた。
Bは,怯えた様子ですぐに引き下がり,これにより,AはB方を出ることにな
り,Bに本件アパート202号室の鍵を返却した。
その後,Aは,母親方に戻ったが,1週間もすると母親とけんかして家出し,
C方に泊まるなどしていた。そして,程なく自分からBに連絡を取り,同人の
不在中などに同人方に出入りするようになった。
(4)Nでの会話
ア被告人は,8月17日午後6時ころ「R」の営業を始め,翌18日午前5
時ころ閉店して帰宅し,自宅で飲酒していた。同日午前9時ころ,Aに頼ま
れて同女を自己所有の普通乗用自動車TでC方近くまで送り届けた。Aは,
Cとシンナーを吸うなどしているうちに,同人に被告人と交際していること
を話したところ,Cから被告人を紹介して欲しいと頼まれ,それを被告人に
連絡した。被告人は,Cと会うことを了承し,本件車両を運転して同人らを
迎えに行き,同日午前10時ころから,3人でb市cのNb店で飲食を始めた。
被告人らは,たわいのない話題に興じて歓談していたが,同日午後零時1
5分ころ,Aが,「2日前に,奴(B)の部屋で洗濯をしたまま寝ちゃった
ら,いつの間にか奴が帰ってきていて,胸や体を触られた。それで目が覚め
たら,無理矢理押さえ付けられて,服を脱がされそうになって,やられそう
になった」などと,Bから姦淫されそうになった旨を告げた。被告人は,こ
れを聞くと,怒った口調で「あの野郎,俺をなめやがって。Aが俺の女だっ
て知ってるのに手を出してくるんだから,俺にけんか売ってるのと同じだよ
な。今から乗り込んじゃうか。野郎をやっちゃうか」などと言い出した。こ
れに対し,Aは,「そうだよ。やっちゃって。やっちゃえ,やっちゃえ」な
どと言い,Cも,「人の女に手ぇ出すなんて,絶対に許せないっすよ。そん
なヤツ,やっちゃうしかねえっすよ」などと賛同する発言をした。さらに,
被告人は,Aに対し「やっちゃっていいんだな」と,Cに対し「無理しなく
ていいぞ。帰っていいぞ」などと,それぞれ何回も確認した。
イ被告人は,捜査段階では,上記のとおり,自ら「やっちゃう」と言い出し
た旨供述していたが,公判では(以下,Aの事件の公判における証言を含
む),暴力を加えるという意味での「しめちゃう」という言葉は使ったが,
それ以外に「やっちゃう」と言ったかははっきりしない旨供述する。
しかし,A及びCは,各捜査段階の供述のみならず,公判(Cについては
公判準備であるが,以下では「公判」という)の証言においても,被告人が
「やっちゃうか」などと言い出し,Aらが「やっちゃって」などと賛同した
旨述べている。もっとも,A及びCは,「やる」という言葉の趣旨について,
捜査段階では,Bを殺すことを意味していると思ったと供述するのに対し,
公判では,殴ったり蹴ったりすることを意味していると思ったと証言し,そ
の内容を変遷させている。この点の検討は後で行うとして,少なくとも,被
告人が「しめちゃう」ではなく,「やっちゃう」と言い出したことは,これ
を認めるに十分である。
(5)凶器の準備状況
ア被告人は,A及びCとの間で,「(Bを)やっちゃうか」などと話した後,
引き続いて,「ボウガン売ってるとこねえかなあ。自分ちにチャカあるんだ
けどな,音がうるせえからな」などと言った。さらに,Cとの間で,「ボウ
ガンは骨まで貫通する」といった話をした。
そして,被告人は,A及びCと共に,Nb店を出て,ボウガンを買うため,
本件車両を運転してb市lの「U」に立ち寄ったが,同店が閉まっていたため
ボウガンを入手できなかった。その後,被告人は,「R」に行き,1人で降
車して同店に入り,台所から包丁を持ち出してきた。車に戻った被告人は,
Aに対し「本当にやっちゃって大丈夫なん」などと確認し,Cに対しても
「お前には関係ねえんだから,来なくてもいいんだぞ」などと確認した。
イ被告人は,捜査段階では,ボウガンを買いに「U」に向かったが,途中で
包丁を持って行けば十分だと考えて,同店に立ち寄らなかった旨供述するほ
かは,上記と同旨の供述をしていた。しかし,公判では,チャカの話もボウ
ガンの話もしたことはなく,ボウガンを買いに「U」に向かったこともない
旨,上記と大きく異なる供述をしている。
これについて,A及びCは,捜査段階では,上記と同旨の供述をしていた
が,公判では,ボウガンが骨を貫通するなどと話したとの部分を否定し,加
えて,Aは,けん銃の話が出たことも否定している。要するに,A及びCは,
一貫して,ボウガンを買う話が出て,「U」に立ち寄ったことを認めている
のであり,両名がいずれも同店の引き当たりを行っていることにも徴すると
(各捜査報告書・甲219,221),その供述部分は信用できる。また,
A及びCの各捜査段階供述は,「ボウガンは骨まで貫通する」といった印象
的な発言のみならず,「チャカは音がうるさい」といった具体的な内容につ
いても一致している。そうすると,上記各捜査段階供述は,全体として信用
できるというべきである。
(6)本件アパートに到着した際の被告人の発言
被告人らは,本件アパートに到着し,近くの駐車場に本件車両を停めた。そ
の際,被告人は,A及びCに対し,「落っことしそうな物は置いていけ」など
と指示し,これを受けて,Cは,後部座席の上に携帯電話と財布等を置いた。
Aも,助手席の上にたばこやライターを置いたが,携帯電話は首からストラッ
プでぶら下げていたので落ちることはないと思い持っていった。
(7)Bを探索した状況
被告人らが到着したころ,Bは,本件アパート202号室の自室ではなく,
同205号室のD方にいた。被告人は,202号室のドアをいくらノックして
も中からBが出て来ないことに苛立ち,同室のドアに取り付けられた郵便受け
を取り外し手を突っ込んで鍵を開けようと考え,郵便受けの受け口とドアとの
間に持っていた包丁の刃先を差し込んで手前に引いた。すると,刃先が折れて,
欠片が受け口とドアとの間に挟まったままになってしまい,今度は,これを包
丁で取り出そうとしたが,うまく行かなかった。
そうしているうちに,Aが,205号室にBがいるかもしれないと言い,
3人で同室の前に行ってチャイムを鳴らすと,中からTシャツとパンツ姿のB
が現れ,被告人を見て不機嫌そうににらみ付けた。被告人が部屋の中を覗くと,
Dが布団の上に座っているのが見えた。
被告人は,Bに202号室に戻るよう命じるとともに,Dも同室に連れてい
った。
(8)Bを殺害した状況
ア202号室で,被告人は,Bを座らせ,「お前,分かってんだろうな。な
に俺の女に手出してるんだ。お前,俺の女をやろうとしただろう」などと怒
鳴りつけた。Bが「知らねぇよ。やってねぇよ」と答えたため,被告人は,
Bの頭部や顔面を何度も蹴ったり踏みつけたりし,その腹部を持っていた包
丁で軽く突くなどしながら問い詰めた。Bは,Aに手を出したことは否定し
つつも繰り返し「すいません」と謝ったが,被告人は,「ヤクザをなめんじ
ゃねえぞ」などと怒鳴りつけ,Bが倒れると,その背部を包丁で数回突き刺
した。そして,唸り声を上げるBに対し,「うううじゃねえよ」などと言い
ながら,その腹部を刺し,傷口から出た腸を包丁に載せ,「こいつ腸出てる
よ」などと言った。さらに,「早く死ね」などと言いながらBの右膝を刺し,
足を激しく動かす同人の上に布団を被せ,その上に乗ってその頸部付近を踏
みつけた。
イ上記事実は,被告人の捜査段階供述のほか,A及びCの各捜査段階供述並
びにDの検察官調書(甲209)及び公判証言,さらにはBの遺体に関する
鑑定書(甲6)等の関係証拠を総合して認めることができる。上記各供述は,
いずれも,当時の各自の心情を交えて述べられた極めて迫真的かつ具体的な
もので,被告人の発言内容等細部に至るまで相互によく合致している。とり
わけ,Dは,自己の目撃したB殺害の状況に関し,殊更被告人に不利な供述
をするおそれはなく,その供述には高度の信用性があるといえる。
(9)B殺害後の被告人の発言
Bを殺害した後,被告人は,Dらを本件車両に乗せて監禁したが,その間車
内で,Bについて,「あいつ,俺の女に手を出したから殺したんだ」「死んで
当然だ」などと言った。
3被告人供述の検討
(1)被告人の捜査段階供述及び公判供述の各内容
ア被告人は,捜査段階で,「俺は,前に,Bに対し『Aは俺の女なんだよ。
手を出すんじゃねぇ』と言っており,それにもかかわらず,Aから,Bに
『やられそうになった』と聞かされ,Bは,俺のことを甘く見てなめきって
いると感じた。そして,Bを殺してでも俺の面子を守らなければ気が済まな
いと思った。もちろん,この段階ではまだ何が何でも絶対殺すと決めていた
というのではない。しかし,カッとなったらとことんやらないと気が済まな
い俺の性格を考えると,このままBのところに乗り込んでいけば,Bを殺す
ことになると思った」(検察官調書・乙4),「BがAを強姦しようとした
ことを認めずにいい加減なことばかり言ってしらばくれているのを聞いてい
るうちに,だんだん怒りが募っていき,『もう,許せねぇ』と思い,Bを殺
すしかないと思った。こうなることは予想していたし,その覚悟をした上で
来ていたが,やっぱりやってやるしかない,こんなやつは殺そうと思った」
(検察官調書・乙5)などと,Nb店でAから話を聞いた際にBに対する殺
意が生じ,同人のアパート居室に赴いて同人を問い詰めるうちその対応に激
昂して殺害の意思を固めた旨供述する。
イ他方,被告人は,公判では,「Nb店でAから『やられそうになった』と
いう話を聞き,Bにけんかを売られたと感じてカッとなったが,『(Bを)
やっちゃうか』と言った記憶はなく,殴る蹴るの趣旨で『しめてやる』と言
っただけであり,ボウガンやチャカについて話したこともない」「Bのアパ
ートで同人に暴行を加え,同人を包丁で刺し,抜いたときに肺に刺さったと
いうことが分かり,このまま放っておけば死んでしまうと思い,そうであれ
ば,いっそのこと殺そうという気持ちになった」などと,当初はBに対する
暴行,脅迫の意思があっただけで殺意はなく,現場で同人に暴行を加えてい
