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裁判例


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主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
第1事案の概要
1被上告人らは,大韓民国に居住する同国の国民であって,第二次世界大戦中
に朝鮮半島から広島市に強制連行され,昭和20年8月6日に広島市に投下された
原子爆弾により被爆したと主張する第1審原告(以下「原告」という。)又はその
承継人である。
本件は,原告らが,上告人は,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下「原
爆医療法」という。)に基づき被爆者健康手帳の交付を受けた者が我が国の領域を
越えて居住地を移した場合には,原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律
(以下「原爆特別措置法」といい,原爆医療法と併せて「原爆二法」という。)は
適用されず,原爆特別措置法に基づく健康管理手当等の受給権は失権の取扱いとな
るものと定めた「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対す
る特別措置に関する法律の一部を改正する法律等の施行について」と題する通達
(昭和49年7月22日衛発第402号各都道府県知事並びに広島市長及び長崎市
長あて厚生省公衆衛生局長通達。以下「402号通達」という。)を作成,発出
し,その後,原爆二法を統合する形で原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律
(以下「被爆者援護法」といい,原爆二法と併せて「原爆三法」という。)が制定
された後も,平成15年3月まで402号通達の上記定めに従った取扱いを継続し
たことによって,原告らの原爆三法上の「被爆者」としての法的地位ないし権利を
違法に侵害してきたなどと主張して,それぞれ,上告人に対し,国家賠償法1条1
項に基づく損害賠償を求める事案である。
2原審の適法に確定した事実関係の概要等(公知の事実を含む。)は,次のと
おりである。
(1)原爆医療法について
ア昭和32年に制定された原爆医療法は,「広島市及び長崎市に投下された原
子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ,国が被爆者
に対し健康診断及び医療を行うことにより,その健康の保持及び向上をはかること
を目的とする」(1条)法律であり,同法による医療等の給付の対象となる「被爆
者」を,原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で
定めるこれらに隣接する区域内に在った者等であって,被爆者健康手帳の交付を受
けたものと定義していた(2条)。同法には,その適用対象者を日本国籍を有する
者に限定する旨のいわゆる国籍条項はなく,被爆者健康手帳の交付を受けようとす
る者は,「その居住地(居住地を有しないときは,その現在地とする。以下同
じ。)の都道府県知事(その居住地が広島市又は長崎市であるときは,当該市の長
とする。以下同じ。)」に申請しなければならないと定められていた(3条1
項)。
イ402号通達は,昭和49年法律第86号(一部は同年9月1日施行,その
余は同年10月1日施行)による原爆二法の一部改正等の機会に発出されたもので
あるところ,同法律による一部改正後の原爆医療法は,①都道府県知事において,
「被爆者」に対し,毎年の健康診断とそれに基づく必要な指導を行うこと,②厚生
大臣において,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は疾病にかかり,現に医
療を要する状態にある「被爆者」に対し,その負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用
に起因する旨の認定をした上で,指定医療機関による必要な医療の給付又はこれに
代わる医療費の支給を行うこと,③厚生大臣において,「被爆者」に対し,一般の
負傷又は疾病について被爆者一般疾病医療機関において医療を受けた場合など一定
条件の下に,一般疾病医療費を支給することなどを定めており,これらに要する費
用は,「被爆者」の所得や資産状態にかかわらず,全額公費負担とされていた。ま
た,被爆者健康手帳の交付,健康診断及び必要な指導等に係る事務は,国の機関委
任事務とされていた。
なお,指定医療機関及び被爆者一般疾病医療機関には,日本国内の医療機関が指
定されていたため,原爆医療法に基づく医療の給付等は,事実上,少なくとも日本
国内に現在する「被爆者」が対象となっていた。
(2)原爆特別措置法について
ア昭和43年に制定された原爆特別措置法は,「広島市及び長崎市に投下され
た原子爆弾の被爆者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受け,今なお特別の状
態にあるものに対し,特別手当の支給等の措置を講ずることにより,その福祉を図
ることを目的とする」(1条)法律であり,原爆医療法2条に規定する「被爆者」
を対象とし,その健康状態等に応じて,各種手当等を給付することを定めていた。
原爆特別措置法にも,その適用対象者を日本国籍を有する者に限定する旨のいわゆ
る国籍条項はなかった。
イ昭和49年法律第86号による一部改正後の原爆特別措置法に基づく給付と
しては,①原爆医療法に基づき,負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨
の厚生大臣の認定を受けた「被爆者」を対象とする特別手当,②造血機能障害,肝
臓機能障害その他の厚生省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響に
よるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっている「被爆者」を対
象とする健康管理手当,③上記認定を受け,原爆医療法に基づき,当該認定に係る
