弁護士法人ITJ法律事務所

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          目     次
 主 文
 理 由
 第一 原判決認定事実の概要並びに本件捜査及び公判等の経過
  一 原判決認定事実の概要
  二 本件捜査及び公判等の経過
 第二 検察官及び被告人、弁護人の各控訴趣意に対する判断
  一 審判の請求を受けない事件について判決をしたとの控訴趣意について(弁
趣第二点)
  二 理由不備ないし理由のくいちがいの控訴趣意について(弁趣第三点)
  三 訴訟手続の法令違反の控訴趣意について(弁趣第四点、A8趣第五点)
   1 共犯者の検事調書の証拠能力(弁趣第四点の一、A8趣第五点の二)
  (一) 任意性
   (1) A1の検事調書
   (2) A2の   〃
   (3) A3の  〃
   (4) A4の   〃
   (5) A5の 〃
   (6) A6の   〃
   (7) A7の  〃
   (8) A8方会議の開催日に関する供述の変遷
  (二)特信状況
   2 ビデオテープ等の証拠能力(A8趣第五点の一)
  (一) テレビフイルム及びテレビ映像
  (二) ビデオテープ及び写真帳
  (三) まとめ
   3 B巡査の死因に関する審理不尽(弁趣第四点の二)
  四 被告人A8及び弁護人の事実誤認の控訴趣意について(弁趣第一点、A8
趣第二点ないし第四点)
   1 被告人A8関係
  (一) 諸種の準備活動に関する被告人A8の指示、関与
   (1) A8方会議
   (2) aアジト及びbアジトの準備
   (3) 二日の状況
   (4) 一二日の状況
   (5) 二二日の状況
  (二) 被告人A8のアリバイ等
   (1) 被告人A8のアリバイ
   (2) その他
  (三) 事前共謀の成立
   2 被告人A9関係
   (一) 国鉄F1駅における共謀の成立
   (二) 神山派出所付近の状況
    (1) 神山派出所に対する放火
    (2) 機動隊員に対する傷害
   (三) B巡査に対する殺害の共謀及び実行行為
    (1) 被告人A9のB巡査に対する殴打
    (2) 被告人A9の火炎びん投てきの指示
    (3) 被告人A9のB巡査に対する殺害の故意等
  五 検察官の事実誤認の控訴趣意について(検趣第一点)
     1 機動隊員殺害に関する事前共謀
     2 B巡査殺害の故意及び実行行為
  六 法令適用の誤りの控訴趣意について(弁趣第五点、A8趣第四点の一)
  七 量刑不当の控訴趣意について(検趣第二点、弁趣第六点、A8趣第六点)
 第三 結語及び被告人A9に関する自判の判決
         主    文
     一 原判決中、被告人A9に関する部分を破棄する。
     被告人A9を無期懲役に処する。
     原審における未決勾留日数中一、〇〇〇日を右刑に算入する。
     原審における訴訟費用中、別紙一に記載した各証人に支給した分の全
部、別紙二に記載した各証人に支給した分の三分の一及び当審における訴訟費用の
二分の一は、被告人A9の負担とする。
     二 被告人A8に対する本件各控訴を棄却する。
     当審における訴訟費用の二分の一は、被告人A8の負担とする。
         理    由
 本件控訴の趣意は、検察官川島興作成名義の控訴趣意書並びに被告人A8作成名
義及び弁護人太田惺、同兼田俊男、同木村壮、同菅原克也、同中根洋一、同平賀睦
夫、同三上宏明共同作成名義の各控訴趣意書にそれぞれ記載されたとおりであり、
これに対する答弁は、検察官加藤泰也作成名義の答弁書及び右各弁護人ら共同作成
名義の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
 なお、説明の便宜上、判文及び引用の控訴趣意、証拠及び記録について、以下の
用語例及び略語を用いることとする。
 ○本文中特に年を表示しないときは、昭和四六年の当該月日を示すものとする。
 ○控訴趣意書を引用する場合は、次の例による。
 検察官作成の控訴趣意書第一点………検趣第一点
 弁護人ら作成の控訴趣意書第二点……弁趣第二点
 被告人A8作成の控訴趣意第三点……A8越第三点
 ○証人の証言は、公判廷における供述と公判調書中の供述記載部分又は原審の証
人尋問調書とを区別することなく、単に証言と言うほか、次の例による。
 「イ」 被告人A8及びA10に対する原審第二〇回公判期日における証言……
A8・二〇回の証言又は証言(A8・二〇回)
 「ロ」 東京地方裁判所昭和四六年合(わ)第四五四号被告人A11に対する兇
器準備集合等被告事件第二一回公判調書謄本中C1の供述部分……C1の(証)
 ○引用する証拠書類について、年を表示しないものは、昭和四七年の当該月日に
作成されたことを示すものとし、また、原本、謄本及び写の区別をせず、次の例に
よる。
 検察官に対する昭和四七年二月一〇日付供述調書……(検)(2・10)又は
2・10(検)
 司法警察員に対する昭和四七年二月一〇日付供述調書(警)(2・10)又は
2・10(警)
 ○記録を引用する場合は、次の例による。
 原審記録第一冊一〇丁……原一冊一〇丁
 当審記録中書証関係綴り第一冊一〇丁……当書一冊一〇丁
 当審記録中供述関係綴り第一冊一〇丁……当供一冊一〇丁
 第一 原判決認定事実の概要並びに本件捜査及び公判等の経過
 一 原判決認定事実の概要
 1 被告人A9は昭和四一年四月に、同A8は同四二年四月に、分離前の相被告
人A10(控訴申立後、病気により公判手続停止中である。)は同四三年四月に、
それぞれ群馬県高崎市所在のD1大学に入学したものであるが、三名とも入学直後
から学生運動に熱意を抱き、同大学学生自治会の再建をはかり、同四四年六月ころ
には、被告人A8を委員長、同A9を副委員長、A10を執行委員の一人とする学
生自治会が成立した。
 2 被告人らは、いずれもE1E2派(以下E2派と言う。)の同盟員もしくは
その強い共鳴者であつて、被告人A8においては、その後連続三期自治会委員長を
勤め、その間に、同自治会が組織加盟したE3(E2派系)の中央執行委員とな
り、被告人A9においては、本件当時は、いわゆるD2闘争の関係で捜査当局から
指名手配を受けていた。
 3 昭和四六年に入り、いわゆるD17が、同年秋には批准されるのではないか
と予想されるに至つたため、E2派は、右協定批准阻止闘争に全力を注ぐ方針を定
め、一〇月には、二月一四日首都総決集戦(以下一一・一四闘争ないし本件闘争と
言う。)を呼びかけ、二月に入るや、機関紙「D3」一一月一日号及び同月五日付
号外(以下五日付D3号外と言う。)に、「機動隊せん滅」あるいは「F5に大暴
動を」などのタイトルの下に、煽動的な記事を掲載して、読者に二・一四闘争への
参加を強く求めた。
 4 そこで、被告人A8及びA10らは、D1大のみならず、近隣のD4大学、
D5学校、D6大学のE2派のメンバーあるいは同調者に、一一・一四闘争への参
加を呼びかけ、同月六日には、A2、A4、A7ら数名とともに、D7大学で行わ
れた、一一・一四闘争に向けての決起集会に出席し、席上、A10が、群馬地区か
らの参加者を代表して、闘争参加の決意を表明した。
 5 翌一一月七日、被告人A8及びA10は、D1大自治会室において、参集し
た者に対し、一一・一四闘争への参加を呼びかけ、同日夜には、前示A2、A4、
A7のほか、A12、A1、A6、A5、A13、A14、A15ら約一四名を被
告人A8方(c荘)に集め、五日付D3号外により一一・一四闘争の意義、内容な
どをこもごも説明し、強く同闘争への参加を促した。右呼びかけに応じ、A7、A
6ら三名位が闘争参加の決意を表明した後、A10は、参加者の班編成などを説明
し、同人が中隊長、A7が中隊副官になること(以下A10を中隊長として編成さ
れた部隊を群馬部隊と言う。)、同月一〇日に上京して本件闘争に備えることなど
を指示した(以下A8方会議と言う。)。
 6 同月一〇日、被告人A8及びA10は、A5、A1、A12、A6、A2、
A13、A7、A4らとともに上京し、あらかじめ借り受けていた東京都目黒区内
のaビルd階e号室のa方(以下aアジトと言う。)に入つたが、同日にはA1
6、A14が、翌一一日にはA15、A3がこれに合流した。その後、被告人A8
及びA10は、右参加者らに対し、各種集会に参加させ、また、E2派の闘争本部
と連絡のうえ、F5周辺を下見させ、あるいは闘争用の火炎びん、竹竿、工具類な
どを調達、製造、隠匿させるとともに、夜間は、同アジトにおいて、右参加者らと
D3の読合わせなどを行つた。
 7 同月一三日、本件闘争に関する、F5へのE2派各軍団の結集計画に伴い、
群馬部隊も、本件当日午後二時国鉄F1駅で他の部隊と合流することになつたこと
から、被告人A8及びA10らは、群馬部隊の集結方法を検討するなどした。同日
夜、被告人A8は、F1駅集合部隊の指揮者打合せ会議に出席してaアジトに戻つ
たA10とともに、A15、A2、A5、A12、A1、A6、A3、A14、A
13、A4、A7、Bのほか、新たに合流したA17の全員を集めて全体会議を開
き、その士気を鼓舞し、参加者の一部からは、決意表明が行われた。また、その
後、被告人A8は、A10、A7、A2、A5、Bとともに、翌一四日に、鉄パイ
プを含む工具類や火炎びんを運搬する班、群馬部隊の集合地国鉄F2駅に至るべき
経路等を検討し、決定した。
 8 同月一四日、被告人A8を除く右の者らは、二人ないし三人一組となつて逐
次aアジトを出発し、それぞれ定められた道順を辿り、一部の者において火炎び
ん、鉄パイプ、工具類などを携行したうえ、一旦F2駅に集合し、同日午後一時四
〇分ころ、F1駅に到着した。やがて、同駅ホームには、F3反戦、F1地区反戦
の労働者や学生及びD8大学やD9大学の各学生による埼玉部隊の者ら約一三〇名
ないし一四〇名が、それぞれ火炎びん、鉄パイプなどを携行して集合し、間もな
く、被告人A9も姿を現わした。A10は、同被告人の指示により、指名手配中の
同被告人を防衛するよう、A7、A4、A5、A3らに命じた。被告人A9は、同
駅ホームで、右火炎びん等を携行する各部隊(以下本件集団と言う。)に対して、
警察署、交番等への放火、機動隊員の殺害に関するアジ演説をし、これに呼応する
本件集団を指揮して同駅を出発し、F8駅で小田急線に乗り換え、同日午後三時一
三分ころ、同線F4駅に下車した。
 9 その後、被告人A9の指揮する本件集団は、同駅前から駈足でF5方面へ向
かい、途中、同都渋谷区f町所在の警視庁渋谷警察署神山派出所(以下神山派出所
と言う。)付近において、道路上に横隊となつてその進路を規制していた小隊長G
以下二七名の警察官と遭遇するや、被告人A9の号令の下、多数の火炎びんを投て
きし、三名の警察官に加療約二週間ないし約一年四か月を要する顔面、両下肢等熱
傷の各傷害を負わせ、また、同集団の一部の者は、神山派出所に火炎びんを投げつ
けて放火し、現に住居に使用している同派出所の土台、天井板などを焼燬した。
 10 続いて、同日午後三時二〇数分すぎころ、同区f町g番h号H1方前路上
(以下本件殺害現場と言う。)において、本件集団に属する多数の学生、労働者の
攻撃を受けて後退中の巡査Bを発見するや、鉄パイプ、竹竿、火炎びんを持つた被
告人A9、A10、A18、A3、A4、A7らを含む数名にて、これを捕捉して
順次取り囲み、被告人A9の「やれ。」との号令や、A18の「殺せ、殺せ。」の
怒号に呼応し、即時同所において、右の者らは、共同して同巡査が死に至るかも知
れないことを知りながら意思相通じて、棒立ちのまま無抵抗のB巡査に対し、右の
者らにおいて所携の鉄パイプ、竹竿等で同巡査の頭部、肩部、腹部を多数回にわた
つて乱打し、それにより道路上に同巡査が倒れるや、右の者ら及び右状況を認識し
て同様に未必の殺意を抱きこれらの者と意思相通じて同巡査をその後順次取り囲む
に至つた本件集団の者ら数名において、被告人A9の指示のもとに、そのうちA1
9、A7を含む数名の者が、B巡査めがけて、火炎びんを数本投げつけ、これを発
火炎上させて同巡査に対し、ほぼ全身にわたつて第二度ないし第四度の火傷を負わ
せ、翌一五日午後九時二五分ころ、同都千代田区ij丁目所在のF6病院におい
て、右火傷により同巡査を死亡させたが、本件集団は、右火炎びん投てき後、同区
mn丁目所在のF7本店前へ進出した(以上が、原判決の判示する、本件犯行に至
る経緯及び同犯行の概要であるが、なお、原判決は、被告人A9の兇器準備集合、
同A8の兇器準備結集について、それぞれ本件集団のF1駅から神山派出所前を経
てF7本店前に至るまでを集合ないしは結集として判示している。また、本項にお
いては、本件殺害現場関係以外についての共謀の成立時、その内容等に関する原判
示部分を便宜省略した。)。
 二 本件捜査及び公判等の経過
 記録及び関係証拠によれば、以下の事実が認められる。
 1 一一・一四闘争においては、約三〇〇名が現行犯人として逮捕されたが、警
視庁及び東京地方検察庁は、その余の参加者に対しても捜査を開始し、とりわけB
巡査殺害に関して、特別の捜査態勢をとり、電車内あるいは街頭などに残された火
炎びんなどの遺留品を収集し、目撃者から犯行状況を聴取するとともに、神山派出
所付近における本件集団を撮影した写真から、参加者を割り出すよう努めた。
 2 その後、当日の参加者が殆んどE2派をあらわす白のヘルメツトを使用して
いた中で、ノンセクトを示す黒ヘルメツトを着用していたA1及びA12が特定さ
れて、昭和四七年一月一九日右両名が逮捕され、その自供により群馬部隊の全容が
判明し、同年二月二日にA10、A3、A5、A2、A4らが、同月二九日にA6
が、同年三月一八日にA7が、いずれも兇器準備集合、公務執行妨害、傷害、現住
建造物等放火の容疑で逮捕されて取調べを受けるに至つた(なお、A10、A4、
A3、A7の四名は、後に殺人容疑で再逮捕されている。)。
 3 右逮捕者のうち、A1、A3、A4、A7は、捜査官による取調べ後東京家
庭裁判所に送致され、A1を除くその余の者らは、いずれも同裁判所から再び検察
官に送致された。
 4 以上のような経過を経て、A1、A10を除くその余の者は、いずれも前記
罪名により(再逮捕された者については、殺人罪を含む。)起訴されたが、その
後、A3は、控訴審において懲役七年(一審では懲役四年以上六年以下の不定期
刑)、A4は、一審において懲役三年以上五年以下(控訴棄却)、A7は、控訴審
において懲役五年以上七年以下(一審では懲役四年以上六年以下)の刑にそれぞれ
処せられ、A2、A5、A15、A12、A6は、いずれも懲役三年(A2、A
5、A15、A12は四年間、A6は五年間の各執行猶予付)の刑に処せられた。
 5 A10は、昭和四七年二月二三日に兇器準備集合、公務執行妨害、傷害、現
住建造物等放火の罪により、同年三月一三日には、B巡査に対する殺人の罪によ
り、それぞれ東京地方裁判所に起訴された。
 被告人A8は、同年四月四日に逮捕され、同月二五日兇器準備結集、公務執行妨
害、傷害、現住建造物等放火、殺人の罪により、同裁判所に起訴された。同年八月
一四日、右両名に対する弁論が併合され、審理が行われた。
 6 原審は、前示A1ら共犯者(但し、A12を除く。以下同じ。)を証人とし
て取り調べたが、そのうち、A6、A5及びA15の三名は、その出頭を拒否した
ため、勾引されたものであり、A6は、さらに当初証言拒否の態度を示していた
が、その後ようやく証言するに至り、また、A2は、当初出頭を拒否しており、説
得の結果出頭したものの、証言を拒否したことにより過料の制裁を受けたが、その
後(後記被告人A9に関する弁論の併合後)の公判期日において証言を行うに至つ
ている。
 7 他方、被告人A9は、昭和五〇年八月六日逮捕され、同月二七日、兇器準備
集合、公務執行妨害、傷害、現住建造物等放火、殺人の罪により、東京地方裁判所
に起訴された。その後、原審は、同年一二月二二日に至り、被告人A8及びA10
に対する弁論に、被告人A9に対する弁論を併合したが、同被告人について、前示
A1ら共犯者を再度証人尋問する必要上、その都度弁論の分離、併合を行いなが
ら、A7、A3、A4、A1、A6、A15、A5の各証人調べを行つた。
 8 右証人調べの後、検察官から、右証人らの検察官に対する供述調書(以下検
事調書と言う。)につき、刑事訴訟法三二一条一項二号に基づく取調べ請求がなさ
れ、原審は、同五二年一月一四日右各検事調書を採用する旨決定した。
 9 原審は、昭和五四年八月二一日被告人A9に対し懲役二〇年、同A8に対し
懲役一三年の各刑を、同年一〇月二三日A10に対し懲役一五年の刑をそれぞれ言
い渡した。
 第二 検察官及び被告人、弁護人の各控訴趣意に対する判断
 一 審判の請求を受けない事件について判決をしたとの控訴趣意について(弁趣
第二点)
 所論は、要するに、被告人A9に対する起訴状記載の公訴事実において、B巡査
の殺害がF1駅における多数の学生、労働者らとの事前共謀に基づく犯行であると
されていたにもかかわらず、原審が、何ら訴因変更の手続きを経ることなく、これ
を本件殺害現場における群馬部隊所属者その他との現場共謀に基づく犯行として認
定したのは、審判の請求を受けない事件について判決をした違法がある、と言うの
である。
 記録によれば、同被告人に対する、殺人についての本件起訴状記載の公訴事実の
概要は、次のとおりである。すなわち、
 「同被告人は、昭和四六年一一月一四日午後三時二〇分すぎころ、東京都渋谷区
f町g番h号H1方前路上において、多数の学生、労働者らの攻撃を受けて後退中
の巡査B(二一歳)を見つけるや、同人を殺害すべく他の学生、労働者らと共謀の
うえ、鉄パイプ、竹竿などで同人の頭部、肩などを多数回にわたり殴打し、路上に
倒れた同人に火炎びん多数を投げつけて炎上させ、よつて、ほぼ全身にわたつて第
二度ないし第四度の火傷を負わせ、翌一五日午後九時二五分、同都千代田区ij丁
目k番l号F6病院において、右火傷により同人を死亡させて殺害の目的を遂げ
た。」
 というのである。
 検察官は、原審第一回公判期日において、右公訴事実につき、被告人A9は、共
謀に基づき、実行行為にも出た旨釈明し、さらに冒頭陳述では、同被告人は、本件
当日F1駅において、被告人A8及びA10ら一四名の群馬部隊の者及び埼玉部隊
や反戦部隊の者ら約一〇〇名と順次意思を通じ、(他の公訴事実である公務執行妨
害、傷害、現住建造物等放火のほか)F5駅周辺において警備任務などの職務に従
事中の警察官の殺害についての共謀を遂げた旨説明している。
 ところで、原審においては、先に摘記したような経過を辿つて、本件集団とくに
群馬部隊の行動、被告人A9の関与の有無等についての審理がなされ、原判決は、
前記第一の一の10において要約したとおり、同被告人は、B巡査の殺害につき、
いわゆる現場共謀のうえ、自ら実行行為にも及んだ旨判示しているのである。
 してみれば、前記公訴事実と原判示事実との間には、共謀成立の時点、場所及び
共謀者の範囲について差異のあることは所論のとおりであるが、共謀の内容自体に
は何らの径庭がなく、共謀者の範囲は縮小されたに止まり、両事実の間には、共謀
に基づくB巡査殺害という基本的事実関係において差異がないから、前記程度の差
異は、未だ公訴事実の同一性を失わせるものとは言い難く、原判決には所論のよう
な違法はない。なお、被告人A8については、警察官に対する殺人及び傷害に関
し、いずれも事前共謀として起訴されているところ、原判決は、殺人の事前共謀の
主張を排斥して、傷害の事前共謀の主張のみを認め、当該共謀者の一部において殺
人の行為に及んだとするに止まるのであるから、何ら違法はない(ちなみに、本件
審理の経緯に照らすと、被告人側は、右共謀の点について十分攻撃防禦を尽くして
いると認められるから、原審が、起訴状記載の公訴事実と異なる認定をするにつ
き、訴因変更の手続を経なかつたからといつて、その訴訟手続に法令の違反がある
と言うこともできない。)。論旨は理由がない。
 二 理由不備ないし理由のくいちがいの控訴趣意について(弁趣第三点)
 所論は、B巡査に関する殺人事件について、原判決は、「罪となるべき事実」の
判示において、「イ」何ら被告人A9の具体的実行行為を明示しないのに、「弁護
人及び被告人らの主張に対する判断」中においては、同被告人が同巡査殺害の実行
行為に加担していたことは証拠上明らかであると言い、「ロ」殺人の未必の故意に
必要とされる「認容」の存在についても触れるところがなく、さらに、「ハ」同巡
査殺害に関する現場共謀の成立についても、その成立時点及び共謀者の範囲を明ら
かにしていないのであるから、原判決には、刑事訴訟法三七八条四号所定の理由不
備ないし理由のくいちがいの違法がある、と言うのである。
 しかしながら、「イ」前記第一の一の10の原判示事実の要約から明らかなよう
に、原判決は、被告人A9について、「a」同巡査への殴打行為に際し、「やれ」
と号令したこと、「b」同被告人を含む者らが、鉄パィプ、竹竿等で同巡査を乱打
したことをそれぞれ認定し、さらに、「c」倒れた同巡査を取り囲んだ者らに対
し、火炎びんを投げつけるよう指示したことを具体的に判示しているのである。従
つて、同被告人についての殺人の実行行為は、十分明らかにされていると言うべき
である。次に、「ロ」殺人の未必の故意に関し、原判決の「罪となるべき事実」中
に、「認容」の文言自体が欠けていることは所論のとおりである。しかし、理論的
に、未必の故意に「認容」が必要であるということと、判文上その「認容」の存在
を示すのに、いかなる表現をもつてするかということは、全く別個の問題である。
原判決は、この点について、前示のとおり、被告人A9らは、「死に至るかもしれ
ないことを知りながら」「棒立ちのまま、無抵抗のB巡査に対し、右の者らにおい
て所携の鉄パイプ、竹竿等で同巡査の頭部、肩部、腹部を多数回にわたつて乱打
し、」続いて、路上に倒れた同巡査めがけて、「火炎びんを数本投げつけ、」これ
を発火炎上させて同巡査を死亡させた旨判示し、被告人A9らが、同巡査を死に至
らしめるかもしれないことを認識しながら、敢えて殺害に至るべき行為に出たこ
と、すなわち、同被告人らに所論「認容」の存在したことを明示しているのである
から、その未必の故意の判示に欠けるところはない。さらに、「ハ」現場共謀の成
立時点などについて判示するところを見ると、原判決は、前示のとおり、同巡査を
殴打する直前に、まず被告人A9及びA10ら数名の者の間に、同巡査殺害につい
ての共謀が成立し、次いで、同巡査が路上に倒れた際に、順次これを取り囲んだ者
数名との間にも同様の共謀が成立したことをそれぞれ認定判示していることが明ら
かである。以上の次第であるから、所論は、いずれも原判決の判示するところを正
解しないものと言わなければならない。論旨は、理由がない。
 三 訴訟手続の法令違反の控訴趣意について(弁趣第四点、A8趣第五点)
 1 共犯者の検事調書の証拠能力(弁趣第四点の一、A8趣第五点の二)
 まず、所論は、A7(4・11、4・12、6・8)、A3(2・9、2・1
4、2・16、2・18、2・25)、A4(2・9、2・14、2・16、2・
18、2・25、4・26)、A2(2・10、2・15、2・17、2・22
(ただし「四回」の表題のあるもの)、4・11)、A6(3・10、3・13、
3・15)、A1(1・20、1・25、1・31、2・3)、A5(2・4、
2・9、2・10、2・19、2・23)、A15(2・10、2・16、2・1
8)の各検事調書(以下本件各検事調書と言う。)を採用した決定(以下原決定と
言う。)は、その任意性、特信性の判断を誤つたものであり、しかも、原判決は、
右採用した本件各検事調書を用いて、被告人A9がB巡査殺害の実行行為に加担し
たこと、被告人A8が事前共謀に加担したこと、特に二一月一三日夜aアジトの会
合に出席して、同所に宿泊し、翌一四日朝も同所で出発する群馬部隊の者を見送つ
たとの事実を認定しているのであるから、右任意性、特信性についての判断の誤り
は、判決に影響を及ぼすことが明らかである、と言うものである。
 しかしながら、原審記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果を
併せ考えても、本件各検事調書の任意性、特信性に疑問を抱くには至らないのであ
つて、この点についての原決定の判断に誤りがあるとは言えない。以下、所論にか
んがみ、主要な点に関し、当裁判所の判断を補説する。
 ところで、本件各検事調書は、既に明らかなように、いずれも共犯者の供述調書
であるから、これを刑事訴訟法三二一条一項二号の書面として採用するには、同法
三二五条、三一九条一項に照らし、まず、その任意性の有無の判断が必要であると
ころ、弁護人及び被告人A8の控訴趣意においては、右任意性についての主張を、
同法三二一条一項二号但し書のいわゆる特信情況の主張あるいは一般的な信用性の
主張とともにしており、その間の区別にやや明確を欠くものがあつたところ、弁論
においては、これが相当程度明確に区別されて主張されるに至つた(ただし、なお
特信性ないし信用性の主張と混同しているきらいがないわけではない。)ので、以
下、主として、弁論において主張されたところに従つて判断し、必要に応じ、控訴
趣意における主張にも触れることとする。なお、控訴趣意及び弁論における本件各
検事調書についての主張のうち、信用性に関するものは、後記事実誤認についての
判断の際に必要に応じて触れることとし、この項においては、まず誘導的取調べの
有無など本件各検事調書の任意性に関する所論について判断し、次いで、特信状況
の有無について検討する。
 (一) 任意性
 本件各検事調書の任意性の有無についての所論は、概ね次のとおりである。すな
わち、本件犯行の捜査を担当した警察官及び検察官(以下両者を併せて捜査官又は
取調官と言う。)は、本件集団の中からA1及びA12を割り出した当時から、本
件犯行を被告人らによる計画的犯行と見込み、まずA1、A12を逮捕し、とりわ
けA1に対して、強い誘導的取調べあるいは不起訴の約束に基づく取調べを行つ
て、群馬部隊の全容を述べさせるとともに、本件犯行が被告人らを含む同部隊によ
るものであることを窺わせる供述をさせ、さらには、被告人A9のB巡査殺害への
直接的加担を匂わせる伝聞供述までさせたうえ、これを用いて、続いて逮捕したA
3、A4、A5に対して同様の誘導的取調べをし、あるいはA3に対して控訴しな
い旨の約束による取調べ、A4に対して偽計による取調べなどを行つた。しかし、
同人らから、被告人らについての十分な供述、とりわけB巡査殺害の実行行為者に
ついての詳細な供述が得られなかつたため、捜査官は、最も殺人罪の適用を恐れて
いたA2に対し、A1同様殺人罪について不起訴を約束したうえ、程度を超えた誘
導的取調べをして、右実行行為者に被告人A9及びA10が含まれる旨の詳しい供
述を獲得し、これを用いて右A3ら三名に対し再度強い誘導ないし追及的取調べあ
るいは脅迫を行い、結局、右A2供述に沿う三名の供述を得るに至つた。さらに、
右各供述を用いて、A6及びA7に対しても同様の取調べをなし、特にA7に対し
ては、取調べの席上実父に殴打までさせてその自白を得たものである、と言うので
ある。
 右主張からも明らかなとおり、所論は、各検事調書のいずれについても誘導、理
詰めないし追及的取調べを主張し、しかもその主張が極めて多数かつ詳細になされ
ているので、判断の便のため、右のような取調べの有無、あるとした場合、その許
否についての各一般的基準及び供述の任意性に及ぼす影響などについて、あらかじ
め当裁判所の判断を示すこととする。
 まず、所論は、特異な供述をもつて違法な誘導の証左とするが、一般に、特異な
出来事に関する供述は、通常捜査官の知り得ない事柄に属するものと言うべく、従
つて、むしろ当該供述の任意性を推認させる一資料であり、特段の事情のない限
り、右特異性をとらえて、直ちに、これを強制ないしは違法な誘導があつたことの
証左とはなし得ない。
 次に、所論は、本件各検事調書相互間に、同一ないし同一に近い記載内容が見ら
れることをもつて、右誘導等の取調べがなされたことを示すものである、と言う。
しかしながら、同一の事柄に対して、複数の共犯者に供述を求めた場合、通常、相
互にほぼ同様の内容が供述されることは、当然の結果とも言うべく、単に各供述調
書間に同様の記載があることのみをもつて、直ちに違法な誘導等の取調べがあつた
とすることはできない。
 また、所論中には、同一人の供述内容が変遷していることをもつて、誘導等の取
調べがあつたことの証左であると主張する部分もある。しかし、一般的に言えば、
被疑者の供述内容は、捜査の進展によつて、他の証拠が順次獲得収集されるに従
い、あるいは捜査官の説得などにより、否認から自白へ、さらに詳細な自白へと変
化していくことが多いのであるから、当該供述内容に変遷があることをもつて、直
ちに違法な捜査方法を推認するのは、相当とは言い得ない。
 他方、誘導、理詰めあるいは追及的な取調べ方法は、それ自体、直ちに供述の任
意性に影響を及ぼすわけではない。すなわち、証拠上、確実な資料に基づかない捜
査官の一方的な見込みあるいは発問内容の一方的な押しつけが窺われるときには、
その供述の任意性を否定すべきことがあるのは格別、記憶喚起のため、あるいは説
得により否認を翻えさせるため、既に収集された証拠、例えば共犯者の供述調書を
用いて取調べをし、さらには合理的範囲内で理詰めないし追及的質問を試みること
は許されると解すべきである。
 以上のとおりであつて、所論が、誘導、理詰めないしは追及的取調べがなされた
ことを主張しているものの、単に、当該供述調書に、特異な供述記載、又は他の供
述調書と同一の供述記載があること、供述内容の変遷が見られることなどをその論
拠とし、あるいは、誘導、理詰めないしは追及的取調べであると言うのみで、それ
が合理的範囲を超える等の特段の事情の主張がない場合にあつては、これらは、未
だ当該供述調書の任意性に影響を及ぼすものとは考えられないから、個々に、その
主張の採り得ない理由について説明することを省略し、以下、任意性に疑いを抱か
せるに足りると考えられる、主要な主張についてのみ判断する。
 そこで、前示のとおり所論が主張する本件各検事調書作成の順序に従い、その任
意性の有無を検討する。
 (1) A1の検事調書
 イ まず、所論は、本件について逮捕された群馬部隊所属者のうち、起訴されて
いない者はA1だけであることを根拠に、同女と捜査官との間に、被告人A8や同
部隊所属者らについて虚偽の供述をするよう、取り引きが存在したことを十分推認
し得ると言う。
 しかし、A1が起訴に至らなかつたのは、関係証拠によれば、前にも一部触れた
とおり、検察官から事件送致を受けた家庭裁判所において、少年法二〇条による検
察官への事件送致を行うことなく、同女について終局処分を行つたからに過ぎない
のであつて、検察官の不起訴裁量権に基づくものではない。しかも、同女に関する
家庭裁判所への送致罪名は、A2、A5らと同様であつたと認められ、他方、事件
送致に際し、検察官が敢えて同女への軽い処遇を望んでいた形跡も何ら存在しない
ことからすれば、所論は、家庭裁判所が少年に対して、独自に処遇を決定する立場
にあることを無視した憶測に過ぎず、その前提を欠くものとして、採用するに由な
いものと言わなければならない。
 ロ また、所論は、捜査官の見込み捜査による誘導的取調べを主張するが、右見
込み捜査であるとの点は、A1及びA12が被告人A8らと同様D1大の学生であ
り、ノンセクトであつたということ以外には、何ら確かな根拠はないのであるか
ら、これを認めるに由なく、右主張は採用の限りでない。
 ハ なお、所論は、A1が、1・25(検)中で、一一月一四日当日被告人A8
とF1駅まで一緒であつたと供述していることをもつて、捜査官による誘導の証左
と言うが、同女はA8・二五回において、弁護人からの、右供述は検察官の誘導に
よるのではないかとの趣旨の問いに対して、単に記憶が混乱したためであると思う
旨証言(原一三冊一二二九丁)しているのであるから、所論は採るを得ない。
 (2) A2の検事調書
 イ 所論は、まず、A2が2・17(検)において、B巡査の殺害に関し、本件
殺害現場における実行行為者として、解告人A9のほかA10、A4、A7、A
3、A18の氏名及び言動を特定した供述を行つたのは、取調警察官I1から昭和
