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平成七年(ワ)第四五六六号特許権侵害差止等請求事件、平成九年(ワ)第二四四四七
号損害賠償反訴請求事件
(口頭弁論終結日平成一一年一〇月六日)
判決
原告兼反訴被告【A】(以下「原告」という。)
右訴訟代理人弁護士品川 澄雄
被告兼反訴原告ミヤリサン株式会社(以下「被告」
という。)
右代表者代表取締役【B】
右訴訟代理人弁護士本間崇
同(本訴訴訟復代理人)田中成志
右訴訟復代理人弁護士牧野知彦
右補佐人弁理士【C】
同【D】
主文
一原告の本訴請求をいずれも棄却する。
二被告の反訴請求を棄却する。
三訴訟費用は、本訴反訴を通じ、これを一〇分し、その九を原告の負担とし、
その余を被告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
〔本訴〕
1被告は、別紙物件目録記載の製剤を製造し、販売してはならない。
2被告は、別紙物件目録記載の製剤を廃棄せよ。
〔反訴〕
原告は、被告に対し、金四〇〇〇万円及びこれに対する平成九年一一月一
九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
〔本訴〕
原告は、後記の特許権を有するが、別紙物件目録記載の製剤(以下「被告製剤」
という。)を製造、販売した被告の行為が、右特許権を侵害するとして、被告に対
し、特許権に基づき、被告製剤の製造等の差止めと廃棄を請求した。
〔反訴〕
被告は、原告に対し、本訴訴えの提起が不法行為を構成するとして、損害賠償を
請求した(なお、反訴請求は一部請求である。)。
一前提となる事実(当事者間に争いがない。)
1原告の有する特許権
原告は、以下の特許権を有している(以下「本件特許権」といい、その発明を
「本件発明」という。)。
(一)発明の名称整腸剤
(二)登録番号特許第二〇八八七七四号
(三)出願日昭和六一年一二月一一日
(四)登録日平成八年九月二日
(五)特許請求の範囲
バクテリオファージKM1に感染すると溶菌する感受性を有する酪酸菌〔クロス
トリジウムブチリクム(Clostridiumbutyricum)〕MⅡ588-Sens1株の
菌体の純化培養物、又はその純化培養物の培養で得られる内生胞子を有効成分とす
ることを特徴とする、バクテリオファージKM1感受性試験により酪酸菌の別異な
迷入菌株の侵入の有無を確認できる安全性をもち且つ投与後の消化管内の定着、生
息による整腸作用を確認できる特性をもつ細菌性食中毒の予防及び治療作用を有す
る整腸剤
(六)本件発明の内容
本件発明は、酪酸菌〔クロストリジウムブチリクム(Clostridium
butyricum)〕(以下「酪酸菌」ということがある。)に感染するバクテリオファー
ジKM1を発見したことを契機として、酪酸菌MⅡ588株の中からバクテリオフ
ァージKM1に感染して溶菌するMⅡ588-Sens1株を作出し、さらに、右
菌株の菌体、内生胞子が整腸剤として有用であることを見出したことによってされ
た整腸剤(生物学的腸内殺菌剤)に関する発明である。
2宮入菌
昭和八年、被告の前身の初代代表者の【E】は、腐敗菌に対し強力な拮抗現象を
示す芽胞菌の一つとして、宮入菌を発見した。その後、被告は、各種の実験を経
て、腸疾患の患者が内服する治療薬への利用に成功した。宮入菌は、抗腐敗性酪酸
菌と命名された。
昭和四七年五月一六日、被告は、宮入菌を通商産業省工業技術院微生物工業研究
所(以下「微工研」という。)に、微工研菌寄P-1467として寄託した。さらに、被
告は、国際寄託当局に寄託し、受託番号微工研条寄第二七八九(国際寄託
BP-2789)、微生物の表示をClostridiumbutyricumMIYAIRI588(以下「M58
8」ということがある。)として受託された。
昭和五八年四月ころ、原告は、千葉大学の生物活性研究所の所長として、化学療
法剤の研究開発に従事していたが、宮入菌の代謝産物等の研究を開始した。昭和五
八年五月二六日、被告は、原告からの要請に応じ、被告が保有し、製剤に使用して
いたクロストリジウムブチリクム(Clostridiumbutyricum)MⅡ588(以下こ
れも「MⅡ588」ないし「MⅡ588親株」ということがある。)の砂保存株一
本を、研究用として、千葉大学生物活性研究所に渡した。
以上の経緯から明らかなとおり、宮入菌、M588、MⅡ588は、いずれも同
じ菌株である。
3被告の行為等
被告は被告製剤を整腸剤として製造販売している。被告製剤は、本件発明の構成
要件をすべて充足する。
二争点
〔本訴請求〕
1先使用が成立するか。
(被告の主張)
(一)主位的主張
被告は、以下のとおり、本件発明の内容を知らないで自らその発明をし、原告に
よる本件特許権に係る出願(以下「本件出願」という。)の際(昭和六一年一二月
一一日)、現に日本国内において、その発明の実施に係る事業をしていたので、被
告は原告の有する特許権につき、先使用による通常実施権を有する。
すなわち、被告が、現在製造、販売している被告製剤と、本件出願の際に製造、
販売していた生菌製剤は、同一の製剤である。実験結果(乙三八号証の一、二)に
よれば、「昭和四七年寄託したM588」と「本件出願日以前に製造された製剤か
ら分離した菌株」と「被告製剤から分離した菌株」の三者について、各菌株の同
定、形態学的、生化学的性状、バクテリオファージKM1に対する挙動は、すべて
同一であり、相互に区別することは不可能であることが明らかにされている。
したがって、被告は、本件出願日以前から現在まで、昭和四七年五月一六日に微
工研に寄託したM588ないしMⅡ588を培養して得られる芽胞を有効成分とし
て用いた生菌製剤を、被告製剤として、同一方法で一貫して製造販売していたので
あるから、先使用が成立する。
もっとも、昭和五八年から五九年ころに掛けて、被告工場内で宮入菌(MⅡ58
8菌株のいわゆるスムース菌)の増殖が生じず、いわゆるラフ型菌しか生じないと
いう培養異常が発生した際に、被告は、緊急避難的な措置としてバクテリオファー