る最中に初めて殺意が生じた旨供述している。
(2)被告人の捜査段階供述の信用性について
ア被告人の上記捜査段階供述は,前記2に認定した各事実を踏まえて検討す
ると,次の理由からその信用性を肯定することができる。
第1に,AのBに姦淫されそうになったとの話を聞き,自己の面子をつぶ
されたと感じて,Bに対する殺意を生じたとの被告人の心の動きは,前記2
(1)のとおり,被告人が少年のころから暴力団員又はその関係者として行動
し,粗暴な性向を有するとともに,暴力団特有の面子を重んじる心情を身に
付けていたと目されること,同(3)のとおり,本件犯行の前月にBと会い,
その際暴力団員であることを誇示して威嚇してきた同人を逆に怒鳴りつけ,
自分の女であるAに手を出すなと言って黙らせたことに照らすと,極めて自
然なものとして理解することができる。
第2に,前記2(4)のとおり,被告人は,Aの話を聞いて怒った口調で
「(Bを)やっちゃうか」と言い出し,A及びCもこれに賛同したことが認
められる。被告人もA及びCも,捜査段階で,「やっちゃう」とはBを殺す
意味であると互いに了解していた旨を一致して供述しており,相手を暴行に
より痛めつける趣旨の「しめる」という発言ではなかったこと,Bの殺害に
続いて,Dら3名の殺害を企図した際にも,被告人とA及びCの間で「やっ
ちゃうしかない」との会話がなされたことを併せ見ると,被告人らは,Bを
殺すという意味で「やっちゃう」と言い合ったものと認めることができる。
第3に,前記2(5)のとおり,被告人らは,上記の「やっちゃうか」の話
に続いて,ボウガンの購入方や「骨まで貫通する」というその性能について
話し合い,その際,被告人が「チャカは音がうるさい」旨けん銃について言
及したこと,その後,ボウガンを売っている店に立ち寄ったが購入できず,
被告人の店にあった包丁を持ち出すに至ったことが認められる。このような
被告人らの会話やその後の動きは,Bを殺害するための道具の選定と準備に
関わる以外の何物でもなく,最後に持ち出した包丁がB殺害の道具であった
ことは明らかというべきである。
第4に,前記2(4),(5)のとおり,被告人は,A及びCに対し,再三「や
っちゃっていいんだな」又は「帰っていいぞ」などと確認をしている。これ
は,被告人がBを殺害することを前提にA及びCにその念押しをしたと見る
のが,自然であるといえる。また,同(6)のとおり,本件アパートに到着し
た際,被告人が,「落っことしそうな物は置いていけ」と指示して,A及び
Cがこれに従ったことや,同(7)のとおり,被告人が郵便受けの受け口とド
アとの間に挟まった包丁の刃先の欠片を懸命に取り出そうとしたことも,殺
害の現場に証拠を残さないためであると目することができる。
第5に,前記2(8)のとおり,被告人は,Aを姦淫しようとしたことを認
めないBに激昂し,持っていった包丁で同人を刺突している。前記第1のよ
うに生じた殺意が,犯行の現場で動かし難いものとなり,予め準備した包丁
を使ってBを殺害するに至った旨の被告人の捜査段階供述は,まさにその犯
行状況によって裏付けられているといえる。
第6に,前記2(9)に認定したB殺害後の被告人の発言は,当初からBの
殺害を考えていたことを示唆するものということができる。
イこれに対し,弁護人は,(a)前記第1の点は,被告人をして事前にBに対
する殺意を生じさせるだけの事情であるとは評価できず,むしろ,犯行現場
のアパートに到着した後に被告人の怒りを増幅させる偶発的な状況要因が重
なり,そこで初めて被告人に殺意が生じたというべきである,(b)同第2の
点については,「やっちゃうか」の趣旨は殴ったり蹴ったりすることだと理
解していた旨のA及びCの各公判証言の方が信用できる,(c)同第3の点は,
被告人とCとの間でボウガンやチャカを巡るやり取りがあったかについて疑
問があり,その点は措くとしても,話の内容は,脅すために何を持っていく
かということであれば理解できるが,実際の殺害方法を口にしたというので
あれば非現実的なものといわざるを得ない,(d)同第4の被告人が荷物を置
いていけと指示したとの点は,喧嘩になるかもしれない場所に余計な物を持
っていくなという趣旨で注意したと見るのが自然であり,B殺害を前提とし
た行動と見るのは牽強付会の議論である,などと反駁する。
しかし,(a)については,前記第1に述べたとおり,Aの話を聞いて自己
の面子をつぶされたと感じた被告人が,Bの殺害を考えるのは十分あり得る
ことであって,殺意形成の動機として足りないとはいえない。また,弁護人
が指摘する犯行現場での偶発的な状況要因については,確かに,Bが202
号室におらず,被告人において同室のドアを解錠すべく郵便受けの受け口を
包丁でこじったところ,刃先が折れて欠片がドアとの間に挟まったままにな
ってしまったことや,205号室のD方にいたBがふて腐れた態度をとった
上,その下着姿などからDと同室で性的関係を持っていたと思われたこと,
さらには,202号室でBがAを姦淫しようとしたことを頑強に否定し続け
たことなど,被告人をしてその苛立ちを強め,激昂にまで至らせるような事
情が重なったことは認められるが,BがAに対する行為を否定するであろう
ことは元々予想できたことであり,その他の偶発的事情を併せても,そこで
初めて暴行ないし傷害の意思が殺意にまで高まったと見るのは困難である。
前記第5に述べたとおり,予めBの殺害を考えていた被告人が,犯行現場に
おけるBの態度に激昂してその殺意をより強固にしたと捉えるのが,自然と
いえる。
(b)については,A及びCは,前記2(4)イのとおり,「やっちゃう」の意
味をどう理解したかにつき,いずれも捜査段階と公判とで供述を変遷させて
いる。両名の各捜査段階供述は,Bを殺す意味であると思ったというもので
あるが,その会話がなされた際の心理も交え詳細かつ具体的に述べるもので
ある上,相互によく一致しており,さらに,前記第2に述べた事情も併せ見
ると,その信用性を肯定するに十分といえる。これに対し,A及びCの各公
判証言は,「やっちゃう」とは殴ったり蹴ったりする意味であると思ったと
いうものであるが,いずれも供述変遷の理由について納得のいく説明を公判
でしていない。加えて,Aは,自らもBに対する殺人幇助等の罪で起訴され
たが,被告人が初めから殺意を有していたとは知らなかった旨主張して同罪
の成立を争い,証言当時は自身の被告人質問を控えていたことや,被告人が
殺意の成立時期につき争っていることを理解していたことにかんがみると,
自身の刑責の軽減を図るとともに,好意を寄せていた被告人の主張に合わせ
ようと,殺意の発生時期の認識に関する供述を捜査段階のそれから後退させ
る恐れが十分あったといえる。また,Cも,前記2(2)のとおり,被告人が
関係する暴力団と同系列の暴力団傘下の暴走族に所属していたもので,非公
開の公判準備期日において,被告人との間に衝立を設置して証言をしたとは
いえ,なお強い心理的圧迫を受けていたと認められる上,証言時には既に少
年院送致決定を受けて収容されてはいたものの,Aと同様,被告人に殺意が
あることを知らずに協力した旨証言して,自己の責任を回避しようとする恐
れがあったことも否定できない。そうすると,被告人の殺意の認識に関する
A及びCの各公判証言を信用することはできない。
(c)については,被告人からボウガンやチャカに関する発言があったこと
は,前記2(5)イで述べたとおりである。これらが,弁護人主張のように脅
しの道具を巡る会話の中で出たというのは理解し難く,まさに殺害に用いる
道具として実際に語られたというべきである。
(d)については,殺人という重大事件の犯人である痕跡を現場に残すまい
という配慮を働かせることは,十分考えられるところであって,牽強付会と
はいえない。
そうすると,弁護人が被告人の捜査段階供述の信用性について論難する点
は,いずれも理由がなく,これを支持することはできない。
ウ以上のほか,弁護人は,(e)被告人が捜査段階でNb店での話し合いの時
点で殺意があったと供述したことはなく,その話し合いの際に殺意があっ
た旨を録取した調書は,後から一部差し替えられたものである可能性があ
る,(f)検察官から取調べ担当警察官に対し,殺意の発生時期をNb店の時
点とする供述調書を作成するよう指示があったことが強く推測される,と
指摘して,被告人の捜査段階供述は任意性,信用性を欠くと主張する。
しかしながら,(e)については,被告人は,平成15年9月2日付の上申
書(乙38)において,「Nb店において話し合い,『最悪の場合には,B
を殺す』と決めました」と自筆で記載しているのであるから,Nb店での話
し合いの時点で殺意があったと供述したことはない旨の上記主張はその前
提を欠くというべきである。また,被告人が差し替えの可能性をいう同月
28日付検察官調書(乙4)及び同月21日付警察官調書(乙44)にお
いては,いずれも,本文の最終部分が印刷された頁中に,同部分の下に行
を空けずに被告人の署名指印がなされており,同検察官調書を作成したG
の公判証言に照らしても,被告人のいうような差し替えがあったことは全
く窺われない。
次に,(f)について,弁護人は,検察官による上記指示がなされたのは同
月20日ころと考えられ,その結果,Nb店で被告人が「締める」との発言
をした旨の調書(同月1日付警察官調書・弁2)を従前作成していた警察
官の態度が変化し,同店で被告人が「やっちゃう」と言い,その時点で既
にBに対する殺意があったとする調書(例えば,同月21日付警察官調書
・乙44)が作成されるようになったと主張する。しかし,上記のとおり,
被告人は,同月2日の段階で,Nb店でBの殺害を決めたという内容の上申
書(乙38)を作成しており,また,同月10日付警察官調書(乙40)
にも,同旨の供述が録取されている。加えて,上記同月21日付警察官調
書(乙44)以前に作成された警察官調書は,本件全体にわたる概括的な
