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平成13年(行ケ)第161号 審決取消請求事件
平成15年1月14日口頭弁論終結
            判       決
      原      告    株式会社バルダン
      訴訟代理人弁理士    佐 竹   弘
   同    中 島 知 子
      被      告    特許庁長官 太 田 信一郎
      指定代理人       吉 國 信 雄
   同   山 崎   豊
   同      門 前 浩 一
   同   大 野 克 人
   同      大 橋 良 三
   同      涌 井 幸 一
          主       文
   1 原告の請求を棄却する。
   2 訴訟費用は原告の負担とする。
        事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
 特許庁が平成11年審判第13348号事件について平成13年3月6日に
した審決を取り消す。
   訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
 主文と同旨
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
  原告は,平成2年8月10日,発明の名称を「多針ミシン」とする発明(以
下「本願発明」という。)につき特許出願(平成2年特許願第211878号。以
下「本願出願」という。)をしたが,平成11年7月27日拒絶査定を受けたの
で,同年8月24日,これに対する不服の審判を請求した。特許庁は,これを平成
11年審判第13348号として審理し,その結果,平成13年3月6日「本件審
判の請求は,成り立たない。」との審決をし,同年3月26日にその謄本を原告に
送達した。
2 特許請求の範囲(別紙図面1参照)
  横動自在の保持枠には,夫々下端に針を備える複数の針棒が夫々上下動自在
に装着され,各針棒には夫々下部が押え部となっている布押えが相対的な上下動を
自在に装着してあって,上記針棒を針孔に向けて下降させるときには,上記布押え
も下動して縫製位置にある布の押えを可能にし,さらに上記複数の針棒を針孔上方
位置で選択して,その内の一つの針棒を上下動させるようにした昇降装置を備える
多針ミシンにおいて,
 上記保持枠に支持されている針棒の内,少なくとも1本の針棒の近傍には上
記横動自在にしてある保持枠に設けられたストッパを配設すると共に,その針棒に
装着した布押えには,該布押えの下降過程において上記ストッパに当接して布押え
の下降位置が制限させられるようにした当部を設け,上記当部と押え部との間に
は,それらの間の寸法を調節可能にして上記押え部の下降位置を調節する為の調節
手段を介設し,上記当部を備える布押えにおける押え部の下降位置を,他の布押え
における押え部の下降位置とは相互に異ならしめた状態で選択的に利用し得るよう
にしてあることを特徴とする多針ミシン。
3 審決の理由
 審決は,別紙審決書の写しのとおり,本願発明が,実公昭62-32545
号公報(以下「引用文献」という。)に記載された発明(以下「引用発明」とい
う。別紙図面2参照。)に周知の技術手段を適用することにより当業者が容易に発
明をすることができたものであるから,特許法29条2項に該当し,特許を受ける
ことができないものである,と判断した。
 上記判断をするに当たり,審決が認定した,本願発明と引用発明との一致
点・相違点は,次のとおりである。
一致点
「針棒を針孔に向けて下降させるときには,布押えも下動して縫製位置にある
布の押えを可能にし,ストッパを配設すると共に,その針棒に装着した布押えに
は,該布押えの下降過程において上記ストッパに当接して布押えの下降位置が制限
させられるようにした当部を設け,押え部の下降位置を調節する為の調節手段を介
設し」
相違点
 「本願発明は,多針ミシンであり,「横動自在の保持枠には,夫々下端に針
を備える複数の針棒が夫々上下動自在に装着され,各針棒には夫々下部が押え部と
なっている布押えが相対的な上下動を自在に装着し,複数の針棒を針孔上方位置で
選択して,その内の一つの針棒を上下動させるようにした昇降装置を備える」(以
下,「構成ア」という。)ようにした構成を有し,それぞれの針の押え部の下降位
置を,相互に異ならしめることを可能とするとともに,針を選択的に利用し得るよ
うにしてあるのに対して,引例発明は単針ミシンであるため,複数の針から必要な
針を選択するのではなく,その度毎に,針の押え部の下降位置を調整する必要があ
る点。」(相違点1)
 「ストッパ(係止体)の配設箇所に関して,本願発明においては,ストッパ
が横動自在の保持枠に配設されているのに対して,引例発明においては,機枠に螺
合された案内棒4に支持されている点。」(相違点2)
 「押え部の下降位置を調節する調節手段に関して,本願発明においては,当
部と押え部との間に調節手段を介設して押え部の下降位置を調節するものであるの
に対して,引例発明の場合は,ストッパ(係止体)自体を移動可能とし,ストッパ
(係止体)の移動位置を調節することにより押え部の下降位置を調節するものであ
る点。」(相違点3)
第3 原告主張の審決取消事由の要点
 審決は,本願発明と引用発明との相違点を看過し(取消事由1),審決が認
定した相違点についての認定判断を誤った(取消事由2ないし4)ものであり,こ
れらの誤りが結論に影響することは明らかであるから,違法として取り消されるべ
きである。
1 取消事由1(基本的技術思想の相違の看過)
(1)本願発明は,「布押えにおける押え部の下降位置を,他の布押えにおける
押え部の下降位置とは相互に異ならしめた状態で選択的に利用し得る」(甲第4号
証9頁13行~15行)という優れた効果を得ることを目的として,以下の①ない
し⑥の構成を備えた発明である。
① ヘッドフレーム(機枠)を備える。
② ヘッドフレーム(機枠)に対して,横動自在の保持枠を備える。
③ 上記横動自在の保持枠に対して,上下動自在に装着された複数の針棒を
備える。
④ 各針棒には,針棒と共に下動させるように構成し,かつ,それぞれ下部
が押え部となっている布押えを備える。
(以下,①ないし④をまとめて「多針縫製機構」という。)
⑤ 上記布押えには,保持枠に設けられたストッパに当接して布押えの下降
位置が制限させられるようにした当部を設け,当部と押え部との間には,それらの
間の寸法を調節可能にして上記押え部の下降位置を調節するための調節手段を備え
る。
⑥ 「多針縫製機構」においては,布押えにおける押え部の下降位置を,他
の布押えにおける押え部の下降位置とは相互に異ならしめた状態で上記横動自在の
保持枠を回動させて,上記押え部の下降位置が相互に異なる布押えを選択的に利用
し得るという,選択利用の手段を備える。
(2)引用発明は,「簡単な手段により押圧体の下動位置を調節することができ
る・・・美しい刺繍縫を実現することができる。」(甲第5号証4欄42行行~5