ジKM1耐性菌を用いたことがあるが、昭和六〇年五月下旬から七月上旬ころに掛
けて、培養タンクの分解洗浄をした後の遅くとも昭和六一年初頭以降は、純粋なM
Ⅱ588株からなる原菌末を使用して、被告製剤を製造していたので、本件出願前
から、その発明の実施に係る事業をしていた点で消長を来さない。
(二)予備的主張
仮に、製造、販売する生菌製剤が、昭和四七年寄託したM588ないしMⅡ58
8と同一の菌株を培養して得られる芽胞を有効成分とする生菌製剤を用いたもので
はなく、本件出願後に変更した、MⅡ588-Sens1株を有効成分する生菌製
剤を用いたものであるとした場合であっても、なお、以下のとおり先使用が成立す
る。
すなわち、そもそも、本件発明に係るMⅡ588-Sens1は、昭和四七年寄
託したM588ないしMⅡ588と、以下に述べる理由から、同一(後者が前者を
包摂する関係に立つ。)の酪酸菌であるといえる。
MⅡ588株とMⅡ588-Sens1株との差異は、バクテリオファージKM
1耐性菌の混合割合のみにあり、前者にはバクテリオファージKM1耐性菌が後者
より多く含まれているというだけで、両者とも、有効成分であるバクテリオファー
ジKM1感受性菌を含んでいる点では全く共通する(当事者間に争いがない。)。
したがって、MⅡ588-Sens1株はその上位概念である親株MⅡ588株に
含まれる下位概念であるといえる(MⅡ588株に係る発明とMⅡ588-Sen
s1株に係る発明は、選択発明の関係にある。)。
先使用権の効力は、被告が本件出願前に実施していたMⅡ588株を用いた製剤
に係る実施形式に具現されていた技術的思想(発明)と同一性を失わない範囲内
で、本件出願後に変更した実施形式であるMⅡ588-Sens1株を有効成分と
した技術思想にも及ぶというべきである。よって、先使用は成立する。
(原告の反論)
(一)主位的主張に対して
被告は、昭和四七年寄託したM588ないしMⅡ588と同一の菌株を培養して
得られる芽胞を有効成分として、右生菌製剤を、一貫して同一方法で製造し続けて
いると主張するが、右主張は、以下のとおり、根拠がない。
すなわち、実験結果(乙三八号証の一、二)は、①菌の集落の形態、色調に関す
る記載に相互に矛盾があること、②バクテリオファージKM1に対する菌の挙動に
関する評価を誤っていること、③クロスストリーク法によるバクテリオファージK
M1感受性試験が技術水準の点で問題があること、④実験方法の選択を誤っている
こと、⑤被検対象とされている本件出願前の被告のミヤリサン製剤については、一
〇年以上経過したものであり、第三者機関に寄託されていたものでもないから、適
切なものか否か確認できないこと等の点で問題があるので、昭和四七年寄託したM
588ないしMⅡ588と同一の菌株を培養して得られる芽胞を有効成分として、
右生菌製剤を、一貫して製造し続けているとの根拠になり得ない。かえって、乙三
八号証の溶菌曲線を見ると、昭和四七年の寄託に係るM588は、現在の被告製剤
からの分離菌株と、バクテリオファージKM1に対する挙動において明らかに異な
っている。
また、昭和五八年から五九年ころにかけて被告工場内で発生した培養異常の際
に、被告がバクテリオファージKM1耐性菌を用いたことがあり、この事態は昭和
六一年に至るまで解消されなかった。この事実によれば、被告が昭和四七年に寄託
して以降、今日に至るまで一貫してMⅡ588株を使用してきたとの主張は成り立
たないことになり、その意味でも、先使用の主張は根拠がない。
(二)予備的主張に対して
被告の予備的主張は、以下のとおり理由がない。
本件発明は、バクテリオファージKM1によって純化されたMⅡ588-Sen
s1の純化培養物を有効成分とする整腸剤である。そもそも、MⅡ588株とMⅡ
588-Sens1株とは、同一でないのであるから、実施形式が同一の範囲内に
あるとはいえず、右先使用の主張は成り立たない。被告がその主張の根拠とするバ
クテリオファージKM1感受性菌と耐性菌の混合割合に関する各種実験はいずれも
手法及び比率の算定方法において誤りがあり、到底採用できない。
2職務発明に当たるか。
(被告の主張)
被告は、原告が在籍していた千葉大学の生物活性研究所に、被告の社員を受託研
究員として出向させ、原告が宮入菌の代謝産物の研究をし、宮入菌の抗生物質耐性
菌を得る研究をするに当たってその補助的な務めを果たさせたり、日本細菌学会等
における宮入菌やバクテリオファージKM1に関する各種の共同研究の発表に被告
の研究員を参画させたり、原告が主宰する生物学療法研究会に多額の寄付をした
り、バンコクにおける国際学会に原告が出席するに当たり、旅費や滞在費を負担し
たり、本件特許権をはじめとする原告名義の国内外の特許出願に関する費用をすべ
て負担したりするなど各方面における資金的援助を行った。
このような原告と被告の関係は、特許法三五条の立法趣旨に照らせば、同条にお
ける「使用者」と「従業員」との関係に該当し、右関係に基づいてした原告の発明
は職務発明に該当し、これについて取得した本件特許権につき、被告は法定の通常
実施権を有するというべきである。
(原告の反論)
従業者のした発明が職務発明となるためには、使用者と従業者との間に雇用関係
が成立していなければならないが、原告は出願当時千葉大学の教授であって、被告
と原告との間に民法上の雇用関係や労働法上の労使関係は存していない。特許法三
五条の理念に照らしてみても、被告が原告等に提供した資金等の援助の事実をもっ
て原告と被告との間に雇用関係が成立しているということはできない。
さらに、被告の原告側への寄付は、原告個人に対してされたものではなく、千葉
大学に対してされ、文部省科学研究補助金から配分されていたもので、本件発明
は、その一部を使用してされた。受託研究員にしても、原告の研究室に入学してい
たのであって、研究補助員として原告に雇用されていたわけではない。被告主張の
その余の点についても、本件発明とは何ら関係ない。
原告と被告らの間で締結された覚書(甲七号証)における、宮入菌の研究発展に
向けた相互の協力という趣旨に照らしても、原告と被告との間に雇用関係が存在し
ていたと解することはできない。