負傷又は疾病に対する医療の給付を受けている「被爆者」を対象とする医療手当の
ほか,介護手当及び葬祭料があった。これらの手当等の支給は都道府県知事(広島
市又は長崎市については各市長。以下同じ。)において行うものとされ,その支給
に係る事務は国の機関委任事務とされていた。これらの手当の支給等に要する費用
は,全額公費負担とされていたが,特別手当,健康管理手当,医療手当及び介護手
当については,当該手当の支給要件に該当する「被爆者」又はこれと一定の身分関
係にある者の所得につき所得税法の規定により計算した前年分の所得税の額が政令
で定める額を超えるときは,その全部又は一部を支給しない旨の規定(以下「所得
制限規定」という。)が設けられていた。なお,健康管理手当等に係る所得制限規
定は,平成6年に被爆者援護法が原爆二法を統合する形でこれらを引き継ぐととも
にその援護内容を更に充実発展させるものとして制定された際,撤廃された。
ウ原爆特別措置法の定める健康管理手当は,原子爆弾の放射能の影響による障
害を伴う疾病にかかり,健康上特別の状態に置かれて不安の中で生活している「被
爆者」に対し,毎月定額の手当を支給することによって,精神的な安定,療養生活
の安定を図り,その健康及び福祉に寄与することを目的とするものである。「被爆
者」が健康管理手当の支給を受けようとするときは,都道府県知事から支給要件に
該当する旨の認定を受けなければならず,都道府県知事は,同認定をする場合に
は,併せて当該疾病が継続すると認められる期間を,疾病の種類ごとに厚生大臣が
定める期間内において定めるものとされており,402号通達発出当時,同期間は
最長3年と定められていた(昭和43年厚生省告示第352号)。
エ原爆特別措置法には手続の細則に関する定めはなく,同法の委任に基づき同
法の実施のための手続その他その執行について必要な細則を定めるものとして,原
子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律施行規則(昭和43年厚生省令第34
号。以下「原爆特別措置法施行規則」という。)が制定された。
なお,原爆特別措置法には,健康管理手当等の受給権者が都道府県(広島市又は
長崎市については各市。以下同じ。)の区域を越えて居住地を移した場合に失権す
る旨の明文の規定はなかったが,昭和49年厚生省令第27号(同年9月1日施
行)による改正前の原爆特別措置法施行規則においては,健康管理手当等の受給権
者が都道府県の区域を越えて居住地を移した場合には,従前の居住地の都道府県知
事に対して失権の届出をするものと定められ,新居住地の都道府県知事から改めて
健康管理手当等の支給要件に該当する旨の認定(以下「支給認定」という。)を受
けることが必要とされていた。上記の規則改正により,健康管理手当等の受給権者
は,上記の場合にも失権することはなく,新居住地の都道府県知事に対して居住地
変更を届け出るものとされ,当該届出を受理した都道府県知事は,当該受給権者の
従前の居住地の都道府県知事に文書でその旨を通知するものと改められた。
(3)在外被爆者と原爆二法の適用等
ア原爆医療法制定の際の国会審議において,同法が在外被爆者(日本国外に居
住する被爆者をいう。以下同じ。)にも適用されるか否かという問題については特
段の質疑は行われなかった。日本国内の被爆者に対しては同法に基づく援護措置が
講じられる一方で,在外被爆者に対してはほとんど援護措置が講じられなかった
が,これは,上告人の担当者が,原爆医療法は,日本国内の地域社会の構成員の福
祉の向上を図ることを目的とする社会保障法であるから,被爆者が日本国内に居住
関係を有することが適用の前提条件となっており,例えば,一時的に日本を訪れた
にすぎない在外被爆者については適用されないとの解釈に基づき,同法を運用して
いたことによるものであった。
原爆特別措置法制定の際の国会審議において,厚生大臣は,同法は在外被爆者に
は適用されないという趣旨の答弁をした。
イこのような状況の下で,在韓被爆者(大韓民国に居住する被爆者をいう。以
下同じ。)である孫振斗が,昭和45年12月に原爆症治療を受ける目的で日本に
不法入国したところを逮捕され,福岡県内の病院に入院中に福岡県知事に対して被
爆者健康手帳の交付を申請したところ,日本国内に居住関係を有しないから原爆医
療法の適用要件を欠くとの理由により却下処分を受けたため,同処分の取消しを求
める訴訟(以下「孫振斗訴訟」という。)を福岡地方裁判所に提起した。これに対
し,福岡地方裁判所は,昭和49年3月30日,原爆医療法は一般の社会保障法と
は類を異にする特異の立法であり,被爆者個々人の救済を第一義とする同法の立法
目的と,居住関係の存在を同法の適用要件としたものと解し得る規定がないことか
ら,被爆者でさえあれば,たとえその者が外国人であっても,その者が日本国内に
現在することによって同法の適用を受け得るものと解するのが相当であり,不法入
国した者についても,その者が被爆者である限り,同法が適用されることとなると
して,孫振斗の請求を認容し,上記却下処分を取り消す旨の判決を言い渡した。
ウ上記判決後の昭和49年7月25日,厚生省公衆衛生局長は,それまでの法
解釈を変更し,我が国に入国した在外被爆者に対する原爆医療法の適用について
は,日本における在留期間,その滞在目的等から総合的に判断することとし,治療
目的で適法に入国し1か月以上滞在している者に対しては,日本国内に居住関係を
有するものとして,被爆者健康手帳を交付しても差し支えないとする解釈を採用す
ることを明らかにするに至った(昭和49年衛発第416号東京都知事あて厚生省
公衆衛生局長回答)。
他方,厚生省公衆衛生局長は,前記のとおり,同月22日付けで402号通達を
発出し,原爆特別措置法はなお日本国内に居住関係を有する「被爆者」に対しての
み適用されるものであるから,「被爆者」が我が国の領域を越えて居住地を移した
場合には,当該「被爆者」には同法は適用されず,同法に基づく健康管理手当等の
受給権は失権の取扱いとなるものと定めるに至った(以下,この取扱いを「失権取
扱い」という。)。これにより,在外被爆者は,来日して被爆者健康手帳の交付を
受け,健康管理手当等の支給認定を受けたとしても,出国すると同時に,「被爆