欄1行)ようにすることを目的として,以下の①’~①'''の各構成を備えた発明で
ある。
①’機枠を備える。
②’機枠に対し,上下動自在に装着された針棒を備える。
③’針棒とともに下動させるように構成し,かつ下部が押え部となって加工
布を押圧する押圧体を備える。
(以下,①’~③’をまとめて「単針縫製機構」という)。
①”機枠を備える。
②”機枠に対して上下操作可能に挿通した案内棒を備える。
③”案内棒の水平方向に固定した支持部の下面と機枠に設けた設定体α1,
α2上面との間に,案内棒を複数の高さに選択可能な係合面を形成した調節手段を
備える。
④”機枠に対して上下動する案内棒に,押え部の下死点位置を決定する係止
体を備える。
(以下,①”~④”をまとめて,「係止体調節機構」という。)
①'''「係止体調節機構」における,係止体の上面の高さの変化の値を,さら
に隣接設置の「単針縫製機構」における押え部の位置の高さの変化として伝えるた
めの,押圧体の上端を備える。
(以下,①'''を「連繋機構」という。)
 すなわち引用発明は,「単針縫製機構」,その縫製動作とは連動しない構
成である「係止体調節機構」,及び,「連繋機構」,という三つの機構を備えた発
明である。
(3)このように,本願発明は,多針縫製機構において,その構成要素である
「横動自在の布押え」を利用して,そこに「調節手段」を潜在させたことを基本的
技術思想とするものであるのに対し,引用発明は,「単針縫製機構」と,これとは
全く別の機構である「係止体調節機構」と,これら機構間の「連繋機構」とを必要
とすることを基本的技術思想とするものであり,両者は基本的技術思想を異にする
発明である。
 審決は,本願発明と引用発明とを対比するに際し,上記基本的技術思想の
相違を看過し,この相違点について何ら判断をすることなく,誤った結論に及んだ
ものであるから,取り消されるべきである。
2 取消事由2(相違点1についての認定判断の誤り)
(1)審決は,本願発明と引用発明との相違点の一つ(相違点1)として,「本
願発明は,多針ミシンであり,「横動自在の保持枠には,夫々下端に針を備える複
数の針棒が夫々上下動自在に装着され,各針棒には夫々下部が押え部となっている
布押えが相対的な上下動を自在に装着し,複数の針棒を針孔上方位置で選択して,
その内の一つの針棒を上下動させるようにした昇降装置を備える」(以下,「構成
ア」という。)ようにした構成を有し,それぞれの針の押え部の下降位置を,相互
に異ならしめることを可能とするとともに,針を選択的に利用し得るようにしてあ
るのに対して,引例発明は単針ミシンであるため,複数の針から必要な針を選択す
るのではなく,その度毎に,針の押え部の下降位置を調整する必要がある点。」
(審決書3頁12行~20行。下線付加。)を認定した。しかし,審決は,下線を
付した上記5か所において,「布押え」とすべきを「針」と誤認したものであり,
そもそも,相違点1の認定が不明確である。
(2)審決は,「構成アを備えた多針ミシンは周知(例えば,特開昭63-13
2691号公報を参照されたい。)であり,引例発明の単針ミシンと同様に刺繍ミ
シンとして,一般に使用されているものである。」(審決書3頁33行~35行)
と認定した上で,「相違点1は引用文献記載の発明及び上記周知の多針ミシンの技
術から当業者が容易に想到しうる程度のことである。」(審決書4頁7行~9行)
と判断した。しかし,この判断は,誤りである。
 審決の挙げている特開昭63-132691号公報(甲第6号証,以下
「甲6文献」という。)に記載されている発明(以下「甲6発明」という。)は,
針板上に置かれる一つの布に対して多色の上糸を用いて,美しい刺繍模様を縫いつ
けるための多針ミシンである。そのためには,いずれの布押えにおいても均等な圧
力で布を押え,それぞれの針に付された相互に異なる色の上糸の浮き上がり量が均
等になるように縫い付けなければならず,複数並設の布押えにおける押え部の下降
距離を相互に均一にすることが要求される多針ミシンである。
 したがって,甲6発明には,本願発明の特許請求の範囲に記載された「当
部を備える布押えにおける押え部の下降位置を,他の布押えにおける押え部の下降
位置とは相互に異ならしめた状態で選択的に利用し得る」との構成,あるいは,そ
の技術思想はなく,また,布押えに調節手段を備えさせるという技術思想もない。
 したがって,引用発明に甲6発明の技術を適用したとしても,本願発明に
容易に想到することはできない。
(3)審決は,「なお,付言すると,本願発明においても,各針に異なった色の
糸を通しておき布押えにおける押え部の下降位置を同一に調整するという使用形態
も排除されているわけではなく,相違点1による作用効果上の差異も必ずしも生じ
るわけではないから,この作用効果上の差異が格別なものとは言えない。」(審決
書4頁10行~13行)と判断している。しかし,本願発明は,布の高さが高低変
化するごとに微妙な高さの調節をしなければならないという問題点を解決したもの
であり,この点において顕著な作用効果を奏するものである。審決は,このような
顕著な作用効果を看過したものであるから,この点からも取り消されるべきであ
る。
3 取消事由3(相違点2についての認定判断の誤り)
(1)審決は,相違点2について,「ストッパを横動自在の保持枠に配設するこ
とは周知(前記周知例参照。)の技術であり,枠に螺合した案内棒4にストッパを
設けるのに代えて,枠自体に設けるよう変更することには格別困難な事情があると
は認められない。」(審決書4頁15行~17行)と判断した。しかし,この判断
は誤りである。甲6刊行物には,「ストッパを横動自在の保持枠に配設すること」
は開示されていない。
(2)被告は,甲6刊行物の第5図では,布押えの最上部の垂直から水平に屈曲
された部分が,保持枠のガイド部分の上面に当接していることが読み取られる,と
主張する。しかし,この主張は,甲6刊行物の第5図を誤認したものである。甲6
刊行物の第1図をほぼ原寸に機械的に拡大して作成した図面(甲第7号証)によれ
ば,クランク機構におけるクランクロッド(7)は43mmのストロークで上下動し,
このストロークはそのままの寸法で針(13)の先の上下動ストローク43mmとして
伝達される。一方,布押え(16)における押え部(17)のストロークは,30mmか
ら31mmとなり,この寸法であれば,布押え(16)における最上部の部材(チ)の下
死点位置は,保持枠(10)における軸受け部材(リ)の上面より約7~8mm離れた位
置に設定されていて,軸受け部材(リ)の上面に当たることはない。
 甲6発明においては,押えの動作範囲については,下方の「押え部」が布
に当たるまで下降させなければならないものとされているのであるから,その動き
をわざわざストッパを設けて遮るような技術的思想は,同発明には存在し得ないの
である。
(3)被告は,特開平2-128787号公報(乙第1号証,以下「乙1刊行
物」という。)を提出し,その第10図における部材jが本願発明におけるストッ
パに相当する,と主張する。しかし,同10図における,針棒eを支持するための
上部支承部b,下部支承部cには,横動させるためのレールと係合させるための部