3本件特許権に無効事由が存在することにより、本訴請求は権利濫用に該当する
といえるか。
(被告の主張)
(一)冒認出願
本件発明の実体は、酪酸菌ClostridiumbutyricumMIYAIRI588菌株を溶菌す
るという性質を持つバクテリオファージKM1を発見し、単離したという点にあ
る。本件明細書の特許請求の範囲に、このバクテリオファージKM1を用いれば、
「酪酸菌の別異な迷入菌株の侵入の有無を確認できる」と記載されているように、
バクテリオファージKM1の発見が本件発明の中核である。
ところで、バクテリオファージKM1を発見したのは、原告ではなく、被告の社
員である【F】(以下「【F】という」。)と【G】(以下「【G】」という。)
である。しかし、原告は、【F】及び【G】らのバクテリオファージKM1の発見
という新しい知見を横取りし、被告から千葉大学が研究用として分与を受けていた
宮入菌(MⅡ588株)をそのまま転用し、これにMⅡ588-Sens1という
別の名称を付けてカムフラージュし、前記のとおり特許請求の範囲を記載し、微工
研や国際寄託当局を欺罔して、新たに発見され、単離された菌株であると誤信させ
た上、本件特許権を取得した。原告は、本件発明の中核をなすバクテリオファージ
KM1の真の発見者の一人である【F】からは、特許を受ける権利について、譲渡
を受けることなく、また、【G】や日宝化学株式会社の【H】(以下「【H】」と
いう。)からは、発明者の一員に加えることを承諾させることによって、彼らから
特許を受ける権利の譲渡を受けたかのごとく装った。
さらに、本件出願については、原告が特許を受ける権利の譲渡を受けて単独の出
願人となる代わりに、原告が本件特許権を取得した際には、後日被告に対して、右
特許権に基づいて侵害訴訟を提起する等権利行使をしないことが黙示的に合意さ
れ、右合意に反して、原告が被告に対して権利行使した場合には、原告への特許を
受ける権利を譲渡する旨の合意は当然に解除されるという解除条件が付与された。
このことは、本件出願において、原告、【G】、【H】が共同発明者とされている
にもかかわらず、原告のみが出願人となり、出願手数料は被告が負担していたこと
から窺える。そして、原告が本訴を提起したことにより、右解除条件は成就したか
ら、原告は特許を受ける権利を失った。
以上の事情からすると、本件出願は冒認出願であり、特許法三八条に反するの
で、本件特許権は無効事由を有している。
(二)未完成発明
本件明細書の発明の詳細な説明欄には、本件整腸剤の有効成分は、MⅡ588-
Sens1株であるが、同株は酪酸菌MⅡ588親株よりクローニングによりバク
テリオファージKM1に感受性のあるものを選択したものであると記載されてい
る。
ところで、原告は、本件出願に際し、被告から研究用に分与を受けていたMⅡ5
88株のアンプルに、MⅡ588-Sens1株のラベルを貼って、微工研に寄託
した。MⅡ588-Sens1株を用いた整腸剤としての有効成分についての作用
効果については、【H】が千葉大学の研究所へ受託研究員として出向していた当時
にMⅡ588株を用いて実験した際の実験結果の引き写しであって、MⅡ588-
Sens1株に関するものとしては、実験等により確認したものはない。
以上のとおり、本件発明は未完成発明であるので、本件特許権は、特許法二九条
一項柱書に違反し、無効事由を有している。
(三)公知、刊行物公知、公然実施について
本件明細書の特許請求の範囲には、MⅡ588-Sens1株は、バクテリオフ
ァージKM1に感染すると溶菌する感受性を有すると記載されている。しかし、そ
の親株であるMⅡ588株が、バクテリオファージKM1に感染すると溶菌する感
受性があることは、本件出願のされた昭和六一年一二月一一日に先立つ学会発表や
刊行物等において既に公知となっていた。
また、特許請求の範囲には、ファージKM1に感染すると、溶菌する感受性を有
するMⅡ588-Sens1株の純化培養物を有効成分とする整腸剤である旨記載
されている。しかし、バクテリオファージKM1に感染すると溶菌する感受性を有
するMⅡ588株のうちの少なくともスムーズ型を有効成分とする整腸剤は、本件
出願前から、被告が製造、販売していたことからすると、本件発明は出願前から公
然実施されていたといえる。
そうすると、本件特許権は、特許法二九条一項各号に該当し、無効事由を有して
いる。
(四)特許法三六条四項違反
本件明細書の発明の詳細な説明の欄には、MⅡ588-Sens1株の菌体の純
化培養物をいかにして得るかについて、親株MⅡ588からクローニングによりバ
クテリオファージKM1に感受性のあるものを選択して得る旨記載されている。し
かし、その具体的方法については、開示がなく、当業者が容易にその実施をするこ
とができる程度にその発明の目的、構成、効果が記載されているとはいえない。
したがって、本件特許権は、特許法三六条四項に違反し、無効事由を有してい
る。
(五)進歩性の欠如
本件特許権に係る異議手続の中において、平成五年一月一一日付けの手続補正書
により、本件整腸剤の有効成分について、「MⅡ588-Sens1株の菌体又は
内生胞子」から「MⅡ588-Sens1株の菌体の純化培養物又はその純化培養
物の培養で得られる内生胞子」へと補正された。右補正は、整腸剤の最も重要な要
素である有効成分の内容を実質的に変更したものであるから、要旨変更に該当す
る。これにより、本件出願は右手続補正書を提出した時である平成五年一月一一日
に繰り下がるから、結局本件発明は、昭和六三年六月一八日付公開公報により公知
となり、右記載の公知の発明から容易に推考できることとなった。
したがって、本件特許権は、進歩性を欠如する点で無効事由を有している。
(原告の反論)
(一)冒認出願について
発明者は発明の着想と実施確認を行った者を特定して決められるところ、【F】
は発明の着想にも実施確認にも何らの貢献をしていない。仮に、【F】がバクテリ
オファージKM1を発見したと解した場合であっても、そのことのみをもって
【F】を本件発明の発明者であるということはできない。