もの,あるいはNb店での話し合いに至る経緯に関するものであり,これら
の警察官調書に具体的に「やっちゃう」との文言が録取されていなくても,
被告人が同日以前に警察官に「やっちゃう」と言ったことはなかったとす
ることはできない。これらの事情にかんがみると,被告人の取調べを担当
した警察官であるHが,公判で「自分としては,被告人に殺意が発生した
時期を『包丁を持ち出した時点』と捉えたかった」と証言したことをもっ
てしても,弁護人の指摘するような指示のもとで被告人の警察官調書が作
成されたとは考え難く,仮にそのような指示があったとしても,そのこと
が,被告人の捜査段階供述に,その任意性,信用性を損なわしめるような
影響を及ぼしたとはいえない。
(3)被告人の公判供述の信用性について
被告人の前記(1)イの公判供述は,Nb店では,被告人にはBに対する暴行,
脅迫の意思があっただけで殺意はなかったとするものであり,その根拠として,
Aの話を聞いて,「しめてやる」とは言ったが,「やっちゃうか」と言った記
憶はないし,ボウガンやチャカの話もしていないことを挙げている。しかしな
がら,前記2(4),(5)のとおり,被告人が「やっちゃうか」と言い出したこと
及びボウガンやチャカの話をしたことをいずれも認めることができるから,被
告人の上記公判供述は,その根拠となる事実を欠いているというべきである。
そして,前記(2)アで検討したとおり,「やっちゃう」とはBを殺すという意
味の発言であり,また,ボウガンやチャカの話がB殺害の道具の選定と準備に
関わるものであると認められるから,Nb店では殺意を生じなかったとする上
記公判供述は,これらと相反し,信用できないというべきである。また,前記
(2)アで検討したそのほかの事情も,同公判供述の信用性を否定する理由とな
るものである。
弁護人は,Bに対し暴行を加えている最中に初めて殺意が生じたとする被告
人の公判供述が信用できる理由として,AからBに姦淫されそうになったとの
話を聞いたことが,被告人をしてBに対する殺意を生じさせるだけの事情であ
るとは評価できず,むしろ,犯行現場のアパートに到着した後に被告人の怒り
を増幅させる偶発的な状況要因が重なり,そこで初めて被告人に殺意が生じた
というべきであると主張するが,これが採用できないことは,前記(2)イで検
討したとおりである。
4結論
以上の次第であるから,殺意の発生時期に関しては,前記2に認定した各事実
を前提にして検討すると,Nb店でAからBに姦淫されそうになったと聞かされ
た時に,Bに対する殺意が生じたとする被告人の捜査段階供述の方を信用するこ
とができる。
前記2の各事実及びその認定の基となった関係各証拠に被告人の上記捜査段階
供述を総合すると,被告人は,Nb店において,これからB方に押し掛けて「や
っちゃうか」という話を切り出した時点から,Bの対応によっては,同人に激し
い攻撃を加え,同人を殺害することになるかもしれないが,それもやむを得ない
との意思を有し,その後,実際に同人と対面するまで同様の意思を抱き続けてい
たと認めることができる。
【責任能力に関する判断】
1弁護人の主張
弁護人は,判示第2の犯行(以下「本件犯行」という)について,包丁で何度
も刺し,布団を被せ,上から押さえ付けたという殺害態様の異常性等から,被告
人は,同犯行の当時,情動行為により,少なくとも心神耗弱の状態にあったと主
張する。
そこで,本件犯行当時の被告人の責任能力について検討する。
2本件犯行の動機,犯行時及び犯行前後の被告人の行動等
前記「事実認定の補足説明」(以下「補足説明」という)での検討結果を踏ま
え,さらに,被告人,A及びCの各捜査段階供述等の関係証拠に基づき,本件犯
行の動機,犯行時及び犯行前後の被告人の行動等について,以下順に見ていくこ
ととする。
(1)本件犯行の動機
補足説明3(1)アのとおり,被告人は,捜査段階で,本件犯行の動機に関し,
「俺は,前に,Bに対し『Aは俺の女なんだよ。手を出すんじゃねぇ』と言っ
ておいたのに,AからBに『やられそうになった』と聞かされ,Bは,俺のこ
とを甘く見てなめきっていると感じ,Bを殺してでも俺の面子を守らなければ
気が済まないと思」い,B方に押し掛け追及したが,「BがAを強姦しようと
したことを認めずいい加減なことばかり言ってしらばくれているのを聞いてい
るうちに,だんだん怒りが募り,『もう,許せねぇ』と思い,Bを殺すしかな
いと思った」と供述しており,同3(2)のとおり,同供述を信用することがで
きる。このように,本件犯行の動機は,「面子を守らなければならない」とい
った暴力団関係者特有の思考に基づくものではあるが,殺意の形成に至る心情
の動きを合理的に説明するものとして,十分に了解可能であるといえる。そし
て,被告人は,Nb店で「やっちゃうか」という話を切り出した時点から,そ
の後Bを殺害するまでの間,一貫してこの動機を維持していたと認められる。
(2)本件犯行に至る経緯
ア補足説明2(5)のとおり,被告人は,Bを殺害するための凶器としてけん
銃やボウガン等を思い付いたが,けん銃は音がうるさいなどとして止め,か
つて立ち寄った際にナイフやエアガン等を販売していた「U」であればボウ
ガンも売っているかもしれないと考え同店に赴いたものの入手できず,
「R」を賃借した当初から同店に置いてあった古い包丁であれば凶器の入手
先から足がつくこともないと考えて同店に立ち寄り包丁を準備したのであっ
て,合理的な思考の下,周到に凶器の選定,準備を行ったということができ
る。
イその後の被告人の行動は,次のようなものである。すなわち,被告人は,
事前にBの在宅を確認するため,同人と連絡を取っておくようAに指示し,
赤信号を無視しつつ素早くハンドルを操作するなどしながら本件車両を運
転をして,本件アパートに赴いた。同アパート近くに本件車両を停め,A
及びCに対し,落としそうな物は置いていくよう指示した(補足説明2
(6))。そして,包丁を持っている姿を通行人に目撃されて110番通報さ
れることがないよう,包丁の刃体におしぼりを巻き付け,さらに上着の中
に隠し入れて同アパートに向かった。同アパート202号室のB方前に着
くと,玄関ドアを何回もノックし,Aに指示してBの携帯電話に架電させ
室内の反応を窺ったが,着信音等が聞こえず反応がないと,同室玄関ドア
に設置された郵便受けを取り外し手を突っ込んで鍵を開けて同人方に入ろ
う,そして,同人が室内にいる場合には同人を捕まえ,いない場合には室
内で同人の帰宅を待とうと考え,上記郵便受けの端を包丁の刃でこじるな
どし,その刃先が折れて欠片がドアとの間に挟まったままになってしまう
と,これを包丁で取り出そうとした(同(7))。そのうち,Aが,205号
室のD方にBがいるかもしれないと言ったことから,3人で同室の前に行
ってチャイムを押した(同(7))。その際,被告人は,同室玄関ドアに向か
って右側の,同ドアの覗き窓から見えない位置に立ち,Bが出て来るのを
見届けてから同人の前に出て,同人に202号室に戻るよう命じるととも
に,Dにも,自分達の顔を目撃されたことから,場合によっては口封じの
必要も生じると考えて同室に連行した(同(7))。被告人は,202号室に
着くと,Cに見張りを命じ,同人が玄関ドアを開けたまま通路の見張りを
始めると,玄関の鍵を閉めて室内から見張るよう指示した。
このように,被告人は,何ら問題なく自動車を運転してB方に押し掛けた
上,周囲に犯行を気取られないよういろいろ配慮し,また,事後に犯行が発
覚することを防ぐための手立ても講じていたものであり,合理的かつ合目的
的な行動を一貫して採っていたといえる。
ウ補足説明2(4),(5)のとおり,被告人は,Nb店において及びそこから犯
行現場に向かう途中,A及びCに対し,「やっちゃっていいんだな」「帰っ
てもいいんだぞ」などと繰り返し申し向けて両名の意思を確認しており,B
を殺害することになるかもしれない現場にA及びCを同行させることの意味,
重大性を十分認識,理解していたと認められる。
(3)犯行態様
確かに,被告人は,Bに執拗な暴行を加えた挙げ句,同人の背部,腹部及び
右膝を包丁で刺し,腹部の刺創から出た腸を包丁に載せて「こいつ腸出てる
よ」などと言い,足を激しく動かし苦しむ同人の上に布団を被せ,その頸部付
近を踏みつけるなどしており,本件犯行の態様からは,被告人の過大な嗜虐的
性向をうかがうことができる。
もっとも,被告人は,Bの背部を数回突き刺すに至ったのは,最初腰付近を
刺したものの深く刺さらなかったためであると供述するところ(検察官調書・
乙5),Bの遺体を鑑定した医師Iの検察官調書(甲5)等によれば,Bの下
背部には2か所,背部の刺創と比較して浅い,創洞の深さ約6センチメートル
の刺創が認められるのであり,上記供述が裏付けられている。また,被告人が
Bの上に布団を被せたのは,その背部の刺創から大量に出血し,その血が被告
人の着衣に付くなどして後に被告人が犯人であることが発覚するのを防ぐため
であったと認められる。さらに,被告人は,Bが唸り声を上げたことから,声
を出せないようにするとともに同人を早く殺害しようと考え,布団の上からそ
の頸部付近を踏みつけるなどしたのであり,その際,バランスを崩して金属製
の洋服掛けをつかんでしまうと,Aに指示して付いた指紋を拭き取らせ,その
後同様にBの頸部付近を踏む際には,指紋を残さないよう,洋服掛けをつかま
ず,これに両手首を押しつけてバランスを取るなどしたことが認められる。
以上によれば,被告人は,本件犯行時,嗜虐性を露わにしつつも,Bの殺害
を確実かつ速やかに遂行すべく,合目的的な行動を採り,同時に,本件が被告
人の犯行であることが発覚しないよう,相当程度の配慮を施していたというこ
とができる。
(4)犯行後の状況
Bを殺害した後の状況は,次のとおりである。すなわち,被告人は,Bの殺
害状況を目撃したDについて,同女の知り合いが訪ねてきても不審に思われな
いよう失踪を装い殺害しようと考え,同女方から財布や携帯電話を取ってくる