材が存在せず,したがって,同図記載のストッパは,多針ミシンに関するものでは
なく,単針ミシンに関するものである。乙1刊行物の第10図のミシンにストッパ
が具備されていたとしても,ストッパを横動自在の保持枠に配設するとの構成が周
知であったとすることはできない。
 乙1刊行物には,「上記機構においては,・・・衡突音が発生する。」
(乙第1号証2頁左上欄19行~右上欄5行),「長期間の使用による緩衝材,寸
法調整部材等の部材jのへタリのため,かかる部材jの取り替え作業を必要とす
る」(2頁右上欄12行~15行),「その寸法調整が非常に困難であり」(2頁
右上欄15行),及び,「高速縫製・・・には対応出来ない」(2頁右上欄16行
~17行)と記載があり,これら四つの問題点は,「単針ミシン」においては許容
されるとしても,「多針ミシン」においては致命的な欠点であり,当業者間におい
ては許容することができない問題点なのである。
以上のような事情から,乙1刊行物からは,多針ミシンについては,下部
支承部cに緩衝材,寸法調整部材等の部材j(ストッパ)を備えさせることができ
ないことが読み取られるのである。
4 取消事由4(相違点3についての認定判断の誤り)
(1)審決は,本願発明と引用発明との相違点の一つ(相違点3)として,「押
え部の下降位置を調節する調節手段に関して,・・・引例発明の場合は,ストッパ
(係止体)自体を移動可能とし,ストッパ(係止体)の移動位置を調節することに
より押え部の下降位置を調節するものである点。」(審決書3頁26行~30行)
を認定した。しかし,前述のとおり,引用発明は,「単針縫製機構」と,これとは
全く別の機構である「係止体調節機構」と,それらのための「連繋機構」を設けた
ものである。審決の相違点3の認定は,同相違点に密接に関連する引用発明の上記
構成を看過した上で,なされたものである。
 審決は,相違点3の判断に当たり,両発明のこの相違点を看過して,判断
に及んだものであるから,その判断も誤りである。
(2)引用文献の記載によれば,引用発明は,すべての部材を上下方向にのみ正
しく移動させることを主眼とする技術思想に立つものであり,各部材を横方向に移
動させて利用することを否定するものである。
 このように,引用文献には,本願発明に想到するに至るための契機ないし
起因(動機付け)となることをむしろ妨げる記載があるのであるから,引用発明が
本願発明の進歩性を否定する根拠となることは,あり得ない。
第4 被告の反論の要点
 審決の認定判断はいずれも正当であって,審決を取り消すべき理由はない。
1 取消事由1(基本的技術思想の相違の看過)について
 原告が,引用発明においては必要とされるという「連繋機構」は,引用文献
に記載された,「係止体5」の上面に当接する「押圧体6の上端」を言い換えたも
のであるから,これらは,それぞれ本願発明の「ストッパ」,「当部」に相当する
ことは,審決が認定したとおりである。結局,原告が,審決で看過している相違点
として挙げた「連繋機構」について,本願発明と引用発明との間に相違を認め
ることはできない。
 本願発明の「多針縫製機構」と引用発明の「単針縫製機構」との相違,及び
本願発明の「調節手段」と引用発明の「係止体調節機構」との相違については,審
決は,それぞれ相違点1及び相違点3として認定している。
 審決には,原告主張の相違点の看過はない。
2 取消事由2(相違点1についての認定判断の誤り)について
(1)原告は,審決が相違点1について,「布押さえ」とすべきを「針」と誤認
していると主張する。しかし,本願発明の「針の押さえ部」とは,針を備える針棒
に設けられた布押えの押え部を,省略して記載したものであることは,審決の文脈
から明らかである。このような省略した記載があることを根拠に,審決の結論に影
響する相違点1の誤認があったということはできない。
(2)引用発明において,押え部は針棒に装着され,針棒を上下動させる運動に
伴って上下動するものである。このような構成は,甲6刊行物に示されるように,
多針ミシンにおいても,共通して採用されている周知の構成である。
 針棒の上下動に伴って,それに装着された押え部を上下動させる機構に,
調節手段を設けた引用発明を,このような周知の多針ミシンに適用した場合,多針
ミシンの複数の針棒に対応して設けられた押え部の下降位置を調整するためには,
これら複数の押え部の一つ一つに対応して,それぞれ調節手段を設ける必要がある
ことは,おのずと明らかなことである。そして,このようにそれぞれ調節手段が設
けられた場合,各針棒ごとの押え部の調整が可能であって,「布押えにおける押え
部の下降位置を,他の布押えにおける押え部の下降位置とは相互に異ならしめた状
態で選択的に利用し得る」ことは自明である。
(3)原告は,甲6発明には,本願発明の特許請求の範囲の「当部を備える布押
えにおける押え部の下降位置を,他の布押えにおける押え部の下降位置とは相互に
異ならしめた状態で選択的に利用し得る」との構成,あるいは,その技術的思想は
ない,と主張する。しかし,審決は,横動自在な保持枠に複数の針棒を選択可能に
備えたタイプの多針ミシンは周知であることを示す例として,甲第6号証を引用し
たのであって,原告のいう構成あるいは技術的思想が周知であることを立証するた
めに引用したものではないから,原告の主張は当を得ないものである。
(4)原告は,本願発明は,布の高さが高低変化するごとに微妙な高さの調節を
しなければならないという問題点を解決したものであり,この点において顕著な作
用効果を奏するものである,と主張する。しかし原告の主張する作用効果は,本願
発明の多針ミシンを,布押えにおける押え部の下降位置を,他の布押えにおける押
え部の下降位置とは相互に異ならしめた状態で選択的に利用するという,特定の使
用方法によって使用したときにのみ生じるものである。原告のこのような主張は,
本願発明の特許請求の範囲に記載された事項以外の事項に基づく主張であって認め
られない。また,仮に,原告の主張する効果が認められたとしても,本来,多針ミ
シンは,多数の針を必要に応じて切り替えて,多色縫いのような,多種の縫いに対
応することを目的として作られているミシンであるから,原告主張の効果は,複数
の針が選択的に利用可能であるという,多針ミシンが本来持っている機能から,容
易に予測し得たことにすぎない。
 審決の「4.当審の判断(1)相違点1について」の付言部分も,結局原
告主張の作用効果が容易であることを述べたものであり,審決の判断に誤りはな
い。
3 取消事由3(相違点2についての認定判断の誤り)について
(1)甲6刊行物の第1図は,クランク機構5の位相からみて,針棒が上方の位
置にある場合を示している。この針棒を下方に駆動した場合,選択された針棒12
に対して上下動自在に装着された布押え16は,同第1図に示された位置から,同
第5図に示された配置となる。第5図では,布押え16の最上部の垂直から水平に
屈曲された部分が,保持枠10のガイド部分の上面に当接していることが読みとら
れる。この状態では,布押え16をこれ以上下方に動かすことは不可能である。言