四七年二月一三日ないし一四日に、取調検察官I2からは同月一七日に、それぞれ
殺人罪による起訴を免除する旨の約束を得たからであつて、その代償としての右供
述は任意性を欠く、と言うのである。
 ところで、所論は、右結論に至る前提として、A2がB巡査殺害の実行行為者の
一人であり、かつ、捜査官がこれを承知していたと言い、その論拠としてA2の供
述調書中の記載などを挙げるので、以下これについて検討する。
 a 所論は、A2が、2・14(警)中において、取調警察官から、「イ」「君
は当日現場近くに、しかも火炎びんを二本も持つていながら、なぜ機動隊員に投げ
なかつたか」とか、「ロ」「君は当日の編成からして班長という地位にありなが
ら、また、D1大ならびに同じ中隊に所属する者が直接警察官に対し手をくだして
いるのに客観的に見ていることができたか」と問われて、「イ」に対し、「客観的
に見て投げるのが普通だろうけれども」と答え、「ロ」に対し、「客観的に見るこ
とはできませんでした」と答えていることをもつて、右は、A2がB巡査の殺害に
主体的に関わつた、すなわち実行行為を行つた証左であると主張し、A8・四一回
において、同人が、本件殺害現場では、「観察者としてはいられなかつたと思いま
す」と証言(原一八冊二七四二丁)したことも同様である、と言うのである。
 しかしながら、右警察調書中の、所論問答部分を見ると、「イ」の問答について
は、前記の答に引続き、「その時見ていた様子が何か非常に恐ろしくなつたので、
投げることができませんでした。」との答えがあり、「ロ」の問答については、続
いて、「それではどうしたか。」との問いと、「恐ろしさを感じて何もできません
でした。」との答えがなされているのである。一連の右問答によれば、同人は、事
の成行き上、第三者から見れば、火炎びんを投げるべき立場にあつたかもしれない
が、同人としては、恐怖のため実行行為に及ぶことができず、また、第三者的な、
冷静な立場で観察することができなかつた、とするに止まるのであつて、同人が、
「客観的に見る」ことができなかつたのであるから、主体的に関わつたと見るべき
であるとする所論は、右問答の趣旨を正解しないものと言わなければならない。ま
た、所論指摘の同人の原審証言も、その前後及び同趣旨の他の証言部分(原一八冊
二七六〇丁)を併せ考えれば、同人は、B巡査に対して火炎びんが投げられるのを
見て、様々な感情が交錯し、自分はどうするかを考えることで精一杯であり、冷静
な、観察者的立場には立てなかつたことを述べているに過ぎないことが明らかであ
る。従つて、所論の各供述記載などから、同人の実行行為を推認することは困難で
ある。
 b また、所論は、A2が、A8・一三回において、殺人罪について起訴される
虞れがあることを理由にその証言を拒否したことは、同人において、殺人罪に相当
する行為があるにもかかわらず、捜査官の不起訴の約束に基づき、他人にその責任
を転嫁して虚偽の供述をしたため、公判廷でこれが明らかになることを恐れたから
である、従つて、右証言拒否は、同人のB巡査殺害への加担と、捜査官による不起
訴の約束とを推認させるものである、と言う。
 なるほど、A2が、右公判期日において、所論のような理由で一旦証言を拒否し
たことは、その証言経過から明らかである。しかし、同人は、その態度を貫いたわ
けではなく、A8・四一回においては、検察官及び弁護人双方からの詳細な尋問に
も、ある程度答えるに至つているのであるから、所論のような推論を行うことは困
難である。記録によれば、同人が証言を拒否した実質的理由は、縷々の所論にもか
かわらず、原決定の判示するとおり、被告人A8に対する遠慮や気兼ねが極めて強
く、また、自己の証言により被告人らの属するセクトから、何らかの報復をされる
のではないかとの恐怖の結果であると見るのが相当である。
 c さらに、所論は、A2の2・16(警)中には、同人が、本件犯行後の一一
月一六日、D1大の自治会室において、「機動隊員をせん滅したと言つても実際現
場では火炎びん一、二本しか投げれない」との発言をした旨の、いわば自白に近い
供述が録取されているにもかかわらず、I2検察官が、2・17(検)において
は、これを無視し、「結局殴つたり投げたりすることができませんでした。」との
供述を録取するに止めていること(原四〇冊一四九六丁)は、同検察官が、同人の
B巡査殺害への加担を知りながら、これを起訴しない旨の約束をした事実を推認さ
せるものであり、その後の2・22(検)では、右自治会室における同人の発言部
分が抹消され、4・11(検)では、全く別の話にすりかえられていることも、同
様右約束の存在を推測させるものである、と言うのである。
 しかしながら、所論は、まず警察官I1による不起訴の約束が、昭和四七年二月
一三日ないし一四日になされたとする、前記所論と主張自体矛盾するものと言わな
ければならない。
 すなわち、前記所論によれば、当然、I1は、右日時以降A2自身の殺人の実行
行為に関する自白あるいはこれに類する供述を得る必要がない道理であるにもかか
わらず、その後に作成された2・16(警)に関する本所論において、右(警)中
に、再び殺人の実行行為に関する自白と見るべき供述があると主張するのは、それ
自体、前後矛盾するものである。しかし、右の点は暫く措くとしても、同人の右供
述部分は、到底、所論のように、殺人に関する自白に類するものとは認め難い。す
なわち、同供述部分は、本件犯行から二日後の、仲間同志の話合いの場に関するも
のであり、被告人A8が、「一四日の機動隊員もとどめをさしておけばよかつた
な。」と言つたことに対し、A1らが「私達は何もできなかつた。」などと話した
のに続いて、「私も」、所論指摘の発言をしたというのであり、その発言内容は、
火炎びんを、自分が「投げた」と言うのではなく、「一、二本しか投げれない。」
との、言わば客観的、批評家的表現に過ぎないのである。右供述の経過及び内容に
加えて、同一調書中のB巡査殺害の場面に関する供述においては、A2は、何ら自
己の火炎びん投てきについて述べるところがなく、所持していた火炎びん二本は、
F7本店を通り過ぎた付近で、電柱の蔭に捨てたと供述しているのであるから、こ
れらを併せ考えれば、右仲間同志の話合いの場面における同人の供述をもつて、実
行行為の自白ないしはこれに類するものと見るのは相当ではないと言うべきであ
る。従つてまた、その後の2・17、2・22各(検)中の記載内容をもつて、不
起訴の約束をしたことの現れと見ることもできない。そして、4・11(検)は、
一読して明らかなとおり、右各供述調書とは異なり、主として被告人A8の言動を
中心とするものであるから、A2自身の犯行現場における行動について触れるとこ
ろがないとしても、これをもつて全く別の話にすり変えられたと言うことはできな
い。
 d 所論は、以上に関連して、仮にA2がB巡査殺害の実行行為に加担していな
いとしても、捜査官は、同人の殺人罪で訴追されるかもしれないとの恐怖心を利用
して、不起訴の約束をしたとも言うが、同人のA8・四一回における証言によれ
ば、捜査官から、「殺人罪だと断定的に言われたことはないと思う、殺人罪で調べ
るかもしれないということは言われたと思う、そう言われて大変だと思つたと思う
が、一寸その時の気持は思い出せない、びつくりしたと思う。」(原一八冊二七五
四丁)というに止まるのであるから、これをもつて恐怖心をもつに至つたとまでは
言えず、所論は独自の推論に過ぎない。
 以上のとおりであつて、A2の前示検事調書が、捜査官との不起訴の約束に基づ
いた任意性のない供述であるとの所論は、これを採用することができない。
 ロ 次に、所論は、A2の2・17、2・22、6・26各(検)中にある、B
巡査殺害の実行行為者の特定に関する供述は、他の共犯者の供述調書に基づく誘導
のみならず、強制的取調べによつて録取されたと主張し、その証拠として、A2の
原審における警察官、検察官の方が、一応、こうじやなかつたかというような聞き
方をされまして、それでそうですというような形で調書をとつていつたと思いま
す、あるいは他の人の供述と比較対照しながら、確か調書をとつていつたと思いま
す、との趣旨の証言を指摘する。
 しかし、A2の供述中、最も基本的な、2・17(検)における供述と当該時点
までになされたA3、A4及びA5の関係供述とを対比すると、A2供述には、
「イ」B巡査に対する殴打の状況に関する供述に差異があり、とくにA7が殴打し
ていた旨、「ロ」倒れた同巡査の上に、A10が馬乗りとなつて、鉄パイプようの
ものでその肩などを殴打した旨、「ハ」A10が火炎びん投てきを命令した旨の三
点に、他の供述にはない特異性が見られる。とくに「ハ」については、A3は、火
炎びん投てきを命じたのは被告人A9であるとし、A4は、誰の声か分らないとす
るに止まり、A5は、これについて何ら言及していなかつたのであるから、到底捜
査官の知り難い事項であつて誘導、教示するに由ないところであり、むしろA2の
自発的供述態度を示す一資料と言うべきである。他方、A2の原審証言中には、た
しかに所論指摘に類する部分も見受けられるが、同時に、捜査官が、こんなことは
なかつたのかと質問しながら調書を作成していつたが、自分の記憶していることを
言つてみなさいということもあつたと思う、その詳しい事情は判然記憶していない
が、まるきり誘導尋問ということではないと思う、私が一から一〇まで喋つて作成
された調書でもなかつたと思う旨の証言もある(原一八冊二七六八丁)のであつ
て、以上を併せ考えれば、A2証言に言う誘導とは、先に説示したような、単なる
誘導的取調べを指すものに過ぎず、他に同人の取調べに関し強制を疑うべき形跡も
また存在しないから、未だ右誘導的取調べが強制ないしは押しつけの程度に達して
いたと見ることはできない(なお、所論は、A2の6・26(検)についても論難
するが、同調書は、原判決の挙示するものではなく、当審において採用されたに過
ぎないから、右部分は、主張自体失当である。)。
 ハ また、所論は、A2の4・11(検)中にある「一一月一四日朝やはりA8
さんがおりました」との供述部分は、右調書の作成日が、殺人罪不起訴の約束を与
えられているA2自身の判決言渡しの前日であることからして、利益誘導以外の何
物でもないと主張するが、既に説示したとおり、右不起訴の約束自体が認められな
いのであるから、所論はその前提において失当と言うべきである。
 (3) A3の検事調書
 イ 所論は、まず、A3の家庭裁判所の審判の際の否認を撤回させ、従前のB巡
査に対する殴打及び火炎びん投てきを認めていた同人の自白を維持させるべく、取
調官であつたI2検察官は、同人に対して一審の刑が軽くても控訴をしない旨約束
したとして緩々主張し、3・28(検)を論難する。しかし、同調書は、原決定が
採用したものではなく、単に任意性、特信性を争う証拠として当審において提出さ
れたものである。そして、所論指摘の控訴をしない旨の約束は、A3が検察官送致
決定を受けた後の出来事というのであるから、原決定の採用した各検事調書は、関
係証拠によつて、いずれもそれ以前に作成されたものと認められる以上、所論約束
は、これらの調書の任意性に何らの影響をも及ぼすものではない。従つて、主張自
体失当と言うべきであるが、ただ、右主張は、I2検察官がそれまでにして維持し
ようとした従前の自白に、任意性を疑わせる事由の存することを間接的に裏付けよ
うとするものとも解されるから、以下簡単に検討する。
 所論は、右約束が存在した裏付けとして、A3の当審における証言、すなわち、
同人は、成人となつた直後、控訴審において一審よりも重い刑を言い渡されたとき
に、検察官にも裏切られたと思つた旨の証言を挙げるのであるが、元々捜査を担当
した検察官が、捜査段階において、後日控訴するかどうかについてまで言及すると
は考え難く、I2検察官も、当審証言において、右約束を明白に否定しているので
ある。しかも、所論の約束が存在したとすれば、同人は、控訴審判決後ではなく、
検察官が一審判決に対して控訴した時点において、控訴をしない旨の約束が裏切ら
れたことを知り、約束違反を理由として争うのが自然である。にもかかわらず、控
訴審判決後になつてこれを問題と感じた旨の同人の右証言は、直ちには信用し難
い。
 また、同様にして所論は、当審において取り調べた同人の昭和四七年七月一八日
付I2検察官あての私信を、その裏付けであると主張するが、右私信は、同人が、
一審判決を受けた直後に、同検察官の愛情ある取調べに感謝の念を表明するととも
に、当該時点における同人の心境や今後の生き方について記したものであつて、そ
の内容中、「刑期の長短に対する不安も拭いとられてしまつた現在」との反言は、
その直後の、同人の心境を表現した「良心の呵責という言葉が私の胸を大きく占領
しております。」との文章の枕言葉として使用されているに過ぎず、また、「刑務
所へ行き真面目に刑期を務めあげる」との部分は、良心の呵責に苦しむ同人が、
「どう転んでも正しいという文字はでて」こない本件行動ではあつたが、将来を展
望して、「何をすべきかと考え」たうえ、「さしあたつて」、すなわち現在の立場
上なしうることとして挙げた事柄に過ぎない。従つて、これらの文言から、所論の
ように、同人が、I2検察官の控訴をしない旨の約束を信じて、少年のうちに服役
できることを喜んでいたとの事実を推認し得るとは、到底言い難いところである。
 ロ 所論は、次に、A3の各検事調書は、取調べに当たつた捜査官が、自ら直接
に、あるいは弁護人を通じて、A3に対し保釈、量刑等についての利益供与の約束
ないし示唆を与えたうえで、その供述(とりわけA3自身の火炎びん投てき並びに
被告人A9及びA10の本件殺害現場における言動についての供述)を録取したも
のであり、任意性を欠く、と言うのである。
 そこで、所論がその証左として挙げる、A3の陳述書中の、「私は今保釈になつ
たら父の居る土建会社で力仕事をしたいと考えております。」云々との記載につい
て検討する。右陳述書は、警察署、検察庁及び裁判所の三者の長にあてた昭和四七
年三月一日付作成にかかるものであつて、その本文の部分は、藁半紙大の用紙九枚
にわたり、同人が自筆で書き綴つたものである。その内容とするところは、狭い視
野の持主であつた自分が、逮捕後落ち着き、現在ではB巡査殺害の責任を思い、こ
れをエポツクとして立派な社会人となり、再びあやまちを繰り返したくないと反省
している旨を、過去の経緯をも含め、詳細に記したものであつて、右保釈云々の文
言は、先に摘記した部分に引続く「そして汗を流して自分の生活を支えてゆく辛
さ、楽しさを知りたいと思うのです。」との部分を含め、七枚目のわずか三行に記
載された部分である。以上によれば、右陳述書は、同人が保釈を許されることを当
然のこととして書き上げたものとは見られず、また、保釈云々の文言は、B巡査殺
害の責任を果たすための、今後の生き方を述べるに当たつて、もし保釈になること
があれば、従来とは異なる生活をしたいとの願望を書き綴つたものと見るべきであ
り、右文言から、直ちに所論のような保釈の約束、あるいは量刑上の利益供与があ
つたことを推認するのは相当ではない。同人は、当審において、捜査官に対して本
件殺害現場における状況を供述したのは、結局、詳しく話せば情状酌量してもらえ
ると考えてのことであるとの趣旨を証言し、保釈の可能性があるということと、殺
人現場のことを話すということとが、どれ位関連性があつたかということは分らな
い、とまで述べているのである。
 なお、所論は、原決定が、右保釈等の利益供与の約束を認めない理由の一つとし
て、A3が自己の被告事件の公判廷においては争つた形跡が全然認められないこと
を挙げていることに対し、同人は、家庭裁判所における審判では、自らの殺人の実
行行為を否認しているのであり、その後、自己の公判廷で右否認を維持しなかつた
のは、家庭裁判所から検察官に送致された直後に、否認を撤回させられ、諦めの心
境に立ち至つたからである、従つて、公判廷で争わなかつたことをもつて、右利益
供与の約束を否定することはできない、と主張する。
 しかし、当審において取り調べた同人の3・28(検)によれば、緩々の所論に
もかかわらず、右家庭裁判所における同人の否認は、言わば、全くの濡衣を晴らす
ために、心底から事実を否定するといつた体のものではなく、周囲の者の種々の不
純な言動に触発された結果のものであることが窺われるのであつて、それがため
に、同人は直ちに右否認を撤回し、自らの公判廷において争うことをせず、また、
A4に対しても自分は諦めているとの手紙を書き送つたものと解することができる
のである(所論は、右3・28(検)中の否認の理由が信用し得ないとして、A4
の殴打に関する供述を指摘するが、A3は、当審において、取調べの際、幹部以外
の者の氏名を秘匿したことを窺わせる証言をしていることに照らし、右主張は採用
し難い。)。従つて、原決定が、利益供与の約束を否定する理由の一つとして、右
A3自身の公判廷における態度を挙げたことは、所論にもかかわらず、何ら誤りと
は言えない。
 ハ また、所論は、A3が、被告人A9のB巡査に対する殴打、火炎びん投てき
命令及び同被告人自身による火炎びんの投てきについて供述している2・16
(検)は、捜査官の程度を超えた誘導的取調べによつて録取作成されたものであ
る、と言う。
 なるほど、同人の原審及び当審における証言中には、右所論に沿うかのような部
分もないではないが、その証言全体を仔細に検討すれば、同人が捜査官の取調方法
について批難するところは、具体的には、同人が推測事項として述べたことが、調
査上断定的な表現とされてしまつたということであつて(原一三冊一二二六丁、原
一四冊一二七六丁、一二八七丁、一四五三丁、一五三一丁)、捜査官の方から、君
がやつたことはもうわかつているなどと言われて供述を始めたのかとの問いを否定
し、自発的にB巡査の死亡に関係したと供述したことを肯定する証言をしているの
である(原一四冊一五三六丁以下)。しかも同人は、知らないことは知らないと言
うべきだつた(同一五三一丁)と証言するにもかかわらず、同人の2・25(検)
によれば、同調書は、同人の本件犯行当時の心情及び同人の行動の概要などを供述
するとともに、捜査官との問答が数点にわたつて記載されたものであるところ、同
人は、B巡査をハンマーでは殴つておらず、殴つたのは鉄パイプである、同巡査を
竹竿で殴つていた者は判らない、同巡査の傍でA4を見ていない、倒れた同巡査に
馬乗りとなつた者やガソリンをかけた者は見ていない、として否定すべきものは否
定し、同巡査に火炎びんを投てきした者の氏名も、確実なものと不確かなものとを
区別して供述し(被告人A9の右投てきには触れていない。)、そのうえで、従前
の供述中追加訂正することがないことを認めて、2・16(検)の供述を大綱にお
いて維持し、さらには、その調書末尾で、自分がB巡査を殴打した部位の訂正まで
申し立てているのである。これらからすれば、所論のような、違法な取調べを推測
することは困難であると言わなければならない。なお、2・16(検)には、被告
人A9の火炎びん投てきについての供述があるのに、2・25(検)には、前示の
ように、これが触れられておらず、所論の論難するところであるが、元々右供述
は、被告人A9が火炎びんを持つていたので、投げたと思う、という、甚だ確実性
に欠ける供述として録取されていたのであるから、同人において憶測に過ぎない右
供述を撤回したとしても、格別不自然とは言えず、却つて、右は、A3の供述する
ところに従つて、そのまま供述録取が行われたことの証左とも言うことができる。
 ハ 最後に、所論は、取調べに当たり、当初の逮捕罪名である放火罪が重罪であ
つたことから精神的重圧があり、また、黙つていると怒鳴られたり、机をどんと手
で叩いたりされて威圧感、圧迫感を強く感じたというA3の証言をもつて、その供
述に任意性がないことの根拠の一つとしているが、前示のような、取調べに際し、
同人は自発的にB巡査の死亡に関係したと供述した旨の証言と対比すると、同人が
少年であつたことを考慮しても、取調べの状況が右の程度に止まるときは、所論に
もかかわらず、これをもつて未だ供述の任意性を失わせる類いのものとは考え難
い。所論はいずれも理由がない。
 (4) A4の検事調書
 イ 所論は、まず、A4の2・16(検)における、B巡査への竹竿での殴打に
ついての自白は、右時点までにA4の殴打行為について供述していた者がA2のみ
であつたのに、取調検察官I3において、「複数、」「三人以上」あるいは「A
2、A5、A3の三人」が既に供述しているとの偽計を用いて取り調べた結果護得
されたものであつて、任意性を欠くと言うのである。
 しかし、所論の指摘する、「三人以上こうこう言つているのだ。」とのA4の原
審証言部分を見ると、その直前において、「例えば、最初の段階ではA2さんの供
述なんかそうですね。」(原一二冊九七五丁)との証言がなされている。また、捜
査官から「複数の人間が言つているんだ。」と申し向けられた旨のA4の当審証言
もあるが、具体的に、その名前を問われると、「記憶にあるのはA2という人で
す。」とか、「A2が、A4がなぐつていたんだ、というような供述をしていると
いうことです。」と証言している(当供一冊一〇五丁)のである。さらに、A4
は、同人自身の控訴審公判廷において、殺人に関して自白した理由を問われ、詳し
いことは陳述書に記載したとおりであるが、要するに、自分の記憶ではなく、A
2、A5、A3の三人の供述によつて自白するようになつた旨(A4の被告事件に
関する第三回公判調書、当書三冊七八二丁)述べ、また、その挙示する陳述書によ
れば、A4の自白の直接の切つ掛けは、A2らの供述である(当書三冊八〇六丁)
とも言うが、他方、右陳述書中で、A2の供述については、その供述内容すなわち
「A4がB巡査を竹竿がササラ状になるまで殴つていた。」とする点に関し、種々
反論しているにもかかわらず、A3及びA5の各供述内容は詳しく知らない、とし
(同八〇八丁以下)、さらには、「私を取り調べる糧とされたA2供述」とするに
止まつている(同八〇八丁)部分もあるのである。以上の事実に、取調検察官であ
る当審証人I3が、A4をA2供述によつて追及したことを自認していることを併
せて考えれば、A4の前示検事調書中の自白は、それまでに録取されていたA2の
2・14(警)によつて問い詰められたことを切つ掛けにしてなされるに至つたも
のと見るべきである(ちなみに、A4が、A2のほかにA5、A3の名前を挙げた
のは、捜査段階において、事後に自己の犯行に関するA5の供述がなされたことか
ら、自己の自白を最後まで維持せざるを得なかつたことによるものと見るのが相当
である。)。従つて、所論のように、取調検察官が偽計あるいは詐術を用いてA4
の右自白を得たものと認めることはできない。
 もつとも、所論はなお、検察官は、A2の供述調書を用い、A4に対して、極め
て執拗な追及的取調べをしていると主張し、そのことは、同人のB巡査に対する殴
打の態様が、左手で同巡査の脇腹を水平打ちに殴打したとの、通常ではあり得な
い、不自然なものとして供述されていることや、同人が、後日家庭裁判所で殴打行
為を否認し、一旦その否認を撤回したものの、同人自身の被告事件の公判廷で、再
び否認を続けたことからも明らかである、と言う。しかし、A4が左手に持つた竹
竿でB巡査を殴打したのは、右手に火炎びんを持つていたうえ、以前剣道をやつて
いて左手も右手と変らない強さを持つていたことからであつて(2・18(検)、
原三九冊一三三一丁以下)、格別不自然なこととは考えられない。また、A4の右
殴打に関する自白の切つ掛けになつたと考えられる、A2の前記供述調書の記載
は、「A4が竹竿で頭や肩を一〇数回殴りつけました。竹竿は半分位先がバラバラ
になり、たたけなくなりました。」(当書四冊九六九丁)というものであるが、A
4は、取調べの際、竹竿による殴打は認めながらも、竹竿がバラバラになるような
殴打はしていない旨を一貫して主張していた、というのであり(市川の証言。当供
三冊八四八丁)、現に、同人は、2・25及び4・26各(検)において、同人の
ほかに、竹竿がバラバラになる位最後まで殴つていた男がいた旨それぞれ供述して
いるのであつて(原三九冊一三五六丁、一四一〇丁)、否認すべきところは、明確
に否認しているのである。従つて、A4の右自白が、A2の前示供述を押しつけら
れた結果のものとは見られず、ひいては右A2供述を用いた取調べが、程度を超え
た追及的取調べであつたとも認め難い。
 なお、A4は、家庭裁判所で右殴打行為を否認しているが、これが同人に対する
違法な取調べを推認する根拠となり得ないことは、当審において取り調べた、同人
の3・27(検)、3・25及び3・28各(警)並びにA3の3・28(検)に
照らしても明らかである。また、A4は、同人自身の被告事件に関する控訴審の公
判廷においても、右殴打行為を否認しているが、同人はその一審では何ら争うこと
をせず、しかも右控訴審における否認も、B巡査を殴打した「実感的記憶」はな
い、という甚だ不自然なものである。ところで、同人は、当審において、逮捕後家
庭裁判所へ送致されるまでの間、弁護人から、裁判が始まつてから事実関係を覆え
すのは難しいから、事実に沿つたところで供述するようにとの助言を受けた旨証言
しているが、右は、同人の2・13(警)と対比すれば、昭和四七年二月一三日以
前の出来事と考えられる(当書二冊五〇五丁)ところ、同人の自白はその後になさ
れたものである。以上の事実に、同人の前掲各供述調書から認められる、家庭裁判
所での否認の動機を併せ考えると、前記A3同様、A4の否認が、同人の真実の体
験に基づくものとは考え難いところである。従つて、同人が、その控訴審において
自己の殴打行為を否認したからと言つて、これが同人に対する違法な取調べを推認
させるものとは言えない。
 ロ 次に、所論が、程度を超えた誘導ないし理詰めの追及があつたと指摘する
二、三の点について検討する。
 a まず所論は、A4の各検事調書中で、本件殺害現場における被告人A9を特
定している部分は、A4が薄いクリーム色の背広上下を着た者の言動として供述し
たのを、取調検察官I3が強引な誘導により被告人A9と結びつけたものであると
言うのである。
 しかし、縷々の所論にもかかわらず、A4が、その各検事調書において、B巡査
を殴打している者の中に被告人A9がいたと供述している点に、捜査官の誘導があ
るとは認め難い。すなわち、所論指摘の、被告人A9の服装に関するA4の供述
は、当審で取り調べた同人の2・16(警)八項(当書三冊五七三丁)に記載され
ているが、右個所において、同人は、機動隊員の「顔を覆つている手を、うすいク
リーム色の背広の人が鉄パイプでしきりに殴りつけていました。この時、このよう
な服装の人はA9さんしかいないので、顔は見ていませんが、この殴つていた人は
A9さんだつたと思います。」と述べており、右個所のみを取り上げれば、A4
は、被告人A9を服装で特定したかのようであるが、それ以前の個所において、既
に、同被告人が鉄パイプで機動隊員の頭部を殴つており、かすれた異様な声で「殺
せ、殺せ。」と叫んでいた旨、格別服装によつて特定することなく供述しているの
である。A4は、関係証拠から明らかなとおり、本件当日F1駅において、同被告
人の防衛隊員を命じられ、その後、同被告人の身辺で行動を共にし、同駅での、同
被告人のアジ演説の際には、その肩車までしているのである。他方、A4は、A
8・二一回において、弁護人から、同人の供述調書中に機動隊員が四、五人に殴ら
れていたとあるが、その中に同被告人がいたことを確定し得るのか、と問われたの
に対し、これを肯定している(原一二冊九〇八丁)のであつて、以上を併せ考えれ
ば、A4は、同被告人の顔や姿を見たとの場面に関する供述に際しては、何らの留
保もつけずに、確定的に同被告人を特定し、他方、所論指摘の、二回目の殴打状況
に関する部分については、その服装の色を見たに止まり、同被告人の顔や姿を現認
していないとし、右服装の色をもつて同被告人と推測した旨を供述したものと解す
るのが相当である。そして、A4は、2・16(警)において、前示のとおり、同
被告人の二回にわたる殴打目撃の状況を供述しているが、同人の検事調書を仔細に
吟味すると、4・26(検)以外は、右警察調書の一回目に関するものか、二回目
に関するものかが必ずしも明確ではないもの(2・9(検))、あるいは右警察調
書の一回目の目撃状況よりも早い時点で同被告人を目撃した旨供述するが、二回目
の状況については触れていないか、触れてはいないと見るべきもの(2・14、
2・16、2・18、2・25各(検))である。そして、4・26(検)には、
二回目の殴打状況についても、氏名の特定による同被告人の行動に関する供述記載
があるが、他方、同調書の末尾には、A4の供述の訂正が録取されており、それに
よれば、本件殺害現場で同被告人を初めて目撃した時期に関する、従前の供述を訂
正し、同人がB巡査を竹竿で殴打した際に、初めて、同被告人が鉄パイプを振り上
げ、殺せ、殺せと叫びながら殴打しているのを見た、と言うのである。以上によれ
ば、同人の調書は、その供述するとおりに録取されたことを窺うことができる。し
てみれば、縷々の所論にもかかわらず、同人の検事調書が取調検察官の強引な誘導
によつて作成されたものとは、到底考え難い。
 b 次に、所論は、A4の各検事調書中の、A10のB巡査に対する殴打行為及
び火炎びん投てき行為についての供述部分並びにA10の本件殺害現場への到着順
序についての供述部分は、いずれもその供述内容の変遷が甚だしく、これが単に記
憶喚起のための誘導の結果とは考えられず、検察官の程度を超えた違法な誘導によ
るものと言わざるを得ない、と言うのである。
 そこで、A4の各検事調書を検討すると、右各点についての記載の変遷は、次の
とおりである。すなわち、当初、同人は、最初にB巡査を殴つていた四、五人の中
に、判然はしないがA3に似ていた者がおり、A10の姿は、最初に火炎びんを投
げた四、五名の中に見かけたような気がする旨(2・9(検)、原三九冊一二七七
丁、一二八一丁)を、次いで、本件殺害現場直前で、一旦自分が追い抜いたA1
0、A3及びA5又はA15の三名において、再び自分を追い抜き、B巡査を殴打
した、火炎びんの投げられた方向を見ると、A7とA10の姿が見えた旨(2・1
4(検)、同一二九四丁、一二九七丁、一三〇四丁)を供述したが、やがて、自分
が右三名を追い抜いて、先にB巡査を殴打し、その直後にA10やA3ら数人が駈
けつけて殴打を始めた、とその供述を変更し(2・16(検)、同一三一八丁以
下)、さらに、A10は、自分より先に、A9らとともにB巡査を殴打していた
が、それは現場直前で自分を追い越したからだと思う、その後自分を押しのけるよ
うにしてA3ら二名が来て殴打を始めた、火炎びん投てきの直前、自分から火炎び
んを取り上げた男の隣りにA10がおり、同人がその火炎びんを、さらに取り上げ
た旨を供述し(2・18(検)、同一三三〇丁以下)、最後には、黒つぽいコート
を着た大柄な男が、倒れているB巡査に火炎びんを投げたが、その男がA10だつ
たと思う旨(2・25(検)、同一三五七丁以下)を供述するに至つている。所論
は、右供述内容の変更は、不自然に過ぎると言い、A4も、右の点について誘導が
あつた旨を証言している。
 しかしながら、右各供述内容を通覧すると、まず、火炎びん投てきについては、
A4は、最初から、火炎びんを投げた四、五人の中に、A10の姿を見かけたよう
な気がすると言つて、早くも同人の火炎びん投てきを窺わせる供述をしているので
あり、これが、姿が見えたと変り、その後A10が一人おいた隣にいて、火炎びん
を取り上げたという、捜査官には知り得ない、かつ、後日に取り調べられたA7の
供述とも異なる独特の供述となつたうえ、遂にその火炎びん投てきを認める供述に
至つているのである。右供述の経過に、当審証人I3の、これらの点については誘
導的取調べをしていないとの証言を併せ考えると、A4は、A10の火炎びん投て
きを初めから供述することに躊躇を覚えながらも、捜査の進展につれて、順次詳細
に述べるに至つたものと解し得るのであつて、右供述の変遷過程は、必ずしも不自
然とは言えない。
 また、A10の到着順序及びこれに関連する殴打についての供述も、A4は、当
初から群馬部隊の中の一人が被告人A9とともに、先にB巡査を殴打していたと述
べ、その後、自分が到着するまでに同部隊の者との間に追い抜きがあつて、A4が
B巡査を殴打した直後に、同部隊の者が同人を押し出すようにして割り込み、同巡