ようAに指示した。そして,EがB方を訪ねてくると,最初はDに対応させて
追い帰そうとしたが,同女の視線が不自然だと感じると,すぐさまB方に引き
入れた。Eについても,Dと同様失踪を装って殺害しようと考え,Cに指示し
てE方に携帯電話等を取りに行かせ,さらに,Cから,E方にいたFに顔を目
撃された旨聞かされると,同女をもB方に連れ込んだ。その後,被告人は,D,
E及びFを,いずれも本件犯行の口封じのために殺害しようとの意図の下,本
件アパートから連れ出した。
このように,被告人は,Bを殺害した後,被告人らの顔を目撃したDらから
本件が被告人の犯行であることが発覚しないよう,口封じの殺人を企図すると
いう徹底した対応策を採っており,その際には,単に同女らを連れ出すのでは
なく,その所持品を持ち出して失踪を装うなどの細工を施してもいる。
(5)小括
以上によれば,被告人は,本件犯行当時,十分了解可能な動機からBに対す
る殺意を抱き,犯行の発覚を防ぎつつ確実かつ迅速に犯行を遂行するために,
いろいろ配慮を重ね,合理的かつ合目的的な行動を採っていたといえる。
3記憶の保持
補足説明3(2)で検討したとおり,被告人の捜査段階供述は信用できるところ,
確かに,被告人は,捜査段階においても,「U」に立ち寄ったこと及びBの右膝
を包丁で刺したことの2点については記憶がない旨供述している。しかし,その
余の点については,Nb店においてAからBに姦淫されそうになったと聞かされ,
場合によっては同人を殺害しようと考えて,「やっちゃうか」などと言い出し,
その後,包丁を準備して同人方に押し掛け,同人に暴行を加え,その腹部を包丁
で軽く突くなどしながら同人を激しく追及し,その背部や腹部等を刺突し,その
体の上に布団を被せ,その頸部付近を踏みつけるなどして同人を殺害し,殺害後,
口封じのためDらをも失踪を装って殺害しようと考えたという一連の状況につい
て,それぞれの場面における言動等につきその際の心理も交え詳細に供述してい
る。そうすると,被告人は,上記2点を除き,Bの殺害に至るまでの経緯,同人
の殺害態様及び殺害後の状況の全体について,かなりの具体的記憶を保持してい
たものと認められる。
もっとも,被告人は,公判において,Bを殺害した際の行為態様で覚えている
範囲を問われると,捜査段階供述とほぼ同旨の具体的内容を答えるものの,包丁
を振り下ろしてBの背部を刺突したこと及びその腹部刺創から出た腸を弄んだと
いうことの2点の記憶が欠落している旨述べる。しかし,これら2点が被告人に
とって殊更不利益な内容であることにかんがみれば,Bに対する殺意の発生時期
を争う被告人が,その主張に沿うよう公判供述を捜査段階供述より後退させた疑
いが強い。
そうすると,被告人は,少なくとも捜査段階においては,Bの殺害に至るまで
の経緯,同人を殺害した状況及び殺害後の状況の全体について,かなりの具体的
記憶を保持していたということができる。
4有機溶剤の影響
被告人は,公判において,「中学2年ころから高純度のトルエン,すなわちシ
ンナーを吸うようになり,17歳ころまで使用していた。中学2年から3年にか
けての約1年間は毎日のように使用し,その間は,トラックが突っ込んでくる,
虫や集団に襲われる,網が落ちてくるといった幻覚を頻繁に見た。シンナーを吸
い始めたころから幽霊のようなものも見るようになり,幽霊のようなものについ
てはシンナーの使用を止めた後も見た。本件の数日前にも『R』で死に神の幽霊
と女と子供の幽霊を見た」などと,かつて有機溶剤を使用して幻覚を見たことが
あり,本件直前にも幻覚様のものを見た旨供述している。
しかし,一方で,被告人は,公判において,有機溶剤の使用で補導され,ある
いは逮捕されたことはなく,また,2回中等少年院送致になり(補足説明2(1)
参照),これに先立って2回少年鑑別所に入所したが,その際に有機溶剤の使用
を申告したことはなかったとも供述しているのであるから,頻繁に有機溶剤を使
用し幻覚を見たとする被告人の上記供述は事実を誇張して述べた疑いがある。さ
らに,被告人は,本件犯行の数日前に幻覚様のものを見たが,犯行当日には幻覚
あるいは幻覚様のものを見ていない旨明確に供述するのであるから,過去に頻繁
に有機溶剤を使用したことがあったとしても,本件犯行がそれによる幻覚等の影
響下で行われたということはできない。
5J鑑定
本件犯行時の被告人の精神状態については,V大学教授Jが鑑定人として鑑定
を行い,鑑定書(甲282)において,「被告人は,本件犯行時,飲酒して酩酊
状態にあったが,その態様は単純酩酊であった。また,過去に乱用していた有機
溶剤(シンナー)は本件犯行に直接影響していたとは考えられない」との判断を
示し,さらに,公判における証言で,本件犯行時の被告人に是非弁別能力や行動
制御能力の低下は認められないとの判断を示している(以下,上記鑑定書及び公
判証言を併せて「J鑑定」という)。
関係証拠により当時の被告人の飲酒状況等を検討すると,被告人は,本件前日
午後6時ころから本件当日午前5時ころまで「U」を営業し,帰宅後睡眠を取る
ことなく,500ミリリットルの缶ビールを三,四本,焼酎を400ミリリット
ル弱入れた水割りを四,五杯飲み,リハビリ治療のため病院に行った後,Aらと
飲食したNb店においても,ビールをジョッキで4杯,店員に焼酎(実際にはウ
ォッカ)を濃くするよう指示して作らせた水割りを1杯飲んだが,同店を出る際
の口調,態度,顔色,その後の運転態様等から飲酒による酩酊をうかがわせる様
子はなかったことが認められる。
J鑑定は,上記の被告人の飲酒状況等のほか,前記4の被告人が供述するとこ
ろの有機溶剤の使用歴を踏まえて検討し,上記判断に至ったものであるが,その
理由として,(a)被告人は本件当時酩酊しており,島状に記憶が脱落していると
ころもあるが,一連の流れを自分で語ることができるのであって,犯行状況につ
いての記憶は概略的には良く保たれており,このような記憶の態様や自ら自動車
を運転していたこと,本件当日の被告人の様子や被告人が元来酒に強いと考えら
れることなどにかんがみると,本件犯行時,被告人に飲酒による意識の障害や運
動失調があったとはいえず,単純酩酊の状態にあったと考えられる,(b)本件犯
行が,幻覚や妄想といった精神病的症状に影響されたものとは考えられない,
(c)被告人は,話しぶりや行動も活発で,無気力という印象はなく,頭部CTス
キャンで軽度の脳萎縮は認められるものの神経学的にも異常を認めず,過去に使
用した有機溶剤による影響としては,フラッシュバック現象を除き,性格変化や
知能低下といった顕著な後遺症を認めない,(d)本件犯行数日前にフラッシュバ
ック現象が出現しているようであるが,本件犯行と直接結びつくものではないと
いった点を具体的に指摘している。これらの点は,脳波検査,頭部CTスキャン
等の身体検査,WAIS−R等の心理検査のほか,被告人との面談等の結果を専
門的知見に基づいて分析することにより導かれたもので,前記3の記憶の保持に
関する検討結果とも概ね合致しており,合理的であるといえる。
そうすると,これらの合理的な根拠に基づき,本件犯行時の被告人の精神状態
について,飲酒あるいは有機溶剤の影響はなく,その是非弁別能力や行動制御能
力に低下は認められないとしたJ鑑定の上記判断には,疑問を差し挟む余地がな
いというべきである。
6K鑑定
以上に対し,本件犯行時の被告人の精神状態については,W大学大学院教授K
も鑑定人として鑑定を行い,鑑定書(弁8)において,「被告人は,飲酒,歓談
の席でAからBに強姦されそうになったと聞かされ,それをBからの挑戦と受け
取ることで,それまでの陽気な気分が不快に転じた。その後,AとCの同調ない
し鼓舞する態度や,現場での一連の偶発的出来事の重なりによって,怒りが加速
度的に高まった。公判及び鑑定での被告人の供述を前提とすると,Bの殺害は被
告人が事前に予見しなかったものである。Bに対する犯行の重要な部分(およそ
刺し始めてから殺害まで)において,強度の興奮とともに意識の狭窄が生じ,記
憶の欠損をきたしている。従って,犯行のこの部分は情動行為とみなされ,アル
コール酩酊(単純酩酊)及び心身の過労と不眠,人格特徴を布置因子として,状
況要因の重なりによって発生したと考えられる。過去の有機溶剤使用が情動行為
の布置因子の一つとして働いた可能性がある」とし,Bを刺し始めてから同人の
殺害に至る部分に関しては,「弁別能力,制御能力が著しく低下していた」との
判断を示し,さらに,公判における証言でも,同判断を維持している(以下,上
記鑑定書及び公判証言を併せて「K鑑定」という)。
K鑑定の上記判断は,主に被告人の公判供述に則り,Bに対する暴行の途中で
同人に対する殺意が生じたとの認定に基づいてなされたものである。しかしなが
ら,補足説明で検討したとおり,Nb店で「やっちゃうか」などと発言した時点
で,被告人には,Bの対応によっては,同人に激しい攻撃を加え,同人を殺害す
ることになるかもしれないが,それもやむを得ないとの殺意が既に生じていたと
認められる。そうすると,K鑑定が前提とする事実関係は,全体として当裁判所
の認定と異なる。Kは,公判証言で,殺意の発生時期が異なるという前提で判断
をすれば結論が変わる可能性があるかとの質問に対し,それによって全面的に情
動行為が否定されてしまうことはなく,責任能力に関する判断は大きくは変わら
ないと答えながらも,他方で,同判断を導くに当たっては殺意の発生時期をかな
り重視したとも説明している。
そこで,更に詳しく検討すると,Kは,上記鑑定書において,情動行為か否か
を判断するための積極的な指標として,(a)行為に至る特有な経過,(b)人格の特
徴,(c)布置因子,(d)特有な行動及び意識,(e)特有な行為後の態度の5点を挙
げ,消極的な指標として,(f)行為を予告したり準備(武器の携行など)し,行
為の場に自ら出向く,(g)誘発・興奮・行為発生が内容的,時間的に関連しない,