い換えると,保持枠10の上記ガイド部分の上面により,ストッパが形成されてい
ることになる。そうである以上,甲6刊行物には,ストッパを横動自在の保持枠に
配設することが示されている,と言うことに何ら問題はない。
(2)原告は,甲6刊行物の第1図を,ほぼ原寸大に機械的に拡大して作成した
と称する図面を甲第7号証として提出するとともに,これに甲6刊行物には記載さ
れていない部品寸法を適用して,この図面に基づき,布押え16の最上部の部材の
下死点位置は,保持枠10の軸受け部材の上面から約7~8mm離れた位置とな
り,軸受け部材の上面には当たらない,と主張している。
 しかしながら,明細書の添付図面は,明細書の記載内容を理解する補助と
して用いられるものであって,設計図面のように,装置製造の基礎として用いられ
るものではないから,装置の寸法関係を知るための根拠とはなり得ない。このよう
な明細書の添付図面に描かれた部材の寸法関係を基にして,あえて甲6刊行物の第
5図の開示に反して,布押えの上部は軸受け部材の上面には当たらない,と主張す
ることは,全く合理性に欠けるものである。
 原告は,甲6発明において,布押え16の最上部の部材が,保持枠10の
軸受け部材の上面に当たらないという主張の根拠として,布押えの押え部が,布に
当たるまで下降する動きを,わざわざストッパを設けて遮るような技術思想は,甲
6発明には存在しない,と主張する。
 しかしながら,ストッパは,布押えが布を押さえる位置まで下降すること
を遮るためのものではなく,布押えが,布を強く押さえすぎることを防ぐためのも
のであるから,原告の上記主張は,ストッパについての誤解に基づくものであり,
失当である。
(3)乙1刊行物には,「従来,ミシンにおける針棒及び布押え機構としては,
第10図に示す様に,針棒ケ-スaの上部支承部b,下部支承部cに,下端に針固
定部材dを有する針棒eを上下動自在に嵌挿し,該針棒eをバネfにより上方へ付
勢すると共に,針棒eの下方部位に,略己字状に形成した布押えgを上下動自在に
嵌装し,該布押えgをバネhにより下方へ付勢して布押えgの中間部iを針固定部
材dに弾接し,下部支承部cの上面に緩衝材,寸法調節部材等の部材jを装着して
いる。そして,針棒eを所定のストロークで上下に往復駆動する際,これに伴って
布押えgも上下動し,然しながらかかる状態にあっては,針棒eが下死点に至る途
中で布押えgの上部kの下面が部材jに衝突することにより,布押えgの下死点が
規制され,これにより布押えgの下端部lが図示しない針板に当接することなく布
の上面を押圧するように成っている。上記機溝においては,針棒eを駆動する時,
針棒eの下降時には布押えgの上部kの下面が部材jに衝突することにより,かか
る個所において衝突音が発生し,又針棒eの上昇時にあっては,針固定部材dが下
死点位置に待機している布押えgの中間部iに衝突することにより,前記と同様に
衡突音が発生する。かかる衝突音は多数の針棒eを高速にして且つ,高サイクルに
て駆動させると,非常に高い騒音レベルとなり作業環境を悪化させる欠点を有して
いる。又,上記の構造のため,布押えgの下死点位置,即ち布押えgの下端部lに
より布を押圧支持する位置を設定する時,又は長期間の使用による緩衝材,寸法調
整部材等の部材jのへタリのため,かかる部材jの取り替え作業を必要とすると共
に,その寸法調整が非常に困難であり,従って高速縫製,多品種少ロット生産には
対応出来ない欠点を有していた。」(乙第1号証1頁右下欄20行~2頁右上欄1
7行)との記載がある。この記載と第10図とによれば,部材jと布押えの上部の
下面とが衝突し,この部材jが本願発明におけるストッパに相当することが明らか
である。この動作の説明からも,甲6刊行物に示された周知例(甲6発明)におけ
る,保持枠のガイド部分の上面が,ストッパとなっていることが理解できる。
 審決が,甲6刊行物に基づき,「ストッパを横動自在の保持枠に配設する
ことは周知」とした点に誤りはなく,相違点2の判断にも誤りはない。
(4)原告は,乙1刊行物の第10図記載のストッパは,単針ミシンに関するも
のである,と主張している。しかし,乙1刊行物に記載されるストッパと布押さえ
との関係は,単針ミシン,多針ミシンを問わず,共通するものであるから,原告の
主張は当を得ないものである。
 原告は,乙1刊行物のストッパは単針ミシンについてのものであるという
主張の根拠として,このようなストッパは騒音を発するので,多針ミシンに備える
ことができなかったことが,乙1刊行物に記載されている,と主張している。
 しかしながら,原告が主張の根拠とする,乙1刊行物の,「かかる衝突音
は多数の針棒eを高速にして且つ,高サイクルにて駆動させると非常に高い騒音レ
ベルとなり・・・長期間の使用による緩衝材,寸法調整部材等の部材jのヘタリの
ため,かかる部材jの取り替え作業を必要とすると共に,その寸法調整が非常に困
難であり」という記載は,ストッパが備えられた多針ミシンを,高速で運転した時
に顕著になる問題点について記載したものであるから,ストッパが備えられた多針
ミシンの存在を当然の前提としているのであって,原告主張のように,多針ミシン
にストッパを備えることができなかったことを示す記載ではない。
 本願発明が多針ミシンのストッパにおける騒音を解決したものであるなら
ともかく,本願発明は,格別,騒音解決手段をその構成としているわけではないの
であるから,原告が,乙1刊行物の記載内容について,従来の多針ミシンにおいて
は,騒音を発生するおそれがあるため,ストッパを設けることはできなかったと主
張することは,ひるがえって本願発明の実施可能性を否定することにもなりかねな
い。原告の上記主張は,主張自体失当というべきである。
4 取消事由4(相違点3についての認定判断の誤り)について
(1)原告は,引用発明は,「単針縫製機構」とは全く別に「係止体調節機構」
を構成し,しかもそれらのための「連繋機構」を設けたものである,しかし,審決
は,この構成を看過して相違点3を認定した,と主張する。しかし,原告のこの主
張は,原告独自の発明の構成の解釈及び対比に基づいてなされているものであっ
て,不適切で理由のないものである。
(2)引用発明は,布押えの移動を係止体(ストッパ)を縦方向に移動させるこ
とにより調整するものである。本願発明においても,当部を縦方向に移動させるこ
とにより布押さえの移動を調整するものであるので,調節手段の移動方向に関して
は,同様である。
 審決は,このような縦方向での移動の相対性について判断をしたものであ
って,これらが,ストッパと当部との間の距離を調節するために,一方を固定し,
他方を縦方向に移動可能としているので,ストッパに代え,当部を移動可能とする
ことは当業者が容易に想到し得たことである旨を述べたものである。
 本願発明の調節手段は,横動自在な保持枠に装着された針棒及び布押えに
対応して保持枠に設けられることによって,横動自在となっているのである。引用
文献には,このような構成をとることを不可とする旨の記載は見いだせないばかり
か,引用発明の調節手段は,このような横動自在な保持枠に設けられた針棒及び布
