弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決及び第一審判決を破棄する。
     被告人は無罪。
         理    由
 被告人本人の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四
〇五条の上告理由に当たらない。
 しかしながら、所論にかんがみ職権で調査すると、原判決及び第一審判決は以下
の理由により破棄を免れない。
 一 本件公訴事実は、被告人は、第一 昭和五九年七月二六日午後四時三五分こ
ろ、尼崎市ab丁目c番d号先空地において、A(当時三九年)から自動車の駐車
場所について注意されたことに立腹し、同人に対し、所携の菜切包丁を腰のあたり
に構えながら、「殺すぞ」等と申し向けて同人の生命、身体に危害を加えかねない
気勢を示し、もって凶器を示して脅迫し、
 第二 業務その他正当な理由がないのに、前記日時、場所において、刃体の長さ
約一七・七センチメートルの菜切包丁一丁を携帯した、というものである。
 二 第一審判決は、正当防衛の主張を排斥して右各公訴事実につき被告人を有罪
とし、罰金三万円の刑を言い渡したが、原判決は、被告人の第一の所為は過剰防衛
行為に当たるから、正当防衛のみならず過剰防衛の成立をも否定した第一審判決に
は事実の誤認があるとしてこれを破棄したうえ、右各公訴事実につき被告人を有罪
として罰金一万五〇〇〇円の刑を言い渡した。
 三 ところで、原判決の認定によれば、本件における事実関係は次のとおりであ
る。すなわち、被告人は、前記日時ころ、運転してきた軽貨物自動車を前記空地前
の道路に駐車して商談のため近くの薬局に赴いたが、まもなく貸物自動車(いわゆ
るダンプカー)を運転して同所に来たAが、車を空地に入れようとして被告人車が
邪魔になり、数回警笛を吹鳴したので、商談を中断し、薬局を出て被告人車を数メ
ートル前方に移動させたうえ、再び薬局に戻った。どころが、それでも思うように
自車を空地に入れることができなかったAが、車内から薬局内の被告人に対し「邪
魔になるから、どかんか。」などと怒号したので、再び薬局を出て被告人車を空地
内に移動させたが、Aの粗暴な言動が腹に据えかねたため、同人に対し「言葉遣い
に気をつけろ。」と言ったところ、Aは、空地内に自車を駐車して被告人と相前後
して降車して来たのち、空地前の道路上において、薬局に向かおうとしていた被告
人に対し、「お前、殴られたいのか。」と言って手挙を前に突き出し、足を蹴り上
げる動作をしながら近づいて来た。そのため、被告人は、年齢も若く体格にも優れ
たAから本当に殴られるかも知れないと思って恐くなり、空地に停めていた被告人
車の方へ後ずさりしたところ、Aがさらに目前まで追ってくるので、後に向きを変
えて被告人車の傍らを走って逃げようとしたが、その際ふと被告人車運転席前のコ
ンソールボックス上に平素果物の皮むきなどに用いている菜切包丁を置いているこ
とを思い出し、とっさに、これでAを脅してその接近を防ぎ、同人からの危害を免
れようと考え、被告人車のまわりをほぼ一周して運転席付近に至るや、開けていた
ドアの窓から手を入れて刃体の長さ約一七・七センチメートルの本件菜切包丁を取
り出し、右手で腰のあたりに構えたうえ、約三メートル離れて対峙しているAに対
し「殴れるのなら殴ってみい。」と言い、これに動じないで「刺すんやったら刺し
てみい。」と言いながら二、三歩近づいてきた同人に対し、さらに「切られたいん
か。」と申し向けた。
 四 そこで、正当防衛の成否に関する原判決の法令の解釈適用について検討する
と、右の事実関係のもとにおいては、被告人がAに対し本件菜切包丁を示した行為
は、今にも身体に対し危害を加えようとする言動をもって被告人の目前に迫ってき
たAからの急迫不正の侵害に対し、自己の身体を防衛する意思に出たものとみるの
が相当であり、この点の原判断は正当である。
 しかし、原判決が、素手で殴打しあるいは足蹴りの動作を示していたにすぎない
神谷に対し、被告人が殺傷能力のある菜切包丁を構えて脅迫したのは、防衛手段と
しての相当性の範囲を逸脱したものであると判断したのは、刑法三六条一項の「巳
ムコトヲ得サルニ出テタル行為」の解釈適用を誤ったものといわざるを得ない。す
なわち、右の認定事実によれば、被告人は、年齢も若く体力にも優れたAから、「
お前、殴られたいのか。」と言って手拳を前に突き出し、足を蹴り上げる動作を示
されながら近づかれ、さらに後ずさりするのを追いかけられて目前に迫られたため、
その接近を防ぎ、同人からの危害を免れるため、やむなく本件菜切包丁を手に取っ
たうえ腰のあたりに構え、「切られたいんか。」などと言ったというものであって、
Aからの危害を避けるための防御的な行動に終始していたものであるから、その行
為をもって防衛手段としての相当性の範囲を超えたものということはできない。
 そうすると、被告人の第一の所為は刑法三六条一項の正当防衛として違法性が阻
却されるから、暴力行為等処罰に関する法律一条違反の罪の成立を認めた原判決に
は、法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない。
 五 次に、被告人の第二の所為について検討すると、その公訴事実は、Aを脅迫
する際に刃体の長さ約一七・七センチメートルの菜切包丁を携帯したというもので
あるところ、右行為は、Aの急迫不正の侵害に対する正当防衛行為の一部を構成し、
併せてその違法性も阻却されるものと解するのが相当であるから、銃砲刀剣類所持
等取締法二二条違反の罪は成立しないというべきである。
 そうすると、同法違反の成立を認めた原判決には、法令の解釈適用を誤った違法
があるといわざるを得ない。
 六 以上のとおり、各公訴事実につき被告人を有罪とした原判決及び第一審判決
は、いずれも判決に影響を及ぼすべき法令違反があり、これを破棄しなければ著し
く正義に反するものと認められる。そして、本件については、第一、二審において
必要と思われる審理は尽くされているので、当審において自判するのが相当であり、
被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。
 よって、刑訴法四一一条一号、四一三条但書、四一四条、四〇四条、三三六条に
より、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。検察官高橋武生 公判出

  平成元年一一月一三日
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官    島   谷   六   郎
            裁判官    牧       圭   次
            裁判官    藤   島       昭
            裁判官    香   川   保   一
            裁判官    奥   野   久   之

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