(h)短時間の爆発的行為ではなく,長時間にわたる合目的性を持つ複雑な行為で
ある,(i)詳細な記憶,(j)行為の間や前後に,自らの行為を是認する発言をする,
(k)自律神経症状(顔面紅潮など)や精神運動性の興奮を欠く,の6点を挙げた
上,これらの指標に本件の各事情を当てはめると,本件犯行が情動行為に当たる
と判断できるとしている。
確かに,前記5のとおり,本件犯行時,被告人は,飲酒酩酊し,睡眠不足の状
態にあったと認められ,各指標のうち,上記(c)の布置因子,すなわち情動に関
与する身体的,生理的因子はあったといえる。しかし,それ以外の指標への当て
はめについては,次のとおり,疑問があるといわざるを得ない。
すなわち,K鑑定は,まず,上記(a)の「行為に至る特有な経過」の指標につ
いて,被害者となる人との間で葛藤,緊張関係が長期にわたって持続し,わずか
な刺激によっても感情が噴出する準備状態が形成されることと説明した上,本件
においては,被告人がBに「Aは俺の女なんだよ。手を出すんじゃねぇ」などと
怒鳴ったことから,被告人とBとの間に持続的ではないものの一定の緊張関係が
あったといえるのであり,本件当日,駐車場にBの車があることから同人が在宅
していると考えたのに,同人方の玄関ドアをノックしても反応がなかったこと,
D方にいたBが下着姿だったことなどの偶発的な状況要因が次々と重なって被告
人の怒りが加速度的に高まり,Aと肉体関係を持とうとしたことをBが認めなか
ったことが最終的に感情を噴出させる刺激になったといえるから,本件は上記
(a)の指標に当てはまるとしている。しかし,補足説明2(3)のとおり,Bは,被
告人から「Aは俺の女なんだよ。手を出すんじゃねぇ」などと怒鳴られると,怯
えた様子ですぐに引き下がったのであって,被告人自身,その結果今後BがAに
手を出すようなことはないと思った旨一貫して述べているのである。そうすると,
被告人とBとの間に,葛藤,緊張関係が長期にわたって持続していたとはいい難
い。Kは,公判で,情動行為における葛藤,緊張関係とは,相当長期にわたって
妻が夫から虐待を受けていた場合の夫婦関係といったものが一般的に論じられる
と証言しており,本件における被告人とBの関係は,このような関係とは大きく
異なっている。したがって,本件における被告人とBとの関係が,上記(a)の指
標を満たすとするには疑問がある。
次いで,上記(d)の「特有な行動及び意識」及び同(e)の「特有な行為後の態
度」の各指標について,K鑑定は,行為の開始が突発的で猛烈な勢いで推移し,
急速に終了すること,意識狭窄,すなわち意識が特定の対象に狭められ,それ以
外の対象が意識の周辺に押しやられること,逃走などの自己保全を考慮せず,行
為後自ら行った行為によって驚き,衝撃を受けることと説明した上,被告人が暴
行の途中で殺意を生じさせたことを前提に,Bを刺し始めてから布団の上に乗り,
同人の殺害に至るまでの経過が猛烈な勢いで推移しており,本件犯行は上記(d)
の指標に当てはまるとしている。しかし,前述したとおり,被告人は,Nb店に
おいて,Bの対応によっては同人を殺害することになるかもしれないとの意思を
抱いた上,包丁を準備して同人方に赴き,同人を激しく追及した挙げ句,同人の
殺害に至ったのであり,このような事実経過にかんがみれば,Bに対する殺害行
為が刺突行為時から突発的に開始されたということはできない。また,前記3の
とおり,被告人は,Bの殺害に至るまでの経緯,同人を殺害した状況及び殺害後
の状況の全体についてかなりの具体的記憶を保持していたと認められるから,意
識狭窄が生じていたという点についても疑問がある。加えて,被告人は,Bの腹
部を刺し,その刺創から腸が出ても狼狽することなく包丁の上に載せ,「こいつ
腸出てるよ」などと言ったこと,Bを殺害すると,すぐさま洋服掛けに付いた指
紋をふき取るようAに指示して証拠隠滅を図ったこと,Bは「死んで当然」とい
った趣旨の発言もしたこと,さらに,口封じのためDら3名の殺害行為に及び,
うち1名を死亡させたことがそれぞれ認められ,これらの事情にかんがみると,
被告人は,自らの行為に驚き,衝撃を受けることもなく,自己保全のための行動
に出たといえるのであり,そうすると,本件は,上記(d)及び(e)の各指標にも該
当しないというべきである。
他方,被告人は,Nb店において「やっちゃうか」などと言って,Bの対応に
よっては,同人に激しい攻撃を加え,同人を殺害することになるかもしれない旨
を予告した上,「R」に立ち寄って包丁を準備し,自ら本件車両を運転してB方
に赴いたのであるから,本件は,上記の消極的指標(f)を満たすといえる。なお,
Kは,公判で,本件が「行為の予告」という点を満たさない旨証言するが,暴行
の途中でBに対する殺意が生じたとの異なる前提に基づく判断であって,賛同で
きない。
また,上記(g)の指標について,K鑑定は,情動行為とは,きっかけとなるよ
うな刺激があり,それに引き続いてすぐに興奮が起き,行動を起こすという時間
的なつながりが認められるものをいい,刺激を受けてから時間が経過して行動を
起こす場合には情動行為とはいい難いと説明した上,本件では,Aと肉体関係を
持とうとしたことを認めないBの対応が刺激となり,その後引き続いて刺突行為
という行動が起きており,情動行為の特徴が看て取れるから,本件は上記(g)の
指標を満たさないと判断している。しかし,被告人は,「やられそうになった」
というAの言葉をきっかけに,Nb店において既にAに対する殺意を抱いた上,
包丁を準備するなどしてからB方に押し掛け,同人を追及した後にその殺害に及
んだのであり,Aの発言という刺激に引き続いてすぐに行動を起こしたと見るこ
とはできない。したがって,K鑑定の上記判断には疑問がある。
さらに,被告人は,前記2(2)で検討したとおり,犯行前,凶器を準備した上,
自身の犯行を完遂するとともに,その事前及び事後に犯行が発覚することを防ぐ
ための合理的かつ合目的的な行動を採っていたと認められるから,本件は上記
(h)の消極的指標も満たしている。また,上記検討によれば,本件が上記(i)及び
(j)の各消極的指標を満たすことも明らかである。
以上の次第であるから,当裁判所の認定した事実に基づいてK鑑定の挙げる情
動行為の各指標を検討すると,本件犯行が情動行為であるとのK鑑定の判断には
多大な疑問があるといわざるを得ない。なお,Iは,公判証言で,情動行為とは,
あるとき,ばかにされ,あるいは腹の立つことを言われるなどして,突然カッと
なり思いがけないことをしてしまう場合をいうところ,本件においては,Nb店
からBの殺害に至るまで,包丁を用意して同人方に押し掛け,初めは同人に殴る
蹴るの暴行を加え,続いて刃物でその腹部を軽く突き刺すなどし,最終的にその
背部を刺突するなどして同人を殺害するという一連の流れがあり,その間,段階
的に怒りが増幅していると見られるから,その中のある一時点からの行為を情動
行為と捉えることは困難であると説明しており,この説明は,当裁判所が認定し
た本件の事実経過に照らし,十分首肯することができる。
したがって,K鑑定の上記判断は支持できない。
7結論
以上を総合すれば,被告人は,本件犯行当時,是非善悪を弁別し,これに従っ
て行動する能力を喪失し,あるいは,それが著しく減退した状態にはなかったと
認められるから,弁護人の主張は採用できない。
【累犯前科】
被告人は,(1)平成10年2月23日浦和地方裁判所熊谷支部で傷害,暴行,恐
喝未遂,道路交通法違反の罪により懲役1年6月(5年間執行猶予,付保護観察,
平成13年6月4日その猶予取消し)に処せられ,平成15年1月7日その刑の執
行を受け終わり,(2)平成13年4月18日浦和地方裁判所熊谷支部で傷害罪によ
り懲役6月に処せられ,同年9月8日その刑の執行を受け終わったものであって,
これらの事実は検察事務官作成の前科調書(乙24)によって認める。
【法令の適用】
省略
【量刑の理由】
1本件は,被告人が,交際していた当時16歳の少女(A)から,同女にその居
室を使用させていた男性(B)に姦淫されそうになった旨聞き及び,同人に面子
を潰され,ばかにされたなどと感じて立腹し,包丁を準備して同人のアパートに
押し掛け,同人方前で同包丁を携帯し(第1の事実),同人方で同人を殺害し
(第2の事実),さらに,その犯行を知った同アパートに住む女性3名(D,E,
F)を口封じのため殺害しようと,自動車に乗せ,あるいは,そのトランクに押
し込んで同アパートから連れ出し,g市の山中などに連行し(第3の事実),う
ち1名(E)を殺害し,その余の2名(D,F)を殺害しようとして重傷を負わ
せた(第4の各事実)という銃砲刀剣類所持等取締法違反,殺人,逮捕・監禁,
殺人未遂の事案である。
2第2の事実の犯情として,次のような事情を挙げることができる。
(1)被告人は,本件の約1か月前に路上でAに声を掛けて同女と知り合い,妻
子がありながら即日同女と肉体関係を持ち,その後,同女と交際していた。他
方,Aは,被告人と知り合う前に街頭で飲食店従業員の勧誘をしていたBと知
り合い,同人方で生活していた。Aは,被告人と交際し始めた後もB方に寄宿
していたが,Aとの交際を望むBがAのことを心配して同女と頻繁に連絡を取
ろうとし,その行方を探そうとすることを次第に煩わしく,うとましく感じる
ようになり,被告人に対し,「奴って,本当にうざい。きもい奴だよ」などと
Bに対する不満を漏らしていた。これに対し,Bは,Aに宛てて「Aのこと,
大好きなBもいること忘れないでな。自由にAのやりたいことやって,それで
俺と一生一緒にいようね」といった内容の手紙を書くなど,同女に強い思いを
寄せていた。
被告人は,Aが自身に好意を寄せていることを利用し,場合によっては同女
を風俗関係で働かせようなどとも考えながら同女と交際していた。しかし,A
から折に触れBに対する不満を漏らされ,本件の約半月前には,「R」にいる
