弁護士法人ITJ法律事務所

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         主    文
     原判決を破棄する。
     本件を東京高等裁判所に差し戻す。
         理    由
 検察官の事件受理申立て理由について
 原判決は、被告人に対する証券取引法(平成一〇年法律第一〇七号による改正前
のもの)一六六条一項違反の罪を認めた第一審判決には、判決に影響を及ぼすこと
の明らかな事実誤認、法令の解釈適用の誤りがあるとし、これを破棄して本件を第
一審に差し戻したが、原判決には、証券取引法一六六条二項一号の解釈適用を誤っ
た違法があり、刑訴法四一一条一号によって破棄を免れない。その理由は以下のと
おりである。
 一 原判決が、その判断に当たり前提とした事実関係の要旨は、次のとおりであ
る。
 1 A織物加工株式会社(以下「A織物加工」という。)は、その発行する株券
が大阪証券取引所第二部及び京都証券取引所に上場されている会社であり、平成六
年当時は、その発行済み株式総数の過半数の株式をB染工株式会社とC株式会社(
以下それぞれを「B染工」「C」といい、両社を併せて「各親会社」という。)が
およそ二対一の割合で保有していた。
 2 B染工は、平成四年六月、経営再建を目的としてDをA織物加工に派遣し、
Dがその代表取締役社長に就任したものの、経営状態が好転しなかったことから、
平成五年三月ころ、いわゆる「M&A」(企業合併・買収、以下「M&A」という。)
の仲介あっせん業者である株式会社E(以下「E」という。)に対し、A織物加工
のM&Aの仲介を依頼し、平成六年三月ころ、Eから株式会社F(以下「F」とい
う。)をその相手方として紹介されてM&Aを成立させるための交渉を開始し、同
月一五日、F、A織物加工との間で有効期間を三年とする秘密保持契約を締結した。
 3 被告人は、Fの監査役兼顧問弁護士であったところ、同年五月ころ、同社代
表取締役社長Iから、A織物加工を対象とするM&Aについての交渉の一切を委任
され、同月一八日ころ、A織物加工がFに第三者割当増資を行うとともに、B染工
及びCが各保有するA織物加工の株式をFに売却することなどを内容とするM&A
の枠組み案を作成し、そのころ、これをB染工側に提示した。
 4 B染工は、右案を基本的に了承し、これを基に交渉を進行させようとしたが、
Cが保有株式を従前取引もないFに直接譲渡することに難色を示すうち、A織物加
工の株価が上昇したことなどから、同年九月、FがB染工に交渉の白紙撤回を通告
し、いったん交渉は終了した。
 5 同年一二月ころ、交渉再開の気運が生じ、E副社長Jの仲介により前記枠組
み案を基本としたM&A(以下「本件M&A」という。)交渉が再開されることに
なったが、Cは、B染工の打診に対し、平成七年一月初旬、B染工に協力し、交渉
はB染工に任せるが、C保有株式の譲渡は半分を限度とし、Fとの直接取引には応
じないなどの方針を伝えた。そして、そのころ、FとB染工の間において、右の事
態を打開するため、FのI社長とB染工会長Kとのトップ会談を同月二五日に行う
ことが合意された。
 6 そこで、同月一一日、B染工常務取締役LがD社長に対し、CはB染工主導
でM&A交渉を進めてかまわないと述べていて感触がよいこと、及び前記トップ会
談の実施が決まったことなどを伝えたところ、D社長は、L常務に対し、「今回は
是非実現したいので、よろしくお願いします。」などと答えた。
 7 被告人は、同月一三日、J副社長から、「A織物加工はもちろんですが、C
も第三者割当には同意していますので、今後のスケジュールを組みたいのですが」
と伝えられ、これを了承した。
 8 同月二五日、I社長とK会長とのトップ会談が被告人も同席して行われ、そ
の後、被告人が、EのJ副社長らとも協議の上、F側の修正案を作成し、この修正
案がEを介してB染工及びCに伝えられたところ、Cは、同年二月八日、Fとの直
接取引に応じる意向をB染工に伝えた。被告人は、翌九日ころ、J副社長からこの
Cの方針変更を聞いた。
 9 同月一四日、C代表取締役社長MとK会長とのトップ会談が行われ、Fの作
成した確認書案をM社長が了解し、次いで、同月一七日、Fと各親会社が確認書に
正式調印し、同月二三日、証券会社、証券取引所、財務局等に対する事前説明等が
実施された。そして、同年三月三日、Fと各親会社は、本件M&Aについての本契
約を締結し、D社長は、A織物加工の取締役会で第三者割当増資の議題を提出して
説明し、承認決議を得た。引き続き、同日、記者発表が行われて、第三者割当増資
を含む本件M&Aが公表された。
 10 被告人は、同年二月一六日から同月二七日までの間、東京都中央区内のN
株式会社O支店を介し、大阪証券取引所において、知人名義を使用し、A織物加工
の株式合計一一万三〇〇〇株を合計一八二八万九〇〇〇円で買い付けた。
 二 右事実関係の下において、第一審判決は、D社長が遅くとも同年一月一一日
には第三者割当増資を実施するための新株発行を行うことをL常務に表明する形で
決定していたと判断し、「被告人は、A織物加工との間で秘密保持契約を締結して
いたFの監査役兼代理人としてM&A交渉に携わっていた者であるが、平成七年一
月一三日、同契約の履行に関し、A織物加工の業務執行を決定する機関であるD社
長が、懸案のCの保有株の問題に決着がつけば、F及びその関連会社に対し、第三