押えにも適用することが可能なものである。
第5 当裁判所の判断
1 本願発明について
(1)本願明細書の記載事項
〔産業上の利用分野〕この発明は複数の針棒を備えていてそれらを選択的に
用いて縫製を行なうことができるようにしてある多針ミシンに関する。
〔従来の技術〕夫々上下動自在の複数の針棒に夫々布押えを相対的な上下動
を自在に装着すると共に,針棒の下降のときには上記布押えを下降させて,布に押
し付け,布の浮上りを防止するようにしている(特開昭63-132691号公報
参照)。
〔発明が解決しようとする課題〕この従来の多針ミシンでは,薄い部分やふ
くよかな部分を有する布の縫製の場合,薄い部分はそこを上記布押えによってしっ
かりと押さえて縫えるが,ふくよかな部分を縫う場合もそこをしっかりと押さえて
しまう為,ふくよかさを無くしてしまう問題点があった。
〔課題を解決する為の手段〕(本願発明の特許請求の範囲と実質同文)
〔実施例〕・・・針棒7は第2図に示されるように保持枠6に対しその回動
中心を中心とする同一円周上に複数本が並べた状態で配列されている。そして保持
枠6が図示外の針棒切替機構により回動されることにより複数の針棒7が針孔9a
の上方の縫製位置に交換的に位置されるようになっている。・・・25は針棒7に
相対的な上下動を自在に装着した布押えを示す。26は該布押え25における押え
金で,その下端部が布を押える為の押え部となっている。上部の水平部分には針棒
7が貫挿されている。27は布押え25における支持片で,押え金26を支えてそ
の上下位置を定める為のものであり,針棒7と平行状態に配設され,その下端に上
記押え金26の上部側の端部が固着してある。該支持片27は上記押え金26の回
り止をも行う為のものであり,保持枠6に形成された溝状の案内部28に第3図の
如く嵌合させてある。29は布押え25におけるばね座で,針棒7の中間部に相対
的な上下動を自在に装着してあり,上記支持片27の上端が連結してある。その連
結構造は,第4図に示されるようにばね座29に透孔29aが形成され,そこに支
持片27の上端部が挿通されて止ねじ30で固定してある。次に31は保持枠6に
対し布押え25を上向きに付勢する為の第1ばねで,保持枠6とばね座29との間
に介在させてある。32は針棒7に対し布押え25を下向きに付勢する為の第2ば
ねで,係合体21とばね座29との間に介在させてある。これらは何れも圧縮コイ
ルばねが用いてある。又ばね力は第1ばね31に比べ第2ばね32のばね力が強く
してある。
 次に33は針棒7の近傍における保持枠6に設けたストッパで,針棒7の
挿通用の透孔の孔縁をもって構成してある。34は布押え25に設けた当部で,布
押え25の下降によって上記ストッパ33に当接するようばね座29における針棒
7の挿通用の透孔の孔縁をもって構成してある。該当部34と上記押え部26aと
の間の寸法は,両者間に介設した調節手段によって調節可能となっている。その調
節手段は,本例ではばね座29の透孔29aに対し支持片27の上端部が,止ねじ
30を緩めることによって抜差方向に位置替できるようにして構成してある。35
はストッパ33と当部34との間において針棒7に装着した緩衝体で,当部34が
ストッパ33に当たる際の衝撃を緩和する為のもので,一例としてOリングが用い
てある。
・ ・ ・
(A’)薄い部分やふっくらとした部分を有する布の縫製の場合
 この場合には当部34がストッパ33に当接した場合における複数の布押
え25の下降位置を異ならしめることにより,針板9と押え部26aとの間隔を,
第5図或いは第6図の如く一部の針棒7において予め相互に異ならしめておく。そ
の作業は,止ねじ30を緩め,ばね座29に対し支持片27を上方又は下方へ僅か
に変位させて上記の間隔を調節し,その状態で止ねじ30を締めれば良い。
〔発明の効果〕以上のように本願発明にあっては,縫製の場合において薄い
部分やふくよかな部分を有する一枚の布に縫製する場合,予め複数の針棒7のうち
の少なくとも1本を,それに装着した布押えの下降位置が制限できるように,即
ち,少なくとも1本の針棒の近傍には上記横動自在にしてある保持枠に設けられた
ストッパ33を設けると共に,その針棒に装着した布押えには,該布押えの下降過
程において上記ストッパ33に当接して布押えの下降位置が制限させられるように
した当部を設け,上記当部と押え部との間には,それらの間の寸法を調節可能にし
て上記押え部の下降位置を調節する為の調節手段を介設し,上記当部を備える布押
えにおける押え部の下降位置を,他の布押えにおける押え部の下降位置とは相互に
異ならしめた状態で選択的に利用し得るようにしたものであるから,布55の薄い
部分及びふくよかな部分に夫々対応して,1台のミシンであっても夫々複数の針棒
の内から1本を選択利用して布の厚みに夫々に対応した種々な下降位置で縫うこと
ができ,薄い部分はしっかりと締まった状態に,またふくよかな部分はそのふくよ
かさを保ったままの状態に縫うことのできる有用性がある。
(2)本願明細書のこれらの記載によると,本願発明が属する技術分野である多
針ミシンでは,複数の針棒ごとに布押えが設けられており,それら布押えは,所定
位置まで下降することにより布を押さえるものであること,従来はすべての針棒の
布押えの下降位置が一定であったため,薄い布もふくよかな布も押さえる力が一定
となり,布の持つ特性を活かせないという問題があったこと,本願発明は,少なく
とも一つの針棒の布押えは,下降位置を調整できるようにした(調整のためには,
布押え下降位置を決めるストッパ位置とそのストッパに当接する部材の距離を可変
とすればよく,本願発明は,ストッパに当接する部材位置を可変とすることで,同
距離を可変としたものである。)こと,本願発明は,その結果,調節の仕方によっ
ては,複数の布押えの下降位置が異なる状態となるため,針棒の選択(これは同時
に布押えの選択でもある。)によって,布の厚さにふさわしい布押え下降位置とを
選択することができるものであることが,認められる。
2 取消事由1(基本的技術思想の相違の看過)について
 原告は,引用発明が,「単針縫製機構」の縫製動作とは連動しない「係止体
調節機構」を備えると主張する。
 原告のいう「単針縫製機構」とは,「機枠」,「機枠に対し,上下動自在に
装着された針棒」,及び「針棒と共に下動させるように構成し,かつ下部が押え部
となって加工布を押圧する押圧体」を総称したもののことである。また,原告のい
う「係止体調節機構」とは,「機枠」,「機枠に対して上下操作可能に挿通した案
内棒」,「案内棒の水平方向に固定した支持部の下面と機枠に設けた設定体α1,
α2上面との間に備えられた,案内棒を複数の高さに選択可能な係合面を形成した
調節手段」,及び「機枠に対して上下動する案内棒に備えられた,押え部の下死点
位置を決定する係止体」を総称したもののことである。
 引用文献には,「6は加工布を押圧する押圧体で,下端に針2が挿通する押
え部7を形成し,上端を押え上げ体3上方の針棒1と係止体5上方の案内棒4とに
それぞれ上下動可能に支持する。」(甲第5号証2欄3行~6行)との記載があ