査を殴打したことを述べており、その供述は、それなりに一貫しているのである。
ただ、自分より先に到着していた者を、初めはA3に似ていた者と言い、後に、こ
れをA10と思うと供述を変えていることと、右追い抜きに関して、A4が先か、
他の群馬部隊の者が先か、その中にA10が含まれていたか否かの点について、く
いちがいが見られるのである。ところで、本件殺害現場直前における追い抜きとい
うようなことは、これが一瞬の出来事であることからすれば、その先後について記
憶の混乱の起こり得ることは容易に考えられることであり、その関連で、右現場に
先に到着していた者が、A3に似た者であつたのか、A10と思われる者であつた
のか、との記憶にも、同様の混乱が生じることは、十分考えられるところである。
従つて、火炎びん投てきその他右現場関係の諸状況についての記憶が整理され、漸
次明確化されるに伴い、結局、先に到着して殴打を始めていたのがA10であり、
従つて後から割り込んできたのがA3及びA5又はA15の二名であるという供述
に変つてきたと考えられるのであつて、これまた必ずしも不自然な供述の変遷とは
言い難い。所論は、右の変遷のうち、2・14(検)中の、A4が、A10やA3
らに追い抜かれたとの供述は、A3がその前々日に作成された2・12(警)にお
いて、同人が本件殺害現場に近づいたとき、A10が鉄パイプを振り上げ、B巡査
を殴りつけるのを判然見た旨を供述したことから、A4をその後に到着したとする
ために、捜査官によつて誘導されたものであると言うが、仮にそのような誘導がな
されたとすれば、何故その二日後に、再びこれを覆えして、A10よりもA4が先
に到着したとの2・16(検)が作成されたかを説明し得ないこととなろう。ま
た、所論は、A4の、右到着順位についての最終的な供述、すなわち、2・18
(検)中の、右順位はA10、A4、A3の順であるとする供述は、前日に作成さ
れたA2の2・17(検)による誘導の結果であると言う。なるほど、右A2の調
書によれば、A4の言う到着順位を推認させる供述部分が認められるが、右と同様
の供述は、既にA2の2・14(警)(当書四冊九六八丁以下)においてもなされ
ているのである。従つて、同人の供述によつて、A4を誘導しようとすれば、2・
18(検)に先立つ2・16(検)作成の段階においてこれが可能であつたと言う
べきである。しかし、A4の2・16(検)の到着順位に関する供述記載は、A2
のそれと全く異なつているのである。以上の点からすれば、右到着順位などについ
て、所論の言う程度を超えた誘導的取調べを認めることは難しいと言わなければな
らない。
 c さらに、所論は、A4の2・9(検)及びその前後の供述調書には、一一月
七日のA8方会議並びに同月一三日夜及び一四日朝のaアジトにおける状況につい
て、未だ被告人A8の積極的役割やその氏名すら記載されていないのに、同被告人
に対して公訴提起のあつた翌日に作成された、A4の4・26(検)には、これが
詳細に記載されるに至つており、右供述の不自然な変更は、同人の記憶の喚起ある
いは明確化によるのではなく、同被告人追及のための検察官の強引な誘導によるも
のである、と言うのである。
 なるほど、前示証人I3は、A4の4・26(検)が被告人A8の起訴に関連し
て作成されたことを認めている。しかし、右調書の内容は、A4において突如供述
したものではなく、既に従前の検事調書及び警察調書において供述されているもの
をまとめ、同被告人を中心としてやや詳しくしたものに過ぎないことが明らかであ
る。すなわち、A8方会議における同被告人の役割は、2・9(検)(原三九冊一
二四八丁以下)及び2・23(警)(当書三冊六二四丁以下)に、一一月一三日夜
及び一四日朝のaアジトにおける同被告人の言動については、2・27(警)(同
六七九丁以下)及び2・28(警)(同七〇一丁以下)にその大綱が既に供述され
ているのである。従つて、A4の右4・26(検)中の同被告人についての供述
が、取調検察官のことさらな誘導等によつたものとは認め難い。もつとも、所論
は、右各警察調書もまた、同被告人の逮捕に備えた警察官の誘導によるものと言う
が、前示のとおり同被告人の逮捕は、右各警察調書の作成から一か月余も後の昭和
四七年四月四日であることを考えれば、その主張は到底採用し難い。
 (5) A5の検事調書
 イ 所論は、A5の各検事調書は、捜査官の脅迫、理詰めの追及および強制によ
つて作成されたものであるから、全く任意性がない、と主張する。
 しかし、A5は、原審及び当審において、2・10(検)中の、本件殺害現場に
おける被告人A9の言動の一部及び2・19(検)中の、右現場における共犯者ら
の言動についての各供述部分を除けば、その余の検事調書については、特段に批難
することなく、ほぼ記憶どおりのことが録取されている旨証言しているのであるか
ら(原一一冊六八八丁以下、特に六八九丁、一二冊八三四丁以下、二八冊六四五
丁、当供一冊二二七丁以下、二四六丁以下)、A5の2・4、2・9各(検)
(2・23検については、2・19(検)と関連して判断する。)についても、そ
の任意性がないと争う所論は、何ら論拠のないものであつて、採用するに由ないと
ころである。
 ロ そこで、まず、A5の2・10(検)中の被告人A9についての供述部分を
検討する。
 この点についての所論は、要するに、A5は、本件殺害現場における被告人A9
の行動について、同被告人はB巡査を殴打している者らの外側で、一人離れて鉄パ
イプを振りかざしながら「やれ、やれ」と言つていたことのみを記憶するに止まつ
ていたにもかかわらず、取調検察官からの理詰めによる不当な追及を受け、同被告
人がB巡査を殴打していたなどと止むなく供述するに至つたものであつて、その供
述には任意性は認められない、と言うものである。そして、A5も、概ね右所論に
沿う証言をしていることが認められる。
 他方、A5の取調検察官であつた当審証人I4は、A5は当初から素直に供述を
続けていたものであり、ただ、共犯者の氏名を挙げるのに躊躇している様子が見ら
れたが、何度か本件殺害現場へ連れて行つたこともあつて、共犯者らの氏名及びそ
の言動を供述するようになつた、と証言するのである。そこで、所論が右違法な取
調べの証左であるとする、2・10(検)中の、被告人A9のB巡査に対する殴打
についての供述記載を見ると、次のとおりである。すなわち、「A9さんら五人位
の者が、突如道路の左に寄つて、その機動隊員一人を半円形の形で取り囲むように
して、長さ約一メートルの竹竿、長さ約三〇センチの鉄パイプで機動隊員の被つて
いるヘルメツトをめがけ、ガチャンくと何回も殴りつけておりした。」(原四一册
一八〇〇丁以下)「勿論A9さんは、何回となくほかの四人位の者に対して、その
現場で、やれくと叫んでハツパをかけたり、その機動隊員を自らも殴りつけており
ました。」(同一八〇三丁)というものである。ところで、右記載内容を、前示の
とおり、A5がほぼ自らの記憶に従つて述べたと言う2・4(検)中の記載内容
(原四一冊一七一七丁以下)と対比すると、両者は何ら異なるところがないのであ
る。してみれば、右2・10(検)の作成に当たつて所論主張のような違法な取調
べが行われたことを推認し得ないことは明らかである。
 ハ 次に、2・19(検)(本件殺害現場における人物の特定に関する2・(2
3)検を含む。)の任意性について検討する。所論は、右調書は、検察官が殺人罪
による起訴の可能性や、共犯者が自白していることを材料として、A5に対し、共
犯者であるA3、A4、A2特に前示A2の2・17(検)の内容を押しつけた結
果作成されるに至つたものであるから、任意性を欠く調書である、と言うのであ
る。
 しかし、右A2とA5の両検事調書の内容を対比検討すると、そのくい違いは甚
だしく、到底前者、すなわちA2供述をもつてA5に押しつけたと見ることはでき
ない。すなわち、両者の供述の差異を例示すると、「イ」被告人A9及びA10の
B巡査に対する殴打行為に参加した者の氏名及び順序について、A2供述によれ
ば、A18、氏名不詳者二名、A4、A3、A7の順序であるが、A5供述によれ
ば、初めにA3、A4が一緒になつて加わり、その後A7、A18が加わつたとい
うのであり、「ロ」その際使用した武器も、A2供述によれば、A4は竹竿、A3
が鉄パイプであるのに対し、A5供述によれば、A4は鉄パイプか竹竿のいずれ
か、A3はハンマーというくい違いがある。「ハ」また、A2供述によれば、A1
0が倒れたB巡査の背中に馬乗りになり、鉄パイプのようなもので肩などを殴つて
いた、とするのに対し、A5供述によれば、A10は、未だ同巡査が道路上に倒れ
ず、立つている時に、腰を落して同人のガス銃を取ろうとしていた、同巡査が倒れ
た後に、被告人A9の銃を取れとの指示があり、A7がその太もも辺りにまたがつ
て捜していた、と言うのである。以上から明らかなように、A5供述は、その内容
においてA2供述と大幅に異なつており、到底、A2の右調書の記載内容を押しつ
けられたものと見ることはできない(A5供述が、A3、A4の各供述とも、A2
供述との比較の場合以上に差異があることは、当該時点における関係証拠を対比す
ると明らかである。)。そのうえ、A5の右調書には、「ニ」A3及びA4は、捕
えて殴りつけていた、B巡査とは別の機動隊員に逃げられたため、被告人A9らの
殴打している場所に戻つてきたとか、「ホ」B巡査を殴つた際の、「ガチヤン、ジ
ヤーン、バシツ、バシツ」といつた打撃音についての、独特な供述が見られ、また
「ヘ」被告人A9が、自分に向かつて「やれ。」と言つたが、B巡査を取り囲む者
らの中へ入る余地もなく、可哀相にもなつたので止めた、との、捜査官の知り得な
い事柄についての供述が見られるのであつて、これらからも、A5の右供述調書の
任意性は十分窺うことができるものと言わなければならない。
 所論は、前示福江証人の、A5の2・19(検)における共犯者らの氏名、言動
についての供述は、その直前のA5の現場引当たりの結果なされたものである、と
いう趣旨の証言部分をとらえて、現場引当たりによつて、犯行の場所、情景を思い
出すことはあつても、共犯者らの氏名を思い出すということはあり得る筈がない、
と論難する。しかし、同証人の証言は、A5が、現場引当たりによつてのみ、突如
それまで全く記憶のなかつた、共犯者らの氏名などを思い出したという趣旨には解
せられない。同証人は既に、昭和四七年二月一〇日の時点において、A5には共犯
者らの氏名を述べることに躊躇している様子が窺われた、とも言つているのであり
(当供三冊七四七丁)、従つて、その証言は、現場引当たりが、A5に対し、共犯
者らについての詳細な供述をなす切つ掛けを与えたとの趣旨と解すべきであり、所
論の批難は、当を得ないものと言わなければならない。
 所論は、なおA5の右調書は、取調官の同人に対する、殺人罪によつて起訴する
との脅迫によつて作成されたものであるとも主張する。たしかに、同人のA8・二
〇回及びA9・八回における証言中には、所論に沿う部分も存在するが、他方、A
9・八回においては、裁判長の問いに対し、取調官から、死刑とか、長期の刑にな
るとか言われたことはない、自分なりに長期の刑になると考えたことはある、と答
え、また、取調官からは、殺人罪でお前が起訴されるかどうかの瀬戸際なのに、
(本件殺害現場の)傍にいて、何でそんなに覚えていないのだと言われたが、だか
ら喋れとまで言われたわけではない、一切を思い出し、思い出したことは正直に喋
ろうと思つたし、現に喋つた旨証言し(原二八冊七〇六丁以下)、さらに、当審に
おいては、殺人罪で起訴すると、言葉で言われたことは判然しない、取調官から、
本件殺害現場における(実行行為者の)氏名などを言わないのは、隠しているので
はないか、とか、犯行に加わつているのではないかと言われたのを、殺人罪で起訴
されると感覚的にとつている旨証言する(当供一冊二七九丁以下)に止まつている
のである。以上の証言に、A5に対する本件取調べ当時、A4の供述によつて、一
応、A5に関し、B巡査殺害についての容疑があつたことを併せ考えると、取調官
から同人に対し、殴打に加わつたのではないかとの追及以上に、脅迫と目すべき言
辞があつたとは考え難い。所論は、同人の原審証人喚問の際の、裁判長あての手紙
(所論に言う不参届、原三冊八五一丁以下)に記載された、「警察、検察当局の脅
迫により」云々の文言をとらえても種々論難するが、同人の言う脅迫が前示のとお
り根拠のないものである以上、右は、完全黙秘を指示されていたにもかかわらず、
詳細な供述をするに至つたことについての後ろめたさ、ないしは被告人A8らの面
前において証言することへの選巡を示すものに過ぎないと言うべきである。
 (6) A6の検事調書
 所論は、B巡査を殴打した者としてA10らを特定しているA6の3・15
(検)は、検察官の限度を超えた理詰めの追及および脅迫によつて作成されたもの
であるから、任意性を有しない、と言うのである。そこで、右所論の根拠とすると
ころを順次検討する。
 イ 所論は、まず、A6には、元来、B巡査を殴打していた者の氏名等について
の認識、判断がなかつたにもかかわらず、同人が、殴打行為者としてA10、A3
及びA4の氏名を供述するに至つたのは、取調検察官の厳しい追及的取調べに耐え
られず、新聞報道により右三名が殺人罪により逮捕されたことを知つていたことか
ら、同人らを殴打行為者としてあてはめたからである、と言うのである。
 なるほど、A6の証言中には、所論に沿う部分もないではない。しかし、同人
は、B巡査を殴打していた者三名に関し、直感ないし服装その他によつて、A3及
びA4と特定し、残る一名をA10と特定したうえ、同人については、確かなもの
ではない旨を再三にわたつて述べているに過ぎない(原一一冊四七〇丁以下、五一
七丁以下、原二八冊三五八丁、三八五丁、四〇六丁、当供二冊三五二丁、三六一
丁)のである。従つて、A6において、所論のように、三名の特定に関する認識、
判断がなかつたとは認め難い。
 ロ 次に、所論は、要するに、本件当日、A10において、A6から借り受けた
黒コートと腕時計を使用し、また、A6が後日他の事件で逮捕された際着用してい
て押収されたカーキ色のコートを、A3において当日着用していたことから、A6
が取調検察官に対し、これらを不安に思つたと述べたに過ぎないのに、同検察官
が、右不安は、A6において、A10及びA3のB巡査に対する殴打行為を目撃し
たことから、自分を同人らと人違いされて、B巡査殺害の犯人とされることを恐れ
たためであろうと一方的に推断し、その旨をA6に対して理詰めで追及するととも
に、殺人罪による起訴等を示唆して脅迫し、遂に同人から、A10、A3及びA4
の殴打行為を目撃した旨の供述を得るに至つたのであり、従つて、右殴打行為に関
するA6の3・15(検)は、任意性を欠くものである、と言うのである。そし
て、右検事調書中の、A10特定の部分が極めて不自然であること、A6の供述調
書の作成に関し、途切れている期間があることなどを、論拠として主張する。
 なるほど、A6は、原審及び当審において、右の人違いについての不安は、格
別、A10らのB巡査に対する殴打を目撃した結果ではない旨証言するが、所論に
もかかわらず、右不安がA6の目撃と何故に結びつかないのか、換言すれば、不安
が同人の証言する程度のものに過ぎないのであれば、何故これが生じるのかについ
て、納得のいく説明は遂になされなかつたのである。従つて、同人の右証言は、不
自然に過ぎ、にわかに採用し難いと言わなければならない。すなわち、同人が、A
10及びA3のコートの使用などについて不安を覚えたと言う限りは、まさに、A
6自身が、A10らのB巡査に対する殴打状況などを目撃していたため、もし捜査
当局において現場写真等を撮影しているとすれば、誤つて自分が殴打したと目され
る危険性がある旨恐れたからであると考えるのが、経験則上自然である。所論は、
A6の3・15(検)などにおいては、A10、A3らの服装などがその識別の根
拠であるかのように記載されているが、結局、身体の格好や、直感という漠然とし
たものが根拠となつているに過ぎず、右は理詰めの追及の証左であると言う。
 しかし、A6が右のような服装などによる人違いの不安を捜査官に対して述べて
いたことから、供述調書作成の際、これが殴打状況を目撃した時点におけるA10
らの特定の根拠と重複し、その結果、調書上では一見A6が服装などによつてA1
0らを特定したかのような表現がなされるに至つたものと見るべきである。A6
が、右検事調書において、殴打していた者をA10と特定した理由として、同人の
使用していた腕時計及びコートは自分が貸与したものであり、この現場を写真に撮
影されておれば、自分が疑われるのではないかと思つたとし、また、殴打状況を終
始見ていたわけではなく、上空に飛来したヘリコプターが写真撮影をしているので
はないかと心配していたとも供述するなど、B巡査を殴打している者はA10らで
あると判つた上で、誤つて自分と人違いされることを、一度ならず心配する同人の
心情を述べているのは、まさに、右のような経過を示すものに他ならない。A10
らの特定に関するA6供述の趣旨は、結局、同人とA10らとの間柄に照らせば、
右検事調書に記載してあるとおり、「いずれも直感的に判つた」という点にあつた
と見るべきである。従つて、同調書上の記載をもつて所論の根拠とすることはでき
ない。
 ハ さらに、所論は、A6の2・29(警)が、同人の一一月六日から同月一四
日神山派出所付近における機動隊との衝突に至るまでの行動経過を記載し、末尾を
「これからの自分の行動について、後で申し上げます」と結びながら、その後約一
週間にわたつて供述調書が作成されておらず、また、3・7(警)では、冒頭に
「(昭和四七年)二月二九日に引続いて申し上げます」との記載があるのに、一一
月一四日当日の行動については触れるところがなく、同月二日から九日までの経過
を記載していることから、これらの不自然な調書の作成の仕方は、その間A6が共
犯者らの言動について供述するのを拒否していた証左であり、その後わずか一丁の
3・13(検)に至り、突如として、「現場でB巡査を殴つていた者は、A10さ
んとA3、A4の三人で、これを見ております」との供述記載が現出したことは、
まさに、A6が検察官の追及的取調べに屈して、供述の止むなきに至つたことを示
している、と言うのである。
 しかし、A6の逮捕当日に作成された、同人の2・29(警)の事実関係に関す
る部分は僅か八丁程度の概括的な調書であり、従つて、これを受けた3・7(警)
が、3・11(警)の冒頭にある、「一一月一〇日頃からのことについて申し上げ
ます。」との供述内容の継続を示す文言とは異なり、単に供述自体の継続を示す
「(昭和四七年)二月二九日に引続いて申し上げます。」との文言を用いて、再度
一一月二日から九日までの経過に関する供述を詳細に録取したとしても何ら不自然
とは言えない。そして、また、当審証人I2の、右調書作成に関する空白期間は、
D10による、いわゆるD11事件の発生により、公安関係の捜査官が動員された
ためであるとの証言、あるいは一丁程度の短い3・13(検)を作成した理由は、
別の一三枚綴りの3・13(検)において、一一月一四日当日のF8駅までの経過
を順次録取してきたところ、時間が足りなくなつたため、その後の経過の中の、肝
心なB巡査殺害に関する目撃状況についてのみ念のため簡単な供述調書を作成して
おき、その詳細は、後日3・15(検)において録取した旨の証言も、必ずしも不
自然とは言えないのであるから、右調書の作成方法についての所論は、採用するこ
とができない。
 ニ なお、所論は、A6が捜査官から、逃走中の自分をかくまつたJ1について
事情聴取をするとか、逮捕するとの脅迫を受け、現に同人が昭和四七年三月一一日
に警察官により取調べを受けたことから、その脅迫に屈して同月一三日A10らの
氏名を供述するに至つたものである、と言う。
 なるほど、A6の当審における証言中には、所論に沿う部分も見られ、現にJ1
が昭和四七年三月一一日に警察官の取調べを受けていることも認められる(当書七
冊一五〇四丁)が、A6は、逃走中J1方だけではなく、同じく友人であるJ2方
にも潜伏しており、現に同人方において逮捕されたにもかかわらず、J1に対する
事情聴取のみならず、逮捕まで云々するA6が、J2については、何ら言及してい
ないのであつて、捜査官がJ1についてのみ、事情聴取や逮捕を云々するとは考え
難い(A6の当審証言及び上申書)うえ、そもそも、A6は、右のような重要な事
柄について、原審証言においては全く触れておらず、専ら、前示服装の点から人違
いされるのが怖くてA10らの氏名を供述するに至つたと証言するに過ぎなかつた
ことからすれば、A6の当審における証言は、にわかに信用し難いと言わざるを得
ない。所論は採用し難い。
 (7) A7の検事調書
 イ 所論は、「イ」A7に対するI2検察官の取調べに、私人である同人の両親
が同席し、自白を説得ないし勧告したうえ、「ロ」その際、父親により同人に暴行
が加えられたが、以上いずれの理由によつても、その結果得られた同人の一連の供
述には任意性が認められず、また、「ハ」右「イ」、「ロ」の事実は、黙秘権の侵
害に当たるから、これを契機として誘発された供述は、いずれも違法収集証拠とし
て排除されなければならない、と言うのである。
 当審における事実取調べの結果によれば、A7に対する父親の説得などの状況は
次のとおりであると認められる。すなわち、
 逮捕当時、一七歳の少年であつたA7は、当初から黙秘を続けていたが、屡面会
や差入れに訪れる母親や、時折訪れた父親から説得されたこともあつて、昭和四七
年三月三一日には、警察官に対し、A8方会議から本件B巡査殺害に至るまでの経
過の概要を供述するようになつていたが、なお、自己の犯行は勿論、共犯者らの氏
名については一切明らかにしなかつた。同年四月三日、I2検察官は、午後六時な
いし七時ころから、広さ四畳半程度の警視庁地下取調室において、相変らず詳細に
ついては黙秘を続けているA7の取調べに当たつたが、約一時間後に、同人の両親
が面会に来たことから、両親と同人とを、小机の周囲に座らせたうえ、自らは母親
の斜め後ろに位置し、両親を案内してきた警察官は、同検察官の後ろに、検察事務
官は、父親の後ろにそれぞれ座つた。A7の父親は、対面して坐つているA7に対
し、社会に迷惑をかけて悪いと思つているのか、どう考えるんだ、悪いと思つてい
るならば今までの事案を説明しなさい、種々の弁解があれば説明したらどうか、救
対の弁護士は解任して、父の依頼する弁護士を選任したらどうかなどと説得し、同
検察官においても、時折、これに口添えしていた。これに対し、同人が明確な答え
を避けていたところ、父親は突然立ち上り、同人に対し、「立て、眼鏡を取れ。」
と言い、手拳で、立ち上つた同人の顔面を二、三回殴打し、かつ「お父さんを殴れ
るか、殴るなら殴つてみろ。」と叫んだが、同人は、「殴れません。」と言いなが
ら、へなへなと坐り込んだ。他方、同検察官は、「殴つてみろ。」と言う父親の背
後から、「こんな乱暴しちや駄目だ。」と、手でその身体を抑えるとともに、A7
に対し、「親は、君のことをこれだけ思つているんだ、どうなんだ。」と申し向け
た。これに対し、同人が、「親がこれだけ自分のことを思つてくれているのを初め
て知つた。」などと言いながら、泣き出したこともあつて、同検察官は、取調べを
打ち切り、同人を留置場に戻した。一日置いた同月五日に、同検察官が再びA7を
取り調べたところ、同人は、B巡査殺害の状況を供述したが、それは、同巡査を殴
打した者の中にA10と思われる者を見かけたとか、自分も竹竿で同巡査を殴つた
ような気がするが判然しないということを内容とするものであつた。さらに、A7
は、4・6(警)において、同巡査殺害の状況を説明し、殴打している者の中にい
たとして、A10のほかにA3の氏名を挙げたが、自己の犯行については、倒れた
機動隊員に対する、竹竿による殴打を供述するに止まつた。その後、4・7(検)
及び4・8(警)を経て、4・9(警)に至り、初めて犯行の状況を詳細に供述
し、かつ、自分もまた同巡査を殴打している者の中に参加して竹竿で殴打し、火炎
びんも投てきした旨自白するに至り、引続いて、4・11、4・12各検、4・1
4(警)、4・17、4・18及び6・8各(検)が作成されたが、右のうち4・
11、4・12及び6・8各(検)が原審において採用されたものである。
 以上のような事実関係を前提として、両親の面会、あるいは父親による説得ない
し殴打の法的意義について考察するに、I2検察官は、その取調べを一応中断し
て、両親をA7に面会させ、これに立ち会つたものと解されるが、その際の周囲の
状況や前示父親の説得に際し、同検察官もまた、助言していたことを併せ考慮する
と、その際の出来事を取調べ中のそれに準じて考えることができないでもない。し
かし、被疑者が少年である場合にあつては、その取調べに際して両親を同席させる
ことは、法の趣旨に合致するとは言えても、これに背馳すると言うことはできな
い。すなわち、少年法自体には、少年の被疑事件の処理について、親権を有する親
の関与を規定する明文はないが、家庭裁判所の事件の調査又は審判に関する同法一
一条は、少年の保護育成と同時に、当該手続の適正の保障に資するためのものであ
ることからすれば、その趣旨を、少年の被疑事件処理の過程すなわち捜査段階にお
ける取調べに推し及ぼし、取調べに親を同席させる取扱いをしても、同様に、少年
の保護育成に資するとともに、捜査手続の適正を確保する所以でもあることを考え
ると、これを違法視すべきいわれはなく、また、局外者の父親が少年に対して自白
するよう説得したからといつて、成人の被疑者の場合における、同席した一般私人
による自白の勧告、慫慂と同一視して、任意性に影響を及ぼすものと解することも
できない。さらに、同席した父親が前記程度の殴打に及んだのは、未だ、少年の更
生を望む余りの、父親の愛情の発露の域を出るものとは言えず、これをもつて、違
法ないしは任意性に影響を及ぼすと解することもできない。現に、A7自身、当審
証言において、父親の殴打が自白の切つ掛けになつたとは言うものの、自己の意に
沿わないものであつたとは言わず、却つて、父親が取調室で殴るのは余程のことだ
と思つたとか、親に心配をかけていることに対し申し訳ないという気持になつたと
述べ、父親の心痛に思いを到した、同人の、当時の心情を覗かせているのである。
なお、所論には、父親の右殴打が、I2検察官の示唆によるかの如き推論も見られ
るが、この点に関するA7の当審証言は、母親の推測を内容とする極めて不明確な
ものであり、採用の限りではない。
 ロ 次に、所論は、A7の4・12(検)中の、被告人A9が「殺せ、殺せ」と
かすれた声で叫び、「離れろ、火炎びんを投げろ」と号令したとの供述部分、A1
0が機動隊員に馬乗りになつて銃を捜していたとの供述部分などは、いずれもこれ
を認めない限り供述調書を作成しないとの、取調検察官の執拗な追及によつたもの
であるから、強制による供述であつて、任意性がない、と言うのである。
 しかし、A7は、A8・三〇回において、取調官から誘導されたり、あるいはき
つい取調べや脅迫されたことはないと証言し(原一五冊一六六八丁、一六七五丁、
一六七七丁)、A9・二回においては、一方では、本件殺害現場の状況ないし実行
行為者の特定について、取調べ当時も判然しなかつた旨証言する(原二七冊一〇
丁)が、他方、同証言部分の直前においては、検察官の取調べ当時は自己の記憶に
基いて供述したものであると肯定し(同九丁)、さらに、被告人A9の反対尋問に
対し、取調官から他の者の供述している内容を聞かされたことがあるが、自分の記
憶と合つているかどうか確めたところ、大体合致していた旨証言している(同六二
丁)ことなどからすれば、A7の供述が強制によるものとは言えず、所論に沿う同
人の当審証言は措信し難い。同証言を措信し得るとして所論の挙示する例の一、二
について付言すれば、「イ」A7は、当審において、取調官からA20の写真を見
せられて、同人がA20(を名乗つていたの)ではないかと言われ、これを認めた
ところ、本件殺害現場における同人の殴打状況を執拗に追及された旨証言する。そ
こで、A7の捜査段階における供述を見てみると、たしかに、同人は、4・12
(検)において、今度写真を見せられて、A20の本名がA20であることが判つ
たとしたうえ、同人かB巡査を殴打したことや、本件当日の同人のその他の言動を
具体的に供述していることが認められる。しかし、「a」A7は、右に先立つ4・
8(警)において、初めてA20に関する供述をしているが、これによれば、A7
は、一一月一二、一三両日にF9からの火炎びん運搬に携わつた際、A20に会つ
たというのであり、次いで、4・9(警)において、4・12(検)と同旨のA2
0の言動に関する供述をしているが、右警察調書二通では、A20の本名がA20
であることは未だ判明していないのである。
 また、「b」A7は、4・9(警)において、取調官からA18の写真を見せら
れて同人の名前が判つたとしたうえで、同人の言動に言及しているところ、同調書
の末尾には同人の写真が添付されているが、A20の写真は右警察調書二通のいず
れにも添付されていない。以上のようなA7の捜査段階における供述の経過、内容
からすれば、同人は、当初A20の本名を知らず、かつ、取調官からその写真を見
せられていないにもかかわらず、A20の言動を自発的に供述したところ、その後
同人の本名がA20であることが判明したものと解さざるを得ない。してみれば、
A7の前記当審証言は措信し難いし、その捜査段階における供述の内容は、取調官
の知り得ない事柄であつて、むしろ同供述の任意性を窺わせる資料と言うべきであ
る。次に、「ロ」A7は、当審証言において、A10の特定に関する調書作成につ
いても批難するが、同証言は、A10がB巡査の上に馬乗りになつた旨の供述記載
がなされている点に関し、同巡査の上に馬乗りとまではいかず、その傍にかがみ込
んだ者をA10と判断したというに過ぎない(ちなみに、A7のA8・二九回にお
ける証言によれば、同人は、A10が同巡査の上に馬乗りになつていたとか、その
腰の辺にA10が腰をかがめていた旨述べている。)のであつて、A10が同巡査
の銃を捜していたようであるとのA7の結論的な目撃状況に径庭がある訳ではない
のである。以上の次第であるから、同人の供述が取調官の強制によるとする所論は
採用し難い。
 ハ なお、所論は、A7が家庭裁判所において一時帰宅を許され、在宅のまま起
訴されたことは、同人の群馬部隊における地位、A3及びA4との処遇の均衡から
して、余りにも寛大に過ぎる取扱いであつて、検察官の利益誘導による取調べを十
分推認することができる、と言う。
 たしかに、A7が在宅のまま起訴されたことは、証拠上これを認めることができ
る。しかし、それが家庭裁判所による観護措置取消決定の結果と認められる(原二
七冊三三丁、当供二冊六九三丁)以上、前示A1の場合と同様、所論は、家庭裁判
所独自の裁量による措置を度外視したものと言うべく、A7が在宅のまま起訴され
たからといつて、同事実から、同人と捜査官との何らかの取引を推認することはで
きない。所論は到底採用し難い。
 (8) A8方会議の開催日に関する供述の変遷
 所論は、前示A8方会議の開催日が、当初A1(1・20(警)及び(検)、
1・25(検))、A3(2・7(警)、2・9(検)、)A4(2・9(検)、
2・10、2・11、2・23各(警)等)、A2(2・10(検)、2・11
(警))の各供述調書において、一様に一一月八日とされ、その日時が明確ではな
かつたA5(2・4(検)、2・5(警))及び一一月七日と供述していたA15
(2・3、2・4各(警))もやがて一一月八日と供述が変遷し(A5につき2・
9(検)、A15につき2・10(検))ていることは、捜査官が、右A8方会議
に出席した者らの間で、一面の発行日付が一一月八日と印刷されていたD3号外の
読合わせをしたことにして、事前共謀の成立に関する証拠を獲得すべく、強力な誘
導を行つたからである、さらに、捜査官は、その後、右D3号外の発行日付の誤り
に気づくや、A6(3・10(検))、A7(3・31、4・6、4・8各
(警)、4・11、6・8各(検))に対しては、開催日を一一月七日と供述さ
せ、A4(3・24(警)、4・26(検))、A2(3・11(警))に対して
は、理由にもならない理由をもつて、その日時についての従前の供述を変更させて
