弁護士法人ITJ法律事務所

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         主    文
       原判決中,プライバシーの侵害を理由とする損害賠償請
       求に関する部分を破棄する。
       前項の部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
         理    由
 上告代理人水永誠二,同渡辺千古,同林千春の上告受理申立て理由について
 1 原審の確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
 (1) 被上告人は,D大学等を設置する学校法人である。D大学は,かねてより
,諸外国の要人が来日した際,同大学へ招いて,その講演会を開催してきた。D大
学は,平成10年7月下旬ころ,中華人民共和国大使館から,同国のE国家主席が
,同年秋ころに来日する際,同大学を訪問したい旨の連絡を受け,同主席の講演会
を開催することを計画し,警視庁,外務省,同大使館等と打ち合わせた上,同年1
1月28日に同大学のF講堂において同主席による本件講演会を開催することを決
定し,同大学の学生に対し参加を募ることにした。
 (2) 本件講演会の参加の申込みは,平成10年11月18日から同月24日ま
での間にD大学の各学部事務所,各大学院事務所及びGセンターに備え置かれた本
件名簿に,希望者が氏名等を記入してすることとされた。本件名簿の用紙には,最
上段の欄外に「中華人民共和国主席E閣下講演会参加者」との表題が印刷され,そ
の下に,横書きで学籍番号,氏名,住所及び電話番号の各記入欄が設けられ,参加
申込者が1人ずつ記入できるよう,1行ごとに横線が引かれて各欄が囲われていた。
上記用紙には,1枚につき,15名の参加申込者が記入できるよう,15行の欄が
設けられていた。そして,本件名簿に氏名等を記入して本件講演会に参加を申し込
んだ学生に対しては,参加証等が交付された。
 (3) 上告人らは,当時D大学の学生であったが,本件講演会への参加を申し込
み,本件名簿にその氏名等を記入して,参加証等の交付を受けた。
 (4) D大学は,本件講演会を準備するに当たり,警視庁,外務省,中華人民共
和国大使館等から,警備体制について万全を期すよう要請されていた。そこで,D
大学の職員,警視庁の担当者,外務省及び中華人民共和国大使館の各職員らの間に
おいて,平成10年7月下旬ころから,数回にわたり,打合せが行われた。その中
で,D大学は,警視庁から,警備のため,本件講演会に出席する者の名簿を提出す
るよう要請された。
 (5) このような要請を受けて,D大学は,内部での議論を経て,本件講演会の
警備を警察にゆだねるべく,本件名簿を提出することとした。そこで,総務部管理
課において,平成10年11月25日までに各事務所等から学生部に届けられた本
件名簿の写しの提供を受け,同課の職員が,同日又は翌26日の夜,その本件名簿
の写しを,D大学の教職員,留学生,プレス関係者等その他のグループの参加申込
者の各名簿と併せて,警視庁戸塚署に提出した。D大学は,このような本件名簿の
写しの提出について,上告人らの同意は得ていない。
 (6) 上告人らは,本件講演会に参加したが,E主席の講演中に座席から立ち上
がって「中国の核軍拡反対」と大声で叫ぶなどしたため,私服の警察官らにより,
身体を拘束されて会場の外に連れ出され,建造物侵入及び威力業務妨害の嫌疑によ
り現行犯逮捕された。その後,上告人らは,本件講演会を妨害したことを理由とし
てD大学からけん責処分に付された。
 2 本件は,上告人らが,被上告人に対し,違法な逮捕に協力し無効なけん責処
分をしたことを理由とする損害賠償,同処分の無効確認並びに謝罪文の交付及び掲
示を求めるとともに,被上告人が上告人らを含む本件講演会参加申込者の氏名等が
記載された本件名簿の写しを無断で警視庁に提出したことが,上告人らのプライバ
シーを侵害したものであるとして,損害賠償を求めた事案である。
 3 原審は,前記事実関係の下で,プライバシーの侵害を理由とする損害賠償請
求について,次のとおり判示し,同請求を含めて上告人らの本件請求をいずれも棄
却すべきものとした。
 (1) 本件名簿は,氏名等の情報のほかに,「本件講演会に参加を希望し申し込
んだ学生である」との情報をも含むものであるところ,このような本件個人情報は
,プライバシーの権利ないし利益として,法的保護に値するというべきであり,本
件名簿は,そのような情報価値を具有するものであったことが認められる。
 (2) D大学による本件名簿の警察に対する提出行為については,同大学が本件
講演会参加申込者の同意を得ていたと認めるに足りる証拠はない。しかし,私生活
上の情報を開示する行為が,直ちに違法性を有し,開示者が不法行為責任を負うこ
とになると考えるのは相当ではなく,諸般の事情を総合考慮し,社会一般の人々の
感受性を基準として,当該開示行為に正当な理由が存し,社会通念上許容される場
合には,違法性がなく,不法行為責任を負わないと判断すべきであるところ,本件
個人情報は,基本的には個人の識別などのための単純な情報にとどまるのであって
,思想信条や結社の自由等とは無関係のものである上,他人に知られたくないと感
ずる程度,度合いの低い性質のものであること,上告人らが本件個人情報の開示に
よって具体的な不利益を被ったとは認められないこと,D大学は,本件講演会の主
催者として,講演者である外国要人の警備,警護に万全を期し,不測の事態の発生