AのもとにBから連絡があり,「ずっと待ってるから来て」などと呼び出しが
あったことから,同女に付き添ってBとの待ち合わせ場所に赴いた。被告人は,
Bに対し「Aはおれの女なんだよ。手を出すんじゃねぇ」などと怒鳴りつけ,
その結果,Aは一度B方を出ることになった。しかし,Aは,結局住居が定ま
らず,程なく自らBに連絡を取り,同人の不在中などに同人方に出入りしてい
た。そして,Aは,被告人に対し,Bに胸を触られたなどといった不満を言う
こともあったが,被告人は,男性の部屋に寝泊まりしているのだから仕方がな
いなどと考え,Aの話を聞き流していた。
もっとも,被告人は,上記のとおりBを怒鳴りつけた際,同人が怯えた様子
で引き下がったことから,今後BがAに手を出すことはないと考えていた。し
かし,本件当日,Nb店において,Aから,Bに「無理矢理押さえ付けられて,
服を脱がされそうになって,やられそうになった」などと聞かされると,暴力
団関係者であることを示唆する口調で怒鳴りつけておいたにもかかわらず,B
がAを姦淫しようとしたと考え,Bに甘く見られ,なめられているなどと感じ
て立腹し,同人を殺害してでも自分の面子を守らなければ気が済まないと思い,
同人方に押し掛けた。そして,同人が繰り返し謝罪するものの,Aを姦淫しよ
うとしたことを認めないことに憤りを募らせ,同人の殺害に及んだ。
このように,被告人は,Aと情交関係を持ち,一方では,BがAに好意を寄
せていることを知りつつ,同女がB方で寝泊まりすることを黙認しながら,し
かし他方では,「俺の女」と宣言しておいたのにBがAと肉体関係を持とうと
したと聞知すると,「自分の面子とプライドを守るため」にBの殺害に及んだ
というのである。暴力団関係者特有の論理に基づき,余りに短絡的にBの殺害
に及んだもので,本件に至る経緯,動機に斟酌すべき点はない。
(2)被告人は,Nb店で「やっちゃうか」などと言い,Bの対応によっては同人
を殺害することもやむを得ないと考え,まずボウガンを入手しようと「U」に
立ち寄った。しかし,同店が閉まっていたことから,「R」に行き,その台所
から刃体の長さ約18センチメートルの殺傷能力の高い本件包丁を持ち出した。
そして,本件アパートに赴き,D方にいたBを自室に戻らせると,Dをも同室
に連行し,同女の面前で,Bに対し,「お前,俺の女をやろうとしただろう」
などと怒鳴りつけ,同人を床に正座させた。被告人は,同人が繰り返し「すみ
ません」などと謝罪しつつも,Aと肉体関係を持とうとしたことを認めないと,
その顔面や頭部等を蹴りつけ,その腹部を包丁で数回軽く突き刺すなどした。
そして,Bが両手を床について前屈みに倒れると,その背部目掛け,逆手に持
った包丁を3回連続して振り下ろし,下背部を2か所,背部中央を1か所突き
刺した。背部中央の刺創は,包丁の刃のほとんどが刺入され,右肺を貫通する
ほどに深く,被告人が包丁を抜くと血が噴水のように噴き出し,Bに致命傷を
負わせるものであった。背部を刺されたBが呻き声を上げて床に倒れ込むと,
今度は同人の前方に回り込み,「うううじゃねえよ」などと怒号しつつ,包丁
を順手に持ち替えてその腹部を1回突き刺し,「こいつ腸出てるよ」などと言
いながら突出した腸を包丁で弄び,引き続き,「早く死ね」「くたばれ」など
と言いながらその右膝を突き刺した。そして,各刺創から大量の血を流し,大
声で唸り,足を激しく動かして苦しむBの上半身に布団を被せ,その頸部付近
を踏みつけ,「こいつしぶてえな。まだ死なねえ」などと言い放ち,同人を死
に至らしめた。
その殺害態様は残虐,凄惨を極め,被告人は,最期の力を振り絞って呻き声
を上げ激しく苦しむBの上に布団を被せ,その頸部付近を踏みつけるなどした
もので,同人に対する非常に強固な殺意が認められる。被告人は,捜査段階に
おいて,Bの腸が出てくるのを見ておかしいと思ったと供述し,そのときの様
子を目撃していたDも,「腸出てるよ」と言ったときの被告人は少し笑ってい
たようだったと証言する。このような被告人の態度からは,人命を尊重すると
いう感情は全く看て取れず,腸を包丁で弄ぶといった侮蔑的な所為に及んだ被
告人については,非道,非人間的との非難を免れない。
(3)Bは,上記のとおり被告人から執拗な暴行を加えられた挙げ句,数回にわ
たって背部等を刺突され,最後には布団を被せられ,その上からその頸部を踏
みつけられて死亡するに至っており,激しい恐怖と苦痛の中,28歳の若さで
惨殺された無念さは察するに余りある。
Bは,平成11年11月に婚姻し,一子をもうけ,その後,数回失踪したこ
となどが原因で平成14年5月離婚するに至ったが,婚姻中は妻と子供に愛情
を注ぎ,同女らを大切にしていた。そして,前妻は,離婚して2年後の平成1
6年5月に再びBと会うことを約束し,つましく生活しながら,立派な父親に
なってBが戻ってくることを子供と共に心待ちにしていた。それなのに,平成
15年8月19日,テレビのニュースを通じ,Bが殺害されたという事実を突
如として突きつけられたのであり,「被告人は,父親であり,命の誕生という
ものを知っているのであれば,なおさら,人の命を奪うことができることが信
じられません」「夫を取り戻すことができない私たちがいるのに,被告人の家
族が,被告人を取り戻せること自体,とても納得できるものではありません」
とBを奪われた深い悲嘆と喪失感,被告人に対する厳しい処罰感情を述べてい
る。Bの母親も,同様に,「今度,Bが実家に戻ってきたら,放浪癖を直し,
お金も貯めさせ,しっかり更生させるつもりでした。そして,立派なBにして,
Lちゃん(前妻)とM(長男)の前にBを出してやろうと思っていました。B
が,最期,LちゃんとMに,どれほど会いたいと思ったか,想像するだけで,
かわいそうで仕方がありません」とその無念さに思いを巡らせ,「人の命の尊
さということすら分からない犯人たちには,自分の命を持って償わせることで,
人の命というものが何かを分からせるしかないと思います」と被告人に対する
峻烈な処罰感情を述べている。Bの姉も,意見陳述において,「私たち兄弟は,
両親からたくさんの愛情の中で育ち,命の大切さ,尊さを教わってきました。
だから奪われていい命などないと知っています。でも…だからこそ私たちの宝
物を奪った犯人たち3人は『死んでもいい奴』だと思う」と述べ,弟を失った
悔しさと共に,被告人に対する極刑を希望する旨訴えている。
(4)そして,被告人は,Bの壮絶な苦しみを目の当たりにしながら,同人を殺
害した後,下記のとおりDらを監禁した際,「あんな奴は死んで当然だよな」
「あいつ,腸が飛び出てたな」「簡単に死んじゃったな」などと平然と述べて
おり,その発言からは,Bの苦痛に対する同情は微塵も感じられず,犯行後の
情状も劣悪というほかない。
3次に,第3,第4の各事実の全般的な犯情として,次のような事情を挙げるこ
とができる。
(1)被告人は,上記のとおり,本件アパートに押し掛けた際,BがD方にいた
ことから,場合によっては同女に対し口封じをする必要も生じると考え,同女
をBと共に同人方に連行し,その目前でBを殺害した。そして,同人らの勤務
先の上司に依頼され,EがB方までその様子を見に来ると,Eを追い返そうと
Dに指示して対応させたが,同女の声が震え,その激しい動揺を隠しきれない
と見るや,結局,EをもB方に連れ込み,「見ろ」と命じてBの死体を見せつ
けた。被告人は,Eの失踪を装おうと考え,Cに対し,E方から同女の携帯電
話等を取ってくるよう指示し,同女方において,CがEの友人であるFに顔を
目撃されると,自ら同女をもB方に連行し,やはり同人の死体を見せつけた。
このように,被告人は,Bを殺害する状況や同人の死体をD,E及びFに見せ
つけ,同女らを否応なしに犯行の現場に引き入れておきながら,自身がBを殺
害したことがDらから発覚することを恐れ,口封じのため,迷い,ためらうこ
とすらなく,同女らの殺害行為に及び,うち1名を死亡させている。すなわち,
本件は,被告人が,保身のため,平然と他者の命を犠牲にし,あるいは犠牲に
しようとした身勝手極まりない犯行というべきである。そもそも,Dらは,被
告人とBとの間の諍いとは何の関係もなく,本件当日まで被告人と会ったこと
もなかった。そして,被告人がBを殺害したことを知ったのも,上記のとおり,
被告人自身がDらをB方に強引に連れ込んだからである。それなのに,その口
封じのため同女ら3名を殺害しようというのは,極悪非道というほかなく,余
りに理不尽な犯行の動機に酌量すべき余地は全くない。
(2)被告人は,Bを殺害した直後,恐怖で動くことすらできないDに対し,血
の付いた包丁でその頬を叩きながら「お前は何して欲しい」などと言っていた
ぶった。Eに対しても,血まみれの床に横たわるBの死体を見せつけておきな
がら,「見たな」などと言い,包丁でその頬を叩き,同人方での惨劇など知る
由もなかったEを一瞬にして恐怖の極限に陥れた。そして,同女が尿意を訴え
ると,「そこでしろ」と命じ,被告人らがいる室内で排尿させた。その様子を,
被告人は,後に,Aらと「あいつ,みんなが見ているところで,よく部屋の中
でおしっこするよなあ」「汚ねえよなあ」などと嘲笑したというのであり,被
告人の他者の人格を顧みない卑劣な性格が窺われる。
被告人は,FをもB方に連れ込み,D,E及びFの殺害を決意すると,Aら
と「見ちゃったもんはしょうがねぇよな。やっちゃうしかないよな」などと話
した。そして,Dらを本件アパートから連れ出し,同女及びFをチャイルドロ
ックが施された本件車両の後部座席に,Eをそのトランク内にそれぞれ押し込
んだ。被告人は,8月中旬という猛暑の時期に,Eを高温のトランク内に監禁
し,同女に想像を絶する苦痛を与えつつ,車中では,既に激しい恐怖に駆られ
ていたDらに対し,追い打ちを掛けるように,「俺,去年懲役終わったばっか
りなのにな。またこんなん,やっちゃったよ」「2人やろうが3人やろうが,
一緒だから。人を殺すのは,俺,なんとも思わないから」などと言ってその恐