者」たる地位を失うこととなり,健康管理手当等の受給権は失権したものと取り扱
われて,その支給が打ち切られることになった。
エ福岡県知事は,上記判決を不服として控訴したが,福岡高等裁判所は,昭和
50年7月17日,原爆医療法は,社会保障法の性格を持ちながらも,被爆者に対
する国家補償法的性格を併有する一種特別の立法であり,同法にはその適用を日本
国内に居住関係を有する者に限る趣旨の規定がないから,不法入国した被爆者にも
同法が適用されるとして,福岡県知事の控訴を棄却する旨の判決を言い渡した。
厚生省公衆衛生局長は,同年9月1日,在外被爆者に対する原爆医療法の適用に
ついて,適法な入国後おおむね1か月以上滞在する者であれば,入国目的を問わ
ず,日本国内に居住関係を有するものとして,被爆者健康手帳を交付しても差し支
えないこととする旨解釈を変更することを明らかにした(昭和50年衛発第500
号広島市長あて厚生省公衆衛生局長回答)。
オ福岡県知事は,上記判決を不服として上告したが,最高裁判所は,昭和53
年3月30日,原爆医療法は,いわゆる社会保障法としての性格のほか,特殊の戦
争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済を図るという
一面をも有するという点では実質的に国家補償的配慮を制度の根底に有し,被爆者
の置かれている特別の健康状態に着目してこれを救済するという人道的目的の立法
であり,同法3条1項には我が国に居住地を有しない被爆者をも適用対象者として
予定した規定があることなどから考えると,被爆者であって我が国に現在する者で
ある限りは,その現在する理由等のいかんを問わず,広く同法の適用を認めて救済
を図ることが,同法の国家補償の趣旨にも適合するものというべきであり,同法は
不法入国した被爆者についても適用されると判示して,福岡県知事の上告を棄却す
る旨の判決を言い渡した(最高裁昭和50年(行ツ)第98号同53年3月30日
第一小法廷判決・民集32巻2号435頁)。
これを受けて,厚生省公衆衛生局長は,同年4月4日,在外被爆者に対する原爆
医療法の適用に関する解釈を更に変更し,我が国に現在する者である限り,その現
在する理由等のいかんを問わず,同法を適用し,被爆者健康手帳を交付することと
した(昭和53年衛発第288号各都道府県知事並びに広島市長及び長崎市長あて
厚生省公衆衛生局長通知)。しかし,402号通達の失権取扱いの定めは,その後
も維持され,平成7年7月1日に被爆者援護法が施行された後も,厚生事務次官が
同年5月15日付けで発出した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の施行
について」と題する通知(平成7年発健医第158号各都道府県知事並びに広島市
長及び長崎市長あて厚生事務次官通知)に基づき,402号通達に従った失権取扱
いが継続された。
カその後,平成10年に,在韓被爆者である郭貴勲が,治療のために来日し,
大阪府知事から被爆者健康手帳の交付を受けた上,健康管理手当の支給認定を受
け,同手当の支給を受けていたところ,日本から出国したことにより同手当の支給
を打ち切られたため,これを不服として,上告人に対して自己が被爆者援護法上の
「被爆者」たる地位にあることの確認を求めるとともに,大阪府に対して支給打切
り後の健康管理手当の支払を求めることなどを内容とする訴訟を大阪地方裁判所に
提起した。大阪地方裁判所は,平成13年6月1日,日本に居住又は現在している
ことが被爆者援護法における「被爆者」たる地位の効力存続要件であると解するこ
とはできず,日本からの出国によって「被爆者」たる地位を失うものではないとし
て,郭貴勲の上記両請求を認容する旨の判決を言い渡した。これに対し,上告人及
び大阪府が控訴したが,大阪高等裁判所は,平成14年12月5日,大阪地方裁判
所と同旨の判断をして,控訴を棄却する旨の判決を言い渡した。
上告人及び大阪府は,上記控訴審判決に対して上告等をせず,厚生労働省健康局
長は,平成15年3月1日,「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令の
一部を改正する政令等の施行について」と題する通知(平成15年健発第0301
002号各都道府県知事並びに広島市長及び長崎市長あて厚生労働省健康局長通
知)を発出して,402号通達の失権取扱いの定めを廃止し,日本において健康管
理手当等の支給認定を受けた「被爆者」が出国した場合及び日本において健康管理
手当等の支給認定の申請をした「被爆者」が出国した後に手当の支給認定を受けた
場合であっても,当該「被爆者」に対して手当を支給することとする旨取扱いを改
めるに至った。
(4)原告らの被爆の状況等
ア原告らは,第二次世界大戦中の昭和19年に国民徴用令に基づく徴用令書の
交付を受けて徴用され,朝鮮半島の各居住地から広島市まで連行されて当時の三菱
重工業株式会社に引き渡され,同社の広島機械製作所又は広島造船所において労働
に従事していたところ,昭和20年8月6日に広島市に投下された原子爆弾により
被爆した。原告らが被爆した際にいた地域は,いずれも,原爆三法において「被爆
者」として認定を受けることのできる地域とされているが,原告らの中には,40
2号通達が発出される前に被爆者健康手帳の交付を受けた者はいない。
イ原告X,同X,同X,同X,同X,同X,同X,同X,同X,123479172132
同X,同X,同X,同X及び同Xの合計14名は,昭和56年12月23435363739
0日から平成7年5月16日までの間に被爆者健康手帳の交付を受けた上,健康管
理手当の支給認定を受け,昭和63年4月から平成7年8月までの間の1∼3か月
間,健康管理手当を受給したことがあるが,いずれも,402号通達に基づき,日
本からの出国を理由に支給が打ち切られた。上記14名の原告らのうち,402号
通達の失権取扱いの定めが廃止された時点で生存していた者は,平成15年3月又
は5月に健康管理手当の支給認定の申請をするなどして,再び健康管理手当を受給
するようになった。
原告X,同X,同X,同X,同X,同X,同X,同X,同X,5611121314181920
同X,同X,同X,同X,同X,同X及び同Xの合計16名は,昭23242526333840