を未然に防止するとともに,その身辺の安全を確保するという目的に資するため本
件個人情報を開示する必要性があったこと,その他,開示の目的が正当であるほか
,本件個人情報の収集の目的とその開示の目的との間に一応の関連性があること等
の諸事情が認められ,これらの諸事情を総合考慮すると,同大学が本件個人情報を
開示することについて,事前に上告人らの同意ないし許諾を得ていないとしても,
同大学が本件個人情報を開示したことは,社会通念上許容される程度を逸脱した違
法なものであるとまで認めることはできず,その開示が上告人らに対し不法行為を
構成するものと認めることはできない。
 4 上告人らは,原判決のうちプライバシーの侵害を理由とする損害賠償請求に
関する部分を不服として,本件上告受理の申立てをした。
 5 原審の前記判断のうち,前記3の(1)は是認することができるが,同(2)は是
認することができない。その理由は,次のとおりである。
 (1) 本件個人情報は,D大学が重要な外国国賓講演会への出席希望者をあらか
じめ把握するため,学生に提供を求めたものであるところ,学籍番号,氏名,住所
及び電話番号は,D大学が個人識別等を行うための単純な情報であって,その限り
においては,秘匿されるべき必要性が必ずしも高いものではない。また,本件講演
会に参加を申し込んだ学生であることも同断である。しかし,このような個人情報
についても,本人が,自己が欲しない他者にはみだりにこれを開示されたくないと
考えることは自然なことであり,そのことへの期待は保護されるべきものであるか
ら,【要旨1】本件個人情報は,上告人らのプライバシーに係る情報として法的保
護の対象となるというべきである。
 (2) このようなプライバシーに係る情報は,取扱い方によっては,個人の人格
的な権利利益を損なうおそれのあるものであるから,慎重に取り扱われる必要があ
る。本件講演会の主催者として参加者を募る際に上告人らの本件個人情報を収集し
たD大学は,上告人らの意思に基づかずにみだりにこれを他者に開示することは許
されないというべきであるところ,【要旨2】同大学が本件個人情報を警察に開示
することをあらかじめ明示した上で本件講演会参加希望者に本件名簿へ記入させる
などして開示について承諾を求めることは容易であったものと考えられ,それが困
難であった特別の事情がうかがわれない本件においては,本件個人情報を開示する
ことについて上告人らの同意を得る手続を執ることなく,上告人らに無断で本件個
人情報を警察に開示した同大学の行為は,上告人らが任意に提供したプライバシー
に係る情報の適切な管理についての合理的な期待を裏切るものであり,上告人らの
プライバシーを侵害するものとして不法行為を構成するというべきである。原判決
の説示する本件個人情報の秘匿性の程度,開示による具体的な不利益の不存在,開
示の目的の正当性と必要性などの事情は,上記結論を左右するに足りない。
 6 以上のとおり,原審の前記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法
令の違反があり,論旨は理由がある。原判決中プライバシーの侵害を理由とする損
害賠償請求に関する部分は破棄を免れない。そして,同部分について更に審理判断
させる必要があるから,本件を原審に差し戻すこととする。
 よって,裁判官亀山継夫,同梶谷玄の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意
見で,主文のとおり判決する。
 裁判官亀山継夫,同梶谷玄の反対意見は,次のとおりである。
 D大学が本件個人情報を警視庁に開示したことは,上告人らに対する不法行為を
構成しない。その理由は,次のとおりである。
 本件個人情報は,プライバシーに係る情報であっても,専ら個人の内面にかかわ
るものなど他者に対して完全に秘匿されるべき性質のものではなく,上告人らが社
会生活を送る必要上自ら明らかにした情報や単純な個人識別情報であって,その性
質上,他者に知られたくないと感じる程度が低いものである。また,本件名簿は,
本件講演会の参加者を具体的に把握し,本件講演会の管理運営を円滑に行うために
作成されたものである。
 他方,本件講演会は,国賓である中華人民共和国国家主席の講演会であり,その
警備の必要性は極めて高いものであったのであるから,その警備を担当する警視庁
からの要請に応じてD大学が本件名簿の写しを警視庁に交付したことには,正当な
理由があったというべきである。また,D大学が本件個人情報を開示した相手方や
開示の方法等をみても,それらは,本件講演会の主催者として講演者の警護等に万
全を期すという目的に沿うものであり,上記開示によって上告人らに実質的な不利
益が生じたこともうかがわれない。
 これらの事情を考慮すると,D大学が本件個人情報を警察に開示したことは,あ
らかじめ上告人らの同意を得る手続を執らなかった点で配慮を欠く面があったとし
ても,社会通念上許容される限度を逸脱した違法な行為であるとまでいうことはで
きず,上告人らに対する不法行為を構成するものと認めることはできない。
 よって,上告人らの請求をいずれも棄却すべきものとした原審の判断は正当とし
て是認することができ,本件上告は理由がないものとして棄却すべきである。
(裁判長裁判官 滝井繁男 裁判官 福田 博 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山
継夫 裁判官 梶谷 玄)

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