また、バクテリオファージKM1は、そもそも本件出願前には公知であったのみ
ならず、本件発明との関係では、バクテリオファージKM1感受性を有する酪酸菌
を得るための材料に過ぎない。したがって、右発見をもって、本件発明をしたこと
にはなり得ない。
よって、本件出願は冒認出願ではない。
(二)未完成発明について
MⅡ588-Sens1株とMⅡ588株は、前者がバクテリオファージKM1
を指標にして純化されているのに対し、後者がそうではない点で異なる。バクテリ
オファージKM1を指標にして純化された純化培養物であるMⅡ588-Sens
1株は公知ではなく、しかもこのような純化培養物を有効成分とする整腸剤は優れ
た整腸作用を有し、酪酸菌に属する毒素生産菌と区別できるという作用効果を有す
るので、本件発明は特許性がある。
また、被告の指摘する【H】らの実験については、原告が【H】らを指導しつつ
自らも行ったので、その成績が一致するのは当然である。その際用いた菌は、MⅡ
588株から誘導したMⅡ588-Sens1株であったが名称の点で分類同定が
できていなかったにすぎない。原告は、右実験を、本件発明に係るMⅡ588-S
ens1株に関する実験であると認識していた。MⅡ588-Sens1株の有効
成分に関する作用効果も確認されていた。
したがって、本件発明は未完成発明ではない。
(三)公知、刊行物公知、公然実施について
バクテリオファージKM1感受性菌を含んでいるということと、バクテリオファ
ージKM1で純化されているということとは別のことを意味する。後者について、
これが公知であることを認めるに足りる資料はなく、MⅡ588-Sens1株の
菌体の純化培養物を有効成分とする整腸剤は本件出願時には新規性を有していた。
したがって、本件発明が公知、刊行物公知、公然実施であったとする被告の主張
はいずれも理由がない。
(四)特許法三六条四項違反について
本件明細書の発明の詳細な説明欄には、MⅡ588-Sens1株は、MⅡ58
8株よりクローニングによりバクテリオファージKM1に感受性のあるものを選択
したものである旨記載され、当該技術分野における通常の知識を有する者であれ
ば、何の困難を伴うこともなく本件発明の有効成分である当該純化培養物を得るこ
とができる。本件特許権は、特許法三六条四項に違反するという、無効事由を有し
ない。
(五)進歩性の欠如について
本件発明の有効成分であるMⅡ588-Sens1株の菌体の純化培養物は出願
当初の明細書に開示されているので、当該補正は要旨変更には該当しない。すなわ
ち、出願当初の明細書には、「本発明はバクテリオファージKM1で規定される酪
酸菌〔クロストリジウム・ブチリクム〕MⅡ588-Sens1株の菌体又は内生
胞子・・・を有効成分とすることを特徴とする・・・整腸剤を要旨とする。なお、
ここで『バクテリオファージKM1で規定される』とは、この酪酸菌MⅡ588-
Sens1株がバクテリオファージKM1に感染され且つ溶菌される感受性を有す
ることを意味する。」「本発明で用いられる酪酸菌MⅡ588-Sens1株は酪
酸菌MⅡ588親株(微工研菌寄七七六五号)よりクローニングによりバクテリオ
ファージKM1に感受性のあるものを選択したものである。」と記載され、MⅡ5
88-Sens1株はバクテリオファージKM1に感受性のあるものを選択したも
のであることが明確に定義されているのであるから、当該補正は要旨変更には当た
らない。本件特許権は、進歩性を欠如した無効事由を有するものではない。
4本訴請求は、原・被告間の合意に反してされた点で、権利濫用ないし信義則違
反に当たるか。
(被告の主張)
前記3(一)のとおり、本件出願に際し、原告は特許を受ける権利の譲渡を受けて
単独の出願人となる代わりに、原告が本件特許権を取得した際には、後日被告に対
して、右特許権に基づいて侵害訴訟を提起する等権利行使をしないことが黙示的に
合意されていた。また、被告は、原告が本件発明に先立ってされた寄託に利用した
菌株の正当な保有者であり、原告を信頼して好意的に、右菌株を分与した。しか
も、バクテリオファージKM1の発見者である【F】及び【G】は、現在、被告に
勤務している。さらに、被告及びその業務提携先の日宝化学株式会社は、原告のた
めに、研究資料、人的スタッフ、実験環境及び資金、出願手数料、菌株の寄託手数
料のほとんどすべてを負担し、千葉大学に対する寄託研究費の寄付を行っていた。
右の事情を考慮すると、原告の被告に対する本訴請求は、権利の濫用ないし信義
則違反に該当し、許されない。
なお、昭和六二年一二月、原告、被告及び日宝化学株式会社との間で、宮入菌の
研究発展に関する覚書が合意され、宮入菌に関する発明につき、原告が特許権等を
有し、被告が対価を支払って専用実施権の設定を受け、付帯条項として被告が出願
のための費用を負担することとされていた。しかし、右の対価の具体的な定めがま
とまらず、被告からの出願費用負担の履行がされなかったために、原告が右合意を
解除した経緯があるが、右解除の意思表示があっても、なお、特許権の取得に当た
って締結された原、被告間の黙示の合意まで、当然に効力が失われるものではな
い。
(原告の反論)
原告、被告及び日宝化学株式会社との覚書には、共同して発明の権利を維持、防
御する旨の規定があるにもかかわらず、被告は、これに反して、本件出願手続にお
いて、異議申立てをし、特許成立の阻止を図った。被告が、右異議申立ての際に示
された、本件発明の特許性に影響を与える公知文献を発見したのであれば、被告
は、覚書の右規定の趣旨に沿って原告に協力すべきであったにもかかわらず、そう
しなかった以上、被告は本件特許権に関する全権利を放棄したというべきである。
仮に、被告に本件発明に関する権利が残存しているとしても、被告は原告に対
し、本件特許権の実施に関し、対価を支払う義務が生じているにもかかわらず、右
義務を履行しなかった。右経緯を考慮するならば、本件請求は権利濫用に当たらな
い。
〔反訴請求〕
5原告の本訴請求は不法行為を構成するか。
(被告の主張)
原告は、被告から分与を受けたMⅡ588株について、MⅡ588-Sens1
株として寄託した上で、本件特許権を取得した。原告は、前記1ないし2記載のと