いるのである、これらは、いずれも捜査官により画一的かつ強力な誘導的取調べが
なされたことの明らかな証左と言うべきである、と主張する。
 なるほど、関係証拠によれば、A8方会議の開催日については、所論指摘のよう
な供述の経過が認められる。しかし、その日時の特定が、所論主張のような捜査官
の共謀成立の目論見によるものとすれば、最初にその日時を一一月八日としたA1
の1・20(警)及び検における供述から二週間も経た時点で、なぜこれを一一月
上旬あるいは中旬と供述する前示A5の2・4検及び2・5(警)が作成され、ま
た開催日を一一月七日と供述するA15の2・3及び2・4各(警)が作成された
かを説明することが困難となろう。さらに、右A3、A4及びA5の各供述調書が
作成された昭和四七年二月九日の時点で、なお開催日を一一月七日と供述するA1
3の2・9(検)が作成されていることについても、同様の疑問が生じることにな
る。その後、A15、A2について、それぞれ開催日を一一月八日とする各供述調
書が作成されているのに、なおも、これを一一月七日又は八日とするA6の2・2
9(警)が作成されていることについても同様である。これらの事実に加えて、A
3が、原審において、「八日だということを取調べの時から一貫して言われてきた
んじゃないんですか、検察官ないし警察官から。」との弁護人の問いに、「そうい
うことはなかつたと思うんです。」と答え、D3号外を見せられたうえ、「これ検
察官の取調べの時にも見せられたでしょう。あるいは警察官の取調べの時にも。」
と問われて、「見せられなかつたですね。」と答えていること(原一四冊一四五九
丁)を考え併せれば、所論主張の捜査官による画一的な誘導的取調べを推認するこ
とは甚だ困難と言わざるを得ない。
 もつとも、所論は、A4が、3・24(警)(当書七冊一六五二丁以下)におい
て、従来一一月八日と供述していた開催日を、前日の七日であると供述を変更する
理由について、従来は、一一月七日にカンパを求めるため、東京都在住の先輩J3
方を訪ね、翌八日にA8方会議に行つた旨供述していたが、自分の訪問した日にJ
3が学校へ行つていたことを思い出した、そうすると、その訪間日は平日である八
日となり、従つてA8方会議は日曜日の七日となるとの趣旨を供述している点をと
らえ、右の説明では、何故、J3方を訪問した日が八日であれば、A8方会議が日
曜日の七日になるのか不明であり、このような不可解な供述変更をせざるを得なか
つたことこそ、捜査官の強引な誘導を示すものである、と言うのである。
 A4の2・10(警)(当書二冊四二六丁)及び2・23(警)(当書三冊六一
〇丁)において、同人がJ3方を訪問したのは一一月七日であり、A8方会議に赴
いたのが八日であると供述しながら、所論のような理由をもつて、その順序が変更
されていることは、証拠上これを認めることができる。そこで、A4の右供述変更
の理由について考えると、結局その趣旨は、J3方を訪問した日が平日であること
を思い出したが、そうだとすれば、これが日曜日である七日ではあり得ず、しかも
右七日及び八日の前後の日である同月六日と九日の行動内容についての記憶に誤り
がなければ(右3・24(警)では、この両日については何ら触れるところがな
い。前掲2・10、2・23各(警)によると、六日はD7大学の集会に出席し、
九日はD1大におけるデモや集会に参加したとの記憶が、それぞれ明確であつたこ
とによるものと解することができる。)、結局、平日としては、八日が残されるだ
けであるから、J3方の訪間日は八日となり、従つてまた、A8方会議の開催日は
日曜日の七日となる、というものであつたと解されるのであつて、格別不可解な説
明とは考えられない。
 また、A2の3・11(警)(当書七冊一六六五丁)における供述変更の理由
は、一一月六日夜に、A8から、「明日は日曜日で学校にも人が居ないので丁度よ
い。鉄棒があるからそれを切ろう。」との指示を受け、翌七日その切断作業をした
が、その際A8から、今夜下宿で会議を開くから参加するように、と言われ、その
指示に従つてA8方会議に参加したので、従来開催日を一一月八日と言つていたの
は思い違いであつた、と言うものである。右供述変更の理由についても、これを格
別不自然と言うことはできず、従つて、これらA4及びA2の供述の変更をとらえ
て、捜査官による強度な誘導があつたことの証左であると見るのは困難である。所
論は、いずれも理由がない。
 (二) 特信情況
 原決定は、まず、本件各検事調書に関する一般的特信情況として、「イ」A1ら
各証人は、かつて、被告人らと本件闘争を共にしたものの、原審証書の当時は、既
に同種闘争から離脱し、静誰な生活に戻つていたこと、「ロ」右のような状況にあ
る証人らが、かつての指導者であり、なお現在でもいわゆる公判闘争を続けている
被告人らの面前において証言するについては、濃淡強弱の差はあるにせよ、被告人
らに対する遠慮、迎合、回避の気持から、少なからざる影響を受けていたと認めら
れること、(ハ)各証人の証言は、本件犯行から二年五か月ないし四年九か月を経
た後になされたものであり、従つて、いずれも、事件後約二か月ないし七か月後の
供述を記載した本件各検事調書に比し、記憶の鮮明さにおいて劣ることなどの諸点
を指摘したうえ、さらに各証人に個別的な事情として、「ニ」当該証言において、
検事調書は概ね記憶に従つて作成されたものであることを認めていること、あるい
は「ホ」証人自身の被告事件に関する公判廷において、検事調書の取調べに異議を
申し立てた形跡のないこと、「ヘ」その他、各証人の証言時の応答態度、供述状況
などを挙げ、以上を総合すれば、本件各検事調書には、いずれも特信情況が認めら
れる、と判断している。
 関係証拠から明らかな、被告人らと証人らとの関係及び本件犯行において果した
役割、前示のような捜査、公判等の経過などに加えて、本件各検事調書の内容、体
裁、これに対する各証人の証言態度、その証書内容などを彼此考え併せると、原決
定の右判断は概ね是認することができ、当審における事実取調べの結果を十分斟酌
してみても、なお右判断を維持するのが相当と考えられる。
 所論にかんがみ、若干補説する。
 (1) 原決定が、A3の、「今日の方が(A10ら公判よりも)しゃべりにく
い。」「精神的につらい。」との証言(A9・三回)を引いて、同人に被告人らに
対する気兼ねないし遠慮の気持があつたと判断している点に関し、所論は、同人
は、B巡査に対する「銃を奪え」との指示は被告人A9によつてなされたものであ
り、A10も本件殺害現場にいた旨同被告人らに不利な証言をしているとして、A
3には、同被告人らへの気兼などはなかつた、と言うのである。
 なるほど、A3が所論指摘の証言をしていることは証拠上これを認めることがで
きる。しかし同証言部分は、被告人A9の「殺せ、殺せ、やれ、殴れ。」「火をつ
けろ。」との指示あるいはA10の火炎びん投てき行為などについての証言とは異
なり、いずれも直接には殺人の実行行為に結びつく類いのものではないから、さほ
ど同被告人らに対して気兼ねをすることなく証言し得る事項と言わなければならな
い。従つて、被告人らに刑責を負わせる可能性の乏しい言動に関する証言をしたか
らといつて、A3において、被告人らに対する気兼ねなどの気持がなかつたとは言
えない。
 次に、所論は、原決定が、A3の「いいかげんな気持でげろつちゃつて、それで
迷惑かけて……切ない」との証言をもつて、被告人らに気持をよせる証言であると
判断したことに対し、右は、A3が、執拗な取調官の追及を回避するために、いい
加減な気持で記憶にないことを供述したことに対する後ろめたさから、被告人らに
対し申訳のないことをしたというA3の心情を吐露したものであつて、これを原決
定のように解することは許されない、と言う。
 たしかに、A3の右証言部分は、その前後の証言内容に照して見れば、一応、所
論主張のような趣旨とも解されないではない。
 しかし、その証言の直後、弁護人から、「いい加減な気持」の具体的内容を問い
質されたのに対し、同人が、「そうですね、知らないことは知らないと言うべきだ
つたですね、」と答えていることからすると、結局、同人は、被告人らに対し、原
決定の言う気兼ねなどがあつて、「気持をよせる証言」をしたと認めざるを得な
い。何故ならば、同人は、先に2・25(検)について説示したとおり、同調書中
においては、否定すべきものは否定し、記憶の確実なものと不確かなものとを明確
に区別して述べ、供述の訂正までしているのである。それにもかかわらず、なお被
告人らの面前では、知らないことは知らないと言うべきだつたなどと証言するに至
つては、やはり、同人は、被告人らに対する遠慮、迎合の気持から、その場を糊塗
しようとして、所論指摘の証言に至つたと見ざるを得ないのである。
 (2) また、所論は、A2が、この法廷にA10、A8、A9各被告人がいる
ので証言しにくいということはないか、と問われて、「まあとくにということはな
いですけれども、」と答えているのであるから、同人の証言の渋滞などが、被告人
らの面前であることからの遠慮や気兼ねによるものではないことは明らかである、
と言うのである。
 しかし、同人の右証言部分を正確に引用すれば、「まあ特に、ということではな
いですけれども、」とあり、続いて、「個人的には、こういつた裁判、ここに立た
されるというのは、あまり好きじやないですから。」というのであつて、その答弁
全体に、まさに被告人らの面前における証言回避の傾向が色濃く惨み出ているので
ある。従つて、同人の右証言をもつて、同人には被告人らに対する気兼ねなどはな
かつたと言うことはできない。
 (3) さらに、所論は、A6について、同人が証言の際、ことさらに記憶喪失
を装つたことは明らかであり、また検察官においては、その擬装を支持し、これを
奇貨として、当該検事調書提出の口実としたことが十分窺われるから、A6の「取
調時点ではよく覚えていた」とか、「調書は記憶どおりに書かれている」との証言
を、そのまま肯認することはできないなどと主張する。
 たしかに、A6のA8・一五回における証言経過を見れば、当初、証言を拒否し
たことが認められ、間もなく尋問に応ずるようになつたが、同人の証言に至る経緯
及び内容を仔細に検討してみても、到底所論指摘の擬装を認めるには由ないところ
である。
 また、所論は、原決定の引用する「自分で思つていることというか、言うことだ
け言つて、後はどうにでもなつていいやという感じがあつた。」とのA6証言(原
二八冊四一四丁)は、同人の供述が記憶に基づくものではなく、自棄的になされた
ことを示すものであると論難する。しかし、同証言をその後の証言部分と対比する
と、同人としては、自己の記憶するところ、あるいは捜査官の尋問によつて喚起さ
れた記憶に基づいて供述し、その結果は甘受しようとの趣旨であると見るのが相当
である。もつとも、原決定の引用する他の部分、すなわち、「(A10のことに関
して)自分でおかしく思われても、自分で思つていることだけを言つておきたいと
は思つて、なるべくやる心算でいた。」とのA6の証言部分(同四二五丁)につい
ても、原決定は、検察官の取調べに対し、自分の記憶に基づいて、記憶どおりに述
べたという趣旨の証言として引用しているが、同証言自体の文脈及び証言経過と対
比して考えると、原決定が右趣旨の下に引用したのには疑問があるが、同人は、原
決定の指摘するように、右証言の直前においても、「嘘だと思つて言つたというの
はないと思う。」(同四一五丁以下、とくに四一六丁)とか、検事調書が作成され
た当時は覚えていたのか、との問いに対し、まだ日が浅かつたので覚えていたと思
う旨答え、あるいは、検察官には記憶のとおり述べたのか、と問われたのに対し、
これを肯定している(原一一冊四四九丁、四八九丁)のであつて、これらからすれ
ば、同人の検事調書は、当時の、自己の記憶に従つて作成されたと認めるに支障は
ないと言うべきである。
 本件各検事調書の任意性及び特信性についての所論及びこれに対する当裁判所の
判断は以上のとおりであるが(なお所論は、A2の2・15及び4・11各(検)
における供述中、一一月一三日午前のコース打合せに関する事項は、同人の原審証
言の際には何ら触れられておらず、いわゆる相反部分とは言えないから、同供述部
分には証拠能力がないとも主張する(弁趣第一点、趣意書七九頁、八〇頁)が、右
打合せに関する事項は、同日午後のコース下調べに関する事項と密接不可分の関係
にあり、後者について、同証言は記憶がないとするのであるから、前者についての
供述部分に証拠能力がないとは言えず、所論は採用し難い。)、さらに、所論に鑑
み、全記録を精査してみても、右任意性及び特信性に疑問を抱くべき形跡は何ら存
在しない。論旨は理由がない。
 2 ビデオテープ等の証拠能力(A8越第五点の一)
 <要旨第一>所論は、要するに、原審は、テレビニュースの映像を録画したビデオ
テープ二巻(当庁昭和五五年押第一四七号の符号7)及びその映像の一
部を静止写真化した司法警察員I5作成のテレビニュース画面写真帳二冊(以下写
真帳と言う。)を証拠として採用する旨決定し、かつ、これらを原判決「証拠の標
目」欄に挙示して有罪認定の用に供しているところ、「イ」報道目的で製作される
テレビニュース用フイルム(以下テレビフイルムと言う。)は、報道各社が競つて
センセーショナルな効果を期する余りおよそ客観性に乏しく、撮影者及び編集者の
主観的意図に基づく選択を経ているものであり、それ故、これを証拠として採用す
るには、撮影者及び編集者を証人として反対尋問によるテストを受けさせることが
不可欠であるのに、何らかかる手続を履践しておらず、「ロ」テレビフイルム自体
を提出することに伴う諸種の困難を回避し、その映像を録画したビデオテープ及び
写真帳によつてテレビフイルム自体を取り調べたと同一の目的を達しようとの姑息
な立証手段を許容するものであるが、そのことは、「a」右テレビフイルムが唯一
無二の立証手段と言えないことに鑑み、F10駅事件についての最高裁判所昭和四
四年一一月二六日大法廷決定(刑集二三巻一一号一四九〇頁)の説示する限度を逸
脱し、憲法二一条の保障の下にある報道の自由ないしはこれと密接に関連する取材
の自由を侵害するものと言わざるを得ず、また、他面において、「b」番組製作者
の著作権をも侵害する結果を招来しているのであるから、原審には、違憲違法な証
拠決定によりこれらの証拠を採用し、かつ、これらを採証の用に供した訴訟手続の
法令違反があり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである、と言うのであ
る。
 案ずるに、本件写真帳は、本件ビデオテープの映像の一部の写しであり、また、
本件ビデオテープは、テレビフイルムを放映したテレビ映像の写しであるから(こ
れらの作成過程については、後述する。)、これらの証拠能力を論ずるに当つて
は、まず、「1」その原本に相当するテレビフイルム(ないしはその映像)自体の
証拠能力につき検討し、然るのち、「2」原本に代え、その写しを証拠とすること
の可否につき考察を加える必要があるものと言うべきである(所論「イ」「ロ」
は、略右「1」「2」の論点と対応するものと考えられる。)。以下、これらにつ
き分説する。
 (一) テレビフイルム及びテレビ映像
 テレビフイルムないしはこれを放映したテレビ映像については、供述代用書面の
場合におけると同様、その収録内容(撮影対象)自体及びその収録、再生過程(撮
影、現像、放映)のそれぞれにつき、伝聞証拠性の有無を検討すべきである。
 テレビフイルムの撮影対象は千差万別であつて、それが、口頭又は文書図画等に
よる人の供述である場合と、非供述的な物、場所、事象(自然現象などのほか、人
の動作、行動をも含む。)などである場合とが考えられる。本件テレビフイルムの
場合、その撮影対象は後記のとおり明らかに非供述的な事象であるから(但し、字
幕及び音声による説明部分を除く。これについては後述する。)、これが伝聞的要
素を含むものでないことは言うまでもない。
 次に、テレビフイルムヘの収録、再生過程を検討すると、これらはすべて光学
的、化学的原理に基づき機械的に処理されているのであつて、そこに人為的な操作
ないし過誤を容れる余地はなく、伝聞的要素の含まれない非供述過程と認めるのが
相当である。所論「イ」は、撮影者及び編集者の主観的意図に基づく選択の介入を
云々する。たしかに、長時間、広範囲に亘つて生起した一連の事象を細大洩らさず
撮影し、これをすべて放映することは、テレビニュースの性格に照らし不可能に近
く、撮影対象の選択、撮影済みフイルムから放映すべき画面の選択、構成などに際
し、撮影者及び編集者の主観的判断の働く余地がないとは言えない。しかし、その
ことと、放映された特定のテレビ映像の収録、再生過程に伝聞的、供述的要素が含
まれないこととは、別個の次元に属することである。もし、長時間、広範囲に亘つ
て生起した一連の事象の一部の映像によつて、放映されなかつた部分を含む当該事
象の全貌を立証しようとするのであれば(そのような立証趣旨は、当該映像の証明
力の及ぶ範囲を逸脱するものである点は別論としても)、撮影、編集に際しての選
択が適切になされたか否かをテストする必要があるものと言い得よう。しかし、放
映された映像を、当該画面に映し出されている限りの事象の存在、態様等の立証に
用いる限り(本件は、まさにその場合である。)、映されている映像は現実の忠実
な再現であり、その収録、再生過程の伝聞性は否定される。もとより、かかる映像
といえども、特殊な効果を意図して画面に加工したり、ことさらに時間的順序を逆
に編集したりする可能性が絶無であるとは言い難い。しかし、正確な報道を目的と
するニュース番組においては、そのような可能性は一般に考えられないところであ
り、証拠調べの結果疑義を生じた場合に、撮影者又は編集者を喚問すれば足りるこ
とである(本件ビデオテープを精査しても、右のような疑義は生じない。)。
 以上のとおり、本件テレビフイルムないしはこれを放映したテレビ映像は、その
撮影対象、収録、再生過程のいずれの面からしても、非供述証拠と解するのが相当
であり、その撮影者又は編集者を証人として取り調べるまでもなく、要証事実との
間に関連性を認め得る限り、その証拠能力を肯認して妨げないものである。そし
て、本件映像が要証事実との間に関連性を有するものであることは、後記写真帳に
収録された部分からも明らかと言わなければならない。
 (二) ビデオテープ及び写真帳
 関係証拠により、本件ビデオテープ等の作成経過を見ると、以下のとおりであ
る。すなわち、「イ」本件ビデオテープは、警視庁公安部公安総務課所属の警察官
I6、同I5、同I7の三名において、一一月一四日午後四時四五分ころから同日
午後一二時ころまでに放映されたD12テレビ、D13テレビ、D14テレビ、D
15テレビ及びD16テレビの各テレビニュース番組のうち、当日行われたD17
批准阻止闘争に関する部分を、右総務課内に設置した二台の磁気録画装置を用い
て、正確に録画したものであり(但し、D12関係分は証拠として提出されていな
い。)、また、「ロ」本件写真帳は、右I5において、本件ビデオテープをテレビ
受像機に再生し、その映像のうち、主として「a」炎上している神山派出所及びそ
の付近における本件集団の状況を映した場面、「b」B巡査が本件殺害現場路上に
俯伏せに倒れ、その衣服等が燃えている状況を映した場面、「c」同巡査を他の機
動隊員が救助している状況を映した場面を、それぞれ写真機によつて撮影した静止
写真四四葉(第一冊が二九葉、第二冊が一五葉)によつて構成されている。
 右に見たように、本件ビデオテープはテレビ映像の写しであり、写真帳は、ビデ
オテープの映像の一部を収録したものであつて、原本たるテレビ映像の写しの写し
としての性格を有することが明らかである。
 原本たるテレビ映像の証拠能力については、(一)で詳論したところであるか
ら、ここでは、原本に代え、写しを証拠として提出することの許容性について検討
する。問題は、「イ」写し一般(その作成過程に伝聞的要素を含むものを除く。以
下同じ。)の許容性と、「ロ」テレビニュースの映像の写しであることに伴う特殊
な論点(所論「ロ」の冒頭部分は前者、同「a」「b」は後者に属する。)とに分
けられる。
 まず、「イ」写し一般を許容すべき基準としては、「a」原本が存在すること
(さらに厳密に言えば、写しを作成し、原本と相違のないことを確認する時点で存
在すれば足り、写しを証拠として申請する時点まで存在することは不可欠の要件で
はない。テレビ映像の如きは、放映とともに消滅する。)、「b」写しが原本を忠
実に再現したものであること(原本の完全な複製である必要はなく、立証事項との
関連において、その必要な性状が忠実に再現されていれば足りる。)、「c」写し
によつては再現し得ない原本の性状(たとえば、材質、凹凸、透し紋様の有無、重
量など)が立証事項とされていないことを挙げることができる。以上に反し、
「d」原本の提出が不可能又は著しく困難であることを、写しの許容性の基準に数
える必要はない。蓋し、それは、最良証拠の法則ないしは写し提出の必要性の問題
であるに過ぎないからである。
 本件ビデオテープ及び写真帳は、前示作成経過及び作成に用いられた機器の性質
に鑑み、右「a」「b」の要件を充たすものであることは明らかであり、また、そ
の立証事項が右「c」掲記のような原本の性状に亘るものでないことも当然であ
る。従つて、テレビフイルムないしはこれを放映したテレビ映像の写しとして、こ
れらを提出することは、写し一般の許容基準に合致するものであり、そのことを目
して、原本の提出に伴う諸種の困難を回避するための姑息な手段と極めつける所論
(前記所論「ロ」の冒頭部分)は、いわれのない非難をなすものと言わざるを得な
い。
 次に、「ロ」本件ビデオテープ等がテレビの報道番組の映像の写しであることに
伴う特殊な問題につき考察する。所論は、「a」F10駅事件に関する最高裁判所
大法廷決定を援用して、本件テレビ映像が本件の立証上唯一無二の証拠ではないの
に、その写したる本件ビデオテープ等を取り調べることは、右決定に示された限度
を逸脱して、憲法二一条の保障の下にある報道の自由ないしこれと密接な関連を有
する取材の自由を侵害することとなると主張する。しかし、所論大法廷決定は、裁
判所において、報道機関に対し、一部未放映の分を含むテレビフイルム原本の提出
命令を発する場合における許容基準について判示したものであつて、捜査機関にお
いて、放映されたテレビニユースの映像を録画したビデオテープ及びこれに基づい
て作成した写真帳の取調べ請求がなされた本件とは、全く事案を異にする。判例の
事案においては、未放映分を含むテレビフイルム原本の強制的取得が、報道の自由
等との牴触の契機を含むものであるが故に、両者の調整が問題となつているのであ
るが、本件の場合、偶々テレビフイルム原本を入手したと同様の立証上の効果があ
つたとしても、それは写しの性格に由来するものであり、入手の方法に強制の要素
はいささかも含まれていない。また、放送事業者において、撮影対象者との関係を
含め、放映による得失を十分検討したうえで、何人が、如何なる目的で視聴するも
のであるかを問わず、広く公衆に直接受信させる目的で映像を放映したものである
以上、これを受信した側において限られた目的の範囲でその録画を使用したとして
も、そのことにより、将来の取材の自由が妨げられ、ひいて報道の自由が侵害され
る結果を招来するものでないことも、多言の要を見ない。叙上の如く、本件ビデオ
テープ等の取調べが所論報道の自由等と牴触する虞れはなく、従つて、その取調べ
を、他に適切な証拠がないような場合に限つて許される、補充的なものと解すべき
いわれはない(ちなみに、所論は、ビデオテープの証拠能力を認めて採用決定をし
ながら、敢えてこれを事実認定の用に供しなかつた下級審の裁判例のあることを指
摘し、原審にはかかる配慮すら欠けていると論難するが、適法に証拠調べをした証
拠を事実認定の用に供すると否とは、事実審裁判所に委ねられた自由心証の問題で
あるから、適法な訴訟手続の法令違反の主張と見るに由ないところである。)。ま
た、所論は、「b」各放送会社に無断で録画することは、著作権法に違反するもの
と主張する。
 所論は、何人の、如何なる著作権法上の権利を侵害することになるのか明言する
ところがないが、テレビニユースのためのテレビフイルムが思想又は感情を創作的
に表現した著作物に当たらないことは当然であるから(著作権法二条一項一号、一
〇条)、これにつき著作者人格権及び著作権(同法一七条一項)を認めるに由な
く、著作隣接権としての放送事業者の権利(同法九条、九八条ないし一〇〇条)が
問題となり得るのみである。放送事業者は、同法九八条により、「その放送に係る
音又は影像を録音し、録画し、又は写真その他これに類似する方法により複製する
権利を専有する」ものとされているが、その権利は、同法一〇二条、四二条によつ
て制限され、「裁判手続のために必要と認められる場合(中略)には、その必要と
認められる限度において、複製することができる」ものとされているのであつて、
本件テレビニュースの映像を録画し、写真によつて複製したことは、右の「必要と
認められる限度」をこえるものでないことはもとより、前記のように本件映像が既
に広く公衆に直接受信されたものであること並びに複製の部数及び態様に照らし、
同法四二条ただし書所定の、放送事業者の「利益を不当に害することとなる場合」
にも当たるものでないことは明らかである。従つて、本件ビデオテープ等の作成
が、放送事業者の著作権法上の権利を侵害するものとは言い得ない。
 (三) まとめ
 叙上縷説のとおり、本件ビデオテープ及び写真帳は、その撮影対象及び収録、再
生の過程から見て非供述証拠であり、かつ、要証事実との間に関連性の認められ
る、テレビニユースの映像の写しであつて、写し一般が証拠として許容されるため
の要件を充たしており、また、その取調べによつて報道機関ないし放送事業者の憲
法上及び著作権法上の自由ないし権利を侵害するものとは認められないから、証拠
能力を有する適法な証拠と解するのが相当であり、従つて、原審がこれを証拠とし
て採用し、有罪認定の用に供したことに何ら訴訟手続の法令違反はない。
 なお、所論は、本件ビデオテープには、字幕及び音声による説明が含まれている
から、全体として証拠能力がないと言う。右説明は、原本たるニュース映像そのも
のに含まれていたものであつて、たしかに供述証拠として伝聞法則の適用を受ける
こととなる。原判決は右説明部分を除外する旨を明示してはいないが、本件のよう
に、右説明部分を除いた映像と、原判決挙示のその余の証拠とを総合して優に原判
示事実を認めることができる場合にあつては、特に明示していなくても、原判決は
これを除外して映像だけを証拠とした趣旨と解するのが相当である。
 論旨は理由がない。
 3 B巡査の死因に関する審理不尽(弁趣第四点の二)
 所論は、要するに、B巡査は、本件当日午後三時二〇数分過ぎに受傷し、翌一五
日午後九時二五分ころ火傷により死亡したものであるところ、熱傷治療の場合、受
傷面の処置と同時に、全身管理(呼吸管理、循環管理)が重要であり、同巡査の治
療については、これらの点に不手際があつたのではないかと考えられ、そうだとす
れば、右火傷と死亡との間には相当因果関係はなく、被告人両名は単に傷害罪の刑
責を負うに過ぎず、弁護人としては、この点を明らかにすべく、証人尋問を請求し
たのに対し、原裁判所は、これを却下し、同却下決定に対する異議申立もまた棄却
したが、右審理不尽は判決に影響を及ぼすことが明らかである、と言うのである。
 しかし、K作成の鑑定書、同人及びC2の原審各証言によれば、以下の事実を認
めることができる。すなわち、
 「1」 熱傷による皮膚所見の程度としては、「イ」第一度(皮膚に発赤が認め
られた場合)「ロ」第二度(皮膚に水泡が形成された場合)「ハ」第三度(皮膚、
皮下組織等が熱のため壊死に陥つた場合)「ニ」第四度(組織が炭化した場合)の
四段階があるところ、現代医学の知識をもつてしては、熱傷死の機序は必ずしも解
明されているとは言えないものの、通常、熱傷によつて組織が崩壊し、蛋白質の分
解物が体内に吸収されて腎臓、肝臓等の臓器に損傷を与え、死亡に至ると考えられ
ており、他方、臨床医学上は、体表面積の約三分の一が熱傷第三度の場合または同
面積の約二分の一が熱傷第二度の場合には、生命の危険性があり、さらに気道熱傷
を合併している場合には、予後に重大な影響があると考えられている。
 「2」 ところで、B巡査の熱傷は、体表面積の約六〇パーセントに及び、その
うち第三度及び第四度の部分は、熱傷面積のそれぞれ約三〇パーセントを占めてい
た。
 「3」 B巡査は、本件当日午後四時ころF6病院に収容され、熱傷担当医C2
が診察に当たつたが、同巡査は、当時「イ」血圧が低下し、脈膊が増加して意識が
朦朧とした、いわゆるシヨツク状態と、「ロ」呼吸困難の症状を呈し、また、
「ハ」体動が著明であつた。
 「4」 そこで、C2医師は、「イ」前記「3」「イ」のシヨツク症状が末梢循
環不全によるものと考えられるところから、その治療のため、経静脈輸液(主とし
て水分、電解質液及びコロイド液であるが、副腎皮質ホルモンの一種であるコルコ
ーテフ、抗生物質、利尿剤、ビタミン剤、強心剤も随時使用されている。)を行な
つて、循環血液量の回復等を図り、「ロ」初診時に気道熱傷の疑いもあつたところ
から、前記「3」「ロ」の呼吸困難に対処するため、同巡査に対して気管切開術を
施すとともに、同人を酸素テントに入れ、「ハ」前記「3」「ハ」が痛みに基因す
るところがら、鎮痛剤を投与したが、「ニ」右「イ」「ロ」の処置は、翌一五日午
後九時五分同巡査の呼吸停止に至るまで続けられ、同「ハ」の鎮痛剤は、その痛み
に応じて施用された。「ホ」その結果、B巡査の血圧は、輸液開始後一五〇/一一
〇(収縮期/拡張期の順に表記する。以下同じ。)、九八/六〇、一二八/八二、
一四〇/八〇と推移して一応の落着きを保ち、また、翌一五日午前六時一五分ころ
には、同巡査は、一時口の痛みや渇きを訴える程度の意識をとり戻すようになつ
た。「ヘ」ところで、C2医師は、B巡査の排尿の量、血尿の有無が腎臓に損傷が
なく、その機能を保持しているか否かの診断に重要な関係を有するところから、こ
れに留意しつつ、同日午前零時以降三回の排尿(入院当日は排尿がなく、翌一五日
になつて、午前零時に九〇CC、午前九時に五五CC、午後五時に三〇CCの排尿
があつた。)後、その都度これを検査したところ、いずれも赤血球が認められ、い
わゆる血尿であることを確認したが、右尿量の推移及び血尿の存在から、熱傷毒に
よる腎臓の機能障害を疑わざるを得ない状態となつた。「ト」また同医師は、B巡
査の前記のような無尿ないし乏尿から、輸液の量を多目にしたが、それが適量を超
えると肺水腫の危険があるため、同日午後六時及び同七時の二回にわたり内科医の
診察を求めるなどして、輸液が適切に行われていることを確かめた。「チ」他方、
B巡査は、前記のとおり、酸素テントに入れられたまま治療を続けられたところ、
気管切開部から出血があつたため、C2医師は、同巡査の気管ないしは肺臓の損傷
があるのではないかとの疑問をも持つたが、同巡査は、一五日午前五時四五分には
呼吸が激しく荒い状態(呼吸数三八)であり、同一〇時には脈腫が弱く呼吸速迫
で、血圧の測定は不可能な状態であつた。同日午後六時の前記内科医の診察の際に
は、喘息様所見があつた。「リ」その後B巡査は、一五日午後七時に脈膊数一四
〇、呼吸数四〇、同八時には脈膊数一四五、呼吸数五〇で、体温も上昇して容態が
悪化したが、C2医師としては、それまでに採るべき措置は採り尽くし、いかんと
もし難い状況であつた。「ヌ」その後同巡査は、同日午後九時五分に呼吸停止し、
人工呼吸を施されたが、五分後に心臓停止し、さらに強心剤の注射等の措置が採ら
れたものの、結局同日午後九時二五分その死亡が確認された。
 「5」 翌一六日D18大学教授Kは、検察官からの嘱託によつてB巡査の死因
等の鑑定に当たり、鑑定書を作成したが、その要点は次のとおりである。すなわ
ち、「イ」B巡査の熱傷の部位、程度は、「a」前頭部、顔面部、頸部、左側背
部、背部右側、腰部、左右上下肢及び陰部において、第二度ないし第四度であり、
「b」上胸部は第二度、下腹部及び臀部は、いずれも第二度及び第三度である。
「ロ」咽頭粘膜は、灰白色を呈し、熱凝固に陥り、粘膜は剥離することができ、淡
鮮紅色の粘膜下組織を露出する。「ハ」肺臓には、高度のうつ血及び気腫がみられ