和56年12月20日から平成8年12月2日までの間に被爆者健康手帳の交付を
受けたが,402号通達の失権取扱いの定めが廃止されるまでの間に健康管理手当
の支給を受けたことはなかった。上記16名の原告らのうち,上記廃止時点で生存
していた者は,廃止直後に死亡した者及び来日が不可能な者を除き,平成15年5
月に健康管理手当の支給認定の申請をした。
原告X,同X,同X,同X,同X,同X,同X,同X,同X及81015162227282930
び同Xの合計10名は,402号通達の失権取扱いの定めが廃止される前には被31
爆者健康手帳の交付を受けたことはなかった。上記10名の原告らのうち,上記廃
止時点で生存していた者は,同年3月3日又は同年4月10日に被爆者健康手帳の
交付の仮申請(来日前の事前申請)をした。このうち,原告X及び同Xは,同2728
年12月に被爆者健康手帳の交付を受け,健康管理手当の支給認定の申請をした。
原告らが,402号通達の失権取扱いの定めが廃止される前に,上記のとおり,
被爆者健康手帳の交付や健康管理手当の支給認定の申請をせず,あるいは,支給認
定を受けた期間が満了した後に再び健康管理手当の支給認定の申請をしなかった理
由は,来日が困難であったからではなく,失権取扱いを定めた402号通達が存在
していたからであった。仮に402号通達がなければ,原告らは,もっと早い時期
に上記各申請手続を執っていたものであり,そして,その申請は認められるべきも
のであった。
3原審は,次のとおり判示して,上告人の国家賠償法1条1項に基づく損害賠
償責任を肯定した上で,上告人に対して慰謝料100万円及び弁護士費用20万円
の合計120万円並びにこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で各原告の請
求を認容した。なお,原審は,原告らの主張する得べかりし健康管理手当受給額相
当額の損害の発生は認めなかった。
(1)402号通達の失権取扱いの定めは,明文の根拠規定もなしに,いったん
適法,有効に取得された法律上の地位を,日本からの出国という事実のみをもって
当然かつ一方的に失わせるという,他の同種の制度では見られないものである上,
被爆者に対して重大な影響を及ぼすものであることを考慮すると,402号通達を
作成し,発出するに当たっては,日本からの出国によって失権するという解釈や取
扱いに法律上の根拠があるといえるのかどうかについて十分に調査検討する必要が
あったというべきであり,そうしていれば,402号通達の失権取扱いの定めが違
法であることを認識することは十分に可能であったものと認められる。しかるに,
上告人は,402号通達の作成,発出の際の具体的事情について明らかにしようと
せず,本件全証拠によっても,十分な調査検討が行われたものと認めることはでき
ない。それにもかかわらず,誤った法律解釈に基づいて402号通達を作成,発出
し,これに従った失権取扱いを継続したことは,法律を忠実に解釈すべき職務上の
基本的な義務に違反した行為というべきであり,少なくとも過失が認められる。
したがって,上告人には,国家賠償法1条1項に基づき,違法な402号通達の
作成,発出と,これに従った失権取扱いの継続の結果,原告らに生じた損害を賠償
すべき義務がある。
(2)原告らは,被爆に対するいわれのない差別を受けながら,適切な医療も受
けることができずに募っていく健康や生活への不安,そのような境遇に追いやら
れ,在韓被爆者であるがゆえに何らの救済も受けることができずに放置され続けて
いることへの怒りや無念さといった様々な感情を抱いていたところ,孫振斗訴訟の
判決等を契機として,ようやく原爆二法に基づく救済が期待できる兆しが現われた
途端に402号通達が作成,発出され,以後これに従った行政実務が継続的に行わ
れたことによって,従前にも増して一層の落胆と怒り,被差別感,不満感を抱くこ
ととなり,年月の経過とともに高齢化していくことによる焦燥感も加わって,本件
訴訟を提起せざるを得なくなったものである。
(3)本件は,被爆という他に例を見ない深刻な被害を受けた被爆者の救済に関
して,上告人の発出した通達が法の解釈を誤ったものであったという特殊な事案に
関するものであり,これにより本件訴訟の提起にまで至った原告らが被った上記精
神的損害の深刻さ,重大性,特異性に照らせば,原告らの上記精神的損害に対する
慰謝料として各100万円を認めるのが相当である。
第2上告代理人大竹たかしほかの上告受理申立て理由第2の1∼4及び第3に
ついて
1原爆二法は,これらの法律による各種の援護措置の対象となる「被爆者」に
ついて,原子爆弾が投下された際当時の広島市又は長崎市の区域内に在った者等で
あって,その居住地(居住地を有しないときはその現在地)の都道府県知事に申請
して被爆者健康手帳の交付を受けた者をいうものと定めているものの,原爆二法に
よる各種の援護措置を受けるための要件として,「被爆者」であることに加えて,
その居住地が日本国内にあることまでは要求しておらず,また,いったん被爆者健
康手帳の交付を受けて「被爆者」たる地位を取得し,更に都道府県知事の支給認定
を受けて健康管理手当等の受給権を取得した「被爆者」が,日本国外に居住地を移
した場合にその受給権を失う旨の規定も置いていない。そうすると,いったん健康
管理手当等の受給権を取得した「被爆者」が日本国外に居住地を移した場合に,受
給権が失権するものとした402号通達の失権取扱いの定めは,原爆二法の解釈を
誤る違法なものであったといわざるを得ない。したがって,402号通達の失権取
扱いの定めは,原爆二法を統合する形で制定された被爆者援護法にも反することは
明らかである。
もっとも,上告人の担当者の発出した通達の定めが法の解釈を誤る違法なもので
あったとしても,そのことから直ちに同通達を発出し,これに従った取扱いを継続
した上告人の担当者の行為に国家賠償法1条1項にいう違法があったと評価される
ことにはならず,上告人の担当者が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことな
く漫然と上記行為をしたと認められるような事情がある場合に限り,上記の評価が
されることになるものと解するのが相当である(最高裁昭和53年(オ)第124