おり、被告に先使用等による通常実施権が成立することを知りながら、また、本件
特許権に前記3記載の無効事由があることを知りながら、さらに、前記4記載のと
おり、権利の濫用ないし信義則違反に該当する事情がありながら、あえて被告に対
して訴えを提起した。
以上の事情によれば、原告が被告に対して本件訴えを提起した行為は、不法行為
に該当する。
(原告の反論)
本件発明について被告に先使用等による通常実施権が成立しないことは前記1な
いし2記載のとおりであり、本件特許権に無効事由がないことは前記3記載のとお
りであり、原告の本訴請求が権利濫用ないし信義則違反にならないことは前記4記
載のとおりである。
原告は、被告に対し、原告と被告らの間で締結された覚書を遵守するように何度
も求めたにもかかわらず、被告がこれに応じず、かつ、被告製剤が本件発明の技術
的範囲に属するにもかかわらず被告はこれを否定するという態度を採り続けた。原
告は、本件出願後の被告製剤が本件特許権を侵害しているとの確信を持っていたの
であり、このような正当な特許権の行使が不法行為と評価されることはない。
6被告の被った損害額はいくらか。
(被告の主張)
被告が被った損害額は、金四四〇二万五〇〇〇円であり、その内訳は以下のとお
りである。反訴請求は一部請求である。
(一)弁護士費用及び弁理士費用(成功報酬を含む。)合計三〇〇〇万円
(二)本訴応訴のために要した諸費用四〇二万五〇〇〇円
(三)名誉毀損による無形損害一〇〇〇万円
被告の代表取締役社長であった【I】は、本件訴訟提起を契機として株主代表訴
訟を提起されるなどして、心労により死亡した。同社長の苦痛は法人そのものの苦
痛である。また、本件訴訟提起により長年にわたり国民に親しまれてきたミヤリサ
ンの信用が落ちた。
(原告の反論)
(三)について否認し、その余は不知。
第三争点に対する判断
〔本訴請求について〕
一先使用の成否
1被告の主張に係る先使用の成否について検討する(なお、被告製剤が、本件発
明の構成要件のすべてを充足することについては当事者間に争いがない。)。
被告は、本件出願日である昭和六一年一二月一一日より前から、昭和四七年に寄
託したM588ないしMⅡ588と同一の菌株を培養して得られる芽胞を有効成分
とした生菌製剤を、一貫して同一方法で製造し続けているので、先使用が成立する
旨主張する。まず、この点について判断する。
証拠(甲三、九、乙一二、一三、二一、三七の一ないし三、三八の二、四一、四
三ないし四六、五〇の五及び六、六六、七六の二の三、七七ないし七九)及び弁論
の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(一)被告は、昭和一五年以来一貫して、宮入菌を用いた製薬を製造、販売してい
た。被告は、昭和四三年一〇月三日にミヤBM細粒について、昭和四五年三月三一
日にミヤBM錠について、昭和六一年三月二四日に強ミヤリサン錠について、いず
れも製造承認を受けて製造していた。
(二)被告は、昭和四七年五月一六日、宮入菌を、微工研に、微工研菌寄第一四六
七号(微工研菌寄P-1467)として寄託した。さらに、被告は、国際寄託当局に寄託
し、受託番号微工研条寄第二七八九(国際寄託BP-2789)、微生物の表示を
ClostridiumbutyricumMIYAIRI588として受託された(以下「元菌株BP-2789」
ということがある。)。被告は、これ以後今日に至るまで、五年ごとに右宮入菌の
継代培養を行って、保存管理を継続している。元菌株BP-2789は、昭和三〇年代に大
正製薬が酪酸菌の開発を開始し、同社の酪酸菌と区別するため、元菌株BP-2789が糖
分解のパターンのⅡ型に属していたことから、被告において、元菌株BP-2789を「M
Ⅱ588株」と表示するようになった。以後の被告の製造に係る製剤には、MⅡ5
88株が用いられている。
(三)ところで、昭和五八年ころから五九年ころに掛けて、被告製剤の原末製造中
に、その詳細は不明であるが、MⅡ588株と異なる菌(以下「ラフ型菌」という
ことがある。)が混入し、MⅡ588株(ラフ型と区別するためスムース型という
ことがある。)を培養できない事態が生じた。被告は、その原因を解明するべく調
査を行った結果、昭和五九年一一月ころ、MⅡ588株を溶菌するバクテリオファ
ージKM1の存在を確認し、このバクテリオファージKM1により宮入菌が溶菌さ
れたため、MⅡ588株スムース型が培養できなくなり、逆にバクテリオファージ
KM1に対して非感受性を有するラフ型菌が増殖することを確認した。
(四)被告はその解決手段として培養タンクの洗浄を含めた改修作業を昭和六〇年
五月下旬から同年七月上旬ころまで実施した結果、同年一一月には培養工程が正常
化したことが確認された。もっとも、被告は、一時的に、バクテリオファージKM
1耐性菌を用いて、製剤を製造したことがあった。そして、被告は、昭和六一年初
頭には、MⅡ588株の菌株を培養して得られる芽胞を有効成分とした生菌製剤の
製造を再開し、現在に至っている。
(五)後記二1(一)に記載するとおり、「被告が、本件出願日である昭和六一年一
二月一一日より前である昭和六一年一二月八日に製造したことが明らかな強ミヤリ
サン錠(02N121製剤)から分離した菌株」と、「被告が、現在製造している被告製
剤と同一と解される菌株」すなわち「①ミヤBM錠(平成七年一月三一日製造、製
造番号03W011)、②ミヤBM細粒(平成七年二月二一日製造、製造番号18W022)、
③強ミヤリサン錠(平成七年二月二一日製造、製造番号03W021)から分離した各菌
株」とを対比すると、菌株はすべて、形態学的特徴、生化学的特徴、バクテリオフ
ァージKM1に対し感受性があり溶菌することにおいて、いずれも区別することが
できない。
2以上認定した事実によれば、被告は、本件出願日である昭和六一年一二月一一
日より前から、昭和四七年寄託したM588ないしMⅡ588と同一の菌株を培養
して得られる芽胞を有効成分とした生菌製剤を、一貫して同一方法で製造し続けて
いることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
もっとも、昭和五八年ころから昭和五九年ころまでの被告工場内の培養工程にお
ける、いわゆるラフ型菌の発生及びいわゆるスムース型菌の不発生という不測の事
故を契機として、遅くとも昭和六一年初頭ころまでバクテリオファージKM1耐性
菌を製剤に用いたことがあったが、これらは暫定的な措置に過ぎず、昭和六〇年五
月下旬ないし七月上旬に掛けて培養タンクが洗浄されて以後(遅くとも昭和六一年
初頭以降)は、純粋な感受性菌MⅡ588株を用いて、被告製剤を製造していたの
であるから、同事実は、被告が出願日以前から現在まで、同一菌株を培養して製剤
を製造、販売しているとの認定に消長を来すものではない。
そうすると、その余の点につき判断するまでもなく、被告は、本件特許権につい
て、先使用に基づく通常実施権を有することになり、原告の被告に対する請求は理
由がないことになる。
二権利濫用の有無
1以上のとおり、被告製剤を製造、販売する被告の行為は、先使用に基づく通常
実施権による適法な行為であり、その余の点を判断するまでもなく原告の請求は理
由がないことになるが、当裁判所は、本件特許権が無効事由等を有していることに
より、原告の請求が権利濫用に該当するか否かについても、念のため、以下検討す
る。
証拠(甲一の一、二、乙一八ないし二〇、二四、三八の一、二、五四、五五、六
三、七五の一、二)によれば、以下の事実を認めることができ、これを覆すに足り
る証拠はない。
(一)本件明細書の特許請求の範囲には、バクテリオファージKM1に感染すると
溶菌する感受性を有する酪酸菌〔クロストリジウムブチリクム(Clostridium
butyricum)〕MⅡ588-Sens1株の菌体の純化培養物、又はその純化培養物
の培養で得られる内生胞子を有効成分とすることを特徴とする、バクテリオファー
ジKM1感受性試験により酪酸菌の別異な迷入菌株の侵入の有無を確認できる安全
性をもち且つ投与後の消化管内の定着、生息による整腸作用を確認できる特性をも
つ細菌性食中毒の予防及び治療作用を有する整腸剤と記載されている。また、本件
明細書における「発明の詳細な説明」八欄三一行ないし三五行には、本件発明にお
けるMⅡ588-Sens1株は、親株であるP-7765のMⅡ588株からクローニ
ングによりバクテリオファージKM1に感受性のあるものを選択したものであると
記載されている。
ところで、原告は、被告から分与を受けていたMⅡ588株につき、これを有効
成分とした抗腫瘍剤について昭和五九年八月二三日特許出願したが、これに先立つ
同月三日、酪酸菌MⅡ588を微工研に寄託した(微工研菌寄第七七六五号=FERM
P-7765。以下「P-7765」ないし「親株P-7765」ということがある。)。また、特許
請求の範囲記載のMⅡ588-Sens1株については、本件出願に先立つ昭和六
一年一二月五日に、微工研に、MⅡ588-Sens1として寄託され(微工研菌
寄第九〇七〇号)、さらに酪酸菌(Clostridiumbutyricum)MⅡ588-Sen
s1として国際寄託に移管された(微工研条寄第一六一二号=FERMBP-1612。以
下「BP-1612」ということがある。)。
(二)実験結果(乙三八号証の二)を詳細に検討すると、「被告が、本件出願日で
ある昭和六一年一二月一一日より前である昭和六一年一二月八日に製造したことが
明らかな強ミヤリサン錠(02N121製剤)から分離した菌株」と、「MⅡ588-S
ens1株」とは、形態学的特徴及び生化学的特徴において一致し、また、バクテ
リオファージKM1に対する挙動(感受性)において、区別することができないこ
とが明らかである。
右実験の内容及び結果は、以下のとおりである。すなわち、右実験においては、
①BP-2789(被告の寄託に係るMⅡ588株)、②P-7765(原告の寄託に係るMⅡ5
88株)、③BP-1612(MⅡ588-Sens1株)、④ミヤBM錠(昭和六〇年七
月三日製造(製造番号5M71)及び平成七年一月三一日製造(製造番号03W011))、
ミヤBM細粒(平成七年二月二一日製造(製造番号18W022))、強ミヤリサン錠
(昭和六一年一二月八日(02N121製剤)及び平成七年二月二一日製造(製造番号
03W021))の五つの被告製剤から分離した各菌株、さらに⑤対照用として岐阜大学
医学部附属嫌気性菌実験施設に保存されているClostridiumbutyricum
ATCC-19398を使用して、各菌株の同定、それらの形態学的、生理生化学的性状、及
びバクテリオファージKM1に対する挙動を比較する実験を行った。
この結果は、以下のとおりである。
(1)五%馬脱繊血加変法GAM寒天培地上で行われた各菌株の集落形態を観察した
ところ、平板上で、各菌株はいずれも酪酸菌に特徴的な白色でスムース型の集落を
形成しており、菌や芽胞(内生胞子)には同一の形態学的特徴が認められた。糖分
解試験及び生理生化学的性状試験の結果によると、ATCC-19398菌株以外は、すべて
同一の生化学的性状を有するものとされた。
(2)そして、各平板に接種し、生じた一〇〇個ずつの集落を任意に選択して、これ
に対して、クロスストリーク法(白金耳でファージ液をプレート上に引き、それが
乾いてから菌液をファージと直交するように引いて、交差部分の溶菌を見る方法。
乙六の六)によるバクテリオファージKM1感受性試験を実施した結果、クロスス
トリーク法により、バクテリオファージKM1非感受性標準株ATCC-19398以外は、
すべての集落においてバクテリオファージKM1感受性を示すことが明らかになっ
た。
(3)各試験菌株及びATCC-19398につき、任意に三個ずつの集落(A-1~I-3)を選出
し、各サンプル名が不明になるように盲検化して継代培養し、各集落についてクロ
スストリーク法によるバクテリオファージKM1感受性試験を行ったとこ
ろ、ATCC-19398に相当するC-1~C-3株のみバクテリオファージKM1に耐性であ
り、他はすべてバクテリオファージKM1感受性を示し、増殖阻止形態も同一で全
く区別がつかなかった。
