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主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中140日
を原判決の刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は,弁護人荒井剛作成の控訴趣意書及び控訴
趣意書(補充)に,これに対する答弁は,検察官平山龍徹作成
の答弁書に,それぞれ記載されているとおりであるから,これ
らを引用する。
論旨は,要するに,被告人は,被害者の事前の同意を得て被
害者宅を訪問したのであって強盗目的はなく,その際,口論と
なって被害者がマキリを取り出し,被告人に振り落としてきた
ため,これを奪って被害者を刺殺したのであるから,殺人罪が
成立するにとどまり,しかも過剰防衛であるのに,被告人に住
居侵入,強盗殺人の罪の成立を認めた原判決には判決に影響を
及ぼすことの明らかな事実の誤認がある,というのである。
そこで,検討するに,関係証拠によれば,被告人に住居侵入,
強盗殺人の罪の成立を認めた原判決は,後記のとおり「事実認
定の補足説明」の項の認定に一部誤りがあるものの,それ以外
は同項で説示するところも含めて正当であり,当審の事実取調
べの結果を併せて検討しても原判決の判断に誤りはない。
ところで,被告人が,原判示のとおり被害者をマキリで殺害
したことは証拠上明らかであり,被告人も認めるところである
から,本件の主要な争点は,強盗目的の有無である。原判決は,
これを肯認し,被告人は,覆面用のタオルや帽子,いぼ付きの
軍手(以下,単に「軍手」という。),マキリなどを携えて被
害者宅に赴き,軍手を両手にはめ,玄関ホールと居間を仕切る
扉についていた鈴のひもをマキリで切断し,居間や寝室等を物
色中,目を覚ました被害者をマキリで刺殺し,さらに,被害者
宅を物色して現金約11万円を強取したと認定したのに対し,
所論は,被告人は,前日の約束に従って被害者宅を訪れたもの
で,覆面用のタオルや帽子,軍手,マキリなどを持って行って
おらず,居間で被害者と話し合っているうちに,興奮した被害
者が1万円札五,六枚を投げつけるようにして交付してきたた
め,これを受け取ったが,更に口論が続き,被害者が被告人の
胸倉をつかんできたため,被告人は,被害者の顔面を殴打した
ところ,被害者が,突然,リュックサックの中からマキリを取
り出してそれを被告人に振り落としてきたため,被告人は,マ
キリを奪い,被害者を刺殺した,その後,被告人は,自己の犯
行を隠ぺいするために強盗犯人の仕業に見せかけようと考え,
被害者のリュックサックに入っていた軍手をはめ,寝室や居間
等を荒らし,鈴のひもを切るなどした,というのである。
そこで,検討するに,所論は,被告人が,鈴のひもを切った
のは殺害後にした偽装工作である,という。しかし,鈴及びひ
もには血液が付着しておらず,このこと自体,被告人が被害者
を殺害する前に鈴のひもを切ったことを十分にうかがわせてい
る。所論は,ルミノール法による血液予備検査で陰性であった
との鑑定書はあるが,ルミノール法はもともと付着していた血
液を洗い流した場合等肉眼では血こんを確認できない場合にお
いて,血液が付着していたか否かを判定するためには有効な方
法かもしれないが,もともと血液が付着していなかった部分に
ついてはルミノール法で検査した場合においては有効なのか疑
問があるから,本件で陰性反応だったことは何ら不自然ではな
い,という。しかし,偽装工作だという被告人の原審及び当審
公判供述を前提にしても,被告人は,被害者を殺害した後,両
手に軍手をはめ,生死確認のため血のついた被害者の頸部や手
を触ったり,左手に軍手をはめたままの状態でマキリを水洗い
し,左手を握りしめるようにして軍手の水を切ったものの,そ
の後血で自身の体に張り付くジーパンを離すために軍手をはめ
た手で血の付いたジーパンを触ったり,床についた血に触れる
こともあったと述べており,被告人の供述によっても,軍手に
は相当の血液が付着していたことが認められる上,被害者宅の