り,第2図には押圧体6が案内棒4に嵌合されている様子が図示されていることか
らみて,案内棒4は押圧体6が上下のみに移動し,水平方向には移動しないよう
に,押圧体6の移動を案内するものと認められる。そして,押圧体6が水平方向に
も移動するものであれば,その下端部である押え部も水平方向に移動することとな
り,縫製動作に支障をきたすことは明らかであるから,案内棒4は縫製動作を円滑
に行うための必須の構成要件であると認められる。
 引用文献には,さらに,「針棒1が下動すると,・・・押圧体6も針棒1と
ともに下動する。・・・押圧体6は上端の案内棒4において,係止体5に係止さ
れ,下動は停止する。このとき押圧体6の下端押え部7は通常被刺繍布と略接触す
る位置になるよう調節されている。」(甲第5号証2欄14行~21行)との記載
があり,押圧体6の下端押え部7は適宜位置よりは下動しないことが,縫製上必要
とされており,係止体5はそのことを実現するための構成であると認められる。そ
うすると,係止体5も縫製動作を円滑に行うための必須の構成要件と認められる。
 したがって,引用発明の構成のうち,案内棒4及び係止体5(原告のいう
②”及び④”)は,「単針縫製機構」の構成要件でもあるから,これらを,縫製動
作とは連動しない「係止体調節機構」の構成要件であるということはできないとい
うべきである。また,原告のいう①"の「機枠」は,「単針縫製機構」中の構成①の
「機枠」と共通し,当然「単針縫製機構」の構成にも含まれるものである。
 原告の用いる「連繋機構」は,係止体5が「係止体調節機構」の,押え部7
が「単針縫製機構」の,各構成要件であることを前提として,これら異なる機構を
連繋する機構であることをいわんとするための用語である。しかしながら,係止体
5と押え部7は,いずれも「単針縫製機構」の構成要件であることは前示のとおり
であり,異なる機構の構成要件と解することはできないのであるから,原告の主張
は,その前提において既に誤っているという以外にない。また,原告が「連繋機
構」として具体的に主張する「押圧体の上端」は押圧体の一部であるから,「単針
縫製機構」の構成に含まれることはいうまでもない。原告の主張は,この点でも失
当である。
 引用発明は,「単針縫製機構」と「案内棒の水平方向に固定した支持部の下
面と機枠に設けた設定体α1,α2上面との間に,案内棒を複数の高さに選択可能な
係合面を形成した調節手段を備える」(原告主張の③”)との構成からなる発明で
あるということができる。これに対し,原告の主張による本願発明は,「多針縫製
機構」,「保持枠に設けられたストッパに当接して布押えの下降位置が制限させら
れるようにした当部を設け,当部と押え部との間には,それらの間の寸法を調節可
能にして上記押え部の下降位置を調節する為の調節手段を備える」(原告主張の
⑤)との構成,及び,「布押えにおける押え部の下降位置を,他の布押えにおける
押え部の下降位置とは相互に異ならしめた状態で上記横動自在の保持枠を回動させ
て,上記押え部の下降位置が相互に異なる布押えを選択的に利用し得る」(原告主
張の⑥)との構成からなる発明である。「単針縫製機構」と「多針縫製機構」との
相違,及び,本願発明の原告主張の⑥の構成は,審決が相違点1として認定してい
るところであり,引用発明の原告主張の③”の構成と,本願発明の原告主張の⑤の
構成との相違は,審決が相違点2及び相違点3として認定したものであることが明
らかである。
 以上からすれば,審決が,本願発明と引用発明とを対比するに際し,原告の
主張する基本的技術思想の相違を看過した,との原告の主張に全く理由がないこと
は,明らかである。
3 取消事由2(相違点1についての認定判断の誤り)について
(1)原告は,審決の相違点1の認定のうち,「本願発明は・・・針の押え部の
下降位置を,相互に異ならしめることを可能とするとともに,針を選択的に利用し
得るようにしてあるのに対して,引例発明は単針ミシンであるため,複数の針から
必要な針を選択するのではなく,その度毎に,針の押え部の下降位置を調整する必
要がある」(審決書3頁12行~20行,下線付加。)との部分が,下線を付加し
た上記5か所において,「布押え」とすべきを「針」と誤認したものであり,不明
確である,と主張する。
 しかし,本願発明においては,その特許請求の範囲の「各針棒には夫々下
部が押え部となっている布押えが相対的な上下動を自在に装着してあって」との記
載から明らかなように,針と布押えは1対1に対応するものである。単針ミシンで
ある引用発明においても,針と布押えは,当然1対1に対応している。そして,審
決が表現した「針の押え部」といえば,その針に対応する布押えの押え部であるこ
とは明らかであり,かつ,審決が表現した「針を選択」することは,必然的にその
針に対応する布押えを選択することを伴うものであるから,針の選択と布押えの選
択は同一の行為を意味することが明らかである。
 そうであれば,正確には「布押えの押え部」というべきところを「針の押
え部」と表現し,選択対象を「布押え」ではなく「針」と表現したからといって,
相違点1の意味するところが,別段不明確になるとはいえないのである。原告の上
記主張は失当である。
(2)審決は,「構成ア(判決注・相違点1に係る,本願発明の「横動自在の保
持枠には,夫々下端に針を備える複数の針棒が夫々上下動自在に装着され,各針棒
には夫々下部が押え部となっている布押えが相対的な上下動を自在に装着し,複数
の針棒を針孔上方位置で選択して,その内の一つの針棒を上下動させるようにした
昇降装置を備える」との構成)を備えた多針ミシンは周知(例えば,特開昭63-
132691号公報を参照されたい。)であり,引例発明の単針ミシンと同様に刺
繍ミシンとして,一般に使用されているものである。」(審決書3頁33行~35
行)と認定した上で,「相違点1は引用文献記載の発明及び上記周知の多針ミシン
の技術から当業者が容易に想到しうる程度のことである。」(審決書4頁7行~9
行)と判断した。
(ア)引用文献には,「被刺繍布の厚さ等によつて押え部7の下死点位置を上
下方向に変更して,布との押圧を調節する必要がある」(甲第5号証3欄18行~
20行)との記載がある。そして,被刺繍布の厚さが異なることは,刺繍に用いる
ミシンが単針ミシンであるか,多針ミシンであるかに依存しないことはいうまでも
ないから,上記引用文献記載の課題は,単針ミシン固有の課題ではなく,多針ミシ
ンにも共通の課題であることが明らかである。また,多針ミシンにおいて,すべて
の押え部の下死点位置が一定で調節不可能であるならば,上記引用文献記載の課題
を解決し得ないこと,及び,単針ミシンにおいて同課題を解決した手段により,多
針ミシンにおいても同課題を解決できることは明らかである(ただし,単針ミシン
では針棒等がミシン機枠に固定的に設置されるのに対し,多針ミシンでは,それら
がミシン機枠に対して横動自在の保持枠に固定的に設置されるという関係上,引用
発明における針棒及び案内棒の固定対象を機枠から保持枠に変更しなければならな
いことは当然であり,上記説示が,この変更も説示の対象に含むものであること
