弁護士法人ITJ法律事務所

裁判例


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         主    文
     原判決を破棄する。
     本件を東京高等裁判所に差し戻す。
         理    由
 上告代理人神山博之の上告理由について
 自筆証書によつて遺言をするには、遺言者が遺言の全文、日附及び氏名を自書し
た上、押印することを要するが(民法九六八条一項)、右にいう押印としては、遺
言者が印章に代えて栂指その他の指頭に墨、朱肉等をつけて押捺すること(以下「
指印」という。)をもつて足りると解すべきことは、当裁判所の判例とするところ
であり(最高裁昭和六二年(オ)第一一三七号平成元年二月一六日第一小法廷判決・
民集四三巻二号四五頁)、そして、指印が遺言者本人の押捺にかかるものであるこ
とは、必ずしも遺言者本人の指印の印影(以下「指印影」という。)であることが
確認されている指印影との対照によつて立証されることを要するわけではなく、証
人の証言等によつて立証される場合のほか、遺言書の体裁、その作成、保管の状況
等諸般の事情から推認される場合でも差し支えないと解するのが相当である。
 しかるに、原審は、(1) 上告人ら及び被上告人らの被相続人であるDは、新潟
から所用で上京して先妻との間の二男E方に泊まつていた折の昭和四三年三月二二
日、Eの妻Fから封筒、紙、硯及び筆を借り、寝泊りしていたE方二階の客間にお
いて、一人で本件遺言状を自書し、右封筒にこれを入れて封をし、封筒の表には「
遺言状」、裏には「D」と各記載した、(2) Dは、封筒に入れた本件遺言状をE
に渡し、Eはこれを自宅応接間押入れの金庫の中に入れて保管し、Fには遺言状を
金庫に保管してある旨を伝えておいた、(3) Dは昭和五一年三月一四日に死亡し、
続いて同年五月二八日にEが死亡したので、Fは、Eの葬式の終わつた直後、右金
庫から本件遺言状を取り出し、自宅で封筒のまま上告人A1に渡したところ、上告
人A1は検認手続のことを知らずにその場で封を切つて内容を読み、上告人A2も
これを読んだ、(4) その後、上告人A1は、本件遺言状を自宅に保管していたが、
昭和五七年五月被上告人らから遺産分割調停の申立があつたので、調停の席上本件
遺言状を提出し、昭和五八年四月検認を得た、との事実を確定しながら、本件遺言
状はDがその全文、日附及び氏名を自書して作成した自筆遺言証書ということがで
きるものの、本件遺言状には末尾のD名下に墨を用いて顕出された指印影があるの
みで、印章(印顆)による印影はなく、指印は民法九六八条一項にいう押印の要件
を満たさないから、本件遺言状による遺言は右押印を欠き無効というべきであると
して、その無効確認を求める被上告人らの請求を棄却した第一審判決を取り消して
右請求を認容したものである。したがつて、冒頭に説示したところに照らし、原判
決には法令の解釈適用を誤つた違法があるものというべきであり、右違法が判決に
影響を及ぼすことは明らかといわなければならない。
 なお、原判決は、対照しうる遺言者の指印影の保存などから遺言書の指印影が遺
言者の指印押捺にかかるものであることを当該指印影によつて確認することができ
る場合には、指印をも印に準ずるものと認めて遺言を有効と解する余地はあるとし
ているものの、これに続く説示部分も通じてみれば、結局、指印影が遺言者の指印
押捺にかかるものであることが、保存されている遺言者の指印影との対照、あるい
はこれに準ずるような証拠から直接立証されることを要するのに本件ではかかる立
証がないとしているものと解されるのであつて、本件遺言状のD名下の指印影がD
の指印押捺にかかるものであるか否かについて、本件遺言状の体裁、その作成、保
管の状況等諸般の事情から推認されるか否か審理を尽くしたものとは認められない。
 以上と同旨をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件指
印影がDの指印押捺にかかるものであるか否かについて、叙上の見地に基づいて更
に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
 よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官島谷六郎、同香川保一の反対意見がある
ほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 裁判官香川保一の反対意見は、次のとおりである。
 私は、民法(以下「法」という。)九六八条の自筆遺言証書における「押印」に
ついていわゆる指印も含まれるとする多数意見には賛同することはできず、本件上
告は棄却すべきものと考えるが、その理由は、次のとおりである。
 一 法九六〇条は、「遺言は、この法律に定める方式に従わなければ、これをす
ることができない。」ものとして、遺言の要式性を規定している。これを自筆遺言
証書についていえば、遺言の全文、日附、氏名を自書するほか、これに印をおさな
ければならないものとし(法九六八条一項)、加除その他の変更についても、加除
変更の自書附記のほか、押印を要するものとして(同条二項)、厳格な方式を要求
しているが、それは、遺言についての慎重さ及び眞実性、確実性を担保するために、
慎重に作成されるべき重要文書についての国民の一般的な慣行的意識にかんがみ、
これを重視して自書のほか特に押印を要するものとすることが適切妥当であるとの
配慮によるものであつて、普通の方式による他の遺言についても、遺言者その他の
者の押印を要求しているのも、同様の趣旨によるものである。そして、この場合の
押印については、一般的に我が国の法文の規定する押印が印章による押印を意味し
ているのみならず、遺言に関する法九七〇条一項二号に徴しても、印章による押印
を当然のこととしていることは明らかであつて、また、それが国民の慣行的意識に
則つたものといえる。このような普通の方式による遺言書の厳格な方式のうちでも
特に重要な印章による押印を明らかに規定している法文の解釈として、指印も右の