怖心を煽り,同女らを畏怖させ続けた。監禁の態様も,陰湿で悪質である。
(3)g市のP公園駐車場に着くと,被告人は,まずFを殺害しようと,同女を本
件車両から降ろし,その脇腹に包丁を突きつけ,「騒いだら刺すぞ」などと脅
しながら,同女を同公園内の公衆便所まで連行した。被告人は,一度Fを男子
便所に連れ込んだが,個室のドアが施錠できなかったことから,女子便所個室
に連れ込み,Fに指示して個室のドアを施錠させた。そして,被告人は,Fの
乳房と陰部を直接触り(この点を被告人は否定するが,Fの証言により認めら
れる),引き続き,同女の頸部にタオルを巻き付け,後方で交差させて絞めつ
け,同女が意識を失って倒れても,その体を跨いでその頸部を絞めつけ続けた。
そして,駐車場からエンジン音や自動車ドアの開閉音が聞こえると一時中断し
て外を確認したが,公衆便所に近づいてくる人がいないことがわかるとすぐに
上記個室に戻った。意識を取り戻したFが,Dらがいた上記駐車場にまで届く
ほどの悲鳴をあげるのも構わず,被告人は再びタオルでその頸部を絞めつけ,
同女が意識を失うと,確実に絶命させようと,結局は便器に当たったにとどま
ったが,逆手に持った包丁をその背部目掛けて振り下ろした。その後,再び自
動車ドアの開閉音が聞こえたことから外を確認し,個室に戻ると,Fの頸部を
もう一度タオルで絞めつけた。そして,さらに同女の左側胸部を踏みつけたも
のの動かなかったことなどから,確実に同女を殺害したと考え,その場を立ち
去った。
被告人は,Fに対し,繰り返しその頸部を絞めつけ,さらにはその背部を刺
突しようとしたもので,その態様は執拗で,非常に悪質である。さらに,被告
人は,同女の死亡を確認しようと,その左側胸部を踏みつけ,同女の反応を窺
ったというのであり,同女に対する強固な殺意が看て取れる。
(4)Fは,訳も分からぬまま,突然Bの死体を見せつけられて本件車両に監禁
され,常に死の恐怖を感じながら上記駐車場まで連行された。被告人に頸部を
絞めつけられ,最後には左側胸部を踏みつけられるなどし,全治約6週間を要
する左気胸,左第10肋骨骨折等の傷害を負い,被害を受けた直後のDの顔面
には頸部を強く絞めつけられたことによる溢血や浮腫が認められ,その両目も
激しく充血していた。Dは,被告人に首を絞められ,「息が苦しくて苦しくて,
『もう,死ぬな』と諦め,そのうちに意識を失った」というのであり,当時わ
ずか19歳で,絶命の淵に立たされて覚えた苦痛,絶望感はいかばかりであっ
たかと察せられる。
Fは,「私は,どうして被告人に殺されかけなければいけないのか,どうし
てこのような被害を受けなければいけないのか,理由が分からず,どうしても
納得がいきません。私は,本件アパートで死んでいた男性のことは全然知らな
かったし,その人が殺されたことも,どうして殺されたかも分かりませんでし
た。私は,事件の日まで,犯人たち3人と会ったことはなかったし,彼らに何
か悪いことをしたこともありませんでした。それなのに,どうしてわざわざ2
02号室まで連れてこられて,死体を見せられ,車に無理矢理乗せられて,g
のP公園まで連れて行かれ,公園の便所の個室内で殺されそうになったのでし
ょうか。私が何をしたというのでしょうか」と述べ,本件当日まで,被告人や
Aら,そして,Bのことすら知らなかったにもかかわらず,被告人の凶行に巻
き込まれ,上記のような甚大な被害を受けることとなった理不尽さ,悔しさを
訴えている。そして,意見陳述において,当時共に生活していた友人のEが被
告人に殺害されたことに言及し,「わたしは,あなたに,ただ一人,かけがえ
のない人を奪われた。それから自分を責める毎日でした。あの子の代わりに自
分が死ねばよかったのかもと思った日もあります」とFには一片の責任もない
Eの死について自責の念に駆られたと吐露する。Fは,「あなたが死刑になっ
たとしても亡くしたものは返ってこないけど,死をもって罪を償う義務がある。
人の人生をめちゃくちゃにして,2人の人の将来を奪った。だからあなたの将
来も奪われて当然です」と述べ,被告人の厳重処罰を望んでいる。
(5)被告人は,上記駐車場に戻り,Aから携帯電話の着信音が鳴ったと聞かさ
れると,Eが携帯電話を隠し持っているのではないかなどと疑い,トランクを
開けた。そして,Eが,トランクに閉じこめられた暑さの中,汗を流しながら,
「全部私のせいにしていいから許して。チーフをやったのも私のせいにしてい
いから」と必死に訴えたのに対し,被告人は,「うるせえ」などと言い放ち,
歯が折れるほどにその顔面を強打したというのであって,冷酷に過ぎる。
そして,被告人は,「後ろのやつ,うるさいから,後ろのやつから始末する
か」などと言い,P公園の観光道路脇に本件車両を停めると,トランクを開け,
Eにトランクから降りるよう指示し,同女を同車の陰に連れて行った。地面に
伏臥させると,被告人は,もはや全く抵抗せず,声すら上げることのないEの
頸部にタオルを巻き付けて絞め上げた。Eは,頸部を絞められ,呻き声を上げ
て手足を動かすなどしたが,被告人は,苦しむEを目の当たりにしながら,同
女の体を跨いで頸部を絞め上げるのでは,頭が持ち上がってきつく絞めつける
ことができないなどと考え,その頭部を左足で,その背部を右足でそれぞれ踏
みつけEの体を固定した上,両手に握り持ったタオルの両端を引き上げ,その
頸部をさらに絞め上げた。Eが動かなくなってもなお,被告人は,Eを確実に
死に至らしめようと,上記のとおり便器にぶつけ,湾曲させてしまった包丁を
逆手に持ち,曲がった先端を自身の方に向け,手前にえぐるようにして3回そ
の右背部を突き刺した。刺創から吹き出すように出血し,同女がけいれんする
と,被告人は,右足で同女を上記道路脇の斜面に押しやり,斜面下に向け落と
した。
このように人の身体を両足で踏みつけながらその頸部を絞め上げて殺害する
という犯行態様は,残忍,残虐に過ぎる。その上,被告人は,強固な殺意に基
づき,身動きしないEの背部をえぐるようにして包丁で刺し,その遺体を足で
押しやって道路脇の斜面下に落としたというのであり,このような人を人とも
思わぬ被告人の態度からは人間性の片鱗も感じ取ることができない。被告人は,
その後,Aらに対し,軽軽に「死んだか。ちょっと見てみろ。まあ,生きてい
てもよじ登ってこれないから駄目だろう」などと言ってその遺体の様子を確認
させており,犯行後の態度も悪質である。
(6)Eは,本件当日まで被告人やAらと会ったこともなく,全く事情も分から
ないままB方に連れ込まれ,同人の死体を見せつけられた上,いつ出られると
もわからない高温のトランクの中に押し込まれ,狭い空間の中揺られながら殺
害されるときを待っていた。同女の遺体顔面には被告人に殴られた跡がはっき
りと残っており,「全部私のせいにしていいから許して」と懇願し,被告人に
「うるせえ」と怒鳴られたときの恐怖,絶望感は想像を絶する。そして,Eは,
本当に無惨な方法で殺害され,山中に放置された。Eは,ボランティア活動に
も積極的に参加し,ホームヘルパー2級の研修を受け,その資格を取得するな
どしていた。周囲の者に愛され,両親の愛情も一身に浴び,自分の将来に多く
の夢と希望を抱いていた。それなのに,わずか21歳の若さで,理不尽な犯行
の犠牲となり,その生命を奪われた苦しみや無念さは察するに余りある。
Eの両親の悲嘆,喪失感も筆舌に尽くしがたい。Eの母親は,ボランティア
活動に参加したEが,表情を輝かせ,「Xにいる人たちは,みんな重い障害が
あるんだけど,正直で素直な人たちばっかりで,本当に一生懸命生きているん
だよ。私も何かしてあげたいって思えてくる」「お母さん,赤ちゃんなのに,
とっても重い病気を抱えている子がいたんだよ。その赤ちゃんのお母さんは本
当に大変なはずなのに,いつも明るくてにこにこしていて,前向きなんだよ。
本当にすごいよね」と話すのを聞き,同女が人の気持ちを思いやることができ
るやさしい子に成長したことをうれしく感じ,誇りに思っていた。平成15年
8月19日未明,同女が行方不明になったとの連絡を受け,その後,同女の両
親は,目の上が腫れ上がり,歯が折れ,首には絞められた跡が残る遺体と対面
することとなった。Eの母親は,Eがトランクに閉じこめられた際の恐怖,苦
痛を思い,「私には,Eの姿がすぐに浮かぶような気がします。臆病で怖がり
のEが,心の中で『お母さん,怖いよ。助けてよ。どうしてこんなことになっ
てるの。なぜ,私がこんな目に遭ってるの。何がなんだかわかんないよ。怖い
よ』と必死で叫びながら,犯人が怖くて声を押し殺して震えている姿です。E
は,車のトランクに閉じこめられていた1時間以上もの間,その恐怖に耐えて
いたはずなのです。Eが感じていたその恐怖を想像すると,涙が止まりません。
そして,Eが車のトランクの中から外に出され,首を絞められたときの苦しさ,
背中を刺されたときの痛み,亡くなるときの悔しさを思うと,やりきれない気
持ちになります。Eを助けられなかった,苦しいときにEに何もしてあげられ
なかったことが辛くて仕方ありません」と述べる。そして,意見陳述において,
「生きることに一生懸命で,小さい時から命を大切に考えてきたE。もっとも
っと生きてやりたい事もたくさんあったはずです。21歳と10か月,これか
らが実現できたのに,夢も何もかも全てを奪われてしまいました」とEの無念
さを訴え,「極刑以外,納得できる処分は考えられません。極刑でなければ,
正義とは思えません,私たちは被告人の顔など,もう見たくありません」と述
べ,被告人に対する峻烈な処罰感情を表明している。
(7)被告人は,Eが殺害され,本件車両内に一人残されたDに対し,「首つっ
て死ぬか,崖から落とされるか,刺されるか,お前はどれがいい」などと言っ
てその恐怖心を煽り弄んだ。そして,自身が関係する暴力団の懇親会の時間が
差し迫っていたことから,首を絞める以外の楽な方法で,時間を掛けずにDを