居間,寝室,和室,台所の多数の物色箇所に残る血こん付着状
況が軍手にかなりの血液が付着していたことを裏付けている。
そして,偽装工作である旨の被告人の供述によれば,被告人は,
一度も水洗いをしていない右手の軍手を左手にはめかえ,その
左手で鈴を押さえ,右手に持ったマキリでひもを切断し,左手
で階段に鈴を置いたというのであるが,上記のとおり,鈴を持
った左手の軍手には相当の血液が付着していたことが認められ
るから,一般に知られているルミノール法の精度からするとそ
のような軍手に接触した鈴から血液反応が全く出ないというの
は極めて考えにくい。所論は,鈴から血液反応が出なかったの
は,被告人が,偽装工作のため,血液が鈴に付かないようにし
ようと考え,軍手のイボ状のすべり止めがついていない側(手
背面)が手のひらに来るようにはめ直したからである,という。
しかし,被告人の供述を前提にすると,突然,被害者の思わぬ
攻撃に直面し,我が身を守るためとはいえ,被害者を殺してし
まった被告人に,このような冷静沈着な判断ができるのかとい
うぬぐい去り難い根本的な疑問が生じる。それをしばらく措く
としても,所論のいうように,イボの付いていない手背面を手
のひらに来るように軍手をはめたと仮定すると,ほこりの付い
ていた鈴に触ったためにできたと考えられる鈴の上部表面にあ
ったイボ状のこん跡を説明できない。所論は,手背面を手のひ
らに来るように軍手をはめた場合でも,左小指の横側のイボの
部分が鈴に触れるから,4個程度のイボ状のこん跡が付いても
不自然ではない,という。そして,原判決も「事実認定の補足
説明」において「ほぼ格子状に整然と並んだ点状の手袋痕よう
のものも4個確認された」「明確に点状の痕跡が確認できるの
が4個にとどまる」と判示し,イボ状のこん跡が4個であった
ことを前提としている。しかし,原審甲10号証写真番号3や
原審甲5号証写真番号104によれば,イボ状のこん跡が,「
ほぼ格子状に整然と並んだ4個」にとどまるとはにわかに断じ
難い上,当審で取り調べられた検1号証及び同2号証によれば,
鈴上部表面の4か所にそれぞれ複数の軍手の滑り止め部分が印
象されたと認められるイボ状のこん跡が確認されたことが認め
られる。そして,被告人の述べるように軍手を左右逆に,しか
も,イボのない手背面を手のひらにくるように左手にはめて鈴
を持った場合,鈴の4か所にそれぞれ複数のイボ状のこん跡が
残ることは通常考え難く,このことは,被告人がイボの付いた
手掌面を手のひらにくるように軍手をはめていたことを裏付け
ている。結局,被告人は,軍手の通常のはめ方,すなわち,イ
ボの付いた手掌面が手のひらにくるようにして軍手をはめ,左
手で鈴を持ち,右手に持ったマキリでそのひもを切った後,左
手に持った鈴を階段に置いたが,左手にはめた軍手の手掌面に
は相当の血液が付いていたと認められるのに,鈴から全く血液
反応が出ていないことからすると,被害者を殺害後,偽装工作
として鈴のひもを切ったという被告人の供述はにわかに措信し
難く,逆に,この事実は,被告人が捜査段階で述べていたとお
り,被告人が,被害者宅に侵入した直後,居間に入る前に所携
のマキリで鈴のひもを切ったことを推認させるものといえる。
加えて,被告人は,捜査段階において,原判決の「事実認定
の補足説明」3の冒頭で要約されている内容の供述をし,強盗
目的があったことを認めていた。所論は,捜査段階の被告人の
自白は,捜査官から執ような取調べを受け,強盗ではないとい
う主張を頭ごなしに否定され続けたため,執ような取調べが少
しでも和らぐのであれば,強盗目的を持っていたことにしよう
と思って,捜査官に迎合した結果であるから信用できない,と
いう。しかし,強盗殺人の法定刑が死刑か無期懲役しかないこ
とを知っていた被告人が,被害者の方からマキリで切りかかっ
てきたため,自分の身を守るために被害者を刺殺したというの
が真実なのに,所論のいう程度の理由で真実に反する強盗殺人
の事実を認めるというのはそもそも考えにくい。しかも,被告
人は,原審公判廷において,逮捕翌日の平成18年6月26日
に当番弁護士(原審及び当審弁護人と同じ。なお,同日,弁護