(4)盲検化された菌株から、各一株(A-2~I-2及び例外的な集落形態の
D-3:BP-2789)を選択し、バクテリオファージKM1が各菌株の増殖へ与える影響
を濁度により比較した(溶菌曲線)結果、ATCC-19398に相当するC-2株のみバクテリ
オファージKM1添加後も増殖を続けたが、それ以外の菌株はバクテリオファージ
KM1感染後三〇ないし四〇分後に増殖が停止した後、OD値(濁度:各菌株が対
数増殖期初期に当たる600nmにおける濁度。OD600と示されている。)が〇・一ない
し〇・二まで低下し、その後上昇した(菌体が完全に溶菌しないため、OD値が0
まで低下するものはなかった。)。
(5)濁度の実験で用いた一〇の菌株を107cells塗抹した後、中央部にバクテリオ
ファージKM1を塗抹し、嫌気培養すると、C-2株以外のすべての菌株で中央部にバ
クテリオファージKM1による巨大な溶菌斑が生じ、その中に耐性株の集落が数個
から数百個観察された。
さらに、得られた集落に対してクロスストリーク法によるバクテリオファージK
M1感受性試験を行ったところ、バクテリオファージKM1に対する耐性化が生じ
ていることが確認された。
(6)なお、採用されたクロスストリーク法については、実験の性格上、白金耳に付
着したすべての菌体がバクテリオファージKM1と接触する保証はないため、バク
テリオファージKM1の線と交差後も感受性菌による集落が散見されたこと、また
実験者によって被検菌の阻止の様子が異なることも確認された。
(三)以上のとおり、実験結果(乙三八号証の二)によれば、C-2株(ATCC-19398)
以外の菌株はすべて、形態学的特徴、生化学的特徴、バクテリオファージKM1に
対する挙動(感受性があり溶菌すること)において、いずれも区別ができないこと
が明らかである。そうすると、「BP-1612(MⅡ588-Sens1株)」と「昭和
六一年一二月一一日より前である昭和六一年一二月八日に製造したことが明らかな
02N121製剤から分離したMⅡ588株」とは、形態学的特徴及び生化学的特徴にお
いて一致するということができ、さらにバクテリオファージKM1に対する挙動
(感受性)、すなわち、バクテリオファージKM1によって溶菌するという点で
も、区別することができない。
なお、原告は、乙三八号証の二((5)の実験)において、被告の昭和四七年寄託に
係る元菌株BP-2789のMⅡ588株のみが耐性菌の出現の数が多く、被告が本件出願
後に製造した製剤からの分離菌よりも耐性菌の数が多いことを根拠として、現在の
被告製剤と元菌株BP-2789とは異なる菌株であると主張する。しかし、前記のとお
り、クロスストリーク法によるバクテリオファージ感受性に関する実験では、その
差を見出すことができないのであり、原告の主張は採用できない。
(四)次に、本件発明における「MⅡ588-Sens1株」と「MⅡ588株」
の異同に関して実施したその他の実験について吟味する。
(1)甲一三号証について
甲一三号証によれば、①P-7765より出願公告公報記載の方法に従って純化培養し
て得られたMⅡ588-Sens1株、②平成七年に購入された被告の整腸剤(ミ
ヤBM細粒)より分離した酪酸菌、③MⅡ588(おそらくP-7765のものと推認さ
れる。)、④東京大学分子細胞生物学研究所より分与された、対照菌としての酪酸
菌IAM19001のバクテリオファージKM1に対する挙動に関する実験がされ、右実験
によると、①ないし③についての、バクテリオファージKM1による溶菌曲線にお
いて、③のMⅡ588株の溶菌曲線は不完全で多数の耐性菌の存在が明らかであ
り、①のMⅡ588-Sens1株及び②のミヤBM細粒からの分離菌については
同じように、バクテリオファージKM1感染後定型的な溶菌曲線を描いて溶菌され
たとあり、MⅡ588株とMⅡ588-Sens1株が耐性菌の含有の多寡に違い
があるかのような指摘がされている。
しかし、右実験では、接種菌数を同一にしたとの記載はなく(〇時の時点でのO
D値から見てMⅡ588株の接種菌数が多い。)、最初のOD値もファージ添加時
のOD値も同一ではないなど、溶菌の程度に影響を与える要因となる条件が同一で
ないことから、各溶菌曲線からいずれもバクテリオファージKM1感受性があるこ
とは判明できても、それ以上に溶菌の程度や耐性菌の数の比較まで正確には行うこ
とはできないというべきであって、MⅡ588-Sens1株とMⅡ588株との
菌株の異同を判別する実験として適切なものとは認められない。
(2)甲二六号証によれば、大阪発酵研究所等から原告に分与されたMⅡ588-S
ens1株(IFO14810)とBP-2789株に相当するものを用いて、バクテリオファージ
KM1(+)と(-)の寒天培地(プレート)に、嫌気培養した右両供試菌をレプ
リカして培養して、コロニー数を確認する実験を実施したところ、BP-2789株に相当
するものはMⅡ588-Sens1(IFO14810)株に比較して、耐性菌の含有率が
高いという結果になったとされる。
しかし、同実験では、コロニーが耐性菌のものであるか否かについて確認されて
いるとはいえないこと、培地を作成する際に五〇度の温度で作成していることが実
験結果に影響を与えているともいえること(ファージは温度が高いことにより不活
化される余地がある。乙六一及び六二)から、右結果がMⅡ588-Sens1株
とMⅡ588株との菌株の異同を判別する実験として適切なものとは認められな
い。
(3)甲三一号証によれば、BP-1612(MⅡ588-Sens1株)と元菌株
BP-2789について、寒天培地上に菌株を塗布して、かつファージ液を滴下する方法に
よる感受性試験が実施され、その結果、ファージゾーンに出現したコロニーの数
は、どのファージ濃度でも、元菌株BP-2789の方がBP-1612よりも明らかに多く、元
菌株BP-2789は耐性菌を多く含有するとしている。さらに、ファージ濃度が高いと出
現耐性コロニーが減るのは、外因性溶菌によるものと帰結している。
しかし、右実験では、培地又はファージゾーンに出現したコロニーが耐性菌であ