る。「ニ」「死因は火傷死」であつて、右「イ」の「a」「b」の火傷の共同によ
つて死亡に至つた、とされている。
 以上認定の諸事実によれば、B巡査は、火傷によつて死亡したものであつて、所
論指摘の呼吸管理、循環管理のいずれにおいても、C2医師の不手際を疑うべき点
は存在しない。すなわち、熱傷を負つたB巡査は、それが体表面積の約六〇パーセ
ントという広範囲のものであり、かつ、熱傷面積中約三〇パーセントの部分が皮下
組織の壊死に陥り、また同面積中約三〇パーセントの部分が炭化するという極めて
重篤なものであつて、しかも前記「5」「ロ」から明らかなように、気道熱傷を合
併しており、一時シヨツク症状にやや軽快の兆しが見られたものの、腎臓の機能障
害、肺臓の損傷から次第に衰弱悪化し、熱傷(火傷)により死亡するに至つた、と
考えるのが相当である。原審において、弁護人は前記両証人に対して十分な反対尋
問の機会が与えられ、尋問がなされたにもかかわらず、右両証言を含む前掲証拠に
は、C2医師のB巡査に対する治療方法、その過程に疑問を抱かせるものは、何ら
存在しない。
 以上の次第であるから、原審が所論のようにC2証人の再尋問及び新たな証人の
各申請を却下したからといつて、その訴訟手続に審理を尽くさなかつた違法がある
とは言えない。論旨は理由がない。
 四 被告人A8及び弁護人の事実誤認の控訴趣意について(弁趣第一点、A8趣
第二点ないし第四点)
 所論は、要するに、「1」被告人A8に関し、「イ」その指示ないしは関与によ
つて本件犯行に関する諸種の準備活動がなされたことはなく、また、「ロ」同被告
人は、一一月一三日(以下四及び五において単に日のみを示したときは、同月中の
当該日を指すものとする。)夜のaアジトにおける全体会議の中途で退席してお
り、従つてその後の班長会議の際及び一四日朝には同所にいなかつたのであり、
「ハ」以上の経過に鑑みると、当時同被告人には、機動隊員を傷害する意思あるい
は警察関係の施設を発見次第攻撃し、これを炎上させる意思はなく、ひいて同被告
人と群馬部隊参加者との間には、これらに関する事前の共謀は存在しなかつた、
「2」被告人A9に関し、「イ」国鉄F1駅における同被告人のアジ演説は、本件
闘争の政治的意義を述べたに止まり、これによつて兇器準備集合、公務執行妨害、
傷害、現住建造物等放火に関する共同加害の目的ないしは共謀が成立したとは言え
ず、小田急線F8駅における演説も同様である、「ロ」原判示神山派出所前の機動
隊との衝突に際し、同被告人は、右派出所の存在さえ認識しておらず、機動隊員に
対する傷害の意図もなかつたのであるから、同所における現住建造物等放火や傷害
についての刑責を負ういわれはない、「ハ」原判示のB巡査殺害については、同被
告人の現場到着以前に、同巡査に対する殴打が開始されていたのであつて、同被告
人は、殺意をもつて号令を下したことも、殴打の実行行為をしたこともなく、また
同巡査に対する火炎びん投てきの指示及び実行行為をしたこともないのであるか
ら、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、と言うの
である。
 しかし、原判決の挙示する証拠を総合すれば、被告人A8及び同A9について、
原判示各罪となるべき事実をそれぞれ認めることができ(但し、被告人A9のB巡
査に対する火炎びん投てきの際の故意が未必の故意であるとする点を除く。この点
については、後記認定のとおりである。)、その他原審記録及び証拠物を精査し、
当審における事実取調べの結果を併せても、判決に影響を及ぼすべき事実の誤認は
認められない。
 なお所論は、一一・一四闘争について、原判決は、その政治目的に対する判断
や、右闘争についての警備方針に対する判断をいずれも回避し、かつ、同闘争の行
動目的及び機動隊指揮者のB巡査死亡に関する責任について事実の誤認があると言
うが、右はいずれも、その誤認が判決に影響を及ぼすことの明らかな「事実」とは
言えず、単なる情状に過ぎないから、これに対する判断は、必要に応じ、量刑不当
の控訴趣意に対する判断の際に示すこととし、また抵抗権ないしは超法規的違法性
阻却事由に関する所論については、法令適用の誤りに関する主張として、その際に
判断することとする。
 以下所論に鑑み、主要な点について補説する。
 1 被告人A8関係
 (一) 諸種の準備活動に関する被告人A8の指示、関与
 (1) A8方会議
 所論は、まず、七日夜のA8方会議(以下これを本件会議とも言う。)が行われ
たc荘は、被告人A8の下宿先ではない旨主張する。しかし、A21(原判決にA
21とあるのは誤記と認める。)の(警)、A10の警(2・19)及び同人のA
8・六八回における供述によれば、昭和四六年四月ころから翌四七年一月ころまで
の間被告人A8が原判示c荘に居住していたことを認めることができる。所論指摘
の住民票除票は、同被告人が昭和四四年八月二五日高崎市o町p番地H2方に転入
した旨届け出たが、同四八年一一月一日住民実態調査の結果同所に同被告入が居住
していないことが判明したため、同四九年二月九日これを職権抹消したというので
あつて、前掲各証拠と対比すると、これをもつて同四六年四月以降同四七年一月ま
での間同被告人が右H2方に現実に居住していたとするには由ないところであり、
前示認定と何ら矛盾するものではなく、また、原審証人C3の証言及び同被告人の
供述は右認定に照らし信用し難い。
 次に所論は、本件会議の主宰者が被告人A8でないことは、同被告人が同会議に
遅刻したことから明らかであると主張する。しかし、A6(A9・六回)、A5
(A8・一八回、A9八回)、A4(A8・一九回、同二一回)、A1(旧姓A
1、以下当該証言についてはA1、当該検事調書についてはA1として表示す
る。)(A8・二三回)の各証言及びA6(3・10)、A5(2・4、2・
9)、A4(2・9、4・26)、A1(1・20、1・25)、A2(2・1
0)の各検事調書によれば、被告人A8が本件会議に終始出席していただけではな
く、A10とともにこれを主導したことを認めることがてき、右認定に反するA1
5の(検)(2・10)等は措信し難い。とくにA5の証言(A8・一八回)によ
れば、同人が被告人A8方へ行つたのは午後六時か七時ころであるが、会議は大分
経つてから始まつた(原一一冊五八四丁)というのであり、また、同人の検(2・
9)によれば、集りが悪くて、会議が開催されたのは午後八時ころである(原四一
冊一七三二丁)というのであるから、同被告人が他の会合のため午後七時過ぎにc
荘に帰つて来たとしても、これをもつて原判決の事実認定に誤りがあるとは言えな
い。
 また所論は、本件会議に被告人A8が五日付「D3」号外を配付したことはな
い、すなわち「D3」の印刷される東京から高崎への配送関係及び五日、六日の両
日における同被告人の行動から考えると、七日の同会議に右号外が配付されること
はあり得ないと主張する。しかし、「D3」号外(当庁昭和五五年押第一四七号の
一)並びにA4(A8・一九回)及びA7(A8・二八回)の各証言によれば、こ
れと同一の号外が本件会議の際出席者に配付されたことを認めることができる〔も
つとも同号外の表面の日付は八日と印刷されているが、その曜日の表示は金曜日と
なつており、他方、裏面の日付及び曜日は五日(金曜日)となつていること、同号
外及び定期発行の八日(月曜日〉付「D3」(前記同押号の四)の記事内容(同号
外にはF5周辺図が掲載されており、右定期発行の「D3」には、「本紙号外で
「F5周辺図」の概略を示したのはダテではないのだ」との記事が掲載されてい
る。)及び広告(「日本帝国主義の危機とマル生運動」と題する書籍の発売広告が
両紙に掲載されているが、前者の号外では「11月6日発行予定」となつているの
に、定期発行の後者では「発売中」となつている。)を対比検討すると、同号外が
定期発行の八日付「D3」より以前に発行されたものと考えざるを得ないこと等か
らすれば、同号外は五日付発行と認めるのが相当であり、従つてそれが本件会議に
配付された旨の前示認定と矛盾するとは言えない。〕。この点に関しA3は、その
証言(A8・二四回、同二八回)及び(検)(2・9)において、七日朝被告人A
8から呼ばれてD1大の自治会室へ行つたとき(A3は八日ころとして供述する
が、関係証拠により七日の出来事と認められる。)、右号外があつた旨供述してい
るのであつて、同供述は前示認定を裏付けるものと言うべく、これに反する同被告
人の供述は信用し難い。
 さらに所論は、原判決が被告人A8の本件会議における発言として認定判示する
部分は証拠の取捨、判断の過程を誤つたものであると言い、種々論難するので、こ
の点について判断する。すなわち、「イ」まず所論は、原判示同被告人の発言中、
「D17の批准を阻止するためには」云々、「機動隊は国家の手先であつて」云々
とある部分は、A1の検事調書を根拠とし、これを適宜抜萃したものであるが、同
調書は、右供述部分に引続いて、同被告人が「その方法については、なるべく残酷
に苦しませて殺せ。鉄パイプで乱打し、気を失つたところを竹槍で刺したり、火炎
びんを投げるのだ、私服を見つけたら殺せ、自警団も抵抗する者は殺せ」との激越
な発言をした旨の供述記載があつて、全体として信用し難いものであるにもかかわ
らず、その一部を採つてこれを事実認定の用に供したのは誤りである、と主張す
る。たしかにA1の(検)(1・25)中には、所論のような殺害方法についての
供述記載があり、右部分は、他の関係者の供述と対比すると、竹槍云々に見られる
ように、特異なものがある。ところで同女は、原審において、本件会議の際本件闘
争の意義について「D3」の記事と同じことが話された旨(原一三冊一〇四〇丁)
及び竹槍も竹竿も竹で作つているから同じだと思つた旨(同一二五四丁)それぞれ
証言している。そしてA6(A8・一七回)、A4(A8・一九回、同二一回)、
A7(A8・二八回)の各証言によれば、同会議では五日付「D3」号外が配付さ
れ、これを回し読みしたうえ、被告人A8から、「D3」の記事に沿つた話がなさ
れたことが認められるところ、右号外、昭和四六年一〇月二五日付「D3」(前記
同押号の二)及び一日付「D3」(同押号の三)によれば、原判示認定と同旨の暴
動の意義に関する記事のほか、「われわれは、機動隊との「死闘」を鮮明にさせ、
機動隊を一人でも二人でも多く、それもできるだけ徹底して恥多き死に方をさせて
やらなければならないのだ。」との記事や、私服刑事、自警団等に関する記事(一
日付「D3」)あるいは「人民の敵・機動隊、デカ、自警団らを……撃滅せよ」と
の見出し(前記号外)があることからすれば、A1の検事調書中の供述は、これら
「D3」の記事と一致する限度において措信するに足りるものと言うべく、従つて
原判決が、同調書中の竹槍と竹竿とを同視して供述した、特異な殺害方法に関する
部分等を排斥し、右「D3」の記事によつて裏付けられる本件闘争の意義及び「機
動隊を一人でも多く殺せ。」との供述部分を採つて判示したのは、着実な認定を期
したものとして首肯するに足り、所論は採用し難い。「ロ」次に所論は、原判示被
告人A8の発言中、「今度の闘争は今までのようなカンパニア闘争ではない」云
々、「爆弾、鉄パイプ、火炎びん、スパナなどあらゆるものを武器に使つて」云
々、「今までの六・一七の爆弾にしても」云々とある部分は、A2の(検)(2・
10)に基づくものであるところ、同調書には、右供述に引続いて、「爆弾につい
ては、もう準備されている」との記載があり、全体として信用し難いものであるに
もかかわらず、その一部を採つて恣意的な認定をしたものであつて、事実誤認であ
る、と言う。しかし原判決が、「九月D2闘争で機動隊を殺した闘いの一〇〇倍」
云々との部分を除いた、その余の被告人A8の発言として判示する部分は、いずれ
も前示「D3」の記事と符合するものであり、この点に関するA2の検事調書が信
用し難いとは言えない。とくに一日付「D3」によれば、その二面及び三面におい
て、「11・14全国総結集・首都大暴動」との見出しを掲げたうえ、「東京大暴
動宣言」との意見を表明している。同宣言は、「「返還協定」批准を施行せんとす
る機動隊を根幹とする態勢と、それに連らなるブルジヨア階級の全ての所有物は、
一一・一四東京大暴動で爆砕され、焼き尽され、破壊し尽されねばならない。」
「武器を持ち首都東京の戦場におもむくためには全ての戦士が自らの最も得意とす
る武器を直ちに準備し、全ての戦士は、最低火炎ビンを製造する必要がある。」と
述べ、同紙一面では、一一・一四の暴動の際には、「六・一七~九・一六をのりこ
える機動隊せん滅を」との見出しの下に、D2闘争を上回る闘争を訴え、「H3が
居残つていることこそが機動隊員が死に、爆弾と火炎ビンがとび、火の手が拡大す
る唯一の原因であることをこの上なくはつきりと示さなければならない。」として
いるのである。そしてA6は、(検)(3・10)において、被告人A8が、「今
度の闘争は、D2で機動隊員を三人殺した闘いの一〇〇倍位の闘争だ云々」の発言
をした旨供述し、原審においても、同被告人の発言かどうか明らかではないもの
の、このような発言かあつた旨の証言をしている(A8・一五回原一一冊四一六丁
以下、A9・六回原二八冊三三六丁以下)が、これは、「九月D2闘争で機動隊を
殺した闘いの一〇〇倍」云々とのA2の検事調書中の供述と符合するものと言わな
ければならない。所論は、A2の調書中の「爆弾については、もう準備されてい
る。」との同被告人の発言に関する供述をとらえて原判決の認定を論難するが、原
審は、関係証拠によつて、本件犯行の際爆弾の準備があつたとまでは認められない
ところがら、これを認定判示しなかつたものであつて、前示「イ」同様着実な認定
と言うべく、事実誤認とは言えない。また所論は、A7の原審証言及び検事調書中
に、右一〇〇倍云々の発言に関する供述がないことをも論拠としているが、同人が
本件会議における被告人A8の発言等を逐一記憶し、かつ細大洩らさずこれを供述
したとは考え難いから、所論は採用することができない。「ハ」さらに所論は、原
判示被告人A8の発言中、「我国を守つている唯一の柱は機動隊だから」云々との
部分は、A5の(検)(2・9)によるものであるが、同供述はA1、A15の各
検事調書等に基づいた、検察官の誘導によるものであるから信用し難い、と主張す
る。しかし、A5は、原審において、右検事調書が略自己の記憶に基づく供述を録
取したものである旨証言しているのであつて、同人の原審証言中右認定に反する部
分は措信し難い。「ニ」最後に所論は、原判示被告人A8の発言中、「ここに集ま
つたものは共同謀議が成立するのだ、集まつたことは警察でも知つているから、闘
争に参加する決意を固めるんだな」とある部分は、A2の(検)(2・10)に基
づくものであるが、「集まつたことは警察でも知つている」ということと、「決意
を固める」ということとは論理的関連がないなどと論難する。しかし、関係証拠の
うち、A7(A8・二九回)、A4(A8・二一回)、A5(A8・一八回)、A
6(A8・一五回、同一七回)の各証言並びにA7(4・11)、A4(4・2
6)、A5(2・9)及びA6(3・10)の各検事調書によれば、被告人A8
が、種々の発言をした後、「これでここに集まつた者は全員共同謀議が成立し
た。」旨述べて、自己の発言を締め括つたことを認めることができるが、同時に、
同被告人は、その発言の冒頭において、「私服につけられなかつたか、まわりには
私服が来ている。」などと言い、「ここで話し合つているのは共同謀議だ、私服に
見つかつては全部駄目になる。戦前神奈川の日共で一人が時間に遅れたため全員が
捕つた例がある。これからは時間厳守してもらいたい。」と本件会議に遅れて出席
したA15らに注意するように言つたことが認められ、右認定に反するA6の原審
証言の一部、C4、C3の原審各証言並びにA10及び被告人A8の原審各供述等
はたやすく信用し難いところである。してみれば、A2の(検)(2・10)中
に、被告人A8の発言に関して原判示に沿う供述があることは所論のとおりである
が、同供述を右認定事実と対比すると、同被告人において、その発言の冒頭と結び
の二回にわたつて、共同謀議云々の発言をしたことから、A2の記憶に混乱を生
じ、その結果不正確な供述がなされるに至つたものと考えるのが相当である。従つ
て、「集まつたことは警察でも知つているから」云々との原判示後段部分は誤認と
言うべきであり、同被告人の発言内容自体に不合理な点はない。
 なお被告人A8は、原判決は、いわゆる群馬部隊について、これを中隊と認定し
ないかの如く判示しながら、他方では中隊云々と判示している部分及び具体的な班
編成に関する部分の認定に誤りがあると言う。しかし前者については、関係証拠に
よれば、中隊編成がなされたものと認められるところ、原判決は、これを前提とし
て、便宜群馬部隊と呼称することとしたに過ぎないものと解され、また後者につい
ては、関係証拠を対比して検討すれば、原判示のような班編成がなされたと認めら
れるから、右主張はいずれも採用できない。
 (2) aアジト及びbアジトの準備
 所論は、原判決が、群馬部隊の在京中のアジトとして東京都目黒区qr丁目s番
t号aヒルd階e号室(前示aアジト)を、また同部隊の武器等の保管場所として
同都渋谷区bu丁目v番w号x方(以下bアジトという。)をそれぞれ被告人A8
が用意し、確保した旨判示したのは、A4の(検)(4・26)に基づくものであ
るが、同調書は、その内容自体単なる推測に基づく供述に過ぎず不明確なものであ
り、同被告人を起訴するため捏造されたものであつて、いずれにせよ信用し難いか
ら、右認定は事実誤認であると言う。しかしA4の同調書は、所論にもかかわら
ず、同被告人の話の内容を具体的に供述しているのであつて、単なる推測とは言え
ないし、また、前示三の1の(一)の(4)のロのCからすれば、これが捏造され
たものとも考え難い。特にaアジトについては、右供述に符合するA10の原審供
述(原二五冊四七九〇丁)があるほか、A7(4・11)、A5(2・9)、A6
(3・10)、A1(1・25)の各検事調書によれば、一〇日高崎から上京した
群馬部隊に属する同人らは、同被告人の案内でaアジトへ赴いたことが認められる
が、この事案は、A4の前記供述を裏付けるものであつて、同人の検事調書は十分
信用するに足り、原判決の事実認定に誤りがあるとは言えない。
 なお被告人A8は、一〇日夜aアジトで、原判示のような、「D3」の読合せを
したことはない旨主張するが、A4の証言(A8・一九回)並びに同人及びA1の
右各検事調書によれば、読合せの事実が認められるから、右主張は採用し難い。
 (3) 一一日の状況
 所論は、まず原判決は、被告人A8か国鉄F11駅で会つたA7らから、A10
とともに購入物品の具体的内容について報告を受けたと認定しているが、同被告人
はそのような報告を受ける立場になく、また現実に報告を受けたこともない、と主
張する。たしかに、当日工具類や爆竹、パチンコ等を購入したのはA7、A4らで
あり、タツパーウエアー、ナツプサック、さらし、衣類等を購入したのはA5、A
13らであることが関係証拠によつて認められるところ、A4(2・9、4・2
6)、A5(2・4、2・9)の各検事調書によれば、同人らか購入物品の報告を
したとの供述は存在せず、他方A7の(検)(4・11)によれば、同人が被告人
A8と会つた場所は国鉄F12駅であり、また購入物品についてはA10に対して
報告した旨の供述となつていることは、所論のとおりである。
 しかし、右各調書によると、A7、A4らのグループについて言えば、購入すべ
き工具類等を記載したメモ及びその代金はA7が受け取つていること、一一日夜の
集会の行動報告において、同人が代表して右購入物品関係の報告をしていること
(A3の2・9(検)は、これを裏付けている。)がそれぞれ認められることから
すれば、A7が少なくとも工具類等の購入責任者であつたことを窺うことができ
る。そして同人は、A8・二九回において、被告人A8に対し購入物品の報告をし
た旨証言している(原一五冊一五七〇丁。A7が右報告をした場所をF12駅であ
る旨供述するのは、同人の記憶違いと認められる。)のであるから、A7が、A1
0のほか、被告人A8に対しても購入物品の報告をしたと考えるのが相当である。
 次に所論は、原判決が、一一日夜被告人A8は、A10とともに、aアジトにお
いてF5付近の下見の指示をしたと判示しているが、同被告人は、当夜aアジトに
帰らなかつたのてあるから、右指示をしたことはない、下見の報告がA10に対し
てなされた事実はその証左である、と言う。たしかにA6(3・10)、A15
(2・16)、A5(2・9)の各検事調書によれば、F5周辺の下見はA10の
指示によるものであつた旨供述している。しかし、「イ」A5は、2・4(検)に
おいては、被告人A8の指示によるものと供述し、A8・一八回において、指示は
被告人A8からなされたと思うと証言し、A10ではないかと反問されるや、分ら
ないと答えるとともに、下見の結果はA10に対して報告したとしており(原一一
冊五九八丁以下)、A8・二〇回においては、同被告人の反対尋問に対し、下見の
時には同被告人とA10とがいたと思うが、何方から指示されたか判然しない旨証
言し(原一二冊八五八丁)、「ロ」A3は、(検)(2・9)において、一一日夜
のaアジトにおける集会の終りころ同被告人が来て、A10とともに下見の指示を
した旨供述しており、他方A8・二四回においては、A10から指示され、結果の
報告も同人にした旨証言しているが、A8・二八回において、弁護人の「(検察官
から、)一一日F13にA8がいたろう、いなければおかしいと言われたのではな
いか。」との反対尋問に対し、「そういうことはなかつたと思う。」旨証言してお
り(原一四冊一四七七丁)、他方、「ハ」A5の前記2・9(検)によれば、一二
日朝七時ころ、同被告人がaアジトに怒つた様子で飛び込んで来て、A10に対
し、「夜中の二時に帰つて来たら、鍵をしめたままだし、叩いても起きない。」な
どと言つていた、と言うのである。してみれば、同被告人が二日夜再度外出したた
め、右指示に関する関係者の記憶に混乱を生じたものと考えるのが相当である。以
上にA1の(検)(1・20、1・25)二通を併せ考えると、被告人A8は、一
一日夜集会の終りころaアジトに帰つてA10とともに下見の指示をしたものと認
められる。従つて、下見の結果報告がA10に対してなされたとしても、何ら不自
然な点は存在しない。
 (4) 一二日の状況
 所論は、「イ」原判決が一二日午前A7、A15、A12、A2、A3らがD1
9大学へ旗竿作りに赴いたのは、被告人A8及びA10の指示によると判示し、他
方では、一旦A7らがaアジトに戻つた際、同被告人がA10に対して指示が徹底
していないと叱責したと認定しているが、原判示のように同被告人が叱責したとす
れば、A7らに対して自ら指示することはあり得ず、また、「ロ」A7らが同日午
後D19大学へ再度赴く際、原判決は、同被告人がA5にも同行するよう指示した
と判示しているが、同人のみに指示したとするのは経験則に反するなどと主張す
る。たしかに、「イ」A7(A8・二九回)、A3(A8・二四回)、A15(A
8・二六回)の各証言によれば、一二日午前D19大学へ赴く際のA7らに対する
指示は、A10によつてなされたものと認められ、これに反するA1の検事調書は
たやすく措信し難い。従つて、この点に関する原判決の認定は誤りと言わなければ
ならない。しかし、「ロ」同日午後A7らが再び同大学へ赴く際、同被告人がA5
に対し、これに同行するよう指示したとする同人の(検)(2・4、2・9)二通
が所論のように信用し得ないとは言えない。すなわち、関係証拠によれば、午後D
19大学へ赴いたのは、A7のほか、A5、A15、A3、A12、A1及びA1
3の七名であつて(ちなみに原判決は、右の中にA2を含めて判示しているが、A
2が午後もA7らに同行したとは認め難い。)、午前の場合と異り、A1、A13
の女性二名が加わつており、同女ら及びA7、A15の四名は旗竿作りの後に火炎
びん運搬の任に当たつたこと、右旗竿作り及びA7ら四名による火炎びん運搬は、
いずれも中央本部からの、いわゆる定点への電話による指示に基づくものてあるこ
と(A10は、A8六九回において、火炎びん運搬について事前の指示ではなく、
事後の連絡てあつたかもしれないとも言うが、午後旗竿作りに赴く際には、午前と
異なつて、右のような女性を含めた人員構成がとられていることからすれば、火炎
びん運搬を前提とした、事前の指示があつたものと解するのが相当である。)、午
後D19大学へ赴いた七名中には、班長を務めていたA7、班長代理を務めていた
A5を除くと、責任者的立場の者がいなかつたこと、A7ら四名を除く、A5、A
3、A12の三名は同大学からaアジトへ直接帰つたことなどが認められ、以上に
よれば、被告人A8が、aアジトへ直接帰るグループの責任者として、特にA5に
対して同行するよう指示したものと認めるのが相当であり、同人の前記供述が経験
則に反して信用し難いとは言えない。
 また所論は、同夜同被告人がaアジトで旗作りをしたり、同所に宿泊したことは
ない、と言うが、A3の(検)(2・14)によれば、右事実を認めることができ
る。
 (5) 三日の状況
 所論は、要するに、原判決が本件闘争に関し、E2派各軍団の存在とそのF5突
入計画を認定判示している部分は、A2の検事調書における、被告人A8の話とし
て供述するところに基づくものであるが、「イ」同被告人は、そのころaアジトに
いたことはなく、また本件闘争の具体的行動とは全く関係のない任務についていた
のであるから右計画を知る由もないし、右計画に関する同被告人の話の内容とされ
るものも、実際の軍団の行動経路、状況に反して、二〇個軍団が合流して四個軍団
となるとか、F12からF5へ向う軍団が予定されていたなどという虚構のものて
あつて、同検事調書は到底信用できない。さらに、「ロ」各軍団が結局F14駅で
合流し、井の頭線てF5突入を図る方針であつたことは、司法警察員作成の捜査報
告書や被告人A9の供述によつて明らかであるが、原審は、A2を始め、共犯者の
供述にはない右方針を結果的に知つたからといつて、事前段階の方針として、これ
を認定したのは事実誤認である、と主張する。しかし、「イ」について、A10
は、A8・六九回において、検察官から、「その時に(一三日朝の打合せの時の
意)、A2に対して、F1、F8、F5へ行く部隊と、F15、F8、F5へ行く
部隊、そのほか井の頭線でF5へ行く部隊、こういう四軍団がF5で合流するんだ
という話をしましたか。」と問われたのに対し、「したと思います。」と答えてお
り、他方A10は、同公判廷において、一三日A22被告人と打合せをしたかどう
か覚えていないとか、四軍団がF5で合流する話は判然しないと供述するものの、
A10自身は、群馬部隊が一四日F1駅で他と合流する予定である旨電話による指
示を受けていたが、同被告人は別のルートでこのことを知つていた旨、及び一三日
昼ころからA2、A5らとともに、aアジトからF2駅経由F1駅までのコースの
下調べに赴いた旨それぞれ認めており、右供述とA2の(検)(4・11)とを併
せ考えると、一三日午前に、被告人A8がA10及びA2とともにコース選定の打
合せをした際、E2派各軍団の存在、F5突入計画に関する話がなされたことを前
提とし、原判決がその時点における右突入計画等を認定したからといつて、これが
事案誤認であるとは言えない。「ロ」については、司法警察員I8作成の捜査報告
書によれば、本件当日学生インターグループ及びE2派ニグループが井の頭線を利
用し、あるいは利用しようとしたことが窺われるが、その経路や時刻を対比して考
えると、学生インターグループと右E2派ニグループとがF14で合流する予定で
あつたとは考え難く、また小田急線F4駅で下車した本件集団を含むE2派の、他
の三グループ(E2派では五軍団―同報告書では、グループと軍団とが同義のもの
として使用されている。―が編成された模様であるが、同報告書は、その中の、い
わゆる第二軍団について言及しておらず、他方、その記載の仕方からすれば、右学
生インターグループが第二軍団であるとも解し難い。上記三グループには、右第二
軍団を含む。)がどのような経路をとる予定であつたかは必ずしも明らかではない
し、さらに軍団によつては、指示によつてその集合時間が屡変更されたり、また、
予定の人員が集まらないうちに行動に出たり、あるいは四散した軍団もみられると
言うのであつて、所論のように、同報告書に基づいて、F14駅で各軍団が合流し
たうえ、井の頭線を利用してF5へ突入する予定であつたと認めることはできな
い。この点に関する被告人A9の原審供述によれば、事前の段階では国鉄F1駅か
らF5への経路が幾つか示されていたとも言うのであるから、各軍団がF14で合
流する予定であつたとの、同被告人の原審及び当審における供述部分を直ちには措
信ずることはできない。原判決にいう「井の頭線でF5へ」は突入経路の一つとし
て判示されたものであつて、これは、A10の前示供述のほか、A2の(検)
(4・11)においても明らかに述べられているところである(原四〇冊一五二五
丁)から、右認定に誤りがあるとは言えず、共犯者の供述に右井の頭線利用の方針
がないとする所論は、同調書を正解しないことに基づく批難に過ぎない。
 次に所論は、原判示のF2駅へのコースの検討打合せ(以下この項においては、
本件打合せと言う。)は、A2の(検)(2・15、4・11)二通に基づくもの
とし、これについて前記「イ」と同旨の主張をするほか、「a」原判決は、午前七
時過ぎから本件打合せを行つた旨認定しているところ、同調書によれば、午前九時
ころからとなつており、また、「b」群馬部隊が一四日午後二時F1駅で他の部隊
と合流することになつたと判示するが、同調書によれば、その時刻は午後一時四〇
分となつているのであるから、「a」、「b」ともに証拠に基づかない判断である
ばかりではなく、さらに、「c」その後下調べに出かけたというA5の(検)
(2・9)と前記A2の検事調書とは、aアジトを出発する時刻に矛盾があるが、
原判決はそのいずれにもよらず恣意的に認定している(「c」は、A8趣第三点
三、六、21)、と論難する。しかし、右「a」について、原判決は、本件打合せ
が行われたのは一三日午前と判示したものと解すべく、所論は原判決の誤解に基づ
く批難に過ぎない。すなわち、原判決は、一一日以降一四日までの間aアジトに宿
泊した群馬部隊の行動を説示する一環として、当該起床時刻を判示したものである
ことが、原判文を通読すれば明らかであり、また、原判示「一一月一三日の状況」
1と同2とを対比すれば、本件打合せを午前中の出来事として判示したに過ぎない
ことも、これを理解するに難くないところである。次に「b」については、たしか
にA2の(検)(2・15)によれば、F1駅の合流予定時刻を午後一時四〇分と
供述していることは所論のとおりである。しかし後記認定のとおり、班長会議の結
果右予定時刻が午後二時となつたことが明らかな一四日朝の段階に関しても、同人
は、A10の注意の内容として、F1駅の合流予定時刻を午後一時四〇分と供述し
ているのである(ちなみに、A2は、一四日当日にF1駅へ到着したのも午後一時
四〇分ころと述べている。)から、A2の記憶違いに基づいて供述した午後一時四
〇分について、関係証拠により、これを午後二時と認定したからといつて、誤りが
あるとは言えない。さらに「c」については、本件打合せ後の下調べのための出発
時刻が、所論のとおりA5の検事調書とA2のそれとでは矛盾しているが、A8・
六九回における前記A10の供述に照らせば、原判決は同供述に基づいて右出発時
刻を認定したことが明らかであり、これが信用し難いとは言えないから、右主張を
採用することはできない(なお、被告人A8が、本件打合せの際F1駅の合流予定
時刻が午後二時と決まつていたのであれば、原判決のいわゆる班長会議において被
告人A8とA10とが論争する筈はないと主張する点については、当該関連部分に
おいて判断することとする。)。
 また所論は、A5の二一三午後のコース下調べに関連して、被告人A8が、A5
のF16の調査を「無駄だつたな」と言つたことはなく、仮りに言つたとしても、
工具類がF16にないことを知つていて言つたことにはならないなどと主張する。
しかし、A5のA8・一八回及びA9・八回の各証言並びに同人の(検)(2・