殺害しようなどと考え,その手足をロープで縛りその身体の自由を奪った上,
口と鼻に瞬間接着剤を塗布し,同女を窒息させることを考えた。同女が「子供
にもう会えないのかな」などと考え,悲しみと恐怖に必死に堪えていると,被
告人は,Dに対し,「手足を縛って口にアロンアルファをつけてマンホールに
入れて,次の日の朝迎えに行って生きていたら,見逃してやる」などと言い放
ち,Cと楽しげにアロンアルファのテレビコマーシャルの話をした。そして,
ホームセンターに立ち寄り,Cに指示してアロンアルファとビニールロープを
購入させた。
その後,被告人は,AとCをそれぞれ降車させ,本件車両を人気の少ないb
市内の会社敷地まで走らせた。Dを降ろすと同女を同敷地内の物置前まで連行
し,その両手両足をビニールロープで緊縛して物置の中に押し込んだ。そして,
同女が物置内の椅子に座ると,被告人は,同女の上衣を持ち上げてその乳房を
弄ぶなどし(この点を被告人は否定するが,Dの証言により認められる),そ
れから,Dが立ち上がることができないよう,椅子に座った同女の両膝の裏側
にロープを通し,これを背中に回してその体全体の自由を奪った。そして,計
画どおり,アロンアルファをその唇に塗布し,その上下をつまんで押さえつけ
た。被告人は,2本組のアロンアルファの使用方法がわからず,1本のみをそ
の唇に塗布したため,実際にはDの唇が接着されることはなかった。しかし,
Dは,接着された振りをすれば,被告人が自分を放置して立ち去るのではない
かという一縷の望みに掛け,接着されたかどうか被告人に確認されると,口を
開けることなく首を縦に振った。そこで,被告人は,さらに,Dの鼻腔にもア
ロンアルファを流し込み,指でつまんで押さえつけたが,息が苦しくなったD
が口を開けてしまうと,「くっついてねえじゃねぇか」と怒鳴りつけた。被告
人は,アロンアルファを口と鼻に塗布して殺害する方法を諦め,やはり首を絞
め,包丁で刺して同女を殺害しようと考え,Dの手足等を緊縛したビニールロ
ープの残部をその頸部に巻きつけ,同女が意識を失い,物置内に倒れ込むまで
絞めつけた。そして,とどめを刺そうと,倒れた同女目掛け,逆手に持った包
丁を多数回にわたって振り下ろした。包丁が湾曲していたため,なかなか突き
刺さらなかったが,最後には物置内に一歩踏み込んで包丁を振り下ろし,その
右側胸部を刺突した。Dの上衣に血の染みが広がっていくのを見た被告人は,
Dをこのまま放置すれば確実に死亡するだろうと考え,物置の扉を閉め,その
場を立ち去った。
およそ人の口と鼻に瞬間接着剤を塗布し,窒息死させようということを発想
すること自体,余りに非人間的である上,被告人は,実際にアロンアルファと
ビニールロープを準備し,その発想を実行に移したのであって,冷酷,非情と
いわざるを得ない。そして,アロンアルファを塗布して窒息させることができ
ないとわかると,今度はDの頸部をビニールロープで絞めつけ,同女が意識を
失って倒れると,多数回にわたって包丁を振り下ろし,その右側胸部を思い切
り突き刺したというのであって,その犯行態様は,全体において非常に凶悪で
ある。
(8)Dは右側胸部を刺された痛みで意識を取り戻したが,これ以上刺されるこ
とがないよう動かずに耐え,被告人が立ち去るのを待って最後の力を振り絞り
物置から這い出た。しかし,声を出すこともできず,道路に向かって歩こうと
したものの倒れ,起きあがることもできずに「もう駄目だあ。死んじゃう」と
思い,目を閉じたというのである。そのときのDの苦痛,絶望感は想像を絶す
る。同女は,上記敷地の使用者に偶然発見され,すぐに救急搬送されて一命を
取り留めたが,全治約1か月を要する出血性ショック,肺挫傷等の傷害を負っ
た。発見があと30分遅れていれば,血気胸のため呼吸不全を起こし死亡して
いた可能性が極めて高かったというのであり,Dは,真に生命の危険が切迫し
た状況において,辛うじて救われたもので,同女が被った肉体的苦痛は甚大で
ある。
また,Dは,Bがもだえ苦しみながら殺害される状況を目の当たりにし,F
が連れ去られ,Eが殺害され,自身もいつ殺害されるか分からない恐怖の中,
最後には上記のような被害に遭ったもので,本件によりDが被った精神的苦痛
も筆舌に尽くしがたい。同女が,本件について,「無抵抗のチーフに対し,ど
うして何度も包丁で刺せるのですか。チーフが包丁で刺されて血まみれの状態
なのを見ながら,どうして,そのチーフの口か首当たりを踏めるのですか。チ
ーフの部屋にもトイレはあるのに,どうしてEちゃんに,チーフが死んで横た
わっている近くでおしっこをさせなければいけないのですか。どうして,チー
フを殺したときのこととか,私を殺すことなどを楽しく笑って話せるのですか。
どうして,死にかけているEちゃんを見ながら,助けようともしないで,Eち
ゃんが死んで動かなくなるまでその様子を観察していられるのでしょうか」と
述べ,本件の残虐さ,理不尽さに対し怒り,悔しさを示すのも当然である。上
記のように同女の供述するところが,まさに被告人の人間性の欠如を表してい
るといえる。本件後,Dは,Bが殺害される状況や,自身が被告人らに殺害さ
れる状況を夢に見,PTSDや円形脱毛症に悩まされた。幼い長男は,Dの右
側胸部の傷跡を見て,「ママここ痛い,ママここ痛い」と心配し,同女は,意
見陳述において,涙を流しながら,「季節変わりの時に事件の時の傷がチクチ
ク痛みます。傷が痛むたびに思い出したくないのに事件の時のことが1コマ1
コマ思い出されてしまいます。この傷は一生残ります。私は被告人がこの世に
いる限りうらみ続けるでしょう。私が望む刑は死刑だけです」と本件により一
生の傷を負った心痛を訴え,被告人に極刑を望む旨述べている。
4被告人は,犯行後,テレビの報道を見て,殺害したと思っていたF,E,Dの
うち2名が生存していたことを知ると,直ちに,Dらの携帯電話等が入った同女
のバッグの処分を交際相手の飲食店従業員に依頼し,Cに指示して同人と共にE
を監禁した本件車両のトランクを清掃し,Aを知人のもとに匿わせるなどの罪証
隠滅行為に及んだ。この点で,事後の情状も悪質というべきである。
5なお,本件は,被告人が,1日のうちに男女4名を次々と殺害の対象とし,実
際にうち2名を殺害し,その余の2名を殺害しようとして傷害を負わせたという
希に見る重大凶悪事犯として発生当初からマスコミ等により大々的に報道された。
その後,A,Cという少年2名が関与していることも発覚し,社会に深甚な恐怖
と衝撃をもたらしたもので,本件の社会的影響も極めて大きい。
6加えて,第1の事実のとおり,被告人は,判示包丁を本件アパートまで持参し,
同所で携帯しているところ,同包丁がその後の全ての殺害行為に用いられたこと
にかんがみれば,第1の犯行自体の悪質性も看過できない。
7以上のとおり,被告人は,自身の面子を守るという暴力団関係者特有の心情か
らBを惨殺した上,その犯行の口封じという理不尽,身勝手な動機に基づき,残
忍,凶悪な態様で,何ら落ち度のないEを殺害し,D,Fにも重傷を負わせた。
被告人は,監禁したD,E,Fを精神的,身体的にいたぶり続け,その言動には,
他者の人格を顧みない非人間的な性向の発露が看て取れる。B,Eの遺族の処罰
感情,F,Dの被害感情はいずれも極めて厳しく,被告人に対し厳重処罰を望ん
でいる。本件が社会に与えた影響も甚大である。
そうすると,被告人が本件によって負うべき刑責は,余りにも重い。
8被告人は,中学生時代にバタフライナイフで同学年の男子生徒の左胸部と背部
を刺し,怪我を負わせたことがあった。その後,友人と共に金属バットを用いた
強盗致傷事件を起こして中等少年院送致となり,退院後間もなく,友人と共に傷
害,恐喝事件を起こし再び中等少年院送致となった。
被告人は,高校生のころから暴力団関係者と交遊を持っていたが,上記のとお
り2回中等少年院送致となった後,一度暴力団に所属し,幹部組員となった。そ
して,累犯前科として摘示したように,平成9年5月,飲酒の上通行人に暴行を
加えて傷害を負わせ,さらにその被害者に金銭を要求するという傷害,暴行,恐
喝未遂等の事件を起こし,その執行猶予期間中の平成12年11月には,やはり
飲酒の上通行人に因縁を付けて暴行を加え,傷害を負わせる傷害事件を起こした。
以上のような前科,前歴にかんがみれば,被告人には,本件前から,不快感や
苛立ちを容易に暴力に転化する粗暴性があったといえる。その上,被告人が,上
記各前科の裁判の際,繰り返し,暴力団との関係を絶つ旨誓約しながら,本件時
においてもなお暴力団と密接に関係していたことにかんがみれば,その反社会的,
反規範的な性向には根深いものがあるといわざるを得ない。
9他方,被告人には,次のような酌むべき事情もある。すなわち,被告人は,B
と対面する前から同人に対し確固たる殺意を有していたのではなく,同人の対応
によっては同人を殺害することもやむを得ないという殺意を有していたに過ぎな
い。B以外の3名の女性の殺害については当初から計画されていたものではなく,
同女らの殺害に及んだことについては偶発的な側面があることも否定できない。
被告人は,上記傷害,暴行,恐喝未遂等事件で平成10年2月に執行猶予付き判
決を受けた後,婚姻し,妻,子供と共に生活し,就労して,平成12年7月には
保護観察の仮解除決定を受けるなど,同年11月に上記傷害事件を起こすまでの
間は,大過なく生活していたと窺われる。
10しかしながら,これら被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても,被告
人の罪責は誠に重大であり,被告人に対しては,罪刑の均衡の見地からも一般予
防の見地からも,死刑をもって臨むほかないと判断した。
(求刑死刑)
さいたま地方裁判所第1刑事部
(裁判長裁判官飯田喜信,裁判官開發礼子,裁判官今岡健は転補のため署名押印す
ることができない。)

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