るかどうかの確認がされていないこと、耐性菌ではなく、感染を受けなかった感受
性菌が存在している可能性を全く捨象している点で疑義があること、各実験につき
シャーレ一枚ずつしか行われておらず、実験結果の正しさを検証することができな
いことなどから、右結果は、必ずしも適切な実験によるものとはいえない。
(4)甲三五号証によれば、元菌株BP-2789、MⅡ588-Sens1
株(BP-1612)、MⅡ588-Res1株(BP-1611)、MⅡ588株(P-7765)、
被告の本件出願後の製剤(ミヤBM錠、強力ミヤリサン錠)が供試菌とされ、①フ
ァージ液を塗布した寒天培地上に被検菌を塗布し、出現コロニー数を計測する実
験、②菌株塗布培地上へのファージ液滴下による感受性試験、③画線菌液上へのフ
ァージ滴下による感受性試験が各実施され、その結果、②ではファージゾーンに出
現したコロニーの数は、少ない方からBP-1612、P-7765、BP-2789、BP-1611の順であ
った、ファージゾーンに出現したコロニー数は、BP-2789株がBP-1612株より明らか
に多かった、BP-1611株ではファージゾーンが出現しなかった、P-7765株の耐性コロ
ニー数は、BP-1612株とBP-2789株との中間であった、製剤中の菌株はいずれも
BP-1612株と同程度のファージ感受性が示された、としている。
しかし、右実験では、甲三一号証と同様に、培地又はファージゾーンに出現した
コロニーが耐性菌であるかどうかの確認がされていないこと、耐性菌ではなくて、
感染を受けなかった感受性菌が存在している可能性を全く捨象している点で疑義が
あること、③の実験については、接種する菌の量についての条件が開示されていな
い点及び菌とファージの接触が十分である保証がない点等で十分な実証がされてい
るとはいい難いことなどから、右結果は、必ずしも適切な実験によるものとはいえ
ない。
(5)乙三九号証には、本件出願における拒絶理由通知に対する原告提出の意見書に
添付された参考資料1のClostridiumbutyricum各菌株のクロスストリーク法を用
いた溶菌試験結果が示されており、MⅡ588株はバクテリオファージKM1塗抹
部位に耐性菌が残っているのに、MⅡ588-Sens1株は同部位に耐性菌が残
っていないとしている。
しかし、クロスストリーク法によって、接種菌体中に溶菌しない菌体が確認され
た場合、それだけではこれがバクテリオファージKM1耐性菌であるのか、感受性
菌であるが、感染を免れた菌であるかを判別することはできないことに照らすなら
ば、右結果は、必ずしもMⅡ588株とMⅡ588-Sens1株とが異なるとい
う根拠とはなり得ない。
右各実験結果は、いずれも各菌株がバクテリオファージKM1に感受性を有して
いるということを示すものではあるが、各菌株の異同について確定的に判別するも
のとしては不十分であり、結局、MⅡ588-Sens1株とMⅡ588株が明確
に判別できる程度に異なるものということはできない。
(五)また、本件出願の前後、学会や刊行物等において、①MⅡ588株はバクテ
リオファージKM1に感染すると溶菌する感受性があること、②MⅡ588株を用
いた整腸剤は、右性質を指標として、別異の迷入菌の侵入の有無及び消化管内の定
着、生息による整腸作用の確認ができること、がいずれも発表されている(特に、
乙七五号証の一、及び乙七五号証の二のスライド10。乙六の二、三、二四、五四、
五五、七五号証)。
2以上(一)ないし(五)において認定した事実を総合すれば、MⅡ588株を用い
た02N121製剤は、MⅡ588-Sens1株の純化培養物を有効成分とする本件発
明に係る整腸剤と同一のものということができる。
そうすると、本件発明は、バクテリオファージKM1に感染すると、溶菌する感
受性を有するMⅡ588-Sens1株の純化培養物を有効成分とする整腸剤であ
るが、①親株であるMⅡ588もバクテリオファージKM1に感染すると溶菌する
感受性を有し、これを有効成分とする整腸剤は、被告が出願前から製造販売してい
たこと(確かに、「02N121製剤」が本件出願日より前に販売されたか否かは不明で
あるが、右製剤と同一の製剤が本件出願日より前に販売されたことは容易に推認さ
れる。)、②MⅡ588-Sens1株の純化培養物を有効成分とする整腸剤とM
Ⅱ588株を用いた02N121製剤とは同一のものということができること、③さら
に、MⅡ588株がバクテリオファージKM1に感染すると溶菌する感受性がある
ことについては、本件出願の昭和六一年一二月一一日より前に、既に学会発表や刊
行物等で発表されていたこと等の事実に照らすならば、本件発明は出願前から公然
実施され、また、既に公知となっていたといえるから、本件特許権は無効事由を有
することが明らかである。
したがって、無効事由を有する本件特許権に基づく原告の請求は、権利濫用に当
たり、許されないことになる。
〔反訴請求について〕
訴えの提起が違法な行為というためには、当該訴訟において提訴者の主張した権
利関係又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、提訴者が、そのこ
とを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて
訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を
欠くと認められるときに限られるというべきである。
本件全証拠によっても、本訴請求において、原告の主張した権利関係又は法律関
係が事実的、法律的根拠を欠き、そのことを原告が知っていたか、又は通常人であ
れば容易にそのことを知り得たと認めることはできず、結局、原告による本件訴え
の提起を違法とまでは解することができない。
したがって、被告の反訴請求は、理由がない。
〔結論〕
以上のとおり、本訴、反訴各請求は、いずれも理由がない。
東京地方裁判所民事第二九部
裁判長裁判官飯 村敏 明
裁判官沖 中康 人
裁判官石 村  智

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