0号同60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁,最高裁平
成元年(オ)第930号,第1093号同5年3月11日第一小法廷判決・民集4
7巻4号2863頁参照)。
しかし,402号通達は,被爆者についていったん具体的な法律上の権利として
発生した健康管理手当等の受給権について失権の取扱いをするという重大な結果を
伴う定めを内容とするものである。このことからすれば,一般に,通達は,行政上
の取扱いの統一性を確保するために上級行政機関が下級行政機関に対して発する法
解釈の基準であって,国民に対して直接の法的拘束力を有するものではないにして
も,原爆三法の統一的な解釈,運用について直接の権限と責任を有する上級行政機
関たる上告人の担当者が上記のような重大な結果を伴う通達を発出し,これに従っ
た取扱いを継続するに当たっては,その内容が原爆三法の規定の内容と整合する適
法なものといえるか否かについて,相当程度に慎重な検討を行うべき職務上の注意
義務が存したものというべきである。
2昭和32年に制定された原爆医療法には,同法によって「被爆者」たる地位
を付与され,あるいは,同法による援護措置を受けるための資格要件として,日本
国内に居住地を有することを要する旨の明文の規定は置かれていない。しかし,
「被爆者」に対して健康診断等の健康管理を実施する機関を「都道府県知事」と定
めるなど,「被爆者」の居住地あるいは現在地が継続して日本国内にあることを前
提としたものと解する余地のある規定が置かれており,同法の定める援護措置も,
日本国内にある指定医療機関での医療の給付等に限られていた。さらに,昭和43
年に制定された原爆特別措置法では,援護措置として各種手当等の支給の制度が新
たに設けられたものの,これらの手当等の支給を実施する機関は都道府県知事とさ
れ,手当を受給する「被爆者」の都道府県知事に対する届出等に関する規定が置か
れるとともに,健康管理手当等の支給要件としていわゆる所得制限規定が置かれて
いた。
これらの原爆二法の規定等を根拠に,上告人の担当者は,一貫して,原爆二法は
日本国内に居住関係を有する被爆者に対してのみ適用されるものであって,日本国
外に居住する在外被爆者に対してはこれらの法律の適用はないものとする解釈を採
り,国会審議の場においても厚生大臣及び上告人の担当者がそのような法解釈を示
してきていたのに対して,特段の異論が述べられることもなかったことがうかがわ
れる。
これらの事実関係からすれば,上告人の担当者が,原爆二法について,当初,日
本国外に居住する在外被爆者に対してはその適用はないものとする解釈の下にその
運用を行ってきたことにも,それなりの根拠があったものと考えられ,しかも,上
告人の担当者において,このような法解釈が原爆二法の規定の客観的に正しい解釈
と整合する適法なものといえるか否かについて,改めて検討を行うことを迫られる
ような機会があったものとも認められないところである。
そうすると,昭和49年の402号通達発出の前の段階では,上告人の担当者
が,日本国外に居住する在外被爆者に対しては,そもそも原爆二法の適用がないも
のとする法解釈の下にその運用を行ってきたことをもって,その職務上通常尽くす
べき注意義務を尽くすことなく漫然と違法な運用を行っていたものとまでいうこと
は困難というべきである。
3しかし,その後,昭和49年3月に,孫振斗訴訟の第1審判決において,前
記のような原爆医療法の規定等からして,同法が適用されるための要件として被爆
者が日本国内に居住関係を有することが要求されているものと解することはでき
ず,したがって,日本国内に不法入国した在韓被爆者についても同法の適用がある
とする司法判断が示された。これを受けて,上告人の担当者の側でも,同年7月こ
ろには,在外被爆者については原爆二法の適用を一切認めず被爆者健康手帳の交付
を行わないものとしてきたそれまでの取扱いを改め,治療目的で適法に日本国内に
入国し1か月以上滞在している者については,日本国内に居住関係を有するものと
して,原爆二法の適用を認め,被爆者健康手帳を交付し,健康管理手当等の支給要
件に該当すれば支給認定をするという取扱いを採用するに至っていた。
402号通達は,このような状況の下で,昭和49年法律第86号による原爆二
法の一部改正等の機会に同年7月22日付けで発出されたものであり,昭和49年
厚生省令第27号による原爆特別措置法施行規則の改正に関連させる形で失権の取
扱いを定めたものであるところ,上記規則改正の内容は,原爆特別措置法に定める
健康管理手当等の受給権者が都道府県の区域を越えて居住地を移した場合に,手当
の支給が都道府県知事を通じて行われる仕組みになっていること等を理由に受給権
をいったん失権するものとしていた従前の取扱いを改めて,そのような事由によっ
ては受給権は失権しないこととするものであった。
これらの事実関係からすれば,402号通達発出の時点で,上告人の担当者は,
それまで上告人が採ってきた原爆二法が在外被爆者にはおよそ適用されないなどと
する解釈及び運用が,法の客観的な解釈として正当なものといえるか否かを改めて
検討する必要に迫られることとなり,現にその検討を行った結果として,在外被爆
者について原爆二法の適用を一切認めず被爆者健康手帳の交付を行わないものとし
ていたそれまでの取扱いや,健康管理手当等の受給権者が都道府県の区域を越えて
居住地を移した場合に受給権がいったん失権するものとしていた従前の取扱いが,
法律上の根拠を欠く違法な取扱いであることを認識するに至ったものと考えられる
ところである。
そもそも,年金,手当,医療費等の給付に関する制度には多くのものがあり,そ
の中には,日本国内に住所や居住地を有することが手当等の支給要件とされている
ものが少なくないが,そのような場合には,日本国内に住所等を有することが手当
等の支給要件であることが法文に明記されたり,日本国内に住所等を有しなくなっ
た場合には手当等の受給権を失うこととなる旨が法文に明記されるのが通例である
と考えられるところである(国民健康保険法,国民年金法,児童扶養手当法,特別
児童扶養手当等の支給に関する法律など)。ところが,原爆二法には,被爆者が日