9)によれば、同人は、右コース下調べの際、A10から工具類がF16に保管し
てあるとして、そのコースの調査をするよう命ぜられたことを、捜査段階から公判
廷証言に至るまで一貫して供述するとともに、同調書においては、一三日夜の班長
会議の際右下調べに基づき、一四日のコース及び所要時間が検討されたが、A5
は、被告人A8から工具類はF16ではなくbにある旨説明を受け、またbアジト
の所在をA7から聞けと言われたことや、A7から右アジトの図面を描いて教えて
もらつたことなどを具体的かつ詳細に述べているのであつて、これらの供述は十分
信用するに足りるものと言わなければならない。従つて、原判決が、同被告人にお
いてF16には工具類がないことを知つていたと認定し、また、A5からF16の
調査を聞いた同被告人が、これに対し、「無駄だつたな。」と言つたとする同調書
の供述を採用して判示したことをもつて、誤認とは言えない(ちなみに所論は、A
10が一一日工具類をbアジトへ搬入するよう指示したのであるから、一三日午後
A5に対してF16調査の指示をする筈がないとも主張する。たしかに原判決の判
示するとおり、bアジトヘの工具類の搬入指示がA10によつてなされたものであ
ることが認められるが、他方、同人のA8・六九回供述によれば、F16の調査は
上部すなわち中央本部からの指示によるというのであり、当時同人が本件闘争に参
加すべきか否か相当深刻に悩んでいたことが窺われることからすれば、同人は、工
具類がbアジトにあることを失念していたか、または同所からF16へ移動された
ものと誤解し、十分に確認しないまま右指示を受領したと解するのが相当であり、
右供述は、前示A5の供述を裏付けるものと言わなければならない。)。なお被告
人A8は、「イ」一三日午前の打合ぜの際同被告人が出席していたとすれば、工具
類の運搬を検討したのであるから、後になつてA5に対し、「無駄だつたな」と言
う筈がないし、A5が本件打合せに出席していないとすれば、同人をこれから除外
するのは不自然である、「ロ」A5の調査したコースには、一四日当日機動隊によ
つて制圧され、通過することのできないF5駅が含まれていることからしても、A
5の供述は不自然てある、「ハ」A2、A5らが下調べをしながら、これを報告し
た形跡がないのは、これまた不自然である、などと主張する。しかし「イ」につい
ては、A2の(検)(2・15)によれば、本件打合せは、被告人A8、A10及
びA2の三名でなされたものであるが、火炎びんや工具類等の運搬を担当しない群
馬部隊参加者の、一四日当日におけるaアジト出発後のコースを検討することが対
象であつたと認められる(関係証拠によれば、これらの者の班の責任者にA2がな
つたこと、一四日当日に火炎びんや工具類を運搬する者は、aアジトを出発後bア
ジトヘバスまたはタクシーを利用して赴いたことが認められるが、これは右認定を
裏付けるものと言うべく、原判決の、火炎びんを運搬する班、工具類を運搬する班
についても、F2駅への道順を検討したとの認定は、その意味において不正確と言
わなければならない。)から、右打合せに、工具類等の運搬責任者であるA5が出
席せず、かつ、同打合せの際工具類の保管場所について言及されなかつたとしても
不自然とは考えられない。所論中A5が同打合せに出席したことを前提として批難
する部分は、A5の(検)(2・9)を論拠とするものであるが、同人は右打合せ
について何ら供述しておらず、これに出席していたとは認められないから、その前
提を欠き失当である。以上に関連して所論は、同調書中A10がaアジト出発前
に、A5に対し、工具類はF16にある旨説明したとの点をとらえ、そのような事
実があれば、被告人A8が後になつて「無駄だつたな」と言う筈がなく、また、F
16調査関係について、A2が検事調書において何ら供述していないのは不自然で
ある、とも主張する。しかし、A5は、前示のとおり、本件打合せには出席してい
ないのであり、単に出発に際して、A10から工具類はF16にある旨説明を受け
たとするに止まるのであつて、その際同被告人がその場に同席していたと言うので
はない(付言すれば、A5の2・4(検)中には、同被告人の指示によつて下調べ
に出発したとの供述があるが、右は同人の2・9(検)と対比すると信用し得ない
し、また後者の調書によれば、同被告人がA10の右説明の際aアジトにいたかど
うかについても言及していない。)から、所論のようにこれが矛盾するとは言えな
いし、またF16の調査がA5の担当にかかるものであるところからすれば、A2
にこれについての記憶がなく、同人の検事調書においてこれが供述されていないと
しても異とするには足りない。「ロ」については、F16からF13に至る交通手
段を考慮すると、A5が下調べの段階てF5駅を通過したからといつて、直ちにこ
れを不自然とする論旨には左袒し難い。さらに「ハ」については、A2及びA5の
前記各検事調書によれば、下調べに当たつた同人らが班長会議に出席し、同会議で
右下調べに基き、コースが検討され、決定されているのであるから、同人らから同
会議に先立つて報告がなかつたとしても、これまた不自然とは言えない(ちなみ
に、右下調べに当たつたA2の調査コースとしての原判示「F17駅」は、所論の
とおりF17駅ないしF17駅の誤りである。)。
 さらに所論は、原判決が、A6の検事調書に基づき、一三日午後三時ころaアジ
トに一人でいた被告人A8は、帰つてきたA6に対し、A10への連絡を頼み、か
つ警察の捜索に備えて身辺整理をするよう指示して外出したと判示するが、A3、
A4らの供述によつて明らかなように、同被告人が一人でaアジトにいたことはな
く、同被告人は、午後三時ころ同所を初めて訪れ、そのまま群馬部隊の者らを引率
してF8へ出かけたのであるから、右は事実誤認である、と言う。たしかに、A6
の(検)(3・13)とA3の(検)(2・14)とを対比すると、同被告人が一
三日午後三時ころaアジトに一人でいたとするには疑いがある。しかしA6は、同
日、借金のため友人の許へ行つた旨供述し、それに引続く出来事として、aアジト
へ帰つたところ、同被告人からA10への連絡依頼や身辺整理の指示があつた、と
言うのである。ところで、A6は、原審証言(A8・一五回)においても、日時は
判然しないとするものの、午後友人の許に借金に行つたことがあり(関係証拠によ
れば、これは一三日の出来事としか考えられない。)、また誰の指示であつたか記
憶していないが、警察の捜索に備えて身辺整理をしたことがある、新聞やヘルメッ
トをまとめて部屋の中に置いた旨述べており、以上の証言と、同人の右調書中の一
〇日上京以降一三日までの諸種の行動に関する供述が関係者の供述と大筋において
符合していることを考え併せると、被告人A8から前記A10への連絡依頼や身辺
整理の指示があつたとする供述が信用し難いとは言えない。
 また所論は、原判決は、aアジトにおいて、被告人A8は、一時所在不明となつ
たA10の帰りを待つている間タツパーウエアーにガソリソを入れたり、在室者に
警察の捜索への対策を指示し、帰つて来たA10を叱責し、指揮者打合せ会議に赴
せた、と判示しているが、被告人A8がaアジトに行くや、A10が直ちに小隊長
会議に向うべく外出したに過ぎない、と主張する。しかしA3(2・14)、A6
(3・13)、A4(4・26)の各検事調書とA10のA8・六九回及び七〇回
の供述とを総合すれば、原判示のような被告人A8の言動や、A10が同被告人に
叱責されて、東京都内北部で催された、いわゆる指揮者打合せ会議(原判決は、A
10の供述する小隊長会議を指揮者打合せ会議と判示したことは明らかである。)
に赴いたことをそれぞれ認めることができる。以上に関連して、被告人A8は、
「イ」A10は午後一〇時ころ帰つて来たのであるから、その夜aアジトて開かれ
た全体会議までの間に、右打合せ会議に出席する時間的余裕がない、「ロ」原判決
は、同会議で、「一四日F1駅へ結集する各集団の指揮者が集まり、集合の時刻
(午後二時)、各集団の武器等の準備状況の確認等を行い、F1の総指揮者に重要
人物があてられているなどのことを話し合つた」と判示しているが、右は全く虚構
の事実である(A8趣第四点の二。所論は法令適用の誤りとして主張しているが、
事実誤認の主張と解する。)、と主張する。しかしA10は、A8・六九回及び七
〇回において、正確な時刻については判然しないとするものの、一旦F2からaア
ジトへ帰り、被告人A8に叱責されて指揮者打合せ会議に出席したが、自分の出席
した時刻は指定された時刻よりそれ程遅れた訳ではない、同会議は一時間位(午後
七時か八時ころから行われたとも言う。)かかつたとか、同会議に出席する前にa
アジトで、A7から火炎びん運搬の報告があつた(原二五冊四八六四丁以下、同二
六冊四八八四丁以下、四九六〇丁以下)と供述し、また同会議においては、中央本
部の幹部から、集まつた四、五人の全学連のメンバーに対し、F1駅の集合時刻
(午後二時)、諸準備についての確認のほか、一四日当日の指揮者にびつくりする
ような人物が充てられるということが話されたと言うのであつて、同供述は具体的
であり、これが信用し難いとは言えない。してみれば、右打合せ会議が虚構のもの
とは考えられず、また右供述を関係証拠と対比すれば、同会議からその後のaアジ
トて行われた全体会議に至る時間的経過に疑問を抱かせるものは存在しない。すな
わち、関係証拠によれば、一三日夜の全体会議は、同夜遅くになつて開かれたと認
められるところ、A6は、(検)(3・13)において、A10は、同会議の冒頭
に、「会議が遅れてしまつて今までかかり、すまなかつた。」と言つた旨述べ、ま
たA2は、(検)(2・15)において、A10は、同様に、「会議に遅れ、こん
な大事な時にへまをやり、本当にすまなかつた。」などと自己批判した、と供述し
ているのであつて、これら供述は、前記A10の供述を裏付けるものと言うべく、
以上によれば、同供述を疑うべきいわれは存在しない。
 最後に所論は、原判決は、同夜の全体会議において、被告人A8か種々の発言を
した旨判示しており、右はA4の(検)(4・26)に基づくものであるところ、
同調書は到底信用できないものである旨主張する。しかしA3(A8・二四回)及
びA7(A8・二九回)の各証言によれば、同被告人が、全体会議において、機動
隊を殺せ、F5の街を破壊し尽すのだ、とか、明日を境にして日本は変るのだ、そ
れは暴動だなどと発言したことが認められるところ、これは所論指摘のA4の検事
調書中の供述と重要な点で符合しているのであるから、同調書が信用できないとは
言えない(ちなみに、原判示被告人A8の発言中、「他の部隊は既に今晩から深夜
映画館に泊り込んだりして準備している」との部分が全体会議でなされたとは認め
難い。)。
 (二) 被告人A8のアリバイ等
 (1) 被告人A8のアリバイ
 所論は、要するに、被告人A8は、一三日夜aアジトにおける全体会議の中途で
退席したのであつて、同会議を司会したことはなく、その後の班長会議の際及び一
四日朝には同所にいなかつたのであるから、これに反する原判決の事実認定は誤り
である、と言うのである。
 しかし、関係証拠とくにA4(A8・一九回、同二一回)、A3(A8・二四
回、同二八回)、A7(A8・二九回、同三〇回)、A5(A9・八回)の各証言
並びにA4(4・26)、A3(2・14)、A2(4・11)、A6(3・1
3)、A1(1・20)、A5(2・4、2・9、2・10)、A7(4・12)
の各検事調書を総合すれば、被告人A8は、一三日夜aアジトにおける群馬部隊の
全体会議及びその後に開かれた班長会議にいずれも出席し、これらの会議を主導し
たこと、及び同被告人は、一四日朝群馬部隊の全員に原判示のような指示を与え、
一部の者の出発を見送つた後aアジトを出たことを認めることができ、原判決には
所論のような事実誤認はない。なおA6の右検事調書によれば、被告人A8が前記
全体会議を始めると言つた旨供述しており、A10は、A8・六九回において、一
旦は自分が同会議を主宰したと述べるものの、結局、本件闘争に参加すべきか否か
思い悩んでおり、同会議をどのように指導するかという、指揮者としての立場をと
り得ず、同被告人が同会議を主宰したことを認めているのであつて、これらからす
れば、原判決が、同会議の司会をしたのは被告人A8であると認定したからと言つ
て、これが誤りとは言えない。
 以下、被告人A8が全体会議の中途から退席したとする所論に鑑み、関係証拠を
仔細に検討してみることとする。
 「1」 A4は、所論のように、A8・一九回において、「(同被告人は、)用
事があるように夜出て行つた。」旨証言しているが、これは、同証人がaアジトに
宿泊中同被告人が夜居なかつたと思う旨答えたのに対し、検察官から「ずつと居な
かつたのか。」と尋ねられ、「分らない。」と述べるとともに、これに引続いてな
された証言であつて(原一二冊七二丁以下)、同被告人の特定の日の行動について
の供述ではなく、A8・二一回においては、同被告人の「前回の証言で、夜はA8
君は殆んどいなかつたということを言つているわけですね。」との反対尋問に対
し、同証人は、「前日(一三日の意)の夜は居ましたね。それから後何日か居たよ
うな記憶ありますけれども、判然しない。」旨証言している(同九八八丁)。
 「2」 A3は、A8・二四回において、検察官の主尋問に対し、一三日夜の群
馬部隊の全体会議及び班長会議の際被告人A8がいずれもaアジトに居たと述べな
がら(原一三冊一二一五丁以下、一一三〇丁)、A8・二八回では、同被告人の反
対尋問に対し、一三日夜から一四日朝にかけて、同被告人が(aアジトに)居たか
どうか判然しない、取調べ当時も判然しなかつた旨答えている(原一四冊一五二八
丁)が、これに先立つ弁護人の反対尋問に対しては、一三日の夜回被告人が(aア
ジトに)居たと思うと証言している(同一四七七丁以下、ちなみに、A3証人は、
同被告人の右反対尋問後検察官から「主尋問の時には、(一三日の)班長会議に…
…A8やA10、居たというふうに言つたわけだね。」と尋ねられるや、「え
え。」と答え、さらに、「それが先程どうも判然しなくなつた、そこらへんはどう
か。」と尋問されたのに対し、何らの答もなく終つている。同一五三三丁)。
 「3」 A7は、一三日夜から一四日朝にかけて、被告人A8がaアジトに居た
旨を明確に証言するとともに、一三日夜の班長会議の際同被告人が、一四日当日に
おける国鉄F1駅集合までの群馬部隊の行動予定が決まつていないことに焦慮し、
他の部隊では深夜映画館で夜を明かすということまで決まつていると話していたこ
と、一四日朝同被告人が群馬部隊全員に対し、当日一人になつた場合に連絡すべき
三か所の電話番号を教え、その出発を見送つたこと等を具体的に証言している(原
一五冊一五八四丁以下)。
 「4」 前掲各検事調書は、いずれも同被告人が一三日夜から一四日朝にかけて
aアジトに居たことを供述しており、とくにA5は、一三日深夜の班長会議の際前
記F1駅の集合予定時刻について、同被告人とA10との間に認識のくいちがいが
あつて口論したが、同被告人の意見によつてこれを午後二時としたことや、工具類
の保管場所がF16ではなくbである旨を同被告人から教えられたこと等を具体的
に供述しているのである(原四一冊一七六八丁以下)。
 以上の「1」ないし「4」を総合すれば、被告人A8が一三日夜から一四日朝に
かけてaアジトに居たことは、優にこれを肯認するに足りるものと言わなければな
らない。A5は、捜査段階では、逮捕当初から、一四日朝同被告人がaアジトに居
た旨供述し、さらにA9・八回において、班長会議の際同被告人が右アジトに居た
ことを証言しているのであつて、これらからすれば、A5の前記検事調書が捜査官
の誘導に迎合して作成されたもので信用し得ないとする所論は採用し難い。
 なお被告人A8は、A5の右検事調書の供述記載に関連して、一三日午前の打合
せの際F1駅の集合予定時刻が午後二時と決まつていたのであれば、同日夜の班長
会議の際同被告人とA10との間で、これについて口論する筈がない、と主張す
る。しかし、前示のとおり、被告人A8は、A10とは別個の方法でF1駅の集合
予定時刻を知つていたというのであり、また班長会議に先立つて、A10がいわゆ
る指揮者打合せ会議に出席し、その際F1駅の集合時刻の打合せが行われたこと
や、同人が当時心理的に動揺していたことからすれば、両者の間に認識の違いがあ
つたとしても異とするには足りず、A5の右供述が措信し難いとは言えない(所論
は、A7の4・18(検)についても、原判決が認定の用に供したとして種々論難
するが、同調書は、原審において何ら証拠調べされていないのであるから、その前
提を欠き失当である。)。
 被告人A8が一三日夜の全体会議の中途からaアジトを立ち去つたとする所論
は、A1、A15及びA14の原審各証言並びにA17の(検)(3・3)中に同
被告人が一四日朝同所にいた旨の供述記載がないことや、この点に関するA2の捜
査段階の供述に変遷があることなどをその論拠とするものである。しかし、A1
は、A8・二三回においては、一三日夜の班長会議の際に、被告人A8がaアジト
にいたような気もするが判然しない旨証言するに過ぎず(原一三冊一〇六二丁)、
却つて、同二五回においては、一四日朝同被告人が同所にいたと思う、と言うので
ある(同一二二九丁)から、同証言は到底所論の論拠となり得べきものではない
(ちなみに、同女は、所論にもかかわらず、検事調書においては、一三日夜から一
四日朝にかけて、同被告人が同所にいた旨明白に供述している。)。また、A17
については、所論検事調書は単に任意性、特信性の資料として提出されたものであ
るに過ぎないのみならず、同人は、A8・五七回において、同被告人が一三日夜の
全体会議に出席していたが、同会議終了後同人が就寝した一四日午前零時ころに同
被告人が同所にいたかどうかについては記憶がない、と言うに止まるのであつて
(原二二冊三六九七丁、三七〇二丁)、これまた、所論の論拠とはなり難いものと
言わなければならない。
 そして、A2は、2・15(検)においては、たしかに「この夜(一三日夜の
意)はA8を除き全員がここ(aアジトの意)に泊つた」旨供述しているが、同供
述自体、その供述経過からすれば、一四日午前一時ないし二時ころまで同被告人が
aアジトにいたが、その後同所に宿泊したかどうかの記憶が明らかではないことを
述べているに過ぎないものと解すべく、4・11(検)において、同人が記憶が明
確になり、同被告人が一三日夜から一四日朝にかけて同所にいた旨供述したからと
いつて、これが不自然であるとまでは言えず、従つて、右2・15(検)をもつ
て、所論の論拠とすることはできない。さらにA15、A14の原審各証言を検討
するに、「イ」A15は、A8・二六回及び二七回において、一三日夜食事の際同
被告人に会つたが、その後のaアジトにおける全体会議に同被告人は出席しておら
ず、一四日朝も同所にいなかつた旨述べ、「ロ」A14は、A8・五六回におい
て、同被告人とBとは、右全体会議及び一四日朝のいずれも同所にいなかつたと言
うのであつて、右「イ」、「ロ」の両証言は、一応、前掲積極証拠と対立するかの
観を呈している。しかし、「イ」については、全体会議の途中まで、これに出席し
ていたことを自認する同被告人の供述と矛盾し、「ロ」については、右同様の矛盾
があるのみならず、関係証拠によれば、一三日夜の全体会議及びこれに引続く班長
会議に出席していたことの明らかなBについても、同被告人同様同所にいなかつた
と言うのであるから、右両証言はいずれも措信し難い。
 以上の次第であつて、そもそも、前示のように、同被告人が一三日夜から一四日
朝にかけてaアジトにいたとする積極証拠の証明力自体を左右するに足りるものは
何ら存在しないのみならず、所論の論拠とする証拠は、右積極証拠と対立する証拠
をも含めて、これを直ちに信用することができないのであるから、所論は採用し難
い。
 (2) その他
 所論は、以上のほか、原判決中、「イ」D1大の学生自治会、A23の処分理
由、昭和四六年当初におけるE2派のD17に対する闘争及び一〇日の芝公園にお
ける集会の際のA23、A24、A25、A26らの行動についての認定はいずれ
も誤つており、また、「ロ」一〇月上旬ころE2派が首都総結集戦を鼓吹したと判
示するのは同月下旬の誤りであり、「ハ」五日付「D3」号外が警察署、交番、銀
行等を攻撃目標として示唆したとするが、そのようなことはなく、そのほか、
「ニ」六日のD7大学における集会の際のD20作戦に関する発言や、「ホ」同集
会後の群馬部隊の一応の編成、あるいは「ヘ」被告人A8らによる鉄パイプの準備
に関する認定も、いずれも誤りであり、さらに、「ト」「一一・一〇沖縄全島ゼネ
スト連帯中央総決起集会」における全学連A27委員長の演説には、「殴り殺し」
との発言はない、などと主張する。
 しかし所論のうち、「ハ」については、五日付「D3」号外の記載内容に照ら
し、これが警察署、交番、銀行等を攻撃目標として示唆したものであることは明ら
かと言うべく、また「ホ」については、関係証拠によれば、七日夜のA8方会議で
群馬部隊の編成が行われたが、その際には、出席者に対し、A10が同部隊の指揮
をとる旨が告げられるとともに、同人から班数、班長、班員等の具体的内容が示さ
れたことが認められるところ、A10は、それに先立つて、一〇月末ころ被告人A
8やA23から同部隊の指揮者となるよう指示され、その後同被告人らと班の編成
について相談した、と言うのであり(A8・六九回供述)、また、A6(3・1
0)及びA4(2・9)の各検事調書によれば、同被告人や右A23が、二日ころ
D1大の自治会室で軍団編成の話をしたとか、六日のD7大学における集会後群馬
部隊の話をしていた、と言うのであるから、原判決がこれらの証拠から、六日ころ
群馬部隊の一応の編成がなされたと判示したからと言つて、これが誤りとは言えな
い。
 その余の所論中「イ」は、被告人A8と群馬部隊参加者との間の共謀の成否に何
らの関わりもなく、また、「ロ」、「ニ」、「ヘ」及び「ト」も右共謀の成否を判
断するのに関係のない事項である(「ハ」の鉄パイプも、これを携行して上京した
という訳ではない。)。原判決は、本件犯行に至る経緯に関し、単に経過の一事情
として、これらを叙述したに止まることは、その判文自体から明らかである。して
みれば、右は到底その誤認が判決に影響を及ぼすことの明らかな「事案」とは言え
ない。のみならず、右「ニ」、「ヘ」及び「ト」は、いずれも関係証拠によつてこ
れを認めることができる(ちなみに、「ロ」は、所論のとおり一〇月下旬の誤記と
認められる。)。すなわち、「ニ」については、所論にもかかわらず、「D3」自
体、「人民に不利なものを破壊し尽し、焼き払い、必要なものは奪い尽せ!」と呼
号している(一日付)のであつて、これを敷えんし、強調したに過ぎない原判示ア
ジテーションに関するA4の(検)(2・9)が信用し難いとは言えないし、
「ヘ」については、A6の証言(A8・一七回)のほか、A10の供述(A8・六
九回)及び同人の(警)(3・17)によれば、被告人A8は、A10、A6らと
ともに、鉄棒(原判示鉄パイプとあるのは誤記と認める。)を短く切り、本件闘争
のために準備したが、上京の際にはこれを携行しなかつたことが認められる。さら
に「ト」については、A4の(検)(2・9、2・25)及びA5の(検)(2・
9)によつて、明らかにこれを認めることができる。所論は司法警察員I9作成の
捜査報告書を根拠として、これを論難するが、右報告書によれば、A27委員長
は、原判示集会において、「……彼らが、なお警察官たることをやめず、あるいは
反革命分子たることをやめずに、一四日F5にやつてくるならば、これは殺すとい
つた以外の何ものでもないことを、我々は判然確信しなければならない。」なとと
発言し、また、同発言を受けて、同集会の司会者は、「東京大暴動とは、何をもつ
て大暴動と言うのか、このことについて鮮明にさせなければならない。第一は、機
動隊を徹底的にせん滅することである、ぶち殺すことである。」との発言をしたと
言うのであるから、A27委員長の「殺す」という発言を「殴り殺す」と判示した
からと言つて、原判決に誤りがあるとは言えない。
 (三) 事前共謀の成立
 所論は、要するに、被告人A8には、機動隊員を傷害する意思あるいは警察関係
の施設を発見次第攻撃し、これを炎上させる意思はなく、ひいて同被告人と群馬部
隊との間には、これらに関する事前の共謀はなかつた、と言うのである。
 しかし、関係証拠によれば、以上にも主要な点について縷説してきたとおり、被
告人A8と群馬部隊参加者とは、七日夜の同被告人方における会議のころから、本
件闘争へ向けて「D3」あるいは同号外(以下両者を併せて「D3」と言う。)の
回し読み、読合わせを行い、その唱道するところに従つて同闘争に参加すべく、意
思の統一を図り、一〇日に上京した後は、火炎びん、工具類等の調達及び運搬、F
5周辺の下見、旗竿(竹竿)作り、対外宣伝のためのビラ配布、一四日当日におけ
る国鉄F1駅までの行動経路の調査、検討等の諸種の準備活動について、それぞれ
任務を分担し、これを遂行したものであるが、この間にあつて、同被告人は、「D
3」の鼓吹するところに従い、七日夜の会議においては、出席者に対し、激越なア
ジ演説をして本件闘争への参加を慫慂し、また、一三日夜の全体会議においては、
翌日に迫つた同闘争への士気を鼓舞する発言をなすなどし、他方、同部隊の在京中
の宿泊のためのaアジト及び火炎びん、工具類等の隠匿のためのbアジトをそれぞ
れ用意し、F5周辺の下見の指示や竹竿作りに関するA5への指示をし、また、同
部隊が一四日当日他の部隊と合流すべきF1駅までの行動経路の検討の際、これを
主導して決定したり、火炎びんや工具類等の各運搬責任者、各人の出発順序を決め
るなどし、さらに同日朝aアジトにおいて、同部隊参加者に対して当日の行動に関
する指示を与え、一部の者の出発を見送り、これを激励したが、同被告人及び群馬
部隊参加者らは、いずれも同部隊のために火炎びんのみならず、鉄パイプや工具類
が準備されていることを承知し、かつF1駅において、同一の目的を持つ他の部隊
と合流した後にこれを使用するに至るべきことも認識していたのである。
 以上の諸事実からすれば、被告人A8と群馬部隊参加者とは、一四日朝の時点に
おいては、原判示のとおり、E2派の主張する具体的闘争方針とその方法を容認
し、火炎びん、鉄パイプ等の武器を携えて、機動隊と遭遇した暁には、その規制、
阻止を排するため、右武器を使用してこれに対する暴行、傷害に及び、あるいは警
察署、交番、D12、銀行等の建物を攻撃して放火に至るべきことを予測して決意
し、これに関する共謀が成立していたものと言うべく、原判決が「共謀の成立とそ
の内容」1及び「弁護人及び被告人らの主張に対する判断」二において、同被告人
及び群馬部隊参加者の機動隊員に対する傷害の故意、警察署、交番等に対する放火
の故意及びこれらに関する共謀を詳細に判示したところは、優にこれを肯認するに
足りる。
 以上に関連して、所論は、原判決に言う闘争本部なるものは存在しない旨主張す
る。しかし、A10は、原審において、E2派の中央本部幹部から、同人に対し、
屡定点への電話連絡があり、群馬部隊の行動中、一一日のF5周辺の下見、一二日
のA4、A6による高崎からの衣類の取寄せ、D19大学における旗竿作り、火炎
びん運搬、一三日のコース下調べの際のF16調査関係については、いずれもその
指示に基づいて実施したものである旨供述し、その他の事項についても再三、同様
電話による指示ないし連絡があつた旨言及しているのであつて、これが信用し難い
とは言えず、原判示闘争本部が、同供述に言う中央本部を指すことも明らかである
から、右主張は採用できない。
 以上の次第であるから、前記(一)において指摘した、被告人A8の、七日夜の
会議における発言の一部、一二日午前における旗竿作りの指示、一三日夜の全体会
議における発言の一部等に関する事案誤認は、結局、いずれも判決に影響を及ぼす
ことが明らかなものとは言えない。すなわち、これらの事実は、右共謀の存在を推
認すべき徴憑の一つに過ぎず、その他の間接事実によつて共謀の存在を認定するこ
とができる以上、右誤認が判決に影響を及ぼすべきいわれはない、と言うべきであ
る。
 なお被告人A8は、「イ」右共謀と国鉄F1駅における集団の間で成立したとさ
れる共謀とは相違するものであり、「ロ」兇器準備結集について共謀したことはな
い、として、種々原判示認定を批難する(A8越第四点、所論は法令適用の誤りを
主張するが、その実質は事実誤認を言うものと解される。)。
 しかし、「イ」については、後記(2、(一))説示から明らかなとおり、F1
駅に集合した、群馬部隊を含む約一五〇名の本件集団と被告人A9との間に成立し
た共謀と、前示共謀とは、その内容を同じくするものであつて、その間に何らの径
庭もなく、かつ被告人A8は、群馬部隊がF1駅で合流する他の部隊と一体となつ
て、集団として行動すべきことを認識した後も、なおかつこれを前提として、諸種
の準備を推進したものであるから、同被告人は、F1駅に集合した群馬部隊参加者
を通じて、本件集団に属する他の者らと順次共謀したものと言うことができ、この
意味において、原判決が「弁護人及び被告人らの主張に対する判断」三、(二)、
2において説示するところは相当であつて、何ら事実誤認はない。所論は、群馬部
隊の一部の者が被告人A9の防衛隊に指名されたことからすれば、共謀の内容が変
更されたと見るべきである、とも言うが、右は同一の共謀の範囲内における、実行
行為についての任務分担の差異に過ぎないから、右主張は採用できない。また
「ロ」についても、同様後記から明らかなとおり、本件集団に属する埼玉部隊の学
生、F3、F1各地区D21委員会所属の労働者らは、それぞれ群馬部隊同様の目
的の下に、火炎びん、鉄パイプ等を携行して、一四日午後二時ころ国鉄F1駅に集
合し、被告人A9の指揮の下に、群馬部隊と以後行を共にしているのである。被告
人A8は、本件闘争に参加するかどうか思い悩んでいた、群馬部隊指揮者のA10
を叱咤し、同部隊参加者について、その行動経路を主導して決定し、前示目的の下
に火炎びん、鉄パイプ等を携行させ、同時刻にF1駅に到着し、右埼玉部隊などと
合流するよう指示しているのであつて、これらの事実や従来の経緯を併せ考えれ
ば、本件集団の兇器準備結集に関し、被告人A8について他との共謀を認めた原判
示認定は相当と言うべく、何ら事実の誤認は存在しない。
 所論に鑑み、さらに原審記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結
果を併せ考えても、原判決には所論のような事実誤認はない。論旨は理由がない。
 2 被告人A9関係
 (一) 国鉄F1駅における共謀の成立
 所論は、要するに、原判決は、被告人A9を含む約一五〇名の本件集団につい
て、国鉄F1駅ホームにおいて、兇器準備集合、公務執行妨害、傷害、現住建造物
等放火の共謀が成立したとし、その前提として、同被告人の同所におけるアジ演説
の内容を詳細に認定しているが、同被告人は、本件闘争の政治的意義を述べたに止
まり、具体的な共謀をしたことはなく、この点に関する群馬部隊関係者の各検事調
書はいずれも検察官に対する迎合の結果なされた虚偽の供述であつて、同関係者ら
は、公判廷において、それぞれこれを否定する証言をしているから、右は判決に影
響を及ぼすことの明らかな事実の誤認である、と主張する。
 しかし、所論にもかかわらず、原判示認定に沿う群馬部隊関係者の各検事調書が
迎合による虚偽の供述と認められないことは、A15を除けば、さきに三の1で縷
説したとおりであり、また、A15を含むこれらの者の原審における各証言も、検
事調書中の供述記載を全面的に否定する趣旨とは到底解されない。すなわち、
 「1」 A6は、A8・一六回において、被告人A9のアジ演説の内容を忘れた
が、検察官の取調べの際には記憶しており、ありのままに述べた旨証言し(原一一
冊四四八丁以下)、またA9・六回において、同被告人のアジ演説中、焼き殺せ、
焼き尽せは記憶しているが、その他は記憶していない、しかし検察官の取調べの際
には、取調官から言われて、そういうこともあつたなと思い、自分でも納得し、結
局自己の記憶に従つて供述した旨を証言している(原二八冊三四八丁、四二〇丁以
下)。
 「2」 A5は、A9・八回において、検事調書に関し、自分の記憶のままとい
うよりも、取調官から言われるままに供述した部分がある旨述べている(同六〇四