は,当然である。)。
 審決の「引用文献記載の技術を多針ミシンに適用するに際して横動自在
の保持枠に装着された針棒毎に布押え及びその下降位置を調節するための調節手段
を装着することは自明なことである。」(審決書4頁2行~5行)との判断は,正
にこのことを述べたものである。
(イ)原告は,甲6発明は,針板上に置かれる一つの布に対して多色の上糸を
用いて,美しい刺繍模様を縫いつけるための多針ミシンである,そのためには,い
ずれの布押えにおいても均等な圧力で布を押え,それぞれの針に付された相互に異
なる色上糸の浮き上がり量が均等になるように縫い付けなければならず,複数並設
の布押えにおける押え部の下降距離を相互に均一にすることが要求される多針ミシ
ンである,甲6発明には,本願発明の特許請求の範囲に記載されている「当部を備
える布押えにおける押え部の下降位置を,他の布押えにおける押え部の下降位置と
は相互に異ならしめた状態で選択的に利用し得るようにしてある」との構成,ある
いは,その技術思想はない,と主張する。
  しかし,本願発明の同構成は,その特許請求の範囲に記載されている
「複数の針棒を針孔上方位置で選択して,その内の一つの針棒を上下動させるよう
にした昇降装置を備える多針ミシン」との構成,及び「少なくとも1本の針棒の近
傍には上記横動自在にしてある保持枠に設けられたストッパを配設すると共に,そ
の針棒に装着した布押えには,該布押えの下降過程において上記ストッパに当接し
て布押えの下降位置が制限させられるようにした当部を設け,上記当部と押え部と
の間には,それらの間の寸法を調節可能にして上記押え部の下降位置を調節する為
の調節手段を介設」との構成によって可能となる利用形態の一つ,ないし,同構成
によって得られる効果の一つを記載したものにほかならず,それ自体独立した構成
要件と認めることはできない。したがって,同構成が本願発明の特許請求の範囲に
記載されているとしても,この点を取り上げて独立した相違点とすることはできな
い。そうである以上,同構成を備えることが容易かどうかは,独立した相違点とし
て,改めて判断するまでもないことである。審決の「別個に調節手段を有するとい
うことは,「布押えにおける押え部の下降位置を,他の布押えにおける押え部の下
降位置とは相互に異ならしめた状態で選択的に利用し得る」という構成と異ならな
いから,相違点1は引用文献記載の発明及び上記周知の多針ミシンの技術から当業
者が容易に想到しうる程度のことである。」(審決書4頁5行~9行)との判断も
これと同旨と認められるから,その判断に誤りはない。
(3)原告は,本願発明は,布の高さが高低変化するごとに微妙な高さの調節を
しなければならないという問題点を解決したものであり,この点において顕著な作
用効果を奏するものである,審決は,このような顕著な作用効果を看過したもので
ある,と主張する。
 しかし,多針ミシンにおいて,少なくとも一つの押え部の下降位置が調節
可能であれば,押え部の下降位置が相互に異なる布押えの状態を現出できること
は,むしろ自明というべきであり,当業者が容易に予測できることである。原告の
上記主張は,理由がないことが明らかである。
4 取消事由3(相違点2についての認定判断の誤り)について
 審決は,相違点2について,「ストッパを横動自在の保持枠に配設すること
は周知(前記周知例参照。)の技術であり,枠に螺合した案内棒4にストッパを設
けるのに代えて,枠自体に設けるよう変更することには格別困難な事情があるとは
認められない。」(審決書4頁15行~17行)と判断した。
(1)甲6刊行物には,「10は針棒の保持枠で・・・複数の針棒12を横動自
在に支承する」(甲第6号証2頁右下欄11行~13行),「12は保持枠10に
対し上下動自在に装着した針棒を示し」(同号証2頁右下欄19行~20行),及
び「16は針棒12に対し上下動自在に装着した布押え」(同号証3頁左上欄2行
~3行)との記載があり,第5図には,符番16で示される部材(上記記載から布
押えの上端部と認める。)が符番12で示される部材(上記記載から針棒と認め
る。)を囲む部材(上記記載及び第1図から横動自在の保持枠と認める。当接部は
その上端部である。)に当接していることが図示されている。そして,布押えの上
端部が横動自在の保持枠の上端部に当接すれば,それ以上布押えは下降できないこ
とは自明であるから,横動自在の保持枠の上端部はストッパといい得るものと認め
られる。したがって,甲6刊行物は,「ストッパを横動自在の保持枠に配設するこ
と」を開示したものと認めることができる。
  原告は,甲6刊行物の第1図に各部の寸法を書き入れた甲第7号証を提出
し,甲6刊行物の第1図によれば,布押えにおける最上部の部材が軸受け部材の上
面に当たることはない,と主張する。この原告の主張は,甲6刊行物の第1図が,
設計図面のように,各寸法が正確に描かれていることを前提とするものである。し
かし,特許出願に係る明細書に添付される図面は,技術的思想である発明の理解を
容易とし,明細書記載の技術的事項を理解するための補助手段として使用されるも
のであり,部材の相対的位置関係等,寸法そのものでない技術的事項を読み取るこ
とはできるものの,設計図面とは異なり,実際の寸法を正確に反映するものではな
い。加えて,前述のとおり,甲6刊行物の第5図には,布押えの上端部が保持枠の
上端部に当接することが明確に示されているのである。原告の上記主張が失当であ
ることは明らかである。
(2)乙1刊行物には,「針棒ケースaの・・・下部支承部cの上面に緩衝材,
寸法調整部材等の部材jを装着している。・・・針棒eが下死点に至る途中で布押
えgの上部kの下面が部材jに衝突することにより,布押えgの下死点が規制さ
れ,」(乙第1号証2頁左上欄1行~16行)との記載あることからすれば,乙1
刊行物における「部材j」は「針棒ケースa」に配設したストッパであると認める
ことができる。また,乙1刊行物には,「62は針棒ケースであり」(4頁左下欄
4行)との記載があり,その第4図には,符番62で示されるものに6本の針棒が
保持されていることが図示されている。これらの記載及び図面に示されたところに
よれば,「針棒ケース」は多針ミシンの場合には,本願発明の保持枠に相当するも
のであるから,乙1刊行物には,「横動自在にしてある保持枠に・・・ストッパを
配設すること」が記載されているということができる。
  原告は,乙1刊行物の第10図記載のものは単針ミシンである,と主張す
る。原告のこの主張は,乙1刊行物の第10図に「横動させる為のレールと係合さ
せるための部材が存在しない」ことに依拠するものである。しかし,同図は「従
来,ミシンにおける針棒及び布押え機構としては,第10図に示す様に」(乙第1
号証1頁右下欄20行~2頁左上欄1行)と記載されていることから明らかなよう
に,従来のミシンの針棒及び布押さえ機構を説明するための図面であるから,「針
棒及び布押え機構」の説明に必要な限度において図示する必要は認められるもの
の,それとは関係しない横動機構を示さなければならないというものではない。し
たがって,乙1刊行物の第10図に「横動させる為のレールと係合させるための部