人選任届が提出されている。)と接見した際,弁護士から強盗
目的じゃなかったら強盗目的じゃないとはっきり調書巻いてる
ときに言ってくださいと言われた,強盗殺人という罪が死刑と
無期しかない極めて重い罪だというのは聞いた旨述べていると
ころ,その4日後の同月30日には「俺が今まで事実関係を素
直に認められなかった理由は,自分が起こした罪の重さを知っ
ていたからです。だから,少しでも,自分が犯した罪から逃れ
たい,少しでも,よく見られたい,出来れば,ごまかした話で,
何とか押し通したいとの気持ちから,嘘や口から出任せばかり
を言っていました。腹を決めた理由は,俺が,嘘や出任せばか
りを並べていたことで,取り調べが進むにつれて,だんだんと
言い訳がつかなくなってきたことも理由の一つでした。でも,
一番の理由は,死んだAさんのことや自分の母親のことでした。
そんなことを考えて,全て話をすることに決めたのです。」と
述べて自白に至っている。さらに,被告人は,同年7月3日に
弁護人と接見した際,「申し訳ありませんでした。本当は強盗
でした。」と述べ,その後も同月6日,同月13日と接見を続
けていたが,それでも捜査機関に対してはもとより弁護人に対
しても自白を維持していた。このような自白に至る経緯や弁護
人との接見状況等に照らすと,これだけでも被告人の自白の任
意性及び信用性は十分に認められる。被告人は,弁護人に対し
て強盗目的を認めた理由につき,原審公判廷において,強盗目
的でないと弁護人に言えば,調書を一から巻き直すということ
になるのも嫌だったと述べるが,およそ説得力のない理由であ
る。加えて,被告人が自白する強取金額に見合う現金11万円
余が,被害者の使途不明金となっていること,居間には血染め
のBの文字入りタオルが遺留されていたが,被告人は,捜査段
階で覆面用に自宅から持ち出し,現場に置き忘れたと述べてお
り,証拠上,そのタオルが本件前に被害者宅には存在しなかっ
た可能性が高い一方,本件との前後関係は明らかではないもの
の,被告人の母親が被告人宅にあったBの文字入りタオルが1
枚なくなったと述べていること,被告人は,捜査段階で,軍手
をはめた上から左手中指の先の部分を被害者にかまれ,軍手の
その部分が破れて無くなった旨絵を書いて説明しているところ,
平成18年4月29日撮影の写真によれば,被告人の左手中指
の先に表皮はく離の傷が認められ,この傷につき,北海道大学
医学部法医学教室教授Cが,明らかに角のあるものによって生
じたと考えられる旨述べていること,被告人は,捜査段階で,
犯行直後,強取した現金11万円を車のダッシュボード上に置
いた際,そこにあったクラフトテープを文鎮代わりに使ったと
述べているが,ダッシュボード上に置かれていたクラフトテー
プには被害者の血液が付着していたことなど,被告人の自白と
符合する客観的事実が多々認められる。その上,被告人は,本
件当時,所持金に窮しており,本件の3日後である平成18年
4月29日に予定されていた友人の結婚式に招待され,自身の
衣装購入費を含めその参加費用を工面する必要に迫られていた
ところ,被告人は,以前,被害者と同じ勤務先で稼働していた
ことから本件前日の同月25日が被害者の給料日(現金支給)
であり,被害者が多額の現金を所持していることを熟知してい
たから,被害者宅に強盗に入る動機も認められる。したがって,
強盗目的があったことを認める被告人の自白の信用性は高いと
いえる。
これに対し,所論は,強盗目的を否定する被告人の原審公判
供述の方が信用できる,という。しかし,被告人の原審公判供
述は,捜査段階の自白に比べ到底信用できない。被告人の原審
公判供述の要旨は,原判決の「事実認定の補足説明」4の冒頭
で要約されているとおりである。被告人は,原審公判廷におい
て,本件前日に被害者から「明日早いから,夜2時か3時の間
くらいに起こしてくれ」などと言われたというが,被告人は,
逮捕翌日である平成18年6月26日付け検察官調書において,
「事件当日は,被害者方に遊びに行ったのであって,住居侵入
ではありません。」と述べており,自白前の,強盗目的や住居
侵入を否認していた段階においてすら,被告人にとって被害者