丁)が、A8・一八回においては、本件犯行現場の目撃状況に関して名前を特定し
て述べた調書(2・19(検)の意)以外の検事調書は、大体自己の記憶に従つて
述べた(原一一冊六八八丁以下)と言い、同被告人の演説内容に関する供述が自己
の記憶に基づくことを肯定しているのであつて、A9・八回における右証言が、同
被告人に対する遠慮、気兼ねの結果なされたものであることを窺うことができる。
 「3」 A4は、A9・四回において、同被告人の演説内容は特段に記憶してい
ないし、取調べ当時も殆んど記憶がなく、他のアジ演説と内容的には同じで、区別
することができなかつたとか、捜査段階での、同被告人の演説に関する供述は、取
調官に対し、自分のある程度の、薄い記憶と、当時の政治スローガンや他のアジ演
説に関する記憶に、他の者の供述を重ね合わせてなされたものであり、刺し殺し、
殴り殺し、焼き尽せという発言があつたかどうか記憶はない、などとの証言をして
いる(原二七冊二四七丁以下)が、これより先のA8・一九回においては、同被告
人のアジ演説に関する、詳細な記憶はないとしながらも、検察官から、被告人A9
が、F5の街を暴動化せよ、ありとあらゆるものを武器に転化しろとか、刺し殺
し、殴り殺し、焼き殺せ、あるいはF5を火の海にしろという発言をしたかどうか
と尋問されるや、いずれもこれを肯定しているのであつて(原一二冊七三〇丁以
下)、同人のA9・四回における右証言には、A5同様に、同被告人に対する気兼
ねの存することを認めることができる。
 「4」 A3は、A8・二四回において、被告人A9のアジ演説の中で、機動隊
を殺せという具体的なことは出たと思うと述べ、検察官から、同被告人がF5を燃
やし尽し、機動隊を殺し尽さねばならないと言つたかどうかとの尋問を受けると、
「そういうふうな内容だつたと思います。」と答え(原一三冊一一四八丁)、A
9・三回においては、検事調書中の同被告人のF1駅における演説に関する供述記
載について、自分の推測が事実あつたことのように記載された部分があるとか、あ
るいは弁護人の再三にわたる尋問の挙句、機動隊を殺せという発言があつたかどう
か分らないと答えるに至つているが、それまでの過程では、二回にわたつて、同被
告人が機動隊を殺せと発言した旨証言している(原二七冊八九丁以下)のであつ
て、これを対比して考えると、同人の記憶としては、A8・二四回における証言内
容のとおりであつた、と解さざるを得ない。
 「5」 A7は、A8・二九回において、被告人A9のアジ演説中には、機動隊
を刺し殺し、殴り殺し、焼き殺すという話が出たと述べ(原一五冊一五九八丁)、
A9・二回においては、同被告人のアジ演説の大部分を忘れてしまつたが、検察官
に対しては記憶していることを供述した、と言い、殴り殺す、焼き殺すという言葉
は、当時も今も記憶している旨証言している(原二七冊一七丁以下)。
 「6」 A1は、A8・二三回において、被告人A9が、アジ演説において、機
動隊を一人でも多く焼き殺し、刺し殺し、殴り殺してF5に大暴動を起せと言わな
かつたか、との尋問に対し、「機動隊をせん滅するということは言つたかも知れま
せんけれども、そういう細いことを言つたか……」と述べ(原一三冊一〇七一
丁)、A9・五回においては、「同被告人が銀行や警察署やD12を焼いて、F5
を火の海にすると言つたか。」との尋問に対し、「大体そのようなことは言つたと
思います。」と答え、さらに、「機動隊を多く焼き殺し、刺し殺し、殴り殺せ、と
は。」と尋ねられるや、「そういうことを言つたかどうか分りませんけれども、機
動隊をせん滅するということは言いました。」と答えている(原二七冊二六八丁)
のであつて、同被告人が殺せと言つたかどうかについては、これを否定したものと
は言い得ず、むしろ同人の、この点に関する記憶の喪失を窺わせるものと言うべき
である。
 「7」 A15は、A8・二六回において、被告人A9の演説に関し、興奮して
いたため、その演説の内容をよく聞いていないと述べ、同人の調書によると、同被
告人が機動隊を一人でも多く殺せと演説したとなつているが、どうか、との尋問に
対し、「D3」を読んでいたので、(これとの混同があるかも知れず、)同被告人
が判然そのように言つたかどうか確信は持てないとの趣旨を証言し(原一四冊一三
三五丁以下)、A9・七回においては、捜査段階での取調べの際、同被告人の演説
の内容を判然記憶してはいなかつたが、「D3」に掲載されていたことを演説した
と思うと述べたところ、(具体的内容についての記憶を供述したように、)調書に
記載されたものであるとか、自分としては、同演説を興奮していたため注意して聞
いていなかつたとの趣旨を述べている(原二八冊四八一丁以下、五三一丁以下)の
であつて、これまた、検事調書中の同被告人のアジ演説の具体的内容について、こ
れを積極的に否定するまでのものではない。
 以上の次第であつて、右「1」ないし「6」の原審各証言及び当該検事調書を総
合すれば、被告人A9が、火炎びん、鉄パイプ等を持つた本件集団に対して原判示
アジ演説をしたことが認められ(但し、「F14の部隊と合流」云々の部分を除
く。これについては、後に判断する。)、また関係証拠によれば、同所に集合した
埼玉部隊所属の学生らや、F3、F1等の地区D21委員会(以下地区反戦と言
う。)所属の労働者らは、いずれも「D3」の読合せをし、本件闘争への意思の統
一を図つて火炎びん、鉄パイプ等を携行しており、群馬部隊同様、機動隊との遭遇
に際しては、その規制、阻止を排すべく、右武器による機動隊員への暴行、傷害に
及ぶべきことや、警察署、交番、D12、銀行等への放火を予期し、これらを決意
していたものと言うべく、群馬部隊を始め、その他の本件集団とともに、被告人A
9の右演説に対し、いずれも口々に「よし。」あるいは「異議なし。」と叫んで、
これに呼応したことが認められる。以上の事実に、火炎びん、鉄パイプ等を携行し
た本件集団の、小田急線F4駅からF5F7本店付近に至るまでの経過が、略集団
としての行動であつたことを考え併せると、F1駅において、被告人A9と本件集
団との間に、原判示共謀の成立したことを優に認めることができ、右認定に反する
同被告人の原審及び当審における供述は、前記説示に照らし、信用することができ
ない。
 所論は、この点に関し、当時F1駅で本件集団の動きを視察していた警察官C5
の検事調書中に、原判示のような被告人A9の発言に関する供述記載がないのは、
被告人A9が右発言をしなかつた証左である、と言う。しかし関係証拠によれば、
同被告人のアジ演説は約一〇分間行われたと認められるところ、牟田の現認したの
は、同演説の中途からの約五分間に過ぎず、しかも本件集団の最後部から三、四メ
ートル離れた場所で視察し、電車の騒音等で演説の内容がよく聞きとれなかつたと
言うのであるから、これをもつて原判示認定を疑うべき根拠とはなし難い。また所
論は、同集団参加者中、群馬部隊以外の者は、機動隊を焼き殺し、刺し殺し、殴り
殺せという同被告人の発言を聞いていないとして、原判決を論難する。しかし、A
28のA8・四七回における証言によれば、埼玉部隊に属する同人は、被告人A9
から、「F5で暴動を起す。独占資本を破壊し、機動隊をせん滅しよう。」という
趣旨のアジ演説を聞いたが、その具体的な表現についての記憶はない、同演説中に
「焼き殺し、刺し殺し、殴り殺す」という言葉が出たかどうかは断定できない、と
述べるに止まつている。またA11の原審証言によれば、F3地区反戦に属する同
人は、本件集団の最後尾にいたが、騒音のため、同被告人の演説の内容は聞えなか
つたと言うのであり、さらにC1の原審証言及び(証)によれば、F1地区反戦に
属する同人は、F1駅に集合した際の状況について、詳細な尋問もなされていない
ところから、甚だ漠然とした供述をするに過ぎず(ちなみに、F8駅における同被
告人のアジ演説については、その内容を記憶していない旨述べている。)、これら
をもつて所論の根拠とするには由ないところであり、そのほかに右認定を疑うべき
証拠は何ら存在しない。
 なお所論は、被告人A9のアジ演説中「われわれは、ここでF14の部隊と合流
することになつていたが、合流できない」との部分の原判決の事実認定は誤りであ
る、と主張する。しかし同被告人の右発言部分は、前記本件集団の共謀の成否に何
らの関わりがないのみならず、A1は、その(検)(1・25)において、F1駅
で待つている間に、A2から、待つている理由について、F14の部隊と合流する
ためであると聞いた旨供述しており、これは、原判示と同旨の供述をするA7の
(検)(4・12)を裏付けるものと言うことができる。のみならず、A1は、A
9・五回において、右A7の供述に符合する証言をしているのであつて、これらか
らすれば、到底原判示認定に誤りがあるとは言えない。なお所論は、小田急線F8
駅ホームにおいて、被告人A9がF1駅と同旨のアジ演説をしたとの原判決の事実
認定も誤りであると言うが、関係証拠によれば、優にこれを認めることができ、誤
りとは言えない。
 (二) 神山派出所付近の状況
 (1) 神山派出所に対する放火
 所論は、要するに、原判決は、本件集団の中間及び後方に位置していた者が火炎
びんを投てきして神山派出所に放火したとして、被告人A9の刑責を肯定している
が、同被告人の前示アジ演説が放火を目的とするものではなく、また同被告人の関
心が機動隊の方に集中していて、同派出所の存在すら認識せず、これに対する放火
の指示もしていないことから考えると、原判決の事実認定には誤りがある、と言う
のである。しかし、先に縷説したところから明らかなように、本件集団は、国鉄F
1駅において、被告人A9の「我々は、F5の街を破壊し尽し、警察署、交番、F
5駅、D12、銀行を焼き尽すのだ。」などとのアジ演説に対し、「よし。」、
「異議なし。」と叫んで呼応し、相互に火炎びんを所持していることをも認識して
意思相通じ、これら施設に対する放火について共謀を遂げているのであるから、同
集団の中間及び後方に位置していた者が、同派出所に火炎びんを投てきして放火し
た以上、同被告人が同派出所の存在を認識していないにせよ、原判決が、同被告人
について、右放火に関する刑責を肯定したのは相当であつて、誤りがあるとは言え
ない。
 (2) 機動隊に対する傷害
 所論は、原判決は、被告人A9が神山派出所付近の道路上に、本件集団の前進を
阻止しようとする機動隊を発見するや、同集団を停止させ、右機動隊をせん滅しよ
うと激励し、突つこめと号令して、事前共謀の実行に移り、警察官三名に対し各傷
害を負わせたとしているが、同被告人としては、火炎びんを投てきしながら突進す
れば、機動隊は直ちに退却し、同集団の進路をあけると判断したのであつて、同隊
員らに対する傷害の意図はなかつたのであるから、右認定は誤りである、と主張す
る。
 しかし関係証拠によれば、当時神山派出所前において、関東管区機動隊に属する
一個小隊の警察官二七名が、本件集団の前進を阻止すべく、幅員約八メートルの道
路上に横隊となり、いわゆる阻止線を張つていたのであつて、被告人A9は、本件
集団に対し、右機動隊を「容赦なくせん滅しようではないか。」と激励し、「トラ
部隊前へ。」と指示したうえ、「突つこめ。」と攻撃の号令を発しており、本件集
団に属する者らは、これに応じて、右機動隊の約二〇メートル近くまで前進し、同
機動隊をめがけ、多数の火炎びんを投てきしたが、同火炎びんにより警察官三名が
原判示各熱傷を負つたことを認めることができる。右経過からすれば、同被告人の
号令に従い、多数の火炎びんが投てきされたのは、同被告人において当然予期した
事態の出現に過ぎず、以上のような状況の下で、機動隊員をめがけて多数の火炎び
んが投てきされれば、その結果これによつて熱傷を負う者が生ずべきことも、これ
また当然の事理である。所論のように、火炎びんを投てきして突撃すれば、直ちに
機動隊が退却し、何らの抵抗も起こり得ないと考えること自体、不自然に過ぎるも
のと言うべく、原判決の事実認定に何らの誤りもない。
 (三) B巡査に対する殺害の共謀及び実行行為
 (1) 被告人A9のB巡査に対する殴打
 所論は、原判決は、被告人A9の「やれ」との号令及びA18の「殺せ、殺せ」
の怒号に呼応して、数名の者らが、B巡査に対し、所携の鉄パイプ、竹竿等で、そ
の頭部、肩部、腹部を多数回にわたつて乱打したと認定しているが、同被告人は、
野次として声をかけたことはあるものの、号令をかけたことや、自ら殴打に加わつ
たことはないと論難する。
 しかし、A4の2・14及び4・26各(検)によれば、同人は、捜査段階にお
いて、被告人A9のB巡査に対する殴打を明確に供述しており、とくに4・26
(検)においては、当初自分が本件現場に到着した時点すなわち自分がB巡査を殴
打する前に、同被告人がB巡査を殴打するのを見た旨一旦供述しながら、その後、
「私が(B巡査を殴打しているところに)飛びこんで、竹竿で殴りつけた時、同被
告人が鉄パイプを振り上げ、殺せ、殺せと叫びながら殴りつけているのを見た。」
旨訂正し、自己の供述の正確を期しているのである。また同人は、A8・一九回に
おいては、同人が鉄パイプや竹竿で殴られているB巡査に近づいた時、同巡査の左
斜め前に密接した同被告人の後ろ姿を見た、同被告人が鉄パイプで殴り、これが同
巡査に当たるところまでは見ていないが、同被告人の特徴であつたきつね色の上着
を着て、約四〇センチメートルの鉄パイプを持つた腕が振り上つているのを見た旨
(原一二冊七五二丁以下、とくに七五六丁)、捜査段階における供述よりも一層正
確を期した証言をし、A9・四回では、本件殺害現場において、きつね色の背広の
上下を着た中肉中背の人が鉄パイプを振り上げ、振り下すところも見ているが、ど
の辺を殴つたかは見ていない、という趣旨を述べ(原二七冊一六〇丁以下)、他
方、同公判廷では、神山派出所付近において「トラ部隊前へ。」という発言をした
者あるいは本件殺害現場で「道案内。」と呼んだ者は、当日リーダーシツプをとつ
ていた人であるとか、きつね色ないしカーキ色の背広を着た人であると証言してい
る。そして、右「トラ部隊前へ。」や「道案内。」と言つた者は、関係証拠によつ
て、被告人A9であることが認められ、これを疑うべき証拠はない。
 以上に、A2(2・17)及びA5(2・4、2・10、2・19)の各検事調
書を総合すると、被告人A9がB巡査を鉄パイプで殴打した事実を優に認めること
ができる。なお、A5(A8・一八回、A9・八回)及びA6(A8・一六回、A
9・六回)の各証言によれば、同被告人が、本件殺害現場において、「かかれ。」
ないしは「やれ。」と叫んでいたことが認められ、原審が当日指揮をとつていた同
被告人の右発言を、単なる野次ではなく、号令と認定したことに誤りがあるとは言
えない。
 所論は、A5の、同被告人がB巡査に対する暴行に加わつたとは思わないなどと
の原審証言や、同被告人の暴行について何ら供述せず、あるいはこれを否定するA
3、A7の原審各証言などに基づき、原判示認定を論難するが、A5は、捜査段階
においては、当初から一貫して同被告人のB巡査に対する殴打の状況を供述してお
り、右証言部分は、これと対比すると措信し難いところである。次に、A3及びA
7の原審各証言中、本件殺害現場での同被告人らの言動に関する部分については、
証言回避の傾向ないしは同被告人らへの気兼ねが見受けられるが、この点は暫らく
措き、同人らの捜査段階における供述からすれば、同人らは、同被告人のB巡査に
対する殴打の状況を現認しなかつたか、あるいは現認したとするには疑いがあるも
のと言うべきである。すなわち、A3は、2・25(検)において、「米屋の前
で、A9、A10さん達がB巡査を私と同じような鉄パイプでめつた打ちしていた
(中略)五、六名でとり囲み殴りつけてい」たと供述しているが、それに先立つ
2・16(検)においては、本件殺害現場での同被告人の言動について、「殺せ、
殺せ、殴れ、やれ。」「銃を奪え。」「火をつけろ。」等の命令が同被告人の声な
いしは同被告人のような声であつたとし、また同被告人も火炎びんを投げたと思う
旨供述しながら、その殴打自体については、何ら触れるところはなく、単に七、八
名の者がB巡査をとり囲んで殴打していたが、その中てA10やA18が殴打して
いるのを目撃した、その後同巡査を引張り出している二、三名の中に同被告人がい
るのを見た、とするに過ぎない。右両供述を対比してみると、後者が同被告人の言
動を詳細に供述しているにもかかわらず、その殴打については何ら触れていないこ
とからすれば、同巡査を殴打している五、六名の中に同被告人がいた旨の前者の供
述は、前示のように同巡査を引張り出している者らの中に同被告人がいたことを根
拠とする、同人の推測の結果の表明とも解する余地かあり、現に、同人が同被告人
の殴打の状況を目撃したと言い得るかについては躊躇せざるを得ない。
 また、A7は、捜査段階において、同被告人の本件殺害現場における言動につい
て詳細に供述しているものの、その殴打の状況については、これを供述していない
ことからすれば、同人は右殴打自体を目撃しなかつたと解するのが相当である(ち
なみに、所論指摘のとおり、A7は、弁護人の反対尋問に対し、(被告人A9は)
殴つていなかつた、と答えているが、その直前の問答では、A18、A10、A3
以外に殴つている人がいたかどうか尋ねられるや、その他については判然しない旨
述べた後に、同被告人及びA4について、右にその一部を摘記したとおり、いずれ
も殴つていなかつたと思うと答えたが、さらに、「判然しないんではないですか、
殴つていたか、殴つていなかつたか、そもそも。」との尋問に対し、「ええ、判然
しないです。」と証言しているのである(原一五冊一六八九丁)。)。以上の次第
であるから、A3、A7の原審各証言をもつて、同被告人の殴打がなかつたことの
論拠とはなし難い。またA6の(検)(3・15)によれば、同人は本件殺害現場
における、B巡査が捕つた当初の状況について甚だ特異な供述をしているが、関係
証拠と対比すると、同供述部分を直ちには信用し難く、従つて、同人が同被告人の
殴打の状況について供述していないからと言つて、これまた所論の根拠とはなし難
いところである。
 さらに所論は、第三者として本件現場を目撃したC6の検事調書によれば、同人
はできる限り各人の服装等の特徴を覚えていた心算であるとして、機動隊員を追い
かけた六名の者について、その暴行の状況を供述し、そのうちの四名について特徴
を挙げているが、同供述によつても、被告人A9の特徴に合致する者はいないし、
また同様本件殺害現場を目撃した原審証人C7の証言によつても、同現場では、周
囲にいた五、六人が「やつちやえ、やつちやえ」と言つていたに過ぎず、「殺せ」
とは聞いていないのであつて、右は被告人A9がB巡査を殴打せず、また、誰も
「殺せ」とは言つていない証左である、と主張する。しかし、C6の検事調書の供
述記載として所論の主張するところによつても、B巡査を追いかけていた六名全部
について、その特徴を挙げていたと言うものではなく、右調書自体、何ら証拠調べ
されていないのであつて、いずれにせよ、主張自体失当であるのみならず、C6の
証言(A8・三八回)によれば、機動隊員を追いかけていた本件集団の先頭部分に
ついて、先頭の一人に関し、その特徴を比較的詳細に供述しているが、その他につ
いては、同じような格好で判別できないとし、検事調書では先頭の一人のほか五名
位が追いかけていたと述べたが、もう一寸いたと思う、一二、三人位いたのではな
いか、と言うのであり、C7は、機動隊員を一五、六人が追いかけていた、と証言
している(A8・一一回)のである。してみれば、C6の検察官に対する供述をも
つて所論の論拠とはなし難いものと言わなければならない。また、所論にもかかわ
らず、右福島証人は、本件殺害現場において、何回も「殺せ。」という大きな声を
聞いた旨述べているのであるから、所論は採用することができない。
 所論は、以上に関連して、本件当日の被告人A9の服装についての関係証拠は、
薄水色、空色、灰色あるいは白つぽいブレザーであるとか、薄いねずみ色の作業服
であるとか、薄青色の背広であるとかとなつており、A4のみが薄いクリーム色な
いしきつね色の背広上下と供述しているところ、同人の被告人A9と特定する根拠
は服装であり、当時の状況では、これ以外に特定の方法はなかつたのであるから、
その供述は措信し難いと主張する。
 たしかに関係証拠によれば、被告人A9の当日の服装の色に関する、共犯者らの
供述は、A4の供述と相違し、区々に分れていて、いずれをもつて正確なものとす
べきかは、にわかには断定し難い。しかし、このことは、他人の服装、とくにその
色の区別については、特段の事情のない限り、目撃者の記憶に残り難いことを示す
ものと言うべきである。このような観点から、A4の供述に右特段の事情が窺われ
るかどうか、そのような事情が窺われるとしても、同人の供述を他の供述と比較し
た場合、同人の供述が特異に過ぎて、直ちにはこれを信用し難いのかどうか、換言
すれば、同人の供述の裏付けとなり得るものがあるかどうか、さらに被告人A9の
特定に関する同人の認識が服装のみを根拠としているのかどうかについて、以下検
討することとする。この点に関する同人の供述は、先に挙示したとおりであつて、
4・26(検)の供述訂正部分と略同一内容を述べているA8・二一回の証言によ
れば、B巡査を殴打する際に、被告人A9が鉄パイプを持つた腕を振り上げたとこ
ろを見たが、その上着の色がきつね色であつた、と言うのである。しかもその直前
の証言においては、B巡査が四、五名の者に捕えられたが、その中に同被告人がい
たのは確定できる、と肯定しており、何らの躊躇も示していない。A4は、本件当
日F1駅において、同被告人のいわゆる防衛隊を命ぜられ、以後神山派出所付近ま
で同被告人に近接して行動していたことを考え併せると、B巡査殴打という特異な
状況下における認識として、同被告人の服装の色に関する記憶が保持されていたも
のと言うべく、またその認識に、他との混同があるとも解し難い。次に、関係証拠
とくにC8、C9の各(証)及びC10の証言(A8・一一回)によれば、被告人
A9が、神山派出所付近において、機動隊との衝突直前本件集団に対し、肩車に乗
つて、前示のように激励したことが認められるところ、当時同機動隊の一員とし
て、この状況を目撃したC11巡査は、同被告人が黄色か、茶色つぽい服装をして
いた旨供述しているが、右供述は、同被告人の服の色がきつね色であつたとするA
4の供述と略符合しており、従つて、同人のこの点に関する供述が特異に過ぎ、信
用し難いとは言えない。さらに同人は、原審証言(A8・二一回)において、同被
告人の特定は服装と声である、と述べ(原一二冊九〇八丁以下、とくに九一三
丁)、当日国鉄F1駅以降、前示のとおり同被告人に近接して行動し、そのアジ演
説等を再三にわたつて聞く機会のあつた同人は、同被告人の特定の根拠として、そ
の声も挙げているのである。そして同人は、2・14(検)において、被告人A9
が、鉄パイプで機動隊員を殴りつけながら、「殺せ、殺せ。」とかすれたような、
異様な声で叫び続けていたのが印象的だつた旨供述している。他方、A7は、A
9・二回において、弁護人から、同人の検事調書で同被告人が離れろ、火炎びんを
投げろと言つたと述べた根拠を尋ねられ、「指揮者だからA9の声だろうと思つて
いた、カスレ声のように聞えた。」旨証言し、A11は、F1駅における同被告人
の声はしやがれていた、と言い(A8・四六回証言)、A28は、同様F1駅にお
いて、同被告人は、声がかすれ、高い声で、時々裏声になつていた、と言う(同人
の2・7(検))のであつて、これらの供述は、A4の右供述を裏付けるものと言
わなければならない。以上の次第であるから、B巡査殴打の際の、同被告人の特定
に関するA4の供述は十分信用することができ、同人のA9・四回における証言中
右認定に反する部分並びに同被告人の原審及び当審における供述は、叙上説示に照
らし、いずれも措信し難い。
 (2) 被告人A9の火炎びん投てきの指示
 所論は、要するに、原判決は、被告人A9の指示の下に、数名の者がB巡査に対
し、火炎びん数本を投げつけた旨認定しているが、同被告人か火炎びん投てきの指
示をしたことはないから、右は事実誤認である、と言うのである。
 ところで、A3(2・16)、A7(4・12)の各検事調書によれば、被告人
A9が火炎びん投てきの指示をしたことや、それに基づいて火炎びんが一〇本位投
げられたとか、同人らもそれぞれ火炎びんを投げたと供述しているので、これらの
供述が信用し得るか否かについて、以下検討することとする。同人らの原審各証言
によれば、A3は、A8・二六回において、被告人A9の指示は聞かなかつたと
し、A7は、同・二九回において、「火炎びんを投げろ。」との指示が誰の声だつ
たか分らないと述べ、A9・二回において、主尋問に対しては、右指示が同被告人
の声だつたかどうか判然せず、ただ検察官に事情を聞かれた当時は、記憶にあると
おり述べたとするに止まるところ、弁護人の反対尋問において、検察官に対し、被
告人A9が離れろ、火炎びんを投げろと言つた、と供述したことについて尋問さ
れ、「指揮者だからA9の声だろうと思つていた、カスレ声のように聞えた、特別
によく覚えているということはない。」と答えたが、さらに同被告人の反対尋問に
対しては、「A9の顔はよく知つており、声(の特徴の意)は大体知つている。」
旨の証言をするに至つているのであつて、同人の検事調書がその記憶に従つて述べ
られたものであることを裏付けた経過となつている。以上説示したところに、前記
のとおり、A3、A7の原審各証言中、本件殺害現場での同被告人らの言動に関す
る部分には、同被告人らへの気兼ねないしは証言回避の傾向が見受けられることを
併せ考えると、右両名の検事調書中の前記各供述は、それぞれこれを信用すること
ができるものと言わなければならない。所論は、原判示認定がA2の(検)(6・
26)に基づいてなされたものであるとして、これを論難し、またA4の検事調書
によれば、同人は、火炎びん投てきの指示が誰によつてなされたものか特定し得て
いないし、とくに同人の2・14(検)では、被告人A9のいた方向とは別の方向
から右指示が聞えたと述べ、他方その他の指示は同被告人の声である旨供述してお
り、これらから考えると、同被告人が火炎びん投てきを指示したとする原判示認定
は誤りである、と言う。しかし、所論指摘のA2の検事調書は原審において証拠調
べがなされていないのであるから、これを原判示認定に供したとして論難する所論
は、主張自体失当と言わなければならない。また関係証拠によれば、火炎びんを投
げろという声は、被告人A9のほか、A10からも発せられたこと及びその直前に
A4がそれまでにいた場所から他へ移動したことを、それぞれ認めることができ
る。してみれば、A4が火炎びん投てきの指示が誰の声か分らないとし、また、そ
の声が同被告人のいた方向とは別の方向から聞えたと供述しているからと言つて、
これに基づき原判決を論難するには由ないところであつて、原判決には所論のよう
な事実誤認はないと言わなければならない。
 (3) 被告人A9のB巡査に対する殺害の故意等
 所論は、原判決は、被告人A9を含む数名の者がB巡査を乱打した際、同巡査を
殺害するもやむを得ないとする、現場における共謀が成立したと認定するが、右は
事実誤認であり、同被告人には殺意はなく、殺害の共謀も成立しなかつたなどと主
張する。
 しかし、関係証拠によれば、被告人A9は、ほか数名とともに、孤立し、殆んど
抵抗をなし得ないB巡査に対し、その頭部、肩部、腹部を鉄パイプ、竹竿等で乱打
し、また、右現場において、「やれ。」と号令し、右乱打は同巡査が失神して倒れ
るまで続けられたのであつて、その殴打が短時間とはいえ、右事実からすれば、原
判決がその「罪となるべき事実」において判示したとおり、「同巡査が死に至るか
も知れないことを知りなから意思相通じて、」これを乱打したものと言うべく、ま
た、同被告人が、前示のとおり、火炎びん投てきを指示し、これに基づいて火炎び
んが投てきされた以上、同被告人に、B巡査に対する殺意及び右殺害の共謀を認
め、その刑責を肯定した原判決に誤りがあるとは言えない。原判決が、「当事者双
方の主張に対する判断」第一の四の(二)の2において詳細に説示するところは、
関係証拠に照らし、一々これを首肯するに足り、原審の証拠の取捨、判断の過程に
は誤りはない(但し、火炎びん投てきの際の同被告人らの殺意が確定的殺意である
か、あるいは未必的殺意に止まるかは、後記検察官の控訴趣意に対する判断の際に
譲ることとする。)。
 所論に鑑み、さらに原審記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結
果を併せて検討しても、原判決の事実認定に、所論のような誤りはない。論旨は理
由がない。
 五 検察官の事実誤認に関する控訴趣意について(検趣第一点)
 1 機動隊員殺害に関する事前共謀
 <要旨第二>所論は、要するに、原判決は、被告人A8には機動隊員殺害の願望や
期待が漠然とあつたに過ぎないとか、同被告人や群馬部隊に右殺害の共
謀があつたとするには抽象的に過ぎるとし、さらに国鉄F1駅に集合した約一五〇
名の本件集団には機動隊員殺害の共謀が成立しなかつたとして、被告人A9、同A
8両名について右共謀の成立を否定しているところ、「イ」原判決は、被告人らの
行動と切り離して、「D3」の記事内容を別個に評価しているが、同機関紙は本件
犯行の重要な指針となつていて、被告人らの犯意の形成に重大な影響を及ぼしたも
のと言うべく、「ロ」本件犯行の際には、武器として、火炎びん、鉄パイプ、バー
ル等が携行されているが、被告人らは、過去における機動隊員殺害事件などによつ
て、これらが人を殺害するに足りるものであることを知つていたものであるし、
「ハ」被告人A8については、七日夜のA8方会議の状況から推しても優に機動隊
員殺害の事前共謀かあつたと言えるし、同被告人やA10と事前に緊密な連携のあ
つた被告人A9についても、右共謀の存在を認めることができるから、原判決には
事実の誤認がある、と言うのである。
 ところで所論は、本件集団の殺人の共謀について、火炎びん、鉄パイプ等の武器
を携行した武装集団により、F5市街で機動隊の阻止線を突破するに当たり、機動
隊員を殺害し得る客観的可能性のある局面が現出しない対峙状況においては、鉄パ
イプ、火炎びん等で機動隊員に攻撃を加えて傷害を負わせ、まず機動隊員による阻
止線を突破し、その後の状況の推移により機動隊員を殺害し得る客観的可能性のあ
る局面が現出したときは、これを殺害することを内容とするものである、と主張す
る。
 しかし、同一の対象に対する共謀とは、概括的、條件付であるにせよ、特定の犯
罪を実行すべき合意でなけれはならず、甲罪又は乙罪を実行すべき択一的な合意を
もつて足りるとすることはできない。これを所論に即して言えば、殺害の可能性を
も予測した事前共謀がある場合には、現実に機動隊員を殺害し得る客観的可能性の
ある局面が現出しないときであつても、その際に発生した傷害の結果については、
殺人未遂の罪が成立するのであつて、単なる傷害罪をもつて問擬すべき余地はなく
(所論にもかかわらず、最高裁判所昭和五六年一二月二一日第一小法廷決定は、右
と同旨である。)、かつ、右合意の内容いかんは、本件が集団犯罪である以上、そ
の一部ではなく、集団の全体についてこれを論ずべきである。所論は、機動隊員殺
害の犯行をなす意思を固めている群馬部隊の者を、本件集団の残余の者と同視する
のは不当であるとも言うが、前示のような本件犯行の経過、態様からすれば、同部
隊を特別視すべき事情は窺えず、所論も、結局、F1駅において本件集団全体に機
動隊員殺害の事前共謀が成立したと主張するのであるから、その際同集団全体に右
殺人の共謀が成立したと言い得るか否かを検討すべきこととなるが、関係証拠によ
れば、以下の事実を認めることができる。すなわち、
 「1」 D22委員会、E1E2派及びD23同盟(以下三者を併せてE2派と
言う。従前の叙述においては、E2派の規定が正確を欠くが、その実質は、これと
同一である。)は、昭和四四年には武装闘争方針をとつて、過激な行動に出たが、
翌四五年には、いわゆる七〇年安保闘争においても、一時この方針を休止し、平和
的示威運動に止まつていたところ、昭和四六年になると、再び武装闘争方針をと
り、同年一一月のD17の批准阻止を目指す本件闘争では、「D3」において、機