材が存在しない」ことは,同図が単針ミシンであることの理由となるものではな
く,原告の主張は前提において既に失当である。そればかりか,仮に,乙1刊行物
の第10図が単針ミシンを示すものであったとしても,ストッパと布押えとの関係
は,ストッパを含む部材の固定対象が機枠であるか保持枠であるかを除けば,単針
ミシンであるか,多針ミシンであるかを問わないものであり,同図における「針棒
ケースa」が多針ミシンにあっては保持枠に相当することは前述のとおりであるか
ら,同図が多針ミシンにおいてストッパを横動自在の保持枠に配設することを示唆
するものであるといい得ることは明らかである。原告の主張は,この点でも失当で
ある。
 原告は,乙1刊行物には,「上記機構においては,・・・衡突音が発生す
る。」(乙第1号証2頁左上欄19行~右上欄5行),「長期間の使用による緩衝
材,寸法調整部材等の部材jのへタリのため,かかる部材jの取り替え作業を必要
とする」(2頁右上欄12行~15行),「その寸法調整が非常に困難であり」
(2頁右上欄15行),及び,「高速縫製・・・には対応出来ない」(2頁右上欄
16行~17行)と記載があり,これら4つの問題点は,「単針ミシン」において
は許容されるとしても,「多針ミシン」においては致命的な欠点である,以上のよ
うな事情から,乙1刊行物からは,多針ミシンに対しては,下部支承部cに緩衝
材,寸法調整部材等の部材j(ストッパ)を備えさせることができないことが読み
取れるのである,と主張する。
 しかし,原告がいう四つの問題点のうち,「衡突音が発生する」点につい
ては,本願発明がその衝突音発生の問題を解決したものでないことは,本願明細書
から明らかである。すなわち,本願明細書の発明の詳細な説明をみても,「35は
ストッパ33と当部34との間において針棒7に装着した緩衝体で,当部34がス
トッパ33に当たる際の衝撃を緩和する為のもので,・・・36は保持枠6と押え
金26の水平部分との間において針棒7に装着した緩衝体で,押え金26の水平部
分が保持枠6に当たる際の衝撃を緩和する為のものであり」(甲第4号証5頁23
行~6頁2行)との記載があるのみであり,この記載と乙1刊行物の「下部支承部
cの上面に緩衝材,寸法調整部材等の部材jを装着」(乙第1号証2頁左上欄8行
~9行)との記載は,緩衝体(緩衝材)によって衝撃緩和を図る点で軌を一にする
ものであるから,本願発明が衝突音発生の問題を解決したものとはいえないのであ
る。
 部材の取り替え作業が必要である点についても,本願発明が同課題を解決
した発明でないことは,本願明細書から明らかである。すなわち,本願明細書の発
明の詳細な説明をみても,同課題の解決に資する構成についての記載は見当たらな
い。
 寸法調整については,乙1刊行物が寸法調整部材によりこれを行うのに対
し,本願発明は当部と押え部との間の寸法を調節するものである。しかし,いずれ
かの調節が他方の調節に比してたやすいとの理由を見出すことは困難である。
 高速縫製については,部材の取り替え作業を必要とすることと,寸法調整
が困難であること等から生じる問題点であり,本願発明がこれら二つの問題点を解
決したものでないことは,上記説示のとおりであるから,本願発明が高速縫製との
課題を解決したものともいえない。
 結局,本願発明自体が,原告のいう四つの問題点を解決した発明ではない
のであるから,これら四つの問題点があることを理由とする上記の原告の主張は失
当というよりない。
(3)以上の甲6刊行物及び乙1刊行物についての認定によれば,「ストッパを
横動自在の保持枠に配設することは周知」(審決書4頁15行)との審決の認定に
誤りはなく,これに続く「枠に螺合した案内棒4にストッパを設けるのに代えて,
枠自体に設けるよう変更することには格別困難な事情があるとは認められない。」
(審決書4頁16行~17行)との審決の判断には誤りがないことは,明らかであ
る。
5 取消事由4(相違点3についての認定判断の誤り)について
(1)原告は,引用発明は,「単針縫製機構」とは全く別に「係止体調節機構」
を構成し,しかもそれらの「連繋機構」を設けたもの」であるとの主張を前提とし
て,審決が相違点を看過したと主張する。しかし,その前提が誤りであることは,
2で述べたとおりである。
(2)審決は,「押え部の下降位置を調節する調節手段に関して,本願発明にお
いては,当部と押え部との間に調節手段を介設して押え部の下降位置を調節するも
のであるのに対して,引例発明の場合は,ストッパ(係止体)自体を移動可能と
し,ストッパ(係止体)の移動位置を調節することにより押え部の下降位置を調節
するものである点。」(審決書3頁26行~30行)を相違点3と認定している。
この相違点3に係る構成は,本願発明及び引用発明のいずれにあっても,すべての
部材を上下方向にのみ正しく移動させるための構成であり,横方向に移動させるこ
ととは無関係な構成である。したがって,引用発明において,各部材を横方向に移
動させて利用することができるかどうかは,相違点3の判断に当たっては考慮する
必要のない事項というべきである。
 引用発明にあっては,「押え部7の下死点位置を決定する係止体5を上下
に移動させる」(甲第5号証3欄23行~24行)ことで,係止体5と押圧体6上
端(係止体5との当接部)の距離を調節するものである。これに対し,本願発明に
おいては,その特許請求の範囲に記載されているとおり,「保持枠に設けられたス
トッパ」は固定されており,「上記当部と押え部との間には,それらの間の寸法を
調節可能にして上記押え部の下降位置を調節する為の調節手段を介設」して,スト
ッパと当部との距離を調節するものである。2部材の距離を調節するためには,2
部材のうちいずれの部材の位置を調節してもよいことは明らかなことである。審決
の「両者(判決注・本願発明と引用発明)の押え部の下降位置を調節する手段が共
に,ストッパ(引例発明の,係止体)と,当部(引例発明の,押圧体の上端)との
間の距離を調節すること,即ち,これら両部材の一方を固定し,他方を移動可能と
しているにすぎない点を考慮すれば,上記相違点3は,当業者が容易に想到しえた
程度のものである。」(審決書4頁23行~27行)との判断は,上記説示と同旨
であり,この判断に誤りはない。
6 結論
 以上に検討したところによれば,原告の主張する取消事由にはいずれも理由
がなく,その他,審決には,これを取り消すべき誤りは見当たらない。そこで,原
告の請求を棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民
事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
  東京高等裁判所第6民事部
           裁判長裁判官    山  下  和  明
              裁判官     設  樂  隆  一
 
               裁判官    阿  部  正  幸
(別紙)
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