本国内に居住地を有することがそれらの法律の適用の要件となる旨を定めた明文の
規定が存在しないばかりか,法の定めるところによっていったん「被爆者」につい
て発生した各種手当の受給権が,「被爆者」が日本国外に居住地を移すことによっ
て失われる旨を定めた明文の規定も存在しないのである。にもかかわらず,402
号通達発出当時,上告人の担当者は,そもそも在外被爆者に対してはこれらの法律
が適用されないものとする従前の解釈を改め,一定の要件の下で在外被爆者が各種
手当の受給権を取得することがあり得ることを認めるに至りながらも,なお,現実
にこれらの手当の受給権が発生した後になって,「被爆者」が日本国外に居住地を
移したという法律に明記されていない事由によって,その権利が失われることにな
るという法解釈の下に,402号通達を発出したこととなるのである。
このような法解釈は,原爆二法が社会保障法としての性格も有することを考慮し
てもなお,年金や手当等の支給に関する他の制度に関する法の定めとの整合性等の
観点からして,その正当性が疑問とされざるを得ないものであったというべきであ
り,このことは,前記のとおり,402号通達の発出の段階において,原爆二法の
統一的な解釈,運用について直接の権限と責任を有する上級行政機関たる上告人の
担当者が,それまで上告人が採ってきたこれらの法律の解釈及び運用が法の客観的
な解釈として正当なものといえるか否かを改めて検討することとなった機会に,そ
の職務上通常尽くすべき注意義務を尽くしていれば,当然に認識することが可能で
あったものというべきである。
そうすると,上告人の担当者が,原爆二法の解釈を誤る違法な内容の402号通
達を発出したことは,国家賠償法上も違法の評価を免れないものといわざるを得な
い。
そして,上告人の担当者が,このような違法な402号通達に従った失権取扱い
を継続したことも,同様に,国家賠償法上違法というべきである。
4以上によれば,402号通達を作成,発出し,また,これに従った失権取扱
いを継続した上告人の担当者の行為は,公務員の職務上の注意義務に違反するもの
として,国家賠償法1条1項の適用上違法なものであり,当該担当者に過失がある
ことも明らかであって,上告人には,上記行為によって原告らが被った損害を賠償
すべき責任があるというべきである。所論の点に関する原審の判断は,結論におい
て是認することができる。論旨は,採用することができない。
なお,論旨の引用する判例(最高裁昭和42年(オ)第692号同46年6月2
4日第一小法廷判決・民集25巻4号574頁,最高裁昭和45年(オ)第886
号同49年12月12日第一小法廷判決・民集28巻10号2028頁,最高裁昭
和63年(行ツ)第41号平成3年7月9日第三小法廷判決・民集45巻6号10
49頁,最高裁平成14年(受)第687号同16年1月15日第一小法廷判決・
民集58巻1号226頁)は,いずれも,事案を異にし本件に適切でない。
第3上告代理人大竹たかしほかの上告受理申立て理由第2の5について
前記事実関係等によれば,原告らは,被爆により,他の戦争被害とは異なる特異
な健康被害を被り,被爆者健康手帳の交付や健康管理手当の支給認定の申請をして
いれば,その申請は認められるべき状態にあったにもかかわらず,上告人の発出し
た違法な402号通達が存在したため,経済面でも健康面でも負担の大きい来日を
してまで被爆者健康手帳の交付や健康管理手当の支給認定を受けようとはしなかっ
たものであり,これによって,402号通達の失権取扱いの定めが廃止されるまで
長期間にわたり原爆三法に基づく援護措置の対象外に置かれ,被爆による特異な健
康被害に苦しみつつ,健康面や経済面に不安を抱えながら生活を続けることを余儀
なくされ,様々な精神的苦痛を被ったというのである。これらの事情に加えて,そ
もそも健康管理手当が「被爆者」の精神的安定を図ることをも目的として支給され
るものであることも考慮すると,上告人の担当者の原爆三法の解釈を誤った違法な
402号通達の作成,発出及びこれに従った失権取扱いの継続によって,原告らが
財産上の損害を被ったものとまですることはできないことを前提として,原告らは
法的保護に値する内心の静穏な感情を侵害され精神的損害を被ったものとして各原
告につき100万円の慰謝料を認めた原審の判断は,是認できないではない。論旨
は,採用することができない。
よって,裁判官甲斐中辰夫の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主
文のとおり判決する。
裁判官甲斐中辰夫の反対意見は,次のとおりである。
私は,原告らが原爆三法上の「被爆者」としての法的地位ないし権利を侵害され
たとして,上告人に対してした国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求は,棄却
すべきものと考える。その理由は,以下のとおりである。
1私は,原爆三法が各種の援護措置を受けるための要件として,「被爆者」で
あることのみを定めており,その居住地が日本国内にあることを定めていないこと
から,結局のところ,健康管理手当等の受給権を取得した「被爆者」が日本国外に
居住地を移したことにより受給権を失うものとした402号通達の定めは,原爆三
法の解釈としては違法なものといわざるを得ないと考える点においては,多数意見
と同じである。
しかしながら,上告人の担当者が402号通達を作成,発出し,これに従った取
扱いを継続したことが,相当の法律上の根拠を欠き,その職務上通常尽くすべき注
意義務に違反するものとして国家賠償法1条1項の適用上違法なものであり,当該
担当者に過失があるとする点においては賛同できない。
(1)402号通達の作成,発出時の原爆二法の規定の全体を検討すると,一方
において,多数意見のいうように,外国に居住する「被爆者」については,原爆二
法の適用がないとすることを直接根拠づける明文上の規定はないものの,他方にお
いて,原爆二法には上告人が402号通達を作成,発出する際に採った解釈を前提
として設けられたとみることができる規定が存在しており,これに加えて,原爆二
法の性格や立法者の意思などそのような解釈をする根拠があるのであって,それに
は次のようなものがあげられる。
ア各種手当の所得制限について