宅を訪れたことを正当化する有利な事情であり,かつ,隠し立
てをする必要など全くないのに,被害者から起こしに来てほし
いと頼まれた旨述べていない。また,被告人は,被害者が財布
の中から1万円札を五,六枚投げつけるようにして渡してきた
というが,強盗目的を否認していた逮捕直後の時点ですら「現
金10万円位とリュックサックを奪ったことに間違えありませ
ん。」,「俺は,リュックの表ポケットに入っていたサイフを
出し,金10万円位,札で11枚を抜き取りました。札の多く
は,1万円札でした。俺は金を手にした後,Aさんの家を出ま
した。」,「(現金約11万円及びリュックサック1個を強取
した旨記載されている司法警察員送致書を)読んで聞かせても
らった事実の意味は分かりました。(中略)。実際に書かれて
いた現金とリュックサックを持ち出したのは事実ですが,これ
は,現金については,強盗の犯行だと見せかけようと思って持
ち出しました」,さらに,その翌日に実施された裁判官の勾留
質問においても「検察庁で述べたとおりです。」と述べて原審
乙15号証と同趣旨である旨述べており,結局,被告人は,捜
査段階において,被害者の方から現金五,六万円を渡してきた
ことを全く述べていなかった。しかも,被告人は,原審公判廷
において,被害者に要求した金額は2万円だったと述べている
が,被告人の述べるところによるとその支払いの話が険悪な方
向に向かっていったのに,被害者が要求金額の倍額以上の五,
六万円を被告人に渡したことになり,不自然というほかない。
加えて,被害者は,温厚な性格であり,暴力を振るうような人
物でないことは周囲の者が一致して認めるところであり,これ
までも被告人を被害者宅に招いたり,被告人の仕事先を世話す
るなど親身に目をかけてきたのであって,そのような被害者が
本件当日に限って,被告人と口論となるや突然マキリを取り出
して被告人に襲いかかるなどということ自体考えにくい。さら
に,口論の末,偶発的に被害者を刺し殺してしまったにしては,
その後の物色状況が,居間,和室,洋室,台所の4部屋にわた
っており,タンスや引出しはもとよりじゅうたんの裏側や多数
の封筒の中身までも調べるという念の入ったもので,強盗に見
せかけるための偽装工作としての程度をはるかに越えている。
また,被害者の遺体には,頭部に刺切創18か所,前頸部に刺
創2か所及び切創2か所,後頸部に刺創2か所及び切創7か所
の他,多数の切創が認められるところ,被害者から不意に攻撃
を受け,自分の身を守る行動の一環として行ったにしては,あ
まりに刺切創の箇所が多く,被害者からかみつかれたことを考
慮しても自分の身を守ろうとしてとった行動であるとの供述は
にわかに措信し難い。所論は,被害者が,死亡時に腕時計を装
着していたことは,被害者が起きていたことの証左であり,被
告人の原審公判供述を裏付けている,という。しかし,一般的
に,腕時計を着けたまま就寝する者がいることはさほど珍しい
ことではないし,また,腕時計をはずすのを忘れたまま就寝す
ることもないではない。そうすると,被害者が腕時計を付けて
いたことは上記認定を左右しない。したがって,被告人の原審
公判供述は信用できず,これと同旨の被告人の当審公判供述も
信用できない。
以上によれば,被告人が,被害者宅から現金を盗むこと,被
害者に気付かれた場合には同人を殺害してでも現金を奪うこと
を決意し,マキリなどを所持して被害者宅に侵入し,物色中に
被告人に気付いた被害者を殺害して現金約11万円を強取した
事実を優に認定できる。
その他弁護人がるる主張する点を考慮検討しても,住居侵入,
強盗殺人の罪の成立を認めた原判決に事実の誤認はなく,論旨
は理由がない。
よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし,
当審における未決勾留日数の算入につき刑法21条を適用して,
主文のとおり判決する。
平成19年10月11日
札幌高等裁判所刑事部
裁判長裁判官矢村宏
裁判官市川太志
裁判官二宮信吾

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