者割当増資を実施するために新株発行を行うとの決定をしたことを知り、さらに、
同年二月九日ころ、右懸案の問題が決着したことをも知り、A織物加工の業務等に
関する重要事実を知ったが、法定の除外事由がないのに、右重要事実の公表前であ
る同月一六日から同月二七日までの間、知人名義を使用してA織物加工の株式合計
一一万三〇〇〇株を合計一八二八万九〇〇〇円で買い付けて、A織物加工の業務等
に関する重要事実の公表前に同社の株券の売買をした。」との事実を認定した上、
被告人に証券取引法(前記改正前のもの)一六六条一項違反の罪の成立を認めた。
 三 これに対して、原判決は、D社長は、証券取引法一六六条二項一号にいう「
業務執行を決定する機関」には該当するが、第一審判決認定のD社長の決定をもっ
て、同号イにいう「株式の発行」を行うことについての「決定」をしたとはいえな
いとして、次のような判断を示した。すなわち、D社長が各親会社の了解を得て決
定した場合には、他の取締役から異論が出ることはなく、会社としての意思決定と
みなされる実態にあったから、D社長は、各親会社の了解を得て決定する限り、「
業務執行を決定する機関」に該当する。しかし、一般投資家の投資判断に著しい影
響を与える重要事実に該当する決定があって初めて同条二項一号にいう「決定」に
該当すると解されるから、そのためには、当該決定に係る事項が確実に実行される
であろうとの予測が成り立つものでなければならないと解されるところ、第一審判
決が株式の発行を決定したと認定した時点では、本件M&Aの成立は予断を許さな
い段階であったから、いまだ「決定」があったとはいえない。
 そして、原判決は、Cが平成七年二月八日に直接取引に応じる意向を示した時点
で本件M&Aが事実上妥結するとみられる状態になったものであり、それ以後にD
社長のする決定が重要事実となり得るものであるとし、同日以降における決定の存
否等について更に主張立証を尽くさせるため、第一審判決を破棄し、差し戻した。
 四 証券取引法一六六条二項一号にいう「業務執行を決定する機関」は、商法所
定の決定権限のある機関には限られず、実質的に会社の意思決定と同視されるよう
な意思決定を行うことのできる機関であれば足りると解されるところ、D社長は、
A織物加工の代表取締役として、第三者割当増資を実施するための新株発行につい
て商法所定の決定権限のある取締役会を構成する各取締役から実質的な決定を行う
権限を付与されていたものと認められるから、「業務執行を決定する機関」に該当
するものということができる。したがって、原判決のこの点についての判断は正当
である。
 しかしながら、証券取引法一六六条二項一号にいう「株式の発行」を行うことに
ついての「決定」をしたとは、右のような機関において、株式の発行それ自体や株
式の発に向けた作業等を会社の業務として行う旨を決定したことをいうものであり。
右決定をしたというためには右機関において株式の発行の実現を意図して行ったこ
とを要するが、当該株式の発行が確実に実行されるとの予測が成り立つことは要し
ないと解するのが相当である。けだし、そのような決定の事実は、それのみで投資
者の投資判断に影響を及ぼし得るものであり、その事実を知ってする会社関係者ら
の当該事実の公表前における有価証券の売買等を規制することは、証券市場の公正
性、健全性に対する一般投資家の信頼を確保するという法の目的に資するものであ
るとともに、規制範囲の明確化の見地から株式の発行を行うことについての決定そ
れ自体を重要事実として明示した法の趣旨にも沿うものであるからである。
 本件において、M&Aの対象である会社の最高責任者のD社長は、同社の方針と
して第三者割当増資を行う旨の決定をし、これをL常務に言明することによって外
部的に明らかにしたものであるから、その当時、Cの保有株式の譲渡方法に関する
問題が最終決着をみていなかったとしても、株式の発行を行うことについて決定し
たというに妨げなく、D社長の決定は、証券取引法一六六条二項一号にいう「決定」
に該当すると認めるのが相当である。
 五 したがって、証券取引法一六六条二項一号にいう「決定」に該当するために
は、当該「決定」に係る事項が確実に実行されるであろうとの予測が成り立つもの
でなければならないとの見解の下に、本件における業務執行を決定する機関の決断
がいまだ「決定」ということはできないとした原判決は、同号の解釈適用を誤った
違法があり、この違法が判決に影響することは明らかであって、原判決を破棄しな
ければ著しく正義に反するものと認められる。
 よって、弁護人らの上告趣意に対する判断を省略して、刑訴法四一一条一号、四
一三案本文により原判決を破棄し、本件を原裁判所に差し戻すこととし、裁判官全
員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 検察官上田廣一 公判出席
  平成一一年六月一〇日
     最高裁判所第一小法廷
         裁判長裁判官    遠   藤   光   男
            裁判官    小   野   幹   雄
            裁判官    井   嶋   一   友
            裁判官    藤   井   正   雄
            裁判官    大   出   峻   郎

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