402号通達の作成,発出当時の原爆特別措置法に基づく特別手当,健康管理手
当,医療手当,介護手当については,所得制限規定が設けられており(同法3条,
6条,8条,9条2項),「被爆者」本人及び配偶者らの所得につき,所得税法の
規定により計算した前年分の所得税の額が一定額を超えるときは,手当の全部又は
一部を支給しない旨定められている。
所得税は,いうまでもなく国内居住者に対し課税される(所得税法7条1項)の
であって,外国居住者には課税されない。しかも,所得制限規定は,単なる手続規
定ではなく,実体的な権利の存否に関する規定であり,これらの規定を外国居住者
に適用することは不可能である。仮に,外国居住者(外国人などの)は所得制限規
定の対象外であると解釈するとなると,原爆特別措置法は,外国在住の「被爆者」
に対し,所得制限を設けずに各種手当を支給することになり,その大部分が日本人
である日本在住の「被爆者」よりも手厚い保護をしていると解釈することになる
が,同法がそのような不合理な立場を採っているかは疑問である。結局,所得制限
規定は,原爆二法が外国居住者には適用されないことを当然の前提としているもの
と解する根拠となり得る規定といえよう。
次に所得制限の規定はどのような法律に設けられているのであろうか。
医療費,手当,年金等に関する各法律をみると,①外国居住者にも手当が支給さ
れる戦傷病者戦没者遺族等援護法,戦傷病者特別援護法,恩給法,厚生年金保険法
などの法律には,所得制限の規定はない。②これに対し,児童手当法,児童扶養手
当法,特別児童扶養手当等の支給に関する法律は,国内に住所を有することを支給
要件としているが,所得制限規定がある。③一方,②の三法律は,無拠出制の社会
保障法であり,原爆二法が同様に無拠出制の社会保障法という性格を有することは
明らかである。
そうすると,上告人の担当者が,402号通達の作成,発出当時,原爆二法は,
無拠出制の社会保障法であって,属地主義が原則となり,社会連帯の観念を入れる
余地のない外国居住者に対しては,明文規定がない限り適用されず,所得制限規定
が設けられていることはその根拠となると解したとしても,他の法律との整合性か
らすれば十分あり得る解釈であろう。
イ原爆医療法3条1項は,居住地又は現在地の知事に被爆者健康手帳の交付申
請をしなければならないと定めており,手帳の交付は原爆二法による各種の援護措
置の対象となる「被爆者」であるための要件であることから,同項は,国内に居住
又は現在する者に原爆二法が適用されるものであるとの解釈を前提としているもの
とみる余地のあった規定といえよう。
ウ原爆医療法は,国内における厚生大臣の指導監督下にある医療機関による医
療給付が中心であり,毎年健康診断が行われ(4条),さらに必要な指導を行う
(6条)ことなど継続的な給付をその内容としているのであり,国内に居住又は現
在する者に対して適用されることを前提としているものと解し得るものであった。
エ原爆二法を在外「被爆者」に適用し,給付を行うことが予定されているので
あれば,これを予定した手続規定が設けられているはずなのに,原爆二法には,国
内に居住又は現在する者については具体的な手続規定が置かれているにもかかわら
ず,国内に居住も現在もしない外国居住者に関しては手続規定が一切設けられてい
ない。
オ原爆二法の立法過程等における政府委員等の答弁は,在外「被爆者」には原
爆二法が適用されないことで一貫しており,立法者の意思もそのとおりであった。
このように402号通達の作成,発出時の関係法令全体やその法的性格,立法者
の意思などを総合的に考えると,昭和49年の402号通達の作成,発出時におい
て,上告人の担当者が原爆二法は外国居住者には適用されないと解釈したことに
は,相当の法律上の根拠があるといわざるを得ず,このような解釈によれば402
号通達の失権取扱いの定めは当然の内容であるということになり,同じく相当の法
律上の根拠を有することとなろう。したがって,上告人の担当者が402号通達を
作成,発出するに際し,その職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然
と上記行為をしたと認められるような事情があり,国家賠償法1条1項にいう違法
があったと評価することはできないものといわざるを得ない(最高裁平成元年
(オ)第930号,第1093号同5年3月11日第一小法廷判決・民集47巻4
号2863頁参照)。
本来,同一の法律についての法律上の根拠がある解釈が,ある時期からその根拠
が失われたとするには,その法律が改正されるか,司法による明確な反対解釈が示
されるなどの新たな事情が必要である。これを本件についてみると,原爆二法につ
いての上記のような上告人の担当者の解釈は,多数意見においても少なくともそれ
なりの根拠があったことは,認められているところである(第2の2)。そして,
原爆二法立法後,402号通達の作成,発出時までに上記のような新たな事情は認
められず,したがって,法律上の根拠が失われたということはできない。多数意見
指摘の孫振斗訴訟の第1審判決は,我が国に不法入国した被爆者であっても,我が
国に現在することによって原爆医療法の適用を受け得るものと判示したにすぎず,
我が国に現在しない在外被爆者一般に対して原爆二法の適用を認めたものではな
い。これに,上告人の担当者が,上記第1審判決に応じて一定期間我が国に現在す
る在外被爆者に対して,被爆者健康手帳の交付をするよう取扱いを改めた事実を加
えたとしても,それらが上告人の担当者らの解釈が本来有していた法律上の根拠が
失われる事情にはなり得ないものである。
その後,平成7年7月1日の被爆者援護法の施行により所得制限規定が撤廃され
たが,同法の立法過程における政府委員等の答弁は,同法は外国居住者には適用さ
れないことを当然の前提としており,法律の適用範囲を国外に拡大し,あるいは法
律の性格が変更されたわけではない。そうすると,上告人の担当者が,上記立法の
経緯から法律の性格は変わらないと考え,直ちに402号通達の失権取扱いの定め
を廃止しなかったことをとらえて国家賠償法上違法になるとすることはできない。
(2)ある事項に関する法律解釈につき異なる見解が対立し,実務上の取扱いも