押印に含まれるとする解釈を採るには、慎重にも慎重でなければならない。
 二 そして、法九七七条及び九七八条により特殊の状況に在る伝染病隔離者、在
船者が遺言をする場合には、遺言者、立会人又は証人が通常印章を所持していない
ことから押印のできないことにより遺言が無効となることの不都合を避けるために、
法九八一条において、右の場合において押印することができない者があるときは、
立会人又は証人は、その事由を附記しなければならないものとして、押印に代わる
措置を講じているのであるが、これらの遺言の効力に関しては、その効力を一定期
間しか認めない(法九八三条参照)のも、押印のないことにもよるのである。さら
に遺言書における押印にいわゆる指印をも含むものとすれば、指印すらできない場
合は希有であろうから、押印に関する限り、右の法九八一条の存在理由はほとんど
見出し得ないであろうし、むしろ印章不所持の特殊な状況に在る者が遺言をする場
合において、押印の補充的なものとして可能な指印をもつて代える特別の立法措置
が採られていないことにかんがみれば、遺言書における押印にいわゆる指印が含ま
れるとする解釈は、到底採り得ないのではなかろうか。
 三 遺言書において印章による押印を要求するとしても、その印章がいわゆる実
印(印鑑証明の得られる印章)のほか認印(いわゆる三文判)も含まれていること
から、指印でも差し支えないとする考え方もあるが、特別の場合は別として、いわ
ゆる実印でない認印を用いての押印により文書を作成することがむしろ国民意識と
して常態である(印鑑の届出が任意であることからいわゆる実印を所持しない者も
ある。遺言書における押印を、法律に根據がなく、地方公共団体の条例による印鑑
証明のあるいわゆる実印によることに限るのは相当でないであろう。)。認印が認
められる以上指印でも差し支えないとするのは、その理由が理解し難いし、民法の
要求する押印を軽視するものといわざるを得ない。
 四 一般に法文における押印が印章による押印を当然のこととしている現在、指
印をもつて印章による押印と同等の意義を認めるのがわが国の慣行ないし法意識で
あるとは到底解することはできないのではなかろうか。「商法中署名スベキ場合ニ
関スル法律」により記名捺印を以て署名に代えることができる場合においても、そ
の「捺印」は印章(いわゆる実印には限らないことはもちろんである。)による押
印であり、このような法的措置は、印章による押印が重要視されている証左である。
この場合も、右の押印に指印も含まれるといえるであろうか。
 たしかに指印が本人のものであれば印章による押印よりも性質上押印としてより
相應しいものともいえるのであつて、公的機関による指印登録制度のごときものが
創設されれば、指印もいわゆる実印以上の機能と便利さを具有するであろうが、そ
のような制度のない今日にあつては、その指印が本人の死亡後本人のものであるこ
との証明がどのようにしてされるかが問題である。本人の印章であることの証明は
比較的容易であるが、指印がその本人のものであることの証明は決して容易ではな
い(指印による生前の文書があつても直ちに証明資料となるとは限らないし、結局
遺言書作成の現場に居合わせた者の証言による証明によるほかないであろうが、自
筆遺言証書は利害関係人等の他人の不知の間に作成されるのが常態であり、また、
利害関係人の証言自体たやすく措信できないであろう。多数意見は、この点に関し、
「遺言書の体裁、その作成、保管の状況等諸般の事情から推認される場合でも差し
支えないと解する」としているが、具体的に遺言者本人の指印による印影であるこ
との証明とどのように結びつくのか理解し難い。)。そのことから、指印による押
印の遺言書の遺言が指印の証明不充分のため無効とされるおそれが多いのみならず、
実際問題として指印による遺言書について紛争を多くするおそれがあろう。
 五 本来遺言といえども、遺言者の眞意に出でた意思表示であることが肯認され
るのであれば、これを有効としてさしつかえない性質のものであろうが、民法が遺
言について厳格な方式によることを求めている所以のものは、遺言が遺産の帰属者、
その帰属範囲等に法定相続関係と異なる変更を生ぜしめる効力をもつものであり、
しかもその効力が遺言者の死亡後に問題となることにかんがみ、遺言が慎重かつ明
確になされ、その効力に関する紛議を生ぜしめないことを可及的に担保しようとす
るものであり、換言すれば、遺言が民法の要求する方式を熟知してそれに従つてな
されるならば、通常遺言についての慎重さ、眞実性及び確実性も保証されるであろ
うとの立法政策的配慮によるものであるから、その方式に従わない遺言は、実質的
に遺言者の眞意に出でたものであるかどうかを問うことなく、すべて一律に無効と
することとしているのである。
 以上のとおり、民法が遺言書の厳格な要式性を規定し、特に重要な押印について
明確に印章による押印を求めている法文の解釈として、右の押印には指印も含まれ
るとして、法文上極めて無理な、実質的には要式性の緩和というよりは立法と同等
の解釈をすることは、指印について何ら公的な登録制度による証明手段のない今日
においては、その利害得失を比較較量してもなおかかる解釈が客観的により適切妥
当であるとは断じ難い以上、厳に避けるべきであつて、解釈上はもとより政策的に
もその意義を見出し得ない。
 よつて、本件上告は、理由がないものとして棄却すべきである。
 裁判官島谷六郎は、裁判官香川保一の反対意見に同調する。
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官    香   川   保   一
            裁判官    牧       圭   次
            裁判官    島   谷   六   郎
            裁判官    藤   島       昭
            裁判官    奧   野   久   之

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