動隊員の殺害を容認する主張をなすに至つた。すなわち、一〇月二五日付「D3」
は、「機動隊員を殺すことは人民が勝利するためには当然のことだ。」と言い、翌
一一月に入るや、一日付「D3」は、「われわれは、機動隊員との「死闘」を鮮明
にさせ、機動隊を一人でも二人でも多く、それもできるだけ徹底して恥多き死に方
をさせてやらなければならないのだ。」と主張し、さらに同月八日付「D3」は、
「敵を殺すか、われわれが殺されるかを、われわれはいささかのためらいも残して
はならないのである。」としているのであつて、これらの主張と「D3」の他の部
分とを比較対照すれば、同紙に言う、機動隊員の「せん滅」ないし「撃滅」とは、
機動隊員殺害の意味を含むことは明らかである。
 「2」 本件集団を構成するものは、群馬部隊を始めとして、埼玉部隊所属の学
生ら、F1、F3各地区反戦所属の労働者らのいずれにおいても、それぞれ「D
3」を読み合わせ、これを指針とし、本件闘争へ向けて意思の統一を図つており、
本件当日における同集団の行動の経過、態様を併せ考えれば、本件集団の残余の者
についても、同様であつたと推認することができる。
 「3」 七日のA8方会議、一三日の全体会議における、被告人A8の前示各発
言内容は、これを「D3」と対比すると、同紙の唱道する方針に従い、これを略祖
述するものである。
 以上「1」ないし「3」によれば、たしかに所論のように、群馬部隊を含む本件
集団及び被告人A8は、「D3」の鼓吹するところに従い、機動隊員を殺害する意
思を有していたものの如く見え、これとF1駅における被告人A9のアジ演説とを
併せ考えれば、所論のように機動隊員殺害の事前共謀が成立したものの如くに見え
る。
 しかし、関係証拠を仔細に吟味すると、次の事実を認めることができる。すなわ
ち、
 「4」 本件集団が携行した武器の主なものは、火炎びん、鉄パイプ、竹竿のほ
か、金槌、ドライバー、バール等の工具類及びライター用ガスボンベである。
 「5」 次に、E2派が本件でとつた戦術を見てみると、一日付「D3」は、
「万余の民衆が敵権力を攻撃し、包囲し、せん滅し、街頭を、地域を自らの力で席
巻すること、これは当然のことではないか。」とし、さらに八日付同紙では、「正
規軍とゲリラを結合し、前後左右、ありとあらゆる角度と方法で敵に致命的打撃を
与えよ。」と言つて、その戦術を明らかにし、本件闘争の目標については、「F5
に人民広場がつくり出され、渋谷警察が焼き打ちされ、機動隊がせん滅され、……
独占資本が人民の手によつて鉄火の糾弾を浴びる必要がある。われわれは、H3か
「返還協定」批准をあきらめる以外には決して止まないであろうほどの大暴動をF
5に実現するであろう。」と言い、「F5を人民の手で制圧し、東京大暴動を起
せ!」と結んでいる。
 「6」 本件当日F5地区において、午後三時三〇分ころから午後七時三〇分こ
ろまでの間三回にわたつてゲリラ活動が行われたが、その内容は、バリケードを築
き(一回目及び二回目)、井の頭線の線路上に放火して電車の往来を止め(二回
目)、あるいは看板、ダンボール等を持ち出し、これに火を放つ(三回目)という
ものであつた。
 「7」 本件集団に属する者の意識、行動等の概略を見ると、群馬部隊に属する
者のうち、本件殺害現場においてB巡査殺害の犯行に加わつた者は、あるいは一三
日の全体会議における被告人A8の発言によつて機動隊員を殺そうと決心したと
か、被告人A9のアジ演説を聞いてその言うとおりにしなければならないと思つた
として、機動隊員殺害の意思を肯定し(A3の2・14(検)、A7の4・12
(検))、あるいは殺害の意図はなかつたが、機動隊員が結果的に死亡しても止む
を得ないと思つていた(A4の2・25(検))と言うが、他方、右犯行に加わら
なかつた者は、あるいは一三日の全体会議ないし本件殺害現場では、機動隊員を殺
害しなければならないと思つたとしつつ、同現場では終始傍観しており(A6の
3・13(検)、A2の2・17(検))、あるいは事前には、機動隊の阻止線を
突破するため、機動隊員に対して傷害に及ぶことは止むを得ないにせよ、これを殺
害するまでの意思はなかつた(A5の2・10(検)、A15の2・18(検))
と言うのである。次に、埼玉部隊に属するA28は、他の者と一緒に闘わなければ
ならないと思つたが、具体的にどうするという意思はなかつた(A28の2・1
(検))と言い、F1地区反戦に属するC1は、激しい闘争になるとは思つたが、
機動隊員を殺害するということまでは考えておらず、B巡査の殺害現場を見て、本
件集団から離脱しており(同人の(証)二通)、F3地区反戦に属するA11は、
ゲリラ闘争をして機動隊を混乱させることを考えていた(同人の原審証言)と言う
に止まつている。
 以上の「4」ないし「7」を彼此対照して考えると、本件集団の携行した武器の
うち、ライター用ガスボンベについては、群馬部隊や埼玉部隊において、これを使
用すれば爆弾と同じ効果があるとの話があつたことを窺うことができる(A6の
3・13(検)、A28の原審証言)が、これが、通常、人を殺害するに足りる能
力があるとは考え難いし、その他の火炎びん、鉄パイプ、工具類についても、装具
を着用して、組織的に警備、規制に当たる機動隊に対し、これらを武器として闘つ
た場合、銃、刀剣などとは異なり、通常、たやすく相手を殺害することのできる武
器とは考え難い。右の程度の武器で相手を殺害することができるのは、集団によつ
て孤立無援の者に暴行を加え得る状況が生じたときであり、本件のような事案にお
いて、右のような状況の発生を予測することができるのは、「イ」機動隊と正面か
ら衝突しても、集団の側が圧倒的に優勢である場合か、「ロ」同時多発的なゲリラ
活動によつて、機動隊の組織的な活動が分断され、集団の側が圧倒的に優勢となる
場合の二つであつて、本件は、まさしく前者「イ」の場合である。
 しかし、当日、F5地区においては、朝から機動隊による厳戒態勢が敷かれてい
たことが窺われ(A7の4・12(検))、本件集団の個々においても、当然これ
を予測していたことを推認することができる(後記のとおり、「D3」には、全員
逮捕をおそれる記事さえある。)のであつて、同集団が、全体として、事前に前記
「イ」の可能性を予測していたとは考えられない。次に、後者の「ロ」について
は、当日、E2派及び学生インターの各軍団のほか、三三五五F5地区に潜入し、
喫茶店などで後続を待つ組があつた(司法警察員I8作成の捜査報告書)と言うの
であつて、前記「5」からすれば、いわゆるゲリラ闘争をすべく予定していたもの
と考えられ、他方、本件集団は、その行動の経過、態様に照らし、「D3」にいわ
ゆる「正規軍」であり、右ゲリラとの結合を図つて、一般民衆をも巻き込んだゲリ
ラ闘争を目論んでいたものと解される。しかし、同時に、前記「5」によれば、本
件闘争の目指したものは、いわゆる解放区闘争であり、これによつて、E2派の力
を誇示するとともに、H3内閣に打撃を与え、D17の批准を阻止することを目標
としたものと言うことができ、この点からすれば、F5地区に進入するまでは、機
動隊の阻止線を突破することが右目標達成への手段であり、そのためには機動隊員
に傷害を与えることは当然予測することができても、これを殺害することまで、本
件集団の全体が、事前に予測し、意識していたとは考え難いところである。また、
関係証拠によれば、当日F5地区に進入した後に、機動隊や警察車両に対して火炎
びんを投てきし、あるいは渋谷警察署宇田川町派出所に火炎びんや石を投てきし、
これに放火しているが、ゲリラ闘争としては、前記「6」から明らかなとおり、バ
リレードを築き、線路上に放火したり、あるいは看板、ダンボール等に放火する類
いのものであつて、機動隊の警備、規制があつたにせよ、「前後左右ありとあらゆ
る角度と方法で、」これを分断、攻撃する行動に出た形跡のないことや、神山派出
所付近における機動隊との衝突後、火炎びんの火によつて背中の衣服が燃えていた
C12巡査が民家に逃げ込むのを目撃したA7は、これを飽くまでも追跡しようと
する行動には出なかつたこと(A7の4・12(検)、C12の(証))等を併せ
考えると、本件集団が、全体として、いわゆる解放区闘争の名の下に予測し、意識
していたものは、道路上にバリケードを築き、あるいはいこれに放火するなどし
て、都市機能を麻痺させることにあつたと解するのが相当であり、そのほかに機動
隊員の殺害までを、事前に意図していたとは考え難いところである。
 これを他面から考察すれば、五日付「D3」号外が、「ためらうことなく闘いに
突入すれば、必ず勝利できるのである。」「その歴史的使命を達成する喜びに参加
できるわれわれは、いうまでもなく、それに値するだけのいつさいの犠牲、あらゆ
る危険を恐れてはならない。」と言い、また八日付同紙は、「さらに重要なこと
は、敵側の事前のものすごい恫喝に屈しないことである。」「われわれが「それら
一切を何ら怖れない」という態度をとつた瞬間にそれは効力を失うのだ。」「われ
われはいかなる弾圧をも怖れない。」「そして、さらに重要なことは、事前にいか
なる大弾圧があろうとも一四暴動は不可避であり、絶対に勝利することの確信が、
最後の勝利を決めるのであることである。一四に対する一切のためらいや、いささ
かのあいまいさも残しておいてはならない。それは闘争の敗北、決定的瞬間におけ
る勝利と敗北とを区別するような決定的要素となることは必至であ」る、と主張し
ている。これらの主張によれば、E2派の推進する本件闘争に参加しようとする者
の中に、いわゆる「弾圧」(八日付「D3」によれば、「デモ禁止」、「全員逮
捕」、「破防法の適用」を弾圧の例証として挙示している。)に対する「ためら
い」や「怖れ」を持つ者があることを危惧するからこそ、「いつさいの犠牲、あら
ゆる危険を恐れ」ず、「ためらうことなく闘いに突入す」ることを唱えたものと見
るべきである。「D3」の言う「機動隊殺害」についても、右のような背景を考察
する必要がある。すなわち、同紙のいわゆる機動隊せん滅は、読者に対して、その
士気を振い起させ、「ためらい」や「怖れ」を捨てて、機動隊との衝突の予測され
る本件闘争に参加させるべく、これを呼号している面が強いことも看過し得ないと
ころである。このことは、前記一〇月二五日付「D3」において、機動隊員を殺す
ことは人民が勝利するためには当然のことだ、という意識が、闘う人民のものとな
りつつあり、それが、従来の「価値観を革命し、真に内乱的死闘の時代をかちぬき
革命をみずから闘いとつていくことのできる主体の形成への鋭いバネとなつてい
る。ここに機動隊せん滅の闘いを勝利的に貫徹しうる重要な思想的契機があること
を、われわれは銘記しなければならない。」と主張していることから見ても、いわ
ゆる機動隊せん滅が、現実の問題としてよりも、むしろ機動隊との衝突に対する、
精神的な「ためらい」や「怖れ」を克服するよう呼びかけることに重点があつたこ
とを看取することができるのである。現に、機動隊せん滅ないしは機動隊員を殺害
せよとの「D3」の主張あるいは被告人A8、同A9のアジ演説等に接した者は、
これを半ば政治的なスローガンとして受けとめているのである(A5、A3、A
1、A28の原審各証言、A4の2・2、2・16各(検))。
 さらに、前記「7」について、事前の段階における個々人の、いわゆる殺意の内
容を吟味するときは、真に機動隊員を殺害する意思があつたと言うことができるか
どうか疑問を抱かざるを得ない者も見受けられるのである。すなわち、殺意が、空
想的、机上の観念ではなく、具体的、現実的な意思でなければならないことは言を
俟たないところであり、そうである以上、殺意を形成しようとする際には、これを
抑制する作用が働くのが通常であり、本件のような事案にあつては、自己の考える
ところが絶対の正義であり、これに反する者は悪であるとし、自己の行動に敵対す
る者はこれを抹殺する必要がある、との確固とした信念がなければ、たやすくは殺
意を形成することができないと言うべきである。このような観点に立つて考察する
と、「頭の中に機動隊を思い描いて、殺せとか、せん減しろと言われても、殺意は
起こらない。」とするA4の証言(A8・二一回)は十分首肯するに足り、また、
A6及びA2が、現場において、被告人A9から「やれ。」と号令され、あるいは
同被告人らの犯行を目撃しながら、B巡査の殺害に加わらず、傍観するに止まつた
ことからすれば、同人らのいわゆる殺意なるものが、果たして先に述べたような、
具体性を持つた殺意であつたかどうか疑問とせざるを得ない。してみれば、群馬部
隊参加者の一部に機動隊員殺害の意思があつたにせよ、前記のとおり、A5、A1
5に殺意があつたとは言えず、A6、A2についても、殺意があつたとするには躊
躇を覚えざるを得ないところである。また群馬部隊以外の本件集団に属する者につ
いても、前示からすれば、同集団が被告人A9のアジ演説に呼応したことをとらえ
て、直ちに、全体として、事前に機動隊員殺害の共謀があつたと推認するのは困難
である。
 以上述べて来たところを総合すれば、事前における共謀が、共謀者間における合
意を必要とする以上、被告人A9、同A8及び本件集団の一部の者に機動隊員を殺
害する故意があつたにせよ、同集団に属する者全体の合意としては、機動隊員に対
する傷害の範囲に止まり、到底、事前に、これに対する殺害の共謀があつたとまで
言うことはできない。すなわち、本件集団に、機動隊の阻止線を突破することを予
測しての殺意があつたとは考え難いところであり、またゲリラ活動の際に、機動隊
員を殺害し得る状況の現出すべきことは、可能性としても稀有の事態であるから、
本件集団の合意として、これを予測しての殺意があつたとも言い難い。原判決に
は、所論のような事実誤認はない。
 2 B巡査殺害の故意及び実行行為
 所論は、要するに、原判決は、B巡査の殺害について、「イ」被告人A9らの現
場共謀による未必的殺意に基づく犯行であるとし、「ロ」被告人A9が同巡査に対
し火炎びんを投てきしたことを認めていないが、これらはいずれも誤認である、す
なわち、「イ」については、先に主張したとおり、同被告人らの事前共謀が、機動
隊員に対する確定的殺意を内容とするものであつたばかりではなく、抵抗力を失つ
て路上に倒れた同巡査に対しガソリンをふりかけ、火炎びんを投げて炎上させたの
であるから、確定的殺意に基づくことは明らかであり、また「ロ」については、A
3(2・16)及びA5(2・19)の各検事調書によれば、同被告人が同巡査に
対して火炎びんを投てきしたことは明らかである、と言うのである。
 まず「イ」について判断すると、事前共謀の内容として機動隊員に対する殺意が
認められず、また、B巡査を鉄パイプ、竹竿等で乱打した際の被告人A9らの現場
共謀が未必的殺意に基づくものであることは、先に説示したとおりである。しか
し、関係証拠によれば、前示のように乱打され、路上に失神して倒れるに至つたB
巡査に対し、ガソリンないしは灯油がふりかけられ(弁護人はこの点に関するA2
供述を論難するが、同供述は本件殺害現場を目撃したC7の原審証言によつて裏付
けられている。)、被告人A9の号令の下に数本の火炎びんが投てきされたことが
認められる。してみれば、右の行為は、関係者の供述に見られるとおり、いわば止
めを刺したものと言うべく、この段階においては、「火炎びんを投げろ。」と号令
した同被告人はもちろん、右号令に基づいて火炎びんを投てきしたA3、A7やそ
の他の者には、確定的殺意を内容とする共謀があつたと考えるのが相当であり、こ
れをもつて未必的殺意を内容とする共謀に過ぎないとする原判決の認定は誤りと言
わざるを得ない。しかし、本件のように現場において殺害の共謀をした場合におい
て、その内容をなす殺意が、当初の未必的なものから確定的なものへ推移したとき
には、その殺意が終始未必的なものに止まるとの誤認があるとはいえ、構成要件的
評価自体には何らの異同を生ぜず、また、その一事のみをもつてしては、直ちに量
刑を左右するに足りる程度の犯情の差異をもたらすものとも言い得ないから、これ
をもつて、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認であるとすることはでき
ない。
 次に、「ロ」について検討すると、たしかに、A3の(検)(2・16)によれ
ば、同被告人と氏名の判らない男も確か火炎びんを持つていたので投げたと思いま
すとの趣旨を供述しているが、同供述自体から明らかなように、右は同人の推測に
止まり、しかもその根拠とするところは、同被告人が火炎びんを所持していたとす
るに過ぎないのである。さらに、同人の2・25(検)によれば、検察官から、
「B巡査に火炎びんを投げたのは誰か。」と尋ねられたのに対し、「A10、私、
A18(但し、判然しない。)、その他数名です。」と答え、同被告人の名前を挙
げてはいない。これらを対比して考えると、同人の前掲調書をもつて同被告人の火
炎びん投てきを認定するには躊躇せざるを得ない。また、A5の(検)(2・1
9)によれば、同被告人が本件殺害現場で火炎びんを受け取つたことを認めること
ができる。しかし、同人は、火炎びん投てきの状況について、「機動隊員の倒れた
足元の方にいた同被告人がいる所から火炎びんが飛ぶのをチラツと見ました。」と
言うのであつて、同供述自体、微妙な表現であるが、同被告人が火炎びんを投てき
したとの確定的な認識を表明する供述とは言い難い。以上の次第であつて、原判決
が被告人A9の火炎びん投てきを認定しなかつたのは、着実な認定として首肯する
に足りるから、所論は採用し難い。論旨は理由がない。
 六 法令適用の誤りの控訴趣意について(弁趣第五点、A8趣第四点の一)
 「1」 所論は、まず、原判決が、被告人A9、同A8に対し現住建造物等放
火、公務執行妨害及び傷害の、同A8に対する兇器準備結集の各罪につき、いずれ
も当該被告人の具体的な構成要件該当行為を認定することなく、共同正犯の罪責を
認めているが、刑法六〇条は、二人以上の者が共同して実行することを要件として
いるのであるから、原判決には法令適用の誤りがあると主張する。
 しかし、原判決は、判文から明らかなとおり、所論各罪がそれぞれ当該被告人と
他の者との共謀に基づく犯行であることを認定判示したうえ、これに対し刑法六〇
条及び各本条を適用しているのであるから、所論は、共謀共同正犯の法理を正解し
ない独自の見解と言うべく、採用の限りではない。
 「2」 次に、所論は、原判決が、被告人A8に対し、B巡査に関する刑責を問
うのに、法令適用の欄において、括弧書きで、最高裁判所昭和五四年四月一三日第
一小法廷判決の見解をとらない旨を判示したうえ、刑法六〇条、一九九条、三八条
二項、二〇五条一項を適用したことは、法令の適用を誤つたものである、と言う。
 原判決の指摘する右最高裁判所の判決(刑集三三巻三号一七九頁)は、暴行、傷
害を共謀した者らの一部が殺人罪を犯した場合において、他の殺意のなかつた者に
ついては、「軽い傷害致死罪の共同正犯が成立するものと解すべきであ」り、「も
し犯罪としては重い殺人罪の共同正犯が成立し刑のみを暴行罪ないし傷害罪の結果
的加重犯である傷害致死罪の共同正犯の刑で処断するにとどめるとするならば、そ
れは誤りといわなければならない。」というものである。そこで、原判決の法令適
用を見ると、原判決は、被告人A8について、その所為が刑法六〇条、一九九条に
「該当する」とは言つているものの、続いて、「他の被告人並びに共犯者と傷害の
意思で共謀したにとどまるものであつて、殺人の意思を有しなかつたものであるか
ら、その限度で責任を問うこととし、同法三八条二項を適用し、同法六〇条、同法
二〇五条一項の罪の刑で処断す」る旨を判示しているのであるから、原判決は、被
告人A8について、責任をも含めた意味で殺人罪の共同正犯の成立を認めたもので
はないことが明らかである。してみれば、原判決は、未だ右最高裁判所の判決に反
しているとは言えず、法令適用の誤りがあるとは言えない。
 「3」 所論は、原判決が、被告人A8について、傷害の共謀を認定するに止ま
るのに、同被告人に対し、結果的加重犯である傷害致死罪の共同正犯の刑責を認め
たのは、法令適用に誤りがあると言う。しかし、傷害の共謀をした場合において、
共謀者の一部の実行行為により、被害者が死亡したときには、共謀に参加したに止
まる者も、傷害致死罪の刑責を負うのは当然の事理であり、所論は独自の見解と言
わなければならない(ちなみに、所論は超法規的違法性阻却事由ないし抵抗権につ
いても云々するが、これらの主張を容認すべき法律上の根拠はなく、被告人らの所
論各所為について、犯罪の成立を阻却すべき事由も何ら存在しないのであるから、
所論は採用の限りではない。)。論旨は理由がない。
 七 量刑不当の控訴趣意について(検趣第二点、弁趣第六点、A8趣第六点)
 原判決は、被告人両名について、公務執行妨害、傷害及び現住建造物等放火の各
罪の成立を認めたほか、被告人A9については兇器準備集合及び殺人の、同A8に
ついては兇器準備結集及び傷害致死の各罪の成立を認めたうえ、同A9に対し懲役
二〇年の、同A8に対し懲役一三年の刑をそれぞれ量定している。これに対し、検
察官は、原判決の刑が軽きに失するとして、被告人A9に対しては死刑、同A8に
対しては懲役二〇年の刑を科するのが相当であると主張し、他方、弁護人及び同A
8(以下弁護人らと言う。)は、原判決の量刑は重きに過ぎると主張する。
 ところで、検察官及び弁護人らの双方とも、それぞれ原判決には事実誤認がある
とし、自己の主張する事実を前提として原判決の量刑の不当を主張するが、原判示
事実に関する当裁判所の判断は前示のとおりであるから、右判断の結果を前提と
し、その余の情状につき、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べ
の結果を併せて、以下原判決の量刑の当否を審査する。
 本件犯行は、E2派が主導し、これに同調する学生、労働者らの集団ないしはそ
の一部分子によつて惹起されたものである。すなわち、E2派は、昭和四六年に入
るや、それまで一時休止していた武装闘争の方針を再び闡明にするに至つたが、い
わゆる武装闘争とは、機関紙「D3」によれば、暴力革命を指向して一九七〇年代
を内乱的死闘の時代と規定したうえ、機動隊に対して、これを権力機構打倒への障
壁をなすものとして敵視し、これとの死闘を戦い抜いた暁に初めて革命を勝ちとり
得るとするものであり、また、本件闘争については、革命を達成すべき戦略の一環
としてD17批准阻止を呼号し、F5地区に無法状態を現出してこれを混乱に陥し
入れ、もつて社会不安を醸成しようと意図したものである。本件犯行中、兇器準備
集合ないしは同結集、公務執行妨害、傷害及び現住建造物等放火は、いずれも右の
ようなE2派の主導による、一連の集団的、計画的、組織的犯罪と言うことがで
き、他方、先に説示したとおり、本件集団一般に機動隊せん滅すなわち同隊隊員殺
害の意思があつたとまでは言えないものの、B巡査の殺害は、E2派の主張を信奉
した一部過激派分子において、集団一般の意思をこえ、突出して敢行したものと見
るべきである。
 次に、本件犯行の態様及び結果を、その主要なものについて見るに、本件集団
は、「イ」F5m方面へ進入しようとして機動隊の規制、阻止に遭遇するや、これ
に火炎びん多数を投てきし、攻撃して機動隊員三名に原判示各傷害を負わせたが、
特にそのうちの一名は今なお後遺症に苦しむという、重篤な火傷であり、「ロ」行
きずりに神山派出所に火炎びんを投げつけて、その一部を焼燬し、さらに、本件集
団の一部の者において、追跡を振り切ろうとするB巡査を捕捉し、数名で取り囲ん
だうえ、鉄パイプ、竹竿などで、短時間で同巡査が昏倒する程の乱打を加え、さら
に倒れた同巡査に対して数本の火炎びんを投げつけるという残忍な手段により同巡
査を火傷死させるに至つたが、以上はいずれも白昼公然と敢行されたのであつて、
犯行の態様は極めて悪質であり、惹起した結果もまた重大である。従つて、これが
社会に与えた衝撃、不安は甚大であつたと言わなければならない。
 さらに、被告人両名の犯情を見ると、被告人A9は、組織の決定によつて本件集
団の最高責任者となり、国鉄F1駅その他において、右集団に対しアジ演説を行つ
てその意思の統一を図るとともに、士気を鼓舞し、機動隊と遭遇するや、これに対
する攻撃を命じて多数の火炎びんを投てきさせ、さらにB巡査の殺害に際しては、
自ら鉄パイプで同巡査を殴打するとともに、これに対する火炎びん投てきを命じて
いるのであつて、その刑責は極めて重大である。
 被告人A8は、一一月初旬から本件闘争へ向けて、E2派に同調する学生らに対
してこれへの参加を慫慂し、各種の会議においてその士気の高揚に努めるとともに
意思の統一を図り、また、動揺するA10を叱咤激励して本件闘争への諸種の準備
を進めるなど、群馬部隊参加者の事前共謀の成立に主導的役割を果したものであ
り、その刑責は、本件各現場における実行行為を分担しなかつたとはいえ、これま
た重大と言わなければならない。
 弁護人らは、本件闘争の政治的目的などの正当性を主張し、これを前提として、
本件犯行が止むを得ないものであつたとか、被告人らを処罰することは、結局思想
を処罰するものであつて許されないと言い、また、警備に不手際があつたとして、
その責任を云々する。しかし、本件犯行の性格が前示のとおりである以上、犯行の
動機としてこれらを酌量すべき余地はない。すなわち、憲法にいう議会制民主主義
とは、多言するまでもなく、国民の間に諸々の政治的意見の対立があることを当然
の前提として、これを止揚し、調和を図るべき責務を国会に負託し、その機能は、
結局、選挙を通じての国民の選択により確保しようとするものであつて、同制度は
英知の所産と言うべきである。従つて、自己の主張するところを絶対的正義とし、
国会を無用視したうえ自己の主張を貫徹すべく、暴力の行使を敢えてするが如き
は、到底憲法及び刑罰法規の容認するところではなく、これが思想を処罰するもの
とは言えないことも明白である。また、被告人らは、機動隊との衝突を当然起こる
べき事態として予期していたのであるから、警備の不手際の有無は、何らその刑責
を左右する事由とはなり得ない。
 次に、弁護人は、被告人A9が本件集団の最高責任者となつたのは、予測に反す
る事態の発生によるものであり、かつ、本件は当初の計画の変更による偶発的な出
来事であるとか、神山派出所付近における機動隊との衝突後は、指揮統制が崩壊し
ていたと主張する。しかし、前者については、たとえ当初の計画が変更され、か
つ、予測しない事態の発生があつたにせよ、本件集団の行動は、客観的情勢の変化
に対応し得べき、事前の周到な計画の下になされたことを窺うに足り、他方、同被
告人の本件当日における指揮の態様を見れば、同被告人においても十分右計画を了
知していたことが認められるから、所論諸事情をもつて、同被告人の本件集団の最
高責任者としての刑責を左右するものとはなし難い。またB巡査の殺害について見
ると、所携の鉄パイプで無抵抗の同巡査を殴打したうえ、倒れた同巡査に火炎びん
を投げるよう命令した同被告人の行動の経過に鑑みれば、同被告人はE2派の標榜
する暴力革命を信奉し、いわゆる機動隊せん滅を実践したものと言うべく、これが
偶発的な出来事とは考え難い。次に、後者については、神山派出所付近における機
動隊との衝突後、その一部を追跡するに急な余り、本件集団を全体として見ると、
一時必ずしも統制のとれた行動がなされていないことは所論のとおりであるが、そ
の後B巡査に対して火炎びんか投てきされるや、同被告人は、同集団の態勢を立て
直し、これを率いてF7本店方向へ進入したのであるから、その指揮統制が崩壊し
ていたとまでは言えない。
 さらに、弁護人らは、被告人両名の刑はいずれも部下の刑との均衡を失するなど
とも主張する。しかし、B巡査の殺害に加担したA3、A4及びA7に対する量刑
を見ると、A3は成人に達した直後に懲役七年に処せられ、犯行当時一六歳に過ぎ
なかつたA7は懲役五年以上七年以下に、また竹竿の殴打に止まるA4は懲役三年
以上五年以下に処せられているのである。少年法が少年に対する不定期刑の長期の
上限を一〇年、短期の上限を五年とそれぞれ制限していることに鑑みると、同人ら
はいずれもそれなりの重刑を科されたものと言うべく、また、被告人A8は、前示
のように事前共謀の成立に主導的役割を果したことなどからすれば、同被告人同
様、B巡査殺害の実行行為自体に関与しなかつた他の共犯者らが、同巡査に対する
傷害致死の刑責を問われてはいないとはいえ、これら共犯者との均衡を重視し過ぎ
ることは相当とは言えない。
 以上縷説したところに、被告人らは、いずれも本件犯行後現在に至るまで、被害
者ないしは遺族に対して慰藉の途を講ずることがないのは勿論、反省の情さえ示さ
ず、却つて自己の正当性に固執していることを併せ考えれば、被告人両名につい
て、それぞれ厳しくその刑責が問われるのは当然であつて、到底原判決の量刑が重
過ぎて不当であるとは言えない。弁護人らの論旨は理由がない。
 転じて、検察官の所論について見るに、被告人A8に関し、殺人の共謀の成立を
前提とする主張の首肯し得ないことは前示のとおりであるところ、同被告人におい
て本件各現場における実行行為自体を担当してはいないこと、他の共犯者との刑の
均衡などからすれば、その他諸般の情状を考慮しても、同被告人に対する原判決の
量刑は相当と言うべく、これが軽過ぎて不当であるとは言えない。同被告人に関す
る論旨は理由がない。
 次に、被告人A9は、E2派の組織決定により本件集団の最高責任者となつて本
件犯行に至つたものであるところ、就中、B巡査の殺害については、前示のとお
り、E2派の主張を信奉して、白昼公然と、孤立無援の同巡査を捕捉し、これを取
り囲んだうえ、見るべき抵抗をもなし得ない同巡査を他の者とともに乱打したのみ
ならず、確定的殺意をもつて昏倒した同巡査に火炎びんを投てきするよう命令し、
その結果、これを火傷死させるに至つたのである。その動機において酌量の余地が
ないことは勿論、犯行の態様の残忍性、結果の重大性などからすれば、右殺害自体
が事前の共謀に基づくものではなく、従つて計画的犯行とまでは言えないことや、
他の共犯者との刑の均衡などを考慮しても、右殺人につき有期懲役刑を選択したう
え同被告人を懲役二〇年に処するに止めた原判決の量刑は軽きに失し、原判決は破
棄を免れない。同被告人に関し、論旨は理由がある。
 第三 結語及び被告人A9に関する自判の判決
 以上の次第であるから、被告人A8につき刑事訴訟法三九六条により本件各控訴
を棄却し、同A9につき同法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法
四〇〇条但書により、同被告事件について、さらに次のとおり判決する。
 被告人A9について、当裁判所の認定する罪となるべき事実は、原判示「罪とな
るべき事実」中、被告人A10とあるのをA10と読み替え、かつ、原判決三二丁
五行目から八行目までの「右の者ら及び右状況を認識して同様に未必の故意を抱き
これらの者と意思相通じて同巡査をその後順次取り囲むに至つた前記集団の者ら数
名において、被告人A9の指示のもとに、」とあるのを、「右の者ら及び同巡査を
その後順次取り囲むに至つた前記集団の者ら数名は、被告人A9の火炎びん投てき
の指示のもとに、同巡査を殺害しようと決意し、その意思を相通じたうえ、」と訂
正するほか、原判決の認定した「罪となるべき事実」と同一である。右事実に原判
決の適用した罰条を適用し、これと同一の科刑上一罪の処理をしたうえ、原判示第
一の一及び同第二の一の各罪につきそれぞれ懲役刑を、同第二の二の罪につき有期
懲役刑を選択し、さらに同第二の三の罪につき、同被告人に有利及び不利な、前掲
諸事情を総合考慮して無期懲役刑を選択するが、以上は刑法四五条前段の併合罪で
あつて、同法四六条二項により他の有期懲役刑を科さないこととなるから、被告人
A9を無期懲役に処し、同法二一条により原審における未決勾留日数中一、〇〇〇
日を右刑に算入する。
 なお、被告人A9の原審における訴訟費用及び被告人両名の当審における訴訟費
用の各負担につき刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して主文のとおり判決する。
 (裁判長裁判官 草場良八 裁判官 半谷恭一 裁判官 須藤繁)
別 紙 一
<記載内容は末尾1添付>
別 紙 二
<記載内容は末尾2添付>

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