分かれていて,そのいずれについても相当の根拠が認められる場合に,公務員がそ
の一方の見解を正当と解しこれに立脚して公務を執行したときは,後にその執行が
違法と判断されたからといって,直ちに上記公務員に過失があったものとすること
は相当ではない(最高裁昭和42年(オ)第692号同46年6月24日第一小法
廷判決・民集25巻4号574頁,最高裁平成13年(行ヒ)第266号,第26
7号同16年1月15日第一小法廷判決・民集58巻1号156頁参照)。
これを本件についてみると,原爆三法について,上告人の担当者が日本国外に居
住する在外被爆者に対してはその適用がないとする解釈の下に402号通達を作
成,発出し,これを維持してきたことは,前記1(1)のとおり相当の法律上の根拠
があったものと認められる。そして,402号通達の合法性については,近時ま
で,これが問題とされることすらなかったのである。
なお,孫振斗訴訟の最高裁判決は,第1審判決と同様に,我が国に不法入国した
被爆者であっても,我が国に現在する者である限りは,原爆医療法が適用されると
判示したにすぎないものであって,各種手当の給付が中心となる原爆特別措置法の
我が国に現在しない在外被爆者への適用について判断したものでないことはいうま
でもない。したがって,上告人の担当者が,これまでの原爆特別措置法の解釈の正
当性について疑問を持つべき契機となるものではない。
402号通達の合法性が裁判上初めて問題とされたのは,本件訴訟の第1審にお
いてであり,平成11年3月25日の本件第1審判決が初めての司法判断であると
ころ,その内容は,402号通達とこれに基づく上告人の失権取扱いの合法性を肯
定するものであった。ところが,その後,同13年6月1日,大阪地裁がいわゆる
郭貴勲訴訟において,被爆者援護法における「被爆者」たる地位が日本からの出国
により失われないとする上記判決と相反する判決を言い渡した。そこで,上告人
は,この問題に対する司法の判断が分かれたことから上級審の判断を仰ぐことと
し,上記大阪地裁判決に対して控訴した。その結果,同14年12月5日,大阪高
裁が控訴棄却の判決をしたことから,上告人は,上告等をせず,同15年3月1日
に402号通達の失権取扱いの定めを廃止したものである。
このような経緯からすると,上告人の担当者の402号通達の作成,発出及びこ
れに従った失権取扱いの継続は,これを肯定する裁判例もあるなど相当の法律上の
根拠が認められ,上告人の担当者は,その後司法判断が変化したことから,これに
応じた対応をしたにすぎないのであって,国家賠償法上の過失は認めることができ
ない。
2原判決は,402号通達の失権取扱いの定めとこれに従った行政実務につい
て上告人の担当者に国家賠償法上の違法性と過失を認めたが,一方では原告らに得
べかりし健康管理手当相当額の財産上の損害が生じているものとは認められないと
しつつ,他方でこれとは別に原告らは402号通達の失権取扱いの定めとこれに従
った行政実務により落胆と怒り,被差別感,不満感などの感情を抱かされたもので
あり,このように社会通念上その限度を越える精神的損害は法的保護の対象になる
として,各原告につき100万円の慰謝料を認めたものであり,多数意見は,この
ような原判決の判断は是認できないではないという。
一般に,法律上保護された利益の侵害がなければ不法行為法上違法であるとはい
えず,国及びその担当者の行為により不快の念を抱いたとしても,これを被侵害利
益として,直ちに損害賠償を求めることはできないと解するのが相当である(最高
裁昭和57年(オ)第902号同63年6月1日大法廷判決・民集42巻5号27
7頁,最高裁平成17年(受)第2184号同18年6月23日第二小法廷判決・
裁判集民事220号573頁参照)。
一方において,水俣病認定申請手続において,認定の遅れにより内心の静穏な感
情を害されない利益を,不法行為法上の保護の対象になり得るものと認めた判例
(最高裁昭和61年(オ)第329号,第330号平成3年4月26日第二小法廷
判決・民集45巻4号653頁)がある。しかし,この判例は,具体的に水俣病認
定申請を行った者に対して,その認定の長期間に及ぶ遅れを問題としたものであっ
て,具体的な申請行為を行っていない者に対して上記法的利益を認めたものではな
い。
これを本件についてみるに,原告らのうち一部の者は,被爆者健康手帳の交付及
び健康管理手当の支給認定を受けているが,残りの者は,健康管理手当の支給認定
の申請をしていない者又は被爆者健康手帳交付の申請すらしていない者である。原
判決は,原告らにはいずれも健康管理手当相当額の財産上の損害が生じていないと
いう。しかし,前提となる請求である財産上の損害が法的に認められない原告らに
対し,同一行政行為に対する精神的苦痛のみを取り上げて法的保護に値する利益の
侵害があるといえるのであろうか。とりわけ,原告らの中には平成15年に至るま
で健康管理手当の支給認定や被爆者健康手帳交付の申請をしていない者があるが,
健康管理手当受給に向けての具体的申請をしていない者に対しては,同手当相当額
の損害が生じているとは認められないのは当然であるところ(原判決178頁参
照),そうであるとすると,そのような原告に対して同手当の支給が受けられなか
ったからといって,法的保護に値する精神的損害を認めることは困難である。
もともと,402号通達は,日本人を含む外国居住者一般を対象とするものであ
って,原告ら及び在韓被爆者のみに適用し,差別するものではないことはその内容
から明白である。上告人の担当者は,原爆三法に関する担当者としての解釈に基づ
いて402号通達を作成,発出してその定めに従った失権取扱いを継続し,その解
釈が裁判上問題とされるに至って,司法の判断が分かれる中で,高等裁判所の判断
に従い,その取扱いを改めたものである。これら上告人の担当者の一連の対応にと
りたてて原告らに精神的苦痛を与えたものと認められるべき要素はない。
結局,原判決は,原告らの被差別感,不満感などの感情を法的保護に値する精神
的損害と認めた点においても誤りであり,これを是認することはできない。
(裁判長裁判官涌井紀夫裁判官甲斐中辰夫裁判官泉徳治裁判官
才口千晴)

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